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  • 【田村市】産業団地「予測不能の岩量」で工事費増

    【田村市】産業団地「予測不能の岩量」で工事費増

     先月号に田村市常葉町で整備が進む東部産業団地の敷地から高さ十数㍍の巨岩が出土した、という記事を載せたが、その中で本誌は「工事の進め方の順序が逆」と指摘した。同団地の工事費は当初45億9800万円。それが昨年3月定例会で61億1600万円に増え、同12月定例会で64億6000万円に増えた。  普通、工事費が増額される場合は見積もりをして、いくら増えると分かってから市が議会に契約変更の議案を提出。議案が議決されれば市は施工業者と変更契約を交わし、市は増額分の予算を執行、業者は増額分の工事に着手する。  しかし市内の土木業界関係者によると、61億1600万円から64億6000万円に増額された際はこの順序を踏んでいなかったという。この関係者いわく、12月定例会の時点で造成工事はほぼ終わっており、その結果、工事費が61億円から64億円に増えたため、あとから市が契約変更の議案を提出したというのだ。  「公共工事の進め方としては順序が逆。もしかすると岩の数量が不確定で工事費を算出できず、いったん仮契約を結んだあと、工事費が確定してから契約変更を議決したのかもしれないが、巨大工事を秘密裏に進めているようで解せない」(土木業界関係者)  自治体政策が専門の今井照・地方自治総合研究所特任研究員によると、契約変更の議決を経ずに施工するのは違法行為に当たるが、罰則はないという。  「契約で工事費が61億円となっているのに、議会で契約変更を議決する前に64億円の工事をしていたらアウトです。一方、見積もりをしたら64億円になることが分かったというなら、まだ施工していないのでセーフです」(今井氏)  先月号では締め切りの都合で市商工課と施工する富士工業(田村市、猪狩恭典社長)からコメントを得られなかったが、昨年末、両者から回答があった。  「12月定例会の時点で造成工事の進捗率は約95%だった。増額分(約3億円)に該当する硬岩の掘削工事は完了している。工事費が約3億円増額になると知ったのは、不確定部分だった掘削土量に対する硬岩の割合について業者から9月中旬に精査した数量が提出され、その数字をチェックし積算した結果、硬岩の割合が5%から6%に増え、約3億円増額することが判明した。工事の進め方については、掘削工事を予定工期内に完了させることを最優先とし、誘致企業も決まっていたことから、早期完了のため掘削工事を止めることはしなかった」(市商工課)  「岩が土中にどれくらいあるかは予測するしかないが、実際に計算すると増減が出てしまうのはやむを得ない。本来は概算数量を出してから契約すべきだが、岩の量を把握できず概算数量が出せなかった。岩掘削の数量が確定したのは9月中旬で、61億円から64億円への増額は12月定例会で議決されたが、市とは11月1日に『12月定例会で議決後に本契約とする』という内容の仮契約を結んだ」(富士工業の猪狩社長)  両者のコメントからは、岩の数量を把握するのが難しかったため、まずは工事を進めることを優先させ、数量が確定してから工事費を算出せざるを得なかった事情がうかがえる。  工事の進め方の順序が逆になったのは仕方なかったのかもしれない。しかし、もともと大量の岩が出ることが予想された場所に産業団地を整備すると決めた時点で、こうなることは予想できたのではないか(※決めたのは本田仁一前市長)。猪狩社長は「あそこ以外の適地は簡単には見つからない」などと市を擁護していたが、それとは逆に「なぜ、あんな辺ぴな場所に?」と首をかしげる市民は今も多い。

  • 石川郡5町村長の「表と裏」の関係性

    石川郡5町村長の「表と裏」の関係性

     毎年、新年を迎えると、県内の市町村長やさまざまな企業・団体の代表者らが県庁や新聞社などを訪問し、抱負を述べる。地元紙では「来社(来訪)」というコーナーで、そうしたシーンが報じられる。  その一連の記事を見ていて、ひときわ目に付くのが、石川郡は町村会で新年のあいさつ回りをしていること。ほかは市町村長のみ、あるいは市町村長と議会議長、副市町村長などがセットであいさつ回りをしており、本誌が関連記事を確認した限りでは、複数の市町村長が一緒に行くのは石川郡だけだった。  福島民報1月10日付紙面には、石川地方町村会長の岡部光徳古殿町長を中心に、両サイドに江田文男浅川町長(同副会長)と塩田金次郎石川町長、その後ろに澤村和明平田村長と須釜泰一玉川村長が並んでいる写真が掲載された。そのうえで、5人の町村長のコメントが掲載されているが、それぞれの町村の課題や今後の重点施策などが語られているのみ。紙面の関係でカットされているだけかもしれないが、町村会としてこういう活動をしていきたい、こんな要望をしたい、といったことは掲載されていない。  ある関係者によると、「いつからそうなったのかは分からないが、慣例として、だいぶ前から町村会として新年のあいさつ回りをしている」という。  最初に、県の出先である石川土木事務所(石川町)に集合し、そこから郡山市内の県の出先機関に行き、福島市の県庁本庁舎や地元新聞社などを回るルートのようだ。  これ以外にも、「以前の知事選の際、内堀雅雄知事の福島市での第一声に、(石川郡の町村長)5人で乗り合わせて行ったこともある」といった話を聞いたこともあり、石川郡は横のつながりが強い印象を受ける。  ただ、以前の本誌記事でも指摘したように、決して首長同士の仲がいいわけではないようで、「それは変わっていないばかりか、むしろ悪化している感じもある」という。石川郡内の現職議員は次のように話す。  「須釜玉川村長はまだ就任して1年も経っていないので、特にどうというのはないでしょうけど、岡部古殿町長、澤村平田村長らは、塩田石川町長と合わないようですね。その傾向は以前より強くなっているように感じます。そんな関係性だから、町村会などで集まった際、例えばクルマを停める位置はどうするか、席順はどうするか、あいさつする順番はどうするか等々、町村会事務局は結構、気を使っているみたいですよ」  郡内の役場関係者もこう話す。  「塩田石川町長とそのほかの町村長の関係性があまり良くないみたいですね。石川町は人口規模などからしても、郡の中心的存在ですが、そこのトップ(塩田町長)が郡内でリーダーシップを発揮できないような状況なのは、地域にとって決してプラスではありませんね」  その辺は多くの人が感じているようで、石川町民はこんな弊害を口にした。  「JR東日本が昨年11月に発表した『利用の少ない線区』に、水郡線のこのエリア(磐城塙―安積永盛)が丸々入っていて、線区維持のためにも利用促進を図っていかなければならないし、県が県立高校改革を進めている中、今回の統廃合等の対象には入っていないものの、郡内唯一の県立高校である石川高校だって、この先はどうなるか分からない。そうした広域的に取り組まなければならない課題に対応するためにも、いまの状況は好ましいとは思えない」  表面的なことだけでなく、本当の意味でのお互いの信頼関係を構築できるか。石川郡にとっては、まずはそこが大きな課題と言えそうだ。

  • 【伊達市】利用者が少ないレンタサイクル事業

    【伊達市】利用者が少ないレンタサイクル事業

     市が行うサイクルツーリズム(サイクリングを通じた観光誘客)を厳しく監視する市民がいる。 税金の無駄と批判するサイクリスト 電動クロスバイクにまたがる筆者と完走記念にもらった桃ジュース 完走記念にもらった桃ジュース  昨年10月に伊達市が同市月舘町にオープンさせた「おての里きてみ~な」はサイクルツーリズムを目的とした簡易宿泊所。閉校した旧小手小学校の校舎を活用している。  2017年に自転車活用推進法が施行され、国は自転車による観光地づくりを後押ししている。「きてみ~な」もその流れを受けて整備されたもので、オープン1カ月の訪問者は460人、宿泊者は65人と上々の滑り出しを見せている。  ただ、そんな市のサイクルツーリズムを厳しく監視する人も……。市内在住の鈴木雅彦さん。鈴木さんは日常的にロードバイクにまたがるサイクリストだが、その目には「レンタサイクル事業が酷い」と映っている。  市では訪れた人に各所を周遊してもらうため、2021年度からレンタサイクル事業を行っている。市内5カ所(まちの駅だて、保原総合公園、梁川総合支所、道の駅伊達の郷りょうぜん、つきだて花工房)で電動クロスバイクや2人乗りタンデム自転車などをレンタル。料金は1人乗りが1日500円(小学生は同300円)、2人乗りが同1000円となっている。  しかし利用は低調で、鈴木さんが市に開示請求して入手した公文書によると2022年度のレンタル台数と売り上げは、まちの駅だて12台5800円、保原総合公園62台2万7400円、梁川総合支所40台1万8600円、道の駅32台1万4200円、つきだて花工房14台6000円、計160台7万2000円。1カ所につき1カ月2・7台しかレンタルされていなかったのだ。  これに対し、市が購入した自転車は計65台730万円。1台11万円超とかなり高額だ。このほか市は、盗難防止などの観点からセコムのGPSを搭載しているが、鈴木さんが全国のレンタサイクル事業者14社に聞き取りをしたところ、GPSを通年で搭載している事業者はなく、通常は利用者の動態調査のため1~2週間程度搭載するだけだった。  要するに、鈴木さんは「高額の自転車を大量購入したのに利用が少なく、無駄なGPSを搭載するのは税金の無駄遣い」と言いたいわけ。  市が2022年10~12月にかけて行った「レンタサイクルDE伊達市を満喫キャンペーン」の成果も芳しくなかった。スマートフォンのサイクリングアプリと連動した五つのサイクリングコースを設けるなどして利用者増を目指したが、鈴木さんが入手した公文書によると、アプリを起動させるとカウントされるスタート数と実際にコースを完走した数が合わず(例えば10月24日はスタート数81、完走数12で完走率14・8%。11月14日はスタート数9、完走数12で完走率133・3%)、実際にどれくらいの人がキャンペーンに参加したのか判然としないのだ。  「民間では、もし成果が得られなければ問題点を洗い出し、改善して次年度に臨むが、伊達市は反省や改善をしているのか。無駄な税金の支出はやめてほしい」(鈴木さん)  今年度も昨年9~11月に「伊達ぐるっとサイクリングキャンペーン」が展開されたが、筆者もキャンペーンの良し悪しを感じたいと思い10月中旬にまちの駅だてで電動クロスバイクをレンタルし、7㌔コースを実走してみた。電動アシスト機能のおかげで快適な走行を楽しめた半面、すぐ横を車が通り過ぎる怖さやコース設定の味気無さを感じた。キャンペーンでは霊山など紅葉が綺麗なコースや20㌔以上の長距離コースもあり、そちらを走れば別の発見もあったのかもしれないが、永続的な観光事業にしていくためには実走者の感想をもとにブラッシュアップしていく作業が必要だ。 「熱意が足りない」 利用者が少ないレンタサイクル  実は、問題点を指摘しているのは鈴木さんだけではない。県北地方を拠点とする某サイクリストサークルのメンバーも2022年2月のブログで、同市月舘町に設置されたサイクリングロードの看板に疑問を呈しながらこんな感想を綴っている。  《実はサイクルツーリズムを活用した地域作りという事で、昨年くらいまで県庁や市役所の職員さんに呼ばれては(中略)沢山の意見を伝えていた筈でした。結局、我々の意見はなーんにも活かされなかったのかなぁ》  ブログを書いたメンバーにフェイスブックやメールで取材を申し込んだものの返答はなかったが、サイクリストの生の声はどんどん反映させるべきだろう。  市商工観光課の佐藤陽一課長を取材すると、次のように話した。  「鈴木さんからは当課にもさまざまなご指摘が寄せられています。この間の実績やアンケートで得られた意見をもとに、新年度からは事業内容や予算を見直す予定です。何度も見直しをかけながら、皆さんに喜ばれ、また来たい、乗ってみたいと思われる事業にしたいので、新年度以降の取り組みにご理解とご協力をいただきたい」  昨年12月に開かれた第6回定例会議では中村正明議員(5期)の一般質問でこの間のイニシャルコストが約1000万円、ランニングコストが約900万円かかっていることが判明。「コストの割に利用が少ない。もっと利用してもらおうという熱意も足りない。次年度も継続するなら問題点を検証すべきだ」(中村議員)と厳しく質す場面もあった。  冒頭の「きてみ~な」を生かしながら、サイクリストの聖地となるような事業が展開できるのか。2024年度は勝負の年になりそうだ。

  • 【小野町議選】「定数割れ」の背景

    【小野町議選】「定数割れ」の背景

     任期満了に伴う小野町議選は1月16日に告示され、定数12に現職8、新人3の計11人が立候補し、定数に満たない状況で無投票当選(欠員1)が決まった。「定数割れ」は同町では初めて、県内でも2017年の楢葉町議選、2019年の国見町議選、昨年の川内村議選に続き4例目(補欠選挙は除く)。なぜ、定数割れが起きたのか。 無関心を招いた議会の責任  同町議会は、2008年の選挙時は定数14だったが、2012年から12に削減した。以降、2016年、2020年と、計3回の選挙が行われ、いずれも定数12に、13人が立候補し無投票はなかった。  前回改選後の2022年7月、渡邊直忠議員が在職中に亡くなったことを受け、欠員1となっていた。その前年3月に町長選が行われ、補選を実施するタイミングがなかったことから、任期満了までの1年半ほどは11人体制だった。  任期中の2022年12月に、議会改革特別委員会が設置され、その中で議員定数、報酬についての議論が交わされた。昨年6月議会(※同町議会は通年議会を採用しているため、正式には「定例会6月会議」)でその結果が報告された。  内容は、「地方議員の成り手不足解消の観点から、議員定数削減、議員報酬増額等について協議してきたが、町施策等について十分な協議をするためには、現在の定数を維持することが望ましいとの意見や、報酬の増額は町民の十分な理解を得ること、町財政を考慮する必要があることなどから、現状維持とする意見が出された」というもので、現状維持が決まった。  迎えた今回の町議選。事前情報では、現職3人の引退と欠員1に対して、新人4人が立候補する予定で、定数と立候補者が同数になると見込まれていた。しかし、直前で新人1人が立候補を見送ったのだという。これによって、立候補者は現職8人、新人3人の計11人となり、定数割れとなった。 選挙結果 (1月16日告示、届け出順) 竹川 里志(68)無現 自営業橋本 善雄(43)無新 会社役員田村 弘文(72)無現 農業先崎 勝馬(70)無現 町議中野 孝一(65)無現 農業国分 順一(61)無新 無職羽生 洋市(68)無新 農業宗像 芳男(71)無現 自営業会田百合子(61)諸現 町議緑川 久子(68)無現 会社役員水野 正広(72)無現 会社役員  公職選挙法の規定では、欠員が定数の6分の1を超えた場合は再選挙が行われることになっている。同町の場合は欠員3以上でそれに当てはまり、今回の選挙は「成立」ということになる。ただ、この先2人以上の欠員が出たら前述の規定により、50日以内に補選が行われる。 「定数割れ」の理由 「定数割れ」に終わった小野町議選  なぜ、定数割れが起きたのか。  関係者の中には、議員報酬では生活できないという事情を挙げる人もいる。同町の議員報酬は月額22万5000円、副議長は同24万5000円、議長は同30万7000円。そのほか、年2回の期末手当(※2023年度は年間で月額報酬の3・35カ月分)がある。  一方で、定例会、臨時議会、常任委員会、議会運営委員会、全員協議会などの合計は50〜70日。議員からすると、「町・郡などの行事への出席や一般質問の準備など、それ以外の活動も多い」というだろうが、少なくとも公式な議会活動は前述の日数にとどまる。  地元紙に掲載された当選者の職業を見ると、農業3人、会社役員3人、自営業2人、町議2人、無職1人。町議・無職は別として、比較的時間に融通がきく人に限定されている。議会の開催日時を見直すなどして、会社勤めをしている人でも議員になれるような工夫が必要ではないか。  そうなれば「議員報酬だけでは食っていけない」という話にはならない。そもそも、地方議員が議員報酬で生活しようという発想が正しいとは思えない。  ある町民は「議員定数を現状維持としたのは妥当だったのか」と疑問を投げかける。  「2012年から定数を12にしたが、当時の人口は約1万1000人、現在は約9000人と、この間、約2割人口が減っていることを考えると、定数はそのままで良かったのか。そもそも、その議論も議会内(議会改革特別委員会)ではなく、町民も交えて検討すべきだったように思います」  本誌は、定数削減は必ずしも好ましいとは思わない。当然、議員の数が多ければ、それだけ町民の意向を反映させることができるからだ。むしろ、議会費(議員報酬の総額)はそのままで定数をできるだけ多くした方がいいと考える。当然、そのためには、前述したように会社勤めの人でも議員活動ができるような工夫が必要になる。  一方で、別の町民はこう話す。  「いまの状況(定数割れ)をつくったのは誰かと言ったら、この2、3回の議員選挙の間に辞めた人を含めた議員本人にほかならない。そこには、後に続く人をつくれなかったこと、関心を持たれないような状況にしてしまったこと等々、いろいろな要素があると思いますが、聞こえてくるのは議会・議員として何をすべきかということよりも、議会内の役職に誰が就くかとか、そんなことばっかりですから。これでは町民も冷めていきますよ。こういうのは積み重ねですからね。そのことをもっと真剣に考えてもらいたい」  議会には無関心を引き起こした責任があるということだ。厳しい指摘だが、これが本質なのだろう。  もっとも、今改選前の議会は少し難しい部分もあった。というのは、選挙が行われたのが2020年1月で、任期は同年2月1日から。任期スタート直後に新型コロナウイルスの感染が拡大し、さまざまな活動が制限された。本来であれば、町内の行事・会合などに顔を出し、そこで町民の声を聞くことができるが、行事・会合そのものが開かれなかったため、それができなかったのだ。議会の傍聴にも制限があった。そういう意味で、町民と議会に距離ができたのは間違いない。  それが今回の定数割れを引き起こした一因でもあろう。コロナ禍という難しい状況の中だったが、もっとできることはなかったのか、今後どうすべきかを考えていかなければならない。  最後に。前段で定数割れは4例目と書いたが、2017年の楢葉町議選、昨年の川内村議選は、ともに原発被災地で、全域避難を経て人口減少や高齢化率の大幅上昇といった特殊事情がある。一方、2019年の国見町議選は、そういった特殊事情はなく、小野町のケースに近いのではないか。なお、同町議選は2019年5月28日に告示され、定数12に10人が立候補し、無投票、欠員2という結果だった。  当時、ある町民はこう話していた。  「今回の町議選(定数割れとなった2019年)では、ギリギリでも選管に立候補を届ければ、〝タダ〟で議員になれたわけだが、そういう人すらいなかった。これが何を意味するか。結局のところは、いまの議会は町民から評価されておらず『一緒にされたくない』として、誰もその中に入りたがらなかった、ということにほかならない」  その後、2020年11月に行われた町長選に現職議員2人が立候補したため、欠員4となり、町長選と同時日程で補選が行われた。その際は5人が立候補して選挙戦になった。昨年5月の改選では、定数12に12人が立候補して無投票だった。その点では「なり手不足」が解消されたとは言えない。  小野町では、新しい議会が今回の結果をどう捉え、どのように活動していくかが問われる。その結果が見えるのは4年後の改選期ということになる。

  • 「議員定数議論」で対応分かれた古殿町・玉川村・平田村

    「議員定数議論」で対応分かれた古殿町・玉川村・平田村

     古殿町、玉川村、平田村の石川郡3町村は3月に同時日程で議員選挙が行われる。それに先立ち、それぞれの町村議会で、昨年から議員定数のあり方を議論してきたが、結果は三者三様のものだった。(末永) 重要なのは住民にとって有益な存在かどうか 3町村の基礎データ面 積人 口議員定数古殿町163・29平方㌔4655人10玉川村46・47平方㌔6191人12平田村93・42平方㌔5413人12※人口は古殿町が昨年12月31日、玉川村が今年1月1日、平田村が昨年12月1日時点  任期満了に伴う古殿町議選、玉川村議選、平田村議選が3月19日告示、24日投開票の日程で行われる。それを前に、各議会では昨年から議員定数をどうするかを検討してきた。結果から言うと、古殿町は2減(12人→10人)、玉川村は現状維持(12人)、平田村はひとまず現状維持(12人)として改選後の議会で再度議論する――という三者三様のものだった。同じ石川郡ということもあり、関係者はそれぞれの議会の動きに注目していたようだ。関係者だけでなく、住民から「向こう(近隣町村)はこうだったが、ウチは……」といった話を聞く機会もあった。 古殿町議会 古殿町役場  古殿町議会は、昨年10月から12月まで、全員協議会で5回にわたり議論を重ねてきた。同町議会は2012年までは定数が14だったが、同年3月の改選時に12に減らした。それから12年が経ち、あらためて議員定数のあり方を議論したのである。  根底にあるのは、2012年に定数削減したころから、人口が約1500人減少していること。もう1つは、町民から「人口が減少しているのだから、それに倣って、議員定数も減らすべき」といった声が出ていたこと。  なお、3町村の基礎データを別表にまとめたが、古殿町は行政区分こそ「町」だが、玉川村、平田村より人口が少ない。反して、面積はだいぶ広く「町内全域に目を向ける」という点では、3町村の中では最も大変な地域と言える。  そうした中で議論を重ね、昨年12月議会で、議員発議で定数削減案(条例改正案)が出され、採決の結果、賛成7、反対4の賛成多数で可決された。反対意見としては、町民の声が届きにくくなること、若い人や女性などが議員になるハードルが高くなること、議論が十分でないこと――等々が挙げられた。議案審議(討論)の中でも、そうした意見が出たが、結果は前述の通り。  ある関係者は「反対する人もいましたが、人口減少、時代の流れなどからしても、(2減は)妥当だったのではないか」と話した。  一方、選挙に向けた動きについては、「削減によって枠が2つ減るわけだから、常に上位当選している人以外は、いろいろと気にしているようだ。ただ、いま(本誌取材時の1月中旬時点)は、それぞれが様子見という段階で、現職の誰が引退して、新人のこんな動きがある、といった具体的なことは見えてこない」(前出の関係者)という。 玉川村議会 玉川村役場  玉川村議会は、昨年10月から11月にかけて、議員定数に関する住民アンケートを実施した。対象は全1799世帯、回答数は1029件(回収率57・2%)だった。  もっとも多かった回答は現在の定数12から2減の「10人」で402(39・1%)。以下、現状維持の「12人」が382(37・1%)、「8人以下」が156(15・2%)と続く。この3つで全体の90%超を占める。2減の「10人」と、現状維持の「12人」が拮抗しているが、「8人以下」を含めた「削減」という点で見るならば、半数を超えている。  少数意見としては、「18人」が22、「16人」と「14人」がそれぞれ1あり、増員を求める回答もあった。逆に「0人」、「1人」、「2人」という回答がそれぞれ1ずつあった。  ちなみに、議会は「最低人数は何人」といった規定はないが、「議長を置いたうえで議論できる」ことが条件になる。つまり、議長1人と、議長を除いて議論するために最低2人が必要だから、議員の最小人数は3人という解釈になり、それ未満はあり得ない。一方、地方自治法(94条、95条)では、議会を置かず、それに代わって選挙権を有する住民による総会(町村総会)を設けることができる、と規定されている。60年以上前はその事例があったが、近年はない。 賛成、反対意見の中身  話を戻して、玉川村議会はアンケート結果を踏まえ、全員協議会で検討した。そのうえで、昨年12月議会で議員発議によって、議員定数を10にする条例改正案が提出された。採決の結果、賛成5、反対6の賛成少数で否決された。  以下、その際に行われた討論の概要を紹介する。  賛成討論  小林徳清議員▽少子高齢、人口減少にあえぐ市町村情勢は、議員定数削減の方向となっている。アンケートの結果からも民意は削減を求めており、現状維持は村民の理解が得られないばかりか、アンケートの意味をなさない民意無視となり、議会・議員に対して不信感を招き、保身と批判を受けることになる。議員として、多くの民意を反映させる職務と責務から、アンケートに基づく定数2削減に大いに賛成。  塩澤重男議員▽今回のアンケートでは様々な意見があった。その中でも、削減が過半数の58%を占めている。人口減少が加速する中、議員定数も減らすべきであり、村民の意見を真摯に受け止め、定数削減に賛成する。  大和田宏議員▽アンケート結果で、当然、少数派意見も尊重しなければならないが、やはり多数派意見に重点を置かなければならないので賛同する。削減した場合はメリット・デメリットが出るが、デメリットは今後協議しながらカバーしていけばいいと思う。それぞれの議員がすぐに活動できる環境を進めていき、デメリットを克服しながら十分対応できると考えるので賛成。  石井清勝議員▽近隣の市町村では10人で運営しているところも多くある。人口だけでなく、予算も考慮しながら、住民の代表として、村をいかに良くしていくか、活性化していくかを考えていく必要がある。議員自ら身を削ってやっていかないと村も活性化しないと思うので賛成する。  反対討論  佐久間安裕議員▽議員定数見直しに反対するものではなく、今回は十分に議論する時間がない中での削減のため反対する。アンケート結果でも50代以下は現状維持が多く、「現状維持」と「10人」も僅差だった。そういった若い世代の意見を切り捨ててもいいのか疑問を感じる。議会基本条例策定とともに議会改革を進め、内容を公開していくことが求められる中で、いまだ議論の準備段階であり、様々な観点から十分な議論を尽くしていくべき。アンケート結果の民意だから即削減すべきではなく、今回は拙速であるので反対する。  飯島三郎議員▽病人が多数出たりして欠席が多くなってしまうと議会が成り立たなくなる恐れがあるとの思いで、現状維持の判断をした。今回新たな特別委員会が設置され、業務が多くなり、議員1人当たりの業務負担が増加している中で、これ以上人数が少なくなると村内の隅々まで行き届かなくなり、本来の活動ができなくなることは間違いないので、削減に反対する。  三瓶力議員▽今回のアンケートをすべて確認し、皆様の思いや考えをいろいろな方面から検討した。アンケート結果を見ると、現状維持の12人の意見が多かったのは、20代から50代だった。回答数では60代以上からの回答が多く、偏っているのではと感じる。20代から50代の貴重な意見を尊重すべきであり反対する。 深刻ななり手不足  こうした意見があった中、前述したように、議員定数削減案は反対多数で否決された。  賛成した議員は「村民からは、だったらなぜアンケートを実施したのかと言われた」と、早速、批判があったことを明かした。  「住民の意見」がハッキリ出ている中で、「現状維持」の判断をしたのだから、そうした批判が出るのは当然か。  今回取材した近隣町村の関係者からも、「玉川村は住民アンケートまでやって、住民の多数派意見を洗い出したのに、『現状維持』にして批判は出ていないのか? 他村のことながら気になってしまう」との声が聞かれた。  改選後の議会は、そうした批判とも向き合っていかなければならないことを覚えておいた方がいい。  選挙に向けた情勢としては、4人の現職議員が引退する見込みという。昨年4月の村長選に議員を辞して立候補した須藤安昭氏、林芳子氏の2人が議員復帰を目指す可能性はありそうだが、現状はほかに立候補の可能性がありそうな人の動きは見えてこないようだ。  ある議員は、地元行政区で「自分は今期で引退して、誰かにバトンタッチしたい」旨を伝えたところ、自薦他薦ともに後継者になり得る人が出てこなかったという。かといって、「この地区から議員がいなくなるのは困る」との意見もあったことから、やむなく「自分がもう1期やるしかない」という結論に至った事例もあると聞く。それだけ、なり手がいないということだ。  そのため、村内では「『現状維持』にしておきながら、定数割れが起きるのではないか」と懸念する声もあり、もしそうなったら、より批判が大きくなるだろう。  定数割れにならないまでも、「タダでなれるなら」と、何の考え・信条もなく、立候補する人が出てくる可能性もあり、「そうなったら、議会の質の低下を招くのではないか」と憂える住民は少なくない。 平田村議会 平田村役場  平田村議会は、昨年9月に3回の全員協議会を開き、議員定数について検討した。  その中で出された意見は、「人口が減少していることや、住民の声などを踏まえると、削減すべき」というものと、「削減ありきではなく、総合的に考えるべき」というもの。そのほか、「20年以上の議員は引退して後継者に託すべき」、「若い人が立候補できるような条件整備が必要」、「仮に議員を2人削減しても、費用面での効果は予算総額の0・17%に過ぎない」といった意見もあった。当初は、条件付きでの「削減派」が8人、「現状維持派」が4人だったという。  その後、検討が進められる中で、定数を削減した場合、現状維持とした場合のメリット・デメリットが挙げられた。  削減のメリット▽経費削減、意見の集約が早い、議員のレベルアップにつながる、住民からの意見を反映した議員活動がしやすくなる、議員と村民の距離が縮まり議員活動がしやすい。  削減のデメリット▽議員のなり手を狭める、意見が偏る傾向がある、多くの意見が上がらない、委員会が少人数になる、住民の意見が反映されにくくなる、少数意見になり村民のニーズから遠くなる、執行者への監視が不十分になる、多様な意見や考えが反映されず結果十分な議論ができずに決定されてしまう、行政と住民の橋渡しが薄れる、現職議員が有利で若年層・女性の進出が困難になる。  現状維持のメリット▽村民の意見が届きやすい、議員のなり手の門扉を開く、委員会の構成人数が良い、多数精鋭を目指し広く村民の声を反映できる、多数の意見を集約できる、多様性が維持される、新たな立候補者が出やすくなる。  現状維持のデメリット▽議員の資質低下、意見の集約に時間がかかる。賛否拮抗で結論持ち越し  こうして、意見が出されていくうちに、「削減派」と「現状維持派」が拮抗していき、最終的には6対6になった。そのため、「今回は現状維持とし、これらの問題に対しては、住民からの意見等も聞きながら、次期議員で引き続き協議を進めるべきである」との結論に至った。  つまりは、結論を改選後の議会に持ち越したのである。  同村が古殿町、玉川村と少し違うのは、早い段階で新人2人が立候補の動きを見せているのだという。現職は引退する意向の人はおらず、ほかに元職1人が立候補するのではないかと言われている。現状、現職12人、元職1人、新人2人で、選挙戦になるのが濃厚だ。「それだけ、なり手がいるのはいいことだ」と見る向きもあれば、「現職議員は、厳しい選挙戦が予想されるから、減らしたくなかったのだろう」といった批判もあるようだ。  以上、古殿町、玉川村、平田村の議員選挙に向けた定数削減議論について見てきたが、3町村で完全に対応が分かれた格好。同じ石川郡で、同時日程で選挙が行われるだけに、当該町村の住民・関係者などからは「ウチはこうだったけど、向こうはどういう流れであの結論に至ったのか気になる」と、それぞれが気にしている様子。そんな中で、何が正解かと言ったら、「住民にとって有益な議会・議員であるかどうか」しかない。住民にとって有益な存在であれば、「定数を削減すべき」といった意見は出てこないだろうから。削減したところも、現状維持としたところも、一番に意識すべきはそこだ。

  • 【須賀川】無風ムードを一変させた橋本市長不出馬表明

    【須賀川】無風ムードを一変させた橋本市長不出馬表明

     1月5日、須賀川市の橋本克也市長(60)=4期=が8月10日の任期満了に伴う市長選に立候補せず、今期限りで退任すると発表した。有力な対抗馬が見当たらず、年齢も若いため5選出馬は確実とみられていたが、当の橋本氏は「最初から今期で退任すると決めていた」。首長の多選批判が以前ほど聞かれなくなっていた中、潔く退いていく橋本氏の後釜は誰になるのか。(佐藤仁) 候補者に名前が挙がる3氏の評判 橋本克也市長  橋本氏の退任をスクープしたのは福島民報だった。1月5日付の1面に「現職橋本氏 不出馬の意向」と見出しを掲げ、その日の午前中に開かれた定例会見で橋本氏が正式に今期限りでの退任を発表した。  橋本氏は会見でこう語った。  「政治に終着点はなく、新たな課題は次から次に現れる。だからこそ与えられた時間の中で常に全力を尽くし、自らを戒めながら前へ進む。そして終わりがないからこそ果たした役割に得心した時、自身で終着点を定めることを念頭に置き続けてきた。この信念のもと、8月で4期目の任期が満了するので約30年の政治活動に終止符を打つ決断をした」  4期16年務めたが、会見では本当は3期12年で退任するはずだったことも明かされた。いわば想定外の4期目を務めたのは、令和元年東日本台風による水害と新型コロナという想定外の事態が起こり、市政を投げ出すわけにいかなくなったからと説明した。3期で辞めることは、市長就任当初から家族や石井敬三後援会長らにずっと伝えてきたという。  橋本氏は1963年須賀川市生まれ。須賀川(現須賀川創英館)高、駒沢大法学部卒。行政書士などを経て1995年の県議選(須賀川市選挙区=定数2)に自民党公認で立候補、当時最年少の31歳で初当選を果たし、同党県連幹事長などの要職を務めた。4期途中の2008年3月に県議を辞職し、同年7月の市長選に立候補。元県議の川田昌成氏を退け、平成の大合併を経た現須賀川市の2代目市長に就任した。以降連続4期務めるが、選挙戦になったのは1期目だけで、あとは3回連続無投票当選だった。  今まで選挙戦にならなかった状況を見ても、市内に有力な対抗馬がいないことが分かる。年齢も4月で61歳と政治家としては若い。それだけに「5期目、6期目もいける」との声が大勢を占めていた中、今回の不出馬表明に驚く人は多い。  ある政治経験者は「背景に父・安司さんの存在があったのかもしれない」と推測する。  1983年から県議を務めた橋本安司さんは市長候補にも名前が挙がる自民党若手の有望株だったが、3期途中に55歳の若さで急逝。そのあとを継いで県議になったのが長男の克也氏だった。  「安司さんが若くして亡くなったので、人生後半の私事を大切にしたいという気持ちがあったのかも。31歳で県議となり今年で政治家歴30年。実年齢は60歳と若くても、政治家歴としてはベテラン。ここで退いても不思議ではない」(同)  橋本氏の退任理由は別掲の本誌単独インタビューで詳しく述べているので参照いただきたいが、橋本氏が繰り返し述べていたのは「市長を長く続けるより、決められた時間の中で何をやったかの方が価値がある」ということだ。橋本氏が市長在任中に何をやって、それを市民がどう評価しているかは検証する必要があるが、いわゆる首長の多選は浅野史郎氏(宮城)や増田寛也氏(岩手)など改革派知事と言われた人たちの存在感が薄くなっていくと、否定的な声は聞かれなくなった。そうした中で5期目、6期目の芽もあった橋本氏の退任を、他の多選首長がどう受け止めるのかは興味深い。 市議選を見送った安藤聡氏 安藤聡氏  橋本氏の不出馬表明で、8月10日任期満了に伴う市長選には誰が名乗りを上げるのか。  民報に橋本氏の不出馬を〝抜かれた〟福島民友は、1月6日付の1面で前市議会副議長の安藤聡氏(53)が立候補の意思を固めたと報じた。  1970年須賀川市生まれ。東京観光専門学校を卒業後、民間企業に就職。須賀川青年会議所理事長などを経て2011年の市議選で初当選し連続3期。19年9月から4年間は副議長を務めたが、昨年8月6日投票の市議選は立候補しなかった。  安藤氏に取材を申し込むと、こんな答えが返ってきた。  「市長選への出馬意思は以前から周囲に伝えていた。昨年の市議選に立候補しなかったのは、市長選を見据え、公務で縛られていた状況から解放され、市内をいろいろ見て回りたいと思ったから。もし橋本氏が5期目を目指したとしても、市長選に挑む考えでした」  家族や近い人からは市長選出馬に理解を得ており、後援会や市民からも好意的な声が寄せられていると話す安藤氏だが、地元有権者からは厳しい意見も聞かれる。  というのも安藤氏は、初当選した2011年の市議選(定数28―32)では1310票を獲得し10位当選だったが、15年(定数24―27)は976票で21位当選、19年(定数24―24)は無投票当選だった。  「市議選でずっと上位当選していれば別だが、得票数を大きく減らしただけでなく、選挙を経ずに議員バッジを付けているようでは市長選に出ても勝負にならないのでは。そもそも昨年の市議選を見送ったのも、立候補してさらに得票数を減らしたり、万が一落選すれば市長選に出られなくなる心配があったから、とも言われています」(地元有権者)  選挙で最も肝心な地元の評価を高めないと、票は伸ばせない。 劇薬と敬遠される水野氏 水野透氏  安藤聡氏のほかに立候補の可能性があるのが水野透県議(56)だ。  1967年須賀川市生まれ。須賀川高を卒業後、明治学院大入学。1年間のアメリカ留学を経て文教大文学部を再受験し合格。卒業後、市役所に入庁し20年勤め、2014年に行政書士事務所を開設した。15年から市議(1期)を務め、19年の県議選で自民党から立候補し初当選、昨年11月に再選された。  「市職員時代に経験した震災を機に政治家を志した。以前から『将来的には市長に』と言っていた。市役所退職後は福祉行政に携わった経験を磨きたいと、早稲田大大学院で発達心理学を学んだ」(事情通)  もともと市長への強い意欲を持っていたとされる水野氏だが、橋本氏が現職のうちは市長選に立候補する考えはなかったという。  「水野氏は市職員として橋本市長に仕え、尊敬もしていたので直接対決する考えは一切なく、立候補するなら橋本市長退任後と決めていた。ただ、今期限りで退くとは全く思っていなかったようです」(同)  加えて今の水野氏は市長選に立候補しづらい立場にある。昨年11月に県議に再選されたばかりで、7月下旬に行われるとみられる市長選に立つと2期目の在任期間は7、8カ月で終わってしまう。須賀川市・岩瀬郡選挙区(定数3―4)で3位当選の水野氏は7777票を獲得しているが、あっさり辞めるようだと「負託にこたえていない」との批判が出かねない。県議会で務める農林水産委員長のポストも、短い期間で投げ出す印象を持たれてしまう。  「ただ、今後の市政の課題に財政再建が挙げられる中、最も市長に適任なのは水野氏と言われている。水野氏は厳しい経営にあった義父の会社を立て直し、黒字に転換させた実績があるからです。とはいえ容赦ないコストカットや『民でできることは民へ』と急激な移行を推し進める可能性があり、市役所内では『水野氏の市長就任は劇薬』と敬遠したい雰囲気が漂っています」(同)  果たして、水野氏に市長選立候補の意思はあるのか。本人に尋ねるとこのように答えた。  「立候補する・しないは白紙の状態。熟慮を重ねていきたい」  そのつもりがなければ「ない」と断言するはず。熟慮中ということは立候補の可能性を模索していると見てよさそうだ。  市内ではもう一人、候補者に名前の挙がっている人物がいる。安藤基寛副市長(62)だ。 安藤基寛氏  1961年須賀川市生まれ。須賀川高卒業後に市役所入庁。観光交流課長、文化スポーツ部長などを歴任し58歳で退職。2019年4月から副市長を務める。現在2期目。  「橋本市長に請われて副市長に就き、とても信頼されている。橋本市長が安藤氏を抜擢したのは、自分の後釜として期待していたから、という話もあります」(市職員)  別掲の単独インタビューで、橋本氏は「次の市長について」という質問に「私が手掛けた政策を一緒に進めてきた方もいるので、そういう方に担っていただけるのが望ましい」と回答。後継指名はしないとする橋本氏だが、ここまで挙げた3氏の中で「一緒に進めてきた方」に最も近いのは安藤副市長だろう。 歴代の須賀川市長を見ると、高木博氏(1984~96年)は元助役、相楽新平氏(96~2008年)は元収入役。人口30万人前後の中核市では副市長から市長になるのは知名度不足で難しいが、約7万3000人の須賀川市なら本人は無名でも強力なバックアップがあれば当選は十分可能。高木氏と相楽氏に続き〝二度あることは三度ある〟が起きるかもしれない。  もっとも、当の安藤基寛氏は立候補にかなり後ろ向きだ。  「名前が挙がるのは光栄だが、自分には体力も胆力もなく、最も肝心な覚悟もない。重責を担う器ではないと思っています」 次の市長を待ち受ける課題  今はそう話す安藤氏だが、数カ月後には覚悟を決めている可能性もゼロではない。  さて、次の市長を待ち受ける市政の課題は何か。市議会の大寺正晃議長に意見を求めると、真っ先に挙げたのは財政問題だった。  「須賀川市の財政は健全だが、非常事態が続いた影響で基金が大幅に減っている。今は何が起きても不思議ではない時代。今後の不測の事態に備えるためには、しっかり基金を積み立てないと市政が立ち行かなくなります」(大寺氏)  大寺氏の言う通り、市が公表している財政資料を見ると、2022年度決算に基づく健全化判断比率、資金不足比率はそれぞれ早期健全化基準、経営健全化基準を下回っており健全と判断されている。23~27年度を計画期間とする市財政計画も一層の健全化を図る目的で策定されたもので、財政が切羽詰まった状況に置かれているわけではない。  ただ基金の状況(期末残高)を見ると、2018年度に47億2600万円あった財政調整基金は21年度には16億7700万円に減少。度重なる災害とコロナへの対応で毎年度多額の取り崩しをせざるを得なかったことが原因だが、今後の見通しではさらに毎年度減っていき、27年度には6億8700万円になると想定されている。  市では標準財政規模(約190億円)の10%程度の基金残高を目指しており、決算剰余金を可能な限り積み立てていく方針。さらに3月定例会に提案予定の2024年度当初予算は、義務的経費を除き「23年度当初予算一般財源×0・9以内」の計算式でマイナス10%シーリングを設定することも発表されている。  大寺氏が指摘するもう一つの課題はトップセールスへの注力だ。  「橋本市長は震災からの復興、さらには水害、福島県沖地震、コロナもあり市政を立て直すことに精一杯で、須賀川市の対外的なPRは力を注ぎたくても注げずにいた。急速な少子化に加え、若者が市外に流出する中、移住・定住や交流・関係人口を増やすことは絶対に必要な取り組み。次の市長には須賀川市の魅力を伝え、人や物を呼び込むトップセールスに積極的に臨んでほしい」(同)  特撮の神様・円谷英二さんの出身地である須賀川市はウルトラマンを前面に打ち出し、2016年の県観光統計をもとに推計されるウルトラマン目的の観光来訪者数は34万5000人、観光消費額は28億7000万円となっているが、効果的なトップセールスが展開されれば更なる経済効果や人の流入につながるかもしれない。  今号が店頭に並ぶころ、橋本市長の任期は残り半年になる。立候補者がこれらの課題を念頭にどんな公約を掲げ、首長の多選についてはどう考えるのか、発言に注目したい。 橋本市長インタビュー 不出馬表明の真意を語る橋本氏  橋本市長は1月15日、本誌の単独インタビューに応じた。  ――4期16年務めたわけですが、3期12年を区切りと考えた理由は。  「権不10年という言葉がありますが、私はそこまで大上段に構えるつもりはありません。ただ同じ体制が長く続けば、本人はともかく組織が緩んだり、逆に硬直化する可能性はあると思います。首長は年度途中に就任すると、前任者のもとで行われた予算、事業、人事を受け継ぐことになるので、自分の色を出せるのは就任3年目くらいからです。そう考えると、3期務めて実質10年は自分が思い描く政策をやり遂げるのにちょうどいい期間だと思います。  結果として4期16年務めることになりましたが、正直4選を目指す際は躊躇もしました。ただ、当時は令和元年東日本台風で甚大な被害を受け、そのあとには新型コロナが拡大するなど市政は非常事態に陥っていました。そうした困難を見過ごすわけにはいかないし、市長として東日本大震災からの復興を推し進めた中で得られた知識や人脈が水害やコロナ対策に生かせるならと考え、4選出馬を決めた経緯があります。ですので、私の中で最後の4年間は4期目というより3期目の延長という言い方の方が合っています」  ――市長の前は県議を務めていましたが、やはり議員と首長は違う?  「私より長くその任に当たっておられる方も大勢いるので言い方には注意しなければなりませんが、ここからは私の政治信念ということで聞いていただけるとありがたいです。  私は地方政治にこだわり、県議時代から市民の皆さんと直接接点を持ち続けることの価値を感じてきました。私が市長になったのは、皆さんから寄せられた声を具体的に実現していくためには執行者になるしかないと思ったからです。一方、私は市長になることが目的ではなく、自分の掲げる政策を具体化する手段が市長だっただけなので、もともと長く続ける考えはありませんでした。10年でこれを成し遂げると決めたら、その10年に全力を注ぐ。これが私の性分なので、市長就任後は常に100%の力を出し切ってきました」  ――水害やコロナがなければ4期目はなかったということは、3期終えて退任していたらその時の年齢は56歳です。政治家としてはまだまだお若いですが、それでもスパッと引退していましたか。  「私は市長を長く務めることが目的ではなく、与えられた時間の中で何をやったかの方が価値があると思っているので、年齢を意識したことはありません。そもそも県議に初当選したのが31歳でしたから、そこから約30年この世界に身を置いたことを考えると、やっていた期間は短いわけではないと思います。首長は、始める時は『自分しかいない』と信じ切らなければならないが、終わりが近付いている時に『自分しかいないと思い込むのは非常に危険』と感じていたので、惜しんでいただけるのはありがたいが終わりは自分で決めると最初から考えていました」  ――市長のお父様が亡くなられたのが50代半ばだったので、それと重ねて56歳で退任すれば、その後の人生を有意義に過ごせるという考えもあったのかどうか。  「あー、なるほど。父が亡くなったのは55歳でしたからね。  私は幼少のころから政治家を志していたわけではなく、むしろ否定的な感じで父を見ていました。大学卒業後は政治とは無関係の世界で生きていましたし、政治家の家族にしか分からない部分も見てきたので、そう思うのはご容赦いただきたいのですが、父が急逝した時、多くの方がやり切れない思いを抱えていることを知り、その思いを受け止めるには自分が県議選に出馬するしかないと考えました。正直当選できるとは思っていませんでしたが、もし落選しても一度でも出馬すれば支持者の皆さんの気持ちを汲むことになるだろうと。もちろん出馬を決断するまでには覚悟を要しましたが、実際にやってみて大勢の方に支えていただいたことで、なぜ父が政治に携わっていたのかを初めて理解できたのは本当に幸せでした」  ――市長は退任するが、政界自体から引退すると解釈していい?  「私がこだわってきたのは地方政治で、それ以外の考えは一切持ち合わせていません。自分としてはここで終止符を打つと。いや、曖昧な言い方はよくないので、はっきり『ない』と申し上げておきます」  ――任期中、自身の成果として挙げられる政策は何ですか。逆に今後の市政の課題は。  「私は『市民との協働のまちづくり』という目標を掲げて市長職に臨みました。そこには行政主導ではなく、市民が主体となってまちづくりを進めるべきという思いが込められていました。しかし、就任2年半で震災が起こり目標の実現は難しくなったと思っていたら、市民の皆さんは自ら被災しているにもかかわらず公助が思うように行き届かない中、自助と共助で困難を乗り越えようとしていました。あの状況下で市民協働の意識が必然的に生まれていたんですね。そんな姿を目の当たりにした時、目標をあきらめる必要はないと思ったし、これを復旧・復興で終わらせるのではなく、震災前より素晴らしいまちにしなければならないとの思いから『創造的復興』という目標を掲げ、ピンチをチャンスに変える取り組みを行ってきました。  その象徴が市民交流センター『tette』です。いわゆる効率重視のハコモノではなく、老若男女問わず多くの市民にワークショップに参加していただき、そこで集まった意見を市民自らが取捨選択し、本当に必要な要素を詰め込んだ施設として建設されました。まさに市民協働のシンボルであり、市内外から高い評価をいただき、2019年1月の開館から昨年12月末には来館者数265万人に到達しました。  一方、今後の課題としては、これだけの難局を乗り越えてきたので財政的には厳しい状況にあります。平時に戻った時の行財政改革、そして急速に進む少子高齢化への対応は待ったなしだと思います」  ――今回の退任の決断に、ご家族はどんな反応をされていましたか。  「私の考えはいろいろな場面で話していたので、当たり前のこととして受け止めてくれたのかなと思っています。子どもたちは今回の決断にホッとしているかもしれません」  ――市長退任後は何をしたい?  「あと半年はこの職責を担うわけですから、退任後のことを具体的に話すのは控えます。ただ人生の半分を公人として過ごしてきたので、疎かになっていた私事を大切にしていきたいですね」  ――最後に、次の市長について。  「2期目以降、無投票で市長を担わせていただき、それが『引き続き市政を任せる』という私への評価だとするならば、私が手掛けた政策を一緒に進めてきた方もいるので、そういう方に担っていただけるのが望ましいと考えています。ただ、それは私の個人的な意見であり、あくまで市長は有権者たる市民の皆さんが選ぶものと思っています」

