Category

室井照平

  • 【会津若松市】室井照平市長インタビュー

    【会津若松市】室井照平市長インタビュー

     むろい・しょうへい 1955年生まれ。東北大卒。会津若松市議2期。県議1期を経て2011年8月の会津若松市長選で初当選。今年7月に4選を果たす。  ――7月に行われた市長選で4選を果たしました。  「厳しい選挙戦の中、4選を果たすことができたのは市民の皆様のご支援があってこそで、あらためて御礼申し上げます。  4期目の抱負は、市民の皆様それぞれに夢を持っていただくことです。東洋経済新報社が全国812市区を対象に実施している『住みよさランキング』によると、2022年は全国66位で県内自治体では1位、2023年版では全国119位で県内自治体では3位の結果となりました。こうした結果の要因として、子育て支援をはじめとした施策が評価されたものと受け止めています。今後も子育て支援をはじめとしたさまざまな施策に注力し、市民の皆様に住みやすい町に住んでいるという実感を持っていただけるように取り組まなければなりません。住み続けたい、訪れたい、選ばれるまちの実現に向けて今後も全力で取り組みます。  1期目から掲げている『子どもたちには夢と希望を、若者には仕事・雇用を、お年寄りや障がいのある方には安心できるまちづくりを』というテーマを変わらず根幹に据えて、市民の皆様一人ひとりの思いを受け止めながら、市政運営にあたっていきます。また、様々な施策を通して、市民の皆様が郷土に愛着を持ち、地域に対する誇り『シビックプライド』を醸成し、誰もがこのまちで暮らし続けられるように、市民の皆様と共にまちづくりを着実に進めていきます」  ――新型コロナウイルスの5類移行が実施されましたが、観光業をはじめ市内経済への影響はいかがでしょうか。  「観光入込は、コロナ禍前の2019年度には及ばないものの、回復傾向にあります。具体的には、コロナ禍前が300万人だったのがコロナ禍では83万人にまで落ち込み、昨年は146万人にまで回復しました。5類移行後の5月以降はコロナ禍前の水準にさらに近づき、お盆時期を中心に家族旅行での来訪が目立っており、今年は250万人を越える入込が見込まれます。当面はコロナ禍以前の300万人に戻すことが目標です。また、インバウンドはコロナ禍前が2・5万人、コロナ禍には800人にまで減少しましたが、順調に回復しています。今後はコロナ禍前の10倍の25万人まで増加させることを目標としています。教育旅行については、コロナ禍でも好調を維持しており、5類移行後においても平日の観光需要を底上げしています。観光業以外でも、市内の経済状況は回復基調となっており、飲食業界や酒造業界への聞き取りでも、観光客の増加によって売り上げも堅調となっています。一方、原材料や電気代等の高騰は市内事業者に広く影響が出ており、今後も景況感は注視していく必要があります」  ――市役所新庁舎整備事業の進捗状況についてうかがいます。  「昨年10月に設計が完了し、今年3月に建設工事が始まりました。9月上旬時点で基礎工事が行われています。来年には庁舎周辺の道路拡幅工事や駐車場・駐輪場の工事を予定しており、順調に進めば2025年3月に新庁舎が完成し、同年度からの供用開始を予定しています。  新庁舎は、1937年から市の歴史を見続けてきた旧館を引き続き庁舎として保存・活用し、その隣に旧館のデザインを取り入れた地上7階建て、高さ30㍍の庁舎となります。全体の面積は約1万3700平方㍍で、免震構造を採用しているほか、高い省エネ性能を持ち、環境にも配慮しています。また、多くの部局が新庁舎に集約され、窓口利用が多い部局を低階層に配置するなど、市民の皆様の利便性の向上を図っています。この新庁舎が市民の皆様の安全・安心な暮らしを支え、災害時には被災対応の活動拠点となり、さらにはまちの要として、人が集い賑わいを作り出す会津のランドマークとなるよう、引き続き整備を進めていきます」  ――「スマートシティ会津若松」の取り組みが加速しています。  「スマートシティとは、〝便利で住みやすいまち〟を意味しており、本市では2013年3月より『スマートシティ会津若松』を掲げ、生活を取り巻く様々な分野でICTを活用することで、将来に向けて持続力と回復力のある力強い地域社会、安心して快適に暮らすことのできるまちづくりを目指してきました。  