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経済・ビジネス

  • 【福島】県内農業の明と暗

    離農した高齢酪農家が切実な訴え戦争と円安で配合飼料単価が急騰  「農業で飯を食う」のは簡単なことではない。相手は自然なので計画通り生産できるとは限らないし、国の政策や海外の事情などに翻弄されることもある。農業を取り巻く環境は「厳しい」の一言に尽きる。中でも今、注目されるのは急速に進む酪農家の離農だが、一方で、県内の2022年度の新規就農者数は過去最多を記録。同じ農業でありながら、明暗が入り混じる背景には何があるのか。二つの事象を深掘りする。  「もう無理。だから……やめることにしたよ」  そんな電話が突然、筆者にかかってきたのは昨年11月だった。電話の主は、県北地方で牧場を経営するAさん。20年前に脱サラし、父親が40年続けた酪農を引き継いだ。  この間にはさまざまな困難にも直面した。その一つが2011年に起きた福島第一原発事故だ。大量に放出された放射性セシウムで牛の餌となる牧草が汚染されたことから、酪農家はセシウムを吸収抑制するため牧草地に塩化カリを大量に撒いた。その結果、セシウムは低減したものの、カリ過剰の牧草を食べた牛が死亡する事例が相次いだ。  Aさんの牧場でも10頭の牛が次々と死亡したため、自給牧草の使用をやめ購入牧草に切り替えた。これにより牛が死亡することはなくなったが、今度はその分の購入費が重い負担になった。  これらの責任は、言うまでもなく事故を起こした東電にあるが、Aさんによると「酪農家として納得できる賠償」は行われず、協議がまとまらないと賠償金の支払いは後ろ倒しになった。未払いの間にかかる資金は自分で工面しなければならない不満も重なった(詳細は本誌2016年8月号「カリ過剰牧草で『牛の大量死』発生」参照)。  ただ、そんな困難にも負けず酪農を続けてきたAさんが「やめる」と言うのだから、余程厳しい状況に置かれていたことが想像できる。  12月上旬、久しぶりにAさんの牧場を訪ねると牛は1頭もおらず、ガランとした牛舎には一人で片付けをするAさんの姿があった。  「昨日、最後の1頭を引き取ってもらってね」  と言いながら、Aさんが筆者に見せたのは飼料の請求書だった。8月5日付発行と11月9日付発行の2通ある。見比べて驚いた。わずか3カ月で1・1~1・4倍に値上がりしていたのだ。  Aさんは2018年と22年の配合飼料単価の推移を月ごとに記録していた(別表の通り)。それを見ると18年はほぼ横ばいだが、22年は夏にかけて大幅に上がっている。18年と22年を比べても、22年は全体的に高くなっている。  「年々値上がりはしていたが、2022年になってロシアによるウクライナ侵攻が始まると価格が一気に上がった。そこに、急激な円安が追い打ちをかけた」(同)  配合飼料はトウモロコシなどの穀物が原料で、主に輸入でまかなわれている。今は世界的な穀物不足で配合飼料の生産量も増えない状況。そこに、ウクライナ侵攻と円安が直撃し、急激な価格高騰を引き起こした。その上がり方は別表2022年の推移からも一目瞭然だ。  Aさんが原発事故以降、自給牧草から購入牧草に切り替えたことは前述した。その購入牧草も主に輸入でまかなわれているが、自給牧草なら少しは餌代を抑えられたのか。  「自分で牧草をつくれば手間ひまがかかるし、機械のリース代や油代もかさむ。結局、つくっても買っても餌代はそれほど変わらなかったと思う」(同)  価格上昇は餌代だけでなく、燃料や電気料金、機械の部品類、タイヤなど、仕事に関わるあらゆる部分に見られた。こうなると、自助努力ではどうにもならない。  「原発事故の賠償金をもらっているうちは何とかなったが、数年前に打ち切られ、その後いろいろな物が値上がりし出すと、あとは〝つくっても赤字〟になった」(同)  Aさんの牧場でも、毎月十数万円ずつ赤字が膨らんでいったという。  こうした酪農家の窮状を受け、国は緊急支援策として経産牛(出産を経験した雌牛)1頭当たり1万円の補助を行うことを決めたが、実際に手元に入るのは2月ごろという。  「今困っているのに、もらえるのが何カ月も先では意味がない。1頭1万円では焼け石に水だしね」(同)  生乳の生産調整のため、乳量が少ない低能力牛を2023年9月までに淘汰すると1頭当たり15万円、10月以降だと同5万円を補助する事業も始まるが、産地では評価する声がある半面、家族同様に育てている牛を淘汰することに抵抗を感じる酪農家は少なくない。「本来取り組むべきは在庫調整ではないか」という批判も多く聞かれる。  その生乳は、卸売り価格が11月出荷分から3年半ぶりの値上げとなる1㌔当たり10円引き上げられ、120円近くになった。  「ただ乳を多く絞るには、その分餌を与えなければならない。でも餌代はどんどん上がっており、餌を多く与えるのは難しい。結局、卸売り価格は上がっても、儲けを見込めるだけの出荷量は出せない」(同)  そもそも卸売り価格が上がるということは、最終的には小売価格に跳ね返るので、ただでさえ牛乳離れが進む中、需要が一段と落ち込むのは避けられない。 「明るい未来が描けない」  県でも、輸入粗飼料を緊急的に購入している酪農家に1㌧当たり最大5000円を補助しているが、月を追うごとに値上がりする中、定額補助では価格上昇分を補填できず、実態を反映した支援とは言い難い。12月補正では配合飼料1㌧当たり2700円を補助する予算を計上し、補助金などの申請手続きを簡素化する支援策も打ち出したが、酪農家からすると〝無いよりはマシ〟というのが本音だろう。  Aさんが廃業を決めたのは昨年4月で、配合飼料単価が高騰し始めたころだが、その時点で既に厳しさを感じていたということは、今も経営を続ける酪農家はもっと厳しい状況にあるということだ。  「私は余計な借金をしていなかったから廃業を決断できた面もある。もし多額の借金があったら、返済を続けるため、やめたくてもやめられなかったと思う」(同)  実際、知り合いの酪農家の中には県の畜産・酪農収益力強化整備等特別対策事業を活用して施設を整備したり機械を導入し、最大2分の1の補助を受けたものの、事業を中止・廃止すると補助金の全部または一部の返還を求められるため、借金を抱えている人と同様、やめたくてもやめられないのだという。地域によってはバター不足を受け、増産に対応しようと施設に投資したのに生乳の生産調整に見舞われ、行き詰まった酪農家もいるという。  「私は補助も受けていなかったので、それほど悩まず廃業を決断できたのは幸いだった」(同)  カリ過剰問題に直面していた時は50頭の牛がいたが、廃業を決断した時点では38頭だった。そのうち5、6頭を食肉用として処分し、山形の酪農家に7頭、宮城の酪農家に5頭、新潟の酪農家に7頭を譲った。残りは家畜商に依頼し家畜市場などで売却したが、価格はピーク時の半額以下で、中には取り引きが成立しなかった牛もいた。  Aさんは67歳。トラクターなど金に換えられるものは売却し、今後は年金を頼りに家族で食べる分だけの畑を耕していく。  「農家は高齢化と後継者不足に直面している。自分もそうで、そのうちやめるだろうとは思っていたが、急激な餌代高騰などで想定よりも早くやめる羽目になった。自分は借金もなく、補助も受けていなかったのですんなりやめられたが、私みたいにどんどんやめていけば国内の生乳はまかなえなくなる。かと言って牧場経営を続けるにも適切な支援がなく、酪農は明るい未来が描けない状況にある。国や県には本気で酪農家を守る気があるのかと言いたい。これでは、将来酪農家になる人なんていませんよ」(同)  県畜産課が作成した資料「福島の畜産2021」によると同年の乳牛飼育頭数は対前年比1・7%減の1万1800頭、酪農家戸数は同5・4%減の283戸、1戸当たりの飼養頭数は同4・0%増の41・7頭だった。飼育頭数も戸数も減っているのに1戸当たりの飼養頭数が増えているのは、廃業した酪農家から譲り受けたためとみられる。  ちなみに震災前の2010年は、乳牛飼育頭数1万7600頭、酪農家戸数567戸、1戸当たりの飼養頭数31・0頭だった。震災前から飼育頭数は3割減り、戸数は実に半減している。  この数値を見ただけでも酪農家の離農の多さが伝わってくるが、餌代高騰の影響が反映される2022年のデータはさらに厳しい数値が並ぶことが予想される。  県畜産課や県酪農業協同組合に取材を申し込んだが、前者は伊達市と飯舘村で発生した鳥インフルエンザへの対応、後者はまさに酪農家への支援に奔走中で、締め切りまでに面談やコメントを寄せるのは難しいとのことだった。  12月5日付の日本農業新聞によると、同紙が全国10の指定生乳生産者団体に生乳の出荷戸数を聞き取った結果、10月末は約1万1400戸と4月末に比べ約400戸(3・4%)減、2021年の同期間の約280戸(2・3%)減よりペースが加速していることが分かった。各団体は飼料高騰による経営悪化を理由に挙げたという。  急速に進む酪農家の離農を止める術は今のところ見当たらない。 県内新規就農者が過去最多のワケ若者に人気の農業法人お試し就農  県内の2022年度(21年5月2日から22年5月1日まで)の新規就農者数が過去最多の334人となった。県によると、現行の調査を始めた1999年度以降で300人を超えたのは初めて。  新規就農者数の推移は別掲のグラフの通り。震災・原発事故の翌年は142人と大きく落ち込んだが、200人台まで回復した後はずっと横ばいが続いていた。  「300人の壁」を突破できた背景には何があったのか。関係者を取材すると、他県にはない就農支援と就農形態の変化が影響していることが見えてきた。  昨年秋に県内5カ所で開かれた就農相談会「ふくしま農業人フェア」は大勢の人で賑わった。県農業担い手課によると、来場者数はいわき会場(10月31日)41人、会津会場(11月6日)41人、県南会場(同12日)22人、県北会場(同13日)77人、県中会場(同20日)133人。どの会場も、担当者と真剣に話し込む来場者の姿があった。  当日県北会場に行っていたという同課の栁沼浩主幹(担い手担当)は次のように話す。  「来場者の年齢層は幅広いが、男女比で言うと女性の方が多い。県北会場には宮城県気仙沼市から来た女性2人もいて、担当者にあれこれ質問していました」  栁沼主幹によると「ふくしま農業人フェア」は2019年度からスタートしたが、この手の相談会を開いている県は少ないという。  「気仙沼から来た女性2人に『なぜ福島の相談会に?』と尋ねると、宮城では相談会をやっておらず、就農したくても情報を得る機会が少ないと言うのです」(同)  もちろん、全く開いていないわけではなく、相談窓口も設けられてはいるが、調べると、県主催で何百人も参加するような相談会を開いているのは、東北地方では福島県と岩手県だけだった。  さらに、福島県の強みとなっているのが雇用機会を創出するために始めた「お試し就農」だ。新規就農したい人と雇用者を求める農業法人をマッチングし、4カ月間、お試しで就農できる仕組み。就農したい人にとっては、現場の体験はもちろん、労務や人的つながりなど就農に必要な知識と経験を得ることができる。一方、採用してもすぐに辞められてしまうという悩みを抱えていた農業法人にとっては、お試し期間を通じて戦力になるか否かを見定めることができる。その間の人件費は県が負担してくれる点も大きな魅力だ。  「2021年度は30人がお試し就農に臨み、そのうち22人が農業法人に正式採用された。採用率は7割超なので、マッチングは機能していると思います」(同)  新規就農というと、自分で田畑を持ち、資機材を揃え、作物をつくる「自営就農」を思い浮かべがちだ。しかし新規就農者の半分以上は、お試し就農のように、農業法人に就職する「雇用就農」で占められている実態がある。前述した2022年度の新規就農者334人も内訳を見ると、自営就農165人、雇用就農169人となっている。 増える農業法人への就職  JA福島中央会技術常任参与の武田信敏氏はこう説明する。  「自営就農するには農業技術を備えていることはもちろん、土地や資機材などを準備しなければならず、それなりの初期投資がかかるため始めるにはハードルが高い。そこで、まずは農業法人に就職し、技術やノウハウを学びながら資金を準備し、将来の独立(自営就農)を目指す人が増えているのです」  農業法人は、担い手も後継者もいない高齢農業者にとって大きな助けになっており、舞い込む仕事もどんどん増えている。2022年3月現在、県内には農業法人が739法人あり(農地所有適格法人+認定農業者法人-重複する法人で計算)、人手はいくらあっても困らないというから、若者の働き口としても注目が集まっている。  「農業というと土いじりが真っ先に思い浮かぶが、近年はICT技術を導入したスマート農業が普及し、そういう方面は若者の方が長けているから、魅力的な就職先として農業法人が選ばれているのです」(同)  前述した就農形態の変化とは、このことを指しているのだ。  県農業担い手課の栁沼主幹も補足する。  「2022年度の自営就農165人を見ると野菜79人、果樹35人、水稲32人、花き12人、畜産3人、その他4人となっているが、このうち野菜と花きはICT技術を取り入れたハウス栽培が多い。若者にとっては、最先端の技術を用いて新しい農業にチャレンジできることが魅力になっているようです」  そんな自営就農に対しては、開始時のハードルの高さを考慮し、経営が軌道に乗るまでの支援策が用意されている。  例えば農林水産省では、都道府県が認める道府県の農業大学校等の研修機関で研修を受ける就農希望者に月12万5000円(最長2年)を交付する就農準備資金や、新規就農する人に農業経営を始めてから経営が安定するまで月12万5000円(最長3年)を交付する経営開始資金などを設けている。交付を受けるにはさまざまな要件を満たす必要があるが、こうした支援制度は収入が全くない状態から農業経営を始める自営就農者を大きく後押ししている。  「農業=厳しい」というイメージが定着する中、新規就農者が増えているのは喜ばしいことだ。栁沼主幹も「県の取り組みがようやく根付いてきたと思う」と自信を深め、武田氏も「300人の壁を突破できたのは正直嬉しい」と笑顔を見せる。  しかし筆者が気になるのは、新規就農者が増える半面、定着率はどうなっているのかという点だ。  12月1日付の福島民報に、今年3月に福島大学食農学類を1期生として卒業する23歳の男性と22歳の女性が新卒就農するという記事が掲載されたが、その中に《最近5年間の新規就農者のうち約3割が既に離農。いかに定着させるかが課題だ》という一文があった。  新卒者の離職率は業種を問わず年々高まっているので、離農率3割を殊更高いと言う気はないが、新規就農者が過去最多という「明」を紹介するなら、離農率3割の「暗」にも触れないとバランスを欠く。  ただ県農業担い手課の栁沼主幹によると、離農率3割は正確な数値ではないという。  「例えば雇用就農から自営就農に切り替えた人や、親元で就農していた人が独立するなど、就農の形態を変えた人は『いったん離農した』とカウントされるため、実際は離農していない人が多いのです」  県は新規就農者の追跡調査を行っていないため「正確な離農者数は分からない」(同)。ただ、市町村が認定する認定新規就農者の5年後定着率は95・7%(2020年度現在)と高く、他の業種で新卒者の定着率が低いことを考えると、新規就農者は腰を据えて農業に従事していると言っていいのではないか。  「県でも認定新規就農者を全面サポートしており、もし初年度に失敗したら、専門家に依頼して原因を分析し、翌年の農業経営につなげるといった離農を防ぐ取り組みにも注力しています」(同)  JA福島中央会の武田氏も定着率が高い秘密をこう明かす。  「新規就農する人はある種の覚悟を持っている。いざ始めるにはハードルが高いので、生半可な気持ちで取り組む人はいない。だから、すぐに離農する人が少ないのです」  取材を締めくくるに当たり、両氏に今後の課題を尋ねてみた。  栁沼主幹は「新規就農者が300人を超えたとはいえ、あくまで単年度の結果に過ぎない。これを機に、どうやって安定確保につなげていくか、今までの取り組みを充実させつつ、新たな取り組みを模索する必要がある」と語る。  新たな取り組みの一つが、今年度から県内七つの農林事務所に就農コーディネーターを配属したことだ。新規就農者の相談にワンストップで対応し、当人の意向に沿った就農の実現を包括的にサポートしている。  一方、武田氏は「食える農業を実現するため、国の支援だけでなく市町村や地域、地元JAが新規就農者をサポートすることが大切」と指摘する。国の支援はある程度充実してきたが、「市町村や地域の支援にはまだまだ温度差がある」(同)というから、改善次第では新規就農者数はさらに増えていくかもしれない。  東北地方では山形県に次いで新規就農者が多い福島県。新規就農者の中には県外出身者もおり、その増加は移住・定住の促進にもつながる。福島県を就農先として選んでもらえるよう、相談窓口や支援策のさらなる充実が求められる。