  • 【衆院新2区最新情勢】大物同士が激しい攻防【根本匠】【玄葉光一郎】

    【衆院新2区最新情勢】大物同士が激しい攻防【根本匠】【玄葉光一郎】

     1票の格差を是正するため、衆議院小選挙区の数を「10増10減」する改正公職選挙法が2022年12月に施行され、福島県選挙区は5から4に減った。各党は次期衆院選に向けた候補者調整を進めているが、新2区では自民党・根本匠氏(72)=9期=と立憲民主党・玄葉光一郎氏(59)=10期=が激突。共に大臣経験者で、全国的にも勝負の行方が注目される選挙区だ。両氏は旧選挙区時代からの地盤を守りながら、新選挙区に組み入れられた市町村の攻略に心を砕いている。 予算確保で実力見せる根本氏、郡山で支持拡大を図る玄葉氏 新春賀詞交歓会で鏡開きのあとに乾杯する来賓  1月4日、郡山市のホテルハマツで開かれた新春賀詞交歓会。会場内はコロナ前の雰囲気に戻り、多くの政財界人が詰めかけていたが、舞台前の中央テーブルには根本匠氏と、少し距離を空けて玄葉光一郎氏の姿があった。  会が始まると、根本氏は舞台に上がり祝辞を述べたが、玄葉氏にその機会はなかった。根本氏にとって郡山は旧2区時代からの強固な地盤。新参者の玄葉氏が祝辞を述べられるはずもない。  しかし、続いて行われた鏡開きの際は様子が違った。互いに法被をまとい、木槌を手に威勢よく酒樽を開けていた。そもそも旧2区時代は会場に姿がなかったことを思うと、郡山が玄葉氏の選挙区になったことを強く実感させられる。  新2区は郡山市、須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡で構成される。旧選挙区で言うと、郡山市が旧2区で根本氏の選挙区、それ以外は旧3区で玄葉氏の選挙区。  別表①は県公表の選挙人名簿登録者数である(2023年12月1日現在)。郡山市が全体の62・5%と大票田になっているのが分かる。 表① 選挙人名簿登録者数 郡山市266,728 人須賀川市62,544 人田村市29,392 人岩瀬鏡石町10,364 人天栄村4,572 人石川石川町12,154 人玉川村5,294 人平田村4,754 人浅川町5,103 人古殿町4,064 人田村三春町14,129 人小野町7,940 人合計427,038 人※県公表。昨年12月1日現在。  前回2021年10月30日に行われた衆院選の旧2区、旧3区の結果は別掲の通り。その時の市町村ごとの得票数を新2区に置き換えたのが別表②である。表中では上杉謙太郎氏が須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡で獲得した票を根本氏に、馬場雄基氏が郡山市で獲得した票を玄葉氏に組み入れている。 表② 根本氏と玄葉氏の得票数(シミュレーション) 根本氏玄葉氏郡山市75,93764,865須賀川市15,38621,819田村市6,91113,185岩瀬鏡石町2,9043,592天栄村1,5391,880石川石川町4,0124,554玉川村1,6522,024平田村1,4721,958浅川町1,8491,788古殿町1,3231,757田村三春町2,7466,372小野町2,6123,301合計118,343127,095※前回2021年の衆院選の結果をもとに、上杉謙太郎氏の得票を根本氏、馬場雄基氏の得票を玄葉氏に置き換えて本誌が独自に作成。  このシミュレーションだと根本氏が11万8343票、玄葉氏が12万7095票で、玄葉氏が8752票上回る。ただ、上杉氏から根本氏、馬場氏から玄葉氏に代わった時、実際の有権者の投票行動がどう変わるかは分からない。  票の「行った・来た」で見ると、新2区への移行は根本氏に不利、玄葉氏に有利に働いている印象だ。というのも、根本氏は旧2区の二本松市、本宮市、安達郡で馬場氏より6000票余り多く得票していたが、これらの市・郡は新1区に移行。逆に玄葉氏は、旧3区の白河市、西白河郡、東白川郡で上杉氏に500票余り負けていたが、これらの市・郡は新3区に組み入れられた。一方、上杉氏に勝っていた須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡は新2区にそのまま残った。  「勝っていた地盤」を失った根本氏に対し「負けていた地盤」が切り離された玄葉氏。加えて根本氏は、固い地盤のはずの郡山で無名の新人馬場氏に追い上げられ、比例復活当選を許してしまった。  「前回衆院選の結果だけ見れば玄葉氏が優勢。玄葉氏は前回まで、上杉氏を相手にいかに票の減り幅を抑えられるか守りの選挙を強いられてきた。しかし新2区では、大票田の郡山をいかに切り崩すか攻めの選挙に転じられる。これに対し根本氏は前回、地元郡山で馬場氏に迫られ、今度は玄葉氏を相手に防戦しなければならない」(ある選挙通) 派閥の問題で強烈な逆風 根本匠氏 玄葉光一郎氏  根本氏も玄葉氏も、守りを固めて攻めたいと思っているはずだが、現状で言うと、それができそうなのは玄葉氏のようだ。例に挙げられるのが昨年11月に行われた県議選だ。  定数1の石川郡選挙区は自民党新人の武田務氏と無所属新人の山田真太郎氏が立候補したが、根本氏は武田氏の選対本部長に就き、玄葉氏は連日山田氏の応援に入るなど代理戦争の様相を呈した。  「石川郡選挙区はこれまで、玄葉氏の秘書だった円谷健市氏が3回連続当選を果たし、自民党は前回(2019年)、前々回(15年)とも円谷氏に及ばなかったが、組織的な選挙戦が行われなくても円谷氏と数百票差で競っていた。そうした中、今回は根本先生が直々に選対本部長に就き、徹底した組織戦を展開するなどかなりの手ごたえがあった」(地元の自民党関係者)  この関係者は勝っても負けても僅差になると思っていたという。ところが蓋を開けたら、逆に1000票以上の差をつけられ武田氏が落選。すなわちそれは、玄葉氏が旧3区時代からの地盤を守り、根本氏は積極介入したものの攻め切れなかったことを意味する。  ただ、根本氏の攻めの姿勢はその後も続いている。  「須賀川、田村、岩瀬、石川地区を隅々まで見て回った根本先生の第一声は『ここは時が止まっているのか』だった。政治が行き届いていないせいなのか、風景が昔と変わっていないというのです」(同)  旧3区の現状を把握した根本氏が行ったのは、徹底した予算付けだった。市町村ごとに予算がなくてできずにいた事業を洗い出し、根本氏が関係省庁に直接電話して必要な予算を引っ張ってきた。  「当時の根本先生は衆議院予算委員長。『予算のことなら任せろ』と強気で言い、実際、すぐに必要な予算を引っ張ってきたので、市町村長や議員は『今まで要望しても予算が付かなかったのでありがたい』と感激していた」(同)  別表③は根本氏が国と折衝し、昨年12月までに交付が決まった予算の一部である。どれも住民生活に直結する事業だが、金額はそれほど大きくないものの市町村単独では予算を確保できずにいた。政府に近い与党議員として力を発揮し、滞っていた事業を動かした格好だ。 表③ 根本氏が付けた主な予算 石川町県事業、いわき石川線石川バイパス5億円浅川町県事業、磐城浅川停車場線本町工区1億1200万円浅川町町事業、曲屋破石線2800万円平田村国道49号舗装整備(520m)3億1300万円須賀川市市道1-22号線浜尾工区(雲水峯大橋歩道整備)2億7000万円※平田村の3億1300万円は猪苗代町、いわき市と一緒に維持管理費として交付。  これ以外にも根本氏は▽釈迦堂川の国直轄部分の河川改修を促進(須賀川市)▽数年前から懸案となっていた県道あぶくま洞都路線の路面改良を実現(田村市)▽午前6時から午後10時までしか通行できなかった東北自動車道鏡石スマートICの24時間化を実現(鏡石町)▽もともと通っていた中学校の閉校で別の中学校に超遠距離通学しなければならない生徒に、タクシー送迎を補助対象に認める(天栄村)――等々を短期間のうちに行った。  地元政治家として長く君臨し、民主党政権時代には外務大臣や党政策調査会長などの要職を歴任した玄葉氏がいても、これらの事業は一向に実現しなかったということか。やはり与党と野党の政治家では、省庁の聞く耳の持ち方が違うのか。そもそも玄葉氏は、根本氏のような取り組みを「おねだり」と称すなど消極的だったが、市町村や県の力で解決できない困り事を国の力で解決するのは地元国会議員がやるべき当然の仕事だ。玄葉氏は県議選で「野党の国会議員だから仕事ができないというのは誤った認識」と述べていたが、こうして見ると、期数はほとんど変わらないのに与野党の立場の差を感じずにはいられない。  とはいえ、こうした予算が付いて喜んでいるのは市町村長や議員ばかりで、一般市民は河川改修や道路工事が進んでも、その予算が誰のおかげで付いたかは知る由もないし、関心を向けることもない。極端な話、市民が政治家に関心を向けるのは何か悪いことをした時くらい。今だと自民党派閥の政治資金パーティー問題が一番の関心事ではないのか。  マスコミの注目は最大派閥の安倍派と二階派だが、根本氏が所属する岸田派も会長の岸田文雄首相が真っ先に解散を宣言するなど、その渦中にいる。しかも根本氏は、事務総長という派閥の中心的立場。「当然、裏のことも知っているはず」と見られてしまうのは仕方がない。  1月12日にはアジアプレスが、フリージャーナリスト・鈴木祐太氏が執筆した「根本氏刑事告発」の記事を配信した。  《2020年以降、事務総長を務めている根本匠衆議院議員(福島2区選出)が新たに刑事告発された。昨年12月まで会長を務めていた岸田文雄総理ら3人と合わせて、岸田派で刑事告発されたのは計4人となった》《事務総長は派閥の「実務を取り仕切っており、同会長と共に収支報告書の記載方針を決定する立場にあった」と、提出された告発補充書で指摘されている》(同記事より抜粋)  告発状を出したのは神戸学院大学の上脇博之教授。今、解散総選挙になれば根本氏には強烈な逆風が吹き付けるだろう。 目に見えて増えたポスター  「派閥の問題が起きて以降、郡山市内を回っていても『許せない』と憤る市民は増えていますね」  そう明かすのは玄葉光一郎事務所の関係者だ。  「刑事告発の報道が出た翌日、根本氏は会合で釈明したようだが、その場にいた人たちは『だったらきちんと説明すべきだ』とシラけていたみたいですね」(同)  玄葉氏としては、ここを突破口に根本氏の地盤である郡山に深く切り込みたいところ。しかし、現実はそうもいかないようだ。  「玄葉は1年前から郡山を中心に歩いており、留守がちの地元・田村は本人に代わって奥さんと娘さんが歩いている。この間、郡山で回れる場所は何度も回ってきました」(同)  一見すると、挨拶回りは順調そうに見えるが  「これまで業界団体の会合に呼ばれたことは一度もない。ずっと根本氏を支えてきた人たちですから、当然と言えば当然です。市の中心部も思うように歩けておらず、現時点では(郡山市内に)事務所を構える見通しも立っていない」(同)  長年かけて築かれてきた相手の地盤に切り込むのは、簡単ではないということだ。  昨年秋以降は、郡山市虎丸町に事務所を置く馬場雄基氏と連携を強めている玄葉氏。1月下旬からは、自身と接点の薄い地域は馬場氏が先に単独で回り、そのあとを玄葉氏が回るなど、作戦を練りながら市の中心部に迫ろうとしている。  その成果が表れつつあることは、郡山市内の立憲民主党関係者の話からもうかがえる。  「ポスターの数が目に見えて増えている。以前は増子輝彦氏(元参院議員)のポスターが貼られていた場所も玄葉氏のポスターに変わっている。一番驚いたのは室内ポスターが増えていることだ。家や事務所の中に室内ポスターが貼ってあるということは、その人に投票するという意思表示でもある。馬場氏のポスターは、道路端ではよく見るが室内ポスターを見かけることはない。玄葉氏も『郡山は回れば回るほど(票が)増える』と言っていますからね。玄葉氏が確実に郡山に食い込んでいることを実感します」  ただし、こうも付け加える。  「今の自民党はダメだから、受け皿として玄葉氏に票が集まるのは自然な流れ。しかし、玄葉氏に投票した人が立憲民主党を支持しているかというとそうではない。自民党の支持率は下がっているのに、立民の支持率が上がらないのがその証拠。そもそも玄葉氏は党代表候補に挙がったことがないし、党のあり方を本気で語ったこともない。要するに、玄葉氏に投票する人たちは『玄葉党』の支持者なのです」(同)  旧3区でも市町村議や県議は自民党候補を応援するが、国会議員は玄葉氏に投票する人が大勢いた。郡山でもそうしたねじれ現象が見られるかもしれない。玄葉氏は田村出身だが、郡山の安積高校卒業なので同級生が頼りになる。岳父の佐藤栄佐久元知事は郡山出身で、栄佐久氏の支持者が健在な点も郡山にさらに食い込む材料になりそう。  もっとも、これらの材料は我々のような外野が思っているほど当事者は有利に働くとは考えていない。前出・玄葉事務所関係者の話。  「安積高校卒業は根本氏もそうだし、栄佐久氏の支持者はずっと根本氏を支持してきた。周りは『同級生や岳父がいる』と言うが、その人たちが玄葉が来たからといって急に根本氏から鞍替えするかというと、そうはなりませんよ」 知事選を気にかける経済人  郡山で着々と支持を広げる玄葉氏だが、そこには衆院選と同時に知事選の話も付きまとう。  本誌昨年8月号でも触れたが、玄葉氏をめぐっては、一度は政権交代を果たしたものの野党暮らしが長くなっているため、支持者から「首相になれないなら知事に」という声が上がっている。玄葉氏も本誌の取材に、そういう声を耳にしていることを認めつつ「今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての次の展望はない」と語っている。  郡山の経済人には、根本氏を支持しながら玄葉氏と個人的な関係を築いている人が結構いる。そういう経済人からは「知事選に出るなら出ると態度をはっきりさせてほしい」との本音も漏れる。  「このまま解散せず任期満了まで務めたら衆院選は2025年秋。一方、次の知事選は26年10月ごろ。そうなると仮に玄葉氏が衆院選に勝っても、1年しか務めずに知事選の準備をしなければならない。そんなのは現実的ではないし、幅広い支持層を取り込もうとするなら根本氏と真っ向勝負をして反感を買うのは得策ではない」(経済人)  ただ、内堀雅雄知事が4期目も目指すことになれば、内堀氏を知事に推し上げた玄葉氏が次の知事選に立候補する可能性はほぼなくなる。自分の思いだけでなく、環境も整わないと知事転身に踏み切れない以上、今は目の前の衆院選に全力を注ぐしかない。  元の地盤を守りながら未知の市町村を攻める根本氏と玄葉氏。前記・シミュレーション通りにはいかないだろうが、どちらが当選しても(あるいは比例復活で両氏とも当選しても)国会で仕事をするのは当然として、地元住民の生活に資する仕事をしてもらわないと住みよい県土になっていかないことを意識していただきたい。

  • 【鏡石町】議員同士の〝場外バトル〟

    【鏡石町】議員同士の〝場外バトル〟

    鏡石町議会で、議員同士の〝場外バトル〟が勃発しているという。円谷寛議員が込山靖子議員に公開質問状を送付したというのだが、その背景には何があったのか。 議長落選者が同僚に質問状送付  任期満了に伴う鏡石町議選が昨年8月22日告示、27日投開票の日程で行われた。定数12に対し、現職6人、新人6人の計12人が立候補し、無投票で当選が決まった。その後、正副議長や常任委員長などが選任されたが、議会内のポスト絡みで議員同士の〝場外バトル〟が勃発しているという。  ある関係者はこう話す。  「円谷寛議員が込山靖子議員に公開質問状を送付したのです。その内容は、円谷議員が込山議員を糾弾するようなものです」  両議員は、どちらかと言うと議会内で近い立場にあったが、なぜ、円谷議員が込山議員に公開質問状を送付したのか。本誌はその公開質問状を入手した。内容は次の通り。   ×  ×  ×  ×  1、あなたはネットで「町はドブに金を捨てている」と主張していますが、内容をもっと詳しく教えてください。どんな無駄にいくらの金を捨てたのですか。  2、ネットで一般の人にそのように公言しながら、本定例会の本会議でも決算委員会においても、この件について一言も発言していません。これは前のネット発言でこの問題を知った町民はあなたがきっとこの問題を質してくれると思っていたのでは、と思います。これをどう説明するのですか。なぜ全く発言しないのですか。  3、あなたたち町政刷新の2人は、町議選後の8月26日、2回以上当選の議員の集まりから排除され、その中で私以外の3人はあなた(副代表)と代表の吉田孝司氏をこれからも排除することに合意しました。私はこれに反発し、「議長選に出てくれ」というあなたと吉田氏の要請で議長選に出て敗れました。その後にあなたの態度は急変しました。メールは全く返信なく電話もそそくさと切り、訪問しても玄関の中にも入れず話も聞いてくれませんでした。そのような態度の急変はなぜですか。  4、それ以上におどろいたのは相手側のあなたの変わりようです。あなた達を排除すべきことに同意していた小林議員は議長選後の人事について「込山」の名前の連発で副議長と同格とも言われる監査にも推薦する始末です。あなたを今回の決算審査特別委員長に推薦したが、あなたは辞退し、吉田氏が立候補すると、対立候補に畑氏が立候補し、吉田氏を排除しました。このように同じ会派の代表と副代表を徹底的に差別する相手の意図はどこにあると思いますか。あなたは議長選の票と監査のポストの取引はなかったのですか。  正直にお答えください。    ×  ×  ×  ×  文書(質問状)の日付は昨年10月15日付で、同月25日までの回答を求めていた。 関係者証言を基に解説 込山議員(「議会だより」より)  この内容について、本誌が関係者から聞いた話を基に解説していく。  1、2番目については、込山議員は以前、自身のSNSで「これは税金の無駄遣い」といった投稿をしたようだ。ただそれは町政についてではなく、もっと広い範囲での投稿だったという。  問題のポイントは3、4番目。吉田孝司議員と込山議員は「町政刷新かがみいし」という地域政党を組織しており、吉田議員が代表、込山議員が副代表という立場。この2人と新人議員6人を除いた4人の議員が集まった際、「吉田議員、込山議員とは一線を引く」といった話が出たようだ。それに円谷議員は反発し、そのことを吉田議員、込山議員に伝えたところ、両者から「向こう(吉田議員、込山議員とは一線を引くとした議員)に対抗するため、議長選に出てほしい。そのために支援する」旨を言われたのだという。もっともそれは円谷議員側の捉え方で、込山議員からすると、「もし、議長選に出るなら支援してもいい」程度の考えだったようだ。まず、この時点で両者の思いにズレが生じている。  ともかく、そうして円谷議員は議長選に出た。角田真美議員との一騎打ちになり、円谷議員は「どんなに少なく見積もっても4票は入るはず」と見込んでいたようだが、実際は3票しか入らず、角田議員が議長に選任された。その後、「吉田議員、込山議員とは一線を引く」としていた議員(小林政次議員)の推薦で込山議員は監査に就いた。一方で、吉田議員が決算審査特別委員長に立候補した際、「吉田議員、込山議員とは一線を引く」としていた議員らがそれを阻止した。すなわち、吉田議員の「排除」は継続されているのに、込山議員の「排除」は解除されたということができる。  そのため、込山議員は議長選で角田議員に投票する代わりに監査に推薦するといった裏約束があったのではないか、というのが3、4番目の質問の趣旨である。要するに、円谷議員は裏切られたとの思いを抱いているわけ。  もっとも、本誌が聞いた限りでは、前述したように、議長選について、込山議員は「もし、円谷議員が議長選に出るなら支援してもいい」程度の考えだったようだ。監査に就いたのは、同町議会は昨年8月の改選で、半数が新人議員になったため、2期以上の議員を優先に役職を割り振っていく中で、込山議員に役職が回ってきた、という側面もあるようだ。 当事者に聞く 円谷議員(「議会だより」より)  円谷議員に話を聞いた。  「私はネット(SNS)を見ないので分からないが、知り合いに聞いたところ、込山議員が『町はドブに金を捨てている』というようなことを書いていた、と。そういう人が監査になったので、これは見過ごせないと思い、どういう意図だったのか等々を聞こうと思いました。もう1つは、質問状に書いたように、私に議長選に出るよう要請しながら、対立候補と結託して、別の役職を得ました。さらにネットでは、私のことをだいぶ悪く書いているそう。ですから、その辺のところを明らかにしようということです」  円谷議員によると、質問状に対する回答はなかったという。  一方の込山議員はこう話していた。  「正直、誤解されている部分もあるし、いろいろと言いたいことはあります。ただ、私が反論すると、ことが大きくなりそうなので、これ以上は……」  前述したように、両議員はどちらかと言うと議会内で近い立場にあったが、これ以降はお互いがお互いを「信用できない」という状況になっているようだ。  一方で、町内では「もっとほかにやることがあるだろう」との声もあり、「仲良くやれとは言わないが、とにかく議員には『町の課題解決』を最優先に活動してほしい」といった思いを抱いている。 あわせて読みたい 【鏡石町】政治倫理審査後も続く議会の騒動

  • 選挙資金源をひた隠す内堀知事

    選挙資金源をひた隠す内堀知事

     昨年11月に2022年分の「政治資金収支報告書」が公表された。この年の10月、福島県では知事選挙が行われたが、現職・内堀雅雄氏(59)はどのようなお金の集め方・使い方をして3選を果たしたのか。内堀氏が22年11月に県選挙管理委員会に提出した「選挙運動費用収支報告書」と併せて読み解くことで、内堀氏の選挙資金源を探っていく。(佐藤仁) パー券・会費収入を迂回寄付のカラクリ 内堀雅雄氏  2022年10月30日投開票の知事選は次のような結果だった。 当 57万6221 内堀雅雄 58 無現   7万7196 草野芳明 66 無新          投票率42・58%  自民、公明、立憲民主、国民民主の各党が推薦した内堀氏が、共産党推薦の草野氏を大差で退け3選を果たした。  票差を見ると、内堀氏にとっては楽な選挙だったと言えるのかもしれない。しかし、だからと言って選挙費用が安く上がるわけではない。選挙には、やはりお金がかかる。  選挙に立候補した人は、選挙費用をどうやって集め、何にいくら使ったかを選挙運動費用収支報告書にまとめ、選挙管理委員会に届け出る義務がある。  2022年の知事選について、内堀氏が同年11月14日に提出した同報告書を県選管で閲覧した。それをまとめたのが表①だ。内堀氏は同年9月2日から11月9日までの2カ月間で約1900万円を集め、ほぼ同額を使い切っていた。 表① 2022年知事選における内堀雅雄氏の選挙費用収支 収入(寄付)支出チャレンジふくしま1610万円人件費489万6400円県農業者政治連盟30万円家屋費278万5400円日本商工連盟10万円通信費110万9867円県商工政治連盟50万円印刷費621万0256円県中小企業政治連盟10万円広告費138万1485円県医師連盟100万円文具費2万6100円県薬剤師連盟10万円食糧費16万6865円福島市の会社役員1万円休泊費100万9020円日本弁護士政治連盟県支部5万円雑費161万3367円県歯科医師連盟100万円合計1926万円合計1919万8760円※選挙運動費用収支報告書をもとに筆者作成。収入の「福島市の会社役員」は原本 では実名で書かれているが、ここでは伏せる。  その収入は全て寄付でまかなわれており、県医師連盟と県歯科医師連盟の100万円をはじめ、各業界でつくる政治団体が5万~50万円を寄付していた。個人で1万円を寄付している人も一人いた。  100万円でもかなり多い寄付額だが、それを遥かに超える1610万円を寄付していたのが「チャレンジふくしま」(以下、チャレンジと略)という政治団体だ。全寄付額の8割超を占めている。  チャレンジとは、どういう団体なのか。  昨年11月24日に公表された2022年分の政治資金収支報告書を見ると事務所は「福島市豊田町1―33」、代表者は「中川治男」、会計責任者は「堀切伸一」となっていた。中川氏は佐藤栄佐久知事時代に副知事を務め、福島テレビ社長などを歴任。堀切氏は栄佐久氏の元政務秘書だ。  チャレンジは2022年9月1日に設立され、2日後の同3日に「内堀雅雄政策懇話会」(以下、政策懇話会と略。同会の詳細は後述)から3150万円の寄付を受けた。そこから翌4日に内堀氏個人に1610万円を寄付。これが表①の1610万円になる。  余談になるが、内堀氏がチャレンジから寄付を受けた日付は、選挙運動費用収支報告書では9月2日、チャレンジの収支報告書では9月4日となっており、どちらが正しいのかは判然としない。また運動員への日当も、一人に15万円を払っているとしながら、内訳には「1日1000円×15日」と書かれていた。  2日の誤差、1000円と1万円の勘違いと言えばそれまでだが、このような単純ミスが起こるのは、収支報告書が未だに手書きで提出されているからだろう。政府・与党はマイナンバーカードなどデジタルを導入することで国民の個人情報を管理しようとしているが、だったら収支報告書も手書きからデジタルに切り替えれば透明性が高まり、安倍派のキックバックのような事件も防げるのではないか。  それはともかく、3150万円のうち1610万円を寄付したチャレンジは、残り1540万円を何に使ったのか。  収支報告書は「1件当たり5万円未満のもの」は詳細を記載しなくていいことになっており、チャレンジの場合、5万円を超える記載は2022年10月15日に福島市の宴会場に会場費として支払った6万6550円の1件だけだった。つまり、1540万円ものお金が何に使われたのかが全く分からないのである。  表②に収支報告書に記載されている収支内訳を記したが、人件費に662万円、備品・消耗品費に580万円、事務所費に212万円、組織活動費に77万円も支出しておいてその詳細を一切明かさないのは異様。記載しなくても済むように、1件当たりの支出を5万円未満に抑えたのだろうか。表沙汰にできない支出をしていたのではないかと疑いたくなる。 表② チャレンジの収支 収入総額3150万円(前年からの繰越額)0円(本年の収入額)3150万円支出総額3150万円翌年への繰越額0円 支出の内訳経常経費人件費662万円光熱水費9万円備品・消耗品費580万円事務所費212万円小 計1463万円政治活動費組織活動費77万円寄付1610万円小 計1687万円合 計3150万円※1万円未満は四捨五入  ちなみに、チャレンジは政策懇話会から寄付された3150万円を使い切ったあと、2022年12月31日に解散。設立から解散まで、存在期間はたった4カ月だった。 「会費方式」で集めるワケ 内堀氏が関連する政治団体の事務所(福島市豊田町)  実は、内堀氏は2018年の知事選でも「『ふくしま』復興・創生県民会議」(以下、県民会議と略)という政治団体を知事選2カ月前に設立。政策懇話会から3650万円の寄付を受け、そこから内堀氏個人に1620万円を寄付し、残り2030万円を使い切って19年4月に解散している。  県民会議の事務所は「福島市豊田町1―33」、代表者は「中川治男」、会計責任者は「堀切伸一」。同じ場所と顔ぶれで看板だけを変え、このような組織をつくる狙いは何か。県選管に尋ねてみると、  「チャレンジがどういう目的で設立されたかは分かりません。政策懇話会からチャレンジを経由して、内堀氏個人に寄付が行われた理由ですか? うーん、分かりませんね」  県選管によると、政策懇話会から内堀氏個人に寄付するのは政治資金規正法上問題ないという。にもかかわらず、わざわざチャレンジや県民会議をつくり、そこを経由して内堀氏個人に寄付するのは奇妙だ。  迂回寄付の大元になっている政策懇話会は内堀氏の資金管理団体(公職の候補者が政治資金の提供を受けるためにつくる団体。政治家一人につき一つしかつくれない)で、昨年11月24日に公表された2022年分の政治資金収支報告書を見ると、こちらも事務所は「福島市豊田町1―33」、代表者は「内堀雅雄」、会計責任者は「堀切伸一」となっていた。  知事選挙が行われた2022年、政策懇話会は5月14日に福島市内で政治資金パーティー(内堀雅雄知事を励ます会)を開き、2059万円の収入を得ていた。パーティー券を購入したのは687人。1枚いくらかは分からないが、金額を人数で割ると2万9970円になる。  収支報告書には20万円を超える購入者の団体と金額が書かれていた。  県農業者政治連盟 149万円 連合福島     100万円 県建設業協会     61万円 県医師連盟      40万円  政治資金パーティーは2021、20年も開催されたのか、政策懇話会の過去の収支報告書を見たが記載はなかった。新型コロナの影響で自粛したとみられるが、18年の知事選では同年、前年、前々年と開催し、それぞれ3000万円前後の収入を得ていた。  政策懇話会には政治資金パーティーとは別の収入源もある。「個人の負担する党費又は会費」だ。収支報告書によると、2022年は153人から763万円を集めていた。割り算すると4万9869円だが、21年は153人から765万円、20年は157人から785万円を集め、こちらは割り算するとぴったり5万円になる。  つまり、政策懇話会は会員から年5万円の会費を集め、それが第2の収入源になっているのだが、ここに内堀氏の策略を感じるのである。  と言うのも、政治資金規正法では5万円を超える個人寄付者は名前、住所、職業、金額、寄付日を収支報告書に記載しなければならないと定めているが、5万円までの寄付なら記載しなくてもいい。  さらに言うと、政策懇話会の場合は「寄付」ではなく「会費」として集めており、会費は総額と人数だけを記載すればいいため、誰が払っているかは一切分からない。県選管にも確認したが「会費なら個人名等を書く必要はなく、金額も総額だけ書けば問題ない」。  そうやって内堀氏は①名前等を明かさずに済む5万円ぴったりに金額を設定しつつ、②寄付ではなく会費として集める――という〝二重のガード〟で資金協力者が誰なのかを隠しているのだ。 「特殊な手法」と専門家 政治学が専門の東北大学大学院情報科学研究科の河村和徳准教授  これについては、朝日新聞デジタル(2022年10月24日)が「1人5万円超でも匿名で政治資金集めが可能 埼玉で続く『会費方式』」との見出しで《5万円を超える寄付を受け取ると明かさなければいけない相手の名前が、政治団体の会費として受け取る場合は明かさなくてよい。埼玉県内の複数の政治家が、そんな政治資金の集め方をしていた》《こうした「会費方式」での資金集めについて、政治資金に詳しい岩井奉信・日本大名誉教授(政治学)は「あまり見たことがない」としつつ、「寄付ではなく会費として集めれば5万円を超えていても匿名のままで収入にできるという意味で、法の抜け道になっていると言える」》と問題提起している。  政策懇話会も、もしかすると5万円を超える多額の会費を払っている会員がいるかもしれない。それを寄付ではなく会費にすり替えて名前等の記載を避けているとすれば、法の穴を突いた狡猾なやり方と言えるのではないか。  試しに、内堀氏と同じように会費で集めている政治団体が他にもあるか確認してみたが、国会議員の政治団体の収支報告書には金額に差はあるものの数十万円から数百万円の記載があった。ただ、これは会費ではなく党費と思われ、金額も1人1000~2000円と少額だった。木幡浩・福島市長と品川萬里・郡山市長の収支報告書も見たが、会費の記載はなく、木幡氏は5万円を超える個人寄付者の名前等をきちんと記載していた。  内堀氏の特殊なお金の集め方を、政治学が専門の東北大学大学院情報科学研究科の河村和徳准教授は次のように解説する。  「内堀氏は寄付ではなく会費にすることで、誰が多くお金を出したとか、あの人は少ないとか、金額の多寡を見えなくしているように感じます。例えば、多く寄付した人は知事に言うことを聞いてもらえるんじゃないかと妙な期待をするし、少なかった人は収支報告書に名前が載ることで嫌な思いをする人もいるかもしれません。推測にすぎませんが、寄付額を正直に記載し、それが原因で支持者の関係がギクシャクした過去を陣営内で共有していた可能性もあります。ややこしさを一掃する点から、名前等を明かさずに済む会費として集めているのではないでしょうか」  河村准教授によると、背景には内堀氏が共産党を除く政党の相乗りで立候補していることが関係しているのではないかという。どこかの政党が突出して支援する形ではなく、内堀氏が好んで使うフレーズ「オールふくしま」で知事選に臨んでいることを対外的に見せるため、選挙資金も誰が多い・少ないではなく、みんなに支えられている形を取りたいのではないか、と。  「会費の額は割り算すると1人5万円。これなら『名もなき大勢の人たちが同じ会費を払って自分を支えてくれている』という印象を与えられます。アメリカのオバマ元大統領以降、広く普及した手法です」(同)  わざわざチャレンジや県民会議を経由して内堀氏個人に迂回寄付しているのも、お金の「出所」だけでなく「流れ」も見えにくくしたい都合が反映されているのかもしれないという。  「内堀氏は元総務官僚なので下手なことをしているとは思わないが、この手法はまわりくどく、全国的に珍しい。自身に還流させていると疑念を持たれる可能性もあるので、良い手法のようには思えません」(同)  ついでに言うと、内堀氏の名前がつく政治団体はもう一つある。「内堀雅雄連合後援会」。昨年11月24日に公表された2022年分の政治資金収支報告書を見ると、事務所は「福島市豊田町1―33」、代表者は「中川治男」、会計責任者は「堀切伸一」。  連合後援会の過去3年分の収支報告書を見ると、2020、21年は収入がなく、人件費や事務所費などを支出しているのみだったが、22年は4月1日に政策懇話会から300万円の寄付を受けていた。知事選挙のある年だけ活動しているようだ。  別掲の図は政策懇話会、チャレンジ、連合後援会、内堀氏の間でどのようにお金が流れているかを示したものだ。政策懇話会が政治資金パーティーと会費で資金をつくり、それがチャレンジに寄付されたあと、内堀氏個人に迂回寄付されたり、連合後援会の活動資金に充てられている構図がお分かりいただけると思う。 選挙費用を何に使ったか  こうして集められたお金は、知事選挙でどのように使われたのか。再び表①の支出をご覧いただきたい。  支出総額は1919万円。最も多かった支出は人件費で489万円だった。中身を見ると車上運動員に1日1万~1万5000円、事務員に同9000~1万円を払っていた。告示日の10月13日に461人に5000円の日当を払っているのはポスター張りとみられる。  次に多い支出は印刷費で、表では621万円となっているが、このうち249万円は公費負担の法定ビラと法定ポスターに当たるため、実際に内堀氏が支出した分は約371万円になる。福島市と郡山市の広告代理店が請け負っていた。  3番目は家屋費で、選挙事務所の開設(事務所賃貸料、電話設備代、備品レンタル代、火災保険料)や総決起集会を開いたホテルなどに会場費として払っていた。  そのほかはコーヒーやお茶、駐車料金やガソリンなどの雑費、チラシ折り込みや看板製作などの広告費、切手や郵便などの通信費、運動員の宿泊に支出された休泊費が100万円台で続いていた。  内堀氏の選挙費用約1900万円が多いのか・少ないのかは、県土の広さや人口の密集具合などによって選挙運動の大変さも変わってくるので一概には論じづらい。ただ、東北各県の知事が選挙費用をいくら使ったか見ると、村井嘉浩・宮城県知事(選挙実施日2021年10月31日、以下同)499万円、佐竹敬久・秋田県知事(同年4月4日)1737万円、吉村美栄子・山形県知事(同年1月24日)1793万円で内堀氏が最も多かった(達増拓也・岩手県知事は2023年9月、宮下宗一郎・青森県知事は同年6月が選挙だったため、選挙運動費用収支報告書はまだ公表されていない)。  これだけを比べるのは不公平なので、東北各県の知事の資金管理団体の収入も比べると(2022年分の政治資金収支報告書より)、佐竹秋田県知事4680万円、吉村山形県知事3562万円、内堀知事2822万円、村井宮城県知事428万円、達増岩手県知事180万円となっている(宮下青森県知事は2022年に届け出ている資金管理団体がなかった)。福島より面積が狭く、人口も少ない秋田、山形の知事が多くの収入を得ているのは興味深い。 クリーンさを〝演出〟  ついでと言っては何だが、内堀氏個人のお金にも目を向けてみたい。  知事は保有する資産等(土地、建物、預貯金、有価証券、自動車、貸付金、借入金)の内容や前年1年間の所得、会社から報酬を得ている場合はその会社に関する情報を報告する義務がある。内堀氏は県に資産報告書(2023年2月17日付)と資産等補充報告書(同年4月21日付)を提出しているが、目に付くのは八十二銀行の株券1000株、普通自動車1台、給与所得1798万円、出演料28万円のみ。もっとも預貯金は0円となっているが、普通預金と当座預金を除く預貯金(定期預金)を報告すればよく、土地や建物、有価証券や自動車も家族名義にしていれば報告義務がない。結局、内堀氏の実質的な資産はこの報告書だけでは分からない。  退職金はどうか。知事は1期4年務めるごとに退職金が支給される。金額は条例により「月額報酬(132万円)×在職月数(48カ月)×支給率(0・536)」=3396万0960円と定められている。現在、知事報酬は15%減額され、月112万2000円となっているが、退職金額は減額前の132万円をもとに計算される。  退職金は本人の申し出により通算で受け取ることも可能だが、内堀氏はどうしているのか。県福利厚生室に問い合わせると「個人情報に当たるのでお答えできない」。  内堀氏が知事選挙でどうやってお金を集め、何にいくら使ったのか、お分かりいただけただろうか。もっとも、ここで取り上げたのは公表の義務がある「オモテのカネ」で「ウラのカネ」がどうなっているのかは分からない。昔と違って今はお金をかけない選挙が当たり前だが、それでも知事選挙の費用が約1900万円で収まるとは考えにくい。  政治資金収支報告書は、収支が公表されているようで実際は何に使われているか分からない部分が多い。そこは法の不備が原因なので、内堀氏の責任ではないが、一つ言えるのは、内堀氏がクリーンな印象を持たれているのは「法律に基づいて公表すべき部分だけを公表している」からそう見えているに過ぎないということだ。正しくは「現行の法律下ではクリーンに見えるが、実際はどのようなお金の集め方・使い方をしているか分からない」と言うべきではないか。寄付ではなく会費で徴収したり、わざわざチャレンジや県民会議をつくってクリーンさを〝演出〟しているのが、その証拠である。 ※内堀雅雄後援会の中川治男氏と堀切伸一氏に、チャレンジを設立した理由や政策懇話会からチャレンジを経由して内堀氏に迂回寄付した理由など五つの質問を文書で行ったが、期日までに返答はなかった。

