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福島刑務所

  • 【福島刑務所】受刑者に期限切れ防塵マスク

     昨年3月に福島刑務所(福島市)で、当時60歳の男性受刑者が同室者3人から集団暴行を受け死亡した。傷害罪に問われている主犯の小林久被告に2月3日、判決が言い渡される予定(本稿執筆は1月下旬)。事件時、刑務官が異変を放置していたことが内部文書で明らかになったが、問題は他にもある。刑務作業に使う防塵マスクを使用期限が切れたまま使わせていたのだ。元受刑者が体験を語った。 目に余る福島刑務所の人権侵害  本誌は昨年11月号で、開示請求で手に入れた公文書を基に、死亡した男性受刑者が同室者の男3人から集団暴行を受けていたにもかかわらず、刑務官が異変を放置していた問題を報じた。3人は傷害致死ではなく傷害の罪に問われた。従犯の佐々木潤受刑者、菊池巧受刑者には昨年10月に懲役1年が言い渡された。  この事件は、被害者の男性受刑者が死亡したことで報道され、裁判にもなり公に知れ渡った。だが、社会から隔絶された刑務所は、問題行動が起きても外部の目が入りにくく、ブラックボックスとなっている。 問題行動は受刑者だけが起こすわけではない。名古屋刑務所では多数の刑務官が受刑者を暴行していたことが分かっている。 福島刑務所では、刑務作業で生じる粉塵を吸い込むのを防ぐためのマスクが交換されず、使用期限を大幅に超えた使用を強いられていた。 受刑者同士の暴行や刑務官による残虐行為に比べれば「小さな問題」かもしれない。だが見過ごせば、今回の集団暴行死のような、より大きな事件につながりかねない。期限切れ防塵マスク問題について、薬物犯罪で懲役刑を受け、福島刑務所に2021年12月から22年10月まで入所していた40代の男性がつけていた日記を開きながら振り返る。 「新型コロナの観察期間を終え、2022年1月12日から刑務所内の木工工場に配役になりました。私は木製のおもちゃを作るために、木の表面を電動式の紙やすりを使って磨く作業を担当しました。細かい木の粉を口や鼻から吸い込むのを防ぐために、防塵マスクを着用します。14日から使わされたマスクには使用期限が確か『13時間』と書いてありました。しかし、作業を監督する刑務官からは何の説明もなく、少なくとも3カ月は使わされました。一度も交換されることはありませんでした」(男性) 男性によると、使用していたのは興研社製。筆者がネットで検索した画像を示して、同じ物はどれか聞くと、「ハイラックマスク550」(使用限度12時間)が似ているという。 刑務作業は昼休憩1時間を含めて平日の午前8時から午後5時。防塵マスクが必要となる細かい木くずが出る作業は、そのうち2~3時間だった。少なく見積もっても約1週間で使用期限を迎えるが、男性は約3カ月間の使用を強いられたという。自分よりも先に木工作業に従事していた受刑者にマスクが交換されているか聞いたが、「全然交換してくれないよ」と言った。 男性の日記には、2022年1月14日の作業から防塵マスクを使い始めたと書いてある。使用期限を超えて使わされていたこととの因果関係は不明だが、口元に湿疹ができ、気分が悪くなった。しかし、交換の指示は一向に出ない。男性は2月16日に工場担当の刑務官B氏に交換を申し出た。B氏は男性にとって、刑務所に何かを申し出る際の窓口になる身近な刑務官だった。見た目は30代に映った。 男性は内省のために毎日の出来事をノートに欠かさず書いていた。以下はその抜粋。×  ×  ×  × 2月16日 工場でマスクの交換を願い出るも断られる。(A=私、B=担当) 還房(筆者注:個人の居室に帰ること)してから、A どのくらいの日数で交換してもらえるのか?B 特に期間で決めてない。作業内容によって頻度が違うから。A メンドクサイことを言うようですが、マスクに使用限度13時間と書いてあります。因果関係は分からないが、吹き出物がひどい。実際、使っていて汚いので、定期的に交換してほしい。B メンドクサイことを言うな。ダメだ。A まだ分からないが、苦情の申し出をする場合、施設長に対してでよいのか。相談する順番として、まずオヤジ(筆者注:刑務官のこと)に相談しました。B 自分で(生活のしおりを)読め。×  ×  ×  × 男性は改善要求や抗議ではなく、あくまでマスク交換はどこに申し出ればいいかと手続きを聞いた。B氏は答えず、受刑者に渡される刑務所での暮らしや手続きをまとめた冊子に目を通すよう言った。 1回目の交換拒否から1カ月後の3月16日、福島県沖を大地震が襲い、刑務作業は休みとなった。刑務所内では新型コロナが流行していた。不安を感じた男性は翌17日、巡回に来た夜勤の刑務官に自身の体調の報告と、B氏にマスク交換を申し出る手続きについて相談したいと伝えた。 B氏が来て「今の状況を分かっているのか。夜勤者に面倒をかけるな」と言った。理由を話すと「それはお前の主観だろ」と言われたので「主観以外に何を言えばいいんですか」と大声で言い返した。口論になった。 大声を出した時点で反抗的と見なされ、懲罰を受ける可能性がある。男性は申し出すら受け付けてもらえないのは理不尽だと思ったので、問題があることを周りの受刑者に聞こえるようにあえて大声を出した。 「相談に値しない」とされた願い  翌日の刑務作業からペナルティーを科された。木工作業は50人くらいがいる部屋で、学校の教室のように受刑者が作業席に座り、前を一斉に向いて作業する。教壇に当たる位置にはB氏がいる。男性はそれまで後ろから2番目の席だったが、口論の翌日、前から2番目に変えられた。B氏の目の前だ。 4月の4日か5日に「相談願」を処遇首席宛てに出した。「刑務所内に法的な相談をする相手がいないので全く分からない。外部機関も含めてどこに相談したらいいか」という趣旨のことを書いた。受刑者のあらゆる申し出は書面で行われ、願箋と呼ばれる。 同6日に作業場でB氏に呼び出され、「相談に値しない」と言われた。B氏には水際で何度も申し出を拒否され、不信感を持っていたので「誰からの返答ですか」と聞くと「幹部だ」と言う。 男性は作業席に着いた。