  • 【本宮市商工会・本宮LC・本宮RC】子ども食堂に広がる支援の輪 

     本宮市商工会(石橋英雄会長)は昨年12月、同市社会福祉協議会と市内の子ども食堂5団体に寄付金や日用品、コメ、食品などを贈呈した。同商工会は、通常業務以外にも社会貢献活動に積極的に取り組んでいる。昨年7月に同社協とフードバンク事業協定を結び、贈呈は今回で2回目。「地域の子どもを元気にしたい」という思いからスタートした支援の輪は徐々に広がり、同商工会の趣旨に賛同した本宮ライオンズクラブ(佐藤仁会長)、本宮ロータリークラブ(佐々木嘉宏会長)が新たに活動に加わった。協賛会員も38事業所に増加しコメ、野菜、寄付金のほか、おもちゃや児童書も贈られた。  贈呈式で石橋商工会長は「この活動も徐々に規模が大きくなってきている。まだまだ知られていない取り組みだったが、マスコミの報道により地元の大きな企業も是非参加させてほしいとの申し込みがあり賛同を得られた。一過性で終わること無く長期間継続し、本宮市だけでなく近隣市町村、福島県全域に活動の輪が広がっていくことに期待したい」と語った。  子ども食堂の代表者は「まだまだ子ども食堂を取り巻く状況は厳しい。調理師など専門家もいるがほとんどがボランティアで構成されている。本当に支援を必要としている人の利用は少ないように思えるが、もっと気軽に声をかけてもらえれば色々な手助けが出来ると思う。スタッフも高齢になって活動も鈍くなっているが地域の賑わいや子どもたちの健康を願って頑張っていきたい」と謝辞を述べた。  別の受贈者は「少人数で活動しているため、自分の活動が本当に役立っているのか、気持ちが落ち込む時もあります。ですが、皆さんの声援と子どもの元気な顔を見ると頑張る力になります」と話した。  日本は子どもの貧困率が年々問題になっている。現場の支援者たちの苦労に地域は支援の輪で報いたい。これからを担う子どもが元気に育ってほしいという思いは誰もが一緒。支援の輪がもっと広まることを願う。  本宮市と同商工会では、経済の落ち込みにもテコ入れをしている。新型コロナ後に第2弾となる30%のプレミアム付き商品券を発行し、2月17日まで利用を受け付けている。今回は1万セット販売した。  参加店は約600店舗。飲食店や小売店以外にも、建設会社、電気設備会社、左官業、板金業なども参加しているので、修理にも使えて便利。迷ったら「この券使えますか」と差し出せばほとんどが受け付けてくれるだろう。せっかく買っても引き出しの奥に眠っているかもしれない。地元経済を回すためにも、使い切ってほしい。

  • 【JAグループリポート2023】創立70周年記念大会で誓い新たに【JA福島女性部協議会】

     JA福島女性部協議会は昨年11月11日、福島市のパルセいいざかで創立70周年記念大会を開催した。JA女性部員ら約1000人が参加し、活動をさらに広げていくことを誓い合った。 創立70周年記念大会の様子  大会では10年間の功労者・優良JA女性部の表彰や各JA女性部の情勢報告、フリーアナウンサーの鏡田辰也さんの記念講演などが行われた。  児山京子副会長が開会を告げた後、菅野まゆみ監事の発声で、参加者全員がJA女性組織綱領を唱和した。  千枝浩美会長が「女性部を次世代につなげていくために、部員を増やし、女性組織の輪をさらに広げていきたい」とあいさつした。 千枝浩美JA福島女性部協議会会長  個人表彰では「特別功労者表彰」「功労者表彰」「特別賞」「優秀賞」の13人に千枝会長が表彰状と記念品を手渡した。 組織表彰では「JA女性組織仲間づくり旅行企画表彰」「あなたに届けるJA健康寿命100歳弁当コンテスト」の5組織が表彰を受けた。  表彰後、「特別功労者表彰」を受賞した大川原けい子さんが受賞者を代表して謝辞を述べた。  続いて、井出孝利副知事、管野啓二JA福島五連会長、折笠明憲JA福島県青年連盟委員長が祝辞を述べた。  情勢報告では、鈴木ハル江副会長が「JA福島女性部協議会のあゆみ」を発表した後、各JAの女性部長が動画と写真で、これまでの活動を報告した。さらに「東日本大震災からの復興」として、県内JA女性部の取り組みを報告した。  その後、鏡田さんが記念講演した。鏡田さんは「笑う門には福来る」と題して、アナウンサーになる前から現在までのさまざまな出来事についてユーモアを交えながら講演。会場は部員らの笑い声に包まれた。  最後に、中根まり子監事が読み上げた6つの項目の「申し合わせ」を採択した。  同協議会は、これまでJAや地域の人々と連携し、人々の命を育む食と農への理解を広げ、誰もが安心して暮らせる豊かな地域社会の実現に向けて活動してきた。  この大会を通してこれまでの歩みを振り返るとともに、女性部活動に誇りと自信を持つことを共有し、今後も人々の心豊かな暮らしを守っていく考えだ。

  • 【Jパワー】更新工事進む鬼首地熱発電所

     Jパワー(電源開発)が運営する鬼首地熱発電所(宮城県大崎市、1万5000㌔㍗)は40年以上にわたり電力を安定供給してきた。現在は更新工事の最終段階にあり、2023年4月の運転再開に向け、各種機器などの整備が進められている。 更新工事中の鬼首地熱発電所(手前が還元井、奥が冷却塔)  地熱発電は地下に溜まった蒸気や熱水を「生産井」でくみ上げ、気水分離器を経て蒸気でタービンを回す発電方法。使い終わった蒸気は冷却塔で冷やし、熱水とともに「還元井」で地下に戻す。 くみ上げた蒸気と熱水を分ける「気水分離器」  循環利用できれば長期間にわたり安定的な発電が可能となる。天候の影響を受けず、CO2排出量も少ない。設備利用率(フル稼働時の発電量に占める実際の発電量の割合)は風力約20%、太陽光約12%に対し、地熱発電は約80%だ。  同発電所は鳴子温泉郷から北西約20㌔の「鬼首カルデラ」内に位置し、「栗駒山国定公園」として第一種特別地域の指定を受けている。同社では戦後早くから地熱発電所の建設に着手した。1975(昭和50)年に出力9000㌔㍗で営業運転開始。以降、順次出力を増やし、2010年には1万5000㌔㍗に増強した。  その後、環境負荷の低減や安全性考慮の観点から新たな設備の導入が必要と判断し、17年に一時運転停止。19年から設備更新工事に入った。  生産井9坑、還元井8坑を埋め戻し、新たに掘削した生産井5坑、還元井5坑に集約。これでも出力は更新前とほぼ同水準を維持(1万4900万㌔㍗)。タービン棟を新設し発電機の効率が向上したことで、使用する熱水量・蒸気量が従前より減少するため、有毒な硫化水素の排出量が減少した。過去に生産井付近で発生した噴気災害を念頭に入れ、高温地帯に設備を設けないようにした。  すでに電気、建築設備は立ち上がり、生産井の噴気試験も終了。11月に試運転を開始した。更新工事には同社のほか、グループ会社や協力会社が連携して取り組んでおり、生産井などの掘削工事は主にJパワーハイテックが担った。  同発電所は地域振興の役割も担う。21年度には地元・大崎市の小学校や高校で授業を行い、鳴子温泉の特質や地元資源の独自性、地熱発電の仕組みなどを説明した。地元のお祭りや清掃活動にも積極的に参加しているほか、再生可能エネルギーを扱う東北大学の出前授業にも近々出講する予定となっている。  Jパワーでは50年までに国内発電事業のCO2排出量を実質ゼロにする目標を掲げている。同発電所の北約2㌔の地点にある高日向山地域(宮城県大崎市)では新たな地熱発電所の開発を目的とした資源量調査も進んでいる。  今後も同社ではエネルギーを不断に供給し続ける使命を念頭に、地域と信頼関係を築きながら事業を継続していく考えだ。

  • 鏡田辰也アナウンサー「独立後も福島で喋り続ける」

     ラジオ福島の名物アナウンサー・鏡田辰也さん(58)が9月末で退社し、フリーアナウンサーとして独立した。大きな節目を迎えたタイミングで、アナウンサー人生と独立の理由について語ってもらった。  かがみだ・たつや 1964年2月生まれ。広島県出身。東洋大卒。1988年にラジオ福島入社。2002年にギャラクシー賞DJパーソナリティー賞受賞。TUF「ふくしまSHOW」にも出演。9月末、ラジオ福島を退社し、フリーアナウンサーとなった。  「テレビ出演時、顔にメイクをしたら、お肌に異変を感じたんです。深刻な病気かと思い、すぐ皮膚科に相談したら、『老人性イボですね』と言われて終わりでした。ワハハ」  ラジオからにぎやかな笑い声が流れる。平日13時から16時、ラジオ福島で放送されている生ワイド番組「Radio de Show(ラジオでしょう)」の一幕だ。  マイクの前に座るのは水・木曜日担当の鏡田辰也さん。〝カガちゃん〟の愛称で知られ、同社で30年以上喋り続ける人気アナウンサーだ。  冒頭のようなエピソードを話しつつ、番組に訪れるゲストの話も引き出し、リスナーから寄せられたメールを逐一紹介して話を広げていく。  同社のスタジオはすべて一人で操作する「ワンマンコントロール」。生ワイドはやることが多いので、制作ディレクターが1人付いているが、CMまでの時間管理や放送機材操作は基本的に鏡田さんが担う。ほぼ1人で番組を進行しているわけ。  驚かされるのはトーク内容に関する台本すら全く用意していないということだ。 3時間の生ワイド放送中はトークしながら試食も担当し、放送機材(写真下)も操作するなど大忙し  「時間になったらマイクの前に座って話すだけ。典型的な『アドリブ派』です。昔から読書と映画が好きで、自宅には数百冊の蔵書と大量のブルーレイ・DVDがあります。それらの〝引き出し〟があるからよどみなく話せるのかもしれません」  その能力を生かし、ラジオDJのほか、講演会、イベント、結婚式のMC(司会)なども数多く務めてきた。2020年には、テレビユー福島で毎週水曜夜7時から放送されている地域情報バラエティー番組「ふくしまSHOW」のMCに起用された。他局ではニュースや人気バラエティー番組が放送されている時間帯だが、視聴率は好調で、「『いつもテレビ見ています』と声をかけてくれる方が多くなりました」と笑う。  1964(昭和39)年2月5日、広島県広島市生まれ。実家はJR広島駅前で宿泊業を営む。小さいころから一人で喋り続け、周りの大人からは「客商売向きだ」、「よしもと新喜劇に行け」と言われていた。  東京に行きたくて東洋大に進学。3年生のとき、大学生協の購買部で「東京アナウンスアカデミー」というアナウンス専門学校のチラシが目に入った。「家業を継ぐ前に、きれいな日本語を身に付けるのもいいかも」。気軽な気持ちで入校し、アナウンス技術を学ぶうち、「広島に帰る前に、何年かアナウンサーをやってみたい」と思うようになった。 4年目に迎えた転機  就職活動本番。全国のテレビ・ラジオ局を30社ぐらい受けたが全滅した。既卒となると採用のハードルがさらに上がるため、〝自主留年〟して、翌年も就職活動に再挑戦したが、すべて落ちた。  あきらめて他業種に就職するつもりだったが、2月になって、専門学校から「ラジオ福島で欠員募集が出た」と連絡が入った。ラジオ福島はは2年連続で入社試験に落ちていた。あきらめ半分で試験に臨んだところ、まさかの「内定」が出た。  〝滑り込み〟で始まったアナウンサー人生だったが、入社直後も苦難が続いた。  「先輩方から『暗い』、『笑い方が変』と毎日注意を受け、自社制作CMには『鏡田以外で』と指定が入ったほど。笑うこと、話すことがうまくできなくなり、いつも下を向いて歩いていました。任される仕事は時刻告知や列車情報を読み上げるぐらいで、中継や番組には使ってもらえませんでした」  転機となったのは入社4年目。JR福島駅前からの中継を任されたとき、スタジオにいる先輩アナウンサーから「そこで美空ひばりの曲を歌って」と〝無茶振り〟された。思い切って「真赤な太陽」を歌ったら、思いがけず観衆から拍手をもらった。  「たとえ自信が無くても一生懸命やる姿を見せることが大事なのか」。鏡田さんの中で何かが吹っ切れた。  「笑う門には福来る」をモットーに、気取らずに笑って話すことを心掛けた。しばらくすると、夜11時から放送されていた「rfcロックトーナメント」という若者向けの音楽番組を任されるようになった。  自分の好きなアーティストの応援ハガキを送り、その数でランキングが決まるシステムが売りだった。当初こそ前任の女性アナと比較されたが、気取らない鏡田さんのキャラはすぐリスナーに受け入れられた。何より音楽を好んで聞いていた鏡田さんに打ってつけの内容だった。番組には毎月5000通ものハガキが寄せられた。  音楽関係者も注目するようになり、ビッグアーティストが東北でPRキャンペーンを展開するとき、番組を訪れるようになった。  入社7年目の1995年4月には、鏡田さんをメーンMCとするお昼の生ワイド番組「かっとびワイド」がスタートした。  曜日ごとに選ばれた相手役のパーソナリティーはいずれも曲者ぞろい。思ったことは何でも口にする昭和2年生まれの「ハッピーチエちゃん」こと二宮チエさん。豪快なトークが持ち味の演歌歌手・紅晴美さん。鏡田さんの私生活も容赦なくネタにするお笑いコンビ・母心(ははごころ)。  そんなメンバーからの厳しい〝ツッコミ〟に対し、鏡田さんが変幻自在のトークで「笑い」にして返す。にぎやかで予測不能な掛け合いが評判を集め、同社の看板番組となった。その後タイトルを変えながら、25年以上にわたり放送され続けている。  「『鏡田さんの笑い声を聞くと元気が出る』というお便りをたくさんいただきました。私にとっては宝物で、いまも大切に保管してあります」  同番組でのトークが評価され、2002(平成14)年には、放送批評懇談会が主催するギャラクシー賞のDJパーソナリティー賞を、地方局のAMラジオアナウンサーとして初めて受賞した。  2005(平成17)年には、TBSをはじめとするJNN・JRN系列各局の優秀なアナウンサーに与えられる「アノンシスト賞」のラジオフリートーク部門で最優秀賞を受賞。就職活動も新人時代も〝落ちこぼれ〟だった鏡田さんが、全国に認められるアナウンサーとなった。 退社を決断した理由  一方で挫折もあった。東日本大震災・東京電力福島第一原発事故発生直後には、深刻な状況に直面して何も喋れなくなった。3・11から5日後、上司である大和田新アナウンサー(当時)に退職を申し出た。大和田さんにはこう励まされた。  「今はつらいかもしれないけれど、福島県が鏡田の声を必要とするときがきっと来る。それがいつなのか約束できないけど、いまは歯を食いしばって頑張ってくれ」  同社では発災時から350時間にわたりCMをカットして連続生放送を行った。鏡田さんもスタジオに入り、情報を伝え続けた。必死過ぎてそのときの記憶はほとんど残っていないという。  ただ同年5月、郡山市内のホテルで震災・原発事故後初めて開かれたイベントはよく覚えている。紅晴美さんや母心とのイベントに多くのリスナーが集まった。その姿を見て、イベント開始直後から涙が止まらなくなった。これからも自分にしかできない明るい放送をリスナーに届け続けよう――そう決意した。  そんな鏡田さんがこの秋、大きな決断をした。定年退職前にラジオ福島を退社し、フリーアナウンサーとなったのだ。  「4月に編成局長を任されたが、局長職業務を完璧にこなしながら、放送やイベントの仕事をいままで通り続けるのは、自分には難しいと感じました。しばらく考えた結果、アナウンサーとしての仕事を自分のペースで続けたい、という思いが勝った。そのため、会社と話し合って退職を決めました。おかげさまで独立後もラジオ・テレビのレギュラー番組は継続させていただいています」  卓越したMCスキルとアナウンス技術、30年以上の経験、幅広い人脈……これらを備えたアナウンサーは全国でもまれで、一層の活躍が期待されるが、鏡田さんはこう語る。  「ラジオは喋り手が身近な存在に感じられるし、スマホでも聞ける。さらには『ながら聞き』できるなど大きな可能性を秘めている。これからもラジオに関わり続けたいし、テレビでは地域密着型番組も担当しているので、明るい放送で福島県を盛り上げていきたい」  今日もスピーカーから明るい笑い声が流れてきた。太陽のような〝カガちゃん〟の存在が福島県を明るく照らし続ける。