昨年度、本市は『国のデジタル田園都市国家構想推進交付金デジタル実装タイプ タイプ3』に東北地方で唯一採択され、食・農業、決済、観光、ヘルスケア、防災、行政という6つのデジタルサービスを実装しました。この間、市、会津大学、AiCTコンソーシアムの三者で『スマートシティ会津若松』に関する基本協定を締結したほか、市民の皆様を対象とするスマートシティサポーター制度や、地域の業界団体の方々を構成員とするスマートシティ会津若松共創会議を創設するなど、地域が一体となった推進体制を構築し、取り組みのさらなる深化・発展を目指してきました。  次なる取り組みとして、今秋以降、デジタル地域通貨『会津コイン』を使ったプレミアムポイント事業を開始するほか、今後は国の支援策等も活用しながら、引き続き会津大学およびAiCTコンソーシアムとの連携のもと、市民の皆様や企業の方々が『スマートシティ会津若松』の取り組みの成果を実感していただけるようなサービスを実装し、市民の皆様が生き甲斐と幸せを感じ、〝住み続けたい〟と思えるまちづくり、進学等で本市を離れる若者が、〝いずれ戻ってきたい〟と思えるまちづくりを目指し取り組んでいきます」  ――今後の重点事業について。  「少子化・人口減少対策は市の最重要課題であり、想定以上に出生数が減り、死亡者が増えているのが現状です。こうした現状を打破するためにも、Uターンや県外のお孫さんが祖父母の住む本市に移住する孫ターンの給付金制度、住宅取得支援や賃貸家賃補助、移住婚祝い金といった形で移住・定住支援に注力していきます。また、昨年実施した『ベビーファースト宣言』のもと、安心して子どもを産み育てる環境づくり、子どもたちがふるさとに誇りを持ちながら多様な学力を身に着ける環境づくりを進めていきます。  ほかにも新規就農者支援、新たな雇用に繋がる工業団地の整備も重要ですので、今後4年間でさらに内容を深化させていきたいと考えています。また、観光庁の『国際競争力の高いスノーリゾート形成促進事業』において、本市と磐梯町、北塩原村でのスキーと観光を軸にする計画が県内で唯一採択されました。今後は他自治体や関係団体との連携を図りながら、冬季間のインバウンド強化に向けて取り組んでいきます」

  • 【会津若松市】富士通城下町〝工場撤退〟のその後

    【会津若松市】富士通城下町「工場撤退」のその後

     会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。 デジタル事業は基幹産業になるか 富士通セミコンダクター会津若松工場(2013年6月撮影)  会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。  会津地方の中核都市である会津若松市。昭和20年代後半から企業誘致の動きが活発になり、1960(昭和35)年には東北開発㈱会津ハードボード工場が落成。1964(昭和39)年にはエース電子㈱が進出した。そうした流れに乗って1967(昭和42)年に操業を開始したのが富士通会津工場だ。 富士通は1935(昭和10)年創業。富士電機製造㈱(現富士電機㈱)から電話部所管業務を分離させる形で設立された富士通信機製造㈱が前身。電話の自動交換機からコンピューター開発、通信、半導体などの事業に参入。業容を拡大させた。 同市で大規模企業の進出が相次いだ背景には、猪苗代湖で明治時代から水力発電開発が進められ、28カ所もの発電所が建設されたことがある。安価な電気料金(当時は距離が近い方が安かった)に惹かれ、日曹金属化学会津工場の前身である高田商会大寺精錬所、三菱製銅広田製作所の前身である藤田組広田精鉱所などが猪苗代湖周辺に進出していた。半導体の製造には大量の水を必要とする点も、富士通にとって決め手になったと思われる。 富士通会津工場の操業開始以降、農村地域工業導入促進法(1971年)、工業再配置促進法(1972年)が施行されたこともあり、同市には電子部品・デバイス企業が相次いで立地。半導体の国内有数の生産拠点として関連企業の集積が進んだ。 