離席の許可を得て、再び前にいるB氏のもとへ行った。男性 幹部というのは誰ですか。B氏 知らん。男性 願箋には処遇首席宛てで書いたので、それは処遇首席の返答と解してよろしいですね。B氏 騒ぐんじゃねえ。 B氏は責任者について明確に答えようとしなかった。男性は思わずにらみつけた。B氏は「なんだ、その態度は!」と10回ほど言い、担当部署に電話をかけた。すると処遇課から別の刑務官2人が来て、男性は連行された。刑務官をにらみつけた行為が「反則事項」とされた。居住場所を調査棟に移され、2~3週間取り調べを受けた。 取り調べを受ける以外の時間は、これまでの木工作業から、独房の床の上にあぐらか正座で座り、新聞紙を数ミ  リ単位にちぎる作業に変わった。「白河だるまに使う」と聞かされた。 男性は別の刑務所にいた時、受刑者から正方形の木の板にひたすら紙やすりをかける作業があったと聞いた。コップを置くコースターになるらしい。「らしい」というのは、果たして極限まで人力で磨き上げる必要があるのか疑問で、完成品が出回っているかどうか確証がないからだ。 産業が高度化し、懲役囚に回す手作業は減っているという。刑務所には「虚無に襲われる作業」というのが存在しているようだ。 刑務所内の懲罰委員会で、男性に15日間の懲罰が言い渡された。新聞紙をちぎる作業はなくなったが、代わりに、床に座って「何もしないこと」を科された。男性は「さすがに精神的にこたえた」と振り返る。 懲罰期間が終わると、白河だるまを手で形作る作業に回された。周りは高齢者ばかりで、作業自体は大変ではなかった。防塵マスクを付けることもなくなった。 「B氏をにらみつけたことは確かです。懲罰になったのは仕方ないと今でも思っています。ただ、使用期限を超えた防塵マスクをずっと使わされたのは明らかにおかしい。受刑者だからないがしろに扱っていいという問題ではない」(男性) 刑務官「よっぽど国はバカなんだな」  B氏には公務員としての自覚がないのでは、と疑問に思うこともあった。新型コロナ対策として、政府が行った住民税非課税世帯対象の臨時特別給付金10万円をめぐってのことだ。給付金は住民基本台帳に基づいて支給された。受刑者も、刑務所が収容前の住所の自治体に「在所証明書」を発行すれば受給できた。ただし、刑務所があえて知らせることはなく、受刑者たちの口コミで広がった。 男性は前述の懲罰を受ける前、B氏に在所証明書の発行を求めたが、答えは「やり方を知らん」の一点張りだった。男性が知っているだけでも2、3人が、こうしたB氏の対応により臨時特別給付金を受給できなかった。 公務員として不適切な言動もあった。「お前ら、刑務所で税金使って3食飯食って、その上給付金もらって心が痛まないのか」。男性に対しては「生活保護もらって国に申し訳ないのか」とも言った。男性が「利用できる制度は利用しようという考えです」と答えると、「よっぽど国はバカなんだな」と言い放った。 「刑務所に入っている人たちが臨時特別給付金をもらうのはおかしいと思う人が多いのも事実でしょう。ただ、制度の適切な運用を求めているのに、やり方すら教えないのは問題。はっきり言って、公務員の言動ではありません」(男性) 懲罰が解けた後は、担当する刑務官がB氏から別の人に代わり、受給に必要な書類を発行してもらうことができた。刑務官によって対応が違う一貫性のなさも、男性には「福島刑務所は組織としてのガバナンスが機能していない」と映った。 本誌は福島刑務所の五十嵐定一所長宛てに質問状を送り、 ①期限切れ防塵マスクの使用を受刑者に強いたこと。 ②受刑者の申し出を聞き入れず、新型コロナの給付金のための手続きをB氏が怠ったこと。 ③受刑者による集団暴行死事件ついて、五十嵐所長は「刑務官が放置していた」との趣旨を文書に記したが、「刑務官が異変を放置していた」という解釈でいいか。 などについて聞いた。 後日、庶務課から電話で回答が寄せられた。 「個別の事案には答えられない」とした上で、①、②については「刑務所としては適切に運用していると認識している」と言う。「一部で認識から外れる運用がされていたということか」と筆者が尋ねると、「被収容者のプライバシーに関わるので個別の事案に答えることはできない」。男性本人から記事にする承諾を得て取材しているのだが……。 ③の五十嵐所長が「刑務官が放置した」と記した文書については、  「見て見ぬふりという意味の『放置』ではなく、結果として被収容者が死亡したことを受けての注意喚起のために出した文書だ」と言う。裁判では、暴行を受けていた受刑者が刑務官に転室を訴えても「部屋がない」と断られたとの証言がある(表参照)。「異変の見て見ぬふり」に当たるのではないか。 更生の途上にて思うこと  男性は2022年10月に刑務所を出所後、首都圏で行政の支援を得て資格を取り、住居も確保して定職に就いている。有罪判決が下される前、拘置所にいた時から支援団体とコンタクトを取り、出所後の手筈を整えていた。 「何度も刑務所のお世話になっています。40代になってもこのままではまずいと考え、正業に就くことを目指しました。決して刑務所の矯正教育のおかげではないと言いたい」(男性) だが、刑務所での生活がなければ正業に就こうと思わなかったのも確かだ。 「懲役を受けて良かったことは、自分の人生を考える時間ができたことです。B氏から理不尽な扱いを受け、出所後すぐは怒りが収まらず、健康被害に対する損害賠償を求めて国を提訴しようとも考えました。ですが出所後は資格取得や職探し、日常生活などで忙しく、考える暇もなくなっていた。今は、訴えようと思うほどの怒りはない。これでいいんだと思います」(同) 男性が取材に応じたのは、「刑務所での暮らしが過去のものとなる中、あの時受けた理不尽な気持ちを何らかの形にしたかったから」だという。福島刑務所には、裁判にならないからと放置していい問題ではないことを指摘したい。刑務官の教育に努め、受刑者の人権をないがしろにしない対応に改める責任がある。 あわせて読みたい 【福島刑務所】集団暴行死事件を追う

  • 【福島刑務所】集団暴行死事件を追う

    【福島刑務所】集団暴行死事件を追う

