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政治

  • 【福島県議会選挙】自民現職2人に新人2人が挑む【須賀川市・岩瀬郡】

     須賀川市・岩瀬郡選挙区(定数3)は、立憲民主党の現職宗方保氏が引退し、その後継者と、自民党の現職2人、共産党候補の4人で争う構図が予想され、激戦区と言える。 「共産候補も侮れない」との声も 渡辺康平氏 水野透氏  現在、同選挙区の現職は、宗方保氏(県民連合、6期)、水野透氏、渡辺康平氏(ともに自民党、1期)の3人。前回(2019年11月10日投開票)は、それまで5期務めていた自民党の重鎮・斎藤健治氏が引退したこともあり、6人が立候補する激戦だった。斎藤氏の引退を受け、自民党は新人2人の公認候補を擁立したが、同選挙区で自民公認候補が2人になるのは初めてだった。そのため、「宗方氏は安泰としても、自民党公認候補の2人がどれだけ得票できるか、場合によっては他候補が〝漁夫の利〟を得る可能性もあるのでは」との見方もあった。  ただ、結果は宗方氏と自民党公認の新人2人が当選した(前回の投票結果は別掲の通り)。  今回は、早い段階で現職の水野氏と渡辺氏が自民党公認での立候補が決まり、共産党も前回選挙に立候補した丸本由美子氏を擁立することを決めていた。  一方、宗方氏は「今期限りで引退する可能性が高い」(ある関係者)と言われていたものの確定的な情報はなかった。ただ、ある陣営の関係者は、5月ごろの時点で「宗方氏が出るにしても、引退するにしても、玄葉光一郎衆院議員の意向を汲んだ人が出てくるのは間違いない。ですから、すでに立候補を決めている自民党の現職2人と共産党の丸本氏、そこに宗方氏、もしくはその後継者(玄葉衆院議員の意向を汲んだ人)を加えた4人の争いになると思って準備をしている」との見方だった。  その後、宗方氏は6月4日に会見を開き、今期限りで引退する意向を表明した。地元紙報道によると「自分にできることを全うし、東奔西走の毎日だった。今後は一市民として発想力と行動力を持って地域貢献したい」(福島民友6月5日付より)と述べたという。  宗方氏の後継者については、当初から玄葉氏の秘書・吉田誠氏の名前が挙がっており、宗方氏の引退表明から約2週間後の6月19日に、立憲民主党公認で立候補することを表明した。  吉田氏について、須賀川市・岩瀬郡の有権者はこう話す。  「宗方氏が須賀川市のまちなか(旧市内)出身なのに対し、吉田氏は旧市内より人口が少ない東部地区出身だから、その辺がどうか。一方で、自民党の水野氏と地盤がかぶるところもあるから、その影響も気になるところです」(須賀川市民)  「人柄はいいと思うが、知名度としてはそこまでではないと思う。まあ、玄葉さんとその支持者が本気になってやるでしょうから、有力であるのは間違いないでしょうけど」(岩瀬郡の住民)  大方の見方では、「自民党の現職2人と吉田氏の3人が有力だろう」とのこと。ただ、「共産党の丸本氏も、昨夏の参院選に比例で立候補し落選したものの、(同じく比例で立候補して当選した)岩渕友氏とタッグを組んで顔と名前を売った。処理水放出など、自民党にとっては逆風もあるから、丸本氏も侮れないと思う」と見る向きもある。  吉田氏が宗方氏のごとく強さを発揮するのか、自民党は2議席を維持できるのか、共産党の議席奪取はあるのか等々が見どころだ。

  • 【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」検証ないまま2年目始動

     昨年に引き続き、今年も始まった県のクリエイター育成事業。国内トップクリエイターが師範、地元クリエイターが塾生となる道場「誇心館」では、クリエイティブ力の強化を目指した稽古が今年度いっぱい行われる。ただ、昨年度の成果発表はよく分からないうちに終わり、成果品はウェブや県庁の一角などで発表されたものの、税金を使って地元クリエイターを育成するという名目を踏まえると、事業の成果と反省点が見えにくいのは解せない。 塾生の生の声を反省材料にすべき 内堀雅雄知事 箭内道彦氏(誇心館HPより)  公式ホームページによると、誇心館の狙いは《県内クリエイターのクリエイティブ力を強化し、様々なコンテンツを連携して制作するとともに、それらを活用して情報発信を行うことで、本県の魅力や正確な情報を県内外に広く発信し、風評払拭・風化防止や本県のブランド力向上を図るため、県内クリエイターを育成する》というもの。  昨年度から始まった誇心館の館長は「福島県クリエイティブディレクター」の箭内道彦氏で、その下に国内の著名なクリエイター4人が師範として就いている(別掲)。公募により塾生に選ばれた県内在住クリエイター26人(10~70代)が各師範のもと来年1月まで月1回程度の講義や実習に取り組む。2月には修了式と成果発表が予定されている。 氏名主な仕事など館長箭内道彦(郡山市出身)クリエイティブディレクタータワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」など。県クリエイティブディレクター師範石井麻木写真家写真展「3.11からの手紙/音の声」を開催。県「来て。」ポスター審査員師範小杉幸一アートディレクター、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」「来て。」NHK「ちむどんどん」ロゴなど師範並河進コピーライター、クリエイティブディレクター電通ソーシャル・デザイン・エンジン代表。県「ふくしま 知らなかった大使」など師範半沢健フォトグラファー、ムービーカメラマン東京を拠点に幅広いジャンルで活躍中。県「ふくしまプライド。」TVCMカメラマン敬称略  昨年度は師範6人、塾生62人(稽古を全て受講し、修了書を受け取ったのは49人)だったので、それと比べると今年度は規模が小さくなった印象を受ける。しかし、公表されている情報や、本誌が情報開示請求で県から入手した昨年度事業の公文書を見ていくと、予算規模は昨年度が5530万円、その後、1200万円増額されて計6730万円。今年度は6820万円。つまり、今年度は昨年度より師範、塾生とも減ったのに、予算は増えている、と。同事業の受託者は昨年度、今年度とも山川印刷所(福島市)。  今年度の誇心館は、8月9日に入塾式と初稽古があった。  《入塾式では、箭内さんが「福島で生きる皆さんだからこそ乗せられるものがある。福島だからこそのうれしいこと、楽しいことなどを発信していくことが大切だ」とあいさつし、内堀雅雄知事が「多様性のある福島は一言では言い表せない。どのように伝えれば心に響くかを学んでほしい」と激励した。  各師範のあいさつに続き、塾生代表の石井浩一さんが「仕事への向き合い方、心構えなどを誇心館で学びたい」と決意を述べた》(福島民友8月10日付)  内堀知事がわざわざ出席するくらいだから、県の力の入れようが伝わってくる。それもそのはず、誇心館は地元クリエイターの育成という側面のほかに、内堀氏が副知事時代から箭内氏と親しく付き合い、前回知事選の地元紙取材では「尊敬する人物」に箭内氏を挙げたほど、両氏の関係性が色濃く表れている。  「震災の風評払拭や福島の現状を知ってもらうため、内堀知事が箭内氏を頼るのは理解できる。ただ、両氏が親しい関係にあることを知る人は『二人の距離が近いからこそ始まった事業』とか『そもそも地元クリエイターの育成って税金を使ってやることなのか』と冷めた見方をしている」(某広告代理店の営業マン)  とりわけ営業マンが驚いたと話すのが、前述の通り、誇心館の昨年度予算が5530万円から年度途中で1200万円増額され、計6730万円になったことだ。  「広報系予算が年度途中で増えるのは異例。少なくとも、私は経験したことがないし聞いたこともない。誇心館の県の窓口は知事直轄の広報課なので、内堀知事がOKすれば簡単に増額できる、ということなんでしょうか」(同)  県広報課によると、予算増額の理由は「作品の制作と情報発信にかかる費用を増やす必要があった」。足りなくなったからと簡単に増やせてしまうのは、両氏の関係性があるからこそと勘繰らずにはいられない。  本誌が情報開示請求で入手した昨年度事業の公文書に「収支報告書」があり、それを見ると、師範1人当たりの謝金は1回当たり2万5545円となっていた。  「昨年度の師範6人も国内トップクリエイターだったので、2万5000円が事実とすれば激安だ。6人は普段から箭内氏と一緒に仕事をしている〝箭内組〟の面々なので、箭内氏の頼みならと破格の謝金で引き受けたのか、それとも別途謝金を受け取っていたのか」(同)  営業マンによると、この手の事業では項目によって余裕を持たせた予算取りをするので、そこから別途謝金を捻出することは可能というが、県の事業でそのようなテクニックが使えるかは定かではないという。  今年度の謝金がいくらかは事業が全て終わらないと分からないが、昨年度より安いとは想像しにくい。もし高くなっていたら、昨年度は破格過ぎたということだろう。 ダブルスタンダード https://fukushima-creators-dojo.jp/achieve.html  昨年度と今年度の違いで言うと、前出・福島民友の記事にもあるように塾生(代表)の名前を最初から公開していることが挙げられる。  実は、情報開示請求で入手した昨年度事業の公文書では、塾生の名前が全て黒塗り(非開示)になっていた。入塾式と修了式で代表あいさつした塾生の名前も黒塗りだった。  ところが、誇心館の公式ホームページを見ると「2022年度の成果発表」という項目に、塾生の名前と顔写真、それぞれの感想が載っているのである。開示した公文書では名前を全て黒塗りにしておいて、ホームページでは名前だけでなく顔写真まで公開しているのは明らかなダブルスタンダードだ。  県広報課に、本誌に開示した公文書では塾生の名前を黒塗りにした理由を尋ねると、  「公文書は個人情報保護の観点から非開示にした。ホームページは本人の了承を得て開示している」  なんだか解せない。  昨年度の修了式は今年3月6日に行われ、成果品の展示会は同日と翌7日に福島市内で開かれたが、一般の人が見学する機会はほとんどなかったという。  「展示会初日は内堀知事が訪れ、マスコミ対象の公開が優先されたため、一般の人は夕方しか会場に入れなかった。翌日も半日しか開かれなかったので、いつの間にか始まり、いつの間にか終わった印象」(同)  展示会自体は閉鎖的に済ませてしまった感があるが、成果品はウェブで公開したり、新聞、ラジオ、各地の大型ビジョン、デジタル広告、県の公式SNSなどを通じて広く情報発信された。県庁の一角でも期間限定で展示が行われた。ただ、ユーチューブのように再生回数が表示されるならともかく、CMやラジオを見たり聞いたりした人がどれくらいいて、それによってどのような成果が得られたかは正直分かりにくい。  「注目を集めたのは、県が開発したイチゴのオリジナル品種『ゆうやけベリー』のパッケージを塾生が手がけたことくらい。各師範のもとでユニークな取り組みが行われたとは思うが、せっかく箭内氏が館長なのだから、全体で統一テーマを設定し、それに沿って各師範のもとで動画やCMなどを制作して発信すれば、費用対効果も上がり、多くの人の印象に残るPRができたのでは」(同)  県内の某クリエイティブディレクター(CD)も、誇心館の取り組みにこんな指摘をしている。  「クリエイターは自分のつくった作品を多くの人に見てもらうのが仕事。だから、多くのクリエイターが一堂に会し、共同で学びながら作品をつくり上げていく誇心館のやり方はちょっと……と本音を漏らす塾生も中にはいました」  某CDによると、塾生はプロ、学生、素人が入り混じり、年齢層も幅広かったため、能力やスキルに差が見られた。全員が塾生として純粋に講義を受けるだけならそれでも構わなかったが、連携して作品をつくるとなった時、携わる塾生が限られる現象が起きたという。  「誇心館はプロ志向に寄せて始まったので、作品づくりに携わる塾生も次第にプロが中心になっていったようです。ただ、彼らは自分の仕事をしながら塾生として作品づくりに臨み、しかも、講義の一環なので無報酬だったため『自分は何のためにやっているのか』と愚痴をこぼす塾生もいました」(同)  それなら同業者(クリエイター)を集めて連携させるのではなく、メーカーや広告代理店などと引き合わせ、作品づくり=仕事に結び付けた方が、クリエイターにとってはありがたかったのかもしれない。  「クリエイターは自分の感性を大切にするので、他者と連携して作品をつくるのが不得手。だったら、自分の作品を世に出せるチャンスを与え、そこに競争性を持たせた方が地元クリエイターの育成につながるだろうし、多くのクライアントも関心を向けるのではないか」(同)  昨年度から始まった誇心館を進化させるには、塾生の生の声を生かすことが欠かせない。例えば全ての講義が終了後、塾生にアンケートを行い、良かった点を次年度に引き継ぐ一方、悪かった点を反省材料にすれば誇心館の取り組みもブラッシュアップされるはずだ。 成果を検証する気なし 福島県庁  ところが、当然やっているものと思われた塾生へのアンケートを、県広報課では「やっていない」というのである。県は6000万円以上の税金を使っておきながら、事業の成果を検証する気がないらしい。  本誌は、昨年度の塾生とコンタクトを取り、体験したからこそ感じた良かった点・悪かった点を聞かせてもらおうと考えた。ところが、何人かの塾生にメール等で取材を申し込んだものの、取材に応じる・応じない以前に、返事すら戻ってこないケースが相次いだ。返事は戻ってきたが「県を通した取材なら応じる」という塾生もいた。  そうした中、本誌の質問に答えてくれた塾生は、  「雲の上の存在のようなトップクリエイターと実際に意見を交わせるのは魅力的で、講師陣の感性や考え方に触れられたのは勉強になった」  と良かった点を語る一方、  「福島県の魅力が伝わるものを、それぞれの班の個性を生かしてつくり発表するというテーマ設定がなされたが、成果物へのイメージが見えにくく、アイデアを出すのに苦戦した。主催者側で具体的なテーマや課題を設けた方が、それぞれの塾生の特技を生かしたり、活発な意見のやりとりができたのではないか」  と改善点を挙げてくれた。「主催者側によるテーマ設定」の必要性は前出・営業マンも指摘していた。表面的な「勉強になった」という感想ではなく、厳しくてもためになる生の声を大切にしないと事業が進化することはないだろう。  2年目の誇心館がどんな成果をもたらし、地元クリエイターにどう評価されるのか。内堀知事と箭内氏の関係ばかりがクローズアップされるのではなく、多くの県民が「福島県にとって有益な事業」と実感できなければ、やる意味はない。 あわせて読みたい 【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ 「尊敬する人」に箭内道彦氏を挙げた内堀知事 箭内道彦氏の〝功罪〟

  • 【二本松市】野焼きで「炎上」した本多俊昭市議

    野焼きで「炎上」した【本多俊昭】市議【二本松市】

     二本松市の本多俊昭市議(63、4期)が所有地に廃棄物を運び込んで一部を焼却処分したとして、市の担当課から注意されていたことが分かった。本多市議は反省の意を示しているが、近隣住民はこの間の言動も含めてその対応に不信感を募らせており、議員辞職を求めている。 議員辞職を宣言もあっさり「撤回」  本多市議は福島農蚕高卒。同市南部の舘野原(杉田地区)在住で、農業に従事している。2022年6月の二本松市議選(定数22)では1470票を獲得して4位当選。令和創生の会に所属し、執行部(三保市政)を厳しく監視・追及するスタンスを貫いているが、ここ2年は1年に1回代表質問で登壇するだけで、一般質問はしていない。 そんな本多市議について、「所有地に廃棄物を不法投棄し、野焼きしていたとして近隣住民とトラブルになっている」とウワサが流れている。 真相を確認するため、市内で聞き込みをしたところ、本多市議とトラブルになっている近隣住民Aさんにたどり着いた。 Aさんはこのように明かす。 「同市箕輪の人通りのない場所に、本田市議が所有する農地がある。昨年6月ごろ、その場所に選挙で使った腕章や布団などを捨て始めた。隣接する私の土地にも侵入していたため、撤去を求めたのですが、少し場所をずらしただけで、その後も放置されたままになっていました」 しばらくすると、近くにあるAさんの自宅にスズメバチが飛んで来るようになった。「廃棄物に巣を作られてはたまらない」とAさんは3度にわたり市に「本多市議に撤去させてほしい」と相談。市が指導に入り、1カ月ほど経ったころ、その場でそれらの一部を燃やし始めたという。 布団などが仮置きされた本多市議の所有地 焼却している様子  「近隣に住む私に何の連絡もなく焼却し始めたので驚きました。幸い周辺の木には延焼しませんでしたが、危ない行為でした」(Aさん) 廃棄物処理法第5条では「土地又は建物の占有者は、その占有し、又は管理する土地又は建物の清潔を保つように努めなければならない」と定められており、行政機関では「廃棄物の一時保管」と称して廃棄物を放置したままにしないように呼びかけている。 また、同法第16条の2では、悪臭やダイオキシン類の発生原因となることから、災害ゴミの処分やどんど焼きなどの例外を除いて野外焼却を禁止している。市が配布しているチラシでも「地面の上で直接ゴミを燃やすこと」について「次のような焼却行為は法律に違反しますので罰せられることがあります」と注意を呼び掛けている。 本多市議は公職に就いているにもかかわらず、こうした違反行為を平然と行っていたわけ。なお、焼却されたのは一部で、残りは本多市議の別の所有地に移動されたという。 Aさんによると、本多市議は当初、誤りを認め、深く反省しているとして、市議会3月定例会終了後に議員辞職する考えを明かしていた。Aさんはトラブル防止のため、会話の様子を「秘密録音」し、記録に残していることを明かす。 「ところが、3月定例会終了後に電話すると『弁護士に相談したら不法投棄に当たらないし、議員を辞職する必要はないと言われたので、議員活動を続ける』と、あっさり前言撤回したから呆れました。こういう人物の言うことは信用できないし、議員にはふさわしくないと思いますよ」(Aさん) 本多市議を直撃  本多市議は近隣住民のこうした声をどのように受け止めているのか。舘野原の自宅を訪ねたところ、本人が取材に応じた。 ――自分の所有地に廃棄物を捨て、その場で燃やしていたと聞いた。 「廃棄物ではなく、自宅の片付けで出た不要物をごみに出す前に〝仮置き〟していた。ただ、一部を所有地で燃やしたのは事実だ」 ――廃棄物処理法で野焼きが禁止されていることを知らなかったのか。 「ちょっとした判断ミスで、深く認識せずにやった。反省して、弁護士の先生に相談したところ、『そこまでのアレじゃないし、深く考えない方がいい』とアドバイスされた。県の人権擁護委員会の先生、法徳寺の住職にも相談したが、『議員を辞めるまでには至らない』との意見をもらったので、議員活動を続けることにした」 ――いま思うことは。 「議員という立場上、その行動がいろいろな人に見られていることをあらためて自覚したうえで、引き続き議員活動に取り組んでいく」 同市生活環境課によると、Aさんからの連絡を受けて後日、同課職員が現地を確認し、本多市議に厳重注意を行ったという。そもそもごみに出す予定で〝野ざらし〟で農地に置いておいた不要物を「仮置きしていた」という言い分は苦しい。 現地は細い農道を通ってしか入れない場所にあり、ほとんど人通りがない。そんな土地で、公職に就く人が近隣住民に声もかけず自宅の不要物を焼却するのは、客観的に見ても異様に映る。「人の目がないところで何か不都合なものを処分しようとしているのではないか」、「所有地をごみ捨て場代わりに使っていたのではないか」と疑われても仕方ないだろう。 複数の関係者によると、狭い地域の話がウワサとなって市内に広まった背景には▽地縁団体などに推されない形で当選した本多市議と一部の地元住民との確執、▽議会で三保市政の批判を続けており、三保市長の支持者から敵視されている――といった事情も影響しているという。 本多市議とAさんは、土地境界線をめぐって以前からもめているようで、今回のトラブル発生後、逆にAさんが誤って本多市議の所有地の木を無断伐採していたことも発覚したという。そうした経緯もあってか、互いに感情的になっているように見える。 Aさんは廃棄物の撤去を求め、同市生活環境課と二本松署に連絡したが、動きは鈍く、現場を確認した様子は見られなかったという(※)。早い段階で行政機関が対応しなかったことが、結果的に事態を悪化させたとも考えられる。 本多市議は「近所付き合いもあるし、大ごとになればこちらも主張しなければならないことが出てくる。記事にはしてほしくない」と言うが、Aさんは逆に「この事実を多くの人に知ってほしい」と話している。議員として地元住民と良好な関係を築いていくことが求められるが、関係修復は容易でなさそうだ。 ※市生活環境課は「Aさんから通報を受けたので後日当事者(本多市議)に電話して注意した。所有地における廃棄物の捉え方については、グレーな面がある」、二本松署は「個別の案件についてはお答えできない」と回答している。

  • 【玄葉光一郎】衆院議員空虚な「知事転身説」

    【玄葉光一郎】衆院議員空虚な「知事転身説」

     数年前から突如として囁かれるようになった玄葉光一郎衆院議員(59)の「知事転身説」。背景には野党暮らしが長くなり、このまま期数を重ねても出世の見込みが薄いため「政治家として新たなステージを目指すべきだ」という支持者の思いがある。内堀雅雄知事(59)の3期目の任期満了日は2026年11月11日。次の知事選まで3年余り、玄葉氏はいかに行動するのだろうか。本人に真意を聞いた。 首相になれない状況を悲嘆する支持者  玄葉氏の知事転身説を耳にするようになったのは、内堀氏が再選を果たした2018年の知事選が終わってからだろうか。 「内堀知事は2期目で復興の道筋をつけ、3期目を目指す気はないようだ」 こう訳知り顔で話す人に、筆者は何人も会ったが、では、その人たちが何か根拠があって話していたのかというとそうではない。政治談議は時に、あれこれ言い合うから盛り上がるわけで「誰かが『2期で終わるんじゃないか』と言っていた」「オレもそう思う」などと話しているうちにそれがウワサとなって広まり、いつの間にか「定説」として落ち着くのはよくあることだ。 ならば、内堀知事が2期8年で引退するとして「次の知事は誰?」となった時、多くの人が真っ先に思い浮かべたのが玄葉氏だったと推測される。 なぜか。 一般的に「次の市町村長は誰?」となれば、大抵は副市町村長、市町村議会議長、地元選出県議などの名前が挙がる。同じように「次の知事は誰?」となれば、副知事、官僚、国会議員などが有力候補になる。 消去法で見ていこう。 現在の鈴木正晃、佐藤宏隆両副知事は、総務部長などを歴任したプロパーで、優秀なのかもしれないが知名度はない。 官僚は、探せばいくらでも見つかるし、政治家転身への意欲を持つ官僚もいるが、内堀氏が総務省出身であることを踏まえると、2代続けて〝官僚知事〟は抵抗がある。 内堀雅雄知事  残る国会議員は元参院議員の増子輝彦氏(75)や荒井広幸氏(65)の名前を挙げる人もいたが、民間人としてすっかり定着し、年齢も加味すると現実的ではない。 というわけで現職の国会議員を見渡した時、多くの人が「最適」と考えたのが玄葉氏だったのだろう(誤解されては困るが、本誌は玄葉氏が知事に「適任」と言っているのではない。多くの人が「最適」と考える理由を探っているだけである)。 理由を探る前に、玄葉氏の政治家としてのルーツを辿る。 玄葉光一郎衆院議員  1964年、田村郡船引町(現田村市)に生まれた玄葉氏は、父方の祖父が鏡石町長、母方の祖父が船引町長、のちに結婚する妻は当時の佐藤栄佐久知事の二女と、幼少のころから政治と縁の深い家庭環境に身を置いてきた。 安積高校、上智大学法学部を卒業後は政治家を志し、松下政経塾に入塾(8期生)。4年間の研修・実践活動を経て1991年の福島県議選に立候補し、県政史上最年少の26歳で初当選を果たす。県議会では自民党に所属したが、わずか2年で県議を辞職。その年(93年)の衆院選に福島2区(中選挙区、定数5)から無所属で立候補し、並み居る候補者を退け3位で議員バッジを手にした。 当選後は自民党を離党、新党さきがけに所属した。以降は旧民主党、民主党、民進党、無所属(社会保障を立て直す国民会議)、立憲民主党と連続当選10回の議員歴は、民主党が一度は政権交代を果たし、玄葉氏も外務大臣や内閣府特命担当大臣、党政策調査会長などの要職を務めたものの、野党に身を置く期間が9割近くを占める。 それでも、選挙では無類の強さを発揮してきた。初めて小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の衆院選こそ選挙区で荒井広幸氏に敗れ、比例復活当選に救われたが、次の衆院選で荒井氏とコスタリカを組む穂積良行氏を破り、次の次の衆院選で荒井氏も退けると、以降は対立候補を大差で退けてきた。もちろん玄葉氏の背後に、当時絶大な権勢を誇った岳父・佐藤栄佐久知事の存在があったことは言うまでもない。 しかし、栄佐久氏が県政汚職事件で失脚し、前々回、前回の衆院選では自民党の上杉謙太郎氏(48、2期、比例東北)に追い上げられたことからも分かるように、かつてのいかに得票数を増やすかという攻めの選挙から、近年はいかに得票数を減らさないかという守りの選挙に変わっていった。それもこれも野党議員では政府への陳情が通りにくい中、久しぶりに誕生した与党議員(上杉氏)に期待する有権者が増えていた証拠だろう。 旧福島3区では、選挙区は玄葉氏の名前を書くが、比例区は自民党に投票する、あるいは県議選や市町村議選は自民系の候補者を推すという〝ねじれ現象〟が長く続いている。原因は玄葉氏の政治家としての出発点が自民党で、佐藤栄佐久氏も同党参院議員を務めていたから。野党暮らしが長いとはいえ、支持者たちも元はと言えば自民党なのである。 そうした中で聞こえるのが「新党さきがけに行かず、自民党に留まっていれば……」と落胆する声だ。今の玄葉氏は、野党に身を置いたからこそ存在するわけで「たられば」の話をしても仕方ないのだが、根っこが自民党だけに残念がる人が多いのは理解できる。 なぜなら、仮に自民党で連続10回当選を重ねれば、主要閣僚はもちろん総理大臣に就いている可能性もあったからだ。来年還暦の玄葉氏はその若さも魅力になったはず。 ただ如何せん野党の身では、総理大臣は夢のまた夢。ならば政権交代を成し遂げるしかないが、政策の一致点が見いだせない野党はまとまる気配がない。玄葉氏が所属する立憲民主党も支持率が低迷し、野党第一党の座も危うい。選挙でも上杉氏に徐々に迫られている。 だから、支持者からは「このまま野党議員を続けていても展望が開けない」という本音が漏れるようになっていたし、それが次第に「いっそのこと、政治家として新たなステージを目指した方がいい」という期待へと変わっていったのだろう。 陳情受け付けに消極的  とはいえ、もし玄葉氏が知事選に立候補するとなった時、衆院議員としてどのような実績を残したかは冷静に見極める必要がある。 震災・原発事故当時、玄葉氏は外務大臣をはじめ民主党政権の中枢にいたが、地盤の旧3区をはじめ福島県に何をもたらしたか。玄葉氏はもともと、陳情をおねだりと評し「そういうことは避けた方がいい」と語っていた(※)。昔からの支持者も「玄葉君は若いころから(陳情の受け付けに)消極的だった」と認めている。 ※河北新報(2008年3月17日付)のインタビューで 「おねだり主義」という言葉を使っている。  上杉氏の支持者からはこんな皮肉も聞こえてくる。 「旧3区内を通る国道4号は片側1車線の個所が未だに残っている。それさえ解消できていない人が知事と言われても……」 旧3区の石川郡の政治関係者は、同郡が新2区に組み込まれたことでこんな体験をしたという。 「新2区から立候補を予定する自民党の根本匠衆院議員(72、9期)に『この道路をこうしてほしい』『あの課題を何とかしたい』とお願いしたら、その場から担当省庁に電話し即解決への道筋が示されたのです。実力者に陳情すればこんなに早く解決するのかと驚いたと同時に、根本氏も『石川郡はこんな些細な課題も積み残されているのか』と嘆いていました」 陳情を受け付けることは選挙区への我田引水ではなく、県民生活を良くするための手段だ。玄葉氏が知事になれば県民にとってプラスと感じられなければ、地元有権者の「衆院議員から知事になっても変わらないんじゃない?」との見方は払拭できないのではないか。 こうしたミクロの視点と同時にマクロの視点で言うと、東北大学大学院情報科学研究科(政治学)の河村和徳准教授は本誌昨年10月号の中でこのように語っていた。 「問題は玄葉氏が知事選に出るとなった時、自公政権と正面から交渉できるかどうかです。政権はおそらく、玄葉氏が知事選に出たら『野党系の玄葉氏とは交渉できない』とネガティブキャンペーンを展開するでしょう」 政権に近い内堀知事が、原発事故の海洋放出問題で国を一切批判しないのは周知の通り。野党系の玄葉氏が知事になった時、自公政権に言うべきことは言いつつ、福島県にとって有意義な予算や政策を引き出せるかどうかは、知事としての評価ポイントになる。 「次の展望」  結局、内堀氏は2022年の知事選で3回目の当選を果たしたが、既にこのころには玄葉氏の知事転身説は頻繁に聞かれるようになっていた。 本誌2021年12月号でもこのように書いている。 《玄葉氏をめぐっては、このまま野党議員を続けても展望がなく、衆院区割り改定で福島県が現在の5から4に減れば3区が再編対象となる可能性が高いため、「次の知事選に挑むのではないか」というウワサがまことしやかに囁かれている。 「玄葉は内堀雅雄知事の誕生に中心的役割を果たした。その内堀氏を押し退け、自分が知事選に出ることはあり得ない」(玄葉事務所)》 玄葉氏が内堀氏の知事選擁立に中心的役割を果たしたのは事実だ。内堀氏が初当選した2014年の知事選の出陣式ではこう挨拶している。 「内堀雅雄候補と私は14年来の付き合いであり、この間、内堀さんの安心感と信頼感を与える仕事ぶりを見てきた。3・11以降、内堀候補は副知事として最も適切なタイミングで最も適切な対応をとってきた。県職員、市町村長からも絶大な信頼を受けている。県民総参加で県政トップに内堀雅雄候補を推し上げ、復興を成し遂げてもらいたい」 これほど強いフレーズで支持を呼びかけた内堀氏を自ら押し退けて知事に就くことは、玄葉事務所も述べているように確かにあり得ない。 ただ、内堀氏が今期で引退するとなれば話は別だ。政治家が自らの進退を早々に第三者に告げることは考えにくいが、内堀氏と玄葉氏は共に1964年生まれの同級生であり、玄葉氏が「14年来の付き合い」と語っているように両者が親しい関係にあるなら、阿吽の呼吸で「私の次はあなた」「あなたの次は私」と意思疎通が図られても不思議ではない。 実際、玄葉氏が知事選立候補を決意したのではないかと思わせる出来事もあった。 「10増10減」で福島県の定数が4に減った 馬場雄基衆院議員  衆院小選挙区定数「10増10減」で福島県の定数が4に減ったことを受け、旧3区選出の玄葉氏は次の衆院選では新2区から立憲民主党公認で立候補する予定。しかしその前段には、旧2区を地盤とする馬場雄基衆院議員(30、1期、比例東北)との候補者調整が難航した経緯がある。 立憲民主党県連は党本部に対し、現職の両者を共に当選させる狙いから、同党では前例のないコスタリカ方式を採用するよう打診した。しかし、党本部はこれを見送り、玄葉氏を選挙区、馬場氏を比例東北ブロックの名簿1位で擁立する方針を決定したが、玄葉氏が一度はコスタリカを受け入れたことに、選挙通の間ではある憶測が広まった。 あらためてコスタリカ方式とは、同じ選挙区に候補者が2人(A氏、B氏)いた場合、A氏が選挙区、B氏が比例区で立候補したら、次の衆院選ではB氏が選挙区、A氏が比例区に交代で回る方式である。ただ、比例区は政党名での投票で、全国的な著名人でもない限り顔と名前を覚えてもらえないため、コスタリカの当事者たちは必ず、自分の名前を書いてもらえる選挙区からの立候補を強く望む。 前述・自民党の荒井広幸氏と穂積良行氏がコスタリカを組み、玄葉氏にことごとく敗れたのは、名前を書いてもらえない比例区に回っている間に、玄葉氏が顔と名前を有権者に浸透させたことが影響している。 そんなコスタリカ方式の弊害を身を持って知る玄葉氏が、馬場氏との間で受け入れたとなったから、選挙通たちは「玄葉氏は最初に選挙区から立候補し、あとは知事選に挑むので、結局、比例区から立候補する状況にならない。だからコスタリカを受け入れたのではないか」と深読みし、知事転身説がより色濃くなったのである。 当の玄葉氏はどのように考えているのか。本誌は衆院解散もあり得るとされていた6月上旬、本人に質問し、次のようなコメントを得た。 「確かに皆さんのところを回っていると『首相になれないなら知事選に』と言われます。ただ、今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての『次の展望』はない。選挙区で必ず勝つ。そうでないと『次の展望』もないと思っています」 「私たちの政権が続いたり、現政権がブレる可能性があれば逆に(知事転身を)言われないのかもしれませんね。今はそういう政局じゃないから(知事選と)言われるのかな。ま、なんて言ったらいいのか。うーん、それ以上のことは触れない方がいいかもしれませんね。はい、これからしっかり考えます」 含みを持たせるような発言だが、周囲から知事転身を勧められていることは認めつつ、自ら「目指す」とは言わなかった。 新2区でも〝ねじれ現象〟  ちなみに本誌には、支持者や立憲民主党関係者から「本人から『知事を目指す』と挨拶された」「いや、本人が『目指す』と言ったことは一度もない」という話が度々伝わってくるが、真偽は定かではない。 「選挙区で必ず勝つ」と発言している通り、玄葉氏は今、新2区の中心都市である郡山市内を精力的に歩いている。さまざまなイベントや会合に顔を出し、各種団体や事業所からも「×回目の訪問を受けた」との話を頻繁に聞く。玄葉氏自身も「当選がおぼつかなかった初期の選挙時並みに選挙区回りをしている」と語っている。 玄葉氏は郡山市(旧2区)に縁がないわけではない。母校は安積高校なので同級生や先輩・後輩は大勢いる。佐藤栄佐久氏も同市出身で政界を離れて17年経つが、今も存在する支持者が玄葉氏を推すとみられる。経済人の中にも旧3区時代から支えてきた人たちが一定数いる。 同じく新2区から立候補を予定する根本匠氏はそうした状況に強い危機感を抱いており、同区は与野党の大臣経験者が直接対決する全国屈指の激戦区として注目されるのは確実だ。玄葉氏が本気で知事を目指すなら次の衆院選は負けられないが、根本氏も息子の拓氏にスムーズに地盤を引き継ぐため絶対に負けられない戦いとなる。 根本匠衆院議員  ある建設業者からはこんな本音も聞かれる。 「今までは無条件で根本先生を支持してきた。ウチの事務所にも根本先生のポスターが張ってあるしね。でも、玄葉氏が出るとなれば話は変わってくる。国政レベルで考えれば与党の根本先生を推した方が断然得策。しかし玄葉氏は、今は野党だが将来、知事になる可能性がある。いざ『玄葉知事』が誕生した時、あの時の衆院選で玄葉氏を応援しなかったとなるのは避けたいので、次の衆院選は、表向きは根本先生を支持しつつ玄葉氏への保険もかけておきたいという業者は多いと思う」 旧3区で見られる〝ねじれ現象〟が新2区でも起こりつつある。知事転身説の余波と言えよう。 あわせて読みたい 【玄葉光一郎】衆議院議員インタビュー 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

  • 福島県内進出をうかがう参政党

    福島県内進出をうかがう参政党

    3自治体議員選に候補者擁立  福島市議選(定数35)は7月9日に投開票が行われ、現職29人、新人6人が当選した。46人(新人13人)が立候補したが、投票率は41・97%で過去2番目に低かった。 同市議選に合わせて、春ごろから市内でポスターやのぼりでの広報活動を強化していたのが参政党だ。 2020年設立。①子供の教育、②食と健康、環境保全、③国のまもり――の3つを重点政策に掲げる。ユーチューブ動画でファンを増やし、2022年の参院選比例代表で1議席を獲得。副代表兼事務局長の神谷宗幣氏(元吹田市議)が当選し、公職選挙法などで定められている政党要件を満たした。 コロナワクチンの効果に疑問を呈しているほか、「一部の勢力が世界を牛耳っている」とする陰謀論的な話もタブーにすることなく発信し、支持を集める。昨年の時点で党員・サポーターは10万人以上に達し、野党第一党の立憲民主党と肩を並べる。 福島市議選には元東邦銀行行員の渡辺学氏(49)を擁立し、7月1日には同市中心部のまちなか広場で街頭演説会を実施。神谷氏も駆けつけ、支持者など約120人が耳を傾けた。 3歳ぐらいの子どもを連れて会場に訪れた女性は「子どもに関する情報が欲しくて、教育や食の安全、健康などについて、ネットで調べていたところ、参政党の動画に行きついた。自分でもいろいろなことに疑問を持って調べるようになり、昨年の参院選前、党員になった」と話した。「友人から紹介され足を運んだ」という人もおり、口コミで支持者を増やしている様子もうかがえた。 本誌で連載中のジャーナリスト・畠山理仁さんはこう解説する。 「『入れたい政党がないから自分たちでつくる』というのが参政党の基本理念です。既存の政党には満足していなかった人、これまで政治との接点があまりなかった人からの支持を集めているのが特徴で、ボランティアの人たちが積極的に参加しています。街頭演説では候補者だけでなくボランティアの人たちもマイクを持って演説しています。かなり極端な主張も展開していますが、従来の政治が中心課題に据えてこなかった『食と健康』を柱にし、女性党員の比率が高いのも従来の政党とは一味違うところです。これまで社会において疎外感を覚えてきた人たち、居場所をなかなか見つけられなかった人たちが『参政党なら自由に言いたいことが言える』、『言いにくいことを言えるのは参政党だけ』と信じて集まってきているようです」 演説を終えた神谷氏に拡大戦略について尋ねたところ、「ネットでの支持者増加はひと段落し、いまは地域ごとに広まっている。予算的に多くの候補者を擁立できないので、都市部に候補者を固め比例区で当選を目指す戦略を取っている。その上で重要になるのが、全国の地方議員なんです」とあけっぴろげに語った。 福島市議選投開票の結果、渡辺氏の得票数は1548票で落選したが、最下位当選の三浦由美子氏の得票数は1617票だったので、わずか69票差だったことになる。 街頭演説途中、プラカードを掲げた男性が現れ、郡山市議選立候補予定者に対し、意見を述べるシーンがあったが、神谷氏はじめ、関係者が慌てる様子はなく、演説で「組織が拡大していく過程の中で文句を言われることも多い」と自らネタにした。ただ、今後深刻な問題に発展するケースも出てくるかもしれない。 参政党では7月30日投開票の西郷村議選、8月6日投開票の郡山市議選にも候補者を擁立。本稿を執筆している時点でこれら選挙の結果は分からないが、県内の選挙戦で姿を見る機会が増えそうだ。

