Category

海洋放出

  • 海洋放出にお墨付き【IAEA】国際基準のずさんな内容【尾松亮】

    海洋放出にお墨付き【IAEA】国際基準のずさんな内容【尾松亮】

     海洋放出にお墨付きを与えたとされる国際原子力機関(IAEA)の包括報告書。そこにはどのようなことが書かれているのか。世界の廃炉政策を研究しており、本誌で「廃炉の流儀」を連載している尾松亮さんに解説してもらった。  政府は海洋放出を正当化する根拠として国際原子力機関(IAEA)の報告書(7月4日発表包括報告書)を引き合いに出す。この包括報告書で、IAEAが海洋放出計画を「国際基準に沿ったもの」と認め、お墨付きを与えたというのだ。  例えば、8月1日に行われた茨城沿海地区漁業協同組合連合会との面会で、西村康稔経済産業大臣はこの報告書を持ち出し「放出に対する日本の取り組みは国際的な安全基準に合致している」と説明した(8月2日付NHK茨城NEWS WEB)。  海洋放出計画は「国際基準に合致している」と、各紙各局の報道は繰り返す。  しかし、根拠となった「国際基準」とはどんなもので、何をすれば国際基準に合致すると見なされるのか、そのことを詳しく伝える報道は少なくとも日本では見たことがない。  海洋放出推進の論拠となっているIAEA包括報告書で、その「国際基準」への整合性はどのように証明されているのか。 ①【IAEA包括報告書とは】和訳なし、結論部分だけが報じられる  2023年7月4日、IAEAは「福島第一原子力発電所におけるALPS処理水安全レビューに関する包括報告書」(※) を発表した。 ※IAEA “COMPREHENSIVE REPORT ON THE SAFETY REVIEWOF THE ALPS-TREATED WATER AT THE FUKUSHIMA DAIICHI NUCLEAR POWER STATION” https://www.iaea.org/sites/default/files/iaea_comprehensive_alps_report.pdf  2021年4月にALPS処理水海洋放出を決定した直後、日本政府はIAEAに対して「処理水放出計画を国際的安全基準の観点から独立レビュー」するよう要請した。その要請を受けて実施されたIAEAレビューの内容をまとめたのがこの包括報告書である。  これは付録資料含め全129頁の英文による報告書。発表から1カ月以上経過した8月下旬時点で外務省や経産省のホームページを見ても報告書全体の和訳は無い。数枚の日本語要旨がつけられているだけである。「英語が読めない住民は結論の要約だけ読んで信じれば良い」と言わんばかりである。 表1:IAEA包括報告書の主な構成 章章タイトル1章導入2章「基本的安全原則との整合性評価」3章「安全要求事項との整合性評価」4章モニタリング、分析及び実証5章今後の取り組み  そして日本の報道機関は、この報告書の中身を分析することなく「国際基準に合致」「放射線影響は無視できる程度」という結論部分だけを繰り返し伝えている。  この結論を読むとき、疑問を持たなければならない。メルトダウンした核燃料に直接触れた水の海への投棄を認める「国際基準」とは何ものか? どういう取り組みをしたら、国際安全基準に合致していると言えるのか? その適合評価は十分厳しく行われたのか?  この報告書で処理水海洋放出計画の「国際基準(国際機関であるIAEAが定めた基準)」との整合性をチェックしているのは、主に第2章(「基本的安全原則との整合性評価」)及び第3章(「安全要求事項との整合性評価」)である。  「国際基準に合致」と言われれば、さも厳しい要求事項があり、東電と政府の海洋放出計画はそれらの要求事項を「全て満たしている」かのように聞こえる。しかし報告書の内容を読むと、この「国際基準」がいかに頼りないものであるかが明らかになる。  本稿ではこれら整合性評価で特に問題のある部分について紹介したい。 ②【基本原則との適合評価】こんな程度で「合致」を認めるのか?  例えば2章1節では、「安全性に対する責任」という基本原則との整合性が確認される。 表2:2章で整合性評価される基本的安全原則 節番号項目2.1安全性に対する責任2.2政府の役割2.3安全性に関するリーダーシップとマネジメント2.4正当化2.5放射線防護の最適化2.6個人に対するリスクの制限2.7現世代及び将来世代とその環境の防護2.8事故防止策2.9緊急時対策と対応策2.1現存被ばくリスクを低減するための防護策  これは「安全性に対する一次的責任は、放射線リスクを引き起こす活動あるいは施設の責任主体である個人あるいは組織が負わなければならない」という原則(IAEA国際基準の一つ)である。この原則について適合性はどうチェックされたか、該当箇所を見てみたい。  「日本で定められた法制度および規制制度の枠組みの下、東京電力が福島第一原子力発電所からのALPS処理水の放出の安全性に対する一次的責任を負っている」(包括報告書15頁)。つまり「海洋放出実施企業が安全に対する責任を負う」というルールさえ定めれば、「国際基準に合致」となるのだ。  2章2節は「政府の役割」という基本原則との整合性評価である。これは「独立規制組織を含む、安全性のための効果的な法制度上及び政府組織面での枠組みが打ち立てられ維持されていなければならない」という基本原則。これについてIAEAはどう評価したか。  「原子力規制委員会は独立規制組織として設立され、その責任事項には、ALPS処理水の海洋放出のための東京電力の施設及び活動に対する規制管理についての責任も含まれる」(同17頁)として、「基準合致」を認めてしまう。規制委員会があるからOKというのだ。  2章8節では「核災害または放射線事故を防止するとともに影響緩和するためにあらゆる実践的な取り組みが行われなければならない」という基本原則との整合性が確認される。ここでIAEAは「放出プロセスを管理しALPS処理水の意図せぬ流出を防ぐために東京電力によって安全確保のための堅実な工学的設計と手続き上の管理が行われている」(同29頁)として「原則合致」を認めている。その根拠として、非常時に海洋放出を止める停止装置(Isolation Valves等)があることを挙げている。非常用設備と事故防止計画があるから「基準合致」というのだ。東電のように何度も設備故障を起こし、安全基準違反を繰り返してきた企業に対して、「設備が用意されているから基準合致」というのは甘すぎるのではないか?  ここまで読んで「おかしい」と思わないだろうか? これら「基本原則」は、原子力施設を運営する国や企業に求められる初歩中の初歩の制度整備要求でしかない。これらを満たせば海洋放出計画も「国際基準に合致」ということになるのなら、ほぼ全ての原発保有国は「基準合致」のお墨付きをもらえる。 ③【安全要求事項との適合評価】40年前の基準でも科学的?  3章では「安全性要求事項」との整合性がチェックされている。 表3:3章で整合性評価される安全性要求事項 節番号項目3.1規制管理と認可3.2管理放出のシステムとプロセスにおける安全に関する側面3.3汚染源の特性評価3.4放射線環境影響評価3.5汚染源および環境のモニタリング3.6利害関係者の参画3.7職業被ばく防護  例えば3章4節では、東電の「環境影響評価」がIAEAの基準に沿って実施されているかチェックしている。この東電の「放射線環境影響評価」は、IAEAが「(処理水海洋放出による)人間と環境への影響は無視できる程度」と結論づける根拠となったものだ。  例えば、IAEAの基準「放射線防護と放射線源の安全:国際基本安全基準」(GSR Part3)には、影響評価について次のような規定がある。「安全評価は次のような形で行われるものとする。(a)被ばくが起こる経路を特定し、(b)通常運転時において被ばくが起こりうる可能性とその程度について確定すると共に合理的で実践可能な範囲で、あり得る被ばく影響の評価を行う」(同60頁)  これら基準に定められた評価項目を扱い、定められた手続きに沿って「環境影響評価」を実施すれば、この「国際基準に合致」したことになる。当該環境影響評価が、将来にわたる放射線影響リスクを網羅的かつ客観的に提示することまでは求められていない。そもそも網羅的な影響評価は不可能であり、不確実性が残ることは最初から許容されている。  例えばIAEAは、内部被ばくの影響評価に際して、極めて簡略化された推定値を用いることを容認している。具体的に言えば、国際放射性防護委員会(ICRP)の基準に基づき(1)カレイ目の魚類、(2)カニ、(3)昆布科の海藻、の3種類の海産物を通じた内部被ばくを評価すれば是とする。そして影響評価に際して用いる濃縮係数(汚染された海水からどの程度の放射性物質が水産物に取り込まれるかの指標)については、「魚類の濃縮係数はデータが不足しており不確実である」(同83頁)と認めている。IAEAは「海産物の摂取が主な被ばく源となる」(同72頁) と認めながらも、不確実性の高い内部被ばく評価で合格を与えているのだ。  東京電力は、水産物を通じた内部被ばく評価に際してIAEA技術報告書(TRS―422)に示された濃縮係数を用いている。水産物からの内部被ばくを評価する際に要となるのがこの濃縮係数だ。しかし、技術報告書TRS―422(2004年時点)に示された濃縮係数は20年も昔の数字であることを考慮しないといけない。さらにTRS―422に示された濃縮係数の多くは、前版である1985年の技術報告書(TRS―247)から更新されていない。「多くの要素について、完全な更新はこれまでのところ不可能で、そのためTRS―247に掲載された値が依然として現時点での最良の推定値となっている」(TRS―422、29頁)とIAEAが認める。つまり、ほとんどの値が1985年時点の推定値なのだ。  汚染された海水からどの魚種にどの程度の濃度で放射性物質が濃縮されるのか、の知識は40年近くの間IAEAの基準の中で更新されていない。それでもこの基準に依拠して内部被ばく推定を行えば、「国際基準に合致した科学的な評価」ということになってしまうのだ。  セシウムやストロンチウムを総量でどれくらい放出するのかも分かっておらず、トリチウムの放出量すら粗い推定値しかない。こんな前提条件で科学的・客観的な環境影響評価ができるはずがないのだ。この「国際基準」そのものに相当の欠陥があると言わざるを得ない。 ④「正当化」基準への適合は認められていない  重要な国際基準の一つについてはチェックすらされていない。この「包括報告書」のなかでIAEA自身が、安全基準の一つである「正当化(Justification)」について評価を放棄したことを認めている。「今回のIAEAの安全レビューの範囲には、海洋放出策について日本政府が行った正当化策の詳細に関する評価は含まれない」(同19頁)という。(詳しくは本誌8月号)  「正当化」とは「実施される行為によりもたらされる個人や社会の便益が、その行為による被害(社会的、経済的、環境的被害を含む)を上回ることを確認する」ことを求める基準(GSG―8)である。今回の場合で言えば「海洋放出により個人や社会が受ける便益は何か」「その便益は海洋放出によってもたらされる社会的、経済的被害を上回るものであるか」の確認と立証が求められる。この「正当化」基準に沿った評価が行われていないことについては内外の専門家から指摘がある。  これについて日本政府は「正当化」基準を考慮したと主張する。外務省の英文報告書(2023年7月31日)では「便益について、日本政府はALPS処理水の放出は2011年東日本大震災被災地の復興のために欠かせないものであると結論づけた。被害に関しては(中略)日本政府の考えでは海洋放出が環境や人々に否定的な影響を与える可能性は極めて低い」と述べる。  海洋放出が復興にどのように寄与して定量的にどんな便益をもたらすのか。風評被害や社会的影響も含めた害はどの程度になり、それを便益が上回るものなのか。IAEAの基準に沿った「正当化」が行われた形跡は全く見えない。  金科玉条のように振りかざされる「国際基準に合致」とは、こんな程度のことなのだ。  全文和訳を作らない政府とIAEA、内容を検証せず結論部だけ繰り返す報道機関ともに、このずさんな報告書の内容を国民から隠そうとしているようにしか見えない。 おまつ・りょう 1978年生まれ。 東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学後、通信社やシンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。「廃炉制度研究会」主宰。

