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政経東北速報解説版 毎月2回(1・15日)発行
月刊政経東北
政経東北速報解説版
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株式会社東邦出版
福島県福島市南矢野目鼓原1-2
TEL:024-554-6101(代表)
FAX:024-554-6103
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 「地元で話題になった記事をもう一度読みたいが、図書館に行ってバックナンバーを探すのが億劫」、「書店で売り切れていて買えなかった」という声に応え、昨年反響のあった記事をWEB上で公開することにしました。カテゴリー別に分かれており、下記のカテゴリーから選択して、興味のある記事をクリックすると全文が表示されます。

連載

なぜ、福島は分断するのか(脳神経科学者 伊藤浩志)
 第5回 ―弱者で高まる放射線の健康リスク―
 「過剰」な不安の背後にあった格差社会の現実

 放射線に不安を感じる人もいれば、気にならない人もいる。なぜだろう。低収入・低学歴の人は、放射線不安を感じやすい。社会経済的弱者ほど、ストレスで免疫力が低下している。免疫力低下は、放射線のダメージを増大させるから、弱者が放射線に強い不安を感じるのは当然だ。「過剰」に見える放射線不安の背後には、格差社会の現実が横たわっていた。一方、「勝ち組」も安穏としてはいられない。前のめりの復興政策は、原発事故で拡大再生産された格差を固定させる恐れがある。格差の激しい社会では、勝ち組の寿命も短くなることが分かっている。つまり、復興推進一辺倒に走るのではなく、弱者の立場にも配慮して、格差という「社会の病」を克服することが、県民すべての健康水準を向上させると同時に、分断解消にもつながる。

 放射線量が下がっても不安は消えそうもない──原発事故時に1〜2歳の子どもがいて、強制避難区域外の中通りに居住していた母親約1000人を対象に毎年行われている調査で、こんな結果が出ている※1。

※1 『福島子ども健康プロジェクト』(代表・成元哲中京大学教授)

 調査によると、事故直後は、地元食材を口にしない家庭が91%を占めていたが、事故から7年経つとその割合は15%に減り、多くの家庭で地元の食材が食卓に並ぶようになった。洗濯物の外干しを避ける家庭も、事故直後の94%から24%へと大幅に減少した。

 一方、放射線の健康影響への不安は、事故直後の95%から徐々に低下してはいるものの、7年後でも46%の母親が不安を感じていて、高止まりしていた写真1

写真1 福島市内の除染済みの公園で遊ぶ母と子。右奥にリアルタイム線量測定システム(通称、モニタリングポスト)、左奥には内部被ばくを測定するホールボディーカウンター搭載車が見える。なにげない日常の風景の中に、原発事故の爪痕がいまでも残っている

放射線不安と社会経済格差

 深刻なのは、社会経済的格差だ。

 時間の経過とともに、高収入層では放射線に対する不安は、和らいでいった。ところが、低収入層では、いつまで経っても強い不安を感じている母親が多かった。学歴別で見ると、高卒者は大卒者より、事故直後から何年経っても強い不安を感じたままでいることが分かった。

 また、収入の少ない世帯では、放射線に対する両親や夫との不安の感じ方の違いに悩む母親が多かった。おそらく、収入が少ないとペットボトルの水を購入できるかどうかなど、放射線対策の選択肢が、収入が多い世帯より限られてくる。そのため、周囲との不安の感じ方の違いを思い知らされる機会が多いからだと思われる。

 放射線情報に対する不信感は、事故直後から低収入・低学歴の両層でともに強く、現在まで強い不信感を持ち続けている。

 さらに、本人が感じる健康度にも収入格差があり、時間の経過とともに、低収入層で自分の健康状態に強い不安を感じている人が多くなり、格差が拡大していることが明らかになった。主観的健康度は実は思いのほか信頼度が高く、世界27もの調査で、本人が「体調が悪い」と答えた人ほど将来の死亡率が高いことが確認されている(Idler EL & Benyamini Y, 1997)。事態は深刻だ。

 意外なことに、居住地と母親の精神的健康度の間には、関連がなかった。第一、居住地の放射線量を尋ねても回答率が低く、回答があっても不正確でデータとして使えなかったという※2。新潟県に避難を続けている福島県民への聞き取り調査も同様で、ほとんどの避難者は、放射線への不安を口にしているのに、避難元の放射線量を知らなかった。

