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只見町

  • 【ブイチェーン】只見町の食品スーパー店主が引退

    【ブイチェーン】只見町の食品スーパー店主が引退

     只見町で食品スーパー・ブイチェーン只見店を経営していた三瓶政夫さんが、店舗を別の運営会社に売却し、引退することになった。平成23年新潟・福島豪雨で被害を受けてもすぐに店を再開し、地域の生活を支え続けた。50年以上に及ぶ経営の思い出を聞いた。 豪雨災害で水没も地域のため再開 豪雨災害で水没した店舗(三瓶政夫さん提供) 只見町の中心部に「ブイチェーン只見店」というスーパーマーケットがある。川の近くに立地し、2011年に発生した「平成23年新潟・福島豪雨」で大きな被害を受けたが、店主の三瓶政夫さんが復旧させた。その被害状況について、本誌2012年4月号に掲載した。  その三瓶さんが8月末で店を閉めるという。  「もともとは65歳で辞めるつもりだったが、水害に遭ってから必死で店を大きくしてきた。ようやくひと段落したので、ブイチェーン本部に『引退したいので経営をそのまま引き継いでくれる人を紹介してくれないか』とお願いしたのです」  同町朝日地区出身。若松商業高校卒の75歳。50年以上前に実家の商店を継ぎ、友人からの紹介で現在の場所にブイチェーンをオープンした。  地域の人に少しでも新鮮な食材を届けたいと新潟県魚沼市や郡山市の市場まで出かけ、新鮮で珍しい魚や野菜を仕入れた。提案型の売り場は顧客から広く支持され、売り上げを伸ばした。  そうした中で遭遇したのが、「平成23年新潟・福島豪雨」だった。当日、増水を警戒し買い物客に少し早めに帰ってもらっていたが、そこに川から氾濫した水が一気に押し寄せ、閉店作業を進めていた三瓶さんは命からがら店外に脱出した。店は水没し、商品や機械などがすべて使い物にならなくなった。  ただ、三瓶さんは地域の人の生活を守るために復旧を決意。付き合いがあった郡山市の市場関係者などが駆けつけて、片付けを手伝ってくれた。安い中古機械などを買い集めて、何とか営業再開にこぎつけた。その後も「意気消沈する町内の事業者を勇気づけるため先頭に立って復興させなければ」と考え、3期にわたり店舗拡張工事を行った。  三瓶さんが納得いかないのは、こうした民間の動きを支援する姿勢が町などに見えなかったことだ。  豪雨災害後、只見川沿いにダムを設置している東北電力と電源開発は県に10億円ずつ寄付。「只見川流域豪雨災害復興基金」が設けられ、被災町村に分配された。只見町には9億円が入ったが、基金の目的は被災者の住宅の新築・改築・修繕や、自治体の産業復興支援事業などに固定され、被災した事業者や住宅を建て直す予定のない高齢者などは支援を受けられなかった。  町内の水害被害者が国、県、町、電源開発などに損害賠償を求める裁判を提起したが、中心人物の死去などが重なり、和解で終わった。一部事業者らは支援格差を訴え、町に支援金の支払いを要求し、只見区長にも要望書を提出したが、「裁判を起こしてすでに和解している」ことなどを理由に要望には沿えないと拒否された。  「地域のためにやってきたのに、周囲はそう思ってくれなかったのかと落胆しました」(三瓶さん)  店舗の経営を引き継ぐのは他町村でブイチェーンを展開する会社で、社員もそのまま移る。「引退する身なので、顔写真はいいよ。勘弁してくれ」と笑う三瓶さん。雪深く物流が不便な奥地で約50年、地域のことを思い経営してきた熱い気持ちは今後も店に残り続ける。

  • 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま【三島町・金山町・昭和村・只見町】

    【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。県内では、合併したところ、単独の道を選択したところ、合併を模索したもののまとまらなかったところと、さまざまある中、本誌ではシリーズで合併しなかった市町村の現状を取り上げている。今回は、人口減少や高齢化率の上昇が大きな課題となっている奥会津編。(末永) 人口減・高齢化率上昇が課題の三島・金山・昭和  「奥会津」は正式な地名ではなく、明確な定義があるわけではない。ただ、観光面などでの広域連携の中でそうした表現が使われている。主に会津南西部を指す。 只見川・伊南川流域の町村で構成される「只見川電源流域振興協議会」が発行したパンフレット「歳時記の郷 奥会津の旅」には次のように記されている。 《「奥会津」は、福島県南西部に位置する只見川流域、伊南川流域の7町村「柳津町」「三島町」「金山町」「昭和村」「只見町」「南会津町」「檜枝岐村」の総称です》 柳津町は河沼郡、三島町、金山町、昭和村は大沼郡、只見町、南会津町、檜枝岐村は南会津郡と3つの郡にまたがる。今回は、そのうち大沼郡の三島町、金山町、昭和村と南会津郡の只見町の現状を取材した。 「平成の大合併」の際、三島町、金山町、昭和村の3町村は、河沼郡の会津坂下町、柳津町との郡をまたいだ合併案があった。当時の合併に関する研究会のメンバーだった関係者はこう述懐する。 「県会津地方振興局の勧めもあって5町村で合併について話し合うことになりました。当時の5町村長は基本的には合併もあり得るとの考えだったように思います。理由は、国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らすとの方針で、将来的な財政の裏付けがなかったことです」 当時の5町村の人口(2005年1月1日時点)は、会津坂下町約1万8600人、柳津町約4400人、三島町約2300人、金山町約2900人、昭和村約1600人で、計約2万9800人。合併後の新市移行の条件である「人口3万人」にギリギリ届いていなかったが、「振興局の担当者は『市になれると思う』とのことだった」(前出の関係者)という。 「人口比率から言っても、中心になるのは会津坂下町だが、そこに役場(市役所)が置かれるとして、金山町、昭和村からはかなり遠くなります。加えて、当時の会津坂下町は財政状況が良くなかったため、(ほかの4町村の住民・関係者は)会津坂下町にいろいろと吸い上げられてしまう、といった思いもありました。そんな中で、(会津坂下町を除いた)柳津町、三島町、金山町、昭和村の4町村での合併案も出たが、結局はどれもまとまりませんでした。