  • 【古川文雄】鏡石町議長の引退に驚き

    【古川文雄】鏡石町議長の引退に驚き

     鏡石町の古川文雄議長(3期)が8月22日告示、27日投開票の町議選に立候補せず引退するという。古川議長はまだ50歳と若く、町内では「将来の町長候補」とも言われている。さらに、6月には県町村議会議長会長に選任されたばかり。それだけに、町内では驚きの声が出ている。 町内では「次期町長候補」との呼び声  本誌7月号の情報ファインダーで鏡石町議選の情勢について伝えた。   ×  ×  ×  × 鏡石町議選で定数割れの懸念 任期満了に伴う鏡石町議選が8月22日告示、27日投開票の日程で行われるが、ある町民によると定員割れの可能性が出ているという。 「地元紙のマメタイムス(6月22日付)に『定員割れの可能性大』と報じられたのです。それを見て、そんな情勢になっているのかと驚きました」 『マメタイムス』(6月22日付)は「鏡石町議選告示まで2カ月 現職6人・新人2人が立候補の意向 動き鈍く定員割れの可能性大」との見出しで情勢を報じた。 それによると、定数12(欠員1)に対して、同日時点で立候補を予定しているのは現職6人と新人2人の計8人。残る現職5人は2人が引退濃厚で、もう1人も引退の意向。2人は態度を決めかねているという。情勢によっては、複数新人擁立の動きもあるようだが、「低調で定員割れの可能性も指摘されている」と伝えている。 ちなみに、本誌では込山靖子議員が渡辺定己議員(現在は辞職)から不適切な言動を受けたと訴え、昨年8月に政治倫理審査請求書を提出した件について、2月号「鏡石町議会政倫審が元議員の『不適正行為』を一部認定」という記事のほか、何度かその動きを報じてきた。 その中で、《込山議員は周囲に「もうウンザリ」と明かしているというから、今夏の町議選には立候補しない可能性もある》と書いた。 ただ、前述のマメタイムス記事では「(込山議員は)引退を撤回し、出馬の意向を固めた」と伝えられている。 同町6月定例会では、定員割れの可能性があることを見越してか、議員発議で定数を12から10に削減する条例改正案が提出された。ただ、採決の結果、賛成2、反対8の賛成少数で否決された。 告示まではまだ1カ月以上あるため、いまの情勢を踏まえて候補者が出てくる可能性もあり、動きが注目される。   ×  ×  ×  × 同記事では触れられなかったが、『マメタイムス』(6月22日付)によると現職議員の進退の詳細は以下の通り。 立候補の意向▽円谷寛議員、小林政次議員、橋本喜一議員、吉田孝司議員、角田真美議員、込山靖子議員 引退▽今泉文克議員、古川文雄議長 引退の意向▽菊地洋議員 流動的、進退を決めかねている▽畑幸一副議長、大河原正雄議員 この中で、気になるのが「引退」と報じられた古川文雄議長だ。 「古川議長はまだ50歳で年齢的にも若く、町内の一部関係者の間では『次期町長候補』とも言われています。それだけに、引退と報じられたのは意外というか、かなり驚きました」(ある町民) 古川議長は、岩瀬地方町村議会議長会長を務め、今年6月5日に開かれた県町村議会議長会の総会で会長に選任されたばかり。 その際、町内ではこんな声が出ていた。 「岩瀬地方町村議会議長会は、鏡石町と天栄村の2町村だけだから、両町村の議長が交互に会長に就く。県議長会長も各地区持ち回りだが、岩瀬地方の2町村交互に比べると、回ってくる確率は格段に下がる。そんな中で、今回、古川議長にいろいろな順番がすべて当たったことになる。そういう意味では『持っている』と言うことができるし、今後、本当に町長選に出るのかどうかは分からないが、もし出るとしたらその肩書きや、そこで得られた人脈などは間違いなくプラスになるだろう」 そんなことが囁かれていただけに、8月の町議選に立候補しないとの報道には驚いたというのだ。 ある議員は「町長選に向けて地ならしに入ったのでは」との見解を示した。 ただ、現職・木賊正男町長の任期は2026年6月までで、残り3年近くある。3年後の町長選を見据えて、今回の町議選を見送ったとは考えにくい。むしろ、次の町長選まで議員(議長)を続け、県町村議長会長の肩書きで動いた方が有利に働くと思われるのだが……。 ちなみに、前回(2019年8月)の町議選では524票を獲得、4番目の得票で当選している。それ以前の町議選でも上位で当選しており、選挙で苦労しているわけではない。そもそも町議選で苦労していたら、最初から「町長候補」とは言われないだろう。 古川議長に聞く 古川議長(「議会だより」より)  一方で、「自身が経営する会社で何かあったのではないか」との見方もある。 古川議長は左官工事業「村上工業所」(同町旭町)のオーナーで、自身が経営する会社で何かあった、あるいは経営に専念するためではないか、という見方だ。 民間信用調査会社によると、同社の直近5年の売上高、当期純利益は別表の通り。 村上工業所の業績 決算期売上高当期純利益2018年1億2100万円12万円2019年1億4400万円1195万円2020年1億3300万円△434万円2021年1億2500万円1622万円2022年1億3000万円566万円※決算期は3月。△はマイナス  2020年は434万円の損失を計上したが、それ以外は利益を確保しており、売上高も一定している。これを見る限りでは、会社の経営に専念するためではないか、という見方は説得力に欠ける。 こうして見ても、「次期町長候補」と言われた古川議長の引退は意外だが、実際のところはどうなのか。古川議長に話を聞いた。 ――古川議長が引退するとの報道を見たが。 「それは事実です」 ――辞めた後はどんなことを考えているのか。 「私もまだ50歳ですからね。いろいろと考えていますよ」 ――県町村議会議長会長に就いたばかりだが。 「ちょうど3カ月ですかね(※6月5日の総会で県町村議会議長会長に選任され、鏡石町議員の任期は9月3日まで)。任期満了後は自動失職の形になると思います」 ――町内では「次期町長候補」との見方もあり、それだけに今回の引退には驚きの声が出ている。 「私が(町長候補)ですか? まあ、さっきも言いましたけど、いろいろ考えているところです」 引退は事実とのことだが、今後については明言しなかった。「いろいろ考えている」とは何を指すのかも気になるところだ。

  • 【二本松市】坂で止まる城報館レンタル電動キックボード

    【二本松市】坂で止まる城報館レンタル電動キックボード

     二本松市観光連盟(会長・三保恵一市長)が観光客向けにレンタルしている電動キックボードについて、「馬力不足で坂をのぼれない」と指摘する利用者の動画がツイッターで拡散され、話題を集めた。悪い意味で注目を集めた格好だが、同連盟では事前に走行試験などを行わなかったのだろうか。 試乗動画拡散で全国の笑いものに にほんまつ城報館  電動キックボードのレンタルは3月31日から、市の歴史観光施設「にほんまつ城報館(以下、城報館と表記)」で行っている。観光名所や商店街、寺社仏閣を観光客に気軽に巡ってもらう狙いがある。市によると県内初の取り組みだという。電動アシスト付き自転車も併せてレンタルしている。 立ったまま乗れるボードタイプ、自転車のような形状のバイクタイプがある。最高速度は時速30㌔で、利用する際は原動機付き自転車か普通自動車の運転免許が必要。料金は90分1000円。それ以降は30分ごとに500円加算される。 レンタル開始時はテレビや新聞などで大々的に報じられ、地元テレビ局のユーチューブチャンネルには、女性アナウンサーが電動キックボードで坂道をすいすいのぼっていく動画が投稿された。 ところが、7月2日、レンタル利用者によるこんな文章が動画付きでツイッターに投稿された。 《二本松市の電動キックボード貸出事業。全くの企画倒れ。トルク不足でスタート地点の霞ヶ城の三ノ丸から本丸天守台までの坂をのぼれません。また本町商店街へ至る竹田坂や久保丁坂といった切り通し坂も途中で止まってしまいました。市はロードテストも行わず全く無駄なことをしましたね》 https://twitter.com/mamoru800813/status/1675329278693752833  城報館から霞ヶ城の天守台や街なかの商店街に向かおうとしたが、馬力不足のため途中の坂道で止まってしまい、身動きが取れなくなった、と指摘しているわけ。 投稿者の佐藤守さん(43)は郡山市在住で大型自動二輪免許を保有し、バイクで通勤する〝バイク乗り〟。都内で見かけることが増えた電動キックボードに注目していたところ、地元テレビ局の紹介動画で城報館のレンタル事業を知り、走行性能の確認に訪れた。注目していたのは航続可能距離だが、実際に走行して馬力の低さに愕然としたという。 ちなみに、レンタルされている電動キックボードは「BLAZE EV SCOOTER」という商品名で、定格出力は0・35㌔㍗。原付一種(0・6㌔㍗)の6割の馬力しかないと考えるとイメージしやすいかもしれない。 佐藤さんの投稿は、73万回表示され、4725の「いいね」が付いた。それだけ関心を持つ人が多かったということだろう。佐藤さんは「行政が貸し出しているキックボードが坂をのぼれない動画は過去になかったので反響をいただいたのかもしれません」と分析したうえで、実際に走行した感想をこのように語る。 「とにかく馬力不足で、公道を安全に走る能力が圧倒的に不足していると感じました。自動車など公道を走行する他の乗り物への影響は考えていたのか、事前のテスト走行は行わなかったのか。安全面においては▽目や耳が保護できない半帽ヘルメットを貸し出していたこと、▽転倒したときの負傷防止用グローブが貸し出されなかったこと、▽サイドスタンドを出した状態でも発進してしまうこと、▽自賠責保険証が携行されておらず、交通事故時の対応に不安が残ること、▽城報館駐車場で行う走行練習は接触リスクがあること――などが気になりました」 佐藤さんの投稿の数日後、本誌記者も電動キックボードをレンタルし、実際に坂道で失速することを確認した(巻頭グラビア参照)。 利用者から上がる辛辣な意見を市観光連盟はどのように受け止めるのか。同連盟の事務局を担う同市観光課に尋ねたところ、河原隆課長は「取材の申し込みをいただき、職員に聞いてツイッターにそうした投稿があったことを知りました」と語り、次のように説明した。 「『導入前に試験は行わなかったのか』と疑問視する投稿がありましたが、バイク乗りを含む市観光課職員10人弱で、安全性や航続可能距離を確かめる走行試験を事前に行っています。その際、女性職員は坂道でもすいすいのぼっていましたが、男性職員はスピードが遅くなり、利用者の体重によって大きな差が生じました。(佐藤守さんの)ツイートの指摘を見て、体重によってスピードに差が出るという説明が不足していたと感じたので、貸し出し時に渡す文書やホームページなどに注意書きを追加しました」 体重によって坂道でスピードが出なくなることを把握していたのに、周知していなかった、と。 河原課長によると、レンタル事業は職員からの提案で始まったもので、2022(令和4)年度当初予算で電動アシスト付き自転車6台、電動キックボード(ボードタイプ・バイクタイプ)計6台、ヘルメットなどの備品を購入した。総事業費は約300万円。車両は複数の候補から予算や走行性能の条件を満たすものを選定したという。 一方で、安全面に関する指摘については「利用前に安全事項や保険に関する説明を行っているし、法律を満たす最低限の基準の装備はそろえています。それ以上の装備を求める場合は、ヘルメットやグローブなどの持ち込みをしていただいても構いません」(河原課長)と説明する。 ただ、観光客がそうした装備をわざわざ持参することは考えにくい。「観光名所や商店街、寺社仏閣を観光客に気軽に巡ってもらう」という目的とも矛盾している。 6月の利用者は6人 城報館でレンタルしている電動キックボード  電動キックボードに関しては、7月1日に改正道路交通法が施行されたことで、最高速度20㌔の車両の運転は免許不要となり、ヘルメットも努力義務となった。ただ、警察庁によると2022年に41件の人身事故が発生しており、7月には大学生が飲酒運転でタクシーに追突するなど、危険性が報じられている。タイヤの直径が小さい分、段差での衝撃が大きく、バランスを崩して事故につながりやすいという面もある。 佐藤さんの指摘を参考に、より安全に走行できる装備を貸し出すべきではないか。 肝心のレンタル電動キックボードの利用者数(ボードタイプ・バイクタイプの合計)を尋ねたところ、4月20人、5月9人と低迷しており、6月に至ってはわずか6人だった。 河原課長はPR不足と城報館来場者の需要とのミスマッチを要因に挙げる。駅から離れた城報館にわざわざ公共交通機関で向かう観光客は少ないし、あえて城報館まで車で移動し、電動キックボードに乗り換えて市内を巡る人もいないということだ。県内初の取り組みということもあり、甘い見通しのまま〝見切り発車〟してしまった感は否めない。 昨年4月にオープンした城報館の年間入館者数は9万6796人で、目標としていた年間10万人を下回った。目標達成に向けて起爆剤が欲しいところだが、電動キックボードがそうなるとは考えにくい。 前出・佐藤さんはこう語る。 「(馬力不足の電動キックボードを買ってしまった以上)利用しなければどうしようもない。せめて地図で推奨ルートを示し、『この坂は体重〇㌔以上の方はのぼれません』など注意書きを表示しておけば、利用者も心構えができるのではないか」 もっと言えば、城報館を起点に「電動キックボードで巡る観光ツアー」を催せば興味を持つ人が現れるかもしれない。 このままでは、約300万円の事業費をドブに捨てることになる。佐藤さんの指摘を真摯に受け止め、改善策を打ち出すべきだ。 あわせて読みたい 【本誌記者が検証】二本松市の「ガッカリ」電動キックボード貸出事業  

  • 【田村市】新病院問題で露呈【白石市長】の稚拙な議会対策

    【田村市】新病院問題で露呈【白石市長】の稚拙な議会対策

     本誌でこの間報じてきた田村市の新病院建設計画。市は先月の臨時会に工事請負契約の議案を提出したが、賛成7人、反対10人で否決された。百条委員会で鮮明になった白石高司市長と反対派議員の対立が尾を引いた形だが、同時に白石市長の稚拙な議会対策も見えてきた。 あわせて読みたい 【田村市】新病院施工者を独断で覆した白石市長 【田村市百条委】呆れた報告書の中身 白石田村市長が新病院施工業者を安藤ハザマに変えた根拠 したたかさを備えなければ市政は機能しない 会対策に苦慮する白石高司市長  まずはこの間の経緯を振り返る。 老朽化した市立たむら市民病院の後継施設を建設するため、市は昨年4~6月にかけて施工予定者選定プロポーザルを実施。市幹部職員など7人でつくる選定委員会は審査の結果、プロポーザルに応募したゼネコンの中から最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマを選んだ。 しかし、これに納得しなかった白石高司市長は最優秀提案者に安藤ハザマ、次点者に鹿島と選定委員会の選定を覆す決定をした。これに一部議員が猛反発し、昨年10月、地方自治法100条に基づく調査特別委員会(百条委員会)が設置された。 百条委は、白石市長と安藤ハザマが裏でつながっているのではないかと疑った。しかし、百条委による証人喚問の中で白石市長は、①安藤ハザマの方が鹿島より工事費が3300万円安かった、②安藤ハザマの方が鹿島より地元発注が14億円多かった、③選定委員7人による採点の合計点数は鹿島1位、安藤ハザマ2位だが、7人の採点を個別に見ると4人が安藤ハザマ1位、3人が鹿島1位だった――と安藤ハザマに覆した理由を説明した。 今年3月、百条委は議会に調査報告書を提出したが、その中身は「白石市長の職権乱用」と厳しく批判するも法的な問題点は確認されず「猛省を促す」と結論付けるのが精一杯だった。 百条委の一部メンバーからは「さらに調査すべき」との声も上がったが、最終的には「新病院建設が遅れれば市民に不利益になる」として百条委は解散された。 これにより新病院建設はようやく実現に向かうと思われた。実際、3月定例会では全体事業費を55億7000万円とすることが議決され、6月定例会では資材高騰などの影響で7億円増の62億7000万円とすることが再度議決された。これに伴い今年度分の病院事業会計の予算も増額された。 予算が全て通ったということは関連議案も議決されると考えるのが普通だが、そうはならなかった。 市は7月6日に開かれた臨時会に新病院を47億1100万円、厨房施設を4億8900万円で安藤ハザマに一括発注するため、工事請負契約の議案を提出した。同社とは6月28日に仮契約を済ませていた。(※工事費と全体事業費に開きがあるのは、全体事業費には医療機器購入費などが含まれているため) しかし、採決の結果は賛成7人、反対10人で、安藤ハザマとの工事請負契約は否決された。市議会は定数18で、採決に加わらなかった大橋幹一議長(4期)を除く賛否の顔ぶれは別表の通り。(6月定例会での予算の賛否と百条委設置の賛否も示す) 123石井 忠治 ⑥××〇半谷 理孝 ⑥××〇大和田 博 ⑤××〇菊地 武司 ⑤××〇吉田 文夫 ④××〇安瀬 信一 ③××〇遠藤 雄一 ③×〇〇渡辺 照雄 ③××〇石井 忠重 ②×〇×管野 公治 ①××〇猪瀬  明 ⑥〇〇×橋本 紀一 ⑥〇〇×佐藤 重実 ②〇〇×二瓶恵美子 ②〇〇×大河原孝志 ①〇〇×蒲生 康博 ①〇〇×吉田 一雄 ①〇〇×※〇は賛成、×は反対※1は工事請負契約の賛否※2は6月定例会での予算の賛否※3は百条委設置の賛否※丸数字は期数  反対した議員によると、当初、工事請負契約は賛成多数で可決される見通しだったという。 「6月定例会では賛成9人、反対8人で予算が通ったので、工事請負契約も9対8で可決されると思っていました」(反対派議員) 風向きが変わったのは臨時会の2日前。予算に賛成した石井忠重議員が工事請負契約には反対することが判明し「9対8」から「8対9」に形勢逆転した。さらに、臨時会当日になって遠藤雄一議員も反対。工事請負契約は想定外の「7対10」で否決されたのである。 賛成派議員は「予算には賛成しておいて工事請負契約に反対するのはおかしい」と石井忠重議員と遠藤議員を批判したが、実情は臨時会の前から不穏な空気が漂っていた。 両議員と佐藤重実議員は「改革未来たむら」という会派を組んでいるが、臨時会直前、会派会長を務める佐藤議員は賛成派議員に「私たちは自主投票にする」と説明。佐藤議員はこの時点で石井忠重議員と遠藤議員が反対に回ることを分かっていたため、会派として拘束をかけることができなかったとみられる。 「大橋議長は無会派だが、もともとは改革未来たむら。だから採決の前に、大橋議長が『会派として賛成する』と拘束をかけていれば3人がバラバラの判断をすることもなく、工事請負契約は9対8で可決していた。大橋議長と白石市長は距離が近いが、両者が連携して議員の動向を把握しなかったことが想定外の否決を招いた」(ある議会通) なぜ、石井忠重議員と遠藤議員は予算には賛成したのに、工事請負契約に反対したのか。石井議員とは連絡が取れず話を聞けなかったが、賛成派議員には「臨時会の前に地元支持者と協議したら反対の声が多かった」と説明していたという。 一方、遠藤議員は本誌の問いにこう答えた。 「事業費は専門家が積み上げて出しているので、それを素人の私が高いか安いかを判断するのは難しい。しかし契約は、選定委員会が選んだ業者を市長が独断で覆したという明確なルール違反がある。予算は9対8で僅差の可決だったが、今後事業費が増えていけば、その度に補正予算案が出され、僅差の賛否が繰り返されるのでしょう。そこに私は違和感がある。全議員が『新病院は市民にとって必要』と思っているのに、関連議案は僅差の賛否になるのは、正しい姿とは思えないからです。新病院が本当に必要なら、関連議案も大多数が賛成する姿にすべき。もちろん、反対した議員も賛成に歩み寄る努力をしなければならないが、議案を提出する市長も、どうすれば賛成してもらえるのか努力すべきだ」 「政局での反対じゃない」 田村市百条委員会  百条委で白石市長は「自分の判断は間違っていない」と繰り返し強調した。鹿島から安藤ハザマに覆したやり方自体はよくなかったかもしれないが、客観的事実に基づいて安藤ハザマに決めたことは筋が通っており、市民にも説明が付く。逆に選考委員会の選定通り鹿島に決まっていたら、新病院を運営することになる星総合病院は、郡山市内にある本体施設の工事や旧病棟の解体工事を鹿島に任せているため、白石市長と安藤ハザマがそう見られたのと同様、裏でつながっているのではないかと疑われた可能性もあった。要するに安藤ハザマと鹿島、どちらが施工者になっても疑念を持たれたかもしれないことは付記しておきたい。 工事請負契約に反対した議員は、1期生と一部議員を除いて2021年の市長選で白石氏に敗れた当時現職の本田仁一氏を支援し、賛成した議員は白石市長を支える市長派という色分けになる。その構図は別表を見ても分かる通り、百条委設置でも持ち込まれた。 そうした中で気になるのは、百条委メンバーが「新病院建設をこれ以上遅らせれば早期開院を望む市民に不利益になる」と述べていたにもかかわらず、工事請負契約を否決したことだ。発言と矛盾する行動で、結局、開院は遅れる可能性が出ていることを市民に何と説明するのか。 百条委委員長だった石井忠治議員に真意を聞いた。 「新病院建設が打ち出された際の事業費は36億円だった。その後、プロポーザルで各業者が示した金額は46億円前後、そして3月定例会では55億円超、6月定例会では62億円超とどんどん増えていった。その理由について、市は『ウクライナ戦争や物価高騰で燃料・資材の価格が上がっているため』と説明するが、正直見積もりの甘さは否めない。議員は全員、新病院建設の必要性を認めている。にもかかわらず賛否が拮抗しているのは、市の説明が不十分で議員の理解が得られていないからです。起債で毎年1億2000万円ずつ、30年かけて償還していくことを踏まえると、人口減少が進む中で将来世代に負担させていいのかという思いもある。私たちは事業費が膨らみ続ける状況を市民に説明するため一度立ち止まってはどうかと言いたいだけで、政局で反対しているのではないことをご理解いただきたい」 石井忠治議員は「市の説明が不十分だから議員の理解が得られない」と述べたが、まさにこれこそが白石市長が考えを改めるべき部分なのかもしれない。 市民のために歩み寄りを 田村市船引町地内にある新病院建設予定地  前出・議会通はこう指摘する。 「白石市長は大橋議長や一部議員とは親しいが、反対派議員とは交流がない。これでは工事請負契約のように、どうしても可決・成立させたい議案が反対される恐れがある。反対派議員にへつらえと言いたいのではない。公の場で喧々諤々の議論をしながら、見えない場で『この議案を通すにはどうすればいいか』と胸襟を開いて話し合えと言いたいのです。こちらが歩み寄る姿勢を見せれば、反対派議員も『市長がそう言うなら、こちらも考えよう』となるはず。そういう行動をせずに『自分は間違っていない』とか『市民のために正しい判断をすべき』と言ったところで、施策を実行に移せなければ市民のためにならない」 要するに、白石市長は各議員との関係性が希薄で、議会対策も稚拙というわけ。 いみじくも、白石市長は工事請負契約が否決された臨時会で次のように挨拶していた。 「私たちは市民の声に真摯に耳を傾け、それを施策として反映・実行していく責務があります。今回の提案は残念な結果になりましたが、今後も議員の皆様とは市民の声をしっかり聞きながら、行政との両輪で市政を運営して参りたい」 反対派議員に「市民のために賛成しろ」と泣き言を言っても始まらない。賛成してほしければ自身の至らない点も反省し、理解を得る努力が必要だ。それが結果として市民のためになるなら、白石市長は政治家としてのしたたかさも備えないと、任期が終わるころには「議会と対立してばかりで何もしなかった市長」との評価が定まってしまう。 「そもそも、市長と議会が対立するようになったのは本田仁一前市長の時代です。本田氏は個人的な好き嫌いで味方と敵を色分けしていた。それ以前の市政で見られた、反対派議員とも腹を割って話す雰囲気はなくなった。そういう悪い風習が、白石市政になっても続いているのは良くない。本田市長時代の悪政を改めたいなら、市長と議会の関係性も見直すべきだ」(前出・議会通) 工事請負契約の否決を受け、今後の対応を白石市長に直接聞こうとしたが「スケジュールの都合で面会時間が取れないので担当課に聞いてほしい」(総務課秘書広報広聴係)と言う。保健課に問い合わせると、次のように回答した。 「現在、善後策を検討しているとしか言えません。いつごろまでにこうしたいという責任を持った回答ができない状況です」 担当課レベルではそうとしか言えないのは当然だ。事態を打開するにはトップが動くしかない。白石市長には「自分は間違っていない」という思いがあっても、私情を捨て、反対派議員と向き合うことが求められる。もちろん反対派議員も「反対のための反対」ではなく、賛成へと歩み寄る姿勢が必要。嫌がらせの反対は市民に見透かされる。双方が理解し合うことこそが「市民のため」になることを、白石市長も議会も認識すべきである。

  • 議員辞職勧告を決議された佐藤栄治市議の言い分

    議員辞職勧告を決議された佐藤栄治市議の言い分

     伊達市6月定例会議の最終本会議が同月28日に開かれ、過去の一般質問で事実と異なる不適切な発言をしたとして、佐藤栄治市議(60)に対する議員辞職勧告決議を賛成多数で可決した。同市議会で議員辞職勧告決議案が提出されたのは初めて。ただ、決議には法的拘束力はないので、佐藤市議は辞職しなければならないわけではない。 佐藤氏は1962(昭和37)年生まれ。保原高、福島大経済学部卒。実家は建設関連業の三共商事。本人の話によると、第一勧業銀行に入行後、元衆院議員・元岡山市長の萩原誠司氏の秘書を務めた。髙橋一由市議が伊達市長選に立候補した際には事務局長を務めている。昨年4月の市議選(定数22)で629票を獲得、22位で再選を果たした。 この問題については本誌3月号でリポートした。当時公開されていない情報も多かったので、あらためて報道などを基に経緯を紹介する。 佐藤市議は昨年12月定例会議の一般質問で、同市梁川町のやながわ工業団地に建設中のバイオマス発電所について言及した。重さ20㌧超の大型特殊車両が何台も通ることが予想される中、国見町担当者が「補修中の徳江大橋の通行を20㌧以下に制限する予定だ」と話していたことを明かしたうえで、「市は通行規制しなくていいのか」と対応を問うた。国土交通省福島河川国道事務所の担当者に聞いた話も併せて紹介した。 閉会後、市からの申し入れを受け、市議会が政治倫理審査会を設置。計11回の審査会が開かれ、国見町役場総務課長や福島河川国道事務所担当者に聞き取り調査が行われたが、佐藤市議の発言について、「そのような事実はない」との回答だったという。 同審査会では過去の市議会一般質問での不適切な言動も検証し、市民にも聞き取り調査したが、厳しい意見が出たようだ。本誌3月号では、過去の不適切言動を紹介したほか、▽企業などに神出鬼没で現れることに戸惑いの声が上がっていること、▽業者を引き連れて市役所に行くなど、危うい言動が見られること――を紹介したが、同審査会でもそのあたりが問題視されたようだ。 審査の結果、「虚偽の事実・誹謗中傷の発言、情報発信で他人の名誉を毀損しない」ことを定めた伊達市議会議員政治倫理条例に抵触するとされ、議員辞職勧告決議案が議員から提出された。その結果、市議22人のうち、菅野喜明議長、当日欠席した佐藤市議と高橋市議を除く18人が賛成し、佐藤市議と同じ会派の半澤隆市議のみが反対。賛成多数で可決された。 同審査会では佐藤市議に弁明書の提出を求めたが、指定された期日までに提出されなかった。本人は今回の審査結果をどう受け止めているのか。同市保原町の自宅を訪ねたところ、佐藤市議はこうコメントした。 「議員辞職勧告には法的拘束力がない。親密な新聞記者には『議員辞職勧告は名誉棄損に当たるという判例が残っている。議員や地元紙、政経東北に対し、裁判を提起したらどうか。社を挙げて支援します』と言われた。今後も議員活動は継続するし、バイオマス発電所の問題点を引き続き追及していきたい。現在は伊達市が温対法(地球温暖化対策の推進に関する法律)に基づき、温室効果ガス削減を目指している中、ログ社がバイオマス発電所を建設しCO2を排出しようとする矛盾について、調査しているところです」 議員辞職勧告などどこ吹く風で、逆に同僚議員やマスコミに対し〝宣戦布告〟して見せた。相変わらず地元から良い評判は聞こえてこないが、今後も我が道を歩んでいくのだろう。

  • 鏡石町遊水地特別委が国・県に意見書提出

    鏡石町遊水地特別委が国・県に意見書提出

     令和元年東日本台風に伴う水害を受け、国は「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を進めており、その一環として、鏡石町、玉川村、矢吹町で阿武隈川遊水地整備事業が進められている。 総面積は約350㌶、貯水量は1500万から2000万立方㍍。用地は全面買収し、対象地の9割ほどが農地、1割弱が宅地となっている。それらの住民は移転を余儀なくされる。計約150戸が対象で、内訳は鏡石町と玉川村が60〜70戸、矢吹町が約20戸。 住民からしたら、もうそこに住めないだけでなく、営農ができなくなるわけだから、「補償はどのくらいなのか」、「暮らしや生業はどうなるのか」といった不安が渦巻いている。 そのため、鏡石町議会では「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げ、同事業の調査・研究を行ってきた。 本誌では今年4月号「遊水地で発生する〝ポツンと1軒家〟 取り残される世帯が議会に『陳情』」という記事をはじめ、何度か同特別委の調査・研究過程を紹介してきた。 同特別委は、6月14日に開かれた6月定例会本会議に「阿武隈川流域の治水対策を国と県に求める意見書」を提出し、採択された。これをもって、同特別委は解散となった、 意見書の主な内容(国・県への要望内容)は次の通り。 ①遊水地事業区域の住民の高台移転のための支援。 ②移転に伴い生じる各種法令・規制の見直しや手続きの簡素化。 ③阿武隈川本川及び県管理支川の鈴川も含めた治水対策(特に、阿武隈川本川の河道掘削及び堤防強化) ④二度と水害(洪水被害・浸水被害)のないまちづくり・地域づくりを行うための支援。 ⑤遊水地事業関連施設の整備。 ⑥遊水地整備後の土地の有効利用のための支援。 これを内閣総理大臣、国土交通大臣、衆議院議長、参議院議長、県知事、県議会議長に提出する。 同特別委の委員長を務めた吉田孝司議員は、遊水地の対象地区である成田地区出身で、自宅が令和元年東日本台風で浸水被害を受けたほか、遊水地の対象エリアにもなっている。そのため、誰よりも熱心にこの問題に取り組んできた自負があるようだ。 遊水地事業エリアの成田地区  同特別委での調査・研究を終えた吉田議員に話を聞いた。 「遊水地の問題は、完成するまでは土地買収や高台移転などの課題があり、完成後は平常時にそれをいかに有効活用するかなど、まだまだ課題が山積している。これで終わりではなく、まだ序の口にすぎない。また、最初から遊水地ありきではなく、まずは阿武隈川全川の河道掘削と堤防強化が大事で、それを踏まえての遊水地整備となるべきである。河道掘削と堤防強化を必ず先行させるべく、改選後も特別委員会を再度立ち上げ、引き続き、木賊正男町長を支えて、国としっかり対峙していきたい」 同町議の任期は9月3日までで、8月22日告示、27日投開票の日程で議員選挙が行われる。そのため、任期満了前の最後となる6月定例会で一区切りとし、改選後も特別委を再度立ち上げ、引き続き、調査・研究していきたいとの見解だ。 意見書にまとめた要望内容を実現させるまで、町・議会として、できることをしていく必要があろう。 あわせて読みたい 【鏡石町】遊水地で発生するポツンと一軒家

  • 【会津坂下】新庁舎構想に正常化の兆し

    【会津坂下】新庁舎構想に正常化の兆し

     迷走していた会津坂下町の新庁舎構想に正常化の兆しが見えている。町は新庁舎の建設場所を「現庁舎周辺」から「旧坂下厚生病院跡地」に変更するための議案を6月定例会に提出する方針だったが、住民懇談会で寄せられた意見を受け、議案提出を見送ったのだ(新庁舎構想が迷走する背景は先月号等、この間の本誌記事を参照していただきたい)。 先月号では現庁舎周辺での建設を支持する仲町・橋本地区の住民懇談会(5月17日、出席者45人)をリポートしたが、町はその後、23日に坂下(同61人)、24日に若宮(同13人)と八幡(同17人)、25日に金上(同16人)と高寺(同9人)、26日に広瀬(同17人)と川西(同22人)の7地区で住民懇談会を開いた。出席者は計200人に上った。 仲町・橋本地区の住民は商店主が多い。役場周辺で長年商売してきたため、他所(旧病院跡地)に移転新築されては困るという立場だ。 そもそも現庁舎周辺での建て替えは、住民代表などでつくる新庁舎建設検討委員会で議論し、町が議会に関連議案を提出、議決を経て正式決定された。そうした中で、一部住民から突然、見直しを求める請願が出され、旧病院跡地に変更されようとしたから、仲町・橋本地区の住民が猛反発するのは無理もなかった。 では、それ以外の地区の住民懇談会ではどんな声が上がったのか。 仲町・橋本地区と同様、中心市街地に位置する坂下地区では「現庁舎周辺と旧病院跡地のメリット・デメリットを比較してはどうか」「議会や新庁舎建設検討委員会できちんと議論してから必要な議案を提出すべきだ」といった冷静な意見が寄せられた。仲町・橋本地区のように現庁舎周辺を強く支持するというより、俯瞰した見方が多かった。 これに対し、その他の地区の住民懇談会では「旧病院跡地に賛成」「どんどん進めてほしい」と、仲町・橋本地区とは正反対の声が多数上がった。町周辺部の住民は現庁舎周辺での建て替えを支持していないことが明確になった格好だ。 その一方で「財政難を理由に新庁舎建設を一時休止したのに、財政状況がどこまで改善したのか分からない」「現庁舎周辺から旧病院跡地に変更するとしたら、どのような手続きが必要なのか」等々、住民懇談会に出席した人も、していない人も現状を理解していない住民が多いことも事実だった。これは裏を返せば、町が新庁舎構想の情報を住民に正しく提供していない証拠である。情報がなければ議論が深まらないのは言うまでもない。 にもかかわらず、古川庄平町長は関連議案を6月定例会に提出するとしていたから、仲町・橋本地区の住民だけでなく町周辺部の住民からも「説明不足」「議論が尽くされていない」との意見が上がったのだ。 8地区での住民懇談会が終了後、町庁舎整備課に話を聞くと「関連議案の提出時期を決めず、まずは住民への丁寧な説明と議論を重ねることに努めたい。そうすれば新庁舎のあるべき位置も自ずと見えてくると思います」とコメント。5月29日に開かれた議会全員協議会では、町から議員に対し「現議員の任期は来年3月なので、事情を分かっている議員に審議してもらうためにも、それまでには一定の方向性を示したい」と説明があったという。 古川町長は今年に入ってから「まちづくり元年」というフレーズを言い出したが、今後のまちづくりについて住民と議論したことはない。であれば、将来の会津坂下町をどうしていきたいのかを住民と一緒に考えていけば、町庁舎整備課が言う「新庁舎のあるべき位置も自ずと見えてくる」のではないか。 あわせて読みたい 【会津坂下】庁舎新築議論

  • 福島県に維新旋風は吹くか

    福島県に維新旋風は吹くか

     5月27日、日本維新の会は福島県総支部の初めてとなる総会を開き、衆院議員の馬場伸幸代表(58、4期、大阪17区)が講演を行った。福島でも「維新旋風」が吹き荒れるのか。当日の様子をリポートする。 馬場代表講演会で感じた〝温度差〟  本誌6月号で元県議の鳥居作弥氏の現状について触れた。 鳥居氏は1974年3月生まれ。磐城高校、獨協大学経済学部卒。県議1期を務めた後、立憲民主党に入党。2021年10月の衆院選では小選挙区で立候補する予定となっていたが、野党共闘で候補者を一本化することになり、共産党候補に譲る形で小選挙区からの立候補を見合わせた経緯がある(比例代表での立候補に切り替えたが結局落選した)。 鳥居作弥氏  立憲民主党を離党し、沈黙を守っていた鳥居氏がどんなことを考えていたかについては6月号で読んでほしいが、次なる所属団体として選んだのが日本維新の会(以下、維新と表記)だった。 維新と言えば、大阪府を中心に支持を集める政党で、ルーツは橋下徹元大阪府知事・元大阪市長が立ち上げた地域政党「大阪維新の会」だ。「日本維新の会(旧)」、「維新の党」と離合集散を繰り返し、2015年に設立された「おおさか維新の会」が現在の党の母体となる。翌2016年に現在の党名に変更された。 同党ホームページには馬場代表のメッセージがこう書かれている。 《大阪府において、議員定数を3割削減(109→79)、議員報酬を3割カットし、役所に対して改革の覚悟を示してきました。そして役所の中の改革(公務員の天下り先である外郭団体の大幅削減、無駄な施策・事業の見直し)を断行し生まれた新たな財源で、次世代への投資(幼児教育無償化、小・中学校の給食費の無償化、塾代助成、私立高校の授業料実質無償化、大阪公立大学の入学金・授業料の実質無償化)を実現致しました》 このほか、国民投票による憲法改正を実現すべきと主張し、「教育無償化」、「統治機構改革」、「憲法裁判所の設置」、「自衛隊明記」、「緊急事態条項」を5つの柱に掲げている。 所属議員は衆院議員41人、参院議員21人。4月の統一地方選では神奈川、福岡両県議選でも初めて議席を獲得。地方議員と首長の合計が774人に達し、事前に掲げていた目標600人をクリアした。党員数は3万9914人(2022年12月現在、内閣府男女共同参画局の調査より)。 本誌で連載中の選挙ライター・畠山理仁さんは取材経験から維新の強さの理由を次のように分析する。  「選挙の現場においては、ボランティアが積極的に活動するのが特徴です。関西の選挙では、選挙区外からも多数の現職地方議員、国会議員、ボランティアが駆けつけて経験値を積んでいきます。他所の地域から駆けつけることで、選挙の経験をどんどん積んでいく。その際、選挙区内にはまだ少数しかいないボランティアたちに、外から来たボランティアが『選挙の上手な戦い方』を実際に見せることで、一人ひとりのボランティアの戦闘力を高めています。短い選挙戦をともに戦うボランティアは結束が強く、また他の選挙現場で再会するなどして結束を強めています。一人ひとりのボランティアが自立した活動をできるのが維新の会の強さを支えています」 5月11日には福島県総支部を設立したことを発表した。維新が東北地方で県総支部を立ち上げたのは、宮城、秋田に続き3県目。 総支部長は衆院議員の井上英孝氏(4期、大阪1区)、幹事長は元参院議員の山口和之氏。復興最前線であるいわき市を重点地区に据え、事務所も同市に設置した。 6月号取材の時点では今後の方針について明言を避けた鳥居氏だったが、5月27日にいわき市で行われた県総支部総会と馬場代表による県総支部設立記念講演会では、11月12日投開票の県議選に同党公認で立候補する考えであることが明かされた。 講演会は福島県民に対する同党の「自己紹介」のような内容で、これまでの歩みを説明した。 一方で、自民党政権については「異次元の少子化対策を掲げながら具体的な内容が示されず、負担ばかり増える」と疑問を呈し、「国会議員の定数を従来の半分ぐらいに減らすなど〝身を切る改革〟をやれば、新たな行政サービスができるようになるのではないか」と提言した。 国政での目標に関しては「解散がいつあるか分からないが、次の衆議院選挙で野党第一党の議席をお預かりするというのが第三ステップ(=次)の我々の目標」としたうえで、立憲民主党に対し「予算委員会でスキャンダルを追及したり揚げ足を取ることを野党第一党の仕事だと思っている」と批判した。 会場には支持者・マスコミなど数十人が足を運び、保護者と足を運んでいた女子高生が選択的夫婦別姓について馬場代表に質問するシーンも見られた。 もっとも、ニュース映像などでよく見る関西方面での熱い雰囲気の演説とは程遠く、ジョークを織り交ぜて話をしても会場から何の反応もないということが目立った。 温度差を最も強く感じたのは、会場から出た福島第一原発の汚染水についての質問に対する回答だ。 馬場代表は「日本人全員が考えなければならない課題」としたうえで、「結論から申し上げると、世界で原発を持つ国々は処理水を海洋放出している。福島第一原発でも一刻も早く放出すべき」と述べた。 馬場伸幸代表  いわゆる風評被害をめぐり、簡単に結論が出せないセンシティブな状態となっているのに、そうした現状を無視したような回答だったため、少しシラケた雰囲気となった。 汚染水問題への〝温度差〟 県総支部設立記念講演会の様子  その後、過去に吉村洋文知事が「要請があれば処理水の大阪湾放出を真摯に検討する」と話したことを踏まえ、「福島県にばかり負担をかけるのではなく、放出については全国(の原発関連施設)でともに進めていくことも考えるべきではないか」と若干〝軌道修正〟を図った。 馬場代表は「関西地方では大阪を核に、周辺の県の知事、首長、議員の誕生をサポートしてきた経緯がある。福島県内においても県議選はもちろん、首長選や市議選への候補者擁立を見据えていきたい」と意欲を見せた。それならば、今後は汚染水問題のような福島県固有の課題に対し、いかに向き合っていくかが重要になるのではないか。 県総支部幹事長の山口氏は「まず県内で維新が活動しているという認識を持ってもらうことが重要」と話し、「是々非々で福島のためになる政策を進めていきたい。かつて所属していた党とかは関係なしに、選りすぐりの良い人材を擁立していきたい」と決意を述べた。 実際、野党系の現職県議や元県議、市町村議員について、「維新が接触している」というウワサが流れており、近いうちに公認候補として立候補する議員もいると思われる。 もっとも、維新支持者がほぼ皆無の福島県内で、維新の公認を受けたところで、どれだけ票を伸ばせるかは未知数だ。とりわけ鳥居氏が立候補する県議選いわき市選挙区に関しては、8000票が当選ラインとなっており、前回6595票だった鳥居氏は苦戦が予想される。 「福島県内の選挙は既存政党の支持者でガチガチの構図。せめてもう少し投票率が上がって浮動票が増えないと、維新の勢力拡大は難しいのではないか」(県内の選挙通)という指摘もあるが、国政での動きと併せて今後注目の存在となりそうだ。 福島維新の会のホームページ