  • 【福島県ユーチューバー】車中泊×グルメで登録者数10万人【戦力外110kgおじさん

    【戦力外110kgおじさん】福島県内在住おじさんユーチューバーの素顔  テレビ離れが進む昨今、ユーチューブの全世代の利用率は9割だ。本誌の読者層であるシニア世代も、パソコンやスマートフォンで毎日のようにユーチューブを見ている人は多いはず。数あるチャンネルの中には、県内で活動するユーチューバーも多数存在する。その中に、異色のジャンル「車中泊&グルメ」系で人気を誇る「戦力外110kgおじさん(43歳)」がいる。なぜ視聴者はこのチャンネルにハマるのか、本人へのインタビューをもとに、その謎に迫ってみたい。  週末夜のキャンプ場。辺り一面、真っ暗の中、ポツンと明かりが灯る1台のプリウス。その車の後部座席で、一人焼肉をしながらチューハイ「ストロングゼロ」をキメる――。そんな様子をユーチューブに配信している男性がいる。男性の名は「戦力外110kgおじさん」(以下、戦力外さんと表記)。戦力外さんのユーチューブのチャンネル登録者数は10・5万人。1つの動画が配信されれば20万回再生するのは当たり前で、中にはミリオン(100万回再生)に届きそうな動画も複数ある。 / https://www.youtube.com/watch?v=_SxScudMxQ8&t=23s  「110kg」という名の通りの巨漢が、決して広いとは言えないセダンタイプのプリウスの後部座席で、好きなものをたらふく食べ、大酒を飲む。そんな動画がなぜ多くの人に見られ、そして見続けられるのか。  戦力外さんの動画はチャンネルを開設してすぐに〝バズった〟(人気が出た)わけではない。  戦力外さんがユーチューブに動画を配信し始めたのは2020年2月。当初は釣りの動画を配信していたが、再生回数は数十回程度で、チャンネル登録者数も伸びなかった。  浮上のきっかけとなったのは「顔出し」だった。   戦力外さんは「正直なところ、40代である自分らの世代ってネットで顔出しするなんて気が狂っているというか、抵抗があったんですよね」と話す。今の40代は、匿名性の高い「2ちゃんねる」などを見てきた世代であり、「インターネットでは絶対に顔を出すな」と言われてきた世代でもある。それでも、戦力外さんは再生回数を伸ばしたい一心で顔出しを決意した。  「顔出ししたら登録者が100人を超えたんですよ。ユーチューブには『チャンネル登録者数100人の壁』というのがあります。そこを自力で超えられると、収益化の条件である『チャンネル登録者数1000人・総再生時間4000時間』に近づくと言われています。大体の人はこの100人の壁を超えられず、やめてしまうみたいですね」  チャンネル登録者数100人に達するまで7カ月を要した戦力外さんだったが、そこから1000人になるまでは、わずか3カ月だった。  顔出しと前後して、現在の動画の原点となる「プリウスの快適車中泊キットを110kgおじさんがDIY」という動画を配信したことも追い風となった。  プリウスの後部座席で使う食卓テーブル兼ベッドを作る動画だ。プリウスは後部座席を倒してフラットにしても、普段座るときの足置きのスペースがぽっかり空いてしまう。寝袋を敷いて寝ていると、どうしても足の部分がはみ出てしまい快適に眠れない。それを解決するために作られたのがこの台だった(写真)。このときの動画が初めて再生回数1000回を超え、戦力外さんにとって初バズり動画となった。戦力外さんは「釣りではなく、車中泊に需要があるのか!」と気付き、動画の内容を車中泊系へと変更していく。 車内に設置された食卓テーブル兼ベッド  2度目のバズり動画は「車上生活者の休日シリーズ」。その後、このシリーズが戦力外さんの主力コンテンツとなっていく。 戦力外さんは「このシリーズの第1弾で、いきなり1万回再生いったんです」と言う。  「再生回数が伸びた理由は、当時チャンネル登録者数20万人のユーチューバーさんが動画にコメントをくれたからなんです」  コメントの内容は「あなたみたいな人が、もしかしたらユーチューブで成功するのかもしれませんね。収益化するまで是非続けてください。わたしも応援します」だった。  ユーチューブに限らずSNSではよく起こる現象だ。多くのフォロワーやファンを持つ配信者(発信者)が、無名ユーチューバーの動画を一言「面白い」と紹介しただけで、瞬く間にその動画が拡散されていく。これをきっかけに戦力外さんは、収益化の条件であるチャンネル登録者数1000人・総再生時間4000時間を達成した。 動画を通じて疑似体験  動画の冒頭は、戦力外さんが車中泊をする場所に向かう道中の運転席を映している。無言で運転する戦力外さんが映し出され、テロップでその日にあった出来事などが紹介される。動画の説明欄に「この動画は半分くらいフィクションです」とある通り、テロップの内容は現実世界で起きたことに、戦力外さんが少し〝アレンジ〟を加えたものとなっている。  名前にあるもう一つのテーマ「戦力外」。これは、戦力外さんが日々の生活において「社会に出ると全然自分が役に立たない」、「俺って会社や社会では戦力外だな」と、打ちひしがれた経験が基になっている。   視聴者のコメント欄を見ると「おっちゃん見てると他人事には思えないんだよな。職場のストレスはよく分かる! この動画を見てると頑張んなきゃって不思議と思える。おっちゃん頑張って!」などと書き込まれている。  「動画の前半部分によく出てくる職場での失敗エピソードは、視聴者が自分よりきつい環境にいる人を見て、自分はまだまだマシだなって安心したい思いがあると思います。社会の戦力外おじさんが、もがきながら、ささやかな楽しみを見つけて楽しんでいる姿を見てシンパシーを感じるのでしょうね」 取材に応じる戦力外さん  メーンである動画の後半部分は、戦力外さんが車中で一人、ひたすら飲み食いするシーンだ。これがまた「食べ物がとても美味しそうで、美味しそうに食べる」動画なのだ。  視聴者のコメント欄には「見てると幸せな気持ちになれる動画を、ありがとうございます!」、「毎回、元気いただいてます」などと寄せられている。  「自分の好きなユーチューバーを見ることによって、自分もキャンプした気持ちになる。健康上の理由で食べたいけど食べられない人にとっては、私の動画を見て食べた気になる。そうやって疑似体験したいのかもしれませんね」 動画の編集時間は5時間  戦力外さんは1979(昭和54)年生まれの43歳。出身は山形県だが、幼少期から30代半ばまで猪苗代町で過ごす。学生時代は漠然と「物書きになりたい」という夢を持っていた。専門学生時代にはサブカルチャー雑誌『BURST(バースト)』にハマり、石丸元章、見沢知廉、花村萬月など、破天荒だが自由を感じるライフスタイルに憧れた。何か行動に移すということはなかったが、創作活動をしたいという思いは学生時代から抱いていた。  高校卒業後、家業である川魚の養殖業に就き、6年半前に実家を出て中通りに引っ越すタイミングで、インフラ系の会社に転職した。20代に真剣に打ち込んだのはフルコンタクト空手という格闘技だった。しかし膝のじん帯を断裂し、選手生命を断たれてしまう。  人生の大きな目標を失い「もう一つ生きがいを見つけたい」と思い立った戦力外さんが表現活動の第一歩として始めたのが、LIVEコミュニケーションアプリ「Pococha(ポコチャ)」だった。しかし、ポコチャはリスナーと直接会話するスタイルで、高度なコミュニケーション能力が要求されるため数カ月で挫折してしまう。  戦力外さんは「誰かと直接コミュニケーションせず、自分のタイミングで動画を撮り、じっくり編集できる方がいいんじゃないか」と考え、ユーチューブを始めた。  平日は会社で働き、休日になると動画撮影のため出掛ける。撮り終わったら自宅に戻って編集する。1つの動画の編集作業は平均5時間を要するが、「スマホを使ってベッドに寝ころびながらリラックスして作業しているので、そんなに大変ではないですよ」。  台本は作らず、頭の中で動画の構成を練っている。仕事は車の移動時間が長いため、その時間を有効活用し、面白いワードが出てくるのをひたすら待つのだという。 「美しいマンネリ目指す」  戦力外さんのチャンネルの視聴層は35~60歳までが多く、男女比では男性が9割を占める。  「理想は水戸黄門とか孤独のグルメなんです。視聴率トップは取れないけど、ずっと見てくれる人がいる。美しいマンネリっていうんですかね、そんな動画でありたいですね」  戦力外さんの動画が限られた層にしか見られていないと分かるエピソードがある。戦力外さんは自身のユーチューブチャンネルを母親に薦めたそうだが、母親が熱心に見るのは猫やフォークダンスの動画で、いくら薦めても自身の息子が配信している動画を全く見なかったという。戦力外さんは「興味がなければ肉親の動画でも見ないんですよ」と笑う。 プリウスと戦力外さん  ユーチューブはユーザー一人ひとりの趣味趣向に合った動画がトップ画面に表示されるような仕組みになっており、普段見ないジャンルの動画はそもそも表示もされない。これはユーチューブに限ったことではなく、買収騒動で話題のツイッターなどのSNS、ゾゾタウンなどの通販サイトも同様だ。  ただ、世の中の〝おじさん〟しか見ないニッチな動画を配信しているはずが、最近は少しずつファン層が拡大している様子。北海道に撮影に行った際、チャンネル登録しているファンの女性と奇跡的に出会い、お付き合いするまでに至ったという。  声をかけられる機会も増え、特にキャンピングカーで旅をしているシニア世代の夫婦からが多いようだ。 専業ユーチューバーへ  戦力外さんは6年半勤めた会社を辞め、12月から専業ユーチューバーとして活動を始めた。  「収入は不安定ですし、専業としてやっていくのに不安はありましたが、これからは創作活動一本で食っていくんだと決めました」  ユーチューブでの収入は「サラリーマンの月収の2倍くらい」だという。再生回数の変動などにより月の収入が100万円の時もあれば10万円の時もあるような世界だが、ユーチューブで最も広告収入を得やすいのは3月と12月なので、そのタイミングで退職を決意した。  ユーチューブは再生数によって広告収入が決まる。その単価についてはユーチューブの規約で公言しないよう定められている。戦力外さんも明かそうとしなかった。  しかし、さまざまなユーチューバーの書籍の情報によると、現在、ユーチューブの広告収入単価は1再生あたり0・05~0・7円と言われている。トップクラスの人気ユーチューバーは、1つの動画につき、サラリーマンの平均年収の3~4倍の広告収入が入る計算となる。  とは言っても、そこまで稼げるのはほんの一握りで、急に動画が見られなくなることだってあるのだ。  ただ、戦力外さんは「ユーチューブはプライベートすべてがネタになる」と前向きに捉える。  「仮にユーチューブで稼げなくなり、アルバイトをすることになっても、それを動画にすればいい。いいことも悪いこともネタにできるのがユーチューブなんです」  専業ユーチューバーになれば撮影回数を増やせるし、動画を配信する本数も増える。海外向けのチャンネル開設も目論んでいる。  「私のチャンネルは日本語のテロップを入れているので日本人しか見ません。次は世界に向けて、言葉なしでも伝わるような動画も作っていければと思っています」  戦力外さんは、テロップ無しに加え、ユーモアもプラスアルファしていきたいと考えている。  「チャップリンやミスタービーンみたいなコミカルな動きを入れていけば面白いかなと思っています」  一度見たら見続けてしまう中毒性。これがユーチューブの性質であり、作り手はそこを目指して動画を作成する。  「好きなことで、生きていく」  これはユーチューブのキャッチフレーズだが、専業ユーチューバーとして生き残っていくためには、そうも言っていられない。戦力外さんは「自分が好きなものも大事ですが、それ以上に、視聴者が求めているものを常に考え、再生回数が落ちないように維持していかなければなりません」と漏らす。  「死ぬ時、『なんであの時に専業ユーチューバーにならなかったんだ』と思いたくないんです。やった後悔よりもやらない後悔の方が悔いが残るって言うじゃないですか」  そう笑って話す戦力外さん。この先、どのようなチャンネルや動画を作り、ファンを拡大していくのか。〝おじさんユーチューバー〟の挑戦は始まったばかりだ。

  • 南東北病院「移転」にゼビオが横やり

     県は2022年11月8日、郡山市富田町の旧農業試験場跡地を売却するため条件付き一般競争入札を行い、総合南東北病院を運営する脳神経疾患研究所(郡山市、渡辺一夫理事長)など5者でつくる共同事業者が最高額の74億7600万円で落札した。同研究所は南東北病院をはじめ複数の医療施設を同跡地に移転させ、2027年度をめどに開設する計画。  同跡地はふくしま医療機器開発支援センターに隣接し、同市が医療機器関連産業の集積を目指すメディカルヒルズ郡山構想の対象地域になっている。そうした中、同研究所が2021年8月、同跡地に移転すると早々に発表したため、入札前から「落札者は同構想に合致する同研究所で決まり」という雰囲気が漂っていた。自民党の重鎮・佐藤憲保県議(7期)が裏でサポートしているというウワサも囁かれた。  ところが2022年夏ごろ、「ゼビオが入札に参加するようだ」という話が急浮上。予想外のライバル出現に同研究所は慌てた。同社はかつて、同跡地にトレーニングセンターやグラウンド、研究施設などを整備する計画を密かに練ったことがある。  ある事情通によると「ゼビオはメディカルヒルズ郡山構想に合致させるため、スポーツとリハビリを組み合わせた施設を考えていたようだ」。しかし、入札価格が51億5000万円だったため、同社は落札には至らなかった。ちなみに県が設定した最低落札価格は39億4000万円。  同研究所としては、本当はもっと安く落札する予定が、ゼビオの入札参加で想定外の出費を強いられた可能性がある。

