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庁舎新築議論

  • 【会津坂下】新庁舎構想に正常化の兆し

    【会津坂下】新庁舎構想に正常化の兆し

     迷走していた会津坂下町の新庁舎構想に正常化の兆しが見えている。町は新庁舎の建設場所を「現庁舎周辺」から「旧坂下厚生病院跡地」に変更するための議案を6月定例会に提出する方針だったが、住民懇談会で寄せられた意見を受け、議案提出を見送ったのだ(新庁舎構想が迷走する背景は先月号等、この間の本誌記事を参照していただきたい)。 先月号では現庁舎周辺での建設を支持する仲町・橋本地区の住民懇談会(5月17日、出席者45人)をリポートしたが、町はその後、23日に坂下(同61人)、24日に若宮(同13人)と八幡(同17人)、25日に金上(同16人)と高寺(同9人)、26日に広瀬(同17人)と川西(同22人)の7地区で住民懇談会を開いた。出席者は計200人に上った。 仲町・橋本地区の住民は商店主が多い。役場周辺で長年商売してきたため、他所(旧病院跡地)に移転新築されては困るという立場だ。 そもそも現庁舎周辺での建て替えは、住民代表などでつくる新庁舎建設検討委員会で議論し、町が議会に関連議案を提出、議決を経て正式決定された。そうした中で、一部住民から突然、見直しを求める請願が出され、旧病院跡地に変更されようとしたから、仲町・橋本地区の住民が猛反発するのは無理もなかった。 では、それ以外の地区の住民懇談会ではどんな声が上がったのか。 仲町・橋本地区と同様、中心市街地に位置する坂下地区では「現庁舎周辺と旧病院跡地のメリット・デメリットを比較してはどうか」「議会や新庁舎建設検討委員会できちんと議論してから必要な議案を提出すべきだ」といった冷静な意見が寄せられた。仲町・橋本地区のように現庁舎周辺を強く支持するというより、俯瞰した見方が多かった。 これに対し、その他の地区の住民懇談会では「旧病院跡地に賛成」「どんどん進めてほしい」と、仲町・橋本地区とは正反対の声が多数上がった。町周辺部の住民は現庁舎周辺での建て替えを支持していないことが明確になった格好だ。 その一方で「財政難を理由に新庁舎建設を一時休止したのに、財政状況がどこまで改善したのか分からない」「現庁舎周辺から旧病院跡地に変更するとしたら、どのような手続きが必要なのか」等々、住民懇談会に出席した人も、していない人も現状を理解していない住民が多いことも事実だった。これは裏を返せば、町が新庁舎構想の情報を住民に正しく提供していない証拠である。情報がなければ議論が深まらないのは言うまでもない。 にもかかわらず、古川庄平町長は関連議案を6月定例会に提出するとしていたから、仲町・橋本地区の住民だけでなく町周辺部の住民からも「説明不足」「議論が尽くされていない」との意見が上がったのだ。 8地区での住民懇談会が終了後、町庁舎整備課に話を聞くと「関連議案の提出時期を決めず、まずは住民への丁寧な説明と議論を重ねることに努めたい。そうすれば新庁舎のあるべき位置も自ずと見えてくると思います」とコメント。5月29日に開かれた議会全員協議会では、町から議員に対し「現議員の任期は来年3月なので、事情を分かっている議員に審議してもらうためにも、それまでには一定の方向性を示したい」と説明があったという。 古川町長は今年に入ってから「まちづくり元年」というフレーズを言い出したが、今後のまちづくりについて住民と議論したことはない。であれば、将来の会津坂下町をどうしていきたいのかを住民と一緒に考えていけば、町庁舎整備課が言う「新庁舎のあるべき位置も自ずと見えてくる」のではないか。 あわせて読みたい 【会津坂下】庁舎新築議論

