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  • 国見町百条委の注目は町職員の刑事告発の有無

    国見町百条委の注目は町職員の刑事告発の有無

     国見町が救急車を研究開発し、リースする事業を中止した問題は、1月26日に議会が設置した調査特別委員会(百条委員会)で受託業者側の証人喚問が行われヤマ場を迎える(委員構成と設置議案の採決結果は別表)。一連の問題は河北新報を皮切りに全国紙、東洋経済オンラインまで報じるようになった。 百条委員会設置議案の採決結果 ◎は委員長、〇は副委員長(敬称略) 佐藤多真恵1期反対菊地 勝芳1期欠席佐藤  孝◎2期賛成蒲倉  孝2期賛成八巻喜治郎2期賛成宍戸 武志2期賛成山崎 健吉2期賛成小林 聖治〇2期賛成渡辺 勝弘5期賛成松浦 常雄5期賛成佐藤 定男4期―佐藤定男氏は議長のため採決に加わらず  全国メディアが注目するのは、河北新報や百条委員会委員長の佐藤孝議員が主張している、町がワンテーブル(宮城県多賀城市)に事業を発注した過程が官製談合防止法違反に当たるかどうかだ。だが、ネットを使って全国ニュースに思うようにアクセスできない高齢者は戸惑う。  高齢のある男性町民は本誌が「忖度している」と苦言を呈し、次のように打ち明けた。  「当初は救急車問題を全く扱わず役場関係者や河北新報を読んでいる知人からの口コミが頼りでした。なぜ報じないのか、地元メディアは町に忖度しているのではと思い、購読している福島民報に『報じる責任がある』と電話したことがあります。担当者は『何を報じるか報じないかはこちらの裁量だ』と答えました」  本誌も含め地元紙が詳報しなかった(できなかった)のは、核心の情報を得られなかったからだ。仮に河北新報と同じ内部情報を入手し記事にしたとしても二番煎じになり、地元2紙はプライドが許さないだろう。  大々的に報じるようになったのは、議会が百条委を設置し「公式見解」が書けるようになったから。  設置に至る経緯は次の通り。直近の昨年5月の町議選(定数12)は無投票だった。9人が現職で、うち1人が9月に辞職した。改選前の議会は2022年の9月定例会で、救急車事業を盛り込んだ補正予算案を原案通り全会一致で可決している。改選後の議会では19年に議員に初当選後、辞職し、20年の町長選に臨んで落選していた佐藤孝氏が議員に無投票再選し、執行部を激しく糾弾。同調する議員らと百条委設置案を提出した。救急車事業案に賛成した議員たちも百条委設置に傾き、昨年10月の臨時会で賛成多数で可決した。  これに先んじて、引地真町長は第三者委員会を議会の議決を受けて設置しており、弁護士ら3人に検証を委嘱。「二重検証状態」が続く。  だが、町民にはメディアや議員の裏事情は関係ない。  「私はネットに疎いし、もう1紙購読する金銭的な余裕はない。知人に河北新報の記事のコピーを回してもらい断片的に情報を得ています。同年代で集まって救急車問題について話しても、みんな得ている情報が違うので実のある話にならない」(前出の男性)  町民の情報格差をよそに、1月26日には、百条委によるワンテーブル前社長や社員、子会社ベルリングなどキーパーソン3人の証人喚問が予定されている。  百条委について地方自治法は、出頭・記録提出・証言の拒否や虚偽証言に対し「議会は(刑事)告発しなければならない」とする。河北新報と東洋経済オンラインの共同取材によると、町執行部と受託業者の説明には食い違いが生じている(12月6日配信記事)。  原稿執筆は昨年12月21日現在で、22日に行われた町職員の証人喚問を傍聴できていないため、執行部と受託業者が一致した見解を証言するのか、あるいは異なる証言をするのかは分からない。言えるのは、受託業者への証人喚問では、執行部と受託業者が同じ「真実」を話す、あるいは一方が「虚偽」とされ、刑事告発を決定付けるということだ。

  • 【国見町長に聞く】救急車事業中止問題

    【国見町長に聞く】救急車事業中止問題【ワンテーブル】

     国見町が高規格救急車を所有して貸し出す事業は今年3月に受託企業ワンテーブル(宮城県多賀城市)の社長(当時)が「行政機能を分捕る」と発言した音声を河北新報が公開し、町は中止した。執行部は検証を第三者委員会に委嘱。議会は調査特別委員会(百条委員会)を設置し、執行部が作った救急車の仕様書はワンテーブルの受託に有利な内容で、官製談合防止法違反の疑いもあるとみて証人喚問を進める。引地真町長と同事業担当の大勝宏二・企画調整課長に11月6日、仕様書作成の経緯と責任の取り方を聞いた。(小池航) 仕様書作成の経緯と責任の取り方を聞いた  ――救急車の仕様書を作成する根拠となった資料の提出を町監査委員会が執行部に要求した際、ワンテーブルが提供した資料以外は「処分した」と執行部は説明しました。処分した文書はどのような方法で、どの部署の職員が入手したものか。  大勝企画調整課長「企画調整課の担当職員がインターネットで閲覧してプリントアウトした資料です。町としては、個人が職務上必要と考えてネットから印刷した文書は参考資料であり、公文書には当たらないと解しています」  ――職務上必要な資料は公文書では?  引地町長「参考資料とは、例えばネットから取得するだけではなく、本から見つけてコピーするものもありますよね。それは単なる資料でしかなく、公文書には当たらない。公文書とは、その資料をもとに行政が作成したものという解釈です」  ――国見町の文書管理規則では、公文書の定義を「職員が職務上作成し、又は取得した文書及び図画をいう。ただし、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数のものに販売することを目的として発行されるものを除く」としている。個人が取得した資料とはいえ、職務上得た文書では?  大勝課長「解釈はいろいろあると思います。職員が自己の執務のために保有している写しが即公文書に当たるかというと、議論を呼ぶところだと思います。メモ程度のものが公文書に当たるかどうかという議論です。町としては(処分した)資料は、仕様書を作る段階で集めたものという解釈で、それは個人が集めた資料です。その資料に基づいて、町の意思決定に何か反映させたことはないと判断しています。職員が参考程度に集めたものだったので、行政文書には当たらないと考えています。  参考資料を得た経緯を説明します。職員が町の仕様書を作る際、各消防組合などがネットに上げている仕様書を閲覧し、必要な部分だけを印刷しました。1冊分を印刷すると膨大になります。参考のつもりで閲覧し、公文書として保存を前提に集めたものではありません。担当職員が知識を得た段階で、それらの資料は残してはいませんでした」  ――担当職員が各企業の救急車の仕様書をネットで閲覧し、仕様書を作ったという解釈でいいか。  大勝課長「そのように説明してきました。ワンテーブルからは他町の仕様書の提供を受けたので、それも参考にしました」  ――どうしてワンテーブルが提供した資料だけが残っていたのか。  大勝課長「1冊丸々提供を受けたからです。残すつもりで残したわけではなく、破棄するつもりがなかったというか、たまたま残ったのだと思います」  ――受託したワンテーブルが示した参考資料以外に何社の救急車の資料を参考にしたのか。  大勝課長「はっきりとは言えません。部分的に参考にしたものもありますし、振り返ってネットで検索したものもあります」  ――引地町長に聞きます。ワンテーブルの巧妙だったと思う点はありますか。  引地町長「何が巧妙だったかという質問に町は答える術を持っていません。前社長の考えは報道や音声データで見聞きしたが、あの発言をした事実はあるものの、そこには出てきていない思いもあるはずで、それについて我々は知る術がない。だから何が巧妙だったのかという質問には本当に答えられない。  ワンテーブルと国見町の関係は高規格救急車事業で唐突に始まったわけではなく、前町長在任時の2018年に元経産省職員の紹介を受けて接点ができました。翌19年には防災パートナーシップ協定を結び、20年には企業版ふるさと納税945万円の寄付を受けました。前社長は総務省から『地域力創造アドバイザー』認定を受けていました。そういった下地があるので、その経過を持って彼らのやり口が巧妙だったかというと我々は判断する術がない。  役所は何かしら困り事を抱えていたり、地域の課題解決に意見を持っている人が訪れます。そういった人たちを、我々行政は疑ってかからないスタンスを取ります。まず対面してから話が進む。例えば目の前にいる町民を、最初から『悪いことを考えているのではないか』とは疑いません。困り事があって役所に来ているわけだから。そういう姿勢で我々は仕事をしてきました。  我々はワンテーブルを国見町と協力する数ある企業の一つと捉えていました。震災後の13年間、町は他の民間企業とも連携して復旧・復興、風評対策を進めてきた経過があります。官民連携でまちづくりを進める延長線上にあったのが高規格救急車事業でした。巧妙だったかという質問には本当に答えにくい。前社長が、あの発言のような考えを持ちながら当初から国見町とやり取りをしてきたのか、それは分かりません。町長として教訓というか思うところはありますが、第三者委員会の結論が出るまでは話すべきではないと考えます」 原因究明の陣頭指揮  ――高規格救急車事業について町民に伝えたいことは。  引地町長「同事業は契約を解除し、住民説明会を14カ所で行いました。ワンテーブル前社長の不適切な発言で事業継続が困難になったのは本当に残念です。同事業は議会に諮って進めてきました。出来上がった救急車は議決を得て町が取得し、必要な自治体や消防組合に譲与していきます。当初町が考えていた事業と着地点は違いますが、地域の防災力向上や医療・救急業務の充実に活用してもらいたいです」  ――町執行部に不信感を抱いている町民に伝えたいことは。  引地町長「町に関する報道で心配を掛けてしまい申し訳ありませんでした。住民説明会や議会では『最終的な責任は私にあり、責任回避はしない』と説明してきました。ただ、それで完結する話ではない。町への非難と私の身の処し方といった議論に終わらせず、果たさなければいけないのは、原因を究明し問題の所在を明らかにすることです。その陣頭指揮を執るのが町長の責任だと思います。『最終的な責任は引地にある』と言葉だけで済ませようとは思っていません。上辺だけで済ませれば、また同じ過ちが繰り返されます。その意味で第三者委員会は大きな意味を持っています。検証の結果を待ち、原因を指摘してもらい、再発防止に向けた意見を客観的に出してもらう。その上で、町執行部で必要な対策を行い、町政への責任を果たしていくことが大切なのだと考えます」  ※以下は11月13日に送った質問への文書回答。  ――第三者委員会の委員2人が辞任しました。検証の半ばで過半数の委員が辞任したことについて、受け止めを教えてください。検証への影響も教えてください。  「誠意をもって対応し、委員におかれましては直前まで委員会へ出席の意向でしたので、突然の辞任で驚いています。辞任の理由は分かりません。検証への影響は、今回委員会が中断してしまったので、検証が遅れる影響があったと考えます。速やかに後任を人選し、対応しています」