1997(平成9)年には、市内一箕町にあった富士通会津若松工場が移転拡大するのに合わせて、市が神指町高久地区に会津若松高久工業団地を整備した。 工業統計調査(従業員4人以上の事業所が対象)によると、同市の2007(平成19)年製造品出荷額等(2006年実績)3239億円のうち、半導体を含む電子部品・デバイス業は1037億円を占めた(構成比32%)。市内の製造業従業者数1万1548人のうち、電子部品・デバイス業従業者数は4217人。富士通とその関連事業所が同市経済を支えていたことから「富士通城下町」と呼ばれた。 ところが、2008(平成20)年にリーマン・ショックが発生し、世界同時不況に陥ると半導体の売り上げが急落。富士通も大打撃を受け、翌年にはLSI(大規模集積回路)事業を再編。グループ全体で2000人の配置転換を行った。 さらに2013(平成25)年には大規模な希望退職を募り、市内に立地する富士通グループ2工場の従業員約1100人のうち、400人超が早期退職に応じた。 本誌2013年7月号では次のように報じている。 《1980年代に世界を席巻した日本の半導体産業だが、90年代以降はサムスン電子をはじめとした韓国や台湾のメーカーが台頭し、日本企業は苦戦を強いられるようになった。長年半導体事業を進めていた同社だったが、今年2月、システムLSI事業を同業他社のパナソニックと事業統合し、新会社を設立することを発表。さらに、富士通インテグレーテッドマイクロテクノロジ会津工場などの製造拠点を他社に売却・譲渡し、併せて人員削減も進めることで半導体事業を大幅に縮小する方針を打ち出している》 《(※2009年の配置転換実施時は)県外や全く畑違いの事業所への異動に難色を示す人が多く、配置転換を拒否して退職する人が相次いだ。ハローワーク会津若松によると、最終的に800人を超える離職者が発生したという。(中略)若い層の再就職率が高かったものの、働き盛りの年配層がなかなか再就職できず、就職率は約40%にとどまったという》 その後、富士通は半導体から撤退する姿勢を示し、関連工場を本体から切り離した。同市工場は「会津富士通セミコンダクター」として分社化され、製造子会社2社が設立されたが、それら子会社は2020年代に入ってからそれぞれ別の米国企業に完全譲渡された。会津富士通セミコンダクター本体は富士通セミコンダクターと称号変更。同市内から富士通関連の工場は姿を消した。 同市で富士通関連会社の社員と言えばちょっとしたステータスで、ローンの審査が通りやすいため、若いうちから一戸建てを構えている人も少なくなかった。ところが、再編に伴い転勤を命じられたため、転職を決意する人が相次いだ。 「子どもが生まれたばかりとか、受験生を抱えているといった事情の社員は地元の企業に転職した。転勤を受け入れても半導体事業自体が縮小する中だったので、希望の部署に就けるとは限らなかったようだ。最終的には九州に転勤になった人もいる。市内の松長団地では多くの住宅が売りに出され、地価が一気に下落した。地元住民の間では『松長ショック』と言われています」(松長団地に住む男性) 製造品出荷額等が激減 会津若松市役所  同市の2020(令和2)年製造品出荷額等は2290億円(2007年比70%)に落ち込んでおり、電子部品・デバイス・電子回路製造業はわずか約352億円(同33%)だった。従業者数は1544人(同36%)。数字はいずれもコロナ禍前の2019年の実績。 同市の市町村内総生産は2007年度4840億円、2018年度4639億円。製造業の総生産は2007年度1153億円、2018年度809億円。11年間のうちに300億円以上減少している。 「完成品を組み立てるセットメーカーの工場ではないので、市内に下請け企業が集積したわけではなかったのが不幸中の幸いだった」(市内の事情通)と見る向きもあるが、影響は決して小さくない。その穴をどのように埋めていくかが今後の市の課題と言えよう。 市が推し進めているのが、さらなる企業誘致だ。市企業立地課はセールスポイントを「交通インフラが整備されており、災害などが少ない面」と述べる。市内の工業団地はすべて分譲終了しているが、市議会2月定例会の施政方針演説で、新たな工業団地を整備する方針が示された。 ただ、企業誘致においては人手不足がネックとなる。 