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2022年12月号

  • 【Jパワー】更新工事進む鬼首地熱発電所

    【Jパワー(電源開発)】更新工事進む鬼首地熱発電所【宮城県大崎市】

     Jパワー(電源開発)が運営する鬼首地熱発電所(宮城県大崎市、1万5000㌔㍗)は40年以上にわたり電力を安定供給してきた。現在は更新工事の最終段階にあり、2023年4月の運転再開に向け、各種機器などの整備が進められている。 更新工事中の鬼首地熱発電所(手前が還元井、奥が冷却塔)  地熱発電は地下に溜まった蒸気や熱水を「生産井」でくみ上げ、気水分離器を経て蒸気でタービンを回す発電方法。使い終わった蒸気は冷却塔で冷やし、熱水とともに「還元井」で地下に戻す。 くみ上げた蒸気と熱水を分ける「気水分離器」  循環利用できれば長期間にわたり安定的な発電が可能となる。天候の影響を受けず、CO2排出量も少ない。設備利用率(フル稼働時の発電量に占める実際の発電量の割合)は風力約20%、太陽光約12%に対し、地熱発電は約80%だ。  同発電所は鳴子温泉郷から北西約20㌔の「鬼首カルデラ」内に位置し、「栗駒山国定公園」として第一種特別地域の指定を受けている。同社では戦後早くから地熱発電所の建設に着手した。1975(昭和50)年に出力9000㌔㍗で営業運転開始。以降、順次出力を増やし、2010年には1万5000㌔㍗に増強した。  その後、環境負荷の低減や安全性考慮の観点から新たな設備の導入が必要と判断し、17年に一時運転停止。19年から設備更新工事に入った。  生産井9坑、還元井8坑を埋め戻し、新たに掘削した生産井5坑、還元井5坑に集約。これでも出力は更新前とほぼ同水準を維持(1万4900万㌔㍗)。タービン棟を新設し発電機の効率が向上したことで、使用する熱水量・蒸気量が従前より減少するため、有毒な硫化水素の排出量が減少した。過去に生産井付近で発生した噴気災害を念頭に入れ、高温地帯に設備を設けないようにした。  すでに電気、建築設備は立ち上がり、生産井の噴気試験も終了。11月に試運転を開始した。更新工事には同社のほか、グループ会社や協力会社が連携して取り組んでおり、生産井などの掘削工事は主にJパワーハイテックが担った。  同発電所は地域振興の役割も担う。21年度には地元・大崎市の小学校や高校で授業を行い、鳴子温泉の特質や地元資源の独自性、地熱発電の仕組みなどを説明した。地元のお祭りや清掃活動にも積極的に参加しているほか、再生可能エネルギーを扱う東北大学の出前授業にも近々出講する予定となっている。  Jパワーでは50年までに国内発電事業のCO2排出量を実質ゼロにする目標を掲げている。同発電所の北約2㌔の地点にある高日向山地域(宮城県大崎市)では新たな地熱発電所の開発を目的とした資源量調査も進んでいる。  今後も同社ではエネルギーを不断に供給し続ける使命を念頭に、地域と信頼関係を築きながら事業を継続していく考えだ。

  • 追悼・渡部恒三元衆議院副議長11月6日にお別れの会開催

    追悼・渡部恒三元衆議院副議長 2022年11月6日にお別れの会開催

     元衆議院副議長で通商産業大臣、厚生大臣、自治大臣などを務め、2020年8月23日に死去した渡部恒三(わたなべ・こうぞう)氏の「お別れの会」が2022年11月6日、会津若松市の会津若松ワシントンホテルで開かれた。コロナ禍のため延期になっていたもので、関係者をはじめ、政界・経済界から約350人が参列した。 同日には会津若松市城東町の自宅に「渡部恒三記念館」が開館した。館内には大臣就任時に受け取った任命書や叙勲などゆかりの品が展示されている。入場無料。開館は水、土、日曜日の10時から16時。 当日の様子と併せて、約30年前の誌面に載せた恒三氏の写真を再掲する。 在りし日の恒三氏(1992年10月撮影) 会津若松市で行われた「お別れの会」の様子 議員宿舎で晩酌する恒三氏(1992年10月撮影) 記念館前に建てられたブロンズ像 恒三氏を支えていた秘書たち。中央は佐藤雄平元知事。 会津若松市の自宅で家族と食事をとる(1992年10月撮影) 記念館に展示されている恒三氏ゆかりの品 恒三氏の長男・恒雄氏 「お別れの会」であいさつする佐藤雄平元知事 あわせて読みたい 【会津】「恒三イズム」の継承者は誰だ

  • 石川町長選で落選西牧氏の悪あがき

    石川町長選で落選【西牧立博】氏の悪あがき

     2022年8月28日投開票の石川町長選で落選した元職の西牧立博氏(76)が同10月19日、町選管に異議申し出を提出した。無効票に有効票が紛れている可能性や、開票立会人が票の点検を怠ったとして、投票用紙の再点検を求めたもの。町長選では8647人が投票し、有効票8310票、無効票337票。現職の塩田金次郎氏(74)が西牧氏に716票差で再選を果たした。  町選管が再点検を実施したところ、塩田氏の票が3票減って4510票となったが、西牧氏の3797票は変わらず、2022年10月27日に異議申し出が棄却された。正直〝悪あがき〟感は否めず、町民から呆れる声も聞かれる。ただ当の本人は、二度の事件で逮捕されながら、再び町長選に立候補する性格なので、全く気にしていないのかもしれない。  一方でそんな西牧氏に700票差まで迫られたということは、途中で断念した病院誘致をはじめ、塩田氏に不満がある人が少なくないということ。そのことを意識して町政運営を進める必要があろう。 あわせて読みたい 【石川町】焼失ホテルが直面する複合苦 【石川町】塩田金次郎町長インタビュー 石川中元講師「男子生徒に性加害」の実態

  • 福島市いじめ問題で市側が被害者に謝罪

    福島市いじめ問題で市側が被害者に謝罪

    福島市内の男子中学生が市立小学校に通っていたときにいじめを受け、不登校になった問題について、本誌2022年4月号「【福島市いじめ問題】6つの深刻な失態」という記事で、詳細にリポートした。  記事掲載後、男子中学生と保護者は市や市教育委員会の対応を巡り、担任の教員や教育委員会などに謝罪を要求。県弁護士会示談あっせんセンターに示談のあっせんを申し立て、2022年10月末、市長と教育長が謝罪することで和解に至った。  福島市は2022年11月22日の記者会見で、木幡浩市長と佐藤秀美教育長が非公式の場で直接謝罪しことを明らかにした。和解の条件として、市が児童らに180万円の解決金を支払い、いじめ問題の関係者を今後処分する。  同日、被害者側も記者会見を開き、男子中学生は「心の傷は治らない」と語った。保護者は「こちらが求める謝罪ではなかった」としつつ、「今後は組織一体となっていじめ問題に対応してほしい」と訴えた。

  • 来春に迫った北塩原村議選2つの注目ポイント

    来春に迫った北塩原村議選2つの注目ポイント

     北塩原村議会議員の任期は2023年4月29日までで、同月中に選挙が行われる予定となっている。  いまの議員は「村として初めての無投票」(ある関係者)によって選ばれ、村民からは事あるごとに「無投票は良くない」といった声が聞かれていた。  そのため、1つポイントになるのは「2回連続の無投票は阻止しなければならない」といった動きだ。  「現職議員の中には、無投票なら出る、選挙になるなら出ない、といった考えの人もいるようです。正直、そういった発想は村民(有権者)を愚弄しているとしか思えない。そんな人がタダで議員になるのを防ぐ意味でも、何とか無投票は避けてほしい」(ある村民)  もう1つは、遠藤和夫村長に近い議員は伊藤敏英議員くらいで、遠藤村長が自派議員擁立に動くか、ということ。  本誌8月号に「北塩原村長辞職勧告決議の背景」という記事を掲載した。同村6月議会で、遠藤村長の辞職勧告決議案が提出され、賛成5、反対2、退席2の賛成多数で可決された。背景にあるのは、介護保険の高額介護サービス費の支給先に誤りがあったこと、支給事務手続きが遅延したことで、その責任を問われた際、遠藤村長からは「自分の責任ではない」旨の発言があった。そのため、議員から「村長の説明は自分に責任がないようなものになっている。この先、事務執行するに当たって誰が責任を取るのか、明確にしておかなければならい」として、村長の責任を追及する動議が出された。その後、辞職勧告決議案が提出されたという流れだ。  その際、遠藤村長は「重く受け止める」とのコメントを残したが、辞職は否定した。同決議に法的拘束力はない。 遠藤和夫村長  そのほか、同議会ではそれに付随するような形で、一般会計補正予算案も賛成3、反対6の賛成少数で否決された。  こうした例があったため、遠藤村長は自派議員擁立に動くのではないか、とみられている。  もっとも、前述したように、明確に遠藤村長派と言える議員は伊藤議員1人だけだが、この間、前段で紹介した辞職勧告決議、一般会計補正予算案の否決のほかに、議案を否決されたのは1、2回あった程度で、表向きは議会対策にものすごく苦心している、というわけではない。  ちなみに、遠藤村長は2020年8月の村長選で初当選し、現在1期目。遠藤村長の妹が菅家一郎衆院議員の妻で、2人は義理の兄弟に当たる。1期目の折り返しを過ぎ、より自分の「カラー」を打ち出すためにも、遠藤村長は自派議員を増やしたいと考えているようだ。  同村は、北山、大塩、檜原の旧3村(3地区)に分かれているが、「遠藤村長は各地区で候補者を立てたい意向のようです」(ある関係者)という。  もっとも、別の村民によると「早い段階で表立って動くと、潰されてしまうから、いまはまだ水面下での動きにとどまっているようです」とのこと。  遠藤村長派の議員の台頭はあるのか、2回連続の無投票を阻止できるのか、この2つが同村議選の注目ポイントになろう。 北塩原村議会のホームページ あわせて読みたい 候補者乱立の北塩原村議選

  • 渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

    渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

     白河市長4期目の鈴木和夫氏(73)が2023年7月28日に任期満了を迎える。市長選まで1年を切ったが、現職の動向を含め、まだ目立った動きは見えない。  鈴木氏は早稲田大卒。県商工労働部政策監、相双地方振興局長、県企業局長などを経て、2007年の市長選で初当選を果たした。  県職員時代の経験を生かし、財政再建や企業誘致、歴史まちづくり、中心市街地活性化を進めてきた行政手腕は高く評価されている。初当選時こそ次点の桜井和朋氏と約4000票差の約1万6000票だったが、2回目以降は2万票以上を獲得し、次点に1万票以上の差をつけ、当選を重ねてきた。  とはいえ、さすがに5選ともなると、「多選」のイメージが強くなり、弊害を懸念する声も出てくる。それを見越して、市内では〝後釜〟探しが水面下で進んでいるようだ。  市内の経済人によると、「『県議会議長の渡辺義信氏(59、4期、白河市・西白河郡、自民党)をぜひ次期市長に』という声が同県議の地元である旧東村で上がっている」という。 鈴木和夫氏(上)と渡辺義信氏  渡辺氏は日大東北高卒。自民党県連幹事長などを歴任し、2021年10月、県議会議長に就任した。白河青年会議所理事長、ひがし商工会副会長などを務めた経験から、応援する経済人も多いようだ。  2023年秋には県議の改選が控える。前回2019年の県議選での渡辺氏の得票数は1万0362票。現職・鈴木氏との一騎打ちとなれば勝ち目はなさそうだが、誰も成り手がいないのなら渡辺氏が適任ではないか――こうした〝待望論〟が支持者などから出てきているわけ。  もっとも、身内であるはずの自民党関係者は冷ややかな反応を示す。  「渡辺氏は国政選挙などがあっても真面目に応援してくれない。閣僚が応援演説に来た際も数人しか集められず、慌てて他地区から動員したことがあった。仮に市長選に出ても、(自民党支持者が)一丸となって応援する構図は考えづらい」  こうした声が出る背景には、白河市・西白河郡選挙から満山喜一氏(71、5期、自民党)も選出されており、市内の自民党支持者が二分されている事情もあるのだろう。  渡辺氏本人は周囲に「立候補はしない」と明言しているようだが、渡辺氏の動きを警戒する鈴木氏の後援会関係者からは「鈴木氏にもう1期頑張ってほしい」という声が上がっているようだ。鈴木氏本人も「多選批判」を意識しているだろうが、周囲から立候補を強く要請されれば状況が変わる可能性もある。  市内の選挙通は鈴木氏の立候補について、「市周辺の幹線道路を結ぶ『国道294号白河バイパス』が全線開通間近で、市役所隣接地には複合施設を整備する計画も進んでいる。筋道を立て、その完成を見届けてから引退したい思いが強いのではないか」と見立てを語る。  複合施設は鈴木氏が市長選の公約として掲げていた「旧市民会館跡地の活用」の一環として行われるもので、健康・子育て・防災・生きがいづくり・中央公民館などの機能を備える(本誌2021年6月号参照)。  現在基本設計に着手しているところで、2023年3月に策定し、2026(令和8)年度以降に工事完了予定だ。概算事業費は約35~45億円の見込み。前回市長選の公約に掲げるほど、事業にかける思いは強い。  一方で、同施設に関しては、資材高騰の影響から設計案の見直し(コンパクト化)が進められており、一部で先行きを心配する声も出ている。  そうした問題への対応も含め、鈴木氏の今後の動向が注目される。おそらく年明けに動きが本格化するのではないか。 白河市のホームページ あわせて読みたい 【高額報酬】存在感が希薄な福島県議会