  • 滞る国見町の救急車事業検証

    滞る【国見町】の救急車事業検証【ワンテーブル】

    百条委の調査能力に疑問符  国見町が高規格救急車を所有して貸し出す事業を断念した問題の検証が難航している。町執行部が設置した第三者委員会は、委員3人のうち2人が「一身上の都合」で9月下旬に辞任し議事が滞った。議会は11月上旬に地方自治法100条に基づく調査特別委員会(百条委員会)を設置する方針。百条委員会は証言者が出頭を拒否したり記録提出を拒んだ場合、刑事告発できるなどの強制力を伴うが、救急車リース事業案の問題点を見過ごし、一時は原案通り可決した議会が調査能力を発揮できるかは未知数だ。  救急車リース事業は、受託企業ワンテーブル(宮城県多賀城市)の社長が「行政機能を分捕る」と発言したことが明らかとなったのを受け、町執行部が「信頼関係が失われた」と事業を中止。執行部は町民説明会での要望を受け、有識者3人からなる第三者委員会で事業の検証を進めようとした。  ところが、委員を務めていた垣見隆禎・福島大行政政策学類教授と元井貴子・桜の聖母短大准教授が辞任したことで、執行部の検証に暗雲が立ち込めた。本誌が垣見教授に電話すると「河北新報に書かれた通り。それ以上のことは答えられない」と口は重かった。  9月28日付の河北新報は《垣見教授によると、これまでの会合で委員が事業の関連資料の提出を促しても町側は「既に廃棄した」などと回答を拒み、核心部分の調査が進まなかった》《「そもそも町は第三者委による調査を条例で『事務執行適正化』に関するものに限定し、最初から問題の検証が困難な建付けになっていた」》と報じていた。  町が設置した第三者委員会とは何か。第3回臨時会(5月17日)提出の条例案によると、設置趣旨は「本町職員による不適正な事務執行が発生した場合又は発生が疑われる場合において、その経過の客観的かつ公正な検証及び再発防止のための提言を行うため」(第1条)とある。  委員会が所掌する事務は⑴不適正な事務執行の経過に関すること、⑵不適正な事務執行の再発防止策の提言に関すること、⑶前2号に掲げるもののほか、町長が必要と認めること。条文は職務を事務執行に限定していることが分かる。議会は「事務執行とは具体的に何を指すのか」と疑問視せずに原案通り可決した。  本誌は辞任したもう1人の元井准教授にメールで問い合わせたが「本件につきましては、本学企画室がご対応することになっておりますので、私からお答えすることは控えさせていただいております」と回答。辞任した2人の口が重いのは、条例第8条「委員は、職務上知りえた秘密を漏らしてはならない」「その職を退いた後も同様とする」と守秘義務が課されているためだろう。  町監査委員会は9月に発表した意見書で、4億円を超える事業にもかかわらず計画書を作成していなかった点、監査委が救急車製造仕様書の根拠となる参考資料提出を求めたところ、執行部は受託業者からの資料のみで「他は処分した」と説明したことを問題視している。  資料が新たに出ない以上、検証には関係者の証言しかない。百条委員会はワンテーブルの元社長や関わった町職員への聴取を検討しているという。町民は「狡猾な企業に町の予算を狙われ、恥をかかされた」と怒っている。百条委はガス抜きのための調査に終わらせず、ワンテーブルに狙われた過程を明らかにすることに徹するべきだ。

  • 狡猾な企業に狙われた国見町

    狡猾な企業に狙われた国見町

     国見町が高規格救急車12台を所有し、リースする事業が中止となった問題が尾を引いている。事業を受託していた企業の社長(当時)が行政機能を乗っ取り、マネーロンダリング(資金洗浄)に利用しようとしていた発言が河北新報のスクープで明らかになり、「企業に食い物にされそうになった町」として全国に知られた。町民に共通するのは「恥をかかされた」という意識だ。怒りの矛先は企業だけでなく町執行部にも向き、町議が批判文書を配布する事態となった。 町民が執行部に求める「恥の責任」 国見町役場  一連の問題は、宮城県を拠点とする河北新報の昨年からのキャンペーン記事で明らかとなった。以前条例で引き下げられた町長、副町長、教育長らの報酬が元に戻され、町民の反発を受けてまた減額された問題、幹部職員の自宅前の道路が町発注の工事として整備され、幹部職員本人が工事の決裁をしていた問題だ。 これだけなら町内の不祥事で済んだが、宮城県多賀城市の備蓄食品製造会社「ワンテーブル」が登場することで、国見町の名前は悪い意味で全国に知られることになった。 救急車リース事業の問題(※)は、全体像をすぐ理解するには複雑なこと、河北新報が福島県内では購読者数が少なく、町民たちも読む機会がないので、この時点では町の一大事とまではなっていなかった。 ※企業版ふるさと納税を使って匿名企業3社から寄付を集め、高規格救急車を開発し貸し出す事業。河北新報によると、匿名企業はワンテーブルと関連がある企業だった。企業版ふるさと納税は寄付金の9割が控除されるため、同紙は提携するグループが「課税逃れ」のために国見町を利用した可能性を報じた。  事態が動いたのは今年3月に入ってからだ。同紙が、ワンテーブルの社長(当時)が救急車リース事業を「超絶いいマネーロンダリング(資金洗浄)」、国見町など複数の自治体を挙げ「行政機能をぶん取る」と発言したという記事を書いた。生々しい発言を記録した音声が公開され、ネットで拡散。「騙された」と町民の感情に訴えるものとなった。  町はワンテーブルと「信頼関係が失われた」として、委託契約を解消したことを広報紙で伝えたほか、4月に計14回、各地域の住民を集めて経緯を説明した。筆者は同月22日に小坂地区の住民に対して開かれた説明会を傍聴した。 質疑応答である住民は 「宮城の親戚から『国見町はなんだか大変なことになっているね』と外から問題を知らされている状況。ネットではおもちゃにされて恥をかいている」 と、引地真町長ら説明に赴いた執行部に訴えていた。 別地区の住民が今の率直な心情を打ち明ける。 「町長たちの報酬の上げ下げ、幹部職員が自らに利益を誘導した公共工事、ワンテーブルに踊らされた救急車リース事業……あまりに問題が多すぎて、私も全体像を完全には理解していない。ただ、とにかく『恥をかかされた』ということだけは分かる」 不信は事業を呼び込んだ町執行部に向く。 「町民は『行政機能をぶん取る』とまで陰で言われ、カモにされた執行部に怒っています。ワンテーブル社員が町総務課に頻繁に出入りしていたという話をある筋から聞きました。具体的なことは書かないでほしい。庁内では、誰が河北新報にタレ込んだか『犯人探し』が始まっているようなので、これ以上現場の職員に迷惑をかけたくない」(同) 批判は執行部をチェックできなかった議会にも向いた。 「5月(23日告示)の町議選が無投票というのが町の民主主義の衰退を表しています。こういう事実が、ワンテーブルみたいな悪質な会社に付け込まれたのではないか」(同) 議会は救急車リース事業の予算案を全会一致で原案通り可決した責任があるため執行部に対しワンテーブルの問題を厳しく追及していない。 例外は松浦常雄議員(81)=西大枝、5期。改選前の時点で副議長を務める。3月から3回にわたり執行部を批判する「議会活動報告」を新聞折り込みで出したが、4回目の文書では急遽「お詫び」の題で「行き過ぎた表現があった」として、執行部、議会、町民に謝罪した。 松浦常雄議員  前出の住民によると、圧力をかけられ謝罪に追い込まれたという。筆者は松浦議員の自宅電話を鳴らした。電話口に出た本人は「長くなりますがよろしいですか?」と計3回の執行部批判文書に「自分の思いのたけを込めた」と語った。 「予算案に賛成した責任は感じているが、町政をただす原点に立ち返り一議員の職責を全うしたいと批判文書を出しました。B4版で3000部刷り、町内に配られる新聞に折り込んでもらいました。手間も費用も全て自前で、1回出すのに約1万5000円かかっています」(同) なぜ最後は「お詫び」をして出すのをやめたのかと聞くと、議員たちに迫られたからだという。3回目の批判文書を出し、各戸に届いたのが4月13日。翌14日の「議員意見交換会」に呼び出され出向くと、東海林一樹議長(5月の町議選に立候補せず引退)から「これは怪文書に当たる」と言われたという。全議員の前で批判文書を出したことを執行部、議会、町民に謝罪するよう迫られた。弁明の機会を与えられたが、擁護する議員は1人もいなかった。  議会で孤立するのを恐れ、その日のうちに議員、引地町長に謝罪した。町長室に東海林議長と出向き、お互いに起立して口頭で謝罪。引地町長は謝罪に対して何も言わなかったという。町民には計3回の批判文書と同じく、謝罪文を新聞折り込みで届けることになった。 「東海林議長からはどの部分が怪文書に当たるかという説明はありませんでした」(松浦議員) 筆者は東海林氏の自宅電話を鳴らしたが出なかったので、見解を聞けていない。 松浦議員は1時間にわたる電話取材に応じているように、批判文書を出したこと自体は間違っていないと確信しているようだ。謝罪文の表現も「怪文書」との指摘と同じようにあいまいなものになった。 「一部行き過ぎた表現があり、町執行部、各議員の皆様、そして町民の皆様に多大なるご心配とご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」と書いただけで、どこが行き過ぎた表現なのかは言及がなかった。 町民から「批判文書で目が覚めた」  結果として議会では孤立したが、町民から「あなたのおかげで目が覚めました」と激励の言葉をもらったという。筆者も全ての批判文書を読んだが、河北新報やNHKの報道を基に、町三役の報酬引き上げの迷走ぶりや、ワンテーブルが町の行政機能に食い込もうとしていた問題をまとめ、松浦議員本人の見解も記されていた。内容は周回遅れの感が否めないが、ネットにアクセスできない高齢者には重宝しているのだろう。 時間を置いて再び松浦議員に電話すると、「取材を受けたことで議会での立場に影響はないか」と不安げに言われた。筆者は「優先すべきは議会内の声より町民から直接受けた声ではないか」と言った。 前述の通り、定数12で行われた町議選は無投票だった。松浦議員のように「怪文書」と指摘される文書を出して議会で疎まれても再選できるので、落選を恐れる段階ではない。町民の多くは執行部トップの引地町長に「恥の責任」をとるよう求めている。新たな顔ぶれの議会が、町民と町長のはざまでどのような立場を取るか注目だ。

  • 【国見町】引地真町長インタビュー

    【国見町】引地真町長インタビュー

    ひきち・まこと 1959年12月生まれ。東北学院大法学部卒。国見町総務課長兼町民相談室長などを歴任。2020年3月に退職後、同年11月の国見町長選で初当選。 ――町長就任から2年4カ月経過しました。 「この間、新型コロナ感染症をはじめ、2021、22年に発生した震度6強を超える福島県沖地震、基幹産業である農業に被害を与えた凍霜害と降雹、昨年の過疎指定、昨今の物価高騰など、難しいかじ取りを強いられた2年4カ月でした。その都度、適切に判断しながら町民の生活支援と不安払しょくに努めてきました」 ――昨年3月16日に発生した本県沖地震の復旧状況について。 「昨年の地震による被害は一昨年に比べ甚大でした。全壊から一部損壊までの被害棟数は1500以上と前年の地震の2倍強で、生活再建の予算確保は至上命題でした。この間、できる限りの対策を講じたつもりです。町職員の高い危機対応意識で地震翌日には被災・罹災証明の受付窓口を開設しました。また、交流・連携を深める北海道ニセコ町、岩手県平泉町、栃木県茂木町、岐阜県池田町に救援依頼をしたところ、ブルーシートや土嚢袋など応急資材の提供や職員の派遣など迅速に対応していただきました。一昨年の地震の教訓から通常業務と地震対応業務の両立が図られたのだと思います。一方で、住家・非住家の公費解体に伴う国の災害査定に時間を要したり、建築業界の慢性的な人手不足や資材不足などの影響があったりして、丸1年が経過しても応急処置が施されたままの住宅があります。地震被害からの復旧はまだ道半ばで、生活再建支援に引き続き注力する考えです」 ――保・幼・小・中一貫教育を柱とする「くにみ学園構想」の進捗状況について。 「この構想は、第6次国見町総合計画と国見町過疎地域持続的発展計画に基づいて整備を進めたいと考えた、くにみ学園の基本理念をまとめたものです。町の将来や存続に関わる重要な事業に位置づけられます。現在、本町には保育所1所、幼稚園1園、小学校1校、中学校1校がありますが、町内に分散・点在しています。2014年度から取り組んできた『国見学園コミュニティ・スクール』事業では地域住民の協力を得ながら、自ら学ぶ力や郷土愛を育む教育を展開してきましたが、この10年で急激に少子化が進んだうえ、社会環境の変化による学力の二極化や運動能力の低下、支援が必要な子どもたちの増加などが顕著になっています。これらの課題を踏まえ、保・幼・小・中を1つに集約し、子育てと教育の充実、機能強化を図ることが同構想の基本理念です。くにみ学園構想は、教育と子育て施策の核となるものですから、議会も含め町民の皆さまとの対話を通して、基本構想への理解・共感を得ていきたいと考えています」 国見町ホームページ 掲載号:政経東北【2023年4月号】

