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性被害

  • 五ノ井里奈さんに届けたパンプス

    五ノ井里奈さんに届けたパンプス

    ノンフィクション作家 岩下明日香  元自衛官の五ノ井里奈さんが、陸上自衛隊郡山駐屯地の部隊内で受けた性被害を実名告発した後、マスコミと世論が関心を持つまでには時間を要した。告発当初から取材し、五ノ井さんの著書『声をあげて』の構成を手掛けたノンフィクション作家が振り返る。 名もなき元自衛官の女性が閉塞的な日本社会に大きな風穴を開ける。 五ノ井里奈さん=筆者撮影  台風接近により、天候が崩れるという天気予報に憂いた。電車が動かなくなったら東京から郡山までたどり着けないかもしれない。「本当に彼女が自衛官だったかもわからない」「交通費は出さない」と編集部が躊躇していた取材のため、自腹を切った新幹線の切符が紙くずになるかもしれない。そんな心配は杞憂だった。  2022年7月5日、昼過ぎに降り立った郡山は、早足で夏がやってきたかのように汗ばむ真夏日だった。  郡山を訪れたきっかけは、元自衛官・五ノ井里奈さんに会うためだ。五ノ井さんは、自衛隊を6月28日に退官し、その翌日にユーチューブ『街録チャンネル』などの動画を通じて自衛隊内で受けた性被害を告発していた。瞬く間にソーシャルメディアで拡散され、それが雑誌系ウェブメディアの業務委託記者をしていた筆者の目に留まったのだ。  動画のなかの五ノ井さんは、取り乱すことなく、卑劣な被害の経緯を淡々と語っていた。当時、まだ五ノ井さんは22歳という若さ。純粋な眼差しとあどけなさが残っていた。  五ノ井さんを含め、性犯罪に巻き込まれた被害者を記事で取り上げるとき、証言だけではなく、裏取りができないと記事化は難しい。説得力のある記事でなければ、被害者は虚偽の証言をしているのではないかという疑いの目が向けられ、インターネット上で誹謗中傷が膨らむという二次被害のリスクも孕む。  実際に記事にするとはあらかじめ約束できない取材だった。もし記事にできなかったら、追いつめられている被害者を落胆させてしまうから。懺悔すれば、最終的に記事を出すことができなかったことは一度ではなく、その度に被害者を傷つけているような罪悪感に駆られるのだ。  五ノ井さんにも確定的なことを約束せずにいた。被害者の証言を裏付けるものを見つけられるのか。話を聴いてみないとわからないと思い、郡山を目指した。  真夏日の郡山駅に到着してすぐに駅周辺を探索した。当時はまだコロナ禍で、駅ビルのカフェにはちらほら人がいる程度。人目があるとナイーブな話はしにくいだろうと思い、静かな場所を求めて駅の外へ出た。  すると、駅前にある赤い看板のカラオケ店が目に飛び込んできた。コロナ禍の影響で、カラオケ店ではボックスをリモートワーク用に貸し出していた。カラオケボックスなら防音対策がしっかりして静かだろうと思い、店員に料金を聞いてから、早々に駅に引き返し、待ち合わせ場所である新幹線の改札口前で待機した。  改札を出て左手にある「みどりの窓口」付近から発着する新幹線を示す電光掲示板を眺めていると、カーキ色のTシャツに迷彩ズボンをはいた男性がベビーカーを押して、改札前で足をとめ、妻らしき女性にベビーカーを託した。改札を通っていく妻子を見送る自衛官らしき男性が手を振って見送っていた。  近くに駐屯地でもあるのだろうか。それくらい筆者は自衛隊や土地に疎かった。当時はまだ、五ノ井さんが郡山駐屯地に所属していたことすら知らなかった。  しばらくすると、キャップを目深に被った青いレンズのサングラスをかけた人がこちらに向かって歩いてきた。半袖に短パンのラフな格好。  「あっ!」  青いサングラスの子が五ノ井さんだとすぐにわかった。五ノ井さん曰く、駐屯地が近くにあり、隊員が日ごろからウロウロしているため、サングラスと帽子で隠していたという。地方の平日の昼過ぎ、しかもコロナ禍で人の出が減り、わりと閑散としていた駅では、青いサングラスがむしろ目立っていた。「地元のヤンキー」が現れたかと思い、危うく目をそらすところだったが、大福のように白い肌と柔らかい雰囲気は、まさしく動画で深刻な被害を告白していた五ノ井さんであった。 必ず書くと心に決めた瞬間  五ノ井さんは、カラオケ店のドリンクバーでそそいだお茶に一口もつけずに淡々と自衛隊内で起きていたことを語った。淡々とではあるが、「聴いてほしい、ちゃんと書いてほしい」と必死に訴えてきてくれた目を今でも覚えている。会う前までは不確定だったが、必ず書くと心に決めた瞬間があった。五ノ井さんがこう言い放った瞬間だ。  「ただ技をキメて、押し倒しただけで笑いが起きるわけがないじゃないですか」  五ノ井さんは3人の男性隊員から格闘の技をかけられ、腰を振るなどのわいせつな行為を受けた。その間、周囲で見ていた十数人の男性自衛官は、止めることなく、笑っていた。男性同士の悪ノリで、その場に居合わせたたった1人の女性を凌辱していた場面が筆者の目に浮かんだ。目の奥が熱くなって、涙がわっと湧き溢れて、マスクがせき止めた。  自衛隊という上下関係が厳しく、気軽に相談できる女性の数が圧倒的に少ない環境で、仲間であるはずの隊員を傷つける行為。どうして周囲の人が誰も止めに入らないのか。閉ざされた実力集団において、自分よりも弱い者を攻撃することで、自分は強いという優位性を誇示したかったのだろうか。  ときに力の誇示は、暴力に発展する。国防を担う自衛隊は、国民を守るために「力」を備える。だが、それがいとも簡単に「暴力」に変わり、しかも周囲は「そういうものだ」とか「それくらいのことで」と浅はかに黙認する。そして一般社会の感覚とはかけ離れていき、集団的に暴力に寛容になり、エスカレートしていくのではないだろうか。  閉ざされた環境からして、被害者は五ノ井さんだけではないはずだ。取材を続ける意義は大きいと確信した。カラオケボックスにある受話器が「プルルルル~」とタイムリミットを知らせてきたが、2回ほど延長してじっくり話を聴いた。  五ノ井さんがユーチューブで告発してから2週間後、筆者の書いた記事は『アエラ』のウェブ版で配信された。すると、瞬く間に拡散され、同日中には野党の国会議員が防衛省に「厳正な調査」を要請し、事態が大きく動き出した。  さらに五ノ井さんは、防衛大臣に対して、第三者委員会による再調査を求めるオンライン署名と、自衛隊内でハラスメントを経験したことがある人へのアンケート調査も実施。署名を広く呼び掛けるために東京都内で記者会見の場を設けた。オンライン署名は1週間で6万件を突破し、署名サイトの運営者は「個人に関する署名でここまで集まるのはこれまでになかった」というほどの勢いだ。五ノ井さんのSNSのフォロワーも驚異的に伸び、同じような経験をしたことがあるという匿名の元隊員からの書き込みをも出てきた。  だが、現実は厳しかった。7月27日に開いた記者会見に足を運ぶと、NHKの女性記者1人だけ。遅れて朝日新聞の女性記者がもう1人。そして筆者をあわせて、マスコミはたったの3人だった。真夏に黒いリクルートスーツを身にまとった五ノ井さんは、空席の目立つ記者席に向かって、声を振り絞った。  「中隊内で隠ぺいや口裏合わせが行われていると、内部の隊員から聞いたので、ちゃんと第三者委員会を立ち上げ、公正な再調査をしてほしいです」 マスコミの反応が薄かった理由  静かに終わった会見後、五ノ井さんはコピー用紙に書き込んだ数枚のメモを筆者に差し出した。報道陣から質問されそうなことを事前にまとめ、答えられるように用意していたのだ。手書きで何度も書き直した跡が残っていた。なのに、ほとんど質問されなかった。結局、五ノ井さんのはじめての会見を報じたのは、筆者だけだった。  SNS上では反響が大きかったにもかかわらず、当初、マスコミの反応は薄かった。理由はおそらく2つ考えられる。1つ目は、五ノ井さんが強制わいせつ事件として自衛隊内の犯罪を捜査する警務隊に被害届を出したものの、検察は5月31日付で被疑者3人を不起訴処分にしていたから、司法のお墨付きがない。2つ目は、自衛隊に限らず、大手マスコミ自体も男性社会かつ縦社会でハラスメントが起こりやすい組織構造を持っているから、感覚的にハラスメントに対して意識が低い。  一度不起訴になった性犯罪を、あえて蒸し返す意義はどこにあるのか。昭和体質の編集部が考えることは、筆者もよくわかっている。刑事事件で不起訴になったとしても、警務隊や検察が十分な捜査を尽くしていなかった可能性があるにもかかわらず。  マスコミの関心が薄い反面、ネット上では誹謗中傷が沸き上がった。署名と同時に集めていたアンケート内には殺害予告も含まれていた。心無い言葉の矢がネットを通じて被害者の心を引き裂く「セカンドレイプ」にも五ノ井さんは苦しみ、体調を崩しがちになった。それでも萎縮することなく、五ノ井さんは野党のヒアリングに参加した。顔がほてり、目がうつろで今にも倒れそうな状態で踏ん張っていた。  8月31日に市ヶ谷に直接出向き、防衛省に再調査を求める署名とアンケート結果を提出。この時にやっとテレビも報じはじめた。少しずつマスコミと世論が関心を持ちだし、防衛省も特別防衛監察を実施して再調査に乗り出す。  そのわずか1カ月後の9月29日、自衛隊トップと防衛省が五ノ井さんの被害を認めて謝罪する異例の事態が起きた。この日、五ノ井さんから「パンプスがこわれた」というメッセージを受け取っていた。防衛省から直接謝罪を受けるため、急いで永田町の議員会館に向かっている途中で片方のヒールにヒビが入ったらしい。相当焦って家を出てきたのだろう。引き返す時間がないため、そのまま議員会館に行くという。  「足のサイズは?」  「わからないです。二十何センチくらい。全然これでもいけるので大丈夫です!」  筆者も永田町に急いでいた。ヒールにヒビが入ったというのが、靴の底が抜けて歩けないような状態を想像し、それはピンチと思い、GUに駆け込んで黒のパンプスを買ってから議員会館に向かった。