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  • いわき市で再起を図る2人の政治家【鳥居作弥】【清水敏男】

    いわき市で再起を図る2人の政治家【鳥居作弥】【清水敏男】

     元県議の鳥居作弥氏(49)が昨年末で立憲民主党を離党し、日本維新の会からの立候補を模索している。本人に会ってその狙いを聞いた。 失意の衆院選出馬断念から1年半 立憲から維新に移った鳥居作弥氏 鳥居作弥氏  鳥居作弥氏は1974年3月生まれ。磐城高校、獨協大学経済学部卒。吉田泉衆院議員の秘書を務め、2011年、県議選いわき市選挙区に民主党から立候補して落選。15年の県議選で約7500票を獲得し、初当選を果たしたが、19年の県議選で国民民主党から立候補して再び落選した。 その後、立憲民主党入りし、21年には県連副代表に就任。同年10月の衆院選に立候補するための準備を着々と進めていた。ところが、野党共闘で候補者を一本化することになり、共産党の新人候補に譲る形で直前に小選挙区での立候補を断念し、比例代表で立候補したが落選した。 その後、政治的に目立った動きはなかった鳥居氏。今年に入ってからは「立憲民主党を離党し、周囲に『日本維新の会(以下、維新と表記)から県議選に出たい』と相談している」(いわき市で活動するジャーナリスト)とウワサされていた。 維新と言えば、大阪府を中心に支持を集める政党で、4月の統一地方選では神奈川、福岡両県議選でも初めて議席を獲得。その躍進ぶりに注目が集まった。 そうした中で5月11日に報じられたのが、維新が福島県総支部を設立したというニュースだ。 県内には党所属の地方議員がいないため、次期衆院選や県議選での党勢拡大を目指して設立されたもので、今後は積極的に候補者を擁立する方針だ。設立は2月23日付で、3月8日に県選管に届け出た。維新が東北地方で県総支部を立ち上げたのは、宮城、秋田に続き3県目。  衆院議員の井上英孝氏(4期、大阪1区)が総支部長、元参院議員の山口和之氏(同党参院全国比例区支部長、郡山市在住)が幹事長に就いた。同党はいわき市を「重点地区」に位置付けており、同市平地区(みさきホテル&ラウンジ内)に事務所を設置した。 同日の記者会見で井上氏は、当面県議選への準備に重点的に取り組む方針を示し、「福島県に縁がある人を優先したい」とも話した。 こうした動きを見ていると、鳥居氏の「維新入り」は既定路線のように見えるが、実際はどうなのか。鳥居氏に取材を申し込んだところ、面会場所に指定されたのは同党県総支部事務所があるホテルだった。 「この間、私から情報発信することは控えていたのですが、選挙の動向を取り上げるユーチューブなどでも私の名前が出てきたので驚きました」。鳥居氏は笑いながら、これまでの経緯を振り返った。 「衆院選立候補直前に〝公認取り消し〟となり自暴自棄になったし、支援していただいた方と一緒に思い悩んだ1年でした。直後は立憲民主党に対する怒りが強かったが、しばらくすると『あの時、なぜ無所属で立候補するという決断ができなかったのか』という後悔に変わりました。自分を支えてくれた皆さんへの裏切り行為でもあり、その後悔は現在も続いています」(鳥居氏) 接点は山口元参院議員 山口和之氏(HPより)  21年の衆院選では立候補に向け、家族の理解を得て、私費も投じて準備を進めてきた。ところが、告示10日前というタイミングで立候補を断念せざるを得なくなった。  具体的にどういう経緯・理由で立候補断念・公認取り消しに至ったかについて、鳥居氏は語ろうとしなかったが、ある支持者は「要するに直前ではしごを外された。いまも立憲民主党県連から明確な理由は説明されていない」と憤りながら話す。 昨年夏の参院選後、立憲民主党を離党。しばらくはニュートラルな立場でいようと考えていたが、今年になって、ある人物から連絡が入った。それが前出・山口氏だった。 維新との接点はなかったが、何度か会って議論するうちに教育、福祉を重点施策に掲げる自分と、医療、福祉の充実に注力する山口氏とは共通点が多いと感じた。そこから維新に関心を抱くようになり、今回の県総支部設立に全面協力した。 同党県総支部の事務所がいわき市に設置されたのは、「福島県の再生を左右するのは浜通りの再生。拠点を設けるなら福島市の県庁近くではなく、復興の最前線である浜通りに作るべきだ」という鳥居氏の助言を受けたものだという。 維新の政策について尋ねると「教育完全無償化などの政策を打ち出し、大阪府で実績を残しているのが大きい。個々の政策について賛否はあるかもしれませんが、地方行政では不可能だと思い込んでいたことを実現していく姿に、『強い思いと行動力があればできるんだ』と衝撃を受けました」と熱っぽく語った。 実質的に同党入りを果たしているような状況だが、同党から選挙に立候補する予定はあるのか。記者がこう問いかけると、鳥居氏は「この間、同党県総支部の組織作りを最優先に活動してきました。〝受け皿〟がしっかりしていないと立候補者は不安になるものです」としたうえで、次のように述べた。 「ようやく組織がまとまりつつあるので、後援会の皆さんなどさまざまな方に相談したうえで、近いうちに私自身の方針に関しても決断させていただきたいと思います。