  • 【国見町移住者】新規就農奮闘記

    【国見町移住者】新規就農奮闘記

     国見町では新規就農者向けの町営農業研修施設「くにみ農業ビジネス訓練所」を運営している。同訓練所を卒業した新規就農者は昨年、どんな1年目を過ごし、どのようなことを感じたのか、振り返ってもらった。 「補助金ありき」農業参入の厳しい現実  「訓練所で基本的なところは勉強できたのですが、自分の畑・スタイルでやるとなると全く違う面もあるので、戸惑いながら試行錯誤した1年でした」  苦笑しながら1年を振り返るのは、国見町藤田に住む三栗野祐司さん(43)。昨年4月から自営農家としてキュウリやズッキーニの栽培を開始した。妻と共に無我夢中で農作業に明け暮れたとか。 三栗野祐司さん  「半年以上、毎日朝晩、休まずにキュウリを収穫していたので、正直精神的に参っていたところでした。11月に入り、やっとひと段落したので、勉強も兼ねて、あんぽ柿作りの手伝いのアルバイトに行っていたところです」  1年目のキュウリの売り上げは200万円弱。ズッキーニなどその他の野菜も含めれば約250万円。夫婦2人分の年収としては厳しいところだが、国が新規就農者向けに給付している「経営開始資金」なども加えればそれなりの金額になる。金額は年間150万円(月12万5000円)で、給付期間は3年間。  「さまざまな補助金を活用して何とか独り立ちできている状況ですね。1年目は初期投資で何かと出費がかさむので、貯えがどんどん減っています。キュウリの卸値は1本30円の世界。大変な仕事に就いたと実感していますし、妻は時間を見てアルバイトに出ています」 メーンの作物となっているキュウリ  新潟県長岡市生まれ。高校卒業後、製造業、飲食業などで働いていた。東京にいたとき出会った女性と結婚。その後、妻が仕事を辞め、地方への移住を考えるようになった。そこで候補に挙がったのが福島県だった。実は共通の友人が福島県出身で、地元に戻った後に何度か遊びに訪れていた。  2020年6月、妻、愛猫とともに福島市に移住。夫婦でできて、かつ自然環境を生かした仕事がないか探す中で、たどり着いたのが「農業」だった。担い手不足が叫ばれている中で、挑戦してみたくなった。  と言っても、三栗野さんは全く農業経験がなかった。そこで、福島市から近い国見町の新規就農者向け訓練所に通って基礎を身に付けることにした。 くにみ農業ビジネス訓練所  同訓練所は道の駅国見「あつかしの郷」の近くに立地しており、新規就農に取り組む移住者の増加、生産者支援を目的に設置された。1年かけて農業の基礎を学べる「長期研修」(受講料無料)、専門的な技術を習得したい就農者向けの「短期研修」、子ども向けの「体験研修」などの事業を実施している。  町内には果樹・水稲農家が多いが、どちらも多額の初期投資が必要となるため、新規就農者はほとんどが親元での就農だ。そうした現状を踏まえて、同訓練所では新規就農者向けに、初期投資が少なく、収益化サイクルが短い野菜農家を勧めており、それに基づいたカリキュラムが組まれている。  三栗野さんは21年4月に入所し、1年間かけて野菜の土づくりや種まき、収穫、出荷調整などの技術や農業経営に必要な知識を学んだ。  卒業後はキュウリを生産することにした。伊達地区は夏秋キュウリの販売額が日本一で、ブランドとなっているため単価も高い。1株から50~100本は収穫でき、生産者に対する支援・補助も手厚い。  22年4月、晴れて就農者となったものの、しばらくは移住や就農の準備に追われたという。  中でも住まい探しには時間がかかった。同訓練所に近いと機械などが無料で借りられ、支援制度も充実しているため国見町への移住を決めた。だが、農地付きの住宅がなかなか見つからなかったという。  「空いている住宅や土地はいっぱいあるが、ほとんどは空き家バンクに登録されていないので、移住者はたどり着けずに別の自治体に流れてしまう。私もずいぶん見て回ったが、人づてに紹介してもらった築50年の住宅・農地を300万円で購入した。住宅は320万円かけて、リフォームして暮らしています」  ちなみに、野菜栽培用のパイプハウスに250万円かかり、キュウリの苗の購入や、灌水設備の整備などにもその都度費用がかかったという。前述の通り、新規就農や移住に関する補助金は充実しているが、「年度末に入ってくるものも多いです」。三栗野さんは何とか貯金で賄ったとのことだが、初期投資分を考えると、1000万円程度の貯えは必要ということだろう。水稲農家となると、コンバイン、トラクターといった農機具が必要となるので、さらに金額が跳ね上がると思われる。 地元レストランと契約  就農1年目の手応えについて、三栗野さんに尋ねたところ、このように話した。  「生産したことのない畑で、どう肥料をあげたらいいのかも分かりませんでしたが、そうした中で安定して出荷し、収入を得られた点はよかったと思います。ズッキーニに関しては、JR藤田駅前の『Trattoria da Martino(トラットリア・ダ・マルティーノ)』というイタリアンレストランに契約してもらっています。『(傷がついているものでも)選別せずに納品して構わない』と言っていただいているので助かるし、何のツテもない地域で、使っていただけるのはありがたい限りです」(同)  国見町周辺でズッキーニを生産している農家が少なかったことが幸いしたのだろう。  なお、キュウリに関してはこんな迷いが生じている最中だという。  「JAに出荷していたが、手数料を計算したところ、4割近く引かれていることに気付いた。周囲の先輩方は『仕方ない』と受け入れているが、箱詰めなどを自分でやればいくらか手数料は減らせます。一方、さまざまな面で補助を受けられるなど、JAと取り引きするメリットは大きいし、梱包作業の負担を軽減してくれるのはありがたい面もある。すべてJAにお任せするか、しんどい思いをして手数料を減らす努力をするか、検討し続けています」  道の駅国見は手数料が低く価格も自分で決められるが、ほかの生産者の農産品も並ぶので、必ず手に取ってもらえるわけではない。農産物直売所も手数料が低めだが、すべて売り捌けるとは限らない。  そう考えると、本当の意味で〝農業の仕事だけで飯が食える〟ようになるためには、前出・イタリアンレストランのように、販売ルートを確保する必要がある。そこが今後の課題になりそうだ。  「レストランの方と話していると『こういう西洋野菜を作ってくれたらぜひ買わせてほしい』と言われることがあります。需要があるのに、市場にそれほど出回っていないということだと思うので、新年からぜひ作ってみたい。卸値が変動しやすいキュウリの生産・収穫に追われるだけではいずれ低空飛行になるだろうし、何より楽しみもなくなるので、いろいろと挑戦していきたいと思います」  一方で、1年目に戸惑ったことを尋ねたところ、「農業器具関連業者の対応」と答えた。  「灌水設備を取り付けるため、複数の業者に話を聞いたが、当然ながら長年農業に携わってきた方ばかり。『こうしてほしい』と伝えても『ほかではこうやっていた』と返され、工程の途中で『残りは自分でできると思うので』と完成させずに帰ってしまうこともあった。訓練所には設備がそろっているため、そうした設備の取り付け方法などは習っていない。かなり戸惑いました」  同じような思いを抱いている新規就農者は意外と多いかもしれない。  行政に求める支援策を尋ねたところ、次のように述べた。  「高齢で離農する農家の方が多いが、子どもや孫がやるのであればと、新たに投資する意思があったりする。一方、新規就農の意思がある人は農地がなく、ミスマッチが生じているのです。同様の問題は商店街にもありますが、行政にはそのつなぎ役となって解決してほしいと考えています。地域のコーディーネーターという意味では、飲食店が欲している農作物を行政などで聞き取りして、就農者が手分けして対応するというやり方もできると思います。行政には期待しています」 国見町移住の卒業生は2人  農閑期はゆっくりできるのかと思いきや、「せっかくハウスがあるのに使わないのはもったいないので、今シーズンのキュウリが終わり次第、新たな苗を植えられるように準備しています」と語る三栗野さん。  新規就農事情に詳しいジャーナリストによると、1年目で250万円という収入は「よく頑張っている方」という。苦労したことも多々あったようだが、移住・新規就農1年目の生活を満喫していると言えよう。  しかし、一方では前述の通り、さまざまな補助金に頼って生活している実態がある。〝農業の仕事だけで飯が食える〟ようになるのはそれだけ難しいということだろう。新規就農者数が過去最多となっていることを前掲記事で紹介したが、補助金が充実していて参入しやすいという要素は大きそうだ。  同訓練所は費用対効果の問題もある。2019~21年の卒業生10人のうち、国見町に移住したのは三栗野さんを含めてわずか2人。あまりに寂しい数字。年間経費は約2000万円だという。  卒業生らは「農友会」と呼ばれる若手農業者の組織を作り、定期的に交流している。そういう意味では、農業振興に貢献していると言えるが、経済人からは「やるなら町を代表する農産物などに特化すべき。金をかけて町営訓練所を作ったが、いまいちアピール度に欠ける」と不満の声も聞こえてくる。  これらもまた新規就農者を取り巻く環境の〝現実〟ということだ。 あわせて読みたい 【福島】県内農業の明と暗

