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  • 郡山の補選で露呈した県議への無関心

    郡山の補選で露呈した福島県議への無関心

     郡山市の政界関係者の間で同市選挙区県議補選(欠員1)の投票結果に注目が集まっている。同補選には前市議の新人佐藤徹哉氏(自民党)と会社経営の新人髙橋翔氏(諸派)が立候補し、内堀雅雄知事が3選を果たした知事選と同じ10月30日に投開票された。  当6万5987 佐藤 徹哉54    1万9532 髙橋  翔34                  投票率34・72% 当選した佐藤徹哉氏(上)と髙橋翔氏  表面的な数字だけ見れば、自民党公認で公明党の支援を受けた佐藤氏の大勝は不思議ではない。注目されるのは高橋氏の得票数だ。  「正直、1万9500票も取るとは思わなかった。旧統一教会の問題など岸田内閣に対する反発が自民党公認の佐藤氏には逆風になった」(ある自民党員)  髙橋氏がここまで得票できた要因を、ある保守系の郡山市議は 「髙橋氏はもともと知事選に出ると言っていたのに、告示日(10月13日)になって急きょ県議補選に方針転換した。メディアはその間、知事選の立候補予定者として髙橋氏の顔と名前をずっと報じたからね」  と〝恨み節〟を語っていたが、立候補表明した以上、メディアはその事実を報じざるを得ない。ちなみに本誌も、8月号に「知事選立候補を前提」とした髙橋氏のインタビュー記事を掲載している。  選挙後、髙橋氏に県議補選に変更した理由を尋ねると、次のように説明した。  「知事選は当初、複数の候補者が手を挙げていたが、告示日時点で三つ巴(内堀氏、草野芳明氏、髙橋氏)になった。しかし対現職で考えた時、新人2人が挑むのは現職批判票の分散を招き、私が一つの指針にしている『対立候補の得票率10%』を超えるのは難しい。そこで、私が県議補選に回ることでどちらも一騎打ちの構図とすれば、無投票阻止と得票率10%を同時に目指せると考えた。そもそも市議をそそくさと辞めた人を県議に無投票で当選させることは、一郡山市民として納得できなかった。もちろん、共産党が知事選に候補者を立てていなければ私は確実に出馬しており、県議補選には子育て世代の若手を擁立する予定だった」  そんな県議補選をめぐっては、投票率や無効票にも注目が集まった。  例えば、知事選の郡山市だけの投票率は37・44%、投票総数は9万8614票だったが、県議補選は34・72%、8万5519票で、県議補選の方が投票率は2・72㌽低く、投票総数も1万3095票少なかった。  これは告示日の違いが影響している。すなわち知事選は10月13日、県議補選は同20日だったが、近年は期日前投票が増えているため、先行した知事選は投票したものの県議補選は投票しなかった人が1万3000人超もいたということだ。県議補選への関心の低さがうかがえる。  無効票の数も特筆される。知事選5816票に対し県議補選6910票と、投票総数が知事選より8分の1も少ない県議補選の方が1100票余も多かった。県議補選の投票用紙に「内堀雅雄」と書かかれたケースが散見されたという話もあるが、郡山市選管によると「無効票にそれだけの差がついた理由はよく分からない」という。  地元ジャーナリストはこんな危機感を示す。  「有権者にとって県議はいかに遠い存在であるかが明白になった。当選した佐藤氏は、髙橋氏の急な方針転換で選挙戦となり少しは知名度アップを果たせたかもしれないが、知事選と同日選になったことで、県議への無関心さが露呈した形です」  投票率低下は全国的な傾向だが、2023年秋に控える県議選の本選で有権者の関心をどこまで集められるか。 福島県議会のホームページ あわせて読みたい 【高額報酬】存在感が希薄な福島県議会 渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

  • 【第2弾】【田村市・贈収賄事件】積算ソフト会社の「カモ」にされた市と業者

    【第2弾】【田村市・贈収賄事件】積算ソフト会社の「カモ」にされた市と業者

      田村市で起きた一連の贈収賄事件。受託収賄・加重収賄の罪に問われている元職員は、市内の業者に公共工事に関する情報を漏らし、見返りに金品や接待を受けていた。本誌は先月号【第1弾】田村市・元職員「連続収賄事件」の真相で、元職員が漏らした非公開の土木事業単価表が積算ソフト会社に流れたと見立てていたが、裁判では社名が明かされ仮説が裏付けられた。調べると、仙台市に本社があるこの会社は宮城県川崎町でも全く同じ手口で贈収賄事件を起こしていた。予定価格の漏洩が常態化していた田村市は、規範意識の低さを積算ソフト会社に付け込まれた形だ。 田村市贈収賄「三和工業ルート」の構図  元職員への賄賂の経路は、贈った市内の土木建築会社ごとに「三和工業ルート」と「秀和建設ルート」に分かれる。本稿では執筆時点の2022年11月下旬、福島地裁で裁判が進行中で、同30日に役員に判決が言い渡される予定の「三和工業ルート」について書く。  「三和工業ルート」は単価表をめぐる事件だった。公共工事の入札に当たり、事業者は資材単価を工事に合わせて積算し、入札金額を弾き出す。この積算根拠となるのが、県が作成し、一部を公表している単価表だ。実物をざっと見ると半分以上が非公表となっている。ただし都道府県が市町村に単価表を提供する際は、すべての単価が明示されている。  問題は、不完全な単価表しか見られない業者だ。これを基に他社より精度の高い積算をしなければ落札できない。そこで、事業者は専門の業者が作成する積算ソフトを使ってシミュレーションする。積算ソフト会社にとっては、精度を上げれば製品の信頼度が上がり、商品(積算ソフト)が売れるので、完全な情報が載っている非公表の単価表は「のどから手が出るほど欲しい情報」なのだ。  一方で、三和工業は堅実で業績も安定しており、自社の落札のために単価表入手という危ない橋を渡ることは考えにくい。こうした理由から、本誌は先月号で、積算ソフト会社が三和工業役員に報酬をちらつかせて単価表データの入手を働きかけ、役員が元市職員からデータを漏洩させたと見立てた。果たして裁判で明らかとなった真相は、見立て通り、積算ソフト会社社員の「依頼」が発端だった。  11月9日の「三和工業ルート」初公判では、元市職員の武田護被告(47)=郡山市=と同社役員の武田和樹被告(48)=同=が出廷した。2人は旧大越町出身で中学時代の同級生。和樹被告は大学卒業後、民間企業に勤めたが、父親が経営する同社を継ぐため2014年に入社した。  次第に積算業務を任されるようになったが、専門外なので分からない。そこで、相談するようになったのが護被告、そして取引先の積算ソフトウェア会社「コンピュータシステム研究所」の社員Sだった。  公判で言及されたこの会社をあらためて調べると、仙台市青葉区に本社を置く「株式会社コンピュータシステム研究所」とみられることが分かった。法人登記簿や民間信用調査会社によると、1986(昭和61)年設立。資本金2億2625万円で、コンピュータソフトウェアの企画、開発、受託、販売及び保守、システム利用による土木・建築の設計などを行っている。建設業者向けのパッケージソフトの開発が主力だ。  単価表をめぐるコンピュータシステム研究所の動き 田村市宮城県川崎町1996年武田護氏が大越町(当時)に入庁2014年武田和樹氏が三和工業に入社、護氏と再会し飲みに行く関係に2020年2月ごろ~21年5月ごろ研究所社員のSが和樹氏を仲介役に護氏から情報を入手し報酬を渡す関係が続く2010年ごろ~2021年4月ごろ研究所の社員と地元建設業役員が共謀して町職員から情報を入手し報酬を渡す関係が続く2021年5月宮城県警が本格捜査2021年6月コンピュータシステム研究所が「コンプライアンス」を理由に非公開の単価表入手をやめる2021年6月30日贈収賄に関わった3人が逮捕2021年7月21日受託収賄や贈賄で3人を起訴2021年12月27日3人に執行猶予付き有罪判決2022年3月末護氏が田村市を退職2022年9月24日贈収賄で福島県警が護氏と和樹氏を逮捕河北新報や福島民報の記事を基に作成  代表取締役は長尾良幸氏(東京都渋谷区)。同研究所ホームページによると、東京にも本社を置き全国展開。東北では青森市、盛岡市、仙台市に拠点がある。「さらなる積算効率の向上と精度を追求した土木積算システムの決定版」と自社製品を紹介している。 宮城県で同様の事件  実は、田村市の事件は氷山の一角の可能性がある。同研究所は他の自治体でも単価表データの入手に動いていたからだ。  2021年6月30日、宮城県川崎町発注の工事に関連して謝礼の授受があったとして、同町建設水道課の男性職員(49)、町内の建設業「丹野土木」男性役員(50)、そして同研究所の男性社員(45)が宮城県警に逮捕された(河北新報7月1日付より、年齢役職は当時。紙面では実名)。町職員と丹野土木役員は親戚だった。  同年12月28日付の同紙によると、3人は受託収賄や贈賄の罪で起訴され、同27日に仙台地裁から有罪判決を受けている。町職員は懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金1万2000円(求刑懲役1年6月、追徴金1万2000円)。丹野土木元役員と同研究所社員にはそれぞれ懲役10月、執行猶予3年(求刑懲役10月)が言い渡された。  判決によると、2020年11月24日ごろから21年4月27日ごろまでの6カ月間、町職員は公共工事の設計や積算に使う単価表の情報を提供した謝礼として元役員から役場庁舎などで6回にわたり商品券計12万円分を受け取った。贈賄側2人は共謀して町職員に情報提供を依頼して商品券を贈ったと認定された。1回当たり2万円払っていた計算になる。  田村市の事件では、三和工業役員の和樹被告が、2020年2月ごろから21年5月ごろまで、ほぼ毎月のペースで元市職員の護被告から単価表データを受け取ると、同研究所のSに渡した。Sは見返りに会社の交際費として2万円を計上し、和樹被告に14回にわたり計28万円払っていた。和樹被告は、毎回2万円を護被告と折半していた。田村市の事件では、折半した金の動きだけが立件されている。川崎町の事件と違い、和樹被告とSの共謀を立証するのが困難だったからだろう。それ以外は手口、1回当たりに払った謝礼も全く同じだ。  共謀の立証が難しいのは、和樹被告の証言を聞くと分かる。2019年12月、Sは「上司からの指示」としたうえで「単価表を入手できなくて困っている」と和樹被告に伝えた。積算業務の素人だった自分に普段から助言してくれたSに恩義を感じていたという和樹被告は「手伝えることがある。市役所に同級生がいるから聞いてみる」と答えた。翌20年1月、和樹被告は護被告に頼み、「田村市から出たのは内緒な」と注意を受けて単価表データが入ったCD―Rを受け取り、それをSに渡した。Sからもらった2万円の謝礼を「オレ、なんもやっていないから」と護被告に言い、折半したのも和樹被告の判断だという。   一連の単価表データ入手は、川崎町の事件で同研究所の別の社員が2021年6月に逮捕され、同研究所が「コンプライアンス強化」を打ち出すまで続いた。逮捕者が出て、ようやく事の重大性を認識したということか。  田村市で同様の手口を繰り返していた護被告は、川崎町の事件を知り自身に司直の手が伸びると恐れたに違いない。捜査から逃れるためか、今年3月に市職員を退職。そして事件発覚に至る。 狙われた自治体は他にも!?  単価表データを入手する活動は、同研究所が社の方針として掲げていた可能性がある。裁判で検察は、SがCD―Rのデータを添付して上司に送ったメールを証拠として提出しているからだ。  本誌は、同研究所に①単価表データを得る活動は社としての方針か、②自社製品の積算ソフトに、不正に入手した単価表データを反映させたか、③事件化した自治体以外でも単価表データを得る活動を行っていたか、など計8項目にわたり文書で質問したが、締め切りの2022年11月25日を過ぎても回答はなかった。  川崎町の事件から類推するしかない。河北新報2021年12月5日付によると、有罪となった同研究所社員は《「予想した単価と実際の数値にずれがあり、クレーム対応に苦慮していた。これ(単価表)があれば正確なデータが作れる」と証言。民間向け積算ソフトで全国トップクラスの社の幹部だった被告にとって、他市町村の発注工事の価格積算にも使える単価表の情報は垂ぜんの的だった》という。積算ソフトにデータを反映させていたことになる。  一方、田村市内のある建設会社役員は「積算ソフトの精度は向上し、製品による大きな差は感じない。逮捕・有罪に至る危険を冒してまで単価表データを入手する必要があるとは思えない。事件に関わった同研究所の社員たちは『自分は内部情報をここまで取れるんだぞ』と営業能力を示し、社内での評価を高めたかっただけではないか」と推測する。  事件は、全国展開する積算ソフト会社が、地縁関係が強い地方自治体の職員と地元建設業者をそそのかしたとも受け取れるが、だからと言って田村市は「被害者面」することはできない。公判で護被告と和樹被告は「入札予定価格を懇意の業者に教えることが田村市では常態化していた」と驚きのモラル崩壊を証言しているからだ。  全国で熾烈な競争を繰り広げる積算ソフト会社が、ぬるま湯に浸かっていた自治体に狙いを定め、情報を抜き取るのはたやすかったろう。川崎町や田村市以外にも「カモ」と目され、狙われた自治体があったと考えるのが自然ではないか。同市の事件が氷山の一角と推察される所以である。 あわせて読みたい 【第1弾】田村市・元職員「連続収賄事件」の真相 第3弾【田村市贈収賄事件】裁判で暴かれた不正入札の構図

  • 【田村市】新病院施工者を独断で覆した白石市長

    【田村市】新病院施工者を独断で覆した白石市長

     田村市が建設を計画している新病院の施工予定者が〝鶴の一声〟で変更された。市幹部などでつくる選定委員会は、公募型プロポーザルに参加した3社の中から鹿島建設を最優秀提案者に選んだが、白石高司市長の指示で次点者の安藤ハザマに覆ったのである。 〝本田派議員〟が疑惑追及の百条委設置 「新病院の施工予定者が白石市長の指示で変更されたらしい」 そんなウワサを田村市内の自民党関係者から聞いたのは、2022年7月に行われた参院選の前だった。  新病院とは、田村地方の医療を支えるたむら市民病院(病床数32)の後継施設を指す。公には6月30日に市のホームページで「新病院の施工予定者選定に係る公募型プロポーザルの最優秀提案者に安藤ハザマ、次点者は鹿島建設」と発表され、7月4日付の福島建設工業新聞にも「新病院の施工予定者に安藤ハザマ」という記事が掲載された。 造成工事を終えた新病院予定地  ところが実際の審査では、最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマが選ばれていたというのだ。  「2022年6月、市幹部などでつくる選定委員会が白石市長に『審査の結果、鹿島に決まった』と報告した。しかし白石市長が納得せず、次点の安藤ハザマに変更するよう指示したというのです。選定委員会は『何のために審査したか分からない』と不満に思ったが、上から言われれば従うしかない」(市内の自民党関係者)  一度聞いただけではまさかとしか思えない話。だが、それはウワサでもまさかでもなく、事実だった。  市長の指示で施工予定者が突然覆される――そんなかつての〝天の声〟を彷彿とさせる出来事はなぜ起きたのか。  たむら市民病院は、同市船引町の国道288号沿いで診療を行っている。もともとは医療法人社団真仁会が大方病院という名称で運営していたが、院長が急死したため2019年7月に市が事業継承、公的医療機関として生まれ変わった。診療科目は内科、人工透析内科、外科など10科。運営は指定管理者制度で公益財団法人星総合病院(郡山市)に委託している。  市立病院の設置は、2005年に旧5町村が合併した田村市にとって悲願だった。しかし、事業継承した時点で建物の老朽化、必要な病床数の確保、救急受け入れなどの課題を抱えていた。そこで市は2020年3月に新病院建設基本計画を策定、現在地から北東1・3㌔の場所(船引町船引字屋頭清水地内)に新病院を建設する方針を打ち出した。  2020~21年度にかけて予定地の造成を行い、その後は22年度着工、24年度開院というスケジュールが組まれたが、21年4月の市長選で状況が変化した。当時現職の本田仁一氏を破り初当選した白石高司市長が、公約に本田市政のもとで始まった公共工事の見直し(事業検証)を掲げたことから、新病院建設も一時中断を余儀なくされたのである。  その後、関係部局の職員たちが4カ月にわたり事業検証を行い、最終的に「新病院は市民にとって必要」と判断されたため、計画は予定より1年遅れて再始動した。2022年3月には建設基本設計概要書が公表され、新病院の具体像が示された。  問題の公募型プロポーザルはこの後に行われるが、ここからは、本誌が情報開示請求で市から入手した公文書に基づいて書いていく。  新病院の概要は病床50床、鉄筋コンクリート造地上4階建て、建築面積2790平方㍍、延べ面積6420平方㍍。このほか厨房施設と付属棟、250台分の駐車場を整備し、工期は2023年7月から25年1月。想定事業費は36億円程度となっている。  市は建設コスト縮減と工期短縮を図るため、施工者が設計段階から技術協力を行うECI方式の採用を決定。4月19日にプロポーザルの公告を行い、清水建設、鹿島、安藤ハザマから参加申し込みがあった。同28日には一次審査が行われ、3社とも通過した。  続く二次審査は6月25日に行われ、各社のプレゼンテーションと選定委員会によるヒアリング、さらには各委員による採点で最優秀提案者と次点者が選定された。 最高評価を受けていた鹿島  まずは評価が一目で分かる採点から見ていく。別表は選定委員7人による評価シートの合計だ。  選定委員会は、委員長を石井孝道氏(市総務部長)が務め、委員には渡辺春信氏(市保健福祉部長)、佐藤健志氏(市建設部長)のほか4人が就いた。市は部長以外の名前を公表していないが、そのうちの3人は南相馬市立総合病院の及川友好院長、たむら市民病院の指定管理者である星総合病院の担当者、日大工学部教授だったことが判明している。残り1人は不明。  その7人による採点の合計を見ると(各自の採点結果は開示された公文書が黒塗りで不明)、A社は505点、B社は480点、C社は405点となっている(満点は700点)。アルファベット表記になっているが、公文書を読み進めるとA社は鹿島、B社は安藤ハザマ、C社は清水建設であることが分かり「評価シートに基づく順位は委員間で異なった」と書かれている。  では、各委員の評価ポイントはどうだったのか。公文書には当時の発言順に次のように記されていた。  「A社は丁寧な技術提案や書類のつくり込みで好感が持てた。ヒアリングでのやり取りからもネガティブな要素は感じられず、安心して任せられると感じた。C社にはA社と全く逆の印象を持った。書類のつくり込みが粗いばかりか、ヒアリングでも発注者・審査員に対し礼を失する発言が多く、誠実さが感じられなかった。B社は様々な提案を盛り込んでいるが、果たしてそれがうまく収まるのか不安を感じた。工期に余裕がない点もネガティブ要素だった」(黒塗りで発言者不明)  「地域貢献に関して、書類上の金額と現実性が乖離している提案が目立った。特にB社の発注予定額は経験的に実現不可能と受け止めている。技術力に関しては提案者ごとにかなり差があると感じた。順位付けをするならA社<B社<C社の順だが、メンテナンス体制も含めるとA社の有意性がより際立つと感じた」(同)  「技術面では3社とも特に問題ないだろうと感じた。その中でも、A社は一番丁寧に提案書がつくられていた。地域貢献に関しては、その是非や実現性を判断するための情報が不足している」(佐藤委員)  「技術的な優劣は判断できない。市の姿勢として地域貢献を前面に出していただく必要がある」(渡辺委員)  「ここまでの委員の発言に同意。地域貢献に関しては、B社提案はリップサービスが過ぎたように感じる」(黒塗りで発言者不明)  「技術的な優劣は判断できないが、A社の提案は書類・説明ともに好印象だった。しっかりとした病院を確実に建てることが第一で、地域貢献はその次に考えること。地域貢献の配点が大きいため、個人的な評価と点数が一致していない。B社が提示した五つの課題は市の感覚とずれているように感じた」(石井委員長)  総体的に、A社(鹿島)の評価が高く、C社(清水建設)は厳しい意見が多く聞かれた。B社(安藤ハザマ)の提案も各委員が半信半疑に捉えている様子がうかがえる。  ただ、採点結果と評価ポイントのすり合わせを行っても順位の一致に至らなかったため、規程に基づき多数決を行った結果、A社4人、B社1人、C社0人となり、最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマが選定された。  この結果を選定委員会事務局が白石市長に報告し、決裁後、速やかに各社に通知、市のホームページでも公表する手筈だったが、公文書(6月30日付の発議書)には次のような驚きの記述があった。  《6月28日及び同30日に実施した市長報告において、市長から本件プロポーザルにおいては地域貢献と見積額が重要な判断基準であるため、当該提案において最も有利な条件を提示している㈱安藤・間東北支店が次点者という審査結果は妥当性を欠くため、該社を最優秀提案者として決定するよう指示がありました》  白石市長から安藤ハザマに変更するよう指示があったと明記されていたのだ。  最終的にこの変更は6月30日に了承され、安藤ハザマには《厳正に審査した結果、御社の提案が最も評価が高く、本事業の最優秀提案者として選定されましたので通知いたします》、鹿島には《御社の提案が2番目に評価が高く、本事業の次点者として選定されました》という通知が白石市長名で送られた。市のホームページでも同日中に公表された。「厳正に審査」が白々しく聞こえるのは本誌だけだろうか。 百条委設置の経緯  前述した建設工業新聞の記事はこの直後に書かれたが、当時は最優秀提案者が覆された事実は公になっていなかった。ただ市議会では、安藤ハザマを最優秀提案者に選定したことに「別の視点」から疑問の声が上がっていた。  「6月に市役所ホールの吹き抜けの窓から雨漏りしている個所が見つかったが、市役所を施工したのが安藤ハザマと地元業者によるJVだったため、議員から『そんな業者に新病院建設を任せて大丈夫か』という懸念が出たのです」(市内の事情通)  市役所は2014年12月に竣工したが、事情通によると落札金額は安く抑えられたものの、その後、追加工事が相次ぎ、結局、事業費が膨らんだ苦い経験があるため、  「議員の間には『今回も安藤ハザマは同様の手口で事業費を増やしていくのではないか』という疑いが根強くある」(同)  これ以外にも、安藤ハザマは「過去に指名停止を受けている」「市に除染費用を水増し請求した」などの不信感が持たれている。ただ同様のトラブルは、鹿島や清水建設など他のゼネコンでも見られるので、安藤ハザマだけを殊更問題視するのはバランスを欠く。  「そうこうしているうちに『最優秀提案者は、本当は鹿島だったらしい』という話が議員にも伝わり、9月定例会で選定経過に関する質問が行われたが、白石市長は『地域貢献度も含め適正に審査した』と曖昧な答弁に終始したため、過半数の議員が反発する事態となった」(同)  ウワサは次第に尾鰭をまとい「〇〇社が白石市長に頼んで安藤ハザマに変わったらしい」「実際の工事は白石市長と同級生の××社が請け負うようだ」「白石市長は安藤ハザマからいくらもらったんだ」等々、真偽不明の話まで囁かれるようになった。白石市長が明確な答弁を避けたことが「何か隠している」という印象を与えたわけ。  9月定例会が終わりに近付くころには、一部議員の間で「真相を究明するには地方自治法100条に基づく調査特別委員会(百条委員会)を設置するしかない」という話が持ち上がり、10月27日に開かれた臨時議会で議員発議による設置が正式決定された。  《市は安藤ハザマを最優秀提案者にした理由の説明を避けてきたため、一部議員が反発していた。白石市長は臨時議会開会前の議員全員協議会で鹿島が選定委員会で最も点数が高かったと認め、「積算工事費や地域貢献計画などを比較し、安藤ハザマにした」と説明したが、採決の結果、賛成9、反対8で百条委設置が決まった》(福島民報10月28日付)  田村市議会は定数18。採決に加わらなかった大橋幹一議長(4期)を除く賛成・反対の内訳は別掲の通りだが、賛成した9人のうち、半谷理孝議員を除く8人は2021年4月の市長選で白石市長に敗れた本田仁一氏を支援していた。  ちなみに百条委の委員も、賛成した9人から大和田議員を除いた8人全員が就き、反対した8人からは誰も就かなかった。そのため「市長選の私怨が絡んだ面々で正しい調査ができるのか」と言われているが、委員に就いた議員からは「反対した議員には『調査の公平・公正を担保するため、そちら(反対)の議員も百条委に加わるべきだ』と申し入れたが断わられた」という不満が漏れている。  反対した8人は白石市長と距離が近いが、話を聞くと「百条委設置に反対したのに委員に就くのは筋が通らないと思った」と言う。しかし筆者は、本気で真相を究明するなら設置の賛否にこだわらず、議会全体で疑惑の有無を探るべきと考える。そうでなければ、せっかくつくった百条委が「反白石派の腹いせに利用されている」とねじ曲がった見方をされかねないからだ。  市保健福祉部の担当者はこう話す。  「百条委が設置されたことは承知しているが、具体的な動きがない限り市側はアクションを起こせないので、今後どうなるかは全く想像がつかない」  最後に、白石市長が安藤ハザマに変更した際に重視したとされる工事費や地域貢献度については市から入手した公文書にこんな記述がある。  例えば安藤ハザマは▽直接工事費の60%相当・工事費18億円以上を市内業者に発注、▽事務用品その他も4000万円以上を市内企業から購入、▽市内における関係者個人消費は3000万円以上。さらに概算工事費は45億8700万円と提示している。  一方、鹿島については市内業者への発注額、市内企業からの建設資機材購入額、概算工事費とも黒塗りされ詳細は不明だが、白石市長に次点者に追いやられたということは、いずれの金額も安藤ハザマより劣っていたことが推察される。 開院遅れで市民に不利益  だが、プロポーザルへの参加者を公募した際の公文書(4月19日付)にはこのように書かれている。  《選定委員会において技術提案及びプレゼンテーション等を総合的に審査し、最も評価の高い提案者を最優秀提案者に選定する》  選定委員会が最も高く評価した提案者を、市長の〝鶴の一声〟で変更していいとは書かれていない。白石市長は「工事費や地元貢献度の観点から安藤ハザマの方が優れており、やましい理由で変更したわけではない」と言いたいのだろうが、ルールに無い変更を独断で行った結果、疑惑を招き、市政を混乱させたことは事実であり、真摯に反省しなければならない。  何より新病院建設は前述した事業見直しで一時中断しており、今回の百条委でさらに遅れる可能性が出ている。高齢者や持病のある人にとって新病院は待望の施設なのに、開院がどんどん後ろ倒しになるのは不利益以外の何ものでもない。白石市長はたとえやましいことが無かったとしても、安藤ハザマに変更した理由を明確に示さない限り、市議会(百条委)は納得しないし、市民からも理解を得られないだろう。  白石市長は百条委設置を受け「プロポーザルに参加した業者の技術に差はなく、市民の利益を十分検討し最終決定した。調査には真摯に対応したい」とコメントしたが、今後の百条委で何を語るのか、それを聞いて百条委がどのように判断するのか注目される。 田村市ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 白石田村市長が新病院施工業者を安藤ハザマに変えた根拠

  • 除染バブルの後遺症に悩む郡山建設業界除染バブルの後遺症

    除染バブルの後遺症に悩む郡山建設業界

    災害時に地域のインフラを支えるのが建設業だ。災害が発生すると、建設関連団体は行政と交わした防災協定に基づき緊急点検や応急復旧などに当たるが、実務を担うのは各団体の会員業者だ。しかし、近年は団体に加入しない業者が増え、災害は頻発しているのに〝地域の守り手〟は減り続けている。会員業者が増えないのは「団体加入のメリットがないから」という指摘が一般的だが、意外にも行政の姿勢を問う声も聞かれる。郡山市の建設業界事情を追った。 災害対応に無関心な業者に老舗から恨み節 地域のインフラを支える建設業  「今、郡山の建設業界は真面目にやっている業者ほど損している。正直、私も馬鹿らしくなる時がある」  こう嘆くのは、郡山市内の老舗建設会社の役員だ。  2011年3月に発生した東日本大震災。かつて経験したことのない揺れに見舞われた被災地では道路、トンネル、橋、上下水道などのインフラが損壊し、住民は大きな不便を来した。ただ、不便は想像していたほど長期化しなかった。発災後、各地の建設業者がすぐに被災現場に駆け付け、応急措置を施したからだ。  震災から11年8カ月経ち、復興のスピードが遅いという声もあるが、当時の適切な対応がなかったら復興はさらに遅れていたかもしれない。業者の果たした役割は、それだけ大きかったことになる。  震災後も台風、大雨、大雪などの自然災害が頻発している。その規模は地球温暖化の影響もあって以前より大きくなっており、被害も拡大・複雑化する傾向にある。  必然的に業者の出動頻度も年々高まっている。以前から「地域のインフラを支えるのが建設業の役割」と言われてきたが、大規模災害の増加を受け、その役割はますます重要になっている。  前出・役員も何か起きれば平日休日、昼夜を問わず、すぐに現場に駆け付ける。  「理屈ではなく、もはや習性なんでしょうね」(同)  と笑うが、安心・安全な暮らしが守られている背景にはこうした業者の活躍があることを、私たちはあらためて認識しなければならない。  そんな役員が「真面目にやるのが馬鹿らしくなる」こととは何を指すのか。  「災害対応に当たるのは主に建設関連団体に加入する業者です。各団体は市と防災協定を結び、災害が発生したら会員業者が被災現場に出て緊急点検や応急復旧などを行います。しかし近年は、どの団体も会員数が減っており、災害は頻発しているのに〝地域の守り手〟は少なくなっているのです」(同)  2022年9月現在、郡山市は136団体と災害関連の連携協定を交わしているが、「災害時における応援対策業務の支援に関する協定書」を締結しているのはこおりやま建設協会、県建設業協会郡山支部、県造園建設業協会郡山支部、ダンプカー協会、郡山建設業者同友会、市交通安全施設整備協会、郡山電設業者協議会、県中通信情報設備協同組合、市管工事協同組合、郡山鳶土工建設業組合、県南電気工事協同組合など十数団体に上る。  いくつかの団体に昔と今の会員数を問い合わせたが、増えているところはなく、団体によってはピーク時の6割程度にまで減っていた。  「業者の皆さんに広く加入を呼びかけているが、増える気配はないですね」(ある組合の女性事務員)  会費は月額1万円程度なので、負担にはならない。しかし、  「経営者が2代目、3代目に代わるタイミングで会員を辞める会社が結構あります。時代の流れもあるでしょうし、若い経営者の価値観が昔と変わっていることも影響していると思います」(同)  それでも、会員になるメリットがあれば、経営者が代わっても引き続き団体に加入するのだろうが、  「加入を呼びかける立場の私が言うのも何ですが、明確なメリットと聞かれたら答えられない」(同)  昔は今より同業者同士のつながりが大切にされ、先輩―後輩のつながりで業界のしきたりを習ったり、仕事の紹介を受けたり、技術を学び合うなど団体加入には一定のメリットがあった。  今はどうか。別の団体の幹部に加入の具体的なメリットを尋ねると  「対外的な信用が得られます。組合は『社内にこういう技術者がいなければならない』など、入るのに一定の条件が必要。つまり組合に入っていれば、それだけで技術力が伴っている証拠になる」  正直、そこに魅力を感じて団体に加入する業者はいないだろう。  「ウチみたいに昔から入っているところはともかく、新規会員を増やしたいなら加入のメリットがないと厳しいでしょうね」(前出・老舗建設会社の役員)  会員数の減少は、そのまま〝地域の守り手〟の減少に直結する。それはいざ災害が発生した時、緊急点検や応急復旧などに当たってくれる業者が限られることを意味する。  それでなくても郡山は、新規会員が増えにくい状況にある。理由は、震災後に増えた「新参者」の存在だ。別の建設会社の社長が解説してくれた。  「新参者とは震災後、除染を目的に県外からやって来た人たちです。建設業界はそれまで深刻な不況で、公共工事の予算は年々減っていた。そこに原発事故が起こり、除染という新しい仕事が出現。『福島に行けば仕事がある』と、全国から業者が押し寄せたのです」  除染事業に従事するには「土木一式工事」や「とび・土工・コンクリート工事」の建設業許可が必要になる。許可を得て、資機材を揃えて大手ゼネコンの4次、5次下請けに入る小規模の会社はあっと言う間に増えていった。  「新参者が増えるのは行政にとってもありがたかった。住民が『早く除染してほしい』と求める中、業者の数がいないと予定通り除染は進まないわけですからね」(同) 尻拭いを押し付ける郡山市 郡山市役所 しかし、同じ仕事が永遠に存在するはずもなく、市内の除染が一通り終わると新参者の出番も減った。  この社長によると、新参者はその後、①経営に行き詰まって倒産、②浜通りなど除染事業が続いている地域に移動、③一般の土木工事に衣替え――の三つに分かれたという。  「一般の土木工事に衣替えした業者は、正確な数は分からないが結構います。私のように昔から郡山で仕事をやっていれば、社名を聞くだけでそこが新参者かどうか分かる。傾向としては、カタカナやアルファベットなど横文字の社名は該当することが多い」(同)  郡山市の「令和3・4年度指名競争入札参加有資格業者名簿」(2022年4月1日現在)を見ると、土木一式工事の許可業者は103、とび・土工・コンクリート工事の許可業者は225ある(いずれも市内に本社がある業者のみをカウント)。二つを見比べると、土木一式工事の許可業者はとび・土工・コンクリート工事の許可も併せて得ている。そこで後者の業者名を確認していくと、新参者に該当するのではないかと思われる業者は40社前後、全体の2割近くを占めていた。  除染事業がなくなっても、新たな仕事を求め、生き残りを図ろうとする姿はたくましい。建設業許可を得て一般の土木工事に従事するのだから法令違反でもない。社長も「そこを否定するつもりはない」と話す。ただ「新参者は暗黙のルールを守らないため業界全体が歪みつつある」というのだ。  「新参者は地域性を考えない。例えば、A社が本社を置く〇〇地域で道路工事が発注されたら、一帯の道路事情を知るのはA社なので、入札では自然とA社に任せようという雰囲気になる。これは談合で決めているわけではなく、不可侵というか暗黙のルールでそうなるのです。だから、A社は隣の××地域や遠く離れた△△地域の道路工事は取りにいかない。しかし、新参者は『競争入札なんだから地域性は関係ない』と落札してしまうわけです」(同)  新参者から言わせれば「暗黙のルールに基づく調整こそ談合みたいなもの」となるのだろう。ただ、〇〇地域の住民からすれば、見たことも聞いたこともない業者より、馴染みのあるA社に工事をやってもらった方が安心なのは間違いない。  「A社がある道路工事を仕上げ、そこから先の道路工事が新たに発注された時、継続性で言ったらA社が受注した方が工事はスムーズに進む可能性が高い。しかし、新参者はそういう配慮もなく、お構いなしに落札してしまう」(同)  しかしこれも、新参者から言わせると「落札して何が悪い」となるのだろうが、社長が解せないのは、その後の尻拭いを市から依頼されることにある。  「もともと除染からスタートした業者なので、土木工事の許可を持っていると言っても技術力が備わっていない。そのせいで、工事終了後に施工不良個所が見つかるケースが少なくないのです。解せないのは、市がその修繕を当該業者にやらせるのではなく、再発注も面倒なので、現場に近い地元業者にこっそり頼むことです。市には世話になっているので頼まれれば手伝うが、地域性や継続性を無視して落札した新参者の尻拭いを、私たちに押し付けるのは納得がいかない」  実は、そんな新参者の多くは建設関連団体に加入していないのだ。再び前出・老舗建設会社の役員の話。  「新参者は建設関連団体に入っていないから、災害が起きても被災現場に駆け付けない。でも、入札では災害対応に当たる私たちと同列で競争し、仕事を取っている。不正をしているわけでなく、正当な競争の結果と言われればそれまでだが、地域に貢献している自負がある私たちからすると釈然としない」 「災害対応に正当な評価を」  会員業者は日曜夜に被災現場に出動しても、防災協定に基づくボランティアのため、月曜朝からは通常業務を行わなければならない。一方、建設関連団体に加入していない業者は被災現場に出動することなく休日を過ごし、月曜から淡々と通常業務に当たる。だからと言って、未加入の業者にペナルティーが科されることはなく、被災現場に出動した業者に特別なインセンティブがあるわけでもない。  これでは、会員業者が「真面目にやるのが馬鹿らしい」と愚痴を漏らすのは当然で、わざわざ建設関連団体に加入する新規業者も現れない。  「市がズルいのは、入札は公平・公正を理由にどの業者も分け隔てなく競争させ、災害や施工不良など困ったことが起きた時は建設関連団体を頼ることだ。真面目にやっている私たちからすると、市に都合よく使われている感は否めない」(同)  これでは、新規会員はますます増えない。そこでこの役員が提案するのが、市が建設関連団体加入のメリットを創出することだ。  「会員業者は指名競争入札で指名されやすいといったインセンティブがあれば、災害対応に当たる私たちも少しはやりがいが出るし、今まで災害対応に無関心だった新参者も建設関連団体に入ろうという気持ちになるのではないか」(同)  郡山市では1000万円以上の工事は制限付一般競争入札、1000万円未満の工事は指名競争入札を導入しているが、2021年度の入札結果を見ると、落札額の合計は制限付一般競争入札が約99億8000万円、指名競争入札が約25億7200万円に対し、発注件数は前者が約150件、後者が約640件と指名競争入札の方が4倍以上多い。役員によると、会社の規模が小さい新参者は指名競争入札に参加する割合が高いという。  同市の指名競争入札に参加するには2年ごとに市の審査を受け、入札参加有資格業者になる必要がある。その手引きを見ると、市内に本社を置く業者が提出する書類に「災害協定の締結」「除雪委託契約の締結」の有無に関する記載欄があるが、市がそれをどれくらい重視しているかは分からない。  前述した建設関連団体のいくつかに問い合わせた際、  「災害協定を結んでいるかどうかは、市が審査をする上で少しは加点要素になっていると思う」(前出・女性事務員)  「実際に被災現場に駆け付けている点は(指名の際に)加味してほしいと市に申し入れている。そこを市がもっと評価してくれれば新規会員も増えると思うんですが」(前出・別の組合幹部)  と語っていたが、市が日頃の災害対応を正当に評価しているかというと、建設関連団体にはそう感じられないのだろう。  「会員業者が増えないと災害対応が機能しない。それによって困るのは市民です。そこで、安心・安全な暮らしを維持するため、災害協定と除雪委託契約の締結を指名競争入札に参加するための重要要件にしてはどうか。そうすれば、建設関連団体に無関心の新参者も加入を検討するし、新規会員が増えれば災害が起きた時、市民も助かります」(同) 指名競争を増やす福島県の狙い 福島県庁  県では佐藤栄佐久元知事時代に起きた談合事件を受け、2006年12月に入札等制度改革に係る基本方針を決定。指名競争入札を廃止し、予定価格250万円を超える工事は条件付一般競争入札に切り替えた。しかし、過度な競争や少子高齢化で経営が悪化し、災害対応や除雪に携わる業者がいなくなれば地域の安心・安全確保に支障を来すとして〝地域の守り手〟である中小・零細業者を育成する観点から「地域の守り手育成型方式」という指名競争入札を2020年度から試行している。  農林水産部と土木部が発注する3000万円未満の工事を指名競争入札にしているが、入札参加資格の要件には「災害時の出動実績又は災害応援協定締結」と「除雪業務実績又は維持補修業務実績」が挙げられている。指名競争入札を増やすことで〝地域の守り手〟を支えていこうという県の狙いがうかがえる。  会津地方は郡山と比べて仕事量が少ないため、新しい会社が次々と誕生することもなく、昔から営業している会社が建設関連団体を形成し、地域のインフラを支える構図が成立している。業者数は少ないが、地域を守るという意識が業界全体で統一されている。  これに対し郡山は、業者数は多いが建設関連団体の会員業者は少ないため、業界全体で地域を守るという意識が希薄だ。もし入札制度を変えることで会員業者が増え、市民の安心・安全を確保できるなら、市は真剣に検討すべきではないか。  「入札の大前提にあるのは公平・公正だが、時代の変化と共に変えるべきものは変えなければならないことも承知しています。災害が年々増えている中、業者の協力がなければ市民の生命と財産は守れません。その災害対応については、市でも審査時に評価してきましたが、出動頻度が増えている今、それをどのように評価すべきかは今後の検討課題になると思います。県が試行している指名競争入札なども参考にしながら考えたい」(市契約検査課)  官が民に、建設関連団体への加入を〝強要〟するのは筋違いかもしれない。しかし現実に、災害の増加に反比例して〝地域の守り手〟は減少している。だったら、普段から災害対応に当たっている業者には、その労に報いるためインセンティブを与えるべきだし、それが魅力になって団体に加入する業者が増えれば、建設業界全体で地域を守るという意識が醸成され、災害に強いまちづくりが実現できるのではないか。 郡山市ホームページ あわせて読みたい 建設業者「越県・広域合併」の狙い【小野中村】【南会西部建設】 「地域の守り手」企業を衰退させる県の入札制度 福島市「デコボコ除雪」今シーズンは大丈夫?