  • 【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工

    【昭和電工】社名変更しても消えない喜多方湧水枯渇の罪  昭和電工は2023年1月に「レゾナック」に社名変更する。高品質のアルミニウム素材を生産する喜多方事業所は研究施設も備えることから、いまだ重要な位置を占めるが、グループ再編でアルミニウム部門は消え、イノベーション材料部門の一つになる。土壌・地下水汚染対策に起因する2021年12月期の特別損失約90億円がグループ全体の足を引っ張っている。井戸水を汚染された周辺住民は全有害物質の検査を望むが、費用がかさむからか応じてはくれない。だが、不誠実な対応は今に始まったことではない。事業所は約80年前から「水郷・喜多方」の湧水枯渇の要因になっていた。  「昭和電工」から「昭和」の名が消える。2023年1月に「レゾナック」に社名変更するからだ。2020年に日立製作所の主要子会社・日立化成を買収。世界での半導体事業と電気自動車の成長を見据え、エレクトロニクスとモビリティ部門を今後の中核事業に位置付けている。社名変更は事業再編に伴うものだ。  新社名レゾナック(RESONAC)の由来は、同社ホームページによると、英語の「RESONATE:共鳴する、響き渡る」と「CHEMISTRY:化学」の「C」を組み合せて生まれたという。「グループの先端材料技術と、パートナーの持つさまざまな技術力と発想が強くつながり大きな『共鳴』を起こし、その響きが広がることでさらに新しいパートナーと出会い、社会を変える大きな動きを創り出していきたいという強い想いを込めています」とのこと。  新会社は「化学の力で社会を変える」を存在意義としているが、少なくとも喜多方事業所周辺の環境は悪い方に変えている。現在問題となっている、主にフッ素による地下水汚染は1982(昭和57)年まで行っていたアルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を敷地内に埋め、それが土壌から地下水に漏れ出したのが原因だ。  同事業所の正門前には球体に座った男の子の像が立つ=写真。名前は「アルミ太郎」。地元の彫刻家佐藤恒三氏がアルミで制作し、1954(昭和29)年6月1日に除幕式が行われた。式当日の写真を見ると、着物を着たおかっぱの女の子が白い布に付いた紐を引っ張りお披露目。工場長や従業員とその家族、来賓者約50人がアルミ太郎と一緒に笑顔で写真に納まっていた。アルミニウム産業の明るい未来を予想させる。 喜多方事業所正門に立つ像「アルミ太郎」  2018年の同事業所CSRサイトレポートによると「昭和電工のアルミニウムを世界に冠たるものにしたい」という当時の工場幹部及び従業員の熱い願いのもと制作されたという。「アルミ太郎が腰掛けているのは、上記の世界に冠たるものにしたいという思いから地球を模したものだといわれています」(同レポート)。  同事業所は操業開始から現在まで一貫してアルミニウム関連製品を生産している。それは戦前の軍需産業にさかのぼる。 誘致当初から住民と軋轢  1939(昭和14)年、会津地方を北流し、新潟県に流れる阿賀川のダムを利用した東信電気新郷発電所の電力を使うアルミニウム工場の建設計画が政府に提出された。時は日中戦争の最中で、軽量で加工しやすいアルミニウムは重要な軍需物資だった。発電所近くの喜多方町、若松市(現会津若松市)、高郷村(現喜多方市高郷町)、野沢町(現西会津町野沢)が誘致に手を挙げた。喜多方町議会は誘致を要望する意見書を町に提出。町は土地買収を進める工場建設委員会を設置し、運搬に便利な喜多方駅南側の一等地を用意したことから誘致に成功した。  喜多方市街地には当時、あちこちに湧水があり、住民は生活用水に利用していた。電気に加え大量の水を使うアルミニウム製錬業にとって、地下に巨大な水がめを抱える喜多方は魅力的な土地だった。  誘致過程で既に現在につながる昭和電工と地域住民との軋轢が生じていた。土地を提供する豊川村(現喜多方市豊川町)と農民に対し、事前の相談が一切なかったのだ。農民・地主らの反対で土地売買の交渉は思うように進まなかった。事態を重く見た県農務課は経済部長を喜多方町に派遣し、「国策上から憂慮に堪えないので、可及的にこれが工場の誘致を促進せしめ、国家の大方針に即応すべきであることを前提に」と喜多方町長や豊川村長らに伝え、県が土地買収の音頭を取った。  近隣の太郎丸集落には「小作農民の補償料は反当たり50円」「水田反当たり850~760円」払うことで折り合いをつけた。高吉集落の地主は補償の増額を要求し、決着した。(喜多方市史)。  現在の太郎丸・高吉第一行政区は同事業所の西から南に隣接する集落で、地下水汚染が最も深刻だ。汚染が判明した2020年から、いまだに同事業所からウオーターサーバーの補給を受けている世帯がある。さらには汚染水を封じ込める遮水壁設置工事に伴う騒音や振動にも悩まされてきた。ある住民男性は「昔からさまざまな我慢を強いられてきたのがこの集落です。ですが、希硫酸流出へのずさんな対応や後手後手の広報に接し、今回ばかりは我慢の限界だ」と憤る。  実は、公害を懸念する声は誘致時点からあった。耶麻郡内の農会長・町村会長(喜多方町、松山村、上三宮村、慶徳村、豊川村、姥堂村、岩月村。関柴村で構成)は完全なる防毒設備の施工や損害賠償の責任の明確化を求め陳情書を提出していた。だが、対策が講じられていたかは定かではない(喜多方市史)。 喜多方事業所を南側から撮った1995年の航空写真(出典:喜多方昭寿会「昭和電工喜多方工場六十年の歩み」)。中央①が正門。北側を東西にJR磐越西線が走り、市街地が広がる。駅北側の湧水は戦前から枯れ始めた。写真左端の⑰は太郎丸行政区。  記録では1944(昭和19)年に初めてアルミニウムを精製し、汲み出した。だが戦争の激化で原料となるボーキサイトが不足し、運転停止に。敗戦後は占領軍に操業中止命令を食らい、農園を試行した時期もあった。民需に転換する許可を得て、ようやく製錬が再開する。  同事業所OB会が記した『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』(2000年)によると、アルミニウム生産量はピーク時の1970(昭和45)年には4万2900㌧。それに伴い従業員も増え、60(昭和35)~72(昭和47)年には650~780人を抱えた。地元の雇用に大きく貢献したわけだ。  喜多方市史は数ある企業の中で、昭和30年代の同事業所を以下のように記している。  《昭和電工(株)喜多方工場は、高度経済成長の中で着実な成長を遂げ、喜多方市における工場規模・労働者数・生産額ともに最大の企業となった。また喜多方工場が昭和電工㈱内においてもアルミニウム生産の主力工場にまで成長した》  JR喜多方駅の改札は北口しかないが、昭和電工社員は「通勤者用工場専用跨線橋」を渡って駅南隣の同事業所に直接行けるという「幻の南口」があった。喜多方はまさに昭和電工の企業城下町だった。  だが石油危機以降、アルミニウム製錬は斜陽になり、同事業所も規模を縮小し人員整理に入った。労働組合が雇用継続を求め、喜多方市も存続に向けて働きかけたことから、アルミニウム製品の加工場として再出発し、現在に至る。  同事業所が衰退した昭和40年代は、近代化の過程で見過ごされてきた企業活動の加害が可視化された「公害の時代」だ。チッソが引き起こした熊本県不知火海沿岸の水俣病。三井金属鉱業による富山県神通川流域のイタイイタイ病。石油コンビナートによる三重県の四日市ぜんそく。そして昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川流域に流出させたメチル水銀が引き起こした新潟水俣病が「四大公害病」と呼ばれる。 ※『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』と同社プレスリリースなどより作成  同じ昭和電工でも、喜多方事業所は無機化学を扱う。同事業所でまず発覚した公害は、製錬過程で出るフッ化水素ガスが農作物を枯らす「煙害」だった。フッ化水素ガスに汚染された桑葉を食べた蚕は繭を結ばなくなり、明治以来盛んだった養蚕業は昭和20年代後半には壊滅したという。  もっとも、養蚕は時代の流れで消えゆく定めだった。同事業所が地元に雇用を生んだという意味では、プラスの面に目を向けるとしよう。それでも煙害は、米どころでもある喜多方の水稲栽培に影響を与えた。周辺の米農家は補償をめぐり訴訟を繰り返してきた。前述・アルミ太郎が披露された1954年には「昭電喜多方煙害対策特別委員会」が発足。希望に満ちた記念撮影の陰には、長年にわたる住民の怒りがあった。 地下水を大量消費  フッ化水素ガスによる農産物への被害だけでなく、同事業所は地下水を大量に汲み上げ、湧水枯渇の一因にもなっていた。「きたかた清水の再生によるまちづくりに関する調査研究報告書」(NPO法人超学際的研究機構、2007年)は、喜多方駅北側の菅原町地区で「戦前から枯渇が始まり、市の中心部へ広がり、清水の枯渇が外縁部へと拡大していった」と指摘している。06年10月に同機構の研究チームが行ったワークショップでは、住民が「菅原町を中心とした南部の清水も駅南のアルミ製錬工場の影響で枯渇した」と証言している。同事業所を指している。  研究チームの座長を務めた福島大の柴﨑直明教授(地下水盆管理学)はこう話す。  「調査では喜多方の街なかに住む古老から『昭和電工の工場が水を汲み過ぎて湧水が枯れた』という話をよく聞きました。アルミニウム製錬という業種上、戦前から大量の水を使っていたのは事実です。豊川町には同事業所の社宅があり、ここの住人に聞き取りを行いましたが、口止めされているのか、勤め先の不利益になることは言えないのか、証言する人はいませんでした」  地下水の水位低下にはさまざまな要因がある。柴﨑教授によると、特に昭和40年代から冬季の消雪に利用するため地下水を汲み上げ、水位が低下したという。農業用水への利用も一因とされ、これらが湧水枯渇に大きな影響を与えたとみられる。   ただし、戦前から湧水が消滅していたという証言があることから、喜多方でいち早く稼働した同事業所が長期にわたって枯渇の要因になっていた可能性は否めない。ワークショップでは「地下水汚染、土壌汚染も念頭に置いて調査研究を進めてほしい」との声もあった。  この調査は、地下水・湧水が減少傾向の中、「水郷・喜多方」を再認識し、湧水復活の契機にするプロジェクトの一環だった。喜多方市も水郷のイメージを生かした「まちおこし」には熱心なようだ。  今年10月には、市内で「第14回全国水源の里シンポジウム」が開かれた。同市での開催は2008年以来2度目。実行委員長の遠藤忠一市長は「水源の里の価値を再確認し、水源の里を持続可能なものとする活動を広げ、次世代に未来をつないでいきたい」とあいさつした(福島民友10月28日付)。参加者は、かつて湧水が多数あった旧市内のほか、熱塩加納、山都、高郷の各地区を視察した。 「水源の里」を名乗るなら  昭和電工は戦時中の国策に乗じて喜多方に進出し、アルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を地中に埋めていた。「法律が未整備だった」「環境への意識が希薄だった」と言い訳はできる。だが「喜多方の水を利用させてもらっている」という謙虚な気持ちがあれば、周辺住民の「湧水が枯れた」との訴えに耳を傾けたはずで、長期間残り続ける有害物質を埋めることはなかっただろう。喜多方の水の恩恵を受けてきた事業者は、酒蔵だろうが、地元の農家だろうが、東京に本社がある大企業だろうが、水を守る責任がある。昭和電工は奪うだけ奪って未来に汚染のツケを回したわけだ。  喜多方市も水源を守る意識が薄い。遠藤市長は「水源の里を持続可能なものとする活動を広げる」と宣言した。PRに励むのは結構だが、それは役所の本分ではないし得意とすることではない。市が「水源の里」を本当に守るつもりなら、果たすべきは公害問題の解決のために必要な措置を講じることだ。   住民は、事業所で使用履歴のない有害物質が基準値を超えて検出されていることから、土壌汚染対策法に基づいた地下水基準全項目の調査を求めている。だが、汚染源の昭和電工は応じようとしない。膠着状態が続く中、住民は市に対し昭和電工との調整を求めている。市長と市議会は選挙で住民の負託を受けている。企業の財産や営業の自由は守られてしかるべきだが、それよりも大切なのは市民の健康と生活を守ることではないか。

  • 会津若松市河東町にある小原氏の自宅

    【会津若松】巨額公金詐取事件の舞台裏

    会津若松市の元職員による巨額公金詐取事件。その額は約1億7700万円というから呆れるほかない。  巨額公金詐取事件を起こしたのは障がい者支援課副主幹の小原龍也氏(51)。小原氏は11月7日付で懲戒免職になっているため、正確には元職員となる。  発覚の経緯は6月13日、2021年度の児童扶養手当支給に係る国庫負担金の実績報告書を県に提出するため、小原氏の後任となったこども家庭課職員が関係書類やシステムデータを確認したところ、実際に振り込んだ額とシステムデータに不整合があることを見つけたことだった。  内部調査を進めると、2021年度の児童扶養手当支給に複数の不整合があることが分かった。また小原氏の業務用パソコンからは、同年度の子育て世帯への臨時特別給付金について小原氏名義の預金口座に振込依頼していたデータや、重度心身障がい者医療費助成金をめぐり小原氏が給付事務を担当していた07~09年度に詐取していたことをうかがわせるデータも見つかった。市は会津若松署に報告し今後の対応を相談する一方、金融機関に小原氏名義の預金口座の照会を行うなど、詐取の証拠集めを2カ月かけて進めた。  市は8月8日、小原氏に事情聴取した。最初は「分からない」「覚えていない」と非協力的な姿勢を見せていたが、集めた証拠類を示すと児童扶養手当と子育て世帯への臨時特別給付金を詐取したことを認めた。  小原氏は動機について「不正に振り込む方法を思い付いた。魔が差した」と語り、使途は「生活していく中で自然に使った」と説明したが、続く同9、10、15日に行った事情聴取では「親族の借金を肩代わりし返済に苦労していた」「競馬や宝くじに使った」「車のローンの返済に充てた」と次第に変化していった。  市は事情聴取と並行し、詐取された公金の回収に取り組んだ。預金口座からの振り込みに加え、生命保険の解約や車の売却といった保有財産の換価を行い、11月8日現在、約9100万円を回収した。  9月8日には小原氏に対する懲戒審査委員会を開き、懲戒免職が妥当と判断されたが、引き続き事情聴取と公金回収を進めるため、小原氏の職員としての身分を当面継続することとした。  小原氏は10月7日、市に誓約書を提出した。内容は児童扶養手当(約1億1070万円)、子育て世帯への臨時特別給付金(60万円)、重度心身障がい者医療費助成金(約6570万円)、計約1億7700万円を詐取したことを認め、弁済することを誓約したものだ。  市は11月7日付で会津若松署に詐欺罪で告訴状を提出し、その日のうちに受理された。また、同日付で小原氏を懲戒免職とし、併せて上司らの懲戒処分を行った。  「会津若松署が告訴状を受理したので、事件の全容解明は今後の捜査に委ねられることになる。警察筋の話によると、捜査は来年2月くらいまでかかるようだ」(ある事情通)  それにしても、これほど巨額な詐取がなぜバレなかったのか不思議でならないが、  「市の説明や報道等によると、児童扶養手当の詐取は管理システムの盲点を悪用し不正な操作を繰り返した、子育て世帯への臨時特別給付金の詐取は本来の支給額より多い金額が自分の預金口座に振り込まれるようデータを細工した、重度心身障がい者医療費助成金の詐取もデータを細工する一方、帳票を改ざんして発覚を免れていた」(同) 合併自治体特有の「差」  それだけではない。こども家庭課に勤務していた時は、自分が児童扶養手当支給の主担当を担えるよう事務分担を変え、支給処理に携わる職員を1人減らし、それまで行っていた決裁後の起案のグループ回覧をやめることで他職員が関連書類に触れないようにしていた。また主担当の仕事をチェックする副担当に、入庁1年目の新人職員や異動1年目の職員を充てることでチェックが機能しにくい体制をつくっていた。  「パソコンがかなり達者で、福祉関連の支給事務に精通していた。そこに狡猾さが加わり、不正がバレないやり方を身に付けていった」(同)  小原氏は市の事情聴取に「不正はやる気になればできる」と話したというから、詐取するには打って付けの職場環境だったに違いない。  小原氏は1996年4月、旧河東町役場に入庁。2005年11月、会津若松市との合併に伴い同市職員となった。社会福祉課に配属され、11年3月まで重度心身障がい者医療費助成金の給付事務を担当。18年4月からはこども家庭課で児童扶養手当と子育て世代への臨時特別給付金の給付事務を担当した。2022年4月、障がい者支援課副主幹に。事件はこの異動をきっかけに発覚した。  地元ジャーナリストの話。  「小原氏は妻と子どもがおり、父親と同居している。父親は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐと聞いた。三男(同)は、小原氏と職種は違うが公務員だそうだ」  小原氏は「親族の借金を肩代わりした」とも語っていたが、  「過去に叔父が勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあるという。親族の借金の肩代わりとは、それを指しているのかもしれない」(同) 会津若松市河東町にある小原氏の自宅  河東町にある自宅は2000年10月に新築され、持ち分が父親3分の2、小原氏3分の1の共有名義となっている。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  小原氏の職場での評判は「他職員が嫌がる仕事も率先して引き受け、仕事ぶりは迅速かつ的確」といい、地元の声も「悪いことをやる人にはとても見えない」と上々。しかし、会津若松市のように他町村と合併した自治体では「職員の差」が問題になることがある。  ある議員経験者によると、市町村合併では優秀な職員が多い自治体もあれば能力の低い職員が目立つ自治体、服装や挨拶など基本的なことすらできていない自治体等々、職員の能力や資質に差を感じる場面が少なくなかったという。  「合併から十数年経ち、職員の退職・入庁が繰り返されたため今は差を感じることは減ったが、中核となる市に周辺町村がくっついた合併では職員の能力や資質にだいぶ開きがあったと思います」(同)  元首長もこう話す。  「町村役場は、職員を似たような部署に長く置いて専門性を身に付けさせ、サービスの低下を防ぐ。そこで自然と専門知識が身に付くので、あとは個人の資質によるが、悪用する気になればできる、と」  小原氏は旧河東町時代も重度心身障がい者医療費助成金の支給事務を行っていたというから、専門知識は豊富だったことになる。  市町村職員になるには採用試験に合格しなければならないが、競争率が高いため「職員=優秀」というイメージが漠然と定着している。しかし現実は、小原氏のような悪質な職員も存在すること、さらに言うと合併自治体特有の、職員の能力や資質の差が今回のような事件の契機になることも認識する必要がある。  市は今後、未回収となっている約8600万円の回収に努め、場合によっては民事訴訟も視野に入れるという。事件を受け、室井照平市長は給料を7カ月2分の1に減額し、現任期(3期目)の退職手当も2分の1に減額する方針。  市の責任を形で示したわけだが、市民からは市が注力しているデジタル田園都市国家構想を踏まえ「巨額公金詐取を見抜けなかった市に膨大な市民の個人情報を預けて大丈夫なのか」と心配する声が聞かれる。ICT導入を熱心に進める前にチェック機能がない、いわば〝ザル〟の組織を立て直す方が先決ではないのか。

