• 【福島市】厳冬の夜間ホームレス調査

    【福島市】厳冬の夜間ホームレス調査

     路上生活を強いられるホームレスの数を地域住民が夜に自宅周辺を歩いて計測する取り組みが全国に広まっている。「ストリートカウント(ストカン)」と呼ばれ、英米やオーストラリアが先進地だ。日本では2016年に東京で都市空間を研究する大学教員や学生らが中心となって始まった。ホームレスを取り巻く問題を行政機関や福祉の専門家だけに押し付けず、「我がまち」の問題として捉え、ホームレスを排除しない社会を目指す狙いがある。ネットを通じて活動は広がり、全国調査は今年1月に行ったもので3回目。本誌は初参加し、JR福島駅周辺を回った。(小池航) 全国に広がる「東京発住民調査」の輪 終電後のJR福島駅西口  忘新年会シーズンでJR福島駅前を歩く機会が多い。10年前の福島駅は、東西を結ぶ地下通路や高架下でホームレスが荷物を寄せてしゃがみこんでいたり、回収した空き缶をビニール袋に入れて構内を移動する姿をよく見かけた。ホームレスの中には東京電力福島第一原発事故の収束作業や除染作業に従事した後、仕事を失い、帰る場所もなく福島に残って路上生活に陥った人もいた。  現在はどうか。地下通路を歩くと酔っ払いがした小便の臭いが立ち込めるのは相変わらずだが、ホームレスの姿は全然見かけない。  いなくなったわけではない。厚生労働省は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」に基づき、毎年市町村に路上生活者の計測を委託し集計している。直近の2023年1月調査時点によると、福島県内は9人、うち中核市別では福島市4人、郡山市3人、いわき市2人(表参照)。今年1月の数値は取りまとめ中で未公表だ。全国の統計を見ると東京、大阪など大都市に多い。 ホームレスの数が多い上位5都府県(厚生労働省集計) 単位(人)2019年2020年2021年2022年2023年大阪府10641038990966888東京都1126889862770661神奈川県899719687536454福岡県250260268248213愛知県180181157136136 福島県と県内中核市のホームレス人数 単位(人)2019年2020年2021年2022年2023年福島県17141069福島市66324郡山市85323いわき市33422  福島市生活福祉課によると、毎年1月中に職員が市民や警察から寄せられるホームレスの滞在情報を基に、昼と夜の2回に分けて調査する。今年は11日に行った。人数は「厚労省の発表を待ってほしい」と言及を控えたが、存在は確認したという。調査をする際には当事者からの相談も受け付けている。過去には住宅支援や就労支援につなげたこともある。  福島市内のホームレスは減少傾向だが、同課に要因を聞くと「一概には言えない」とした上で、滞在場所が不定のため行き先をたどれなかったり、警察から死亡の報告を受けたケースがあったと話した。  郡山市保健福祉総務課によると、今年は1月中旬までの間に昼と夜の2回に分けて実施。福島市と同じく「詳しい人数は厚労省の発表を待ってほしい」というが今年もホームレスを確認したという。同じく減少傾向にあるが「生活困窮者の窓口につなげたり、亡くなってしまったりで様々な要因があるので一概には言えない」という。  全国で路上生活者は減っている。福島市で10年前に見かけたが最近は見かけないという体感は正しい。新たに住居や職を得ていれば良いが、中には高齢となり病気で死亡している人がいる可能性は否めない。  本誌は県庁所在地福島市の現況を把握しようとJR福島駅前のホームレス目視調査を行った。ホームレスの実態を調査する東京の市民団体「ARCH」(アーチ)が1月19、20日の夜間に全国で開催した「私のまちで東京ストリートカウント」に参加した。  団体名ARCHはAdvocacy and Research Centre for Homelessnessの略称で、都市空間を研究する東京工業大学の教員、学生を母体にホームレス支援団体、市民が加わり2015年から活動を始めた。事務局の杉田早苗さん(岩手大学農学部准教授)が設立経緯を振り返る。  「設立メンバーは英・ロンドンやオーストラリア・シドニーを対象に海外のホームレス支援策を研究してきました。設立の直接のきっかけは東京五輪の開催が決まったことでした。巨大イベントを前にすると、行政は都市公園や競技場付近のホームレスを排除する傾向があります。米・アトランタ五輪では開催期間中にバスの乗車券を渡してホームレスの方を遠ざける施策が取られました。他方、オーストラリアはシドニー五輪を契機に『公共空間にホームレスがいる権利』を議定書に明記しました。東京五輪を控え、排除を進めるのではなく、ホームレスの方を取り巻く問題に目を向け、環境改善につなげたかった」 居住地に帰る夜間に調査 駅に向かう人々(JR福島駅東口)  ARCHメンバーは東京のホームレス支援団体に話を聞き、都市空間の研究者として力になれることを考えた。  支援団体が問題にしていたのが、「東京都はホームレスの実数を正確に把握していないのではないか」という疑念だった。都は職員が目視で人数を把握しているが調査は昼間。ホームレスは、日中は廃品回収などに従事し所在が決まっていないことを考えると、正確な数を把握するには寝床に帰る夜間が適切だ。  支援団体は相談業務や住宅確保・就労支援など目の前の活動に精一杯で、調査まで手が回らない。だが、ホームレスを取り巻く問題は支援団体だけが向き合うのではなく、その地域に住む人も目を向けるべきものだ。海外では地域住民が夜間にホームレスの数を調査する先例があり、米・ニューヨークでは2000人規模の調査員で正確な数値を弾き出していることを知った。  ARCHは2016年夏に東京都渋谷区、新宿区、豊島区の駅前で初めて調査を行った。一般市民の協力を得て年々規模を拡大し、2021年からは全国に参加を呼び掛け、これまで1021人(延べ1910人)が調査に加わった。  調査範囲が東京から全国に広がったのは新型コロナ禍が契機だった。感染が拡大した2020年春以降は感染対策のためにARCHの発足母体である東工大の研究者、学生などに参加者を絞って実施したが、1人当たりが回る範囲が広くなり負担が増した。一般参加を制限したため、市民参加という当初の理念からも遠のいてしまった。  市民同士が無理なく共同調査できる形を模索し、2021年夏にネットを介して自分が住む地域の調査結果を報告・集計する形に改めた。住宅地や郊外の駅・公園が巡回地に加わったことで、「ホームレスがいるのは都心」という一面的な見方を脱し、参加者は自分が住むまちとホームレスを取り巻く問題を関連づけて考えるようになった。  「大切なのは、深夜に自分が住むまちを見つめることで生まれる『地域を見守る感覚』です。ストリートカウントはホームレスの方の人数把握が第一の目的ですが、それ以上に地域住民がホームレスの方を取り巻く問題に気づき、誰もが排除されず暮らしやすいまちにするためにはどうしたらよいかを考えるきっかけになります」(杉田さん)  実際、参加者からは「夏の暑い中や冬の凍える中、ホームレスの方が過ごす屋外を歩き、自分事としてリアルに捉えられた」との感想が多く寄せられるという。調査チームは2人から結成でき、各自終電後の時間帯を最低1時間程度回る。バラバラの行動ではあるが、ネット上の回答フォームに出会ったホームレスや帰る場所がなさそうな人の人数を記入して本部に報告。感想を共有して、参加者同士がゆるやかなつながりを形成している。  参加者の一人、東京工業大学大学院修士1年の松永怜志さんは都市空間のデザインと市民参加の関わりを研究する中で、様々な事情でホームレスとなった人を包摂するまちの役割に興味が湧いた。支援団体に所属し、炊き出しをしたり、個別訪問を行うなど現場に出ている。  「世間話をする中で『自分たちはいらない人間なのではないか』と打ち明けられることがあります。ストリートカウントができるのは、まちで出会った人々を見守り、関心を寄せることまでですが、活動が多くの人に広まれば、排除ではなく助け合いの心につながるのではないでしょうか」(松永さん) 路上生活者は潜在化 福島駅地下道の注意書き  今年1月に行った全国調査への参加者は1日目の19日が62人、2日目の20日が30人、別日に1人が行い、延べ93人が行った。13都道府県から参加があり、北海道、秋田、岩手、福島、埼玉、千葉、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、福岡、熊本の諸都市を回った。福島県内からは本誌のみが参加した。全国の参加者が出会ったホームレスの人数は1日目が103人、2日目が111人だった。  本誌は19日の深夜11時から1時間かけて、スタッフ2人で福島駅周辺を回った。ホームレスには出会わなかった。福島市の調査では昨年1月に4人確認し、今年も存在を確認したというから本誌が見かけなかっただけと考えるのが自然だ。  深夜に駅前にたたずんでいる人はほとんどが家族の送迎の車を待つ人だった。ただ、駅から離れた人通りの少ないトイレ前のベンチで、ヘッドホン(防寒耳あて?)をつけてスマホを操作している人がいた。風貌からホームレスではなく、長時間滞在している様子もなかったが、帰る場所がない人の可能性があり「居場所がなさそうな人」にカウントした。  地下道や高架下にも足を運んだがそこで夜を明かそうとする人の姿は見かけなかった。かつてホームレスを見かけた地下道には、福島市が立てた「居住、長時間滞在・荷物存置、勧誘、物品販売等を禁止します」との看板があった。場所を追われたホームレスたちはどこに行ったのか。より目立たない場所に追いやられ、潜在化しているのかもしれない。  駅南側に進むと、市の子育て支援施設「こむこむ」の窓ガラスの前では、窓を鏡にしてダンスを練習する若者がいた。昼間に車で通ったり、飲み会に足を運ぶだけでは見かけない光景で、自然発生した文化を感じる。文化と言えば、以前週末によく見かけた路上ライブは、ネットでの動画配信が主流のいまは流行らないのか出会わなかった。  福島駅の東口は再開発事業の工事中で、賑わいが以前よりも減り、寒さも相まって物寂しさが漂う。福島市は車社会のため、駅前は車で通りすぎる場所になっている。ましてや夜中に足を運ぶことはめったにない。終電後の1時間程度の観察だったが、自分が住む「まち」に関する解像度が上がった。本誌では、行政の調査を補完するため今後も郡山市やいわき市に足を延ばし、独自にストリートカウントを行う予定だ。

  • いわき市職員と会社役員が交通事故トラブル

    いわき市職員と会社役員が交通事故トラブル

     交通事故では、過失割合や示談金をめぐって加害者と被害者の間で意見が食い違うことがある。昨年12月7日、いわき市常磐関船町の丁字路信号で起きた交通事故もそうした事例の一つだ。  右折レーンで2台の車が信号待ちしていたところ、後ろの車を運転していた市内の会社役員Aさんが不注意でブレーキから足を離し、クリープ現象で前の車に接触してしまった。  双方ともほとんど損傷はなかったが、警察による現場検証の結果、前の車の後部バンパーにナンバープレートの跡が確認できたため、追突事故と扱われた。警察の調書には「時速約5㌔で追突」と記された。  だが、追突された車のドライバーBさんはAさんにすごい剣幕で迫ったという。この間Aさんから相談を受けてきた知人はこう明かす。  「『俺は海外旅行に行くことになっていたのにどうするんだ!』、『明日はタイヤ交換も予約したんだぞ!』、『こんなところでぶつけるって何考えてんだおめー!』とまくしたてられ、Aさんは恐怖を抱いたそうです」  Aさんが運転していたのは社有車。当初「保険会社に対応を任せる」と話していたBさんだったが、8万円でバンパーを修理後、整形外科に行って全治2週間の診断(症状は頸椎捻挫=むち打ち損傷と思われる)を受け、警察に提出した。そのため事故は人身事故扱いとなり、Aさんには違反点数5点が加算された。  そればかりかBさんはAさんが勤める会社の保険会社に対し、海外旅行のキャンセル料、旅先での宴会キャンセル料の支払いを求めたという。判例では結婚式直前の事故による新婚旅行キャンセル料などが損害として認められているが、Bさんの場合、損害とは認められなかったようだ。  交通事故対応に振り回されたAさんは精神的苦痛で吐き気や頭痛を催すようになり、しばらく塞ぎがちになった。一時期はメンタルクリニックに通うほどだったが、一連の手続きの中でBさんがいわき市職員であることを知って、その対応に疑問を抱くようになったという。  「交通事故の被害者になったからと言って、市民である加害者を罵倒し、過剰とも言える損害賠償を求めるのか。地方公務員法第33条に定められている『信用失墜行為』に当たるのではないか」(同)  Aさんらは、いわき市役所職員課に連絡し、Bさんが市職員であることを確認した。だが、情報提供に対する礼と「職員課人事係で共有を図る」という報告があっただけで、その後のアクションはないという。  当事者であるBさんは事故をどう受け止めているのか。自宅を訪ねたところ、次のように話した。  「後ろからドーン!と突っ込まれて『むち打ち』になり、いまも通院していますよ。海外旅行は韓国の友人を訪ねる予定が控えていました。結局キャンセル料を支払ってもらえないというので、旅行には行きましたよ。……あの、これ以上は話す義務もないので取材はお断りします」  時速5㌔での追突を「ドーン!と突っ込まれた」と表現しているほか、けがした状態で韓国旅行に行っても問題はなかったのかなど気になる点はいくつもあったが、曖昧な返答のまま取材を断られてしまった。  いわき市職員課人事係では「事故の件は把握しているが、公務外での事故なので当事者間での話し合いに任せている。言葉遣いが乱暴になった面はあったかもしれないが、事故直後ということもあり、信用失墜行為には当たらないと考えている」とコメントした。  Aさんらは事故を起こしたことを反省しつつも、モヤモヤが続いている様子。こうしたトラブルを避けるためにも、運転には気を付けなければならないということだ。

  • 【伊達市】水不足が露見したバイオマス発電所

    【伊達市】水不足が露見したバイオマス発電所

     梁川町のやながわ工業団地に建設中のバイオマス発電所で、蒸気の冷却に必要な水が不足するかもしれない事態が起きている。 揚水試験で「水量は豊富」と見せかけ 試運転が始まったバイオマス発電所  バイオマス発電所は「バイオパワーふくしま発電所」という名称で5月1日から商業運転開始を予定している。設置者は廃棄物収集運搬・処分業の㈱ログ(群馬県太田市、金田彰社長)だが、施設運営は関連会社の㈱ログホールディングスが行う。  同発電所をめぐっては、地元住民でつくられた「梁川地域市民のくらしと命を守る会」(引地勲代表、以下守る会と略)が反対運動を展開。行政に問題点を指摘しながら設置を許可しないよう働きかけてきたが、受け入れられなかった経緯がある。  施設はほぼ完成し、1月9日からは試運転が始まったが、同5日に施設周辺のほんの数軒に配られた「お知らせ」が物議を醸している。  《現行井戸(6㍍)を廃止し、新規井戸(7・5㍍程度)を設置する(全3基×各2個)。1月上旬より工事着手》(書かれていた内容を抜粋)  ログはこれまでも、住民への説明を後回しにして工事を進めてきた。施設工事が最初に始まった時も、住民は何がつくられるのか全く知らなかったほどだ。  試運転が始まるタイミングで数軒にだけ文書を配り、新しい工事を始めようとしたことに守る会は反発。引地代表は「全市民に知らせるべきだ」として、市にログを指導するよう申し入れた。  「ログは翌週、新聞折り込みで全市に『お知らせ』を配ったが、数軒に配った文書より内容は薄かった」(引地代表)  実は、本誌は新規井戸を設置する話を昨年9月ごろに聞いていた。ログからボーリング業者数社に「現行井戸では水不足が起きる可能性がある」として、新規井戸を掘ってほしいという依頼が間接的に寄せられていたのだ。しかし、井戸を掘って反対運動の矛先が自社に向くことを恐れ、依頼を断るボーリング業者もいたようだ。  計画によると、同発電所が3カ所の現行井戸から揚水する1日の量は夏季2556㌧、冬季915㌧、年平均1707㌧。水はポンプを使って冷却塔水槽に送られ、蒸気タービンから排出された蒸気の冷却などに使われる。しかし「多量の揚水で地下水に影響が出ては困る」という周辺企業からの声を受け、市が依頼した調査会社が2022年11~12月にかけて、同発電所が行った揚水試験に合わせて井戸の水位を観測。その結果、連続揚水試験による井戸の水位低下はわずかだったため、調査会社は「発電所稼働による揚水で井戸や地下水に影響を与える可能性は低い」と結論付けた。  ただし、調査会社が市に提出した報告書にはこうも書かれていた。  《揚水試験の実施期間が短いことや発電所稼働時の揚水状況について未確認なこと、地下水位が高い時期(豊水期)の地下水の挙動が不明確なことなどから、発電所稼働前(1年前)から稼働時(1年間)にかけて、既存井戸において地下水位観測を行うことが望ましい》  調査会社は、井戸や地下水への長期的な影響に注意を払った方がいいと指摘していたのだ。 「究極的には稼働できない」  結果、商業運転目前に水不足の恐れが浮上したわけで、順番としては明らかに逆。すなわち、水が十分あるから蒸気を冷却できるというのが本来の姿なのに、水が足りなかったら蒸気を冷却できず発電は成り立たなくなる。「地下水が足りなければ上水を使うしかないが、それだと水道料金が高く付き、発電コストが上昇するため、ログにとっては好ましくない」(あるボーリング業者)。だからログは、慌てて新規井戸を掘ろうとしているのだ。  前出「お知らせ」には新規井戸を掘る理由がこう綴られていた。  《2022年度に発電所に必要な1日2500㌧前後を揚水できたと報告したが、水位が低い中、仮設ポンプを強引に使用し(いつ壊れてもおかしくない状況)、揚水量確保を主目的に強引に揚水したものだった。この揚水試験データから、水は豊富にあると情報共有されてきた》  要するに「揚水試験の時は水量が豊富にあると見せかけていた」と白状しているわけ。  「お知らせ」に書かれていた問い合わせ先に電話すると「井口」と名乗る所長が次のように話した。  「私は昨年4月に着任したので分かる範囲で言うと、2019年に一つ目の井戸を掘り、その時点で水位が底から1㍍と低く、そのあとに掘った二つの井戸も水位が低かった。言い方は悪いが、発電所に欠かせない水について深く検討しないまま施設工事を進めていたのです」  井口所長が井戸の状況を知ったのは昨年8月だったという。  「三つの現行井戸では十分に揚水できないので、7・5㍍の新規井戸を掘ることになった。現行井戸は6㍍なので1・5㍍深く掘れば水が出ると見ているが、実際に出るかどうかは掘ってみないと分からない」  新規井戸を掘っても十分な水量が確保できなかったら同発電所はどうなるのか。井口所長は「究極的には稼働できない」と答えた。  「契約で上水(水道)は1日700㌧供給してもらえるが、当然水道料金がかかる。対して井戸水はタダなので、経営的には上水はバックアップ用に回したい」  今後については「今更かもしれないが、地元住民にきちんと説明し理解を得ながら進めたい」。これまで住民を軽視する態度をとってきたログにあって、誠実な人物という印象を受けたが、軌道修正を図るのは容易ではない。井口所長のもと、失われた同社の信頼を回復できるのか、それとも住民不信を払拭できないまま商業運転に突入するのか。

  • 【福男福女競走】恒例イベントとして定着【福島市信夫山】

    【福男福女競走】恒例イベントとして定着【福島市信夫山】

     福島市の信夫山にある羽黒神社の例祭「信夫三山暁まいり」が毎年2月10、11日に開催される。それに合わせて、2013年から「暁まいり 福男福女競走」が開催され、今年で10回目を迎える。当初は「どこかの真似事のイベントなんて……」といった雰囲気もあったが、気付けば節目の10回目。いまでは一定程度の認知を得たと言っていいだろう。同イベントはどのように育てられてきたのか。 10回目の節目開催を前に振り返る 羽黒神社 奉納された大わらじ  福島市のシンボル「信夫山」。そこに鎮座する羽黒神社の例祭「信夫三山暁まいり」は、江戸時代から400年にわたって受け継がれているという。羽黒神社に仁王門があり、安置されていた仁王様の足の大きさにあった大わらじを作って奉納したことが由来とされ、長さ12㍍、幅1・4㍍、重さ2㌧にも及ぶ日本一の大わらじが奉納される。五穀豊穣、家内安全、身体強健などを祈願し、足腰が丈夫になるほか、縁結びの神とも言われ、3年続けてお参りすると、恋愛成就するとの言い伝えもあるという。  なお、毎年8月に行われる「福島わらじまつり」は、暁まいりで奉納された大わらじと対になる大わらじが奉納される。この2つが揃って一足(両足)分になる。日本一の大わらじの伝統を守り、郷土意識の高揚と東北の短い夏を楽しみ、市民の憩いの場を提供するまつりとして実施されているほか、より一層の健脚を祈願する意味も込められている。  「暁まいり 福男福女競走」は、2月10日に行われる「信夫三山暁まいり」に合わせて、2013年から開催されている。企画・主催は福島青年会議所で、同会議所まつり委員会が事務局となっている。  このイベントは、信夫山山麓大鳥居から羽黒神社までの約1・3㌔を駆け登り順位を競う。男女の1位から3位までが表彰され、「福男」「福女」の称号のほか、副賞(景品)が贈られる。  このほか、「カップル」、「親子」、「コスプレ」の各賞もある。カップルは「縁結びの神」にちなんだもので、男女ペアで参加し、最初に手を繋いでゴールしたペアがカップル賞となる。親子は、原則として小学生以下の子どもとその保護者が対象で、最初に手を繋いでゴールしたペアに親子賞が贈られる。コスプレ賞は、わらじまつりや暁まいり、信夫山に由来したコスプレをした人の中で一番パフォーマンスが高い参加者が表彰される。それぞれ1組(1人)に副賞が贈られる。  1月中旬、記者は競走コースを歩いてみた(走ってはいない)。登りが続くので、のんびりと歩くだけでも相当な運動になる。特に、羽黒神社に向かう最後の参道は、舗装されておらず、かなりの急勾配になっているため、1㌔以上を走ってきた参加者にとっては〝最後の難関〟になるだろう。それを克服して、より早くゴールした人が「福男」、「福女」になれるのだ。  ちなみに、主催者(福島青年会議所まつり委員会)によると、「福男福女競走のスタート位置は、抽選で決定する」とのこと。いい位置(最前列)からスタートできるのか、そうでないのか、その時点ですでに「福(運)」が試されることになる。 参加者数は増加傾向 スタート地点の信夫山山麓大鳥居  ところで、「福男」と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは西宮神社(兵庫県西宮市)の「福男選び」ではないか。以下は、にしのみや観光協会のホームページに掲載された「福男選び」の紹介文より。    ×  ×  ×  ×  開門神事と福男選び 昨年の福男福女競走(福島青年会議所まつり委員会提供)  1月10日の午前6時に大太鼓が鳴り響き、通称「赤門(あかもん)」と呼ばれる表大門(おもてだいもん)が開かれると同時に本殿を目指して走り出す参拝者たち。テレビや新聞でも報道される迫力あるシーンです。  この神事は開門神事・福男選びと呼ばれており、西宮神社独特の行事として、江戸時代頃から自然発生的に起こってきたといわれています。  当日は、本えびすの10日午前0時にすべての門が閉ざされ、神職は居籠りし午前4時からの大祭が厳かに執り行われます。午前6時に赤門が開放され、230㍍離れた本殿へ「走り参り」をし、本殿へ早く到着した順に1番から3番までがその年の「福男」に認定されます。  先頭に並ぶ108人とその後ろの150人は先着1500人の中から抽選して決められますが、その後ろは一般参加で並んで入れます。また先着5000名には開門神事参拝証が配られます。ちなみに、「福男」とはいえ、女性でも参加できます。    ×  ×  ×  ×  古くから神事として行われていた「福男選び」だが、テレビのニュースなどで報じられ、一気に有名になった。  「暁まいり 福男福女競走」は、これを参考にしたもので、暁まいりをより盛り上げることや、福島市のシンボルである信夫山のPRなどのほか、東日本大震災・福島第一原発事故からの復興祈願や復興PR、風評払拭などの目的もあって実施されるようになった。  ただ、当初は「どこかの真似事のようなイベントなんて……」といった雰囲気もあったのは否めない。それでも、気付けば今年で節目の10回目を迎える。いまでは恒例イベントとして定着していると言っていい。  その証拠に、参加者数は年々増えていった(次頁別表参照)。なお、今年でイベント開始から12年目になるが、2021年、2022年は新型コロナウイルスの感染拡大のため中止となった。昨年は、コロナ禍に伴う制限などがあったため、コロナ禍前と比べると少ないが、そうした特殊事情を除けば、恒例イベントとして順調に育っている、と言っていいのではないか。なお、今年は本稿締め切りの1月25日時点で、360人がエントリーしているという。  主催者によると、参加者は福島市内の人が多いそうだが、市外、県外の人もいる。高校の陸上部に所属している選手が、練習の一環として参加したり、国内各地の同様のイベントに参加している人などもいるようだ。最大の懸念は、事故・怪我などだが、これまで大きな事故・怪我がないのは幸い。  〝本家〟の西宮神社は、約230㍍の競走だが、「暁まいり 福男福女競走」は約1・3㌔で、登りが続くため、より走力・持久力が問われることになる。  ちなみに、同様のイベントはほかにもある。その1つが岩手県釜石市の「韋駄天競走」。「暁まいり 福男福女競走」が始まった翌年の2014年から行われている。同市の寺院「仙壽院」の節分行事の一環で、東日本大震災では寺院のふもとに津波が押し寄せ、避難が遅れた多くの人が犠牲になったことから、その時の教訓をもとに避難の大切さを1000年先まで伝えようと始まった。  昨年で10回目を迎え、「暁まいり 福男福女競走」はコロナ禍で二度中止しているのに対し、「韋駄天競走」は、2021年は市内在住者や市内通勤・通学者に限定し、2022年は競走をしない任意参加の避難訓練として行われたため、開始年は「暁まいり 福男福女競走」より遅いが、開催数は多い。市中心部から高台にある仙壽院までの約290㍍を競走し、性別・年代別の1位が「福男」、「福女」などとして認定される。  昨年は、全部門合計で41人が参加し、コロナ禍前は100人以上が参加していたという。同時期にスタートしたイベントだが、参加者数は「暁まいり 福男福女競走」の方がだいぶ多い。 佐々木健太まつり委員長に聞く ポスターを手にPRする佐々木健太まつり委員長  暁まいりの事務局を担う福島市商工観光部商工業振興課によると、「暁まいりの入り込み数は、震災前は約6000人前後で推移していました。そこから数年は、天候等(降雪・積雪の有無)によって、(6000人ベースから)1000人前後の上下があり、2015年以降は約1万人で、ほぼ横ばいです」という。  福男福女競走の開催に合わせて、暁まいりの入り込み数も増えたことがうかがえる。  こうした新規イベントは、まず立ち上げにかなりのエネルギーが必要になる。一方で、それを継続させ、認知度を高めていくことも、立ち上げと同等か、あるいはそれ以上に重要になってくる。  この点について、福男福女競走の主催者である福島青年会議所まつり委員会の佐々木健太委員長に見解を聞くと、次のように述べた。  「青年会議所の性質上、役員は1期(1年)で変わっていきます。まつり委員会も当然そうです。そんな中で、前年からの引き継ぎはもちろんしっかりとしますが、毎年、(イベント主催者の)メンバーが変わるので、常に新たな視点で、開催に当たれたことが良かったのかもしれません」  当然、佐々木委員長も今年が初めてで、来年はまた別の人にまつり委員長を引き継ぐことになる。そうして、毎年、新しいメンバー、新しい視点で取り組んできたのが良かったのではないか、ということだ。 今年から婚活イベントも追加 昨年の表彰式の様子(福島青年会議所まつり委員会提供) 昨年の表彰式の様子(福島青年会議所まつり委員会提供)  新たな試みという点では、今年から「暁まいり福男福女競走de暁まいりコン」というイベントが追加された。福男福女競走と合わせて行われる婚活支援イベントで、男女各10人が福男福女競走のコースを、対話をしたり、途中で軽食を取ったりしながら歩く。  要項を見ると、「ニックネーム参加」、「前に出ての告白タイムなし」、「カップルになってもお披露目なし」、「カップルになったら自由交際」といったゆるい感じになっており、比較的、気軽に参加できそう。  「羽黒神社は、縁結びの神様と言われ、恋愛成就を祈願する人も多いので、今年から新たな試みとして、この企画を加えてみました」(佐々木委員長)  こうした企画も、来年のまつり委員会のメンバーが新たな視点で改良を加えるべきところは改良を加えながら、進化させていくことになるのだろう。  県外の人や移住者に福島県(県民)の印象を聞くと、「福島県はいいところがたくさんあるのに、そのポテンシャルを生かせていない」、「アピール下手」ということを挙げる人が多い。本誌でも、行政、教育、文化、スポーツなど、さまざまな面で福島県は他県に遅れをとっており、県内の事例がモデルとなり、県外、日本全国に波及したケースはほとんどない、と指摘したことがある。  今回のイベントは、「自前で創造したもの」ではないかもしれないが、いまでは恒例イベントとして定着したほか、伝統行事(暁まいり)の盛り上げ、信夫山のPRなど、もともとあったものの認知度アップ、ポテンシャルを生かすということに一役買っているのは間違いない。

  • 投書で露呈した【双葉地方消防本部】の混乱

    投書で露呈した【双葉地方消防本部】の混乱

     本誌昨年11月号「問題だらけの県内消防組織」という記事で、双葉地方広域市町村圏組合消防本部のパワハラについて記した匿名の告発文が編集部宛てに届いたことを紹介した。その後、再び同消防本部に関する投書が寄せられた。 今度はパワハラと手当不正告発 本誌に寄せられた告発文  双葉地方広域市町村圏組合消防本部の管轄エリアは双葉郡8町村。拠点は消防本部(楢葉町)、浪江消防署、同消防署葛尾出張所、富岡消防署、同消防署楢葉分署、同消防署川内出張所の6カ所。実人員(職員数)は127人。県内の消防本部では小規模な部類に入る。  昨年届いた告発文には、「2023年2月22日、職員同士の飲み会で、上司が嫌がる部下にタバスコ入りの酒を一気飲みさせていた」など、同消防本部で横行するパワハラの事例が記されていた。若手職員Xは飲み会翌日から病休に入り、その後退職したという。  併せて加勢信二消防長が各消防所長に向けて送付した「職員の義務違反について(通知)」という公文書の写しも添付されていた。内容は職員がパワハラで懲戒処分されたのを受けて、言葉遣いや態度への注意を呼び掛けるもの。差出人は匿名だったが、おそらく同消防本部の職員だろう。  告発文が届いた後、同消防本部の職員3人がパワハラで懲戒処分(減給)となっていたことが10月14日付の地元紙で報じられた。おそらく同じものがマスコミ各社にも送られていたのだろう。本誌が入手した同消防本部の内部文書によると、経緯は以下の通り。  ▽被害を受けた若手職員Xは24歳(当時5年目)、富岡消防署所属。加害者はXと同じ班に所属していた。  ▽2022年10月ごろ、消防司令補A(41)が車両清掃作業中、高圧洗浄機で噴射した水をXの手に当てた。夜、ベンチプレスを使ったトレーニング時、Xにバーベルを上げながら声を出したり、彼女の名前を叫ぶように強要した。このほか、Xが兼務している庶務係の仕事をしている際、不機嫌な態度を取ったり、嫌みを言うこともあった。  ▽2023年1月ごろ、Xが防火衣の着装を拒んだとき、Aが不適切な発言(「風邪をひいたら殺すぞ」)をした。  ▽2023年2月ごろ、Xがトイレにいて、朝食を知らせる先輩の呼びかけが聞こえず集合に遅れた際、消防司令補B(35)がその状況を理解しないまま叱責した。  ▽2023年2月22日、同班職員がいわき市内でゴルフを行った後、私的な飲食会を開催。その場で消防士長C(29)がXに「タバスコが入った酒を飲め」と言った。Xはタバスコ入りの酒を飲んだだけでなく、Cからタバスコを直接口の中に入れられた。  ▽2023年2月23日、Xが当直長に「腹痛と下痢のため休みたい」と連絡。この日は年休で休み、その後3月1日まで休暇とした。  ▽2月27日、Xの母親が富岡消防署を来訪し、「息子がハラスメントを受けた」と訴えた。  ▽2月28日、所属長(消防司令長)が本人と面談。3月2日から病気休暇(神経症)を取って通院治療。6月30日付で依願退職した。  ▽Xへの聞き取り調査を経て、3月31日、A、B、Cに対し、富岡消防署長から口頭厳重注意処分が科された。  ▽4月25日にハラスメント対策協議委員会、7月3日に懲戒審査委員会が立ち上げられ、9月14日付でA、B、Cに対する懲戒処分書が交付された。懲戒処分内容はAが減給10分の1=6カ月、Bが減給10分の1=2カ月、Cが減給10分の1=1カ月、消防司令長が訓告(管理監督不十分)。同時に、X及びXの母親に処分内容が報告された。  昨年11月号記事の段階では詳細が分からなかったが、こうして見るとハラスメントが執拗に行われていたことが分かる。おそらく以前から似たようなことがあったのだろう。年下の部下ということもあって、加害者側は軽い気持ちでやっていたのかもしれないが、被害者にとっては大きなストレスとなり、心のダメージとして蓄積されていたことが想像できる。  2019年から勤務していた職員ということは、復興途上の原発被災地域で防災を担おうと高い志を持っていたはず。それを先輩職員がパワハラ行為で退職に追い込むのだからどうしようもない。  こうした体質はこの3人ばかりでなく、組織全体に蔓延しているようだ。というのも同組合の懲戒処分等に関する基準では、ハラスメントについて以下のように定めている。  《職権、情報、技術等を背景として、特定の職員等に対して、人格と尊厳を侵害する言動を繰り返し、相手が強度の心的ストレスを重積させたことによって心身に故障を生じ、勤務に就けない状況を招いたときは、当該職員は免職又は停職とする》  今回の事例ではパワハラを受けたXが休職を経て依願退職していることを考えると、加害者であるA、B、Cは明らかに免職・停職処分となる。ところが前述の通り、3人は懲戒処分の中でもより軽い減給処分で済まされた。  11月号記事で、同消防本部の金沢文男次長兼総務部長は「(懲戒処分が基準よりも軽くなった経緯について)公表していない」と述べた。また、9月14日付で懲戒処分したことを公表せず、10月14日付の地元紙が報じて初めて事実が明らかになったことについては「公表の基準が決まっており、それを下回ったので公表しなかった」と説明していた。どうにも組織全体でパワハラを軽視しており、情報公開を極力避けている印象が否めない。 管理職4人がいじめ!? 双葉地方広域市町村圏組合消防本部  双葉地方の事情通によると、同消防本部ではX以外にも若い職員が退職しており、その家族らも「若い職員を退職に追い込んだ加害者を減給処分で済ませるのはおかしい」と憤っているという。  そうした中、本誌編集部宛てに再び同消防本部に関する匿名の投書が届いた。消印は1月6日付、いわき郵便局。内容は概ね以下の通り。なおパワハラの当事者はすべて実名で書かれていたが、ここでは伏せる。  ▽パワハラが理由で職員Yが退職した。  ▽D係長はずっと嫌みを言ったり蹴ったり殴ったりしていじめていた。  ▽E係長は何度もYを消防本部に呼び出して必要以上に怒っていじめていた。  ▽F分署長はパワハラの事実を知っていたにもかかわらず、指導することなく逆にYを大声で怒鳴りつけていた。  ▽G係長は表でも裏でもしつこく嫌みを言い、陰湿ないじめを行っていた。  ▽この4人はY以外の職員にも現在進行形でパワハラを行っており、他にも辞めていった職員がいる。  ▽加勢消防長もパワハラを知っているはずだが、かわいがっている職員たちをかばい、パワハラをなかったことにしてしまう。  ▽金沢次長兼総務部長もパワハラを把握しているはずだが、分署長たちと仲良く付き合っていて、パワハラの訴えがあっても知らなかったことにしている。  ▽(消防の)関係者ではなく第三者が調査してほしい。ほとんどの職員がパワハラの実態を知っているので、Y本人と職員から聞き取りをしてほしい。  ▽辞めていった人たちは幸せ。辞めることができず、いまもパワハラを受けている私たちは毎日辛い。このままでは最悪な事態に発展することも考えられる。どうか私たちを助けてほしい。  前に届いた告発文に書かれていたのとは別の職員がパワハラで退職していたことを明かしているわけ。加勢消防長を含めほとんどの職員が把握しているのに上層部で握りつぶしている、という指摘が事実だとすれば、組織ぐるみでパワハラを隠蔽していることになる。  今回の投書には続きがあり、通勤手当不正についても記されていた。こちらも実名は伏せる。  ▽通勤手当を不正にもらっている職員がいる。E係長は浪江町にいるのに本宮市から、Hさんは郡山市にいるのに会津若松市から、Iさんは富岡町にいるのに田村市船引町から通っていることにして通勤手当を受け取っている。これは詐欺申告で不正受給ではないか。  原発被災地域を管轄エリアとしている同消防本部には、管轄エリア外の避難先で暮らしている職員もいる。それを悪用してより遠くから通勤していると申請し、通勤手当を不正受給しているケースがある、と。どれぐらいの金額になるのかは把握できなかったが、少なくとも通勤手当を目当てに異なる現住所を職場に伝えれば、緊急時に対応できないことも増えるはず。消防本部でそんなことが可能なのか、それともチェック体制が〝ザル〟ということなのか。  特定人物の評価を下げるために書かれた可能性も否定できないが、いずれにしても内部事情に詳しいところを見ると、同消防組合の職員、もしくはその内情に詳しい人物が書いたと見るべきだろう。  この投書は同組合の構成町村の議会事務局にも1月10日付で送付されたようで(本誌に届いた投書の4日後の消印)、町村議員に写しを配布したところもあるようだ。同組合には議会(定数25人)が設置されており、構成町村議員が3人ずつ(浪江町は4人)名を連ねているので、問題提起の意味で送ったのだろう。本誌以外のマスコミにも投書は届いていると思われる。 「コメントできない」  投書の内容は事実なのか。1月中旬、楢葉町の同消防本部を訪ね、金沢次長兼総務部長にあらためて取材を申し込んだが不在だった。対面取材の時間を取るのは難しいということなので、電話で投書の内容を読み上げコメントを求めたところ、次のように述べた。  「投書に記されている氏名はいずれも当消防本部に所属している職員、元職員なのは間違いありません。各町村に投書が届いているという話は聞いていますが、内容に関しては確認していないので、パワハラの有無や通勤手当不正受給について現段階でコメントできません。他のマスコミから問い合わせをいただいたこともありません」  本誌11月号記事では、消防でパワハラが起きる背景について、消防行政を研究する関西大学社会安全学部の永田尚三教授がこう語っていた。  「消防は一般的に体育会系的要素が強いのに加え、消防本部は地域間格差が大きい。地方の小規模な消防本部では日常の業務に追われ、パワハラ対策やコンプライアンスなどについて、十分に学ぶ時間が確保されていない可能性が高い。また、消防本部は行政部局から切り離され独立性が確保されていますが、それゆえに、行政部局の組織文化が共有されにくい側面もあると思います」  前出X氏の際は、2月下旬に母親がパワハラを指摘してから調査し公表されるまでに半年以上かかった。今回の投書を受けて同消防本部はどのように調査を進めるのか。またパワハラが事実だった場合、自浄能力を発揮できるのか。2月下旬に開会される同組合議会の行方も含め、その動向を注視していきたい。