  • 【自民党裏金疑惑】福島県政界への影響

     自民党派閥の政治資金パーティー収入を巡る裏金疑惑。疑惑の背景や本県への影響、さらには野党が台頭できない理由などについて、東北大学大学院情報科学研究科准教授で、政治学が専門の河村和徳氏に解説してもらった。(志賀) 河村和徳東北大准教授に聞く 河村和徳東北大准教授  裏金疑惑が表面化した発端は、2022年11月にしんぶん赤旗日曜版が掲載した調査報道記事と、それを受けて独自調査を行った上脇博之・神戸学院大教授の告発状だった。  自民党5派閥が政治資金パーティーの収入を政治資金収支報告書に過小記載していたとする内容で、今年11月には東京地検特捜部が担当者への任意の事情聴取を進めていることが報じられた。  その後、5派閥の中でも最大会派である安倍派の2021年政治資金パーティーの収入額が著しく少ないこと、さらには議員ごとにパーティー券の販売ノルマが設定されており、ノルマを超えた分の収入を議員側に還流(キックバック)していたことが報道により明らかにされた。  政治資金収支報告書に記載されず〝裏金〟と化した金額は5年間で5億円に上り、議員ごとの金額は数千万円から数万円と差があるものの、所属議員の大半が受領したとみられている。12月14日には岸田文雄首相が安倍派所属の閣僚4人、副大臣5人を事実上更迭した。  県関係国会議員のうち、安倍派に所属するのは衆院議員の亀岡偉民氏(5期、比例東北ブロック)、上杉謙太郎氏(2期、比例東北ブロック)、菅家一郎氏(4期、比例東北ブロック)、吉野正芳氏(8期、旧福島5区)、参院議員の森雅子氏(3期、県選挙区)。ちなみに衆院議員の根本匠氏(9期、旧福島2区)は岸田派、参院議員の佐藤正久氏(3期、比例)は茂木派、星北斗氏(1期、県選挙区)は無派閥。  自民党県連会長の亀岡氏は12月16日、自身の連合後援会会合で、「自民党所属の県関係国会議員に疑惑について聞き取りをしたところ、確認が取れた議員全員が『裏金はやっておりません』としっかり返事していた」と話したという(福島民報12月17日付)。確認が取れた議員数は「9割程度」とのことで、自らの疑惑も否定した。 自民党県連会長を務める亀岡偉民氏  安倍派の衆院議員・宮沢博行氏(比例東海ブロック)は派閥から〝かん口令〟が出されていることを明かしていたが、亀岡氏は「口止めはないと思う」と答えた。「安倍派所属議員の大半が受領した」という情報は誤りなのか。12月19日には東京地検特捜部が安倍派と二階派の事務所の家宅捜索を行い、複数の議員秘書や受領したとされる議員にも取り調べを行っているというので、今後新たな情報が出てくる可能性もある。  政治学の専門家は現在進行形の疑惑についてどう見ているのか。東北大学大学院情報科学研究科准教授の河村和徳氏は次のように語る。  「国民はインボイスやマイナンバーカードへの対応を迫られているのに、国会議員が不透明な手書きの政治資金収支報告書を使い続けていいという話はない。多数の記載漏れがスルーされていたことを踏まえ、この機会にデジタル化に踏み切るべきだと考えます。お金の出し入れがあった時点で自動的に記録される仕組みにすれば、記載漏れは起こりえない。マスコミなどでの検証もやりやすくなるので、チェック体制が整えられると思います」  「安倍派重鎮の森喜朗元首相の力が大きすぎたため、所属議員のタガが外されたのではないか」と指摘し、本県関係国会議員が裏金を受け取っていたかどうかは「今の段階では何とも言えない」としながらも、「次期衆院選への影響はとてつもなく大きいだろう」と分析する。  「亀岡氏は福島新1区で対決する立憲民主党の金子恵美氏(3期、旧福島1区)になかなか勝てていないし、根本氏は福島新2区で玄葉光一郎氏(10期、旧福島3区)と激突することになり、正念場を迎える。菅家氏は立憲民主党の小熊慎司氏(4期、旧福島4区)に勝ったり負けたりを繰り返しており今一つ。吉野氏は健康状態に不安を抱える。彼らが裏金を受け取っていないのか判然としませんが、県議選の時点ですでに岸田政権・自民党への逆風ムードが漂っていたことを考えると、次期衆院選はかなりの苦戦を強いられると思われます」  時事通信が12月8~11日に実施した世論調査によると、岸田内閣の支持率は17・1%で、2012年12月の自民党政権復帰後の調査で最低を更新した。内閣支持率2割台以下は政権維持の危険水域とされる。自民党議員にとって、大きな逆風となりそうだ。  加えて裏金疑惑が地方議会レベルにも波及する可能性を指摘する。  「中選挙区時代、国会議員と地方議会議員はギブアンドテイクの関係で戦っていた。その名残は小選挙区比例代表並立制となった今も残っている。実際、元新潟県知事で衆院議員の泉田裕彦氏(比例北陸信越ブロック)が衆院選に立候補時、自民党県議から献金を要求されたことが話題になりました。国会議員の懐に入った裏金の使い道を考えるうえで、地方議会議員や県連に対する寄付を疑うのは自然なこと。裏金疑惑が騒動になり、全国の県連、県議が慌てて政治資金収支報告書をチェックし、訂正しているところです。福島県も他人事ではないと思います」  この言葉通り、12月20日には自民党宮城県連に所属する県議4人が県連から受け取った寄付金を政治資金収支報告書に記載しておらず、報告書を訂正していたことが分かった。同県連によると、寄付金は安倍派と同様の構図で、同県連が開いた政治資金パーティーの収入からキックバックしたものだという。  本県においても、自民党県連が2022年分の政治資金収支報告書について、20万円を超える政治資金パーティー券を購入した4団体の名前の記載漏れがあったとして、県選挙管理委員会に訂正を届け出た(12月12日付)。パーティー券購入団体からの指摘を受けて不記載が判明したもの。政治資金規正法では政治資金パーティーについて20万円超の収入は支払者の氏名などを収支報告書に記載するよう定めている。ただ、全体の収支金額は変わらないという。 追及しきれない野党 玄葉光一郎氏  報道を通して伝わってくる自民党の内情にはただただ呆れるばかりだが、それ以上に驚かされるのは、それを追及しきれない野党の存在感の無さだ。  東京地検特捜部の捜査やそのリークを基にしたマスコミのニュースは大きく話題になる一方で、事ここに及んでも、岸田首相退陣、さらには「自民党には任せておけない」という機運が盛り上がっていないように感じる。  河村氏はその理由を「前述した政治資金収支報告書のデジタル化など、具体的な制度の変更を野党が発信しないからだ」と分析する。  「政府・与党で不祥事が発覚したとき、野党がきちんと改革案を出せるかがポイントになる。なぜなら、改革案を出さないと『野党も実は自民党と同じようにキックバックで裏金を作っていたんじゃないの』と有権者に見られてしまうからです。特に一番危機感を持つべきなのは、小沢一郎氏(18期、比例東北ブロック)など自民党経験者で、自民党のノウハウを継承しているとみられる政治家たちでしょう。玄葉光一郎氏だって県議時代は自民党に所属していたわけだから、何も発言しなければ〝同じ穴のムジナ〟と見られてしまいます」  野党の存在感の無さの象徴として河村准教授が指摘するのは、調査力の弱さだ。優秀な政治家は独自の調査組織を持ち、企業関係者や大学教授などのブレーンを抱えている。  ところが、現在の野党は降って湧いた週刊誌・新聞ネタを追随して追及するばかり。だから「与党の揚げ足取り」というイメージを払しょくできない。  「特に玄葉氏は30年以上議員をやっているが、政策提言する『チーム玄葉』のような形が見えてこない。最近では、元外相としてテレビで解説する姿を目にするようになっており、これでは過去の政治家と見られてしまう。一方、日本維新の会は価値観的には自民党とそんなに変わらないが、改革路線を打ち出し、40~50代の現役世代が党の主要ポストに就いている点が支持されている。かつてこの世代の受け皿になっていたのは旧民主党でしたが、所属メンバーが年齢を重ねたことでこの世代の共感を得にくくなっていると考えられます。若手の育成ができなかったのが、いまになって響いているのではないでしょうか」  玄葉衆院議員に関しては数年前から知事転身説が囁かれている。本誌2023年8月号で、玄葉衆院議員は次のように語っている。  「確かに皆さんのところを回っていると『首相になれないなら知事選に』と言われます。ただ、今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての『次の展望』はない。選挙区で必ず勝つ。そうでないと『次の展望』もないと思っています」  周囲から知事転身を勧められていることを認めつつ、明確には言及しなかったわけだが、仮に知事選に転身することがあればかなり苦労するのではないか、というのが河村氏の見立てだ。 内堀県政の限界  「福島県は原発事故をめぐって、国との交渉の機会が多い。現知事の内堀雅雄氏は副知事時代も含め、当時の経緯をすべて知っているので、国に対してファイティングポーズを取りつつ国と交渉できるタフネゴシエーターです。名護市辺野古への新基地建設問題をめぐって政府と対立した沖縄県のような、決定的な亀裂は生じさせない。属人的な仕事ぶりで国との交渉を乗り切ってきたと言えます。仮に国会議員や県議が後釜に就いたところで、『あなたは内堀氏ほど仕事ができますか?』という問いを突き付けられることになる。野党の国会議員となると、なおさらでしょう」  一方で、内堀県政についてはこのようにも話す。  「元自治・総務官僚ならではのバランスの良さ、手堅さは評価されるが、それは一部からの批判を受けるかもしれない大胆な提案はなかなかしないことと裏腹と言える。例えば、浜通りを舞台につくば市のスーパーシティ特区のような大胆な取り組みをやってもよかったですよね。でも、そうすると『浜通りにばっかり力を入れて』と批判されることになる。そういう意味で、県議や県民からアイデアを募り競争させ、県の振興につなげる仕組みを仕掛けるべきかと思います。行政頼みの福島再生に陥らないようにするのが内堀県政の最大の課題かなと感じます」  自民党の政治資金パーティーをめぐる裏金疑惑とともに幕を開けた2024年。9月には自民党総裁選が控えている。  支持率が低迷する岸田氏が総裁選に出馬できるのか、それとも断念するのか。裏金問題で大量の辞職者が出て、全国のあちらこちらで補選が行われることも考えられる。  もちろん、衆院が解散される可能性もある。東京地検特捜部の今後の捜査の展開や政治資金関係の改革の状況によって、福島県政界にも影響は及びそうだ。

  • 今度は矢吹町長選に立候補した小西彦次氏

    今度は矢吹町長選に立候補した小西彦次氏

     任期満了に伴う矢吹町長選が昨年12月19日に告示され、無所属の現職で再選を目指す蛭田泰昭氏(65)と、無所属の新人で兵庫県伊丹市の会社役員小西彦治氏(52)が立候補した。  同町長選に関しては無投票が濃厚とされていたが、直前になって小西氏が立候補を表明した。記事執筆時点(12月下旬)では選挙の結果は出ていないが、おそらく蛭田氏が順当に当選を果たしているだろう。  というのも、小西氏はさまざまな市町村の首長選に立候補しては、ほとんど選挙活動を行わず、落選する行為を繰り返しているのだ。選挙・政治情報サイト「選挙ドットコム」によると、小西氏が昨年立候補した選挙は以下の通り。  4月9日兵庫県議選 得票数=2737票  4月23日伊丹市議選(兵庫県) 得票数=430票  9月3日松阪市長選(三重県) 得票数=7121票  10月1日総社市長選(岡山県) 得票数=2268票  10月15日精華町長選(京都府) 得票数=2380票  10月29日時津町長選(長崎県) 得票数=488票  11月12日大熊町長選 得票数=394票  11月26日いなべ市長選(三重県) 得票数=2336票  いなべ市長選では得票率17・6%で、それなりの票を得ている。  小西氏は兵庫県伊丹市出身、同市在住。神戸大大学院修了。伊丹市議2期。兵庫県議1期。トラブルメーカーとして有名で、ネット検索するとさまざまなところで問題を起こしてきた様子がうかがえる。  何が目的でこれほど立候補を重ねているのか。ネットで囁かれているのは「狙いは公費負担ではないか」というものだ。  2020年の公選法改正で、町村長・町村議選においても、知事選や県議選などと同様に選挙運動用自家用車の使用、ポスター・ビラの作成が公費負担の対象となった。  例えば、ポスター印刷費用の公費負担は相場より高めに設定されており、選管が現物チェックを行うわけでもない。そのため、安く印刷できた場合でも申請次第で上限の金額を受け取れる。  供託金没収点(有効投票数の10分の1)を上回れば供託金を支払わなくて済むばかりか、前記の費用が支払われることになる。普通に考えれば、知らない場所から立候補して票が集まるわけがないのだが、今回の矢吹町長選のように、無投票の公算が高いところに立候補すれば、対立候補の批判票の受け皿となるので、得票数が伸び、供託金没収点を超えやすくなる。  大熊町長選では選挙ポスターを一通り掲示板に貼ると、そのまま兵庫県の自宅に戻り、インターネットでの情報発信すらなかったとされる。  大熊町選管によると、ポスターやビラの印刷費用、選挙カー費用(借り上げ1日約1万6000円、運転手1日約1万2000円)など約63万円分の請求書が届いた。その後、ポスター・ビラの請求書は撤回したとのことだが、選挙カー関連費用約28万円は支払われたという。  矢吹町の有権者数は約1万4000人。4年前の町長選の投票率は63・3%。仮に今回の投票率を60%とすると、供託金没収点は840票になる。現職・蛭田氏に関しては、1期4年間で離れていった支持者も少なくないため、「小西氏が現町政に対する批判票の受け皿になるのではないか」と見る向きもある。  これまで県内で無投票になりそうな選挙に突如立候補する人物といえば郡山市在住の実業家髙橋翔氏だった(本誌2022年8月号参照)。だが、今後は小西を見かける機会も増えそうだ。

  • 国見町百条委の注目は町職員の刑事告発の有無

    国見町百条委の注目は町職員の刑事告発の有無

     国見町が救急車を研究開発し、リースする事業を中止した問題は、1月26日に議会が設置した調査特別委員会(百条委員会)で受託業者側の証人喚問が行われヤマ場を迎える(委員構成と設置議案の採決結果は別表)。一連の問題は河北新報を皮切りに全国紙、東洋経済オンラインまで報じるようになった。 百条委員会設置議案の採決結果 ◎は委員長、〇は副委員長(敬称略) 佐藤多真恵1期反対菊地 勝芳1期欠席佐藤  孝◎2期賛成蒲倉  孝2期賛成八巻喜治郎2期賛成宍戸 武志2期賛成山崎 健吉2期賛成小林 聖治〇2期賛成渡辺 勝弘5期賛成松浦 常雄5期賛成佐藤 定男4期―佐藤定男氏は議長のため採決に加わらず  全国メディアが注目するのは、河北新報や百条委員会委員長の佐藤孝議員が主張している、町がワンテーブル(宮城県多賀城市)に事業を発注した過程が官製談合防止法違反に当たるかどうかだ。だが、ネットを使って全国ニュースに思うようにアクセスできない高齢者は戸惑う。  高齢のある男性町民は本誌が「忖度している」と苦言を呈し、次のように打ち明けた。  「当初は救急車問題を全く扱わず役場関係者や河北新報を読んでいる知人からの口コミが頼りでした。なぜ報じないのか、地元メディアは町に忖度しているのではと思い、購読している福島民報に『報じる責任がある』と電話したことがあります。担当者は『何を報じるか報じないかはこちらの裁量だ』と答えました」  本誌も含め地元紙が詳報しなかった(できなかった)のは、核心の情報を得られなかったからだ。仮に河北新報と同じ内部情報を入手し記事にしたとしても二番煎じになり、地元2紙はプライドが許さないだろう。  大々的に報じるようになったのは、議会が百条委を設置し「公式見解」が書けるようになったから。  設置に至る経緯は次の通り。直近の昨年5月の町議選(定数12)は無投票だった。9人が現職で、うち1人が9月に辞職した。改選前の議会は2022年の9月定例会で、救急車事業を盛り込んだ補正予算案を原案通り全会一致で可決している。改選後の議会では19年に議員に初当選後、辞職し、20年の町長選に臨んで落選していた佐藤孝氏が議員に無投票再選し、執行部を激しく糾弾。同調する議員らと百条委設置案を提出した。救急車事業案に賛成した議員たちも百条委設置に傾き、昨年10月の臨時会で賛成多数で可決した。  これに先んじて、引地真町長は第三者委員会を議会の議決を受けて設置しており、弁護士ら3人に検証を委嘱。「二重検証状態」が続く。  だが、町民にはメディアや議員の裏事情は関係ない。  「私はネットに疎いし、もう1紙購読する金銭的な余裕はない。知人に河北新報の記事のコピーを回してもらい断片的に情報を得ています。同年代で集まって救急車問題について話しても、みんな得ている情報が違うので実のある話にならない」(前出の男性)  町民の情報格差をよそに、1月26日には、百条委によるワンテーブル前社長や社員、子会社ベルリングなどキーパーソン3人の証人喚問が予定されている。  百条委について地方自治法は、出頭・記録提出・証言の拒否や虚偽証言に対し「議会は(刑事)告発しなければならない」とする。河北新報と東洋経済オンラインの共同取材によると、町執行部と受託業者の説明には食い違いが生じている(12月6日配信記事)。  原稿執筆は昨年12月21日現在で、22日に行われた町職員の証人喚問を傍聴できていないため、執行部と受託業者が一致した見解を証言するのか、あるいは異なる証言をするのかは分からない。言えるのは、受託業者への証人喚問では、執行部と受託業者が同じ「真実」を話す、あるいは一方が「虚偽」とされ、刑事告発を決定付けるということだ。

  • 【会津美里】【大竹惣】41歳1期生議長 誕生の背景

    【会津美里】【大竹惣】41歳1期生議長 誕生の背景

     会津美里町議会は11月13日、通年議会第2回11月会議を開き、議長に大竹惣氏(41)を選任した。41歳の議長は県内の市町村議会では最年少。全国でも40歳未満は2人しかいないという。ただ若さ以上に驚かされたのは、大竹氏が2021年に初当選したばかりということだ。議員歴2年の1期生が、いきなり議会トップに就いた背景には何があったのか。 相次ぐ議会の不祥事に町民から変化を求める声  「今日はお世話になります」  そう言って筆者を議長室に迎え入れてくれた大竹氏は、見た目ももちろん若いが議員然としておらず、どこか初々しさを感じさせる。  議長になる人は議会の大小を問わず風格や威厳を醸し出すものだが、大竹氏の場合は自然体という表現が正しい。失礼かもしれないが、それくらい議長らしく見えない。それもそのはず、大竹氏は1期目。初当選からまだ2年しか経っていない。  「期せずして議長になり、分からないことだらけですが、もともとポジティブな性格で、今までも悩むならまずはチャレンジしようとやってきたので、議長職も何とか務まるんじゃないかと思っています」(以下、コメントは大竹氏)  笑顔を浮かべながら話す大竹氏に気負った様子はない。  1982年生まれ。会津本郷町立第二小学校、本郷中学校を卒業し、会津高校に進学。いわき明星大学を経て社会に出た大竹氏は農業の道に進んだ。父親がコメ農家で、仲間と農業法人を立ち上げていた。その手伝いをしていく中で、国やJAから園芸作物による複合経営の勧めがあり、大竹氏はトマト栽培をやってみようと独立した。  2011年、農業法人大竹産商㈱を設立し、代表取締役に就任。トマトの大規模栽培に乗り出し、設立から12年経った現在は50㌃以上の土地にハウスを建て、年間90~100㌧を収穫するまでになった。  「自分で作ったトマトを、付加価値を付けて自分で売る方法もありますが、私は大量生産してJAに出荷する方法を選びました」  どうやって農業で飯を食うか、会社をどう軌道に乗せるか――そんなことばかり考えていた大竹氏は  「正直、政治には全く関心がありませんでした。投票したって、どうせ何も変わらないだろうって」  そんな考え方がガラリと変わったきっかけは、JAの生産者部会での活動だった。  「JAには栽培作物ごとに部会があり、私はトマト部会長や各地区の部会長で構成される連合部会長を務めていました。トマト農家の経営が少しでも潤うようにJAにさまざまな提案をしていましたが、そうした中で国が2014年に打ち出した農協改革に大きな疑問を抱きました。これって農家のためにならない改革なのではないか、と」  こうした状況を変えることはできないのか。当時会津若松市議を務めていたおじに相談すると「だったら政治に関心を持つべきだ」とアドバイスされた。今まで政治に見向きもしてこなかった大竹氏が、目を向けるようになった瞬間だった。  38歳の時、自民党のふくしま未来政治塾に入塾。政治のイロハを学ぶ中で、現職の市町村議や県議などと知り合った。次第に「自分も政治家になって農業分野を専門に活動したい」と考えるようになった。  会津美里町では、当時の町長が官製談合防止法違反の疑いで2021年2月に逮捕され、同町出身の杉山純一県議が後任の町長に就任した。杉山氏の県議辞職に伴う県議補選は同年4月に行われたが、町内では「補選に大竹氏を立候補させるべき」という声が上がった。しかし「いきなり県議ではなく段階を踏むべき」という指摘を受け、同年10月の同町議選に立候補することを決めた。  結果は別掲の通りで、大竹氏は1620票を獲得しトップ当選を果たした。 ◎2021年10月31日投開票 当1620大竹  惣39無新当1119渡辺 葉月27無新当813根本 謙一73無現当643小島 裕子62公現当628横山知世志68無現当626桜井 幹夫54無新当614星   次70無現当611鈴木 繁明73無現当591渋井 清隆70無現当587堤  信也63無現当575長嶺 一也61無新当543荒川 佳一61無新当503山内  豪70無新当493村松  尚46無現当467根本  剛64無現当445横山 義博72無現398山内須加美74無現300石橋 史敏66無元267野中 寿勝65無現(投票率72.01%、年齢は当時)  それから2年、大竹氏は議会トップの議長に選任された。11月13日に行われた議長選には大竹氏と星次氏が立候補し、投票の結果、大竹氏9票、星氏3票、横山知世志氏1票、無効3票となった。大竹氏には自身も含む1期生6人のほか、ベテラン議員3人が投票してくれた。  「経験の浅い1期生6人で勉強会を開いており、そこに理解あるベテラン議員がアドバイスをしてくれています。その仲間内で『次の議長にふさわしい人は誰か』と話しているうちに私を推す声が上がり、悩んだ末に挑もうと決心しました」  背景には、町や議会を取り巻く不祥事があった。  前述した当時の町長による官製談合事件では、議会のチェック機能が働いていたのかと町民から疑問視された。2022年7月には当時の議会運営委員長が会津若松市議の一般質問を盗用していたことが判明。辞職勧告決議が可決されたが、同委員長は応じず今も議員を続けている。今年8月には5期目のベテラン議員が出張先で、同行した議会事務局職員の服装をめぐりパワハラと受け取れる言動を執拗に行っていたことが分かった。パワハラをした議員もさることながら、一緒にいた数人の議員がその場にいながら見過ごしていたことも問題視された。  町民を代表する人たちがそういうことを繰り返して恥ずかしい――町内からはそんな声が多く聞かれるようになっていた。 「町長とは是々非々で」 大竹惣議長  「私の耳にもそういう声は直接届いていました。『1期生では何かやろうとしても難しいかもしれないが頑張って』とも言われました」  そうした変化を望む町民の思いに接するうちに、停滞する議会を変えるには1期生が議長を務めるのもアリなのではないかと考えるようになった。それは大竹氏だけではなく、他の1期生や支えてくれるベテラン議員たちも同じ考えだったようだ。  「そうすれば町民にも町外の方にも『会津美里町議会は変わった』と分かり易く伝わるんじゃないかと思いました。ここは思い切って変化を起こそうじゃないか、と」  副議長には5期目の根本謙一氏が選任されたが「私たちと同じく議会改革の必要性を訴えており、とても頼りになる方。副議長として私を支えると言ってくださり、心強く思っています」。  議長は執行部と議会の調整役を求められる。杉山町長との関係は1期生全般に良好というが、  「だからと言って何でもイエスではなく、是々非々の立場を取っていきたい。杉山町長からも『良いものは良い、悪いものは悪いと言ってほしい』と直接言われています」  当面はハラスメント防止条例の制定や議会へのタブレット端末導入などに取り組みたいという。  「若さや1期生という点だけが注目されるのは避けたい。町民に『変わって良かった』と実感していただけるよう、議長として行動で示していくのみです」  大竹氏が関心を持つ農業政策は、町議の立場でできることは少ない。本腰を入れて取り組むには上のステージ、すなわち県議や国会議員を目指す必要があるが  「上を見据えたらキリがありません。今は自分の与えられたポジションを全うするだけです」  異色の議長がどんな新風を吹き込むのか、期待したい。

  • 県議選「与野党敗北」から見る次期衆院選の行方

    県議選「与野党敗北」から見る次期衆院選の行方

     「今このタイミングで解散したら大惨敗だろうな……」  11月12日に投開票された県議選の結果を見ながらそう話すのは自民党県連の関係者だ。  改選前31だった自民党は推薦を含めて現新33人を擁立した。しかし、河沼郡で総務会長の小林昭一氏が立憲民主党の新人に敗れ、いわき市でも当選9回の青木稔氏が落選するなど議席を29に減らす結果となった。 河沼郡小林 昭一猪俣 明伸会津坂下町3,6143,784湯川村584877柳津町795985選挙区計4,9935,646(投票率61.18%) 大沼郡山内 長加藤志津佳三島町485497金山町656609昭和村410344会津美里町4,9064,136選挙区計6,4575,586(投票率60.58%) 南会津郡大桃 英樹渡部 英明下郷町1,2051,753檜枝岐村189138只見町1,629941南会津町3,4735,282選挙区計6,4968,114(投票率73.93%)  政務三役による不祥事や物価高騰対策への批判など岸田内閣への風当たりは強く、各社の世論調査では支持率が20%台で低迷している。  「市の周辺部はそれほどでもなかったが、中心部に行くと市民からの冷たい視線を感じた」  とはある自民党候補者が口にした感想だが、それくらい同党への風当たりは強かったということだろう。  とりわけ自民党にとってショックだったのは、一騎打ちとなった石川郡、河沼郡、大沼郡、南会津郡で1勝3敗と負け越したことだ。  「これまでにない組織戦を展開したのに票差は変わらなかった」  と肩を落とすのは石川郡選挙区の自民党関係者だ。  自民党新人の武田務氏と無所属新人の山田真太郎氏の激突は、根本匠衆院議員が武田氏の選対本部長に就き、玄葉光一郎衆院議員が山田氏の応援に連日駆け付ける激しい選挙戦となった。衆院選の区割り変更で石川郡が旧3区から新2区に変わるのに伴い、旧2区選出の根本氏と旧3区選出の玄葉氏は新2区で直接対決するが、石川郡選挙区はその前哨戦と位置付けられ、武田氏と山田氏の争いは代理戦争の様相を呈した。 石川郡武田 務山田真太郎石川町3,6364,412玉川村1,4061,606平田村1,3601,540浅川町1,4511,409古殿町1,2961,407選挙区計9,14910,374(投票率63.48%)  石川郡選挙区はこれまで玄葉氏の秘書などを務めた円谷健市氏が3回連続当選してきた。対する自民党は前回(2019年)、前々回(15年)とも円谷氏に及ばなかったが、  「組織的な選挙戦を行わず、まとまりを欠いても円谷氏と1000票未満差の争いをしてきた。そうした中で今回は根本先生が直々に選対本部長に就き徹底した組織戦を展開、SNSも駆使するなど陣営はかなりの手ごたえを得ていた。正直、勝っても負けても僅差と思っていたが、蓋を開けたら今までと変わらない1000票程度の差だった」(同)  石川郡は旧3区を地盤としてきた上杉謙太郎衆院議員(比例東北)が2021年の衆院選で玄葉氏と接戦を演じただけに、根本氏としては更に肉薄するか逆転したい思惑があったはず。自民党への逆風はここでも予想以上に強かったようだ。  もっとも「ここで解散したら厳しい」と警戒する自民党関係者だが、だからと言って有権者が立憲民主党に投票するかというと、県議選の結果から同党に期待していないことは明らか。維新やれいわなど新たな勢力も、議席は獲得したが大きく台頭するとは考えにくい。既成政党が活力を失う中、「小泉元首相のような超個性的な政治家が内から現れない限り自民党への期待は高まらないだろう」とはベテラン県議の弁である。

  • 混沌とする【自民衆院新4区】の候補者調整

    混沌とする【自民衆院新4区】の候補者調整【坂本竜太郎】【吉野正芳】

     県議選が11月12日に投開票されたが、その告示前から、いわき市では別の選挙に注目が集まっていた。衆院選の自民党候補者をめぐる動向である。県議選同市選挙区に同党公認で立候補する予定だった坂本竜太郎氏(43)=当時2期=が告示直前に立候補取りやめを発表。支持者や有権者は「次期衆院選に向けた意思表示」と受け止めたが、同市を含む新福島4区の支部長は吉野正芳衆院議員(75)=8期=が務めている。もっとも、吉野氏の健康状態が良くないことは周知の事実。坂本氏の決断は、同党の候補者調整にどのような影響を与えるのか。 健康不安の吉野衆院議員に世代交代迫る坂本前県議 吉野正芳氏 本誌の取材に応じる坂本竜太郎氏  坂本竜太郎氏の県議選立候補取りやめは、選対幹部も〝寝耳に水〟の急転直下で決まった。  《県議選いわき市選挙区(定数10)で、自民党公認の現職坂本竜太郎氏(43)=2期=が(10月)25日、立候補の見送りを表明した。坂本氏から公認辞退の申し出を受け、自民県連が承認した。(中略)  会見で公認辞退の理由を問われた坂本氏は「熟慮の結果」とした上で、「政治の世界から身を引くわけではなく、今後さらに熟慮を重ね、どのように貢献できるかを改めて模索したい」と説明した。次期衆院選への立候補の意思を問われると、「熟慮を重ねさせていただきたいという言葉に尽きる」と直接的な言及を避けながらも否定はせず、さらなる政治活動に強い意欲をにじませた》(福島民報10月26日付)  各紙が一斉に報じた10月26日、坂本氏は県議選の事務所開きを予定していた。不出馬の決断はギリギリのタイミングだったことが分かる。  「それ(選対本部)用の名刺をつくっていたのですが、1枚も配らずに終わってしまった」  と苦笑するのは坂本氏の選対幹部だ。前回(2019年)の県議選でも選対を取り仕切ったというこの幹部によると、10月25日の朝、坂本氏から電話で立候補取りやめを告げられたと言い  「本人から直接会って話したいと言われたが、翌日には事務所開きを控えていたし、本番に向けて各スタッフも予定が入っていたので。急きょ集まって坂本氏の話を聞くのは難しかった」(同)  選対幹部でさえ相談は一言も受けていなかったという。ただ「それに対して憤ったり落胆する人は誰もいなかった」とも話す。  「出馬挨拶で回ったところを1軒1軒お詫びして歩いたが、批判する人は誰もいなかった。むしろ100人いたら100人全員が『よくぞ決断した』と歓迎していました」(同)  背景には、衆院選に向けて坂本氏が本腰を入れたと解釈する支持者が多かったことがある。  坂本氏の支持者が明かす。  「県議選に向けて支持者回りをする中で、必ず言われたのが『県議のあとはどうするんだ』という投げかけだった。『国政を目指すべきだ』『いつ衆院選に出るのか』と直球質問をする支持者もかなりいた。それに対し、坂本氏は『県議として頑張る』と言い続けてきたが、強く国政を促す人には『とりあえず県議として』と答えるようにしていたんです。ただ、坂本氏は同時に『とりあえず』との言い方に違和感を持っていた。とりあえず県議をやる、というのは有権者に失礼だし無責任と思うようになっていたのです」  前回の県議選でトップ当選を果たした坂本氏は、立候補すれば落選することはないと言われていた。要するに、とりあえず県議を続けられるわけだが、それを良しとしない気持ちが坂本氏の中に強く芽生えていたというのだ。  「告示直前に立候補を取りやめ、公認を辞退するのは無責任に映るかもしれない。しかし、坂本氏は『とりあえず』の気持ちで県議にとどまる方がよっぽど無責任と考え、あのタイミングで立候補取りやめを発表したのです」(同)  さらに言うと、任期の問題もあったと思われる。今の衆院議員の任期は残り2年、解散総選挙になればもっと短くなる。初秋には年内解散も囁かれていたので、そうなると坂本氏は県議選で3選を果たしたあと、時間を置かずに辞職を考えなければならない状況もあり得た。本気で衆院議員を目指すなら、とりあえず県議を続けるのではなく、準備を進めるタイミングは今――という判断が働いたのではないか。  坂本氏は1980年生まれ。磐城高校、中央大学法学部卒。父である坂本剛二元衆院議員の秘書を務め、2009年のいわき市議補選で初当選したが、翌10年12月、酒気帯び運転で現行犯逮捕され同市議を辞職した。その後、5年の反省期間を経て15年11月の県議選に立候補し最下位の10位(6881票)で初当選すると、再選を目指した19年11月の県議選ではトップ当選(1万1828票)を果たした。  最初の県議選では事件の記憶が薄れておらず、有権者の見る目も厳しかったが、県議1期目の活動が評価されたのか二度目の県議選では得票数を5000票も伸ばした。4年間で坂本氏への評価が大きく変わったということだろう。  そんな坂本氏に衆院議員の話が付いて回るのは、父・剛二氏の存在があることは言うまでもない。  坂本剛二氏は1944年生まれ。磐城高校、中央大学経済学部卒。いわき市議、県議を経て1990年の衆院選で初当選、通算7期務めた。  国会議員としての出発は自民党だったが、1994年に離党し新党みらいなどを経て新進党に合流。96年の衆院選は同党公認で3選を果たした。その後、同党の分党を受け無所属での活動が続いたが、99年に自民党に復党。小泉内閣では経済産業副大臣などの要職を務めた。2009年の衆院選ではいわゆる民主党ブームの影響で落選したが、12年の衆院選で国政復帰。しかし、14年の衆院選で落選し、17年9月に政界を引退した。18年11月、急性心不全で死去、74歳だった。元参院議員・増子輝彦氏は義弟に当たる。 父・剛二氏と吉野氏の因縁 坂本剛二氏  坂本竜太郎氏に衆院議員の話が初めて持ち上がったのは、剛二氏の政界引退がきっかけだった。  「剛二氏は集まった支持者を前に引退を発表した。2017年10月22日投開票の衆院選が迫る中、その1カ月前に自身の立場を明確にしたわけだが、支持者からは惜しむ声と共に『引退するなら息子を立てるべきだ』という意見が上がった。結局、剛二氏は後継指名しなかったが、剛二氏の後援会から竜太郎氏に意向確認の連絡が入った」(前出・坂本氏の支持者)  この時、竜太郎氏は県議1期目で9月定例会の真っ最中だった。本人は衆院選に出るとは一言も言っていなかったが、父親の後援会の打診を無下にするわけにはいかないと検討した結果、9月定例会終了後に「立候補の考えはない」と返答した。  「竜太郎氏はわざわざ不出馬会見まで開いたが、本人が出ると言ったことは一度もないのにあんな会見を開かされ気の毒だった。ただ、会見では『将来的には国政を目指せるよう精進したい』とも発言したため、それが最初の衆院選への意思表示と受け止められたのは確かです」(同)  とはいえ、いわき市には現職の吉野正芳衆院議員がいる。  1948年生まれ。磐城高校、早稲田大学商学部を卒業後、家業の吉野木材㈱に就職。87年から県議を3期12年務め、2000年の衆院選で初当選。以降、連続8回当選を重ねている。  吉野氏と坂本剛二氏の政治経歴は複雑に絡み合っている。  そもそも吉野氏が県議から衆院議員に転じたのは、剛二氏が自民党を離党したことが理由だった。1999年に復党したとはいえ「党に砂をかけて出て行った」レッテルは拭えず、地元党員の間には吉野氏こそが正当な候補者という空気が漂っていた。ただ地元の感情とは裏腹に、党本部としては当時現職だった剛二氏を公認しない理由はなく、2000年の衆院選はコスタリカ方式で吉野氏が選挙区(福島5区)、坂本氏が比例東北ブロックに回り、両氏とも当選を飾った。  以降2003、05年の衆院選はコスタリカ方式が機能したが、当時の民主党が躍進した09年の衆院選で状況が一変。同方式は解消され、剛二氏が福島5区から立候補すると、吉野氏は党本部の要請で福島3区に国替えを余儀なくされた。3区は自民党候補者が玄葉光一郎衆院議員にことごとく敗れてきた鬼門だった。事実、吉野氏も玄葉氏には歯が立たず(比例東北で復活当選)、剛二氏も5区で落選。ここから、それまで保たれてきた両氏のバランスが崩れていった。  2012年の衆院選は、再び剛二氏が福島5区から立候補し、吉野氏は比例中国ブロックの単独候補という異例の措置が取られた。ここで剛二氏は返り咲きを果たし、吉野氏も当選するが、14年の衆院選ではさらに異例の措置が取られた。  この時の公認争いは、共に現職の両氏が福島5区からの立候補を希望したが、党本部は公示前日(2014年12月1日)に吉野氏を5区、剛二氏を比例近畿ブロックの単独候補に擁立すると発表。当時の茂木敏光選対委員長は「2人揃って当選できる可能性のある近畿を選んだ」と配慮を強調したが、剛二氏の後援会は冷遇と受け止めた。  それでも吉野氏が比例中国で当選したように、坂本氏も当選すればわだかまりは抑えられたが、結果は落選。一方、吉野氏は9年ぶりとなる地元での選挙で6選を果たし、両氏の明暗は分かれた。  それから3年後の2017年9月、坂本氏は政界を引退した。  選挙区で公認されるか比例区に回されるかは党本部が決めることなので、それによって本人同士にどれくらいの溝が生じるかは分からない。ただ、後援会同士は互いの存在を必要以上に意識するようだ。  かつて森雅子参院議員の選対中枢にいた人物が、次のような経験を思い返す。  「参院選期間中、適当な森氏の昼食・トイレ休憩の場所がなくて吉野事務所を借りようとしたら、それを聞きつけた剛二氏の女性後援会から『なぜ坂本事務所を使わないのか』と猛抗議が入り、慌てて取りやめたことがあった。剛二氏の後援会はそこまで吉野氏を意識しているのかと意外に感じたことがあります」 姿が見えない吉野氏  坂本竜太郎氏の支持者が県議選立候補取りやめを歓迎していることは前述したが、反対に吉野氏の支持者からはこんな声が聞かれている。  「正直不愉快な決断です。この間、いわき市における選挙で保守分裂が繰り返されてきたことは竜太郎氏自身も分かっているはず。自分が衆院選に出たいからと県議選立候補を見送るのは、立ち回り方として幼稚に見える」  竜太郎氏の決断をよく思っていない様子がうかがえる。  だったら竜太郎氏に今回のような決断をさせないよう、吉野氏が熱心に議員活動をしていれば問題なかったのだが、現実には活動したくてもできない事情がある。  周知の通り吉野氏は近年、健康問題に苛まれてきた。2017年4月から18年10月まで復興大臣を務めたあと、脳梗塞を発症。療養を経て復帰したが、身体の一部に障がいが残った。そんな体調で21年の衆院選に立候補し8選は飾ったものの、選挙中に足を痛めてからは車椅子に頼る生活が今も続いている。喋りも次第にたどたどしくなっている。  本誌は取材などで自民党の国会議員、県議、市議と会う度に吉野氏の様子を聞いているが、  「秘書や事務所スタッフに車椅子を押してもらわないと、自分一人では移動できない状態」  「会話のキャッチボールにならないもんね。最近のお決まりのフレーズは『〇〇さん、ありがとね』。それ以外の言葉は聞かないな」  吉野氏の姿が最後に目撃されたのは今年2、3月ごろ、いわき市内で営まれた葬儀だった。その際に吉野氏と会話したという人に話を聞くことができたが  「ご挨拶したら『〇〇さん、ありがとね』と言っていただいたが、それ以上は言葉が続かなかった。移動は車椅子でしたよ」  吉野氏の公式ホームページを見ると未だに「復興大臣を終えて」(2018年10月2日付)という挨拶が大きく載っている。最も新しい活動報告は21年7月11日にとみおかアーカイブミュージアムの開館式に出席したこと。「吉野まさよし最新ニュース」というページを開くと「該当するページが見つかりません」と表示される。  「マスコミ向けに発表される県関係国会議員の1週間の活動予定は、吉野氏の場合、本人が出席できないので秘書が代理で対応している」(地元紙記者) 吉野氏は3月の自民党県連定期大会も欠席するなど、今年に入ってから公の場に姿を見せていない。いわき市は9月の台風13号で広範囲が被災したが、その現場にも足を運ぶことはなく、秘書が代わりに訪れていた。県議選の応援演説に駆け付けることもなかった。  自民系の市議からも「地元選出の国会議員が大事な場面に一切登場しないのはイメージが悪いし、われわれも何と説明していいか困ってしまう」と困惑の声が漏れる。 「覚悟を示すなら今」  要するに今の吉野氏は、国会や委員会での質問、地元での議員活動、聴衆を前にした演説など、国会議員としての仕事が全くできない状態なのである。  ここで難しいのは、政治家の出処進退は自分で決めるという不文律があることだ。周りがいくら「辞めるべき」と思っても、本人が「やる」と言えば認めざるを得ない。  そうした中で吉野氏に〝引導〟を渡すために掲載されたのが、福島民報6月9日付の1面記事と言われている。内容は、吉野氏が今期限りで政界を引退する意向を周辺に伝えたというもの。  《党本部が今後、吉野氏に意向を確認した上で後継となる公認候補の選定が進められる見通し。吉野氏と同じく、いわき市を地盤とする自民党県議の坂本竜太郎氏(43)=2期=を軸に調整が進められるもよう》(同紙より抜粋)  福島民報にリークしたのは自民党県連とされる。  「6月上旬はちょうど衆院解散が囁かれていたが、吉野氏は議員活動を再開させるでもなく、かといって引退表明もしない。後釜と見られている竜太郎氏は現職が辞めないうちは表立った行動ができないが、現実問題として解散が迫る以上、立候補の準備に取りかかりたいのが本音だった」(マスコミ関係者)  そこで県連が、福島民報にああいう記事を書かせたのだという。雑誌と違い新聞があそこまで踏み込んだ記事を書くのは、県連上層部のゴーサインがなければ難しい。  一部には「リークしたのは竜太郎氏ではないか」との説もあったが  「竜太郎氏は記事が出た日、静岡方面に出張に出ており、早朝にあちこちから電話をもらってそういう記事が1面に載ったことを知ったそうです。当時、本人はどういうこと?と困惑していて、吉野事務所も竜太郎氏に対し『うちの代議士は辞めるなんて一言も言っていない』と告げたそうです」(同)  前回(2021年)の衆院選前には「竜太郎氏が森雅子参院議員の案内で永田町を回り、党幹部らに接触していた」「場合によっては無所属でも立候補すると息巻いている」との話も漏れ伝わったが、それらを反省してか、以降、竜太郎氏は自身に出番が回ってくるのを静かに待ち続けている印象だ。  県議選立候補取りやめの会見では奥歯に物が挟まった発言に終始していた竜太郎氏だったが、県議の任期を終えた11月20日、あらためて竜太郎氏に話を聞いた。  ――県議選立候補取りやめは一人で決めた?  「24日夜から25日朝にかけて考えを巡らせ、目が覚めた時点で決断しました。告示直前に公認辞退を申し入れ、県連にはご迷惑をおかけしたが、私の思いを尊重していただき感謝しています」  ――今回の決断を、多くの人は衆院選に向けた動きと見ている。  「新福島4区の支部長は吉野正芳先生です。先生には日頃からお世話になっており、先生と私の自宅・事務所は数百㍍圏内で非常に近い関係にあります。今後については、さらに皆様のお役に立てるにはどうあるべきか、各方面からご指導をいただき、しっかりと見いだして参りたいと考えています」  ――とはいえ吉野氏は健康問題を抱え、公の場に姿を見せていない。  「政治家は自らの命を削って活動するもの。今は秘書の方々と、やれる限りのことを懸命にやっておられると思います」  ――いくら秘書が頑張っても、本人不在では……。  「いわき市をはじめとする浜通りはこの夏、処理水の海洋放出という深刻な問題に直面しました。海洋放出は今後も長く続きます。これを安全に確実に進め、新たな風評を生じさせないようにして、放出完了時にはこの地域の水産業が世界最先端であるべきと考えます。この長期にわたる課題に責任を持つのは国ではありますが、国に訴え続けるためには地元としての本気度も示すべきで、それを担っていくのは必然的に地元の若い世代になります。国政の最前線で活躍する若い先生たちを見ると自分のような40代が若いとは言えないかもしれませんが、この世代として責任と役割を果たして参る覚悟があります。同世代の方々と、地元の思いはこうなんだと国に強く主張していくべき、と」  ――もし、吉野氏の健康が回復して元通り政治活動ができるようになったらどうするのか。  「まずはご快復なされ、今の任期を全うしていただき、末永くご指導いただきたいです。その先のことは県連や党本部がお考えになることですが、県議選立候補を取りやめたのは覚悟を示すなら今しかないと考えたからです」  慎重に言葉を選びながらも、若い世代がこれからの政治を引っ張っていくべきと力説する。  一方の吉野事務所は次のようにコメントしている。  「坂本氏が県議選立候補の取りやめに当たり、どのような発言をしたかは分からないが、他者の行動に当事務所がコメントすることはない」 「表紙」変更だけでは無意味  前出・竜太郎氏の選対幹部は「吉野氏は、本音では竜太郎氏を後釜にしたいと思っていても、支持者を思うと言えないのではないか。そもそも吉野氏は、党から擁立されて衆院議員になったので、後継も党で立ててほしいのが本音かもしれない」と吉野氏の気持ちを推察する。  これに対し、ある自民党県議の意見は辛らつだ。  「自民党は県議選いわき市選挙区で4議席獲得を狙ったが、結果は3議席。確かに党への逆風は強かったが、地元の吉野先生が一切応援に入れなかった責任は重い。現状では個人の思いや後援会の都合で衆院議員を続けているように見える。被災地選出の立場から、どういう決断を下すのが最適か真剣に考えてほしい」  事実、朝日新聞は《(吉野氏をめぐり)県連が党本部に対し、立候補できる状態にあるかの確認を求めていることがわかった。(中略)候補者として適任かの判断を党本部に委ねたかたち》(11月21日付県版)などと報じている。  ただ、有権者からすると「表紙」が変わっても「中身」が変わらなければ意味がない。吉野氏が旧福島5区にどのような影響をもたらしたかは検証が必要だが、仮に表紙が竜太郎氏に変わっても、地域が良くなったと実感できなければ「(政治活動ができなかった)吉野氏と変わらない」と評価されてしまう。「衆院議員になりたい」ではなく「なって何をするのか」が問われていることを竜太郎氏は肝に銘じるべきだ。