同市の1月1日現在の現住人口は11万4335人。1995(平成7)年の13万7065人をピークに減少傾向が続いている。 ハローワーク会津若松管内の昨年12月の有効求人倍率は1・6倍。市内の経済人などによると、建設業と製造業が特に不足しているという。 本誌2022年10月号で県内各市町村に「企業誘致を進める上での課題」をアンケート調査したところ、最も多かった回答が「労働人口の減少により働き手が確保できない」というものだった。人手不足に悩んでいるのはどこも共通しており、そうした中で人を集めるのは容易ではない。工業団地整備と同時進行で、会津地域内外から人を集める仕組みを検討する必要がある。 一方で、市が熱心に推し進めているのが、デジタルを活用したまちづくりだ。2011年8月の市長選で初当選した室井照平市長(3期目)が先頭に立って「スマートシティ会津若松」を推し進めてきた。 スマートシティとは、情報通信技術(ICT)などを活用して地域産業の活性化を図りながら、快適に生活できるまちづくりのこと。 同市はこの間、パソコンやスマートフォンによる申請書作成、除雪車ナビ、母子健康手帳の電子化、学校と家庭をつなぐ情報配信アプリ、オンライン診療、スマートアグリ、外国人向け観光情報ホームページといった取り組みを進めてきた。 市内にはコンピューターに特化した会津大学がある。同大の教員のレベルは経済界から高く評価されているが、地元経済の振興と結びついているとは言い難かった。同大と連携が図れれば、さまざまな成果を生み出し、卒業生の就職先につながることも期待できる。 市企業立地課によると、同市は人口10万人規模かつ人口減少など地方ならではの課題を抱えていることが「ICTを使った実証実験・課題解決に最適な場所」と評価されており、実際に企業が同市に拠点を設けるようになっているという。 「バランスが大事」 ICTオフィスビル「AiCT(アイクト)」  そうした需要を見込み、2019年4月にはICTオフィスビル「AiCT(アイクト)」が開所。首都圏と同様のオフィス環境に加え、セキュリティや災害時の事業継続性に配慮した施設となっている。現在は二十数社が入居し、400人以上が勤務している。中心的な役割を担うのはコンサルティング会社のアクセンチュア(東京都港区)だ。 同市の事情通は次のように語る。 「室井市長は元市長で会津大設立に尽力した山内日出夫氏と親密な関係で、会津大を活用するアイデアをよく聞いていたようだ。富士通撤退で窮地に立ったとき、かつてのアイデアが頭をかすめたのではないだろうか」 昨年3月には、最有力候補と目されていた国の「スーパーシティ型国家戦略特別区域」の指定に落選したが、その後、国のデジタル田園都市国家構想推進交付金の採択を受けた。約80社の企業で構成される「AiCTコンソーシアム」が事業の実施主体となり、市から7億3400万円の補助を受けてサービス内容を作り上げている。 市が注力する事業の行方に注目が集まるが、当の市民に感想を尋ねると、「スマートシティを実感する機会はないし、生活が良くなったという実感もない」、「デジタルを活用するのに、アイクトのような建物が必要だったのか」などと冷ややかな意見が多かった。 市内の経済人からは「室井市長はICT産業の振興にばかり興味を示し、観光振興などには無関心」とのボヤキも聞かれており、本誌でたびたび指摘している。 室井照平・会津若松市長のコメント 室井照平・会津若松市長  「富士通城下町のいま」をどう捉えているか、室井市長に質問すると次のようにコメントした。 「富士通グループの工場は市内からなくなってしまったが、そのつながりでさまざまな半導体企業が進出し、それらはいまも操業している。確かに製造業出荷額等は落ち込んだが、昨年は進出企業の増設が相次ぎ200億円の投資があり、雇用増加や税収増につながった。ICTはもちろん、製造業、観光などいろいろな柱をバランスよく伸ばしていくことが大事だと考えています」 今夏には市長選が控えており、現職と複数の新人による選挙戦になる見込みだ。ある会津地方の政治経験者は「会津若松市長選はどこまで行っても『無尽』など人間関係で決まる」と冷ややかに見るが、立候補者を評価・選択する際はこうした視点も一つの参考になるのではないか。 あわせて読みたい 企業誘致に苦戦する福島県内市町村【現役コンサルに聞く課題と対策】