  • 【桑折町・国見町】合併しなかった市町村のいま

    【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま

     人口減少・少子高齢化など、社会・経済情勢が大きく変化する中、国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進してきた。いわゆる「平成の大合併」である。県内では90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。一方で、県内では「平成の大合併」に参加しなかった自治体もある。それら自治体のいまに迫る。今回は桑折町・国見町編。 財政指標は良化、独自の「創造性」はイマイチ  2006年1月1日、伊達郡の伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町が合併して伊達市が誕生した。当初、この合併議論には、桑折町と国見町も参加しており、「伊達7町合併協議会」として議論を進めていた。  ただ、2004年8月に桑折町の林王喜久男町長(当時)が合併協議会からの離脱を表明した。その背景にあったのは、合併後の事務所(市役所本庁舎)の位置。伊達7町合併協議会は事務所の位置に関する検討小委員会で、「新市の事務所は保原町とする」と決定した。それが同年8月11日のことで、それから約2週間後に開かれた桑折町議会合併対策特別委員会で、林王町長は合併協議会からの離脱を表明したのだ。  離脱の理由について、林王町長は①合併に対する基本的な考え方が満たされない、②行政圏域と生活圏域が一致しない、③町民への説明責任が果たせない――等々を明かしていた。とはいえ、当時、同合併協議会の関係者の間ではこんな見方がもっぱらだった。  「伊達地方は(阿武隈川を境に)川東地区と川西地区に分かれ、前者の中心が保原町、後者の中心が桑折町。合併協議が進められる過程で、両町による合併後の主導権争いがあった中、新市の事務所の位置が保原町に決まった。それに納得できない桑折町は『だったら、参加しない』ということになった」  桑折町は旧伊達郡役所が置かれ、「伊達郡の中心は桑折町」といった矜持があった。にもかかわらず、合併後の事務所は保原町に置かれることになったため、離脱を決めたというのだ。  同年9月に正式に離脱が決まり、以降は「伊達6町合併協議会」と名称を変更して、議論を進めることになった。  ところがその後、同年11月に行われた国見町長選で、「合併を白紙に戻す」と訴えた佐藤力氏が当選した。当時、現職だった冨永武夫氏は、県町村会長を歴任するなどの〝大物〟で、「合併を成し遂げることが町長としての最後の仕事」と捉えていた様子だった。一方の佐藤氏は共産党(町長選では共産党推薦の無所属)で、急遽の立候補だったため、準備や選挙期間中の運動も決して十分ではなかった。それでも、結果は佐藤氏3514票、冨永氏3136票で、約380票差で佐藤氏が当選を果たした。投票率は74・81%で、「合併白紙」が民意だったと言える。  当選直後の同年12月議会で、佐藤町長は合併協議会からの離脱に関する議案を提出した。採決結果は賛成8、反対9で離脱案は否決された。それでも、佐藤町長は「合併白紙を訴えた自分が町長選で当選し、町民意向調査でも同様の結果が出ている以上、合併協議会からの離脱は避けられない」との主張を曲げなかった。  このため、2005年1月、伊達6町合併協議会はこのままでは協議が進まないとして、同協議会を解散ではなく、「休止」という措置を取った。それと並行する形で国見町を除く「伊達5町合併協議会」を立ち上げ、協議を進めた。その後、同年3月に合併協定に調印、2006年に伊達市誕生という運びとなった。  こうして桑折町、国見町は合併せず、単独の道を選んだわけ。ちなみに、桑折町で合併協議時に町長を務めていた林王氏は2010年の町長選で高橋宣博氏に敗れ落選。その後は2014年、2018年、2022年と、いずれも高橋氏が当選している。国見町は佐藤氏が2012年11月まで(2期8年)務めた後、太田久雄氏が2012年から2020年まで(2期8年)、2020年からは引地真氏が町長に就いている。  合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう話す。  「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」  そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併についての勉強会(任意協議会)、法定協議会、正式な合併へと舵を切っていった、というのだ。  では、「平成の大合併」から十数年経ち、合併しなかった市町村が、この首長経験者が危惧した状況になったかというと、そうとは言えない。そのため、「合併しなくても、普通にやっていけているではないか。だとしたら、合併推奨は何だったのか」といった思いもあるようだ。 桑折・国見の財政指標  もっとも、合併しなかった市町村にはそれなりの「努力の形跡」も見て取れる。  ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。  別表は桑折町と国見町の各指標の推移をまとめたもの。数字だけを見れば「努力の形跡」が見て取れる。もっとも、投資的事業をしなければ財政指標は良化するから、一概には言えないが。 桑折町の財政指標と職員数の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・9116・1713・1150・40・512008年度9・4119・0413・8167・20・512009年度8・7218・5914・0141・10・502010年度――――13・8120・60・472011年度――――13・768・60・452012年度――――11・941・30・432013年度――――11・819・40・432014年度――――10・311・80・442015年度――――10・415・70・452016年度――――11・010・10・452017年度――――11・67・40・452018年度――――11・43・60・452019年度――――10・414・40・452020年度――――9・636・60・46※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の財政指標の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・2721・0217・5149・10・362008年度5・7422・4318・7126・60・362009年度5・4719・6317・4103・90・352010年度――――15・585・00・342011年度――――12・985・20・322012年度――――11・178・30・302013年度――――10・077・40・292014年度――――8・175・10・292015年度――――7・062・30・292016年度――――6・670・70・292017年度――――6・867・80・302018年度――――6・760・60・322019年度――――5・741・60・332020年度――――4・323・00・33※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  この指標を示して、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)に見解を求めたところ、こう回答した。  「財務指標からだけでは財政運営の良否は判断できません。そこで、桑折町と国見町の場合は、地域環境の似通っている隣接の伊達市と比較して、相対的な評価をするのがよいと思われます」  別表に伊達市の実質公債費比率の推移を示した。2021年度は速報値。今井氏はそれと桑折町、国見町の数字と比較し、次のように明かした。なお、桑折町の2021年度速報値は9・2、国見町は3・2。 伊達市の実質公債費比率の推移 2008年度15・52009年度14・62010年度13・42011年度11・62012年度9・82013年度8・32014年度7・42015年度6・82016年度6・52017年度7・42018年度6・62019年度6・92020年度7・22021年度7・8  「実質公債費比率の推移を見ると、まず伊達市と国見町との差は歴然としています。2008年度時点では、伊達市15・5、国見町18・7と、むしろ国見町のほうが悪い数字だったものが、2021年段階では伊達市7・8、国見町3・2と、国見町の方が大きく改善しています。次に伊達市と桑折町とを比較すると、桑折町の方の改善度が低いように見えますが、最近5年間の推移を見ると、2017年段階で伊達市7・4、桑折町11・6だったところが、2021年段階では伊達市7・8、桑折町9・2となっていて、桑折町は改善しているのに、伊達市は改善していません」  こうして聞くと、相応の努力は見られると言っていいのではないか。もっとも、今井氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 桑折・国見町長に聞く  両町長は現状をどう捉えているのか。町総務課を通して、以下の4点についてコメントを求めた。  ①当時の町長をはじめ、関係者の「合併しない」という決断について、いまあらためてどう感じているか。  ②当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められる。別紙(前段で紹介した財政指標)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」から抜粋したものですが、それら数字についてはどう捉えているか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」の取り組み、今後の対応についてはどう考えるか。  ③当時、本誌取材の中では「多少の我慢を強いられても、単独の道を模索してほしい」といった意見もあったが、実際に住民に対して「我慢」を求めるような部分はあったか。  ④「合併しないでよかった」と感じているか。  回答は次の通り。 桑折町 高橋桑折町長  ①、④合わせての回答  国は、人口減少・少子高齢化等の社会情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的に、全国的に市町村合併を推進したところです。本町においても近隣自治体との合併について検討したものの、分権社会に対応できる基礎自治体構築・将来に希望の持てる合併が実現できるとは言い難いことや、行政圏域と生活圏の一体性の醸成が困難であることなどから、合併しない決断を選択しました。  その後、地方行政を取り巻く環境が厳しさを増す中にあって、行財政改革に努め、健全財政の維持を図りながら町独自の施策展開により、2021年においては人口が社会増に転ずるなど、単独立町だからこそ得られた結果と捉えており、合併しないでよかったと感じております。  引き続き、子どもたちに夢を、若者に元気を、高齢者に安心を届け、「住み続けたいまち 住みたいまち 桑折」の実現に邁進してまいります。  ②の回答  当町は、平成16(2004)年9月に伊達7町による合併協議を離脱し、自立(自律)の道を選択して以降、東日本大震災をはじめとする度重なる災害や社会経済状況の変化、人口減少・高齢化などにより、多様化・複雑化・高度化する行政需要を的確に捉え、住民ニーズに応える各種施策を展開するとともに、事業実施にあたっては、財源確保を図り、「選択と集中」「最小の経費で最大の効果を上げる」ことを常に念頭に置きながら、財政の健全性維持に努めてまいりました。その結果、別紙の「健全化判断比率(4つの各比率)」の推移にありますとおり、平成19(2007)年度以降、各指標とも低下傾向にあり、合併せずとも着々と財政の健全化に向け改善が図られてきたものと捉えております。  とりわけ、企業誘致の促進や移住・定住人口の増加に資する施策に取り組みながら、税収の確保や収納事務の効率化を図るとともに、国・県などの補助制度の積極的な活用に努めてきました。また、シティプロモーションなどPR事業の展開や魅力的な返礼品の充実を図り、ふるさと納税は大幅に伸びております。  今後についても、2022年度策定した「中期財政計画」に基づき、更なる財源の確保、歳出抑制・適正化等、健全で持続可能な財政運営に向けた取り組みを継続し、「住み続けたいまち」であり続けるための各種施策を展開していく考えであります。  ③の回答  合併協議からの離脱後、これまでの間、行財政改革や自主財源の確保を図り、行政需要を的確に捉え、各種住民サービスに努めることにより、町民の理解を得ているところであります。 国見町 引地国見町長  ①の回答  当時の町長選挙の争点が「合併」。合併しないことを公約にした候補が当選したことは、民意が明確に示されたものと考えている。  ②の回答  合併する、しないに関わらず、地方自治体の財政基盤強化、行財政運営の効率化は緊張感を持って取り組むべきことと考える。当町においても自主財源が乏しい中、サービスの質を維持・向上させるため、あらゆる財源の確保に奔走している。同時に、常にコスト意識を持ち、予算編成及び執行に努めながら、将来負担を軽減すべく、起債に係る繰上償還を積極的に行っている。  ③の回答  「合併をしなかった」ことを要因とし、我慢を求めることはなかったと考えている。  ④の回答  当時の決断に対し、その善し悪しを意見する考えはない。唯一申し上げるとすれば、当時の決断を大切に、国見町に住む方々が「国見っていいな」と思ってもらえるよう町政運営に努めたい。 人口減少幅は類似 桑折町役場(左)と国見町役場(右)  桑折町の高橋町長は合併議論時、議員(議長)を務めており、その後は2010年に町長就任して現在に至る。つまりはこの間の「単独の歩み」の大部分で町政を担ってきたことになる。その中で、「単独だからこそ得られたものもあり、合併しないでよかった」と述べている。一方、引地町長は2020年に就任し、まだ2年ほどということもあってか、踏み込んだ回答ではなかった。  両町の職員数(臨時を含む)を見ると、この間大きな変化はなく、国見町はむしろ増えている。もっとも、福島県の場合は、震災・原発事故に加え、ほかにも大規模災害が相次いだこともあり、その辺の効率化を図りにくかった事情もあり、評価が難しいところ。 桑折町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年111人103・12011年115人112・82012年115人109・92013年112人101・42014年113人99・52015年115人100・12016年112人100・12017年112人100・12018年112人99・02019年115人99・02020年117人94・2※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年89人100・72011年86人109・12012年90人108・92013年97人99・52014年105人100・82015年106人99・52016年103人99・62017年103人99・62018年106人99・72019年108人99・72020年107人100・3※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  人口の推移は、伊達市が合併時から約1万2000人減、桑折町と国見町は「単独」を決断したころから、ともに約2000人減。数だけを見ると、伊達市の減少が目立つが、減少率で見ると、伊達市が約17%、桑折町が約16%、国見町が約21%となっている。国見町は2022年度から、国から「過疎地域指定」を受けている。 伊達市、桑折町、国見町の人口の推移 伊達市桑折町国見町2006年6万9122人1万3423人1万0646人2011年6万5898人1万2823人1万0059人2016年6万2218人1万2247人9455人2021年5万8015人1万1431人8612人2022年5万7104人1万1285人8398人各年とも1月1日時点。 思い切った「仕掛け」を  町民の声はどうか。  「この間、大きな災害が相次ぎ、そうした際に、枠組みが小さい方が行政の目が行き届く、といった意味で、良かった面はある。ただ、合併していたら、それはそれで良かったこともあったと思う。だから、どっちが良かったかと聞かれても、正直難しい」(桑折町民)  「純粋に、愛着のある町(町名)が残って良かった」(桑折町民)  「数年前に、天候による果樹の被害があり、保険(共済)に入っていなかったが、町から保険(共済)に入るための補助が出た。そういった事業は単独町だったからできたことかもしれないね」(国見町民)  「合併していたら、『吸収』される格好だったと思う。そうならなかったということに尽きる」(国見町民)  一方で、両町内で事業をしている人や団体役員などからは、ある共通の意見が聞かれた。それは「せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてもいいのではないか」ということ。  「例えば、会津若松市は『歴史のあるまち』で、歴史的な観光資源では太刀打ちできない。一方で、同市では、ソースカツ丼を売り出しているが、そのための振興組織をつくって、本格的に売り出したのは、せいぜいここ十数年の話。あれだけ、歴史的な観光資源があるところでも、それにとどまらず、何かを『生み出す』『売り込む』ということをやっている。そういった姿勢は見習わないといけない。例えば、e―スポーツを学校の授業に取り入れ、先進地を目指すとか。そういったことは小回りが利く『町』だからこそできると思うんだけど」(桑折町内の会社役員)  「国見町で、ここ数年の大きな事業と言えば、道の駅整備が挙げられる。周辺の交通量が多いことから立ち寄る人で賑わっているが、業績はあまり良くない。そもそも、道の駅自体、全国どこにでもあるもので、最初(オープン時)はともかく、慣れてしまえば目新しいものではない。一方で、夜間になると(道の駅に)キャンピングカーなどで車中泊をしている人が目に付く。例えば、キャンピングカーの簡易キッチンに対応した商品を売り出すとか、『車中泊の聖地』になるような仕掛けをしてはどうか。ともかく、道の駅に限らず、何かほかにない目玉になるようなものを作り出していく必要があると思う」(国見町内の団体関係者)  これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。  桑折町、国見町は交通の便がよく、働き口、高等教育、医療、日用品の調達先などで、近隣に依存できる環境にあったからこそ、合併しないという選択ができた面もある。財政指標の良化も見られる。ただ、単独町だからこそ可能な「創造性」という点では乏しかったと言えよう。 桑折町ホームページ 国見町ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する