  • 【桑折町・国見町】合併しなかった市町村のいま

    【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま

     人口減少・少子高齢化など、社会・経済情勢が大きく変化する中、国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進してきた。いわゆる「平成の大合併」である。県内では90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。一方で、県内では「平成の大合併」に参加しなかった自治体もある。それら自治体のいまに迫る。今回は桑折町・国見町編。 財政指標は良化、独自の「創造性」はイマイチ  2006年1月1日、伊達郡の伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町が合併して伊達市が誕生した。当初、この合併議論には、桑折町と国見町も参加しており、「伊達7町合併協議会」として議論を進めていた。  ただ、2004年8月に桑折町の林王喜久男町長(当時)が合併協議会からの離脱を表明した。その背景にあったのは、合併後の事務所(市役所本庁舎)の位置。伊達7町合併協議会は事務所の位置に関する検討小委員会で、「新市の事務所は保原町とする」と決定した。それが同年8月11日のことで、それから約2週間後に開かれた桑折町議会合併対策特別委員会で、林王町長は合併協議会からの離脱を表明したのだ。  離脱の理由について、林王町長は①合併に対する基本的な考え方が満たされない、②行政圏域と生活圏域が一致しない、③町民への説明責任が果たせない――等々を明かしていた。とはいえ、当時、同合併協議会の関係者の間ではこんな見方がもっぱらだった。  「伊達地方は(阿武隈川を境に)川東地区と川西地区に分かれ、前者の中心が保原町、後者の中心が桑折町。合併協議が進められる過程で、両町による合併後の主導権争いがあった中、新市の事務所の位置が保原町に決まった。それに納得できない桑折町は『だったら、参加しない』ということになった」  桑折町は旧伊達郡役所が置かれ、「伊達郡の中心は桑折町」といった矜持があった。にもかかわらず、合併後の事務所は保原町に置かれることになったため、離脱を決めたというのだ。  同年9月に正式に離脱が決まり、以降は「伊達6町合併協議会」と名称を変更して、議論を進めることになった。  ところがその後、同年11月に行われた国見町長選で、「合併を白紙に戻す」と訴えた佐藤力氏が当選した。当時、現職だった冨永武夫氏は、県町村会長を歴任するなどの〝大物〟で、「合併を成し遂げることが町長としての最後の仕事」と捉えていた様子だった。一方の佐藤氏は共産党(町長選では共産党推薦の無所属)で、急遽の立候補だったため、準備や選挙期間中の運動も決して十分ではなかった。それでも、結果は佐藤氏3514票、冨永氏3136票で、約380票差で佐藤氏が当選を果たした。投票率は74・81%で、「合併白紙」が民意だったと言える。  当選直後の同年12月議会で、佐藤町長は合併協議会からの離脱に関する議案を提出した。採決結果は賛成8、反対9で離脱案は否決された。それでも、佐藤町長は「合併白紙を訴えた自分が町長選で当選し、町民意向調査でも同様の結果が出ている以上、合併協議会からの離脱は避けられない」との主張を曲げなかった。  このため、2005年1月、伊達6町合併協議会はこのままでは協議が進まないとして、同協議会を解散ではなく、「休止」という措置を取った。それと並行する形で国見町を除く「伊達5町合併協議会」を立ち上げ、協議を進めた。その後、同年3月に合併協定に調印、2006年に伊達市誕生という運びとなった。  こうして桑折町、国見町は合併せず、単独の道を選んだわけ。ちなみに、桑折町で合併協議時に町長を務めていた林王氏は2010年の町長選で高橋宣博氏に敗れ落選。その後は2014年、2018年、2022年と、いずれも高橋氏が当選している。国見町は佐藤氏が2012年11月まで(2期8年)務めた後、太田久雄氏が2012年から2020年まで(2期8年)、2020年からは引地真氏が町長に就いている。  合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう話す。  「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」  そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併についての勉強会(任意協議会)、法定協議会、正式な合併へと舵を切っていった、というのだ。  では、「平成の大合併」から十数年経ち、合併しなかった市町村が、この首長経験者が危惧した状況になったかというと、そうとは言えない。そのため、「合併しなくても、普通にやっていけているではないか。だとしたら、合併推奨は何だったのか」といった思いもあるようだ。 桑折・国見の財政指標  もっとも、合併しなかった市町村にはそれなりの「努力の形跡」も見て取れる。  ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。  別表は桑折町と国見町の各指標の推移をまとめたもの。数字だけを見れば「努力の形跡」が見て取れる。もっとも、投資的事業をしなければ財政指標は良化するから、一概には言えないが。 桑折町の財政指標と職員数の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・9116・1713・1150・40・512008年度9・4119・0413・8167・20・512009年度8・7218・5914・0141・10・502010年度――――13・8120・60・472011年度――――13・768・60・452012年度――――11・941・30・432013年度――――11・819・40・432014年度――――10・311・80・442015年度――――10・415・70・452016年度――――11・010・10・452017年度――――11・67・40・452018年度――――11・43・60・452019年度――――10・414・40・452020年度――――9・636・60・46※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の財政指標の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・2721・0217・5149・10・362008年度5・7422・4318・7126・60・362009年度5・4719・6317・4103・90・352010年度――――15・585・00・342011年度――――12・985・20・322012年度――――11・178・30・302013年度――――10・077・40・292014年度――――8・175・10・292015年度――――7・062・30・292016年度――――6・670・70・292017年度――――6・867・80・302018年度――――6・760・60・322019年度――――5・741・60・332020年度――――4・323・00・33※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  この指標を示して、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)に見解を求めたところ、こう回答した。  「財務指標からだけでは財政運営の良否は判断できません。そこで、桑折町と国見町の場合は、地域環境の似通っている隣接の伊達市と比較して、相対的な評価をするのがよいと思われます」  別表に伊達市の実質公債費比率の推移を示した。2021年度は速報値。今井氏はそれと桑折町、国見町の数字と比較し、次のように明かした。なお、桑折町の2021年度速報値は9・2、国見町は3・2。 伊達市の実質公債費比率の推移 2008年度15・52009年度14・62010年度13・42011年度11・62012年度9・82013年度8・32014年度7・42015年度6・82016年度6・52017年度7・42018年度6・62019年度6・92020年度7・22021年度7・8  「実質公債費比率の推移を見ると、まず伊達市と国見町との差は歴然としています。2008年度時点では、伊達市15・5、国見町18・7と、むしろ国見町のほうが悪い数字だったものが、2021年段階では伊達市7・8、国見町3・2と、国見町の方が大きく改善しています。次に伊達市と桑折町とを比較すると、桑折町の方の改善度が低いように見えますが、最近5年間の推移を見ると、2017年段階で伊達市7・4、桑折町11・6だったところが、2021年段階では伊達市7・8、桑折町9・2となっていて、桑折町は改善しているのに、伊達市は改善していません」  こうして聞くと、相応の努力は見られると言っていいのではないか。もっとも、今井氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 桑折・国見町長に聞く  両町長は現状をどう捉えているのか。町総務課を通して、以下の4点についてコメントを求めた。  ①当時の町長をはじめ、関係者の「合併しない」という決断について、いまあらためてどう感じているか。  ②当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められる。別紙(前段で紹介した財政指標)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」から抜粋したものですが、それら数字についてはどう捉えているか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」の取り組み、今後の対応についてはどう考えるか。  ③当時、本誌取材の中では「多少の我慢を強いられても、単独の道を模索してほしい」といった意見もあったが、実際に住民に対して「我慢」を求めるような部分はあったか。  ④「合併しないでよかった」と感じているか。  回答は次の通り。 桑折町 高橋桑折町長  ①、④合わせての回答  国は、人口減少・少子高齢化等の社会情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的に、全国的に市町村合併を推進したところです。本町においても近隣自治体との合併について検討したものの、分権社会に対応できる基礎自治体構築・将来に希望の持てる合併が実現できるとは言い難いことや、行政圏域と生活圏の一体性の醸成が困難であることなどから、合併しない決断を選択しました。  その後、地方行政を取り巻く環境が厳しさを増す中にあって、行財政改革に努め、健全財政の維持を図りながら町独自の施策展開により、2021年においては人口が社会増に転ずるなど、単独立町だからこそ得られた結果と捉えており、合併しないでよかったと感じております。  引き続き、子どもたちに夢を、若者に元気を、高齢者に安心を届け、「住み続けたいまち 住みたいまち 桑折」の実現に邁進してまいります。  ②の回答  当町は、平成16(2004)年9月に伊達7町による合併協議を離脱し、自立(自律)の道を選択して以降、東日本大震災をはじめとする度重なる災害や社会経済状況の変化、人口減少・高齢化などにより、多様化・複雑化・高度化する行政需要を的確に捉え、住民ニーズに応える各種施策を展開するとともに、事業実施にあたっては、財源確保を図り、「選択と集中」「最小の経費で最大の効果を上げる」ことを常に念頭に置きながら、財政の健全性維持に努めてまいりました。その結果、別紙の「健全化判断比率(4つの各比率)」の推移にありますとおり、平成19(2007)年度以降、各指標とも低下傾向にあり、合併せずとも着々と財政の健全化に向け改善が図られてきたものと捉えております。  とりわけ、企業誘致の促進や移住・定住人口の増加に資する施策に取り組みながら、税収の確保や収納事務の効率化を図るとともに、国・県などの補助制度の積極的な活用に努めてきました。また、シティプロモーションなどPR事業の展開や魅力的な返礼品の充実を図り、ふるさと納税は大幅に伸びております。  今後についても、2022年度策定した「中期財政計画」に基づき、更なる財源の確保、歳出抑制・適正化等、健全で持続可能な財政運営に向けた取り組みを継続し、「住み続けたいまち」であり続けるための各種施策を展開していく考えであります。  ③の回答  合併協議からの離脱後、これまでの間、行財政改革や自主財源の確保を図り、行政需要を的確に捉え、各種住民サービスに努めることにより、町民の理解を得ているところであります。 国見町 引地国見町長  ①の回答  当時の町長選挙の争点が「合併」。合併しないことを公約にした候補が当選したことは、民意が明確に示されたものと考えている。  ②の回答  合併する、しないに関わらず、地方自治体の財政基盤強化、行財政運営の効率化は緊張感を持って取り組むべきことと考える。当町においても自主財源が乏しい中、サービスの質を維持・向上させるため、あらゆる財源の確保に奔走している。同時に、常にコスト意識を持ち、予算編成及び執行に努めながら、将来負担を軽減すべく、起債に係る繰上償還を積極的に行っている。  ③の回答  「合併をしなかった」ことを要因とし、我慢を求めることはなかったと考えている。  ④の回答  当時の決断に対し、その善し悪しを意見する考えはない。唯一申し上げるとすれば、当時の決断を大切に、国見町に住む方々が「国見っていいな」と思ってもらえるよう町政運営に努めたい。 人口減少幅は類似 桑折町役場(左)と国見町役場(右)  桑折町の高橋町長は合併議論時、議員(議長)を務めており、その後は2010年に町長就任して現在に至る。つまりはこの間の「単独の歩み」の大部分で町政を担ってきたことになる。その中で、「単独だからこそ得られたものもあり、合併しないでよかった」と述べている。一方、引地町長は2020年に就任し、まだ2年ほどということもあってか、踏み込んだ回答ではなかった。  両町の職員数(臨時を含む)を見ると、この間大きな変化はなく、国見町はむしろ増えている。もっとも、福島県の場合は、震災・原発事故に加え、ほかにも大規模災害が相次いだこともあり、その辺の効率化を図りにくかった事情もあり、評価が難しいところ。 桑折町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年111人103・12011年115人112・82012年115人109・92013年112人101・42014年113人99・52015年115人100・12016年112人100・12017年112人100・12018年112人99・02019年115人99・02020年117人94・2※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年89人100・72011年86人109・12012年90人108・92013年97人99・52014年105人100・82015年106人99・52016年103人99・62017年103人99・62018年106人99・72019年108人99・72020年107人100・3※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  人口の推移は、伊達市が合併時から約1万2000人減、桑折町と国見町は「単独」を決断したころから、ともに約2000人減。数だけを見ると、伊達市の減少が目立つが、減少率で見ると、伊達市が約17%、桑折町が約16%、国見町が約21%となっている。国見町は2022年度から、国から「過疎地域指定」を受けている。 伊達市、桑折町、国見町の人口の推移 伊達市桑折町国見町2006年6万9122人1万3423人1万0646人2011年6万5898人1万2823人1万0059人2016年6万2218人1万2247人9455人2021年5万8015人1万1431人8612人2022年5万7104人1万1285人8398人各年とも1月1日時点。 思い切った「仕掛け」を  町民の声はどうか。  「この間、大きな災害が相次ぎ、そうした際に、枠組みが小さい方が行政の目が行き届く、といった意味で、良かった面はある。ただ、合併していたら、それはそれで良かったこともあったと思う。だから、どっちが良かったかと聞かれても、正直難しい」(桑折町民)  「純粋に、愛着のある町(町名)が残って良かった」(桑折町民)  「数年前に、天候による果樹の被害があり、保険(共済)に入っていなかったが、町から保険(共済)に入るための補助が出た。そういった事業は単独町だったからできたことかもしれないね」(国見町民)  「合併していたら、『吸収』される格好だったと思う。そうならなかったということに尽きる」(国見町民)  一方で、両町内で事業をしている人や団体役員などからは、ある共通の意見が聞かれた。それは「せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてもいいのではないか」ということ。  「例えば、会津若松市は『歴史のあるまち』で、歴史的な観光資源では太刀打ちできない。一方で、同市では、ソースカツ丼を売り出しているが、そのための振興組織をつくって、本格的に売り出したのは、せいぜいここ十数年の話。あれだけ、歴史的な観光資源があるところでも、それにとどまらず、何かを『生み出す』『売り込む』ということをやっている。そういった姿勢は見習わないといけない。例えば、e―スポーツを学校の授業に取り入れ、先進地を目指すとか。そういったことは小回りが利く『町』だからこそできると思うんだけど」(桑折町内の会社役員)  「国見町で、ここ数年の大きな事業と言えば、道の駅整備が挙げられる。周辺の交通量が多いことから立ち寄る人で賑わっているが、業績はあまり良くない。そもそも、道の駅自体、全国どこにでもあるもので、最初(オープン時)はともかく、慣れてしまえば目新しいものではない。一方で、夜間になると(道の駅に)キャンピングカーなどで車中泊をしている人が目に付く。例えば、キャンピングカーの簡易キッチンに対応した商品を売り出すとか、『車中泊の聖地』になるような仕掛けをしてはどうか。ともかく、道の駅に限らず、何かほかにない目玉になるようなものを作り出していく必要があると思う」(国見町内の団体関係者)  これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。  桑折町、国見町は交通の便がよく、働き口、高等教育、医療、日用品の調達先などで、近隣に依存できる環境にあったからこそ、合併しないという選択ができた面もある。財政指標の良化も見られる。ただ、単独町だからこそ可能な「創造性」という点では乏しかったと言えよう。 桑折町ホームページ 国見町ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する

  • 【会津】〝恒三イズム〟の継承者は誰だ

    【会津】「恒三イズム」の継承者は誰だ

     衆議院副議長を務めるなど「平成の黄門様」として知られた渡部恒三氏が亡くなって2年になる。往時の影響力はなくなりつつあるが、その存在は形を変えて会津政界に残り続けている。一方で、恒三氏の後継者が会津地方の国会議員にいないことを嘆く向きもある。 【渡部恒三】「国会議員の小粒化」嘆く会津地方住民 渡辺恒三氏  2022年11月6日10時、会津若松市城東町に残る渡部恒三氏の自宅に「渡部恒三記念館」が開館した。厚生大臣などに就任した際に受け取った任命書と卓上の名札、2003(平成15)年に受けた勲一等旭日大綬章の勲記など、ゆかりの品や美術品が展示されている。館長を務めるのは渡辺泰夫氏(會津通運会長)。  庭にはブロンズ像が設置された。数十年前に本県出身の金属加工業の社長が作っていたが、恒三氏が「生きているうちに銅像なんて作るもんじゃない」と話したため、日の目を見ずに保管されてきたという。  同日、テープカットとブロンズ像の除幕式が行われ、元知事で長年恒三氏の秘書を務めていた佐藤雄平氏、川端達夫・平野博文元衆院議員、恒三氏の長男・恒雄氏(笹川平和財団上席研究員)らが開館を祝った。 記念館のテープカットの様子  テープカットに参加した地元町内会長の目黒則雄さんは「町内会には主に二三子さん(恒三氏の妻。2022年1月に87歳で死去)が出席していたが、引退後は恒三さんも総会に顔を出してあいさつしていた。鶴ヶ城の南側は住宅ばかりで、公共施設、観光スポットなどが少ないので、こうした施設を造っていただけるのはうれしい」と語った。  恒雄氏は「父が住んでいた家がそのまま活用されている。昔訪れた方は懐かしく思うはず。政治家を引退してから10年経っているのに、このような記念館を開所してもらい、父は政治家冥利に尽きると思うし、家族としてありがたい限りです」とコメントした。  恒三氏は2020年8月23日に88歳で死去した。葬儀は近親者で営まれ、すぐにお別れの会を開く予定となっていたが、新型コロナウイルスの影響で延期となっていた。  同日午後には会津若松ワシントンホテルで2年越しのお別れの会が開催された。  発起人代表の佐藤雄平氏、後援会・秘書会代表の鈴木政英元磐梯町長があいさつ。川端・平野両元衆院議員、玄葉光一郎衆院議員、内堀雅雄知事、室井照平会津若松市長が別れの言葉を述べた。  献花の際に読み上げられた主な参列者には、会津地方の首長、議長、政治経験者などがずらりと名を連ねた。主催者発表によると、参列者は関係者も含め約350人。あらためてその影響力を示した格好だ。  恒三氏は1932(昭和7)年5月24日、田島町(現南会津町)で生まれた。渡部家はみそ・しょうゆ醸造業を営む旧家で、父・又左ヱ門氏は町長、県会議員を務めた。  県立会津中学(在学中に学制改革で会津高校に改称)、早稲田大文学部卒。同大大学院修士課程修了。早稲田雄弁会で活躍する一方、同郷の八田貞義衆院議員の事務所に出入りするようになる。大学院修了後、正式に秘書になり、1959(昭和34)年4月に26歳で県議選初当選。再選を果たし、自民党県連政調会長に就いた。だが1967(昭和42)年の総選挙で、八田氏の選挙参謀を務めた際に買収容疑で有罪判決を受け、県議を辞職した。  1969(昭和44)年の衆院選で旧福島2区から無所属で立候補し初当選。自民党の追加公認を得て田中派、竹下派に所属。竹下派では「七奉行」の1人として存在感を高め、前述の通り、厚生大臣などの主要閣僚を歴任した。  1993(平成5)年に「七奉行」の1人、小沢一郎氏とともに自民党を離党。「二大政党制」の実現を掲げて新生党や新進党の結党に参加。1996(平成8)年から2003(平成15)年まで衆院副議長。  1997(平成9)年の新進党解党後はしばらく党籍を持たなかったが、2005(平成17)年に民主党に入党し、同党最高顧問に就任。翌2006(平成18)年には、ライブドア事件関連のメール問題で危機に瀕する同党のため、73歳で国対委員長に就任した。  会津弁と飾らない人柄で「平成の黄門様」と呼ばれ、民主党では重鎮として若い執行部を支え存在感を示した。衆院議員連続14期務め、2012年に政界を引退した。 「保守」でもあり「野党」でもある  全国的に活躍した経歴を持つ政治家だけに「顔を出さないわけにはいかない」と多くの政財界関係者がお別れの会に参列した。会終了後、恒三氏の後援会幹部にコメントを求めたところ、「いまも会津全域に多くの支持者がおり、後援会が束ねている」と、死後2年経ってもその影響力が続いていることを強調した。  しかし、複数の会津地域の政治家・経済人からは「さすがにもう影響力はなくなった」、「首長にしても議員にしても『国会議員の支持者の動向で当選した』という話は最近ではあまり聞かれない。個々人の能力や性格が評価されていると思いますよ」と冷ややかな声が聞かれた。  会津地方のある市町村議員は「中選挙区制で恒三氏と激しい戦いを繰り広げた伊東正義衆院議員も、1994(平成6)年に亡くなった後は如実に支持者が減った。恒三氏の支持者も高齢化が進むとともに少なくなっていくだろう」と語る。  とは言え、2021年10月の衆院選で福島4区の焦点になったのは、立憲民主党の小熊慎司氏(54、4期)と自民党の菅家一郎氏(67、4期)、どちらが「恒三票」を取り込むか、ということだった。恒三氏が明確な後継者を定めていなかったためだ。 小熊氏(上)と菅家氏  前述の通り、恒三氏は自民党で閣僚を経験した後に離党し、二大政党制の実現を訴えた経歴を持つ。すなわち「保守」であり、「野党」でもある存在なのだ。野党を渡り歩いてきた小熊氏は恒三氏の後継者と言える。一方の菅家氏は会津の保守系政治家として市政・県政で活動してきた経緯があり、早稲田大の後輩ということもあって恒三氏と親密に交流していた。  要は、どちらも「恒三票」の受け皿になり得るわけ。だからこそ、2021年の衆院選では小熊氏陣営に恒三氏の支持者が名を連ねて電話攻勢をかけ、菅家氏陣営は負けじと保守系支持者の自民回帰を訴えた。  ある立憲民主党の支持者は次のように分析する。  「『恒三さんは大好きだけど、小熊さんはそんなに好きってわけじゃない』という人はいっぱいいる。大型連休中には外務省が退避勧告を行っているウクライナに国会申請せずに入国し、幹事長名で注意を受けるポカもやらかした。ただ、そうした支持者たちが小熊さんに見切りを付け(自民党の)菅家さんに流れているかというと、そうはなっていない。そういう意味では、菅家さんの〝評判の悪さ〟に助けられている面があると思います。彼は彼で実績アピールが露骨すぎて、煙たがられている節がある」  一方の自民党関係者はこう語る。  「恒三さんこそ『保守』の人生を歩んできたと思うし、支持者も『保守』である点を支持している人が多い。実際、2021年の衆院選では小熊氏が『野党共闘』で共産党の支援も受けたのを見て、『今回ばかりはさすがに応援できない』と離れた支持者が多かった。今後、選挙を重ねるごとに、小熊氏と菅家氏の得票数は差が開いていく一方になるのではないでしょうか」  過去3回の福島4区の投票結果は以下の通り。  《2014年》当5万6856 小熊 慎司46維新比5万6440 菅家 一郎59自民 1万0139 小川 右善65社民   9413 田中和加子58共産  《2017年》当6万8282 菅家 一郎62自民比6万7073 小熊 慎司49希望   9492 古川 芳憲66共産   8063 渡辺 敏雄68社民  《2021年》当7万6683 小熊 慎司53立民比7万3784 菅家 一郎66自民  2017年の選挙で小熊氏、共産党候補、社民党候補が獲得した票数の合計より、2021年の選挙で「野党共闘」した小熊氏が獲得した票数の方が少ない。そのため「共産党と手を組んだことで『恒三票』の中でも保守系の支持者が離れたのではないか」と自民党関係者は指摘しているのだ。  ただ、共産党とのつながりに関しては、立憲民主党関係者も「小熊氏が共産党ともっと距離を置けばより票数が伸びると思う」と分析しているので、今後はそこが両陣営にとってのポイントになるのだろう。  当の恒三氏は本誌2013年2月号「星亮一対談」で次のように語っていた。  《日本の政治は長年、自民党の1党支配が続いてきたが、民主主義の基本である「国民が政治を決める」という観点に立った時、政権担当能力を持った政党が1つでは心もとない。2つあるから、国民はどっちがいいか選択できるのです。  すなわち、僕は2大政党制を実現させるために自民党を飛び出したわけで、民主党をつくった後も、僕は自民党が悪いなんて言ったことは一度もない。政権を担当できる政党が自民党1つでは、日本は独裁国家になってしまうから、それを改めようとしたのです》 「昔と比べて戦い方が生ぬるい」  会津地域の経済人は「いずれにしても、中選挙区時代の激しい戦いを知っている立場からすると、小熊氏も菅家氏も小粒感が否めない。その戦い方にも生ぬるい印象を抱いてしまう」と嘆く。  「中選挙区でライバル関係だった恒三氏と伊東氏はどちらも閣僚経験者で、互いの支持者も含めてバチバチやり合っていた。支持を訴えるのも、ライバルを批判するのも、地元に仕事を引っ張ってくるのも全力。当時を知る立場からすると、いまは小粒な議員同士の戦いにしか見えない。もう少し存在感を示してほしい」  恒三氏の実績として知られるのは会津地方のインフラ整備に尽力したこと。昭和から平成初期にかけて、国道121号大峠トンネル、磐越自動車道、サンピア会津、県立会津大学、会津縦貫道路などの道筋を付けた。小熊氏、菅家氏がこれに匹敵する実績を作るのは難しいだろう。  いわゆる「1票の格差」是正に向けて、衆議院議員選挙の小選挙区定数を「10増10減」することなどを盛り込んだ改正公職選挙法が成立し、福島県選挙区は現行の5から4に減る。会津地域は県南地域と同じ選挙区になった。今後、各党で候補者調整が進められる見通し。生き残りをかけて、小熊、菅家両氏はどう立ち振る舞うのか。  恒三氏の影響力はなくなりつつあるものの、引退から10年、死後2年経っても「恒三票」の行方が注目され、「保守」、「二大政党制」について議論が交わされている。それだけ恒三氏の存在が会津政界で大きかったということだろう。 この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 追悼・渡部恒三元衆議院副議長 2022年11月6日にお別れの会開催

