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桑折町

  • 桑折町・福島蚕糸跡地からまた廃棄物出土

    桑折町・福島蚕糸跡地からまた廃棄物出土

     本誌1、3月号で、桑折町の福島蚕糸跡地から廃棄物が出土したことをリポートした。 桑折町の中心部に、福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸)跡地の町有地がある。面積は約6㌶。震災・原発事故後に災害公営住宅や公園が整備され、残りのスペース2・2㌶を活用すべく公募型プロポーザルを行った結果、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会が最優秀者に選ばれた。 食品スーパーとアウトドア施設、民設民営による幼保連携型認定こども園が整備される予定で、定期借地権設定契約を締結、造成工事がスタートしていた。 そうした中で、いちいが工事を実施しているエリアからアスベストを含む1000㌧に上る廃棄物が出土したため、工事がストップすることになった。 町議会3月定例会では、①町は昨年6月ごろの段階で廃棄物の存在を把握していたのに議会に報告したのが今年1月17日だったこと、②処理費用は5300万円に上り、いちいと町が折半して負担することになったが、プロポーザルの実施要領や契約書には「土地について不足の事態があった際も事業者は町に損害賠償請求できない」と定められていること――などが問題視された。 廃棄物が積まれた福島蚕糸跡地(今年3月撮影)  結局6月定例会で町が処理費用を半額負担する補正予算案が可決されたが、一方で新たな問題も発覚した。 松葉福祉会の認定こども園の建設予定地からも、大量のコンクリートや鉄筋などの建築廃材が出てきたことが明かされたのだ。町産業振興課によると、4月半ばに同福祉会から連絡があり、全体でどれぐらいの量があるかは分かっていないという。 松葉福祉会にコメントを求めたところ、「廃棄物を撤去して土壌改良すれば、さらなる予算がかかるので、設計を一から見直さなければならないし、2024年4月開園は実質的に難しいだろう。今後、町と協議していくことになる」と話した。 認定こども園は当初2024(令和6)年4月開園予定だったが、土壌改良の期間も含め、開園は1年遅れの2025年4月になる見通し。来年度は従来の醸芳保育所と醸芳幼稚園が園児の受け皿となる。 6月15日の6月定例会一般質問では、高橋宣博町長が経緯を説明したうえで「重大で深刻な事態と受け止めている。開園を期待している町民に深くおわびする」と陳謝した(福島民友6月16日付)。 町産業振興課によると、いちいの工事で出てきた廃棄物は福島蚕糸の前に操業していた郡是製糸桑折工場のものとみられるが、今回出てきた廃棄物は福島蚕糸のものとみられる。要するに、過去に立地していた工場の廃棄物がそのまま放置されてきたことになる。いちいと松葉福祉会にとっては、思いがけず高額な処理費用を負担することになった格好。町は町有地として取得する際にこうした状況にあることをチェックできなかったのだろうか。 気になるのは、今回の処理費用も折半にするのかということ。本誌4月号記事で斎藤松夫町議は「いちいに同情して後からいくらか寄付するなどの方法を取るならまだしも、プロポーザルの実施要領や契約書の内容を最初から無視して折半にするのは問題。根拠のない支出であり、住民監査請求の対象になっても不思議ではない」と指摘した。そうした点も含め、町は事業の進め方をあらためて検証すべきではないか。 あわせて読みたい 【桑折・福島蚕糸跡地から】廃棄物出土処理費用は契約者のいちいが負担 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

  • 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

    桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

     本誌1月号に「桑折・福島蚕糸跡地から廃棄物出土 処理費用は契約者のいちいが負担」という記事を掲載した。 桑折町の中心部に、福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸)跡地の町有地がある。面積は約6㌶で、その活用法をめぐり商業施設の進出がウワサされたが、震災・原発事故後に災害公営住宅や公園が整備された。残りの土地を活用すべく、町は公募型プロポーザルを実施。2021年5月、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会が「最優秀者」に選ばれた。 食品スーパーとアウトドア施設、認定こども園が整備される計画で、定期借地権設定契約を締結、造成工事がスタートしていた。記事は、そんな同地から廃棄物が出土し、工事がストップしたことを報じたもの。福島蚕糸の前に操業していた群是製糸桑折工場のものである可能性が高いという。 その後、1月31日付の福島民友が詳細を報じ、〇深さ約30㌢に埋められていたこと、〇町は県やいちいと対応を協議し、アスベスト(石綿)を含む周辺の土ごと除去したこと、〇廃棄物は約1000㌧に上ること――が新たに分かった。 町議会3月定例会では斎藤松夫町議(12期)がこの件について町執行部を追及した。そこでのやり取りでこれまでの経緯が具体的になった。 最初に町が地中埋設物の存在を把握したのは昨年6月ごろで、詳細調査した結果、廃棄物であることが分かった。町がそのことを議会に報告したのは今年1月17日だった。。 そこで報告されたのは、処理費用が5300万円に上り、それを、いちいと町が折半して負担するという方針だった。 斎藤町議は「廃棄物に関しては、この間の定例会でも報告されず、『政経東北』の報道で初めて事実を知った。なぜここまで報告が遅れたのか」と執行部の対応を問題視した。 高橋宣博町長は「廃棄物が出た後にすぐ報告しても、結局その後の対応をどうするかという話になる。あらかじめ処理費用がどれだけかかるか確認し、業者と協議し、昨年暮れに話がまとまった。議会に説明する予定を立てていたところで『政経東北』の記事が出た。決して隠していたわけではない。方向性が定まらない中で説明するのは難しかった」と釈明。「今後、議会にはしっかりと説明していく」と述べた。 一方、プロポーザルの実施要領や契約書には、土地について不測の事態があった際も、事業者は町に損害賠償請求できない、と定められている。にもかかわらず、廃棄物処理費用を折半とする方針について、斎藤町議は「なぜ町が負担しなければならないのか。根拠なき支出ではないか」とただした。 これに対し高橋町長は「瑕疵がないとしていた土地から廃棄物が出ていたことに対しては、事業者(いちい)の考え方もある。信頼関係を構築し、落としどころを模索する中で合意に達した」と明かした。 斎藤町議は本誌取材に対し、「いちいに同情して後からいくらか寄付するなどの方法を取るならまだしも、プロポーザルの実施要領や契約書の内容を最初から無視して折半にするのは問題。根拠のない支出であり、住民監査請求の対象になっても不思議ではない」と指摘した。 福島蚕糸跡地の開発計画に関しては、公募型プロポーザルの決定過程、町の子ども子育て支援計画に反する民間の認定こども園整備について疑問の声が燻り続けている。斎藤町議は追及を続ける考えを示しており、今後の動向に注目が集まる。