  • 国見町百条委の注目は町職員の刑事告発の有無

     国見町が救急車を研究開発し、リースする事業を中止した問題は、1月26日に議会が設置した調査特別委員会(百条委員会)で受託業者側の証人喚問が行われヤマ場を迎える(委員構成と設置議案の採決結果は別表)。一連の問題は河北新報を皮切りに全国紙、東洋経済オンラインまで報じるようになった。 百条委員会設置議案の採決結果 ◎は委員長、〇は副委員長(敬称略) 佐藤多真恵1期反対菊地 勝芳1期欠席佐藤  孝◎2期賛成蒲倉  孝2期賛成八巻喜治郎2期賛成宍戸 武志2期賛成山崎 健吉2期賛成小林 聖治〇2期賛成渡辺 勝弘5期賛成松浦 常雄5期賛成佐藤 定男4期―佐藤定男氏は議長のため採決に加わらず  全国メディアが注目するのは、河北新報や百条委員会委員長の佐藤孝議員が主張している、町がワンテーブル(宮城県多賀城市)に事業を発注した過程が官製談合防止法違反に当たるかどうかだ。だが、ネットを使って全国ニュースに思うようにアクセスできない高齢者は戸惑う。  高齢のある男性町民は本誌が「忖度している」と苦言を呈し、次のように打ち明けた。  「当初は救急車問題を全く扱わず役場関係者や河北新報を読んでいる知人からの口コミが頼りでした。なぜ報じないのか、地元メディアは町に忖度しているのではと思い、購読している福島民報に『報じる責任がある』と電話したことがあります。担当者は『何を報じるか報じないかはこちらの裁量だ』と答えました」  本誌も含め地元紙が詳報しなかった(できなかった)のは、核心の情報を得られなかったからだ。仮に河北新報と同じ内部情報を入手し記事にしたとしても二番煎じになり、地元2紙はプライドが許さないだろう。  大々的に報じるようになったのは、議会が百条委を設置し「公式見解」が書けるようになったから。  設置に至る経緯は次の通り。直近の昨年5月の町議選(定数12)は無投票だった。9人が現職で、うち1人が9月に辞職した。改選前の議会は2022年の9月定例会で、救急車事業を盛り込んだ補正予算案を原案通り全会一致で可決している。改選後の議会では19年に議員に初当選後、辞職し、20年の町長選に臨んで落選していた佐藤孝氏が議員に無投票再選し、執行部を激しく糾弾。同調する議員らと百条委設置案を提出した。救急車事業案に賛成した議員たちも百条委設置に傾き、昨年10月の臨時会で賛成多数で可決した。  これに先んじて、引地真町長は第三者委員会を議会の議決を受けて設置しており、弁護士ら3人に検証を委嘱。「二重検証状態」が続く。  だが、町民にはメディアや議員の裏事情は関係ない。  「私はネットに疎いし、もう1紙購読する金銭的な余裕はない。知人に河北新報の記事のコピーを回してもらい断片的に情報を得ています。同年代で集まって救急車問題について話しても、みんな得ている情報が違うので実のある話にならない」(前出の男性)  町民の情報格差をよそに、1月26日には、百条委によるワンテーブル前社長や社員、子会社ベルリングなどキーパーソン3人の証人喚問が予定されている。  百条委について地方自治法は、出頭・記録提出・証言の拒否や虚偽証言に対し「議会は(刑事)告発しなければならない」とする。河北新報と東洋経済オンラインの共同取材によると、町執行部と受託業者の説明には食い違いが生じている(12月6日配信記事)。  原稿執筆は昨年12月21日現在で、22日に行われた町職員の証人喚問を傍聴できていないため、執行部と受託業者が一致した見解を証言するのか、あるいは異なる証言をするのかは分からない。言えるのは、受託業者への証人喚問では、執行部と受託業者が同じ「真実」を話す、あるいは一方が「虚偽」とされ、刑事告発を決定付けるということだ。

  • 【国見町長に聞く】救急車事業中止問題【ワンテーブル】

     国見町が高規格救急車を所有して貸し出す事業は今年3月に受託企業ワンテーブル(宮城県多賀城市)の社長(当時)が「行政機能を分捕る」と発言した音声を河北新報が公開し、町は中止した。執行部は検証を第三者委員会に委嘱。議会は調査特別委員会(百条委員会)を設置し、執行部が作った救急車の仕様書はワンテーブルの受託に有利な内容で、官製談合防止法違反の疑いもあるとみて証人喚問を進める。引地真町長と同事業担当の大勝宏二・企画調整課長に11月6日、仕様書作成の経緯と責任の取り方を聞いた。(小池航) 仕様書作成の経緯と責任の取り方を聞いた  ――救急車の仕様書を作成する根拠となった資料の提出を町監査委員会が執行部に要求した際、ワンテーブルが提供した資料以外は「処分した」と執行部は説明しました。処分した文書はどのような方法で、どの部署の職員が入手したものか。  大勝企画調整課長「企画調整課の担当職員がインターネットで閲覧してプリントアウトした資料です。町としては、個人が職務上必要と考えてネットから印刷した文書は参考資料であり、公文書には当たらないと解しています」  ――職務上必要な資料は公文書では?  引地町長「参考資料とは、例えばネットから取得するだけではなく、本から見つけてコピーするものもありますよね。それは単なる資料でしかなく、公文書には当たらない。公文書とは、その資料をもとに行政が作成したものという解釈です」  ――国見町の文書管理規則では、公文書の定義を「職員が職務上作成し、又は取得した文書及び図画をいう。ただし、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数のものに販売することを目的として発行されるものを除く」としている。個人が取得した資料とはいえ、職務上得た文書では?  大勝課長「解釈はいろいろあると思います。職員が自己の執務のために保有している写しが即公文書に当たるかというと、議論を呼ぶところだと思います。メモ程度のものが公文書に当たるかどうかという議論です。町としては(処分した)資料は、仕様書を作る段階で集めたものという解釈で、それは個人が集めた資料です。その資料に基づいて、町の意思決定に何か反映させたことはないと判断しています。職員が参考程度に集めたものだったので、行政文書には当たらないと考えています。  参考資料を得た経緯を説明します。職員が町の仕様書を作る際、各消防組合などがネットに上げている仕様書を閲覧し、必要な部分だけを印刷しました。1冊分を印刷すると膨大になります。参考のつもりで閲覧し、公文書として保存を前提に集めたものではありません。担当職員が知識を得た段階で、それらの資料は残してはいませんでした」  ――担当職員が各企業の救急車の仕様書をネットで閲覧し、仕様書を作ったという解釈でいいか。  大勝課長「そのように説明してきました。ワンテーブルからは他町の仕様書の提供を受けたので、それも参考にしました」  ――どうしてワンテーブルが提供した資料だけが残っていたのか。  大勝課長「1冊丸々提供を受けたからです。残すつもりで残したわけではなく、破棄するつもりがなかったというか、たまたま残ったのだと思います」  ――受託したワンテーブルが示した参考資料以外に何社の救急車の資料を参考にしたのか。  大勝課長「はっきりとは言えません。部分的に参考にしたものもありますし、振り返ってネットで検索したものもあります」  ――引地町長に聞きます。ワンテーブルの巧妙だったと思う点はありますか。  引地町長「何が巧妙だったかという質問に町は答える術を持っていません。前社長の考えは報道や音声データで見聞きしたが、あの発言をした事実はあるものの、そこには出てきていない思いもあるはずで、それについて我々は知る術がない。だから何が巧妙だったのかという質問には本当に答えられない。  ワンテーブルと国見町の関係は高規格救急車事業で唐突に始まったわけではなく、前町長在任時の2018年に元経産省職員の紹介を受けて接点ができました。翌19年には防災パートナーシップ協定を結び、20年には企業版ふるさと納税945万円の寄付を受けました。前社長は総務省から『地域力創造アドバイザー』認定を受けていました。そういった下地があるので、その経過を持って彼らのやり口が巧妙だったかというと我々は判断する術がない。  役所は何かしら困り事を抱えていたり、地域の課題解決に意見を持っている人が訪れます。そういった人たちを、我々行政は疑ってかからないスタンスを取ります。まず対面してから話が進む。例えば目の前にいる町民を、最初から『悪いことを考えているのではないか』とは疑いません。困り事があって役所に来ているわけだから。そういう姿勢で我々は仕事をしてきました。  我々はワンテーブルを国見町と協力する数ある企業の一つと捉えていました。震災後の13年間、町は他の民間企業とも連携して復旧・復興、風評対策を進めてきた経過があります。官民連携でまちづくりを進める延長線上にあったのが高規格救急車事業でした。巧妙だったかという質問には本当に答えにくい。前社長が、あの発言のような考えを持ちながら当初から国見町とやり取りをしてきたのか、それは分かりません。町長として教訓というか思うところはありますが、第三者委員会の結論が出るまでは話すべきではないと考えます」 原因究明の陣頭指揮  ――高規格救急車事業について町民に伝えたいことは。  引地町長「同事業は契約を解除し、住民説明会を14カ所で行いました。ワンテーブル前社長の不適切な発言で事業継続が困難になったのは本当に残念です。同事業は議会に諮って進めてきました。出来上がった救急車は議決を得て町が取得し、必要な自治体や消防組合に譲与していきます。当初町が考えていた事業と着地点は違いますが、地域の防災力向上や医療・救急業務の充実に活用してもらいたいです」  ――町執行部に不信感を抱いている町民に伝えたいことは。  引地町長「町に関する報道で心配を掛けてしまい申し訳ありませんでした。住民説明会や議会では『最終的な責任は私にあり、責任回避はしない』と説明してきました。ただ、それで完結する話ではない。町への非難と私の身の処し方といった議論に終わらせず、果たさなければいけないのは、原因を究明し問題の所在を明らかにすることです。その陣頭指揮を執るのが町長の責任だと思います。『最終的な責任は引地にある』と言葉だけで済ませようとは思っていません。上辺だけで済ませれば、また同じ過ちが繰り返されます。その意味で第三者委員会は大きな意味を持っています。検証の結果を待ち、原因を指摘してもらい、再発防止に向けた意見を客観的に出してもらう。その上で、町執行部で必要な対策を行い、町政への責任を果たしていくことが大切なのだと考えます」  ※以下は11月13日に送った質問への文書回答。  ――第三者委員会の委員2人が辞任しました。検証の半ばで過半数の委員が辞任したことについて、受け止めを教えてください。検証への影響も教えてください。  「誠意をもって対応し、委員におかれましては直前まで委員会へ出席の意向でしたので、突然の辞任で驚いています。辞任の理由は分かりません。検証への影響は、今回委員会が中断してしまったので、検証が遅れる影響があったと考えます。速やかに後任を人選し、対応しています」