  • 【聖光学院野球部・斎藤智也監督に聞く】プロの世界に巣立った教え子たち

     皆さんにとって、高校時代の恩師とはどんな存在だろうか。卒業以降、一度も会っていないという人もいれば、卒業後もいろいろと相談に乗ってもらっているという人もいるだろう。その中でも、プロ野球選手にとっては後者の事例が多いようだ。これまでに9人のプロ野球選手を輩出した高校野球の強豪・聖光学院の斎藤智也監督に、同校卒業生の現役プロ野球選手4人の高校時代と現在について語ってもらった。(選手の写真はいずれも聖光学院野球部提供) 斎藤智也監督 湯浅京己投手 湯浅京己投手  1人目は湯浅京己(ゆあさ・あつき)投手(24)。2018年3月卒業。その後、独立リーグ・富山GRNサンダーバーズに入り、同年10月のドラフト会議で、阪神タイガースから6位で指名を受けた。プロ3年目の2021年に1軍初登板を果たし、翌2022年はセットアッパーとして大活躍。最優秀中継ぎ投手のタイトルと、新人特別賞を受賞した。2023年3月に行われたワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選ばれ、世界一にも貢献した。2024年は6年目のシーズンを迎える。  同校出身では、現状、最も実績を残している選手と言えるが、実は湯浅投手は、高校時代は甲子園(2017年夏)のベンチ入りメンバーに入っていなかった。  「ケガの影響で入学してから1年以上は何もしていない。本格的にやり始めたのが2年生の10月だったので、実数8カ月くらいしか高校野球をやってないんです。ただ、そのときからポテンシャルはすごかった。故障がなかったら、かなりの能力があるというのは、もちろん分かっていました」  当時、夏の県大会のベンチ入りメンバーは20人、甲子園のベンチ入りメンバーは18人(※2023年の大会から20人に増員された)だった。湯浅投手は県大会の20人には入っていたが、甲子園ではそこから2人を減らさなければならず、その1人が湯浅投手だった。  「ケガ明けの2年生の10月に、いきなり(球速)135㌔を出して、冬を越えて143㌔、夏の県大会では145㌔を出した。球速はチームでもナンバーワンだったけど、やっぱり投げ込みが不足していたこともあって、コントロールにばらつきがあった。本来であればベンチに入っている選手だけど、あの年代はほかにもいいピッチャーがいて、(県大会のベンチ入りメンバー投手の5人から)1人を削らなければならなかった」  こうして、甲子園でのベンチ入りは叶わなかった湯浅投手。その後は早稲田大学への進学を目指したが、ポテンシャルは折り紙つきでも、実績があるわけではない。スポーツ推薦での入学は難しいと言われ、受験も見送り「最短でプロを目指す」として、独立リーグの富山GRNサンダーバーズに入団した。  前述したように、独立リーガー1年目の秋のドラフトで、阪神タイガースから指名を受けたわけだが、独立リーグでの成績を見ると、それほど目を引くような数字ではない。それでも、プロに指名されたのは、富山GRNサンダーバーズで早い段階でエース格になり、ドラフト指名がほぼ確実になったため、夏場以降は試合での登板を控えていたからだという。  当時の富山GRNサンダーバーズの監督は、ヤクルトスワローズで投手として活躍した伊藤智仁氏(現・ヤクルトピッチングコーチ)。同年秋のドラフト指名を見越して、伊藤監督の配慮で、ケガなどをしないように大事に起用されていたということだ。  ドラフト指名には、いわゆる〝凍結期間〟というものがある。大学に進学すれば、当然、在学中(卒業前年の秋まで)はドラフト対象にならない。社会人に進んだ場合は、高校卒業から3年目以降、大学卒業から2年目以降にならないと解禁されない。ただ、独立リーグに入った場合は高卒1年目から指名対象になる。  湯浅投手は「最短でプロを目指す」ということを有言実行した格好だ。もっとも、プロでも1、2年目はケガで、2軍の試合にもほとんど出ていない。3年目の中盤以降に、ようやく1軍の舞台を経験し、4年目の飛躍につなげた。  「高校時代からすると、奇跡的な結果を出しているなぁと正直思います。それでも、全然プロプロしていない。素朴で、謙虚で、ひたむきなところは変わっていませんね。苦しんだ男の生きざまって言うのかな、そこが湯浅のいいところですね」  湯浅投手にはオリジナルの決め台詞がある。湯浅の「湯(お湯)」と、名前の「京己(あつき)」がかかった「アツアツです」というフレーズだ。ヒーローインタビューなどで、インタビュアーから「今日のピッチングを振り返ってどうでしたか」と聞かれた際、その決め台詞で応じ、ファンから歓声が上がる。いまや、プレーだけでなく、言葉でも球場を沸かせられる選手だ。 佐藤都志也捕手 佐藤都志也捕手  2人目は佐藤都志也(さとう・としや)捕手(25)。2016年3月卒業。東洋大学を経て、2019年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けた。2024年シーズンは5年目になる。  高校時代は1年生の秋からベンチ入りし、2年生の夏(2014年)と3年生の夏(2015年)の甲子園に出場した。2年夏にはベスト8入りを果たしている。当時から、強肩・強打のキャッチャーとして注目されていたほか、人気野球漫画「MAJOR(メジャー)」の登場人物と、同姓同名(漢字は違う)、同じポジションだったことでも話題になった。  高校3年生時に、プロ志望届を提出して、プロ入りを目指したが、指名はなかった。その後、大学野球屈指のリーグである東都大学野球リーグの東洋大に進み、実力を磨いた。2年生の春には、打率.483で首位打者を獲得。1学年上には、「東洋大三羽ガラス」と言われた上茶谷大河投手(DeNAベイスターズ)、甲斐野央投手(福岡ソフトバンクホークス→埼玉西武ライオンズ)、梅津晃大投手(中日ドラゴンズ)がおり、バッテリーを組んだことも大きな経験になったようだ。大学4年時に再度プロ志望届を提出し、ロッテから2位指名を受けた。4年越しでのプロ入りを果たしたのである。  プロでは、1年目から1軍の試合を経験し60試合に出場。そこから2年目62試合、3年目118試合と少しずつ出場試合数を増やしていった。ただ、4年目の2023年シーズンは、試合数は前年の118試合から103試合に、打席数は402打席から278打席へと減った。プロ入り時から監督を務めていた井口資仁氏が2022年オフに退任し、新たに吉井理人監督に変わったことが影響している。  「吉井監督に変わって少し起用が減りましたね。でも、打つ方を考えたら都志也を使いたいはず。(打線強化が課題の)チーム事情を考えたら、都志也が打席に立っている方が得点力は上がるでしょうから。ただ、都志也は自分のバットで点を取れたとしても、自分のリードで点を取られることの方を嫌うでしょう。キャッチャーというか、野球ってそういうものだと思う。2024年シーズンは5年目、そろそろガチッと(レギュラーの座を)勝ち取ってほしいですね」  一方で、斎藤監督はグラウンド外での姿勢にも目を向ける。  「都志也のすごいところは、大した給料(年俸)じゃないのに、社会貢献活動にも熱心なところ。甲子園出場が決まったら、部員数だけリュックバックを贈呈してくれて、我々(監督、部長、コーチ)には立派なトートバッグをくれた。名前入りのものをメーカーに頼んで作ってくれてね。そのほかにも、バッティングゲージを寄付してくれた。それ自体は、ほかの(プロに入った)OBもやっていることだけど、都志也は、只見高校が2022年のセンバツ(21世紀枠)に出場した際も、部員数分のリュックバックを贈った。これはなかなかできないこと。気配りができるんだよね」  このほか、このオフには地元のいわき市で小学生を対象にした野球教室を開催した。  キャッチャーというポジションは、相手打者の調子や特徴、試合展開などを考えて、ピッチャーの配球を決める役割を担い「グラウンド上の監督」とも表現される。細かな目配り気配りが求められるわけだが、そうした行動はキャッチャーならではの配慮といったところか。  「そうでしょうね。とはいえ、気付いてもできないことがほとんど。それができるところが都志也の魅力」と斎藤監督。  佐藤捕手は、同校出身のプロ野球選手で、現役では唯一の県内(いわき市)出身者だ。5年目となる2024年シーズンでの飛躍に期待したい。 船迫大雅投手 船迫大雅投手(中央)、右は八百板卓丸外野手  3人目は、2023年シーズンがルーキーイヤーとなった船迫大雅(ふなばさま・ひろまさ)投手(27)。2015年3月卒業。3年生の夏(2014年)にエースナンバーを背負って甲子園に出場し、3勝を挙げ、ベスト8入りを果たした。その後は、東日本国際大学、西濃運輸を経て、2022年のドラフトで読売ジャイアンツから5位指名を受けた。  「船迫は、中学時代は軟式野球しかやってなくて、入ってきたときも、身長は170㌢もなかったし、体重も50㌔台だった。かわいい顔をしていて、フィギュアスケートの浅田真央選手に似ていたから、『マオちゃん』なんて呼んでいた」  「入学当初を考えたら、とてもプロに入るような選手ではなかった」という斎藤監督だが、転機が訪れたのは2年生の夏。もともとはオーバースローだったが、サイドスローに転向した。  「体のバランスだけを見たら、横(サイドスロー)の方が合うと思ったので、『腕を下げて横から投げてみろ』と言ったら、かなりボールが強くなった。上から投げていたとき(の球速)は115㌔くらいだったのが、最終的には139㌔になって、社会人時代は150㌔を投げるようになった」  斎藤監督によると、「正直、入学当初は(高校の)3年間、バッティングピッチャーで、ベンチ入りは難しいと思っていた」とのことだが、サイドスローに転向したことで素質が開花。3年生の夏にはエースとなって、甲子園で活躍した。当時のスポーツ紙の記事で、「サイドスローに転向したことで、自分の野球人生が変わった」という本人談が掲載されていたのを思い出す。  ちなみに、船迫投手と同学年には八百板卓丸外野手がいる。八百板外野手は高校3年時の2014年秋のドラフトで、東北楽天ゴールデンイーグルスから育成1位で指名を受けてプロ入りを果たした。育成指名は、その名称の通り、「育成」を目的とした契約。言わばプロ野球における練習生のような位置付けで、2軍の試合には出場できるが、1軍の試合には出られない。まずは、1軍登録が可能な「支配下契約」を目指さなければならない。八百板外野手は3年目の2017年シーズン途中に支配下契約を勝ち取り、翌年には1軍デビューを果たす。2019年のシーズンオフに楽天を退団し、同年、読売ジャイアンツに入団した。残念ながら、船迫投手と入れ替わりで退団したため、プロでも一緒のチームでプレーすることは叶わなかったが、同校では同学年から2人のプロ野球選手を輩出したことになる。  船迫投手は高校卒業後、東日本国際大学(いわき市)に進み、南東北大学野球リーグの歴代最多勝記録(34勝)を塗り替えた。その記録を引っさげ、大学4年時にプロ志望届を出したが、指名はなく、社会人の西濃運輸に入った。  大卒社会人は2年目からドラフト解禁となり、2020年がその年だったが、同年とその翌年も指名はなし。社会人4年目の2022年のドラフトで読売ジャイアンツから5位指名を受けた。  プロ入り1年目に27歳になる、いわゆるオールドルーキー。1年目から結果を出さなければ、すぐに居場所がなくなる簡単ではない立場だったが、リリーフとして36試合に登板し、3勝1敗8ホールド、防御率2・70の好成績を残した。  「シーズン途中に2軍に落とされたときもあったけど、最後、もう1回、1軍に上がってきて、(リリーフエースの)クローザーを除けば、一番信頼されていたピッチャーじゃないですかね。湯浅も、船迫もそうだけど、苦労人でね。無名だった選手がウチの野球部に来て、ちょっときっかけ掴んで、プロに行けるようになったのは本当に嬉しい」  ジャイアンツはリリーフピッチャーが課題のチームで、このオフはドラフト、現役ドラフト、トレードなどで、かなりのリリーフピッチャーを補強した。それに伴い、船迫投手も、またチーム内での競争を強いられることになりそうだが、ルーキーイヤー以上の飛躍が期待される。 山浅龍之介捕手 山浅龍之介捕手  4人目は山浅龍之介(やまあさ・りゅうのすけ)捕手(19)。2023年3月卒業。1年生の秋からベンチ入りし、3年生の春、夏(2022年)の甲子園に出場。夏の大会では学校初、福島県勢としても準優勝した1971年以来となるベスト4進出を果たした。その中でも、強肩・強打の山浅捕手の貢献度は高い。その年の秋のドラフトで中日ドラゴンズから4位で指名を受けた。  プロ1年目の2023年シーズンは、7試合に出場した。キャッチャーはピッチャーとの相性に加えて、経験値、洞察力など、さまざまなことが求められるポジション。その中で、高卒1年目で1軍を経験し、試合にも出場したのは首脳陣の評価が相当高い証拠と言える。  「立浪(和義)監督が山浅の指名をスカウトに指示していたようです。(入団後)2軍でも試合に出ていないときは、1人別メニューで特訓を受けているそうですから。英才教育に近い形の扱いを受けているようです」  山浅捕手の魅力は「雰囲気」だという。  「キャッチャーとしての力は、高校時代からずば抜けていた。(1998年に甲子園で春夏連覇した)横浜高校で松坂大輔投手とバッテリーを組んでいた小山良男氏が、いま中日のスカウトをしているんですが、彼が山浅にゾッコンで、どこがいいのかを聞くと、具体的なことは言わないんだけど、『とにかく雰囲気がある』と。確かに、野球脳はものすごく高いし、マスコミへの受け答えを見てもそうだし、高校時代はチームでは『イジられキャラ』だったんだけど、イジリに対する返しも上手い。キャッチャーをやるために生まれてきたようなヤツだなというのはあります」  捕手としての能力や雰囲気だけでなく、高校時代からバッティングも魅力だった。むしろ、そちらの方が評価されているのかと思ったが、斎藤監督によると、「2年生の秋までは、とてもプロに行けるようなレベルではなかった」という。  「正直、2年生の秋までは全然。でもひと冬で変わった。体重が12㌔くらい増えて、それでも50㍍走のタイムも速くなったし、跳躍力も上がった。単に太っただけでなく、フィジカル測定の数字が上がったんです。打球音も変わって、夏の甲子園のときには、バッターとしてもプロに指名されてもいいくらいのレベルにまでなった。ひと冬でこれだけ変わるというのはなかなか見ない。それだけ自分を追い込めるということでもあるし、アイツの人間性というか、自分が良くなればよりチームに貢献できるというね。そういうことを常に考えられるのが山浅のすごいところ」  2024年は高卒2年目で、プロとしてはまだまだ修行が必要だろうが、自身を高く評価してくれている立浪監督の在任中に確固たる地位を確立したいところ。  中日は愛称が「ドラゴンズ」で、選手は「竜(龍)戦士」、売り出し中の若手は「若竜(龍)」などと称される。山浅捕手は名前が「龍之介」だから、導かれるべくして中日ドラゴンズに入ったと言える。近い将来、「龍を背負う龍之介」として人気選手になりそうだ。  同校からプロ入りした選手は、中学までは無名で、努力の人、苦労人が多い。そういったことからも、「より応援したくなる選手」と言える。  また、同校の卒業生では、2024年からプロ野球イースタンリーグに加盟するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの舘池亮佑投手(2021年3月卒業)、東洋大の坂本寅泰外野手(2022年3月卒業)、立教大の佐山未來投手(2023年3月卒業)、国学院大の赤堀颯内野手(同)、中央大の安田淳平外野手(同)などの有力選手もいる。今春の卒業生にも、東洋大への進学が決まっている高中一樹内野手、立正大に進学する三好元気外野手がいる。近い将来、プロ野球選手の仲間入りを果たすかもしれない。彼らの今後にも注目だ。

  • 双葉町で不適切巡回横行の背景

    双葉町で不適切巡回横行の背景

     双葉町がまちづくり会社に委託している町内の戸別巡回業務で60~80代の全巡回員13人が不適切行動をしていた。所有者が巡回を希望していない宅地に無断で立ち入ったほか、道路や線路沿い、空き家の敷地などに実る柿や栗、山菜を無断で持ち去っていた。まちづくり会社は町が設置に携わり、巡回事業は復興庁の交付金を活用していたため全国を賑わし、巡回員のレベルの低さが露呈。法令順守が行き渡っておらず、町とまちづくり会社は指導の不徹底を問われる。 巡回員のレベルの低さが露呈 復興庁が委託した巡回業務で不適切行動があった(写真は双葉町役場)  戸別巡回業務は東京電力福島第一原発事故に伴い指定された双葉町内の避難指示解除区域の空き家などを巡り、玄関の施錠確認などを行う防犯活動。2022年8月に町内の帰還困難区域の一部が解除され、立入通行証を所持しなくても誰もが自由に行き来できるようになるのを前に、町が21年度から一般社団法人ふたばプロジェクト(双葉町)に業務委託した。  委託期間は今年3月末までを予定していたが、不適切行為を公表してから町は別の民間警備会社に巡回車だけで見回る業務に代替している。  同プロジェクトの渡辺雄一郎事務局次長によると職員は24人で、うち正職員5人、有期雇用の職員6人、残り13人が今回不適切行動があった巡回員だった。巡回員は1日5人の体制で、2人ずつ2組が車2台に分かれて乗り、朝8時30分から夕方5時15分まで町内の民家や公共施設を365日見回る。1人は班長として事務所で待機する。班は2日で一巡する。  避難指示解除区域では、老朽化や放射能汚染を受けた建物の公費解体が進む。巡回員は未解体の建物がある敷地に立ち入り、建物の侵入形跡や損壊、残された車両が盗まれていないかを確認する。家主が戸別巡回を希望しないと事前に届け出ている場合や、家屋・門扉を閉じたりロープを張ったりして立ち入らないでほしい意思を明らかに示している場合は敷地外からの目視に留めていた。  不適切行為に気づいた経緯は、2023年10月8日、3連休の中日の日曜日、ある1組が2人で宅地を回っていた際、もう1人が20分も掛かっていたことを不審に思ったからだった。探すと、門扉が閉まって立ち入り禁止の意思表示がされているにもかかわらず、立ち入って建物の解体が進む様子を撮影していた。自身のフェイスブックに投稿していたという。解体工事で敷地を分ける構造物が一部取り払われていたため、門扉が閉まっていても敷地に入れる状況になっていた。バディを組むもう1人が別の巡回員に不適切行動を伝えた。巡回員は10月12日に同プロジェクトの事務局職員に報告した。フェイスブックの投稿を確認し、業務を監督する双葉町住民生活課に報告した。町から事情聴取の上、他の巡回員にも不適切行動がないか追加調査するよう指示された。  無断立ち入りし写真を撮影した巡回員の投稿は、巡回員の許可を得て削除した。同プロジェクトの渡辺次長によると、巡回員は「大震災・原発事故で受けた双葉町の悲惨な記憶が風化しないように現状を伝えたかった」と釈明したという。  同12日から実施した全13人の巡回員への聞き取りでは、無断立ち入りのほかに道路や線路脇、公共施設敷地、民有地10カ所内に自生している果実や山菜の無断採取が判明した。生えている場所を巡回員同士で共有し、採った後は自分たちで消費していたという。果実は柿や栗、銀杏などで、実がなる時季を考えると、業務が始まった2021年秋から無断採取は始まっていたとみられる。  町住民生活課長が10月17日から11月27日にかけて民有地10カ所の全地権者に電話や文書で謝罪した。同27日に謝罪が完了したことをもって町と同プロジェクトが不適切行動を発表。同プロジェクトは巡回員13人を自宅謹慎にした上で、11月23日以降の巡回業務を停止した。  一連の不適切行動は10月上旬の写真投稿で発覚した。業務を停止したのは11月23日以降だから、その間は継続していたことになる。  「人手が足りないという難しいところもありました。代わりの要員を採用するといっても地域に精通した人材をすぐに見つけられるわけではなかった」(渡辺次長)  この事業は復興庁→双葉町→ふたばプロジェクトの順に再委託されている。土屋品子復興相は町の発表と同時に11月27日に事案を公表した。  《本事案発覚後、直ちに、SNSに無許可で写真を投稿した巡回員を業務から外したほか、全巡回員に再教育を行うなど再発防止策を徹底、更に11月23日より、果実等の無断採取を含めて問題行為を行った全ての巡回員を戸別巡回業務から外したところです》  さらに町の情報を上げるスピードが遅かったことを指摘した。  《本事案については、発覚後、双葉町から福島復興局への報告に3週間かかり、また、復興局から復興庁本庁への報告にも3週間かかり、これによる対応の遅れがありました》  復興庁の予算を使った防犯パトロール事業は浪江、大熊、富岡、楢葉、広野、葛尾の6町村でもあったが、多くは青色灯を付けた車両で敷地外を回り、民間警備会社に委託しているところが多い。浪江町は住民を特別職として雇い、チームで巡回し、不審な点を見つけたら敷地内に入る形を取っている。  ある自治体の担当者は「無断で立ち入るだけでなく、果物や山菜を取るのは異常」。別の自治体の担当者は「復興庁に報告するため、本自治体でも不適切事案の調査を進めています」と忙しい様子だった。 任される数々の業務  双葉町の巡回で不適切事例が横行していたのは、戸別巡回という防犯としては積極的な種類だったこと、それをまちづくり会社が担っていたことが挙げられる。論文「福島県の原子力被災地におけるまちづくり会社の実態と課題に関する研究―双葉郡8町村のまちづくり会社を対象として―」(但野悟司氏ら執筆、公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集21号、2023年2月)によると、広野、楢葉、富岡、大熊、浪江、葛尾、双葉、川内の8町村のまちづくり会社のうち、防犯パトロールを実施しているのはふたばプロジェクトのみだった。  法人登記簿によると、同プロジェクトは2019年に設立した。当初から実務を担う事務局長には町職員が出向し、現在は宇名根良平氏。理事には徳永修宏副町長や町商工会関係者が名を連ねる。事業目的は《「官民連携・協働によるふるさとふたばの創生」を基本理念とし、民間と行政の協働による町民主体のまちづくりを牽引するとともに、町民のための地域に根ざした事業を展開し、町の将来像に向けた魅力あるまちを創造すること》としている。主な事業は①各種イベント支援や町民の交流を促進する事業、②双葉町及び町民に関連する情報発信事業、③空き地・空き家の活用による賑わい再生事業など。戸別巡回業務は異色だった。  町が関わっている組織故に信頼があり、敷地に立ち入る戸別巡回を任された。だが、実際に携わった60~80代の男性たちが不適切行動をしていた以上、委託した町や巡回員を指導した事務局がどの程度、法令順守を徹底していたかが問われる。同プロジェクトの本分は交流促進による活性化だが、町には民間事業者が戻らず、あらゆる仕事を任されている状態。手を広げていた中で起きた事案だった。

  • 立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

    【会津若松】立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

     会津若松市馬場町に住む74歳男性が土地の転売を目論む集団から立ち退きを迫られている(昨年8月号で詳報)。追い出し役とみられる新たな所有者は、男性が「賃料を払わず占有している」として土地と建物の明け渡しを求める訴訟を起こし、昨年12月に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。転売集団は立ち退きを厳しく制限する借地借家法に阻まれ、手詰まりから訴訟に踏み切った形。新所有者が、既に入居者がいるのを了承した上で土地を購入したことを示す証言もあり、新所有者が主張する「不法入居」の立証は無理筋だ。 無理筋な「不法入居」立証  問題の土地は会津若松市馬場町4―7の住所地にある約230坪(約760平方㍍)。地番は174~176。その一角に立ち退き訴訟の被告である長谷川雄二氏(74)の生家があり、仕事場にしていた。現在は長谷川氏の息子が居住している。  長谷川氏によると、祖父の代から100年以上にわたり、敷地内に住む所有者に賃料を払い住んできたという。不動産登記簿によると、1941年4月3日に売買で会津若松市のA氏が所有者になった。その後、2003年4月10日に県外のB氏が相続し、2018年9月11日に同住所のC氏に相続で所有権が移っている。実名は伏せるが、A、B、C氏は同じ名字で、長谷川氏によると親族という。  この一族以外に初めて所有権が移ったのは2019年12月27日。会津若松市湯川町の関正尚氏(79)がC氏から購入し、それから3年余り経った昨年2月7日に東京都東村山市の太田正吾氏が買っている。  今回、土地と建物の明け渡し訴訟を起こしたのは太田氏だ。今年3月に馬場町の家に車で乗り付け、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」などと強い口調で立ち退きを迫る様子が、長谷川氏が設置した監視カメラに記録されていた。長谷川氏は太田氏を、所有権を根拠に強硬手段で住民を立ち退かせ、転売する「追い出し役」とみている。  賃料の支払い状況を整理する。長谷川氏は、A、B、C氏の一族には円滑に賃料を払ってきたといい、振り込んだことを示すATMの証明書を筆者に見せてくれた。次の所有者の関氏には手渡しで払っていたという。後述するトラブルで関氏が賃料の受け取りを拒否してからは法務局に供託し、実質支払い済みと同じ効力を得ている。これに対し、太田氏は「出ていけ」の一点張りで、そもそも賃料の支払いを求めてこなかったという。同じく賃料を供託している。  立ち退き問題は関氏が土地を買ったことに端を発するが、なぜ彼が買ったのか。  「A氏の親族のB、C氏は県外に住んでいることもあり、土地を手放したがっていました。C氏から『会津で買ってくれる人はいないか』と相談を受け、私が関氏を紹介しました」(長谷川氏)  土地は会津若松の市街地にあるため、買い手の候補は複数いた。ただ、C氏は長年住み続けている長谷川家に配慮し「転売をしない」、「長谷川家が住むことを承諾する」と厳しい条件を付けたため合意には至らなかった。そもそも借主の立ち退きは借地借家法で厳しく制限され、正当事由がないと認められない。認められても、貸主は出ていく借主に相応の補償をしなければならない。C氏が付けた条件は同法が認める賃借人の居住権と重複するが、長谷川氏に配慮して加えた。  会津地方のある経営者は、購入を断念した一因に条件の厳しさがあったと振り返る。  「有望な土地ですが『居住者に住み続けてもらう』という条件を聞き躊躇しました。開発するにしても転売するにしても、立ち退いてもらわなければ進まないですから」  そんな「長谷川家が住み続けるのを認め、転売しない」という買い手に不利な条件に応じたのが関氏だった。約230坪の土地は固定資産税基準の評価額で2600万円ほど。C氏から契約内容を教えてもらった長谷川氏によると、関氏は約500万円で購入したという。関氏はこの土地から数百㍍離れた場所で山内酒店を経営。土地は同店名義で買い、長谷川家は住み続けるという約束だった。  法人登記簿によると、山内酒店は資本金500万円で、関氏が代表取締役を務める。酒類販売のほか、不動産の賃貸を行っている。  「転売しないという約束を重くするために、C氏は関氏との契約に際し山内酒店の名義で購入する条件を加えました。2019年に私と関氏、C氏とその親族が立ち会って売買に合意しました。代々の所有者と長谷川家の間には賃貸借契約書がなかったこと、関氏と私は長い付き合いで信頼し合っていたことから約束は口頭で済ませた。これが間違いだった」(長谷川氏)  長谷川氏が2022年3月に不動産登記簿を確認すると、所有者が2019年12月27日に「関正尚」個人になっていた。山内酒店で買う約束が破られたことになる。疑念を抱いた長谷川氏は、手渡しで関氏に払っていた賃料の領収書を発行するよう求めた。「山内酒店」と「関正尚」どちらの名前で領収書が切られるのか確認する目的だったが、拒否された。しつこく求めると「福和商事」という名前で領収書を渡された。  「土地の所有者は登記簿に従うなら『関正尚』です。この通り書いたら、店名義で買うというC氏との約束を破ったのを認めることになる。一方、『山内酒店』と書いたら、登記簿の記載に反するので領収書に虚偽を書いたことになる。苦し紛れに書いた『福和商事』は関氏が個人で貸金業をしていた時の商号です。法人登記はしていません」(長谷川氏)  正規の領収書が出せないなら、関氏には賃料を渡せない。ただ、それをもって「賃料を払っていない不法入居者」と歪曲されるのを恐れた長谷川氏は、福島地方法務局若松支局に賃料を供託し、現在も不法入居の言われがないことを示している。 転売に飛びついた面々 長谷川氏(右)に立ち退きを迫る太田氏=2023年3月、会津若松市馬場町  現所有者の太田氏に所有権が移ったのは昨年2月だが、太田氏はその4カ月前の2022年11月17日に不動産業コクド・ホールディングス㈱(郡山市)の齋藤新一社長を引き連れ、馬場町の長谷川氏宅を訪ねている。その時の言動が監視カメラに記録されている。カメラには同月、郡山市の設計士を名乗る男2人が訪ねる様子も収められていた。自称設計士は「富蔵建設(郡山市)から売買を持ち掛けられた」と話していた。長谷川氏は、関氏から太田氏への転売にはコクド・ホールディングスや富蔵建設が関与していると考える。  筆者は昨年7月、関氏に見解を尋ねた。やり取りは次の通り。  ――長谷川氏は土地を追い出されそうだと言っている。  「追い出されるってのは買った人の責任だ。俺は売っただけだ」  ――長谷川家が住み続けていいとC氏と長谷川氏に約束し、買ったのか。  「俺は言っていない。あっちの言い分だ」  ――転売する目的だったとC氏と長谷川氏には伝えたのか。  「伝えていない。どうなるか分からないが売ってだめだという条件はなかった」  ――どうして太田氏に土地を売ったのか。  「そんなことお前に言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」  ――太田氏が長谷川氏に立ち退くよう脅している監視カメラ映像を見た。  「(長谷川氏が)脅されたと思うなら警察を呼べばいい。あいつは都合が悪いとしょっちゅう警察を呼ぶ」  ――コクド・ホールディングスの齋藤氏とはどのような関係か。 「……」  ――齋藤氏や土地を買った太田氏とは一切面識がないということでいいか。  「何でそんなことお前に言わなきゃなんねえんだ。俺は答えねえ」 入居者を追い出すのは現所有者である太田氏の勝手ということだ。  太田氏の動きは早かった。所有権移転から間もない昨年3月、馬場町の家を訪ね、長谷川氏に暴言を吐き立ち退きを迫った。だが、逆に脅迫する様子を監視カメラに撮られた。以後、合法手段に移る。  同6月、太田氏は長谷川氏の立ち退きを求めて提訴した。太田氏の法定代理人は東京都町田市の松本和英弁護士。同12月6日に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。太田氏は現れず、松本弁護士の事務所の若手弁護士が出廷した。被告側は代理人を立てず長谷川氏のみ。長谷川氏は「弁護士を雇う金がない。法律や書式はネットで勉強した。知恵と根気があれば貧乏人でも闘えることを証明したい」。 転売契約書の中身は?  裁判では、原告の太田氏側が長谷川氏の「不法入居」を証明する必要がある。だが、提出した証拠書類は土地の登記簿のみ。長谷川氏は、関氏から太田氏への売買を裏付ける契約書の提出を求めた。これを受け、島崎卓二裁判官は「売買を裏付ける証拠はある?」。太田氏側は「あるにはあるが提出は控えたい」。島崎裁判官は「立証責任は原告にある。契約書があるなら提出をお願いします」と促した。  一方で、島崎裁判官は被告の長谷川氏に土地の賃貸や居住を端的に示す書類を求めた。長谷川氏の回答は「ありません」。長谷川氏は、関氏と太田氏の土地売買に携わった宅建業者の証言や賃料の支払い証明書など傍証を既に提出しているという。  閉廷後の取材に長谷川氏は次のように話した。  「私たち一族がここに住み始めたのは戦前にさかのぼる。当時の契約は、今のようにきちんとした書類を取り交わす習慣がなかったのだと思います。賃貸借契約を端的に示す書類はないが、少なくとも太田氏の前の前の所有者のC氏に関しては賃料を振り込んだことを示す記録が残っているし、関氏とC氏は親族立ち会いのもと『長谷川家が住み続ける』と合意して契約を結んでいる。さらに、関氏から太田氏に転売される際には『既に居住者(長谷川家)がいると説明した上で契約を結んだ』と話す宅建業者の音声データを得ている。裁判では太田氏側が出し渋る契約書の提出を再度求めます」  長谷川氏が契約書の提出を強く求めるのは、仲介した宅建業者の証言通りなら「売買する土地には以前から入居者がいる」と関氏から太田氏への重要事項説明が書きこまれている可能性が高いからだ。太田氏が、居住者がいることを受け入れて契約を結んだ場合、「長谷川家は所有者の了解なく住んでいる」との理屈は成り立たない。さらに借地借家法で居住権が優先的に認められるため、太田氏の都合で追い出すことは不可能になる。  太田氏側が契約書を示さず、裁判官の提出要求にも逡巡している様子からも、契約書には太田氏に不利な内容、すなわち長谷川家の居住を認める内容が書かれている可能性が高い。今後は太田氏側が契約書を提出するかどうかが焦点になる。   第2回期日は1月31日午前10時から地裁会津若松支部で行われる。譲らない双方は和解には至らず法廷闘争は長期化するだろう。 あわせて読みたい 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

  • 【玉川村】職員「住居手当不適切受給」の背景

    【玉川村】職員「住居手当不適切受給」の背景

     玉川村の50代男性職員が住居手当と通勤手当の計約400万円を不適切に受給したとして、昨年12月に停職3カ月の懲戒処分を受けた。一方、本誌昨年10月号では、矢吹町の30代男性職員が住居手当を不適切に受給していたとして、昨年9月に戒告の懲戒処分を受けたことを報じた。この2つの事例から察するに、表面化していないだけで、この手の問題はほかの自治体でもあるのではないか、と思えてならない。 矢吹町でも同様の事例発覚  玉川村の問題は、地域整備課の男性職員(主任主査。50代)が、2012年5月~昨年11月まで、住居手当379万7000円と通勤手当17万1000円の396万8000円を不適切に受給した。村はこの男性職員を停職3カ月の懲戒処分にした。処分は昨年12月7日付。  村によると、男性職員は村外に借りたアパートに住民登録しており、村では家賃の2分の1、2万8000円(※以前は2万7000円)を上限に住宅手当が支給されることになっている。ところが、男性職員はアパートを借りたままで、実際の生活は村外の親族宅で暮らすようになった。それが始まったのが2012年5月こと。本来であれば、その時点で住民票を移して、村に申し出なければならなかったが、「親族宅での生活は一時的なもの」として、そのままにしていた。しかし、親族宅での生活は「一時的なもの」ではなく、結果的に10年以上に及んだ。その間、アパートの賃貸借契約は継続されていたが、住居手当には「生活の実態がある」旨の条件があり、受給条件を満たさなくなった。加えて、その親族宅は、住民登録していたアパートより、職場(玉川村役場)への距離が若干近かった。  こうした事情から、前述した住居手当、通勤手当の計約400万円を不適切に受給したとして、停職3カ月の懲戒処分を受けたのである。  この問題が発覚した原因は匿名の情報提供があったのがきっかけ。これを受け、聞き取り調査を行い、男性職員が事実と認めたことから、懲罰委員会で処分を決めた。不適切に受給した住居手当、通勤手当は全額を返済されているという。  「(処分発表後)村民からは厳しいご指摘もいただいている。今回の件を受け、11月と12月に(同様の事例がないか)全職員への聞き取りを行いました。今後も、年1回は確認を行い、このようなことが起こらないように対処したい」(須田潤一総務課長)  今回の件を受け、ある議員はこう話した。  「昨年12月議会開会前の同月6日に、控え室で村から議員にこの問題についての説明があった。そこでは明日(7日)に懲罰委員会を開き、(議会初日の)8日にあらためて説明するとのことだった。ただ、村民の中には、われわれ(議員)より先にこの問題を知っている人がいて、それによると『この男性職員は矢吹町にアパートを借りていて、奥さんが出産の際、実家に戻った。旦那さん(男性職員)もアパートに帰らず、奥さんの実家に寝泊まりして、そこから通勤するようになった。それがズルズルと続いて、今回の問題に至った』と、逆にわれわれが村民に詳細を教えられる状況だった。どこから漏れたのか、ある程度、察しはつくが、こういうのは何とかならないものかと思いましたね」  肝心の問題の対処については、「どの職員がどこに住んでいるか。本当に、住民登録があるところに住んでいるのか等々を把握するのは難しい。本当にそこに住んでいるのか、抜き打ちで後をつけるわけにもいかないしね。その辺は本人の申告に頼らざるを得ないが、定期的に確認することは必要になるでしょう」との見解を示した。  アパートなどの賃貸住宅は、一度契約すると、当事者からの申し出がない限り、自動的に契約が更新される仕組み。例えば、1年ごとに契約を結び直すシステムであれば、その度に契約書を提示してもらうことで確認できるが、そうでない以上、本人の申し出に頼るしかない。そういった点はあるものの、住居手当の受給条件を満たしているか等々の定期的な確認は必要だろう。  一方で、ある村民はこう話す。  「いま、村内では阿武隈川遊水地の問題があるが、遊水地の対象地区では地元協議会を立ち上げ、要望活動などを行っています。昨年12月9日に、その会合を開き、村からも関係職員が出席することになっていましたが、急遽、村から『事情があって出席できなくなった』と言われました。後で、その問題を知り、そういうことか、と」  前述したように、処分は昨年12月7日付だが、村が公表したのは同12日だった。そのため、ほとんどの村民は、同日の夕方のニュースか、翌日の朝刊でこの問題を知った。遊水地の地元協議会が開かれた9日の時点では、「なぜ、村はドタキャンしたのか」と訝しんだが、数日後に「この問題があってバタバタしていたから来られなかったのか」と悟ったというのだ。 矢吹町の事例  ところで、本誌昨年10月号に「矢吹町職員〝住居手当〟7年不適切受給の背景」という記事を掲載した。受給条件を満たしていないにもかかわらず、住居手当を7年8カ月にわたり受け取っていたとして、30代男性職員が戒告の懲戒処分を受けたことを報じたもの。まさに玉川村と似た事例だ。以下は同記事より。    ×  ×  ×  ×  報道や関係者の情報によると、この男性職員は2013年2月から賃貸物件を契約し、住居手当1カ月2万6700円を受給していた。  2015年10月に賃貸物件を引き払い、実家に住むようになったが、住居手当の変更手続きを怠り、同年11月から今年6月までの7年8カ月分、245万6000円を受給していた。職員は届け出を「失念していた」と話している。また、町もこの間、支給要件を満たしているかどうかの確認をしていなかった。  本人の届け出により発覚し、不適切受給した分は全額返還された。    ×  ×  ×  ×  記事では、男性職員が懲戒処分の中で最も軽い戒告処分、監督する立場だった管理職の50代男性2人を口頭注意としたこと(処分は9月15日付)に触れつつ、町民の「結構重大な問題だと思うけど、ずいぶん軽い処分だったので呆れました」とのコメントを紹介した。  懲罰規定は各自治体によって違うが、確かに、似たような事例で、玉川村では停職3カ月、矢吹町では戒告と、処分に開きがあるのは気になるところ。  一方で、両町村の事例から察するに、バレていないだけで、似たような問題はほかの市町村でも潜んでいるのではないかと思えてならない。各市町村は、一度点検する必要があるのではないか。

  • 環境省「ごみ屋敷調査」を読み解く

    環境省「ごみ屋敷調査」を読み解く

     環境省は昨年3月、「『ごみ屋敷』に関する調査報告書」を公表した。いわゆる「ごみ屋敷」問題が生じた場合の全国市区町村の対応状況などを調査したもの。同調査によると、県内では、ごみ屋敷に対応し得る条例を定めているのは郡山市と広野町の2つ。両市町が「ごみ屋敷対策条例」を定めた背景に迫る。 郡山市・広野町が関連条例を制定したわけ 広野町役場  まずは環境省の調査結果について解説したい。  報告書によると、調査目的は、「ごみなどが屋内や屋外に積まれることにより、悪臭や害虫の発生、崩落や火災等の危険が生じるいわゆる『ごみ屋敷』の事案については、条例等の制定や指導、支援を行うなど、各自治体が生活環境の保全や公衆衛生を害するおそれのある状況に対応している。本調査は、各市区町村における対応事例等の把握を目的として実施したもの」とされている。 環境省「『ごみ屋敷』に関する調査報告書」  全国1741市区町村を対象に、2022年9月末時点での状況について、アンケート調査を実施し、全市区町村から回答を得た(回答率100%)。それを取りまとめ、公表したのが「『ごみ屋敷』に関する調査報告書」である。なお、環境省がこういった調査をするのは初めて。  同報告書によると、2018年度から2022年度までの5年間で、「ごみ屋敷事案を認知している」と回答したのは全国に661市区町村(約38・0%)あった。この661市区町村の「ごみ屋敷事案」の件数は5224件。このうち、同期間内で改善した件数は2588件(約49・5%)だった。  事案が改善した理由は「原因者への助言・指導等」、「原因者の転居・死亡等」、「関係部署・関係機関の連携による包括的支援」、「地縁団体や原因者の親族による清掃」など。  一方で、改善されていないごみ屋敷は2636件に上る。全国では確認できているだけで、それだけのごみ屋敷が現存していることになる。  ごみ屋敷の主な認知方法としては、最も多かったものは「市民からの通報」、次いで「パトロールによる把握」、「原因者の親族等からの相談」、「原因者からの相談」だった。「その他」としては、「福祉部署からの相談」、「空き家対策担当部署からの情報提供」、「警察、消防等関係機関からの情報提供」、「ペットの多頭飼育事案で認知」、「民生委員からの相談」、「地域包括支援センターやケアマネジャーからの相談」などの回答があったという。  県内では、ごみ屋敷の認知件数が58件、うち改善件数が20件、現存件数が38件となっている。ただし、市町村別の状況などの詳細は公表されていない。  ごみ屋敷への対応としては、最も多かったのは「現地確認」、次いで「原因者に対する直接指導」、「関係部署と連携した包括的サポート」だった。「その他」としては、「ごみ出しや分別に関する案内や業者の紹介」、「土地所有者や管理会社等への報告・相談」などの回答があったという。  このほか、「敷地内のごみを撤去」と回答したのが114市区町村あり、このうち原因者等の同意を得て撤去したのは112市区町村(98・2%)。「敷地外に散乱したごみを撤去」と回答したのが96市区町村あり、このうち原因者等の同意を得て撤去したのは78市区町村(81・3%)だった。  本来であれば、「原因者(家主)等の同意なし」では対処できないが、それを可能としているのは、条例の制定によるところが大きい。ごみ屋敷に対応することを目的とした条例が制定されているのは101市区町村(全体の5・8%)。このほか、5市区町村が「制定予定あり」、50市区町村が「検討中」で、1585市区町村が「制定予定なし」だった。  ごみ屋敷への対応で、条例上で重視している点としては、最も多かったのは「周辺住民等への影響」で、次いで「悪臭・害虫等の有無」、「堆積している廃棄物・物品の量」、「堆積している廃棄物・物品の種類」など。「その他」としては、「火災発生の危険性」、「通行上の危険性」等の回答があったという。  以上がおおまかな調査結果だが、同調査によると、県内では、ごみ屋敷に対応し得る条例を制定している市町村として、郡山市と広野町が紹介されている。 広野町「環境基本条例」の中身  このうち、広野町は2022年9月に「環境基本条例」を策定した。  同町と言えば――東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示区域に指定された。もっとも、同町は広義では「避難指示区域」に指定されたが、実際は「緊急時避難準備区域」で、同じ双葉郡の富岡町や大熊町、双葉町などとは違って、強制的に避難を余儀なくされたわけではない。「緊急時に備えて、避難できる準備をしていてください」といった位置付けで、避難しなくてもよかったのである。  それでも、情報が錯綜し、生活物資などが入って来にくい状況だったことから、当時町長の判断で、住民に避難を促し、町役場機能も一時的に町外に移転した。  原発事故発生から約半年後、2011年9月30日に緊急時避難準備区域は解除されたが、その後も町外で避難生活を送る人は多かった。  一方で、同町はほかの避難指示区域とは違い、法律上は一足早く何の規制もなく、人が住めるエリアとされたことから、原発事故収束作業や復旧・復興作業の最前線基地となった。そのため、新たな住環境が整備されていく半面、もともとは住民が住んでいたが、しばらくはそこには人が戻らず、誰も住んでいない住宅が存在するようになった。当然、人がいない住宅は朽ち果てていった。  同町の条例制定にはそんな事情もあるのかと推察したが、町環境防災課によると、「環境基本条例は、基本的には町の景観をよくしましょう、というもので、何か特定の事例への対応を意識したものではありません」とのこと。  現在は、同条例に基づき、町の豊かな環境を持続的に守るため、具体的な施策や町全体としての取り組みを示す「広野町環境基本計画」の策定を進めているという。  具体的には「広野町環境審議会」を設置し、環境保全や創造に関する施策を総合的・計画的に推進するために必要な調査や協議を行っている。同審議会の会長には早稲田大学環境総合研究センターの永井祐二教授、副会長に広野町公害対策審議会の秋田英博氏が就いている。同審議会は昨年9月に1回目の会合が開かれ、2024年度中の計画策定に向けて協議を進めているという。  「その中で、ごみ屋敷が発生した場合の対応をどうするかといったことが盛り込まれる可能性はありますが、審議会での話し合い次第になるので、現状では何とも……」(町環境防災課)  少なくとも、「実際にこういった問題が起きているので、それに対応する根拠が必要」ということでの条例制定、それに基づく基本計画策定ではないようだ。 郡山市の「ごみ屋敷問題」  一方で、もう1つの関連条例制定自治体であるである郡山市は、明確に「特定の事例への対応」を目的に条例が制定された。  本誌2005年11月号に「郡山に突如出現したごみ屋敷」という記事を掲載した。同市咲田2丁目、赤木町の徒歩10分圏内に4軒のごみ屋敷があり、所有者は同一人物ということで、かなりの注目を集めた。  以下は同記事より。    ×  ×  ×  ×  A氏(ごみ屋敷の主)は同市赤木町出身で、実家はごみ屋敷のすぐ近くにある。父親は元教員で、母親は自宅でお茶と生花の教室を開いていた。A氏は大学卒業後、NHKに勤務。技術畑を歩んで、数年前に定年退職した。推定するに、年齢は65歳ぐらいか。独身。きょうだいは、千葉県で教員をしている弟と、母親の教室を継いだ妹がいる。父親と母親は2人で市内の別な場所に住んでおり、妹もその近くに家を構えている。    ×  ×  ×  ×  4軒のごみ屋敷には、袋に入ったペットボトルや空き缶、紙くず、不燃物、古新聞、古雑誌、段ボール、プラスチック製のかご、棚、木屑の束などが住宅を覆うように散乱していた。  当時の本誌取材に、家主は「おたくには関係ないことだ」、「(ごみは)私が集めたんじゃない。どこからか人が来て、勝手に不法投棄していくんだ」、「これは私の財産だ」などと語っていた。  一方、近隣住民は、悪臭や害虫の発生などに加え、「もし、放火でもされたら、延焼は免れないだろう。その怖さがある」、「近隣の賃貸物件はなかなか入居者が埋まらなくて困っている」といった〝被害〟を訴えていた。皆、迷惑していたのだろう。何とかしてほしい、との思いから、本誌取材にいろいろと状況を教えてくれた。  一方で、前述の記事発売後、テレビ局、週刊誌などから問い合わせが相次いだ。以降、テレビのワイドショーや週刊誌などで連日のように取り上げられた。  テレビ局の取材班に対して、ごみ屋敷の主は、自分を映すカメラを力づくで押さえ付けようとするなど威圧的な態度を見せることもあった。その一方で、特定のリポーターや記者には徐々に本音で話すようになり、町内会や市の説得に耳を貸すようになった。そうして、少しずつ態度が軟化し、本誌報道から約半年後の2006年6月にはボランティアの協力でごみの一斉撤去が行われた。ごみの量は50㌧に上った。  ただ、その後もトラブルは絶えなかった。同年9月には4軒のうちの1軒で出火騒動が起こり、木造2階建ての1階台所や居間などを焼いた。ケガ人はいなかったが、一歩間違えたら大参事になっていた。その際、判明したのは、撤去されたのは建物の外にあったもののみで、室内のごみは撤去されていないことだった。  さらに、撤去からしばらくすると、また敷地内にごみが置かれるようになった。  そのため、郡山市は2007年4月、ごみ集積所からの持ち去り行為を禁止した「ごみ持ち去り防止条例」を施行し、家主のごみ集め防止策を講じた。  それでも抑止にはならず、同年7月には、近隣住民がごみを片付けるよう注意したところ、家主が暴行を加え、警察に逮捕された。家主には執行猶予付きの判決が下された。  こうして、なかなか解決の糸口が見つからない中、郡山市は2015年12月に「建築物等における物品の堆積による不良な状態の適正化に関する条例」を施行した。いわゆる「ごみ屋敷条例」だ。つまり、この問題に対応するために関連条例を制定したのである。  結局のところ、はたから見たら、どう考えても「ごみ」でも、家主が「財産」と主張している以上、個人の敷地内のごみを行政がどうこうすることはできない。その問題を条例の制定によって対処したわけ。 ごみ屋敷対応の先進地に 火災にあったごみ屋敷 (2016年10月撮影)  市HPの同条例の紹介文には、「住宅などの敷地に大量のごみ等を溜めて周辺の環境が著しく損なわれている状態にしている者に対して、市が指導などを行いそれでも改善されないときには、最終的に市が本人に代わり強制的に行政代執行を行いごみ等を撤去します。なお、行政代執行にかかった費用については本人に請求されます」と書かれている。  対象者は「物品(ごみ等)を堆積することにより不良な状態を発生させている者(法人を除く)」で、ここで言う「不良な状態」とは「物品(ごみ等)の堆積によりねずみ、昆虫(害虫)若しくは悪臭が発生すること又は火災発生のおそれがある等のため、当該物品が堆積している土地の周辺の生活環境が著しく損なわれている状態をいいます」と定義している。  これにより、庭などの外に置かれたごみは強制的に撤去できるようになった。ただし、住居(建物)の中は対象外。2016年3月には、同条例に基づき、実際に強制撤去(行政代執行)が実行された。ごみ屋敷の行政代執行の事例はそれほど多くないが、同市はその1つとなったのである。  それから約半年後の同年10月、ごみ屋敷で火災が発生し、家主は焼死した。もし、強制撤去(行政代執行)が行われていなかったら、屋外のごみに燃え広がり、大惨事に発展していたかもしれない。  市3R推進課によると、同条例に基づく行政代執行はその1例のみ。もっとも、前述したように、問題の家主は、4軒のごみ屋敷を所有していたから、実際には1例4件ということになる。撤去にかかった費用は当人から回収できた。  一方で、その件以外でもごみに関する相談はいくつかあるという。  「町内会や賃貸物件の貸主などから、『あの家のゴミを片付けてほしい』といった相談は、この間いくつかあります。ただ、ほとんどの場合は話し合いで解決できています。行政代執行は、悪臭や害虫の発生、火災の危険性、周辺通行への障害などが確認できた場合のみ、本当に最終手段として行うもので、あの件以降は出ていません」(市3R推進課の担当者)  同市の条例では、調査→指導・勧告→命令→氏名等の公表といった段階があり、それでも改善されない場合は行政代執行となる。相談・苦情などはくだんの「ごみ屋敷問題」以外にもあるようだが、行政代執行に至る前に話し合いで解決できているという。  条例の制定にあたっては「大阪市の事例を参考にした」(同担当者)とのことだが、前述したようにごみ屋敷の行政代執行(強制撤去)を実行した数少ない事例の1つになったことから、「他県の市町村からの視察・問い合わせなどもありました」(同)という。図らずも、ごみ屋敷対応の先進地になったわけ。  一方で、物やごみを溜め込む行動、そういった状況に陥ることを「ディオゲネス症候群」(別名・ごみ屋敷症候群)というそうだ。社会的孤立、進行性認知症、日常生活機能の低下と関連しており、一人暮らしの高齢者に多いという。誰にでも起こり得ることで、対策は簡単ではないが、これからの社会では、そういった部分への適切な支援・精神的ケアが必要になってくるのだろう。