     2022年3月25日、福島刑務所(福島市)の6人が収容された1室で、60歳の男性受刑者が意識不明の状態で見つかった。受刑者は病院に搬送され、3日後に死亡。同室の複数人から日常的に殴る蹴るの暴行を受けていた。傷害の罪に問われた3人の裁判では、脳梗塞の影響で失禁を繰り返していた被害者にいら立ち、標的にしていたことが判明。刑務官が事態を放置していたことも内部文書で明らかになり、同刑務所の管理体制が問われている。(敬称略) 内部文書で判明した「刑務官の異変放置」  福島刑務所は、執行刑期が10年未満で犯罪傾向が進んでいる(B指標)か、外国人(F指標)の男性受刑者が収容される。2022年3月25日付の同刑務所「処遇日報」によると、定員は1655人で、898人を収容していた(収容率54・3%)。 集団暴行が繰り返されていたのは、3舎2階にある52室。けがや病気などで身体に障害を抱えた男性受刑者6人が入室していた。被害者はタカサカシンイチ。福島民友2020年11月25日付によると、同名の「高坂進一」が郡山市内で乗用車を盗んだとして逮捕されている。タカサカは2022年2月21日に52室に転室した。 タカサカは、先に入室していた受刑者たちから頭や顔、胸腹部などを殴られ、打撲や肋骨骨折などのけがを負った。暴行を受けて死亡しているため傷害致死の疑いも残るが、加害者3人が裁かれたのは傷害罪のみ。主犯は小林久(ひろし)(47)=本籍郡山市、従犯は佐々木潤(49)=同京都市、菊池巧(35)=同矢祭町。全員前科がある累犯者で、小林と菊池は窃盗、佐々木は強制わいせつの罪で懲役刑を受け服役していた。従犯2人は罪を認め、福島地裁は10月19日に懲役1年(求刑懲役1年2月)を言い渡した。主犯の小林は共謀を認めておらず、審理が続いている。 公判での証言から、52室で日常化していた集団暴行をたどる。  主犯の小林は2022年1月5日、F受刑者と一緒に転室してきた。佐々木が翌6日、S受刑者が同31日、最後にタカサカと菊池が2月21日に転室した。全員、身体が不自由だった。裁判では加害者3人が車椅子に乗って入廷し、証言台に立つのも刑務官2人に支えられていた。加えて、死亡したタカサカは脳梗塞の後遺症で失禁を繰り返していたという。 同室者たちは、そんなタカサカと悪臭にいら立っていた。「寝ている時にトイレに行けばいいんですが、周囲が言っても聞かないんです。シャツや上着を汚していましたが、本人が掃除しないので俺たちがやっていました」と佐々木。タカサカは「明日からはしないし掃除もする」と約束したが、守られなかったという。同室者たちは就寝中のタカサカが失禁しないように、15~20分間隔で起こして便所に連れて行った。最初は小林が、後に佐々木、菊池、Sも加わった。 6人部屋で標的に  「なんでこんなことをしなくちゃならないんだ」。4人は睡眠不足が続き、鬱憤を晴らすためタカサカに3月上旬から暴力を振るうようになった。最初は小林が寝ているタカサカを起こす時におでこや鼻の頭を叩いた。「起こす時に殴っていいから」という小林の言葉に他の受刑者も続いた。タカサカが起床を拒む時は、踏みつけたり、布団を剥ぎ取ってみぞおちを殴ったり蹴ったりして従わせた。 夕食後の余暇時間にも暴行はやまなかった。激しくなる暴力にタカサカは耐えきれず、刑務官に何度も転室を求めた。だが返事はいつも「行く部屋はない」だった。 日常的な暴行が約2週間続いた同23日ごろ、タカサカは起き上がるのが困難になっていたという。刑務官は同日午後5時10分ごろにタカサカの体温を測定し、顔にあざやけががないことを確認した。しかしこの時、既に暴行は熾烈を極めていた。 一度標的にされると逃げ場はなかった。被害者と加害者が一日中顔を合わせる状況が続いていたことが原因だ。福島刑務所では、懲役囚たちは月、火、木、金曜の午前8時~午後4時に刑務作業がある(金曜は矯正指導の場合も)。通常は居室とは別の部屋で作業するが、身体が不自由な彼らの場合、居室の中に材料が運び込まれ、机を並べて作業した。作業中もタカサカの失禁はやまず、受刑者から顔面に裏拳を食らった。 同24日はタカサカに意識があった最後の日だ。タカサカは夕食後の余暇時間に、小便で汚してしまった上着と下着を流し台で洗っていた。テレビを見ながらだったため、洗い方は疎かだった。午後8時からの番組「科捜研の女」を見ていた。 タカサカの手が止まった。小林が洗濯を続けろと怒ったが通じない。小林に命じられ、佐々木が右隣に立ち監視した。「それじゃ生ぬるい。俺がやるのを見とけ」と小林。タカサカの右脇腹を殴った。続いて流し台に手を掛けて不自由な身体を支えながら、胸腹部にひざ蹴りした。タカサカが前かがみになったところに背中へ右ひじを振り下ろした。 小林は「俺がしき(見張り)張っとくから、よそ見したらお前も俺がしたようにしろ」と佐々木に命じた。小林は窓の傍で廊下の巡回を警戒した。佐々木は手本通り実行した。次に小林は「後で俺が殴る前に20発殴れ。みぞおちだと跡が残らないからな。合図したらやめろ」と言った。 菊池にはタカサカの両手を後ろに回し拘束するよう命じた。佐々木はタカサカの正面に立ち、両手のこぶしでみぞおちを殴った。足が不自由で踏ん張りが効かないが、菊池の「佐々木さん、俺のことは気にしなくていいから思いっきり殴ってくれ」との言葉を得て20回ほど殴った。 暴行に加わらず布団に入っていたSとFが様子を見ていた。タカサカは畳の上に横になったまま、動かなかった。1人で布団を敷ける状態ではなく、刑務官が「お前らで敷け」と命じると、小林、佐々木、菊池、Sは4人でタカサカの手足を持ち布団に入れた。小林は備え付けのつまようじを複数手に取り束にして、タカサカの左太ももに突き刺して手前に引いた。赤い線になって傷が付いた。 翌25日、起床時刻の午前7時半になってもタカサカは起きない。その日は8時からの作業に代わり、矯正指導のビデオを見る日だった。刑務官が到着したのは8時31分ごろだった。他の5人がビデオを見ている中、刑務官がタカサカの体温を測ると「測れないぞ」との声が上がった。 3日後の午後8時20分、タカサカの死亡が確認された。 