  • 滞る【国見町】の救急車事業検証【ワンテーブル】

    百条委の調査能力に疑問符  国見町が高規格救急車を所有して貸し出す事業を断念した問題の検証が難航している。町執行部が設置した第三者委員会は、委員3人のうち2人が「一身上の都合」で9月下旬に辞任し議事が滞った。議会は11月上旬に地方自治法100条に基づく調査特別委員会(百条委員会)を設置する方針。百条委員会は証言者が出頭を拒否したり記録提出を拒んだ場合、刑事告発できるなどの強制力を伴うが、救急車リース事業案の問題点を見過ごし、一時は原案通り可決した議会が調査能力を発揮できるかは未知数だ。  救急車リース事業は、受託企業ワンテーブル(宮城県多賀城市)の社長が「行政機能を分捕る」と発言したことが明らかとなったのを受け、町執行部が「信頼関係が失われた」と事業を中止。執行部は町民説明会での要望を受け、有識者3人からなる第三者委員会で事業の検証を進めようとした。  ところが、委員を務めていた垣見隆禎・福島大行政政策学類教授と元井貴子・桜の聖母短大准教授が辞任したことで、執行部の検証に暗雲が立ち込めた。本誌が垣見教授に電話すると「河北新報に書かれた通り。それ以上のことは答えられない」と口は重かった。  9月28日付の河北新報は《垣見教授によると、これまでの会合で委員が事業の関連資料の提出を促しても町側は「既に廃棄した」などと回答を拒み、核心部分の調査が進まなかった》《「そもそも町は第三者委による調査を条例で『事務執行適正化』に関するものに限定し、最初から問題の検証が困難な建付けになっていた」》と報じていた。  町が設置した第三者委員会とは何か。第3回臨時会(5月17日)提出の条例案によると、設置趣旨は「本町職員による不適正な事務執行が発生した場合又は発生が疑われる場合において、その経過の客観的かつ公正な検証及び再発防止のための提言を行うため」(第1条)とある。  委員会が所掌する事務は⑴不適正な事務執行の経過に関すること、⑵不適正な事務執行の再発防止策の提言に関すること、⑶前2号に掲げるもののほか、町長が必要と認めること。条文は職務を事務執行に限定していることが分かる。議会は「事務執行とは具体的に何を指すのか」と疑問視せずに原案通り可決した。  本誌は辞任したもう1人の元井准教授にメールで問い合わせたが「本件につきましては、本学企画室がご対応することになっておりますので、私からお答えすることは控えさせていただいております」と回答。辞任した2人の口が重いのは、条例第8条「委員は、職務上知りえた秘密を漏らしてはならない」「その職を退いた後も同様とする」と守秘義務が課されているためだろう。  町監査委員会は9月に発表した意見書で、4億円を超える事業にもかかわらず計画書を作成していなかった点、監査委が救急車製造仕様書の根拠となる参考資料提出を求めたところ、執行部は受託業者からの資料のみで「他は処分した」と説明したことを問題視している。  資料が新たに出ない以上、検証には関係者の証言しかない。百条委員会はワンテーブルの元社長や関わった町職員への聴取を検討しているという。町民は「狡猾な企業に町の予算を狙われ、恥をかかされた」と怒っている。百条委はガス抜きのための調査に終わらせず、ワンテーブルに狙われた過程を明らかにすることに徹するべきだ。

  • 狡猾な企業に狙われた国見町

     国見町が高規格救急車12台を所有し、リースする事業が中止となった問題が尾を引いている。事業を受託していた企業の社長(当時)が行政機能を乗っ取り、マネーロンダリング(資金洗浄)に利用しようとしていた発言が河北新報のスクープで明らかになり、「企業に食い物にされそうになった町」として全国に知られた。町民に共通するのは「恥をかかされた」という意識だ。怒りの矛先は企業だけでなく町執行部にも向き、町議が批判文書を配布する事態となった。 町民が執行部に求める「恥の責任」 国見町役場  一連の問題は、宮城県を拠点とする河北新報の昨年からのキャンペーン記事で明らかとなった。以前条例で引き下げられた町長、副町長、教育長らの報酬が元に戻され、町民の反発を受けてまた減額された問題、幹部職員の自宅前の道路が町発注の工事として整備され、幹部職員本人が工事の決裁をしていた問題だ。 これだけなら町内の不祥事で済んだが、宮城県多賀城市の備蓄食品製造会社「ワンテーブル」が登場することで、国見町の名前は悪い意味で全国に知られることになった。 救急車リース事業の問題(※)は、全体像をすぐ理解するには複雑なこと、河北新報が福島県内では購読者数が少なく、町民たちも読む機会がないので、この時点では町の一大事とまではなっていなかった。 ※企業版ふるさと納税を使って匿名企業3社から寄付を集め、高規格救急車を開発し貸し出す事業。河北新報によると、匿名企業はワンテーブルと関連がある企業だった。企業版ふるさと納税は寄付金の9割が控除されるため、同紙は提携するグループが「課税逃れ」のために国見町を利用した可能性を報じた。  事態が動いたのは今年3月に入ってからだ。同紙が、ワンテーブルの社長(当時)が救急車リース事業を「超絶いいマネーロンダリング(資金洗浄)」、国見町など複数の自治体を挙げ「行政機能をぶん取る」と発言したという記事を書いた。生々しい発言を記録した音声が公開され、ネットで拡散。「騙された」と町民の感情に訴えるものとなった。  町はワンテーブルと「信頼関係が失われた」として、委託契約を解消したことを広報紙で伝えたほか、4月に計14回、各地域の住民を集めて経緯を説明した。筆者は同月22日に小坂地区の住民に対して開かれた説明会を傍聴した。 質疑応答である住民は 「宮城の親戚から『国見町はなんだか大変なことになっているね』と外から問題を知らされている状況。ネットではおもちゃにされて恥をかいている」 と、引地真町長ら説明に赴いた執行部に訴えていた。 別地区の住民が今の率直な心情を打ち明ける。 「町長たちの報酬の上げ下げ、幹部職員が自らに利益を誘導した公共工事、ワンテーブルに踊らされた救急車リース事業……あまりに問題が多すぎて、私も全体像を完全には理解していない。ただ、とにかく『恥をかかされた』ということだけは分かる」 不信は事業を呼び込んだ町執行部に向く。 「町民は『行政機能をぶん取る』とまで陰で言われ、カモにされた執行部に怒っています。ワンテーブル社員が町総務課に頻繁に出入りしていたという話をある筋から聞きました。具体的なことは書かないでほしい。庁内では、誰が河北新報にタレ込んだか『犯人探し』が始まっているようなので、これ以上現場の職員に迷惑をかけたくない」(同) 批判は執行部をチェックできなかった議会にも向いた。 「5月(23日告示)の町議選が無投票というのが町の民主主義の衰退を表しています。こういう事実が、ワンテーブルみたいな悪質な会社に付け込まれたのではないか」(同) 議会は救急車リース事業の予算案を全会一致で原案通り可決した責任があるため執行部に対しワンテーブルの問題を厳しく追及していない。 例外は松浦常雄議員(81)=西大枝、5期。改選前の時点で副議長を務める。3月から3回にわたり執行部を批判する「議会活動報告」を新聞折り込みで出したが、4回目の文書では急遽「お詫び」の題で「行き過ぎた表現があった」として、執行部、議会、町民に謝罪した。 松浦常雄議員  前出の住民によると、圧力をかけられ謝罪に追い込まれたという。筆者は松浦議員の自宅電話を鳴らした。電話口に出た本人は「長くなりますがよろしいですか?」と計3回の執行部批判文書に「自分の思いのたけを込めた」と語った。 「予算案に賛成した責任は感じているが、町政をただす原点に立ち返り一議員の職責を全うしたいと批判文書を出しました。B4版で3000部刷り、町内に配られる新聞に折り込んでもらいました。手間も費用も全て自前で、1回出すのに約1万5000円かかっています」(同) なぜ最後は「お詫び」をして出すのをやめたのかと聞くと、議員たちに迫られたからだという。3回目の批判文書を出し、各戸に届いたのが4月13日。翌14日の「議員意見交換会」に呼び出され出向くと、東海林一樹議長(5月の町議選に立候補せず引退)から「これは怪文書に当たる」と言われたという。全議員の前で批判文書を出したことを執行部、議会、町民に謝罪するよう迫られた。弁明の機会を与えられたが、擁護する議員は1人もいなかった。  議会で孤立するのを恐れ、その日のうちに議員、引地町長に謝罪した。町長室に東海林議長と出向き、お互いに起立して口頭で謝罪。引地町長は謝罪に対して何も言わなかったという。町民には計3回の批判文書と同じく、謝罪文を新聞折り込みで届けることになった。 「東海林議長からはどの部分が怪文書に当たるかという説明はありませんでした」(松浦議員) 筆者は東海林氏の自宅電話を鳴らしたが出なかったので、見解を聞けていない。 松浦議員は1時間にわたる電話取材に応じているように、批判文書を出したこと自体は間違っていないと確信しているようだ。謝罪文の表現も「怪文書」との指摘と同じようにあいまいなものになった。 「一部行き過ぎた表現があり、町執行部、各議員の皆様、そして町民の皆様に多大なるご心配とご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」と書いただけで、どこが行き過ぎた表現なのかは言及がなかった。 町民から「批判文書で目が覚めた」  結果として議会では孤立したが、町民から「あなたのおかげで目が覚めました」と激励の言葉をもらったという。筆者も全ての批判文書を読んだが、河北新報やNHKの報道を基に、町三役の報酬引き上げの迷走ぶりや、ワンテーブルが町の行政機能に食い込もうとしていた問題をまとめ、松浦議員本人の見解も記されていた。内容は周回遅れの感が否めないが、ネットにアクセスできない高齢者には重宝しているのだろう。 時間を置いて再び松浦議員に電話すると、「取材を受けたことで議会での立場に影響はないか」と不安げに言われた。筆者は「優先すべきは議会内の声より町民から直接受けた声ではないか」と言った。 前述の通り、定数12で行われた町議選は無投票だった。松浦議員のように「怪文書」と指摘される文書を出して議会で疎まれても再選できるので、落選を恐れる段階ではない。町民の多くは執行部トップの引地町長に「恥の責任」をとるよう求めている。新たな顔ぶれの議会が、町民と町長のはざまでどのような立場を取るか注目だ。

  • 【国見町】引地真町長インタビュー

    ひきち・まこと 1959年12月生まれ。東北学院大法学部卒。国見町総務課長兼町民相談室長などを歴任。2020年3月に退職後、同年11月の国見町長選で初当選。 ――町長就任から2年4カ月経過しました。 「この間、新型コロナ感染症をはじめ、2021、22年に発生した震度6強を超える福島県沖地震、基幹産業である農業に被害を与えた凍霜害と降雹、昨年の過疎指定、昨今の物価高騰など、難しいかじ取りを強いられた2年4カ月でした。その都度、適切に判断しながら町民の生活支援と不安払しょくに努めてきました」 ――昨年3月16日に発生した本県沖地震の復旧状況について。 「昨年の地震による被害は一昨年に比べ甚大でした。全壊から一部損壊までの被害棟数は1500以上と前年の地震の2倍強で、生活再建の予算確保は至上命題でした。この間、できる限りの対策を講じたつもりです。町職員の高い危機対応意識で地震翌日には被災・罹災証明の受付窓口を開設しました。また、交流・連携を深める北海道ニセコ町、岩手県平泉町、栃木県茂木町、岐阜県池田町に救援依頼をしたところ、ブルーシートや土嚢袋など応急資材の提供や職員の派遣など迅速に対応していただきました。一昨年の地震の教訓から通常業務と地震対応業務の両立が図られたのだと思います。一方で、住家・非住家の公費解体に伴う国の災害査定に時間を要したり、建築業界の慢性的な人手不足や資材不足などの影響があったりして、丸1年が経過しても応急処置が施されたままの住宅があります。地震被害からの復旧はまだ道半ばで、生活再建支援に引き続き注力する考えです」 ――保・幼・小・中一貫教育を柱とする「くにみ学園構想」の進捗状況について。 「この構想は、第6次国見町総合計画と国見町過疎地域持続的発展計画に基づいて整備を進めたいと考えた、くにみ学園の基本理念をまとめたものです。町の将来や存続に関わる重要な事業に位置づけられます。現在、本町には保育所1所、幼稚園1園、小学校1校、中学校1校がありますが、町内に分散・点在しています。2014年度から取り組んできた『国見学園コミュニティ・スクール』事業では地域住民の協力を得ながら、自ら学ぶ力や郷土愛を育む教育を展開してきましたが、この10年で急激に少子化が進んだうえ、社会環境の変化による学力の二極化や運動能力の低下、支援が必要な子どもたちの増加などが顕著になっています。これらの課題を踏まえ、保・幼・小・中を1つに集約し、子育てと教育の充実、機能強化を図ることが同構想の基本理念です。くにみ学園構想は、教育と子育て施策の核となるものですから、議会も含め町民の皆さまとの対話を通して、基本構想への理解・共感を得ていきたいと考えています」 国見町ホームページ 掲載号:政経東北【2023年4月号】

