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![]() ■とりとめのない話(十六年八月号) とにかく時間が経つのが早い。朝早く出社し、ひと仕事すると夕方になる。それを繰り返していると週末になる。週末は山歩きして、あっという間に日曜日が終わる。 厚生労働省によると、二〇〇三年の日本人の平均寿命は、女性が八五・三三歳、男性が七八・三六歳で、男女とも過去最高を更新したという。これからおおよその余命は推測できるが、超えるか超えないかは誰にも分からない。 親しい友人に会うと、年金や生命保険の話になる。運よくポックリ逝けばよいが、ひどい痴呆症や寝たきり状態になったら困ってしまう。会社は戦力を欠き、子供たちは自力で大学に通わなければならなくなる。元気な人が頑張るのは当然のことで、病人があれこれ心配しても仕方がない。 バックナンバーをながめ、ふと、「オレは社会に役立つ仕事をしてきただろうか」と思う。広告主と読者で経営が成り立っている雑誌は、両者の要求を入れた編集を迫られる。それはそれとして、悔いの残らない仕事をしてきたかというと自信がない。力量不足もあって、「書かなければならないことは書いた」といえるようになるのは容易でない。 会社に定年はないが、年金受給年齢に達したら引退したい。四〇年近く働いたから、十分だろう。近所の年金生活者はみな、悠々自適の生活に見えるが、連れ合いを亡くし一人暮らしを余儀なくされている人も多い。連れ合いがいなければ、夫婦喧嘩もできない。 「第二の人生」を二〇年も三〇年も送れるのは喜ばしい限りだが、何もやることがないのは退屈だ。趣味は、健康のため体を使うものと、ボケ防止のため頭を使うものを持ちたい。ボランティアや家庭菜園も楽しそう。よその土地に、数カ月から数年暮らすのも悪くない。 このようなことを考えているうち倒れるかも知れないし、長生きして持て余されるかもしれない。知り合いが一人もいなくなったら、浦島太郎と同じだ。長年積み立てた年金を受け取れないのは口惜しいし、長生きもつらい。凡人だから、煩悩からも逃れられない。すべて、ありのままに受け入れるしかないのだろう。(奥平) |