  • 【会津坂下町】新庁舎構想「迷走」の裏側

    【会津坂下町】新庁舎構想「迷走」の裏側

     会津坂下町が揺れている。老朽化した役場庁舎の移転新築をめぐり、一度は現庁舎周辺で建て替えることが決まったが、町民アンケートの結果を踏まえ、古川庄平町長が旧坂下厚生総合病院跡地に建てる方針を示したため、町中心部の住民が猛反発している。一方、町周辺部の住民も町の説明不足を指摘しており、新庁舎構想はまとまる気配が見えない。 説明不足の古川町長に不信募らせる住民 老朽化する現庁舎(会津坂下町役場)  会津坂下町役場の周辺で異様な光景が広がっている――そんな情報が寄せられ、5月中旬、記者が現場を訪ねると、目にしたのは大量のポスターとのぼり旗だった。 「新役場建設地 現庁舎周辺でいいのです!! 旧町内有志」 白と赤を基調にそう書かれたポスターとのぼり旗は、役場を取り囲むように商店街中に出回っていた。 ポスターが貼られていたある店に飛び込み、店主に話を聞くと、 「新庁舎は5年前、ここ(現庁舎周辺)に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した。病院跡地は密約があるとウワサされる場所。正式決定を覆し、そんな場所に新庁舎を建てるなんて許せない。ポスターとのぼり旗は中心部の俺たちからの抗議だ」 役場を取り囲むように設置されたポスター のぼり旗  店主によると、ポスターとのぼり旗は大型連休前の4月25日ごろに一斉に設置されたという。 この間、本誌でも報じている会津坂下町の役場庁舎問題。古くなった現庁舎の移転新築をめぐり三つの候補地の中から現庁舎周辺で建て替えることを決めたのは今から5年前のことだ。町は2018年3月定例会に、新庁舎の建設場所を「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」とする議案を提出し、賛成多数で議決された。しかし同年9月、当時の斎藤文英町長が財政難を理由に建設延期を決定し、事業は一時凍結された。 状況に変化が見られたのは、斎藤町長が引退し、2021年6月の町長選で現町長の古川庄平氏が初当選したことだった。22年4月には役場内に庁舎整備課が新設され、新庁舎構想は再び動き出した。 ところが、議会の議決を経て正式決定したはずの建設場所に一石が投じられた。「現庁舎周辺での建て替えを決めた4年前(2018年)とは町内事情が変わっている」として22年5月、「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から議会に再考を促す請願が提出されたのだ。 議会はこの請願を賛成多数で採択し、建設場所を再度協議することを求める意見書を古川町長に提出。これを受け、町は2018年10月から休止していた新庁舎建設検討委員会を、22年7月に委員を一部入れ替えて再開させた。 現庁舎周辺での建て替えを決めた理由の一つに「中心部や周辺まちづくりへの寄与」がある。 町中心部の住民の多くは役場近くの商店街で店を経営している。役場と共に生活してきた店主たちにとって、役場が別の場所に移ることは死活問題。そうした中、新庁舎の建設場所は店主たちが望んだ現庁舎周辺に決まったのに、突如覆されようとしているのだから「なぜ今更見直さなければならないのか」と不満に思うのは理解できる。 そんな店主たちを一層怒らせたのが、町が2022年10月に行ったアンケートだった。アンケート結果は本誌2月号で詳報しているので繰り返さないが、要約すると、 ▽建設場所は、既に決まっている現庁舎周辺でいいか、再考すべきか尋ねたところ、248人が「現庁舎周辺のままでよい」、430人が「再考すべき」、15人が「その他」と答えた。(残り33人は無回答) ▽「再考すべき」「その他」と答えた計445人に3カ所の候補地を示し、望ましい移転場所を尋ねたところ、273人が「旧坂下厚生病院跡地」、39人が「旧坂下高校跡地」、95人が「南幹線沿線県有地」と答えた。(残り38人は「その他」、あるいは無回答) こうした経過を経て、古川町長は今年2月に開かれた議会全員協議会で新庁舎の建設場所を旧坂下厚生病院跡地にする方針を示したのだ。冒頭の店主が「現庁舎周辺に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した」と憤っていたのはこのことを指している。 憤る店主たち  本誌の手元に今年3月と4月に開かれた議会全員協議会で町から配られた資料がある。その中には、現庁舎周辺と病院跡地のメリット・デメリットや、2022年9月に町内7地区で開かれたまちづくり懇談会、同年10月に商工会理事を対象に開かれた懇談会で上がった意見などが紹介されているが、資料のつくりとしては「町が病院跡地へ誘導しようとしている」感が強い。 また資料には、現庁舎周辺と病院跡地のほか、アンケートで示された旧坂下高校跡地と南幹線沿線県有地の計4カ所に新庁舎を建設した場合の概算事業費も載っている(別掲の表)。それを見ると、現庁舎周辺と病院跡地では事業費はほぼ変わらないことや、旧坂下高校跡地が最も安上がりなことなども分かる。 新庁舎の概算事業費 現庁舎周辺病院跡地高校跡地南幹線沿線本体工事22.8億22.8億10.0億22.8億外構工事2000万4300万4300万4300万車庫等2.3億2.3億2.3億2.3億仮設庁舎・解体1.1億000設計・監理2.0億2.0億2.0億2.0億用地取得・土地造成6000万2.3億01.4億家屋移転補償1.0億000その他1.0億1.0億1.0億1.0億合計30.9億30.8億15.7億29.8億参考35.3億36.6億21.3億36.3億※1=「参考」は5月17日に開かれた仲町・橋本地区の住民説明会で町が示した金額。※2=旧坂下高校跡地は県補助金の利用が可能。(限度額3億円)※3=100万円以下は四捨五入した。  これらを踏まえ、資料には「建設場所は『旧坂下厚生病院跡地』とする」と明記されているが、この方針変更を町中心部の店主たちはどう受け止めているのか。以下、取材で拾った声を紹介していく。 「アンケートの地図では病院跡地全体が黒塗りになっていたが、その後、新庁舎用地として使うのは半分であることが分かった。町民に回答を求めるのに正しい情報を伝えないのはフェアじゃない」(店主A) 病院跡地の面積は2万1000平方㍍だが、古川町長は新庁舎に必要な面積を1万平方㍍としていた。住民の中には、現庁舎周辺(7000平方㍍)では面積が足りないので、広い病院跡地の方がいいと思った人も少なくない。それが、実際に使う面積は半分となれば「最初から(半分しか使わないと)分かっていたら病院跡地を支持していない」という人もいたと思われる。 町は「騙すつもりはなかった」と言うかもしれないが、正しい情報を伝えずに判断を仰ぐのは、店主Aさんが言うようにフェアじゃない。 「現庁舎周辺と病院跡地の事業費は一見変わらないが(別表参照)、病院跡地に建てても現庁舎は解体するのに、解体費は0円になっている。ほかにも負担しなければならない費用があるのに、町はきちんと説明していない」(店主Bさん) 別表を見ると、病院跡地の「仮設庁舎・解体」の項目は確かに「0」になっている。仮に病院跡地に建てるとしたら仮設庁舎は不要だが、現庁舎は結局解体するので、解体費が0円というのは正確ではない。 そもそも町は、病院跡地に新庁舎を建てたら、現庁舎跡地には8億円で新たな活性化施設を整備する方針を示している。店主Bさんは「解体費や活性化施設の整備費を隠し『事業費はほぼ同じ』と説明するのはズルい」と町に不信感を募らせる。さらに店主Bさんによれば、病院跡地に新庁舎を建てたら、周辺に職員用の駐車場を別途確保しなければならず、その分の費用負担も町は説明していないというから、ここでも住民が正しい判断をするための情報を、町は正確に伝えていない。 「5年前に事業凍結した際、斎藤町長(当時)は財政難を理由に挙げたが、今の財政状況はどうなっているのか。住民は当時より財政が良くなったから新庁舎を建てると解釈しているが、正確に把握している住民はいないし、町から説明を受けたこともない」(店主Cさん) 町のホームページに財政に関する各種資料が公開されているが、事業凍結を決めた前年(2017年度)は経常収支比率90・2%、実質公債費比率13・9%、将来負担比率105・9%と、国が示す早期健全化基準には至っていないものの、県内の町村や全国の類似団体より下位にあった。地方債残高も96億9500万円に上り、財政調整基金も2000万円と乏しかった。 これが2021年度にどう変わったかというと、経常収支比率83・2%(19年度比7・0㌽減)、実質公債費比率11・0%(同2・9㌽減)、将来負担比率49・1%(同56・8㌽減)、地方債残高77億8800万円(同19億0700万円減)、財政調整基金6億3400万円(同6億1400万円増)まで回復。ただし県内の町村や全国の類似団体と比較すると、改善の余地はまだある。 町は「公開している資料を見てほしい」と言うかもしれないが、一方的な公開では住民に伝えた(伝わった)ことにならない。当時の財政難からここまで改善したという説明がなければ、住民は凍結されていた事業が再開した理由を正しく理解できないのではないか。 「新庁舎建設検討委員会は、現庁舎周辺に決めた際は計10回開かれ、委員は毎回2~3時間にわたり議論を戦わせた。しかし病院跡地に関しては、同委員会はたった2回しか開かれていない。そもそも同委員会内では、病院跡地がいいか・悪いかという議論さえしておらず、アンケートの結果のみが決定の根拠になっている」(店主Dさん) 実は、店主Dさんには同委員として欠かさず議論に参加し、現庁舎周辺が最適と決めた自負があった。それだけに、突然「再考すべきだ」と提案され、古川町長が受け入れたことに「あっさり覆すのは我慢ならない」という思いがあるのだ。 マルト建設に疑いの目 マルト建設本社  ここまで話を聞いて、店主たちの気持ちは理解できた。ただ気になったのは、そもそも病院跡地は町内のマルト建設がJA福島厚生連から購入する約束になっていたため(詳細は本誌3月号)、「町と同社の間で何らかの密約があったのではないか」と疑う店主が多かったことだ。 同社は旧坂下厚生病院の解体工事を受注し、工事は6月終了予定となっているが、更地になった後の利活用に困っていた厚生連が同社に売却を打診し、同社が応じたため、双方の間で買付証明書と売渡承諾書が交わされた経緯がある。正式契約ではなく、あくまで「売買を約束したもの」だが、そのタイミングで病院跡地が新庁舎候補地に挙がったため、同社は「もし町が厚生連から取得するなら、約束は破棄してもいい」としていた。 同社は解体工事を受注した手前、厚生連からの打診を断わることができず、取得後は宅地造成をするしかないと考えていた。つまり、町の登場は渡りに船だったわけだが、同社にとって間が悪かったのは、当時の社長と役員が県職員への贈賄容疑で逮捕され、住民に悪いイメージを持たれたことだった。それが「同社が買うはずの土地に町が新庁舎をつくろうとするのは、何らかの密約があるに違いない」という見方につながっているのだ。 本誌の取材では密約を裏付ける証拠は得られなかったが、同社は創業50周年を迎えた2021年から町や学校などに多額の寄付をしており、それが曲解されて「下心の表れ」と見られてしまっている。 店主たちからは、病院跡地に変わるきっかけをつくった前出・加藤氏と、古川町長への意見書提出を先導した渡部正司議員(2期)への不満も聞かれた。しかし、両氏にもそれなりの言い分がある。とりわけ両氏は、店主たちとは逆に役場から遠い場所で暮らしているため「町周辺部の住民の代弁者」と捉えて差し支えないだろう。 まずは加藤氏の意見から。 「5年前に現庁舎周辺に建てることが決まった際も、当時のアンケートでは別の場所がいいという意見が多かった。しかし、結果的に現庁舎周辺に決まり、当時の新庁舎建設検討委員会のメンバーを見ると町中心部の人たちが多かったので、本当に全町民の考えを反映したのかという思いはあった。町周辺部の住民に、なぜ現庁舎周辺に決まったのかという説明も足りなかった」 その後、事業は凍結されたが、4年後に再始動したタイミングで友人や後輩から「建設場所の再考を促すべきではないか」という声が寄せられたため、加藤氏が代表して請願を提出したという。 「事業の凍結期間中には郊外にメガステージ(商業施設)や坂下厚生病院がつくられ、新しい道路が整備されるなど人の流れが変わった。町の将来を考えると、学校が統廃合され、今後も少子化は進むので空き校舎が増えていく。短期間のうちにいろいろな変化が起こり、今後も変化が避けられない中、それでも新庁舎はそのまま現在地に建てるというのは、将来のまちづくりを考えると違和感を持ちました」 「私個人は、新庁舎をどこにつくるべきという意見はない。ただ、せっかくつくるなら、中心部の住民だけでなく周辺部の住民の声も聞いてより良い場所を選ぶべきです。その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、それで構わない。問題は、周辺部の住民を巻き込んだ議論が不足していることと、町は財政難で事業を凍結しておきながら、事業再開時には財政状況がどれくらい回復したのか全く説明がないことです」 加藤氏が深い考えに基づいて行動を起こしたことが分かる。 説明不足が招く数々の弊害 町が示した旧坂下厚生病院跡地の新庁舎配置図  渡部議員の意見はこうだ。 渡部正司議員(会津坂下町HPより)  「5年前に現庁舎周辺に建てると決めた際は、国の財政支援を受けるために期限内(2020年度)に着工しなければならない大前提があった。しかし、事業が凍結され、期限内着工が間に合わず、国の財政支援は受けられなくなった。その大前提が崩れたのだから、現庁舎周辺にこだわらず、じっくり議論してはどうかと思ったのです。当時は候補地になり得なかった病院跡地や旧坂下高校跡地も事業の凍結期間中に浮上したわけだから、それらの可能性を検討するのもありだと思った」 「災害発生時、役場に防災拠点を置くことを考えると、現庁舎周辺は道路が狭く緊急車両が通りにくい、病院跡地は道路が広く緊急車両が通り易い、という意見もある。ハザードマップを見ると、浸水深が現庁舎周辺で最大3㍍、病院跡地で同50㌢という差もある。そういった材料も踏まえて議論し、その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、住民が出した結論なので異論はない」 加藤氏と渡部議員は「現庁舎周辺ではダメ」「病院跡地がベスト」と主張しているわけではなく、さらに議論を深める必要性と町の説明不足を指摘しているわけ。そういう意味では、一見対立しているようにも映る前出・店主たちと考え方は一致していることになる。 住民の多くが問題視する町の説明不足はこんなところに表れている。 町周辺部の住民は利便性や駐車場の広さから病院跡地への変更を歓迎する人が多いが、実はその人たちからも「全敷地を使うと思ったのに半分しか使わないなら魅力的に感じない」と困惑の声が上がっている。前出・店主Aさんも指摘していたが、町周辺部の住民も町の不正確な説明に不満を感じているのだ。 古川町長が今年2月の議会全員協議会で建設場所を病院跡地にする方針を示したことは前述したが、これを受け住民の多くは「現庁舎周辺は白紙になった」と勘違いしている。正しくは、現庁舎周辺は議会の議決を経て決定したので、それを病院跡地に変えるには地方自治法や会津坂下町議会基本条例に基づき、町が議決内容の一部(建設場所)を変更する議案を議会に提出し、もう一度議決を得なければならない。 住民は「町長が病院跡地と言っているんだから、決定なんでしょ」と思っているかもしれないが、全くの誤解だ。そればかりか、町が病院跡地に変更する議案を提出し、議会に否決されたら、病院跡地への移転新築は幻に終わる可能性すらある。 こうした状況を正しく理解している住民は少ない。理由は2月に病院跡地とする方針を打ち出して以降、町が住民に説明する場を一切設けてこなかったからだ。 町は当初、3~4月にかけて▽住民への説明会を開く、▽議会内に新庁舎建設検討特別委員会を設置し、必要な議論を進める、▽前出・新庁舎建設検討委員会を再開する、という三段構えで病院跡地に変更することへの理解を深め、大型連休明けに臨時会を開き、必要な議案を議会に提出するスケジュールを練っていた。しかし、議員から「拙速だ」「住民への説明が足りない」と反対意見が上がり、議案提出を6月定例会に先延ばしした。 このスケジュールに対しても、先にゴール(議案提出)ありきで、それに合わせて住民への説明を済ませようとしたから、前出・店主たちは「単に説明したというアリバイをつくりたいだけ」と憤っている。店主たちによると、冒頭で触れたポスターとのぼり旗は強引な進め方をする町に釘を刺す狙いがあったという。 「リコールもあり得る」 住民説明会で説明する古川町長(5月17日)  町は5月中旬から下旬にかけて、町内各地区で住民説明会を開いた。初回は同17日、現庁舎がある仲町・橋本地区の住民を対象に開かれ、会場には40人ほどが駆け付けた。町からは古川町長、板橋正良副町長、庁舎整備課の職員が出席したが、出席者からは病院跡地への変更に強く反対する意見のほか「住民への説明が足りない」「関連議案を6月定例会に提出するなんて拙速だ」など厳しい指摘が相次いだ。「住民投票で白黒をつけるべき」「町長選の争点だ」「町長リコールだってあり得る」と辛辣な意見も聞かれるなど大紛糾した。 説明会終了後、疲れた様子の古川町長にコメントを求めると、 「いろいろなご意見をいただきましたが、私の思いは、新庁舎はまちづくりの観点を大事にしながら、防災拠点に相応しい場所に建設すべきというものです。時間をかけて説明してほしいと言われたが、現庁舎は非常に古く、移転新築に時間をかけすぎるといつまた大きな災害が襲って来るかも分からない。ともかく、移転新築が必要なのは明白なので、住民や議会と議論を深めながら結論を導き出していきたい」 古川町長の口ぶりからは、住民説明会を何度も開く、時間をかけて説明し理解を得ていく、といった考えは正直感じられなかった。本気で病院跡地に変更したければ、反対する住民に納得してもらえるよう繰り返し説明し、現庁舎周辺の新たな利活用(地域活性化施設)も検討する一方、賛成する住民にも全敷地を使うと誤解させたことを謝罪し、なぜ事実と異なる内容を伝えたのかを説明する必要があるのではないか。 それでも納得が得られなければ、住民説明会でも上がったように住民投票で白黒をつけるか、リコールか自ら辞職して出直し町長選に臨み、新庁舎問題を争点に戦うしかないのではないか。今の会津坂下町はそれくらい、一筋縄ではいかない迷走に陥っている。 あわせて読みたい 会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】(2022年10月号) 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾

    【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】

    (2022年10月号)  会津坂下町は老朽化している役場本庁舎の新築事業を進めている。もともとは2017年度から検討を行い、2022年度に完成のスケジュールで進められていたが、2018年9月に「財政上の問題」を理由に事業延期を決めた。それから4年が経ち、今年度から再度、庁舎建設に向けて動き出したのだが、町内では賛否両論が上がっている。 「4年前の決定」継続派と再考派で割れる 4年前の議論に上がった候補地図  会津坂下町役場本庁舎は、1961年に建設され老朽化が進んでいること、1996年に実施した耐震診断結果で構造耐震指標を大きく下回ったこと、本庁舎のほかに東分庁舎・南分庁舎があり、機能が分散して不便であること等々から、2017年度から新庁舎建設を検討していた。その際、国の補助事業である「市町村役場機能緊急保全事業」を活用すること、そのためには2020年度までに着工することを条件としていた。 町は2017年に、町内の社会福祉協議会や商工会、観光物産協会、区長・自治会長会の役員などで構成する「会津坂下町新庁舎建設検討委員会」を立ち上げ、調査・検討を諮問した。それに当たり、最大のポイントになっていたのは建設場所をどこにするか、だった。 同委員会では、①現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地、②旧営林署・保健福祉センター・中央公園用地、③南幹線南側町取得予定県有地――の3案を基本線に検討を行い、2018年2月、「現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地が適地である」との答申をした。 同年3月議会では、同案に関する議案が提出され、賛成13、反対2の賛成多数で議決した。 ところが、同年9月、町(齋藤文英町長=当時)は「事務事業を見直し、将来の財政状況を算定したところ、計画通り進めれば住民サービスに大きな影響を及ぼすことが予想されることになった。財政健全化を重視し新庁舎建設延期という重い決断をした」として、庁舎建設の延期を決めた。 それから4年。町は今年度から役場内に「庁舎整備課」を新設し、庁舎建設事業再開を決定した。今年度予算では関連費用として約6700万円が計上されている。 そんな中、5月12日付で町民有志「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から、議会に対して「会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議することを求める請願」が提出された。内容は次の通り。   ×  ×  ×  × 町民にとって関心の高い新庁舎の建設については、これまで様々な議論がなされてきました。特に建設場所については平成30(2018)年2月15日に会津坂下町新庁舎建設検討委員会から「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」を適地として選定した旨の答申がなされ、同年、町議会第1回定例会において、議案として提出され賛成多数で可決されました。 この流れを受け、昨年度までに用地買収や移転補償などのスケジュールが進捗していると聞き及んでおり、これについては本年3月において新聞報道等により周知の事実となりました。 しかしながら、この決定が既に4年前のものとなっており、その間、町における公共施設や公有地の状況の変化、社会情勢の変化に伴う民間施設や商業施設の状況の変化などが見られました。 会津坂下町新庁舎建設検討委員会からの答申書においても、選定理由の一つとして「中心市街地や周辺まちづくりへの寄与」といった観点が挙げられておりますが、この観点から新庁舎の建設場所を考えるにあたって、上記の様々な現状の変化を加味し、現状のままでよいか再度協議することは必要不可欠と考えます。 今後の会津坂下町のまちづくりを担う青年世代の多くがこの議論に関心をもっております。既に決定され、議決された内容ではありますが、下記の事項について強く請願いたします。 1、会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議すること。   ×  ×  ×  × 同請願は6月議会で、総務産業建設常任委員会に付託され、請願者が同委員会で意図や内容を説明した。委員会では請願は採択された。 議員の賛成・反対意見 東分庁舎・東駐車場用地と町が取得した隣接地  その後、本会議に諮られ、以下のような賛成・反対討論があった(「議会だより 206号」=7月25日発行より)。 賛成討論 渡部正司議員 議決の建設場所は、国からの財政支援措置と平成32(2020)年度までの着工が条件で決められたものであり、建設延期によって候補地選定の前提は崩れた。改めて協議すべきであり、本議案に賛成する。 小畑博司議員 庁舎建設が計画され、そのために全国各地を行政調査したが、建設コストは主たる課題にはならなかった。検討委員会の結果を受けて建設場所を決議した流れも、財政状況を反映したものではなかった。提案した根拠が違ったままの決議をそのままに進めることは説明責任が果たせない。本意見書は採択すべき。 反対討論 酒井育子議員 町民を代表した建設検討委員会の答申を無視し、また、提出議案、土地買収・跡地取り壊し料の予算を満場一致でした議会議決を無視している。自主財源の少ない当町、未来を担う子供たちに「負」を残してはいけない観点から反対。 五十嵐一夫議員 建設場所は4年前に議決済で、周辺に多少の社会情勢の変化があるが、その後にこの決定済の場所に欠陥が生じたわけではない。再度位置について議論をすることは、混乱を招くだけで採択・意見書提出に反対する。 山口亨議員 請願内容的には建設場所は「現本庁舎、北庁舎、東分庁舎、東駐車場用地」であることに反対ではないとのことで、単に話し合いを求めるというものだった。庁舎建設場所は、平成30(2018)年第1回定例会で議決しているものである。もし、この請願を可決すれば、町民に対しあいまいな話が独り歩きしてしまう可能性がある。現在、旧江戸鮨の解体工事が始まろうとしている。更には、令和7(2025)年4月には新庁舎での業務開始とのスケジュールも組まれている。あいまいなメッセージを町民に与えるべきではない。よってこの請願には反対。 これら討論の後、採決が行われ、賛成8、反対5の賛成多数で同請願は採択された。これを受け、議会は前段で紹介した請願書の内容と同様の意見書を、町執行部(古川庄平町長)に提出した。 請願者である「まちづくりを考える青年の会」の加藤康明代表に話を聞いた。 「町内の仲間内での飲食時や雑談の中で、『延期になっていた庁舎建設事業が再開されることになったが、いま建てるべきなのか』、『財政的な問題が理由で延期になったが、それをクリアできたとは思えない』といった話が出ました。私自身、最初に庁舎建設の話が出たころから2年前まで行政区長を務めていましたが、区の要望として、例えば街灯を増やしてほしいとか、子どもたちの通学路で歩道がないところがあるから何とかしてほしいとか、生活に直接関係する部分について、町にお願いしてきましたが、そのほとんどが『予算の問題』で実現しませんでした。そんな状況で庁舎を建てられるのか、と。さらには、この4年間で町内の生活環境は大きく変化しました。そんな中で、4年前の計画をそのまま進めていいのかと思い、請願を出しました」 加藤代表によると、「建設場所が現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地となっていること自体に反対ではない」という。 ただ、この4年間で坂下厚生病院が新築移転したこと、坂下高校が大沼高校と統合して会津西陵高校になり、同校は旧大沼高校の校舎を使っているため、事実上、坂下高校がなくなったこと、新築移転した坂下厚生病院の近くに、今年11月に商業施設「メガステージ会津坂下」がオープン予定であること――等々から、「生活環境が変わっていることを考慮すべき」(加藤代表)というのだ。 さらには、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で、建設資材が高騰しており、4年前と比べるとコスト増加は間違いない。 「これだけ、社会情勢が変わっているのに、4年前の計画をそのまま進めることが正しいのか。もう一度、議論してもらいたいというのが請願の趣旨です」(同) 懇談会の模様  町は議会からの意見書を受け、新庁舎建設検討委員会を立ち上げ(※2017年に立ち上げた委員会が解散されておらず、正確には「再開」だが、委員に変更等があった)、7月から検討を再開した。その中で、今後、町民の声を聞くために、まちづくり懇談会、新庁舎建設に関するアンケートを実施することになった。 それまで、町は4年前に決まった現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地に新庁舎を建設する考えだったようだ。その証拠に、昨年8月に東分庁舎・東駐車場用地に隣接し、競売物件になっていた寿司店の土地・建物を取得、今年5月から解体工事を進めていた。しかし、請願・意見書を受けて、場所を含めて再考することにしたのだ。 懇談会で示された資料に本誌が必要情報を追加  「これまで(4年前)の議論がゼロになったわけではありません。それも踏まえて、請願・意見書を受けて町民の声を聞くために、懇談会やアンケートを実施することにしました。3月時点で議会には2024年度内の完成目標というスケジュールを示しましたが、(請願・意見書を受けての再考で)少し遅れることになると思います」(町庁舎整備課) 懇談会は9月15日から30日の日程で、町内7地区で開催された。本誌はこのうち9月20日に開かれた坂下地区(中央公民館)での模様を取材した。その席で配布された資料には「請願・意見書を尊重し、状況の変化などを鑑みて、建設場所を含めて総合的に判断することにしました。そのための判断材料として、懇談会やアンケートなど、幅広く町民の声を聞く機会を設けることにしました」と記されていた。 懇談会では、「4年前に決まったのに、なぜ再考しなければならないのか」、「こんなことをしていたら、いつまで経ってもできない。早く建設すべき」といった意見が出た。中には、「議会は4年前に自分たちが決めたことを覆すとはどういった了見か。しかも、今年3月議会では関連予算を可決しており、わずか3カ月で方針転換した」との指摘も。 これには、懇談会に出席していた議員(請願に賛成した議員)が前段で紹介した請願に対する賛成討論と同様の説明を行った。 古川町長は「4年前の議決も、今回の意見書も、どちらも重く受け止めている。そんな中で、あらためて意見を聞くことにしたのでご理解願いたい」旨を述べた。 同地区はまちなかで役場に近いエリアということもあり、「いまの場所で早急に進めてほしい」といった意見が目立った。ただ、それ以外の地区では「4年前の計画をそのまま進めるのではなく、もっと深く議論すべき」といった意見も出たようだ。つまりは、役場に近い地区とそうでない地区では温度差がある、ということだ。 依然厳しい財政 会津坂下町役場  懇談会では事業延期の原因となった財政面についても説明があった。それによると、町の貯金である財政調整基金、減債基金、行政センター建設整備基金の合計は、2017年度末が約3億円だったのに対して、昨年度末は約13億8000万円に増えた。一方、町の借金である町債残高は2017年度末が約97億円、昨年度末が約77億円。昨年度の実質公債費比率は11・0%、将来負担費比率は49・1%で、この数年で少しずつ改善されてはいるものの、全国市町村の平均値と比べると高い数値となっている。 当日配布された資料には、「財政健全化の取り組みを進めたことで、各種財政指標は改善の傾向にあります。しかし、令和2(2020)年度の全国市町村平均値と比較すると依然として悪い状況ですので、今後の新庁舎建設に備えるためにも、より健全な財政運営に努めます」と書かれている。 10月には町民アンケートの実施を予定しており、町庁舎整備課によると、「年代や地区を分けたうえで、無作為抽出で15歳以上の1000人を対象に実施する予定」という。懇談会とアンケートを踏まえて最終的な決定をしていく方針だが、やはり最大のポイントは場所ということになろう。すなわち、4年前に決めた現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地なのか、それ以外か。 ちなみに、懇談会で配布された資料にはあくまでも1つの目安として、以前の決定地、南幹線沿い県有地、旧坂下高校跡地、旧厚生病院跡地が示されている。 町内では「場所は4年前に決まったところでいい。早急に進めるべき」といった意見や、「場所を含め、もう一度、深く議論すべき」、「そもそも、いま建設を行うべきなのか」といった意見が出て紛糾しているわけだが、1つだけ言えるのは、役場に直接的に関わっている人はともかく、庁舎が新しくなったところで、町民の日々の生活が豊かになるわけではない、ということ。それを指摘して締めくくる。 あわせて読みたい 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 現在地か移転かで割れる会津坂下町庁舎新築議論