現実的に考えて、立候補を表明するとしたら県議選だと思います」 5月27日にはいわき市で県総支部設立記念講演会が開かれ、維新の馬場伸幸代表が講演する。原稿執筆段階(同25日)ではどうなるか分からないが、調整がうまく進めば、この場で鳥居氏の「決断」が発表される見通しだ。 ※鳥居作弥氏は5月27日、11月12日投開票の県議選に、日本維新の会公認で立候補することを表明した。  なお鳥居氏に関しては、衆院選への立候補が有力とみる向きもある。広島で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)が終了し、衆院の早期解散論もささやかれているだけに、本誌が店頭に並ぶころには、鳥居氏が話していたのと全く違う情勢になっているかもしれない。 県総支部設立時の記者会見で、県内の党員数は110人と明かされた。鳥居氏によると、民主党時代からの支持者も一連の行動に理解を示し、そのほとんどが維新に流れているという。本県における支持基盤がほとんどない同党にとって、鳥居氏の存在は頼もしいはずで、そういう面も含めて山口氏も鳥居氏にコンタクトを取ったのだろう。 現在、県議選いわき市選挙区(定数10)では現職10人、新人3人が立候補を表明しており、鳥居氏が〝参戦〟すればさらに激戦になる。いわき政界において、今後もその動向が注目される存在となりそうだ。  いわき市長を2期8年務め、3選を目指す選挙で落選した清水敏男氏(60)。現在〝充電中〟だが、リベンジへの意欲は潰えていないようだ。 落選後も後援会解散せず市政監視 清水敏男氏が見据える「最終目標」 清水敏男氏(2021年4月撮影)  清水敏男氏は1963年8月生まれ。磐城高校、日本大学法学部卒。鴻池祥肇衆院議員の秘書を経て、いわき市議2期、福島県議4期。党派は自民党。 そこから2013年9月のいわき市長選に立候補して初当選。21年9月、3選をかけて立候補したが、4候補者中3位の得票数で落選した。 本誌21年2月号の記事では選挙前の時点での状況を次のようにリポートしていた。 《2期目の公約として掲げた平城復元やスタジアム建設については「平地区ばかり意識した〝打ち上げ花火〟的な政策はいらない」と冷ややかな意見が多く、「台風やコロナへの対応が遅い」、「2期目は目立った事業がなかった」という批判の声も聞こえてくる。ただし、「2期8年で目立った失敗はなかった。他候補は経済・教育など得意分野があるが決め手に欠ける。政治に詳しくない多くの市民は、名前を知る現職に投票するのではないか」(前出・同市の事情通)という見立てもある》 実際には当選した内田広之氏と1万9000票差が付いたので、想像以上に現職批判の声が大きかったということだろう。 20代から30年以上にわたり政治の道を歩み続けてきた清水氏。市内の経済人によると、「知人が経営する東京の会社に籍を置いている」とのことだが、その一方で「年賀状に捲土重来を期す言葉が記されていた。再起の道を虎視眈々と狙っているのではないか」(清水氏の支持者)ともささやかれている。 3月に行われた自民党県連定期大会では県議会OBとして出席し、その場で立ち上がってアピールした。 清水敏男後援会名義のフェイスブックには、地元のお祭りに参加したり、学生時代の先輩の選挙事務所を激励した様子などがアップされており、積極的に出歩いている様子がうかがえる。 実際のところ、清水氏本人はどのように考えているのか。同市常磐関船町の自宅を訪ねたところ、清水氏本人が対応し、そのまま話を聞くことができた。 「東京の知り合いの会社で社外取締役を務めており、月に1度の取締役会には必ず出席しています。いまも東京から戻って来たばかり。市長選落選後、妻は以前やっていた幼稚園教諭の仕事を再開し、昼間は不在にしているので、一人で昼食を取っていたところです」(清水氏) 2年後の市長選を意識?  〝進路〟について注目が集まっていることを伝えると、「私は何も話していないのに『秋の県議選に出るのではないか』とウワサされているのが聞こえてくる」と苦笑したうえで、次のように話した。 「県議は4期務めたので立候補しようとは考えません。来年秋にはいわき市議選が控えていますが、自分の選挙でお世話になった市議を支えることはあっても、自分が出ることは間違ってもない。衆院選に関しては、新4区に吉野正芳先生(74、8期)がおり、交流させていただいているので、そこから立候補しようという考えはありません」 一方で、2年後に市長選があることを振ると、「一市民として内田市政をウオッチングしており、そつなくこなしていると思うが、疑問に感じる部分もある。いずれにしてもまだ先の話だし、私に関しては〝充電中〟ということですよ」と述べた。少なからず意識はしているようだ。 取材の中で、後援会は休眠状態のまま残してあり、現在も岩城光英元参院議員、市議らと交流があることを明かした清水氏。一方で、前回市長選では清水氏の有力支持者が別の候補者の応援に回った経緯があり、仮に市長選立候補を考えるなら体制の建て直しが急務となる。〝充電期間中〟に再起のきっかけを見いだすことができるか。