  • 【会津若松】巨額公金詐取事件の舞台裏

    【会津若松市】巨額公金詐取事件の舞台裏

     会津若松市の元職員による巨額公金詐取事件。その額は約1億7700万円というから呆れるほかない。 専門知識を悪用した元職員  巨額公金詐取事件を起こしたのは障がい者支援課副主幹の小原龍也氏(51)。小原氏は2022年11月7日付で懲戒免職になっているため、正確には元職員となる。  発覚の経緯は2022年6月13日、2021年度の児童扶養手当支給に係る国庫負担金の実績報告書を県に提出するため、小原氏の後任となったこども家庭課職員が関係書類やシステムデータを確認したところ、実際に振り込んだ額とシステムデータに不整合があることを見つけたことだった。  内部調査を進めると、2021年度の児童扶養手当支給に複数の不整合があることが分かった。また小原氏の業務用パソコンからは、同年度の子育て世帯への臨時特別給付金について小原氏名義の預金口座に振込依頼していたデータや、重度心身障がい者医療費助成金をめぐり小原氏が給付事務を担当していた07~09年度に詐取していたことをうかがわせるデータも見つかった。市は会津若松署に報告し今後の対応を相談する一方、金融機関に小原氏名義の預金口座の照会を行うなど、詐取の証拠集めを2カ月かけて進めた。  市は2022年8月8日、小原氏に事情聴取した。最初は「分からない」「覚えていない」と非協力的な姿勢を見せていたが、集めた証拠類を示すと児童扶養手当と子育て世帯への臨時特別給付金を詐取したことを認めた。  小原氏は動機について「不正に振り込む方法を思い付いた。魔が差した」と語り、使途は「生活していく中で自然に使った」と説明したが、続く同9、10、15日に行った事情聴取では「親族の借金を肩代わりし返済に苦労していた」「競馬や宝くじに使った」「車のローンの返済に充てた」と次第に変化していった。  市は事情聴取と並行し、詐取された公金の回収に取り組んだ。預金口座からの振り込みに加え、生命保険の解約や車の売却といった保有財産の換価を行い、2022年11月8日現在、約9100万円を回収した。  2022年9月8日には小原氏に対する懲戒審査委員会を開き、懲戒免職が妥当と判断されたが、引き続き事情聴取と公金回収を進めるため、小原氏の職員としての身分を当面継続することとした。  小原氏は2022年10月7日、市に誓約書を提出した。内容は児童扶養手当(約1億1070万円)、子育て世帯への臨時特別給付金(60万円)、重度心身障がい者医療費助成金(約6570万円)、計約1億7700万円を詐取したことを認め、弁済することを誓約したものだ。  市は2022年11月7日付で会津若松署に詐欺罪で告訴状を提出し、その日のうちに受理された。また、同日付で小原氏を懲戒免職とし、併せて上司らの懲戒処分を行った。  「会津若松署が告訴状を受理したので、事件の全容解明は今後の捜査に委ねられることになる。警察筋の話によると、捜査は2023年2月くらいまでかかるようだ」(ある事情通)  それにしても、これほど巨額な詐取がなぜバレなかったのか不思議でならないが、  「市の説明や報道等によると、児童扶養手当の詐取は管理システムの盲点を悪用し不正な操作を繰り返した、子育て世帯への臨時特別給付金の詐取は本来の支給額より多い金額が自分の預金口座に振り込まれるようデータを細工した、重度心身障がい者医療費助成金の詐取もデータを細工する一方、帳票を改ざんして発覚を免れていた」(同) 合併自治体特有の「差」  それだけではない。こども家庭課に勤務していた時は、自分が児童扶養手当支給の主担当を担えるよう事務分担を変え、支給処理に携わる職員を1人減らし、それまで行っていた決裁後の起案のグループ回覧をやめることで他職員が関連書類に触れないようにしていた。また主担当の仕事をチェックする副担当に、入庁1年目の新人職員や異動1年目の職員を充てることでチェックが機能しにくい体制をつくっていた。  「パソコンがかなり達者で、福祉関連の支給事務に精通していた。そこに狡猾さが加わり、不正がバレないやり方を身に付けていった」(同)  小原氏は市の事情聴取に「不正はやる気になればできる」と話したというから、詐取するには打って付けの職場環境だったに違いない。  小原氏は1996年4月、旧河東町役場に入庁。2005年11月、会津若松市との合併に伴い同市職員となった。社会福祉課に配属され、11年3月まで重度心身障がい者医療費助成金の給付事務を担当。18年4月からはこども家庭課で児童扶養手当と子育て世代への臨時特別給付金の給付事務を担当した。2022年4月、障がい者支援課副主幹に。事件はこの異動をきっかけに発覚した。  地元ジャーナリストの話。  「小原氏は妻と子どもがおり、父親と同居している。父親は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐと聞いた。三男(同)は、小原氏と職種は違うが公務員だそうだ」  小原氏は「親族の借金を肩代わりした」とも語っていたが、  「過去に叔父が勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあるという。親族の借金の肩代わりとは、それを指しているのかもしれない」(同) 会津若松市河東町にある小原氏の自宅  河東町にある自宅は2000年10月に新築され、持ち分が父親3分の2、小原氏3分の1の共有名義となっている。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  小原氏の職場での評判は「他職員が嫌がる仕事も率先して引き受け、仕事ぶりは迅速かつ的確」といい、地元の声も「悪いことをやる人にはとても見えない」と上々。しかし、会津若松市のように他町村と合併した自治体では「職員の差」が問題になることがある。  ある議員経験者によると、市町村合併では優秀な職員が多い自治体もあれば能力の低い職員が目立つ自治体、服装や挨拶など基本的なことすらできていない自治体等々、職員の能力や資質に差を感じる場面が少なくなかったという。  「合併から十数年経ち、職員の退職・入庁が繰り返されたため今は差を感じることは減ったが、中核となる市に周辺町村がくっついた合併では職員の能力や資質にだいぶ開きがあったと思います」(同)  元首長もこう話す。  「町村役場は、職員を似たような部署に長く置いて専門性を身に付けさせ、サービスの低下を防ぐ。そこで自然と専門知識が身に付くので、あとは個人の資質によるが、悪用する気になればできる、と」  小原氏は旧河東町時代も重度心身障がい者医療費助成金の支給事務を行っていたというから、専門知識は豊富だったことになる。  市町村職員になるには採用試験に合格しなければならないが、競争率が高いため「職員=優秀」というイメージが漠然と定着している。しかし現実は、小原氏のような悪質な職員も存在すること、さらに言うと合併自治体特有の、職員の能力や資質の差が今回のような事件の契機になることも認識する必要がある。  市は今後、未回収となっている約8600万円の回収に努め、場合によっては民事訴訟も視野に入れるという。事件を受け、室井照平市長は給料を7カ月2分の1に減額し、現任期(3期目)の退職手当も2分の1に減額する方針。  市の責任を形で示したわけだが、市民からは市が注力しているデジタル田園都市国家構想を踏まえ「巨額公金詐取を見抜けなかった市に膨大な市民の個人情報を預けて大丈夫なのか」と心配する声が聞かれる。ICT導入を熱心に進める前にチェック機能がない、いわば〝ザル〟の組織を立て直す方が先決ではないのか。 この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

  • 悪評絶えない山本幸一郎【浪江町】副議長

    悪評絶えない山本幸一郎【浪江町】副議長

     本誌2022年8月号に掲載したのは「山本幸一郎浪江町副議長に怪文書 家業の建設会社急成長に疑惑の目」という記事。内容は編集部宛てに届いた山本氏への批判メールの内容を検証し、本人に直撃したもの。 議員の資質が問われる〝傍若無人ぶり〟  公職選挙法第92条の2では、自治体議員がその自治体から仕事を請け負う会社の役員に就くことを禁じている(兼業禁止)。そのため、山本氏は家業の建設会社・平成建設の役員から退いている。ただ、実際は副議長の立場を利用して多くの仕事を得ており、会社は急成長している。7月の町長選で新町長となった元県議・吉田栄光氏とは仲が良く、その威光もあって、ゼネコンの下請けに入っている――。以上がメールの概要だ。 実際、平成建設はここ数年業績を伸ばしている(別表参照)。震災・原発事故前の売上高は1億2000万円前後だったが、近年は数億円規模となっており、2020年12月期には売上高14億0400万円、当期純利益1億1600万円を計上。安藤・間が元請けの農地除染や被災建物解体工事に下請けとして入っているほか、町発注の農業用施設保全整備工事を元請けで受注していた。  山本氏はどう受け止めるのか。本人を直撃すると、「議員の立場を利用して入札情報を得たわけではなく、誰でも入手できる形で情報を得たに過ぎない」と主張した。 そのほかメールで指摘されていた点については、「大手ゼネコンから浪江町復興事業協同組合に打診があり、複数社で請け負っている」、「事情が分からない役場職員に対しては、怒ってしまうというかつい大きな声でやり取りしてしまう」、「町長選では吉田栄光氏の選対幹事長を務めた。町長選も意識して送信されたメールかもしれない」と話していた。 そのため、記事では、「町内で存在感を増す山本氏に対し、敵意を抱く人物がメールを送ったのではないか」と書いた。 ところが、その後、過去に取材したことのある複数の浪江町民や浜通りの建設業界関係者から「山本氏は役場職員だけでなく、同業者に対しても乱暴な言動を見せたり、強引に仕事を取ることがあるので嫌われている。何件もトラブルになっている」と指摘が入ったのだ。 ある町民はこう話す。 「いま、この地域には復興関連で大手ゼネコンをはじめ、他地区からさまざまな業者が入っているが、地域の実情を知らない人は、『議員』『副議長』という肩書きを持つ山本氏を信用して近づいてくる。山本氏(平成建設)はそれでパイプを作り、大手ゼネコンの復興事業の下請けに入って、かなりの仕事を得たのは間違いない。本人はそのつもりはないかもしれないが、『議員』『副議長』という肩書きがなければそれは叶わなかったでしょう。南相馬市内の飲み屋で、山本氏と大手ゼネコンの現地所長クラスが飲み歩いている姿を何度も見かけた。そういう意味では、『議員』『副議長』の肩書きを使って、平成建設の営業活動をしていると捉えられても仕方がないでしょうね」 同業者から多数の〝被害〟報告  一方、浜通りの建設業界関係者は次のように証言する。 「記事にあったように、山本氏は気性や口調が荒く、同業者に対しても義理を欠く対応を取ることがある。それでも、町内では相応の影響力があり、今回、親しい吉田栄光氏が町長になったことで、さらに力を持つことになった。皆、それぞれの仕事や生活があるから、不満に思っていてもなかなか言い出せないのです。だから、『政経東北』に告発した人に対しては、匿名とはいえ、『勇気あるな』『よく言ってくれた』という人が多かったのです」 平成建設の事務所  平成建設と過去に仕事をしたことがある複数の建設業界関係者に当たったところ、「詳細に記すと誰が言ったか分かり、仕事の上で不利益になることが予想されるため、記事で具体的に書かないでほしい」という人がほとんどだった。 ただ、彼らの話を統合すると、「この仕事を手伝ってほしい」とか、「あそこの現場に何人か人を出してほしい」ということがあり、正式に契約書を交わさずに仕事に入った後、トラブルに巻き込まれたケースが多々あったようだ。 「最初に言っていた条件と違うとか、最初に話していた以上の仕事をやらされることになったとか、そういった事例がよく知られている。近隣の土建業者はみな直接的に関わるのを避け、陰で愚痴を言い合っている」(建設業界関係者) 8月上旬には編集部宛てに新たな匿名投書も寄せられた。 《記事では山本氏が「父が半年前に倒れてからは私が金勘定を担当するようになった」と話していたが、実際はその前からすべての実権を握っている。仕事の打ち合わせから段取りなどすべて行っていた》 《山本氏は役場、業界関係者に対し、気に入らないことがあればすぐに声を荒げて恫喝し詰め寄ってくるので、関係者の間では山本氏に会わないようにするのが基本。会社に乗り込み暴言、恫喝等、日常的に行っている》 まるで〝被害者の会〟でも組織されたような勢いで本誌に寄せられる山本氏関連の情報の数々。要するに、「町内で存在感を増している山本氏」に敵意を抱いて怪文書メールが送られたわけではなく、もともと評判が悪い人物だったわけ。 山本氏は1968年4月生まれ。浪江町出身で、大堀小学校、浪江中学校、双葉高校卒。2007年に平成建設社長に就任。2009年、浪江町議選で初当選したのに伴い社長を退任。山本氏の妻・博美氏が社長を務め、山本氏は同社社員となっている。もっとも、山本氏が経営を取り仕切っているのは周知の事実だ。 山本氏の父親・幸男氏は山本牧場(同町末森地区=原発事故で帰還困難区域に指定)を経営するかたわら、同町議を8期務め、議長経験もある。 町内のある議員経験者は山本親子をこう評価する。 「幸男さんは3回も議長不信任案が出されるなど、議会のトラブルメーカー的存在として取り沙汰されることが多かった。幸一郎くんはそこまで目立ってはいないが、〝瞬間湯沸かし器〟で、納得できないことがあるとすぐ大声を出す。〝ヤンチャ〟な武勇伝も知られています」 山本氏が毎年参加している相馬野馬追の騎馬会や、大手ゼネコン事務所などでも大声を出し机をひっくり返して暴れていた――という目撃談も複数の町民から得られた。 「よく知られているのは、町内某企業の創立記念パーティーの二次会で、知人に暴力を振るった事件です。周囲に人がいる中だったのでウワサになり、『月刊タクティクス』に匿名で書かれました」(ある町民) 町議4期目。副議長を務めるベテラン議員だが、同僚町議からは「議員という立場をわきまえない言動が多くて敬遠されている」、「政治的行動を共にする同士はいない」という本音が聞かれる。 農地取得と競走馬施設の関係  そんな山本氏にとって強い味方となっているのが吉田栄光氏だ。子どものころから親密で、町長選では山本氏が吉田氏の選対幹事長を務めた。2人の関係を象徴すると言われているのが、同町末森・大堀地区で整備が計画されている競走馬施設(本誌9月号既報)だ。 民間事業者主体の計画とされているが、吉田氏が誘致に前向きだったとされており、「吉田町長の息子らが経営するランドビルドという会社が運営に携わるらしい」(前出・ある町民)と言われている。 一方、山本氏は帰還困難区域の末森地区や大堀地区などで営農意思がない農家から農地を取得している(本誌8月号既報)。そのため「吉田氏を通して施設が整備されることを知った山本氏が、周辺施設なども想定して土地を先行取得しているのだろう」という見方が広まっているのだ。 吉田氏に事実関係を確認したところ、「競走馬施設の計画が浮上しているのは事実であり、とても期待している。ただ具体的な段階ではないし、(吉田氏の子どもの会社は)運営に携わるというものではなく、お手伝いした程度」とコメントした。 ランドビルドの吉田学人氏にコメントを求めるとこう話した。 「私が乗馬を趣味としていることを知って、先方から相談を受けたのです。地域のためになる事業と感じたので、ほかの人を紹介するなどしてお手伝いしましたが、運営などに携わる予定はありません。そのようなウワサが出ているのは承知していましたが、事業主は全く別の方なので、どう対応すればいいか困惑していました」 山本氏に話があったのかどうかは判然としないが、競走馬施設の計画と山本氏の農地取得、タイミングが良すぎるのは事実だ。 10月下旬、再び山本氏を直撃し悪評が相次いでいることに対し、意見を聞いた。 まず大手ゼネコンの現地所長クラスと飲み歩いている点についてはこう話した。 「年に数回飲みに行く友達グループの中に、大手ゼネコンの現地所長経験者がいるのは事実。ただ、いまはそのゼネコンの下請けに入っているわけではないし、自分が直接的に酒席に招くことはない」 同業者とのトラブルに関しては、「そうしたトラブルになった記憶はない。特に思い当たらない」と語った。複数の業界関係者から話を聞いているが、事実ではないということか、それともより詳細に話せば記憶がよみがえることもあるのか。 騎馬会や大手ゼネコン事務所で大暴れした――という話に関しては次のように答えた。 「騎馬会の〝役付け〟をめぐり、声を荒げて異議を唱えるのはみんなやっていたこと。自分だけがことさら取り上げられるのは違和感がある。それに机をひっくり返して大暴れした記憶はない。誰かと勘違いしているのではないか」 「大手ゼネコンに関しては除染漏れの個所があったので、呼びつけて怒鳴ったことが何度かある。事務所で大暴れした記憶はない」 ウワサを否定する山本氏だが、町内某企業の創立記念パーティーの二次会で、知人に暴力を振るった点は「本当にあったことです」とあっさり認めた。 「酒癖の悪い知人を諫める目的で叩いたらもみ合いになり、周りに止められた。事件化はしなかったが、議員という立場にありながら手を出したことを反省しています」(山本氏) 競走馬施設用地の先行取得に関しては「同施設の計画が浮上したのは半年ほど前。うちの父親(幸男氏)が山本牧場付近の農地を取得し始めたのが3年前。計画に合わせて先行取得したわけではありません」とウワサを否定した。 一方で、「計画地は山麓線(県道35号いわき浪江線)から1㌔ほど山側に入っていったところになる見込み。実はそちらにもわずかですが私の所有地が含まれています」と自ら明かした。競走馬施設に合わせて土地を先行取得したわけではないが、偶然所有地の一部が計画地に入っていた――山本氏はそう主張したいようだ。そう言いつつも計画地はしっかり把握していたわけで、意識はしていたのではないか。 「酒飲みに出かけるのはやめる」 山本幸一郎氏(浪江町議会HPより)  一通り話を聞いた後、山本氏は「自分が認めていないウワサまで誌面で紹介されるのは違和感がある」と語った。それならば、本人にとって都合のいい情報しか記事には書けないことになる。真面目に活動している議員であれば、これほどヘンなウワサが流れることはないだろう。怪文書が送られてきたという記事に対し、同業者から「勇気あるな」「よく言ってくれた」という声が上がるのはよほどのことだ。 言葉の端々からいかにも相馬野馬追出場者らしい熱い性格で、仲間への面倒見のよさが伝わってくる。業界関係者もそのことは認める。しかし、それ以上に公人らしからぬ傍若無人ぶりが際立っている。 「議員なのに建設会社の社長のようにふるまい、ゼネコンの現地所長と堂々と飲み歩く。そのことを指摘されれば〝いまは仕事をしていないゼネコン〟とうそぶく。公禄をはむ〝公人〟という自覚に欠けているのではないか」(建設業界関係者) 山本氏に関する情報は現在進行形で寄せられている。一つは山本牧場の件だ。山本氏の父親・幸男氏が病気で倒れ、山本牧場において研究名目で飼われていた牛が殺処分された。それらの死体について、「家畜保健所に届け出せず牧場敷地内に埋めたのではないか」とウワサになった。 山本牧場  ただ、家畜保健所に確認したところ、原発事故により指定された旧警戒区域において、原発事故発生当時生きていた牛は殺処分して敷地内に埋設するよう方針が示されており、それに基づいていたので問題がないことが分かった。「家畜保健所担当者の立ち合いのもと、埋めました」(山本氏)。 このほか、下請け会社から出向している社員について、雇用の〝グレーさ〟を指摘する声もあった。 山本氏は記者に対し「酒飲みは好きだが、友達グループと酒飲みに出かけるのはやめる。前回記事を受けて、職員に対し大声を出すのもやめた」と語った。どこまで真剣かは分からないが、周囲からは自分が想像している以上に冷ややかな目で見られていることを意識すべきだ。 あわせて読みたい 【吉田栄光町長の側近】山本幸一郎【浪江町】副議長に怪文書

  • 「入札介入」を指摘された石田典男【会津若松市議】

    「入札介入」を指摘された石田典男【会津若松市議】

     会津若松市の石田典男議員(63)が窮地に立たされている。会津若松地方広域市町村圏整備組合(以下、整備組合と略)の新ごみ焼却施設整備・運営事業の入札をめぐり、2021年8月、整備組合議会が設置した100条委員会から「関係者への働きかけがあった」と断定されたのに続き、2022年10月には市政治倫理審査会から「政治倫理条例に違反する行為があった」と認定されたのだ。 当人は「法令に違反していない」と反論 会津若松市の石田典男議員  会津若松市の石田典男議員(63)が窮地に立たされている。会津若松地方広域市町村圏整備組合(以下、整備組合と略)の新ごみ焼却施設整備・運営事業の入札をめぐり、2021年8月、整備組合議会が設置した100条委員会から「関係者への働きかけがあった」と断定されたのに続き、2022年10月には市政治倫理審査会から「政治倫理条例に違反する行為があった」と認定されたのだ。  整備組合(管理者・室井照平会津若松市長)は会津若松市、磐梯町、猪苗代町、会津坂下町、湯川村、柳津町、三島町、金山町、昭和村、会津美里町で構成され、圏域人口は17万4500人(2022年4月現在)。構成市町村のごみ・し尿・廃棄物処理、水道用水供給、介護認定審査、消防に関する事業を行っている。 既存のごみ焼却施設は会津若松市神指町南四号で稼働中だが、1988年竣工と老朽化が著しいため、整備組合では隣接するし尿処理施設を解体し、その跡地に新ごみ焼却施設を建設する計画を立てた。 10月下旬、現地を訪ねると、し尿処理施設は既に取り壊され、鉄板が広く敷かれた敷地内では複数の重機やトラックが稼働するなど、大規模な土木工事が始まっていた。 計画によると、し尿処理施設の解体から土木工事、プラント工事、試運転までを含む期間は2021年8月から26年3月。その後、営業運転が始まる予定だが、この工事の入札に執拗に介入していたとされるのが同市の石田典男議員だった。石田議員は当時、整備組合議会の議員を務めていた。 石田議員は何をしたのか。 入札は総合評価方式制限付一般競争で行われ、共に地元業者をパートナーとする日立造船JVと川崎重工業JVが参加。2021年2~5月にかけて、整備組合が設置した「新ごみ焼却施設整備・運営事業事業者選定委員会」(以下、選定委員会と略)による審査を経て、同6月、川崎重工業JVが落札者に決まった。本契約は同8月に交わされ、契約金額は約252億円だった。 新ごみ焼却施設は現在、土木工事が行われている  この入札過程で石田議員が関係者に対し、入札手続きに関する質問や問い合わせを繰り返したり、落選した日立造船JVの担当者らと一緒に行動していたことなどが明らかになった。きっかけは、選定委員会の委員2名から「石田議員から特定企業に対する便宜や利益誘導等の要請、依頼等の働きかけに該当する恐れのある行為を受けた」とする報告書が整備組合管理者の室井市長に提出されたことだった。委員2名とは、当時の市建築住宅課長と市廃棄物対策課長である。 事態を問題視した整備組合は、事実関係を調査するため入札手続きを一時中断。その結果、落札者の決定が当初4月上旬の予定から6月上旬と2カ月遅れた。 調査では、次のような事実関係が明らかになっている。 ①石田議員は複数回にわたり選定委員の建築住宅課長を訪ね、非公開の選定委員会資料を閲覧し、地元業者の入札参加要件などを公表前に聞き出そうとした。 ②石田議員は建築住宅課長に、落札者の選定に当たっては災害対応、地元業者の活用、景観的調和などが重要事項になると指摘した。 ③石田議員は選定委員の廃棄物対策課長に、災害に強い施設や発電設備の設置場所などのポイントについて説明した。 ①の行為が問題なのは説明するまでもないが、②と③の行為は、そこに挙げられた要件を重視すると日立造船JVの方が優れていると石田議員が示唆した――と委員2人は受け止め、これを「石田議員による働きかけ」と捉えたわけ。ちなみに、非公開資料を石田議員に閲覧させた建築住宅課長は減給6カ月の懲戒処分を受け、市を退職している。 このほか石田議員は、日立造船や地元業者の担当者らを連れて市役所や市公園緑地協会を訪ねている。目的は同協会に、審査項目の一つになっている関係表明書(もしそのJVが落札したら、地元業者に協力を約束する文書)の提出を求めるためだった。応札業者と議員が一緒に行動すれば、周囲から疑いの目で見られるのは避けられないのに、躊躇しなかったのは驚く。 ただ、整備組合の調査では「不当な働きかけや関係法令に抵触するような事実は確認できず、入札の公平な執行を妨げるまでには至っていない」と結論付けられた。「グレーかもしれないが、クロとまでは言い切れない」というわけだ。 この結論に納得がいかなかった整備組合議会は2021年5月、地方自治法100条に基づく「新ごみ焼却施設整備・運営事業等に係る事務調査特別委員会」(以下、特別委員会と略)を設置。特別委員会は同5~8月にかけて計23回開かれ、石田議員に対する証人尋問を行ったり、前述・選定委員2名(この時、既に委員を辞めていた)や市建設部副部長、整備組合職員を参考人招致したり、関係者に資料提出を求めるなどした。 これらの調査結果をまとめたのが同8月17日付で公表された「新ごみ焼却施設整備・運営事業等に係る事務調査報告書」である。その結論部分は次のよう書かれている。 狙いは石田議員〝抹殺〟⁉  《今般の調査を通して、石田議員は環境センター等への電話や訪問等により、記録が残されているだけでも十数回にわたり問い合わせや意見の申出、資料の請求、又は資料の提示を行っている。特に、入札公告前の入札に関する情報については、公表できないと何度も回答しているにもかかわらず、繰り返し秘密情報を探り出そうとする執拗な行為に職員は圧力を感じた、というものである。 こうした執拗な問い合わせや確認は、議員の権限を越えた入札手続きへの介入であり、執行機関の権限を侵害するものである。 一方、会津若松市建設部副部長との間における緑地協会からの関心表明書に係るやり取りについても、同様に問い合わせや確認が繰り返されたことから、今般新たに働きかけと認定されたところであり、本事業に係る入札手続きの中断は、まさに石田議員による選定委員会委員2名と会津若松市職員1名への働きかけが発端となったものである。加えて、石田議員は、整備組合の入札に応募する民間企業であることを理解した上で、その営業活動に同行するなどした一体性を疑われる行為は、議員活動の範囲を逸脱していると言わざるを得ず、とりわけ石田議員は整備組合とA社(報告書には実名が表記されているが、ここでは伏せる)単独または関係する企業グループ等との間における契約案件について、整備組合の議会議員として審査や決議を行う立場にありながら、企業の立場で資料を持参の上、質問や相談を行う行為には疑念を抱かざるを得ない》(39頁) このように「石田議員による働きかけや疑わしい行為があった」と断定しているが、報告書にはこうも書かれている。 《すべての委員において特定の者に有利、または不利に働くような趣旨の発言は一切なされなかったこと、さらに石田議員による非公開資料の閲覧、石田議員によるB・C両委員(建築住宅課長と廃棄物対策課長。報告書には実名が表記されているが、ここでは伏せる)への接触等によって、本事業に係る(中略)意思決定について、何ら影響を受けていないことを委員一同で確認した》(35頁) 《官製談合防止法や刑法をはじめとする関係法令等に接触し公契約締結に係る妨害行為に該当し得るような行為の有無を検証したものの、これらの関係法令に抵触するような行為はなかった》(37頁) 石田議員の一連の行為は「落札者の決定に影響を及ぼしておらず、関係法令にも抵触していなかった」というのである。 整備組合による調査に続き、特別委員会による調査でも「グレーかもしれないが、クロとまでは言い切れない」と結論付けられたわけ。併せて特別委員会は「告発までには至らない」とも結論付けている。 シロかクロか、はっきりさせるために設置したはずの特別委員会でも結局グレーとしか判断されず、どこかモヤモヤ感が残る。ただ報告書を読んでいくと、前述・委員2人や市建設部副部長、整備組合職員らの証言から、ある種の覚悟を感じ取ることができる。その証言とは、 「石田議員から『これは重要だよね』『やっぱりこういう点で見なきゃいけないよね』といった問いかけがあり、自分としては誘導されているというイメージ、依頼があったという認識を持った」 「石田議員の市議会建設委員会での質疑等から経験上、市へのアプローチの仕方を見てきており、今回も同じ方法で行われていると思った」 「細かい中身まで質問されることもあり、何か意図があるんだなと思うような質問もあった」 「入札そのものに関する情報は公表できないと何度も回答しているにもかかわらず、電話や来庁等により秘密情報を探り出そうとする執拗な行為に圧力を感じた」 石田議員は以前から「市発注の公共工事に首を突っ込み過ぎる」と評判で、記者も市職員から度々「石田議員の行為は迷惑」と聞かされていた。要するに、疑惑が取り沙汰されるのは今回が初めてではないのだ。 そうした中で、職員たちが石田議員を一斉に〝告発〟したのは「これ以上、入札への介入は許さない」という意思の表れだったのではないか。言い換えると、この際、職員たちは石田議員を〝抹殺〟しようとした、ということかもしれない。 不満露わにする石田議員  石田議員は現在6期目。前回(2019年8月)の市議選(定数28)では1954票を獲得し、5位当選を果たしている。上位当選で6期も務めているのだから、有権者の支持も高いのだろう。 もっとも、前述・特別委員会の報告書では地元の特定業者との近しい関係が指摘され、業者・業界による一定の支持が上位当選につながっている可能性もある。すなわち、石田議員は業者・業界の〝代理人〟としての役割を果たしつつ議員報酬(月額約45万円)を得ており、業者・業界は石田議員からもたらされる情報を有意義に活用している――という持ちつ持たれつの関係が浮かび上がってくる。 2021年8月、特別委員会の報告書が公表された後、整備組合議会は石田議員に対し、整備組合議会議員の辞職勧告を決議したが、石田議員は辞職しなかった。 一方、石田議員の一連の行為は関係法令には抵触していなかったが、市議会議員政治倫理条例に違反している可能性があるとして同11月、清川雅史議長に審査請求書が出されたことから、清川議長は同12月、第三者機関の「会津若松市政治倫理審査会」を設置した。同審査会は計8回開かれ、2022年10月4日、審査結果をまとめた「報告書」を清川議長に提出した。 報告書に書かれていた結論は「公正な職務の執行を妨げたり、妨げるような働きかけを禁じた同条例第4条第1項第5号に違反する」というものだった。併せて審査会は、清川議長に対しても▽本事案について議員に周知し、政治倫理基準の順守を徹底すること、▽政治倫理基準に反する活動に対し、条例の趣旨に則り議員がその職責を果たすことを求める、という意見を文書で伝えた。 清川議長に報告書と自身への意見について見解を尋ねると、次のようにコメントした。 「審査会の報告書と意見を重く受け止めている。現在、会派代表者会議で議会としての対応を検討中で、現時点で議長としての見解を述べることは差し控えたい」 この報告書を受け、石田議員は同18日、清川議長に「弁明書」を提出した。そこには《当該職員は何ら影響を受けずに活動できたものと思われる》《現に職務の公正性が害された事実はない》《報告書は「その他公正な職務を妨げる行為」がどのような行為を指すのか触れていない》と反論が綴られていたものの、《政治倫理条例第19条第1項は審査会の報告を尊重するものと定めており、議員としてこれに異はない》と同審査会の結論を受け入れる姿勢を示した。 石田議員の条例違反が明確になったことで、同市議会では今後、石田議員に対する処分が検討される。この稿を書いている10月下旬の段階では辞職勧告が決議されるという見方が出ているが、会派によっては厳重注意でいいのではないかという声もあり、温度差があるようだ。いずれにしても、11月中に開かれる予定の臨時会で最終的な処分が科される見通しである。 石田議員に電話で話を聞くと、弁明書では「異はない」としていたのに次々と反論が飛び出した。 「応札業者と一緒に行動したことは軽率だったと反省している。しかし、整備組合の調査も特別委員会の報告書も、私が法令違反を犯したとは結論付けておらず、告発も見送っている。私からすれば問題アリと言うなら告発してもらった方が、どういう法令違反があったかハッキリして、かえって有り難かった」 「審査会の報告書ももちろん重く受け止める。ただ、こちらも『その他公正な職務を妨げる行為』と抽象的な結論にとどまっている。私は議員として巨額の税金が投じられる公共工事について必要な調査を行っただけ。公の事業に関する情報を請求しただけなのに、なぜ悪く言われるのか。こちらが請求しても出せないと拒否するのは、隠し事があるからではないかと疑ってしまう。私は以前から公共工事について必要と思ったことは詳細に調査してきたし、勉強もしてきた。今回の入札も専門的知見から見るべき部分がたくさんあり、職員とは『それって必要なことだよね』と確認の意味を込めて話しただけ。私にとってはそれが『常識的なやり方』でもある。しかし、他の議員には私の『常識』が通じない。そういうことをやっている議員は他にいない、というわけです」 「自分が100%悪いことをしたとは思っていないが、専門委員や職員にはもしかするとハラスメントと受け取られかねない言動があったのかもしれない。今後は特別委員会や審査会の報告書を丹念に読み込み、自分の行為が法令や条例に違反するのか・しないのか、弁護士と相談しながら結論を導き出したい。そうすることで特別委員会や審査会の調査が正しかったのか、処分を科された自分が納得できる結論だったのかを精査していきたい」 石田議員によると、2021年8月に辞職勧告を決議された整備組合議会議員は、2022年10月に辞職したという。 同僚から冷ややかな声  法令違反はなく、自身の「常識」に基づく行為だったことを何度も強調した石田議員。しかし、同僚議員の見方は冷ややかだ。 「石田議員は弁明書で『他に資料請求をした議員がいないから〝特異な行動〟と言われるが、他に関心を持った議員が存在しなかっただけ』と述べているが、私から言わせると公共工事にそこまで関心を持つこと自体が不思議だ。あそこまで首を突っ込めば『業者に頼まれたから』と疑われてもやむを得ない。石田議員は『自分の行為は入札結果には影響していない』とも言っているが、そういう行為をしたことが問題なのであって、それに対する反省もない」 そのうえで、同僚議員は石田議員の今後を次のように展望する。 「市議会で辞職勧告を決議しても辞めないでしょう。議員は2023年8月に任期満了を迎え、市議選が行われる。石田議員の今回の行為は議員として相応しくないと思うが、もし市議選に出馬して7選を果たしたら、それは有権者が判断したことなので他の議員は従うしかない」 一定の結論が出されたことで、石田議員が入札に介入することは今後難しくなるだろう。いわば主だった活動が制限される中、議員を続ける意義を見いだせるのかが問われる。もっとも、それが主だった活動というのは、議員としていかがなものかと思ってしまうが……。

  • 鏡石町議会】不適切言動の責任を問われる渡辺定己元議員

    【鏡石町議会】不適切言動の責任を問われる渡辺定己元議員

     前号に「鏡石町 気になるアノ話 渡辺元議員に対する政倫審設置へ」という記事を掲載した。その後、動きがあったので続報をお届けする。 擁護派議員は政倫審委員に選任されず  この問題を取り上げた発端は8月下旬に「鏡石町の渡辺定己議員が辞職した」との情報が寄せられたことだった。9月号の締め切り直前だったため、ひとまずその時点で分かったことをミニ記事(9月号情報ファインダー)で取り上げた。内容は次の通り。× × × 鏡石町の渡辺定己議員が辞職した。町議会事務局に確認したところ、「8月23日付で辞職願が受理された」という。辞職理由は「健康上の問題」とのこと。会期中ではなかったため、古川文雄議長に辞職願が提出され、古川議長がそれを許可したという流れになる。 渡辺氏は通算5期議員を務め、その間、議長も務めた。同町議会では〝長老〟的な存在だった。 そんな渡辺氏の辞職について、ある関係者はこう話す。 「議員7人の連名で、渡辺議員に対する政治倫理審査請求書が出され、政治倫理審査会での審査を待たずに辞職したのです」 政治倫理審査会(政倫審)は文字通り、政治家の倫理(政治的・道義的責任)を審査する機関で、条例で定められている。 渡辺議員が政倫審にかけられた詳しい理由は分かっていないが、「同僚の女性議員に対して、不適切な言動があった」(前出の関係者)とか。いずれにしても、議員定数12のうち、半数を超える7人の連名で政倫審請求書が出されたのだから余程のことと言える。 「逆に、渡辺氏は『名誉毀損だ』と言っているようで、場合によっては訴訟も辞さない構えだとか」(同) この件については、詳細が分かればあらためて報じることにする。   ×  ×  ×  × 10月号にこの続報を掲載した。 政治倫理審査請求書提出の代表者は込山靖子議員(56)。現職議員の死去に伴い、今年5月の町長選と同時日程で行われた町議補選(欠員2)に立候補し初当選した。同町唯一の女性議員で、渡辺議員から不適切な言動を受けたと訴えた本人だ。 込山議員は議会の非公開の場で、全16項目に及ぶ渡辺議員から受けた不適切な言動を訴え、8月19日付で政倫審請求書を提出したという。渡辺議員はその4日後(同23日付)に辞職したことになる。 込山議員が訴えた内容だが、本誌は本人から、「選挙期間中、あるいは当選後の議員活動の中で、渡辺議員からこんなことを言われた」、「こんなことをされた」といった話を聞いている。とはいえ、その一部は、同僚議員や町職員らが見ている場でのことだったが、ほとんどは2人のときか、2人に加えて渡辺議員に有利な証言をするであろう人しかいないときのことだった。客観的な証拠があるわけではなく、言った・言わないの話になる可能性があるため、詳細は触れなかった。 そのほか、前号記事では、県町村議会議長会に「政倫審請求書提出後に辞職した議員について、審査することは可能か」と問い合わせたところ、「可能」と返答があり、9月16日に開かれた議会全員協議会で、古川議長からその旨の報告があったことに加え、「今後、政倫審を立ち上げて、審査することになる」との関係者コメントを紹介した。 6人の政倫審委員  ただ、その後は具体的な動きがなかったことから、10月3日、込山議員を含む3人の議員で全員協議会開催を要請、同13日に開催された。 その際、本誌に伝わっていた情報では、「渡辺元議員を擁護したい議員らで政倫審委員を固めようとしている」ということだった。 結局、その日は委員選任には至らず、同21日に開かれた全員協議会でようやく「大枠」が決まった。委員は議会から3人、民間人3人の計6人で、議会からは畑幸一議員(副議長)、大河原正雄議員、角田真美議員の3人。このうち畑議員と大河原議員は政治倫理審査請求書に賛同した7人のうちの2人、角田議員は中立の立場という。 「渡辺元議員は『鏡政会』という議会会派のリーダー的存在で、古川議長などがそのメンバーです。言わば、古川議長は渡辺元議員に議長にしてもらった立場。ですから、古川議長は今回の件についても、渡辺元議員を擁護しようという姿勢がアリアリでした。ただ、10月13日の全員協議会で、『鏡石町議会は近隣自治体議会から低レベルだと揶揄されるような状況。いまこそ、きちんとした形で政倫審を行うべき』といった指摘があり、それが古川議長にも響いたのではないでしょうか。その結果、渡辺元議員を擁護しようという形ではなく、しっかり審査できるようなメンバー構成になった、と」(ある議員) 民間委員3人はいずれも女性を入れたい意向で、弁護士1人と、町内の女性団体の役員や町第三者委員経験者などを軸に選定する方針だが、まだ具体的には決まっていない。 ともかく、当初、本誌に伝わっていた「政倫審委員を渡辺元議員擁護派で固めようとしている」といった形にはならず、きちんと審査されそうなのは進展と言えそうだ。 ところで、前号記事で「今後、政倫審が設置され……」と書いたが、条例文の解釈では、要件を満たした状況で、議長に政倫審請求書を提出し、それが受理された段階で「政倫審は立ち上がっている」ということになるようだ。 つまり、8月19日に政倫審請求書を提出した時点で、政倫審は発足している、と。その4日後に渡辺議員が辞職したわけだが、「町議会事務局が県町村議会議長会の顧問弁護士に確認したところ、審査を行うことは可能で渡辺元議員への招致要請もできるが、強制はできないとのことでした」(前出の議員)という。 民間委員は10月末に開催される全員協議会で決定するようで、本誌は締め切りの関係上、その成り行きを確認できていない。ただ、いずれにしても民間委員の選任が行われ、込山議員が訴えた「渡辺議員から受けた不適切な言動」の真偽や、倫理に反するかどうかが明らかにされていくことになろう。 最後に前出の議員はこう話した。 「今回の件は、渡辺元議員を罰することが目的ではありません。議会のあり方、町民から付託された議員はどうあるべきか、ということを明確にするのが目的で、そのためにも政倫審ではしっかりと審査していかなければならないと思います」 あわせて読みたい 【鏡石町】政治倫理審査後も続く議会の騒動