住民の多くも合併を望んでいなかった、ということもあります」 一方で、南会津郡は、2006年3月に、田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して南会津町が誕生した。それに先立ち、下郷町、只見町、檜枝岐村を含めた南会津郡7町村で研究会が立ち上げられ、合併に向けた調査・研究を行っていた。そこから、正式な合併協議会に移行する際、下郷町、只見町、檜枝岐村は参加しなかった経緯がある。 当時のことを知る只見町の関係者はこう話す。 「田子倉ダム(電源立地地域対策交付金)があるから、という事情もあったと思いますが、それよりも『昭和の大合併』の後遺症のようなものが残っており、只見町は最初から前向きでなかった」 只見町は、いわゆる「昭和の大合併」で誕生した。1955(昭和30)年に只見村と明和村が合併し、その4年後の1959(昭和34)年に朝日村が編入して、只見町になった。「平成の大合併」議論が出たころは、それから50年ほどが経っていたが、その後遺症が残っていたというのだ。 「一例を挙げると、只見地区(旧只見村)には町役場の中心的機能、明和地区(旧明和村)には温浴施設、朝日地区(旧朝日村)には診療所という具合に、1つの地区に何かを設けるとすると、残りの2地区には何らかの代わりの手当てをする、といった手法でないと、物事が進まないような状況なのです。これでは行政運営のうえで、あまりにも効率が悪い」(同) それは「平成の大合併」議論から十数年(「昭和の大合併」から60年以上)が経ったいまも変わっていないという。 その際たる例が役場庁舎の問題。同町の本庁舎は、只見町誕生の翌年(1960年)に建てられ、老朽化が進んでいた。2008年度に実施した耐震診断の結果、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があるCランクと診断された。 そこで、目黒吉久元町長時代の2011年に「只見町役場庁舎建設基本計画」が策定され、新庁舎建設計画が進められた。ただ、実現させることができず、目黒町長はその責任を取る形で、2016年12月に2期目の任期満了で退任した。 この後を受けた菅家三雄前町長は、「暫定移転」として、中学校合併によって空いた旧只見中学校に、議会、総務課、農林建設課、教育委員会などの役場の中心的な機能を移転し、「町下庁舎」とした。そのほかの部署は、駅前庁舎とあさひヶ丘庁舎に分散する形になった。この暫定移転が完了したのが2018年で、これに伴い、旧庁舎は解体された。 ただ、この暫定庁舎(分散庁舎)は、町民や観光客などから、「必要な部署(用事がある部署)がどこにあるのか分かりにくい」として不評だった。 一方で、一部町民からは「新しい役場庁舎ができても、町民生活には何の恩恵もない。そんな生産性のないものに多額のお金をかけるべきではない。いまのまま(暫定庁舎)で十分」、「暫定庁舎の整備には5億円以上の費用がかかっている。そのうえ、さらに新しい庁舎を建てるのは、税金の無駄遣いだ」といった声が出た。とりわけ、明和地区、朝日地区では、そうした意見が多いという。 このほか、現在、同町では道の駅整備計画が進められているが、同事業でも「(旧3村の)どこにつくるか」が最大のポイントになっていた。「合併前の旧3村の感情論が絡みなかなか物事が進まない」というのはこういったことを指している。 「平成の大合併」では、核となる市があって、そこに近隣町村が〝編入〟した(形式上は対等合併でも実質的にそうなったものも含む)パターンと、同規模町村が合併して市になったパターンの大きく2つに分けられる。その中でも、後者は「均衡ある発展」を掲げ、その結果、分散型の行政組織や財政運用になった。 それが良いか悪いかは別にして、只見町は「昭和の大合併」以降、そうした状況が続いているというのだ。そんな事情から「平成の大合併」議論が出た際、住民・関係者は拒否反応を示し、南会津郡の合併に参加しなかったわけ。 こうして、三島町、金山町、昭和村、只見町は合併せず単独の道を歩むことになった。 さて、ここからは過去のシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表された4町村の各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 三島町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度6・8012・6318・5103・80・162008年度8・6713・8917・868・70・152009年度10・2812・1915・644・90・132010年度――――13・01・80・122011年度――――11・2――0・122012年度――――9・6――0・122013年度――――7・9――0・122014年度――――6・1――0・132015年度――――4・2――0・132016年度――――3・1――0・142017年度――――2・8――0・142018年度――――3・5――0・152019年度――――4・1――0・152020年度――――4・8――0・15※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 金山町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・826・0720・782・30・242008年度3・667・6618・755・70・232009年度3・907・7915・527・90・232010年度2・970・8311・621・30・222011年度――――8・5――0・212012年度――――6・1――0・202013年度――――4・4――0・202014年度――――3・5――0・202015年度――――2・9――0・222016年度――――3・2――0・232017年度――――3・6――0・232018年度――――4・1――0・232019年度――――4・5――0・242020年度――――4・4――0・24※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 