  • 県議選【二本松市】「自民2議席独占」に不安材料

    県議選【二本松市】「自民2議席独占」に不安材料

     任期満了に伴う第20回福島県議選は11月2日告示、同12日投開票で行われる。定数58、19選挙区は前回同様。無投票とみられる選挙区も少なくない中、定数2の二本松市選挙区では現職1人と新人2人が立候補の準備を進めている。 ◎2019年11月10日告示当 遊佐 久男 60 無現当 高宮 光敏 48 無現※無投票当選 ◎2015年11月15日投票当 10743 遊佐 久男 56 無現当 6699 高宮 光敏 44 無新  5644 中田 凉介 59 無新  3614 鈴木 雅之 37 無新※投票率57.78% 立候補予定者3氏の評判【高宮光敏】【石井信夫】【鈴木雅之】  現在、二本松市選挙区から選出されているのは共に自民党の遊佐久男氏(64、3期)と高宮光敏氏(52、2期)。このうち遊佐氏は次の県議選に立候補せず、今期限りで引退することを表明した。 旧安達町出身。福島大学経済学部中退。2011年の県議選で初当選した。 「数年前に脳梗塞を患った。復帰後は動作に不安はなかったが、失語症に陥った」(ある自民党員) 遊佐氏は、手元に原稿があれば問題なく話せたが、ノー原稿だと言葉に詰まる場面が見られた。政治家が言葉を発せなくなるのは致命的だ。 「家族から『もう十分やった』と言われ、早い段階で引退を決めていた。健康状態に問題がなければ、もう少し続けてほしかった」(同) 惜しまれる声があるのは、人望の厚かった証拠だろう。しかし、遊佐氏の後継をめぐっては不満の声が漏れている。 遊佐氏が引退表明(6月5日)した翌日、石井信夫氏(57)が立候補することを表明した。 石井信夫氏  《自民党二本松市総支部が党県連に推薦を申請する。 石井氏は県庁で記者会見し、「自分が住む東和地域にも過疎化の波が押し寄せている。過疎化に歯止めをかけ、活力ある地域をつくりたい」と語った》(福島民報6月7日付) 旧東和町出身。川俣高校卒。製造業や印刷業の会社員として40年近く勤務。自民党には2018年に入党したが、これまで選挙に立候補した経験はない。 自民党二本松市総支部の関係者によると、今年4月ごろ、石井氏の公認・推薦をめぐり各支部で協議が行われた。しかし、市町村議を務めた実績がなく、党員歴も浅く、年齢も若くないため「意気込みは評価するが、候補者に適任なのか」と強く推す雰囲気は少なかったという。 そうした中で6月5日、自民党二本松市総支部役員総会が開かれ、総支部長の遊佐氏が正式に引退を表明すると共に「後継に石井信夫氏を据えたい」と発言した。ところが、 「総会の最後に石井氏から挨拶があると思ったら、何もないまま閉会したのです」(総支部関係者) 出席者はここで初めて、石井氏が役員総会を欠席していたことを知ったという。 「後継指名の場に当事者がいないのはおかしい。石井氏が欠席した理由も聞かされなかった」(同) 実は、各支部の中には石井氏と直接面会した支部もあれば一度も面会していない支部もあり、支部役員からは「会ったこともない人の公認・推薦を協議しろというのか」と不満が漏れていた。その最中に石井氏は役員総会までも欠席したから、石井氏の姿勢や総支部の対応を問題視する声が上がったのだ。 挙げ句、翌6日には石井氏が記者会見を開いて立候補を正式表明、党県連に推薦を申請すると報じられたため、一部の支部役員・党員は「順番が逆」「筋道を通していない」と憤っているわけ。 なぜ大事な後継指名の場を欠席したのか。石井氏に尋ねると「体調を崩していた」と言う。 「しばらく調子が悪くて、岩代や東和などの支部にも足を運べなかった。そうこうしているうちに6月5日の総支部役員総会を迎えてしまって……。遊佐氏の引退表明と後継指名の場にいなかったことは申し訳なく思っています」(石井氏) 選挙に携わる人たちは順番や筋道を重んじる。裏を返せば、順番や筋道を間違えたら十分な支援を受けられなくなる恐れがある。一部の支部役員・党員は石井氏の立候補表明に不満を持っていると伝えると、石井氏は反省していた。 「今後、諸先輩方にアドバイスをいただき、誤解を招いたのであれば各地に出向いて立候補に至る経緯や私の考えを伝えていきたい」(同) ちなみに体調は「良くない時期が長引いていたが、今は全く問題ありません」とのこと。 「私はPTA、スポ少、消防団などの活動を通じて地域の問題に関心を深めてきました。政治経験はゼロですが、遊佐後援会の青年部で活動したり、市議の選挙を手伝ってきたので政治が全く分からないわけではありません。今後、遊佐氏の後を引き継いでいければと思います」(同) 石井氏の地元・東和地域には「彼に本当に県議が務まるのか」と訝しむ声がある。支部役員・党員だけでなく地元の支持も獲得しないと、ただでさえ苦労する初めての選挙は一層厳しいものになるだろう。 〝ヤンチャ体質〟に嫌気 高宮光敏氏  自民党のもう一人の現職・高宮氏は6月22日現在、態度を明らかにしていないが、3選を目指して立候補するものとみられる。 二本松市出身。東海大学体育学部卒。都内の電気工業会社を経て家業の岳下電機に入社。2012年、ミヤデンに商号変更すると同時に代表取締役に就任した。父親で創業者・前社長の敏夫氏(19年死去)は二本松市議、県議を務め、05年の市長選にも立候補した(結果は落選)。光敏氏はその後を継いで15年の県議選で初当選した。 高宮氏と言えば「資産の多さ」で有名だ。県の資産公開条例に基づき2020年4月に公開された資料によると、高宮氏は土地分で4669万円、建物分で8554万円、預金や投資信託などで8015万円、計2億1238万円と県議58人中トップの資産を誇る。 「大人になった今も学生時代の後輩をあごで使っている。そういう関係性に嫌気を差し、最初は高宮氏を応援していたが袂を分かった若手経済人は結構います。『オレは自民党員だが高宮氏の選挙はやらない』と公然と口にする人もいます。前回の県議選は無投票だったのに、やたらとカネを使っていた。昔からの〝ヤンチャ体質〟を改めないと、支持は広がらないと思う」(高宮氏をよく知る自民党員) そんな高宮氏と石井氏に割って入るのが鈴木雅之氏(45)。立憲民主党県連常任幹事で、同党から公認を受ける予定だ。 鈴木雅之氏  二本松市出身。石巻専修大学経営学部卒。2015年の県議選に無所属で立候補したが落選した。市内で学習塾を経営する。 「前回の県議選も本人は出る意向だったが、家族の理解が得られず断念した。今回も家族は乗り気ではないと聞いている」(市内の選挙通) 鈴木氏は前々回の県議選で3600票余を獲得しているが、反自民で三保恵一市長の支持者が支援に回れば、前々回次点だった中田凉介氏と同等かそれ以上の得票(別掲)が期待できるのではないか。そもそも前々回は、鈴木氏が立候補せず三つ巴だったら中田氏が当選していた可能性が高かった。石井氏、高宮氏より年齢が若いことも無党派層には魅力に映るかもしれない。 二本松市選挙区は前回、前々回と自民党が2議席を独占しているが、人望が厚く選挙も強かった遊佐氏に比べ、石井氏と高宮氏には不安材料がある。その間隙を鈴木氏が突くことができれば、自民2議席独占の牙城は崩れるかもしれない。

  • 佐藤憲保県議「引退撤回」の余波

    佐藤憲保県議「引退撤回」の余波

     今期限りで引退するとみられていた自民党の佐藤憲保県議(69、7期、郡山市選挙区)が態度を一転させ、11月2日告示、同12日投開票の県議選に立候補する公算が高くなった。 自民党県連は3月、一次公認者30人を決定したが、佐藤氏と二本松市選挙区の遊佐久男氏(64、3期)は公認申請していなかった。 その後、遊佐氏が6月5日に引退表明したため(詳細は28頁の記事参照)、佐藤氏がいつ進退を明らかにするのか注目が集まっていた。 「佐藤氏は昨年から、事あるごとに『もう辞めっからな』と口にしていた。周囲の説得にも耳を貸さず、引退の意思は固そうだった」(長年の支持者) 支持者たちの声を総合すると、背景には家族の存在があった。続投に向け説得を試みてきた支持者や自民党国会議員・県議も、家族を理由にされては引き下がるしかないと、今年春ごろには説得を断念していた。 「佐藤氏は根本匠氏の選対本部長を務めている。区割り変更に伴う新2区で立憲民主党の玄葉光一郎氏と戦う根本氏は『今、佐藤氏に辞められては困る』と反対したものの、最後は了承した」(マスコミ関係者) ところが、大型連休辺りから状況が一変。県議の中から「もしかすると立候補するかもしれない」という話が漏れ伝わり出した。 このころから佐藤氏も「内堀知事から続けてほしいと言われた」「根本氏に後継者を探すよう頼んだが見つからない」などと言い出し、決まり文句だった「もう辞めっからな」も聞かれなくなっていたという。 ある自民党県議の話。 「辞める人を引き止めるのは社交辞令みたいなもの。内堀知事が言ったとされる『続けてほしい』もどの程度本気だったのか。根本氏に後継者探しを頼むのも違和感がある。後継者は他人に探させるのではなく、自分で探すべき。それを『根本氏が見つけてこないからオレが出るしかない』というのはおかしい」 最終的には6月中旬、県選出国会議員や県議が、あらためて県議選への立候補を佐藤氏に直談判。これを受け、佐藤氏は「そこまで言うなら前向きに考える」と応じ、今期での引退は撤回されたという。 問題は、早くから引退をほのめかしていたことで、支持者の気持ちが冷めていることだ。議員から辞めると言われれば、熱心な支持者ほど落胆するもの。引退撤回が早ければ支持者が立ち直るのも早いが、ずっと辞めると言っていたのに「やっぱり出る」となったら、喜びよりシラける気持ちの方が先に立つだろう。 要するに、気持ちが冷めてしまった支持者を呼び戻せるかどうかが、8選を目指す佐藤氏にとって重要なカギになるわけ。 それでなくても佐藤氏は郡山市選挙区で、2011年1万1629票(定数9―12人、2位当選)、15年1万0902票(定数9―11人、5位当選)、19年8666票(定数10―13人、5位当選)と票を減らし続けている。支持者の高齢化で票を伸ばすのが難しいことは承知しているが、気持ちが冷めた支持者の動向によっては、さらに得票数が落ち込むことも予想される。 実は、佐藤氏は2026年の知事選を見据えた時、重要な存在になるとみられている。選挙通の間では、内堀知事が今期で引退し、玄葉氏が立候補すると目されているが、そうなると自民党県連は立憲民主党の玄葉氏を推せないので、対抗馬を擁立しなければならない。しかし、玄葉氏が相手では勝ち目が薄いので「玄葉知事」のもとで県政野党に転落することを考えると、自民党県議団の中に〝重し〟が必要になるのだ。 つまり、その役目を果たせるのは重鎮の佐藤氏しかいないと言われていたのに、今回の出来事で求心力を自ら低下させたことは否めない。佐藤氏にとっては再選された場合、党県連内でどのように存在感を発揮するかも課題になる。

  • 吉野衆院議員「引退報道」の裏側

    吉野衆院議員「引退報道」の裏側

     6月9日の福島民報1面に、旧福島5区選出で自民党の吉野正芳衆院議員(74)=8期=が今期限りで政界を引退する意向を周辺に伝えた、という記事が大きく掲載された。 《党本部が今後、吉野氏に意向を確認した上で後継となる公認候補の選定が進められる見通し。吉野氏と同じく、いわき市を地盤とする自民党県議の坂本竜太郎氏(43)=2期=を軸に調整が進められるもよう》(同紙より抜粋) 吉野氏はいわき市出身。磐城高、早稲田大第一商学部卒。県議3期を経て2000年の衆院選で初当選。文部科学政務官、環境副大臣などを経て17年4月から18年10月まで復興大臣を務めた。 周知の通り、吉野氏は近年、健康問題に苛まれてきた。 復興大臣退任後に脳梗塞を発症。静養を経て復帰したが、身体の一部に障がいが残った。そんな体調で2021年の衆院選に立候補し、選挙中に足を痛めてからは車椅子に頼る生活を送っていた。喋りも日増しにたどたどしくなっていた。 数カ月前に吉野氏に会ったという経済人はこう話す。 「事務所の奥から車椅子の吉野先生が秘書に押されて姿を見せた。秘書が『先生、〇〇さんです』と呼びかけると、聞き取れない返事を発しただけで、すぐに奥へと連れ戻された。印象としては、介護施設で面会しているような感じだった」 今年に入ってからは3月の党県連定期大会など、主要行事でさえ欠席を続けていた。 要するに今の吉野氏は、国会・委員会での質問、地元からの陳情受け付け、聴衆を前にした演説など、議員としての仕事が思うようにできない状態なのだ。 ここで難しいのは、政治家の出処進退は自分で決めるという不文律があることだ。周りがいくら「辞めるべき」と思っても、本人が「やる」と言えば認めざるを得ない。 「だから民報にああいう記事を書かせたのです」と話すのは、あるマスコミ関係者だ。 「6月上旬は衆院解散が囁かれていたが、吉野氏はいつまで経っても引退表明しない。後継の坂本氏は現職が辞めないうちは表立った動きができないが、現実問題として解散が迫る以上、立候補の準備に取り掛かりたいのが本音だった」(同) そこで、吉野氏に〝引導〟を渡すため、福島民報に「引退の意向」という記事を書かせたというのだ。 「民報にリークしたのは党県連と言われています。上層部がゴーサインを出さないと、ああいう記事にはならない」(同) 坂本氏が自らリークした可能性はないのか。 「坂本氏は以前、重大なフライングで評判を落としたので、今回は自分に出番がくるのを大人しく待っている。なので、自分からリークすることはあり得ない」(同) 重大なフライングとは、前回の衆院選前、坂本氏が森雅子参院議員の案内で永田町を回り、二階俊博前幹事長らに接触するなど、吉野氏が8選を目指す中で自らの立候補を模索していた行為だ。 坂本竜太郎氏  「無所属でも出る」と息巻いていた坂本氏は結局、立候補を見送ったが、この時の反省から坂本氏は「待ちの姿勢」に転じたわけ。 坂本氏はいわき市出身。磐城高、中央大法学部卒。いわき市議を経て2015年の県議選で初当選した。父親は元衆院議員の坂本剛二氏(故人)、叔父は元参院議員の増子輝彦氏という〝サラブレッド〟だが、いわき市議時代に飲酒運転で逮捕された過去がある。 前出・マスコミ関係者によると、吉野事務所は「引退は仕方ない」と覚悟しているものの、福島民報の記事に激怒し、引退表明を先延ばししたという。衆院解散が今秋に伸びたと言われる中、坂本氏はもうしばらくヤキモキした日々を過ごすことになりそうだ。 ※衆議院議員会館の吉野事務所に問い合わせたところ「代議士本人や事務所のコメントもなく、ああいう記事が出て非常に驚いている。(福島民報の)東京支社の記者は毎日のように事務所に来ているのに、それはないだろう、と。代議士本人も立腹しています」とコメントした。

  • 日本の政治に欠けているもの【本誌主幹・奥平正】

    日本の政治に欠けているもの【本誌主幹・奥平正】

    (2021年11月号より)  第49回衆議院選挙が10月19日、公示された。衆院選は約4年ぶりで、自公政権の評価が問われる。期日前投票は20日から始まり、31日に投開票される。本誌11月号の締め切りは10月29日で、開票結果が分からないため、日本の政治を約50年見続けてきた奥平正・本誌主幹に、現在の政治状況についてあれこれ聞いた。 前途多難な財政再建と外交・防衛  ――各党の主な公約を見て、どう思いましたか。  「立憲民主党は『所得を再分配して1億総中流社会を取り戻す』、公明党は『未来応援として一人10万円給付する』、国民民主党は『積極財政で給料が上がる経済を目指す』という。所得再分配も積極財政も同じことだろう。れいわ新選組にいたっては『消費税は廃止』とか『1人20万円現金給付』とか、いい加減な主張を展開している。国民1人に10万円給付するには十数兆円の財源が要る。財政がひっ迫している中で、このようなバラマキを吹聴して票を得ようとするのは〝さもしい〟と言わなければならない」  ――政治の劣化が叫ばれて久しいですが、本当にそうなのでしょうか。  「時代によって課題が違うから一概に言えないと思う。それに、私が雑誌の世界に入ったのは20代前半で、一方、県選出国会議員は大臣クラスの大物揃いで、取材は『ご意見をおうかがいする』というもの。昨年亡くなった渡部恒三さんは当時、売り出し中だった。今では、私より年齢が上の県選出国会議員はほとんどいない。  甘利(自民党幹事長)事件のような〝小さな口利き〟は今でもあるが、大きな疑獄事件・経済事件はなくなるなど政治はきれいになってきている。政党助成金があるから、無理に金集めをしなくて済むようになったからではないか。同時に、個性的な政治家がいなくなってドラマがないというか、政治がつまらなくなった。これは中選挙区制から小選挙区制に変わったからだろう。  見たことも聞いたこともない人に『比例代表の国会議員です』と言われてもピンとこないこともある。ここで考えなければならないのは『有能だが、金にいやしい政治家』がいいのか、それとも『無能だが、清潔な政治家』がいいのか、だ。現在、後者が支持されているが、少しナイーブな感じがする。もちろん、金にいやしい政治家を望むわけではないが、清潔で無能な国会議員ばかりでは国益を損なう」  ――安倍元首相の「モリ・カケ・サクラ問題」についての感想は。  「ある意味では小さな問題だ。森友学園問題は、時代錯誤的な教育を行っていた幼稚園に安倍夫妻が共感し、国有地をタダ同然で払い下げることに協力した事件。安倍氏が国会で『私や妻が関与したなら、総理も議員も辞める』と啖呵を切ったため、彼に傷がつかないよう、財務省の官僚が忖度して公文書を改ざんした。このとき、『私たち夫婦の軽率な言動が誤解を招くことになったので深く反省する』と言えば公文書を改ざんする必要はなかったし、それで済んでいた話だ。  加計学園問題は、安倍氏が首相に就任したとき、加計孝太郎氏に『二人の関係は広く知られているので、首相在任中は国の許認可などを求めないでくれ』と念を押していれば起きなかった。ところが、相変わらずの付き合いで、政治家と官僚の忖度を容認した。要するに、権力者としての心構えがなかった。  桜問題も『観桜会のルールをよく知らないで、後援会員を多数招待してしまった。これは私どものミスで、大変申し訳ない』と正直に話したら大きな問題に発展しなかった。さらによくなかったのは、刑事訴追を恐れて検察の人事に介入したことだ。  安倍内閣が、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪を強引に設けたことも記憶しておきたい。法律をつくれば安心と思っているんだな」  ――アベノミクスについては。  「安倍首相は『GDPを600兆円に増やす』と公約したものの、10年経っても実現しなかった。日銀の『2%のインフレ目標』も空振りだった。各種規制を撤廃すれば経済が成長するというのは間違いだったことになる。経済が成長しなかったのは、基礎的な条件がなかったということだろう。ただ、人口減が続く中でGDPを減らさなかったのは健闘したと言えるのではないか。もっとも、これは安倍氏の業績ではない。浜矩子・同志社大学教授は『アホノミクス』と揶揄するが、どうしたらよいかは明らかにしていない」  ――会社の打ち合わせの際、奥平主幹は国の借金について警鐘を鳴らしてきました。現代貨幣理論(MMT)によると「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」という。  「それは、そうだろう。日本経済が滅茶滅茶になっても、日銀券を印刷すればいいわけだから。そのとき、社会がどうなっているのかは想像がつかない。欧米諸国が日本の成り行きに注目する所以だ」 なぜ「特例債」なのか  ――令和3年6月末現在の「国債及び借入金並びに政府保証債務残高」は、①普通国債942兆円、②財投債116兆円、③借入金・交付国債など60兆円、④政府短期証券103兆円、計1221兆円。それに⑤政府保証債務34兆円、⑥地方の長期債務残高193兆円となっています。②、④の一部、⑤は長期債務に含まれないので、国の長期債務は968兆円、地方の長期債務は193兆円、合わせて1161兆円とのことです(別表参照)。 「財務省は財政危機を強調したがるから、そのまま鵜呑みにはできないが、とんでもない数字であることは間違いない。 元財務官僚の高橋洋一氏は『国債は円建てだし、国に資産があるから大丈夫』と吹聴しているが、本当にそうか。国の出資金や貸付金を回収すれば資金を捻出できるかもしれないが、それをやれば国の機能の一部が麻痺する。国の資産を売ると言っても、優良な遊休資産は少なく、道路や建物など公共財を売るわけにはいかない。また、大量に保有するアメリカ国債(財務省証券)を売却するとドルが暴落して世界経済が混乱しかねないから、日本の都合で勝手に売却できない」 ――なぜ、このように借金が増えたのですか。 「戦後、戦前の反省から赤字国債の発行を法律で禁じた。にもかかわらず、昭和40年度、『法律の例外』すなわち『特例債』として2000億円発行した。以後、特例債を毎年度発行し、昭和末期に200兆円規模に達した。この程度なら深刻でなかったが、平成の初めにバブル経済が崩壊し、十数次にわたる経済対策名目の公共事業が繰り返され、雪だるま式に膨らんだ。 小泉内閣のときタガが外れ、6年弱の在任期間に借金を約200兆円増やした。郵政改革の次に公務員制度改革を期待したが、やらなかった。その後、安倍、福田、麻生、民主党政権、安倍、菅、岸田の各内閣と続く。安倍内閣は通算9年弱続き、在任中に借金を300兆円以上増やしている。 民主党政権時代に東日本大震災が発生して復興債を発行したが、復興税を設けて償還することにした。このたびの新型コロナ問題では、そうした措置を取らなかった。そういう意味で、民主党政権の方がまともだったと思う。 国民の多くは、借換債のことをよく知らない。令和2年度でいうと、借換債108兆円、特例債86兆円(新規国債)、財投債39兆円、建設国債など22兆円、復興債1兆円、計256兆円。それを消化しなければ予算が組めなかった。要するに、新規国債発行額だけを見て安心してはならないということだ」 ――『政経東北』のバックナンバーを見ると、昭和50年代から人事院(人事委)のデタラメな勧告を批判し、「公務員の給与を引き下げよ」と主張してきました。 「現在も主張をしているが、意義が薄れたのは否めない。なぜなら、大量に退職した団塊世代の退職金を引き下げられなかったからだ。なぜ公務員の給与・退職金の引き下げが実現しなかったかというと、自分たち特別職の待遇を引き下げなければならなくなるし、官僚との関係がまずくなるから。官僚と一般の国家公務員、都会の地方公務員とローカルの地方公務員を同一に扱うのは無理がある。 官僚は『民間企業の同期との年収差が大きい』と言うが、労働密度や厳しさが異なる。百歩譲って、本省の局長クラス以上を政治任用とし、彼らに限って『高給』を保証する制度を導入してもよい。みな全国一律に給与を決めている現在のシステムはよくない」 財政難なのに大盤振る舞い  ――東日本大震災の復興事業については。  「震災直後から今日まで、福島から三陸沿岸の様子を見ているが、どこも大盤振る舞いだ。とりわけ、大規模なかさ上げ工事、刑務所の塀のような大堤防には違和感がある。これらは長い時間をかけて実施すべき事業だったのではないか。また、三陸道が無料開放されているにもかかわらず、いまだに国道45号の大規模な改良工事を行っているのは理解できない。県内の港湾工事や防災緑地・公園なども立派すぎる。 それだけではない。日本全国どこへ行っても、わずかな時間短縮のためバイパスやトンネルをつくっている。今後、さらに過疎化が進んで住民が少なくなるのに、なぜ多額の投資を続けるのか。むしろ、住民の所得を増やす方策を考えるべきだ。  話を戻す。放漫財政の行き着く先は国債の暴落―金利の上昇だ。今は超低金利だから負担は小さいが、1%になったら10兆円超の負担増となる。また、円安が加速して輸入価格が上がり、高インフレとなることが分かっている。  現在、六十数兆円の税収しかないのに、100兆円超の予算を組んでいる。さらに歳出が10兆円も増えたら予算を組めるのか。財政がいつ破綻するかは誰にも分からない。その時の首相が『運が悪い』と嘆くのが容易に想像できる。  財政がどうにか回っているのは国に徴税権があるからで、企業や個人の金融資産などに手を突っ込む可能性がゼロとは言えない。一挙に財政を緊縮すると深刻なデフレに陥るから極端な政策はとりにくいので、とりあえずこれ以上借金を増やさないことが大事だ。最終的に、増税して歳入を増やし、人件費や公共事業を減らして歳出を減らすしかない。  首都圏直下型地震や東南海地震が想定されていることから、それに備えるための積み立てが求められる。また、ロシア・中国・北朝鮮の軍事技術の向上に対応した防衛予算の確保も迫られる。  衆議院選挙の話から財政の話になったが、結局、バラマキを強調しない自民党の方がまともに思えるから不思議だ」  ――新型コロナ問題についてはどのように思いますか。  「安倍内閣のとき、中国の旧正月休暇の旅行需要を取り込むため入国を制限しなかったのが悔やまれる。まあ、それは仕方がなかったとしよう。その後、PCR検査をなぜ徹底しなかったのか分からない。クラスター調査はもぐら叩きと同じで、感染者を減らすことにつながらない。感染者が急増したのは、無症状感染の若者が市中を横行したからで、その対策が不十分だった。いつでもどこでも無料でPCR検査を実施していたら大流行は防げた。  もう一つは、支援が細切れで、しかも合理的でなかったこと。たとえば、飲食店に対する休業補償は事業規模や売り上げに関係なく一律だった。一人で経営していた店はありがたかっただろうが、多くの店舗にとっては焼石に水だった。本誌は当初から『コロナによって売り上げが減少した全業種を対象に、原発賠償方式を採用すべき』と主張してきた。これなら、細かい対応が不要になるし、前年度決算が基準だから不正を防げる。また、無担保無保証の安易な融資は経営者のモラルハザードを招く。さらに、医療機関に対する助成金は遅かっただけでなく、患者受け入れ数など実績に関係なく〝掴み金〟的に支給した。政治家と官僚の劣化を見せつけたと言える。  10月中旬になって感染者が激減した理由は分かっていないが、ワクチン接種効果のほか、若い人が感染して亡くなり、さらに後遺症が深刻であることが広く知られ、行動が慎重になったからではないか。  新型コロナによる死者は約1万8000人、東日本大震災の犠牲者数に匹敵する。それくらい深刻な問題だった。これが細菌戦だったら大敗北ということになる。そういう意味で、無防備だったのは否めない」 独立国としてどうなのか  ――現在の国政に欠落しているのは何ですか。  「やはり、この国の形がどうあるべきかという議論がないことだ。具体的には、アメリカとの関係や日米安保条約がどうあるべきかなどはほとんど議論されない。  オバマ大統領が2016年5月、トランプ大統領が2019年5月、日本にやってきた。そのとき、成田空港・羽田空港に降り立ったのではなく、在日米軍(空軍)の横田基地だった。オバマ大統領は横田基地からアメリカ軍のヘリで岩国基地に向かい、そこから広島を訪問した。そういうことでよいのか。  県内に住んでいると在日米軍のことは意識しないで済むが、首都圏を囲む形で横田基地、第七艦隊の母港・横須賀基地などがある。いざとなったら、アメリカ軍の言いなりになるしかない。ワシントンDCの近くに外国の軍事基地が立地することは考えられないように、それは異常なことなのだ。しかも、何でもアメリカに筒抜けで、国家機密はないに等しい。そういうことは独立国としてどうなのか、疑問に思う。  安倍氏などの対応は『アメリカ軍よ、日本から出ていかないでくれ』と抱きつくようなもの。そんなに卑屈にならなくてもアメリカ軍は出ていかない。なぜなら、日本はアメリカの戦利品だから。とはいえ、アメリカの世界戦略が変わったら、さっさと出ていく。アメリカは情緒で動くわけではない。このように言うと、『日米安保条約に反対なのか』と受け取られるかもしれないが、そうではない。  なぜ、このようなことになったのか。言うまでもなく、日本はアメリカとの戦争に負け、全土を占領された。当初、アメリカは日本の無力化と民主化に努めた。そうこうしているうち冷戦が始まり、朝鮮戦争が勃発した。アメリカは占領状態を継続するため、サンフランシスコ講和条約―日米安全保障条約―日米行政(地位)協定を強いた。それにサインしたのは吉田茂首相(当時)だ。占領状態が長く続くことを認識していたなら、彼はとんでもない〝売国奴〟ということになる。それとも、日本が立ち直ればどうにかなると考えたのか。ただ、吉田政治を引き継いだ吉田学校の生徒たちが『完全独立』を主張したことはない。冷戦が終結しても、それは変わらなかった。  なぜか。おそらく、非米・離米・反米的な意見を述べると、官僚・政治家・マスコミから執拗なバッシングを受けるのが必至だからだ。アメリカがそう仕向けるのではなく、日本人が自発的にやるだろうから恐ろしい。安倍氏は『野党に政権が移ったら日米安保条約が揺らぐ』と演説したが、彼でさえ、この程度の認識だからがっかりする。  日米安保条約を運用しているのは日米地位協定に基づく日米合同委員会だ。協定の条文を見ると、軍人・軍属の出入国及び物資の搬出入の自由など日本の法律を適用しない旨の内容が列記されている。また、領土・領海・領空を自由に使えることになっている。ひとことで言うと主権の一部放棄だ。しかも、日米合同委員会の議事録は非公開で、その内容は内閣・国会議員にチェックを受けない。 明治維新後の総括が必要だ  これほど譲歩しているのに、さらに思いやり予算のほか米軍再編費用などを毎年約6000億円負担している。自衛隊がアメリカ軍の補完機能を果たしていることについて、ここでは触れない。このような現実をアメリカ大統領やアメリカ国民に伝え、主権の回復を求める日本の政治家はいない。ロシアや中国にあざ笑われても仕方がない。  明治維新から今日まで153年、その半分の年数がアメリカの強い影響下にあることに慄然とする。  日本経済は朝鮮戦争、ベトナム戦争によって軌道に乗った。経済基盤と人材が残っていたこともあるが、高度経済成長は偶然の所産だったのではないか。同じように、発展著しい中国経済も政府の政策によって発展したというより、偶然が重なったことによるのではないか。両国の衰退も必然のように思える。  朝鮮戦争は知らないが、ベトナム戦争の際、沖縄からB52がベトナムに飛んで爆弾を大量に落としたことを知っている。日本は戦争に重要な兵站を担ったのである。まあ、それは仕方がなかったとしても、インド洋に自衛隊の補給艦を派遣し、アフガニスタン戦争を支えたのは、明らかに戦争行為である。兵站は戦争の重要な部分で、『自衛隊(員)が人を殺さなければ戦争行為でない』という論理は成り立たない。  日本は法治国家と言うけれど、憲法9条はアメリカの都合で簡単に反故にされ、憲法を改正しないまま、閣議決定によって集団的自衛権を容認する。これが法治国家なのか。  昭和30年頃までは戦争の記憶が生々しく、憲法改正が実現する可能性はほとんどなかった。しかし、法治国家を標榜するなら『違憲状態は放置できない』として、何度でも憲法改正を発議すべきだった。ところが、面倒な手続きを避けて、屁理屈を重ねた『保守の知恵』とやらで、現状を追認してきた。そのことに悩む政治家はいない。  憲法の問題はほかにもある。天皇は『日本国の象徴』とされるが、他の皇族はどうなのか。彼らに日本国民が享受している基本的人権はないのか。大変疑問に思う。  そもそも天皇は武家が権力を掌握してから京都に住み、祭祀を行ってきた。古墳時代はともかく、仏教伝来以降、歴代天皇の多くが寺に埋葬されているにもかかわらず、薩長土肥の武士たちは国家神道を強いるため廃仏毀釈を行った。  細かいことは省略するが、明治の成功体験が社会の歪みを拡大し、敗戦・被占領に至った。戦争に負けなかったら、今よりましな社会になっていたと断言できないところに悲哀を感じる。さらに付け加えると、日本との戦争に負けた清国(中国)、ロシアの人々がいまだに怨念を抱いていることを忘れるべきでない」  ――日本(人)がアメリカの従属的な立ち位置に甘んじているのは、敗戦という未曾有の経験をしたからということですか。  「そう。これまで敗戦・被占領の経験がないから国民がナイーブなんだな。一方、大陸の諸国は有史以来何度も攻めたり攻められたりしているから、『いつかは』と思う。日本人がアメリカや権力に従順なのは、変化に対する恐れが強いからではないか。現在より悪くなりそうだと思いがちで、『やはり現状維持の方が安心だ』ということになる。 立民党の支持が広がらない理由  少し知ったかぶりをしよう。日本は9世紀に新羅、11世紀に刀伊(女真族)、13世紀に元(モンゴル族)の進攻を受けている。いずれも戦場は対馬・壱岐、西九州で、他の地域への影響は少なかった。その点、戦時中の疲弊、敗戦の混乱、戦後の激変は強烈だった。ちなみに、戊辰戦争の戦死者は両軍合わせて約9000人で、西南戦争の戦死者の方が多かった。一方、先の大戦の犠牲者は320万人余に上る。その約8割が1944年以降に亡くなり、戦病死・餓死が多かった」  ――ところで、民主党政権をどのように総括しますか。  「安倍氏は『悪夢の民主党政権』と言ったが、後世『悪夢の安倍政権』と言われる可能性もある。民主党政権の失敗は、権力の行使に不慣れということもあるが、いろいろなことが重なった結果だ。  大きな誤りは政治主導を強調し、官僚を排除したこと。官僚はへそを曲げ、『お手並み拝見』と、サボタージュを決め込んだ。さらに、詳細なマニフェストを作ったものの、ほとんどが絵に描いた餅だった。『一般会計と特別会計を合わせれば財源を捻出できる』と言ったのに、結局、財源不足に陥り、目玉政策の子ども手当すら満額支給できなかった。ほかにもある。  鳩山首相は沖縄の米軍海兵隊普天間基地移設問題で『最低でも県外』と公約し、後に翻意した。また、前原国土交通相は8割程度完成していた八ッ場ダムの工事をストップさせた。  菅直人内閣のとき、東日本大震災・原発事故が起きたことで、暗いイメージにつながっている。自民党は民主党の対応を批判するが、自民党政権でもさほど変わらなかったのではないか。当時、官房長官が枝野立憲民主党代表で、『(放射能漏れがあっても)ただちに健康を害するものではない』と何度も述べ、県民を失望させた。そうではなく、事故収束と廃炉の道筋をはっきりさせたらプラスイメージになったはずだ。  野田内閣のとき、石原都知事が尖閣諸島の買収を目論んでいたことから、中国とのトラブルを避けるため国有化に踏み切り、所有権移転登記を行った。中国は現状変更と受け取り、海警局の艦船が頻繁に領海侵入するようになり、実効支配が崩れた。  閣僚が勝手に持論を展開し、閣内不一致を露呈させたこともある。当時、『組閣するとき、それくらいは意思統一を図れよ』と思った。  最も影響が大きかったのは、やはり原発事故だろう。これによって国民の多くがPTSDに陥り、民主党のイメージが悪化した。こうして『民主党政権はご免』という雰囲気が醸成されたのではないか。  立憲民主党は民主党の後継政党だから同じように見られる。したがって、このイメージを変えなければ政権奪取はあり得ない。それには過去の失敗を執拗に国民に詫び続ける。同時に、枝野氏などは引退し、若い人材にバトンタッチする。また、選択的夫婦別姓やLGBTに理解を示す前に、多くの国民に信頼されるよう努力する。与党の揚げ足を取り、助成金・給付金の支給を主張しても支持は増えない。野党がしっかりすると、与党もしっかりせざるを得ない。その効果は大きい。  民主党政権時代、本県選出の玄葉光一郎氏は何度も閣僚を経験している。彼がリーダーシップを取り、原発事故収束の道筋をつけたら次期首相の呼び声も出た。ところが、期待に反して原発事故や震災復興についての発言は少なかった。  多くの国民は『国会議員は忙しい』と思っているかもしれないが、実際はそうでない。忙しいのは閣僚と与党役員くらい。本会議・委員会があっても、発言しない人は傍聴人と同じだ。政党には政策メニューがあり、個人の提案が取り入れられる余地は少ない。党の方針・政策に逆らうと放逐されかねないから、発言・提案は慎重になる。それでは何のための議員なのか。  野党議員に言いたい。議員であることに満足しないで、『自公政権よりもマシな政治を実現する』という自負と覚悟が必要だ、と」 広がる軍事力の格差  ――最後に、軍事問題について。中国脅威論が高まっていますが、これについてはどう思いますか。  「GDPは、アメリカが日本の約4倍、中国が日本の約3倍。2018年の軍事費はアメリカ6490億ドル、中国2500億ドル、日本470億ドル。日本と中国の軍事力には大きな差がある。  中国は、核、サイバー能力、電磁パルス、極超音速ミサイル、生物兵器を所有している。北朝鮮は、それを追いかけている。  核攻撃に対しては日米安保条約に基づき、アメリカ軍が対応することになる。ただ、それは文書化されておらず、在日米軍に被害が及ばない地域に打ち込まれたら、アメリカが核報復するかどうかは分からない。  サイバーはコンピューターに侵入してデータを剽窃し、プログラムを改ざんするもの。電磁パルスは電子機器や電力網、艦艇や航空機の電子機器を破壊する。  マッハ5以上の極超音速ミサイルは途中で軌道を不規則に変えるミサイルで、現在のミサイル防衛網では対処できない。日本はイージス艦を8隻所有し、各艦とも迎撃ミサイルを8発装備している。1回に2発撃つから、合わせて32発しか撃てない。打ち漏らしたのはPAC3で対応するが、防御範囲は約50㌔、発射機は34機。これで広い国土を守れるとは思えない。言わば、穴だらけなのである。  だからと言って、中国と同レベルの軍事力を整備するのは不可能だ。むしろ、見える形で報復力を整備したほうがよい。  どの国も戦争は望んでいない。勝っても負けても大きな被害が避けられないからだ。だが、専制的な指導者が、耐えられる程度の被害で相手国を篭絡できると判断すれば戦争のハードルは低くなる。核兵器開発の問題も同じだ。  最近、中国軍機による台湾の防空識別圏への侵入が相次いでいる。台湾独立への圧力にほかならないが、実際はサイバー・電磁パルス攻撃で戦意を喪失させようとするだろう。台湾、日本に備えはあるのか?  台湾は中華民国として独立していたが、中国が膨大なマーケットを餌に『一つの中国』を強い、各国がそれに応じた。台湾は、日本や欧米諸国に裏切られたのである。  厄介なのは、日本にとって中国は共産党独裁の特異な国でも、最大の貿易相手国であることだ。『中国との貿易がゼロになっても構わない』というのは暴論だろう。経済断交でもなく、戦争でもなく、複雑な方程式を解く外交の知恵が求められている」  取材・10月23日、丸森町筆甫の山小屋にて。聞き手・佐藤大地