  • 「尊敬する人」に箭内道彦氏を挙げた内堀知事

    「尊敬する人」に箭内道彦氏を挙げた内堀知事

     この原稿は知事選投票日(2022年10月30日)の3日前に書いている。3期目を目指す現職の内堀雅雄氏(58)と新人の草野芳明氏(66)が立候補しているが、2022年11月号が書店に並ぶころには内堀氏が3選を果たしているのは間違いないだろう。 それはともかく知事選告示日(同13日)の2日後、福島民報に「立候補者の素顔」という記事が載った。内堀・草野両氏の人となりが紹介されているが、「尊敬する人」という質問に内堀氏が「箭内道彦」と答えたことが密かな注目を集めた。 箭内道彦氏(58)は郡山市出身。安積高校、東京芸術大学を経て博報堂に入社。その後独立し、フリーペーパーの刊行、番組制作、イベント開催、バンド活動など幅広い分野で活躍している。携わった広告、ロゴマーク、グラフィック、ミュージックビデオ等々は数知れず、まさに日本を代表するクリエイティブディレクター(CD)と言っても過言ではない。 そんな箭内氏と内堀氏の接点は震災前、箭内氏が地元紙の広告に書いた「207万人の天才。」というコピーに興味を持った内堀氏が、箭内氏のライブの楽屋を訪ねたことがきっかけだった。当時副知事だった内堀氏の来訪を「最初は警戒した」という箭内氏だが、話し始めると福島に対する思いは共通する部分が多く、年齢もちょうど同じだったため、ふたりはすぐに意気投合したという。 その数年後、震災と原発事故が起こり、当時ふたりで話していた「福島県民は伝えるのが下手」、すなわちコミュニケーションや発信力のあり方が問われるようになった。地震・津波・放射能汚染といった直接的被害だけではなく風評・差別・分断といった間接的被害など、さまざまな困難に直面する福島の姿を広く知ってもらうには「伝わる力を持った言葉」を操る箭内氏の力が必要――そう考えた内堀氏が箭内氏を〝三顧の礼〟で迎え入れ、全国の自治体の先駆けとなる「福島県クリエイティブディレクター」が誕生したのである。 福島県CD就任後、箭内氏は県の広報活動に積極的に関わり、2022年8月からは県が創設したクリエイター育成道場「誇心館」の館長として地元クリエイターの育成・指導もスタートさせた。 箭内道彦氏(クリエイター育成道場「誇心館」HPより)  とはいえ箭内氏をめぐっては、県の広報活動に〝関わり過ぎている〟として、地元CDや広告代理店からさまざまな弊害が指摘されるようになっている。その詳細は本誌2021年3月号と2022年9月号で触れているので割愛するが、内堀氏が尊敬する人に箭内氏を挙げたことで、弊害がますます大きくなる懸念が持ち上がっているのだ。 あわせて読みたい 箭内道彦氏の〝功罪〟 【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ  「内堀氏は、箭内氏がやることは何でも素晴らしいと言う。しかし中には『これってどうなの?』と首を傾げる広報もある。県庁内からもそういう声が少しずつ漏れている。そうした中で、内堀氏が箭内氏を尊敬していると言ってしまったら『いくらなんでも、これはない』という広報まで認められてしまう」(ある広告代理店の営業マン) 要するに、内堀氏の「尊敬している発言」は「箭内氏の今後の活動は何でもOK」とお墨付きを与えたのと同じ、というわけだ。 8年前、内堀氏が初めて知事選に立候補した時、尊敬する人に挙げていたのは自身が副知事として仕えた佐藤雄平元知事だった。それが箭内氏に代わった理由はよく分からないが「内堀氏はヘビメタ好きを公言するなど文化に強い関心を示すことがあるが、実は文化コンプレックスを持っているのかもしれない。だから文化の最先端を行く箭内氏に一種の憧れを感じている、と」(同)。 知事に尊敬された箭内氏が、どういう心境なのか興味深い。

  • 難航が予想される衆院選新4区の候補者選び

    難航が予想される衆院選新4区の候補者選び

     政府は10月21日、いわゆる「1票の格差」是正に向けて、衆議院議員選挙の小選挙区定数を「10増10減」することなどを盛り込んだ公職選挙法改正案を閣議決定した。12月10日に会期末を迎える今国会で成立する見通し。成立後、1カ月の周知期間を経て施行され、次の衆院選から新たな区割りが適用される。 新たな選挙区割りでは、福島県の選挙区は現行の5から4に減る。 新1区=福島市、二本松市、伊達市、本宮市、伊達郡、安達郡。 新2区=郡山市、須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡。 新3区=白河市、会津若松市、喜多方市、西白河郡、東白川郡、南会津郡、耶麻郡、河沼郡、大沼郡。 新4区=いわき市、相馬市、南相馬市、双葉郡、相馬郡。 衆議院小選挙区の区割り改定等について(福島県HP)  地方振興局の管轄エリアごとに再編・切り貼りした格好となった。 本県関係の衆議院議員は小選挙区、比例区併せて9議員。選挙区が1つ減ればその分当選できない人が出るわけで、各議員にとっては死活問題だろう。 本誌10月号では、現3区を地盤とする玄葉光一郎氏(58、立民、10期)が新2区への転出をうかがって、地盤作りに努めている様子をリポートした。それ以外の選挙区に関しても、現職議員がこれまでの地盤以外での動きを活発化させているという話が漏れ聞こえてくる。報道によると、公職選挙法改正案が成立次第、自民党などが候補者調整に速やかに入る方針とのことなので、今後、陣容が固まるものとみられる。 今後の動向という意味で気になるのは新4区だろう。 「震災・原発事故の影響を受けた浜通り」として一体感があるように見えるが、福島第一原発による避難指示の有無や被害状況は自治体によって違う。 政治的な背景という意味でも現1区の相馬市・南相馬市と、現5区のいわき市では全く異なる。 現5区選出の衆議院議員はいわき市を地盤とする吉野正芳氏(74、自民、8期)。2020年に脳梗塞を患って以降、骨折したことなどもあって、健康不安説が浮上した(2020年12月号参照)。現在は回復しているが、年齢を考えると次も立候補するのは難しいのではないかと囁かれている。 仮に吉野氏が引退したら誰が後釜に入るのか。かつて吉野氏とコスタリカを組むなどしのぎを削った元衆院議員・坂本剛二氏の息子で、同党県議の坂本竜太郎氏が立候補に強い意欲を見せているが、まだ正式には方針が固まっていない様子。大票田であるいわき市ではこれまで複数の国会議員を誕生させてきた経緯があり、自民党いわき総支部などを中心に候補者選定が進むと思われる。 ただ、浪江町が福島国際研究教育機構の整備地に選ばれ、相双地域の復興が進む中で、その意向も無視できなくなるだろう。 福島県内の選挙事情に詳しい東北大学大学院情報科学研究科(政治学)の河村和徳准教授は次のように語る。 「自民党いわき総支部の中で“後継者争い”が進む中、相双地方の意向も加わってくれば、さらに混乱模様となることが予想されます」 新4区は震災・原発事故被災地の復興まちづくり、福島第一原発・福島第二原発の廃炉推進、県外最終処分を予定している中間貯蔵施設への対応、福島イノベーション・コースト構想の進展など多くの課題を抱えている。国や県に要望する機会が増えると思われるが、そうした役割を果たす国会議員をどこから選出するのか。吉野氏の意向も含めて、今後の動向を注視したい。 あわせて読みたい 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員 【福島県】自民・新3区支部長をめぐる綱引き 【福島県】衆議院区割り改定に翻弄される若手議員

  • いわき市議会「保守系最大会派」で分裂劇

    いわき市議会「保守系最大会派」で分裂劇

     2022年10月に入って、いわき市議会で大きな動きがあった。保守系の最大会派・志帥会幹事長の小野潤三氏(3期)、顧問の佐藤和美氏(6期)と小野邦弘氏(5期)がそれぞれ「一身上の都合」を理由に退会したのだ。小野潤三氏は1人会派・正論の会を結成。佐藤和美・小野邦弘両氏は保守系の第2会派・一誠会(旧名称=自民党一誠会)に合流した。 これに伴い、志帥会の所属議員数は12人から9人に減少。逆に一誠会の所属議員数は8人から10人に増え、最大会派となった。 小野潤三氏は「内田広之市長の右腕」を自称し、次期志帥会会長が有力視される存在だった。ただ、複数の経済人によると、以前から旧統一教会の信者であることを公言しており、安倍晋三元首相銃撃事件以降は出処進退の行方が注視されてきた。 8月末、岸田文雄首相が自民党議員に対し「旧統一教会とは今後一切の関わりを持たないようにする」との通達を出し、地方議員も対応を迫られる中、保守系会派を離脱して1人会派を立ち上げる道を選んだ。 話はこれで終わらなかった。いわき市内で配布されているローカルタブロイド紙・いわき経済報(10月6日付)速報によると、この問題をめぐり、毅然とした対応をしなかった志帥会会長の永山宏恵氏(4期)に対し、会派議員が不満を募らせていた。そうした中で、特に不満が強かった佐藤和美氏と小野邦弘氏が退会を表明したという。 志帥会には以前から分裂の兆候があった。2年前の副議長選では、志帥会として支持していた市議がいたのに、2議員が造反し白票を投じた。その結果、自民党一誠会(当時)などが支持していた佐藤和良氏(5期、創世会=第3会派)が選出された経緯がある。 いわき市議会  当時から佐藤和美・小野邦弘両氏は志帥会内の不満分子として知られていた。本誌2020年11月号では《誰が白票を投じたのかは分かっていないが、「目星は付いている」(同)とのこと。いまのところ会派を離脱する動きはないが、当面は〝爆弾〟を抱えた状態が続く》と書いた。その爆弾が2年後に爆発した格好だ。 いわき民報によると、一誠会は10月17日、市議会の代表者会議において、旧統一教会や関連団体とのかかわりについて、市民の不安を払拭する目的から、全議員を対象に調査し、市民に公表する案を提案した。だが、同19日の代表者会議で話し合いがまとまらず、調査・公表は先送りされることになった。 前出・佐藤和良氏は「『正副議長は任期2年』という慣例を作りたい」として10月25日付で副議長を辞職。同24日の市議会10月臨時会で、佐藤和良氏と同じ創世会の坂本稔氏(4期)が新副議長に選出された。有効投票数は37で、坂本氏は20票を獲得。無効票が17票だった。 一方、議長の大峯英之氏(4期、志帥会)が4年間の任期を全うする意思を示したことに反発の声が出て、不信任案提出を模索する動きもあったという。 一誠会が最大会派となり、一気に潮目が変わった様子がうかがえる。 同市では毎回のように〝保守分裂選挙〟となっている市長選の名残で、保守系会派が複数存在している。志帥会は内田広之市長(1期)に近い会派、一誠会は内田市長と距離を置き、清水敏男前市長や岩城光英前参院議員と近かった会派だ。保守系とはいえ、距離を置く会派が最大会派となったことで、内田氏の市政運営に多少なりとも影響が出るかもしれない。 今後別の理由で保守系会派が離合集散する可能性もあるが、当面は緊張状態が続きそうだ。

  • 【南相馬市】元市幹部が地元紙に「ウソの証言」

    【南相馬市】元市幹部が地元紙に「ウソの証言」

     2022年10月12日付の福島民友に震災・原発事故当時、原町区役所長だった元職員の発言や行動を紹介する記事が載った。しかし、その内容は〝真っ赤なウソ〟だった。 裏取り怠った記者に市OBが憤慨  記事は「緊急時避難準備区域 残る市民置いてはいけず」という見出しで、震災・原発事故当時、原町区役所長を務めていた鈴木好喜氏の発言や行動を紹介している。 どんなことが書かれていたか、一部抜粋する。 《南相馬市は、市役所が緊急時避難準備区域に入ったが、行政機能をそのまま残す道を選択した。「避難できない市民を置いてはいけない。(移転には)賛成しかねる」。当時、市原町区役所長だった鈴木好喜さん(71)は市役所機能の一部を残して職員は市内にとどまるよう桜井勝延市長に進言した》 《市執行部内で「行政機能も移転すべきではないか」との議論が持ち上がった。それでは、避難できず、残された市民のケアはどうするのか―。幹部会議で口火を切ったのは鈴木さんだった。「健康状態が悪い人や体が不自由な人は自宅に残らざるを得ない。行政機能を残すにしても支所、出張所として市役所に一定の機能を残すべきだ」と主張。市は最終的に、行政機能をとどめる方針を決定した》 福島第一原発に近い双葉郡の町村は、全住民を避難させるとともに行政機能を他の自治体に移転したが、南相馬市は小高区の全住民を中心に避難させたものの、市役所はその場(原町区)にとどめた。 同紙の記事によれば、当時の桜井市長がそれを決定したのは、原町区役所長だった鈴木氏の進言があったから、というわけ。 ウソに憤慨するOBたち  「とんでもないデタラメ。よくこんなウソが言えるなと、記事を読んで呆れ返った」 そう話すのはある市役所OB。OBたちの間では今、この記事に強く憤慨しているという。 「鈴木氏は原発事故後、真っ先に市外へと避難した。そんな人が『市役所機能を残せ』などと偉そうなことを言うはずがない。当時を知る職員が見たら即ウソとバレる内容を、よく堂々と話せたものです」(同) 前稿に登場した桜井氏にも確認してみた。 「記事をそのまま読むと、市役所機能が市内にとどまったのは鈴木氏の進言のおかげ、となるが、そうした事実はない」 桜井氏によると、鈴木氏は当時、県外の避難所を回ると称して市内にいなかったという。市民をバスなどで市外に避難させた後、桜井氏は秘書課職員と運転手の計3人で、避難者を受け入れてくれた自治体に挨拶回りをしたが、新潟県妙高市を訪ねた際、現地のビジネスホテルに着くと駐車場に見覚えのある車が停まっていたという。当時、鈴木氏が乗っていた車だった。 すると、翌日の朝食会場で鈴木氏に遭遇。桜井氏が「こんなところで何をしているのか」と尋ねると、鈴木氏は「避難者を受け入れてくれた自治体を訪ね歩いて、お礼を言っている」と説明した。しかし、各地の首長に直接会って挨拶していた桜井氏に対し、鈴木氏はどこの自治体の誰に会っていたか定かでなく、市役所が公務として命じたこともなければ、鈴木氏から復命書が提出されたわけでもなかった。 「私が市役所機能を市内にとどめると決めたのは3月20日です。あの時、私の決定に賛同する幹部職員はほとんどいなかったが、そもそも鈴木氏は避難してその場にすらいなかったので、彼から進言を受けることはあり得ない」(桜井氏) では、鈴木氏はなぜ福島民友にあんなウソをついたのか。真意を確かめるため、原町区内にある鈴木氏の自宅に文書で質問を送ったが、本稿締め切りまでに返答はなかった。 市役所OBや桜井氏は、鈴木氏だけでなく、記事を掲載した同紙にも強く憤っている。確認すればすぐにウソと分かる発言を、なぜ真に受けたのか。桜井氏も同紙に「きちんと裏取りしたのか」と抗議したが、記事執筆から掲載までの経緯は説明がなかったという。 同紙に事実関係を尋ねると、担当者は次のようにコメントした。 「記事は取材に基づき書かれたものとご理解ください」 ウソをついた鈴木氏に問題の根源があることは言うまでもないが、それをそのまま記事にして市民に誤解を与えた同紙も反省すべきだろう。 あわせて読みたい 【南相馬市】桜井元市長が「市議選出馬」のワケ 選挙を経て市政監視機能が復活した南相馬市議会

  • 【南相馬市】桜井元市長が「市議選出馬」のワケ

    【南相馬市】桜井元市長が「市議選出馬」のワケ

     任期満了に伴う南相馬市議選に元市長の桜井勝延氏(66)が立候補を表明した。もともと市議を務めていたが、市長選で二度落選後、市議に出戻るのは極めて異例だ。 低迷する投票率のアップを目指す 南相馬市議会(HPより)  市議選(定数22)は2022年11月13日告示、同20日投開票で行われ、同年10月下旬現在25人程度が立候補する模様だ。 立候補予定者説明会は同年10月4日に開かれ、現職19人、新人2人が出席したが、この時、桜井氏の陣営からは誰も出席しなかった。ただ、同年9月下旬には立候補を決意し、後援会長などに挨拶を済ませていた。 当の桜井氏がこう話す。 「2022年1月の市長選に落選後、多くの方から『市議選に挑むべきだ』という声をかけてもらったが、親族の入院などが重なり選挙のことを考える余裕がなかった。しかし、お盆過ぎに退院し、ようやく落ち着いたタイミングで再度熱心に声をかけてもらい、出馬を決意した」(以下、断りがない限りコメントは桜井氏) 旧原町市議を1期、南相馬市議を2期務め、2010年から市長を2期務めた桜井氏。8年間の任期中は大半を震災・原発事故対応に費やしたが、18、22年の市長選で現市長の門馬和夫氏(68)に敗れた。 その間には国政への誘いもあったが、桜井氏は見向きもせず「脱原発をめざす首長会議」世話人として各地の現・元首長たちと脱原発に向けた活動をするなど、一貫して地方政治の立場から国に物申してきた。 「市長選は落選したが、2018年は1万6293票、22年は1万5625票を投じてもらった。ここで市政を投げ出し国政に転じれば、市民から『市民を見放した』『市長をステップに国会議員になりたかっただけ』と言われてしまう。市民に、市政に対する諦めの気持ちを抱かせないためにも地方政治にこだわりたいと思った」 とはいえ、たとえ僅差でも門馬氏に連敗したのは事実。市内には熱烈な支持者が大勢いるが、それと同じくらい〝反桜井〟の有権者もいる。二度目の落選後に「もう応援はこりごり」と離れた元支持者もいる。そういった人たちからは、今回の桜井氏の決断に「市長がダメだから市議なんて虫が良すぎる」「市議を踏み台に、また市長選に挑むつもりなんだろう」「どうせ報酬目当て」と辛辣な声も聞かれる。 一方で、桜井氏のもとには未だに市民から多くの相談が寄せられている。市立総合病院の診療・入院に関すること、災害対応に関すること、子育て支援に関すること――等々、市民が日常生活に困っている姿を日々目の当たりにしている。 市職員からも現市政を憂うメールが頻繁に届く。中堅・若手職員からは「今の職場環境では『市民のために働く』というモチベーションが保てない」と早期退職を示唆する声も寄せられている。 「市政に関心持ってほしい」  「市議は22人もいるのに、市民や職員のことを分かっていない。市議会もチェック機能が働かず、執行部の追認機関と化している。これでは市民の暮らしの改善につながらない」 ただ、市長選で1万票以上獲得している桜井氏が、1000票あれば悠々と当選できる市議選で落選する姿は想像できない。市民の関心は、桜井氏が何票獲得するかだろう。 ちなみに前回(2018年11月18日投開票)の市議選で、1位当選の得票数は2658票。しかし、桜井氏の口からは票数に関する話題は一切出てこない。桜井氏が強く意識するのは投票率だ。 「市議選出馬を決めた後、市内を挨拶回りしたら『えっ、市議選があるの?』『投票日はいつ?』と言う人がとても多かった」 要するに、市民は市議会(市議)に関心がないことを知り、桜井氏はショックを受けた。 「なぜ関心がないのか。それは市議会・議員に魅力がないからです。例えば、その商品に魅力があれば客は競うように買い求めるが、魅力がなければ見向きもしない。今の市議会・市議はそれと同じで、市民にとって魅力がないのでしょう。だから市議選の投票率も上がらない」 市長選と市議選の投票率を比べると、有権者の関心の違いがよく分かる。(日付は投開票日、人数は当日有権者数) 2014年 市長選(1月19日)―62・82%、5万3943人 市議選(11月16日)―59・10%、5万3828人 2018年 市長選(1月21日)―62・39%、5万2933人 市議選(11月18日)―55・91%、5万2376人 2022年 市長選(1月23日)―63・75%、5万0972人 市議選の投票率は下がっているが、2018年と22年の市長選は同じ顔ぶれでも1・36㌽上がっている。それだけ市民の関心が高かったということだろう。 「私は市長時代も落選後も市議選で応援マイクを握った。しかし、その候補者たちの得票数を合わせても私の市長選の得票数には及ばない。市議選も市長選と同じくらい関心を集め、候補者に魅力があればもっと得票してもいいのにそうならないのは、市民が投票に行かないか、票が別の人に逃げているかのどちらか。立候補予定者はこうした有権者の投票行動に危機感を持つべきです」 市議の多くは「桜井氏が出れば自分の票が減る」と警戒感を露わにしている。しかし、その市議が普段から支持を得ていれば、たとえ桜井氏が立候補しても、有権者はその市議に投票するはず。要するに、その市議がこれまでどういう活動をして、有権者がそれをどう評価しているかが今回の得票数に表れる、と。 「もちろん、選挙後の私自身の活動も問われる。意識しなければならないのは、市長選も市議選も投票に行かない『市政に無関心な市民』です。そういう人たちに、いかに市政に関心を持ってもらうか。国政や県政と比べて市政にできることは限られるかもしれないが、市民に最も身近だからこそ、きちんとやらなければ市民生活に及ぼす影響は大きいのです。市民には、とにかく市政に関心を持ってほしい。そのきっかけとなれるように今は市議選に全力を注ぎ、投票率アップにつなげたい」 若い世代の低投票率や若手候補者の少なさが課題となる中、市議と市長を経験し、66歳の桜井氏が立候補するのは「時代に逆行している」という批判もある。批判を跳ね返すには、投票率アップや市政に無関心な市民を引き付けるなど、さまざまな難題をクリアするほかない。 【結果】第5回南相馬市議会議員一般選挙(2022(令和4)年11月20日執行) 第5回南相馬市議会議員一般選挙 選挙結果 あわせて読みたい 【南相馬市】元市幹部が地元紙に「ウソの証言」 選挙を経て市政監視機能が復活した南相馬市議会

  • 【吉田栄光町長の側近】山本幸一郎【浪江町】副議長に怪文書

    【吉田栄光町長の側近】山本幸一郎【浪江町】副議長に怪文書

     2022年6月中旬、浪江町副議長の山本幸一郎氏(54、4期)に関する疑惑を綴ったメールが本誌編集部に寄せられた。山本氏が町議の立場を利用して、家業の建設会社の仕事を得ている――とする内容。山本氏に真偽のほどを聞いてみた。 家業の建設会社〝急成長〟に疑惑の目 怪文書メール  メールは匿名で送られてきた。受信日時は6月18日。ポイントは以下のようなもの。  〇浪江町議会副議長の山本幸一郎氏は、妻が平成建設の社長を務めているが、本人がいまも実質的な社長業を行っている。 〇町役場内で議員の立場を利用し、町工事や復興事業関係の入札情報を入手して仕事を得ている。 〇大手ゼネコンの下請に無理やり入り、好条件の請負金をせしめる行為が目立っている。 〇業界の鼻つまみ者だが、副議長であることや、浪江町長選で当選確実の吉田栄光氏(※編集部注・7月10日投開票の同町長選で6339票を獲得して初当選した)の威光もあり、大手ゼネコンのJVなどは仕方なく下請に入れている。 〇役場内で職員を恫喝し、次長課長クラスには必要な情報を出すようすり寄っている。復興事業で突然成金になった輩が「もっと金儲けさせろ」と守銭奴のごとく迫っているようで気持ち悪さがある。 〇浪江町にはいかがわしい議員がほかにもいる。町の政治をクリーンで適切なものとするため、こうした勘違い議員をただしていく必要があるのではないか。 公職選挙法第92条の2では、自治体議員がその自治体から仕事を請け負う会社の役員に就くことを禁じている(兼業禁止)。山本氏は家業の建設会社の役員から退いたものの、実際は副議長の立場を利用して多くの仕事を得ており、会社は急成長を遂げている――と指摘しているわけ。  山本氏は1968年4月生まれ。双葉高卒。2007年に平成建設社長に就任。2009年、浪江町議選に初当選したのに伴い社長を退任し、現在は同社社員として勤務。2021年4月の改選で4選を果たし、副議長を務める。山本氏の父・幸男氏も、同町議を8期務め、議長経験もある。 平成建設は1989年3月設立。資本金1000万円。従業員数24人(役員4人含む)。もともと牧場を経営していた幸男氏が立ち上げた(初代社長は幸男氏夫人のシヅ子氏)。所在地は、同町末森(すえのもり)地区だったが、原発事故で帰還困難区域に指定されたため、拠点を南相馬市原町区に移し、2018年に同町小野田地区に再移転した。 大手ゼネコンの下請として浪江町内の戸建て住宅建築や建物の解体工事、除染作業を手掛けているほか、一般顧客の整地工事や個人住宅の造成工事なども請け負っている。 役員は、代表取締役社長が山本氏の妻・山本博美氏。取締役が山本シヅ子氏、山本正幸氏、監査役が川村香代子氏。 民間信用調査機関によると、業績は別表の通り。震災・原発事故前の売上高は1億2000万円前後だったが、近年は数億円規模になり、2020年12月期には1億円超の当期純利益を計上した。  メールによると、町議の立場を利用して浪江町発注工事や復興事業に関係する入札情報を入手し、大手ゼネコンの下請に入っている、という。 相双建設事務所で同社の工事経歴書を閲覧したところ、業績が一気にアップした2019年から2021年にかけて、確かに大手ゼネコンが手掛ける被災建物の解体撤去工事や除染工事の下請に入っていた。 例えば2021年は安藤・間が元請の農地除染(請負金3億2470万円)と被災建物解体工事(同4500万円)を受注していた。 また、町発注工事に関しても、2020年に農業用施設保全整備(同1億2200万円)、2021年に小野田取水場造成工事(同1億7800万円)を元請で受注していた。 町議の立場を利用したかどうかは分からないが、復興事業や町発注工事を受注していたのは確かなようだ。 「業界の鼻つまみ者」、「大手ゼネコンのJVなどは仕方なく下請に入れている」という点が事実かどうかは確認できなかったが、「役場内で職員を恫喝し、次長課長クラスには必要な情報を出すようすり寄っている」という記述に関しては、町役場に出入りしている人物が次のように証言した。 「役場内で職員に大声で質問しているところを何度も見かけた。別のフロアにいてもその声が聞こえてきたほど。少なくとも第三者からは怒って話しているように見えました」 町内の事情通がこう解説する。 「〝導火線〟が短いタイプで、担当者などの回答が要領を得ないと大声になり、言葉遣いもすぐ荒くなる。いまの役場職員は震災・原発事故後に入庁したり、国・他市町村から応援で入っている人が大半で、地域事情をよく理解していないことが多いので、そうなりやすいのかもしれません。議会でも執行部とのやり取りの中で言葉遣いが荒くなり、何度か注意を受けていると聞いた。本人は自覚がないかもしれませんが、周りの受け止め方は違う」 いささか厳しい批判メールについて、当の本人はどう受け止めるのか。7月下旬、山本氏の自宅敷地内にある同社を訪ね、直接話を聞いた。 山本氏を直撃 山本幸一郎氏(浪江町議会HPより)  ――平成建設の実質的な社長業を山本氏が務めていると記されていた。 「厳密に言えば、この間実質的に経営を担ってきたのは私の父です。ただ、半年前に脳梗塞で倒れてしまったので、いまは私が〝金勘定〟を担当しています。もちろん、(公選法で禁じられているので)役員には就いていません」 ――議員の立場を利用し、町工事や復興事業に関係する入札情報を入手して仕事を得ているのでは、という指摘をどう受け止めますか。 「議員活動をしていれば、確かに予算策定の段階で次年度の事業について情報を得やすい。ただ、それらの情報は広報されており、誰でも入手できるもの。そもそも近年出ている町発注工事は規模が大きいものばかりで、入札参加資格がB、Cクラスのうちが応札できるものは少ない。(前出の)小野田取水場造成工事はうちの近所で、何としても取りたかったので、かなり〝叩いた〟金額で応札して取れましたけどね」 ――「大手ゼネコンの下請に無理やり入り、好条件の請負金をせしめている」という一文もあった。 「実際は大手ゼネコンから浪江町復興事業協同組合に打診があり、複数社で請け負っています。うちの会社が立地していた末森地区は特定復興再生拠点区域となっており、除染や建物解体工事が行われるということで、そこの下請には入れていただきました。地の利を生かせるということで、少し多めに(担当エリアを)配分していただいたと思いますし、危険手当分なども加味されているので割高な請負金になっています。ただ事情を知らない人には、議員の立場を使って仕事を取り、好条件な請負金を受け取っているように見えるかもしれません」 ――「議員として役場内で職員を恫喝している」という意見については、第三者からも証言を得ている。 「農業委員など地域のさまざまな役職を務めているので、2日に1度は役場に足を運び、担当課の職員と話をしています。ただ、事情が分からない職員も多く、怒ってしまうというか、つい大きな声でやり取りしてしまうのは事実です。建設課には町発注工事を受注している関係で確認のため訪ねることがありますが、それ以外で行くことはないです」 ――差出人に思い当たる節は。 「関係あるかどうかは分かりませんが、少し前に業界関係者とちょっとしたトラブルになったことがあり、(メールの内容と)同じようなことを指摘されたことがありました」 ――吉田栄光氏との関係にも触れられているが、これについては。 「父と付き合いがあり、私は中学生のときから何かとお世話になっているので、『他社より仕事を多くもらえているのではないか』とよく揶揄されていますが、さすがに県議の立場の方がそんなことはしません。町長選では吉田栄光氏の選対幹事長を務めました。町長選も意識して送信したのかもしれませんね」 疑惑のメールに対し、事実と異なる部分を丁寧に訂正し、同社の役員から退いているので公選法には抵触しない、と主張したが、「職員を恫喝」という指摘に関しては、そう疑われる行為をしていたと自ら認めた格好だ。町職員が町議から厳しい態度で詰められれば、立場の強さを利用したパワハラと受け取られかねない。まずは職員に対する姿勢を見直すべきだろう。 なお、町建設課にも確認したところ、「議員活動の一環として、事業の進捗状況などについて問い合わせがあれば説明することもあるが、未確定の情報について教えるようなことはない」と説明した。 言動を改めるべき  それにしても、誰がどんな目的でこのようなメールを送ったのか。 考えられるのは、年々町内での存在感を増す山本氏に対し敵意を抱く人物だろう。町議会副議長に就任し、家業の平成建設は復興需要で業績を伸ばしている。親密な関係の吉田栄光氏は新町長に就任する。そんな山本氏を疎ましく思う人物が悪評を綴ったのではないか。 そもそも山本氏の父・幸男氏からして、3回も議長不信任案が出されるなど議会のトラブルメーカー的存在だった。 本誌では2008年5月号に「違法墓地経営の浪江町議会議長に産廃不法投棄の仰天事実!!」という記事を掲載している。 県の相双地方振興局に「平成建設が山林に大量の建設廃棄物を不法投棄している」と通報が入った。現地を確認すると、建設廃棄物が野積みされ、埋められたものも確認できたため、同社に改善指導を行っていた。 2000年に建設廃棄物の分別解体と再資源化を義務付けた建設リサイクル法が定められていたが、当時同社の社長を務めていた山本氏らは同振興局に対し、「リサイクル法を知らなかった」と答えたという。 当時の本誌取材に幸男氏は「廃棄物は現在のように廃掃法が厳しくなる以前のもの」、「息子(山本氏)は『土の中から出て来た廃棄物は昔に埋めたもので、今は法律に基づいて適正に処理している』と説明した」、「掘り起こした廃棄物は(廃掃法の対象になるので)県の改善指導を受けて適正に処理した」と答えていた。 複数の町民によると、町長選には当初議長の佐々木恵寿氏(6期)が意欲を示していたが、「対立候補が出たとき、割れる可能性がある」という判断から候補者を調整し、議会を挙げて吉田栄光氏に頼み込んで、立候補を決意させた。その調整役を担ったのが山本氏とされる。 前述の通り、吉田氏は6339票を獲得し、会社社長の高橋翔氏に5895票差を付けて初当選を果たした。選対幹事長を務めた山本氏の存在感はますます大きくなると思われるが、それに伴い、過去の〝しくじり〟や職員への言動が蒸し返される機会が増えそう。「大堀地区で土地を取得し始めたが、何をするつもりなのか」(ある町民)など新たなウワサも聞こえてくるが、これまで以上に周囲の目を意識した言動を心がけなければ、再び同じような批判メールが出回ることになろう。 あわせて読みたい 悪評絶えない山本幸一郎【浪江町】副議長