衰えていた被害者  福島地裁で10月13日に開かれた小林の公判では、佐々木が証人として出廷した「なぜ小林の主導で集団暴行が繰り返されたのか」と問われた佐々木は「同室者の多くは小林に親族の住所と電話番号を控えられ、命令に逆らうことに恐怖を感じていた」と答えた。小林は他の受刑者より一足早く出所する予定で、自分が刑務所に残っている間に親族に危害が及ぶことを恐れたという。 ただ、佐々木自身もタカサカにいら立ちを感じていたのは確かで、それが暴行に加わった要因の一つと認めている。 真偽は不明だが、小林は暴力団との関係をほのめかし、52室の主導権を握っていた。タカサカも小林に個人情報を握られていたという。佐々木は「タカサカは小林の言うことを聞かなかったから標的となった」と話すが、失禁が止まらないほど重症で、部屋の中で一番高齢で衰えているタカサカが反抗的な態度を取っていたとは思えない。 佐々木は「動作を見ると、タカサカさんは言うことを聞く気はあるけど体が思うように利かない状態やったと思います」と言った。生前、「(便を)漏らしている感覚はあるのか」と聞いても、タカサカは「ない」と答えたという。小林の言うことを聞かなかったのではなく、脳梗塞の後遺症で体が動かせなかったから「聞けなかった」のではないか。 集団暴行死事件が起こった福島刑務所  一方、重い病状の受刑者たちを一つの部屋に集中させ、健康状態に配慮しなかった刑務所側の責任も問わなければならない。福島刑務所は今回の事件をどのように総括しているのか。情報開示請求で入手した内部文書からその一端をうかがう。 まずは7月6日に出された事務連絡。題名は「被収容者の動静把握の徹底等について」。処遇担当の首席矯正処遇官が通知している。 《承知のとおり、本件は、司法解剖に係る公表事案となり、広くマスコミにより報道されたところであり、「福島刑務所で発生した事件」として、広く社会にも周知されていることから、その後の動向については、今なお注目されています》 佐々木と菊池に懲役1年の判決が言い渡されたことを報じた10月20日付の地元2紙の記事は、いずれも第3社会面で扱いは小さい。福島刑務所が危惧したほどではなかった。傷害致死ではなく傷害で逮捕・起訴され、裁判員裁判とならなかったためだろう。引用を続ける。 《本件発生後、当所では、本年4月11日付所長指示第23号「被収容者の動静把握の徹底等について」が発出され、当該指示の内容について、全職員を対象として研修を実施した。(中略)今一度、その内容を再確認の上、適切に勤務を遂行願います》 「適切な勤務」がされていなかったと分かる記述だ。では、4月11日に出された所長指示「被収容者の動静把握の徹底等について」とはどのような内容か。着任したばかりの五十嵐定一所長が出した書面を一部黒塗りがあるが抜粋する。 《本年3月25日午前7時30分の起床時刻頃、当所(3字分黒塗り)2階共同室に収容されていた(2字分黒塗り)受刑者が、布団に横がしたまま起床せず、その後、(27字分黒塗り)により外部病院に救急搬送され、同月28日に至り、多臓器不全により死亡する被収容者死亡事案が発生した。 本事案については、(9字分黒塗り)事故者を医務課に搬送し、診察の実施過程において、事故者の頭部、上半身及び左大腿部に複数の擦過傷及び打撲痕等が確認され、同衆暴行が行われた疑いがあったことから、事案解明と社会正義の実現のため、当所司法警察職員による捜査を開始したところであるが、(15字分黒塗り)にもかかわらず、これを事実上放置して、医療措置が遅れ、結果として、被収容者が死亡したことは、重大な事案であり、到底看過することはできない》(傍線部は筆者注) 「放置」を問題視  裁判での証言を基にすると、傍線部には、タカサカが脳梗塞を抱えていて注視する必要があったことや、刑務官に転室を希望していたことが表記されていると思われる。担当刑務官が異変を放置し、受刑者の生命保護につなげられなかった点を五十嵐所長は問題視しているわけだ。 書面では、以下の4項目の徹底も求めている。 1「(4字分黒塗り)の予防について」、2「現場確認について」、3「居室等勤務、運動・入浴立会勤務について」、4「動静視察等の徹底について」。 1は、高齢や病気で身体機能が低下している受刑者を十分に観察せよとの内容。2では、「起床時刻から1時間以上経過した後に監督職員が事故者の居室を開扉し、状況を直接確認しているが、起床後の人員点検報告を確認する業務がある等の事情を勘案しても遅きに失する」と指摘している。起床時刻が午前7時半、刑務官が駆け付けたのが1時間後の8時半ごろ。被害者の容体が危うく、自分で布団も敷ける状態ではなかったのが前日の午後8時45分ごろだから、体調不良の受刑者を12時間近く放置していたことになる。 3では、「勤務職員が異常を察知できなかったことが事案を発展させた可能性がある」とし、「巡回間隔を遵守するのみでなく頻繁な巡回を励行」すること、さらに、受刑者の運動・入浴時には形骸的な検査に陥らないようにし、異変は監督者に直ちに報告することを求めている。 被害者の死につながる暴行が行われていた3月24日夜は、小林が巡回の警戒に立ち、刑務官に目撃されないようにしていた。菊池によると、巡回は1、2人で行われ、警戒していれば暴行していても簡単には見つからないという。「福島刑務所居室配置表」を見ると、3舎2階には1~56室まで居室があり、集団暴行が行われていた52室は端の方に位置する。菊池が述べたように、巡回は簡単にやり過ごせるほど形骸化していたのだろう。 4では、集団暴行が「養護により昼間においても同じ居室内で作業を実施している居室」で起こったことから、同一空間で過ごすことによる精神的ストレスに注意し、夜間の居室の一部分離や定期的な転室の実施を求めている。これも、タカサカの転室希望が聞き入れられなかったことを受けての指示だ。 タカサカは何度も盗みを働き、刑務所の常連のようだが、だからと言って無造作に命が奪われていいはずがない。 今回の集団暴行死事件では、刑務所という国の24時間管理下に置かれた施設が無秩序状態にあったことが露見した。原稿執筆時の10月末現在、主犯である小林の裁判は継続中(次回は11月11日午後2時)だが、それとは別に、福島刑務所は事件の経緯と原因を公表し、管理運営の在り方を抜本的に見直す必要があるだろう。 あわせて読みたい 【福島刑務所】受刑者に期限切れ防塵マスク