  • 【福島】県内農業の明と暗

    離農した高齢酪農家が切実な訴え戦争と円安で配合飼料単価が急騰  「農業で飯を食う」のは簡単なことではない。相手は自然なので計画通り生産できるとは限らないし、国の政策や海外の事情などに翻弄されることもある。農業を取り巻く環境は「厳しい」の一言に尽きる。中でも今、注目されるのは急速に進む酪農家の離農だが、一方で、県内の2022年度の新規就農者数は過去最多を記録。同じ農業でありながら、明暗が入り混じる背景には何があるのか。二つの事象を深掘りする。  「もう無理。だから……やめることにしたよ」  そんな電話が突然、筆者にかかってきたのは昨年11月だった。電話の主は、県北地方で牧場を経営するAさん。20年前に脱サラし、父親が40年続けた酪農を引き継いだ。  この間にはさまざまな困難にも直面した。その一つが2011年に起きた福島第一原発事故だ。大量に放出された放射性セシウムで牛の餌となる牧草が汚染されたことから、酪農家はセシウムを吸収抑制するため牧草地に塩化カリを大量に撒いた。その結果、セシウムは低減したものの、カリ過剰の牧草を食べた牛が死亡する事例が相次いだ。  Aさんの牧場でも10頭の牛が次々と死亡したため、自給牧草の使用をやめ購入牧草に切り替えた。これにより牛が死亡することはなくなったが、今度はその分の購入費が重い負担になった。  これらの責任は、言うまでもなく事故を起こした東電にあるが、Aさんによると「酪農家として納得できる賠償」は行われず、協議がまとまらないと賠償金の支払いは後ろ倒しになった。未払いの間にかかる資金は自分で工面しなければならない不満も重なった(詳細は本誌2016年8月号「カリ過剰牧草で『牛の大量死』発生」参照)。  ただ、そんな困難にも負けず酪農を続けてきたAさんが「やめる」と言うのだから、余程厳しい状況に置かれていたことが想像できる。  12月上旬、久しぶりにAさんの牧場を訪ねると牛は1頭もおらず、ガランとした牛舎には一人で片付けをするAさんの姿があった。  「昨日、最後の1頭を引き取ってもらってね」  と言いながら、Aさんが筆者に見せたのは飼料の請求書だった。8月5日付発行と11月9日付発行の2通ある。見比べて驚いた。わずか3カ月で1・1~1・4倍に値上がりしていたのだ。  Aさんは2018年と22年の配合飼料単価の推移を月ごとに記録していた(別表の通り)。それを見ると18年はほぼ横ばいだが、22年は夏にかけて大幅に上がっている。18年と22年を比べても、22年は全体的に高くなっている。  「年々値上がりはしていたが、2022年になってロシアによるウクライナ侵攻が始まると価格が一気に上がった。そこに、急激な円安が追い打ちをかけた」(同)  配合飼料はトウモロコシなどの穀物が原料で、主に輸入でまかなわれている。今は世界的な穀物不足で配合飼料の生産量も増えない状況。そこに、ウクライナ侵攻と円安が直撃し、急激な価格高騰を引き起こした。その上がり方は別表2022年の推移からも一目瞭然だ。  Aさんが原発事故以降、自給牧草から購入牧草に切り替えたことは前述した。その購入牧草も主に輸入でまかなわれているが、自給牧草なら少しは餌代を抑えられたのか。  「自分で牧草をつくれば手間ひまがかかるし、機械のリース代や油代もかさむ。結局、つくっても買っても餌代はそれほど変わらなかったと思う」(同)  価格上昇は餌代だけでなく、燃料や電気料金、機械の部品類、タイヤなど、仕事に関わるあらゆる部分に見られた。こうなると、自助努力ではどうにもならない。  「原発事故の賠償金をもらっているうちは何とかなったが、数年前に打ち切られ、その後いろいろな物が値上がりし出すと、あとは〝つくっても赤字〟になった」(同)  Aさんの牧場でも、毎月十数万円ずつ赤字が膨らんでいったという。  こうした酪農家の窮状を受け、国は緊急支援策として経産牛(出産を経験した雌牛)1頭当たり1万円の補助を行うことを決めたが、実際に手元に入るのは2月ごろという。  「今困っているのに、もらえるのが何カ月も先では意味がない。1頭1万円では焼け石に水だしね」(同)  生乳の生産調整のため、乳量が少ない低能力牛を2023年9月までに淘汰すると1頭当たり15万円、10月以降だと同5万円を補助する事業も始まるが、産地では評価する声がある半面、家族同様に育てている牛を淘汰することに抵抗を感じる酪農家は少なくない。「本来取り組むべきは在庫調整ではないか」という批判も多く聞かれる。  その生乳は、卸売り価格が11月出荷分から3年半ぶりの値上げとなる1㌔当たり10円引き上げられ、120円近くになった。  「ただ乳を多く絞るには、その分餌を与えなければならない。でも餌代はどんどん上がっており、餌を多く与えるのは難しい。結局、卸売り価格は上がっても、儲けを見込めるだけの出荷量は出せない」(同)  そもそも卸売り価格が上がるということは、最終的には小売価格に跳ね返るので、ただでさえ牛乳離れが進む中、需要が一段と落ち込むのは避けられない。 「明るい未来が描けない」  県でも、輸入粗飼料を緊急的に購入している酪農家に1㌧当たり最大5000円を補助しているが、月を追うごとに値上がりする中、定額補助では価格上昇分を補填できず、実態を反映した支援とは言い難い。12月補正では配合飼料1㌧当たり2700円を補助する予算を計上し、補助金などの申請手続きを簡素化する支援策も打ち出したが、酪農家からすると〝無いよりはマシ〟というのが本音だろう。  Aさんが廃業を決めたのは昨年4月で、配合飼料単価が高騰し始めたころだが、その時点で既に厳しさを感じていたということは、今も経営を続ける酪農家はもっと厳しい状況にあるということだ。  「私は余計な借金をしていなかったから廃業を決断できた面もある。もし多額の借金があったら、返済を続けるため、やめたくてもやめられなかったと思う」(同)  実際、知り合いの酪農家の中には県の畜産・酪農収益力強化整備等特別対策事業を活用して施設を整備したり機械を導入し、最大2分の1の補助を受けたものの、事業を中止・廃止すると補助金の全部または一部の返還を求められるため、借金を抱えている人と同様、やめたくてもやめられないのだという。地域によってはバター不足を受け、増産に対応しようと施設に投資したのに生乳の生産調整に見舞われ、行き詰まった酪農家もいるという。  「私は補助も受けていなかったので、それほど悩まず廃業を決断できたのは幸いだった」(同)  カリ過剰問題に直面していた時は50頭の牛がいたが、廃業を決断した時点では38頭だった。そのうち5、6頭を食肉用として処分し、山形の酪農家に7頭、宮城の酪農家に5頭、新潟の酪農家に7頭を譲った。残りは家畜商に依頼し家畜市場などで売却したが、価格はピーク時の半額以下で、中には取り引きが成立しなかった牛もいた。  Aさんは67歳。トラクターなど金に換えられるものは売却し、今後は年金を頼りに家族で食べる分だけの畑を耕していく。  「農家は高齢化と後継者不足に直面している。自分もそうで、そのうちやめるだろうとは思っていたが、急激な餌代高騰などで想定よりも早くやめる羽目になった。自分は借金もなく、補助も受けていなかったのですんなりやめられたが、私みたいにどんどんやめていけば国内の生乳はまかなえなくなる。かと言って牧場経営を続けるにも適切な支援がなく、酪農は明るい未来が描けない状況にある。国や県には本気で酪農家を守る気があるのかと言いたい。これでは、将来酪農家になる人なんていませんよ」(同)  県畜産課が作成した資料「福島の畜産2021」によると同年の乳牛飼育頭数は対前年比1・7%減の1万1800頭、酪農家戸数は同5・4%減の283戸、1戸当たりの飼養頭数は同4・0%増の41・7頭だった。飼育頭数も戸数も減っているのに1戸当たりの飼養頭数が増えているのは、廃業した酪農家から譲り受けたためとみられる。  ちなみに震災前の2010年は、乳牛飼育頭数1万7600頭、酪農家戸数567戸、1戸当たりの飼養頭数31・0頭だった。震災前から飼育頭数は3割減り、戸数は実に半減している。  この数値を見ただけでも酪農家の離農の多さが伝わってくるが、餌代高騰の影響が反映される2022年のデータはさらに厳しい数値が並ぶことが予想される。  県畜産課や県酪農業協同組合に取材を申し込んだが、前者は伊達市と飯舘村で発生した鳥インフルエンザへの対応、後者はまさに酪農家への支援に奔走中で、締め切りまでに面談やコメントを寄せるのは難しいとのことだった。  12月5日付の日本農業新聞によると、同紙が全国10の指定生乳生産者団体に生乳の出荷戸数を聞き取った結果、10月末は約1万1400戸と4月末に比べ約400戸(3・4%)減、2021年の同期間の約280戸(2・3%)減よりペースが加速していることが分かった。各団体は飼料高騰による経営悪化を理由に挙げたという。  急速に進む酪農家の離農を止める術は今のところ見当たらない。 県内新規就農者が過去最多のワケ若者に人気の農業法人お試し就農  県内の2022年度(21年5月2日から22年5月1日まで)の新規就農者数が過去最多の334人となった。県によると、現行の調査を始めた1999年度以降で300人を超えたのは初めて。  新規就農者数の推移は別掲のグラフの通り。震災・原発事故の翌年は142人と大きく落ち込んだが、200人台まで回復した後はずっと横ばいが続いていた。  「300人の壁」を突破できた背景には何があったのか。関係者を取材すると、他県にはない就農支援と就農形態の変化が影響していることが見えてきた。  昨年秋に県内5カ所で開かれた就農相談会「ふくしま農業人フェア」は大勢の人で賑わった。県農業担い手課によると、来場者数はいわき会場(10月31日)41人、会津会場(11月6日)41人、県南会場(同12日)22人、県北会場(同13日)77人、県中会場(同20日)133人。どの会場も、担当者と真剣に話し込む来場者の姿があった。  当日県北会場に行っていたという同課の栁沼浩主幹(担い手担当)は次のように話す。  「来場者の年齢層は幅広いが、男女比で言うと女性の方が多い。県北会場には宮城県気仙沼市から来た女性2人もいて、担当者にあれこれ質問していました」  栁沼主幹によると「ふくしま農業人フェア」は2019年度からスタートしたが、この手の相談会を開いている県は少ないという。  「気仙沼から来た女性2人に『なぜ福島の相談会に?』と尋ねると、宮城では相談会をやっておらず、就農したくても情報を得る機会が少ないと言うのです」(同)  もちろん、全く開いていないわけではなく、相談窓口も設けられてはいるが、調べると、県主催で何百人も参加するような相談会を開いているのは、東北地方では福島県と岩手県だけだった。  さらに、福島県の強みとなっているのが雇用機会を創出するために始めた「お試し就農」だ。新規就農したい人と雇用者を求める農業法人をマッチングし、4カ月間、お試しで就農できる仕組み。就農したい人にとっては、現場の体験はもちろん、労務や人的つながりなど就農に必要な知識と経験を得ることができる。一方、採用してもすぐに辞められてしまうという悩みを抱えていた農業法人にとっては、お試し期間を通じて戦力になるか否かを見定めることができる。その間の人件費は県が負担してくれる点も大きな魅力だ。  「2021年度は30人がお試し就農に臨み、そのうち22人が農業法人に正式採用された。採用率は7割超なので、マッチングは機能していると思います」(同)  新規就農というと、自分で田畑を持ち、資機材を揃え、作物をつくる「自営就農」を思い浮かべがちだ。しかし新規就農者の半分以上は、お試し就農のように、農業法人に就職する「雇用就農」で占められている実態がある。前述した2022年度の新規就農者334人も内訳を見ると、自営就農165人、雇用就農169人となっている。 増える農業法人への就職  JA福島中央会技術常任参与の武田信敏氏はこう説明する。  「自営就農するには農業技術を備えていることはもちろん、土地や資機材などを準備しなければならず、それなりの初期投資がかかるため始めるにはハードルが高い。そこで、まずは農業法人に就職し、技術やノウハウを学びながら資金を準備し、将来の独立(自営就農)を目指す人が増えているのです」  農業法人は、担い手も後継者もいない高齢農業者にとって大きな助けになっており、舞い込む仕事もどんどん増えている。2022年3月現在、県内には農業法人が739法人あり(農地所有適格法人+認定農業者法人-重複する法人で計算)、人手はいくらあっても困らないというから、若者の働き口としても注目が集まっている。  「農業というと土いじりが真っ先に思い浮かぶが、近年はICT技術を導入したスマート農業が普及し、そういう方面は若者の方が長けているから、魅力的な就職先として農業法人が選ばれているのです」(同)  前述した就農形態の変化とは、このことを指しているのだ。  県農業担い手課の栁沼主幹も補足する。  「2022年度の自営就農165人を見ると野菜79人、果樹35人、水稲32人、花き12人、畜産3人、その他4人となっているが、このうち野菜と花きはICT技術を取り入れたハウス栽培が多い。若者にとっては、最先端の技術を用いて新しい農業にチャレンジできることが魅力になっているようです」  そんな自営就農に対しては、開始時のハードルの高さを考慮し、経営が軌道に乗るまでの支援策が用意されている。  例えば農林水産省では、都道府県が認める道府県の農業大学校等の研修機関で研修を受ける就農希望者に月12万5000円(最長2年)を交付する就農準備資金や、新規就農する人に農業経営を始めてから経営が安定するまで月12万5000円(最長3年)を交付する経営開始資金などを設けている。交付を受けるにはさまざまな要件を満たす必要があるが、こうした支援制度は収入が全くない状態から農業経営を始める自営就農者を大きく後押ししている。  「農業=厳しい」というイメージが定着する中、新規就農者が増えているのは喜ばしいことだ。栁沼主幹も「県の取り組みがようやく根付いてきたと思う」と自信を深め、武田氏も「300人の壁を突破できたのは正直嬉しい」と笑顔を見せる。  しかし筆者が気になるのは、新規就農者が増える半面、定着率はどうなっているのかという点だ。  12月1日付の福島民報に、今年3月に福島大学食農学類を1期生として卒業する23歳の男性と22歳の女性が新卒就農するという記事が掲載されたが、その中に《最近5年間の新規就農者のうち約3割が既に離農。いかに定着させるかが課題だ》という一文があった。  新卒者の離職率は業種を問わず年々高まっているので、離農率3割を殊更高いと言う気はないが、新規就農者が過去最多という「明」を紹介するなら、離農率3割の「暗」にも触れないとバランスを欠く。  ただ県農業担い手課の栁沼主幹によると、離農率3割は正確な数値ではないという。  「例えば雇用就農から自営就農に切り替えた人や、親元で就農していた人が独立するなど、就農の形態を変えた人は『いったん離農した』とカウントされるため、実際は離農していない人が多いのです」  県は新規就農者の追跡調査を行っていないため「正確な離農者数は分からない」(同)。ただ、市町村が認定する認定新規就農者の5年後定着率は95・7%(2020年度現在)と高く、他の業種で新卒者の定着率が低いことを考えると、新規就農者は腰を据えて農業に従事していると言っていいのではないか。  「県でも認定新規就農者を全面サポートしており、もし初年度に失敗したら、専門家に依頼して原因を分析し、翌年の農業経営につなげるといった離農を防ぐ取り組みにも注力しています」(同)  JA福島中央会の武田氏も定着率が高い秘密をこう明かす。  「新規就農する人はある種の覚悟を持っている。いざ始めるにはハードルが高いので、生半可な気持ちで取り組む人はいない。だから、すぐに離農する人が少ないのです」  取材を締めくくるに当たり、両氏に今後の課題を尋ねてみた。  栁沼主幹は「新規就農者が300人を超えたとはいえ、あくまで単年度の結果に過ぎない。これを機に、どうやって安定確保につなげていくか、今までの取り組みを充実させつつ、新たな取り組みを模索する必要がある」と語る。  新たな取り組みの一つが、今年度から県内七つの農林事務所に就農コーディネーターを配属したことだ。新規就農者の相談にワンストップで対応し、当人の意向に沿った就農の実現を包括的にサポートしている。  一方、武田氏は「食える農業を実現するため、国の支援だけでなく市町村や地域、地元JAが新規就農者をサポートすることが大切」と指摘する。国の支援はある程度充実してきたが、「市町村や地域の支援にはまだまだ温度差がある」(同)というから、改善次第では新規就農者数はさらに増えていくかもしれない。  東北地方では山形県に次いで新規就農者が多い福島県。新規就農者の中には県外出身者もおり、その増加は移住・定住の促進にもつながる。福島県を就農先として選んでもらえるよう、相談窓口や支援策のさらなる充実が求められる。