  • クマの市街地出没に脅かされる福島

    クマの市街地出没に脅かされる福島

     クマの人的被害が東北を中心に多発している。特に山から流れる川沿いを伝って市街地に現れる例が近年の特徴で、一般市民は戦々恐々とする。クマの駆除が求められる中、動物愛護の観点から駆除に猛抗議が寄せられるなど対策の議論は過熱。クマ被害ではないのに、クマが犯人扱いされる事例も出た。野生動物の生態系に詳しい専門家と長年クマに向き合ってきた奥会津の「マタギ」に話を聞き、中庸を探った。 専門家とマタギに聞く根本解決策 ツキノワグマ  クマが人を襲う件数が過去最悪を記録している。全国の被害者数は2023年度は11月末時点の暫定値で212人。国が統計を取り始めて以降、最多を記録した20年度の158人を既に上回っている。秋田県70人、岩手県47人、福島県14人の順に多く、東北6県で全体の3分の2を占める。  本州に生息するのはツキノワグマだ。全長は1㍍10㌢~1㍍50㌢ほど。福島県では奥羽山脈が連なり標高の高い山間地が多い会津地方で人前への出没が多かった。ここ最近は会津若松市街地でも頻繁に目撃され、2年連続して鶴ヶ城公園に出没するなど、県内でも都市部に現れ人前に出ることを怖がらないアーバン・ベアが恒常化しつつある。  昨年11月1日に市街地の旭町で発生した事件は、人間のクマへの恐怖を象徴するものだった。  《1日朝、福島県会津若松市の市街地で頭などをけがした高齢の女性が倒れているのが見つかり、その後、搬送先の病院で死亡しました。  市と警察は、怪我の状況などからクマに襲われた可能性があるとみて住民に注意を呼びかけています。(中略)市と警察によりますと、女性の頭や顔には何かでひっかかれたような大きな傷があるということで、付近での目撃情報はないということですが、クマに襲われた可能性があるということです》(11月1日午前11時3分配信、NHKニュースWEB)  現場は住宅街で近くには小学校があり、安全性の観点から「犯人」をクマとみて注意喚起していた。だがのちに、人間が運転した車によるひき逃げと分かった。  発生から1日立った11月2日の福島民報は「ひき逃げか88歳死亡 熊襲撃?から一転 複数の傷や血痕」と報じた。《会津若松署が死亡ひき逃げ容疑事件を視野に捜査を進めている。同署は当初、女性の顔にある傷痕などから、熊に襲われた可能性もあるとみて捜査に入った。正午ごろにかけ、署員や市職員が周囲の現場を捜索したが熊の発見には至らなかった》(同紙より抜粋。原文では女性は実名)。  クマの被害に脅かされているのは会津だけではない。昨年は浜通りにはいないとされたツキノワグマがいわき市で相次いで目撃された。ただし海岸近くで目撃情報があったものは、のちに足跡や糞からクマとは疑わしいものもあった。  浜通りにはクマがいないと言われてきたが、単にこれまで人前に現れなかっただけかもしれない。浜通りで目撃情報が出た要因を福島大学食農学類の望月翔太准教授(野生動物管理学)は次のように考察する。  「阿武隈高地にはエサとなるドングリがあるのでクマはいます。10年ほど前から10件に満たない数で毎年目撃情報はありました。クマの人的被害が注目されているので通報する人が増えたのではないでしょうか。駆除が減り個体数が増えている可能性もあります」  望月准教授によると、クマが人里に現れる原因は森のエサがクマに対して十分かどうかと関係する。ある年にはエサとなるブナやナラの実が多く実って栄養を付け、冬眠中にクマが多く生まれる。次のシーズンに個体数が増えれば、その分エサは少なくなり、エサを確保できないクマは新たなエサを求めて森を出ることになる。これが人里に現れる一因になる。特に1歳半ごろから母グマを離れ、単独で動くようになると好奇心旺盛という。  また、ブナやナラが凶作だと、そのシーズンはエサを求めてクマが徘徊するようになる。 野生イノシシの豚熱と関連?  山あいの集落に現れるのは分かるが、離れた市街地に現れるのはどのような理由からなのか。  「河川沿いに植えられた河畔林を伝ってきます。草木が整備されなければ身を隠す場所になる。川は線的で、山を下ればその先の平地にある人里にたどり着きます。追い立てられてきた道を引き返すのは難しい」  エサはどうするのか。  「福島市内に限って言えば、5、6月頃に河川沿いのウワミズザクラが実を付けて主食となる。7月にはミズキの実がなります。8、9、10月は農作物や実ったままの柿などです。川沿いは一見食べ物が少ないように思うが、野生動物にとっては年中食べ物があると言っていい」  エサの有無がクマの行動を決定することは分かったが、この点について望月准教授は興味深い話をする。  「私はなぜ秋田と岩手でここまで人的被害が多いのか、福島との違いを探っています。ここからはあくまで私の仮説ですが、福島県は豚熱の影響があったのではないかと。エサの競合相手であるイノシシの数が豚熱によって抑えられたことで、クマが山林にとどまることができたという見立てです」  ここからはあくまで仮説である。クマは木登りができ、高所のエサに利がある。イノシシは1度の出産に付き、4、5匹生まれ、クマよりも落ちた木の実を多く食べる。イノシシが増えるとクマがエサ争いに負け、人里に出るが、野生イノシシに豚熱が広まり増加が抑制されると、クマが森のエサにありつける。結果、イノシシに豚熱が流行っている地域ほどエサ争いに負けるクマは増えないので、市街地に姿を現さないのではないか。  本誌が調べた東北6県の野生イノシシの豚熱感染状況の計測数と陽性率は表1の通り。検査数を考慮する必要があるが、秋田、岩手は野生イノシシの豚熱陽性率が低い。イノシシの数は維持されているとみられ、表2のクマによる人的被害と比べると関連しているように見える。 表1:東北6県の野生イノシシの豚熱感染の累計 陽性(頭)検査頭数(頭)陽性率計測時点青森0470.00%2023/12/21岩手12514198.80%2023/12/21宮城220126217.40%2023/12/14秋田91864.80%2023/12/21山形158110214.30%2023/12/21福島10386012.00%2023/12/20出典:6県のホームページや聞き取り 表2:2023年度の東北6県のクマ人的被害 被害順位被害者数うち死亡者数全国の被害順位青森1105位岩手4722位宮城30秋田7001位山形50福島1403位(11月末時点暫定値) 出典:環境省  望月准教授が留保するように、まだ仮説の段階で検証が必要だが、森にはクマだけが生息しているわけではなく、森を出る要因に競合する野生動物やエサとなる植物との関連が無視できないのは確かだろう。 「見えないけどいる」と恐れ合う関係 クマと対峙した経験を話す猪俣さん=2022年11月撮影  クマ被害への関心が高まり、目撃情報の通報件数も増えているが、果たしてどれくらいの人がクマの怖さを知っているのか。金山町で「マタギ」として小さいころからクマと対峙していた猪俣昭夫さん(73)に畏敬すべきクマの生態を聞いた。  「簡単に『共生』と言いますが、クマと一緒にお茶飲みをするわけではありません。めんこいから保護するというのは勘違いです。かと言って、人への被害が増えたからと手当たり次第駆除してしまっては森の生態系を乱す。互いに『見えないけどいる』と意識しながら恐れ合う関係を維持しなければいけません」  クマは人間の想像を超えることを軽々しくやる。15年ほど前の秋、猪俣さんが金山町の山でキノコ採りをしていた時のこと。山を分け入って進むと滝が流れる崖の下に出て、5㍍ほど先にクマが滝つぼで水遊びに興じているのを見た。10㍍ほどの崖の上には下を伺う、体長のより大きなクマが行ったり来たりしていた。  「クマの母子だ。失敗した」  母熊が猪俣さんに気付いた。滝つぼに落下し着水。母熊がこちらに向かってくる前に、猪俣さんは後ずさりして難を逃れた。「母熊の度胸に度肝を抜かれた」。  身体能力は想像を絶する。滝つぼダイブを見た以前には沢でクマに遭遇した。先手を打って「コラッ!」と怒鳴ると、高さ200㍍ばかりの見通しの良い尾根筋を駆け上がっていった。手元の時計で測ると約5分要した。自分がキノコ採りをしながら尾根を上ると1時間半かかる。速さと持久力に愕然とした。  過去には本誌2022年12月号で取材に応じてくれた猪俣さんだったが、同月に脳梗塞で入院し、現在は会津若松市内の老人介護施設でリハビリに取り組んでいるという。経過は順調で、今春には復帰できそうだ。  猟師やマタギは山に足繁く入り獲物を取ることで、野生動物に人間の存在を知らしめ、人里に寄せ付けない役割がある。猪俣さんは会津地方でのクマの人的被害を聞き、大事な時に身体が動かない状況に悔しさを感じている。入院している病院の駐車場にクマが出没したこともあり、窓越しに気配を感じていたという。  70代前半で、山に鉄砲を持ち入る負担は大きい。それでも後進を連れて分け入るのは森の生態系を守るマタギの全てを伝えるためだ。現在、金山町で20代が1人、いわき市から40代5人が猪俣さんのもとに通い教えを乞うている。猪俣さんは大病をしたことで、マタギ文化を継承する思いを強めたという。  前出の望月准教授は今後の獣害対策をこう話す。  「熟練した狩猟者に育つまでには長い時間が必要です。短期の対策では駆除が必須ですが、県、市町村、地域住民が連携し、中長期的な対策に取り組む必要があります。具体的には人里からクマのエサとなる物を取り除く。放置された柿の木の伐採などが挙げられます。うっそうとした里山は間伐を進め、日が差すようにする。クマは本来臆病で、見通しの良い空間が苦手だからです。さらに人里、緩衝地帯、クマなど野生動物が棲む場所とゾーニングを3区分し、人里にだけは入れないようにします。電気柵を効果的に設ける必要があります」  クマと適切な距離を保つという根本解決策は、専門家とマタギで一致している。庭先の柿の木やごみの処理、空き家の管理など地域住民にもできることはたくさんある。

  • 薬剤師法違反を誤解された【南相馬市】の薬局

    薬剤師法違反を誤解された【南相馬市】の薬局

     昨年11月、本誌に「南相馬市にあるA薬局は薬剤師が1人だが、他の従業員は資格がないにもかかわらず調剤や接客をしている。これは薬剤師法違反に当たる」と情報提供があった。A薬局は実名だったがここでは伏せる。  本誌は昨年5月号から同市を拠点に暗躍する青森県出身のブローカー吉田豊氏の動きを注意喚起のため報じている。吉田氏は市内のクリニックや薬局を実質経営し、一時はその薬局の2階に住んでいたため、A薬局と関連があるのではと思い調べたが、吉田氏が同市に狙いを付ける前に開業しているため、関係はなさそうだ。  薬剤師法では、医師が処方した薬を調合する調剤業務は原則薬剤師しかできない。医師も調剤できるが、業務が肥大化し、受け取る診療報酬の点数が少なくなる=診療報酬が安くなるため、薬局が近くにない診療所以外ではまずやらない。院外薬局で調剤するインセンティブが高まり、処方箋を目当てに病院の前に薬局が連なる「門前薬局」が主流となった理由だ。 薬剤師法違反との通報が寄せられた相双保健所  調剤が薬剤師の専権事項と化す中で、専門性がより求められているが、薬局の看板を掲げながら無資格者が調剤を行っているとすれば由々しき事態だ。薬の渡し間違いにつながるし、専門性を自ら明け渡してしまったら、高い学費を払って薬学部で6年間学ぶ意味を問われ、資格のための資格と軽視されてしまうだろう。  相双保健福祉事務所(相双保健所)生活環境部医事薬事課に尋ねると、A薬局で薬剤師法違反疑いの公益通報があったことを認めた。2018~19年度にかけて県庁に通報があり、相双保健所がA薬局に抜き打ちで調査したが、薬剤師以外の従業員が調剤している証拠を見つけられなかった。20~21年度は、6年ごとの薬局営業許可更新の調査の際に店舗を視察したが、この時も違反の事実を確認できなかったため保留しているという。「仮に違反事実があれば指導して改善を促す」とのこと。  名指しで「薬剤師法違反」と通報されたA薬局はどのような見解か。12月下旬の昼下がりに訪ねると、管理薬剤師が対応した。  「誤解です。薬剤師以外が調剤することはありません。服薬指導も必ず薬剤師が行い、原則私が手渡しています。ただファクスで送られた処方箋は、患者さんに電話で説明し、あとで店に取りに来てもらい、従業員が渡すことがあるので、そこを勘違いされたのかもしれません」  県内のある薬局経営者が調剤業務の規制緩和を解説する。  「2019年4月2日に厚生労働省が、今まで薬剤師が独占してきた業務の一部を条件付きで非薬剤師も可能とする文書を通知しました。『0402通知』と言います」  具体的には、包装されたままの医薬品を棚から取り出して揃える「ピッキング」、服用タイミングが同じ薬を1回ずつパックする「一包化」した薬剤の数量確認などができるようになった。ただし、薬剤師による最終監査が必要となる。  A薬局の管理薬剤師は「最終監査も私がやっています」。  規制緩和で薬剤師とそれ以外の業務が一部曖昧となったことが、今回の通報の一因のようだ。  ちなみに、通報者に「なぜ本誌に情報提供したのか」と聞くと「吉田豊氏を報じたからです」。医療・福祉業界を取り巻く「吉田豊問題」をきっかけに、住民の医療への関心が高まる効果も生まれた。

  • 泥沼化する大熊町議と住民のトラブル

     本誌昨年5月号に「裁判に発展した大熊町議と住民のトラブル」という記事を掲載した。問題の経過はこうだ。  ○2019年に、大熊町から茨城県に避難しているAさんが、佐藤照彦議員と、避難指示解除後の帰還についての問答の中で、「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を浴びせられた。  ○Aさんは「県外に避難している町民を蔑ろにしていることが浮き彫りになった排他的発言で許しがたい」として議会に懲罰要求した。  ○議会は佐藤議員に聞き取りなどを行い、Aさんに「議会活動内のことではないため、議会として懲罰等にはかけられない。本人には自分の発言には責任を持って対応するように、と注意を促した」と回答した。  ○佐藤議員は、当時の本誌取材に「(Aさんに対して)『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』ということを伝えた。(Aさんは)『県外避難者に対する侮辱だ』と言っているが、私は議員に立候補した際、『町外避難者の支援の充実』を公約に掲げており、そんなこと(県外避難者を侮辱するようなこと)はあり得ない」とコメントした。  ○その後、Aさんが佐藤議員に謝罪を求めたところ、2020年5月14日付で、佐藤議員の代理人弁護士からAさんに文書が届き、最終的には佐藤議員がAさんに対し「面談強要禁止」を求める訴訟を起こした。  ○同訴訟の判決は2022年10月4日にあり、「面談強要禁止」を認める判決を下した。Aさんは一審判決を不服として控訴した。控訴審判決は、昨年3月14日に言い渡され、一審判決を支持し、Aさんの請求を棄却した。  以上が大まかな経過である。  こうして、思わぬ方向に動いたこの問題だが、実は、今度はAさんが佐藤議員を相手取り、裁判(昨年5月12日付、福島地裁いわき支部)を起こしたことが分かった。  請求の趣旨は、「佐藤議員は、大熊町議会・委員会で、『Aさんが虚偽を述べている』旨の答弁をしたほか、虚偽の内容証明書、裁判陳述等によって名誉毀損、畏怖・威迫・プライバシー侵害等の人格権侵害を受けた」として、160万円の損害賠償を求めるもの。  要は、Aさんが佐藤議員から、「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を吐かれ、議会に懲罰要求した際、佐藤議員は議会・委員会などで「(Aさんは)私に嫌がらせをするため、排他的発言をしたとして事実を歪曲している」旨の発言をしたほか、「弁護士を介して、民事・刑事の提訴予告等の畏怖・威迫行為を記載する内容証明書を送付した」として、損害賠償を求めたのである。  泥沼化するこの問題がどんな結末を迎えるのかは分からないが、本誌昨年5月号で指摘したように、背景には「宙ぶらりんな避難住民の在り方」が関係している。原発事故の避難指示区域の住民は強制的に域外への避難を余儀なくされた。原発賠償の事務的な問題などもあって、「住民票がある自治体」と「実際に住んでいる自治体」が異なる事態になった。わずかな期間ならまだしも、10年以上もそうした状況が続いているのだ。本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じる必要があったのに、それをしなかった。その結果、今回のようなトラブルを生み出していると言っても過言ではない。 あわせて読みたい 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル

  • 【会津坂下中学校】いじめ訴訟が和解

     会津坂下町の中学校で、2014年に当時1年の男子生徒が学校でいじめにあった問題で、男子生徒の両親は2021年8月、町を相手取り計330万円の損害賠償を求める訴訟を地裁会津若松支部に起こしていた。同訴訟は11月17日に和解が成立した。 町が不適切対応を認めて謝罪 会津坂下町役場  本誌はこの問題について2019年4月号をはじめ、随時経過を報じてきた。この間の経緯を振り返っておく。  ○2014年5月、当時、坂下中学校の1年生だった男子生徒の筆箱がなくなり、後にトイレの掃除用具入れから見つかった。これを受け、学校は犯人探しを行ったが、犯人が見つからなかった(名乗り出なかった)ことから、「トイレ以外は表に出るな」といった罰則(禁足)を科した。これにより、学校内の空気が悪くなり、その鬱憤は次第に男子生徒に向くようになった。  ○こうした問題を機に、男子生徒は同年6月ごろから学校に行けなくなった。  ○2016年12月、男子生徒が3年生の時に、父親が学校に「いじめ防止対策推進法」に基づく調査を依頼。町教育委員会は「会津坂下町いじめ問題専門委員会」を設置し、同委員会に諮問した。2017年3月には、町教委が生徒や保護者を対象にアンケート調査を実施した。専門委は同年7月に調査報告(答申)をまとめた。なお、同年7月は、男子生徒が中学校を卒業した後のこと。  ○調査委は、「学校の雰囲気を考慮するといじめがあった可能性が高く、それが不登校の原因の一部になっていると考えられる」、「不登校の最も大きな原因は、禁足による対応後の学校の雰囲気であると考えられる」としながらも、「不登校といじめの関連について明確に指摘できることは得られなかった」と結論付けた。  ○この調査結果を受け、父親は町に再調査を依頼したほか、2018年7月に町教委が生徒や保護者を対象に実施したアンケート調査の開示請求を行った。ところが、請求の返答は「開示できない」というものだった。  ○これを受け、父親は、同年8月に不服申し立てを行ったが、そこでも開示が認められなかった。  ○男子生徒はフリースクールを経て通信制高校に通っていたが、2019年1月に自殺した。  ○父親は同年3月までに「被害者として、真相を知る権利を奪われ、精神的苦痛を受けた」として、町を相手取り、アンケート結果の開示と100万円の損害賠償を求めて裁判を起こした。  ○同裁判は2020年12月1日に判決が言い渡され、アンケート結果の一部開示と、11万円の損害賠償の支払いを認めた。  ○その後、判決に従い、町から父親にアンケート結果が開示された。父親はそれを熟読したうえで、「いじめ防止対策推進法」、「会津坂下町いじめ防止基本方針」、「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」で定められている調査が十分に行われておらず、調査の方法に問題があると考え、2021年2月22日、町議会に再調査を求める陳情を行った。  ○町議会は同年6月定例会で採決を行ったが、反対多数で陳情は不採択となった。  ○同年8月、男子生徒の両親が町を相手取り、計330万円の損害賠償を求める訴訟を地裁会津若松支部に起こした。 和解条項の中身 坂下中学校  以上がこれまで本誌が報じてきた経緯だが、冒頭で書いたように同訴訟は11月17日に和解成立した。  それに先立ち、町は11月9日に臨時議会を開き、議会に和解への同意を求めた。和解案はおおむね以下のようなもの。  ①町は、禁足措置が学校教育上、不適切なものであったことを認め、それによりいじめが誘発され、男子生徒が学校に通えなくなったことを両親に謝罪する。  ②今後、学校において禁足措置を取らないことを約束する。  ③町は今後、いじめが理由で登校できなくなった生徒がいた場合、必要な支援を行うとともに、いじめ防止対策推進法、いじめの防止等のための基本的な方針(文部科学省方針)に則り、いじめ防止対策に取り組むことを約束する。  ④町は和解案を周知する。  ⑤和解によって解決したことを尊重し、互いに名誉、信用を毀損する行為や、相手方を不安、困惑させるような言動をしない。  町はこの和解案を受け入れる方針であることを議会に諮ったところ、全会一致で可決された。なお、和解金(損害賠償)の支払いは発生しない。  臨時議会後、鈴木茂雄教育長は本誌取材に対して、「生徒指導のあり方は時代とともに変わってきています。今回の件は配慮が足りなかったものであり、反省していかなければならない、ということです」とコメントした。  謝罪の形式は、「町のホームページに謝罪文を掲載する」とのことで、和解が成立した日に、「元坂下中学校生徒いじめ訴訟に係る損害賠償請求事件の和解について」という新着情報がアップロードされた。そこには和解が成立したことと、「今後は、和解条項を踏まえしっかりといじめ対策に取り組んでまいります」との文言があったが、11月22日時点で「謝罪文」は掲載されていない。  一方、生徒の父親は次のように話した。  「調査委の報告書では、『不登校の最も大きな原因は、禁足による対応後の学校の雰囲気であると考えられる』としながら、『不登校といじめの関連について明確に指摘できることは得られなかった』というあいまいなものでした。それが今回、『禁則がいじめを加速させた』ということを認め、謝罪することになりました。それは評価できるが、今後、町がこの反省を生かして、どう対応していくか、ということが重要です。もう1つは、これまで町側は対応に問題はなかったというスタンスだったのが、今回、対応に問題があったことを認めて謝罪することになったわけですから、それについての説明責任があると思います」  和解が成立したことで、この問題は一応の決着を見たわけだが、父親が言うように、今回の反省を生かして、今後二度とこのようなことが起こらないように対応していくことこそが最も重要になろう。

  • 【生島淳】大学駅伝で福島出身者が活躍する理由

    【生島淳】大学駅伝で福島出身者が活躍する理由

     大学の陸上長距離界で福島県出身の指導者・選手の活躍が目立つ。その理由はどんな点にあるのか。スポーツジャーナリストの生島淳氏にリポートしてもらった。(文中一部敬称略) 「陸上王国ふくしま」が目指すべき未来 駒大の大八木弘明総監督(右)と藤田敦史監督(撮影:水上竣介、写真提供:駒澤大学)  大学駅伝シーズンの開幕戦、10月9日に行われた出雲駅伝では駒澤大学が連覇を達成した。これで去年の出雲、全日本、今年に入って箱根、そして今回の出雲と大学駅伝4連勝。「駒澤一強」の状態が続いている。このままの勢いが続けば、お正月の箱根駅伝でも優勝候補の最右翼となるだろう。  今年の出雲で、胴上げされた福島県人がふたりいた。ひとりは駒大の大八木弘明総監督(河沼郡河東町/現・会津若松市河東町出身)、そして最後に胴上げされたのは今年就任したばかりの藤田敦史監督(西白河郡東村/現・白河市出身)である。  大学長距離界で福島県出身者の存在感は高まり続けている。大八木総監督は還暦を過ぎてなお指導者として進化し、今年の箱根駅伝のあと、大学の監督を教え子でもある藤田氏に譲り、自らは総監督へ。  単なる名誉職ではなく、青森県出身で今年3月に駒大を卒業し、2年連続で世界陸上の代表に選ばれた田澤廉(トヨタ自動車)は練習拠点を駒大に残し、総監督の指導を受けている。大八木総監督は今後の指導プランをこう話す。  「田澤は2024年のパリ・オリンピックではトラックでの出場を目指しています。そのあとは25年に東京で世界陸上がありますし、28年のロサンゼルス・オリンピックではマラソンを狙っていきます」  大八木総監督は1958年、昭和33年生まれ。ちょうど70歳の年にロサンゼルス・オリンピックを迎えることになる。総監督は40代の時に駒大の黄金期を作ったが、ひょっとしたら60代から70代にかけて指導者として最良の時を迎えるかもしれない。  駒大の指導を引き継いだ藤田監督にも期待がかかる。三大駅伝初采配となった今年の出雲では1区から首位に立ち、それ以降は後続に影をも踏ませぬレース運びで、一度も首位を譲ることはなかった。しかも6区間中3区間で区間賞。監督が交代してもなお、駒大の強さが際立つ結果となった。  ただし、この強さを支えるための苦労は大きいと大八木総監督は話す。  「大学長距離界では、選手の勧誘は大きな意味を持ってます。田澤がウチに来てくれたからこそ、今の強さがあると思ってますから。それでも基本的には東京六大学の学校には知名度では負けますし、勧誘での苦労はあります。でも、私は自ら望んで駒大に入って来てくれる選手を求めてます。そういう選手は必ず伸びますから」 学石から東洋大監督に 東洋大の酒井俊幸監督(写真提供:東洋大学)  そして2010年代、駒大と激しい優勝争いを繰り広げたのが東洋大学だった。東洋大の酒井俊幸監督(石川郡石川町出身)は、学法石川高校卒業。東洋大から実業団に進み、選手を引退したあとに母校・学法石川の教員となって、高校生の指導にあたった。人生の転機となったのは2009年のことで、空席となっていた東洋大の監督に就任し、それから箱根駅伝優勝3回を飾っている。  特に「山の神」と呼ばれた柏原竜二(いわき市出身/いわき総合高卒)とは、柏原が大学2年の時から指導にあたっており、東洋大の黄金期を築いた。それ以降、東洋大からは東京オリンピックのマラソン代表の服部勇馬、1万㍍代表に相澤晃(須賀川市出身/学法石川高卒)を送り出すなど、日本の長距離界を代表する選手たちを育てている。また、長距離だけでなく、競歩では瑞穂夫人と共に選手の指導にあたり、オリンピック、世界陸上へと選手を輩出し続けている。  大八木総監督、酒井監督と、福島県出身の指導者が日本の陸上長距離界の屋台骨を支えていると言っても過言ではない。  それでも、酒井監督には大学の監督就任時には葛藤があったという。  「高校の生徒たちに、なんと話せばいいのか悩みました。高校生にとってみれば、私が生徒たちを見捨てて東洋大に行ってしまうわけですから。正直に話すしかありませんでしたが、最後は生徒たちから『先生、頑張ってください』と背中を後押ししてもらいました」  当時の酒井監督は33歳。当時の学生は「大学の監督というより、若いお兄さんが来たみたいな感じでした」と振り返るほど若かった。覚悟をもった監督就任だったのだ。  以前、タモリが彼の出身地である九州・福岡と東北の比較をしていた。  「九州の人たちは、東京に出ていく人たちを『失敗したら、いつでももどって来んしゃい』という感じで送り出すんだよ。でも、東北の人たちは違うね。出る方も、見送る方も『成功するまでは帰れねえ』という決死の思いで東京に出ていくし、送り出す。ぜんぜん違うんだよ」  この言葉は、宮城県気仙沼市出身の私にはよく分かる。とにかく、故郷を離れたら、もう帰ってくることはないという覚悟をもって上京する。だからこそ、地元を離れるのは重たい。  きっと、酒井監督も学法石川の教え子たちを残して東洋大の監督を引き受けることには、相当の覚悟が必要だったと思う。それが理解できるだけに、どうしても酒井監督には思い入れが湧いてしまう。  今年の出雲駅伝では、経験の浅い選手たちをメンバーに入れながら、8位に入った。優勝した駒澤からは水を開けられてしまったが、「常に優勝を狙える位置でレースを進めたいですね。それが学生たちの経験値を高め、自信にもつながっていくので」と酒井監督は話す。ぜひとも、箱根駅伝では「その1秒を削りだせ」というチームのスローガンそのままに、粘りの走りを見せて欲しいところだ。  このほかにも、早稲田大学の相楽豊前監督(安積高校卒)には幾度も取材をさせてもらった。相楽前監督は「福島県人には、粘り強い気質があると思います。その意味では長距離には向いているのかもしれません」と話していたのが印象深い。そういえば、大八木総監督もこんなことを話していた。  「私は会津の生まれですから……反骨精神もありますし、ねちっこくやるのが性に合ってるんです」 陸上を福島県の象徴的なスポーツに  これだけ指導者、そして選手に人材を輩出してきた背景には、やはり35回を迎えた「ふくしま駅伝」の存在が大きいと思う。市町村の対抗意識が才能の発掘につながっている。  たとえば柏原の場合、中学時代はソフトボール部に所属していたが、ふくしま駅伝を走ったことで長距離の適性に気づき、高校からは本格的に陸上競技を始めた。そして高校3年生の時には、都道府県対抗男子駅伝の1区で区間賞を獲得した。ふくしま駅伝というインフラが、「山の神」の生みの親といえる。  全県駅伝は全国各地で行われるようになったが、福島県には歴史があり、各自治体の熱意も、他の県とはレベルが違う。それは福島県人が誇っていいことだと思う。  どうだろう、これだけ陸上長距離に人材を輩出し、歴史ある大会が県民の共有財産になっているのだから、思い切って「陸上県・福島」という方向性を打ち出していくのは。私はそうした明確な方針が福島県のスポーツを土台にした「プライド」の醸成につながるのではないかと思っている。  今、私の故郷である宮城県は「野球の県」になりつつある。プロ野球の楽天が本拠地を置き、高校野球では仙台育英が夏の甲子園で優勝し、野球が県民の共有財産になっている。  こうした象徴的なスポーツがあることで、男女を問わずに子どもたちがスポーツに参加する機会が増える。それは家族、コミュニティーへと広がっていく力がある。  日本の特徴として、スポーツの選択肢が広いことが挙げられる。私の取材経験では中国、韓国では学校レベルでの部活動がない。すでに高校の段階からエリートだけのものになってしまうのだ。それに対し、日本は草の根からの活動が特徴だ。スポーツは自由意志で行われるべきものであり、その方が正しい。しかし、才能が分散するリスクがある。  今後、日本の少子化のスピードは止められそうにもない。私の生まれ故郷、宮城県気仙沼市の新生児の出生数は、ついに300人を切り、このままだと200人を割ってしまいそうだ。人口6万人規模の都市では、日本全国で同じような数字になると聞いた。私は昭和42年、1967年生まれだが、私が通った気仙沼高校は男子校一校だけで一学年360人がいた。雲泥の差である。  少子化が進めば、スポーツ人口もそれに比例して減っていく。高校野球では合同チームも珍しくなくなった。野球部が消えてしまった学校もある。  私は「県の象徴的なスポーツ」がひとつでもあることが、県を元気にすると思っている。もちろん、野球でもいい。いまだにグラウンドをはじめ、インフラが整っているから競技を始めやすい環境にある。  福島には陸上の財産がある。ふくしま駅伝、そして大八木総監督をはじめとした豪華な指導者たち。そして、1964年の東京オリンピックのマラソン銅メダリスト、円谷幸吉をはじめ、相澤晃にいたるまで日本を代表するランナーが育ってきた。コロナ禍を経て、須賀川市では「円谷幸吉メモリアルマラソン」が行われているのも福島のレガシーを伝える一助となっているだろう。  これだけのインフラがそろっているのだから、それを未来につなげなければもったいない。それは日本を代表するエリートを育てるというだけではなく、市民レベルでの活動にもつなげていけば、健康増進、そしてそれは医療費の抑制につながる可能性を秘めている。 次世代の動き  実際、そうした動きはある。学法石川高出身で、中央大学の主将を務めた田母神一喜は現在、郡山市でランニングイベントの企画運営、そしてジュニア陸上チームを運営する「合同会社ⅢF(スリーエフ)」の代表を務めつつ、自らも選手として走り続けている。  彼には「『陸上王国ふくしま』」を日本中に轟かせたい」という思いがあり、会社のホームページには「ふくしまってすごいんだぞと、胸を張って歩けるような居場所を作っていきます」と、福島への愛を前面に押し出したメッセージが記されている。  以前、彼に取材した時の話では、今後は部活動の外部指導など、教育現場との連携も模索していきたいという。部活動の外部委託化は国全体の動きである。どうだろう、福島がそのモデルになっていくというのもあり得るのではないか。  全国に先んじて官民が一体となって陸上の環境を整え、子どもたちの可能性を拡げていく。その発信者になっていけば自然と人が集まり、県民の新たなプライドも醸成されていくはずだ。それでも、こんな声が聞こえてくるかもしれない。  「陸上ばかり依怙贔屓するわけにはいかない」  他の競技団体にも歴史があり、言い分がある。それは理解できる。しかし、全体のバランスに配慮している限り、進歩、進化は遅くなる。  それを実感したのは、今年の9月から10月にかけてラグビーのワールドカップの取材でフランスに滞在したが、デジタル化の進歩に目を見張った。現金を使ったのは、40日間で数えるほどだけ。ほとんどが「クレジットカードは10ユーロ以上の場合のみ」と表示のあるお店ばかりだった。カード払いの場合、非接触型のカード読み取り機にかざすだけで良い。お店の人にカードを渡す必要もないし、暗証番号の入力も必要ない。「コロナ禍の間に一気に進んだ決済方法です」と話してくれたのは、フランスに向かう時の飛行機で隣り合った日本人ビジネスマン。  「いまだに現金決済が多いのは、日本とドイツです。おそらく、既存の仕組みがしっかりしているところほど、新しい変化に対応するのが遅くなる傾向があると思います」  なるほど。長い年月をかけて作り上げた仕組みが存在すると、その制度を守る力が働く。そうしていると、変化のスピードは遅くなる。今回のフランス滞在では、物価や賃金などの高さに驚きもした。その一方で、日本はコロナ禍の間に大きく取り残されてしまったとも感じた。  スポーツの世界も大きな変化に晒されている。既成の仕組み(育成や競技会の運営など)は、限界を迎えている。良質なものが生き残っていく時代だが、福島の陸上界には財産がある。そこで、保守的な方向に向かうことなく、攻めの姿勢で「福島モデル」を作り上げて欲しいのだ。  自由に、闊達に、そして強い選手が次々に生まれてくる仕組み。それは既存の体制を一度精査し、県民の幸福度がスポーツ、そして陸上によって上がるプランが生まれてきて欲しい。  若い世代の意欲と、経験を積んだ世代の知恵がうまく合体するといいのだが。福島出身の知恵者は、この原稿で紹介した通り、たくさんいるのだから。  いくしま・じゅん スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。  最新刊に『箱根駅伝に魅せられて』(角川新書)。また、『一軍監督の仕事』(高津臣吾・著)、『決めて断つ』(黒田博樹・著)など、野球人の著書のインタビュー、構成を手掛ける。 X(旧ツイッター)アカウント @meganedo