  • 大義なき海洋放出【牧内昇平】福島第一原発のタンク群(今年1月、代表撮影)

    大義なき海洋放出【牧内昇平】

     8月24日、政府と東京電力は福島第一原発にたまる汚染水の海洋放出を始めた。約束を守らず、急いで流す必要はなく、代替案を検討する余地もあった。筆者は「大義なき海洋放出」だと思っている。反対する人びとは直前まで街頭で声を上げ、中止や再検討を求め続けていた。直前1週間の取材日記を紹介する。 反対派の声でつづる直前1週間  【8月17日】  午後2時、国会の衆議院第一議員会館。国際環境NGOのFOEジャパンらが経済産業省や東電の担当者と面会した。同団体の事務局長、満田夏花氏が険しい表情で切り出す。  「原子力市民委員会はかねてからモルタル固化処分を提案していますが、反論として挙げられている水和熱の発生は分割固化、水和熱抑制剤投入で容易に対応できると考えられますが、いかがですか」  福島市内の自宅にいた筆者はオンラインでこの会合を視聴した。淡い期待を抱いていた。海洋放出の代替案が議題の一つだったからだ。汚染水を「すすんで海に捨てたい」と言う人はいないだろう。可能な限り他の選択肢を検討すべきだ。マスメディアはほとんど報じないが、海洋放出の他にも汚染水処分のアイデアはある。有力なのが大学教授やプラントエンジニアらが参加する「原子力市民委員会」による「モルタル固化による『半地下』埋設」案である。  コンクリートやモルタルが固まる時には材料の水とセメントが反応して水和熱が生じる。発熱時に水分の蒸発が増え、水に含まれているトリチウムも大気中に出ていってしまう。経産省が汚染水の処分方法を検討した「ALPS処理水の取扱いに関する小委員会」では、水和熱が固化案の課題の一つとされた。「抑制剤を入れれば蒸発量は少ない」という満田氏の指摘に対し、東電はこう答えた。  東電の担当者「固化時の水分蒸発のみが課題ではございません。また、ご指摘の水和熱の発生に対応できたとしても、水分の蒸発がなくなるわけではなく、ご提案のような方法が根本的な解決にはならないと考えています」  この説明に対して原子力市民委員会に所属するプラント技術者、川井康郎氏が反論した。  「たしかに水和熱は発生します。ただ、あくまでも混ぜ始めて数日間、20~30度の温度上昇です。抑制剤を使えば影響は些末です。水分の蒸発がゼロにはなりませんが、含まれるトリチウムは極めて少ないと断言できます。対して海洋放出というのは、タンクにたまる約800兆ベクレルのトリチウムを100%海に放出するんですよね。その際のトリチウムの量と、固化時の水分蒸発にわずかに溶け込んだトリチウムの量。これを比較することは全くできないと思います。それを同じ土俵で考えてモルタル固化案を否定するのは技術的な考え方ではありません」  満田氏「水分の蒸発量を東電では試算しているのでしょうか?」  東電の担当者「ちょっと今、その情報を持ち合わせていません。20年に小委員会報告書が出されていて、そこでは地下埋設という処分方法については《規制的、技術的、時間的な観点から課題が多い》と書かれていたと認識しております」  筆者は驚いた。蒸発量のデータを持たないまま、「水分が蒸発するからダメ」と説明していたことが判明したからだ。市民側の追及は続く。  満田氏「小委員会などで議論されていたのは『地下』埋設です。原子力市民委員会が提案しているのは『半地下』案です。モニタリングが難しいとか、費用がかかるとか、地下埋設の弱点を改善した案なんです。それについて一顧だにせず、公の場で議論してきませんでした。にもかかわらず『すでに議論したからいいんだ』という感じで却下されるというのはいかがなものかと思います」  東電の担当者「我々としては報告書の結果を受けて海洋放出が政府の方針として決められて、それに基づいて行っているというところです」  東電の言い分としては「政府の方針に従っているだけだ」ということ。これはこれで正しい。説明責任は日本政府にある。  満田氏「経産省さんはいかがでしょうか」  経産省の担当者「ええと……処分方法の決定にあたっては6年以上、トリチウム水タスクフォースやALPS小委員会で議論がなされていたところであります……」  経産省からの回答はこれだけだった。これには市民委員会のメンバーで、かつて原発の設計にたずさわっていた後藤政志氏が怒った。  後藤氏「小委員会で専門家が技術的な検討を重ねたと言いますが、皆さんからの疑問に対して正面から答えられないような、そんな委員会であるならば存在価値がない!」  経産省からは何の反論もない。筆者はため息をついてパソコンを閉じた。真摯な議論が聞けると思ったのに期待を裏切られたからだ。この日の会合取材ではっきりしたのは、経産省も東電も代替案をまじめに考えていないことだ。FOEジャパンは事前に質問状を渡していたという。回答を準備する時間はあったはずだ。代替案が検討されないまま、海洋放出が唯一の選択肢であるかのように事態は進んでゆく。  午後5時半、岸田首相は日米韓首脳会談に出席するため、政府専用機で米国に向かった。  首相官邸前に市民が集結 海洋放出反対のボードを掲げる首相官邸前アクションの参加者(8月18日、牧内昇平撮影)  【8月18日】  筆者は新幹線に乗って東京へ。午前10時、東京都千代田区の首相官邸前には200人を優に超える市民たちが集まっていた。うだるような暑さの中、横断幕やプラカードを掲げる。  《約束を守れ!》《安全な陸上で保管できる》《福島は怒っている 汚染水ながすな》  海洋放出に反対する市民グループ「これ以上海を汚すな!市民会議」(これ海)と「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」が主催した首相官邸前アクションだ。三春町の武藤類子さんがマイクを握った。  「今日岸田首相は日米韓首脳会談のためにアメリカに行っています。しかし、岸田首相が聞くべき声はバイデン大統領やユン大統領の意向ではありません。聞くべきは漁業者をはじめとする原発事故の被害者、国内の市民の声、そして海でつながる他の国々の市民の声だと思います」  その通りだ。続いて「これ海」共同代表、いわき市の佐藤和良さんがスピーチを行う。  「全国の漁業者が一丸となって反対し続けているではありませんか。そしてまた福島県民はじめ多くの原発事故被害者が、この放射性液体廃棄物の海洋投棄に反対しているんです。東日本大震災で塗炭の苦しみを味わって12年、ここまできました。沿岸漁業もようやく震災前2割の水揚げに至ったばかりです。ここで汚染水を流されたら生業が成り立ちません。会津には『什の掟(じゅうのおきて)』というものがあります。『ならぬことはならぬものです。嘘を言うことはなりませぬ』。岸田首相にこの言葉を贈ります!」  参加者たちは炎天下の官邸前から参議院議員会館に移動し、集会を続けた。急に冷房が効いた場所へ入り、汗で濡れたシャツが冷たくなる。いわき市の米山努さんが話した。時折涙ぐんでいる。米山さんはかつて筆者に、「海洋放出は福島県民にとって末代への恥だ」と指摘していた。放出が間近に迫り、胸が締めつけられる気持ちなのだろう。  「私は海産物が好きですから毎日のように近くの海で獲れたアイナメとか、いろいろな魚を食べています。トリチウムは有害であることをはっきりと言っておきたいと思います。政府は問題ないと宣伝していますが、資料を調べれば調べるほど有害性にどきっとします。たとえばトリチウムは人体の臓器の中では脳にとどまることが多いようです。また、有機物に結合したトリチウムが体内に取り込まれた場合、生物学的半減期(代謝や排せつで半分に減るまでの期間)は100~600日くらいだそうです。長く体内にとどまり、細胞のごく近くでトリチウムのベータ線を放出し続けるわけです」   「これ海」共同代表、いわき市の織田千代さんはこう話した。  「海は世界につながる豊かな命のかたまりです。放射能を流し続けるという無謀なことを日本政府が行っていいはずがありません。事故を経験した大人の責任として、未来の子どもたちにきれいな海を手渡したい、約束を守ることの大切さを伝えていきたいと思うのです。海洋放出はやめてと叫び続けましょう」  織田さんは叫び続けてきた。2年前の4月13日に政府が海洋放出方針を決めて以来、「これ海」は毎月13日に反対行動を続けてきた。伝わらないもどかしさを感じながら、それでも声を上げ続ける姿勢に筆者は敬意を抱く。この声はいつになったら政府に届くのか。岸田首相はこの日の午後、米ワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地に到着。 岸田首相に向けて「反対」の声 【8月19日】  福島に戻った筆者は朝からやる気が出ない。前日からこんなニュースばかりだからだ。  《岸田首相は福島第一原発を20日にも訪問する方向で最終調整に入った。(中略)首相は近く関係閣僚会議を開き、月内にも放出開始の日程を判断する》(19日付福島民報)  本誌編集部の志賀哲也記者から一報をもらった。「不確実な情報ですが、岸田首相は朝、新幹線でJR郡山駅に来て、帰りはいわき駅から特急に乗って帰るようです」。  海洋放出に反対する人びとはこの情報をつかんでいるだろうか。心配が頭をかすめたが、間違っていたら悪いので、とりあえず経過を見守るしかない。志賀記者が郡山駅で写真をおさえ、私は原発付近に向かうことにした。  【8月20日】 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1693071630145335489 岸田首相に海洋放出反対を訴えた宍戸さん(8月20日、牧内昇平撮影)  午前9時半、岸田首相が郡山駅に到着。志賀記者の情報はビンゴだった。反対する人びとの集会は開かれていないという。やはり情報が入っていないのだ。首相は直接、反対の声を聞くべきだ。筆者は福島市に住む宍戸幸子さんに電話をかけた。連日のように街頭で放出反対を訴えている宍戸さんなら一緒に来てくれると思ったからだ。「情報が正確だと分かりました。宍戸さん、今から出られますか?」「もちろん!」。原発の近くから福島市に引き返し、宍戸さんと合流していわき駅へ向かった。  正午すぎ、いわき駅に到着。警察官が歩き回っているなか、改札を出たところの広場で首相の到着をひたすら待つ。午後3時すぎ、特急ひたちのホームに降りようとする集団を発見。中央に首相の姿を認める。カメラを構えながら宍戸さんに「来た!」と叫んだ。宍戸さんは一瞬「どこ?」と戸惑ったが、気を引き締めて大きな声で叫んだ。  「海洋放出は絶対反対ですから!反対ですから!」  新聞紙で覆っていた手書きのポスターをかかげる。《反対してるのに! 海洋放出するな》  首相の姿が見えたのはわずか数秒だった。宍戸さんの叫び声は届いただろうか? 岸田首相はこの日、原発構内で東電の最高幹部たちと面会、報道対応を行った。しかし、福島の人びとと語り合う時間はつくらなかった。 【8月21日】  午後2時、福島市内の杉妻会館で「福島円卓会議」が始まった。海洋放出や廃炉の問題を議論するために県内の有識者や市民が集まった会議だ。ホールには事務局長の林薫平・福島大准教授の声が響いた。  「一、今夏の海洋放出スケジュールは凍結すべきである。二、地元の漁業復興のこれ以上の阻害は許容できない。三……」  林氏が読み上げたのは「緊急アピール」の文案だった。円卓会議はこの夏に発足。7月11日と8月1日に会合を開き、この日が3回目だ。議論を重ねるにはまだ時間が必要だったと思うが、事態は急を要するため、緊急アピールを発出することになったという。参加した市民たちと約2時間にわたる意見交換を行い、その場でアピールの文面を固めた。  この会議がもっと早く始まってくれればよかったのに、と筆者は思う。だが、内堀雅雄福島県知事が海洋放出に対する賛否を示さず、結果的に政府・東電の計画を追認してしまっているのが現状だ。地元福島の有識者・市民が自主的に集まり、意思表明することには大きな価値がある。  誰でも会議に参加でき、挙手すれば意見を述べられるという進行方法もいいと思う。