  • 【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」

    【動画あり】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」【田中修身】

     4月の喜多方市議選で初当選した共産党の田中修身議員(61)=塩川町=が、公選法で禁じられている戸別訪問を自宅がある新興住宅地で行っていた。その数、200軒近く。投開票日当日だから投票依頼と受け取られるのは明らか。田中議員自身は疑問を抱いたが、選挙対策を担った党員に「そういうものだ」と言い含められ、気乗りしないままピンポン。不審がられ、動画に記録されるお粗末さだった。見境のない戸別訪問の背景を、専門家は「組織の高齢化と若者を獲得できない共産党の焦りの表れ」と指摘。有権者の反感を買わない選挙活動が求められている。(小池航) 投票日に「戸別訪問」を撮られるお粗末さ インターホンに映った戸別訪問動画。日時や背景は情報提供者の特定を防ぐために加工 田中修身議員  喜多方市塩川町にある御殿場地区は新興住宅地だ。同市と会津若松市の中間に位置する利便性の良さから、市内でも人口減少が抑えられており、若年層も多い(2022年1月号の合併検証記事で詳報)。 4月23日の日曜日、黒いスーツにネクタイを締め、新築が並ぶその住宅街を一軒一軒回り、律儀にインターホンを押す男がいた。マスクを付けて顔の下半分は分からないが、眼鏡をかけている。ある家のインターホンを鳴らした。応答はない。住人は不在のようだ。 男はインターホンに向かって控えめに話した。 「あのー、1組の田中なんですけども。えーっと、1週間大変お世話になりました。ご迷惑をおかけしました。大変お世話になりました」  時間にして10秒。いったい何のことだろうか。何かを伝えたいが、言葉が足らず伝えられないといった様子で要領を得ない。確かなことは、インターホンに残された映像には4月23日の昼間の時間帯が記録されていること、スーツ姿の男が「田中」と名乗ったということだ。 数時間後の夜8時、喜多方市議選(定数22)の開票作業が行われ、当選者が決まった。結果は表の通り。投票率59・09%(当日の有権者3万8148人)は過去最低だった。 喜多方市議選開票結果(定数22) 得票数候補者(敬称略)所属当選1354遠藤吉正無当選1348山口和男無当選1207渡部忠寛無当選1149渡部一樹無当選1132山口文章無当選1066十二村秀孝無当選1053齋藤仁一無当選1019齋藤勘一郎無当選964小島雄一無当選896小林時夫公当選864菊地とも子公当選849後藤誠司無当選843高畑孝一無当選834五十嵐吉也無当選810坂内まゆみ無当選804佐原正秀無当選802佐藤忠孝無当選785渡部勇一無当選778田中修身共当選719矢吹哲哉共当選678伊藤弘明無当選648上野利一郎無591蛭川靖弘無556渡部崇無452関本美樹子無  昼間の男、「田中」は当選者の中にいた。田中修身氏。共産党所属の新人で、778票を得て19位で初当選した。住所は市内塩川町遠田でインターホンに映っていた男の住所、人相と一致した。「1組の田中」というのは、御殿場地区内に数字で割り振られた行政区を指す。 当選の知らせを受け、御殿場地区のある住民はインターホンに残った男の動画を見ながらわだかまりが残った。要領を得ない言動。こそこそした後ろ暗い様子。はっきり言って不審者だ。 「何か悪いことをやっているのではないか」 公職選挙法をネットで調べると早速ヒットした。・戸別訪問の禁止・投開票日当日の選挙運動の禁止 すなわち、田中議員は二つの違反をしていたことになる。 警察官「田中さん本人ですね」  翌24日、住民は市選挙管理委員会にまずは報告したが「捜査機関ではないので調べることはできない」「警察に情報提供することは妨げない」と言われた。 同日、喜多方署に相談すると、警察官2人が住民の家を訪れた。動画を見て、前日(23日)に撮影されたものであることを確認すると、1人が「あー、これは田中さん本人ですね」と言った。警察官たちは証拠として動画を撮影し帰っていった。その後、同署から住民には何の連絡もないという。 本誌は4月号で、前回(2019年)市議選である候補者の陣営が一升瓶を配っていた疑惑を報じた。その候補者は当選し、今回も再選を果たしている。この記事を読んでいた住民が、市・警察に相談しても動きがないことを受け、本誌にインターホンの動画を提供した。 なぜ田中議員は投開票日に、不審者に思われる危険を犯してまで戸別訪問したのか。御殿場地区は行政区が1~14組あり、住宅地図で戸数を確認すると、田中議員が戸別訪問したのは200軒近くに上る可能性がある。 5月19日に全員協議会を終えた田中議員を直撃した。共産党会派の議員控室で矢吹哲哉議員(70)=松山町、4期=が同席。田中議員が言葉に詰まると、先輩の矢吹議員が助け舟を出した。(以下、カギカッコの発言は断りがない限り田中議員) 矢吹哲哉議員  ――投開票日当日の戸別訪問動画が出回っていますが、田中議員本人でよろしいですか。 「よろしいです」 ――この訪問は公選法違反に当たると思うか。 「選挙期間中はご迷惑をおかけしましたということで、自分が住む住宅街の行政区にご挨拶にうかがいました。ただそれだけです」 ――ご迷惑というのは何に対してですか。 「お騒がせしたというか……」 ここで矢吹議員が「時候の挨拶でしょ」と割って入った。 「選挙で隣近所にお世話になりましたという意味です。『おはようございます』と全く同じではないが、近い意味合いでしょう」(矢吹議員) ――私は田中議員に聞いているんです。時候の挨拶というのは選挙にかかわらず御殿場地区で行っているんですか。 「選挙に出ることになってからが多いですね」 ――選挙に出ることが決まる前は時候の挨拶はしていなかったということですか。 「まあそうです」 ――公選法では投票を依頼する戸別訪問は禁止されていますが、この行為は該当すると思いますか。 「私たちは当たらないということで挨拶に回りました」 ――私たちということは、先輩の矢吹議員などから教わって行ったということですか。 「先輩議員ではありません。私の選対の役員から、選挙活動をした中でご迷惑をおかけしたと言って回った方がいいと言われました」 ここで矢吹議員がフォローする。 「選挙に出るとなると『出ますのでよろしくお願いします』と言って回る慣例があります。選挙が終わっても回ります。ケースバイケースです」(矢吹議員) 田中議員「訪問効果はあまりないと思う」  ――まだ投票が終わっていない有権者がいる投開票日に戸別訪問するのは、投票を依頼する意図があったと誰もが思う。言い逃れできないのではないか。 「依頼したということではなく、あくまでご迷惑をおかけしたということを伝えるためです。私は今回初めて選挙に出ました。選対から『お騒がせした』と言って回った方がいいと言われたものですから、その通りにやっただけです」 ――どういう行為が選挙違反に当たるか教えられたか。 「市の選管から選挙の手引きを渡されました。初めての選挙だったので書物を読むというよりは、党員の先輩の言うことに従いました」 ――投開票日に戸別訪問するのは法律上マズいという認識はなかったのか。疑問は感じなかったのか。 「選対からやるように言われたので『そういうものかな』と。疑問を全く感じなかったかと言われれば、それはウソになります。投票依頼と受け取られる言葉遣いにならないようには気を付けました」 気を付けたと話す田中議員だが、本誌には、ある住民が「何の目的で訪問したのか」と尋ねると、田中議員が「選挙です」と答えたという情報が寄せられている。 ――田中議員が住む御殿場地区は新興住宅地で、郡部のように地縁に基づく付き合いが希薄です。見知らぬ人が訪れて効果はあると思いましたか。 「そこまでは考えが及びませんでした。選対が訪問するように、とのことだったので」 共産党は、支持基盤が確立している。「それでも新たな訪問で支持が広がると思うか」と筆者があらためて尋ねると、田中議員は「効果はあまりないと思います」と打ち明けた。 ――新築にはインターホンが備えられています。自分の行為が記録されているとは考えなかったのか。 「そこまでは考えませんでした」 田中議員へ一通り質問した後、矢吹議員が再びフォローした。 「田中議員が訪問したのは選挙活動ではなく、あくまで挨拶です。投開票日当日に選挙運動ができないことは分かっています。当日に回って有権者の方に誤解を与えたことは、田中君も反省しないといけないな」 矢吹議員と田中議員は、それぞれ共産党喜多方市委員会の委員長と、党市議団事務局長を務める。後日、有権者に誤解を与えたことを釈明する機会を何らかの方法で検討するという。 田中議員は旧山都町出身。喜多方高校卒業後、小中学校で事務職員を務める傍ら、県教職員組合の専従をしてきた。今回の市議選では、引退した小澤誠氏の後釜となった形。 市選管事務局の金田充世選挙係長に、選挙運動についての見解を聞いた。 「選挙運動は直接投票を依頼する行動で、公示・告示から投開票日の前日までしかできません。候補者が有権者に挨拶するのは、捉え方によっては選挙運動に見られるので注意してほしいということは毎回の選挙で候補者に説明しています」 田中、矢吹両議員が「挨拶」と言い張ったのは「選挙運動ではない」という理屈を立てるためのようだ。もっとも「挨拶」にかこつけた投票依頼の戸別訪問は、喜多方市に限らずどこの自治体の選挙でも常道と化している。今回、記事として取り上げたのは、証拠が動画に残されていたことが一つ、そして、共産党という支持基盤が強固で、クリーンさを打ち出している政党でさえも実行していたことに意外さを感じたからだ。 田中議員に選管や警察から注意を受けたか尋ねると、今のところないと話した。市選管に聞いても「注意はしていない」と言うし、喜多方署も「捜査に関わることは教えられない」とのこと。 応対した同署の渡邉博文次長は「田中議員ってどこの人?」と筆者に聞いてきたぐらいだから、投開票日当日の戸別訪問は、いちいち上層部に情報を上げるまでもない、昔からありふれた行為なのだろう。 戸別訪問のみで法的責任を問われる可能性は極めて低い。だが、挙動はインターホンの動画に克明に記録され、出回っている。 東北大の河村和徳准教授(政治情報学)は、新興住宅地における共産党の見境のない戸別訪問を「力の陰りがみられる」と話す。どういうことか。 「共産党の票読みは固いと言われますが、陣営は候補者間で組織票を融通する票割りがうまくいっていないと思ったんでしょうね。党員の高齢化で組織票が減る一方、若年層への支持は広まらない。新興住宅地を回ったのは若年層の支持獲得への焦りがあったのではないでしょうか」 共産党に限った話ではない。河村准教授は同様の例として、統一地方選で行われた東京・練馬区議選などで、これまで全員当選を果たしていた公明党の候補者が軒並み落選したことを挙げた。 若年層獲得に焦る共産と公明  投票依頼の戸別訪問は紛れもない公選法違反だ。「単なる挨拶」と苦しい言い訳をしてでも決行するなら、それに見合う効果がいる。だが、回った本人が「あまりなかった」と吐露するようでは、何のためにやったのか。田中議員は「上から言われたので『そういうものか』と思った」と話す。こうして、思考停止の議員が送り込まれる。 戸別訪問の表向きは「挨拶」だから、自分が「候補者」で「投票してほしい」とは口にできず「名前」しか言えない。投票依頼の本心を見透かした前出の住民は、要領を得ない挙動に不審と反感を抱き、動画に残して本誌に通報した。最新のインターホンが設置された新築住宅を回れば、違反と疑われる行為が記録されると想像しなかったことはお粗末と言える。 前出の河村准教授は、 「選挙違反には問われなくても、有権者が疑念に思う動画が出回ればダメージです。動画撮影が普及していない昔の選挙であれば普通に行われていた行為が可視化された。共産党をはじめ多くの陣営は『グレーゾーンが記録される選挙』に認識が追いついていないのでしょう」 選挙カーで名前を連呼しながら住宅街を回る行為は、有権者から「騒音」と捉えられ選管に苦情が来る。河村准教授によると、コロナ禍を経て都市部ではネットや電話を活用した選挙運動にシフトしたが、電話の場合「アポ電強盗」への恐れから、そもそも知らない電話に出ない人も多いという。 「高齢化が進む組織はネット戦術に疎いので、若い層にアプローチするには戸別訪問しかない。盤石な支持層を背景にできた票割りは共産党や公明党の得意技だったかもしれないが、今やその方法は終わりを迎えつつあるのかもしれません。どの陣営も新しい選挙運動を考える時が迫っています」(同) 若者よりも投票に行く高齢者が多くを占める地方では、ネットを活用した選挙に移行するには時間がかかるだろう。投票率が下がれば下がるほど組織票の重みが増すため、過去最低の投票率を記録する喜多方市では、むしろ高齢の党員と学会員を優先する現状維持が働く。 だが、地方ではいずれ高齢者の人口すら減り、社会は縮小、議会の定数減は不可避だ。共産・公明両党は喜多方市議会で各2議席を確保するが、将来的には議席減が見込まれる。未来に影響力を持つ今の若年層からどう支持を取り付けるか、旧態依然の選挙から脱し、世代にあった方法を考えねばなるまい。 あわせて読みたい 【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

  • 須賀川市議選異例の連続無投票!?

    須賀川市議選異例の連続無投票!?

     任期満了に伴う須賀川市議選は、7月30日告示、8月6日投開票の日程で行われる。前回は同市にとって、1954年の市制施行以来、初めての無投票だったが、今回も無投票の可能性があるという。 「選挙時期を変えるべき」との声も  同市議選は、7月3日に立候補予定者説明会が行われることになっており、そこで大体の顔ぶれが明らかになると思われる。 ただ、本誌が5月中旬までに同市内で取材した中では「定数24(欠員1)に対して、新人数人が立候補を表明、あるいはその動きを見せているが、新人と引退する現職が同数になるとみられ、無投票になるのではないか、というのが現在のところの情勢です」(ある関係者)という。 ある市民はこう話す。 「数カ月前の時点では、定数24に27人くらいが立候補するのではないかとみられていましたが、最近になり、地元夕刊紙で無投票になる可能性があることが報じられました。普通、無投票になった次の選挙は多くの候補者が出そうなものですが、そうならないのが問題だと思います」 冒頭で書いたように、前回の同市議選は1954年の市制施行以来、初めての無投票だった。 前回は新人9人が立候補するなど新たな顔ぶれが出てきたが、市議選を見送り県議選に立候補した現職が3人いたほか、引退した議員も多かった。結果、新人は多かったものの定数24に現職14人、元職1人、新人9人の計24人の立候補者で、無投票での当選が決まった。 当時、市民からは「審判を受けなかった議員が市民の代表と言えるのか」、「もし議会(議員)が失態を演じたら、『だから無投票はよくない』、『やっぱり、市民の審判を受けていない議会はダメだ』と酷評されることになるだろう。そのことを肝に命じて議員活動をしてほしい」といった声が聞かれた。 その一方で、「初の無投票で、どう評していいのか分からない」と語る人もおり、有権者も困惑していた様子がうかがえた。それだけ、同市にとっては異例のことだったのだ。 そんな中、前出の市民は「無投票になった次は多くの候補者が出そうなものだが、そうならないのが問題だ」との見解を示したわけだが、確かに、そういった傾向がある。 他市町村では揺り戻しも  例えば、本誌4月号で4月18日告示、23日投票で行われた北塩原村議選の直前情報をリポートした。同村でも、前回(2019年4月)が村として初めて議員選挙が無投票となった。 迎えた今回の村議選は定数10に対し、現職6人、元職2人、新人8人の16人が立候補した。その背景には、村内(議会内、議会と執行部)の勢力争いがあったという事情もあるものの、前回の無投票からの揺り戻しがあった格好だ。 ある意味、それは正常な流れだろう。村内では以前(前回の村議選直後)から「無投票によって議員の質が落ちている。次回は絶対に無投票は避けなければならない」といった声や、実際に議会でのやり取りや議員の普段の振る舞いなどを見て、「やっぱり、村民の審判を受けていない議員はダメだ」との意見を聞くことが少なからずあった。「次回は絶対に無投票を避けなければならない」といった空気があり、今回はより多くの候補者が出る選挙戦になったのである。 須賀川市では、多くの有権者が「無投票は良くない」と思っているのは間違いないが、具体的にその動きが見えないのが問題だ、というのが前出の市民の指摘である。 8月選挙の弊害  一方で、以前から言われているのが「選挙の時期を変えるべきではないか」ということだ。 というのは、同市議選は2007年までは4月に実施されていた。ただ、その次の改選期である2011年は、直前に東日本大震災・原発事故が発生したため、特例で選挙(議員任期)を先伸ばしにした。結果、同年以降の市議選は、現在の8月に市議選が行われることになった。 ある識者はこう話す。 「いまの選挙期間は、夏休み期間中のお盆前になるため、各地区では夏祭りの準備だったり、それぞれの勤め先でも長期休暇前にやっておかなければならない仕事に追われていたりと、いろいろ忙しいんです。また、須賀川市はキュウリ農家や果樹農家などが多いが、それらの農繁期でもあり、収穫最盛期に選挙どころではないという声も少なくありません。加えて、近年は猛暑で選挙運動をする側も、選挙に行く側も大変ですよね。そういったさまざまな事情から、この時期の選挙は市民の関心が得られにくい、という大きな問題点があります。ですから、この時期の選挙は良くないので、以前の4月選挙に戻せば、少し状況は変わってくるのかな、と思います」 もし、以前の選挙時期(4月選挙)に戻そうと思ったら、議員全員の総意で、その直前に総辞職する必要がある。 ある関係者は「実際にそうした話も出た」という。 「前回選挙後、『今回は無投票だったから、(数カ月、任期を返上して議員全員が辞職し、以前の選挙時期に戻すことについて)以前より抵抗なくできるのではないか』といった意見があった。実際、議会でそれを提案した議員もいたそうですが、『あなた1人で辞めれば』と言われたそうです。当然、提案した議員からすると、『それでは意味ないだろ』という話になりますが、その程度の認識でしかないということです」 もっとも、選挙時期を以前の4月に戻したとして、現在の8月選挙よりは市民の関心が得られやすくなるだろうが、実際に立候補する人が増えるかどうか、というとまた別の問題になろう。 議員のなり手不足については、機を見てあらためてリポートしたいと考えるが、本誌では以前から、会社勤めの人でも議員活動ができるような工夫が必要であると訴えてきた経緯がある。議会として、そういったことを考えていかなければならないだろう。 同市議選までは、まだ少し時間があり、今後情勢が変わる可能性もある。異例の連続無投票となるのか、それとも無投票回避のために候補者が出てくるのか、が注目される。

  • 【須賀川・岩瀬郡】県議選は現職2人、新人2人の争いか

    【須賀川・岩瀬郡】県議選は現職2人、新人2人の争いか

    市議選の数カ月後には県議選が控える。その中でも、須賀川市・岩瀬郡選挙区(定数3)は、注目の選挙区と言える。県議選の動向についてもリポートする。  県議選は11月2日告示、12日投開票で行われる。 現在、同選挙区の現職は、宗方保氏(県民連合、6期)、水野透氏、渡辺康平氏(ともに自民党、1期)の3人。前回(2019年11月10日投開票)は、それまで5期務めていた自民党の重鎮・斎藤健治氏が引退したこともあり、6人が立候補する激戦だった。 斎藤氏の引退を受け、自民党は新人2人の公認候補を擁立したが、同選挙区で自民公認候補が2人になるのは初めてだったため、「宗方氏は安泰としても、自民党候補者2人のうちのどちらかが足をすくわれる可能性もあるのではないか」といった見方もあった。ただ、結果は別表の通り。自民党の新人2人が当選を果たした。 今回は、現職の水野氏と渡辺氏は自民公認での立候補が決まっているほか、前回選挙に立候補した共産党の丸本由美子氏も立候補を表明している。残る現職の宗方氏については、「今期限りで引退する可能性が高い」(ある関係者)とのことだが、5月中旬時点では正式な引退表明等はない。 「宗方氏が出るにしても、辞めるにしても、玄葉光一郎衆院議員の意向を汲んだ人が出てくるのは間違いない。ですから、すでに立候補を決めている自民党の現職2人と共産党の丸本氏、そこに宗方氏、もしくはその後継者(玄葉衆院議員の意向を汲んだ人)を加えた4人の争いになると思って準備をしている」(ある陣営の関係者) ちなみに、宗方氏が引退するとして、「玄葉氏の意向を汲んだ人」として名前が挙がっているのが玄葉氏の秘書の吉田誠氏。 「人柄はいいと思うが、知名度としてはどうでしょうね。まあ、玄葉さんとその支持者が本気になってやるでしょうから、有力であることには間違いないでしょうけど」(岩瀬郡の住民) 「宗方氏が須賀川市のまちなか(旧市内)なのに対し、吉田氏は旧市内より人口が少ない東部地区出身だから、その辺がどうか」(須賀川市民) 大方の見方では、「自民党の現職2人と、玄葉氏(立憲民主党)側の宗方氏か吉田氏の3人が有力だろう」とのことだが、一方で「共産党の丸本氏も侮れない」と見る向きもある。 こちらも、まだ選挙までには月日があるが、宗方氏の動向はどうなのか、有権者がどんな審判を下すのかに注目したい。

  • 【会津坂下町】新庁舎構想「迷走」の裏側

    【会津坂下町】新庁舎構想「迷走」の裏側

     会津坂下町が揺れている。老朽化した役場庁舎の移転新築をめぐり、一度は現庁舎周辺で建て替えることが決まったが、町民アンケートの結果を踏まえ、古川庄平町長が旧坂下厚生総合病院跡地に建てる方針を示したため、町中心部の住民が猛反発している。一方、町周辺部の住民も町の説明不足を指摘しており、新庁舎構想はまとまる気配が見えない。 説明不足の古川町長に不信募らせる住民 老朽化する現庁舎(会津坂下町役場)  会津坂下町役場の周辺で異様な光景が広がっている――そんな情報が寄せられ、5月中旬、記者が現場を訪ねると、目にしたのは大量のポスターとのぼり旗だった。 「新役場建設地 現庁舎周辺でいいのです!! 旧町内有志」 白と赤を基調にそう書かれたポスターとのぼり旗は、役場を取り囲むように商店街中に出回っていた。 ポスターが貼られていたある店に飛び込み、店主に話を聞くと、 「新庁舎は5年前、ここ(現庁舎周辺)に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した。病院跡地は密約があるとウワサされる場所。正式決定を覆し、そんな場所に新庁舎を建てるなんて許せない。ポスターとのぼり旗は中心部の俺たちからの抗議だ」 役場を取り囲むように設置されたポスター のぼり旗  店主によると、ポスターとのぼり旗は大型連休前の4月25日ごろに一斉に設置されたという。 この間、本誌でも報じている会津坂下町の役場庁舎問題。古くなった現庁舎の移転新築をめぐり三つの候補地の中から現庁舎周辺で建て替えることを決めたのは今から5年前のことだ。町は2018年3月定例会に、新庁舎の建設場所を「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」とする議案を提出し、賛成多数で議決された。しかし同年9月、当時の斎藤文英町長が財政難を理由に建設延期を決定し、事業は一時凍結された。 状況に変化が見られたのは、斎藤町長が引退し、2021年6月の町長選で現町長の古川庄平氏が初当選したことだった。22年4月には役場内に庁舎整備課が新設され、新庁舎構想は再び動き出した。 ところが、議会の議決を経て正式決定したはずの建設場所に一石が投じられた。「現庁舎周辺での建て替えを決めた4年前(2018年)とは町内事情が変わっている」として22年5月、「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から議会に再考を促す請願が提出されたのだ。 議会はこの請願を賛成多数で採択し、建設場所を再度協議することを求める意見書を古川町長に提出。これを受け、町は2018年10月から休止していた新庁舎建設検討委員会を、22年7月に委員を一部入れ替えて再開させた。 現庁舎周辺での建て替えを決めた理由の一つに「中心部や周辺まちづくりへの寄与」がある。 町中心部の住民の多くは役場近くの商店街で店を経営している。役場と共に生活してきた店主たちにとって、役場が別の場所に移ることは死活問題。そうした中、新庁舎の建設場所は店主たちが望んだ現庁舎周辺に決まったのに、突如覆されようとしているのだから「なぜ今更見直さなければならないのか」と不満に思うのは理解できる。 そんな店主たちを一層怒らせたのが、町が2022年10月に行ったアンケートだった。アンケート結果は本誌2月号で詳報しているので繰り返さないが、要約すると、 ▽建設場所は、既に決まっている現庁舎周辺でいいか、再考すべきか尋ねたところ、248人が「現庁舎周辺のままでよい」、430人が「再考すべき」、15人が「その他」と答えた。(残り33人は無回答) ▽「再考すべき」「その他」と答えた計445人に3カ所の候補地を示し、望ましい移転場所を尋ねたところ、273人が「旧坂下厚生病院跡地」、39人が「旧坂下高校跡地」、95人が「南幹線沿線県有地」と答えた。(残り38人は「その他」、あるいは無回答) こうした経過を経て、古川町長は今年2月に開かれた議会全員協議会で新庁舎の建設場所を旧坂下厚生病院跡地にする方針を示したのだ。冒頭の店主が「現庁舎周辺に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した」と憤っていたのはこのことを指している。 憤る店主たち  本誌の手元に今年3月と4月に開かれた議会全員協議会で町から配られた資料がある。その中には、現庁舎周辺と病院跡地のメリット・デメリットや、2022年9月に町内7地区で開かれたまちづくり懇談会、同年10月に商工会理事を対象に開かれた懇談会で上がった意見などが紹介されているが、資料のつくりとしては「町が病院跡地へ誘導しようとしている」感が強い。 また資料には、現庁舎周辺と病院跡地のほか、アンケートで示された旧坂下高校跡地と南幹線沿線県有地の計4カ所に新庁舎を建設した場合の概算事業費も載っている(別掲の表)。それを見ると、現庁舎周辺と病院跡地では事業費はほぼ変わらないことや、旧坂下高校跡地が最も安上がりなことなども分かる。 新庁舎の概算事業費 現庁舎周辺病院跡地高校跡地南幹線沿線本体工事22.8億22.8億10.0億22.8億外構工事2000万4300万4300万4300万車庫等2.3億2.3億2.3億2.3億仮設庁舎・解体1.1億000設計・監理2.0億2.0億2.0億2.0億用地取得・土地造成6000万2.3億01.4億家屋移転補償1.0億000その他1.0億1.0億1.0億1.0億合計30.9億30.8億15.7億29.8億参考35.3億36.6億21.3億36.3億※1=「参考」は5月17日に開かれた仲町・橋本地区の住民説明会で町が示した金額。※2=旧坂下高校跡地は県補助金の利用が可能。(限度額3億円)※3=100万円以下は四捨五入した。  これらを踏まえ、資料には「建設場所は『旧坂下厚生病院跡地』とする」と明記されているが、この方針変更を町中心部の店主たちはどう受け止めているのか。以下、取材で拾った声を紹介していく。 「アンケートの地図では病院跡地全体が黒塗りになっていたが、その後、新庁舎用地として使うのは半分であることが分かった。町民に回答を求めるのに正しい情報を伝えないのはフェアじゃない」(店主A) 病院跡地の面積は2万1000平方㍍だが、古川町長は新庁舎に必要な面積を1万平方㍍としていた。住民の中には、現庁舎周辺(7000平方㍍)では面積が足りないので、広い病院跡地の方がいいと思った人も少なくない。それが、実際に使う面積は半分となれば「最初から(半分しか使わないと)分かっていたら病院跡地を支持していない」という人もいたと思われる。 町は「騙すつもりはなかった」と言うかもしれないが、正しい情報を伝えずに判断を仰ぐのは、店主Aさんが言うようにフェアじゃない。 「現庁舎周辺と病院跡地の事業費は一見変わらないが(別表参照)、病院跡地に建てても現庁舎は解体するのに、解体費は0円になっている。ほかにも負担しなければならない費用があるのに、町はきちんと説明していない」(店主Bさん) 別表を見ると、病院跡地の「仮設庁舎・解体」の項目は確かに「0」になっている。仮に病院跡地に建てるとしたら仮設庁舎は不要だが、現庁舎は結局解体するので、解体費が0円というのは正確ではない。 そもそも町は、病院跡地に新庁舎を建てたら、現庁舎跡地には8億円で新たな活性化施設を整備する方針を示している。店主Bさんは「解体費や活性化施設の整備費を隠し『事業費はほぼ同じ』と説明するのはズルい」と町に不信感を募らせる。さらに店主Bさんによれば、病院跡地に新庁舎を建てたら、周辺に職員用の駐車場を別途確保しなければならず、その分の費用負担も町は説明していないというから、ここでも住民が正しい判断をするための情報を、町は正確に伝えていない。 「5年前に事業凍結した際、斎藤町長(当時)は財政難を理由に挙げたが、今の財政状況はどうなっているのか。住民は当時より財政が良くなったから新庁舎を建てると解釈しているが、正確に把握している住民はいないし、町から説明を受けたこともない」(店主Cさん) 町のホームページに財政に関する各種資料が公開されているが、事業凍結を決めた前年(2017年度)は経常収支比率90・2%、実質公債費比率13・9%、将来負担比率105・9%と、国が示す早期健全化基準には至っていないものの、県内の町村や全国の類似団体より下位にあった。地方債残高も96億9500万円に上り、財政調整基金も2000万円と乏しかった。 これが2021年度にどう変わったかというと、経常収支比率83・2%(19年度比7・0㌽減)、実質公債費比率11・0%(同2・9㌽減)、将来負担比率49・1%(同56・8㌽減)、地方債残高77億8800万円(同19億0700万円減)、財政調整基金6億3400万円(同6億1400万円増)まで回復。ただし県内の町村や全国の類似団体と比較すると、改善の余地はまだある。 町は「公開している資料を見てほしい」と言うかもしれないが、一方的な公開では住民に伝えた(伝わった)ことにならない。当時の財政難からここまで改善したという説明がなければ、住民は凍結されていた事業が再開した理由を正しく理解できないのではないか。 「新庁舎建設検討委員会は、現庁舎周辺に決めた際は計10回開かれ、委員は毎回2~3時間にわたり議論を戦わせた。しかし病院跡地に関しては、同委員会はたった2回しか開かれていない。そもそも同委員会内では、病院跡地がいいか・悪いかという議論さえしておらず、アンケートの結果のみが決定の根拠になっている」(店主Dさん) 実は、店主Dさんには同委員として欠かさず議論に参加し、現庁舎周辺が最適と決めた自負があった。それだけに、突然「再考すべきだ」と提案され、古川町長が受け入れたことに「あっさり覆すのは我慢ならない」という思いがあるのだ。 マルト建設に疑いの目 マルト建設本社  ここまで話を聞いて、店主たちの気持ちは理解できた。ただ気になったのは、そもそも病院跡地は町内のマルト建設がJA福島厚生連から購入する約束になっていたため(詳細は本誌3月号)、「町と同社の間で何らかの密約があったのではないか」と疑う店主が多かったことだ。 同社は旧坂下厚生病院の解体工事を受注し、工事は6月終了予定となっているが、更地になった後の利活用に困っていた厚生連が同社に売却を打診し、同社が応じたため、双方の間で買付証明書と売渡承諾書が交わされた経緯がある。正式契約ではなく、あくまで「売買を約束したもの」だが、そのタイミングで病院跡地が新庁舎候補地に挙がったため、同社は「もし町が厚生連から取得するなら、約束は破棄してもいい」としていた。 同社は解体工事を受注した手前、厚生連からの打診を断わることができず、取得後は宅地造成をするしかないと考えていた。つまり、町の登場は渡りに船だったわけだが、同社にとって間が悪かったのは、当時の社長と役員が県職員への贈賄容疑で逮捕され、住民に悪いイメージを持たれたことだった。それが「同社が買うはずの土地に町が新庁舎をつくろうとするのは、何らかの密約があるに違いない」という見方につながっているのだ。 本誌の取材では密約を裏付ける証拠は得られなかったが、同社は創業50周年を迎えた2021年から町や学校などに多額の寄付をしており、それが曲解されて「下心の表れ」と見られてしまっている。 店主たちからは、病院跡地に変わるきっかけをつくった前出・加藤氏と、古川町長への意見書提出を先導した渡部正司議員(2期)への不満も聞かれた。しかし、両氏にもそれなりの言い分がある。とりわけ両氏は、店主たちとは逆に役場から遠い場所で暮らしているため「町周辺部の住民の代弁者」と捉えて差し支えないだろう。 まずは加藤氏の意見から。 「5年前に現庁舎周辺に建てることが決まった際も、当時のアンケートでは別の場所がいいという意見が多かった。しかし、結果的に現庁舎周辺に決まり、当時の新庁舎建設検討委員会のメンバーを見ると町中心部の人たちが多かったので、本当に全町民の考えを反映したのかという思いはあった。町周辺部の住民に、なぜ現庁舎周辺に決まったのかという説明も足りなかった」 その後、事業は凍結されたが、4年後に再始動したタイミングで友人や後輩から「建設場所の再考を促すべきではないか」という声が寄せられたため、加藤氏が代表して請願を提出したという。 「事業の凍結期間中には郊外にメガステージ(商業施設)や坂下厚生病院がつくられ、新しい道路が整備されるなど人の流れが変わった。町の将来を考えると、学校が統廃合され、今後も少子化は進むので空き校舎が増えていく。短期間のうちにいろいろな変化が起こり、今後も変化が避けられない中、それでも新庁舎はそのまま現在地に建てるというのは、将来のまちづくりを考えると違和感を持ちました」 「私個人は、新庁舎をどこにつくるべきという意見はない。ただ、せっかくつくるなら、中心部の住民だけでなく周辺部の住民の声も聞いてより良い場所を選ぶべきです。その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、それで構わない。問題は、周辺部の住民を巻き込んだ議論が不足していることと、町は財政難で事業を凍結しておきながら、事業再開時には財政状況がどれくらい回復したのか全く説明がないことです」 加藤氏が深い考えに基づいて行動を起こしたことが分かる。 説明不足が招く数々の弊害 町が示した旧坂下厚生病院跡地の新庁舎配置図  渡部議員の意見はこうだ。 渡部正司議員(会津坂下町HPより)  「5年前に現庁舎周辺に建てると決めた際は、国の財政支援を受けるために期限内(2020年度)に着工しなければならない大前提があった。しかし、事業が凍結され、期限内着工が間に合わず、国の財政支援は受けられなくなった。その大前提が崩れたのだから、現庁舎周辺にこだわらず、じっくり議論してはどうかと思ったのです。当時は候補地になり得なかった病院跡地や旧坂下高校跡地も事業の凍結期間中に浮上したわけだから、それらの可能性を検討するのもありだと思った」 「災害発生時、役場に防災拠点を置くことを考えると、現庁舎周辺は道路が狭く緊急車両が通りにくい、病院跡地は道路が広く緊急車両が通り易い、という意見もある。ハザードマップを見ると、浸水深が現庁舎周辺で最大3㍍、病院跡地で同50㌢という差もある。そういった材料も踏まえて議論し、その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、住民が出した結論なので異論はない」 加藤氏と渡部議員は「現庁舎周辺ではダメ」「病院跡地がベスト」と主張しているわけではなく、さらに議論を深める必要性と町の説明不足を指摘しているわけ。そういう意味では、一見対立しているようにも映る前出・店主たちと考え方は一致していることになる。 住民の多くが問題視する町の説明不足はこんなところに表れている。 町周辺部の住民は利便性や駐車場の広さから病院跡地への変更を歓迎する人が多いが、実はその人たちからも「全敷地を使うと思ったのに半分しか使わないなら魅力的に感じない」と困惑の声が上がっている。前出・店主Aさんも指摘していたが、町周辺部の住民も町の不正確な説明に不満を感じているのだ。 古川町長が今年2月の議会全員協議会で建設場所を病院跡地にする方針を示したことは前述したが、これを受け住民の多くは「現庁舎周辺は白紙になった」と勘違いしている。正しくは、現庁舎周辺は議会の議決を経て決定したので、それを病院跡地に変えるには地方自治法や会津坂下町議会基本条例に基づき、町が議決内容の一部(建設場所)を変更する議案を議会に提出し、もう一度議決を得なければならない。 住民は「町長が病院跡地と言っているんだから、決定なんでしょ」と思っているかもしれないが、全くの誤解だ。そればかりか、町が病院跡地に変更する議案を提出し、議会に否決されたら、病院跡地への移転新築は幻に終わる可能性すらある。 こうした状況を正しく理解している住民は少ない。理由は2月に病院跡地とする方針を打ち出して以降、町が住民に説明する場を一切設けてこなかったからだ。 町は当初、3~4月にかけて▽住民への説明会を開く、▽議会内に新庁舎建設検討特別委員会を設置し、必要な議論を進める、▽前出・新庁舎建設検討委員会を再開する、という三段構えで病院跡地に変更することへの理解を深め、大型連休明けに臨時会を開き、必要な議案を議会に提出するスケジュールを練っていた。しかし、議員から「拙速だ」「住民への説明が足りない」と反対意見が上がり、議案提出を6月定例会に先延ばしした。 このスケジュールに対しても、先にゴール(議案提出)ありきで、それに合わせて住民への説明を済ませようとしたから、前出・店主たちは「単に説明したというアリバイをつくりたいだけ」と憤っている。店主たちによると、冒頭で触れたポスターとのぼり旗は強引な進め方をする町に釘を刺す狙いがあったという。 「リコールもあり得る」 住民説明会で説明する古川町長(5月17日)  町は5月中旬から下旬にかけて、町内各地区で住民説明会を開いた。初回は同17日、現庁舎がある仲町・橋本地区の住民を対象に開かれ、会場には40人ほどが駆け付けた。町からは古川町長、板橋正良副町長、庁舎整備課の職員が出席したが、出席者からは病院跡地への変更に強く反対する意見のほか「住民への説明が足りない」「関連議案を6月定例会に提出するなんて拙速だ」など厳しい指摘が相次いだ。「住民投票で白黒をつけるべき」「町長選の争点だ」「町長リコールだってあり得る」と辛辣な意見も聞かれるなど大紛糾した。 説明会終了後、疲れた様子の古川町長にコメントを求めると、 「いろいろなご意見をいただきましたが、私の思いは、新庁舎はまちづくりの観点を大事にしながら、防災拠点に相応しい場所に建設すべきというものです。時間をかけて説明してほしいと言われたが、現庁舎は非常に古く、移転新築に時間をかけすぎるといつまた大きな災害が襲って来るかも分からない。ともかく、移転新築が必要なのは明白なので、住民や議会と議論を深めながら結論を導き出していきたい」 古川町長の口ぶりからは、住民説明会を何度も開く、時間をかけて説明し理解を得ていく、といった考えは正直感じられなかった。本気で病院跡地に変更したければ、反対する住民に納得してもらえるよう繰り返し説明し、現庁舎周辺の新たな利活用(地域活性化施設)も検討する一方、賛成する住民にも全敷地を使うと誤解させたことを謝罪し、なぜ事実と異なる内容を伝えたのかを説明する必要があるのではないか。 それでも納得が得られなければ、住民説明会でも上がったように住民投票で白黒をつけるか、リコールか自ら辞職して出直し町長選に臨み、新庁舎問題を争点に戦うしかないのではないか。今の会津坂下町はそれくらい、一筋縄ではいかない迷走に陥っている。 あわせて読みたい 会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】(2022年10月号) 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 【福島県議会選挙】自民現職2人に新人2人が挑む【須賀川市・岩瀬郡】