※2 回答者が居住地の放射線量を知らないのだとしたら、何に対して、なぜ、不安を感じているのだろうか。踏み込んだ調査が行われていないことが残念でならない。調査票を郵送しているのだから、居住地の放射線量は、研究者側で確認できるはずだ。

 以上をまとめると、次のようになる。

 時間経過とともに、放射線に対する不安の感じ方は二極化している。不安の背後には社会経済的格差が存在していて、全体としては徐々に回復しているが、低収入層・低学歴層では、現在でも強い不安を感じ続けている人が多い。そして、実際の放射線量と不安の感じ方には、関連は見られない。

 このことは、放射線量が下がっても、社会経済的格差がなくならない限り、住民の不安は消えない可能性が高いことを意味している。

弱者の不安が強い理由

 ではなぜ、社会経済的弱者の不安は強いのだろうか。実は、生物学的必然性があることが分かっている。

 6月号で指摘したように、不安を感じるとは、火災報知器が鳴ったようなものだ。火災報知器は、万が一の惨事に備えて、わずかな異変をも感知するよう設計されている。同じように、生物の警報装置も、リスクに対して過剰に反応するよう本能としてプログラムされている。

 グッピーを使った面白い実験を紹介しよう。

 捕食者、コクチバスをガラス越しに見せたとき、すぐ隠れるグッピーを「臆病」、泳ぎ去るのを「普通」、にらめっこするのを「大胆」の3つに分類した後、一緒の水槽に入れた。すると、60時間後には「大胆」なグッピーは、すべてバスに食べられてしまった。「普通」も15%しか生き残れなかった。ところが、「臆病」者のグッピーは、40%も生き残ることができた(Dugatkin LA, 1992)

 101回目の警報が的中して命が救われたとしたら、100回目までの警報が外れていたとしても、それまでの空騒ぎは無駄だったとは言えない。何ごとも、命あっての物種だ。サイコロを何度も振るのとは違って、1度しかない人生に客観的確率は役に立たない。だから、生物の警報装置は、過剰に反応するようにできているのだ。「不安」には、厳しい環境を生き抜くための積極的な意味がある。

 魚だけでなくラットでも、次のようなことが確認されている。

 ラットの母親にとって、子育てとは赤ちゃんラットをなめたり、毛繕いすることだ。たくさんなめてもらったり、毛繕いしてもらった赤ちゃんラットは、大人になってからストレスに強く、不安を感じにくくなることが分かった(Liu D et al., 1997)

 著名な科学雑誌、サイエンスに発表されたこの論文は、大人になってから不安を感じやすくなるかどうかの体質が、生まれた直後の母親の接し方で決まることを、世界で初めて示した研究として注目された。

 そして、ラットやマウスの赤ちゃんは、出産後の数週間、毎日、母親から3分から15分ほど引き離されると、大人になってからストレスに強くなることが分かった。これは短時間、母親から引き離すことで、母親になめてもらったり、毛繕いしてもらう回数が増えるためだと考えられている(Meaney MJ, 2001)。赤ちゃんが毎日、大変な目に遭わされているということで、母親の育児の質が上がったということだろう。

 一方、もっと長い時間、たとえば3時間ほど母親から離された赤ちゃんは、大人になってから逆にストレスに弱くなることが分かった。10分程度、母親と離れ離れになることは、赤ちゃんにとって良いストレスで、いわゆるホルミシス効果があるが、3時間も離されてしまうと悪いストレスとなり、その影響は一生残ることになる。

 このように、育児に熱心でない母ラットに育てられた仔ラットは、大人になってからストレスに弱く、不安を感じやすくなる。しかし、このことは、必ずしも生存に不利になることを意味しない。母ラットが子どもの世話ができない状況を考えてみれば分かる。

