|
|
地方自治体が財政難にあえいでいる。バブル崩壊(1990年)から小泉内閣誕生(2001年)まで、国の経済対策に応じ、借金して公共事業を進めたからだ。橋や道路や下水道などが整備されて便利になったが、景気は上向かなかった。そのため、1990年代を「失われた10年」と呼んでいる。
小泉首相は公共事業を減らし、規制緩和した。いわゆる「構造改革」である。それでも景気は回復せず、「20年不況」に陥っている。公共事業も規制緩和も、不況脱出の呼び水にならなかったことになる。
自治体の財政を悪化させたもうひとつの理由は、20年にわたる不況にもかかわらず、職員の待遇を上げ続けたことである。数年前から給料・賞与をカットしたところもあるが、申し訳程度にすぎない。
「100年に1度の経済危機」と言われている割に、国も自治体も切迫感がない。これまで通り借金すれば、どうにかやっていけるからだ。これ以上の借金はよくないなら、新たな借金を禁ずるほかない。
自治体の財政担当者は「それでは予算が組めない。非現実的なことを言うな」と反論するだろうが、借金の先に、希望の持てる地域社会は想像しにくい。
少子高齢化が進む中で、国民年金頼みの家庭が増えている。夫婦ならやりくりできても、1人になったら半分しか受け取れないから食べ物や通院を我慢する。子どもは学校を卒業しても適当な仕事がなく、毎日ぶらぶらしている。このようなことが、全国各地で起きている。極めて個人的な事情ではあるが、ほとんどの自治体が無関心だ。
職員は「これまで通りやるのが義務」と心得ているが、そうではない。金がなくても、困った住民がいたら助けるのが仕事で、通常業務は後で処理すればよい。まして、「担当が違う」とたらい回しにするのは許されない。分かりやすく言えば、近くで火災が発生したら「消防の仕事」として傍観するのではなく、急いで駆け付けて消火に当たれ、ということだ。
おそらく、首長・職員は「困った住民を助けたいのは山々だが、われわれは法律に基づいて仕事をしているし、特別な予算もない」と言うだろう。
それなら教えよう。前年度予算を一律15〜20%カットし、とりあえず予算を確保する。その半分を困った住民のために使い、残りの半分をカットによって大きな支障が出た部門に回す。「経済危機」と本当に思うなら、その程度のことはやるべきだ。
少数の職員だけがハッピーで、多数の住民がアンハッピーというのは許されないし、役所(場)・職員が存在する意義がない。
(奥平)
巻頭言一覧に戻る
|