  • 郡山【小原寺】お檀家・業者に敬遠される前住職

    郡山【小原寺】お檀家・業者に敬遠される前住職

     小原寺と言えば、郡山市を代表する名刹だが、檀家や葬祭業者からの評判は芳しくない。原因はクセが強い前住職の存在だ。ただでさえ仏教離れの傾向が強まっている中、その存在が〝墓じまい〟を加速させている――という指摘すらある。いったいどんな人物なのか。 〝上から目線〟の運営で離檀者続出!?  大邦寺神竜院小原寺は郡山市図景にある曹洞宗の寺院だ。近くには郡山健康科学専門学校や郡山警察署がある。かつてはその名が示す通り、同市小原田にあった。  天文年間(1532年~)に廃絶した久徳寺を、永禄3(1560)年、二本松市・龍泉寺6世の実山存貞和尚が再興し、曹洞宗小原寺としたのがはじまりとされる。戦乱を経て延宝4(1676)年に再建。材料に阿武隈川の埋もれ木を掘り出したものが使われ「奥州・安積の埋もれ木寺」として、名所の一つに数えられた。天明3(1783)年、失火により全焼したが、寛政5(1793)年に古材を集めて仮本堂が建立された。  その仮本堂がつい10年前まで本堂として使用されていたが、震災で全壊判定を受け、2014年3月に解体撤去。約500㍍離れた現在の場所に、広大な駐車場を備えた近代的建築の本堂・庫裏を再建。同年8月に落慶法要が執り行われた。  安積三十三観音霊場第六番札所となっているほか、「巡拝郡山の御本尊様」の会が実施している御朱印企画では第一番札所となっている。  檀家は約1000軒あるとされるが、「現在は800軒ほどに減ったのではないか」と指摘する檀家もいる。いずれにしても、郡山市を代表する古刹であり、高い公共性を有する施設だ。  現在の住職は安倍元輝氏だが、市内で有名なのは、父親で東堂(曹洞宗における前住職の呼称)の安倍元雄氏だ。元高校教師で、郡山青年会議所理事長も務めていた。宗教法人小原寺の代表役員である元輝住職は心身のバランスを崩し一時期活動を控えていたとのことで、83歳の元雄氏がいまも同寺院を代表する存在として活動している。  ところが、その元雄氏に対する不満の声が各所でくすぶっている。  檀家の年配男性は「一番の原因はお布施の高さですよ」と説明する。  「葬儀のお布施が周辺の寺院と比べて高い。戒名が院号(寺への貢献者・信仰心の厚い信者に付けられる称号)の家で100万円超、軒号(院号よりランクが落ちる称号)の家でも70~80万円支払うことになる。親の葬儀で『大金を支払えないので戒名の位を下げてほしい』とお願いする人もいました」  代々檀家になっているという男性も「知り合いが、仲の良い墓石業者に相談して安く墓を立てる算段をしていたが、元雄氏に一応伝えると特定の業者を使うよう指定された。あれやこれやと条件を付けられ、結局200万円以上の金額に跳ね上がって泣いていましたよ」と語る。  檀家の中には、親が亡くなったのを機に〝墓じまい〟して、市営東山霊園に墓を移す人もいる。近年は仏教離れが進んでいることもあって、その傾向が強まっているが、同寺院ではその際も30~40万円の〝離檀料〟を支払うよう求めているという。  曹洞宗宗務庁はホームページ上で「宗門公式としての離檀料に関する取り決めはないし、指導も行っていない」とする見解を表明しているが、同寺院では「離檀を申し込むと、金額を提示される。半ば支払いを強制されているような感じ」(前出・檀家の年配男性)だとか。  小原田地区の住民によると、過去には元雄氏の独断が過ぎるとして、紛糾したこともあった。  「震災で本堂が全壊判定を受け、現在の場所に新築移転することになったが、檀家が計画の全容を知ったのは、どんな本堂にするか設計や見積もりが終わり、銀行と建築費用の融資計画まで打ち合わせした後だった。そのため、説明を受けた檀家から『これを負担するのはわれわれだ。なぜ事前に相談がないのか』と物言いが入ったのです。そのため、当初の計画は一旦見直されることになりました」  複数の檀家によると、新築された本堂・庫裏は当初、左翼側に葬儀・法事などを執り行える葬祭会館が併設される計画で、檀家には「総事業費数億円に上る」と説明していた。だが、葬祭会館建設は見直されることになり、左右非対称の造りとなった。このほか、正確な時期は不明だが、総代が元雄氏と対立し全員退任したこともあったという。  檀家に十分な説明が行われない状況は現在も続いているようで、小原寺の墓地の近くに住む檀家の男性は「現在の総代が誰なのかも知らないし、総代会が開かれているのかも報告されていないので分からない。法要のときは足を運ぶし、『寄付してくれ』と頼まれたら協力しますが、それ以上のコミュニケーションはありません」と語った。  不満の声は檀家のみでなく葬祭業者からも聞かれる。原因は「『うちの檀家の葬儀は白い花でそろえないとダメだ』などと細かい注文が入るうえ、とにかく話が長くて予定がめちゃくちゃになる」(ある葬祭業関係者)。葬儀終了後に元雄氏が数十分かけて〝ダメ出し〟する姿もたびたび目撃されており、ある業者とは深刻なトラブルに発展したようだ。複数の業者の現場担当者に声をかけたが、元雄氏がどんな人物か把握していたので、業界内ではおなじみの存在なのだろう。  元雄氏のクセの強さは経済界でも有名なようで、「郡山青年会議所OBの会合で簡単なあいさつを依頼されたのに30分以上話し続け、3人がかりで止めに入ったが、それでもまだ話し続けた」(市内の経済人)ことは〝伝説〟となっている。 元雄氏を直撃 安倍元雄氏  これだけ不満の声が出ていることを本人はどう受け止めているのか。同寺院に取材を申し込んだところ、元雄氏が対応し「葬儀続きで話すのは難しい」と渋られたが、10分程度でも構わないと伝え、何とか直接会う約束を取り付けた。  11月下旬、同寺院を訪ねると、元雄氏が杖をつきながら登場し、本堂を案内した後、御本尊である釈迦三尊像の説明や釈迦(ブッダ)が生まれたころの背景を20分にわたり話し続けた。「この後予定がある」と言いながら話し続けそうな雰囲気だったので、途中で遮って本題に入った。  ――本堂の新築移転をめぐり、檀家から不満の声が上がったと聞いた。  「本堂新築移転は震災で旧本堂が全壊となり、総代会で満場一致で決められたものです。檀家がお参りできる場所を作るのが私の務め。近代的な建物にした理由は、皆さんに親しまれるように、いまの時代に合った本堂を立てるべきだと考えたからです。具体的な建設費用は伏せますが、総代をはじめ、檀家の皆さんに『先祖の供養の場を作ってほしい』と寄付していただいた。私も個人で3000万円借りて寄付しました」  ――檀家は「総代長が誰かも分からないし、総代会がいつ開かれたのかも報告がないから分からない」と嘆いていた。コミュニケーションが不足しているのではないか。  「総代は住職などを含め5人います(※宗教法人の役員のことだと思われる)。総代会はその都度開かれているが、そのことはほかの檀家には連絡はしていませんね」  ――お布施の金額や、離檀料についても不満の声が聞かれた。  「お布施はできるだけ安くすることを心がけているし、納めるべき金額は檀家にはっきり公表している。不満の声がウワサとなって広まっている背景には、他の寺の住職のねたみも含まれているのではないか。住職に知識や考えがなければ長く喋りたくても喋られない。でも、俺が喋ると内容は豊富だし、間違ったことは言ってないので『ごもっとも』となる。離檀料は長い間お世話になった気持ちを込めて菩提寺に寄付したいという方もいるので設定しているが、決して強制ではない」  ――葬祭業者にも敬遠されている。注文・ダメ出しの多さと話の長さが原因のようだが、心当たりは。  「小原寺の葬儀のやり方というのが明確に決まっている。どうすればスムーズに進行できるか、担当者に教えることがあります。でも、『指摘してくれてありがとう』と言われることもあるし、そんなにトラブルみたいなことにはなってないよ」  ――こうした不満が出たことをどう受け止めるか。  「まあ、『出る杭は打たれる』ということなんでしょう」 取材には真摯に対応してもらったものの、本堂新築移転をはじめ、檀家や葬祭業者から上がっている不満の声を素直に受け止めず、「他の寺の住職のねたみが背景にあるのではないか」、「出る杭は打たれるということ」と話す始末。コミュニケーション不足を指摘してもピンと来ていない様子で、再度質しても明確な回答はなかった。これでは檀家・葬祭業者との溝を埋めるのは難しい。  本堂新築移転にいくらかかったのか、明確な金額は明かそうとしなかったが、今年11月時点での寄付一覧を見せてくれた。本堂の建設を手掛けた業者や県内の寺院が寄付していたが、寄付金額を合計しても1億円にも満たない。残りは宗教法人として銀行融資を返済しているという。つまり、最終的には檀家が負担することになる。  総代長を務める年配女性を訪ね、元雄氏について質問しようとしたが「私は全然そういうの分からないの」とドアを閉められた。現代表役員の元輝氏の存在感はなく、同寺院に取材を申し込んだ際も、こちらが特に指定していないのに元雄氏が対応した。厳密に言えば寺の本堂は宗教法人のものだが、元雄氏の判断ですべてが決まる体制ということだろう。 寺院経営のボーダーライン 小原寺  人口減少により経営が厳しくなっている寺院が増えているとされているが、そうした中で、1000軒以上の檀家を抱える同寺院はかなり余裕があると言える。寺院の事情について詳しい東洋大学国際学部の藤本典嗣教授は「寺院経営が成り立つボーダーラインは一般的に約300軒と言われている」と説明する。  「地方の寺院では収入が年間約900万円あれば、諸経費、維持管理費、宗費(本山に納める費用)など諸々を差し引いても、住職の所得として360万円程度確保でき、生活を維持できるとされています。主な収入は葬儀、法要、供養などで入るお布施。住職1人で運営できるラインは300軒程度とも言われているので、1軒当たり平均年3万円のお布施を支払ってもらえれば、専業で寺院経営が成り立つ計算です」  藤本教授によると、寺院によってお布施の金額は異なるが、公表されている論文や書籍などのデータを大雑把にまとめると、葬儀の相場は10万~100万円、法事の相場は3000~5万円とのこと。寺院、戒名によってその金額は異なるが、「福島市の福島大学に勤めていた頃の感覚では、中心市街地のお寺での葬儀のお布施は20~50万円でした」(藤本教授)。小原寺の金額が高めであることが分かるだろう。  檀家数が300軒を下回ると、住職の業務は少なくなって負担は軽減されるが、収入も減るので別の仕事をする必要がある。かつて郡部の寺では、地元で働き続けられる公務員や教員、農協などの仕事を檀家から紹介され、兼業しながら寺院運営する住職が多かったという。SNS情報によると、現在は介護業界で働く人が多いようだ。  小原寺では元雄氏と元輝氏のほかにも僧侶の姿を見かけた。それだけ経営的に余裕があるということで、だからこそ檀家に強気な姿勢で臨めるのかもしれない。しかし、そうした環境にあぐらをかいていれば、離檀していく人も増えるのではないか。  「うちは代々檀家になっているので付き合い続けているが、そうでない人は『住職との折り合いが悪いから』とためらいなく離檀していく。実際、周辺にそういう人がいました」(前出・檀家の年配男性)  本誌10月号で、喜多方市熱塩加納町の古刹・示現寺で〝墓じまい〟が相次いでいる背景を取材した。檀家らの声を聞いた結果、人口減少・少子高齢化の影響に加え、高圧的な態度の住職に対する不満も一因となっていた様子が分かった。ほかにも、会津美里町・会津薬師寺、伊達市霊山町・三乗院など、寺院をめぐるトラブルを取り上げている。本誌10月号記事では、これらのトラブルに共通するのは、①「一方的で説明不足」など住職に檀家が不信感を抱いている、②「本堂新築」、「平成の大修理」など寄付を要する大規模な事業を行おうとしている点と指摘した。  藤本教授は「寺院の大規模事業に関しては、かつては多額の寄付をできる人に依存し、一般の檀家の寄付額は少額という傾向にあったが、時代の流れにより全体で負担する方向に変わりつつあります。計画がしっかりしている寺院では、総代を中心に話し合い、マンションでいう〝修繕費〟を積み立てています。逆に言えば、そのような計画がしっかりしていない寺院は不満が一気に噴出しやすいのです」と解説する。  そのうえで「住職、総代、檀家のコミュニケーションがうまくいってない場合、トラブルが起こりがち。3者で定期的に話し合いの場を持ち、コミュニケーションを取っていれば問題は起こりにくいはずです」と話す。小原寺に関しても当てはまる指摘ではないか。 いかに寺が檀家に寄り添えるか 小原寺の本堂内  市内のある寺院関係者は元雄氏について次のように語る。  「以前は周りが年配者ばかりだったが、檀家も住職も年下が増えてきたこともあって、自己中心的な言動がとにかく目立つようになった。都市部だが、旧小原田村を象徴する寺なので、住職も檀家もそれぞれプライドを持っている。だから、不満が溜まるのでしょう。仏教離れ、少子高齢化が進み、物価高騰で家計も大変な中、何より大事なのはいかに寺(住職)が檀家に寄り添えるか。一方的に旧態依然とした考え方を押し付けるスタンスでは、今後も離檀する檀家は増える一方でしょう」  元雄氏自身は自覚がないようだが、檀家の話を聞く限りコミュニケーション不足は否めない。中には知識量や宗教者としての姿勢を認め、リスペクトを込めて話す人もいたが、だからと言って一方的な〝上から目線〟の寺院運営を続けていれば檀家は離れていく。  同寺院は前述の通り、公共性が高い古刹であり、宗教法人は周知の通り、その公益性の高さから境内や寺院建造物の固定資産税が免除され、お布施などの収入は非課税となっている。元雄氏はその寺院を代表する立場にいるのだから、周りから不満の声が出ていることを素直に受け止め、自身の対応を見直すべきだ。  元輝氏はこの間仏像彫刻の寺小屋イベントを実施しているという。さらに立派な本堂と広大な駐車場を活用した祭り・イベントを計画し、寺に足を運びやすい雰囲気を作ることから考えてみてはどうだろうか。

  • 10年足踏み【郡山旧豊田貯水池】の利活用

    10年足踏み【郡山旧豊田貯水池】の利活用

     郡山市の旧豊田貯水池跡地が利活用されないままの状態が長年続いている。この間、議会や民間からはさまざまな提言が行われているが、市は検討中と繰り返すばかり。郡山市政にとって、同跡地の利活用は残された重要課題になりつつある。 具体策は「次の市長」の政治課題に  旧豊田貯水池は郡山市役所から南東に0・7㌔、郡山総合体育館や商業施設(ザ・モール郡山)などに隣接する市街地にある。面積8万8000平方㍍。稼働時は水面積6万7000平方㍍、貯留水量12万立方㍍を誇ったが、現在は辺り一面に雑草が生い茂る。  旧豊田貯水池が完成したのは今から360年以上前の明暦2(1656)年。農業用ため池と水道用貯水池として長く機能し、明治45(1912)年には安積疏水の水を利用した豊田浄水場が建設されたが、給水100年を迎えて老朽化が進んでいたことから、市は同浄水場の機能を堀口浄水場に統合。豊田浄水場は平成25(2013)年に廃止された。  これを受け、当時の原正夫市長は旧豊田貯水池の水抜きを進めたが、同年4月の市長選で初当選した品川萬里氏は水抜きを停止。「水害対策や歴史的役割を踏まえた学習への活用を検討する」として市役所8部局からなる研究会を設置した。しかし、水抜き停止は市民や議会に意見を聞かずに行われただけでなく、貯水池内の水の流れが止まったことで水質が悪化。辺りには悪臭が漂うようになり、蚊や水草が大量発生した。  結局、水抜きは再開されたが、市はこの問題をめぐり定例会や委員会で議員から厳しい追及を受けた。以来、品川市長は同貯水池跡地の利活用に及び腰の感がある。  「品川市長は局地的な豪雨が増えていることを踏まえ、旧豊田貯水池に雨水を溜め、緩やかに流すことで下流域の負担軽減を図ろうと調整池としての利活用を考えた。その考え自体はよかったが、独断で水抜きを止めたことでつまずき、同貯水池内にある第5配水池を利用した暫定的な雨水貯留施設を整備した後は具体策を示してこなかった」(事情通)  議会では利活用に関してもさまざまな質問が行われ、議員からは室内50㍍プール、全天候型ドーム、水害対策機能を備えた都市公園などの整備を求める声や「福島大学農学部の移転先になり得るのではないか」といった提案が出された。しかし、市は「総合的に検討していく」との答弁を繰り返すばかりだった。  停滞する状況を動かそうと、2017年6月には議会内に設置された公有資産活用検討委員会からこんな提言が行われた。  《市役所や文化・スポーツ施設が集中する麓山・開成山地区においては、施設利用者の駐車場が不足しているという市民の意見が多いことから、旧豊田浄水場跡地の一部について、当面、安全性を確保のうえ、駐車場や自由広場等として暫定利用できるよう、必要最低限の整備に向け対応すること》  ある議員はこう話す。  「旧豊田貯水池跡地に隣接する郡山総合体育館は福島ファイヤーボンズ(バスケット)やデンソーエアリービーズ(女子バレーボール)がホームゲームを行っているが、駐車場が圧倒的に足りない。そこで議会としては、暫定的な使い方として一部に砂利を敷いて駐車場としつつ、具体的な利活用策を早急に示すべきと提言したのです」  同検討委員会が提言に当たり行ったアンケート調査で市民に旧豊田貯水池跡地の最終的な利用方法を尋ねたところ、「開成山・麓山地区における公共施設等の駐車場として整備」が32・2%、「新たな公共施設と駐車場を整備」が27・5%「浸水対策や水辺空間を生かした公園等として整備」が16・9%、「民間へ売却」が11・1%という結果になった。開成山・麓山地区は公園、体育館、図書館などの公共施設が集中しているが、駐車場が少なくて不便なため駐車場整備を求める声が多かった。  民間からも利活用に関する提言が行われた。郡山商工会議所内に設置された郡山の未来像を考える若手組織・グランドデザインプロジェクト会議が2018年11月に▽パークアンドライドを意識した地下駐車場、▽バス、モノレール、LRT(ライトレールトランジット)や2020年代に実用化を目指す空飛ぶクルマなどのターミナル、▽ライブ、シネマシアター、マルシェ等に利用できるイベント基地の整備を提案した。  こうした議会や民間による動きを受け、市は2019年度に副市長をトップとする旧豊田貯水池利活用検討推進本部や有識者懇談会を設置。同年度末には利活用方針案の中間とりまとめを発表し、緑を生かした①体験重視案、②保全重視案、③歴史重視案の3案が示された。しかし、翌年度に行われたパブリックコメントで市民から寄せられた意見は「3案とも検討するに値しない」と手厳しいものだった。  「市街地にはたくさんの公園があるのに、今さら緑を生かした場所が必要なのか、もっと有効な使い方があるのではないかと考える市民が多かったようです」(前出・事情通)  2021年6月には、議会内に設置された旧豊田貯水池利活用特別委員会での議論をもとに、議会から二度目の提言が行われた。  《具体的な整備にあたっては音楽都市、スポーツ、交流人口の拡大、防災・減災、リスクマネジメント、駐車場確保の観点を重視するとともに参考人(※市内15団体の役職者)からの意見に配慮し、市民が納得する活用方法となるよう検討していくこと。また、周辺地区との一体的利用の観点から、宝来屋郡山総合体育館と開成山公園を容易に移動できる動線の確保について検討すること。(中略)なお、具体的な利活用方針が決定するまでの間、旧豊田貯水池の暫定的な利活用を図ること》 定まらない方向性 一面雑草だらけの旧豊田貯水池跡地  その後、市では同年10月から翌22年5月にかけて市民との意見交換会を開催したが、そこで掲げられた利活用コンセプトは「全ての世代が安心・安全で元気に過ごせるみどりのまち SDGs体感未来都市」という非常に漠然としたものだった。  独断で水抜きを止めた反省から、さまざまな組織を立ち上げ、議会や民間、市民の意見に耳を傾けようとしている姿勢は評価できる。ただ、議論を深めれば深めるほど中身が抽象的になり、方向性が定まらなくなっている印象を受ける。  市の窓口である公有資産マネジメント課は「市民の中には旧豊田貯水池の存在すら知らない人がかなりいる。そこで市民に現地を見てもらい広く意見を募るため、現在、一般開放に向けた準備を進めている。いつまでにこうするという期限は定めていない」と話すが、浄水場廃止から10年経っても前進する気配が見られないのだから、状況が変わることはしばらくなさそう。  「この間の具体的な動きと言えば令和元年東日本台風の翌年、市民から議会に水害対策機能を意識した利活用を求める請願が出されたことくらい。品川市長の3期目は2025年4月まで。任期が残り1年半しかない中、自分が手掛ける可能性がない施策を打ち出すとは思えない。4期目も目指すなら話は別だが、現状では次の市長に持ち越しと考えるのが自然だ」(前出の議員)  そのまま水抜きを進め、最初から市民や議会と相談して事を進めていれば、状況は今とは違っていたかもしれない。

  • 二本松市3祭り同日開催の良し悪し【二本松の提灯祭り】【針道のあばれ山車】【小浜の紋付祭り】

    二本松市3祭り同日開催の良し悪し【二本松の提灯祭り】【針道のあばれ山車】【小浜の紋付祭り】

     10月7〜9日の3連休にかけて、二本松市では「二本松の提灯祭り」(7〜9日)、「針道のあばれ山車」(諏訪神社例大祭、6〜8日)、「小浜の紋付祭り」(7、8日)が開催された。二本松の提灯祭りが2019年から日程変更となり、今回、初めて3つの祭りの日程が重なった格好だが、これは観光振興の観点から見た場合、あるいは実際に祭りに携わる関係者からすると、プラスだったのか、マイナスだったのか。 屋台店主は「稼ぐ機会が減った」と嘆き節  3つの祭りのうち、針道のあばれ山車(諏訪神社例大祭)と小浜の紋付祭りは、以前から国民の祝日である「スポーツの日」(旧体育の日)を含めた10月の3連休絡みで行われていた。  これに対し、二本松の提灯祭りは、かつては10月4〜6日の固定日程で開催されていた。だが、祭り参加者の負担軽減や観光面などから、日程変更が議論され、2019年から「10月の第1土曜日から3日間」に変わった。もっとも、2020年、2021年は新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い中止となっており、今回で日程変更後3回目の開催となる。  過去2回は、針道のあばれ山車、小浜の紋付祭りと日程は被らなかった。スポーツの日は10月第2月曜日で、2019年は14日、昨年は10日だった。すなわち、針道のあばれ山車と小浜の紋付祭りは、2019年は12〜14日、昨年は8〜10日の3連休絡みで行われた。二本松の提灯祭りは、2019年は5日が第1土曜日だったため、同日から3日間、昨年は1日が第1土曜日で同日から3日間の開催だった。  今年は7日が第1土曜日、9日がスポーツの日(第2月曜日)だったため、曜日の並びの関係で、初めて3つの祭りが同時期に行われたのである。  巻頭グラビアでも紹介したように、この期間、市内は「祭りムード」一色に染まった。一方で、3つの祭りが同時開催になったことは、観光振興の観点から見た場合、あるいは実際にお祭りに携わる関係者からすると、プラスだったのか、マイナスだったのか。  観光客の入り込みは、二本松の提灯祭りが約19万人だった。昨年は約21万人だったというから、約2万人減ったことになる。ただ、それは最終日(9日)が1日中雨天(しかも土砂降り)だったことが影響しているという。関係者によると「初日は昨年より多かったから、最終日の雨がなければ昨年を上回ったはず」とのこと。なお、昨年は屋台でのアルコール類の販売を禁止するなど、新型コロナウイルスに伴う規制があったが、今年はそういった規制はなかった。  針道のあばれ山車の入り込み数は約8000人。昨年は約5000人だったというから、約1・6倍に増えた。コロナ規制がなくなったことに加え、あばれ山車は日中(8日午後)、提灯祭りは夜が見どころのため、相乗効果が図られたのではないか、と関係者は見る。  なお、針道のあばれ山車は諏訪神社例大祭の一部で、「後祭り」という位置付け。「本祭り」はあばれ山車の前日(今回は7日)に行われたが、「観光客が多く訪れるのは本祭りではなく後祭り」(地元住民)とのこと。  小浜の紋付祭りの入り込み数は約1000人で、昨年は1500人だったというから3割減。ほかの2つに比べると認知度が低いこともあってか、見物客を食われた格好。関係者が紋付羽織袴の格好で練り歩く「本祭り」は8日で、あばれ山車と日程が重なる。もっとも、あばれ山車と紋付祭りが同日になるのは今年に限ったことではない。関係者は「何年かに1度はこうした日程(提灯祭りと同時開催)になりますから、今年の事例を参考に、どうしたら多くの人に来てもらえるか、考えていく必要があるだろう」という。  こうして見ると、観光振興の側面から、3つの祭り同時開催が良かったのか、悪かったのかは判断しにくい。特に、近年はコロナに伴う中止・規模縮小などがあったため、余計に難しい。なお、小浜の紋付祭りは2019年は令和元年東日本台風の影響で本祭りが開催できず、その翌年にはコロナに伴う中止もあった。 屋台の出店数に影響 屋台店主はどこに出店するか選択を迫られた(提灯祭りの屋台)  一方で、関係者からは「屋台を出す人たちは、同時開催で『稼ぐ機会が減った』と嘆いていました」との声が聞かれた。  市生活環境課によると、提灯祭りの屋台出店者は163店舗で昨年比3店舗増。前述したように、昨年は屋台でのアルコール類の販売禁止という規制があったが、今年はないため、もっと増えるのではとの見方もあったが、微増にとどまった。2019年は196店舗だったというから、30店舗以上減ったことになる。  「2020年から2021年にかけては、イベント関係がどこも自粛だった。そのため、全く仕事がない状況で、廃業してしまった業者も少なくない」(ある関係者)  ある店主は「例年は針道に行ってたけど、今年はこっちだけにした」と話した。  ちなみに、同日は福島市で稲荷神社例大祭や飯坂けんか祭りが行われており、「昨年、提灯祭りに出していた屋台店主が、今回は稲荷神社例大祭に出店していた」との声も聞かれた。二本松市内だけでなく、近隣でも祭りが行われる中で、どこに屋台を出すかを「選択」していることがうかがえる。  針道のあばれ山車は、東和支所地域振興課によると、屋台の申請件数で6件、昨年は7件だったという。ただ、1業者で複数の屋台を出したところもあるため、実数は異なるようだ。正確な数字は確認できなかったが、「昨年は十数店舗、今年はその半分くらいではないか」(関係者)とのこと。  この関係者によると、「針道は7日が本祭り、8日があばれ山車だが、本祭りはあまり人が来ないんだよね。だから実質1日しか見込めないから、日程が被ったら、こっちに出す人は少ない。向こう(提灯祭り)は丸々3日間あるから」という。  小浜の紋付祭りは、岩代支所地域振興課によると、10店舗で、昨年は22店舗だったというから、半数以下になった。まさに「同時開催」の影響と言えよう。そのため、今年はレイアウトを変え、1つの通りに集中するように工夫したという。  「仲間は二本松(提灯祭り)に行く人が多い。俺は小浜で店を始め、ここで育ててもらった義理があるのでここに屋台を出すことにした」(屋台店主)  以前は、今週は提灯祭り、翌週は針道のあばれ山車か、小浜の紋付祭りという具合に商売ができたが、今年はそれができなかった。ただでさえ、コロナ禍ではそうした機会が全くなく、ようやくイベントなどが再開されるようになったのに、「同時開催で稼ぐ機会が減った」となれば嘆くのも当然だろう。

  • 【本誌記者・体験記】育休を取りにくい小規模事業者

    【本誌記者・体験記】育休を取りにくい小規模事業者

     男性の育児休業の取得が国を挙げて進められている。家庭と仕事の両立と、女性の労働力参入を意図し、前向きな企業への助成金も拡充した。ただ、制度は充実しても休業者の代替要員の確保は難しい。育休取得で雇い止めにあった公務員もおり、スムーズに取れるようになるまでに解消しなければならない課題は多い。(小池 航) 本誌男性記者の体験で見えた課題  県が常勤労働者30人以上を雇用する県内の民営事業所1400事業所を対象に聞き取りをした労働条件実態調査(2022年7月31日現在)では、21年度に出産し育休を取得した人は男女合わせて1035人。性別の取得状況は女性830人(取得率97・1%)、男性205人(同20・4%)だった。  男性の取得率はここ数年で大幅に伸びている。だが、平均取得日数は女性の297・7日に対し、男性は27・2日と乖離がある。常勤労働者30人を下回り、余剰人員がない小規模事業所はそもそも反映されていないので、現実の数値は男女ともに下回ると考えておくべきだ。  本誌を発行する㈱東邦出版は従業員10人以下の小規模企業。県の統計には反映されないが、29歳男性の筆者は育休を取った。  5月に第一子が生まれた。妻は県外の実家に帰省し里帰り出産した。夜中に産気づいたとの知らせが来て、福島市の自宅から車で向かうと着いた時には既に産まれており、出産には立ち会えなかった。病院は感染症対策を徹底していたため、母親の入院中に親族一組が病棟の待合室でしか対面できず、筆者は義母と会いに行った。  産科病棟に入ると、「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣き声が聞こえる。自分の腕の中で力いっぱい泣き、一心に母親の乳を吸う様を見て、我が子と長い時間一緒にいたいという思いが強くなった。  職場に戻ると「育休を取りたいんですが」と切り出した。弊社の佐藤大地社長は「いいよ。取ろう。当面は育休の間にどう仕事を回すかを目的にしよう。体験記も記事にしといて」と言った。  育休は育児休業のことで、労働者が会社に対して子育ての休みを取れる制度。産前産後の女性が取得する産休とは別に取れる。育休は子どもが1歳になるまで取得可能。保育所の入所先が見つからないなどやむを得ない事情がある場合は、最長子どもが2歳になるまで取れる。休業中は180日まで給料の67%が、それ以降は50%がハローワークから労働者に直接支給され、社会保険料が免除される。事務の同僚に申請を頼むと、「育休取得はあなたが初めて」と言われた。  収入が減るのは痛いが、入社が浅くまだ収入は高くないので、67%の給付に代わってもダメージは少ない。何よりも子どもとの時間を大事にしたかった。  2020年度に厚労省から委託され、⽇本能率協会総合研究所が行った「仕事と育児等の両⽴に関する実態把握のための調査研究事業」の調査では、男性が育休を取らなかった理由(複数回答)の筆頭に「収入を減らしたくなかったから」(41%)が上がった。次が「取得しづらい雰囲気と上司の理解が得られなかった」(27%)、「自分しかできない仕事があったから」(21%)。男性が稼ぎ頭を自認し、仕事につきっきりであることが示された。  育休・介護休業は、出産・育児や介護といった人生の一大事で離職が進むことを、本人だけの不利益と捉えるのではなく、企業から人材が離れ生産力が低下する社会的損失と考え、労働者の家庭と仕事の両立を図る狙いがある。そもそもは「男は仕事、女は家庭」と性別的役割分業に基づいて、女性側に家事・育児や介護といった無償労働の負担を強いてきたことがジェンダー平等の観点から問題視されてきた。  さらに、雇用機会は増えているのに女性の職場復帰が叶わないのは、産業界にとっても有能な人材の未活用を意味する。人口減少による人手不足が深刻な日本では、家庭と仕事の両立と「女性活躍」は、自己実現を支える目的ももちろんあるが、政府・産業界がより女性を家庭外の労働に従事させるのが本来の思惑だ。  子育て中も十分に稼がなければならない。食費・学費は物価上昇に伴い上がるが、所得はなかなか上がらず、経済的な面から共働き世代がいまや主流だ。2000年は共働きが約940万世帯、専業主婦が約910万世帯だったが、2022年は共働き世帯が約1200万世帯、専業主婦世帯が約500万世帯となっている。男性が育休を取得し、子育てで主体的な役割を果たすことは、女性活躍=労働人口維持となり、人口減少下の社会が求めていると言える。 外部ライターに発注で対応  妻は今年3月まで勤めていた非正規職を辞め、出産したので無職。産休・育休はない。初めての出産ということもあり、生後3カ月ほどは実家のリラックスした環境で体を休めながら子どもと過ごした方が良いと、里帰り出産を選んだ。  生後間もなくの我が子と一緒に暮らしたいという思いはあったが、里帰り出産で夫である筆者が安堵したのも事実だった。親とは同居しておらず、気軽にサポートを得るのは難しい。夫の筆者が出産直後の回復期にある妻に代わり、家事の全てをこなさなければならない。出張があり、締め切りが近づけば帰宅は夜遅くなる。両立できるか不安で、妻の実家に甘えた。  育休は母子が福島市に帰ってくる8月末から29日間取ることにした。迎えるに当たり、時間に余裕が欲しかったからだ。日常生活を送りながら家事の分担を決め、役所や銀行の手続き、子どもの安全のために家具の再設置、親類への挨拶などを終わらせたかった。職場復帰を想定して家事や子どもの世話をする感覚も掴みたかったので、期間と時期は間違っていなかったと思う。  職場復帰後は、おむつ交換、子どもが朝起きる前に居間を掃除、洗濯物を干す、出勤、帰宅して子どもを風呂に入れ、寝かしつけるのがルーティーンになった。自らに「やったつもりになるな」とは言い聞かせている。  育休を取るに当たって業務の穴埋めを考えた。9月に編集した10月号の発行には加わらなかった。筆者は毎月発行する雑誌に記事を書く編集部員なので、業務期間の区別が付きやすい。空いたページを誰が埋めるかが問題だ。10月号は7月ごろから外部筆者に業務委託した。  本誌は従業員10人未満の小規模企業。人繰りが難しく、1人が抜けるだけでも大きな打撃だ。企業の負担を軽減するために、中小企業対象の助成金に出生時両立支援コース(子育てパパ支援助成金)がある。男性従業員が子どもの出生直後に育休を取った場合、事業者に20万円が支払われる。肝は休業者の代替要員を雇った場合、さらに20万円が加算される。  「うまくできている」と思ったが、主な要件に「子どもの出生後8週間以内に開始し、連続5日以上の育休を取ること」とある。筆者は、育休を取る時は既に生後5カ月を過ぎていたため対象外だった。子育てパパ支援助成金は、出産直後で身体的・精神的にダメージを受けている妻を夫が付きっ切りでサポートすることを想定している。  子育てパパ支援助成金による中小企業への補助は出生直後のみだが、筆者のようにその時期以外にもニーズがあること、経営者が積極的に男性の育休を浸透させるためにも、金額を調整しつつ対象期間を広げても良いのではと思う。  外部ライターに原稿を発注することで、筆者は育休を取ることができ誌面の質も維持できた。ただ、同じ従業員でも営業部門は替えが効かない。編集部員は特集の方針こそ決めるものの、各記事は1人で書き、引き継ぎは比較的簡単に済む。一方、営業部員は各々が広告主などの顧客と関係を築き、チームで緻密に売り上げを積み重ねている。引き継ぎは容易でないだろう。  給料水準が低いことで、地方と中小企業を襲う慢性的な人手不足も頭を悩ます。前出の子育てパパ支援助成金で、代替要員と認められるのは直接雇用や派遣会社を通じて雇用した従業員。本誌で育休期間を補う臨時社員を募集し、ちょうどその時期に採用できるかというと現実的ではない。求職者も給与額と安定性の面から、有期よりは無期、短期よりは長期の雇用を希望する。  従来からあった育児休業とは別に22年から出生時育児休業(産後パパ育休)制度も始まった。子どもが生まれてから8週間以内に最大4週間休みが取れる。分割して取ることも可能だ。最大の特徴は、労使協定に基づいて労働者の側が希望すれば、休業しながら少しの間であれば就労ができる。引き継ぎや代替要員の確保が難しいといった現状を鑑みた。 育休を終え雇い止めに遭った臨時職員  ここまで男性が育休をどう取るかを書いてきたが、女性ですら育休を取りづらい実態がある。また、非正規職員は取れたとしてもその間に職を失ってしまう。  県内のある自治体に勤めていた30代女性が語る。  「私は年度ごとに雇用契約が更新される会計年度任用職員でした。上司は『若手が少ないから今あなたに休んでもらったら困る』と求めるほど職場の人数は最低限度でした。一昨年夏に第2子が生まれました。1年の育休を取ろうと上司に相談すると応じてはくれたのですが、『長すぎるんじゃないの』と言われました。説得され、9カ月の育休に縮めることで折り合いました」  夫は夜勤もある仕事で拘束時間も長いため、育児の負担は女性にのしかかる。乳幼児とその上の子を育てる大変な時期を乗り越えた後、保育所に預けて職場復帰しようと準備を進めていた昨年初頭、上司から「契約を更新しない」と言われた。  会計年度任用職員について多くの自治体は、「採用の門戸を広げるため」と国の方針に則り「〇年目以降は公募で合格した者のみ」と条件を設け実質雇い止めをしている。女性はまだ勤め先の自治体で定めた期限を迎えてなかった。  「有職者であることを証明し保育所の入園手続きをしていたが、無職になるので入園できません。家計のために共働きは必須です。育休明けで職場復帰に意気込んでいたのに求職しなければならなくなった。子育て支援を牽引する行政が、育休取得者に不利益を与えているのは許せません」(前出の女性)  女性は自治体の予算が減額され、雇用人数を減らす中、ちょうど育休中だった自分に白羽の矢が立ったと受け止めている。  家庭と仕事を両立させるには男性の育休を増やすことが重要だが、都道府県や企業ランキングの上位に食い込むための「目的」になってはいけない。育休がキャリアで不利益となることを恐れ、取りたくても申請を控えている人が多く潜在していることに目を向ける必要がある。

  • 問題だらけの【福島県】消防組織

    問題だらけの【福島県】消防組織【パワハラ】【報酬ピンハネ】

    双葉地方広域消防本部「パワハラ」の背景 本誌に寄せられた投書  10月14日付の福島民報に「職員3人パワハラか 双葉地方消防本部 飲酒強要などで懲戒」という記事が掲載された。双葉地方広域市町村圏組合消防本部が、パワハラ行為があったとして職員3人を懲戒処分(減給)していたことを報じる内容。  実はこの前に、同消防本部のパワハラについて記した告発文が、本誌編集部宛てに寄せられていた。差出人は匿名で、消印は10月9日付、いわき郵便局。  パワハラの具体例を記した告発文と併せて、加勢信二消防長が各消防署長に向けて送付した「職員の義務違反について(通知)」という公文書の写しも添付されていた。内容はパワハラで懲戒処分された職員が出たのを受けて、言葉遣いや態度への注意を呼びかけるもの。おそらく差出人は同本部の職員だろう。  告発文によるとパワハラの内容は以下の通り。  ◯今年2月22日に開かれた職員同士の飲み会で、消防副士長(29)が嫌がる部下にタバスコ入りの酒を一気飲みさせた。  ◯消防司令補(34)が一次会で帰宅しようとした部下に土下座を強要した。  ◯警防係長(40)が過度の説教を開始。  ◯翌日から若手職員A(投書では実名)が病休に入りその後退職した。  新聞報道によると、処分された3人のうち1人は〝タバスコ消防副士長〟で、残り2人は訓練時の発言や不適切な言動、理不尽に受け取れる指導が処分対象になったという。  告発文によると、処分は9月14日付で、半年以上も経った後の処分ということになる。差出人が疑問視しているのは処分の軽さだ。というのも、同組合の懲戒処分等に関する基準では、パワハラなどで心身に故障を生じさせ、勤務できない状況を招いた際は免職・停職とすることが定められているのだ。  《その他にもパワハラで楢葉分署1名、富岡消防署2名が病気休暇で休んでいるのが、現状です。減給の処分職員はなんの反省もしていません》(告発文より引用)  福島県消防協会のホームページによると、同消防本部の管轄エリアは双葉郡8町村。実人員(職員数)は127人で、県内の消防本部では小規模な部類に入る。復興途上の原発被災地域の防災を担おうと入った若い職員がパワハラ行為の対象となり、退職・休職に追い込まれたのだとしたら、これほど理不尽な話はない。  同消防本部に詳細を問い合わせたところ、金沢文男次長兼総務課長が次のように答えた。  「パワハラに関する教育は年1回、階級に合わせて実施しています。パワハラの詳細や当消防本部が知るに至った経緯は新聞社などにも公表していないのでご理解ください。公表しない理由もお話しすることはできません。なお、楢葉分署、富岡消防署の休職者に関しては、今回のパワハラとは関係ありません」  懲戒処分が軽くなった経緯については「公表していない」、懲戒処分したことを公表しなかった理由については「公表の基準が決まっており、それを下回ったので、公表しなかった」と説明した。とにかく情報公開を避けている印象が否めない。こうした体質がパワハラを助長しているのではないか。  消防でパワハラが起きる背景について、消防行政を研究する関西大学社会安全学部の永田尚三教授は次のように語る。  「消防は一般的に体育会系的要素が強いのに加え、消防本部は地域間格差が大きい。地方の小規模な消防本部では日常の業務に追われ、パワハラ対策やコンプライアンスなどについて、十分に学ぶ時間が確保されていない可能性が高い。また、消防本部は行政部局から切り離され独立性が確保されていますが、それゆえに、行政部局の組織文化が共有されにくい側面もあると思います」  同消防本部ではパワハラ教育を実施しているということだったが、効果がなかったことを重く受け止め、この機会に徹底的に内部調査を行って、膿を出し切るべきだ。そのうえでハラスメント行為を相互チェックするルールなどを組み込み、見直しを図ることが求められる。 氷山の一角!?南相馬市消防団「報酬ピンハネ」  一方、南相馬市では、消防団員に報酬が渡されていなかった事例が明らかになった。10月9日付の毎日新聞によると、同市内の消防団が団員だった40代男性に1年半にわたり報酬を渡していなかった。  支払いを求める男性に対し、先輩団員は「消防団っていうのはボランティアなんだ。報酬は団に預けているんだ」、「昔から余ったお金を団に残して、コロナになる前は2年に1回くらい旅行に行っていた。その時に飲み物やビールを買う、宴会に使うというのをやってきた」と話し、「列からはみ出るようなら、辞めてもらうしかない」と迫ったという。 消防団の悪しき慣習  男性は報酬を受け取らないまま退団し、報酬未払いとパワハラについて、市としての対処を求める嘆願書を市長宛てに提出。1年以上連絡がなかったが、9月に毎日新聞が取材した直後、市長名の回答が寄せられた。パワハラは評価できないとしたうえで、「報酬等の取り扱いについて、団員に対する説明が不十分であったと判断し、消防団に対して口頭指導した」という内容だったという。その結果、男性はようやく報酬を受け取ることができた。  消防団の報酬問題については、本誌昨年6月号「ブラック公務員 消防団」という記事で触れた。なり手不足解消のため、消防庁では年額報酬の引き上げに加え、個人支給を強く要望している。分団ごとに一括支給すると、報酬の一部が「活動費」として強制的にプールされてしまう実態があったためだ。  現在は改善されているのか。南相馬市に問い合わせたところ、危機管理課所属の阿部信也災害対策担当課長がこう説明した。  「市では分団から頼まれて、報酬をまとめて振り込んでいましたが、現在は市が個人名義の口座に振り込んでいます。毎日新聞記事の事例も分団に頼まれ、まとめ払いしていたが、元消防団員の方はその説明を受けてないとのことだったので、話し合いを持つようお願いしました。嘆願書への返事が遅れたのは、弁護士と相談したり、事実確認する時間が必要となったためです」  消防団員は非常勤特別地方公務員に当たる。その報酬を勝手な判断でプールすれば公金横領となりそうだが、事前に市に委託があったことを踏まえ、市では問題視しない方針だという。  前出・永田教授は「消防団も規模によって異なる。消防庁の方針に従い、多くの消防団は改善に乗り出しているが、中には個人に支払われた報酬から会計責任者が活動費を再徴収したり、報酬が入る通帳を会計責任者が預かるなど悪質な事例もあるようです」と述べる。実際、本誌昨年6月号では再徴収されたケースや通帳を新たに作らされた事例を紹介している。南相馬市の事例は氷山の一角の可能性がある。  消火活動に加え、救急搬送、自然災害時の人命救助など消防組織は大きな役割を担っている。現場で命をかけて活動している職員には敬意を表するが、だからといって、消防職員の〝権利〟を侵害する労働環境・慣習は看過できない。県内の消防組織が自浄作用を働かせ、前時代的な組織からの脱却を図る必要がある。