 食糧に乏しくエサが手に入らないようなら、なかなか巣に戻ることはできない。巣の近くに捕食者が多くても、巣に戻りにくい。母ラットが子育てもままならない、厳しい環境下で育てられたとしたら、仔ラットが臆病で不安を感じやすくなることはマイナスではなく、むしろ生存に有利になる。警戒心が強くなることで、外敵に襲われにくくなるからだ。仔ラットは、母ラットから疎遠にされることで、慎重に振る舞うようにプログラムされたともいえる。不安を感じにくい仔ラットは、怖いもの知らずでチョロチョロと巣からはい出し捕食者に襲われやすくなるので、生存に不利になる。

 人間でも、似たようなことが確認されている。

 ロンドンの治安のよくない地域に住む8歳から10歳までの子どもを32歳になるまで追跡調査したところ、臆病で、引きこもりがちで、神経質な子どもほど、犯罪率が低く、幸せな家庭を築いていたことが分かったのだ(Farrington DP et al., 1988)。不安を感じやすく、警戒心が強いからこそ、犯罪に巻き込まれるリスクを避け、落ち着いた生活を手に入れることができたのだろう。

 次のような事例も報告されている。

 子どもの貧困が社会問題となっているが、貧困家庭で育った子どもは、大人になってから他人の表情に過剰に敏感になることが分かったのだ(Evans GW et al., 2016)。脳を調べたところ、生命の警報装置、図1が過剰に反応していた。扁桃体の感受性が高いということは、うつ病になりやすくなるということだ。これは、子どものころ、貧困によるストレスに適応しようと、扁桃体が早く成熟した結果と考えられる。

図1 扁桃体

 マイナスのように見えるが、扁桃体が早く成熟しなければ、大人になる前に危機的な状況に陥っていた可能性が高い。人の表情を敏感に見抜けないと、厳しい環境を生き抜くことができないからだ。

 不安を感じにくくなったり、逆に不安を感じやすくなったりするのは、限られた選択肢の中で生存率を上げようと、個体が環境に適応した結果なのだ。

 つまり、社会経済的弱者が放射線に対して不安を感じやすいのにも、生物学的な必然性がある可能性がある。最も高い可能性について考えてみよう。

動物はみんな不公平を嫌う

 ウサギも格差を嫌がることを、ご存知だろうか。次のような実験で確認されている。

 通常の3分の1までエサの量を減らしたウサギを、2つのグループに分けた。1つ目のグループは、たっぷりとエサをもらえる仲間のウサギの様子が分からないように隔離した。2つ目のグループは、仲間が好きなだけエサを食べる様子を見たり、聞いたり、匂いを嗅げる状態に置いた。

 そして、2つのグループを、この状態で8週間飼育した後に解剖し、心臓の細胞にどの程度のダメージが出たかを確認した。

 すると、たっぷりのエサを食べて満足そうに暮らす仲間を見て、ひもじい思いをしていたウサギの方が、ただ単にお腹を空かせていただけのウサギより、心臓に大きなダメージを受けていたことが分かった(Heidary F et al., 2008)。どちらのグループも、減らされたエサの量は同じなので、ダメージが大きくなった原因は、不公平に対するストレスと考えられる。

 ウサギだけではない。集団で暮らす動物は、みんな不公平を嫌う。

 人間からキュウリをもらって課題をこなしていたフサオマキザルは、大好物のブドウを仲間のサルがもらっているのを目撃した途端、激昂し、檻を揺すり、課題をこなさなくなった(Brosnan SF & De Waal FB,2003)

 このような例は、数多く報告されている。少なくとも他に、マカクザル、チンパンジー、イヌ、ネズミ、カラスは不公平を嫌う。

 他の動物でさえ、こうなのだ。社会経済的格差がいかに人間の心身に深刻なダメージを与えるか、容易に想像できるというものだ。不公平を嫌うのは、社会的動物としての本能だ。

 集団規模が霊長類最大の人類は、最も不公平を嫌う動物ではないだろうか。恐らく、公平さこそ、集団を維持するうえで最も重要な要素なのだ。のけ者扱いされれば、外敵に襲われても、飢えに苦しんでも、助けてもらえない。協力関係を維持するメリットがないから、社会は分断していく。

格差は人を殺す 

 分断によるストレスが心臓病の原因になることは、実証されている。

 バルト海に面した小国、リトアニアは、対岸にあるスウェーデンより、4倍も心臓病の死亡率が高いことが知られている。ところが、常識的な心臓病のリスク要因では、心臓病発生率の違いが説明できなかった。