     須賀川市・岩瀬郡選挙区(定数3)は、立憲民主党の現職宗方保氏が引退し、その後継者と、自民党の現職2人、共産党候補の4人で争う構図が予想され、激戦区と言える。 「共産候補も侮れない」との声も 渡辺康平氏 水野透氏  現在、同選挙区の現職は、宗方保氏(県民連合、6期)、水野透氏、渡辺康平氏(ともに自民党、1期)の3人。前回(2019年11月10日投開票)は、それまで5期務めていた自民党の重鎮・斎藤健治氏が引退したこともあり、6人が立候補する激戦だった。斎藤氏の引退を受け、自民党は新人2人の公認候補を擁立したが、同選挙区で自民公認候補が2人になるのは初めてだった。そのため、「宗方氏は安泰としても、自民党公認候補の2人がどれだけ得票できるか、場合によっては他候補が〝漁夫の利〟を得る可能性もあるのでは」との見方もあった。  ただ、結果は宗方氏と自民党公認の新人2人が当選した(前回の投票結果は別掲の通り)。  今回は、早い段階で現職の水野氏と渡辺氏が自民党公認での立候補が決まり、共産党も前回選挙に立候補した丸本由美子氏を擁立することを決めていた。  一方、宗方氏は「今期限りで引退する可能性が高い」(ある関係者)と言われていたものの確定的な情報はなかった。ただ、ある陣営の関係者は、5月ごろの時点で「宗方氏が出るにしても、引退するにしても、玄葉光一郎衆院議員の意向を汲んだ人が出てくるのは間違いない。ですから、すでに立候補を決めている自民党の現職2人と共産党の丸本氏、そこに宗方氏、もしくはその後継者(玄葉衆院議員の意向を汲んだ人)を加えた4人の争いになると思って準備をしている」との見方だった。  その後、宗方氏は6月4日に会見を開き、今期限りで引退する意向を表明した。地元紙報道によると「自分にできることを全うし、東奔西走の毎日だった。今後は一市民として発想力と行動力を持って地域貢献したい」(福島民友6月5日付より)と述べたという。  宗方氏の後継者については、当初から玄葉氏の秘書・吉田誠氏の名前が挙がっており、宗方氏の引退表明から約2週間後の6月19日に、立憲民主党公認で立候補することを表明した。  吉田氏について、須賀川市・岩瀬郡の有権者はこう話す。  「宗方氏が須賀川市のまちなか(旧市内)出身なのに対し、吉田氏は旧市内より人口が少ない東部地区出身だから、その辺がどうか。一方で、自民党の水野氏と地盤がかぶるところもあるから、その影響も気になるところです」(須賀川市民)  「人柄はいいと思うが、知名度としてはそこまでではないと思う。まあ、玄葉さんとその支持者が本気になってやるでしょうから、有力であるのは間違いないでしょうけど」(岩瀬郡の住民)  大方の見方では、「自民党の現職2人と吉田氏の3人が有力だろう」とのこと。ただ、「共産党の丸本氏も、昨夏の参院選に比例で立候補し落選したものの、(同じく比例で立候補して当選した)岩渕友氏とタッグを組んで顔と名前を売った。処理水放出など、自民党にとっては逆風もあるから、丸本氏も侮れないと思う」と見る向きもある。  吉田氏が宗方氏のごとく強さを発揮するのか、自民党は2議席を維持できるのか、共産党の議席奪取はあるのか等々が見どころだ。

  • 【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」検証ないまま2年目始動

     昨年に引き続き、今年も始まった県のクリエイター育成事業。国内トップクリエイターが師範、地元クリエイターが塾生となる道場「誇心館」では、クリエイティブ力の強化を目指した稽古が今年度いっぱい行われる。ただ、昨年度の成果発表はよく分からないうちに終わり、成果品はウェブや県庁の一角などで発表されたものの、税金を使って地元クリエイターを育成するという名目を踏まえると、事業の成果と反省点が見えにくいのは解せない。 塾生の生の声を反省材料にすべき 内堀雅雄知事 箭内道彦氏(誇心館HPより)  公式ホームページによると、誇心館の狙いは《県内クリエイターのクリエイティブ力を強化し、様々なコンテンツを連携して制作するとともに、それらを活用して情報発信を行うことで、本県の魅力や正確な情報を県内外に広く発信し、風評払拭・風化防止や本県のブランド力向上を図るため、県内クリエイターを育成する》というもの。  昨年度から始まった誇心館の館長は「福島県クリエイティブディレクター」の箭内道彦氏で、その下に国内の著名なクリエイター4人が師範として就いている(別掲)。公募により塾生に選ばれた県内在住クリエイター26人(10~70代)が各師範のもと来年1月まで月1回程度の講義や実習に取り組む。2月には修了式と成果発表が予定されている。 氏名主な仕事など館長箭内道彦(郡山市出身)クリエイティブディレクタータワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」など。県クリエイティブディレクター師範石井麻木写真家写真展「3.11からの手紙/音の声」を開催。県「来て。」ポスター審査員師範小杉幸一アートディレクター、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」「来て。」NHK「ちむどんどん」ロゴなど師範並河進コピーライター、クリエイティブディレクター電通ソーシャル・デザイン・エンジン代表。県「ふくしま 知らなかった大使」など師範半沢健フォトグラファー、ムービーカメラマン東京を拠点に幅広いジャンルで活躍中。県「ふくしまプライド。」TVCMカメラマン敬称略  昨年度は師範6人、塾生62人(稽古を全て受講し、修了書を受け取ったのは49人)だったので、それと比べると今年度は規模が小さくなった印象を受ける。しかし、公表されている情報や、本誌が情報開示請求で県から入手した昨年度事業の公文書を見ていくと、予算規模は昨年度が5530万円、その後、1200万円増額されて計6730万円。今年度は6820万円。つまり、今年度は昨年度より師範、塾生とも減ったのに、予算は増えている、と。同事業の受託者は昨年度、今年度とも山川印刷所(福島市)。  今年度の誇心館は、8月9日に入塾式と初稽古があった。  《入塾式では、箭内さんが「福島で生きる皆さんだからこそ乗せられるものがある。福島だからこそのうれしいこと、楽しいことなどを発信していくことが大切だ」とあいさつし、内堀雅雄知事が「多様性のある福島は一言では言い表せない。どのように伝えれば心に響くかを学んでほしい」と激励した。  各師範のあいさつに続き、塾生代表の石井浩一さんが「仕事への向き合い方、心構えなどを誇心館で学びたい」と決意を述べた》(福島民友8月10日付)  内堀知事がわざわざ出席するくらいだから、県の力の入れようが伝わってくる。それもそのはず、誇心館は地元クリエイターの育成という側面のほかに、内堀氏が副知事時代から箭内氏と親しく付き合い、前回知事選の地元紙取材では「尊敬する人物」に箭内氏を挙げたほど、両氏の関係性が色濃く表れている。  「震災の風評払拭や福島の現状を知ってもらうため、内堀知事が箭内氏を頼るのは理解できる。ただ、両氏が親しい関係にあることを知る人は『二人の距離が近いからこそ始まった事業』とか『そもそも地元クリエイターの育成って税金を使ってやることなのか』と冷めた見方をしている」(某広告代理店の営業マン)  とりわけ営業マンが驚いたと話すのが、前述の通り、誇心館の昨年度予算が5530万円から年度途中で1200万円増額され、計6730万円になったことだ。  「広報系予算が年度途中で増えるのは異例。少なくとも、私は経験したことがないし聞いたこともない。誇心館の県の窓口は知事直轄の広報課なので、内堀知事がOKすれば簡単に増額できる、ということなんでしょうか」(同)  県広報課によると、予算増額の理由は「作品の制作と情報発信にかかる費用を増やす必要があった」。足りなくなったからと簡単に増やせてしまうのは、両氏の関係性があるからこそと勘繰らずにはいられない。  本誌が情報開示請求で入手した昨年度事業の公文書に「収支報告書」があり、それを見ると、師範1人当たりの謝金は1回当たり2万5545円となっていた。  「昨年度の師範6人も国内トップクリエイターだったので、2万5000円が事実とすれば激安だ。6人は普段から箭内氏と一緒に仕事をしている〝箭内組〟の面々なので、箭内氏の頼みならと破格の謝金で引き受けたのか、それとも別途謝金を受け取っていたのか」(同)  営業マンによると、この手の事業では項目によって余裕を持たせた予算取りをするので、そこから別途謝金を捻出することは可能というが、県の事業でそのようなテクニックが使えるかは定かではないという。  今年度の謝金がいくらかは事業が全て終わらないと分からないが、昨年度より安いとは想像しにくい。もし高くなっていたら、昨年度は破格過ぎたということだろう。 ダブルスタンダード https://fukushima-creators-dojo.jp/achieve.html  昨年度と今年度の違いで言うと、前出・福島民友の記事にもあるように塾生(代表)の名前を最初から公開していることが挙げられる。  実は、情報開示請求で入手した昨年度事業の公文書では、塾生の名前が全て黒塗り(非開示)になっていた。入塾式と修了式で代表あいさつした塾生の名前も黒塗りだった。  ところが、誇心館の公式ホームページを見ると「2022年度の成果発表」という項目に、塾生の名前と顔写真、それぞれの感想が載っているのである。開示した公文書では名前を全て黒塗りにしておいて、ホームページでは名前だけでなく顔写真まで公開しているのは明らかなダブルスタンダードだ。  県広報課に、本誌に開示した公文書では塾生の名前を黒塗りにした理由を尋ねると、  「公文書は個人情報保護の観点から非開示にした。ホームページは本人の了承を得て開示している」  なんだか解せない。  昨年度の修了式は今年3月6日に行われ、成果品の展示会は同日と翌7日に福島市内で開かれたが、一般の人が見学する機会はほとんどなかったという。  「展示会初日は内堀知事が訪れ、マスコミ対象の公開が優先されたため、一般の人は夕方しか会場に入れなかった。翌日も半日しか開かれなかったので、いつの間にか始まり、いつの間にか終わった印象」(同)  展示会自体は閉鎖的に済ませてしまった感があるが、成果品はウェブで公開したり、新聞、ラジオ、各地の大型ビジョン、デジタル広告、県の公式SNSなどを通じて広く情報発信された。県庁の一角でも期間限定で展示が行われた。ただ、ユーチューブのように再生回数が表示されるならともかく、CMやラジオを見たり聞いたりした人がどれくらいいて、それによってどのような成果が得られたかは正直分かりにくい。  「注目を集めたのは、県が開発したイチゴのオリジナル品種『ゆうやけベリー』のパッケージを塾生が手がけたことくらい。各師範のもとでユニークな取り組みが行われたとは思うが、せっかく箭内氏が館長なのだから、全体で統一テーマを設定し、それに沿って各師範のもとで動画やCMなどを制作して発信すれば、費用対効果も上がり、多くの人の印象に残るPRができたのでは」(同)  県内の某クリエイティブディレクター(CD)も、誇心館の取り組みにこんな指摘をしている。  「クリエイターは自分のつくった作品を多くの人に見てもらうのが仕事。だから、多くのクリエイターが一堂に会し、共同で学びながら作品をつくり上げていく誇心館のやり方はちょっと……と本音を漏らす塾生も中にはいました」  某CDによると、塾生はプロ、学生、素人が入り混じり、年齢層も幅広かったため、能力やスキルに差が見られた。全員が塾生として純粋に講義を受けるだけならそれでも構わなかったが、連携して作品をつくるとなった時、携わる塾生が限られる現象が起きたという。  「誇心館はプロ志向に寄せて始まったので、作品づくりに携わる塾生も次第にプロが中心になっていったようです。ただ、彼らは自分の仕事をしながら塾生として作品づくりに臨み、しかも、講義の一環なので無報酬だったため『自分は何のためにやっているのか』と愚痴をこぼす塾生もいました」(同)  それなら同業者(クリエイター)を集めて連携させるのではなく、メーカーや広告代理店などと引き合わせ、作品づくり=仕事に結び付けた方が、クリエイターにとってはありがたかったのかもしれない。  「クリエイターは自分の感性を大切にするので、他者と連携して作品をつくるのが不得手。だったら、自分の作品を世に出せるチャンスを与え、そこに競争性を持たせた方が地元クリエイターの育成につながるだろうし、多くのクライアントも関心を向けるのではないか」(同)  昨年度から始まった誇心館を進化させるには、塾生の生の声を生かすことが欠かせない。例えば全ての講義が終了後、塾生にアンケートを行い、良かった点を次年度に引き継ぐ一方、悪かった点を反省材料にすれば誇心館の取り組みもブラッシュアップされるはずだ。 成果を検証する気なし 福島県庁  ところが、当然やっているものと思われた塾生へのアンケートを、県広報課では「やっていない」というのである。県は6000万円以上の税金を使っておきながら、事業の成果を検証する気がないらしい。  本誌は、昨年度の塾生とコンタクトを取り、体験したからこそ感じた良かった点・悪かった点を聞かせてもらおうと考えた。ところが、何人かの塾生にメール等で取材を申し込んだものの、取材に応じる・応じない以前に、返事すら戻ってこないケースが相次いだ。返事は戻ってきたが「県を通した取材なら応じる」という塾生もいた。  そうした中、本誌の質問に答えてくれた塾生は、  「雲の上の存在のようなトップクリエイターと実際に意見を交わせるのは魅力的で、講師陣の感性や考え方に触れられたのは勉強になった」  と良かった点を語る一方、  「福島県の魅力が伝わるものを、それぞれの班の個性を生かしてつくり発表するというテーマ設定がなされたが、成果物へのイメージが見えにくく、アイデアを出すのに苦戦した。主催者側で具体的なテーマや課題を設けた方が、それぞれの塾生の特技を生かしたり、活発な意見のやりとりができたのではないか」  と改善点を挙げてくれた。「主催者側によるテーマ設定」の必要性は前出・営業マンも指摘していた。表面的な「勉強になった」という感想ではなく、厳しくてもためになる生の声を大切にしないと事業が進化することはないだろう。  2年目の誇心館がどんな成果をもたらし、地元クリエイターにどう評価されるのか。内堀知事と箭内氏の関係ばかりがクローズアップされるのではなく、多くの県民が「福島県にとって有益な事業」と実感できなければ、やる意味はない。 あわせて読みたい 【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ 「尊敬する人」に箭内道彦氏を挙げた内堀知事 箭内道彦氏の〝功罪〟

  • 野焼きで「炎上」した【本多俊昭】市議【二本松市】

     二本松市の本多俊昭市議(63、4期)が所有地に廃棄物を運び込んで一部を焼却処分したとして、市の担当課から注意されていたことが分かった。本多市議は反省の意を示しているが、近隣住民はこの間の言動も含めてその対応に不信感を募らせており、議員辞職を求めている。 議員辞職を宣言もあっさり「撤回」  本多市議は福島農蚕高卒。同市南部の舘野原(杉田地区)在住で、農業に従事している。2022年6月の二本松市議選(定数22)では1470票を獲得して4位当選。令和創生の会に所属し、執行部(三保市政)を厳しく監視・追及するスタンスを貫いているが、ここ2年は1年に1回代表質問で登壇するだけで、一般質問はしていない。 そんな本多市議について、「所有地に廃棄物を不法投棄し、野焼きしていたとして近隣住民とトラブルになっている」とウワサが流れている。 真相を確認するため、市内で聞き込みをしたところ、本多市議とトラブルになっている近隣住民Aさんにたどり着いた。 Aさんはこのように明かす。 「同市箕輪の人通りのない場所に、本田市議が所有する農地がある。昨年6月ごろ、その場所に選挙で使った腕章や布団などを捨て始めた。隣接する私の土地にも侵入していたため、撤去を求めたのですが、少し場所をずらしただけで、その後も放置されたままになっていました」 しばらくすると、近くにあるAさんの自宅にスズメバチが飛んで来るようになった。「廃棄物に巣を作られてはたまらない」とAさんは3度にわたり市に「本多市議に撤去させてほしい」と相談。市が指導に入り、1カ月ほど経ったころ、その場でそれらの一部を燃やし始めたという。 布団などが仮置きされた本多市議の所有地 焼却している様子  「近隣に住む私に何の連絡もなく焼却し始めたので驚きました。幸い周辺の木には延焼しませんでしたが、危ない行為でした」(Aさん) 廃棄物処理法第5条では「土地又は建物の占有者は、その占有し、又は管理する土地又は建物の清潔を保つように努めなければならない」と定められており、行政機関では「廃棄物の一時保管」と称して廃棄物を放置したままにしないように呼びかけている。 また、同法第16条の2では、悪臭やダイオキシン類の発生原因となることから、災害ゴミの処分やどんど焼きなどの例外を除いて野外焼却を禁止している。市が配布しているチラシでも「地面の上で直接ゴミを燃やすこと」について「次のような焼却行為は法律に違反しますので罰せられることがあります」と注意を呼び掛けている。 本多市議は公職に就いているにもかかわらず、こうした違反行為を平然と行っていたわけ。なお、焼却されたのは一部で、残りは本多市議の別の所有地に移動されたという。 Aさんによると、本多市議は当初、誤りを認め、深く反省しているとして、市議会3月定例会終了後に議員辞職する考えを明かしていた。Aさんはトラブル防止のため、会話の様子を「秘密録音」し、記録に残していることを明かす。 「ところが、3月定例会終了後に電話すると『弁護士に相談したら不法投棄に当たらないし、議員を辞職する必要はないと言われたので、議員活動を続ける』と、あっさり前言撤回したから呆れました。こういう人物の言うことは信用できないし、議員にはふさわしくないと思いますよ」(Aさん) 本多市議を直撃  本多市議は近隣住民のこうした声をどのように受け止めているのか。舘野原の自宅を訪ねたところ、本人が取材に応じた。 ――自分の所有地に廃棄物を捨て、その場で燃やしていたと聞いた。 「廃棄物ではなく、自宅の片付けで出た不要物をごみに出す前に〝仮置き〟していた。ただ、一部を所有地で燃やしたのは事実だ」 ――廃棄物処理法で野焼きが禁止されていることを知らなかったのか。 「ちょっとした判断ミスで、深く認識せずにやった。反省して、弁護士の先生に相談したところ、『そこまでのアレじゃないし、深く考えない方がいい』とアドバイスされた。県の人権擁護委員会の先生、法徳寺の住職にも相談したが、『議員を辞めるまでには至らない』との意見をもらったので、議員活動を続けることにした」 ――いま思うことは。 「議員という立場上、その行動がいろいろな人に見られていることをあらためて自覚したうえで、引き続き議員活動に取り組んでいく」 同市生活環境課によると、Aさんからの連絡を受けて後日、同課職員が現地を確認し、本多市議に厳重注意を行ったという。そもそもごみに出す予定で〝野ざらし〟で農地に置いておいた不要物を「仮置きしていた」という言い分は苦しい。 現地は細い農道を通ってしか入れない場所にあり、ほとんど人通りがない。そんな土地で、公職に就く人が近隣住民に声もかけず自宅の不要物を焼却するのは、客観的に見ても異様に映る。「人の目がないところで何か不都合なものを処分しようとしているのではないか」、「所有地をごみ捨て場代わりに使っていたのではないか」と疑われても仕方ないだろう。 複数の関係者によると、狭い地域の話がウワサとなって市内に広まった背景には▽地縁団体などに推されない形で当選した本多市議と一部の地元住民との確執、▽議会で三保市政の批判を続けており、三保市長の支持者から敵視されている――といった事情も影響しているという。 本多市議とAさんは、土地境界線をめぐって以前からもめているようで、今回のトラブル発生後、逆にAさんが誤って本多市議の所有地の木を無断伐採していたことも発覚したという。そうした経緯もあってか、互いに感情的になっているように見える。 Aさんは廃棄物の撤去を求め、同市生活環境課と二本松署に連絡したが、動きは鈍く、現場を確認した様子は見られなかったという(※)。早い段階で行政機関が対応しなかったことが、結果的に事態を悪化させたとも考えられる。 本多市議は「近所付き合いもあるし、大ごとになればこちらも主張しなければならないことが出てくる。記事にはしてほしくない」と言うが、Aさんは逆に「この事実を多くの人に知ってほしい」と話している。議員として地元住民と良好な関係を築いていくことが求められるが、関係修復は容易でなさそうだ。 ※市生活環境課は「Aさんから通報を受けたので後日当事者(本多市議)に電話して注意した。所有地における廃棄物の捉え方については、グレーな面がある」、二本松署は「個別の案件についてはお答えできない」と回答している。

  • 【玄葉光一郎】衆院議員空虚な「知事転身説」

     数年前から突如として囁かれるようになった玄葉光一郎衆院議員(59)の「知事転身説」。背景には野党暮らしが長くなり、このまま期数を重ねても出世の見込みが薄いため「政治家として新たなステージを目指すべきだ」という支持者の思いがある。内堀雅雄知事(59)の3期目の任期満了日は2026年11月11日。次の知事選まで3年余り、玄葉氏はいかに行動するのだろうか。本人に真意を聞いた。 首相になれない状況を悲嘆する支持者  玄葉氏の知事転身説を耳にするようになったのは、内堀氏が再選を果たした2018年の知事選が終わってからだろうか。 「内堀知事は2期目で復興の道筋をつけ、3期目を目指す気はないようだ」 こう訳知り顔で話す人に、筆者は何人も会ったが、では、その人たちが何か根拠があって話していたのかというとそうではない。政治談議は時に、あれこれ言い合うから盛り上がるわけで「誰かが『2期で終わるんじゃないか』と言っていた」「オレもそう思う」などと話しているうちにそれがウワサとなって広まり、いつの間にか「定説」として落ち着くのはよくあることだ。 ならば、内堀知事が2期8年で引退するとして「次の知事は誰?」となった時、多くの人が真っ先に思い浮かべたのが玄葉氏だったと推測される。 なぜか。 一般的に「次の市町村長は誰?」となれば、大抵は副市町村長、市町村議会議長、地元選出県議などの名前が挙がる。同じように「次の知事は誰?」となれば、副知事、官僚、国会議員などが有力候補になる。 消去法で見ていこう。 現在の鈴木正晃、佐藤宏隆両副知事は、総務部長などを歴任したプロパーで、優秀なのかもしれないが知名度はない。 官僚は、探せばいくらでも見つかるし、政治家転身への意欲を持つ官僚もいるが、内堀氏が総務省出身であることを踏まえると、2代続けて〝官僚知事〟は抵抗がある。 内堀雅雄知事  残る国会議員は元参院議員の増子輝彦氏(75)や荒井広幸氏(65)の名前を挙げる人もいたが、民間人としてすっかり定着し、年齢も加味すると現実的ではない。 というわけで現職の国会議員を見渡した時、多くの人が「最適」と考えたのが玄葉氏だったのだろう(誤解されては困るが、本誌は玄葉氏が知事に「適任」と言っているのではない。多くの人が「最適」と考える理由を探っているだけである)。 理由を探る前に、玄葉氏の政治家としてのルーツを辿る。 玄葉光一郎衆院議員  1964年、田村郡船引町(現田村市)に生まれた玄葉氏は、父方の祖父が鏡石町長、母方の祖父が船引町長、のちに結婚する妻は当時の佐藤栄佐久知事の二女と、幼少のころから政治と縁の深い家庭環境に身を置いてきた。 安積高校、上智大学法学部を卒業後は政治家を志し、松下政経塾に入塾(8期生)。4年間の研修・実践活動を経て1991年の福島県議選に立候補し、県政史上最年少の26歳で初当選を果たす。県議会では自民党に所属したが、わずか2年で県議を辞職。その年(93年)の衆院選に福島2区(中選挙区、定数5)から無所属で立候補し、並み居る候補者を退け3位で議員バッジを手にした。 当選後は自民党を離党、新党さきがけに所属した。以降は旧民主党、民主党、民進党、無所属(社会保障を立て直す国民会議)、立憲民主党と連続当選10回の議員歴は、民主党が一度は政権交代を果たし、玄葉氏も外務大臣や内閣府特命担当大臣、党政策調査会長などの要職を務めたものの、野党に身を置く期間が9割近くを占める。 それでも、選挙では無類の強さを発揮してきた。初めて小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の衆院選こそ選挙区で荒井広幸氏に敗れ、比例復活当選に救われたが、次の衆院選で荒井氏とコスタリカを組む穂積良行氏を破り、次の次の衆院選で荒井氏も退けると、以降は対立候補を大差で退けてきた。もちろん玄葉氏の背後に、当時絶大な権勢を誇った岳父・佐藤栄佐久知事の存在があったことは言うまでもない。 しかし、栄佐久氏が県政汚職事件で失脚し、前々回、前回の衆院選では自民党の上杉謙太郎氏(48、2期、比例東北)に追い上げられたことからも分かるように、かつてのいかに得票数を増やすかという攻めの選挙から、近年はいかに得票数を減らさないかという守りの選挙に変わっていった。それもこれも野党議員では政府への陳情が通りにくい中、久しぶりに誕生した与党議員(上杉氏)に期待する有権者が増えていた証拠だろう。 旧福島3区では、選挙区は玄葉氏の名前を書くが、比例区は自民党に投票する、あるいは県議選や市町村議選は自民系の候補者を推すという〝ねじれ現象〟が長く続いている。原因は玄葉氏の政治家としての出発点が自民党で、佐藤栄佐久氏も同党参院議員を務めていたから。野党暮らしが長いとはいえ、支持者たちも元はと言えば自民党なのである。 そうした中で聞こえるのが「新党さきがけに行かず、自民党に留まっていれば……」と落胆する声だ。今の玄葉氏は、野党に身を置いたからこそ存在するわけで「たられば」の話をしても仕方ないのだが、根っこが自民党だけに残念がる人が多いのは理解できる。 なぜなら、仮に自民党で連続10回当選を重ねれば、主要閣僚はもちろん総理大臣に就いている可能性もあったからだ。来年還暦の玄葉氏はその若さも魅力になったはず。 ただ如何せん野党の身では、総理大臣は夢のまた夢。ならば政権交代を成し遂げるしかないが、政策の一致点が見いだせない野党はまとまる気配がない。玄葉氏が所属する立憲民主党も支持率が低迷し、野党第一党の座も危うい。選挙でも上杉氏に徐々に迫られている。 だから、支持者からは「このまま野党議員を続けていても展望が開けない」という本音が漏れるようになっていたし、それが次第に「いっそのこと、政治家として新たなステージを目指した方がいい」という期待へと変わっていったのだろう。 陳情受け付けに消極的  とはいえ、もし玄葉氏が知事選に立候補するとなった時、衆院議員としてどのような実績を残したかは冷静に見極める必要がある。 震災・原発事故当時、玄葉氏は外務大臣をはじめ民主党政権の中枢にいたが、地盤の旧3区をはじめ福島県に何をもたらしたか。玄葉氏はもともと、陳情をおねだりと評し「そういうことは避けた方がいい」と語っていた(※)。昔からの支持者も「玄葉君は若いころから(陳情の受け付けに)消極的だった」と認めている。 ※河北新報(2008年3月17日付)のインタビューで 「おねだり主義」という言葉を使っている。  上杉氏の支持者からはこんな皮肉も聞こえてくる。 「旧3区内を通る国道4号は片側1車線の個所が未だに残っている。それさえ解消できていない人が知事と言われても……」 旧3区の石川郡の政治関係者は、同郡が新2区に組み込まれたことでこんな体験をしたという。 「新2区から立候補を予定する自民党の根本匠衆院議員(72、9期)に『この道路をこうしてほしい』『あの課題を何とかしたい』とお願いしたら、その場から担当省庁に電話し即解決への道筋が示されたのです。実力者に陳情すればこんなに早く解決するのかと驚いたと同時に、根本氏も『石川郡はこんな些細な課題も積み残されているのか』と嘆いていました」 陳情を受け付けることは選挙区への我田引水ではなく、県民生活を良くするための手段だ。玄葉氏が知事になれば県民にとってプラスと感じられなければ、地元有権者の「衆院議員から知事になっても変わらないんじゃない?」との見方は払拭できないのではないか。 こうしたミクロの視点と同時にマクロの視点で言うと、東北大学大学院情報科学研究科(政治学)の河村和徳准教授は本誌昨年10月号の中でこのように語っていた。 「問題は玄葉氏が知事選に出るとなった時、自公政権と正面から交渉できるかどうかです。政権はおそらく、玄葉氏が知事選に出たら『野党系の玄葉氏とは交渉できない』とネガティブキャンペーンを展開するでしょう」 政権に近い内堀知事が、原発事故の海洋放出問題で国を一切批判しないのは周知の通り。野党系の玄葉氏が知事になった時、自公政権に言うべきことは言いつつ、福島県にとって有意義な予算や政策を引き出せるかどうかは、知事としての評価ポイントになる。 「次の展望」  結局、内堀氏は2022年の知事選で3回目の当選を果たしたが、既にこのころには玄葉氏の知事転身説は頻繁に聞かれるようになっていた。 本誌2021年12月号でもこのように書いている。 《玄葉氏をめぐっては、このまま野党議員を続けても展望がなく、衆院区割り改定で福島県が現在の5から4に減れば3区が再編対象となる可能性が高いため、「次の知事選に挑むのではないか」というウワサがまことしやかに囁かれている。 「玄葉は内堀雅雄知事の誕生に中心的役割を果たした。その内堀氏を押し退け、自分が知事選に出ることはあり得ない」(玄葉事務所)》 玄葉氏が内堀氏の知事選擁立に中心的役割を果たしたのは事実だ。内堀氏が初当選した2014年の知事選の出陣式ではこう挨拶している。 「内堀雅雄候補と私は14年来の付き合いであり、この間、内堀さんの安心感と信頼感を与える仕事ぶりを見てきた。3・11以降、内堀候補は副知事として最も適切なタイミングで最も適切な対応をとってきた。県職員、市町村長からも絶大な信頼を受けている。県民総参加で県政トップに内堀雅雄候補を推し上げ、復興を成し遂げてもらいたい」 これほど強いフレーズで支持を呼びかけた内堀氏を自ら押し退けて知事に就くことは、玄葉事務所も述べているように確かにあり得ない。 ただ、内堀氏が今期で引退するとなれば話は別だ。政治家が自らの進退を早々に第三者に告げることは考えにくいが、内堀氏と玄葉氏は共に1964年生まれの同級生であり、玄葉氏が「14年来の付き合い」と語っているように両者が親しい関係にあるなら、阿吽の呼吸で「私の次はあなた」「あなたの次は私」と意思疎通が図られても不思議ではない。 実際、玄葉氏が知事選立候補を決意したのではないかと思わせる出来事もあった。 「10増10減」で福島県の定数が4に減った 馬場雄基衆院議員  衆院小選挙区定数「10増10減」で福島県の定数が4に減ったことを受け、旧3区選出の玄葉氏は次の衆院選では新2区から立憲民主党公認で立候補する予定。しかしその前段には、旧2区を地盤とする馬場雄基衆院議員(30、1期、比例東北)との候補者調整が難航した経緯がある。 立憲民主党県連は党本部に対し、現職の両者を共に当選させる狙いから、同党では前例のないコスタリカ方式を採用するよう打診した。しかし、党本部はこれを見送り、玄葉氏を選挙区、馬場氏を比例東北ブロックの名簿1位で擁立する方針を決定したが、玄葉氏が一度はコスタリカを受け入れたことに、選挙通の間ではある憶測が広まった。 あらためてコスタリカ方式とは、同じ選挙区に候補者が2人(A氏、B氏)いた場合、A氏が選挙区、B氏が比例区で立候補したら、次の衆院選ではB氏が選挙区、A氏が比例区に交代で回る方式である。ただ、比例区は政党名での投票で、全国的な著名人でもない限り顔と名前を覚えてもらえないため、コスタリカの当事者たちは必ず、自分の名前を書いてもらえる選挙区からの立候補を強く望む。 前述・自民党の荒井広幸氏と穂積良行氏がコスタリカを組み、玄葉氏にことごとく敗れたのは、名前を書いてもらえない比例区に回っている間に、玄葉氏が顔と名前を有権者に浸透させたことが影響している。 そんなコスタリカ方式の弊害を身を持って知る玄葉氏が、馬場氏との間で受け入れたとなったから、選挙通たちは「玄葉氏は最初に選挙区から立候補し、あとは知事選に挑むので、結局、比例区から立候補する状況にならない。だからコスタリカを受け入れたのではないか」と深読みし、知事転身説がより色濃くなったのである。 当の玄葉氏はどのように考えているのか。本誌は衆院解散もあり得るとされていた6月上旬、本人に質問し、次のようなコメントを得た。 「確かに皆さんのところを回っていると『首相になれないなら知事選に』と言われます。ただ、今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての『次の展望』はない。選挙区で必ず勝つ。そうでないと『次の展望』もないと思っています」 「私たちの政権が続いたり、現政権がブレる可能性があれば逆に(知事転身を)言われないのかもしれませんね。今はそういう政局じゃないから(知事選と)言われるのかな。ま、なんて言ったらいいのか。うーん、それ以上のことは触れない方がいいかもしれませんね。はい、これからしっかり考えます」 含みを持たせるような発言だが、周囲から知事転身を勧められていることは認めつつ、自ら「目指す」とは言わなかった。 新2区でも〝ねじれ現象〟  ちなみに本誌には、支持者や立憲民主党関係者から「本人から『知事を目指す』と挨拶された」「いや、本人が『目指す』と言ったことは一度もない」という話が度々伝わってくるが、真偽は定かではない。 「選挙区で必ず勝つ」と発言している通り、玄葉氏は今、新2区の中心都市である郡山市内を精力的に歩いている。さまざまなイベントや会合に顔を出し、各種団体や事業所からも「×回目の訪問を受けた」との話を頻繁に聞く。玄葉氏自身も「当選がおぼつかなかった初期の選挙時並みに選挙区回りをしている」と語っている。 玄葉氏は郡山市(旧2区)に縁がないわけではない。母校は安積高校なので同級生や先輩・後輩は大勢いる。佐藤栄佐久氏も同市出身で政界を離れて17年経つが、今も存在する支持者が玄葉氏を推すとみられる。経済人の中にも旧3区時代から支えてきた人たちが一定数いる。 同じく新2区から立候補を予定する根本匠氏はそうした状況に強い危機感を抱いており、同区は与野党の大臣経験者が直接対決する全国屈指の激戦区として注目されるのは確実だ。玄葉氏が本気で知事を目指すなら次の衆院選は負けられないが、根本氏も息子の拓氏にスムーズに地盤を引き継ぐため絶対に負けられない戦いとなる。 根本匠衆院議員  ある建設業者からはこんな本音も聞かれる。 「今までは無条件で根本先生を支持してきた。ウチの事務所にも根本先生のポスターが張ってあるしね。でも、玄葉氏が出るとなれば話は変わってくる。国政レベルで考えれば与党の根本先生を推した方が断然得策。しかし玄葉氏は、今は野党だが将来、知事になる可能性がある。いざ『玄葉知事』が誕生した時、あの時の衆院選で玄葉氏を応援しなかったとなるのは避けたいので、次の衆院選は、表向きは根本先生を支持しつつ玄葉氏への保険もかけておきたいという業者は多いと思う」 旧3区で見られる〝ねじれ現象〟が新2区でも起こりつつある。知事転身説の余波と言えよう。 あわせて読みたい 【玄葉光一郎】衆議院議員インタビュー 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

  • 福島県内進出をうかがう参政党

    3自治体議員選に候補者擁立  福島市議選(定数35)は7月9日に投開票が行われ、現職29人、新人6人が当選した。46人(新人13人)が立候補したが、投票率は41・97%で過去2番目に低かった。 同市議選に合わせて、春ごろから市内でポスターやのぼりでの広報活動を強化していたのが参政党だ。 2020年設立。①子供の教育、②食と健康、環境保全、③国のまもり――の3つを重点政策に掲げる。ユーチューブ動画でファンを増やし、2022年の参院選比例代表で1議席を獲得。副代表兼事務局長の神谷宗幣氏(元吹田市議)が当選し、公職選挙法などで定められている政党要件を満たした。 コロナワクチンの効果に疑問を呈しているほか、「一部の勢力が世界を牛耳っている」とする陰謀論的な話もタブーにすることなく発信し、支持を集める。昨年の時点で党員・サポーターは10万人以上に達し、野党第一党の立憲民主党と肩を並べる。 福島市議選には元東邦銀行行員の渡辺学氏(49)を擁立し、7月1日には同市中心部のまちなか広場で街頭演説会を実施。神谷氏も駆けつけ、支持者など約120人が耳を傾けた。 3歳ぐらいの子どもを連れて会場に訪れた女性は「子どもに関する情報が欲しくて、教育や食の安全、健康などについて、ネットで調べていたところ、参政党の動画に行きついた。自分でもいろいろなことに疑問を持って調べるようになり、昨年の参院選前、党員になった」と話した。「友人から紹介され足を運んだ」という人もおり、口コミで支持者を増やしている様子もうかがえた。 本誌で連載中のジャーナリスト・畠山理仁さんはこう解説する。 「『入れたい政党がないから自分たちでつくる』というのが参政党の基本理念です。既存の政党には満足していなかった人、これまで政治との接点があまりなかった人からの支持を集めているのが特徴で、ボランティアの人たちが積極的に参加しています。街頭演説では候補者だけでなくボランティアの人たちもマイクを持って演説しています。かなり極端な主張も展開していますが、従来の政治が中心課題に据えてこなかった『食と健康』を柱にし、女性党員の比率が高いのも従来の政党とは一味違うところです。これまで社会において疎外感を覚えてきた人たち、居場所をなかなか見つけられなかった人たちが『参政党なら自由に言いたいことが言える』、『言いにくいことを言えるのは参政党だけ』と信じて集まってきているようです」 演説を終えた神谷氏に拡大戦略について尋ねたところ、「ネットでの支持者増加はひと段落し、いまは地域ごとに広まっている。予算的に多くの候補者を擁立できないので、都市部に候補者を固め比例区で当選を目指す戦略を取っている。その上で重要になるのが、全国の地方議員なんです」とあけっぴろげに語った。 福島市議選投開票の結果、渡辺氏の得票数は1548票で落選したが、最下位当選の三浦由美子氏の得票数は1617票だったので、わずか69票差だったことになる。 街頭演説途中、プラカードを掲げた男性が現れ、郡山市議選立候補予定者に対し、意見を述べるシーンがあったが、神谷氏はじめ、関係者が慌てる様子はなく、演説で「組織が拡大していく過程の中で文句を言われることも多い」と自らネタにした。ただ、今後深刻な問題に発展するケースも出てくるかもしれない。 参政党では7月30日投開票の西郷村議選、8月6日投開票の郡山市議選にも候補者を擁立。本稿を執筆している時点でこれら選挙の結果は分からないが、県内の選挙戦で姿を見る機会が増えそうだ。