到着して驚いたのが、ほんの1カ月半前までは大手メディアからほぼ注目されていなかったのに、この時は立ち見がでるほど報道陣で会場が埋め尽くされた。議員秘書経由でパンプスは五ノ井さんに届けられたが、すぐに謝罪会見は始まり、履き替える時間もなかったのか、ヒビの入ったヒールのまま五ノ井さんが会場に入ってきた。防衛省人事教育局長と陸幕監部らは、五ノ井さんと向かい合うようにして立ち、頭を下げて謝罪すると、五ノ井さんも小さく頭を垂れた。  郡山で取材をした時には、淡々と被害を語っていた五ノ井さんだったが、この日は悔しさがにじみ出るように目が赤かった。防衛省・自衛隊に向けて言葉を詰まらせた。  「今になって認められたことは……、遅いと思っています」  もし自衛隊内で初動捜査を適切に行っていたら、被害者が自衛隊を去ることも、実名・顔出しすることもなく、誹謗中傷に苦しむこともなかっただろう。  後日、五ノ井さんはばつが悪そうに言うのだ。  「パンプス、ぶかぶかでした」  100円ショップで中敷きを買って詰めてもぶかぶかですぐ脱げるようだ。その場しのぎで買った安物を大事に履こうとしてくれていた。 裁判所を出る被告3人を見届ける 判決後、福島地裁前で報道陣の取材に応じる五ノ井さん(左)=本誌編集部撮影  防衛省・自衛隊がセクハラの事実を認めてからも、五ノ井さんの闘いは続く。10月には加害者4人からも対面で謝罪を受け、12月には5人が懲戒免職になった。  さらに、不起訴になった強制わいせつ事件を郡山検察審査会に不服申し立てをし、2022年9月に不起訴不当となり、検察の再捜査も開始。2023年3月には不起訴から一転、元隊員3人は在宅起訴された。6月から福島地裁で行われていた公判で、3人はいずれも無罪を主張。五ノ井さんは初公判から福島地裁に足を運び、被告らや元同僚の目撃者らの発言に耳を傾けた。そこにはいつも、実家の宮城県から母親が駆けつけていた。  4回目の公判。被告人質問を終えた被告3人が裁判所から出ていく姿を、母親と筆者は見届けた。  「親が娘の代わりに訴えることはできるんでしょうか……」  涙を目に溜めながら言う母親に返す言葉が見つからず、背中をさすった。被告の1人が、五ノ井さんを押し倒して腰を振った理由を「笑いをとるためだった」と公判で発言したのを、母親も間近で聞いていた。被告に無罪を主張する権利があるとはいえ、被害者はもちろん、その家族もどれほど心をえぐられたことか。それでも親子は半年間にわたるすべての公判を傍聴し続けた。  福島地裁は12月12日、被告3人にそれぞれ懲役2年執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。  被害から2年以上が経過し、五ノ井さんは現在24歳。希望と可能性に溢れていたはずの20代前半を、被害によってすべてを奪われ、巨大組織と性犯罪者と対峙してきた。その姿にいま、世界が目を向けている。  英『フィナンシャル・タイムズ』による「世界で最も影響力がある女性25人」を皮切りに、米誌『タイム』は世界で最も影響力がある「次世代の100人」に、英公共放送BBCも「100人の女性」(2023年)に五ノ井さんを選出した。  判決の翌日、外国特派員協会で会見を開いた五ノ井さんは、前を向いて堂々と語った。  「世の中に告発してから約2年間、自分の人生をかけて闘ってきました。被害の経験は必要ありませんでしたが、無駄なことは何一つありませんでした。誹謗中傷も、公判も、人との関わりも、そのすべてが自分の人生を鍛えてくれる種となり、生きていく力に変わりました。私にとってはすべてが学びでした」  閉塞的な社会に風穴を開けた功績は、ロールモデルとして人々に勇気を与えていくだろう。 いわした・あすか ノンフィクション作家。1989年山梨県生まれ。『カンボジア孤児院ビジネス』(2017、潮出版)で第4回「潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。五ノ井里奈さんの近著『声をあげて』(2023、小学館)の構成を務める。現在はスローニュースで編集・取材を行う。

  • 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

    女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

     飯舘村出身の女性俳優、大内彩加さん(30)=東京都在住=が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(41)から性行為を強いられたとして損害賠償を求めて提訴してから半年が経った。被害公表後は応援と共に「売名行為」などのバッシングを受けている。7月下旬に浜通りを主会場に開く常磐線舞台芸術祭に出演するが、決めるまでは苦悩した。後押ししたのは「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」との言葉だった。 「加害」がなければ「被害」は生まれない 大内彩加さん=6月撮影 ――被害公表後にはバッシングなどの二次加害を受けました。 「応援もたくさんありましたが、見知らぬ人からのSNSの投稿やダイレクトメッセージ(DM)を通しての二次加害には心を抉られました。  私が受けた二次加害は大まかに五つの種類に分けられます。第1は売名のために被害を公表したという非難です。「MeToo商売だ」「配役に目がくらんだ」といったものがありました。性暴力に遭い、それを公表したからと言って仕事が来るほど演劇界は甘くはありません。裁判で係争中の私はむしろ敬遠され、性暴力を受けたことを公表することは、役者のキャリアに何の得にもなりません。非難は演劇業界の仕組みをさも分かっている体を取っていますが、全く分かっていない人の発言です。 2番目が、第三者の立場を踏み越えた距離感で送られてくるメッセージです。『おっぱい見せて』『かわいいから被害に遭っても仕方ない』という性的なものから、『仲良くなりませんか? 僕で良かったら、悩みを聞きますよ』などあからさまではありませんが、下心を感じるものがありました。性暴力を受けた人を気遣う振る舞いではありません。 3番目は単なる悪口です。『死ね』とか『図々しい被害者』など様々でした。 4番目が『被害のすぐ後に警察に行けばよかったじゃないか』『どうして今さら言うんだ』という被害者がすぐに行動を取らなかったことを非難する、典型的な二次加害です。 性暴力を受けた時は誰もが戸惑います。相当な時間がなければ私は公に被害を訴える行動を取れませんでした。さらに、一般的に加害行為を受けた場合、被害者は加害者の機嫌を損ねずにその場を乗り切ろうと、一見加害者に迎合しているような言動を取ることがよくあります。わざわざ二次加害をしてくる人たちは被害者が陥る状況を理解していません。 最後が、被害者に届くことを考えずにした発言です。 『谷さんを信じたいと思っています。自分は被害を受けていないので分からないが、彼が大内さんに謝ってくれるといい』という言葉に傷つきました。Twitterのライブ配信でした発言は多くの人が聞いており、視聴者を通して私に伝わりました。 二次加害というのは、量としては見知らぬ人からが多く、それだけで十分心を抉るのですが、知人の言葉は別格の辛さがありました。『自分は被害を受けていないから分からない』というのは同じ舞台に立っていた役者の言葉です。他の劇団員たちから『なんで今告発したんだ』との発言も聞きました。 発言者たちは『直接言ったわけではないし、被害者がその言葉を見聞きするとは思わなかった』と弁明しますが、ネットの時代に発言は拡散します。被害者に届いていたら言い訳になりません。性暴力やハラスメントを受けることが理解できないなら、配慮を欠いた言葉をわざわざ被害者にぶつけないでほしい」 ――「性被害」よりも「性加害」という言葉を多く使っています。意図はありますか。 「ニュースの見出しでは性被害という言葉が一般的ですが、私にとっては違和感のある言葉です。一人でに被害が発生するわけではなく、必ず加害者の行動が先にあります。責任の所在を明確にするために、現実に合わせた言葉を選んでいます。 『性被害』という言葉だけが先行すると、責任を被害者に求める認識につながってしまうのではないでしょうか。痴漢に襲われた人は、『ミニスカートを履いていたから』、『夜中に出歩いていたから』など、周囲から行動を非難されることが多いです。加害行為がなければそもそも被害は起こりません。問われるべきは加害者です」 「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」 ――今月下旬に浜通りで開かれる常磐線舞台芸術祭の運営に参加し、出演もします。 「私が被害を公表した昨年12月、谷が演出した舞台が、南相馬市にある柳美里さんの劇場で上演されることになっていました。柳さんは、説明責任を果たすように谷に言い、主催者判断で中止になったと後で聞きました。 私は被害告発の際に舞台を『中止してほしい』とは言っていません。公演前に告発したのは、谷が演出した舞台を見に行った後に、彼が性加害を日常的に行っていたと初めて知り傷つく人がいる。出演した役者、スタッフたちが関連付けられて矢面に立たされると危惧したからです。 谷に福島に関わらないでほしいという思いはありました。谷が浜通りに移り住み、公演の実績を重ねることによって、新たに出会った人たちが性暴力やハラスメントに遭うのを恐れていました。ただ、中止する決定権は私にはありません。被害を公表し、判断を関係者や世論に委ねました。  被害を公表した日から柳美里さんから、連絡を受けるようになりました。しばらくすると、今夏に計画している舞台芸術祭の運営に関わってほしい、できたら役者として出演してほしいとオファーが来ました。裁判が係争中です。