事務局は政府や東電にも会議への出席を求めてきたという。しかし、これまでの会議には誰も参加していないようだ。ここでも「丁寧に説明する」という政府・東電の言葉がいい加減なものだとわかる。  午後4時、岸田首相は全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長を官邸に呼んだ。福島県漁連の専務理事も同席した。着々と地ならしが進んでいく印象。 決して賛否を示さない内堀知事 筆者の質問に答える内堀雅雄知事(写真中央、8月22日、牧内昇平撮影) 【8月22日】  午前10時、関係閣僚等会議が開始。岸田首相が「具体的な放出時期は8月24日を見込む」と発表する。  午後になって頼みの志賀記者から連絡が入った。2時半から西村康稔経産相が県庁を訪ね、内堀知事と吉田淳・大熊町長、伊澤史朗・双葉町長と面会するとのこと。県庁に取材を申し込んだら「経産省のほうで受け付けを行っています」とにべもない。しかも経産省はすでに申し込みを締め切ったという。  西村氏に続いて東電ホールディングスの小早川智明社長が内堀知事ら3氏と面会した。終了後、報道陣への取材対応の時間があった。筆者と内堀氏のやりとりを再現する。  筆者「フリーランスの牧内といいますが、何点かうかがいます」  内堀氏「すみません。時間の関係があるので一点でお願いします」  筆者「一点?」  内堀氏「はい」  筆者「これまで何度も聞かれていると思いますが、そもそも内堀さんは海洋放出に賛成なんでしょうか、反対なんでしょうか。理解を示しているのでしょうか、示していないのか。その点を明らかにしてもらいたいと思います」  内堀氏「はい。今ですね、二つの中の選択肢で選んでくれというお話をしました。今日私が経済産業大臣そして東京電力の社長にお話した内容、非常に複雑多岐な内容を含んでいます。漁業者の皆さんの思いも含んでいます。また、処理水の海洋放出に反対の方の意見も入っています。一方でまさに立地自治体であったり、避難地域12市町村の復興を前に進めたい、あるいは福島県の風評というものをしっかりなくしていきたいという県民の皆さんの思いも入っています。二つの選択肢の中のどちらかを選ぶということは、原子力災害の問題では極めて困難だと考えています。そのうえで広域自治体である県としては、それぞれの立場の真剣な思いというものを福島県の意見の中に取り入れつつ、これまで政府高官に対する要請を21回、また、復興推進委員会、復興再生協議会等の場において26回、この2年4カ月の間にお話をしてきました。一言で結論を出すことが難しい。それがこの原子力災害の葛藤だと考えています」  筆者「政治家としては決断を下すのが仕事だと……」  内堀氏(再質問している筆者から目を背けてほかの新聞記者を指し)「お願いします」  県庁の広報担当「一問限りでお願いいたします」  筆者「ダメなんですか?」  県庁の広報担当(無回答のまま)「じゃ、河北新報さん」  内堀氏(河北の記者のほうを向いて)「どうぞ」  この期に及んで内堀氏は海洋放出の是非について判断を示さなかった。「原子力災害の問題は二つの選択肢のどちらかを選ぶのが極めて困難だ」と言う。だが、いろいろな人と話し合ったうえで正解のない問題に決断を下すのが政治家の仕事だろう。福島県には原子力緊急事態宣言が出されている。まさに今、原子力災害は継続中である。「どちらかを選べない」人が行政トップの座に就いていて大丈夫だろうか(ちなみに複数質問した記者もいたことを付記しておく)。 注目される差し止め訴訟 【8月23日】  「今年の5月から裁判を準備してきました。原告数は100人を超えることを目指しています」  いわき市文化センターの会議室で、広田次男弁護士が海洋放出の差し止めを求める裁判を起こすと発表した。県内外の漁業者や市民が原告、国と東電ホールディングスが被告となる。海洋放出によって漁業者たちは生存の基礎となる生業を破壊される。一般の人びとも汚染されない環境で平穏に生活する権利を奪われる。漁業行使権、人格権(平穏生活権)が侵害されるとの主張だ。広田氏と共に弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は海洋放出が倫理に反している点を強調した。  「福島第一原発の敷地内外には広大な土地があります。国や東電は『燃料デブリの用地確保が必要だ』と言いますが、デブリはまだ数㌘しか取れていません。大量に取り出せるのは何十年も先です。そんな先のことのために、空き地を使わず放流するというのはインチキです。ひと言でいえば『不要不急の放流』です」  9月8日に第一次提訴があるという。政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の最大の役割だ。海洋放出をめぐる法廷闘争がいよいよ始まる。  【8月24日】 大熊町で海洋放出直前に行われた抗議活動の様子(8月24日、牧内昇平撮影)  午前9時、筆者は大熊町夫沢付近にある国道6号の交差点に到着した。交差点から車を東に進めれば福島第一原発の敷地に至る。が、当然そこは封鎖され、一般車両は通行できない。数台のパトカーが停まり、制服の警察官が取り締まっている。海洋放出に反対する人びとが交差点に集まってきた。放出は午後1時の予定だと報じられていた。放出前最後の抗議になるだろう。  人びとは横一列に並ぶ。歩道に沿って《海に流すな》と書かれた横断幕をかかげる。ここでもリレースピーチが行われた。このエリアを歩いている人はいない。主に報道陣へ語りかける。  南相馬市の佐藤智子さんが話す。  「海は誰のものでしょう。みんなのものです。決して政治のトップや官僚や大企業だけのものではありません。なのに、私たちが住む地球の美しい環境を汚すっていうことに私はすごく憤りを感じます。私たち大人はまだいいですよ。子どもや孫、次世代の人たち、動植物の命を侵すことになる。私は肌でそう感じています。主婦です。単なる主婦。主婦がそう思うんです。そういうほうが案外当たっていると思います。陸上保管! 海洋放出反対!」  佐藤さんは「メディアの方々、きちんと報じてください」と語りかけた。だが、集まった報道陣はそれほど多くない。しかも半分ほどは海外メディアだった。筆者も韓国・京郷新聞のイ・ユンジョン記者から頼まれ、現地にお連れしていた。  浪江町から福島市に避難し、今も同市に住む今野寿美雄さんが話した。  「流したら福島県の恥だよ。福島も宮城も漁業は壊滅します。魚はもう食えなくなっちゃうよ。政府は全然科学的じゃないよ。原発のエンジニアとして言います。トリチウムは危険です。海はゴミ捨て場じゃないよ。それでなくても運転中の発電所からトリチウムが流れている。でも、今流そうとしているのは汚染水だよ。トリチウムだけじゃないよ。薄めて流すというけど、薄めたって総量は一緒なんです。生体濃縮した魚を食べたら人間の体にも入ってくるんです。水俣病で分かったことをまた同じことを繰り返そうとしているんです。馬鹿じゃないの?」 メディアの責任も問われている  原発で働いてきた今野さんは、事故後は子どもたちを無用な被ばくから守るための裁判で原告団長も務めてきた。放射線の怖さを肌身で感じてきたからだろう。今野さんの顔が紅潮してきた。怒りが止まらない。  「汚染水流すのやめろ。ここに爆弾あるんだったら爆弾を投げつけたいよ。ほんとに……ふざけんな!」  南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。原発の方角へお経を唱えている人がいる。千葉県にある妙法寺の法尼、矢向由季さんだ。法尼の声は時に穏やかに、時に力強く、寄せては返す波のように延々と続く。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。  午後1時すぎ、予定通り海洋放出が始まった。NHKはヘリコプターを飛ばして上空からの映像を中継している。そのくせ報じている内容は政府の言い分がベースになっている。本当に安全であり、本当に不可避ならば、大げさに伝える必要があるのだろうか。経過は大きく報じるものの、肝心の「是非」についてはっきりした考えがわからない。そのうえ反対意見は丁寧に拾わない。結果として政府を後押しする役割を果たす。多くのマスメディアに対して筆者は同様の印象を抱いている(「風評被害」を強調するだけでは、じゃあ賠償しますという話にしかならない。本来必要なのは代替案などの検証だ)。  一緒に取材したイ・ユンジョン記者は「なぜ日本では大規模な反対運動が起こらないのでしょうか」と不思議がっているが、声を上げている人は確かにいるのだ。それを伝えていないメディアの責任は大きい。報道陣の端くれである筆者も含めて。  双葉町にある産業交流センターの屋上階にのぼった。正面に太平洋が見える。まさに今、30年、40年と続く汚染水の放出が始まった。海は、変わらず青い。しかし私たちは次世代まで責任をもてるだろうか。  8月24日は、新たな負の記念日として記憶された。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】

    経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】

     東京電力福島第一原発のタンクにたまる汚染水(「ALPS処理水」)の海洋放出に理解を得ようと、政府が大々的なPR事業を展開している。昨年末に全国のお茶の間を騒がせたのは、大手広告代理店の電通が作ったテレビCMだった。そのほかにも多岐にわたる事業が行われていることを紹介したい。(ジャーナリスト 牧内昇平)  2月18日土曜日のお昼前、春の近さを確信させるような晴天の下、筆者はJRいわき駅からバスに乗っていわき市中央卸売市場に向かった。土曜日のためか人の姿がほとんどない駐車場を通り過ぎ、中央棟2階の研修室の扉を開けると、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。  「油がはねますから、気をつけてくださいねー」。三角巾にエプロン姿の子どもと保護者12組24名が見守る中、講師の先生がアンコウを揚げ焼きにしている。続いて薄切りにしたカツオと野菜をフライパンに入れ、バターやポン酢をからめて火を通す。さらにいい香りが部屋じゅうを包み込む。子どもたちがつばを飲む音が聞こえたかと思ったら、ファインダー越しに撮影を試みる筆者自身のつばの音だった。 講師の実演が終わるといよいよ子どもたちの出番である。それぞれの調理台に散らばり、クッキング、スタート! なぜ筆者が楽しくにぎやかな料理教室を訪れたかと言うと……。     ◇ ◇ ◇ CMだけでなかった海洋放出PR事業 経産省のHPより引用【ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金事業(多核種除去設備等処理水風評影響対策事業)】  本誌先月号に筆者が書いた記事のタイトルは「汚染水海洋放出 怒涛のPRが始まった」だった。大手広告代理店の電通がテレビCMを作り、昨年12月半ばから2週間にわたって全国で放映した。海洋放出には賛否両論あり、特に福島県内では反対意見が根強い。そんな中で政府の言い分のみをCM展開するのは一方的ではないか。これでは政府主導のプロパガンダ(宣伝活動)と言わざるを得ない、と筆者は書いた。 ただし政府が行っている海洋放出PR事業はこのテレビCMにとどまらない。経済産業省は2021年度の補正予算を使い、「海洋放出に伴う需要対策」という新たな目的の基金を創設。そこに300億円という大金を注ぎ込んだ。そのうち9割は水産業者支援のために使い、残りの約30億円を「風評影響の抑制」を目的とした広報事業に充てるという。これが筆者の言う「プロパガンダ」の原資だ(もちろん「海洋放出」に限定しなければ復興庁などがすでに様々なPR事業を行っている)。 現在基金のホームページに公開されている「広報事業」は別表の10件である。読売新聞東京本社が入り込んでいるのか!など、社名を眺めるだけでも興味深いものがある。 