  • 【古川文雄】鏡石町議長の引退に驚き

     鏡石町の古川文雄議長(3期)が8月22日告示、27日投開票の町議選に立候補せず引退するという。古川議長はまだ50歳と若く、町内では「将来の町長候補」とも言われている。さらに、6月には県町村議会議長会長に選任されたばかり。それだけに、町内では驚きの声が出ている。 町内では「次期町長候補」との呼び声  本誌7月号の情報ファインダーで鏡石町議選の情勢について伝えた。   ×  ×  ×  × 鏡石町議選で定数割れの懸念 任期満了に伴う鏡石町議選が8月22日告示、27日投開票の日程で行われるが、ある町民によると定員割れの可能性が出ているという。 「地元紙のマメタイムス(6月22日付)に『定員割れの可能性大』と報じられたのです。それを見て、そんな情勢になっているのかと驚きました」 『マメタイムス』(6月22日付)は「鏡石町議選告示まで2カ月 現職6人・新人2人が立候補の意向 動き鈍く定員割れの可能性大」との見出しで情勢を報じた。 それによると、定数12(欠員1)に対して、同日時点で立候補を予定しているのは現職6人と新人2人の計8人。残る現職5人は2人が引退濃厚で、もう1人も引退の意向。2人は態度を決めかねているという。情勢によっては、複数新人擁立の動きもあるようだが、「低調で定員割れの可能性も指摘されている」と伝えている。 ちなみに、本誌では込山靖子議員が渡辺定己議員(現在は辞職)から不適切な言動を受けたと訴え、昨年8月に政治倫理審査請求書を提出した件について、2月号「鏡石町議会政倫審が元議員の『不適正行為』を一部認定」という記事のほか、何度かその動きを報じてきた。 その中で、《込山議員は周囲に「もうウンザリ」と明かしているというから、今夏の町議選には立候補しない可能性もある》と書いた。 ただ、前述のマメタイムス記事では「(込山議員は)引退を撤回し、出馬の意向を固めた」と伝えられている。 同町6月定例会では、定員割れの可能性があることを見越してか、議員発議で定数を12から10に削減する条例改正案が提出された。ただ、採決の結果、賛成2、反対8の賛成少数で否決された。 告示まではまだ1カ月以上あるため、いまの情勢を踏まえて候補者が出てくる可能性もあり、動きが注目される。   ×  ×  ×  × 同記事では触れられなかったが、『マメタイムス』(6月22日付)によると現職議員の進退の詳細は以下の通り。 立候補の意向▽円谷寛議員、小林政次議員、橋本喜一議員、吉田孝司議員、角田真美議員、込山靖子議員 引退▽今泉文克議員、古川文雄議長 引退の意向▽菊地洋議員 流動的、進退を決めかねている▽畑幸一副議長、大河原正雄議員 この中で、気になるのが「引退」と報じられた古川文雄議長だ。 「古川議長はまだ50歳で年齢的にも若く、町内の一部関係者の間では『次期町長候補』とも言われています。それだけに、引退と報じられたのは意外というか、かなり驚きました」(ある町民) 古川議長は、岩瀬地方町村議会議長会長を務め、今年6月5日に開かれた県町村議会議長会の総会で会長に選任されたばかり。 その際、町内ではこんな声が出ていた。 「岩瀬地方町村議会議長会は、鏡石町と天栄村の2町村だけだから、両町村の議長が交互に会長に就く。県議長会長も各地区持ち回りだが、岩瀬地方の2町村交互に比べると、回ってくる確率は格段に下がる。そんな中で、今回、古川議長にいろいろな順番がすべて当たったことになる。そういう意味では『持っている』と言うことができるし、今後、本当に町長選に出るのかどうかは分からないが、もし出るとしたらその肩書きや、そこで得られた人脈などは間違いなくプラスになるだろう」 そんなことが囁かれていただけに、8月の町議選に立候補しないとの報道には驚いたというのだ。 ある議員は「町長選に向けて地ならしに入ったのでは」との見解を示した。 ただ、現職・木賊正男町長の任期は2026年6月までで、残り3年近くある。3年後の町長選を見据えて、今回の町議選を見送ったとは考えにくい。むしろ、次の町長選まで議員(議長)を続け、県町村議長会長の肩書きで動いた方が有利に働くと思われるのだが……。 ちなみに、前回(2019年8月)の町議選では524票を獲得、4番目の得票で当選している。それ以前の町議選でも上位で当選しており、選挙で苦労しているわけではない。そもそも町議選で苦労していたら、最初から「町長候補」とは言われないだろう。 古川議長に聞く 古川議長(「議会だより」より)  一方で、「自身が経営する会社で何かあったのではないか」との見方もある。 古川議長は左官工事業「村上工業所」(同町旭町)のオーナーで、自身が経営する会社で何かあった、あるいは経営に専念するためではないか、という見方だ。 民間信用調査会社によると、同社の直近5年の売上高、当期純利益は別表の通り。 村上工業所の業績 決算期売上高当期純利益2018年1億2100万円12万円2019年1億4400万円1195万円2020年1億3300万円△434万円2021年1億2500万円1622万円2022年1億3000万円566万円※決算期は3月。△はマイナス  2020年は434万円の損失を計上したが、それ以外は利益を確保しており、売上高も一定している。これを見る限りでは、会社の経営に専念するためではないか、という見方は説得力に欠ける。 こうして見ても、「次期町長候補」と言われた古川議長の引退は意外だが、実際のところはどうなのか。古川議長に話を聞いた。 ――古川議長が引退するとの報道を見たが。 「それは事実です」 ――辞めた後はどんなことを考えているのか。 「私もまだ50歳ですからね。いろいろと考えていますよ」 ――県町村議会議長会長に就いたばかりだが。 「ちょうど3カ月ですかね(※6月5日の総会で県町村議会議長会長に選任され、鏡石町議員の任期は9月3日まで)。任期満了後は自動失職の形になると思います」 ――町内では「次期町長候補」との見方もあり、それだけに今回の引退には驚きの声が出ている。 「私が(町長候補)ですか? まあ、さっきも言いましたけど、いろいろ考えているところです」 引退は事実とのことだが、今後については明言しなかった。「いろいろ考えている」とは何を指すのかも気になるところだ。

  • 【二本松市】坂で止まる城報館レンタル電動キックボード

     二本松市観光連盟(会長・三保恵一市長)が観光客向けにレンタルしている電動キックボードについて、「馬力不足で坂をのぼれない」と指摘する利用者の動画がツイッターで拡散され、話題を集めた。悪い意味で注目を集めた格好だが、同連盟では事前に走行試験などを行わなかったのだろうか。 試乗動画拡散で全国の笑いものに にほんまつ城報館  電動キックボードのレンタルは3月31日から、市の歴史観光施設「にほんまつ城報館(以下、城報館と表記)」で行っている。観光名所や商店街、寺社仏閣を観光客に気軽に巡ってもらう狙いがある。市によると県内初の取り組みだという。電動アシスト付き自転車も併せてレンタルしている。 立ったまま乗れるボードタイプ、自転車のような形状のバイクタイプがある。最高速度は時速30㌔で、利用する際は原動機付き自転車か普通自動車の運転免許が必要。料金は90分1000円。それ以降は30分ごとに500円加算される。 レンタル開始時はテレビや新聞などで大々的に報じられ、地元テレビ局のユーチューブチャンネルには、女性アナウンサーが電動キックボードで坂道をすいすいのぼっていく動画が投稿された。 ところが、7月2日、レンタル利用者によるこんな文章が動画付きでツイッターに投稿された。 《二本松市の電動キックボード貸出事業。全くの企画倒れ。トルク不足でスタート地点の霞ヶ城の三ノ丸から本丸天守台までの坂をのぼれません。また本町商店街へ至る竹田坂や久保丁坂といった切り通し坂も途中で止まってしまいました。市はロードテストも行わず全く無駄なことをしましたね》 https://twitter.com/mamoru800813/status/1675329278693752833  城報館から霞ヶ城の天守台や街なかの商店街に向かおうとしたが、馬力不足のため途中の坂道で止まってしまい、身動きが取れなくなった、と指摘しているわけ。 投稿者の佐藤守さん(43)は郡山市在住で大型自動二輪免許を保有し、バイクで通勤する〝バイク乗り〟。都内で見かけることが増えた電動キックボードに注目していたところ、地元テレビ局の紹介動画で城報館のレンタル事業を知り、走行性能の確認に訪れた。注目していたのは航続可能距離だが、実際に走行して馬力の低さに愕然としたという。 ちなみに、レンタルされている電動キックボードは「BLAZE EV SCOOTER」という商品名で、定格出力は0・35㌔㍗。原付一種(0・6㌔㍗)の6割の馬力しかないと考えるとイメージしやすいかもしれない。 佐藤さんの投稿は、73万回表示され、4725の「いいね」が付いた。それだけ関心を持つ人が多かったということだろう。佐藤さんは「行政が貸し出しているキックボードが坂をのぼれない動画は過去になかったので反響をいただいたのかもしれません」と分析したうえで、実際に走行した感想をこのように語る。 「とにかく馬力不足で、公道を安全に走る能力が圧倒的に不足していると感じました。自動車など公道を走行する他の乗り物への影響は考えていたのか、事前のテスト走行は行わなかったのか。安全面においては▽目や耳が保護できない半帽ヘルメットを貸し出していたこと、▽転倒したときの負傷防止用グローブが貸し出されなかったこと、▽サイドスタンドを出した状態でも発進してしまうこと、▽自賠責保険証が携行されておらず、交通事故時の対応に不安が残ること、▽城報館駐車場で行う走行練習は接触リスクがあること――などが気になりました」 佐藤さんの投稿の数日後、本誌記者も電動キックボードをレンタルし、実際に坂道で失速することを確認した(巻頭グラビア参照)。 利用者から上がる辛辣な意見を市観光連盟はどのように受け止めるのか。同連盟の事務局を担う同市観光課に尋ねたところ、河原隆課長は「取材の申し込みをいただき、職員に聞いてツイッターにそうした投稿があったことを知りました」と語り、次のように説明した。 「『導入前に試験は行わなかったのか』と疑問視する投稿がありましたが、バイク乗りを含む市観光課職員10人弱で、安全性や航続可能距離を確かめる走行試験を事前に行っています。その際、女性職員は坂道でもすいすいのぼっていましたが、男性職員はスピードが遅くなり、利用者の体重によって大きな差が生じました。(佐藤守さんの)ツイートの指摘を見て、体重によってスピードに差が出るという説明が不足していたと感じたので、貸し出し時に渡す文書やホームページなどに注意書きを追加しました」 体重によって坂道でスピードが出なくなることを把握していたのに、周知していなかった、と。 河原課長によると、レンタル事業は職員からの提案で始まったもので、2022(令和4)年度当初予算で電動アシスト付き自転車6台、電動キックボード(ボードタイプ・バイクタイプ)計6台、ヘルメットなどの備品を購入した。総事業費は約300万円。車両は複数の候補から予算や走行性能の条件を満たすものを選定したという。 一方で、安全面に関する指摘については「利用前に安全事項や保険に関する説明を行っているし、法律を満たす最低限の基準の装備はそろえています。それ以上の装備を求める場合は、ヘルメットやグローブなどの持ち込みをしていただいても構いません」(河原課長)と説明する。 ただ、観光客がそうした装備をわざわざ持参することは考えにくい。「観光名所や商店街、寺社仏閣を観光客に気軽に巡ってもらう」という目的とも矛盾している。 6月の利用者は6人 城報館でレンタルしている電動キックボード  電動キックボードに関しては、7月1日に改正道路交通法が施行されたことで、最高速度20㌔の車両の運転は免許不要となり、ヘルメットも努力義務となった。ただ、警察庁によると2022年に41件の人身事故が発生しており、7月には大学生が飲酒運転でタクシーに追突するなど、危険性が報じられている。タイヤの直径が小さい分、段差での衝撃が大きく、バランスを崩して事故につながりやすいという面もある。 佐藤さんの指摘を参考に、より安全に走行できる装備を貸し出すべきではないか。 肝心のレンタル電動キックボードの利用者数(ボードタイプ・バイクタイプの合計)を尋ねたところ、4月20人、5月9人と低迷しており、6月に至ってはわずか6人だった。 河原課長はPR不足と城報館来場者の需要とのミスマッチを要因に挙げる。駅から離れた城報館にわざわざ公共交通機関で向かう観光客は少ないし、あえて城報館まで車で移動し、電動キックボードに乗り換えて市内を巡る人もいないということだ。県内初の取り組みということもあり、甘い見通しのまま〝見切り発車〟してしまった感は否めない。 昨年4月にオープンした城報館の年間入館者数は9万6796人で、目標としていた年間10万人を下回った。目標達成に向けて起爆剤が欲しいところだが、電動キックボードがそうなるとは考えにくい。 前出・佐藤さんはこう語る。 「(馬力不足の電動キックボードを買ってしまった以上)利用しなければどうしようもない。せめて地図で推奨ルートを示し、『この坂は体重〇㌔以上の方はのぼれません』など注意書きを表示しておけば、利用者も心構えができるのではないか」 もっと言えば、城報館を起点に「電動キックボードで巡る観光ツアー」を催せば興味を持つ人が現れるかもしれない。 このままでは、約300万円の事業費をドブに捨てることになる。佐藤さんの指摘を真摯に受け止め、改善策を打ち出すべきだ。 あわせて読みたい 【本誌記者が検証】二本松市の「ガッカリ」電動キックボード貸出事業  

  • 【田村市】新病院問題で露呈【白石市長】の稚拙な議会対策

     本誌でこの間報じてきた田村市の新病院建設計画。市は先月の臨時会に工事請負契約の議案を提出したが、賛成7人、反対10人で否決された。百条委員会で鮮明になった白石高司市長と反対派議員の対立が尾を引いた形だが、同時に白石市長の稚拙な議会対策も見えてきた。 あわせて読みたい 【田村市】新病院施工者を独断で覆した白石市長 【田村市百条委】呆れた報告書の中身 白石田村市長が新病院施工業者を安藤ハザマに変えた根拠 したたかさを備えなければ市政は機能しない 会対策に苦慮する白石高司市長  まずはこの間の経緯を振り返る。 老朽化した市立たむら市民病院の後継施設を建設するため、市は昨年4~6月にかけて施工予定者選定プロポーザルを実施。市幹部職員など7人でつくる選定委員会は審査の結果、プロポーザルに応募したゼネコンの中から最優秀提案者に鹿島、次点者に安藤ハザマを選んだ。 しかし、これに納得しなかった白石高司市長は最優秀提案者に安藤ハザマ、次点者に鹿島と選定委員会の選定を覆す決定をした。これに一部議員が猛反発し、昨年10月、地方自治法100条に基づく調査特別委員会(百条委員会)が設置された。 百条委は、白石市長と安藤ハザマが裏でつながっているのではないかと疑った。しかし、百条委による証人喚問の中で白石市長は、①安藤ハザマの方が鹿島より工事費が3300万円安かった、②安藤ハザマの方が鹿島より地元発注が14億円多かった、③選定委員7人による採点の合計点数は鹿島1位、安藤ハザマ2位だが、7人の採点を個別に見ると4人が安藤ハザマ1位、3人が鹿島1位だった――と安藤ハザマに覆した理由を説明した。 今年3月、百条委は議会に調査報告書を提出したが、その中身は「白石市長の職権乱用」と厳しく批判するも法的な問題点は確認されず「猛省を促す」と結論付けるのが精一杯だった。 百条委の一部メンバーからは「さらに調査すべき」との声も上がったが、最終的には「新病院建設が遅れれば市民に不利益になる」として百条委は解散された。 これにより新病院建設はようやく実現に向かうと思われた。実際、3月定例会では全体事業費を55億7000万円とすることが議決され、6月定例会では資材高騰などの影響で7億円増の62億7000万円とすることが再度議決された。これに伴い今年度分の病院事業会計の予算も増額された。 予算が全て通ったということは関連議案も議決されると考えるのが普通だが、そうはならなかった。 市は7月6日に開かれた臨時会に新病院を47億1100万円、厨房施設を4億8900万円で安藤ハザマに一括発注するため、工事請負契約の議案を提出した。同社とは6月28日に仮契約を済ませていた。(※工事費と全体事業費に開きがあるのは、全体事業費には医療機器購入費などが含まれているため) しかし、採決の結果は賛成7人、反対10人で、安藤ハザマとの工事請負契約は否決された。市議会は定数18で、採決に加わらなかった大橋幹一議長(4期)を除く賛否の顔ぶれは別表の通り。(6月定例会での予算の賛否と百条委設置の賛否も示す) 123石井 忠治 ⑥××〇半谷 理孝 ⑥××〇大和田 博 ⑤××〇菊地 武司 ⑤××〇吉田 文夫 ④××〇安瀬 信一 ③××〇遠藤 雄一 ③×〇〇渡辺 照雄 ③××〇石井 忠重 ②×〇×管野 公治 ①××〇猪瀬  明 ⑥〇〇×橋本 紀一 ⑥〇〇×佐藤 重実 ②〇〇×二瓶恵美子 ②〇〇×大河原孝志 ①〇〇×蒲生 康博 ①〇〇×吉田 一雄 ①〇〇×※〇は賛成、×は反対※1は工事請負契約の賛否※2は6月定例会での予算の賛否※3は百条委設置の賛否※丸数字は期数  反対した議員によると、当初、工事請負契約は賛成多数で可決される見通しだったという。 「6月定例会では賛成9人、反対8人で予算が通ったので、工事請負契約も9対8で可決されると思っていました」(反対派議員) 風向きが変わったのは臨時会の2日前。予算に賛成した石井忠重議員が工事請負契約には反対することが判明し「9対8」から「8対9」に形勢逆転した。さらに、臨時会当日になって遠藤雄一議員も反対。工事請負契約は想定外の「7対10」で否決されたのである。 賛成派議員は「予算には賛成しておいて工事請負契約に反対するのはおかしい」と石井忠重議員と遠藤議員を批判したが、実情は臨時会の前から不穏な空気が漂っていた。 両議員と佐藤重実議員は「改革未来たむら」という会派を組んでいるが、臨時会直前、会派会長を務める佐藤議員は賛成派議員に「私たちは自主投票にする」と説明。佐藤議員はこの時点で石井忠重議員と遠藤議員が反対に回ることを分かっていたため、会派として拘束をかけることができなかったとみられる。 「大橋議長は無会派だが、もともとは改革未来たむら。だから採決の前に、大橋議長が『会派として賛成する』と拘束をかけていれば3人がバラバラの判断をすることもなく、工事請負契約は9対8で可決していた。大橋議長と白石市長は距離が近いが、両者が連携して議員の動向を把握しなかったことが想定外の否決を招いた」(ある議会通) なぜ、石井忠重議員と遠藤議員は予算には賛成したのに、工事請負契約に反対したのか。石井議員とは連絡が取れず話を聞けなかったが、賛成派議員には「臨時会の前に地元支持者と協議したら反対の声が多かった」と説明していたという。 一方、遠藤議員は本誌の問いにこう答えた。 「事業費は専門家が積み上げて出しているので、それを素人の私が高いか安いかを判断するのは難しい。しかし契約は、選定委員会が選んだ業者を市長が独断で覆したという明確なルール違反がある。予算は9対8で僅差の可決だったが、今後事業費が増えていけば、その度に補正予算案が出され、僅差の賛否が繰り返されるのでしょう。そこに私は違和感がある。全議員が『新病院は市民にとって必要』と思っているのに、関連議案は僅差の賛否になるのは、正しい姿とは思えないからです。新病院が本当に必要なら、関連議案も大多数が賛成する姿にすべき。もちろん、反対した議員も賛成に歩み寄る努力をしなければならないが、議案を提出する市長も、どうすれば賛成してもらえるのか努力すべきだ」 「政局での反対じゃない」 田村市百条委員会  百条委で白石市長は「自分の判断は間違っていない」と繰り返し強調した。鹿島から安藤ハザマに覆したやり方自体はよくなかったかもしれないが、客観的事実に基づいて安藤ハザマに決めたことは筋が通っており、市民にも説明が付く。逆に選考委員会の選定通り鹿島に決まっていたら、新病院を運営することになる星総合病院は、郡山市内にある本体施設の工事や旧病棟の解体工事を鹿島に任せているため、白石市長と安藤ハザマがそう見られたのと同様、裏でつながっているのではないかと疑われた可能性もあった。要するに安藤ハザマと鹿島、どちらが施工者になっても疑念を持たれたかもしれないことは付記しておきたい。 工事請負契約に反対した議員は、1期生と一部議員を除いて2021年の市長選で白石氏に敗れた当時現職の本田仁一氏を支援し、賛成した議員は白石市長を支える市長派という色分けになる。その構図は別表を見ても分かる通り、百条委設置でも持ち込まれた。 そうした中で気になるのは、百条委メンバーが「新病院建設をこれ以上遅らせれば早期開院を望む市民に不利益になる」と述べていたにもかかわらず、工事請負契約を否決したことだ。発言と矛盾する行動で、結局、開院は遅れる可能性が出ていることを市民に何と説明するのか。 百条委委員長だった石井忠治議員に真意を聞いた。 「新病院建設が打ち出された際の事業費は36億円だった。その後、プロポーザルで各業者が示した金額は46億円前後、そして3月定例会では55億円超、6月定例会では62億円超とどんどん増えていった。その理由について、市は『ウクライナ戦争や物価高騰で燃料・資材の価格が上がっているため』と説明するが、正直見積もりの甘さは否めない。議員は全員、新病院建設の必要性を認めている。にもかかわらず賛否が拮抗しているのは、市の説明が不十分で議員の理解が得られていないからです。起債で毎年1億2000万円ずつ、30年かけて償還していくことを踏まえると、人口減少が進む中で将来世代に負担させていいのかという思いもある。私たちは事業費が膨らみ続ける状況を市民に説明するため一度立ち止まってはどうかと言いたいだけで、政局で反対しているのではないことをご理解いただきたい」 石井忠治議員は「市の説明が不十分だから議員の理解が得られない」と述べたが、まさにこれこそが白石市長が考えを改めるべき部分なのかもしれない。 市民のために歩み寄りを 田村市船引町地内にある新病院建設予定地  前出・議会通はこう指摘する。 「白石市長は大橋議長や一部議員とは親しいが、反対派議員とは交流がない。これでは工事請負契約のように、どうしても可決・成立させたい議案が反対される恐れがある。反対派議員にへつらえと言いたいのではない。公の場で喧々諤々の議論をしながら、見えない場で『この議案を通すにはどうすればいいか』と胸襟を開いて話し合えと言いたいのです。こちらが歩み寄る姿勢を見せれば、反対派議員も『市長がそう言うなら、こちらも考えよう』となるはず。そういう行動をせずに『自分は間違っていない』とか『市民のために正しい判断をすべき』と言ったところで、施策を実行に移せなければ市民のためにならない」 要するに、白石市長は各議員との関係性が希薄で、議会対策も稚拙というわけ。 いみじくも、白石市長は工事請負契約が否決された臨時会で次のように挨拶していた。 「私たちは市民の声に真摯に耳を傾け、それを施策として反映・実行していく責務があります。今回の提案は残念な結果になりましたが、今後も議員の皆様とは市民の声をしっかり聞きながら、行政との両輪で市政を運営して参りたい」 反対派議員に「市民のために賛成しろ」と泣き言を言っても始まらない。賛成してほしければ自身の至らない点も反省し、理解を得る努力が必要だ。それが結果として市民のためになるなら、白石市長は政治家としてのしたたかさも備えないと、任期が終わるころには「議会と対立してばかりで何もしなかった市長」との評価が定まってしまう。 「そもそも、市長と議会が対立するようになったのは本田仁一前市長の時代です。本田氏は個人的な好き嫌いで味方と敵を色分けしていた。それ以前の市政で見られた、反対派議員とも腹を割って話す雰囲気はなくなった。そういう悪い風習が、白石市政になっても続いているのは良くない。本田市長時代の悪政を改めたいなら、市長と議会の関係性も見直すべきだ」(前出・議会通) 工事請負契約の否決を受け、今後の対応を白石市長に直接聞こうとしたが「スケジュールの都合で面会時間が取れないので担当課に聞いてほしい」(総務課秘書広報広聴係)と言う。保健課に問い合わせると、次のように回答した。 「現在、善後策を検討しているとしか言えません。いつごろまでにこうしたいという責任を持った回答ができない状況です」 担当課レベルではそうとしか言えないのは当然だ。事態を打開するにはトップが動くしかない。白石市長には「自分は間違っていない」という思いがあっても、私情を捨て、反対派議員と向き合うことが求められる。もちろん反対派議員も「反対のための反対」ではなく、賛成へと歩み寄る姿勢が必要。嫌がらせの反対は市民に見透かされる。双方が理解し合うことこそが「市民のため」になることを、白石市長も議会も認識すべきである。

  • 議員辞職勧告を決議された佐藤栄治市議の言い分

     伊達市6月定例会議の最終本会議が同月28日に開かれ、過去の一般質問で事実と異なる不適切な発言をしたとして、佐藤栄治市議(60)に対する議員辞職勧告決議を賛成多数で可決した。同市議会で議員辞職勧告決議案が提出されたのは初めて。ただ、決議には法的拘束力はないので、佐藤市議は辞職しなければならないわけではない。 佐藤氏は1962(昭和37)年生まれ。保原高、福島大経済学部卒。実家は建設関連業の三共商事。本人の話によると、第一勧業銀行に入行後、元衆院議員・元岡山市長の萩原誠司氏の秘書を務めた。髙橋一由市議が伊達市長選に立候補した際には事務局長を務めている。昨年4月の市議選(定数22)で629票を獲得、22位で再選を果たした。 この問題については本誌3月号でリポートした。当時公開されていない情報も多かったので、あらためて報道などを基に経緯を紹介する。 佐藤市議は昨年12月定例会議の一般質問で、同市梁川町のやながわ工業団地に建設中のバイオマス発電所について言及した。重さ20㌧超の大型特殊車両が何台も通ることが予想される中、国見町担当者が「補修中の徳江大橋の通行を20㌧以下に制限する予定だ」と話していたことを明かしたうえで、「市は通行規制しなくていいのか」と対応を問うた。国土交通省福島河川国道事務所の担当者に聞いた話も併せて紹介した。 閉会後、市からの申し入れを受け、市議会が政治倫理審査会を設置。計11回の審査会が開かれ、国見町役場総務課長や福島河川国道事務所担当者に聞き取り調査が行われたが、佐藤市議の発言について、「そのような事実はない」との回答だったという。 同審査会では過去の市議会一般質問での不適切な言動も検証し、市民にも聞き取り調査したが、厳しい意見が出たようだ。本誌3月号では、過去の不適切言動を紹介したほか、▽企業などに神出鬼没で現れることに戸惑いの声が上がっていること、▽業者を引き連れて市役所に行くなど、危うい言動が見られること――を紹介したが、同審査会でもそのあたりが問題視されたようだ。 審査の結果、「虚偽の事実・誹謗中傷の発言、情報発信で他人の名誉を毀損しない」ことを定めた伊達市議会議員政治倫理条例に抵触するとされ、議員辞職勧告決議案が議員から提出された。その結果、市議22人のうち、菅野喜明議長、当日欠席した佐藤市議と高橋市議を除く18人が賛成し、佐藤市議と同じ会派の半澤隆市議のみが反対。賛成多数で可決された。 同審査会では佐藤市議に弁明書の提出を求めたが、指定された期日までに提出されなかった。本人は今回の審査結果をどう受け止めているのか。同市保原町の自宅を訪ねたところ、佐藤市議はこうコメントした。 「議員辞職勧告には法的拘束力がない。親密な新聞記者には『議員辞職勧告は名誉棄損に当たるという判例が残っている。議員や地元紙、政経東北に対し、裁判を提起したらどうか。社を挙げて支援します』と言われた。今後も議員活動は継続するし、バイオマス発電所の問題点を引き続き追及していきたい。現在は伊達市が温対法(地球温暖化対策の推進に関する法律)に基づき、温室効果ガス削減を目指している中、ログ社がバイオマス発電所を建設しCO2を排出しようとする矛盾について、調査しているところです」 議員辞職勧告などどこ吹く風で、逆に同僚議員やマスコミに対し〝宣戦布告〟して見せた。相変わらず地元から良い評判は聞こえてこないが、今後も我が道を歩んでいくのだろう。

  • 鏡石町遊水地特別委が国・県に意見書提出

     令和元年東日本台風に伴う水害を受け、国は「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を進めており、その一環として、鏡石町、玉川村、矢吹町で阿武隈川遊水地整備事業が進められている。 総面積は約350㌶、貯水量は1500万から2000万立方㍍。用地は全面買収し、対象地の9割ほどが農地、1割弱が宅地となっている。それらの住民は移転を余儀なくされる。計約150戸が対象で、内訳は鏡石町と玉川村が60〜70戸、矢吹町が約20戸。 住民からしたら、もうそこに住めないだけでなく、営農ができなくなるわけだから、「補償はどのくらいなのか」、「暮らしや生業はどうなるのか」といった不安が渦巻いている。 そのため、鏡石町議会では「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げ、同事業の調査・研究を行ってきた。 本誌では今年4月号「遊水地で発生する〝ポツンと1軒家〟 取り残される世帯が議会に『陳情』」という記事をはじめ、何度か同特別委の調査・研究過程を紹介してきた。 同特別委は、6月14日に開かれた6月定例会本会議に「阿武隈川流域の治水対策を国と県に求める意見書」を提出し、採択された。これをもって、同特別委は解散となった、 意見書の主な内容(国・県への要望内容)は次の通り。 ①遊水地事業区域の住民の高台移転のための支援。 ②移転に伴い生じる各種法令・規制の見直しや手続きの簡素化。 ③阿武隈川本川及び県管理支川の鈴川も含めた治水対策(特に、阿武隈川本川の河道掘削及び堤防強化) ④二度と水害(洪水被害・浸水被害)のないまちづくり・地域づくりを行うための支援。 ⑤遊水地事業関連施設の整備。 ⑥遊水地整備後の土地の有効利用のための支援。 これを内閣総理大臣、国土交通大臣、衆議院議長、参議院議長、県知事、県議会議長に提出する。 同特別委の委員長を務めた吉田孝司議員は、遊水地の対象地区である成田地区出身で、自宅が令和元年東日本台風で浸水被害を受けたほか、遊水地の対象エリアにもなっている。そのため、誰よりも熱心にこの問題に取り組んできた自負があるようだ。 遊水地事業エリアの成田地区  同特別委での調査・研究を終えた吉田議員に話を聞いた。 「遊水地の問題は、完成するまでは土地買収や高台移転などの課題があり、完成後は平常時にそれをいかに有効活用するかなど、まだまだ課題が山積している。これで終わりではなく、まだ序の口にすぎない。また、最初から遊水地ありきではなく、まずは阿武隈川全川の河道掘削と堤防強化が大事で、それを踏まえての遊水地整備となるべきである。河道掘削と堤防強化を必ず先行させるべく、改選後も特別委員会を再度立ち上げ、引き続き、木賊正男町長を支えて、国としっかり対峙していきたい」 同町議の任期は9月3日までで、8月22日告示、27日投開票の日程で議員選挙が行われる。そのため、任期満了前の最後となる6月定例会で一区切りとし、改選後も特別委を再度立ち上げ、引き続き、調査・研究していきたいとの見解だ。 意見書にまとめた要望内容を実現させるまで、町・議会として、できることをしていく必要があろう。 あわせて読みたい 【鏡石町】遊水地で発生するポツンと一軒家

  • 【会津坂下】新庁舎構想に正常化の兆し

     迷走していた会津坂下町の新庁舎構想に正常化の兆しが見えている。町は新庁舎の建設場所を「現庁舎周辺」から「旧坂下厚生病院跡地」に変更するための議案を6月定例会に提出する方針だったが、住民懇談会で寄せられた意見を受け、議案提出を見送ったのだ(新庁舎構想が迷走する背景は先月号等、この間の本誌記事を参照していただきたい)。 先月号では現庁舎周辺での建設を支持する仲町・橋本地区の住民懇談会(5月17日、出席者45人)をリポートしたが、町はその後、23日に坂下(同61人)、24日に若宮(同13人)と八幡(同17人)、25日に金上(同16人)と高寺(同9人)、26日に広瀬(同17人)と川西(同22人)の7地区で住民懇談会を開いた。出席者は計200人に上った。 仲町・橋本地区の住民は商店主が多い。役場周辺で長年商売してきたため、他所(旧病院跡地)に移転新築されては困るという立場だ。 そもそも現庁舎周辺での建て替えは、住民代表などでつくる新庁舎建設検討委員会で議論し、町が議会に関連議案を提出、議決を経て正式決定された。そうした中で、一部住民から突然、見直しを求める請願が出され、旧病院跡地に変更されようとしたから、仲町・橋本地区の住民が猛反発するのは無理もなかった。 では、それ以外の地区の住民懇談会ではどんな声が上がったのか。 仲町・橋本地区と同様、中心市街地に位置する坂下地区では「現庁舎周辺と旧病院跡地のメリット・デメリットを比較してはどうか」「議会や新庁舎建設検討委員会できちんと議論してから必要な議案を提出すべきだ」といった冷静な意見が寄せられた。仲町・橋本地区のように現庁舎周辺を強く支持するというより、俯瞰した見方が多かった。 これに対し、その他の地区の住民懇談会では「旧病院跡地に賛成」「どんどん進めてほしい」と、仲町・橋本地区とは正反対の声が多数上がった。町周辺部の住民は現庁舎周辺での建て替えを支持していないことが明確になった格好だ。 その一方で「財政難を理由に新庁舎建設を一時休止したのに、財政状況がどこまで改善したのか分からない」「現庁舎周辺から旧病院跡地に変更するとしたら、どのような手続きが必要なのか」等々、住民懇談会に出席した人も、していない人も現状を理解していない住民が多いことも事実だった。これは裏を返せば、町が新庁舎構想の情報を住民に正しく提供していない証拠である。情報がなければ議論が深まらないのは言うまでもない。 にもかかわらず、古川庄平町長は関連議案を6月定例会に提出するとしていたから、仲町・橋本地区の住民だけでなく町周辺部の住民からも「説明不足」「議論が尽くされていない」との意見が上がったのだ。 8地区での住民懇談会が終了後、町庁舎整備課に話を聞くと「関連議案の提出時期を決めず、まずは住民への丁寧な説明と議論を重ねることに努めたい。そうすれば新庁舎のあるべき位置も自ずと見えてくると思います」とコメント。5月29日に開かれた議会全員協議会では、町から議員に対し「現議員の任期は来年3月なので、事情を分かっている議員に審議してもらうためにも、それまでには一定の方向性を示したい」と説明があったという。 古川町長は今年に入ってから「まちづくり元年」というフレーズを言い出したが、今後のまちづくりについて住民と議論したことはない。であれば、将来の会津坂下町をどうしていきたいのかを住民と一緒に考えていけば、町庁舎整備課が言う「新庁舎のあるべき位置も自ずと見えてくる」のではないか。 あわせて読みたい 【会津坂下】庁舎新築議論

  • 福島県に維新旋風は吹くか

     5月27日、日本維新の会は福島県総支部の初めてとなる総会を開き、衆院議員の馬場伸幸代表(58、4期、大阪17区)が講演を行った。福島でも「維新旋風」が吹き荒れるのか。当日の様子をリポートする。 馬場代表講演会で感じた〝温度差〟  本誌6月号で元県議の鳥居作弥氏の現状について触れた。 鳥居氏は1974年3月生まれ。磐城高校、獨協大学経済学部卒。県議1期を務めた後、立憲民主党に入党。2021年10月の衆院選では小選挙区で立候補する予定となっていたが、野党共闘で候補者を一本化することになり、共産党候補に譲る形で小選挙区からの立候補を見合わせた経緯がある(比例代表での立候補に切り替えたが結局落選した)。 鳥居作弥氏  立憲民主党を離党し、沈黙を守っていた鳥居氏がどんなことを考えていたかについては6月号で読んでほしいが、次なる所属団体として選んだのが日本維新の会(以下、維新と表記)だった。 維新と言えば、大阪府を中心に支持を集める政党で、ルーツは橋下徹元大阪府知事・元大阪市長が立ち上げた地域政党「大阪維新の会」だ。「日本維新の会(旧)」、「維新の党」と離合集散を繰り返し、2015年に設立された「おおさか維新の会」が現在の党の母体となる。翌2016年に現在の党名に変更された。 同党ホームページには馬場代表のメッセージがこう書かれている。 《大阪府において、議員定数を3割削減(109→79)、議員報酬を3割カットし、役所に対して改革の覚悟を示してきました。そして役所の中の改革(公務員の天下り先である外郭団体の大幅削減、無駄な施策・事業の見直し)を断行し生まれた新たな財源で、次世代への投資(幼児教育無償化、小・中学校の給食費の無償化、塾代助成、私立高校の授業料実質無償化、大阪公立大学の入学金・授業料の実質無償化)を実現致しました》 このほか、国民投票による憲法改正を実現すべきと主張し、「教育無償化」、「統治機構改革」、「憲法裁判所の設置」、「自衛隊明記」、「緊急事態条項」を5つの柱に掲げている。 所属議員は衆院議員41人、参院議員21人。4月の統一地方選では神奈川、福岡両県議選でも初めて議席を獲得。地方議員と首長の合計が774人に達し、事前に掲げていた目標600人をクリアした。党員数は3万9914人(2022年12月現在、内閣府男女共同参画局の調査より)。 本誌で連載中の選挙ライター・畠山理仁さんは取材経験から維新の強さの理由を次のように分析する。  「選挙の現場においては、ボランティアが積極的に活動するのが特徴です。関西の選挙では、選挙区外からも多数の現職地方議員、国会議員、ボランティアが駆けつけて経験値を積んでいきます。他所の地域から駆けつけることで、選挙の経験をどんどん積んでいく。その際、選挙区内にはまだ少数しかいないボランティアたちに、外から来たボランティアが『選挙の上手な戦い方』を実際に見せることで、一人ひとりのボランティアの戦闘力を高めています。短い選挙戦をともに戦うボランティアは結束が強く、また他の選挙現場で再会するなどして結束を強めています。一人ひとりのボランティアが自立した活動をできるのが維新の会の強さを支えています」 5月11日には福島県総支部を設立したことを発表した。維新が東北地方で県総支部を立ち上げたのは、宮城、秋田に続き3県目。 総支部長は衆院議員の井上英孝氏(4期、大阪1区)、幹事長は元参院議員の山口和之氏。復興最前線であるいわき市を重点地区に据え、事務所も同市に設置した。 6月号取材の時点では今後の方針について明言を避けた鳥居氏だったが、5月27日にいわき市で行われた県総支部総会と馬場代表による県総支部設立記念講演会では、11月12日投開票の県議選に同党公認で立候補する考えであることが明かされた。 講演会は福島県民に対する同党の「自己紹介」のような内容で、これまでの歩みを説明した。 一方で、自民党政権については「異次元の少子化対策を掲げながら具体的な内容が示されず、負担ばかり増える」と疑問を呈し、「国会議員の定数を従来の半分ぐらいに減らすなど〝身を切る改革〟をやれば、新たな行政サービスができるようになるのではないか」と提言した。 国政での目標に関しては「解散がいつあるか分からないが、次の衆議院選挙で野党第一党の議席をお預かりするというのが第三ステップ(=次)の我々の目標」としたうえで、立憲民主党に対し「予算委員会でスキャンダルを追及したり揚げ足を取ることを野党第一党の仕事だと思っている」と批判した。 会場には支持者・マスコミなど数十人が足を運び、保護者と足を運んでいた女子高生が選択的夫婦別姓について馬場代表に質問するシーンも見られた。 もっとも、ニュース映像などでよく見る関西方面での熱い雰囲気の演説とは程遠く、ジョークを織り交ぜて話をしても会場から何の反応もないということが目立った。 温度差を最も強く感じたのは、会場から出た福島第一原発の汚染水についての質問に対する回答だ。 馬場代表は「日本人全員が考えなければならない課題」としたうえで、「結論から申し上げると、世界で原発を持つ国々は処理水を海洋放出している。福島第一原発でも一刻も早く放出すべき」と述べた。 馬場伸幸代表  いわゆる風評被害をめぐり、簡単に結論が出せないセンシティブな状態となっているのに、そうした現状を無視したような回答だったため、少しシラケた雰囲気となった。 汚染水問題への〝温度差〟 県総支部設立記念講演会の様子  その後、過去に吉村洋文知事が「要請があれば処理水の大阪湾放出を真摯に検討する」と話したことを踏まえ、「福島県にばかり負担をかけるのではなく、放出については全国(の原発関連施設)でともに進めていくことも考えるべきではないか」と若干〝軌道修正〟を図った。 馬場代表は「関西地方では大阪を核に、周辺の県の知事、首長、議員の誕生をサポートしてきた経緯がある。福島県内においても県議選はもちろん、首長選や市議選への候補者擁立を見据えていきたい」と意欲を見せた。それならば、今後は汚染水問題のような福島県固有の課題に対し、いかに向き合っていくかが重要になるのではないか。 県総支部幹事長の山口氏は「まず県内で維新が活動しているという認識を持ってもらうことが重要」と話し、「是々非々で福島のためになる政策を進めていきたい。かつて所属していた党とかは関係なしに、選りすぐりの良い人材を擁立していきたい」と決意を述べた。 実際、野党系の現職県議や元県議、市町村議員について、「維新が接触している」というウワサが流れており、近いうちに公認候補として立候補する議員もいると思われる。 もっとも、維新支持者がほぼ皆無の福島県内で、維新の公認を受けたところで、どれだけ票を伸ばせるかは未知数だ。とりわけ鳥居氏が立候補する県議選いわき市選挙区に関しては、8000票が当選ラインとなっており、前回6595票だった鳥居氏は苦戦が予想される。 「福島県内の選挙は既存政党の支持者でガチガチの構図。せめてもう少し投票率が上がって浮動票が増えないと、維新の勢力拡大は難しいのではないか」(県内の選挙通)という指摘もあるが、国政での動きと併せて今後注目の存在となりそうだ。 福島維新の会のホームページ