私が出演することで、私に反感を持っている人たちから公演に圧力がかかる可能性もあります。フラッシュバックで体調を崩す時もあります。とことん悩みました。  4月に飯舘に帰省した際、柳さんと1時間半ぐらいお話しして、『被害者が出演する機会を奪われてはいけない』と言われました。裁判係争中の私は、『面倒な奴』扱いで、役者の仕事はほとんどなくなりました。柳さんの言葉を聞いて、自分以外のためにも出なければならないと思いました。何よりも私自身が芝居をしたかった」 4月に帰省し、飯舘村内を回った大内さん(大内さん提供) ――被害者が去らなければいけない現状について。  「小中学校といじめられました。私が既にいじめられていた子を気に掛けていたのが反感を買ったらしく、何番目かに標的になりました。教室に入れなくなり、不登校や保健室登校になるのはいつもいじめられる側です。いじめる側は残り、また新たな標的が生まれるいじめの構造は変わりません。 どうしてあの子たちが、どうして私が去らなければならないんだろう。本当は学校に通いたいのに、加害者がいるから教室に行けないだけなのにと思っていました。 別室にいくべきは加害者ではないでしょうか。私は谷が主宰する劇団を辞めてはいません。迫られて辞める、居づらくなって辞めはしないと決めています。 谷からレイプを受けたことを先輩劇団員に相談した際『大内よりも酷い目に遭った奴はいっぱいいた。辞めていった女の子はたくさんいたよ』と言われました。彼女たちに勇気がなかったわけではありません。辞めざるを得ない状況に追い込まれているのは、加害者と傍観者が認識を変えず、加害行為が続いていたからです。去っていった人たちには、あなたが離れていく必要はなかったのだと安心させてあげたい」 閉校した母校の小学校を示す標識=4月、飯舘村(大内さん提供)  ――芸術祭では主催者がハラスメント防止に関するガイドラインをつくり公表しています。 ※参照「常磐線舞台芸術祭 ハラスメント防止・対策ガイドライン」 「ガイドラインでは、弁護士ら第三者が加わり、外部に相談窓口を設けています。相談先が所属劇団内だけだと、身内ということもあり躊躇してしまいます。先輩劇団員に相談しても、加害者に働きかけるまでには至らないこともあります。第三者が入ることで対策は実効性を伴うと思います。 私は舞台に出演するほかに、地元に根差して芸術祭を盛り上げる地域コーディネーターを務めています。作成に当たって主催者は、10人ほどいる地域コーディネーターにガイドラインの内容について意見を求めました。私は、ガイドラインの作成過程も随時公表した方が良いと提案しました。 演劇業界でのハラスメントが注目されています。谷賢一は、自身が主宰する劇団内でハラスメントを繰り返し、私は性加害を受けました。谷は大震災・原発事故で大きな被害を受けた福島県双葉町を舞台に作品をつくり、それをきっかけに一時は移住するなど、福島とはゆかりが深い人物です。谷の件もあり、福島の人たちはとりわけ演劇界におけるハラスメントに敏感だと思います。ハラスメント対策を公表するだけでなく、制定の過程を透明化しておく必要があると思いました。 対策の制定前から運営に関わっている役者、スタッフ、地元の方たちを不安にしてはいけない。誰もが安心して参加・鑑賞できる芸術祭にするためにハラスメントガイドラインをつくるプロセスの公表は欠かせません。主催者はホームページやSNSで過程も発信し、意見を反映してくれたと思います」 「乗り越えたら彩加はもっと強くなる」 ――家族はどのように見守っていますか。 「母に被害を打ち明けたのは、被害公表直前の昨年12月上旬でした。それまではレイプをされたこともハラスメントを受けていたことも、それが原因でうつ病に陥っていることも言えなかった。母は谷と面識がありました。なぜ娘が病気になっているのか、母は理由も分からず苦しんでいたことでしょう。提訴したら、母も心無い言葉を投げかけられるかもしれない。自分の口から全てを説明しようと、訴状の基となる被害報告書を見せました。 母は無言で目を凝らして読んでいて、何を言うか怖かった。最後まで目を通して書類をトントンと立てて整えると、『わかりました』と一言。その次の言葉は忘れません。 『彩加はいまも十分強い子だよ。でも裁判をしたり、被害を公表したり、待ち受けている困難を乗り越えたらもっと強くなれるね』と。『強い子』と言われるのは2度目なんです。1度目は大震災・原発事故からの避難先の群馬県で高校3年生だった時。母子で新聞のインタビューを受けて、母は記者から『娘の役者の夢は叶いそうか』と聞かれました。母は『親が離婚し、いじめも経験して、震災も経験してきた。彩加はすごく強い子だから、何があっても大丈夫です。立派な役者になります』と言いました。 そんな母も私には見せませんが不安を抱えています。被害を打ち明けた後、母は私の義理の父に当たるパートナーと神社に行きました。私にお守りを三つ買って、義父に『彩加が死んだらどうしよう』と漏らしました。私は時折、性暴力を受けた記憶がフラッシュバックし、希死念慮にさいなまれます。母は強がっていますが娘を失わないか心配なようです。義父は『あの娘の部屋を思い出してみろ。どれだけ自分の好きなものに囲まれていると思っているんだ。あのオタクが大好きなものを残して死ぬわけないだろ』と励ましました。 私は芝居の台本は学生時代から全て取ってあります。演技書も、演劇の授業のプリントも捨てられません。まだまだ演じたい戯曲もたくさんあり、舞台に映像と新しい作品に挑戦していきたい。『演劇が何よりも好き』なのが私なんです。私を当の本人よりも理解してくれる人たちに支えられて私は生きています」 家族や故郷・飯舘村の思い出を話す大内さん=6月撮影 訴訟は必要な過程 ――被告である谷氏への心境の変化はありますか。 「怒りは変わることはありません。5月に行われた第3回期日で被告側から返った書面を見た時にブチギレました。これだけ証言、証拠を突き付けているのに何の反省もしていないんだ、心の底から自分が加害者だと思っていないんだなと受け取れる内容でした。 谷が行ってきた加害行為に対し、劇団員や周囲はおかしいと言えなかった、言わなかった、言える状況じゃなかった。提訴でしか彼は止められないし、加害行為は社会にも認識されなかったと思います。彼自身に、『あなたがしてきたのは加害行為だよ』と認識してもらう手段は、裁判しかないと私は思っています。裁判所がどういう判断を下すのか心配ですが、私はフラッシュバックと闘いながら被害状況を詳細にまとめていますし、加害行為を受けた人や見聞きしてきた人たちに証言を求めています。 声を上げられない被害者が少しでも救われるように、第2第3の被害者を生まないために、訴訟は必要な過程なんです」 (取材・構成 小池航) 谷賢一氏が単身居住していたJR常磐線双葉駅横の町営駅西住宅。1月には「谷賢一」の表札が掛かっていたが、カーテンが閉まっており居住は確認できなかった。7月現在、表札は取り外されている=1月撮影 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

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    【谷賢一氏】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

     飯舘村出身の俳優・大内彩加さん(29)が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(40)から性行為を強要されたとして損害賠償を求めて提訴している。谷氏は「事実無根」と法廷で争う方針だが姿を見せず「無実」の説明もしていない。谷氏は原発事故後に帰還が進む双葉町に単身移住。浜通りを拠点に演劇の上演や指導を計画していた。大内さんは、「劇団員にしてきたように福島でも性暴力を起こすのではないか」と恐れ、被害公表に踏み切った。(小池航) 【大内彩加】飯舘村出身女優が語る性被害告発の真相  谷氏から性被害を受けたと大内さんがネットで公表したのは昨年12月15日。翌16日からは谷氏の新作劇が南相馬市で上演される予定だったが、被害の告発を重く見た主催者は中止を決定。谷氏は自身のブログで、大内さんの主張は「事実無根および悪意のある誇張」とし、司法の場で争う方針を示している。 谷賢一氏はどのような人物か。本人のブログなどによると、郡山市生まれで、小学校入学前までを石川町で過ごし、千葉県柏市で育った。明治大学で演劇学を専攻し、英国に留学。2005年に劇団「DULL-COLORED POP(ダルカラードポップ)」を旗揚げした。大内さんが所属しているのがこの劇団だ。 自身のルーツが福島県で、父親は技術者として東京電力福島第一原発で働いていたという縁。さらに、原発の在り方に疑問を抱いていたことから、作品化を目指して2016年夏から取材を始めた。事故を起こした福島第一原発がある双葉町などを訪れ、2年の執筆と稽古を重ねて福島県と原発の歴史をテーマにした一連の舞台「福島三部作」に仕上げた。 作品は2019年に東京や大阪、いわき市で一挙上演。連日満員で、小劇場作品としては異例の1万人を動員した。その戯曲は20年に鶴屋南北戯曲賞と岸田國士戯曲賞を同時受賞した。谷氏が昨年10月に双葉町に移住したのは、何度も訪れるうちに愛着が湧き、放っておけなくなったからという。 性被害を受けた大内彩加さんは、飯舘村出身。南相馬市の原町高校2年生の時に東日本大震災・原発事故を経験した。放送部に所属し、避難先の群馬県の高校では朗読の全国大会に出場。卒業後は上京して芝居を学び、イベントの司会や舞台で活躍してきた。2015年からは故郷・飯館村をPRする「までい大使」を務めている。 大内彩加さん。「匿名では揉み消される」と、顔を出し実名で告発した。  大内さんが東京で活動しているころ、谷氏が福島三部作に出演する俳優を募集していると知った。