昭和村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度1・323・9415・110・60・112008年度4・078・5813・5――0・112009年度2・877・0011・4――0・102010年度――――10・5――0・092011年度――――9・7――0・092012年度――――8・0――0・082013年度――――6・7――0・082014年度――――5・0――0・082015年度――――4・4――0・092016年度――――3・7――0・092017年度――――3・7――0・092018年度――――4・4――0・092019年度――――5・3――0・102020年度――――5・9――0・10※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 只見町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度2・245・1112・816・10・312008年度8・2111・2611・326・10・302009年度3・595・639・6――0・292010年度――――6・8――0・282011年度――――5・0――0・272012年度――――3・9――0・252013年度――――3・7――0・252014年度――――3・5――0・252015年度――――2・9――0・252016年度――――3・1――0・252017年度――――3・2――0・252018年度――――3・2――0・252019年度――――3・0――0・252020年度――――3・0――0・25※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%。昭和村は5・9%で全国平均を0・2ポイント上回っているが、ほかの3町村はいずれも全国平均を下回っている。推移を見ると、いずれもここ数年は最も良かったころからは多少比率が上がってはいるものの、単独を決めたころから比べると、だいぶ良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、4町村はいずれもそれに当てはまる。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。一方で、4町村とも財政力指数は低い。 4町村長に聞く  4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 矢澤源成三島町長  当時、三位一体の改革の下、財政基盤の強化、行政運営の効率化のため合併が進められたが、その後、地方創生総合戦略や東京一極集中是正の流れから、地域の特性を生かした地域づくりに財源が配分され、合併以前の状況とは異なるが、将来に向けては財政基盤がぜい弱な小規模自治体では不安がある。将来人口推計よりも早く、少子化、人口減少が進行しているが、再生可能エネルギーや地域資源を生かした経済循環とDXの推進等持続可能な地域づくりを進めることにより、財政基盤の強化や行政運営の効率化に繋がるものと考えている。 押部源二郎金山町長  財政状況については、実質公債費比率が健全な状況にあり、適切な状態を維持していると考えている。財政基盤強化については、総人件費と町債の抑制により安定的な財政基盤の確保に努めてきた。行政運営の効率化においても社会情勢の変化に即応した体制や効率化を図っており、今後も状況に応じた対応に努めていく。 舟木幸一昭和村長  本村は自主財源が乏しく、地方交付税を始めとする依存財源に頼らざるを得ない状況にあるので、歳出面では人件費や物件費、維持補修費や補助費などの見直しを図るとともに、村の振興を進めるため昭和村振興計画の実施計画を策定し、事業の平準化なども行ってきた。歳入面では財源確保として、積極的に国や県の補助金を活用するとともに、村債は後年度の償還に有利な過疎対策事業債を起債するなど工夫してきたことから、余剰金については財政調整基金や目的基金に積み立て、後年度負担すべき財源の確保に努めてきた。このことにより、財政健全化法が施行された2007年度から連続して健全財政を維持している。 職員数については、5年ごとに定員管理計画を定め、条例定数61人に対し定員50人を維持している。また、いわゆる団塊の世代の退職後は、職員の平均年齢が県内でも比較的若い状況であることから、ラスパイレス指数が低い状況となっている。 本村は、今後の人口減少を緩やかにしていくため、様々なアイデアを駆使し、移住・定住人口の確保に努めているが、今後想定される公共施設やインフラ設備の補修・改修などの大規模な財政支出により、財政を取り巻く状況は決して楽観できない状態が続くと予想される。今後も、これまでの堅実な財政運営を維持しつつ、産業の振興や移住・定住施策を進めるとともに、新たな試みにも果敢にチャレンジしながら、より一層、村の振興を進めていく。 渡部勇夫只見町長  「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」は合併の目的の大きな柱の1つであると理解している。同時にもう1つの大きな柱である「まちづくり」の方針(構想)も欠くことのできない点だと理解している。当町の財政状況は厳しい環境にあると認識しているので、「まちづくり」により一層力を注ぎながら取り組んでいく。 非合併の影響は軽微  前段で、三島町、金山町、昭和村の3町村は、会津坂下町、柳津町との合併話があり、その研究会関係者の「国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らす方針で、将来的な財政の裏付けがないから、当時の5町村長は合併もあり得ると考えていた」とのコメントを紹介した。 実際、過去のこのシリーズでは合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物のこんな声を紹介した。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、「合併するしか道はない」と考えたようだ。 一方で、シリーズ4回目の「東白川郡」では、「合併しない宣言」で知られる矢祭町の状況をリポートした。同町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決した。言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。そのため、国による締め付け等があったのではないかと思い、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 さらに、「合併しない宣言」後の大部分(2007年〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にもそれほど厳しいということはなかった」 矢祭町の現・前町長の言葉からも分かるように、当時の関係者が危惧したような状況にはなっていない。