  • 【本宮市商工会・本宮LC・本宮RC】子ども食堂に広がる支援の輪 

     本宮市商工会(石橋英雄会長)は昨年12月、同市社会福祉協議会と市内の子ども食堂5団体に寄付金や日用品、コメ、食品などを贈呈した。同商工会は、通常業務以外にも社会貢献活動に積極的に取り組んでいる。昨年7月に同社協とフードバンク事業協定を結び、贈呈は今回で2回目。「地域の子どもを元気にしたい」という思いからスタートした支援の輪は徐々に広がり、同商工会の趣旨に賛同した本宮ライオンズクラブ(佐藤仁会長)、本宮ロータリークラブ(佐々木嘉宏会長)が新たに活動に加わった。協賛会員も38事業所に増加しコメ、野菜、寄付金のほか、おもちゃや児童書も贈られた。  贈呈式で石橋商工会長は「この活動も徐々に規模が大きくなってきている。まだまだ知られていない取り組みだったが、マスコミの報道により地元の大きな企業も是非参加させてほしいとの申し込みがあり賛同を得られた。一過性で終わること無く長期間継続し、本宮市だけでなく近隣市町村、福島県全域に活動の輪が広がっていくことに期待したい」と語った。  子ども食堂の代表者は「まだまだ子ども食堂を取り巻く状況は厳しい。調理師など専門家もいるがほとんどがボランティアで構成されている。本当に支援を必要としている人の利用は少ないように思えるが、もっと気軽に声をかけてもらえれば色々な手助けが出来ると思う。スタッフも高齢になって活動も鈍くなっているが地域の賑わいや子どもたちの健康を願って頑張っていきたい」と謝辞を述べた。  別の受贈者は「少人数で活動しているため、自分の活動が本当に役立っているのか、気持ちが落ち込む時もあります。ですが、皆さんの声援と子どもの元気な顔を見ると頑張る力になります」と話した。  日本は子どもの貧困率が年々問題になっている。現場の支援者たちの苦労に地域は支援の輪で報いたい。これからを担う子どもが元気に育ってほしいという思いは誰もが一緒。支援の輪がもっと広まることを願う。  本宮市と同商工会では、経済の落ち込みにもテコ入れをしている。新型コロナ後に第2弾となる30%のプレミアム付き商品券を発行し、2月17日まで利用を受け付けている。今回は1万セット販売した。  参加店は約600店舗。飲食店や小売店以外にも、建設会社、電気設備会社、左官業、板金業なども参加しているので、修理にも使えて便利。迷ったら「この券使えますか」と差し出せばほとんどが受け付けてくれるだろう。せっかく買っても引き出しの奥に眠っているかもしれない。地元経済を回すためにも、使い切ってほしい。

  • 【JAグループリポート2023】創立70周年記念大会で誓い新たに【JA福島女性部協議会】

     JA福島女性部協議会は昨年11月11日、福島市のパルセいいざかで創立70周年記念大会を開催した。JA女性部員ら約1000人が参加し、活動をさらに広げていくことを誓い合った。 創立70周年記念大会の様子  大会では10年間の功労者・優良JA女性部の表彰や各JA女性部の情勢報告、フリーアナウンサーの鏡田辰也さんの記念講演などが行われた。  児山京子副会長が開会を告げた後、菅野まゆみ監事の発声で、参加者全員がJA女性組織綱領を唱和した。  千枝浩美会長が「女性部を次世代につなげていくために、部員を増やし、女性組織の輪をさらに広げていきたい」とあいさつした。 千枝浩美JA福島女性部協議会会長  個人表彰では「特別功労者表彰」「功労者表彰」「特別賞」「優秀賞」の13人に千枝会長が表彰状と記念品を手渡した。 組織表彰では「JA女性組織仲間づくり旅行企画表彰」「あなたに届けるJA健康寿命100歳弁当コンテスト」の5組織が表彰を受けた。  表彰後、「特別功労者表彰」を受賞した大川原けい子さんが受賞者を代表して謝辞を述べた。  続いて、井出孝利副知事、管野啓二JA福島五連会長、折笠明憲JA福島県青年連盟委員長が祝辞を述べた。  情勢報告では、鈴木ハル江副会長が「JA福島女性部協議会のあゆみ」を発表した後、各JAの女性部長が動画と写真で、これまでの活動を報告した。さらに「東日本大震災からの復興」として、県内JA女性部の取り組みを報告した。  その後、鏡田さんが記念講演した。鏡田さんは「笑う門には福来る」と題して、アナウンサーになる前から現在までのさまざまな出来事についてユーモアを交えながら講演。会場は部員らの笑い声に包まれた。  最後に、中根まり子監事が読み上げた6つの項目の「申し合わせ」を採択した。  同協議会は、これまでJAや地域の人々と連携し、人々の命を育む食と農への理解を広げ、誰もが安心して暮らせる豊かな地域社会の実現に向けて活動してきた。  この大会を通してこれまでの歩みを振り返るとともに、女性部活動に誇りと自信を持つことを共有し、今後も人々の心豊かな暮らしを守っていく考えだ。

  • 【Jパワー】更新工事進む鬼首地熱発電所

     Jパワー(電源開発)が運営する鬼首地熱発電所(宮城県大崎市、1万5000㌔㍗)は40年以上にわたり電力を安定供給してきた。現在は更新工事の最終段階にあり、2023年4月の運転再開に向け、各種機器などの整備が進められている。 更新工事中の鬼首地熱発電所(手前が還元井、奥が冷却塔)  地熱発電は地下に溜まった蒸気や熱水を「生産井」でくみ上げ、気水分離器を経て蒸気でタービンを回す発電方法。使い終わった蒸気は冷却塔で冷やし、熱水とともに「還元井」で地下に戻す。 くみ上げた蒸気と熱水を分ける「気水分離器」  循環利用できれば長期間にわたり安定的な発電が可能となる。天候の影響を受けず、CO2排出量も少ない。設備利用率(フル稼働時の発電量に占める実際の発電量の割合)は風力約20%、太陽光約12%に対し、地熱発電は約80%だ。  同発電所は鳴子温泉郷から北西約20㌔の「鬼首カルデラ」内に位置し、「栗駒山国定公園」として第一種特別地域の指定を受けている。同社では戦後早くから地熱発電所の建設に着手した。1975(昭和50)年に出力9000㌔㍗で営業運転開始。以降、順次出力を増やし、2010年には1万5000㌔㍗に増強した。  その後、環境負荷の低減や安全性考慮の観点から新たな設備の導入が必要と判断し、17年に一時運転停止。19年から設備更新工事に入った。  生産井9坑、還元井8坑を埋め戻し、新たに掘削した生産井5坑、還元井5坑に集約。これでも出力は更新前とほぼ同水準を維持(1万4900万㌔㍗)。タービン棟を新設し発電機の効率が向上したことで、使用する熱水量・蒸気量が従前より減少するため、有毒な硫化水素の排出量が減少した。過去に生産井付近で発生した噴気災害を念頭に入れ、高温地帯に設備を設けないようにした。  すでに電気、建築設備は立ち上がり、生産井の噴気試験も終了。11月に試運転を開始した。更新工事には同社のほか、グループ会社や協力会社が連携して取り組んでおり、生産井などの掘削工事は主にJパワーハイテックが担った。  同発電所は地域振興の役割も担う。21年度には地元・大崎市の小学校や高校で授業を行い、鳴子温泉の特質や地元資源の独自性、地熱発電の仕組みなどを説明した。地元のお祭りや清掃活動にも積極的に参加しているほか、再生可能エネルギーを扱う東北大学の出前授業にも近々出講する予定となっている。  Jパワーでは50年までに国内発電事業のCO2排出量を実質ゼロにする目標を掲げている。同発電所の北約2㌔の地点にある高日向山地域(宮城県大崎市)では新たな地熱発電所の開発を目的とした資源量調査も進んでいる。  今後も同社ではエネルギーを不断に供給し続ける使命を念頭に、地域と信頼関係を築きながら事業を継続していく考えだ。

  • 鏡田辰也アナウンサー「独立後も福島で喋り続ける」

     ラジオ福島の名物アナウンサー・鏡田辰也さん(58)が9月末で退社し、フリーアナウンサーとして独立した。大きな節目を迎えたタイミングで、アナウンサー人生と独立の理由について語ってもらった。  かがみだ・たつや 1964年2月生まれ。広島県出身。東洋大卒。1988年にラジオ福島入社。2002年にギャラクシー賞DJパーソナリティー賞受賞。TUF「ふくしまSHOW」にも出演。9月末、ラジオ福島を退社し、フリーアナウンサーとなった。  「テレビ出演時、顔にメイクをしたら、お肌に異変を感じたんです。深刻な病気かと思い、すぐ皮膚科に相談したら、『老人性イボですね』と言われて終わりでした。ワハハ」  ラジオからにぎやかな笑い声が流れる。平日13時から16時、ラジオ福島で放送されている生ワイド番組「Radio de Show(ラジオでしょう)」の一幕だ。  マイクの前に座るのは水・木曜日担当の鏡田辰也さん。〝カガちゃん〟の愛称で知られ、同社で30年以上喋り続ける人気アナウンサーだ。  冒頭のようなエピソードを話しつつ、番組に訪れるゲストの話も引き出し、リスナーから寄せられたメールを逐一紹介して話を広げていく。  同社のスタジオはすべて一人で操作する「ワンマンコントロール」。生ワイドはやることが多いので、制作ディレクターが1人付いているが、CMまでの時間管理や放送機材操作は基本的に鏡田さんが担う。ほぼ1人で番組を進行しているわけ。  驚かされるのはトーク内容に関する台本すら全く用意していないということだ。 3時間の生ワイド放送中はトークしながら試食も担当し、放送機材(写真下)も操作するなど大忙し  「時間になったらマイクの前に座って話すだけ。典型的な『アドリブ派』です。昔から読書と映画が好きで、自宅には数百冊の蔵書と大量のブルーレイ・DVDがあります。それらの〝引き出し〟があるからよどみなく話せるのかもしれません」  その能力を生かし、ラジオDJのほか、講演会、イベント、結婚式のMC(司会)なども数多く務めてきた。2020年には、テレビユー福島で毎週水曜夜7時から放送されている地域情報バラエティー番組「ふくしまSHOW」のMCに起用された。他局ではニュースや人気バラエティー番組が放送されている時間帯だが、視聴率は好調で、「『いつもテレビ見ています』と声をかけてくれる方が多くなりました」と笑う。  1964(昭和39)年2月5日、広島県広島市生まれ。実家はJR広島駅前で宿泊業を営む。小さいころから一人で喋り続け、周りの大人からは「客商売向きだ」、「よしもと新喜劇に行け」と言われていた。  東京に行きたくて東洋大に進学。3年生のとき、大学生協の購買部で「東京アナウンスアカデミー」というアナウンス専門学校のチラシが目に入った。「家業を継ぐ前に、きれいな日本語を身に付けるのもいいかも」。気軽な気持ちで入校し、アナウンス技術を学ぶうち、「広島に帰る前に、何年かアナウンサーをやってみたい」と思うようになった。 4年目に迎えた転機  就職活動本番。全国のテレビ・ラジオ局を30社ぐらい受けたが全滅した。既卒となると採用のハードルがさらに上がるため、〝自主留年〟して、翌年も就職活動に再挑戦したが、すべて落ちた。  あきらめて他業種に就職するつもりだったが、2月になって、専門学校から「ラジオ福島で欠員募集が出た」と連絡が入った。ラジオ福島はは2年連続で入社試験に落ちていた。あきらめ半分で試験に臨んだところ、まさかの「内定」が出た。  〝滑り込み〟で始まったアナウンサー人生だったが、入社直後も苦難が続いた。  「先輩方から『暗い』、『笑い方が変』と毎日注意を受け、自社制作CMには『鏡田以外で』と指定が入ったほど。笑うこと、話すことがうまくできなくなり、いつも下を向いて歩いていました。任される仕事は時刻告知や列車情報を読み上げるぐらいで、中継や番組には使ってもらえませんでした」  転機となったのは入社4年目。JR福島駅前からの中継を任されたとき、スタジオにいる先輩アナウンサーから「そこで美空ひばりの曲を歌って」と〝無茶振り〟された。思い切って「真赤な太陽」を歌ったら、思いがけず観衆から拍手をもらった。  「たとえ自信が無くても一生懸命やる姿を見せることが大事なのか」。鏡田さんの中で何かが吹っ切れた。  「笑う門には福来る」をモットーに、気取らずに笑って話すことを心掛けた。しばらくすると、夜11時から放送されていた「rfcロックトーナメント」という若者向けの音楽番組を任されるようになった。  自分の好きなアーティストの応援ハガキを送り、その数でランキングが決まるシステムが売りだった。当初こそ前任の女性アナと比較されたが、気取らない鏡田さんのキャラはすぐリスナーに受け入れられた。何より音楽を好んで聞いていた鏡田さんに打ってつけの内容だった。番組には毎月5000通ものハガキが寄せられた。  音楽関係者も注目するようになり、ビッグアーティストが東北でPRキャンペーンを展開するとき、番組を訪れるようになった。  入社7年目の1995年4月には、鏡田さんをメーンMCとするお昼の生ワイド番組「かっとびワイド」がスタートした。  曜日ごとに選ばれた相手役のパーソナリティーはいずれも曲者ぞろい。思ったことは何でも口にする昭和2年生まれの「ハッピーチエちゃん」こと二宮チエさん。豪快なトークが持ち味の演歌歌手・紅晴美さん。鏡田さんの私生活も容赦なくネタにするお笑いコンビ・母心(ははごころ)。  そんなメンバーからの厳しい〝ツッコミ〟に対し、鏡田さんが変幻自在のトークで「笑い」にして返す。にぎやかで予測不能な掛け合いが評判を集め、同社の看板番組となった。その後タイトルを変えながら、25年以上にわたり放送され続けている。  「『鏡田さんの笑い声を聞くと元気が出る』というお便りをたくさんいただきました。私にとっては宝物で、いまも大切に保管してあります」  同番組でのトークが評価され、2002(平成14)年には、放送批評懇談会が主催するギャラクシー賞のDJパーソナリティー賞を、地方局のAMラジオアナウンサーとして初めて受賞した。  2005(平成17)年には、TBSをはじめとするJNN・JRN系列各局の優秀なアナウンサーに与えられる「アノンシスト賞」のラジオフリートーク部門で最優秀賞を受賞。就職活動も新人時代も〝落ちこぼれ〟だった鏡田さんが、全国に認められるアナウンサーとなった。 退社を決断した理由  一方で挫折もあった。東日本大震災・東京電力福島第一原発事故発生直後には、深刻な状況に直面して何も喋れなくなった。3・11から5日後、上司である大和田新アナウンサー(当時)に退職を申し出た。大和田さんにはこう励まされた。  「今はつらいかもしれないけれど、福島県が鏡田の声を必要とするときがきっと来る。それがいつなのか約束できないけど、いまは歯を食いしばって頑張ってくれ」  同社では発災時から350時間にわたりCMをカットして連続生放送を行った。鏡田さんもスタジオに入り、情報を伝え続けた。必死過ぎてそのときの記憶はほとんど残っていないという。  ただ同年5月、郡山市内のホテルで震災・原発事故後初めて開かれたイベントはよく覚えている。紅晴美さんや母心とのイベントに多くのリスナーが集まった。その姿を見て、イベント開始直後から涙が止まらなくなった。これからも自分にしかできない明るい放送をリスナーに届け続けよう――そう決意した。  そんな鏡田さんがこの秋、大きな決断をした。定年退職前にラジオ福島を退社し、フリーアナウンサーとなったのだ。  「4月に編成局長を任されたが、局長職業務を完璧にこなしながら、放送やイベントの仕事をいままで通り続けるのは、自分には難しいと感じました。しばらく考えた結果、アナウンサーとしての仕事を自分のペースで続けたい、という思いが勝った。そのため、会社と話し合って退職を決めました。おかげさまで独立後もラジオ・テレビのレギュラー番組は継続させていただいています」  卓越したMCスキルとアナウンス技術、30年以上の経験、幅広い人脈……これらを備えたアナウンサーは全国でもまれで、一層の活躍が期待されるが、鏡田さんはこう語る。  「ラジオは喋り手が身近な存在に感じられるし、スマホでも聞ける。さらには『ながら聞き』できるなど大きな可能性を秘めている。これからもラジオに関わり続けたいし、テレビでは地域密着型番組も担当しているので、明るい放送で福島県を盛り上げていきたい」  今日もスピーカーから明るい笑い声が流れてきた。太陽のような〝カガちゃん〟の存在が福島県を明るく照らし続ける。