  • 県議選【二本松市】「自民2議席独占」に不安材料

     任期満了に伴う第20回福島県議選は11月2日告示、同12日投開票で行われる。定数58、19選挙区は前回同様。無投票とみられる選挙区も少なくない中、定数2の二本松市選挙区では現職1人と新人2人が立候補の準備を進めている。 ◎2019年11月10日告示当 遊佐 久男 60 無現当 高宮 光敏 48 無現※無投票当選 ◎2015年11月15日投票当 10743 遊佐 久男 56 無現当 6699 高宮 光敏 44 無新  5644 中田 凉介 59 無新  3614 鈴木 雅之 37 無新※投票率57.78% 立候補予定者3氏の評判【高宮光敏】【石井信夫】【鈴木雅之】  現在、二本松市選挙区から選出されているのは共に自民党の遊佐久男氏(64、3期)と高宮光敏氏(52、2期)。このうち遊佐氏は次の県議選に立候補せず、今期限りで引退することを表明した。 旧安達町出身。福島大学経済学部中退。2011年の県議選で初当選した。 「数年前に脳梗塞を患った。復帰後は動作に不安はなかったが、失語症に陥った」(ある自民党員) 遊佐氏は、手元に原稿があれば問題なく話せたが、ノー原稿だと言葉に詰まる場面が見られた。政治家が言葉を発せなくなるのは致命的だ。 「家族から『もう十分やった』と言われ、早い段階で引退を決めていた。健康状態に問題がなければ、もう少し続けてほしかった」(同) 惜しまれる声があるのは、人望の厚かった証拠だろう。しかし、遊佐氏の後継をめぐっては不満の声が漏れている。 遊佐氏が引退表明(6月5日)した翌日、石井信夫氏(57)が立候補することを表明した。 石井信夫氏  《自民党二本松市総支部が党県連に推薦を申請する。 石井氏は県庁で記者会見し、「自分が住む東和地域にも過疎化の波が押し寄せている。過疎化に歯止めをかけ、活力ある地域をつくりたい」と語った》(福島民報6月7日付) 旧東和町出身。川俣高校卒。製造業や印刷業の会社員として40年近く勤務。自民党には2018年に入党したが、これまで選挙に立候補した経験はない。 自民党二本松市総支部の関係者によると、今年4月ごろ、石井氏の公認・推薦をめぐり各支部で協議が行われた。しかし、市町村議を務めた実績がなく、党員歴も浅く、年齢も若くないため「意気込みは評価するが、候補者に適任なのか」と強く推す雰囲気は少なかったという。 そうした中で6月5日、自民党二本松市総支部役員総会が開かれ、総支部長の遊佐氏が正式に引退を表明すると共に「後継に石井信夫氏を据えたい」と発言した。ところが、 「総会の最後に石井氏から挨拶があると思ったら、何もないまま閉会したのです」(総支部関係者) 出席者はここで初めて、石井氏が役員総会を欠席していたことを知ったという。 「後継指名の場に当事者がいないのはおかしい。石井氏が欠席した理由も聞かされなかった」(同) 実は、各支部の中には石井氏と直接面会した支部もあれば一度も面会していない支部もあり、支部役員からは「会ったこともない人の公認・推薦を協議しろというのか」と不満が漏れていた。その最中に石井氏は役員総会までも欠席したから、石井氏の姿勢や総支部の対応を問題視する声が上がったのだ。 挙げ句、翌6日には石井氏が記者会見を開いて立候補を正式表明、党県連に推薦を申請すると報じられたため、一部の支部役員・党員は「順番が逆」「筋道を通していない」と憤っているわけ。 なぜ大事な後継指名の場を欠席したのか。石井氏に尋ねると「体調を崩していた」と言う。 「しばらく調子が悪くて、岩代や東和などの支部にも足を運べなかった。そうこうしているうちに6月5日の総支部役員総会を迎えてしまって……。遊佐氏の引退表明と後継指名の場にいなかったことは申し訳なく思っています」(石井氏) 選挙に携わる人たちは順番や筋道を重んじる。裏を返せば、順番や筋道を間違えたら十分な支援を受けられなくなる恐れがある。一部の支部役員・党員は石井氏の立候補表明に不満を持っていると伝えると、石井氏は反省していた。 「今後、諸先輩方にアドバイスをいただき、誤解を招いたのであれば各地に出向いて立候補に至る経緯や私の考えを伝えていきたい」(同) ちなみに体調は「良くない時期が長引いていたが、今は全く問題ありません」とのこと。 「私はPTA、スポ少、消防団などの活動を通じて地域の問題に関心を深めてきました。政治経験はゼロですが、遊佐後援会の青年部で活動したり、市議の選挙を手伝ってきたので政治が全く分からないわけではありません。今後、遊佐氏の後を引き継いでいければと思います」(同) 石井氏の地元・東和地域には「彼に本当に県議が務まるのか」と訝しむ声がある。支部役員・党員だけでなく地元の支持も獲得しないと、ただでさえ苦労する初めての選挙は一層厳しいものになるだろう。 〝ヤンチャ体質〟に嫌気 高宮光敏氏  自民党のもう一人の現職・高宮氏は6月22日現在、態度を明らかにしていないが、3選を目指して立候補するものとみられる。 二本松市出身。東海大学体育学部卒。都内の電気工業会社を経て家業の岳下電機に入社。2012年、ミヤデンに商号変更すると同時に代表取締役に就任した。父親で創業者・前社長の敏夫氏(19年死去)は二本松市議、県議を務め、05年の市長選にも立候補した(結果は落選)。光敏氏はその後を継いで15年の県議選で初当選した。 高宮氏と言えば「資産の多さ」で有名だ。県の資産公開条例に基づき2020年4月に公開された資料によると、高宮氏は土地分で4669万円、建物分で8554万円、預金や投資信託などで8015万円、計2億1238万円と県議58人中トップの資産を誇る。 「大人になった今も学生時代の後輩をあごで使っている。そういう関係性に嫌気を差し、最初は高宮氏を応援していたが袂を分かった若手経済人は結構います。『オレは自民党員だが高宮氏の選挙はやらない』と公然と口にする人もいます。前回の県議選は無投票だったのに、やたらとカネを使っていた。昔からの〝ヤンチャ体質〟を改めないと、支持は広がらないと思う」(高宮氏をよく知る自民党員) そんな高宮氏と石井氏に割って入るのが鈴木雅之氏(45)。立憲民主党県連常任幹事で、同党から公認を受ける予定だ。 鈴木雅之氏  二本松市出身。石巻専修大学経営学部卒。2015年の県議選に無所属で立候補したが落選した。市内で学習塾を経営する。 「前回の県議選も本人は出る意向だったが、家族の理解が得られず断念した。今回も家族は乗り気ではないと聞いている」(市内の選挙通) 鈴木氏は前々回の県議選で3600票余を獲得しているが、反自民で三保恵一市長の支持者が支援に回れば、前々回次点だった中田凉介氏と同等かそれ以上の得票(別掲)が期待できるのではないか。そもそも前々回は、鈴木氏が立候補せず三つ巴だったら中田氏が当選していた可能性が高かった。石井氏、高宮氏より年齢が若いことも無党派層には魅力に映るかもしれない。 二本松市選挙区は前回、前々回と自民党が2議席を独占しているが、人望が厚く選挙も強かった遊佐氏に比べ、石井氏と高宮氏には不安材料がある。その間隙を鈴木氏が突くことができれば、自民2議席独占の牙城は崩れるかもしれない。

  • 佐藤憲保県議「引退撤回」の余波

     今期限りで引退するとみられていた自民党の佐藤憲保県議(69、7期、郡山市選挙区)が態度を一転させ、11月2日告示、同12日投開票の県議選に立候補する公算が高くなった。 自民党県連は3月、一次公認者30人を決定したが、佐藤氏と二本松市選挙区の遊佐久男氏(64、3期)は公認申請していなかった。 その後、遊佐氏が6月5日に引退表明したため(詳細は28頁の記事参照)、佐藤氏がいつ進退を明らかにするのか注目が集まっていた。 「佐藤氏は昨年から、事あるごとに『もう辞めっからな』と口にしていた。周囲の説得にも耳を貸さず、引退の意思は固そうだった」(長年の支持者) 支持者たちの声を総合すると、背景には家族の存在があった。続投に向け説得を試みてきた支持者や自民党国会議員・県議も、家族を理由にされては引き下がるしかないと、今年春ごろには説得を断念していた。 「佐藤氏は根本匠氏の選対本部長を務めている。区割り変更に伴う新2区で立憲民主党の玄葉光一郎氏と戦う根本氏は『今、佐藤氏に辞められては困る』と反対したものの、最後は了承した」(マスコミ関係者) ところが、大型連休辺りから状況が一変。県議の中から「もしかすると立候補するかもしれない」という話が漏れ伝わり出した。 このころから佐藤氏も「内堀知事から続けてほしいと言われた」「根本氏に後継者を探すよう頼んだが見つからない」などと言い出し、決まり文句だった「もう辞めっからな」も聞かれなくなっていたという。 ある自民党県議の話。 「辞める人を引き止めるのは社交辞令みたいなもの。内堀知事が言ったとされる『続けてほしい』もどの程度本気だったのか。根本氏に後継者探しを頼むのも違和感がある。後継者は他人に探させるのではなく、自分で探すべき。それを『根本氏が見つけてこないからオレが出るしかない』というのはおかしい」 最終的には6月中旬、県選出国会議員や県議が、あらためて県議選への立候補を佐藤氏に直談判。これを受け、佐藤氏は「そこまで言うなら前向きに考える」と応じ、今期での引退は撤回されたという。 問題は、早くから引退をほのめかしていたことで、支持者の気持ちが冷めていることだ。議員から辞めると言われれば、熱心な支持者ほど落胆するもの。引退撤回が早ければ支持者が立ち直るのも早いが、ずっと辞めると言っていたのに「やっぱり出る」となったら、喜びよりシラける気持ちの方が先に立つだろう。 要するに、気持ちが冷めてしまった支持者を呼び戻せるかどうかが、8選を目指す佐藤氏にとって重要なカギになるわけ。 それでなくても佐藤氏は郡山市選挙区で、2011年1万1629票(定数9―12人、2位当選)、15年1万0902票(定数9―11人、5位当選)、19年8666票(定数10―13人、5位当選)と票を減らし続けている。支持者の高齢化で票を伸ばすのが難しいことは承知しているが、気持ちが冷めた支持者の動向によっては、さらに得票数が落ち込むことも予想される。 実は、佐藤氏は2026年の知事選を見据えた時、重要な存在になるとみられている。選挙通の間では、内堀知事が今期で引退し、玄葉氏が立候補すると目されているが、そうなると自民党県連は立憲民主党の玄葉氏を推せないので、対抗馬を擁立しなければならない。しかし、玄葉氏が相手では勝ち目が薄いので「玄葉知事」のもとで県政野党に転落することを考えると、自民党県議団の中に〝重し〟が必要になるのだ。 つまり、その役目を果たせるのは重鎮の佐藤氏しかいないと言われていたのに、今回の出来事で求心力を自ら低下させたことは否めない。佐藤氏にとっては再選された場合、党県連内でどのように存在感を発揮するかも課題になる。

  • 吉野衆院議員「引退報道」の裏側

     6月9日の福島民報1面に、旧福島5区選出で自民党の吉野正芳衆院議員(74)=8期=が今期限りで政界を引退する意向を周辺に伝えた、という記事が大きく掲載された。 《党本部が今後、吉野氏に意向を確認した上で後継となる公認候補の選定が進められる見通し。吉野氏と同じく、いわき市を地盤とする自民党県議の坂本竜太郎氏(43)=2期=を軸に調整が進められるもよう》(同紙より抜粋) 吉野氏はいわき市出身。磐城高、早稲田大第一商学部卒。県議3期を経て2000年の衆院選で初当選。文部科学政務官、環境副大臣などを経て17年4月から18年10月まで復興大臣を務めた。 周知の通り、吉野氏は近年、健康問題に苛まれてきた。 復興大臣退任後に脳梗塞を発症。静養を経て復帰したが、身体の一部に障がいが残った。そんな体調で2021年の衆院選に立候補し、選挙中に足を痛めてからは車椅子に頼る生活を送っていた。喋りも日増しにたどたどしくなっていた。 数カ月前に吉野氏に会ったという経済人はこう話す。 「事務所の奥から車椅子の吉野先生が秘書に押されて姿を見せた。秘書が『先生、〇〇さんです』と呼びかけると、聞き取れない返事を発しただけで、すぐに奥へと連れ戻された。印象としては、介護施設で面会しているような感じだった」 今年に入ってからは3月の党県連定期大会など、主要行事でさえ欠席を続けていた。 要するに今の吉野氏は、国会・委員会での質問、地元からの陳情受け付け、聴衆を前にした演説など、議員としての仕事が思うようにできない状態なのだ。 ここで難しいのは、政治家の出処進退は自分で決めるという不文律があることだ。周りがいくら「辞めるべき」と思っても、本人が「やる」と言えば認めざるを得ない。 「だから民報にああいう記事を書かせたのです」と話すのは、あるマスコミ関係者だ。 「6月上旬は衆院解散が囁かれていたが、吉野氏はいつまで経っても引退表明しない。後継の坂本氏は現職が辞めないうちは表立った動きができないが、現実問題として解散が迫る以上、立候補の準備に取り掛かりたいのが本音だった」(同) そこで、吉野氏に〝引導〟を渡すため、福島民報に「引退の意向」という記事を書かせたというのだ。 「民報にリークしたのは党県連と言われています。上層部がゴーサインを出さないと、ああいう記事にはならない」(同) 坂本氏が自らリークした可能性はないのか。 「坂本氏は以前、重大なフライングで評判を落としたので、今回は自分に出番がくるのを大人しく待っている。なので、自分からリークすることはあり得ない」(同) 重大なフライングとは、前回の衆院選前、坂本氏が森雅子参院議員の案内で永田町を回り、二階俊博前幹事長らに接触するなど、吉野氏が8選を目指す中で自らの立候補を模索していた行為だ。 坂本竜太郎氏  「無所属でも出る」と息巻いていた坂本氏は結局、立候補を見送ったが、この時の反省から坂本氏は「待ちの姿勢」に転じたわけ。 坂本氏はいわき市出身。磐城高、中央大法学部卒。いわき市議を経て2015年の県議選で初当選した。父親は元衆院議員の坂本剛二氏(故人)、叔父は元参院議員の増子輝彦氏という〝サラブレッド〟だが、いわき市議時代に飲酒運転で逮捕された過去がある。 前出・マスコミ関係者によると、吉野事務所は「引退は仕方ない」と覚悟しているものの、福島民報の記事に激怒し、引退表明を先延ばししたという。衆院解散が今秋に伸びたと言われる中、坂本氏はもうしばらくヤキモキした日々を過ごすことになりそうだ。 ※衆議院議員会館の吉野事務所に問い合わせたところ「代議士本人や事務所のコメントもなく、ああいう記事が出て非常に驚いている。(福島民報の)東京支社の記者は毎日のように事務所に来ているのに、それはないだろう、と。代議士本人も立腹しています」とコメントした。

  • 日本の政治に欠けているもの【本誌主幹・奥平正】

    (2021年11月号より)  第49回衆議院選挙が10月19日、公示された。衆院選は約4年ぶりで、自公政権の評価が問われる。期日前投票は20日から始まり、31日に投開票される。本誌11月号の締め切りは10月29日で、開票結果が分からないため、日本の政治を約50年見続けてきた奥平正・本誌主幹に、現在の政治状況についてあれこれ聞いた。 前途多難な財政再建と外交・防衛  ――各党の主な公約を見て、どう思いましたか。  「立憲民主党は『所得を再分配して1億総中流社会を取り戻す』、公明党は『未来応援として一人10万円給付する』、国民民主党は『積極財政で給料が上がる経済を目指す』という。所得再分配も積極財政も同じことだろう。れいわ新選組にいたっては『消費税は廃止』とか『1人20万円現金給付』とか、いい加減な主張を展開している。国民1人に10万円給付するには十数兆円の財源が要る。財政がひっ迫している中で、このようなバラマキを吹聴して票を得ようとするのは〝さもしい〟と言わなければならない」  ――政治の劣化が叫ばれて久しいですが、本当にそうなのでしょうか。  「時代によって課題が違うから一概に言えないと思う。それに、私が雑誌の世界に入ったのは20代前半で、一方、県選出国会議員は大臣クラスの大物揃いで、取材は『ご意見をおうかがいする』というもの。昨年亡くなった渡部恒三さんは当時、売り出し中だった。今では、私より年齢が上の県選出国会議員はほとんどいない。  甘利(自民党幹事長)事件のような〝小さな口利き〟は今でもあるが、大きな疑獄事件・経済事件はなくなるなど政治はきれいになってきている。政党助成金があるから、無理に金集めをしなくて済むようになったからではないか。同時に、個性的な政治家がいなくなってドラマがないというか、政治がつまらなくなった。これは中選挙区制から小選挙区制に変わったからだろう。  見たことも聞いたこともない人に『比例代表の国会議員です』と言われてもピンとこないこともある。ここで考えなければならないのは『有能だが、金にいやしい政治家』がいいのか、それとも『無能だが、清潔な政治家』がいいのか、だ。現在、後者が支持されているが、少しナイーブな感じがする。もちろん、金にいやしい政治家を望むわけではないが、清潔で無能な国会議員ばかりでは国益を損なう」  ――安倍元首相の「モリ・カケ・サクラ問題」についての感想は。  「ある意味では小さな問題だ。森友学園問題は、時代錯誤的な教育を行っていた幼稚園に安倍夫妻が共感し、国有地をタダ同然で払い下げることに協力した事件。安倍氏が国会で『私や妻が関与したなら、総理も議員も辞める』と啖呵を切ったため、彼に傷がつかないよう、財務省の官僚が忖度して公文書を改ざんした。このとき、『私たち夫婦の軽率な言動が誤解を招くことになったので深く反省する』と言えば公文書を改ざんする必要はなかったし、それで済んでいた話だ。  加計学園問題は、安倍氏が首相に就任したとき、加計孝太郎氏に『二人の関係は広く知られているので、首相在任中は国の許認可などを求めないでくれ』と念を押していれば起きなかった。ところが、相変わらずの付き合いで、政治家と官僚の忖度を容認した。要するに、権力者としての心構えがなかった。  桜問題も『観桜会のルールをよく知らないで、後援会員を多数招待してしまった。これは私どものミスで、大変申し訳ない』と正直に話したら大きな問題に発展しなかった。さらによくなかったのは、刑事訴追を恐れて検察の人事に介入したことだ。  安倍内閣が、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪を強引に設けたことも記憶しておきたい。法律をつくれば安心と思っているんだな」  ――アベノミクスについては。  「安倍首相は『GDPを600兆円に増やす』と公約したものの、10年経っても実現しなかった。日銀の『2%のインフレ目標』も空振りだった。各種規制を撤廃すれば経済が成長するというのは間違いだったことになる。経済が成長しなかったのは、基礎的な条件がなかったということだろう。ただ、人口減が続く中でGDPを減らさなかったのは健闘したと言えるのではないか。もっとも、これは安倍氏の業績ではない。浜矩子・同志社大学教授は『アホノミクス』と揶揄するが、どうしたらよいかは明らかにしていない」  ――会社の打ち合わせの際、奥平主幹は国の借金について警鐘を鳴らしてきました。現代貨幣理論(MMT)によると「自国通貨を発行できる政府は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない」という。  「それは、そうだろう。日本経済が滅茶滅茶になっても、日銀券を印刷すればいいわけだから。そのとき、社会がどうなっているのかは想像がつかない。欧米諸国が日本の成り行きに注目する所以だ」 なぜ「特例債」なのか  ――令和3年6月末現在の「国債及び借入金並びに政府保証債務残高」は、①普通国債942兆円、②財投債116兆円、③借入金・交付国債など60兆円、④政府短期証券103兆円、計1221兆円。それに⑤政府保証債務34兆円、⑥地方の長期債務残高193兆円となっています。②、④の一部、⑤は長期債務に含まれないので、国の長期債務は968兆円、地方の長期債務は193兆円、合わせて1161兆円とのことです(別表参照)。 「財務省は財政危機を強調したがるから、そのまま鵜呑みにはできないが、とんでもない数字であることは間違いない。 元財務官僚の高橋洋一氏は『国債は円建てだし、国に資産があるから大丈夫』と吹聴しているが、本当にそうか。国の出資金や貸付金を回収すれば資金を捻出できるかもしれないが、それをやれば国の機能の一部が麻痺する。国の資産を売ると言っても、優良な遊休資産は少なく、道路や建物など公共財を売るわけにはいかない。また、大量に保有するアメリカ国債(財務省証券)を売却するとドルが暴落して世界経済が混乱しかねないから、日本の都合で勝手に売却できない」 ――なぜ、このように借金が増えたのですか。 「戦後、戦前の反省から赤字国債の発行を法律で禁じた。にもかかわらず、昭和40年度、『法律の例外』すなわち『特例債』として2000億円発行した。以後、特例債を毎年度発行し、昭和末期に200兆円規模に達した。この程度なら深刻でなかったが、平成の初めにバブル経済が崩壊し、十数次にわたる経済対策名目の公共事業が繰り返され、雪だるま式に膨らんだ。 小泉内閣のときタガが外れ、6年弱の在任期間に借金を約200兆円増やした。郵政改革の次に公務員制度改革を期待したが、やらなかった。その後、安倍、福田、麻生、民主党政権、安倍、菅、岸田の各内閣と続く。安倍内閣は通算9年弱続き、在任中に借金を300兆円以上増やしている。 民主党政権時代に東日本大震災が発生して復興債を発行したが、復興税を設けて償還することにした。このたびの新型コロナ問題では、そうした措置を取らなかった。そういう意味で、民主党政権の方がまともだったと思う。 国民の多くは、借換債のことをよく知らない。令和2年度でいうと、借換債108兆円、特例債86兆円(新規国債)、財投債39兆円、建設国債など22兆円、復興債1兆円、計256兆円。それを消化しなければ予算が組めなかった。要するに、新規国債発行額だけを見て安心してはならないということだ」 ――『政経東北』のバックナンバーを見ると、昭和50年代から人事院(人事委)のデタラメな勧告を批判し、「公務員の給与を引き下げよ」と主張してきました。 「現在も主張をしているが、意義が薄れたのは否めない。なぜなら、大量に退職した団塊世代の退職金を引き下げられなかったからだ。なぜ公務員の給与・退職金の引き下げが実現しなかったかというと、自分たち特別職の待遇を引き下げなければならなくなるし、官僚との関係がまずくなるから。官僚と一般の国家公務員、都会の地方公務員とローカルの地方公務員を同一に扱うのは無理がある。 官僚は『民間企業の同期との年収差が大きい』と言うが、労働密度や厳しさが異なる。百歩譲って、本省の局長クラス以上を政治任用とし、彼らに限って『高給』を保証する制度を導入してもよい。みな全国一律に給与を決めている現在のシステムはよくない」 財政難なのに大盤振る舞い  ――東日本大震災の復興事業については。  「震災直後から今日まで、福島から三陸沿岸の様子を見ているが、どこも大盤振る舞いだ。とりわけ、大規模なかさ上げ工事、刑務所の塀のような大堤防には違和感がある。これらは長い時間をかけて実施すべき事業だったのではないか。また、三陸道が無料開放されているにもかかわらず、いまだに国道45号の大規模な改良工事を行っているのは理解できない。県内の港湾工事や防災緑地・公園なども立派すぎる。 それだけではない。日本全国どこへ行っても、わずかな時間短縮のためバイパスやトンネルをつくっている。今後、さらに過疎化が進んで住民が少なくなるのに、なぜ多額の投資を続けるのか。むしろ、住民の所得を増やす方策を考えるべきだ。  話を戻す。放漫財政の行き着く先は国債の暴落―金利の上昇だ。今は超低金利だから負担は小さいが、1%になったら10兆円超の負担増となる。また、円安が加速して輸入価格が上がり、高インフレとなることが分かっている。  現在、六十数兆円の税収しかないのに、100兆円超の予算を組んでいる。さらに歳出が10兆円も増えたら予算を組めるのか。財政がいつ破綻するかは誰にも分からない。その時の首相が『運が悪い』と嘆くのが容易に想像できる。  財政がどうにか回っているのは国に徴税権があるからで、企業や個人の金融資産などに手を突っ込む可能性がゼロとは言えない。一挙に財政を緊縮すると深刻なデフレに陥るから極端な政策はとりにくいので、とりあえずこれ以上借金を増やさないことが大事だ。最終的に、増税して歳入を増やし、人件費や公共事業を減らして歳出を減らすしかない。  首都圏直下型地震や東南海地震が想定されていることから、それに備えるための積み立てが求められる。また、ロシア・中国・北朝鮮の軍事技術の向上に対応した防衛予算の確保も迫られる。  衆議院選挙の話から財政の話になったが、結局、バラマキを強調しない自民党の方がまともに思えるから不思議だ」  ――新型コロナ問題についてはどのように思いますか。  「安倍内閣のとき、中国の旧正月休暇の旅行需要を取り込むため入国を制限しなかったのが悔やまれる。まあ、それは仕方がなかったとしよう。その後、PCR検査をなぜ徹底しなかったのか分からない。クラスター調査はもぐら叩きと同じで、感染者を減らすことにつながらない。感染者が急増したのは、無症状感染の若者が市中を横行したからで、その対策が不十分だった。いつでもどこでも無料でPCR検査を実施していたら大流行は防げた。  もう一つは、支援が細切れで、しかも合理的でなかったこと。たとえば、飲食店に対する休業補償は事業規模や売り上げに関係なく一律だった。一人で経営していた店はありがたかっただろうが、多くの店舗にとっては焼石に水だった。本誌は当初から『コロナによって売り上げが減少した全業種を対象に、原発賠償方式を採用すべき』と主張してきた。これなら、細かい対応が不要になるし、前年度決算が基準だから不正を防げる。また、無担保無保証の安易な融資は経営者のモラルハザードを招く。さらに、医療機関に対する助成金は遅かっただけでなく、患者受け入れ数など実績に関係なく〝掴み金〟的に支給した。政治家と官僚の劣化を見せつけたと言える。  10月中旬になって感染者が激減した理由は分かっていないが、ワクチン接種効果のほか、若い人が感染して亡くなり、さらに後遺症が深刻であることが広く知られ、行動が慎重になったからではないか。  新型コロナによる死者は約1万8000人、東日本大震災の犠牲者数に匹敵する。それくらい深刻な問題だった。これが細菌戦だったら大敗北ということになる。そういう意味で、無防備だったのは否めない」 独立国としてどうなのか  ――現在の国政に欠落しているのは何ですか。  「やはり、この国の形がどうあるべきかという議論がないことだ。具体的には、アメリカとの関係や日米安保条約がどうあるべきかなどはほとんど議論されない。  オバマ大統領が2016年5月、トランプ大統領が2019年5月、日本にやってきた。そのとき、成田空港・羽田空港に降り立ったのではなく、在日米軍(空軍)の横田基地だった。オバマ大統領は横田基地からアメリカ軍のヘリで岩国基地に向かい、そこから広島を訪問した。そういうことでよいのか。  県内に住んでいると在日米軍のことは意識しないで済むが、首都圏を囲む形で横田基地、第七艦隊の母港・横須賀基地などがある。いざとなったら、アメリカ軍の言いなりになるしかない。ワシントンDCの近くに外国の軍事基地が立地することは考えられないように、それは異常なことなのだ。しかも、何でもアメリカに筒抜けで、国家機密はないに等しい。そういうことは独立国としてどうなのか、疑問に思う。  安倍氏などの対応は『アメリカ軍よ、日本から出ていかないでくれ』と抱きつくようなもの。そんなに卑屈にならなくてもアメリカ軍は出ていかない。なぜなら、日本はアメリカの戦利品だから。とはいえ、アメリカの世界戦略が変わったら、さっさと出ていく。アメリカは情緒で動くわけではない。このように言うと、『日米安保条約に反対なのか』と受け取られるかもしれないが、そうではない。  なぜ、このようなことになったのか。言うまでもなく、日本はアメリカとの戦争に負け、全土を占領された。当初、アメリカは日本の無力化と民主化に努めた。そうこうしているうち冷戦が始まり、朝鮮戦争が勃発した。アメリカは占領状態を継続するため、サンフランシスコ講和条約―日米安全保障条約―日米行政(地位)協定を強いた。それにサインしたのは吉田茂首相(当時)だ。占領状態が長く続くことを認識していたなら、彼はとんでもない〝売国奴〟ということになる。それとも、日本が立ち直ればどうにかなると考えたのか。ただ、吉田政治を引き継いだ吉田学校の生徒たちが『完全独立』を主張したことはない。冷戦が終結しても、それは変わらなかった。  なぜか。おそらく、非米・離米・反米的な意見を述べると、官僚・政治家・マスコミから執拗なバッシングを受けるのが必至だからだ。アメリカがそう仕向けるのではなく、日本人が自発的にやるだろうから恐ろしい。安倍氏は『野党に政権が移ったら日米安保条約が揺らぐ』と演説したが、彼でさえ、この程度の認識だからがっかりする。  日米安保条約を運用しているのは日米地位協定に基づく日米合同委員会だ。協定の条文を見ると、軍人・軍属の出入国及び物資の搬出入の自由など日本の法律を適用しない旨の内容が列記されている。また、領土・領海・領空を自由に使えることになっている。ひとことで言うと主権の一部放棄だ。しかも、日米合同委員会の議事録は非公開で、その内容は内閣・国会議員にチェックを受けない。 明治維新後の総括が必要だ  これほど譲歩しているのに、さらに思いやり予算のほか米軍再編費用などを毎年約6000億円負担している。自衛隊がアメリカ軍の補完機能を果たしていることについて、ここでは触れない。このような現実をアメリカ大統領やアメリカ国民に伝え、主権の回復を求める日本の政治家はいない。ロシアや中国にあざ笑われても仕方がない。  明治維新から今日まで153年、その半分の年数がアメリカの強い影響下にあることに慄然とする。  日本経済は朝鮮戦争、ベトナム戦争によって軌道に乗った。経済基盤と人材が残っていたこともあるが、高度経済成長は偶然の所産だったのではないか。同じように、発展著しい中国経済も政府の政策によって発展したというより、偶然が重なったことによるのではないか。両国の衰退も必然のように思える。  朝鮮戦争は知らないが、ベトナム戦争の際、沖縄からB52がベトナムに飛んで爆弾を大量に落としたことを知っている。日本は戦争に重要な兵站を担ったのである。まあ、それは仕方がなかったとしても、インド洋に自衛隊の補給艦を派遣し、アフガニスタン戦争を支えたのは、明らかに戦争行為である。兵站は戦争の重要な部分で、『自衛隊(員)が人を殺さなければ戦争行為でない』という論理は成り立たない。  日本は法治国家と言うけれど、憲法9条はアメリカの都合で簡単に反故にされ、憲法を改正しないまま、閣議決定によって集団的自衛権を容認する。これが法治国家なのか。  昭和30年頃までは戦争の記憶が生々しく、憲法改正が実現する可能性はほとんどなかった。しかし、法治国家を標榜するなら『違憲状態は放置できない』として、何度でも憲法改正を発議すべきだった。ところが、面倒な手続きを避けて、屁理屈を重ねた『保守の知恵』とやらで、現状を追認してきた。そのことに悩む政治家はいない。  憲法の問題はほかにもある。天皇は『日本国の象徴』とされるが、他の皇族はどうなのか。彼らに日本国民が享受している基本的人権はないのか。大変疑問に思う。  そもそも天皇は武家が権力を掌握してから京都に住み、祭祀を行ってきた。古墳時代はともかく、仏教伝来以降、歴代天皇の多くが寺に埋葬されているにもかかわらず、薩長土肥の武士たちは国家神道を強いるため廃仏毀釈を行った。  細かいことは省略するが、明治の成功体験が社会の歪みを拡大し、敗戦・被占領に至った。戦争に負けなかったら、今よりましな社会になっていたと断言できないところに悲哀を感じる。さらに付け加えると、日本との戦争に負けた清国(中国)、ロシアの人々がいまだに怨念を抱いていることを忘れるべきでない」  ――日本(人)がアメリカの従属的な立ち位置に甘んじているのは、敗戦という未曾有の経験をしたからということですか。  「そう。これまで敗戦・被占領の経験がないから国民がナイーブなんだな。一方、大陸の諸国は有史以来何度も攻めたり攻められたりしているから、『いつかは』と思う。日本人がアメリカや権力に従順なのは、変化に対する恐れが強いからではないか。現在より悪くなりそうだと思いがちで、『やはり現状維持の方が安心だ』ということになる。 立民党の支持が広がらない理由  少し知ったかぶりをしよう。日本は9世紀に新羅、11世紀に刀伊(女真族)、13世紀に元(モンゴル族)の進攻を受けている。いずれも戦場は対馬・壱岐、西九州で、他の地域への影響は少なかった。その点、戦時中の疲弊、敗戦の混乱、戦後の激変は強烈だった。ちなみに、戊辰戦争の戦死者は両軍合わせて約9000人で、西南戦争の戦死者の方が多かった。一方、先の大戦の犠牲者は320万人余に上る。その約8割が1944年以降に亡くなり、戦病死・餓死が多かった」  ――ところで、民主党政権をどのように総括しますか。  「安倍氏は『悪夢の民主党政権』と言ったが、後世『悪夢の安倍政権』と言われる可能性もある。民主党政権の失敗は、権力の行使に不慣れということもあるが、いろいろなことが重なった結果だ。  大きな誤りは政治主導を強調し、官僚を排除したこと。官僚はへそを曲げ、『お手並み拝見』と、サボタージュを決め込んだ。さらに、詳細なマニフェストを作ったものの、ほとんどが絵に描いた餅だった。『一般会計と特別会計を合わせれば財源を捻出できる』と言ったのに、結局、財源不足に陥り、目玉政策の子ども手当すら満額支給できなかった。ほかにもある。  鳩山首相は沖縄の米軍海兵隊普天間基地移設問題で『最低でも県外』と公約し、後に翻意した。また、前原国土交通相は8割程度完成していた八ッ場ダムの工事をストップさせた。  菅直人内閣のとき、東日本大震災・原発事故が起きたことで、暗いイメージにつながっている。自民党は民主党の対応を批判するが、自民党政権でもさほど変わらなかったのではないか。当時、官房長官が枝野立憲民主党代表で、『(放射能漏れがあっても)ただちに健康を害するものではない』と何度も述べ、県民を失望させた。そうではなく、事故収束と廃炉の道筋をはっきりさせたらプラスイメージになったはずだ。  野田内閣のとき、石原都知事が尖閣諸島の買収を目論んでいたことから、中国とのトラブルを避けるため国有化に踏み切り、所有権移転登記を行った。中国は現状変更と受け取り、海警局の艦船が頻繁に領海侵入するようになり、実効支配が崩れた。  閣僚が勝手に持論を展開し、閣内不一致を露呈させたこともある。当時、『組閣するとき、それくらいは意思統一を図れよ』と思った。  最も影響が大きかったのは、やはり原発事故だろう。これによって国民の多くがPTSDに陥り、民主党のイメージが悪化した。こうして『民主党政権はご免』という雰囲気が醸成されたのではないか。  立憲民主党は民主党の後継政党だから同じように見られる。したがって、このイメージを変えなければ政権奪取はあり得ない。それには過去の失敗を執拗に国民に詫び続ける。同時に、枝野氏などは引退し、若い人材にバトンタッチする。また、選択的夫婦別姓やLGBTに理解を示す前に、多くの国民に信頼されるよう努力する。与党の揚げ足を取り、助成金・給付金の支給を主張しても支持は増えない。野党がしっかりすると、与党もしっかりせざるを得ない。その効果は大きい。  民主党政権時代、本県選出の玄葉光一郎氏は何度も閣僚を経験している。彼がリーダーシップを取り、原発事故収束の道筋をつけたら次期首相の呼び声も出た。ところが、期待に反して原発事故や震災復興についての発言は少なかった。  多くの国民は『国会議員は忙しい』と思っているかもしれないが、実際はそうでない。忙しいのは閣僚と与党役員くらい。本会議・委員会があっても、発言しない人は傍聴人と同じだ。政党には政策メニューがあり、個人の提案が取り入れられる余地は少ない。党の方針・政策に逆らうと放逐されかねないから、発言・提案は慎重になる。それでは何のための議員なのか。  野党議員に言いたい。議員であることに満足しないで、『自公政権よりもマシな政治を実現する』という自負と覚悟が必要だ、と」 広がる軍事力の格差  ――最後に、軍事問題について。中国脅威論が高まっていますが、これについてはどう思いますか。  「GDPは、アメリカが日本の約4倍、中国が日本の約3倍。2018年の軍事費はアメリカ6490億ドル、中国2500億ドル、日本470億ドル。日本と中国の軍事力には大きな差がある。  中国は、核、サイバー能力、電磁パルス、極超音速ミサイル、生物兵器を所有している。北朝鮮は、それを追いかけている。  核攻撃に対しては日米安保条約に基づき、アメリカ軍が対応することになる。ただ、それは文書化されておらず、在日米軍に被害が及ばない地域に打ち込まれたら、アメリカが核報復するかどうかは分からない。  サイバーはコンピューターに侵入してデータを剽窃し、プログラムを改ざんするもの。電磁パルスは電子機器や電力網、艦艇や航空機の電子機器を破壊する。  マッハ5以上の極超音速ミサイルは途中で軌道を不規則に変えるミサイルで、現在のミサイル防衛網では対処できない。日本はイージス艦を8隻所有し、各艦とも迎撃ミサイルを8発装備している。1回に2発撃つから、合わせて32発しか撃てない。打ち漏らしたのはPAC3で対応するが、防御範囲は約50㌔、発射機は34機。これで広い国土を守れるとは思えない。言わば、穴だらけなのである。  だからと言って、中国と同レベルの軍事力を整備するのは不可能だ。むしろ、見える形で報復力を整備したほうがよい。  どの国も戦争は望んでいない。勝っても負けても大きな被害が避けられないからだ。だが、専制的な指導者が、耐えられる程度の被害で相手国を篭絡できると判断すれば戦争のハードルは低くなる。核兵器開発の問題も同じだ。  最近、中国軍機による台湾の防空識別圏への侵入が相次いでいる。台湾独立への圧力にほかならないが、実際はサイバー・電磁パルス攻撃で戦意を喪失させようとするだろう。台湾、日本に備えはあるのか?  台湾は中華民国として独立していたが、中国が膨大なマーケットを餌に『一つの中国』を強い、各国がそれに応じた。台湾は、日本や欧米諸国に裏切られたのである。  厄介なのは、日本にとって中国は共産党独裁の特異な国でも、最大の貿易相手国であることだ。『中国との貿易がゼロになっても構わない』というのは暴論だろう。経済断交でもなく、戦争でもなく、複雑な方程式を解く外交の知恵が求められている」  取材・10月23日、丸森町筆甫の山小屋にて。聞き手・佐藤大地