2022年度に始まった海洋放出PR事業の数々 事業名予算の上限公募時期事業期間落札企業廃炉・汚染水・処理水対策の理解醸成に向けた双方向のコミュニケーション機会創出等支援事業2500万円22年5月~6月23年3月31日までJTB廃炉・汚染水・処理水対策に係るCM制作放送等事業4300万円22年5月~6月23年3月31日までエフエム福島被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業8000万円22年7月23年3月31日までユーメディアALPS処理水の処分に伴う福島県及びその近隣県の水産物等の需要対策等事業2億5千万円22年6月~7月23年3月31日まで(ただし延長の場合あり)読売新聞東京本社ALPS処理水に係る国民理解醸成活動等事業12億円22年7月23年3月31日まで電通ALPS処理水による風評影響調査事業5千万円22年7月~8月23年3月31日まで流通経済研究所ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業1億円22年9月23年3月31日まで博報堂三陸・常磐地域の水産品等の消費拡大等のための枠組みの構築・運営事業8千万円22年10月~11月23年3月31日までジェイアール東日本企画廃炉・汚染水・処理水対策に係る若年層向け理解醸成事業4400万円22年10月~11月23年3月31日まで博報堂福島第一原発の廃炉・汚染水・処理水対策に係る広報コンテンツ制作事業1950万円23年1月~2月23年5月31日まで読売広告社「ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金事業」のウェブサイトで公開されている情報を基に筆者作成https://www.alps-kikin.jp/PubRelation/index.html ※掲載後、新たな採択情報は下記の通り。 2023/03/24「「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」事務局運営事業」に関する事業公募の採択結果【2023年3月24日掲載】 2023/03/29「令和5年度被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業」に関する事業公募の採択結果【2023年3月29日掲載】 出前食育事業に怒りの声  別表のうち、テレビCMと並んで「物議」を醸したのが出前食育事業、正式には「ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業」である。受注業者を募る際、基金は大雑把な内容を「公募要領」として公開した。そこにはこう書いてあった。 〈漁業者団体や地方公共団体の連携の下、小中学生等を対象にした「出前食育活動」を実施する。具体的には、小中学生等を対象に、福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けて、漁業者等による出前授業や関連の資料提供・説明等を実施するとともに、そうした理解醸成活動の一環として、福島県及びその近隣県の水産物を学校給食用の食材として提供する〉 筆者が傍線を入れたあたりが、原発事故以来子育てに悩んできた福島の人びとの怒りに触れた。 《も~我慢できない!子どもを広告塔にするな!原発事故の加害側の悪だくみを止めてみせるぞ!》 原発事故後の福島の問題を考えるNPO「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」は2月6日、オンラインのトークイベントでこの「出前食育事業」を取り上げた。出演したのは県内に住む千葉由美さん、鈴木真理さん、片岡輝美さんの3人。いわき市在住、原発事故当時子育ての真っ最中だった千葉由美さんが語る。 https://www.youtube.com/watch?v=Na0dY1b6S-M&t=1s 【いちいちカウンター#10】第2弾!も〜我慢できない!子どもを広告塔にするな!原発事故の加害側の悪だくみを止めてみせるぞ!  「原発事故の加害側である国が、自分たちに都合のいいように子どもを利用しようとしています。こんなことがあってはならないと思っています」 千葉さんは事故直後の経験を語った。自分の子に弁当を持たせて学校に通わせたこと。無用な被ばくから身を守るためだったが、まわりの子が給食を食べている中では精神的につらい思いをさせただろうこと。片岡さんも当時を振り返った。 「あの頃は大混乱だったじゃないですか。親も子どもも大変だったと思います。今回の『食育』は単発のイベントとは言え、子どもたちがまた切ない思いをするかと思うと……」 鈴木さんが思いを吐き出した。 「なんで子どもたちを利用するの? 勘弁してほしいですよ!」 3人のすごいところは、県内のすべての市町村に電話で問い合わせてしまったところだ。経産省から出前食育の知らせを受けているか、小中学校で実施する予定はあるか、を手分けして担当者に聞いたという。地道な取材力に脱帽である。トークイベントではその聞き取り結果も披露してくれた。 それによると、3人が調査した時点では県内の7自治体が事業案内を受け取ったが、いわき市などの教育委員会はすでに「実施しない」と回答した。現時点で「実施した」という例は一つもない――ということだった。 出前食育事業はどこへ? 経産省ウェブサイトにアップされている料理教室のチラシ。『ALPS処理水』や『海洋放出』という言葉は使われていない。(経産省ウェブサイトから引用)https://www.meti.go.jp/earthquake/fukushima_shien/event_ryori_fukushima.html  トークイベントが終了し、パソコンの画面を閉じた筆者は腕を組んで考えた。出前食育の事業の期限は3月末である。2月の時点で県内の実施校が一つもないというのはどういうことなのか。これは自分でも調べねばなるまい。 まずは福島市と郡山市の教育委員会に聞いてみた。どちらの担当者も「案内は来ていません」。やはりそうか。次はいわき市だ。市教委学校支援課の担当者はこう話した。「出前講座の件は昨年秋、市の水産課と県の教育庁と、2つのルートから知らせをもらいました。市長部局とも相談した結果、お断りすることになりました」。 断った理由を聞いてみた。「市の学校給食の提供の考え方に合わないと判断したからです。安心・安全な食材の提供が大原則です。ふだんの給食でさえ、福島県産の食材に対して不安を感じる保護者の方もいます。そういう状況で、海洋放出と関連させて海産物の提供を行ったらどうなるのか。状況は不透明です」と担当者は話した。 ちなみにいわき市水産課に問い合わせたところ、「昨年の夏以降、経産省の職員の方と別件で会った時、『実はこんなことも考えているんです』という情報をもらいました。うちは担当ではないのですぐ教育委員会に転送しました」とのことだった。 今度はこの事業を取り仕切っている側に聞いてみよう。テレビCMや出前食育などの広報事業については「原子力安全研究協会」という公益財団法人が連絡窓口になっている。同協会の担当者に学校給食への出前講座の件を聞くと、「現段階で何件実施しているかなどは把握していません。教育委員会や学校の方からご理解をいただくのが難しい面はあると聞いておりますが……」と奥歯に物が挟まったような言い方である。 もしや「実施ゼロ」で終わるのでは? 確認のため、筆者は経産省(原子力発電所事故収束対応室)の担当者に電話した。 筆者「理解醸成に向けた出前食育事業の件はどうなっていますか?」 経産省「あれはですね。地元産品を使用した料理教室などを行う事業です」 筆者「えっ? 事業の公募要領には〈漁業者による出前授業〉や〈学校給食用の食材として提供〉と書いてありましたよね」 経産省「あれは公募時にあくまで事業の一例として挙げたものです。当初はそういうことも想定していましたが、受注業者(博報堂)などとの話し合いの結果、料理教室を開催する方向になりました」 筆者「いくつかの市町村には案内を出したんですよね」 経産省「経産省からの公式な案内といったものは出していないと認識しています。私自身はそういうことをしていませんが、事業内容を検討している段階で経産省の職員が話題にした、というくらいのことはあるかもしれません」 筆者「……」 「学校給食への食材提供」はいつの間にか「料理教室」に様変わりしていたようだ。「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」の千葉さんたちだけでなく、いわき市教委や原子力安全研究協会もその変更を知らないのでは……といったモヤモヤを残しつつ、筆者はその料理教室の情報を調べてみた。 参加費無料。保護者と子どもがペアで参加。ただし子どもは小中学生に限定。開催場所は宮城県内の2か所(仙台・利府)といわき市の合計3会場。初日は2月18日土曜日の午前10時半……。 ということで筆者は先日、いわき市中央卸売市場を訪れたのだった。     ◇ ◇ ◇ 「皆さんはどんなお魚料理が好きですか?」「福島県の常磐ものは東京の築地や豊洲の市場でも新鮮でおいしいと評判ですよ!」 調理の前、料理教室の講師が約20分間のレクチャーを行った。常磐ものの魚の紹介や一般の魚介類に含まれる栄養素の説明が続く。 メモをとりながらやっぱりおかしいなと思ったのは、講師の説明の中には「ALPS処理水」や「海洋放出」という言葉が出てこないことだ。イベントの事務局によると、調理実習後に特段の説明は行わないそうなので、参加者が海洋放出について理解を深めるのはこのタイミングしかない。しかし、そんな話題は一切出てこなかった。念のため参加者たちへの配布物も確認してみた。福島の海産物の魅力の紹介はあっても、「ALPS処理水」や「海洋放出」には触れていない。 このことは事前に経産省(原発事故収束対応室)の担当者からも聞いていた。 経産省の担当者「海洋放出への理解醸成が目的ではありますが、放出に反対の方々にもご参加いただける企画にしたいと考えております。安全ですよと大々的に宣伝するというよりも、常磐もの、三陸ものの魅力自体をご理解いただければと思っています」 念のため書いておくが、料理教室自体はすばらしかった。ヒラメの炊き込みごはんやアンコウの沢煮椀、かつおのバターポン酢炒めはきっとおいしかったことだろう。調理台に立つ子どもたちの目は輝いていた。 とは言っても経産省の皆さん、そもそもこの事業のタイトルは「ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業」ではなかったのですか? テレビCMでかかげたキャッチフレーズ、〈みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと〉の精神はどこへ行ってしまったのですか? 経産省は地元福島の複雑さに理解を ここまでの取材結果をまとめてみよう。 経産省は当初、学校給食への食材提供などを意図していた。しかし、いわき市など地元自治体が「実施しない」という意思を表明したからか、その計画は「料理教室」へとスライドしていった。料理教室の実施スケジュールは2月18日~3月19日の週末だ。ぎりぎり2022年度内に事業を終えることになる。 もちろん筆者は「もっと積極的に子どもたちに海洋放出をPRせよ」という意見ではない。ただ、〈ALPS処理水並びに水産物の安全性等に関する理解醸成〉と銘打っておきながら、単なる料理教室では筋が通らないのも明らかだ。これだったら経産省がやる仕事ではない。 原発事故以来、福島県内に住むたくさんの親たち、子どもたちが学校給食について悩んできたと聞く。筆者も側聞しているだけなので偉そうなことは言えないが、察するに経産省はこうした福島の人びとの切なさ、複雑さを十分に理解していなかったのではないか。 今回の「出前食育」事業を経てそうした点に気づいたならば、「今年の春から夏頃に開始する」としている海洋放出について、より一層の慎重さが必要なことにも思い至ってほしい。 ちなみに、実は料理教室のほかにもう一つ、「出前食育」の予算枠を使ったイベントがあるそうだ。 タイトルは「相馬海の幸まつり」(開催は2月25、26日と3月4、5日)。「浜の駅松川浦」などのイベント会場では地元の海産物やしらすご飯が振る舞われ、「小中学生限定」の浜焼き体験ではイカの焼き方を知ることができるという。 チラシには〈楽しく食育体験!〉と書いてあった。〈ALPS処理水〉や〈海洋放出〉という文字はなかった。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 あわせて読みたい 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの? まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 海洋放出にお墨付き【IAEA】国際基準のずさんな内容【尾松亮】