  • 郡山の補選で露呈した県議への無関心

    郡山の補選で露呈した福島県議への無関心

     郡山市の政界関係者の間で同市選挙区県議補選(欠員1)の投票結果に注目が集まっている。同補選には前市議の新人佐藤徹哉氏(自民党)と会社経営の新人髙橋翔氏(諸派)が立候補し、内堀雅雄知事が3選を果たした知事選と同じ10月30日に投開票された。  当6万5987 佐藤 徹哉54    1万9532 髙橋  翔34                  投票率34・72% 当選した佐藤徹哉氏(上)と髙橋翔氏  表面的な数字だけ見れば、自民党公認で公明党の支援を受けた佐藤氏の大勝は不思議ではない。注目されるのは高橋氏の得票数だ。  「正直、1万9500票も取るとは思わなかった。旧統一教会の問題など岸田内閣に対する反発が自民党公認の佐藤氏には逆風になった」(ある自民党員)  髙橋氏がここまで得票できた要因を、ある保守系の郡山市議は 「髙橋氏はもともと知事選に出ると言っていたのに、告示日(10月13日)になって急きょ県議補選に方針転換した。メディアはその間、知事選の立候補予定者として髙橋氏の顔と名前をずっと報じたからね」  と〝恨み節〟を語っていたが、立候補表明した以上、メディアはその事実を報じざるを得ない。ちなみに本誌も、8月号に「知事選立候補を前提」とした髙橋氏のインタビュー記事を掲載している。  選挙後、髙橋氏に県議補選に変更した理由を尋ねると、次のように説明した。  「知事選は当初、複数の候補者が手を挙げていたが、告示日時点で三つ巴(内堀氏、草野芳明氏、髙橋氏)になった。しかし対現職で考えた時、新人2人が挑むのは現職批判票の分散を招き、私が一つの指針にしている『対立候補の得票率10%』を超えるのは難しい。そこで、私が県議補選に回ることでどちらも一騎打ちの構図とすれば、無投票阻止と得票率10%を同時に目指せると考えた。そもそも市議をそそくさと辞めた人を県議に無投票で当選させることは、一郡山市民として納得できなかった。もちろん、共産党が知事選に候補者を立てていなければ私は確実に出馬しており、県議補選には子育て世代の若手を擁立する予定だった」  そんな県議補選をめぐっては、投票率や無効票にも注目が集まった。  例えば、知事選の郡山市だけの投票率は37・44%、投票総数は9万8614票だったが、県議補選は34・72%、8万5519票で、県議補選の方が投票率は2・72㌽低く、投票総数も1万3095票少なかった。  これは告示日の違いが影響している。すなわち知事選は10月13日、県議補選は同20日だったが、近年は期日前投票が増えているため、先行した知事選は投票したものの県議補選は投票しなかった人が1万3000人超もいたということだ。県議補選への関心の低さがうかがえる。  無効票の数も特筆される。知事選5816票に対し県議補選6910票と、投票総数が知事選より8分の1も少ない県議補選の方が1100票余も多かった。県議補選の投票用紙に「内堀雅雄」と書かかれたケースが散見されたという話もあるが、郡山市選管によると「無効票にそれだけの差がついた理由はよく分からない」という。  地元ジャーナリストはこんな危機感を示す。  「有権者にとって県議はいかに遠い存在であるかが明白になった。当選した佐藤氏は、髙橋氏の急な方針転換で選挙戦となり少しは知名度アップを果たせたかもしれないが、知事選と同日選になったことで、県議への無関心さが露呈した形です」  投票率低下は全国的な傾向だが、2023年秋に控える県議選の本選で有権者の関心をどこまで集められるか。 福島県議会のホームページ あわせて読みたい 【高額報酬】存在感が希薄な福島県議会 渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

  • 【会津若松・喜多方・福島】市街地でクマ被害多発のワケ

    【クマ被害過去最多】市街地でクマ被害多発の理由

     2022年は市街地でのクマ出没やクマによる人的被害が目立った1年だった。会津若松市では大型連休初日、観光地の鶴ヶ城に出没し、関係部署が対応に追われた。クマは冬眠の時期に入りつつあるが、いまのうちに対策を講じておかないと、来春、再び深刻な被害を招きかねない。 専門家・マタギが語る「命の守り方」  会津若松市郊外部の門田町御山地区。中心市街地から南に4㌔ほど離れた山すそに位置し、周辺には果樹園や民家が並ぶ。そんな同地区に住む89歳の女性が7月27日正午ごろ、自宅近くの竹やぶで、頭に傷を負い倒れているところを家族に発見された。心肺停止状態で救急搬送されたが、その後死亡が確認された。クマに襲われたとみられる。  「畑に出かけて昼になっても帰ってこなかったので、家族が探しに行ったら、家の裏の竹やぶの真ん中で仰向けに倒れていた。額の皮がむけ、左目もやられ、帽子に爪の跡が残っていた。首のところに穴が空いており、警察からは出血性ショックで亡くなったのではないかと言われました」(女性の遺族) 女性が亡くなっていた竹やぶ  現場近くでは、親子とみられるクマ2頭の目撃情報があったほか、果物の食害が確認されていた。そのため、「食べ物を求めて人里に降りて来たものの戻れなくなり、竹やぶに潜んでいたタイミングで鉢合わせしたのではないか」というのが周辺住民の見立てだ。  8月27日早朝には、同市慶山の愛宕神社の参道で、散歩していた55歳の男性が2頭のクマと鉢合わせ。男性は親と思われるクマに襲われ、あごを骨折したほか、左腕をかまれるなどの大けがをした。以前からクマが出るエリアで、神社の社務所ではクマ除けのラジオが鳴り続けていた。 愛宕神社の参道  大型連休初日の4月29日早朝には、会津若松市の観光地・鶴ヶ城公園にクマが出没し、5時間にわたり立ち入り禁止となった。市や県、会津若松署、猟友会などが対応して緊急捕獲した。5月14日早朝には、同市城西町と、同市本町の諏訪神社でもクマが目撃され、同日正午過ぎに麻酔銃を使って緊急捕獲された。  市農林課によると、例年に比べ市街地でのクマ目撃情報が増えている。人的被害が発生したり、猟友会が緊急出動するケースは過去5~10年に1度ある程度だったが、2022年は少なくとも5件発生しているという。  鶴ヶ城に出没したクマの足取りを市農林課が検証したところ、千石バイパス(県道64号会津若松裏磐梯線)沿いの小田橋付近で目撃されていた。橋の下を流れる湯川の川底を調べたところ、足跡が残っていた。クマは姿を隠しながら移動する習性があり、草が多い川沿いを好む。  このことから、市中心部の東側に位置する東山温泉方面の山から、川伝いに街なかに降りてきた線が濃厚だ。複数の住民によると、東山温泉の奥の山にはクマの好物であるジダケの群落があり、クマが生息するエリアとして知られている。  市農林課は河川管理者である県と相談し、動きを感知して撮影する「センサーカメラ」を設置した。さらに光が点滅する「青色発光ダイオード」装置を取り付け、クマを威嚇。県に依頼して湯川の草刈りや緩衝帯作りなども進めてもらった。その結果、市街地でのクマ目撃情報はなくなったという。  それでも市は引き続き警戒しており、10月21日には県との共催により「市街地出没訓練」を初めて実施。関係機関が連携し、対応の手順を確認した。  市では2023年以降もクマによる農作物被害を減らし、人的被害をゼロにするために対策を継続する。具体的には、①深刻な農作物被害が発生したり、市街地近くで多くの目撃情報があった際、「箱わな」を設置して捕獲、②人が住むエリアをきれいにすることでゾーニング(区分け)を図り、山から出づらくする「環境整備」、③個人・団体が農地や集落に「電気柵」を設置する際の補助――という3つの対策だ。  さらに2023年からは、郊外部ばかりでなく市街地に住む人にも危機意識を持ってもらうべく、クマへの対応法に関するリーフレットなどを配布して周知に努めていく。これらの対策は実を結ぶのか、2023年以降の出没状況を注視していきたい。 一度入った農地は忘れない  本州に生息しているクマはツキノワグマだ。平均的な大きさは体長110~150㌢、体重50~150㌔。県が2016年に公表した生態調査によると、県内には2970頭いると推定される。  クマは狩猟により捕獲する場合を除き、原則として捕獲が禁じられている。鳥獣保護管理法に基づき、農林水産業などに被害を与える野生鳥獣の個体数が「適正な水準」になるように保護管理が行われている。  県自然保護課によると、9月までの事故件数は7件、目撃件数は364件。2021年は事故件数3件、目撃件数303件。2020年が事故件数9件、目撃件数558件。「件数的には例年並みだが、市街地に出没したり、事故に至るケースが短期間に集中した」(同課担当者)。  福島市西部地区の在庭坂・桜本地区では8月中旬から下旬にかけて、6日間で3回クマによる人的被害が続発した。9月7日早朝には、在庭坂地区で民家の勝手口から台所にクマが入り込み、キャットフードを食べる姿も目撃されている。  会津若松市に隣接する喜多方市でも10月18日昼ごろ、喜多方警察署やヨークベニマル喜多方店近くの市道でクマが目撃された。  河北新報オンライン9月23日配信記事によると、東北地方の8月までの人身被害数40件は過去最多だ。  クマの生態に詳しい福島大学食農学類の望月翔太准教授は「2021年はクマにとってエサ資源となるブナやミズナラが豊富で子どもが多く生まれたため、出歩くことが多かったのではないか」としたうえで、「2022年は2021年以上にエサ資源が豊富。2023年の春先は気を付けなければなりません」と警鐘を鳴らす。  「クマは基本的に憶病な動物ですが、人が近づくと驚いて咄嗟に攻撃します。また、一度農作物の味を覚えるとそれに執着するので、1回でも農地に入られたら、その農地を覚えていると思った方がいい」  今後取るべき対策としては「まず林や河川の周りの草木を伐採し、ゾーニングが図られるように見通しのいい環境をつくるべきです。また、収穫されずに放置しているモモやカキ、クリの木を伐採し、クマのエサをなくすことも重要。電気柵も有効ですが、イノシシ用の平面的な配置では乗り越えられてしまうので、クマ用に立体的に配置する必要があります」と指摘する。 近距離で遭遇したら頭を守れ クマと遭遇した時の対応を説明する猪俣さん  金山町で「マタギ」として活動し、小さいころからクマと対峙してきた猪俣昭夫さんは「そもそもクマの生態が変わってきている」と語る。 奥会津最後のマタギposted with ヨメレバ滝田 誠一郎 小学館 2021年04月20日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  「里山に入り薪を取って生活していた時代はゾーニングが図られていたし、人間に危害を与えるクマは鉄砲で駆除されていました。だが、里山に入る人や猟師が少なくなると、山の奥にいたクマが、農作物や果物など手軽にエサが手に入る人家の近くに降りてくるようになった。代を重ねるうちに人や車に慣れているので、人間と会っても逃げないし、様子を見ずに襲う可能性が高いです」  山あいの地域では日常的にクマを見かけることが多いためか、「親子のクマにさえ会わなければ、危険な目に遭うことはない」と語る人もいたが、そういうクマばかりではなくなっていくかもしれない。  では、実際にクマに遭遇したときはどう対応すればいいのか。猪俣さんはこう説明した。  「5㍍ぐらい距離があるといきなり襲ってくることはないが、それより近いとクマもびっくりして立ち上がる。そのとき、大きな声を出すと追いかけられて襲われるので、思わず叫びたくなるのをグッと抑えなければなりません。クマが相手の強さを測るのは『目の高さ』。後ずさりしながら、クマより高いところに移動したり、近くの木を挟んで対峙し行動の選択肢を増やせるといい。少なくとも、私の場合そうやって襲われたことはありません」  一方、前出・望月准教授は次のように話す。  「頭に傷を負うと致命傷になる可能性が高い。近距離でばったり出会った場合はうずくまったり、うつ伏せになり、頭を守るべきです。そうすれば、仮に背中を爪で引っかかれてもリュックを引き裂かれるだけで済む可能性がある。研修会や小学校などで周知しており、広まってほしいと思っています」  県では、会津若松市のように対策を講じる市町村を補助する「野生鳥獣被害防止地域づくり事業」(予算5300万円)を展開している。ただ、高齢化や耕作放棄地などの問題もあり、環境整備や効果的な電気柵設置は容易にはいかないようだ。  来春以降の被害を最小限に防ぐためにも、問題点を共有し、地域住民を巻き込んで抜本的な対策を講じていくことが求められている。