  • 【会津若松市】室井照平市長インタビュー

     むろい・しょうへい 1955年生まれ。東北大卒。会津若松市議2期。県議1期を経て2011年8月の会津若松市長選で初当選。今年7月に4選を果たす。  ――7月に行われた市長選で4選を果たしました。  「厳しい選挙戦の中、4選を果たすことができたのは市民の皆様のご支援があってこそで、あらためて御礼申し上げます。  4期目の抱負は、市民の皆様それぞれに夢を持っていただくことです。東洋経済新報社が全国812市区を対象に実施している『住みよさランキング』によると、2022年は全国66位で県内自治体では1位、2023年版では全国119位で県内自治体では3位の結果となりました。こうした結果の要因として、子育て支援をはじめとした施策が評価されたものと受け止めています。今後も子育て支援をはじめとしたさまざまな施策に注力し、市民の皆様に住みやすい町に住んでいるという実感を持っていただけるように取り組まなければなりません。住み続けたい、訪れたい、選ばれるまちの実現に向けて今後も全力で取り組みます。  1期目から掲げている『子どもたちには夢と希望を、若者には仕事・雇用を、お年寄りや障がいのある方には安心できるまちづくりを』というテーマを変わらず根幹に据えて、市民の皆様一人ひとりの思いを受け止めながら、市政運営にあたっていきます。また、様々な施策を通して、市民の皆様が郷土に愛着を持ち、地域に対する誇り『シビックプライド』を醸成し、誰もがこのまちで暮らし続けられるように、市民の皆様と共にまちづくりを着実に進めていきます」  ――新型コロナウイルスの5類移行が実施されましたが、観光業をはじめ市内経済への影響はいかがでしょうか。  「観光入込は、コロナ禍前の2019年度には及ばないものの、回復傾向にあります。具体的には、コロナ禍前が300万人だったのがコロナ禍では83万人にまで落ち込み、昨年は146万人にまで回復しました。5類移行後の5月以降はコロナ禍前の水準にさらに近づき、お盆時期を中心に家族旅行での来訪が目立っており、今年は250万人を越える入込が見込まれます。当面はコロナ禍以前の300万人に戻すことが目標です。また、インバウンドはコロナ禍前が2・5万人、コロナ禍には800人にまで減少しましたが、順調に回復しています。今後はコロナ禍前の10倍の25万人まで増加させることを目標としています。教育旅行については、コロナ禍でも好調を維持しており、5類移行後においても平日の観光需要を底上げしています。観光業以外でも、市内の経済状況は回復基調となっており、飲食業界や酒造業界への聞き取りでも、観光客の増加によって売り上げも堅調となっています。一方、原材料や電気代等の高騰は市内事業者に広く影響が出ており、今後も景況感は注視していく必要があります」  ――市役所新庁舎整備事業の進捗状況についてうかがいます。  「昨年10月に設計が完了し、今年3月に建設工事が始まりました。9月上旬時点で基礎工事が行われています。来年には庁舎周辺の道路拡幅工事や駐車場・駐輪場の工事を予定しており、順調に進めば2025年3月に新庁舎が完成し、同年度からの供用開始を予定しています。  新庁舎は、1937年から市の歴史を見続けてきた旧館を引き続き庁舎として保存・活用し、その隣に旧館のデザインを取り入れた地上7階建て、高さ30㍍の庁舎となります。全体の面積は約1万3700平方㍍で、免震構造を採用しているほか、高い省エネ性能を持ち、環境にも配慮しています。また、多くの部局が新庁舎に集約され、窓口利用が多い部局を低階層に配置するなど、市民の皆様の利便性の向上を図っています。この新庁舎が市民の皆様の安全・安心な暮らしを支え、災害時には被災対応の活動拠点となり、さらにはまちの要として、人が集い賑わいを作り出す会津のランドマークとなるよう、引き続き整備を進めていきます」  ――「スマートシティ会津若松」の取り組みが加速しています。  「スマートシティとは、〝便利で住みやすいまち〟を意味しており、本市では2013年3月より『スマートシティ会津若松』を掲げ、生活を取り巻く様々な分野でICTを活用することで、将来に向けて持続力と回復力のある力強い地域社会、安心して快適に暮らすことのできるまちづくりを目指してきました。  