  • 狡猾な企業に狙われた国見町

    狡猾な企業に狙われた国見町

     国見町が高規格救急車12台を所有し、リースする事業が中止となった問題が尾を引いている。事業を受託していた企業の社長(当時)が行政機能を乗っ取り、マネーロンダリング(資金洗浄)に利用しようとしていた発言が河北新報のスクープで明らかになり、「企業に食い物にされそうになった町」として全国に知られた。町民に共通するのは「恥をかかされた」という意識だ。怒りの矛先は企業だけでなく町執行部にも向き、町議が批判文書を配布する事態となった。 町民が執行部に求める「恥の責任」 国見町役場  一連の問題は、宮城県を拠点とする河北新報の昨年からのキャンペーン記事で明らかとなった。以前条例で引き下げられた町長、副町長、教育長らの報酬が元に戻され、町民の反発を受けてまた減額された問題、幹部職員の自宅前の道路が町発注の工事として整備され、幹部職員本人が工事の決裁をしていた問題だ。 これだけなら町内の不祥事で済んだが、宮城県多賀城市の備蓄食品製造会社「ワンテーブル」が登場することで、国見町の名前は悪い意味で全国に知られることになった。 救急車リース事業の問題(※)は、全体像をすぐ理解するには複雑なこと、河北新報が福島県内では購読者数が少なく、町民たちも読む機会がないので、この時点では町の一大事とまではなっていなかった。 ※企業版ふるさと納税を使って匿名企業3社から寄付を集め、高規格救急車を開発し貸し出す事業。河北新報によると、匿名企業はワンテーブルと関連がある企業だった。企業版ふるさと納税は寄付金の9割が控除されるため、同紙は提携するグループが「課税逃れ」のために国見町を利用した可能性を報じた。  事態が動いたのは今年3月に入ってからだ。同紙が、ワンテーブルの社長(当時)が救急車リース事業を「超絶いいマネーロンダリング(資金洗浄)」、国見町など複数の自治体を挙げ「行政機能をぶん取る」と発言したという記事を書いた。生々しい発言を記録した音声が公開され、ネットで拡散。「騙された」と町民の感情に訴えるものとなった。  町はワンテーブルと「信頼関係が失われた」として、委託契約を解消したことを広報紙で伝えたほか、4月に計14回、各地域の住民を集めて経緯を説明した。筆者は同月22日に小坂地区の住民に対して開かれた説明会を傍聴した。 質疑応答である住民は 「宮城の親戚から『国見町はなんだか大変なことになっているね』と外から問題を知らされている状況。ネットではおもちゃにされて恥をかいている」 と、引地真町長ら説明に赴いた執行部に訴えていた。 別地区の住民が今の率直な心情を打ち明ける。 「町長たちの報酬の上げ下げ、幹部職員が自らに利益を誘導した公共工事、ワンテーブルに踊らされた救急車リース事業……あまりに問題が多すぎて、私も全体像を完全には理解していない。ただ、とにかく『恥をかかされた』ということだけは分かる」 不信は事業を呼び込んだ町執行部に向く。 「町民は『行政機能をぶん取る』とまで陰で言われ、カモにされた執行部に怒っています。ワンテーブル社員が町総務課に頻繁に出入りしていたという話をある筋から聞きました。具体的なことは書かないでほしい。庁内では、誰が河北新報にタレ込んだか『犯人探し』が始まっているようなので、これ以上現場の職員に迷惑をかけたくない」(同) 批判は執行部をチェックできなかった議会にも向いた。 「5月(23日告示)の町議選が無投票というのが町の民主主義の衰退を表しています。こういう事実が、ワンテーブルみたいな悪質な会社に付け込まれたのではないか」(同) 議会は救急車リース事業の予算案を全会一致で原案通り可決した責任があるため執行部に対しワンテーブルの問題を厳しく追及していない。 例外は松浦常雄議員(81)=西大枝、5期。改選前の時点で副議長を務める。3月から3回にわたり執行部を批判する「議会活動報告」を新聞折り込みで出したが、4回目の文書では急遽「お詫び」の題で「行き過ぎた表現があった」として、執行部、議会、町民に謝罪した。 松浦常雄議員  前出の住民によると、圧力をかけられ謝罪に追い込まれたという。筆者は松浦議員の自宅電話を鳴らした。電話口に出た本人は「長くなりますがよろしいですか?」と計3回の執行部批判文書に「自分の思いのたけを込めた」と語った。 「予算案に賛成した責任は感じているが、町政をただす原点に立ち返り一議員の職責を全うしたいと批判文書を出しました。B4版で3000部刷り、町内に配られる新聞に折り込んでもらいました。手間も費用も全て自前で、1回出すのに約1万5000円かかっています」(同) なぜ最後は「お詫び」をして出すのをやめたのかと聞くと、議員たちに迫られたからだという。3回目の批判文書を出し、各戸に届いたのが4月13日。翌14日の「議員意見交換会」に呼び出され出向くと、東海林一樹議長(5月の町議選に立候補せず引退)から「これは怪文書に当たる」と言われたという。全議員の前で批判文書を出したことを執行部、議会、町民に謝罪するよう迫られた。弁明の機会を与えられたが、擁護する議員は1人もいなかった。  議会で孤立するのを恐れ、その日のうちに議員、引地町長に謝罪した。町長室に東海林議長と出向き、お互いに起立して口頭で謝罪。引地町長は謝罪に対して何も言わなかったという。町民には計3回の批判文書と同じく、謝罪文を新聞折り込みで届けることになった。 「東海林議長からはどの部分が怪文書に当たるかという説明はありませんでした」(松浦議員) 筆者は東海林氏の自宅電話を鳴らしたが出なかったので、見解を聞けていない。 松浦議員は1時間にわたる電話取材に応じているように、批判文書を出したこと自体は間違っていないと確信しているようだ。謝罪文の表現も「怪文書」との指摘と同じようにあいまいなものになった。 「一部行き過ぎた表現があり、町執行部、各議員の皆様、そして町民の皆様に多大なるご心配とご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」と書いただけで、どこが行き過ぎた表現なのかは言及がなかった。 町民から「批判文書で目が覚めた」  結果として議会では孤立したが、町民から「あなたのおかげで目が覚めました」と激励の言葉をもらったという。筆者も全ての批判文書を読んだが、河北新報やNHKの報道を基に、町三役の報酬引き上げの迷走ぶりや、ワンテーブルが町の行政機能に食い込もうとしていた問題をまとめ、松浦議員本人の見解も記されていた。内容は周回遅れの感が否めないが、ネットにアクセスできない高齢者には重宝しているのだろう。 時間を置いて再び松浦議員に電話すると、「取材を受けたことで議会での立場に影響はないか」と不安げに言われた。筆者は「優先すべきは議会内の声より町民から直接受けた声ではないか」と言った。 前述の通り、定数12で行われた町議選は無投票だった。松浦議員のように「怪文書」と指摘される文書を出して議会で疎まれても再選できるので、落選を恐れる段階ではない。町民の多くは執行部トップの引地町長に「恥の責任」をとるよう求めている。新たな顔ぶれの議会が、町民と町長のはざまでどのような立場を取るか注目だ。