    現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論

     本誌昨年10月号に「会津坂下町 庁舎新築議論で紛糾 『4年前の決定』継続派と再考派で割れる」という記事を掲載した。会津坂下町で進められている役場庁舎新築議論についてリポートしたものだが、その後、新たな動きがあったので続報をお伝えしたい。 一部議員が「厚生病院跡地は候補地に不適」と指摘  同町役場本庁舎は、1961年に建設され老朽化が進んでいること、1996年に実施した耐震診断結果で構造耐震指標を大きく下回ったこと、本庁舎のほかに東分庁舎・南分庁舎があり、機能が分散して不便であること等々から、2017年から新庁舎建設を検討していた。 同年、町は社会福祉協議会や商工会、観光物産協会、区長・自治会長会の役員などで構成する「会津坂下町新庁舎建設検討委員会」を立ち上げ、調査・検討を諮問した。 最大のポイントは「建設場所をどこにするか」だった。同委員会は、①現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地、②旧営林署・保健福祉センター・中央公園用地、③南幹線南側町取得予定県有地――の3案を基本線に検討を行い、2018年2月、町に「現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地が適地である」と答申した。 同年3月議会では、同案に関する議案が提出され、賛成13、反対2の賛成多数で議決した。これにより、最大のポイントである「建設場所をどこにするか」は現在地周辺で決着したことになる。 ところが、同年9月、町(齋藤文英町長=当時)は「事務事業を見直し、将来の財政状況を算定したところ、計画通り進めれば住民サービスに大きな影響を及ぼすことが予想されることになった。財政健全化を重視し新庁舎建設延期という重い決断をした」として、庁舎建設の延期を決めた。 それから3年半ほどは事業凍結状態だったが、昨年4月、役場内に「庁舎整備課」が新設され、庁舎建設事業が再開されることになった。 ただ、それを受け、昨年5月に町民有志「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から議会に対して、庁舎建設場所の再考を促す請願が提出された。同請願は総務産業建設常任委員会に付託され、委員会で採択された。その後、本会議に諮られ、賛成・反対討論があった後に採決が行われ、賛成8、反対5の賛成多数で同請願は採択された。これを受け、議会は庁舎建設場所の再考を促す意見書を、町執行部(古川庄平町長)に提出した。 町は議会からの意見書を受け、新庁舎建設検討委員会を立ち上げ(※2017年に立ち上げた委員会が解散されておらず、正確には「再開」だが、委員に変更等があった)、昨年7月から検討を再開した。その中で、町民の声を聞くために、まちづくり懇談会、新庁舎建設に関するアンケートを実施することになった。 こうした動きに、議会内では意見が割れ、町内7地区で開催された町民懇談会でも賛否両論が出た。 再考反対派の意見は「4年前に建設場所が決まり、議会で議決しているのに、なぜ再考しなければならないのか」、「そんなことをしていたら、いつまで経ってもできない。早く建設すべき」、「2021年8月に東分庁舎・東駐車場用地の隣にある競売物件の寿司店の土地・建物を取得し、2022年5月から解体工事を進めている。場所を変えたら、取得・解体費が無駄になってしまう」というもの。 再考賛成派の意見は「事業休止していた4年間で、坂下厚生総合病院が新築移転したこと、坂下高校が大沼高校と統合して、事実上、坂下高校がなくなったこと、新築移転した坂下厚生総合病院の近くに商業施設『メガステージ会津坂下』がオープンしたこと等々から、生活環境や人の流れが変わっていることを考慮すべき」、「コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で、建設資材が高騰しており、コスト増加は間違いない。4年前の計画をそのまま進められる状況ではない」というもの。 現在地か移転かで町が二分されている状況だ。 アンケートの結果  本誌昨年10月号記事では、そうした詳細をリポートしたわけだが、その後、昨年11月25日には新庁舎建設に関するアンケート結果が公表された。アンケートは昨年10月、町内在住の15歳以上の1500人を無作為抽出し、調査票を郵送して実施。期日までに回答があったのは726人で、回収率は48・4%だった。ちなみに、同町の人口(今年1月1日現在)は1万4352人だから、アンケート送付数は全人口の10%弱、回答数は約5%になる。 回答者の内訳(カッコ内は構成比)は、年齢別では10代24人(3・3%)、20代36人(5・0%)、30代59人(8・1%)、40代88人(12・1%)、50代100人(13・8%)、60代179人(24・7%)、70代以上239人(32・9%)、無回答1人(0・1%)。地区別では坂下地区310人(42・7%)、若宮地区109人(15・0%)、金上地区71人(9・8%)、広瀬地区92人(12・7%)、川西地区57人(7・9%)、八幡地区55人(7・6%)、高寺地区29人(4・0%)、無回答3人(0・4%)だった。 質問はいくつかに分かれているほか、自由記入欄もあるが、ポイントとなる「現在、建設予定地は『現本庁舎・北庁舎・東分庁舎及び東駐車場用地』ですが、再考すべきと考えますか」という質問では、「現建設予定地のままでよい」が248人(34・2%)、「再考すべきである」が430人(59・2%)、「その他」と「無回答」が合わせて48人(6・6%)だった。再考すべきが6割近くを占めた。 この質問で「再考すべき」「その他」と答えた人に「現時点において、町が把握している未利用地は、以下の箇所(※旧坂下厚生総合病院跡地、旧坂下高等学校跡地、南幹線沿線県有地)があります。建設地として望ましいと思うものを次の中からひとつだけ選んでください」という質問では以下のような回答結果だった。旧坂下厚生総合病院跡地273人(61・3%)、旧坂下高等学校跡地39人(8・8%)、南幹線沿線県有地95人(21・3%)、その他・無回答38人(8・5%)。 こうして見ると、最初の質問で「現建設予定地(現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地)のままでよい」と答えた248人より、「再考すべき」→「旧坂下厚生総合病院跡地」と答えた273人の方が多いことが分かる。前述のように、アンケート回答者は同町の人口の約5%だから、これを「町民の総意」と捉えていいかどうかは難しいところだが、この結果だけを見れば、町民が求めているのは旧坂下厚生総合病院跡地への庁舎建設ということになる。 解体工事が行われている厚生病院跡地  ただ、昨年12月議会で、それがひっくり返るようなことがあった。同議会で、五十嵐一夫議員が「新庁舎建設位置について、町長はどこにしたいのか。まちづくり懇談会の町民周知は適切か。旧坂下厚生総合病院跡地は候補地として適切か」といった内容で一般質問を行った。 その中で五十嵐議員が明かしたところでは、JA福島厚生連に質問状を出し、坂下厚生病院跡地の対応について尋ねたところ、「厚生連からは『〇〇社から購入したいと申し入れがあり、すでに売却を決定した』と回答があった。回答は10月3日付の文書でもらった」というのだ。 そのうえで、古川町長、庁舎整備課長に「そのことを知っていたのか」と質問した。これに対し、庁舎整備課長は「厚生病院跡地の買い手が決まったという正式な連絡は受けていない」と答弁した。 さらに町は、1万平方㍍以上の町内の未利用地を「庁舎建設の候補になり得る場所」として、町民懇談会やアンケートなどで示したものであり、ある程度、本決まりになるまでは所有者との事前協議はできない、といった考えを示した。 五十嵐議員は再質問で「(前述の事情から)厚生病院跡地は庁舎建設の候補地になり得ない」と指摘し、古川町長に「売却先が決定したことを知らなかったのか」と質問した。これに対して、古川町長は「知らなかった」と答弁した。 もっとも、今年1月中旬、本誌がJA福島厚生連に問い合わせたところ、担当者は「(坂下厚生病院跡地は)現在、解体工事を行っており、その後のことは未定」とのこと。「いま、会津坂下町では庁舎建設議論が進められており、その中で、坂下厚生病院跡地が候補地になっているが」と尋ねると、「町からはそういった話はない」と話した。 一方、五十嵐議員に確認すると、「昨年10月3日付文書で、間違いなくそういった(※売却先が決定したこと)回答を得ている。議会では『〇〇社』としたが、その回答文書には実名も記されていた」という。 近く議会に説明  あらためて、町庁舎整備課にこの件について尋ねたところ、次のように説明した。 「どんな事業でもそうですが、構想段階では権利者とは交渉できない。ある程度、決まってから用地交渉などに入ることになります。(今回の件でも)まだ構想が固まっていませんから(厚生連には)話をしていません」 記者が「アンケートでは厚生病院跡地への庁舎建設を望む声が一番多かった。ただ、五十嵐議員が指摘したように、そこが売却決定済みで候補地になり得ないとするならば、厚生病院跡地を外して、それ以外でどこがいいかを再度聞くなどの手順が必要になるということか」と尋ねると、同課担当者は「その件については近く町長から議会に対して説明することになっている」と話した。 要は、「議会に説明する前に本誌取材に答えることはできない」ということだが、何か含みをもたせた言い方だったのが気になるところ。「厚生病院跡地売却決定済み」話には、〝ウラ事情〟があるということか。 その点で言うと、福島民報(1月14日付)に《会津坂下町の坂下厚生総合病院跡地の土壌から、土壌汚染対策法の基準値を超える有害物質が検出された。県は土地の使途を変更する場合、県に届け出るよう県報に告示した(後略)》との記事が掲載された。この場合、用途・売買等、制約が伴うから、それが関係しているのかもしれない。 町は今年度中(3月末まで)に候補地を決定する方針だが、現在地周辺か移転かで意見が割れる中、どんな判断をするのか注目だ。 あわせて読みたい 【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】(2022年10月号)

