• 続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選

    続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選

     本誌4月号に「現職退任で混沌とする猪苗代町長選 前後氏の後継者と佐瀬氏の一騎打ちか」という記事を掲載した。注目は前後公町長の後継者が誰になるかだったが、前号締め切りから発売までの間に、その人選が定まった。 前後町長が後継者に「道の駅猪苗代」駅長を指名 道の駅猪苗代(HPより)  任期満了に伴う猪苗代町長選は6月13日告示、同18日投開票の日程で行われる。現職・前後公氏は3月定例会の閉会あいさつ(3月20日)で、「6月に行われる町長選には立候補しない。後進に道を譲りたい」と述べた。 記事では、前後氏の退任表明で混沌とする情勢についてリポートした。その中で、「前後町長の後継者と佐瀬真氏の一騎打ちになる公算が高い」と書いた。 佐瀬氏は同町議員で、3月定例会初日の3月7日に、渡辺真一郎議長に辞職願を提出し、本会議で許可された。同時に町長選への立候補を表明した。 佐瀬氏は1953年生まれ。会津高卒。2012年2月の町議選で初当選。2015年6月の町長選に立候補し、前後氏に敗れた。得票は前後氏5458票、佐瀬氏が2781票だった。その後、2016年2月の町議選で返り咲きを果たした。2019年6月の町長選にも立候補し、前後氏と再戦。得票は前後氏が4294票、佐瀬氏が3539票と最初のダブルスコアでの落選から、だいぶ票差を詰めたが当選には届かなかった。2020年の町議選で三度目の返り咲きを果たしたが、前述したようにすでに辞職して町長選に向けた準備に入っている。 過去3回の町長選の結果2011年6月26日投開票当5066前後 公(69)無新4242渡部英一(59)無新投票率72・50%2015年6月21日投開票当5458前後 公(73)無現2781佐瀬 真(61)無新投票率66・83%2019年6月23日投開票当4294前後 公(77)無新3539佐瀬 真(65)無新投票率66・46%  佐瀬氏について、前号記事では町民のこんな見解を紹介した。 「最初の町長選(2015年)は、佐瀬氏本人も『予行演習』と言っていたくらいで、2期目を目指す現職の前後氏に勝てるとは思っていなかったようです。ただ、2回目(2019年)は本気で取りに行くと意気込んでいた。結果は、1回目よりは善戦したものの、現職の前後氏に連敗となりました。その後は地元を離れて仕事をしているという情報もあったが、翌年(2020年)の町議選で復帰したことで、次の町長選も出るつもりだろうと言われていました。ですから、佐瀬氏の立候補表明は予想通りでした」 さらにはこんな声も。 「佐瀬氏は過去2回、町長選に出ていますが、いずれもその翌年の町議選で議員に復帰しています。『町長選がダメでも、また町議に戻ればいい』とでも考えているのではないかと疑ってしまう。少なくとも、私からしたらそういう感じがミエミエで、町民の中にも『どれだけ本気なのか』、『そんな中途半端では応援する気になれない』という人は少なくないと思いますよ」 4月号締め切り(3月27日)時点で、佐瀬氏のほかに立候補の意思を明らかにしている人物はいなかった。ただ、「前後氏の後継者が立候補することが確実視される」と書いた。その背景には、前後氏の後援会関係者からこう聞いていたからだ。 「前後町長は後援会役員に、『今期で引退する。後継者は私が責任を持って決める。私が決めた人で納得してもらえるなら、応援してほしい』と宣言しました」 その中で、名前が挙がっていたのが元町議の神田功氏(70)。2008年の町議選を最後に議員を引退した。現在は、家業である民宿を経営している。 ある関係者によると、「本人(神田氏)は出たかったようで、前後町長も神田氏から『やりたいので応援してほしい』と言われたら、それでもいいと考えていたように思います」という。 一方で、前後氏の支持者はこう話していた。 「神田氏はもともとは前後町長の対立側にいた人物で、もし、神田氏が前後町長の後継者に指名されたら、後援会関係者の中には、『神田氏では納得できない』という人も出てくるかもしれない」 前後氏後継者の人物評 【公式】にへい盛一(二瓶盛一)後援会ホームページ より  その後、3月28日に道の駅猪苗代駅長の二瓶盛一氏が立候補表明したことが伝えられた。以下は福島民友(3月29日付)より。 《任期満了に伴い6月13日告示、同18日投票で行われる猪苗代町長選で、新人で道の駅猪苗代駅長の二瓶盛一氏(69)は28日、立候補を表明した。同町で記者会見を開き、「町の未来を考えて立候補を決意した。観光誘客の一層の充実を図りたい」と語った。二瓶氏は猪苗代町出身。中央大経済学部卒。福島民報社専務、ラジオ福島専務、民報印刷社長を経て、2020年から道の駅猪苗代の駅長を務める》 二瓶氏について、前後氏の後援会関係者はこう話す。 「地元紙で報じられたように、二瓶氏は福島民報社出身で、同社専務、ラジオ福島専務、民報印刷社長などを務めたほか、同社系のゴルフ場にいたこともあり、誘客施設での経験もあったことから、前後町長が『力を貸してほしい』と頼んで、道の駅駅長として招聘した人物です。『真面目で一生懸命』というのが周囲の評価で、道の駅では売り上げを伸ばしたと聞きます。行政経験はないものの、学歴(中央大経済学部卒)も申し分なく、いまの時代は経営感覚を持った人の方がいいといった考えから、後継者に指名したようです」 前後町長は後援会関係者に「二瓶氏を後継者に据えたい」旨を伝え、了承されたという。選挙では前後町長の後援会が全面バックアップすることになる。 町内では「前後町長の支援があるのは大きいが、あまり知名度がないのがネックだろう」との声が聞かれた。ただ、前出・前後氏の後援会関係者は「猪苗代町出身で、町内には親戚もいるから、知名度云々は、そこまでの不安材料ではない」と打ち消した。 一方で、ある有力者は次のように話す。 「4月2日にリステル猪苗代で猪苗代青年会議所の45周年式典があり、その席で会った。町長選への立候補表明後、初めての公の場だったが、顔と名前を売ろうとガツガツした感じではなく悠然と構えていた。そういう性格なんでしょうね」 こうして、同町長選は「前後町長の後継者」である二瓶氏と佐瀬氏の争いになることが濃厚となったわけだが、どんな点が争点になるのか、有権者がどのような審判を下すのかが注目される。 その後(追記6/5) 2023年6月1日、猪苗代町長選に新人・高橋翔氏が出馬表明。 https://twitter.com/ShowTakahashi/status/1664169426277777408

  • 【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」

    【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」

     4月の喜多方市議選で初当選した共産党の田中修身議員(61)=塩川町=が、公選法で禁じられている戸別訪問を自宅がある新興住宅地で行っていた。その数、200軒近く。投開票日当日だから投票依頼と受け取られるのは明らか。田中議員自身は疑問を抱いたが、選挙対策を担った党員に「そういうものだ」と言い含められ、気乗りしないままピンポン。不審がられ、動画に記録されるお粗末さだった。見境のない戸別訪問の背景を、専門家は「組織の高齢化と若者を獲得できない共産党の焦りの表れ」と指摘。有権者の反感を買わない選挙活動が求められている。(小池航) 投票日に「戸別訪問」を撮られるお粗末さ インターホンに映った戸別訪問動画。日時や背景は情報提供者の特定を防ぐために加工  喜多方市塩川町にある御殿場地区は新興住宅地だ。同市と会津若松市の中間に位置する利便性の良さから、市内でも人口減少が抑えられており、若年層も多い(2022年1月号の合併検証記事で詳報)。 4月23日の日曜日、黒いスーツにネクタイを締め、新築が並ぶその住宅街を一軒一軒回り、律儀にインターホンを押す男がいた。マスクを付けて顔の下半分は分からないが、眼鏡をかけている。ある家のインターホンを鳴らした。応答はない。住人は不在のようだ。 男はインターホンに向かって控えめに話した。 「あのー、1組の田中なんですけども。えーっと、1週間大変お世話になりました。ご迷惑をおかけしました。大変お世話になりました」 (さらに…) "【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」"

  • 福島県民を落胆させた岸田首相の言い間違い【岸田文雄首相(中央)と、山本育男富岡町長(左)、内堀雅雄知事】

    福島県民を落胆させた岸田首相の言い間違い

     4月1日、富岡町夜の森地区に指定された特定復興再生拠点区域の解除セレモニーが開かれ、岸田文雄首相らが出席した。 同セレモニーでは岸田首相があいさつするシーンがあり、多くの町民が足を運んで耳を傾けた。ところが、「福島」を「福岡」と間違え、場内が一気にシラケるシーンがあった。 《あいさつの終盤で「福島の復興なくして日本の再生はない。こうした決意を引き続きしっかりと持ちながら、富岡町そして福岡の、失礼、福島の復興に政府を挙げて取り組む」と述べた》(福島民友4月2日付) 記者は現場であいさつを聞いていたが、夜の森の桜並木の中での生活が12年ぶりにできることを強調し、そのうえで帰還困難区域すべての避難指示解除を目指す方針を示した。 要するに住民の心情に寄り添い、避難指示解除への決意を力強く述べた後だったのだ。それだけに言い間違いへの脱力感は大きく、隣にいた新聞記者は小さい声で「ふざけるなよ」とつぶやいた。 ぶら下がり取材でこの件について問われた山本育男富岡町長は「単なる言い間違いでしょう」と一笑に付したが、あまり言い慣れていない地名だからこそ、咄嗟に「福岡」と言い間違えたのではないか。そういう意味では、思わぬ形で福島の位置づけが見えた瞬間だった。

  • 未完成の【田村市】屋内遊び場〝歪んだ工事再開〟【屋根が撤去されドームの形がむき出しになった建物(2022年8月撮影)】

    未完成の【田村市】屋内遊び場「歪んだ工事再開」

    (2022年9月号)  2021年4月、設置した屋根に歪みが見つかり、工事が中断したままになっている田村市の屋内遊び場。対応を協議してきた市は、計1億5000万円の補正予算を組んで工事を再開させる予定だが、違和感を覚えるのは原因究明が終わっていない中、歪みを生じさせた業者に引き続き工事を任せることだ。それこそ〝歪んだ工事再開〟にも映るが、背景を探ると、白石高司市長の苦渋の決断が浮かび上がってきた。 前市長の失政に未だ振り回される白石市長 白石高司市長  田村市屋内遊び場(以下「屋内遊び場」と略)は田村市船引運動場の敷地内で2020年8月から工事が始まった。計画では3000平方㍍の敷地に建築面積約730平方㍍、延べ床面積約580平方㍍、1階建て、鉄筋コンクリート造・一部木造の施設をつくる。利用定員は100人で、駐車場は65台分を備える。 総事業費は2億9810万円。内訳は建築が2億0680万円、電気が2600万円、機械設備が2340万円、遊具が4190万円。財源は全額を「福島定住等緊急支援交付金」と「震災復興特別交付金」で2分の1ずつまかない、市の持ち出しはゼロとなっている。 2021年3月には愛称が「おひさまドーム」に決まり、あとは同7月のオープンを待つばかりだった。ところが同4月、工事は思わぬ形で中断する。設置した屋根が本来の高さから5㌢程度沈み、両側が垂れ下がるなどの歪みが生じたのだ。 建物本体の施工は鈴船建設(田村市、鈴木広孝社長)、設計は畝森泰行建築設計事務所(東京都台東区、畝森泰行社長。以下「畝森事務所」と略)とアンス(東京都狛江市、荒生祐一社長)の共同体、設計監理は桑原建築事務所(田村市、桑原俊幸所長)が請け負っていた。 問題発覚時、ある市議は本誌の取材にこう話していた。 「鈴船建設は『設計図通りに施工しただけ』、畝森事務所は『設計に問題はない』、桑原建築事務所は『監理に落ち度はない』と、全員が〝自分は悪くない〟と主張し、原因究明には程遠い状況と聞いている」 実は、屋内遊び場は非常にユニークなつくりで、市内の観光名所であるあぶくま洞と入水鍾乳洞をイメージした六つのドームに屋根を架ける構造になっている(別図①)。 屋根も奇抜で、一本の梁に屋根を乗せ、玩具「やじろべえ」の要領でバランスを取る仕組み。ただ、それだと屋根が落下する危険性があるため、別図②のように屋根の片側(下側)をワイヤーで引っ張り、安定させるつくりになっていた。 しかし、屋根を架けた途端、沈みや歪みが生じたことで、市は別図③のように棒で支える応急措置を施し、原因究明と今後の対応に乗り出していた。  ある業者は 「こういうつくりの建物は全国的にも珍しいが、行き過ぎたデザインが仇になった印象。屋内遊び場なんて単純な箱型で十分だし、空き施設をリフォームしても間に合う」 とデザイン先行のつくりに疑問を呈したが、市が鈴船建設、畝森事務所、桑原建築事務所を呼び出して行った聞き取り調査では原因究明には至らなかった。市議会の市民福祉常任委員会でも調査を進めたが、はっきりしたことはつかめなかった。 本誌は2021年7月号に「暗礁に乗り上げた田村市・二つの大型事業」という記事を載せているが、その中で屋内遊び場について次のように書いている。   ×  ×  ×  × (前略)前出・某業者が興味深い話をしてくれた。 「六つのドームから構成される屋内遊び場は一つの建物ではなく、単体の建物の集合体と見なされ、建築基準法上は『4号建築物』として扱われている。4号建築物は建築確認審査を省略することができ、構造計算も不要。建築確認申請時に構造計算書の提出も求められない。もし施工業者に問題がないとすれば、その辺に原因はなかったのかどうか」 畝森事務所は構造計算書を提出していなかったようだが、屋根にゆがみが生じると「構造計算上は問題ない」と市に同書を提出したという。4号建築物なので提出していなかったこと自体は問題ないのかもしれないが、ゆがみが生じた途端「構造計算上は問題ない」と言われても〝後出しジャンケン〟と同じで納得がいかない。 そもそも公共施設なのに、なぜ4号建築物として扱ったのか疑問も残る。主に小さい子どもが利用する施設なら、なおのこと安心・安全を確保しなければならないのに、建築確認審査を省略できて構造計算も不要の4号建築物に位置付けるのは違和感を覚える。4号建築物として扱うことにゴーサインを出したのは誰なのか、調べる必要がある。 ちなみに、畝森事務所・アンス共同体は2019年10月に行われた公募型プロポーザルに応募し、審査を経て選ばれた。請負金額は基本・実施設計を合わせて3000万円。審査を行ったのは、当時の本田仁一市長をはじめ総務部長、保健福祉部長、教育部長、経営戦略室長、こども未来課長、都市計画課長、生涯学習課長、公民館長の計9人だ。   ×  ×  ×  × 今回、この記事を補足する証言を得ることができた。当事者の一人、桑原建築事務所の桑原俊幸所長だ。 改正建築士法に抵触⁉  「確かに4号建築物は構造計算が不要だが、2020年3月に施行された改正建築士法で、4号建築物についても構造計算書を15年間保存することが義務化されたのです」 義務化の狙いは、建築物の構造安全性に疑義が生じた場合、構造安全性が確保されていることを建築士が対外的に立証できるようにすると同時に、建築設計の委託者を保護することがある。つまり、構造計算は不要とされているが、事実上必要ということだ。 「しかし畝森事務所は、歪みの発生を受けて白石高司市長が直接行ったヒヤリング調査の10日後に、ようやく構造計算書を提出した。最初から同書を持っていれば調査時点で提出できたはずなのに、10日も経って提出したのは手元になかった証拠。これは改正建築士法に抵触する行為ではないのか」(同) まさに、これこそ〝後出しジャンケン〟ということになるが、 「後から『構造計算書はある』と言われても構造計算の数値が合っている・合っていない以前の問題で、建築設計事務所としての信頼性が問われる行為だと思う」(同) 同時に見過ごしてならないのは、構造計算書が存在することを確認せず、図面にゴーサインを出した市の責任だ。最初に図面を示された際、市が畝森事務所に同書の存在を確認していれば、問題発生後に慌てて同書を提出するという不審な行動は起こらなかった。そういう意味では、市も安全・安心に対する意識が欠落していたと言われても仕方がない。 「畝森事務所は工事が始まった後も『軒が長いから短くしたい』と図面を手直ししていた。問題がなければ手直しなんてする必要がない。要するに、あの屋根は最初から奇抜だった、と。玩具『やじろべえ』の要領と言っても、1本の梁に7対3の割合で屋根を乗せる構造ではバランスが取れるはずがない」(同) 桑原所長は屋根に歪みが生じた2021年4月の出来事を今もはっきりと覚えていた。 「設計の段階で、畝森事務所と市には『こういう屋根のつくりで本当に大丈夫か』と何度も言いました。しかし、同事務所も市も『大丈夫』と繰り返すばかり。そこまで言うならと2021年3月末、現場で屋根を架けてみると、屋根自体の重さで沈み込み、ジャッキダウンしたらすぐに歪みが生じた。目の錯覚ではなく、水平の糸を使って確認しても歪んでいるのは明白だった」(同) ところが驚いたことに、それでも畝森事務所と市は、現場に持ち込んだパソコンでポチポチと数値を打ち込み「問題ない」と言い張ったという。自分たちの目の前で実際に沈み込みや歪みが起きているのに、パソコンの画面を注視するとは〝机上の空論〟以外の何ものでもない。 「結局、翌日には歪みはもっと酷くなり、棒などの支えがないと屋根は落下しそうな状態だった」(同) 前出の業者が指摘した「デザイン先行」は的を射ていたことになる。 「もし時間を戻せるなら」  建物本体を施工する鈴船建設の鈴木広孝社長は、本誌2021年7月号の取材時、 「施工業者はどんな建物も図面通りにつくる。屋内遊び場も同じで、当社は図面に従って施工しただけです。屋根を架ける際も、畝森事務所には『本当に大丈夫か』と何度も確認した。現場は風が強く、近年は台風や地震が増えており、積雪も心配される。ああいう奇抜なつくりの屋根だけに、さまざまな気象条件も念頭に確認は念入りに行った。それでも畝森事務所は『大丈夫』と言い、構造計算業者も『問題ない』と。にもかかわらず、屋根を架けて数日後に歪みが生じ、このまま放置するのは危険となった」 と話している。 今回、鈴木社長にもあらためて話を聞いたが、2021年と証言内容は変わらなかった。 「畝森事務所と市には『こんな屋根で本当に大丈夫か』と何度も尋ねたが、両者とも『大丈夫』としか言わなかった。問題発生後に行われた市の調査には『当社は図面通りに施工しただけ』と一貫して説明している。市からは、当社に非があったという類いのことは言われていない」 設計監理と施工に携わる両社にここまで力強く証言されると、屋根が歪んだ原因は図面を引いた畝森事務所に向くことになるが……。 本誌2021年7月号の取材時、畝森事務所は 「田村市が調査中と明言を避けている中、それを差し置いて当社が話すことは控えたい」 とコメントしたが、今回は何と答えるのか。 「田村市が話していること以上の内容を当社から申し上げることはできない。ただ、市の調査には引き続き協力していく意向です」 当事者たちの話から原因の大枠が見えてきた中、この間、調査を進めてきた市は事実関係をどこまで把握できたのか。 「各社から個別に聞き取り調査を行い、そこで分かったことを弁護士や一般財団法人ふくしま市町村支援機構に照会し、再び各社に問い合わせる作業を繰り返している。現時点では屋根が歪んだ原因は明確になっておらず、市として公表もしていません」(市こども未来課の担当者) 問題発覚後に開かれた各定例会でも、議員から原因究明に関する質問が相次いだが、市は明言を避けている。そうした中、白石市長が最も踏み込んだ発言をしたのが、2021年12月定例会(12月3日)で半谷理孝議員(6期)が行った一般質問に対する答弁だった。 「屋根の歪みの原因は設計か施工のいずれかにあると思っています。この件については、市長就任前の議員時代から情報収集しており、約1年前から屋根に懸念があるという情報をつかんでいました。もし時間を戻せるなら、施工前に設計者、施工者、発注者の市が話し合い、何らかの設計変更をすべきだったのではないか、と。もしタイムマシンがあれば戻りたいという気持ちです」 「施工者や監理者から話を聞いたところ、当初の図面から昨年(※2020年)12月に設計変更して、屋根の長さを短くしたとのことです。それは、自ずと屋根が歪むのではないか、この構造で持つのか、という投げ掛けがあり、屋根を小さくしたとのことでした。さらに施工前に懸念されていたことが、実際に施工して起きた、これも事実です。こうしたことを含めて、責任の所在がどこにあるのか考えていきたい」 明言こそしていないが、白石市長は設計側に原因があったのではないかと受け止めているようだ。 印象的なのは「もし時間を戻せるなら」「タイムマシンがあれば戻りたい」と繰り返している点だ。その真意について、前出の業者はこんな推測を披露する。 「屋内遊び場は、白石市長が就任前の本田仁一前市長時代に工事が始まり、就任後に歪みが生じた。白石市長からすると、本田氏から迷惑な置き土産を渡された格好。しかし自分が市長になった以上、本音は『オレは関係ない』と思っていても問題を放置するわけにはいかない。議員時代から調査していた白石市長は、そのころから『自分が市長ならこういうやり方でトラブルを回避していた』という思いがあったはず。だから、つい『時間を戻せるなら』と愚痴にも似た言葉が出たのでしょう。見方を変えれば、本田氏への恨み節と捉えることもできますね」 責任追及に及び腰のワケ  状況を踏まえると、歪みが生じた原因は明らかになりつつあると言っていい。にもかかわらず、市が責任追及の行動に移そうとしないのはなぜなのか。 某市議が市役所内の事情を明かしてくれた。 「責任の所在は業者だけでなく市にも一定程度ある。畝森事務所から上がってきた図面を見て、最終的にゴーサインを出したのは市だからです。逆に言うと、図面を見て『この屋根のつくりではマズい』とストップできたのも市だった。そういう意味では、市のチェック体制はザルだったことになり、業者だけを悪者にするわけにはいかないのです」 つまり、白石市長が責任追及に及び腰なのは身内(市職員)を庇うためなのか。某市議は「傍から見るとそう映るかもしれないが、そんな単純な話ではない」と漏らす。 「一つは、市町村役場に技術系の職員がいないことです。技術系の職員がいれば、図面を見た時に『この屋根のつくりはおかしい』と見抜いたかもしれないが、田村市役所にはそういう職員がいない。業者はそれを分かっているから『どうせ見抜けるはずがない』と自分に都合の良い図面を出してくるわけです。結果、図面上の問題は見過ごされ、専門知識を持たない市職員は提出された書類に不備がないか法律上のチェックのみに留まるのです。もう一つは、市職員はおかしいと思っても、上からやれと指示されたらやらざるを得ないことです。屋内遊び場をめぐり当時の本田市長が部下にどんな指示をしたかは分からないが、専門知識を持つ桑原建築事務所や鈴船建設が心配して何度確認しても、市は大丈夫と押し通したというから、担当した市職員は本田氏の強い圧力を受けていたと考えるのが自然でしょう」 こうした状況を念頭に「白石市長は市職員の責任を問うのは酷と逡巡している」(同)というのだ。 「本来責任を問うべきは当時の最終決定者である本田氏だが、本田氏は既に市長を退いており責任を問えない。じゃあ、本田氏から指示された市職員を処分すればいいかというと、それは酷だ、と。もちろん、最終的には市長自らが責任を負うことになるんでしょうが」(同) 事実、白石市長は前出・半谷議員の「これによって生じる責任の全てを業者ではなく、市長が負うと理解していいのか」という質問(2021年12月定例会)にこう答弁している。 「現時点では私が田村市のトップなので、全て私の責任で今後対応してまいります」 考えられる処分は市長報酬の一定期間減額、といったところか。 一方で、白石市長が原因究明を後回しにしているのは、屋内遊び場の完成を優先させているからという指摘もある。 屋内遊び場の事業費が全額交付金でまかなわれていることは前述したが、期限(工期)内に竣工・オープンしないと国から返還を迫られる可能性がある。当初の期限は2021年7月末だったが、市は屋根に歪みが生じた後、交付金の窓口である復興庁と交渉し、期限延長が了承された。しかし、新たに設定した期限(2022年度中の竣工・来年4月オープン)が守られなければ交付金は返還しなければならず、事業費は全額市が負担することになる。 もはや再延長は認められない中、市は2021年12月定例会で屋根の撤去費用1500万円、新しい屋根の葺き替え費用4500万円、計6000万円の補正予算案を計上し議会から承認された。ところが2022年6月定例会に、再び屋内遊び場に関する補正予算案として9000万円が計上された。ウッドショック(木材の不足と価格高騰)への対応や人件費など経費の高騰、さらには木造から鉄筋に変更したことで工程上の問題が生じ、更なる予算が必要になったというのだ。 この補正予算案が認められなければ屋内遊び場は完成しないため、結局、議会から承認されたものの、計1億5000万円は市の一般財源からの持ち出し。すなわち全額交付金でまかない、市の持ち出しはゼロだったはずの計画は、一転、市が1億5000万円も負担する羽目になったのだ。 さらに問題なのは、引き続き工事を行うのが鈴船建設、畝森事務所・アンス共同体と顔ぶれが変わらないことだ(桑原建築事務所は8月時点では未定)。市民からは 「歪みを生じさせた当事者に、そのまま工事を任せるのはおかしい」 と〝歪んだ工事再開〟に疑問の声が上がっている。 「市民の間では、信頼関係が失われている面々に引き続き工事をやらせることへの反発が大きい。『そういう業者たちに任せて、ちゃんとしたものができるのか』と心配の声が出るのは当然です」(前出の業者) 1.5億円の「請求先」  そうした懸念を払拭するため、市では構造設計を専門とするエーユーエム構造設計(郡山市)とコンストラクション・マネジメント契約を締結。同社が市の代理人となって施工者、設計者、設計監理者との仲介に努めていくという。業者間の信頼関係が疑われる中、同社が〝緩衝材の役目〟を果たすというわけ。 「すでに工事が3~4割進んでいる中、業者を変更して工事を再開させるのは難しいし、そもそも他社が手を付けた〝瑕疵物件〟を途中から引き受ける業者が現れることは考えにくい。そこで、同じ業者にトラブルなく仕事を全うさせるため、市はコンストラクション・マネジメントという苦肉の策を導入したのです」(前出の市議) 市としては補助金返還を絶対に避けるため、なりふり構わず施設の早期完成を目指した格好。 ちなみに、エーユーエム構造設計には「それなりの委託料」が支払われているが、これも市の一般財源からの持ち出しだ。 最後に。同じ業者に引き続き工事を任せる理由は分かったが、竣工・オープン後に待ち受けるのは、市が負担した1億5000万円(プラスエーユーエム構造設計への委託料)をどこに請求するかという問題だ。なぜなら、これらの経費は屋根に歪みが生じなければ発生しなかった。本来なら市が負担する必要のない余計な経費であり、その「原因者」に請求するのは当然だ。言うまでもなく「原因者」とは屋根の歪みを生じさせた業者を指す。 今は中途半端になっている原因究明の動きだが、最終局面は2022年度中の完成・2023年4月にオープン後、1億5000万円を請求する際に迎えることになる。

  • 福島県内にも複数存在「旧統一教会」の福島市議

    福島県内にも「旧統一教会」市議シンパ議員も複数存在

    (2022年10月号)  安倍晋三元首相の銃撃事件でクローズアップされている政治家と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関係。自民党は党所属の国会議員と教団・関連団体とのつながりを調査し、9月8日、衆参両院議長を除く379人中179人に何らかの接点があったと公表した。このうち選挙支援を受けるなど「一定の接点」があった121人は氏名が明かされたが、調査結果が実態をどこまで反映しているかは不透明だ。 実際、同13日には木原誠二官房副長官が関連団体主催の会合に出席していたことを発表。木原氏は、党への報告が漏れた理由を「秘書が出席し、会合出席の記録も記憶も残っていなかった。外部からの指摘で判明した」と釈明している。 木原氏と同様、後日判明するケースは今後も後を絶たないだろうが、問題は調査が進む国会議員とは対照的に、地方議員への調査は一切手付かずなことだ。 都道府県議と知事についてはマスコミが調査を進め、徐々に関係が明らかになっているが、市町村議レベルになると教団・関連団体とのつながりはよく分かっていない。 県内に目を向けると、7月の参院選で初当選した星北斗氏が、選挙前に郡山市などのミニ集会で何度か挨拶していたことが判明。いわき市の内田広之市長も、2021年9月の市長選に向けた準備の過程で市内の教団支部施設を訪問していたが、両氏に共通するのは、その〝案内役〟が地元の自民党系市議だったことだ。 両市の議員ら関係者の話を総合すると、その自民党系市議たちが教団と〝深いつながり〟(信者?)を持つことは周知の事実だという。ただ、信教の自由は尊重されるべきだし、同僚としてこれまで迷惑を被ったこともなかったため、深く気にすることはなかったという。 風向きが変わったのは、言うまでもなく安倍元首相の銃撃事件がきっかけだ。教団名が変わっていたため気付かなかったが、世界平和統一家庭連合が旧統一教会であることを知り、その市議と今後どう付き合うべきか、他の同僚議員たちと頭を悩ませるようになった。 「党本部の調査は国会議員にとどまっており、現時点で地方議員には及んでいない。しかし、茂木敏充幹事長は『教団との関係を絶てない人とは同じ党で活動できない』と離党を促している。地方議員も国政選挙に携わる以上、調査対象になるのは確実だ」(ある自民党系市議) 問題の自民党系市議たちは市議会会派の要職を務めていたり、若手のホープといった立ち位置。しかし、教団との関係を絶たないと現在の役職を辞めてもらわなければならないし、将来のポストも望めない。 「とはいえ、もし彼らが熱心な信者なら脱会するのも簡単ではないはず。信教心を貫くのか、ポストを取りにいくのか、彼らも頭を悩ませているのではないか」(同) 市議らによると、自宅や事務所にはさまざまな雑誌や資料などが送られてくるが、彼らが当選後、旧統一教会系の月刊誌がいつの間にか送られてくるようになったという。「もちろん、購読申し込みをした事実はない」(同)。 両市の職員の間でも、教団とつながりを持つ市議がいることはウワサになっていたが、特段気に留めることはなかったという。 「ただ、一般質問の視点が独特だったり、議会内の言動が他の議員と少し違っていたり、今思えばどことなく教団色が滲み出ていたのかもしれませんね」(郡山市職員) 本誌には「〇〇市にも信者の市議がいる」「××市議の妻が信者だ」という情報が寄せられているが、自民党が今後、地方議員にどのような対応を迫るのか注目される。

  • 【箭内道彦】県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ

    【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ

    (2022年9月号)  県が地元クリエイターの育成に乗り出す。2022年8月30日、国内トップクリエイター6人を〝師範〟とする道場を開塾した。〝館長〟を務めるのは福島県クリエイティブディレクター(CD)の箭内道彦氏(58)。箭内氏をめぐっては本誌2021年3月号で「本来裏方であるはずのCDが目立ち過ぎている違和感」を指摘したが、今回も箭内氏を前面に立たせ、税金を使ってクリエイターを育成することへの違和感が聞こえてくる。 内堀知事の箭内道彦氏推しに業界辟易 内堀雅雄知事 箭内道彦氏(誇心館HPより)  「来たれ、やがてふくしまの誇りになるクリエイターたち。」 そんなキャッチフレーズのもと、入塾生の募集が始まったのは7月12日だった。道場の名は「FUKUSHIMA CREATORS DOJO(福島クリエイターズ道場)誇心館(こしんかん)」。 入塾生募集資料の一文を借りると《県内クリエイターのクリエイティブ力を強化し、様々なコンテンツを連携して制作するとともに、それらを活用して情報発信を行うことで、本県の魅力や正確な情報を県内外に広く発信し、風評払拭・風化防止や本県のブランド力向上を図る》ことを目的に、県が創設したクリエイター育成道場だ。 募集開始に合わせて県が開いた会見で、内堀雅雄知事は道場創設の狙いをこう説明した。 「震災から10年の節目が過ぎ、風化にあらがうには新しい挑戦が必要だ。福島で生活し、今の福島を肌で感じているクリエイターが切磋琢磨し、現場主義で福島の今を発信することは新しい挑戦につながる」(福島民友7月13日付より) 道場名は、県産農林水産物をPRする際に使用しているワード「ふくしまプライド。」を念頭に「故郷を誇り、人を誇る心はクリエイティブにとって大切な素地になる」との思いが込められているという。 「こういう人たちが講義してくれるなら、私もぜひ聞いてみたいですね。彼らがどんなことを考えながら作品を制作しているかは、とても興味深いですから」 と某広告代理店の営業マンが口にするように、魅力的なのは〝師範〟と位置付けられる講師陣の顔ぶれ(別表参照)。広告や映像などの仕事に携わる人にとっては豪華な布陣になっている。一般の人は名前を聞いてもピンと来ないかもしれないが、彼らが手掛けた作品を見れば「あー、知っている」となるに違いない。 クリエイター主な仕事など館長箭内道彦(郡山市出身)クリエイティブディレクタータワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」など。県クリエイティブディレクター師範井村光明(博報堂)CMプランナー、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」CMなど柿本ケンサク映像作家、写真家県ブランド米「福、笑い」「晴天を衝け」メインビジュアルなど小杉幸一アートディレクター、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」「来て。」「ちむどんどん」ロゴなど児玉裕一映像ディレクター「MIRAI2061」など。CMやミュージックビデオの映像作品企画・演出並河進(電通)コピーライター、クリエイティブディレクター県「ふくしま 知らなかった大使」など寄藤文平(文平銀座)アートディレクター県スローガン「ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま」など※福島民友7月13日付の記事をもとに作成  そして、その師範たちの上に立つ〝館長〟を務めるのが福島県CDの箭内道彦氏だ。 郡山市出身。安積高校、東京芸術大学を経て博報堂に入社。その後独立し、フリーペーパーの刊行、番組制作、イベント開催、バンド活動など幅広い分野で活躍する。携わった広告、ロゴマーク、グラフィック、ミュージックビデオ、テレビ・ラジオ等は数知れず、まさに日本を代表するCDと言っても過言ではない。福島県CDは2015年4月から務めている。 こうした国内トップクリエイターたちのもとで、一体どんなことが行われるのか。 入塾生募集資料によると、誇心館の開催期間は8月30日から2023年2月28日まで。会場は福島市と郡山市を予定し、師範ごとに分かれてのリアル・オンライン稽古(講義・実習)が行われる。初日となる8月30日は開塾・入塾式の後、初稽古と題して箭内館長による講義、師範ごとに分かれてのクリエイティブ・ディスカッション、全体懇親会。以降は9、10、11、12月と計4回の師範別稽古が行われ、2023年2月に成果発表会が開かれるスケジュールになっている。実習ではポスターデザインやロゴ、映像などを制作し、今冬にお披露目される県オリジナル品種のイチゴ「福島ST14号」のロゴデザインも任されるという。 受講料は無料で、入塾生の募集定員は30名程度。募集期間は7月31日で終了したが、県広報課によると、 「応募件数が何件あり、そこから最終的に何人選んだかは現時点(8月24日)で公表していません」 と言う。ちなみに対象者は 《福島県所在の事業所に所属するクリエイターや福島県を拠点に活動するフリーランスのクリエイター、学生等今後本県の情報発信に尽力いただける方》(入塾生募集資料より) 内堀知事が会見で話したように、県が主体となって地元の若手クリエイターを育成し、県の情報発信に携わってもらおうという狙いが見えてくる。卒業生は「誇心館認定クリエイター」に認定されるという。 他県には見られないユニークな取り組みと好意的な声もあるが、実は業界内の評価は芳しくない。 「箭内氏の枠」の弊害  館長の箭内氏をめぐっては、本誌2021年3月号「福島県CD 箭内道彦氏の〝功罪〟」という記事で、①県の動画制作業務はほとんどが箭内氏の監修となっているため、制作を請け負った業者は箭内氏の意向に沿った動画を制作しなければならず、やりにくさを覚える。②箭内氏は博報堂出身のため、プロポーザルに複数の業者が応募した場合、審査は同系列の会社(東北博報堂)が優位と業界内では捉えられている。③CDは本来裏方の仕事なのに、箭内氏は自分が一番目立っている――と書いた。 講師陣を魅力的と評した前出の営業マンも次のように話している。 「6人の師範が魅力的なのは間違いないんです。ただ、結局は〝箭内組〟の人たちなので(苦笑)、シラける部分もあるんですよね」 〝箭内組〟とは、6人がこれまで箭内氏と一緒に仕事をしてきた面々であることを念頭に「同じ感覚を持った一団」を皮肉を込めてそう呼称しているのだという。 「要するに、どこまで行っても箭内氏の枠から抜け出せない、と。そもそもクリエイティブとは、枠組みにとらわれない、自由な発想で仕事をすることを指す。そのクリエイターを育成するのに〝箭内組〟の面々を師範にしてしまったら、箭内氏の枠にはめ込んでしまうのと同じ。そうなると、クリエイター育成の趣旨からは外れてしまうと思う」(同) そのうえで、営業マンは誇心館の問題点をこう指摘する。 「一つは、県の事業なのに閉鎖的に進められていることです。定員を設けたということは、講義は入塾を認められた人しか受講できないと思うんです。せっかく国内トップクリエイターが講義するのに、限られた人しか受講できないのはもったいないし、税金を使う事業なら尚更、一般県民にも受講の権利がある。ユーチューブで講義をライブ配信し、アーカイブ化していくべきです」 「二つは、どういう基準で入塾生を選考したのかということです。例えば、電通や博報堂に所属していることが選考を左右していないか、あるいは箭内氏や師範たちとの〝個人的つながり〟が影響していないか。選考方法をきちんとディスクローズしないと、選考から漏れた人も納得がいかないと思う」 「三つは、卒業生を誇心館認定クリエイターに認定することです。この認定が、県の仕事を請け負う際のアドバンテージになってはマズいと思うし、認定を受けたから県のクリエイターとして認める、受けていないから認めない、ということが起きれば県内のクリエイターを分断することにもなりかねない」 県広報課に尋ねたところ▽講義を公開するかどうか、▽どういう基準で入塾生を選考したのか、▽誇心館認定クリエイターに認定されたことによるアドバンテージ――等々は 「現時点(8月24日)で公表していないので答えられない。ただ、プレスリリース後にお話しできる部分はあると思う」 ならば、プレスリリースがいつになるのか聞くと、 「それもお答えできない」 開塾まで1週間を切ったタイミングで質問しているのに、要領を得ない。ついでに箭内氏や師範に支払われる報酬等も尋ねてみたが 「公表していない」 ただ、事業を受託したのは山川印刷所(福島市)で、契約額は約5500万円とのことだった。 「そもそも、クリエイティブとは何かを分かっている人は誇心館に入塾しないのでは。真のクリエイターなら(箭内氏の)枠にはめ込まれることに反発するはずです」(前出の営業マン) 気になるのは、誇心館が事業化されることになった経緯だ。これについて、中通りで活動する中堅CDが意外な話をしてくれた。 「県や箭内氏は『政経東北』2021年3月号の記事をかなり気にしていたそうです。とりわけ某CDが記事中で発していたコメントは、かなり効き目があったとか」 そのコメントとは、県内の某CDが箭内氏に向けたものだった。 「本県出身のCDとして、地元の若手CDの育成に携わるべきではないか。例えば、箭内氏の人脈がなければ起用できないタレントを連れてきて『この素材を使ってこんな動画をつくってほしい』と若手CDを競わせ、最終的にはプロポーザルで決定するとか。箭内氏はいつかは福島県CDを退く。その時、後に続く人材がいなかったら困るのは県です。CDは教えてできる仕事ではなく当人のセンスが問われるが〝原石探し〟は先駆者として行うべき。しかし今の箭内氏は『オレがオレが』という感じで、後進の育成・発掘に注力する様子がない」 県と箭内氏にとっては〝痛いところを突かれた〟ということだろう。 税金を使って行う事業か 福島県庁  誇心館創設のきっかけをつくったと言っても過言ではない某CDは、何と評価するのか。 「自分が館長で、周りを〝箭内組〟で固めているのを見ると、やっぱり『オレがオレが』は変わらないということでしょう。県が地元クリエイターを育成するというなら、まずは内堀知事が前面に出て、県内のベテランCDらにも協力を仰ぎ、オールふくしまで取り組むべきだ。内堀知事と箭内氏が親しい関係にあることを知っている人からすると、県が箭内氏のために多額の予算を出して塾を開いたようにしか見えない」 そう言いつつ、某CDからは箭内氏を庇うような言葉も聞かれた。 「前回(2021年3月号)は箭内氏を批判したが、その後、考えが少し変わりました。悪いのは箭内氏ではなく、取り巻きではないかと思うようになったんです。取り巻きとは県や地元紙を指します。箭内氏は純粋に復興に寄与したいと自分にできることを精一杯やっているだけで、そんな箭内氏を県や地元紙が〝利用〟している状況が良くないのではないか、と。県や地元紙から『復興に力を貸してほしい』と言われれば、箭内氏は断りづらいでしょうからね」(同) しかし、箭内氏を批判することも忘れていない。 「自費を元手に、参加者から会費を集めて育成に臨むなら感心したでしょうが、税金を使ってやるのは違うんじゃないと思いますね。人材育成が必要なのはクリエイターだけじゃないのに、ここにだけ税金を使うのは、内堀知事と箭内氏が個人的に親しい関係にあるからと言われてもやむを得ない」(同) このほか「本気で育成する気があるなら、単年で終わるのではなく毎年行わなければ意味がない」とも語る某CD。一過性の取り組みでは育成に寄与しないことは、確かにその通りだ。