  • 「しゃぶしゃぶ温野菜 ガス爆発事故」刑事・民事で追及続く【郡山】

     2020年7月に、郡山市島2丁目の飲食店「しゃぶしゃぶ温野菜郡山新さくら通り店」で爆発事故が発生した。当時の報道によると、爆発前、厨房のガス管に、腐食によってできたとみられる亀裂や穴があり、そこから漏れたプロパンガスに何らかの原因で引火した可能性が高いという。 爆発事故の原因 事故現場。現在はドラッグストアになっている。  その後、警察の調べで、事故の原因とされるガス管は2006年の店舗建設時に国の基準に沿わない形で設置されていたこと、腐食を防ぐ措置がとられていなかったこと、法定点検を行った保安機関はそれらを認識しながら詳しく確認せずに問題ないと判断していたことなどが分かった。管理を適切に行わなかったために事故が起きたとして、2021年9月、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)を業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。 以降、しばらくは捜査機関の動きは報じられていなかったが、今年3月、福島地検が全員を不起訴としたことが伝えられた。運営会社社長ら4人は嫌疑不十分、内装業者は死亡していることが理由。 これを受け、事故で重傷を負った市内の女性が4月12日、不起訴処分を不服として福島検察審査会に審査を申し立てた。 地元紙報道によると、代理人弁護士が県庁で記者会見し、「大事故にもかかわらず、誰も責任を負わない結果は被害者には納得できない。責任の所在を明確にし、なぜ事故が起きたのかはっきりさせないといけない」と話したという。(福島民報4月13日付) 事故後の裁判と賠償問題 郡山市役所  こうした刑事の動きとは別に、民事(すなわち賠償)の動きはあまり進展していない。 本誌昨年6月号に「郡山爆発事故で市が関係6社を提訴 被害住民に『賠償の先例』をつくる狙いも」という記事を掲載した。 同記事は、事故を受けて市が2021年12月に、店舗運営会社やフランチャイズ本部などの6社を相手取り、現場周辺の市道清掃や災害見舞金支給に要した費用など約600万円の支払いを求める損害賠償請求訴訟を福島地裁郡山支部に起こしたことを伝えたもの。 市は裁判に至る前、情報収集を行い、6社と協議をしてきたが、賠償金の支払いに関しては話がまとまらなかった。そのため、裁判を起こしたのである。 昨年4月22日から今年5月23日までに計6回の口頭弁論が開かれているが、市総務法務課によると「現在(この間の裁判)は争点整理をしています」とのこと。 一方、以前の本誌取材で裁判を起こした理由を尋ねたところ、市総務法務課の担当者はこう話していた。 「市長が『被害に遭われた住民は多数おり、市が率先して責任の所在を明らかにしていく』ということを言っていたように、市が先頭に立って裁判を行い、責任の所在を明らかにすることで、被害に遭われた方に参考にしてもらえれば、といった思いもあります」  これは「追随してほしい」という意味ではなく、判例をつくることで被害にあった人にそれを参考にしてもらえれば、ということのようだ。その点でも、市が損害賠償を求めた裁判は大きな意味を持つが、判例ができるまでにはまだ時間がかかるだろう。 あわせて読みたい 郡山【しゃぶしゃぶ温野菜 爆発事故】市が関係6社を提訴 2022年6月号 福島県郡山市の飲食店で爆発事故、親会社コロワイドの株価が下落 (Bloomberg) 政経東北【2023年7月号】で『郡山【しゃぶしゃぶ温野菜 爆発事故】被害女性が明かす苦悩』を掲載  2020年7月に郡山市で起きた飲食店爆発事故から、間もなく3年を迎える。当時、現場近くの事業所におり、重傷を負った女性が本誌取材に応じ、この間の苦悩や、誰も責任を問われない現状へのやるせなさなどを明かした。(末永)