  • 県議選「選挙漫遊」体験リポート

     〝選挙漫遊〟という言葉をご存知だろうか。本誌連載中の選挙ライター・畠山理仁さんが提唱する選挙ウオッチングのあり方で、各地の選挙戦の現場に足を運び、各陣営がどんな主張をするのか〝観戦〟するというものだ。11月に投開票が行われた県議選で、本誌も選挙漫遊にチャレンジしてみた。 4市39候補 直撃取材で見えたこと https://www.youtube.com/watch?v=H3LrOAB1K0E  11月18日、選挙漫遊スタイルの取材を続ける畠山さんを追ったドキュメンタリー映画「NO 選挙,NO LIFE」が公開された。本誌11月号では、映画公開記念として畠山さん、前田亜紀監督、大島新プロデューサーへのインタビューを行ったが、選挙取材にかける畠山さんの情熱に触れ、居ても立っても居られなくなった。  通常、本誌で選挙について取り上げる際は、各陣営の関係者や地元政治家、経済人に動向を聞き、候補者の人柄や選挙戦に至った背景、得票数の見通し、選挙後の見立てなどをリポートする。  それに対し、選挙漫遊はとにかく全候補者の演説会場に足を運び、演説に耳を傾ける。できるならば演説終了後に直接会って、手ごたえを聞いたり演説の感想を伝える。  候補者に先入観を持たずフラットに取材する機会があってもいいのではないか――。こう考えた本誌は、直近で予定されていた11月12日投開票の福島県議選で、選挙漫遊に挑戦してみることにした。  といっても、県内全選挙区・全候補者の陣営を回りきれるほどの人員的・時間的余裕はないので、福島市、郡山市、会津若松市、いわき市各選挙区の立候補者39人に対象を絞り、手分けして演説現場に足を運んだ。  本誌初の試みはどのような結果になったのか。各担当者のリポートを掲載する。 あわせて読みたい 【福島市】選挙漫遊(県議選) 【郡山市】選挙漫遊(県議選) 【いわき市】選挙漫遊(県議選) 【会津若松市】選挙漫遊(県議選) 福島市選挙区(定数8―立候補者9)  福島市選挙区の結果  投票率39.41% 当14912半沢 雄助(37)立新当12007西山 尚利(58)自現当11597大場 秀樹(54)無現当10911宮本しづえ(71)共現当9909伊藤 達也(53)公現当8288佐藤 雅裕(57)自現当7949渡辺 哲也(47)自現当6901誉田 憲孝(48)自新6330高橋 秀樹(58)立現 高橋氏の落選 高橋秀樹氏  「決まった場所と時間の街頭演説をしない」と話していた高橋秀樹氏が落選した。「政策を訴えても誰も聞いていなければ届かないだろうな」と選挙漫遊をやっていて感じたので、落選の結果に納得感があった。一方で、西山尚利氏は立ち止まることすらせず、ただただ選挙カーを走らせるスタイルで2位当選となった。ここから導き出されるのは「どんな政策を訴えるか」は得票数に影響しない、という仮説だ。  多くの候補が、実現すべき政策として、物価高や人口減少の対策を挙げていたが、その2つの問題は県議レベルで解決できることなのか、疑問に思うところもあった。主張する政策は投票結果に関係ないのではないかという思いは強まった。 トップ当選は37歳の新人 半沢雄助氏の個人演説会の様子  もう一つ印象に残ったのは半沢雄助氏がトップ当選となったこと。いわき市選挙区の山口洋太氏も1位に1票差の2位当選となった。37歳という年齢が評価されたのか、現職への期待の薄さの表れか。  そもそも県議選レベルで、有権者は党派によって投票先を決めるのかどうかも疑問を持っている。市議選では友達や知り合いなどに投票するだろう。では、県議選では誰に投票しようと考えるのだろうか。できるだけ近い地域の人なのか、自分が支持する党派の人なのか。 分かれた取材対応  全陣営の選挙事務所に取材を申し込んだが、快く引き受けてもらったところとそうではないところに分かれた。こちらの都合でお願いしていることは重々承知しているが、「2、3分も時間が取れない」と話す様子には誠実さが感じられなかった。  選挙スタッフの質にも言及しておく。取材の可否もそうだが、街頭演説の場所も正確に伝えられない人がいた。ボランティアでやっているのかもしれないが、せめて〝伝書鳩〟くらいの役割は果たしてほしかった。 「5人に2人」の投票率  福島市選挙区の投票率は39・41%。投票に行ったのは5人に2人という計算だ。  YouTubeライブをするから「暇なら見て」と2つのグループラインに送った。1つは有権者である地元の小学校時代の友人のグループ。もう1つは大学時代の東京の友人のグループ。当然ながら親密度はそれぞれ違うが、前者は同じ場所に住んでいるのに全く反応がなかった。一方で、東京の友人は、面白がってユーチューブを「全部見た」と言ってくれた。  私自身への興味のなさか、政治に対する関心のなさかは分からない。政治に対する嫌悪感や感度のなさなのか。もしかしたら、特定の候補者への勧誘に思われた可能性もある。  いずれにせよ、今後も選挙漫遊を定期的に行い、観察していく必要がある。(佐藤大)  郡山市選挙区(定数10―立候補者12)  郡山市選挙区の結果  投票率32.37% 当11526椎根 健雄(46)無現当10671神山 悦子(68)共現当10422今井 久敏(70)公現当9557鈴木 優樹(39)自現当7866佐藤 憲保(69)自現当7012長尾トモ子(75)自現当6684佐久間俊男(68)無現当5665佐藤 徹哉(55)自現当5516山田平四郎(70)自現当4886山口 信雄(57)自現2776髙橋  翔(35)諸新1544二瓶 陽一(71)無新  11月3日夕方に全候補者(12人)の事務所に電話をかけ、「5、6日のいずれかで、街頭演説や個人集会などの予定があれば教えてほしい。その様子を取材させてもらったうえで、終了後に5分くらい、次の予定があるならもっと短くてもいいので、候補者への個別取材の時間を設けてほしい。両日に街頭演説や個人集会などの予定がなければ、事務所で取材させてほしい」と依頼した。  その時点で、街頭演説や個人集会などの予定が把握できた、あるいは事務所での取材のアポイントが取れたのが10人。計ったように5日と6日で半々(5人ずつ)に分散した。もっとも、時間が被っていた人もいたので、その場合は手分けして取材に当たった。  残りの2人は流動的だったが、どちらも「お昼(12時から13時)は一度事務所に戻ると思う」とのことだったので、「5日か6日のお昼を目安に事務所に行くか電話をする」旨を伝えた。  こうして取材をスタート。1人目からちょっとしたトラブルが発生した。街頭演説の場所の近くにクルマを停められるところがなく、少し離れたところにクルマを停めなければならなかった。約1㌔のダッシュを余儀なくされたが、何とか街頭演説の様子を動画・写真に収めることができた。  それ以外は、大きな問題もなく、2日間かけて、比較的スムーズに全候補者に会うことができた。  郡山市は定数10に12人が立候補した。現職10人、新人2人が争う構図だったが、有権者は「どうせ、現職が安泰なんでしょ」といった感じで、さほど関心が高まらなかった。投票率32・37%がそれを物語っている。トップ当選者でも、有権者全体で見たら4%ほどの支持しか得ていない。  ある候補者は「選挙戦を通して、自分に対してということではなく、政治というものに対して、有権者の目が厳しいと感じる。それだけ、政治(政治家)への信頼が薄いということで、それを是正しなければならない」と語っていた。これは政治家に問題があるのか、有権者の意識の問題なのか、それとも選挙のシステムに問題があるのか。おそらく、そのすべてだろう。(末永) 会津若松市選挙区(定数4―立候補者5) 会津若松市選挙区の結果  投票率40.74% 当12044水野さち子(61)無元当6851佐藤 義憲(48)自現当6689佐藤 郁雄(60)自現当6604宮下 雅志(68)立現6090渡部 優生(62)無現  会津若松市選挙区(定数4)に立候補したのは5人。結果を見ると、元職の水野さち子氏が1人だけ大きく得票し(1万2044票)、他の4候補は6000票台の団子レースとなった。水野氏は7月の会津若松市長選で落選したとはいえ1万3000票以上得票しており、他の4候補より顔と名前が浸透していたことが奏功したようだ。  筆者が見た街頭演説では国道49号の交差点で行われたこともあり足を止める市民は皆無だったが、車中から水野氏に手を振る人が結構いて、それに対し水野氏が「ありがとうございます!」と答えるシーンが何度もあった。別の交差点でもマイクを持ちながらドライバーに笑顔で手を振る水野氏の姿を見かけた。演説を直接聞いてもらうことはなくても、市民のリアクションの良さから「いける」という手ごたえを感じていたのではないか。  これとは対照的に自民党候補の佐藤義憲氏と佐藤郁雄氏は、減税政策や政務三役の相次ぐ不祥事で内閣支持率が低迷していることもあり、強い危機感を持って選挙戦に突入したはずだ。事実、街頭演説後に申し込んだ候補者へのインタビューでは、佐藤憲氏は2、3分答えてくれたものの、佐藤郁氏は「当落線上にいる厳しい選挙戦で、今は5分でも10分でも時間が惜しい」とたった数分の取材でさえ「申し訳ないがお断りしたい」(選挙スタッフ)と悲壮感を漂わせていた。結果は3位当選だったが、落選した渡部優生氏とわずか600票差を考えると、陣営の情勢分析は的確だったことになる。  その渡部氏と4位当選の宮下雅志氏は、いずれも立憲民主党の小熊慎司・馬場雄基両衆院議員が応援に駆け付けていたが、自民党に逆風が吹く中でも街頭演説や個人演説会では一定の熱量を感じるにとどまり、同党に取って代わるまでの勢いは見られなかった。立憲民主党への期待の薄さと「それだったら水野氏の方が期待できる」という市民が多かったことが結果からうかがえる。  総じて言えることは、地方の選挙では車を走らせながら候補者の名前を連呼するやり方が普通で、街頭演説に耳を傾ける有権者はほとんどいない。ただ候補者が話している内容は、なるほどと思わせるものも結構ある。「政治家はなっていない」と言うのは簡単だが、候補者を磨き上げるには、有権者自身が彼らの言動に注目し、実際の政治活動と齟齬があれば「言っていたこととやっていることが違う」と厳しく指摘する必要がある。その入口として、今までスルーしてきた候補者の街頭演説に注目してはどうだろうか。選挙漫遊を終えての感想である。(佐藤仁) いわき市選挙区(定数10―立候補者13) いわき市選挙区の結果  投票率39.54% 当10278矢吹 貢一(68)自現当10277山口 洋太(33)無新当8350安田 成一(55)無新当8130真山 祐一(42)公現当7960木村謙一郎(48)自新当7894鳥居 作弥(49)維元当7884鈴木  智(50)自現当7812安部 泰男(66)公現当7629古市 三久(75)立現当7484宮川絵美子(77)共現6533西丸 武進(79)無現6066青木  稔(77)自現5722吉田 英策(64)共現  地元の選挙通でも「誰が落ちるのか分からない」と語るほどの激戦区となったいわき市選挙区。  各候補の街頭演説はヨークベニマルやマルトといった市内各地の商業施設前で予定されていた。約1232平方㌔と広大な面積の選挙区ということもあり、手分けして市内を駆けずり回った。  アポなし直撃取材だったにもかかわらず、各候補は快く応じてくれた。唯一対応してもらえなかったのが矢吹貢一氏。街頭演説・個人演説会を行わず、選挙カーを走らせるスタイルで、トップ当選を果たした。当選確実なので、自身の選挙活動を控えめにして、他の自民党候補のサポートに回っていたのかもしれない。結果的に自民党は議席を1つ減らした。  演説で多かったテーマは水害対策と医師不足。各陣営を回り続けるうちに、いわき市の課題が自ずと見えてきた。これこそ選挙漫遊の魅力だ。  手応えを尋ねると、「激戦だが、有権者の盛り上がりは感じられない」と話す候補者がほとんどだった。実際、いわき市選挙区の投票率は39・54%。前回の県議選は令和元年東日本台風の影響で投票率が落ち込んだとされるが、そこからわずか0・41ポイントの増加に留まった。  街頭演説の聴衆も数人という陣営がほとんどだったが、公明党候補者の演説に関しては山口那津男代表が応援に駆けつけたこともあり、多くの支持者が集結していた。その結果、2議席を維持。固定票を持つ候補者(政党)の強さを実感した。  れいわ新選組推薦の無所属・山口洋太氏はトップの矢吹氏に1票差に迫る1万0277票を獲得。日本維新の会から立候補した元職・鳥居作弥氏は6位当選を果たし、同党は県議選で初の議席を確保するなど、既存政党以外の勢いが感じられた。山口氏の演説会場には平日にもかかわらず聴衆が集まっていたのが印象的。「医師不足解消のため、医師が自ら立ち上がった」というインパクトが強かったのだろう。  一方で、西丸武進氏、青木稔氏ら多選のベテラン議員は落選の憂き目を見た。両氏の個人演説会には応援弁士が駆けつけ、力強く支持を訴えていたが、危機感のあらわれだったのかもしれない。  畠山さんからは事前に「過重労働にお気を付けください」と言われていた。取材中、特に疲れは感じなかったが、全候補者を取材し終えると一気に体が重くなり、数日間ぐったりしていた。〝選挙ハイ〟になっていたのかもしれない。 (志賀)    ×  ×  ×  ×  最後に触れておかなければならないのは、県議の役割と選挙の意義だ。国と市町村の間に位置し、「中二階」とも例えられる県議。与野党相乗りの「オール福島」体制で当選を重ねる内堀雅雄知事のもと、県議会は実質的に執行部の追認機関となっており、存在感は希薄だ。報酬は年間数十日勤務で約1400万円。議会出席や視察・調査時に支給される旅費、政務活動費、県の持ち株の関係で関係会社の役員に就いた際の報酬など、〝余禄〟がとにかく多い。  その是非も含め問われる機会が県議選なのだが、関心は高まらず、それぞれがどのような主張をしている人なのか、把握もされていない。今回の県全体の投票率はわずか40・73%。約6割が有権者としての権利を行使していないと考えるとあまりにもったいない話だ。  ふらっと選挙の現場に足を運び、演説に耳を傾けるだけで、その選挙区や各候補者に対する〝解像度〟が高まる。そうすることで、選挙区の課題や対立構図なども自ずと見えてきて、より選挙や政治を楽しめるようになる。もし近くで選挙が行われるときは、選挙漫遊に挑戦してみてはいかがだろうか。

  • 川俣・新人町議に聞く報酬引き上げの効果

    川俣・新人町議に聞く報酬引き上げの効果

     11月12日投開票の川俣町議選には定数12に対し14人が立候補し、70歳、82歳のベテラン2人が落選し、40~70代の新人3人が当選した。7月の議員報酬引き上げ後、初の選挙となったが新人3人はどう捉えるか。議会での抱負と併せて聞いた。 「立候補促進には無関係」 厳しくなる町民の評価  川俣町議会は2020年に「議会改革等に関する調査特別委員会」を設けて議員報酬引き上げなどを審議した。同委員会は報告書で議員月額報酬が1995年以降22万8000円と変わらない点、「町村長の給与の30ないし31%」(川俣町長の給与は月額84万6000円)とした全国モデルが86年当時のものであり、合併協議や東日本大震災への対応など協議事項が増える中で報酬が見合わない点に言及。「名誉職」化で特定の人しか議員を志せないことがなり手不足につながると懸念した。  適正報酬を検討するよう求める議会の決議を受け、藤原一二町長は「川俣町特別職報酬等審議会」を設置。答申を受けて執行部が策定した議員報酬改定条例案を議会が可決し、7月から引き上げられた(改定額は別表の通り)。11月12日投開票の同町議選は、報酬引き上げ後初の選挙となった。 川俣町議会議員の報酬 役職名改定前改定後引き上げ額議 長33万8000円41万2000円7万4000円副議長25万4000円31万円5万6000円議 員22万8000円27万8000円5万円  同町議選は毎回選挙戦となり、なり手はいる。ただ、構成が高齢者に傾き、町民の「飽き」が来たのか今回は新人3人がベテランの佐藤喜三郎氏(7期)と高橋真一郎氏(4期)を押し出す形で当選した。 川俣町議選の開票結果(定数12)※敬称略 得票立候補者年齢今回も含めた期数所属当810山家 恵子592期公明当612作田 善輝692期当549藤野 圭史471期当520石河 ルイ712期共産当512高橋 文雄711期当487新関 善三807期当429高橋 清美683期当426高橋 道也646期当422菅野 清一736期当418菅野 信一642期当413藤原  正551期当378蓮沼 洋志752期376佐藤喜三郎826期141高橋真一郎704期投票率62・70%  「最下位の高橋真一郎氏は地元の推薦を得られないまま出馬した。票が同じ飯坂地区の新人、藤原正氏(55)に流れた」(町内の選挙通)  藤原氏は藤原一二町長の甥に当たり、保険代理店業を営む。他に当選した新人2人は過去に立候補歴があるので、純粋な新顔は藤原氏のみだ。  藤原氏に「今回初当選した3人を取材しているので応じてほしい」と自宅に電話を掛けると「バタバタしていて申し訳ないが受けられない」と答えた。  11月15日、初当選議員対象の研修会で町役場を訪れた藤原氏に改めて依頼するとその場で応じてくれた。  「地元の声を受けて立候補しました。人口減少対策と若者移住につながるよう議会活動に取り組みたい。報酬引き上げは立候補に影響していません」  2人目の新人は高橋文雄氏(71)。町内で電器店とガソリンスタンドを経営し、2015年に屋号「せっけんや」で立候補するも18人中15位で落選。次の19年にはX(旧ツイッター)のアカウントを開設して「川俣町議会をぶっ壊して再生します」と出馬表明するも準備不足から直前で見送った。 高橋文雄氏  「〇〇をぶっ壊す」というフレーズは自民党の改革派を演出した小泉純一郎元首相に始まり、最近は「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首が好んで使っている。高橋文雄氏のXのプロフィールには「N国支持派」とあり、川俣町で初のN国議員誕生かと思い高橋文雄氏を訪ねた。  「Xアカウントは4年前に立候補しようとした時に知人に開設と投稿を頼みました。N国支持表明は記憶にありませんし、共感した覚えもありません。同党に共鳴した知人が私の意見に付け足したのではないでしょうか。そもそも、あなたは今のことを聞きに来たんでしょ? 4年前は関係ない」(高橋文雄氏) 「議会をぶっ壊す」  議会をぶっ壊す発言については、  「議会は4年に1度選挙で盛り上がるが、その間は何もやらないという印象があります。そういう体質を改めるという意味です」  報酬引き上げについては、  「毎回選挙戦なので、なり手不足だから引き上げるという論理は立たない。上げるにしても5万円程度では、一押しにはならない。時期は改選後にするべきだった。自分たちの報酬を自分が議員を務めている間に上げたと私には映った」  「なぜそんなことを聞くのか」と筆者の質問を遮るなど気難しい印象の高橋文雄氏だが、「綺麗ごとは言わない主義。他人が評価するか分からないが、自分が言っていることは間違っていないと思う」と話した。  最年少の47歳、藤野圭史氏は高橋氏と同じく2015年以来2度目の立候補で初当選した。  「議会で世代のバランスを取るのが大事と思い立候補しました。同年代が議会にいないと町への関心が薄れ、若手は期待せずどんどん町外に流出してしまう。志があれば仕事をしながらでも議員ができることを示したい」  議員報酬引き上げで立候補に前向きになったかと聞くと、「関係ありません。そもそも私は8年前に立候補していますから」。  藤野氏はビルメンテナンスの㈱藤野(川俣町)社長で町商工会青年部長を歴任。大震災・原発事故後に町内の除染作業に参入し、福島市や郡山市に業務を広げた。町外の事業者や行政関係者と交流が生まれる中で故郷を客観的に見るようになり、町政に関心を持ったという。 藤野圭史氏  2015年の町議選では18人中16位で落選。前回(19年)の町議選には出馬しなかった。  「ある先輩から『徳を積みなさい』と言われました。議員になる前に実績を積むのが先だと捉え、本業と商工会活動に邁進しました」  町の課題については、  「川俣町には工場が多く立地し、福島市や伊達市などから通ってくる従業員が多い。通っている人たちに住んでもらえるように、いかに環境を整備するかが重要です。議会では住宅確保の観点から若年層の声を伝えたい」  本業と議員活動の利益相反を防止する兼業規制に関しては、自身が代表取締役社長を務める㈱藤野の取引先はゼネコンが主で、町との取引はなく問題ないという。  新人3人の話を聞くと、立候補と報酬引き上げは無関係だった。5万円程度の引き上げでは、労力を考えると進んで立候補する者はいない。だが本業の他の「余禄」としては多い印象。30年近く上げてなかったので上げたというのが実情のようだ。ただ議員としての仕事ぶりの評価は厳しくなるのは間違いない。

  • 白河市議会最大会派〝分裂〟の影響

    白河市議会最大会派〝分裂〟の影響

     任期満了に伴う白河市議選(定数24)は7月9日に投開票が行われ、立候補者30人(現職22人、元職2人、新人6人)のうち、現職20人、元職1人、新人3人が当選した。投票率は56・25%で合併後最低を記録した。  議長に筒井孝充市議(7期)、副議長に佐川京子市議(6期)が選出され、委員会や会派も新体制でスタートしていたが、それから半年も経っていない11月1日付で、会派に変更があった。  6議員が所属する最大会派の一つ「正真しらかわ」が分裂、緑川摂生市議(4期)と大木絵理市議が〝所属会派なし〟となり、新たに4議員が所属する「躍進しらかわ」が誕生したのだ。  正真しらかわは鈴木和夫市長から遠い立ち位置にあり、定例会の一般質問で所属議員が鈴木市政に対し、批判的な質問をすることもあった。  そんな同会派が何の前ぶれもなく分裂したため、他の会派の市議やその支持者らの間で「一体何があったのか」と話題になっていた。  正真しらかわに所属していた複数の市議に問い合わせたところ、「仲違いしたわけではない」と強調するものの、一様に口が重く、細かい経緯などを語ろうとしなかった。彼らに代わり、市議会をウオッチしている同市の経営者がこう解説する。  「鈴木市政に是々非々のスタンスを取ってきた会派だが、そのスタンスをめぐり所属議員の後援会内部でちょっとした騒動があった。『このままでは同じ会派の議員にも迷惑をかける』と考えた所属議員が退会を申し出て、話し合いを重ねた結果、最終的に一旦会派を解散することになったのです。ただ、それぞれ基本的なスタンスが大きく変わったわけではないので、結局一部の議員が再合流して、あらためて会派を立ち上げることになったようです」  具体的にどんな騒動が起きたのかは分からなかったが、話を聞く限り、意見の違いや感情的な対立などが原因ではないようだ。  いずれにしても、鈴木市政に物申すこともある最大会派が分裂・弱体化したことは、鈴木市長にとって喜ばしいことだろう。  鈴木和夫市長は1949(昭和24)年生まれ。早稲田大卒。県相双地方振興局長、企業局長などを歴任し、2007(平成19)年7月の白河市長選で初当選を果たした。  今年7月9日投開票の市長選では、2万2930票を獲得。無所属新人の元大信村議・国井明子氏(79)を1万9387票差で破り、5選を果たした。  もともと行政マン(県職員)だったのに加え、16年以上市長を務めていることもあって、行政関係の知識は誰よりもある。そのため職員に直接指示を出すほか、近年は議会の人事や質問内容などにも口出しするようになった、という話が漏れ聞こえてくる。  5期目は鈴木市長にとっての「集大成」になると見られており、早くも4年後の後継者探しのウワサも流れ始めている中で、会派分裂の影響が今後どのように現れるのか、注目したい。

  • 【国見町長に聞く】救急車事業中止問題

    【国見町長に聞く】救急車事業中止問題【ワンテーブル】

     国見町が高規格救急車を所有して貸し出す事業は今年3月に受託企業ワンテーブル(宮城県多賀城市)の社長(当時)が「行政機能を分捕る」と発言した音声を河北新報が公開し、町は中止した。執行部は検証を第三者委員会に委嘱。議会は調査特別委員会(百条委員会)を設置し、執行部が作った救急車の仕様書はワンテーブルの受託に有利な内容で、官製談合防止法違反の疑いもあるとみて証人喚問を進める。引地真町長と同事業担当の大勝宏二・企画調整課長に11月6日、仕様書作成の経緯と責任の取り方を聞いた。(小池航) 仕様書作成の経緯と責任の取り方を聞いた  ――救急車の仕様書を作成する根拠となった資料の提出を町監査委員会が執行部に要求した際、ワンテーブルが提供した資料以外は「処分した」と執行部は説明しました。処分した文書はどのような方法で、どの部署の職員が入手したものか。  大勝企画調整課長「企画調整課の担当職員がインターネットで閲覧してプリントアウトした資料です。町としては、個人が職務上必要と考えてネットから印刷した文書は参考資料であり、公文書には当たらないと解しています」  ――職務上必要な資料は公文書では?  引地町長「参考資料とは、例えばネットから取得するだけではなく、本から見つけてコピーするものもありますよね。それは単なる資料でしかなく、公文書には当たらない。公文書とは、その資料をもとに行政が作成したものという解釈です」  ――国見町の文書管理規則では、公文書の定義を「職員が職務上作成し、又は取得した文書及び図画をいう。ただし、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数のものに販売することを目的として発行されるものを除く」としている。個人が取得した資料とはいえ、職務上得た文書では?  大勝課長「解釈はいろいろあると思います。職員が自己の執務のために保有している写しが即公文書に当たるかというと、議論を呼ぶところだと思います。メモ程度のものが公文書に当たるかどうかという議論です。町としては(処分した)資料は、仕様書を作る段階で集めたものという解釈で、それは個人が集めた資料です。その資料に基づいて、町の意思決定に何か反映させたことはないと判断しています。職員が参考程度に集めたものだったので、行政文書には当たらないと考えています。  参考資料を得た経緯を説明します。職員が町の仕様書を作る際、各消防組合などがネットに上げている仕様書を閲覧し、必要な部分だけを印刷しました。1冊分を印刷すると膨大になります。参考のつもりで閲覧し、公文書として保存を前提に集めたものではありません。担当職員が知識を得た段階で、それらの資料は残してはいませんでした」  ――担当職員が各企業の救急車の仕様書をネットで閲覧し、仕様書を作ったという解釈でいいか。  大勝課長「そのように説明してきました。ワンテーブルからは他町の仕様書の提供を受けたので、それも参考にしました」  ――どうしてワンテーブルが提供した資料だけが残っていたのか。  大勝課長「1冊丸々提供を受けたからです。残すつもりで残したわけではなく、破棄するつもりがなかったというか、たまたま残ったのだと思います」  ――受託したワンテーブルが示した参考資料以外に何社の救急車の資料を参考にしたのか。  大勝課長「はっきりとは言えません。部分的に参考にしたものもありますし、振り返ってネットで検索したものもあります」  ――引地町長に聞きます。ワンテーブルの巧妙だったと思う点はありますか。  引地町長「何が巧妙だったかという質問に町は答える術を持っていません。前社長の考えは報道や音声データで見聞きしたが、あの発言をした事実はあるものの、そこには出てきていない思いもあるはずで、それについて我々は知る術がない。だから何が巧妙だったのかという質問には本当に答えられない。  ワンテーブルと国見町の関係は高規格救急車事業で唐突に始まったわけではなく、前町長在任時の2018年に元経産省職員の紹介を受けて接点ができました。翌19年には防災パートナーシップ協定を結び、20年には企業版ふるさと納税945万円の寄付を受けました。前社長は総務省から『地域力創造アドバイザー』認定を受けていました。そういった下地があるので、その経過を持って彼らのやり口が巧妙だったかというと我々は判断する術がない。  役所は何かしら困り事を抱えていたり、地域の課題解決に意見を持っている人が訪れます。そういった人たちを、我々行政は疑ってかからないスタンスを取ります。まず対面してから話が進む。例えば目の前にいる町民を、最初から『悪いことを考えているのではないか』とは疑いません。困り事があって役所に来ているわけだから。そういう姿勢で我々は仕事をしてきました。  我々はワンテーブルを国見町と協力する数ある企業の一つと捉えていました。震災後の13年間、町は他の民間企業とも連携して復旧・復興、風評対策を進めてきた経過があります。官民連携でまちづくりを進める延長線上にあったのが高規格救急車事業でした。巧妙だったかという質問には本当に答えにくい。前社長が、あの発言のような考えを持ちながら当初から国見町とやり取りをしてきたのか、それは分かりません。町長として教訓というか思うところはありますが、第三者委員会の結論が出るまでは話すべきではないと考えます」 原因究明の陣頭指揮  ――高規格救急車事業について町民に伝えたいことは。  引地町長「同事業は契約を解除し、住民説明会を14カ所で行いました。ワンテーブル前社長の不適切な発言で事業継続が困難になったのは本当に残念です。同事業は議会に諮って進めてきました。出来上がった救急車は議決を得て町が取得し、必要な自治体や消防組合に譲与していきます。当初町が考えていた事業と着地点は違いますが、地域の防災力向上や医療・救急業務の充実に活用してもらいたいです」  ――町執行部に不信感を抱いている町民に伝えたいことは。  引地町長「町に関する報道で心配を掛けてしまい申し訳ありませんでした。住民説明会や議会では『最終的な責任は私にあり、責任回避はしない』と説明してきました。ただ、それで完結する話ではない。町への非難と私の身の処し方といった議論に終わらせず、果たさなければいけないのは、原因を究明し問題の所在を明らかにすることです。その陣頭指揮を執るのが町長の責任だと思います。『最終的な責任は引地にある』と言葉だけで済ませようとは思っていません。上辺だけで済ませれば、また同じ過ちが繰り返されます。その意味で第三者委員会は大きな意味を持っています。検証の結果を待ち、原因を指摘してもらい、再発防止に向けた意見を客観的に出してもらう。その上で、町執行部で必要な対策を行い、町政への責任を果たしていくことが大切なのだと考えます」  ※以下は11月13日に送った質問への文書回答。  ――第三者委員会の委員2人が辞任しました。検証の半ばで過半数の委員が辞任したことについて、受け止めを教えてください。検証への影響も教えてください。  「誠意をもって対応し、委員におかれましては直前まで委員会へ出席の意向でしたので、突然の辞任で驚いています。辞任の理由は分かりません。検証への影響は、今回委員会が中断してしまったので、検証が遅れる影響があったと考えます。速やかに後任を人選し、対応しています」

  • 「広報誌の私物化」を批判された内田いわき市長

     10月20日付の読売新聞県版に「台風被害の広報臨時号のはずが…『まるで選挙ビラ』、市長の視察写真8枚に『写真集』の声も」という記事が掲載された。福島民友も翌21日付で同じ趣旨の記事を載せた。  9月8日夜から9日早朝にかけて、台風13号による記録的豪雨に見舞われたいわき市。10月1日には、被害状況の写真や支援制度の案内を掲載した「広報いわき臨時号」が発行され、通常の広報紙とともに各世帯に配られた。  全4頁の広報紙に掲載された19枚の写真のうち、市長・内田広之氏の視察写真は8枚も使用されており、まるで写真集のような作りになっていた。そのことに対し、市民や市議から疑問の声が上がっていることを報じたもの。  両紙の記事では「被災特集なのに市長の写真ばかりなのは違和感がある」という市民の声、「選挙広報のようだ」、「広報の私物化だ」という市議の意見が紹介されていた。  災害時に首長がどう対応したかは、選挙の際の大きな評価ポイントになる。震災・原発事故後の2013年には、郡山市、いわき市、福島市、二本松市などの市長選で、現職首長が軒並み落選し、〝現職落選ドミノ〟現象と呼ばれた。  2011年には、当時いわき市長だった渡辺敬夫氏について「公務を投げ出して空港から逃げようとしていた」などのデマが流れた。災害対応に追われて姿が見えなかったためだと思われるが、選挙戦でそのマイナスイメージを利用して、「私は逃げない」と訴えた清水敏男氏が当選を果たした。  しかし、その清水氏に関しても、2019年10月の台風19号の際には対応の遅さが目立ち、被災者をはじめとした市民の信頼を失った。本誌が被災地域を取材した際には、避難の事前周知や断水対策の不備を指摘する声が多く、「市は一番苦しい時期に何もしてくれなかった」と断言する被災者もいたほどだ。その後、新型コロナウイルスへの対応の遅さも批判され、2021年の市長選で内田氏に敗れた。  こうした経緯もあってか、内田氏は豪雨発生後、連日被災地域を視察し、報道やSNSを通してボランティアの参加を呼びかけるなど、積極的に動いていた。過去の「失敗」を教訓としてうまく動いていたように見えたが、目立ちすぎて、一部では逆効果となっていたようだ。  いわき市広報広聴課に問い合わせたところ、「令和元年東日本台風のとき、『市長(清水敏男氏)の姿が見えない』という意見を多くいただいたので、それを教訓に、今回は市長の被災地視察の姿を多く掲載しました。直接市役所に寄せられた批判の声はありません。問題はなかったと考えています」とコメントした。  内田氏については、イベントなどに積極的に参加し、PR活動に努めていることに対し「軽い面が目立ってきた」という苦言が出ているほか、「今回の件は周囲にいる市議や幹部職員が一言助言すれば回避できた。ブレーン不在ではないか」との指摘も聞かれる。そういう意味では、市長就任から2年経過した内田氏の課題が露呈した一件だったとも言える。