  • 【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾

    【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】

    (2022年10月号)  会津坂下町は老朽化している役場本庁舎の新築事業を進めている。もともとは2017年度から検討を行い、2022年度に完成のスケジュールで進められていたが、2018年9月に「財政上の問題」を理由に事業延期を決めた。それから4年が経ち、今年度から再度、庁舎建設に向けて動き出したのだが、町内では賛否両論が上がっている。 「4年前の決定」継続派と再考派で割れる 4年前の議論に上がった候補地図  会津坂下町役場本庁舎は、1961年に建設され老朽化が進んでいること、1996年に実施した耐震診断結果で構造耐震指標を大きく下回ったこと、本庁舎のほかに東分庁舎・南分庁舎があり、機能が分散して不便であること等々から、2017年度から新庁舎建設を検討していた。その際、国の補助事業である「市町村役場機能緊急保全事業」を活用すること、そのためには2020年度までに着工することを条件としていた。 町は2017年に、町内の社会福祉協議会や商工会、観光物産協会、区長・自治会長会の役員などで構成する「会津坂下町新庁舎建設検討委員会」を立ち上げ、調査・検討を諮問した。それに当たり、最大のポイントになっていたのは建設場所をどこにするか、だった。 同委員会では、①現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地、②旧営林署・保健福祉センター・中央公園用地、③南幹線南側町取得予定県有地――の3案を基本線に検討を行い、2018年2月、「現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地が適地である」との答申をした。 同年3月議会では、同案に関する議案が提出され、賛成13、反対2の賛成多数で議決した。 ところが、同年9月、町(齋藤文英町長=当時)は「事務事業を見直し、将来の財政状況を算定したところ、計画通り進めれば住民サービスに大きな影響を及ぼすことが予想されることになった。財政健全化を重視し新庁舎建設延期という重い決断をした」として、庁舎建設の延期を決めた。 それから4年。町は今年度から役場内に「庁舎整備課」を新設し、庁舎建設事業再開を決定した。今年度予算では関連費用として約6700万円が計上されている。 そんな中、5月12日付で町民有志「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から、議会に対して「会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議することを求める請願」が提出された。内容は次の通り。   ×  ×  ×  × 町民にとって関心の高い新庁舎の建設については、これまで様々な議論がなされてきました。特に建設場所については平成30(2018)年2月15日に会津坂下町新庁舎建設検討委員会から「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」を適地として選定した旨の答申がなされ、同年、町議会第1回定例会において、議案として提出され賛成多数で可決されました。 この流れを受け、昨年度までに用地買収や移転補償などのスケジュールが進捗していると聞き及んでおり、これについては本年3月において新聞報道等により周知の事実となりました。 しかしながら、この決定が既に4年前のものとなっており、その間、町における公共施設や公有地の状況の変化、社会情勢の変化に伴う民間施設や商業施設の状況の変化などが見られました。 会津坂下町新庁舎建設検討委員会からの答申書においても、選定理由の一つとして「中心市街地や周辺まちづくりへの寄与」といった観点が挙げられておりますが、この観点から新庁舎の建設場所を考えるにあたって、上記の様々な現状の変化を加味し、現状のままでよいか再度協議することは必要不可欠と考えます。 今後の会津坂下町のまちづくりを担う青年世代の多くがこの議論に関心をもっております。既に決定され、議決された内容ではありますが、下記の事項について強く請願いたします。 1、会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議すること。   ×  ×  ×  × 同請願は6月議会で、総務産業建設常任委員会に付託され、請願者が同委員会で意図や内容を説明した。委員会では請願は採択された。 議員の賛成・反対意見 東分庁舎・東駐車場用地と町が取得した隣接地  その後、本会議に諮られ、以下のような賛成・反対討論があった(「議会だより 206号」=7月25日発行より)。 賛成討論 渡部正司議員 議決の建設場所は、国からの財政支援措置と平成32(2020)年度までの着工が条件で決められたものであり、建設延期によって候補地選定の前提は崩れた。改めて協議すべきであり、本議案に賛成する。 小畑博司議員 庁舎建設が計画され、そのために全国各地を行政調査したが、建設コストは主たる課題にはならなかった。検討委員会の結果を受けて建設場所を決議した流れも、財政状況を反映したものではなかった。提案した根拠が違ったままの決議をそのままに進めることは説明責任が果たせない。本意見書は採択すべき。 反対討論 酒井育子議員 町民を代表した建設検討委員会の答申を無視し、また、提出議案、土地買収・跡地取り壊し料の予算を満場一致でした議会議決を無視している。自主財源の少ない当町、未来を担う子供たちに「負」を残してはいけない観点から反対。 五十嵐一夫議員 建設場所は4年前に議決済で、周辺に多少の社会情勢の変化があるが、その後にこの決定済の場所に欠陥が生じたわけではない。再度位置について議論をすることは、混乱を招くだけで採択・意見書提出に反対する。 山口亨議員 請願内容的には建設場所は「現本庁舎、北庁舎、東分庁舎、東駐車場用地」であることに反対ではないとのことで、単に話し合いを求めるというものだった。庁舎建設場所は、平成30(2018)年第1回定例会で議決しているものである。もし、この請願を可決すれば、町民に対しあいまいな話が独り歩きしてしまう可能性がある。現在、旧江戸鮨の解体工事が始まろうとしている。更には、令和7(2025)年4月には新庁舎での業務開始とのスケジュールも組まれている。あいまいなメッセージを町民に与えるべきではない。よってこの請願には反対。 これら討論の後、採決が行われ、賛成8、反対5の賛成多数で同請願は採択された。これを受け、議会は前段で紹介した請願書の内容と同様の意見書を、町執行部(古川庄平町長)に提出した。 請願者である「まちづくりを考える青年の会」の加藤康明代表に話を聞いた。 「町内の仲間内での飲食時や雑談の中で、『延期になっていた庁舎建設事業が再開されることになったが、いま建てるべきなのか』、『財政的な問題が理由で延期になったが、それをクリアできたとは思えない』といった話が出ました。私自身、最初に庁舎建設の話が出たころから2年前まで行政区長を務めていましたが、区の要望として、例えば街灯を増やしてほしいとか、子どもたちの通学路で歩道がないところがあるから何とかしてほしいとか、生活に直接関係する部分について、町にお願いしてきましたが、そのほとんどが『予算の問題』で実現しませんでした。そんな状況で庁舎を建てられるのか、と。さらには、この4年間で町内の生活環境は大きく変化しました。そんな中で、4年前の計画をそのまま進めていいのかと思い、請願を出しました」 加藤代表によると、「建設場所が現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地となっていること自体に反対ではない」という。 ただ、この4年間で坂下厚生病院が新築移転したこと、坂下高校が大沼高校と統合して会津西陵高校になり、同校は旧大沼高校の校舎を使っているため、事実上、坂下高校がなくなったこと、新築移転した坂下厚生病院の近くに、今年11月に商業施設「メガステージ会津坂下」がオープン予定であること――等々から、「生活環境が変わっていることを考慮すべき」(加藤代表)というのだ。 さらには、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で、建設資材が高騰しており、4年前と比べるとコスト増加は間違いない。 「これだけ、社会情勢が変わっているのに、4年前の計画をそのまま進めることが正しいのか。もう一度、議論してもらいたいというのが請願の趣旨です」(同) 懇談会の模様  町は議会からの意見書を受け、新庁舎建設検討委員会を立ち上げ(※2017年に立ち上げた委員会が解散されておらず、正確には「再開」だが、委員に変更等があった)、7月から検討を再開した。その中で、今後、町民の声を聞くために、まちづくり懇談会、新庁舎建設に関するアンケートを実施することになった。 それまで、町は4年前に決まった現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地に新庁舎を建設する考えだったようだ。その証拠に、昨年8月に東分庁舎・東駐車場用地に隣接し、競売物件になっていた寿司店の土地・建物を取得、今年5月から解体工事を進めていた。しかし、請願・意見書を受けて、場所を含めて再考することにしたのだ。 懇談会で示された資料に本誌が必要情報を追加  「これまで(4年前)の議論がゼロになったわけではありません。それも踏まえて、請願・意見書を受けて町民の声を聞くために、懇談会やアンケートを実施することにしました。3月時点で議会には2024年度内の完成目標というスケジュールを示しましたが、(請願・意見書を受けての再考で)少し遅れることになると思います」(町庁舎整備課) 懇談会は9月15日から30日の日程で、町内7地区で開催された。本誌はこのうち9月20日に開かれた坂下地区(中央公民館)での模様を取材した。その席で配布された資料には「請願・意見書を尊重し、状況の変化などを鑑みて、建設場所を含めて総合的に判断することにしました。そのための判断材料として、懇談会やアンケートなど、幅広く町民の声を聞く機会を設けることにしました」と記されていた。 懇談会では、「4年前に決まったのに、なぜ再考しなければならないのか」、「こんなことをしていたら、いつまで経ってもできない。早く建設すべき」といった意見が出た。中には、「議会は4年前に自分たちが決めたことを覆すとはどういった了見か。しかも、今年3月議会では関連予算を可決しており、わずか3カ月で方針転換した」との指摘も。 これには、懇談会に出席していた議員(請願に賛成した議員)が前段で紹介した請願に対する賛成討論と同様の説明を行った。 古川町長は「4年前の議決も、今回の意見書も、どちらも重く受け止めている。そんな中で、あらためて意見を聞くことにしたのでご理解願いたい」旨を述べた。 同地区はまちなかで役場に近いエリアということもあり、「いまの場所で早急に進めてほしい」といった意見が目立った。ただ、それ以外の地区では「4年前の計画をそのまま進めるのではなく、もっと深く議論すべき」といった意見も出たようだ。つまりは、役場に近い地区とそうでない地区では温度差がある、ということだ。 依然厳しい財政 会津坂下町役場  懇談会では事業延期の原因となった財政面についても説明があった。それによると、町の貯金である財政調整基金、減債基金、行政センター建設整備基金の合計は、2017年度末が約3億円だったのに対して、昨年度末は約13億8000万円に増えた。一方、町の借金である町債残高は2017年度末が約97億円、昨年度末が約77億円。昨年度の実質公債費比率は11・0%、将来負担費比率は49・1%で、この数年で少しずつ改善されてはいるものの、全国市町村の平均値と比べると高い数値となっている。 当日配布された資料には、「財政健全化の取り組みを進めたことで、各種財政指標は改善の傾向にあります。しかし、令和2(2020)年度の全国市町村平均値と比較すると依然として悪い状況ですので、今後の新庁舎建設に備えるためにも、より健全な財政運営に努めます」と書かれている。 10月には町民アンケートの実施を予定しており、町庁舎整備課によると、「年代や地区を分けたうえで、無作為抽出で15歳以上の1000人を対象に実施する予定」という。懇談会とアンケートを踏まえて最終的な決定をしていく方針だが、やはり最大のポイントは場所ということになろう。すなわち、4年前に決めた現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地なのか、それ以外か。 ちなみに、懇談会で配布された資料にはあくまでも1つの目安として、以前の決定地、南幹線沿い県有地、旧坂下高校跡地、旧厚生病院跡地が示されている。 町内では「場所は4年前に決まったところでいい。早急に進めるべき」といった意見や、「場所を含め、もう一度、深く議論すべき」、「そもそも、いま建設を行うべきなのか」といった意見が出て紛糾しているわけだが、1つだけ言えるのは、役場に直接的に関わっている人はともかく、庁舎が新しくなったところで、町民の日々の生活が豊かになるわけではない、ということ。それを指摘して締めくくる。 あわせて読みたい 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 【検証・内堀県政 第3弾】公開資料で見えた内堀知事の懐事情(2022年10月号)

    【検証・内堀県政 第3弾】公開資料で見えた内堀知事の懐事情

    (2022年10月号) ジャーナリスト 牧内昇平(+本誌編集部)  福島県知事の内堀雅雄氏(58)にはクリーン(清浄)な印象を持つ人が多いのではないだろうか。しかし、選挙というものにはやはりお金がかかる。内堀氏も例外ではないだろう。「政治と金」を監視するのはメディアの役目の一つだ。前回の知事選で内堀氏がどのようなお金の集め方、使い方をしたか。公開資料に基づいて調べてみた。シリーズ第3弾。 公開資料で見えた内堀知事の懐事情  選挙に出た人はどのようにお金を集め、何に使ったかを選挙管理委員会に届け出る義務がある。「選挙運動に関する収支報告書」だ。また、政治上の主義・施策を推進したり、特定の候補者を支持したりする「政治団体」も、毎年の収入と支出を届け出る。「政治資金収支報告書」である。これらの保存が義務づけられているのは3年間だが、過去の分の要旨は県報などにも載っている。それらの公開資料を読み解いていく。 2018年の知事選(10月11日告示、10月28日投票)に関して、内堀陣営の収支をまとめたのが表1である。 表1)2018知事選、内堀氏のお金の「集め方」「使い道」 収  入(寄付)支  出「ふくしま」復興・創生県民会議1620万円人件費556万3000円福島県医師連盟100万円家屋費410万6436円福島県歯科医師連盟100万円通信費93万5745円福島県農業者政治連盟50万円交通費0円福島県商工政治連盟50万円印刷費524万3099円福井邦顕50万円広告費160万4012円福島県薬剤師連盟10万円文具費7万1555円福島県中小企業政治連盟10万円食糧費5万3111円その他の寄付43万円休泊費97万5408円雑費171万6383円合計2033万円合計2026万8749円※選挙運動に関する収支報告書を基に筆者作成  内堀氏は18年8月24日から11月19日までのあいだに2000万円以上集め、ほぼ同額を使った。収入源は団体・個人からの寄付だ。「『ふくしま』復興・創生県民会議」という政治団体からの寄付が段違いに多い。これについては後述しよう。 ほかは、いわゆる業界団体からの寄付である。100万円ずつ寄付していたのは、県医師連盟と県歯科医師連盟。それぞれ県医師会、県歯科医師会による政治団体だ。50万円出した県農業者政治連盟は、農協(JA)関係の政治団体だ。同連盟は郡山市、たむら、いわき市、ふたばの4支部も2万5000円ずつ寄付していた。 試しに県医師連盟の政治資金収支報告書を調べてみると、18年10月5日に「陣中見舞い」として内堀氏に100万円渡していることが確認できた。少なくとも18~20年の3年間に限って言えば、内堀氏のほかは特定の候補者に「陣中見舞い」を送った記載はなかった。話はそれるが、県医師連盟の会計責任者の欄には「星北斗」氏とあった。今年夏の参院選で当選した自民党議員と同じ名前である。 政治団体「県民会議」とは? 内堀氏関連の政治団体の事務所所在地には、内堀氏の看板が立っていた=9月16日、福島市、牧内昇平撮影  さて、断然トップの1620万円を内堀氏に寄付した「『ふくしま』復興・創生県民会議」(以下、「県民会議」)とは、どんな団体なのか。 ここも政治団体として県選管に登録していた。政治資金収支報告書を読んでみると、事務所の所在地は福島市豊田町。県庁から少し歩いて国道4号を渡ったあたりだった。代表者は「中川治男」氏。会計責任者は「堀切伸一」氏である。「中川治男」氏と言えば、副知事や福島テレビの社長を務めた人物に同じ名前の人がいた。佐藤栄佐久知事(在任は1988~2006)の政務秘書として活躍したのは「堀切伸一」氏だった。 県民会議の18年分の収支報告書には興味深い事実がいくつかある。まずは支出。内堀氏個人に対して、8月24日に1600万円、11月19日に20万円を寄付したことが書いてある。金額は表1とぴったり合う。 次に収入だ。県民会議は18年、「政治団体からの寄付」で3650万円の収入を得ていたことが分かった。寄付の日付は8月23日。県民会議が内堀氏個人に1600万円を送る前日である。 この政治団体とは、どこか。寄付者の欄に書いてあったのは「内堀雅雄政策懇話会」という名前だった。 内堀氏の選挙資金源 記者会見で語る内堀雅雄知事=8月29日、県庁、牧内昇平撮影  内堀雅雄政策懇話会(以下、「政策懇話会」)。政治資金収支報告書によると、内堀氏の資金管理団体だった。(資金管理団体とは、公職の候補者が政治資金の提供を受けるためにつくる団体のこと。政治家一人につき一つしかつくれない) 代表者は内堀雅雄氏本人。会計責任者と事務所の所在地は、先ほどの県民会議と同じく「堀切伸一」氏と「福島市豊田町」だった。所在地はもちろん番地まで同じである。 ちなみに筆者が調べる限り、内堀氏の名前がついた政治団体がもう一つある。「内堀雅雄連合後援会」だ。こちらも事務所は福島市豊田町の同じ場所。代表者は中川治男氏。会計責任者は堀切伸一氏だった。 この三つの団体のあいだで、どのようなお金のやりとりがあったのか。政治資金収支報告書の内容をまとめたのが、表2の上の部分である。  ・18年8月23日、政策懇話会から県民会議へ3650万円 ・8月24日、県民会議から内堀氏本人へ1600万円。11月19日、さらに20万円 ・19年3月31日、県民会議から政策懇話会へ500万円 このような流れである。県民会議は多額の寄付を受けたのと同じ18年8月23日付で県選管に「設立」を届け出ていた。そして翌19年4月19日には解散している。 政策懇話会が内堀氏の選挙資金の供給源であることを確かめることができた。では、この団体はどうやってお金を集めたのか。それを示したのが表2の下部である。 政治資金収支報告書や県選管作成の資料を読むと、政策懇話会の収入欄のうち、「個人の負担する党費または会費」の欄には毎年1000万円近い金額が記入されていた。金額の下には、何人で負担したかが書いてある。例えば、18年の場合はこうだ。 「金額960万円」「員数192人」960を192で割ると5だ。全員が同じ額を負担したとすれば、1人5万円ずつ出したということになる。19、20年分の収支報告書を確認しても、やはり同様に、1人5万円ずつ出したとすると、「金額」と「員数」がぴったり合う。 ただし、この「党費または会費」では選挙資金は賄えないだろう。政策懇話会は2015年以降、自分の団体の経常経費(人件費や光熱水費、事務所費など)に年間数百万円使っている。15年は363万円、16年は626万円、17年は788万円である。年間約1000万円の「党費または会費」では、それほど手元に残らないはずだ。 そこで出てくるのが、「事業による収入」である。15~19年のあいだ、政策懇話会には毎年、「事業による収入」がある。事業は2種類で、一つは政策懇話会の「総会」だ。1年につき30万~43万円の収入があったと書かれている。それほど多くはない。 もう一つの事業が政治資金パーティーである。会の名前は「内堀雅雄知事を励ます会」。16年はホテル辰巳屋(福島市)、17年はホテルハマツ(郡山市)で開催された。 こちらの収入は巨額だ。16年のパーティーは、1677人から合計3218万円の収入を得ていた。17年は1249人から合計2809万円だ。20万円を超える対価を支払った団体の名前が県選管の資料に載っていた。 ・16年 福島県農業者政治連盟148万円 連合福島      100万円 福島県医師連盟     40万円 ・17年 福島県農業者政治連盟149万円 連合福島    100万円 福島県医師連盟    30万円 内堀氏は政治資金パーティーで金を集め、選挙に備えていたことが分かってきた。 表2の左端にある内堀雅雄連合後援会(以下、「連合後援会」)は、政治資金収支報告書を読むかぎり、2018年の知事選前後に大きな金の動きはなかった。政策懇話会から16年に300万円、17年に400万円、知事選後の19年4月1日に100万円を寄付されていたことだけは書いておこう。 また、少し古くなるが、内堀氏が初めて知事選に出た2014年、連合後援会が6人の個人から10万円ずつ寄付を受けていたことが分かった(5万円を超える寄付が県選管の資料に載っていた)。6人の氏名をインターネットで検索すると、内堀氏の古巣、自治省・総務省の官僚たち(主にOB)に同姓同名の人がいた。そのうちの一人は「荒竹宏之」氏。内堀氏が副知事時代、県庁の生活環境部次長、同部長を務めた人物と同じ名前だった。 お金の使い道は?  では次に、集めたお金の使い道である。表1にもどって右側を見てほしい。 2018年知事選における内堀氏の「選挙運動に関する収支報告書」によると、支出総額は2026万円。内訳として最も高額なのは「人件費」の556万円だった。 人件費は一般的に、ポスター貼りや演説会の会場設営などの単純作業を行う「労務者」、選挙カーに乗る「車上運動員」、選挙事務所で働く「事務員」らに支払われる。内堀氏陣営は労務者413人、車上運動員15人、事務員14人に日当を支払っていた。1人あたりの日当は労務者が5000円、車上運動員が1万円か1万5000円、事務員が8000円から1万円だった。 次に金額が大きいのが「印刷費」の524万円だ。内訳を見るとポスターの作成に149万円、法定ハガキの印刷などに180万円、などとあった。郡山市と福島市の宣伝・広告会社2社が受注していた。 支出の3番目が「家屋費」の410万円である。このうち334万円が「選挙事務所費」、76万円が個人演説会のための「会場費」だった。そのほか、「食糧費」は弁当や茶菓子代で、ドラッグストアなどで買っていた。「休泊費」は運動員のホテル宿泊代だった。 内堀氏が18年の知事選に使った費用の紹介は、ざっとこんなものである。しかし、一つ気がかりなことが残る。もう一度、表2を見てほしい。政策懇話会から県民会議に渡ったのは3650万円だ。そのうち1620万円が内堀氏本人に渡り、残った500万円は政策懇話会に戻された。それでも1500万円くらいが県民会議の手元に残るはずだ。県民会議はその金をどう使ったのか。 表3が県民会議の2018年の収支である。支出総額は3105万円。「政治活動費」(1683万円)の大半は先述した内堀氏本人への寄付である。気になるのは、「経常経費」が1421万円もかかっていることだ。光熱水費以外は数百万円、人件費に至っては800万円以上も使っている。誰に対して、いくら支払われているのか。調べてみると……。 表3)「県民会議」の収支 収入総額3650万円(前年からの繰越額)0円(本年の収入額)3650万円支出総額3015万円翌年への繰越額544万円 ※支出の内訳経常経費人件費853万円光熱水費7万円備品・消耗品費357万円事務所費203万円小計1421万円政治活動費組織活動費63万円寄付1620万円小計1683万円※2018年の収支 政治資金収支報告書を基に筆者作成  残念、これ以上のことは政治資金収支報告書を読んでも分からなかった。県民会議のような一般の政治団体の経常経費は、各項目の総額だけ届け出ればよいことになっているからだ。「選挙運動に関する収支報告書」と違って、各支出の内訳までは分からない仕組みになっていた。 前述した通り、県民会議は知事選の約2カ月前に設立届が出され、翌春に解散している。そのあいだの金の動きを見ても、知事選のための団体だったと考えていい。その団体の金の使い道について分からないのはモヤモヤが残る。 総務省は政治団体の経常経費について、「団体として存続していくために恒常的に必要な経費」としている。また一般的な意味で「経常費」と言えば、「毎年きまって支出する経費」(広辞苑)のことだ。 くり返しになるが、県民会議の活動が始まったのは8月中旬以降だ。設立からおよそ4カ月半で1421万円もの大金を経常経費として使ったことになる。1か月あたり約315万円である。知事選が行われた2018年にこれだけ多額の経費を何に使ったかが気になるところだ。一般の政治団体でも、特定の候補者を支持するためなどの「政治活動費」の支出は、1件あたり5万円を超えた場合、支払先などを明記する必要がある。県民会議の「経常経費」はこれに該当しないはずだが……。筆者は、登録上の代表者、会計責任者が同じ「連合後援会」に宛てて、県民会議の経常経費の使途を問う質問状を送ったが、9月26日の時点で返答はない。 もちろん、内堀氏や関連する政治団体が悪いことをしていると指摘するつもりはない。政治資金規正法に則ってきちんと届け出ている。しかし、それでも不明点が残ったのは事実である。「政治と金」は最大限透明化する必要がある。現行の政治資金規正法には改善すべき点が多い。 東北6県でトップの選挙運動費用  さて、ここからはほかと比べてみよう。表4は2018年の知事選に出た各候補者の得票数と選挙運動に使った金額である。一目瞭然。有効投票数の9割を超える票を獲得した内堀氏だが、その資金力も他の候補を圧倒していたと言える。 表4)2018知事選各候補の得票数と選挙運動費用 得票数(票)得票率運動費用(円)内堀雅雄65098291.20%20268749金山屯102591.40%197371高橋翔171592.40%467900町田和史350294.90%3175992※選挙運動に関する収支報告書を基に筆者作成  表5は東北6県の知事が選挙でどのくらい使ったかをまとめている。他県の知事と比べても内堀氏の選挙費用は少なくない。 表5)知事たちの選挙運動費用 都道府県氏名選挙実施日選挙運動費用青森県三村申吾2019年6月2日1400万円岩手県達増拓也2019年9月8日1054万円宮城県村井嘉浩2021年10月31日499万円秋田県佐竹敬久2021年4月4日1737万円山形県吉村美栄子2021年1月24日1793万円福島内堀雅雄2018年10月28日2026万円福島内堀雅雄2014年10月26日2427万円福島佐藤雄平2010年10月31日1633万円※選挙運動に関する収支報告書(要旨)などを基に筆者作成  別の観点から内堀氏の「お金」について考えてみる。県知事は「資産」、「所得」、「報酬を得て役員などを務める関連会社」の情報を報告する義務がある。内堀氏が2期目就任以降福島県に提出した各種報告書を表6にまとめた。この表を見ると、「預貯金 該当なし」などの記載に驚く人もいるかもしれない。しかし、これには理由がある。報告書に記載する必要があるのは、「普通預金と当座預金を除く」預貯金だ。つまり主に定期預金が報告対象になっている。また、土地・建物や自動車などは、本人ではなく家族名義のものには報告義務がない。政治資金収支報告書と同じで、ここにも透明化を阻む壁があった。ちなみに、知事を1期(4年)務めると約3400万円の退職金が出る。再選した場合は最後に一括して受け取ることもでき、内堀氏が現時点で退職金を受け取っているかどうかは分からない。     ◇ 以上、18年知事選での内堀氏陣営のお金の動きを調べてみた。新聞記事などによると、内堀氏の政治資金パーティーは今年5月に久しぶりに開催されたようだ。また、9月21日付の福島民報によると、今回の知事選では「チャレンジ・ふくしま」という政治団体が新たに設立され、再び中川治男氏が代表に就いたという。選挙に向けて内堀氏がどのくらいのお金を集め、どのように使うのかは要注目だが、筆者がそれを調べられるのは選挙が終わってしばらく経った頃のことだろう。 また、今回紹介できたのは、選管に報告されたいわゆる「表の金」にすぎない。「裏の金」があるのかないのか、それがいくらなのかは分からない。県民の関心が高い知事選について、有力候補者である内堀氏にスポットライトを当てて調べたが、県内のほかの選挙についても同様のチェックは必要だと考えている。  まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。公式サイト「ウネリウネラ」。 https://uneriunera.com/

  • 【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

    【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

    現職議員に「買収疑惑」  2月に本誌編集部の電話が鳴った。 「前回(2019年4月)の市議選で当選した××(編集部注=現職議員の実名を挙げていたが、ここでは伏せる)の陣営が投開票日に日本酒の一升瓶を配っていた。今回の選挙でも同じことをするだろうから見張ってほしい」 2019年喜多方市議選投開票結果 当選十二村秀孝1402当選山口 和男1353当選坂内 鉄次1343故人当選山口 文章1274当選小島 雄一1243当選齋藤勘一郎1177当選菊地とも子1154当選小林 時夫1122当選渡部 一樹1121当選齋藤 仁一1107当選後藤 誠司1055当選五十嵐吉也1036当選佐藤 忠孝993当選渡部 勇一975当選佐原 正秀893当選長澤 勝幸884故人当選小澤  誠881引退見込み当選上野利一郎797当選矢吹 哲哉774当選伊藤 弘明722当選田中 雅人709引退見込み当選蛭川 靖弘709遠藤 吉正690補選で当選五十嵐裕和677関本美樹子521補選で当選小野木正英464  電話の主は声からすると中年の男性。公衆電話からかけていた。現職議員とその支持者の実名を挙げていた。かなり踏み込んだ内容も話していたが、真偽は不明。詳述すると現職議員が誰か特定され、不利益を被るおそれがあるので避ける。市議選が近いため、他陣営によるネガティブキャンペーンの可能性もある。疑惑の現職議員に直撃取材をしたいのはヤマヤマだが、情報提供はまだウワサの段階。選挙妨害を懸念し、取材は控えている状況だ。 任期満了に伴う喜多方市議選は4月16日告示、同23日投開票で行われる。2月6日に開かれた立候補予定者説明会では定数22に対し27陣営が出席し、選挙戦となる見通し(2月8日付福島民友より)。出席者全員が立候補すれば5人が落選する。 出席者は説明会の受け付け順に次の通り(敬称略)。 現職は、小林時夫(4期)、伊藤弘明(7期)、遠藤吉正(2期)、十二村秀孝(1期)、佐藤忠孝(6期)、渡部勇一(7期)、上野利一郎(2期)、齋藤勘一郎(6期)、佐原正秀(7期)、山口文章(1期)、齋藤仁一(8期)、蛭川靖弘(1期)、小島雄一(2期)、後藤誠司(4期)、菊地とも子(2期)、五十嵐吉也(5期)、関本美樹子(2期)、山口和男(11期)、渡部一樹(4期)、矢吹哲哉(3期)の20人。小澤誠(5期)と田中雅人(7期)は欠席したので不出馬の見込み。 新人は田沢徳、高畑孝一、小林賢治、渡部忠寛、田中修身、坂内まゆみ、渡部崇の7人。 電話の主は「前回の市議選で立候補者の支持者が一升瓶を配った」と言った。現職議員のうち、遠藤氏と関本氏は前回の市議選で落選し、昨年1月に行われた補選で返り咲いたため該当しない。 また、電話の主は「今回も配るだろうから政経東北に情報提供した」とも言った。小澤氏と田中氏は不出馬の見込みだから違う。本誌は実名を明かすことを控えるが、以上の事実から、残った現職18陣営のうちの1陣営が疑惑を掛けられていることがお分かりいただけるだろう。 喜多方市議の問題は今回が初めてではない。本誌昨年1月号「喜多方市議長『現金配布問題』の裏話」という記事では、当時の議長が2021年に行われた衆議院選挙期間中に同僚議員に現金を渡したことが公職選挙法に抵触する恐れがあるため議長を辞職した問題を報じた。明るみになった背景には会派内での内輪揉めがあった。同市議会が清廉潔白からは遠いことを示す事例だ。 本誌が今回の選挙戦に水を差してまで情報提供があったことを知らせるのは、候補者に公正な選挙運動を求めたいからだ。候補者本人だけでなく、支持者にも事実であれば猛省を促したい。

  • 〝不祥事連続〟楢葉町で行われていた「職員カンパ」

    〝不祥事連続〟楢葉町で行われていた「職員カンパ」

     楢葉町議会3月定例会の一般質問で、同町職員の不祥事が相次いでいる件についての質問が行われた。 2021年9月には、産業振興課職員が、会計業務を担当していた楢葉町土地改良区と楢葉町多面的機能広域活動保全会の通帳から、約3800万円を横領していたことが発覚した(※)。 昨年2月には、建設課職員が複数の指名競争入札で指名業者名や設計価格を漏洩したとして、公契約関係競売入札妨害及び官製談合防止法違反の容疑で逮捕、起訴された。 昨年4月には、政策企画課職員が退庁後、道路交通法違反(無免許運転)で現行犯逮捕された。 町では昨年9月、再発防止に向けた「職員・組織改善計画」を策定した。だが、同12月には、建設課職員が災害公営住宅の家賃管理システムを不正操作し、自分宅の家賃納付約127万円を免れていたことが発覚。もはや手の打ちようがない状況となっている。 3月定例会で注目されたのは、再発防止策と併せて、町議やマスコミに送付された「通報書」の真偽だった。前述・家賃管理システム不正操作について、「町が令和3年から隠蔽している」とする匿名の通報書が出回っていた(本誌2月号参照)。そのため、松本明平町議(1期)、結城政重町議(8期)が「通報書の内容は事実なのか」と追及した。 町執行部は「町役場には届いていないが、町議から見せてもらい中身は確認した。家賃管理システム不正操作に関しては、昨年12月に初めて分かったもので隠蔽していた事実はない。監査でも分からなかった」と答弁し、通報書の内容をあらためて否定した。そのうえで、「チェック体制を含め、不祥事が起きにくい仕組み作りを進めていく」と述べた。 差出人はあえて事実でない内容を記したのか、それとも町の方が事実を伏せているのか。いずれにしても、これだけ職員不祥事が連続し、こうした通報書が出されるのは異常だ。そのことを重く受け止め、職員の意識改革など具体的な対策を打ち出し、講じていく必要があろう。 気になるのは、同町役場の〝体質〟だ。町総務課への取材や町議会での過去のやり取りによると、2021年9月の公金横領の後には、町職員がカンパを集めていたという。 土地改良区などが元職員への訴訟を提起することになったのに加え、各種支払いもあったため、資金不足に陥った。そうした中、係長レベルの職員が中心となって、「会計業務を引き継いだのは同じ町職員。助け合おう」と呼びかけ、土地改良区などへのカンパを募った。1人約1万円を支払い、総額100万円になったようだ。 町総務課の担当者は「横領した元職員を支援する狙いは一切ない。横領された金額の穴埋めではなく、あくまで助け合い」と強調したが、職員不祥事の〝後始末〟を同僚の負担で行うのは疑問が残る。 町内の事情通はこう指摘する。 「不祥事の責任を取るべきは、町長であり、土地改良区理事長でもある松本幸英氏のはず。〝善意のカンパ〟で対応すれば責任の所在があいまいになるので、役場が止めるべきだったと思います。昨年12月の家賃管理システム不正操作については、町長は減給対象にすらなっていない。こうした責任をとらない体質が、役場内に〝ぬるま湯〟の空気を生み出しているのではないか」 本誌2月号記事では、神戸国際大学経済学部教授の中村智彦氏が「倫理教育を徹底し、不正行為に手を染めれば、その後の人生がどうなるのか、はっきり示すことが職員不祥事の再発防止において重要」と話していた。松本町長は職員不祥事の連鎖を断ち切ることができるのか、今後の対応が注目される。 ※元職員はその後、町と土地改良区から民事・刑事で訴えられ、土地改良区に4157万4684円(遅延損害金含む)、町に30万1309円の支払いを命じる判決が下された。ただ、未だに支払いは行われておらず、町は弁護士と対応を協議している。

  • 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

    桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

     本誌1月号に「桑折・福島蚕糸跡地から廃棄物出土 処理費用は契約者のいちいが負担」という記事を掲載した。 桑折町の中心部に、福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸)跡地の町有地がある。面積は約6㌶で、その活用法をめぐり商業施設の進出がウワサされたが、震災・原発事故後に災害公営住宅や公園が整備された。残りの土地を活用すべく、町は公募型プロポーザルを実施。2021年5月、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会が「最優秀者」に選ばれた。 食品スーパーとアウトドア施設、認定こども園が整備される計画で、定期借地権設定契約を締結、造成工事がスタートしていた。記事は、そんな同地から廃棄物が出土し、工事がストップしたことを報じたもの。福島蚕糸の前に操業していた群是製糸桑折工場のものである可能性が高いという。 その後、1月31日付の福島民友が詳細を報じ、〇深さ約30㌢に埋められていたこと、〇町は県やいちいと対応を協議し、アスベスト(石綿)を含む周辺の土ごと除去したこと、〇廃棄物は約1000㌧に上ること――が新たに分かった。 町議会3月定例会では斎藤松夫町議(12期)がこの件について町執行部を追及した。そこでのやり取りでこれまでの経緯が具体的になった。 最初に町が地中埋設物の存在を把握したのは昨年6月ごろで、詳細調査した結果、廃棄物であることが分かった。町がそのことを議会に報告したのは今年1月17日だった。。 そこで報告されたのは、処理費用が5300万円に上り、それを、いちいと町が折半して負担するという方針だった。 斎藤町議は「廃棄物に関しては、この間の定例会でも報告されず、『政経東北』の報道で初めて事実を知った。なぜここまで報告が遅れたのか」と執行部の対応を問題視した。 高橋宣博町長は「廃棄物が出た後にすぐ報告しても、結局その後の対応をどうするかという話になる。あらかじめ処理費用がどれだけかかるか確認し、業者と協議し、昨年暮れに話がまとまった。議会に説明する予定を立てていたところで『政経東北』の記事が出た。決して隠していたわけではない。方向性が定まらない中で説明するのは難しかった」と釈明。「今後、議会にはしっかりと説明していく」と述べた。 一方、プロポーザルの実施要領や契約書には、土地について不測の事態があった際も、事業者は町に損害賠償請求できない、と定められている。にもかかわらず、廃棄物処理費用を折半とする方針について、斎藤町議は「なぜ町が負担しなければならないのか。根拠なき支出ではないか」とただした。 これに対し高橋町長は「瑕疵がないとしていた土地から廃棄物が出ていたことに対しては、事業者(いちい)の考え方もある。信頼関係を構築し、落としどころを模索する中で合意に達した」と明かした。 斎藤町議は本誌取材に対し、「いちいに同情して後からいくらか寄付するなどの方法を取るならまだしも、プロポーザルの実施要領や契約書の内容を最初から無視して折半にするのは問題。根拠のない支出であり、住民監査請求の対象になっても不思議ではない」と指摘した。 福島蚕糸跡地の開発計画に関しては、公募型プロポーザルの決定過程、町の子ども子育て支援計画に反する民間の認定こども園整備について疑問の声が燻り続けている。斎藤町議は追及を続ける考えを示しており、今後の動向に注目が集まる。

  • 【鏡石町】遊水地で発生するポツンと一軒家

     国が鏡石町、玉川村、矢吹町で進めている阿武隈川遊水地計画。対象地域の住民は全面移転を余儀なくされるため、さまざまな不安が渦巻く。このため、鏡石町議会では「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げ、同事業の調査・研究を行っている。今年2月には同計画対象地域の隣接地の住民から議会に陳情書が提出され、同委員会で審議された。 取り残される世帯が議会に「陳情」  令和元年東日本台風被害を受け、国は「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を進めており、遊水地計画はその一環として整備されるもの。鏡石町、玉川村、矢吹町の3町村にまたがり、総面積は約350㌶、貯水量は1500万から2000万立方㍍。用地は全面買収し、対象地の9割ほどが農地、1割弱が宅地となっている。それらの住民は移転を余儀なくされる。計約150戸が対象で、内訳は鏡石町と玉川村が60〜70戸、矢吹町が約20戸。 住民からしたら、もうそこに住めないだけでなく、営農ができなくなるわけだから、「補償はどのくらいなのか」、「暮らしや生業はどうなるのか」といった不安がある。 中には、以前の本誌取材に「補償だけして『あとは自分で生活再建・営農再開してください』という形では納得できない。もし、そうなったら〝抵抗〟(立ち退き拒否)することも考えなければならない」と話す人もいたほど。 そのため、鏡石町議会では遊水地計画の調査・研究をしたり、国や町執行部に提言をしていくことを目的に、昨年6月に「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げた。委員は議長を除く全議員で、委員長には計画地の成田地区に住所がある吉田孝司議員が就いた。 3月10日に開かれた同委員会では、2月16日に計画対象区域の隣接地の住民から議会に出された陳情書について審議された。 陳情者は滝口孝行さんで、陳情内容はこうだ。 ○滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にある。洪水の危険性があるにもかかわらず、遊水地の事業範囲から除外されており、遊水池整備後も水害の心配が残る。 ○遊水地ができれば、自宅の目の前に高い塀(堤防=計画では最大6㍍)ができ、これまでの美しい田園風景が損なわれる。そのような場所で生活しなければならないのは大きなストレスになる。 こうした事情から、事業範囲を変更してほしい、すなわち「自分のところも計画地に加えるなどの対応をしてほしい」というのが陳情の趣旨である。 写真は同委員会の資料に本誌が注釈を加えたもの。  遊水地の対象地域のうち、真ん中よりやや上の左側が住宅密集地となっており、そこから100㍍ほど離れたところに滝口さんの自宅がある。これまでは「集落からちょっと離れた家」だったが、遊水地内の住宅が全面移転すると、〝ポツンと一軒家〟になってしまう。 加えて、遊水地は周囲堤で囲われるため、自宅の目の前に大きな壁ができることになる。「これまでの田園風景から一変し、そんなところで生活していたら、頭がおかしくなってしまいそう」というのが滝口さんの思いだ。 しかも、滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にあり、常に水害の危険がある。 国は追加の考えナシ 鏡石町成田地区  3月10日の委員会に参考人として出席した滝口さんの説明によると、令和元年東日本台風時の被害は「床下浸水だった」とのこと。 ただ、議員からは「『昭和61(1986)年8・5水害』の時は床下浸水だったところが、今回の水害ではほとんどが床上浸水だった。水害の規模はどんどん大きくなっているから、(滝口さんの自宅が)今回は床下浸水だったからといって、今後も安全とは限らない」として、滝口さんを救済すべきとの意見が出た。 遊水地の計画地である成田地区に自宅があり、同委員会委員長の吉田議員によると、「成田地区では以前からこの件が問題になっていた」という。すなわち、「滝口さんだけが取り残されるような形になるが、それでいいのか」ということが問題視されていたということだ。 実際、吉田議員は昨年10月21日に開かれた同委員会で、滝口さんの自宅の状況を説明し、「当人がどう考えているかを考慮しなければならない」と述べていた。 ただ、その時点では「直接、滝口さんの意向を聞きに行こうとしたところ、稲刈りなどの農繁期で忙しいため、すぐには難しいと言われ、いま(委員会開催時の昨年10月21日時点で)はまだ話を聞けていない」とのことだったが、「滝口さんのことも考える必要があると思っています」と述べていた。 その後、滝口さんから今回の陳情書が提出されたわけ。 実は、昨年10月21日の委員会には国土交通省福島河川国道事務所の担当者が出席していた。その際、滝口さんが取り残される問題に話が及んだが、福島河川国道事務所の担当者は「同地(滝口さんの自宅敷地)を計画地に追加する考えはない」と答弁していた。 1人の陳情では弱い  そうした経過もあってか、滝口さんの陳情の審議に当たっては、議員から「滝口さん1人(個人)の陳情では国の意向は変えられない。成田地区全体でこの件を問題視しているのであれば、成田地区の総意としてこういう意見がある、といった形にできないか」との意見が出た。 見解を求められた木賊正男町長は次のように答弁した。 「昨年6月の町長就任以降、説明会等での対象地域の皆さんの要望や、国との協議の中で、1世帯(滝口さん)だけが残るのは、町としても避けなければならないと考えていた。どんな手立てがあるのか検討していきたい」 最終的には、町として、あらためて成田行政区や今回の遊水地計画を受けて結成された地元協議会の意向を聞く、ということが確認され、滝口さんの陳情は継続審査とされた。 委員会後、滝口さんに話を聞くと次のように述べた。 「基本的には、陳情書(委員会で説明したこと)の通りで、私自身はそういったいろいろな不安を抱えているということです」 当然、国としては必要以上の用地を買い上げる理由はない。しかし、水害のリスクが残る場所で、1軒だけが取り残されるような形になるわけだから、町として何ができるかを考えていく必要があろう。 もう1つ付け加えると、原発事故の区域分けの際も感じたが、「机上の線引き」が対象住民の分断を招いたり、大きなストレスを与えることを国は認識すべきだ。