  • 一般質問2人だけの大熊町議会

    一般質問2人だけの大熊町議会

    (2022年8月号)  大熊町議会(定数12)6月定例会において、一般質問に登壇したのはわずか2人だった。福島第一原発の立地自治体である同町は、廃炉作業や中間貯蔵施設の行方、汚染水海洋放出、帰還者・移住者増加など課題が山積しているが、いま一つ議論が盛り上がっていない。 課題山積なのに議論低調のワケ https://www.youtube.com/watch?v=44XJKcGg8j4 大熊町議会 令和4年第2回定例会 第2日目(2022年6月9日)  6月9日、大熊町議会6月定例会の一般質問を傍聴に行った同町民から、次のような電話が寄せられた。 「福島第一原発や中間貯蔵施設、汚染水問題に関する議論を期待して、わざわざ同町大川原地区の役場まで足を運んだのですが、当日質問したのはわずか2人で、当たり障りのない質問だった。開始から1時間も経たずに散会になり、各議員は足早に帰っていったので呆れました」 同町議会ホームページに公開されている動画によると、6月定例会の一般質問に登壇したのは西山英壽町議(1期)、木幡ますみ町議(2期)。質問時間は2人合わせて24分だった。同町議会事務局によると、持ち時間は特に設定していないという。 質問内容は西山町議が「人間ドックなどの受診費用一部助成の提案」、「読書活動推進について」、木幡町議が「町ホームページの活用について」。同議会では「一括質問一括答弁方式」を採用しており、再質問は3回まで認められている。だが、西山町議は1回再質問しただけで質問を終え、木幡町議は再質問せずに終了した。他市町村の議会では、約1時間の持ち時間をフルに使って質問する議員がほとんどだ。 「議論の低調さに呆れた」と話す町民の声を議会はどう受け止めるのか。吉岡健太郎議長(5期)は次のように話した。 「6月定例会は年度が始まって間もないこともあって、例年質問者が少ないが、他の定例会では5、6人質問しています。全員協議会や国・県関連事業の担当職員によるレクなど、議論や質疑応答をする場が増えすぎて、一般質問であらためて質問することがないという事情もあると思います。時間が短いのは、一括質問一括答弁方式を採用していることも大きいです」 ちなみに、ここ1年の定例会一般質問の質問者数・時間は以下の通り。 21年6月=2人、34分 21年9月=6人、55分 21年12月=5人、52分 22年3月=5人、1時間9分 6月定例会以外は確かに5、6人が質問しているが、一人当たりの時間は10分程度。通告済みの質問と、町職員が考えた町長答弁を互いに読み上げ、再質問したところで終わる。「議論を尽くしている」と主張する吉岡議長だが、これでは〝活発な議論〟が行われているとは言えまい。 たとえ全員協議会や国・県関連事業のレクではしっかり議論していたとしても、それらは動画などで公開されているわけではなく、町民は目にする機会がない。一般質問の場で議論を尽くすことに意味があろう。 こうした意見に対し、吉岡議長は「全員協議会を公開する意味があるのか、という問題もある。本町議会の議会だよりには、全員協議会の様子を紹介するページも設けている」と主張し、どうにもかみ合わない。「議会を多くの人に見てもらう」という意識が抜け落ちている印象だ。 同町の町議は別表の通り。同町議会をウオッチしている事情通によると、「期数が若い町議が果敢に質問しようとすると、『その質問はここでする必要があるのか』と議長やベテラン議員に細かく指摘されるらしく、すっかり萎縮している。そのため『義務教育学校整備の是非』など分かりやすい論点があるとき以外は一般質問に登壇する議員が少ない」という(吉岡議長は「期数の若い議員にアドバイスすることはあるが、質問自体を否定するようなことは言っていない」と述べている)。 ある町議は「一括質問一括答弁方式だと、再質問の回数が制限され、町政課題について掘り下げられない。担当課長に自由に質問できる全員協議会やレクの方が、議論しやすいのは事実」と本音を明かした。 別の町議は「お祭りや会合などで地元の支持者に会って、いろんな声を聞き、それを一般質問で執行部に質すのがわれわれの仕事だった。原発事故を機に住民が全国に避難してしまったため、それができなくなったのが大きい」と話した。 ちなみに、双葉郡内の他の町村議会の6月定例会一般質問での質問者数は以下の通り。 広野町=8人(定数10) 楢葉町=4人(定数12) 富岡町=3人(定数10) 川内村=4人(定数10) 双葉町=4人(定数8) 浪江町=4人(定数16) 葛尾村=1人(定数8) 広野町、双葉町以外、過半数を割っていることが分かる。 質問者1人だった葛尾村の議会事務局担当者は次のように語った。 「震災・原発事故直後は村予算が数倍に膨れ上がり、新規事業も多かったので、質問者、質問項目ともに多かったですが、復興が進むにつれてどちらも減りつつあります。大熊町同様、全員協議会や担当職員レクで議論を尽くしていることも少なからず影響していると思います」 双葉郡全体で一般質問の〝形骸化〟が進んでいる格好だ。 「住民不在」のひずみ 大熊町大野駅 避難解除直後  そもそも、公選法では選挙区内に3カ月以上住んでいなければ地方議員の被選挙権がないといった「住所要件」が定められているのに、原発被災自治体の議員に限っては特例的に認められてきた(本誌2019年7月号参照)。そして、多くの住民が帰還していない中、文字通り「住民不在」の議会として運営することが許されてきた。そのひずみがいま現れているということだろう。 100年かかるとも言われる福島第一原発の廃炉作業、放射線量1マイクロシーベルト毎時の場所がざらにある環境、除染廃棄物の県外搬出の見通しが未だ立っていない中間貯蔵施設、溜まり続ける汚染水の海洋放出問題、原発被災自治体同士の合併、町内居住推計人口929人(町に住民登録がない人も含む)なのに大規模に進められる復興まちづくり……町は多くの課題に直面している。 6月30日には、JR大野駅周辺を含む特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除された。今後は復興拠点以外の帰還困難区域の扱いが大きな議論になるだろう。そうした中、町民に見える場で、本質的な議論をできない議会は役割を果たしていると言い難い。 7月20日の同町議会臨時会では、義務教育学校「学び舎 ゆめの森」(整備費用27億2300万円)の完成が遅れているのに伴い、町執行部が仮設校舎整備費用の教育費1億2000万円を盛り込んだ一般会計補正予算案を提出した。だが、「費用が高すぎる」などの理由で賛成少数で否決され、補正予算案を一部変更する修正動議が可決された。同校は会津若松市で今年4月に開校し、来年度町内の新校舎に移る予定だが、同施設への入園・入学を希望しているのは約20人だという。 執行部に対し、議会が住民代表としての意思を示した格好。こうした対応ができるのなら、一般質問の在り方も見直し、改善を図るべきだ。 あわせて読みたい 子どもより教職員が多い大熊町の新教育施設【学び舎ゆめの森】 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル 営農賠償対象外の中間貯蔵農地所有者 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重