  • 【福島刑務所】受刑者に期限切れ防塵マスク

     昨年3月に福島刑務所(福島市)で、当時60歳の男性受刑者が同室者3人から集団暴行を受け死亡した。傷害罪に問われている主犯の小林久被告に2月3日、判決が言い渡される予定(本稿執筆は1月下旬)。事件時、刑務官が異変を放置していたことが内部文書で明らかになったが、問題は他にもある。刑務作業に使う防塵マスクを使用期限が切れたまま使わせていたのだ。元受刑者が体験を語った。 目に余る福島刑務所の人権侵害  本誌は昨年11月号で、開示請求で手に入れた公文書を基に、死亡した男性受刑者が同室者の男3人から集団暴行を受けていたにもかかわらず、刑務官が異変を放置していた問題を報じた。3人は傷害致死ではなく傷害の罪に問われた。従犯の佐々木潤受刑者、菊池巧受刑者には昨年10月に懲役1年が言い渡された。  この事件は、被害者の男性受刑者が死亡したことで報道され、裁判にもなり公に知れ渡った。だが、社会から隔絶された刑務所は、問題行動が起きても外部の目が入りにくく、ブラックボックスとなっている。 問題行動は受刑者だけが起こすわけではない。名古屋刑務所では多数の刑務官が受刑者を暴行していたことが分かっている。 福島刑務所では、刑務作業で生じる粉塵を吸い込むのを防ぐためのマスクが交換されず、使用期限を大幅に超えた使用を強いられていた。 受刑者同士の暴行や刑務官による残虐行為に比べれば「小さな問題」かもしれない。だが見過ごせば、今回の集団暴行死のような、より大きな事件につながりかねない。期限切れ防塵マスク問題について、薬物犯罪で懲役刑を受け、福島刑務所に2021年12月から22年10月まで入所していた40代の男性がつけていた日記を開きながら振り返る。 「新型コロナの観察期間を終え、2022年1月12日から刑務所内の木工工場に配役になりました。私は木製のおもちゃを作るために、木の表面を電動式の紙やすりを使って磨く作業を担当しました。細かい木の粉を口や鼻から吸い込むのを防ぐために、防塵マスクを着用します。14日から使わされたマスクには使用期限が確か『13時間』と書いてありました。しかし、作業を監督する刑務官からは何の説明もなく、少なくとも3カ月は使わされました。一度も交換されることはありませんでした」(男性) 男性によると、使用していたのは興研社製。筆者がネットで検索した画像を示して、同じ物はどれか聞くと、「ハイラックマスク550」(使用限度12時間)が似ているという。 刑務作業は昼休憩1時間を含めて平日の午前8時から午後5時。防塵マスクが必要となる細かい木くずが出る作業は、そのうち2~3時間だった。少なく見積もっても約1週間で使用期限を迎えるが、男性は約3カ月間の使用を強いられたという。自分よりも先に木工作業に従事していた受刑者にマスクが交換されているか聞いたが、「全然交換してくれないよ」と言った。 男性の日記には、2022年1月14日の作業から防塵マスクを使い始めたと書いてある。使用期限を超えて使わされていたこととの因果関係は不明だが、口元に湿疹ができ、気分が悪くなった。しかし、交換の指示は一向に出ない。男性は2月16日に工場担当の刑務官B氏に交換を申し出た。B氏は男性にとって、刑務所に何かを申し出る際の窓口になる身近な刑務官だった。見た目は30代に映った。 男性は内省のために毎日の出来事をノートに欠かさず書いていた。以下はその抜粋。×  ×  ×  × 2月16日 工場でマスクの交換を願い出るも断られる。(A=私、B=担当) 還房(筆者注:個人の居室に帰ること)してから、A どのくらいの日数で交換してもらえるのか?B 特に期間で決めてない。作業内容によって頻度が違うから。A メンドクサイことを言うようですが、マスクに使用限度13時間と書いてあります。因果関係は分からないが、吹き出物がひどい。実際、使っていて汚いので、定期的に交換してほしい。B メンドクサイことを言うな。ダメだ。A まだ分からないが、苦情の申し出をする場合、施設長に対してでよいのか。相談する順番として、まずオヤジ(筆者注:刑務官のこと)に相談しました。B 自分で(生活のしおりを)読め。×  ×  ×  × 男性は改善要求や抗議ではなく、あくまでマスク交換はどこに申し出ればいいかと手続きを聞いた。B氏は答えず、受刑者に渡される刑務所での暮らしや手続きをまとめた冊子に目を通すよう言った。 1回目の交換拒否から1カ月後の3月16日、福島県沖を大地震が襲い、刑務作業は休みとなった。刑務所内では新型コロナが流行していた。不安を感じた男性は翌17日、巡回に来た夜勤の刑務官に自身の体調の報告と、B氏にマスク交換を申し出る手続きについて相談したいと伝えた。 B氏が来て「今の状況を分かっているのか。夜勤者に面倒をかけるな」と言った。理由を話すと「それはお前の主観だろ」と言われたので「主観以外に何を言えばいいんですか」と大声で言い返した。口論になった。 大声を出した時点で反抗的と見なされ、懲罰を受ける可能性がある。男性は申し出すら受け付けてもらえないのは理不尽だと思ったので、問題があることを周りの受刑者に聞こえるようにあえて大声を出した。 「相談に値しない」とされた願い  翌日の刑務作業からペナルティーを科された。木工作業は50人くらいがいる部屋で、学校の教室のように受刑者が作業席に座り、前を一斉に向いて作業する。教壇に当たる位置にはB氏がいる。男性はそれまで後ろから2番目の席だったが、口論の翌日、前から2番目に変えられた。B氏の目の前だ。 4月の4日か5日に「相談願」を処遇首席宛てに出した。「刑務所内に法的な相談をする相手がいないので全く分からない。外部機関も含めてどこに相談したらいいか」という趣旨のことを書いた。受刑者のあらゆる申し出は書面で行われ、願箋と呼ばれる。 同6日に作業場でB氏に呼び出され、「相談に値しない」と言われた。B氏には水際で何度も申し出を拒否され、不信感を持っていたので「誰からの返答ですか」と聞くと「幹部だ」と言う。 男性は作業席に着いた。離席の許可を得て、再び前にいるB氏のもとへ行った。