  • 【FSGカレッジリーグ】仮想空間で授業を実施【実証事業の様子】

    郡山市の専門学校【FSGカレッジリーグ】仮想空間で授業を実施

     専門学校グループ「学校法人国際総合学園 FSGカレッジリーグ」(郡山市)は1984(昭和59)年の開校以来、38年間積み上げてきた指導ノウハウと、2万0900人以上の卒業生ネットワークによる学生支援体制を備え、若者の学び場の充実を図り続けてきた。同グループは5校57学科で構成されており、東北最大級の規模を誇る。  グループ校の一つ、国際アート&デザイン大学校では9月、米国発メタバース「Virbela(バーベラ)」の日本向けプラットフォーム「GIGA TOWN(ギガタウン)」を活用した実証授業を実施した。専門学校としては初の試み。  メタバースとはインターネットの中に構築された仮想空間のこと。自分自身の分身(アバター)を操作して他者と交流できる。ゲームなどで使われてきたが、近年はビジネスシーンでの利用も進んでおり、今後の成長が見込まれている。  同校は「ギガタウン」の日本公式販売代理店・㈱ガイアリンク(長野県)と連携。学生らはアバターを使って「ギガタウン」での授業に参加し、事例研究、ゲーム、ディスカッション、グループ発表などを行った。  参加した学生からは「実際にその場で授業を受けているような臨場感があり、楽しかった。テーブルごとに個別通話できたり、画面を複数に分けて資料を提示できるなど、さまざまな機能があり、使いやすかったです」との声が聞かれた。  実証授業は学生の夢や目標達成のためのスキル、コミュニケーション力を育む目的で行われたもの。同校では5月にも、ICT関連やデジタルコンテンツ分野の教育機関を運営するデジタルハリウッド㈱(東京都)と連携し、アバター生成・操作のアプリケーションを使用した実証授業を行っている。  同グループでは教育のICT化を進める「Ed―Tech推進室」が中心となって、ICT技術・デジタル化を活用した効果的な授業の在り方を検討しており、同校の授業に積極的に取り入れている。  例えば、同校コミックマスター科では県内で初めて、アニメーション制作ソフト「Live2D」を授業に導入した。同ソフトは低コストで原画の画風を保ったアニメーションが制作できることから、家庭用ゲームやスマートフォンアプリに多く使用されている。同校は「Live2D」モデル作成ソフトライセンス無償貸与の教育支援プログラム認定校に県内で唯一指定されているため、授業での使用が可能となった。  一方でアナログテクニックを身に付ける実習も充実させており、どんな現場にも対応できる即戦力のスペシャリストの養成に努める。  ICT関連の資格取得も全力で支援しており、「PhotoShop(フォトショップ)クリエイター能力認定試験」の合格率は100%を誇る。さらにCGクリエイター検定の文部科学大臣賞を全国で唯一3年連続受賞している。  同グループが目標として掲げているのは「ONLY1、No・1」の教育実績。今後もコロナ禍以降本格的に導入したICT教育を発展させる形で、メタバースを活用した授業を推進し、学生一人ひとりのニーズに沿った教育を行うことで、夢の実現をサポートしていく考えだ。 FSGカレッジリーグのホームページ FSGカレッジリーグのオープンキャンパス・保護者説明会に参加する

  • 京都・仁和寺で「カラー絵巻」一般公開

    京都・仁和寺で「カラー絵巻」一般公開【福島県双葉町出身学芸員が解説】

     京都を代表する古刹・仁和寺で、明治時代に作られた「戊辰戦争絵巻」のデジタル彩色版が12月8日まで一般公開されている。福島県と何かと関係が深い戊辰戦争だが、その絵巻がなぜいま京都の寺院でカラー化されて公開されたのか。双葉町出身の学芸員に、その背景や一般公開の見どころを解説してもらった。 デジタル技術で蘇る戊辰戦争の風景 仁和寺金堂  仁和寺は888(仁和4)年、宇多天皇が先帝の光孝天皇の遺志を継いで創建した寺院で、真言宗御室派の総本山。1994(平成6)年にユネスコの世界遺産に登録された。境内に咲く遅咲きの「御室桜」が有名で、和歌などにも詠まれている。  皇族や公家が出家して住職を務める門跡寺院で、歴代天皇の厚い帰依を受けたことから、優れた絵画・書籍・彫刻・工芸品が数多く所蔵されている。創建当時の本尊である「阿弥陀三尊像(国宝)」をはじめ、国宝12件、重要文化財48件、古文書数万点を保存・管理している。  そんな同寺院の所蔵物の一つである「戊辰戦争絵巻」をデジタル彩色するプロジェクトが進められている。  戊辰戦争の幕開けとなった1868(明治元)年の「鳥羽伏見の戦い」を描いた絵巻で、全39場面。幅31㌢、長さは上下巻合わせて約40㍍。  「歴史資料に光彩を与えたことで、情報がより写実的になりました。例えば紅蓮の炎や血色染まる兵士の姿は、視覚的に凄惨さを増しましたが、その痛ましさに想像力を持って向き合うことで、絵巻に描かれていることは『物語』ではなく『歴史』であるという気づきをもたらすのではないか、と思います」  デジタル彩色の狙いについて、こう解説するのは双葉町出身の仁和寺学芸員・朝川美幸さんだ。  1971(昭和46)年生まれ。双葉高校、東洋大文学部卒。立命館大学大学院文学研究科博士前期課程を修了。年数回開催される仁和寺霊宝館名宝展の企画・展示を担当。共著に『もっと知りたい仁和寺の歴史』(東京書籍)がある。小さいころに真言密教に興味を抱き、仏教のことを学び続けている専門家だ(本誌2018年1月号参照)。  朝川さんによると、仁和寺と戊辰戦争のつながりは深い。仁和寺第30世の純仁法親王は1867(慶応3)年に還俗(出家した人が俗人に戻ること)し、仁和寺宮嘉彰(にんなじのみやよしあきら)親王と名を改めた。その後、征夷大将軍に任命され、鳥羽伏見の戦いで新政府軍を率いた。出陣の際には仁和寺に仕えていた坊官や寺侍が警備に回った。  明治の世になってから、時代の転換点となった戦争を記録し、その事実を絵巻として残すことになった。戦争体験者の東久世通禧伯爵と林友幸子爵が計画し、1889(明治22)年に完成。明治天皇に献上された。1891(明治24)年には保勲会がモノクロ、木版画の複製品を若干部制作し、仁和寺などに寄贈した。  ただ、制作数が少なく事実を広く知ってもらうには至らなかったことから、絵巻の一部を新たに着色し、『錦の御旗』と改題して一般向けに刊行した。  今回のプロジェクトは、仁和寺に所蔵されていた絵巻(複製品)を超高精細スキャンによりデジタル化。『錦の御旗』や解説本の記述、専門家などの考証を参考に彩色し直して、原寸大で和紙に印刷するものだ。  デジタル彩色は「先端イメージング工学研究所」(京都市左京区)代表理事で、京都大学名誉教授の井手亜里さんが率いるプロジェクトチームが担当。10カ月かけて彩色を行い、ようやく完成した。 デジタル彩色のメリット  絵巻の撮影に同席し、一部の絵巻の解説文執筆も担当した朝川さんはこう説明する。  「超高精細デジタルスキャニング技術で撮影したことで、現物を何度も広げずに済み、画像を拡大してより細かい描写を読み解けるようになりました。保存・分析、両面でメリットがあったと思います。また、着色したことで、戊辰戦争の様子をイメージしやすくなり、幅広い方に興味を持っていただきやすくなったと思います」 仁和寺霊宝館で解説する朝川さん  完成したデジタル彩色絵巻は2022年12月3~8日まで「令和絵巻に見る仁和寺と戊辰戦争」特別展で一般公開される。デジタル彩色絵巻と元来の絵巻(複製)の比較展示のほか、デジタル彩色絵巻をタッチパネル式の画面で見ることができる。好きな場所を指定して拡大することで高精細な画像の閲覧が可能。またオリジナル映像を視聴するコーナーも設けられている。12月3日には、絵巻に合わせて講談師・神田京子さんが講談を行うライブも開かれた。 ジタル彩色された「戊辰戦争絵巻」の一部(上は「第二図会津藩伏見上陸」、下は「第十三図征討大將軍節刀拜受」=画像:先端イメージング工学研究所提供)  同プロジェクトは文化庁の「Livng History(生きた歴史体感プログラム)促進事業」に採択されている。文化庁は京都への移転準備を進めており、2023年3月27日にはいよいよ業務が開始される。移転の目的は東京一極集中の是正に加え、「文化の力による地方創生」、「地域の多様な文化の掘り起こし・磨き上げによる文化芸術の振興」というもの。デジタルの力を使い地方の寺院に眠る歴史的資料の価値を磨き上げる同プロジェクトは、象徴的な活動と言えよう。  一般公開は期間限定であり、福島から離れているので、気軽には行けないかもしれないが、仁和寺は何かと福島に縁のある場所。世界遺産の建物や所蔵物が展示されている霊宝館(期間限定公開)はもちろん、春は桜、秋は紅葉が美しい観光スポットでもある。機会があればぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。 仁和寺ホームページ 【エアトリ】で予約して仁和寺に旅行をする