  • 【会津坂下】新庁舎構想に正常化の兆し

     迷走していた会津坂下町の新庁舎構想に正常化の兆しが見えている。町は新庁舎の建設場所を「現庁舎周辺」から「旧坂下厚生病院跡地」に変更するための議案を6月定例会に提出する方針だったが、住民懇談会で寄せられた意見を受け、議案提出を見送ったのだ(新庁舎構想が迷走する背景は先月号等、この間の本誌記事を参照していただきたい)。 先月号では現庁舎周辺での建設を支持する仲町・橋本地区の住民懇談会(5月17日、出席者45人)をリポートしたが、町はその後、23日に坂下(同61人)、24日に若宮(同13人)と八幡(同17人)、25日に金上(同16人)と高寺(同9人)、26日に広瀬(同17人)と川西(同22人)の7地区で住民懇談会を開いた。出席者は計200人に上った。 仲町・橋本地区の住民は商店主が多い。役場周辺で長年商売してきたため、他所(旧病院跡地)に移転新築されては困るという立場だ。 そもそも現庁舎周辺での建て替えは、住民代表などでつくる新庁舎建設検討委員会で議論し、町が議会に関連議案を提出、議決を経て正式決定された。そうした中で、一部住民から突然、見直しを求める請願が出され、旧病院跡地に変更されようとしたから、仲町・橋本地区の住民が猛反発するのは無理もなかった。 では、それ以外の地区の住民懇談会ではどんな声が上がったのか。 仲町・橋本地区と同様、中心市街地に位置する坂下地区では「現庁舎周辺と旧病院跡地のメリット・デメリットを比較してはどうか」「議会や新庁舎建設検討委員会できちんと議論してから必要な議案を提出すべきだ」といった冷静な意見が寄せられた。仲町・橋本地区のように現庁舎周辺を強く支持するというより、俯瞰した見方が多かった。 これに対し、その他の地区の住民懇談会では「旧病院跡地に賛成」「どんどん進めてほしい」と、仲町・橋本地区とは正反対の声が多数上がった。町周辺部の住民は現庁舎周辺での建て替えを支持していないことが明確になった格好だ。 その一方で「財政難を理由に新庁舎建設を一時休止したのに、財政状況がどこまで改善したのか分からない」「現庁舎周辺から旧病院跡地に変更するとしたら、どのような手続きが必要なのか」等々、住民懇談会に出席した人も、していない人も現状を理解していない住民が多いことも事実だった。これは裏を返せば、町が新庁舎構想の情報を住民に正しく提供していない証拠である。情報がなければ議論が深まらないのは言うまでもない。 にもかかわらず、古川庄平町長は関連議案を6月定例会に提出するとしていたから、仲町・橋本地区の住民だけでなく町周辺部の住民からも「説明不足」「議論が尽くされていない」との意見が上がったのだ。 8地区での住民懇談会が終了後、町庁舎整備課に話を聞くと「関連議案の提出時期を決めず、まずは住民への丁寧な説明と議論を重ねることに努めたい。そうすれば新庁舎のあるべき位置も自ずと見えてくると思います」とコメント。5月29日に開かれた議会全員協議会では、町から議員に対し「現議員の任期は来年3月なので、事情を分かっている議員に審議してもらうためにも、それまでには一定の方向性を示したい」と説明があったという。 古川町長は今年に入ってから「まちづくり元年」というフレーズを言い出したが、今後のまちづくりについて住民と議論したことはない。であれば、将来の会津坂下町をどうしていきたいのかを住民と一緒に考えていけば、町庁舎整備課が言う「新庁舎のあるべき位置も自ずと見えてくる」のではないか。 あわせて読みたい 【会津坂下】庁舎新築議論