故郷を離れても芝居を通して何かしら福島と関わりたいと思っていた大内さんはオーディションを受けた。 結果は合格。谷氏からは「いつか平田オリザさんと浜通りで演劇祭をやるからお前も手伝うんだぞ」と言われた。平田氏は、劇団「青年団」を主宰する劇作家・演出家だ。震災前からいわき市の高校で演劇指導をしてきた縁で、県立ふたば未来学園(広野町)でも講師を務めた。谷氏は青年団演出部に所属していた(今回の告発を受けて退団)。大内さんは、故郷の浜通りで著名な演劇人の関わるイベントに携わることを夢見た。 三部作の上演に向けて、谷氏が主宰する劇団での稽古が始まった。2018年6月、大内さんが都内で稽古に参加した時だ。谷氏が女性俳優の尻をやたらと触り、抱きついていた。周囲の劇団員は止めないし、何も言わなかった。 間もなく自分が標的になった。休憩に入ると、谷氏は大内さんに肩を揉むように言ってきた。従うと、谷氏は手を伸ばして大内さんの胸を触ってきたという。谷氏はその後もことあるごとに体を触ってきた。大内さんが言葉で拒絶しても、谷氏はやめなかった。 大内さんは「我慢すれば済むこと。三部作に関わるチャンスを逃したくない」と不快感を押し殺した。しかし、被害はエスカレートする。稽古終わりのある夜、谷氏は東京・池袋駅のホームで大内さんを羽交い絞めして服の上から胸を触ってきた。周りには人が大勢いた。大内さんは身長169㌢、谷氏は185㌢という体格差もあり抵抗できなかった。 「俺はお前の家に行く」  同年7月26日は都内で福島三部作の先行上演があった日だ。この日大内さんは谷氏から性被害を受ける。終演後の夜、大内さん、谷氏、出演した俳優たちの計5人で駒場東大前駅近くで飲んだ。男性俳優2人と女性俳優1人が先に帰った。谷氏と大内さんだけが残された。 谷氏は大内さんを羽交い絞めにして、服の中に手を入れて胸を揉んできたという。何度も抵抗したが、力の差は歴然だった。谷氏は「終電を逃したのでお前の家に行っていいか」と聞いてきた。大内さんは1人でホテルに泊まるか、自宅に帰ってほしいと頼んだが、谷氏は「妻には連絡した。俺はお前の家に行く」。タクシーに押し込まれ、自分の家に行かざるを得なくなった。 当時住んでいた家は1LDK。大内さんは、酒に酔っていた谷氏をベッドに寝かし、自分は床やリビングに逃げようとしたが抵抗はむなしかった。 翌日、大内さんは前日夜に飲み会に同席していた女性俳優にLINEでメッセージを送った(図)。動揺と谷氏への嫌悪感が見て取れる。 性被害を受けた翌日の2018年7月27日に、大内さんが女性俳優とやりとりしたLINEの画像。セクハラの証拠となる他のLINE画像は、昨年12月24日配信の「NEWSポストセブン」が公開している。  「彼女も谷からパワーハラスメントを受けていました。2人で傷をなめ合うことしかできなかった」(大内さん) 正式に劇団に籍を置いてからも被害は続いた。大内さんに交際相手がいると知れ渡る2021年3月まで谷氏は胸や尻を触る行為をやめず、LINEではセクハラメッセージを送り続けた。 大内さんは何もしなかったわけではない。劇団内で解決しようと、古参の劇団員にレイプ被害を打ち明けた。だが、答えは 「大内よりも酷い目に遭ったやつはいっぱいいたからな。それで辞めていった女の子はたくさんいたよ」 谷氏の振る舞いは、古参劇団員も目撃しているはずだった。 「性暴力は、この劇団では当たり前のことなんだ、誰も助けてくれないんだと絶望しました」(大内さん) 2022年春頃、大内さんは稽古中も、街中で1人でいる時も訳もなく涙が出てきた。何を食べても味を感じないし、芝居を見ても本を読んでも頭に入ってこない。歩けずに過呼吸になったこともあった。間もなく舞台から離れた。 同年5月ごろ、谷氏は劇団内でハラスメント防止講習を行い、「ハラスメントを許さないという姿勢を外部に表明しよう」と提案した。「劇団内でハラスメントがあったから対策をするんですよね」。谷氏のこれまでの所業を暗にとがめる劇団員の質問に、谷氏は「してきたわけではない」と否定。ただ「決して品行方正な劇団ではないが、何も言わずには済まないだろう」と言った。大内さんは傍で聞いていた。 心身は限界だった。心療内科で同年6月にうつ病と診断された。「私はいつもの状態ではなかったんだ」。病名を与えられて初めて、自分を客観的に眺めることができた。 「死を選んだら谷に殺されたのと同じだよ」  被害に向き合うと、あの日の光景がフラッシュバックする。苦痛から逃れるために「死にたい」と思う希死念慮にさいなまれた。 劇団から距離を置いたことで、少しずつだが被害を友人たちに打ち明けられるようになった。年上のある女性俳優は大内さんにこう言った。 「いま死を選んだら『自殺』ではなく『他殺』だよ。谷に殺されたのと同じ。彩加ちゃんは毎日眠れなくて、苦しくて、辛い思いを何度もしてきたんでしょ。それなら谷にも同じ気持ちを味わわせなきゃ。裁判でも何でもいいから形にして社会に訴えて、これ以上被害者を出さないこと。そうしないと彩加ちゃんはきっとこれからも苦しみ続けるよ」 原町高校時代の友人は、普段の温厚さからは想像できない怒りようだった。 「谷には早く福島から出て行ってほしい。こんなこと、あってはいけない」。そして、「彩加は全然悪くない」と言ってくれた。 「私は怒っていいんだ」。我慢することばかりで、自分の感情にふたをしていた。友人たちが自分の身に起こったことのように憤ってくれたことで、大内さんは怒りの感情を少しずつ取り戻していった。 性被害を告白できるまでには4年かかった。弁護士からは、刑事告訴するには時間が経っているため立証が難しく、時効も高い壁になるだろうと言われた。民事で損害賠償を求める選択しかなかった。 提訴は2022年11月24日付。判断を法廷に託したのは、演劇界で性暴力、パワハラなどあらゆるハラスメントが横行している現状を見過ごされないように広く訴えるためだ。 同年9月には、別の劇団の男性が自死したと聞いた。ハラスメントとの因果関係は不明だが、主宰者から何らかの被害を受けて退団したという話は耳にしていた。 「男性が亡くなったと聞いた時、なんでもっと早く私自身の被害を明らかにしなかったんだろうと悔やみました。同じ境遇の人が他にもいると彼が知っていたら、『自分だけじゃない』と自死を踏みとどまったかもしれない。提訴しなければならないと決意したのは、彼の死を知ったからです」(大内さん) 「性暴力は福島県でも起こりうる」  提訴は、谷氏の所業を福島県民に知らせ、移住先での新たな被害を防ぐ狙いもあった。性暴力は稽古場や谷氏が酒に酔った際に起きている。谷氏は双葉町で一人暮らしをしていた。移住先では自宅で稽古を付け、酒宴を開くこともあると知り、「劇団員にしてきたことが福島でも起こりうる」と大内さんは恐れた。 大内さんは東京地裁で1月16日に開かれた裁判の第1回期日に出廷し、閉廷後に記者団の取材に応じた。法廷に谷氏の姿はなかった。 本誌は谷氏にメールで質問状を送り取材を依頼した。「訴訟代理人を通してほしい」とのことだったので、谷氏の弁護士に質問状を郵送したが、期限までに返答はなかった。 谷氏は福島県で何をしようとしていたのか。公開資料を読み解く。 谷氏は昨年9月16日に「一般社団法人ENGEKI BASE」を設立している。法人登記簿によると、主たる事務所はJR双葉駅西側に隣接する帰還者用の住宅。谷氏の新居だ。代表理事に谷賢一、他の理事に大原研二、山口ひろみの名がある。大原氏は南相馬市出身の俳優で、福島三部作では大内さんと一緒に方言指導を務めた。被害告発後には、谷氏が主宰する劇団を退団したと発表している。 同法人は演劇を主とした文化芸術の発信・交流による福島県の地域活性を事業目的とし、「演劇・舞踊などの舞台芸術作品の創作・発信」「アーティストの招聘」「演劇事業の制作」を掲げている。現在、ホームページが閲覧できず、谷氏の回答も得られていないため全容を知ることはできないが、谷氏はこの法人を軸に福島県での活動を描いていたようだ。 実際、1月20~22日に富岡町で開かれた「富岡演劇祭」(NPO法人富岡町3・11を語る会主催)では、当初協力団体に名を連ね、谷氏はシンポジウムで前出・平田オリザ氏と対談する予定だった。テーマも「演劇は町をゲンキにできるか?」。双葉町へ移住した谷氏あっての企画だ。しかし、大内さんの被害告発を受け、主催者は谷氏との断絶を宣言し、シンポの「代打」には文化庁次長や富岡町職員ら3人を当てた。谷氏が所属していた劇団青年団主宰の平田氏も登壇したが、本来の対談相手がいなくなったことに言及する者は誰もいなかった。 谷氏の「裏の顔」は演劇界以外には知られていなかったので、内情に疎い県民が「被災地を応援してくれている」ともてはやしていたのは仕方がない。問題は、谷氏とまるで関係がなかったかのように取り繕うことだ。 最たる例が地元紙だ。帰還地域に移住した著名人だったこともあり、初めは「再起した双葉から、新たな物語が始まろうとしている」(22年10月9日付福島民友)などと盛んにPRした。ところが大内さんが性被害を公表すると、福島民報も福島民友もばつの悪さからか関連記事は共同通信の配信で済ませている。独自取材をする気配はない。メディアが報じるのに及び腰のため、ネットでは憶測を呼び、当事者はバッシングなどの二次被害を受けている状況だ。 谷氏は口を閉ざすが、大内さんはあらゆるメディアの取材に応じる方針だ。だが、地元メディアは積極的に取り上げようとしない。福島県出身の被害者の真意が県民に伝わらないのは、この県の悲劇である。 その後 https://twitter.com/o_saika/status/1630131447188303873 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1635965899386793984 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1635966118958620672 あわせて読みたい 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」 セクハラの舞台となった陸上自衛隊郡山駐屯地【五ノ井里奈さん】 生業訴訟を牽引した弁護士の「裏の顔」【馬奈木厳太郎】