  • 【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】

    【第3弾】【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工

     昭和電工は2023年1月に「レゾナック」に社名変更する。高品質のアルミニウム素材を生産する喜多方事業所は研究施設も備えることから、いまだ重要な位置を占めるが、グループ再編でアルミニウム部門は消え、イノベーション材料部門の一つになる。土壌・地下水汚染対策に起因する2021年12月期の特別損失約90億円がグループ全体の足を引っ張っている。井戸水を汚染された周辺住民は全有害物質の検査を望むが、費用がかさむからか応じてはくれない。だが、不誠実な対応は今に始まったことではない。事業所は約80年前から「水郷・喜多方」の湧水枯渇の要因になっていた。 社名変更しても消えない喜多方湧水枯渇の罪  「昭和電工」から「昭和」の名が消える。2023年1月に「レゾナック」に社名変更するからだ。2020年に日立製作所の主要子会社・日立化成を買収。世界での半導体事業と電気自動車の成長を見据え、エレクトロニクスとモビリティ部門を今後の中核事業に位置付けている。社名変更は事業再編に伴うものだ。  新社名レゾナック(RESONAC)の由来は、同社ホームページによると、英語の「RESONATE:共鳴する、響き渡る」と「CHEMISTRY:化学」の「C」を組み合せて生まれたという。「グループの先端材料技術と、パートナーの持つさまざまな技術力と発想が強くつながり大きな『共鳴』を起こし、その響きが広がることでさらに新しいパートナーと出会い、社会を変える大きな動きを創り出していきたいという強い想いを込めています」とのこと。  新会社は「化学の力で社会を変える」を存在意義としているが、少なくとも喜多方事業所周辺の環境は悪い方に変えている。現在問題となっている、主にフッ素による地下水汚染は1982(昭和57)年まで行っていたアルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を敷地内に埋め、それが土壌から地下水に漏れ出したのが原因だ。  同事業所の正門前には球体に座った男の子の像が立つ=写真。名前は「アルミ太郎」。地元の彫刻家佐藤恒三氏がアルミで制作し、1954(昭和29)年6月1日に除幕式が行われた。式当日の写真を見ると、着物を着たおかっぱの女の子が白い布に付いた紐を引っ張りお披露目。工場長や従業員とその家族、来賓者約50人がアルミ太郎と一緒に笑顔で写真に納まっていた。アルミニウム産業の明るい未来を予想させる。 喜多方事業所正門に立つ像「アルミ太郎」  2018年の同事業所CSRサイトレポートによると「昭和電工のアルミニウムを世界に冠たるものにしたい」という当時の工場幹部及び従業員の熱い願いのもと制作されたという。「アルミ太郎が腰掛けているのは、上記の世界に冠たるものにしたいという思いから地球を模したものだといわれています」(同レポート)。  同事業所は操業開始から現在まで一貫してアルミニウム関連製品を生産している。それは戦前の軍需産業にさかのぼる。 誘致当初から住民と軋轢  1939(昭和14)年、会津地方を北流し、新潟県に流れる阿賀川のダムを利用した東信電気新郷発電所の電力を使うアルミニウム工場の建設計画が政府に提出された。時は日中戦争の最中で、軽量で加工しやすいアルミニウムは重要な軍需物資だった。発電所近くの喜多方町、若松市(現会津若松市)、高郷村(現喜多方市高郷町)、野沢町(現西会津町野沢)が誘致に手を挙げた。喜多方町議会は誘致を要望する意見書を町に提出。町は土地買収を進める工場建設委員会を設置し、運搬に便利な喜多方駅南側の一等地を用意したことから誘致に成功した。  喜多方市街地には当時、あちこちに湧水があり、住民は生活用水に利用していた。電気に加え大量の水を使うアルミニウム製錬業にとって、地下に巨大な水がめを抱える喜多方は魅力的な土地だった。  誘致過程で既に現在につながる昭和電工と地域住民との軋轢が生じていた。土地を提供する豊川村(現喜多方市豊川町)と農民に対し、事前の相談が一切なかったのだ。農民・地主らの反対で土地売買の交渉は思うように進まなかった。事態を重く見た県農務課は経済部長を喜多方町に派遣し、「国策上から憂慮に堪えないので、可及的にこれが工場の誘致を促進せしめ、国家の大方針に即応すべきであることを前提に」と喜多方町長や豊川村長らに伝え、県が土地買収の音頭を取った。  近隣の太郎丸集落には「小作農民の補償料は反当たり50円」「水田反当たり850~760円」払うことで折り合いをつけた。高吉集落の地主は補償の増額を要求し、決着した。(喜多方市史)。  現在の太郎丸・高吉第一行政区は同事業所の西から南に隣接する集落で、地下水汚染が最も深刻だ。汚染が判明した2020年から、いまだに同事業所からウオーターサーバーの補給を受けている世帯がある。さらには汚染水を封じ込める遮水壁設置工事に伴う騒音や振動にも悩まされてきた。ある住民男性は「昔からさまざまな我慢を強いられてきたのがこの集落です。ですが、希硫酸流出へのずさんな対応や後手後手の広報に接し、今回ばかりは我慢の限界だ」と憤る。  実は、公害を懸念する声は誘致時点からあった。耶麻郡内の農会長・町村会長(喜多方町、松山村、上三宮村、慶徳村、豊川村、姥堂村、岩月村。関柴村で構成)は完全なる防毒設備の施工や損害賠償の責任の明確化を求め陳情書を提出していた。だが、対策が講じられていたかは定かではない(喜多方市史)。 喜多方事業所を南側から撮った1995年の航空写真(出典:喜多方昭寿会「昭和電工喜多方工場六十年の歩み」)。中央①が正門。北側を東西にJR磐越西線が走り、市街地が広がる。駅北側の湧水は戦前から枯れ始めた。写真左端の⑰は太郎丸行政区。  記録では1944(昭和19)年に初めてアルミニウムを精製し、汲み出した。だが戦争の激化で原料となるボーキサイトが不足し、運転停止に。敗戦後は占領軍に操業中止命令を食らい、農園を試行した時期もあった。民需に転換する許可を得て、ようやく製錬が再開する。  同事業所OB会が記した『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』(2000年)によると、アルミニウム生産量はピーク時の1970(昭和45)年には4万2900㌧。それに伴い従業員も増え、60(昭和35)~72(昭和47)年には650~780人を抱えた。地元の雇用に大きく貢献したわけだ。  喜多方市史は数ある企業の中で、昭和30年代の同事業所を以下のように記している。  《昭和電工(株)喜多方工場は、高度経済成長の中で着実な成長を遂げ、喜多方市における工場規模・労働者数・生産額ともに最大の企業となった。また喜多方工場が昭和電工㈱内においてもアルミニウム生産の主力工場にまで成長した》  JR喜多方駅の改札は北口しかないが、昭和電工社員は「通勤者用工場専用跨線橋」を渡って駅南隣の同事業所に直接行けるという「幻の南口」があった。喜多方はまさに昭和電工の企業城下町だった。  だが石油危機以降、アルミニウム製錬は斜陽になり、同事業所も規模を縮小し人員整理に入った。労働組合が雇用継続を求め、喜多方市も存続に向けて働きかけたことから、アルミニウム製品の加工場として再出発し、現在に至る。  同事業所が衰退した昭和40年代は、近代化の過程で見過ごされてきた企業活動の加害が可視化された「公害の時代」だ。チッソが引き起こした熊本県不知火海沿岸の水俣病。三井金属鉱業による富山県神通川流域のイタイイタイ病。石油コンビナートによる三重県の四日市ぜんそく。そして昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川流域に流出させたメチル水銀が引き起こした新潟水俣病が「四大公害病」と呼ばれる。 ※『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』と同社プレスリリースなどより作成  同じ昭和電工でも、喜多方事業所は無機化学を扱う。同事業所でまず発覚した公害は、製錬過程で出るフッ化水素ガスが農作物を枯らす「煙害」だった。フッ化水素ガスに汚染された桑葉を食べた蚕は繭を結ばなくなり、明治以来盛んだった養蚕業は昭和20年代後半には壊滅したという。  もっとも、養蚕は時代の流れで消えゆく定めだった。同事業所が地元に雇用を生んだという意味では、プラスの面に目を向けるとしよう。それでも煙害は、米どころでもある喜多方の水稲栽培に影響を与えた。周辺の米農家は補償をめぐり訴訟を繰り返してきた。前述・アルミ太郎が披露された1954年には「昭電喜多方煙害対策特別委員会」が発足。希望に満ちた記念撮影の陰には、長年にわたる住民の怒りがあった。 地下水を大量消費  フッ化水素ガスによる農産物への被害だけでなく、同事業所は地下水を大量に汲み上げ、湧水枯渇の一因にもなっていた。「きたかた清水の再生によるまちづくりに関する調査研究報告書」(NPO法人超学際的研究機構、2007年)は、喜多方駅北側の菅原町地区で「戦前から枯渇が始まり、市の中心部へ広がり、清水の枯渇が外縁部へと拡大していった」と指摘している。06年10月に同機構の研究チームが行ったワークショップでは、住民が「菅原町を中心とした南部の清水も駅南のアルミ製錬工場の影響で枯渇した」と証言している。同事業所を指している。  研究チームの座長を務めた福島大の柴﨑直明教授(地下水盆管理学)はこう話す。  「調査では喜多方の街なかに住む古老から『昭和電工の工場が水を汲み過ぎて湧水が枯れた』という話をよく聞きました。アルミニウム製錬という業種上、戦前から大量の水を使っていたのは事実です。豊川町には同事業所の社宅があり、ここの住人に聞き取りを行いましたが、口止めされているのか、勤め先の不利益になることは言えないのか、証言する人はいませんでした」  地下水の水位低下にはさまざまな要因がある。柴﨑教授によると、特に昭和40年代から冬季の消雪に利用するため地下水を汲み上げ、水位が低下したという。農業用水への利用も一因とされ、これらが湧水枯渇に大きな影響を与えたとみられる。   ただし、戦前から湧水が消滅していたという証言があることから、喜多方でいち早く稼働した同事業所が長期にわたって枯渇の要因になっていた可能性は否めない。ワークショップでは「地下水汚染、土壌汚染も念頭に置いて調査研究を進めてほしい」との声もあった。  この調査は、地下水・湧水が減少傾向の中、「水郷・喜多方」を再認識し、湧水復活の契機にするプロジェクトの一環だった。喜多方市も水郷のイメージを生かした「まちおこし」には熱心なようだ。  2022年10月には、市内で「第14回全国水源の里シンポジウム」が開かれた。同市での開催は2008年以来2度目。実行委員長の遠藤忠一市長は「水源の里の価値を再確認し、水源の里を持続可能なものとする活動を広げ、次世代に未来をつないでいきたい」とあいさつした(福島民友10月28日付)。参加者は、かつて湧水が多数あった旧市内のほか、熱塩加納、山都、高郷の各地区を視察した。 「水源の里」を名乗るなら 昭和電工(現レゾナック)  昭和電工は戦時中の国策に乗じて喜多方に進出し、アルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を地中に埋めていた。「法律が未整備だった」「環境への意識が希薄だった」と言い訳はできる。だが「喜多方の水を利用させてもらっている」という謙虚な気持ちがあれば、周辺住民の「湧水が枯れた」との訴えに耳を傾けたはずで、長期間残り続ける有害物質を埋めることはなかっただろう。喜多方の水の恩恵を受けてきた事業者は、酒蔵だろうが、地元の農家だろうが、東京に本社がある大企業だろうが、水を守る責任がある。昭和電工は奪うだけ奪って未来に汚染のツケを回したわけだ。  喜多方市も水源を守る意識が薄い。遠藤市長は「水源の里を持続可能なものとする活動を広げる」と宣言した。PRに励むのは結構だが、それは役所の本分ではないし得意とすることではない。市が「水源の里」を本当に守るつもりなら、果たすべきは公害問題の解決のために必要な措置を講じることだ。   住民は、事業所で使用履歴のない有害物質が基準値を超えて検出されていることから、土壌汚染対策法に基づいた地下水基準全項目の調査を求めている。だが、汚染源の昭和電工は応じようとしない。膠着状態が続く中、住民は市に対し昭和電工との調整を求めている。市長と市議会は選挙で住民の負託を受けている。企業の財産や営業の自由は守られてしかるべきだが、それよりも大切なのは市民の健康と生活を守ることではないか。 あわせて読みたい 【第1弾】親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題 【第2弾】【喜多方市】昭和電工の不誠実な汚染対策 【第4弾】【喜多方市】処理水排出を強行する昭和電工 【第5弾】土壌汚染の矮小化を図る昭和電工【喜多方市】