  • 上野文彦氏が会津若松市長選出馬を見送ったワケ

    上野文彦氏が会津若松市長選出馬を見送ったワケ

     4月号に「市長選に現れた『第4の候補者』」という記事を載せた。 7月23日告示、同30日投開票で行われる会津若松市長選は、現職で4選を目指す室井照平氏(67)、新人で市議の目黒章三郎氏(70)、新人で元県議の水野さち子氏(60)が既に立候補を表明しているが、そこに上野文彦氏(49)も名乗りを上げようと準備していることを伝えた。 地元紙が「前向きに検討中」と報じ、本誌も本人から「出馬表明はもう少し先」と聞かされていた。 それから1カ月余り。上野氏は関係者と協議を重ねた結果、立候補を見送ることを決めた。この間、何があったのか。 上野氏は会津大学の1期生で、同大在学中にソフトウェア開発のベンチャー企業㈱シンク(会津若松市)を創業し社長、会長を務めた。昨年5月、会津若松商工会議所副会頭の栗林寿氏に所有するシンクの全株式を譲渡し、同社退職後は市内の自宅と和歌山県の南紀白浜を行き来する充電生活を送っていた。現在の肩書きは会津大学非常勤講師。 上野氏は4年前の市長選で室井氏に敗れた元県議の平出孝朗氏(66)を支援。選対本部の中枢に入り平出陣営を取り仕切った。今回の市長選では、その平出氏から支援を取り付け、当時の選対関係者もバックアップする方向で調整が済んでいた。 地元衆院議員の自民党・菅家一郎氏(67、4期、比例東北)と立憲民主党・小熊慎司氏(54、4期、旧福島4区)とも連絡を密にしていた。 「菅家氏は元自民党県議の室井氏を支持してきたが、4期目は支持する考えがないことを明かしていた。小熊氏は現職に複数の新人が挑むのは避けるべきと水野さち子氏に出馬を考え直すよう働きかけたが、水野氏は受け入れず、現在の三つ巴の構図になった」(ある選挙通) そうした中で上野氏が名乗りを上げれば支持層が更に割れ、現職有利に働くが、それでも菅家・小熊両氏が上野氏を「魅力的な候補者」と位置付けていたのには理由があった。 「上野氏は、室井市長が進めるICTのまちづくり自体は評価しているが、進め方に疑問を感じている。大手コンサルのアクセンチュアに事業とお金が集中し、ICTオフィスビル『スマートシティAiCT』も中央の企業が複数入っている割に十分機能していない。一方で、せっかく身近にある会津大学を生かせず、地元のベンチャー企業や既存企業とも関係が薄い状況に、上野氏は再考の余地ありと考えている」(同) 室井氏がアクセンチュアと親密な関係にあるのは周知の通りだが、上野氏は「地元のデジタル資源」がほとんど生かされていない状況に違和感を持っていたわけ。 つまり上野氏には、市長選に立候補する大義名分があったが、問題は室井・目黒・水野3氏に比べ知名度が圧倒的に低いことだった。投開票まで日数が迫る中、無名の新人が市民に顔と名前を浸透させるのは至難の業。菅家・小熊両氏もそこをネックに感じ「負け戦に挑むのは避けるべき」となったようだ。 最終的に上野氏本人から「今回は見送ります」と筆者に連絡が入ったのが4月17日。その判断をどう見るかは人それぞれだが、筆者は「冷静に分析した結果の潔い撤退」と評価したい。 ただ、そんな上野氏には新たに、今秋行われる県議選に、両親の出身地(会津美里町)である大沼郡選挙区(定数1)から立候補の打診が寄せられている。自民党・山内長県議(1期)の対抗馬として小熊氏が熱心に誘っているが、本誌は市長選とは異なり、上野氏の県議選立候補には大義名分が見当たらないため賛成できないことを付記しておく。 もっとも、上野氏本人もその点は十分認識しており「出馬は一切考えていません」とのこと。その冷静な判断も併せて評価したい。 あわせて読みたい 幻に終わった会津若松市長選「新人一本化」