今回の奥会津4町村についても、決して財政的に豊かではないが、少なくとも著しく住民サービスが劣ったり、行政運営ができない状況には陥っていない。当然、そこには各町村の努力もあるだろうが。 一方、奥会津で合併した南会津町の合併前の旧町村の予算規模(2004年度当初予算=福島民報社の『民報年鑑』より)は次の通り。 田島町▽65億9200万円 舘岩村▽28億4700万円 伊南村▽22億5200万円 南郷村▽25億円 合わせると141億9100万円になる。これに対し、合併後の南会津町の2022年度の当初予算額は126億3400万円。 以前、合併しなかった自治体の役場関係者はこう話していた。 「例えば、うちの自治体だと年間約30億円の予算が組まれる。それが合併したら、この地区(合併前の旧自治体の域内)に30億円分の予算が投じられることはまず考えられない。そういった点からも、合併すべきではないと考えている」 つまりは、合併後の核になる旧自治体は別として、単独の方がそこに投じられる予算が大きいから、住民にとってもその方がいい、ということだ。「なるほど」と思わされる見解と言えよう。 住民に聞いても、「合併しなくて良かった」との声が多かった。 「合併しなくてよかったと感じる。独自のまちづくりができるわけだから」(金山町民) 「結論から言えば合併しなくてよかった。この辺りは、『平成23(2011)年新潟・福島豪雨』で大きな被害を受けたが、水害対応にしても、只見線復旧にしても、町と意思疎通が図りやすいし、(水害の問題で)裁判などを起こす際にも動きやすい面はあったからね」(金山町民) 「合併しなくて良かったと断言できる。合併すれば役場は遠くに持って行かれ、昭和村にはせいぜい10人ほどの職員がいる支所が置かれる程度だったに違いない。その分、サービスは悪くなるし、住民の声が届きにくくなる。いま村では、カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から30代の夫婦が来ている。新聞でもよく取り上げられ、成功していると言っていい。これは合併していたらできなかった。あとは(会津美里町と昭和村を結ぶ国道401号の)博士トンネルが2023年度に開通することになっており、これができれば人の動きも出てくるだろう」(昭和村民) 「合併すると、どうしても旧町村間の感情論で、『あそこ(中心部)だけいろいろな施設ができて、ほかは何もできない』といった問題が出てくる。そういった意味でも、合併しなくて良かったのではないか。現状、余裕がないながらも、特に不便なく存続できているわけだから。それが一番だと思いますよ」(只見町民) 最大の課題は人口減少  一方で、大きな課題になっているのが人口減少と高齢化率の上昇だ。別表は4町村と奥会津地区で合併した南会津町の人口の推移をまとめたもの。各町村とも「平成の大合併」議論のころから3〜4割の減少になっている。もっとも、南会津町の例を見ても分かるように、合併してもしなくても、その傾向に大差はない。もし、合併して「市」になっていたとしてもこの流れは変えられなかった。 さらに、県が昨年の敬老の日(9月19日)に合わせて、9月18日に発表したデータによると、昨年8月1日時点の県総人口は179万3522人で、このうち65歳以上は57万8120人、高齢化率は32・9%(前年比0・4ポイント上昇)だった。 市町村別の高齢化率は、①飯舘村68・6%、②金山町61・9%、③昭和村55・4%、④三島町55・1%、⑤川内村52・5%と続く。上位5つのうち、奥会津の3町村が入っている。ちなみに、飯舘村と川内村は原発事故の避難指示区域に指定され、避難指示解除後に戻ったのは高齢者が多いという特殊事情がある。 昭和村の社会動態は増加  人口減少・高齢化問題について、4町村長に見解を求めた。 矢澤源成三島町長  人口減少と高齢化対策は、日本全体の課題であり、当町のような地方自治体は最も進行している地域であることから、対策のモデル地域となり得るが、雇用や働き方改革、結婚・子育て支援、住環境、教育支援等、社会全体で取り組む必要があると考える。 押部源二郎金山町長  人口減少と高齢化は町の最重要課題である。少子高齢化に伴う人口減少に特効薬はないが、引き続き移住・定住対策、交流人口の増加に力を入れていきたい。 舟木幸一昭和村長  出生と死亡の差は歴然としており、人口減少に大きな影響を与えているが、総務省による2022年の住民基本台帳人口移動報告では9人の転入超過、過去5年間の合計でも20人の転入超過となっているように、自然減を社会増で補おうとしているところ。1994年度から続く「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住が社会増に寄与しており、新年度からは新たに、本村が所有者から空き家を借り上げてリフォームし、就農希望者等の住居として貸し出す「移住定住促進空き家利活用事業」を立ち上げ、集落活性化に繋げていきたい。※高齢化率は約55%で、近年大きな変動はない。 渡部勇夫只見町長  非常に大きな課題だと認識している。町の魅力向上とともに関係人口の拡大に向けた事業に取り組んでいきたい。 前段で、昭和村民の「カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から移住してくるなど成功している。これは合併していたらできなかった」との声を紹介した。舟木村長のコメントでも、「自然動態では人口は減少しているが、社会動態ではプラスになっている」という。その要因として、「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住を挙げており、同村の事例を見ると、やれることはあるということだ。 このほか、同地域の住民はこんな意見を述べた。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 このシリーズの第1回の桑折町・国見町、第2回の大玉村、第4回の西郷村は、県内でも条件がいい町村だった。そのため、「合併する必要がない」といったスタンスだった。その点でいうと、今回の奥会津の4町村は条件的には厳しく、それら町村とは違う。一方で、人口規模が小さいがゆえの小回りが利くことを生かした思い切った仕掛けをすることも可能になる。そういった創意工夫が求められよう。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 【ブイチェーン】只見町の食品スーパー店主が引退