男性 幹部というのは誰ですか。B氏 知らん。男性 願箋には処遇首席宛てで書いたので、それは処遇首席の返答と解してよろしいですね。B氏 騒ぐんじゃねえ。 B氏は責任者について明確に答えようとしなかった。男性は思わずにらみつけた。B氏は「なんだ、その態度は!」と10回ほど言い、担当部署に電話をかけた。すると処遇課から別の刑務官2人が来て、男性は連行された。刑務官をにらみつけた行為が「反則事項」とされた。居住場所を調査棟に移され、2~3週間取り調べを受けた。 取り調べを受ける以外の時間は、これまでの木工作業から、独房の床の上にあぐらか正座で座り、新聞紙を数ミ  リ単位にちぎる作業に変わった。「白河だるまに使う」と聞かされた。 男性は別の刑務所にいた時、受刑者から正方形の木の板にひたすら紙やすりをかける作業があったと聞いた。コップを置くコースターになるらしい。「らしい」というのは、果たして極限まで人力で磨き上げる必要があるのか疑問で、完成品が出回っているかどうか確証がないからだ。 産業が高度化し、懲役囚に回す手作業は減っているという。刑務所には「虚無に襲われる作業」というのが存在しているようだ。 刑務所内の懲罰委員会で、男性に15日間の懲罰が言い渡された。新聞紙をちぎる作業はなくなったが、代わりに、床に座って「何もしないこと」を科された。男性は「さすがに精神的にこたえた」と振り返る。 懲罰期間が終わると、白河だるまを手で形作る作業に回された。周りは高齢者ばかりで、作業自体は大変ではなかった。防塵マスクを付けることもなくなった。 「B氏をにらみつけたことは確かです。懲罰になったのは仕方ないと今でも思っています。ただ、使用期限を超えた防塵マスクをずっと使わされたのは明らかにおかしい。受刑者だからないがしろに扱っていいという問題ではない」(男性) 刑務官「よっぽど国はバカなんだな」  B氏には公務員としての自覚がないのでは、と疑問に思うこともあった。新型コロナ対策として、政府が行った住民税非課税世帯対象の臨時特別給付金10万円をめぐってのことだ。給付金は住民基本台帳に基づいて支給された。受刑者も、刑務所が収容前の住所の自治体に「在所証明書」を発行すれば受給できた。ただし、刑務所があえて知らせることはなく、受刑者たちの口コミで広がった。 男性は前述の懲罰を受ける前、B氏に在所証明書の発行を求めたが、答えは「やり方を知らん」の一点張りだった。男性が知っているだけでも2、3人が、こうしたB氏の対応により臨時特別給付金を受給できなかった。 公務員として不適切な言動もあった。「お前ら、刑務所で税金使って3食飯食って、その上給付金もらって心が痛まないのか」。男性に対しては「生活保護もらって国に申し訳ないのか」とも言った。男性が「利用できる制度は利用しようという考えです」と答えると、「よっぽど国はバカなんだな」と言い放った。 「刑務所に入っている人たちが臨時特別給付金をもらうのはおかしいと思う人が多いのも事実でしょう。ただ、制度の適切な運用を求めているのに、やり方すら教えないのは問題。はっきり言って、公務員の言動ではありません」(男性) 懲罰が解けた後は、担当する刑務官がB氏から別の人に代わり、受給に必要な書類を発行してもらうことができた。刑務官によって対応が違う一貫性のなさも、男性には「福島刑務所は組織としてのガバナンスが機能していない」と映った。 本誌は福島刑務所の五十嵐定一所長宛てに質問状を送り、 ①期限切れ防塵マスクの使用を受刑者に強いたこと。 ②受刑者の申し出を聞き入れず、新型コロナの給付金のための手続きをB氏が怠ったこと。 ③受刑者による集団暴行死事件ついて、五十嵐所長は「刑務官が放置していた」との趣旨を文書に記したが、「刑務官が異変を放置していた」という解釈でいいか。 などについて聞いた。 後日、庶務課から電話で回答が寄せられた。 「個別の事案には答えられない」とした上で、①、②については「刑務所としては適切に運用していると認識している」と言う。「一部で認識から外れる運用がされていたということか」と筆者が尋ねると、「被収容者のプライバシーに関わるので個別の事案に答えることはできない」。男性本人から記事にする承諾を得て取材しているのだが……。 ③の五十嵐所長が「刑務官が放置した」と記した文書については、  「見て見ぬふりという意味の『放置』ではなく、結果として被収容者が死亡したことを受けての注意喚起のために出した文書だ」と言う。裁判では、暴行を受けていた受刑者が刑務官に転室を訴えても「部屋がない」と断られたとの証言がある(表参照)。「異変の見て見ぬふり」に当たるのではないか。 更生の途上にて思うこと  男性は2022年10月に刑務所を出所後、首都圏で行政の支援を得て資格を取り、住居も確保して定職に就いている。有罪判決が下される前、拘置所にいた時から支援団体とコンタクトを取り、出所後の手筈を整えていた。 「何度も刑務所のお世話になっています。40代になってもこのままではまずいと考え、正業に就くことを目指しました。決して刑務所の矯正教育のおかげではないと言いたい」(男性) だが、刑務所での生活がなければ正業に就こうと思わなかったのも確かだ。 「懲役を受けて良かったことは、自分の人生を考える時間ができたことです。B氏から理不尽な扱いを受け、出所後すぐは怒りが収まらず、健康被害に対する損害賠償を求めて国を提訴しようとも考えました。ですが出所後は資格取得や職探し、日常生活などで忙しく、考える暇もなくなっていた。今は、訴えようと思うほどの怒りはない。これでいいんだと思います」(同) 男性が取材に応じたのは、「刑務所での暮らしが過去のものとなる中、あの時受けた理不尽な気持ちを何らかの形にしたかったから」だという。福島刑務所には、裁判にならないからと放置していい問題ではないことを指摘したい。刑務官の教育に努め、受刑者の人権をないがしろにしない対応に改める責任がある。 あわせて読みたい 【福島刑務所】集団暴行死事件を追う

  • 【福島刑務所】集団暴行死事件を追う