 住民の血液を調べたところ、リトアニア人は、ストレスホルモン、コルチゾールの血中濃度が、スウェーデン人より高いことが分かった。慢性的なストレスがコルチゾールの血中濃度を高め、動脈硬化の原因になることは、別の研究で確かめられている。福祉大国スウェーデンと比べ、リトアニアは社会経済的格差が激しい。リトアニアでの心臓病多発の原因は、格差による慢性ストレスと結論づけられた(Kristenson M et al., 1998)

 興味深いことに、リトアニアでも、スウェーデンでも、社会階層が低い人の方が、コルチゾールの血中濃度が高いことが分かった。社会格差には健康格差がともなっていて、社会的に排除された側の「負け組」は、心臓病になりやすいことがこの研究で、分子レベルで証明された。

 所得格差の激しい不公平社会の健康水準が低いことは、疫学調査で何度も確認されている。代表的なのがロスの調査で、世界5カ国、528都市(人口5万人以上)の労働年齢の男性を調べたところ、所得格差が大きな都市ほど死亡率が高いことが分かった(Ross NA et al., 2005)。格差が激しいアメリカとイギリスの都市では死亡率が高く、格差が少ないカナダ、スウェーデン、オーストラリアは、軒並み死亡率が低かったのだ図2

図2−1 米国と英国の都市における所得格差と死亡率。所得格差が激しい都市ほど死亡率が高くなっている。Ross NA et al., 2005を改変

図2−2 カナダ、オーストラリア、スウェーデンの都市における所得格差と死亡率。所得格差が少ないこの3カ国では、死亡率も低い。Ross NA et al., 2005を改変

 お分りいただけただろうか。社会経済的弱者が日ごろから不安を感じやすいのは、実際に心臓病や糖尿病、うつ病などになりやすいからだ。格差という「社会の病」に生命の警報装置が反応して、不安を感じやすくなっているのだ。

放射線に弱い災害弱者

 格差そのもので病気になるのは、前述したように、慢性的なストレスによるコルチゾールの過剰放出と、それにともなう免疫力の低下が原因と考えられる。免疫力が低下しているということは、放射線の影響も受けやすいということだ。被ばく量は同じでもがんになりやすいのだから、経済的に豊かな人や、社会的に地位の高い人より、社会経済的弱者が放射線に敏感なのは当然だろう。

 放射線に関する知識の有無は関係ない。これまでの人生経験から、社会的な混乱が起きたとき、立場の弱い自分にしわ寄せが来ることは、身にしみて分かっているはずだ。

 原発事故に限らず、大災害後にはそれまでの社会の矛盾が、誰もが気づかざるを得ないほど拡大し、弱者にしわ寄せが行く。貧困、低い社会経済的立場、社会の連帯の乏しさなどが、災害における精神衛生悪化の主なリスク要因だ(Norris FH et al., 2002)

 さらに、被災後の復興のスピードには、地域差があることが分かってきた。直接の被害が小さいほど復興スピードが早いと思いがちだが、そうではなさそうだ。

 災害支援というと、真っ先に思いつくのが水や食料などの生活必需品の支援や、道路、電気などのインフラ整備だろう。ところが、復旧・復興が早い地域と遅い地域を比較すると、物質的支援の程度だけでは説明つかないことが分かってきた。

 阪神・淡路大震災を調査したアルドリッチによると、復興のスピードはその地域の「地域力」に左右される(Aldrich DP, 2014)。家族、友人、知人といった身の回りの人たちとのつながり(ソーシャル・キャピタル)が豊かな地域ほど、災害後の健康の回復、インフラ整備、コミュニティ回復のスピードが早いという。

 阪神・淡路大震災では、倒壊した家屋のガレキの中から救助された人の多くは、消防士や自衛隊員ではなく、近くに住む隣人によって助け出された。犠牲者のうち96%は、地震発生直後の1時間以内に死亡している。だから、警察や消防が駆けつけたころには多くの場合、生死の決着がついており、生死を分けたのは、「あのおばあちゃんがここにいるはずだ」といった近所付き合いの有無だった。神戸大学に留学していた途上国からの留学生も、死者の割合が高かった。外国人で周囲に知人、友人が少なかったことと、古くて安いアパートに住んでいて倒壊した建物の下敷きになった留学生が多かったためと思われる。