     只見町で食品スーパー・ブイチェーン只見店を経営していた三瓶政夫さんが、店舗を別の運営会社に売却し、引退することになった。平成23年新潟・福島豪雨で被害を受けてもすぐに店を再開し、地域の生活を支え続けた。50年以上に及ぶ経営の思い出を聞いた。 豪雨災害で水没も地域のため再開 豪雨災害で水没した店舗(三瓶政夫さん提供) 只見町の中心部に「ブイチェーン只見店」というスーパーマーケットがある。川の近くに立地し、2011年に発生した「平成23年新潟・福島豪雨」で大きな被害を受けたが、店主の三瓶政夫さんが復旧させた。その被害状況について、本誌2012年4月号に掲載した。  その三瓶さんが8月末で店を閉めるという。  「もともとは65歳で辞めるつもりだったが、水害に遭ってから必死で店を大きくしてきた。ようやくひと段落したので、ブイチェーン本部に『引退したいので経営をそのまま引き継いでくれる人を紹介してくれないか』とお願いしたのです」  同町朝日地区出身。若松商業高校卒の75歳。50年以上前に実家の商店を継ぎ、友人からの紹介で現在の場所にブイチェーンをオープンした。  地域の人に少しでも新鮮な食材を届けたいと新潟県魚沼市や郡山市の市場まで出かけ、新鮮で珍しい魚や野菜を仕入れた。提案型の売り場は顧客から広く支持され、売り上げを伸ばした。  そうした中で遭遇したのが、「平成23年新潟・福島豪雨」だった。当日、増水を警戒し買い物客に少し早めに帰ってもらっていたが、そこに川から氾濫した水が一気に押し寄せ、閉店作業を進めていた三瓶さんは命からがら店外に脱出した。店は水没し、商品や機械などがすべて使い物にならなくなった。  ただ、三瓶さんは地域の人の生活を守るために復旧を決意。付き合いがあった郡山市の市場関係者などが駆けつけて、片付けを手伝ってくれた。安い中古機械などを買い集めて、何とか営業再開にこぎつけた。その後も「意気消沈する町内の事業者を勇気づけるため先頭に立って復興させなければ」と考え、3期にわたり店舗拡張工事を行った。  三瓶さんが納得いかないのは、こうした民間の動きを支援する姿勢が町などに見えなかったことだ。  豪雨災害後、只見川沿いにダムを設置している東北電力と電源開発は県に10億円ずつ寄付。「只見川流域豪雨災害復興基金」が設けられ、被災町村に分配された。只見町には9億円が入ったが、基金の目的は被災者の住宅の新築・改築・修繕や、自治体の産業復興支援事業などに固定され、被災した事業者や住宅を建て直す予定のない高齢者などは支援を受けられなかった。  町内の水害被害者が国、県、町、電源開発などに損害賠償を求める裁判を提起したが、中心人物の死去などが重なり、和解で終わった。一部事業者らは支援格差を訴え、町に支援金の支払いを要求し、只見区長にも要望書を提出したが、「裁判を起こしてすでに和解している」ことなどを理由に要望には沿えないと拒否された。  「地域のためにやってきたのに、周囲はそう思ってくれなかったのかと落胆しました」(三瓶さん)  店舗の経営を引き継ぐのは他町村でブイチェーンを展開する会社で、社員もそのまま移る。「引退する身なので、顔写真はいいよ。勘弁してくれ」と笑う三瓶さん。雪深く物流が不便な奥地で約50年、地域のことを思い経営してきた熱い気持ちは今後も店に残り続ける。

  • 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。県内では、合併したところ、単独の道を選択したところ、合併を模索したもののまとまらなかったところと、さまざまある中、本誌ではシリーズで合併しなかった市町村の現状を取り上げている。今回は、人口減少や高齢化率の上昇が大きな課題となっている奥会津編。(末永) 人口減・高齢化率上昇が課題の三島・金山・昭和  「奥会津」は正式な地名ではなく、明確な定義があるわけではない。ただ、観光面などでの広域連携の中でそうした表現が使われている。主に会津南西部を指す。 只見川・伊南川流域の町村で構成される「只見川電源流域振興協議会」が発行したパンフレット「歳時記の郷 奥会津の旅」には次のように記されている。 《「奥会津」は、福島県南西部に位置する只見川流域、伊南川流域の7町村「柳津町」「三島町」「金山町」「昭和村」「只見町」「南会津町」「檜枝岐村」の総称です》 柳津町は河沼郡、三島町、金山町、昭和村は大沼郡、只見町、南会津町、檜枝岐村は南会津郡と3つの郡にまたがる。今回は、そのうち大沼郡の三島町、金山町、昭和村と南会津郡の只見町の現状を取材した。 「平成の大合併」の際、三島町、金山町、昭和村の3町村は、河沼郡の会津坂下町、柳津町との郡をまたいだ合併案があった。当時の合併に関する研究会のメンバーだった関係者はこう述懐する。 「県会津地方振興局の勧めもあって5町村で合併について話し合うことになりました。当時の5町村長は基本的には合併もあり得るとの考えだったように思います。理由は、国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らすとの方針で、将来的な財政の裏付けがなかったことです」 当時の5町村の人口(2005年1月1日時点)は、会津坂下町約1万8600人、柳津町約4400人、三島町約2300人、金山町約2900人、昭和村約1600人で、計約2万9800人。合併後の新市移行の条件である「人口3万人」にギリギリ届いていなかったが、「振興局の担当者は『市になれると思う』とのことだった」(前出の関係者)という。 「人口比率から言っても、中心になるのは会津坂下町だが、そこに役場(市役所)が置かれるとして、金山町、昭和村からはかなり遠くなります。加えて、当時の会津坂下町は財政状況が良くなかったため、(ほかの4町村の住民・関係者は)会津坂下町にいろいろと吸い上げられてしまう、といった思いもありました。そんな中で、(会津坂下町を除いた)柳津町、三島町、金山町、昭和村の4町村での合併案も出たが、結局はどれもまとまりませんでした。住民の多くも合併を望んでいなかった、ということもあります」 一方で、南会津郡は、2006年3月に、田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して南会津町が誕生した。