  • 【のたり日乗】最終回を迎えて【近藤憲明さんインタビュー】

    【のたり日乗】最終回を迎えて【近藤憲明さんインタビュー】

    1948年、札幌市生まれ。慶応大経済学部卒業後、毎日新聞入社。政治部副部長、編集委員、福島支局長、論説委員、公益財団法人・認知症予防財団常務理事などを歴任。著書に『ふくしま有情』など。 (2022年8月号)  本誌で連載していたエッセー「のたり日乗」が今号で最終回を迎えた執筆者の近藤憲明さんは元毎日新聞記者。福島支局長時代にペンネームで連載を開始し、政治、経済、社会、日常の出来事を独自の視点で綴り続けた。約20年にわたる連載を振り返ってもらった。  ――約20年にわたる執筆、お疲れ様でした。2003年4月号から「星山一生」のペンネームで「連載エッセイ」をスタートし、2008年6月号からは「のたり日乗」と名前を変えて連載を続けてきました。まず連載執筆に至った経緯はどのようなものだったのでしょうか。 「毎日新聞福島支局長を務めていたころに出版したエッセー本『ふくしま有情』を奥平正主幹がたまたま読んだらしく、声をかけていただきました。JR福島駅近くの飲み屋でお会いした記憶があります。『政経東北』は当時から硬派雑誌でしたが、『この連載に関しては自由に書いていい』と言っていただき、ペンネームの使用を了承していただいたので引き受けました。ペンネームは若くして亡くなった友人のテレビプロデューサーの名前から拝借しました」 ――現在の率直な感想は。 「もともと飽きっぽい性格で、歴代の担当編集さんに尻を叩かれながら書いてきた。『よくここまで続けられたな』というのが正直な思いです。1本当たりにかける時間は約2時間で、テーマが決まったら一気に書き上げます。フリーテーマではなく、編集部がテーマを決める形だったら、ここまで続かなかったかもしれません。文章を書くということは、頭の中のぼんやりした考えを字でまとめていく行為であり、『こんなことを考えていたのか』という自分自身にとっての気付きにもなる。いま過去の原稿を読み返していますが、当時の感情が蘇ってきますね」 ――「のたり日乗」第1回目の「イタリア駆け足旅行の土産」をはじめ、海外旅行記がたびたび出てきました。 「記者職を辞めてから旅行に行ける機会が増えたということです。東京本社政治部にいたころ、首相の外遊に同行することもあったが、時差があるので24時間起きっぱなしで、ひたすら取材して原稿を書いていた。遊びに行くことなんてできず、ちっとも面白くありませんでしたよ」 ――「のたり日乗」では、新聞記者として最初に赴任した神戸の思い出を綴っていました。国内に関しても、さまざまな場所に足を運んでいるイメージです。 「新人時代から7年過ごした神戸支局のほか、横浜支局、東京本社など、2、3年ごとに転勤を繰り返しましたが、中でも福島支局時代は印象に残っています。期間としては2年ぐらいでしたが、本当にいい思い出しかありません。 登山、蕎麦、温泉が好きで、90市町村(当時)制覇を目指しましたが、達成できなかったのが悔やまれます。飯豊山登山後に山都町(現・喜多方市)で食べた蕎麦は本当においしかった。頑なで人情深い会津人の気風を表す『会津の三泣き(※)』という言葉がありますが、福島から転勤するときに心から実感しました」 ※会津に来た人は、よそ者に対する会津人の厳しさに泣き、生活に慣れて来たころに温かな心に触れて泣き、会津を去るときに離れがたくて涙を流すと言われる。 自分の恥をさらしていく  ――震災直後の2011年4月号「共に試練に耐えよう」、新型コロナウイルスが急速に感染拡大した2020年3月号「新型肺炎」など、時事問題をリアルタイムで論じる一方で、登山記や日常で気づいたことなど、身近なテーマの回も多くありました。