  • 五ノ井里奈さんに届けたパンプス

    ノンフィクション作家 岩下明日香  元自衛官の五ノ井里奈さんが、陸上自衛隊郡山駐屯地の部隊内で受けた性被害を実名告発した後、マスコミと世論が関心を持つまでには時間を要した。告発当初から取材し、五ノ井さんの著書『声をあげて』の構成を手掛けたノンフィクション作家が振り返る。 名もなき元自衛官の女性が閉塞的な日本社会に大きな風穴を開ける。 五ノ井里奈さん=筆者撮影  台風接近により、天候が崩れるという天気予報に憂いた。電車が動かなくなったら東京から郡山までたどり着けないかもしれない。「本当に彼女が自衛官だったかもわからない」「交通費は出さない」と編集部が躊躇していた取材のため、自腹を切った新幹線の切符が紙くずになるかもしれない。そんな心配は杞憂だった。  2022年7月5日、昼過ぎに降り立った郡山は、早足で夏がやってきたかのように汗ばむ真夏日だった。  郡山を訪れたきっかけは、元自衛官・五ノ井里奈さんに会うためだ。五ノ井さんは、自衛隊を6月28日に退官し、その翌日にユーチューブ『街録チャンネル』などの動画を通じて自衛隊内で受けた性被害を告発していた。瞬く間にソーシャルメディアで拡散され、それが雑誌系ウェブメディアの業務委託記者をしていた筆者の目に留まったのだ。  動画のなかの五ノ井さんは、取り乱すことなく、卑劣な被害の経緯を淡々と語っていた。当時、まだ五ノ井さんは22歳という若さ。純粋な眼差しとあどけなさが残っていた。  五ノ井さんを含め、性犯罪に巻き込まれた被害者を記事で取り上げるとき、証言だけではなく、裏取りができないと記事化は難しい。説得力のある記事でなければ、被害者は虚偽の証言をしているのではないかという疑いの目が向けられ、インターネット上で誹謗中傷が膨らむという二次被害のリスクも孕む。  実際に記事にするとはあらかじめ約束できない取材だった。もし記事にできなかったら、追いつめられている被害者を落胆させてしまうから。懺悔すれば、最終的に記事を出すことができなかったことは一度ではなく、その度に被害者を傷つけているような罪悪感に駆られるのだ。  五ノ井さんにも確定的なことを約束せずにいた。被害者の証言を裏付けるものを見つけられるのか。話を聴いてみないとわからないと思い、郡山を目指した。  真夏日の郡山駅に到着してすぐに駅周辺を探索した。当時はまだコロナ禍で、駅ビルのカフェにはちらほら人がいる程度。人目があるとナイーブな話はしにくいだろうと思い、静かな場所を求めて駅の外へ出た。  すると、駅前にある赤い看板のカラオケ店が目に飛び込んできた。コロナ禍の影響で、カラオケ店ではボックスをリモートワーク用に貸し出していた。カラオケボックスなら防音対策がしっかりして静かだろうと思い、店員に料金を聞いてから、早々に駅に引き返し、待ち合わせ場所である新幹線の改札口前で待機した。  改札を出て左手にある「みどりの窓口」付近から発着する新幹線を示す電光掲示板を眺めていると、カーキ色のTシャツに迷彩ズボンをはいた男性がベビーカーを押して、改札前で足をとめ、妻らしき女性にベビーカーを託した。改札を通っていく妻子を見送る自衛官らしき男性が手を振って見送っていた。  近くに駐屯地でもあるのだろうか。それくらい筆者は自衛隊や土地に疎かった。当時はまだ、五ノ井さんが郡山駐屯地に所属していたことすら知らなかった。  しばらくすると、キャップを目深に被った青いレンズのサングラスをかけた人がこちらに向かって歩いてきた。半袖に短パンのラフな格好。  「あっ!」  青いサングラスの子が五ノ井さんだとすぐにわかった。五ノ井さん曰く、駐屯地が近くにあり、隊員が日ごろからウロウロしているため、サングラスと帽子で隠していたという。地方の平日の昼過ぎ、しかもコロナ禍で人の出が減り、わりと閑散としていた駅では、青いサングラスがむしろ目立っていた。「地元のヤンキー」が現れたかと思い、危うく目をそらすところだったが、大福のように白い肌と柔らかい雰囲気は、まさしく動画で深刻な被害を告白していた五ノ井さんであった。 必ず書くと心に決めた瞬間  五ノ井さんは、カラオケ店のドリンクバーでそそいだお茶に一口もつけずに淡々と自衛隊内で起きていたことを語った。淡々とではあるが、「聴いてほしい、ちゃんと書いてほしい」と必死に訴えてきてくれた目を今でも覚えている。会う前までは不確定だったが、必ず書くと心に決めた瞬間があった。五ノ井さんがこう言い放った瞬間だ。  「ただ技をキメて、押し倒しただけで笑いが起きるわけがないじゃないですか」  五ノ井さんは3人の男性隊員から格闘の技をかけられ、腰を振るなどのわいせつな行為を受けた。その間、周囲で見ていた十数人の男性自衛官は、止めることなく、笑っていた。男性同士の悪ノリで、その場に居合わせたたった1人の女性を凌辱していた場面が筆者の目に浮かんだ。目の奥が熱くなって、涙がわっと湧き溢れて、マスクがせき止めた。  自衛隊という上下関係が厳しく、気軽に相談できる女性の数が圧倒的に少ない環境で、仲間であるはずの隊員を傷つける行為。どうして周囲の人が誰も止めに入らないのか。閉ざされた実力集団において、自分よりも弱い者を攻撃することで、自分は強いという優位性を誇示したかったのだろうか。  ときに力の誇示は、暴力に発展する。国防を担う自衛隊は、国民を守るために「力」を備える。だが、それがいとも簡単に「暴力」に変わり、しかも周囲は「そういうものだ」とか「それくらいのことで」と浅はかに黙認する。そして一般社会の感覚とはかけ離れていき、集団的に暴力に寛容になり、エスカレートしていくのではないだろうか。  閉ざされた環境からして、被害者は五ノ井さんだけではないはずだ。取材を続ける意義は大きいと確信した。カラオケボックスにある受話器が「プルルルル~」とタイムリミットを知らせてきたが、2回ほど延長してじっくり話を聴いた。  五ノ井さんがユーチューブで告発してから2週間後、筆者の書いた記事は『アエラ』のウェブ版で配信された。すると、瞬く間に拡散され、同日中には野党の国会議員が防衛省に「厳正な調査」を要請し、事態が大きく動き出した。  さらに五ノ井さんは、防衛大臣に対して、第三者委員会による再調査を求めるオンライン署名と、自衛隊内でハラスメントを経験したことがある人へのアンケート調査も実施。署名を広く呼び掛けるために東京都内で記者会見の場を設けた。オンライン署名は1週間で6万件を突破し、署名サイトの運営者は「個人に関する署名でここまで集まるのはこれまでになかった」というほどの勢いだ。五ノ井さんのSNSのフォロワーも驚異的に伸び、同じような経験をしたことがあるという匿名の元隊員からの書き込みをも出てきた。  だが、現実は厳しかった。7月27日に開いた記者会見に足を運ぶと、NHKの女性記者1人だけ。遅れて朝日新聞の女性記者がもう1人。そして筆者をあわせて、マスコミはたったの3人だった。真夏に黒いリクルートスーツを身にまとった五ノ井さんは、空席の目立つ記者席に向かって、声を振り絞った。  「中隊内で隠ぺいや口裏合わせが行われていると、内部の隊員から聞いたので、ちゃんと第三者委員会を立ち上げ、公正な再調査をしてほしいです」 マスコミの反応が薄かった理由  静かに終わった会見後、五ノ井さんはコピー用紙に書き込んだ数枚のメモを筆者に差し出した。報道陣から質問されそうなことを事前にまとめ、答えられるように用意していたのだ。手書きで何度も書き直した跡が残っていた。なのに、ほとんど質問されなかった。結局、五ノ井さんのはじめての会見を報じたのは、筆者だけだった。  SNS上では反響が大きかったにもかかわらず、当初、マスコミの反応は薄かった。理由はおそらく2つ考えられる。1つ目は、五ノ井さんが強制わいせつ事件として自衛隊内の犯罪を捜査する警務隊に被害届を出したものの、検察は5月31日付で被疑者3人を不起訴処分にしていたから、司法のお墨付きがない。2つ目は、自衛隊に限らず、大手マスコミ自体も男性社会かつ縦社会でハラスメントが起こりやすい組織構造を持っているから、感覚的にハラスメントに対して意識が低い。  一度不起訴になった性犯罪を、あえて蒸し返す意義はどこにあるのか。昭和体質の編集部が考えることは、筆者もよくわかっている。刑事事件で不起訴になったとしても、警務隊や検察が十分な捜査を尽くしていなかった可能性があるにもかかわらず。  マスコミの関心が薄い反面、ネット上では誹謗中傷が沸き上がった。署名と同時に集めていたアンケート内には殺害予告も含まれていた。心無い言葉の矢がネットを通じて被害者の心を引き裂く「セカンドレイプ」にも五ノ井さんは苦しみ、体調を崩しがちになった。それでも萎縮することなく、五ノ井さんは野党のヒアリングに参加した。顔がほてり、目がうつろで今にも倒れそうな状態で踏ん張っていた。  8月31日に市ヶ谷に直接出向き、防衛省に再調査を求める署名とアンケート結果を提出。この時にやっとテレビも報じはじめた。少しずつマスコミと世論が関心を持ちだし、防衛省も特別防衛監察を実施して再調査に乗り出す。  そのわずか1カ月後の9月29日、自衛隊トップと防衛省が五ノ井さんの被害を認めて謝罪する異例の事態が起きた。この日、五ノ井さんから「パンプスがこわれた」というメッセージを受け取っていた。防衛省から直接謝罪を受けるため、急いで永田町の議員会館に向かっている途中で片方のヒールにヒビが入ったらしい。相当焦って家を出てきたのだろう。引き返す時間がないため、そのまま議員会館に行くという。  「足のサイズは?」  「わからないです。二十何センチくらい。全然これでもいけるので大丈夫です!」  筆者も永田町に急いでいた。