 海外の事例では、孤立した人々は、救助される確率が低くなり、医療支援も受けにくくなることが報告されている。1995年のシカゴ熱波では、一人暮らしのお年寄りの死亡者数が最も多く、何日も発見されないケースが多かったそうだ。また、同じレベルの貧困層でも、人々の結びつきが弱いコミュニティの方が、死者数が多いことが分かった。

 東日本大震災では、津波の大きな被害を受けた宮城県岩沼市で高齢者を対象に行った調査で、人付き合いの多い人の方が、そうでない人より心的外傷後ストレス障害(PTSD)になるリスクが25%低いことが分かっている(Hikichi H et al., 2016)。また、結束力の強い地域の住民の方が、弱い地域の住民よりPTSD発症リスクが同じく25%低かった。

 災害は平等に被害を与えるのではない。災害に対処する能力は、それまでに蓄えられていた余力に左右される。社会経済的弱者は災害弱者であり、放射線弱者なのだ。

自然の社会化と「社会の病」 

 そもそも、福島第一原発は、かつて「東北のチベット」などと揶揄された福島県内で経済的に最も貧しい地域に建設された。その電力は、豊かな東京が利用する。発生した放射性廃棄物は青森県六ヶ所村の中間貯蔵施設・再処理工場で処理される。中央にとって都合がいいように自然は社会化され、核のゴミは危険度が増すにしたがって、東京からより遠く離れた過疎地へと遠ざけられる。

 社会の格差勾配にしたがって、ベネフィットは豊かな中央が享受し、リスクは貧しい地方が負担する不均衡な社会構造が事故前からできあがっていた

 さらに、事故処理に伴う放射線被ばくは、原発作業員・除染作業員に押し付けられている。彼らのほとんどは、労働者の権利を主張できない下請け労働者だ。

 海外の調査で、高学歴・高所得の人ほどリスクの大きい仕事を避けたがり、あまり教育を受けておらず経済的に困窮している人が、リスクの大きい仕事を引き受ける傾向にあることが指摘されている(Shrader-Frechette KS, 1991)

 日本の原子力発電所でも、大卒より高卒の原発作業員の方が積算被ばく線量が高いことが、約7万5000人の放射線作業従事者を対象にした放射線影響協会の調査で分かっている。学歴が低い作業員ほど、危険な作業に従事している可能性が高い。

 全国から集められた除染作業員の多くも、未治療な基礎疾患を抱えたまま就業している社会経済的弱者である(澤野豊明、2016)

 南相馬市立総合病院の調べによると、同病院に入院した除染作業員のうち未治療で来院した患者の割合は、高血圧症で77%、脂質異常症で81%、糖尿病は60%だった。国民健康保険の未加入率は9%で、一般の未加入率1%以下を大きく上回っていた。全国から集められた除染作業員が、基礎疾患があるにもかかわらず未治療なまま仕事を続け、突然の発症で病院に担ぎ込まれる事態が日常化すれば、地域医療にとって大きな負担となる。格差という社会の病のしわ寄せが、被災地の医療現場を襲っている。

 日本社会の格差勾配にしたがって分配されていた放射線に対する健康リスクは、このように原発事故後に拡大再生産された。

 放射線が見えないのは、自分たちの都合で自然を社会化した国と東京電力が、その結果として発生した社会の病の存在をきちんと認めないからだ。政府が避難指示の解除にともない住宅の無償提供などの支援を打ち切ることで、「避難者」という存在も不可視化され、放射線被害は一層見えにくくなった。被災者の不安が過剰に見えるとすれば、放射線の物理的影響に上乗せされた社会の病が隠されてしまうからだ。

 福島原発事故の健康リスクは、このように事故前から社会の格差勾配にしたがい中央から地方へ、経済的に豊かな人から貧しい人へ、高学歴から低学歴の人へとリスクが高まるように配分されていた。健康不安の差は、社会経済的格差による社会的な痛みの差といっていいだろう。