  • 【田村市】産業団地「予測不能の岩量」で工事費増

     先月号に田村市常葉町で整備が進む東部産業団地の敷地から高さ十数㍍の巨岩が出土した、という記事を載せたが、その中で本誌は「工事の進め方の順序が逆」と指摘した。同団地の工事費は当初45億9800万円。それが昨年3月定例会で61億1600万円に増え、同12月定例会で64億6000万円に増えた。  普通、工事費が増額される場合は見積もりをして、いくら増えると分かってから市が議会に契約変更の議案を提出。議案が議決されれば市は施工業者と変更契約を交わし、市は増額分の予算を執行、業者は増額分の工事に着手する。  しかし市内の土木業界関係者によると、61億1600万円から64億6000万円に増額された際はこの順序を踏んでいなかったという。この関係者いわく、12月定例会の時点で造成工事はほぼ終わっており、その結果、工事費が61億円から64億円に増えたため、あとから市が契約変更の議案を提出したというのだ。  「公共工事の進め方としては順序が逆。もしかすると岩の数量が不確定で工事費を算出できず、いったん仮契約を結んだあと、工事費が確定してから契約変更を議決したのかもしれないが、巨大工事を秘密裏に進めているようで解せない」(土木業界関係者)  自治体政策が専門の今井照・地方自治総合研究所特任研究員によると、契約変更の議決を経ずに施工するのは違法行為に当たるが、罰則はないという。  「契約で工事費が61億円となっているのに、議会で契約変更を議決する前に64億円の工事をしていたらアウトです。一方、見積もりをしたら64億円になることが分かったというなら、まだ施工していないのでセーフです」(今井氏)  先月号では締め切りの都合で市商工課と施工する富士工業(田村市、猪狩恭典社長)からコメントを得られなかったが、昨年末、両者から回答があった。  「12月定例会の時点で造成工事の進捗率は約95%だった。増額分(約3億円)に該当する硬岩の掘削工事は完了している。工事費が約3億円増額になると知ったのは、不確定部分だった掘削土量に対する硬岩の割合について業者から9月中旬に精査した数量が提出され、その数字をチェックし積算した結果、硬岩の割合が5%から6%に増え、約3億円増額することが判明した。工事の進め方については、掘削工事を予定工期内に完了させることを最優先とし、誘致企業も決まっていたことから、早期完了のため掘削工事を止めることはしなかった」(市商工課)  「岩が土中にどれくらいあるかは予測するしかないが、実際に計算すると増減が出てしまうのはやむを得ない。本来は概算数量を出してから契約すべきだが、岩の量を把握できず概算数量が出せなかった。岩掘削の数量が確定したのは9月中旬で、61億円から64億円への増額は12月定例会で議決されたが、市とは11月1日に『12月定例会で議決後に本契約とする』という内容の仮契約を結んだ」(富士工業の猪狩社長)  両者のコメントからは、岩の数量を把握するのが難しかったため、まずは工事を進めることを優先させ、数量が確定してから工事費を算出せざるを得なかった事情がうかがえる。  工事の進め方の順序が逆になったのは仕方なかったのかもしれない。しかし、もともと大量の岩が出ることが予想された場所に産業団地を整備すると決めた時点で、こうなることは予想できたのではないか(※決めたのは本田仁一前市長)。猪狩社長は「あそこ以外の適地は簡単には見つからない」などと市を擁護していたが、それとは逆に「なぜ、あんな辺ぴな場所に?」と首をかしげる市民は今も多い。

  • 石川郡5町村長の「表と裏」の関係性

     毎年、新年を迎えると、県内の市町村長やさまざまな企業・団体の代表者らが県庁や新聞社などを訪問し、抱負を述べる。地元紙では「来社(来訪)」というコーナーで、そうしたシーンが報じられる。  その一連の記事を見ていて、ひときわ目に付くのが、石川郡は町村会で新年のあいさつ回りをしていること。ほかは市町村長のみ、あるいは市町村長と議会議長、副市町村長などがセットであいさつ回りをしており、本誌が関連記事を確認した限りでは、複数の市町村長が一緒に行くのは石川郡だけだった。  福島民報1月10日付紙面には、石川地方町村会長の岡部光徳古殿町長を中心に、両サイドに江田文男浅川町長(同副会長)と塩田金次郎石川町長、その後ろに澤村和明平田村長と須釜泰一玉川村長が並んでいる写真が掲載された。そのうえで、5人の町村長のコメントが掲載されているが、それぞれの町村の課題や今後の重点施策などが語られているのみ。紙面の関係でカットされているだけかもしれないが、町村会としてこういう活動をしていきたい、こんな要望をしたい、といったことは掲載されていない。  ある関係者によると、「いつからそうなったのかは分からないが、慣例として、だいぶ前から町村会として新年のあいさつ回りをしている」という。  最初に、県の出先である石川土木事務所(石川町)に集合し、そこから郡山市内の県の出先機関に行き、福島市の県庁本庁舎や地元新聞社などを回るルートのようだ。  これ以外にも、「以前の知事選の際、内堀雅雄知事の福島市での第一声に、(石川郡の町村長)5人で乗り合わせて行ったこともある」といった話を聞いたこともあり、石川郡は横のつながりが強い印象を受ける。  ただ、以前の本誌記事でも指摘したように、決して首長同士の仲がいいわけではないようで、「それは変わっていないばかりか、むしろ悪化している感じもある」という。石川郡内の現職議員は次のように話す。  「須釜玉川村長はまだ就任して1年も経っていないので、特にどうというのはないでしょうけど、岡部古殿町長、澤村平田村長らは、塩田石川町長と合わないようですね。その傾向は以前より強くなっているように感じます。そんな関係性だから、町村会などで集まった際、例えばクルマを停める位置はどうするか、席順はどうするか、あいさつする順番はどうするか等々、町村会事務局は結構、気を使っているみたいですよ」  郡内の役場関係者もこう話す。  「塩田石川町長とそのほかの町村長の関係性があまり良くないみたいですね。石川町は人口規模などからしても、郡の中心的存在ですが、そこのトップ(塩田町長)が郡内でリーダーシップを発揮できないような状況なのは、地域にとって決してプラスではありませんね」  その辺は多くの人が感じているようで、石川町民はこんな弊害を口にした。  「JR東日本が昨年11月に発表した『利用の少ない線区』に、水郡線のこのエリア(磐城塙―安積永盛)が丸々入っていて、線区維持のためにも利用促進を図っていかなければならないし、県が県立高校改革を進めている中、今回の統廃合等の対象には入っていないものの、郡内唯一の県立高校である石川高校だって、この先はどうなるか分からない。そうした広域的に取り組まなければならない課題に対応するためにも、いまの状況は好ましいとは思えない」  表面的なことだけでなく、本当の意味でのお互いの信頼関係を構築できるか。石川郡にとっては、まずはそこが大きな課題と言えそうだ。

  • 【伊達市】利用者が少ないレンタサイクル事業

     市が行うサイクルツーリズム(サイクリングを通じた観光誘客)を厳しく監視する市民がいる。 税金の無駄と批判するサイクリスト 電動クロスバイクにまたがる筆者と完走記念にもらった桃ジュース 完走記念にもらった桃ジュース  昨年10月に伊達市が同市月舘町にオープンさせた「おての里きてみ~な」はサイクルツーリズムを目的とした簡易宿泊所。閉校した旧小手小学校の校舎を活用している。  2017年に自転車活用推進法が施行され、国は自転車による観光地づくりを後押ししている。「きてみ~な」もその流れを受けて整備されたもので、オープン1カ月の訪問者は460人、宿泊者は65人と上々の滑り出しを見せている。  ただ、そんな市のサイクルツーリズムを厳しく監視する人も……。市内在住の鈴木雅彦さん。鈴木さんは日常的にロードバイクにまたがるサイクリストだが、その目には「レンタサイクル事業が酷い」と映っている。  市では訪れた人に各所を周遊してもらうため、2021年度からレンタサイクル事業を行っている。市内5カ所(まちの駅だて、保原総合公園、梁川総合支所、道の駅伊達の郷りょうぜん、つきだて花工房)で電動クロスバイクや2人乗りタンデム自転車などをレンタル。料金は1人乗りが1日500円(小学生は同300円)、2人乗りが同1000円となっている。  しかし利用は低調で、鈴木さんが市に開示請求して入手した公文書によると2022年度のレンタル台数と売り上げは、まちの駅だて12台5800円、保原総合公園62台2万7400円、梁川総合支所40台1万8600円、道の駅32台1万4200円、つきだて花工房14台6000円、計160台7万2000円。1カ所につき1カ月2・7台しかレンタルされていなかったのだ。  これに対し、市が購入した自転車は計65台730万円。1台11万円超とかなり高額だ。このほか市は、盗難防止などの観点からセコムのGPSを搭載しているが、鈴木さんが全国のレンタサイクル事業者14社に聞き取りをしたところ、GPSを通年で搭載している事業者はなく、通常は利用者の動態調査のため1~2週間程度搭載するだけだった。  要するに、鈴木さんは「高額の自転車を大量購入したのに利用が少なく、無駄なGPSを搭載するのは税金の無駄遣い」と言いたいわけ。  市が2022年10~12月にかけて行った「レンタサイクルDE伊達市を満喫キャンペーン」の成果も芳しくなかった。スマートフォンのサイクリングアプリと連動した五つのサイクリングコースを設けるなどして利用者増を目指したが、鈴木さんが入手した公文書によると、アプリを起動させるとカウントされるスタート数と実際にコースを完走した数が合わず(例えば10月24日はスタート数81、完走数12で完走率14・8%。11月14日はスタート数9、完走数12で完走率133・3%)、実際にどれくらいの人がキャンペーンに参加したのか判然としないのだ。  「民間では、もし成果が得られなければ問題点を洗い出し、改善して次年度に臨むが、伊達市は反省や改善をしているのか。無駄な税金の支出はやめてほしい」(鈴木さん)  今年度も昨年9~11月に「伊達ぐるっとサイクリングキャンペーン」が展開されたが、筆者もキャンペーンの良し悪しを感じたいと思い10月中旬にまちの駅だてで電動クロスバイクをレンタルし、7㌔コースを実走してみた。電動アシスト機能のおかげで快適な走行を楽しめた半面、すぐ横を車が通り過ぎる怖さやコース設定の味気無さを感じた。キャンペーンでは霊山など紅葉が綺麗なコースや20㌔以上の長距離コースもあり、そちらを走れば別の発見もあったのかもしれないが、永続的な観光事業にしていくためには実走者の感想をもとにブラッシュアップしていく作業が必要だ。 「熱意が足りない」 利用者が少ないレンタサイクル  実は、問題点を指摘しているのは鈴木さんだけではない。県北地方を拠点とする某サイクリストサークルのメンバーも2022年2月のブログで、同市月舘町に設置されたサイクリングロードの看板に疑問を呈しながらこんな感想を綴っている。  《実はサイクルツーリズムを活用した地域作りという事で、昨年くらいまで県庁や市役所の職員さんに呼ばれては(中略)沢山の意見を伝えていた筈でした。結局、我々の意見はなーんにも活かされなかったのかなぁ》  ブログを書いたメンバーにフェイスブックやメールで取材を申し込んだものの返答はなかったが、サイクリストの生の声はどんどん反映させるべきだろう。  市商工観光課の佐藤陽一課長を取材すると、次のように話した。  「鈴木さんからは当課にもさまざまなご指摘が寄せられています。この間の実績やアンケートで得られた意見をもとに、新年度からは事業内容や予算を見直す予定です。何度も見直しをかけながら、皆さんに喜ばれ、また来たい、乗ってみたいと思われる事業にしたいので、新年度以降の取り組みにご理解とご協力をいただきたい」  昨年12月に開かれた第6回定例会議では中村正明議員(5期)の一般質問でこの間のイニシャルコストが約1000万円、ランニングコストが約900万円かかっていることが判明。「コストの割に利用が少ない。もっと利用してもらおうという熱意も足りない。次年度も継続するなら問題点を検証すべきだ」(中村議員)と厳しく質す場面もあった。  冒頭の「きてみ~な」を生かしながら、サイクリストの聖地となるような事業が展開できるのか。2024年度は勝負の年になりそうだ。

  • 【小野町議選】「定数割れ」の背景

     任期満了に伴う小野町議選は1月16日に告示され、定数12に現職8、新人3の計11人が立候補し、定数に満たない状況で無投票当選(欠員1)が決まった。「定数割れ」は同町では初めて、県内でも2017年の楢葉町議選、2019年の国見町議選、昨年の川内村議選に続き4例目(補欠選挙は除く)。なぜ、定数割れが起きたのか。 無関心を招いた議会の責任  同町議会は、2008年の選挙時は定数14だったが、2012年から12に削減した。以降、2016年、2020年と、計3回の選挙が行われ、いずれも定数12に、13人が立候補し無投票はなかった。  前回改選後の2022年7月、渡邊直忠議員が在職中に亡くなったことを受け、欠員1となっていた。その前年3月に町長選が行われ、補選を実施するタイミングがなかったことから、任期満了までの1年半ほどは11人体制だった。  任期中の2022年12月に、議会改革特別委員会が設置され、その中で議員定数、報酬についての議論が交わされた。昨年6月議会(※同町議会は通年議会を採用しているため、正式には「定例会6月会議」)でその結果が報告された。  内容は、「地方議員の成り手不足解消の観点から、議員定数削減、議員報酬増額等について協議してきたが、町施策等について十分な協議をするためには、現在の定数を維持することが望ましいとの意見や、報酬の増額は町民の十分な理解を得ること、町財政を考慮する必要があることなどから、現状維持とする意見が出された」というもので、現状維持が決まった。  迎えた今回の町議選。事前情報では、現職3人の引退と欠員1に対して、新人4人が立候補する予定で、定数と立候補者が同数になると見込まれていた。しかし、直前で新人1人が立候補を見送ったのだという。これによって、立候補者は現職8人、新人3人の計11人となり、定数割れとなった。 選挙結果 (1月16日告示、届け出順) 竹川 里志(68)無現 自営業橋本 善雄(43)無新 会社役員田村 弘文(72)無現 農業先崎 勝馬(70)無現 町議中野 孝一(65)無現 農業国分 順一(61)無新 無職羽生 洋市(68)無新 農業宗像 芳男(71)無現 自営業会田百合子(61)諸現 町議緑川 久子(68)無現 会社役員水野 正広(72)無現 会社役員  公職選挙法の規定では、欠員が定数の6分の1を超えた場合は再選挙が行われることになっている。同町の場合は欠員3以上でそれに当てはまり、今回の選挙は「成立」ということになる。ただ、この先2人以上の欠員が出たら前述の規定により、50日以内に補選が行われる。 「定数割れ」の理由 「定数割れ」に終わった小野町議選  なぜ、定数割れが起きたのか。  関係者の中には、議員報酬では生活できないという事情を挙げる人もいる。同町の議員報酬は月額22万5000円、副議長は同24万5000円、議長は同30万7000円。そのほか、年2回の期末手当(※2023年度は年間で月額報酬の3・35カ月分)がある。  一方で、定例会、臨時議会、常任委員会、議会運営委員会、全員協議会などの合計は50〜70日。議員からすると、「町・郡などの行事への出席や一般質問の準備など、それ以外の活動も多い」というだろうが、少なくとも公式な議会活動は前述の日数にとどまる。  地元紙に掲載された当選者の職業を見ると、農業3人、会社役員3人、自営業2人、町議2人、無職1人。町議・無職は別として、比較的時間に融通がきく人に限定されている。議会の開催日時を見直すなどして、会社勤めをしている人でも議員になれるような工夫が必要ではないか。  そうなれば「議員報酬だけでは食っていけない」という話にはならない。そもそも、地方議員が議員報酬で生活しようという発想が正しいとは思えない。  ある町民は「議員定数を現状維持としたのは妥当だったのか」と疑問を投げかける。  「2012年から定数を12にしたが、当時の人口は約1万1000人、現在は約9000人と、この間、約2割人口が減っていることを考えると、定数はそのままで良かったのか。そもそも、その議論も議会内(議会改革特別委員会)ではなく、町民も交えて検討すべきだったように思います」  本誌は、定数削減は必ずしも好ましいとは思わない。当然、議員の数が多ければ、それだけ町民の意向を反映させることができるからだ。むしろ、議会費(議員報酬の総額)はそのままで定数をできるだけ多くした方がいいと考える。当然、そのためには、前述したように会社勤めの人でも議員活動ができるような工夫が必要になる。  一方で、別の町民はこう話す。  「いまの状況(定数割れ)をつくったのは誰かと言ったら、この2、3回の議員選挙の間に辞めた人を含めた議員本人にほかならない。そこには、後に続く人をつくれなかったこと、関心を持たれないような状況にしてしまったこと等々、いろいろな要素があると思いますが、聞こえてくるのは議会・議員として何をすべきかということよりも、議会内の役職に誰が就くかとか、そんなことばっかりですから。これでは町民も冷めていきますよ。こういうのは積み重ねですからね。そのことをもっと真剣に考えてもらいたい」  議会には無関心を引き起こした責任があるということだ。厳しい指摘だが、これが本質なのだろう。  もっとも、今改選前の議会は少し難しい部分もあった。というのは、選挙が行われたのが2020年1月で、任期は同年2月1日から。任期スタート直後に新型コロナウイルスの感染が拡大し、さまざまな活動が制限された。本来であれば、町内の行事・会合などに顔を出し、そこで町民の声を聞くことができるが、行事・会合そのものが開かれなかったため、それができなかったのだ。議会の傍聴にも制限があった。そういう意味で、町民と議会に距離ができたのは間違いない。  それが今回の定数割れを引き起こした一因でもあろう。コロナ禍という難しい状況の中だったが、もっとできることはなかったのか、今後どうすべきかを考えていかなければならない。  最後に。前段で定数割れは4例目と書いたが、2017年の楢葉町議選、昨年の川内村議選は、ともに原発被災地で、全域避難を経て人口減少や高齢化率の大幅上昇といった特殊事情がある。一方、2019年の国見町議選は、そういった特殊事情はなく、小野町のケースに近いのではないか。なお、同町議選は2019年5月28日に告示され、定数12に10人が立候補し、無投票、欠員2という結果だった。  当時、ある町民はこう話していた。  「今回の町議選(定数割れとなった2019年)では、ギリギリでも選管に立候補を届ければ、〝タダ〟で議員になれたわけだが、そういう人すらいなかった。これが何を意味するか。結局のところは、いまの議会は町民から評価されておらず『一緒にされたくない』として、誰もその中に入りたがらなかった、ということにほかならない」  その後、2020年11月に行われた町長選に現職議員2人が立候補したため、欠員4となり、町長選と同時日程で補選が行われた。その際は5人が立候補して選挙戦になった。昨年5月の改選では、定数12に12人が立候補して無投票だった。その点では「なり手不足」が解消されたとは言えない。  小野町では、新しい議会が今回の結果をどう捉え、どのように活動していくかが問われる。その結果が見えるのは4年後の改選期ということになる。

  • 「議員定数議論」で対応分かれた古殿町・玉川村・平田村

     古殿町、玉川村、平田村の石川郡3町村は3月に同時日程で議員選挙が行われる。それに先立ち、それぞれの町村議会で、昨年から議員定数のあり方を議論してきたが、結果は三者三様のものだった。(末永) 重要なのは住民にとって有益な存在かどうか 3町村の基礎データ面 積人 口議員定数古殿町163・29平方㌔4655人10玉川村46・47平方㌔6191人12平田村93・42平方㌔5413人12※人口は古殿町が昨年12月31日、玉川村が今年1月1日、平田村が昨年12月1日時点  任期満了に伴う古殿町議選、玉川村議選、平田村議選が3月19日告示、24日投開票の日程で行われる。それを前に、各議会では昨年から議員定数をどうするかを検討してきた。結果から言うと、古殿町は2減(12人→10人)、玉川村は現状維持(12人)、平田村はひとまず現状維持(12人)として改選後の議会で再度議論する――という三者三様のものだった。同じ石川郡ということもあり、関係者はそれぞれの議会の動きに注目していたようだ。関係者だけでなく、住民から「向こう(近隣町村)はこうだったが、ウチは……」といった話を聞く機会もあった。 古殿町議会 古殿町役場  古殿町議会は、昨年10月から12月まで、全員協議会で5回にわたり議論を重ねてきた。同町議会は2012年までは定数が14だったが、同年3月の改選時に12に減らした。それから12年が経ち、あらためて議員定数のあり方を議論したのである。  根底にあるのは、2012年に定数削減したころから、人口が約1500人減少していること。もう1つは、町民から「人口が減少しているのだから、それに倣って、議員定数も減らすべき」といった声が出ていたこと。  なお、3町村の基礎データを別表にまとめたが、古殿町は行政区分こそ「町」だが、玉川村、平田村より人口が少ない。反して、面積はだいぶ広く「町内全域に目を向ける」という点では、3町村の中では最も大変な地域と言える。  そうした中で議論を重ね、昨年12月議会で、議員発議で定数削減案(条例改正案)が出され、採決の結果、賛成7、反対4の賛成多数で可決された。反対意見としては、町民の声が届きにくくなること、若い人や女性などが議員になるハードルが高くなること、議論が十分でないこと――等々が挙げられた。議案審議(討論)の中でも、そうした意見が出たが、結果は前述の通り。  ある関係者は「反対する人もいましたが、人口減少、時代の流れなどからしても、(2減は)妥当だったのではないか」と話した。  一方、選挙に向けた動きについては、「削減によって枠が2つ減るわけだから、常に上位当選している人以外は、いろいろと気にしているようだ。ただ、いま(本誌取材時の1月中旬時点)は、それぞれが様子見という段階で、現職の誰が引退して、新人のこんな動きがある、といった具体的なことは見えてこない」(前出の関係者)という。 玉川村議会 玉川村役場  玉川村議会は、昨年10月から11月にかけて、議員定数に関する住民アンケートを実施した。対象は全1799世帯、回答数は1029件(回収率57・2%)だった。  もっとも多かった回答は現在の定数12から2減の「10人」で402(39・1%)。以下、現状維持の「12人」が382(37・1%)、「8人以下」が156(15・2%)と続く。この3つで全体の90%超を占める。2減の「10人」と、現状維持の「12人」が拮抗しているが、「8人以下」を含めた「削減」という点で見るならば、半数を超えている。  少数意見としては、「18人」が22、「16人」と「14人」がそれぞれ1あり、増員を求める回答もあった。逆に「0人」、「1人」、「2人」という回答がそれぞれ1ずつあった。  ちなみに、議会は「最低人数は何人」といった規定はないが、「議長を置いたうえで議論できる」ことが条件になる。つまり、議長1人と、議長を除いて議論するために最低2人が必要だから、議員の最小人数は3人という解釈になり、それ未満はあり得ない。一方、地方自治法(94条、95条)では、議会を置かず、それに代わって選挙権を有する住民による総会(町村総会)を設けることができる、と規定されている。60年以上前はその事例があったが、近年はない。 賛成、反対意見の中身  話を戻して、玉川村議会はアンケート結果を踏まえ、全員協議会で検討した。そのうえで、昨年12月議会で議員発議によって、議員定数を10にする条例改正案が提出された。採決の結果、賛成5、反対6の賛成少数で否決された。  以下、その際に行われた討論の概要を紹介する。  賛成討論  小林徳清議員▽少子高齢、人口減少にあえぐ市町村情勢は、議員定数削減の方向となっている。アンケートの結果からも民意は削減を求めており、現状維持は村民の理解が得られないばかりか、アンケートの意味をなさない民意無視となり、議会・議員に対して不信感を招き、保身と批判を受けることになる。議員として、多くの民意を反映させる職務と責務から、アンケートに基づく定数2削減に大いに賛成。  塩澤重男議員▽今回のアンケートでは様々な意見があった。その中でも、削減が過半数の58%を占めている。人口減少が加速する中、議員定数も減らすべきであり、村民の意見を真摯に受け止め、定数削減に賛成する。  大和田宏議員▽アンケート結果で、当然、少数派意見も尊重しなければならないが、やはり多数派意見に重点を置かなければならないので賛同する。削減した場合はメリット・デメリットが出るが、デメリットは今後協議しながらカバーしていけばいいと思う。それぞれの議員がすぐに活動できる環境を進めていき、デメリットを克服しながら十分対応できると考えるので賛成。  石井清勝議員▽近隣の市町村では10人で運営しているところも多くある。人口だけでなく、予算も考慮しながら、住民の代表として、村をいかに良くしていくか、活性化していくかを考えていく必要がある。議員自ら身を削ってやっていかないと村も活性化しないと思うので賛成する。  反対討論  佐久間安裕議員▽議員定数見直しに反対するものではなく、今回は十分に議論する時間がない中での削減のため反対する。アンケート結果でも50代以下は現状維持が多く、「現状維持」と「10人」も僅差だった。そういった若い世代の意見を切り捨ててもいいのか疑問を感じる。議会基本条例策定とともに議会改革を進め、内容を公開していくことが求められる中で、いまだ議論の準備段階であり、様々な観点から十分な議論を尽くしていくべき。アンケート結果の民意だから即削減すべきではなく、今回は拙速であるので反対する。  飯島三郎議員▽病人が多数出たりして欠席が多くなってしまうと議会が成り立たなくなる恐れがあるとの思いで、現状維持の判断をした。今回新たな特別委員会が設置され、業務が多くなり、議員1人当たりの業務負担が増加している中で、これ以上人数が少なくなると村内の隅々まで行き届かなくなり、本来の活動ができなくなることは間違いないので、削減に反対する。  三瓶力議員▽今回のアンケートをすべて確認し、皆様の思いや考えをいろいろな方面から検討した。アンケート結果を見ると、現状維持の12人の意見が多かったのは、20代から50代だった。回答数では60代以上からの回答が多く、偏っているのではと感じる。20代から50代の貴重な意見を尊重すべきであり反対する。 深刻ななり手不足  こうした意見があった中、前述したように、議員定数削減案は反対多数で否決された。  賛成した議員は「村民からは、だったらなぜアンケートを実施したのかと言われた」と、早速、批判があったことを明かした。  「住民の意見」がハッキリ出ている中で、「現状維持」の判断をしたのだから、そうした批判が出るのは当然か。  今回取材した近隣町村の関係者からも、「玉川村は住民アンケートまでやって、住民の多数派意見を洗い出したのに、『現状維持』にして批判は出ていないのか? 他村のことながら気になってしまう」との声が聞かれた。  改選後の議会は、そうした批判とも向き合っていかなければならないことを覚えておいた方がいい。  選挙に向けた情勢としては、4人の現職議員が引退する見込みという。昨年4月の村長選に議員を辞して立候補した須藤安昭氏、林芳子氏の2人が議員復帰を目指す可能性はありそうだが、現状はほかに立候補の可能性がありそうな人の動きは見えてこないようだ。  ある議員は、地元行政区で「自分は今期で引退して、誰かにバトンタッチしたい」旨を伝えたところ、自薦他薦ともに後継者になり得る人が出てこなかったという。かといって、「この地区から議員がいなくなるのは困る」との意見もあったことから、やむなく「自分がもう1期やるしかない」という結論に至った事例もあると聞く。それだけ、なり手がいないということだ。  そのため、村内では「『現状維持』にしておきながら、定数割れが起きるのではないか」と懸念する声もあり、もしそうなったら、より批判が大きくなるだろう。  定数割れにならないまでも、「タダでなれるなら」と、何の考え・信条もなく、立候補する人が出てくる可能性もあり、「そうなったら、議会の質の低下を招くのではないか」と憂える住民は少なくない。 平田村議会 平田村役場  平田村議会は、昨年9月に3回の全員協議会を開き、議員定数について検討した。  その中で出された意見は、「人口が減少していることや、住民の声などを踏まえると、削減すべき」というものと、「削減ありきではなく、総合的に考えるべき」というもの。そのほか、「20年以上の議員は引退して後継者に託すべき」、「若い人が立候補できるような条件整備が必要」、「仮に議員を2人削減しても、費用面での効果は予算総額の0・17%に過ぎない」といった意見もあった。当初は、条件付きでの「削減派」が8人、「現状維持派」が4人だったという。  その後、検討が進められる中で、定数を削減した場合、現状維持とした場合のメリット・デメリットが挙げられた。  削減のメリット▽経費削減、意見の集約が早い、議員のレベルアップにつながる、住民からの意見を反映した議員活動がしやすくなる、議員と村民の距離が縮まり議員活動がしやすい。  削減のデメリット▽議員のなり手を狭める、意見が偏る傾向がある、多くの意見が上がらない、委員会が少人数になる、住民の意見が反映されにくくなる、少数意見になり村民のニーズから遠くなる、執行者への監視が不十分になる、多様な意見や考えが反映されず結果十分な議論ができずに決定されてしまう、行政と住民の橋渡しが薄れる、現職議員が有利で若年層・女性の進出が困難になる。  現状維持のメリット▽村民の意見が届きやすい、議員のなり手の門扉を開く、委員会の構成人数が良い、多数精鋭を目指し広く村民の声を反映できる、多数の意見を集約できる、多様性が維持される、新たな立候補者が出やすくなる。  現状維持のデメリット▽議員の資質低下、意見の集約に時間がかかる。賛否拮抗で結論持ち越し  こうして、意見が出されていくうちに、「削減派」と「現状維持派」が拮抗していき、最終的には6対6になった。そのため、「今回は現状維持とし、これらの問題に対しては、住民からの意見等も聞きながら、次期議員で引き続き協議を進めるべきである」との結論に至った。  つまりは、結論を改選後の議会に持ち越したのである。  同村が古殿町、玉川村と少し違うのは、早い段階で新人2人が立候補の動きを見せているのだという。現職は引退する意向の人はおらず、ほかに元職1人が立候補するのではないかと言われている。現状、現職12人、元職1人、新人2人で、選挙戦になるのが濃厚だ。「それだけ、なり手がいるのはいいことだ」と見る向きもあれば、「現職議員は、厳しい選挙戦が予想されるから、減らしたくなかったのだろう」といった批判もあるようだ。  以上、古殿町、玉川村、平田村の議員選挙に向けた定数削減議論について見てきたが、3町村で完全に対応が分かれた格好。同じ石川郡で、同時日程で選挙が行われるだけに、当該町村の住民・関係者などからは「ウチはこうだったけど、向こうはどういう流れであの結論に至ったのか気になる」と、それぞれが気にしている様子。そんな中で、何が正解かと言ったら、「住民にとって有益な議会・議員であるかどうか」しかない。住民にとって有益な存在であれば、「定数を削減すべき」といった意見は出てこないだろうから。削減したところも、現状維持としたところも、一番に意識すべきはそこだ。

  • 【須賀川】無風ムードを一変させた橋本市長不出馬表明

     1月5日、須賀川市の橋本克也市長(60)=4期=が8月10日の任期満了に伴う市長選に立候補せず、今期限りで退任すると発表した。有力な対抗馬が見当たらず、年齢も若いため5選出馬は確実とみられていたが、当の橋本氏は「最初から今期で退任すると決めていた」。首長の多選批判が以前ほど聞かれなくなっていた中、潔く退いていく橋本氏の後釜は誰になるのか。(佐藤仁) 候補者に名前が挙がる3氏の評判 橋本克也市長  橋本氏の退任をスクープしたのは福島民報だった。1月5日付の1面に「現職橋本氏 不出馬の意向」と見出しを掲げ、その日の午前中に開かれた定例会見で橋本氏が正式に今期限りでの退任を発表した。  橋本氏は会見でこう語った。  「政治に終着点はなく、新たな課題は次から次に現れる。だからこそ与えられた時間の中で常に全力を尽くし、自らを戒めながら前へ進む。そして終わりがないからこそ果たした役割に得心した時、自身で終着点を定めることを念頭に置き続けてきた。この信念のもと、8月で4期目の任期が満了するので約30年の政治活動に終止符を打つ決断をした」  4期16年務めたが、会見では本当は3期12年で退任するはずだったことも明かされた。いわば想定外の4期目を務めたのは、令和元年東日本台風による水害と新型コロナという想定外の事態が起こり、市政を投げ出すわけにいかなくなったからと説明した。3期で辞めることは、市長就任当初から家族や石井敬三後援会長らにずっと伝えてきたという。  橋本氏は1963年須賀川市生まれ。須賀川(現須賀川創英館)高、駒沢大法学部卒。行政書士などを経て1995年の県議選(須賀川市選挙区=定数2)に自民党公認で立候補、当時最年少の31歳で初当選を果たし、同党県連幹事長などの要職を務めた。4期途中の2008年3月に県議を辞職し、同年7月の市長選に立候補。元県議の川田昌成氏を退け、平成の大合併を経た現須賀川市の2代目市長に就任した。以降連続4期務めるが、選挙戦になったのは1期目だけで、あとは3回連続無投票当選だった。  今まで選挙戦にならなかった状況を見ても、市内に有力な対抗馬がいないことが分かる。年齢も4月で61歳と政治家としては若い。それだけに「5期目、6期目もいける」との声が大勢を占めていた中、今回の不出馬表明に驚く人は多い。  ある政治経験者は「背景に父・安司さんの存在があったのかもしれない」と推測する。  1983年から県議を務めた橋本安司さんは市長候補にも名前が挙がる自民党若手の有望株だったが、3期途中に55歳の若さで急逝。そのあとを継いで県議になったのが長男の克也氏だった。  「安司さんが若くして亡くなったので、人生後半の私事を大切にしたいという気持ちがあったのかも。31歳で県議となり今年で政治家歴30年。実年齢は60歳と若くても、政治家歴としてはベテラン。ここで退いても不思議ではない」(同)  橋本氏の退任理由は別掲の本誌単独インタビューで詳しく述べているので参照いただきたいが、橋本氏が繰り返し述べていたのは「市長を長く続けるより、決められた時間の中で何をやったかの方が価値がある」ということだ。橋本氏が市長在任中に何をやって、それを市民がどう評価しているかは検証する必要があるが、いわゆる首長の多選は浅野史郎氏(宮城)や増田寛也氏(岩手)など改革派知事と言われた人たちの存在感が薄くなっていくと、否定的な声は聞かれなくなった。そうした中で5期目、6期目の芽もあった橋本氏の退任を、他の多選首長がどう受け止めるのかは興味深い。 市議選を見送った安藤聡氏 安藤聡氏  橋本氏の不出馬表明で、8月10日任期満了に伴う市長選には誰が名乗りを上げるのか。  民報に橋本氏の不出馬を〝抜かれた〟福島民友は、1月6日付の1面で前市議会副議長の安藤聡氏(53)が立候補の意思を固めたと報じた。  1970年須賀川市生まれ。東京観光専門学校を卒業後、民間企業に就職。須賀川青年会議所理事長などを経て2011年の市議選で初当選し連続3期。19年9月から4年間は副議長を務めたが、昨年8月6日投票の市議選は立候補しなかった。  安藤氏に取材を申し込むと、こんな答えが返ってきた。  「市長選への出馬意思は以前から周囲に伝えていた。昨年の市議選に立候補しなかったのは、市長選を見据え、公務で縛られていた状況から解放され、市内をいろいろ見て回りたいと思ったから。もし橋本氏が5期目を目指したとしても、市長選に挑む考えでした」  家族や近い人からは市長選出馬に理解を得ており、後援会や市民からも好意的な声が寄せられていると話す安藤氏だが、地元有権者からは厳しい意見も聞かれる。  というのも安藤氏は、初当選した2011年の市議選(定数28―32)では1310票を獲得し10位当選だったが、15年(定数24―27)は976票で21位当選、19年(定数24―24)は無投票当選だった。  「市議選でずっと上位当選していれば別だが、得票数を大きく減らしただけでなく、選挙を経ずに議員バッジを付けているようでは市長選に出ても勝負にならないのでは。そもそも昨年の市議選を見送ったのも、立候補してさらに得票数を減らしたり、万が一落選すれば市長選に出られなくなる心配があったから、とも言われています」(地元有権者)  選挙で最も肝心な地元の評価を高めないと、票は伸ばせない。 劇薬と敬遠される水野氏 水野透氏  安藤聡氏のほかに立候補の可能性があるのが水野透県議(56)だ。  1967年須賀川市生まれ。須賀川高を卒業後、明治学院大入学。1年間のアメリカ留学を経て文教大文学部を再受験し合格。卒業後、市役所に入庁し20年勤め、2014年に行政書士事務所を開設した。15年から市議(1期)を務め、19年の県議選で自民党から立候補し初当選、昨年11月に再選された。  「市職員時代に経験した震災を機に政治家を志した。以前から『将来的には市長に』と言っていた。市役所退職後は福祉行政に携わった経験を磨きたいと、早稲田大大学院で発達心理学を学んだ」(事情通)  もともと市長への強い意欲を持っていたとされる水野氏だが、橋本氏が現職のうちは市長選に立候補する考えはなかったという。  「水野氏は市職員として橋本市長に仕え、尊敬もしていたので直接対決する考えは一切なく、立候補するなら橋本市長退任後と決めていた。ただ、今期限りで退くとは全く思っていなかったようです」(同)  加えて今の水野氏は市長選に立候補しづらい立場にある。昨年11月に県議に再選されたばかりで、7月下旬に行われるとみられる市長選に立つと2期目の在任期間は7、8カ月で終わってしまう。須賀川市・岩瀬郡選挙区(定数3―4)で3位当選の水野氏は7777票を獲得しているが、あっさり辞めるようだと「負託にこたえていない」との批判が出かねない。県議会で務める農林水産委員長のポストも、短い期間で投げ出す印象を持たれてしまう。  「ただ、今後の市政の課題に財政再建が挙げられる中、最も市長に適任なのは水野氏と言われている。水野氏は厳しい経営にあった義父の会社を立て直し、黒字に転換させた実績があるからです。とはいえ容赦ないコストカットや『民でできることは民へ』と急激な移行を推し進める可能性があり、市役所内では『水野氏の市長就任は劇薬』と敬遠したい雰囲気が漂っています」(同)  果たして、水野氏に市長選立候補の意思はあるのか。本人に尋ねるとこのように答えた。  「立候補する・しないは白紙の状態。熟慮を重ねていきたい」  そのつもりがなければ「ない」と断言するはず。熟慮中ということは立候補の可能性を模索していると見てよさそうだ。  市内ではもう一人、候補者に名前の挙がっている人物がいる。安藤基寛副市長(62)だ。 安藤基寛氏  1961年須賀川市生まれ。須賀川高卒業後に市役所入庁。観光交流課長、文化スポーツ部長などを歴任し58歳で退職。2019年4月から副市長を務める。現在2期目。  「橋本市長に請われて副市長に就き、とても信頼されている。橋本市長が安藤氏を抜擢したのは、自分の後釜として期待していたから、という話もあります」(市職員)  別掲の単独インタビューで、橋本氏は「次の市長について」という質問に「私が手掛けた政策を一緒に進めてきた方もいるので、そういう方に担っていただけるのが望ましい」と回答。後継指名はしないとする橋本氏だが、ここまで挙げた3氏の中で「一緒に進めてきた方」に最も近いのは安藤副市長だろう。 歴代の須賀川市長を見ると、高木博氏(1984~96年)は元助役、相楽新平氏(96~2008年)は元収入役。人口30万人前後の中核市では副市長から市長になるのは知名度不足で難しいが、約7万3000人の須賀川市なら本人は無名でも強力なバックアップがあれば当選は十分可能。高木氏と相楽氏に続き〝二度あることは三度ある〟が起きるかもしれない。  もっとも、当の安藤基寛氏は立候補にかなり後ろ向きだ。  「名前が挙がるのは光栄だが、自分には体力も胆力もなく、最も肝心な覚悟もない。重責を担う器ではないと思っています」 次の市長を待ち受ける課題  今はそう話す安藤氏だが、数カ月後には覚悟を決めている可能性もゼロではない。  さて、次の市長を待ち受ける市政の課題は何か。市議会の大寺正晃議長に意見を求めると、真っ先に挙げたのは財政問題だった。  「須賀川市の財政は健全だが、非常事態が続いた影響で基金が大幅に減っている。今は何が起きても不思議ではない時代。今後の不測の事態に備えるためには、しっかり基金を積み立てないと市政が立ち行かなくなります」(大寺氏)  大寺氏の言う通り、市が公表している財政資料を見ると、2022年度決算に基づく健全化判断比率、資金不足比率はそれぞれ早期健全化基準、経営健全化基準を下回っており健全と判断されている。23~27年度を計画期間とする市財政計画も一層の健全化を図る目的で策定されたもので、財政が切羽詰まった状況に置かれているわけではない。  ただ基金の状況(期末残高)を見ると、2018年度に47億2600万円あった財政調整基金は21年度には16億7700万円に減少。度重なる災害とコロナへの対応で毎年度多額の取り崩しをせざるを得なかったことが原因だが、今後の見通しではさらに毎年度減っていき、27年度には6億8700万円になると想定されている。  市では標準財政規模(約190億円)の10%程度の基金残高を目指しており、決算剰余金を可能な限り積み立てていく方針。さらに3月定例会に提案予定の2024年度当初予算は、義務的経費を除き「23年度当初予算一般財源×0・9以内」の計算式でマイナス10%シーリングを設定することも発表されている。  大寺氏が指摘するもう一つの課題はトップセールスへの注力だ。  「橋本市長は震災からの復興、さらには水害、福島県沖地震、コロナもあり市政を立て直すことに精一杯で、須賀川市の対外的なPRは力を注ぎたくても注げずにいた。急速な少子化に加え、若者が市外に流出する中、移住・定住や交流・関係人口を増やすことは絶対に必要な取り組み。次の市長には須賀川市の魅力を伝え、人や物を呼び込むトップセールスに積極的に臨んでほしい」(同)  特撮の神様・円谷英二さんの出身地である須賀川市はウルトラマンを前面に打ち出し、2016年の県観光統計をもとに推計されるウルトラマン目的の観光来訪者数は34万5000人、観光消費額は28億7000万円となっているが、効果的なトップセールスが展開されれば更なる経済効果や人の流入につながるかもしれない。  今号が店頭に並ぶころ、橋本市長の任期は残り半年になる。立候補者がこれらの課題を念頭にどんな公約を掲げ、首長の多選についてはどう考えるのか、発言に注目したい。 橋本市長インタビュー 不出馬表明の真意を語る橋本氏  橋本市長は1月15日、本誌の単独インタビューに応じた。  ――4期16年務めたわけですが、3期12年を区切りと考えた理由は。  「権不10年という言葉がありますが、私はそこまで大上段に構えるつもりはありません。ただ同じ体制が長く続けば、本人はともかく組織が緩んだり、逆に硬直化する可能性はあると思います。首長は年度途中に就任すると、前任者のもとで行われた予算、事業、人事を受け継ぐことになるので、自分の色を出せるのは就任3年目くらいからです。そう考えると、3期務めて実質10年は自分が思い描く政策をやり遂げるのにちょうどいい期間だと思います。  結果として4期16年務めることになりましたが、正直4選を目指す際は躊躇もしました。ただ、当時は令和元年東日本台風で甚大な被害を受け、そのあとには新型コロナが拡大するなど市政は非常事態に陥っていました。そうした困難を見過ごすわけにはいかないし、市長として東日本大震災からの復興を推し進めた中で得られた知識や人脈が水害やコロナ対策に生かせるならと考え、4選出馬を決めた経緯があります。ですので、私の中で最後の4年間は4期目というより3期目の延長という言い方の方が合っています」  ――市長の前は県議を務めていましたが、やはり議員と首長は違う?  「私より長くその任に当たっておられる方も大勢いるので言い方には注意しなければなりませんが、ここからは私の政治信念ということで聞いていただけるとありがたいです。  私は地方政治にこだわり、県議時代から市民の皆さんと直接接点を持ち続けることの価値を感じてきました。私が市長になったのは、皆さんから寄せられた声を具体的に実現していくためには執行者になるしかないと思ったからです。一方、私は市長になることが目的ではなく、自分の掲げる政策を具体化する手段が市長だっただけなので、もともと長く続ける考えはありませんでした。10年でこれを成し遂げると決めたら、その10年に全力を注ぐ。これが私の性分なので、市長就任後は常に100%の力を出し切ってきました」  ――水害やコロナがなければ4期目はなかったということは、3期終えて退任していたらその時の年齢は56歳です。政治家としてはまだまだお若いですが、それでもスパッと引退していましたか。  「私は市長を長く務めることが目的ではなく、与えられた時間の中で何をやったかの方が価値があると思っているので、年齢を意識したことはありません。そもそも県議に初当選したのが31歳でしたから、そこから約30年この世界に身を置いたことを考えると、やっていた期間は短いわけではないと思います。首長は、始める時は『自分しかいない』と信じ切らなければならないが、終わりが近付いている時に『自分しかいないと思い込むのは非常に危険』と感じていたので、惜しんでいただけるのはありがたいが終わりは自分で決めると最初から考えていました」  ――市長のお父様が亡くなられたのが50代半ばだったので、それと重ねて56歳で退任すれば、その後の人生を有意義に過ごせるという考えもあったのかどうか。  「あー、なるほど。父が亡くなったのは55歳でしたからね。  私は幼少のころから政治家を志していたわけではなく、むしろ否定的な感じで父を見ていました。大学卒業後は政治とは無関係の世界で生きていましたし、政治家の家族にしか分からない部分も見てきたので、そう思うのはご容赦いただきたいのですが、父が急逝した時、多くの方がやり切れない思いを抱えていることを知り、その思いを受け止めるには自分が県議選に出馬するしかないと考えました。正直当選できるとは思っていませんでしたが、もし落選しても一度でも出馬すれば支持者の皆さんの気持ちを汲むことになるだろうと。もちろん出馬を決断するまでには覚悟を要しましたが、実際にやってみて大勢の方に支えていただいたことで、なぜ父が政治に携わっていたのかを初めて理解できたのは本当に幸せでした」  ――市長は退任するが、政界自体から引退すると解釈していい?  「私がこだわってきたのは地方政治で、それ以外の考えは一切持ち合わせていません。自分としてはここで終止符を打つと。いや、曖昧な言い方はよくないので、はっきり『ない』と申し上げておきます」  ――任期中、自身の成果として挙げられる政策は何ですか。逆に今後の市政の課題は。  「私は『市民との協働のまちづくり』という目標を掲げて市長職に臨みました。そこには行政主導ではなく、市民が主体となってまちづくりを進めるべきという思いが込められていました。しかし、就任2年半で震災が起こり目標の実現は難しくなったと思っていたら、市民の皆さんは自ら被災しているにもかかわらず公助が思うように行き届かない中、自助と共助で困難を乗り越えようとしていました。あの状況下で市民協働の意識が必然的に生まれていたんですね。そんな姿を目の当たりにした時、目標をあきらめる必要はないと思ったし、これを復旧・復興で終わらせるのではなく、震災前より素晴らしいまちにしなければならないとの思いから『創造的復興』という目標を掲げ、ピンチをチャンスに変える取り組みを行ってきました。  その象徴が市民交流センター『tette』です。いわゆる効率重視のハコモノではなく、老若男女問わず多くの市民にワークショップに参加していただき、そこで集まった意見を市民自らが取捨選択し、本当に必要な要素を詰め込んだ施設として建設されました。まさに市民協働のシンボルであり、市内外から高い評価をいただき、2019年1月の開館から昨年12月末には来館者数265万人に到達しました。  一方、今後の課題としては、これだけの難局を乗り越えてきたので財政的には厳しい状況にあります。平時に戻った時の行財政改革、そして急速に進む少子高齢化への対応は待ったなしだと思います」  ――今回の退任の決断に、ご家族はどんな反応をされていましたか。  「私の考えはいろいろな場面で話していたので、当たり前のこととして受け止めてくれたのかなと思っています。子どもたちは今回の決断にホッとしているかもしれません」  ――市長退任後は何をしたい?  「あと半年はこの職責を担うわけですから、退任後のことを具体的に話すのは控えます。ただ人生の半分を公人として過ごしてきたので、疎かになっていた私事を大切にしていきたいですね」  ――最後に、次の市長について。  「2期目以降、無投票で市長を担わせていただき、それが『引き続き市政を任せる』という私への評価だとするならば、私が手掛けた政策を一緒に進めてきた方もいるので、そういう方に担っていただけるのが望ましいと考えています。ただ、それは私の個人的な意見であり、あくまで市長は有権者たる市民の皆さんが選ぶものと思っています」