  • 【桑折・福島蚕糸跡地から】廃棄物出土処理費用は契約者のいちいが負担

    【桑折・福島蚕糸跡地から】廃棄物出土処理費用は契約者のいちいが負担

     桑折町中心部の町有地で、食品スーパーとアウトドア施設、認定こども園の整備が進められている。ところが、工事途中で、地中から廃棄物が発見されたという。  食品スーパーなどの進出が計画されているのは、桑折町の中心部に位置する福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸と表記)跡地。2001(平成13)年に同工場が操業終了し、約6㌶の土地を町が所有してきた。  その活用法をめぐり商業施設の進出がウワサされたが、震災・原発事故後に災害公営住宅や公園を整備。残りの約2・2㌶を活用すべく、公募型プロポーザルを実施し、町は一昨年5月末、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会を最優秀者に決定した。  昨年3月に町といちいの間で定期借地権設定契約を結び、同年8月にいちいが契約している建設会社が造成工事をスタートした。だが、そこから間もなくして、地中から産業廃棄物が出土、現在は工事がストップしているという。実際に複数の建設業関係者が、敷地内に積まれた廃棄物を目撃している。  町産業振興課に確認したところ、「出土したのはコンクリートがらや鉄パイプなど。町が同地を取得した時点ではそういうものはないと聞いていたし、写真も残っている。福島蚕糸の前に操業していた郡是製糸(現・グンゼ)桑折工場のものである可能性が高い。取得時にはそこまでさかのぼって調査をしていませんでした」と語った。  古い建物となればアスベストなどの有害物質を含んでいた可能性も考えられるが、出土量も含め、その詳細は明らかにされていない。契約では処分費用をいちいがすべて負担することになっているようだが、「数千万円はかかるだろう。町有地から出てきた廃棄物処分費用をすべて負担させるのはいかがなものか」(県北地方のある経済人)と見る向きもある。  いちいに問い合わせたところ、「同計画の担当者がいないので詳細については答えられない」としながらも、「予想外の事態なので、工期の遅れなどが発生する恐れもあるが、町と連携しながら法律に則って対応していく」と述べた。松葉福祉会の担当者は「いちいから報告は受けており、開業に向けての支障はないと聞いている」と回答した。  いちいのスーパーとアウトドア施設は2023(令和5)年秋、松葉福祉会の認定こども園は2024(令和6)年4月に開園予定となっている。  福島蚕糸跡地の開発計画に関しては、公募型プロポーザルの決定過程や賃料設定、認定こども園整備の是非などについて、一部で疑問の声が上がっている。9月の町長選でも争点になり、議会の一般質問で関連の質問が出るなど燻り続ける。そうした中で新たなトラブルが発生し、関係者は頭を悩ませている状況だ。 あわせて読みたい 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