  • 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま【三島町・金山町・昭和村・只見町】

    【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。県内では、合併したところ、単独の道を選択したところ、合併を模索したもののまとまらなかったところと、さまざまある中、本誌ではシリーズで合併しなかった市町村の現状を取り上げている。今回は、人口減少や高齢化率の上昇が大きな課題となっている奥会津編。(末永) 人口減・高齢化率上昇が課題の三島・金山・昭和  「奥会津」は正式な地名ではなく、明確な定義があるわけではない。ただ、観光面などでの広域連携の中でそうした表現が使われている。主に会津南西部を指す。 只見川・伊南川流域の町村で構成される「只見川電源流域振興協議会」が発行したパンフレット「歳時記の郷 奥会津の旅」には次のように記されている。 《「奥会津」は、福島県南西部に位置する只見川流域、伊南川流域の7町村「柳津町」「三島町」「金山町」「昭和村」「只見町」「南会津町」「檜枝岐村」の総称です》 柳津町は河沼郡、三島町、金山町、昭和村は大沼郡、只見町、南会津町、檜枝岐村は南会津郡と3つの郡にまたがる。今回は、そのうち大沼郡の三島町、金山町、昭和村と南会津郡の只見町の現状を取材した。 「平成の大合併」の際、三島町、金山町、昭和村の3町村は、河沼郡の会津坂下町、柳津町との郡をまたいだ合併案があった。当時の合併に関する研究会のメンバーだった関係者はこう述懐する。 「県会津地方振興局の勧めもあって5町村で合併について話し合うことになりました。当時の5町村長は基本的には合併もあり得るとの考えだったように思います。理由は、国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らすとの方針で、将来的な財政の裏付けがなかったことです」 当時の5町村の人口(2005年1月1日時点)は、会津坂下町約1万8600人、柳津町約4400人、三島町約2300人、金山町約2900人、昭和村約1600人で、計約2万9800人。合併後の新市移行の条件である「人口3万人」にギリギリ届いていなかったが、「振興局の担当者は『市になれると思う』とのことだった」(前出の関係者)という。 「人口比率から言っても、中心になるのは会津坂下町だが、そこに役場(市役所)が置かれるとして、金山町、昭和村からはかなり遠くなります。加えて、当時の会津坂下町は財政状況が良くなかったため、(ほかの4町村の住民・関係者は)会津坂下町にいろいろと吸い上げられてしまう、といった思いもありました。そんな中で、(会津坂下町を除いた)柳津町、三島町、金山町、昭和村の4町村での合併案も出たが、結局はどれもまとまりませんでした。住民の多くも合併を望んでいなかった、ということもあります」 一方で、南会津郡は、2006年3月に、田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して南会津町が誕生した。それに先立ち、下郷町、只見町、檜枝岐村を含めた南会津郡7町村で研究会が立ち上げられ、合併に向けた調査・研究を行っていた。そこから、正式な合併協議会に移行する際、下郷町、只見町、檜枝岐村は参加しなかった経緯がある。 当時のことを知る只見町の関係者はこう話す。 「田子倉ダム(電源立地地域対策交付金)があるから、という事情もあったと思いますが、それよりも『昭和の大合併』の後遺症のようなものが残っており、只見町は最初から前向きでなかった」 只見町は、いわゆる「昭和の大合併」で誕生した。1955(昭和30)年に只見村と明和村が合併し、その4年後の1959(昭和34)年に朝日村が編入して、只見町になった。「平成の大合併」議論が出たころは、それから50年ほどが経っていたが、その後遺症が残っていたというのだ。 「一例を挙げると、只見地区(旧只見村)には町役場の中心的機能、明和地区(旧明和村)には温浴施設、朝日地区(旧朝日村)には診療所という具合に、1つの地区に何かを設けるとすると、残りの2地区には何らかの代わりの手当てをする、といった手法でないと、物事が進まないような状況なのです。これでは行政運営のうえで、あまりにも効率が悪い」(同) それは「平成の大合併」議論から十数年(「昭和の大合併」から60年以上)が経ったいまも変わっていないという。 その際たる例が役場庁舎の問題。同町の本庁舎は、只見町誕生の翌年(1960年)に建てられ、老朽化が進んでいた。2008年度に実施した耐震診断の結果、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があるCランクと診断された。 そこで、目黒吉久元町長時代の2011年に「只見町役場庁舎建設基本計画」が策定され、新庁舎建設計画が進められた。ただ、実現させることができず、目黒町長はその責任を取る形で、2016年12月に2期目の任期満了で退任した。 この後を受けた菅家三雄前町長は、「暫定移転」として、中学校合併によって空いた旧只見中学校に、議会、総務課、農林建設課、教育委員会などの役場の中心的な機能を移転し、「町下庁舎」とした。そのほかの部署は、駅前庁舎とあさひヶ丘庁舎に分散する形になった。この暫定移転が完了したのが2018年で、これに伴い、旧庁舎は解体された。 ただ、この暫定庁舎(分散庁舎)は、町民や観光客などから、「必要な部署(用事がある部署)がどこにあるのか分かりにくい」として不評だった。 一方で、一部町民からは「新しい役場庁舎ができても、町民生活には何の恩恵もない。そんな生産性のないものに多額のお金をかけるべきではない。いまのまま(暫定庁舎)で十分」、「暫定庁舎の整備には5億円以上の費用がかかっている。そのうえ、さらに新しい庁舎を建てるのは、税金の無駄遣いだ」といった声が出た。とりわけ、明和地区、朝日地区では、そうした意見が多いという。 このほか、現在、同町では道の駅整備計画が進められているが、同事業でも「(旧3村の)どこにつくるか」が最大のポイントになっていた。「合併前の旧3村の感情論が絡みなかなか物事が進まない」というのはこういったことを指している。 「平成の大合併」では、核となる市があって、そこに近隣町村が〝編入〟した(形式上は対等合併でも実質的にそうなったものも含む)パターンと、同規模町村が合併して市になったパターンの大きく2つに分けられる。その中でも、後者は「均衡ある発展」を掲げ、その結果、分散型の行政組織や財政運用になった。 それが良いか悪いかは別にして、只見町は「昭和の大合併」以降、そうした状況が続いているというのだ。そんな事情から「平成の大合併」議論が出た際、住民・関係者は拒否反応を示し、南会津郡の合併に参加しなかったわけ。 こうして、三島町、金山町、昭和村、只見町は合併せず単独の道を歩むことになった。 さて、ここからは過去のシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表された4町村の各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 三島町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度6・8012・6318・5103・80・162008年度8・6713・8917・868・70・152009年度10・2812・1915・644・90・132010年度――――13・01・80・122011年度――――11・2――0・122012年度――――9・6――0・122013年度――――7・9――0・122014年度――――6・1――0・132015年度――――4・2――0・132016年度――――3・1――0・142017年度――――2・8――0・142018年度――――3・5――0・152019年度――――4・1――0・152020年度――――4・8――0・15※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 金山町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・826・0720・782・30・242008年度3・667・6618・755・70・232009年度3・907・7915・527・90・232010年度2・970・8311・621・30・222011年度――――8・5――0・212012年度――――6・1――0・202013年度――――4・4――0・202014年度――――3・5――0・202015年度――――2・9――0・222016年度――――3・2――0・232017年度――――3・6――0・232018年度――――4・1――0・232019年度――――4・5――0・242020年度――――4・4――0・24※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 昭和村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度1・323・9415・110・60・112008年度4・078・5813・5――0・112009年度2・877・0011・4――0・102010年度――――10・5――0・092011年度――――9・7――0・092012年度――――8・0――0・082013年度――――6・7――0・082014年度――――5・0――0・082015年度――――4・4――0・092016年度――――3・7――0・092017年度――――3・7――0・092018年度――――4・4――0・092019年度――――5・3――0・102020年度――――5・9――0・10※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 只見町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度2・245・1112・816・10・312008年度8・2111・2611・326・10・302009年度3・595・639・6――0・292010年度――――6・8――0・282011年度――――5・0――0・272012年度――――3・9――0・252013年度――――3・7――0・252014年度――――3・5――0・252015年度――――2・9――0・252016年度――――3・1――0・252017年度――――3・2――0・252018年度――――3・2――0・252019年度――――3・0――0・252020年度――――3・0――0・25※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%。昭和村は5・9%で全国平均を0・2ポイント上回っているが、ほかの3町村はいずれも全国平均を下回っている。推移を見ると、いずれもここ数年は最も良かったころからは多少比率が上がってはいるものの、単独を決めたころから比べると、だいぶ良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、4町村はいずれもそれに当てはまる。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。一方で、4町村とも財政力指数は低い。 4町村長に聞く  4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 矢澤源成三島町長  当時、三位一体の改革の下、財政基盤の強化、行政運営の効率化のため合併が進められたが、その後、地方創生総合戦略や東京一極集中是正の流れから、地域の特性を生かした地域づくりに財源が配分され、合併以前の状況とは異なるが、将来に向けては財政基盤がぜい弱な小規模自治体では不安がある。将来人口推計よりも早く、少子化、人口減少が進行しているが、再生可能エネルギーや地域資源を生かした経済循環とDXの推進等持続可能な地域づくりを進めることにより、財政基盤の強化や行政運営の効率化に繋がるものと考えている。 押部源二郎金山町長  財政状況については、実質公債費比率が健全な状況にあり、適切な状態を維持していると考えている。財政基盤強化については、総人件費と町債の抑制により安定的な財政基盤の確保に努めてきた。行政運営の効率化においても社会情勢の変化に即応した体制や効率化を図っており、今後も状況に応じた対応に努めていく。 舟木幸一昭和村長  本村は自主財源が乏しく、地方交付税を始めとする依存財源に頼らざるを得ない状況にあるので、歳出面では人件費や物件費、維持補修費や補助費などの見直しを図るとともに、村の振興を進めるため昭和村振興計画の実施計画を策定し、事業の平準化なども行ってきた。歳入面では財源確保として、積極的に国や県の補助金を活用するとともに、村債は後年度の償還に有利な過疎対策事業債を起債するなど工夫してきたことから、余剰金については財政調整基金や目的基金に積み立て、後年度負担すべき財源の確保に努めてきた。このことにより、財政健全化法が施行された2007年度から連続して健全財政を維持している。 職員数については、5年ごとに定員管理計画を定め、条例定数61人に対し定員50人を維持している。また、いわゆる団塊の世代の退職後は、職員の平均年齢が県内でも比較的若い状況であることから、ラスパイレス指数が低い状況となっている。 本村は、今後の人口減少を緩やかにしていくため、様々なアイデアを駆使し、移住・定住人口の確保に努めているが、今後想定される公共施設やインフラ設備の補修・改修などの大規模な財政支出により、財政を取り巻く状況は決して楽観できない状態が続くと予想される。今後も、これまでの堅実な財政運営を維持しつつ、産業の振興や移住・定住施策を進めるとともに、新たな試みにも果敢にチャレンジしながら、より一層、村の振興を進めていく。 渡部勇夫只見町長  「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」は合併の目的の大きな柱の1つであると理解している。同時にもう1つの大きな柱である「まちづくり」の方針(構想)も欠くことのできない点だと理解している。当町の財政状況は厳しい環境にあると認識しているので、「まちづくり」により一層力を注ぎながら取り組んでいく。 非合併の影響は軽微  前段で、三島町、金山町、昭和村の3町村は、会津坂下町、柳津町との合併話があり、その研究会関係者の「国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らす方針で、将来的な財政の裏付けがないから、当時の5町村長は合併もあり得ると考えていた」とのコメントを紹介した。 実際、過去のこのシリーズでは合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物のこんな声を紹介した。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、「合併するしか道はない」と考えたようだ。 一方で、シリーズ4回目の「東白川郡」では、「合併しない宣言」で知られる矢祭町の状況をリポートした。同町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決した。言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。そのため、国による締め付け等があったのではないかと思い、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 さらに、「合併しない宣言」後の大部分(2007年〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にもそれほど厳しいということはなかった」 矢祭町の現・前町長の言葉からも分かるように、当時の関係者が危惧したような状況にはなっていない。今回の奥会津4町村についても、決して財政的に豊かではないが、少なくとも著しく住民サービスが劣ったり、行政運営ができない状況には陥っていない。当然、そこには各町村の努力もあるだろうが。 一方、奥会津で合併した南会津町の合併前の旧町村の予算規模(2004年度当初予算=福島民報社の『民報年鑑』より)は次の通り。 田島町▽65億9200万円 舘岩村▽28億4700万円 伊南村▽22億5200万円 南郷村▽25億円 合わせると141億9100万円になる。これに対し、合併後の南会津町の2022年度の当初予算額は126億3400万円。 以前、合併しなかった自治体の役場関係者はこう話していた。 「例えば、うちの自治体だと年間約30億円の予算が組まれる。それが合併したら、この地区(合併前の旧自治体の域内)に30億円分の予算が投じられることはまず考えられない。そういった点からも、合併すべきではないと考えている」 つまりは、合併後の核になる旧自治体は別として、単独の方がそこに投じられる予算が大きいから、住民にとってもその方がいい、ということだ。「なるほど」と思わされる見解と言えよう。 住民に聞いても、「合併しなくて良かった」との声が多かった。 「合併しなくてよかったと感じる。独自のまちづくりができるわけだから」(金山町民) 「結論から言えば合併しなくてよかった。この辺りは、『平成23(2011)年新潟・福島豪雨』で大きな被害を受けたが、水害対応にしても、只見線復旧にしても、町と意思疎通が図りやすいし、(水害の問題で)裁判などを起こす際にも動きやすい面はあったからね」(金山町民) 「合併しなくて良かったと断言できる。合併すれば役場は遠くに持って行かれ、昭和村にはせいぜい10人ほどの職員がいる支所が置かれる程度だったに違いない。その分、サービスは悪くなるし、住民の声が届きにくくなる。いま村では、カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から30代の夫婦が来ている。新聞でもよく取り上げられ、成功していると言っていい。これは合併していたらできなかった。あとは(会津美里町と昭和村を結ぶ国道401号の)博士トンネルが2023年度に開通することになっており、これができれば人の動きも出てくるだろう」(昭和村民) 「合併すると、どうしても旧町村間の感情論で、『あそこ(中心部)だけいろいろな施設ができて、ほかは何もできない』といった問題が出てくる。そういった意味でも、合併しなくて良かったのではないか。現状、余裕がないながらも、特に不便なく存続できているわけだから。それが一番だと思いますよ」(只見町民) 最大の課題は人口減少  一方で、大きな課題になっているのが人口減少と高齢化率の上昇だ。別表は4町村と奥会津地区で合併した南会津町の人口の推移をまとめたもの。各町村とも「平成の大合併」議論のころから3〜4割の減少になっている。もっとも、南会津町の例を見ても分かるように、合併してもしなくても、その傾向に大差はない。もし、合併して「市」になっていたとしてもこの流れは変えられなかった。 さらに、県が昨年の敬老の日(9月19日)に合わせて、9月18日に発表したデータによると、昨年8月1日時点の県総人口は179万3522人で、このうち65歳以上は57万8120人、高齢化率は32・9%(前年比0・4ポイント上昇)だった。 市町村別の高齢化率は、①飯舘村68・6%、②金山町61・9%、③昭和村55・4%、④三島町55・1%、⑤川内村52・5%と続く。上位5つのうち、奥会津の3町村が入っている。ちなみに、飯舘村と川内村は原発事故の避難指示区域に指定され、避難指示解除後に戻ったのは高齢者が多いという特殊事情がある。 昭和村の社会動態は増加  人口減少・高齢化問題について、4町村長に見解を求めた。 矢澤源成三島町長  人口減少と高齢化対策は、日本全体の課題であり、当町のような地方自治体は最も進行している地域であることから、対策のモデル地域となり得るが、雇用や働き方改革、結婚・子育て支援、住環境、教育支援等、社会全体で取り組む必要があると考える。 押部源二郎金山町長  人口減少と高齢化は町の最重要課題である。少子高齢化に伴う人口減少に特効薬はないが、引き続き移住・定住対策、交流人口の増加に力を入れていきたい。 舟木幸一昭和村長  出生と死亡の差は歴然としており、人口減少に大きな影響を与えているが、総務省による2022年の住民基本台帳人口移動報告では9人の転入超過、過去5年間の合計でも20人の転入超過となっているように、自然減を社会増で補おうとしているところ。1994年度から続く「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住が社会増に寄与しており、新年度からは新たに、本村が所有者から空き家を借り上げてリフォームし、就農希望者等の住居として貸し出す「移住定住促進空き家利活用事業」を立ち上げ、集落活性化に繋げていきたい。※高齢化率は約55%で、近年大きな変動はない。 渡部勇夫只見町長  非常に大きな課題だと認識している。町の魅力向上とともに関係人口の拡大に向けた事業に取り組んでいきたい。 前段で、昭和村民の「カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から移住してくるなど成功している。これは合併していたらできなかった」との声を紹介した。舟木村長のコメントでも、「自然動態では人口は減少しているが、社会動態ではプラスになっている」という。その要因として、「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住を挙げており、同村の事例を見ると、やれることはあるということだ。 このほか、同地域の住民はこんな意見を述べた。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 このシリーズの第1回の桑折町・国見町、第2回の大玉村、第4回の西郷村は、県内でも条件がいい町村だった。そのため、「合併する必要がない」といったスタンスだった。その点でいうと、今回の奥会津の4町村は条件的には厳しく、それら町村とは違う。一方で、人口規模が小さいがゆえの小回りが利くことを生かした思い切った仕掛けをすることも可能になる。そういった創意工夫が求められよう。

  • 【田村市百条委】呆れた報告書の中身

    【田村市百条委】呆れた報告書の中身

     田村市が建設を計画している新病院の施工予定者が、白石高司市長によって鹿島建設から安藤ハザマに覆された問題。その経緯等を究明するため市議会内に設置された百条委員会は3月10日、調査結果をまとめた報告書を提出した。しかし、その中身は究明と呼ぶには程遠いもので、市民からは「百条委を設置した意味があったのか」と疑問視する声も上がっている。 「嫌がらせの設置」に専門家が警鐘 新病院予定地  この問題は本誌昨年12月号、今年2月号でリポートしている。 市立たむら市民病院の後継施設を建設するため、市は施工予定者選定プロポーザルを行い、市幹部職員など7人でつくる選定委員会は審査の結果、プロポーザルに応募した清水建設、鹿島建設、安藤ハザマの中から最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマを選んだ。 しかし、この選定に納得しなかった白石市長は最優秀提案者に安藤ハザマ、次点者に鹿島と、選定委員会の結果を覆す決定をした。 白石高司市長  この変更は当初伏せられ、マスコミ等には「最優秀提案者は安藤ハザマ」とだけ伝えられた。しかし、次第に「実際は鹿島だった」との事実が知れ渡ると、一部議員が「選定委員会が鹿島と決めたのに市長の独断で安藤ハザマに覆すのはおかしい」と猛反発。昨年10月、真相究明のため、地方自治法100条に基づく調査特別委員会(百条委員会)の設置が賛成多数で可決された。 田村市議会の定数は18。百条委設置の賛否は別掲①の通りで、大橋幹一議長(4期)は採決に加わらなかった。賛否の顔ぶれを見ると、賛成した議員は1期生を除いて2021年の市長選で白石氏に敗れた当時現職の本田仁一氏を支援し(半谷議員は白石氏を支援)、反対した議員は白石氏を支える市長派という色分けになる。 賛成(9人)反対(8人)石井 忠治(6期)猪瀬  明(6期)半谷 理孝(6期)橋本 紀一(6期)大和田 博(5期)石井 忠重(2期)菊地 武司(5期)佐藤 重実(2期)吉田 文夫(4期)二瓶恵美子(2期)安瀬 信一(3期)大河原孝志(1期)遠藤 雄一(3期)蒲生 康博(1期)渡辺 照雄(3期)吉田 一雄(1期)管野 公治(1期)  この時点で、百条委は「白石市長への意趣返し」と見られても仕方がない状況に置かれたが、賛成した9議員には同情する余地もあったことを付記しておく。9議員は双方から委員を出さないと調査の公平・公正性が保てないとして、8議員に百条委委員の就任を打診したが「市長を調査するのは本意ではない」と拒否されたため、委員は別掲②の顔ぶれにならざるを得なくなったのだ。 ② 百条委の構成石井 忠治(委員長)安瀬 信一(副委員長)管野 公治遠藤 雄一吉田 文夫菊地 武司半谷 理孝渡辺 照雄  そんな百条委が目指したのは「白石市長が独断で安藤ハザマに覆した理由は何か」を暴くことだった。 実は、白石市長は当初、守秘義務があるとして変更理由を明かそうとしなかった。それが「何か隠しているのではないか」と憶測を呼び「疑惑の追及には百条委を設置するしかない」とのムードにつながった。 ところが百条委設置が可決される直前に、ようやく白石市長が「安藤ハザマの方が鹿島より施工金額が安く、地域貢献度も高かった」と説明。「安藤ハザマと裏で個人的につながっているのではないか」と疑っていた9議員は拍子抜けしたものの、拳を振り上げた手前、百条委設置に突き進むしかなくなったのだ。 2月号でもリポートした百条委による白石市長への証人喚問では、安藤ハザマに覆した理由が更に詳細に語られた。具体的には①安藤ハザマの方が鹿島より工事費が3300万円安かった、②安藤ハザマの方が鹿島より地元発注が14億円多かった、③選定委員7人による採点の合計点数は鹿島1位、安藤ハザマ2位だったが、7人の採点を個別に見ると4人が安藤ハザマ1位、3人が鹿島1位だった、④市民や議会から、なぜ安藤ハザマに変更したのかと問われたら「①~③の客観的事実に基づいて変更した」と答えられるが、なぜ鹿島に決めたのかと問われたら客観的事実がないので説明できない。 本誌は先月号に白石市長の市政インタビューを掲載したが、白石市長はこの時の取材でも安藤ハザマに変更した正当性をこう話していた。 「選定委員の採点を個別に見たら7人のうち4人が安藤ハザマに高い点数を付けていた。多数決で言えば4対3なので、本来なら安藤ハザマが選ばれなければならないのに、なぜか話し合いで鹿島に変わった。客観的事実に基づけば、安藤ハザマに決まるべきものが決まらなかったのは不可解。だから、選定委員会は鹿島としたが、私は市長として、市民に有益な安藤ハザマに変更した。何より動かし難いのは、工事費が安く地域貢献度は14億円も差があったことです。市民のために施工者を変更しただけなのに、なぜ問題視されなければならないのか」 白石市長は言葉の端々に、百条委が設置されたことへの違和感と、自分は間違ったことをしていないという信念を滲ませていた。 当初から設置の意義が薄れていた百条委だが、それでも昨年10月に設置されて以降10回開催され、その間には選定委員を務めた市幹部職員3人、一般職員4人、白石市長に対する証人喚問を行ったり、市に記録や資料の提出を求めるなどした。こうした調査を経て今年3月10日、市議会に「調査結果報告書」が提出されたが、その中身は案の定、真相究明には程遠い内容だった。 以下、報告書の「総括」「結論」という項目から抜粋する。 《選定委員会の決定によることなく最終決定するのであれば、選定委員会における審査方法(審査過程)などは全く必用とせず、白石市長が最高責任者として何事も決定すればよいこととなり、公平、公正など名ばかりで、職権を乱用するが如く、白石市長の思いの中で物事がすべて決定されてしまう》 《白石市長の最終決定には「施工予定者選定公募型プロポーザルの公告第35号」で、広く施工予定者を公募した際に、最優秀提案者の選定方法を示した「選定委員会において技術提案及びプレゼンテーション等を総合的に審査し、最も評価の高い提案者を最優秀提案者に選定する」とした選定方法が反映されておらず、このことは、公募に応じて参加した各参加事業者に対して、結果として偽った(嘘をついた)選定方法で最終決定がなされたこととなり、参加事業者に対する裏切り行為と言われても弁明の余地がない》 《議会への事実説明の遅れは、白石市長が選定委員会の選定結果を覆した事実を伏せたい(隠したい)との考えが、根底にあった》 《選定委員会の結果を最終的に覆した(中略)今回の対応は「そうせざるをえない何らかの特別な理由が白石市長にあったのではないか」と疑われても仕方のない行動であり、このような行動は置かれている立場を最大限に利用した「職権の乱用」と言わざるをえない》 あまりに不十分な検証 百条委の報告書  そのうえで、報告書は「白石市長の一連の行動に対し猛省を促す」と指摘したが、一方で「告発する状況にはない」と結論付けた。要するに法的な問題は見られなかったが、白石市長のやり方は独善的で、強く反省を求めるとしたわけ。 この結果に、なるほどと思う人はどれくらいいるだろうか。 特に違和感を覚えるのは、せっかく行った証人喚問でどのような事実が判明し、どこに問題があったのかが一切触れられていないことだ。これでは各証人からどのような証言を得られたか分からず、白石市長の証言と照らし合わせて誰の言い分に妥当性があるのか、報告書を見た第三者の視点から検証できない。そもそも、百条委が妥当性を検証したかどうかの形跡も一切読み取れない。 市幹部職員以外の選定委員(有識者)4人を証人喚問しなかったことも疑問だ。市幹部職員3人だけでなく彼らの見解も聞かなければ、選定委員会が鹿島に決めた妥当性を検証できないのに、それをしなかったのは、白石市長が安藤ハザマに決めた妥当性を検証する気がない証拠と言われても仕方がない。 挙げ句、前記抜粋を見ても分かるように「白石市長憎し」とも取れる言葉があちこちに散見される始末。これでは真相究明に努めたというより「やっぱり意趣返しか」との印象が拭えない。市内には白石市長の市政運営に批判的な人もいるわけで、百条委はその人たちの期待に応える役割もあったはずだ。 ある議員によると、報告書は市議会に提出される10分前に全議員に配られ、その後、内容に対する質疑応答に入ったため、中身を吟味する余裕がないまま質問せざるを得なかったという。「せめて前日に内容を確認させてもらわないと突っ込んだ質問ができない。中身が薄いから吟味させたくなかったのではないか」(同)との指摘はもっともだ。 報告書に対する不満は、意外にも一部の百条委委員からも聞かれた。委員ですら報告書の中身を見たのは提出当日で「報告書に書かれていることは委員の総意ではない」との声すらあった。百条委は報告書の提出をもって解散されたが、委員の中には「年度をまたいでも調査を続けるべきだ」と百条委の継続を求める意見もあった。委員たちは反市長という点では一致していたが、一枚岩ではなかったようだ。 薄れた設置の意義 期待に応えられなかった百条委  百条委委員長を務めた石井忠治議員に報告書に関する疑問をぶつけると、率直な意見を述べた。   ×  ×  ×  × ――正直、報告書は中途半端だ。 「百条委設置の直前になって、白石市長が(安藤ハザマに変更した)理由を話し出した。今まで散々質しても言わなかったのに、このタイミングで言うかというのが正直な思いだった。おかげで百条委は、スタート時点で意義が薄れた。ただ、安藤ハザマと何らかのつながりがあるのではないかというウワサはあったので、調査が始まった」 ――で、調査の結果は? 「ウワサを裏付けるものは見つからなかった。そうなると、有識者も招いてつくった選定委員会が鹿島に決めたのに、白石市長の独断で覆すのはいかがなものかという部分に焦点を当てるしかなくなった。そうした中、こちらが白石市長の独断を厳しく批判し、白石市長が間違ったことはしていないと言い張る平行線の状況をつくったことは、見ている人に議論が噛み合っていないと映ったはずで、そこは反省しなければならない。ただ、プロポーザルを公募した際、3社には『最も評価の高い提案者を最優秀提案者に選定する』と示したわけだから、それを白石市長の独断で覆したことは明確なルール違反だと思う」 ――百条委設置から報告書提出までの5カ月間は何だったのか。 「そもそも新病院建設は前市長時代に計画されたが、白石市長が『第三者委員会で検証する』という選挙公約を掲げた。そして市長就任後、第三者委員会ではなく幹部職員による検証が半年かけて行われ、建設すべきという結論が出された。その結論自体に異論はないが、計画を半年遅らせた結果、資材や物価が高騰し事業費が膨らんだのは事実で、そこは責任を問われてしかるべきだ」 ――有識者の選定委員4人に証人喚問を行わなかったのはなぜ? 「行う準備はしていた。ただ、白石市長が安藤ハザマに変更した際、市幹部職員がそのことを有識者の選定委員に伝えると『市長がそう言うなら仕方がない』と変更を受け入れたというのです。もし『それはおかしい』と言う人がいたら、その人を証人喚問に呼んでおかしいと思う理由を尋ねるつもりだったが、全員が受け入れた以上、呼び出して意見を求めても意味がないと判断した」 ――報告書は誰が作成したのか。 「委員長の私、副委員長の安瀬信一議員、議会事務局長と職員、総務課長で協議して作成した。他の委員には内容について一任を取り付け、その代わり報告書に盛り込んでほしいことを各自から聞き取りした」 ――議員からは、報告書を吟味する暇もなく質疑応答に入ったため、事前に内容を確認させてほしかったという声があった。 「前日に報告書を配布することも考えたが、検討した結果、当日ギリギリになった。質疑応答について言わせてもらえば、百条委設置に反対した議員は委員就任を拒んだのだから、彼らには報告書に意見を述べる資格はない。もし意見があるなら委員に就任し、百条委内で堂々と言うべきだった。それもせずに『偏った調査だ』などと批判するのは筋が通らない。とはいえ傍聴者もいる中で何も述べさせないわけにはいかないので、質問は受け付けるけど意見は聞かないことで質疑応答に臨んだ」 ――百条委委員の中にも、報告書を提出して解散ではなく、引き続き調査を行うべきという声があった。 「それをしてしまうと、ただでさえ遅れている新病院建設はさらに遅れ、市民に不利益になる。新病院の工事費はプロポーザルの時点では四十数億円だったが、資材や燃料などの高騰で60億円になるのではないかという話が既に出ている。これ以上遅らせることは避けるべきだ」   ×  ×  ×  × 石井議員の話からは、でき得る範囲の調査で白石市長に「そのやり方は間違っている」と気付かせ、反省を促そうとした苦労が垣間見えた。ただ、百条委設置の意義が薄れたことを認めているように、47万円余の税金(調査経費)を使って5カ月も調査し、成果が得られたかというと疑問。これならわざわざ百条委を設置しなくても、それ以外の議会の権限で対応できたはずだ。 地方自治論が専門の今井照・地方自治総合研究所主任研究員は百条委のあるべき姿をこう解説する。 「百条委は検査、監査、参考人、公聴会、有識者への調査依頼など通常の議会の仕組みでは調査が難しい案件について執行機関以外の関係者や団体等に出頭、証言、記録の提出を半ば強制的に求める必要がある時に設置されます。例えば未確認情報があり、それを百条委の場で明らかにすることができれば目的達成と言っていいと思います」 「品位を落としかねない」 今井照・地方自治総合研究所主任研究員  この解説に照らし合わせると、市役所にしか証人喚問や記録の提出を求めず、未確認情報を明らかにできなかった今回の百条委は設置されるべきではなかったことになる。 「検査や監査など議会が備えている機能にも強い権限はあるので、そこで解決できるものは解決した方がいい。その中で違法行為が確認できれば、告発することも可能な場合があるのではないか」(同) そのうえで、今井氏はこのように警鐘を鳴らす。 「百条委は時に嫌がらせに近いものも散見されるが、そういう目的で設置するのは議会の品位を落としかねないので注意すべきだ」(同) 筆者は、白石市長が100%正しいと言うつもりはなく、反省する部分もあったと思うが、報告書に書かれていた「猛省」は百条委にも求められるということだろう。 白石市長に報告書を読んだ感想を求めると、こうコメントした。 「調査の趣旨は『市長から十分な説明を得られなかったため』だが、報告書には私が証言した具体的な経緯や事実、判断に至った理由について記載がなかった。今回の判断は市の財政負担や地域経済への影響を私なりに分析した結果だが、最も重要なのは2025年5月の移転開院に向けて事業を進めることなので、議会の理解を得ながら取り組みたい」 今後のスケジュールは、早ければ6月定例会に安藤ハザマとの正式契約に関する議案が提出され、議会から議決を得られれば契約締結、工事着手となる見通しだ。

  • 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

    区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

     選挙区の変更に翻弄されたり、陰で「もう辞めるべきだ」と囁かれている県内衆院議員たち。その最新動向を追った。 新3区支部長は菅家氏、上杉氏は比例単独へ 森山氏と並んで取材に応じる菅家氏(右)と上杉氏(左)=3月21日の党県連大会  衆院区割り改定を受け、県南地方の一部(旧3区)と会津全域(旧4区)が一つになった新3区。この新しい選挙区で自民党から立候補を目指していたのが、旧3区で活動する上杉謙太郎氏(47)=2期、比例東北=と、旧4区を地盤とする菅家一郎氏(67)=4期、比例東北=だ。 次期衆院選の公認候補予定者となる新3区の支部長について、党本部は「勝てる候補者を擁立する」という方針のもと、上杉氏と菅家氏が共に比例復活当選だったこと、県内の意向調査で両氏を推す声が交錯していたことなどを理由に選定を先延ばししてきた。一方、中央筋から伝わっていたのは、党本部は上杉氏を据えたい意向だが、両氏が所属する派閥(清和政策研究会)は菅家氏を推しているというものだった。 選定の行方が注目されていた中、党本部は3月14日、新3区の支部長に菅家氏を選び、上杉氏は県衆院比例区支部長として次期衆院選の比例東北で名簿上位の優遇措置が取られることが決まった。 森山裕選対委員長は、菅家氏を選んだ理由を「主な地盤が会津だったから」と説明した。県南と比べ会津の方が有権者数が多いことが判断基準になったという。 本誌は1月号の記事で、上杉氏は新3区から立候補したいが菅家氏に遠慮していると指摘。併せて「菅家氏は会津若松市長を3期務めたのに小熊慎司氏に選挙区で負けており、支部長に相応しくない」という上杉支持者の声を紹介した。 それだけに上杉支持者は今回の選定に落胆しているかと思ったが、意外にも冷静な分析をしていた。 「有権者数を比べれば、県南(白河市、西白河郡、東白川郡)より会津の方が多いので、菅家氏が選ばれるのは妥当です。上杉氏がいきなり会津に行っても得票できないでしょうからね」(ある支持者) そう話す支持者が見据えていたのは、負ける確率が高い「次」ではなく「次の次」だった。 「菅家氏は次の衆院選で相当苦戦するでしょう。小熊氏と毎回接戦を演じているところに、県南の一部が入ることで玄葉光一郎氏の応援がプラスされる。今回の選定は、党本部が『菅家氏が選挙区で負けても、上杉氏が比例で当選すれば御の字』と考えた結果と捉えています」(同) そこまで言い切る理由は、両氏に対し、一方が小選挙区、もう一方が比例単独で立候補し、次の選挙では立場を入れ替えるコスタリカ方式を導入しなかったことにある。 「コスタリカを組むと、選挙区に回った候補者が負けた場合、比例に回った候補者は『オマエが一生懸命やらなかったから(選挙区の候補者が)負けた』と厳しく批判され、次に選挙区から出る際のマイナス材料になってしまう」(同) 上杉氏は次の衆院選で、菅家氏のために一生懸命汗をかくことになるが、その結果、菅家氏が負けてもコスタリカを組んでいないので批判の矛先は向きにくい。一方、汗をかいた見返りに、これまで未開の地だった会津に立ち入ることができる。すなわちそれは、次の衆院選を菅家氏のために戦いながら、次の次の衆院選を見据えた自分の戦いにつながることを意味する。 「もし菅家氏が負ければ、既に2回比例復活当選しているので支部長には就けないから、次の次は上杉氏の出番になる。上杉氏はその時を見越して(比例当選で)バッジをつけながら選挙区で勝つための準備を進めればいい、と」(同) もちろん、このシナリオは菅家氏が負けることが前提になっており、もし菅家氏が勝てば、今度は上杉氏が比例東北で2回連続優遇とはいかないだろうから、途端に行き場を失う恐れがある。前出・森山選対委員長は上杉氏に「次の次は支部長」と密かに約束したとの話も漏れ伝わっているが、これだってカラ手形に終わる可能性がある。 いずれにしても「選挙はやってみなければ分からない」ので、今回の選定が両氏にとって吉と出るか凶と出るかは判然としない。 党本部のやり方に拗ねる馬場氏 馬場雄基氏  馬場雄基氏(30)=1期、比例東北=が3月15日に行ったツイッターへの投稿が波紋を生んでいる。 《質問終え、新聞見て、目を疑いました。事実確認のために、常任幹事会の議事録見て、本当と知ってショックが大きすぎます。県連常任幹事会で話したことは正しく伝わっているのでしょうか。本人の知らないところで、こうやって決まっていくのですね。気持ちの整理がつきません》 真に言いたいことは分からないが、立憲民主党本部が行った「何らかの決定」にショックを受け、不満を露わにしている様子は伝わってくる。 投稿にある「新聞」とは、3月15日付の地元紙を指す。そこには党本部が、次期衆院選の公認候補予定者となる支部長について、新1区は金子恵美氏、新3区は小熊慎司氏を選任したという記事が載っていた。 実は、馬場氏も冒頭の投稿に福島民友の記事写真を掲載したが、同記事には馬場氏に関する記載がなかったため、尚更「何にショックを受けたのか」と憶測を呼んだのだ。 党県連幹事長の髙橋秀樹県議に思い当たることがあるか尋ねると、次のように話した。 「私も支持者から『あの投稿はどういう意味?』と聞かれたが、彼の言わんとすることは分かりません。県連で話したことが党本部に正しく伝わっていないと不満をのぞかせている印象だが、県連の方針は党本部にきちんと伝えてあります」 馬場氏をめぐる県連の方針とは、元外相玄葉光一郎氏(58)=10期、旧3区=とのコスタリカだ。 衆院区割り改定を受け、玄葉氏は新2区から立候補する考えを示したが、旧2区で活動する馬場氏も玄葉氏に配慮し明言は避けつつも、新2区からの立候補に意欲をにじませていた。これを受け県連は2月27日、両氏を対象にコスタリカ方式を導入することを党本部に上申した。 この時の馬場氏と玄葉氏のコメントが読売新聞県版の電子版(3月1日付)に載っている。 《記者会見で、馬場氏はコスタリカ方式の要請について、「現職同士が重なる苦しい状況を打開し、党本部の決定を促すためだ」と強調。「その部分が決定してから様々なことが決まる」と述べた。玄葉氏は「活動基盤を新2区にしていく。私にとっては大きな試練だ」とし、「比例に回った方が優遇される環境が前提だが、私の場合、小選挙区で出る前提で準備を進める」とも述べた》 馬場氏は玄葉氏とのコスタリカを認めるよう党本部に強く迫り、それが決まらないうちは他の部分は決まらないと強調したのだ。 ただ党本部は、コスタリカで比例区に転出する候補者(馬場氏)は名簿上位で優遇する必要があり、他県と調整しなければならないため、3月10日に大串博志選対委員長が「統一地方選前の決定はあり得ない」との見解を示していた。 そして4日後の同14日、党本部は前述の通り金子氏を新1区、小熊氏を新3区の支部長とし、新2区については判断を持ち越したため、馬場氏はショックのあまりツイッターに思いを吐露したとみられる。 進退にも関わることなので馬場氏の気持ちは分からなくもないが、前出・高橋県議は至って冷静だ。 「もしコスタリカを導入すれば立憲民主党にとっては初の試みで、比例名簿の上位登載は他県の候補者との兼ね合いもあるため、簡単に『やる』とは発表できない。調整に時間がかかるという党本部の説明は理解できます」(高橋県議) 要するに今回の出来事は、多方面と調整しなければ結論を出せない党本部の苦労を理解せずに、馬場氏が拗ねてツイッターに投稿した、ということらしい。 馬場事務所に投稿の真意を尋ねると、馬場氏本人から次のようなコメントが返ってきた。 「多くの方々に支えられて議員として活動させていただいていることに誇りと責任を持って行動していきます。難しい状況だからこそ、より応援の輪を広げていけるよう精進して参ります」 ここからも真意は読み取れない。 前述の上杉・菅家両氏といい、馬場氏といい、衆院区割り改定に翻弄される人たちは心身が休まることがないということだろう。 健康不安の吉野氏に引退を求める声  選定が難航する区もあれば、すんなり決まった区もある。そのうちの一つ、自民党の新4区支部長には昨年12月、現職の吉野正芳氏(74)=8期、旧5区=が選任された。 選挙の実績で言えば、支部長選任は順当。ただ周知の通り、吉野氏は健康問題を抱え、このまま議員を続けても満足な政治活動は難しいという見方が大勢を占めている。 復興大臣を2018年に退任後、脳梗塞を発症。療養を経て現場復帰したが、身体に不自由を来し、移動は車椅子に頼っているほか、喋りもスムーズではない状態にある。 「正直、会話にはならない。吉野先生から返ってくる言葉も、こもった話し方で『〇くん、ありがとね』という具合ですから」(ある議員) 要するに今の吉野氏は、国会・委員会での質問や聴衆を前にした演説など、衆院議員として当たり前の仕事ができずにいるのだ。3月21日に開かれた党県連の定期大会さえも欠席(秘書が代理出席)している。 ここで難しいのは、政治家の出処進退は自分で決めるということだ。周りがいくら「辞めるべき」と思っても、本人が「やる」と言えば認めざるを得ない。 ただ、吉野氏の場合は前回(2021年10月)の衆院選も同様の健康状態で挑み、この時は周囲も「あと1期やったら流石に引退だろう」と割り切って支援した経緯があった。ところが今回、新4区支部長に選任され、本人も事務所も「まだまだやれる」とふれ回っているため、地元では「いい加減にしてほしい」と思いつつ、首に鈴をつける人がいない状況なのだ。 写真は3月21日の党県連定期大会を欠席した吉野氏が会場に宛てた祝電  「吉野氏の後釜を狙う坂本竜太郎県議は内心、『まだやるつもりか』と不満に思っているだろうが、ここで波風を立てれば自分に出番が回ってこないことを恐れ、ひたすら沈黙を貫いています」(ある選挙通) 旧5区、そして新たに移行する新4区は強力な野党候補が不在の状態が続いている。それが、満足な政治活動ができない吉野氏でも容易に当選できてしまう要因になっている。ただ、いつまでも当選できるからといって「議員であり続けること」に固執するのは有権者に失礼だ。 それでなくても新4区は原発被災地が広がるエリアで、復興の途上にある。元復興大臣という肩書きを笠に着て、行動力に期待が持てない議員に課題山積の新4区を任せるのは違和感がある。

  • 【鏡石町】政治倫理審査後も続く議会の騒動

    【鏡石町】政治倫理審査後も続く議会の騒動

    込山靖子議員が渡辺定己元議員から不適切な言動を受けたと訴え、政治倫理審査会(政倫審)を設置して審査が行われた問題は、昨年12月に政倫審が報告書をまとめたことで、一応の決着を見たと思われていた。ところが、3月上旬、渡辺元議員が反論文を関係各所に送付したことで、新たな問題が生まれようとしている。 「不適切」認定された元議員が反論 込山靖子議員 渡辺定己元議員  込山議員は昨年8月19日付で古川文雄議長に政治倫理審査請求書を提出した。同請求書は込山議員を含む7人の議員の連名で、渡辺議員から受けた16項目に及ぶ不適切な言動が綴られている。 それから4日後の同23日付で渡辺議員は古川議長に辞職願を提出し、受理された。辞職理由は「健康上の問題」だった。 この経過だけを見ると、政倫審請求を受け、渡辺議員が逃げ出したように映る。実際、そう捉えている関係者もいるが、その前に渡辺議員は入院しており、「このままでは迷惑をかける」、「治療に専念したい」といった考えから辞職したようだ。 これを受け、町議会事務局は県町村議会議長会に対して「政倫審請求書提出後に辞職した議員について、審査することは可能か」等々の問い合わせをしていた。このため、その後の動きに時間を要したが、県町村議会議長会の顧問弁護士から「今回のケースでは辞職した渡辺元議員の審査を行うことが可能である」旨の回答があったという。 ある議員はこう解説する。 「条例文の解釈では、要件を満たした状況で、議長に政倫審請求書を提出し、それが受理された段階で『政倫審は立ち上がっている』ということになる。つまり、昨年8月19日に政倫審請求書を提出した時点で、政倫審は発足している、と。その4日後に渡辺議員が辞職したが、町議会事務局が県町村議会議長会の顧問弁護士に確認したところでは、『審査を行うことは可能で、渡辺元議員への招致要請もできる。ただし、強制はできない』とのことでした」 不適切行為を一部認定  こうした確認を経て、昨年10月、政倫審委員として、畑幸一議員(副議長)、大河原正雄議員、角田真美議員の議員3人と、門脇真弁護士(郡山さくら通り法律事務所)、佐藤玲子氏(町人権擁護委員)、村越栄子氏(町民生児童委員)の民間人3人の計6人が選任された。委員長には門脇弁護士が就いた。 政倫審は昨年11月14日、29日、12月20日と計3回開催され、3回目で報告書をまとめて古川議長に提出した。それによると、審査対象は「渡辺元議員の込山議員に対する行為がセクシャルハラスメント行為、パワーハラスメント行為、議会基本条例第7条第1号(町民の代表として、その品位または名誉を損なう行為を禁止し、その職務に関し不正の疑惑を持たれるおそれのある行為をしないこと)に違反するか否か」である。 審査結果は次の通り。   ×  ×  ×  × 本件審査請求の対象とされる行為のうち、委員会の会議中に、審査対象議員(渡辺元議員)が審査請求代表者(込山議員)に依頼して、審査対象議員の足に湿布を貼ってもらった行為は、審査会の調査によって認定することができる。そして、特段やむを得ない事情も認められない本件当時の状況を踏まえると、当該行為は、議案等の審査等を責務とする委員会活動中における町民の代表者としてふさわしい行為とは言えず、町民の代表者としての品位を損なう行為であり、条例第7条第1号に違反するとの結論に至った。 なお、本件審査請求の対象とされる行為のうち、審査対象議員個人の行為とはいえない行為及び当事者間の金銭請求の当否を求めることにほかならない行為については審査不適との結論に至った。 また、その他の行為については審査会の調査によっても真偽不明であり、その存否について判断できないとの結論に至った。   ×  ×  ×  × この結果を受け、当時の本誌取材に込山議員は次のように述べた。 「(政倫審の報告書は)形式的なものでしかなかったが、一応『不適切』と認められた部分もありますし、町民の中には『もっとやるべきことがあるのではないか』といった声もあるので、私としてはこれで良しとするしかないと思っています。ほかの議員からは(もっと厳しく審査・追及すべきという意味で)『納得できない』といった意見も出ました。そうした発言で救われた部分もある」 要は「納得したわけではないが、これで矛を収めるしかない」との見解だったのである。 これで一応の決着を見たと思われたが、3月上旬、渡辺元議員が「当事者として今・真実を語る!!」と題した反論文を関係各所に送付した。 本誌も渡辺元議員を取材してそれを受け取り、話を聞いた。一方で、込山議員からも政倫審請求書を提出した直後や、政倫審の結果が出た後に話を聞いているが、双方の主張は180度異なっている。 すなわち、込山議員は「選挙期間中、あるいは当選後の議員活動の中で、渡辺議員からこんなことを言われた」、「こんなことをされた」と訴え、それに対し、渡辺元議員は「それは違う。実際はこうだった」と主張しているのだ。 ほとんどが2人のときの出来事で、客観的な判断材料があるわけではない。そのため、どこまで行っても、水掛け論になってしまう。 実際、先に紹介した政倫審の報告書でも、大部分は「真偽不明で、その存否について判断できない」とされている。唯一、認定されたのは、委員会の会議中に、渡辺議員(当時)が込山議員を呼びつけ、足に湿布を貼らせたという行為。これはほかの議員も見ていた場でのことのため、関係者に確認し「間違いなくそういうことがあった」と認定され、「町民の代表としての品位、名誉を損なう行為」とされたのだ。 政倫審後に反論の理由  一方で、政倫審は渡辺元議員に説明、資料提出、政倫審への出席を求めたが、渡辺元議員はいずれの対応もしなかった。にもかかわらず、ここに来て、反論文を関係各所に送付したのはなぜか。渡辺元議員は次のように説明した。 「今回の件は、(議会内の対立構造の中で)私を貶めようというのが根底にあったのです。だから、相手にするつもりもなかったし、『人の噂も75日』というから黙っていました。ただ、『謝罪しろ』とか、あまりにも騒ぎ立てるので、黙っていられなくなった」 政倫審の結果が出た後、議会内では「不適切と認められた部分について、公開の場(議場)で、渡辺元議員に謝罪を求めるべき」との意見が出た。渡辺元議員の「『謝罪しろ』と騒ぎ立てるので黙っていられなくなった」とのコメントはそのことを指している。なお、3月議会最終日の3月17日、議員から「鏡石町議会として元鏡石町議会議員・渡辺定己氏に公開の議場での謝罪を求める決議(案)」が出されたが、否決された。 一方で、「不適切」と認定された湿布を貼らせた行為については、渡辺元議員はこう説明した。 「私が医師から受けた診断は狭窄症で、時折、極度の神経痛が襲う。あの時(委員会中に込山議員に湿布を貼らせた時)は本当に辛かった。一部は自分で湿布を貼ったが、それ以上は自分でできず、うずくまっていたところに、ちょうど込山議員が目に入り、貼ってくれ、と頼んだ」 「その点については反省し、謝罪もした」という渡辺元議員。ただ、込山議員は「謝罪は受けていない。委員会という執行部やほかの議員が見ている場で、込山議員はオレ(渡辺元議員)の子分だということを示したかったからとしか思えない」と語っていた。 いずれにしても、このことが政倫審で「町民の代表としての品位、名誉を損なう行為」と認められたことだけは事実として残っている。 込山議員は、現職議員の死去に伴い、昨年5月の町長選と同時日程で行われた町議補選(欠員2)に立候補し初当選した。補選に当たり、込山議員に「議員をやってみないか」と打診し、選挙活動の指南・手伝いをしたのが渡辺元議員だった。そういう関係性からスタートして、今回のような事態になった。この補選を巡り、渡辺元議員は「選挙費用を立て替えた。その分を返還してほしい」、込山議員は「私の知らないところで勝手にいろいろされた」といったトラブルも発生している。 込山議員は「最初は(渡辺元議員を)尊敬できる人だと思って、いろいろ勉強させてもらおうと思ったが、実際は全然違った」と言い、渡辺元議員は「(込山議員を)自分の後継者になってもらいたいと思い、目をかけたが裏切られた思いだ」と明かす。 出口の見えない抗争はさらに続くのか。 あわせて読みたい 【鏡石町議会】不適切言動の責任を問われる渡辺定己元議員