     2022年3月25日、福島刑務所(福島市)の6人が収容された1室で、60歳の男性受刑者が意識不明の状態で見つかった。受刑者は病院に搬送され、3日後に死亡。同室の複数人から日常的に殴る蹴るの暴行を受けていた。傷害の罪に問われた3人の裁判では、脳梗塞の影響で失禁を繰り返していた被害者にいら立ち、標的にしていたことが判明。刑務官が事態を放置していたことも内部文書で明らかになり、同刑務所の管理体制が問われている。(敬称略) 内部文書で判明した「刑務官の異変放置」  福島刑務所は、執行刑期が10年未満で犯罪傾向が進んでいる(B指標)か、外国人(F指標)の男性受刑者が収容される。2022年3月25日付の同刑務所「処遇日報」によると、定員は1655人で、898人を収容していた(収容率54・3%)。 集団暴行が繰り返されていたのは、3舎2階にある52室。けがや病気などで身体に障害を抱えた男性受刑者6人が入室していた。被害者はタカサカシンイチ。福島民友2020年11月25日付によると、同名の「高坂進一」が郡山市内で乗用車を盗んだとして逮捕されている。タカサカは2022年2月21日に52室に転室した。 タカサカは、先に入室していた受刑者たちから頭や顔、胸腹部などを殴られ、打撲や肋骨骨折などのけがを負った。暴行を受けて死亡しているため傷害致死の疑いも残るが、加害者3人が裁かれたのは傷害罪のみ。主犯は小林久(ひろし)(47)=本籍郡山市、従犯は佐々木潤(49)=同京都市、菊池巧(35)=同矢祭町。全員前科がある累犯者で、小林と菊池は窃盗、佐々木は強制わいせつの罪で懲役刑を受け服役していた。従犯2人は罪を認め、福島地裁は10月19日に懲役1年(求刑懲役1年2月)を言い渡した。主犯の小林は共謀を認めておらず、審理が続いている。 公判での証言から、52室で日常化していた集団暴行をたどる。  主犯の小林は2022年1月5日、F受刑者と一緒に転室してきた。佐々木が翌6日、S受刑者が同31日、最後にタカサカと菊池が2月21日に転室した。全員、身体が不自由だった。裁判では加害者3人が車椅子に乗って入廷し、証言台に立つのも刑務官2人に支えられていた。加えて、死亡したタカサカは脳梗塞の後遺症で失禁を繰り返していたという。 同室者たちは、そんなタカサカと悪臭にいら立っていた。「寝ている時にトイレに行けばいいんですが、周囲が言っても聞かないんです。シャツや上着を汚していましたが、本人が掃除しないので俺たちがやっていました」と佐々木。タカサカは「明日からはしないし掃除もする」と約束したが、守られなかったという。同室者たちは就寝中のタカサカが失禁しないように、15~20分間隔で起こして便所に連れて行った。最初は小林が、後に佐々木、菊池、Sも加わった。 6人部屋で標的に  「なんでこんなことをしなくちゃならないんだ」。4人は睡眠不足が続き、鬱憤を晴らすためタカサカに3月上旬から暴力を振るうようになった。最初は小林が寝ているタカサカを起こす時におでこや鼻の頭を叩いた。「起こす時に殴っていいから」という小林の言葉に他の受刑者も続いた。タカサカが起床を拒む時は、踏みつけたり、布団を剥ぎ取ってみぞおちを殴ったり蹴ったりして従わせた。 夕食後の余暇時間にも暴行はやまなかった。激しくなる暴力にタカサカは耐えきれず、刑務官に何度も転室を求めた。だが返事はいつも「行く部屋はない」だった。 日常的な暴行が約2週間続いた同23日ごろ、タカサカは起き上がるのが困難になっていたという。刑務官は同日午後5時10分ごろにタカサカの体温を測定し、顔にあざやけががないことを確認した。しかしこの時、既に暴行は熾烈を極めていた。 一度標的にされると逃げ場はなかった。被害者と加害者が一日中顔を合わせる状況が続いていたことが原因だ。福島刑務所では、懲役囚たちは月、火、木、金曜の午前8時~午後4時に刑務作業がある(金曜は矯正指導の場合も)。通常は居室とは別の部屋で作業するが、身体が不自由な彼らの場合、居室の中に材料が運び込まれ、机を並べて作業した。作業中もタカサカの失禁はやまず、受刑者から顔面に裏拳を食らった。 同24日はタカサカに意識があった最後の日だ。タカサカは夕食後の余暇時間に、小便で汚してしまった上着と下着を流し台で洗っていた。テレビを見ながらだったため、洗い方は疎かだった。午後8時からの番組「科捜研の女」を見ていた。 タカサカの手が止まった。小林が洗濯を続けろと怒ったが通じない。小林に命じられ、佐々木が右隣に立ち監視した。「それじゃ生ぬるい。俺がやるのを見とけ」と小林。タカサカの右脇腹を殴った。続いて流し台に手を掛けて不自由な身体を支えながら、胸腹部にひざ蹴りした。タカサカが前かがみになったところに背中へ右ひじを振り下ろした。 小林は「俺がしき(見張り)張っとくから、よそ見したらお前も俺がしたようにしろ」と佐々木に命じた。小林は窓の傍で廊下の巡回を警戒した。佐々木は手本通り実行した。次に小林は「後で俺が殴る前に20発殴れ。みぞおちだと跡が残らないからな。合図したらやめろ」と言った。 菊池にはタカサカの両手を後ろに回し拘束するよう命じた。佐々木はタカサカの正面に立ち、両手のこぶしでみぞおちを殴った。足が不自由で踏ん張りが効かないが、菊池の「佐々木さん、俺のことは気にしなくていいから思いっきり殴ってくれ」との言葉を得て20回ほど殴った。 暴行に加わらず布団に入っていたSとFが様子を見ていた。タカサカは畳の上に横になったまま、動かなかった。1人で布団を敷ける状態ではなく、刑務官が「お前らで敷け」と命じると、小林、佐々木、菊池、Sは4人でタカサカの手足を持ち布団に入れた。小林は備え付けのつまようじを複数手に取り束にして、タカサカの左太ももに突き刺して手前に引いた。赤い線になって傷が付いた。 翌25日、起床時刻の午前7時半になってもタカサカは起きない。その日は8時からの作業に代わり、矯正指導のビデオを見る日だった。刑務官が到着したのは8時31分ごろだった。他の5人がビデオを見ている中、刑務官がタカサカの体温を測ると「測れないぞ」との声が上がった。 3日後の午後8時20分、タカサカの死亡が確認された。 衰えていた被害者  福島地裁で10月13日に開かれた小林の公判では、佐々木が証人として出廷した「なぜ小林の主導で集団暴行が繰り返されたのか」と問われた佐々木は「同室者の多くは小林に親族の住所と電話番号を控えられ、命令に逆らうことに恐怖を感じていた」と答えた。