  • 郡山の補選で露呈した福島県議への無関心

     郡山市の政界関係者の間で同市選挙区県議補選(欠員1)の投票結果に注目が集まっている。同補選には前市議の新人佐藤徹哉氏(自民党)と会社経営の新人髙橋翔氏(諸派)が立候補し、内堀雅雄知事が3選を果たした知事選と同じ10月30日に投開票された。  当6万5987 佐藤 徹哉54    1万9532 髙橋  翔34                  投票率34・72% 当選した佐藤徹哉氏(上)と髙橋翔氏  表面的な数字だけ見れば、自民党公認で公明党の支援を受けた佐藤氏の大勝は不思議ではない。注目されるのは高橋氏の得票数だ。  「正直、1万9500票も取るとは思わなかった。旧統一教会の問題など岸田内閣に対する反発が自民党公認の佐藤氏には逆風になった」(ある自民党員)  髙橋氏がここまで得票できた要因を、ある保守系の郡山市議は 「髙橋氏はもともと知事選に出ると言っていたのに、告示日(10月13日)になって急きょ県議補選に方針転換した。メディアはその間、知事選の立候補予定者として髙橋氏の顔と名前をずっと報じたからね」  と〝恨み節〟を語っていたが、立候補表明した以上、メディアはその事実を報じざるを得ない。ちなみに本誌も、8月号に「知事選立候補を前提」とした髙橋氏のインタビュー記事を掲載している。  選挙後、髙橋氏に県議補選に変更した理由を尋ねると、次のように説明した。  「知事選は当初、複数の候補者が手を挙げていたが、告示日時点で三つ巴(内堀氏、草野芳明氏、髙橋氏)になった。しかし対現職で考えた時、新人2人が挑むのは現職批判票の分散を招き、私が一つの指針にしている『対立候補の得票率10%』を超えるのは難しい。そこで、私が県議補選に回ることでどちらも一騎打ちの構図とすれば、無投票阻止と得票率10%を同時に目指せると考えた。そもそも市議をそそくさと辞めた人を県議に無投票で当選させることは、一郡山市民として納得できなかった。もちろん、共産党が知事選に候補者を立てていなければ私は確実に出馬しており、県議補選には子育て世代の若手を擁立する予定だった」  そんな県議補選をめぐっては、投票率や無効票にも注目が集まった。  例えば、知事選の郡山市だけの投票率は37・44%、投票総数は9万8614票だったが、県議補選は34・72%、8万5519票で、県議補選の方が投票率は2・72㌽低く、投票総数も1万3095票少なかった。  これは告示日の違いが影響している。すなわち知事選は10月13日、県議補選は同20日だったが、近年は期日前投票が増えているため、先行した知事選は投票したものの県議補選は投票しなかった人が1万3000人超もいたということだ。県議補選への関心の低さがうかがえる。  無効票の数も特筆される。知事選5816票に対し県議補選6910票と、投票総数が知事選より8分の1も少ない県議補選の方が1100票余も多かった。県議補選の投票用紙に「内堀雅雄」と書かかれたケースが散見されたという話もあるが、郡山市選管によると「無効票にそれだけの差がついた理由はよく分からない」という。  地元ジャーナリストはこんな危機感を示す。  「有権者にとって県議はいかに遠い存在であるかが明白になった。当選した佐藤氏は、髙橋氏の急な方針転換で選挙戦となり少しは知名度アップを果たせたかもしれないが、知事選と同日選になったことで、県議への無関心さが露呈した形です」  投票率低下は全国的な傾向だが、2023年秋に控える県議選の本選で有権者の関心をどこまで集められるか。 福島県議会のホームページ あわせて読みたい 【高額報酬】存在感が希薄な福島県議会 渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

  • 【第2弾】【田村市・贈収賄事件】積算ソフト会社の「カモ」にされた市と業者

      田村市で起きた一連の贈収賄事件。受託収賄・加重収賄の罪に問われている元職員は、市内の業者に公共工事に関する情報を漏らし、見返りに金品や接待を受けていた。本誌は先月号【第1弾】田村市・元職員「連続収賄事件」の真相で、元職員が漏らした非公開の土木事業単価表が積算ソフト会社に流れたと見立てていたが、裁判では社名が明かされ仮説が裏付けられた。調べると、仙台市に本社があるこの会社は宮城県川崎町でも全く同じ手口で贈収賄事件を起こしていた。予定価格の漏洩が常態化していた田村市は、規範意識の低さを積算ソフト会社に付け込まれた形だ。 田村市贈収賄「三和工業ルート」の構図  元職員への賄賂の経路は、贈った市内の土木建築会社ごとに「三和工業ルート」と「秀和建設ルート」に分かれる。本稿では執筆時点の2022年11月下旬、福島地裁で裁判が進行中で、同30日に役員に判決が言い渡される予定の「三和工業ルート」について書く。  「三和工業ルート」は単価表をめぐる事件だった。公共工事の入札に当たり、事業者は資材単価を工事に合わせて積算し、入札金額を弾き出す。この積算根拠となるのが、県が作成し、一部を公表している単価表だ。実物をざっと見ると半分以上が非公表となっている。ただし都道府県が市町村に単価表を提供する際は、すべての単価が明示されている。  問題は、不完全な単価表しか見られない業者だ。これを基に他社より精度の高い積算をしなければ落札できない。そこで、事業者は専門の業者が作成する積算ソフトを使ってシミュレーションする。積算ソフト会社にとっては、精度を上げれば製品の信頼度が上がり、商品(積算ソフト)が売れるので、完全な情報が載っている非公表の単価表は「のどから手が出るほど欲しい情報」なのだ。  一方で、三和工業は堅実で業績も安定しており、自社の落札のために単価表入手という危ない橋を渡ることは考えにくい。こうした理由から、本誌は先月号で、積算ソフト会社が三和工業役員に報酬をちらつかせて単価表データの入手を働きかけ、役員が元市職員からデータを漏洩させたと見立てた。果たして裁判で明らかとなった真相は、見立て通り、積算ソフト会社社員の「依頼」が発端だった。  11月9日の「三和工業ルート」初公判では、元市職員の武田護被告(47)=郡山市=と同社役員の武田和樹被告(48)=同=が出廷した。2人は旧大越町出身で中学時代の同級生。和樹被告は大学卒業後、民間企業に勤めたが、父親が経営する同社を継ぐため2014年に入社した。  次第に積算業務を任されるようになったが、専門外なので分からない。そこで、相談するようになったのが護被告、そして取引先の積算ソフトウェア会社「コンピュータシステム研究所」の社員Sだった。  公判で言及されたこの会社をあらためて調べると、仙台市青葉区に本社を置く「株式会社コンピュータシステム研究所」とみられることが分かった。法人登記簿や民間信用調査会社によると、1986(昭和61)年設立。資本金2億2625万円で、コンピュータソフトウェアの企画、開発、受託、販売及び保守、システム利用による土木・建築の設計などを行っている。建設業者向けのパッケージソフトの開発が主力だ。  単価表をめぐるコンピュータシステム研究所の動き 田村市宮城県川崎町1996年武田護氏が大越町(当時)に入庁2014年武田和樹氏が三和工業に入社、護氏と再会し飲みに行く関係に2020年2月ごろ~21年5月ごろ研究所社員のSが和樹氏を仲介役に護氏から情報を入手し報酬を渡す関係が続く2010年ごろ~2021年4月ごろ研究所の社員と地元建設業役員が共謀して町職員から情報を入手し報酬を渡す関係が続く2021年5月宮城県警が本格捜査2021年6月コンピュータシステム研究所が「コンプライアンス」を理由に非公開の単価表入手をやめる2021年6月30日贈収賄に関わった3人が逮捕2021年7月21日受託収賄や贈賄で3人を起訴2021年12月27日3人に執行猶予付き有罪判決2022年3月末護氏が田村市を退職2022年9月24日贈収賄で福島県警が護氏と和樹氏を逮捕河北新報や福島民報の記事を基に作成  代表取締役は長尾良幸氏(東京都渋谷区)。同研究所ホームページによると、東京にも本社を置き全国展開。東北では青森市、盛岡市、仙台市に拠点がある。「さらなる積算効率の向上と精度を追求した土木積算システムの決定版」と自社製品を紹介している。 宮城県で同様の事件  実は、田村市の事件は氷山の一角の可能性がある。同研究所は他の自治体でも単価表データの入手に動いていたからだ。  2021年6月30日、宮城県川崎町発注の工事に関連して謝礼の授受があったとして、同町建設水道課の男性職員(49)、町内の建設業「丹野土木」男性役員(50)、そして同研究所の男性社員(45)が宮城県警に逮捕された(河北新報7月1日付より、年齢役職は当時。紙面では実名)。町職員と丹野土木役員は親戚だった。  同年12月28日付の同紙によると、3人は受託収賄や贈賄の罪で起訴され、同27日に仙台地裁から有罪判決を受けている。町職員は懲役1年6月、執行猶予3年、追徴金1万2000円(求刑懲役1年6月、追徴金1万2000円)。丹野土木元役員と同研究所社員にはそれぞれ懲役10月、執行猶予3年(求刑懲役10月)が言い渡された。  判決によると、2020年11月24日ごろから21年4月27日ごろまでの6カ月間、町職員は公共工事の設計や積算に使う単価表の情報を提供した謝礼として元役員から役場庁舎などで6回にわたり商品券計12万円分を受け取った。贈賄側2人は共謀して町職員に情報提供を依頼して商品券を贈ったと認定された。1回当たり2万円払っていた計算になる。  田村市の事件では、三和工業役員の和樹被告が、2020年2月ごろから21年5月ごろまで、ほぼ毎月のペースで元市職員の護被告から単価表データを受け取ると、同研究所のSに渡した。Sは見返りに会社の交際費として2万円を計上し、和樹被告に14回にわたり計28万円払っていた。和樹被告は、毎回2万円を護被告と折半していた。田村市の事件では、折半した金の動きだけが立件されている。川崎町の事件と違い、和樹被告とSの共謀を立証するのが困難だったからだろう。それ以外は手口、1回当たりに払った謝礼も全く同じだ。  共謀の立証が難しいのは、和樹被告の証言を聞くと分かる。2019年12月、Sは「上司からの指示」としたうえで「単価表を入手できなくて困っている」と和樹被告に伝えた。積算業務の素人だった自分に普段から助言してくれたSに恩義を感じていたという和樹被告は「手伝えることがある。市役所に同級生がいるから聞いてみる」と答えた。翌20年1月、和樹被告は護被告に頼み、「田村市から出たのは内緒な」と注意を受けて単価表データが入ったCD―Rを受け取り、それをSに渡した。Sからもらった2万円の謝礼を「オレ、なんもやっていないから」と護被告に言い、折半したのも和樹被告の判断だという。   一連の単価表データ入手は、川崎町の事件で同研究所の別の社員が2021年6月に逮捕され、同研究所が「コンプライアンス強化」を打ち出すまで続いた。逮捕者が出て、ようやく事の重大性を認識したということか。  田村市で同様の手口を繰り返していた護被告は、川崎町の事件を知り自身に司直の手が伸びると恐れたに違いない。捜査から逃れるためか、今年3月に市職員を退職。そして事件発覚に至る。 狙われた自治体は他にも!?  単価表データを入手する活動は、同研究所が社の方針として掲げていた可能性がある。裁判で検察は、SがCD―Rのデータを添付して上司に送ったメールを証拠として提出しているからだ。  本誌は、同研究所に①単価表データを得る活動は社としての方針か、②自社製品の積算ソフトに、不正に入手した単価表データを反映させたか、③事件化した自治体以外でも単価表データを得る活動を行っていたか、など計8項目にわたり文書で質問したが、締め切りの2022年11月25日を過ぎても回答はなかった。  川崎町の事件から類推するしかない。河北新報2021年12月5日付によると、有罪となった同研究所社員は《「予想した単価と実際の数値にずれがあり、クレーム対応に苦慮していた。これ(単価表)があれば正確なデータが作れる」と証言。民間向け積算ソフトで全国トップクラスの社の幹部だった被告にとって、他市町村の発注工事の価格積算にも使える単価表の情報は垂ぜんの的だった》という。積算ソフトにデータを反映させていたことになる。  一方、田村市内のある建設会社役員は「積算ソフトの精度は向上し、製品による大きな差は感じない。逮捕・有罪に至る危険を冒してまで単価表データを入手する必要があるとは思えない。事件に関わった同研究所の社員たちは『自分は内部情報をここまで取れるんだぞ』と営業能力を示し、社内での評価を高めたかっただけではないか」と推測する。  事件は、全国展開する積算ソフト会社が、地縁関係が強い地方自治体の職員と地元建設業者をそそのかしたとも受け取れるが、だからと言って田村市は「被害者面」することはできない。公判で護被告と和樹被告は「入札予定価格を懇意の業者に教えることが田村市では常態化していた」と驚きのモラル崩壊を証言しているからだ。  全国で熾烈な競争を繰り広げる積算ソフト会社が、ぬるま湯に浸かっていた自治体に狙いを定め、情報を抜き取るのはたやすかったろう。川崎町や田村市以外にも「カモ」と目され、狙われた自治体があったと考えるのが自然ではないか。同市の事件が氷山の一角と推察される所以である。 あわせて読みたい 【第1弾】田村市・元職員「連続収賄事件」の真相 第3弾【田村市贈収賄事件】裁判で暴かれた不正入札の構図

  • 【田村市】新病院施工者を独断で覆した白石市長

     田村市が建設を計画している新病院の施工予定者が〝鶴の一声〟で変更された。市幹部などでつくる選定委員会は、公募型プロポーザルに参加した3社の中から鹿島建設を最優秀提案者に選んだが、白石高司市長の指示で次点者の安藤ハザマに覆ったのである。 〝本田派議員〟が疑惑追及の百条委設置 「新病院の施工予定者が白石市長の指示で変更されたらしい」 そんなウワサを田村市内の自民党関係者から聞いたのは、2022年7月に行われた参院選の前だった。  新病院とは、田村地方の医療を支えるたむら市民病院(病床数32)の後継施設を指す。公には6月30日に市のホームページで「新病院の施工予定者選定に係る公募型プロポーザルの最優秀提案者に安藤ハザマ、次点者は鹿島建設」と発表され、7月4日付の福島建設工業新聞にも「新病院の施工予定者に安藤ハザマ」という記事が掲載された。 造成工事を終えた新病院予定地  ところが実際の審査では、最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマが選ばれていたというのだ。  「2022年6月、市幹部などでつくる選定委員会が白石市長に『審査の結果、鹿島に決まった』と報告した。しかし白石市長が納得せず、次点の安藤ハザマに変更するよう指示したというのです。選定委員会は『何のために審査したか分からない』と不満に思ったが、上から言われれば従うしかない」(市内の自民党関係者)  一度聞いただけではまさかとしか思えない話。だが、それはウワサでもまさかでもなく、事実だった。  市長の指示で施工予定者が突然覆される――そんなかつての〝天の声〟を彷彿とさせる出来事はなぜ起きたのか。  たむら市民病院は、同市船引町の国道288号沿いで診療を行っている。もともとは医療法人社団真仁会が大方病院という名称で運営していたが、院長が急死したため2019年7月に市が事業継承、公的医療機関として生まれ変わった。診療科目は内科、人工透析内科、外科など10科。運営は指定管理者制度で公益財団法人星総合病院(郡山市)に委託している。  市立病院の設置は、2005年に旧5町村が合併した田村市にとって悲願だった。しかし、事業継承した時点で建物の老朽化、必要な病床数の確保、救急受け入れなどの課題を抱えていた。そこで市は2020年3月に新病院建設基本計画を策定、現在地から北東1・3㌔の場所(船引町船引字屋頭清水地内)に新病院を建設する方針を打ち出した。  2020~21年度にかけて予定地の造成を行い、その後は22年度着工、24年度開院というスケジュールが組まれたが、21年4月の市長選で状況が変化した。当時現職の本田仁一氏を破り初当選した白石高司市長が、公約に本田市政のもとで始まった公共工事の見直し(事業検証)を掲げたことから、新病院建設も一時中断を余儀なくされたのである。  その後、関係部局の職員たちが4カ月にわたり事業検証を行い、最終的に「新病院は市民にとって必要」と判断されたため、計画は予定より1年遅れて再始動した。2022年3月には建設基本設計概要書が公表され、新病院の具体像が示された。  問題の公募型プロポーザルはこの後に行われるが、ここからは、本誌が情報開示請求で市から入手した公文書に基づいて書いていく。  新病院の概要は病床50床、鉄筋コンクリート造地上4階建て、建築面積2790平方㍍、延べ面積6420平方㍍。このほか厨房施設と付属棟、250台分の駐車場を整備し、工期は2023年7月から25年1月。想定事業費は36億円程度となっている。  市は建設コスト縮減と工期短縮を図るため、施工者が設計段階から技術協力を行うECI方式の採用を決定。4月19日にプロポーザルの公告を行い、清水建設、鹿島、安藤ハザマから参加申し込みがあった。同28日には一次審査が行われ、3社とも通過した。  続く二次審査は6月25日に行われ、各社のプレゼンテーションと選定委員会によるヒアリング、さらには各委員による採点で最優秀提案者と次点者が選定された。 最高評価を受けていた鹿島  まずは評価が一目で分かる採点から見ていく。別表は選定委員7人による評価シートの合計だ。  選定委員会は、委員長を石井孝道氏(市総務部長)が務め、委員には渡辺春信氏(市保健福祉部長)、佐藤健志氏(市建設部長)のほか4人が就いた。市は部長以外の名前を公表していないが、そのうちの3人は南相馬市立総合病院の及川友好院長、たむら市民病院の指定管理者である星総合病院の担当者、日大工学部教授だったことが判明している。残り1人は不明。  その7人による採点の合計を見ると(各自の採点結果は開示された公文書が黒塗りで不明)、A社は505点、B社は480点、C社は405点となっている(満点は700点)。アルファベット表記になっているが、公文書を読み進めるとA社は鹿島、B社は安藤ハザマ、C社は清水建設であることが分かり「評価シートに基づく順位は委員間で異なった」と書かれている。  では、各委員の評価ポイントはどうだったのか。公文書には当時の発言順に次のように記されていた。  「A社は丁寧な技術提案や書類のつくり込みで好感が持てた。ヒアリングでのやり取りからもネガティブな要素は感じられず、安心して任せられると感じた。C社にはA社と全く逆の印象を持った。書類のつくり込みが粗いばかりか、ヒアリングでも発注者・審査員に対し礼を失する発言が多く、誠実さが感じられなかった。B社は様々な提案を盛り込んでいるが、果たしてそれがうまく収まるのか不安を感じた。工期に余裕がない点もネガティブ要素だった」(黒塗りで発言者不明)  「地域貢献に関して、書類上の金額と現実性が乖離している提案が目立った。特にB社の発注予定額は経験的に実現不可能と受け止めている。技術力に関しては提案者ごとにかなり差があると感じた。順位付けをするならA社<B社<C社の順だが、メンテナンス体制も含めるとA社の有意性がより際立つと感じた」(同)  「技術面では3社とも特に問題ないだろうと感じた。その中でも、A社は一番丁寧に提案書がつくられていた。地域貢献に関しては、その是非や実現性を判断するための情報が不足している」(佐藤委員)  「技術的な優劣は判断できない。市の姿勢として地域貢献を前面に出していただく必要がある」(渡辺委員)  「ここまでの委員の発言に同意。地域貢献に関しては、B社提案はリップサービスが過ぎたように感じる」(黒塗りで発言者不明)  「技術的な優劣は判断できないが、A社の提案は書類・説明ともに好印象だった。しっかりとした病院を確実に建てることが第一で、地域貢献はその次に考えること。地域貢献の配点が大きいため、個人的な評価と点数が一致していない。B社が提示した五つの課題は市の感覚とずれているように感じた」(石井委員長)  総体的に、A社(鹿島)の評価が高く、C社(清水建設)は厳しい意見が多く聞かれた。B社(安藤ハザマ)の提案も各委員が半信半疑に捉えている様子がうかがえる。  ただ、採点結果と評価ポイントのすり合わせを行っても順位の一致に至らなかったため、規程に基づき多数決を行った結果、A社4人、B社1人、C社0人となり、最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマが選定された。  この結果を選定委員会事務局が白石市長に報告し、決裁後、速やかに各社に通知、市のホームページでも公表する手筈だったが、公文書(6月30日付の発議書)には次のような驚きの記述があった。  《6月28日及び同30日に実施した市長報告において、市長から本件プロポーザルにおいては地域貢献と見積額が重要な判断基準であるため、当該提案において最も有利な条件を提示している㈱安藤・間東北支店が次点者という審査結果は妥当性を欠くため、該社を最優秀提案者として決定するよう指示がありました》  白石市長から安藤ハザマに変更するよう指示があったと明記されていたのだ。  最終的にこの変更は6月30日に了承され、安藤ハザマには《厳正に審査した結果、御社の提案が最も評価が高く、本事業の最優秀提案者として選定されましたので通知いたします》、鹿島には《御社の提案が2番目に評価が高く、本事業の次点者として選定されました》という通知が白石市長名で送られた。市のホームページでも同日中に公表された。「厳正に審査」が白々しく聞こえるのは本誌だけだろうか。 百条委設置の経緯  前述した建設工業新聞の記事はこの直後に書かれたが、当時は最優秀提案者が覆された事実は公になっていなかった。ただ市議会では、安藤ハザマを最優秀提案者に選定したことに「別の視点」から疑問の声が上がっていた。  「6月に市役所ホールの吹き抜けの窓から雨漏りしている個所が見つかったが、市役所を施工したのが安藤ハザマと地元業者によるJVだったため、議員から『そんな業者に新病院建設を任せて大丈夫か』という懸念が出たのです」(市内の事情通)  市役所は2014年12月に竣工したが、事情通によると落札金額は安く抑えられたものの、その後、追加工事が相次ぎ、結局、事業費が膨らんだ苦い経験があるため、  「議員の間には『今回も安藤ハザマは同様の手口で事業費を増やしていくのではないか』という疑いが根強くある」(同)  これ以外にも、安藤ハザマは「過去に指名停止を受けている」「市に除染費用を水増し請求した」などの不信感が持たれている。ただ同様のトラブルは、鹿島や清水建設など他のゼネコンでも見られるので、安藤ハザマだけを殊更問題視するのはバランスを欠く。  「そうこうしているうちに『最優秀提案者は、本当は鹿島だったらしい』という話が議員にも伝わり、9月定例会で選定経過に関する質問が行われたが、白石市長は『地域貢献度も含め適正に審査した』と曖昧な答弁に終始したため、過半数の議員が反発する事態となった」(同)  ウワサは次第に尾鰭をまとい「〇〇社が白石市長に頼んで安藤ハザマに変わったらしい」「実際の工事は白石市長と同級生の××社が請け負うようだ」「白石市長は安藤ハザマからいくらもらったんだ」等々、真偽不明の話まで囁かれるようになった。白石市長が明確な答弁を避けたことが「何か隠している」という印象を与えたわけ。  9月定例会が終わりに近付くころには、一部議員の間で「真相を究明するには地方自治法100条に基づく調査特別委員会(百条委員会)を設置するしかない」という話が持ち上がり、10月27日に開かれた臨時議会で議員発議による設置が正式決定された。  《市は安藤ハザマを最優秀提案者にした理由の説明を避けてきたため、一部議員が反発していた。白石市長は臨時議会開会前の議員全員協議会で鹿島が選定委員会で最も点数が高かったと認め、「積算工事費や地域貢献計画などを比較し、安藤ハザマにした」と説明したが、採決の結果、賛成9、反対8で百条委設置が決まった》(福島民報10月28日付)  田村市議会は定数18。採決に加わらなかった大橋幹一議長(4期)を除く賛成・反対の内訳は別掲の通りだが、賛成した9人のうち、半谷理孝議員を除く8人は2021年4月の市長選で白石市長に敗れた本田仁一氏を支援していた。  ちなみに百条委の委員も、賛成した9人から大和田議員を除いた8人全員が就き、反対した8人からは誰も就かなかった。そのため「市長選の私怨が絡んだ面々で正しい調査ができるのか」と言われているが、委員に就いた議員からは「反対した議員には『調査の公平・公正を担保するため、そちら(反対)の議員も百条委に加わるべきだ』と申し入れたが断わられた」という不満が漏れている。  反対した8人は白石市長と距離が近いが、話を聞くと「百条委設置に反対したのに委員に就くのは筋が通らないと思った」と言う。しかし筆者は、本気で真相を究明するなら設置の賛否にこだわらず、議会全体で疑惑の有無を探るべきと考える。そうでなければ、せっかくつくった百条委が「反白石派の腹いせに利用されている」とねじ曲がった見方をされかねないからだ。  市保健福祉部の担当者はこう話す。  「百条委が設置されたことは承知しているが、具体的な動きがない限り市側はアクションを起こせないので、今後どうなるかは全く想像がつかない」  最後に、白石市長が安藤ハザマに変更した際に重視したとされる工事費や地域貢献度については市から入手した公文書にこんな記述がある。  例えば安藤ハザマは▽直接工事費の60%相当・工事費18億円以上を市内業者に発注、▽事務用品その他も4000万円以上を市内企業から購入、▽市内における関係者個人消費は3000万円以上。さらに概算工事費は45億8700万円と提示している。  一方、鹿島については市内業者への発注額、市内企業からの建設資機材購入額、概算工事費とも黒塗りされ詳細は不明だが、白石市長に次点者に追いやられたということは、いずれの金額も安藤ハザマより劣っていたことが推察される。 開院遅れで市民に不利益  だが、プロポーザルへの参加者を公募した際の公文書(4月19日付)にはこのように書かれている。  《選定委員会において技術提案及びプレゼンテーション等を総合的に審査し、最も評価の高い提案者を最優秀提案者に選定する》  選定委員会が最も高く評価した提案者を、市長の〝鶴の一声〟で変更していいとは書かれていない。白石市長は「工事費や地元貢献度の観点から安藤ハザマの方が優れており、やましい理由で変更したわけではない」と言いたいのだろうが、ルールに無い変更を独断で行った結果、疑惑を招き、市政を混乱させたことは事実であり、真摯に反省しなければならない。  何より新病院建設は前述した事業見直しで一時中断しており、今回の百条委でさらに遅れる可能性が出ている。高齢者や持病のある人にとって新病院は待望の施設なのに、開院がどんどん後ろ倒しになるのは不利益以外の何ものでもない。白石市長はたとえやましいことが無かったとしても、安藤ハザマに変更した理由を明確に示さない限り、市議会(百条委)は納得しないし、市民からも理解を得られないだろう。  白石市長は百条委設置を受け「プロポーザルに参加した業者の技術に差はなく、市民の利益を十分検討し最終決定した。調査には真摯に対応したい」とコメントしたが、今後の百条委で何を語るのか、それを聞いて百条委がどのように判断するのか注目される。 田村市ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 白石田村市長が新病院施工業者を安藤ハザマに変えた根拠

  • 除染バブルの後遺症に悩む郡山建設業界

    災害時に地域のインフラを支えるのが建設業だ。災害が発生すると、建設関連団体は行政と交わした防災協定に基づき緊急点検や応急復旧などに当たるが、実務を担うのは各団体の会員業者だ。しかし、近年は団体に加入しない業者が増え、災害は頻発しているのに〝地域の守り手〟は減り続けている。会員業者が増えないのは「団体加入のメリットがないから」という指摘が一般的だが、意外にも行政の姿勢を問う声も聞かれる。郡山市の建設業界事情を追った。 災害対応に無関心な業者に老舗から恨み節 地域のインフラを支える建設業  「今、郡山の建設業界は真面目にやっている業者ほど損している。正直、私も馬鹿らしくなる時がある」  こう嘆くのは、郡山市内の老舗建設会社の役員だ。  2011年3月に発生した東日本大震災。かつて経験したことのない揺れに見舞われた被災地では道路、トンネル、橋、上下水道などのインフラが損壊し、住民は大きな不便を来した。ただ、不便は想像していたほど長期化しなかった。発災後、各地の建設業者がすぐに被災現場に駆け付け、応急措置を施したからだ。  震災から11年8カ月経ち、復興のスピードが遅いという声もあるが、当時の適切な対応がなかったら復興はさらに遅れていたかもしれない。業者の果たした役割は、それだけ大きかったことになる。  震災後も台風、大雨、大雪などの自然災害が頻発している。その規模は地球温暖化の影響もあって以前より大きくなっており、被害も拡大・複雑化する傾向にある。  必然的に業者の出動頻度も年々高まっている。以前から「地域のインフラを支えるのが建設業の役割」と言われてきたが、大規模災害の増加を受け、その役割はますます重要になっている。  前出・役員も何か起きれば平日休日、昼夜を問わず、すぐに現場に駆け付ける。  「理屈ではなく、もはや習性なんでしょうね」(同)  と笑うが、安心・安全な暮らしが守られている背景にはこうした業者の活躍があることを、私たちはあらためて認識しなければならない。  そんな役員が「真面目にやるのが馬鹿らしくなる」こととは何を指すのか。  「災害対応に当たるのは主に建設関連団体に加入する業者です。各団体は市と防災協定を結び、災害が発生したら会員業者が被災現場に出て緊急点検や応急復旧などを行います。しかし近年は、どの団体も会員数が減っており、災害は頻発しているのに〝地域の守り手〟は少なくなっているのです」(同)  2022年9月現在、郡山市は136団体と災害関連の連携協定を交わしているが、「災害時における応援対策業務の支援に関する協定書」を締結しているのはこおりやま建設協会、県建設業協会郡山支部、県造園建設業協会郡山支部、ダンプカー協会、郡山建設業者同友会、市交通安全施設整備協会、郡山電設業者協議会、県中通信情報設備協同組合、市管工事協同組合、郡山鳶土工建設業組合、県南電気工事協同組合など十数団体に上る。  いくつかの団体に昔と今の会員数を問い合わせたが、増えているところはなく、団体によってはピーク時の6割程度にまで減っていた。  「業者の皆さんに広く加入を呼びかけているが、増える気配はないですね」(ある組合の女性事務員)  会費は月額1万円程度なので、負担にはならない。しかし、  「経営者が2代目、3代目に代わるタイミングで会員を辞める会社が結構あります。時代の流れもあるでしょうし、若い経営者の価値観が昔と変わっていることも影響していると思います」(同)  それでも、会員になるメリットがあれば、経営者が代わっても引き続き団体に加入するのだろうが、  「加入を呼びかける立場の私が言うのも何ですが、明確なメリットと聞かれたら答えられない」(同)  昔は今より同業者同士のつながりが大切にされ、先輩―後輩のつながりで業界のしきたりを習ったり、仕事の紹介を受けたり、技術を学び合うなど団体加入には一定のメリットがあった。  今はどうか。別の団体の幹部に加入の具体的なメリットを尋ねると  「対外的な信用が得られます。組合は『社内にこういう技術者がいなければならない』など、入るのに一定の条件が必要。つまり組合に入っていれば、それだけで技術力が伴っている証拠になる」  正直、そこに魅力を感じて団体に加入する業者はいないだろう。  「ウチみたいに昔から入っているところはともかく、新規会員を増やしたいなら加入のメリットがないと厳しいでしょうね」(前出・老舗建設会社の役員)  会員数の減少は、そのまま〝地域の守り手〟の減少に直結する。それはいざ災害が発生した時、緊急点検や応急復旧などに当たってくれる業者が限られることを意味する。  それでなくても郡山は、新規会員が増えにくい状況にある。理由は、震災後に増えた「新参者」の存在だ。別の建設会社の社長が解説してくれた。  「新参者とは震災後、除染を目的に県外からやって来た人たちです。建設業界はそれまで深刻な不況で、公共工事の予算は年々減っていた。そこに原発事故が起こり、除染という新しい仕事が出現。『福島に行けば仕事がある』と、全国から業者が押し寄せたのです」  除染事業に従事するには「土木一式工事」や「とび・土工・コンクリート工事」の建設業許可が必要になる。許可を得て、資機材を揃えて大手ゼネコンの4次、5次下請けに入る小規模の会社はあっと言う間に増えていった。  「新参者が増えるのは行政にとってもありがたかった。住民が『早く除染してほしい』と求める中、業者の数がいないと予定通り除染は進まないわけですからね」(同) 尻拭いを押し付ける郡山市 郡山市役所 しかし、同じ仕事が永遠に存在するはずもなく、市内の除染が一通り終わると新参者の出番も減った。  この社長によると、新参者はその後、①経営に行き詰まって倒産、②浜通りなど除染事業が続いている地域に移動、③一般の土木工事に衣替え――の三つに分かれたという。  「一般の土木工事に衣替えした業者は、正確な数は分からないが結構います。私のように昔から郡山で仕事をやっていれば、社名を聞くだけでそこが新参者かどうか分かる。傾向としては、カタカナやアルファベットなど横文字の社名は該当することが多い」(同)  郡山市の「令和3・4年度指名競争入札参加有資格業者名簿」(2022年4月1日現在)を見ると、土木一式工事の許可業者は103、とび・土工・コンクリート工事の許可業者は225ある(いずれも市内に本社がある業者のみをカウント)。二つを見比べると、土木一式工事の許可業者はとび・土工・コンクリート工事の許可も併せて得ている。そこで後者の業者名を確認していくと、新参者に該当するのではないかと思われる業者は40社前後、全体の2割近くを占めていた。  除染事業がなくなっても、新たな仕事を求め、生き残りを図ろうとする姿はたくましい。建設業許可を得て一般の土木工事に従事するのだから法令違反でもない。社長も「そこを否定するつもりはない」と話す。ただ「新参者は暗黙のルールを守らないため業界全体が歪みつつある」というのだ。  「新参者は地域性を考えない。例えば、A社が本社を置く〇〇地域で道路工事が発注されたら、一帯の道路事情を知るのはA社なので、入札では自然とA社に任せようという雰囲気になる。これは談合で決めているわけではなく、不可侵というか暗黙のルールでそうなるのです。だから、A社は隣の××地域や遠く離れた△△地域の道路工事は取りにいかない。しかし、新参者は『競争入札なんだから地域性は関係ない』と落札してしまうわけです」(同)  新参者から言わせれば「暗黙のルールに基づく調整こそ談合みたいなもの」となるのだろう。ただ、〇〇地域の住民からすれば、見たことも聞いたこともない業者より、馴染みのあるA社に工事をやってもらった方が安心なのは間違いない。  「A社がある道路工事を仕上げ、そこから先の道路工事が新たに発注された時、継続性で言ったらA社が受注した方が工事はスムーズに進む可能性が高い。しかし、新参者はそういう配慮もなく、お構いなしに落札してしまう」(同)  しかしこれも、新参者から言わせると「落札して何が悪い」となるのだろうが、社長が解せないのは、その後の尻拭いを市から依頼されることにある。  「もともと除染からスタートした業者なので、土木工事の許可を持っていると言っても技術力が備わっていない。そのせいで、工事終了後に施工不良個所が見つかるケースが少なくないのです。解せないのは、市がその修繕を当該業者にやらせるのではなく、再発注も面倒なので、現場に近い地元業者にこっそり頼むことです。市には世話になっているので頼まれれば手伝うが、地域性や継続性を無視して落札した新参者の尻拭いを、私たちに押し付けるのは納得がいかない」  実は、そんな新参者の多くは建設関連団体に加入していないのだ。再び前出・老舗建設会社の役員の話。  「新参者は建設関連団体に入っていないから、災害が起きても被災現場に駆け付けない。でも、入札では災害対応に当たる私たちと同列で競争し、仕事を取っている。不正をしているわけでなく、正当な競争の結果と言われればそれまでだが、地域に貢献している自負がある私たちからすると釈然としない」 「災害対応に正当な評価を」  会員業者は日曜夜に被災現場に出動しても、防災協定に基づくボランティアのため、月曜朝からは通常業務を行わなければならない。一方、建設関連団体に加入していない業者は被災現場に出動することなく休日を過ごし、月曜から淡々と通常業務に当たる。だからと言って、未加入の業者にペナルティーが科されることはなく、被災現場に出動した業者に特別なインセンティブがあるわけでもない。  これでは、会員業者が「真面目にやるのが馬鹿らしい」と愚痴を漏らすのは当然で、わざわざ建設関連団体に加入する新規業者も現れない。  「市がズルいのは、入札は公平・公正を理由にどの業者も分け隔てなく競争させ、災害や施工不良など困ったことが起きた時は建設関連団体を頼ることだ。真面目にやっている私たちからすると、市に都合よく使われている感は否めない」(同)  これでは、新規会員はますます増えない。そこでこの役員が提案するのが、市が建設関連団体加入のメリットを創出することだ。  「会員業者は指名競争入札で指名されやすいといったインセンティブがあれば、災害対応に当たる私たちも少しはやりがいが出るし、今まで災害対応に無関心だった新参者も建設関連団体に入ろうという気持ちになるのではないか」(同)  郡山市では1000万円以上の工事は制限付一般競争入札、1000万円未満の工事は指名競争入札を導入しているが、2021年度の入札結果を見ると、落札額の合計は制限付一般競争入札が約99億8000万円、指名競争入札が約25億7200万円に対し、発注件数は前者が約150件、後者が約640件と指名競争入札の方が4倍以上多い。役員によると、会社の規模が小さい新参者は指名競争入札に参加する割合が高いという。  同市の指名競争入札に参加するには2年ごとに市の審査を受け、入札参加有資格業者になる必要がある。その手引きを見ると、市内に本社を置く業者が提出する書類に「災害協定の締結」「除雪委託契約の締結」の有無に関する記載欄があるが、市がそれをどれくらい重視しているかは分からない。  前述した建設関連団体のいくつかに問い合わせた際、  「災害協定を結んでいるかどうかは、市が審査をする上で少しは加点要素になっていると思う」(前出・女性事務員)  「実際に被災現場に駆け付けている点は(指名の際に)加味してほしいと市に申し入れている。そこを市がもっと評価してくれれば新規会員も増えると思うんですが」(前出・別の組合幹部)  と語っていたが、市が日頃の災害対応を正当に評価しているかというと、建設関連団体にはそう感じられないのだろう。  「会員業者が増えないと災害対応が機能しない。それによって困るのは市民です。そこで、安心・安全な暮らしを維持するため、災害協定と除雪委託契約の締結を指名競争入札に参加するための重要要件にしてはどうか。そうすれば、建設関連団体に無関心の新参者も加入を検討するし、新規会員が増えれば災害が起きた時、市民も助かります」(同) 指名競争を増やす福島県の狙い 福島県庁  県では佐藤栄佐久元知事時代に起きた談合事件を受け、2006年12月に入札等制度改革に係る基本方針を決定。指名競争入札を廃止し、予定価格250万円を超える工事は条件付一般競争入札に切り替えた。しかし、過度な競争や少子高齢化で経営が悪化し、災害対応や除雪に携わる業者がいなくなれば地域の安心・安全確保に支障を来すとして〝地域の守り手〟である中小・零細業者を育成する観点から「地域の守り手育成型方式」という指名競争入札を2020年度から試行している。  農林水産部と土木部が発注する3000万円未満の工事を指名競争入札にしているが、入札参加資格の要件には「災害時の出動実績又は災害応援協定締結」と「除雪業務実績又は維持補修業務実績」が挙げられている。指名競争入札を増やすことで〝地域の守り手〟を支えていこうという県の狙いがうかがえる。  会津地方は郡山と比べて仕事量が少ないため、新しい会社が次々と誕生することもなく、昔から営業している会社が建設関連団体を形成し、地域のインフラを支える構図が成立している。業者数は少ないが、地域を守るという意識が業界全体で統一されている。  これに対し郡山は、業者数は多いが建設関連団体の会員業者は少ないため、業界全体で地域を守るという意識が希薄だ。もし入札制度を変えることで会員業者が増え、市民の安心・安全を確保できるなら、市は真剣に検討すべきではないか。  「入札の大前提にあるのは公平・公正だが、時代の変化と共に変えるべきものは変えなければならないことも承知しています。災害が年々増えている中、業者の協力がなければ市民の生命と財産は守れません。その災害対応については、市でも審査時に評価してきましたが、出動頻度が増えている今、それをどのように評価すべきかは今後の検討課題になると思います。県が試行している指名競争入札なども参考にしながら考えたい」(市契約検査課)  官が民に、建設関連団体への加入を〝強要〟するのは筋違いかもしれない。しかし現実に、災害の増加に反比例して〝地域の守り手〟は減少している。だったら、普段から災害対応に当たっている業者には、その労に報いるためインセンティブを与えるべきだし、それが魅力になって団体に加入する業者が増えれば、建設業界全体で地域を守るという意識が醸成され、災害に強いまちづくりが実現できるのではないか。 郡山市ホームページ あわせて読みたい 建設業者「越県・広域合併」の狙い【小野中村】【南会西部建設】 「地域の守り手」企業を衰退させる県の入札制度 福島市「デコボコ除雪」今シーズンは大丈夫?