それに先立ち、下郷町、只見町、檜枝岐村を含めた南会津郡7町村で研究会が立ち上げられ、合併に向けた調査・研究を行っていた。そこから、正式な合併協議会に移行する際、下郷町、只見町、檜枝岐村は参加しなかった経緯がある。 当時のことを知る只見町の関係者はこう話す。 「田子倉ダム(電源立地地域対策交付金)があるから、という事情もあったと思いますが、それよりも『昭和の大合併』の後遺症のようなものが残っており、只見町は最初から前向きでなかった」 只見町は、いわゆる「昭和の大合併」で誕生した。1955(昭和30)年に只見村と明和村が合併し、その4年後の1959(昭和34)年に朝日村が編入して、只見町になった。「平成の大合併」議論が出たころは、それから50年ほどが経っていたが、その後遺症が残っていたというのだ。 「一例を挙げると、只見地区(旧只見村)には町役場の中心的機能、明和地区(旧明和村)には温浴施設、朝日地区(旧朝日村)には診療所という具合に、1つの地区に何かを設けるとすると、残りの2地区には何らかの代わりの手当てをする、といった手法でないと、物事が進まないような状況なのです。これでは行政運営のうえで、あまりにも効率が悪い」(同) それは「平成の大合併」議論から十数年(「昭和の大合併」から60年以上)が経ったいまも変わっていないという。 その際たる例が役場庁舎の問題。同町の本庁舎は、只見町誕生の翌年(1960年)に建てられ、老朽化が進んでいた。2008年度に実施した耐震診断の結果、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があるCランクと診断された。 そこで、目黒吉久元町長時代の2011年に「只見町役場庁舎建設基本計画」が策定され、新庁舎建設計画が進められた。ただ、実現させることができず、目黒町長はその責任を取る形で、2016年12月に2期目の任期満了で退任した。 この後を受けた菅家三雄前町長は、「暫定移転」として、中学校合併によって空いた旧只見中学校に、議会、総務課、農林建設課、教育委員会などの役場の中心的な機能を移転し、「町下庁舎」とした。そのほかの部署は、駅前庁舎とあさひヶ丘庁舎に分散する形になった。この暫定移転が完了したのが2018年で、これに伴い、旧庁舎は解体された。 ただ、この暫定庁舎(分散庁舎)は、町民や観光客などから、「必要な部署(用事がある部署)がどこにあるのか分かりにくい」として不評だった。 一方で、一部町民からは「新しい役場庁舎ができても、町民生活には何の恩恵もない。そんな生産性のないものに多額のお金をかけるべきではない。いまのまま(暫定庁舎)で十分」、「暫定庁舎の整備には5億円以上の費用がかかっている。そのうえ、さらに新しい庁舎を建てるのは、税金の無駄遣いだ」といった声が出た。とりわけ、明和地区、朝日地区では、そうした意見が多いという。 このほか、現在、同町では道の駅整備計画が進められているが、同事業でも「(旧3村の)どこにつくるか」が最大のポイントになっていた。「合併前の旧3村の感情論が絡みなかなか物事が進まない」というのはこういったことを指している。 「平成の大合併」では、核となる市があって、そこに近隣町村が〝編入〟した(形式上は対等合併でも実質的にそうなったものも含む)パターンと、同規模町村が合併して市になったパターンの大きく2つに分けられる。その中でも、後者は「均衡ある発展」を掲げ、その結果、分散型の行政組織や財政運用になった。 それが良いか悪いかは別にして、只見町は「昭和の大合併」以降、そうした状況が続いているというのだ。そんな事情から「平成の大合併」議論が出た際、住民・関係者は拒否反応を示し、南会津郡の合併に参加しなかったわけ。 こうして、三島町、金山町、昭和村、只見町は合併せず単独の道を歩むことになった。 さて、ここからは過去のシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表された4町村の各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 三島町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度6・8012・6318・5103・80・162008年度8・6713・8917・868・70・152009年度10・2812・1915・644・90・132010年度――――13・01・80・122011年度――――11・2――0・122012年度――――9・6――0・122013年度――――7・9――0・122014年度――――6・1――0・132015年度――――4・2――0・132016年度――――3・1――0・142017年度――――2・8――0・142018年度――――3・5――0・152019年度――――4・1――0・152020年度――――4・8――0・15※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 金山町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・826・0720・782・30・242008年度3・667・6618・755・70・232009年度3・907・7915・527・90・232010年度2・970・8311・621・30・222011年度――――8・5――0・212012年度――――6・1――0・202013年度――――4・4――0・202014年度――――3・5――0・202015年度――――2・9――0・222016年度――――3・2――0・232017年度――――3・6――0・232018年度――――4・1――0・232019年度――――4・5――0・242020年度――――4・4――0・24※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 昭和村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度1・323・9415・110・60・112008年度4・078・5813・5――0・112009年度2・877・0011・4――0・102010年度――――10・5――0・092011年度――――9・7――0・092012年度――――8・0――0・082013年度――――6・7――0・082014年度――――5・0――0・082015年度――――4・4――0・092016年度――――3・7――0・092017年度――――3・7――0・092018年度――――4・4――0・092019年度――――5・3――0・102020年度――――5・9――0・10※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 