昨年度、本市は『国のデジタル田園都市国家構想推進交付金デジタル実装タイプ タイプ3』に東北地方で唯一採択され、食・農業、決済、観光、ヘルスケア、防災、行政という6つのデジタルサービスを実装しました。この間、市、会津大学、AiCTコンソーシアムの三者で『スマートシティ会津若松』に関する基本協定を締結したほか、市民の皆様を対象とするスマートシティサポーター制度や、地域の業界団体の方々を構成員とするスマートシティ会津若松共創会議を創設するなど、地域が一体となった推進体制を構築し、取り組みのさらなる深化・発展を目指してきました。  次なる取り組みとして、今秋以降、デジタル地域通貨『会津コイン』を使ったプレミアムポイント事業を開始するほか、今後は国の支援策等も活用しながら、引き続き会津大学およびAiCTコンソーシアムとの連携のもと、市民の皆様や企業の方々が『スマートシティ会津若松』の取り組みの成果を実感していただけるようなサービスを実装し、市民の皆様が生き甲斐と幸せを感じ、〝住み続けたい〟と思えるまちづくり、進学等で本市を離れる若者が、〝いずれ戻ってきたい〟と思えるまちづくりを目指し取り組んでいきます」  ――今後の重点事業について。  「少子化・人口減少対策は市の最重要課題であり、想定以上に出生数が減り、死亡者が増えているのが現状です。こうした現状を打破するためにも、Uターンや県外のお孫さんが祖父母の住む本市に移住する孫ターンの給付金制度、住宅取得支援や賃貸家賃補助、移住婚祝い金といった形で移住・定住支援に注力していきます。また、昨年実施した『ベビーファースト宣言』のもと、安心して子どもを産み育てる環境づくり、子どもたちがふるさとに誇りを持ちながら多様な学力を身に着ける環境づくりを進めていきます。  ほかにも新規就農者支援、新たな雇用に繋がる工業団地の整備も重要ですので、今後4年間でさらに内容を深化させていきたいと考えています。また、観光庁の『国際競争力の高いスノーリゾート形成促進事業』において、本市と磐梯町、北塩原村でのスキーと観光を軸にする計画が県内で唯一採択されました。今後は他自治体や関係団体との連携を図りながら、冬季間のインバウンド強化に向けて取り組んでいきます」

  • 【会津若松市】富士通城下町「工場撤退」のその後

     会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。 デジタル事業は基幹産業になるか 富士通セミコンダクター会津若松工場(2013年6月撮影)  会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。  会津地方の中核都市である会津若松市。昭和20年代後半から企業誘致の動きが活発になり、1960(昭和35)年には東北開発㈱会津ハードボード工場が落成。1964(昭和39)年にはエース電子㈱が進出した。そうした流れに乗って1967(昭和42)年に操業を開始したのが富士通会津工場だ。 富士通は1935(昭和10)年創業。富士電機製造㈱(現富士電機㈱)から電話部所管業務を分離させる形で設立された富士通信機製造㈱が前身。電話の自動交換機からコンピューター開発、通信、半導体などの事業に参入。業容を拡大させた。 同市で大規模企業の進出が相次いだ背景には、猪苗代湖で明治時代から水力発電開発が進められ、28カ所もの発電所が建設されたことがある。安価な電気料金(当時は距離が近い方が安かった)に惹かれ、日曹金属化学会津工場の前身である高田商会大寺精錬所、三菱製銅広田製作所の前身である藤田組広田精鉱所などが猪苗代湖周辺に進出していた。半導体の製造には大量の水を必要とする点も、富士通にとって決め手になったと思われる。 富士通会津工場の操業開始以降、農村地域工業導入促進法(1971年)、工業再配置促進法(1972年)が施行されたこともあり、同市には電子部品・デバイス企業が相次いで立地。半導体の国内有数の生産拠点として関連企業の集積が進んだ。 1997(平成9)年には、市内一箕町にあった富士通会津若松工場が移転拡大するのに合わせて、市が神指町高久地区に会津若松高久工業団地を整備した。 