  • 【福島市】厳冬の夜間ホームレス調査

     路上生活を強いられるホームレスの数を地域住民が夜に自宅周辺を歩いて計測する取り組みが全国に広まっている。「ストリートカウント(ストカン)」と呼ばれ、英米やオーストラリアが先進地だ。日本では2016年に東京で都市空間を研究する大学教員や学生らが中心となって始まった。ホームレスを取り巻く問題を行政機関や福祉の専門家だけに押し付けず、「我がまち」の問題として捉え、ホームレスを排除しない社会を目指す狙いがある。ネットを通じて活動は広がり、全国調査は今年1月に行ったもので3回目。本誌は初参加し、JR福島駅周辺を回った。(小池航) 全国に広がる「東京発住民調査」の輪 終電後のJR福島駅西口  忘新年会シーズンでJR福島駅前を歩く機会が多い。10年前の福島駅は、東西を結ぶ地下通路や高架下でホームレスが荷物を寄せてしゃがみこんでいたり、回収した空き缶をビニール袋に入れて構内を移動する姿をよく見かけた。ホームレスの中には東京電力福島第一原発事故の収束作業や除染作業に従事した後、仕事を失い、帰る場所もなく福島に残って路上生活に陥った人もいた。  現在はどうか。地下通路を歩くと酔っ払いがした小便の臭いが立ち込めるのは相変わらずだが、ホームレスの姿は全然見かけない。  いなくなったわけではない。厚生労働省は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」に基づき、毎年市町村に路上生活者の計測を委託し集計している。直近の2023年1月調査時点によると、福島県内は9人、うち中核市別では福島市4人、郡山市3人、いわき市2人(表参照)。今年1月の数値は取りまとめ中で未公表だ。全国の統計を見ると東京、大阪など大都市に多い。 ホームレスの数が多い上位5都府県(厚生労働省集計) 単位(人)2019年2020年2021年2022年2023年大阪府10641038990966888東京都1126889862770661神奈川県899719687536454福岡県250260268248213愛知県180181157136136 福島県と県内中核市のホームレス人数 単位(人)2019年2020年2021年2022年2023年福島県17141069福島市66324郡山市85323いわき市33422  福島市生活福祉課によると、毎年1月中に職員が市民や警察から寄せられるホームレスの滞在情報を基に、昼と夜の2回に分けて調査する。今年は11日に行った。人数は「厚労省の発表を待ってほしい」と言及を控えたが、存在は確認したという。調査をする際には当事者からの相談も受け付けている。過去には住宅支援や就労支援につなげたこともある。  福島市内のホームレスは減少傾向だが、同課に要因を聞くと「一概には言えない」とした上で、滞在場所が不定のため行き先をたどれなかったり、警察から死亡の報告を受けたケースがあったと話した。  郡山市保健福祉総務課によると、今年は1月中旬までの間に昼と夜の2回に分けて実施。福島市と同じく「詳しい人数は厚労省の発表を待ってほしい」というが今年もホームレスを確認したという。同じく減少傾向にあるが「生活困窮者の窓口につなげたり、亡くなってしまったりで様々な要因があるので一概には言えない」という。  全国で路上生活者は減っている。福島市で10年前に見かけたが最近は見かけないという体感は正しい。新たに住居や職を得ていれば良いが、中には高齢となり病気で死亡している人がいる可能性は否めない。  本誌は県庁所在地福島市の現況を把握しようとJR福島駅前のホームレス目視調査を行った。ホームレスの実態を調査する東京の市民団体「ARCH」(アーチ)が1月19、20日の夜間に全国で開催した「私のまちで東京ストリートカウント」に参加した。  団体名ARCHはAdvocacy and Research Centre for Homelessnessの略称で、都市空間を研究する東京工業大学の教員、学生を母体にホームレス支援団体、市民が加わり2015年から活動を始めた。事務局の杉田早苗さん(岩手大学農学部准教授)が設立経緯を振り返る。  「設立メンバーは英・ロンドンやオーストラリア・シドニーを対象に海外のホームレス支援策を研究してきました。設立の直接のきっかけは東京五輪の開催が決まったことでした。巨大イベントを前にすると、行政は都市公園や競技場付近のホームレスを排除する傾向があります。米・アトランタ五輪では開催期間中にバスの乗車券を渡してホームレスの方を遠ざける施策が取られました。他方、オーストラリアはシドニー五輪を契機に『公共空間にホームレスがいる権利』を議定書に明記しました。東京五輪を控え、排除を進めるのではなく、ホームレスの方を取り巻く問題に目を向け、環境改善につなげたかった」 居住地に帰る夜間に調査 駅に向かう人々(JR福島駅東口)  ARCHメンバーは東京のホームレス支援団体に話を聞き、都市空間の研究者として力になれることを考えた。  支援団体が問題にしていたのが、「東京都はホームレスの実数を正確に把握していないのではないか」という疑念だった。都は職員が目視で人数を把握しているが調査は昼間。ホームレスは、日中は廃品回収などに従事し所在が決まっていないことを考えると、正確な数を把握するには寝床に帰る夜間が適切だ。  支援団体は相談業務や住宅確保・就労支援など目の前の活動に精一杯で、調査まで手が回らない。だが、ホームレスを取り巻く問題は支援団体だけが向き合うのではなく、その地域に住む人も目を向けるべきものだ。海外では地域住民が夜間にホームレスの数を調査する先例があり、米・ニューヨークでは2000人規模の調査員で正確な数値を弾き出していることを知った。  ARCHは2016年夏に東京都渋谷区、新宿区、豊島区の駅前で初めて調査を行った。一般市民の協力を得て年々規模を拡大し、2021年からは全国に参加を呼び掛け、これまで1021人(延べ1910人)が調査に加わった。  調査範囲が東京から全国に広がったのは新型コロナ禍が契機だった。感染が拡大した2020年春以降は感染対策のためにARCHの発足母体である東工大の研究者、学生などに参加者を絞って実施したが、1人当たりが回る範囲が広くなり負担が増した。一般参加を制限したため、市民参加という当初の理念からも遠のいてしまった。  市民同士が無理なく共同調査できる形を模索し、2021年夏にネットを介して自分が住む地域の調査結果を報告・集計する形に改めた。住宅地や郊外の駅・公園が巡回地に加わったことで、「ホームレスがいるのは都心」という一面的な見方を脱し、参加者は自分が住むまちとホームレスを取り巻く問題を関連づけて考えるようになった。  「大切なのは、深夜に自分が住むまちを見つめることで生まれる『地域を見守る感覚』です。ストリートカウントはホームレスの方の人数把握が第一の目的ですが、それ以上に地域住民がホームレスの方を取り巻く問題に気づき、誰もが排除されず暮らしやすいまちにするためにはどうしたらよいかを考えるきっかけになります」(杉田さん)  実際、参加者からは「夏の暑い中や冬の凍える中、ホームレスの方が過ごす屋外を歩き、自分事としてリアルに捉えられた」との感想が多く寄せられるという。調査チームは2人から結成でき、各自終電後の時間帯を最低1時間程度回る。バラバラの行動ではあるが、ネット上の回答フォームに出会ったホームレスや帰る場所がなさそうな人の人数を記入して本部に報告。感想を共有して、参加者同士がゆるやかなつながりを形成している。  参加者の一人、東京工業大学大学院修士1年の松永怜志さんは都市空間のデザインと市民参加の関わりを研究する中で、様々な事情でホームレスとなった人を包摂するまちの役割に興味が湧いた。支援団体に所属し、炊き出しをしたり、個別訪問を行うなど現場に出ている。  「世間話をする中で『自分たちはいらない人間なのではないか』と打ち明けられることがあります。ストリートカウントができるのは、まちで出会った人々を見守り、関心を寄せることまでですが、活動が多くの人に広まれば、排除ではなく助け合いの心につながるのではないでしょうか」(松永さん) 路上生活者は潜在化 福島駅地下道の注意書き  今年1月に行った全国調査への参加者は1日目の19日が62人、2日目の20日が30人、別日に1人が行い、延べ93人が行った。13都道府県から参加があり、北海道、秋田、岩手、福島、埼玉、千葉、東京、神奈川、愛知、京都、大阪、福岡、熊本の諸都市を回った。福島県内からは本誌のみが参加した。全国の参加者が出会ったホームレスの人数は1日目が103人、2日目が111人だった。  本誌は19日の深夜11時から1時間かけて、スタッフ2人で福島駅周辺を回った。ホームレスには出会わなかった。福島市の調査では昨年1月に4人確認し、今年も存在を確認したというから本誌が見かけなかっただけと考えるのが自然だ。  深夜に駅前にたたずんでいる人はほとんどが家族の送迎の車を待つ人だった。ただ、駅から離れた人通りの少ないトイレ前のベンチで、ヘッドホン(防寒耳あて?)をつけてスマホを操作している人がいた。風貌からホームレスではなく、長時間滞在している様子もなかったが、帰る場所がない人の可能性があり「居場所がなさそうな人」にカウントした。  地下道や高架下にも足を運んだがそこで夜を明かそうとする人の姿は見かけなかった。かつてホームレスを見かけた地下道には、福島市が立てた「居住、長時間滞在・荷物存置、勧誘、物品販売等を禁止します」との看板があった。場所を追われたホームレスたちはどこに行ったのか。より目立たない場所に追いやられ、潜在化しているのかもしれない。  駅南側に進むと、市の子育て支援施設「こむこむ」の窓ガラスの前では、窓を鏡にしてダンスを練習する若者がいた。昼間に車で通ったり、飲み会に足を運ぶだけでは見かけない光景で、自然発生した文化を感じる。文化と言えば、以前週末によく見かけた路上ライブは、ネットでの動画配信が主流のいまは流行らないのか出会わなかった。  福島駅の東口は再開発事業の工事中で、賑わいが以前よりも減り、寒さも相まって物寂しさが漂う。福島市は車社会のため、駅前は車で通りすぎる場所になっている。ましてや夜中に足を運ぶことはめったにない。終電後の1時間程度の観察だったが、自分が住む「まち」に関する解像度が上がった。本誌では、行政の調査を補完するため今後も郡山市やいわき市に足を延ばし、独自にストリートカウントを行う予定だ。

  • いわき市職員と会社役員が交通事故トラブル

     交通事故では、過失割合や示談金をめぐって加害者と被害者の間で意見が食い違うことがある。昨年12月7日、いわき市常磐関船町の丁字路信号で起きた交通事故もそうした事例の一つだ。  右折レーンで2台の車が信号待ちしていたところ、後ろの車を運転していた市内の会社役員Aさんが不注意でブレーキから足を離し、クリープ現象で前の車に接触してしまった。  双方ともほとんど損傷はなかったが、警察による現場検証の結果、前の車の後部バンパーにナンバープレートの跡が確認できたため、追突事故と扱われた。警察の調書には「時速約5㌔で追突」と記された。  だが、追突された車のドライバーBさんはAさんにすごい剣幕で迫ったという。この間Aさんから相談を受けてきた知人はこう明かす。  「『俺は海外旅行に行くことになっていたのにどうするんだ!』、『明日はタイヤ交換も予約したんだぞ!』、『こんなところでぶつけるって何考えてんだおめー!』とまくしたてられ、Aさんは恐怖を抱いたそうです」  Aさんが運転していたのは社有車。当初「保険会社に対応を任せる」と話していたBさんだったが、8万円でバンパーを修理後、整形外科に行って全治2週間の診断(症状は頸椎捻挫=むち打ち損傷と思われる)を受け、警察に提出した。そのため事故は人身事故扱いとなり、Aさんには違反点数5点が加算された。  そればかりかBさんはAさんが勤める会社の保険会社に対し、海外旅行のキャンセル料、旅先での宴会キャンセル料の支払いを求めたという。判例では結婚式直前の事故による新婚旅行キャンセル料などが損害として認められているが、Bさんの場合、損害とは認められなかったようだ。  交通事故対応に振り回されたAさんは精神的苦痛で吐き気や頭痛を催すようになり、しばらく塞ぎがちになった。一時期はメンタルクリニックに通うほどだったが、一連の手続きの中でBさんがいわき市職員であることを知って、その対応に疑問を抱くようになったという。  「交通事故の被害者になったからと言って、市民である加害者を罵倒し、過剰とも言える損害賠償を求めるのか。地方公務員法第33条に定められている『信用失墜行為』に当たるのではないか」(同)  Aさんらは、いわき市役所職員課に連絡し、Bさんが市職員であることを確認した。だが、情報提供に対する礼と「職員課人事係で共有を図る」という報告があっただけで、その後のアクションはないという。  当事者であるBさんは事故をどう受け止めているのか。自宅を訪ねたところ、次のように話した。  「後ろからドーン!と突っ込まれて『むち打ち』になり、いまも通院していますよ。海外旅行は韓国の友人を訪ねる予定が控えていました。結局キャンセル料を支払ってもらえないというので、旅行には行きましたよ。……あの、これ以上は話す義務もないので取材はお断りします」  時速5㌔での追突を「ドーン!と突っ込まれた」と表現しているほか、けがした状態で韓国旅行に行っても問題はなかったのかなど気になる点はいくつもあったが、曖昧な返答のまま取材を断られてしまった。  いわき市職員課人事係では「事故の件は把握しているが、公務外での事故なので当事者間での話し合いに任せている。言葉遣いが乱暴になった面はあったかもしれないが、事故直後ということもあり、信用失墜行為には当たらないと考えている」とコメントした。  Aさんらは事故を起こしたことを反省しつつも、モヤモヤが続いている様子。こうしたトラブルを避けるためにも、運転には気を付けなければならないということだ。

  • 【伊達市】水不足が露見したバイオマス発電所

     梁川町のやながわ工業団地に建設中のバイオマス発電所で、蒸気の冷却に必要な水が不足するかもしれない事態が起きている。 揚水試験で「水量は豊富」と見せかけ 試運転が始まったバイオマス発電所  バイオマス発電所は「バイオパワーふくしま発電所」という名称で5月1日から商業運転開始を予定している。設置者は廃棄物収集運搬・処分業の㈱ログ(群馬県太田市、金田彰社長)だが、施設運営は関連会社の㈱ログホールディングスが行う。  同発電所をめぐっては、地元住民でつくられた「梁川地域市民のくらしと命を守る会」(引地勲代表、以下守る会と略)が反対運動を展開。行政に問題点を指摘しながら設置を許可しないよう働きかけてきたが、受け入れられなかった経緯がある。  施設はほぼ完成し、1月9日からは試運転が始まったが、同5日に施設周辺のほんの数軒に配られた「お知らせ」が物議を醸している。  《現行井戸(6㍍)を廃止し、新規井戸(7・5㍍程度)を設置する(全3基×各2個)。1月上旬より工事着手》(書かれていた内容を抜粋)  ログはこれまでも、住民への説明を後回しにして工事を進めてきた。施設工事が最初に始まった時も、住民は何がつくられるのか全く知らなかったほどだ。  試運転が始まるタイミングで数軒にだけ文書を配り、新しい工事を始めようとしたことに守る会は反発。引地代表は「全市民に知らせるべきだ」として、市にログを指導するよう申し入れた。  「ログは翌週、新聞折り込みで全市に『お知らせ』を配ったが、数軒に配った文書より内容は薄かった」(引地代表)  実は、本誌は新規井戸を設置する話を昨年9月ごろに聞いていた。ログからボーリング業者数社に「現行井戸では水不足が起きる可能性がある」として、新規井戸を掘ってほしいという依頼が間接的に寄せられていたのだ。しかし、井戸を掘って反対運動の矛先が自社に向くことを恐れ、依頼を断るボーリング業者もいたようだ。  計画によると、同発電所が3カ所の現行井戸から揚水する1日の量は夏季2556㌧、冬季915㌧、年平均1707㌧。水はポンプを使って冷却塔水槽に送られ、蒸気タービンから排出された蒸気の冷却などに使われる。しかし「多量の揚水で地下水に影響が出ては困る」という周辺企業からの声を受け、市が依頼した調査会社が2022年11~12月にかけて、同発電所が行った揚水試験に合わせて井戸の水位を観測。その結果、連続揚水試験による井戸の水位低下はわずかだったため、調査会社は「発電所稼働による揚水で井戸や地下水に影響を与える可能性は低い」と結論付けた。  ただし、調査会社が市に提出した報告書にはこうも書かれていた。  《揚水試験の実施期間が短いことや発電所稼働時の揚水状況について未確認なこと、地下水位が高い時期(豊水期)の地下水の挙動が不明確なことなどから、発電所稼働前(1年前)から稼働時(1年間)にかけて、既存井戸において地下水位観測を行うことが望ましい》  調査会社は、井戸や地下水への長期的な影響に注意を払った方がいいと指摘していたのだ。 「究極的には稼働できない」  結果、商業運転目前に水不足の恐れが浮上したわけで、順番としては明らかに逆。すなわち、水が十分あるから蒸気を冷却できるというのが本来の姿なのに、水が足りなかったら蒸気を冷却できず発電は成り立たなくなる。「地下水が足りなければ上水を使うしかないが、それだと水道料金が高く付き、発電コストが上昇するため、ログにとっては好ましくない」(あるボーリング業者)。だからログは、慌てて新規井戸を掘ろうとしているのだ。  前出「お知らせ」には新規井戸を掘る理由がこう綴られていた。  《2022年度に発電所に必要な1日2500㌧前後を揚水できたと報告したが、水位が低い中、仮設ポンプを強引に使用し(いつ壊れてもおかしくない状況)、揚水量確保を主目的に強引に揚水したものだった。この揚水試験データから、水は豊富にあると情報共有されてきた》  要するに「揚水試験の時は水量が豊富にあると見せかけていた」と白状しているわけ。  「お知らせ」に書かれていた問い合わせ先に電話すると「井口」と名乗る所長が次のように話した。  「私は昨年4月に着任したので分かる範囲で言うと、2019年に一つ目の井戸を掘り、その時点で水位が底から1㍍と低く、そのあとに掘った二つの井戸も水位が低かった。言い方は悪いが、発電所に欠かせない水について深く検討しないまま施設工事を進めていたのです」  井口所長が井戸の状況を知ったのは昨年8月だったという。  「三つの現行井戸では十分に揚水できないので、7・5㍍の新規井戸を掘ることになった。現行井戸は6㍍なので1・5㍍深く掘れば水が出ると見ているが、実際に出るかどうかは掘ってみないと分からない」  新規井戸を掘っても十分な水量が確保できなかったら同発電所はどうなるのか。井口所長は「究極的には稼働できない」と答えた。  「契約で上水(水道)は1日700㌧供給してもらえるが、当然水道料金がかかる。対して井戸水はタダなので、経営的には上水はバックアップ用に回したい」  今後については「今更かもしれないが、地元住民にきちんと説明し理解を得ながら進めたい」。これまで住民を軽視する態度をとってきたログにあって、誠実な人物という印象を受けたが、軌道修正を図るのは容易ではない。井口所長のもと、失われた同社の信頼を回復できるのか、それとも住民不信を払拭できないまま商業運転に突入するのか。

  • 【福男福女競走】恒例イベントとして定着【福島市信夫山】

     福島市の信夫山にある羽黒神社の例祭「信夫三山暁まいり」が毎年2月10、11日に開催される。それに合わせて、2013年から「暁まいり 福男福女競走」が開催され、今年で10回目を迎える。当初は「どこかの真似事のイベントなんて……」といった雰囲気もあったが、気付けば節目の10回目。いまでは一定程度の認知を得たと言っていいだろう。同イベントはどのように育てられてきたのか。 10回目の節目開催を前に振り返る 羽黒神社 奉納された大わらじ  福島市のシンボル「信夫山」。そこに鎮座する羽黒神社の例祭「信夫三山暁まいり」は、江戸時代から400年にわたって受け継がれているという。羽黒神社に仁王門があり、安置されていた仁王様の足の大きさにあった大わらじを作って奉納したことが由来とされ、長さ12㍍、幅1・4㍍、重さ2㌧にも及ぶ日本一の大わらじが奉納される。五穀豊穣、家内安全、身体強健などを祈願し、足腰が丈夫になるほか、縁結びの神とも言われ、3年続けてお参りすると、恋愛成就するとの言い伝えもあるという。  なお、毎年8月に行われる「福島わらじまつり」は、暁まいりで奉納された大わらじと対になる大わらじが奉納される。この2つが揃って一足(両足)分になる。日本一の大わらじの伝統を守り、郷土意識の高揚と東北の短い夏を楽しみ、市民の憩いの場を提供するまつりとして実施されているほか、より一層の健脚を祈願する意味も込められている。  「暁まいり 福男福女競走」は、2月10日に行われる「信夫三山暁まいり」に合わせて、2013年から開催されている。企画・主催は福島青年会議所で、同会議所まつり委員会が事務局となっている。  このイベントは、信夫山山麓大鳥居から羽黒神社までの約1・3㌔を駆け登り順位を競う。男女の1位から3位までが表彰され、「福男」「福女」の称号のほか、副賞(景品)が贈られる。  このほか、「カップル」、「親子」、「コスプレ」の各賞もある。カップルは「縁結びの神」にちなんだもので、男女ペアで参加し、最初に手を繋いでゴールしたペアがカップル賞となる。親子は、原則として小学生以下の子どもとその保護者が対象で、最初に手を繋いでゴールしたペアに親子賞が贈られる。コスプレ賞は、わらじまつりや暁まいり、信夫山に由来したコスプレをした人の中で一番パフォーマンスが高い参加者が表彰される。それぞれ1組(1人)に副賞が贈られる。  1月中旬、記者は競走コースを歩いてみた(走ってはいない)。登りが続くので、のんびりと歩くだけでも相当な運動になる。特に、羽黒神社に向かう最後の参道は、舗装されておらず、かなりの急勾配になっているため、1㌔以上を走ってきた参加者にとっては〝最後の難関〟になるだろう。それを克服して、より早くゴールした人が「福男」、「福女」になれるのだ。  ちなみに、主催者(福島青年会議所まつり委員会)によると、「福男福女競走のスタート位置は、抽選で決定する」とのこと。いい位置(最前列)からスタートできるのか、そうでないのか、その時点ですでに「福(運)」が試されることになる。 参加者数は増加傾向 スタート地点の信夫山山麓大鳥居  ところで、「福男」と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは西宮神社(兵庫県西宮市)の「福男選び」ではないか。以下は、にしのみや観光協会のホームページに掲載された「福男選び」の紹介文より。    ×  ×  ×  ×  開門神事と福男選び 昨年の福男福女競走(福島青年会議所まつり委員会提供)  1月10日の午前6時に大太鼓が鳴り響き、通称「赤門(あかもん)」と呼ばれる表大門(おもてだいもん)が開かれると同時に本殿を目指して走り出す参拝者たち。テレビや新聞でも報道される迫力あるシーンです。  この神事は開門神事・福男選びと呼ばれており、西宮神社独特の行事として、江戸時代頃から自然発生的に起こってきたといわれています。  当日は、本えびすの10日午前0時にすべての門が閉ざされ、神職は居籠りし午前4時からの大祭が厳かに執り行われます。午前6時に赤門が開放され、230㍍離れた本殿へ「走り参り」をし、本殿へ早く到着した順に1番から3番までがその年の「福男」に認定されます。  先頭に並ぶ108人とその後ろの150人は先着1500人の中から抽選して決められますが、その後ろは一般参加で並んで入れます。また先着5000名には開門神事参拝証が配られます。ちなみに、「福男」とはいえ、女性でも参加できます。    ×  ×  ×  ×  古くから神事として行われていた「福男選び」だが、テレビのニュースなどで報じられ、一気に有名になった。  「暁まいり 福男福女競走」は、これを参考にしたもので、暁まいりをより盛り上げることや、福島市のシンボルである信夫山のPRなどのほか、東日本大震災・福島第一原発事故からの復興祈願や復興PR、風評払拭などの目的もあって実施されるようになった。  ただ、当初は「どこかの真似事のようなイベントなんて……」といった雰囲気もあったのは否めない。それでも、気付けば今年で節目の10回目を迎える。いまでは恒例イベントとして定着していると言っていい。  その証拠に、参加者数は年々増えていった(次頁別表参照)。なお、今年でイベント開始から12年目になるが、2021年、2022年は新型コロナウイルスの感染拡大のため中止となった。昨年は、コロナ禍に伴う制限などがあったため、コロナ禍前と比べると少ないが、そうした特殊事情を除けば、恒例イベントとして順調に育っている、と言っていいのではないか。なお、今年は本稿締め切りの1月25日時点で、360人がエントリーしているという。  主催者によると、参加者は福島市内の人が多いそうだが、市外、県外の人もいる。高校の陸上部に所属している選手が、練習の一環として参加したり、国内各地の同様のイベントに参加している人などもいるようだ。最大の懸念は、事故・怪我などだが、これまで大きな事故・怪我がないのは幸い。  〝本家〟の西宮神社は、約230㍍の競走だが、「暁まいり 福男福女競走」は約1・3㌔で、登りが続くため、より走力・持久力が問われることになる。  ちなみに、同様のイベントはほかにもある。その1つが岩手県釜石市の「韋駄天競走」。「暁まいり 福男福女競走」が始まった翌年の2014年から行われている。同市の寺院「仙壽院」の節分行事の一環で、東日本大震災では寺院のふもとに津波が押し寄せ、避難が遅れた多くの人が犠牲になったことから、その時の教訓をもとに避難の大切さを1000年先まで伝えようと始まった。  昨年で10回目を迎え、「暁まいり 福男福女競走」はコロナ禍で二度中止しているのに対し、「韋駄天競走」は、2021年は市内在住者や市内通勤・通学者に限定し、2022年は競走をしない任意参加の避難訓練として行われたため、開始年は「暁まいり 福男福女競走」より遅いが、開催数は多い。市中心部から高台にある仙壽院までの約290㍍を競走し、性別・年代別の1位が「福男」、「福女」などとして認定される。  昨年は、全部門合計で41人が参加し、コロナ禍前は100人以上が参加していたという。同時期にスタートしたイベントだが、参加者数は「暁まいり 福男福女競走」の方がだいぶ多い。 佐々木健太まつり委員長に聞く ポスターを手にPRする佐々木健太まつり委員長  暁まいりの事務局を担う福島市商工観光部商工業振興課によると、「暁まいりの入り込み数は、震災前は約6000人前後で推移していました。そこから数年は、天候等(降雪・積雪の有無)によって、(6000人ベースから)1000人前後の上下があり、2015年以降は約1万人で、ほぼ横ばいです」という。  福男福女競走の開催に合わせて、暁まいりの入り込み数も増えたことがうかがえる。  こうした新規イベントは、まず立ち上げにかなりのエネルギーが必要になる。一方で、それを継続させ、認知度を高めていくことも、立ち上げと同等か、あるいはそれ以上に重要になってくる。  この点について、福男福女競走の主催者である福島青年会議所まつり委員会の佐々木健太委員長に見解を聞くと、次のように述べた。  「青年会議所の性質上、役員は1期(1年)で変わっていきます。まつり委員会も当然そうです。そんな中で、前年からの引き継ぎはもちろんしっかりとしますが、毎年、(イベント主催者の)メンバーが変わるので、常に新たな視点で、開催に当たれたことが良かったのかもしれません」  当然、佐々木委員長も今年が初めてで、来年はまた別の人にまつり委員長を引き継ぐことになる。そうして、毎年、新しいメンバー、新しい視点で取り組んできたのが良かったのではないか、ということだ。 今年から婚活イベントも追加 昨年の表彰式の様子(福島青年会議所まつり委員会提供) 昨年の表彰式の様子(福島青年会議所まつり委員会提供)  新たな試みという点では、今年から「暁まいり福男福女競走de暁まいりコン」というイベントが追加された。福男福女競走と合わせて行われる婚活支援イベントで、男女各10人が福男福女競走のコースを、対話をしたり、途中で軽食を取ったりしながら歩く。  要項を見ると、「ニックネーム参加」、「前に出ての告白タイムなし」、「カップルになってもお披露目なし」、「カップルになったら自由交際」といったゆるい感じになっており、比較的、気軽に参加できそう。  「羽黒神社は、縁結びの神様と言われ、恋愛成就を祈願する人も多いので、今年から新たな試みとして、この企画を加えてみました」(佐々木委員長)  こうした企画も、来年のまつり委員会のメンバーが新たな視点で改良を加えるべきところは改良を加えながら、進化させていくことになるのだろう。  県外の人や移住者に福島県(県民)の印象を聞くと、「福島県はいいところがたくさんあるのに、そのポテンシャルを生かせていない」、「アピール下手」ということを挙げる人が多い。本誌でも、行政、教育、文化、スポーツなど、さまざまな面で福島県は他県に遅れをとっており、県内の事例がモデルとなり、県外、日本全国に波及したケースはほとんどない、と指摘したことがある。  今回のイベントは、「自前で創造したもの」ではないかもしれないが、いまでは恒例イベントとして定着したほか、伝統行事(暁まいり)の盛り上げ、信夫山のPRなど、もともとあったものの認知度アップ、ポテンシャルを生かすということに一役買っているのは間違いない。

  • 投書で露呈した【双葉地方消防本部】の混乱

     本誌昨年11月号「問題だらけの県内消防組織」という記事で、双葉地方広域市町村圏組合消防本部のパワハラについて記した匿名の告発文が編集部宛てに届いたことを紹介した。その後、再び同消防本部に関する投書が寄せられた。 今度はパワハラと手当不正告発 本誌に寄せられた告発文  双葉地方広域市町村圏組合消防本部の管轄エリアは双葉郡8町村。拠点は消防本部(楢葉町)、浪江消防署、同消防署葛尾出張所、富岡消防署、同消防署楢葉分署、同消防署川内出張所の6カ所。実人員(職員数)は127人。県内の消防本部では小規模な部類に入る。  昨年届いた告発文には、「2023年2月22日、職員同士の飲み会で、上司が嫌がる部下にタバスコ入りの酒を一気飲みさせていた」など、同消防本部で横行するパワハラの事例が記されていた。若手職員Xは飲み会翌日から病休に入り、その後退職したという。  併せて加勢信二消防長が各消防所長に向けて送付した「職員の義務違反について(通知)」という公文書の写しも添付されていた。内容は職員がパワハラで懲戒処分されたのを受けて、言葉遣いや態度への注意を呼び掛けるもの。差出人は匿名だったが、おそらく同消防本部の職員だろう。  告発文が届いた後、同消防本部の職員3人がパワハラで懲戒処分(減給)となっていたことが10月14日付の地元紙で報じられた。おそらく同じものがマスコミ各社にも送られていたのだろう。本誌が入手した同消防本部の内部文書によると、経緯は以下の通り。  ▽被害を受けた若手職員Xは24歳(当時5年目)、富岡消防署所属。加害者はXと同じ班に所属していた。  ▽2022年10月ごろ、消防司令補A(41)が車両清掃作業中、高圧洗浄機で噴射した水をXの手に当てた。夜、ベンチプレスを使ったトレーニング時、Xにバーベルを上げながら声を出したり、彼女の名前を叫ぶように強要した。このほか、Xが兼務している庶務係の仕事をしている際、不機嫌な態度を取ったり、嫌みを言うこともあった。  ▽2023年1月ごろ、Xが防火衣の着装を拒んだとき、Aが不適切な発言(「風邪をひいたら殺すぞ」)をした。  ▽2023年2月ごろ、Xがトイレにいて、朝食を知らせる先輩の呼びかけが聞こえず集合に遅れた際、消防司令補B(35)がその状況を理解しないまま叱責した。  ▽2023年2月22日、同班職員がいわき市内でゴルフを行った後、私的な飲食会を開催。その場で消防士長C(29)がXに「タバスコが入った酒を飲め」と言った。Xはタバスコ入りの酒を飲んだだけでなく、Cからタバスコを直接口の中に入れられた。  ▽2023年2月23日、Xが当直長に「腹痛と下痢のため休みたい」と連絡。この日は年休で休み、その後3月1日まで休暇とした。  ▽2月27日、Xの母親が富岡消防署を来訪し、「息子がハラスメントを受けた」と訴えた。  ▽2月28日、所属長(消防司令長)が本人と面談。3月2日から病気休暇(神経症)を取って通院治療。6月30日付で依願退職した。  ▽Xへの聞き取り調査を経て、3月31日、A、B、Cに対し、富岡消防署長から口頭厳重注意処分が科された。  ▽4月25日にハラスメント対策協議委員会、7月3日に懲戒審査委員会が立ち上げられ、9月14日付でA、B、Cに対する懲戒処分書が交付された。懲戒処分内容はAが減給10分の1=6カ月、Bが減給10分の1=2カ月、Cが減給10分の1=1カ月、消防司令長が訓告(管理監督不十分)。同時に、X及びXの母親に処分内容が報告された。  昨年11月号記事の段階では詳細が分からなかったが、こうして見るとハラスメントが執拗に行われていたことが分かる。おそらく以前から似たようなことがあったのだろう。年下の部下ということもあって、加害者側は軽い気持ちでやっていたのかもしれないが、被害者にとっては大きなストレスとなり、心のダメージとして蓄積されていたことが想像できる。  2019年から勤務していた職員ということは、復興途上の原発被災地域で防災を担おうと高い志を持っていたはず。それを先輩職員がパワハラ行為で退職に追い込むのだからどうしようもない。  こうした体質はこの3人ばかりでなく、組織全体に蔓延しているようだ。というのも同組合の懲戒処分等に関する基準では、ハラスメントについて以下のように定めている。  《職権、情報、技術等を背景として、特定の職員等に対して、人格と尊厳を侵害する言動を繰り返し、相手が強度の心的ストレスを重積させたことによって心身に故障を生じ、勤務に就けない状況を招いたときは、当該職員は免職又は停職とする》  今回の事例ではパワハラを受けたXが休職を経て依願退職していることを考えると、加害者であるA、B、Cは明らかに免職・停職処分となる。ところが前述の通り、3人は懲戒処分の中でもより軽い減給処分で済まされた。  11月号記事で、同消防本部の金沢文男次長兼総務部長は「(懲戒処分が基準よりも軽くなった経緯について)公表していない」と述べた。また、9月14日付で懲戒処分したことを公表せず、10月14日付の地元紙が報じて初めて事実が明らかになったことについては「公表の基準が決まっており、それを下回ったので公表しなかった」と説明していた。どうにも組織全体でパワハラを軽視しており、情報公開を極力避けている印象が否めない。 管理職4人がいじめ!? 双葉地方広域市町村圏組合消防本部  双葉地方の事情通によると、同消防本部ではX以外にも若い職員が退職しており、その家族らも「若い職員を退職に追い込んだ加害者を減給処分で済ませるのはおかしい」と憤っているという。  そうした中、本誌編集部宛てに再び同消防本部に関する匿名の投書が届いた。消印は1月6日付、いわき郵便局。内容は概ね以下の通り。なおパワハラの当事者はすべて実名で書かれていたが、ここでは伏せる。  ▽パワハラが理由で職員Yが退職した。  ▽D係長はずっと嫌みを言ったり蹴ったり殴ったりしていじめていた。  ▽E係長は何度もYを消防本部に呼び出して必要以上に怒っていじめていた。  ▽F分署長はパワハラの事実を知っていたにもかかわらず、指導することなく逆にYを大声で怒鳴りつけていた。  ▽G係長は表でも裏でもしつこく嫌みを言い、陰湿ないじめを行っていた。  ▽この4人はY以外の職員にも現在進行形でパワハラを行っており、他にも辞めていった職員がいる。  ▽加勢消防長もパワハラを知っているはずだが、かわいがっている職員たちをかばい、パワハラをなかったことにしてしまう。  ▽金沢次長兼総務部長もパワハラを把握しているはずだが、分署長たちと仲良く付き合っていて、パワハラの訴えがあっても知らなかったことにしている。  ▽(消防の)関係者ではなく第三者が調査してほしい。ほとんどの職員がパワハラの実態を知っているので、Y本人と職員から聞き取りをしてほしい。  ▽辞めていった人たちは幸せ。辞めることができず、いまもパワハラを受けている私たちは毎日辛い。このままでは最悪な事態に発展することも考えられる。どうか私たちを助けてほしい。  前に届いた告発文に書かれていたのとは別の職員がパワハラで退職していたことを明かしているわけ。加勢消防長を含めほとんどの職員が把握しているのに上層部で握りつぶしている、という指摘が事実だとすれば、組織ぐるみでパワハラを隠蔽していることになる。  今回の投書には続きがあり、通勤手当不正についても記されていた。こちらも実名は伏せる。  ▽通勤手当を不正にもらっている職員がいる。E係長は浪江町にいるのに本宮市から、Hさんは郡山市にいるのに会津若松市から、Iさんは富岡町にいるのに田村市船引町から通っていることにして通勤手当を受け取っている。これは詐欺申告で不正受給ではないか。  原発被災地域を管轄エリアとしている同消防本部には、管轄エリア外の避難先で暮らしている職員もいる。それを悪用してより遠くから通勤していると申請し、通勤手当を不正受給しているケースがある、と。どれぐらいの金額になるのかは把握できなかったが、少なくとも通勤手当を目当てに異なる現住所を職場に伝えれば、緊急時に対応できないことも増えるはず。消防本部でそんなことが可能なのか、それともチェック体制が〝ザル〟ということなのか。  特定人物の評価を下げるために書かれた可能性も否定できないが、いずれにしても内部事情に詳しいところを見ると、同消防組合の職員、もしくはその内情に詳しい人物が書いたと見るべきだろう。  この投書は同組合の構成町村の議会事務局にも1月10日付で送付されたようで(本誌に届いた投書の4日後の消印)、町村議員に写しを配布したところもあるようだ。同組合には議会(定数25人)が設置されており、構成町村議員が3人ずつ(浪江町は4人)名を連ねているので、問題提起の意味で送ったのだろう。本誌以外のマスコミにも投書は届いていると思われる。 「コメントできない」  投書の内容は事実なのか。1月中旬、楢葉町の同消防本部を訪ね、金沢次長兼総務部長にあらためて取材を申し込んだが不在だった。対面取材の時間を取るのは難しいということなので、電話で投書の内容を読み上げコメントを求めたところ、次のように述べた。  「投書に記されている氏名はいずれも当消防本部に所属している職員、元職員なのは間違いありません。各町村に投書が届いているという話は聞いていますが、内容に関しては確認していないので、パワハラの有無や通勤手当不正受給について現段階でコメントできません。他のマスコミから問い合わせをいただいたこともありません」  本誌11月号記事では、消防でパワハラが起きる背景について、消防行政を研究する関西大学社会安全学部の永田尚三教授がこう語っていた。  「消防は一般的に体育会系的要素が強いのに加え、消防本部は地域間格差が大きい。地方の小規模な消防本部では日常の業務に追われ、パワハラ対策やコンプライアンスなどについて、十分に学ぶ時間が確保されていない可能性が高い。また、消防本部は行政部局から切り離され独立性が確保されていますが、それゆえに、行政部局の組織文化が共有されにくい側面もあると思います」  前出X氏の際は、2月下旬に母親がパワハラを指摘してから調査し公表されるまでに半年以上かかった。今回の投書を受けて同消防本部はどのように調査を進めるのか。またパワハラが事実だった場合、自浄能力を発揮できるのか。2月下旬に開会される同組合議会の行方も含め、その動向を注視していきたい。