  • 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま

     人口減少・少子高齢化など、社会・経済情勢が大きく変化する中、国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進してきた。いわゆる「平成の大合併」である。県内では90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。一方で、県内では「平成の大合併」に参加しなかった自治体もある。それら自治体のいまに迫る。今回は桑折町・国見町編。 財政指標は良化、独自の「創造性」はイマイチ  2006年1月1日、伊達郡の伊達、梁川、保原、霊山、月舘の5町が合併して伊達市が誕生した。当初、この合併議論には、桑折町と国見町も参加しており、「伊達7町合併協議会」として議論を進めていた。  ただ、2004年8月に桑折町の林王喜久男町長(当時)が合併協議会からの離脱を表明した。その背景にあったのは、合併後の事務所(市役所本庁舎)の位置。伊達7町合併協議会は事務所の位置に関する検討小委員会で、「新市の事務所は保原町とする」と決定した。それが同年8月11日のことで、それから約2週間後に開かれた桑折町議会合併対策特別委員会で、林王町長は合併協議会からの離脱を表明したのだ。  離脱の理由について、林王町長は①合併に対する基本的な考え方が満たされない、②行政圏域と生活圏域が一致しない、③町民への説明責任が果たせない――等々を明かしていた。とはいえ、当時、同合併協議会の関係者の間ではこんな見方がもっぱらだった。  「伊達地方は(阿武隈川を境に)川東地区と川西地区に分かれ、前者の中心が保原町、後者の中心が桑折町。合併協議が進められる過程で、両町による合併後の主導権争いがあった中、新市の事務所の位置が保原町に決まった。それに納得できない桑折町は『だったら、参加しない』ということになった」  桑折町は旧伊達郡役所が置かれ、「伊達郡の中心は桑折町」といった矜持があった。にもかかわらず、合併後の事務所は保原町に置かれることになったため、離脱を決めたというのだ。  同年9月に正式に離脱が決まり、以降は「伊達6町合併協議会」と名称を変更して、議論を進めることになった。  ところがその後、同年11月に行われた国見町長選で、「合併を白紙に戻す」と訴えた佐藤力氏が当選した。当時、現職だった冨永武夫氏は、県町村会長を歴任するなどの〝大物〟で、「合併を成し遂げることが町長としての最後の仕事」と捉えていた様子だった。一方の佐藤氏は共産党(町長選では共産党推薦の無所属)で、急遽の立候補だったため、準備や選挙期間中の運動も決して十分ではなかった。それでも、結果は佐藤氏3514票、冨永氏3136票で、約380票差で佐藤氏が当選を果たした。投票率は74・81%で、「合併白紙」が民意だったと言える。  当選直後の同年12月議会で、佐藤町長は合併協議会からの離脱に関する議案を提出した。採決結果は賛成8、反対9で離脱案は否決された。それでも、佐藤町長は「合併白紙を訴えた自分が町長選で当選し、町民意向調査でも同様の結果が出ている以上、合併協議会からの離脱は避けられない」との主張を曲げなかった。  このため、2005年1月、伊達6町合併協議会はこのままでは協議が進まないとして、同協議会を解散ではなく、「休止」という措置を取った。それと並行する形で国見町を除く「伊達5町合併協議会」を立ち上げ、協議を進めた。その後、同年3月に合併協定に調印、2006年に伊達市誕生という運びとなった。  こうして桑折町、国見町は合併せず、単独の道を選んだわけ。ちなみに、桑折町で合併協議時に町長を務めていた林王氏は2010年の町長選で高橋宣博氏に敗れ落選。その後は2014年、2018年、2022年と、いずれも高橋氏が当選している。国見町は佐藤氏が2012年11月まで(2期8年)務めた後、太田久雄氏が2012年から2020年まで(2期8年)、2020年からは引地真氏が町長に就いている。  合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう話す。  「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」  そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併についての勉強会(任意協議会)、法定協議会、正式な合併へと舵を切っていった、というのだ。  では、「平成の大合併」から十数年経ち、合併しなかった市町村が、この首長経験者が危惧した状況になったかというと、そうとは言えない。そのため、「合併しなくても、普通にやっていけているではないか。だとしたら、合併推奨は何だったのか」といった思いもあるようだ。 桑折・国見の財政指標  もっとも、合併しなかった市町村にはそれなりの「努力の形跡」も見て取れる。  ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。  別表は桑折町と国見町の各指標の推移をまとめたもの。数字だけを見れば「努力の形跡」が見て取れる。もっとも、投資的事業をしなければ財政指標は良化するから、一概には言えないが。 桑折町の財政指標と職員数の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・9116・1713・1150・40・512008年度9・4119・0413・8167・20・512009年度8・7218・5914・0141・10・502010年度――――13・8120・60・472011年度――――13・768・60・452012年度――――11・941・30・432013年度――――11・819・40・432014年度――――10・311・80・442015年度――――10・415・70・452016年度――――11・010・10・452017年度――――11・67・40・452018年度――――11・43・60・452019年度――――10・414・40・452020年度――――9・636・60・46※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の財政指標の推移 実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度5・2721・0217・5149・10・362008年度5・7422・4318・7126・60・362009年度5・4719・6317・4103・90・352010年度――――15・585・00・342011年度――――12・985・20・322012年度――――11・178・30・302013年度――――10・077・40・292014年度――――8・175・10・292015年度――――7・062・30・292016年度――――6・670・70・292017年度――――6・867・80・302018年度――――6・760・60・322019年度――――5・741・60・332020年度――――4・323・00・33※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。  この指標を示して、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)に見解を求めたところ、こう回答した。  「財務指標からだけでは財政運営の良否は判断できません。そこで、桑折町と国見町の場合は、地域環境の似通っている隣接の伊達市と比較して、相対的な評価をするのがよいと思われます」  別表に伊達市の実質公債費比率の推移を示した。2021年度は速報値。今井氏はそれと桑折町、国見町の数字と比較し、次のように明かした。なお、桑折町の2021年度速報値は9・2、国見町は3・2。 伊達市の実質公債費比率の推移 2008年度15・52009年度14・62010年度13・42011年度11・62012年度9・82013年度8・32014年度7・42015年度6・82016年度6・52017年度7・42018年度6・62019年度6・92020年度7・22021年度7・8  「実質公債費比率の推移を見ると、まず伊達市と国見町との差は歴然としています。2008年度時点では、伊達市15・5、国見町18・7と、むしろ国見町のほうが悪い数字だったものが、2021年段階では伊達市7・8、国見町3・2と、国見町の方が大きく改善しています。次に伊達市と桑折町とを比較すると、桑折町の方の改善度が低いように見えますが、最近5年間の推移を見ると、2017年段階で伊達市7・4、桑折町11・6だったところが、2021年段階では伊達市7・8、桑折町9・2となっていて、桑折町は改善しているのに、伊達市は改善していません」  こうして聞くと、相応の努力は見られると言っていいのではないか。もっとも、今井氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 桑折・国見町長に聞く  両町長は現状をどう捉えているのか。町総務課を通して、以下の4点についてコメントを求めた。  ①当時の町長をはじめ、関係者の「合併しない」という決断について、いまあらためてどう感じているか。  ②当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められる。別紙(前段で紹介した財政指標)は県市町村財政課が公表している「財政状況資料」から抜粋したものですが、それら数字についてはどう捉えているか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」の取り組み、今後の対応についてはどう考えるか。  ③当時、本誌取材の中では「多少の我慢を強いられても、単独の道を模索してほしい」といった意見もあったが、実際に住民に対して「我慢」を求めるような部分はあったか。  ④「合併しないでよかった」と感じているか。  回答は次の通り。 桑折町 高橋桑折町長  ①、④合わせての回答  国は、人口減少・少子高齢化等の社会情勢の変化や地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立を目的に、全国的に市町村合併を推進したところです。本町においても近隣自治体との合併について検討したものの、分権社会に対応できる基礎自治体構築・将来に希望の持てる合併が実現できるとは言い難いことや、行政圏域と生活圏の一体性の醸成が困難であることなどから、合併しない決断を選択しました。  その後、地方行政を取り巻く環境が厳しさを増す中にあって、行財政改革に努め、健全財政の維持を図りながら町独自の施策展開により、2021年においては人口が社会増に転ずるなど、単独立町だからこそ得られた結果と捉えており、合併しないでよかったと感じております。  引き続き、子どもたちに夢を、若者に元気を、高齢者に安心を届け、「住み続けたいまち 住みたいまち 桑折」の実現に邁進してまいります。  ②の回答  当町は、平成16(2004)年9月に伊達7町による合併協議を離脱し、自立(自律)の道を選択して以降、東日本大震災をはじめとする度重なる災害や社会経済状況の変化、人口減少・高齢化などにより、多様化・複雑化・高度化する行政需要を的確に捉え、住民ニーズに応える各種施策を展開するとともに、事業実施にあたっては、財源確保を図り、「選択と集中」「最小の経費で最大の効果を上げる」ことを常に念頭に置きながら、財政の健全性維持に努めてまいりました。その結果、別紙の「健全化判断比率(4つの各比率)」の推移にありますとおり、平成19(2007)年度以降、各指標とも低下傾向にあり、合併せずとも着々と財政の健全化に向け改善が図られてきたものと捉えております。  とりわけ、企業誘致の促進や移住・定住人口の増加に資する施策に取り組みながら、税収の確保や収納事務の効率化を図るとともに、国・県などの補助制度の積極的な活用に努めてきました。また、シティプロモーションなどPR事業の展開や魅力的な返礼品の充実を図り、ふるさと納税は大幅に伸びております。  今後についても、2022年度策定した「中期財政計画」に基づき、更なる財源の確保、歳出抑制・適正化等、健全で持続可能な財政運営に向けた取り組みを継続し、「住み続けたいまち」であり続けるための各種施策を展開していく考えであります。  ③の回答  合併協議からの離脱後、これまでの間、行財政改革や自主財源の確保を図り、行政需要を的確に捉え、各種住民サービスに努めることにより、町民の理解を得ているところであります。 国見町 引地国見町長  ①の回答  当時の町長選挙の争点が「合併」。合併しないことを公約にした候補が当選したことは、民意が明確に示されたものと考えている。  ②の回答  合併する、しないに関わらず、地方自治体の財政基盤強化、行財政運営の効率化は緊張感を持って取り組むべきことと考える。当町においても自主財源が乏しい中、サービスの質を維持・向上させるため、あらゆる財源の確保に奔走している。同時に、常にコスト意識を持ち、予算編成及び執行に努めながら、将来負担を軽減すべく、起債に係る繰上償還を積極的に行っている。  ③の回答  「合併をしなかった」ことを要因とし、我慢を求めることはなかったと考えている。  ④の回答  当時の決断に対し、その善し悪しを意見する考えはない。唯一申し上げるとすれば、当時の決断を大切に、国見町に住む方々が「国見っていいな」と思ってもらえるよう町政運営に努めたい。 人口減少幅は類似 桑折町役場(左)と国見町役場(右)  桑折町の高橋町長は合併議論時、議員(議長)を務めており、その後は2010年に町長就任して現在に至る。つまりはこの間の「単独の歩み」の大部分で町政を担ってきたことになる。その中で、「単独だからこそ得られたものもあり、合併しないでよかった」と述べている。一方、引地町長は2020年に就任し、まだ2年ほどということもあってか、踏み込んだ回答ではなかった。  両町の職員数(臨時を含む)を見ると、この間大きな変化はなく、国見町はむしろ増えている。もっとも、福島県の場合は、震災・原発事故に加え、ほかにも大規模災害が相次いだこともあり、その辺の効率化を図りにくかった事情もあり、評価が難しいところ。 桑折町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年111人103・12011年115人112・82012年115人109・92013年112人101・42014年113人99・52015年115人100・12016年112人100・12017年112人100・12018年112人99・02019年115人99・02020年117人94・2※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 国見町の職員数とラスパイレス指数の推移 年度職員数(臨時含む)ラスパイレス指数2010年89人100・72011年86人109・12012年90人108・92013年97人99・52014年105人100・82015年106人99・52016年103人99・62017年103人99・62018年106人99・72019年108人99・72020年107人100・3※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成  人口の推移は、伊達市が合併時から約1万2000人減、桑折町と国見町は「単独」を決断したころから、ともに約2000人減。数だけを見ると、伊達市の減少が目立つが、減少率で見ると、伊達市が約17%、桑折町が約16%、国見町が約21%となっている。国見町は2022年度から、国から「過疎地域指定」を受けている。 伊達市、桑折町、国見町の人口の推移 伊達市桑折町国見町2006年6万9122人1万3423人1万0646人2011年6万5898人1万2823人1万0059人2016年6万2218人1万2247人9455人2021年5万8015人1万1431人8612人2022年5万7104人1万1285人8398人各年とも1月1日時点。 思い切った「仕掛け」を  町民の声はどうか。  「この間、大きな災害が相次ぎ、そうした際に、枠組みが小さい方が行政の目が行き届く、といった意味で、良かった面はある。ただ、合併していたら、それはそれで良かったこともあったと思う。だから、どっちが良かったかと聞かれても、正直難しい」(桑折町民)  「純粋に、愛着のある町(町名)が残って良かった」(桑折町民)  「数年前に、天候による果樹の被害があり、保険(共済)に入っていなかったが、町から保険(共済)に入るための補助が出た。そういった事業は単独町だったからできたことかもしれないね」(国見町民)  「合併していたら、『吸収』される格好だったと思う。そうならなかったということに尽きる」(国見町民)  一方で、両町内で事業をしている人や団体役員などからは、ある共通の意見が聞かれた。それは「せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてもいいのではないか」ということ。  「例えば、会津若松市は『歴史のあるまち』で、歴史的な観光資源では太刀打ちできない。一方で、同市では、ソースカツ丼を売り出しているが、そのための振興組織をつくって、本格的に売り出したのは、せいぜいここ十数年の話。あれだけ、歴史的な観光資源があるところでも、それにとどまらず、何かを『生み出す』『売り込む』ということをやっている。そういった姿勢は見習わないといけない。例えば、e―スポーツを学校の授業に取り入れ、先進地を目指すとか。そういったことは小回りが利く『町』だからこそできると思うんだけど」(桑折町内の会社役員)  「国見町で、ここ数年の大きな事業と言えば、道の駅整備が挙げられる。周辺の交通量が多いことから立ち寄る人で賑わっているが、業績はあまり良くない。そもそも、道の駅自体、全国どこにでもあるもので、最初(オープン時)はともかく、慣れてしまえば目新しいものではない。一方で、夜間になると(道の駅に)キャンピングカーなどで車中泊をしている人が目に付く。例えば、キャンピングカーの簡易キッチンに対応した商品を売り出すとか、『車中泊の聖地』になるような仕掛けをしてはどうか。ともかく、道の駅に限らず、何かほかにない目玉になるようなものを作り出していく必要があると思う」(国見町内の団体関係者)  これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。  桑折町、国見町は交通の便がよく、働き口、高等教育、医療、日用品の調達先などで、近隣に依存できる環境にあったからこそ、合併しないという選択ができた面もある。財政指標の良化も見られる。ただ、単独町だからこそ可能な「創造性」という点では乏しかったと言えよう。 桑折町ホームページ 国見町ホームページ この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する

  • 【会津】「恒三イズム」の継承者は誰だ

     衆議院副議長を務めるなど「平成の黄門様」として知られた渡部恒三氏が亡くなって2年になる。往時の影響力はなくなりつつあるが、その存在は形を変えて会津政界に残り続けている。一方で、恒三氏の後継者が会津地方の国会議員にいないことを嘆く向きもある。 【渡部恒三】「国会議員の小粒化」嘆く会津地方住民 渡辺恒三氏  2022年11月6日10時、会津若松市城東町に残る渡部恒三氏の自宅に「渡部恒三記念館」が開館した。厚生大臣などに就任した際に受け取った任命書と卓上の名札、2003(平成15)年に受けた勲一等旭日大綬章の勲記など、ゆかりの品や美術品が展示されている。館長を務めるのは渡辺泰夫氏(會津通運会長)。  庭にはブロンズ像が設置された。数十年前に本県出身の金属加工業の社長が作っていたが、恒三氏が「生きているうちに銅像なんて作るもんじゃない」と話したため、日の目を見ずに保管されてきたという。  同日、テープカットとブロンズ像の除幕式が行われ、元知事で長年恒三氏の秘書を務めていた佐藤雄平氏、川端達夫・平野博文元衆院議員、恒三氏の長男・恒雄氏(笹川平和財団上席研究員)らが開館を祝った。 記念館のテープカットの様子  テープカットに参加した地元町内会長の目黒則雄さんは「町内会には主に二三子さん(恒三氏の妻。2022年1月に87歳で死去)が出席していたが、引退後は恒三さんも総会に顔を出してあいさつしていた。鶴ヶ城の南側は住宅ばかりで、公共施設、観光スポットなどが少ないので、こうした施設を造っていただけるのはうれしい」と語った。  恒雄氏は「父が住んでいた家がそのまま活用されている。昔訪れた方は懐かしく思うはず。政治家を引退してから10年経っているのに、このような記念館を開所してもらい、父は政治家冥利に尽きると思うし、家族としてありがたい限りです」とコメントした。  恒三氏は2020年8月23日に88歳で死去した。葬儀は近親者で営まれ、すぐにお別れの会を開く予定となっていたが、新型コロナウイルスの影響で延期となっていた。  同日午後には会津若松ワシントンホテルで2年越しのお別れの会が開催された。  発起人代表の佐藤雄平氏、後援会・秘書会代表の鈴木政英元磐梯町長があいさつ。川端・平野両元衆院議員、玄葉光一郎衆院議員、内堀雅雄知事、室井照平会津若松市長が別れの言葉を述べた。  献花の際に読み上げられた主な参列者には、会津地方の首長、議長、政治経験者などがずらりと名を連ねた。主催者発表によると、参列者は関係者も含め約350人。あらためてその影響力を示した格好だ。  恒三氏は1932(昭和7)年5月24日、田島町(現南会津町)で生まれた。渡部家はみそ・しょうゆ醸造業を営む旧家で、父・又左ヱ門氏は町長、県会議員を務めた。  県立会津中学(在学中に学制改革で会津高校に改称)、早稲田大文学部卒。同大大学院修士課程修了。早稲田雄弁会で活躍する一方、同郷の八田貞義衆院議員の事務所に出入りするようになる。大学院修了後、正式に秘書になり、1959(昭和34)年4月に26歳で県議選初当選。再選を果たし、自民党県連政調会長に就いた。だが1967(昭和42)年の総選挙で、八田氏の選挙参謀を務めた際に買収容疑で有罪判決を受け、県議を辞職した。  1969(昭和44)年の衆院選で旧福島2区から無所属で立候補し初当選。自民党の追加公認を得て田中派、竹下派に所属。竹下派では「七奉行」の1人として存在感を高め、前述の通り、厚生大臣などの主要閣僚を歴任した。  1993(平成5)年に「七奉行」の1人、小沢一郎氏とともに自民党を離党。「二大政党制」の実現を掲げて新生党や新進党の結党に参加。1996(平成8)年から2003(平成15)年まで衆院副議長。  1997(平成9)年の新進党解党後はしばらく党籍を持たなかったが、2005(平成17)年に民主党に入党し、同党最高顧問に就任。翌2006(平成18)年には、ライブドア事件関連のメール問題で危機に瀕する同党のため、73歳で国対委員長に就任した。  会津弁と飾らない人柄で「平成の黄門様」と呼ばれ、民主党では重鎮として若い執行部を支え存在感を示した。衆院議員連続14期務め、2012年に政界を引退した。 「保守」でもあり「野党」でもある  全国的に活躍した経歴を持つ政治家だけに「顔を出さないわけにはいかない」と多くの政財界関係者がお別れの会に参列した。会終了後、恒三氏の後援会幹部にコメントを求めたところ、「いまも会津全域に多くの支持者がおり、後援会が束ねている」と、死後2年経ってもその影響力が続いていることを強調した。  しかし、複数の会津地域の政治家・経済人からは「さすがにもう影響力はなくなった」、「首長にしても議員にしても『国会議員の支持者の動向で当選した』という話は最近ではあまり聞かれない。個々人の能力や性格が評価されていると思いますよ」と冷ややかな声が聞かれた。  会津地方のある市町村議員は「中選挙区制で恒三氏と激しい戦いを繰り広げた伊東正義衆院議員も、1994(平成6)年に亡くなった後は如実に支持者が減った。恒三氏の支持者も高齢化が進むとともに少なくなっていくだろう」と語る。  とは言え、2021年10月の衆院選で福島4区の焦点になったのは、立憲民主党の小熊慎司氏(54、4期)と自民党の菅家一郎氏(67、4期)、どちらが「恒三票」を取り込むか、ということだった。恒三氏が明確な後継者を定めていなかったためだ。 小熊氏(上)と菅家氏  前述の通り、恒三氏は自民党で閣僚を経験した後に離党し、二大政党制の実現を訴えた経歴を持つ。すなわち「保守」であり、「野党」でもある存在なのだ。野党を渡り歩いてきた小熊氏は恒三氏の後継者と言える。一方の菅家氏は会津の保守系政治家として市政・県政で活動してきた経緯があり、早稲田大の後輩ということもあって恒三氏と親密に交流していた。  要は、どちらも「恒三票」の受け皿になり得るわけ。だからこそ、2021年の衆院選では小熊氏陣営に恒三氏の支持者が名を連ねて電話攻勢をかけ、菅家氏陣営は負けじと保守系支持者の自民回帰を訴えた。  ある立憲民主党の支持者は次のように分析する。  「『恒三さんは大好きだけど、小熊さんはそんなに好きってわけじゃない』という人はいっぱいいる。大型連休中には外務省が退避勧告を行っているウクライナに国会申請せずに入国し、幹事長名で注意を受けるポカもやらかした。ただ、そうした支持者たちが小熊さんに見切りを付け(自民党の)菅家さんに流れているかというと、そうはなっていない。そういう意味では、菅家さんの〝評判の悪さ〟に助けられている面があると思います。彼は彼で実績アピールが露骨すぎて、煙たがられている節がある」  一方の自民党関係者はこう語る。  「恒三さんこそ『保守』の人生を歩んできたと思うし、支持者も『保守』である点を支持している人が多い。実際、2021年の衆院選では小熊氏が『野党共闘』で共産党の支援も受けたのを見て、『今回ばかりはさすがに応援できない』と離れた支持者が多かった。今後、選挙を重ねるごとに、小熊氏と菅家氏の得票数は差が開いていく一方になるのではないでしょうか」  過去3回の福島4区の投票結果は以下の通り。  《2014年》当5万6856 小熊 慎司46維新比5万6440 菅家 一郎59自民 1万0139 小川 右善65社民   9413 田中和加子58共産  《2017年》当6万8282 菅家 一郎62自民比6万7073 小熊 慎司49希望   9492 古川 芳憲66共産   8063 渡辺 敏雄68社民  《2021年》当7万6683 小熊 慎司53立民比7万3784 菅家 一郎66自民  2017年の選挙で小熊氏、共産党候補、社民党候補が獲得した票数の合計より、2021年の選挙で「野党共闘」した小熊氏が獲得した票数の方が少ない。そのため「共産党と手を組んだことで『恒三票』の中でも保守系の支持者が離れたのではないか」と自民党関係者は指摘しているのだ。  ただ、共産党とのつながりに関しては、立憲民主党関係者も「小熊氏が共産党ともっと距離を置けばより票数が伸びると思う」と分析しているので、今後はそこが両陣営にとってのポイントになるのだろう。  当の恒三氏は本誌2013年2月号「星亮一対談」で次のように語っていた。  《日本の政治は長年、自民党の1党支配が続いてきたが、民主主義の基本である「国民が政治を決める」という観点に立った時、政権担当能力を持った政党が1つでは心もとない。2つあるから、国民はどっちがいいか選択できるのです。  すなわち、僕は2大政党制を実現させるために自民党を飛び出したわけで、民主党をつくった後も、僕は自民党が悪いなんて言ったことは一度もない。政権を担当できる政党が自民党1つでは、日本は独裁国家になってしまうから、それを改めようとしたのです》 「昔と比べて戦い方が生ぬるい」  会津地域の経済人は「いずれにしても、中選挙区時代の激しい戦いを知っている立場からすると、小熊氏も菅家氏も小粒感が否めない。その戦い方にも生ぬるい印象を抱いてしまう」と嘆く。  「中選挙区でライバル関係だった恒三氏と伊東氏はどちらも閣僚経験者で、互いの支持者も含めてバチバチやり合っていた。支持を訴えるのも、ライバルを批判するのも、地元に仕事を引っ張ってくるのも全力。当時を知る立場からすると、いまは小粒な議員同士の戦いにしか見えない。もう少し存在感を示してほしい」  恒三氏の実績として知られるのは会津地方のインフラ整備に尽力したこと。昭和から平成初期にかけて、国道121号大峠トンネル、磐越自動車道、サンピア会津、県立会津大学、会津縦貫道路などの道筋を付けた。小熊氏、菅家氏がこれに匹敵する実績を作るのは難しいだろう。  いわゆる「1票の格差」是正に向けて、衆議院議員選挙の小選挙区定数を「10増10減」することなどを盛り込んだ改正公職選挙法が成立し、福島県選挙区は現行の5から4に減る。会津地域は県南地域と同じ選挙区になった。今後、各党で候補者調整が進められる見通し。生き残りをかけて、小熊、菅家両氏はどう立ち振る舞うのか。  恒三氏の影響力はなくなりつつあるものの、引退から10年、死後2年経っても「恒三票」の行方が注目され、「保守」、「二大政党制」について議論が交わされている。それだけ恒三氏の存在が会津政界で大きかったということだろう。 この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 追悼・渡部恒三元衆議院副議長 2022年11月6日にお別れの会開催