  • 【Jパワー(電源開発)】更新工事進む鬼首地熱発電所【宮城県大崎市】

     Jパワー(電源開発)が運営する鬼首地熱発電所(宮城県大崎市、1万5000㌔㍗)は40年以上にわたり電力を安定供給してきた。現在は更新工事の最終段階にあり、2023年4月の運転再開に向け、各種機器などの整備が進められている。 更新工事中の鬼首地熱発電所(手前が還元井、奥が冷却塔)  地熱発電は地下に溜まった蒸気や熱水を「生産井」でくみ上げ、気水分離器を経て蒸気でタービンを回す発電方法。使い終わった蒸気は冷却塔で冷やし、熱水とともに「還元井」で地下に戻す。 くみ上げた蒸気と熱水を分ける「気水分離器」  循環利用できれば長期間にわたり安定的な発電が可能となる。天候の影響を受けず、CO2排出量も少ない。設備利用率(フル稼働時の発電量に占める実際の発電量の割合)は風力約20%、太陽光約12%に対し、地熱発電は約80%だ。  同発電所は鳴子温泉郷から北西約20㌔の「鬼首カルデラ」内に位置し、「栗駒山国定公園」として第一種特別地域の指定を受けている。同社では戦後早くから地熱発電所の建設に着手した。1975(昭和50)年に出力9000㌔㍗で営業運転開始。以降、順次出力を増やし、2010年には1万5000㌔㍗に増強した。  その後、環境負荷の低減や安全性考慮の観点から新たな設備の導入が必要と判断し、17年に一時運転停止。19年から設備更新工事に入った。  生産井9坑、還元井8坑を埋め戻し、新たに掘削した生産井5坑、還元井5坑に集約。これでも出力は更新前とほぼ同水準を維持(1万4900万㌔㍗)。タービン棟を新設し発電機の効率が向上したことで、使用する熱水量・蒸気量が従前より減少するため、有毒な硫化水素の排出量が減少した。過去に生産井付近で発生した噴気災害を念頭に入れ、高温地帯に設備を設けないようにした。  すでに電気、建築設備は立ち上がり、生産井の噴気試験も終了。11月に試運転を開始した。更新工事には同社のほか、グループ会社や協力会社が連携して取り組んでおり、生産井などの掘削工事は主にJパワーハイテックが担った。  同発電所は地域振興の役割も担う。21年度には地元・大崎市の小学校や高校で授業を行い、鳴子温泉の特質や地元資源の独自性、地熱発電の仕組みなどを説明した。地元のお祭りや清掃活動にも積極的に参加しているほか、再生可能エネルギーを扱う東北大学の出前授業にも近々出講する予定となっている。  Jパワーでは50年までに国内発電事業のCO2排出量を実質ゼロにする目標を掲げている。同発電所の北約2㌔の地点にある高日向山地域(宮城県大崎市)では新たな地熱発電所の開発を目的とした資源量調査も進んでいる。  今後も同社ではエネルギーを不断に供給し続ける使命を念頭に、地域と信頼関係を築きながら事業を継続していく考えだ。

  • 追悼・渡部恒三元衆議院副議長 2022年11月6日にお別れの会開催

     元衆議院副議長で通商産業大臣、厚生大臣、自治大臣などを務め、2020年8月23日に死去した渡部恒三(わたなべ・こうぞう)氏の「お別れの会」が2022年11月6日、会津若松市の会津若松ワシントンホテルで開かれた。コロナ禍のため延期になっていたもので、関係者をはじめ、政界・経済界から約350人が参列した。 同日には会津若松市城東町の自宅に「渡部恒三記念館」が開館した。館内には大臣就任時に受け取った任命書や叙勲などゆかりの品が展示されている。入場無料。開館は水、土、日曜日の10時から16時。 当日の様子と併せて、約30年前の誌面に載せた恒三氏の写真を再掲する。 在りし日の恒三氏(1992年10月撮影) 会津若松市で行われた「お別れの会」の様子 議員宿舎で晩酌する恒三氏(1992年10月撮影) 記念館前に建てられたブロンズ像 恒三氏を支えていた秘書たち。中央は佐藤雄平元知事。 会津若松市の自宅で家族と食事をとる(1992年10月撮影) 記念館に展示されている恒三氏ゆかりの品 恒三氏の長男・恒雄氏 「お別れの会」であいさつする佐藤雄平元知事 あわせて読みたい 【会津】「恒三イズム」の継承者は誰だ

  • 石川町長選で落選【西牧立博】氏の悪あがき

     2022年8月28日投開票の石川町長選で落選した元職の西牧立博氏(76)が同10月19日、町選管に異議申し出を提出した。無効票に有効票が紛れている可能性や、開票立会人が票の点検を怠ったとして、投票用紙の再点検を求めたもの。町長選では8647人が投票し、有効票8310票、無効票337票。現職の塩田金次郎氏(74)が西牧氏に716票差で再選を果たした。  町選管が再点検を実施したところ、塩田氏の票が3票減って4510票となったが、西牧氏の3797票は変わらず、2022年10月27日に異議申し出が棄却された。正直〝悪あがき〟感は否めず、町民から呆れる声も聞かれる。ただ当の本人は、二度の事件で逮捕されながら、再び町長選に立候補する性格なので、全く気にしていないのかもしれない。  一方でそんな西牧氏に700票差まで迫られたということは、途中で断念した病院誘致をはじめ、塩田氏に不満がある人が少なくないということ。そのことを意識して町政運営を進める必要があろう。 あわせて読みたい 【石川町】焼失ホテルが直面する複合苦 【石川町】塩田金次郎町長インタビュー 石川中元講師「男子生徒に性加害」の実態

  • 福島市いじめ問題で市側が被害者に謝罪

    福島市内の男子中学生が市立小学校に通っていたときにいじめを受け、不登校になった問題について、本誌2022年4月号「【福島市いじめ問題】6つの深刻な失態」という記事で、詳細にリポートした。  記事掲載後、男子中学生と保護者は市や市教育委員会の対応を巡り、担任の教員や教育委員会などに謝罪を要求。県弁護士会示談あっせんセンターに示談のあっせんを申し立て、2022年10月末、市長と教育長が謝罪することで和解に至った。  福島市は2022年11月22日の記者会見で、木幡浩市長と佐藤秀美教育長が非公式の場で直接謝罪しことを明らかにした。和解の条件として、市が児童らに180万円の解決金を支払い、いじめ問題の関係者を今後処分する。  同日、被害者側も記者会見を開き、男子中学生は「心の傷は治らない」と語った。保護者は「こちらが求める謝罪ではなかった」としつつ、「今後は組織一体となっていじめ問題に対応してほしい」と訴えた。

  • 来春に迫った北塩原村議選2つの注目ポイント

     北塩原村議会議員の任期は2023年4月29日までで、同月中に選挙が行われる予定となっている。  いまの議員は「村として初めての無投票」(ある関係者)によって選ばれ、村民からは事あるごとに「無投票は良くない」といった声が聞かれていた。  そのため、1つポイントになるのは「2回連続の無投票は阻止しなければならない」といった動きだ。  「現職議員の中には、無投票なら出る、選挙になるなら出ない、といった考えの人もいるようです。正直、そういった発想は村民(有権者)を愚弄しているとしか思えない。そんな人がタダで議員になるのを防ぐ意味でも、何とか無投票は避けてほしい」(ある村民)  もう1つは、遠藤和夫村長に近い議員は伊藤敏英議員くらいで、遠藤村長が自派議員擁立に動くか、ということ。  本誌8月号に「北塩原村長辞職勧告決議の背景」という記事を掲載した。同村6月議会で、遠藤村長の辞職勧告決議案が提出され、賛成5、反対2、退席2の賛成多数で可決された。背景にあるのは、介護保険の高額介護サービス費の支給先に誤りがあったこと、支給事務手続きが遅延したことで、その責任を問われた際、遠藤村長からは「自分の責任ではない」旨の発言があった。そのため、議員から「村長の説明は自分に責任がないようなものになっている。この先、事務執行するに当たって誰が責任を取るのか、明確にしておかなければならい」として、村長の責任を追及する動議が出された。その後、辞職勧告決議案が提出されたという流れだ。  その際、遠藤村長は「重く受け止める」とのコメントを残したが、辞職は否定した。同決議に法的拘束力はない。 遠藤和夫村長  そのほか、同議会ではそれに付随するような形で、一般会計補正予算案も賛成3、反対6の賛成少数で否決された。  こうした例があったため、遠藤村長は自派議員擁立に動くのではないか、とみられている。  もっとも、前述したように、明確に遠藤村長派と言える議員は伊藤議員1人だけだが、この間、前段で紹介した辞職勧告決議、一般会計補正予算案の否決のほかに、議案を否決されたのは1、2回あった程度で、表向きは議会対策にものすごく苦心している、というわけではない。  ちなみに、遠藤村長は2020年8月の村長選で初当選し、現在1期目。遠藤村長の妹が菅家一郎衆院議員の妻で、2人は義理の兄弟に当たる。1期目の折り返しを過ぎ、より自分の「カラー」を打ち出すためにも、遠藤村長は自派議員を増やしたいと考えているようだ。  同村は、北山、大塩、檜原の旧3村(3地区)に分かれているが、「遠藤村長は各地区で候補者を立てたい意向のようです」(ある関係者)という。  もっとも、別の村民によると「早い段階で表立って動くと、潰されてしまうから、いまはまだ水面下での動きにとどまっているようです」とのこと。  遠藤村長派の議員の台頭はあるのか、2回連続の無投票を阻止できるのか、この2つが同村議選の注目ポイントになろう。 北塩原村議会のホームページ あわせて読みたい 候補者乱立の北塩原村議選

  • 渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

     白河市長4期目の鈴木和夫氏(73)が2023年7月28日に任期満了を迎える。市長選まで1年を切ったが、現職の動向を含め、まだ目立った動きは見えない。  鈴木氏は早稲田大卒。県商工労働部政策監、相双地方振興局長、県企業局長などを経て、2007年の市長選で初当選を果たした。  県職員時代の経験を生かし、財政再建や企業誘致、歴史まちづくり、中心市街地活性化を進めてきた行政手腕は高く評価されている。初当選時こそ次点の桜井和朋氏と約4000票差の約1万6000票だったが、2回目以降は2万票以上を獲得し、次点に1万票以上の差をつけ、当選を重ねてきた。  とはいえ、さすがに5選ともなると、「多選」のイメージが強くなり、弊害を懸念する声も出てくる。それを見越して、市内では〝後釜〟探しが水面下で進んでいるようだ。  市内の経済人によると、「『県議会議長の渡辺義信氏(59、4期、白河市・西白河郡、自民党)をぜひ次期市長に』という声が同県議の地元である旧東村で上がっている」という。 鈴木和夫氏(上)と渡辺義信氏  渡辺氏は日大東北高卒。自民党県連幹事長などを歴任し、2021年10月、県議会議長に就任した。白河青年会議所理事長、ひがし商工会副会長などを務めた経験から、応援する経済人も多いようだ。  2023年秋には県議の改選が控える。前回2019年の県議選での渡辺氏の得票数は1万0362票。現職・鈴木氏との一騎打ちとなれば勝ち目はなさそうだが、誰も成り手がいないのなら渡辺氏が適任ではないか――こうした〝待望論〟が支持者などから出てきているわけ。  もっとも、身内であるはずの自民党関係者は冷ややかな反応を示す。  「渡辺氏は国政選挙などがあっても真面目に応援してくれない。閣僚が応援演説に来た際も数人しか集められず、慌てて他地区から動員したことがあった。仮に市長選に出ても、(自民党支持者が)一丸となって応援する構図は考えづらい」  こうした声が出る背景には、白河市・西白河郡選挙から満山喜一氏(71、5期、自民党)も選出されており、市内の自民党支持者が二分されている事情もあるのだろう。  渡辺氏本人は周囲に「立候補はしない」と明言しているようだが、渡辺氏の動きを警戒する鈴木氏の後援会関係者からは「鈴木氏にもう1期頑張ってほしい」という声が上がっているようだ。鈴木氏本人も「多選批判」を意識しているだろうが、周囲から立候補を強く要請されれば状況が変わる可能性もある。  市内の選挙通は鈴木氏の立候補について、「市周辺の幹線道路を結ぶ『国道294号白河バイパス』が全線開通間近で、市役所隣接地には複合施設を整備する計画も進んでいる。筋道を立て、その完成を見届けてから引退したい思いが強いのではないか」と見立てを語る。  複合施設は鈴木氏が市長選の公約として掲げていた「旧市民会館跡地の活用」の一環として行われるもので、健康・子育て・防災・生きがいづくり・中央公民館などの機能を備える(本誌2021年6月号参照)。  現在基本設計に着手しているところで、2023年3月に策定し、2026(令和8)年度以降に工事完了予定だ。概算事業費は約35~45億円の見込み。前回市長選の公約に掲げるほど、事業にかける思いは強い。  一方で、同施設に関しては、資材高騰の影響から設計案の見直し(コンパクト化)が進められており、一部で先行きを心配する声も出ている。  そうした問題への対応も含め、鈴木氏の今後の動向が注目される。おそらく年明けに動きが本格化するのではないか。 白河市のホームページ あわせて読みたい 【高額報酬】存在感が希薄な福島県議会