  • 【動画あり】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」【田中修身】

     4月の喜多方市議選で初当選した共産党の田中修身議員(61)=塩川町=が、公選法で禁じられている戸別訪問を自宅がある新興住宅地で行っていた。その数、200軒近く。投開票日当日だから投票依頼と受け取られるのは明らか。田中議員自身は疑問を抱いたが、選挙対策を担った党員に「そういうものだ」と言い含められ、気乗りしないままピンポン。不審がられ、動画に記録されるお粗末さだった。見境のない戸別訪問の背景を、専門家は「組織の高齢化と若者を獲得できない共産党の焦りの表れ」と指摘。有権者の反感を買わない選挙活動が求められている。(小池航) 投票日に「戸別訪問」を撮られるお粗末さ インターホンに映った戸別訪問動画。日時や背景は情報提供者の特定を防ぐために加工 田中修身議員  喜多方市塩川町にある御殿場地区は新興住宅地だ。同市と会津若松市の中間に位置する利便性の良さから、市内でも人口減少が抑えられており、若年層も多い(2022年1月号の合併検証記事で詳報)。 4月23日の日曜日、黒いスーツにネクタイを締め、新築が並ぶその住宅街を一軒一軒回り、律儀にインターホンを押す男がいた。マスクを付けて顔の下半分は分からないが、眼鏡をかけている。ある家のインターホンを鳴らした。応答はない。住人は不在のようだ。 男はインターホンに向かって控えめに話した。 「あのー、1組の田中なんですけども。えーっと、1週間大変お世話になりました。ご迷惑をおかけしました。大変お世話になりました」  時間にして10秒。いったい何のことだろうか。何かを伝えたいが、言葉が足らず伝えられないといった様子で要領を得ない。確かなことは、インターホンに残された映像には4月23日の昼間の時間帯が記録されていること、スーツ姿の男が「田中」と名乗ったということだ。 数時間後の夜8時、喜多方市議選(定数22)の開票作業が行われ、当選者が決まった。結果は表の通り。投票率59・09%(当日の有権者3万8148人)は過去最低だった。 喜多方市議選開票結果(定数22) 得票数候補者(敬称略)所属当選1354遠藤吉正無当選1348山口和男無当選1207渡部忠寛無当選1149渡部一樹無当選1132山口文章無当選1066十二村秀孝無当選1053齋藤仁一無当選1019齋藤勘一郎無当選964小島雄一無当選896小林時夫公当選864菊地とも子公当選849後藤誠司無当選843高畑孝一無当選834五十嵐吉也無当選810坂内まゆみ無当選804佐原正秀無当選802佐藤忠孝無当選785渡部勇一無当選778田中修身共当選719矢吹哲哉共当選678伊藤弘明無当選648上野利一郎無591蛭川靖弘無556渡部崇無452関本美樹子無  昼間の男、「田中」は当選者の中にいた。田中修身氏。共産党所属の新人で、778票を得て19位で初当選した。住所は市内塩川町遠田でインターホンに映っていた男の住所、人相と一致した。「1組の田中」というのは、御殿場地区内に数字で割り振られた行政区を指す。 当選の知らせを受け、御殿場地区のある住民はインターホンに残った男の動画を見ながらわだかまりが残った。要領を得ない言動。こそこそした後ろ暗い様子。はっきり言って不審者だ。 「何か悪いことをやっているのではないか」 公職選挙法をネットで調べると早速ヒットした。・戸別訪問の禁止・投開票日当日の選挙運動の禁止 すなわち、田中議員は二つの違反をしていたことになる。 警察官「田中さん本人ですね」  翌24日、住民は市選挙管理委員会にまずは報告したが「捜査機関ではないので調べることはできない」「警察に情報提供することは妨げない」と言われた。 同日、喜多方署に相談すると、警察官2人が住民の家を訪れた。動画を見て、前日(23日)に撮影されたものであることを確認すると、1人が「あー、これは田中さん本人ですね」と言った。警察官たちは証拠として動画を撮影し帰っていった。その後、同署から住民には何の連絡もないという。 本誌は4月号で、前回(2019年)市議選である候補者の陣営が一升瓶を配っていた疑惑を報じた。その候補者は当選し、今回も再選を果たしている。この記事を読んでいた住民が、市・警察に相談しても動きがないことを受け、本誌にインターホンの動画を提供した。 なぜ田中議員は投開票日に、不審者に思われる危険を犯してまで戸別訪問したのか。御殿場地区は行政区が1~14組あり、住宅地図で戸数を確認すると、田中議員が戸別訪問したのは200軒近くに上る可能性がある。 5月19日に全員協議会を終えた田中議員を直撃した。共産党会派の議員控室で矢吹哲哉議員(70)=松山町、4期=が同席。田中議員が言葉に詰まると、先輩の矢吹議員が助け舟を出した。(以下、カギカッコの発言は断りがない限り田中議員) 矢吹哲哉議員  ――投開票日当日の戸別訪問動画が出回っていますが、田中議員本人でよろしいですか。 「よろしいです」 ――この訪問は公選法違反に当たると思うか。 「選挙期間中はご迷惑をおかけしましたということで、自分が住む住宅街の行政区にご挨拶にうかがいました。ただそれだけです」 ――ご迷惑というのは何に対してですか。 「お騒がせしたというか……」 ここで矢吹議員が「時候の挨拶でしょ」と割って入った。 「選挙で隣近所にお世話になりましたという意味です。『おはようございます』と全く同じではないが、近い意味合いでしょう」(矢吹議員) ――私は田中議員に聞いているんです。時候の挨拶というのは選挙にかかわらず御殿場地区で行っているんですか。 「選挙に出ることになってからが多いですね」 ――選挙に出ることが決まる前は時候の挨拶はしていなかったということですか。 「まあそうです」 ――公選法では投票を依頼する戸別訪問は禁止されていますが、この行為は該当すると思いますか。 「私たちは当たらないということで挨拶に回りました」 ――私たちということは、先輩の矢吹議員などから教わって行ったということですか。 「先輩議員ではありません。私の選対の役員から、選挙活動をした中でご迷惑をおかけしたと言って回った方がいいと言われました」 ここで矢吹議員がフォローする。 「選挙に出るとなると『出ますのでよろしくお願いします』と言って回る慣例があります。選挙が終わっても回ります。ケースバイケースです」(矢吹議員) 田中議員「訪問効果はあまりないと思う」  ――まだ投票が終わっていない有権者がいる投開票日に戸別訪問するのは、投票を依頼する意図があったと誰もが思う。言い逃れできないのではないか。 「依頼したということではなく、あくまでご迷惑をおかけしたということを伝えるためです。私は今回初めて選挙に出ました。選対から『お騒がせした』と言って回った方がいいと言われたものですから、その通りにやっただけです」 ――どういう行為が選挙違反に当たるか教えられたか。 「市の選管から選挙の手引きを渡されました。初めての選挙だったので書物を読むというよりは、党員の先輩の言うことに従いました」 ――投開票日に戸別訪問するのは法律上マズいという認識はなかったのか。疑問は感じなかったのか。 「選対からやるように言われたので『そういうものかな』と。疑問を全く感じなかったかと言われれば、それはウソになります。投票依頼と受け取られる言葉遣いにならないようには気を付けました」 気を付けたと話す田中議員だが、本誌には、ある住民が「何の目的で訪問したのか」と尋ねると、田中議員が「選挙です」と答えたという情報が寄せられている。 ――田中議員が住む御殿場地区は新興住宅地で、郡部のように地縁に基づく付き合いが希薄です。見知らぬ人が訪れて効果はあると思いましたか。 「そこまでは考えが及びませんでした。選対が訪問するように、とのことだったので」 共産党は、支持基盤が確立している。「それでも新たな訪問で支持が広がると思うか」と筆者があらためて尋ねると、田中議員は「効果はあまりないと思います」と打ち明けた。 ――新築にはインターホンが備えられています。自分の行為が記録されているとは考えなかったのか。 「そこまでは考えませんでした」 田中議員へ一通り質問した後、矢吹議員が再びフォローした。 「田中議員が訪問したのは選挙活動ではなく、あくまで挨拶です。投開票日当日に選挙運動ができないことは分かっています。当日に回って有権者の方に誤解を与えたことは、田中君も反省しないといけないな」 矢吹議員と田中議員は、それぞれ共産党喜多方市委員会の委員長と、党市議団事務局長を務める。後日、有権者に誤解を与えたことを釈明する機会を何らかの方法で検討するという。 田中議員は旧山都町出身。喜多方高校卒業後、小中学校で事務職員を務める傍ら、県教職員組合の専従をしてきた。今回の市議選では、引退した小澤誠氏の後釜となった形。 市選管事務局の金田充世選挙係長に、選挙運動についての見解を聞いた。 「選挙運動は直接投票を依頼する行動で、公示・告示から投開票日の前日までしかできません。候補者が有権者に挨拶するのは、捉え方によっては選挙運動に見られるので注意してほしいということは毎回の選挙で候補者に説明しています」 田中、矢吹両議員が「挨拶」と言い張ったのは「選挙運動ではない」という理屈を立てるためのようだ。もっとも「挨拶」にかこつけた投票依頼の戸別訪問は、喜多方市に限らずどこの自治体の選挙でも常道と化している。今回、記事として取り上げたのは、証拠が動画に残されていたことが一つ、そして、共産党という支持基盤が強固で、クリーンさを打ち出している政党でさえも実行していたことに意外さを感じたからだ。 田中議員に選管や警察から注意を受けたか尋ねると、今のところないと話した。市選管に聞いても「注意はしていない」と言うし、喜多方署も「捜査に関わることは教えられない」とのこと。 応対した同署の渡邉博文次長は「田中議員ってどこの人?」と筆者に聞いてきたぐらいだから、投開票日当日の戸別訪問は、いちいち上層部に情報を上げるまでもない、昔からありふれた行為なのだろう。 戸別訪問のみで法的責任を問われる可能性は極めて低い。だが、挙動はインターホンの動画に克明に記録され、出回っている。 東北大の河村和徳准教授(政治情報学)は、新興住宅地における共産党の見境のない戸別訪問を「力の陰りがみられる」と話す。どういうことか。 「共産党の票読みは固いと言われますが、陣営は候補者間で組織票を融通する票割りがうまくいっていないと思ったんでしょうね。党員の高齢化で組織票が減る一方、若年層への支持は広まらない。新興住宅地を回ったのは若年層の支持獲得への焦りがあったのではないでしょうか」 共産党に限った話ではない。河村准教授は同様の例として、統一地方選で行われた東京・練馬区議選などで、これまで全員当選を果たしていた公明党の候補者が軒並み落選したことを挙げた。 若年層獲得に焦る共産と公明  投票依頼の戸別訪問は紛れもない公選法違反だ。「単なる挨拶」と苦しい言い訳をしてでも決行するなら、それに見合う効果がいる。だが、回った本人が「あまりなかった」と吐露するようでは、何のためにやったのか。田中議員は「上から言われたので『そういうものか』と思った」と話す。こうして、思考停止の議員が送り込まれる。 戸別訪問の表向きは「挨拶」だから、自分が「候補者」で「投票してほしい」とは口にできず「名前」しか言えない。投票依頼の本心を見透かした前出の住民は、要領を得ない挙動に不審と反感を抱き、動画に残して本誌に通報した。最新のインターホンが設置された新築住宅を回れば、違反と疑われる行為が記録されると想像しなかったことはお粗末と言える。 前出の河村准教授は、 「選挙違反には問われなくても、有権者が疑念に思う動画が出回ればダメージです。動画撮影が普及していない昔の選挙であれば普通に行われていた行為が可視化された。共産党をはじめ多くの陣営は『グレーゾーンが記録される選挙』に認識が追いついていないのでしょう」 選挙カーで名前を連呼しながら住宅街を回る行為は、有権者から「騒音」と捉えられ選管に苦情が来る。河村准教授によると、コロナ禍を経て都市部ではネットや電話を活用した選挙運動にシフトしたが、電話の場合「アポ電強盗」への恐れから、そもそも知らない電話に出ない人も多いという。 「高齢化が進む組織はネット戦術に疎いので、若い層にアプローチするには戸別訪問しかない。盤石な支持層を背景にできた票割りは共産党や公明党の得意技だったかもしれないが、今やその方法は終わりを迎えつつあるのかもしれません。どの陣営も新しい選挙運動を考える時が迫っています」(同) 若者よりも投票に行く高齢者が多くを占める地方では、ネットを活用した選挙に移行するには時間がかかるだろう。投票率が下がれば下がるほど組織票の重みが増すため、過去最低の投票率を記録する喜多方市では、むしろ高齢の党員と学会員を優先する現状維持が働く。 だが、地方ではいずれ高齢者の人口すら減り、社会は縮小、議会の定数減は不可避だ。共産・公明両党は喜多方市議会で各2議席を確保するが、将来的には議席減が見込まれる。未来に影響力を持つ今の若年層からどう支持を取り付けるか、旧態依然の選挙から脱し、世代にあった方法を考えねばなるまい。 あわせて読みたい 【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

  • 須賀川市議選異例の連続無投票!?

     任期満了に伴う須賀川市議選は、7月30日告示、8月6日投開票の日程で行われる。前回は同市にとって、1954年の市制施行以来、初めての無投票だったが、今回も無投票の可能性があるという。 「選挙時期を変えるべき」との声も  同市議選は、7月3日に立候補予定者説明会が行われることになっており、そこで大体の顔ぶれが明らかになると思われる。 ただ、本誌が5月中旬までに同市内で取材した中では「定数24(欠員1)に対して、新人数人が立候補を表明、あるいはその動きを見せているが、新人と引退する現職が同数になるとみられ、無投票になるのではないか、というのが現在のところの情勢です」(ある関係者)という。 ある市民はこう話す。 「数カ月前の時点では、定数24に27人くらいが立候補するのではないかとみられていましたが、最近になり、地元夕刊紙で無投票になる可能性があることが報じられました。普通、無投票になった次の選挙は多くの候補者が出そうなものですが、そうならないのが問題だと思います」 冒頭で書いたように、前回の同市議選は1954年の市制施行以来、初めての無投票だった。 前回は新人9人が立候補するなど新たな顔ぶれが出てきたが、市議選を見送り県議選に立候補した現職が3人いたほか、引退した議員も多かった。結果、新人は多かったものの定数24に現職14人、元職1人、新人9人の計24人の立候補者で、無投票での当選が決まった。 当時、市民からは「審判を受けなかった議員が市民の代表と言えるのか」、「もし議会(議員)が失態を演じたら、『だから無投票はよくない』、『やっぱり、市民の審判を受けていない議会はダメだ』と酷評されることになるだろう。そのことを肝に命じて議員活動をしてほしい」といった声が聞かれた。 その一方で、「初の無投票で、どう評していいのか分からない」と語る人もおり、有権者も困惑していた様子がうかがえた。それだけ、同市にとっては異例のことだったのだ。 そんな中、前出の市民は「無投票になった次は多くの候補者が出そうなものだが、そうならないのが問題だ」との見解を示したわけだが、確かに、そういった傾向がある。 他市町村では揺り戻しも  例えば、本誌4月号で4月18日告示、23日投票で行われた北塩原村議選の直前情報をリポートした。同村でも、前回(2019年4月)が村として初めて議員選挙が無投票となった。 迎えた今回の村議選は定数10に対し、現職6人、元職2人、新人8人の16人が立候補した。その背景には、村内(議会内、議会と執行部)の勢力争いがあったという事情もあるものの、前回の無投票からの揺り戻しがあった格好だ。 ある意味、それは正常な流れだろう。村内では以前(前回の村議選直後)から「無投票によって議員の質が落ちている。次回は絶対に無投票は避けなければならない」といった声や、実際に議会でのやり取りや議員の普段の振る舞いなどを見て、「やっぱり、村民の審判を受けていない議員はダメだ」との意見を聞くことが少なからずあった。「次回は絶対に無投票を避けなければならない」といった空気があり、今回はより多くの候補者が出る選挙戦になったのである。 須賀川市では、多くの有権者が「無投票は良くない」と思っているのは間違いないが、具体的にその動きが見えないのが問題だ、というのが前出の市民の指摘である。 8月選挙の弊害  一方で、以前から言われているのが「選挙の時期を変えるべきではないか」ということだ。 というのは、同市議選は2007年までは4月に実施されていた。ただ、その次の改選期である2011年は、直前に東日本大震災・原発事故が発生したため、特例で選挙(議員任期)を先伸ばしにした。結果、同年以降の市議選は、現在の8月に市議選が行われることになった。 ある識者はこう話す。 「いまの選挙期間は、夏休み期間中のお盆前になるため、各地区では夏祭りの準備だったり、それぞれの勤め先でも長期休暇前にやっておかなければならない仕事に追われていたりと、いろいろ忙しいんです。また、須賀川市はキュウリ農家や果樹農家などが多いが、それらの農繁期でもあり、収穫最盛期に選挙どころではないという声も少なくありません。加えて、近年は猛暑で選挙運動をする側も、選挙に行く側も大変ですよね。そういったさまざまな事情から、この時期の選挙は市民の関心が得られにくい、という大きな問題点があります。ですから、この時期の選挙は良くないので、以前の4月選挙に戻せば、少し状況は変わってくるのかな、と思います」 もし、以前の選挙時期(4月選挙)に戻そうと思ったら、議員全員の総意で、その直前に総辞職する必要がある。 ある関係者は「実際にそうした話も出た」という。 「前回選挙後、『今回は無投票だったから、(数カ月、任期を返上して議員全員が辞職し、以前の選挙時期に戻すことについて)以前より抵抗なくできるのではないか』といった意見があった。実際、議会でそれを提案した議員もいたそうですが、『あなた1人で辞めれば』と言われたそうです。当然、提案した議員からすると、『それでは意味ないだろ』という話になりますが、その程度の認識でしかないということです」 もっとも、選挙時期を以前の4月に戻したとして、現在の8月選挙よりは市民の関心が得られやすくなるだろうが、実際に立候補する人が増えるかどうか、というとまた別の問題になろう。 議員のなり手不足については、機を見てあらためてリポートしたいと考えるが、本誌では以前から、会社勤めの人でも議員活動ができるような工夫が必要であると訴えてきた経緯がある。議会として、そういったことを考えていかなければならないだろう。 同市議選までは、まだ少し時間があり、今後情勢が変わる可能性もある。異例の連続無投票となるのか、それとも無投票回避のために候補者が出てくるのか、が注目される。

  • 【須賀川・岩瀬郡】県議選は現職2人、新人2人の争いか

    市議選の数カ月後には県議選が控える。その中でも、須賀川市・岩瀬郡選挙区(定数3)は、注目の選挙区と言える。県議選の動向についてもリポートする。  県議選は11月2日告示、12日投開票で行われる。 現在、同選挙区の現職は、宗方保氏(県民連合、6期)、水野透氏、渡辺康平氏(ともに自民党、1期)の3人。前回(2019年11月10日投開票)は、それまで5期務めていた自民党の重鎮・斎藤健治氏が引退したこともあり、6人が立候補する激戦だった。 斎藤氏の引退を受け、自民党は新人2人の公認候補を擁立したが、同選挙区で自民公認候補が2人になるのは初めてだったため、「宗方氏は安泰としても、自民党候補者2人のうちのどちらかが足をすくわれる可能性もあるのではないか」といった見方もあった。ただ、結果は別表の通り。自民党の新人2人が当選を果たした。 今回は、現職の水野氏と渡辺氏は自民公認での立候補が決まっているほか、前回選挙に立候補した共産党の丸本由美子氏も立候補を表明している。残る現職の宗方氏については、「今期限りで引退する可能性が高い」(ある関係者)とのことだが、5月中旬時点では正式な引退表明等はない。 「宗方氏が出るにしても、辞めるにしても、玄葉光一郎衆院議員の意向を汲んだ人が出てくるのは間違いない。ですから、すでに立候補を決めている自民党の現職2人と共産党の丸本氏、そこに宗方氏、もしくはその後継者(玄葉衆院議員の意向を汲んだ人)を加えた4人の争いになると思って準備をしている」(ある陣営の関係者) ちなみに、宗方氏が引退するとして、「玄葉氏の意向を汲んだ人」として名前が挙がっているのが玄葉氏の秘書の吉田誠氏。 「人柄はいいと思うが、知名度としてはどうでしょうね。まあ、玄葉さんとその支持者が本気になってやるでしょうから、有力であることには間違いないでしょうけど」(岩瀬郡の住民) 「宗方氏が須賀川市のまちなか(旧市内)なのに対し、吉田氏は旧市内より人口が少ない東部地区出身だから、その辺がどうか」(須賀川市民) 大方の見方では、「自民党の現職2人と、玄葉氏(立憲民主党)側の宗方氏か吉田氏の3人が有力だろう」とのことだが、一方で「共産党の丸本氏も侮れない」と見る向きもある。 こちらも、まだ選挙までには月日があるが、宗方氏の動向はどうなのか、有権者がどんな審判を下すのかに注目したい。

  • 【会津坂下町】新庁舎構想「迷走」の裏側

     会津坂下町が揺れている。老朽化した役場庁舎の移転新築をめぐり、一度は現庁舎周辺で建て替えることが決まったが、町民アンケートの結果を踏まえ、古川庄平町長が旧坂下厚生総合病院跡地に建てる方針を示したため、町中心部の住民が猛反発している。一方、町周辺部の住民も町の説明不足を指摘しており、新庁舎構想はまとまる気配が見えない。 説明不足の古川町長に不信募らせる住民 老朽化する現庁舎(会津坂下町役場)  会津坂下町役場の周辺で異様な光景が広がっている――そんな情報が寄せられ、5月中旬、記者が現場を訪ねると、目にしたのは大量のポスターとのぼり旗だった。 「新役場建設地 現庁舎周辺でいいのです!! 旧町内有志」 白と赤を基調にそう書かれたポスターとのぼり旗は、役場を取り囲むように商店街中に出回っていた。 ポスターが貼られていたある店に飛び込み、店主に話を聞くと、 「新庁舎は5年前、ここ(現庁舎周辺)に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した。病院跡地は密約があるとウワサされる場所。正式決定を覆し、そんな場所に新庁舎を建てるなんて許せない。ポスターとのぼり旗は中心部の俺たちからの抗議だ」 役場を取り囲むように設置されたポスター のぼり旗  店主によると、ポスターとのぼり旗は大型連休前の4月25日ごろに一斉に設置されたという。 この間、本誌でも報じている会津坂下町の役場庁舎問題。古くなった現庁舎の移転新築をめぐり三つの候補地の中から現庁舎周辺で建て替えることを決めたのは今から5年前のことだ。町は2018年3月定例会に、新庁舎の建設場所を「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」とする議案を提出し、賛成多数で議決された。しかし同年9月、当時の斎藤文英町長が財政難を理由に建設延期を決定し、事業は一時凍結された。 状況に変化が見られたのは、斎藤町長が引退し、2021年6月の町長選で現町長の古川庄平氏が初当選したことだった。22年4月には役場内に庁舎整備課が新設され、新庁舎構想は再び動き出した。 ところが、議会の議決を経て正式決定したはずの建設場所に一石が投じられた。「現庁舎周辺での建て替えを決めた4年前(2018年)とは町内事情が変わっている」として22年5月、「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から議会に再考を促す請願が提出されたのだ。 議会はこの請願を賛成多数で採択し、建設場所を再度協議することを求める意見書を古川町長に提出。これを受け、町は2018年10月から休止していた新庁舎建設検討委員会を、22年7月に委員を一部入れ替えて再開させた。 現庁舎周辺での建て替えを決めた理由の一つに「中心部や周辺まちづくりへの寄与」がある。 町中心部の住民の多くは役場近くの商店街で店を経営している。役場と共に生活してきた店主たちにとって、役場が別の場所に移ることは死活問題。そうした中、新庁舎の建設場所は店主たちが望んだ現庁舎周辺に決まったのに、突如覆されようとしているのだから「なぜ今更見直さなければならないのか」と不満に思うのは理解できる。 そんな店主たちを一層怒らせたのが、町が2022年10月に行ったアンケートだった。アンケート結果は本誌2月号で詳報しているので繰り返さないが、要約すると、 ▽建設場所は、既に決まっている現庁舎周辺でいいか、再考すべきか尋ねたところ、248人が「現庁舎周辺のままでよい」、430人が「再考すべき」、15人が「その他」と答えた。(残り33人は無回答) ▽「再考すべき」「その他」と答えた計445人に3カ所の候補地を示し、望ましい移転場所を尋ねたところ、273人が「旧坂下厚生病院跡地」、39人が「旧坂下高校跡地」、95人が「南幹線沿線県有地」と答えた。(残り38人は「その他」、あるいは無回答) こうした経過を経て、古川町長は今年2月に開かれた議会全員協議会で新庁舎の建設場所を旧坂下厚生病院跡地にする方針を示したのだ。冒頭の店主が「現庁舎周辺に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した」と憤っていたのはこのことを指している。 憤る店主たち  本誌の手元に今年3月と4月に開かれた議会全員協議会で町から配られた資料がある。その中には、現庁舎周辺と病院跡地のメリット・デメリットや、2022年9月に町内7地区で開かれたまちづくり懇談会、同年10月に商工会理事を対象に開かれた懇談会で上がった意見などが紹介されているが、資料のつくりとしては「町が病院跡地へ誘導しようとしている」感が強い。 また資料には、現庁舎周辺と病院跡地のほか、アンケートで示された旧坂下高校跡地と南幹線沿線県有地の計4カ所に新庁舎を建設した場合の概算事業費も載っている(別掲の表)。それを見ると、現庁舎周辺と病院跡地では事業費はほぼ変わらないことや、旧坂下高校跡地が最も安上がりなことなども分かる。 新庁舎の概算事業費 現庁舎周辺病院跡地高校跡地南幹線沿線本体工事22.8億22.8億10.0億22.8億外構工事2000万4300万4300万4300万車庫等2.3億2.3億2.3億2.3億仮設庁舎・解体1.1億000設計・監理2.0億2.0億2.0億2.0億用地取得・土地造成6000万2.3億01.4億家屋移転補償1.0億000その他1.0億1.0億1.0億1.0億合計30.9億30.8億15.7億29.8億参考35.3億36.6億21.3億36.3億※1=「参考」は5月17日に開かれた仲町・橋本地区の住民説明会で町が示した金額。※2=旧坂下高校跡地は県補助金の利用が可能。(限度額3億円)※3=100万円以下は四捨五入した。  これらを踏まえ、資料には「建設場所は『旧坂下厚生病院跡地』とする」と明記されているが、この方針変更を町中心部の店主たちはどう受け止めているのか。以下、取材で拾った声を紹介していく。 「アンケートの地図では病院跡地全体が黒塗りになっていたが、その後、新庁舎用地として使うのは半分であることが分かった。町民に回答を求めるのに正しい情報を伝えないのはフェアじゃない」(店主A) 病院跡地の面積は2万1000平方㍍だが、古川町長は新庁舎に必要な面積を1万平方㍍としていた。住民の中には、現庁舎周辺(7000平方㍍)では面積が足りないので、広い病院跡地の方がいいと思った人も少なくない。それが、実際に使う面積は半分となれば「最初から(半分しか使わないと)分かっていたら病院跡地を支持していない」という人もいたと思われる。 町は「騙すつもりはなかった」と言うかもしれないが、正しい情報を伝えずに判断を仰ぐのは、店主Aさんが言うようにフェアじゃない。 「現庁舎周辺と病院跡地の事業費は一見変わらないが(別表参照)、病院跡地に建てても現庁舎は解体するのに、解体費は0円になっている。ほかにも負担しなければならない費用があるのに、町はきちんと説明していない」(店主Bさん) 別表を見ると、病院跡地の「仮設庁舎・解体」の項目は確かに「0」になっている。仮に病院跡地に建てるとしたら仮設庁舎は不要だが、現庁舎は結局解体するので、解体費が0円というのは正確ではない。 そもそも町は、病院跡地に新庁舎を建てたら、現庁舎跡地には8億円で新たな活性化施設を整備する方針を示している。店主Bさんは「解体費や活性化施設の整備費を隠し『事業費はほぼ同じ』と説明するのはズルい」と町に不信感を募らせる。さらに店主Bさんによれば、病院跡地に新庁舎を建てたら、周辺に職員用の駐車場を別途確保しなければならず、その分の費用負担も町は説明していないというから、ここでも住民が正しい判断をするための情報を、町は正確に伝えていない。 「5年前に事業凍結した際、斎藤町長(当時)は財政難を理由に挙げたが、今の財政状況はどうなっているのか。住民は当時より財政が良くなったから新庁舎を建てると解釈しているが、正確に把握している住民はいないし、町から説明を受けたこともない」(店主Cさん) 町のホームページに財政に関する各種資料が公開されているが、事業凍結を決めた前年(2017年度)は経常収支比率90・2%、実質公債費比率13・9%、将来負担比率105・9%と、国が示す早期健全化基準には至っていないものの、県内の町村や全国の類似団体より下位にあった。地方債残高も96億9500万円に上り、財政調整基金も2000万円と乏しかった。 これが2021年度にどう変わったかというと、経常収支比率83・2%(19年度比7・0㌽減)、実質公債費比率11・0%(同2・9㌽減)、将来負担比率49・1%(同56・8㌽減)、地方債残高77億8800万円(同19億0700万円減)、財政調整基金6億3400万円(同6億1400万円増)まで回復。ただし県内の町村や全国の類似団体と比較すると、改善の余地はまだある。 町は「公開している資料を見てほしい」と言うかもしれないが、一方的な公開では住民に伝えた(伝わった)ことにならない。当時の財政難からここまで改善したという説明がなければ、住民は凍結されていた事業が再開した理由を正しく理解できないのではないか。 「新庁舎建設検討委員会は、現庁舎周辺に決めた際は計10回開かれ、委員は毎回2~3時間にわたり議論を戦わせた。しかし病院跡地に関しては、同委員会はたった2回しか開かれていない。そもそも同委員会内では、病院跡地がいいか・悪いかという議論さえしておらず、アンケートの結果のみが決定の根拠になっている」(店主Dさん) 実は、店主Dさんには同委員として欠かさず議論に参加し、現庁舎周辺が最適と決めた自負があった。それだけに、突然「再考すべきだ」と提案され、古川町長が受け入れたことに「あっさり覆すのは我慢ならない」という思いがあるのだ。 マルト建設に疑いの目 マルト建設本社  ここまで話を聞いて、店主たちの気持ちは理解できた。ただ気になったのは、そもそも病院跡地は町内のマルト建設がJA福島厚生連から購入する約束になっていたため(詳細は本誌3月号)、「町と同社の間で何らかの密約があったのではないか」と疑う店主が多かったことだ。 同社は旧坂下厚生病院の解体工事を受注し、工事は6月終了予定となっているが、更地になった後の利活用に困っていた厚生連が同社に売却を打診し、同社が応じたため、双方の間で買付証明書と売渡承諾書が交わされた経緯がある。正式契約ではなく、あくまで「売買を約束したもの」だが、そのタイミングで病院跡地が新庁舎候補地に挙がったため、同社は「もし町が厚生連から取得するなら、約束は破棄してもいい」としていた。 同社は解体工事を受注した手前、厚生連からの打診を断わることができず、取得後は宅地造成をするしかないと考えていた。つまり、町の登場は渡りに船だったわけだが、同社にとって間が悪かったのは、当時の社長と役員が県職員への贈賄容疑で逮捕され、住民に悪いイメージを持たれたことだった。それが「同社が買うはずの土地に町が新庁舎をつくろうとするのは、何らかの密約があるに違いない」という見方につながっているのだ。 本誌の取材では密約を裏付ける証拠は得られなかったが、同社は創業50周年を迎えた2021年から町や学校などに多額の寄付をしており、それが曲解されて「下心の表れ」と見られてしまっている。 店主たちからは、病院跡地に変わるきっかけをつくった前出・加藤氏と、古川町長への意見書提出を先導した渡部正司議員(2期)への不満も聞かれた。しかし、両氏にもそれなりの言い分がある。とりわけ両氏は、店主たちとは逆に役場から遠い場所で暮らしているため「町周辺部の住民の代弁者」と捉えて差し支えないだろう。 まずは加藤氏の意見から。 「5年前に現庁舎周辺に建てることが決まった際も、当時のアンケートでは別の場所がいいという意見が多かった。しかし、結果的に現庁舎周辺に決まり、当時の新庁舎建設検討委員会のメンバーを見ると町中心部の人たちが多かったので、本当に全町民の考えを反映したのかという思いはあった。町周辺部の住民に、なぜ現庁舎周辺に決まったのかという説明も足りなかった」 その後、事業は凍結されたが、4年後に再始動したタイミングで友人や後輩から「建設場所の再考を促すべきではないか」という声が寄せられたため、加藤氏が代表して請願を提出したという。 「事業の凍結期間中には郊外にメガステージ(商業施設)や坂下厚生病院がつくられ、新しい道路が整備されるなど人の流れが変わった。町の将来を考えると、学校が統廃合され、今後も少子化は進むので空き校舎が増えていく。短期間のうちにいろいろな変化が起こり、今後も変化が避けられない中、それでも新庁舎はそのまま現在地に建てるというのは、将来のまちづくりを考えると違和感を持ちました」 「私個人は、新庁舎をどこにつくるべきという意見はない。ただ、せっかくつくるなら、中心部の住民だけでなく周辺部の住民の声も聞いてより良い場所を選ぶべきです。その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、それで構わない。問題は、周辺部の住民を巻き込んだ議論が不足していることと、町は財政難で事業を凍結しておきながら、事業再開時には財政状況がどれくらい回復したのか全く説明がないことです」 加藤氏が深い考えに基づいて行動を起こしたことが分かる。 説明不足が招く数々の弊害 町が示した旧坂下厚生病院跡地の新庁舎配置図  渡部議員の意見はこうだ。 渡部正司議員(会津坂下町HPより)  「5年前に現庁舎周辺に建てると決めた際は、国の財政支援を受けるために期限内(2020年度)に着工しなければならない大前提があった。しかし、事業が凍結され、期限内着工が間に合わず、国の財政支援は受けられなくなった。その大前提が崩れたのだから、現庁舎周辺にこだわらず、じっくり議論してはどうかと思ったのです。当時は候補地になり得なかった病院跡地や旧坂下高校跡地も事業の凍結期間中に浮上したわけだから、それらの可能性を検討するのもありだと思った」 「災害発生時、役場に防災拠点を置くことを考えると、現庁舎周辺は道路が狭く緊急車両が通りにくい、病院跡地は道路が広く緊急車両が通り易い、という意見もある。ハザードマップを見ると、浸水深が現庁舎周辺で最大3㍍、病院跡地で同50㌢という差もある。そういった材料も踏まえて議論し、その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、住民が出した結論なので異論はない」 加藤氏と渡部議員は「現庁舎周辺ではダメ」「病院跡地がベスト」と主張しているわけではなく、さらに議論を深める必要性と町の説明不足を指摘しているわけ。そういう意味では、一見対立しているようにも映る前出・店主たちと考え方は一致していることになる。 住民の多くが問題視する町の説明不足はこんなところに表れている。 町周辺部の住民は利便性や駐車場の広さから病院跡地への変更を歓迎する人が多いが、実はその人たちからも「全敷地を使うと思ったのに半分しか使わないなら魅力的に感じない」と困惑の声が上がっている。前出・店主Aさんも指摘していたが、町周辺部の住民も町の不正確な説明に不満を感じているのだ。 古川町長が今年2月の議会全員協議会で建設場所を病院跡地にする方針を示したことは前述したが、これを受け住民の多くは「現庁舎周辺は白紙になった」と勘違いしている。正しくは、現庁舎周辺は議会の議決を経て決定したので、それを病院跡地に変えるには地方自治法や会津坂下町議会基本条例に基づき、町が議決内容の一部(建設場所)を変更する議案を議会に提出し、もう一度議決を得なければならない。 住民は「町長が病院跡地と言っているんだから、決定なんでしょ」と思っているかもしれないが、全くの誤解だ。そればかりか、町が病院跡地に変更する議案を提出し、議会に否決されたら、病院跡地への移転新築は幻に終わる可能性すらある。 こうした状況を正しく理解している住民は少ない。理由は2月に病院跡地とする方針を打ち出して以降、町が住民に説明する場を一切設けてこなかったからだ。 町は当初、3~4月にかけて▽住民への説明会を開く、▽議会内に新庁舎建設検討特別委員会を設置し、必要な議論を進める、▽前出・新庁舎建設検討委員会を再開する、という三段構えで病院跡地に変更することへの理解を深め、大型連休明けに臨時会を開き、必要な議案を議会に提出するスケジュールを練っていた。しかし、議員から「拙速だ」「住民への説明が足りない」と反対意見が上がり、議案提出を6月定例会に先延ばしした。 このスケジュールに対しても、先にゴール(議案提出)ありきで、それに合わせて住民への説明を済ませようとしたから、前出・店主たちは「単に説明したというアリバイをつくりたいだけ」と憤っている。店主たちによると、冒頭で触れたポスターとのぼり旗は強引な進め方をする町に釘を刺す狙いがあったという。 「リコールもあり得る」 住民説明会で説明する古川町長(5月17日)  町は5月中旬から下旬にかけて、町内各地区で住民説明会を開いた。初回は同17日、現庁舎がある仲町・橋本地区の住民を対象に開かれ、会場には40人ほどが駆け付けた。町からは古川町長、板橋正良副町長、庁舎整備課の職員が出席したが、出席者からは病院跡地への変更に強く反対する意見のほか「住民への説明が足りない」「関連議案を6月定例会に提出するなんて拙速だ」など厳しい指摘が相次いだ。「住民投票で白黒をつけるべき」「町長選の争点だ」「町長リコールだってあり得る」と辛辣な意見も聞かれるなど大紛糾した。 説明会終了後、疲れた様子の古川町長にコメントを求めると、 「いろいろなご意見をいただきましたが、私の思いは、新庁舎はまちづくりの観点を大事にしながら、防災拠点に相応しい場所に建設すべきというものです。時間をかけて説明してほしいと言われたが、現庁舎は非常に古く、移転新築に時間をかけすぎるといつまた大きな災害が襲って来るかも分からない。ともかく、移転新築が必要なのは明白なので、住民や議会と議論を深めながら結論を導き出していきたい」 古川町長の口ぶりからは、住民説明会を何度も開く、時間をかけて説明し理解を得ていく、といった考えは正直感じられなかった。本気で病院跡地に変更したければ、反対する住民に納得してもらえるよう繰り返し説明し、現庁舎周辺の新たな利活用(地域活性化施設)も検討する一方、賛成する住民にも全敷地を使うと誤解させたことを謝罪し、なぜ事実と異なる内容を伝えたのかを説明する必要があるのではないか。 それでも納得が得られなければ、住民説明会でも上がったように住民投票で白黒をつけるか、リコールか自ら辞職して出直し町長選に臨み、新庁舎問題を争点に戦うしかないのではないか。今の会津坂下町はそれくらい、一筋縄ではいかない迷走に陥っている。 あわせて読みたい 会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】(2022年10月号) 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)