  • 【桑折町・国見町】合併しなかった市町村のいま

    【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま

     人口減少・少子高齢化など、社会・経済情勢が大きく変化する中、国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進してきた。いわゆる「平成の大合併」である。県内では90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。一方で、県内では「平成の大合併」に参加しなかった自治体もある。それら自治体のいまに迫る。今回は桑折町・国見町編。 財政指標は良化、独自の「創造性」はイマイチ  2006年1月1日、伊達郡の伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町が合併して伊達市が誕生した。当初、この合併議論には、桑折町と国見町も参加しており、「伊達7町合併協議会」として議論を進めていた。  ただ、2004年8月に桑折町の林王喜久男町長(当時)が合併協議会からの離脱を表明した。その背景にあったのは、合併後の事務所(市役所本庁舎)の位置。伊達7町合併協議会は事務所の位置に関する検討小委員会で、「新市の事務所は保原町とする」と決定した。それが同年8月11日のことで、それから約2週間後に開かれた桑折町議会合併対策特別委員会で、林王町長は合併協議会からの離脱を表明したのだ。  離脱の理由について、林王町長は①合併に対する基本的な考え方が満たされない、②行政圏域と生活圏域が一致しない、③町民への説明責任が果たせない――等々を明かしていた。とはいえ、当時、同合併協議会の関係者の間ではこんな見方がもっぱらだった。  「伊達地方は(阿武隈川を境に)川東地区と川西地区に分かれ、前者の中心が保原町、後者の中心が桑折町。合併協議が進められる過程で、両町による合併後の主導権争いがあった中、新市の事務所の位置が保原町に決まった。それに納得できない桑折町は『だったら、参加しない』ということになった」  桑折町は旧伊達郡役所が置かれ、「伊達郡の中心は桑折町」といった矜持があった。にもかかわらず、合併後の事務所は保原町に置かれることになったため、離脱を決めたというのだ。  同年9月に正式に離脱が決まり、以降は「伊達6町合併協議会」と名称を変更して、議論を進めることになった。  ところがその後、同年11月に行われた国見町長選で、「合併を白紙に戻す」と訴えた佐藤力氏が当選した。当時、現職だった冨永武夫氏は、県町村会長を歴任するなどの〝大物〟で、「合併を成し遂げることが町長としての最後の仕事」と捉えていた様子だった。一方の佐藤氏は共産党(町長選では共産党推薦の無所属)で、急遽の立候補だったため、準備や選挙期間中の運動も決して十分ではなかった。それでも、結果は佐藤氏3514票、冨永氏3136票で、約380票差で佐藤氏が当選を果たした。投票率は74・81%で、「合併白紙」が民意だったと言える。  当選直後の同年12月議会で、佐藤町長は合併協議会からの離脱に関する議案を提出した。採決結果は賛成8、反対9で離脱案は否決された。それでも、佐藤町長は「合併白紙を訴えた自分が町長選で当選し、町民意向調査でも同様の結果が出ている以上、合併協議会からの離脱は避けられない」との主張を曲げなかった。  このため、2005年1月、伊達6町合併協議会はこのままでは協議が進まないとして、同協議会を解散ではなく、「休止」という措置を取った。それと並行する形で国見町を除く「伊達5町合併協議会」を立ち上げ、協議を進めた。その後、同年3月に合併協定に調印、2006年に伊達市誕生という運びとなった。  こうして桑折町、国見町は合併せず、単独の道を選んだわけ。ちなみに、桑折町で合併協議時に町長を務めていた林王氏は2010年の町長選で高橋宣博氏に敗れ落選。その後は2014年、2018年、2022年と、いずれも高橋氏が当選している。国見町は佐藤氏が2012年11月まで(2期8年)務めた後、太田久雄氏が2012年から2020年まで(2期8年)、2020年からは引地真氏が町長に就いている。  合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう話す。  「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」  そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併についての勉強会(任意協議会)、法定協議会、正式な合併へと舵を切っていった、というのだ。  では、「平成の大合併」から十数年経ち、合併しなかった市町村が、この首長経験者が危惧した状況になったかというと、そうとは言えない。そのため、「合併しなくても、普通にやっていけているではないか。だとしたら、合併推奨は何だったのか」といった思いもあるようだ。 桑折・国見の財政指標  もっとも、合併しなかった市町村にはそれなりの「努力の形跡」も見て取れる。  ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。  別表は桑折町と国見町の各指標の推移をまとめたもの。数字だけを見れば「努力の形跡」が見て取れる。もっとも、投資的事業をしなければ財政指標は良化するから、一概には言えないが。 桑折町の財政指標と職員数の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・9116・1713・1150・40・512008年度9・4119・0413・8167・20・512009年度8・7218・5914・0141・10・502010年度――――13・8120・60・472011年度――――13・768・60・452012年度――――11・941・30・432013年度――――11・819・40・432014年度――――10・311・80・442015年度――――10・415・70・452016年度――――11・010・10・452017年度――――11・67・40・452018年度――――11・43・60・452019年度――――10・414・40・452020年度――――9・636・60・46※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の財政指標の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・2721・0217・5149・10・362008年度5・7422・4318・7126・60・362009年度5・4719・6317・4103・90・352010年度――――15・585・00・342011年度――――12・985・20・322012年度――――11・178・30・302013年度――――10・077・40・292014年度――――8・175・10・292015年度――――7・062・30・292016年度――――6・670・70・292017年度――――6・867・80・302018年度――――6・760・60・322019年度――――5・741・60・332020年度――――4・323・00・33※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  この指標を示して、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)に見解を求めたところ、こう回答した。  「財務指標からだけでは財政運営の良否は判断できません。そこで、桑折町と国見町の場合は、地域環境の似通っている隣接の伊達市と比較して、相対的な評価をするのがよいと思われます」  別表に伊達市の実質公債費比率の推移を示した。2021年度は速報値。今井氏はそれと桑折町、国見町の数字と比較し、次のように明かした。なお、桑折町の2021年度速報値は9・2、国見町は3・2。 伊達市の実質公債費比率の推移 2008年度15・52009年度14・62010年度13・42011年度11・62012年度9・82013年度8・32014年度7・42015年度6・82016年度6・52017年度7・42018年度6・62019年度6・92020年度7・22021年度7・8  「実質公債費比率の推移を見ると、まず伊達市と国見町との差は歴然としています。2008年度時点では、伊達市15・5、国見町18・7と、むしろ国見町のほうが悪い数字だったものが、2021年段階では伊達市7・8、国見町3・2と、国見町の方が大きく改善しています。次に伊達市と桑折町とを比較すると、桑折町の方の改善度が低いように見えますが、最近5年間の推移を見ると、2017年段階で伊達市7・4、桑折町11・6だったところが、2021年段階では伊達市7・8、桑折町9・2となっていて、桑折町は改善しているのに、伊達市は改善していません」  こうして聞くと、相応の努力は見られると言っていいのではないか。もっとも、今井氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 桑折・国見町長に聞く  両町長は現状をどう捉えているのか。町総務課を通して、以下の4点についてコメントを求めた。  ①当時の町長をはじめ、関係者の「合併しない」という決断について、いまあらためてどう感じているか。  ②当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められる。