     海洋放出にお墨付きを与えたとされる国際原子力機関(IAEA)の包括報告書。そこにはどのようなことが書かれているのか。世界の廃炉政策を研究しており、本誌で「廃炉の流儀」を連載している尾松亮さんに解説してもらった。  政府は海洋放出を正当化する根拠として国際原子力機関(IAEA)の報告書(7月4日発表包括報告書)を引き合いに出す。この包括報告書で、IAEAが海洋放出計画を「国際基準に沿ったもの」と認め、お墨付きを与えたというのだ。  例えば、8月1日に行われた茨城沿海地区漁業協同組合連合会との面会で、西村康稔経済産業大臣はこの報告書を持ち出し「放出に対する日本の取り組みは国際的な安全基準に合致している」と説明した(8月2日付NHK茨城NEWS WEB)。  海洋放出計画は「国際基準に合致している」と、各紙各局の報道は繰り返す。  しかし、根拠となった「国際基準」とはどんなもので、何をすれば国際基準に合致すると見なされるのか、そのことを詳しく伝える報道は少なくとも日本では見たことがない。  海洋放出推進の論拠となっているIAEA包括報告書で、その「国際基準」への整合性はどのように証明されているのか。 ①【IAEA包括報告書とは】和訳なし、結論部分だけが報じられる  2023年7月4日、IAEAは「福島第一原子力発電所におけるALPS処理水安全レビューに関する包括報告書」(※) を発表した。 ※IAEA “COMPREHENSIVE REPORT ON THE SAFETY REVIEWOF THE ALPS-TREATED WATER AT THE FUKUSHIMA DAIICHI NUCLEAR POWER STATION” https://www.iaea.org/sites/default/files/iaea_comprehensive_alps_report.pdf  2021年4月にALPS処理水海洋放出を決定した直後、日本政府はIAEAに対して「処理水放出計画を国際的安全基準の観点から独立レビュー」するよう要請した。その要請を受けて実施されたIAEAレビューの内容をまとめたのがこの包括報告書である。  これは付録資料含め全129頁の英文による報告書。発表から1カ月以上経過した8月下旬時点で外務省や経産省のホームページを見ても報告書全体の和訳は無い。数枚の日本語要旨がつけられているだけである。「英語が読めない住民は結論の要約だけ読んで信じれば良い」と言わんばかりである。 表1:IAEA包括報告書の主な構成 章章タイトル1章導入2章「基本的安全原則との整合性評価」3章「安全要求事項との整合性評価」4章モニタリング、分析及び実証5章今後の取り組み  そして日本の報道機関は、この報告書の中身を分析することなく「国際基準に合致」「放射線影響は無視できる程度」という結論部分だけを繰り返し伝えている。  この結論を読むとき、疑問を持たなければならない。メルトダウンした核燃料に直接触れた水の海への投棄を認める「国際基準」とは何ものか? どういう取り組みをしたら、国際安全基準に合致していると言えるのか? その適合評価は十分厳しく行われたのか?  この報告書で処理水海洋放出計画の「国際基準(国際機関であるIAEAが定めた基準)」との整合性をチェックしているのは、主に第2章(「基本的安全原則との整合性評価」)及び第3章(「安全要求事項との整合性評価」)である。  「国際基準に合致」と言われれば、さも厳しい要求事項があり、東電と政府の海洋放出計画はそれらの要求事項を「全て満たしている」かのように聞こえる。しかし報告書の内容を読むと、この「国際基準」がいかに頼りないものであるかが明らかになる。  本稿ではこれら整合性評価で特に問題のある部分について紹介したい。 ②【基本原則との適合評価】こんな程度で「合致」を認めるのか?  例えば2章1節では、「安全性に対する責任」という基本原則との整合性が確認される。 表2:2章で整合性評価される基本的安全原則 節番号項目2.1安全性に対する責任2.2政府の役割2.3安全性に関するリーダーシップとマネジメント2.4正当化2.5放射線防護の最適化2.6個人に対するリスクの制限2.7現世代及び将来世代とその環境の防護2.8事故防止策2.9緊急時対策と対応策2.1現存被ばくリスクを低減するための防護策  これは「安全性に対する一次的責任は、放射線リスクを引き起こす活動あるいは施設の責任主体である個人あるいは組織が負わなければならない」という原則(IAEA国際基準の一つ)である。この原則について適合性はどうチェックされたか、該当箇所を見てみたい。  「日本で定められた法制度および規制制度の枠組みの下、東京電力が福島第一原子力発電所からのALPS処理水の放出の安全性に対する一次的責任を負っている」(包括報告書15頁)。つまり「海洋放出実施企業が安全に対する責任を負う」というルールさえ定めれば、「国際基準に合致」となるのだ。  2章2節は「政府の役割」という基本原則との整合性評価である。これは「独立規制組織を含む、安全性のための効果的な法制度上及び政府組織面での枠組みが打ち立てられ維持されていなければならない」という基本原則。これについてIAEAはどう評価したか。  「原子力規制委員会は独立規制組織として設立され、その責任事項には、ALPS処理水の海洋放出のための東京電力の施設及び活動に対する規制管理についての責任も含まれる」(同17頁)として、「基準合致」を認めてしまう。規制委員会があるからOKというのだ。  2章8節では「核災害または放射線事故を防止するとともに影響緩和するためにあらゆる実践的な取り組みが行われなければならない」という基本原則との整合性が確認される。ここでIAEAは「放出プロセスを管理しALPS処理水の意図せぬ流出を防ぐために東京電力によって安全確保のための堅実な工学的設計と手続き上の管理が行われている」(同29頁)として「原則合致」を認めている。その根拠として、非常時に海洋放出を止める停止装置(Isolation Valves等)があることを挙げている。非常用設備と事故防止計画があるから「基準合致」というのだ。東電のように何度も設備故障を起こし、安全基準違反を繰り返してきた企業に対して、「設備が用意されているから基準合致」というのは甘すぎるのではないか?  ここまで読んで「おかしい」と思わないだろうか? これら「基本原則」は、原子力施設を運営する国や企業に求められる初歩中の初歩の制度整備要求でしかない。これらを満たせば海洋放出計画も「国際基準に合致」ということになるのなら、ほぼ全ての原発保有国は「基準合致」のお墨付きをもらえる。 ③【安全要求事項との適合評価】40年前の基準でも科学的?  3章では「安全性要求事項」との整合性がチェックされている。 表3:3章で整合性評価される安全性要求事項 節番号項目3.1規制管理と認可3.2管理放出のシステムとプロセスにおける安全に関する側面3.3汚染源の特性評価3.4放射線環境影響評価3.5汚染源および環境のモニタリング3.6利害関係者の参画3.7職業被ばく防護  例えば3章4節では、東電の「環境影響評価」がIAEAの基準に沿って実施されているかチェックしている。この東電の「放射線環境影響評価」は、IAEAが「(処理水海洋放出による)人間と環境への影響は無視できる程度」と結論づける根拠となったものだ。  例えば、IAEAの基準「放射線防護と放射線源の安全:国際基本安全基準」(GSR Part3)には、影響評価について次のような規定がある。「安全評価は次のような形で行われるものとする。(a)被ばくが起こる経路を特定し、(b)通常運転時において被ばくが起こりうる可能性とその程度について確定すると共に合理的で実践可能な範囲で、あり得る被ばく影響の評価を行う」(同60頁)  これら基準に定められた評価項目を扱い、定められた手続きに沿って「環境影響評価」を実施すれば、この「国際基準に合致」したことになる。当該環境影響評価が、将来にわたる放射線影響リスクを網羅的かつ客観的に提示することまでは求められていない。そもそも網羅的な影響評価は不可能であり、不確実性が残ることは最初から許容されている。  例えばIAEAは、内部被ばくの影響評価に際して、極めて簡略化された推定値を用いることを容認している。具体的に言えば、国際放射性防護委員会(ICRP)の基準に基づき(1)カレイ目の魚類、(2)カニ、(3)昆布科の海藻、の3種類の海産物を通じた内部被ばくを評価すれば是とする。そして影響評価に際して用いる濃縮係数(汚染された海水からどの程度の放射性物質が水産物に取り込まれるかの指標)については、「魚類の濃縮係数はデータが不足しており不確実である」(同83頁)と認めている。IAEAは「海産物の摂取が主な被ばく源となる」(同72頁) と認めながらも、不確実性の高い内部被ばく評価で合格を与えているのだ。  東京電力は、水産物を通じた内部被ばく評価に際してIAEA技術報告書(TRS―422)に示された濃縮係数を用いている。水産物からの内部被ばくを評価する際に要となるのがこの濃縮係数だ。しかし、技術報告書TRS―422(2004年時点)に示された濃縮係数は20年も昔の数字であることを考慮しないといけない。さらにTRS―422に示された濃縮係数の多くは、前版である1985年の技術報告書(TRS―247)から更新されていない。「多くの要素について、完全な更新はこれまでのところ不可能で、そのためTRS―247に掲載された値が依然として現時点での最良の推定値となっている」(TRS―422、29頁)とIAEAが認める。つまり、ほとんどの値が1985年時点の推定値なのだ。  汚染された海水からどの魚種にどの程度の濃度で放射性物質が濃縮されるのか、の知識は40年近くの間IAEAの基準の中で更新されていない。それでもこの基準に依拠して内部被ばく推定を行えば、「国際基準に合致した科学的な評価」ということになってしまうのだ。  セシウムやストロンチウムを総量でどれくらい放出するのかも分かっておらず、トリチウムの放出量すら粗い推定値しかない。こんな前提条件で科学的・客観的な環境影響評価ができるはずがないのだ。この「国際基準」そのものに相当の欠陥があると言わざるを得ない。 ④「正当化」基準への適合は認められていない  重要な国際基準の一つについてはチェックすらされていない。この「包括報告書」のなかでIAEA自身が、安全基準の一つである「正当化(Justification)」について評価を放棄したことを認めている。「今回のIAEAの安全レビューの範囲には、海洋放出策について日本政府が行った正当化策の詳細に関する評価は含まれない」(同19頁)という。(詳しくは本誌8月号)  「正当化」とは「実施される行為によりもたらされる個人や社会の便益が、その行為による被害(社会的、経済的、環境的被害を含む)を上回ることを確認する」ことを求める基準(GSG―8)である。今回の場合で言えば「海洋放出により個人や社会が受ける便益は何か」「その便益は海洋放出によってもたらされる社会的、経済的被害を上回るものであるか」の確認と立証が求められる。この「正当化」基準に沿った評価が行われていないことについては内外の専門家から指摘がある。  これについて日本政府は「正当化」基準を考慮したと主張する。外務省の英文報告書(2023年7月31日)では「便益について、日本政府はALPS処理水の放出は2011年東日本大震災被災地の復興のために欠かせないものであると結論づけた。被害に関しては(中略)日本政府の考えでは海洋放出が環境や人々に否定的な影響を与える可能性は極めて低い」と述べる。  海洋放出が復興にどのように寄与して定量的にどんな便益をもたらすのか。風評被害や社会的影響も含めた害はどの程度になり、それを便益が上回るものなのか。IAEAの基準に沿った「正当化」が行われた形跡は全く見えない。  金科玉条のように振りかざされる「国際基準に合致」とは、こんな程度のことなのだ。  全文和訳を作らない政府とIAEA、内容を検証せず結論部だけ繰り返す報道機関ともに、このずさんな報告書の内容を国民から隠そうとしているようにしか見えない。 おまつ・りょう 1978年生まれ。 東大大学院人文社会系研究科修士課程修了。文科省長期留学生派遣制度でモスクワ大大学院留学後、通信社やシンクタンクでロシア・CIS地域、北東アジアのエネルギー問題を中心に経済調査・政策提言に従事。震災後は子ども被災者支援法の政府WGに参加。「廃炉制度研究会」主宰。