小林は他の受刑者より一足早く出所する予定で、自分が刑務所に残っている間に親族に危害が及ぶことを恐れたという。 ただ、佐々木自身もタカサカにいら立ちを感じていたのは確かで、それが暴行に加わった要因の一つと認めている。 真偽は不明だが、小林は暴力団との関係をほのめかし、52室の主導権を握っていた。タカサカも小林に個人情報を握られていたという。佐々木は「タカサカは小林の言うことを聞かなかったから標的となった」と話すが、失禁が止まらないほど重症で、部屋の中で一番高齢で衰えているタカサカが反抗的な態度を取っていたとは思えない。 佐々木は「動作を見ると、タカサカさんは言うことを聞く気はあるけど体が思うように利かない状態やったと思います」と言った。生前、「(便を)漏らしている感覚はあるのか」と聞いても、タカサカは「ない」と答えたという。小林の言うことを聞かなかったのではなく、脳梗塞の後遺症で体が動かせなかったから「聞けなかった」のではないか。 集団暴行死事件が起こった福島刑務所  一方、重い病状の受刑者たちを一つの部屋に集中させ、健康状態に配慮しなかった刑務所側の責任も問わなければならない。福島刑務所は今回の事件をどのように総括しているのか。情報開示請求で入手した内部文書からその一端をうかがう。 まずは7月6日に出された事務連絡。題名は「被収容者の動静把握の徹底等について」。処遇担当の首席矯正処遇官が通知している。 《承知のとおり、本件は、司法解剖に係る公表事案となり、広くマスコミにより報道されたところであり、「福島刑務所で発生した事件」として、広く社会にも周知されていることから、その後の動向については、今なお注目されています》 佐々木と菊池に懲役1年の判決が言い渡されたことを報じた10月20日付の地元2紙の記事は、いずれも第3社会面で扱いは小さい。福島刑務所が危惧したほどではなかった。傷害致死ではなく傷害で逮捕・起訴され、裁判員裁判とならなかったためだろう。引用を続ける。 《本件発生後、当所では、本年4月11日付所長指示第23号「被収容者の動静把握の徹底等について」が発出され、当該指示の内容について、全職員を対象として研修を実施した。(中略)今一度、その内容を再確認の上、適切に勤務を遂行願います》 「適切な勤務」がされていなかったと分かる記述だ。では、4月11日に出された所長指示「被収容者の動静把握の徹底等について」とはどのような内容か。着任したばかりの五十嵐定一所長が出した書面を一部黒塗りがあるが抜粋する。 《本年3月25日午前7時30分の起床時刻頃、当所(3字分黒塗り)2階共同室に収容されていた(2字分黒塗り)受刑者が、布団に横がしたまま起床せず、その後、(27字分黒塗り)により外部病院に救急搬送され、同月28日に至り、多臓器不全により死亡する被収容者死亡事案が発生した。 本事案については、(9字分黒塗り)事故者を医務課に搬送し、診察の実施過程において、事故者の頭部、上半身及び左大腿部に複数の擦過傷及び打撲痕等が確認され、同衆暴行が行われた疑いがあったことから、事案解明と社会正義の実現のため、当所司法警察職員による捜査を開始したところであるが、(15字分黒塗り)にもかかわらず、これを事実上放置して、医療措置が遅れ、結果として、被収容者が死亡したことは、重大な事案であり、到底看過することはできない》(傍線部は筆者注) 「放置」を問題視  裁判での証言を基にすると、傍線部には、タカサカが脳梗塞を抱えていて注視する必要があったことや、刑務官に転室を希望していたことが表記されていると思われる。担当刑務官が異変を放置し、受刑者の生命保護につなげられなかった点を五十嵐所長は問題視しているわけだ。 書面では、以下の4項目の徹底も求めている。 1「(4字分黒塗り)の予防について」、2「現場確認について」、3「居室等勤務、運動・入浴立会勤務について」、4「動静視察等の徹底について」。 1は、高齢や病気で身体機能が低下している受刑者を十分に観察せよとの内容。2では、「起床時刻から1時間以上経過した後に監督職員が事故者の居室を開扉し、状況を直接確認しているが、起床後の人員点検報告を確認する業務がある等の事情を勘案しても遅きに失する」と指摘している。起床時刻が午前7時半、刑務官が駆け付けたのが1時間後の8時半ごろ。被害者の容体が危うく、自分で布団も敷ける状態ではなかったのが前日の午後8時45分ごろだから、体調不良の受刑者を12時間近く放置していたことになる。 3では、「勤務職員が異常を察知できなかったことが事案を発展させた可能性がある」とし、「巡回間隔を遵守するのみでなく頻繁な巡回を励行」すること、さらに、受刑者の運動・入浴時には形骸的な検査に陥らないようにし、異変は監督者に直ちに報告することを求めている。 被害者の死につながる暴行が行われていた3月24日夜は、小林が巡回の警戒に立ち、刑務官に目撃されないようにしていた。菊池によると、巡回は1、2人で行われ、警戒していれば暴行していても簡単には見つからないという。「福島刑務所居室配置表」を見ると、3舎2階には1~56室まで居室があり、集団暴行が行われていた52室は端の方に位置する。菊池が述べたように、巡回は簡単にやり過ごせるほど形骸化していたのだろう。 4では、集団暴行が「養護により昼間においても同じ居室内で作業を実施している居室」で起こったことから、同一空間で過ごすことによる精神的ストレスに注意し、夜間の居室の一部分離や定期的な転室の実施を求めている。これも、タカサカの転室希望が聞き入れられなかったことを受けての指示だ。 タカサカは何度も盗みを働き、刑務所の常連のようだが、だからと言って無造作に命が奪われていいはずがない。 今回の集団暴行死事件では、刑務所という国の24時間管理下に置かれた施設が無秩序状態にあったことが露見した。原稿執筆時の10月末現在、主犯である小林の裁判は継続中(次回は11月11日午後2時)だが、それとは別に、福島刑務所は事件の経緯と原因を公表し、管理運営の在り方を抜本的に見直す必要があるだろう。 あわせて読みたい 【福島刑務所】受刑者に期限切れ防塵マスク