只見町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度2・245・1112・816・10・312008年度8・2111・2611・326・10・302009年度3・595・639・6――0・292010年度――――6・8――0・282011年度――――5・0――0・272012年度――――3・9――0・252013年度――――3・7――0・252014年度――――3・5――0・252015年度――――2・9――0・252016年度――――3・1――0・252017年度――――3・2――0・252018年度――――3・2――0・252019年度――――3・0――0・252020年度――――3・0――0・25※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%。昭和村は5・9%で全国平均を0・2ポイント上回っているが、ほかの3町村はいずれも全国平均を下回っている。推移を見ると、いずれもここ数年は最も良かったころからは多少比率が上がってはいるものの、単独を決めたころから比べると、だいぶ良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、4町村はいずれもそれに当てはまる。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。一方で、4町村とも財政力指数は低い。 4町村長に聞く  4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 矢澤源成三島町長  当時、三位一体の改革の下、財政基盤の強化、行政運営の効率化のため合併が進められたが、その後、地方創生総合戦略や東京一極集中是正の流れから、地域の特性を生かした地域づくりに財源が配分され、合併以前の状況とは異なるが、将来に向けては財政基盤がぜい弱な小規模自治体では不安がある。将来人口推計よりも早く、少子化、人口減少が進行しているが、再生可能エネルギーや地域資源を生かした経済循環とDXの推進等持続可能な地域づくりを進めることにより、財政基盤の強化や行政運営の効率化に繋がるものと考えている。 押部源二郎金山町長  財政状況については、実質公債費比率が健全な状況にあり、適切な状態を維持していると考えている。財政基盤強化については、総人件費と町債の抑制により安定的な財政基盤の確保に努めてきた。行政運営の効率化においても社会情勢の変化に即応した体制や効率化を図っており、今後も状況に応じた対応に努めていく。 舟木幸一昭和村長  本村は自主財源が乏しく、地方交付税を始めとする依存財源に頼らざるを得ない状況にあるので、歳出面では人件費や物件費、維持補修費や補助費などの見直しを図るとともに、村の振興を進めるため昭和村振興計画の実施計画を策定し、事業の平準化なども行ってきた。歳入面では財源確保として、積極的に国や県の補助金を活用するとともに、村債は後年度の償還に有利な過疎対策事業債を起債するなど工夫してきたことから、余剰金については財政調整基金や目的基金に積み立て、後年度負担すべき財源の確保に努めてきた。このことにより、財政健全化法が施行された2007年度から連続して健全財政を維持している。 職員数については、5年ごとに定員管理計画を定め、条例定数61人に対し定員50人を維持している。また、いわゆる団塊の世代の退職後は、職員の平均年齢が県内でも比較的若い状況であることから、ラスパイレス指数が低い状況となっている。 本村は、今後の人口減少を緩やかにしていくため、様々なアイデアを駆使し、移住・定住人口の確保に努めているが、今後想定される公共施設やインフラ設備の補修・改修などの大規模な財政支出により、財政を取り巻く状況は決して楽観できない状態が続くと予想される。今後も、これまでの堅実な財政運営を維持しつつ、産業の振興や移住・定住施策を進めるとともに、新たな試みにも果敢にチャレンジしながら、より一層、村の振興を進めていく。 渡部勇夫只見町長  「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」は合併の目的の大きな柱の1つであると理解している。同時にもう1つの大きな柱である「まちづくり」の方針(構想)も欠くことのできない点だと理解している。当町の財政状況は厳しい環境にあると認識しているので、「まちづくり」により一層力を注ぎながら取り組んでいく。 非合併の影響は軽微  前段で、三島町、金山町、昭和村の3町村は、会津坂下町、柳津町との合併話があり、その研究会関係者の「国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らす方針で、将来的な財政の裏付けがないから、当時の5町村長は合併もあり得ると考えていた」とのコメントを紹介した。 実際、過去のこのシリーズでは合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物のこんな声を紹介した。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、「合併するしか道はない」と考えたようだ。 一方で、シリーズ4回目の「東白川郡」では、「合併しない宣言」で知られる矢祭町の状況をリポートした。同町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決した。言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。そのため、国による締め付け等があったのではないかと思い、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 さらに、「合併しない宣言」後の大部分(2007年〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にもそれほど厳しいということはなかった」 矢祭町の現・前町長の言葉からも分かるように、当時の関係者が危惧したような状況にはなっていない。