  • 【会津若松市】巨額公金詐取事件の舞台裏

     会津若松市の元職員による巨額公金詐取事件。その額は約1億7700万円というから呆れるほかない。 専門知識を悪用した元職員  巨額公金詐取事件を起こしたのは障がい者支援課副主幹の小原龍也氏(51)。小原氏は2022年11月7日付で懲戒免職になっているため、正確には元職員となる。  発覚の経緯は2022年6月13日、2021年度の児童扶養手当支給に係る国庫負担金の実績報告書を県に提出するため、小原氏の後任となったこども家庭課職員が関係書類やシステムデータを確認したところ、実際に振り込んだ額とシステムデータに不整合があることを見つけたことだった。  内部調査を進めると、2021年度の児童扶養手当支給に複数の不整合があることが分かった。また小原氏の業務用パソコンからは、同年度の子育て世帯への臨時特別給付金について小原氏名義の預金口座に振込依頼していたデータや、重度心身障がい者医療費助成金をめぐり小原氏が給付事務を担当していた07~09年度に詐取していたことをうかがわせるデータも見つかった。市は会津若松署に報告し今後の対応を相談する一方、金融機関に小原氏名義の預金口座の照会を行うなど、詐取の証拠集めを2カ月かけて進めた。  市は2022年8月8日、小原氏に事情聴取した。最初は「分からない」「覚えていない」と非協力的な姿勢を見せていたが、集めた証拠類を示すと児童扶養手当と子育て世帯への臨時特別給付金を詐取したことを認めた。  小原氏は動機について「不正に振り込む方法を思い付いた。魔が差した」と語り、使途は「生活していく中で自然に使った」と説明したが、続く同9、10、15日に行った事情聴取では「親族の借金を肩代わりし返済に苦労していた」「競馬や宝くじに使った」「車のローンの返済に充てた」と次第に変化していった。  市は事情聴取と並行し、詐取された公金の回収に取り組んだ。預金口座からの振り込みに加え、生命保険の解約や車の売却といった保有財産の換価を行い、2022年11月8日現在、約9100万円を回収した。  2022年9月8日には小原氏に対する懲戒審査委員会を開き、懲戒免職が妥当と判断されたが、引き続き事情聴取と公金回収を進めるため、小原氏の職員としての身分を当面継続することとした。  小原氏は2022年10月7日、市に誓約書を提出した。内容は児童扶養手当(約1億1070万円)、子育て世帯への臨時特別給付金(60万円)、重度心身障がい者医療費助成金(約6570万円)、計約1億7700万円を詐取したことを認め、弁済することを誓約したものだ。  市は2022年11月7日付で会津若松署に詐欺罪で告訴状を提出し、その日のうちに受理された。また、同日付で小原氏を懲戒免職とし、併せて上司らの懲戒処分を行った。  「会津若松署が告訴状を受理したので、事件の全容解明は今後の捜査に委ねられることになる。警察筋の話によると、捜査は2023年2月くらいまでかかるようだ」(ある事情通)  それにしても、これほど巨額な詐取がなぜバレなかったのか不思議でならないが、  「市の説明や報道等によると、児童扶養手当の詐取は管理システムの盲点を悪用し不正な操作を繰り返した、子育て世帯への臨時特別給付金の詐取は本来の支給額より多い金額が自分の預金口座に振り込まれるようデータを細工した、重度心身障がい者医療費助成金の詐取もデータを細工する一方、帳票を改ざんして発覚を免れていた」(同) 合併自治体特有の「差」  それだけではない。こども家庭課に勤務していた時は、自分が児童扶養手当支給の主担当を担えるよう事務分担を変え、支給処理に携わる職員を1人減らし、それまで行っていた決裁後の起案のグループ回覧をやめることで他職員が関連書類に触れないようにしていた。また主担当の仕事をチェックする副担当に、入庁1年目の新人職員や異動1年目の職員を充てることでチェックが機能しにくい体制をつくっていた。  「パソコンがかなり達者で、福祉関連の支給事務に精通していた。そこに狡猾さが加わり、不正がバレないやり方を身に付けていった」(同)  小原氏は市の事情聴取に「不正はやる気になればできる」と話したというから、詐取するには打って付けの職場環境だったに違いない。  小原氏は1996年4月、旧河東町役場に入庁。2005年11月、会津若松市との合併に伴い同市職員となった。社会福祉課に配属され、11年3月まで重度心身障がい者医療費助成金の給付事務を担当。18年4月からはこども家庭課で児童扶養手当と子育て世代への臨時特別給付金の給付事務を担当した。2022年4月、障がい者支援課副主幹に。事件はこの異動をきっかけに発覚した。  地元ジャーナリストの話。  「小原氏は妻と子どもがおり、父親と同居している。父親は個人事業主として市の一般ごみの収集運搬を請け負っているが、今回の事件を受けて代表を退き、一緒に仕事をしている次男(小原氏の弟)が後を引き継ぐと聞いた。三男(同)は、小原氏と職種は違うが公務員だそうだ」  小原氏は「親族の借金を肩代わりした」とも語っていたが、  「過去に叔父が勤め先で金銭トラブルを起こしたことがあるという。親族の借金の肩代わりとは、それを指しているのかもしれない」(同) 会津若松市河東町にある小原氏の自宅  河東町にある自宅は2000年10月に新築され、持ち分が父親3分の2、小原氏3分の1の共有名義となっている。土地建物には会津信用金庫が両氏を連帯債務者とする5000万円の抵当権を付けている。  小原氏の職場での評判は「他職員が嫌がる仕事も率先して引き受け、仕事ぶりは迅速かつ的確」といい、地元の声も「悪いことをやる人にはとても見えない」と上々。しかし、会津若松市のように他町村と合併した自治体では「職員の差」が問題になることがある。  ある議員経験者によると、市町村合併では優秀な職員が多い自治体もあれば能力の低い職員が目立つ自治体、服装や挨拶など基本的なことすらできていない自治体等々、職員の能力や資質に差を感じる場面が少なくなかったという。  「合併から十数年経ち、職員の退職・入庁が繰り返されたため今は差を感じることは減ったが、中核となる市に周辺町村がくっついた合併では職員の能力や資質にだいぶ開きがあったと思います」(同)  元首長もこう話す。  「町村役場は、職員を似たような部署に長く置いて専門性を身に付けさせ、サービスの低下を防ぐ。そこで自然と専門知識が身に付くので、あとは個人の資質によるが、悪用する気になればできる、と」  小原氏は旧河東町時代も重度心身障がい者医療費助成金の支給事務を行っていたというから、専門知識は豊富だったことになる。  市町村職員になるには採用試験に合格しなければならないが、競争率が高いため「職員=優秀」というイメージが漠然と定着している。しかし現実は、小原氏のような悪質な職員も存在すること、さらに言うと合併自治体特有の、職員の能力や資質の差が今回のような事件の契機になることも認識する必要がある。  市は今後、未回収となっている約8600万円の回収に努め、場合によっては民事訴訟も視野に入れるという。事件を受け、室井照平市長は給料を7カ月2分の1に減額し、現任期(3期目)の退職手当も2分の1に減額する方針。  市の責任を形で示したわけだが、市民からは市が注力しているデジタル田園都市国家構想を踏まえ「巨額公金詐取を見抜けなかった市に膨大な市民の個人情報を預けて大丈夫なのか」と心配する声が聞かれる。ICT導入を熱心に進める前にチェック機能がない、いわば〝ザル〟の組織を立て直す方が先決ではないのか。 この記事を掲載している政経東北【2022年12月号】をBASEで購入する あわせて読みたい 会津若松市職員「公金詐取事件」を追う

  • 悪評絶えない山本幸一郎【浪江町】副議長

     本誌2022年8月号に掲載したのは「山本幸一郎浪江町副議長に怪文書 家業の建設会社急成長に疑惑の目」という記事。内容は編集部宛てに届いた山本氏への批判メールの内容を検証し、本人に直撃したもの。 議員の資質が問われる〝傍若無人ぶり〟  公職選挙法第92条の2では、自治体議員がその自治体から仕事を請け負う会社の役員に就くことを禁じている(兼業禁止)。そのため、山本氏は家業の建設会社・平成建設の役員から退いている。ただ、実際は副議長の立場を利用して多くの仕事を得ており、会社は急成長している。7月の町長選で新町長となった元県議・吉田栄光氏とは仲が良く、その威光もあって、ゼネコンの下請けに入っている――。以上がメールの概要だ。 実際、平成建設はここ数年業績を伸ばしている(別表参照)。震災・原発事故前の売上高は1億2000万円前後だったが、近年は数億円規模となっており、2020年12月期には売上高14億0400万円、当期純利益1億1600万円を計上。安藤・間が元請けの農地除染や被災建物解体工事に下請けとして入っているほか、町発注の農業用施設保全整備工事を元請けで受注していた。  山本氏はどう受け止めるのか。本人を直撃すると、「議員の立場を利用して入札情報を得たわけではなく、誰でも入手できる形で情報を得たに過ぎない」と主張した。 そのほかメールで指摘されていた点については、「大手ゼネコンから浪江町復興事業協同組合に打診があり、複数社で請け負っている」、「事情が分からない役場職員に対しては、怒ってしまうというかつい大きな声でやり取りしてしまう」、「町長選では吉田栄光氏の選対幹事長を務めた。町長選も意識して送信されたメールかもしれない」と話していた。 そのため、記事では、「町内で存在感を増す山本氏に対し、敵意を抱く人物がメールを送ったのではないか」と書いた。 ところが、その後、過去に取材したことのある複数の浪江町民や浜通りの建設業界関係者から「山本氏は役場職員だけでなく、同業者に対しても乱暴な言動を見せたり、強引に仕事を取ることがあるので嫌われている。何件もトラブルになっている」と指摘が入ったのだ。 ある町民はこう話す。 「いま、この地域には復興関連で大手ゼネコンをはじめ、他地区からさまざまな業者が入っているが、地域の実情を知らない人は、『議員』『副議長』という肩書きを持つ山本氏を信用して近づいてくる。山本氏(平成建設)はそれでパイプを作り、大手ゼネコンの復興事業の下請けに入って、かなりの仕事を得たのは間違いない。本人はそのつもりはないかもしれないが、『議員』『副議長』という肩書きがなければそれは叶わなかったでしょう。南相馬市内の飲み屋で、山本氏と大手ゼネコンの現地所長クラスが飲み歩いている姿を何度も見かけた。そういう意味では、『議員』『副議長』の肩書きを使って、平成建設の営業活動をしていると捉えられても仕方がないでしょうね」 同業者から多数の〝被害〟報告  一方、浜通りの建設業界関係者は次のように証言する。 「記事にあったように、山本氏は気性や口調が荒く、同業者に対しても義理を欠く対応を取ることがある。それでも、町内では相応の影響力があり、今回、親しい吉田栄光氏が町長になったことで、さらに力を持つことになった。皆、それぞれの仕事や生活があるから、不満に思っていてもなかなか言い出せないのです。だから、『政経東北』に告発した人に対しては、匿名とはいえ、『勇気あるな』『よく言ってくれた』という人が多かったのです」 平成建設の事務所  平成建設と過去に仕事をしたことがある複数の建設業界関係者に当たったところ、「詳細に記すと誰が言ったか分かり、仕事の上で不利益になることが予想されるため、記事で具体的に書かないでほしい」という人がほとんどだった。 ただ、彼らの話を統合すると、「この仕事を手伝ってほしい」とか、「あそこの現場に何人か人を出してほしい」ということがあり、正式に契約書を交わさずに仕事に入った後、トラブルに巻き込まれたケースが多々あったようだ。 「最初に言っていた条件と違うとか、最初に話していた以上の仕事をやらされることになったとか、そういった事例がよく知られている。近隣の土建業者はみな直接的に関わるのを避け、陰で愚痴を言い合っている」(建設業界関係者) 8月上旬には編集部宛てに新たな匿名投書も寄せられた。 《記事では山本氏が「父が半年前に倒れてからは私が金勘定を担当するようになった」と話していたが、実際はその前からすべての実権を握っている。仕事の打ち合わせから段取りなどすべて行っていた》 《山本氏は役場、業界関係者に対し、気に入らないことがあればすぐに声を荒げて恫喝し詰め寄ってくるので、関係者の間では山本氏に会わないようにするのが基本。会社に乗り込み暴言、恫喝等、日常的に行っている》 まるで〝被害者の会〟でも組織されたような勢いで本誌に寄せられる山本氏関連の情報の数々。要するに、「町内で存在感を増している山本氏」に敵意を抱いて怪文書メールが送られたわけではなく、もともと評判が悪い人物だったわけ。 山本氏は1968年4月生まれ。浪江町出身で、大堀小学校、浪江中学校、双葉高校卒。2007年に平成建設社長に就任。2009年、浪江町議選で初当選したのに伴い社長を退任。山本氏の妻・博美氏が社長を務め、山本氏は同社社員となっている。もっとも、山本氏が経営を取り仕切っているのは周知の事実だ。 山本氏の父親・幸男氏は山本牧場(同町末森地区=原発事故で帰還困難区域に指定)を経営するかたわら、同町議を8期務め、議長経験もある。 町内のある議員経験者は山本親子をこう評価する。 「幸男さんは3回も議長不信任案が出されるなど、議会のトラブルメーカー的存在として取り沙汰されることが多かった。幸一郎くんはそこまで目立ってはいないが、〝瞬間湯沸かし器〟で、納得できないことがあるとすぐ大声を出す。〝ヤンチャ〟な武勇伝も知られています」 山本氏が毎年参加している相馬野馬追の騎馬会や、大手ゼネコン事務所などでも大声を出し机をひっくり返して暴れていた――という目撃談も複数の町民から得られた。 「よく知られているのは、町内某企業の創立記念パーティーの二次会で、知人に暴力を振るった事件です。周囲に人がいる中だったのでウワサになり、『月刊タクティクス』に匿名で書かれました」(ある町民) 町議4期目。副議長を務めるベテラン議員だが、同僚町議からは「議員という立場をわきまえない言動が多くて敬遠されている」、「政治的行動を共にする同士はいない」という本音が聞かれる。 農地取得と競走馬施設の関係  そんな山本氏にとって強い味方となっているのが吉田栄光氏だ。子どものころから親密で、町長選では山本氏が吉田氏の選対幹事長を務めた。2人の関係を象徴すると言われているのが、同町末森・大堀地区で整備が計画されている競走馬施設(本誌9月号既報)だ。 民間事業者主体の計画とされているが、吉田氏が誘致に前向きだったとされており、「吉田町長の息子らが経営するランドビルドという会社が運営に携わるらしい」(前出・ある町民)と言われている。 一方、山本氏は帰還困難区域の末森地区や大堀地区などで営農意思がない農家から農地を取得している(本誌8月号既報)。そのため「吉田氏を通して施設が整備されることを知った山本氏が、周辺施設なども想定して土地を先行取得しているのだろう」という見方が広まっているのだ。 吉田氏に事実関係を確認したところ、「競走馬施設の計画が浮上しているのは事実であり、とても期待している。ただ具体的な段階ではないし、(吉田氏の子どもの会社は)運営に携わるというものではなく、お手伝いした程度」とコメントした。 ランドビルドの吉田学人氏にコメントを求めるとこう話した。 「私が乗馬を趣味としていることを知って、先方から相談を受けたのです。地域のためになる事業と感じたので、ほかの人を紹介するなどしてお手伝いしましたが、運営などに携わる予定はありません。そのようなウワサが出ているのは承知していましたが、事業主は全く別の方なので、どう対応すればいいか困惑していました」 山本氏に話があったのかどうかは判然としないが、競走馬施設の計画と山本氏の農地取得、タイミングが良すぎるのは事実だ。 10月下旬、再び山本氏を直撃し悪評が相次いでいることに対し、意見を聞いた。 まず大手ゼネコンの現地所長クラスと飲み歩いている点についてはこう話した。 「年に数回飲みに行く友達グループの中に、大手ゼネコンの現地所長経験者がいるのは事実。ただ、いまはそのゼネコンの下請けに入っているわけではないし、自分が直接的に酒席に招くことはない」 同業者とのトラブルに関しては、「そうしたトラブルになった記憶はない。特に思い当たらない」と語った。複数の業界関係者から話を聞いているが、事実ではないということか、それともより詳細に話せば記憶がよみがえることもあるのか。 騎馬会や大手ゼネコン事務所で大暴れした――という話に関しては次のように答えた。 「騎馬会の〝役付け〟をめぐり、声を荒げて異議を唱えるのはみんなやっていたこと。自分だけがことさら取り上げられるのは違和感がある。それに机をひっくり返して大暴れした記憶はない。誰かと勘違いしているのではないか」 「大手ゼネコンに関しては除染漏れの個所があったので、呼びつけて怒鳴ったことが何度かある。事務所で大暴れした記憶はない」 ウワサを否定する山本氏だが、町内某企業の創立記念パーティーの二次会で、知人に暴力を振るった点は「本当にあったことです」とあっさり認めた。 「酒癖の悪い知人を諫める目的で叩いたらもみ合いになり、周りに止められた。事件化はしなかったが、議員という立場にありながら手を出したことを反省しています」(山本氏) 競走馬施設用地の先行取得に関しては「同施設の計画が浮上したのは半年ほど前。うちの父親(幸男氏)が山本牧場付近の農地を取得し始めたのが3年前。計画に合わせて先行取得したわけではありません」とウワサを否定した。 一方で、「計画地は山麓線(県道35号いわき浪江線)から1㌔ほど山側に入っていったところになる見込み。実はそちらにもわずかですが私の所有地が含まれています」と自ら明かした。競走馬施設に合わせて土地を先行取得したわけではないが、偶然所有地の一部が計画地に入っていた――山本氏はそう主張したいようだ。そう言いつつも計画地はしっかり把握していたわけで、意識はしていたのではないか。 「酒飲みに出かけるのはやめる」 山本幸一郎氏(浪江町議会HPより)  一通り話を聞いた後、山本氏は「自分が認めていないウワサまで誌面で紹介されるのは違和感がある」と語った。それならば、本人にとって都合のいい情報しか記事には書けないことになる。真面目に活動している議員であれば、これほどヘンなウワサが流れることはないだろう。怪文書が送られてきたという記事に対し、同業者から「勇気あるな」「よく言ってくれた」という声が上がるのはよほどのことだ。 言葉の端々からいかにも相馬野馬追出場者らしい熱い性格で、仲間への面倒見のよさが伝わってくる。業界関係者もそのことは認める。しかし、それ以上に公人らしからぬ傍若無人ぶりが際立っている。 「議員なのに建設会社の社長のようにふるまい、ゼネコンの現地所長と堂々と飲み歩く。そのことを指摘されれば〝いまは仕事をしていないゼネコン〟とうそぶく。公禄をはむ〝公人〟という自覚に欠けているのではないか」(建設業界関係者) 山本氏に関する情報は現在進行形で寄せられている。一つは山本牧場の件だ。山本氏の父親・幸男氏が病気で倒れ、山本牧場において研究名目で飼われていた牛が殺処分された。それらの死体について、「家畜保健所に届け出せず牧場敷地内に埋めたのではないか」とウワサになった。 山本牧場  ただ、家畜保健所に確認したところ、原発事故により指定された旧警戒区域において、原発事故発生当時生きていた牛は殺処分して敷地内に埋設するよう方針が示されており、それに基づいていたので問題がないことが分かった。「家畜保健所担当者の立ち合いのもと、埋めました」(山本氏)。 このほか、下請け会社から出向している社員について、雇用の〝グレーさ〟を指摘する声もあった。 山本氏は記者に対し「酒飲みは好きだが、友達グループと酒飲みに出かけるのはやめる。前回記事を受けて、職員に対し大声を出すのもやめた」と語った。どこまで真剣かは分からないが、周囲からは自分が想像している以上に冷ややかな目で見られていることを意識すべきだ。 あわせて読みたい 【吉田栄光町長の側近】山本幸一郎【浪江町】副議長に怪文書

  • 「入札介入」を指摘された石田典男【会津若松市議】

     会津若松市の石田典男議員(63)が窮地に立たされている。会津若松地方広域市町村圏整備組合(以下、整備組合と略)の新ごみ焼却施設整備・運営事業の入札をめぐり、2021年8月、整備組合議会が設置した100条委員会から「関係者への働きかけがあった」と断定されたのに続き、2022年10月には市政治倫理審査会から「政治倫理条例に違反する行為があった」と認定されたのだ。 当人は「法令に違反していない」と反論 会津若松市の石田典男議員  会津若松市の石田典男議員(63)が窮地に立たされている。会津若松地方広域市町村圏整備組合(以下、整備組合と略)の新ごみ焼却施設整備・運営事業の入札をめぐり、2021年8月、整備組合議会が設置した100条委員会から「関係者への働きかけがあった」と断定されたのに続き、2022年10月には市政治倫理審査会から「政治倫理条例に違反する行為があった」と認定されたのだ。  整備組合(管理者・室井照平会津若松市長)は会津若松市、磐梯町、猪苗代町、会津坂下町、湯川村、柳津町、三島町、金山町、昭和村、会津美里町で構成され、圏域人口は17万4500人(2022年4月現在)。構成市町村のごみ・し尿・廃棄物処理、水道用水供給、介護認定審査、消防に関する事業を行っている。 既存のごみ焼却施設は会津若松市神指町南四号で稼働中だが、1988年竣工と老朽化が著しいため、整備組合では隣接するし尿処理施設を解体し、その跡地に新ごみ焼却施設を建設する計画を立てた。 10月下旬、現地を訪ねると、し尿処理施設は既に取り壊され、鉄板が広く敷かれた敷地内では複数の重機やトラックが稼働するなど、大規模な土木工事が始まっていた。 計画によると、し尿処理施設の解体から土木工事、プラント工事、試運転までを含む期間は2021年8月から26年3月。その後、営業運転が始まる予定だが、この工事の入札に執拗に介入していたとされるのが同市の石田典男議員だった。石田議員は当時、整備組合議会の議員を務めていた。 石田議員は何をしたのか。 入札は総合評価方式制限付一般競争で行われ、共に地元業者をパートナーとする日立造船JVと川崎重工業JVが参加。2021年2~5月にかけて、整備組合が設置した「新ごみ焼却施設整備・運営事業事業者選定委員会」(以下、選定委員会と略)による審査を経て、同6月、川崎重工業JVが落札者に決まった。本契約は同8月に交わされ、契約金額は約252億円だった。 新ごみ焼却施設は現在、土木工事が行われている  この入札過程で石田議員が関係者に対し、入札手続きに関する質問や問い合わせを繰り返したり、落選した日立造船JVの担当者らと一緒に行動していたことなどが明らかになった。きっかけは、選定委員会の委員2名から「石田議員から特定企業に対する便宜や利益誘導等の要請、依頼等の働きかけに該当する恐れのある行為を受けた」とする報告書が整備組合管理者の室井市長に提出されたことだった。委員2名とは、当時の市建築住宅課長と市廃棄物対策課長である。 事態を問題視した整備組合は、事実関係を調査するため入札手続きを一時中断。その結果、落札者の決定が当初4月上旬の予定から6月上旬と2カ月遅れた。 調査では、次のような事実関係が明らかになっている。 ①石田議員は複数回にわたり選定委員の建築住宅課長を訪ね、非公開の選定委員会資料を閲覧し、地元業者の入札参加要件などを公表前に聞き出そうとした。 ②石田議員は建築住宅課長に、落札者の選定に当たっては災害対応、地元業者の活用、景観的調和などが重要事項になると指摘した。 ③石田議員は選定委員の廃棄物対策課長に、災害に強い施設や発電設備の設置場所などのポイントについて説明した。 ①の行為が問題なのは説明するまでもないが、②と③の行為は、そこに挙げられた要件を重視すると日立造船JVの方が優れていると石田議員が示唆した――と委員2人は受け止め、これを「石田議員による働きかけ」と捉えたわけ。ちなみに、非公開資料を石田議員に閲覧させた建築住宅課長は減給6カ月の懲戒処分を受け、市を退職している。 このほか石田議員は、日立造船や地元業者の担当者らを連れて市役所や市公園緑地協会を訪ねている。目的は同協会に、審査項目の一つになっている関係表明書(もしそのJVが落札したら、地元業者に協力を約束する文書)の提出を求めるためだった。応札業者と議員が一緒に行動すれば、周囲から疑いの目で見られるのは避けられないのに、躊躇しなかったのは驚く。 ただ、整備組合の調査では「不当な働きかけや関係法令に抵触するような事実は確認できず、入札の公平な執行を妨げるまでには至っていない」と結論付けられた。「グレーかもしれないが、クロとまでは言い切れない」というわけだ。 この結論に納得がいかなかった整備組合議会は2021年5月、地方自治法100条に基づく「新ごみ焼却施設整備・運営事業等に係る事務調査特別委員会」(以下、特別委員会と略)を設置。特別委員会は同5~8月にかけて計23回開かれ、石田議員に対する証人尋問を行ったり、前述・選定委員2名(この時、既に委員を辞めていた)や市建設部副部長、整備組合職員を参考人招致したり、関係者に資料提出を求めるなどした。 これらの調査結果をまとめたのが同8月17日付で公表された「新ごみ焼却施設整備・運営事業等に係る事務調査報告書」である。その結論部分は次のよう書かれている。 狙いは石田議員〝抹殺〟⁉  《今般の調査を通して、石田議員は環境センター等への電話や訪問等により、記録が残されているだけでも十数回にわたり問い合わせや意見の申出、資料の請求、又は資料の提示を行っている。特に、入札公告前の入札に関する情報については、公表できないと何度も回答しているにもかかわらず、繰り返し秘密情報を探り出そうとする執拗な行為に職員は圧力を感じた、というものである。 こうした執拗な問い合わせや確認は、議員の権限を越えた入札手続きへの介入であり、執行機関の権限を侵害するものである。 一方、会津若松市建設部副部長との間における緑地協会からの関心表明書に係るやり取りについても、同様に問い合わせや確認が繰り返されたことから、今般新たに働きかけと認定されたところであり、本事業に係る入札手続きの中断は、まさに石田議員による選定委員会委員2名と会津若松市職員1名への働きかけが発端となったものである。加えて、石田議員は、整備組合の入札に応募する民間企業であることを理解した上で、その営業活動に同行するなどした一体性を疑われる行為は、議員活動の範囲を逸脱していると言わざるを得ず、とりわけ石田議員は整備組合とA社(報告書には実名が表記されているが、ここでは伏せる)単独または関係する企業グループ等との間における契約案件について、整備組合の議会議員として審査や決議を行う立場にありながら、企業の立場で資料を持参の上、質問や相談を行う行為には疑念を抱かざるを得ない》(39頁) このように「石田議員による働きかけや疑わしい行為があった」と断定しているが、報告書にはこうも書かれている。 《すべての委員において特定の者に有利、または不利に働くような趣旨の発言は一切なされなかったこと、さらに石田議員による非公開資料の閲覧、石田議員によるB・C両委員(建築住宅課長と廃棄物対策課長。報告書には実名が表記されているが、ここでは伏せる)への接触等によって、本事業に係る(中略)意思決定について、何ら影響を受けていないことを委員一同で確認した》(35頁) 《官製談合防止法や刑法をはじめとする関係法令等に接触し公契約締結に係る妨害行為に該当し得るような行為の有無を検証したものの、これらの関係法令に抵触するような行為はなかった》(37頁) 石田議員の一連の行為は「落札者の決定に影響を及ぼしておらず、関係法令にも抵触していなかった」というのである。 整備組合による調査に続き、特別委員会による調査でも「グレーかもしれないが、クロとまでは言い切れない」と結論付けられたわけ。併せて特別委員会は「告発までには至らない」とも結論付けている。 シロかクロか、はっきりさせるために設置したはずの特別委員会でも結局グレーとしか判断されず、どこかモヤモヤ感が残る。ただ報告書を読んでいくと、前述・委員2人や市建設部副部長、整備組合職員らの証言から、ある種の覚悟を感じ取ることができる。その証言とは、 「石田議員から『これは重要だよね』『やっぱりこういう点で見なきゃいけないよね』といった問いかけがあり、自分としては誘導されているというイメージ、依頼があったという認識を持った」 「石田議員の市議会建設委員会での質疑等から経験上、市へのアプローチの仕方を見てきており、今回も同じ方法で行われていると思った」 「細かい中身まで質問されることもあり、何か意図があるんだなと思うような質問もあった」 「入札そのものに関する情報は公表できないと何度も回答しているにもかかわらず、電話や来庁等により秘密情報を探り出そうとする執拗な行為に圧力を感じた」 石田議員は以前から「市発注の公共工事に首を突っ込み過ぎる」と評判で、記者も市職員から度々「石田議員の行為は迷惑」と聞かされていた。要するに、疑惑が取り沙汰されるのは今回が初めてではないのだ。 そうした中で、職員たちが石田議員を一斉に〝告発〟したのは「これ以上、入札への介入は許さない」という意思の表れだったのではないか。言い換えると、この際、職員たちは石田議員を〝抹殺〟しようとした、ということかもしれない。 不満露わにする石田議員  石田議員は現在6期目。前回(2019年8月)の市議選(定数28)では1954票を獲得し、5位当選を果たしている。上位当選で6期も務めているのだから、有権者の支持も高いのだろう。 もっとも、前述・特別委員会の報告書では地元の特定業者との近しい関係が指摘され、業者・業界による一定の支持が上位当選につながっている可能性もある。すなわち、石田議員は業者・業界の〝代理人〟としての役割を果たしつつ議員報酬(月額約45万円)を得ており、業者・業界は石田議員からもたらされる情報を有意義に活用している――という持ちつ持たれつの関係が浮かび上がってくる。 2021年8月、特別委員会の報告書が公表された後、整備組合議会は石田議員に対し、整備組合議会議員の辞職勧告を決議したが、石田議員は辞職しなかった。 一方、石田議員の一連の行為は関係法令には抵触していなかったが、市議会議員政治倫理条例に違反している可能性があるとして同11月、清川雅史議長に審査請求書が出されたことから、清川議長は同12月、第三者機関の「会津若松市政治倫理審査会」を設置した。同審査会は計8回開かれ、2022年10月4日、審査結果をまとめた「報告書」を清川議長に提出した。 報告書に書かれていた結論は「公正な職務の執行を妨げたり、妨げるような働きかけを禁じた同条例第4条第1項第5号に違反する」というものだった。併せて審査会は、清川議長に対しても▽本事案について議員に周知し、政治倫理基準の順守を徹底すること、▽政治倫理基準に反する活動に対し、条例の趣旨に則り議員がその職責を果たすことを求める、という意見を文書で伝えた。 清川議長に報告書と自身への意見について見解を尋ねると、次のようにコメントした。 「審査会の報告書と意見を重く受け止めている。現在、会派代表者会議で議会としての対応を検討中で、現時点で議長としての見解を述べることは差し控えたい」 この報告書を受け、石田議員は同18日、清川議長に「弁明書」を提出した。そこには《当該職員は何ら影響を受けずに活動できたものと思われる》《現に職務の公正性が害された事実はない》《報告書は「その他公正な職務を妨げる行為」がどのような行為を指すのか触れていない》と反論が綴られていたものの、《政治倫理条例第19条第1項は審査会の報告を尊重するものと定めており、議員としてこれに異はない》と同審査会の結論を受け入れる姿勢を示した。 石田議員の条例違反が明確になったことで、同市議会では今後、石田議員に対する処分が検討される。この稿を書いている10月下旬の段階では辞職勧告が決議されるという見方が出ているが、会派によっては厳重注意でいいのではないかという声もあり、温度差があるようだ。いずれにしても、11月中に開かれる予定の臨時会で最終的な処分が科される見通しである。 石田議員に電話で話を聞くと、弁明書では「異はない」としていたのに次々と反論が飛び出した。 「応札業者と一緒に行動したことは軽率だったと反省している。しかし、整備組合の調査も特別委員会の報告書も、私が法令違反を犯したとは結論付けておらず、告発も見送っている。私からすれば問題アリと言うなら告発してもらった方が、どういう法令違反があったかハッキリして、かえって有り難かった」 「審査会の報告書ももちろん重く受け止める。ただ、こちらも『その他公正な職務を妨げる行為』と抽象的な結論にとどまっている。私は議員として巨額の税金が投じられる公共工事について必要な調査を行っただけ。公の事業に関する情報を請求しただけなのに、なぜ悪く言われるのか。こちらが請求しても出せないと拒否するのは、隠し事があるからではないかと疑ってしまう。私は以前から公共工事について必要と思ったことは詳細に調査してきたし、勉強もしてきた。今回の入札も専門的知見から見るべき部分がたくさんあり、職員とは『それって必要なことだよね』と確認の意味を込めて話しただけ。私にとってはそれが『常識的なやり方』でもある。しかし、他の議員には私の『常識』が通じない。そういうことをやっている議員は他にいない、というわけです」 「自分が100%悪いことをしたとは思っていないが、専門委員や職員にはもしかするとハラスメントと受け取られかねない言動があったのかもしれない。今後は特別委員会や審査会の報告書を丹念に読み込み、自分の行為が法令や条例に違反するのか・しないのか、弁護士と相談しながら結論を導き出したい。そうすることで特別委員会や審査会の調査が正しかったのか、処分を科された自分が納得できる結論だったのかを精査していきたい」 石田議員によると、2021年8月に辞職勧告を決議された整備組合議会議員は、2022年10月に辞職したという。 同僚から冷ややかな声  法令違反はなく、自身の「常識」に基づく行為だったことを何度も強調した石田議員。しかし、同僚議員の見方は冷ややかだ。 「石田議員は弁明書で『他に資料請求をした議員がいないから〝特異な行動〟と言われるが、他に関心を持った議員が存在しなかっただけ』と述べているが、私から言わせると公共工事にそこまで関心を持つこと自体が不思議だ。あそこまで首を突っ込めば『業者に頼まれたから』と疑われてもやむを得ない。石田議員は『自分の行為は入札結果には影響していない』とも言っているが、そういう行為をしたことが問題なのであって、それに対する反省もない」 そのうえで、同僚議員は石田議員の今後を次のように展望する。 「市議会で辞職勧告を決議しても辞めないでしょう。議員は2023年8月に任期満了を迎え、市議選が行われる。石田議員の今回の行為は議員として相応しくないと思うが、もし市議選に出馬して7選を果たしたら、それは有権者が判断したことなので他の議員は従うしかない」 一定の結論が出されたことで、石田議員が入札に介入することは今後難しくなるだろう。いわば主だった活動が制限される中、議員を続ける意義を見いだせるのかが問われる。もっとも、それが主だった活動というのは、議員としていかがなものかと思ってしまうが……。

  • 【鏡石町議会】不適切言動の責任を問われる渡辺定己元議員

     前号に「鏡石町 気になるアノ話 渡辺元議員に対する政倫審設置へ」という記事を掲載した。その後、動きがあったので続報をお届けする。 擁護派議員は政倫審委員に選任されず  この問題を取り上げた発端は8月下旬に「鏡石町の渡辺定己議員が辞職した」との情報が寄せられたことだった。9月号の締め切り直前だったため、ひとまずその時点で分かったことをミニ記事(9月号情報ファインダー)で取り上げた。内容は次の通り。× × × 鏡石町の渡辺定己議員が辞職した。町議会事務局に確認したところ、「8月23日付で辞職願が受理された」という。辞職理由は「健康上の問題」とのこと。会期中ではなかったため、古川文雄議長に辞職願が提出され、古川議長がそれを許可したという流れになる。 渡辺氏は通算5期議員を務め、その間、議長も務めた。同町議会では〝長老〟的な存在だった。 そんな渡辺氏の辞職について、ある関係者はこう話す。 「議員7人の連名で、渡辺議員に対する政治倫理審査請求書が出され、政治倫理審査会での審査を待たずに辞職したのです」 政治倫理審査会(政倫審)は文字通り、政治家の倫理(政治的・道義的責任)を審査する機関で、条例で定められている。 渡辺議員が政倫審にかけられた詳しい理由は分かっていないが、「同僚の女性議員に対して、不適切な言動があった」(前出の関係者)とか。いずれにしても、議員定数12のうち、半数を超える7人の連名で政倫審請求書が出されたのだから余程のことと言える。 「逆に、渡辺氏は『名誉毀損だ』と言っているようで、場合によっては訴訟も辞さない構えだとか」(同) この件については、詳細が分かればあらためて報じることにする。   ×  ×  ×  × 10月号にこの続報を掲載した。 政治倫理審査請求書提出の代表者は込山靖子議員(56)。現職議員の死去に伴い、今年5月の町長選と同時日程で行われた町議補選(欠員2)に立候補し初当選した。同町唯一の女性議員で、渡辺議員から不適切な言動を受けたと訴えた本人だ。 込山議員は議会の非公開の場で、全16項目に及ぶ渡辺議員から受けた不適切な言動を訴え、8月19日付で政倫審請求書を提出したという。渡辺議員はその4日後(同23日付)に辞職したことになる。 込山議員が訴えた内容だが、本誌は本人から、「選挙期間中、あるいは当選後の議員活動の中で、渡辺議員からこんなことを言われた」、「こんなことをされた」といった話を聞いている。とはいえ、その一部は、同僚議員や町職員らが見ている場でのことだったが、ほとんどは2人のときか、2人に加えて渡辺議員に有利な証言をするであろう人しかいないときのことだった。客観的な証拠があるわけではなく、言った・言わないの話になる可能性があるため、詳細は触れなかった。 そのほか、前号記事では、県町村議会議長会に「政倫審請求書提出後に辞職した議員について、審査することは可能か」と問い合わせたところ、「可能」と返答があり、9月16日に開かれた議会全員協議会で、古川議長からその旨の報告があったことに加え、「今後、政倫審を立ち上げて、審査することになる」との関係者コメントを紹介した。 6人の政倫審委員  ただ、その後は具体的な動きがなかったことから、10月3日、込山議員を含む3人の議員で全員協議会開催を要請、同13日に開催された。 その際、本誌に伝わっていた情報では、「渡辺元議員を擁護したい議員らで政倫審委員を固めようとしている」ということだった。 結局、その日は委員選任には至らず、同21日に開かれた全員協議会でようやく「大枠」が決まった。委員は議会から3人、民間人3人の計6人で、議会からは畑幸一議員(副議長)、大河原正雄議員、角田真美議員の3人。このうち畑議員と大河原議員は政治倫理審査請求書に賛同した7人のうちの2人、角田議員は中立の立場という。 「渡辺元議員は『鏡政会』という議会会派のリーダー的存在で、古川議長などがそのメンバーです。言わば、古川議長は渡辺元議員に議長にしてもらった立場。ですから、古川議長は今回の件についても、渡辺元議員を擁護しようという姿勢がアリアリでした。ただ、10月13日の全員協議会で、『鏡石町議会は近隣自治体議会から低レベルだと揶揄されるような状況。いまこそ、きちんとした形で政倫審を行うべき』といった指摘があり、それが古川議長にも響いたのではないでしょうか。その結果、渡辺元議員を擁護しようという形ではなく、しっかり審査できるようなメンバー構成になった、と」(ある議員) 民間委員3人はいずれも女性を入れたい意向で、弁護士1人と、町内の女性団体の役員や町第三者委員経験者などを軸に選定する方針だが、まだ具体的には決まっていない。 ともかく、当初、本誌に伝わっていた「政倫審委員を渡辺元議員擁護派で固めようとしている」といった形にはならず、きちんと審査されそうなのは進展と言えそうだ。 ところで、前号記事で「今後、政倫審が設置され……」と書いたが、条例文の解釈では、要件を満たした状況で、議長に政倫審請求書を提出し、それが受理された段階で「政倫審は立ち上がっている」ということになるようだ。 つまり、8月19日に政倫審請求書を提出した時点で、政倫審は発足している、と。その4日後に渡辺議員が辞職したわけだが、「町議会事務局が県町村議会議長会の顧問弁護士に確認したところ、審査を行うことは可能で渡辺元議員への招致要請もできるが、強制はできないとのことでした」(前出の議員)という。 民間委員は10月末に開催される全員協議会で決定するようで、本誌は締め切りの関係上、その成り行きを確認できていない。ただ、いずれにしても民間委員の選任が行われ、込山議員が訴えた「渡辺議員から受けた不適切な言動」の真偽や、倫理に反するかどうかが明らかにされていくことになろう。 最後に前出の議員はこう話した。 「今回の件は、渡辺元議員を罰することが目的ではありません。議会のあり方、町民から付託された議員はどうあるべきか、ということを明確にするのが目的で、そのためにも政倫審ではしっかりと審査していかなければならないと思います」 あわせて読みたい 【鏡石町】政治倫理審査後も続く議会の騒動