  • 【福島県ユーチューバー】車中泊×グルメで登録者数10万人【戦力外110kgおじさん

    【戦力外110kgおじさん】福島県内在住おじさんユーチューバーの素顔  テレビ離れが進む昨今、ユーチューブの全世代の利用率は9割だ。本誌の読者層であるシニア世代も、パソコンやスマートフォンで毎日のようにユーチューブを見ている人は多いはず。数あるチャンネルの中には、県内で活動するユーチューバーも多数存在する。その中に、異色のジャンル「車中泊&グルメ」系で人気を誇る「戦力外110kgおじさん(43歳)」がいる。なぜ視聴者はこのチャンネルにハマるのか、本人へのインタビューをもとに、その謎に迫ってみたい。  週末夜のキャンプ場。辺り一面、真っ暗の中、ポツンと明かりが灯る1台のプリウス。その車の後部座席で、一人焼肉をしながらチューハイ「ストロングゼロ」をキメる――。そんな様子をユーチューブに配信している男性がいる。男性の名は「戦力外110kgおじさん」(以下、戦力外さんと表記)。戦力外さんのユーチューブのチャンネル登録者数は10・5万人。1つの動画が配信されれば20万回再生するのは当たり前で、中にはミリオン(100万回再生)に届きそうな動画も複数ある。 / https://www.youtube.com/watch?v=_SxScudMxQ8&t=23s  「110kg」という名の通りの巨漢が、決して広いとは言えないセダンタイプのプリウスの後部座席で、好きなものをたらふく食べ、大酒を飲む。そんな動画がなぜ多くの人に見られ、そして見続けられるのか。  戦力外さんの動画はチャンネルを開設してすぐに〝バズった〟(人気が出た)わけではない。  戦力外さんがユーチューブに動画を配信し始めたのは2020年2月。当初は釣りの動画を配信していたが、再生回数は数十回程度で、チャンネル登録者数も伸びなかった。  浮上のきっかけとなったのは「顔出し」だった。   戦力外さんは「正直なところ、40代である自分らの世代ってネットで顔出しするなんて気が狂っているというか、抵抗があったんですよね」と話す。今の40代は、匿名性の高い「2ちゃんねる」などを見てきた世代であり、「インターネットでは絶対に顔を出すな」と言われてきた世代でもある。それでも、戦力外さんは再生回数を伸ばしたい一心で顔出しを決意した。  「顔出ししたら登録者が100人を超えたんですよ。ユーチューブには『チャンネル登録者数100人の壁』というのがあります。そこを自力で超えられると、収益化の条件である『チャンネル登録者数1000人・総再生時間4000時間』に近づくと言われています。大体の人はこの100人の壁を超えられず、やめてしまうみたいですね」  チャンネル登録者数100人に達するまで7カ月を要した戦力外さんだったが、そこから1000人になるまでは、わずか3カ月だった。  顔出しと前後して、現在の動画の原点となる「プリウスの快適車中泊キットを110kgおじさんがDIY」という動画を配信したことも追い風となった。  プリウスの後部座席で使う食卓テーブル兼ベッドを作る動画だ。プリウスは後部座席を倒してフラットにしても、普段座るときの足置きのスペースがぽっかり空いてしまう。寝袋を敷いて寝ていると、どうしても足の部分がはみ出てしまい快適に眠れない。それを解決するために作られたのがこの台だった(写真)。このときの動画が初めて再生回数1000回を超え、戦力外さんにとって初バズり動画となった。戦力外さんは「釣りではなく、車中泊に需要があるのか!」と気付き、動画の内容を車中泊系へと変更していく。 車内に設置された食卓テーブル兼ベッド  2度目のバズり動画は「車上生活者の休日シリーズ」。その後、このシリーズが戦力外さんの主力コンテンツとなっていく。 戦力外さんは「このシリーズの第1弾で、いきなり1万回再生いったんです」と言う。  「再生回数が伸びた理由は、当時チャンネル登録者数20万人のユーチューバーさんが動画にコメントをくれたからなんです」  コメントの内容は「あなたみたいな人が、もしかしたらユーチューブで成功するのかもしれませんね。収益化するまで是非続けてください。わたしも応援します」だった。  ユーチューブに限らずSNSではよく起こる現象だ。多くのフォロワーやファンを持つ配信者(発信者)が、無名ユーチューバーの動画を一言「面白い」と紹介しただけで、瞬く間にその動画が拡散されていく。これをきっかけに戦力外さんは、収益化の条件であるチャンネル登録者数1000人・総再生時間4000時間を達成した。 動画を通じて疑似体験  動画の冒頭は、戦力外さんが車中泊をする場所に向かう道中の運転席を映している。無言で運転する戦力外さんが映し出され、テロップでその日にあった出来事などが紹介される。動画の説明欄に「この動画は半分くらいフィクションです」とある通り、テロップの内容は現実世界で起きたことに、戦力外さんが少し〝アレンジ〟を加えたものとなっている。  名前にあるもう一つのテーマ「戦力外」。これは、戦力外さんが日々の生活において「社会に出ると全然自分が役に立たない」、「俺って会社や社会では戦力外だな」と、打ちひしがれた経験が基になっている。   視聴者のコメント欄を見ると「おっちゃん見てると他人事には思えないんだよな。職場のストレスはよく分かる! この動画を見てると頑張んなきゃって不思議と思える。おっちゃん頑張って!」などと書き込まれている。  「動画の前半部分によく出てくる職場での失敗エピソードは、視聴者が自分よりきつい環境にいる人を見て、自分はまだまだマシだなって安心したい思いがあると思います。社会の戦力外おじさんが、もがきながら、ささやかな楽しみを見つけて楽しんでいる姿を見てシンパシーを感じるのでしょうね」 取材に応じる戦力外さん  メーンである動画の後半部分は、戦力外さんが車中で一人、ひたすら飲み食いするシーンだ。これがまた「食べ物がとても美味しそうで、美味しそうに食べる」動画なのだ。  視聴者のコメント欄には「見てると幸せな気持ちになれる動画を、ありがとうございます!」、「毎回、元気いただいてます」などと寄せられている。  「自分の好きなユーチューバーを見ることによって、自分もキャンプした気持ちになる。健康上の理由で食べたいけど食べられない人にとっては、私の動画を見て食べた気になる。そうやって疑似体験したいのかもしれませんね」 動画の編集時間は5時間  戦力外さんは1979(昭和54)年生まれの43歳。出身は山形県だが、幼少期から30代半ばまで猪苗代町で過ごす。学生時代は漠然と「物書きになりたい」という夢を持っていた。専門学生時代にはサブカルチャー雑誌『BURST(バースト)』にハマり、石丸元章、見沢知廉、花村萬月など、破天荒だが自由を感じるライフスタイルに憧れた。何か行動に移すということはなかったが、創作活動をしたいという思いは学生時代から抱いていた。  高校卒業後、家業である川魚の養殖業に就き、6年半前に実家を出て中通りに引っ越すタイミングで、インフラ系の会社に転職した。20代に真剣に打ち込んだのはフルコンタクト空手という格闘技だった。しかし膝のじん帯を断裂し、選手生命を断たれてしまう。  人生の大きな目標を失い「もう一つ生きがいを見つけたい」と思い立った戦力外さんが表現活動の第一歩として始めたのが、LIVEコミュニケーションアプリ「Pococha(ポコチャ)」だった。しかし、ポコチャはリスナーと直接会話するスタイルで、高度なコミュニケーション能力が要求されるため数カ月で挫折してしまう。  戦力外さんは「誰かと直接コミュニケーションせず、自分のタイミングで動画を撮り、じっくり編集できる方がいいんじゃないか」と考え、ユーチューブを始めた。  平日は会社で働き、休日になると動画撮影のため出掛ける。撮り終わったら自宅に戻って編集する。1つの動画の編集作業は平均5時間を要するが、「スマホを使ってベッドに寝ころびながらリラックスして作業しているので、そんなに大変ではないですよ」。  台本は作らず、頭の中で動画の構成を練っている。仕事は車の移動時間が長いため、その時間を有効活用し、面白いワードが出てくるのをひたすら待つのだという。 「美しいマンネリ目指す」  戦力外さんのチャンネルの視聴層は35~60歳までが多く、男女比では男性が9割を占める。  「理想は水戸黄門とか孤独のグルメなんです。視聴率トップは取れないけど、ずっと見てくれる人がいる。美しいマンネリっていうんですかね、そんな動画でありたいですね」  戦力外さんの動画が限られた層にしか見られていないと分かるエピソードがある。戦力外さんは自身のユーチューブチャンネルを母親に薦めたそうだが、母親が熱心に見るのは猫やフォークダンスの動画で、いくら薦めても自身の息子が配信している動画を全く見なかったという。戦力外さんは「興味がなければ肉親の動画でも見ないんですよ」と笑う。 プリウスと戦力外さん  ユーチューブはユーザー一人ひとりの趣味趣向に合った動画がトップ画面に表示されるような仕組みになっており、普段見ないジャンルの動画はそもそも表示もされない。これはユーチューブに限ったことではなく、買収騒動で話題のツイッターなどのSNS、ゾゾタウンなどの通販サイトも同様だ。  ただ、世の中の〝おじさん〟しか見ないニッチな動画を配信しているはずが、最近は少しずつファン層が拡大している様子。北海道に撮影に行った際、チャンネル登録しているファンの女性と奇跡的に出会い、お付き合いするまでに至ったという。  声をかけられる機会も増え、特にキャンピングカーで旅をしているシニア世代の夫婦からが多いようだ。 専業ユーチューバーへ  戦力外さんは6年半勤めた会社を辞め、12月から専業ユーチューバーとして活動を始めた。  「収入は不安定ですし、専業としてやっていくのに不安はありましたが、これからは創作活動一本で食っていくんだと決めました」  ユーチューブでの収入は「サラリーマンの月収の2倍くらい」だという。再生回数の変動などにより月の収入が100万円の時もあれば10万円の時もあるような世界だが、ユーチューブで最も広告収入を得やすいのは3月と12月なので、そのタイミングで退職を決意した。  ユーチューブは再生数によって広告収入が決まる。その単価についてはユーチューブの規約で公言しないよう定められている。戦力外さんも明かそうとしなかった。  しかし、さまざまなユーチューバーの書籍の情報によると、現在、ユーチューブの広告収入単価は1再生あたり0・05~0・7円と言われている。トップクラスの人気ユーチューバーは、1つの動画につき、サラリーマンの平均年収の3~4倍の広告収入が入る計算となる。  とは言っても、そこまで稼げるのはほんの一握りで、急に動画が見られなくなることだってあるのだ。  ただ、戦力外さんは「ユーチューブはプライベートすべてがネタになる」と前向きに捉える。  「仮にユーチューブで稼げなくなり、アルバイトをすることになっても、それを動画にすればいい。いいことも悪いこともネタにできるのがユーチューブなんです」  専業ユーチューバーになれば撮影回数を増やせるし、動画を配信する本数も増える。海外向けのチャンネル開設も目論んでいる。  「私のチャンネルは日本語のテロップを入れているので日本人しか見ません。次は世界に向けて、言葉なしでも伝わるような動画も作っていければと思っています」  戦力外さんは、テロップ無しに加え、ユーモアもプラスアルファしていきたいと考えている。  「チャップリンやミスタービーンみたいなコミカルな動きを入れていけば面白いかなと思っています」  一度見たら見続けてしまう中毒性。これがユーチューブの性質であり、作り手はそこを目指して動画を作成する。  「好きなことで、生きていく」  これはユーチューブのキャッチフレーズだが、専業ユーチューバーとして生き残っていくためには、そうも言っていられない。戦力外さんは「自分が好きなものも大事ですが、それ以上に、視聴者が求めているものを常に考え、再生回数が落ちないように維持していかなければなりません」と漏らす。  「死ぬ時、『なんであの時に専業ユーチューバーにならなかったんだ』と思いたくないんです。やった後悔よりもやらない後悔の方が悔いが残るって言うじゃないですか」  そう笑って話す戦力外さん。この先、どのようなチャンネルや動画を作り、ファンを拡大していくのか。〝おじさんユーチューバー〟の挑戦は始まったばかりだ。

  • 南東北病院「移転」にゼビオが横やり

     県は2022年11月8日、郡山市富田町の旧農業試験場跡地を売却するため条件付き一般競争入札を行い、総合南東北病院を運営する脳神経疾患研究所(郡山市、渡辺一夫理事長)など5者でつくる共同事業者が最高額の74億7600万円で落札した。同研究所は南東北病院をはじめ複数の医療施設を同跡地に移転させ、2027年度をめどに開設する計画。  同跡地はふくしま医療機器開発支援センターに隣接し、同市が医療機器関連産業の集積を目指すメディカルヒルズ郡山構想の対象地域になっている。そうした中、同研究所が2021年8月、同跡地に移転すると早々に発表したため、入札前から「落札者は同構想に合致する同研究所で決まり」という雰囲気が漂っていた。自民党の重鎮・佐藤憲保県議(7期)が裏でサポートしているというウワサも囁かれた。  ところが2022年夏ごろ、「ゼビオが入札に参加するようだ」という話が急浮上。予想外のライバル出現に同研究所は慌てた。同社はかつて、同跡地にトレーニングセンターやグラウンド、研究施設などを整備する計画を密かに練ったことがある。  ある事情通によると「ゼビオはメディカルヒルズ郡山構想に合致させるため、スポーツとリハビリを組み合わせた施設を考えていたようだ」。しかし、入札価格が51億5000万円だったため、同社は落札には至らなかった。ちなみに県が設定した最低落札価格は39億4000万円。  同研究所としては、本当はもっと安く落札する予定が、ゼビオの入札参加で想定外の出費を強いられた可能性がある。