  • 【衆院新2区最新情勢】大物同士が激しい攻防【根本匠】【玄葉光一郎】

     1票の格差を是正するため、衆議院小選挙区の数を「10増10減」する改正公職選挙法が2022年12月に施行され、福島県選挙区は5から4に減った。各党は次期衆院選に向けた候補者調整を進めているが、新2区では自民党・根本匠氏(72)=9期=と立憲民主党・玄葉光一郎氏(59)=10期=が激突。共に大臣経験者で、全国的にも勝負の行方が注目される選挙区だ。両氏は旧選挙区時代からの地盤を守りながら、新選挙区に組み入れられた市町村の攻略に心を砕いている。 予算確保で実力見せる根本氏、郡山で支持拡大を図る玄葉氏 新春賀詞交歓会で鏡開きのあとに乾杯する来賓  1月4日、郡山市のホテルハマツで開かれた新春賀詞交歓会。会場内はコロナ前の雰囲気に戻り、多くの政財界人が詰めかけていたが、舞台前の中央テーブルには根本匠氏と、少し距離を空けて玄葉光一郎氏の姿があった。  会が始まると、根本氏は舞台に上がり祝辞を述べたが、玄葉氏にその機会はなかった。根本氏にとって郡山は旧2区時代からの強固な地盤。新参者の玄葉氏が祝辞を述べられるはずもない。  しかし、続いて行われた鏡開きの際は様子が違った。互いに法被をまとい、木槌を手に威勢よく酒樽を開けていた。そもそも旧2区時代は会場に姿がなかったことを思うと、郡山が玄葉氏の選挙区になったことを強く実感させられる。  新2区は郡山市、須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡で構成される。旧選挙区で言うと、郡山市が旧2区で根本氏の選挙区、それ以外は旧3区で玄葉氏の選挙区。  別表①は県公表の選挙人名簿登録者数である(2023年12月1日現在)。郡山市が全体の62・5%と大票田になっているのが分かる。 表① 選挙人名簿登録者数 郡山市266,728 人須賀川市62,544 人田村市29,392 人岩瀬鏡石町10,364 人天栄村4,572 人石川石川町12,154 人玉川村5,294 人平田村4,754 人浅川町5,103 人古殿町4,064 人田村三春町14,129 人小野町7,940 人合計427,038 人※県公表。昨年12月1日現在。  前回2021年10月30日に行われた衆院選の旧2区、旧3区の結果は別掲の通り。その時の市町村ごとの得票数を新2区に置き換えたのが別表②である。表中では上杉謙太郎氏が須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡で獲得した票を根本氏に、馬場雄基氏が郡山市で獲得した票を玄葉氏に組み入れている。 表② 根本氏と玄葉氏の得票数(シミュレーション) 根本氏玄葉氏郡山市75,93764,865須賀川市15,38621,819田村市6,91113,185岩瀬鏡石町2,9043,592天栄村1,5391,880石川石川町4,0124,554玉川村1,6522,024平田村1,4721,958浅川町1,8491,788古殿町1,3231,757田村三春町2,7466,372小野町2,6123,301合計118,343127,095※前回2021年の衆院選の結果をもとに、上杉謙太郎氏の得票を根本氏、馬場雄基氏の得票を玄葉氏に置き換えて本誌が独自に作成。  このシミュレーションだと根本氏が11万8343票、玄葉氏が12万7095票で、玄葉氏が8752票上回る。ただ、上杉氏から根本氏、馬場氏から玄葉氏に代わった時、実際の有権者の投票行動がどう変わるかは分からない。  票の「行った・来た」で見ると、新2区への移行は根本氏に不利、玄葉氏に有利に働いている印象だ。というのも、根本氏は旧2区の二本松市、本宮市、安達郡で馬場氏より6000票余り多く得票していたが、これらの市・郡は新1区に移行。逆に玄葉氏は、旧3区の白河市、西白河郡、東白川郡で上杉氏に500票余り負けていたが、これらの市・郡は新3区に組み入れられた。一方、上杉氏に勝っていた須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡は新2区にそのまま残った。  「勝っていた地盤」を失った根本氏に対し「負けていた地盤」が切り離された玄葉氏。加えて根本氏は、固い地盤のはずの郡山で無名の新人馬場氏に追い上げられ、比例復活当選を許してしまった。  「前回衆院選の結果だけ見れば玄葉氏が優勢。玄葉氏は前回まで、上杉氏を相手にいかに票の減り幅を抑えられるか守りの選挙を強いられてきた。しかし新2区では、大票田の郡山をいかに切り崩すか攻めの選挙に転じられる。これに対し根本氏は前回、地元郡山で馬場氏に迫られ、今度は玄葉氏を相手に防戦しなければならない」(ある選挙通) 派閥の問題で強烈な逆風 根本匠氏 玄葉光一郎氏  根本氏も玄葉氏も、守りを固めて攻めたいと思っているはずだが、現状で言うと、それができそうなのは玄葉氏のようだ。例に挙げられるのが昨年11月に行われた県議選だ。  定数1の石川郡選挙区は自民党新人の武田務氏と無所属新人の山田真太郎氏が立候補したが、根本氏は武田氏の選対本部長に就き、玄葉氏は連日山田氏の応援に入るなど代理戦争の様相を呈した。  「石川郡選挙区はこれまで、玄葉氏の秘書だった円谷健市氏が3回連続当選を果たし、自民党は前回(2019年)、前々回(15年)とも円谷氏に及ばなかったが、組織的な選挙戦が行われなくても円谷氏と数百票差で競っていた。そうした中、今回は根本先生が直々に選対本部長に就き、徹底した組織戦を展開するなどかなりの手ごたえがあった」(地元の自民党関係者)  この関係者は勝っても負けても僅差になると思っていたという。ところが蓋を開けたら、逆に1000票以上の差をつけられ武田氏が落選。すなわちそれは、玄葉氏が旧3区時代からの地盤を守り、根本氏は積極介入したものの攻め切れなかったことを意味する。  ただ、根本氏の攻めの姿勢はその後も続いている。  「須賀川、田村、岩瀬、石川地区を隅々まで見て回った根本先生の第一声は『ここは時が止まっているのか』だった。政治が行き届いていないせいなのか、風景が昔と変わっていないというのです」(同)  旧3区の現状を把握した根本氏が行ったのは、徹底した予算付けだった。市町村ごとに予算がなくてできずにいた事業を洗い出し、根本氏が関係省庁に直接電話して必要な予算を引っ張ってきた。  「当時の根本先生は衆議院予算委員長。『予算のことなら任せろ』と強気で言い、実際、すぐに必要な予算を引っ張ってきたので、市町村長や議員は『今まで要望しても予算が付かなかったのでありがたい』と感激していた」(同)  別表③は根本氏が国と折衝し、昨年12月までに交付が決まった予算の一部である。どれも住民生活に直結する事業だが、金額はそれほど大きくないものの市町村単独では予算を確保できずにいた。政府に近い与党議員として力を発揮し、滞っていた事業を動かした格好だ。 表③ 根本氏が付けた主な予算 石川町県事業、いわき石川線石川バイパス5億円浅川町県事業、磐城浅川停車場線本町工区1億1200万円浅川町町事業、曲屋破石線2800万円平田村国道49号舗装整備(520m)3億1300万円須賀川市市道1-22号線浜尾工区(雲水峯大橋歩道整備)2億7000万円※平田村の3億1300万円は猪苗代町、いわき市と一緒に維持管理費として交付。  これ以外にも根本氏は▽釈迦堂川の国直轄部分の河川改修を促進(須賀川市)▽数年前から懸案となっていた県道あぶくま洞都路線の路面改良を実現(田村市)▽午前6時から午後10時までしか通行できなかった東北自動車道鏡石スマートICの24時間化を実現(鏡石町)▽もともと通っていた中学校の閉校で別の中学校に超遠距離通学しなければならない生徒に、タクシー送迎を補助対象に認める(天栄村)――等々を短期間のうちに行った。  地元政治家として長く君臨し、民主党政権時代には外務大臣や党政策調査会長などの要職を歴任した玄葉氏がいても、これらの事業は一向に実現しなかったということか。やはり与党と野党の政治家では、省庁の聞く耳の持ち方が違うのか。そもそも玄葉氏は、根本氏のような取り組みを「おねだり」と称すなど消極的だったが、市町村や県の力で解決できない困り事を国の力で解決するのは地元国会議員がやるべき当然の仕事だ。玄葉氏は県議選で「野党の国会議員だから仕事ができないというのは誤った認識」と述べていたが、こうして見ると、期数はほとんど変わらないのに与野党の立場の差を感じずにはいられない。  とはいえ、こうした予算が付いて喜んでいるのは市町村長や議員ばかりで、一般市民は河川改修や道路工事が進んでも、その予算が誰のおかげで付いたかは知る由もないし、関心を向けることもない。極端な話、市民が政治家に関心を向けるのは何か悪いことをした時くらい。今だと自民党派閥の政治資金パーティー問題が一番の関心事ではないのか。  マスコミの注目は最大派閥の安倍派と二階派だが、根本氏が所属する岸田派も会長の岸田文雄首相が真っ先に解散を宣言するなど、その渦中にいる。しかも根本氏は、事務総長という派閥の中心的立場。「当然、裏のことも知っているはず」と見られてしまうのは仕方がない。  1月12日にはアジアプレスが、フリージャーナリスト・鈴木祐太氏が執筆した「根本氏刑事告発」の記事を配信した。  《2020年以降、事務総長を務めている根本匠衆議院議員(福島2区選出)が新たに刑事告発された。昨年12月まで会長を務めていた岸田文雄総理ら3人と合わせて、岸田派で刑事告発されたのは計4人となった》《事務総長は派閥の「実務を取り仕切っており、同会長と共に収支報告書の記載方針を決定する立場にあった」と、提出された告発補充書で指摘されている》(同記事より抜粋)  告発状を出したのは神戸学院大学の上脇博之教授。今、解散総選挙になれば根本氏には強烈な逆風が吹き付けるだろう。 目に見えて増えたポスター  「派閥の問題が起きて以降、郡山市内を回っていても『許せない』と憤る市民は増えていますね」  そう明かすのは玄葉光一郎事務所の関係者だ。  「刑事告発の報道が出た翌日、根本氏は会合で釈明したようだが、その場にいた人たちは『だったらきちんと説明すべきだ』とシラけていたみたいですね」(同)  玄葉氏としては、ここを突破口に根本氏の地盤である郡山に深く切り込みたいところ。しかし、現実はそうもいかないようだ。  「玄葉は1年前から郡山を中心に歩いており、留守がちの地元・田村は本人に代わって奥さんと娘さんが歩いている。この間、郡山で回れる場所は何度も回ってきました」(同)  一見すると、挨拶回りは順調そうに見えるが  「これまで業界団体の会合に呼ばれたことは一度もない。ずっと根本氏を支えてきた人たちですから、当然と言えば当然です。市の中心部も思うように歩けておらず、現時点では(郡山市内に)事務所を構える見通しも立っていない」(同)  長年かけて築かれてきた相手の地盤に切り込むのは、簡単ではないということだ。  昨年秋以降は、郡山市虎丸町に事務所を置く馬場雄基氏と連携を強めている玄葉氏。1月下旬からは、自身と接点の薄い地域は馬場氏が先に単独で回り、そのあとを玄葉氏が回るなど、作戦を練りながら市の中心部に迫ろうとしている。  その成果が表れつつあることは、郡山市内の立憲民主党関係者の話からもうかがえる。  「ポスターの数が目に見えて増えている。以前は増子輝彦氏(元参院議員)のポスターが貼られていた場所も玄葉氏のポスターに変わっている。一番驚いたのは室内ポスターが増えていることだ。家や事務所の中に室内ポスターが貼ってあるということは、その人に投票するという意思表示でもある。馬場氏のポスターは、道路端ではよく見るが室内ポスターを見かけることはない。玄葉氏も『郡山は回れば回るほど(票が)増える』と言っていますからね。玄葉氏が確実に郡山に食い込んでいることを実感します」  ただし、こうも付け加える。  「今の自民党はダメだから、受け皿として玄葉氏に票が集まるのは自然な流れ。しかし、玄葉氏に投票した人が立憲民主党を支持しているかというとそうではない。自民党の支持率は下がっているのに、立民の支持率が上がらないのがその証拠。そもそも玄葉氏は党代表候補に挙がったことがないし、党のあり方を本気で語ったこともない。要するに、玄葉氏に投票する人たちは『玄葉党』の支持者なのです」(同)  旧3区でも市町村議や県議は自民党候補を応援するが、国会議員は玄葉氏に投票する人が大勢いた。郡山でもそうしたねじれ現象が見られるかもしれない。玄葉氏は田村出身だが、郡山の安積高校卒業なので同級生が頼りになる。岳父の佐藤栄佐久元知事は郡山出身で、栄佐久氏の支持者が健在な点も郡山にさらに食い込む材料になりそう。  もっとも、これらの材料は我々のような外野が思っているほど当事者は有利に働くとは考えていない。前出・玄葉事務所関係者の話。  「安積高校卒業は根本氏もそうだし、栄佐久氏の支持者はずっと根本氏を支持してきた。周りは『同級生や岳父がいる』と言うが、その人たちが玄葉が来たからといって急に根本氏から鞍替えするかというと、そうはなりませんよ」 知事選を気にかける経済人  郡山で着々と支持を広げる玄葉氏だが、そこには衆院選と同時に知事選の話も付きまとう。  本誌昨年8月号でも触れたが、玄葉氏をめぐっては、一度は政権交代を果たしたものの野党暮らしが長くなっているため、支持者から「首相になれないなら知事に」という声が上がっている。玄葉氏も本誌の取材に、そういう声を耳にしていることを認めつつ「今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての次の展望はない」と語っている。  郡山の経済人には、根本氏を支持しながら玄葉氏と個人的な関係を築いている人が結構いる。そういう経済人からは「知事選に出るなら出ると態度をはっきりさせてほしい」との本音も漏れる。  「このまま解散せず任期満了まで務めたら衆院選は2025年秋。一方、次の知事選は26年10月ごろ。そうなると仮に玄葉氏が衆院選に勝っても、1年しか務めずに知事選の準備をしなければならない。そんなのは現実的ではないし、幅広い支持層を取り込もうとするなら根本氏と真っ向勝負をして反感を買うのは得策ではない」(経済人)  ただ、内堀雅雄知事が4期目も目指すことになれば、内堀氏を知事に推し上げた玄葉氏が次の知事選に立候補する可能性はほぼなくなる。自分の思いだけでなく、環境も整わないと知事転身に踏み切れない以上、今は目の前の衆院選に全力を注ぐしかない。  元の地盤を守りながら未知の市町村を攻める根本氏と玄葉氏。前記・シミュレーション通りにはいかないだろうが、どちらが当選しても(あるいは比例復活で両氏とも当選しても)国会で仕事をするのは当然として、地元住民の生活に資する仕事をしてもらわないと住みよい県土になっていかないことを意識していただきたい。

  • 【鏡石町】議員同士の〝場外バトル〟

    鏡石町議会で、議員同士の〝場外バトル〟が勃発しているという。円谷寛議員が込山靖子議員に公開質問状を送付したというのだが、その背景には何があったのか。 議長落選者が同僚に質問状送付  任期満了に伴う鏡石町議選が昨年8月22日告示、27日投開票の日程で行われた。定数12に対し、現職6人、新人6人の計12人が立候補し、無投票で当選が決まった。その後、正副議長や常任委員長などが選任されたが、議会内のポスト絡みで議員同士の〝場外バトル〟が勃発しているという。  ある関係者はこう話す。  「円谷寛議員が込山靖子議員に公開質問状を送付したのです。その内容は、円谷議員が込山議員を糾弾するようなものです」  両議員は、どちらかと言うと議会内で近い立場にあったが、なぜ、円谷議員が込山議員に公開質問状を送付したのか。本誌はその公開質問状を入手した。内容は次の通り。   ×  ×  ×  ×  1、あなたはネットで「町はドブに金を捨てている」と主張していますが、内容をもっと詳しく教えてください。どんな無駄にいくらの金を捨てたのですか。  2、ネットで一般の人にそのように公言しながら、本定例会の本会議でも決算委員会においても、この件について一言も発言していません。これは前のネット発言でこの問題を知った町民はあなたがきっとこの問題を質してくれると思っていたのでは、と思います。これをどう説明するのですか。なぜ全く発言しないのですか。  3、あなたたち町政刷新の2人は、町議選後の8月26日、2回以上当選の議員の集まりから排除され、その中で私以外の3人はあなた(副代表)と代表の吉田孝司氏をこれからも排除することに合意しました。私はこれに反発し、「議長選に出てくれ」というあなたと吉田氏の要請で議長選に出て敗れました。その後にあなたの態度は急変しました。メールは全く返信なく電話もそそくさと切り、訪問しても玄関の中にも入れず話も聞いてくれませんでした。そのような態度の急変はなぜですか。  4、それ以上におどろいたのは相手側のあなたの変わりようです。あなた達を排除すべきことに同意していた小林議員は議長選後の人事について「込山」の名前の連発で副議長と同格とも言われる監査にも推薦する始末です。あなたを今回の決算審査特別委員長に推薦したが、あなたは辞退し、吉田氏が立候補すると、対立候補に畑氏が立候補し、吉田氏を排除しました。このように同じ会派の代表と副代表を徹底的に差別する相手の意図はどこにあると思いますか。あなたは議長選の票と監査のポストの取引はなかったのですか。  正直にお答えください。    ×  ×  ×  ×  文書(質問状)の日付は昨年10月15日付で、同月25日までの回答を求めていた。 関係者証言を基に解説 込山議員(「議会だより」より)  この内容について、本誌が関係者から聞いた話を基に解説していく。  1、2番目については、込山議員は以前、自身のSNSで「これは税金の無駄遣い」といった投稿をしたようだ。ただそれは町政についてではなく、もっと広い範囲での投稿だったという。  問題のポイントは3、4番目。吉田孝司議員と込山議員は「町政刷新かがみいし」という地域政党を組織しており、吉田議員が代表、込山議員が副代表という立場。この2人と新人議員6人を除いた4人の議員が集まった際、「吉田議員、込山議員とは一線を引く」といった話が出たようだ。それに円谷議員は反発し、そのことを吉田議員、込山議員に伝えたところ、両者から「向こう(吉田議員、込山議員とは一線を引くとした議員)に対抗するため、議長選に出てほしい。そのために支援する」旨を言われたのだという。もっともそれは円谷議員側の捉え方で、込山議員からすると、「もし、議長選に出るなら支援してもいい」程度の考えだったようだ。まず、この時点で両者の思いにズレが生じている。  ともかく、そうして円谷議員は議長選に出た。角田真美議員との一騎打ちになり、円谷議員は「どんなに少なく見積もっても4票は入るはず」と見込んでいたようだが、実際は3票しか入らず、角田議員が議長に選任された。その後、「吉田議員、込山議員とは一線を引く」としていた議員(小林政次議員)の推薦で込山議員は監査に就いた。一方で、吉田議員が決算審査特別委員長に立候補した際、「吉田議員、込山議員とは一線を引く」としていた議員らがそれを阻止した。すなわち、吉田議員の「排除」は継続されているのに、込山議員の「排除」は解除されたということができる。  そのため、込山議員は議長選で角田議員に投票する代わりに監査に推薦するといった裏約束があったのではないか、というのが3、4番目の質問の趣旨である。要するに、円谷議員は裏切られたとの思いを抱いているわけ。  もっとも、本誌が聞いた限りでは、前述したように、議長選について、込山議員は「もし、円谷議員が議長選に出るなら支援してもいい」程度の考えだったようだ。監査に就いたのは、同町議会は昨年8月の改選で、半数が新人議員になったため、2期以上の議員を優先に役職を割り振っていく中で、込山議員に役職が回ってきた、という側面もあるようだ。 当事者に聞く 円谷議員(「議会だより」より)  円谷議員に話を聞いた。  「私はネット(SNS)を見ないので分からないが、知り合いに聞いたところ、込山議員が『町はドブに金を捨てている』というようなことを書いていた、と。そういう人が監査になったので、これは見過ごせないと思い、どういう意図だったのか等々を聞こうと思いました。もう1つは、質問状に書いたように、私に議長選に出るよう要請しながら、対立候補と結託して、別の役職を得ました。さらにネットでは、私のことをだいぶ悪く書いているそう。ですから、その辺のところを明らかにしようということです」  円谷議員によると、質問状に対する回答はなかったという。  一方の込山議員はこう話していた。  「正直、誤解されている部分もあるし、いろいろと言いたいことはあります。ただ、私が反論すると、ことが大きくなりそうなので、これ以上は……」  前述したように、両議員はどちらかと言うと議会内で近い立場にあったが、これ以降はお互いがお互いを「信用できない」という状況になっているようだ。  一方で、町内では「もっとほかにやることがあるだろう」との声もあり、「仲良くやれとは言わないが、とにかく議員には『町の課題解決』を最優先に活動してほしい」といった思いを抱いている。 あわせて読みたい 【鏡石町】政治倫理審査後も続く議会の騒動

  • 選挙資金源をひた隠す内堀知事

     昨年11月に2022年分の「政治資金収支報告書」が公表された。この年の10月、福島県では知事選挙が行われたが、現職・内堀雅雄氏(59)はどのようなお金の集め方・使い方をして3選を果たしたのか。内堀氏が22年11月に県選挙管理委員会に提出した「選挙運動費用収支報告書」と併せて読み解くことで、内堀氏の選挙資金源を探っていく。(佐藤仁) パー券・会費収入を迂回寄付のカラクリ 内堀雅雄氏  2022年10月30日投開票の知事選は次のような結果だった。 当 57万6221 内堀雅雄 58 無現   7万7196 草野芳明 66 無新          投票率42・58%  自民、公明、立憲民主、国民民主の各党が推薦した内堀氏が、共産党推薦の草野氏を大差で退け3選を果たした。  票差を見ると、内堀氏にとっては楽な選挙だったと言えるのかもしれない。しかし、だからと言って選挙費用が安く上がるわけではない。選挙には、やはりお金がかかる。  選挙に立候補した人は、選挙費用をどうやって集め、何にいくら使ったかを選挙運動費用収支報告書にまとめ、選挙管理委員会に届け出る義務がある。  2022年の知事選について、内堀氏が同年11月14日に提出した同報告書を県選管で閲覧した。それをまとめたのが表①だ。内堀氏は同年9月2日から11月9日までの2カ月間で約1900万円を集め、ほぼ同額を使い切っていた。 表① 2022年知事選における内堀雅雄氏の選挙費用収支 収入(寄付)支出チャレンジふくしま1610万円人件費489万6400円県農業者政治連盟30万円家屋費278万5400円日本商工連盟10万円通信費110万9867円県商工政治連盟50万円印刷費621万0256円県中小企業政治連盟10万円広告費138万1485円県医師連盟100万円文具費2万6100円県薬剤師連盟10万円食糧費16万6865円福島市の会社役員1万円休泊費100万9020円日本弁護士政治連盟県支部5万円雑費161万3367円県歯科医師連盟100万円合計1926万円合計1919万8760円※選挙運動費用収支報告書をもとに筆者作成。収入の「福島市の会社役員」は原本 では実名で書かれているが、ここでは伏せる。  その収入は全て寄付でまかなわれており、県医師連盟と県歯科医師連盟の100万円をはじめ、各業界でつくる政治団体が5万~50万円を寄付していた。個人で1万円を寄付している人も一人いた。  100万円でもかなり多い寄付額だが、それを遥かに超える1610万円を寄付していたのが「チャレンジふくしま」(以下、チャレンジと略)という政治団体だ。全寄付額の8割超を占めている。  チャレンジとは、どういう団体なのか。  昨年11月24日に公表された2022年分の政治資金収支報告書を見ると事務所は「福島市豊田町1―33」、代表者は「中川治男」、会計責任者は「堀切伸一」となっていた。中川氏は佐藤栄佐久知事時代に副知事を務め、福島テレビ社長などを歴任。堀切氏は栄佐久氏の元政務秘書だ。  チャレンジは2022年9月1日に設立され、2日後の同3日に「内堀雅雄政策懇話会」(以下、政策懇話会と略。同会の詳細は後述)から3150万円の寄付を受けた。そこから翌4日に内堀氏個人に1610万円を寄付。これが表①の1610万円になる。  余談になるが、内堀氏がチャレンジから寄付を受けた日付は、選挙運動費用収支報告書では9月2日、チャレンジの収支報告書では9月4日となっており、どちらが正しいのかは判然としない。また運動員への日当も、一人に15万円を払っているとしながら、内訳には「1日1000円×15日」と書かれていた。  2日の誤差、1000円と1万円の勘違いと言えばそれまでだが、このような単純ミスが起こるのは、収支報告書が未だに手書きで提出されているからだろう。政府・与党はマイナンバーカードなどデジタルを導入することで国民の個人情報を管理しようとしているが、だったら収支報告書も手書きからデジタルに切り替えれば透明性が高まり、安倍派のキックバックのような事件も防げるのではないか。  それはともかく、3150万円のうち1610万円を寄付したチャレンジは、残り1540万円を何に使ったのか。  収支報告書は「1件当たり5万円未満のもの」は詳細を記載しなくていいことになっており、チャレンジの場合、5万円を超える記載は2022年10月15日に福島市の宴会場に会場費として支払った6万6550円の1件だけだった。つまり、1540万円ものお金が何に使われたのかが全く分からないのである。  表②に収支報告書に記載されている収支内訳を記したが、人件費に662万円、備品・消耗品費に580万円、事務所費に212万円、組織活動費に77万円も支出しておいてその詳細を一切明かさないのは異様。記載しなくても済むように、1件当たりの支出を5万円未満に抑えたのだろうか。表沙汰にできない支出をしていたのではないかと疑いたくなる。 表② チャレンジの収支 収入総額3150万円(前年からの繰越額)0円(本年の収入額)3150万円支出総額3150万円翌年への繰越額0円 支出の内訳経常経費人件費662万円光熱水費9万円備品・消耗品費580万円事務所費212万円小 計1463万円政治活動費組織活動費77万円寄付1610万円小 計1687万円合 計3150万円※1万円未満は四捨五入  ちなみに、チャレンジは政策懇話会から寄付された3150万円を使い切ったあと、2022年12月31日に解散。設立から解散まで、存在期間はたった4カ月だった。 「会費方式」で集めるワケ 内堀氏が関連する政治団体の事務所(福島市豊田町)  実は、内堀氏は2018年の知事選でも「『ふくしま』復興・創生県民会議」(以下、県民会議と略)という政治団体を知事選2カ月前に設立。政策懇話会から3650万円の寄付を受け、そこから内堀氏個人に1620万円を寄付し、残り2030万円を使い切って19年4月に解散している。  県民会議の事務所は「福島市豊田町1―33」、代表者は「中川治男」、会計責任者は「堀切伸一」。同じ場所と顔ぶれで看板だけを変え、このような組織をつくる狙いは何か。県選管に尋ねてみると、  「チャレンジがどういう目的で設立されたかは分かりません。政策懇話会からチャレンジを経由して、内堀氏個人に寄付が行われた理由ですか? うーん、分かりませんね」  県選管によると、政策懇話会から内堀氏個人に寄付するのは政治資金規正法上問題ないという。にもかかわらず、わざわざチャレンジや県民会議をつくり、そこを経由して内堀氏個人に寄付するのは奇妙だ。  迂回寄付の大元になっている政策懇話会は内堀氏の資金管理団体(公職の候補者が政治資金の提供を受けるためにつくる団体。政治家一人につき一つしかつくれない)で、昨年11月24日に公表された2022年分の政治資金収支報告書を見ると、こちらも事務所は「福島市豊田町1―33」、代表者は「内堀雅雄」、会計責任者は「堀切伸一」となっていた。  知事選挙が行われた2022年、政策懇話会は5月14日に福島市内で政治資金パーティー(内堀雅雄知事を励ます会)を開き、2059万円の収入を得ていた。パーティー券を購入したのは687人。1枚いくらかは分からないが、金額を人数で割ると2万9970円になる。  収支報告書には20万円を超える購入者の団体と金額が書かれていた。  県農業者政治連盟 149万円 連合福島     100万円 県建設業協会     61万円 県医師連盟      40万円  政治資金パーティーは2021、20年も開催されたのか、政策懇話会の過去の収支報告書を見たが記載はなかった。新型コロナの影響で自粛したとみられるが、18年の知事選では同年、前年、前々年と開催し、それぞれ3000万円前後の収入を得ていた。  政策懇話会には政治資金パーティーとは別の収入源もある。「個人の負担する党費又は会費」だ。収支報告書によると、2022年は153人から763万円を集めていた。割り算すると4万9869円だが、21年は153人から765万円、20年は157人から785万円を集め、こちらは割り算するとぴったり5万円になる。  つまり、政策懇話会は会員から年5万円の会費を集め、それが第2の収入源になっているのだが、ここに内堀氏の策略を感じるのである。  と言うのも、政治資金規正法では5万円を超える個人寄付者は名前、住所、職業、金額、寄付日を収支報告書に記載しなければならないと定めているが、5万円までの寄付なら記載しなくてもいい。  さらに言うと、政策懇話会の場合は「寄付」ではなく「会費」として集めており、会費は総額と人数だけを記載すればいいため、誰が払っているかは一切分からない。県選管にも確認したが「会費なら個人名等を書く必要はなく、金額も総額だけ書けば問題ない」。  そうやって内堀氏は①名前等を明かさずに済む5万円ぴったりに金額を設定しつつ、②寄付ではなく会費として集める――という〝二重のガード〟で資金協力者が誰なのかを隠しているのだ。 「特殊な手法」と専門家 政治学が専門の東北大学大学院情報科学研究科の河村和徳准教授  これについては、朝日新聞デジタル(2022年10月24日)が「1人5万円超でも匿名で政治資金集めが可能 埼玉で続く『会費方式』」との見出しで《5万円を超える寄付を受け取ると明かさなければいけない相手の名前が、政治団体の会費として受け取る場合は明かさなくてよい。埼玉県内の複数の政治家が、そんな政治資金の集め方をしていた》《こうした「会費方式」での資金集めについて、政治資金に詳しい岩井奉信・日本大名誉教授(政治学)は「あまり見たことがない」としつつ、「寄付ではなく会費として集めれば5万円を超えていても匿名のままで収入にできるという意味で、法の抜け道になっていると言える」》と問題提起している。  政策懇話会も、もしかすると5万円を超える多額の会費を払っている会員がいるかもしれない。それを寄付ではなく会費にすり替えて名前等の記載を避けているとすれば、法の穴を突いた狡猾なやり方と言えるのではないか。  試しに、内堀氏と同じように会費で集めている政治団体が他にもあるか確認してみたが、国会議員の政治団体の収支報告書には金額に差はあるものの数十万円から数百万円の記載があった。ただ、これは会費ではなく党費と思われ、金額も1人1000~2000円と少額だった。木幡浩・福島市長と品川萬里・郡山市長の収支報告書も見たが、会費の記載はなく、木幡氏は5万円を超える個人寄付者の名前等をきちんと記載していた。  内堀氏の特殊なお金の集め方を、政治学が専門の東北大学大学院情報科学研究科の河村和徳准教授は次のように解説する。  「内堀氏は寄付ではなく会費にすることで、誰が多くお金を出したとか、あの人は少ないとか、金額の多寡を見えなくしているように感じます。例えば、多く寄付した人は知事に言うことを聞いてもらえるんじゃないかと妙な期待をするし、少なかった人は収支報告書に名前が載ることで嫌な思いをする人もいるかもしれません。推測にすぎませんが、寄付額を正直に記載し、それが原因で支持者の関係がギクシャクした過去を陣営内で共有していた可能性もあります。ややこしさを一掃する点から、名前等を明かさずに済む会費として集めているのではないでしょうか」  河村准教授によると、背景には内堀氏が共産党を除く政党の相乗りで立候補していることが関係しているのではないかという。どこかの政党が突出して支援する形ではなく、内堀氏が好んで使うフレーズ「オールふくしま」で知事選に臨んでいることを対外的に見せるため、選挙資金も誰が多い・少ないではなく、みんなに支えられている形を取りたいのではないか、と。  「会費の額は割り算すると1人5万円。これなら『名もなき大勢の人たちが同じ会費を払って自分を支えてくれている』という印象を与えられます。アメリカのオバマ元大統領以降、広く普及した手法です」(同)  わざわざチャレンジや県民会議を経由して内堀氏個人に迂回寄付しているのも、お金の「出所」だけでなく「流れ」も見えにくくしたい都合が反映されているのかもしれないという。  「内堀氏は元総務官僚なので下手なことをしているとは思わないが、この手法はまわりくどく、全国的に珍しい。自身に還流させていると疑念を持たれる可能性もあるので、良い手法のようには思えません」(同)  ついでに言うと、内堀氏の名前がつく政治団体はもう一つある。「内堀雅雄連合後援会」。昨年11月24日に公表された2022年分の政治資金収支報告書を見ると、事務所は「福島市豊田町1―33」、代表者は「中川治男」、会計責任者は「堀切伸一」。  連合後援会の過去3年分の収支報告書を見ると、2020、21年は収入がなく、人件費や事務所費などを支出しているのみだったが、22年は4月1日に政策懇話会から300万円の寄付を受けていた。知事選挙のある年だけ活動しているようだ。  別掲の図は政策懇話会、チャレンジ、連合後援会、内堀氏の間でどのようにお金が流れているかを示したものだ。政策懇話会が政治資金パーティーと会費で資金をつくり、それがチャレンジに寄付されたあと、内堀氏個人に迂回寄付されたり、連合後援会の活動資金に充てられている構図がお分かりいただけると思う。 選挙費用を何に使ったか  こうして集められたお金は、知事選挙でどのように使われたのか。再び表①の支出をご覧いただきたい。  支出総額は1919万円。最も多かった支出は人件費で489万円だった。中身を見ると車上運動員に1日1万~1万5000円、事務員に同9000~1万円を払っていた。告示日の10月13日に461人に5000円の日当を払っているのはポスター張りとみられる。  次に多い支出は印刷費で、表では621万円となっているが、このうち249万円は公費負担の法定ビラと法定ポスターに当たるため、実際に内堀氏が支出した分は約371万円になる。福島市と郡山市の広告代理店が請け負っていた。  3番目は家屋費で、選挙事務所の開設(事務所賃貸料、電話設備代、備品レンタル代、火災保険料)や総決起集会を開いたホテルなどに会場費として払っていた。  そのほかはコーヒーやお茶、駐車料金やガソリンなどの雑費、チラシ折り込みや看板製作などの広告費、切手や郵便などの通信費、運動員の宿泊に支出された休泊費が100万円台で続いていた。  内堀氏の選挙費用約1900万円が多いのか・少ないのかは、県土の広さや人口の密集具合などによって選挙運動の大変さも変わってくるので一概には論じづらい。ただ、東北各県の知事が選挙費用をいくら使ったか見ると、村井嘉浩・宮城県知事(選挙実施日2021年10月31日、以下同)499万円、佐竹敬久・秋田県知事(同年4月4日)1737万円、吉村美栄子・山形県知事(同年1月24日)1793万円で内堀氏が最も多かった(達増拓也・岩手県知事は2023年9月、宮下宗一郎・青森県知事は同年6月が選挙だったため、選挙運動費用収支報告書はまだ公表されていない)。  これだけを比べるのは不公平なので、東北各県の知事の資金管理団体の収入も比べると(2022年分の政治資金収支報告書より)、佐竹秋田県知事4680万円、吉村山形県知事3562万円、内堀知事2822万円、村井宮城県知事428万円、達増岩手県知事180万円となっている(宮下青森県知事は2022年に届け出ている資金管理団体がなかった)。福島より面積が狭く、人口も少ない秋田、山形の知事が多くの収入を得ているのは興味深い。 クリーンさを〝演出〟  ついでと言っては何だが、内堀氏個人のお金にも目を向けてみたい。  知事は保有する資産等(土地、建物、預貯金、有価証券、自動車、貸付金、借入金)の内容や前年1年間の所得、会社から報酬を得ている場合はその会社に関する情報を報告する義務がある。内堀氏は県に資産報告書(2023年2月17日付)と資産等補充報告書(同年4月21日付)を提出しているが、目に付くのは八十二銀行の株券1000株、普通自動車1台、給与所得1798万円、出演料28万円のみ。もっとも預貯金は0円となっているが、普通預金と当座預金を除く預貯金(定期預金)を報告すればよく、土地や建物、有価証券や自動車も家族名義にしていれば報告義務がない。結局、内堀氏の実質的な資産はこの報告書だけでは分からない。  退職金はどうか。知事は1期4年務めるごとに退職金が支給される。金額は条例により「月額報酬(132万円)×在職月数(48カ月)×支給率(0・536)」=3396万0960円と定められている。現在、知事報酬は15%減額され、月112万2000円となっているが、退職金額は減額前の132万円をもとに計算される。  退職金は本人の申し出により通算で受け取ることも可能だが、内堀氏はどうしているのか。県福利厚生室に問い合わせると「個人情報に当たるのでお答えできない」。  内堀氏が知事選挙でどうやってお金を集め、何にいくら使ったのか、お分かりいただけただろうか。もっとも、ここで取り上げたのは公表の義務がある「オモテのカネ」で「ウラのカネ」がどうなっているのかは分からない。昔と違って今はお金をかけない選挙が当たり前だが、それでも知事選挙の費用が約1900万円で収まるとは考えにくい。  政治資金収支報告書は、収支が公表されているようで実際は何に使われているか分からない部分が多い。そこは法の不備が原因なので、内堀氏の責任ではないが、一つ言えるのは、内堀氏がクリーンな印象を持たれているのは「法律に基づいて公表すべき部分だけを公表している」からそう見えているに過ぎないということだ。正しくは「現行の法律下ではクリーンに見えるが、実際はどのようなお金の集め方・使い方をしているか分からない」と言うべきではないか。寄付ではなく会費で徴収したり、わざわざチャレンジや県民会議をつくってクリーンさを〝演出〟しているのが、その証拠である。 ※内堀雅雄後援会の中川治男氏と堀切伸一氏に、チャレンジを設立した理由や政策懇話会からチャレンジを経由して内堀氏に迂回寄付した理由など五つの質問を文書で行ったが、期日までに返答はなかった。