  • 「尊敬する人」に箭内道彦氏を挙げた内堀知事

     この原稿は知事選投票日(2022年10月30日)の3日前に書いている。3期目を目指す現職の内堀雅雄氏(58)と新人の草野芳明氏(66)が立候補しているが、2022年11月号が書店に並ぶころには内堀氏が3選を果たしているのは間違いないだろう。 それはともかく知事選告示日(同13日)の2日後、福島民報に「立候補者の素顔」という記事が載った。内堀・草野両氏の人となりが紹介されているが、「尊敬する人」という質問に内堀氏が「箭内道彦」と答えたことが密かな注目を集めた。 箭内道彦氏(58)は郡山市出身。安積高校、東京芸術大学を経て博報堂に入社。その後独立し、フリーペーパーの刊行、番組制作、イベント開催、バンド活動など幅広い分野で活躍している。携わった広告、ロゴマーク、グラフィック、ミュージックビデオ等々は数知れず、まさに日本を代表するクリエイティブディレクター(CD)と言っても過言ではない。 そんな箭内氏と内堀氏の接点は震災前、箭内氏が地元紙の広告に書いた「207万人の天才。」というコピーに興味を持った内堀氏が、箭内氏のライブの楽屋を訪ねたことがきっかけだった。当時副知事だった内堀氏の来訪を「最初は警戒した」という箭内氏だが、話し始めると福島に対する思いは共通する部分が多く、年齢もちょうど同じだったため、ふたりはすぐに意気投合したという。 その数年後、震災と原発事故が起こり、当時ふたりで話していた「福島県民は伝えるのが下手」、すなわちコミュニケーションや発信力のあり方が問われるようになった。地震・津波・放射能汚染といった直接的被害だけではなく風評・差別・分断といった間接的被害など、さまざまな困難に直面する福島の姿を広く知ってもらうには「伝わる力を持った言葉」を操る箭内氏の力が必要――そう考えた内堀氏が箭内氏を〝三顧の礼〟で迎え入れ、全国の自治体の先駆けとなる「福島県クリエイティブディレクター」が誕生したのである。 福島県CD就任後、箭内氏は県の広報活動に積極的に関わり、2022年8月からは県が創設したクリエイター育成道場「誇心館」の館長として地元クリエイターの育成・指導もスタートさせた。 箭内道彦氏(クリエイター育成道場「誇心館」HPより)  とはいえ箭内氏をめぐっては、県の広報活動に〝関わり過ぎている〟として、地元CDや広告代理店からさまざまな弊害が指摘されるようになっている。その詳細は本誌2021年3月号と2022年9月号で触れているので割愛するが、内堀氏が尊敬する人に箭内氏を挙げたことで、弊害がますます大きくなる懸念が持ち上がっているのだ。 あわせて読みたい 箭内道彦氏の〝功罪〟 【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ  「内堀氏は、箭内氏がやることは何でも素晴らしいと言う。しかし中には『これってどうなの?』と首を傾げる広報もある。県庁内からもそういう声が少しずつ漏れている。そうした中で、内堀氏が箭内氏を尊敬していると言ってしまったら『いくらなんでも、これはない』という広報まで認められてしまう」(ある広告代理店の営業マン) 要するに、内堀氏の「尊敬している発言」は「箭内氏の今後の活動は何でもOK」とお墨付きを与えたのと同じ、というわけだ。 8年前、内堀氏が初めて知事選に立候補した時、尊敬する人に挙げていたのは自身が副知事として仕えた佐藤雄平元知事だった。それが箭内氏に代わった理由はよく分からないが「内堀氏はヘビメタ好きを公言するなど文化に強い関心を示すことがあるが、実は文化コンプレックスを持っているのかもしれない。だから文化の最先端を行く箭内氏に一種の憧れを感じている、と」(同)。 知事に尊敬された箭内氏が、どういう心境なのか興味深い。

  • 難航が予想される衆院選新4区の候補者選び

     政府は10月21日、いわゆる「1票の格差」是正に向けて、衆議院議員選挙の小選挙区定数を「10増10減」することなどを盛り込んだ公職選挙法改正案を閣議決定した。12月10日に会期末を迎える今国会で成立する見通し。成立後、1カ月の周知期間を経て施行され、次の衆院選から新たな区割りが適用される。 新たな選挙区割りでは、福島県の選挙区は現行の5から4に減る。 新1区=福島市、二本松市、伊達市、本宮市、伊達郡、安達郡。 新2区=郡山市、須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡。 新3区=白河市、会津若松市、喜多方市、西白河郡、東白川郡、南会津郡、耶麻郡、河沼郡、大沼郡。 新4区=いわき市、相馬市、南相馬市、双葉郡、相馬郡。 衆議院小選挙区の区割り改定等について(福島県HP)  地方振興局の管轄エリアごとに再編・切り貼りした格好となった。 本県関係の衆議院議員は小選挙区、比例区併せて9議員。選挙区が1つ減ればその分当選できない人が出るわけで、各議員にとっては死活問題だろう。 本誌10月号では、現3区を地盤とする玄葉光一郎氏(58、立民、10期)が新2区への転出をうかがって、地盤作りに努めている様子をリポートした。それ以外の選挙区に関しても、現職議員がこれまでの地盤以外での動きを活発化させているという話が漏れ聞こえてくる。報道によると、公職選挙法改正案が成立次第、自民党などが候補者調整に速やかに入る方針とのことなので、今後、陣容が固まるものとみられる。 今後の動向という意味で気になるのは新4区だろう。 「震災・原発事故の影響を受けた浜通り」として一体感があるように見えるが、福島第一原発による避難指示の有無や被害状況は自治体によって違う。 政治的な背景という意味でも現1区の相馬市・南相馬市と、現5区のいわき市では全く異なる。 現5区選出の衆議院議員はいわき市を地盤とする吉野正芳氏(74、自民、8期)。2020年に脳梗塞を患って以降、骨折したことなどもあって、健康不安説が浮上した(2020年12月号参照)。現在は回復しているが、年齢を考えると次も立候補するのは難しいのではないかと囁かれている。 仮に吉野氏が引退したら誰が後釜に入るのか。かつて吉野氏とコスタリカを組むなどしのぎを削った元衆院議員・坂本剛二氏の息子で、同党県議の坂本竜太郎氏が立候補に強い意欲を見せているが、まだ正式には方針が固まっていない様子。大票田であるいわき市ではこれまで複数の国会議員を誕生させてきた経緯があり、自民党いわき総支部などを中心に候補者選定が進むと思われる。 ただ、浪江町が福島国際研究教育機構の整備地に選ばれ、相双地域の復興が進む中で、その意向も無視できなくなるだろう。 福島県内の選挙事情に詳しい東北大学大学院情報科学研究科(政治学)の河村和徳准教授は次のように語る。 「自民党いわき総支部の中で“後継者争い”が進む中、相双地方の意向も加わってくれば、さらに混乱模様となることが予想されます」 新4区は震災・原発事故被災地の復興まちづくり、福島第一原発・福島第二原発の廃炉推進、県外最終処分を予定している中間貯蔵施設への対応、福島イノベーション・コースト構想の進展など多くの課題を抱えている。国や県に要望する機会が増えると思われるが、そうした役割を果たす国会議員をどこから選出するのか。吉野氏の意向も含めて、今後の動向を注視したい。 あわせて読みたい 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員 【福島県】自民・新3区支部長をめぐる綱引き 【福島県】衆議院区割り改定に翻弄される若手議員

  • いわき市議会「保守系最大会派」で分裂劇

     2022年10月に入って、いわき市議会で大きな動きがあった。保守系の最大会派・志帥会幹事長の小野潤三氏(3期)、顧問の佐藤和美氏(6期)と小野邦弘氏(5期)がそれぞれ「一身上の都合」を理由に退会したのだ。小野潤三氏は1人会派・正論の会を結成。佐藤和美・小野邦弘両氏は保守系の第2会派・一誠会(旧名称=自民党一誠会)に合流した。 これに伴い、志帥会の所属議員数は12人から9人に減少。逆に一誠会の所属議員数は8人から10人に増え、最大会派となった。 小野潤三氏は「内田広之市長の右腕」を自称し、次期志帥会会長が有力視される存在だった。ただ、複数の経済人によると、以前から旧統一教会の信者であることを公言しており、安倍晋三元首相銃撃事件以降は出処進退の行方が注視されてきた。 8月末、岸田文雄首相が自民党議員に対し「旧統一教会とは今後一切の関わりを持たないようにする」との通達を出し、地方議員も対応を迫られる中、保守系会派を離脱して1人会派を立ち上げる道を選んだ。 話はこれで終わらなかった。いわき市内で配布されているローカルタブロイド紙・いわき経済報(10月6日付)速報によると、この問題をめぐり、毅然とした対応をしなかった志帥会会長の永山宏恵氏(4期)に対し、会派議員が不満を募らせていた。そうした中で、特に不満が強かった佐藤和美氏と小野邦弘氏が退会を表明したという。 志帥会には以前から分裂の兆候があった。2年前の副議長選では、志帥会として支持していた市議がいたのに、2議員が造反し白票を投じた。その結果、自民党一誠会(当時)などが支持していた佐藤和良氏(5期、創世会=第3会派)が選出された経緯がある。 いわき市議会  当時から佐藤和美・小野邦弘両氏は志帥会内の不満分子として知られていた。本誌2020年11月号では《誰が白票を投じたのかは分かっていないが、「目星は付いている」(同)とのこと。いまのところ会派を離脱する動きはないが、当面は〝爆弾〟を抱えた状態が続く》と書いた。その爆弾が2年後に爆発した格好だ。 いわき民報によると、一誠会は10月17日、市議会の代表者会議において、旧統一教会や関連団体とのかかわりについて、市民の不安を払拭する目的から、全議員を対象に調査し、市民に公表する案を提案した。だが、同19日の代表者会議で話し合いがまとまらず、調査・公表は先送りされることになった。 前出・佐藤和良氏は「『正副議長は任期2年』という慣例を作りたい」として10月25日付で副議長を辞職。同24日の市議会10月臨時会で、佐藤和良氏と同じ創世会の坂本稔氏(4期)が新副議長に選出された。有効投票数は37で、坂本氏は20票を獲得。無効票が17票だった。 一方、議長の大峯英之氏(4期、志帥会)が4年間の任期を全うする意思を示したことに反発の声が出て、不信任案提出を模索する動きもあったという。 一誠会が最大会派となり、一気に潮目が変わった様子がうかがえる。 同市では毎回のように〝保守分裂選挙〟となっている市長選の名残で、保守系会派が複数存在している。志帥会は内田広之市長(1期)に近い会派、一誠会は内田市長と距離を置き、清水敏男前市長や岩城光英前参院議員と近かった会派だ。保守系とはいえ、距離を置く会派が最大会派となったことで、内田氏の市政運営に多少なりとも影響が出るかもしれない。 今後別の理由で保守系会派が離合集散する可能性もあるが、当面は緊張状態が続きそうだ。

  • 【南相馬市】元市幹部が地元紙に「ウソの証言」

     2022年10月12日付の福島民友に震災・原発事故当時、原町区役所長だった元職員の発言や行動を紹介する記事が載った。しかし、その内容は〝真っ赤なウソ〟だった。 裏取り怠った記者に市OBが憤慨  記事は「緊急時避難準備区域 残る市民置いてはいけず」という見出しで、震災・原発事故当時、原町区役所長を務めていた鈴木好喜氏の発言や行動を紹介している。 どんなことが書かれていたか、一部抜粋する。 《南相馬市は、市役所が緊急時避難準備区域に入ったが、行政機能をそのまま残す道を選択した。「避難できない市民を置いてはいけない。(移転には)賛成しかねる」。当時、市原町区役所長だった鈴木好喜さん(71)は市役所機能の一部を残して職員は市内にとどまるよう桜井勝延市長に進言した》 《市執行部内で「行政機能も移転すべきではないか」との議論が持ち上がった。それでは、避難できず、残された市民のケアはどうするのか―。幹部会議で口火を切ったのは鈴木さんだった。「健康状態が悪い人や体が不自由な人は自宅に残らざるを得ない。行政機能を残すにしても支所、出張所として市役所に一定の機能を残すべきだ」と主張。市は最終的に、行政機能をとどめる方針を決定した》 福島第一原発に近い双葉郡の町村は、全住民を避難させるとともに行政機能を他の自治体に移転したが、南相馬市は小高区の全住民を中心に避難させたものの、市役所はその場(原町区)にとどめた。 同紙の記事によれば、当時の桜井市長がそれを決定したのは、原町区役所長だった鈴木氏の進言があったから、というわけ。 ウソに憤慨するOBたち  「とんでもないデタラメ。よくこんなウソが言えるなと、記事を読んで呆れ返った」 そう話すのはある市役所OB。OBたちの間では今、この記事に強く憤慨しているという。 「鈴木氏は原発事故後、真っ先に市外へと避難した。そんな人が『市役所機能を残せ』などと偉そうなことを言うはずがない。当時を知る職員が見たら即ウソとバレる内容を、よく堂々と話せたものです」(同) 前稿に登場した桜井氏にも確認してみた。 「記事をそのまま読むと、市役所機能が市内にとどまったのは鈴木氏の進言のおかげ、となるが、そうした事実はない」 桜井氏によると、鈴木氏は当時、県外の避難所を回ると称して市内にいなかったという。市民をバスなどで市外に避難させた後、桜井氏は秘書課職員と運転手の計3人で、避難者を受け入れてくれた自治体に挨拶回りをしたが、新潟県妙高市を訪ねた際、現地のビジネスホテルに着くと駐車場に見覚えのある車が停まっていたという。当時、鈴木氏が乗っていた車だった。 すると、翌日の朝食会場で鈴木氏に遭遇。桜井氏が「こんなところで何をしているのか」と尋ねると、鈴木氏は「避難者を受け入れてくれた自治体を訪ね歩いて、お礼を言っている」と説明した。しかし、各地の首長に直接会って挨拶していた桜井氏に対し、鈴木氏はどこの自治体の誰に会っていたか定かでなく、市役所が公務として命じたこともなければ、鈴木氏から復命書が提出されたわけでもなかった。 「私が市役所機能を市内にとどめると決めたのは3月20日です。あの時、私の決定に賛同する幹部職員はほとんどいなかったが、そもそも鈴木氏は避難してその場にすらいなかったので、彼から進言を受けることはあり得ない」(桜井氏) では、鈴木氏はなぜ福島民友にあんなウソをついたのか。真意を確かめるため、原町区内にある鈴木氏の自宅に文書で質問を送ったが、本稿締め切りまでに返答はなかった。 市役所OBや桜井氏は、鈴木氏だけでなく、記事を掲載した同紙にも強く憤っている。確認すればすぐにウソと分かる発言を、なぜ真に受けたのか。桜井氏も同紙に「きちんと裏取りしたのか」と抗議したが、記事執筆から掲載までの経緯は説明がなかったという。 同紙に事実関係を尋ねると、担当者は次のようにコメントした。 「記事は取材に基づき書かれたものとご理解ください」 ウソをついた鈴木氏に問題の根源があることは言うまでもないが、それをそのまま記事にして市民に誤解を与えた同紙も反省すべきだろう。 あわせて読みたい 【南相馬市】桜井元市長が「市議選出馬」のワケ 選挙を経て市政監視機能が復活した南相馬市議会

  • 【南相馬市】桜井元市長が「市議選出馬」のワケ

     任期満了に伴う南相馬市議選に元市長の桜井勝延氏(66)が立候補を表明した。もともと市議を務めていたが、市長選で二度落選後、市議に出戻るのは極めて異例だ。 低迷する投票率のアップを目指す 南相馬市議会(HPより)  市議選(定数22)は2022年11月13日告示、同20日投開票で行われ、同年10月下旬現在25人程度が立候補する模様だ。 立候補予定者説明会は同年10月4日に開かれ、現職19人、新人2人が出席したが、この時、桜井氏の陣営からは誰も出席しなかった。ただ、同年9月下旬には立候補を決意し、後援会長などに挨拶を済ませていた。 当の桜井氏がこう話す。 「2022年1月の市長選に落選後、多くの方から『市議選に挑むべきだ』という声をかけてもらったが、親族の入院などが重なり選挙のことを考える余裕がなかった。しかし、お盆過ぎに退院し、ようやく落ち着いたタイミングで再度熱心に声をかけてもらい、出馬を決意した」(以下、断りがない限りコメントは桜井氏) 旧原町市議を1期、南相馬市議を2期務め、2010年から市長を2期務めた桜井氏。8年間の任期中は大半を震災・原発事故対応に費やしたが、18、22年の市長選で現市長の門馬和夫氏(68)に敗れた。 その間には国政への誘いもあったが、桜井氏は見向きもせず「脱原発をめざす首長会議」世話人として各地の現・元首長たちと脱原発に向けた活動をするなど、一貫して地方政治の立場から国に物申してきた。 「市長選は落選したが、2018年は1万6293票、22年は1万5625票を投じてもらった。ここで市政を投げ出し国政に転じれば、市民から『市民を見放した』『市長をステップに国会議員になりたかっただけ』と言われてしまう。市民に、市政に対する諦めの気持ちを抱かせないためにも地方政治にこだわりたいと思った」 とはいえ、たとえ僅差でも門馬氏に連敗したのは事実。市内には熱烈な支持者が大勢いるが、それと同じくらい〝反桜井〟の有権者もいる。二度目の落選後に「もう応援はこりごり」と離れた元支持者もいる。そういった人たちからは、今回の桜井氏の決断に「市長がダメだから市議なんて虫が良すぎる」「市議を踏み台に、また市長選に挑むつもりなんだろう」「どうせ報酬目当て」と辛辣な声も聞かれる。 一方で、桜井氏のもとには未だに市民から多くの相談が寄せられている。市立総合病院の診療・入院に関すること、災害対応に関すること、子育て支援に関すること――等々、市民が日常生活に困っている姿を日々目の当たりにしている。 市職員からも現市政を憂うメールが頻繁に届く。中堅・若手職員からは「今の職場環境では『市民のために働く』というモチベーションが保てない」と早期退職を示唆する声も寄せられている。 「市政に関心持ってほしい」  「市議は22人もいるのに、市民や職員のことを分かっていない。市議会もチェック機能が働かず、執行部の追認機関と化している。これでは市民の暮らしの改善につながらない」 ただ、市長選で1万票以上獲得している桜井氏が、1000票あれば悠々と当選できる市議選で落選する姿は想像できない。市民の関心は、桜井氏が何票獲得するかだろう。 ちなみに前回(2018年11月18日投開票)の市議選で、1位当選の得票数は2658票。しかし、桜井氏の口からは票数に関する話題は一切出てこない。桜井氏が強く意識するのは投票率だ。 「市議選出馬を決めた後、市内を挨拶回りしたら『えっ、市議選があるの?』『投票日はいつ?』と言う人がとても多かった」 要するに、市民は市議会(市議)に関心がないことを知り、桜井氏はショックを受けた。 「なぜ関心がないのか。それは市議会・議員に魅力がないからです。例えば、その商品に魅力があれば客は競うように買い求めるが、魅力がなければ見向きもしない。今の市議会・市議はそれと同じで、市民にとって魅力がないのでしょう。だから市議選の投票率も上がらない」 市長選と市議選の投票率を比べると、有権者の関心の違いがよく分かる。(日付は投開票日、人数は当日有権者数) 2014年 市長選(1月19日)―62・82%、5万3943人 市議選(11月16日)―59・10%、5万3828人 2018年 市長選(1月21日)―62・39%、5万2933人 市議選(11月18日)―55・91%、5万2376人 2022年 市長選(1月23日)―63・75%、5万0972人 市議選の投票率は下がっているが、2018年と22年の市長選は同じ顔ぶれでも1・36㌽上がっている。それだけ市民の関心が高かったということだろう。 「私は市長時代も落選後も市議選で応援マイクを握った。しかし、その候補者たちの得票数を合わせても私の市長選の得票数には及ばない。市議選も市長選と同じくらい関心を集め、候補者に魅力があればもっと得票してもいいのにそうならないのは、市民が投票に行かないか、票が別の人に逃げているかのどちらか。立候補予定者はこうした有権者の投票行動に危機感を持つべきです」 市議の多くは「桜井氏が出れば自分の票が減る」と警戒感を露わにしている。しかし、その市議が普段から支持を得ていれば、たとえ桜井氏が立候補しても、有権者はその市議に投票するはず。要するに、その市議がこれまでどういう活動をして、有権者がそれをどう評価しているかが今回の得票数に表れる、と。 「もちろん、選挙後の私自身の活動も問われる。意識しなければならないのは、市長選も市議選も投票に行かない『市政に無関心な市民』です。そういう人たちに、いかに市政に関心を持ってもらうか。国政や県政と比べて市政にできることは限られるかもしれないが、市民に最も身近だからこそ、きちんとやらなければ市民生活に及ぼす影響は大きいのです。市民には、とにかく市政に関心を持ってほしい。そのきっかけとなれるように今は市議選に全力を注ぎ、投票率アップにつなげたい」 若い世代の低投票率や若手候補者の少なさが課題となる中、市議と市長を経験し、66歳の桜井氏が立候補するのは「時代に逆行している」という批判もある。批判を跳ね返すには、投票率アップや市政に無関心な市民を引き付けるなど、さまざまな難題をクリアするほかない。 【結果】第5回南相馬市議会議員一般選挙(2022(令和4)年11月20日執行) 第5回南相馬市議会議員一般選挙 選挙結果 あわせて読みたい 【南相馬市】元市幹部が地元紙に「ウソの証言」 選挙を経て市政監視機能が復活した南相馬市議会

  • 【吉田栄光町長の側近】山本幸一郎【浪江町】副議長に怪文書

     2022年6月中旬、浪江町副議長の山本幸一郎氏(54、4期)に関する疑惑を綴ったメールが本誌編集部に寄せられた。山本氏が町議の立場を利用して、家業の建設会社の仕事を得ている――とする内容。山本氏に真偽のほどを聞いてみた。 家業の建設会社〝急成長〟に疑惑の目 怪文書メール  メールは匿名で送られてきた。受信日時は6月18日。ポイントは以下のようなもの。  〇浪江町議会副議長の山本幸一郎氏は、妻が平成建設の社長を務めているが、本人がいまも実質的な社長業を行っている。 〇町役場内で議員の立場を利用し、町工事や復興事業関係の入札情報を入手して仕事を得ている。 〇大手ゼネコンの下請に無理やり入り、好条件の請負金をせしめる行為が目立っている。 〇業界の鼻つまみ者だが、副議長であることや、浪江町長選で当選確実の吉田栄光氏(※編集部注・7月10日投開票の同町長選で6339票を獲得して初当選した)の威光もあり、大手ゼネコンのJVなどは仕方なく下請に入れている。 〇役場内で職員を恫喝し、次長課長クラスには必要な情報を出すようすり寄っている。復興事業で突然成金になった輩が「もっと金儲けさせろ」と守銭奴のごとく迫っているようで気持ち悪さがある。 〇浪江町にはいかがわしい議員がほかにもいる。町の政治をクリーンで適切なものとするため、こうした勘違い議員をただしていく必要があるのではないか。 公職選挙法第92条の2では、自治体議員がその自治体から仕事を請け負う会社の役員に就くことを禁じている(兼業禁止)。山本氏は家業の建設会社の役員から退いたものの、実際は副議長の立場を利用して多くの仕事を得ており、会社は急成長を遂げている――と指摘しているわけ。  山本氏は1968年4月生まれ。双葉高卒。2007年に平成建設社長に就任。2009年、浪江町議選に初当選したのに伴い社長を退任し、現在は同社社員として勤務。2021年4月の改選で4選を果たし、副議長を務める。山本氏の父・幸男氏も、同町議を8期務め、議長経験もある。 平成建設は1989年3月設立。資本金1000万円。従業員数24人(役員4人含む)。もともと牧場を経営していた幸男氏が立ち上げた(初代社長は幸男氏夫人のシヅ子氏)。所在地は、同町末森(すえのもり)地区だったが、原発事故で帰還困難区域に指定されたため、拠点を南相馬市原町区に移し、2018年に同町小野田地区に再移転した。 大手ゼネコンの下請として浪江町内の戸建て住宅建築や建物の解体工事、除染作業を手掛けているほか、一般顧客の整地工事や個人住宅の造成工事なども請け負っている。 役員は、代表取締役社長が山本氏の妻・山本博美氏。取締役が山本シヅ子氏、山本正幸氏、監査役が川村香代子氏。 民間信用調査機関によると、業績は別表の通り。震災・原発事故前の売上高は1億2000万円前後だったが、近年は数億円規模になり、2020年12月期には1億円超の当期純利益を計上した。  メールによると、町議の立場を利用して浪江町発注工事や復興事業に関係する入札情報を入手し、大手ゼネコンの下請に入っている、という。 相双建設事務所で同社の工事経歴書を閲覧したところ、業績が一気にアップした2019年から2021年にかけて、確かに大手ゼネコンが手掛ける被災建物の解体撤去工事や除染工事の下請に入っていた。 例えば2021年は安藤・間が元請の農地除染(請負金3億2470万円)と被災建物解体工事(同4500万円)を受注していた。 また、町発注工事に関しても、2020年に農業用施設保全整備(同1億2200万円)、2021年に小野田取水場造成工事(同1億7800万円)を元請で受注していた。 町議の立場を利用したかどうかは分からないが、復興事業や町発注工事を受注していたのは確かなようだ。 「業界の鼻つまみ者」、「大手ゼネコンのJVなどは仕方なく下請に入れている」という点が事実かどうかは確認できなかったが、「役場内で職員を恫喝し、次長課長クラスには必要な情報を出すようすり寄っている」という記述に関しては、町役場に出入りしている人物が次のように証言した。 「役場内で職員に大声で質問しているところを何度も見かけた。別のフロアにいてもその声が聞こえてきたほど。少なくとも第三者からは怒って話しているように見えました」 町内の事情通がこう解説する。 「〝導火線〟が短いタイプで、担当者などの回答が要領を得ないと大声になり、言葉遣いもすぐ荒くなる。いまの役場職員は震災・原発事故後に入庁したり、国・他市町村から応援で入っている人が大半で、地域事情をよく理解していないことが多いので、そうなりやすいのかもしれません。議会でも執行部とのやり取りの中で言葉遣いが荒くなり、何度か注意を受けていると聞いた。本人は自覚がないかもしれませんが、周りの受け止め方は違う」 いささか厳しい批判メールについて、当の本人はどう受け止めるのか。7月下旬、山本氏の自宅敷地内にある同社を訪ね、直接話を聞いた。 山本氏を直撃 山本幸一郎氏(浪江町議会HPより)  ――平成建設の実質的な社長業を山本氏が務めていると記されていた。 「厳密に言えば、この間実質的に経営を担ってきたのは私の父です。ただ、半年前に脳梗塞で倒れてしまったので、いまは私が〝金勘定〟を担当しています。もちろん、(公選法で禁じられているので)役員には就いていません」 ――議員の立場を利用し、町工事や復興事業に関係する入札情報を入手して仕事を得ているのでは、という指摘をどう受け止めますか。 「議員活動をしていれば、確かに予算策定の段階で次年度の事業について情報を得やすい。ただ、それらの情報は広報されており、誰でも入手できるもの。そもそも近年出ている町発注工事は規模が大きいものばかりで、入札参加資格がB、Cクラスのうちが応札できるものは少ない。(前出の)小野田取水場造成工事はうちの近所で、何としても取りたかったので、かなり〝叩いた〟金額で応札して取れましたけどね」 ――「大手ゼネコンの下請に無理やり入り、好条件の請負金をせしめている」という一文もあった。 「実際は大手ゼネコンから浪江町復興事業協同組合に打診があり、複数社で請け負っています。うちの会社が立地していた末森地区は特定復興再生拠点区域となっており、除染や建物解体工事が行われるということで、そこの下請には入れていただきました。地の利を生かせるということで、少し多めに(担当エリアを)配分していただいたと思いますし、危険手当分なども加味されているので割高な請負金になっています。ただ事情を知らない人には、議員の立場を使って仕事を取り、好条件な請負金を受け取っているように見えるかもしれません」 ――「議員として役場内で職員を恫喝している」という意見については、第三者からも証言を得ている。 「農業委員など地域のさまざまな役職を務めているので、2日に1度は役場に足を運び、担当課の職員と話をしています。ただ、事情が分からない職員も多く、怒ってしまうというか、つい大きな声でやり取りしてしまうのは事実です。建設課には町発注工事を受注している関係で確認のため訪ねることがありますが、それ以外で行くことはないです」 ――差出人に思い当たる節は。 「関係あるかどうかは分かりませんが、少し前に業界関係者とちょっとしたトラブルになったことがあり、(メールの内容と)同じようなことを指摘されたことがありました」 ――吉田栄光氏との関係にも触れられているが、これについては。 「父と付き合いがあり、私は中学生のときから何かとお世話になっているので、『他社より仕事を多くもらえているのではないか』とよく揶揄されていますが、さすがに県議の立場の方がそんなことはしません。町長選では吉田栄光氏の選対幹事長を務めました。町長選も意識して送信したのかもしれませんね」 疑惑のメールに対し、事実と異なる部分を丁寧に訂正し、同社の役員から退いているので公選法には抵触しない、と主張したが、「職員を恫喝」という指摘に関しては、そう疑われる行為をしていたと自ら認めた格好だ。町職員が町議から厳しい態度で詰められれば、立場の強さを利用したパワハラと受け取られかねない。まずは職員に対する姿勢を見直すべきだろう。 なお、町建設課にも確認したところ、「議員活動の一環として、事業の進捗状況などについて問い合わせがあれば説明することもあるが、未確定の情報について教えるようなことはない」と説明した。 言動を改めるべき  それにしても、誰がどんな目的でこのようなメールを送ったのか。 考えられるのは、年々町内での存在感を増す山本氏に対し敵意を抱く人物だろう。町議会副議長に就任し、家業の平成建設は復興需要で業績を伸ばしている。親密な関係の吉田栄光氏は新町長に就任する。そんな山本氏を疎ましく思う人物が悪評を綴ったのではないか。 そもそも山本氏の父・幸男氏からして、3回も議長不信任案が出されるなど議会のトラブルメーカー的存在だった。 本誌では2008年5月号に「違法墓地経営の浪江町議会議長に産廃不法投棄の仰天事実!!」という記事を掲載している。 県の相双地方振興局に「平成建設が山林に大量の建設廃棄物を不法投棄している」と通報が入った。現地を確認すると、建設廃棄物が野積みされ、埋められたものも確認できたため、同社に改善指導を行っていた。 2000年に建設廃棄物の分別解体と再資源化を義務付けた建設リサイクル法が定められていたが、当時同社の社長を務めていた山本氏らは同振興局に対し、「リサイクル法を知らなかった」と答えたという。 当時の本誌取材に幸男氏は「廃棄物は現在のように廃掃法が厳しくなる以前のもの」、「息子(山本氏)は『土の中から出て来た廃棄物は昔に埋めたもので、今は法律に基づいて適正に処理している』と説明した」、「掘り起こした廃棄物は(廃掃法の対象になるので)県の改善指導を受けて適正に処理した」と答えていた。 複数の町民によると、町長選には当初議長の佐々木恵寿氏(6期)が意欲を示していたが、「対立候補が出たとき、割れる可能性がある」という判断から候補者を調整し、議会を挙げて吉田栄光氏に頼み込んで、立候補を決意させた。その調整役を担ったのが山本氏とされる。 前述の通り、吉田氏は6339票を獲得し、会社社長の高橋翔氏に5895票差を付けて初当選を果たした。選対幹事長を務めた山本氏の存在感はますます大きくなると思われるが、それに伴い、過去の〝しくじり〟や職員への言動が蒸し返される機会が増えそう。「大堀地区で土地を取得し始めたが、何をするつもりなのか」(ある町民)など新たなウワサも聞こえてくるが、これまで以上に周囲の目を意識した言動を心がけなければ、再び同じような批判メールが出回ることになろう。 あわせて読みたい 悪評絶えない山本幸一郎【浪江町】副議長