  • 【聖光学院野球部・斎藤智也監督に聞く】プロの世界に巣立った教え子たち

     皆さんにとって、高校時代の恩師とはどんな存在だろうか。卒業以降、一度も会っていないという人もいれば、卒業後もいろいろと相談に乗ってもらっているという人もいるだろう。その中でも、プロ野球選手にとっては後者の事例が多いようだ。これまでに9人のプロ野球選手を輩出した高校野球の強豪・聖光学院の斎藤智也監督に、同校卒業生の現役プロ野球選手4人の高校時代と現在について語ってもらった。(選手の写真はいずれも聖光学院野球部提供) 斎藤智也監督 湯浅京己投手 湯浅京己投手  1人目は湯浅京己(ゆあさ・あつき)投手(24)。2018年3月卒業。その後、独立リーグ・富山GRNサンダーバーズに入り、同年10月のドラフト会議で、阪神タイガースから6位で指名を受けた。プロ3年目の2021年に1軍初登板を果たし、翌2022年はセットアッパーとして大活躍。最優秀中継ぎ投手のタイトルと、新人特別賞を受賞した。2023年3月に行われたワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選ばれ、世界一にも貢献した。2024年は6年目のシーズンを迎える。  同校出身では、現状、最も実績を残している選手と言えるが、実は湯浅投手は、高校時代は甲子園(2017年夏)のベンチ入りメンバーに入っていなかった。  「ケガの影響で入学してから1年以上は何もしていない。本格的にやり始めたのが2年生の10月だったので、実数8カ月くらいしか高校野球をやってないんです。ただ、そのときからポテンシャルはすごかった。故障がなかったら、かなりの能力があるというのは、もちろん分かっていました」  当時、夏の県大会のベンチ入りメンバーは20人、甲子園のベンチ入りメンバーは18人(※2023年の大会から20人に増員された)だった。湯浅投手は県大会の20人には入っていたが、甲子園ではそこから2人を減らさなければならず、その1人が湯浅投手だった。  「ケガ明けの2年生の10月に、いきなり(球速)135㌔を出して、冬を越えて143㌔、夏の県大会では145㌔を出した。球速はチームでもナンバーワンだったけど、やっぱり投げ込みが不足していたこともあって、コントロールにばらつきがあった。本来であればベンチに入っている選手だけど、あの年代はほかにもいいピッチャーがいて、(県大会のベンチ入りメンバー投手の5人から)1人を削らなければならなかった」  こうして、甲子園でのベンチ入りは叶わなかった湯浅投手。その後は早稲田大学への進学を目指したが、ポテンシャルは折り紙つきでも、実績があるわけではない。スポーツ推薦での入学は難しいと言われ、受験も見送り「最短でプロを目指す」として、独立リーグの富山GRNサンダーバーズに入団した。  前述したように、独立リーガー1年目の秋のドラフトで、阪神タイガースから指名を受けたわけだが、独立リーグでの成績を見ると、それほど目を引くような数字ではない。それでも、プロに指名されたのは、富山GRNサンダーバーズで早い段階でエース格になり、ドラフト指名がほぼ確実になったため、夏場以降は試合での登板を控えていたからだという。  当時の富山GRNサンダーバーズの監督は、ヤクルトスワローズで投手として活躍した伊藤智仁氏(現・ヤクルトピッチングコーチ)。同年秋のドラフト指名を見越して、伊藤監督の配慮で、ケガなどをしないように大事に起用されていたということだ。  ドラフト指名には、いわゆる〝凍結期間〟というものがある。大学に進学すれば、当然、在学中(卒業前年の秋まで)はドラフト対象にならない。社会人に進んだ場合は、高校卒業から3年目以降、大学卒業から2年目以降にならないと解禁されない。ただ、独立リーグに入った場合は高卒1年目から指名対象になる。  湯浅投手は「最短でプロを目指す」ということを有言実行した格好だ。もっとも、プロでも1、2年目はケガで、2軍の試合にもほとんど出ていない。3年目の中盤以降に、ようやく1軍の舞台を経験し、4年目の飛躍につなげた。  「高校時代からすると、奇跡的な結果を出しているなぁと正直思います。それでも、全然プロプロしていない。素朴で、謙虚で、ひたむきなところは変わっていませんね。苦しんだ男の生きざまって言うのかな、そこが湯浅のいいところですね」  湯浅投手にはオリジナルの決め台詞がある。湯浅の「湯(お湯)」と、名前の「京己(あつき)」がかかった「アツアツです」というフレーズだ。ヒーローインタビューなどで、インタビュアーから「今日のピッチングを振り返ってどうでしたか」と聞かれた際、その決め台詞で応じ、ファンから歓声が上がる。いまや、プレーだけでなく、言葉でも球場を沸かせられる選手だ。 佐藤都志也捕手 佐藤都志也捕手  2人目は佐藤都志也(さとう・としや)捕手(25)。2016年3月卒業。東洋大学を経て、2019年のドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けた。2024年シーズンは5年目になる。  高校時代は1年生の秋からベンチ入りし、2年生の夏(2014年)と3年生の夏(2015年)の甲子園に出場した。2年夏にはベスト8入りを果たしている。当時から、強肩・強打のキャッチャーとして注目されていたほか、人気野球漫画「MAJOR(メジャー)」の登場人物と、同姓同名(漢字は違う)、同じポジションだったことでも話題になった。  高校3年生時に、プロ志望届を提出して、プロ入りを目指したが、指名はなかった。その後、大学野球屈指のリーグである東都大学野球リーグの東洋大に進み、実力を磨いた。2年生の春には、打率.483で首位打者を獲得。1学年上には、「東洋大三羽ガラス」と言われた上茶谷大河投手(DeNAベイスターズ)、甲斐野央投手(福岡ソフトバンクホークス→埼玉西武ライオンズ)、梅津晃大投手(中日ドラゴンズ)がおり、バッテリーを組んだことも大きな経験になったようだ。大学4年時に再度プロ志望届を提出し、ロッテから2位指名を受けた。4年越しでのプロ入りを果たしたのである。  プロでは、1年目から1軍の試合を経験し60試合に出場。そこから2年目62試合、3年目118試合と少しずつ出場試合数を増やしていった。ただ、4年目の2023年シーズンは、試合数は前年の118試合から103試合に、打席数は402打席から278打席へと減った。プロ入り時から監督を務めていた井口資仁氏が2022年オフに退任し、新たに吉井理人監督に変わったことが影響している。  「吉井監督に変わって少し起用が減りましたね。でも、打つ方を考えたら都志也を使いたいはず。(打線強化が課題の)チーム事情を考えたら、都志也が打席に立っている方が得点力は上がるでしょうから。ただ、都志也は自分のバットで点を取れたとしても、自分のリードで点を取られることの方を嫌うでしょう。キャッチャーというか、野球ってそういうものだと思う。2024年シーズンは5年目、そろそろガチッと(レギュラーの座を)勝ち取ってほしいですね」  一方で、斎藤監督はグラウンド外での姿勢にも目を向ける。  「都志也のすごいところは、大した給料(年俸)じゃないのに、社会貢献活動にも熱心なところ。甲子園出場が決まったら、部員数だけリュックバックを贈呈してくれて、我々(監督、部長、コーチ)には立派なトートバッグをくれた。名前入りのものをメーカーに頼んで作ってくれてね。そのほかにも、バッティングゲージを寄付してくれた。それ自体は、ほかの(プロに入った)OBもやっていることだけど、都志也は、只見高校が2022年のセンバツ(21世紀枠)に出場した際も、部員数分のリュックバックを贈った。これはなかなかできないこと。気配りができるんだよね」  このほか、このオフには地元のいわき市で小学生を対象にした野球教室を開催した。  キャッチャーというポジションは、相手打者の調子や特徴、試合展開などを考えて、ピッチャーの配球を決める役割を担い「グラウンド上の監督」とも表現される。細かな目配り気配りが求められるわけだが、そうした行動はキャッチャーならではの配慮といったところか。  「そうでしょうね。とはいえ、気付いてもできないことがほとんど。それができるところが都志也の魅力」と斎藤監督。  佐藤捕手は、同校出身のプロ野球選手で、現役では唯一の県内(いわき市)出身者だ。5年目となる2024年シーズンでの飛躍に期待したい。 船迫大雅投手 船迫大雅投手(中央)、右は八百板卓丸外野手  3人目は、2023年シーズンがルーキーイヤーとなった船迫大雅(ふなばさま・ひろまさ)投手(27)。2015年3月卒業。3年生の夏(2014年)にエースナンバーを背負って甲子園に出場し、3勝を挙げ、ベスト8入りを果たした。その後は、東日本国際大学、西濃運輸を経て、2022年のドラフトで読売ジャイアンツから5位指名を受けた。  「船迫は、中学時代は軟式野球しかやってなくて、入ってきたときも、身長は170㌢もなかったし、体重も50㌔台だった。かわいい顔をしていて、フィギュアスケートの浅田真央選手に似ていたから、『マオちゃん』なんて呼んでいた」  「入学当初を考えたら、とてもプロに入るような選手ではなかった」という斎藤監督だが、転機が訪れたのは2年生の夏。もともとはオーバースローだったが、サイドスローに転向した。  「体のバランスだけを見たら、横(サイドスロー)の方が合うと思ったので、『腕を下げて横から投げてみろ』と言ったら、かなりボールが強くなった。上から投げていたとき(の球速)は115㌔くらいだったのが、最終的には139㌔になって、社会人時代は150㌔を投げるようになった」  斎藤監督によると、「正直、入学当初は(高校の)3年間、バッティングピッチャーで、ベンチ入りは難しいと思っていた」とのことだが、サイドスローに転向したことで素質が開花。3年生の夏にはエースとなって、甲子園で活躍した。当時のスポーツ紙の記事で、「サイドスローに転向したことで、自分の野球人生が変わった」という本人談が掲載されていたのを思い出す。  ちなみに、船迫投手と同学年には八百板卓丸外野手がいる。八百板外野手は高校3年時の2014年秋のドラフトで、東北楽天ゴールデンイーグルスから育成1位で指名を受けてプロ入りを果たした。育成指名は、その名称の通り、「育成」を目的とした契約。言わばプロ野球における練習生のような位置付けで、2軍の試合には出場できるが、1軍の試合には出られない。まずは、1軍登録が可能な「支配下契約」を目指さなければならない。八百板外野手は3年目の2017年シーズン途中に支配下契約を勝ち取り、翌年には1軍デビューを果たす。2019年のシーズンオフに楽天を退団し、同年、読売ジャイアンツに入団した。残念ながら、船迫投手と入れ替わりで退団したため、プロでも一緒のチームでプレーすることは叶わなかったが、同校では同学年から2人のプロ野球選手を輩出したことになる。  船迫投手は高校卒業後、東日本国際大学(いわき市)に進み、南東北大学野球リーグの歴代最多勝記録(34勝)を塗り替えた。その記録を引っさげ、大学4年時にプロ志望届を出したが、指名はなく、社会人の西濃運輸に入った。  大卒社会人は2年目からドラフト解禁となり、2020年がその年だったが、同年とその翌年も指名はなし。社会人4年目の2022年のドラフトで読売ジャイアンツから5位指名を受けた。  プロ入り1年目に27歳になる、いわゆるオールドルーキー。1年目から結果を出さなければ、すぐに居場所がなくなる簡単ではない立場だったが、リリーフとして36試合に登板し、3勝1敗8ホールド、防御率2・70の好成績を残した。  「シーズン途中に2軍に落とされたときもあったけど、最後、もう1回、1軍に上がってきて、(リリーフエースの)クローザーを除けば、一番信頼されていたピッチャーじゃないですかね。湯浅も、船迫もそうだけど、苦労人でね。無名だった選手がウチの野球部に来て、ちょっときっかけ掴んで、プロに行けるようになったのは本当に嬉しい」  ジャイアンツはリリーフピッチャーが課題のチームで、このオフはドラフト、現役ドラフト、トレードなどで、かなりのリリーフピッチャーを補強した。それに伴い、船迫投手も、またチーム内での競争を強いられることになりそうだが、ルーキーイヤー以上の飛躍が期待される。 山浅龍之介捕手 山浅龍之介捕手  4人目は山浅龍之介(やまあさ・りゅうのすけ)捕手(19)。2023年3月卒業。1年生の秋からベンチ入りし、3年生の春、夏(2022年)の甲子園に出場。夏の大会では学校初、福島県勢としても準優勝した1971年以来となるベスト4進出を果たした。その中でも、強肩・強打の山浅捕手の貢献度は高い。その年の秋のドラフトで中日ドラゴンズから4位で指名を受けた。  プロ1年目の2023年シーズンは、7試合に出場した。キャッチャーはピッチャーとの相性に加えて、経験値、洞察力など、さまざまなことが求められるポジション。その中で、高卒1年目で1軍を経験し、試合にも出場したのは首脳陣の評価が相当高い証拠と言える。  「立浪(和義)監督が山浅の指名をスカウトに指示していたようです。(入団後)2軍でも試合に出ていないときは、1人別メニューで特訓を受けているそうですから。英才教育に近い形の扱いを受けているようです」  山浅捕手の魅力は「雰囲気」だという。  「キャッチャーとしての力は、高校時代からずば抜けていた。(1998年に甲子園で春夏連覇した)横浜高校で松坂大輔投手とバッテリーを組んでいた小山良男氏が、いま中日のスカウトをしているんですが、彼が山浅にゾッコンで、どこがいいのかを聞くと、具体的なことは言わないんだけど、『とにかく雰囲気がある』と。確かに、野球脳はものすごく高いし、マスコミへの受け答えを見てもそうだし、高校時代はチームでは『イジられキャラ』だったんだけど、イジリに対する返しも上手い。キャッチャーをやるために生まれてきたようなヤツだなというのはあります」  捕手としての能力や雰囲気だけでなく、高校時代からバッティングも魅力だった。むしろ、そちらの方が評価されているのかと思ったが、斎藤監督によると、「2年生の秋までは、とてもプロに行けるようなレベルではなかった」という。  「正直、2年生の秋までは全然。でもひと冬で変わった。体重が12㌔くらい増えて、それでも50㍍走のタイムも速くなったし、跳躍力も上がった。単に太っただけでなく、フィジカル測定の数字が上がったんです。打球音も変わって、夏の甲子園のときには、バッターとしてもプロに指名されてもいいくらいのレベルにまでなった。ひと冬でこれだけ変わるというのはなかなか見ない。それだけ自分を追い込めるということでもあるし、アイツの人間性というか、自分が良くなればよりチームに貢献できるというね。そういうことを常に考えられるのが山浅のすごいところ」  2024年は高卒2年目で、プロとしてはまだまだ修行が必要だろうが、自身を高く評価してくれている立浪監督の在任中に確固たる地位を確立したいところ。  中日は愛称が「ドラゴンズ」で、選手は「竜(龍)戦士」、売り出し中の若手は「若竜(龍)」などと称される。山浅捕手は名前が「龍之介」だから、導かれるべくして中日ドラゴンズに入ったと言える。近い将来、「龍を背負う龍之介」として人気選手になりそうだ。  同校からプロ入りした選手は、中学までは無名で、努力の人、苦労人が多い。そういったことからも、「より応援したくなる選手」と言える。  また、同校の卒業生では、2024年からプロ野球イースタンリーグに加盟するオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの舘池亮佑投手(2021年3月卒業)、東洋大の坂本寅泰外野手(2022年3月卒業)、立教大の佐山未來投手(2023年3月卒業)、国学院大の赤堀颯内野手(同)、中央大の安田淳平外野手(同)などの有力選手もいる。今春の卒業生にも、東洋大への進学が決まっている高中一樹内野手、立正大に進学する三好元気外野手がいる。近い将来、プロ野球選手の仲間入りを果たすかもしれない。彼らの今後にも注目だ。

  • 双葉町で不適切巡回横行の背景

     双葉町がまちづくり会社に委託している町内の戸別巡回業務で60~80代の全巡回員13人が不適切行動をしていた。所有者が巡回を希望していない宅地に無断で立ち入ったほか、道路や線路沿い、空き家の敷地などに実る柿や栗、山菜を無断で持ち去っていた。まちづくり会社は町が設置に携わり、巡回事業は復興庁の交付金を活用していたため全国を賑わし、巡回員のレベルの低さが露呈。法令順守が行き渡っておらず、町とまちづくり会社は指導の不徹底を問われる。 巡回員のレベルの低さが露呈 復興庁が委託した巡回業務で不適切行動があった(写真は双葉町役場)  戸別巡回業務は東京電力福島第一原発事故に伴い指定された双葉町内の避難指示解除区域の空き家などを巡り、玄関の施錠確認などを行う防犯活動。2022年8月に町内の帰還困難区域の一部が解除され、立入通行証を所持しなくても誰もが自由に行き来できるようになるのを前に、町が21年度から一般社団法人ふたばプロジェクト(双葉町)に業務委託した。  委託期間は今年3月末までを予定していたが、不適切行為を公表してから町は別の民間警備会社に巡回車だけで見回る業務に代替している。  同プロジェクトの渡辺雄一郎事務局次長によると職員は24人で、うち正職員5人、有期雇用の職員6人、残り13人が今回不適切行動があった巡回員だった。巡回員は1日5人の体制で、2人ずつ2組が車2台に分かれて乗り、朝8時30分から夕方5時15分まで町内の民家や公共施設を365日見回る。1人は班長として事務所で待機する。班は2日で一巡する。  避難指示解除区域では、老朽化や放射能汚染を受けた建物の公費解体が進む。巡回員は未解体の建物がある敷地に立ち入り、建物の侵入形跡や損壊、残された車両が盗まれていないかを確認する。家主が戸別巡回を希望しないと事前に届け出ている場合や、家屋・門扉を閉じたりロープを張ったりして立ち入らないでほしい意思を明らかに示している場合は敷地外からの目視に留めていた。  不適切行為に気づいた経緯は、2023年10月8日、3連休の中日の日曜日、ある1組が2人で宅地を回っていた際、もう1人が20分も掛かっていたことを不審に思ったからだった。探すと、門扉が閉まって立ち入り禁止の意思表示がされているにもかかわらず、立ち入って建物の解体が進む様子を撮影していた。自身のフェイスブックに投稿していたという。解体工事で敷地を分ける構造物が一部取り払われていたため、門扉が閉まっていても敷地に入れる状況になっていた。バディを組むもう1人が別の巡回員に不適切行動を伝えた。巡回員は10月12日に同プロジェクトの事務局職員に報告した。フェイスブックの投稿を確認し、業務を監督する双葉町住民生活課に報告した。町から事情聴取の上、他の巡回員にも不適切行動がないか追加調査するよう指示された。  無断立ち入りし写真を撮影した巡回員の投稿は、巡回員の許可を得て削除した。同プロジェクトの渡辺次長によると、巡回員は「大震災・原発事故で受けた双葉町の悲惨な記憶が風化しないように現状を伝えたかった」と釈明したという。  同12日から実施した全13人の巡回員への聞き取りでは、無断立ち入りのほかに道路や線路脇、公共施設敷地、民有地10カ所内に自生している果実や山菜の無断採取が判明した。生えている場所を巡回員同士で共有し、採った後は自分たちで消費していたという。果実は柿や栗、銀杏などで、実がなる時季を考えると、業務が始まった2021年秋から無断採取は始まっていたとみられる。  町住民生活課長が10月17日から11月27日にかけて民有地10カ所の全地権者に電話や文書で謝罪した。同27日に謝罪が完了したことをもって町と同プロジェクトが不適切行動を発表。同プロジェクトは巡回員13人を自宅謹慎にした上で、11月23日以降の巡回業務を停止した。  一連の不適切行動は10月上旬の写真投稿で発覚した。業務を停止したのは11月23日以降だから、その間は継続していたことになる。  「人手が足りないという難しいところもありました。代わりの要員を採用するといっても地域に精通した人材をすぐに見つけられるわけではなかった」(渡辺次長)  この事業は復興庁→双葉町→ふたばプロジェクトの順に再委託されている。土屋品子復興相は町の発表と同時に11月27日に事案を公表した。  《本事案発覚後、直ちに、SNSに無許可で写真を投稿した巡回員を業務から外したほか、全巡回員に再教育を行うなど再発防止策を徹底、更に11月23日より、果実等の無断採取を含めて問題行為を行った全ての巡回員を戸別巡回業務から外したところです》  さらに町の情報を上げるスピードが遅かったことを指摘した。  《本事案については、発覚後、双葉町から福島復興局への報告に3週間かかり、また、復興局から復興庁本庁への報告にも3週間かかり、これによる対応の遅れがありました》  復興庁の予算を使った防犯パトロール事業は浪江、大熊、富岡、楢葉、広野、葛尾の6町村でもあったが、多くは青色灯を付けた車両で敷地外を回り、民間警備会社に委託しているところが多い。浪江町は住民を特別職として雇い、チームで巡回し、不審な点を見つけたら敷地内に入る形を取っている。  ある自治体の担当者は「無断で立ち入るだけでなく、果物や山菜を取るのは異常」。別の自治体の担当者は「復興庁に報告するため、本自治体でも不適切事案の調査を進めています」と忙しい様子だった。 任される数々の業務  双葉町の巡回で不適切事例が横行していたのは、戸別巡回という防犯としては積極的な種類だったこと、それをまちづくり会社が担っていたことが挙げられる。論文「福島県の原子力被災地におけるまちづくり会社の実態と課題に関する研究―双葉郡8町村のまちづくり会社を対象として―」(但野悟司氏ら執筆、公益社団法人日本都市計画学会 都市計画報告集21号、2023年2月)によると、広野、楢葉、富岡、大熊、浪江、葛尾、双葉、川内の8町村のまちづくり会社のうち、防犯パトロールを実施しているのはふたばプロジェクトのみだった。  法人登記簿によると、同プロジェクトは2019年に設立した。当初から実務を担う事務局長には町職員が出向し、現在は宇名根良平氏。理事には徳永修宏副町長や町商工会関係者が名を連ねる。事業目的は《「官民連携・協働によるふるさとふたばの創生」を基本理念とし、民間と行政の協働による町民主体のまちづくりを牽引するとともに、町民のための地域に根ざした事業を展開し、町の将来像に向けた魅力あるまちを創造すること》としている。主な事業は①各種イベント支援や町民の交流を促進する事業、②双葉町及び町民に関連する情報発信事業、③空き地・空き家の活用による賑わい再生事業など。戸別巡回業務は異色だった。  町が関わっている組織故に信頼があり、敷地に立ち入る戸別巡回を任された。だが、実際に携わった60~80代の男性たちが不適切行動をしていた以上、委託した町や巡回員を指導した事務局がどの程度、法令順守を徹底していたかが問われる。同プロジェクトの本分は交流促進による活性化だが、町には民間事業者が戻らず、あらゆる仕事を任されている状態。手を広げていた中で起きた事案だった。

  • 【会津若松】立ち退き脅迫男に提訴された高齢者

     会津若松市馬場町に住む74歳男性が土地の転売を目論む集団から立ち退きを迫られている(昨年8月号で詳報)。追い出し役とみられる新たな所有者は、男性が「賃料を払わず占有している」として土地と建物の明け渡しを求める訴訟を起こし、昨年12月に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。転売集団は立ち退きを厳しく制限する借地借家法に阻まれ、手詰まりから訴訟に踏み切った形。新所有者が、既に入居者がいるのを了承した上で土地を購入したことを示す証言もあり、新所有者が主張する「不法入居」の立証は無理筋だ。 無理筋な「不法入居」立証  問題の土地は会津若松市馬場町4―7の住所地にある約230坪(約760平方㍍)。地番は174~176。その一角に立ち退き訴訟の被告である長谷川雄二氏(74)の生家があり、仕事場にしていた。現在は長谷川氏の息子が居住している。  長谷川氏によると、祖父の代から100年以上にわたり、敷地内に住む所有者に賃料を払い住んできたという。不動産登記簿によると、1941年4月3日に売買で会津若松市のA氏が所有者になった。その後、2003年4月10日に県外のB氏が相続し、2018年9月11日に同住所のC氏に相続で所有権が移っている。実名は伏せるが、A、B、C氏は同じ名字で、長谷川氏によると親族という。  この一族以外に初めて所有権が移ったのは2019年12月27日。会津若松市湯川町の関正尚氏(79)がC氏から購入し、それから3年余り経った昨年2月7日に東京都東村山市の太田正吾氏が買っている。  今回、土地と建物の明け渡し訴訟を起こしたのは太田氏だ。今年3月に馬場町の家に車で乗り付け、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」などと強い口調で立ち退きを迫る様子が、長谷川氏が設置した監視カメラに記録されていた。長谷川氏は太田氏を、所有権を根拠に強硬手段で住民を立ち退かせ、転売する「追い出し役」とみている。  賃料の支払い状況を整理する。長谷川氏は、A、B、C氏の一族には円滑に賃料を払ってきたといい、振り込んだことを示すATMの証明書を筆者に見せてくれた。次の所有者の関氏には手渡しで払っていたという。後述するトラブルで関氏が賃料の受け取りを拒否してからは法務局に供託し、実質支払い済みと同じ効力を得ている。これに対し、太田氏は「出ていけ」の一点張りで、そもそも賃料の支払いを求めてこなかったという。同じく賃料を供託している。  立ち退き問題は関氏が土地を買ったことに端を発するが、なぜ彼が買ったのか。  「A氏の親族のB、C氏は県外に住んでいることもあり、土地を手放したがっていました。C氏から『会津で買ってくれる人はいないか』と相談を受け、私が関氏を紹介しました」(長谷川氏)  土地は会津若松の市街地にあるため、買い手の候補は複数いた。ただ、C氏は長年住み続けている長谷川家に配慮し「転売をしない」、「長谷川家が住むことを承諾する」と厳しい条件を付けたため合意には至らなかった。そもそも借主の立ち退きは借地借家法で厳しく制限され、正当事由がないと認められない。認められても、貸主は出ていく借主に相応の補償をしなければならない。C氏が付けた条件は同法が認める賃借人の居住権と重複するが、長谷川氏に配慮して加えた。  会津地方のある経営者は、購入を断念した一因に条件の厳しさがあったと振り返る。  「有望な土地ですが『居住者に住み続けてもらう』という条件を聞き躊躇しました。開発するにしても転売するにしても、立ち退いてもらわなければ進まないですから」  そんな「長谷川家が住み続けるのを認め、転売しない」という買い手に不利な条件に応じたのが関氏だった。約230坪の土地は固定資産税基準の評価額で2600万円ほど。C氏から契約内容を教えてもらった長谷川氏によると、関氏は約500万円で購入したという。関氏はこの土地から数百㍍離れた場所で山内酒店を経営。土地は同店名義で買い、長谷川家は住み続けるという約束だった。  法人登記簿によると、山内酒店は資本金500万円で、関氏が代表取締役を務める。酒類販売のほか、不動産の賃貸を行っている。  「転売しないという約束を重くするために、C氏は関氏との契約に際し山内酒店の名義で購入する条件を加えました。2019年に私と関氏、C氏とその親族が立ち会って売買に合意しました。代々の所有者と長谷川家の間には賃貸借契約書がなかったこと、関氏と私は長い付き合いで信頼し合っていたことから約束は口頭で済ませた。これが間違いだった」(長谷川氏)  長谷川氏が2022年3月に不動産登記簿を確認すると、所有者が2019年12月27日に「関正尚」個人になっていた。山内酒店で買う約束が破られたことになる。疑念を抱いた長谷川氏は、手渡しで関氏に払っていた賃料の領収書を発行するよう求めた。「山内酒店」と「関正尚」どちらの名前で領収書が切られるのか確認する目的だったが、拒否された。しつこく求めると「福和商事」という名前で領収書を渡された。  「土地の所有者は登記簿に従うなら『関正尚』です。この通り書いたら、店名義で買うというC氏との約束を破ったのを認めることになる。一方、『山内酒店』と書いたら、登記簿の記載に反するので領収書に虚偽を書いたことになる。苦し紛れに書いた『福和商事』は関氏が個人で貸金業をしていた時の商号です。法人登記はしていません」(長谷川氏)  正規の領収書が出せないなら、関氏には賃料を渡せない。ただ、それをもって「賃料を払っていない不法入居者」と歪曲されるのを恐れた長谷川氏は、福島地方法務局若松支局に賃料を供託し、現在も不法入居の言われがないことを示している。 転売に飛びついた面々 長谷川氏(右)に立ち退きを迫る太田氏=2023年3月、会津若松市馬場町  現所有者の太田氏に所有権が移ったのは昨年2月だが、太田氏はその4カ月前の2022年11月17日に不動産業コクド・ホールディングス㈱(郡山市)の齋藤新一社長を引き連れ、馬場町の長谷川氏宅を訪ねている。その時の言動が監視カメラに記録されている。カメラには同月、郡山市の設計士を名乗る男2人が訪ねる様子も収められていた。自称設計士は「富蔵建設(郡山市)から売買を持ち掛けられた」と話していた。長谷川氏は、関氏から太田氏への転売にはコクド・ホールディングスや富蔵建設が関与していると考える。  筆者は昨年7月、関氏に見解を尋ねた。やり取りは次の通り。  ――長谷川氏は土地を追い出されそうだと言っている。  「追い出されるってのは買った人の責任だ。俺は売っただけだ」  ――長谷川家が住み続けていいとC氏と長谷川氏に約束し、買ったのか。  「俺は言っていない。あっちの言い分だ」  ――転売する目的だったとC氏と長谷川氏には伝えたのか。  「伝えていない。どうなるか分からないが売ってだめだという条件はなかった」  ――どうして太田氏に土地を売ったのか。  「そんなことお前に言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」  ――太田氏が長谷川氏に立ち退くよう脅している監視カメラ映像を見た。  「(長谷川氏が)脅されたと思うなら警察を呼べばいい。あいつは都合が悪いとしょっちゅう警察を呼ぶ」  ――コクド・ホールディングスの齋藤氏とはどのような関係か。 「……」  ――齋藤氏や土地を買った太田氏とは一切面識がないということでいいか。  「何でそんなことお前に言わなきゃなんねえんだ。俺は答えねえ」 入居者を追い出すのは現所有者である太田氏の勝手ということだ。  太田氏の動きは早かった。所有権移転から間もない昨年3月、馬場町の家を訪ね、長谷川氏に暴言を吐き立ち退きを迫った。だが、逆に脅迫する様子を監視カメラに撮られた。以後、合法手段に移る。  同6月、太田氏は長谷川氏の立ち退きを求めて提訴した。太田氏の法定代理人は東京都町田市の松本和英弁護士。同12月6日に地裁会津若松支部で第1回期日が開かれた。太田氏は現れず、松本弁護士の事務所の若手弁護士が出廷した。被告側は代理人を立てず長谷川氏のみ。長谷川氏は「弁護士を雇う金がない。法律や書式はネットで勉強した。知恵と根気があれば貧乏人でも闘えることを証明したい」。 転売契約書の中身は?  裁判では、原告の太田氏側が長谷川氏の「不法入居」を証明する必要がある。だが、提出した証拠書類は土地の登記簿のみ。長谷川氏は、関氏から太田氏への売買を裏付ける契約書の提出を求めた。これを受け、島崎卓二裁判官は「売買を裏付ける証拠はある?」。太田氏側は「あるにはあるが提出は控えたい」。島崎裁判官は「立証責任は原告にある。契約書があるなら提出をお願いします」と促した。  一方で、島崎裁判官は被告の長谷川氏に土地の賃貸や居住を端的に示す書類を求めた。長谷川氏の回答は「ありません」。長谷川氏は、関氏と太田氏の土地売買に携わった宅建業者の証言や賃料の支払い証明書など傍証を既に提出しているという。  閉廷後の取材に長谷川氏は次のように話した。  「私たち一族がここに住み始めたのは戦前にさかのぼる。当時の契約は、今のようにきちんとした書類を取り交わす習慣がなかったのだと思います。賃貸借契約を端的に示す書類はないが、少なくとも太田氏の前の前の所有者のC氏に関しては賃料を振り込んだことを示す記録が残っているし、関氏とC氏は親族立ち会いのもと『長谷川家が住み続ける』と合意して契約を結んでいる。さらに、関氏から太田氏に転売される際には『既に居住者(長谷川家)がいると説明した上で契約を結んだ』と話す宅建業者の音声データを得ている。裁判では太田氏側が出し渋る契約書の提出を再度求めます」  長谷川氏が契約書の提出を強く求めるのは、仲介した宅建業者の証言通りなら「売買する土地には以前から入居者がいる」と関氏から太田氏への重要事項説明が書きこまれている可能性が高いからだ。太田氏が、居住者がいることを受け入れて契約を結んだ場合、「長谷川家は所有者の了解なく住んでいる」との理屈は成り立たない。さらに借地借家法で居住権が優先的に認められるため、太田氏の都合で追い出すことは不可能になる。  太田氏側が契約書を示さず、裁判官の提出要求にも逡巡している様子からも、契約書には太田氏に不利な内容、すなわち長谷川家の居住を認める内容が書かれている可能性が高い。今後は太田氏側が契約書を提出するかどうかが焦点になる。   第2回期日は1月31日午前10時から地裁会津若松支部で行われる。譲らない双方は和解には至らず法廷闘争は長期化するだろう。 あわせて読みたい 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

  • 【玉川村】職員「住居手当不適切受給」の背景

     玉川村の50代男性職員が住居手当と通勤手当の計約400万円を不適切に受給したとして、昨年12月に停職3カ月の懲戒処分を受けた。一方、本誌昨年10月号では、矢吹町の30代男性職員が住居手当を不適切に受給していたとして、昨年9月に戒告の懲戒処分を受けたことを報じた。この2つの事例から察するに、表面化していないだけで、この手の問題はほかの自治体でもあるのではないか、と思えてならない。 矢吹町でも同様の事例発覚  玉川村の問題は、地域整備課の男性職員(主任主査。50代)が、2012年5月~昨年11月まで、住居手当379万7000円と通勤手当17万1000円の396万8000円を不適切に受給した。村はこの男性職員を停職3カ月の懲戒処分にした。処分は昨年12月7日付。  村によると、男性職員は村外に借りたアパートに住民登録しており、村では家賃の2分の1、2万8000円(※以前は2万7000円)を上限に住宅手当が支給されることになっている。ところが、男性職員はアパートを借りたままで、実際の生活は村外の親族宅で暮らすようになった。それが始まったのが2012年5月こと。本来であれば、その時点で住民票を移して、村に申し出なければならなかったが、「親族宅での生活は一時的なもの」として、そのままにしていた。しかし、親族宅での生活は「一時的なもの」ではなく、結果的に10年以上に及んだ。その間、アパートの賃貸借契約は継続されていたが、住居手当には「生活の実態がある」旨の条件があり、受給条件を満たさなくなった。加えて、その親族宅は、住民登録していたアパートより、職場(玉川村役場)への距離が若干近かった。  こうした事情から、前述した住居手当、通勤手当の計約400万円を不適切に受給したとして、停職3カ月の懲戒処分を受けたのである。  この問題が発覚した原因は匿名の情報提供があったのがきっかけ。これを受け、聞き取り調査を行い、男性職員が事実と認めたことから、懲罰委員会で処分を決めた。不適切に受給した住居手当、通勤手当は全額を返済されているという。  「(処分発表後)村民からは厳しいご指摘もいただいている。今回の件を受け、11月と12月に(同様の事例がないか)全職員への聞き取りを行いました。今後も、年1回は確認を行い、このようなことが起こらないように対処したい」(須田潤一総務課長)  今回の件を受け、ある議員はこう話した。  「昨年12月議会開会前の同月6日に、控え室で村から議員にこの問題についての説明があった。そこでは明日(7日)に懲罰委員会を開き、(議会初日の)8日にあらためて説明するとのことだった。ただ、村民の中には、われわれ(議員)より先にこの問題を知っている人がいて、それによると『この男性職員は矢吹町にアパートを借りていて、奥さんが出産の際、実家に戻った。旦那さん(男性職員)もアパートに帰らず、奥さんの実家に寝泊まりして、そこから通勤するようになった。それがズルズルと続いて、今回の問題に至った』と、逆にわれわれが村民に詳細を教えられる状況だった。どこから漏れたのか、ある程度、察しはつくが、こういうのは何とかならないものかと思いましたね」  肝心の問題の対処については、「どの職員がどこに住んでいるか。本当に、住民登録があるところに住んでいるのか等々を把握するのは難しい。本当にそこに住んでいるのか、抜き打ちで後をつけるわけにもいかないしね。その辺は本人の申告に頼らざるを得ないが、定期的に確認することは必要になるでしょう」との見解を示した。  アパートなどの賃貸住宅は、一度契約すると、当事者からの申し出がない限り、自動的に契約が更新される仕組み。例えば、1年ごとに契約を結び直すシステムであれば、その度に契約書を提示してもらうことで確認できるが、そうでない以上、本人の申し出に頼るしかない。そういった点はあるものの、住居手当の受給条件を満たしているか等々の定期的な確認は必要だろう。  一方で、ある村民はこう話す。  「いま、村内では阿武隈川遊水地の問題があるが、遊水地の対象地区では地元協議会を立ち上げ、要望活動などを行っています。昨年12月9日に、その会合を開き、村からも関係職員が出席することになっていましたが、急遽、村から『事情があって出席できなくなった』と言われました。後で、その問題を知り、そういうことか、と」  前述したように、処分は昨年12月7日付だが、村が公表したのは同12日だった。そのため、ほとんどの村民は、同日の夕方のニュースか、翌日の朝刊でこの問題を知った。遊水地の地元協議会が開かれた9日の時点では、「なぜ、村はドタキャンしたのか」と訝しんだが、数日後に「この問題があってバタバタしていたから来られなかったのか」と悟ったというのだ。 矢吹町の事例  ところで、本誌昨年10月号に「矢吹町職員〝住居手当〟7年不適切受給の背景」という記事を掲載した。受給条件を満たしていないにもかかわらず、住居手当を7年8カ月にわたり受け取っていたとして、30代男性職員が戒告の懲戒処分を受けたことを報じたもの。まさに玉川村と似た事例だ。以下は同記事より。    ×  ×  ×  ×  報道や関係者の情報によると、この男性職員は2013年2月から賃貸物件を契約し、住居手当1カ月2万6700円を受給していた。  2015年10月に賃貸物件を引き払い、実家に住むようになったが、住居手当の変更手続きを怠り、同年11月から今年6月までの7年8カ月分、245万6000円を受給していた。職員は届け出を「失念していた」と話している。また、町もこの間、支給要件を満たしているかどうかの確認をしていなかった。  本人の届け出により発覚し、不適切受給した分は全額返還された。    ×  ×  ×  ×  記事では、男性職員が懲戒処分の中で最も軽い戒告処分、監督する立場だった管理職の50代男性2人を口頭注意としたこと(処分は9月15日付)に触れつつ、町民の「結構重大な問題だと思うけど、ずいぶん軽い処分だったので呆れました」とのコメントを紹介した。  懲罰規定は各自治体によって違うが、確かに、似たような事例で、玉川村では停職3カ月、矢吹町では戒告と、処分に開きがあるのは気になるところ。  一方で、両町村の事例から察するに、バレていないだけで、似たような問題はほかの市町村でも潜んでいるのではないかと思えてならない。各市町村は、一度点検する必要があるのではないか。

  • 環境省「ごみ屋敷調査」を読み解く

     環境省は昨年3月、「『ごみ屋敷』に関する調査報告書」を公表した。いわゆる「ごみ屋敷」問題が生じた場合の全国市区町村の対応状況などを調査したもの。同調査によると、県内では、ごみ屋敷に対応し得る条例を定めているのは郡山市と広野町の2つ。両市町が「ごみ屋敷対策条例」を定めた背景に迫る。 郡山市・広野町が関連条例を制定したわけ 広野町役場  まずは環境省の調査結果について解説したい。  報告書によると、調査目的は、「ごみなどが屋内や屋外に積まれることにより、悪臭や害虫の発生、崩落や火災等の危険が生じるいわゆる『ごみ屋敷』の事案については、条例等の制定や指導、支援を行うなど、各自治体が生活環境の保全や公衆衛生を害するおそれのある状況に対応している。本調査は、各市区町村における対応事例等の把握を目的として実施したもの」とされている。 環境省「『ごみ屋敷』に関する調査報告書」  全国1741市区町村を対象に、2022年9月末時点での状況について、アンケート調査を実施し、全市区町村から回答を得た(回答率100%)。それを取りまとめ、公表したのが「『ごみ屋敷』に関する調査報告書」である。なお、環境省がこういった調査をするのは初めて。  同報告書によると、2018年度から2022年度までの5年間で、「ごみ屋敷事案を認知している」と回答したのは全国に661市区町村(約38・0%)あった。この661市区町村の「ごみ屋敷事案」の件数は5224件。このうち、同期間内で改善した件数は2588件(約49・5%)だった。  事案が改善した理由は「原因者への助言・指導等」、「原因者の転居・死亡等」、「関係部署・関係機関の連携による包括的支援」、「地縁団体や原因者の親族による清掃」など。  一方で、改善されていないごみ屋敷は2636件に上る。全国では確認できているだけで、それだけのごみ屋敷が現存していることになる。  ごみ屋敷の主な認知方法としては、最も多かったものは「市民からの通報」、次いで「パトロールによる把握」、「原因者の親族等からの相談」、「原因者からの相談」だった。「その他」としては、「福祉部署からの相談」、「空き家対策担当部署からの情報提供」、「警察、消防等関係機関からの情報提供」、「ペットの多頭飼育事案で認知」、「民生委員からの相談」、「地域包括支援センターやケアマネジャーからの相談」などの回答があったという。  県内では、ごみ屋敷の認知件数が58件、うち改善件数が20件、現存件数が38件となっている。ただし、市町村別の状況などの詳細は公表されていない。  ごみ屋敷への対応としては、最も多かったのは「現地確認」、次いで「原因者に対する直接指導」、「関係部署と連携した包括的サポート」だった。「その他」としては、「ごみ出しや分別に関する案内や業者の紹介」、「土地所有者や管理会社等への報告・相談」などの回答があったという。  このほか、「敷地内のごみを撤去」と回答したのが114市区町村あり、このうち原因者等の同意を得て撤去したのは112市区町村(98・2%)。「敷地外に散乱したごみを撤去」と回答したのが96市区町村あり、このうち原因者等の同意を得て撤去したのは78市区町村(81・3%)だった。  本来であれば、「原因者(家主)等の同意なし」では対処できないが、それを可能としているのは、条例の制定によるところが大きい。ごみ屋敷に対応することを目的とした条例が制定されているのは101市区町村(全体の5・8%)。このほか、5市区町村が「制定予定あり」、50市区町村が「検討中」で、1585市区町村が「制定予定なし」だった。  ごみ屋敷への対応で、条例上で重視している点としては、最も多かったのは「周辺住民等への影響」で、次いで「悪臭・害虫等の有無」、「堆積している廃棄物・物品の量」、「堆積している廃棄物・物品の種類」など。「その他」としては、「火災発生の危険性」、「通行上の危険性」等の回答があったという。  以上がおおまかな調査結果だが、同調査によると、県内では、ごみ屋敷に対応し得る条例を制定している市町村として、郡山市と広野町が紹介されている。 広野町「環境基本条例」の中身  このうち、広野町は2022年9月に「環境基本条例」を策定した。  同町と言えば――東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示区域に指定された。もっとも、同町は広義では「避難指示区域」に指定されたが、実際は「緊急時避難準備区域」で、同じ双葉郡の富岡町や大熊町、双葉町などとは違って、強制的に避難を余儀なくされたわけではない。「緊急時に備えて、避難できる準備をしていてください」といった位置付けで、避難しなくてもよかったのである。  それでも、情報が錯綜し、生活物資などが入って来にくい状況だったことから、当時町長の判断で、住民に避難を促し、町役場機能も一時的に町外に移転した。  原発事故発生から約半年後、2011年9月30日に緊急時避難準備区域は解除されたが、その後も町外で避難生活を送る人は多かった。  一方で、同町はほかの避難指示区域とは違い、法律上は一足早く何の規制もなく、人が住めるエリアとされたことから、原発事故収束作業や復旧・復興作業の最前線基地となった。そのため、新たな住環境が整備されていく半面、もともとは住民が住んでいたが、しばらくはそこには人が戻らず、誰も住んでいない住宅が存在するようになった。当然、人がいない住宅は朽ち果てていった。  同町の条例制定にはそんな事情もあるのかと推察したが、町環境防災課によると、「環境基本条例は、基本的には町の景観をよくしましょう、というもので、何か特定の事例への対応を意識したものではありません」とのこと。  現在は、同条例に基づき、町の豊かな環境を持続的に守るため、具体的な施策や町全体としての取り組みを示す「広野町環境基本計画」の策定を進めているという。  具体的には「広野町環境審議会」を設置し、環境保全や創造に関する施策を総合的・計画的に推進するために必要な調査や協議を行っている。同審議会の会長には早稲田大学環境総合研究センターの永井祐二教授、副会長に広野町公害対策審議会の秋田英博氏が就いている。同審議会は昨年9月に1回目の会合が開かれ、2024年度中の計画策定に向けて協議を進めているという。  「その中で、ごみ屋敷が発生した場合の対応をどうするかといったことが盛り込まれる可能性はありますが、審議会での話し合い次第になるので、現状では何とも……」(町環境防災課)  少なくとも、「実際にこういった問題が起きているので、それに対応する根拠が必要」ということでの条例制定、それに基づく基本計画策定ではないようだ。 郡山市の「ごみ屋敷問題」  一方で、もう1つの関連条例制定自治体であるである郡山市は、明確に「特定の事例への対応」を目的に条例が制定された。  本誌2005年11月号に「郡山に突如出現したごみ屋敷」という記事を掲載した。同市咲田2丁目、赤木町の徒歩10分圏内に4軒のごみ屋敷があり、所有者は同一人物ということで、かなりの注目を集めた。  以下は同記事より。    ×  ×  ×  ×  A氏(ごみ屋敷の主)は同市赤木町出身で、実家はごみ屋敷のすぐ近くにある。父親は元教員で、母親は自宅でお茶と生花の教室を開いていた。A氏は大学卒業後、NHKに勤務。技術畑を歩んで、数年前に定年退職した。推定するに、年齢は65歳ぐらいか。独身。きょうだいは、千葉県で教員をしている弟と、母親の教室を継いだ妹がいる。父親と母親は2人で市内の別な場所に住んでおり、妹もその近くに家を構えている。    ×  ×  ×  ×  4軒のごみ屋敷には、袋に入ったペットボトルや空き缶、紙くず、不燃物、古新聞、古雑誌、段ボール、プラスチック製のかご、棚、木屑の束などが住宅を覆うように散乱していた。  当時の本誌取材に、家主は「おたくには関係ないことだ」、「(ごみは)私が集めたんじゃない。どこからか人が来て、勝手に不法投棄していくんだ」、「これは私の財産だ」などと語っていた。  一方、近隣住民は、悪臭や害虫の発生などに加え、「もし、放火でもされたら、延焼は免れないだろう。その怖さがある」、「近隣の賃貸物件はなかなか入居者が埋まらなくて困っている」といった〝被害〟を訴えていた。皆、迷惑していたのだろう。何とかしてほしい、との思いから、本誌取材にいろいろと状況を教えてくれた。  一方で、前述の記事発売後、テレビ局、週刊誌などから問い合わせが相次いだ。以降、テレビのワイドショーや週刊誌などで連日のように取り上げられた。  テレビ局の取材班に対して、ごみ屋敷の主は、自分を映すカメラを力づくで押さえ付けようとするなど威圧的な態度を見せることもあった。その一方で、特定のリポーターや記者には徐々に本音で話すようになり、町内会や市の説得に耳を貸すようになった。そうして、少しずつ態度が軟化し、本誌報道から約半年後の2006年6月にはボランティアの協力でごみの一斉撤去が行われた。ごみの量は50㌧に上った。  ただ、その後もトラブルは絶えなかった。同年9月には4軒のうちの1軒で出火騒動が起こり、木造2階建ての1階台所や居間などを焼いた。ケガ人はいなかったが、一歩間違えたら大参事になっていた。その際、判明したのは、撤去されたのは建物の外にあったもののみで、室内のごみは撤去されていないことだった。  さらに、撤去からしばらくすると、また敷地内にごみが置かれるようになった。  そのため、郡山市は2007年4月、ごみ集積所からの持ち去り行為を禁止した「ごみ持ち去り防止条例」を施行し、家主のごみ集め防止策を講じた。  それでも抑止にはならず、同年7月には、近隣住民がごみを片付けるよう注意したところ、家主が暴行を加え、警察に逮捕された。家主には執行猶予付きの判決が下された。  こうして、なかなか解決の糸口が見つからない中、郡山市は2015年12月に「建築物等における物品の堆積による不良な状態の適正化に関する条例」を施行した。いわゆる「ごみ屋敷条例」だ。つまり、この問題に対応するために関連条例を制定したのである。  結局のところ、はたから見たら、どう考えても「ごみ」でも、家主が「財産」と主張している以上、個人の敷地内のごみを行政がどうこうすることはできない。その問題を条例の制定によって対処したわけ。 ごみ屋敷対応の先進地に 火災にあったごみ屋敷 (2016年10月撮影)  市HPの同条例の紹介文には、「住宅などの敷地に大量のごみ等を溜めて周辺の環境が著しく損なわれている状態にしている者に対して、市が指導などを行いそれでも改善されないときには、最終的に市が本人に代わり強制的に行政代執行を行いごみ等を撤去します。なお、行政代執行にかかった費用については本人に請求されます」と書かれている。  対象者は「物品(ごみ等)を堆積することにより不良な状態を発生させている者(法人を除く)」で、ここで言う「不良な状態」とは「物品(ごみ等)の堆積によりねずみ、昆虫(害虫)若しくは悪臭が発生すること又は火災発生のおそれがある等のため、当該物品が堆積している土地の周辺の生活環境が著しく損なわれている状態をいいます」と定義している。  これにより、庭などの外に置かれたごみは強制的に撤去できるようになった。ただし、住居(建物)の中は対象外。2016年3月には、同条例に基づき、実際に強制撤去(行政代執行)が実行された。ごみ屋敷の行政代執行の事例はそれほど多くないが、同市はその1つとなったのである。  それから約半年後の同年10月、ごみ屋敷で火災が発生し、家主は焼死した。もし、強制撤去(行政代執行)が行われていなかったら、屋外のごみに燃え広がり、大惨事に発展していたかもしれない。  市3R推進課によると、同条例に基づく行政代執行はその1例のみ。もっとも、前述したように、問題の家主は、4軒のごみ屋敷を所有していたから、実際には1例4件ということになる。撤去にかかった費用は当人から回収できた。  一方で、その件以外でもごみに関する相談はいくつかあるという。  「町内会や賃貸物件の貸主などから、『あの家のゴミを片付けてほしい』といった相談は、この間いくつかあります。ただ、ほとんどの場合は話し合いで解決できています。行政代執行は、悪臭や害虫の発生、火災の危険性、周辺通行への障害などが確認できた場合のみ、本当に最終手段として行うもので、あの件以降は出ていません」(市3R推進課の担当者)  同市の条例では、調査→指導・勧告→命令→氏名等の公表といった段階があり、それでも改善されない場合は行政代執行となる。相談・苦情などはくだんの「ごみ屋敷問題」以外にもあるようだが、行政代執行に至る前に話し合いで解決できているという。  条例の制定にあたっては「大阪市の事例を参考にした」(同担当者)とのことだが、前述したようにごみ屋敷の行政代執行(強制撤去)を実行した数少ない事例の1つになったことから、「他県の市町村からの視察・問い合わせなどもありました」(同)という。図らずも、ごみ屋敷対応の先進地になったわけ。  一方で、物やごみを溜め込む行動、そういった状況に陥ることを「ディオゲネス症候群」(別名・ごみ屋敷症候群)というそうだ。社会的孤立、進行性認知症、日常生活機能の低下と関連しており、一人暮らしの高齢者に多いという。誰にでも起こり得ることで、対策は簡単ではないが、これからの社会では、そういった部分への適切な支援・精神的ケアが必要になってくるのだろう。