  • 【自民党裏金疑惑】福島県政界への影響

     自民党派閥の政治資金パーティー収入を巡る裏金疑惑。疑惑の背景や本県への影響、さらには野党が台頭できない理由などについて、東北大学大学院情報科学研究科准教授で、政治学が専門の河村和徳氏に解説してもらった。(志賀) 河村和徳東北大准教授に聞く 河村和徳東北大准教授  裏金疑惑が表面化した発端は、2022年11月にしんぶん赤旗日曜版が掲載した調査報道記事と、それを受けて独自調査を行った上脇博之・神戸学院大教授の告発状だった。  自民党5派閥が政治資金パーティーの収入を政治資金収支報告書に過小記載していたとする内容で、今年11月には東京地検特捜部が担当者への任意の事情聴取を進めていることが報じられた。  その後、5派閥の中でも最大会派である安倍派の2021年政治資金パーティーの収入額が著しく少ないこと、さらには議員ごとにパーティー券の販売ノルマが設定されており、ノルマを超えた分の収入を議員側に還流(キックバック)していたことが報道により明らかにされた。  政治資金収支報告書に記載されず〝裏金〟と化した金額は5年間で5億円に上り、議員ごとの金額は数千万円から数万円と差があるものの、所属議員の大半が受領したとみられている。12月14日には岸田文雄首相が安倍派所属の閣僚4人、副大臣5人を事実上更迭した。  県関係国会議員のうち、安倍派に所属するのは衆院議員の亀岡偉民氏(5期、比例東北ブロック)、上杉謙太郎氏(2期、比例東北ブロック)、菅家一郎氏(4期、比例東北ブロック)、吉野正芳氏(8期、旧福島5区)、参院議員の森雅子氏(3期、県選挙区)。ちなみに衆院議員の根本匠氏(9期、旧福島2区)は岸田派、参院議員の佐藤正久氏(3期、比例)は茂木派、星北斗氏(1期、県選挙区)は無派閥。  自民党県連会長の亀岡氏は12月16日、自身の連合後援会会合で、「自民党所属の県関係国会議員に疑惑について聞き取りをしたところ、確認が取れた議員全員が『裏金はやっておりません』としっかり返事していた」と話したという(福島民報12月17日付)。確認が取れた議員数は「9割程度」とのことで、自らの疑惑も否定した。 自民党県連会長を務める亀岡偉民氏  安倍派の衆院議員・宮沢博行氏(比例東海ブロック)は派閥から〝かん口令〟が出されていることを明かしていたが、亀岡氏は「口止めはないと思う」と答えた。「安倍派所属議員の大半が受領した」という情報は誤りなのか。12月19日には東京地検特捜部が安倍派と二階派の事務所の家宅捜索を行い、複数の議員秘書や受領したとされる議員にも取り調べを行っているというので、今後新たな情報が出てくる可能性もある。  政治学の専門家は現在進行形の疑惑についてどう見ているのか。東北大学大学院情報科学研究科准教授の河村和徳氏は次のように語る。  「国民はインボイスやマイナンバーカードへの対応を迫られているのに、国会議員が不透明な手書きの政治資金収支報告書を使い続けていいという話はない。多数の記載漏れがスルーされていたことを踏まえ、この機会にデジタル化に踏み切るべきだと考えます。お金の出し入れがあった時点で自動的に記録される仕組みにすれば、記載漏れは起こりえない。マスコミなどでの検証もやりやすくなるので、チェック体制が整えられると思います」  「安倍派重鎮の森喜朗元首相の力が大きすぎたため、所属議員のタガが外されたのではないか」と指摘し、本県関係国会議員が裏金を受け取っていたかどうかは「今の段階では何とも言えない」としながらも、「次期衆院選への影響はとてつもなく大きいだろう」と分析する。  「亀岡氏は福島新1区で対決する立憲民主党の金子恵美氏(3期、旧福島1区)になかなか勝てていないし、根本氏は福島新2区で玄葉光一郎氏(10期、旧福島3区)と激突することになり、正念場を迎える。菅家氏は立憲民主党の小熊慎司氏(4期、旧福島4区)に勝ったり負けたりを繰り返しており今一つ。吉野氏は健康状態に不安を抱える。彼らが裏金を受け取っていないのか判然としませんが、県議選の時点ですでに岸田政権・自民党への逆風ムードが漂っていたことを考えると、次期衆院選はかなりの苦戦を強いられると思われます」  時事通信が12月8~11日に実施した世論調査によると、岸田内閣の支持率は17・1%で、2012年12月の自民党政権復帰後の調査で最低を更新した。内閣支持率2割台以下は政権維持の危険水域とされる。自民党議員にとって、大きな逆風となりそうだ。  加えて裏金疑惑が地方議会レベルにも波及する可能性を指摘する。  「中選挙区時代、国会議員と地方議会議員はギブアンドテイクの関係で戦っていた。その名残は小選挙区比例代表並立制となった今も残っている。実際、元新潟県知事で衆院議員の泉田裕彦氏(比例北陸信越ブロック)が衆院選に立候補時、自民党県議から献金を要求されたことが話題になりました。国会議員の懐に入った裏金の使い道を考えるうえで、地方議会議員や県連に対する寄付を疑うのは自然なこと。裏金疑惑が騒動になり、全国の県連、県議が慌てて政治資金収支報告書をチェックし、訂正しているところです。福島県も他人事ではないと思います」  この言葉通り、12月20日には自民党宮城県連に所属する県議4人が県連から受け取った寄付金を政治資金収支報告書に記載しておらず、報告書を訂正していたことが分かった。同県連によると、寄付金は安倍派と同様の構図で、同県連が開いた政治資金パーティーの収入からキックバックしたものだという。  本県においても、自民党県連が2022年分の政治資金収支報告書について、20万円を超える政治資金パーティー券を購入した4団体の名前の記載漏れがあったとして、県選挙管理委員会に訂正を届け出た(12月12日付)。パーティー券購入団体からの指摘を受けて不記載が判明したもの。政治資金規正法では政治資金パーティーについて20万円超の収入は支払者の氏名などを収支報告書に記載するよう定めている。ただ、全体の収支金額は変わらないという。 追及しきれない野党 玄葉光一郎氏  報道を通して伝わってくる自民党の内情にはただただ呆れるばかりだが、それ以上に驚かされるのは、それを追及しきれない野党の存在感の無さだ。  東京地検特捜部の捜査やそのリークを基にしたマスコミのニュースは大きく話題になる一方で、事ここに及んでも、岸田首相退陣、さらには「自民党には任せておけない」という機運が盛り上がっていないように感じる。  河村氏はその理由を「前述した政治資金収支報告書のデジタル化など、具体的な制度の変更を野党が発信しないからだ」と分析する。  「政府・与党で不祥事が発覚したとき、野党がきちんと改革案を出せるかがポイントになる。なぜなら、改革案を出さないと『野党も実は自民党と同じようにキックバックで裏金を作っていたんじゃないの』と有権者に見られてしまうからです。特に一番危機感を持つべきなのは、小沢一郎氏(18期、比例東北ブロック)など自民党経験者で、自民党のノウハウを継承しているとみられる政治家たちでしょう。玄葉光一郎氏だって県議時代は自民党に所属していたわけだから、何も発言しなければ〝同じ穴のムジナ〟と見られてしまいます」  野党の存在感の無さの象徴として河村准教授が指摘するのは、調査力の弱さだ。優秀な政治家は独自の調査組織を持ち、企業関係者や大学教授などのブレーンを抱えている。  ところが、現在の野党は降って湧いた週刊誌・新聞ネタを追随して追及するばかり。だから「与党の揚げ足取り」というイメージを払しょくできない。  「特に玄葉氏は30年以上議員をやっているが、政策提言する『チーム玄葉』のような形が見えてこない。最近では、元外相としてテレビで解説する姿を目にするようになっており、これでは過去の政治家と見られてしまう。一方、日本維新の会は価値観的には自民党とそんなに変わらないが、改革路線を打ち出し、40~50代の現役世代が党の主要ポストに就いている点が支持されている。かつてこの世代の受け皿になっていたのは旧民主党でしたが、所属メンバーが年齢を重ねたことでこの世代の共感を得にくくなっていると考えられます。若手の育成ができなかったのが、いまになって響いているのではないでしょうか」  玄葉衆院議員に関しては数年前から知事転身説が囁かれている。本誌2023年8月号で、玄葉衆院議員は次のように語っている。  「確かに皆さんのところを回っていると『首相になれないなら知事選に』と言われます。ただ、今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての『次の展望』はない。選挙区で必ず勝つ。そうでないと『次の展望』もないと思っています」  周囲から知事転身を勧められていることを認めつつ、明確には言及しなかったわけだが、仮に知事選に転身することがあればかなり苦労するのではないか、というのが河村氏の見立てだ。 内堀県政の限界  「福島県は原発事故をめぐって、国との交渉の機会が多い。現知事の内堀雅雄氏は副知事時代も含め、当時の経緯をすべて知っているので、国に対してファイティングポーズを取りつつ国と交渉できるタフネゴシエーターです。名護市辺野古への新基地建設問題をめぐって政府と対立した沖縄県のような、決定的な亀裂は生じさせない。属人的な仕事ぶりで国との交渉を乗り切ってきたと言えます。仮に国会議員や県議が後釜に就いたところで、『あなたは内堀氏ほど仕事ができますか?』という問いを突き付けられることになる。野党の国会議員となると、なおさらでしょう」  一方で、内堀県政についてはこのようにも話す。  「元自治・総務官僚ならではのバランスの良さ、手堅さは評価されるが、それは一部からの批判を受けるかもしれない大胆な提案はなかなかしないことと裏腹と言える。例えば、浜通りを舞台につくば市のスーパーシティ特区のような大胆な取り組みをやってもよかったですよね。でも、そうすると『浜通りにばっかり力を入れて』と批判されることになる。そういう意味で、県議や県民からアイデアを募り競争させ、県の振興につなげる仕組みを仕掛けるべきかと思います。行政頼みの福島再生に陥らないようにするのが内堀県政の最大の課題かなと感じます」  自民党の政治資金パーティーをめぐる裏金疑惑とともに幕を開けた2024年。9月には自民党総裁選が控えている。  支持率が低迷する岸田氏が総裁選に出馬できるのか、それとも断念するのか。裏金問題で大量の辞職者が出て、全国のあちらこちらで補選が行われることも考えられる。  もちろん、衆院が解散される可能性もある。東京地検特捜部の今後の捜査の展開や政治資金関係の改革の状況によって、福島県政界にも影響は及びそうだ。

  • 今度は矢吹町長選に立候補した小西彦次氏

     任期満了に伴う矢吹町長選が昨年12月19日に告示され、無所属の現職で再選を目指す蛭田泰昭氏(65)と、無所属の新人で兵庫県伊丹市の会社役員小西彦治氏(52)が立候補した。  同町長選に関しては無投票が濃厚とされていたが、直前になって小西氏が立候補を表明した。記事執筆時点(12月下旬)では選挙の結果は出ていないが、おそらく蛭田氏が順当に当選を果たしているだろう。  というのも、小西氏はさまざまな市町村の首長選に立候補しては、ほとんど選挙活動を行わず、落選する行為を繰り返しているのだ。選挙・政治情報サイト「選挙ドットコム」によると、小西氏が昨年立候補した選挙は以下の通り。  4月9日兵庫県議選 得票数=2737票  4月23日伊丹市議選(兵庫県) 得票数=430票  9月3日松阪市長選(三重県) 得票数=7121票  10月1日総社市長選(岡山県) 得票数=2268票  10月15日精華町長選(京都府) 得票数=2380票  10月29日時津町長選(長崎県) 得票数=488票  11月12日大熊町長選 得票数=394票  11月26日いなべ市長選(三重県) 得票数=2336票  いなべ市長選では得票率17・6%で、それなりの票を得ている。  小西氏は兵庫県伊丹市出身、同市在住。神戸大大学院修了。伊丹市議2期。兵庫県議1期。トラブルメーカーとして有名で、ネット検索するとさまざまなところで問題を起こしてきた様子がうかがえる。  何が目的でこれほど立候補を重ねているのか。ネットで囁かれているのは「狙いは公費負担ではないか」というものだ。  2020年の公選法改正で、町村長・町村議選においても、知事選や県議選などと同様に選挙運動用自家用車の使用、ポスター・ビラの作成が公費負担の対象となった。  例えば、ポスター印刷費用の公費負担は相場より高めに設定されており、選管が現物チェックを行うわけでもない。そのため、安く印刷できた場合でも申請次第で上限の金額を受け取れる。  供託金没収点(有効投票数の10分の1)を上回れば供託金を支払わなくて済むばかりか、前記の費用が支払われることになる。普通に考えれば、知らない場所から立候補して票が集まるわけがないのだが、今回の矢吹町長選のように、無投票の公算が高いところに立候補すれば、対立候補の批判票の受け皿となるので、得票数が伸び、供託金没収点を超えやすくなる。  大熊町長選では選挙ポスターを一通り掲示板に貼ると、そのまま兵庫県の自宅に戻り、インターネットでの情報発信すらなかったとされる。  大熊町選管によると、ポスターやビラの印刷費用、選挙カー費用(借り上げ1日約1万6000円、運転手1日約1万2000円)など約63万円分の請求書が届いた。その後、ポスター・ビラの請求書は撤回したとのことだが、選挙カー関連費用約28万円は支払われたという。  矢吹町の有権者数は約1万4000人。4年前の町長選の投票率は63・3%。仮に今回の投票率を60%とすると、供託金没収点は840票になる。現職・蛭田氏に関しては、1期4年間で離れていった支持者も少なくないため、「小西氏が現町政に対する批判票の受け皿になるのではないか」と見る向きもある。  これまで県内で無投票になりそうな選挙に突如立候補する人物といえば郡山市在住の実業家髙橋翔氏だった(本誌2022年8月号参照)。だが、今後は小西を見かける機会も増えそうだ。

  • 国見町百条委の注目は町職員の刑事告発の有無

     国見町が救急車を研究開発し、リースする事業を中止した問題は、1月26日に議会が設置した調査特別委員会(百条委員会)で受託業者側の証人喚問が行われヤマ場を迎える(委員構成と設置議案の採決結果は別表)。一連の問題は河北新報を皮切りに全国紙、東洋経済オンラインまで報じるようになった。 百条委員会設置議案の採決結果 ◎は委員長、〇は副委員長(敬称略) 佐藤多真恵1期反対菊地 勝芳1期欠席佐藤  孝◎2期賛成蒲倉  孝2期賛成八巻喜治郎2期賛成宍戸 武志2期賛成山崎 健吉2期賛成小林 聖治〇2期賛成渡辺 勝弘5期賛成松浦 常雄5期賛成佐藤 定男4期―佐藤定男氏は議長のため採決に加わらず  全国メディアが注目するのは、河北新報や百条委員会委員長の佐藤孝議員が主張している、町がワンテーブル(宮城県多賀城市)に事業を発注した過程が官製談合防止法違反に当たるかどうかだ。だが、ネットを使って全国ニュースに思うようにアクセスできない高齢者は戸惑う。  高齢のある男性町民は本誌が「忖度している」と苦言を呈し、次のように打ち明けた。  「当初は救急車問題を全く扱わず役場関係者や河北新報を読んでいる知人からの口コミが頼りでした。なぜ報じないのか、地元メディアは町に忖度しているのではと思い、購読している福島民報に『報じる責任がある』と電話したことがあります。担当者は『何を報じるか報じないかはこちらの裁量だ』と答えました」  本誌も含め地元紙が詳報しなかった(できなかった)のは、核心の情報を得られなかったからだ。仮に河北新報と同じ内部情報を入手し記事にしたとしても二番煎じになり、地元2紙はプライドが許さないだろう。  大々的に報じるようになったのは、議会が百条委を設置し「公式見解」が書けるようになったから。  設置に至る経緯は次の通り。直近の昨年5月の町議選(定数12)は無投票だった。9人が現職で、うち1人が9月に辞職した。改選前の議会は2022年の9月定例会で、救急車事業を盛り込んだ補正予算案を原案通り全会一致で可決している。改選後の議会では19年に議員に初当選後、辞職し、20年の町長選に臨んで落選していた佐藤孝氏が議員に無投票再選し、執行部を激しく糾弾。同調する議員らと百条委設置案を提出した。救急車事業案に賛成した議員たちも百条委設置に傾き、昨年10月の臨時会で賛成多数で可決した。  これに先んじて、引地真町長は第三者委員会を議会の議決を受けて設置しており、弁護士ら3人に検証を委嘱。「二重検証状態」が続く。  だが、町民にはメディアや議員の裏事情は関係ない。  「私はネットに疎いし、もう1紙購読する金銭的な余裕はない。知人に河北新報の記事のコピーを回してもらい断片的に情報を得ています。同年代で集まって救急車問題について話しても、みんな得ている情報が違うので実のある話にならない」(前出の男性)  町民の情報格差をよそに、1月26日には、百条委によるワンテーブル前社長や社員、子会社ベルリングなどキーパーソン3人の証人喚問が予定されている。  百条委について地方自治法は、出頭・記録提出・証言の拒否や虚偽証言に対し「議会は(刑事)告発しなければならない」とする。河北新報と東洋経済オンラインの共同取材によると、町執行部と受託業者の説明には食い違いが生じている(12月6日配信記事)。  原稿執筆は昨年12月21日現在で、22日に行われた町職員の証人喚問を傍聴できていないため、執行部と受託業者が一致した見解を証言するのか、あるいは異なる証言をするのかは分からない。言えるのは、受託業者への証人喚問では、執行部と受託業者が同じ「真実」を話す、あるいは一方が「虚偽」とされ、刑事告発を決定付けるということだ。

  • 【会津美里】【大竹惣】41歳1期生議長 誕生の背景

     会津美里町議会は11月13日、通年議会第2回11月会議を開き、議長に大竹惣氏(41)を選任した。41歳の議長は県内の市町村議会では最年少。全国でも40歳未満は2人しかいないという。ただ若さ以上に驚かされたのは、大竹氏が2021年に初当選したばかりということだ。議員歴2年の1期生が、いきなり議会トップに就いた背景には何があったのか。 相次ぐ議会の不祥事に町民から変化を求める声  「今日はお世話になります」  そう言って筆者を議長室に迎え入れてくれた大竹氏は、見た目ももちろん若いが議員然としておらず、どこか初々しさを感じさせる。  議長になる人は議会の大小を問わず風格や威厳を醸し出すものだが、大竹氏の場合は自然体という表現が正しい。失礼かもしれないが、それくらい議長らしく見えない。それもそのはず、大竹氏は1期目。初当選からまだ2年しか経っていない。  「期せずして議長になり、分からないことだらけですが、もともとポジティブな性格で、今までも悩むならまずはチャレンジしようとやってきたので、議長職も何とか務まるんじゃないかと思っています」(以下、コメントは大竹氏)  笑顔を浮かべながら話す大竹氏に気負った様子はない。  1982年生まれ。会津本郷町立第二小学校、本郷中学校を卒業し、会津高校に進学。いわき明星大学を経て社会に出た大竹氏は農業の道に進んだ。父親がコメ農家で、仲間と農業法人を立ち上げていた。その手伝いをしていく中で、国やJAから園芸作物による複合経営の勧めがあり、大竹氏はトマト栽培をやってみようと独立した。  2011年、農業法人大竹産商㈱を設立し、代表取締役に就任。トマトの大規模栽培に乗り出し、設立から12年経った現在は50㌃以上の土地にハウスを建て、年間90~100㌧を収穫するまでになった。  「自分で作ったトマトを、付加価値を付けて自分で売る方法もありますが、私は大量生産してJAに出荷する方法を選びました」  どうやって農業で飯を食うか、会社をどう軌道に乗せるか――そんなことばかり考えていた大竹氏は  「正直、政治には全く関心がありませんでした。投票したって、どうせ何も変わらないだろうって」  そんな考え方がガラリと変わったきっかけは、JAの生産者部会での活動だった。  「JAには栽培作物ごとに部会があり、私はトマト部会長や各地区の部会長で構成される連合部会長を務めていました。トマト農家の経営が少しでも潤うようにJAにさまざまな提案をしていましたが、そうした中で国が2014年に打ち出した農協改革に大きな疑問を抱きました。これって農家のためにならない改革なのではないか、と」  こうした状況を変えることはできないのか。当時会津若松市議を務めていたおじに相談すると「だったら政治に関心を持つべきだ」とアドバイスされた。今まで政治に見向きもしてこなかった大竹氏が、目を向けるようになった瞬間だった。  38歳の時、自民党のふくしま未来政治塾に入塾。政治のイロハを学ぶ中で、現職の市町村議や県議などと知り合った。次第に「自分も政治家になって農業分野を専門に活動したい」と考えるようになった。  会津美里町では、当時の町長が官製談合防止法違反の疑いで2021年2月に逮捕され、同町出身の杉山純一県議が後任の町長に就任した。杉山氏の県議辞職に伴う県議補選は同年4月に行われたが、町内では「補選に大竹氏を立候補させるべき」という声が上がった。しかし「いきなり県議ではなく段階を踏むべき」という指摘を受け、同年10月の同町議選に立候補することを決めた。  結果は別掲の通りで、大竹氏は1620票を獲得しトップ当選を果たした。 ◎2021年10月31日投開票 当1620大竹  惣39無新当1119渡辺 葉月27無新当813根本 謙一73無現当643小島 裕子62公現当628横山知世志68無現当626桜井 幹夫54無新当614星   次70無現当611鈴木 繁明73無現当591渋井 清隆70無現当587堤  信也63無現当575長嶺 一也61無新当543荒川 佳一61無新当503山内  豪70無新当493村松  尚46無現当467根本  剛64無現当445横山 義博72無現398山内須加美74無現300石橋 史敏66無元267野中 寿勝65無現(投票率72.01%、年齢は当時)  それから2年、大竹氏は議会トップの議長に選任された。11月13日に行われた議長選には大竹氏と星次氏が立候補し、投票の結果、大竹氏9票、星氏3票、横山知世志氏1票、無効3票となった。大竹氏には自身も含む1期生6人のほか、ベテラン議員3人が投票してくれた。  「経験の浅い1期生6人で勉強会を開いており、そこに理解あるベテラン議員がアドバイスをしてくれています。その仲間内で『次の議長にふさわしい人は誰か』と話しているうちに私を推す声が上がり、悩んだ末に挑もうと決心しました」  背景には、町や議会を取り巻く不祥事があった。  前述した当時の町長による官製談合事件では、議会のチェック機能が働いていたのかと町民から疑問視された。2022年7月には当時の議会運営委員長が会津若松市議の一般質問を盗用していたことが判明。辞職勧告決議が可決されたが、同委員長は応じず今も議員を続けている。今年8月には5期目のベテラン議員が出張先で、同行した議会事務局職員の服装をめぐりパワハラと受け取れる言動を執拗に行っていたことが分かった。パワハラをした議員もさることながら、一緒にいた数人の議員がその場にいながら見過ごしていたことも問題視された。  町民を代表する人たちがそういうことを繰り返して恥ずかしい――町内からはそんな声が多く聞かれるようになっていた。 「町長とは是々非々で」 大竹惣議長  「私の耳にもそういう声は直接届いていました。『1期生では何かやろうとしても難しいかもしれないが頑張って』とも言われました」  そうした変化を望む町民の思いに接するうちに、停滞する議会を変えるには1期生が議長を務めるのもアリなのではないかと考えるようになった。それは大竹氏だけではなく、他の1期生や支えてくれるベテラン議員たちも同じ考えだったようだ。  「そうすれば町民にも町外の方にも『会津美里町議会は変わった』と分かり易く伝わるんじゃないかと思いました。ここは思い切って変化を起こそうじゃないか、と」  副議長には5期目の根本謙一氏が選任されたが「私たちと同じく議会改革の必要性を訴えており、とても頼りになる方。副議長として私を支えると言ってくださり、心強く思っています」。  議長は執行部と議会の調整役を求められる。杉山町長との関係は1期生全般に良好というが、  「だからと言って何でもイエスではなく、是々非々の立場を取っていきたい。杉山町長からも『良いものは良い、悪いものは悪いと言ってほしい』と直接言われています」  当面はハラスメント防止条例の制定や議会へのタブレット端末導入などに取り組みたいという。  「若さや1期生という点だけが注目されるのは避けたい。町民に『変わって良かった』と実感していただけるよう、議長として行動で示していくのみです」  大竹氏が関心を持つ農業政策は、町議の立場でできることは少ない。本腰を入れて取り組むには上のステージ、すなわち県議や国会議員を目指す必要があるが  「上を見据えたらキリがありません。今は自分の与えられたポジションを全うするだけです」  異色の議長がどんな新風を吹き込むのか、期待したい。

  • 県議選「与野党敗北」から見る次期衆院選の行方

     「今このタイミングで解散したら大惨敗だろうな……」  11月12日に投開票された県議選の結果を見ながらそう話すのは自民党県連の関係者だ。  改選前31だった自民党は推薦を含めて現新33人を擁立した。しかし、河沼郡で総務会長の小林昭一氏が立憲民主党の新人に敗れ、いわき市でも当選9回の青木稔氏が落選するなど議席を29に減らす結果となった。 河沼郡小林 昭一猪俣 明伸会津坂下町3,6143,784湯川村584877柳津町795985選挙区計4,9935,646(投票率61.18%) 大沼郡山内 長加藤志津佳三島町485497金山町656609昭和村410344会津美里町4,9064,136選挙区計6,4575,586(投票率60.58%) 南会津郡大桃 英樹渡部 英明下郷町1,2051,753檜枝岐村189138只見町1,629941南会津町3,4735,282選挙区計6,4968,114(投票率73.93%)  政務三役による不祥事や物価高騰対策への批判など岸田内閣への風当たりは強く、各社の世論調査では支持率が20%台で低迷している。  「市の周辺部はそれほどでもなかったが、中心部に行くと市民からの冷たい視線を感じた」  とはある自民党候補者が口にした感想だが、それくらい同党への風当たりは強かったということだろう。  とりわけ自民党にとってショックだったのは、一騎打ちとなった石川郡、河沼郡、大沼郡、南会津郡で1勝3敗と負け越したことだ。  「これまでにない組織戦を展開したのに票差は変わらなかった」  と肩を落とすのは石川郡選挙区の自民党関係者だ。  自民党新人の武田務氏と無所属新人の山田真太郎氏の激突は、根本匠衆院議員が武田氏の選対本部長に就き、玄葉光一郎衆院議員が山田氏の応援に連日駆け付ける激しい選挙戦となった。衆院選の区割り変更で石川郡が旧3区から新2区に変わるのに伴い、旧2区選出の根本氏と旧3区選出の玄葉氏は新2区で直接対決するが、石川郡選挙区はその前哨戦と位置付けられ、武田氏と山田氏の争いは代理戦争の様相を呈した。 石川郡武田 務山田真太郎石川町3,6364,412玉川村1,4061,606平田村1,3601,540浅川町1,4511,409古殿町1,2961,407選挙区計9,14910,374(投票率63.48%)  石川郡選挙区はこれまで玄葉氏の秘書などを務めた円谷健市氏が3回連続当選してきた。対する自民党は前回(2019年)、前々回(15年)とも円谷氏に及ばなかったが、  「組織的な選挙戦を行わず、まとまりを欠いても円谷氏と1000票未満差の争いをしてきた。そうした中で今回は根本先生が直々に選対本部長に就き徹底した組織戦を展開、SNSも駆使するなど陣営はかなりの手ごたえを得ていた。正直、勝っても負けても僅差と思っていたが、蓋を開けたら今までと変わらない1000票程度の差だった」(同)  石川郡は旧3区を地盤としてきた上杉謙太郎衆院議員(比例東北)が2021年の衆院選で玄葉氏と接戦を演じただけに、根本氏としては更に肉薄するか逆転したい思惑があったはず。自民党への逆風はここでも予想以上に強かったようだ。  もっとも「ここで解散したら厳しい」と警戒する自民党関係者だが、だからと言って有権者が立憲民主党に投票するかというと、県議選の結果から同党に期待していないことは明らか。維新やれいわなど新たな勢力も、議席は獲得したが大きく台頭するとは考えにくい。既成政党が活力を失う中、「小泉元首相のような超個性的な政治家が内から現れない限り自民党への期待は高まらないだろう」とはベテラン県議の弁である。

  • 混沌とする【自民衆院新4区】の候補者調整【坂本竜太郎】【吉野正芳】

     県議選が11月12日に投開票されたが、その告示前から、いわき市では別の選挙に注目が集まっていた。衆院選の自民党候補者をめぐる動向である。県議選同市選挙区に同党公認で立候補する予定だった坂本竜太郎氏(43)=当時2期=が告示直前に立候補取りやめを発表。支持者や有権者は「次期衆院選に向けた意思表示」と受け止めたが、同市を含む新福島4区の支部長は吉野正芳衆院議員(75)=8期=が務めている。もっとも、吉野氏の健康状態が良くないことは周知の事実。坂本氏の決断は、同党の候補者調整にどのような影響を与えるのか。 健康不安の吉野衆院議員に世代交代迫る坂本前県議 吉野正芳氏 本誌の取材に応じる坂本竜太郎氏  坂本竜太郎氏の県議選立候補取りやめは、選対幹部も〝寝耳に水〟の急転直下で決まった。  《県議選いわき市選挙区(定数10)で、自民党公認の現職坂本竜太郎氏(43)=2期=が(10月)25日、立候補の見送りを表明した。坂本氏から公認辞退の申し出を受け、自民県連が承認した。(中略)  会見で公認辞退の理由を問われた坂本氏は「熟慮の結果」とした上で、「政治の世界から身を引くわけではなく、今後さらに熟慮を重ね、どのように貢献できるかを改めて模索したい」と説明した。次期衆院選への立候補の意思を問われると、「熟慮を重ねさせていただきたいという言葉に尽きる」と直接的な言及を避けながらも否定はせず、さらなる政治活動に強い意欲をにじませた》(福島民報10月26日付)  各紙が一斉に報じた10月26日、坂本氏は県議選の事務所開きを予定していた。不出馬の決断はギリギリのタイミングだったことが分かる。  「それ(選対本部)用の名刺をつくっていたのですが、1枚も配らずに終わってしまった」  と苦笑するのは坂本氏の選対幹部だ。前回(2019年)の県議選でも選対を取り仕切ったというこの幹部によると、10月25日の朝、坂本氏から電話で立候補取りやめを告げられたと言い  「本人から直接会って話したいと言われたが、翌日には事務所開きを控えていたし、本番に向けて各スタッフも予定が入っていたので。急きょ集まって坂本氏の話を聞くのは難しかった」(同)  選対幹部でさえ相談は一言も受けていなかったという。ただ「それに対して憤ったり落胆する人は誰もいなかった」とも話す。  「出馬挨拶で回ったところを1軒1軒お詫びして歩いたが、批判する人は誰もいなかった。むしろ100人いたら100人全員が『よくぞ決断した』と歓迎していました」(同)  背景には、衆院選に向けて坂本氏が本腰を入れたと解釈する支持者が多かったことがある。  坂本氏の支持者が明かす。  「県議選に向けて支持者回りをする中で、必ず言われたのが『県議のあとはどうするんだ』という投げかけだった。『国政を目指すべきだ』『いつ衆院選に出るのか』と直球質問をする支持者もかなりいた。それに対し、坂本氏は『県議として頑張る』と言い続けてきたが、強く国政を促す人には『とりあえず県議として』と答えるようにしていたんです。ただ、坂本氏は同時に『とりあえず』との言い方に違和感を持っていた。とりあえず県議をやる、というのは有権者に失礼だし無責任と思うようになっていたのです」  前回の県議選でトップ当選を果たした坂本氏は、立候補すれば落選することはないと言われていた。要するに、とりあえず県議を続けられるわけだが、それを良しとしない気持ちが坂本氏の中に強く芽生えていたというのだ。  「告示直前に立候補を取りやめ、公認を辞退するのは無責任に映るかもしれない。しかし、坂本氏は『とりあえず』の気持ちで県議にとどまる方がよっぽど無責任と考え、あのタイミングで立候補取りやめを発表したのです」(同)  さらに言うと、任期の問題もあったと思われる。今の衆院議員の任期は残り2年、解散総選挙になればもっと短くなる。初秋には年内解散も囁かれていたので、そうなると坂本氏は県議選で3選を果たしたあと、時間を置かずに辞職を考えなければならない状況もあり得た。本気で衆院議員を目指すなら、とりあえず県議を続けるのではなく、準備を進めるタイミングは今――という判断が働いたのではないか。  坂本氏は1980年生まれ。磐城高校、中央大学法学部卒。父である坂本剛二元衆院議員の秘書を務め、2009年のいわき市議補選で初当選したが、翌10年12月、酒気帯び運転で現行犯逮捕され同市議を辞職した。その後、5年の反省期間を経て15年11月の県議選に立候補し最下位の10位(6881票)で初当選すると、再選を目指した19年11月の県議選ではトップ当選(1万1828票)を果たした。  最初の県議選では事件の記憶が薄れておらず、有権者の見る目も厳しかったが、県議1期目の活動が評価されたのか二度目の県議選では得票数を5000票も伸ばした。4年間で坂本氏への評価が大きく変わったということだろう。  そんな坂本氏に衆院議員の話が付いて回るのは、父・剛二氏の存在があることは言うまでもない。  坂本剛二氏は1944年生まれ。磐城高校、中央大学経済学部卒。いわき市議、県議を経て1990年の衆院選で初当選、通算7期務めた。  国会議員としての出発は自民党だったが、1994年に離党し新党みらいなどを経て新進党に合流。96年の衆院選は同党公認で3選を果たした。その後、同党の分党を受け無所属での活動が続いたが、99年に自民党に復党。小泉内閣では経済産業副大臣などの要職を務めた。2009年の衆院選ではいわゆる民主党ブームの影響で落選したが、12年の衆院選で国政復帰。しかし、14年の衆院選で落選し、17年9月に政界を引退した。18年11月、急性心不全で死去、74歳だった。元参院議員・増子輝彦氏は義弟に当たる。 父・剛二氏と吉野氏の因縁 坂本剛二氏  坂本竜太郎氏に衆院議員の話が初めて持ち上がったのは、剛二氏の政界引退がきっかけだった。  「剛二氏は集まった支持者を前に引退を発表した。2017年10月22日投開票の衆院選が迫る中、その1カ月前に自身の立場を明確にしたわけだが、支持者からは惜しむ声と共に『引退するなら息子を立てるべきだ』という意見が上がった。結局、剛二氏は後継指名しなかったが、剛二氏の後援会から竜太郎氏に意向確認の連絡が入った」(前出・坂本氏の支持者)  この時、竜太郎氏は県議1期目で9月定例会の真っ最中だった。本人は衆院選に出るとは一言も言っていなかったが、父親の後援会の打診を無下にするわけにはいかないと検討した結果、9月定例会終了後に「立候補の考えはない」と返答した。  「竜太郎氏はわざわざ不出馬会見まで開いたが、本人が出ると言ったことは一度もないのにあんな会見を開かされ気の毒だった。ただ、会見では『将来的には国政を目指せるよう精進したい』とも発言したため、それが最初の衆院選への意思表示と受け止められたのは確かです」(同)  とはいえ、いわき市には現職の吉野正芳衆院議員がいる。  1948年生まれ。磐城高校、早稲田大学商学部を卒業後、家業の吉野木材㈱に就職。87年から県議を3期12年務め、2000年の衆院選で初当選。以降、連続8回当選を重ねている。  吉野氏と坂本剛二氏の政治経歴は複雑に絡み合っている。  そもそも吉野氏が県議から衆院議員に転じたのは、剛二氏が自民党を離党したことが理由だった。1999年に復党したとはいえ「党に砂をかけて出て行った」レッテルは拭えず、地元党員の間には吉野氏こそが正当な候補者という空気が漂っていた。ただ地元の感情とは裏腹に、党本部としては当時現職だった剛二氏を公認しない理由はなく、2000年の衆院選はコスタリカ方式で吉野氏が選挙区(福島5区)、坂本氏が比例東北ブロックに回り、両氏とも当選を飾った。  以降2003、05年の衆院選はコスタリカ方式が機能したが、当時の民主党が躍進した09年の衆院選で状況が一変。同方式は解消され、剛二氏が福島5区から立候補すると、吉野氏は党本部の要請で福島3区に国替えを余儀なくされた。3区は自民党候補者が玄葉光一郎衆院議員にことごとく敗れてきた鬼門だった。事実、吉野氏も玄葉氏には歯が立たず(比例東北で復活当選)、剛二氏も5区で落選。ここから、それまで保たれてきた両氏のバランスが崩れていった。  2012年の衆院選は、再び剛二氏が福島5区から立候補し、吉野氏は比例中国ブロックの単独候補という異例の措置が取られた。ここで剛二氏は返り咲きを果たし、吉野氏も当選するが、14年の衆院選ではさらに異例の措置が取られた。  この時の公認争いは、共に現職の両氏が福島5区からの立候補を希望したが、党本部は公示前日(2014年12月1日)に吉野氏を5区、剛二氏を比例近畿ブロックの単独候補に擁立すると発表。当時の茂木敏光選対委員長は「2人揃って当選できる可能性のある近畿を選んだ」と配慮を強調したが、剛二氏の後援会は冷遇と受け止めた。  それでも吉野氏が比例中国で当選したように、坂本氏も当選すればわだかまりは抑えられたが、結果は落選。一方、吉野氏は9年ぶりとなる地元での選挙で6選を果たし、両氏の明暗は分かれた。  それから3年後の2017年9月、坂本氏は政界を引退した。  選挙区で公認されるか比例区に回されるかは党本部が決めることなので、それによって本人同士にどれくらいの溝が生じるかは分からない。ただ、後援会同士は互いの存在を必要以上に意識するようだ。  かつて森雅子参院議員の選対中枢にいた人物が、次のような経験を思い返す。  「参院選期間中、適当な森氏の昼食・トイレ休憩の場所がなくて吉野事務所を借りようとしたら、それを聞きつけた剛二氏の女性後援会から『なぜ坂本事務所を使わないのか』と猛抗議が入り、慌てて取りやめたことがあった。剛二氏の後援会はそこまで吉野氏を意識しているのかと意外に感じたことがあります」 姿が見えない吉野氏  坂本竜太郎氏の支持者が県議選立候補取りやめを歓迎していることは前述したが、反対に吉野氏の支持者からはこんな声が聞かれている。  「正直不愉快な決断です。この間、いわき市における選挙で保守分裂が繰り返されてきたことは竜太郎氏自身も分かっているはず。自分が衆院選に出たいからと県議選立候補を見送るのは、立ち回り方として幼稚に見える」  竜太郎氏の決断をよく思っていない様子がうかがえる。  だったら竜太郎氏に今回のような決断をさせないよう、吉野氏が熱心に議員活動をしていれば問題なかったのだが、現実には活動したくてもできない事情がある。  周知の通り吉野氏は近年、健康問題に苛まれてきた。2017年4月から18年10月まで復興大臣を務めたあと、脳梗塞を発症。療養を経て復帰したが、身体の一部に障がいが残った。そんな体調で21年の衆院選に立候補し8選は飾ったものの、選挙中に足を痛めてからは車椅子に頼る生活が今も続いている。喋りも次第にたどたどしくなっている。  本誌は取材などで自民党の国会議員、県議、市議と会う度に吉野氏の様子を聞いているが、  「秘書や事務所スタッフに車椅子を押してもらわないと、自分一人では移動できない状態」  「会話のキャッチボールにならないもんね。最近のお決まりのフレーズは『〇〇さん、ありがとね』。それ以外の言葉は聞かないな」  吉野氏の姿が最後に目撃されたのは今年2、3月ごろ、いわき市内で営まれた葬儀だった。その際に吉野氏と会話したという人に話を聞くことができたが  「ご挨拶したら『〇〇さん、ありがとね』と言っていただいたが、それ以上は言葉が続かなかった。移動は車椅子でしたよ」  吉野氏の公式ホームページを見ると未だに「復興大臣を終えて」(2018年10月2日付)という挨拶が大きく載っている。最も新しい活動報告は21年7月11日にとみおかアーカイブミュージアムの開館式に出席したこと。「吉野まさよし最新ニュース」というページを開くと「該当するページが見つかりません」と表示される。  「マスコミ向けに発表される県関係国会議員の1週間の活動予定は、吉野氏の場合、本人が出席できないので秘書が代理で対応している」(地元紙記者) 吉野氏は3月の自民党県連定期大会も欠席するなど、今年に入ってから公の場に姿を見せていない。いわき市は9月の台風13号で広範囲が被災したが、その現場にも足を運ぶことはなく、秘書が代わりに訪れていた。県議選の応援演説に駆け付けることもなかった。  自民系の市議からも「地元選出の国会議員が大事な場面に一切登場しないのはイメージが悪いし、われわれも何と説明していいか困ってしまう」と困惑の声が漏れる。 「覚悟を示すなら今」  要するに今の吉野氏は、国会や委員会での質問、地元での議員活動、聴衆を前にした演説など、国会議員としての仕事が全くできない状態なのである。  ここで難しいのは、政治家の出処進退は自分で決めるという不文律があることだ。周りがいくら「辞めるべき」と思っても、本人が「やる」と言えば認めざるを得ない。  そうした中で吉野氏に〝引導〟を渡すために掲載されたのが、福島民報6月9日付の1面記事と言われている。内容は、吉野氏が今期限りで政界を引退する意向を周辺に伝えたというもの。  《党本部が今後、吉野氏に意向を確認した上で後継となる公認候補の選定が進められる見通し。吉野氏と同じく、いわき市を地盤とする自民党県議の坂本竜太郎氏(43)=2期=を軸に調整が進められるもよう》(同紙より抜粋)  福島民報にリークしたのは自民党県連とされる。  「6月上旬はちょうど衆院解散が囁かれていたが、吉野氏は議員活動を再開させるでもなく、かといって引退表明もしない。後釜と見られている竜太郎氏は現職が辞めないうちは表立った行動ができないが、現実問題として解散が迫る以上、立候補の準備に取りかかりたいのが本音だった」(マスコミ関係者)  そこで県連が、福島民報にああいう記事を書かせたのだという。雑誌と違い新聞があそこまで踏み込んだ記事を書くのは、県連上層部のゴーサインがなければ難しい。  一部には「リークしたのは竜太郎氏ではないか」との説もあったが  「竜太郎氏は記事が出た日、静岡方面に出張に出ており、早朝にあちこちから電話をもらってそういう記事が1面に載ったことを知ったそうです。当時、本人はどういうこと?と困惑していて、吉野事務所も竜太郎氏に対し『うちの代議士は辞めるなんて一言も言っていない』と告げたそうです」(同)  前回(2021年)の衆院選前には「竜太郎氏が森雅子参院議員の案内で永田町を回り、党幹部らに接触していた」「場合によっては無所属でも立候補すると息巻いている」との話も漏れ伝わったが、それらを反省してか、以降、竜太郎氏は自身に出番が回ってくるのを静かに待ち続けている印象だ。  県議選立候補取りやめの会見では奥歯に物が挟まった発言に終始していた竜太郎氏だったが、県議の任期を終えた11月20日、あらためて竜太郎氏に話を聞いた。  ――県議選立候補取りやめは一人で決めた?  「24日夜から25日朝にかけて考えを巡らせ、目が覚めた時点で決断しました。告示直前に公認辞退を申し入れ、県連にはご迷惑をおかけしたが、私の思いを尊重していただき感謝しています」  ――今回の決断を、多くの人は衆院選に向けた動きと見ている。  「新福島4区の支部長は吉野正芳先生です。先生には日頃からお世話になっており、先生と私の自宅・事務所は数百㍍圏内で非常に近い関係にあります。今後については、さらに皆様のお役に立てるにはどうあるべきか、各方面からご指導をいただき、しっかりと見いだして参りたいと考えています」  ――とはいえ吉野氏は健康問題を抱え、公の場に姿を見せていない。  「政治家は自らの命を削って活動するもの。今は秘書の方々と、やれる限りのことを懸命にやっておられると思います」  ――いくら秘書が頑張っても、本人不在では……。  「いわき市をはじめとする浜通りはこの夏、処理水の海洋放出という深刻な問題に直面しました。海洋放出は今後も長く続きます。これを安全に確実に進め、新たな風評を生じさせないようにして、放出完了時にはこの地域の水産業が世界最先端であるべきと考えます。この長期にわたる課題に責任を持つのは国ではありますが、国に訴え続けるためには地元としての本気度も示すべきで、それを担っていくのは必然的に地元の若い世代になります。国政の最前線で活躍する若い先生たちを見ると自分のような40代が若いとは言えないかもしれませんが、この世代として責任と役割を果たして参る覚悟があります。同世代の方々と、地元の思いはこうなんだと国に強く主張していくべき、と」  ――もし、吉野氏の健康が回復して元通り政治活動ができるようになったらどうするのか。  「まずはご快復なされ、今の任期を全うしていただき、末永くご指導いただきたいです。その先のことは県連や党本部がお考えになることですが、県議選立候補を取りやめたのは覚悟を示すなら今しかないと考えたからです」  慎重に言葉を選びながらも、若い世代がこれからの政治を引っ張っていくべきと力説する。  一方の吉野事務所は次のようにコメントしている。  「坂本氏が県議選立候補の取りやめに当たり、どのような発言をしたかは分からないが、他者の行動に当事務所がコメントすることはない」 「表紙」変更だけでは無意味  前出・竜太郎氏の選対幹部は「吉野氏は、本音では竜太郎氏を後釜にしたいと思っていても、支持者を思うと言えないのではないか。そもそも吉野氏は、党から擁立されて衆院議員になったので、後継も党で立ててほしいのが本音かもしれない」と吉野氏の気持ちを推察する。  これに対し、ある自民党県議の意見は辛らつだ。  「自民党は県議選いわき市選挙区で4議席獲得を狙ったが、結果は3議席。確かに党への逆風は強かったが、地元の吉野先生が一切応援に入れなかった責任は重い。現状では個人の思いや後援会の都合で衆院議員を続けているように見える。被災地選出の立場から、どういう決断を下すのが最適か真剣に考えてほしい」  事実、朝日新聞は《(吉野氏をめぐり)県連が党本部に対し、立候補できる状態にあるかの確認を求めていることがわかった。(中略)候補者として適任かの判断を党本部に委ねたかたち》(11月21日付県版)などと報じている。  ただ、有権者からすると「表紙」が変わっても「中身」が変わらなければ意味がない。吉野氏が旧福島5区にどのような影響をもたらしたかは検証が必要だが、仮に表紙が竜太郎氏に変わっても、地域が良くなったと実感できなければ「(政治活動ができなかった)吉野氏と変わらない」と評価されてしまう。「衆院議員になりたい」ではなく「なって何をするのか」が問われていることを竜太郎氏は肝に銘じるべきだ。