  • ハラスメントを放置する三保二本松市長

    ハラスメントを放置する三保二本松市長

     本誌2、3月号で報じた二本松市役所のハラスメント問題。同市議会3月定例会では、加藤達也議員(3期、無会派)が執行部の姿勢を厳しく追及したが、斎藤源次郎副市長の答弁からは危機意識が感じられなかった。それどころか加藤議員の質問で分かったのは、これまで再三、議会でハラスメント問題が取り上げられてきたのに、執行部が同じ答弁に終始してきたことだった。これでは、ハラスメントを根絶する気がないと言われても仕方あるまい。(佐藤仁) 機能不全の内規を改善しない斎藤副市長 斎藤副市長  本誌2月号では、荒木光義産業部長によるハラスメントが原因で歴代の観光課長2氏が2年連続で短期間のうちに異動し同課長ポストが空席になっていること、3月号では、本誌取材がきっかけで2月号発売直前に荒木氏が年度途中に突然退職したこと等々を報じた。 詳細は両記事を参照していただきたいが、荒木氏のハラスメントは市役所内では周知の事実で、議員も定例会等で執行部の姿勢を質したいと考えていたが、被害者の観光課長らが「大ごとにしてほしくない」という意向だったため、質問したくてもできずにいた事情があった。 しかし、本誌記事で問題が公になり、3月定例会では加藤達也議員が執行部の姿勢を厳しく追及した。その発言は、直接の被害者や荒木氏の言動を苦々しく思っていた職員にとって胸のすく内容だったが、執行部の答弁からは本気でハラスメントを根絶しようとする熱意が感じられなかった。 問題点を指摘する前に、3月6日に行われた加藤議員の一般質問と執行部の答弁を書き起こしたい。   ×  ×  ×  × 加藤議員 2月4日発売の月刊誌に掲載された「二本松市役所に蔓延する深刻なハラスメント」という記事について3点お尋ねします。一つ目に、記事に書かれているハラスメントはあったのか。二つ目に、苦情処理委員会の委員長を務める副市長の見解と、今後の職員への指導・対応について。三つ目に、ハラスメントのウワサが絶えない要因はどこにあると考えているのか。 中村哲生総務部長 記事には職員個人の氏名が掲載され、また氏名の掲載はなくても容易に個人を特定できるため、人事管理上さらには職員のプライバシー保護・秘密保護の観点から、事実の有無等についてお答えすることはできません。 斎藤源次郎副市長 記事に対する私の見解を述べるのは差し控えさせていただきます。今後の職員への指導・対応は、ハラスメント根絶のため関係規定に基づき適切に取り組んでいきます。ハラスメントのウワサが絶えない要因は、ウワサの有無に関係なく今後ともハラスメント根絶と職員が快適に働くことのできる職場環境を確保するため、関係規定に則り人事担当が把握した事実に基づいて適切に対応していきます。 加藤議員 私がハラスメントに関する質問をするのは平成30年からこれで4回目ですが、副市長の答弁は毎回同じで、それが結果に結び付いていない。私は、実際にハラスメントがあったのに、なかったかのように対処している執行部の姿に気持ち悪さを感じています。 私の目の前にいる全ての執行部の皆さんに申し上げます。私は市役所を心配する市民の声を受けて質問しています。1月31日の地元紙に、2月3日付で前産業部長が退職し、2月4日付で現産業部長と観光課長が就任するという記事が掲載されました。年度途中で市の中心的部長が退職することに、私も含め多くの市民がなぜ?と心配していたところ、2月4日発売の月刊誌に「二本松市役所に蔓延する深刻なハラスメント」というショッキングな見出しの記事が掲載されました。それを読むと、まさに退職された元部長のハラスメントに関する内容で、驚くと同時に残念な気持ちになりました。 記事が本当だとするなら、周りにいる職員、特に私の目の前にいる幹部職員の皆さんはそのような行為を止められなかったのでしょうか。全員が見て見ぬふりをしていたのでしょうか。この市役所はハラスメントを容認する職場なのでしょうか。市役所には本当に職員を守る体制があるのでしょうか。 そこでお尋ねします。市は職員に対し定期的なアンケート調査などによるチェックを行っているのか。また、ハラスメントの事実があった場合、どう対応しているのか。 繰り返し問題提起 加藤達也議員  中村総務部長 ハラスメント防止に関する規定に基づき、総務部人事行政課でハラスメントによる直接の被害者等から苦情相談を随時受け付けています。また、毎年定期的に行っている人事・組織に関する職員の意向調査や、労働安全衛生法に基づくストレスチェック等によりハラスメントの有無を確認しています。 ハラスメントがあった場合の対応は、人事行政課で複数の職員により事実関係の調査・確認を行い、事案の内容や状況から判断して必要がある場合は副市長、職員団体推薦の職員2名、その他必要な職員により構成する苦情処理委員会にその処理を依頼します。調査の結果、ハラスメントの事実が確認された場合、加害者は懲戒処分に付されることがあります。また、苦情の申し出や調査等に起因して当該職員が不利益を受けることがないよう配慮しなければならないとも規定されています。 加藤議員 苦情処理委員会は平成31年に設置されましたが、全くもって機能していないと思います。私が言いたいのは、誰が悪いとか正しいとかではなく、組織としてハラスメントを容認する体制になっているのではないかということです。幹部職員の皆さんがきちんと声を上げないと、また同じ問題が繰り返されると思います。 いくら三保市長が「魅力ある市役所」と言ったところで現場はそうなっていません。これからは部長、課長、係長、職員みんなで思いを共有し、ハラスメントを許さない、撲滅する組織をつくっていくべきです。それでも自分たちで解決できなければ、第三者委員会を立ち上げるなどしないと、いつまで経っても同じことが繰り返されてしまいます。 加害者に対する教育的指導は市長と副市長が取り組むべきです。市長と副市長には職務怠慢とまでは言いませんが、しっかりと対応していただきたいんです。そして、被害者に対しては心のケアをしていかなければなりません。市長にはここで約束してほしい。市長は常々「ハラスメントはあってはならない」と言っているのだから、今後このようなことがないよう厳正に対処する、と。市長! お願いします! 斎藤副市長 職員に対する指導なので私からお答えします。加藤議員が指摘するように、ハラスメントはあってはならず、根絶に努めていかなければなりません。その中で、市長も私も庁議等で何度か言ってきましたが、業務を職員・担当者任せにせず組織として進めること、そして課内会議を形骸化させないこと、言い換えると職員一人ひとりの業務の進捗状況と、そこで起きている課題を組織としてきちんと共有できていれば、私はハラスメントには至らないと思っています。一方、ハラスメントは受けた側がどう感じるかが大切なので、職員一人ひとりが自分の言動が強権的になっていないか注意することも必要と考えています。 加藤議員 副市長が言うように、ハラスメントは受ける側、する側で認識が異なります。そこをしっかり指導していくのが市長と副市長の仕事だと思います。二本松市役所からハラスメントを撲滅するよう努力していただきたい。   ×  ×  ×  × 驚いたことに、加藤議員は今回も含めて計4回もハラスメントに関する質問をしてきたというのだ。 1回目は2018年12月定例会。加藤議員は「同年11月発行の雑誌に市役所内で職場アンケートが行われた結果、パワハラについての意見が多数あったと書かれていた。『二本松市から発信される真偽不明のパワハラ情報』という記事も載っていた。これらは事実なのか。もし事実でなければ、雑誌社に抗議するなり訴えるべきだ」と質問。これに対し当時の三浦一弘総務部長は「記事は把握しているが、内容が事実かどうかは把握できていない。報道内容について市が何かしらの対応をするのが果たしていいのかという考え方もあるので、現時点では相手方への接触等は行っていない」などと答弁した。 斎藤副市長も続けてこのように答えていた。 「ハラスメント行為を許さない職場環境づくりや、職員の意識啓発が大事なので、今後とも継続的に実施していきたい」 2回目は2019年3月定例会。前回定例会の三浦部長の答弁に納得がいかなかったため、加藤議員はあらためて質問した。 「12月定例会で三浦部長は『ここ数年、ハラスメントの相談窓口である人事行政課に相談等の申し出はない』と答えていたが、本当なのか」 これに対し、三浦部長が「具体的な相談件数はない。また、ハラスメントは程度や受け止め方に差があるため、明確に何件と答えるのは難しい」と答えると、加藤議員は次のように畳みかけた。 「私に入っている情報とはかけ離れている部分がある。私は、人事行政課には相談できる状況にないと思っている。職員はあさかストレスケアセンターに被害相談をしていると聞いている」 あさかストレスケアセンター(郡山市)とはメンタルヘルスのカウンセリングなどを行う民間企業。 要するに、市の相談体制は機能していないと指摘したわけだが、三浦部長は「人事担当部局を通さず直接あさかストレスケアセンターに相談してもいい制度になっており、その部分については詳しく把握していない」と答弁。ハラスメントを受けた職員が、内部(人事行政課)ではなく外部(あさかストレスケアセンター)に相談している実態を深刻に受け止める様子は見られなかった。そもそも、職員の心的問題に関する相談を〝外注〟している時点で、ハラスメントを組織の問題ではなく個人の問題と扱っていた証拠だ。 対策が進まないワケ  斎藤副市長の答弁からも危機意識は感じられない。 「ハラスメントの撲滅、職場環境の改善のためにも(苦情処理委員会の)委員長としてさらに対策を進めていきたい」 この時点で、市役所の相談体制が全く機能していないことに気付き、見直す作業が必要だったのだろう。 3回目は2021年6月定例会。一般社団法人「にほんまつDMO」で起きた事務局長のパワハラについて質問している。この問題は本誌同年8月号でリポートしており、詳細は割愛するが、この事務局長というのが総務部長を定年退職した前出・三浦氏だったから、加藤議員の質問に対する当時の答弁がどこか噛み合っていなかったのも当然だった。 この時は市役所外の問題ということもあり、斎藤副市長は答弁に立たなかった。 こうしたやりとりを経て、4回目に行われたのが冒頭の一般質問というわけ。斎藤副市長の1、2回目の答弁と今回の答弁を比べれば、4年以上経っても何ら変わっていないことが一目瞭然だ。 当時から「対応する」と言いながら結局対応してこなかったことが、荒木氏によるハラスメントにつながり、多くの被害者を生むことになった。挙げ句、荒木氏は処分を免れ、まんまと依願退職し、退職金を満額受け取ることができたのだから、職場環境の改善に本気で取り組んでこなかった三保市長、斎藤副市長は厳しく批判されてしかるべきだ。 「そもそも三保市長自身がハラスメント気質で、斎藤副市長や荒木氏らはイエスマンなので、議会で繰り返し質問されてもハラスメント対策が進むはずがないんです。『ハラスメントはあってはならない』と彼らが言うたびに、職員たちは嫌悪感を覚えています」(ある市職員) 総務省が昨年1月に発表した「地方公共団体における各種ハラスメント対策の取組状況について」によると、都道府県と指定都市(20団体)は2021年6月1日現在①パワハラ、②セクハラ、③妊娠・出産・育児・介護に関するハラスメントの全てで防止措置を完全に講じている。しかし、市区町村(1721団体)の履行状況は高くて7割と、ハラスメントの防止措置はまだまだ浸透していない実態がある(別表参照)。  ただ都道府県と指定都市も、前回調査(2020年6月1日現在)では全てで防止措置が講じられていたわけではなく、1年後の今回調査で達成したことが判明。一方、市区町村も前回調査と比べれば今回調査の方が高い数値を示しており、防止措置の導入が急速に進んでいることが分かる。今の時代は、それだけ「ハラスメントは許さない」という考え方が常識になっているわけ。 二本松市は、執行部が答弁しているようにハラスメント防止に関する規定や苦情処理委員会が設けられているから、総務省調査に照らし合わせれば「防止措置が講じられている」ことになるのだろう。しかし、防止措置があっても、まともに機能していなければ何の意味もない。今後、同市に求められるのは、荒木氏のような上司を跋扈させないこと、2人の観光課長のような被害者を生み出さないこと、そのためにも真に防止措置を働かせることだ。 明らかな指導力不足  一連のハラスメント取材を締めくくるに当たり、斎藤副市長に取材を申し込んだところ、 「今は3月定例会の会期中で日程が取れない。ハラスメント対策については、副市長が(加藤)議員の一般質問に真摯に答えている。これまでもマニュアルや規定に基づいて対応してきたが、引き続き適切に対応していくだけです」(市秘書政策課) という答えが返ってきた。苦情処理委員長を務める斎藤副市長に直接会って、機能不全な対策を早急に改善すべきと進言したかったが、取材を避けられた格好。 三保市長は常々「職員が働きやすい職場環境を目指す」と口にしているが、それが虚しく聞こえるのは筆者だけだろうか。 最後に、一般質問を行った前出・加藤議員のコメントを記してこの稿を閉じたい。 「大前提として言えるのは、市役所内にハラスメントがあるかないかを把握し、適切に対処すれば加害者も被害者も生まれないということです。荒木部長をめぐっては、早い段階で適切な指導・教育をしていれば辞表を出すような結果にはならず、部下も苦しまずに済んだはずで、三保市長、斎藤副市長の指導力不足は明白です。商工業、農業、観光を束ねる産業部は市役所の基軸で、同部署の人事は極力経験者を配置するなどの配慮が必要だが、今回のハラスメント問題を見ると人事的ミスも大きく影響したように感じます」 あわせて読みたい 2023年2月号 二本松市役所に蔓延する深刻なパワハラ 2023年3月号 【二本松市】パワハラ部長「突然の退職劇」

  • 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

    会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

     会津若松市職員(当時)による公金詐取事件は、だまし取った約1億7700万円の使い道が裁判で明らかになってきた。生活費をはじめ、競馬や宝くじ、高級車のローン返済や貯蓄、さらには実父や叔父への貸し付け、挙げ句には交際相手への資金援助。詐取金は、家族の協力を得ても半分しか返還できていない。本人が有罪となり刑期を終えても、一族を道連れに「返還地獄」が待っている。 一族を道連れにした「1.8億円の返還地獄」  会津若松市の元職員、小原龍也氏(51)=同市河東町=は在職中、児童扶養手当や障害者への医療給付を担当する立場を悪用し、データを改ざんして約1億7700万円もの公金をだまし取っていた。パソコンに長け、発覚しにくい方法を取っていただけでなく、決裁後の起案のグループ回覧を廃止したり、チェック役に新人職員や異動1年目の職員を充てて職員同士の監視機能が働かない体制をつくっていた。 不正発覚後、市は調査を進め、昨年11月7日に会津若松署に小原氏を刑事告訴した上で懲戒免職にした。同署は任意捜査を続け、同12月1日に詐欺容疑で逮捕した。  その後も、市は個別の犯行について被害届を提出。同署は一連の詐欺容疑で計5回逮捕し、地検会津若松支部がうち4件を詐欺罪で起訴している(原稿執筆時の3月中旬時点)。検察は全ての逮捕容疑を罪に問う見込みだ。小原氏は、これまでに法廷で読み上げられた起訴事実2件を「間違いございません」と認めている。一つの公判が開かれるたびに新たな起訴事実が読み上げられ、本格的な審理にまで至っていない。 地元の事情通が警察筋から聞いた話によると、捜査は2月中に終結する見込みだった。5回目の逮捕が3月9日だから、当初の想定よりずれ込んでいる。 逮捕5回は身に応えるのだろう。出廷した小原氏の髪は白髪交じりで首の後ろまで伸び、キノコのかさのように頭を覆っていた。もともと痩せていて背が高いのだろうが、体格のいい警察官に挟まれて連行されるとそれが際立った。顔はやつれ、いつも同じ黒のトレーナー上下とスリッパを身に着けていた。 刑事事件に問われているのは犯行の一部に過ぎない。2007~09年には、重度心身障害者医療費助成金約6500万円を詐取していたことが市の調査で分かっている(表参照)。だが、詐欺罪の公訴時効7年を過ぎているため立件されなかった。市は「民事上の対応で計約1億7700万円の返還を求めていく」としている。 元市職員による総額1億7700万円の公金詐取と返還の動き 1996年4月大学卒業後、旧河東町役場入庁。住民福祉課に配属1999年4月保健福祉課に配属2001年4月税務課に配属2005年4月建設課に配属11月合併で会津若松市職員に。健康福祉部社会福祉課に配属2007年4月~2009年12月6571万円を詐取(重度心身障害者医療費助成金)2011年4月財務部税務課に配属2014年11月健康福祉部こども保育課に配属2016年5月地元の金融機関から借金するなどして叔父に700万円を貸す7月実父に700万円を貸す2018年4月健康福祉部こども家庭課に配属。こども給付グループのリーダーに昇任2019年4月~2022年3月1億1068万円を詐取(児童扶養手当)2021年60万円を詐取(21年度子育て世帯への臨時特別給付金)2022年4月健康福祉部障がい者支援課に配属6月市が支給金額に異変を発見。内部調査を開始8月市が小原氏から詐取金の回収を開始9月市が返還への協力を求めて小原氏の家族と協議開始11月7日市が小原氏を刑事告訴し懲戒免職11月8日時点9112万円を返還(残額は全額の49%)11月30日8~10月の給料分56万円を返還12月1日1回目の逮捕12月28日家族を通じて11月の給料分2万円を返還2023年2月6日実父から市に40万円の支払い2月14日時点8489万円が未返還(残額は全額の48%)出典:会津若松市「児童扶養手当等の支給に係る詐欺事件への対応について」(2022年11月、23年2月発行)より。1000円以下は切り捨て。  市は早速、小原氏を懲戒免職にした後の昨年11月8日時点で半分に当たる9112万円を回収した。小原氏に預金を振り込ませたほか、生命保険を解約させたり、所有する車を売却させたりした。 小原氏が逮捕・起訴された後も回収は続いている。まず、小原氏が昨年8月から同11月に懲戒免職になるまでに支払われた給料約3カ月分、計約58万円を本人や家族を通じて返還させた。加えて小原氏の実父が40万円を支払った。それでも市が回収できた額は計約9210万円で、だまし取られた公金の全額には到底届かない。約48%に当たる約8489万円が未回収だ。 身柄を拘束されている小原氏は今すぐに働いて収入を得ることはできない。初犯ではあるが、多額の公金をだまし取った重大性と過去の判例を考慮すると実刑が濃厚だ。 ちなみに初公判が開かれた1月30日、同じ地裁会津若松支部では、粉飾決算で計3億5000万円をだまし取ったとして詐欺罪などに問われていた会社役員吉田淳一氏に懲役4年6月が言い渡されている(㈱吉田ストアの元社長・吉田氏については、本誌昨年9月号「逮捕されたOA機器会社社長の転落劇」で詳報しているので参照されたい)。 小原氏は3月中旬時点で五つの詐欺罪に問われており、本誌は罪がより重くなると考えている。同罪の法定刑は10年以下の懲役。二つ以上の罪は併合罪としてまとめられ、より重い罪の刑に1・5を掛けた刑期が与えられる。単純に計算すると10年×1・5=15年。最長で刑期は15年になる。実刑となればその期間の就労は不可能。刑務作業の報償金は微々たるもので当てにならない。 小原氏に実刑が科されれば、市は公金を全額回収できない事態に陥る。そのため市は、小原氏の家族にも返還への協力を求めてきた。小原氏は妻子とともに市内河東町の実家で両親と同居していたが、犯行発覚後に離婚したため、立て替えているのは両親だ。 実父は市に「年2回に分けて支払う」と申し出たが、前述の通りこれまでに支払ったのは1回につき40万円。残額は約8489万円だから、1年間に80万円ずつ返還すると仮定しても106年はかかる。今のペースのままでは、小原氏や家族が存命中に全額返還はかなわない。 返還が遅れると小原氏も不利益を被る。刑を軽くするには、贖罪の意思を行動で示すために少しでも多く返還する必要があるからだ。十分な返還ができず、刑期が減らなければ、その分だけ社会復帰が遅れ、返還に支障が出るという悪循環に陥る。 「裁判が終わるまでに全額返還」が市と小原氏、双方の共通目標と言える。だが、無い袖は振れない。ここで市が言う「民事上の対応も考えている」点が重要になる。小原氏側からの返還が滞り、返還に向けて努力する姿勢を見せなければ損害賠償請求も躊躇しないということを意味する。ただ、小原氏には財産がない以上、民事訴訟をしたところで回収は果たせるのか。親族に責任を求めて提訴する方法も考えられるが。 市に問い合わせると、 「詐取の責任は一義的に元市職員(小原氏)にあり、親族にまで民事訴訟をすることは考えていない」(市人事課) 確かに、返還義務があるのはあくまで犯行に及んだ小原氏だけだ。いくら親子関係にあっても互いに別人格を持った個人であり、犯罪の責任を親にかぶせることを求めてはいけない。現状、小原氏の実父が少額ずつであれ返還に協力している以上、強硬手段は取れない。小原氏や家族の資力を勘案して、できるだけ早く返還するよう強く求めることが、市が取れる手段だ。こうして見ると、一族が一生かかっても返還できない額をよく使い切ったものだと、小原氏の金銭感覚に呆れる。 実父、叔父、交際相手を援助 小原氏の裁判が開かれている福島地裁会津若松支部(1月撮影)  それでも、小原氏本人が返還できなければ、家族や親族を民事で訴えてでも回収すべきという意見も市民には根強い。なぜなら「公金詐取の引き金は親族への貸し付けが一要因である」との趣旨を小原氏が供述でほのめかしているからだ。 検察官が法廷で述べた供述調書の内容を記す。 小原氏は2016年5月ごろに叔父に700万円を貸している。小原氏と実父の供述調書では、小原氏は実父に頼まれて同年7月に700万円を貸している。 いずれの貸し付けも公金をそのまま貸したわけではなく、まずは地元の金融機関から借りるなどして捻出した金を叔父と実父に渡した。だが叔父からは十分な額を返してもらえず、小原氏はもともと抱えていた借金も重なって金融機関への返済に窮するようになった。その結果、公金詐取に再び手を染めたという。 事実が供述調書通りなのか、法廷での小原氏自身の発言を聞いたうえで判断する余地がある。だが逮捕前の市の調査でも、小原氏は「親族の借金を肩代わりするために公金を詐取した」と弁明しているので、供述との整合性が取れている。 地元ジャーナリストが小原氏の家族関係を話す。 「実父は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐという。三男(同)は公務員だそうだ。叔父は過去に勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあると聞いている。『親族の借金の肩代わり』とは叔父のことを指しているのかもしれない」 供述と証言を積み上げていくと、実父と叔父には自前では金を用意できない事情があった。2人は市役所職員という信頼のある職に就いていた小原氏に無心し、小原氏は金融機関から借金。もともと金に困っていたところに、借金でさらに首が回らなくなり、再び犯行に及んだことがうかがえる。 実父と叔父の無心は、既に公金詐取の「前科」があった小原氏を再犯に駆り立てた形だ。2人からすると「借りた相手が悪かった」と悔やんでいるかもしれないが、小原氏が市役所職員に見合わない金の使い方をしているのを傍で見ていて、いぶかしく思わなかったのだろうか。 だが、人は目の前に羽振りの良い人物がいたら「そのお金はどこから来たのか」とは面と向かって聞きづらいだろう。自分に尽くしてくれるなら疑念は頭の隅に置く。 小原氏には妻以外に交際相手がいた。相手が結婚を望むほどの仲で、小原氏はその子どもに食事をごちそうしたりおもちゃを買ったりしていたという。交際相手と子どもの3人で住むためのマンションも購入していた。しかし事件発覚後、交際相手は小原氏に現金100万円を渡している(検察が読み上げた交際相手の供述調書より)。自分たちが使っていた金の原資が公金なのではないかと思い、恐ろしくなって返したのではないか。 加算金でかさむ返還額 小原氏と実父が共有名義で持つ市内河東町の自宅。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  不動産を金に換える選択肢も残っている。ただ登記簿によると、市内河東町にある小原氏と実父の自宅は2000年10月に新築され、持ち分が実父3分の2、小原氏3分の1の共有名義。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。返済できなければ自宅は同信金によって処分されてしまうので、返還の財源に充てられるかは不透明だ。 小原氏のみならず、家族も窮状に陥っている。だがいかんせん、同情されるには犯行規模が大きすぎた。小原氏は国や県が負担する金にも手を出していたからだ。主に詐取した児童扶養手当の財源は3分の1が国負担(国からの詐取額約3689万円)、重度心身障害者医療費助成金は2分の1が県負担(県からの詐取額約3285万円)、子育て世帯への臨時特別給付金に至っては全額が国負担(国からの詐取額約60万円)だ。 早急に全額返金できなければ市は政府と県に顔向けできない。何より、いずれの財源も国民が納めた税金である。ここで生温い対応をしては、国民や市民からの視線が厳しくなる。市は引き続き妥協せずに回収していくとみられる。 利子に当たる金額をどうするかという問題も出てくる。公金詐取という重罪を、正当な取り引きである借金に当てはめることはできないが、他人の金を一時的に自分のものにしたという点では同じだ。借金なら、返す時に当然利子を支払わなければならない。だまし取ったにもかかわらず、利子に当たる金額を支払わずに済むのは、民間の感覚では到底許せない。 市に、利子に当たる金額の支払いを小原氏に求めるのか尋ねると「弁護士に相談して対応を決めている」(市人事課)。ただ、市に対し国負担分の返還を求めている政府は、部署によっては加算金を求めることがあるという。市が小原氏の代わりに加算金を負担する理由はないので、市はその分を含めた返還を小原氏に求めていくことになる。要するに、小原氏は加算金=利子も背負わなければならず、返還額はさらに増えるということだ。 小原氏は自身が罪に問われるだけでなく、一族を「公金の返還地獄」へと道連れにした。囚われの身の自分に代わり、家族が苦しむ姿に何を思うのだろうか。

  • 続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選

    現職退任で混沌とする猪苗代町長選

     任期満了に伴う猪苗代町長選は6月13日告示、同18日投開票の日程で行われる。現職・前後公氏は今期限りでの退任を表明しており、次の舵取り役が誰になるのかが注目されている。(※記事は3月27日時点での情勢をまとめたもの) 前後氏の後継者と佐瀬氏の一騎打ちか 前後公町長  猪苗代町議会3月定例会の最終日(3月20日)。閉会のあいさつに立った前後公町長は、同議会に上程した議案が議決されたことへの感謝を述べた後、「私事ですが」として、こう話した。 「6月に行われる町長選には立候補しない。3期12年、東日本大震災・原発事故があった中、年間100万人が訪れる道の駅猪苗代がオープンし、認定こども園2カ所も開所することができた。中学校統合の道筋もできた。後進に道を譲りたい」 前後氏は1941年生まれ。日本大学東北工業高(現・日大東北高)卒。1961年に町職員となり、生涯学習課長などを務めた。2011年の町長選で初当選し、3期目。 現在81歳で、県内市町村長では最年長になる。年齢的な面で、以前から関係者の間では「今期までだろう」と言われており、その見立て通りの退任表明だった。 「就任して少し経ったころは、疲れているのかなと思うこともあったが、町長の職務に慣れてきてからは就任前より元気なのではないかと思うくらい、気力が充実していたように感じます。酒席などに出ても長居することは少なく、健康面にはかなり気を使っていました。実際、この間、大きな病気をしたことはない。ただ、いまは元気でも任期中に何かあったら迷惑がかかるという思いはずっとあったようです」(ある支持者) 近隣の関係者はこう評価する。 「よく『開かれた町政』ということを掲げる人がいますが、前後町長は任期中、一度も町長室の扉を閉めたことがなく、文字通り『開かれた』町政だった。そうして町民と気軽に接することができるようにしたのは立派だったと思います。もっとも、本当に気軽に町長室に入っていく町民はあまりいなかったでしょうけどね。それに対して、ある首長は部屋(市町村長室)の鍵をかけておくんですから、えらい違いですよ」 この間、本誌記者も幾度となく前後町長と面会したが、確かに町長室の扉が閉められた(閉まっていた)のは見たことがない。前後町長はよく「誰かに聞かれて困るようなことは何もない」、「(扉を閉めて)密室で何をしているのかと思われるよりはよっぽどいい」、「誰でも入ってきて要望等、言いたいことを言ってくれたらいい」と言っていた。 さて、前後町長退任後の町長選だが、同町議員の佐瀬真氏が3月定例会初日の3月7日に、渡辺真一郎議長に辞職願を提出し、本会議で許可された。同時に町長選への立候補を表明した。なお、議員辞職は会期中であれば議会の許可が必要になり、閉会中だと議長の権限で辞職の可否を決めることができる。 佐瀬氏は1953年生まれ。会津高卒。2012年2月の町議選で初当選。2015年6月の町長選に立候補し、前後氏に敗れた。その後、2016年2月の町議選で返り咲きを果たした。2019年6月の町長選にも立候補し、前後氏と再戦。最初のダブルスコアでの落選から、だいぶ票差を詰めたが当選には届かなかった。2020年の町議選で三度返り咲きを果たしたが、前述したようにすでに辞職して町長選に向けた準備に入っている。 ある町民はこう話す。 「最初の町長選(2015年)は、佐瀬氏本人も『予行演習』と言っていたくらいで、2期目を目指す現職の前後氏に勝てるとは思っていなかったようです。ただ、2回目(2019年)は本気で取りに行くと意気込んでいた。結果は、1回目よりは善戦したものの、現職の前後氏に連敗となりました。その後は地元を離れて仕事をしているという情報もあったが、翌年(2020年)の町議選で復帰したことで、次の町長選も出るつもりだろうと言われていました。ですから、佐瀬氏の立候補表明は予想通りでした」 前後町長の後継者は誰に  一方で、別の町民は次のように語った。 「佐瀬氏は過去2回、町長選に出ていますが、いずれもその翌年の町議選で議員に復帰しています。『町長選がダメでも、また議員に戻ればいい』とでも考えているのではないかと疑ってしまう。少なくとも、私からしたらそういう感じがミエミエで、町民の中にも『どれだけ本気なのか』、『そんな中途半端では応援する気になれない』という人は少なくないと思いますよ」 確かに、同様の声を町内で何度か耳にした。町長選の8カ月後に町議選がある並びというも良くない。ちなみに、2020年の町議選は無投票で、町によると、記録が残る1964年以降で初めてのことだったという。労せずして議員に返り咲いたことになる。 3月27日時点で、佐瀬氏のほかに立候補の意思を明らかにしている人物はいないが、前後氏の後継者が立候補することが確実視される。 前後氏の後援会関係者は次のように話す。 「前後町長は後援会役員に、『今期で引退する。後継者は私が責任を持って決める。私が決めた人で納得してもらえるなら、応援してほしい』と宣言しました」 そんな中で、名前が挙がるのが元町議の神田功氏(70)。過去にも町長選の候補者に名前が挙がったことがあった。 「その時は家族の理解が得られなかったようだ。それと関係しているかどうかは分からないが、直前で息子さんが亡くなり、町長選どころではなくなった」(ある町民) 神田氏は2008年の町議選を最後に議員を引退した。現在は、家業である民宿を経営している。 「もともとは前後町長の対立側にいた人物で、もし、神田氏が前後町長の後継者に指名されたら、後援会関係者の中には、『神田氏では納得できない』という人も出てくるかもしれない」(前後氏の支持者) いずれにしても、前後町長の後継者と佐瀬氏の一騎打ちになる公算が高く、有権者がどのような判断を下すのかが注目される。 政経東北5月号で続報【続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選】を掲載しています! https://www.seikeitohoku.com/seikeitohoku-2023-5/

  • 【伊達市議会】物議を醸す【佐藤栄治】議員の言動

     伊達市議会の佐藤栄治市議(60、2期)が昨年12月の定例会議(同市議会は2021年5月から通年議会制を導入)で一般質問した際、執行部が不適切発言であることを指摘するシーンがあった。佐藤市議は以前から一般質問で非常識な言動を繰り返しており、「この機会に徹底的に責任追及すべき」との声も聞かれる。 執行部の〝不適切発言〟指摘に本人反論 建設中のバイオマス発電所  昨年12月の市議会定例会議の一般質問。動画が同市議会のホームページで公開されているが、12月5日に行われた佐藤栄治市議の分だけ「調整中」となっている。市議会事務局によると「固有名詞を出している個所があり、確認を進めている。まだ公表できる段階ではない」という。 事前に提出していた通告によると、佐藤市議は①厚労省勧告に基づく伊達市救急指定病院の再編について、②梁川バイオマス発電事業者の原材料運搬方法等について――の2点について質問した。佐藤市議や傍聴者によると、物議を醸したのは②の質問だった。 同市梁川町の工業団地・梁川テクノパークでは、バイオマス発電所の建設が計画されている。事業者はログ(群馬県、金田彰社長)。資本金2000万円。民間信用調査機関によると、2022年7月期の売上高20億0800万円、当期純利益3億2514万円。 同発電所をめぐっては、▽木材だけでなく建築廃材や廃プラスチックも焼却される、▽バイオマス事業のガイドラインを無視し、住民への十分な説明がない、▽ダイオキシンの発生などが懸念される――等々の理由から、梁川町を中心に反対の声があがっている。住民などによる「梁川地域市民のくらしと命を守る会」が組織されており、本誌では2021年6月号「バイオマス計画で揺れる伊達市梁川町」をはじめ、たびたび報じてきた経緯がある。 予定地にはすでに発電所の大きな建物が建てられており、今年秋には試運転が始まる予定だ。 佐藤市議が着目したのは、そんなバイオマス発電所の建設に伴い、重さ20㌧超のトレーラーが1日何台も市道を通る点だった。 道路法では道路を通行する車両の重さの最高限度(一般的制限値)を20㌧と定めており、それ以上の重さの「特殊車両」は道路管理者の道路使用許可を取る必要がある。 一般質問ではそのことを説明した上で、「ログ社の車は20㌧以上が多いようだ。国見町では補修中の徳江大橋の通行を20㌧以下に制限し、ふくしま市町村支援機構もそのように指導する流れとなっている。伊達市側の市道も許可なしで通行させるべきではないのではないか」と指摘した。 「国見町は国見町。伊達市は伊達市の方針で進める」といった趣旨の答弁に終始する執行部に対し、「間もなく市町村支援機構が正式に方針を示し、国見町も従うだろう」と佐藤市議が返した。そうしたところ、執行部が反問権を行使し、「公式かつ確定した話でもないのに、議会で紹介するのか。不適切発言ではないか」と答弁したという。 後日、執行部から市議会に、正確な情報に基づく議会運営を求める申し入れがあったという。当の佐藤氏はワクチン接種に伴う体調不良を理由に12月定例会議の最終日を欠席し、採決に加わらなかった。 市議会では以前から佐藤氏の行き過ぎた発言が問題視されており、一部市議の間では「今回の件はさすがに看過できない。議会として明確に意思表示し、何らかの形で責任を問う必要があるのではないか」という声が強まっているようだ。 伊達市議会では議員政治倫理条例が2016年9月に施行されている。同条例では《市民を代表する機関の一員として、高い倫理観と良識を持ち、議会の権威と品位を重んじるとともに、その秩序を保持し、議員に対する市民の揺るぎない信頼を得なければならない》としており、《市民全体の代表者として、名誉と品位を損なうような一切の行為を慎み、その職務に関して不正の疑惑を持たれる恐れのある行為をしないこと》と定めている。 2019年9月には、同年6月定例会の全員協議会で半沢隆市議が同僚議員に侮辱的発言をしたとして、政治倫理審査会が開催され、当該発言の謝罪と撤回を行っている。 市議会事務局に問い合わせたところ、事務局長は政倫審の手続きが進められているかどうかも含めて、コメントを控え、「現在議会内で対応を検討しているが、公表する段階ではない」と話した。複数の市議に問い合わせても口をつぐんだが、議会での過去の発言を検証しているのは間違いないようなので、近いうちに何らかの発表がありそうだ。 過去にも危うい言動 佐藤栄治伊達市議  「市民にはあまり知られていないが、佐藤市議の危うい言動は今に始まったことではない」と語るのは市内の事情通。 「伊達市議の名刺を示し、まるで市の代表者のような雰囲気で、国や県の出先機関、近隣市町村の役場、企業、団体などに顔を出す。複数の知り合いから『先日、佐藤市議が突然うちの事務所に来た。何なんですかあの人は』と戸惑う声を聞いている。建設業者を引き連れて市役所に行ったり、自分の見立てを国や県の考えのように話すなど、かなり危うい言動もみられる。実際に一般質問で思い込みの発言をしてしまい、議事録から関連発言が削除されることもありました」(同) 例えば2020年3月定例会の一般質問。入札参加資格建設業者の実態調査の問題点を指摘した際、佐藤市議はこのように話している。 《結論から申し上げますと、県からはまだ言わないようにと言われているのですけれども、間もなく伊達市の、具体的に言うと財務部の契約検査室、ここに県の立入調査が入ります。容疑と言ったらおかしいけれども、容疑は建設業法違反の入札を認めていたということで、立入調査に何人かで来るというふうに県からは聞いております》 市財政課契約検察係(※当時から部署名が変更した)に確認したところ、その後、県の立ち入り調査が行われた事実はなかったという。 議会のホームページで公開されている2021年度の政務活動費収支では、年間36万円が支給され、29万6653円を支出したことが記されている。2021年11月には「伊達市の企業誘致についての懇談」という目的で経済産業省に行っている(旅費2万1117円)。 報告書には活動の内容及び成果として「経産省の企業立地補助及び産業政策のアドバイス及び個別企業等へのコンタクトのアドバイス」と書かれていたが、「一人で経産省に行って懇談して、どう企業誘致につながるのか」といぶかしむ声も聞かれる。何ともうさん臭さが拭えないのだ。 佐藤氏は1962(昭和37)年生まれ。保原高、福島大経済学部卒。実家は建設関連業の三共商事。本人の話によると、第一勧業銀行に入行後、顧客のつながりで政治家とのパイプが生まれ、元衆院議員・元岡山市長の萩原誠司氏の秘書を務めた。髙橋一由・伊達市議が同市長選に立候補した際には陣営の事務局長を務めている。昨年4月の市議選(定数22)では、629票を獲得し、22位で再選を果たした。 本誌では2019年7月号「伊達市の新人議員2氏に経歴詐称疑惑」という記事で佐藤氏についてリポートした。①同市保原町大柳に自宅があるが、実際は同市南堀(旧伊達町)の妻の実家で生活している、②保原高卒なのに周囲に福島高卒と話している――という点で疑惑が浮上していることを報じたもの。 本誌取材に対し、佐藤氏は「旧伊達町の妻の実家には夕飯を食べに行っているだけで、夜は保原町の自宅で寝泊まりしている。住民票も保原町に置いている。出身高校は保原高校で、福島高校卒業なんて言った覚えはない。私は福島大学卒業なので、それと勘違いして第三者が勝手に(福島高校卒業と)思い込んでいるだけではないか」と主張した。  12月の定例会議のやり取りが物議を醸している件について、本人はどう受け止めているのか。保原町の自宅にいた佐藤市議に話を聞いた。   ×  ×  ×  × ――12月の定例会議が物議を醸している。 「『梁川地域市民のくらしと命を守る会』から相談され、調べているうちに、道路法の観点が抜け落ちたまま工事が進められていることに気付いた。『守る会』のメンバーとともに国見町に足を運び、徳江大橋の件も確認した。一般質問3日後の12月8日には国見町が徳江大橋の特殊車両通行禁止を発表した。間違いではなかったことになる。道路法では、『2つの自治体にまたがる道路の場合は協議して対応を決める』と定められているが、市はどう対応するつもりなのか」 ――市議の中では不適切発言の責任を問う声もあるようだが。 「倫理問題調査会が立ち上げられ、調査に協力したが、自分の発言は正当性があると考えている。そもそも同調査会は法的には何の権限もないはず。道路法をめぐる問題は引き続き議会で追及していきたい」 ――一般質問で固有名詞を出し、公式発言ではない発言を紹介することも多い。そうした発言が不適切と受け止められるのではないか。実際、議事録から削除されている個所も多く見かけた。 「裏取りに行って具体的な話を聞いたので議場で紹介しているだけのこと。過去の経歴の中で、霞が関や県庁、経済人などに同級生・友人がいる。調査している件や疑問点があれば、具体的な話を聞きに行く」   ×  ×  ×  × 今回の不適切発言だけでなく過去の質問も問題視されているのに、「そんなの関係ねえ」と言わんばかりの態度なのだ。こうした振る舞いを看過すれば、議会全体が信頼を失いかねないが、議会は追及できるか。 経済人やマスコミ関係者などとのつながりがある〝情報通〟であり、一般質問では法律・条令に基づきさまざまな角度から執行部を鋭く批判する――佐藤市議に関してはこうした評価も耳にするが、一方で、議員らしからぬ〝きな臭いウワサ〟も囁かれている。地元住民や政治家経験者からは「自分のことしか考えていない。地元で応援している人は少ない」と辛辣な評判が聞かれた。もっとも、本人はそうした声すら気にせず、開き直って暴走するタイプに見える。 市議会をウオッチングしている市内の経済人は「徹底追及は難しいのではないか」と見る。 「一般質問での内容が事実と違った件は『自分は確かにそう聞いた』と主張されれば追及しようがない。かつて一緒に行動していたり、政策面で共闘しているなどの理由で、批判し切れない市議もいるだろう。一人の政治家を徹底追及するのは容易ではない。議長が注意して幕引きとする可能性もある」 2023年第1回定例会議は3月14日まで開催される予定で、大きな動きがあるのは会期終了後になりそう。果たして議会はどのような判断をするのか、そして佐藤市議はどう受け止めるのか。

  • 続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選

     本誌4月号に「現職退任で混沌とする猪苗代町長選 前後氏の後継者と佐瀬氏の一騎打ちか」という記事を掲載した。注目は前後公町長の後継者が誰になるかだったが、前号締め切りから発売までの間に、その人選が定まった。 前後町長が後継者に「道の駅猪苗代」駅長を指名 道の駅猪苗代(HPより)  任期満了に伴う猪苗代町長選は6月13日告示、同18日投開票の日程で行われる。現職・前後公氏は3月定例会の閉会あいさつ(3月20日)で、「6月に行われる町長選には立候補しない。後進に道を譲りたい」と述べた。 記事では、前後氏の退任表明で混沌とする情勢についてリポートした。その中で、「前後町長の後継者と佐瀬真氏の一騎打ちになる公算が高い」と書いた。 佐瀬氏は同町議員で、3月定例会初日の3月7日に、渡辺真一郎議長に辞職願を提出し、本会議で許可された。同時に町長選への立候補を表明した。 佐瀬氏は1953年生まれ。会津高卒。2012年2月の町議選で初当選。2015年6月の町長選に立候補し、前後氏に敗れた。得票は前後氏5458票、佐瀬氏が2781票だった。その後、2016年2月の町議選で返り咲きを果たした。2019年6月の町長選にも立候補し、前後氏と再戦。得票は前後氏が4294票、佐瀬氏が3539票と最初のダブルスコアでの落選から、だいぶ票差を詰めたが当選には届かなかった。2020年の町議選で三度目の返り咲きを果たしたが、前述したようにすでに辞職して町長選に向けた準備に入っている。 過去3回の町長選の結果2011年6月26日投開票当5066前後 公(69)無新4242渡部英一(59)無新投票率72・50%2015年6月21日投開票当5458前後 公(73)無現2781佐瀬 真(61)無新投票率66・83%2019年6月23日投開票当4294前後 公(77)無新3539佐瀬 真(65)無新投票率66・46%  佐瀬氏について、前号記事では町民のこんな見解を紹介した。 「最初の町長選(2015年)は、佐瀬氏本人も『予行演習』と言っていたくらいで、2期目を目指す現職の前後氏に勝てるとは思っていなかったようです。ただ、2回目(2019年)は本気で取りに行くと意気込んでいた。結果は、1回目よりは善戦したものの、現職の前後氏に連敗となりました。その後は地元を離れて仕事をしているという情報もあったが、翌年(2020年)の町議選で復帰したことで、次の町長選も出るつもりだろうと言われていました。ですから、佐瀬氏の立候補表明は予想通りでした」 さらにはこんな声も。 「佐瀬氏は過去2回、町長選に出ていますが、いずれもその翌年の町議選で議員に復帰しています。『町長選がダメでも、また町議に戻ればいい』とでも考えているのではないかと疑ってしまう。少なくとも、私からしたらそういう感じがミエミエで、町民の中にも『どれだけ本気なのか』、『そんな中途半端では応援する気になれない』という人は少なくないと思いますよ」 4月号締め切り(3月27日)時点で、佐瀬氏のほかに立候補の意思を明らかにしている人物はいなかった。ただ、「前後氏の後継者が立候補することが確実視される」と書いた。その背景には、前後氏の後援会関係者からこう聞いていたからだ。 「前後町長は後援会役員に、『今期で引退する。後継者は私が責任を持って決める。私が決めた人で納得してもらえるなら、応援してほしい』と宣言しました」 その中で、名前が挙がっていたのが元町議の神田功氏(70)。2008年の町議選を最後に議員を引退した。現在は、家業である民宿を経営している。 ある関係者によると、「本人(神田氏)は出たかったようで、前後町長も神田氏から『やりたいので応援してほしい』と言われたら、それでもいいと考えていたように思います」という。 一方で、前後氏の支持者はこう話していた。 「神田氏はもともとは前後町長の対立側にいた人物で、もし、神田氏が前後町長の後継者に指名されたら、後援会関係者の中には、『神田氏では納得できない』という人も出てくるかもしれない」 前後氏後継者の人物評 【公式】にへい盛一(二瓶盛一)後援会ホームページ より  その後、3月28日に道の駅猪苗代駅長の二瓶盛一氏が立候補表明したことが伝えられた。以下は福島民友(3月29日付)より。 《任期満了に伴い6月13日告示、同18日投票で行われる猪苗代町長選で、新人で道の駅猪苗代駅長の二瓶盛一氏(69)は28日、立候補を表明した。同町で記者会見を開き、「町の未来を考えて立候補を決意した。観光誘客の一層の充実を図りたい」と語った。二瓶氏は猪苗代町出身。中央大経済学部卒。福島民報社専務、ラジオ福島専務、民報印刷社長を経て、2020年から道の駅猪苗代の駅長を務める》 二瓶氏について、前後氏の後援会関係者はこう話す。 「地元紙で報じられたように、二瓶氏は福島民報社出身で、同社専務、ラジオ福島専務、民報印刷社長などを務めたほか、同社系のゴルフ場にいたこともあり、誘客施設での経験もあったことから、前後町長が『力を貸してほしい』と頼んで、道の駅駅長として招聘した人物です。『真面目で一生懸命』というのが周囲の評価で、道の駅では売り上げを伸ばしたと聞きます。行政経験はないものの、学歴(中央大経済学部卒)も申し分なく、いまの時代は経営感覚を持った人の方がいいといった考えから、後継者に指名したようです」 前後町長は後援会関係者に「二瓶氏を後継者に据えたい」旨を伝え、了承されたという。選挙では前後町長の後援会が全面バックアップすることになる。 町内では「前後町長の支援があるのは大きいが、あまり知名度がないのがネックだろう」との声が聞かれた。ただ、前出・前後氏の後援会関係者は「猪苗代町出身で、町内には親戚もいるから、知名度云々は、そこまでの不安材料ではない」と打ち消した。 一方で、ある有力者は次のように話す。 「4月2日にリステル猪苗代で猪苗代青年会議所の45周年式典があり、その席で会った。町長選への立候補表明後、初めての公の場だったが、顔と名前を売ろうとガツガツした感じではなく悠然と構えていた。そういう性格なんでしょうね」 こうして、同町長選は「前後町長の後継者」である二瓶氏と佐瀬氏の争いになることが濃厚となったわけだが、どんな点が争点になるのか、有権者がどのような審判を下すのかが注目される。 その後(追記6/5) 2023年6月1日、猪苗代町長選に新人・高橋翔氏が出馬表明。 https://twitter.com/ShowTakahashi/status/1664169426277777408

  • 【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」

     4月の喜多方市議選で初当選した共産党の田中修身議員(61)=塩川町=が、公選法で禁じられている戸別訪問を自宅がある新興住宅地で行っていた。その数、200軒近く。投開票日当日だから投票依頼と受け取られるのは明らか。田中議員自身は疑問を抱いたが、選挙対策を担った党員に「そういうものだ」と言い含められ、気乗りしないままピンポン。不審がられ、動画に記録されるお粗末さだった。見境のない戸別訪問の背景を、専門家は「組織の高齢化と若者を獲得できない共産党の焦りの表れ」と指摘。有権者の反感を買わない選挙活動が求められている。(小池航) 投票日に「戸別訪問」を撮られるお粗末さ インターホンに映った戸別訪問動画。日時や背景は情報提供者の特定を防ぐために加工  喜多方市塩川町にある御殿場地区は新興住宅地だ。同市と会津若松市の中間に位置する利便性の良さから、市内でも人口減少が抑えられており、若年層も多い(2022年1月号の合併検証記事で詳報)。 4月23日の日曜日、黒いスーツにネクタイを締め、新築が並ぶその住宅街を一軒一軒回り、律儀にインターホンを押す男がいた。マスクを付けて顔の下半分は分からないが、眼鏡をかけている。ある家のインターホンを鳴らした。応答はない。住人は不在のようだ。 男はインターホンに向かって控えめに話した。 「あのー、1組の田中なんですけども。えーっと、1週間大変お世話になりました。ご迷惑をおかけしました。大変お世話になりました」 (さらに…) "【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」"

  • 福島県民を落胆させた岸田首相の言い間違い

     4月1日、富岡町夜の森地区に指定された特定復興再生拠点区域の解除セレモニーが開かれ、岸田文雄首相らが出席した。 同セレモニーでは岸田首相があいさつするシーンがあり、多くの町民が足を運んで耳を傾けた。ところが、「福島」を「福岡」と間違え、場内が一気にシラケるシーンがあった。 《あいさつの終盤で「福島の復興なくして日本の再生はない。こうした決意を引き続きしっかりと持ちながら、富岡町そして福岡の、失礼、福島の復興に政府を挙げて取り組む」と述べた》(福島民友4月2日付) 記者は現場であいさつを聞いていたが、夜の森の桜並木の中での生活が12年ぶりにできることを強調し、そのうえで帰還困難区域すべての避難指示解除を目指す方針を示した。 要するに住民の心情に寄り添い、避難指示解除への決意を力強く述べた後だったのだ。それだけに言い間違いへの脱力感は大きく、隣にいた新聞記者は小さい声で「ふざけるなよ」とつぶやいた。 ぶら下がり取材でこの件について問われた山本育男富岡町長は「単なる言い間違いでしょう」と一笑に付したが、あまり言い慣れていない地名だからこそ、咄嗟に「福岡」と言い間違えたのではないか。そういう意味では、思わぬ形で福島の位置づけが見えた瞬間だった。

  • 未完成の【田村市】屋内遊び場「歪んだ工事再開」

    (2022年9月号)  2021年4月、設置した屋根に歪みが見つかり、工事が中断したままになっている田村市の屋内遊び場。対応を協議してきた市は、計1億5000万円の補正予算を組んで工事を再開させる予定だが、違和感を覚えるのは原因究明が終わっていない中、歪みを生じさせた業者に引き続き工事を任せることだ。それこそ〝歪んだ工事再開〟にも映るが、背景を探ると、白石高司市長の苦渋の決断が浮かび上がってきた。 前市長の失政に未だ振り回される白石市長 白石高司市長  田村市屋内遊び場(以下「屋内遊び場」と略)は田村市船引運動場の敷地内で2020年8月から工事が始まった。計画では3000平方㍍の敷地に建築面積約730平方㍍、延べ床面積約580平方㍍、1階建て、鉄筋コンクリート造・一部木造の施設をつくる。利用定員は100人で、駐車場は65台分を備える。 総事業費は2億9810万円。内訳は建築が2億0680万円、電気が2600万円、機械設備が2340万円、遊具が4190万円。財源は全額を「福島定住等緊急支援交付金」と「震災復興特別交付金」で2分の1ずつまかない、市の持ち出しはゼロとなっている。 2021年3月には愛称が「おひさまドーム」に決まり、あとは同7月のオープンを待つばかりだった。ところが同4月、工事は思わぬ形で中断する。設置した屋根が本来の高さから5㌢程度沈み、両側が垂れ下がるなどの歪みが生じたのだ。 建物本体の施工は鈴船建設(田村市、鈴木広孝社長)、設計は畝森泰行建築設計事務所(東京都台東区、畝森泰行社長。以下「畝森事務所」と略)とアンス(東京都狛江市、荒生祐一社長)の共同体、設計監理は桑原建築事務所(田村市、桑原俊幸所長)が請け負っていた。 問題発覚時、ある市議は本誌の取材にこう話していた。 「鈴船建設は『設計図通りに施工しただけ』、畝森事務所は『設計に問題はない』、桑原建築事務所は『監理に落ち度はない』と、全員が〝自分は悪くない〟と主張し、原因究明には程遠い状況と聞いている」 実は、屋内遊び場は非常にユニークなつくりで、市内の観光名所であるあぶくま洞と入水鍾乳洞をイメージした六つのドームに屋根を架ける構造になっている(別図①)。 屋根も奇抜で、一本の梁に屋根を乗せ、玩具「やじろべえ」の要領でバランスを取る仕組み。ただ、それだと屋根が落下する危険性があるため、別図②のように屋根の片側(下側)をワイヤーで引っ張り、安定させるつくりになっていた。 しかし、屋根を架けた途端、沈みや歪みが生じたことで、市は別図③のように棒で支える応急措置を施し、原因究明と今後の対応に乗り出していた。  ある業者は 「こういうつくりの建物は全国的にも珍しいが、行き過ぎたデザインが仇になった印象。屋内遊び場なんて単純な箱型で十分だし、空き施設をリフォームしても間に合う」 とデザイン先行のつくりに疑問を呈したが、市が鈴船建設、畝森事務所、桑原建築事務所を呼び出して行った聞き取り調査では原因究明には至らなかった。市議会の市民福祉常任委員会でも調査を進めたが、はっきりしたことはつかめなかった。 本誌は2021年7月号に「暗礁に乗り上げた田村市・二つの大型事業」という記事を載せているが、その中で屋内遊び場について次のように書いている。   ×  ×  ×  × (前略)前出・某業者が興味深い話をしてくれた。 「六つのドームから構成される屋内遊び場は一つの建物ではなく、単体の建物の集合体と見なされ、建築基準法上は『4号建築物』として扱われている。4号建築物は建築確認審査を省略することができ、構造計算も不要。建築確認申請時に構造計算書の提出も求められない。もし施工業者に問題がないとすれば、その辺に原因はなかったのかどうか」 畝森事務所は構造計算書を提出していなかったようだが、屋根にゆがみが生じると「構造計算上は問題ない」と市に同書を提出したという。4号建築物なので提出していなかったこと自体は問題ないのかもしれないが、ゆがみが生じた途端「構造計算上は問題ない」と言われても〝後出しジャンケン〟と同じで納得がいかない。 そもそも公共施設なのに、なぜ4号建築物として扱ったのか疑問も残る。主に小さい子どもが利用する施設なら、なおのこと安心・安全を確保しなければならないのに、建築確認審査を省略できて構造計算も不要の4号建築物に位置付けるのは違和感を覚える。4号建築物として扱うことにゴーサインを出したのは誰なのか、調べる必要がある。 ちなみに、畝森事務所・アンス共同体は2019年10月に行われた公募型プロポーザルに応募し、審査を経て選ばれた。請負金額は基本・実施設計を合わせて3000万円。審査を行ったのは、当時の本田仁一市長をはじめ総務部長、保健福祉部長、教育部長、経営戦略室長、こども未来課長、都市計画課長、生涯学習課長、公民館長の計9人だ。   ×  ×  ×  × 今回、この記事を補足する証言を得ることができた。当事者の一人、桑原建築事務所の桑原俊幸所長だ。 改正建築士法に抵触⁉  「確かに4号建築物は構造計算が不要だが、2020年3月に施行された改正建築士法で、4号建築物についても構造計算書を15年間保存することが義務化されたのです」 義務化の狙いは、建築物の構造安全性に疑義が生じた場合、構造安全性が確保されていることを建築士が対外的に立証できるようにすると同時に、建築設計の委託者を保護することがある。つまり、構造計算は不要とされているが、事実上必要ということだ。 「しかし畝森事務所は、歪みの発生を受けて白石高司市長が直接行ったヒヤリング調査の10日後に、ようやく構造計算書を提出した。最初から同書を持っていれば調査時点で提出できたはずなのに、10日も経って提出したのは手元になかった証拠。これは改正建築士法に抵触する行為ではないのか」(同) まさに、これこそ〝後出しジャンケン〟ということになるが、 「後から『構造計算書はある』と言われても構造計算の数値が合っている・合っていない以前の問題で、建築設計事務所としての信頼性が問われる行為だと思う」(同) 同時に見過ごしてならないのは、構造計算書が存在することを確認せず、図面にゴーサインを出した市の責任だ。最初に図面を示された際、市が畝森事務所に同書の存在を確認していれば、問題発生後に慌てて同書を提出するという不審な行動は起こらなかった。そういう意味では、市も安全・安心に対する意識が欠落していたと言われても仕方がない。 「畝森事務所は工事が始まった後も『軒が長いから短くしたい』と図面を手直ししていた。問題がなければ手直しなんてする必要がない。要するに、あの屋根は最初から奇抜だった、と。玩具『やじろべえ』の要領と言っても、1本の梁に7対3の割合で屋根を乗せる構造ではバランスが取れるはずがない」(同) 桑原所長は屋根に歪みが生じた2021年4月の出来事を今もはっきりと覚えていた。 「設計の段階で、畝森事務所と市には『こういう屋根のつくりで本当に大丈夫か』と何度も言いました。しかし、同事務所も市も『大丈夫』と繰り返すばかり。そこまで言うならと2021年3月末、現場で屋根を架けてみると、屋根自体の重さで沈み込み、ジャッキダウンしたらすぐに歪みが生じた。目の錯覚ではなく、水平の糸を使って確認しても歪んでいるのは明白だった」(同) ところが驚いたことに、それでも畝森事務所と市は、現場に持ち込んだパソコンでポチポチと数値を打ち込み「問題ない」と言い張ったという。自分たちの目の前で実際に沈み込みや歪みが起きているのに、パソコンの画面を注視するとは〝机上の空論〟以外の何ものでもない。 「結局、翌日には歪みはもっと酷くなり、棒などの支えがないと屋根は落下しそうな状態だった」(同) 前出の業者が指摘した「デザイン先行」は的を射ていたことになる。 「もし時間を戻せるなら」  建物本体を施工する鈴船建設の鈴木広孝社長は、本誌2021年7月号の取材時、 「施工業者はどんな建物も図面通りにつくる。屋内遊び場も同じで、当社は図面に従って施工しただけです。屋根を架ける際も、畝森事務所には『本当に大丈夫か』と何度も確認した。現場は風が強く、近年は台風や地震が増えており、積雪も心配される。ああいう奇抜なつくりの屋根だけに、さまざまな気象条件も念頭に確認は念入りに行った。それでも畝森事務所は『大丈夫』と言い、構造計算業者も『問題ない』と。にもかかわらず、屋根を架けて数日後に歪みが生じ、このまま放置するのは危険となった」 と話している。 今回、鈴木社長にもあらためて話を聞いたが、2021年と証言内容は変わらなかった。 「畝森事務所と市には『こんな屋根で本当に大丈夫か』と何度も尋ねたが、両者とも『大丈夫』としか言わなかった。問題発生後に行われた市の調査には『当社は図面通りに施工しただけ』と一貫して説明している。市からは、当社に非があったという類いのことは言われていない」 設計監理と施工に携わる両社にここまで力強く証言されると、屋根が歪んだ原因は図面を引いた畝森事務所に向くことになるが……。 本誌2021年7月号の取材時、畝森事務所は 「田村市が調査中と明言を避けている中、それを差し置いて当社が話すことは控えたい」 とコメントしたが、今回は何と答えるのか。 「田村市が話していること以上の内容を当社から申し上げることはできない。ただ、市の調査には引き続き協力していく意向です」 当事者たちの話から原因の大枠が見えてきた中、この間、調査を進めてきた市は事実関係をどこまで把握できたのか。 「各社から個別に聞き取り調査を行い、そこで分かったことを弁護士や一般財団法人ふくしま市町村支援機構に照会し、再び各社に問い合わせる作業を繰り返している。現時点では屋根が歪んだ原因は明確になっておらず、市として公表もしていません」(市こども未来課の担当者) 問題発覚後に開かれた各定例会でも、議員から原因究明に関する質問が相次いだが、市は明言を避けている。そうした中、白石市長が最も踏み込んだ発言をしたのが、2021年12月定例会(12月3日)で半谷理孝議員(6期)が行った一般質問に対する答弁だった。 「屋根の歪みの原因は設計か施工のいずれかにあると思っています。この件については、市長就任前の議員時代から情報収集しており、約1年前から屋根に懸念があるという情報をつかんでいました。もし時間を戻せるなら、施工前に設計者、施工者、発注者の市が話し合い、何らかの設計変更をすべきだったのではないか、と。もしタイムマシンがあれば戻りたいという気持ちです」 「施工者や監理者から話を聞いたところ、当初の図面から昨年(※2020年)12月に設計変更して、屋根の長さを短くしたとのことです。それは、自ずと屋根が歪むのではないか、この構造で持つのか、という投げ掛けがあり、屋根を小さくしたとのことでした。さらに施工前に懸念されていたことが、実際に施工して起きた、これも事実です。こうしたことを含めて、責任の所在がどこにあるのか考えていきたい」 明言こそしていないが、白石市長は設計側に原因があったのではないかと受け止めているようだ。 印象的なのは「もし時間を戻せるなら」「タイムマシンがあれば戻りたい」と繰り返している点だ。その真意について、前出の業者はこんな推測を披露する。 「屋内遊び場は、白石市長が就任前の本田仁一前市長時代に工事が始まり、就任後に歪みが生じた。白石市長からすると、本田氏から迷惑な置き土産を渡された格好。しかし自分が市長になった以上、本音は『オレは関係ない』と思っていても問題を放置するわけにはいかない。議員時代から調査していた白石市長は、そのころから『自分が市長ならこういうやり方でトラブルを回避していた』という思いがあったはず。だから、つい『時間を戻せるなら』と愚痴にも似た言葉が出たのでしょう。見方を変えれば、本田氏への恨み節と捉えることもできますね」 責任追及に及び腰のワケ  状況を踏まえると、歪みが生じた原因は明らかになりつつあると言っていい。にもかかわらず、市が責任追及の行動に移そうとしないのはなぜなのか。 某市議が市役所内の事情を明かしてくれた。 「責任の所在は業者だけでなく市にも一定程度ある。畝森事務所から上がってきた図面を見て、最終的にゴーサインを出したのは市だからです。逆に言うと、図面を見て『この屋根のつくりではマズい』とストップできたのも市だった。そういう意味では、市のチェック体制はザルだったことになり、業者だけを悪者にするわけにはいかないのです」 つまり、白石市長が責任追及に及び腰なのは身内(市職員)を庇うためなのか。某市議は「傍から見るとそう映るかもしれないが、そんな単純な話ではない」と漏らす。 「一つは、市町村役場に技術系の職員がいないことです。技術系の職員がいれば、図面を見た時に『この屋根のつくりはおかしい』と見抜いたかもしれないが、田村市役所にはそういう職員がいない。業者はそれを分かっているから『どうせ見抜けるはずがない』と自分に都合の良い図面を出してくるわけです。結果、図面上の問題は見過ごされ、専門知識を持たない市職員は提出された書類に不備がないか法律上のチェックのみに留まるのです。もう一つは、市職員はおかしいと思っても、上からやれと指示されたらやらざるを得ないことです。屋内遊び場をめぐり当時の本田市長が部下にどんな指示をしたかは分からないが、専門知識を持つ桑原建築事務所や鈴船建設が心配して何度確認しても、市は大丈夫と押し通したというから、担当した市職員は本田氏の強い圧力を受けていたと考えるのが自然でしょう」 こうした状況を念頭に「白石市長は市職員の責任を問うのは酷と逡巡している」(同)というのだ。 「本来責任を問うべきは当時の最終決定者である本田氏だが、本田氏は既に市長を退いており責任を問えない。じゃあ、本田氏から指示された市職員を処分すればいいかというと、それは酷だ、と。もちろん、最終的には市長自らが責任を負うことになるんでしょうが」(同) 事実、白石市長は前出・半谷議員の「これによって生じる責任の全てを業者ではなく、市長が負うと理解していいのか」という質問(2021年12月定例会)にこう答弁している。 「現時点では私が田村市のトップなので、全て私の責任で今後対応してまいります」 考えられる処分は市長報酬の一定期間減額、といったところか。 一方で、白石市長が原因究明を後回しにしているのは、屋内遊び場の完成を優先させているからという指摘もある。 屋内遊び場の事業費が全額交付金でまかなわれていることは前述したが、期限(工期)内に竣工・オープンしないと国から返還を迫られる可能性がある。当初の期限は2021年7月末だったが、市は屋根に歪みが生じた後、交付金の窓口である復興庁と交渉し、期限延長が了承された。しかし、新たに設定した期限(2022年度中の竣工・来年4月オープン)が守られなければ交付金は返還しなければならず、事業費は全額市が負担することになる。 もはや再延長は認められない中、市は2021年12月定例会で屋根の撤去費用1500万円、新しい屋根の葺き替え費用4500万円、計6000万円の補正予算案を計上し議会から承認された。ところが2022年6月定例会に、再び屋内遊び場に関する補正予算案として9000万円が計上された。ウッドショック(木材の不足と価格高騰)への対応や人件費など経費の高騰、さらには木造から鉄筋に変更したことで工程上の問題が生じ、更なる予算が必要になったというのだ。 この補正予算案が認められなければ屋内遊び場は完成しないため、結局、議会から承認されたものの、計1億5000万円は市の一般財源からの持ち出し。すなわち全額交付金でまかない、市の持ち出しはゼロだったはずの計画は、一転、市が1億5000万円も負担する羽目になったのだ。 さらに問題なのは、引き続き工事を行うのが鈴船建設、畝森事務所・アンス共同体と顔ぶれが変わらないことだ(桑原建築事務所は8月時点では未定)。市民からは 「歪みを生じさせた当事者に、そのまま工事を任せるのはおかしい」 と〝歪んだ工事再開〟に疑問の声が上がっている。 「市民の間では、信頼関係が失われている面々に引き続き工事をやらせることへの反発が大きい。『そういう業者たちに任せて、ちゃんとしたものができるのか』と心配の声が出るのは当然です」(前出の業者) 1.5億円の「請求先」  そうした懸念を払拭するため、市では構造設計を専門とするエーユーエム構造設計(郡山市)とコンストラクション・マネジメント契約を締結。同社が市の代理人となって施工者、設計者、設計監理者との仲介に努めていくという。業者間の信頼関係が疑われる中、同社が〝緩衝材の役目〟を果たすというわけ。 「すでに工事が3~4割進んでいる中、業者を変更して工事を再開させるのは難しいし、そもそも他社が手を付けた〝瑕疵物件〟を途中から引き受ける業者が現れることは考えにくい。そこで、同じ業者にトラブルなく仕事を全うさせるため、市はコンストラクション・マネジメントという苦肉の策を導入したのです」(前出の市議) 市としては補助金返還を絶対に避けるため、なりふり構わず施設の早期完成を目指した格好。 ちなみに、エーユーエム構造設計には「それなりの委託料」が支払われているが、これも市の一般財源からの持ち出しだ。 最後に。同じ業者に引き続き工事を任せる理由は分かったが、竣工・オープン後に待ち受けるのは、市が負担した1億5000万円(プラスエーユーエム構造設計への委託料)をどこに請求するかという問題だ。なぜなら、これらの経費は屋根に歪みが生じなければ発生しなかった。本来なら市が負担する必要のない余計な経費であり、その「原因者」に請求するのは当然だ。言うまでもなく「原因者」とは屋根の歪みを生じさせた業者を指す。 今は中途半端になっている原因究明の動きだが、最終局面は2022年度中の完成・2023年4月にオープン後、1億5000万円を請求する際に迎えることになる。

  • 福島県内にも「旧統一教会」市議シンパ議員も複数存在

    (2022年10月号)  安倍晋三元首相の銃撃事件でクローズアップされている政治家と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関係。自民党は党所属の国会議員と教団・関連団体とのつながりを調査し、9月8日、衆参両院議長を除く379人中179人に何らかの接点があったと公表した。このうち選挙支援を受けるなど「一定の接点」があった121人は氏名が明かされたが、調査結果が実態をどこまで反映しているかは不透明だ。 実際、同13日には木原誠二官房副長官が関連団体主催の会合に出席していたことを発表。木原氏は、党への報告が漏れた理由を「秘書が出席し、会合出席の記録も記憶も残っていなかった。外部からの指摘で判明した」と釈明している。 木原氏と同様、後日判明するケースは今後も後を絶たないだろうが、問題は調査が進む国会議員とは対照的に、地方議員への調査は一切手付かずなことだ。 都道府県議と知事についてはマスコミが調査を進め、徐々に関係が明らかになっているが、市町村議レベルになると教団・関連団体とのつながりはよく分かっていない。 県内に目を向けると、7月の参院選で初当選した星北斗氏が、選挙前に郡山市などのミニ集会で何度か挨拶していたことが判明。いわき市の内田広之市長も、2021年9月の市長選に向けた準備の過程で市内の教団支部施設を訪問していたが、両氏に共通するのは、その〝案内役〟が地元の自民党系市議だったことだ。 両市の議員ら関係者の話を総合すると、その自民党系市議たちが教団と〝深いつながり〟(信者?)を持つことは周知の事実だという。ただ、信教の自由は尊重されるべきだし、同僚としてこれまで迷惑を被ったこともなかったため、深く気にすることはなかったという。 風向きが変わったのは、言うまでもなく安倍元首相の銃撃事件がきっかけだ。教団名が変わっていたため気付かなかったが、世界平和統一家庭連合が旧統一教会であることを知り、その市議と今後どう付き合うべきか、他の同僚議員たちと頭を悩ませるようになった。 「党本部の調査は国会議員にとどまっており、現時点で地方議員には及んでいない。しかし、茂木敏充幹事長は『教団との関係を絶てない人とは同じ党で活動できない』と離党を促している。地方議員も国政選挙に携わる以上、調査対象になるのは確実だ」(ある自民党系市議) 問題の自民党系市議たちは市議会会派の要職を務めていたり、若手のホープといった立ち位置。しかし、教団との関係を絶たないと現在の役職を辞めてもらわなければならないし、将来のポストも望めない。 「とはいえ、もし彼らが熱心な信者なら脱会するのも簡単ではないはず。信教心を貫くのか、ポストを取りにいくのか、彼らも頭を悩ませているのではないか」(同) 市議らによると、自宅や事務所にはさまざまな雑誌や資料などが送られてくるが、彼らが当選後、旧統一教会系の月刊誌がいつの間にか送られてくるようになったという。「もちろん、購読申し込みをした事実はない」(同)。 両市の職員の間でも、教団とつながりを持つ市議がいることはウワサになっていたが、特段気に留めることはなかったという。 「ただ、一般質問の視点が独特だったり、議会内の言動が他の議員と少し違っていたり、今思えばどことなく教団色が滲み出ていたのかもしれませんね」(郡山市職員) 本誌には「〇〇市にも信者の市議がいる」「××市議の妻が信者だ」という情報が寄せられているが、自民党が今後、地方議員にどのような対応を迫るのか注目される。

  • 【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ

    (2022年9月号)  県が地元クリエイターの育成に乗り出す。2022年8月30日、国内トップクリエイター6人を〝師範〟とする道場を開塾した。〝館長〟を務めるのは福島県クリエイティブディレクター(CD)の箭内道彦氏(58)。箭内氏をめぐっては本誌2021年3月号で「本来裏方であるはずのCDが目立ち過ぎている違和感」を指摘したが、今回も箭内氏を前面に立たせ、税金を使ってクリエイターを育成することへの違和感が聞こえてくる。 内堀知事の箭内道彦氏推しに業界辟易 内堀雅雄知事 箭内道彦氏(誇心館HPより)  「来たれ、やがてふくしまの誇りになるクリエイターたち。」 そんなキャッチフレーズのもと、入塾生の募集が始まったのは7月12日だった。道場の名は「FUKUSHIMA CREATORS DOJO(福島クリエイターズ道場)誇心館(こしんかん)」。 入塾生募集資料の一文を借りると《県内クリエイターのクリエイティブ力を強化し、様々なコンテンツを連携して制作するとともに、それらを活用して情報発信を行うことで、本県の魅力や正確な情報を県内外に広く発信し、風評払拭・風化防止や本県のブランド力向上を図る》ことを目的に、県が創設したクリエイター育成道場だ。 募集開始に合わせて県が開いた会見で、内堀雅雄知事は道場創設の狙いをこう説明した。 「震災から10年の節目が過ぎ、風化にあらがうには新しい挑戦が必要だ。福島で生活し、今の福島を肌で感じているクリエイターが切磋琢磨し、現場主義で福島の今を発信することは新しい挑戦につながる」(福島民友7月13日付より) 道場名は、県産農林水産物をPRする際に使用しているワード「ふくしまプライド。」を念頭に「故郷を誇り、人を誇る心はクリエイティブにとって大切な素地になる」との思いが込められているという。 「こういう人たちが講義してくれるなら、私もぜひ聞いてみたいですね。彼らがどんなことを考えながら作品を制作しているかは、とても興味深いですから」 と某広告代理店の営業マンが口にするように、魅力的なのは〝師範〟と位置付けられる講師陣の顔ぶれ(別表参照)。広告や映像などの仕事に携わる人にとっては豪華な布陣になっている。一般の人は名前を聞いてもピンと来ないかもしれないが、彼らが手掛けた作品を見れば「あー、知っている」となるに違いない。 クリエイター主な仕事など館長箭内道彦(郡山市出身)クリエイティブディレクタータワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」など。県クリエイティブディレクター師範井村光明(博報堂)CMプランナー、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」CMなど柿本ケンサク映像作家、写真家県ブランド米「福、笑い」「晴天を衝け」メインビジュアルなど小杉幸一アートディレクター、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」「来て。」「ちむどんどん」ロゴなど児玉裕一映像ディレクター「MIRAI2061」など。CMやミュージックビデオの映像作品企画・演出並河進(電通)コピーライター、クリエイティブディレクター県「ふくしま 知らなかった大使」など寄藤文平(文平銀座)アートディレクター県スローガン「ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま」など※福島民友7月13日付の記事をもとに作成  そして、その師範たちの上に立つ〝館長〟を務めるのが福島県CDの箭内道彦氏だ。 郡山市出身。安積高校、東京芸術大学を経て博報堂に入社。その後独立し、フリーペーパーの刊行、番組制作、イベント開催、バンド活動など幅広い分野で活躍する。携わった広告、ロゴマーク、グラフィック、ミュージックビデオ、テレビ・ラジオ等は数知れず、まさに日本を代表するCDと言っても過言ではない。福島県CDは2015年4月から務めている。 こうした国内トップクリエイターたちのもとで、一体どんなことが行われるのか。 入塾生募集資料によると、誇心館の開催期間は8月30日から2023年2月28日まで。会場は福島市と郡山市を予定し、師範ごとに分かれてのリアル・オンライン稽古(講義・実習)が行われる。初日となる8月30日は開塾・入塾式の後、初稽古と題して箭内館長による講義、師範ごとに分かれてのクリエイティブ・ディスカッション、全体懇親会。以降は9、10、11、12月と計4回の師範別稽古が行われ、2023年2月に成果発表会が開かれるスケジュールになっている。実習ではポスターデザインやロゴ、映像などを制作し、今冬にお披露目される県オリジナル品種のイチゴ「福島ST14号」のロゴデザインも任されるという。 受講料は無料で、入塾生の募集定員は30名程度。募集期間は7月31日で終了したが、県広報課によると、 「応募件数が何件あり、そこから最終的に何人選んだかは現時点(8月24日)で公表していません」 と言う。ちなみに対象者は 《福島県所在の事業所に所属するクリエイターや福島県を拠点に活動するフリーランスのクリエイター、学生等今後本県の情報発信に尽力いただける方》(入塾生募集資料より) 内堀知事が会見で話したように、県が主体となって地元の若手クリエイターを育成し、県の情報発信に携わってもらおうという狙いが見えてくる。卒業生は「誇心館認定クリエイター」に認定されるという。 他県には見られないユニークな取り組みと好意的な声もあるが、実は業界内の評価は芳しくない。 「箭内氏の枠」の弊害  館長の箭内氏をめぐっては、本誌2021年3月号「福島県CD 箭内道彦氏の〝功罪〟」という記事で、①県の動画制作業務はほとんどが箭内氏の監修となっているため、制作を請け負った業者は箭内氏の意向に沿った動画を制作しなければならず、やりにくさを覚える。②箭内氏は博報堂出身のため、プロポーザルに複数の業者が応募した場合、審査は同系列の会社(東北博報堂)が優位と業界内では捉えられている。③CDは本来裏方の仕事なのに、箭内氏は自分が一番目立っている――と書いた。 講師陣を魅力的と評した前出の営業マンも次のように話している。 「6人の師範が魅力的なのは間違いないんです。ただ、結局は〝箭内組〟の人たちなので(苦笑)、シラける部分もあるんですよね」 〝箭内組〟とは、6人がこれまで箭内氏と一緒に仕事をしてきた面々であることを念頭に「同じ感覚を持った一団」を皮肉を込めてそう呼称しているのだという。 「要するに、どこまで行っても箭内氏の枠から抜け出せない、と。そもそもクリエイティブとは、枠組みにとらわれない、自由な発想で仕事をすることを指す。そのクリエイターを育成するのに〝箭内組〟の面々を師範にしてしまったら、箭内氏の枠にはめ込んでしまうのと同じ。そうなると、クリエイター育成の趣旨からは外れてしまうと思う」(同) そのうえで、営業マンは誇心館の問題点をこう指摘する。 「一つは、県の事業なのに閉鎖的に進められていることです。定員を設けたということは、講義は入塾を認められた人しか受講できないと思うんです。せっかく国内トップクリエイターが講義するのに、限られた人しか受講できないのはもったいないし、税金を使う事業なら尚更、一般県民にも受講の権利がある。ユーチューブで講義をライブ配信し、アーカイブ化していくべきです」 「二つは、どういう基準で入塾生を選考したのかということです。例えば、電通や博報堂に所属していることが選考を左右していないか、あるいは箭内氏や師範たちとの〝個人的つながり〟が影響していないか。選考方法をきちんとディスクローズしないと、選考から漏れた人も納得がいかないと思う」 「三つは、卒業生を誇心館認定クリエイターに認定することです。この認定が、県の仕事を請け負う際のアドバンテージになってはマズいと思うし、認定を受けたから県のクリエイターとして認める、受けていないから認めない、ということが起きれば県内のクリエイターを分断することにもなりかねない」 県広報課に尋ねたところ▽講義を公開するかどうか、▽どういう基準で入塾生を選考したのか、▽誇心館認定クリエイターに認定されたことによるアドバンテージ――等々は 「現時点(8月24日)で公表していないので答えられない。ただ、プレスリリース後にお話しできる部分はあると思う」 ならば、プレスリリースがいつになるのか聞くと、 「それもお答えできない」 開塾まで1週間を切ったタイミングで質問しているのに、要領を得ない。ついでに箭内氏や師範に支払われる報酬等も尋ねてみたが 「公表していない」 ただ、事業を受託したのは山川印刷所(福島市)で、契約額は約5500万円とのことだった。 「そもそも、クリエイティブとは何かを分かっている人は誇心館に入塾しないのでは。真のクリエイターなら(箭内氏の)枠にはめ込まれることに反発するはずです」(前出の営業マン) 気になるのは、誇心館が事業化されることになった経緯だ。これについて、中通りで活動する中堅CDが意外な話をしてくれた。 「県や箭内氏は『政経東北』2021年3月号の記事をかなり気にしていたそうです。とりわけ某CDが記事中で発していたコメントは、かなり効き目があったとか」 そのコメントとは、県内の某CDが箭内氏に向けたものだった。 「本県出身のCDとして、地元の若手CDの育成に携わるべきではないか。例えば、箭内氏の人脈がなければ起用できないタレントを連れてきて『この素材を使ってこんな動画をつくってほしい』と若手CDを競わせ、最終的にはプロポーザルで決定するとか。箭内氏はいつかは福島県CDを退く。その時、後に続く人材がいなかったら困るのは県です。CDは教えてできる仕事ではなく当人のセンスが問われるが〝原石探し〟は先駆者として行うべき。しかし今の箭内氏は『オレがオレが』という感じで、後進の育成・発掘に注力する様子がない」 県と箭内氏にとっては〝痛いところを突かれた〟ということだろう。 税金を使って行う事業か 福島県庁  誇心館創設のきっかけをつくったと言っても過言ではない某CDは、何と評価するのか。 「自分が館長で、周りを〝箭内組〟で固めているのを見ると、やっぱり『オレがオレが』は変わらないということでしょう。県が地元クリエイターを育成するというなら、まずは内堀知事が前面に出て、県内のベテランCDらにも協力を仰ぎ、オールふくしまで取り組むべきだ。内堀知事と箭内氏が親しい関係にあることを知っている人からすると、県が箭内氏のために多額の予算を出して塾を開いたようにしか見えない」 そう言いつつ、某CDからは箭内氏を庇うような言葉も聞かれた。 「前回(2021年3月号)は箭内氏を批判したが、その後、考えが少し変わりました。悪いのは箭内氏ではなく、取り巻きではないかと思うようになったんです。取り巻きとは県や地元紙を指します。箭内氏は純粋に復興に寄与したいと自分にできることを精一杯やっているだけで、そんな箭内氏を県や地元紙が〝利用〟している状況が良くないのではないか、と。県や地元紙から『復興に力を貸してほしい』と言われれば、箭内氏は断りづらいでしょうからね」(同) しかし、箭内氏を批判することも忘れていない。 「自費を元手に、参加者から会費を集めて育成に臨むなら感心したでしょうが、税金を使ってやるのは違うんじゃないと思いますね。人材育成が必要なのはクリエイターだけじゃないのに、ここにだけ税金を使うのは、内堀知事と箭内氏が個人的に親しい関係にあるからと言われてもやむを得ない」(同) このほか「本気で育成する気があるなら、単年で終わるのではなく毎年行わなければ意味がない」とも語る某CD。一過性の取り組みでは育成に寄与しないことは、確かにその通りだ。

  • 【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】

    (2022年10月号)  会津坂下町は老朽化している役場本庁舎の新築事業を進めている。もともとは2017年度から検討を行い、2022年度に完成のスケジュールで進められていたが、2018年9月に「財政上の問題」を理由に事業延期を決めた。それから4年が経ち、今年度から再度、庁舎建設に向けて動き出したのだが、町内では賛否両論が上がっている。 「4年前の決定」継続派と再考派で割れる 4年前の議論に上がった候補地図  会津坂下町役場本庁舎は、1961年に建設され老朽化が進んでいること、1996年に実施した耐震診断結果で構造耐震指標を大きく下回ったこと、本庁舎のほかに東分庁舎・南分庁舎があり、機能が分散して不便であること等々から、2017年度から新庁舎建設を検討していた。その際、国の補助事業である「市町村役場機能緊急保全事業」を活用すること、そのためには2020年度までに着工することを条件としていた。 町は2017年に、町内の社会福祉協議会や商工会、観光物産協会、区長・自治会長会の役員などで構成する「会津坂下町新庁舎建設検討委員会」を立ち上げ、調査・検討を諮問した。それに当たり、最大のポイントになっていたのは建設場所をどこにするか、だった。 同委員会では、①現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地、②旧営林署・保健福祉センター・中央公園用地、③南幹線南側町取得予定県有地――の3案を基本線に検討を行い、2018年2月、「現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地が適地である」との答申をした。 同年3月議会では、同案に関する議案が提出され、賛成13、反対2の賛成多数で議決した。 ところが、同年9月、町(齋藤文英町長=当時)は「事務事業を見直し、将来の財政状況を算定したところ、計画通り進めれば住民サービスに大きな影響を及ぼすことが予想されることになった。財政健全化を重視し新庁舎建設延期という重い決断をした」として、庁舎建設の延期を決めた。 それから4年。町は今年度から役場内に「庁舎整備課」を新設し、庁舎建設事業再開を決定した。今年度予算では関連費用として約6700万円が計上されている。 そんな中、5月12日付で町民有志「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から、議会に対して「会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議することを求める請願」が提出された。内容は次の通り。   ×  ×  ×  × 町民にとって関心の高い新庁舎の建設については、これまで様々な議論がなされてきました。特に建設場所については平成30(2018)年2月15日に会津坂下町新庁舎建設検討委員会から「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」を適地として選定した旨の答申がなされ、同年、町議会第1回定例会において、議案として提出され賛成多数で可決されました。 この流れを受け、昨年度までに用地買収や移転補償などのスケジュールが進捗していると聞き及んでおり、これについては本年3月において新聞報道等により周知の事実となりました。 しかしながら、この決定が既に4年前のものとなっており、その間、町における公共施設や公有地の状況の変化、社会情勢の変化に伴う民間施設や商業施設の状況の変化などが見られました。 会津坂下町新庁舎建設検討委員会からの答申書においても、選定理由の一つとして「中心市街地や周辺まちづくりへの寄与」といった観点が挙げられておりますが、この観点から新庁舎の建設場所を考えるにあたって、上記の様々な現状の変化を加味し、現状のままでよいか再度協議することは必要不可欠と考えます。 今後の会津坂下町のまちづくりを担う青年世代の多くがこの議論に関心をもっております。既に決定され、議決された内容ではありますが、下記の事項について強く請願いたします。 1、会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議すること。   ×  ×  ×  × 同請願は6月議会で、総務産業建設常任委員会に付託され、請願者が同委員会で意図や内容を説明した。委員会では請願は採択された。 議員の賛成・反対意見 東分庁舎・東駐車場用地と町が取得した隣接地  その後、本会議に諮られ、以下のような賛成・反対討論があった(「議会だより 206号」=7月25日発行より)。 賛成討論 渡部正司議員 議決の建設場所は、国からの財政支援措置と平成32(2020)年度までの着工が条件で決められたものであり、建設延期によって候補地選定の前提は崩れた。改めて協議すべきであり、本議案に賛成する。 小畑博司議員 庁舎建設が計画され、そのために全国各地を行政調査したが、建設コストは主たる課題にはならなかった。検討委員会の結果を受けて建設場所を決議した流れも、財政状況を反映したものではなかった。提案した根拠が違ったままの決議をそのままに進めることは説明責任が果たせない。本意見書は採択すべき。 反対討論 酒井育子議員 町民を代表した建設検討委員会の答申を無視し、また、提出議案、土地買収・跡地取り壊し料の予算を満場一致でした議会議決を無視している。自主財源の少ない当町、未来を担う子供たちに「負」を残してはいけない観点から反対。 五十嵐一夫議員 建設場所は4年前に議決済で、周辺に多少の社会情勢の変化があるが、その後にこの決定済の場所に欠陥が生じたわけではない。再度位置について議論をすることは、混乱を招くだけで採択・意見書提出に反対する。 山口亨議員 請願内容的には建設場所は「現本庁舎、北庁舎、東分庁舎、東駐車場用地」であることに反対ではないとのことで、単に話し合いを求めるというものだった。庁舎建設場所は、平成30(2018)年第1回定例会で議決しているものである。もし、この請願を可決すれば、町民に対しあいまいな話が独り歩きしてしまう可能性がある。現在、旧江戸鮨の解体工事が始まろうとしている。更には、令和7(2025)年4月には新庁舎での業務開始とのスケジュールも組まれている。あいまいなメッセージを町民に与えるべきではない。よってこの請願には反対。 これら討論の後、採決が行われ、賛成8、反対5の賛成多数で同請願は採択された。これを受け、議会は前段で紹介した請願書の内容と同様の意見書を、町執行部(古川庄平町長)に提出した。 請願者である「まちづくりを考える青年の会」の加藤康明代表に話を聞いた。 「町内の仲間内での飲食時や雑談の中で、『延期になっていた庁舎建設事業が再開されることになったが、いま建てるべきなのか』、『財政的な問題が理由で延期になったが、それをクリアできたとは思えない』といった話が出ました。私自身、最初に庁舎建設の話が出たころから2年前まで行政区長を務めていましたが、区の要望として、例えば街灯を増やしてほしいとか、子どもたちの通学路で歩道がないところがあるから何とかしてほしいとか、生活に直接関係する部分について、町にお願いしてきましたが、そのほとんどが『予算の問題』で実現しませんでした。そんな状況で庁舎を建てられるのか、と。さらには、この4年間で町内の生活環境は大きく変化しました。そんな中で、4年前の計画をそのまま進めていいのかと思い、請願を出しました」 加藤代表によると、「建設場所が現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地となっていること自体に反対ではない」という。 ただ、この4年間で坂下厚生病院が新築移転したこと、坂下高校が大沼高校と統合して会津西陵高校になり、同校は旧大沼高校の校舎を使っているため、事実上、坂下高校がなくなったこと、新築移転した坂下厚生病院の近くに、今年11月に商業施設「メガステージ会津坂下」がオープン予定であること――等々から、「生活環境が変わっていることを考慮すべき」(加藤代表)というのだ。 さらには、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で、建設資材が高騰しており、4年前と比べるとコスト増加は間違いない。 「これだけ、社会情勢が変わっているのに、4年前の計画をそのまま進めることが正しいのか。もう一度、議論してもらいたいというのが請願の趣旨です」(同) 懇談会の模様  町は議会からの意見書を受け、新庁舎建設検討委員会を立ち上げ(※2017年に立ち上げた委員会が解散されておらず、正確には「再開」だが、委員に変更等があった)、7月から検討を再開した。その中で、今後、町民の声を聞くために、まちづくり懇談会、新庁舎建設に関するアンケートを実施することになった。 それまで、町は4年前に決まった現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地に新庁舎を建設する考えだったようだ。その証拠に、昨年8月に東分庁舎・東駐車場用地に隣接し、競売物件になっていた寿司店の土地・建物を取得、今年5月から解体工事を進めていた。しかし、請願・意見書を受けて、場所を含めて再考することにしたのだ。 懇談会で示された資料に本誌が必要情報を追加  「これまで(4年前)の議論がゼロになったわけではありません。それも踏まえて、請願・意見書を受けて町民の声を聞くために、懇談会やアンケートを実施することにしました。3月時点で議会には2024年度内の完成目標というスケジュールを示しましたが、(請願・意見書を受けての再考で)少し遅れることになると思います」(町庁舎整備課) 懇談会は9月15日から30日の日程で、町内7地区で開催された。本誌はこのうち9月20日に開かれた坂下地区(中央公民館)での模様を取材した。その席で配布された資料には「請願・意見書を尊重し、状況の変化などを鑑みて、建設場所を含めて総合的に判断することにしました。そのための判断材料として、懇談会やアンケートなど、幅広く町民の声を聞く機会を設けることにしました」と記されていた。 懇談会では、「4年前に決まったのに、なぜ再考しなければならないのか」、「こんなことをしていたら、いつまで経ってもできない。早く建設すべき」といった意見が出た。中には、「議会は4年前に自分たちが決めたことを覆すとはどういった了見か。しかも、今年3月議会では関連予算を可決しており、わずか3カ月で方針転換した」との指摘も。 これには、懇談会に出席していた議員(請願に賛成した議員)が前段で紹介した請願に対する賛成討論と同様の説明を行った。 古川町長は「4年前の議決も、今回の意見書も、どちらも重く受け止めている。そんな中で、あらためて意見を聞くことにしたのでご理解願いたい」旨を述べた。 同地区はまちなかで役場に近いエリアということもあり、「いまの場所で早急に進めてほしい」といった意見が目立った。ただ、それ以外の地区では「4年前の計画をそのまま進めるのではなく、もっと深く議論すべき」といった意見も出たようだ。つまりは、役場に近い地区とそうでない地区では温度差がある、ということだ。 依然厳しい財政 会津坂下町役場  懇談会では事業延期の原因となった財政面についても説明があった。それによると、町の貯金である財政調整基金、減債基金、行政センター建設整備基金の合計は、2017年度末が約3億円だったのに対して、昨年度末は約13億8000万円に増えた。一方、町の借金である町債残高は2017年度末が約97億円、昨年度末が約77億円。昨年度の実質公債費比率は11・0%、将来負担費比率は49・1%で、この数年で少しずつ改善されてはいるものの、全国市町村の平均値と比べると高い数値となっている。 当日配布された資料には、「財政健全化の取り組みを進めたことで、各種財政指標は改善の傾向にあります。しかし、令和2(2020)年度の全国市町村平均値と比較すると依然として悪い状況ですので、今後の新庁舎建設に備えるためにも、より健全な財政運営に努めます」と書かれている。 10月には町民アンケートの実施を予定しており、町庁舎整備課によると、「年代や地区を分けたうえで、無作為抽出で15歳以上の1000人を対象に実施する予定」という。懇談会とアンケートを踏まえて最終的な決定をしていく方針だが、やはり最大のポイントは場所ということになろう。すなわち、4年前に決めた現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地なのか、それ以外か。 ちなみに、懇談会で配布された資料にはあくまでも1つの目安として、以前の決定地、南幹線沿い県有地、旧坂下高校跡地、旧厚生病院跡地が示されている。 町内では「場所は4年前に決まったところでいい。早急に進めるべき」といった意見や、「場所を含め、もう一度、深く議論すべき」、「そもそも、いま建設を行うべきなのか」といった意見が出て紛糾しているわけだが、1つだけ言えるのは、役場に直接的に関わっている人はともかく、庁舎が新しくなったところで、町民の日々の生活が豊かになるわけではない、ということ。それを指摘して締めくくる。 あわせて読みたい 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 【検証・内堀県政 第3弾】公開資料で見えた内堀知事の懐事情

    (2022年10月号) ジャーナリスト 牧内昇平(+本誌編集部)  福島県知事の内堀雅雄氏(58)にはクリーン(清浄)な印象を持つ人が多いのではないだろうか。しかし、選挙というものにはやはりお金がかかる。内堀氏も例外ではないだろう。「政治と金」を監視するのはメディアの役目の一つだ。前回の知事選で内堀氏がどのようなお金の集め方、使い方をしたか。公開資料に基づいて調べてみた。シリーズ第3弾。 公開資料で見えた内堀知事の懐事情  選挙に出た人はどのようにお金を集め、何に使ったかを選挙管理委員会に届け出る義務がある。「選挙運動に関する収支報告書」だ。また、政治上の主義・施策を推進したり、特定の候補者を支持したりする「政治団体」も、毎年の収入と支出を届け出る。「政治資金収支報告書」である。これらの保存が義務づけられているのは3年間だが、過去の分の要旨は県報などにも載っている。それらの公開資料を読み解いていく。 2018年の知事選(10月11日告示、10月28日投票)に関して、内堀陣営の収支をまとめたのが表1である。 表1)2018知事選、内堀氏のお金の「集め方」「使い道」 収  入(寄付)支  出「ふくしま」復興・創生県民会議1620万円人件費556万3000円福島県医師連盟100万円家屋費410万6436円福島県歯科医師連盟100万円通信費93万5745円福島県農業者政治連盟50万円交通費0円福島県商工政治連盟50万円印刷費524万3099円福井邦顕50万円広告費160万4012円福島県薬剤師連盟10万円文具費7万1555円福島県中小企業政治連盟10万円食糧費5万3111円その他の寄付43万円休泊費97万5408円雑費171万6383円合計2033万円合計2026万8749円※選挙運動に関する収支報告書を基に筆者作成  内堀氏は18年8月24日から11月19日までのあいだに2000万円以上集め、ほぼ同額を使った。収入源は団体・個人からの寄付だ。「『ふくしま』復興・創生県民会議」という政治団体からの寄付が段違いに多い。これについては後述しよう。 ほかは、いわゆる業界団体からの寄付である。100万円ずつ寄付していたのは、県医師連盟と県歯科医師連盟。それぞれ県医師会、県歯科医師会による政治団体だ。50万円出した県農業者政治連盟は、農協(JA)関係の政治団体だ。同連盟は郡山市、たむら、いわき市、ふたばの4支部も2万5000円ずつ寄付していた。 試しに県医師連盟の政治資金収支報告書を調べてみると、18年10月5日に「陣中見舞い」として内堀氏に100万円渡していることが確認できた。少なくとも18~20年の3年間に限って言えば、内堀氏のほかは特定の候補者に「陣中見舞い」を送った記載はなかった。話はそれるが、県医師連盟の会計責任者の欄には「星北斗」氏とあった。今年夏の参院選で当選した自民党議員と同じ名前である。 政治団体「県民会議」とは? 内堀氏関連の政治団体の事務所所在地には、内堀氏の看板が立っていた=9月16日、福島市、牧内昇平撮影  さて、断然トップの1620万円を内堀氏に寄付した「『ふくしま』復興・創生県民会議」(以下、「県民会議」)とは、どんな団体なのか。 ここも政治団体として県選管に登録していた。政治資金収支報告書を読んでみると、事務所の所在地は福島市豊田町。県庁から少し歩いて国道4号を渡ったあたりだった。代表者は「中川治男」氏。会計責任者は「堀切伸一」氏である。「中川治男」氏と言えば、副知事や福島テレビの社長を務めた人物に同じ名前の人がいた。佐藤栄佐久知事(在任は1988~2006)の政務秘書として活躍したのは「堀切伸一」氏だった。 県民会議の18年分の収支報告書には興味深い事実がいくつかある。まずは支出。内堀氏個人に対して、8月24日に1600万円、11月19日に20万円を寄付したことが書いてある。金額は表1とぴったり合う。 次に収入だ。県民会議は18年、「政治団体からの寄付」で3650万円の収入を得ていたことが分かった。寄付の日付は8月23日。県民会議が内堀氏個人に1600万円を送る前日である。 この政治団体とは、どこか。寄付者の欄に書いてあったのは「内堀雅雄政策懇話会」という名前だった。 内堀氏の選挙資金源 記者会見で語る内堀雅雄知事=8月29日、県庁、牧内昇平撮影  内堀雅雄政策懇話会(以下、「政策懇話会」)。政治資金収支報告書によると、内堀氏の資金管理団体だった。(資金管理団体とは、公職の候補者が政治資金の提供を受けるためにつくる団体のこと。政治家一人につき一つしかつくれない) 代表者は内堀雅雄氏本人。会計責任者と事務所の所在地は、先ほどの県民会議と同じく「堀切伸一」氏と「福島市豊田町」だった。所在地はもちろん番地まで同じである。 ちなみに筆者が調べる限り、内堀氏の名前がついた政治団体がもう一つある。「内堀雅雄連合後援会」だ。こちらも事務所は福島市豊田町の同じ場所。代表者は中川治男氏。会計責任者は堀切伸一氏だった。 この三つの団体のあいだで、どのようなお金のやりとりがあったのか。政治資金収支報告書の内容をまとめたのが、表2の上の部分である。  ・18年8月23日、政策懇話会から県民会議へ3650万円 ・8月24日、県民会議から内堀氏本人へ1600万円。11月19日、さらに20万円 ・19年3月31日、県民会議から政策懇話会へ500万円 このような流れである。県民会議は多額の寄付を受けたのと同じ18年8月23日付で県選管に「設立」を届け出ていた。そして翌19年4月19日には解散している。 政策懇話会が内堀氏の選挙資金の供給源であることを確かめることができた。では、この団体はどうやってお金を集めたのか。それを示したのが表2の下部である。 政治資金収支報告書や県選管作成の資料を読むと、政策懇話会の収入欄のうち、「個人の負担する党費または会費」の欄には毎年1000万円近い金額が記入されていた。金額の下には、何人で負担したかが書いてある。例えば、18年の場合はこうだ。 「金額960万円」「員数192人」960を192で割ると5だ。全員が同じ額を負担したとすれば、1人5万円ずつ出したということになる。19、20年分の収支報告書を確認しても、やはり同様に、1人5万円ずつ出したとすると、「金額」と「員数」がぴったり合う。 ただし、この「党費または会費」では選挙資金は賄えないだろう。政策懇話会は2015年以降、自分の団体の経常経費(人件費や光熱水費、事務所費など)に年間数百万円使っている。15年は363万円、16年は626万円、17年は788万円である。年間約1000万円の「党費または会費」では、それほど手元に残らないはずだ。 そこで出てくるのが、「事業による収入」である。15~19年のあいだ、政策懇話会には毎年、「事業による収入」がある。事業は2種類で、一つは政策懇話会の「総会」だ。1年につき30万~43万円の収入があったと書かれている。それほど多くはない。 もう一つの事業が政治資金パーティーである。会の名前は「内堀雅雄知事を励ます会」。16年はホテル辰巳屋(福島市)、17年はホテルハマツ(郡山市)で開催された。 こちらの収入は巨額だ。16年のパーティーは、1677人から合計3218万円の収入を得ていた。17年は1249人から合計2809万円だ。20万円を超える対価を支払った団体の名前が県選管の資料に載っていた。 ・16年 福島県農業者政治連盟148万円 連合福島      100万円 福島県医師連盟     40万円 ・17年 福島県農業者政治連盟149万円 連合福島    100万円 福島県医師連盟    30万円 内堀氏は政治資金パーティーで金を集め、選挙に備えていたことが分かってきた。 表2の左端にある内堀雅雄連合後援会(以下、「連合後援会」)は、政治資金収支報告書を読むかぎり、2018年の知事選前後に大きな金の動きはなかった。政策懇話会から16年に300万円、17年に400万円、知事選後の19年4月1日に100万円を寄付されていたことだけは書いておこう。 また、少し古くなるが、内堀氏が初めて知事選に出た2014年、連合後援会が6人の個人から10万円ずつ寄付を受けていたことが分かった(5万円を超える寄付が県選管の資料に載っていた)。6人の氏名をインターネットで検索すると、内堀氏の古巣、自治省・総務省の官僚たち(主にOB)に同姓同名の人がいた。そのうちの一人は「荒竹宏之」氏。内堀氏が副知事時代、県庁の生活環境部次長、同部長を務めた人物と同じ名前だった。 お金の使い道は?  では次に、集めたお金の使い道である。表1にもどって右側を見てほしい。 2018年知事選における内堀氏の「選挙運動に関する収支報告書」によると、支出総額は2026万円。内訳として最も高額なのは「人件費」の556万円だった。 人件費は一般的に、ポスター貼りや演説会の会場設営などの単純作業を行う「労務者」、選挙カーに乗る「車上運動員」、選挙事務所で働く「事務員」らに支払われる。内堀氏陣営は労務者413人、車上運動員15人、事務員14人に日当を支払っていた。1人あたりの日当は労務者が5000円、車上運動員が1万円か1万5000円、事務員が8000円から1万円だった。 次に金額が大きいのが「印刷費」の524万円だ。内訳を見るとポスターの作成に149万円、法定ハガキの印刷などに180万円、などとあった。郡山市と福島市の宣伝・広告会社2社が受注していた。 支出の3番目が「家屋費」の410万円である。このうち334万円が「選挙事務所費」、76万円が個人演説会のための「会場費」だった。そのほか、「食糧費」は弁当や茶菓子代で、ドラッグストアなどで買っていた。「休泊費」は運動員のホテル宿泊代だった。 内堀氏が18年の知事選に使った費用の紹介は、ざっとこんなものである。しかし、一つ気がかりなことが残る。もう一度、表2を見てほしい。政策懇話会から県民会議に渡ったのは3650万円だ。そのうち1620万円が内堀氏本人に渡り、残った500万円は政策懇話会に戻された。それでも1500万円くらいが県民会議の手元に残るはずだ。県民会議はその金をどう使ったのか。 表3が県民会議の2018年の収支である。支出総額は3105万円。「政治活動費」(1683万円)の大半は先述した内堀氏本人への寄付である。気になるのは、「経常経費」が1421万円もかかっていることだ。光熱水費以外は数百万円、人件費に至っては800万円以上も使っている。誰に対して、いくら支払われているのか。調べてみると……。 表3)「県民会議」の収支 収入総額3650万円(前年からの繰越額)0円(本年の収入額)3650万円支出総額3015万円翌年への繰越額544万円 ※支出の内訳経常経費人件費853万円光熱水費7万円備品・消耗品費357万円事務所費203万円小計1421万円政治活動費組織活動費63万円寄付1620万円小計1683万円※2018年の収支 政治資金収支報告書を基に筆者作成  残念、これ以上のことは政治資金収支報告書を読んでも分からなかった。県民会議のような一般の政治団体の経常経費は、各項目の総額だけ届け出ればよいことになっているからだ。「選挙運動に関する収支報告書」と違って、各支出の内訳までは分からない仕組みになっていた。 前述した通り、県民会議は知事選の約2カ月前に設立届が出され、翌春に解散している。そのあいだの金の動きを見ても、知事選のための団体だったと考えていい。その団体の金の使い道について分からないのはモヤモヤが残る。 総務省は政治団体の経常経費について、「団体として存続していくために恒常的に必要な経費」としている。また一般的な意味で「経常費」と言えば、「毎年きまって支出する経費」(広辞苑)のことだ。 くり返しになるが、県民会議の活動が始まったのは8月中旬以降だ。設立からおよそ4カ月半で1421万円もの大金を経常経費として使ったことになる。1か月あたり約315万円である。知事選が行われた2018年にこれだけ多額の経費を何に使ったかが気になるところだ。一般の政治団体でも、特定の候補者を支持するためなどの「政治活動費」の支出は、1件あたり5万円を超えた場合、支払先などを明記する必要がある。県民会議の「経常経費」はこれに該当しないはずだが……。筆者は、登録上の代表者、会計責任者が同じ「連合後援会」に宛てて、県民会議の経常経費の使途を問う質問状を送ったが、9月26日の時点で返答はない。 もちろん、内堀氏や関連する政治団体が悪いことをしていると指摘するつもりはない。政治資金規正法に則ってきちんと届け出ている。しかし、それでも不明点が残ったのは事実である。「政治と金」は最大限透明化する必要がある。現行の政治資金規正法には改善すべき点が多い。 東北6県でトップの選挙運動費用  さて、ここからはほかと比べてみよう。表4は2018年の知事選に出た各候補者の得票数と選挙運動に使った金額である。一目瞭然。有効投票数の9割を超える票を獲得した内堀氏だが、その資金力も他の候補を圧倒していたと言える。 表4)2018知事選各候補の得票数と選挙運動費用 得票数(票)得票率運動費用(円)内堀雅雄65098291.20%20268749金山屯102591.40%197371高橋翔171592.40%467900町田和史350294.90%3175992※選挙運動に関する収支報告書を基に筆者作成  表5は東北6県の知事が選挙でどのくらい使ったかをまとめている。他県の知事と比べても内堀氏の選挙費用は少なくない。 表5)知事たちの選挙運動費用 都道府県氏名選挙実施日選挙運動費用青森県三村申吾2019年6月2日1400万円岩手県達増拓也2019年9月8日1054万円宮城県村井嘉浩2021年10月31日499万円秋田県佐竹敬久2021年4月4日1737万円山形県吉村美栄子2021年1月24日1793万円福島内堀雅雄2018年10月28日2026万円福島内堀雅雄2014年10月26日2427万円福島佐藤雄平2010年10月31日1633万円※選挙運動に関する収支報告書(要旨)などを基に筆者作成  別の観点から内堀氏の「お金」について考えてみる。県知事は「資産」、「所得」、「報酬を得て役員などを務める関連会社」の情報を報告する義務がある。内堀氏が2期目就任以降福島県に提出した各種報告書を表6にまとめた。この表を見ると、「預貯金 該当なし」などの記載に驚く人もいるかもしれない。しかし、これには理由がある。報告書に記載する必要があるのは、「普通預金と当座預金を除く」預貯金だ。つまり主に定期預金が報告対象になっている。また、土地・建物や自動車などは、本人ではなく家族名義のものには報告義務がない。政治資金収支報告書と同じで、ここにも透明化を阻む壁があった。ちなみに、知事を1期(4年)務めると約3400万円の退職金が出る。再選した場合は最後に一括して受け取ることもでき、内堀氏が現時点で退職金を受け取っているかどうかは分からない。     ◇ 以上、18年知事選での内堀氏陣営のお金の動きを調べてみた。新聞記事などによると、内堀氏の政治資金パーティーは今年5月に久しぶりに開催されたようだ。また、9月21日付の福島民報によると、今回の知事選では「チャレンジ・ふくしま」という政治団体が新たに設立され、再び中川治男氏が代表に就いたという。選挙に向けて内堀氏がどのくらいのお金を集め、どのように使うのかは要注目だが、筆者がそれを調べられるのは選挙が終わってしばらく経った頃のことだろう。 また、今回紹介できたのは、選管に報告されたいわゆる「表の金」にすぎない。「裏の金」があるのかないのか、それがいくらなのかは分からない。県民の関心が高い知事選について、有力候補者である内堀氏にスポットライトを当てて調べたが、県内のほかの選挙についても同様のチェックは必要だと考えている。  まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。公式サイト「ウネリウネラ」。 https://uneriunera.com/

  • 【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

    現職議員に「買収疑惑」  2月に本誌編集部の電話が鳴った。 「前回(2019年4月)の市議選で当選した××(編集部注=現職議員の実名を挙げていたが、ここでは伏せる)の陣営が投開票日に日本酒の一升瓶を配っていた。今回の選挙でも同じことをするだろうから見張ってほしい」 2019年喜多方市議選投開票結果 当選十二村秀孝1402当選山口 和男1353当選坂内 鉄次1343故人当選山口 文章1274当選小島 雄一1243当選齋藤勘一郎1177当選菊地とも子1154当選小林 時夫1122当選渡部 一樹1121当選齋藤 仁一1107当選後藤 誠司1055当選五十嵐吉也1036当選佐藤 忠孝993当選渡部 勇一975当選佐原 正秀893当選長澤 勝幸884故人当選小澤  誠881引退見込み当選上野利一郎797当選矢吹 哲哉774当選伊藤 弘明722当選田中 雅人709引退見込み当選蛭川 靖弘709遠藤 吉正690補選で当選五十嵐裕和677関本美樹子521補選で当選小野木正英464  電話の主は声からすると中年の男性。公衆電話からかけていた。現職議員とその支持者の実名を挙げていた。かなり踏み込んだ内容も話していたが、真偽は不明。詳述すると現職議員が誰か特定され、不利益を被るおそれがあるので避ける。市議選が近いため、他陣営によるネガティブキャンペーンの可能性もある。疑惑の現職議員に直撃取材をしたいのはヤマヤマだが、情報提供はまだウワサの段階。選挙妨害を懸念し、取材は控えている状況だ。 任期満了に伴う喜多方市議選は4月16日告示、同23日投開票で行われる。2月6日に開かれた立候補予定者説明会では定数22に対し27陣営が出席し、選挙戦となる見通し(2月8日付福島民友より)。出席者全員が立候補すれば5人が落選する。 出席者は説明会の受け付け順に次の通り(敬称略)。 現職は、小林時夫(4期)、伊藤弘明(7期)、遠藤吉正(2期)、十二村秀孝(1期)、佐藤忠孝(6期)、渡部勇一(7期)、上野利一郎(2期)、齋藤勘一郎(6期)、佐原正秀(7期)、山口文章(1期)、齋藤仁一(8期)、蛭川靖弘(1期)、小島雄一(2期)、後藤誠司(4期)、菊地とも子(2期)、五十嵐吉也(5期)、関本美樹子(2期)、山口和男(11期)、渡部一樹(4期)、矢吹哲哉(3期)の20人。小澤誠(5期)と田中雅人(7期)は欠席したので不出馬の見込み。 新人は田沢徳、高畑孝一、小林賢治、渡部忠寛、田中修身、坂内まゆみ、渡部崇の7人。 電話の主は「前回の市議選で立候補者の支持者が一升瓶を配った」と言った。現職議員のうち、遠藤氏と関本氏は前回の市議選で落選し、昨年1月に行われた補選で返り咲いたため該当しない。 また、電話の主は「今回も配るだろうから政経東北に情報提供した」とも言った。小澤氏と田中氏は不出馬の見込みだから違う。本誌は実名を明かすことを控えるが、以上の事実から、残った現職18陣営のうちの1陣営が疑惑を掛けられていることがお分かりいただけるだろう。 喜多方市議の問題は今回が初めてではない。本誌昨年1月号「喜多方市議長『現金配布問題』の裏話」という記事では、当時の議長が2021年に行われた衆議院選挙期間中に同僚議員に現金を渡したことが公職選挙法に抵触する恐れがあるため議長を辞職した問題を報じた。明るみになった背景には会派内での内輪揉めがあった。同市議会が清廉潔白からは遠いことを示す事例だ。 本誌が今回の選挙戦に水を差してまで情報提供があったことを知らせるのは、候補者に公正な選挙運動を求めたいからだ。候補者本人だけでなく、支持者にも事実であれば猛省を促したい。

  • 〝不祥事連続〟楢葉町で行われていた「職員カンパ」

     楢葉町議会3月定例会の一般質問で、同町職員の不祥事が相次いでいる件についての質問が行われた。 2021年9月には、産業振興課職員が、会計業務を担当していた楢葉町土地改良区と楢葉町多面的機能広域活動保全会の通帳から、約3800万円を横領していたことが発覚した(※)。 昨年2月には、建設課職員が複数の指名競争入札で指名業者名や設計価格を漏洩したとして、公契約関係競売入札妨害及び官製談合防止法違反の容疑で逮捕、起訴された。 昨年4月には、政策企画課職員が退庁後、道路交通法違反(無免許運転)で現行犯逮捕された。 町では昨年9月、再発防止に向けた「職員・組織改善計画」を策定した。だが、同12月には、建設課職員が災害公営住宅の家賃管理システムを不正操作し、自分宅の家賃納付約127万円を免れていたことが発覚。もはや手の打ちようがない状況となっている。 3月定例会で注目されたのは、再発防止策と併せて、町議やマスコミに送付された「通報書」の真偽だった。前述・家賃管理システム不正操作について、「町が令和3年から隠蔽している」とする匿名の通報書が出回っていた(本誌2月号参照)。そのため、松本明平町議(1期)、結城政重町議(8期)が「通報書の内容は事実なのか」と追及した。 町執行部は「町役場には届いていないが、町議から見せてもらい中身は確認した。家賃管理システム不正操作に関しては、昨年12月に初めて分かったもので隠蔽していた事実はない。監査でも分からなかった」と答弁し、通報書の内容をあらためて否定した。そのうえで、「チェック体制を含め、不祥事が起きにくい仕組み作りを進めていく」と述べた。 差出人はあえて事実でない内容を記したのか、それとも町の方が事実を伏せているのか。いずれにしても、これだけ職員不祥事が連続し、こうした通報書が出されるのは異常だ。そのことを重く受け止め、職員の意識改革など具体的な対策を打ち出し、講じていく必要があろう。 気になるのは、同町役場の〝体質〟だ。町総務課への取材や町議会での過去のやり取りによると、2021年9月の公金横領の後には、町職員がカンパを集めていたという。 土地改良区などが元職員への訴訟を提起することになったのに加え、各種支払いもあったため、資金不足に陥った。そうした中、係長レベルの職員が中心となって、「会計業務を引き継いだのは同じ町職員。助け合おう」と呼びかけ、土地改良区などへのカンパを募った。1人約1万円を支払い、総額100万円になったようだ。 町総務課の担当者は「横領した元職員を支援する狙いは一切ない。横領された金額の穴埋めではなく、あくまで助け合い」と強調したが、職員不祥事の〝後始末〟を同僚の負担で行うのは疑問が残る。 町内の事情通はこう指摘する。 「不祥事の責任を取るべきは、町長であり、土地改良区理事長でもある松本幸英氏のはず。〝善意のカンパ〟で対応すれば責任の所在があいまいになるので、役場が止めるべきだったと思います。昨年12月の家賃管理システム不正操作については、町長は減給対象にすらなっていない。こうした責任をとらない体質が、役場内に〝ぬるま湯〟の空気を生み出しているのではないか」 本誌2月号記事では、神戸国際大学経済学部教授の中村智彦氏が「倫理教育を徹底し、不正行為に手を染めれば、その後の人生がどうなるのか、はっきり示すことが職員不祥事の再発防止において重要」と話していた。松本町長は職員不祥事の連鎖を断ち切ることができるのか、今後の対応が注目される。 ※元職員はその後、町と土地改良区から民事・刑事で訴えられ、土地改良区に4157万4684円(遅延損害金含む)、町に30万1309円の支払いを命じる判決が下された。ただ、未だに支払いは行われておらず、町は弁護士と対応を協議している。

  • 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

     本誌1月号に「桑折・福島蚕糸跡地から廃棄物出土 処理費用は契約者のいちいが負担」という記事を掲載した。 桑折町の中心部に、福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸)跡地の町有地がある。面積は約6㌶で、その活用法をめぐり商業施設の進出がウワサされたが、震災・原発事故後に災害公営住宅や公園が整備された。残りの土地を活用すべく、町は公募型プロポーザルを実施。2021年5月、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会が「最優秀者」に選ばれた。 食品スーパーとアウトドア施設、認定こども園が整備される計画で、定期借地権設定契約を締結、造成工事がスタートしていた。記事は、そんな同地から廃棄物が出土し、工事がストップしたことを報じたもの。福島蚕糸の前に操業していた群是製糸桑折工場のものである可能性が高いという。 その後、1月31日付の福島民友が詳細を報じ、〇深さ約30㌢に埋められていたこと、〇町は県やいちいと対応を協議し、アスベスト(石綿)を含む周辺の土ごと除去したこと、〇廃棄物は約1000㌧に上ること――が新たに分かった。 町議会3月定例会では斎藤松夫町議(12期)がこの件について町執行部を追及した。そこでのやり取りでこれまでの経緯が具体的になった。 最初に町が地中埋設物の存在を把握したのは昨年6月ごろで、詳細調査した結果、廃棄物であることが分かった。町がそのことを議会に報告したのは今年1月17日だった。。 そこで報告されたのは、処理費用が5300万円に上り、それを、いちいと町が折半して負担するという方針だった。 斎藤町議は「廃棄物に関しては、この間の定例会でも報告されず、『政経東北』の報道で初めて事実を知った。なぜここまで報告が遅れたのか」と執行部の対応を問題視した。 高橋宣博町長は「廃棄物が出た後にすぐ報告しても、結局その後の対応をどうするかという話になる。あらかじめ処理費用がどれだけかかるか確認し、業者と協議し、昨年暮れに話がまとまった。議会に説明する予定を立てていたところで『政経東北』の記事が出た。決して隠していたわけではない。方向性が定まらない中で説明するのは難しかった」と釈明。「今後、議会にはしっかりと説明していく」と述べた。 一方、プロポーザルの実施要領や契約書には、土地について不測の事態があった際も、事業者は町に損害賠償請求できない、と定められている。にもかかわらず、廃棄物処理費用を折半とする方針について、斎藤町議は「なぜ町が負担しなければならないのか。根拠なき支出ではないか」とただした。 これに対し高橋町長は「瑕疵がないとしていた土地から廃棄物が出ていたことに対しては、事業者(いちい)の考え方もある。信頼関係を構築し、落としどころを模索する中で合意に達した」と明かした。 斎藤町議は本誌取材に対し、「いちいに同情して後からいくらか寄付するなどの方法を取るならまだしも、プロポーザルの実施要領や契約書の内容を最初から無視して折半にするのは問題。根拠のない支出であり、住民監査請求の対象になっても不思議ではない」と指摘した。 福島蚕糸跡地の開発計画に関しては、公募型プロポーザルの決定過程、町の子ども子育て支援計画に反する民間の認定こども園整備について疑問の声が燻り続けている。斎藤町議は追及を続ける考えを示しており、今後の動向に注目が集まる。

  • 【鏡石町】遊水地で発生するポツンと一軒家

     国が鏡石町、玉川村、矢吹町で進めている阿武隈川遊水地計画。対象地域の住民は全面移転を余儀なくされるため、さまざまな不安が渦巻く。このため、鏡石町議会では「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げ、同事業の調査・研究を行っている。今年2月には同計画対象地域の隣接地の住民から議会に陳情書が提出され、同委員会で審議された。 取り残される世帯が議会に「陳情」  令和元年東日本台風被害を受け、国は「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を進めており、遊水地計画はその一環として整備されるもの。鏡石町、玉川村、矢吹町の3町村にまたがり、総面積は約350㌶、貯水量は1500万から2000万立方㍍。用地は全面買収し、対象地の9割ほどが農地、1割弱が宅地となっている。それらの住民は移転を余儀なくされる。計約150戸が対象で、内訳は鏡石町と玉川村が60〜70戸、矢吹町が約20戸。 住民からしたら、もうそこに住めないだけでなく、営農ができなくなるわけだから、「補償はどのくらいなのか」、「暮らしや生業はどうなるのか」といった不安がある。 中には、以前の本誌取材に「補償だけして『あとは自分で生活再建・営農再開してください』という形では納得できない。もし、そうなったら〝抵抗〟(立ち退き拒否)することも考えなければならない」と話す人もいたほど。 そのため、鏡石町議会では遊水地計画の調査・研究をしたり、国や町執行部に提言をしていくことを目的に、昨年6月に「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げた。委員は議長を除く全議員で、委員長には計画地の成田地区に住所がある吉田孝司議員が就いた。 3月10日に開かれた同委員会では、2月16日に計画対象区域の隣接地の住民から議会に出された陳情書について審議された。 陳情者は滝口孝行さんで、陳情内容はこうだ。 ○滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にある。洪水の危険性があるにもかかわらず、遊水地の事業範囲から除外されており、遊水池整備後も水害の心配が残る。 ○遊水地ができれば、自宅の目の前に高い塀(堤防=計画では最大6㍍)ができ、これまでの美しい田園風景が損なわれる。そのような場所で生活しなければならないのは大きなストレスになる。 こうした事情から、事業範囲を変更してほしい、すなわち「自分のところも計画地に加えるなどの対応をしてほしい」というのが陳情の趣旨である。 写真は同委員会の資料に本誌が注釈を加えたもの。  遊水地の対象地域のうち、真ん中よりやや上の左側が住宅密集地となっており、そこから100㍍ほど離れたところに滝口さんの自宅がある。これまでは「集落からちょっと離れた家」だったが、遊水地内の住宅が全面移転すると、〝ポツンと一軒家〟になってしまう。 加えて、遊水地は周囲堤で囲われるため、自宅の目の前に大きな壁ができることになる。「これまでの田園風景から一変し、そんなところで生活していたら、頭がおかしくなってしまいそう」というのが滝口さんの思いだ。 しかも、滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にあり、常に水害の危険がある。 国は追加の考えナシ 鏡石町成田地区  3月10日の委員会に参考人として出席した滝口さんの説明によると、令和元年東日本台風時の被害は「床下浸水だった」とのこと。 ただ、議員からは「『昭和61(1986)年8・5水害』の時は床下浸水だったところが、今回の水害ではほとんどが床上浸水だった。水害の規模はどんどん大きくなっているから、(滝口さんの自宅が)今回は床下浸水だったからといって、今後も安全とは限らない」として、滝口さんを救済すべきとの意見が出た。 遊水地の計画地である成田地区に自宅があり、同委員会委員長の吉田議員によると、「成田地区では以前からこの件が問題になっていた」という。すなわち、「滝口さんだけが取り残されるような形になるが、それでいいのか」ということが問題視されていたということだ。 実際、吉田議員は昨年10月21日に開かれた同委員会で、滝口さんの自宅の状況を説明し、「当人がどう考えているかを考慮しなければならない」と述べていた。 ただ、その時点では「直接、滝口さんの意向を聞きに行こうとしたところ、稲刈りなどの農繁期で忙しいため、すぐには難しいと言われ、いま(委員会開催時の昨年10月21日時点で)はまだ話を聞けていない」とのことだったが、「滝口さんのことも考える必要があると思っています」と述べていた。 その後、滝口さんから今回の陳情書が提出されたわけ。 実は、昨年10月21日の委員会には国土交通省福島河川国道事務所の担当者が出席していた。その際、滝口さんが取り残される問題に話が及んだが、福島河川国道事務所の担当者は「同地(滝口さんの自宅敷地)を計画地に追加する考えはない」と答弁していた。 1人の陳情では弱い  そうした経過もあってか、滝口さんの陳情の審議に当たっては、議員から「滝口さん1人(個人)の陳情では国の意向は変えられない。成田地区全体でこの件を問題視しているのであれば、成田地区の総意としてこういう意見がある、といった形にできないか」との意見が出た。 見解を求められた木賊正男町長は次のように答弁した。 「昨年6月の町長就任以降、説明会等での対象地域の皆さんの要望や、国との協議の中で、1世帯(滝口さん)だけが残るのは、町としても避けなければならないと考えていた。どんな手立てがあるのか検討していきたい」 最終的には、町として、あらためて成田行政区や今回の遊水地計画を受けて結成された地元協議会の意向を聞く、ということが確認され、滝口さんの陳情は継続審査とされた。 委員会後、滝口さんに話を聞くと次のように述べた。 「基本的には、陳情書(委員会で説明したこと)の通りで、私自身はそういったいろいろな不安を抱えているということです」 当然、国としては必要以上の用地を買い上げる理由はない。しかし、水害のリスクが残る場所で、1軒だけが取り残されるような形になるわけだから、町として何ができるかを考えていく必要があろう。 もう1つ付け加えると、原発事故の区域分けの際も感じたが、「机上の線引き」が対象住民の分断を招いたり、大きなストレスを与えることを国は認識すべきだ。

  • 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。県内では、合併したところ、単独の道を選択したところ、合併を模索したもののまとまらなかったところと、さまざまある中、本誌ではシリーズで合併しなかった市町村の現状を取り上げている。今回は、人口減少や高齢化率の上昇が大きな課題となっている奥会津編。(末永) 人口減・高齢化率上昇が課題の三島・金山・昭和  「奥会津」は正式な地名ではなく、明確な定義があるわけではない。ただ、観光面などでの広域連携の中でそうした表現が使われている。主に会津南西部を指す。 只見川・伊南川流域の町村で構成される「只見川電源流域振興協議会」が発行したパンフレット「歳時記の郷 奥会津の旅」には次のように記されている。 《「奥会津」は、福島県南西部に位置する只見川流域、伊南川流域の7町村「柳津町」「三島町」「金山町」「昭和村」「只見町」「南会津町」「檜枝岐村」の総称です》 柳津町は河沼郡、三島町、金山町、昭和村は大沼郡、只見町、南会津町、檜枝岐村は南会津郡と3つの郡にまたがる。今回は、そのうち大沼郡の三島町、金山町、昭和村と南会津郡の只見町の現状を取材した。 「平成の大合併」の際、三島町、金山町、昭和村の3町村は、河沼郡の会津坂下町、柳津町との郡をまたいだ合併案があった。当時の合併に関する研究会のメンバーだった関係者はこう述懐する。 「県会津地方振興局の勧めもあって5町村で合併について話し合うことになりました。当時の5町村長は基本的には合併もあり得るとの考えだったように思います。理由は、国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らすとの方針で、将来的な財政の裏付けがなかったことです」 当時の5町村の人口(2005年1月1日時点)は、会津坂下町約1万8600人、柳津町約4400人、三島町約2300人、金山町約2900人、昭和村約1600人で、計約2万9800人。合併後の新市移行の条件である「人口3万人」にギリギリ届いていなかったが、「振興局の担当者は『市になれると思う』とのことだった」(前出の関係者)という。 「人口比率から言っても、中心になるのは会津坂下町だが、そこに役場(市役所)が置かれるとして、金山町、昭和村からはかなり遠くなります。加えて、当時の会津坂下町は財政状況が良くなかったため、(ほかの4町村の住民・関係者は)会津坂下町にいろいろと吸い上げられてしまう、といった思いもありました。そんな中で、(会津坂下町を除いた)柳津町、三島町、金山町、昭和村の4町村での合併案も出たが、結局はどれもまとまりませんでした。住民の多くも合併を望んでいなかった、ということもあります」 一方で、南会津郡は、2006年3月に、田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して南会津町が誕生した。それに先立ち、下郷町、只見町、檜枝岐村を含めた南会津郡7町村で研究会が立ち上げられ、合併に向けた調査・研究を行っていた。そこから、正式な合併協議会に移行する際、下郷町、只見町、檜枝岐村は参加しなかった経緯がある。 当時のことを知る只見町の関係者はこう話す。 「田子倉ダム(電源立地地域対策交付金)があるから、という事情もあったと思いますが、それよりも『昭和の大合併』の後遺症のようなものが残っており、只見町は最初から前向きでなかった」 只見町は、いわゆる「昭和の大合併」で誕生した。1955(昭和30)年に只見村と明和村が合併し、その4年後の1959(昭和34)年に朝日村が編入して、只見町になった。「平成の大合併」議論が出たころは、それから50年ほどが経っていたが、その後遺症が残っていたというのだ。 「一例を挙げると、只見地区(旧只見村)には町役場の中心的機能、明和地区(旧明和村)には温浴施設、朝日地区(旧朝日村)には診療所という具合に、1つの地区に何かを設けるとすると、残りの2地区には何らかの代わりの手当てをする、といった手法でないと、物事が進まないような状況なのです。これでは行政運営のうえで、あまりにも効率が悪い」(同) それは「平成の大合併」議論から十数年(「昭和の大合併」から60年以上)が経ったいまも変わっていないという。 その際たる例が役場庁舎の問題。同町の本庁舎は、只見町誕生の翌年(1960年)に建てられ、老朽化が進んでいた。2008年度に実施した耐震診断の結果、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があるCランクと診断された。 そこで、目黒吉久元町長時代の2011年に「只見町役場庁舎建設基本計画」が策定され、新庁舎建設計画が進められた。ただ、実現させることができず、目黒町長はその責任を取る形で、2016年12月に2期目の任期満了で退任した。 この後を受けた菅家三雄前町長は、「暫定移転」として、中学校合併によって空いた旧只見中学校に、議会、総務課、農林建設課、教育委員会などの役場の中心的な機能を移転し、「町下庁舎」とした。そのほかの部署は、駅前庁舎とあさひヶ丘庁舎に分散する形になった。この暫定移転が完了したのが2018年で、これに伴い、旧庁舎は解体された。 ただ、この暫定庁舎(分散庁舎)は、町民や観光客などから、「必要な部署(用事がある部署)がどこにあるのか分かりにくい」として不評だった。 一方で、一部町民からは「新しい役場庁舎ができても、町民生活には何の恩恵もない。そんな生産性のないものに多額のお金をかけるべきではない。いまのまま(暫定庁舎)で十分」、「暫定庁舎の整備には5億円以上の費用がかかっている。そのうえ、さらに新しい庁舎を建てるのは、税金の無駄遣いだ」といった声が出た。とりわけ、明和地区、朝日地区では、そうした意見が多いという。 このほか、現在、同町では道の駅整備計画が進められているが、同事業でも「(旧3村の)どこにつくるか」が最大のポイントになっていた。「合併前の旧3村の感情論が絡みなかなか物事が進まない」というのはこういったことを指している。 「平成の大合併」では、核となる市があって、そこに近隣町村が〝編入〟した(形式上は対等合併でも実質的にそうなったものも含む)パターンと、同規模町村が合併して市になったパターンの大きく2つに分けられる。その中でも、後者は「均衡ある発展」を掲げ、その結果、分散型の行政組織や財政運用になった。 それが良いか悪いかは別にして、只見町は「昭和の大合併」以降、そうした状況が続いているというのだ。そんな事情から「平成の大合併」議論が出た際、住民・関係者は拒否反応を示し、南会津郡の合併に参加しなかったわけ。 こうして、三島町、金山町、昭和村、只見町は合併せず単独の道を歩むことになった。 さて、ここからは過去のシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表された4町村の各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 三島町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度6・8012・6318・5103・80・162008年度8・6713・8917・868・70・152009年度10・2812・1915・644・90・132010年度――――13・01・80・122011年度――――11・2――0・122012年度――――9・6――0・122013年度――――7・9――0・122014年度――――6・1――0・132015年度――――4・2――0・132016年度――――3・1――0・142017年度――――2・8――0・142018年度――――3・5――0・152019年度――――4・1――0・152020年度――――4・8――0・15※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 金山町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・826・0720・782・30・242008年度3・667・6618・755・70・232009年度3・907・7915・527・90・232010年度2・970・8311・621・30・222011年度――――8・5――0・212012年度――――6・1――0・202013年度――――4・4――0・202014年度――――3・5――0・202015年度――――2・9――0・222016年度――――3・2――0・232017年度――――3・6――0・232018年度――――4・1――0・232019年度――――4・5――0・242020年度――――4・4――0・24※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 昭和村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度1・323・9415・110・60・112008年度4・078・5813・5――0・112009年度2・877・0011・4――0・102010年度――――10・5――0・092011年度――――9・7――0・092012年度――――8・0――0・082013年度――――6・7――0・082014年度――――5・0――0・082015年度――――4・4――0・092016年度――――3・7――0・092017年度――――3・7――0・092018年度――――4・4――0・092019年度――――5・3――0・102020年度――――5・9――0・10※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 只見町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度2・245・1112・816・10・312008年度8・2111・2611・326・10・302009年度3・595・639・6――0・292010年度――――6・8――0・282011年度――――5・0――0・272012年度――――3・9――0・252013年度――――3・7――0・252014年度――――3・5――0・252015年度――――2・9――0・252016年度――――3・1――0・252017年度――――3・2――0・252018年度――――3・2――0・252019年度――――3・0――0・252020年度――――3・0――0・25※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%。昭和村は5・9%で全国平均を0・2ポイント上回っているが、ほかの3町村はいずれも全国平均を下回っている。推移を見ると、いずれもここ数年は最も良かったころからは多少比率が上がってはいるものの、単独を決めたころから比べると、だいぶ良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、4町村はいずれもそれに当てはまる。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。一方で、4町村とも財政力指数は低い。 4町村長に聞く  4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 矢澤源成三島町長  当時、三位一体の改革の下、財政基盤の強化、行政運営の効率化のため合併が進められたが、その後、地方創生総合戦略や東京一極集中是正の流れから、地域の特性を生かした地域づくりに財源が配分され、合併以前の状況とは異なるが、将来に向けては財政基盤がぜい弱な小規模自治体では不安がある。将来人口推計よりも早く、少子化、人口減少が進行しているが、再生可能エネルギーや地域資源を生かした経済循環とDXの推進等持続可能な地域づくりを進めることにより、財政基盤の強化や行政運営の効率化に繋がるものと考えている。 押部源二郎金山町長  財政状況については、実質公債費比率が健全な状況にあり、適切な状態を維持していると考えている。財政基盤強化については、総人件費と町債の抑制により安定的な財政基盤の確保に努めてきた。行政運営の効率化においても社会情勢の変化に即応した体制や効率化を図っており、今後も状況に応じた対応に努めていく。 舟木幸一昭和村長  本村は自主財源が乏しく、地方交付税を始めとする依存財源に頼らざるを得ない状況にあるので、歳出面では人件費や物件費、維持補修費や補助費などの見直しを図るとともに、村の振興を進めるため昭和村振興計画の実施計画を策定し、事業の平準化なども行ってきた。歳入面では財源確保として、積極的に国や県の補助金を活用するとともに、村債は後年度の償還に有利な過疎対策事業債を起債するなど工夫してきたことから、余剰金については財政調整基金や目的基金に積み立て、後年度負担すべき財源の確保に努めてきた。このことにより、財政健全化法が施行された2007年度から連続して健全財政を維持している。 職員数については、5年ごとに定員管理計画を定め、条例定数61人に対し定員50人を維持している。また、いわゆる団塊の世代の退職後は、職員の平均年齢が県内でも比較的若い状況であることから、ラスパイレス指数が低い状況となっている。 本村は、今後の人口減少を緩やかにしていくため、様々なアイデアを駆使し、移住・定住人口の確保に努めているが、今後想定される公共施設やインフラ設備の補修・改修などの大規模な財政支出により、財政を取り巻く状況は決して楽観できない状態が続くと予想される。今後も、これまでの堅実な財政運営を維持しつつ、産業の振興や移住・定住施策を進めるとともに、新たな試みにも果敢にチャレンジしながら、より一層、村の振興を進めていく。 渡部勇夫只見町長  「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」は合併の目的の大きな柱の1つであると理解している。同時にもう1つの大きな柱である「まちづくり」の方針(構想)も欠くことのできない点だと理解している。当町の財政状況は厳しい環境にあると認識しているので、「まちづくり」により一層力を注ぎながら取り組んでいく。 非合併の影響は軽微  前段で、三島町、金山町、昭和村の3町村は、会津坂下町、柳津町との合併話があり、その研究会関係者の「国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らす方針で、将来的な財政の裏付けがないから、当時の5町村長は合併もあり得ると考えていた」とのコメントを紹介した。 実際、過去のこのシリーズでは合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物のこんな声を紹介した。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、「合併するしか道はない」と考えたようだ。 一方で、シリーズ4回目の「東白川郡」では、「合併しない宣言」で知られる矢祭町の状況をリポートした。同町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決した。言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。そのため、国による締め付け等があったのではないかと思い、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 さらに、「合併しない宣言」後の大部分(2007年〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にもそれほど厳しいということはなかった」 矢祭町の現・前町長の言葉からも分かるように、当時の関係者が危惧したような状況にはなっていない。今回の奥会津4町村についても、決して財政的に豊かではないが、少なくとも著しく住民サービスが劣ったり、行政運営ができない状況には陥っていない。当然、そこには各町村の努力もあるだろうが。 一方、奥会津で合併した南会津町の合併前の旧町村の予算規模(2004年度当初予算=福島民報社の『民報年鑑』より)は次の通り。 田島町▽65億9200万円 舘岩村▽28億4700万円 伊南村▽22億5200万円 南郷村▽25億円 合わせると141億9100万円になる。これに対し、合併後の南会津町の2022年度の当初予算額は126億3400万円。 以前、合併しなかった自治体の役場関係者はこう話していた。 「例えば、うちの自治体だと年間約30億円の予算が組まれる。それが合併したら、この地区(合併前の旧自治体の域内)に30億円分の予算が投じられることはまず考えられない。そういった点からも、合併すべきではないと考えている」 つまりは、合併後の核になる旧自治体は別として、単独の方がそこに投じられる予算が大きいから、住民にとってもその方がいい、ということだ。「なるほど」と思わされる見解と言えよう。 住民に聞いても、「合併しなくて良かった」との声が多かった。 「合併しなくてよかったと感じる。独自のまちづくりができるわけだから」(金山町民) 「結論から言えば合併しなくてよかった。この辺りは、『平成23(2011)年新潟・福島豪雨』で大きな被害を受けたが、水害対応にしても、只見線復旧にしても、町と意思疎通が図りやすいし、(水害の問題で)裁判などを起こす際にも動きやすい面はあったからね」(金山町民) 「合併しなくて良かったと断言できる。合併すれば役場は遠くに持って行かれ、昭和村にはせいぜい10人ほどの職員がいる支所が置かれる程度だったに違いない。その分、サービスは悪くなるし、住民の声が届きにくくなる。いま村では、カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から30代の夫婦が来ている。新聞でもよく取り上げられ、成功していると言っていい。これは合併していたらできなかった。あとは(会津美里町と昭和村を結ぶ国道401号の)博士トンネルが2023年度に開通することになっており、これができれば人の動きも出てくるだろう」(昭和村民) 「合併すると、どうしても旧町村間の感情論で、『あそこ(中心部)だけいろいろな施設ができて、ほかは何もできない』といった問題が出てくる。そういった意味でも、合併しなくて良かったのではないか。現状、余裕がないながらも、特に不便なく存続できているわけだから。それが一番だと思いますよ」(只見町民) 最大の課題は人口減少  一方で、大きな課題になっているのが人口減少と高齢化率の上昇だ。別表は4町村と奥会津地区で合併した南会津町の人口の推移をまとめたもの。各町村とも「平成の大合併」議論のころから3〜4割の減少になっている。もっとも、南会津町の例を見ても分かるように、合併してもしなくても、その傾向に大差はない。もし、合併して「市」になっていたとしてもこの流れは変えられなかった。 さらに、県が昨年の敬老の日(9月19日)に合わせて、9月18日に発表したデータによると、昨年8月1日時点の県総人口は179万3522人で、このうち65歳以上は57万8120人、高齢化率は32・9%(前年比0・4ポイント上昇)だった。 市町村別の高齢化率は、①飯舘村68・6%、②金山町61・9%、③昭和村55・4%、④三島町55・1%、⑤川内村52・5%と続く。上位5つのうち、奥会津の3町村が入っている。ちなみに、飯舘村と川内村は原発事故の避難指示区域に指定され、避難指示解除後に戻ったのは高齢者が多いという特殊事情がある。 昭和村の社会動態は増加  人口減少・高齢化問題について、4町村長に見解を求めた。 矢澤源成三島町長  人口減少と高齢化対策は、日本全体の課題であり、当町のような地方自治体は最も進行している地域であることから、対策のモデル地域となり得るが、雇用や働き方改革、結婚・子育て支援、住環境、教育支援等、社会全体で取り組む必要があると考える。 押部源二郎金山町長  人口減少と高齢化は町の最重要課題である。少子高齢化に伴う人口減少に特効薬はないが、引き続き移住・定住対策、交流人口の増加に力を入れていきたい。 舟木幸一昭和村長  出生と死亡の差は歴然としており、人口減少に大きな影響を与えているが、総務省による2022年の住民基本台帳人口移動報告では9人の転入超過、過去5年間の合計でも20人の転入超過となっているように、自然減を社会増で補おうとしているところ。1994年度から続く「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住が社会増に寄与しており、新年度からは新たに、本村が所有者から空き家を借り上げてリフォームし、就農希望者等の住居として貸し出す「移住定住促進空き家利活用事業」を立ち上げ、集落活性化に繋げていきたい。※高齢化率は約55%で、近年大きな変動はない。 渡部勇夫只見町長  非常に大きな課題だと認識している。町の魅力向上とともに関係人口の拡大に向けた事業に取り組んでいきたい。 前段で、昭和村民の「カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から移住してくるなど成功している。これは合併していたらできなかった」との声を紹介した。舟木村長のコメントでも、「自然動態では人口は減少しているが、社会動態ではプラスになっている」という。その要因として、「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住を挙げており、同村の事例を見ると、やれることはあるということだ。 このほか、同地域の住民はこんな意見を述べた。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 このシリーズの第1回の桑折町・国見町、第2回の大玉村、第4回の西郷村は、県内でも条件がいい町村だった。そのため、「合併する必要がない」といったスタンスだった。その点でいうと、今回の奥会津の4町村は条件的には厳しく、それら町村とは違う。一方で、人口規模が小さいがゆえの小回りが利くことを生かした思い切った仕掛けをすることも可能になる。そういった創意工夫が求められよう。

  • 【田村市百条委】呆れた報告書の中身

     田村市が建設を計画している新病院の施工予定者が、白石高司市長によって鹿島建設から安藤ハザマに覆された問題。その経緯等を究明するため市議会内に設置された百条委員会は3月10日、調査結果をまとめた報告書を提出した。しかし、その中身は究明と呼ぶには程遠いもので、市民からは「百条委を設置した意味があったのか」と疑問視する声も上がっている。 「嫌がらせの設置」に専門家が警鐘 新病院予定地  この問題は本誌昨年12月号、今年2月号でリポートしている。 市立たむら市民病院の後継施設を建設するため、市は施工予定者選定プロポーザルを行い、市幹部職員など7人でつくる選定委員会は審査の結果、プロポーザルに応募した清水建設、鹿島建設、安藤ハザマの中から最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマを選んだ。 しかし、この選定に納得しなかった白石市長は最優秀提案者に安藤ハザマ、次点者に鹿島と、選定委員会の結果を覆す決定をした。 白石高司市長  この変更は当初伏せられ、マスコミ等には「最優秀提案者は安藤ハザマ」とだけ伝えられた。しかし、次第に「実際は鹿島だった」との事実が知れ渡ると、一部議員が「選定委員会が鹿島と決めたのに市長の独断で安藤ハザマに覆すのはおかしい」と猛反発。昨年10月、真相究明のため、地方自治法100条に基づく調査特別委員会(百条委員会)の設置が賛成多数で可決された。 田村市議会の定数は18。百条委設置の賛否は別掲①の通りで、大橋幹一議長(4期)は採決に加わらなかった。賛否の顔ぶれを見ると、賛成した議員は1期生を除いて2021年の市長選で白石氏に敗れた当時現職の本田仁一氏を支援し(半谷議員は白石氏を支援)、反対した議員は白石氏を支える市長派という色分けになる。 賛成(9人)反対(8人)石井 忠治(6期)猪瀬  明(6期)半谷 理孝(6期)橋本 紀一(6期)大和田 博(5期)石井 忠重(2期)菊地 武司(5期)佐藤 重実(2期)吉田 文夫(4期)二瓶恵美子(2期)安瀬 信一(3期)大河原孝志(1期)遠藤 雄一(3期)蒲生 康博(1期)渡辺 照雄(3期)吉田 一雄(1期)管野 公治(1期)  この時点で、百条委は「白石市長への意趣返し」と見られても仕方がない状況に置かれたが、賛成した9議員には同情する余地もあったことを付記しておく。9議員は双方から委員を出さないと調査の公平・公正性が保てないとして、8議員に百条委委員の就任を打診したが「市長を調査するのは本意ではない」と拒否されたため、委員は別掲②の顔ぶれにならざるを得なくなったのだ。 ② 百条委の構成石井 忠治(委員長)安瀬 信一(副委員長)管野 公治遠藤 雄一吉田 文夫菊地 武司半谷 理孝渡辺 照雄  そんな百条委が目指したのは「白石市長が独断で安藤ハザマに覆した理由は何か」を暴くことだった。 実は、白石市長は当初、守秘義務があるとして変更理由を明かそうとしなかった。それが「何か隠しているのではないか」と憶測を呼び「疑惑の追及には百条委を設置するしかない」とのムードにつながった。 ところが百条委設置が可決される直前に、ようやく白石市長が「安藤ハザマの方が鹿島より施工金額が安く、地域貢献度も高かった」と説明。「安藤ハザマと裏で個人的につながっているのではないか」と疑っていた9議員は拍子抜けしたものの、拳を振り上げた手前、百条委設置に突き進むしかなくなったのだ。 2月号でもリポートした百条委による白石市長への証人喚問では、安藤ハザマに覆した理由が更に詳細に語られた。具体的には①安藤ハザマの方が鹿島より工事費が3300万円安かった、②安藤ハザマの方が鹿島より地元発注が14億円多かった、③選定委員7人による採点の合計点数は鹿島1位、安藤ハザマ2位だったが、7人の採点を個別に見ると4人が安藤ハザマ1位、3人が鹿島1位だった、④市民や議会から、なぜ安藤ハザマに変更したのかと問われたら「①~③の客観的事実に基づいて変更した」と答えられるが、なぜ鹿島に決めたのかと問われたら客観的事実がないので説明できない。 本誌は先月号に白石市長の市政インタビューを掲載したが、白石市長はこの時の取材でも安藤ハザマに変更した正当性をこう話していた。 「選定委員の採点を個別に見たら7人のうち4人が安藤ハザマに高い点数を付けていた。多数決で言えば4対3なので、本来なら安藤ハザマが選ばれなければならないのに、なぜか話し合いで鹿島に変わった。客観的事実に基づけば、安藤ハザマに決まるべきものが決まらなかったのは不可解。だから、選定委員会は鹿島としたが、私は市長として、市民に有益な安藤ハザマに変更した。何より動かし難いのは、工事費が安く地域貢献度は14億円も差があったことです。市民のために施工者を変更しただけなのに、なぜ問題視されなければならないのか」 白石市長は言葉の端々に、百条委が設置されたことへの違和感と、自分は間違ったことをしていないという信念を滲ませていた。 当初から設置の意義が薄れていた百条委だが、それでも昨年10月に設置されて以降10回開催され、その間には選定委員を務めた市幹部職員3人、一般職員4人、白石市長に対する証人喚問を行ったり、市に記録や資料の提出を求めるなどした。こうした調査を経て今年3月10日、市議会に「調査結果報告書」が提出されたが、その中身は案の定、真相究明には程遠い内容だった。 以下、報告書の「総括」「結論」という項目から抜粋する。 《選定委員会の決定によることなく最終決定するのであれば、選定委員会における審査方法(審査過程)などは全く必用とせず、白石市長が最高責任者として何事も決定すればよいこととなり、公平、公正など名ばかりで、職権を乱用するが如く、白石市長の思いの中で物事がすべて決定されてしまう》 《白石市長の最終決定には「施工予定者選定公募型プロポーザルの公告第35号」で、広く施工予定者を公募した際に、最優秀提案者の選定方法を示した「選定委員会において技術提案及びプレゼンテーション等を総合的に審査し、最も評価の高い提案者を最優秀提案者に選定する」とした選定方法が反映されておらず、このことは、公募に応じて参加した各参加事業者に対して、結果として偽った(嘘をついた)選定方法で最終決定がなされたこととなり、参加事業者に対する裏切り行為と言われても弁明の余地がない》 《議会への事実説明の遅れは、白石市長が選定委員会の選定結果を覆した事実を伏せたい(隠したい)との考えが、根底にあった》 《選定委員会の結果を最終的に覆した(中略)今回の対応は「そうせざるをえない何らかの特別な理由が白石市長にあったのではないか」と疑われても仕方のない行動であり、このような行動は置かれている立場を最大限に利用した「職権の乱用」と言わざるをえない》 あまりに不十分な検証 百条委の報告書  そのうえで、報告書は「白石市長の一連の行動に対し猛省を促す」と指摘したが、一方で「告発する状況にはない」と結論付けた。要するに法的な問題は見られなかったが、白石市長のやり方は独善的で、強く反省を求めるとしたわけ。 この結果に、なるほどと思う人はどれくらいいるだろうか。 特に違和感を覚えるのは、せっかく行った証人喚問でどのような事実が判明し、どこに問題があったのかが一切触れられていないことだ。これでは各証人からどのような証言を得られたか分からず、白石市長の証言と照らし合わせて誰の言い分に妥当性があるのか、報告書を見た第三者の視点から検証できない。そもそも、百条委が妥当性を検証したかどうかの形跡も一切読み取れない。 市幹部職員以外の選定委員(有識者)4人を証人喚問しなかったことも疑問だ。市幹部職員3人だけでなく彼らの見解も聞かなければ、選定委員会が鹿島に決めた妥当性を検証できないのに、それをしなかったのは、白石市長が安藤ハザマに決めた妥当性を検証する気がない証拠と言われても仕方がない。 挙げ句、前記抜粋を見ても分かるように「白石市長憎し」とも取れる言葉があちこちに散見される始末。これでは真相究明に努めたというより「やっぱり意趣返しか」との印象が拭えない。市内には白石市長の市政運営に批判的な人もいるわけで、百条委はその人たちの期待に応える役割もあったはずだ。 ある議員によると、報告書は市議会に提出される10分前に全議員に配られ、その後、内容に対する質疑応答に入ったため、中身を吟味する余裕がないまま質問せざるを得なかったという。「せめて前日に内容を確認させてもらわないと突っ込んだ質問ができない。中身が薄いから吟味させたくなかったのではないか」(同)との指摘はもっともだ。 報告書に対する不満は、意外にも一部の百条委委員からも聞かれた。委員ですら報告書の中身を見たのは提出当日で「報告書に書かれていることは委員の総意ではない」との声すらあった。百条委は報告書の提出をもって解散されたが、委員の中には「年度をまたいでも調査を続けるべきだ」と百条委の継続を求める意見もあった。委員たちは反市長という点では一致していたが、一枚岩ではなかったようだ。 薄れた設置の意義 期待に応えられなかった百条委  百条委委員長を務めた石井忠治議員に報告書に関する疑問をぶつけると、率直な意見を述べた。   ×  ×  ×  × ――正直、報告書は中途半端だ。 「百条委設置の直前になって、白石市長が(安藤ハザマに変更した)理由を話し出した。今まで散々質しても言わなかったのに、このタイミングで言うかというのが正直な思いだった。おかげで百条委は、スタート時点で意義が薄れた。ただ、安藤ハザマと何らかのつながりがあるのではないかというウワサはあったので、調査が始まった」 ――で、調査の結果は? 「ウワサを裏付けるものは見つからなかった。そうなると、有識者も招いてつくった選定委員会が鹿島に決めたのに、白石市長の独断で覆すのはいかがなものかという部分に焦点を当てるしかなくなった。そうした中、こちらが白石市長の独断を厳しく批判し、白石市長が間違ったことはしていないと言い張る平行線の状況をつくったことは、見ている人に議論が噛み合っていないと映ったはずで、そこは反省しなければならない。ただ、プロポーザルを公募した際、3社には『最も評価の高い提案者を最優秀提案者に選定する』と示したわけだから、それを白石市長の独断で覆したことは明確なルール違反だと思う」 ――百条委設置から報告書提出までの5カ月間は何だったのか。 「そもそも新病院建設は前市長時代に計画されたが、白石市長が『第三者委員会で検証する』という選挙公約を掲げた。そして市長就任後、第三者委員会ではなく幹部職員による検証が半年かけて行われ、建設すべきという結論が出された。その結論自体に異論はないが、計画を半年遅らせた結果、資材や物価が高騰し事業費が膨らんだのは事実で、そこは責任を問われてしかるべきだ」 ――有識者の選定委員4人に証人喚問を行わなかったのはなぜ? 「行う準備はしていた。ただ、白石市長が安藤ハザマに変更した際、市幹部職員がそのことを有識者の選定委員に伝えると『市長がそう言うなら仕方がない』と変更を受け入れたというのです。もし『それはおかしい』と言う人がいたら、その人を証人喚問に呼んでおかしいと思う理由を尋ねるつもりだったが、全員が受け入れた以上、呼び出して意見を求めても意味がないと判断した」 ――報告書は誰が作成したのか。 「委員長の私、副委員長の安瀬信一議員、議会事務局長と職員、総務課長で協議して作成した。他の委員には内容について一任を取り付け、その代わり報告書に盛り込んでほしいことを各自から聞き取りした」 ――議員からは、報告書を吟味する暇もなく質疑応答に入ったため、事前に内容を確認させてほしかったという声があった。 「前日に報告書を配布することも考えたが、検討した結果、当日ギリギリになった。質疑応答について言わせてもらえば、百条委設置に反対した議員は委員就任を拒んだのだから、彼らには報告書に意見を述べる資格はない。もし意見があるなら委員に就任し、百条委内で堂々と言うべきだった。それもせずに『偏った調査だ』などと批判するのは筋が通らない。とはいえ傍聴者もいる中で何も述べさせないわけにはいかないので、質問は受け付けるけど意見は聞かないことで質疑応答に臨んだ」 ――百条委委員の中にも、報告書を提出して解散ではなく、引き続き調査を行うべきという声があった。 「それをしてしまうと、ただでさえ遅れている新病院建設はさらに遅れ、市民に不利益になる。新病院の工事費はプロポーザルの時点では四十数億円だったが、資材や燃料などの高騰で60億円になるのではないかという話が既に出ている。これ以上遅らせることは避けるべきだ」   ×  ×  ×  × 石井議員の話からは、でき得る範囲の調査で白石市長に「そのやり方は間違っている」と気付かせ、反省を促そうとした苦労が垣間見えた。ただ、百条委設置の意義が薄れたことを認めているように、47万円余の税金(調査経費)を使って5カ月も調査し、成果が得られたかというと疑問。これならわざわざ百条委を設置しなくても、それ以外の議会の権限で対応できたはずだ。 地方自治論が専門の今井照・地方自治総合研究所主任研究員は百条委のあるべき姿をこう解説する。 「百条委は検査、監査、参考人、公聴会、有識者への調査依頼など通常の議会の仕組みでは調査が難しい案件について執行機関以外の関係者や団体等に出頭、証言、記録の提出を半ば強制的に求める必要がある時に設置されます。例えば未確認情報があり、それを百条委の場で明らかにすることができれば目的達成と言っていいと思います」 「品位を落としかねない」 今井照・地方自治総合研究所主任研究員  この解説に照らし合わせると、市役所にしか証人喚問や記録の提出を求めず、未確認情報を明らかにできなかった今回の百条委は設置されるべきではなかったことになる。 「検査や監査など議会が備えている機能にも強い権限はあるので、そこで解決できるものは解決した方がいい。その中で違法行為が確認できれば、告発することも可能な場合があるのではないか」(同) そのうえで、今井氏はこのように警鐘を鳴らす。 「百条委は時に嫌がらせに近いものも散見されるが、そういう目的で設置するのは議会の品位を落としかねないので注意すべきだ」(同) 筆者は、白石市長が100%正しいと言うつもりはなく、反省する部分もあったと思うが、報告書に書かれていた「猛省」は百条委にも求められるということだろう。 白石市長に報告書を読んだ感想を求めると、こうコメントした。 「調査の趣旨は『市長から十分な説明を得られなかったため』だが、報告書には私が証言した具体的な経緯や事実、判断に至った理由について記載がなかった。今回の判断は市の財政負担や地域経済への影響を私なりに分析した結果だが、最も重要なのは2025年5月の移転開院に向けて事業を進めることなので、議会の理解を得ながら取り組みたい」 今後のスケジュールは、早ければ6月定例会に安藤ハザマとの正式契約に関する議案が提出され、議会から議決を得られれば契約締結、工事着手となる見通しだ。

  • 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

     選挙区の変更に翻弄されたり、陰で「もう辞めるべきだ」と囁かれている県内衆院議員たち。その最新動向を追った。 新3区支部長は菅家氏、上杉氏は比例単独へ 森山氏と並んで取材に応じる菅家氏(右)と上杉氏(左)=3月21日の党県連大会  衆院区割り改定を受け、県南地方の一部(旧3区)と会津全域(旧4区)が一つになった新3区。この新しい選挙区で自民党から立候補を目指していたのが、旧3区で活動する上杉謙太郎氏(47)=2期、比例東北=と、旧4区を地盤とする菅家一郎氏(67)=4期、比例東北=だ。 次期衆院選の公認候補予定者となる新3区の支部長について、党本部は「勝てる候補者を擁立する」という方針のもと、上杉氏と菅家氏が共に比例復活当選だったこと、県内の意向調査で両氏を推す声が交錯していたことなどを理由に選定を先延ばししてきた。一方、中央筋から伝わっていたのは、党本部は上杉氏を据えたい意向だが、両氏が所属する派閥(清和政策研究会)は菅家氏を推しているというものだった。 選定の行方が注目されていた中、党本部は3月14日、新3区の支部長に菅家氏を選び、上杉氏は県衆院比例区支部長として次期衆院選の比例東北で名簿上位の優遇措置が取られることが決まった。 森山裕選対委員長は、菅家氏を選んだ理由を「主な地盤が会津だったから」と説明した。県南と比べ会津の方が有権者数が多いことが判断基準になったという。 本誌は1月号の記事で、上杉氏は新3区から立候補したいが菅家氏に遠慮していると指摘。併せて「菅家氏は会津若松市長を3期務めたのに小熊慎司氏に選挙区で負けており、支部長に相応しくない」という上杉支持者の声を紹介した。 それだけに上杉支持者は今回の選定に落胆しているかと思ったが、意外にも冷静な分析をしていた。 「有権者数を比べれば、県南(白河市、西白河郡、東白川郡)より会津の方が多いので、菅家氏が選ばれるのは妥当です。上杉氏がいきなり会津に行っても得票できないでしょうからね」(ある支持者) そう話す支持者が見据えていたのは、負ける確率が高い「次」ではなく「次の次」だった。 「菅家氏は次の衆院選で相当苦戦するでしょう。小熊氏と毎回接戦を演じているところに、県南の一部が入ることで玄葉光一郎氏の応援がプラスされる。今回の選定は、党本部が『菅家氏が選挙区で負けても、上杉氏が比例で当選すれば御の字』と考えた結果と捉えています」(同) そこまで言い切る理由は、両氏に対し、一方が小選挙区、もう一方が比例単独で立候補し、次の選挙では立場を入れ替えるコスタリカ方式を導入しなかったことにある。 「コスタリカを組むと、選挙区に回った候補者が負けた場合、比例に回った候補者は『オマエが一生懸命やらなかったから(選挙区の候補者が)負けた』と厳しく批判され、次に選挙区から出る際のマイナス材料になってしまう」(同) 上杉氏は次の衆院選で、菅家氏のために一生懸命汗をかくことになるが、その結果、菅家氏が負けてもコスタリカを組んでいないので批判の矛先は向きにくい。一方、汗をかいた見返りに、これまで未開の地だった会津に立ち入ることができる。すなわちそれは、次の衆院選を菅家氏のために戦いながら、次の次の衆院選を見据えた自分の戦いにつながることを意味する。 「もし菅家氏が負ければ、既に2回比例復活当選しているので支部長には就けないから、次の次は上杉氏の出番になる。上杉氏はその時を見越して(比例当選で)バッジをつけながら選挙区で勝つための準備を進めればいい、と」(同) もちろん、このシナリオは菅家氏が負けることが前提になっており、もし菅家氏が勝てば、今度は上杉氏が比例東北で2回連続優遇とはいかないだろうから、途端に行き場を失う恐れがある。前出・森山選対委員長は上杉氏に「次の次は支部長」と密かに約束したとの話も漏れ伝わっているが、これだってカラ手形に終わる可能性がある。 いずれにしても「選挙はやってみなければ分からない」ので、今回の選定が両氏にとって吉と出るか凶と出るかは判然としない。 党本部のやり方に拗ねる馬場氏 馬場雄基氏  馬場雄基氏(30)=1期、比例東北=が3月15日に行ったツイッターへの投稿が波紋を生んでいる。 《質問終え、新聞見て、目を疑いました。事実確認のために、常任幹事会の議事録見て、本当と知ってショックが大きすぎます。県連常任幹事会で話したことは正しく伝わっているのでしょうか。本人の知らないところで、こうやって決まっていくのですね。気持ちの整理がつきません》 真に言いたいことは分からないが、立憲民主党本部が行った「何らかの決定」にショックを受け、不満を露わにしている様子は伝わってくる。 投稿にある「新聞」とは、3月15日付の地元紙を指す。そこには党本部が、次期衆院選の公認候補予定者となる支部長について、新1区は金子恵美氏、新3区は小熊慎司氏を選任したという記事が載っていた。 実は、馬場氏も冒頭の投稿に福島民友の記事写真を掲載したが、同記事には馬場氏に関する記載がなかったため、尚更「何にショックを受けたのか」と憶測を呼んだのだ。 党県連幹事長の髙橋秀樹県議に思い当たることがあるか尋ねると、次のように話した。 「私も支持者から『あの投稿はどういう意味?』と聞かれたが、彼の言わんとすることは分かりません。県連で話したことが党本部に正しく伝わっていないと不満をのぞかせている印象だが、県連の方針は党本部にきちんと伝えてあります」 馬場氏をめぐる県連の方針とは、元外相玄葉光一郎氏(58)=10期、旧3区=とのコスタリカだ。 衆院区割り改定を受け、玄葉氏は新2区から立候補する考えを示したが、旧2区で活動する馬場氏も玄葉氏に配慮し明言は避けつつも、新2区からの立候補に意欲をにじませていた。これを受け県連は2月27日、両氏を対象にコスタリカ方式を導入することを党本部に上申した。 この時の馬場氏と玄葉氏のコメントが読売新聞県版の電子版(3月1日付)に載っている。 《記者会見で、馬場氏はコスタリカ方式の要請について、「現職同士が重なる苦しい状況を打開し、党本部の決定を促すためだ」と強調。「その部分が決定してから様々なことが決まる」と述べた。玄葉氏は「活動基盤を新2区にしていく。私にとっては大きな試練だ」とし、「比例に回った方が優遇される環境が前提だが、私の場合、小選挙区で出る前提で準備を進める」とも述べた》 馬場氏は玄葉氏とのコスタリカを認めるよう党本部に強く迫り、それが決まらないうちは他の部分は決まらないと強調したのだ。 ただ党本部は、コスタリカで比例区に転出する候補者(馬場氏)は名簿上位で優遇する必要があり、他県と調整しなければならないため、3月10日に大串博志選対委員長が「統一地方選前の決定はあり得ない」との見解を示していた。 そして4日後の同14日、党本部は前述の通り金子氏を新1区、小熊氏を新3区の支部長とし、新2区については判断を持ち越したため、馬場氏はショックのあまりツイッターに思いを吐露したとみられる。 進退にも関わることなので馬場氏の気持ちは分からなくもないが、前出・高橋県議は至って冷静だ。 「もしコスタリカを導入すれば立憲民主党にとっては初の試みで、比例名簿の上位登載は他県の候補者との兼ね合いもあるため、簡単に『やる』とは発表できない。調整に時間がかかるという党本部の説明は理解できます」(高橋県議) 要するに今回の出来事は、多方面と調整しなければ結論を出せない党本部の苦労を理解せずに、馬場氏が拗ねてツイッターに投稿した、ということらしい。 馬場事務所に投稿の真意を尋ねると、馬場氏本人から次のようなコメントが返ってきた。 「多くの方々に支えられて議員として活動させていただいていることに誇りと責任を持って行動していきます。難しい状況だからこそ、より応援の輪を広げていけるよう精進して参ります」 ここからも真意は読み取れない。 前述の上杉・菅家両氏といい、馬場氏といい、衆院区割り改定に翻弄される人たちは心身が休まることがないということだろう。 健康不安の吉野氏に引退を求める声  選定が難航する区もあれば、すんなり決まった区もある。そのうちの一つ、自民党の新4区支部長には昨年12月、現職の吉野正芳氏(74)=8期、旧5区=が選任された。 選挙の実績で言えば、支部長選任は順当。ただ周知の通り、吉野氏は健康問題を抱え、このまま議員を続けても満足な政治活動は難しいという見方が大勢を占めている。 復興大臣を2018年に退任後、脳梗塞を発症。療養を経て現場復帰したが、身体に不自由を来し、移動は車椅子に頼っているほか、喋りもスムーズではない状態にある。 「正直、会話にはならない。吉野先生から返ってくる言葉も、こもった話し方で『〇くん、ありがとね』という具合ですから」(ある議員) 要するに今の吉野氏は、国会・委員会での質問や聴衆を前にした演説など、衆院議員として当たり前の仕事ができずにいるのだ。3月21日に開かれた党県連の定期大会さえも欠席(秘書が代理出席)している。 ここで難しいのは、政治家の出処進退は自分で決めるということだ。周りがいくら「辞めるべき」と思っても、本人が「やる」と言えば認めざるを得ない。 ただ、吉野氏の場合は前回(2021年10月)の衆院選も同様の健康状態で挑み、この時は周囲も「あと1期やったら流石に引退だろう」と割り切って支援した経緯があった。ところが今回、新4区支部長に選任され、本人も事務所も「まだまだやれる」とふれ回っているため、地元では「いい加減にしてほしい」と思いつつ、首に鈴をつける人がいない状況なのだ。 写真は3月21日の党県連定期大会を欠席した吉野氏が会場に宛てた祝電  「吉野氏の後釜を狙う坂本竜太郎県議は内心、『まだやるつもりか』と不満に思っているだろうが、ここで波風を立てれば自分に出番が回ってこないことを恐れ、ひたすら沈黙を貫いています」(ある選挙通) 旧5区、そして新たに移行する新4区は強力な野党候補が不在の状態が続いている。それが、満足な政治活動ができない吉野氏でも容易に当選できてしまう要因になっている。ただ、いつまでも当選できるからといって「議員であり続けること」に固執するのは有権者に失礼だ。 それでなくても新4区は原発被災地が広がるエリアで、復興の途上にある。元復興大臣という肩書きを笠に着て、行動力に期待が持てない議員に課題山積の新4区を任せるのは違和感がある。

  • 【鏡石町】政治倫理審査後も続く議会の騒動

    込山靖子議員が渡辺定己元議員から不適切な言動を受けたと訴え、政治倫理審査会(政倫審)を設置して審査が行われた問題は、昨年12月に政倫審が報告書をまとめたことで、一応の決着を見たと思われていた。ところが、3月上旬、渡辺元議員が反論文を関係各所に送付したことで、新たな問題が生まれようとしている。 「不適切」認定された元議員が反論 込山靖子議員 渡辺定己元議員  込山議員は昨年8月19日付で古川文雄議長に政治倫理審査請求書を提出した。同請求書は込山議員を含む7人の議員の連名で、渡辺議員から受けた16項目に及ぶ不適切な言動が綴られている。 それから4日後の同23日付で渡辺議員は古川議長に辞職願を提出し、受理された。辞職理由は「健康上の問題」だった。 この経過だけを見ると、政倫審請求を受け、渡辺議員が逃げ出したように映る。実際、そう捉えている関係者もいるが、その前に渡辺議員は入院しており、「このままでは迷惑をかける」、「治療に専念したい」といった考えから辞職したようだ。 これを受け、町議会事務局は県町村議会議長会に対して「政倫審請求書提出後に辞職した議員について、審査することは可能か」等々の問い合わせをしていた。このため、その後の動きに時間を要したが、県町村議会議長会の顧問弁護士から「今回のケースでは辞職した渡辺元議員の審査を行うことが可能である」旨の回答があったという。 ある議員はこう解説する。 「条例文の解釈では、要件を満たした状況で、議長に政倫審請求書を提出し、それが受理された段階で『政倫審は立ち上がっている』ということになる。つまり、昨年8月19日に政倫審請求書を提出した時点で、政倫審は発足している、と。その4日後に渡辺議員が辞職したが、町議会事務局が県町村議会議長会の顧問弁護士に確認したところでは、『審査を行うことは可能で、渡辺元議員への招致要請もできる。ただし、強制はできない』とのことでした」 不適切行為を一部認定  こうした確認を経て、昨年10月、政倫審委員として、畑幸一議員(副議長)、大河原正雄議員、角田真美議員の議員3人と、門脇真弁護士(郡山さくら通り法律事務所)、佐藤玲子氏(町人権擁護委員)、村越栄子氏(町民生児童委員)の民間人3人の計6人が選任された。委員長には門脇弁護士が就いた。 政倫審は昨年11月14日、29日、12月20日と計3回開催され、3回目で報告書をまとめて古川議長に提出した。それによると、審査対象は「渡辺元議員の込山議員に対する行為がセクシャルハラスメント行為、パワーハラスメント行為、議会基本条例第7条第1号(町民の代表として、その品位または名誉を損なう行為を禁止し、その職務に関し不正の疑惑を持たれるおそれのある行為をしないこと)に違反するか否か」である。 審査結果は次の通り。   ×  ×  ×  × 本件審査請求の対象とされる行為のうち、委員会の会議中に、審査対象議員(渡辺元議員)が審査請求代表者(込山議員)に依頼して、審査対象議員の足に湿布を貼ってもらった行為は、審査会の調査によって認定することができる。そして、特段やむを得ない事情も認められない本件当時の状況を踏まえると、当該行為は、議案等の審査等を責務とする委員会活動中における町民の代表者としてふさわしい行為とは言えず、町民の代表者としての品位を損なう行為であり、条例第7条第1号に違反するとの結論に至った。 なお、本件審査請求の対象とされる行為のうち、審査対象議員個人の行為とはいえない行為及び当事者間の金銭請求の当否を求めることにほかならない行為については審査不適との結論に至った。 また、その他の行為については審査会の調査によっても真偽不明であり、その存否について判断できないとの結論に至った。   ×  ×  ×  × この結果を受け、当時の本誌取材に込山議員は次のように述べた。 「(政倫審の報告書は)形式的なものでしかなかったが、一応『不適切』と認められた部分もありますし、町民の中には『もっとやるべきことがあるのではないか』といった声もあるので、私としてはこれで良しとするしかないと思っています。ほかの議員からは(もっと厳しく審査・追及すべきという意味で)『納得できない』といった意見も出ました。そうした発言で救われた部分もある」 要は「納得したわけではないが、これで矛を収めるしかない」との見解だったのである。 これで一応の決着を見たと思われたが、3月上旬、渡辺元議員が「当事者として今・真実を語る!!」と題した反論文を関係各所に送付した。 本誌も渡辺元議員を取材してそれを受け取り、話を聞いた。一方で、込山議員からも政倫審請求書を提出した直後や、政倫審の結果が出た後に話を聞いているが、双方の主張は180度異なっている。 すなわち、込山議員は「選挙期間中、あるいは当選後の議員活動の中で、渡辺議員からこんなことを言われた」、「こんなことをされた」と訴え、それに対し、渡辺元議員は「それは違う。実際はこうだった」と主張しているのだ。 ほとんどが2人のときの出来事で、客観的な判断材料があるわけではない。そのため、どこまで行っても、水掛け論になってしまう。 実際、先に紹介した政倫審の報告書でも、大部分は「真偽不明で、その存否について判断できない」とされている。唯一、認定されたのは、委員会の会議中に、渡辺議員(当時)が込山議員を呼びつけ、足に湿布を貼らせたという行為。これはほかの議員も見ていた場でのことのため、関係者に確認し「間違いなくそういうことがあった」と認定され、「町民の代表としての品位、名誉を損なう行為」とされたのだ。 政倫審後に反論の理由  一方で、政倫審は渡辺元議員に説明、資料提出、政倫審への出席を求めたが、渡辺元議員はいずれの対応もしなかった。にもかかわらず、ここに来て、反論文を関係各所に送付したのはなぜか。渡辺元議員は次のように説明した。 「今回の件は、(議会内の対立構造の中で)私を貶めようというのが根底にあったのです。だから、相手にするつもりもなかったし、『人の噂も75日』というから黙っていました。ただ、『謝罪しろ』とか、あまりにも騒ぎ立てるので、黙っていられなくなった」 政倫審の結果が出た後、議会内では「不適切と認められた部分について、公開の場(議場)で、渡辺元議員に謝罪を求めるべき」との意見が出た。渡辺元議員の「『謝罪しろ』と騒ぎ立てるので黙っていられなくなった」とのコメントはそのことを指している。なお、3月議会最終日の3月17日、議員から「鏡石町議会として元鏡石町議会議員・渡辺定己氏に公開の議場での謝罪を求める決議(案)」が出されたが、否決された。 一方で、「不適切」と認定された湿布を貼らせた行為については、渡辺元議員はこう説明した。 「私が医師から受けた診断は狭窄症で、時折、極度の神経痛が襲う。あの時(委員会中に込山議員に湿布を貼らせた時)は本当に辛かった。一部は自分で湿布を貼ったが、それ以上は自分でできず、うずくまっていたところに、ちょうど込山議員が目に入り、貼ってくれ、と頼んだ」 「その点については反省し、謝罪もした」という渡辺元議員。ただ、込山議員は「謝罪は受けていない。委員会という執行部やほかの議員が見ている場で、込山議員はオレ(渡辺元議員)の子分だということを示したかったからとしか思えない」と語っていた。 いずれにしても、このことが政倫審で「町民の代表としての品位、名誉を損なう行為」と認められたことだけは事実として残っている。 込山議員は、現職議員の死去に伴い、昨年5月の町長選と同時日程で行われた町議補選(欠員2)に立候補し初当選した。補選に当たり、込山議員に「議員をやってみないか」と打診し、選挙活動の指南・手伝いをしたのが渡辺元議員だった。そういう関係性からスタートして、今回のような事態になった。この補選を巡り、渡辺元議員は「選挙費用を立て替えた。その分を返還してほしい」、込山議員は「私の知らないところで勝手にいろいろされた」といったトラブルも発生している。 込山議員は「最初は(渡辺元議員を)尊敬できる人だと思って、いろいろ勉強させてもらおうと思ったが、実際は全然違った」と言い、渡辺元議員は「(込山議員を)自分の後継者になってもらいたいと思い、目をかけたが裏切られた思いだ」と明かす。 出口の見えない抗争はさらに続くのか。 あわせて読みたい 【鏡石町議会】不適切言動の責任を問われる渡辺定己元議員

  • ハラスメントを放置する三保二本松市長

     本誌2、3月号で報じた二本松市役所のハラスメント問題。同市議会3月定例会では、加藤達也議員(3期、無会派)が執行部の姿勢を厳しく追及したが、斎藤源次郎副市長の答弁からは危機意識が感じられなかった。それどころか加藤議員の質問で分かったのは、これまで再三、議会でハラスメント問題が取り上げられてきたのに、執行部が同じ答弁に終始してきたことだった。これでは、ハラスメントを根絶する気がないと言われても仕方あるまい。(佐藤仁) 機能不全の内規を改善しない斎藤副市長 斎藤副市長  本誌2月号では、荒木光義産業部長によるハラスメントが原因で歴代の観光課長2氏が2年連続で短期間のうちに異動し同課長ポストが空席になっていること、3月号では、本誌取材がきっかけで2月号発売直前に荒木氏が年度途中に突然退職したこと等々を報じた。 詳細は両記事を参照していただきたいが、荒木氏のハラスメントは市役所内では周知の事実で、議員も定例会等で執行部の姿勢を質したいと考えていたが、被害者の観光課長らが「大ごとにしてほしくない」という意向だったため、質問したくてもできずにいた事情があった。 しかし、本誌記事で問題が公になり、3月定例会では加藤達也議員が執行部の姿勢を厳しく追及した。その発言は、直接の被害者や荒木氏の言動を苦々しく思っていた職員にとって胸のすく内容だったが、執行部の答弁からは本気でハラスメントを根絶しようとする熱意が感じられなかった。 問題点を指摘する前に、3月6日に行われた加藤議員の一般質問と執行部の答弁を書き起こしたい。   ×  ×  ×  × 加藤議員 2月4日発売の月刊誌に掲載された「二本松市役所に蔓延する深刻なハラスメント」という記事について3点お尋ねします。一つ目に、記事に書かれているハラスメントはあったのか。二つ目に、苦情処理委員会の委員長を務める副市長の見解と、今後の職員への指導・対応について。三つ目に、ハラスメントのウワサが絶えない要因はどこにあると考えているのか。 中村哲生総務部長 記事には職員個人の氏名が掲載され、また氏名の掲載はなくても容易に個人を特定できるため、人事管理上さらには職員のプライバシー保護・秘密保護の観点から、事実の有無等についてお答えすることはできません。 斎藤源次郎副市長 記事に対する私の見解を述べるのは差し控えさせていただきます。今後の職員への指導・対応は、ハラスメント根絶のため関係規定に基づき適切に取り組んでいきます。ハラスメントのウワサが絶えない要因は、ウワサの有無に関係なく今後ともハラスメント根絶と職員が快適に働くことのできる職場環境を確保するため、関係規定に則り人事担当が把握した事実に基づいて適切に対応していきます。 加藤議員 私がハラスメントに関する質問をするのは平成30年からこれで4回目ですが、副市長の答弁は毎回同じで、それが結果に結び付いていない。私は、実際にハラスメントがあったのに、なかったかのように対処している執行部の姿に気持ち悪さを感じています。 私の目の前にいる全ての執行部の皆さんに申し上げます。私は市役所を心配する市民の声を受けて質問しています。1月31日の地元紙に、2月3日付で前産業部長が退職し、2月4日付で現産業部長と観光課長が就任するという記事が掲載されました。年度途中で市の中心的部長が退職することに、私も含め多くの市民がなぜ?と心配していたところ、2月4日発売の月刊誌に「二本松市役所に蔓延する深刻なハラスメント」というショッキングな見出しの記事が掲載されました。それを読むと、まさに退職された元部長のハラスメントに関する内容で、驚くと同時に残念な気持ちになりました。 記事が本当だとするなら、周りにいる職員、特に私の目の前にいる幹部職員の皆さんはそのような行為を止められなかったのでしょうか。全員が見て見ぬふりをしていたのでしょうか。この市役所はハラスメントを容認する職場なのでしょうか。市役所には本当に職員を守る体制があるのでしょうか。 そこでお尋ねします。市は職員に対し定期的なアンケート調査などによるチェックを行っているのか。また、ハラスメントの事実があった場合、どう対応しているのか。 繰り返し問題提起 加藤達也議員  中村総務部長 ハラスメント防止に関する規定に基づき、総務部人事行政課でハラスメントによる直接の被害者等から苦情相談を随時受け付けています。また、毎年定期的に行っている人事・組織に関する職員の意向調査や、労働安全衛生法に基づくストレスチェック等によりハラスメントの有無を確認しています。 ハラスメントがあった場合の対応は、人事行政課で複数の職員により事実関係の調査・確認を行い、事案の内容や状況から判断して必要がある場合は副市長、職員団体推薦の職員2名、その他必要な職員により構成する苦情処理委員会にその処理を依頼します。調査の結果、ハラスメントの事実が確認された場合、加害者は懲戒処分に付されることがあります。また、苦情の申し出や調査等に起因して当該職員が不利益を受けることがないよう配慮しなければならないとも規定されています。 加藤議員 苦情処理委員会は平成31年に設置されましたが、全くもって機能していないと思います。私が言いたいのは、誰が悪いとか正しいとかではなく、組織としてハラスメントを容認する体制になっているのではないかということです。幹部職員の皆さんがきちんと声を上げないと、また同じ問題が繰り返されると思います。 いくら三保市長が「魅力ある市役所」と言ったところで現場はそうなっていません。これからは部長、課長、係長、職員みんなで思いを共有し、ハラスメントを許さない、撲滅する組織をつくっていくべきです。それでも自分たちで解決できなければ、第三者委員会を立ち上げるなどしないと、いつまで経っても同じことが繰り返されてしまいます。 加害者に対する教育的指導は市長と副市長が取り組むべきです。市長と副市長には職務怠慢とまでは言いませんが、しっかりと対応していただきたいんです。そして、被害者に対しては心のケアをしていかなければなりません。市長にはここで約束してほしい。市長は常々「ハラスメントはあってはならない」と言っているのだから、今後このようなことがないよう厳正に対処する、と。市長! お願いします! 斎藤副市長 職員に対する指導なので私からお答えします。加藤議員が指摘するように、ハラスメントはあってはならず、根絶に努めていかなければなりません。その中で、市長も私も庁議等で何度か言ってきましたが、業務を職員・担当者任せにせず組織として進めること、そして課内会議を形骸化させないこと、言い換えると職員一人ひとりの業務の進捗状況と、そこで起きている課題を組織としてきちんと共有できていれば、私はハラスメントには至らないと思っています。一方、ハラスメントは受けた側がどう感じるかが大切なので、職員一人ひとりが自分の言動が強権的になっていないか注意することも必要と考えています。 加藤議員 副市長が言うように、ハラスメントは受ける側、する側で認識が異なります。そこをしっかり指導していくのが市長と副市長の仕事だと思います。二本松市役所からハラスメントを撲滅するよう努力していただきたい。   ×  ×  ×  × 驚いたことに、加藤議員は今回も含めて計4回もハラスメントに関する質問をしてきたというのだ。 1回目は2018年12月定例会。加藤議員は「同年11月発行の雑誌に市役所内で職場アンケートが行われた結果、パワハラについての意見が多数あったと書かれていた。『二本松市から発信される真偽不明のパワハラ情報』という記事も載っていた。これらは事実なのか。もし事実でなければ、雑誌社に抗議するなり訴えるべきだ」と質問。これに対し当時の三浦一弘総務部長は「記事は把握しているが、内容が事実かどうかは把握できていない。報道内容について市が何かしらの対応をするのが果たしていいのかという考え方もあるので、現時点では相手方への接触等は行っていない」などと答弁した。 斎藤副市長も続けてこのように答えていた。 「ハラスメント行為を許さない職場環境づくりや、職員の意識啓発が大事なので、今後とも継続的に実施していきたい」 2回目は2019年3月定例会。前回定例会の三浦部長の答弁に納得がいかなかったため、加藤議員はあらためて質問した。 「12月定例会で三浦部長は『ここ数年、ハラスメントの相談窓口である人事行政課に相談等の申し出はない』と答えていたが、本当なのか」 これに対し、三浦部長が「具体的な相談件数はない。また、ハラスメントは程度や受け止め方に差があるため、明確に何件と答えるのは難しい」と答えると、加藤議員は次のように畳みかけた。 「私に入っている情報とはかけ離れている部分がある。私は、人事行政課には相談できる状況にないと思っている。職員はあさかストレスケアセンターに被害相談をしていると聞いている」 あさかストレスケアセンター(郡山市)とはメンタルヘルスのカウンセリングなどを行う民間企業。 要するに、市の相談体制は機能していないと指摘したわけだが、三浦部長は「人事担当部局を通さず直接あさかストレスケアセンターに相談してもいい制度になっており、その部分については詳しく把握していない」と答弁。ハラスメントを受けた職員が、内部(人事行政課)ではなく外部(あさかストレスケアセンター)に相談している実態を深刻に受け止める様子は見られなかった。そもそも、職員の心的問題に関する相談を〝外注〟している時点で、ハラスメントを組織の問題ではなく個人の問題と扱っていた証拠だ。 対策が進まないワケ  斎藤副市長の答弁からも危機意識は感じられない。 「ハラスメントの撲滅、職場環境の改善のためにも(苦情処理委員会の)委員長としてさらに対策を進めていきたい」 この時点で、市役所の相談体制が全く機能していないことに気付き、見直す作業が必要だったのだろう。 3回目は2021年6月定例会。一般社団法人「にほんまつDMO」で起きた事務局長のパワハラについて質問している。この問題は本誌同年8月号でリポートしており、詳細は割愛するが、この事務局長というのが総務部長を定年退職した前出・三浦氏だったから、加藤議員の質問に対する当時の答弁がどこか噛み合っていなかったのも当然だった。 この時は市役所外の問題ということもあり、斎藤副市長は答弁に立たなかった。 こうしたやりとりを経て、4回目に行われたのが冒頭の一般質問というわけ。斎藤副市長の1、2回目の答弁と今回の答弁を比べれば、4年以上経っても何ら変わっていないことが一目瞭然だ。 当時から「対応する」と言いながら結局対応してこなかったことが、荒木氏によるハラスメントにつながり、多くの被害者を生むことになった。挙げ句、荒木氏は処分を免れ、まんまと依願退職し、退職金を満額受け取ることができたのだから、職場環境の改善に本気で取り組んでこなかった三保市長、斎藤副市長は厳しく批判されてしかるべきだ。 「そもそも三保市長自身がハラスメント気質で、斎藤副市長や荒木氏らはイエスマンなので、議会で繰り返し質問されてもハラスメント対策が進むはずがないんです。『ハラスメントはあってはならない』と彼らが言うたびに、職員たちは嫌悪感を覚えています」(ある市職員) 総務省が昨年1月に発表した「地方公共団体における各種ハラスメント対策の取組状況について」によると、都道府県と指定都市(20団体)は2021年6月1日現在①パワハラ、②セクハラ、③妊娠・出産・育児・介護に関するハラスメントの全てで防止措置を完全に講じている。しかし、市区町村(1721団体)の履行状況は高くて7割と、ハラスメントの防止措置はまだまだ浸透していない実態がある(別表参照)。  ただ都道府県と指定都市も、前回調査(2020年6月1日現在)では全てで防止措置が講じられていたわけではなく、1年後の今回調査で達成したことが判明。一方、市区町村も前回調査と比べれば今回調査の方が高い数値を示しており、防止措置の導入が急速に進んでいることが分かる。今の時代は、それだけ「ハラスメントは許さない」という考え方が常識になっているわけ。 二本松市は、執行部が答弁しているようにハラスメント防止に関する規定や苦情処理委員会が設けられているから、総務省調査に照らし合わせれば「防止措置が講じられている」ことになるのだろう。しかし、防止措置があっても、まともに機能していなければ何の意味もない。今後、同市に求められるのは、荒木氏のような上司を跋扈させないこと、2人の観光課長のような被害者を生み出さないこと、そのためにも真に防止措置を働かせることだ。 明らかな指導力不足  一連のハラスメント取材を締めくくるに当たり、斎藤副市長に取材を申し込んだところ、 「今は3月定例会の会期中で日程が取れない。ハラスメント対策については、副市長が(加藤)議員の一般質問に真摯に答えている。これまでもマニュアルや規定に基づいて対応してきたが、引き続き適切に対応していくだけです」(市秘書政策課) という答えが返ってきた。苦情処理委員長を務める斎藤副市長に直接会って、機能不全な対策を早急に改善すべきと進言したかったが、取材を避けられた格好。 三保市長は常々「職員が働きやすい職場環境を目指す」と口にしているが、それが虚しく聞こえるのは筆者だけだろうか。 最後に、一般質問を行った前出・加藤議員のコメントを記してこの稿を閉じたい。 「大前提として言えるのは、市役所内にハラスメントがあるかないかを把握し、適切に対処すれば加害者も被害者も生まれないということです。荒木部長をめぐっては、早い段階で適切な指導・教育をしていれば辞表を出すような結果にはならず、部下も苦しまずに済んだはずで、三保市長、斎藤副市長の指導力不足は明白です。商工業、農業、観光を束ねる産業部は市役所の基軸で、同部署の人事は極力経験者を配置するなどの配慮が必要だが、今回のハラスメント問題を見ると人事的ミスも大きく影響したように感じます」 あわせて読みたい 2023年2月号 二本松市役所に蔓延する深刻なパワハラ 2023年3月号 【二本松市】パワハラ部長「突然の退職劇」

  • 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

     会津若松市職員(当時)による公金詐取事件は、だまし取った約1億7700万円の使い道が裁判で明らかになってきた。生活費をはじめ、競馬や宝くじ、高級車のローン返済や貯蓄、さらには実父や叔父への貸し付け、挙げ句には交際相手への資金援助。詐取金は、家族の協力を得ても半分しか返還できていない。本人が有罪となり刑期を終えても、一族を道連れに「返還地獄」が待っている。 一族を道連れにした「1.8億円の返還地獄」  会津若松市の元職員、小原龍也氏(51)=同市河東町=は在職中、児童扶養手当や障害者への医療給付を担当する立場を悪用し、データを改ざんして約1億7700万円もの公金をだまし取っていた。パソコンに長け、発覚しにくい方法を取っていただけでなく、決裁後の起案のグループ回覧を廃止したり、チェック役に新人職員や異動1年目の職員を充てて職員同士の監視機能が働かない体制をつくっていた。 不正発覚後、市は調査を進め、昨年11月7日に会津若松署に小原氏を刑事告訴した上で懲戒免職にした。同署は任意捜査を続け、同12月1日に詐欺容疑で逮捕した。  その後も、市は個別の犯行について被害届を提出。同署は一連の詐欺容疑で計5回逮捕し、地検会津若松支部がうち4件を詐欺罪で起訴している(原稿執筆時の3月中旬時点)。検察は全ての逮捕容疑を罪に問う見込みだ。小原氏は、これまでに法廷で読み上げられた起訴事実2件を「間違いございません」と認めている。一つの公判が開かれるたびに新たな起訴事実が読み上げられ、本格的な審理にまで至っていない。 地元の事情通が警察筋から聞いた話によると、捜査は2月中に終結する見込みだった。5回目の逮捕が3月9日だから、当初の想定よりずれ込んでいる。 逮捕5回は身に応えるのだろう。出廷した小原氏の髪は白髪交じりで首の後ろまで伸び、キノコのかさのように頭を覆っていた。もともと痩せていて背が高いのだろうが、体格のいい警察官に挟まれて連行されるとそれが際立った。顔はやつれ、いつも同じ黒のトレーナー上下とスリッパを身に着けていた。 刑事事件に問われているのは犯行の一部に過ぎない。2007~09年には、重度心身障害者医療費助成金約6500万円を詐取していたことが市の調査で分かっている(表参照)。だが、詐欺罪の公訴時効7年を過ぎているため立件されなかった。市は「民事上の対応で計約1億7700万円の返還を求めていく」としている。 元市職員による総額1億7700万円の公金詐取と返還の動き 1996年4月大学卒業後、旧河東町役場入庁。住民福祉課に配属1999年4月保健福祉課に配属2001年4月税務課に配属2005年4月建設課に配属11月合併で会津若松市職員に。健康福祉部社会福祉課に配属2007年4月~2009年12月6571万円を詐取(重度心身障害者医療費助成金)2011年4月財務部税務課に配属2014年11月健康福祉部こども保育課に配属2016年5月地元の金融機関から借金するなどして叔父に700万円を貸す7月実父に700万円を貸す2018年4月健康福祉部こども家庭課に配属。こども給付グループのリーダーに昇任2019年4月~2022年3月1億1068万円を詐取(児童扶養手当)2021年60万円を詐取(21年度子育て世帯への臨時特別給付金)2022年4月健康福祉部障がい者支援課に配属6月市が支給金額に異変を発見。内部調査を開始8月市が小原氏から詐取金の回収を開始9月市が返還への協力を求めて小原氏の家族と協議開始11月7日市が小原氏を刑事告訴し懲戒免職11月8日時点9112万円を返還(残額は全額の49%)11月30日8~10月の給料分56万円を返還12月1日1回目の逮捕12月28日家族を通じて11月の給料分2万円を返還2023年2月6日実父から市に40万円の支払い2月14日時点8489万円が未返還(残額は全額の48%)出典:会津若松市「児童扶養手当等の支給に係る詐欺事件への対応について」(2022年11月、23年2月発行)より。1000円以下は切り捨て。  市は早速、小原氏を懲戒免職にした後の昨年11月8日時点で半分に当たる9112万円を回収した。小原氏に預金を振り込ませたほか、生命保険を解約させたり、所有する車を売却させたりした。 小原氏が逮捕・起訴された後も回収は続いている。まず、小原氏が昨年8月から同11月に懲戒免職になるまでに支払われた給料約3カ月分、計約58万円を本人や家族を通じて返還させた。加えて小原氏の実父が40万円を支払った。それでも市が回収できた額は計約9210万円で、だまし取られた公金の全額には到底届かない。約48%に当たる約8489万円が未回収だ。 身柄を拘束されている小原氏は今すぐに働いて収入を得ることはできない。初犯ではあるが、多額の公金をだまし取った重大性と過去の判例を考慮すると実刑が濃厚だ。 ちなみに初公判が開かれた1月30日、同じ地裁会津若松支部では、粉飾決算で計3億5000万円をだまし取ったとして詐欺罪などに問われていた会社役員吉田淳一氏に懲役4年6月が言い渡されている(㈱吉田ストアの元社長・吉田氏については、本誌昨年9月号「逮捕されたOA機器会社社長の転落劇」で詳報しているので参照されたい)。 小原氏は3月中旬時点で五つの詐欺罪に問われており、本誌は罪がより重くなると考えている。同罪の法定刑は10年以下の懲役。二つ以上の罪は併合罪としてまとめられ、より重い罪の刑に1・5を掛けた刑期が与えられる。単純に計算すると10年×1・5=15年。最長で刑期は15年になる。実刑となればその期間の就労は不可能。刑務作業の報償金は微々たるもので当てにならない。 小原氏に実刑が科されれば、市は公金を全額回収できない事態に陥る。そのため市は、小原氏の家族にも返還への協力を求めてきた。小原氏は妻子とともに市内河東町の実家で両親と同居していたが、犯行発覚後に離婚したため、立て替えているのは両親だ。 実父は市に「年2回に分けて支払う」と申し出たが、前述の通りこれまでに支払ったのは1回につき40万円。残額は約8489万円だから、1年間に80万円ずつ返還すると仮定しても106年はかかる。今のペースのままでは、小原氏や家族が存命中に全額返還はかなわない。 返還が遅れると小原氏も不利益を被る。刑を軽くするには、贖罪の意思を行動で示すために少しでも多く返還する必要があるからだ。十分な返還ができず、刑期が減らなければ、その分だけ社会復帰が遅れ、返還に支障が出るという悪循環に陥る。 「裁判が終わるまでに全額返還」が市と小原氏、双方の共通目標と言える。だが、無い袖は振れない。ここで市が言う「民事上の対応も考えている」点が重要になる。小原氏側からの返還が滞り、返還に向けて努力する姿勢を見せなければ損害賠償請求も躊躇しないということを意味する。ただ、小原氏には財産がない以上、民事訴訟をしたところで回収は果たせるのか。親族に責任を求めて提訴する方法も考えられるが。 市に問い合わせると、 「詐取の責任は一義的に元市職員(小原氏)にあり、親族にまで民事訴訟をすることは考えていない」(市人事課) 確かに、返還義務があるのはあくまで犯行に及んだ小原氏だけだ。いくら親子関係にあっても互いに別人格を持った個人であり、犯罪の責任を親にかぶせることを求めてはいけない。現状、小原氏の実父が少額ずつであれ返還に協力している以上、強硬手段は取れない。小原氏や家族の資力を勘案して、できるだけ早く返還するよう強く求めることが、市が取れる手段だ。こうして見ると、一族が一生かかっても返還できない額をよく使い切ったものだと、小原氏の金銭感覚に呆れる。 実父、叔父、交際相手を援助 小原氏の裁判が開かれている福島地裁会津若松支部(1月撮影)  それでも、小原氏本人が返還できなければ、家族や親族を民事で訴えてでも回収すべきという意見も市民には根強い。なぜなら「公金詐取の引き金は親族への貸し付けが一要因である」との趣旨を小原氏が供述でほのめかしているからだ。 検察官が法廷で述べた供述調書の内容を記す。 小原氏は2016年5月ごろに叔父に700万円を貸している。小原氏と実父の供述調書では、小原氏は実父に頼まれて同年7月に700万円を貸している。 いずれの貸し付けも公金をそのまま貸したわけではなく、まずは地元の金融機関から借りるなどして捻出した金を叔父と実父に渡した。だが叔父からは十分な額を返してもらえず、小原氏はもともと抱えていた借金も重なって金融機関への返済に窮するようになった。その結果、公金詐取に再び手を染めたという。 事実が供述調書通りなのか、法廷での小原氏自身の発言を聞いたうえで判断する余地がある。だが逮捕前の市の調査でも、小原氏は「親族の借金を肩代わりするために公金を詐取した」と弁明しているので、供述との整合性が取れている。 地元ジャーナリストが小原氏の家族関係を話す。 「実父は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐという。三男(同)は公務員だそうだ。叔父は過去に勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあると聞いている。『親族の借金の肩代わり』とは叔父のことを指しているのかもしれない」 供述と証言を積み上げていくと、実父と叔父には自前では金を用意できない事情があった。2人は市役所職員という信頼のある職に就いていた小原氏に無心し、小原氏は金融機関から借金。もともと金に困っていたところに、借金でさらに首が回らなくなり、再び犯行に及んだことがうかがえる。 実父と叔父の無心は、既に公金詐取の「前科」があった小原氏を再犯に駆り立てた形だ。2人からすると「借りた相手が悪かった」と悔やんでいるかもしれないが、小原氏が市役所職員に見合わない金の使い方をしているのを傍で見ていて、いぶかしく思わなかったのだろうか。 だが、人は目の前に羽振りの良い人物がいたら「そのお金はどこから来たのか」とは面と向かって聞きづらいだろう。自分に尽くしてくれるなら疑念は頭の隅に置く。 小原氏には妻以外に交際相手がいた。相手が結婚を望むほどの仲で、小原氏はその子どもに食事をごちそうしたりおもちゃを買ったりしていたという。交際相手と子どもの3人で住むためのマンションも購入していた。しかし事件発覚後、交際相手は小原氏に現金100万円を渡している(検察が読み上げた交際相手の供述調書より)。自分たちが使っていた金の原資が公金なのではないかと思い、恐ろしくなって返したのではないか。 加算金でかさむ返還額 小原氏と実父が共有名義で持つ市内河東町の自宅。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  不動産を金に換える選択肢も残っている。ただ登記簿によると、市内河東町にある小原氏と実父の自宅は2000年10月に新築され、持ち分が実父3分の2、小原氏3分の1の共有名義。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。返済できなければ自宅は同信金によって処分されてしまうので、返還の財源に充てられるかは不透明だ。 小原氏のみならず、家族も窮状に陥っている。だがいかんせん、同情されるには犯行規模が大きすぎた。小原氏は国や県が負担する金にも手を出していたからだ。主に詐取した児童扶養手当の財源は3分の1が国負担(国からの詐取額約3689万円)、重度心身障害者医療費助成金は2分の1が県負担(県からの詐取額約3285万円)、子育て世帯への臨時特別給付金に至っては全額が国負担(国からの詐取額約60万円)だ。 早急に全額返金できなければ市は政府と県に顔向けできない。何より、いずれの財源も国民が納めた税金である。ここで生温い対応をしては、国民や市民からの視線が厳しくなる。市は引き続き妥協せずに回収していくとみられる。 利子に当たる金額をどうするかという問題も出てくる。公金詐取という重罪を、正当な取り引きである借金に当てはめることはできないが、他人の金を一時的に自分のものにしたという点では同じだ。借金なら、返す時に当然利子を支払わなければならない。だまし取ったにもかかわらず、利子に当たる金額を支払わずに済むのは、民間の感覚では到底許せない。 市に、利子に当たる金額の支払いを小原氏に求めるのか尋ねると「弁護士に相談して対応を決めている」(市人事課)。ただ、市に対し国負担分の返還を求めている政府は、部署によっては加算金を求めることがあるという。市が小原氏の代わりに加算金を負担する理由はないので、市はその分を含めた返還を小原氏に求めていくことになる。要するに、小原氏は加算金=利子も背負わなければならず、返還額はさらに増えるということだ。 小原氏は自身が罪に問われるだけでなく、一族を「公金の返還地獄」へと道連れにした。囚われの身の自分に代わり、家族が苦しむ姿に何を思うのだろうか。

  • 現職退任で混沌とする猪苗代町長選

     任期満了に伴う猪苗代町長選は6月13日告示、同18日投開票の日程で行われる。現職・前後公氏は今期限りでの退任を表明しており、次の舵取り役が誰になるのかが注目されている。(※記事は3月27日時点での情勢をまとめたもの) 前後氏の後継者と佐瀬氏の一騎打ちか 前後公町長  猪苗代町議会3月定例会の最終日(3月20日)。閉会のあいさつに立った前後公町長は、同議会に上程した議案が議決されたことへの感謝を述べた後、「私事ですが」として、こう話した。 「6月に行われる町長選には立候補しない。3期12年、東日本大震災・原発事故があった中、年間100万人が訪れる道の駅猪苗代がオープンし、認定こども園2カ所も開所することができた。中学校統合の道筋もできた。後進に道を譲りたい」 前後氏は1941年生まれ。日本大学東北工業高(現・日大東北高)卒。1961年に町職員となり、生涯学習課長などを務めた。2011年の町長選で初当選し、3期目。 現在81歳で、県内市町村長では最年長になる。年齢的な面で、以前から関係者の間では「今期までだろう」と言われており、その見立て通りの退任表明だった。 「就任して少し経ったころは、疲れているのかなと思うこともあったが、町長の職務に慣れてきてからは就任前より元気なのではないかと思うくらい、気力が充実していたように感じます。酒席などに出ても長居することは少なく、健康面にはかなり気を使っていました。実際、この間、大きな病気をしたことはない。ただ、いまは元気でも任期中に何かあったら迷惑がかかるという思いはずっとあったようです」(ある支持者) 近隣の関係者はこう評価する。 「よく『開かれた町政』ということを掲げる人がいますが、前後町長は任期中、一度も町長室の扉を閉めたことがなく、文字通り『開かれた』町政だった。そうして町民と気軽に接することができるようにしたのは立派だったと思います。もっとも、本当に気軽に町長室に入っていく町民はあまりいなかったでしょうけどね。それに対して、ある首長は部屋(市町村長室)の鍵をかけておくんですから、えらい違いですよ」 この間、本誌記者も幾度となく前後町長と面会したが、確かに町長室の扉が閉められた(閉まっていた)のは見たことがない。前後町長はよく「誰かに聞かれて困るようなことは何もない」、「(扉を閉めて)密室で何をしているのかと思われるよりはよっぽどいい」、「誰でも入ってきて要望等、言いたいことを言ってくれたらいい」と言っていた。 さて、前後町長退任後の町長選だが、同町議員の佐瀬真氏が3月定例会初日の3月7日に、渡辺真一郎議長に辞職願を提出し、本会議で許可された。同時に町長選への立候補を表明した。なお、議員辞職は会期中であれば議会の許可が必要になり、閉会中だと議長の権限で辞職の可否を決めることができる。 佐瀬氏は1953年生まれ。会津高卒。2012年2月の町議選で初当選。2015年6月の町長選に立候補し、前後氏に敗れた。その後、2016年2月の町議選で返り咲きを果たした。2019年6月の町長選にも立候補し、前後氏と再戦。最初のダブルスコアでの落選から、だいぶ票差を詰めたが当選には届かなかった。2020年の町議選で三度返り咲きを果たしたが、前述したようにすでに辞職して町長選に向けた準備に入っている。 ある町民はこう話す。 「最初の町長選(2015年)は、佐瀬氏本人も『予行演習』と言っていたくらいで、2期目を目指す現職の前後氏に勝てるとは思っていなかったようです。ただ、2回目(2019年)は本気で取りに行くと意気込んでいた。結果は、1回目よりは善戦したものの、現職の前後氏に連敗となりました。その後は地元を離れて仕事をしているという情報もあったが、翌年(2020年)の町議選で復帰したことで、次の町長選も出るつもりだろうと言われていました。ですから、佐瀬氏の立候補表明は予想通りでした」 前後町長の後継者は誰に  一方で、別の町民は次のように語った。 「佐瀬氏は過去2回、町長選に出ていますが、いずれもその翌年の町議選で議員に復帰しています。『町長選がダメでも、また議員に戻ればいい』とでも考えているのではないかと疑ってしまう。少なくとも、私からしたらそういう感じがミエミエで、町民の中にも『どれだけ本気なのか』、『そんな中途半端では応援する気になれない』という人は少なくないと思いますよ」 確かに、同様の声を町内で何度か耳にした。町長選の8カ月後に町議選がある並びというも良くない。ちなみに、2020年の町議選は無投票で、町によると、記録が残る1964年以降で初めてのことだったという。労せずして議員に返り咲いたことになる。 3月27日時点で、佐瀬氏のほかに立候補の意思を明らかにしている人物はいないが、前後氏の後継者が立候補することが確実視される。 前後氏の後援会関係者は次のように話す。 「前後町長は後援会役員に、『今期で引退する。後継者は私が責任を持って決める。私が決めた人で納得してもらえるなら、応援してほしい』と宣言しました」 そんな中で、名前が挙がるのが元町議の神田功氏(70)。過去にも町長選の候補者に名前が挙がったことがあった。 「その時は家族の理解が得られなかったようだ。それと関係しているかどうかは分からないが、直前で息子さんが亡くなり、町長選どころではなくなった」(ある町民) 神田氏は2008年の町議選を最後に議員を引退した。現在は、家業である民宿を経営している。 「もともとは前後町長の対立側にいた人物で、もし、神田氏が前後町長の後継者に指名されたら、後援会関係者の中には、『神田氏では納得できない』という人も出てくるかもしれない」(前後氏の支持者) いずれにしても、前後町長の後継者と佐瀬氏の一騎打ちになる公算が高く、有権者がどのような判断を下すのかが注目される。 政経東北5月号で続報【続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選】を掲載しています! https://www.seikeitohoku.com/seikeitohoku-2023-5/

  • 【伊達市議会】物議を醸す【佐藤栄治】議員の言動

     伊達市議会の佐藤栄治市議(60、2期)が昨年12月の定例会議(同市議会は2021年5月から通年議会制を導入)で一般質問した際、執行部が不適切発言であることを指摘するシーンがあった。佐藤市議は以前から一般質問で非常識な言動を繰り返しており、「この機会に徹底的に責任追及すべき」との声も聞かれる。 執行部の〝不適切発言〟指摘に本人反論 建設中のバイオマス発電所  昨年12月の市議会定例会議の一般質問。動画が同市議会のホームページで公開されているが、12月5日に行われた佐藤栄治市議の分だけ「調整中」となっている。市議会事務局によると「固有名詞を出している個所があり、確認を進めている。まだ公表できる段階ではない」という。 事前に提出していた通告によると、佐藤市議は①厚労省勧告に基づく伊達市救急指定病院の再編について、②梁川バイオマス発電事業者の原材料運搬方法等について――の2点について質問した。佐藤市議や傍聴者によると、物議を醸したのは②の質問だった。 同市梁川町の工業団地・梁川テクノパークでは、バイオマス発電所の建設が計画されている。事業者はログ(群馬県、金田彰社長)。資本金2000万円。民間信用調査機関によると、2022年7月期の売上高20億0800万円、当期純利益3億2514万円。 同発電所をめぐっては、▽木材だけでなく建築廃材や廃プラスチックも焼却される、▽バイオマス事業のガイドラインを無視し、住民への十分な説明がない、▽ダイオキシンの発生などが懸念される――等々の理由から、梁川町を中心に反対の声があがっている。住民などによる「梁川地域市民のくらしと命を守る会」が組織されており、本誌では2021年6月号「バイオマス計画で揺れる伊達市梁川町」をはじめ、たびたび報じてきた経緯がある。 予定地にはすでに発電所の大きな建物が建てられており、今年秋には試運転が始まる予定だ。 佐藤市議が着目したのは、そんなバイオマス発電所の建設に伴い、重さ20㌧超のトレーラーが1日何台も市道を通る点だった。 道路法では道路を通行する車両の重さの最高限度(一般的制限値)を20㌧と定めており、それ以上の重さの「特殊車両」は道路管理者の道路使用許可を取る必要がある。 一般質問ではそのことを説明した上で、「ログ社の車は20㌧以上が多いようだ。国見町では補修中の徳江大橋の通行を20㌧以下に制限し、ふくしま市町村支援機構もそのように指導する流れとなっている。伊達市側の市道も許可なしで通行させるべきではないのではないか」と指摘した。 「国見町は国見町。伊達市は伊達市の方針で進める」といった趣旨の答弁に終始する執行部に対し、「間もなく市町村支援機構が正式に方針を示し、国見町も従うだろう」と佐藤市議が返した。そうしたところ、執行部が反問権を行使し、「公式かつ確定した話でもないのに、議会で紹介するのか。不適切発言ではないか」と答弁したという。 後日、執行部から市議会に、正確な情報に基づく議会運営を求める申し入れがあったという。当の佐藤氏はワクチン接種に伴う体調不良を理由に12月定例会議の最終日を欠席し、採決に加わらなかった。 市議会では以前から佐藤氏の行き過ぎた発言が問題視されており、一部市議の間では「今回の件はさすがに看過できない。議会として明確に意思表示し、何らかの形で責任を問う必要があるのではないか」という声が強まっているようだ。 伊達市議会では議員政治倫理条例が2016年9月に施行されている。同条例では《市民を代表する機関の一員として、高い倫理観と良識を持ち、議会の権威と品位を重んじるとともに、その秩序を保持し、議員に対する市民の揺るぎない信頼を得なければならない》としており、《市民全体の代表者として、名誉と品位を損なうような一切の行為を慎み、その職務に関して不正の疑惑を持たれる恐れのある行為をしないこと》と定めている。 2019年9月には、同年6月定例会の全員協議会で半沢隆市議が同僚議員に侮辱的発言をしたとして、政治倫理審査会が開催され、当該発言の謝罪と撤回を行っている。 市議会事務局に問い合わせたところ、事務局長は政倫審の手続きが進められているかどうかも含めて、コメントを控え、「現在議会内で対応を検討しているが、公表する段階ではない」と話した。複数の市議に問い合わせても口をつぐんだが、議会での過去の発言を検証しているのは間違いないようなので、近いうちに何らかの発表がありそうだ。 過去にも危うい言動 佐藤栄治伊達市議  「市民にはあまり知られていないが、佐藤市議の危うい言動は今に始まったことではない」と語るのは市内の事情通。 「伊達市議の名刺を示し、まるで市の代表者のような雰囲気で、国や県の出先機関、近隣市町村の役場、企業、団体などに顔を出す。複数の知り合いから『先日、佐藤市議が突然うちの事務所に来た。何なんですかあの人は』と戸惑う声を聞いている。建設業者を引き連れて市役所に行ったり、自分の見立てを国や県の考えのように話すなど、かなり危うい言動もみられる。実際に一般質問で思い込みの発言をしてしまい、議事録から関連発言が削除されることもありました」(同) 例えば2020年3月定例会の一般質問。入札参加資格建設業者の実態調査の問題点を指摘した際、佐藤市議はこのように話している。 《結論から申し上げますと、県からはまだ言わないようにと言われているのですけれども、間もなく伊達市の、具体的に言うと財務部の契約検査室、ここに県の立入調査が入ります。容疑と言ったらおかしいけれども、容疑は建設業法違反の入札を認めていたということで、立入調査に何人かで来るというふうに県からは聞いております》 市財政課契約検察係(※当時から部署名が変更した)に確認したところ、その後、県の立ち入り調査が行われた事実はなかったという。 議会のホームページで公開されている2021年度の政務活動費収支では、年間36万円が支給され、29万6653円を支出したことが記されている。2021年11月には「伊達市の企業誘致についての懇談」という目的で経済産業省に行っている(旅費2万1117円)。 報告書には活動の内容及び成果として「経産省の企業立地補助及び産業政策のアドバイス及び個別企業等へのコンタクトのアドバイス」と書かれていたが、「一人で経産省に行って懇談して、どう企業誘致につながるのか」といぶかしむ声も聞かれる。何ともうさん臭さが拭えないのだ。 佐藤氏は1962(昭和37)年生まれ。保原高、福島大経済学部卒。実家は建設関連業の三共商事。本人の話によると、第一勧業銀行に入行後、顧客のつながりで政治家とのパイプが生まれ、元衆院議員・元岡山市長の萩原誠司氏の秘書を務めた。髙橋一由・伊達市議が同市長選に立候補した際には陣営の事務局長を務めている。昨年4月の市議選(定数22)では、629票を獲得し、22位で再選を果たした。 本誌では2019年7月号「伊達市の新人議員2氏に経歴詐称疑惑」という記事で佐藤氏についてリポートした。①同市保原町大柳に自宅があるが、実際は同市南堀(旧伊達町)の妻の実家で生活している、②保原高卒なのに周囲に福島高卒と話している――という点で疑惑が浮上していることを報じたもの。 本誌取材に対し、佐藤氏は「旧伊達町の妻の実家には夕飯を食べに行っているだけで、夜は保原町の自宅で寝泊まりしている。住民票も保原町に置いている。出身高校は保原高校で、福島高校卒業なんて言った覚えはない。私は福島大学卒業なので、それと勘違いして第三者が勝手に(福島高校卒業と)思い込んでいるだけではないか」と主張した。  12月の定例会議のやり取りが物議を醸している件について、本人はどう受け止めているのか。保原町の自宅にいた佐藤市議に話を聞いた。   ×  ×  ×  × ――12月の定例会議が物議を醸している。 「『梁川地域市民のくらしと命を守る会』から相談され、調べているうちに、道路法の観点が抜け落ちたまま工事が進められていることに気付いた。『守る会』のメンバーとともに国見町に足を運び、徳江大橋の件も確認した。一般質問3日後の12月8日には国見町が徳江大橋の特殊車両通行禁止を発表した。間違いではなかったことになる。道路法では、『2つの自治体にまたがる道路の場合は協議して対応を決める』と定められているが、市はどう対応するつもりなのか」 ――市議の中では不適切発言の責任を問う声もあるようだが。 「倫理問題調査会が立ち上げられ、調査に協力したが、自分の発言は正当性があると考えている。そもそも同調査会は法的には何の権限もないはず。道路法をめぐる問題は引き続き議会で追及していきたい」 ――一般質問で固有名詞を出し、公式発言ではない発言を紹介することも多い。そうした発言が不適切と受け止められるのではないか。実際、議事録から削除されている個所も多く見かけた。 「裏取りに行って具体的な話を聞いたので議場で紹介しているだけのこと。過去の経歴の中で、霞が関や県庁、経済人などに同級生・友人がいる。調査している件や疑問点があれば、具体的な話を聞きに行く」   ×  ×  ×  × 今回の不適切発言だけでなく過去の質問も問題視されているのに、「そんなの関係ねえ」と言わんばかりの態度なのだ。こうした振る舞いを看過すれば、議会全体が信頼を失いかねないが、議会は追及できるか。 経済人やマスコミ関係者などとのつながりがある〝情報通〟であり、一般質問では法律・条令に基づきさまざまな角度から執行部を鋭く批判する――佐藤市議に関してはこうした評価も耳にするが、一方で、議員らしからぬ〝きな臭いウワサ〟も囁かれている。地元住民や政治家経験者からは「自分のことしか考えていない。地元で応援している人は少ない」と辛辣な評判が聞かれた。もっとも、本人はそうした声すら気にせず、開き直って暴走するタイプに見える。 市議会をウオッチングしている市内の経済人は「徹底追及は難しいのではないか」と見る。 「一般質問での内容が事実と違った件は『自分は確かにそう聞いた』と主張されれば追及しようがない。かつて一緒に行動していたり、政策面で共闘しているなどの理由で、批判し切れない市議もいるだろう。一人の政治家を徹底追及するのは容易ではない。議長が注意して幕引きとする可能性もある」 2023年第1回定例会議は3月14日まで開催される予定で、大きな動きがあるのは会期終了後になりそう。果たして議会はどのような判断をするのか、そして佐藤市議はどう受け止めるのか。