 放射線不安は、社会経済的格差によって実害が生じることをわれわれに警告してくれる。すべての人に平等に降り注ぐ自然放射線と違い、原発事故由来の放射線被ばくによる健康リスクには、格差という「社会の病」が上乗せされているのだ図3

図3 放射線災害における健康リスク(概念図)。被災者の健康リスクには、放射線の物理的影響に、放射線災害の社会的影響が上乗せされている。現在のリスク論には、「社会の病」という視点が欠落している。

 世界保健機関(WHO)は2008年の報告書で、すべての国において、健康と病は社会階層の勾配に従っていると指摘した。そのうえで、「構造的な健康格差が、合理的な行動によって回避できると判断される場合、そのような格差はまさに不公平であると言える。(中略)健康の不公平性を低減することは倫理的義務である」と提言。「社会的不正義のために、多くの人々が殺されている」とまで言い切っている(CSDH, 2008)

安全とは価値の問題

 それでは、弱者で高まる放射線の健康リスクを、県民はどのように受け止めたらいいのだろうか。

 この連載を始めるに当たって3月号で論点を整理したように、安全とは価値の問題なのだ。

 自分が大切にしている価値を失う可能性をリスクと呼ぶ。失いたくないものは、子どもの命であったり、先祖伝来の田畑であったり、豊かな里山の恵みであったりする。失いたくないものの優先順位は人によって異なるから、どの程度のリスクなら受け入れ可能かは、その人の価値観によって異なってくる。

 なのに、放射線量というたった一つのモノサシでリスクを評価しようとすると、人によって大切にしているものの優先順位が異なることに気づかず、相手の価値観を踏みにじってしまう。これが分断の原因になっている、とも指摘した。

 ただ、読者にとっては、そもそも安全に関わる価値観とはいったい何のことなのか、ピンと来ないかもしれない。

 では、ここで1つ思考実験をしてみましょう。

 問題です。「あなたは、格差をなくすことが社会正義だと思いますか」。

 「そう思う」と答えた方は、個人の尊厳を重視する社会主義(欧州では社会民主主義)を支持するか、もしくは潜在的な支持者だ。いわゆる「左派」で、米国なら民主党、英国なら労働党、フランスなら社会党の支持者だ。残念ながら、いまの日本に受け皿となる政党は存在しない。

 原発事故後、福島を中心に小児甲状腺がんが多発しているかもしれないと心配し、これ以上、たった1人でも原発事故の犠牲者を出さないよう、できることは何でもやらなければならないと考えている人がこのタイプだ。自主避難者の立場に同情的で、支援を打ち切ろうとする国や県の態度に批判的だろう。復興政策、東京オリンピック開催にも批判的なはずだ。

 このような価値理念を持つ人は、「社会経済的弱者は、放射線の影響を受けやすい」と聞けば、「それは大変だ。何とかしなければ」と思うことだろう。

 ところが、そうは思わない、もしくは、それほど切実な問題とは思わない人もいるはずだ。いわゆる保守主義者で、選挙では、おそらく自由民主党に投票する人だ。

 伝統を重んじる保守主義者は、これまでの社会秩序を守ることが社会正義と考える。彼らにとっては、先人の努力によって、もしくは、市場原理によって与えられた秩序を守ることが正義であり、いまある秩序を変えようとは思わない。

 世界を席巻している新自由主義がまさにそうなのだが、リベラル※3(自由主義的)な彼らは、貧困や格差は与えられた秩序の一部であって、不遇な境遇は、社会秩序の維持に貢献しようとする努力が足りないことが原因、すなわち自己責任と考える傾向が強い。

※3 欧州的にはリベラルは保守主義から見れば「左派」、社会民主主義から見ると「右派」となる。社会民主主義より左に位置するのが、社会主義と共産主義。一方、米国的にはリベラルは左派(民主党)になる。

 原発事故後の福島については、保守主義者は復興推進、東京オリンピック開催を支持するし、放射線の話はしたがらない。風評被害や差別の原因になるし、自分たちで故郷を汚すようなことは口にしたくない。

 放射線の健康影響については、不安はないわけではないが、100点満点のものがない中で、社会全体の利益をできるだけ多くすることを考えた場合、落としどころとして、「健康影響はない」と主張するはずだ。