別紙(前段で紹介した財政指標)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」から抜粋したものですが、それら数字についてはどう捉えているか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」の取り組み、今後の対応についてはどう考えるか。  ③当時、本誌取材の中では「多少の我慢を強いられても、単独の道を模索してほしい」といった意見もあったが、実際に住民に対して「我慢」を求めるような部分はあったか。  ④「合併しないでよかった」と感じているか。  回答は次の通り。 桑折町 高橋桑折町長  ①、④合わせての回答  国は、人口減少・少子高齢化等の社会情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的に、全国的に市町村合併を推進したところです。本町においても近隣自治体との合併について検討したものの、分権社会に対応できる基礎自治体構築・将来に希望の持てる合併が実現できるとは言い難いことや、行政圏域と生活圏の一体性の醸成が困難であることなどから、合併しない決断を選択しました。  その後、地方行政を取り巻く環境が厳しさを増す中にあって、行財政改革に努め、健全財政の維持を図りながら町独自の施策展開により、2021年においては人口が社会増に転ずるなど、単独立町だからこそ得られた結果と捉えており、合併しないでよかったと感じております。  引き続き、子どもたちに夢を、若者に元気を、高齢者に安心を届け、「住み続けたいまち 住みたいまち 桑折」の実現に邁進してまいります。  ②の回答  当町は、平成16(2004)年9月に伊達7町による合併協議を離脱し、自立(自律)の道を選択して以降、東日本大震災をはじめとする度重なる災害や社会経済状況の変化、人口減少・高齢化などにより、多様化・複雑化・高度化する行政需要を的確に捉え、住民ニーズに応える各種施策を展開するとともに、事業実施にあたっては、財源確保を図り、「選択と集中」「最小の経費で最大の効果を上げる」ことを常に念頭に置きながら、財政の健全性維持に努めてまいりました。その結果、別紙の「健全化判断比率(4つの各比率)」の推移にありますとおり、平成19(2007)年度以降、各指標とも低下傾向にあり、合併せずとも着々と財政の健全化に向け改善が図られてきたものと捉えております。  とりわけ、企業誘致の促進や移住・定住人口の増加に資する施策に取り組みながら、税収の確保や収納事務の効率化を図るとともに、国・県などの補助制度の積極的な活用に努めてきました。また、シティプロモーションなどPR事業の展開や魅力的な返礼品の充実を図り、ふるさと納税は大幅に伸びております。  今後についても、2022年度策定した「中期財政計画」に基づき、更なる財源の確保、歳出抑制・適正化等、健全で持続可能な財政運営に向けた取り組みを継続し、「住み続けたいまち」であり続けるための各種施策を展開していく考えであります。  ③の回答  合併協議からの離脱後、これまでの間、行財政改革や自主財源の確保を図り、行政需要を的確に捉え、各種住民サービスに努めることにより、町民の理解を得ているところであります。 国見町 引地国見町長  ①の回答  当時の町長選挙の争点が「合併」。合併しないことを公約にした候補が当選したことは、民意が明確に示されたものと考えている。  ②の回答  合併する、しないに関わらず、地方自治体の財政基盤強化、行財政運営の効率化は緊張感を持って取り組むべきことと考える。当町においても自主財源が乏しい中、サービスの質を維持・向上させるため、あらゆる財源の確保に奔走している。同時に、常にコスト意識を持ち、予算編成及び執行に努めながら、将来負担を軽減すべく、起債に係る繰上償還を積極的に行っている。  ③の回答  「合併をしなかった」ことを要因とし、我慢を求めることはなかったと考えている。  ④の回答  当時の決断に対し、その善し悪しを意見する考えはない。唯一申し上げるとすれば、当時の決断を大切に、国見町に住む方々が「国見っていいな」と思ってもらえるよう町政運営に努めたい。 人口減少幅は類似 桑折町役場(左)と国見町役場(右)  桑折町の高橋町長は合併議論時、議員(議長)を務めており、その後は2010年に町長就任して現在に至る。つまりはこの間の「単独の歩み」の大部分で町政を担ってきたことになる。その中で、「単独だからこそ得られたものもあり、合併しないでよかった」と述べている。一方、引地町長は2020年に就任し、まだ2年ほどということもあってか、踏み込んだ回答ではなかった。  両町の職員数(臨時を含む)を見ると、この間大きな変化はなく、国見町はむしろ増えている。もっとも、福島県の場合は、震災・原発事故に加え、ほかにも大規模災害が相次いだこともあり、その辺の効率化を図りにくかった事情もあり、評価が難しいところ。 桑折町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年111人103・12011年115人112・82012年115人109・92013年112人101・42014年113人99・52015年115人100・12016年112人100・12017年112人100・12018年112人99・02019年115人99・02020年117人94・2※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年89人100・72011年86人109・12012年90人108・92013年97人99・52014年105人100・82015年106人99・52016年103人99・62017年103人99・62018年106人99・72019年108人99・72020年107人100・3※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  人口の推移は、伊達市が合併時から約1万2000人減、桑折町と国見町は「単独」を決断したころから、ともに約2000人減。数だけを見ると、伊達市の減少が目立つが、減少率で見ると、伊達市が約17%、桑折町が約16%、国見町が約21%となっている。国見町は2022年度から、国から「過疎地域指定」を受けている。 伊達市、桑折町、国見町の人口の推移 伊達市桑折町国見町2006年6万9122人1万3423人1万0646人2011年6万5898人1万2823人1万0059人2016年6万2218人1万2247人9455人2021年5万8015人1万1431人8612人2022年5万7104人1万1285人8398人各年とも1月1日時点。 思い切った「仕掛け」を  町民の声はどうか。  「この間、大きな災害が相次ぎ、そうした際に、枠組みが小さい方が行政の目が行き届く、といった意味で、良かった面はある。ただ、合併していたら、それはそれで良かったこともあったと思う。だから、どっちが良かったかと聞かれても、正直難しい」(桑折町民)  「純粋に、愛着のある町(町名)が残って良かった」(桑折町民)  「数年前に、天候による果樹の被害があり、保険(共済)に入っていなかったが、町から保険(共済)に入るための補助が出た。そういった事業は単独町だったからできたことかもしれないね」(国見町民)  「合併していたら、『吸収』される格好だったと思う。そうならなかったということに尽きる」(国見町民)  一方で、両町内で事業をしている人や団体役員などからは、ある共通の意見が聞かれた。それは「せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてもいいのではないか」ということ。  「例えば、会津若松市は『歴史のあるまち』で、歴史的な観光資源では太刀打ちできない。一方で、同市では、ソースカツ丼を売り出しているが、そのための振興組織をつくって、本格的に売り出したのは、せいぜいここ十数年の話。あれだけ、歴史的な観光資源があるところでも、それにとどまらず、何かを『生み出す』『売り込む』ということをやっている。そういった姿勢は見習わないといけない。例えば、e―スポーツを学校の授業に取り入れ、先進地を目指すとか。そういったことは小回りが利く『町』だからこそできると思うんだけど」(桑折町内の会社役員)  「国見町で、ここ数年の大きな事業と言えば、道の駅整備が挙げられる。周辺の交通量が多いことから立ち寄る人で賑わっているが、業績はあまり良くない。そもそも、道の駅自体、全国どこにでもあるもので、最初(オープン時)はともかく、慣れてしまえば目新しいものではない。一方で、夜間になると(道の駅に)キャンピングカーなどで車中泊をしている人が目に付く。例えば、キャンピングカーの簡易キッチンに対応した商品を売り出すとか、『車中泊の聖地』になるような仕掛けをしてはどうか。ともかく、道の駅に限らず、何かほかにない目玉になるようなものを作り出していく必要があると思う」(国見町内の団体関係者)  これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。  桑折町、国見町は交通の便がよく、働き口、高等教育、医療、日用品の調達先などで、近隣に依存できる環境にあったからこそ、合併しないという選択ができた面もある。財政指標の良化も見られる。ただ、単独町だからこそ可能な「創造性」という点では乏しかったと言えよう。 桑折町ホームページ 国見町ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する