  • クマの市街地出没に脅かされる福島

     クマの人的被害が東北を中心に多発している。特に山から流れる川沿いを伝って市街地に現れる例が近年の特徴で、一般市民は戦々恐々とする。クマの駆除が求められる中、動物愛護の観点から駆除に猛抗議が寄せられるなど対策の議論は過熱。クマ被害ではないのに、クマが犯人扱いされる事例も出た。野生動物の生態系に詳しい専門家と長年クマに向き合ってきた奥会津の「マタギ」に話を聞き、中庸を探った。 専門家とマタギに聞く根本解決策 ツキノワグマ  クマが人を襲う件数が過去最悪を記録している。全国の被害者数は2023年度は11月末時点の暫定値で212人。国が統計を取り始めて以降、最多を記録した20年度の158人を既に上回っている。秋田県70人、岩手県47人、福島県14人の順に多く、東北6県で全体の3分の2を占める。  本州に生息するのはツキノワグマだ。全長は1㍍10㌢~1㍍50㌢ほど。福島県では奥羽山脈が連なり標高の高い山間地が多い会津地方で人前への出没が多かった。ここ最近は会津若松市街地でも頻繁に目撃され、2年連続して鶴ヶ城公園に出没するなど、県内でも都市部に現れ人前に出ることを怖がらないアーバン・ベアが恒常化しつつある。  昨年11月1日に市街地の旭町で発生した事件は、人間のクマへの恐怖を象徴するものだった。  《1日朝、福島県会津若松市の市街地で頭などをけがした高齢の女性が倒れているのが見つかり、その後、搬送先の病院で死亡しました。  市と警察は、怪我の状況などからクマに襲われた可能性があるとみて住民に注意を呼びかけています。(中略)市と警察によりますと、女性の頭や顔には何かでひっかかれたような大きな傷があるということで、付近での目撃情報はないということですが、クマに襲われた可能性があるということです》(11月1日午前11時3分配信、NHKニュースWEB)  現場は住宅街で近くには小学校があり、安全性の観点から「犯人」をクマとみて注意喚起していた。だがのちに、人間が運転した車によるひき逃げと分かった。  発生から1日立った11月2日の福島民報は「ひき逃げか88歳死亡 熊襲撃?から一転 複数の傷や血痕」と報じた。《会津若松署が死亡ひき逃げ容疑事件を視野に捜査を進めている。同署は当初、女性の顔にある傷痕などから、熊に襲われた可能性もあるとみて捜査に入った。正午ごろにかけ、署員や市職員が周囲の現場を捜索したが熊の発見には至らなかった》(同紙より抜粋。原文では女性は実名)。  クマの被害に脅かされているのは会津だけではない。昨年は浜通りにはいないとされたツキノワグマがいわき市で相次いで目撃された。ただし海岸近くで目撃情報があったものは、のちに足跡や糞からクマとは疑わしいものもあった。  浜通りにはクマがいないと言われてきたが、単にこれまで人前に現れなかっただけかもしれない。浜通りで目撃情報が出た要因を福島大学食農学類の望月翔太准教授(野生動物管理学)は次のように考察する。  「阿武隈高地にはエサとなるドングリがあるのでクマはいます。10年ほど前から10件に満たない数で毎年目撃情報はありました。クマの人的被害が注目されているので通報する人が増えたのではないでしょうか。駆除が減り個体数が増えている可能性もあります」  望月准教授によると、クマが人里に現れる原因は森のエサがクマに対して十分かどうかと関係する。ある年にはエサとなるブナやナラの実が多く実って栄養を付け、冬眠中にクマが多く生まれる。次のシーズンに個体数が増えれば、その分エサは少なくなり、エサを確保できないクマは新たなエサを求めて森を出ることになる。これが人里に現れる一因になる。特に1歳半ごろから母グマを離れ、単独で動くようになると好奇心旺盛という。  また、ブナやナラが凶作だと、そのシーズンはエサを求めてクマが徘徊するようになる。 野生イノシシの豚熱と関連?  山あいの集落に現れるのは分かるが、離れた市街地に現れるのはどのような理由からなのか。  「河川沿いに植えられた河畔林を伝ってきます。草木が整備されなければ身を隠す場所になる。川は線的で、山を下ればその先の平地にある人里にたどり着きます。追い立てられてきた道を引き返すのは難しい」  エサはどうするのか。  「福島市内に限って言えば、5、6月頃に河川沿いのウワミズザクラが実を付けて主食となる。7月にはミズキの実がなります。8、9、10月は農作物や実ったままの柿などです。川沿いは一見食べ物が少ないように思うが、野生動物にとっては年中食べ物があると言っていい」  エサの有無がクマの行動を決定することは分かったが、この点について望月准教授は興味深い話をする。  「私はなぜ秋田と岩手でここまで人的被害が多いのか、福島との違いを探っています。ここからはあくまで私の仮説ですが、福島県は豚熱の影響があったのではないかと。エサの競合相手であるイノシシの数が豚熱によって抑えられたことで、クマが山林にとどまることができたという見立てです」  ここからはあくまで仮説である。クマは木登りができ、高所のエサに利がある。イノシシは1度の出産に付き、4、5匹生まれ、クマよりも落ちた木の実を多く食べる。イノシシが増えるとクマがエサ争いに負け、人里に出るが、野生イノシシに豚熱が広まり増加が抑制されると、クマが森のエサにありつける。結果、イノシシに豚熱が流行っている地域ほどエサ争いに負けるクマは増えないので、市街地に姿を現さないのではないか。  本誌が調べた東北6県の野生イノシシの豚熱感染状況の計測数と陽性率は表1の通り。検査数を考慮する必要があるが、秋田、岩手は野生イノシシの豚熱陽性率が低い。イノシシの数は維持されているとみられ、表2のクマによる人的被害と比べると関連しているように見える。 表1:東北6県の野生イノシシの豚熱感染の累計 陽性(頭)検査頭数(頭)陽性率計測時点青森0470.00%2023/12/21岩手12514198.80%2023/12/21宮城220126217.40%2023/12/14秋田91864.80%2023/12/21山形158110214.30%2023/12/21福島10386012.00%2023/12/20出典:6県のホームページや聞き取り 表2:2023年度の東北6県のクマ人的被害 被害順位被害者数うち死亡者数全国の被害順位青森1105位岩手4722位宮城30秋田7001位山形50福島1403位(11月末時点暫定値) 出典:環境省  望月准教授が留保するように、まだ仮説の段階で検証が必要だが、森にはクマだけが生息しているわけではなく、森を出る要因に競合する野生動物やエサとなる植物との関連が無視できないのは確かだろう。 「見えないけどいる」と恐れ合う関係 クマと対峙した経験を話す猪俣さん=2022年11月撮影  クマ被害への関心が高まり、目撃情報の通報件数も増えているが、果たしてどれくらいの人がクマの怖さを知っているのか。金山町で「マタギ」として小さいころからクマと対峙していた猪俣昭夫さん(73)に畏敬すべきクマの生態を聞いた。  「簡単に『共生』と言いますが、クマと一緒にお茶飲みをするわけではありません。めんこいから保護するというのは勘違いです。かと言って、人への被害が増えたからと手当たり次第駆除してしまっては森の生態系を乱す。互いに『見えないけどいる』と意識しながら恐れ合う関係を維持しなければいけません」  クマは人間の想像を超えることを軽々しくやる。15年ほど前の秋、猪俣さんが金山町の山でキノコ採りをしていた時のこと。山を分け入って進むと滝が流れる崖の下に出て、5㍍ほど先にクマが滝つぼで水遊びに興じているのを見た。10㍍ほどの崖の上には下を伺う、体長のより大きなクマが行ったり来たりしていた。  「クマの母子だ。失敗した」  母熊が猪俣さんに気付いた。滝つぼに落下し着水。母熊がこちらに向かってくる前に、猪俣さんは後ずさりして難を逃れた。「母熊の度胸に度肝を抜かれた」。  身体能力は想像を絶する。滝つぼダイブを見た以前には沢でクマに遭遇した。先手を打って「コラッ!」と怒鳴ると、高さ200㍍ばかりの見通しの良い尾根筋を駆け上がっていった。手元の時計で測ると約5分要した。自分がキノコ採りをしながら尾根を上ると1時間半かかる。速さと持久力に愕然とした。  過去には本誌2022年12月号で取材に応じてくれた猪俣さんだったが、同月に脳梗塞で入院し、現在は会津若松市内の老人介護施設でリハビリに取り組んでいるという。経過は順調で、今春には復帰できそうだ。  猟師やマタギは山に足繁く入り獲物を取ることで、野生動物に人間の存在を知らしめ、人里に寄せ付けない役割がある。猪俣さんは会津地方でのクマの人的被害を聞き、大事な時に身体が動かない状況に悔しさを感じている。入院している病院の駐車場にクマが出没したこともあり、窓越しに気配を感じていたという。  70代前半で、山に鉄砲を持ち入る負担は大きい。それでも後進を連れて分け入るのは森の生態系を守るマタギの全てを伝えるためだ。現在、金山町で20代が1人、いわき市から40代5人が猪俣さんのもとに通い教えを乞うている。猪俣さんは大病をしたことで、マタギ文化を継承する思いを強めたという。  前出の望月准教授は今後の獣害対策をこう話す。  「熟練した狩猟者に育つまでには長い時間が必要です。短期の対策では駆除が必須ですが、県、市町村、地域住民が連携し、中長期的な対策に取り組む必要があります。具体的には人里からクマのエサとなる物を取り除く。放置された柿の木の伐採などが挙げられます。うっそうとした里山は間伐を進め、日が差すようにする。クマは本来臆病で、見通しの良い空間が苦手だからです。さらに人里、緩衝地帯、クマなど野生動物が棲む場所とゾーニングを3区分し、人里にだけは入れないようにします。電気柵を効果的に設ける必要があります」  クマと適切な距離を保つという根本解決策は、専門家とマタギで一致している。庭先の柿の木やごみの処理、空き家の管理など地域住民にもできることはたくさんある。

  • 薬剤師法違反を誤解された【南相馬市】の薬局

     昨年11月、本誌に「南相馬市にあるA薬局は薬剤師が1人だが、他の従業員は資格がないにもかかわらず調剤や接客をしている。これは薬剤師法違反に当たる」と情報提供があった。A薬局は実名だったがここでは伏せる。  本誌は昨年5月号から同市を拠点に暗躍する青森県出身のブローカー吉田豊氏の動きを注意喚起のため報じている。吉田氏は市内のクリニックや薬局を実質経営し、一時はその薬局の2階に住んでいたため、A薬局と関連があるのではと思い調べたが、吉田氏が同市に狙いを付ける前に開業しているため、関係はなさそうだ。  薬剤師法では、医師が処方した薬を調合する調剤業務は原則薬剤師しかできない。医師も調剤できるが、業務が肥大化し、受け取る診療報酬の点数が少なくなる=診療報酬が安くなるため、薬局が近くにない診療所以外ではまずやらない。院外薬局で調剤するインセンティブが高まり、処方箋を目当てに病院の前に薬局が連なる「門前薬局」が主流となった理由だ。 薬剤師法違反との通報が寄せられた相双保健所  調剤が薬剤師の専権事項と化す中で、専門性がより求められているが、薬局の看板を掲げながら無資格者が調剤を行っているとすれば由々しき事態だ。薬の渡し間違いにつながるし、専門性を自ら明け渡してしまったら、高い学費を払って薬学部で6年間学ぶ意味を問われ、資格のための資格と軽視されてしまうだろう。  相双保健福祉事務所(相双保健所)生活環境部医事薬事課に尋ねると、A薬局で薬剤師法違反疑いの公益通報があったことを認めた。2018~19年度にかけて県庁に通報があり、相双保健所がA薬局に抜き打ちで調査したが、薬剤師以外の従業員が調剤している証拠を見つけられなかった。20~21年度は、6年ごとの薬局営業許可更新の調査の際に店舗を視察したが、この時も違反の事実を確認できなかったため保留しているという。「仮に違反事実があれば指導して改善を促す」とのこと。  名指しで「薬剤師法違反」と通報されたA薬局はどのような見解か。12月下旬の昼下がりに訪ねると、管理薬剤師が対応した。  「誤解です。薬剤師以外が調剤することはありません。服薬指導も必ず薬剤師が行い、原則私が手渡しています。ただファクスで送られた処方箋は、患者さんに電話で説明し、あとで店に取りに来てもらい、従業員が渡すことがあるので、そこを勘違いされたのかもしれません」  県内のある薬局経営者が調剤業務の規制緩和を解説する。  「2019年4月2日に厚生労働省が、今まで薬剤師が独占してきた業務の一部を条件付きで非薬剤師も可能とする文書を通知しました。『0402通知』と言います」  具体的には、包装されたままの医薬品を棚から取り出して揃える「ピッキング」、服用タイミングが同じ薬を1回ずつパックする「一包化」した薬剤の数量確認などができるようになった。ただし、薬剤師による最終監査が必要となる。  A薬局の管理薬剤師は「最終監査も私がやっています」。  規制緩和で薬剤師とそれ以外の業務が一部曖昧となったことが、今回の通報の一因のようだ。  ちなみに、通報者に「なぜ本誌に情報提供したのか」と聞くと「吉田豊氏を報じたからです」。医療・福祉業界を取り巻く「吉田豊問題」をきっかけに、住民の医療への関心が高まる効果も生まれた。

  • 泥沼化する大熊町議と住民のトラブル

     本誌昨年5月号に「裁判に発展した大熊町議と住民のトラブル」という記事を掲載した。問題の経過はこうだ。  ○2019年に、大熊町から茨城県に避難しているAさんが、佐藤照彦議員と、避難指示解除後の帰還についての問答の中で、「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を浴びせられた。  ○Aさんは「県外に避難している町民を蔑ろにしていることが浮き彫りになった排他的発言で許しがたい」として議会に懲罰要求した。  ○議会は佐藤議員に聞き取りなどを行い、Aさんに「議会活動内のことではないため、議会として懲罰等にはかけられない。本人には自分の発言には責任を持って対応するように、と注意を促した」と回答した。  ○佐藤議員は、当時の本誌取材に「(Aさんに対して)『あなたは、県外に住宅をお求めになったのかどうかは知りませんが、あなたとは帰る・帰らないの議論は差し控えたい』ということを伝えた。(Aさんは)『県外避難者に対する侮辱だ』と言っているが、私は議員に立候補した際、『町外避難者の支援の充実』を公約に掲げており、そんなこと(県外避難者を侮辱するようなこと)はあり得ない」とコメントした。  ○その後、Aさんが佐藤議員に謝罪を求めたところ、2020年5月14日付で、佐藤議員の代理人弁護士からAさんに文書が届き、最終的には佐藤議員がAさんに対し「面談強要禁止」を求める訴訟を起こした。  ○同訴訟の判決は2022年10月4日にあり、「面談強要禁止」を認める判決を下した。Aさんは一審判決を不服として控訴した。控訴審判決は、昨年3月14日に言い渡され、一審判決を支持し、Aさんの請求を棄却した。  以上が大まかな経過である。  こうして、思わぬ方向に動いたこの問題だが、実は、今度はAさんが佐藤議員を相手取り、裁判(昨年5月12日付、福島地裁いわき支部)を起こしたことが分かった。  請求の趣旨は、「佐藤議員は、大熊町議会・委員会で、『Aさんが虚偽を述べている』旨の答弁をしたほか、虚偽の内容証明書、裁判陳述等によって名誉毀損、畏怖・威迫・プライバシー侵害等の人格権侵害を受けた」として、160万円の損害賠償を求めるもの。  要は、Aさんが佐藤議員から、「あんたら、県外にいる人間に言われる筋合いはない」との暴言を吐かれ、議会に懲罰要求した際、佐藤議員は議会・委員会などで「(Aさんは)私に嫌がらせをするため、排他的発言をしたとして事実を歪曲している」旨の発言をしたほか、「弁護士を介して、民事・刑事の提訴予告等の畏怖・威迫行為を記載する内容証明書を送付した」として、損害賠償を求めたのである。  泥沼化するこの問題がどんな結末を迎えるのかは分からないが、本誌昨年5月号で指摘したように、背景には「宙ぶらりんな避難住民の在り方」が関係している。原発事故の避難指示区域の住民は強制的に域外への避難を余儀なくされた。原発賠償の事務的な問題などもあって、「住民票がある自治体」と「実際に住んでいる自治体」が異なる事態になった。わずかな期間ならまだしも、10年以上もそうした状況が続いているのだ。本来なら、原発避難区域の特殊事情を鑑みた特別立法等の措置を講じる必要があったのに、それをしなかった。その結果、今回のようなトラブルを生み出していると言っても過言ではない。 あわせて読みたい 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル

  • 【会津坂下中学校】いじめ訴訟が和解

     会津坂下町の中学校で、2014年に当時1年の男子生徒が学校でいじめにあった問題で、男子生徒の両親は2021年8月、町を相手取り計330万円の損害賠償を求める訴訟を地裁会津若松支部に起こしていた。同訴訟は11月17日に和解が成立した。 町が不適切対応を認めて謝罪 会津坂下町役場  本誌はこの問題について2019年4月号をはじめ、随時経過を報じてきた。この間の経緯を振り返っておく。  ○2014年5月、当時、坂下中学校の1年生だった男子生徒の筆箱がなくなり、後にトイレの掃除用具入れから見つかった。これを受け、学校は犯人探しを行ったが、犯人が見つからなかった(名乗り出なかった)ことから、「トイレ以外は表に出るな」といった罰則(禁足)を科した。これにより、学校内の空気が悪くなり、その鬱憤は次第に男子生徒に向くようになった。  ○こうした問題を機に、男子生徒は同年6月ごろから学校に行けなくなった。  ○2016年12月、男子生徒が3年生の時に、父親が学校に「いじめ防止対策推進法」に基づく調査を依頼。町教育委員会は「会津坂下町いじめ問題専門委員会」を設置し、同委員会に諮問した。2017年3月には、町教委が生徒や保護者を対象にアンケート調査を実施した。専門委は同年7月に調査報告(答申)をまとめた。なお、同年7月は、男子生徒が中学校を卒業した後のこと。  ○調査委は、「学校の雰囲気を考慮するといじめがあった可能性が高く、それが不登校の原因の一部になっていると考えられる」、「不登校の最も大きな原因は、禁足による対応後の学校の雰囲気であると考えられる」としながらも、「不登校といじめの関連について明確に指摘できることは得られなかった」と結論付けた。  ○この調査結果を受け、父親は町に再調査を依頼したほか、2018年7月に町教委が生徒や保護者を対象に実施したアンケート調査の開示請求を行った。ところが、請求の返答は「開示できない」というものだった。  ○これを受け、父親は、同年8月に不服申し立てを行ったが、そこでも開示が認められなかった。  ○男子生徒はフリースクールを経て通信制高校に通っていたが、2019年1月に自殺した。  ○父親は同年3月までに「被害者として、真相を知る権利を奪われ、精神的苦痛を受けた」として、町を相手取り、アンケート結果の開示と100万円の損害賠償を求めて裁判を起こした。  ○同裁判は2020年12月1日に判決が言い渡され、アンケート結果の一部開示と、11万円の損害賠償の支払いを認めた。  ○その後、判決に従い、町から父親にアンケート結果が開示された。父親はそれを熟読したうえで、「いじめ防止対策推進法」、「会津坂下町いじめ防止基本方針」、「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」で定められている調査が十分に行われておらず、調査の方法に問題があると考え、2021年2月22日、町議会に再調査を求める陳情を行った。  ○町議会は同年6月定例会で採決を行ったが、反対多数で陳情は不採択となった。  ○同年8月、男子生徒の両親が町を相手取り、計330万円の損害賠償を求める訴訟を地裁会津若松支部に起こした。 和解条項の中身 坂下中学校  以上がこれまで本誌が報じてきた経緯だが、冒頭で書いたように同訴訟は11月17日に和解成立した。  それに先立ち、町は11月9日に臨時議会を開き、議会に和解への同意を求めた。和解案はおおむね以下のようなもの。  ①町は、禁足措置が学校教育上、不適切なものであったことを認め、それによりいじめが誘発され、男子生徒が学校に通えなくなったことを両親に謝罪する。  ②今後、学校において禁足措置を取らないことを約束する。  ③町は今後、いじめが理由で登校できなくなった生徒がいた場合、必要な支援を行うとともに、いじめ防止対策推進法、いじめの防止等のための基本的な方針(文部科学省方針)に則り、いじめ防止対策に取り組むことを約束する。  ④町は和解案を周知する。  ⑤和解によって解決したことを尊重し、互いに名誉、信用を毀損する行為や、相手方を不安、困惑させるような言動をしない。  町はこの和解案を受け入れる方針であることを議会に諮ったところ、全会一致で可決された。なお、和解金(損害賠償)の支払いは発生しない。  臨時議会後、鈴木茂雄教育長は本誌取材に対して、「生徒指導のあり方は時代とともに変わってきています。今回の件は配慮が足りなかったものであり、反省していかなければならない、ということです」とコメントした。  謝罪の形式は、「町のホームページに謝罪文を掲載する」とのことで、和解が成立した日に、「元坂下中学校生徒いじめ訴訟に係る損害賠償請求事件の和解について」という新着情報がアップロードされた。そこには和解が成立したことと、「今後は、和解条項を踏まえしっかりといじめ対策に取り組んでまいります」との文言があったが、11月22日時点で「謝罪文」は掲載されていない。  一方、生徒の父親は次のように話した。  「調査委の報告書では、『不登校の最も大きな原因は、禁足による対応後の学校の雰囲気であると考えられる』としながら、『不登校といじめの関連について明確に指摘できることは得られなかった』というあいまいなものでした。それが今回、『禁則がいじめを加速させた』ということを認め、謝罪することになりました。それは評価できるが、今後、町がこの反省を生かして、どう対応していくか、ということが重要です。もう1つは、これまで町側は対応に問題はなかったというスタンスだったのが、今回、対応に問題があったことを認めて謝罪することになったわけですから、それについての説明責任があると思います」  和解が成立したことで、この問題は一応の決着を見たわけだが、父親が言うように、今回の反省を生かして、今後二度とこのようなことが起こらないように対応していくことこそが最も重要になろう。

  • 【生島淳】大学駅伝で福島出身者が活躍する理由

     大学の陸上長距離界で福島県出身の指導者・選手の活躍が目立つ。その理由はどんな点にあるのか。スポーツジャーナリストの生島淳氏にリポートしてもらった。(文中一部敬称略) 「陸上王国ふくしま」が目指すべき未来 駒大の大八木弘明総監督(右)と藤田敦史監督(撮影:水上竣介、写真提供:駒澤大学)  大学駅伝シーズンの開幕戦、10月9日に行われた出雲駅伝では駒澤大学が連覇を達成した。これで去年の出雲、全日本、今年に入って箱根、そして今回の出雲と大学駅伝4連勝。「駒澤一強」の状態が続いている。このままの勢いが続けば、お正月の箱根駅伝でも優勝候補の最右翼となるだろう。  今年の出雲で、胴上げされた福島県人がふたりいた。ひとりは駒大の大八木弘明総監督(河沼郡河東町/現・会津若松市河東町出身)、そして最後に胴上げされたのは今年就任したばかりの藤田敦史監督(西白河郡東村/現・白河市出身)である。  大学長距離界で福島県出身者の存在感は高まり続けている。大八木総監督は還暦を過ぎてなお指導者として進化し、今年の箱根駅伝のあと、大学の監督を教え子でもある藤田氏に譲り、自らは総監督へ。  単なる名誉職ではなく、青森県出身で今年3月に駒大を卒業し、2年連続で世界陸上の代表に選ばれた田澤廉(トヨタ自動車)は練習拠点を駒大に残し、総監督の指導を受けている。大八木総監督は今後の指導プランをこう話す。  「田澤は2024年のパリ・オリンピックではトラックでの出場を目指しています。そのあとは25年に東京で世界陸上がありますし、28年のロサンゼルス・オリンピックではマラソンを狙っていきます」  大八木総監督は1958年、昭和33年生まれ。ちょうど70歳の年にロサンゼルス・オリンピックを迎えることになる。総監督は40代の時に駒大の黄金期を作ったが、ひょっとしたら60代から70代にかけて指導者として最良の時を迎えるかもしれない。  駒大の指導を引き継いだ藤田監督にも期待がかかる。三大駅伝初采配となった今年の出雲では1区から首位に立ち、それ以降は後続に影をも踏ませぬレース運びで、一度も首位を譲ることはなかった。しかも6区間中3区間で区間賞。監督が交代してもなお、駒大の強さが際立つ結果となった。  ただし、この強さを支えるための苦労は大きいと大八木総監督は話す。  「大学長距離界では、選手の勧誘は大きな意味を持ってます。田澤がウチに来てくれたからこそ、今の強さがあると思ってますから。それでも基本的には東京六大学の学校には知名度では負けますし、勧誘での苦労はあります。でも、私は自ら望んで駒大に入って来てくれる選手を求めてます。そういう選手は必ず伸びますから」 学石から東洋大監督に 東洋大の酒井俊幸監督(写真提供:東洋大学)  そして2010年代、駒大と激しい優勝争いを繰り広げたのが東洋大学だった。東洋大の酒井俊幸監督(石川郡石川町出身)は、学法石川高校卒業。東洋大から実業団に進み、選手を引退したあとに母校・学法石川の教員となって、高校生の指導にあたった。人生の転機となったのは2009年のことで、空席となっていた東洋大の監督に就任し、それから箱根駅伝優勝3回を飾っている。  特に「山の神」と呼ばれた柏原竜二(いわき市出身/いわき総合高卒)とは、柏原が大学2年の時から指導にあたっており、東洋大の黄金期を築いた。それ以降、東洋大からは東京オリンピックのマラソン代表の服部勇馬、1万㍍代表に相澤晃(須賀川市出身/学法石川高卒)を送り出すなど、日本の長距離界を代表する選手たちを育てている。また、長距離だけでなく、競歩では瑞穂夫人と共に選手の指導にあたり、オリンピック、世界陸上へと選手を輩出し続けている。  大八木総監督、酒井監督と、福島県出身の指導者が日本の陸上長距離界の屋台骨を支えていると言っても過言ではない。  それでも、酒井監督には大学の監督就任時には葛藤があったという。  「高校の生徒たちに、なんと話せばいいのか悩みました。高校生にとってみれば、私が生徒たちを見捨てて東洋大に行ってしまうわけですから。正直に話すしかありませんでしたが、最後は生徒たちから『先生、頑張ってください』と背中を後押ししてもらいました」  当時の酒井監督は33歳。当時の学生は「大学の監督というより、若いお兄さんが来たみたいな感じでした」と振り返るほど若かった。覚悟をもった監督就任だったのだ。  以前、タモリが彼の出身地である九州・福岡と東北の比較をしていた。  「九州の人たちは、東京に出ていく人たちを『失敗したら、いつでももどって来んしゃい』という感じで送り出すんだよ。でも、東北の人たちは違うね。出る方も、見送る方も『成功するまでは帰れねえ』という決死の思いで東京に出ていくし、送り出す。ぜんぜん違うんだよ」  この言葉は、宮城県気仙沼市出身の私にはよく分かる。とにかく、故郷を離れたら、もう帰ってくることはないという覚悟をもって上京する。だからこそ、地元を離れるのは重たい。  きっと、酒井監督も学法石川の教え子たちを残して東洋大の監督を引き受けることには、相当の覚悟が必要だったと思う。それが理解できるだけに、どうしても酒井監督には思い入れが湧いてしまう。  今年の出雲駅伝では、経験の浅い選手たちをメンバーに入れながら、8位に入った。優勝した駒澤からは水を開けられてしまったが、「常に優勝を狙える位置でレースを進めたいですね。それが学生たちの経験値を高め、自信にもつながっていくので」と酒井監督は話す。ぜひとも、箱根駅伝では「その1秒を削りだせ」というチームのスローガンそのままに、粘りの走りを見せて欲しいところだ。  このほかにも、早稲田大学の相楽豊前監督(安積高校卒)には幾度も取材をさせてもらった。相楽前監督は「福島県人には、粘り強い気質があると思います。その意味では長距離には向いているのかもしれません」と話していたのが印象深い。そういえば、大八木総監督もこんなことを話していた。  「私は会津の生まれですから……反骨精神もありますし、ねちっこくやるのが性に合ってるんです」 陸上を福島県の象徴的なスポーツに  これだけ指導者、そして選手に人材を輩出してきた背景には、やはり35回を迎えた「ふくしま駅伝」の存在が大きいと思う。市町村の対抗意識が才能の発掘につながっている。  たとえば柏原の場合、中学時代はソフトボール部に所属していたが、ふくしま駅伝を走ったことで長距離の適性に気づき、高校からは本格的に陸上競技を始めた。そして高校3年生の時には、都道府県対抗男子駅伝の1区で区間賞を獲得した。ふくしま駅伝というインフラが、「山の神」の生みの親といえる。  全県駅伝は全国各地で行われるようになったが、福島県には歴史があり、各自治体の熱意も、他の県とはレベルが違う。それは福島県人が誇っていいことだと思う。  どうだろう、これだけ陸上長距離に人材を輩出し、歴史ある大会が県民の共有財産になっているのだから、思い切って「陸上県・福島」という方向性を打ち出していくのは。私はそうした明確な方針が福島県のスポーツを土台にした「プライド」の醸成につながるのではないかと思っている。  今、私の故郷である宮城県は「野球の県」になりつつある。プロ野球の楽天が本拠地を置き、高校野球では仙台育英が夏の甲子園で優勝し、野球が県民の共有財産になっている。  こうした象徴的なスポーツがあることで、男女を問わずに子どもたちがスポーツに参加する機会が増える。それは家族、コミュニティーへと広がっていく力がある。  日本の特徴として、スポーツの選択肢が広いことが挙げられる。私の取材経験では中国、韓国では学校レベルでの部活動がない。すでに高校の段階からエリートだけのものになってしまうのだ。それに対し、日本は草の根からの活動が特徴だ。スポーツは自由意志で行われるべきものであり、その方が正しい。しかし、才能が分散するリスクがある。  今後、日本の少子化のスピードは止められそうにもない。私の生まれ故郷、宮城県気仙沼市の新生児の出生数は、ついに300人を切り、このままだと200人を割ってしまいそうだ。人口6万人規模の都市では、日本全国で同じような数字になると聞いた。私は昭和42年、1967年生まれだが、私が通った気仙沼高校は男子校一校だけで一学年360人がいた。雲泥の差である。  少子化が進めば、スポーツ人口もそれに比例して減っていく。高校野球では合同チームも珍しくなくなった。野球部が消えてしまった学校もある。  私は「県の象徴的なスポーツ」がひとつでもあることが、県を元気にすると思っている。もちろん、野球でもいい。いまだにグラウンドをはじめ、インフラが整っているから競技を始めやすい環境にある。  福島には陸上の財産がある。ふくしま駅伝、そして大八木総監督をはじめとした豪華な指導者たち。そして、1964年の東京オリンピックのマラソン銅メダリスト、円谷幸吉をはじめ、相澤晃にいたるまで日本を代表するランナーが育ってきた。コロナ禍を経て、須賀川市では「円谷幸吉メモリアルマラソン」が行われているのも福島のレガシーを伝える一助となっているだろう。  これだけのインフラがそろっているのだから、それを未来につなげなければもったいない。それは日本を代表するエリートを育てるというだけではなく、市民レベルでの活動にもつなげていけば、健康増進、そしてそれは医療費の抑制につながる可能性を秘めている。 次世代の動き  実際、そうした動きはある。学法石川高出身で、中央大学の主将を務めた田母神一喜は現在、郡山市でランニングイベントの企画運営、そしてジュニア陸上チームを運営する「合同会社ⅢF(スリーエフ)」の代表を務めつつ、自らも選手として走り続けている。  彼には「『陸上王国ふくしま』」を日本中に轟かせたい」という思いがあり、会社のホームページには「ふくしまってすごいんだぞと、胸を張って歩けるような居場所を作っていきます」と、福島への愛を前面に押し出したメッセージが記されている。  以前、彼に取材した時の話では、今後は部活動の外部指導など、教育現場との連携も模索していきたいという。部活動の外部委託化は国全体の動きである。どうだろう、福島がそのモデルになっていくというのもあり得るのではないか。  全国に先んじて官民が一体となって陸上の環境を整え、子どもたちの可能性を拡げていく。その発信者になっていけば自然と人が集まり、県民の新たなプライドも醸成されていくはずだ。それでも、こんな声が聞こえてくるかもしれない。  「陸上ばかり依怙贔屓するわけにはいかない」  他の競技団体にも歴史があり、言い分がある。それは理解できる。しかし、全体のバランスに配慮している限り、進歩、進化は遅くなる。  それを実感したのは、今年の9月から10月にかけてラグビーのワールドカップの取材でフランスに滞在したが、デジタル化の進歩に目を見張った。現金を使ったのは、40日間で数えるほどだけ。ほとんどが「クレジットカードは10ユーロ以上の場合のみ」と表示のあるお店ばかりだった。カード払いの場合、非接触型のカード読み取り機にかざすだけで良い。お店の人にカードを渡す必要もないし、暗証番号の入力も必要ない。「コロナ禍の間に一気に進んだ決済方法です」と話してくれたのは、フランスに向かう時の飛行機で隣り合った日本人ビジネスマン。  「いまだに現金決済が多いのは、日本とドイツです。おそらく、既存の仕組みがしっかりしているところほど、新しい変化に対応するのが遅くなる傾向があると思います」  なるほど。長い年月をかけて作り上げた仕組みが存在すると、その制度を守る力が働く。そうしていると、変化のスピードは遅くなる。今回のフランス滞在では、物価や賃金などの高さに驚きもした。その一方で、日本はコロナ禍の間に大きく取り残されてしまったとも感じた。  スポーツの世界も大きな変化に晒されている。既成の仕組み(育成や競技会の運営など)は、限界を迎えている。良質なものが生き残っていく時代だが、福島の陸上界には財産がある。そこで、保守的な方向に向かうことなく、攻めの姿勢で「福島モデル」を作り上げて欲しいのだ。  自由に、闊達に、そして強い選手が次々に生まれてくる仕組み。それは既存の体制を一度精査し、県民の幸福度がスポーツ、そして陸上によって上がるプランが生まれてきて欲しい。  若い世代の意欲と、経験を積んだ世代の知恵がうまく合体するといいのだが。福島出身の知恵者は、この原稿で紹介した通り、たくさんいるのだから。  いくしま・じゅん スポーツジャーナリスト。1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業後、博報堂に入社。勤務しながら執筆を始め、1999年に独立。ラグビーW杯、五輪ともに7度の取材経験を誇る一方、歌舞伎、講談では神田伯山など、伝統芸能の原稿も手掛ける。  最新刊に『箱根駅伝に魅せられて』(角川新書)。また、『一軍監督の仕事』(高津臣吾・著)、『決めて断つ』(黒田博樹・著)など、野球人の著書のインタビュー、構成を手掛ける。 X(旧ツイッター)アカウント @meganedo