  • 【国見町移住者】新規就農奮闘記

     国見町では新規就農者向けの町営農業研修施設「くにみ農業ビジネス訓練所」を運営している。同訓練所を卒業した新規就農者は昨年、どんな1年目を過ごし、どのようなことを感じたのか、振り返ってもらった。 「補助金ありき」農業参入の厳しい現実  「訓練所で基本的なところは勉強できたのですが、自分の畑・スタイルでやるとなると全く違う面もあるので、戸惑いながら試行錯誤した1年でした」  苦笑しながら1年を振り返るのは、国見町藤田に住む三栗野祐司さん(43)。昨年4月から自営農家としてキュウリやズッキーニの栽培を開始した。妻と共に無我夢中で農作業に明け暮れたとか。 三栗野祐司さん  「半年以上、毎日朝晩、休まずにキュウリを収穫していたので、正直精神的に参っていたところでした。11月に入り、やっとひと段落したので、勉強も兼ねて、あんぽ柿作りの手伝いのアルバイトに行っていたところです」  1年目のキュウリの売り上げは200万円弱。ズッキーニなどその他の野菜も含めれば約250万円。夫婦2人分の年収としては厳しいところだが、国が新規就農者向けに給付している「経営開始資金」なども加えればそれなりの金額になる。金額は年間150万円(月12万5000円)で、給付期間は3年間。  「さまざまな補助金を活用して何とか独り立ちできている状況ですね。1年目は初期投資で何かと出費がかさむので、貯えがどんどん減っています。キュウリの卸値は1本30円の世界。大変な仕事に就いたと実感していますし、妻は時間を見てアルバイトに出ています」 メーンの作物となっているキュウリ  新潟県長岡市生まれ。高校卒業後、製造業、飲食業などで働いていた。東京にいたとき出会った女性と結婚。その後、妻が仕事を辞め、地方への移住を考えるようになった。そこで候補に挙がったのが福島県だった。実は共通の友人が福島県出身で、地元に戻った後に何度か遊びに訪れていた。  2020年6月、妻、愛猫とともに福島市に移住。夫婦でできて、かつ自然環境を生かした仕事がないか探す中で、たどり着いたのが「農業」だった。担い手不足が叫ばれている中で、挑戦してみたくなった。  と言っても、三栗野さんは全く農業経験がなかった。そこで、福島市から近い国見町の新規就農者向け訓練所に通って基礎を身に付けることにした。 くにみ農業ビジネス訓練所  同訓練所は道の駅国見「あつかしの郷」の近くに立地しており、新規就農に取り組む移住者の増加、生産者支援を目的に設置された。1年かけて農業の基礎を学べる「長期研修」(受講料無料)、専門的な技術を習得したい就農者向けの「短期研修」、子ども向けの「体験研修」などの事業を実施している。  町内には果樹・水稲農家が多いが、どちらも多額の初期投資が必要となるため、新規就農者はほとんどが親元での就農だ。そうした現状を踏まえて、同訓練所では新規就農者向けに、初期投資が少なく、収益化サイクルが短い野菜農家を勧めており、それに基づいたカリキュラムが組まれている。  三栗野さんは21年4月に入所し、1年間かけて野菜の土づくりや種まき、収穫、出荷調整などの技術や農業経営に必要な知識を学んだ。  卒業後はキュウリを生産することにした。伊達地区は夏秋キュウリの販売額が日本一で、ブランドとなっているため単価も高い。1株から50~100本は収穫でき、生産者に対する支援・補助も手厚い。  22年4月、晴れて就農者となったものの、しばらくは移住や就農の準備に追われたという。  中でも住まい探しには時間がかかった。同訓練所に近いと機械などが無料で借りられ、支援制度も充実しているため国見町への移住を決めた。だが、農地付きの住宅がなかなか見つからなかったという。  「空いている住宅や土地はいっぱいあるが、ほとんどは空き家バンクに登録されていないので、移住者はたどり着けずに別の自治体に流れてしまう。私もずいぶん見て回ったが、人づてに紹介してもらった築50年の住宅・農地を300万円で購入した。住宅は320万円かけて、リフォームして暮らしています」  ちなみに、野菜栽培用のパイプハウスに250万円かかり、キュウリの苗の購入や、灌水設備の整備などにもその都度費用がかかったという。前述の通り、新規就農や移住に関する補助金は充実しているが、「年度末に入ってくるものも多いです」。三栗野さんは何とか貯金で賄ったとのことだが、初期投資分を考えると、1000万円程度の貯えは必要ということだろう。水稲農家となると、コンバイン、トラクターといった農機具が必要となるので、さらに金額が跳ね上がると思われる。 地元レストランと契約  就農1年目の手応えについて、三栗野さんに尋ねたところ、このように話した。  「生産したことのない畑で、どう肥料をあげたらいいのかも分かりませんでしたが、そうした中で安定して出荷し、収入を得られた点はよかったと思います。ズッキーニに関しては、JR藤田駅前の『Trattoria da Martino(トラットリア・ダ・マルティーノ)』というイタリアンレストランに契約してもらっています。『(傷がついているものでも)選別せずに納品して構わない』と言っていただいているので助かるし、何のツテもない地域で、使っていただけるのはありがたい限りです」(同)  国見町周辺でズッキーニを生産している農家が少なかったことが幸いしたのだろう。  なお、キュウリに関してはこんな迷いが生じている最中だという。  「JAに出荷していたが、手数料を計算したところ、4割近く引かれていることに気付いた。周囲の先輩方は『仕方ない』と受け入れているが、箱詰めなどを自分でやればいくらか手数料は減らせます。一方、さまざまな面で補助を受けられるなど、JAと取り引きするメリットは大きいし、梱包作業の負担を軽減してくれるのはありがたい面もある。すべてJAにお任せするか、しんどい思いをして手数料を減らす努力をするか、検討し続けています」  道の駅国見は手数料が低く価格も自分で決められるが、ほかの生産者の農産品も並ぶので、必ず手に取ってもらえるわけではない。農産物直売所も手数料が低めだが、すべて売り捌けるとは限らない。  そう考えると、本当の意味で〝農業の仕事だけで飯が食える〟ようになるためには、前出・イタリアンレストランのように、販売ルートを確保する必要がある。そこが今後の課題になりそうだ。  「レストランの方と話していると『こういう西洋野菜を作ってくれたらぜひ買わせてほしい』と言われることがあります。需要があるのに、市場にそれほど出回っていないということだと思うので、新年からぜひ作ってみたい。卸値が変動しやすいキュウリの生産・収穫に追われるだけではいずれ低空飛行になるだろうし、何より楽しみもなくなるので、いろいろと挑戦していきたいと思います」  一方で、1年目に戸惑ったことを尋ねたところ、「農業器具関連業者の対応」と答えた。  「灌水設備を取り付けるため、複数の業者に話を聞いたが、当然ながら長年農業に携わってきた方ばかり。『こうしてほしい』と伝えても『ほかではこうやっていた』と返され、工程の途中で『残りは自分でできると思うので』と完成させずに帰ってしまうこともあった。訓練所には設備がそろっているため、そうした設備の取り付け方法などは習っていない。かなり戸惑いました」  同じような思いを抱いている新規就農者は意外と多いかもしれない。  行政に求める支援策を尋ねたところ、次のように述べた。  「高齢で離農する農家の方が多いが、子どもや孫がやるのであればと、新たに投資する意思があったりする。一方、新規就農の意思がある人は農地がなく、ミスマッチが生じているのです。同様の問題は商店街にもありますが、行政にはそのつなぎ役となって解決してほしいと考えています。地域のコーディーネーターという意味では、飲食店が欲している農作物を行政などで聞き取りして、就農者が手分けして対応するというやり方もできると思います。行政には期待しています」 国見町移住の卒業生は2人  農閑期はゆっくりできるのかと思いきや、「せっかくハウスがあるのに使わないのはもったいないので、今シーズンのキュウリが終わり次第、新たな苗を植えられるように準備しています」と語る三栗野さん。  新規就農事情に詳しいジャーナリストによると、1年目で250万円という収入は「よく頑張っている方」という。苦労したことも多々あったようだが、移住・新規就農1年目の生活を満喫していると言えよう。  しかし、一方では前述の通り、さまざまな補助金に頼って生活している実態がある。〝農業の仕事だけで飯が食える〟ようになるのはそれだけ難しいということだろう。新規就農者数が過去最多となっていることを前掲記事で紹介したが、補助金が充実していて参入しやすいという要素は大きそうだ。  同訓練所は費用対効果の問題もある。2019~21年の卒業生10人のうち、国見町に移住したのは三栗野さんを含めてわずか2人。あまりに寂しい数字。年間経費は約2000万円だという。  卒業生らは「農友会」と呼ばれる若手農業者の組織を作り、定期的に交流している。そういう意味では、農業振興に貢献していると言えるが、経済人からは「やるなら町を代表する農産物などに特化すべき。金をかけて町営訓練所を作ったが、いまいちアピール度に欠ける」と不満の声も聞こえてくる。  これらもまた新規就農者を取り巻く環境の〝現実〟ということだ。 あわせて読みたい 【福島】県内農業の明と暗