  • 【会津坂下町】新庁舎構想「迷走」の裏側

     会津坂下町が揺れている。老朽化した役場庁舎の移転新築をめぐり、一度は現庁舎周辺で建て替えることが決まったが、町民アンケートの結果を踏まえ、古川庄平町長が旧坂下厚生総合病院跡地に建てる方針を示したため、町中心部の住民が猛反発している。一方、町周辺部の住民も町の説明不足を指摘しており、新庁舎構想はまとまる気配が見えない。 説明不足の古川町長に不信募らせる住民 老朽化する現庁舎(会津坂下町役場)  会津坂下町役場の周辺で異様な光景が広がっている――そんな情報が寄せられ、5月中旬、記者が現場を訪ねると、目にしたのは大量のポスターとのぼり旗だった。 「新役場建設地 現庁舎周辺でいいのです!! 旧町内有志」 白と赤を基調にそう書かれたポスターとのぼり旗は、役場を取り囲むように商店街中に出回っていた。 ポスターが貼られていたある店に飛び込み、店主に話を聞くと、 「新庁舎は5年前、ここ(現庁舎周辺)に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した。病院跡地は密約があるとウワサされる場所。正式決定を覆し、そんな場所に新庁舎を建てるなんて許せない。ポスターとのぼり旗は中心部の俺たちからの抗議だ」 役場を取り囲むように設置されたポスター のぼり旗  店主によると、ポスターとのぼり旗は大型連休前の4月25日ごろに一斉に設置されたという。 この間、本誌でも報じている会津坂下町の役場庁舎問題。古くなった現庁舎の移転新築をめぐり三つの候補地の中から現庁舎周辺で建て替えることを決めたのは今から5年前のことだ。町は2018年3月定例会に、新庁舎の建設場所を「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」とする議案を提出し、賛成多数で議決された。しかし同年9月、当時の斎藤文英町長が財政難を理由に建設延期を決定し、事業は一時凍結された。 状況に変化が見られたのは、斎藤町長が引退し、2021年6月の町長選で現町長の古川庄平氏が初当選したことだった。22年4月には役場内に庁舎整備課が新設され、新庁舎構想は再び動き出した。 ところが、議会の議決を経て正式決定したはずの建設場所に一石が投じられた。「現庁舎周辺での建て替えを決めた4年前(2018年)とは町内事情が変わっている」として22年5月、「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から議会に再考を促す請願が提出されたのだ。 議会はこの請願を賛成多数で採択し、建設場所を再度協議することを求める意見書を古川町長に提出。これを受け、町は2018年10月から休止していた新庁舎建設検討委員会を、22年7月に委員を一部入れ替えて再開させた。 現庁舎周辺での建て替えを決めた理由の一つに「中心部や周辺まちづくりへの寄与」がある。 町中心部の住民の多くは役場近くの商店街で店を経営している。役場と共に生活してきた店主たちにとって、役場が別の場所に移ることは死活問題。そうした中、新庁舎の建設場所は店主たちが望んだ現庁舎周辺に決まったのに、突如覆されようとしているのだから「なぜ今更見直さなければならないのか」と不満に思うのは理解できる。 そんな店主たちを一層怒らせたのが、町が2022年10月に行ったアンケートだった。アンケート結果は本誌2月号で詳報しているので繰り返さないが、要約すると、 ▽建設場所は、既に決まっている現庁舎周辺でいいか、再考すべきか尋ねたところ、248人が「現庁舎周辺のままでよい」、430人が「再考すべき」、15人が「その他」と答えた。(残り33人は無回答) ▽「再考すべき」「その他」と答えた計445人に3カ所の候補地を示し、望ましい移転場所を尋ねたところ、273人が「旧坂下厚生病院跡地」、39人が「旧坂下高校跡地」、95人が「南幹線沿線県有地」と答えた。(残り38人は「その他」、あるいは無回答) こうした経過を経て、古川町長は今年2月に開かれた議会全員協議会で新庁舎の建設場所を旧坂下厚生病院跡地にする方針を示したのだ。冒頭の店主が「現庁舎周辺に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した」と憤っていたのはこのことを指している。 憤る店主たち  本誌の手元に今年3月と4月に開かれた議会全員協議会で町から配られた資料がある。その中には、現庁舎周辺と病院跡地のメリット・デメリットや、2022年9月に町内7地区で開かれたまちづくり懇談会、同年10月に商工会理事を対象に開かれた懇談会で上がった意見などが紹介されているが、資料のつくりとしては「町が病院跡地へ誘導しようとしている」感が強い。 また資料には、現庁舎周辺と病院跡地のほか、アンケートで示された旧坂下高校跡地と南幹線沿線県有地の計4カ所に新庁舎を建設した場合の概算事業費も載っている(別掲の表)。それを見ると、現庁舎周辺と病院跡地では事業費はほぼ変わらないことや、旧坂下高校跡地が最も安上がりなことなども分かる。 新庁舎の概算事業費 現庁舎周辺病院跡地高校跡地南幹線沿線本体工事22.8億22.8億10.0億22.8億外構工事2000万4300万4300万4300万車庫等2.3億2.3億2.3億2.3億仮設庁舎・解体1.1億000設計・監理2.0億2.0億2.0億2.0億用地取得・土地造成6000万2.3億01.4億家屋移転補償1.0億000その他1.0億1.0億1.0億1.0億合計30.9億30.8億15.7億29.8億参考35.3億36.6億21.3億36.3億※1=「参考」は5月17日に開かれた仲町・橋本地区の住民説明会で町が示した金額。※2=旧坂下高校跡地は県補助金の利用が可能。(限度額3億円)※3=100万円以下は四捨五入した。  これらを踏まえ、資料には「建設場所は『旧坂下厚生病院跡地』とする」と明記されているが、この方針変更を町中心部の店主たちはどう受け止めているのか。以下、取材で拾った声を紹介していく。 「アンケートの地図では病院跡地全体が黒塗りになっていたが、その後、新庁舎用地として使うのは半分であることが分かった。町民に回答を求めるのに正しい情報を伝えないのはフェアじゃない」(店主A) 病院跡地の面積は2万1000平方㍍だが、古川町長は新庁舎に必要な面積を1万平方㍍としていた。住民の中には、現庁舎周辺(7000平方㍍)では面積が足りないので、広い病院跡地の方がいいと思った人も少なくない。それが、実際に使う面積は半分となれば「最初から(半分しか使わないと)分かっていたら病院跡地を支持していない」という人もいたと思われる。 町は「騙すつもりはなかった」と言うかもしれないが、正しい情報を伝えずに判断を仰ぐのは、店主Aさんが言うようにフェアじゃない。 「現庁舎周辺と病院跡地の事業費は一見変わらないが(別表参照)、病院跡地に建てても現庁舎は解体するのに、解体費は0円になっている。ほかにも負担しなければならない費用があるのに、町はきちんと説明していない」(店主Bさん) 別表を見ると、病院跡地の「仮設庁舎・解体」の項目は確かに「0」になっている。仮に病院跡地に建てるとしたら仮設庁舎は不要だが、現庁舎は結局解体するので、解体費が0円というのは正確ではない。 そもそも町は、病院跡地に新庁舎を建てたら、現庁舎跡地には8億円で新たな活性化施設を整備する方針を示している。店主Bさんは「解体費や活性化施設の整備費を隠し『事業費はほぼ同じ』と説明するのはズルい」と町に不信感を募らせる。さらに店主Bさんによれば、病院跡地に新庁舎を建てたら、周辺に職員用の駐車場を別途確保しなければならず、その分の費用負担も町は説明していないというから、ここでも住民が正しい判断をするための情報を、町は正確に伝えていない。 「5年前に事業凍結した際、斎藤町長(当時)は財政難を理由に挙げたが、今の財政状況はどうなっているのか。住民は当時より財政が良くなったから新庁舎を建てると解釈しているが、正確に把握している住民はいないし、町から説明を受けたこともない」(店主Cさん) 町のホームページに財政に関する各種資料が公開されているが、事業凍結を決めた前年(2017年度)は経常収支比率90・2%、実質公債費比率13・9%、将来負担比率105・9%と、国が示す早期健全化基準には至っていないものの、県内の町村や全国の類似団体より下位にあった。地方債残高も96億9500万円に上り、財政調整基金も2000万円と乏しかった。 これが2021年度にどう変わったかというと、経常収支比率83・2%(19年度比7・0㌽減)、実質公債費比率11・0%(同2・9㌽減)、将来負担比率49・1%(同56・8㌽減)、地方債残高77億8800万円(同19億0700万円減)、財政調整基金6億3400万円(同6億1400万円増)まで回復。ただし県内の町村や全国の類似団体と比較すると、改善の余地はまだある。 町は「公開している資料を見てほしい」と言うかもしれないが、一方的な公開では住民に伝えた(伝わった)ことにならない。当時の財政難からここまで改善したという説明がなければ、住民は凍結されていた事業が再開した理由を正しく理解できないのではないか。 「新庁舎建設検討委員会は、現庁舎周辺に決めた際は計10回開かれ、委員は毎回2~3時間にわたり議論を戦わせた。しかし病院跡地に関しては、同委員会はたった2回しか開かれていない。そもそも同委員会内では、病院跡地がいいか・悪いかという議論さえしておらず、アンケートの結果のみが決定の根拠になっている」(店主Dさん) 実は、店主Dさんには同委員として欠かさず議論に参加し、現庁舎周辺が最適と決めた自負があった。それだけに、突然「再考すべきだ」と提案され、古川町長が受け入れたことに「あっさり覆すのは我慢ならない」という思いがあるのだ。 マルト建設に疑いの目 マルト建設本社  ここまで話を聞いて、店主たちの気持ちは理解できた。ただ気になったのは、そもそも病院跡地は町内のマルト建設がJA福島厚生連から購入する約束になっていたため(詳細は本誌3月号)、「町と同社の間で何らかの密約があったのではないか」と疑う店主が多かったことだ。 同社は旧坂下厚生病院の解体工事を受注し、工事は6月終了予定となっているが、更地になった後の利活用に困っていた厚生連が同社に売却を打診し、同社が応じたため、双方の間で買付証明書と売渡承諾書が交わされた経緯がある。正式契約ではなく、あくまで「売買を約束したもの」だが、そのタイミングで病院跡地が新庁舎候補地に挙がったため、同社は「もし町が厚生連から取得するなら、約束は破棄してもいい」としていた。 同社は解体工事を受注した手前、厚生連からの打診を断わることができず、取得後は宅地造成をするしかないと考えていた。つまり、町の登場は渡りに船だったわけだが、同社にとって間が悪かったのは、当時の社長と役員が県職員への贈賄容疑で逮捕され、住民に悪いイメージを持たれたことだった。それが「同社が買うはずの土地に町が新庁舎をつくろうとするのは、何らかの密約があるに違いない」という見方につながっているのだ。 本誌の取材では密約を裏付ける証拠は得られなかったが、同社は創業50周年を迎えた2021年から町や学校などに多額の寄付をしており、それが曲解されて「下心の表れ」と見られてしまっている。 店主たちからは、病院跡地に変わるきっかけをつくった前出・加藤氏と、古川町長への意見書提出を先導した渡部正司議員(2期)への不満も聞かれた。しかし、両氏にもそれなりの言い分がある。とりわけ両氏は、店主たちとは逆に役場から遠い場所で暮らしているため「町周辺部の住民の代弁者」と捉えて差し支えないだろう。 まずは加藤氏の意見から。 「5年前に現庁舎周辺に建てることが決まった際も、当時のアンケートでは別の場所がいいという意見が多かった。しかし、結果的に現庁舎周辺に決まり、当時の新庁舎建設検討委員会のメンバーを見ると町中心部の人たちが多かったので、本当に全町民の考えを反映したのかという思いはあった。町周辺部の住民に、なぜ現庁舎周辺に決まったのかという説明も足りなかった」 その後、事業は凍結されたが、4年後に再始動したタイミングで友人や後輩から「建設場所の再考を促すべきではないか」という声が寄せられたため、加藤氏が代表して請願を提出したという。 「事業の凍結期間中には郊外にメガステージ(商業施設)や坂下厚生病院がつくられ、新しい道路が整備されるなど人の流れが変わった。町の将来を考えると、学校が統廃合され、今後も少子化は進むので空き校舎が増えていく。短期間のうちにいろいろな変化が起こり、今後も変化が避けられない中、それでも新庁舎はそのまま現在地に建てるというのは、将来のまちづくりを考えると違和感を持ちました」 「私個人は、新庁舎をどこにつくるべきという意見はない。ただ、せっかくつくるなら、中心部の住民だけでなく周辺部の住民の声も聞いてより良い場所を選ぶべきです。その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、それで構わない。問題は、周辺部の住民を巻き込んだ議論が不足していることと、町は財政難で事業を凍結しておきながら、事業再開時には財政状況がどれくらい回復したのか全く説明がないことです」 加藤氏が深い考えに基づいて行動を起こしたことが分かる。 説明不足が招く数々の弊害 町が示した旧坂下厚生病院跡地の新庁舎配置図  渡部議員の意見はこうだ。 渡部正司議員(会津坂下町HPより)  「5年前に現庁舎周辺に建てると決めた際は、国の財政支援を受けるために期限内(2020年度)に着工しなければならない大前提があった。しかし、事業が凍結され、期限内着工が間に合わず、国の財政支援は受けられなくなった。その大前提が崩れたのだから、現庁舎周辺にこだわらず、じっくり議論してはどうかと思ったのです。当時は候補地になり得なかった病院跡地や旧坂下高校跡地も事業の凍結期間中に浮上したわけだから、それらの可能性を検討するのもありだと思った」 「災害発生時、役場に防災拠点を置くことを考えると、現庁舎周辺は道路が狭く緊急車両が通りにくい、病院跡地は道路が広く緊急車両が通り易い、という意見もある。ハザードマップを見ると、浸水深が現庁舎周辺で最大3㍍、病院跡地で同50㌢という差もある。そういった材料も踏まえて議論し、その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、住民が出した結論なので異論はない」 加藤氏と渡部議員は「現庁舎周辺ではダメ」「病院跡地がベスト」と主張しているわけではなく、さらに議論を深める必要性と町の説明不足を指摘しているわけ。そういう意味では、一見対立しているようにも映る前出・店主たちと考え方は一致していることになる。 住民の多くが問題視する町の説明不足はこんなところに表れている。 町周辺部の住民は利便性や駐車場の広さから病院跡地への変更を歓迎する人が多いが、実はその人たちからも「全敷地を使うと思ったのに半分しか使わないなら魅力的に感じない」と困惑の声が上がっている。前出・店主Aさんも指摘していたが、町周辺部の住民も町の不正確な説明に不満を感じているのだ。 古川町長が今年2月の議会全員協議会で建設場所を病院跡地にする方針を示したことは前述したが、これを受け住民の多くは「現庁舎周辺は白紙になった」と勘違いしている。正しくは、現庁舎周辺は議会の議決を経て決定したので、それを病院跡地に変えるには地方自治法や会津坂下町議会基本条例に基づき、町が議決内容の一部(建設場所)を変更する議案を議会に提出し、もう一度議決を得なければならない。 住民は「町長が病院跡地と言っているんだから、決定なんでしょ」と思っているかもしれないが、全くの誤解だ。そればかりか、町が病院跡地に変更する議案を提出し、議会に否決されたら、病院跡地への移転新築は幻に終わる可能性すらある。 こうした状況を正しく理解している住民は少ない。理由は2月に病院跡地とする方針を打ち出して以降、町が住民に説明する場を一切設けてこなかったからだ。 町は当初、3~4月にかけて▽住民への説明会を開く、▽議会内に新庁舎建設検討特別委員会を設置し、必要な議論を進める、▽前出・新庁舎建設検討委員会を再開する、という三段構えで病院跡地に変更することへの理解を深め、大型連休明けに臨時会を開き、必要な議案を議会に提出するスケジュールを練っていた。しかし、議員から「拙速だ」「住民への説明が足りない」と反対意見が上がり、議案提出を6月定例会に先延ばしした。 このスケジュールに対しても、先にゴール(議案提出)ありきで、それに合わせて住民への説明を済ませようとしたから、前出・店主たちは「単に説明したというアリバイをつくりたいだけ」と憤っている。店主たちによると、冒頭で触れたポスターとのぼり旗は強引な進め方をする町に釘を刺す狙いがあったという。 「リコールもあり得る」 住民説明会で説明する古川町長(5月17日)  町は5月中旬から下旬にかけて、町内各地区で住民説明会を開いた。初回は同17日、現庁舎がある仲町・橋本地区の住民を対象に開かれ、会場には40人ほどが駆け付けた。町からは古川町長、板橋正良副町長、庁舎整備課の職員が出席したが、出席者からは病院跡地への変更に強く反対する意見のほか「住民への説明が足りない」「関連議案を6月定例会に提出するなんて拙速だ」など厳しい指摘が相次いだ。「住民投票で白黒をつけるべき」「町長選の争点だ」「町長リコールだってあり得る」と辛辣な意見も聞かれるなど大紛糾した。 説明会終了後、疲れた様子の古川町長にコメントを求めると、 「いろいろなご意見をいただきましたが、私の思いは、新庁舎はまちづくりの観点を大事にしながら、防災拠点に相応しい場所に建設すべきというものです。時間をかけて説明してほしいと言われたが、現庁舎は非常に古く、移転新築に時間をかけすぎるといつまた大きな災害が襲って来るかも分からない。ともかく、移転新築が必要なのは明白なので、住民や議会と議論を深めながら結論を導き出していきたい」 古川町長の口ぶりからは、住民説明会を何度も開く、時間をかけて説明し理解を得ていく、といった考えは正直感じられなかった。本気で病院跡地に変更したければ、反対する住民に納得してもらえるよう繰り返し説明し、現庁舎周辺の新たな利活用(地域活性化施設)も検討する一方、賛成する住民にも全敷地を使うと誤解させたことを謝罪し、なぜ事実と異なる内容を伝えたのかを説明する必要があるのではないか。 それでも納得が得られなければ、住民説明会でも上がったように住民投票で白黒をつけるか、リコールか自ら辞職して出直し町長選に臨み、新庁舎問題を争点に戦うしかないのではないか。今の会津坂下町はそれくらい、一筋縄ではいかない迷走に陥っている。 あわせて読みたい 会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】(2022年10月号) 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】