  • 郡山の補選で露呈した福島県議への無関心

     郡山市の政界関係者の間で同市選挙区県議補選(欠員1)の投票結果に注目が集まっている。同補選には前市議の新人佐藤徹哉氏(自民党)と会社経営の新人髙橋翔氏(諸派)が立候補し、内堀雅雄知事が3選を果たした知事選と同じ10月30日に投開票された。  当6万5987 佐藤 徹哉54    1万9532 髙橋  翔34                  投票率34・72% 当選した佐藤徹哉氏(上)と髙橋翔氏  表面的な数字だけ見れば、自民党公認で公明党の支援を受けた佐藤氏の大勝は不思議ではない。注目されるのは高橋氏の得票数だ。  「正直、1万9500票も取るとは思わなかった。旧統一教会の問題など岸田内閣に対する反発が自民党公認の佐藤氏には逆風になった」(ある自民党員)  髙橋氏がここまで得票できた要因を、ある保守系の郡山市議は 「髙橋氏はもともと知事選に出ると言っていたのに、告示日(10月13日)になって急きょ県議補選に方針転換した。メディアはその間、知事選の立候補予定者として髙橋氏の顔と名前をずっと報じたからね」  と〝恨み節〟を語っていたが、立候補表明した以上、メディアはその事実を報じざるを得ない。ちなみに本誌も、8月号に「知事選立候補を前提」とした髙橋氏のインタビュー記事を掲載している。  選挙後、髙橋氏に県議補選に変更した理由を尋ねると、次のように説明した。  「知事選は当初、複数の候補者が手を挙げていたが、告示日時点で三つ巴(内堀氏、草野芳明氏、髙橋氏)になった。しかし対現職で考えた時、新人2人が挑むのは現職批判票の分散を招き、私が一つの指針にしている『対立候補の得票率10%』を超えるのは難しい。そこで、私が県議補選に回ることでどちらも一騎打ちの構図とすれば、無投票阻止と得票率10%を同時に目指せると考えた。そもそも市議をそそくさと辞めた人を県議に無投票で当選させることは、一郡山市民として納得できなかった。もちろん、共産党が知事選に候補者を立てていなければ私は確実に出馬しており、県議補選には子育て世代の若手を擁立する予定だった」  そんな県議補選をめぐっては、投票率や無効票にも注目が集まった。  例えば、知事選の郡山市だけの投票率は37・44%、投票総数は9万8614票だったが、県議補選は34・72%、8万5519票で、県議補選の方が投票率は2・72㌽低く、投票総数も1万3095票少なかった。  これは告示日の違いが影響している。すなわち知事選は10月13日、県議補選は同20日だったが、近年は期日前投票が増えているため、先行した知事選は投票したものの県議補選は投票しなかった人が1万3000人超もいたということだ。県議補選への関心の低さがうかがえる。  無効票の数も特筆される。知事選5816票に対し県議補選6910票と、投票総数が知事選より8分の1も少ない県議補選の方が1100票余も多かった。県議補選の投票用紙に「内堀雅雄」と書かかれたケースが散見されたという話もあるが、郡山市選管によると「無効票にそれだけの差がついた理由はよく分からない」という。  地元ジャーナリストはこんな危機感を示す。  「有権者にとって県議はいかに遠い存在であるかが明白になった。当選した佐藤氏は、髙橋氏の急な方針転換で選挙戦となり少しは知名度アップを果たせたかもしれないが、知事選と同日選になったことで、県議への無関心さが露呈した形です」  投票率低下は全国的な傾向だが、2023年秋に控える県議選の本選で有権者の関心をどこまで集められるか。 福島県議会のホームページ あわせて読みたい 【高額報酬】存在感が希薄な福島県議会 渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

  • 【クマ被害過去最多】市街地でクマ被害多発の理由

     2022年は市街地でのクマ出没やクマによる人的被害が目立った1年だった。会津若松市では大型連休初日、観光地の鶴ヶ城に出没し、関係部署が対応に追われた。クマは冬眠の時期に入りつつあるが、いまのうちに対策を講じておかないと、来春、再び深刻な被害を招きかねない。 専門家・マタギが語る「命の守り方」  会津若松市郊外部の門田町御山地区。中心市街地から南に4㌔ほど離れた山すそに位置し、周辺には果樹園や民家が並ぶ。そんな同地区に住む89歳の女性が7月27日正午ごろ、自宅近くの竹やぶで、頭に傷を負い倒れているところを家族に発見された。心肺停止状態で救急搬送されたが、その後死亡が確認された。クマに襲われたとみられる。  「畑に出かけて昼になっても帰ってこなかったので、家族が探しに行ったら、家の裏の竹やぶの真ん中で仰向けに倒れていた。額の皮がむけ、左目もやられ、帽子に爪の跡が残っていた。首のところに穴が空いており、警察からは出血性ショックで亡くなったのではないかと言われました」(女性の遺族) 女性が亡くなっていた竹やぶ  現場近くでは、親子とみられるクマ2頭の目撃情報があったほか、果物の食害が確認されていた。そのため、「食べ物を求めて人里に降りて来たものの戻れなくなり、竹やぶに潜んでいたタイミングで鉢合わせしたのではないか」というのが周辺住民の見立てだ。  8月27日早朝には、同市慶山の愛宕神社の参道で、散歩していた55歳の男性が2頭のクマと鉢合わせ。男性は親と思われるクマに襲われ、あごを骨折したほか、左腕をかまれるなどの大けがをした。以前からクマが出るエリアで、神社の社務所ではクマ除けのラジオが鳴り続けていた。 愛宕神社の参道  大型連休初日の4月29日早朝には、会津若松市の観光地・鶴ヶ城公園にクマが出没し、5時間にわたり立ち入り禁止となった。市や県、会津若松署、猟友会などが対応して緊急捕獲した。5月14日早朝には、同市城西町と、同市本町の諏訪神社でもクマが目撃され、同日正午過ぎに麻酔銃を使って緊急捕獲された。  市農林課によると、例年に比べ市街地でのクマ目撃情報が増えている。人的被害が発生したり、猟友会が緊急出動するケースは過去5~10年に1度ある程度だったが、2022年は少なくとも5件発生しているという。  鶴ヶ城に出没したクマの足取りを市農林課が検証したところ、千石バイパス(県道64号会津若松裏磐梯線)沿いの小田橋付近で目撃されていた。橋の下を流れる湯川の川底を調べたところ、足跡が残っていた。クマは姿を隠しながら移動する習性があり、草が多い川沿いを好む。  このことから、市中心部の東側に位置する東山温泉方面の山から、川伝いに街なかに降りてきた線が濃厚だ。複数の住民によると、東山温泉の奥の山にはクマの好物であるジダケの群落があり、クマが生息するエリアとして知られている。  市農林課は河川管理者である県と相談し、動きを感知して撮影する「センサーカメラ」を設置した。さらに光が点滅する「青色発光ダイオード」装置を取り付け、クマを威嚇。県に依頼して湯川の草刈りや緩衝帯作りなども進めてもらった。その結果、市街地でのクマ目撃情報はなくなったという。  それでも市は引き続き警戒しており、10月21日には県との共催により「市街地出没訓練」を初めて実施。関係機関が連携し、対応の手順を確認した。  市では2023年以降もクマによる農作物被害を減らし、人的被害をゼロにするために対策を継続する。具体的には、①深刻な農作物被害が発生したり、市街地近くで多くの目撃情報があった際、「箱わな」を設置して捕獲、②人が住むエリアをきれいにすることでゾーニング(区分け)を図り、山から出づらくする「環境整備」、③個人・団体が農地や集落に「電気柵」を設置する際の補助――という3つの対策だ。  さらに2023年からは、郊外部ばかりでなく市街地に住む人にも危機意識を持ってもらうべく、クマへの対応法に関するリーフレットなどを配布して周知に努めていく。これらの対策は実を結ぶのか、2023年以降の出没状況を注視していきたい。 一度入った農地は忘れない  本州に生息しているクマはツキノワグマだ。平均的な大きさは体長110~150㌢、体重50~150㌔。県が2016年に公表した生態調査によると、県内には2970頭いると推定される。  クマは狩猟により捕獲する場合を除き、原則として捕獲が禁じられている。鳥獣保護管理法に基づき、農林水産業などに被害を与える野生鳥獣の個体数が「適正な水準」になるように保護管理が行われている。  県自然保護課によると、9月までの事故件数は7件、目撃件数は364件。2021年は事故件数3件、目撃件数303件。2020年が事故件数9件、目撃件数558件。「件数的には例年並みだが、市街地に出没したり、事故に至るケースが短期間に集中した」(同課担当者)。  福島市西部地区の在庭坂・桜本地区では8月中旬から下旬にかけて、6日間で3回クマによる人的被害が続発した。9月7日早朝には、在庭坂地区で民家の勝手口から台所にクマが入り込み、キャットフードを食べる姿も目撃されている。  会津若松市に隣接する喜多方市でも10月18日昼ごろ、喜多方警察署やヨークベニマル喜多方店近くの市道でクマが目撃された。  河北新報オンライン9月23日配信記事によると、東北地方の8月までの人身被害数40件は過去最多だ。  クマの生態に詳しい福島大学食農学類の望月翔太准教授は「2021年はクマにとってエサ資源となるブナやミズナラが豊富で子どもが多く生まれたため、出歩くことが多かったのではないか」としたうえで、「2022年は2021年以上にエサ資源が豊富。2023年の春先は気を付けなければなりません」と警鐘を鳴らす。  「クマは基本的に憶病な動物ですが、人が近づくと驚いて咄嗟に攻撃します。また、一度農作物の味を覚えるとそれに執着するので、1回でも農地に入られたら、その農地を覚えていると思った方がいい」  今後取るべき対策としては「まず林や河川の周りの草木を伐採し、ゾーニングが図られるように見通しのいい環境をつくるべきです。また、収穫されずに放置しているモモやカキ、クリの木を伐採し、クマのエサをなくすことも重要。電気柵も有効ですが、イノシシ用の平面的な配置では乗り越えられてしまうので、クマ用に立体的に配置する必要があります」と指摘する。 近距離で遭遇したら頭を守れ クマと遭遇した時の対応を説明する猪俣さん  金山町で「マタギ」として活動し、小さいころからクマと対峙してきた猪俣昭夫さんは「そもそもクマの生態が変わってきている」と語る。 奥会津最後のマタギposted with ヨメレバ滝田 誠一郎 小学館 2021年04月20日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  「里山に入り薪を取って生活していた時代はゾーニングが図られていたし、人間に危害を与えるクマは鉄砲で駆除されていました。だが、里山に入る人や猟師が少なくなると、山の奥にいたクマが、農作物や果物など手軽にエサが手に入る人家の近くに降りてくるようになった。代を重ねるうちに人や車に慣れているので、人間と会っても逃げないし、様子を見ずに襲う可能性が高いです」  山あいの地域では日常的にクマを見かけることが多いためか、「親子のクマにさえ会わなければ、危険な目に遭うことはない」と語る人もいたが、そういうクマばかりではなくなっていくかもしれない。  では、実際にクマに遭遇したときはどう対応すればいいのか。猪俣さんはこう説明した。  「5㍍ぐらい距離があるといきなり襲ってくることはないが、それより近いとクマもびっくりして立ち上がる。そのとき、大きな声を出すと追いかけられて襲われるので、思わず叫びたくなるのをグッと抑えなければなりません。クマが相手の強さを測るのは『目の高さ』。後ずさりしながら、クマより高いところに移動したり、近くの木を挟んで対峙し行動の選択肢を増やせるといい。少なくとも、私の場合そうやって襲われたことはありません」  一方、前出・望月准教授は次のように話す。  「頭に傷を負うと致命傷になる可能性が高い。近距離でばったり出会った場合はうずくまったり、うつ伏せになり、頭を守るべきです。そうすれば、仮に背中を爪で引っかかれてもリュックを引き裂かれるだけで済む可能性がある。研修会や小学校などで周知しており、広まってほしいと思っています」  県では、会津若松市のように対策を講じる市町村を補助する「野生鳥獣被害防止地域づくり事業」(予算5300万円)を展開している。ただ、高齢化や耕作放棄地などの問題もあり、環境整備や効果的な電気柵設置は容易にはいかないようだ。  来春以降の被害を最小限に防ぐためにも、問題点を共有し、地域住民を巻き込んで抜本的な対策を講じていくことが求められている。