水俣病と福島原発事故の違い 

 さて、どちらの正義が、より正しいと言えるだろうか。高度経済成長期までの日本なら、保守主義者の考え方に軍配が上がるのではないだろうか。 日本も含めて、世界中どこの国でも経済が成長するにしたがって、国民の平均的な健康水準は、右肩上がりに向上する(Marmot M, 2015)(図4)。経済成長による上下水道などのインフラ整備、生活・教育水準の向上により衛生・栄養状態が改善され、乳幼児の死亡率が大幅に減少することなどが、その理由だ。

図4 経済成長と健康。どの国でも、豊かになるにしたがって健康水準は向上する。ただし、ある程度豊かになると、格差が激しい国ほど健康状態は頭打ちになる。

 つまり、高度経済成長期までの日本社会の状態を前提とした場合、最も手っ取り早い健康対策は、経済成長ということになる。

 だから、「経済を優先し、健康対策を二の次にしている」といった原発事故後の国の対応への批判は、保守主義者にはナンセンスに映る。復興政策の恩恵にあずかれない人たちや社会主義者にとっては、弱者の健康問題が二の次にされていると感じ、復興政策を批判したくなるだろうが、保守主義者にとって復興推進は、社会秩序・景気の回復、イコール健康状態の改善を意味するからだ。

 そして、水俣病の被害は、保守主義者にしてみたら経済成長による国民全体の健康水準向上のためには、ある程度はやむを得ない必要悪だった、として正当化されることになるだろう。被害者や社会主義者は猛反発するだろうが……。

 では本当に、福島原発事故の健康リスクは、水俣病と同じように考えていいのだろうか。結論から言えば、社会情勢が高度経済成長期と現在ではまったく異なってしまったので、保守主義者でさえ、原発事故後の健康被害を水俣病のように正当化することはできないはずだ。

 再び、経済と健康をめぐる世界情勢を参考にしてみよう。

 ほとんどの人の衣食住がそこそこ満たされるようになった国では、それ以上、経済が発展しても平均寿命の伸びは頭打ちになることが知られている。物質的な豊かさに代わって、健康状態に大きな影響を与えるようになるのは、社会経済的格差だ。格差研究で著名なウィルキンソンによると、世界で最も豊かな25の国の間では、経済的豊かさと健康水準の間には有意な相関関係はまったく見られない(Wilkinson RG, 2005)

 最も分かりやすい例が、アメリカだ。図4をご覧いただければお分かりのように、アメリカは1人当たりの国民所得では世界で最も裕福な国の1つなのに、平均寿命はほとんどの先進国よりも短い。半分の所得しかないギリシャや、途上国のコスタリカより短い。

 アメリカ社会の特徴は、激しい格差だ。州ごとの所得水準と死亡率の関係を調べたところ、不平等な州は平等な州と比べ、高額所得者も含めて、すべての階層で死亡率が低高いことが分かった(Wilkinson RG & Pickett KE, 2008)。住民が健康な州は経済的に豊かな州ではなく、所得が平等な州だった。

 日本はどうだろうか。1億総中流と言われたように、高度経済成長期は、日本社会全体が比較的平等だった。しかし、いまは違う。まるで別の国だ。日本人の6人に1人が貧困状態にある。特に1人親世帯の貧困率は約50%と極めて高く、経済協力開発機構(OECD)に加盟している36カ国中、日本が最悪となっている。

 格差への視点が欠けたまま、やみくもに復興の道を突き進むと、格差が悪化した1980年代以降の社会構造を拡大・再生産することになる。

 格差社会は不健康社会である。アメリカがいい例だ。格差の激しい社会は、心臓病やがんの死亡率が高い。乳児死亡率、総死亡率も高くなる(Kawachi I et al., 1997)

 健康状態だけではない。格差が激しくなると治安が悪化し、犯罪率も高くなる。薬物中毒患者やアルコール依存症も増加する。家庭内も含めて周囲の環境が落ち着かなくなるから、子どもの教育水準も低下する。

 これらの点は、社会秩序の安定を社会正義と考える保守主義者も、見逃すことができないはずだ。社会改革を求める革新勢力を抑え、伝統的な秩序を守るためには、治安を維持し、公衆衛生状態、道徳的な退廃を改善する必要がある。