    (2022年10月号)  会津坂下町は老朽化している役場本庁舎の新築事業を進めている。もともとは2017年度から検討を行い、2022年度に完成のスケジュールで進められていたが、2018年9月に「財政上の問題」を理由に事業延期を決めた。それから4年が経ち、今年度から再度、庁舎建設に向けて動き出したのだが、町内では賛否両論が上がっている。 「4年前の決定」継続派と再考派で割れる 4年前の議論に上がった候補地図  会津坂下町役場本庁舎は、1961年に建設され老朽化が進んでいること、1996年に実施した耐震診断結果で構造耐震指標を大きく下回ったこと、本庁舎のほかに東分庁舎・南分庁舎があり、機能が分散して不便であること等々から、2017年度から新庁舎建設を検討していた。その際、国の補助事業である「市町村役場機能緊急保全事業」を活用すること、そのためには2020年度までに着工することを条件としていた。 町は2017年に、町内の社会福祉協議会や商工会、観光物産協会、区長・自治会長会の役員などで構成する「会津坂下町新庁舎建設検討委員会」を立ち上げ、調査・検討を諮問した。それに当たり、最大のポイントになっていたのは建設場所をどこにするか、だった。 同委員会では、①現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地、②旧営林署・保健福祉センター・中央公園用地、③南幹線南側町取得予定県有地――の3案を基本線に検討を行い、2018年2月、「現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地が適地である」との答申をした。 同年3月議会では、同案に関する議案が提出され、賛成13、反対2の賛成多数で議決した。 ところが、同年9月、町(齋藤文英町長=当時)は「事務事業を見直し、将来の財政状況を算定したところ、計画通り進めれば住民サービスに大きな影響を及ぼすことが予想されることになった。財政健全化を重視し新庁舎建設延期という重い決断をした」として、庁舎建設の延期を決めた。 それから4年。町は今年度から役場内に「庁舎整備課」を新設し、庁舎建設事業再開を決定した。今年度予算では関連費用として約6700万円が計上されている。 そんな中、5月12日付で町民有志「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から、議会に対して「会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議することを求める請願」が提出された。内容は次の通り。   ×  ×  ×  × 町民にとって関心の高い新庁舎の建設については、これまで様々な議論がなされてきました。特に建設場所については平成30(2018)年2月15日に会津坂下町新庁舎建設検討委員会から「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」を適地として選定した旨の答申がなされ、同年、町議会第1回定例会において、議案として提出され賛成多数で可決されました。 この流れを受け、昨年度までに用地買収や移転補償などのスケジュールが進捗していると聞き及んでおり、これについては本年3月において新聞報道等により周知の事実となりました。 しかしながら、この決定が既に4年前のものとなっており、その間、町における公共施設や公有地の状況の変化、社会情勢の変化に伴う民間施設や商業施設の状況の変化などが見られました。 会津坂下町新庁舎建設検討委員会からの答申書においても、選定理由の一つとして「中心市街地や周辺まちづくりへの寄与」といった観点が挙げられておりますが、この観点から新庁舎の建設場所を考えるにあたって、上記の様々な現状の変化を加味し、現状のままでよいか再度協議することは必要不可欠と考えます。 今後の会津坂下町のまちづくりを担う青年世代の多くがこの議論に関心をもっております。既に決定され、議決された内容ではありますが、下記の事項について強く請願いたします。 1、会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議すること。   ×  ×  ×  × 同請願は6月議会で、総務産業建設常任委員会に付託され、請願者が同委員会で意図や内容を説明した。委員会では請願は採択された。 議員の賛成・反対意見 東分庁舎・東駐車場用地と町が取得した隣接地  その後、本会議に諮られ、以下のような賛成・反対討論があった(「議会だより 206号」=7月25日発行より)。 賛成討論 渡部正司議員 議決の建設場所は、国からの財政支援措置と平成32(2020)年度までの着工が条件で決められたものであり、建設延期によって候補地選定の前提は崩れた。改めて協議すべきであり、本議案に賛成する。 小畑博司議員 庁舎建設が計画され、そのために全国各地を行政調査したが、建設コストは主たる課題にはならなかった。検討委員会の結果を受けて建設場所を決議した流れも、財政状況を反映したものではなかった。提案した根拠が違ったままの決議をそのままに進めることは説明責任が果たせない。本意見書は採択すべき。 反対討論 酒井育子議員 町民を代表した建設検討委員会の答申を無視し、また、提出議案、土地買収・跡地取り壊し料の予算を満場一致でした議会議決を無視している。自主財源の少ない当町、未来を担う子供たちに「負」を残してはいけない観点から反対。 五十嵐一夫議員 建設場所は4年前に議決済で、周辺に多少の社会情勢の変化があるが、その後にこの決定済の場所に欠陥が生じたわけではない。再度位置について議論をすることは、混乱を招くだけで採択・意見書提出に反対する。 山口亨議員 請願内容的には建設場所は「現本庁舎、北庁舎、東分庁舎、東駐車場用地」であることに反対ではないとのことで、単に話し合いを求めるというものだった。庁舎建設場所は、平成30(2018)年第1回定例会で議決しているものである。もし、この請願を可決すれば、町民に対しあいまいな話が独り歩きしてしまう可能性がある。現在、旧江戸鮨の解体工事が始まろうとしている。更には、令和7(2025)年4月には新庁舎での業務開始とのスケジュールも組まれている。あいまいなメッセージを町民に与えるべきではない。よってこの請願には反対。 これら討論の後、採決が行われ、賛成8、反対5の賛成多数で同請願は採択された。これを受け、議会は前段で紹介した請願書の内容と同様の意見書を、町執行部(古川庄平町長)に提出した。 請願者である「まちづくりを考える青年の会」の加藤康明代表に話を聞いた。 「町内の仲間内での飲食時や雑談の中で、『延期になっていた庁舎建設事業が再開されることになったが、いま建てるべきなのか』、『財政的な問題が理由で延期になったが、それをクリアできたとは思えない』といった話が出ました。私自身、最初に庁舎建設の話が出たころから2年前まで行政区長を務めていましたが、区の要望として、例えば街灯を増やしてほしいとか、子どもたちの通学路で歩道がないところがあるから何とかしてほしいとか、生活に直接関係する部分について、町にお願いしてきましたが、そのほとんどが『予算の問題』で実現しませんでした。そんな状況で庁舎を建てられるのか、と。さらには、この4年間で町内の生活環境は大きく変化しました。そんな中で、4年前の計画をそのまま進めていいのかと思い、請願を出しました」 加藤代表によると、「建設場所が現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地となっていること自体に反対ではない」という。 ただ、この4年間で坂下厚生病院が新築移転したこと、坂下高校が大沼高校と統合して会津西陵高校になり、同校は旧大沼高校の校舎を使っているため、事実上、坂下高校がなくなったこと、新築移転した坂下厚生病院の近くに、今年11月に商業施設「メガステージ会津坂下」がオープン予定であること――等々から、「生活環境が変わっていることを考慮すべき」(加藤代表)というのだ。 さらには、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で、建設資材が高騰しており、4年前と比べるとコスト増加は間違いない。 「これだけ、社会情勢が変わっているのに、4年前の計画をそのまま進めることが正しいのか。もう一度、議論してもらいたいというのが請願の趣旨です」(同) 懇談会の模様  町は議会からの意見書を受け、新庁舎建設検討委員会を立ち上げ(※2017年に立ち上げた委員会が解散されておらず、正確には「再開」だが、委員に変更等があった)、7月から検討を再開した。その中で、今後、町民の声を聞くために、まちづくり懇談会、新庁舎建設に関するアンケートを実施することになった。 それまで、町は4年前に決まった現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地に新庁舎を建設する考えだったようだ。その証拠に、昨年8月に東分庁舎・東駐車場用地に隣接し、競売物件になっていた寿司店の土地・建物を取得、今年5月から解体工事を進めていた。しかし、請願・意見書を受けて、場所を含めて再考することにしたのだ。 懇談会で示された資料に本誌が必要情報を追加  「これまで(4年前)の議論がゼロになったわけではありません。それも踏まえて、請願・意見書を受けて町民の声を聞くために、懇談会やアンケートを実施することにしました。3月時点で議会には2024年度内の完成目標というスケジュールを示しましたが、(請願・意見書を受けての再考で)少し遅れることになると思います」(町庁舎整備課) 懇談会は9月15日から30日の日程で、町内7地区で開催された。本誌はこのうち9月20日に開かれた坂下地区(中央公民館)での模様を取材した。その席で配布された資料には「請願・意見書を尊重し、状況の変化などを鑑みて、建設場所を含めて総合的に判断することにしました。そのための判断材料として、懇談会やアンケートなど、幅広く町民の声を聞く機会を設けることにしました」と記されていた。 懇談会では、「4年前に決まったのに、なぜ再考しなければならないのか」、「こんなことをしていたら、いつまで経ってもできない。早く建設すべき」といった意見が出た。中には、「議会は4年前に自分たちが決めたことを覆すとはどういった了見か。しかも、今年3月議会では関連予算を可決しており、わずか3カ月で方針転換した」との指摘も。 これには、懇談会に出席していた議員(請願に賛成した議員)が前段で紹介した請願に対する賛成討論と同様の説明を行った。 古川町長は「4年前の議決も、今回の意見書も、どちらも重く受け止めている。そんな中で、あらためて意見を聞くことにしたのでご理解願いたい」旨を述べた。 同地区はまちなかで役場に近いエリアということもあり、「いまの場所で早急に進めてほしい」といった意見が目立った。ただ、それ以外の地区では「4年前の計画をそのまま進めるのではなく、もっと深く議論すべき」といった意見も出たようだ。つまりは、役場に近い地区とそうでない地区では温度差がある、ということだ。 依然厳しい財政 会津坂下町役場  懇談会では事業延期の原因となった財政面についても説明があった。それによると、町の貯金である財政調整基金、減債基金、行政センター建設整備基金の合計は、2017年度末が約3億円だったのに対して、昨年度末は約13億8000万円に増えた。一方、町の借金である町債残高は2017年度末が約97億円、昨年度末が約77億円。昨年度の実質公債費比率は11・0%、将来負担費比率は49・1%で、この数年で少しずつ改善されてはいるものの、全国市町村の平均値と比べると高い数値となっている。 当日配布された資料には、「財政健全化の取り組みを進めたことで、各種財政指標は改善の傾向にあります。しかし、令和2(2020)年度の全国市町村平均値と比較すると依然として悪い状況ですので、今後の新庁舎建設に備えるためにも、より健全な財政運営に努めます」と書かれている。 10月には町民アンケートの実施を予定しており、町庁舎整備課によると、「年代や地区を分けたうえで、無作為抽出で15歳以上の1000人を対象に実施する予定」という。懇談会とアンケートを踏まえて最終的な決定をしていく方針だが、やはり最大のポイントは場所ということになろう。すなわち、4年前に決めた現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地なのか、それ以外か。 ちなみに、懇談会で配布された資料にはあくまでも1つの目安として、以前の決定地、南幹線沿い県有地、旧坂下高校跡地、旧厚生病院跡地が示されている。 町内では「場所は4年前に決まったところでいい。早急に進めるべき」といった意見や、「場所を含め、もう一度、深く議論すべき」、「そもそも、いま建設を行うべきなのか」といった意見が出て紛糾しているわけだが、1つだけ言えるのは、役場に直接的に関わっている人はともかく、庁舎が新しくなったところで、町民の日々の生活が豊かになるわけではない、ということ。それを指摘して締めくくる。 あわせて読みたい 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論