  • 郡山市の専門学校【FSGカレッジリーグ】仮想空間で授業を実施

     専門学校グループ「学校法人国際総合学園 FSGカレッジリーグ」(郡山市)は1984(昭和59)年の開校以来、38年間積み上げてきた指導ノウハウと、2万0900人以上の卒業生ネットワークによる学生支援体制を備え、若者の学び場の充実を図り続けてきた。同グループは5校57学科で構成されており、東北最大級の規模を誇る。  グループ校の一つ、国際アート&デザイン大学校では9月、米国発メタバース「Virbela(バーベラ)」の日本向けプラットフォーム「GIGA TOWN(ギガタウン)」を活用した実証授業を実施した。専門学校としては初の試み。  メタバースとはインターネットの中に構築された仮想空間のこと。自分自身の分身(アバター)を操作して他者と交流できる。ゲームなどで使われてきたが、近年はビジネスシーンでの利用も進んでおり、今後の成長が見込まれている。  同校は「ギガタウン」の日本公式販売代理店・㈱ガイアリンク(長野県)と連携。学生らはアバターを使って「ギガタウン」での授業に参加し、事例研究、ゲーム、ディスカッション、グループ発表などを行った。  参加した学生からは「実際にその場で授業を受けているような臨場感があり、楽しかった。テーブルごとに個別通話できたり、画面を複数に分けて資料を提示できるなど、さまざまな機能があり、使いやすかったです」との声が聞かれた。  実証授業は学生の夢や目標達成のためのスキル、コミュニケーション力を育む目的で行われたもの。同校では5月にも、ICT関連やデジタルコンテンツ分野の教育機関を運営するデジタルハリウッド㈱(東京都)と連携し、アバター生成・操作のアプリケーションを使用した実証授業を行っている。  同グループでは教育のICT化を進める「Ed―Tech推進室」が中心となって、ICT技術・デジタル化を活用した効果的な授業の在り方を検討しており、同校の授業に積極的に取り入れている。  例えば、同校コミックマスター科では県内で初めて、アニメーション制作ソフト「Live2D」を授業に導入した。同ソフトは低コストで原画の画風を保ったアニメーションが制作できることから、家庭用ゲームやスマートフォンアプリに多く使用されている。同校は「Live2D」モデル作成ソフトライセンス無償貸与の教育支援プログラム認定校に県内で唯一指定されているため、授業での使用が可能となった。  一方でアナログテクニックを身に付ける実習も充実させており、どんな現場にも対応できる即戦力のスペシャリストの養成に努める。  ICT関連の資格取得も全力で支援しており、「PhotoShop(フォトショップ)クリエイター能力認定試験」の合格率は100%を誇る。さらにCGクリエイター検定の文部科学大臣賞を全国で唯一3年連続受賞している。  同グループが目標として掲げているのは「ONLY1、No・1」の教育実績。今後もコロナ禍以降本格的に導入したICT教育を発展させる形で、メタバースを活用した授業を推進し、学生一人ひとりのニーズに沿った教育を行うことで、夢の実現をサポートしていく考えだ。 FSGカレッジリーグのホームページ FSGカレッジリーグのオープンキャンパス・保護者説明会に参加する

  • 京都・仁和寺で「カラー絵巻」一般公開【福島県双葉町出身学芸員が解説】

     京都を代表する古刹・仁和寺で、明治時代に作られた「戊辰戦争絵巻」のデジタル彩色版が12月8日まで一般公開されている。福島県と何かと関係が深い戊辰戦争だが、その絵巻がなぜいま京都の寺院でカラー化されて公開されたのか。双葉町出身の学芸員に、その背景や一般公開の見どころを解説してもらった。 デジタル技術で蘇る戊辰戦争の風景 仁和寺金堂  仁和寺は888(仁和4)年、宇多天皇が先帝の光孝天皇の遺志を継いで創建した寺院で、真言宗御室派の総本山。1994(平成6)年にユネスコの世界遺産に登録された。境内に咲く遅咲きの「御室桜」が有名で、和歌などにも詠まれている。  皇族や公家が出家して住職を務める門跡寺院で、歴代天皇の厚い帰依を受けたことから、優れた絵画・書籍・彫刻・工芸品が数多く所蔵されている。創建当時の本尊である「阿弥陀三尊像(国宝)」をはじめ、国宝12件、重要文化財48件、古文書数万点を保存・管理している。  そんな同寺院の所蔵物の一つである「戊辰戦争絵巻」をデジタル彩色するプロジェクトが進められている。  戊辰戦争の幕開けとなった1868(明治元)年の「鳥羽伏見の戦い」を描いた絵巻で、全39場面。幅31㌢、長さは上下巻合わせて約40㍍。  「歴史資料に光彩を与えたことで、情報がより写実的になりました。例えば紅蓮の炎や血色染まる兵士の姿は、視覚的に凄惨さを増しましたが、その痛ましさに想像力を持って向き合うことで、絵巻に描かれていることは『物語』ではなく『歴史』であるという気づきをもたらすのではないか、と思います」  デジタル彩色の狙いについて、こう解説するのは双葉町出身の仁和寺学芸員・朝川美幸さんだ。  1971(昭和46)年生まれ。双葉高校、東洋大文学部卒。立命館大学大学院文学研究科博士前期課程を修了。年数回開催される仁和寺霊宝館名宝展の企画・展示を担当。共著に『もっと知りたい仁和寺の歴史』(東京書籍)がある。小さいころに真言密教に興味を抱き、仏教のことを学び続けている専門家だ(本誌2018年1月号参照)。  朝川さんによると、仁和寺と戊辰戦争のつながりは深い。仁和寺第30世の純仁法親王は1867(慶応3)年に還俗(出家した人が俗人に戻ること)し、仁和寺宮嘉彰(にんなじのみやよしあきら)親王と名を改めた。その後、征夷大将軍に任命され、鳥羽伏見の戦いで新政府軍を率いた。出陣の際には仁和寺に仕えていた坊官や寺侍が警備に回った。  明治の世になってから、時代の転換点となった戦争を記録し、その事実を絵巻として残すことになった。戦争体験者の東久世通禧伯爵と林友幸子爵が計画し、1889(明治22)年に完成。明治天皇に献上された。1891(明治24)年には保勲会がモノクロ、木版画の複製品を若干部制作し、仁和寺などに寄贈した。  ただ、制作数が少なく事実を広く知ってもらうには至らなかったことから、絵巻の一部を新たに着色し、『錦の御旗』と改題して一般向けに刊行した。  今回のプロジェクトは、仁和寺に所蔵されていた絵巻(複製品)を超高精細スキャンによりデジタル化。『錦の御旗』や解説本の記述、専門家などの考証を参考に彩色し直して、原寸大で和紙に印刷するものだ。  デジタル彩色は「先端イメージング工学研究所」(京都市左京区)代表理事で、京都大学名誉教授の井手亜里さんが率いるプロジェクトチームが担当。10カ月かけて彩色を行い、ようやく完成した。 デジタル彩色のメリット  絵巻の撮影に同席し、一部の絵巻の解説文執筆も担当した朝川さんはこう説明する。  「超高精細デジタルスキャニング技術で撮影したことで、現物を何度も広げずに済み、画像を拡大してより細かい描写を読み解けるようになりました。保存・分析、両面でメリットがあったと思います。また、着色したことで、戊辰戦争の様子をイメージしやすくなり、幅広い方に興味を持っていただきやすくなったと思います」 仁和寺霊宝館で解説する朝川さん  完成したデジタル彩色絵巻は2022年12月3~8日まで「令和絵巻に見る仁和寺と戊辰戦争」特別展で一般公開される。デジタル彩色絵巻と元来の絵巻(複製)の比較展示のほか、デジタル彩色絵巻をタッチパネル式の画面で見ることができる。好きな場所を指定して拡大することで高精細な画像の閲覧が可能。またオリジナル映像を視聴するコーナーも設けられている。12月3日には、絵巻に合わせて講談師・神田京子さんが講談を行うライブも開かれた。 ジタル彩色された「戊辰戦争絵巻」の一部(上は「第二図会津藩伏見上陸」、下は「第十三図征討大將軍節刀拜受」=画像:先端イメージング工学研究所提供)  同プロジェクトは文化庁の「Livng History(生きた歴史体感プログラム)促進事業」に採択されている。文化庁は京都への移転準備を進めており、2023年3月27日にはいよいよ業務が開始される。移転の目的は東京一極集中の是正に加え、「文化の力による地方創生」、「地域の多様な文化の掘り起こし・磨き上げによる文化芸術の振興」というもの。デジタルの力を使い地方の寺院に眠る歴史的資料の価値を磨き上げる同プロジェクトは、象徴的な活動と言えよう。  一般公開は期間限定であり、福島から離れているので、気軽には行けないかもしれないが、仁和寺は何かと福島に縁のある場所。世界遺産の建物や所蔵物が展示されている霊宝館(期間限定公開)はもちろん、春は桜、秋は紅葉が美しい観光スポットでもある。機会があればぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。 仁和寺ホームページ 【エアトリ】で予約して仁和寺に旅行をする