今回の奥会津4町村についても、決して財政的に豊かではないが、少なくとも著しく住民サービスが劣ったり、行政運営ができない状況には陥っていない。当然、そこには各町村の努力もあるだろうが。 一方、奥会津で合併した南会津町の合併前の旧町村の予算規模(2004年度当初予算=福島民報社の『民報年鑑』より)は次の通り。 田島町▽65億9200万円 舘岩村▽28億4700万円 伊南村▽22億5200万円 南郷村▽25億円 合わせると141億9100万円になる。これに対し、合併後の南会津町の2022年度の当初予算額は126億3400万円。 以前、合併しなかった自治体の役場関係者はこう話していた。 「例えば、うちの自治体だと年間約30億円の予算が組まれる。それが合併したら、この地区(合併前の旧自治体の域内)に30億円分の予算が投じられることはまず考えられない。そういった点からも、合併すべきではないと考えている」 つまりは、合併後の核になる旧自治体は別として、単独の方がそこに投じられる予算が大きいから、住民にとってもその方がいい、ということだ。「なるほど」と思わされる見解と言えよう。 住民に聞いても、「合併しなくて良かった」との声が多かった。 「合併しなくてよかったと感じる。独自のまちづくりができるわけだから」(金山町民) 「結論から言えば合併しなくてよかった。この辺りは、『平成23(2011)年新潟・福島豪雨』で大きな被害を受けたが、水害対応にしても、只見線復旧にしても、町と意思疎通が図りやすいし、(水害の問題で)裁判などを起こす際にも動きやすい面はあったからね」(金山町民) 「合併しなくて良かったと断言できる。合併すれば役場は遠くに持って行かれ、昭和村にはせいぜい10人ほどの職員がいる支所が置かれる程度だったに違いない。その分、サービスは悪くなるし、住民の声が届きにくくなる。いま村では、カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から30代の夫婦が来ている。新聞でもよく取り上げられ、成功していると言っていい。これは合併していたらできなかった。あとは(会津美里町と昭和村を結ぶ国道401号の)博士トンネルが2023年度に開通することになっており、これができれば人の動きも出てくるだろう」(昭和村民) 「合併すると、どうしても旧町村間の感情論で、『あそこ(中心部)だけいろいろな施設ができて、ほかは何もできない』といった問題が出てくる。そういった意味でも、合併しなくて良かったのではないか。現状、余裕がないながらも、特に不便なく存続できているわけだから。それが一番だと思いますよ」(只見町民) 最大の課題は人口減少  一方で、大きな課題になっているのが人口減少と高齢化率の上昇だ。別表は4町村と奥会津地区で合併した南会津町の人口の推移をまとめたもの。各町村とも「平成の大合併」議論のころから3〜4割の減少になっている。もっとも、南会津町の例を見ても分かるように、合併してもしなくても、その傾向に大差はない。もし、合併して「市」になっていたとしてもこの流れは変えられなかった。 さらに、県が昨年の敬老の日(9月19日)に合わせて、9月18日に発表したデータによると、昨年8月1日時点の県総人口は179万3522人で、このうち65歳以上は57万8120人、高齢化率は32・9%(前年比0・4ポイント上昇)だった。 市町村別の高齢化率は、①飯舘村68・6%、②金山町61・9%、③昭和村55・4%、④三島町55・1%、⑤川内村52・5%と続く。上位5つのうち、奥会津の3町村が入っている。ちなみに、飯舘村と川内村は原発事故の避難指示区域に指定され、避難指示解除後に戻ったのは高齢者が多いという特殊事情がある。 昭和村の社会動態は増加  人口減少・高齢化問題について、4町村長に見解を求めた。 矢澤源成三島町長  人口減少と高齢化対策は、日本全体の課題であり、当町のような地方自治体は最も進行している地域であることから、対策のモデル地域となり得るが、雇用や働き方改革、結婚・子育て支援、住環境、教育支援等、社会全体で取り組む必要があると考える。 押部源二郎金山町長  人口減少と高齢化は町の最重要課題である。少子高齢化に伴う人口減少に特効薬はないが、引き続き移住・定住対策、交流人口の増加に力を入れていきたい。 舟木幸一昭和村長  出生と死亡の差は歴然としており、人口減少に大きな影響を与えているが、総務省による2022年の住民基本台帳人口移動報告では9人の転入超過、過去5年間の合計でも20人の転入超過となっているように、自然減を社会増で補おうとしているところ。1994年度から続く「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住が社会増に寄与しており、新年度からは新たに、本村が所有者から空き家を借り上げてリフォームし、就農希望者等の住居として貸し出す「移住定住促進空き家利活用事業」を立ち上げ、集落活性化に繋げていきたい。※高齢化率は約55%で、近年大きな変動はない。 渡部勇夫只見町長  非常に大きな課題だと認識している。町の魅力向上とともに関係人口の拡大に向けた事業に取り組んでいきたい。 前段で、昭和村民の「カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から移住してくるなど成功している。これは合併していたらできなかった」との声を紹介した。舟木村長のコメントでも、「自然動態では人口は減少しているが、社会動態ではプラスになっている」という。その要因として、「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住を挙げており、同村の事例を見ると、やれることはあるということだ。 このほか、同地域の住民はこんな意見を述べた。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 このシリーズの第1回の桑折町・国見町、第2回の大玉村、第4回の西郷村は、県内でも条件がいい町村だった。そのため、「合併する必要がない」といったスタンスだった。その点でいうと、今回の奥会津の4町村は条件的には厳しく、それら町村とは違う。一方で、人口規模が小さいがゆえの小回りが利くことを生かした思い切った仕掛けをすることも可能になる。そういった創意工夫が求められよう。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま