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合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 専門家が指摘【総括編】合併しなかった福島県内自治体のいま

    専門家が指摘【総括編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     昨年12月号から今年4月号まで5回にわたり、「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体の現状をリポートしてきた。今回はシリーズの〝仕上げ〟として、これまで取り上げてきた事例を総括したい。(末永) 専門家は「合併すれば効率アップは間違い」と指摘 条件が恵まれている西郷村(写真は村役場)  国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進した。いわゆる「平成の大合併」である。県内では2004年から2008年までに13例の合併があり、90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。 一方で、「平成の大合併」に参加しなかった自治体もあり、その現状に迫ったのがこのシリーズ。第1回が桑折町と国見町、第2回が大玉村、第3回が棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村(東白川郡編)、第4回が西郷村、第5回が三島町、金山町、昭和村、只見町(奥会津編)と、計5回、12市町村を取り上げた。 このうち、大玉村と西郷村は条件的に非常に恵まれている。県内で人口が増えているのはこの2村のみ。加えて、両村は働き口、高等教育、医療、日用品の調達先など、行政サービス以外で生活に必要な部分は、近隣に依存できる環境にある。逆に「奥会津編」で取り上げた4町村は、人口減少が著しく、高齢化率が非常に高い。一口に「合併しなかった自治体」といっても、その内実や地理的条件などは全く違う。 シリーズ全回で共通して財政指標の推移を示した。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。 当初の合併の目的と照らし合わせると、合併しなかった自治体には、より一層の財政健全化の努力が求められる。記事では、同法に基づき県市町村財政課が公表している「財政状況資料集」を基に、2007年度から当時最新の2020年度までの「実質赤字比率」、「連結実質赤字比率」、「実質公債費比率」、「将来負担比率」、「財政力指数」の推移を一覧化した。加えて、近隣で合併した自治体(例・大玉村は本宮市、西郷村は白河市)の数値と比較しながら、財政指標を検証してきた。 それで言うと、取り上げた自治体すべてで財政指標の良化が見受けられた。合併しなかった自治体は、最初から合併に否定的だったところ、合併を模索したものの、結果的に合併に至らなかったところ、国が目指す「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」が合併に頼らずとも可能だったところなどさまざまだが、合併しない(できなかった)ことを決めて以降は、それぞれが相応の努力をしてきたことがうかがえた。 一方、シリーズ1回目(桑折町・国見町編)で、元福島大学教授で現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)にコメントを求めたところ、「ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善している」と話していた。 今井照氏  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 今井氏のコメントからすると、2021年度以降はさらなる指標の良化が予想されるが、それは各自治体の努力ではなく、外的要因によるもの、ということになる。 「合併しない宣言」の影響 真っ先に国の方針に背いた格好の矢祭町(写真は町役場)  ところで、このシリーズ「最大のハイライト」とも言えるのが矢祭町の状況だ。というのは、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物がこう話していたから。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとって脅しのような感覚だったようだ。要するに、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との強迫観念に駆られ、合併を進めたということだ。 その点で言うと、矢祭町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決し、言うなれば真っ先に国の方針に背いた格好になる。 以前、先進的な取り組みをしている県外自治体を取材した際、担当者は次のように証言していた。 「メディアなどで取り上げられるたびに、国から目を付けられて(苦笑)。国の役人からは『ずいぶん勝手なことをしているようだな』、『その分だと、国からの交付金・補助金などは必要なさそうだな』と露骨に言われることもありました」 これは15年ほど前の話だが、そんなこともあり、矢祭町も国からの締め付けなどがあったのではないかと危惧していた。 この点について、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 佐川正一郎矢祭町長  「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかったですね。それほど影響がなかった背景には、二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にすごく苦労したということはなかった。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大変でしたね」 同町の事例からすると、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物が懸念していたことは杞憂に終わったと言っていい。実際、「奥会津編」で取り上げた町村は、自主財源が乏しく財政基盤が弱い。決して条件がいいと言えない中でも、大きな問題なく存続できている。当然、関係者の努力もあっただろうが、そうした事実がすべてを物語っていると言っていいのではないか。 前出・地方自治総合研究所主任研究員の今井氏はこう話す。 「一般には、合併を選択すると財政が効率化し、財政環境がよくなると理解されていますが、それは誤りです。そもそも企業の合併とは異なり、自治体が合併しても面積や人口が単純に加算されるだけで、行政サービスの総量は減らないので、合併による効率化の効果はほんのわずかに限られます。合併すると、効率化以上に地方交付税などの歳入が絞られていきますので、個々の自治体にとって財政環境が悪化するのは当然です。逆にいうと、合併すれば住民への行政サービスの総量を減らさなくてはならず、中心部だけに投資を残して、周辺部への投資を薄くする傾向があります。合併すると周辺部の衰退が早まるのはそのためです」 このシリーズで取材した自治体の住民も、合併した近隣自治体で、中心部とそうでないところの格差を見ているためか、「結果的に合併しなくて良かったと思う」との声が大多数を占めた。 「大玉村編」では、合併議論当時の同村役場関係者の「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」とのコメントを紹介した。理由はやはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配があったから。ただ、この関係者は「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」と述べていた。 単独の強みを生かせ  一方で、「奥会津編」では、隣接地域の議員経験者のこんな意見を紹介した。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 自治体の枠組みそのものの合併はしなくても良かったと思うが、今後は1つの自治体ですべての行政サービスを賄うのではなく、行政サービスのうち、共有・連携できる部分は「行政組合」のようなものを立ち上げて対応すべきではないか、ということだ。 国(総務省)でも、新たな広域連携について検討しているようだから、今後は本格的にその勉強・検討の必要性が出てくるだろう。 このシリーズの取材では、対象の町村長に質問を投げかけ、文書で回答してもらった。それをあらためて見ていくと、合併しなかったことをどう強みに変えていくかや、いま当該自治体内で抱えている課題などの質問に対し、問題意識を持って回答してくれた町村長と、そうでない町村長が如実に見られた。 ここでは、どの町村長がどうだったかの詳細は触れないが、本当に問題意識がないのか、単に取材対応が面倒なだけだったのか。いずれにしても、そのような町村長のもとに暮らす住民はハッピーとは言えないだろう。 最後に、あらためて指摘したいのは、せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてほしいということ。これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。合併せず、小回りが利く規模の自治体だからこそ可能な、思い切った〝仕掛け〟を生み出していってもらいたい。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 合併しなかった福島県内自治体のいま【東白川郡編】矢祭町・鮫川村・棚倉町・塙町 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま【三島町・金山町・昭和村・只見町】

    【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。県内では、合併したところ、単独の道を選択したところ、合併を模索したもののまとまらなかったところと、さまざまある中、本誌ではシリーズで合併しなかった市町村の現状を取り上げている。今回は、人口減少や高齢化率の上昇が大きな課題となっている奥会津編。(末永) 人口減・高齢化率上昇が課題の三島・金山・昭和  「奥会津」は正式な地名ではなく、明確な定義があるわけではない。ただ、観光面などでの広域連携の中でそうした表現が使われている。主に会津南西部を指す。 只見川・伊南川流域の町村で構成される「只見川電源流域振興協議会」が発行したパンフレット「歳時記の郷 奥会津の旅」には次のように記されている。 《「奥会津」は、福島県南西部に位置する只見川流域、伊南川流域の7町村「柳津町」「三島町」「金山町」「昭和村」「只見町」「南会津町」「檜枝岐村」の総称です》 柳津町は河沼郡、三島町、金山町、昭和村は大沼郡、只見町、南会津町、檜枝岐村は南会津郡と3つの郡にまたがる。今回は、そのうち大沼郡の三島町、金山町、昭和村と南会津郡の只見町の現状を取材した。 「平成の大合併」の際、三島町、金山町、昭和村の3町村は、河沼郡の会津坂下町、柳津町との郡をまたいだ合併案があった。当時の合併に関する研究会のメンバーだった関係者はこう述懐する。 「県会津地方振興局の勧めもあって5町村で合併について話し合うことになりました。当時の5町村長は基本的には合併もあり得るとの考えだったように思います。理由は、国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らすとの方針で、将来的な財政の裏付けがなかったことです」 当時の5町村の人口(2005年1月1日時点)は、会津坂下町約1万8600人、柳津町約4400人、三島町約2300人、金山町約2900人、昭和村約1600人で、計約2万9800人。合併後の新市移行の条件である「人口3万人」にギリギリ届いていなかったが、「振興局の担当者は『市になれると思う』とのことだった」(前出の関係者)という。 「人口比率から言っても、中心になるのは会津坂下町だが、そこに役場(市役所)が置かれるとして、金山町、昭和村からはかなり遠くなります。加えて、当時の会津坂下町は財政状況が良くなかったため、(ほかの4町村の住民・関係者は)会津坂下町にいろいろと吸い上げられてしまう、といった思いもありました。そんな中で、(会津坂下町を除いた)柳津町、三島町、金山町、昭和村の4町村での合併案も出たが、結局はどれもまとまりませんでした。住民の多くも合併を望んでいなかった、ということもあります」 一方で、南会津郡は、2006年3月に、田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して南会津町が誕生した。それに先立ち、下郷町、只見町、檜枝岐村を含めた南会津郡7町村で研究会が立ち上げられ、合併に向けた調査・研究を行っていた。そこから、正式な合併協議会に移行する際、下郷町、只見町、檜枝岐村は参加しなかった経緯がある。 当時のことを知る只見町の関係者はこう話す。 「田子倉ダム(電源立地地域対策交付金)があるから、という事情もあったと思いますが、それよりも『昭和の大合併』の後遺症のようなものが残っており、只見町は最初から前向きでなかった」 只見町は、いわゆる「昭和の大合併」で誕生した。1955(昭和30)年に只見村と明和村が合併し、その4年後の1959(昭和34)年に朝日村が編入して、只見町になった。「平成の大合併」議論が出たころは、それから50年ほどが経っていたが、その後遺症が残っていたというのだ。 「一例を挙げると、只見地区(旧只見村)には町役場の中心的機能、明和地区(旧明和村)には温浴施設、朝日地区(旧朝日村)には診療所という具合に、1つの地区に何かを設けるとすると、残りの2地区には何らかの代わりの手当てをする、といった手法でないと、物事が進まないような状況なのです。これでは行政運営のうえで、あまりにも効率が悪い」(同) それは「平成の大合併」議論から十数年(「昭和の大合併」から60年以上)が経ったいまも変わっていないという。 その際たる例が役場庁舎の問題。同町の本庁舎は、只見町誕生の翌年(1960年)に建てられ、老朽化が進んでいた。2008年度に実施した耐震診断の結果、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があるCランクと診断された。 そこで、目黒吉久元町長時代の2011年に「只見町役場庁舎建設基本計画」が策定され、新庁舎建設計画が進められた。ただ、実現させることができず、目黒町長はその責任を取る形で、2016年12月に2期目の任期満了で退任した。 この後を受けた菅家三雄前町長は、「暫定移転」として、中学校合併によって空いた旧只見中学校に、議会、総務課、農林建設課、教育委員会などの役場の中心的な機能を移転し、「町下庁舎」とした。そのほかの部署は、駅前庁舎とあさひヶ丘庁舎に分散する形になった。この暫定移転が完了したのが2018年で、これに伴い、旧庁舎は解体された。 ただ、この暫定庁舎(分散庁舎)は、町民や観光客などから、「必要な部署(用事がある部署)がどこにあるのか分かりにくい」として不評だった。 一方で、一部町民からは「新しい役場庁舎ができても、町民生活には何の恩恵もない。そんな生産性のないものに多額のお金をかけるべきではない。いまのまま(暫定庁舎)で十分」、「暫定庁舎の整備には5億円以上の費用がかかっている。そのうえ、さらに新しい庁舎を建てるのは、税金の無駄遣いだ」といった声が出た。とりわけ、明和地区、朝日地区では、そうした意見が多いという。 このほか、現在、同町では道の駅整備計画が進められているが、同事業でも「(旧3村の)どこにつくるか」が最大のポイントになっていた。「合併前の旧3村の感情論が絡みなかなか物事が進まない」というのはこういったことを指している。 「平成の大合併」では、核となる市があって、そこに近隣町村が〝編入〟した(形式上は対等合併でも実質的にそうなったものも含む)パターンと、同規模町村が合併して市になったパターンの大きく2つに分けられる。その中でも、後者は「均衡ある発展」を掲げ、その結果、分散型の行政組織や財政運用になった。 それが良いか悪いかは別にして、只見町は「昭和の大合併」以降、そうした状況が続いているというのだ。そんな事情から「平成の大合併」議論が出た際、住民・関係者は拒否反応を示し、南会津郡の合併に参加しなかったわけ。 こうして、三島町、金山町、昭和村、只見町は合併せず単独の道を歩むことになった。 さて、ここからは過去のシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表された4町村の各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 三島町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度6・8012・6318・5103・80・162008年度8・6713・8917・868・70・152009年度10・2812・1915・644・90・132010年度――――13・01・80・122011年度――――11・2――0・122012年度――――9・6――0・122013年度――――7・9――0・122014年度――――6・1――0・132015年度――――4・2――0・132016年度――――3・1――0・142017年度――――2・8――0・142018年度――――3・5――0・152019年度――――4・1――0・152020年度――――4・8――0・15※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 金山町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・826・0720・782・30・242008年度3・667・6618・755・70・232009年度3・907・7915・527・90・232010年度2・970・8311・621・30・222011年度――――8・5――0・212012年度――――6・1――0・202013年度――――4・4――0・202014年度――――3・5――0・202015年度――――2・9――0・222016年度――――3・2――0・232017年度――――3・6――0・232018年度――――4・1――0・232019年度――――4・5――0・242020年度――――4・4――0・24※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 昭和村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度1・323・9415・110・60・112008年度4・078・5813・5――0・112009年度2・877・0011・4――0・102010年度――――10・5――0・092011年度――――9・7――0・092012年度――――8・0――0・082013年度――――6・7――0・082014年度――――5・0――0・082015年度――――4・4――0・092016年度――――3・7――0・092017年度――――3・7――0・092018年度――――4・4――0・092019年度――――5・3――0・102020年度――――5・9――0・10※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 只見町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度2・245・1112・816・10・312008年度8・2111・2611・326・10・302009年度3・595・639・6――0・292010年度――――6・8――0・282011年度――――5・0――0・272012年度――――3・9――0・252013年度――――3・7――0・252014年度――――3・5――0・252015年度――――2・9――0・252016年度――――3・1――0・252017年度――――3・2――0・252018年度――――3・2――0・252019年度――――3・0――0・252020年度――――3・0――0・25※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%。昭和村は5・9%で全国平均を0・2ポイント上回っているが、ほかの3町村はいずれも全国平均を下回っている。推移を見ると、いずれもここ数年は最も良かったころからは多少比率が上がってはいるものの、単独を決めたころから比べると、だいぶ良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、4町村はいずれもそれに当てはまる。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。一方で、4町村とも財政力指数は低い。 4町村長に聞く  4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 矢澤源成三島町長  当時、三位一体の改革の下、財政基盤の強化、行政運営の効率化のため合併が進められたが、その後、地方創生総合戦略や東京一極集中是正の流れから、地域の特性を生かした地域づくりに財源が配分され、合併以前の状況とは異なるが、将来に向けては財政基盤がぜい弱な小規模自治体では不安がある。将来人口推計よりも早く、少子化、人口減少が進行しているが、再生可能エネルギーや地域資源を生かした経済循環とDXの推進等持続可能な地域づくりを進めることにより、財政基盤の強化や行政運営の効率化に繋がるものと考えている。 押部源二郎金山町長  財政状況については、実質公債費比率が健全な状況にあり、適切な状態を維持していると考えている。財政基盤強化については、総人件費と町債の抑制により安定的な財政基盤の確保に努めてきた。行政運営の効率化においても社会情勢の変化に即応した体制や効率化を図っており、今後も状況に応じた対応に努めていく。 舟木幸一昭和村長  本村は自主財源が乏しく、地方交付税を始めとする依存財源に頼らざるを得ない状況にあるので、歳出面では人件費や物件費、維持補修費や補助費などの見直しを図るとともに、村の振興を進めるため昭和村振興計画の実施計画を策定し、事業の平準化なども行ってきた。歳入面では財源確保として、積極的に国や県の補助金を活用するとともに、村債は後年度の償還に有利な過疎対策事業債を起債するなど工夫してきたことから、余剰金については財政調整基金や目的基金に積み立て、後年度負担すべき財源の確保に努めてきた。このことにより、財政健全化法が施行された2007年度から連続して健全財政を維持している。 職員数については、5年ごとに定員管理計画を定め、条例定数61人に対し定員50人を維持している。また、いわゆる団塊の世代の退職後は、職員の平均年齢が県内でも比較的若い状況であることから、ラスパイレス指数が低い状況となっている。 本村は、今後の人口減少を緩やかにしていくため、様々なアイデアを駆使し、移住・定住人口の確保に努めているが、今後想定される公共施設やインフラ設備の補修・改修などの大規模な財政支出により、財政を取り巻く状況は決して楽観できない状態が続くと予想される。今後も、これまでの堅実な財政運営を維持しつつ、産業の振興や移住・定住施策を進めるとともに、新たな試みにも果敢にチャレンジしながら、より一層、村の振興を進めていく。 渡部勇夫只見町長  「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」は合併の目的の大きな柱の1つであると理解している。同時にもう1つの大きな柱である「まちづくり」の方針(構想)も欠くことのできない点だと理解している。当町の財政状況は厳しい環境にあると認識しているので、「まちづくり」により一層力を注ぎながら取り組んでいく。 非合併の影響は軽微  前段で、三島町、金山町、昭和村の3町村は、会津坂下町、柳津町との合併話があり、その研究会関係者の「国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らす方針で、将来的な財政の裏付けがないから、当時の5町村長は合併もあり得ると考えていた」とのコメントを紹介した。 実際、過去のこのシリーズでは合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物のこんな声を紹介した。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、「合併するしか道はない」と考えたようだ。 一方で、シリーズ4回目の「東白川郡」では、「合併しない宣言」で知られる矢祭町の状況をリポートした。同町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決した。言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。そのため、国による締め付け等があったのではないかと思い、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 さらに、「合併しない宣言」後の大部分(2007年〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にもそれほど厳しいということはなかった」 矢祭町の現・前町長の言葉からも分かるように、当時の関係者が危惧したような状況にはなっていない。今回の奥会津4町村についても、決して財政的に豊かではないが、少なくとも著しく住民サービスが劣ったり、行政運営ができない状況には陥っていない。当然、そこには各町村の努力もあるだろうが。 一方、奥会津で合併した南会津町の合併前の旧町村の予算規模(2004年度当初予算=福島民報社の『民報年鑑』より)は次の通り。 田島町▽65億9200万円 舘岩村▽28億4700万円 伊南村▽22億5200万円 南郷村▽25億円 合わせると141億9100万円になる。これに対し、合併後の南会津町の2022年度の当初予算額は126億3400万円。 以前、合併しなかった自治体の役場関係者はこう話していた。 「例えば、うちの自治体だと年間約30億円の予算が組まれる。それが合併したら、この地区(合併前の旧自治体の域内)に30億円分の予算が投じられることはまず考えられない。そういった点からも、合併すべきではないと考えている」 つまりは、合併後の核になる旧自治体は別として、単独の方がそこに投じられる予算が大きいから、住民にとってもその方がいい、ということだ。「なるほど」と思わされる見解と言えよう。 住民に聞いても、「合併しなくて良かった」との声が多かった。 「合併しなくてよかったと感じる。独自のまちづくりができるわけだから」(金山町民) 「結論から言えば合併しなくてよかった。この辺りは、『平成23(2011)年新潟・福島豪雨』で大きな被害を受けたが、水害対応にしても、只見線復旧にしても、町と意思疎通が図りやすいし、(水害の問題で)裁判などを起こす際にも動きやすい面はあったからね」(金山町民) 「合併しなくて良かったと断言できる。合併すれば役場は遠くに持って行かれ、昭和村にはせいぜい10人ほどの職員がいる支所が置かれる程度だったに違いない。その分、サービスは悪くなるし、住民の声が届きにくくなる。いま村では、カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から30代の夫婦が来ている。新聞でもよく取り上げられ、成功していると言っていい。これは合併していたらできなかった。あとは(会津美里町と昭和村を結ぶ国道401号の)博士トンネルが2023年度に開通することになっており、これができれば人の動きも出てくるだろう」(昭和村民) 「合併すると、どうしても旧町村間の感情論で、『あそこ(中心部)だけいろいろな施設ができて、ほかは何もできない』といった問題が出てくる。そういった意味でも、合併しなくて良かったのではないか。現状、余裕がないながらも、特に不便なく存続できているわけだから。それが一番だと思いますよ」(只見町民) 最大の課題は人口減少  一方で、大きな課題になっているのが人口減少と高齢化率の上昇だ。別表は4町村と奥会津地区で合併した南会津町の人口の推移をまとめたもの。各町村とも「平成の大合併」議論のころから3〜4割の減少になっている。もっとも、南会津町の例を見ても分かるように、合併してもしなくても、その傾向に大差はない。もし、合併して「市」になっていたとしてもこの流れは変えられなかった。 さらに、県が昨年の敬老の日(9月19日)に合わせて、9月18日に発表したデータによると、昨年8月1日時点の県総人口は179万3522人で、このうち65歳以上は57万8120人、高齢化率は32・9%(前年比0・4ポイント上昇)だった。 市町村別の高齢化率は、①飯舘村68・6%、②金山町61・9%、③昭和村55・4%、④三島町55・1%、⑤川内村52・5%と続く。上位5つのうち、奥会津の3町村が入っている。ちなみに、飯舘村と川内村は原発事故の避難指示区域に指定され、避難指示解除後に戻ったのは高齢者が多いという特殊事情がある。 昭和村の社会動態は増加  人口減少・高齢化問題について、4町村長に見解を求めた。 矢澤源成三島町長  人口減少と高齢化対策は、日本全体の課題であり、当町のような地方自治体は最も進行している地域であることから、対策のモデル地域となり得るが、雇用や働き方改革、結婚・子育て支援、住環境、教育支援等、社会全体で取り組む必要があると考える。 押部源二郎金山町長  人口減少と高齢化は町の最重要課題である。少子高齢化に伴う人口減少に特効薬はないが、引き続き移住・定住対策、交流人口の増加に力を入れていきたい。 舟木幸一昭和村長  出生と死亡の差は歴然としており、人口減少に大きな影響を与えているが、総務省による2022年の住民基本台帳人口移動報告では9人の転入超過、過去5年間の合計でも20人の転入超過となっているように、自然減を社会増で補おうとしているところ。1994年度から続く「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住が社会増に寄与しており、新年度からは新たに、本村が所有者から空き家を借り上げてリフォームし、就農希望者等の住居として貸し出す「移住定住促進空き家利活用事業」を立ち上げ、集落活性化に繋げていきたい。※高齢化率は約55%で、近年大きな変動はない。 渡部勇夫只見町長  非常に大きな課題だと認識している。町の魅力向上とともに関係人口の拡大に向けた事業に取り組んでいきたい。 前段で、昭和村民の「カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から移住してくるなど成功している。これは合併していたらできなかった」との声を紹介した。舟木村長のコメントでも、「自然動態では人口は減少しているが、社会動態ではプラスになっている」という。その要因として、「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住を挙げており、同村の事例を見ると、やれることはあるということだ。 このほか、同地域の住民はこんな意見を述べた。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 このシリーズの第1回の桑折町・国見町、第2回の大玉村、第4回の西郷村は、県内でも条件がいい町村だった。そのため、「合併する必要がない」といったスタンスだった。その点でいうと、今回の奥会津の4町村は条件的には厳しく、それら町村とは違う。一方で、人口規模が小さいがゆえの小回りが利くことを生かした思い切った仕掛けをすることも可能になる。そういった創意工夫が求められよう。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま

    【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま

     2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。本誌では昨年12月号から、合併に参加しなかった市町村の個々の現状をリポートしている。4回目となる今回は、県内では稀有な人口が増えている自治体である西郷村のいまに迫る。 白河と合併した旧村民が羨む「恵まれた条件」  西郷村は西白河郡に属する。もともと同郡には、同村のほかに、表郷村、東村、泉崎村、中島村、矢吹町、大信村の計7町村があった。 「平成の大合併」議論が巻き起こった際は、2000年9月に同郡7町村と、同地域の中心自治体である白河市で、「西白河地方市町村合併研究会」を設立した。同研究会では「合併することが前提ではない」と前置きしたうえで、合併のメリット・デメリットなどの調査・研究が行われた。「平成の大合併」では、任意合併協議会→法定合併協議会→実際の合併といった流れだったが、同研究会は任意合併協議会に至る前の勉強会といった位置付けだった。 その後、白河青年会議所メンバーが中心となり、白河市・西白河郡8市町村での法定合併協議会設置に向けた署名活動が展開され、2002年1月、8市町村に直接請求が行われた。これを受け、それぞれの議会で、直接請求の法定合併協議会設置に関する議案が審議された。結果は、白河市、表郷村、大信村の3市村が可決、西郷村、東村、泉崎村、中島村、矢吹町の5町村が否決だった。 つまりは、後者5町村(議会)は合併に否定的だったということ。 その後も、調査・研究などは行われており、2003年10月、白河市長・助役(現副市長)が西白河郡の各町村を訪問して「任意合併協議会設置」を打診した。これに、前年に議会が法定合併協議会設置の直接請求を可決していた表郷村と大信村が賛同し、同年12月、3市村で任意合併協議会が設立された。翌2004年8月には東村からも参加意向が示され、同年9月に4市村で法定合併協議会が設置された。その後は4市村で合併協議が進められ、2005年11月に新・白河市が誕生した。 西郷村は、西白河地方の合併に誘われたものの、加わらずに「単独の道」を選んだわけ。 財政指標の推移  さて、ここからは過去3回のこのシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表されている各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ラスパイレス指数をまとめたもの。比較対象として、一緒に合併の勉強をしていた白河市の財政指標を併記した。 西郷村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・2917・2814・453・01・172008年度3・1115・0613・529・21・382009年度2・5619・2812・038・61・442010年度――――14・650・61・272011年度――――17・438・71・012012年度――――12・422・70・882013年度――――11・90・50・892014年度――――10・8――0・892015年度――――9・0――0・882016年度――――9・9――0・902017年度――――8・2――0・902018年度――――6・9――0・892019年度――――5・6――0・912020年度――――4・1――0・94※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 白河市の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度8・4220・6723・6208・10・582008年度7・5119・5922・3186・80・612009年度6・7417・1319・9156・30・602010年度――――16・6136・80・582011年度――――14・6126・50・572012年度――――12・8115・60・552013年度――――11・188・50・572014年度――――9・873・40・582015年度――――9・359・70・602016年度――――9・758・80・602017年度――――10・557・80・602018年度――――10・963・00・612019年度――――11・470・10・632020年度――――10・453・00・64※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 西郷村の職員数とラスパイレス指数の推移年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年139人99・42011年139人108・02012年141人108・62013年146人100・82014年150人100・62015年144人100・32016年146人100・22017年146人100・22018年140人100・42019年142人100・72020年145人100・1※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%で、西郷村はそれを下回っている。推移を見ても、年々良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、西郷村はその1つ。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。そのほか、財政力指数も高い。 いずれの指標も、白河市と比べると「いい数字」が並んでいることが分かる。 ある村民は「合併しなかった最大の理由はそこにある」という。国が「平成の大合併」を推進したのは、財政基盤の強化と行政の効率化が大きな狙いだったが、同村はもともと財政基盤が強く、一時期は地方交付税の不交付団体だった。そのため、当初から「合併しなくてもやっていける」といった考えがあったというのである。 その背景にあるのは条件の良さだ。代表的なのが新幹線が停車する新白河駅があること。同村は「日本で唯一の新幹線の駅がある村」としても知られる。そのほか、東北自動車道白河ICがあるのも同村。いずれも「白河」の地名が付いているが、実際に立地しているのは同村なのだ(※新白河駅の一部は白河市)。 そうした施設・設備があることを背景に、交通の利便性が良く首都圏から近いこともあり、白河オリンパス、信越半導体、MGCエレクトロテクノなど優良企業の工場が稼働し、1000人規模の従業員が勤務している。さらにはイオン白河西郷店や場外馬券売り場・JRAウインズ新白河、ビジネスホテルなどもある。おおよそ「村」という行政区分には考えられないような充実度である。 「加えて、白河市などと比較すると地価が安いため、西郷村に移り住む子育て世代も多い。白河市まではすぐだし、働き口、学校、病院、買い物(食料品・日用品の調達先)などでも不便はないから、十分選択肢になり得る」(ある村民) この言葉に裏付けられるように、同村の人口は年々増えている(左頁表参照)。これは県内では稀有なことで、同村のほかではこのシリーズの2回目で取り上げた大玉村しかない。隣接する白河市が合併直後から約8000人減少していることから考えても、西郷村の状況の良さが分かる。周辺地区の「いいとこ取り」のような格好とも言える。 高橋村長に聞く 高橋廣志村長  高橋廣志村長に、「単独」を選択した当時の関係者の選択の是非や、財政状況・行政運営面、人口が増えていることなどについて、どう捉えているのかを聞いた。なお、高橋村長は2015年から村議を務め、2018年の村長選で初当選し、昨年の村長選では無投票で再選された。 ――「平成の大合併」の議論が進められていた際、近隣では旧白河市と西白河郡3村の合併がありました。その前段で、白河市と西白河郡7町村で「西白河地方市町村合併研究会」が立ち上げられ、合併についての調査・研究を行い、その後、白河青年会議所メンバーを中心に、西白河地方8市町村を対象とした法定合併協議会設置に関する直接請求がありました。これに対し、西郷村議会は「法定合併協議会設置案」を否決しましたが、当時の村長・議会をはじめ、関係者が「単独の道」を選択したことについて、いまあらためてどう感じていますか。 「平成14(2002)年第1回定例会において、住民発議による合併協議会設置の議案が上程され、議会審議の結果、否決となりました。当時の村長・議会及び諸先輩の方々が、合併に伴う西郷村のメリット、デメリットについて熟慮を重ねた結果として、合併協議会設置案が否決されたものと理解しています。 本村は、先人たちの英知とたゆまぬ努力により、立村以来一度の合併、分村もなく現在に至っている歴史があります。現在の西郷村は、県内でも数少ない人口が増加している自治体であり、財政力も他の町村と比較して上位に位置する財政基盤があります。現時点におきましては、先人たちが『単独の道』を選択したことについて良い選択であったと感じています」 ――当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められます。別紙(別表)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」(財政指標、職員数とラス指数)から抜粋したものですが、それら数字についてどう捉えていますか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応についてはどう考えていますか。 「当村の財政指標の推移を見るに、高い財政力を維持しつつ、かつ健全な財政運営が続けられていると読み取れます。また、職員数については、従来、国、県が行っていた業務が権限移譲されておりますが、大幅な職員の増員は行わず、職員給与の指標であるラスパイレス指数についても、平均以上が維持されていると読み取れます。 今後の対応として、過去に誘致した製造業からの法人税、固定資産税に頼るだけではなく、再生可能エネルギーなどの他の産業からの税収確保に努めて『財政基盤強化』を図るとともに、現在の行政体系の見直し、職員の人材育成の強化、公共施設の統廃合、集約化により、『行政運営の効率化』を図っていきます」 ――別紙(別表)は人口の推移をまとめたものですが、西郷村は県内では数少ない人口が増えている自治体です。その要因とこれまでの対策、これからの取り組みについて。 「様々な要因が考えられ、一概にこれというものを特定することは難しいですが、村内に東北新幹線新白河駅(1982年)と東北自動車道白河インターチェンジ(1973年)が整備されたことにより、都市圏からのアクセスの優位性が向上し、以降近隣市町村も含め、多くの企業や大型商業施設の進出により雇用の場が創出されました。 また、『恵まれた自然環境』『里山と田園風景が残る農村環境』『新白河駅周辺の都市的環境』といった特色ある3つの環境が共存した均衡がとれた村であり、様々なライフスタイルが実現できる村として注目されています。 人口が増加していることは、大変喜ばしいことではありますが、単に人口が増加するだけでは意味がなく、お住まいになられている皆様の満足度を向上させることが最も大切であると思っています。 西郷村は中学生以下のお子さんをお持ちの子育て世代の転入が多くみられ、生産年齢人口の割合が比較的大きいことから、子育て・教育支援、就業・雇用支援、移住定住支援を充実し安心して子育てができる環境を築くと共に、全ての方が生きがいを持って、いつまでも愛される、また外の方からは『ここはいい村だね』と自然に語られるような魅力のある村づくりに取り組んでいきたいと思います」 ――「単独」だからできたこと、その強み等々について、感じていることがあれば。 「『単独』だからこそ、村でありながら2万人規模の人口を有しながらも、高い財政力を維持でき、他市町村と比較しても、標準又は標準以上の行政サービスを維持できていると思われます。 強みとしては、単独の小規模自治体であるが故、住民要望に対する予算化、実行に至るプロセスが短く、大規模自治体に比べ迅速に対応できる点が挙げられます」 人口増加について、「一概にこれというものを特定することは難しい」との回答だったが、やはり、新白河駅、白河ICが整備されたことに伴う、複数の企業立地や大型商業施設進出などを挙げた。前述したように財政状況が良いのはそれに基づく部分が多い。 「単独」の利点を生かせ  合併議論が本格化したころから、その後の大部分で村政を担ったのは佐藤正博氏だった。白河市職員、村収入役を経て2002年の村長選で初当選し、2018年まで4期16年間務めた。 佐藤氏の在職時、近隣自治体などで話を聞くと、多くの行政関係者が「あの村長は個性的だからね」と評した。象徴的なのは、原発事故を受け、会津・県南地方が「自主的避難区域」から外された際、両地方の首長・議長などが集まり、「分断を許さないためにも、両地方の関係者が連携していこう」といった趣旨の協議会設置のための集会が開かれた時のこと。その場に居合わせた首長・議長から「とりあえず、西郷村の佐藤村長が仮議長になって、進めればいいのでは」といった声が上がり、佐藤氏がタクトを振った。最終的に両地方の中心都市である会津若松市と白河市の両市長が代表者といった立場になったが、首長・議長が勢揃いする中で、その前段を佐藤氏が取り仕切ったのだ。それだけ、インパクトの強い人物だったと言える。 ただ、在職時に佐藤氏が何か目を引くような政策を打ち出したか、というと思い浮かばない。結局のところは、条件面で恵まれているから、すべてが上手く回っていたということではないか。 白河市と合併した旧村の住民からは「そりゃあ西郷村はいいよ。あらゆる面で恵まれているから。あれだけ条件が良かったら、ウチも合併しなかった」との声も聞かれたほど。 条件面に恵まれていることにあぐらをかかず、「単独」を選択したことで、小回りが利くからこそできる「新たな仕掛け」を生み出していってもらいたい。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 合併しなかった福島県内自治体のいま【東白川郡編】矢祭町・鮫川村・棚倉町・塙町

    【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体のいまに迫るシリーズ。第3弾となる今回は、「合併しない宣言」で知られる矢祭町、合併を模索したものの、住民投票の結果、合併が立ち消えになった棚倉町、塙町、鮫川村の東白川郡4町村を検証していく。(末永) 国の方針に背いた矢祭町は「影響が軽微」  東白川郡は棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村の4町村で構成される。国の方針で「平成の大合併」議論が巻き起こった際、矢祭町議会は「合併しない宣言」を可決した。それが2001年10月のことで、早々に「単独の道」を選択したのである。同町は県最南端の県境に位置するため、合併すれば〝どん詰まり感〟が増す。町民の多くも「合併を望まない」との意向だった。 一方、ほかの3町村は「合併は避けられない」と考え、町村長、議会が勉強会を実施し、2002年2月に任意合併協議会、同年7月には県内初となる法定合併協議会を設置した。当時、3町村の人口は、棚倉町が約1万6000人、塙町が約1万1000人、鮫川村が約4500人で、新市への移行要件である「人口3万人」を少し超える規模だった。合併期日は2004年3月1日に設定し、実現すれば「平成の大合併」県内第1号、新市誕生となるはずだった。 ただ、2003年7月に実施した合併の賛否を問う住民投票で情勢が一変した。住民投票の結果、棚倉町は65%が賛成だったが、塙町は55%、鮫川村は71%が反対だったのだ。 事前の見立てでは、「棚倉町は賛成が上回るのは間違いない。塙町は拮抗するが、若干、賛成が上回るのではないか。鮫川村は反対が上回る可能性が高いが、それほど大きな差にはならないだろう」というもの。ところが、蓋を開けてみると、棚倉町は予想通りとなったが、塙町は予想に反して反対が上回り、鮫川村の反対比率も予想以上だった。 棚倉町は県南農林事務所の一部機能、土木事務所などの県の出先が置かれ、東白川郡の中心に当たる。そのため、合併後の新事務所(市役所)が置かれる公算が高かった。新市の中心になれる棚倉町と、そうでない2町村では合併に対する住民の捉え方が違っていたということだ。 住民投票の結果を受け、3町村長は「住民は合併を望んでいない」と判断し、法定合併協議会の解散を決めた。 その直後には鮫川村の芳賀文雄村長が辞職した。芳賀村長は2003年4月に5回目の当選を果たしたばかりで、「合併を成し遂げることが自身の最後の仕事」と捉えていたようだ。しかし、合併が立ち消えになったため、5選されてからわずか3カ月程度で自ら身を引いた格好。 こうして、東白川郡4町村はそれぞれ単独の道を歩むことになったのである。ちなみに、合併協議に当たり、住民投票を行ったのは県内ではこの3町村だけだった。 単独の道を歩むうえで、最も重要になるのが財政面だ。別表は4町村の各財政指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課の2020年度のまとめによると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも大差はない。 実質公債費比率の全国の市区町村平均は5・7%、県内平均は6・1%で、矢祭町はここ数年は多少上昇傾向にあるものの、全国・県内平均を大きく下回っている。 将来負担比率は、県内31市町村が発生しておらず、棚倉町、矢祭町、鮫川村がそれに該当する。棚倉町は2020年度から「算出なし」だが、矢祭町と鮫川村は早い段階から発生していない。 こうして見ると、矢祭町の指標がいいことが分かる。「合併しない宣言」以降、相応の努力をしてきたのだろう。 4町村長に聞く  4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 湯座一平棚倉町長  平成15(2003)年以降の棚倉町の財政は、地方交付税の削減幅が予測より小さかったことや地方への税源移譲により、歳入が堅調に推移してきたため、住民サービスの低下を招くことなく安定した運営ができています。財政力指数についても、県内平均より高い水準で推移してきていますので、合併しなかったことで財政的に行き詰まるといった心配は、杞憂に終わりました。 職員数については、合併を想定して策定した定員適正化計画に基づいた定員管理を行うことで、平成14(2002)年の168人から令和4(2022)年には126人と、この20年間で42人の減員を進めてきました。これは、指定管理者制度の導入やIT技術の導入による事務の効率化、さらには組織機構の改編をこまめに行い事務の効率化・簡素化に取り組んできた結果です。 ラスパイレス指数については、平成18(2006)年の給与制度改正時に年齢別職員の偏在により一時高い数値を示しましたが、現在は落ち着いた数値で推移しています。 「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと今後の対応につきましては、歳入に見合った予算編成を是とし、住民サービスの質を落とすことなく、将来の財政需要に備えて基金の積み増しや、計画的な施設の維持補修を行い、将来的に人口減少と少子高齢化の課題解決ができるよう取り組みを展開していきます。 佐川正一郎矢祭町長  財政指標に対する見解については、本町は30~40%の財政力指数が示すとおり、自主財源に乏しい小規模自治体ではありますが、2012年度以降の実質公債費比率が5%未満であるなど、財政の基本である「入るを量りて出ずるを為す」の精神が受け継がれ、健全財政を堅持できていることは、「合併しない宣言」以降の徹底的な行財政改革の成果であると思っています。職員数とラス指数については、ここ数年増加傾向にありますが、多様化する町民ニーズへの対応や高度化する行政課題解決のための必要最小限の増員であり、職員の負担が減少していない現状を考えると更なる対応が必要であると思っています。 これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みについては、「子育てサポート日本一!」をスローガンに掲げ、議員定数の削減や議員報酬日当制の導入、事務事業の見直しや業務の効率化に伴う職員の大幅な削減等で捻出した財源を少子化対策に充てるなど、次代を担う子どもたちのための施策を充実させてきました。 今後も行政サービスの低下を招かず、コスト削減をするにはどうすればよいか、受益者負担の適正化についても、町民と共に考えながら、DXを推進するためのデジタル人材の育成やデジタルサービスの提供による利便性の向上と業務の効率化に注力し、更なる行財政改革を進めていきます。 宮田秀利塙町長  財政状況資料の各種数値は、人間に例えれば、健康度合の指数と捉え、栄養不足・偏り、肥満、運動不足にならないように、常に、注視を怠らないように心がけています。 また、当町では福島財務事務所へ平成29(2017)年度と令和2(2020)年度の二度、町の財政状況の診断をお願いしており、その結果、当面問題となるような数値はないとの診断をいただいております。この後も時々に診断をお願いし、財政基盤強化の指針としていく考えです。 更に財政基盤強化のためには、自主財源である町税確保のために、町内での起業支援を広範に推進して参りたいと考えています。 行政運営の効率化については、地域の環境整備とコミュニティ維持を目的として実施中の「地域振興事業交付金事業」に代表されるように、住民が自ら出来ることは自分達で担い、行政はその一助として財政的に支援するという「住民協働と行政参画」の推進を行い、様々な行政サービスの受益と負担の関係を、より一層明確化するとともに、地域の住民が、行政サービスの費用負担とそこから得られる受益を比較・考慮して、出来るだけ、自らの判断と責任で地域の行政サービスの水準を決定できるような仕組みに改めていく必要があると考えています。 また、職員には、事業費の財源の内容提示の徹底を図ることで、財源確保の意識を高め、積極的な交付金、補助金の活用を推進して参りながら、前例に、こだわることなく、あらゆる可能性の中での財政基盤強化、効率化への取り組みを進めて参りたいと考えています。 関根政雄鮫川村長  財政力指数は0・17と全県的にも下位にあり、自主財源確保も厳しい状況にあります。 本村は平成18(2006)年の行財政改革のひとつとして特別職や議会議員の報酬を20~25%削減するなど財政再建を図りながら現在に至ります。「入るを量りて出ずるを為す」。ふるさと納税等の自主財源確保と目的を果たした公有財産の処分等、「身丈にあった財政計画」を推進しています。 また、運営の効率化においては、既に給食センター運営は隣町と連携しています。少子高齢化に相応する職員の採用計画と配置も不可欠です。さらに業務の効率化優先で「住民サービス」が低下しないよう最大考慮すべきであると考えます。   ×  ×  ×  × 「単独」の強みとは  このほか、「単独」だからできたこと、その強み等々についても見解を聞いたので紹介したい。 湯座一平棚倉町長 棚倉町の場合は、合併に賛成したけれども単独の道になったという事情がありますが、合併協議を経験したことで、以前のようにフル装備の町を目指すのではなく、住民生活に必要なものを見極めて、必要なものだけを整備していくという考え方で、代替えできる施設については、廃止するなどの対応をしてきています。例を挙げると町民プールはルネサンス棚倉のプールや各小中学校のプールを活用することで廃止とし、中央公民館についても文化センターに公民館機能を持たせることで廃止しています。また、図書館については、代替えがきかない必要な施設として新たに整備しています。 さらに、合併しなかったことにより、城下町の特性に着目し「東北の小京都」として観光PRを展開するなど、町にある資源に着目したまちづくりを進めています。 まちづくりの基本理念は「住民が主役のまち」「安心で優しいまち」「誇りと愛着のもてるまち」であり、「人を・心を・時をつなぐ たなぐらまち」を目指す将来像としてきめ細やかな行政運営に徹しています。 佐川正一郎矢祭町長 「単独」だからできたこと、「小さな自治体」だからできたことは、そう多くはなかったと思いますが、自信も持って言えることは、住民自治の重要性に気づき、逸早く行政の守備範囲を見直し、町民や各種団体等がそれぞれのできる範囲で行政に参加し、町と協働して地域を運営するという、町民が自分たちの手で地域を育てていく仕組みづくりを構築できたことであると思います。 また、その強み等々については、小さな自治体は、地域住民が自らの地域に目を向け、地域を調べ、知り、考えることから始まります。高齢者等の見守りや援助の体制、まちづくりに関わる住民との連携など、住民の顔が見える小さな自治体であればこそ、きめ細かい対応が可能になると思っています。また、災害が起こった場合どこが危険かなど、地域の環境について知悉(ちしつ)している職員がいることで、迅速な対応ができることも、強みであると思っています。 宮田秀利塙町長 町内のインフラ整備等の要望に対しまして、きめ細やかな対応が出来たことかと思っています。地域代表者と直接の話し合いの場を持つことで、地域の現状をしっかりと把握し、現状に即し、地域の皆様が喜ぶ工事・修復を実施することが出来ました。ひいてはそれが無駄な出費の削減にもつながりました。 具体的には、町の財政節減の考えを説明することで、その現場の対応を、町が行うべきか、あるいは地域での対応が妥当なのか、を話し合いの中から導き出した結果、最良な対応の選択が可能となり、迅速で無駄の少ない行政サービスの提供につながってきました。当然のことながら、地域で対応する場合は、資材等の支給を町が行うと共に、資材以外の部分でも財政支援を行うことで住民の負担軽減にも努めました。 「単独」であったことの、最大の強みは、住民の様々な思いを、直接聞きやすい環境であるため、住民の声に対し、きめ細やかに、しかも素早い対応が出来ることかと思っています。 関根政雄鮫川村長 他町村から比較すると、全ての生活環境において条件が整っていないと思いきや、過疎地域の環境には大きな個性的魅力があります。さらに人口減少は避けられないが、全村民に「村づくりの理念」や「希望や喜び」を隅々まで丁寧に伝えることができる利点もあります。 村の最大の魅力は「小さな村であること」であり、「村民主体の村づくり」を推進し「幸福度」を高めるためには理想の自治体規模であると考えています。   ×  ×  ×  × 1つ例を挙げたい。原発事故の影響で、県内では牧草から基準値超の放射性物質が検出される事例が相次いだ。これを受け、畜産農家が多い鮫川村では、海外から干し草を購入し、村内約140戸の畜産農家に配布した。それにかかった費用は、後に村が東京電力に賠償請求する仕組みをつくった。言わば、村が畜産農家の牧草調達と東電への賠償請求を代行した格好。当初、東電は自治体の賠償には消極的で対応が遅かったが、この仕組みは「鮫川ルール」として、比較的迅速に賠償支払いが行われた。畜産農家からしたら、面倒な手続きを村が代行してくれ、ありがたかったに違いない。これは、単独だからできたことと言えよう。 顕著な人口減少  一方で、大きな課題になっているのが人口減少だ。別表は東白川郡4町村の人口の推移。各町村とも人口減少が顕著になっている。もっともこれは、合併していたとしても同じ結果になっていたはず。全国的な課題で、なかなか打開策はないが、合併しなかったことで、小回りが利くことを生かして、それぞれやれることをやるしかない。  このほか、郡内住民の声を聞くと「結果的に合併しなくてよかったのではないか」といった意見が多い。 「何がどう、と聞かれると難しいけど、結果的に合併しなくても不自由なことはなかったから、(合併がなくなったのは)よかったのではないか」(棚倉町民) 「当時の国の方針は、合併しなければ交付税を減らすというものだった。でも、住民投票の結果、合併話がなくなり、これから大変だぞ、と思ったけど、実際はそれほどではなかった。まあ、(行政の)内部は大変だったのかもしれないけど。いずれにしても、東白川郡の現状を見ると、合併しなくてよかったのだと思う」(棚倉町民) 「(隣接する)茨城県で合併したところの住民に聞いたけど、『合併してここが良くなった』という具体的な話は聞かない。矢祭町は最初から合併しない方針だったけど、正解だったと思う」(矢祭町民) 東白川郡に限らず、住民の心情としては、「できるなら、いまのままで存続してほしい」といった意見が多い。ただ、当時、行政の内部にいた人に話を聞くと、「地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との不安があったという。そのため、「国の方針に従った方がいい」として合併を模索し、実際に成立させたわけ。 国に逆らった影響  その点で言うと、矢祭町は「合併しない宣言」を議会が可決し、言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。その影響や、締め付け等を感じることはあったのか。この点について、佐川町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らすとの方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)も関係していると思います。財政的にも、根本良一元町長の時代に行財政改革が行われ、必要な部分の投資もある程度は完了していました。私の時代の大きな事業といえば、こども園建設と小学校統合くらいですかね。ですから、財政的にすごく苦労したということはありませんでした。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大きかったですよ」 最後に。いま同郡内で不安材料になっているのが衆議院小選挙区の区割り改定だ。これまでは須賀川市、白河市、田村市などと同じ3区だったが、改定後は会津地方、白河市、西白河郡と一緒の新3区になる。 東白川郡は車両ナンバーが「いわき」で、どちらかというと浜よりの文化・生活圏。県内でも会津とは縁遠い。そのため、「東白川郡はもともと票(人口)が多くないし、会津地方と一緒になったら、代議士の先生の目が向きにくくなるのではないか、といった不安がある」というのだ。 合併の話からは逸れてしまったが、今後の同郡内の行政を考えるうえでは、そこが不安材料になっているようだ。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 【大玉村】合併しなかった県内自治体のいま

    【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま

    郡山市が通勤圏内、プラント立地で人口増  国の意向で2000年代を中心に進められた「平成の大合併」。県内では90市町村から59市町村に再編された。そこに参加しなかった県内自治体のいまに迫るこのシリーズ。今回は、安達郡で唯一「単独の道」を選択した大玉村を検証していく。(末永)  「平成の大合併」前、安達郡は大玉村のほか、安達町、岩代町、東和町、本宮町、白沢村の4町2村で構成されていた。これに二本松市を加えた1市4町2村が「安達地方」に位置付けられ、それら市町村で消防行政やごみ・し尿処理施設、斎場(火葬場)運営などを担う「安達地方広域行政組合」が組織されていた。  「平成の大合併」では、2005年12月1日付で二本松市と安達町、岩代町、東和町が合併して新・二本松市に、2007年1月1日付で本宮町と白沢村が合併して本宮市になったが、大玉村はいずれにも加わらなかった。これにより、安達地方広域行政組合の構成員は2市1村となり、安達郡は大玉村のみとなった。ちなみに、県内で1郡1村(1郡1町を含む)は安達郡(大玉村)だけである。 当時の大玉村役場関係者はこう述懐する。 「いまも存在していますが、以前から本宮町、大玉村、白沢村の首長、助役(※当時=現在は副市町村長に名称変更)、議員などで構成する『南逹地方振興協議会』というものがあり、広域的に地域振興や課題への対応などを協議していました。ですから、『平成の大合併』の議論が巻き起こった際、それが1つの枠組みになるのではないかと捉えられていました。東北部(二本松市)との合併は、当初からそれほど話題にはなっていなかったように思います」 前述したように、「安達地方」は1市4町2村で構成されていたが、二本松市、安達町、岩代町、東和町の「東北逹」と、本宮町、大玉村、白沢村の「南逹」が合併の枠組みとして捉えられていたというのだ。 当時の本誌取材の感覚では、「東北逹」は二本松市と安達町は地理的な条件面などで優れているが、岩代町と東和町は国道4号やJR東北本線のラインから外れ、地理的条件などが厳しかった。そのため、「東北逹」の合併は二本松市と安達町が岩代町と東和町を救済するといった側面があったように思われる。 一方、「南逹」は当時の大玉村役場関係者のコメントにもあったように、「南逹地方振興協議会」というものがあり、もともと広域連携や交流、結び付きがあった。そのため、「合併するなら、この3町村で」と捉えられていたようだ。 ただ、当時、本宮町は工業団地の造成に伴う財政負担が大きく、大玉村からすると合併相手としては決していい条件とは言えなかった。 一方で、白沢村は岩代・東和両町と同様、国道4号やJR東北本線が通っている自治体に比べると、地理的条件などが厳しかった。 そのため、大玉村は消極的で、本宮町と白沢村で合併協議が進められることになった。なお、当時の国の方針では、新市(市政施行)への移行条件は「人口3万人以上」だった。合併時、本宮町の人口は約2万2000人、白沢村は約9000人で、それを満たしていたこともあり、両町村が合併して本宮市が誕生した。 こうして、安達地方は2市1村に再編され、大玉村は「単独の道」を選択した。なお、合併議論が巻き起こった際、大玉村長だったのは浅和定次氏で1993年から2013年まで5期20年務めた。2013年からは押山利一氏が村長に就き、現在3期目。押山氏は元役場職員で、浅和村長の下で、総務課長や教育長などを歴任した。「単独の道」を決めた浅和氏、それを近くで見てきた押山氏が合併議論の渦中と、その後の村政を担ってきたのである。 押山利一村長 一部に「心配」の声  とはいえ、前出・当時の大玉村役場関係者によると、「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」という。その理由は、やはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配事があったからだ。 前号の「桑折町・国見町編」でも紹介したが、合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう語っていた。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 この首長経験者にとって、そうした国の方針は「脅し」のような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併を選択したというのである。 大玉村でも、同様の心配をする声があったということだ。行政の内部にいたら、そういった思いになるのは当然のことと言えるが、「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」(前出・当時の大玉村役場関係者)という。 それは、合併しなかった市町村への国からの〝締め付け〟が思ったほどではなかったから、と言えよう。 もっとも、前号で検証した桑折町・国見町もそうだったが、合併しなかった市町村は、それなりの「努力の形跡」が見て取れる。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための各種指標が公表されるようになった。 別表は同法に基づき公表されている大玉村の各指標の推移。比較対象として、同地区で合併した本宮市の各指標を併記した。 大玉村の職員数とラスパイレス指数の推移 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  全体的に指標は良化していることが見て取れる。実質公債費比率は近年は若干増加傾向にあり、本宮市に「逆転」された形になっているが、将来負担比率は2020年度は「算出なし(ゼロ、あるいはマイナス)」となっている。 もっとも、前号でも紹介したが、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。 「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 次に職員数とラスパイレス指数について。近年、臨時を含めた職員数は増えている。その要因については、後段で押山村長に見解を聞いている。 特筆すべきは人口の推移。別表に安達地方3市村の人口の推移をまとめたが、二本松市が合併直後と比べると約1万人減、本宮市が微減となっている中、大玉村だけは増加し続けている。これは県内市町村では極めて稀有なこと。特に、福島県の場合は、東日本大震災・原発事故を受け、人口減少が加速した。そんな中で、一時的に増加に転じるところはあっても、安定的かつ長年にわたって増加し続けているのは、県内では大玉村と西郷村だけである。 こうした各種指標や人口の推移などについてどう捉えているのか、押山村長に聞いた。 ――「平成の大合併」の議論が進められていた際、近隣では旧二本松市と安達郡3町、本宮町と白沢村の合併がありました。大玉村にもその誘いがあったと思いますが、当時の村長はじめ、関係者の「単独の道」という選択をしたことについて、いまあらためてどう感じていますか。 「当時、私は村役場総務課長として市町村合併を担当しておりました。安達管内は二本松藩の域内であり歴史的に結びつきが強く『安達はひとつ』の考えの下に『安達地方広域行政組合』をはじめとして、強い結びつきがありました。 当初は、域内7市町村または3町村の合併論議はありましたが、当村では伝統的に『自主独立』の気運が強く、村内での住民との意見交換会でも『合併すべき』の意見はごく一部で大多数が反対意見でした。 議会をはじめ、各種機会に意見をうかがいましたが、議会及び村民の合併に対する意見は、大多数が合併は望まないとのものでした。そこで、大玉村としては『村民の望まない合併はしない』と早い段階で決定した次第です。 その選択が村民にとって良かったかどうかは、その時点で選択の余地がなかったとはいえ、単独の道を選んだ以上は村民の皆さんがそのようなことを意識しないで生活できる村政の執行が肝要だと思っています」 ――当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められます。(別表で示した)財政指標、職員数とラス指数についてどう捉えていますか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応についてはどう考えていますか。 「『財政指標』については、もともと4割弱の財政力指数が示す通り典型的な小規模自治体ですが、『住民サービスを落とさずに健全財政を維持する』をテーマとして、前村長時代からの村政執行のベースとなっています。 『入るを量りて出ずるを為す』は当然のこととして、行政の先行投資の部分も当初から行われていたと思います。例えば、保育料や幼稚園の一部減免、定住化政策への助成などのソフト面から、ハード面は徹底して身の丈に合った施設でランニングコストを極力抑えるものとする等の徹底も財政力指標に表れていると考えています。 『職員数とラスパイレス指数』については、近年の保育所の入所増、幼稚園の3年保育実施、増え続ける行政需要に対応するための増加であるが、それでも職員の負担は旧に倍して増大しています(※職員定数は116人)。 『財政基盤強化』、『行政運営の効率化』への取り組みと今後の対応については、住民サービスの水準を落とさずに財政調整基金等の積み増しを図りつつ、将来を見据えて新規事業に取り組んでいます。 今後も子育て支援や定住化政策、健康長寿の村づくり、公共交通網の整備等の『村民の満足度を高める政策』の継続と、将来のための企業の誘致基盤の確立に努めていきます」 人口増加の要因  ――大玉村は県内では数少ない人口が増えている自治体です。その要因とこれまでの対策、これからの取り組みについて。 「『人口の推移』については、国勢調査で45年連続増加しているが、国県等の人口減少の中で、大玉村だけが増加を維持することは困難と考えています。 また、コロナウイルス感染症による出生数の激減が危惧されており、今から将来に向けての新たな対策が不可欠と考えています。 現在までの人口増の要因は複合的であり、子育て支援や定住化政策、福島・郡山・二本松・本宮が通勤通学圏内、国道4号沿いである交通の利便性、安達太良山から広がる景観、そして地価が廉価等の理由が挙げられます。 今後もこれらの利点をさらに高めて人口維持に努めますが、減少すればしたなりの行政運営があるだろうと考えています」 ――「単独」だからできたこと、その強み等々について、感じていることがあれば。 「『単独』だからできたこと、『その強み等々』については、合併せずに単独の道を選んで現在に至っているので、その過程で『小さいからこそ可能な村のメリット』があるとの思いで、きめ細かな行政運営に徹してきました。 前村長の言で『住民に目の届く、住民から手の届く村政』や私の村政の基本的な考え方『村民に日本一近い村政』の実現を目指しています。 ただ、逆に財政的に住民にサービスを届けられない『小さいゆえのデメリット』も多々あります。 幸いにも管内(二本松市、本宮市、大玉村)の結びつきが強く、各合併後も各種分野で連携が維持されており、特に消防、衛生関係など『安達地方広域行政組合』、『安達地方市町村会』等が有効に機能しています」 やはり、役場内、議員、村民のいずれも、当初から「合併」には消極的だったようだ。実際、村民からすると「(全国的に合併議論が巻き起こった際も)最初からそういう機運はなかった」という。 そのほか、押山村長は職員数の増加については「近年の保育所の入所増、幼稚園の3年保育実施、増え続ける行政需要に対応するための増加」と明かし、人口増加については「複合的な要因」と分析した。 恵まれた条件  前出・当時の村役場関係者はこう話す。 「1つ例を挙げると、大玉村にはほかの多くの市町村にあるような、企業・工場を誘致するために行政が造成したいわゆる工業団地がありません。それは、農業で生計を立てている人が多いこともありますが、働き口として本宮市や郡山市に依存できる、といった部分が大きい。そのほかでも、行政サービスは別として、普段の生活の面では本宮市や郡山市に頼れるところが多い。そのため、そういった部分で行政が財政投資をしなくてもいい、といった側面があります。そのことが財政指標の良化につながっている面は多分にあると思います」 二本松市、本宮市、郡山市などが通勤・通学圏内で、働き口や医療・介護など、さまざまな面でそれらに依存できる地理的条件にある。そのため、そういった部分に財政投資する必要がないことから、財政指標の良化につながっている面があるというのだ。 加えて、それらの市に比べると、地価が安いため、若い世代が移り住み人口増加につながっている。押山村長が語っていたように、子育て支援や定住化政策など、村の努力によるとこもあるだろうが、やはり条件面で優れていることが大きい。だからこそ、早い段階で「合併しない」ことを決断できたのだろう。 ある村民は「唯一、不便なところを挙げると、大玉村にはJR東北本線の駅がないこと」という。ただ、役場周辺から本宮駅までは3㌔ほどで、村内各所から本宮駅までコミュニティーバス、デマンドタクシーなどを運行している。 その代わり、というわけではないが、現在、村では東北道のスマートインターチェンジ(IC)誘致を進めている。役場周辺から本宮ICまでは5㌔ほど、二本松ICまでは8㌔ほどで、スマートIC設置により、村ではさらなる交通の利便性向上と周辺開発を期待している。それに当たり、村内では「スマートICより、JR東北本線の駅をつくってほしい」といった意見もあったという。前述したように、「大玉村にはJR東北本線の駅がないのが唯一の弱点」といった意見もあったが、駅間の距離、利用見込みなどから、現実的ではないようだ。 そのほか、別の村民によると「プラントの存在も大きいと思う」という。プラント(PLANT)は総合ディスカウントストアで、「プラント―5 大玉店」は2006年2月にオープンした。ちょうど、「平成の大合併」議論が巻き起こっていたころで、当然、その前から「プラントが出店する」ということは分かっていた。地元雇用が見込めるし、若い世代が移り住むにも大きな要素となる。具体的な数字は不明だが、固定資産税なども相応と聞くから、その点も「単独の道」を後押ししたに違いない。 こうして聞くと、村の努力も当然あったと思われるが、それ以上に、県内最大の経済都市である郡山市が通勤圏内であること、大型商業施設が立地していること、近隣の市に比べて地下が安いこと――等々の条件が揃っていたのが大きい。 一方で、前号の「桑折町・国見町編」でも同様の指摘をしたが、「大玉モデル」や「大玉ブランドの新名物」と言われ、全国から注目を集めるような特別な仕掛けがあったかと言うと、思い当たらない。現状に満足せず、新たな仕掛けを生み出していくことも求められよう。

  • 【桑折町・国見町】合併しなかった市町村のいま

    【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま

     人口減少・少子高齢化など、社会・経済情勢が大きく変化する中、国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進してきた。いわゆる「平成の大合併」である。県内では90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。一方で、県内では「平成の大合併」に参加しなかった自治体もある。それら自治体のいまに迫る。今回は桑折町・国見町編。 財政指標は良化、独自の「創造性」はイマイチ  2006年1月1日、伊達郡の伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町が合併して伊達市が誕生した。当初、この合併議論には、桑折町と国見町も参加しており、「伊達7町合併協議会」として議論を進めていた。  ただ、2004年8月に桑折町の林王喜久男町長(当時)が合併協議会からの離脱を表明した。その背景にあったのは、合併後の事務所(市役所本庁舎)の位置。伊達7町合併協議会は事務所の位置に関する検討小委員会で、「新市の事務所は保原町とする」と決定した。それが同年8月11日のことで、それから約2週間後に開かれた桑折町議会合併対策特別委員会で、林王町長は合併協議会からの離脱を表明したのだ。  離脱の理由について、林王町長は①合併に対する基本的な考え方が満たされない、②行政圏域と生活圏域が一致しない、③町民への説明責任が果たせない――等々を明かしていた。とはいえ、当時、同合併協議会の関係者の間ではこんな見方がもっぱらだった。  「伊達地方は(阿武隈川を境に)川東地区と川西地区に分かれ、前者の中心が保原町、後者の中心が桑折町。合併協議が進められる過程で、両町による合併後の主導権争いがあった中、新市の事務所の位置が保原町に決まった。それに納得できない桑折町は『だったら、参加しない』ということになった」  桑折町は旧伊達郡役所が置かれ、「伊達郡の中心は桑折町」といった矜持があった。にもかかわらず、合併後の事務所は保原町に置かれることになったため、離脱を決めたというのだ。  同年9月に正式に離脱が決まり、以降は「伊達6町合併協議会」と名称を変更して、議論を進めることになった。  ところがその後、同年11月に行われた国見町長選で、「合併を白紙に戻す」と訴えた佐藤力氏が当選した。当時、現職だった冨永武夫氏は、県町村会長を歴任するなどの〝大物〟で、「合併を成し遂げることが町長としての最後の仕事」と捉えていた様子だった。一方の佐藤氏は共産党(町長選では共産党推薦の無所属)で、急遽の立候補だったため、準備や選挙期間中の運動も決して十分ではなかった。それでも、結果は佐藤氏3514票、冨永氏3136票で、約380票差で佐藤氏が当選を果たした。投票率は74・81%で、「合併白紙」が民意だったと言える。  当選直後の同年12月議会で、佐藤町長は合併協議会からの離脱に関する議案を提出した。採決結果は賛成8、反対9で離脱案は否決された。それでも、佐藤町長は「合併白紙を訴えた自分が町長選で当選し、町民意向調査でも同様の結果が出ている以上、合併協議会からの離脱は避けられない」との主張を曲げなかった。  このため、2005年1月、伊達6町合併協議会はこのままでは協議が進まないとして、同協議会を解散ではなく、「休止」という措置を取った。それと並行する形で国見町を除く「伊達5町合併協議会」を立ち上げ、協議を進めた。その後、同年3月に合併協定に調印、2006年に伊達市誕生という運びとなった。  こうして桑折町、国見町は合併せず、単独の道を選んだわけ。ちなみに、桑折町で合併協議時に町長を務めていた林王氏は2010年の町長選で高橋宣博氏に敗れ落選。その後は2014年、2018年、2022年と、いずれも高橋氏が当選している。国見町は佐藤氏が2012年11月まで(2期8年)務めた後、太田久雄氏が2012年から2020年まで(2期8年)、2020年からは引地真氏が町長に就いている。  合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう話す。  「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」  そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併についての勉強会(任意協議会)、法定協議会、正式な合併へと舵を切っていった、というのだ。  では、「平成の大合併」から十数年経ち、合併しなかった市町村が、この首長経験者が危惧した状況になったかというと、そうとは言えない。そのため、「合併しなくても、普通にやっていけているではないか。だとしたら、合併推奨は何だったのか」といった思いもあるようだ。 桑折・国見の財政指標  もっとも、合併しなかった市町村にはそれなりの「努力の形跡」も見て取れる。  ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。  別表は桑折町と国見町の各指標の推移をまとめたもの。数字だけを見れば「努力の形跡」が見て取れる。もっとも、投資的事業をしなければ財政指標は良化するから、一概には言えないが。 桑折町の財政指標と職員数の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・9116・1713・1150・40・512008年度9・4119・0413・8167・20・512009年度8・7218・5914・0141・10・502010年度――――13・8120・60・472011年度――――13・768・60・452012年度――――11・941・30・432013年度――――11・819・40・432014年度――――10・311・80・442015年度――――10・415・70・452016年度――――11・010・10・452017年度――――11・67・40・452018年度――――11・43・60・452019年度――――10・414・40・452020年度――――9・636・60・46※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の財政指標の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・2721・0217・5149・10・362008年度5・7422・4318・7126・60・362009年度5・4719・6317・4103・90・352010年度――――15・585・00・342011年度――――12・985・20・322012年度――――11・178・30・302013年度――――10・077・40・292014年度――――8・175・10・292015年度――――7・062・30・292016年度――――6・670・70・292017年度――――6・867・80・302018年度――――6・760・60・322019年度――――5・741・60・332020年度――――4・323・00・33※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  この指標を示して、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)に見解を求めたところ、こう回答した。  「財務指標からだけでは財政運営の良否は判断できません。そこで、桑折町と国見町の場合は、地域環境の似通っている隣接の伊達市と比較して、相対的な評価をするのがよいと思われます」  別表に伊達市の実質公債費比率の推移を示した。2021年度は速報値。今井氏はそれと桑折町、国見町の数字と比較し、次のように明かした。なお、桑折町の2021年度速報値は9・2、国見町は3・2。 伊達市の実質公債費比率の推移 2008年度15・52009年度14・62010年度13・42011年度11・62012年度9・82013年度8・32014年度7・42015年度6・82016年度6・52017年度7・42018年度6・62019年度6・92020年度7・22021年度7・8  「実質公債費比率の推移を見ると、まず伊達市と国見町との差は歴然としています。2008年度時点では、伊達市15・5、国見町18・7と、むしろ国見町のほうが悪い数字だったものが、2021年段階では伊達市7・8、国見町3・2と、国見町の方が大きく改善しています。次に伊達市と桑折町とを比較すると、桑折町の方の改善度が低いように見えますが、最近5年間の推移を見ると、2017年段階で伊達市7・4、桑折町11・6だったところが、2021年段階では伊達市7・8、桑折町9・2となっていて、桑折町は改善しているのに、伊達市は改善していません」  こうして聞くと、相応の努力は見られると言っていいのではないか。もっとも、今井氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 桑折・国見町長に聞く  両町長は現状をどう捉えているのか。町総務課を通して、以下の4点についてコメントを求めた。  ①当時の町長をはじめ、関係者の「合併しない」という決断について、いまあらためてどう感じているか。  ②当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められる。別紙(前段で紹介した財政指標)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」から抜粋したものですが、それら数字についてはどう捉えているか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」の取り組み、今後の対応についてはどう考えるか。  ③当時、本誌取材の中では「多少の我慢を強いられても、単独の道を模索してほしい」といった意見もあったが、実際に住民に対して「我慢」を求めるような部分はあったか。  ④「合併しないでよかった」と感じているか。  回答は次の通り。 桑折町 高橋桑折町長  ①、④合わせての回答  国は、人口減少・少子高齢化等の社会情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的に、全国的に市町村合併を推進したところです。本町においても近隣自治体との合併について検討したものの、分権社会に対応できる基礎自治体構築・将来に希望の持てる合併が実現できるとは言い難いことや、行政圏域と生活圏の一体性の醸成が困難であることなどから、合併しない決断を選択しました。  その後、地方行政を取り巻く環境が厳しさを増す中にあって、行財政改革に努め、健全財政の維持を図りながら町独自の施策展開により、2021年においては人口が社会増に転ずるなど、単独立町だからこそ得られた結果と捉えており、合併しないでよかったと感じております。  引き続き、子どもたちに夢を、若者に元気を、高齢者に安心を届け、「住み続けたいまち 住みたいまち 桑折」の実現に邁進してまいります。  ②の回答  当町は、平成16(2004)年9月に伊達7町による合併協議を離脱し、自立(自律)の道を選択して以降、東日本大震災をはじめとする度重なる災害や社会経済状況の変化、人口減少・高齢化などにより、多様化・複雑化・高度化する行政需要を的確に捉え、住民ニーズに応える各種施策を展開するとともに、事業実施にあたっては、財源確保を図り、「選択と集中」「最小の経費で最大の効果を上げる」ことを常に念頭に置きながら、財政の健全性維持に努めてまいりました。その結果、別紙の「健全化判断比率(4つの各比率)」の推移にありますとおり、平成19(2007)年度以降、各指標とも低下傾向にあり、合併せずとも着々と財政の健全化に向け改善が図られてきたものと捉えております。  とりわけ、企業誘致の促進や移住・定住人口の増加に資する施策に取り組みながら、税収の確保や収納事務の効率化を図るとともに、国・県などの補助制度の積極的な活用に努めてきました。また、シティプロモーションなどPR事業の展開や魅力的な返礼品の充実を図り、ふるさと納税は大幅に伸びております。  今後についても、2022年度策定した「中期財政計画」に基づき、更なる財源の確保、歳出抑制・適正化等、健全で持続可能な財政運営に向けた取り組みを継続し、「住み続けたいまち」であり続けるための各種施策を展開していく考えであります。  ③の回答  合併協議からの離脱後、これまでの間、行財政改革や自主財源の確保を図り、行政需要を的確に捉え、各種住民サービスに努めることにより、町民の理解を得ているところであります。 国見町 引地国見町長  ①の回答  当時の町長選挙の争点が「合併」。合併しないことを公約にした候補が当選したことは、民意が明確に示されたものと考えている。  ②の回答  合併する、しないに関わらず、地方自治体の財政基盤強化、行財政運営の効率化は緊張感を持って取り組むべきことと考える。当町においても自主財源が乏しい中、サービスの質を維持・向上させるため、あらゆる財源の確保に奔走している。同時に、常にコスト意識を持ち、予算編成及び執行に努めながら、将来負担を軽減すべく、起債に係る繰上償還を積極的に行っている。  ③の回答  「合併をしなかった」ことを要因とし、我慢を求めることはなかったと考えている。  ④の回答  当時の決断に対し、その善し悪しを意見する考えはない。唯一申し上げるとすれば、当時の決断を大切に、国見町に住む方々が「国見っていいな」と思ってもらえるよう町政運営に努めたい。 人口減少幅は類似 桑折町役場(左)と国見町役場(右)  桑折町の高橋町長は合併議論時、議員(議長)を務めており、その後は2010年に町長就任して現在に至る。つまりはこの間の「単独の歩み」の大部分で町政を担ってきたことになる。その中で、「単独だからこそ得られたものもあり、合併しないでよかった」と述べている。一方、引地町長は2020年に就任し、まだ2年ほどということもあってか、踏み込んだ回答ではなかった。  両町の職員数(臨時を含む)を見ると、この間大きな変化はなく、国見町はむしろ増えている。もっとも、福島県の場合は、震災・原発事故に加え、ほかにも大規模災害が相次いだこともあり、その辺の効率化を図りにくかった事情もあり、評価が難しいところ。 桑折町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年111人103・12011年115人112・82012年115人109・92013年112人101・42014年113人99・52015年115人100・12016年112人100・12017年112人100・12018年112人99・02019年115人99・02020年117人94・2※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年89人100・72011年86人109・12012年90人108・92013年97人99・52014年105人100・82015年106人99・52016年103人99・62017年103人99・62018年106人99・72019年108人99・72020年107人100・3※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  人口の推移は、伊達市が合併時から約1万2000人減、桑折町と国見町は「単独」を決断したころから、ともに約2000人減。数だけを見ると、伊達市の減少が目立つが、減少率で見ると、伊達市が約17%、桑折町が約16%、国見町が約21%となっている。国見町は2022年度から、国から「過疎地域指定」を受けている。 伊達市、桑折町、国見町の人口の推移 伊達市桑折町国見町2006年6万9122人1万3423人1万0646人2011年6万5898人1万2823人1万0059人2016年6万2218人1万2247人9455人2021年5万8015人1万1431人8612人2022年5万7104人1万1285人8398人各年とも1月1日時点。 思い切った「仕掛け」を  町民の声はどうか。  「この間、大きな災害が相次ぎ、そうした際に、枠組みが小さい方が行政の目が行き届く、といった意味で、良かった面はある。ただ、合併していたら、それはそれで良かったこともあったと思う。だから、どっちが良かったかと聞かれても、正直難しい」(桑折町民)  「純粋に、愛着のある町(町名)が残って良かった」(桑折町民)  「数年前に、天候による果樹の被害があり、保険(共済)に入っていなかったが、町から保険(共済)に入るための補助が出た。そういった事業は単独町だったからできたことかもしれないね」(国見町民)  「合併していたら、『吸収』される格好だったと思う。そうならなかったということに尽きる」(国見町民)  一方で、両町内で事業をしている人や団体役員などからは、ある共通の意見が聞かれた。それは「せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてもいいのではないか」ということ。  「例えば、会津若松市は『歴史のあるまち』で、歴史的な観光資源では太刀打ちできない。一方で、同市では、ソースカツ丼を売り出しているが、そのための振興組織をつくって、本格的に売り出したのは、せいぜいここ十数年の話。あれだけ、歴史的な観光資源があるところでも、それにとどまらず、何かを『生み出す』『売り込む』ということをやっている。そういった姿勢は見習わないといけない。例えば、e―スポーツを学校の授業に取り入れ、先進地を目指すとか。そういったことは小回りが利く『町』だからこそできると思うんだけど」(桑折町内の会社役員)  「国見町で、ここ数年の大きな事業と言えば、道の駅整備が挙げられる。周辺の交通量が多いことから立ち寄る人で賑わっているが、業績はあまり良くない。そもそも、道の駅自体、全国どこにでもあるもので、最初(オープン時)はともかく、慣れてしまえば目新しいものではない。一方で、夜間になると(道の駅に)キャンピングカーなどで車中泊をしている人が目に付く。例えば、キャンピングカーの簡易キッチンに対応した商品を売り出すとか、『車中泊の聖地』になるような仕掛けをしてはどうか。ともかく、道の駅に限らず、何かほかにない目玉になるようなものを作り出していく必要があると思う」(国見町内の団体関係者)  これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。  桑折町、国見町は交通の便がよく、働き口、高等教育、医療、日用品の調達先などで、近隣に依存できる環境にあったからこそ、合併しないという選択ができた面もある。財政指標の良化も見られる。ただ、単独町だからこそ可能な「創造性」という点では乏しかったと言えよう。 桑折町ホームページ 国見町ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する

  • 専門家が指摘【総括編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     昨年12月号から今年4月号まで5回にわたり、「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体の現状をリポートしてきた。今回はシリーズの〝仕上げ〟として、これまで取り上げてきた事例を総括したい。(末永) 専門家は「合併すれば効率アップは間違い」と指摘 条件が恵まれている西郷村(写真は村役場)  国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進した。いわゆる「平成の大合併」である。県内では2004年から2008年までに13例の合併があり、90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。 一方で、「平成の大合併」に参加しなかった自治体もあり、その現状に迫ったのがこのシリーズ。第1回が桑折町と国見町、第2回が大玉村、第3回が棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村(東白川郡編)、第4回が西郷村、第5回が三島町、金山町、昭和村、只見町(奥会津編)と、計5回、12市町村を取り上げた。 このうち、大玉村と西郷村は条件的に非常に恵まれている。県内で人口が増えているのはこの2村のみ。加えて、両村は働き口、高等教育、医療、日用品の調達先など、行政サービス以外で生活に必要な部分は、近隣に依存できる環境にある。逆に「奥会津編」で取り上げた4町村は、人口減少が著しく、高齢化率が非常に高い。一口に「合併しなかった自治体」といっても、その内実や地理的条件などは全く違う。 シリーズ全回で共通して財政指標の推移を示した。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。 当初の合併の目的と照らし合わせると、合併しなかった自治体には、より一層の財政健全化の努力が求められる。記事では、同法に基づき県市町村財政課が公表している「財政状況資料集」を基に、2007年度から当時最新の2020年度までの「実質赤字比率」、「連結実質赤字比率」、「実質公債費比率」、「将来負担比率」、「財政力指数」の推移を一覧化した。加えて、近隣で合併した自治体(例・大玉村は本宮市、西郷村は白河市)の数値と比較しながら、財政指標を検証してきた。 それで言うと、取り上げた自治体すべてで財政指標の良化が見受けられた。合併しなかった自治体は、最初から合併に否定的だったところ、合併を模索したものの、結果的に合併に至らなかったところ、国が目指す「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」が合併に頼らずとも可能だったところなどさまざまだが、合併しない(できなかった)ことを決めて以降は、それぞれが相応の努力をしてきたことがうかがえた。 一方、シリーズ1回目(桑折町・国見町編)で、元福島大学教授で現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)にコメントを求めたところ、「ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善している」と話していた。 今井照氏  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 今井氏のコメントからすると、2021年度以降はさらなる指標の良化が予想されるが、それは各自治体の努力ではなく、外的要因によるもの、ということになる。 「合併しない宣言」の影響 真っ先に国の方針に背いた格好の矢祭町(写真は町役場)  ところで、このシリーズ「最大のハイライト」とも言えるのが矢祭町の状況だ。というのは、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物がこう話していたから。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとって脅しのような感覚だったようだ。要するに、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との強迫観念に駆られ、合併を進めたということだ。 その点で言うと、矢祭町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決し、言うなれば真っ先に国の方針に背いた格好になる。 以前、先進的な取り組みをしている県外自治体を取材した際、担当者は次のように証言していた。 「メディアなどで取り上げられるたびに、国から目を付けられて(苦笑)。国の役人からは『ずいぶん勝手なことをしているようだな』、『その分だと、国からの交付金・補助金などは必要なさそうだな』と露骨に言われることもありました」 これは15年ほど前の話だが、そんなこともあり、矢祭町も国からの締め付けなどがあったのではないかと危惧していた。 この点について、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 佐川正一郎矢祭町長  「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかったですね。それほど影響がなかった背景には、二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にすごく苦労したということはなかった。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大変でしたね」 同町の事例からすると、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物が懸念していたことは杞憂に終わったと言っていい。実際、「奥会津編」で取り上げた町村は、自主財源が乏しく財政基盤が弱い。決して条件がいいと言えない中でも、大きな問題なく存続できている。当然、関係者の努力もあっただろうが、そうした事実がすべてを物語っていると言っていいのではないか。 前出・地方自治総合研究所主任研究員の今井氏はこう話す。 「一般には、合併を選択すると財政が効率化し、財政環境がよくなると理解されていますが、それは誤りです。そもそも企業の合併とは異なり、自治体が合併しても面積や人口が単純に加算されるだけで、行政サービスの総量は減らないので、合併による効率化の効果はほんのわずかに限られます。合併すると、効率化以上に地方交付税などの歳入が絞られていきますので、個々の自治体にとって財政環境が悪化するのは当然です。逆にいうと、合併すれば住民への行政サービスの総量を減らさなくてはならず、中心部だけに投資を残して、周辺部への投資を薄くする傾向があります。合併すると周辺部の衰退が早まるのはそのためです」 このシリーズで取材した自治体の住民も、合併した近隣自治体で、中心部とそうでないところの格差を見ているためか、「結果的に合併しなくて良かったと思う」との声が大多数を占めた。 「大玉村編」では、合併議論当時の同村役場関係者の「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」とのコメントを紹介した。理由はやはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配があったから。ただ、この関係者は「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」と述べていた。 単独の強みを生かせ  一方で、「奥会津編」では、隣接地域の議員経験者のこんな意見を紹介した。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 自治体の枠組みそのものの合併はしなくても良かったと思うが、今後は1つの自治体ですべての行政サービスを賄うのではなく、行政サービスのうち、共有・連携できる部分は「行政組合」のようなものを立ち上げて対応すべきではないか、ということだ。 国(総務省)でも、新たな広域連携について検討しているようだから、今後は本格的にその勉強・検討の必要性が出てくるだろう。 このシリーズの取材では、対象の町村長に質問を投げかけ、文書で回答してもらった。それをあらためて見ていくと、合併しなかったことをどう強みに変えていくかや、いま当該自治体内で抱えている課題などの質問に対し、問題意識を持って回答してくれた町村長と、そうでない町村長が如実に見られた。 ここでは、どの町村長がどうだったかの詳細は触れないが、本当に問題意識がないのか、単に取材対応が面倒なだけだったのか。いずれにしても、そのような町村長のもとに暮らす住民はハッピーとは言えないだろう。 最後に、あらためて指摘したいのは、せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてほしいということ。これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。合併せず、小回りが利く規模の自治体だからこそ可能な、思い切った〝仕掛け〟を生み出していってもらいたい。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 合併しなかった福島県内自治体のいま【東白川郡編】矢祭町・鮫川村・棚倉町・塙町 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。県内では、合併したところ、単独の道を選択したところ、合併を模索したもののまとまらなかったところと、さまざまある中、本誌ではシリーズで合併しなかった市町村の現状を取り上げている。今回は、人口減少や高齢化率の上昇が大きな課題となっている奥会津編。(末永) 人口減・高齢化率上昇が課題の三島・金山・昭和  「奥会津」は正式な地名ではなく、明確な定義があるわけではない。ただ、観光面などでの広域連携の中でそうした表現が使われている。主に会津南西部を指す。 只見川・伊南川流域の町村で構成される「只見川電源流域振興協議会」が発行したパンフレット「歳時記の郷 奥会津の旅」には次のように記されている。 《「奥会津」は、福島県南西部に位置する只見川流域、伊南川流域の7町村「柳津町」「三島町」「金山町」「昭和村」「只見町」「南会津町」「檜枝岐村」の総称です》 柳津町は河沼郡、三島町、金山町、昭和村は大沼郡、只見町、南会津町、檜枝岐村は南会津郡と3つの郡にまたがる。今回は、そのうち大沼郡の三島町、金山町、昭和村と南会津郡の只見町の現状を取材した。 「平成の大合併」の際、三島町、金山町、昭和村の3町村は、河沼郡の会津坂下町、柳津町との郡をまたいだ合併案があった。当時の合併に関する研究会のメンバーだった関係者はこう述懐する。 「県会津地方振興局の勧めもあって5町村で合併について話し合うことになりました。当時の5町村長は基本的には合併もあり得るとの考えだったように思います。理由は、国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らすとの方針で、将来的な財政の裏付けがなかったことです」 当時の5町村の人口(2005年1月1日時点)は、会津坂下町約1万8600人、柳津町約4400人、三島町約2300人、金山町約2900人、昭和村約1600人で、計約2万9800人。合併後の新市移行の条件である「人口3万人」にギリギリ届いていなかったが、「振興局の担当者は『市になれると思う』とのことだった」(前出の関係者)という。 「人口比率から言っても、中心になるのは会津坂下町だが、そこに役場(市役所)が置かれるとして、金山町、昭和村からはかなり遠くなります。加えて、当時の会津坂下町は財政状況が良くなかったため、(ほかの4町村の住民・関係者は)会津坂下町にいろいろと吸い上げられてしまう、といった思いもありました。そんな中で、(会津坂下町を除いた)柳津町、三島町、金山町、昭和村の4町村での合併案も出たが、結局はどれもまとまりませんでした。住民の多くも合併を望んでいなかった、ということもあります」 一方で、南会津郡は、2006年3月に、田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して南会津町が誕生した。それに先立ち、下郷町、只見町、檜枝岐村を含めた南会津郡7町村で研究会が立ち上げられ、合併に向けた調査・研究を行っていた。そこから、正式な合併協議会に移行する際、下郷町、只見町、檜枝岐村は参加しなかった経緯がある。 当時のことを知る只見町の関係者はこう話す。 「田子倉ダム(電源立地地域対策交付金)があるから、という事情もあったと思いますが、それよりも『昭和の大合併』の後遺症のようなものが残っており、只見町は最初から前向きでなかった」 只見町は、いわゆる「昭和の大合併」で誕生した。1955(昭和30)年に只見村と明和村が合併し、その4年後の1959(昭和34)年に朝日村が編入して、只見町になった。「平成の大合併」議論が出たころは、それから50年ほどが経っていたが、その後遺症が残っていたというのだ。 「一例を挙げると、只見地区(旧只見村)には町役場の中心的機能、明和地区(旧明和村)には温浴施設、朝日地区(旧朝日村)には診療所という具合に、1つの地区に何かを設けるとすると、残りの2地区には何らかの代わりの手当てをする、といった手法でないと、物事が進まないような状況なのです。これでは行政運営のうえで、あまりにも効率が悪い」(同) それは「平成の大合併」議論から十数年(「昭和の大合併」から60年以上)が経ったいまも変わっていないという。 その際たる例が役場庁舎の問題。同町の本庁舎は、只見町誕生の翌年(1960年)に建てられ、老朽化が進んでいた。2008年度に実施した耐震診断の結果、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があるCランクと診断された。 そこで、目黒吉久元町長時代の2011年に「只見町役場庁舎建設基本計画」が策定され、新庁舎建設計画が進められた。ただ、実現させることができず、目黒町長はその責任を取る形で、2016年12月に2期目の任期満了で退任した。 この後を受けた菅家三雄前町長は、「暫定移転」として、中学校合併によって空いた旧只見中学校に、議会、総務課、農林建設課、教育委員会などの役場の中心的な機能を移転し、「町下庁舎」とした。そのほかの部署は、駅前庁舎とあさひヶ丘庁舎に分散する形になった。この暫定移転が完了したのが2018年で、これに伴い、旧庁舎は解体された。 ただ、この暫定庁舎(分散庁舎)は、町民や観光客などから、「必要な部署(用事がある部署)がどこにあるのか分かりにくい」として不評だった。 一方で、一部町民からは「新しい役場庁舎ができても、町民生活には何の恩恵もない。そんな生産性のないものに多額のお金をかけるべきではない。いまのまま(暫定庁舎)で十分」、「暫定庁舎の整備には5億円以上の費用がかかっている。そのうえ、さらに新しい庁舎を建てるのは、税金の無駄遣いだ」といった声が出た。とりわけ、明和地区、朝日地区では、そうした意見が多いという。 このほか、現在、同町では道の駅整備計画が進められているが、同事業でも「(旧3村の)どこにつくるか」が最大のポイントになっていた。「合併前の旧3村の感情論が絡みなかなか物事が進まない」というのはこういったことを指している。 「平成の大合併」では、核となる市があって、そこに近隣町村が〝編入〟した(形式上は対等合併でも実質的にそうなったものも含む)パターンと、同規模町村が合併して市になったパターンの大きく2つに分けられる。その中でも、後者は「均衡ある発展」を掲げ、その結果、分散型の行政組織や財政運用になった。 それが良いか悪いかは別にして、只見町は「昭和の大合併」以降、そうした状況が続いているというのだ。そんな事情から「平成の大合併」議論が出た際、住民・関係者は拒否反応を示し、南会津郡の合併に参加しなかったわけ。 こうして、三島町、金山町、昭和村、只見町は合併せず単独の道を歩むことになった。 さて、ここからは過去のシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表された4町村の各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 三島町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度6・8012・6318・5103・80・162008年度8・6713・8917・868・70・152009年度10・2812・1915・644・90・132010年度――――13・01・80・122011年度――――11・2――0・122012年度――――9・6――0・122013年度――――7・9――0・122014年度――――6・1――0・132015年度――――4・2――0・132016年度――――3・1――0・142017年度――――2・8――0・142018年度――――3・5――0・152019年度――――4・1――0・152020年度――――4・8――0・15※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 金山町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・826・0720・782・30・242008年度3・667・6618・755・70・232009年度3・907・7915・527・90・232010年度2・970・8311・621・30・222011年度――――8・5――0・212012年度――――6・1――0・202013年度――――4・4――0・202014年度――――3・5――0・202015年度――――2・9――0・222016年度――――3・2――0・232017年度――――3・6――0・232018年度――――4・1――0・232019年度――――4・5――0・242020年度――――4・4――0・24※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 昭和村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度1・323・9415・110・60・112008年度4・078・5813・5――0・112009年度2・877・0011・4――0・102010年度――――10・5――0・092011年度――――9・7――0・092012年度――――8・0――0・082013年度――――6・7――0・082014年度――――5・0――0・082015年度――――4・4――0・092016年度――――3・7――0・092017年度――――3・7――0・092018年度――――4・4――0・092019年度――――5・3――0・102020年度――――5・9――0・10※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 只見町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度2・245・1112・816・10・312008年度8・2111・2611・326・10・302009年度3・595・639・6――0・292010年度――――6・8――0・282011年度――――5・0――0・272012年度――――3・9――0・252013年度――――3・7――0・252014年度――――3・5――0・252015年度――――2・9――0・252016年度――――3・1――0・252017年度――――3・2――0・252018年度――――3・2――0・252019年度――――3・0――0・252020年度――――3・0――0・25※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%。昭和村は5・9%で全国平均を0・2ポイント上回っているが、ほかの3町村はいずれも全国平均を下回っている。推移を見ると、いずれもここ数年は最も良かったころからは多少比率が上がってはいるものの、単独を決めたころから比べると、だいぶ良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、4町村はいずれもそれに当てはまる。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。一方で、4町村とも財政力指数は低い。 4町村長に聞く  4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 矢澤源成三島町長  当時、三位一体の改革の下、財政基盤の強化、行政運営の効率化のため合併が進められたが、その後、地方創生総合戦略や東京一極集中是正の流れから、地域の特性を生かした地域づくりに財源が配分され、合併以前の状況とは異なるが、将来に向けては財政基盤がぜい弱な小規模自治体では不安がある。将来人口推計よりも早く、少子化、人口減少が進行しているが、再生可能エネルギーや地域資源を生かした経済循環とDXの推進等持続可能な地域づくりを進めることにより、財政基盤の強化や行政運営の効率化に繋がるものと考えている。 押部源二郎金山町長  財政状況については、実質公債費比率が健全な状況にあり、適切な状態を維持していると考えている。財政基盤強化については、総人件費と町債の抑制により安定的な財政基盤の確保に努めてきた。行政運営の効率化においても社会情勢の変化に即応した体制や効率化を図っており、今後も状況に応じた対応に努めていく。 舟木幸一昭和村長  本村は自主財源が乏しく、地方交付税を始めとする依存財源に頼らざるを得ない状況にあるので、歳出面では人件費や物件費、維持補修費や補助費などの見直しを図るとともに、村の振興を進めるため昭和村振興計画の実施計画を策定し、事業の平準化なども行ってきた。歳入面では財源確保として、積極的に国や県の補助金を活用するとともに、村債は後年度の償還に有利な過疎対策事業債を起債するなど工夫してきたことから、余剰金については財政調整基金や目的基金に積み立て、後年度負担すべき財源の確保に努めてきた。このことにより、財政健全化法が施行された2007年度から連続して健全財政を維持している。 職員数については、5年ごとに定員管理計画を定め、条例定数61人に対し定員50人を維持している。また、いわゆる団塊の世代の退職後は、職員の平均年齢が県内でも比較的若い状況であることから、ラスパイレス指数が低い状況となっている。 本村は、今後の人口減少を緩やかにしていくため、様々なアイデアを駆使し、移住・定住人口の確保に努めているが、今後想定される公共施設やインフラ設備の補修・改修などの大規模な財政支出により、財政を取り巻く状況は決して楽観できない状態が続くと予想される。今後も、これまでの堅実な財政運営を維持しつつ、産業の振興や移住・定住施策を進めるとともに、新たな試みにも果敢にチャレンジしながら、より一層、村の振興を進めていく。 渡部勇夫只見町長  「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」は合併の目的の大きな柱の1つであると理解している。同時にもう1つの大きな柱である「まちづくり」の方針(構想)も欠くことのできない点だと理解している。当町の財政状況は厳しい環境にあると認識しているので、「まちづくり」により一層力を注ぎながら取り組んでいく。 非合併の影響は軽微  前段で、三島町、金山町、昭和村の3町村は、会津坂下町、柳津町との合併話があり、その研究会関係者の「国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らす方針で、将来的な財政の裏付けがないから、当時の5町村長は合併もあり得ると考えていた」とのコメントを紹介した。 実際、過去のこのシリーズでは合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物のこんな声を紹介した。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、「合併するしか道はない」と考えたようだ。 一方で、シリーズ4回目の「東白川郡」では、「合併しない宣言」で知られる矢祭町の状況をリポートした。同町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決した。言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。そのため、国による締め付け等があったのではないかと思い、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 さらに、「合併しない宣言」後の大部分(2007年〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にもそれほど厳しいということはなかった」 矢祭町の現・前町長の言葉からも分かるように、当時の関係者が危惧したような状況にはなっていない。今回の奥会津4町村についても、決して財政的に豊かではないが、少なくとも著しく住民サービスが劣ったり、行政運営ができない状況には陥っていない。当然、そこには各町村の努力もあるだろうが。 一方、奥会津で合併した南会津町の合併前の旧町村の予算規模(2004年度当初予算=福島民報社の『民報年鑑』より)は次の通り。 田島町▽65億9200万円 舘岩村▽28億4700万円 伊南村▽22億5200万円 南郷村▽25億円 合わせると141億9100万円になる。これに対し、合併後の南会津町の2022年度の当初予算額は126億3400万円。 以前、合併しなかった自治体の役場関係者はこう話していた。 「例えば、うちの自治体だと年間約30億円の予算が組まれる。それが合併したら、この地区(合併前の旧自治体の域内)に30億円分の予算が投じられることはまず考えられない。そういった点からも、合併すべきではないと考えている」 つまりは、合併後の核になる旧自治体は別として、単独の方がそこに投じられる予算が大きいから、住民にとってもその方がいい、ということだ。「なるほど」と思わされる見解と言えよう。 住民に聞いても、「合併しなくて良かった」との声が多かった。 「合併しなくてよかったと感じる。独自のまちづくりができるわけだから」(金山町民) 「結論から言えば合併しなくてよかった。この辺りは、『平成23(2011)年新潟・福島豪雨』で大きな被害を受けたが、水害対応にしても、只見線復旧にしても、町と意思疎通が図りやすいし、(水害の問題で)裁判などを起こす際にも動きやすい面はあったからね」(金山町民) 「合併しなくて良かったと断言できる。合併すれば役場は遠くに持って行かれ、昭和村にはせいぜい10人ほどの職員がいる支所が置かれる程度だったに違いない。その分、サービスは悪くなるし、住民の声が届きにくくなる。いま村では、カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から30代の夫婦が来ている。新聞でもよく取り上げられ、成功していると言っていい。これは合併していたらできなかった。あとは(会津美里町と昭和村を結ぶ国道401号の)博士トンネルが2023年度に開通することになっており、これができれば人の動きも出てくるだろう」(昭和村民) 「合併すると、どうしても旧町村間の感情論で、『あそこ(中心部)だけいろいろな施設ができて、ほかは何もできない』といった問題が出てくる。そういった意味でも、合併しなくて良かったのではないか。現状、余裕がないながらも、特に不便なく存続できているわけだから。それが一番だと思いますよ」(只見町民) 最大の課題は人口減少  一方で、大きな課題になっているのが人口減少と高齢化率の上昇だ。別表は4町村と奥会津地区で合併した南会津町の人口の推移をまとめたもの。各町村とも「平成の大合併」議論のころから3〜4割の減少になっている。もっとも、南会津町の例を見ても分かるように、合併してもしなくても、その傾向に大差はない。もし、合併して「市」になっていたとしてもこの流れは変えられなかった。 さらに、県が昨年の敬老の日(9月19日)に合わせて、9月18日に発表したデータによると、昨年8月1日時点の県総人口は179万3522人で、このうち65歳以上は57万8120人、高齢化率は32・9%(前年比0・4ポイント上昇)だった。 市町村別の高齢化率は、①飯舘村68・6%、②金山町61・9%、③昭和村55・4%、④三島町55・1%、⑤川内村52・5%と続く。上位5つのうち、奥会津の3町村が入っている。ちなみに、飯舘村と川内村は原発事故の避難指示区域に指定され、避難指示解除後に戻ったのは高齢者が多いという特殊事情がある。 昭和村の社会動態は増加  人口減少・高齢化問題について、4町村長に見解を求めた。 矢澤源成三島町長  人口減少と高齢化対策は、日本全体の課題であり、当町のような地方自治体は最も進行している地域であることから、対策のモデル地域となり得るが、雇用や働き方改革、結婚・子育て支援、住環境、教育支援等、社会全体で取り組む必要があると考える。 押部源二郎金山町長  人口減少と高齢化は町の最重要課題である。少子高齢化に伴う人口減少に特効薬はないが、引き続き移住・定住対策、交流人口の増加に力を入れていきたい。 舟木幸一昭和村長  出生と死亡の差は歴然としており、人口減少に大きな影響を与えているが、総務省による2022年の住民基本台帳人口移動報告では9人の転入超過、過去5年間の合計でも20人の転入超過となっているように、自然減を社会増で補おうとしているところ。1994年度から続く「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住が社会増に寄与しており、新年度からは新たに、本村が所有者から空き家を借り上げてリフォームし、就農希望者等の住居として貸し出す「移住定住促進空き家利活用事業」を立ち上げ、集落活性化に繋げていきたい。※高齢化率は約55%で、近年大きな変動はない。 渡部勇夫只見町長  非常に大きな課題だと認識している。町の魅力向上とともに関係人口の拡大に向けた事業に取り組んでいきたい。 前段で、昭和村民の「カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から移住してくるなど成功している。これは合併していたらできなかった」との声を紹介した。舟木村長のコメントでも、「自然動態では人口は減少しているが、社会動態ではプラスになっている」という。その要因として、「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住を挙げており、同村の事例を見ると、やれることはあるということだ。 このほか、同地域の住民はこんな意見を述べた。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 このシリーズの第1回の桑折町・国見町、第2回の大玉村、第4回の西郷村は、県内でも条件がいい町村だった。そのため、「合併する必要がない」といったスタンスだった。その点でいうと、今回の奥会津の4町村は条件的には厳しく、それら町村とは違う。一方で、人口規模が小さいがゆえの小回りが利くことを生かした思い切った仕掛けをすることも可能になる。そういった創意工夫が求められよう。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま

     2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。本誌では昨年12月号から、合併に参加しなかった市町村の個々の現状をリポートしている。4回目となる今回は、県内では稀有な人口が増えている自治体である西郷村のいまに迫る。 白河と合併した旧村民が羨む「恵まれた条件」  西郷村は西白河郡に属する。もともと同郡には、同村のほかに、表郷村、東村、泉崎村、中島村、矢吹町、大信村の計7町村があった。 「平成の大合併」議論が巻き起こった際は、2000年9月に同郡7町村と、同地域の中心自治体である白河市で、「西白河地方市町村合併研究会」を設立した。同研究会では「合併することが前提ではない」と前置きしたうえで、合併のメリット・デメリットなどの調査・研究が行われた。「平成の大合併」では、任意合併協議会→法定合併協議会→実際の合併といった流れだったが、同研究会は任意合併協議会に至る前の勉強会といった位置付けだった。 その後、白河青年会議所メンバーが中心となり、白河市・西白河郡8市町村での法定合併協議会設置に向けた署名活動が展開され、2002年1月、8市町村に直接請求が行われた。これを受け、それぞれの議会で、直接請求の法定合併協議会設置に関する議案が審議された。結果は、白河市、表郷村、大信村の3市村が可決、西郷村、東村、泉崎村、中島村、矢吹町の5町村が否決だった。 つまりは、後者5町村(議会)は合併に否定的だったということ。 その後も、調査・研究などは行われており、2003年10月、白河市長・助役(現副市長)が西白河郡の各町村を訪問して「任意合併協議会設置」を打診した。これに、前年に議会が法定合併協議会設置の直接請求を可決していた表郷村と大信村が賛同し、同年12月、3市村で任意合併協議会が設立された。翌2004年8月には東村からも参加意向が示され、同年9月に4市村で法定合併協議会が設置された。その後は4市村で合併協議が進められ、2005年11月に新・白河市が誕生した。 西郷村は、西白河地方の合併に誘われたものの、加わらずに「単独の道」を選んだわけ。 財政指標の推移  さて、ここからは過去3回のこのシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表されている各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ラスパイレス指数をまとめたもの。比較対象として、一緒に合併の勉強をしていた白河市の財政指標を併記した。 西郷村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・2917・2814・453・01・172008年度3・1115・0613・529・21・382009年度2・5619・2812・038・61・442010年度――――14・650・61・272011年度――――17・438・71・012012年度――――12・422・70・882013年度――――11・90・50・892014年度――――10・8――0・892015年度――――9・0――0・882016年度――――9・9――0・902017年度――――8・2――0・902018年度――――6・9――0・892019年度――――5・6――0・912020年度――――4・1――0・94※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 白河市の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度8・4220・6723・6208・10・582008年度7・5119・5922・3186・80・612009年度6・7417・1319・9156・30・602010年度――――16・6136・80・582011年度――――14・6126・50・572012年度――――12・8115・60・552013年度――――11・188・50・572014年度――――9・873・40・582015年度――――9・359・70・602016年度――――9・758・80・602017年度――――10・557・80・602018年度――――10・963・00・612019年度――――11・470・10・632020年度――――10・453・00・64※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 西郷村の職員数とラスパイレス指数の推移年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年139人99・42011年139人108・02012年141人108・62013年146人100・82014年150人100・62015年144人100・32016年146人100・22017年146人100・22018年140人100・42019年142人100・72020年145人100・1※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%で、西郷村はそれを下回っている。推移を見ても、年々良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、西郷村はその1つ。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。そのほか、財政力指数も高い。 いずれの指標も、白河市と比べると「いい数字」が並んでいることが分かる。 ある村民は「合併しなかった最大の理由はそこにある」という。国が「平成の大合併」を推進したのは、財政基盤の強化と行政の効率化が大きな狙いだったが、同村はもともと財政基盤が強く、一時期は地方交付税の不交付団体だった。そのため、当初から「合併しなくてもやっていける」といった考えがあったというのである。 その背景にあるのは条件の良さだ。代表的なのが新幹線が停車する新白河駅があること。同村は「日本で唯一の新幹線の駅がある村」としても知られる。そのほか、東北自動車道白河ICがあるのも同村。いずれも「白河」の地名が付いているが、実際に立地しているのは同村なのだ(※新白河駅の一部は白河市)。 そうした施設・設備があることを背景に、交通の利便性が良く首都圏から近いこともあり、白河オリンパス、信越半導体、MGCエレクトロテクノなど優良企業の工場が稼働し、1000人規模の従業員が勤務している。さらにはイオン白河西郷店や場外馬券売り場・JRAウインズ新白河、ビジネスホテルなどもある。おおよそ「村」という行政区分には考えられないような充実度である。 「加えて、白河市などと比較すると地価が安いため、西郷村に移り住む子育て世代も多い。白河市まではすぐだし、働き口、学校、病院、買い物(食料品・日用品の調達先)などでも不便はないから、十分選択肢になり得る」(ある村民) この言葉に裏付けられるように、同村の人口は年々増えている(左頁表参照)。これは県内では稀有なことで、同村のほかではこのシリーズの2回目で取り上げた大玉村しかない。隣接する白河市が合併直後から約8000人減少していることから考えても、西郷村の状況の良さが分かる。周辺地区の「いいとこ取り」のような格好とも言える。 高橋村長に聞く 高橋廣志村長  高橋廣志村長に、「単独」を選択した当時の関係者の選択の是非や、財政状況・行政運営面、人口が増えていることなどについて、どう捉えているのかを聞いた。なお、高橋村長は2015年から村議を務め、2018年の村長選で初当選し、昨年の村長選では無投票で再選された。 ――「平成の大合併」の議論が進められていた際、近隣では旧白河市と西白河郡3村の合併がありました。その前段で、白河市と西白河郡7町村で「西白河地方市町村合併研究会」が立ち上げられ、合併についての調査・研究を行い、その後、白河青年会議所メンバーを中心に、西白河地方8市町村を対象とした法定合併協議会設置に関する直接請求がありました。これに対し、西郷村議会は「法定合併協議会設置案」を否決しましたが、当時の村長・議会をはじめ、関係者が「単独の道」を選択したことについて、いまあらためてどう感じていますか。 「平成14(2002)年第1回定例会において、住民発議による合併協議会設置の議案が上程され、議会審議の結果、否決となりました。当時の村長・議会及び諸先輩の方々が、合併に伴う西郷村のメリット、デメリットについて熟慮を重ねた結果として、合併協議会設置案が否決されたものと理解しています。 本村は、先人たちの英知とたゆまぬ努力により、立村以来一度の合併、分村もなく現在に至っている歴史があります。現在の西郷村は、県内でも数少ない人口が増加している自治体であり、財政力も他の町村と比較して上位に位置する財政基盤があります。現時点におきましては、先人たちが『単独の道』を選択したことについて良い選択であったと感じています」 ――当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められます。別紙(別表)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」(財政指標、職員数とラス指数)から抜粋したものですが、それら数字についてどう捉えていますか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応についてはどう考えていますか。 「当村の財政指標の推移を見るに、高い財政力を維持しつつ、かつ健全な財政運営が続けられていると読み取れます。また、職員数については、従来、国、県が行っていた業務が権限移譲されておりますが、大幅な職員の増員は行わず、職員給与の指標であるラスパイレス指数についても、平均以上が維持されていると読み取れます。 今後の対応として、過去に誘致した製造業からの法人税、固定資産税に頼るだけではなく、再生可能エネルギーなどの他の産業からの税収確保に努めて『財政基盤強化』を図るとともに、現在の行政体系の見直し、職員の人材育成の強化、公共施設の統廃合、集約化により、『行政運営の効率化』を図っていきます」 ――別紙(別表)は人口の推移をまとめたものですが、西郷村は県内では数少ない人口が増えている自治体です。その要因とこれまでの対策、これからの取り組みについて。 「様々な要因が考えられ、一概にこれというものを特定することは難しいですが、村内に東北新幹線新白河駅(1982年)と東北自動車道白河インターチェンジ(1973年)が整備されたことにより、都市圏からのアクセスの優位性が向上し、以降近隣市町村も含め、多くの企業や大型商業施設の進出により雇用の場が創出されました。 また、『恵まれた自然環境』『里山と田園風景が残る農村環境』『新白河駅周辺の都市的環境』といった特色ある3つの環境が共存した均衡がとれた村であり、様々なライフスタイルが実現できる村として注目されています。 人口が増加していることは、大変喜ばしいことではありますが、単に人口が増加するだけでは意味がなく、お住まいになられている皆様の満足度を向上させることが最も大切であると思っています。 西郷村は中学生以下のお子さんをお持ちの子育て世代の転入が多くみられ、生産年齢人口の割合が比較的大きいことから、子育て・教育支援、就業・雇用支援、移住定住支援を充実し安心して子育てができる環境を築くと共に、全ての方が生きがいを持って、いつまでも愛される、また外の方からは『ここはいい村だね』と自然に語られるような魅力のある村づくりに取り組んでいきたいと思います」 ――「単独」だからできたこと、その強み等々について、感じていることがあれば。 「『単独』だからこそ、村でありながら2万人規模の人口を有しながらも、高い財政力を維持でき、他市町村と比較しても、標準又は標準以上の行政サービスを維持できていると思われます。 強みとしては、単独の小規模自治体であるが故、住民要望に対する予算化、実行に至るプロセスが短く、大規模自治体に比べ迅速に対応できる点が挙げられます」 人口増加について、「一概にこれというものを特定することは難しい」との回答だったが、やはり、新白河駅、白河ICが整備されたことに伴う、複数の企業立地や大型商業施設進出などを挙げた。前述したように財政状況が良いのはそれに基づく部分が多い。 「単独」の利点を生かせ  合併議論が本格化したころから、その後の大部分で村政を担ったのは佐藤正博氏だった。白河市職員、村収入役を経て2002年の村長選で初当選し、2018年まで4期16年間務めた。 佐藤氏の在職時、近隣自治体などで話を聞くと、多くの行政関係者が「あの村長は個性的だからね」と評した。象徴的なのは、原発事故を受け、会津・県南地方が「自主的避難区域」から外された際、両地方の首長・議長などが集まり、「分断を許さないためにも、両地方の関係者が連携していこう」といった趣旨の協議会設置のための集会が開かれた時のこと。その場に居合わせた首長・議長から「とりあえず、西郷村の佐藤村長が仮議長になって、進めればいいのでは」といった声が上がり、佐藤氏がタクトを振った。最終的に両地方の中心都市である会津若松市と白河市の両市長が代表者といった立場になったが、首長・議長が勢揃いする中で、その前段を佐藤氏が取り仕切ったのだ。それだけ、インパクトの強い人物だったと言える。 ただ、在職時に佐藤氏が何か目を引くような政策を打ち出したか、というと思い浮かばない。結局のところは、条件面で恵まれているから、すべてが上手く回っていたということではないか。 白河市と合併した旧村の住民からは「そりゃあ西郷村はいいよ。あらゆる面で恵まれているから。あれだけ条件が良かったら、ウチも合併しなかった」との声も聞かれたほど。 条件面に恵まれていることにあぐらをかかず、「単独」を選択したことで、小回りが利くからこそできる「新たな仕掛け」を生み出していってもらいたい。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体のいまに迫るシリーズ。第3弾となる今回は、「合併しない宣言」で知られる矢祭町、合併を模索したものの、住民投票の結果、合併が立ち消えになった棚倉町、塙町、鮫川村の東白川郡4町村を検証していく。(末永) 国の方針に背いた矢祭町は「影響が軽微」  東白川郡は棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村の4町村で構成される。国の方針で「平成の大合併」議論が巻き起こった際、矢祭町議会は「合併しない宣言」を可決した。それが2001年10月のことで、早々に「単独の道」を選択したのである。同町は県最南端の県境に位置するため、合併すれば〝どん詰まり感〟が増す。町民の多くも「合併を望まない」との意向だった。 一方、ほかの3町村は「合併は避けられない」と考え、町村長、議会が勉強会を実施し、2002年2月に任意合併協議会、同年7月には県内初となる法定合併協議会を設置した。当時、3町村の人口は、棚倉町が約1万6000人、塙町が約1万1000人、鮫川村が約4500人で、新市への移行要件である「人口3万人」を少し超える規模だった。合併期日は2004年3月1日に設定し、実現すれば「平成の大合併」県内第1号、新市誕生となるはずだった。 ただ、2003年7月に実施した合併の賛否を問う住民投票で情勢が一変した。住民投票の結果、棚倉町は65%が賛成だったが、塙町は55%、鮫川村は71%が反対だったのだ。 事前の見立てでは、「棚倉町は賛成が上回るのは間違いない。塙町は拮抗するが、若干、賛成が上回るのではないか。鮫川村は反対が上回る可能性が高いが、それほど大きな差にはならないだろう」というもの。ところが、蓋を開けてみると、棚倉町は予想通りとなったが、塙町は予想に反して反対が上回り、鮫川村の反対比率も予想以上だった。 棚倉町は県南農林事務所の一部機能、土木事務所などの県の出先が置かれ、東白川郡の中心に当たる。そのため、合併後の新事務所(市役所)が置かれる公算が高かった。新市の中心になれる棚倉町と、そうでない2町村では合併に対する住民の捉え方が違っていたということだ。 住民投票の結果を受け、3町村長は「住民は合併を望んでいない」と判断し、法定合併協議会の解散を決めた。 その直後には鮫川村の芳賀文雄村長が辞職した。芳賀村長は2003年4月に5回目の当選を果たしたばかりで、「合併を成し遂げることが自身の最後の仕事」と捉えていたようだ。しかし、合併が立ち消えになったため、5選されてからわずか3カ月程度で自ら身を引いた格好。 こうして、東白川郡4町村はそれぞれ単独の道を歩むことになったのである。ちなみに、合併協議に当たり、住民投票を行ったのは県内ではこの3町村だけだった。 単独の道を歩むうえで、最も重要になるのが財政面だ。別表は4町村の各財政指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課の2020年度のまとめによると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも大差はない。 実質公債費比率の全国の市区町村平均は5・7%、県内平均は6・1%で、矢祭町はここ数年は多少上昇傾向にあるものの、全国・県内平均を大きく下回っている。 将来負担比率は、県内31市町村が発生しておらず、棚倉町、矢祭町、鮫川村がそれに該当する。棚倉町は2020年度から「算出なし」だが、矢祭町と鮫川村は早い段階から発生していない。 こうして見ると、矢祭町の指標がいいことが分かる。「合併しない宣言」以降、相応の努力をしてきたのだろう。 4町村長に聞く  4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 湯座一平棚倉町長  平成15(2003)年以降の棚倉町の財政は、地方交付税の削減幅が予測より小さかったことや地方への税源移譲により、歳入が堅調に推移してきたため、住民サービスの低下を招くことなく安定した運営ができています。財政力指数についても、県内平均より高い水準で推移してきていますので、合併しなかったことで財政的に行き詰まるといった心配は、杞憂に終わりました。 職員数については、合併を想定して策定した定員適正化計画に基づいた定員管理を行うことで、平成14(2002)年の168人から令和4(2022)年には126人と、この20年間で42人の減員を進めてきました。これは、指定管理者制度の導入やIT技術の導入による事務の効率化、さらには組織機構の改編をこまめに行い事務の効率化・簡素化に取り組んできた結果です。 ラスパイレス指数については、平成18(2006)年の給与制度改正時に年齢別職員の偏在により一時高い数値を示しましたが、現在は落ち着いた数値で推移しています。 「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと今後の対応につきましては、歳入に見合った予算編成を是とし、住民サービスの質を落とすことなく、将来の財政需要に備えて基金の積み増しや、計画的な施設の維持補修を行い、将来的に人口減少と少子高齢化の課題解決ができるよう取り組みを展開していきます。 佐川正一郎矢祭町長  財政指標に対する見解については、本町は30~40%の財政力指数が示すとおり、自主財源に乏しい小規模自治体ではありますが、2012年度以降の実質公債費比率が5%未満であるなど、財政の基本である「入るを量りて出ずるを為す」の精神が受け継がれ、健全財政を堅持できていることは、「合併しない宣言」以降の徹底的な行財政改革の成果であると思っています。職員数とラス指数については、ここ数年増加傾向にありますが、多様化する町民ニーズへの対応や高度化する行政課題解決のための必要最小限の増員であり、職員の負担が減少していない現状を考えると更なる対応が必要であると思っています。 これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みについては、「子育てサポート日本一!」をスローガンに掲げ、議員定数の削減や議員報酬日当制の導入、事務事業の見直しや業務の効率化に伴う職員の大幅な削減等で捻出した財源を少子化対策に充てるなど、次代を担う子どもたちのための施策を充実させてきました。 今後も行政サービスの低下を招かず、コスト削減をするにはどうすればよいか、受益者負担の適正化についても、町民と共に考えながら、DXを推進するためのデジタル人材の育成やデジタルサービスの提供による利便性の向上と業務の効率化に注力し、更なる行財政改革を進めていきます。 宮田秀利塙町長  財政状況資料の各種数値は、人間に例えれば、健康度合の指数と捉え、栄養不足・偏り、肥満、運動不足にならないように、常に、注視を怠らないように心がけています。 また、当町では福島財務事務所へ平成29(2017)年度と令和2(2020)年度の二度、町の財政状況の診断をお願いしており、その結果、当面問題となるような数値はないとの診断をいただいております。この後も時々に診断をお願いし、財政基盤強化の指針としていく考えです。 更に財政基盤強化のためには、自主財源である町税確保のために、町内での起業支援を広範に推進して参りたいと考えています。 行政運営の効率化については、地域の環境整備とコミュニティ維持を目的として実施中の「地域振興事業交付金事業」に代表されるように、住民が自ら出来ることは自分達で担い、行政はその一助として財政的に支援するという「住民協働と行政参画」の推進を行い、様々な行政サービスの受益と負担の関係を、より一層明確化するとともに、地域の住民が、行政サービスの費用負担とそこから得られる受益を比較・考慮して、出来るだけ、自らの判断と責任で地域の行政サービスの水準を決定できるような仕組みに改めていく必要があると考えています。 また、職員には、事業費の財源の内容提示の徹底を図ることで、財源確保の意識を高め、積極的な交付金、補助金の活用を推進して参りながら、前例に、こだわることなく、あらゆる可能性の中での財政基盤強化、効率化への取り組みを進めて参りたいと考えています。 関根政雄鮫川村長  財政力指数は0・17と全県的にも下位にあり、自主財源確保も厳しい状況にあります。 本村は平成18(2006)年の行財政改革のひとつとして特別職や議会議員の報酬を20~25%削減するなど財政再建を図りながら現在に至ります。「入るを量りて出ずるを為す」。ふるさと納税等の自主財源確保と目的を果たした公有財産の処分等、「身丈にあった財政計画」を推進しています。 また、運営の効率化においては、既に給食センター運営は隣町と連携しています。少子高齢化に相応する職員の採用計画と配置も不可欠です。さらに業務の効率化優先で「住民サービス」が低下しないよう最大考慮すべきであると考えます。   ×  ×  ×  × 「単独」の強みとは  このほか、「単独」だからできたこと、その強み等々についても見解を聞いたので紹介したい。 湯座一平棚倉町長 棚倉町の場合は、合併に賛成したけれども単独の道になったという事情がありますが、合併協議を経験したことで、以前のようにフル装備の町を目指すのではなく、住民生活に必要なものを見極めて、必要なものだけを整備していくという考え方で、代替えできる施設については、廃止するなどの対応をしてきています。例を挙げると町民プールはルネサンス棚倉のプールや各小中学校のプールを活用することで廃止とし、中央公民館についても文化センターに公民館機能を持たせることで廃止しています。また、図書館については、代替えがきかない必要な施設として新たに整備しています。 さらに、合併しなかったことにより、城下町の特性に着目し「東北の小京都」として観光PRを展開するなど、町にある資源に着目したまちづくりを進めています。 まちづくりの基本理念は「住民が主役のまち」「安心で優しいまち」「誇りと愛着のもてるまち」であり、「人を・心を・時をつなぐ たなぐらまち」を目指す将来像としてきめ細やかな行政運営に徹しています。 佐川正一郎矢祭町長 「単独」だからできたこと、「小さな自治体」だからできたことは、そう多くはなかったと思いますが、自信も持って言えることは、住民自治の重要性に気づき、逸早く行政の守備範囲を見直し、町民や各種団体等がそれぞれのできる範囲で行政に参加し、町と協働して地域を運営するという、町民が自分たちの手で地域を育てていく仕組みづくりを構築できたことであると思います。 また、その強み等々については、小さな自治体は、地域住民が自らの地域に目を向け、地域を調べ、知り、考えることから始まります。高齢者等の見守りや援助の体制、まちづくりに関わる住民との連携など、住民の顔が見える小さな自治体であればこそ、きめ細かい対応が可能になると思っています。また、災害が起こった場合どこが危険かなど、地域の環境について知悉(ちしつ)している職員がいることで、迅速な対応ができることも、強みであると思っています。 宮田秀利塙町長 町内のインフラ整備等の要望に対しまして、きめ細やかな対応が出来たことかと思っています。地域代表者と直接の話し合いの場を持つことで、地域の現状をしっかりと把握し、現状に即し、地域の皆様が喜ぶ工事・修復を実施することが出来ました。ひいてはそれが無駄な出費の削減にもつながりました。 具体的には、町の財政節減の考えを説明することで、その現場の対応を、町が行うべきか、あるいは地域での対応が妥当なのか、を話し合いの中から導き出した結果、最良な対応の選択が可能となり、迅速で無駄の少ない行政サービスの提供につながってきました。当然のことながら、地域で対応する場合は、資材等の支給を町が行うと共に、資材以外の部分でも財政支援を行うことで住民の負担軽減にも努めました。 「単独」であったことの、最大の強みは、住民の様々な思いを、直接聞きやすい環境であるため、住民の声に対し、きめ細やかに、しかも素早い対応が出来ることかと思っています。 関根政雄鮫川村長 他町村から比較すると、全ての生活環境において条件が整っていないと思いきや、過疎地域の環境には大きな個性的魅力があります。さらに人口減少は避けられないが、全村民に「村づくりの理念」や「希望や喜び」を隅々まで丁寧に伝えることができる利点もあります。 村の最大の魅力は「小さな村であること」であり、「村民主体の村づくり」を推進し「幸福度」を高めるためには理想の自治体規模であると考えています。   ×  ×  ×  × 1つ例を挙げたい。原発事故の影響で、県内では牧草から基準値超の放射性物質が検出される事例が相次いだ。これを受け、畜産農家が多い鮫川村では、海外から干し草を購入し、村内約140戸の畜産農家に配布した。それにかかった費用は、後に村が東京電力に賠償請求する仕組みをつくった。言わば、村が畜産農家の牧草調達と東電への賠償請求を代行した格好。当初、東電は自治体の賠償には消極的で対応が遅かったが、この仕組みは「鮫川ルール」として、比較的迅速に賠償支払いが行われた。畜産農家からしたら、面倒な手続きを村が代行してくれ、ありがたかったに違いない。これは、単独だからできたことと言えよう。 顕著な人口減少  一方で、大きな課題になっているのが人口減少だ。別表は東白川郡4町村の人口の推移。各町村とも人口減少が顕著になっている。もっともこれは、合併していたとしても同じ結果になっていたはず。全国的な課題で、なかなか打開策はないが、合併しなかったことで、小回りが利くことを生かして、それぞれやれることをやるしかない。  このほか、郡内住民の声を聞くと「結果的に合併しなくてよかったのではないか」といった意見が多い。 「何がどう、と聞かれると難しいけど、結果的に合併しなくても不自由なことはなかったから、(合併がなくなったのは)よかったのではないか」(棚倉町民) 「当時の国の方針は、合併しなければ交付税を減らすというものだった。でも、住民投票の結果、合併話がなくなり、これから大変だぞ、と思ったけど、実際はそれほどではなかった。まあ、(行政の)内部は大変だったのかもしれないけど。いずれにしても、東白川郡の現状を見ると、合併しなくてよかったのだと思う」(棚倉町民) 「(隣接する)茨城県で合併したところの住民に聞いたけど、『合併してここが良くなった』という具体的な話は聞かない。矢祭町は最初から合併しない方針だったけど、正解だったと思う」(矢祭町民) 東白川郡に限らず、住民の心情としては、「できるなら、いまのままで存続してほしい」といった意見が多い。ただ、当時、行政の内部にいた人に話を聞くと、「地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との不安があったという。そのため、「国の方針に従った方がいい」として合併を模索し、実際に成立させたわけ。 国に逆らった影響  その点で言うと、矢祭町は「合併しない宣言」を議会が可決し、言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。その影響や、締め付け等を感じることはあったのか。この点について、佐川町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らすとの方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)も関係していると思います。財政的にも、根本良一元町長の時代に行財政改革が行われ、必要な部分の投資もある程度は完了していました。私の時代の大きな事業といえば、こども園建設と小学校統合くらいですかね。ですから、財政的にすごく苦労したということはありませんでした。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大きかったですよ」 最後に。いま同郡内で不安材料になっているのが衆議院小選挙区の区割り改定だ。これまでは須賀川市、白河市、田村市などと同じ3区だったが、改定後は会津地方、白河市、西白河郡と一緒の新3区になる。 東白川郡は車両ナンバーが「いわき」で、どちらかというと浜よりの文化・生活圏。県内でも会津とは縁遠い。そのため、「東白川郡はもともと票(人口)が多くないし、会津地方と一緒になったら、代議士の先生の目が向きにくくなるのではないか、といった不安がある」というのだ。 合併の話からは逸れてしまったが、今後の同郡内の行政を考えるうえでは、そこが不安材料になっているようだ。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま

    郡山市が通勤圏内、プラント立地で人口増  国の意向で2000年代を中心に進められた「平成の大合併」。県内では90市町村から59市町村に再編された。そこに参加しなかった県内自治体のいまに迫るこのシリーズ。今回は、安達郡で唯一「単独の道」を選択した大玉村を検証していく。(末永)  「平成の大合併」前、安達郡は大玉村のほか、安達町、岩代町、東和町、本宮町、白沢村の4町2村で構成されていた。これに二本松市を加えた1市4町2村が「安達地方」に位置付けられ、それら市町村で消防行政やごみ・し尿処理施設、斎場(火葬場)運営などを担う「安達地方広域行政組合」が組織されていた。  「平成の大合併」では、2005年12月1日付で二本松市と安達町、岩代町、東和町が合併して新・二本松市に、2007年1月1日付で本宮町と白沢村が合併して本宮市になったが、大玉村はいずれにも加わらなかった。これにより、安達地方広域行政組合の構成員は2市1村となり、安達郡は大玉村のみとなった。ちなみに、県内で1郡1村(1郡1町を含む)は安達郡(大玉村)だけである。 当時の大玉村役場関係者はこう述懐する。 「いまも存在していますが、以前から本宮町、大玉村、白沢村の首長、助役(※当時=現在は副市町村長に名称変更)、議員などで構成する『南逹地方振興協議会』というものがあり、広域的に地域振興や課題への対応などを協議していました。ですから、『平成の大合併』の議論が巻き起こった際、それが1つの枠組みになるのではないかと捉えられていました。東北部(二本松市)との合併は、当初からそれほど話題にはなっていなかったように思います」 前述したように、「安達地方」は1市4町2村で構成されていたが、二本松市、安達町、岩代町、東和町の「東北逹」と、本宮町、大玉村、白沢村の「南逹」が合併の枠組みとして捉えられていたというのだ。 当時の本誌取材の感覚では、「東北逹」は二本松市と安達町は地理的な条件面などで優れているが、岩代町と東和町は国道4号やJR東北本線のラインから外れ、地理的条件などが厳しかった。そのため、「東北逹」の合併は二本松市と安達町が岩代町と東和町を救済するといった側面があったように思われる。 一方、「南逹」は当時の大玉村役場関係者のコメントにもあったように、「南逹地方振興協議会」というものがあり、もともと広域連携や交流、結び付きがあった。そのため、「合併するなら、この3町村で」と捉えられていたようだ。 ただ、当時、本宮町は工業団地の造成に伴う財政負担が大きく、大玉村からすると合併相手としては決していい条件とは言えなかった。 一方で、白沢村は岩代・東和両町と同様、国道4号やJR東北本線が通っている自治体に比べると、地理的条件などが厳しかった。 そのため、大玉村は消極的で、本宮町と白沢村で合併協議が進められることになった。なお、当時の国の方針では、新市(市政施行)への移行条件は「人口3万人以上」だった。合併時、本宮町の人口は約2万2000人、白沢村は約9000人で、それを満たしていたこともあり、両町村が合併して本宮市が誕生した。 こうして、安達地方は2市1村に再編され、大玉村は「単独の道」を選択した。なお、合併議論が巻き起こった際、大玉村長だったのは浅和定次氏で1993年から2013年まで5期20年務めた。2013年からは押山利一氏が村長に就き、現在3期目。押山氏は元役場職員で、浅和村長の下で、総務課長や教育長などを歴任した。「単独の道」を決めた浅和氏、それを近くで見てきた押山氏が合併議論の渦中と、その後の村政を担ってきたのである。 押山利一村長 一部に「心配」の声  とはいえ、前出・当時の大玉村役場関係者によると、「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」という。その理由は、やはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配事があったからだ。 前号の「桑折町・国見町編」でも紹介したが、合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう語っていた。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 この首長経験者にとって、そうした国の方針は「脅し」のような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併を選択したというのである。 大玉村でも、同様の心配をする声があったということだ。行政の内部にいたら、そういった思いになるのは当然のことと言えるが、「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」(前出・当時の大玉村役場関係者)という。 それは、合併しなかった市町村への国からの〝締め付け〟が思ったほどではなかったから、と言えよう。 もっとも、前号で検証した桑折町・国見町もそうだったが、合併しなかった市町村は、それなりの「努力の形跡」が見て取れる。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための各種指標が公表されるようになった。 別表は同法に基づき公表されている大玉村の各指標の推移。比較対象として、同地区で合併した本宮市の各指標を併記した。 大玉村の職員数とラスパイレス指数の推移 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  全体的に指標は良化していることが見て取れる。実質公債費比率は近年は若干増加傾向にあり、本宮市に「逆転」された形になっているが、将来負担比率は2020年度は「算出なし(ゼロ、あるいはマイナス)」となっている。 もっとも、前号でも紹介したが、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。 「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 次に職員数とラスパイレス指数について。近年、臨時を含めた職員数は増えている。その要因については、後段で押山村長に見解を聞いている。 特筆すべきは人口の推移。別表に安達地方3市村の人口の推移をまとめたが、二本松市が合併直後と比べると約1万人減、本宮市が微減となっている中、大玉村だけは増加し続けている。これは県内市町村では極めて稀有なこと。特に、福島県の場合は、東日本大震災・原発事故を受け、人口減少が加速した。そんな中で、一時的に増加に転じるところはあっても、安定的かつ長年にわたって増加し続けているのは、県内では大玉村と西郷村だけである。 こうした各種指標や人口の推移などについてどう捉えているのか、押山村長に聞いた。 ――「平成の大合併」の議論が進められていた際、近隣では旧二本松市と安達郡3町、本宮町と白沢村の合併がありました。大玉村にもその誘いがあったと思いますが、当時の村長はじめ、関係者の「単独の道」という選択をしたことについて、いまあらためてどう感じていますか。 「当時、私は村役場総務課長として市町村合併を担当しておりました。安達管内は二本松藩の域内であり歴史的に結びつきが強く『安達はひとつ』の考えの下に『安達地方広域行政組合』をはじめとして、強い結びつきがありました。 当初は、域内7市町村または3町村の合併論議はありましたが、当村では伝統的に『自主独立』の気運が強く、村内での住民との意見交換会でも『合併すべき』の意見はごく一部で大多数が反対意見でした。 議会をはじめ、各種機会に意見をうかがいましたが、議会及び村民の合併に対する意見は、大多数が合併は望まないとのものでした。そこで、大玉村としては『村民の望まない合併はしない』と早い段階で決定した次第です。 その選択が村民にとって良かったかどうかは、その時点で選択の余地がなかったとはいえ、単独の道を選んだ以上は村民の皆さんがそのようなことを意識しないで生活できる村政の執行が肝要だと思っています」 ――当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められます。(別表で示した)財政指標、職員数とラス指数についてどう捉えていますか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応についてはどう考えていますか。 「『財政指標』については、もともと4割弱の財政力指数が示す通り典型的な小規模自治体ですが、『住民サービスを落とさずに健全財政を維持する』をテーマとして、前村長時代からの村政執行のベースとなっています。 『入るを量りて出ずるを為す』は当然のこととして、行政の先行投資の部分も当初から行われていたと思います。例えば、保育料や幼稚園の一部減免、定住化政策への助成などのソフト面から、ハード面は徹底して身の丈に合った施設でランニングコストを極力抑えるものとする等の徹底も財政力指標に表れていると考えています。 『職員数とラスパイレス指数』については、近年の保育所の入所増、幼稚園の3年保育実施、増え続ける行政需要に対応するための増加であるが、それでも職員の負担は旧に倍して増大しています(※職員定数は116人)。 『財政基盤強化』、『行政運営の効率化』への取り組みと今後の対応については、住民サービスの水準を落とさずに財政調整基金等の積み増しを図りつつ、将来を見据えて新規事業に取り組んでいます。 今後も子育て支援や定住化政策、健康長寿の村づくり、公共交通網の整備等の『村民の満足度を高める政策』の継続と、将来のための企業の誘致基盤の確立に努めていきます」 人口増加の要因  ――大玉村は県内では数少ない人口が増えている自治体です。その要因とこれまでの対策、これからの取り組みについて。 「『人口の推移』については、国勢調査で45年連続増加しているが、国県等の人口減少の中で、大玉村だけが増加を維持することは困難と考えています。 また、コロナウイルス感染症による出生数の激減が危惧されており、今から将来に向けての新たな対策が不可欠と考えています。 現在までの人口増の要因は複合的であり、子育て支援や定住化政策、福島・郡山・二本松・本宮が通勤通学圏内、国道4号沿いである交通の利便性、安達太良山から広がる景観、そして地価が廉価等の理由が挙げられます。 今後もこれらの利点をさらに高めて人口維持に努めますが、減少すればしたなりの行政運営があるだろうと考えています」 ――「単独」だからできたこと、その強み等々について、感じていることがあれば。 「『単独』だからできたこと、『その強み等々』については、合併せずに単独の道を選んで現在に至っているので、その過程で『小さいからこそ可能な村のメリット』があるとの思いで、きめ細かな行政運営に徹してきました。 前村長の言で『住民に目の届く、住民から手の届く村政』や私の村政の基本的な考え方『村民に日本一近い村政』の実現を目指しています。 ただ、逆に財政的に住民にサービスを届けられない『小さいゆえのデメリット』も多々あります。 幸いにも管内(二本松市、本宮市、大玉村)の結びつきが強く、各合併後も各種分野で連携が維持されており、特に消防、衛生関係など『安達地方広域行政組合』、『安達地方市町村会』等が有効に機能しています」 やはり、役場内、議員、村民のいずれも、当初から「合併」には消極的だったようだ。実際、村民からすると「(全国的に合併議論が巻き起こった際も)最初からそういう機運はなかった」という。 そのほか、押山村長は職員数の増加については「近年の保育所の入所増、幼稚園の3年保育実施、増え続ける行政需要に対応するための増加」と明かし、人口増加については「複合的な要因」と分析した。 恵まれた条件  前出・当時の村役場関係者はこう話す。 「1つ例を挙げると、大玉村にはほかの多くの市町村にあるような、企業・工場を誘致するために行政が造成したいわゆる工業団地がありません。それは、農業で生計を立てている人が多いこともありますが、働き口として本宮市や郡山市に依存できる、といった部分が大きい。そのほかでも、行政サービスは別として、普段の生活の面では本宮市や郡山市に頼れるところが多い。そのため、そういった部分で行政が財政投資をしなくてもいい、といった側面があります。そのことが財政指標の良化につながっている面は多分にあると思います」 二本松市、本宮市、郡山市などが通勤・通学圏内で、働き口や医療・介護など、さまざまな面でそれらに依存できる地理的条件にある。そのため、そういった部分に財政投資する必要がないことから、財政指標の良化につながっている面があるというのだ。 加えて、それらの市に比べると、地価が安いため、若い世代が移り住み人口増加につながっている。押山村長が語っていたように、子育て支援や定住化政策など、村の努力によるとこもあるだろうが、やはり条件面で優れていることが大きい。だからこそ、早い段階で「合併しない」ことを決断できたのだろう。 ある村民は「唯一、不便なところを挙げると、大玉村にはJR東北本線の駅がないこと」という。ただ、役場周辺から本宮駅までは3㌔ほどで、村内各所から本宮駅までコミュニティーバス、デマンドタクシーなどを運行している。 その代わり、というわけではないが、現在、村では東北道のスマートインターチェンジ(IC)誘致を進めている。役場周辺から本宮ICまでは5㌔ほど、二本松ICまでは8㌔ほどで、スマートIC設置により、村ではさらなる交通の利便性向上と周辺開発を期待している。それに当たり、村内では「スマートICより、JR東北本線の駅をつくってほしい」といった意見もあったという。前述したように、「大玉村にはJR東北本線の駅がないのが唯一の弱点」といった意見もあったが、駅間の距離、利用見込みなどから、現実的ではないようだ。 そのほか、別の村民によると「プラントの存在も大きいと思う」という。プラント(PLANT)は総合ディスカウントストアで、「プラント―5 大玉店」は2006年2月にオープンした。ちょうど、「平成の大合併」議論が巻き起こっていたころで、当然、その前から「プラントが出店する」ということは分かっていた。地元雇用が見込めるし、若い世代が移り住むにも大きな要素となる。具体的な数字は不明だが、固定資産税なども相応と聞くから、その点も「単独の道」を後押ししたに違いない。 こうして聞くと、村の努力も当然あったと思われるが、それ以上に、県内最大の経済都市である郡山市が通勤圏内であること、大型商業施設が立地していること、近隣の市に比べて地下が安いこと――等々の条件が揃っていたのが大きい。 一方で、前号の「桑折町・国見町編」でも同様の指摘をしたが、「大玉モデル」や「大玉ブランドの新名物」と言われ、全国から注目を集めるような特別な仕掛けがあったかと言うと、思い当たらない。現状に満足せず、新たな仕掛けを生み出していくことも求められよう。