  • 桑折町・福島蚕糸跡地からまた廃棄物出土

     本誌1、3月号で、桑折町の福島蚕糸跡地から廃棄物が出土したことをリポートした。 桑折町の中心部に、福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸)跡地の町有地がある。面積は約6㌶。震災・原発事故後に災害公営住宅や公園が整備され、残りのスペース2・2㌶を活用すべく公募型プロポーザルを行った結果、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会が最優秀者に選ばれた。 食品スーパーとアウトドア施設、民設民営による幼保連携型認定こども園が整備される予定で、定期借地権設定契約を締結、造成工事がスタートしていた。 そうした中で、いちいが工事を実施しているエリアからアスベストを含む1000㌧に上る廃棄物が出土したため、工事がストップすることになった。 町議会3月定例会では、①町は昨年6月ごろの段階で廃棄物の存在を把握していたのに議会に報告したのが今年1月17日だったこと、②処理費用は5300万円に上り、いちいと町が折半して負担することになったが、プロポーザルの実施要領や契約書には「土地について不足の事態があった際も事業者は町に損害賠償請求できない」と定められていること――などが問題視された。 廃棄物が積まれた福島蚕糸跡地(今年3月撮影)  結局6月定例会で町が処理費用を半額負担する補正予算案が可決されたが、一方で新たな問題も発覚した。 松葉福祉会の認定こども園の建設予定地からも、大量のコンクリートや鉄筋などの建築廃材が出てきたことが明かされたのだ。町産業振興課によると、4月半ばに同福祉会から連絡があり、全体でどれぐらいの量があるかは分かっていないという。 松葉福祉会にコメントを求めたところ、「廃棄物を撤去して土壌改良すれば、さらなる予算がかかるので、設計を一から見直さなければならないし、2024年4月開園は実質的に難しいだろう。今後、町と協議していくことになる」と話した。 認定こども園は当初2024(令和6)年4月開園予定だったが、土壌改良の期間も含め、開園は1年遅れの2025年4月になる見通し。来年度は従来の醸芳保育所と醸芳幼稚園が園児の受け皿となる。 6月15日の6月定例会一般質問では、高橋宣博町長が経緯を説明したうえで「重大で深刻な事態と受け止めている。開園を期待している町民に深くおわびする」と陳謝した(福島民友6月16日付)。 町産業振興課によると、いちいの工事で出てきた廃棄物は福島蚕糸の前に操業していた郡是製糸桑折工場のものとみられるが、今回出てきた廃棄物は福島蚕糸のものとみられる。要するに、過去に立地していた工場の廃棄物がそのまま放置されてきたことになる。いちいと松葉福祉会にとっては、思いがけず高額な処理費用を負担することになった格好。町は町有地として取得する際にこうした状況にあることをチェックできなかったのだろうか。 気になるのは、今回の処理費用も折半にするのかということ。本誌4月号記事で斎藤松夫町議は「いちいに同情して後からいくらか寄付するなどの方法を取るならまだしも、プロポーザルの実施要領や契約書の内容を最初から無視して折半にするのは問題。根拠のない支出であり、住民監査請求の対象になっても不思議ではない」と指摘した。そうした点も含め、町は事業の進め方をあらためて検証すべきではないか。 あわせて読みたい 【桑折・福島蚕糸跡地から】廃棄物出土処理費用は契約者のいちいが負担 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

  • 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

     本誌1月号に「桑折・福島蚕糸跡地から廃棄物出土 処理費用は契約者のいちいが負担」という記事を掲載した。 桑折町の中心部に、福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸)跡地の町有地がある。面積は約6㌶で、その活用法をめぐり商業施設の進出がウワサされたが、震災・原発事故後に災害公営住宅や公園が整備された。残りの土地を活用すべく、町は公募型プロポーザルを実施。2021年5月、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会が「最優秀者」に選ばれた。 食品スーパーとアウトドア施設、認定こども園が整備される計画で、定期借地権設定契約を締結、造成工事がスタートしていた。記事は、そんな同地から廃棄物が出土し、工事がストップしたことを報じたもの。福島蚕糸の前に操業していた群是製糸桑折工場のものである可能性が高いという。 その後、1月31日付の福島民友が詳細を報じ、〇深さ約30㌢に埋められていたこと、〇町は県やいちいと対応を協議し、アスベスト(石綿)を含む周辺の土ごと除去したこと、〇廃棄物は約1000㌧に上ること――が新たに分かった。 町議会3月定例会では斎藤松夫町議(12期)がこの件について町執行部を追及した。そこでのやり取りでこれまでの経緯が具体的になった。 最初に町が地中埋設物の存在を把握したのは昨年6月ごろで、詳細調査した結果、廃棄物であることが分かった。町がそのことを議会に報告したのは今年1月17日だった。。 そこで報告されたのは、処理費用が5300万円に上り、それを、いちいと町が折半して負担するという方針だった。 斎藤町議は「廃棄物に関しては、この間の定例会でも報告されず、『政経東北』の報道で初めて事実を知った。なぜここまで報告が遅れたのか」と執行部の対応を問題視した。 高橋宣博町長は「廃棄物が出た後にすぐ報告しても、結局その後の対応をどうするかという話になる。あらかじめ処理費用がどれだけかかるか確認し、業者と協議し、昨年暮れに話がまとまった。議会に説明する予定を立てていたところで『政経東北』の記事が出た。決して隠していたわけではない。方向性が定まらない中で説明するのは難しかった」と釈明。「今後、議会にはしっかりと説明していく」と述べた。 一方、プロポーザルの実施要領や契約書には、土地について不測の事態があった際も、事業者は町に損害賠償請求できない、と定められている。にもかかわらず、廃棄物処理費用を折半とする方針について、斎藤町議は「なぜ町が負担しなければならないのか。根拠なき支出ではないか」とただした。 これに対し高橋町長は「瑕疵がないとしていた土地から廃棄物が出ていたことに対しては、事業者(いちい)の考え方もある。信頼関係を構築し、落としどころを模索する中で合意に達した」と明かした。 斎藤町議は本誌取材に対し、「いちいに同情して後からいくらか寄付するなどの方法を取るならまだしも、プロポーザルの実施要領や契約書の内容を最初から無視して折半にするのは問題。根拠のない支出であり、住民監査請求の対象になっても不思議ではない」と指摘した。 福島蚕糸跡地の開発計画に関しては、公募型プロポーザルの決定過程、町の子ども子育て支援計画に反する民間の認定こども園整備について疑問の声が燻り続けている。斎藤町議は追及を続ける考えを示しており、今後の動向に注目が集まる。