工業統計調査(従業員4人以上の事業所が対象)によると、同市の2007(平成19)年製造品出荷額等(2006年実績)3239億円のうち、半導体を含む電子部品・デバイス業は1037億円を占めた(構成比32%)。市内の製造業従業者数1万1548人のうち、電子部品・デバイス業従業者数は4217人。富士通とその関連事業所が同市経済を支えていたことから「富士通城下町」と呼ばれた。 ところが、2008(平成20)年にリーマン・ショックが発生し、世界同時不況に陥ると半導体の売り上げが急落。富士通も大打撃を受け、翌年にはLSI(大規模集積回路)事業を再編。グループ全体で2000人の配置転換を行った。 さらに2013(平成25)年には大規模な希望退職を募り、市内に立地する富士通グループ2工場の従業員約1100人のうち、400人超が早期退職に応じた。 本誌2013年7月号では次のように報じている。 《1980年代に世界を席巻した日本の半導体産業だが、90年代以降はサムスン電子をはじめとした韓国や台湾のメーカーが台頭し、日本企業は苦戦を強いられるようになった。長年半導体事業を進めていた同社だったが、今年2月、システムLSI事業を同業他社のパナソニックと事業統合し、新会社を設立することを発表。さらに、富士通インテグレーテッドマイクロテクノロジ会津工場などの製造拠点を他社に売却・譲渡し、併せて人員削減も進めることで半導体事業を大幅に縮小する方針を打ち出している》 《(※2009年の配置転換実施時は)県外や全く畑違いの事業所への異動に難色を示す人が多く、配置転換を拒否して退職する人が相次いだ。ハローワーク会津若松によると、最終的に800人を超える離職者が発生したという。(中略)若い層の再就職率が高かったものの、働き盛りの年配層がなかなか再就職できず、就職率は約40%にとどまったという》 その後、富士通は半導体から撤退する姿勢を示し、関連工場を本体から切り離した。同市工場は「会津富士通セミコンダクター」として分社化され、製造子会社2社が設立されたが、それら子会社は2020年代に入ってからそれぞれ別の米国企業に完全譲渡された。会津富士通セミコンダクター本体は富士通セミコンダクターと称号変更。同市内から富士通関連の工場は姿を消した。 同市で富士通関連会社の社員と言えばちょっとしたステータスで、ローンの審査が通りやすいため、若いうちから一戸建てを構えている人も少なくなかった。ところが、再編に伴い転勤を命じられたため、転職を決意する人が相次いだ。 「子どもが生まれたばかりとか、受験生を抱えているといった事情の社員は地元の企業に転職した。転勤を受け入れても半導体事業自体が縮小する中だったので、希望の部署に就けるとは限らなかったようだ。最終的には九州に転勤になった人もいる。市内の松長団地では多くの住宅が売りに出され、地価が一気に下落した。地元住民の間では『松長ショック』と言われています」(松長団地に住む男性) 製造品出荷額等が激減 会津若松市役所  同市の2020(令和2)年製造品出荷額等は2290億円(2007年比70%)に落ち込んでおり、電子部品・デバイス・電子回路製造業はわずか約352億円(同33%)だった。従業者数は1544人(同36%)。数字はいずれもコロナ禍前の2019年の実績。 同市の市町村内総生産は2007年度4840億円、2018年度4639億円。製造業の総生産は2007年度1153億円、2018年度809億円。11年間のうちに300億円以上減少している。 「完成品を組み立てるセットメーカーの工場ではないので、市内に下請け企業が集積したわけではなかったのが不幸中の幸いだった」(市内の事情通)と見る向きもあるが、影響は決して小さくない。その穴をどのように埋めていくかが今後の市の課題と言えよう。 市が推し進めているのが、さらなる企業誘致だ。市企業立地課はセールスポイントを「交通インフラが整備されており、災害などが少ない面」と述べる。市内の工業団地はすべて分譲終了しているが、市議会2月定例会の施政方針演説で、新たな工業団地を整備する方針が示された。 ただ、企業誘致においては人手不足がネックとなる。 同市の1月1日現在の現住人口は11万4335人。