  • 大義なき海洋放出【牧内昇平】

     8月24日、政府と東京電力は福島第一原発にたまる汚染水の海洋放出を始めた。約束を守らず、急いで流す必要はなく、代替案を検討する余地もあった。筆者は「大義なき海洋放出」だと思っている。反対する人びとは直前まで街頭で声を上げ、中止や再検討を求め続けていた。直前1週間の取材日記を紹介する。 反対派の声でつづる直前1週間  【8月17日】  午後2時、国会の衆議院第一議員会館。国際環境NGOのFOEジャパンらが経済産業省や東電の担当者と面会した。同団体の事務局長、満田夏花氏が険しい表情で切り出す。  「原子力市民委員会はかねてからモルタル固化処分を提案していますが、反論として挙げられている水和熱の発生は分割固化、水和熱抑制剤投入で容易に対応できると考えられますが、いかがですか」  福島市内の自宅にいた筆者はオンラインでこの会合を視聴した。淡い期待を抱いていた。海洋放出の代替案が議題の一つだったからだ。汚染水を「すすんで海に捨てたい」と言う人はいないだろう。可能な限り他の選択肢を検討すべきだ。マスメディアはほとんど報じないが、海洋放出の他にも汚染水処分のアイデアはある。有力なのが大学教授やプラントエンジニアらが参加する「原子力市民委員会」による「モルタル固化による『半地下』埋設」案である。  コンクリートやモルタルが固まる時には材料の水とセメントが反応して水和熱が生じる。発熱時に水分の蒸発が増え、水に含まれているトリチウムも大気中に出ていってしまう。経産省が汚染水の処分方法を検討した「ALPS処理水の取扱いに関する小委員会」では、水和熱が固化案の課題の一つとされた。「抑制剤を入れれば蒸発量は少ない」という満田氏の指摘に対し、東電はこう答えた。  東電の担当者「固化時の水分蒸発のみが課題ではございません。また、ご指摘の水和熱の発生に対応できたとしても、水分の蒸発がなくなるわけではなく、ご提案のような方法が根本的な解決にはならないと考えています」  この説明に対して原子力市民委員会に所属するプラント技術者、川井康郎氏が反論した。  「たしかに水和熱は発生します。ただ、あくまでも混ぜ始めて数日間、20~30度の温度上昇です。抑制剤を使えば影響は些末です。水分の蒸発がゼロにはなりませんが、含まれるトリチウムは極めて少ないと断言できます。対して海洋放出というのは、タンクにたまる約800兆ベクレルのトリチウムを100%海に放出するんですよね。その際のトリチウムの量と、固化時の水分蒸発にわずかに溶け込んだトリチウムの量。これを比較することは全くできないと思います。それを同じ土俵で考えてモルタル固化案を否定するのは技術的な考え方ではありません」  満田氏「水分の蒸発量を東電では試算しているのでしょうか?」  東電の担当者「ちょっと今、その情報を持ち合わせていません。20年に小委員会報告書が出されていて、そこでは地下埋設という処分方法については《規制的、技術的、時間的な観点から課題が多い》と書かれていたと認識しております」  筆者は驚いた。蒸発量のデータを持たないまま、「水分が蒸発するからダメ」と説明していたことが判明したからだ。市民側の追及は続く。  満田氏「小委員会などで議論されていたのは『地下』埋設です。原子力市民委員会が提案しているのは『半地下』案です。モニタリングが難しいとか、費用がかかるとか、地下埋設の弱点を改善した案なんです。それについて一顧だにせず、公の場で議論してきませんでした。にもかかわらず『すでに議論したからいいんだ』という感じで却下されるというのはいかがなものかと思います」  東電の担当者「我々としては報告書の結果を受けて海洋放出が政府の方針として決められて、それに基づいて行っているというところです」  東電の言い分としては「政府の方針に従っているだけだ」ということ。これはこれで正しい。説明責任は日本政府にある。  満田氏「経産省さんはいかがでしょうか」  経産省の担当者「ええと……処分方法の決定にあたっては6年以上、トリチウム水タスクフォースやALPS小委員会で議論がなされていたところであります……」  経産省からの回答はこれだけだった。これには市民委員会のメンバーで、かつて原発の設計にたずさわっていた後藤政志氏が怒った。  後藤氏「小委員会で専門家が技術的な検討を重ねたと言いますが、皆さんからの疑問に対して正面から答えられないような、そんな委員会であるならば存在価値がない!」  経産省からは何の反論もない。筆者はため息をついてパソコンを閉じた。真摯な議論が聞けると思ったのに期待を裏切られたからだ。この日の会合取材ではっきりしたのは、経産省も東電も代替案をまじめに考えていないことだ。FOEジャパンは事前に質問状を渡していたという。回答を準備する時間はあったはずだ。代替案が検討されないまま、海洋放出が唯一の選択肢であるかのように事態は進んでゆく。  午後5時半、岸田首相は日米韓首脳会談に出席するため、政府専用機で米国に向かった。  首相官邸前に市民が集結 海洋放出反対のボードを掲げる首相官邸前アクションの参加者(8月18日、牧内昇平撮影)  【8月18日】  筆者は新幹線に乗って東京へ。午前10時、東京都千代田区の首相官邸前には200人を優に超える市民たちが集まっていた。うだるような暑さの中、横断幕やプラカードを掲げる。  《約束を守れ!》《安全な陸上で保管できる》《福島は怒っている 汚染水ながすな》  海洋放出に反対する市民グループ「これ以上海を汚すな!市民会議」(これ海)と「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」が主催した首相官邸前アクションだ。三春町の武藤類子さんがマイクを握った。  「今日岸田首相は日米韓首脳会談のためにアメリカに行っています。しかし、岸田首相が聞くべき声はバイデン大統領やユン大統領の意向ではありません。聞くべきは漁業者をはじめとする原発事故の被害者、国内の市民の声、そして海でつながる他の国々の市民の声だと思います」  その通りだ。続いて「これ海」共同代表、いわき市の佐藤和良さんがスピーチを行う。  「全国の漁業者が一丸となって反対し続けているではありませんか。そしてまた福島県民はじめ多くの原発事故被害者が、この放射性液体廃棄物の海洋投棄に反対しているんです。東日本大震災で塗炭の苦しみを味わって12年、ここまできました。沿岸漁業もようやく震災前2割の水揚げに至ったばかりです。ここで汚染水を流されたら生業が成り立ちません。会津には『什の掟(じゅうのおきて)』というものがあります。『ならぬことはならぬものです。嘘を言うことはなりませぬ』。岸田首相にこの言葉を贈ります!」  参加者たちは炎天下の官邸前から参議院議員会館に移動し、集会を続けた。急に冷房が効いた場所へ入り、汗で濡れたシャツが冷たくなる。いわき市の米山努さんが話した。時折涙ぐんでいる。米山さんはかつて筆者に、「海洋放出は福島県民にとって末代への恥だ」と指摘していた。放出が間近に迫り、胸が締めつけられる気持ちなのだろう。  「私は海産物が好きですから毎日のように近くの海で獲れたアイナメとか、いろいろな魚を食べています。トリチウムは有害であることをはっきりと言っておきたいと思います。政府は問題ないと宣伝していますが、資料を調べれば調べるほど有害性にどきっとします。たとえばトリチウムは人体の臓器の中では脳にとどまることが多いようです。また、有機物に結合したトリチウムが体内に取り込まれた場合、生物学的半減期(代謝や排せつで半分に減るまでの期間)は100~600日くらいだそうです。長く体内にとどまり、細胞のごく近くでトリチウムのベータ線を放出し続けるわけです」   「これ海」共同代表、いわき市の織田千代さんはこう話した。  「海は世界につながる豊かな命のかたまりです。放射能を流し続けるという無謀なことを日本政府が行っていいはずがありません。事故を経験した大人の責任として、未来の子どもたちにきれいな海を手渡したい、約束を守ることの大切さを伝えていきたいと思うのです。海洋放出はやめてと叫び続けましょう」  織田さんは叫び続けてきた。2年前の4月13日に政府が海洋放出方針を決めて以来、「これ海」は毎月13日に反対行動を続けてきた。伝わらないもどかしさを感じながら、それでも声を上げ続ける姿勢に筆者は敬意を抱く。この声はいつになったら政府に届くのか。岸田首相はこの日の午後、米ワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地に到着。 岸田首相に向けて「反対」の声 【8月19日】  福島に戻った筆者は朝からやる気が出ない。前日からこんなニュースばかりだからだ。  《岸田首相は福島第一原発を20日にも訪問する方向で最終調整に入った。(中略)首相は近く関係閣僚会議を開き、月内にも放出開始の日程を判断する》(19日付福島民報)  本誌編集部の志賀哲也記者から一報をもらった。「不確実な情報ですが、岸田首相は朝、新幹線でJR郡山駅に来て、帰りはいわき駅から特急に乗って帰るようです」。  海洋放出に反対する人びとはこの情報をつかんでいるだろうか。心配が頭をかすめたが、間違っていたら悪いので、とりあえず経過を見守るしかない。志賀記者が郡山駅で写真をおさえ、私は原発付近に向かうことにした。  【8月20日】 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1693071630145335489 岸田首相に海洋放出反対を訴えた宍戸さん(8月20日、牧内昇平撮影)  午前9時半、岸田首相が郡山駅に到着。志賀記者の情報はビンゴだった。反対する人びとの集会は開かれていないという。やはり情報が入っていないのだ。首相は直接、反対の声を聞くべきだ。筆者は福島市に住む宍戸幸子さんに電話をかけた。連日のように街頭で放出反対を訴えている宍戸さんなら一緒に来てくれると思ったからだ。「情報が正確だと分かりました。宍戸さん、今から出られますか?」「もちろん!」。原発の近くから福島市に引き返し、宍戸さんと合流していわき駅へ向かった。  正午すぎ、いわき駅に到着。警察官が歩き回っているなか、改札を出たところの広場で首相の到着をひたすら待つ。午後3時すぎ、特急ひたちのホームに降りようとする集団を発見。中央に首相の姿を認める。カメラを構えながら宍戸さんに「来た!」と叫んだ。宍戸さんは一瞬「どこ?」と戸惑ったが、気を引き締めて大きな声で叫んだ。  「海洋放出は絶対反対ですから!反対ですから!」  新聞紙で覆っていた手書きのポスターをかかげる。《反対してるのに! 海洋放出するな》  首相の姿が見えたのはわずか数秒だった。宍戸さんの叫び声は届いただろうか? 岸田首相はこの日、原発構内で東電の最高幹部たちと面会、報道対応を行った。しかし、福島の人びとと語り合う時間はつくらなかった。 【8月21日】  午後2時、福島市内の杉妻会館で「福島円卓会議」が始まった。海洋放出や廃炉の問題を議論するために県内の有識者や市民が集まった会議だ。ホールには事務局長の林薫平・福島大准教授の声が響いた。  「一、今夏の海洋放出スケジュールは凍結すべきである。二、地元の漁業復興のこれ以上の阻害は許容できない。三……」  林氏が読み上げたのは「緊急アピール」の文案だった。円卓会議はこの夏に発足。7月11日と8月1日に会合を開き、この日が3回目だ。議論を重ねるにはまだ時間が必要だったと思うが、事態は急を要するため、緊急アピールを発出することになったという。参加した市民たちと約2時間にわたる意見交換を行い、その場でアピールの文面を固めた。  この会議がもっと早く始まってくれればよかったのに、と筆者は思う。だが、内堀雅雄福島県知事が海洋放出に対する賛否を示さず、結果的に政府・東電の計画を追認してしまっているのが現状だ。地元福島の有識者・市民が自主的に集まり、意思表明することには大きな価値がある。  誰でも会議に参加でき、挙手すれば意見を述べられるという進行方法もいいと思う。事務局は政府や東電にも会議への出席を求めてきたという。