  • 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま

     人口減少・少子高齢化など、社会・経済情勢が大きく変化する中、国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進してきた。いわゆる「平成の大合併」である。県内では90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。一方で、県内では「平成の大合併」に参加しなかった自治体もある。それら自治体のいまに迫る。今回は桑折町・国見町編。 財政指標は良化、独自の「創造性」はイマイチ  2006年1月1日、伊達郡の伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町が合併して伊達市が誕生した。当初、この合併議論には、桑折町と国見町も参加しており、「伊達7町合併協議会」として議論を進めていた。  ただ、2004年8月に桑折町の林王喜久男町長(当時)が合併協議会からの離脱を表明した。その背景にあったのは、合併後の事務所(市役所本庁舎)の位置。伊達7町合併協議会は事務所の位置に関する検討小委員会で、「新市の事務所は保原町とする」と決定した。それが同年8月11日のことで、それから約2週間後に開かれた桑折町議会合併対策特別委員会で、林王町長は合併協議会からの離脱を表明したのだ。  離脱の理由について、林王町長は①合併に対する基本的な考え方が満たされない、②行政圏域と生活圏域が一致しない、③町民への説明責任が果たせない――等々を明かしていた。とはいえ、当時、同合併協議会の関係者の間ではこんな見方がもっぱらだった。  「伊達地方は(阿武隈川を境に)川東地区と川西地区に分かれ、前者の中心が保原町、後者の中心が桑折町。合併協議が進められる過程で、両町による合併後の主導権争いがあった中、新市の事務所の位置が保原町に決まった。それに納得できない桑折町は『だったら、参加しない』ということになった」  桑折町は旧伊達郡役所が置かれ、「伊達郡の中心は桑折町」といった矜持があった。にもかかわらず、合併後の事務所は保原町に置かれることになったため、離脱を決めたというのだ。  同年9月に正式に離脱が決まり、以降は「伊達6町合併協議会」と名称を変更して、議論を進めることになった。  ところがその後、同年11月に行われた国見町長選で、「合併を白紙に戻す」と訴えた佐藤力氏が当選した。当時、現職だった冨永武夫氏は、県町村会長を歴任するなどの〝大物〟で、「合併を成し遂げることが町長としての最後の仕事」と捉えていた様子だった。一方の佐藤氏は共産党(町長選では共産党推薦の無所属)で、急遽の立候補だったため、準備や選挙期間中の運動も決して十分ではなかった。それでも、結果は佐藤氏3514票、冨永氏3136票で、約380票差で佐藤氏が当選を果たした。投票率は74・81%で、「合併白紙」が民意だったと言える。  当選直後の同年12月議会で、佐藤町長は合併協議会からの離脱に関する議案を提出した。採決結果は賛成8、反対9で離脱案は否決された。それでも、佐藤町長は「合併白紙を訴えた自分が町長選で当選し、町民意向調査でも同様の結果が出ている以上、合併協議会からの離脱は避けられない」との主張を曲げなかった。  このため、2005年1月、伊達6町合併協議会はこのままでは協議が進まないとして、同協議会を解散ではなく、「休止」という措置を取った。それと並行する形で国見町を除く「伊達5町合併協議会」を立ち上げ、協議を進めた。その後、同年3月に合併協定に調印、2006年に伊達市誕生という運びとなった。  こうして桑折町、国見町は合併せず、単独の道を選んだわけ。ちなみに、桑折町で合併協議時に町長を務めていた林王氏は2010年の町長選で高橋宣博氏に敗れ落選。その後は2014年、2018年、2022年と、いずれも高橋氏が当選している。国見町は佐藤氏が2012年11月まで(2期8年)務めた後、太田久雄氏が2012年から2020年まで(2期8年)、2020年からは引地真氏が町長に就いている。  合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう話す。  「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」  そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併についての勉強会(任意協議会)、法定協議会、正式な合併へと舵を切っていった、というのだ。  では、「平成の大合併」から十数年経ち、合併しなかった市町村が、この首長経験者が危惧した状況になったかというと、そうとは言えない。そのため、「合併しなくても、普通にやっていけているではないか。だとしたら、合併推奨は何だったのか」といった思いもあるようだ。 桑折・国見の財政指標  もっとも、合併しなかった市町村にはそれなりの「努力の形跡」も見て取れる。  ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。  別表は桑折町と国見町の各指標の推移をまとめたもの。数字だけを見れば「努力の形跡」が見て取れる。もっとも、投資的事業をしなければ財政指標は良化するから、一概には言えないが。 桑折町の財政指標と職員数の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・9116・1713・1150・40・512008年度9・4119・0413・8167・20・512009年度8・7218・5914・0141・10・502010年度――――13・8120・60・472011年度――――13・768・60・452012年度――――11・941・30・432013年度――――11・819・40・432014年度――――10・311・80・442015年度――――10・415・70・452016年度――――11・010・10・452017年度――――11・67・40・452018年度――――11・43・60・452019年度――――10・414・40・452020年度――――9・636・60・46※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の財政指標の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・2721・0217・5149・10・362008年度5・7422・4318・7126・60・362009年度5・4719・6317・4103・90・352010年度――――15・585・00・342011年度――――12・985・20・322012年度――――11・178・30・302013年度――――10・077・40・292014年度――――8・175・10・292015年度――――7・062・30・292016年度――――6・670・70・292017年度――――6・867・80・302018年度――――6・760・60・322019年度――――5・741・60・332020年度――――4・323・00・33※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  この指標を示して、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)に見解を求めたところ、こう回答した。  「財務指標からだけでは財政運営の良否は判断できません。そこで、桑折町と国見町の場合は、地域環境の似通っている隣接の伊達市と比較して、相対的な評価をするのがよいと思われます」  別表に伊達市の実質公債費比率の推移を示した。2021年度は速報値。今井氏はそれと桑折町、国見町の数字と比較し、次のように明かした。なお、桑折町の2021年度速報値は9・2、国見町は3・2。 伊達市の実質公債費比率の推移 2008年度15・52009年度14・62010年度13・42011年度11・62012年度9・82013年度8・32014年度7・42015年度6・82016年度6・52017年度7・42018年度6・62019年度6・92020年度7・22021年度7・8  「実質公債費比率の推移を見ると、まず伊達市と国見町との差は歴然としています。2008年度時点では、伊達市15・5、国見町18・7と、むしろ国見町のほうが悪い数字だったものが、2021年段階では伊達市7・8、国見町3・2と、国見町の方が大きく改善しています。次に伊達市と桑折町とを比較すると、桑折町の方の改善度が低いように見えますが、最近5年間の推移を見ると、2017年段階で伊達市7・4、桑折町11・6だったところが、2021年段階では伊達市7・8、桑折町9・2となっていて、桑折町は改善しているのに、伊達市は改善していません」  こうして聞くと、相応の努力は見られると言っていいのではないか。もっとも、今井氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 桑折・国見町長に聞く  両町長は現状をどう捉えているのか。町総務課を通して、以下の4点についてコメントを求めた。  ①当時の町長をはじめ、関係者の「合併しない」という決断について、いまあらためてどう感じているか。  ②当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められる。別紙(前段で紹介した財政指標)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」から抜粋したものですが、それら数字についてはどう捉えているか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」の取り組み、今後の対応についてはどう考えるか。  ③当時、本誌取材の中では「多少の我慢を強いられても、単独の道を模索してほしい」といった意見もあったが、実際に住民に対して「我慢」を求めるような部分はあったか。  ④「合併しないでよかった」と感じているか。  回答は次の通り。 桑折町 高橋桑折町長  ①、④合わせての回答  国は、人口減少・少子高齢化等の社会情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的に、全国的に市町村合併を推進したところです。本町においても近隣自治体との合併について検討したものの、分権社会に対応できる基礎自治体構築・将来に希望の持てる合併が実現できるとは言い難いことや、行政圏域と生活圏の一体性の醸成が困難であることなどから、合併しない決断を選択しました。  その後、地方行政を取り巻く環境が厳しさを増す中にあって、行財政改革に努め、健全財政の維持を図りながら町独自の施策展開により、2021年においては人口が社会増に転ずるなど、単独立町だからこそ得られた結果と捉えており、合併しないでよかったと感じております。  引き続き、子どもたちに夢を、若者に元気を、高齢者に安心を届け、「住み続けたいまち 住みたいまち 桑折」の実現に邁進してまいります。  ②の回答  当町は、平成16(2004)年9月に伊達7町による合併協議を離脱し、自立(自律)の道を選択して以降、東日本大震災をはじめとする度重なる災害や社会経済状況の変化、人口減少・高齢化などにより、多様化・複雑化・高度化する行政需要を的確に捉え、住民ニーズに応える各種施策を展開するとともに、事業実施にあたっては、財源確保を図り、「選択と集中」「最小の経費で最大の効果を上げる」ことを常に念頭に置きながら、財政の健全性維持に努めてまいりました。その結果、別紙の「健全化判断比率(4つの各比率)」の推移にありますとおり、平成19(2007)年度以降、各指標とも低下傾向にあり、合併せずとも着々と財政の健全化に向け改善が図られてきたものと捉えております。  とりわけ、企業誘致の促進や移住・定住人口の増加に資する施策に取り組みながら、税収の確保や収納事務の効率化を図るとともに、国・県などの補助制度の積極的な活用に努めてきました。また、シティプロモーションなどPR事業の展開や魅力的な返礼品の充実を図り、ふるさと納税は大幅に伸びております。  今後についても、2022年度策定した「中期財政計画」に基づき、更なる財源の確保、歳出抑制・適正化等、健全で持続可能な財政運営に向けた取り組みを継続し、「住み続けたいまち」であり続けるための各種施策を展開していく考えであります。  ③の回答  合併協議からの離脱後、これまでの間、行財政改革や自主財源の確保を図り、行政需要を的確に捉え、各種住民サービスに努めることにより、町民の理解を得ているところであります。 国見町 引地国見町長  ①の回答  当時の町長選挙の争点が「合併」。合併しないことを公約にした候補が当選したことは、民意が明確に示されたものと考えている。  ②の回答  合併する、しないに関わらず、地方自治体の財政基盤強化、行財政運営の効率化は緊張感を持って取り組むべきことと考える。当町においても自主財源が乏しい中、サービスの質を維持・向上させるため、あらゆる財源の確保に奔走している。同時に、常にコスト意識を持ち、予算編成及び執行に努めながら、将来負担を軽減すべく、起債に係る繰上償還を積極的に行っている。  ③の回答  「合併をしなかった」ことを要因とし、我慢を求めることはなかったと考えている。  ④の回答  当時の決断に対し、その善し悪しを意見する考えはない。唯一申し上げるとすれば、当時の決断を大切に、国見町に住む方々が「国見っていいな」と思ってもらえるよう町政運営に努めたい。 人口減少幅は類似 桑折町役場(左)と国見町役場(右)  桑折町の高橋町長は合併議論時、議員(議長)を務めており、その後は2010年に町長就任して現在に至る。つまりはこの間の「単独の歩み」の大部分で町政を担ってきたことになる。その中で、「単独だからこそ得られたものもあり、合併しないでよかった」と述べている。一方、引地町長は2020年に就任し、まだ2年ほどということもあってか、踏み込んだ回答ではなかった。  両町の職員数(臨時を含む)を見ると、この間大きな変化はなく、国見町はむしろ増えている。もっとも、福島県の場合は、震災・原発事故に加え、ほかにも大規模災害が相次いだこともあり、その辺の効率化を図りにくかった事情もあり、評価が難しいところ。 桑折町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年111人103・12011年115人112・82012年115人109・92013年112人101・42014年113人99・52015年115人100・12016年112人100・12017年112人100・12018年112人99・02019年115人99・02020年117人94・2※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年89人100・72011年86人109・12012年90人108・92013年97人99・52014年105人100・82015年106人99・52016年103人99・62017年103人99・62018年106人99・72019年108人99・72020年107人100・3※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  人口の推移は、伊達市が合併時から約1万2000人減、桑折町と国見町は「単独」を決断したころから、ともに約2000人減。数だけを見ると、伊達市の減少が目立つが、減少率で見ると、伊達市が約17%、桑折町が約16%、国見町が約21%となっている。国見町は2022年度から、国から「過疎地域指定」を受けている。 伊達市、桑折町、国見町の人口の推移 伊達市桑折町国見町2006年6万9122人1万3423人1万0646人2011年6万5898人1万2823人1万0059人2016年6万2218人1万2247人9455人2021年5万8015人1万1431人8612人2022年5万7104人1万1285人8398人各年とも1月1日時点。 思い切った「仕掛け」を  町民の声はどうか。  「この間、大きな災害が相次ぎ、そうした際に、枠組みが小さい方が行政の目が行き届く、といった意味で、良かった面はある。ただ、合併していたら、それはそれで良かったこともあったと思う。だから、どっちが良かったかと聞かれても、正直難しい」(桑折町民)  「純粋に、愛着のある町(町名)が残って良かった」(桑折町民)  「数年前に、天候による果樹の被害があり、保険(共済)に入っていなかったが、町から保険(共済)に入るための補助が出た。そういった事業は単独町だったからできたことかもしれないね」(国見町民)  「合併していたら、『吸収』される格好だったと思う。そうならなかったということに尽きる」(国見町民)  一方で、両町内で事業をしている人や団体役員などからは、ある共通の意見が聞かれた。それは「せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてもいいのではないか」ということ。  「例えば、会津若松市は『歴史のあるまち』で、歴史的な観光資源では太刀打ちできない。一方で、同市では、ソースカツ丼を売り出しているが、そのための振興組織をつくって、本格的に売り出したのは、せいぜいここ十数年の話。あれだけ、歴史的な観光資源があるところでも、それにとどまらず、何かを『生み出す』『売り込む』ということをやっている。そういった姿勢は見習わないといけない。例えば、e―スポーツを学校の授業に取り入れ、先進地を目指すとか。そういったことは小回りが利く『町』だからこそできると思うんだけど」(桑折町内の会社役員)  「国見町で、ここ数年の大きな事業と言えば、道の駅整備が挙げられる。周辺の交通量が多いことから立ち寄る人で賑わっているが、業績はあまり良くない。そもそも、道の駅自体、全国どこにでもあるもので、最初(オープン時)はともかく、慣れてしまえば目新しいものではない。一方で、夜間になると(道の駅に)キャンピングカーなどで車中泊をしている人が目に付く。例えば、キャンピングカーの簡易キッチンに対応した商品を売り出すとか、『車中泊の聖地』になるような仕掛けをしてはどうか。ともかく、道の駅に限らず、何かほかにない目玉になるようなものを作り出していく必要があると思う」(国見町内の団体関係者)  これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。  桑折町、国見町は交通の便がよく、働き口、高等教育、医療、日用品の調達先などで、近隣に依存できる環境にあったからこそ、合併しないという選択ができた面もある。財政指標の良化も見られる。ただ、単独町だからこそ可能な「創造性」という点では乏しかったと言えよう。 桑折町ホームページ 国見町ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する