  • 【桑折・福島蚕糸跡地から】廃棄物出土処理費用は契約者のいちいが負担

     桑折町中心部の町有地で、食品スーパーとアウトドア施設、認定こども園の整備が進められている。ところが、工事途中で、地中から廃棄物が発見されたという。  食品スーパーなどの進出が計画されているのは、桑折町の中心部に位置する福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸と表記)跡地。2001(平成13)年に同工場が操業終了し、約6㌶の土地を町が所有してきた。  その活用法をめぐり商業施設の進出がウワサされたが、震災・原発事故後に災害公営住宅や公園を整備。残りの約2・2㌶を活用すべく、公募型プロポーザルを実施し、町は一昨年5月末、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会を最優秀者に決定した。  昨年3月に町といちいの間で定期借地権設定契約を結び、同年8月にいちいが契約している建設会社が造成工事をスタートした。だが、そこから間もなくして、地中から産業廃棄物が出土、現在は工事がストップしているという。実際に複数の建設業関係者が、敷地内に積まれた廃棄物を目撃している。  町産業振興課に確認したところ、「出土したのはコンクリートがらや鉄パイプなど。町が同地を取得した時点ではそういうものはないと聞いていたし、写真も残っている。福島蚕糸の前に操業していた郡是製糸(現・グンゼ)桑折工場のものである可能性が高い。取得時にはそこまでさかのぼって調査をしていませんでした」と語った。  古い建物となればアスベストなどの有害物質を含んでいた可能性も考えられるが、出土量も含め、その詳細は明らかにされていない。契約では処分費用をいちいがすべて負担することになっているようだが、「数千万円はかかるだろう。町有地から出てきた廃棄物処分費用をすべて負担させるのはいかがなものか」(県北地方のある経済人)と見る向きもある。  いちいに問い合わせたところ、「同計画の担当者がいないので詳細については答えられない」としながらも、「予想外の事態なので、工期の遅れなどが発生する恐れもあるが、町と連携しながら法律に則って対応していく」と述べた。松葉福祉会の担当者は「いちいから報告は受けており、開業に向けての支障はないと聞いている」と回答した。  いちいのスーパーとアウトドア施設は2023(令和5)年秋、松葉福祉会の認定こども園は2024(令和6)年4月に開園予定となっている。  福島蚕糸跡地の開発計画に関しては、公募型プロポーザルの決定過程や賃料設定、認定こども園整備の是非などについて、一部で疑問の声が上がっている。9月の町長選でも争点になり、議会の一般質問で関連の質問が出るなど燻り続ける。そうした中で新たなトラブルが発生し、関係者は頭を悩ませている状況だ。 あわせて読みたい 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

  • 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま

     人口減少・少子高齢化など、社会・経済情勢が大きく変化する中、国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進してきた。いわゆる「平成の大合併」である。県内では90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。一方で、県内では「平成の大合併」に参加しなかった自治体もある。それら自治体のいまに迫る。今回は桑折町・国見町編。 財政指標は良化、独自の「創造性」はイマイチ  2006年1月1日、伊達郡の伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町が合併して伊達市が誕生した。当初、この合併議論には、桑折町と国見町も参加しており、「伊達7町合併協議会」として議論を進めていた。  ただ、2004年8月に桑折町の林王喜久男町長(当時)が合併協議会からの離脱を表明した。その背景にあったのは、合併後の事務所(市役所本庁舎)の位置。伊達7町合併協議会は事務所の位置に関する検討小委員会で、「新市の事務所は保原町とする」と決定した。それが同年8月11日のことで、それから約2週間後に開かれた桑折町議会合併対策特別委員会で、林王町長は合併協議会からの離脱を表明したのだ。  離脱の理由について、林王町長は①合併に対する基本的な考え方が満たされない、②行政圏域と生活圏域が一致しない、③町民への説明責任が果たせない――等々を明かしていた。とはいえ、当時、同合併協議会の関係者の間ではこんな見方がもっぱらだった。  「伊達地方は(阿武隈川を境に)川東地区と川西地区に分かれ、前者の中心が保原町、後者の中心が桑折町。合併協議が進められる過程で、両町による合併後の主導権争いがあった中、新市の事務所の位置が保原町に決まった。それに納得できない桑折町は『だったら、参加しない』ということになった」  桑折町は旧伊達郡役所が置かれ、「伊達郡の中心は桑折町」といった矜持があった。にもかかわらず、合併後の事務所は保原町に置かれることになったため、離脱を決めたというのだ。  同年9月に正式に離脱が決まり、以降は「伊達6町合併協議会」と名称を変更して、議論を進めることになった。  ところがその後、同年11月に行われた国見町長選で、「合併を白紙に戻す」と訴えた佐藤力氏が当選した。当時、現職だった冨永武夫氏は、県町村会長を歴任するなどの〝大物〟で、「合併を成し遂げることが町長としての最後の仕事」と捉えていた様子だった。一方の佐藤氏は共産党(町長選では共産党推薦の無所属)で、急遽の立候補だったため、準備や選挙期間中の運動も決して十分ではなかった。それでも、結果は佐藤氏3514票、冨永氏3136票で、約380票差で佐藤氏が当選を果たした。投票率は74・81%で、「合併白紙」が民意だったと言える。  当選直後の同年12月議会で、佐藤町長は合併協議会からの離脱に関する議案を提出した。採決結果は賛成8、反対9で離脱案は否決された。それでも、佐藤町長は「合併白紙を訴えた自分が町長選で当選し、町民意向調査でも同様の結果が出ている以上、合併協議会からの離脱は避けられない」との主張を曲げなかった。  このため、2005年1月、伊達6町合併協議会はこのままでは協議が進まないとして、同協議会を解散ではなく、「休止」という措置を取った。それと並行する形で国見町を除く「伊達5町合併協議会」を立ち上げ、協議を進めた。その後、同年3月に合併協定に調印、2006年に伊達市誕生という運びとなった。  こうして桑折町、国見町は合併せず、単独の道を選んだわけ。ちなみに、桑折町で合併協議時に町長を務めていた林王氏は2010年の町長選で高橋宣博氏に敗れ落選。その後は2014年、2018年、2022年と、いずれも高橋氏が当選している。国見町は佐藤氏が2012年11月まで(2期8年)務めた後、太田久雄氏が2012年から2020年まで(2期8年)、2020年からは引地真氏が町長に就いている。  合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう話す。  「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」  そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併についての勉強会(任意協議会)、法定協議会、正式な合併へと舵を切っていった、というのだ。  では、「平成の大合併」から十数年経ち、合併しなかった市町村が、この首長経験者が危惧した状況になったかというと、そうとは言えない。そのため、「合併しなくても、普通にやっていけているではないか。だとしたら、合併推奨は何だったのか」といった思いもあるようだ。 桑折・国見の財政指標  もっとも、合併しなかった市町村にはそれなりの「努力の形跡」も見て取れる。  ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。  別表は桑折町と国見町の各指標の推移をまとめたもの。数字だけを見れば「努力の形跡」が見て取れる。もっとも、投資的事業をしなければ財政指標は良化するから、一概には言えないが。 桑折町の財政指標と職員数の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・9116・1713・1150・40・512008年度9・4119・0413・8167・20・512009年度8・7218・5914・0141・10・502010年度――――13・8120・60・472011年度――――13・768・60・452012年度――――11・941・30・432013年度――――11・819・40・432014年度――――10・311・80・442015年度――――10・415・70・452016年度――――11・010・10・452017年度――――11・67・40・452018年度――――11・43・60・452019年度――――10・414・40・452020年度――――9・636・60・46※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の財政指標の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・2721・0217・5149・10・362008年度5・7422・4318・7126・60・362009年度5・4719・6317・4103・90・352010年度――――15・585・00・342011年度――――12・985・20・322012年度――――11・178・30・302013年度――――10・077・40・292014年度――――8・175・10・292015年度――――7・062・30・292016年度――――6・670・70・292017年度――――6・867・80・302018年度――――6・760・60・322019年度――――5・741・60・332020年度――――4・323・00・33※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  この指標を示して、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)に見解を求めたところ、こう回答した。  「財務指標からだけでは財政運営の良否は判断できません。そこで、桑折町と国見町の場合は、地域環境の似通っている隣接の伊達市と比較して、相対的な評価をするのがよいと思われます」  別表に伊達市の実質公債費比率の推移を示した。2021年度は速報値。今井氏はそれと桑折町、国見町の数字と比較し、次のように明かした。なお、桑折町の2021年度速報値は9・2、国見町は3・2。 伊達市の実質公債費比率の推移 2008年度15・52009年度14・62010年度13・42011年度11・62012年度9・82013年度8・32014年度7・42015年度6・82016年度6・52017年度7・42018年度6・62019年度6・92020年度7・22021年度7・8  「実質公債費比率の推移を見ると、まず伊達市と国見町との差は歴然としています。2008年度時点では、伊達市15・5、国見町18・7と、むしろ国見町のほうが悪い数字だったものが、2021年段階では伊達市7・8、国見町3・2と、国見町の方が大きく改善しています。次に伊達市と桑折町とを比較すると、桑折町の方の改善度が低いように見えますが、最近5年間の推移を見ると、2017年段階で伊達市7・4、桑折町11・6だったところが、2021年段階では伊達市7・8、桑折町9・2となっていて、桑折町は改善しているのに、伊達市は改善していません」  こうして聞くと、相応の努力は見られると言っていいのではないか。もっとも、今井氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 桑折・国見町長に聞く  両町長は現状をどう捉えているのか。町総務課を通して、以下の4点についてコメントを求めた。  ①当時の町長をはじめ、関係者の「合併しない」という決断について、いまあらためてどう感じているか。  ②当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められる。