しかし、これまでの会議には誰も参加していないようだ。ここでも「丁寧に説明する」という政府・東電の言葉がいい加減なものだとわかる。  午後4時、岸田首相は全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長を官邸に呼んだ。福島県漁連の専務理事も同席した。着々と地ならしが進んでいく印象。 決して賛否を示さない内堀知事 筆者の質問に答える内堀雅雄知事(写真中央、8月22日、牧内昇平撮影) 【8月22日】  午前10時、関係閣僚等会議が開始。岸田首相が「具体的な放出時期は8月24日を見込む」と発表する。  午後になって頼みの志賀記者から連絡が入った。2時半から西村康稔経産相が県庁を訪ね、内堀知事と吉田淳・大熊町長、伊澤史朗・双葉町長と面会するとのこと。県庁に取材を申し込んだら「経産省のほうで受け付けを行っています」とにべもない。しかも経産省はすでに申し込みを締め切ったという。  西村氏に続いて東電ホールディングスの小早川智明社長が内堀知事ら3氏と面会した。終了後、報道陣への取材対応の時間があった。筆者と内堀氏のやりとりを再現する。  筆者「フリーランスの牧内といいますが、何点かうかがいます」  内堀氏「すみません。時間の関係があるので一点でお願いします」  筆者「一点?」  内堀氏「はい」  筆者「これまで何度も聞かれていると思いますが、そもそも内堀さんは海洋放出に賛成なんでしょうか、反対なんでしょうか。理解を示しているのでしょうか、示していないのか。その点を明らかにしてもらいたいと思います」  内堀氏「はい。今ですね、二つの中の選択肢で選んでくれというお話をしました。今日私が経済産業大臣そして東京電力の社長にお話した内容、非常に複雑多岐な内容を含んでいます。漁業者の皆さんの思いも含んでいます。また、処理水の海洋放出に反対の方の意見も入っています。一方でまさに立地自治体であったり、避難地域12市町村の復興を前に進めたい、あるいは福島県の風評というものをしっかりなくしていきたいという県民の皆さんの思いも入っています。二つの選択肢の中のどちらかを選ぶということは、原子力災害の問題では極めて困難だと考えています。そのうえで広域自治体である県としては、それぞれの立場の真剣な思いというものを福島県の意見の中に取り入れつつ、これまで政府高官に対する要請を21回、また、復興推進委員会、復興再生協議会等の場において26回、この2年4カ月の間にお話をしてきました。一言で結論を出すことが難しい。それがこの原子力災害の葛藤だと考えています」  筆者「政治家としては決断を下すのが仕事だと……」  内堀氏(再質問している筆者から目を背けてほかの新聞記者を指し)「お願いします」  県庁の広報担当「一問限りでお願いいたします」  筆者「ダメなんですか?」  県庁の広報担当(無回答のまま)「じゃ、河北新報さん」  内堀氏(河北の記者のほうを向いて)「どうぞ」  この期に及んで内堀氏は海洋放出の是非について判断を示さなかった。「原子力災害の問題は二つの選択肢のどちらかを選ぶのが極めて困難だ」と言う。だが、いろいろな人と話し合ったうえで正解のない問題に決断を下すのが政治家の仕事だろう。福島県には原子力緊急事態宣言が出されている。まさに今、原子力災害は継続中である。「どちらかを選べない」人が行政トップの座に就いていて大丈夫だろうか(ちなみに複数質問した記者もいたことを付記しておく)。 注目される差し止め訴訟 【8月23日】  「今年の5月から裁判を準備してきました。原告数は100人を超えることを目指しています」  いわき市文化センターの会議室で、広田次男弁護士が海洋放出の差し止めを求める裁判を起こすと発表した。県内外の漁業者や市民が原告、国と東電ホールディングスが被告となる。海洋放出によって漁業者たちは生存の基礎となる生業を破壊される。一般の人びとも汚染されない環境で平穏に生活する権利を奪われる。漁業行使権、人格権(平穏生活権)が侵害されるとの主張だ。広田氏と共に弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は海洋放出が倫理に反している点を強調した。  「福島第一原発の敷地内外には広大な土地があります。国や東電は『燃料デブリの用地確保が必要だ』と言いますが、デブリはまだ数㌘しか取れていません。大量に取り出せるのは何十年も先です。そんな先のことのために、空き地を使わず放流するというのはインチキです。ひと言でいえば『不要不急の放流』です」  9月8日に第一次提訴があるという。政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の最大の役割だ。海洋放出をめぐる法廷闘争がいよいよ始まる。  【8月24日】 大熊町で海洋放出直前に行われた抗議活動の様子(8月24日、牧内昇平撮影)  午前9時、筆者は大熊町夫沢付近にある国道6号の交差点に到着した。交差点から車を東に進めれば福島第一原発の敷地に至る。が、当然そこは封鎖され、一般車両は通行できない。数台のパトカーが停まり、制服の警察官が取り締まっている。海洋放出に反対する人びとが交差点に集まってきた。放出は午後1時の予定だと報じられていた。放出前最後の抗議になるだろう。  人びとは横一列に並ぶ。歩道に沿って《海に流すな》と書かれた横断幕をかかげる。ここでもリレースピーチが行われた。このエリアを歩いている人はいない。主に報道陣へ語りかける。  南相馬市の佐藤智子さんが話す。  「海は誰のものでしょう。みんなのものです。決して政治のトップや官僚や大企業だけのものではありません。なのに、私たちが住む地球の美しい環境を汚すっていうことに私はすごく憤りを感じます。私たち大人はまだいいですよ。子どもや孫、次世代の人たち、動植物の命を侵すことになる。私は肌でそう感じています。主婦です。単なる主婦。主婦がそう思うんです。そういうほうが案外当たっていると思います。陸上保管! 海洋放出反対!」  佐藤さんは「メディアの方々、きちんと報じてください」と語りかけた。だが、集まった報道陣はそれほど多くない。しかも半分ほどは海外メディアだった。筆者も韓国・京郷新聞のイ・ユンジョン記者から頼まれ、現地にお連れしていた。  浪江町から福島市に避難し、今も同市に住む今野寿美雄さんが話した。  「流したら福島県の恥だよ。福島も宮城も漁業は壊滅します。魚はもう食えなくなっちゃうよ。政府は全然科学的じゃないよ。原発のエンジニアとして言います。トリチウムは危険です。海はゴミ捨て場じゃないよ。それでなくても運転中の発電所からトリチウムが流れている。でも、今流そうとしているのは汚染水だよ。トリチウムだけじゃないよ。薄めて流すというけど、薄めたって総量は一緒なんです。生体濃縮した魚を食べたら人間の体にも入ってくるんです。水俣病で分かったことをまた同じことを繰り返そうとしているんです。馬鹿じゃないの?」 メディアの責任も問われている  原発で働いてきた今野さんは、事故後は子どもたちを無用な被ばくから守るための裁判で原告団長も務めてきた。放射線の怖さを肌身で感じてきたからだろう。今野さんの顔が紅潮してきた。怒りが止まらない。  「汚染水流すのやめろ。ここに爆弾あるんだったら爆弾を投げつけたいよ。ほんとに……ふざけんな!」  南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。原発の方角へお経を唱えている人がいる。千葉県にある妙法寺の法尼、矢向由季さんだ。法尼の声は時に穏やかに、時に力強く、寄せては返す波のように延々と続く。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。  午後1時すぎ、予定通り海洋放出が始まった。NHKはヘリコプターを飛ばして上空からの映像を中継している。そのくせ報じている内容は政府の言い分がベースになっている。本当に安全であり、本当に不可避ならば、大げさに伝える必要があるのだろうか。経過は大きく報じるものの、肝心の「是非」についてはっきりした考えがわからない。そのうえ反対意見は丁寧に拾わない。結果として政府を後押しする役割を果たす。多くのマスメディアに対して筆者は同様の印象を抱いている(「風評被害」を強調するだけでは、じゃあ賠償しますという話にしかならない。本来必要なのは代替案などの検証だ)。  一緒に取材したイ・ユンジョン記者は「なぜ日本では大規模な反対運動が起こらないのでしょうか」と不思議がっているが、声を上げている人は確かにいるのだ。それを伝えていないメディアの責任は大きい。報道陣の端くれである筆者も含めて。  双葉町にある産業交流センターの屋上階にのぼった。正面に太平洋が見える。まさに今、30年、40年と続く汚染水の放出が始まった。海は、変わらず青い。しかし私たちは次世代まで責任をもてるだろうか。  8月24日は、新たな負の記念日として記憶された。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】

     東京電力福島第一原発のタンクにたまる汚染水(「ALPS処理水」)の海洋放出に理解を得ようと、政府が大々的なPR事業を展開している。昨年末に全国のお茶の間を騒がせたのは、大手広告代理店の電通が作ったテレビCMだった。そのほかにも多岐にわたる事業が行われていることを紹介したい。(ジャーナリスト 牧内昇平)  2月18日土曜日のお昼前、春の近さを確信させるような晴天の下、筆者はJRいわき駅からバスに乗っていわき市中央卸売市場に向かった。土曜日のためか人の姿がほとんどない駐車場を通り過ぎ、中央棟2階の研修室の扉を開けると、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。  「油がはねますから、気をつけてくださいねー」。三角巾にエプロン姿の子どもと保護者12組24名が見守る中、講師の先生がアンコウを揚げ焼きにしている。続いて薄切りにしたカツオと野菜をフライパンに入れ、バターやポン酢をからめて火を通す。さらにいい香りが部屋じゅうを包み込む。子どもたちがつばを飲む音が聞こえたかと思ったら、ファインダー越しに撮影を試みる筆者自身のつばの音だった。 講師の実演が終わるといよいよ子どもたちの出番である。それぞれの調理台に散らばり、クッキング、スタート! なぜ筆者が楽しくにぎやかな料理教室を訪れたかと言うと……。     ◇ ◇ ◇ CMだけでなかった海洋放出PR事業 経産省のHPより引用【ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金事業(多核種除去設備等処理水風評影響対策事業)】  本誌先月号に筆者が書いた記事のタイトルは「汚染水海洋放出 怒涛のPRが始まった」だった。大手広告代理店の電通がテレビCMを作り、昨年12月半ばから2週間にわたって全国で放映した。海洋放出には賛否両論あり、特に福島県内では反対意見が根強い。そんな中で政府の言い分のみをCM展開するのは一方的ではないか。これでは政府主導のプロパガンダ(宣伝活動)と言わざるを得ない、と筆者は書いた。 ただし政府が行っている海洋放出PR事業はこのテレビCMにとどまらない。経済産業省は2021年度の補正予算を使い、「海洋放出に伴う需要対策」という新たな目的の基金を創設。そこに300億円という大金を注ぎ込んだ。そのうち9割は水産業者支援のために使い、残りの約30億円を「風評影響の抑制」を目的とした広報事業に充てるという。これが筆者の言う「プロパガンダ」の原資だ(もちろん「海洋放出」に限定しなければ復興庁などがすでに様々なPR事業を行っている)。 現在基金のホームページに公開されている「広報事業」は別表の10件である。読売新聞東京本社が入り込んでいるのか!など、社名を眺めるだけでも興味深いものがある。 