  • 郡山【小原寺】お檀家・業者に敬遠される前住職

     小原寺と言えば、郡山市を代表する名刹だが、檀家や葬祭業者からの評判は芳しくない。原因はクセが強い前住職の存在だ。ただでさえ仏教離れの傾向が強まっている中、その存在が〝墓じまい〟を加速させている――という指摘すらある。いったいどんな人物なのか。 〝上から目線〟の運営で離檀者続出!?  大邦寺神竜院小原寺は郡山市図景にある曹洞宗の寺院だ。近くには郡山健康科学専門学校や郡山警察署がある。かつてはその名が示す通り、同市小原田にあった。  天文年間(1532年~)に廃絶した久徳寺を、永禄3(1560)年、二本松市・龍泉寺6世の実山存貞和尚が再興し、曹洞宗小原寺としたのがはじまりとされる。戦乱を経て延宝4(1676)年に再建。材料に阿武隈川の埋もれ木を掘り出したものが使われ「奥州・安積の埋もれ木寺」として、名所の一つに数えられた。天明3(1783)年、失火により全焼したが、寛政5(1793)年に古材を集めて仮本堂が建立された。  その仮本堂がつい10年前まで本堂として使用されていたが、震災で全壊判定を受け、2014年3月に解体撤去。約500㍍離れた現在の場所に、広大な駐車場を備えた近代的建築の本堂・庫裏を再建。同年8月に落慶法要が執り行われた。  安積三十三観音霊場第六番札所となっているほか、「巡拝郡山の御本尊様」の会が実施している御朱印企画では第一番札所となっている。  檀家は約1000軒あるとされるが、「現在は800軒ほどに減ったのではないか」と指摘する檀家もいる。いずれにしても、郡山市を代表する古刹であり、高い公共性を有する施設だ。  現在の住職は安倍元輝氏だが、市内で有名なのは、父親で東堂(曹洞宗における前住職の呼称)の安倍元雄氏だ。元高校教師で、郡山青年会議所理事長も務めていた。宗教法人小原寺の代表役員である元輝住職は心身のバランスを崩し一時期活動を控えていたとのことで、83歳の元雄氏がいまも同寺院を代表する存在として活動している。  ところが、その元雄氏に対する不満の声が各所でくすぶっている。  檀家の年配男性は「一番の原因はお布施の高さですよ」と説明する。  「葬儀のお布施が周辺の寺院と比べて高い。戒名が院号(寺への貢献者・信仰心の厚い信者に付けられる称号)の家で100万円超、軒号(院号よりランクが落ちる称号)の家でも70~80万円支払うことになる。親の葬儀で『大金を支払えないので戒名の位を下げてほしい』とお願いする人もいました」  代々檀家になっているという男性も「知り合いが、仲の良い墓石業者に相談して安く墓を立てる算段をしていたが、元雄氏に一応伝えると特定の業者を使うよう指定された。あれやこれやと条件を付けられ、結局200万円以上の金額に跳ね上がって泣いていましたよ」と語る。  檀家の中には、親が亡くなったのを機に〝墓じまい〟して、市営東山霊園に墓を移す人もいる。近年は仏教離れが進んでいることもあって、その傾向が強まっているが、同寺院ではその際も30~40万円の〝離檀料〟を支払うよう求めているという。  曹洞宗宗務庁はホームページ上で「宗門公式としての離檀料に関する取り決めはないし、指導も行っていない」とする見解を表明しているが、同寺院では「離檀を申し込むと、金額を提示される。半ば支払いを強制されているような感じ」(前出・檀家の年配男性)だとか。  小原田地区の住民によると、過去には元雄氏の独断が過ぎるとして、紛糾したこともあった。  「震災で本堂が全壊判定を受け、現在の場所に新築移転することになったが、檀家が計画の全容を知ったのは、どんな本堂にするか設計や見積もりが終わり、銀行と建築費用の融資計画まで打ち合わせした後だった。そのため、説明を受けた檀家から『これを負担するのはわれわれだ。なぜ事前に相談がないのか』と物言いが入ったのです。そのため、当初の計画は一旦見直されることになりました」  複数の檀家によると、新築された本堂・庫裏は当初、左翼側に葬儀・法事などを執り行える葬祭会館が併設される計画で、檀家には「総事業費数億円に上る」と説明していた。だが、葬祭会館建設は見直されることになり、左右非対称の造りとなった。このほか、正確な時期は不明だが、総代が元雄氏と対立し全員退任したこともあったという。  檀家に十分な説明が行われない状況は現在も続いているようで、小原寺の墓地の近くに住む檀家の男性は「現在の総代が誰なのかも知らないし、総代会が開かれているのかも報告されていないので分からない。法要のときは足を運ぶし、『寄付してくれ』と頼まれたら協力しますが、それ以上のコミュニケーションはありません」と語った。  不満の声は檀家のみでなく葬祭業者からも聞かれる。原因は「『うちの檀家の葬儀は白い花でそろえないとダメだ』などと細かい注文が入るうえ、とにかく話が長くて予定がめちゃくちゃになる」(ある葬祭業関係者)。葬儀終了後に元雄氏が数十分かけて〝ダメ出し〟する姿もたびたび目撃されており、ある業者とは深刻なトラブルに発展したようだ。複数の業者の現場担当者に声をかけたが、元雄氏がどんな人物か把握していたので、業界内ではおなじみの存在なのだろう。  元雄氏のクセの強さは経済界でも有名なようで、「郡山青年会議所OBの会合で簡単なあいさつを依頼されたのに30分以上話し続け、3人がかりで止めに入ったが、それでもまだ話し続けた」(市内の経済人)ことは〝伝説〟となっている。 元雄氏を直撃 安倍元雄氏  これだけ不満の声が出ていることを本人はどう受け止めているのか。同寺院に取材を申し込んだところ、元雄氏が対応し「葬儀続きで話すのは難しい」と渋られたが、10分程度でも構わないと伝え、何とか直接会う約束を取り付けた。  11月下旬、同寺院を訪ねると、元雄氏が杖をつきながら登場し、本堂を案内した後、御本尊である釈迦三尊像の説明や釈迦(ブッダ)が生まれたころの背景を20分にわたり話し続けた。「この後予定がある」と言いながら話し続けそうな雰囲気だったので、途中で遮って本題に入った。  ――本堂の新築移転をめぐり、檀家から不満の声が上がったと聞いた。  「本堂新築移転は震災で旧本堂が全壊となり、総代会で満場一致で決められたものです。檀家がお参りできる場所を作るのが私の務め。近代的な建物にした理由は、皆さんに親しまれるように、いまの時代に合った本堂を立てるべきだと考えたからです。具体的な建設費用は伏せますが、総代をはじめ、檀家の皆さんに『先祖の供養の場を作ってほしい』と寄付していただいた。私も個人で3000万円借りて寄付しました」  ――檀家は「総代長が誰かも分からないし、総代会がいつ開かれたのかも報告がないから分からない」と嘆いていた。コミュニケーションが不足しているのではないか。  「総代は住職などを含め5人います(※宗教法人の役員のことだと思われる)。総代会はその都度開かれているが、そのことはほかの檀家には連絡はしていませんね」  ――お布施の金額や、離檀料についても不満の声が聞かれた。  「お布施はできるだけ安くすることを心がけているし、納めるべき金額は檀家にはっきり公表している。不満の声がウワサとなって広まっている背景には、他の寺の住職のねたみも含まれているのではないか。住職に知識や考えがなければ長く喋りたくても喋られない。でも、俺が喋ると内容は豊富だし、間違ったことは言ってないので『ごもっとも』となる。離檀料は長い間お世話になった気持ちを込めて菩提寺に寄付したいという方もいるので設定しているが、決して強制ではない」  ――葬祭業者にも敬遠されている。注文・ダメ出しの多さと話の長さが原因のようだが、心当たりは。  「小原寺の葬儀のやり方というのが明確に決まっている。どうすればスムーズに進行できるか、担当者に教えることがあります。でも、『指摘してくれてありがとう』と言われることもあるし、そんなにトラブルみたいなことにはなってないよ」  ――こうした不満が出たことをどう受け止めるか。  「まあ、『出る杭は打たれる』ということなんでしょう」 取材には真摯に対応してもらったものの、本堂新築移転をはじめ、檀家や葬祭業者から上がっている不満の声を素直に受け止めず、「他の寺の住職のねたみが背景にあるのではないか」、「出る杭は打たれるということ」と話す始末。コミュニケーション不足を指摘してもピンと来ていない様子で、再度質しても明確な回答はなかった。これでは檀家・葬祭業者との溝を埋めるのは難しい。  本堂新築移転にいくらかかったのか、明確な金額は明かそうとしなかったが、今年11月時点での寄付一覧を見せてくれた。本堂の建設を手掛けた業者や県内の寺院が寄付していたが、寄付金額を合計しても1億円にも満たない。残りは宗教法人として銀行融資を返済しているという。つまり、最終的には檀家が負担することになる。  総代長を務める年配女性を訪ね、元雄氏について質問しようとしたが「私は全然そういうの分からないの」とドアを閉められた。現代表役員の元輝氏の存在感はなく、同寺院に取材を申し込んだ際も、こちらが特に指定していないのに元雄氏が対応した。厳密に言えば寺の本堂は宗教法人のものだが、元雄氏の判断ですべてが決まる体制ということだろう。 寺院経営のボーダーライン 小原寺  人口減少により経営が厳しくなっている寺院が増えているとされているが、そうした中で、1000軒以上の檀家を抱える同寺院はかなり余裕があると言える。寺院の事情について詳しい東洋大学国際学部の藤本典嗣教授は「寺院経営が成り立つボーダーラインは一般的に約300軒と言われている」と説明する。  「地方の寺院では収入が年間約900万円あれば、諸経費、維持管理費、宗費(本山に納める費用)など諸々を差し引いても、住職の所得として360万円程度確保でき、生活を維持できるとされています。主な収入は葬儀、法要、供養などで入るお布施。住職1人で運営できるラインは300軒程度とも言われているので、1軒当たり平均年3万円のお布施を支払ってもらえれば、専業で寺院経営が成り立つ計算です」  藤本教授によると、寺院によってお布施の金額は異なるが、公表されている論文や書籍などのデータを大雑把にまとめると、葬儀の相場は10万~100万円、法事の相場は3000~5万円とのこと。寺院、戒名によってその金額は異なるが、「福島市の福島大学に勤めていた頃の感覚では、中心市街地のお寺での葬儀のお布施は20~50万円でした」(藤本教授)。小原寺の金額が高めであることが分かるだろう。  檀家数が300軒を下回ると、住職の業務は少なくなって負担は軽減されるが、収入も減るので別の仕事をする必要がある。かつて郡部の寺では、地元で働き続けられる公務員や教員、農協などの仕事を檀家から紹介され、兼業しながら寺院運営する住職が多かったという。SNS情報によると、現在は介護業界で働く人が多いようだ。  小原寺では元雄氏と元輝氏のほかにも僧侶の姿を見かけた。それだけ経営的に余裕があるということで、だからこそ檀家に強気な姿勢で臨めるのかもしれない。しかし、そうした環境にあぐらをかいていれば、離檀していく人も増えるのではないか。  「うちは代々檀家になっているので付き合い続けているが、そうでない人は『住職との折り合いが悪いから』とためらいなく離檀していく。実際、周辺にそういう人がいました」(前出・檀家の年配男性)  本誌10月号で、喜多方市熱塩加納町の古刹・示現寺で〝墓じまい〟が相次いでいる背景を取材した。檀家らの声を聞いた結果、人口減少・少子高齢化の影響に加え、高圧的な態度の住職に対する不満も一因となっていた様子が分かった。ほかにも、会津美里町・会津薬師寺、伊達市霊山町・三乗院など、寺院をめぐるトラブルを取り上げている。本誌10月号記事では、これらのトラブルに共通するのは、①「一方的で説明不足」など住職に檀家が不信感を抱いている、②「本堂新築」、「平成の大修理」など寄付を要する大規模な事業を行おうとしている点と指摘した。  藤本教授は「寺院の大規模事業に関しては、かつては多額の寄付をできる人に依存し、一般の檀家の寄付額は少額という傾向にあったが、時代の流れにより全体で負担する方向に変わりつつあります。計画がしっかりしている寺院では、総代を中心に話し合い、マンションでいう〝修繕費〟を積み立てています。逆に言えば、そのような計画がしっかりしていない寺院は不満が一気に噴出しやすいのです」と解説する。  そのうえで「住職、総代、檀家のコミュニケーションがうまくいってない場合、トラブルが起こりがち。3者で定期的に話し合いの場を持ち、コミュニケーションを取っていれば問題は起こりにくいはずです」と話す。小原寺に関しても当てはまる指摘ではないか。 いかに寺が檀家に寄り添えるか 小原寺の本堂内  市内のある寺院関係者は元雄氏について次のように語る。  「以前は周りが年配者ばかりだったが、檀家も住職も年下が増えてきたこともあって、自己中心的な言動がとにかく目立つようになった。都市部だが、旧小原田村を象徴する寺なので、住職も檀家もそれぞれプライドを持っている。だから、不満が溜まるのでしょう。仏教離れ、少子高齢化が進み、物価高騰で家計も大変な中、何より大事なのはいかに寺(住職)が檀家に寄り添えるか。一方的に旧態依然とした考え方を押し付けるスタンスでは、今後も離檀する檀家は増える一方でしょう」  元雄氏自身は自覚がないようだが、檀家の話を聞く限りコミュニケーション不足は否めない。中には知識量や宗教者としての姿勢を認め、リスペクトを込めて話す人もいたが、だからと言って一方的な〝上から目線〟の寺院運営を続けていれば檀家は離れていく。  同寺院は前述の通り、公共性が高い古刹であり、宗教法人は周知の通り、その公益性の高さから境内や寺院建造物の固定資産税が免除され、お布施などの収入は非課税となっている。元雄氏はその寺院を代表する立場にいるのだから、周りから不満の声が出ていることを素直に受け止め、自身の対応を見直すべきだ。  元輝氏はこの間仏像彫刻の寺小屋イベントを実施しているという。さらに立派な本堂と広大な駐車場を活用した祭り・イベントを計画し、寺に足を運びやすい雰囲気を作ることから考えてみてはどうだろうか。

  • 10年足踏み【郡山旧豊田貯水池】の利活用

     郡山市の旧豊田貯水池跡地が利活用されないままの状態が長年続いている。この間、議会や民間からはさまざまな提言が行われているが、市は検討中と繰り返すばかり。郡山市政にとって、同跡地の利活用は残された重要課題になりつつある。 具体策は「次の市長」の政治課題に  旧豊田貯水池は郡山市役所から南東に0・7㌔、郡山総合体育館や商業施設(ザ・モール郡山)などに隣接する市街地にある。面積8万8000平方㍍。稼働時は水面積6万7000平方㍍、貯留水量12万立方㍍を誇ったが、現在は辺り一面に雑草が生い茂る。  旧豊田貯水池が完成したのは今から360年以上前の明暦2(1656)年。農業用ため池と水道用貯水池として長く機能し、明治45(1912)年には安積疏水の水を利用した豊田浄水場が建設されたが、給水100年を迎えて老朽化が進んでいたことから、市は同浄水場の機能を堀口浄水場に統合。豊田浄水場は平成25(2013)年に廃止された。  これを受け、当時の原正夫市長は旧豊田貯水池の水抜きを進めたが、同年4月の市長選で初当選した品川萬里氏は水抜きを停止。「水害対策や歴史的役割を踏まえた学習への活用を検討する」として市役所8部局からなる研究会を設置した。しかし、水抜き停止は市民や議会に意見を聞かずに行われただけでなく、貯水池内の水の流れが止まったことで水質が悪化。辺りには悪臭が漂うようになり、蚊や水草が大量発生した。  結局、水抜きは再開されたが、市はこの問題をめぐり定例会や委員会で議員から厳しい追及を受けた。以来、品川市長は同貯水池跡地の利活用に及び腰の感がある。  「品川市長は局地的な豪雨が増えていることを踏まえ、旧豊田貯水池に雨水を溜め、緩やかに流すことで下流域の負担軽減を図ろうと調整池としての利活用を考えた。その考え自体はよかったが、独断で水抜きを止めたことでつまずき、同貯水池内にある第5配水池を利用した暫定的な雨水貯留施設を整備した後は具体策を示してこなかった」(事情通)  議会では利活用に関してもさまざまな質問が行われ、議員からは室内50㍍プール、全天候型ドーム、水害対策機能を備えた都市公園などの整備を求める声や「福島大学農学部の移転先になり得るのではないか」といった提案が出された。しかし、市は「総合的に検討していく」との答弁を繰り返すばかりだった。  停滞する状況を動かそうと、2017年6月には議会内に設置された公有資産活用検討委員会からこんな提言が行われた。  《市役所や文化・スポーツ施設が集中する麓山・開成山地区においては、施設利用者の駐車場が不足しているという市民の意見が多いことから、旧豊田浄水場跡地の一部について、当面、安全性を確保のうえ、駐車場や自由広場等として暫定利用できるよう、必要最低限の整備に向け対応すること》  ある議員はこう話す。  「旧豊田貯水池跡地に隣接する郡山総合体育館は福島ファイヤーボンズ(バスケット)やデンソーエアリービーズ(女子バレーボール)がホームゲームを行っているが、駐車場が圧倒的に足りない。そこで議会としては、暫定的な使い方として一部に砂利を敷いて駐車場としつつ、具体的な利活用策を早急に示すべきと提言したのです」  同検討委員会が提言に当たり行ったアンケート調査で市民に旧豊田貯水池跡地の最終的な利用方法を尋ねたところ、「開成山・麓山地区における公共施設等の駐車場として整備」が32・2%、「新たな公共施設と駐車場を整備」が27・5%「浸水対策や水辺空間を生かした公園等として整備」が16・9%、「民間へ売却」が11・1%という結果になった。開成山・麓山地区は公園、体育館、図書館などの公共施設が集中しているが、駐車場が少なくて不便なため駐車場整備を求める声が多かった。  民間からも利活用に関する提言が行われた。郡山商工会議所内に設置された郡山の未来像を考える若手組織・グランドデザインプロジェクト会議が2018年11月に▽パークアンドライドを意識した地下駐車場、▽バス、モノレール、LRT(ライトレールトランジット)や2020年代に実用化を目指す空飛ぶクルマなどのターミナル、▽ライブ、シネマシアター、マルシェ等に利用できるイベント基地の整備を提案した。  こうした議会や民間による動きを受け、市は2019年度に副市長をトップとする旧豊田貯水池利活用検討推進本部や有識者懇談会を設置。同年度末には利活用方針案の中間とりまとめを発表し、緑を生かした①体験重視案、②保全重視案、③歴史重視案の3案が示された。しかし、翌年度に行われたパブリックコメントで市民から寄せられた意見は「3案とも検討するに値しない」と手厳しいものだった。  「市街地にはたくさんの公園があるのに、今さら緑を生かした場所が必要なのか、もっと有効な使い方があるのではないかと考える市民が多かったようです」(前出・事情通)  2021年6月には、議会内に設置された旧豊田貯水池利活用特別委員会での議論をもとに、議会から二度目の提言が行われた。  《具体的な整備にあたっては音楽都市、スポーツ、交流人口の拡大、防災・減災、リスクマネジメント、駐車場確保の観点を重視するとともに参考人(※市内15団体の役職者)からの意見に配慮し、市民が納得する活用方法となるよう検討していくこと。また、周辺地区との一体的利用の観点から、宝来屋郡山総合体育館と開成山公園を容易に移動できる動線の確保について検討すること。(中略)なお、具体的な利活用方針が決定するまでの間、旧豊田貯水池の暫定的な利活用を図ること》 定まらない方向性 一面雑草だらけの旧豊田貯水池跡地  その後、市では同年10月から翌22年5月にかけて市民との意見交換会を開催したが、そこで掲げられた利活用コンセプトは「全ての世代が安心・安全で元気に過ごせるみどりのまち SDGs体感未来都市」という非常に漠然としたものだった。  独断で水抜きを止めた反省から、さまざまな組織を立ち上げ、議会や民間、市民の意見に耳を傾けようとしている姿勢は評価できる。ただ、議論を深めれば深めるほど中身が抽象的になり、方向性が定まらなくなっている印象を受ける。  市の窓口である公有資産マネジメント課は「市民の中には旧豊田貯水池の存在すら知らない人がかなりいる。そこで市民に現地を見てもらい広く意見を募るため、現在、一般開放に向けた準備を進めている。いつまでにこうするという期限は定めていない」と話すが、浄水場廃止から10年経っても前進する気配が見られないのだから、状況が変わることはしばらくなさそう。  「この間の具体的な動きと言えば令和元年東日本台風の翌年、市民から議会に水害対策機能を意識した利活用を求める請願が出されたことくらい。品川市長の3期目は2025年4月まで。任期が残り1年半しかない中、自分が手掛ける可能性がない施策を打ち出すとは思えない。4期目も目指すなら話は別だが、現状では次の市長に持ち越しと考えるのが自然だ」(前出の議員)  そのまま水抜きを進め、最初から市民や議会と相談して事を進めていれば、状況は今とは違っていたかもしれない。

  • 二本松市3祭り同日開催の良し悪し【二本松の提灯祭り】【針道のあばれ山車】【小浜の紋付祭り】

     10月7〜9日の3連休にかけて、二本松市では「二本松の提灯祭り」(7〜9日)、「針道のあばれ山車」(諏訪神社例大祭、6〜8日)、「小浜の紋付祭り」(7、8日)が開催された。二本松の提灯祭りが2019年から日程変更となり、今回、初めて3つの祭りの日程が重なった格好だが、これは観光振興の観点から見た場合、あるいは実際に祭りに携わる関係者からすると、プラスだったのか、マイナスだったのか。 屋台店主は「稼ぐ機会が減った」と嘆き節  3つの祭りのうち、針道のあばれ山車(諏訪神社例大祭)と小浜の紋付祭りは、以前から国民の祝日である「スポーツの日」(旧体育の日)を含めた10月の3連休絡みで行われていた。  これに対し、二本松の提灯祭りは、かつては10月4〜6日の固定日程で開催されていた。だが、祭り参加者の負担軽減や観光面などから、日程変更が議論され、2019年から「10月の第1土曜日から3日間」に変わった。もっとも、2020年、2021年は新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い中止となっており、今回で日程変更後3回目の開催となる。  過去2回は、針道のあばれ山車、小浜の紋付祭りと日程は被らなかった。スポーツの日は10月第2月曜日で、2019年は14日、昨年は10日だった。すなわち、針道のあばれ山車と小浜の紋付祭りは、2019年は12〜14日、昨年は8〜10日の3連休絡みで行われた。二本松の提灯祭りは、2019年は5日が第1土曜日だったため、同日から3日間、昨年は1日が第1土曜日で同日から3日間の開催だった。  今年は7日が第1土曜日、9日がスポーツの日(第2月曜日)だったため、曜日の並びの関係で、初めて3つの祭りが同時期に行われたのである。  巻頭グラビアでも紹介したように、この期間、市内は「祭りムード」一色に染まった。一方で、3つの祭りが同時開催になったことは、観光振興の観点から見た場合、あるいは実際にお祭りに携わる関係者からすると、プラスだったのか、マイナスだったのか。  観光客の入り込みは、二本松の提灯祭りが約19万人だった。昨年は約21万人だったというから、約2万人減ったことになる。ただ、それは最終日(9日)が1日中雨天(しかも土砂降り)だったことが影響しているという。関係者によると「初日は昨年より多かったから、最終日の雨がなければ昨年を上回ったはず」とのこと。なお、昨年は屋台でのアルコール類の販売を禁止するなど、新型コロナウイルスに伴う規制があったが、今年はそういった規制はなかった。  針道のあばれ山車の入り込み数は約8000人。昨年は約5000人だったというから、約1・6倍に増えた。コロナ規制がなくなったことに加え、あばれ山車は日中(8日午後)、提灯祭りは夜が見どころのため、相乗効果が図られたのではないか、と関係者は見る。  なお、針道のあばれ山車は諏訪神社例大祭の一部で、「後祭り」という位置付け。「本祭り」はあばれ山車の前日(今回は7日)に行われたが、「観光客が多く訪れるのは本祭りではなく後祭り」(地元住民)とのこと。  小浜の紋付祭りの入り込み数は約1000人で、昨年は1500人だったというから3割減。ほかの2つに比べると認知度が低いこともあってか、見物客を食われた格好。関係者が紋付羽織袴の格好で練り歩く「本祭り」は8日で、あばれ山車と日程が重なる。もっとも、あばれ山車と紋付祭りが同日になるのは今年に限ったことではない。関係者は「何年かに1度はこうした日程(提灯祭りと同時開催)になりますから、今年の事例を参考に、どうしたら多くの人に来てもらえるか、考えていく必要があるだろう」という。  こうして見ると、観光振興の側面から、3つの祭り同時開催が良かったのか、悪かったのかは判断しにくい。特に、近年はコロナに伴う中止・規模縮小などがあったため、余計に難しい。なお、小浜の紋付祭りは2019年は令和元年東日本台風の影響で本祭りが開催できず、その翌年にはコロナに伴う中止もあった。 屋台の出店数に影響 屋台店主はどこに出店するか選択を迫られた(提灯祭りの屋台)  一方で、関係者からは「屋台を出す人たちは、同時開催で『稼ぐ機会が減った』と嘆いていました」との声が聞かれた。  市生活環境課によると、提灯祭りの屋台出店者は163店舗で昨年比3店舗増。前述したように、昨年は屋台でのアルコール類の販売禁止という規制があったが、今年はないため、もっと増えるのではとの見方もあったが、微増にとどまった。2019年は196店舗だったというから、30店舗以上減ったことになる。  「2020年から2021年にかけては、イベント関係がどこも自粛だった。そのため、全く仕事がない状況で、廃業してしまった業者も少なくない」(ある関係者)  ある店主は「例年は針道に行ってたけど、今年はこっちだけにした」と話した。  ちなみに、同日は福島市で稲荷神社例大祭や飯坂けんか祭りが行われており、「昨年、提灯祭りに出していた屋台店主が、今回は稲荷神社例大祭に出店していた」との声も聞かれた。二本松市内だけでなく、近隣でも祭りが行われる中で、どこに屋台を出すかを「選択」していることがうかがえる。  針道のあばれ山車は、東和支所地域振興課によると、屋台の申請件数で6件、昨年は7件だったという。ただ、1業者で複数の屋台を出したところもあるため、実数は異なるようだ。正確な数字は確認できなかったが、「昨年は十数店舗、今年はその半分くらいではないか」(関係者)とのこと。  この関係者によると、「針道は7日が本祭り、8日があばれ山車だが、本祭りはあまり人が来ないんだよね。だから実質1日しか見込めないから、日程が被ったら、こっちに出す人は少ない。向こう(提灯祭り)は丸々3日間あるから」という。  小浜の紋付祭りは、岩代支所地域振興課によると、10店舗で、昨年は22店舗だったというから、半数以下になった。まさに「同時開催」の影響と言えよう。そのため、今年はレイアウトを変え、1つの通りに集中するように工夫したという。  「仲間は二本松(提灯祭り)に行く人が多い。俺は小浜で店を始め、ここで育ててもらった義理があるのでここに屋台を出すことにした」(屋台店主)  以前は、今週は提灯祭り、翌週は針道のあばれ山車か、小浜の紋付祭りという具合に商売ができたが、今年はそれができなかった。ただでさえ、コロナ禍ではそうした機会が全くなく、ようやくイベントなどが再開されるようになったのに、「同時開催で稼ぐ機会が減った」となれば嘆くのも当然だろう。

  • 【本誌記者・体験記】育休を取りにくい小規模事業者

     男性の育児休業の取得が国を挙げて進められている。家庭と仕事の両立と、女性の労働力参入を意図し、前向きな企業への助成金も拡充した。ただ、制度は充実しても休業者の代替要員の確保は難しい。育休取得で雇い止めにあった公務員もおり、スムーズに取れるようになるまでに解消しなければならない課題は多い。(小池 航) 本誌男性記者の体験で見えた課題  県が常勤労働者30人以上を雇用する県内の民営事業所1400事業所を対象に聞き取りをした労働条件実態調査(2022年7月31日現在)では、21年度に出産し育休を取得した人は男女合わせて1035人。性別の取得状況は女性830人(取得率97・1%)、男性205人(同20・4%)だった。  男性の取得率はここ数年で大幅に伸びている。だが、平均取得日数は女性の297・7日に対し、男性は27・2日と乖離がある。常勤労働者30人を下回り、余剰人員がない小規模事業所はそもそも反映されていないので、現実の数値は男女ともに下回ると考えておくべきだ。  本誌を発行する㈱東邦出版は従業員10人以下の小規模企業。県の統計には反映されないが、29歳男性の筆者は育休を取った。  5月に第一子が生まれた。妻は県外の実家に帰省し里帰り出産した。夜中に産気づいたとの知らせが来て、福島市の自宅から車で向かうと着いた時には既に産まれており、出産には立ち会えなかった。病院は感染症対策を徹底していたため、母親の入院中に親族一組が病棟の待合室でしか対面できず、筆者は義母と会いに行った。  産科病棟に入ると、「おぎゃあ、おぎゃあ」と泣き声が聞こえる。自分の腕の中で力いっぱい泣き、一心に母親の乳を吸う様を見て、我が子と長い時間一緒にいたいという思いが強くなった。  職場に戻ると「育休を取りたいんですが」と切り出した。弊社の佐藤大地社長は「いいよ。取ろう。当面は育休の間にどう仕事を回すかを目的にしよう。体験記も記事にしといて」と言った。  育休は育児休業のことで、労働者が会社に対して子育ての休みを取れる制度。産前産後の女性が取得する産休とは別に取れる。育休は子どもが1歳になるまで取得可能。保育所の入所先が見つからないなどやむを得ない事情がある場合は、最長子どもが2歳になるまで取れる。休業中は180日まで給料の67%が、それ以降は50%がハローワークから労働者に直接支給され、社会保険料が免除される。事務の同僚に申請を頼むと、「育休取得はあなたが初めて」と言われた。  収入が減るのは痛いが、入社が浅くまだ収入は高くないので、67%の給付に代わってもダメージは少ない。何よりも子どもとの時間を大事にしたかった。  2020年度に厚労省から委託され、⽇本能率協会総合研究所が行った「仕事と育児等の両⽴に関する実態把握のための調査研究事業」の調査では、男性が育休を取らなかった理由(複数回答)の筆頭に「収入を減らしたくなかったから」(41%)が上がった。次が「取得しづらい雰囲気と上司の理解が得られなかった」(27%)、「自分しかできない仕事があったから」(21%)。男性が稼ぎ頭を自認し、仕事につきっきりであることが示された。  育休・介護休業は、出産・育児や介護といった人生の一大事で離職が進むことを、本人だけの不利益と捉えるのではなく、企業から人材が離れ生産力が低下する社会的損失と考え、労働者の家庭と仕事の両立を図る狙いがある。そもそもは「男は仕事、女は家庭」と性別的役割分業に基づいて、女性側に家事・育児や介護といった無償労働の負担を強いてきたことがジェンダー平等の観点から問題視されてきた。  さらに、雇用機会は増えているのに女性の職場復帰が叶わないのは、産業界にとっても有能な人材の未活用を意味する。人口減少による人手不足が深刻な日本では、家庭と仕事の両立と「女性活躍」は、自己実現を支える目的ももちろんあるが、政府・産業界がより女性を家庭外の労働に従事させるのが本来の思惑だ。  子育て中も十分に稼がなければならない。食費・学費は物価上昇に伴い上がるが、所得はなかなか上がらず、経済的な面から共働き世代がいまや主流だ。2000年は共働きが約940万世帯、専業主婦が約910万世帯だったが、2022年は共働き世帯が約1200万世帯、専業主婦世帯が約500万世帯となっている。男性が育休を取得し、子育てで主体的な役割を果たすことは、女性活躍=労働人口維持となり、人口減少下の社会が求めていると言える。 外部ライターに発注で対応  妻は今年3月まで勤めていた非正規職を辞め、出産したので無職。産休・育休はない。初めての出産ということもあり、生後3カ月ほどは実家のリラックスした環境で体を休めながら子どもと過ごした方が良いと、里帰り出産を選んだ。  生後間もなくの我が子と一緒に暮らしたいという思いはあったが、里帰り出産で夫である筆者が安堵したのも事実だった。親とは同居しておらず、気軽にサポートを得るのは難しい。夫の筆者が出産直後の回復期にある妻に代わり、家事の全てをこなさなければならない。出張があり、締め切りが近づけば帰宅は夜遅くなる。両立できるか不安で、妻の実家に甘えた。  育休は母子が福島市に帰ってくる8月末から29日間取ることにした。迎えるに当たり、時間に余裕が欲しかったからだ。日常生活を送りながら家事の分担を決め、役所や銀行の手続き、子どもの安全のために家具の再設置、親類への挨拶などを終わらせたかった。職場復帰を想定して家事や子どもの世話をする感覚も掴みたかったので、期間と時期は間違っていなかったと思う。  職場復帰後は、おむつ交換、子どもが朝起きる前に居間を掃除、洗濯物を干す、出勤、帰宅して子どもを風呂に入れ、寝かしつけるのがルーティーンになった。自らに「やったつもりになるな」とは言い聞かせている。  育休を取るに当たって業務の穴埋めを考えた。9月に編集した10月号の発行には加わらなかった。筆者は毎月発行する雑誌に記事を書く編集部員なので、業務期間の区別が付きやすい。空いたページを誰が埋めるかが問題だ。10月号は7月ごろから外部筆者に業務委託した。  本誌は従業員10人未満の小規模企業。人繰りが難しく、1人が抜けるだけでも大きな打撃だ。企業の負担を軽減するために、中小企業対象の助成金に出生時両立支援コース(子育てパパ支援助成金)がある。男性従業員が子どもの出生直後に育休を取った場合、事業者に20万円が支払われる。肝は休業者の代替要員を雇った場合、さらに20万円が加算される。  「うまくできている」と思ったが、主な要件に「子どもの出生後8週間以内に開始し、連続5日以上の育休を取ること」とある。筆者は、育休を取る時は既に生後5カ月を過ぎていたため対象外だった。子育てパパ支援助成金は、出産直後で身体的・精神的にダメージを受けている妻を夫が付きっ切りでサポートすることを想定している。  子育てパパ支援助成金による中小企業への補助は出生直後のみだが、筆者のようにその時期以外にもニーズがあること、経営者が積極的に男性の育休を浸透させるためにも、金額を調整しつつ対象期間を広げても良いのではと思う。  外部ライターに原稿を発注することで、筆者は育休を取ることができ誌面の質も維持できた。ただ、同じ従業員でも営業部門は替えが効かない。編集部員は特集の方針こそ決めるものの、各記事は1人で書き、引き継ぎは比較的簡単に済む。一方、営業部員は各々が広告主などの顧客と関係を築き、チームで緻密に売り上げを積み重ねている。引き継ぎは容易でないだろう。  給料水準が低いことで、地方と中小企業を襲う慢性的な人手不足も頭を悩ます。前出の子育てパパ支援助成金で、代替要員と認められるのは直接雇用や派遣会社を通じて雇用した従業員。本誌で育休期間を補う臨時社員を募集し、ちょうどその時期に採用できるかというと現実的ではない。求職者も給与額と安定性の面から、有期よりは無期、短期よりは長期の雇用を希望する。  従来からあった育児休業とは別に22年から出生時育児休業(産後パパ育休)制度も始まった。子どもが生まれてから8週間以内に最大4週間休みが取れる。分割して取ることも可能だ。最大の特徴は、労使協定に基づいて労働者の側が希望すれば、休業しながら少しの間であれば就労ができる。引き継ぎや代替要員の確保が難しいといった現状を鑑みた。 育休を終え雇い止めに遭った臨時職員  ここまで男性が育休をどう取るかを書いてきたが、女性ですら育休を取りづらい実態がある。また、非正規職員は取れたとしてもその間に職を失ってしまう。  県内のある自治体に勤めていた30代女性が語る。  「私は年度ごとに雇用契約が更新される会計年度任用職員でした。上司は『若手が少ないから今あなたに休んでもらったら困る』と求めるほど職場の人数は最低限度でした。一昨年夏に第2子が生まれました。1年の育休を取ろうと上司に相談すると応じてはくれたのですが、『長すぎるんじゃないの』と言われました。説得され、9カ月の育休に縮めることで折り合いました」  夫は夜勤もある仕事で拘束時間も長いため、育児の負担は女性にのしかかる。乳幼児とその上の子を育てる大変な時期を乗り越えた後、保育所に預けて職場復帰しようと準備を進めていた昨年初頭、上司から「契約を更新しない」と言われた。  会計年度任用職員について多くの自治体は、「採用の門戸を広げるため」と国の方針に則り「〇年目以降は公募で合格した者のみ」と条件を設け実質雇い止めをしている。女性はまだ勤め先の自治体で定めた期限を迎えてなかった。  「有職者であることを証明し保育所の入園手続きをしていたが、無職になるので入園できません。家計のために共働きは必須です。育休明けで職場復帰に意気込んでいたのに求職しなければならなくなった。子育て支援を牽引する行政が、育休取得者に不利益を与えているのは許せません」(前出の女性)  女性は自治体の予算が減額され、雇用人数を減らす中、ちょうど育休中だった自分に白羽の矢が立ったと受け止めている。  家庭と仕事を両立させるには男性の育休を増やすことが重要だが、都道府県や企業ランキングの上位に食い込むための「目的」になってはいけない。育休がキャリアで不利益となることを恐れ、取りたくても申請を控えている人が多く潜在していることに目を向ける必要がある。

  • 問題だらけの【福島県】消防組織【パワハラ】【報酬ピンハネ】

    双葉地方広域消防本部「パワハラ」の背景 本誌に寄せられた投書  10月14日付の福島民報に「職員3人パワハラか 双葉地方消防本部 飲酒強要などで懲戒」という記事が掲載された。双葉地方広域市町村圏組合消防本部が、パワハラ行為があったとして職員3人を懲戒処分(減給)していたことを報じる内容。  実はこの前に、同消防本部のパワハラについて記した告発文が、本誌編集部宛てに寄せられていた。差出人は匿名で、消印は10月9日付、いわき郵便局。  パワハラの具体例を記した告発文と併せて、加勢信二消防長が各消防署長に向けて送付した「職員の義務違反について(通知)」という公文書の写しも添付されていた。内容はパワハラで懲戒処分された職員が出たのを受けて、言葉遣いや態度への注意を呼びかけるもの。おそらく差出人は同本部の職員だろう。  告発文によるとパワハラの内容は以下の通り。  ◯今年2月22日に開かれた職員同士の飲み会で、消防副士長(29)が嫌がる部下にタバスコ入りの酒を一気飲みさせた。  ◯消防司令補(34)が一次会で帰宅しようとした部下に土下座を強要した。  ◯警防係長(40)が過度の説教を開始。  ◯翌日から若手職員A(投書では実名)が病休に入りその後退職した。  新聞報道によると、処分された3人のうち1人は〝タバスコ消防副士長〟で、残り2人は訓練時の発言や不適切な言動、理不尽に受け取れる指導が処分対象になったという。  告発文によると、処分は9月14日付で、半年以上も経った後の処分ということになる。差出人が疑問視しているのは処分の軽さだ。というのも、同組合の懲戒処分等に関する基準では、パワハラなどで心身に故障を生じさせ、勤務できない状況を招いた際は免職・停職とすることが定められているのだ。  《その他にもパワハラで楢葉分署1名、富岡消防署2名が病気休暇で休んでいるのが、現状です。減給の処分職員はなんの反省もしていません》(告発文より引用)  福島県消防協会のホームページによると、同消防本部の管轄エリアは双葉郡8町村。実人員(職員数)は127人で、県内の消防本部では小規模な部類に入る。復興途上の原発被災地域の防災を担おうと入った若い職員がパワハラ行為の対象となり、退職・休職に追い込まれたのだとしたら、これほど理不尽な話はない。  同消防本部に詳細を問い合わせたところ、金沢文男次長兼総務課長が次のように答えた。  「パワハラに関する教育は年1回、階級に合わせて実施しています。パワハラの詳細や当消防本部が知るに至った経緯は新聞社などにも公表していないのでご理解ください。公表しない理由もお話しすることはできません。なお、楢葉分署、富岡消防署の休職者に関しては、今回のパワハラとは関係ありません」  懲戒処分が軽くなった経緯については「公表していない」、懲戒処分したことを公表しなかった理由については「公表の基準が決まっており、それを下回ったので、公表しなかった」と説明した。とにかく情報公開を避けている印象が否めない。こうした体質がパワハラを助長しているのではないか。  消防でパワハラが起きる背景について、消防行政を研究する関西大学社会安全学部の永田尚三教授は次のように語る。  「消防は一般的に体育会系的要素が強いのに加え、消防本部は地域間格差が大きい。地方の小規模な消防本部では日常の業務に追われ、パワハラ対策やコンプライアンスなどについて、十分に学ぶ時間が確保されていない可能性が高い。また、消防本部は行政部局から切り離され独立性が確保されていますが、それゆえに、行政部局の組織文化が共有されにくい側面もあると思います」  同消防本部ではパワハラ教育を実施しているということだったが、効果がなかったことを重く受け止め、この機会に徹底的に内部調査を行って、膿を出し切るべきだ。そのうえでハラスメント行為を相互チェックするルールなどを組み込み、見直しを図ることが求められる。 氷山の一角!?南相馬市消防団「報酬ピンハネ」  一方、南相馬市では、消防団員に報酬が渡されていなかった事例が明らかになった。10月9日付の毎日新聞によると、同市内の消防団が団員だった40代男性に1年半にわたり報酬を渡していなかった。  支払いを求める男性に対し、先輩団員は「消防団っていうのはボランティアなんだ。報酬は団に預けているんだ」、「昔から余ったお金を団に残して、コロナになる前は2年に1回くらい旅行に行っていた。その時に飲み物やビールを買う、宴会に使うというのをやってきた」と話し、「列からはみ出るようなら、辞めてもらうしかない」と迫ったという。 消防団の悪しき慣習  男性は報酬を受け取らないまま退団し、報酬未払いとパワハラについて、市としての対処を求める嘆願書を市長宛てに提出。1年以上連絡がなかったが、9月に毎日新聞が取材した直後、市長名の回答が寄せられた。パワハラは評価できないとしたうえで、「報酬等の取り扱いについて、団員に対する説明が不十分であったと判断し、消防団に対して口頭指導した」という内容だったという。その結果、男性はようやく報酬を受け取ることができた。  消防団の報酬問題については、本誌昨年6月号「ブラック公務員 消防団」という記事で触れた。なり手不足解消のため、消防庁では年額報酬の引き上げに加え、個人支給を強く要望している。分団ごとに一括支給すると、報酬の一部が「活動費」として強制的にプールされてしまう実態があったためだ。  現在は改善されているのか。南相馬市に問い合わせたところ、危機管理課所属の阿部信也災害対策担当課長がこう説明した。  「市では分団から頼まれて、報酬をまとめて振り込んでいましたが、現在は市が個人名義の口座に振り込んでいます。毎日新聞記事の事例も分団に頼まれ、まとめ払いしていたが、元消防団員の方はその説明を受けてないとのことだったので、話し合いを持つようお願いしました。嘆願書への返事が遅れたのは、弁護士と相談したり、事実確認する時間が必要となったためです」  消防団員は非常勤特別地方公務員に当たる。その報酬を勝手な判断でプールすれば公金横領となりそうだが、事前に市に委託があったことを踏まえ、市では問題視しない方針だという。  前出・永田教授は「消防団も規模によって異なる。消防庁の方針に従い、多くの消防団は改善に乗り出しているが、中には個人に支払われた報酬から会計責任者が活動費を再徴収したり、報酬が入る通帳を会計責任者が預かるなど悪質な事例もあるようです」と述べる。実際、本誌昨年6月号では再徴収されたケースや通帳を新たに作らされた事例を紹介している。南相馬市の事例は氷山の一角の可能性がある。  消火活動に加え、救急搬送、自然災害時の人命救助など消防組織は大きな役割を担っている。現場で命をかけて活動している職員には敬意を表するが、だからといって、消防職員の〝権利〟を侵害する労働環境・慣習は看過できない。県内の消防組織が自浄作用を働かせ、前時代的な組織からの脱却を図る必要がある。