別紙(前段で紹介した財政指標)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」から抜粋したものですが、それら数字についてはどう捉えているか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」の取り組み、今後の対応についてはどう考えるか。  ③当時、本誌取材の中では「多少の我慢を強いられても、単独の道を模索してほしい」といった意見もあったが、実際に住民に対して「我慢」を求めるような部分はあったか。  ④「合併しないでよかった」と感じているか。  回答は次の通り。 桑折町 高橋桑折町長  ①、④合わせての回答  国は、人口減少・少子高齢化等の社会情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的に、全国的に市町村合併を推進したところです。本町においても近隣自治体との合併について検討したものの、分権社会に対応できる基礎自治体構築・将来に希望の持てる合併が実現できるとは言い難いことや、行政圏域と生活圏の一体性の醸成が困難であることなどから、合併しない決断を選択しました。  その後、地方行政を取り巻く環境が厳しさを増す中にあって、行財政改革に努め、健全財政の維持を図りながら町独自の施策展開により、2021年においては人口が社会増に転ずるなど、単独立町だからこそ得られた結果と捉えており、合併しないでよかったと感じております。  引き続き、子どもたちに夢を、若者に元気を、高齢者に安心を届け、「住み続けたいまち 住みたいまち 桑折」の実現に邁進してまいります。  ②の回答  当町は、平成16(2004)年9月に伊達7町による合併協議を離脱し、自立(自律)の道を選択して以降、東日本大震災をはじめとする度重なる災害や社会経済状況の変化、人口減少・高齢化などにより、多様化・複雑化・高度化する行政需要を的確に捉え、住民ニーズに応える各種施策を展開するとともに、事業実施にあたっては、財源確保を図り、「選択と集中」「最小の経費で最大の効果を上げる」ことを常に念頭に置きながら、財政の健全性維持に努めてまいりました。その結果、別紙の「健全化判断比率(4つの各比率)」の推移にありますとおり、平成19(2007)年度以降、各指標とも低下傾向にあり、合併せずとも着々と財政の健全化に向け改善が図られてきたものと捉えております。  とりわけ、企業誘致の促進や移住・定住人口の増加に資する施策に取り組みながら、税収の確保や収納事務の効率化を図るとともに、国・県などの補助制度の積極的な活用に努めてきました。また、シティプロモーションなどPR事業の展開や魅力的な返礼品の充実を図り、ふるさと納税は大幅に伸びております。  今後についても、2022年度策定した「中期財政計画」に基づき、更なる財源の確保、歳出抑制・適正化等、健全で持続可能な財政運営に向けた取り組みを継続し、「住み続けたいまち」であり続けるための各種施策を展開していく考えであります。  ③の回答  合併協議からの離脱後、これまでの間、行財政改革や自主財源の確保を図り、行政需要を的確に捉え、各種住民サービスに努めることにより、町民の理解を得ているところであります。 国見町 引地国見町長  ①の回答  当時の町長選挙の争点が「合併」。合併しないことを公約にした候補が当選したことは、民意が明確に示されたものと考えている。  ②の回答  合併する、しないに関わらず、地方自治体の財政基盤強化、行財政運営の効率化は緊張感を持って取り組むべきことと考える。当町においても自主財源が乏しい中、サービスの質を維持・向上させるため、あらゆる財源の確保に奔走している。同時に、常にコスト意識を持ち、予算編成及び執行に努めながら、将来負担を軽減すべく、起債に係る繰上償還を積極的に行っている。  ③の回答  「合併をしなかった」ことを要因とし、我慢を求めることはなかったと考えている。  ④の回答  当時の決断に対し、その善し悪しを意見する考えはない。唯一申し上げるとすれば、当時の決断を大切に、国見町に住む方々が「国見っていいな」と思ってもらえるよう町政運営に努めたい。 人口減少幅は類似 桑折町役場(左)と国見町役場(右)  桑折町の高橋町長は合併議論時、議員(議長)を務めており、その後は2010年に町長就任して現在に至る。つまりはこの間の「単独の歩み」の大部分で町政を担ってきたことになる。その中で、「単独だからこそ得られたものもあり、合併しないでよかった」と述べている。一方、引地町長は2020年に就任し、まだ2年ほどということもあってか、踏み込んだ回答ではなかった。  両町の職員数(臨時を含む)を見ると、この間大きな変化はなく、国見町はむしろ増えている。もっとも、福島県の場合は、震災・原発事故に加え、ほかにも大規模災害が相次いだこともあり、その辺の効率化を図りにくかった事情もあり、評価が難しいところ。 桑折町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年111人103・12011年115人112・82012年115人109・92013年112人101・42014年113人99・52015年115人100・12016年112人100・12017年112人100・12018年112人99・02019年115人99・02020年117人94・2※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年89人100・72011年86人109・12012年90人108・92013年97人99・52014年105人100・82015年106人99・52016年103人99・62017年103人99・62018年106人99・72019年108人99・72020年107人100・3※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  人口の推移は、伊達市が合併時から約1万2000人減、桑折町と国見町は「単独」を決断したころから、ともに約2000人減。数だけを見ると、伊達市の減少が目立つが、減少率で見ると、伊達市が約17%、桑折町が約16%、国見町が約21%となっている。国見町は2022年度から、国から「過疎地域指定」を受けている。 伊達市、桑折町、国見町の人口の推移 伊達市桑折町国見町2006年6万9122人1万3423人1万0646人2011年6万5898人1万2823人1万0059人2016年6万2218人1万2247人9455人2021年5万8015人1万1431人8612人2022年5万7104人1万1285人8398人各年とも1月1日時点。 思い切った「仕掛け」を  町民の声はどうか。  「この間、大きな災害が相次ぎ、そうした際に、枠組みが小さい方が行政の目が行き届く、といった意味で、良かった面はある。ただ、合併していたら、それはそれで良かったこともあったと思う。だから、どっちが良かったかと聞かれても、正直難しい」(桑折町民)  「純粋に、愛着のある町(町名)が残って良かった」(桑折町民)  「数年前に、天候による果樹の被害があり、保険(共済)に入っていなかったが、町から保険(共済)に入るための補助が出た。そういった事業は単独町だったからできたことかもしれないね」(国見町民)  「合併していたら、『吸収』される格好だったと思う。そうならなかったということに尽きる」(国見町民)  一方で、両町内で事業をしている人や団体役員などからは、ある共通の意見が聞かれた。それは「せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてもいいのではないか」ということ。  「例えば、会津若松市は『歴史のあるまち』で、歴史的な観光資源では太刀打ちできない。一方で、同市では、ソースカツ丼を売り出しているが、そのための振興組織をつくって、本格的に売り出したのは、せいぜいここ十数年の話。あれだけ、歴史的な観光資源があるところでも、それにとどまらず、何かを『生み出す』『売り込む』ということをやっている。そういった姿勢は見習わないといけない。例えば、e―スポーツを学校の授業に取り入れ、先進地を目指すとか。そういったことは小回りが利く『町』だからこそできると思うんだけど」(桑折町内の会社役員)  「国見町で、ここ数年の大きな事業と言えば、道の駅整備が挙げられる。周辺の交通量が多いことから立ち寄る人で賑わっているが、業績はあまり良くない。そもそも、道の駅自体、全国どこにでもあるもので、最初(オープン時)はともかく、慣れてしまえば目新しいものではない。一方で、夜間になると(道の駅に)キャンピングカーなどで車中泊をしている人が目に付く。例えば、キャンピングカーの簡易キッチンに対応した商品を売り出すとか、『車中泊の聖地』になるような仕掛けをしてはどうか。ともかく、道の駅に限らず、何かほかにない目玉になるようなものを作り出していく必要があると思う」(国見町内の団体関係者)  これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。  桑折町、国見町は交通の便がよく、働き口、高等教育、医療、日用品の調達先などで、近隣に依存できる環境にあったからこそ、合併しないという選択ができた面もある。財政指標の良化も見られる。ただ、単独町だからこそ可能な「創造性」という点では乏しかったと言えよう。 桑折町ホームページ 国見町ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する