ヒールにヒビが入ったというのが、靴の底が抜けて歩けないような状態を想像し、それはピンチと思い、GUに駆け込んで黒のパンプスを買ってから議員会館に向かった。到着して驚いたのが、ほんの1カ月半前までは大手メディアからほぼ注目されていなかったのに、この時は立ち見がでるほど報道陣で会場が埋め尽くされた。議員秘書経由でパンプスは五ノ井さんに届けられたが、すぐに謝罪会見は始まり、履き替える時間もなかったのか、ヒビの入ったヒールのまま五ノ井さんが会場に入ってきた。防衛省人事教育局長と陸幕監部らは、五ノ井さんと向かい合うようにして立ち、頭を下げて謝罪すると、五ノ井さんも小さく頭を垂れた。  郡山で取材をした時には、淡々と被害を語っていた五ノ井さんだったが、この日は悔しさがにじみ出るように目が赤かった。防衛省・自衛隊に向けて言葉を詰まらせた。  「今になって認められたことは……、遅いと思っています」  もし自衛隊内で初動捜査を適切に行っていたら、被害者が自衛隊を去ることも、実名・顔出しすることもなく、誹謗中傷に苦しむこともなかっただろう。  後日、五ノ井さんはばつが悪そうに言うのだ。  「パンプス、ぶかぶかでした」  100円ショップで中敷きを買って詰めてもぶかぶかですぐ脱げるようだ。その場しのぎで買った安物を大事に履こうとしてくれていた。 裁判所を出る被告3人を見届ける 判決後、福島地裁前で報道陣の取材に応じる五ノ井さん(左)=本誌編集部撮影  防衛省・自衛隊がセクハラの事実を認めてからも、五ノ井さんの闘いは続く。10月には加害者4人からも対面で謝罪を受け、12月には5人が懲戒免職になった。  さらに、不起訴になった強制わいせつ事件を郡山検察審査会に不服申し立てをし、2022年9月に不起訴不当となり、検察の再捜査も開始。2023年3月には不起訴から一転、元隊員3人は在宅起訴された。6月から福島地裁で行われていた公判で、3人はいずれも無罪を主張。五ノ井さんは初公判から福島地裁に足を運び、被告らや元同僚の目撃者らの発言に耳を傾けた。そこにはいつも、実家の宮城県から母親が駆けつけていた。  4回目の公判。被告人質問を終えた被告3人が裁判所から出ていく姿を、母親と筆者は見届けた。  「親が娘の代わりに訴えることはできるんでしょうか……」  涙を目に溜めながら言う母親に返す言葉が見つからず、背中をさすった。被告の1人が、五ノ井さんを押し倒して腰を振った理由を「笑いをとるためだった」と公判で発言したのを、母親も間近で聞いていた。被告に無罪を主張する権利があるとはいえ、被害者はもちろん、その家族もどれほど心をえぐられたことか。それでも親子は半年間にわたるすべての公判を傍聴し続けた。  福島地裁は12月12日、被告3人にそれぞれ懲役2年執行猶予4年の有罪判決を言い渡した。  被害から2年以上が経過し、五ノ井さんは現在24歳。希望と可能性に溢れていたはずの20代前半を、被害によってすべてを奪われ、巨大組織と性犯罪者と対峙してきた。その姿にいま、世界が目を向けている。  英『フィナンシャル・タイムズ』による「世界で最も影響力がある女性25人」を皮切りに、米誌『タイム』は世界で最も影響力がある「次世代の100人」に、英公共放送BBCも「100人の女性」(2023年)に五ノ井さんを選出した。  判決の翌日、外国特派員協会で会見を開いた五ノ井さんは、前を向いて堂々と語った。  「世の中に告発してから約2年間、自分の人生をかけて闘ってきました。被害の経験は必要ありませんでしたが、無駄なことは何一つありませんでした。誹謗中傷も、公判も、人との関わりも、そのすべてが自分の人生を鍛えてくれる種となり、生きていく力に変わりました。私にとってはすべてが学びでした」  閉塞的な社会に風穴を開けた功績は、ロールモデルとして人々に勇気を与えていくだろう。 いわした・あすか ノンフィクション作家。1989年山梨県生まれ。『カンボジア孤児院ビジネス』(2017、潮出版)で第4回「潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」を受賞。五ノ井里奈さんの近著『声をあげて』(2023、小学館)の構成を務める。現在はスローニュースで編集・取材を行う。

  • 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

     飯舘村出身の女性俳優、大内彩加さん(30)=東京都在住=が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(41)から性行為を強いられたとして損害賠償を求めて提訴してから半年が経った。被害公表後は応援と共に「売名行為」などのバッシングを受けている。7月下旬に浜通りを主会場に開く常磐線舞台芸術祭に出演するが、決めるまでは苦悩した。後押ししたのは「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」との言葉だった。 「加害」がなければ「被害」は生まれない 大内彩加さん=6月撮影 ――被害公表後にはバッシングなどの二次加害を受けました。 「応援もたくさんありましたが、見知らぬ人からのSNSの投稿やダイレクトメッセージ(DM)を通しての二次加害には心を抉られました。  私が受けた二次加害は大まかに五つの種類に分けられます。第1は売名のために被害を公表したという非難です。「MeToo商売だ」「配役に目がくらんだ」といったものがありました。性暴力に遭い、それを公表したからと言って仕事が来るほど演劇界は甘くはありません。裁判で係争中の私はむしろ敬遠され、性暴力を受けたことを公表することは、役者のキャリアに何の得にもなりません。非難は演劇業界の仕組みをさも分かっている体を取っていますが、全く分かっていない人の発言です。 2番目が、第三者の立場を踏み越えた距離感で送られてくるメッセージです。『おっぱい見せて』『かわいいから被害に遭っても仕方ない』という性的なものから、『仲良くなりませんか? 僕で良かったら、悩みを聞きますよ』などあからさまではありませんが、下心を感じるものがありました。性暴力を受けた人を気遣う振る舞いではありません。 3番目は単なる悪口です。『死ね』とか『図々しい被害者』など様々でした。 4番目が『被害のすぐ後に警察に行けばよかったじゃないか』『どうして今さら言うんだ』という被害者がすぐに行動を取らなかったことを非難する、典型的な二次加害です。 性暴力を受けた時は誰もが戸惑います。相当な時間がなければ私は公に被害を訴える行動を取れませんでした。さらに、一般的に加害行為を受けた場合、被害者は加害者の機嫌を損ねずにその場を乗り切ろうと、一見加害者に迎合しているような言動を取ることがよくあります。わざわざ二次加害をしてくる人たちは被害者が陥る状況を理解していません。 最後が、被害者に届くことを考えずにした発言です。 『谷さんを信じたいと思っています。自分は被害を受けていないので分からないが、彼が大内さんに謝ってくれるといい』という言葉に傷つきました。Twitterのライブ配信でした発言は多くの人が聞いており、視聴者を通して私に伝わりました。 二次加害というのは、量としては見知らぬ人からが多く、それだけで十分心を抉るのですが、知人の言葉は別格の辛さがありました。『自分は被害を受けていないから分からない』というのは同じ舞台に立っていた役者の言葉です。他の劇団員たちから『なんで今告発したんだ』との発言も聞きました。 発言者たちは『直接言ったわけではないし、被害者がその言葉を見聞きするとは思わなかった』と弁明しますが、ネットの時代に発言は拡散します。被害者に届いていたら言い訳になりません。性暴力やハラスメントを受けることが理解できないなら、配慮を欠いた言葉をわざわざ被害者にぶつけないでほしい」 ――「性被害」よりも「性加害」という言葉を多く使っています。意図はありますか。 「ニュースの見出しでは性被害という言葉が一般的ですが、私にとっては違和感のある言葉です。一人でに被害が発生するわけではなく、必ず加害者の行動が先にあります。責任の所在を明確にするために、現実に合わせた言葉を選んでいます。 『性被害』という言葉だけが先行すると、責任を被害者に求める認識につながってしまうのではないでしょうか。痴漢に襲われた人は、『ミニスカートを履いていたから』、『夜中に出歩いていたから』など、周囲から行動を非難されることが多いです。加害行為がなければそもそも被害は起こりません。問われるべきは加害者です」 「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」 ――今月下旬に浜通りで開かれる常磐線舞台芸術祭の運営に参加し、出演もします。 「私が被害を公表した昨年12月、谷が演出した舞台が、南相馬市にある柳美里さんの劇場で上演されることになっていました。柳さんは、説明責任を果たすように谷に言い、主催者判断で中止になったと後で聞きました。 私は被害告発の際に舞台を『中止してほしい』とは言っていません。公演前に告発したのは、谷が演出した舞台を見に行った後に、彼が性加害を日常的に行っていたと初めて知り傷つく人がいる。出演した役者、スタッフたちが関連付けられて矢面に立たされると危惧したからです。 谷に福島に関わらないでほしいという思いはありました。谷が浜通りに移り住み、公演の実績を重ねることによって、新たに出会った人たちが性暴力やハラスメントに遭うのを恐れていました。ただ、中止する決定権は私にはありません。被害を公表し、判断を関係者や世論に委ねました。  被害を公表した日から柳美里さんから、連絡を受けるようになりました。しばらくすると、今夏に計画している舞台芸術祭の運営に関わってほしい、できたら役者として出演してほしいとオファーが来ました。裁判が係争中です。私が出演することで、私に反感を持っている人たちから公演に圧力がかかる可能性もあります。フラッシュバックで体調を崩す時もあります。とことん悩みました。  