  • 【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工

    【昭和電工】社名変更しても消えない喜多方湧水枯渇の罪  昭和電工は2023年1月に「レゾナック」に社名変更する。高品質のアルミニウム素材を生産する喜多方事業所は研究施設も備えることから、いまだ重要な位置を占めるが、グループ再編でアルミニウム部門は消え、イノベーション材料部門の一つになる。土壌・地下水汚染対策に起因する2021年12月期の特別損失約90億円がグループ全体の足を引っ張っている。井戸水を汚染された周辺住民は全有害物質の検査を望むが、費用がかさむからか応じてはくれない。だが、不誠実な対応は今に始まったことではない。事業所は約80年前から「水郷・喜多方」の湧水枯渇の要因になっていた。  「昭和電工」から「昭和」の名が消える。2023年1月に「レゾナック」に社名変更するからだ。2020年に日立製作所の主要子会社・日立化成を買収。世界での半導体事業と電気自動車の成長を見据え、エレクトロニクスとモビリティ部門を今後の中核事業に位置付けている。社名変更は事業再編に伴うものだ。  新社名レゾナック(RESONAC)の由来は、同社ホームページによると、英語の「RESONATE:共鳴する、響き渡る」と「CHEMISTRY:化学」の「C」を組み合せて生まれたという。「グループの先端材料技術と、パートナーの持つさまざまな技術力と発想が強くつながり大きな『共鳴』を起こし、その響きが広がることでさらに新しいパートナーと出会い、社会を変える大きな動きを創り出していきたいという強い想いを込めています」とのこと。  新会社は「化学の力で社会を変える」を存在意義としているが、少なくとも喜多方事業所周辺の環境は悪い方に変えている。現在問題となっている、主にフッ素による地下水汚染は1982(昭和57)年まで行っていたアルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を敷地内に埋め、それが土壌から地下水に漏れ出したのが原因だ。  同事業所の正門前には球体に座った男の子の像が立つ=写真。名前は「アルミ太郎」。地元の彫刻家佐藤恒三氏がアルミで制作し、1954(昭和29)年6月1日に除幕式が行われた。式当日の写真を見ると、着物を着たおかっぱの女の子が白い布に付いた紐を引っ張りお披露目。工場長や従業員とその家族、来賓者約50人がアルミ太郎と一緒に笑顔で写真に納まっていた。アルミニウム産業の明るい未来を予想させる。 喜多方事業所正門に立つ像「アルミ太郎」  2018年の同事業所CSRサイトレポートによると「昭和電工のアルミニウムを世界に冠たるものにしたい」という当時の工場幹部及び従業員の熱い願いのもと制作されたという。「アルミ太郎が腰掛けているのは、上記の世界に冠たるものにしたいという思いから地球を模したものだといわれています」(同レポート)。  同事業所は操業開始から現在まで一貫してアルミニウム関連製品を生産している。それは戦前の軍需産業にさかのぼる。 誘致当初から住民と軋轢  1939(昭和14)年、会津地方を北流し、新潟県に流れる阿賀川のダムを利用した東信電気新郷発電所の電力を使うアルミニウム工場の建設計画が政府に提出された。時は日中戦争の最中で、軽量で加工しやすいアルミニウムは重要な軍需物資だった。発電所近くの喜多方町、若松市(現会津若松市)、高郷村(現喜多方市高郷町)、野沢町(現西会津町野沢)が誘致に手を挙げた。喜多方町議会は誘致を要望する意見書を町に提出。町は土地買収を進める工場建設委員会を設置し、運搬に便利な喜多方駅南側の一等地を用意したことから誘致に成功した。  喜多方市街地には当時、あちこちに湧水があり、住民は生活用水に利用していた。電気に加え大量の水を使うアルミニウム製錬業にとって、地下に巨大な水がめを抱える喜多方は魅力的な土地だった。  誘致過程で既に現在につながる昭和電工と地域住民との軋轢が生じていた。土地を提供する豊川村(現喜多方市豊川町)と農民に対し、事前の相談が一切なかったのだ。農民・地主らの反対で土地売買の交渉は思うように進まなかった。事態を重く見た県農務課は経済部長を喜多方町に派遣し、「国策上から憂慮に堪えないので、可及的にこれが工場の誘致を促進せしめ、国家の大方針に即応すべきであることを前提に」と喜多方町長や豊川村長らに伝え、県が土地買収の音頭を取った。  近隣の太郎丸集落には「小作農民の補償料は反当たり50円」「水田反当たり850~760円」払うことで折り合いをつけた。高吉集落の地主は補償の増額を要求し、決着した。(喜多方市史)。  現在の太郎丸・高吉第一行政区は同事業所の西から南に隣接する集落で、地下水汚染が最も深刻だ。汚染が判明した2020年から、いまだに同事業所からウオーターサーバーの補給を受けている世帯がある。さらには汚染水を封じ込める遮水壁設置工事に伴う騒音や振動にも悩まされてきた。ある住民男性は「昔からさまざまな我慢を強いられてきたのがこの集落です。ですが、希硫酸流出へのずさんな対応や後手後手の広報に接し、今回ばかりは我慢の限界だ」と憤る。  実は、公害を懸念する声は誘致時点からあった。耶麻郡内の農会長・町村会長(喜多方町、松山村、上三宮村、慶徳村、豊川村、姥堂村、岩月村。関柴村で構成)は完全なる防毒設備の施工や損害賠償の責任の明確化を求め陳情書を提出していた。だが、対策が講じられていたかは定かではない(喜多方市史)。 喜多方事業所を南側から撮った1995年の航空写真(出典:喜多方昭寿会「昭和電工喜多方工場六十年の歩み」)。中央①が正門。北側を東西にJR磐越西線が走り、市街地が広がる。駅北側の湧水は戦前から枯れ始めた。写真左端の⑰は太郎丸行政区。  記録では1944(昭和19)年に初めてアルミニウムを精製し、汲み出した。だが戦争の激化で原料となるボーキサイトが不足し、運転停止に。敗戦後は占領軍に操業中止命令を食らい、農園を試行した時期もあった。民需に転換する許可を得て、ようやく製錬が再開する。  同事業所OB会が記した『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』(2000年)によると、アルミニウム生産量はピーク時の1970(昭和45)年には4万2900㌧。それに伴い従業員も増え、60(昭和35)~72(昭和47)年には650~780人を抱えた。地元の雇用に大きく貢献したわけだ。  喜多方市史は数ある企業の中で、昭和30年代の同事業所を以下のように記している。  《昭和電工(株)喜多方工場は、高度経済成長の中で着実な成長を遂げ、喜多方市における工場規模・労働者数・生産額ともに最大の企業となった。また喜多方工場が昭和電工㈱内においてもアルミニウム生産の主力工場にまで成長した》  JR喜多方駅の改札は北口しかないが、昭和電工社員は「通勤者用工場専用跨線橋」を渡って駅南隣の同事業所に直接行けるという「幻の南口」があった。喜多方はまさに昭和電工の企業城下町だった。  だが石油危機以降、アルミニウム製錬は斜陽になり、同事業所も規模を縮小し人員整理に入った。労働組合が雇用継続を求め、喜多方市も存続に向けて働きかけたことから、アルミニウム製品の加工場として再出発し、現在に至る。  同事業所が衰退した昭和40年代は、近代化の過程で見過ごされてきた企業活動の加害が可視化された「公害の時代」だ。チッソが引き起こした熊本県不知火海沿岸の水俣病。三井金属鉱業による富山県神通川流域のイタイイタイ病。石油コンビナートによる三重県の四日市ぜんそく。そして昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川流域に流出させたメチル水銀が引き起こした新潟水俣病が「四大公害病」と呼ばれる。 ※『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』と同社プレスリリースなどより作成  同じ昭和電工でも、喜多方事業所は無機化学を扱う。同事業所でまず発覚した公害は、製錬過程で出るフッ化水素ガスが農作物を枯らす「煙害」だった。フッ化水素ガスに汚染された桑葉を食べた蚕は繭を結ばなくなり、明治以来盛んだった養蚕業は昭和20年代後半には壊滅したという。  もっとも、養蚕は時代の流れで消えゆく定めだった。同事業所が地元に雇用を生んだという意味では、プラスの面に目を向けるとしよう。それでも煙害は、米どころでもある喜多方の水稲栽培に影響を与えた。周辺の米農家は補償をめぐり訴訟を繰り返してきた。前述・アルミ太郎が披露された1954年には「昭電喜多方煙害対策特別委員会」が発足。希望に満ちた記念撮影の陰には、長年にわたる住民の怒りがあった。 地下水を大量消費  フッ化水素ガスによる農産物への被害だけでなく、同事業所は地下水を大量に汲み上げ、湧水枯渇の一因にもなっていた。「きたかた清水の再生によるまちづくりに関する調査研究報告書」(NPO法人超学際的研究機構、2007年)は、喜多方駅北側の菅原町地区で「戦前から枯渇が始まり、市の中心部へ広がり、清水の枯渇が外縁部へと拡大していった」と指摘している。06年10月に同機構の研究チームが行ったワークショップでは、住民が「菅原町を中心とした南部の清水も駅南のアルミ製錬工場の影響で枯渇した」と証言している。同事業所を指している。  研究チームの座長を務めた福島大の柴﨑直明教授(地下水盆管理学)はこう話す。  「調査では喜多方の街なかに住む古老から『昭和電工の工場が水を汲み過ぎて湧水が枯れた』という話をよく聞きました。アルミニウム製錬という業種上、戦前から大量の水を使っていたのは事実です。豊川町には同事業所の社宅があり、ここの住人に聞き取りを行いましたが、口止めされているのか、勤め先の不利益になることは言えないのか、証言する人はいませんでした」  地下水の水位低下にはさまざまな要因がある。柴﨑教授によると、特に昭和40年代から冬季の消雪に利用するため地下水を汲み上げ、水位が低下したという。農業用水への利用も一因とされ、これらが湧水枯渇に大きな影響を与えたとみられる。   ただし、戦前から湧水が消滅していたという証言があることから、喜多方でいち早く稼働した同事業所が長期にわたって枯渇の要因になっていた可能性は否めない。ワークショップでは「地下水汚染、土壌汚染も念頭に置いて調査研究を進めてほしい」との声もあった。  この調査は、地下水・湧水が減少傾向の中、「水郷・喜多方」を再認識し、湧水復活の契機にするプロジェクトの一環だった。喜多方市も水郷のイメージを生かした「まちおこし」には熱心なようだ。  今年10月には、市内で「第14回全国水源の里シンポジウム」が開かれた。同市での開催は2008年以来2度目。実行委員長の遠藤忠一市長は「水源の里の価値を再確認し、水源の里を持続可能なものとする活動を広げ、次世代に未来をつないでいきたい」とあいさつした(福島民友10月28日付)。参加者は、かつて湧水が多数あった旧市内のほか、熱塩加納、山都、高郷の各地区を視察した。 「水源の里」を名乗るなら  昭和電工は戦時中の国策に乗じて喜多方に進出し、アルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を地中に埋めていた。「法律が未整備だった」「環境への意識が希薄だった」と言い訳はできる。だが「喜多方の水を利用させてもらっている」という謙虚な気持ちがあれば、周辺住民の「湧水が枯れた」との訴えに耳を傾けたはずで、長期間残り続ける有害物質を埋めることはなかっただろう。喜多方の水の恩恵を受けてきた事業者は、酒蔵だろうが、地元の農家だろうが、東京に本社がある大企業だろうが、水を守る責任がある。昭和電工は奪うだけ奪って未来に汚染のツケを回したわけだ。  喜多方市も水源を守る意識が薄い。遠藤市長は「水源の里を持続可能なものとする活動を広げる」と宣言した。PRに励むのは結構だが、それは役所の本分ではないし得意とすることではない。市が「水源の里」を本当に守るつもりなら、果たすべきは公害問題の解決のために必要な措置を講じることだ。   住民は、事業所で使用履歴のない有害物質が基準値を超えて検出されていることから、土壌汚染対策法に基づいた地下水基準全項目の調査を求めている。だが、汚染源の昭和電工は応じようとしない。膠着状態が続く中、住民は市に対し昭和電工との調整を求めている。市長と市議会は選挙で住民の負託を受けている。企業の財産や営業の自由は守られてしかるべきだが、それよりも大切なのは市民の健康と生活を守ることではないか。

  • 【会津若松】巨額公金詐取事件の舞台裏

    会津若松市の元職員による巨額公金詐取事件。その額は約1億7700万円というから呆れるほかない。  巨額公金詐取事件を起こしたのは障がい者支援課副主幹の小原龍也氏(51)。小原氏は11月7日付で懲戒免職になっているため、正確には元職員となる。  発覚の経緯は6月13日、2021年度の児童扶養手当支給に係る国庫負担金の実績報告書を県に提出するため、小原氏の後任となったこども家庭課職員が関係書類やシステムデータを確認したところ、実際に振り込んだ額とシステムデータに不整合があることを見つけたことだった。  内部調査を進めると、2021年度の児童扶養手当支給に複数の不整合があることが分かった。また小原氏の業務用パソコンからは、同年度の子育て世帯への臨時特別給付金について小原氏名義の預金口座に振込依頼していたデータや、重度心身障がい者医療費助成金をめぐり小原氏が給付事務を担当していた07~09年度に詐取していたことをうかがわせるデータも見つかった。市は会津若松署に報告し今後の対応を相談する一方、金融機関に小原氏名義の預金口座の照会を行うなど、詐取の証拠集めを2カ月かけて進めた。  市は8月8日、小原氏に事情聴取した。最初は「分からない」「覚えていない」と非協力的な姿勢を見せていたが、集めた証拠類を示すと児童扶養手当と子育て世帯への臨時特別給付金を詐取したことを認めた。  小原氏は動機について「不正に振り込む方法を思い付いた。魔が差した」と語り、使途は「生活していく中で自然に使った」と説明したが、続く同9、10、15日に行った事情聴取では「親族の借金を肩代わりし返済に苦労していた」「競馬や宝くじに使った」「車のローンの返済に充てた」と次第に変化していった。  市は事情聴取と並行し、詐取された公金の回収に取り組んだ。預金口座からの振り込みに加え、生命保険の解約や車の売却といった保有財産の換価を行い、11月8日現在、約9100万円を回収した。  9月8日には小原氏に対する懲戒審査委員会を開き、懲戒免職が妥当と判断されたが、引き続き事情聴取と公金回収を進めるため、小原氏の職員としての身分を当面継続することとした。  小原氏は10月7日、市に誓約書を提出した。内容は児童扶養手当(約1億1070万円)、子育て世帯への臨時特別給付金(60万円)、重度心身障がい者医療費助成金(約6570万円)、計約1億7700万円を詐取したことを認め、弁済することを誓約したものだ。  市は11月7日付で会津若松署に詐欺罪で告訴状を提出し、その日のうちに受理された。また、同日付で小原氏を懲戒免職とし、併せて上司らの懲戒処分を行った。  「会津若松署が告訴状を受理したので、事件の全容解明は今後の捜査に委ねられることになる。警察筋の話によると、捜査は来年2月くらいまでかかるようだ」(ある事情通)  それにしても、これほど巨額な詐取がなぜバレなかったのか不思議でならないが、  「市の説明や報道等によると、児童扶養手当の詐取は管理システムの盲点を悪用し不正な操作を繰り返した、子育て世帯への臨時特別給付金の詐取は本来の支給額より多い金額が自分の預金口座に振り込まれるようデータを細工した、重度心身障がい者医療費助成金の詐取もデータを細工する一方、帳票を改ざんして発覚を免れていた」(同) 合併自治体特有の「差」  それだけではない。こども家庭課に勤務していた時は、自分が児童扶養手当支給の主担当を担えるよう事務分担を変え、支給処理に携わる職員を1人減らし、それまで行っていた決裁後の起案のグループ回覧をやめることで他職員が関連書類に触れないようにしていた。また主担当の仕事をチェックする副担当に、入庁1年目の新人職員や異動1年目の職員を充てることでチェックが機能しにくい体制をつくっていた。  「パソコンがかなり達者で、福祉関連の支給事務に精通していた。そこに狡猾さが加わり、不正がバレないやり方を身に付けていった」(同)  小原氏は市の事情聴取に「不正はやる気になればできる」と話したというから、詐取するには打って付けの職場環境だったに違いない。  小原氏は1996年4月、旧河東町役場に入庁。2005年11月、会津若松市との合併に伴い同市職員となった。社会福祉課に配属され、11年3月まで重度心身障がい者医療費助成金の給付事務を担当。18年4月からはこども家庭課で児童扶養手当と子育て世代への臨時特別給付金の給付事務を担当した。2022年4月、障がい者支援課副主幹に。事件はこの異動をきっかけに発覚した。  地元ジャーナリストの話。  「小原氏は妻と子どもがおり、父親と同居している。父親は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐと聞いた。三男(同)は、小原氏と職種は違うが公務員だそうだ」  小原氏は「親族の借金を肩代わりした」とも語っていたが、  「過去に叔父が勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあるという。親族の借金の肩代わりとは、それを指しているのかもしれない」(同) 会津若松市河東町にある小原氏の自宅  河東町にある自宅は2000年10月に新築され、持ち分が父親3分の2、小原氏3分の1の共有名義となっている。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  小原氏の職場での評判は「他職員が嫌がる仕事も率先して引き受け、仕事ぶりは迅速かつ的確」といい、地元の声も「悪いことをやる人にはとても見えない」と上々。しかし、会津若松市のように他町村と合併した自治体では「職員の差」が問題になることがある。  ある議員経験者によると、市町村合併では優秀な職員が多い自治体もあれば能力の低い職員が目立つ自治体、服装や挨拶など基本的なことすらできていない自治体等々、職員の能力や資質に差を感じる場面が少なくなかったという。  「合併から十数年経ち、職員の退職・入庁が繰り返されたため今は差を感じることは減ったが、中核となる市に周辺町村がくっついた合併では職員の能力や資質にだいぶ開きがあったと思います」(同)  元首長もこう話す。  「町村役場は、職員を似たような部署に長く置いて専門性を身に付けさせ、サービスの低下を防ぐ。そこで自然と専門知識が身に付くので、あとは個人の資質によるが、悪用する気になればできる、と」  小原氏は旧河東町時代も重度心身障がい者医療費助成金の支給事務を行っていたというから、専門知識は豊富だったことになる。  市町村職員になるには採用試験に合格しなければならないが、競争率が高いため「職員=優秀」というイメージが漠然と定着している。しかし現実は、小原氏のような悪質な職員も存在すること、さらに言うと合併自治体特有の、職員の能力や資質の差が今回のような事件の契機になることも認識する必要がある。  市は今後、未回収となっている約8600万円の回収に努め、場合によっては民事訴訟も視野に入れるという。事件を受け、室井照平市長は給料を7カ月2分の1に減額し、現任期(3期目)の退職手当も2分の1に減額する方針。  市の責任を形で示したわけだが、市民からは市が注力しているデジタル田園都市国家構想を踏まえ「巨額公金詐取を見抜けなかった市に膨大な市民の個人情報を預けて大丈夫なのか」と心配する声が聞かれる。ICT導入を熱心に進める前にチェック機能がない、いわば〝ザル〟の組織を立て直す方が先決ではないのか。