 つまり、保守主義と社会主義は、必ずしも対立する価値理念ではないのだ。目からウロコの調査結果も報告されている。

 アメリカ50州における女性議員の割合、男女間の賃金格差、女性の経済的な自立度などを分析した結果、女性の社会的地位の高い州ほど、なんと男性の死亡率が低いことが分かった。女性の地位が低い社会は、男性間でも不平等、つまり社会全体が不平等だと考えられる。そのような格差社会では、社会的弱者である女性だけでなく、優位な立場にある男性の死亡率も高くなるということだ。

 社会的動物である人間は、経済を安定させ、秩序を維持することで健康状態を向上させることができる。この点、保守主義が正しい。

 しかし、秩序を安定させるためには、不平等をできるだけ少なくする必要がある。自分の立場を守ってくれないような社会は、協力関係を維持するメリットがないから格差社会は分断していく。分断による慢性ストレスは、勝ち組も含めて社会全体の健康状態も悪化させてしまう。この点で、社会主義の主張は正しい。

 要するに、安全をめぐる価値の問題とは、伝統的な社会秩序を維持することと、弱者救済のバランスをどこで取るかという分配の問題なのだ。

 分断の主な原因は、リスクのモノサシが放射線量というたった1つしかないことにある、と何度も指摘してきた。今月号で提案したように、リスクのモノサシを、放射線の物理的な要因(放射線量)と放射線の社会的要因(社会の病=秩序の維持と格差解消)の2つにすると、選択肢が増えるので、保守主義者と社会主義者の折り合いがつけやすくなるはずだ。

 例として、子どもへの放射線対策を考えてみよう。

 子どもは、放射線の影響を受けやすい。除染したとしても放射線量は事故前の水準に戻るはずもない。不安は消えないが、毎時0・2マイクロシーベルトの空間線量を、再除染によって0・1以下まで下げるのは容易でない。仮に下げられたとしても、再び線量が上昇する可能性がある。現に、そのような場所がある。除染廃棄物の保管場所の確保も大変だ。

 どうだろう。0・1〜0・2マイクロシーベルト程度※4の汚染地域なら、莫大な費用と人手をかけて再除染を求めるよりも、待機児童数を減らしたり、保育士の確保・待遇の大幅改善など、子育て支援を充実させることに力を入れたらどうだろうか写真2。これも、一つの選択肢だ。

※4 みんなが口にしているリアルタイム線量測定システム(通称、モニタリングポスト)やサーベイメーターで計測している値は、1㌢㍍周辺線量当量。健康影響の物差しとなる実効線量は、その値の0・575倍なので、県民が思っているほど実際の被ばく量は多くない。

写真2 保育所(本文とは関係ありません)

 子どもの健康状態が向上し、免疫力がアップすれば、放射線の影響を受けにくくなる。放射線量の数字ばかりにこだわるよりも、はるかに効果的な放射線対策になる。そして、子育て支援は、社会秩序の維持にもなるし、弱者救済にもなる。若い保育士が集まってくれば、地域振興にもなる。保守主義者と社会主義者、どちらの立場も納得しやすいのではないだろうか。

 もちろん、ここで示した放射線対策は、ラフに考えた提案の1つに過ぎない。言いたいのは、リスクのモノサシを1つから2つに増やすことで、現実に存在する健康リスクを今よりはるかに正当に評価できるということだ。そのことが、「分断」という放射線災害がもたらした社会の病の解消に役立つはずだ。

 正義のあり方は、時代によって変わる。昨年の出生数は、過去最少を更新した。少子高齢化が進み、低成長時代を迎えたいま、求められる価値は何か、県民全体で考えていく必要がある。それが放射線対策になると同時に、本当の意味での復興につながるに違いない。



◆筆者紹介◆
 伊藤浩志(いとうひろし) 1961年、静岡県磐田市生まれ。東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程修了。ストレス研究で博士号取得(学術博士)。専門は脳神経科学、リスク論、科学技術社会論。元新聞記者。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件などを担当した。福島市在住。著書に『復興ストレス─失われゆく被災の言葉』(彩流社)、『「不安」は悪いことじゃない─脳科学と人文学が教える「こころの処方箋」』(共著、イースト・プレス)がある。