4月に飯舘に帰省した際、柳さんと1時間半ぐらいお話しして、『被害者が出演する機会を奪われてはいけない』と言われました。裁判係争中の私は、『面倒な奴』扱いで、役者の仕事はほとんどなくなりました。柳さんの言葉を聞いて、自分以外のためにも出なければならないと思いました。何よりも私自身が芝居をしたかった」 4月に帰省し、飯舘村内を回った大内さん(大内さん提供) ――被害者が去らなければいけない現状について。  「小中学校といじめられました。私が既にいじめられていた子を気に掛けていたのが反感を買ったらしく、何番目かに標的になりました。教室に入れなくなり、不登校や保健室登校になるのはいつもいじめられる側です。いじめる側は残り、また新たな標的が生まれるいじめの構造は変わりません。 どうしてあの子たちが、どうして私が去らなければならないんだろう。本当は学校に通いたいのに、加害者がいるから教室に行けないだけなのにと思っていました。 別室にいくべきは加害者ではないでしょうか。私は谷が主宰する劇団を辞めてはいません。迫られて辞める、居づらくなって辞めはしないと決めています。 谷からレイプを受けたことを先輩劇団員に相談した際『大内よりも酷い目に遭った奴はいっぱいいた。辞めていった女の子はたくさんいたよ』と言われました。彼女たちに勇気がなかったわけではありません。辞めざるを得ない状況に追い込まれているのは、加害者と傍観者が認識を変えず、加害行為が続いていたからです。去っていった人たちには、あなたが離れていく必要はなかったのだと安心させてあげたい」 閉校した母校の小学校を示す標識=4月、飯舘村(大内さん提供)  ――芸術祭では主催者がハラスメント防止に関するガイドラインをつくり公表しています。 ※参照「常磐線舞台芸術祭 ハラスメント防止・対策ガイドライン」 「ガイドラインでは、弁護士ら第三者が加わり、外部に相談窓口を設けています。相談先が所属劇団内だけだと、身内ということもあり躊躇してしまいます。先輩劇団員に相談しても、加害者に働きかけるまでには至らないこともあります。第三者が入ることで対策は実効性を伴うと思います。 私は舞台に出演するほかに、地元に根差して芸術祭を盛り上げる地域コーディネーターを務めています。作成に当たって主催者は、10人ほどいる地域コーディネーターにガイドラインの内容について意見を求めました。私は、ガイドラインの作成過程も随時公表した方が良いと提案しました。 演劇業界でのハラスメントが注目されています。谷賢一は、自身が主宰する劇団内でハラスメントを繰り返し、私は性加害を受けました。谷は大震災・原発事故で大きな被害を受けた福島県双葉町を舞台に作品をつくり、それをきっかけに一時は移住するなど、福島とはゆかりが深い人物です。谷の件もあり、福島の人たちはとりわけ演劇界におけるハラスメントに敏感だと思います。ハラスメント対策を公表するだけでなく、制定の過程を透明化しておく必要があると思いました。 対策の制定前から運営に関わっている役者、スタッフ、地元の方たちを不安にしてはいけない。誰もが安心して参加・鑑賞できる芸術祭にするためにハラスメントガイドラインをつくるプロセスの公表は欠かせません。主催者はホームページやSNSで過程も発信し、意見を反映してくれたと思います」 「乗り越えたら彩加はもっと強くなる」 ――家族はどのように見守っていますか。 「母に被害を打ち明けたのは、被害公表直前の昨年12月上旬でした。それまではレイプをされたこともハラスメントを受けていたことも、それが原因でうつ病に陥っていることも言えなかった。母は谷と面識がありました。なぜ娘が病気になっているのか、母は理由も分からず苦しんでいたことでしょう。提訴したら、母も心無い言葉を投げかけられるかもしれない。自分の口から全てを説明しようと、訴状の基となる被害報告書を見せました。 母は無言で目を凝らして読んでいて、何を言うか怖かった。最後まで目を通して書類をトントンと立てて整えると、『わかりました』と一言。その次の言葉は忘れません。 『彩加はいまも十分強い子だよ。でも裁判をしたり、被害を公表したり、待ち受けている困難を乗り越えたらもっと強くなれるね』と。『強い子』と言われるのは2度目なんです。1度目は大震災・原発事故からの避難先の群馬県で高校3年生だった時。母子で新聞のインタビューを受けて、母は記者から『娘の役者の夢は叶いそうか』と聞かれました。母は『親が離婚し、いじめも経験して、震災も経験してきた。彩加はすごく強い子だから、何があっても大丈夫です。立派な役者になります』と言いました。 そんな母も私には見せませんが不安を抱えています。被害を打ち明けた後、母は私の義理の父に当たるパートナーと神社に行きました。私にお守りを三つ買って、義父に『彩加が死んだらどうしよう』と漏らしました。私は時折、性暴力を受けた記憶がフラッシュバックし、希死念慮にさいなまれます。母は強がっていますが娘を失わないか心配なようです。義父は『あの娘の部屋を思い出してみろ。どれだけ自分の好きなものに囲まれていると思っているんだ。あのオタクが大好きなものを残して死ぬわけないだろ』と励ましました。 私は芝居の台本は学生時代から全て取ってあります。演技書も、演劇の授業のプリントも捨てられません。まだまだ演じたい戯曲もたくさんあり、舞台に映像と新しい作品に挑戦していきたい。『演劇が何よりも好き』なのが私なんです。私を当の本人よりも理解してくれる人たちに支えられて私は生きています」 家族や故郷・飯舘村の思い出を話す大内さん=6月撮影 訴訟は必要な過程 ――被告である谷氏への心境の変化はありますか。 「怒りは変わることはありません。5月に行われた第3回期日で被告側から返った書面を見た時にブチギレました。これだけ証言、証拠を突き付けているのに何の反省もしていないんだ、心の底から自分が加害者だと思っていないんだなと受け取れる内容でした。 谷が行ってきた加害行為に対し、劇団員や周囲はおかしいと言えなかった、言わなかった、言える状況じゃなかった。提訴でしか彼は止められないし、加害行為は社会にも認識されなかったと思います。彼自身に、『あなたがしてきたのは加害行為だよ』と認識してもらう手段は、裁判しかないと私は思っています。裁判所がどういう判断を下すのか心配ですが、私はフラッシュバックと闘いながら被害状況を詳細にまとめていますし、加害行為を受けた人や見聞きしてきた人たちに証言を求めています。 声を上げられない被害者が少しでも救われるように、第2第3の被害者を生まないために、訴訟は必要な過程なんです」 (取材・構成 小池航) 谷賢一氏が単身居住していたJR常磐線双葉駅横の町営駅西住宅。1月には「谷賢一」の表札が掛かっていたが、カーテンが閉まっており居住は確認できなかった。7月現在、表札は取り外されている=1月撮影 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

  • 【谷賢一氏】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

     飯舘村出身の俳優・大内彩加さん(29)が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(40)から性行為を強要されたとして損害賠償を求めて提訴している。谷氏は「事実無根」と法廷で争う方針だが姿を見せず「無実」の説明もしていない。谷氏は原発事故後に帰還が進む双葉町に単身移住。浜通りを拠点に演劇の上演や指導を計画していた。大内さんは、「劇団員にしてきたように福島でも性暴力を起こすのではないか」と恐れ、被害公表に踏み切った。(小池航) 【大内彩加】飯舘村出身女優が語る性被害告発の真相  谷氏から性被害を受けたと大内さんがネットで公表したのは昨年12月15日。翌16日からは谷氏の新作劇が南相馬市で上演される予定だったが、被害の告発を重く見た主催者は中止を決定。谷氏は自身のブログで、大内さんの主張は「事実無根および悪意のある誇張」とし、司法の場で争う方針を示している。 谷賢一氏はどのような人物か。本人のブログなどによると、郡山市生まれで、小学校入学前までを石川町で過ごし、千葉県柏市で育った。明治大学で演劇学を専攻し、英国に留学。2005年に劇団「DULL-COLORED POP(ダルカラードポップ)」を旗揚げした。大内さんが所属しているのがこの劇団だ。 自身のルーツが福島県で、父親は技術者として東京電力福島第一原発で働いていたという縁。さらに、原発の在り方に疑問を抱いていたことから、作品化を目指して2016年夏から取材を始めた。事故を起こした福島第一原発がある双葉町などを訪れ、2年の執筆と稽古を重ねて福島県と原発の歴史をテーマにした一連の舞台「福島三部作」に仕上げた。 作品は2019年に東京や大阪、いわき市で一挙上演。連日満員で、小劇場作品としては異例の1万人を動員した。その戯曲は20年に鶴屋南北戯曲賞と岸田國士戯曲賞を同時受賞した。谷氏が昨年10月に双葉町に移住したのは、何度も訪れるうちに愛着が湧き、放っておけなくなったからという。 性被害を受けた大内彩加さんは、飯舘村出身。南相馬市の原町高校2年生の時に東日本大震災・原発事故を経験した。放送部に所属し、避難先の群馬県の高校では朗読の全国大会に出場。卒業後は上京して芝居を学び、イベントの司会や舞台で活躍してきた。2015年からは故郷・飯館村をPRする「までい大使」を務めている。 大内彩加さん。「匿名では揉み消される」と、顔を出し実名で告発した。  大内さんが東京で活動しているころ、谷氏が福島三部作に出演する俳優を募集していると知った。故郷を離れても芝居を通して何かしら福島と関わりたいと思っていた大内さんはオーディションを受けた。 結果は合格。谷氏からは「いつか平田オリザさんと浜通りで演劇祭をやるからお前も手伝うんだぞ」と言われた。平田氏は、劇団「青年団」を主宰する劇作家・演出家だ。震災前からいわき市の高校で演劇指導をしてきた縁で、県立ふたば未来学園(広野町)でも講師を務めた。谷氏は青年団演出部に所属していた(今回の告発を受けて退団)。大内さんは、故郷の浜通りで著名な演劇人の関わるイベントに携わることを夢見た。 三部作の上演に向けて、谷氏が主宰する劇団での稽古が始まった。2018年6月、大内さんが都内で稽古に参加した時だ。谷氏が女性俳優の尻をやたらと触り、抱きついていた。周囲の劇団員は止めないし、何も言わなかった。 間もなく自分が標的になった。休憩に入ると、谷氏は大内さんに肩を揉むように言ってきた。従うと、谷氏は手を伸ばして大内さんの胸を触ってきたという。谷氏はその後もことあるごとに体を触ってきた。大内さんが言葉で拒絶しても、谷氏はやめなかった。 大内さんは「我慢すれば済むこと。三部作に関わるチャンスを逃したくない」と不快感を押し殺した。しかし、被害はエスカレートする。稽古終わりのある夜、谷氏は東京・池袋駅のホームで大内さんを羽交い絞めして服の上から胸を触ってきた。周りには人が大勢いた。大内さんは身長169㌢、谷氏は185㌢という体格差もあり抵抗できなかった。 「俺はお前の家に行く」  同年7月26日は都内で福島三部作の先行上演があった日だ。この日大内さんは谷氏から性被害を受ける。終演後の夜、大内さん、谷氏、出演した俳優たちの計5人で駒場東大前駅近くで飲んだ。男性俳優2人と女性俳優1人が先に帰った。谷氏と大内さんだけが残された。 谷氏は大内さんを羽交い絞めにして、服の中に手を入れて胸を揉んできたという。何度も抵抗したが、力の差は歴然だった。谷氏は「終電を逃したのでお前の家に行っていいか」と聞いてきた。大内さんは1人でホテルに泊まるか、自宅に帰ってほしいと頼んだが、谷氏は「妻には連絡した。俺はお前の家に行く」。タクシーに押し込まれ、自分の家に行かざるを得なくなった。 当時住んでいた家は1LDK。大内さんは、酒に酔っていた谷氏をベッドに寝かし、自分は床やリビングに逃げようとしたが抵抗はむなしかった。 翌日、大内さんは前日夜に飲み会に同席していた女性俳優にLINEでメッセージを送った(図)。動揺と谷氏への嫌悪感が見て取れる。 性被害を受けた翌日の2018年7月27日に、大内さんが女性俳優とやりとりしたLINEの画像。セクハラの証拠となる他のLINE画像は、昨年12月24日配信の「NEWSポストセブン」が公開している。  「彼女も谷からパワーハラスメントを受けていました。2人で傷をなめ合うことしかできなかった」(大内さん) 正式に劇団に籍を置いてからも被害は続いた。大内さんに交際相手がいると知れ渡る2021年3月まで谷氏は胸や尻を触る行為をやめず、LINEではセクハラメッセージを送り続けた。 大内さんは何もしなかったわけではない。劇団内で解決しようと、古参の劇団員にレイプ被害を打ち明けた。だが、答えは 「大内よりも酷い目に遭ったやつはいっぱいいたからな。それで辞めていった女の子はたくさんいたよ」 谷氏の振る舞いは、古参劇団員も目撃しているはずだった。 「性暴力は、この劇団では当たり前のことなんだ、誰も助けてくれないんだと絶望しました」(大内さん) 2022年春頃、大内さんは稽古中も、街中で1人でいる時も訳もなく涙が出てきた。何を食べても味を感じないし、芝居を見ても本を読んでも頭に入ってこない。歩けずに過呼吸になったこともあった。間もなく舞台から離れた。 同年5月ごろ、谷氏は劇団内でハラスメント防止講習を行い、「ハラスメントを許さないという姿勢を外部に表明しよう」と提案した。「劇団内でハラスメントがあったから対策をするんですよね」。谷氏のこれまでの所業を暗にとがめる劇団員の質問に、谷氏は「してきたわけではない」と否定。ただ「決して品行方正な劇団ではないが、何も言わずには済まないだろう」と言った。大内さんは傍で聞いていた。 心身は限界だった。心療内科で同年6月にうつ病と診断された。「私はいつもの状態ではなかったんだ」。病名を与えられて初めて、自分を客観的に眺めることができた。 「死を選んだら谷に殺されたのと同じだよ」  被害に向き合うと、あの日の光景がフラッシュバックする。苦痛から逃れるために「死にたい」と思う希死念慮にさいなまれた。 劇団から距離を置いたことで、少しずつだが被害を友人たちに打ち明けられるようになった。年上のある女性俳優は大内さんにこう言った。 「いま死を選んだら『自殺』ではなく『他殺』だよ。谷に殺されたのと同じ。彩加ちゃんは毎日眠れなくて、苦しくて、辛い思いを何度もしてきたんでしょ。それなら谷にも同じ気持ちを味わわせなきゃ。裁判でも何でもいいから形にして社会に訴えて、これ以上被害者を出さないこと。そうしないと彩加ちゃんはきっとこれからも苦しみ続けるよ」 原町高校時代の友人は、普段の温厚さからは想像できない怒りようだった。 「谷には早く福島から出て行ってほしい。こんなこと、あってはいけない」。そして、「彩加は全然悪くない」と言ってくれた。 「私は怒っていいんだ」。我慢することばかりで、自分の感情にふたをしていた。友人たちが自分の身に起こったことのように憤ってくれたことで、大内さんは怒りの感情を少しずつ取り戻していった。 性被害を告白できるまでには4年かかった。弁護士からは、刑事告訴するには時間が経っているため立証が難しく、時効も高い壁になるだろうと言われた。民事で損害賠償を求める選択しかなかった。 提訴は2022年11月24日付。判断を法廷に託したのは、演劇界で性暴力、パワハラなどあらゆるハラスメントが横行している現状を見過ごされないように広く訴えるためだ。 同年9月には、別の劇団の男性が自死したと聞いた。ハラスメントとの因果関係は不明だが、主宰者から何らかの被害を受けて退団したという話は耳にしていた。 「男性が亡くなったと聞いた時、なんでもっと早く私自身の被害を明らかにしなかったんだろうと悔やみました。同じ境遇の人が他にもいると彼が知っていたら、『自分だけじゃない』と自死を踏みとどまったかもしれない。提訴しなければならないと決意したのは、彼の死を知ったからです」(大内さん) 「性暴力は福島県でも起こりうる」  提訴は、谷氏の所業を福島県民に知らせ、移住先での新たな被害を防ぐ狙いもあった。性暴力は稽古場や谷氏が酒に酔った際に起きている。谷氏は双葉町で一人暮らしをしていた。移住先では自宅で稽古を付け、酒宴を開くこともあると知り、「劇団員にしてきたことが福島でも起こりうる」と大内さんは恐れた。 大内さんは東京地裁で1月16日に開かれた裁判の第1回期日に出廷し、閉廷後に記者団の取材に応じた。法廷に谷氏の姿はなかった。 本誌は谷氏にメールで質問状を送り取材を依頼した。「訴訟代理人を通してほしい」とのことだったので、谷氏の弁護士に質問状を郵送したが、期限までに返答はなかった。 谷氏は福島県で何をしようとしていたのか。公開資料を読み解く。 谷氏は昨年9月16日に「一般社団法人ENGEKI BASE」を設立している。法人登記簿によると、主たる事務所はJR双葉駅西側に隣接する帰還者用の住宅。谷氏の新居だ。代表理事に谷賢一、他の理事に大原研二、山口ひろみの名がある。大原氏は南相馬市出身の俳優で、福島三部作では大内さんと一緒に方言指導を務めた。被害告発後には、谷氏が主宰する劇団を退団したと発表している。 同法人は演劇を主とした文化芸術の発信・交流による福島県の地域活性を事業目的とし、「演劇・舞踊などの舞台芸術作品の創作・発信」「アーティストの招聘」「演劇事業の制作」を掲げている。現在、ホームページが閲覧できず、谷氏の回答も得られていないため全容を知ることはできないが、谷氏はこの法人を軸に福島県での活動を描いていたようだ。 実際、1月20~22日に富岡町で開かれた「富岡演劇祭」(NPO法人富岡町3・11を語る会主催)では、当初協力団体に名を連ね、谷氏はシンポジウムで前出・平田オリザ氏と対談する予定だった。テーマも「演劇は町をゲンキにできるか?」。双葉町へ移住した谷氏あっての企画だ。しかし、大内さんの被害告発を受け、主催者は谷氏との断絶を宣言し、シンポの「代打」には文化庁次長や富岡町職員ら3人を当てた。谷氏が所属していた劇団青年団主宰の平田氏も登壇したが、本来の対談相手がいなくなったことに言及する者は誰もいなかった。 谷氏の「裏の顔」は演劇界以外には知られていなかったので、内情に疎い県民が「被災地を応援してくれている」ともてはやしていたのは仕方がない。問題は、谷氏とまるで関係がなかったかのように取り繕うことだ。 最たる例が地元紙だ。帰還地域に移住した著名人だったこともあり、初めは「再起した双葉から、新たな物語が始まろうとしている」(22年10月9日付福島民友)などと盛んにPRした。ところが大内さんが性被害を公表すると、福島民報も福島民友もばつの悪さからか関連記事は共同通信の配信で済ませている。独自取材をする気配はない。メディアが報じるのに及び腰のため、ネットでは憶測を呼び、当事者はバッシングなどの二次被害を受けている状況だ。 谷氏は口を閉ざすが、大内さんはあらゆるメディアの取材に応じる方針だ。だが、地元メディアは積極的に取り上げようとしない。福島県出身の被害者の真意が県民に伝わらないのは、この県の悲劇である。 その後 https://twitter.com/o_saika/status/1630131447188303873 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1635965899386793984 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1635966118958620672 あわせて読みたい 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」 セクハラの舞台となった陸上自衛隊郡山駐屯地【五ノ井里奈さん】 生業訴訟を牽引した弁護士の「裏の顔」【馬奈木厳太郎】