  • 【第3弾】【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工

     昭和電工は2023年1月に「レゾナック」に社名変更する。高品質のアルミニウム素材を生産する喜多方事業所は研究施設も備えることから、いまだ重要な位置を占めるが、グループ再編でアルミニウム部門は消え、イノベーション材料部門の一つになる。土壌・地下水汚染対策に起因する2021年12月期の特別損失約90億円がグループ全体の足を引っ張っている。井戸水を汚染された周辺住民は全有害物質の検査を望むが、費用がかさむからか応じてはくれない。だが、不誠実な対応は今に始まったことではない。事業所は約80年前から「水郷・喜多方」の湧水枯渇の要因になっていた。 社名変更しても消えない喜多方湧水枯渇の罪  「昭和電工」から「昭和」の名が消える。2023年1月に「レゾナック」に社名変更するからだ。2020年に日立製作所の主要子会社・日立化成を買収。世界での半導体事業と電気自動車の成長を見据え、エレクトロニクスとモビリティ部門を今後の中核事業に位置付けている。社名変更は事業再編に伴うものだ。  新社名レゾナック(RESONAC)の由来は、同社ホームページによると、英語の「RESONATE:共鳴する、響き渡る」と「CHEMISTRY:化学」の「C」を組み合せて生まれたという。「グループの先端材料技術と、パートナーの持つさまざまな技術力と発想が強くつながり大きな『共鳴』を起こし、その響きが広がることでさらに新しいパートナーと出会い、社会を変える大きな動きを創り出していきたいという強い想いを込めています」とのこと。  新会社は「化学の力で社会を変える」を存在意義としているが、少なくとも喜多方事業所周辺の環境は悪い方に変えている。現在問題となっている、主にフッ素による地下水汚染は1982(昭和57)年まで行っていたアルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を敷地内に埋め、それが土壌から地下水に漏れ出したのが原因だ。  同事業所の正門前には球体に座った男の子の像が立つ=写真。名前は「アルミ太郎」。地元の彫刻家佐藤恒三氏がアルミで制作し、1954(昭和29)年6月1日に除幕式が行われた。式当日の写真を見ると、着物を着たおかっぱの女の子が白い布に付いた紐を引っ張りお披露目。工場長や従業員とその家族、来賓者約50人がアルミ太郎と一緒に笑顔で写真に納まっていた。アルミニウム産業の明るい未来を予想させる。 喜多方事業所正門に立つ像「アルミ太郎」  2018年の同事業所CSRサイトレポートによると「昭和電工のアルミニウムを世界に冠たるものにしたい」という当時の工場幹部及び従業員の熱い願いのもと制作されたという。「アルミ太郎が腰掛けているのは、上記の世界に冠たるものにしたいという思いから地球を模したものだといわれています」(同レポート)。  同事業所は操業開始から現在まで一貫してアルミニウム関連製品を生産している。それは戦前の軍需産業にさかのぼる。 誘致当初から住民と軋轢  1939(昭和14)年、会津地方を北流し、新潟県に流れる阿賀川のダムを利用した東信電気新郷発電所の電力を使うアルミニウム工場の建設計画が政府に提出された。時は日中戦争の最中で、軽量で加工しやすいアルミニウムは重要な軍需物資だった。発電所近くの喜多方町、若松市(現会津若松市)、高郷村(現喜多方市高郷町)、野沢町(現西会津町野沢)が誘致に手を挙げた。喜多方町議会は誘致を要望する意見書を町に提出。町は土地買収を進める工場建設委員会を設置し、運搬に便利な喜多方駅南側の一等地を用意したことから誘致に成功した。  喜多方市街地には当時、あちこちに湧水があり、住民は生活用水に利用していた。電気に加え大量の水を使うアルミニウム製錬業にとって、地下に巨大な水がめを抱える喜多方は魅力的な土地だった。  誘致過程で既に現在につながる昭和電工と地域住民との軋轢が生じていた。土地を提供する豊川村(現喜多方市豊川町)と農民に対し、事前の相談が一切なかったのだ。農民・地主らの反対で土地売買の交渉は思うように進まなかった。事態を重く見た県農務課は経済部長を喜多方町に派遣し、「国策上から憂慮に堪えないので、可及的にこれが工場の誘致を促進せしめ、国家の大方針に即応すべきであることを前提に」と喜多方町長や豊川村長らに伝え、県が土地買収の音頭を取った。  近隣の太郎丸集落には「小作農民の補償料は反当たり50円」「水田反当たり850~760円」払うことで折り合いをつけた。高吉集落の地主は補償の増額を要求し、決着した。(喜多方市史)。  現在の太郎丸・高吉第一行政区は同事業所の西から南に隣接する集落で、地下水汚染が最も深刻だ。汚染が判明した2020年から、いまだに同事業所からウオーターサーバーの補給を受けている世帯がある。さらには汚染水を封じ込める遮水壁設置工事に伴う騒音や振動にも悩まされてきた。ある住民男性は「昔からさまざまな我慢を強いられてきたのがこの集落です。ですが、希硫酸流出へのずさんな対応や後手後手の広報に接し、今回ばかりは我慢の限界だ」と憤る。  実は、公害を懸念する声は誘致時点からあった。耶麻郡内の農会長・町村会長(喜多方町、松山村、上三宮村、慶徳村、豊川村、姥堂村、岩月村。関柴村で構成)は完全なる防毒設備の施工や損害賠償の責任の明確化を求め陳情書を提出していた。だが、対策が講じられていたかは定かではない(喜多方市史)。 喜多方事業所を南側から撮った1995年の航空写真(出典:喜多方昭寿会「昭和電工喜多方工場六十年の歩み」)。中央①が正門。北側を東西にJR磐越西線が走り、市街地が広がる。駅北側の湧水は戦前から枯れ始めた。写真左端の⑰は太郎丸行政区。  記録では1944(昭和19)年に初めてアルミニウムを精製し、汲み出した。だが戦争の激化で原料となるボーキサイトが不足し、運転停止に。敗戦後は占領軍に操業中止命令を食らい、農園を試行した時期もあった。民需に転換する許可を得て、ようやく製錬が再開する。  同事業所OB会が記した『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』(2000年)によると、アルミニウム生産量はピーク時の1970(昭和45)年には4万2900㌧。それに伴い従業員も増え、60(昭和35)~72(昭和47)年には650~780人を抱えた。地元の雇用に大きく貢献したわけだ。  喜多方市史は数ある企業の中で、昭和30年代の同事業所を以下のように記している。  《昭和電工(株)喜多方工場は、高度経済成長の中で着実な成長を遂げ、喜多方市における工場規模・労働者数・生産額ともに最大の企業となった。また喜多方工場が昭和電工㈱内においてもアルミニウム生産の主力工場にまで成長した》  JR喜多方駅の改札は北口しかないが、昭和電工社員は「通勤者用工場専用跨線橋」を渡って駅南隣の同事業所に直接行けるという「幻の南口」があった。喜多方はまさに昭和電工の企業城下町だった。  だが石油危機以降、アルミニウム製錬は斜陽になり、同事業所も規模を縮小し人員整理に入った。労働組合が雇用継続を求め、喜多方市も存続に向けて働きかけたことから、アルミニウム製品の加工場として再出発し、現在に至る。  同事業所が衰退した昭和40年代は、近代化の過程で見過ごされてきた企業活動の加害が可視化された「公害の時代」だ。チッソが引き起こした熊本県不知火海沿岸の水俣病。三井金属鉱業による富山県神通川流域のイタイイタイ病。石油コンビナートによる三重県の四日市ぜんそく。そして昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川流域に流出させたメチル水銀が引き起こした新潟水俣病が「四大公害病」と呼ばれる。 ※『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』と同社プレスリリースなどより作成  同じ昭和電工でも、喜多方事業所は無機化学を扱う。同事業所でまず発覚した公害は、製錬過程で出るフッ化水素ガスが農作物を枯らす「煙害」だった。フッ化水素ガスに汚染された桑葉を食べた蚕は繭を結ばなくなり、明治以来盛んだった養蚕業は昭和20年代後半には壊滅したという。  もっとも、養蚕は時代の流れで消えゆく定めだった。同事業所が地元に雇用を生んだという意味では、プラスの面に目を向けるとしよう。それでも煙害は、米どころでもある喜多方の水稲栽培に影響を与えた。周辺の米農家は補償をめぐり訴訟を繰り返してきた。前述・アルミ太郎が披露された1954年には「昭電喜多方煙害対策特別委員会」が発足。希望に満ちた記念撮影の陰には、長年にわたる住民の怒りがあった。 地下水を大量消費  フッ化水素ガスによる農産物への被害だけでなく、同事業所は地下水を大量に汲み上げ、湧水枯渇の一因にもなっていた。「きたかた清水の再生によるまちづくりに関する調査研究報告書」(NPO法人超学際的研究機構、2007年)は、喜多方駅北側の菅原町地区で「戦前から枯渇が始まり、市の中心部へ広がり、清水の枯渇が外縁部へと拡大していった」と指摘している。06年10月に同機構の研究チームが行ったワークショップでは、住民が「菅原町を中心とした南部の清水も駅南のアルミ製錬工場の影響で枯渇した」と証言している。同事業所を指している。  研究チームの座長を務めた福島大の柴﨑直明教授(地下水盆管理学)はこう話す。  「調査では喜多方の街なかに住む古老から『昭和電工の工場が水を汲み過ぎて湧水が枯れた』という話をよく聞きました。アルミニウム製錬という業種上、戦前から大量の水を使っていたのは事実です。豊川町には同事業所の社宅があり、ここの住人に聞き取りを行いましたが、口止めされているのか、勤め先の不利益になることは言えないのか、証言する人はいませんでした」  地下水の水位低下にはさまざまな要因がある。柴﨑教授によると、特に昭和40年代から冬季の消雪に利用するため地下水を汲み上げ、水位が低下したという。農業用水への利用も一因とされ、これらが湧水枯渇に大きな影響を与えたとみられる。   ただし、戦前から湧水が消滅していたという証言があることから、喜多方でいち早く稼働した同事業所が長期にわたって枯渇の要因になっていた可能性は否めない。ワークショップでは「地下水汚染、土壌汚染も念頭に置いて調査研究を進めてほしい」との声もあった。  この調査は、地下水・湧水が減少傾向の中、「水郷・喜多方」を再認識し、湧水復活の契機にするプロジェクトの一環だった。喜多方市も水郷のイメージを生かした「まちおこし」には熱心なようだ。  2022年10月には、市内で「第14回全国水源の里シンポジウム」が開かれた。同市での開催は2008年以来2度目。実行委員長の遠藤忠一市長は「水源の里の価値を再確認し、水源の里を持続可能なものとする活動を広げ、次世代に未来をつないでいきたい」とあいさつした(福島民友10月28日付)。参加者は、かつて湧水が多数あった旧市内のほか、熱塩加納、山都、高郷の各地区を視察した。 「水源の里」を名乗るなら 昭和電工(現レゾナック)  昭和電工は戦時中の国策に乗じて喜多方に進出し、アルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を地中に埋めていた。「法律が未整備だった」「環境への意識が希薄だった」と言い訳はできる。だが「喜多方の水を利用させてもらっている」という謙虚な気持ちがあれば、周辺住民の「湧水が枯れた」との訴えに耳を傾けたはずで、長期間残り続ける有害物質を埋めることはなかっただろう。喜多方の水の恩恵を受けてきた事業者は、酒蔵だろうが、地元の農家だろうが、東京に本社がある大企業だろうが、水を守る責任がある。昭和電工は奪うだけ奪って未来に汚染のツケを回したわけだ。  喜多方市も水源を守る意識が薄い。遠藤市長は「水源の里を持続可能なものとする活動を広げる」と宣言した。PRに励むのは結構だが、それは役所の本分ではないし得意とすることではない。市が「水源の里」を本当に守るつもりなら、果たすべきは公害問題の解決のために必要な措置を講じることだ。   住民は、事業所で使用履歴のない有害物質が基準値を超えて検出されていることから、土壌汚染対策法に基づいた地下水基準全項目の調査を求めている。だが、汚染源の昭和電工は応じようとしない。膠着状態が続く中、住民は市に対し昭和電工との調整を求めている。市長と市議会は選挙で住民の負託を受けている。企業の財産や営業の自由は守られてしかるべきだが、それよりも大切なのは市民の健康と生活を守ることではないか。 あわせて読みたい 【第1弾】親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題 【第2弾】【喜多方市】昭和電工の不誠実な汚染対策 【第4弾】【喜多方市】処理水排出を強行する昭和電工 【第5弾】土壌汚染の矮小化を図る昭和電工【喜多方市】