     本誌昨年10月号に「会津坂下町 庁舎新築議論で紛糾 『4年前の決定』継続派と再考派で割れる」という記事を掲載した。会津坂下町で進められている役場庁舎新築議論についてリポートしたものだが、その後、新たな動きがあったので続報をお伝えしたい。 一部議員が「厚生病院跡地は候補地に不適」と指摘  同町役場本庁舎は、1961年に建設され老朽化が進んでいること、1996年に実施した耐震診断結果で構造耐震指標を大きく下回ったこと、本庁舎のほかに東分庁舎・南分庁舎があり、機能が分散して不便であること等々から、2017年から新庁舎建設を検討していた。 同年、町は社会福祉協議会や商工会、観光物産協会、区長・自治会長会の役員などで構成する「会津坂下町新庁舎建設検討委員会」を立ち上げ、調査・検討を諮問した。 最大のポイントは「建設場所をどこにするか」だった。同委員会は、①現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地、②旧営林署・保健福祉センター・中央公園用地、③南幹線南側町取得予定県有地――の3案を基本線に検討を行い、2018年2月、町に「現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地が適地である」と答申した。 同年3月議会では、同案に関する議案が提出され、賛成13、反対2の賛成多数で議決した。これにより、最大のポイントである「建設場所をどこにするか」は現在地周辺で決着したことになる。 ところが、同年9月、町(齋藤文英町長=当時)は「事務事業を見直し、将来の財政状況を算定したところ、計画通り進めれば住民サービスに大きな影響を及ぼすことが予想されることになった。財政健全化を重視し新庁舎建設延期という重い決断をした」として、庁舎建設の延期を決めた。 それから3年半ほどは事業凍結状態だったが、昨年4月、役場内に「庁舎整備課」が新設され、庁舎建設事業が再開されることになった。 ただ、それを受け、昨年5月に町民有志「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から議会に対して、庁舎建設場所の再考を促す請願が提出された。同請願は総務産業建設常任委員会に付託され、委員会で採択された。その後、本会議に諮られ、賛成・反対討論があった後に採決が行われ、賛成8、反対5の賛成多数で同請願は採択された。これを受け、議会は庁舎建設場所の再考を促す意見書を、町執行部(古川庄平町長)に提出した。 町は議会からの意見書を受け、新庁舎建設検討委員会を立ち上げ(※2017年に立ち上げた委員会が解散されておらず、正確には「再開」だが、委員に変更等があった)、昨年7月から検討を再開した。その中で、町民の声を聞くために、まちづくり懇談会、新庁舎建設に関するアンケートを実施することになった。 こうした動きに、議会内では意見が割れ、町内7地区で開催された町民懇談会でも賛否両論が出た。 再考反対派の意見は「4年前に建設場所が決まり、議会で議決しているのに、なぜ再考しなければならないのか」、「そんなことをしていたら、いつまで経ってもできない。早く建設すべき」、「2021年8月に東分庁舎・東駐車場用地の隣にある競売物件の寿司店の土地・建物を取得し、2022年5月から解体工事を進めている。場所を変えたら、取得・解体費が無駄になってしまう」というもの。 再考賛成派の意見は「事業休止していた4年間で、坂下厚生総合病院が新築移転したこと、坂下高校が大沼高校と統合して、事実上、坂下高校がなくなったこと、新築移転した坂下厚生総合病院の近くに商業施設『メガステージ会津坂下』がオープンしたこと等々から、生活環境や人の流れが変わっていることを考慮すべき」、「コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で、建設資材が高騰しており、コスト増加は間違いない。4年前の計画をそのまま進められる状況ではない」というもの。 現在地か移転かで町が二分されている状況だ。 アンケートの結果  本誌昨年10月号記事では、そうした詳細をリポートしたわけだが、その後、昨年11月25日には新庁舎建設に関するアンケート結果が公表された。アンケートは昨年10月、町内在住の15歳以上の1500人を無作為抽出し、調査票を郵送して実施。期日までに回答があったのは726人で、回収率は48・4%だった。ちなみに、同町の人口(今年1月1日現在)は1万4352人だから、アンケート送付数は全人口の10%弱、回答数は約5%になる。 回答者の内訳(カッコ内は構成比)は、年齢別では10代24人(3・3%)、20代36人(5・0%)、30代59人(8・1%)、40代88人(12・1%)、50代100人(13・8%)、60代179人(24・7%)、70代以上239人(32・9%)、無回答1人(0・1%)。地区別では坂下地区310人(42・7%)、若宮地区109人(15・0%)、金上地区71人(9・8%)、広瀬地区92人(12・7%)、川西地区57人(7・9%)、八幡地区55人(7・6%)、高寺地区29人(4・0%)、無回答3人(0・4%)だった。 質問はいくつかに分かれているほか、自由記入欄もあるが、ポイントとなる「現在、建設予定地は『現本庁舎・北庁舎・東分庁舎及び東駐車場用地』ですが、再考すべきと考えますか」という質問では、「現建設予定地のままでよい」が248人(34・2%)、「再考すべきである」が430人(59・2%)、「その他」と「無回答」が合わせて48人(6・6%)だった。再考すべきが6割近くを占めた。 この質問で「再考すべき」「その他」と答えた人に「現時点において、町が把握している未利用地は、以下の箇所(※旧坂下厚生総合病院跡地、旧坂下高等学校跡地、南幹線沿線県有地)があります。建設地として望ましいと思うものを次の中からひとつだけ選んでください」という質問では以下のような回答結果だった。旧坂下厚生総合病院跡地273人(61・3%)、旧坂下高等学校跡地39人(8・8%)、南幹線沿線県有地95人(21・3%)、その他・無回答38人(8・5%)。 こうして見ると、最初の質問で「現建設予定地(現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地)のままでよい」と答えた248人より、「再考すべき」→「旧坂下厚生総合病院跡地」と答えた273人の方が多いことが分かる。前述のように、アンケート回答者は同町の人口の約5%だから、これを「町民の総意」と捉えていいかどうかは難しいところだが、この結果だけを見れば、町民が求めているのは旧坂下厚生総合病院跡地への庁舎建設ということになる。 解体工事が行われている厚生病院跡地  ただ、昨年12月議会で、それがひっくり返るようなことがあった。同議会で、五十嵐一夫議員が「新庁舎建設位置について、町長はどこにしたいのか。まちづくり懇談会の町民周知は適切か。旧坂下厚生総合病院跡地は候補地として適切か」といった内容で一般質問を行った。 その中で五十嵐議員が明かしたところでは、JA福島厚生連に質問状を出し、坂下厚生病院跡地の対応について尋ねたところ、「厚生連からは『〇〇社から購入したいと申し入れがあり、すでに売却を決定した』と回答があった。回答は10月3日付の文書でもらった」というのだ。 そのうえで、古川町長、庁舎整備課長に「そのことを知っていたのか」と質問した。これに対し、庁舎整備課長は「厚生病院跡地の買い手が決まったという正式な連絡は受けていない」と答弁した。 さらに町は、1万平方㍍以上の町内の未利用地を「庁舎建設の候補になり得る場所」として、町民懇談会やアンケートなどで示したものであり、ある程度、本決まりになるまでは所有者との事前協議はできない、といった考えを示した。 五十嵐議員は再質問で「(前述の事情から)厚生病院跡地は庁舎建設の候補地になり得ない」と指摘し、古川町長に「売却先が決定したことを知らなかったのか」と質問した。これに対して、古川町長は「知らなかった」と答弁した。 もっとも、今年1月中旬、本誌がJA福島厚生連に問い合わせたところ、担当者は「(坂下厚生病院跡地は)現在、解体工事を行っており、その後のことは未定」とのこと。「いま、会津坂下町では庁舎建設議論が進められており、その中で、坂下厚生病院跡地が候補地になっているが」と尋ねると、「町からはそういった話はない」と話した。 一方、五十嵐議員に確認すると、「昨年10月3日付文書で、間違いなくそういった(※売却先が決定したこと)回答を得ている。議会では『〇〇社』としたが、その回答文書には実名も記されていた」という。 近く議会に説明  あらためて、町庁舎整備課にこの件について尋ねたところ、次のように説明した。 「どんな事業でもそうですが、構想段階では権利者とは交渉できない。ある程度、決まってから用地交渉などに入ることになります。(今回の件でも)まだ構想が固まっていませんから(厚生連には)話をしていません」 記者が「アンケートでは厚生病院跡地への庁舎建設を望む声が一番多かった。ただ、五十嵐議員が指摘したように、そこが売却決定済みで候補地になり得ないとするならば、厚生病院跡地を外して、それ以外でどこがいいかを再度聞くなどの手順が必要になるということか」と尋ねると、同課担当者は「その件については近く町長から議会に対して説明することになっている」と話した。 要は、「議会に説明する前に本誌取材に答えることはできない」ということだが、何か含みをもたせた言い方だったのが気になるところ。「厚生病院跡地売却決定済み」話には、〝ウラ事情〟があるということか。 その点で言うと、福島民報(1月14日付)に《会津坂下町の坂下厚生総合病院跡地の土壌から、土壌汚染対策法の基準値を超える有害物質が検出された。県は土地の使途を変更する場合、県に届け出るよう県報に告示した(後略)》との記事が掲載された。この場合、用途・売買等、制約が伴うから、それが関係しているのかもしれない。 町は今年度中(3月末まで)に候補地を決定する方針だが、現在地周辺か移転かで意見が割れる中、どんな判断をするのか注目だ。 あわせて読みたい 【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】(2022年10月号)