  • 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま

     人口減少・少子高齢化など、社会・経済情勢が大きく変化する中、国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進してきた。いわゆる「平成の大合併」である。県内では90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。一方で、県内では「平成の大合併」に参加しなかった自治体もある。それら自治体のいまに迫る。今回は桑折町・国見町編。 財政指標は良化、独自の「創造性」はイマイチ  2006年1月1日、伊達郡の伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町が合併して伊達市が誕生した。当初、この合併議論には、桑折町と国見町も参加しており、「伊達7町合併協議会」として議論を進めていた。  ただ、2004年8月に桑折町の林王喜久男町長(当時)が合併協議会からの離脱を表明した。その背景にあったのは、合併後の事務所(市役所本庁舎)の位置。伊達7町合併協議会は事務所の位置に関する検討小委員会で、「新市の事務所は保原町とする」と決定した。それが同年8月11日のことで、それから約2週間後に開かれた桑折町議会合併対策特別委員会で、林王町長は合併協議会からの離脱を表明したのだ。  離脱の理由について、林王町長は①合併に対する基本的な考え方が満たされない、②行政圏域と生活圏域が一致しない、③町民への説明責任が果たせない――等々を明かしていた。とはいえ、当時、同合併協議会の関係者の間ではこんな見方がもっぱらだった。  「伊達地方は(阿武隈川を境に)川東地区と川西地区に分かれ、前者の中心が保原町、後者の中心が桑折町。合併協議が進められる過程で、両町による合併後の主導権争いがあった中、新市の事務所の位置が保原町に決まった。それに納得できない桑折町は『だったら、参加しない』ということになった」  桑折町は旧伊達郡役所が置かれ、「伊達郡の中心は桑折町」といった矜持があった。にもかかわらず、合併後の事務所は保原町に置かれることになったため、離脱を決めたというのだ。  同年9月に正式に離脱が決まり、以降は「伊達6町合併協議会」と名称を変更して、議論を進めることになった。  ところがその後、同年11月に行われた国見町長選で、「合併を白紙に戻す」と訴えた佐藤力氏が当選した。当時、現職だった冨永武夫氏は、県町村会長を歴任するなどの〝大物〟で、「合併を成し遂げることが町長としての最後の仕事」と捉えていた様子だった。一方の佐藤氏は共産党(町長選では共産党推薦の無所属)で、急遽の立候補だったため、準備や選挙期間中の運動も決して十分ではなかった。それでも、結果は佐藤氏3514票、冨永氏3136票で、約380票差で佐藤氏が当選を果たした。投票率は74・81%で、「合併白紙」が民意だったと言える。  当選直後の同年12月議会で、佐藤町長は合併協議会からの離脱に関する議案を提出した。採決結果は賛成8、反対9で離脱案は否決された。それでも、佐藤町長は「合併白紙を訴えた自分が町長選で当選し、町民意向調査でも同様の結果が出ている以上、合併協議会からの離脱は避けられない」との主張を曲げなかった。  このため、2005年1月、伊達6町合併協議会はこのままでは協議が進まないとして、同協議会を解散ではなく、「休止」という措置を取った。それと並行する形で国見町を除く「伊達5町合併協議会」を立ち上げ、協議を進めた。その後、同年3月に合併協定に調印、2006年に伊達市誕生という運びとなった。  こうして桑折町、国見町は合併せず、単独の道を選んだわけ。ちなみに、桑折町で合併協議時に町長を務めていた林王氏は2010年の町長選で高橋宣博氏に敗れ落選。その後は2014年、2018年、2022年と、いずれも高橋氏が当選している。国見町は佐藤氏が2012年11月まで(2期8年)務めた後、太田久雄氏が2012年から2020年まで(2期8年)、2020年からは引地真氏が町長に就いている。  合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう話す。  「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」  そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併についての勉強会(任意協議会)、法定協議会、正式な合併へと舵を切っていった、というのだ。  では、「平成の大合併」から十数年経ち、合併しなかった市町村が、この首長経験者が危惧した状況になったかというと、そうとは言えない。そのため、「合併しなくても、普通にやっていけているではないか。だとしたら、合併推奨は何だったのか」といった思いもあるようだ。 桑折・国見の財政指標  もっとも、合併しなかった市町村にはそれなりの「努力の形跡」も見て取れる。  ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。  別表は桑折町と国見町の各指標の推移をまとめたもの。数字だけを見れば「努力の形跡」が見て取れる。もっとも、投資的事業をしなければ財政指標は良化するから、一概には言えないが。 桑折町の財政指標と職員数の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・9116・1713・1150・40・512008年度9・4119・0413・8167・20・512009年度8・7218・5914・0141・10・502010年度――――13・8120・60・472011年度――――13・768・60・452012年度――――11・941・30・432013年度――――11・819・40・432014年度――――10・311・80・442015年度――――10・415・70・452016年度――――11・010・10・452017年度――――11・67・40・452018年度――――11・43・60・452019年度――――10・414・40・452020年度――――9・636・60・46※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の財政指標の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・2721・0217・5149・10・362008年度5・7422・4318・7126・60・362009年度5・4719・6317・4103・90・352010年度――――15・585・00・342011年度――――12・985・20・322012年度――――11・178・30・302013年度――――10・077・40・292014年度――――8・175・10・292015年度――――7・062・30・292016年度――――6・670・70・292017年度――――6・867・80・302018年度――――6・760・60・322019年度――――5・741・60・332020年度――――4・323・00・33※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  この指標を示して、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)に見解を求めたところ、こう回答した。  「財務指標からだけでは財政運営の良否は判断できません。そこで、桑折町と国見町の場合は、地域環境の似通っている隣接の伊達市と比較して、相対的な評価をするのがよいと思われます」  別表に伊達市の実質公債費比率の推移を示した。2021年度は速報値。今井氏はそれと桑折町、国見町の数字と比較し、次のように明かした。なお、桑折町の2021年度速報値は9・2、国見町は3・2。 伊達市の実質公債費比率の推移 2008年度15・52009年度14・62010年度13・42011年度11・62012年度9・82013年度8・32014年度7・42015年度6・82016年度6・52017年度7・42018年度6・62019年度6・92020年度7・22021年度7・8  「実質公債費比率の推移を見ると、まず伊達市と国見町との差は歴然としています。2008年度時点では、伊達市15・5、国見町18・7と、むしろ国見町のほうが悪い数字だったものが、2021年段階では伊達市7・8、国見町3・2と、国見町の方が大きく改善しています。次に伊達市と桑折町とを比較すると、桑折町の方の改善度が低いように見えますが、最近5年間の推移を見ると、2017年段階で伊達市7・4、桑折町11・6だったところが、2021年段階では伊達市7・8、桑折町9・2となっていて、桑折町は改善しているのに、伊達市は改善していません」  こうして聞くと、相応の努力は見られると言っていいのではないか。もっとも、今井氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 桑折・国見町長に聞く  両町長は現状をどう捉えているのか。町総務課を通して、以下の4点についてコメントを求めた。  ①当時の町長をはじめ、関係者の「合併しない」という決断について、いまあらためてどう感じているか。  ②当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められる。別紙(前段で紹介した財政指標)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」から抜粋したものですが、それら数字についてはどう捉えているか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」の取り組み、今後の対応についてはどう考えるか。  ③当時、本誌取材の中では「多少の我慢を強いられても、単独の道を模索してほしい」といった意見もあったが、実際に住民に対して「我慢」を求めるような部分はあったか。  ④「合併しないでよかった」と感じているか。  回答は次の通り。 桑折町 高橋桑折町長  ①、④合わせての回答  国は、人口減少・少子高齢化等の社会情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的に、全国的に市町村合併を推進したところです。本町においても近隣自治体との合併について検討したものの、分権社会に対応できる基礎自治体構築・将来に希望の持てる合併が実現できるとは言い難いことや、行政圏域と生活圏の一体性の醸成が困難であることなどから、合併しない決断を選択しました。  その後、地方行政を取り巻く環境が厳しさを増す中にあって、行財政改革に努め、健全財政の維持を図りながら町独自の施策展開により、2021年においては人口が社会増に転ずるなど、単独立町だからこそ得られた結果と捉えており、合併しないでよかったと感じております。  引き続き、子どもたちに夢を、若者に元気を、高齢者に安心を届け、「住み続けたいまち 住みたいまち 桑折」の実現に邁進してまいります。  ②の回答  当町は、平成16(2004)年9月に伊達7町による合併協議を離脱し、自立(自律)の道を選択して以降、東日本大震災をはじめとする度重なる災害や社会経済状況の変化、人口減少・高齢化などにより、多様化・複雑化・高度化する行政需要を的確に捉え、住民ニーズに応える各種施策を展開するとともに、事業実施にあたっては、財源確保を図り、「選択と集中」「最小の経費で最大の効果を上げる」ことを常に念頭に置きながら、財政の健全性維持に努めてまいりました。その結果、別紙の「健全化判断比率(4つの各比率)」の推移にありますとおり、平成19(2007)年度以降、各指標とも低下傾向にあり、合併せずとも着々と財政の健全化に向け改善が図られてきたものと捉えております。  とりわけ、企業誘致の促進や移住・定住人口の増加に資する施策に取り組みながら、税収の確保や収納事務の効率化を図るとともに、国・県などの補助制度の積極的な活用に努めてきました。また、シティプロモーションなどPR事業の展開や魅力的な返礼品の充実を図り、ふるさと納税は大幅に伸びております。  今後についても、2022年度策定した「中期財政計画」に基づき、更なる財源の確保、歳出抑制・適正化等、健全で持続可能な財政運営に向けた取り組みを継続し、「住み続けたいまち」であり続けるための各種施策を展開していく考えであります。  ③の回答  合併協議からの離脱後、これまでの間、行財政改革や自主財源の確保を図り、行政需要を的確に捉え、各種住民サービスに努めることにより、町民の理解を得ているところであります。 国見町 引地国見町長  ①の回答  当時の町長選挙の争点が「合併」。合併しないことを公約にした候補が当選したことは、民意が明確に示されたものと考えている。  ②の回答  合併する、しないに関わらず、地方自治体の財政基盤強化、行財政運営の効率化は緊張感を持って取り組むべきことと考える。当町においても自主財源が乏しい中、サービスの質を維持・向上させるため、あらゆる財源の確保に奔走している。同時に、常にコスト意識を持ち、予算編成及び執行に努めながら、将来負担を軽減すべく、起債に係る繰上償還を積極的に行っている。  ③の回答  「合併をしなかった」ことを要因とし、我慢を求めることはなかったと考えている。  ④の回答  当時の決断に対し、その善し悪しを意見する考えはない。唯一申し上げるとすれば、当時の決断を大切に、国見町に住む方々が「国見っていいな」と思ってもらえるよう町政運営に努めたい。 人口減少幅は類似 桑折町役場(左)と国見町役場(右)  桑折町の高橋町長は合併議論時、議員(議長)を務めており、その後は2010年に町長就任して現在に至る。つまりはこの間の「単独の歩み」の大部分で町政を担ってきたことになる。その中で、「単独だからこそ得られたものもあり、合併しないでよかった」と述べている。一方、引地町長は2020年に就任し、まだ2年ほどということもあってか、踏み込んだ回答ではなかった。  両町の職員数(臨時を含む)を見ると、この間大きな変化はなく、国見町はむしろ増えている。もっとも、福島県の場合は、震災・原発事故に加え、ほかにも大規模災害が相次いだこともあり、その辺の効率化を図りにくかった事情もあり、評価が難しいところ。 桑折町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年111人103・12011年115人112・82012年115人109・92013年112人101・42014年113人99・52015年115人100・12016年112人100・12017年112人100・12018年112人99・02019年115人99・02020年117人94・2※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年89人100・72011年86人109・12012年90人108・92013年97人99・52014年105人100・82015年106人99・52016年103人99・62017年103人99・62018年106人99・72019年108人99・72020年107人100・3※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  人口の推移は、伊達市が合併時から約1万2000人減、桑折町と国見町は「単独」を決断したころから、ともに約2000人減。数だけを見ると、伊達市の減少が目立つが、減少率で見ると、伊達市が約17%、桑折町が約16%、国見町が約21%となっている。国見町は2022年度から、国から「過疎地域指定」を受けている。 伊達市、桑折町、国見町の人口の推移 伊達市桑折町国見町2006年6万9122人1万3423人1万0646人2011年6万5898人1万2823人1万0059人2016年6万2218人1万2247人9455人2021年5万8015人1万1431人8612人2022年5万7104人1万1285人8398人各年とも1月1日時点。 思い切った「仕掛け」を  町民の声はどうか。  「この間、大きな災害が相次ぎ、そうした際に、枠組みが小さい方が行政の目が行き届く、といった意味で、良かった面はある。ただ、合併していたら、それはそれで良かったこともあったと思う。だから、どっちが良かったかと聞かれても、正直難しい」(桑折町民)  「純粋に、愛着のある町(町名)が残って良かった」(桑折町民)  「数年前に、天候による果樹の被害があり、保険(共済)に入っていなかったが、町から保険(共済)に入るための補助が出た。そういった事業は単独町だったからできたことかもしれないね」(国見町民)  「合併していたら、『吸収』される格好だったと思う。そうならなかったということに尽きる」(国見町民)  一方で、両町内で事業をしている人や団体役員などからは、ある共通の意見が聞かれた。それは「せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてもいいのではないか」ということ。  「例えば、会津若松市は『歴史のあるまち』で、歴史的な観光資源では太刀打ちできない。一方で、同市では、ソースカツ丼を売り出しているが、そのための振興組織をつくって、本格的に売り出したのは、せいぜいここ十数年の話。あれだけ、歴史的な観光資源があるところでも、それにとどまらず、何かを『生み出す』『売り込む』ということをやっている。そういった姿勢は見習わないといけない。例えば、e―スポーツを学校の授業に取り入れ、先進地を目指すとか。そういったことは小回りが利く『町』だからこそできると思うんだけど」(桑折町内の会社役員)  「国見町で、ここ数年の大きな事業と言えば、道の駅整備が挙げられる。周辺の交通量が多いことから立ち寄る人で賑わっているが、業績はあまり良くない。そもそも、道の駅自体、全国どこにでもあるもので、最初(オープン時)はともかく、慣れてしまえば目新しいものではない。一方で、夜間になると(道の駅に)キャンピングカーなどで車中泊をしている人が目に付く。例えば、キャンピングカーの簡易キッチンに対応した商品を売り出すとか、『車中泊の聖地』になるような仕掛けをしてはどうか。ともかく、道の駅に限らず、何かほかにない目玉になるようなものを作り出していく必要があると思う」(国見町内の団体関係者)  これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。  桑折町、国見町は交通の便がよく、働き口、高等教育、医療、日用品の調達先などで、近隣に依存できる環境にあったからこそ、合併しないという選択ができた面もある。財政指標の良化も見られる。ただ、単独町だからこそ可能な「創造性」という点では乏しかったと言えよう。 桑折町ホームページ 国見町ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する