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政経東北速報解説版 毎月2回(1・15日)発行
月刊政経東北
政経東北速報解説版
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 「地元で話題になった記事をもう一度読みたいが、図書館に行ってバックナンバーを探すのが億劫」、「書店で売り切れていて買えなかった」という声に応え、昨年反響のあった記事をWEB上で公開することにしました。カテゴリー別に分かれており、下記のカテゴリーから選択して、興味のある記事をクリックすると全文が表示されます。

連載

なぜ、福島は分断するのか(脳神経科学者 伊藤浩志)
 第3回 ―脳科学で明らかになった「不安」の正体―
 感情がなくなると理性は働かなくなる

 安全は科学の問題で、不安は心の問題──この安全・安心二元論を疑う人は、ほとんどいないだろう。健康リスクを語る上での大前提だ。社会通念では、科学による客観的なリスクと比べ、主観的なリスク(不安)は大げさになりがちで当てにならない、と信じられてきた。放射線に対する不安が、「過剰」扱いされる所以だ。ところが、脳科学の目覚ましい進歩で、過剰に見える被災者の不安に、生物学的な合理性があることが分かってきている。正当性があるのにきちんと評価されなければ、屈辱を感じるのは当然である。真の意味での復興には、被災者の尊厳の回復が欠かせない。今月号は、脳科学が明らかにした不安の正体に迫る。

 問題です。感情的になると理性が働かなくなるって本当ですか。

 「何を今さら、当たり前じゃないか」と、読者の多くは思うに違いない。感情的になるのは動物的な劣った人のすることで、「人の人たる所以は理性にある」と考えがちだ。

 感情と理性を対立させて、理性の働きに高い価値を認め、感情を、理性をかき乱す厄介者と見下す風潮は、広く一般社会に浸透している。

 科学者も同じだ。筆者が専門にしている脳科学の研究も、つい最近まで高度な認知機能を担っていると考えられている大脳新皮質を中心に行われてきた。

過剰な不安説の背後にある理性中心主義 

 この感情に対して理性を優位に置く理性中心主義は、哲学者でもあり、数学者でもあるデカルトが、17世紀に提唱した考え方だ。

 デカルトの世界観は、近代思想だけでなく、近代科学の大前提にもなっている。そのため西欧の学問体系は、文系であろうと、理系であろうと、理性中心主義的だ※1。

※1 18世紀に活躍したヒューム(Hume D)やスミス(Smith A)、19世紀のニーチェ(Nietzsche F)など、感情の働きを重視する論者もいた。ヒュームは、「理性は情念の奴隷である」と語っている(『人間本性論:第2巻 情念について』法政大学出版局)。

 学校教育も明治以降、西欧に追いつき追い越そうと、必死に西欧の物まねをしてきたので、理性中心主義的だ。みんな子どものころから、「感情的になってはいけない。少年よ、理性的たれ」と諭される。

 リスク認知と呼ばれる客観的確率と一般人の感じ方のズレを研究してきた社会心理学も、例外ではない。

 社会心理学によると、一般人の主観的なリスク認知(不安の感じ方)は、科学者が推定する客観的なリスク(理性的な見方)と比べると大げさになる。

 それは、その通りかもしれない。しかし、だからといって、国が言うように、福島県民は放射線に対して根拠のない過剰な不安を抱いていると解釈するのは早計だ。理性中心主義的なものの見方を前提にしているから、そう見えるに過ぎない写真1

あづま総合運動公園内に山積みにされた除染廃棄物。2020年の東京五輪では、公園内の福島県営あづま球場で、野球・ソフトボールの一部試合が行われる(2019年3月18日撮影)

 前提となっているものの見方を規範理論というが、研究の進歩で規範理論が変わってくれば、不安の解釈も異なってくる。

 最近の脳科学の研究で、感情がなくなると、理性は働かなくなってしまうことが確認された。不安は、リスクの存在を私たちに知らせてくれる生命の警報で、意思決定を方向づける大切な羅針盤だったのだ。

 ともあれ、世の中、感情的になると理性が働かなくなると思い込んでいる理性中心主義者が多いようなので、とりあえず、20世紀後半まで支配的だった学説に沿って、なぜ、県民が放射線に過剰な不安を抱いていると解釈されるのか見ていこう。

 そのうえで、1990年代に脳科学の世界で起きたブレイクスルーによって、デカルト以来、300年にわたって続いた理性中心主義が揺らぎ、リスク認知研究が大転換したこと、つまり、もはや政府の「過剰な不安説」は時代遅れの学説になってしまったことを解説する。

バイアスの2大特徴 恐ろしさ因子と未知性因子

 専門家による科学的なリスクの見積もりに対して、一般人のリスク認知には、特徴的な偏り(バイアス)があることが知られている(Slovic p, 1987)。この偏りは、図1に示す通り「恐ろしさ因子」と「未知性因子」と呼ばれるリスク認知の2因子によって説明できるとされる。

 では、この2因子を、今回の原発事故に当てはめて考えてみよう。

 まず、1番目の恐ろしさ因子から。

 原発事故は、すべて当てはまる(カッコ内に、恐ろしさ因子の種類を示す)

 つまり、巨大津波によって全電源を喪失し、炉心が溶融、水素爆発が発生し、汚染水の管理も不十分で、廃炉の見通しも立っていない(制御不能)。放射性物質は、広範囲に撒き散らかされた(世界的大惨事)。低線量被ばくで、健康に悪影響が出るかもしれない(命に関わる)。自分たちは使わない首都圏への電力供給のために被害にあった(被害の不平等)

 さらに、子どもや孫への影響が懸念されている(子孫への影響)。山林除染はできず、居住地の放射線量も思ったほど下がらない(被害の削減が困難)。関連死・関連自殺は何年経っても減らないし、賠償は打ち切られるし、いつになったら故郷に帰れるか分からない(被害が増大しつつある)。レントゲン検査のように納得した上で被ばくしたのではなく、ある日突然、無理やり被ばくさせられた(自発性がない)

 2番目の未知性因子も、すべて原発事故に当てはまる。

 放射線は見えない(観察できない)し、被ばくしても健康影響を感じることはできない(さらされている実感がない)。被ばくの影響が現れるのにも、時間がかかる(晩発性)

 そして、放射性物質で広範囲に汚染された原発事故は世界史上、極めて珍しい(新しいリスク)。さらに、低線量被ばくの影響は不確実性が高い(科学的によく分かっていない)

 このように、原発事故と、その後の低線量被ばくの健康影響を巡る諸問題は、一般人の不安の感じ方に影響を与える2因子に、いずれもよく当てはまる。科学的なリスクの見積もりに比べ、福島県民は過度な不安を抱いている、と言われる所以だ。

 原発事故だけでなく、さまざまなハザード(危害の潜在的な源:放射性物質、農薬など)に対する一般人のリスク認知のパターンは、2因子で説明可能と思われてきた。

 図2は、「恐ろしさ因子」と「未知性因子」の2因子を、それぞれ横軸と縦軸にして、ハザードをプロットしたものだ。

 図の右側にあるほど、恐ろしさ因子の特徴を持つハザードと言える。放射性物質に関連したものが多い。

 図の上側にあるほど、未知性因子の特徴が強いハザードだ。化学物質や遺伝子組み換えなどのバイオテクノロジー関連のハザードが多いことが分かる。

 一方、喫煙、アルコール、自動車などの乗り物の事故、カフェインなど、日常的に目にするありきたりなハザードに対しては、不安を感じにくいことが見て取れる。

 ところで、これらのバイアス研究は、次のような誤解を生みやすい。

 感情的になりがちな一般人は、「正しい」数値から外れた、バイアスがかかった見方をする。それが、風評被害や差別の原因になってしまう。復興の妨げにもなる。だから、誰が見ても客観的な、正しい科学知識を普及させる必要がある、と。

 政府系のリスク・コミュニケーションが、まさにこれだ。

 政府の姿勢に批判的な、脱原発「危ない派」によるアンチ巨人ファン的な「これが本当の正しい科学知識」も、どこかに正しい数値があることを仮定していることに変わりはない。どちらも似たり寄ったりだ。

 そうではない。

 4月号で紹介したように、公正中立と見られがちな専門家の見方でさえ、バイアスがかかっている。脳の構造上、バイアスから自由な人はいないのだ。

 リスク認知におけるバイアスという概念は、「誰もが癖のある見方をしている」という意味だと理解した方がいい。職業や置かれている立場などによって、どんな人でも、バイアスのかかった見方をしてしまう。そのために、気づかないうちに人を傷つけてしまうことがある。だからこそ、お互いの見方の違いを理解して、尊重し合えるような場が必要なのだ。これが、本当の意味でのリスク・コミュニケーションだ。

ダマシオによる画期的研究

 さて、これまで紹介してきたような客観的なリスクと、一般人の不安の感じ方(主観的なリスク)のズレを問題にするリスク認知研究は、21世紀に入って急速に下火になった。

 代わって盛んになったのが、意思決定に果たす情動や直感の役割の解明だ。きっかけになったのが、1990年代に脳科学の分野で立て続けに発表されたダマシオをリーダーとする研究グループの成果だ。

 ダマシオの研究を受け、リスク認知関連分野は、一斉に理性中心主義的な従来の学説を改めた。

 社会心理学の大御所で、先ほどの恐ろしさ因子と未知性因子の2因子で一般人のリスク認知を説明できることを提案したスロビック自身、いち早く、自らの学説を修正した。

 行動経済学のカーネマンも、神経倫理学のグリーンも、分野の違いを越えて、誰もが従来型の理性重視の思考モード「分析システム」に、新たに直感や経験を頼りにする思考モード「経験システム」を付け加え、2つの思考システムからなる思考様式の「二重過程理論」を提唱するようになった。

 一方、日本の研究者の多くは、情けないことに、いまだに旧来の理性重視一辺倒のリスク認知理論にしがみついている。そのため、「過剰な不安説」がとっくの昔に時代遅れになってしまっていることに、政治家や役人は気づかない。

 脱原発危ない派も、理性中心主義の亡霊に囚われたままだ。被災者の理性は保たれており、不安は過剰でないことを証明しようと、終わりなき科学論争を続けることで、結果として被災者救済を遅らせている。被災者にとって、これは不幸なことだ。

 前置きはこれくらいにして、それでは、ダマシオの研究を見ていこう。

帰ってきたフィニアス・ゲージ

 のちに脳科学だけでなく、心理学、経済学、倫理学、哲学など、文系の広範な分野にまで影響を与えることになる論文が1994年、科学雑誌サイエンスに発表された(Damasio H et al., 1994)

 タイトルは、「帰ってきたフィニアス・ゲージ:有名な患者の頭蓋骨から得られた脳についての手がかり」。

 論文の3ページ目には、今では脳科学の教科書には、必ずと言っていいほど登場する人物、ゲージの脳と頭蓋骨が、コンピューター・グラフィックスで描かれている。頭蓋骨には鉄棒が突き刺さっている図3

 この論文の業績は、ハーバード大学の博物館にあったゲージの頭蓋骨を、コンピューター画面上に再構築し、頭蓋骨の破損具合や、鉄棒の形、大きさなどから、脳の損傷部位を特定したことにある。

 1848年、鉄道建設現場で現場監督として働いていたゲージは、事故で脳に大けがを負った。岩盤に詰め込んだ火薬を誤って鉄棒で叩き、暴発させてしまったのだ。

 顔面目がけて飛んで来た鉄棒は、左目の下から突き刺さり、右斜め前方の前頭葉を貫通、頭蓋骨を高速で突き抜けた。鉄棒は、ゲージの30㍍先に落下したという。

 ゲージは奇跡的に助かった。

 しかも、頭部には人差し指を根本まで突っ込むことができるほどの、直径8㌢㍍以上の穴があいていたというのに、事故直後から誰の助けも借りずに一人で歩くことができた。事故から1時間後、宿舎に帰ったゲージは、お見舞いに来てくれた人たちに、爆発の様子を冷静に話して聞かせていたという。ダメージを受けた脳部位が、極めて限定的だったということだ。

 主治医のハーロウ医師が、事故前後のゲージの言動を克明に記録していたことから、特定の脳部位が損傷することで、ゲージの言動がどのように変ってしまったかが確認できた。言動の変化は、損傷した脳部位が担っている機能は何かを如実に物語っている。

事故で人格が豹変

 前頭前皮質腹内側部──ここが、ゲージが事故で特異的にダメージを受けた脳部位だ図4

 事故から2ヶ月という驚異的な早さで怪我から復帰したゲージの言動は、1つを除いて正常に見えた。注意、知覚、記憶、言語、知性は、「完全無欠」だったという。

 1つのこととは、人格が豹変してしまったことだ。

 事故前のゲージは、そつがなく、頭の切れる仕事人であり、非常に精力的で、あらゆる計画を忍耐強く遂行する人物と評されていた。

 ところが、事故後のゲージは、気まぐれで礼儀知らず。以前はそんな習慣はなかったのに、ときおりひどく下品な言葉を吐いた。自分の願望に反する忠告には、いらだちを隠さなかった。どうしようもなく頑固になったかと思うと、優柔不断で、先の作業をいろいろと計画するが、段取りするやいなや、やめてしまう移り気な人物になっていた。

 友人たちは、「ゲージはもはやゲージではない」と悲しげにつぶやいたと言う。

 現在では、多くの損傷患者の観察から、腹内側部がダメージを受けたときに見られる共通の特徴が分かっている。

 彼らは、知能や知覚能力、運動能力に問題はない。しかし、一様に注意力を欠き、優柔不断かと思うと、ときに頑固で、計画通りものごとを進めることができない。

 たとえば、1人旅ができない。目的地がどこでも、最初にやってきたバスや電車に飛び乗ってしまうからだ。買い物に出かけると、たまたま出会った友人と喫茶店に行き、何時間もおしゃべりをして、外出の目的をすっかり忘れてしまう。レストランを選ぼうとすると、一軒ずつ、メニューや店の雰囲気などを丹念にチェックしようとするので、選ぶだけで何時間もかかってしまう。

 感情は平坦で、何ごとにも無関心だ。他人への思いやりに欠ける。

 患者の特徴をまとめると、次のようになる。①計画性がない、②社会のルールに従えない、③分かっていながら自分に不利な選択をする。一言で言えば、意思決定能力の障害だ。

不安を感じないと理性は正常に働かなくなる

 注目したいのは、腹内側部にダメージを受けると、誰しも感情が平坦になってしまうことだ。そして、感情がなくなってしまうと、理性的な能力は正常でも、合理的な意思決定ができなくなることが、カードを使ったギャンブル実験で確認されている(Bechara A et al., 2000)

 不思議なことに、彼らは、自分では「勝ちたい」と強く思い、負けると悔しがるのに、負けると分かっている自分に不利な賭け方をしてしまう。コツコツと地道に勝ちを拾う、堅実な賭け方ができない。目先の損得に目を奪われて、いつも大勝ちを狙っては大損するので、気がつけば借金の山だ。それでも一攫千金を狙い続ける。泥沼にはまっても反省するところがない。

 実験の結果、損傷患者は不利な賭け方をしても汗をかかないことが分かった。健常者の場合、不利なカードを引こうとすると、不利なカードと意識する前に、無意識のうちに汗をかく。損傷患者には、それがない。発汗は、交感神経系が興奮したことによる生理変化で、不安を感じていることを示す情動反応だ。

 このことは、頭では自分が不利になることが分かっていても、理性的な判断の前に、無意識に起きる情動反応がないと、正しい判断ができなくなってしまうことを物語っている。不安を感じなくなると、理性は働かなくなるのだ。

 健常者は何度か不利なカードを引くうちに、無意識に高い罰金を払った過去の経験から不安を感じるようになるため、なんとなく嫌な感じがして、次第に不利なカードを引かなくなってしまう。

 ところが、損傷患者は、不利なカードを何度引いても不安を感じない。嫌な感じがしないので、目先の大勝ちに目を奪われて、最終的には大損する不利な選択をし続けてしまう。 不安を感じると確かに嫌な感じがする。しかし、嫌な感じがするからこそ、不快を感じないような行動を学ぶことができる。前頭前皮質の腹内側部に障害がある患者は、不安を感じることができないために、過去の過ちから何も学ぶことができず、同じ過ちを繰り返してしまうのだ。どこかの電力会社に似ている。

 不安には、自分の人生を豊かにする積極的な働きがある。そのことを忘れてはいけない。

ソマティック・マーカー仮説

 これまで見てきたように、不安などの情動反応は、ものごとを判断する上で非常に重要な役割を果たしている。

 情動には、不安以外に、恐怖、怒り、悲しみ、喜びなどがあるが、情動の役割とは、過去の経験に基づいて、それぞれの選択肢に自分にとって有利か不利かの価値の重み付けをすることだ。情動によって選択肢が重み付けされることで、意識することなく、瞬時に自分に不利な選択肢を避けられるようになる。

 いちいち過去の記憶を呼び覚まして考え込まなくていいので、これは便利だ。命あっての物種だから、とにもかくにも素早く反応して危険を避けた方がいい。多少の間違いは、後からいくらでも取り返せる。大げさに反応することで、記憶にも残りやすい。辛い思いはしたくないから、同じ間違いをしなくなる。

 腹内側部を損傷した患者の特徴を思い出してみよう。優柔不断で、計画性がない。いけないことだと思いつつ、社会のルールに従えない。分かっているのに、自分に不利な選択をする。

 これらの特徴は、情動反応がないことで説明がつく。日常生活を振り返ってみれば納得できるはずだ。

 私たちは、断片的な情報を頼りに、次から次へと用事をこなしていく必要がある。そのためには、無数の情報の中から優先順位の高い情報を、その場で素早く選んでいく必要がある。このとき、無意識のうちに情報に重み付けをして、不必要な情報を切り捨て、重要度の高い情報に注意を促すのが情動と考えられる。

 損傷患者は、情動反応がなく情報に重み付けができないから、いつまでも判断できず優柔不断になってしまう。

 大切な約束の締め切りが迫っていて、期待通りの仕事ができなければ取引先の信用を失うことは頭では分かっていても、不安を感じないので、目の前に降って湧いた些細な、ただし本人にとっては興味が尽きることのない雑用に没頭してしまう。

 取引先を失望させ、上司に怒られても、不快感を感じないので後悔することがない。こんなことを続けているといつか職を失ってしまうことは頭で理解できても、不安を感じないので同じ過ちを何度も繰り返す。

 不安というと心の問題と思いがちだが、不安情動を含めて、情動反応は全身で起きる。

 不安になって心臓がドキドキするのは、交感神経系の反応だ。身構えるのは骨格筋系、ハッとして眠気が覚めるのは中枢神経系の反応だ。意識できないが、ストレスホルモンのコルチゾールが分泌される。内分泌系の反応だ。テスト前に風邪を引きやすいのは、不安によるストレスで免疫力が低下するからだ。情動反応は免疫系にも影響する。

 このように、刺激に対して瞬時に、ほぼ無意識のうちに起きる一過性の生理的変化を情動と呼ぶ。情動反応は、自律神経系、骨格筋系、内分泌系、免疫系、中枢神経系の全身で起きる。脳科学的には、情動反応が意識にのぼったものを感情と言う。

 そして、情動反応は、経験を積むにしたがって脳に記憶として蓄えられる。得をした、あるいは損をしたときの出来事には強い情動反応が起き、記憶され、次に同じような出来事に遭遇したときにも強い情動反応が起き、反応は強化される。逆に、自分の損得にはあまり関係ない出来事には情動反応は起きず、排除されていく。

 強化、排除の過程には、おそらくドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質が関わっている。伝達物質の放出によって、神経細胞の興奮しやすさが変化するのだ。その結果、人は瞬時に自分にとって有利か不利かの判断ができるようになる。これが、ダマシオが提唱した「ソマティック・マーカー仮説」だ(Bechara A & Damasio A, 2005)

根拠なかった過剰な不安説

 以上のように、リスク評価の主要なガイド役を果たしているのは、理性ではなく、無意識に起きる情動反応だ。情動反応が起きないと、頭ではリスクの意味が理解できていても、人は正常な意思決定ができなくなり、リスクを避けることができなくなってしまう。

 放射線被ばくの健康影響を気にする被災者に対して、国は「正しい科学知識(理性)を身につければ、過度な不安(情動反応)は解消する」と言う。しかし、この解釈が暗黙の前提にしているのは、最新の脳科学で否定された理性中心主義なのだ。過度な不安説は、科学的には何ら根拠がなく、偏見に過ぎない。

 確かに、素人のリスク認知には特有のバイアスがかかっている。そのため、中立の科学者であっても、誤ったリスク認知により、被災者は過度な不安を抱いているに違いないと誤解しがちだ。

 しかし、これまで見てきたように、不安を感じることには、身を守るための生物学的な合理性があることが分かっている。来月号では、原発事故の具体的な事例に即して、過度に見える不安の背後に、どのような生物学的な合理性があるのか検討していきたい。



◆筆者紹介◆
 伊藤浩志(いとうひろし) 1961年、静岡県磐田市生まれ。東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程修了。ストレス研究で博士号取得(学術博士)。専門は脳神経科学、リスク論、科学技術社会論。元新聞記者。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件などを担当した。福島市在住。著書に『復興ストレス─失われゆく被災の言葉』(彩流社)、『「不安」は悪いことじゃない─脳科学と人文学が教える「こころの処方箋」』(共著、イースト・プレス)がある。