  • 県議選「選挙漫遊」体験リポート

     〝選挙漫遊〟という言葉をご存知だろうか。本誌連載中の選挙ライター・畠山理仁さんが提唱する選挙ウオッチングのあり方で、各地の選挙戦の現場に足を運び、各陣営がどんな主張をするのか〝観戦〟するというものだ。11月に投開票が行われた県議選で、本誌も選挙漫遊にチャレンジしてみた。 4市39候補 直撃取材で見えたこと https://www.youtube.com/watch?v=H3LrOAB1K0E  11月18日、選挙漫遊スタイルの取材を続ける畠山さんを追ったドキュメンタリー映画「NO 選挙,NO LIFE」が公開された。本誌11月号では、映画公開記念として畠山さん、前田亜紀監督、大島新プロデューサーへのインタビューを行ったが、選挙取材にかける畠山さんの情熱に触れ、居ても立っても居られなくなった。  通常、本誌で選挙について取り上げる際は、各陣営の関係者や地元政治家、経済人に動向を聞き、候補者の人柄や選挙戦に至った背景、得票数の見通し、選挙後の見立てなどをリポートする。  それに対し、選挙漫遊はとにかく全候補者の演説会場に足を運び、演説に耳を傾ける。できるならば演説終了後に直接会って、手ごたえを聞いたり演説の感想を伝える。  候補者に先入観を持たずフラットに取材する機会があってもいいのではないか――。こう考えた本誌は、直近で予定されていた11月12日投開票の福島県議選で、選挙漫遊に挑戦してみることにした。  といっても、県内全選挙区・全候補者の陣営を回りきれるほどの人員的・時間的余裕はないので、福島市、郡山市、会津若松市、いわき市各選挙区の立候補者39人に対象を絞り、手分けして演説現場に足を運んだ。  本誌初の試みはどのような結果になったのか。各担当者のリポートを掲載する。 あわせて読みたい 【福島市】選挙漫遊(県議選) 【郡山市】選挙漫遊(県議選) 【いわき市】選挙漫遊(県議選) 【会津若松市】選挙漫遊(県議選) 福島市選挙区(定数8―立候補者9)  福島市選挙区の結果  投票率39.41% 当14912半沢 雄助(37)立新当12007西山 尚利(58)自現当11597大場 秀樹(54)無現当10911宮本しづえ(71)共現当9909伊藤 達也(53)公現当8288佐藤 雅裕(57)自現当7949渡辺 哲也(47)自現当6901誉田 憲孝(48)自新6330高橋 秀樹(58)立現 高橋氏の落選 高橋秀樹氏  「決まった場所と時間の街頭演説をしない」と話していた高橋秀樹氏が落選した。「政策を訴えても誰も聞いていなければ届かないだろうな」と選挙漫遊をやっていて感じたので、落選の結果に納得感があった。一方で、西山尚利氏は立ち止まることすらせず、ただただ選挙カーを走らせるスタイルで2位当選となった。ここから導き出されるのは「どんな政策を訴えるか」は得票数に影響しない、という仮説だ。  多くの候補が、実現すべき政策として、物価高や人口減少の対策を挙げていたが、その2つの問題は県議レベルで解決できることなのか、疑問に思うところもあった。主張する政策は投票結果に関係ないのではないかという思いは強まった。 トップ当選は37歳の新人 半沢雄助氏の個人演説会の様子  もう一つ印象に残ったのは半沢雄助氏がトップ当選となったこと。いわき市選挙区の山口洋太氏も1位に1票差の2位当選となった。37歳という年齢が評価されたのか、現職への期待の薄さの表れか。  そもそも県議選レベルで、有権者は党派によって投票先を決めるのかどうかも疑問を持っている。市議選では友達や知り合いなどに投票するだろう。では、県議選では誰に投票しようと考えるのだろうか。できるだけ近い地域の人なのか、自分が支持する党派の人なのか。 分かれた取材対応  全陣営の選挙事務所に取材を申し込んだが、快く引き受けてもらったところとそうではないところに分かれた。こちらの都合でお願いしていることは重々承知しているが、「2、3分も時間が取れない」と話す様子には誠実さが感じられなかった。  選挙スタッフの質にも言及しておく。取材の可否もそうだが、街頭演説の場所も正確に伝えられない人がいた。ボランティアでやっているのかもしれないが、せめて〝伝書鳩〟くらいの役割は果たしてほしかった。 「5人に2人」の投票率  福島市選挙区の投票率は39・41%。投票に行ったのは5人に2人という計算だ。  YouTubeライブをするから「暇なら見て」と2つのグループラインに送った。1つは有権者である地元の小学校時代の友人のグループ。もう1つは大学時代の東京の友人のグループ。当然ながら親密度はそれぞれ違うが、前者は同じ場所に住んでいるのに全く反応がなかった。一方で、東京の友人は、面白がってユーチューブを「全部見た」と言ってくれた。  私自身への興味のなさか、政治に対する関心のなさかは分からない。政治に対する嫌悪感や感度のなさなのか。もしかしたら、特定の候補者への勧誘に思われた可能性もある。  いずれにせよ、今後も選挙漫遊を定期的に行い、観察していく必要がある。(佐藤大)  郡山市選挙区(定数10―立候補者12)  郡山市選挙区の結果  投票率32.37% 当11526椎根 健雄(46)無現当10671神山 悦子(68)共現当10422今井 久敏(70)公現当9557鈴木 優樹(39)自現当7866佐藤 憲保(69)自現当7012長尾トモ子(75)自現当6684佐久間俊男(68)無現当5665佐藤 徹哉(55)自現当5516山田平四郎(70)自現当4886山口 信雄(57)自現2776髙橋  翔(35)諸新1544二瓶 陽一(71)無新  11月3日夕方に全候補者(12人)の事務所に電話をかけ、「5、6日のいずれかで、街頭演説や個人集会などの予定があれば教えてほしい。その様子を取材させてもらったうえで、終了後に5分くらい、次の予定があるならもっと短くてもいいので、候補者への個別取材の時間を設けてほしい。両日に街頭演説や個人集会などの予定がなければ、事務所で取材させてほしい」と依頼した。  その時点で、街頭演説や個人集会などの予定が把握できた、あるいは事務所での取材のアポイントが取れたのが10人。計ったように5日と6日で半々(5人ずつ)に分散した。もっとも、時間が被っていた人もいたので、その場合は手分けして取材に当たった。  残りの2人は流動的だったが、どちらも「お昼(12時から13時)は一度事務所に戻ると思う」とのことだったので、「5日か6日のお昼を目安に事務所に行くか電話をする」旨を伝えた。  こうして取材をスタート。1人目からちょっとしたトラブルが発生した。街頭演説の場所の近くにクルマを停められるところがなく、少し離れたところにクルマを停めなければならなかった。約1㌔のダッシュを余儀なくされたが、何とか街頭演説の様子を動画・写真に収めることができた。  それ以外は、大きな問題もなく、2日間かけて、比較的スムーズに全候補者に会うことができた。  郡山市は定数10に12人が立候補した。現職10人、新人2人が争う構図だったが、有権者は「どうせ、現職が安泰なんでしょ」といった感じで、さほど関心が高まらなかった。投票率32・37%がそれを物語っている。トップ当選者でも、有権者全体で見たら4%ほどの支持しか得ていない。  ある候補者は「選挙戦を通して、自分に対してということではなく、政治というものに対して、有権者の目が厳しいと感じる。それだけ、政治(政治家)への信頼が薄いということで、それを是正しなければならない」と語っていた。これは政治家に問題があるのか、有権者の意識の問題なのか、それとも選挙のシステムに問題があるのか。おそらく、そのすべてだろう。(末永) 会津若松市選挙区(定数4―立候補者5) 会津若松市選挙区の結果  投票率40.74% 当12044水野さち子(61)無元当6851佐藤 義憲(48)自現当6689佐藤 郁雄(60)自現当6604宮下 雅志(68)立現6090渡部 優生(62)無現  会津若松市選挙区(定数4)に立候補したのは5人。結果を見ると、元職の水野さち子氏が1人だけ大きく得票し(1万2044票)、他の4候補は6000票台の団子レースとなった。水野氏は7月の会津若松市長選で落選したとはいえ1万3000票以上得票しており、他の4候補より顔と名前が浸透していたことが奏功したようだ。  筆者が見た街頭演説では国道49号の交差点で行われたこともあり足を止める市民は皆無だったが、車中から水野氏に手を振る人が結構いて、それに対し水野氏が「ありがとうございます!」と答えるシーンが何度もあった。別の交差点でもマイクを持ちながらドライバーに笑顔で手を振る水野氏の姿を見かけた。演説を直接聞いてもらうことはなくても、市民のリアクションの良さから「いける」という手ごたえを感じていたのではないか。  これとは対照的に自民党候補の佐藤義憲氏と佐藤郁雄氏は、減税政策や政務三役の相次ぐ不祥事で内閣支持率が低迷していることもあり、強い危機感を持って選挙戦に突入したはずだ。事実、街頭演説後に申し込んだ候補者へのインタビューでは、佐藤憲氏は2、3分答えてくれたものの、佐藤郁氏は「当落線上にいる厳しい選挙戦で、今は5分でも10分でも時間が惜しい」とたった数分の取材でさえ「申し訳ないがお断りしたい」(選挙スタッフ)と悲壮感を漂わせていた。結果は3位当選だったが、落選した渡部優生氏とわずか600票差を考えると、陣営の情勢分析は的確だったことになる。  その渡部氏と4位当選の宮下雅志氏は、いずれも立憲民主党の小熊慎司・馬場雄基両衆院議員が応援に駆け付けていたが、自民党に逆風が吹く中でも街頭演説や個人演説会では一定の熱量を感じるにとどまり、同党に取って代わるまでの勢いは見られなかった。立憲民主党への期待の薄さと「それだったら水野氏の方が期待できる」という市民が多かったことが結果からうかがえる。  総じて言えることは、地方の選挙では車を走らせながら候補者の名前を連呼するやり方が普通で、街頭演説に耳を傾ける有権者はほとんどいない。ただ候補者が話している内容は、なるほどと思わせるものも結構ある。「政治家はなっていない」と言うのは簡単だが、候補者を磨き上げるには、有権者自身が彼らの言動に注目し、実際の政治活動と齟齬があれば「言っていたこととやっていることが違う」と厳しく指摘する必要がある。その入口として、今までスルーしてきた候補者の街頭演説に注目してはどうだろうか。選挙漫遊を終えての感想である。(佐藤仁) いわき市選挙区(定数10―立候補者13) いわき市選挙区の結果  投票率39.54% 当10278矢吹 貢一(68)自現当10277山口 洋太(33)無新当8350安田 成一(55)無新当8130真山 祐一(42)公現当7960木村謙一郎(48)自新当7894鳥居 作弥(49)維元当7884鈴木  智(50)自現当7812安部 泰男(66)公現当7629古市 三久(75)立現当7484宮川絵美子(77)共現6533西丸 武進(79)無現6066青木  稔(77)自現5722吉田 英策(64)共現  地元の選挙通でも「誰が落ちるのか分からない」と語るほどの激戦区となったいわき市選挙区。  各候補の街頭演説はヨークベニマルやマルトといった市内各地の商業施設前で予定されていた。約1232平方㌔と広大な面積の選挙区ということもあり、手分けして市内を駆けずり回った。  アポなし直撃取材だったにもかかわらず、各候補は快く応じてくれた。唯一対応してもらえなかったのが矢吹貢一氏。街頭演説・個人演説会を行わず、選挙カーを走らせるスタイルで、トップ当選を果たした。当選確実なので、自身の選挙活動を控えめにして、他の自民党候補のサポートに回っていたのかもしれない。結果的に自民党は議席を1つ減らした。  演説で多かったテーマは水害対策と医師不足。各陣営を回り続けるうちに、いわき市の課題が自ずと見えてきた。これこそ選挙漫遊の魅力だ。  手応えを尋ねると、「激戦だが、有権者の盛り上がりは感じられない」と話す候補者がほとんどだった。実際、いわき市選挙区の投票率は39・54%。前回の県議選は令和元年東日本台風の影響で投票率が落ち込んだとされるが、そこからわずか0・41ポイントの増加に留まった。  街頭演説の聴衆も数人という陣営がほとんどだったが、公明党候補者の演説に関しては山口那津男代表が応援に駆けつけたこともあり、多くの支持者が集結していた。その結果、2議席を維持。固定票を持つ候補者(政党)の強さを実感した。  れいわ新選組推薦の無所属・山口洋太氏はトップの矢吹氏に1票差に迫る1万0277票を獲得。日本維新の会から立候補した元職・鳥居作弥氏は6位当選を果たし、同党は県議選で初の議席を確保するなど、既存政党以外の勢いが感じられた。山口氏の演説会場には平日にもかかわらず聴衆が集まっていたのが印象的。「医師不足解消のため、医師が自ら立ち上がった」というインパクトが強かったのだろう。  一方で、西丸武進氏、青木稔氏ら多選のベテラン議員は落選の憂き目を見た。両氏の個人演説会には応援弁士が駆けつけ、力強く支持を訴えていたが、危機感のあらわれだったのかもしれない。  畠山さんからは事前に「過重労働にお気を付けください」と言われていた。取材中、特に疲れは感じなかったが、全候補者を取材し終えると一気に体が重くなり、数日間ぐったりしていた。〝選挙ハイ〟になっていたのかもしれない。 (志賀)    ×  ×  ×  ×  最後に触れておかなければならないのは、県議の役割と選挙の意義だ。国と市町村の間に位置し、「中二階」とも例えられる県議。与野党相乗りの「オール福島」体制で当選を重ねる内堀雅雄知事のもと、県議会は実質的に執行部の追認機関となっており、存在感は希薄だ。報酬は年間数十日勤務で約1400万円。議会出席や視察・調査時に支給される旅費、政務活動費、県の持ち株の関係で関係会社の役員に就いた際の報酬など、〝余禄〟がとにかく多い。  その是非も含め問われる機会が県議選なのだが、関心は高まらず、それぞれがどのような主張をしている人なのか、把握もされていない。今回の県全体の投票率はわずか40・73%。約6割が有権者としての権利を行使していないと考えるとあまりにもったいない話だ。  ふらっと選挙の現場に足を運び、演説に耳を傾けるだけで、その選挙区や各候補者に対する〝解像度〟が高まる。そうすることで、選挙区の課題や対立構図なども自ずと見えてきて、より選挙や政治を楽しめるようになる。もし近くで選挙が行われるときは、選挙漫遊に挑戦してみてはいかがだろうか。

  • 川俣・新人町議に聞く報酬引き上げの効果

     11月12日投開票の川俣町議選には定数12に対し14人が立候補し、70歳、82歳のベテラン2人が落選し、40~70代の新人3人が当選した。7月の議員報酬引き上げ後、初の選挙となったが新人3人はどう捉えるか。議会での抱負と併せて聞いた。 「立候補促進には無関係」 厳しくなる町民の評価  川俣町議会は2020年に「議会改革等に関する調査特別委員会」を設けて議員報酬引き上げなどを審議した。同委員会は報告書で議員月額報酬が1995年以降22万8000円と変わらない点、「町村長の給与の30ないし31%」(川俣町長の給与は月額84万6000円)とした全国モデルが86年当時のものであり、合併協議や東日本大震災への対応など協議事項が増える中で報酬が見合わない点に言及。「名誉職」化で特定の人しか議員を志せないことがなり手不足につながると懸念した。  適正報酬を検討するよう求める議会の決議を受け、藤原一二町長は「川俣町特別職報酬等審議会」を設置。答申を受けて執行部が策定した議員報酬改定条例案を議会が可決し、7月から引き上げられた(改定額は別表の通り)。11月12日投開票の同町議選は、報酬引き上げ後初の選挙となった。 川俣町議会議員の報酬 役職名改定前改定後引き上げ額議 長33万8000円41万2000円7万4000円副議長25万4000円31万円5万6000円議 員22万8000円27万8000円5万円  同町議選は毎回選挙戦となり、なり手はいる。ただ、構成が高齢者に傾き、町民の「飽き」が来たのか今回は新人3人がベテランの佐藤喜三郎氏(7期)と高橋真一郎氏(4期)を押し出す形で当選した。 川俣町議選の開票結果(定数12)※敬称略 得票立候補者年齢今回も含めた期数所属当810山家 恵子592期公明当612作田 善輝692期当549藤野 圭史471期当520石河 ルイ712期共産当512高橋 文雄711期当487新関 善三807期当429高橋 清美683期当426高橋 道也646期当422菅野 清一736期当418菅野 信一642期当413藤原  正551期当378蓮沼 洋志752期376佐藤喜三郎826期141高橋真一郎704期投票率62・70%  「最下位の高橋真一郎氏は地元の推薦を得られないまま出馬した。票が同じ飯坂地区の新人、藤原正氏(55)に流れた」(町内の選挙通)  藤原氏は藤原一二町長の甥に当たり、保険代理店業を営む。他に当選した新人2人は過去に立候補歴があるので、純粋な新顔は藤原氏のみだ。  藤原氏に「今回初当選した3人を取材しているので応じてほしい」と自宅に電話を掛けると「バタバタしていて申し訳ないが受けられない」と答えた。  11月15日、初当選議員対象の研修会で町役場を訪れた藤原氏に改めて依頼するとその場で応じてくれた。  「地元の声を受けて立候補しました。人口減少対策と若者移住につながるよう議会活動に取り組みたい。報酬引き上げは立候補に影響していません」  2人目の新人は高橋文雄氏(71)。町内で電器店とガソリンスタンドを経営し、2015年に屋号「せっけんや」で立候補するも18人中15位で落選。次の19年にはX(旧ツイッター)のアカウントを開設して「川俣町議会をぶっ壊して再生します」と出馬表明するも準備不足から直前で見送った。 高橋文雄氏  「〇〇をぶっ壊す」というフレーズは自民党の改革派を演出した小泉純一郎元首相に始まり、最近は「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首が好んで使っている。高橋文雄氏のXのプロフィールには「N国支持派」とあり、川俣町で初のN国議員誕生かと思い高橋文雄氏を訪ねた。  「Xアカウントは4年前に立候補しようとした時に知人に開設と投稿を頼みました。N国支持表明は記憶にありませんし、共感した覚えもありません。同党に共鳴した知人が私の意見に付け足したのではないでしょうか。そもそも、あなたは今のことを聞きに来たんでしょ? 4年前は関係ない」(高橋文雄氏) 「議会をぶっ壊す」  議会をぶっ壊す発言については、  「議会は4年に1度選挙で盛り上がるが、その間は何もやらないという印象があります。そういう体質を改めるという意味です」  報酬引き上げについては、  「毎回選挙戦なので、なり手不足だから引き上げるという論理は立たない。上げるにしても5万円程度では、一押しにはならない。時期は改選後にするべきだった。自分たちの報酬を自分が議員を務めている間に上げたと私には映った」  「なぜそんなことを聞くのか」と筆者の質問を遮るなど気難しい印象の高橋文雄氏だが、「綺麗ごとは言わない主義。他人が評価するか分からないが、自分が言っていることは間違っていないと思う」と話した。  最年少の47歳、藤野圭史氏は高橋氏と同じく2015年以来2度目の立候補で初当選した。  「議会で世代のバランスを取るのが大事と思い立候補しました。同年代が議会にいないと町への関心が薄れ、若手は期待せずどんどん町外に流出してしまう。志があれば仕事をしながらでも議員ができることを示したい」  議員報酬引き上げで立候補に前向きになったかと聞くと、「関係ありません。そもそも私は8年前に立候補していますから」。  藤野氏はビルメンテナンスの㈱藤野(川俣町)社長で町商工会青年部長を歴任。大震災・原発事故後に町内の除染作業に参入し、福島市や郡山市に業務を広げた。町外の事業者や行政関係者と交流が生まれる中で故郷を客観的に見るようになり、町政に関心を持ったという。 藤野圭史氏  2015年の町議選では18人中16位で落選。前回(19年)の町議選には出馬しなかった。  「ある先輩から『徳を積みなさい』と言われました。議員になる前に実績を積むのが先だと捉え、本業と商工会活動に邁進しました」  町の課題については、  「川俣町には工場が多く立地し、福島市や伊達市などから通ってくる従業員が多い。通っている人たちに住んでもらえるように、いかに環境を整備するかが重要です。議会では住宅確保の観点から若年層の声を伝えたい」  本業と議員活動の利益相反を防止する兼業規制に関しては、自身が代表取締役社長を務める㈱藤野の取引先はゼネコンが主で、町との取引はなく問題ないという。  新人3人の話を聞くと、立候補と報酬引き上げは無関係だった。5万円程度の引き上げでは、労力を考えると進んで立候補する者はいない。だが本業の他の「余禄」としては多い印象。30年近く上げてなかったので上げたというのが実情のようだ。ただ議員としての仕事ぶりの評価は厳しくなるのは間違いない。

  • 白河市議会最大会派〝分裂〟の影響

     任期満了に伴う白河市議選(定数24)は7月9日に投開票が行われ、立候補者30人(現職22人、元職2人、新人6人)のうち、現職20人、元職1人、新人3人が当選した。投票率は56・25%で合併後最低を記録した。  議長に筒井孝充市議(7期)、副議長に佐川京子市議(6期)が選出され、委員会や会派も新体制でスタートしていたが、それから半年も経っていない11月1日付で、会派に変更があった。  6議員が所属する最大会派の一つ「正真しらかわ」が分裂、緑川摂生市議(4期)と大木絵理市議が〝所属会派なし〟となり、新たに4議員が所属する「躍進しらかわ」が誕生したのだ。  正真しらかわは鈴木和夫市長から遠い立ち位置にあり、定例会の一般質問で所属議員が鈴木市政に対し、批判的な質問をすることもあった。  そんな同会派が何の前ぶれもなく分裂したため、他の会派の市議やその支持者らの間で「一体何があったのか」と話題になっていた。  正真しらかわに所属していた複数の市議に問い合わせたところ、「仲違いしたわけではない」と強調するものの、一様に口が重く、細かい経緯などを語ろうとしなかった。彼らに代わり、市議会をウオッチしている同市の経営者がこう解説する。  「鈴木市政に是々非々のスタンスを取ってきた会派だが、そのスタンスをめぐり所属議員の後援会内部でちょっとした騒動があった。『このままでは同じ会派の議員にも迷惑をかける』と考えた所属議員が退会を申し出て、話し合いを重ねた結果、最終的に一旦会派を解散することになったのです。ただ、それぞれ基本的なスタンスが大きく変わったわけではないので、結局一部の議員が再合流して、あらためて会派を立ち上げることになったようです」  具体的にどんな騒動が起きたのかは分からなかったが、話を聞く限り、意見の違いや感情的な対立などが原因ではないようだ。  いずれにしても、鈴木市政に物申すこともある最大会派が分裂・弱体化したことは、鈴木市長にとって喜ばしいことだろう。  鈴木和夫市長は1949(昭和24)年生まれ。早稲田大卒。県相双地方振興局長、企業局長などを歴任し、2007(平成19)年7月の白河市長選で初当選を果たした。  今年7月9日投開票の市長選では、2万2930票を獲得。無所属新人の元大信村議・国井明子氏(79)を1万9387票差で破り、5選を果たした。  もともと行政マン(県職員)だったのに加え、16年以上市長を務めていることもあって、行政関係の知識は誰よりもある。そのため職員に直接指示を出すほか、近年は議会の人事や質問内容などにも口出しするようになった、という話が漏れ聞こえてくる。  5期目は鈴木市長にとっての「集大成」になると見られており、早くも4年後の後継者探しのウワサも流れ始めている中で、会派分裂の影響が今後どのように現れるのか、注目したい。

  • 【国見町長に聞く】救急車事業中止問題【ワンテーブル】

     国見町が高規格救急車を所有して貸し出す事業は今年3月に受託企業ワンテーブル(宮城県多賀城市)の社長(当時)が「行政機能を分捕る」と発言した音声を河北新報が公開し、町は中止した。執行部は検証を第三者委員会に委嘱。議会は調査特別委員会(百条委員会)を設置し、執行部が作った救急車の仕様書はワンテーブルの受託に有利な内容で、官製談合防止法違反の疑いもあるとみて証人喚問を進める。引地真町長と同事業担当の大勝宏二・企画調整課長に11月6日、仕様書作成の経緯と責任の取り方を聞いた。(小池航) 仕様書作成の経緯と責任の取り方を聞いた  ――救急車の仕様書を作成する根拠となった資料の提出を町監査委員会が執行部に要求した際、ワンテーブルが提供した資料以外は「処分した」と執行部は説明しました。処分した文書はどのような方法で、どの部署の職員が入手したものか。  大勝企画調整課長「企画調整課の担当職員がインターネットで閲覧してプリントアウトした資料です。町としては、個人が職務上必要と考えてネットから印刷した文書は参考資料であり、公文書には当たらないと解しています」  ――職務上必要な資料は公文書では?  引地町長「参考資料とは、例えばネットから取得するだけではなく、本から見つけてコピーするものもありますよね。それは単なる資料でしかなく、公文書には当たらない。公文書とは、その資料をもとに行政が作成したものという解釈です」  ――国見町の文書管理規則では、公文書の定義を「職員が職務上作成し、又は取得した文書及び図画をいう。ただし、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数のものに販売することを目的として発行されるものを除く」としている。個人が取得した資料とはいえ、職務上得た文書では?  大勝課長「解釈はいろいろあると思います。職員が自己の執務のために保有している写しが即公文書に当たるかというと、議論を呼ぶところだと思います。メモ程度のものが公文書に当たるかどうかという議論です。町としては(処分した)資料は、仕様書を作る段階で集めたものという解釈で、それは個人が集めた資料です。その資料に基づいて、町の意思決定に何か反映させたことはないと判断しています。職員が参考程度に集めたものだったので、行政文書には当たらないと考えています。  参考資料を得た経緯を説明します。職員が町の仕様書を作る際、各消防組合などがネットに上げている仕様書を閲覧し、必要な部分だけを印刷しました。1冊分を印刷すると膨大になります。参考のつもりで閲覧し、公文書として保存を前提に集めたものではありません。担当職員が知識を得た段階で、それらの資料は残してはいませんでした」  ――担当職員が各企業の救急車の仕様書をネットで閲覧し、仕様書を作ったという解釈でいいか。  大勝課長「そのように説明してきました。ワンテーブルからは他町の仕様書の提供を受けたので、それも参考にしました」  ――どうしてワンテーブルが提供した資料だけが残っていたのか。  大勝課長「1冊丸々提供を受けたからです。残すつもりで残したわけではなく、破棄するつもりがなかったというか、たまたま残ったのだと思います」  ――受託したワンテーブルが示した参考資料以外に何社の救急車の資料を参考にしたのか。  大勝課長「はっきりとは言えません。部分的に参考にしたものもありますし、振り返ってネットで検索したものもあります」  ――引地町長に聞きます。ワンテーブルの巧妙だったと思う点はありますか。  引地町長「何が巧妙だったかという質問に町は答える術を持っていません。前社長の考えは報道や音声データで見聞きしたが、あの発言をした事実はあるものの、そこには出てきていない思いもあるはずで、それについて我々は知る術がない。だから何が巧妙だったのかという質問には本当に答えられない。  ワンテーブルと国見町の関係は高規格救急車事業で唐突に始まったわけではなく、前町長在任時の2018年に元経産省職員の紹介を受けて接点ができました。翌19年には防災パートナーシップ協定を結び、20年には企業版ふるさと納税945万円の寄付を受けました。前社長は総務省から『地域力創造アドバイザー』認定を受けていました。そういった下地があるので、その経過を持って彼らのやり口が巧妙だったかというと我々は判断する術がない。  役所は何かしら困り事を抱えていたり、地域の課題解決に意見を持っている人が訪れます。そういった人たちを、我々行政は疑ってかからないスタンスを取ります。まず対面してから話が進む。例えば目の前にいる町民を、最初から『悪いことを考えているのではないか』とは疑いません。困り事があって役所に来ているわけだから。そういう姿勢で我々は仕事をしてきました。  我々はワンテーブルを国見町と協力する数ある企業の一つと捉えていました。震災後の13年間、町は他の民間企業とも連携して復旧・復興、風評対策を進めてきた経過があります。官民連携でまちづくりを進める延長線上にあったのが高規格救急車事業でした。巧妙だったかという質問には本当に答えにくい。前社長が、あの発言のような考えを持ちながら当初から国見町とやり取りをしてきたのか、それは分かりません。町長として教訓というか思うところはありますが、第三者委員会の結論が出るまでは話すべきではないと考えます」 原因究明の陣頭指揮  ――高規格救急車事業について町民に伝えたいことは。  引地町長「同事業は契約を解除し、住民説明会を14カ所で行いました。ワンテーブル前社長の不適切な発言で事業継続が困難になったのは本当に残念です。同事業は議会に諮って進めてきました。出来上がった救急車は議決を得て町が取得し、必要な自治体や消防組合に譲与していきます。当初町が考えていた事業と着地点は違いますが、地域の防災力向上や医療・救急業務の充実に活用してもらいたいです」  ――町執行部に不信感を抱いている町民に伝えたいことは。  引地町長「町に関する報道で心配を掛けてしまい申し訳ありませんでした。住民説明会や議会では『最終的な責任は私にあり、責任回避はしない』と説明してきました。ただ、それで完結する話ではない。町への非難と私の身の処し方といった議論に終わらせず、果たさなければいけないのは、原因を究明し問題の所在を明らかにすることです。その陣頭指揮を執るのが町長の責任だと思います。『最終的な責任は引地にある』と言葉だけで済ませようとは思っていません。上辺だけで済ませれば、また同じ過ちが繰り返されます。その意味で第三者委員会は大きな意味を持っています。検証の結果を待ち、原因を指摘してもらい、再発防止に向けた意見を客観的に出してもらう。その上で、町執行部で必要な対策を行い、町政への責任を果たしていくことが大切なのだと考えます」  ※以下は11月13日に送った質問への文書回答。  ――第三者委員会の委員2人が辞任しました。検証の半ばで過半数の委員が辞任したことについて、受け止めを教えてください。検証への影響も教えてください。  「誠意をもって対応し、委員におかれましては直前まで委員会へ出席の意向でしたので、突然の辞任で驚いています。辞任の理由は分かりません。検証への影響は、今回委員会が中断してしまったので、検証が遅れる影響があったと考えます。速やかに後任を人選し、対応しています」

  • 「広報誌の私物化」を批判された内田いわき市長

     10月20日付の読売新聞県版に「台風被害の広報臨時号のはずが…『まるで選挙ビラ』、市長の視察写真8枚に『写真集』の声も」という記事が掲載された。福島民友も翌21日付で同じ趣旨の記事を載せた。  9月8日夜から9日早朝にかけて、台風13号による記録的豪雨に見舞われたいわき市。10月1日には、被害状況の写真や支援制度の案内を掲載した「広報いわき臨時号」が発行され、通常の広報紙とともに各世帯に配られた。  全4頁の広報紙に掲載された19枚の写真のうち、市長・内田広之氏の視察写真は8枚も使用されており、まるで写真集のような作りになっていた。そのことに対し、市民や市議から疑問の声が上がっていることを報じたもの。  両紙の記事では「被災特集なのに市長の写真ばかりなのは違和感がある」という市民の声、「選挙広報のようだ」、「広報の私物化だ」という市議の意見が紹介されていた。  災害時に首長がどう対応したかは、選挙の際の大きな評価ポイントになる。震災・原発事故後の2013年には、郡山市、いわき市、福島市、二本松市などの市長選で、現職首長が軒並み落選し、〝現職落選ドミノ〟現象と呼ばれた。  2011年には、当時いわき市長だった渡辺敬夫氏について「公務を投げ出して空港から逃げようとしていた」などのデマが流れた。災害対応に追われて姿が見えなかったためだと思われるが、選挙戦でそのマイナスイメージを利用して、「私は逃げない」と訴えた清水敏男氏が当選を果たした。  しかし、その清水氏に関しても、2019年10月の台風19号の際には対応の遅さが目立ち、被災者をはじめとした市民の信頼を失った。本誌が被災地域を取材した際には、避難の事前周知や断水対策の不備を指摘する声が多く、「市は一番苦しい時期に何もしてくれなかった」と断言する被災者もいたほどだ。その後、新型コロナウイルスへの対応の遅さも批判され、2021年の市長選で内田氏に敗れた。  こうした経緯もあってか、内田氏は豪雨発生後、連日被災地域を視察し、報道やSNSを通してボランティアの参加を呼びかけるなど、積極的に動いていた。過去の「失敗」を教訓としてうまく動いていたように見えたが、目立ちすぎて、一部では逆効果となっていたようだ。  いわき市広報広聴課に問い合わせたところ、「令和元年東日本台風のとき、『市長(清水敏男氏)の姿が見えない』という意見を多くいただいたので、それを教訓に、今回は市長の被災地視察の姿を多く掲載しました。直接市役所に寄せられた批判の声はありません。問題はなかったと考えています」とコメントした。  内田氏については、イベントなどに積極的に参加し、PR活動に努めていることに対し「軽い面が目立ってきた」という苦言が出ているほか、「今回の件は周囲にいる市議や幹部職員が一言助言すれば回避できた。ブレーン不在ではないか」との指摘も聞かれる。そういう意味では、市長就任から2年経過した内田氏の課題が露呈した一件だったとも言える。