2022年度に始まった海洋放出PR事業の数々 事業名予算の上限公募時期事業期間落札企業廃炉・汚染水・処理水対策の理解醸成に向けた双方向のコミュニケーション機会創出等支援事業2500万円22年5月~6月23年3月31日までJTB廃炉・汚染水・処理水対策に係るCM制作放送等事業4300万円22年5月~6月23年3月31日までエフエム福島被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業8000万円22年7月23年3月31日までユーメディアALPS処理水の処分に伴う福島県及びその近隣県の水産物等の需要対策等事業2億5千万円22年6月~7月23年3月31日まで(ただし延長の場合あり)読売新聞東京本社ALPS処理水に係る国民理解醸成活動等事業12億円22年7月23年3月31日まで電通ALPS処理水による風評影響調査事業5千万円22年7月~8月23年3月31日まで流通経済研究所ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業1億円22年9月23年3月31日まで博報堂三陸・常磐地域の水産品等の消費拡大等のための枠組みの構築・運営事業8千万円22年10月~11月23年3月31日までジェイアール東日本企画廃炉・汚染水・処理水対策に係る若年層向け理解醸成事業4400万円22年10月~11月23年3月31日まで博報堂福島第一原発の廃炉・汚染水・処理水対策に係る広報コンテンツ制作事業1950万円23年1月~2月23年5月31日まで読売広告社「ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金事業」のウェブサイトで公開されている情報を基に筆者作成https://www.alps-kikin.jp/PubRelation/index.html ※掲載後、新たな採択情報は下記の通り。 2023/03/24「「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」事務局運営事業」に関する事業公募の採択結果【2023年3月24日掲載】 2023/03/29「令和5年度被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業」に関する事業公募の採択結果【2023年3月29日掲載】 出前食育事業に怒りの声  別表のうち、テレビCMと並んで「物議」を醸したのが出前食育事業、正式には「ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業」である。受注業者を募る際、基金は大雑把な内容を「公募要領」として公開した。そこにはこう書いてあった。 〈漁業者団体や地方公共団体の連携の下、小中学生等を対象にした「出前食育活動」を実施する。具体的には、小中学生等を対象に、福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けて、漁業者等による出前授業や関連の資料提供・説明等を実施するとともに、そうした理解醸成活動の一環として、福島県及びその近隣県の水産物を学校給食用の食材として提供する〉 筆者が傍線を入れたあたりが、原発事故以来子育てに悩んできた福島の人びとの怒りに触れた。 《も~我慢できない!子どもを広告塔にするな!原発事故の加害側の悪だくみを止めてみせるぞ!》 原発事故後の福島の問題を考えるNPO「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」は2月6日、オンラインのトークイベントでこの「出前食育事業」を取り上げた。出演したのは県内に住む千葉由美さん、鈴木真理さん、片岡輝美さんの3人。いわき市在住、原発事故当時子育ての真っ最中だった千葉由美さんが語る。 https://www.youtube.com/watch?v=Na0dY1b6S-M&t=1s 【いちいちカウンター#10】第2弾!も〜我慢できない!子どもを広告塔にするな!原発事故の加害側の悪だくみを止めてみせるぞ!  「原発事故の加害側である国が、自分たちに都合のいいように子どもを利用しようとしています。こんなことがあってはならないと思っています」 千葉さんは事故直後の経験を語った。自分の子に弁当を持たせて学校に通わせたこと。無用な被ばくから身を守るためだったが、まわりの子が給食を食べている中では精神的につらい思いをさせただろうこと。片岡さんも当時を振り返った。 「あの頃は大混乱だったじゃないですか。親も子どもも大変だったと思います。今回の『食育』は単発のイベントとは言え、子どもたちがまた切ない思いをするかと思うと……」 鈴木さんが思いを吐き出した。 「なんで子どもたちを利用するの? 勘弁してほしいですよ!」 3人のすごいところは、県内のすべての市町村に電話で問い合わせてしまったところだ。経産省から出前食育の知らせを受けているか、小中学校で実施する予定はあるか、を手分けして担当者に聞いたという。地道な取材力に脱帽である。トークイベントではその聞き取り結果も披露してくれた。 それによると、3人が調査した時点では県内の7自治体が事業案内を受け取ったが、いわき市などの教育委員会はすでに「実施しない」と回答した。現時点で「実施した」という例は一つもない――ということだった。 出前食育事業はどこへ? 経産省ウェブサイトにアップされている料理教室のチラシ。『ALPS処理水』や『海洋放出』という言葉は使われていない。(経産省ウェブサイトから引用)https://www.meti.go.jp/earthquake/fukushima_shien/event_ryori_fukushima.html  トークイベントが終了し、パソコンの画面を閉じた筆者は腕を組んで考えた。出前食育の事業の期限は3月末である。2月の時点で県内の実施校が一つもないというのはどういうことなのか。これは自分でも調べねばなるまい。 まずは福島市と郡山市の教育委員会に聞いてみた。どちらの担当者も「案内は来ていません」。やはりそうか。次はいわき市だ。市教委学校支援課の担当者はこう話した。「出前講座の件は昨年秋、市の水産課と県の教育庁と、2つのルートから知らせをもらいました。市長部局とも相談した結果、お断りすることになりました」。 断った理由を聞いてみた。「市の学校給食の提供の考え方に合わないと判断したからです。安心・安全な食材の提供が大原則です。ふだんの給食でさえ、福島県産の食材に対して不安を感じる保護者の方もいます。そういう状況で、海洋放出と関連させて海産物の提供を行ったらどうなるのか。状況は不透明です」と担当者は話した。 ちなみにいわき市水産課に問い合わせたところ、「昨年の夏以降、経産省の職員の方と別件で会った時、『実はこんなことも考えているんです』という情報をもらいました。うちは担当ではないのですぐ教育委員会に転送しました」とのことだった。 今度はこの事業を取り仕切っている側に聞いてみよう。テレビCMや出前食育などの広報事業については「原子力安全研究協会」という公益財団法人が連絡窓口になっている。同協会の担当者に学校給食への出前講座の件を聞くと、「現段階で何件実施しているかなどは把握していません。教育委員会や学校の方からご理解をいただくのが難しい面はあると聞いておりますが……」と奥歯に物が挟まったような言い方である。 もしや「実施ゼロ」で終わるのでは? 確認のため、筆者は経産省(原子力発電所事故収束対応室)の担当者に電話した。 筆者「理解醸成に向けた出前食育事業の件はどうなっていますか?」 経産省「あれはですね。地元産品を使用した料理教室などを行う事業です」 筆者「えっ? 事業の公募要領には〈漁業者による出前授業〉や〈学校給食用の食材として提供〉と書いてありましたよね」 経産省「あれは公募時にあくまで事業の一例として挙げたものです。当初はそういうことも想定していましたが、受注業者(博報堂)などとの話し合いの結果、料理教室を開催する方向になりました」 筆者「いくつかの市町村には案内を出したんですよね」 経産省「経産省からの公式な案内といったものは出していないと認識しています。私自身はそういうことをしていませんが、事業内容を検討している段階で経産省の職員が話題にした、というくらいのことはあるかもしれません」 筆者「……」 「学校給食への食材提供」はいつの間にか「料理教室」に様変わりしていたようだ。「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」の千葉さんたちだけでなく、いわき市教委や原子力安全研究協会もその変更を知らないのでは……といったモヤモヤを残しつつ、筆者はその料理教室の情報を調べてみた。 参加費無料。保護者と子どもがペアで参加。ただし子どもは小中学生に限定。開催場所は宮城県内の2か所(仙台・利府)といわき市の合計3会場。初日は2月18日土曜日の午前10時半……。 ということで筆者は先日、いわき市中央卸売市場を訪れたのだった。     ◇ ◇ ◇ 「皆さんはどんなお魚料理が好きですか?」「福島県の常磐ものは東京の築地や豊洲の市場でも新鮮でおいしいと評判ですよ!」 調理の前、料理教室の講師が約20分間のレクチャーを行った。常磐ものの魚の紹介や一般の魚介類に含まれる栄養素の説明が続く。 メモをとりながらやっぱりおかしいなと思ったのは、講師の説明の中には「ALPS処理水」や「海洋放出」という言葉が出てこないことだ。イベントの事務局によると、調理実習後に特段の説明は行わないそうなので、参加者が海洋放出について理解を深めるのはこのタイミングしかない。しかし、そんな話題は一切出てこなかった。念のため参加者たちへの配布物も確認してみた。福島の海産物の魅力の紹介はあっても、「ALPS処理水」や「海洋放出」には触れていない。 このことは事前に経産省(原発事故収束対応室)の担当者からも聞いていた。 経産省の担当者「海洋放出への理解醸成が目的ではありますが、放出に反対の方々にもご参加いただける企画にしたいと考えております。安全ですよと大々的に宣伝するというよりも、常磐もの、三陸ものの魅力自体をご理解いただければと思っています」 念のため書いておくが、料理教室自体はすばらしかった。ヒラメの炊き込みごはんやアンコウの沢煮椀、かつおのバターポン酢炒めはきっとおいしかったことだろう。調理台に立つ子どもたちの目は輝いていた。 とは言っても経産省の皆さん、そもそもこの事業のタイトルは「ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業」ではなかったのですか? テレビCMでかかげたキャッチフレーズ、〈みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと〉の精神はどこへ行ってしまったのですか? 経産省は地元福島の複雑さに理解を ここまでの取材結果をまとめてみよう。 経産省は当初、学校給食への食材提供などを意図していた。しかし、いわき市など地元自治体が「実施しない」という意思を表明したからか、その計画は「料理教室」へとスライドしていった。料理教室の実施スケジュールは2月18日~3月19日の週末だ。ぎりぎり2022年度内に事業を終えることになる。 もちろん筆者は「もっと積極的に子どもたちに海洋放出をPRせよ」という意見ではない。ただ、〈ALPS処理水並びに水産物の安全性等に関する理解醸成〉と銘打っておきながら、単なる料理教室では筋が通らないのも明らかだ。これだったら経産省がやる仕事ではない。 原発事故以来、福島県内に住むたくさんの親たち、子どもたちが学校給食について悩んできたと聞く。筆者も側聞しているだけなので偉そうなことは言えないが、察するに経産省はこうした福島の人びとの切なさ、複雑さを十分に理解していなかったのではないか。 今回の「出前食育」事業を経てそうした点に気づいたならば、「今年の春から夏頃に開始する」としている海洋放出について、より一層の慎重さが必要なことにも思い至ってほしい。 ちなみに、実は料理教室のほかにもう一つ、「出前食育」の予算枠を使ったイベントがあるそうだ。 タイトルは「相馬海の幸まつり」(開催は2月25、26日と3月4、5日)。「浜の駅松川浦」などのイベント会場では地元の海産物やしらすご飯が振る舞われ、「小中学生限定」の浜焼き体験ではイカの焼き方を知ることができるという。 チラシには〈楽しく食育体験!〉と書いてあった。〈ALPS処理水〉や〈海洋放出〉という文字はなかった。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 あわせて読みたい 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの? まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」