1995(平成7)年の13万7065人をピークに減少傾向が続いている。 ハローワーク会津若松管内の昨年12月の有効求人倍率は1・6倍。市内の経済人などによると、建設業と製造業が特に不足しているという。 本誌2022年10月号で県内各市町村に「企業誘致を進める上での課題」をアンケート調査したところ、最も多かった回答が「労働人口の減少により働き手が確保できない」というものだった。人手不足に悩んでいるのはどこも共通しており、そうした中で人を集めるのは容易ではない。工業団地整備と同時進行で、会津地域内外から人を集める仕組みを検討する必要がある。 一方で、市が熱心に推し進めているのが、デジタルを活用したまちづくりだ。2011年8月の市長選で初当選した室井照平市長(3期目)が先頭に立って「スマートシティ会津若松」を推し進めてきた。 スマートシティとは、情報通信技術(ICT)などを活用して地域産業の活性化を図りながら、快適に生活できるまちづくりのこと。 同市はこの間、パソコンやスマートフォンによる申請書作成、除雪車ナビ、母子健康手帳の電子化、学校と家庭をつなぐ情報配信アプリ、オンライン診療、スマートアグリ、外国人向け観光情報ホームページといった取り組みを進めてきた。 市内にはコンピューターに特化した会津大学がある。同大の教員のレベルは経済界から高く評価されているが、地元経済の振興と結びついているとは言い難かった。同大と連携が図れれば、さまざまな成果を生み出し、卒業生の就職先につながることも期待できる。 市企業立地課によると、同市は人口10万人規模かつ人口減少など地方ならではの課題を抱えていることが「ICTを使った実証実験・課題解決に最適な場所」と評価されており、実際に企業が同市に拠点を設けるようになっているという。 「バランスが大事」 ICTオフィスビル「AiCT(アイクト)」  そうした需要を見込み、2019年4月にはICTオフィスビル「AiCT(アイクト)」が開所。首都圏と同様のオフィス環境に加え、セキュリティや災害時の事業継続性に配慮した施設となっている。現在は二十数社が入居し、400人以上が勤務している。中心的な役割を担うのはコンサルティング会社のアクセンチュア(東京都港区)だ。 同市の事情通は次のように語る。 「室井市長は元市長で会津大設立に尽力した山内日出夫氏と親密な関係で、会津大を活用するアイデアをよく聞いていたようだ。富士通撤退で窮地に立ったとき、かつてのアイデアが頭をかすめたのではないだろうか」 昨年3月には、最有力候補と目されていた国の「スーパーシティ型国家戦略特別区域」の指定に落選したが、その後、国のデジタル田園都市国家構想推進交付金の採択を受けた。約80社の企業で構成される「AiCTコンソーシアム」が事業の実施主体となり、市から7億3400万円の補助を受けてサービス内容を作り上げている。 市が注力する事業の行方に注目が集まるが、当の市民に感想を尋ねると、「スマートシティを実感する機会はないし、生活が良くなったという実感もない」、「デジタルを活用するのに、アイクトのような建物が必要だったのか」などと冷ややかな意見が多かった。 市内の経済人からは「室井市長はICT産業の振興にばかり興味を示し、観光振興などには無関心」とのボヤキも聞かれており、本誌でたびたび指摘している。 室井照平・会津若松市長のコメント 室井照平・会津若松市長  「富士通城下町のいま」をどう捉えているか、室井市長に質問すると次のようにコメントした。 「富士通グループの工場は市内からなくなってしまったが、そのつながりでさまざまな半導体企業が進出し、それらはいまも操業している。確かに製造業出荷額等は落ち込んだが、昨年は進出企業の増設が相次ぎ200億円の投資があり、雇用増加や税収増につながった。ICTはもちろん、製造業、観光などいろいろな柱をバランスよく伸ばしていくことが大事だと考えています」 今夏には市長選が控えており、現職と複数の新人による選挙戦になる見込みだ。ある会津地方の政治経験者は「会津若松市長選はどこまで行っても『無尽』など人間関係で決まる」と冷ややかに見るが、立候補者を評価・選択する際はこうした視点も一つの参考になるのではないか。 あわせて読みたい 企業誘致に苦戦する福島県内市町村【現役コンサルに聞く課題と対策】