印象に残っている回は。 「個人的な思いで言うと、連載開始からまもなくして母が亡くなり、通夜会場にパソコンを持ち込み、〝線香番〟を務めながら書いた回が印象深いです(『連載エッセイ』2003年10月号)。 あとは還付金詐欺に遭った話ですね(『のたり日乗』2019年1、8、10、11月号、2020年1、2月号)。『まさか自分が』と思っていたが、心の隙間に入り込まれ、電話で誘導されているうちにうまくやられてしまった。当時は落ち込んだし、恥ずかしくて仕方なかったが、勇気を出して恥をさらそうと考え、一部始終を記しました。その後、犯人は逮捕され、懲役6年の判決が下されましたが、刑事裁判もすべて傍聴して連載で紹介しました。 ものを書くうえで、かっこつけずに自分の恥をさらしていく姿勢は大事なことだと考えています」 ――元新聞記者として、新聞の現状をどう分析していますか。 「僕が記者だったころの新聞は、特ダネが生命線だった。最近はそのお株を完全に週刊誌に奪われている感じがします。『週刊文春』はスクープを連発して〝文春砲〟なんて呼ばれていますよね。逆に新聞記事は読み物風になっていて、完全に立場が逆転したと感じます。 そうなった要因はいろいろ考えられますが、ネットの隆盛や働き方改革の影響は確実にあると思います。政治部で自民党担当だったころは連日〝夜討ち朝駆け〟で政治家を訪ね続け、睡眠時間は2、3時間でした。夜中3時ごろ自宅に帰ってきたら、朝一番の取材用に予約していたハイヤーがすでに待機していたことも。もっとも、いまは経費削減が進み、取材にハイヤーを使うこともないのでしょうが……。 昼間は記者クラブ内のソファーで1時間ぐらい昼寝していましたが、キャップは何も言いませんでした。いまならそうした働き方は許されないでしょうし、〝特ダネ最優先〟ではなくなっているのだと思います」 ――現役時代の特ダネは。 「記者なら誰もが狙っているテーマをいち早くものにしてこそ特ダネであり、政治記者にとっては『衆議院の解散はいつか』ということでした。その動向をキャッチして、夕刊の早版で『今日解散』と載せたことがあります。自分が抜いた特ダネが紙面に載るのは、何とも言い難い快感がある。ただ、いまはスピードでネットに負けてしまいますから、あまり意味がなくなっていますね」 ――『サンデー毎日』でも注目記事を担当されていたそうですね。 「政治部に赴任した後に配属され、編集部で一番若かったですが、2年にわたって毎週トップ記事を任されました。当時は田中角栄氏が首相を辞めた直後で、政治記事が注目を集めていた。どう書けば読者に面白く読んでもらえるか毎週試行錯誤し、文章力が鍛えられた期間でした」 ――さまざまな媒体で活動してきた立場から、地方ジャーナリズムの今後はどうなると見ていますか。 「出版不況の中、『政経東北』が創刊50周年を迎えたということはとても意義あることだと思います。地元企業の広告を集め、地方の話題を雑誌にして発信する――というビジネスモデルは一朝一夕に確立できるものではありません。一方で、これだけネットが普及し、SNSや動画サイトを通して誰もが発信者になっていることを考えると、活字媒体の衰退は避けられないと思います。戦後、活字に飢えていた世代がこぞって雑誌や新聞を読んできたが、時代は変わった。地方においてもその影響は大きいと思いますが、ネットとうまく折り合いを付ける方法を早く見つけ出した活字媒体が今後も生き残れる可能性を残しています」

  • 専門家が指摘【総括編】合併しなかった福島県内自治体のいま

    専門家が指摘【総括編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     昨年12月号から今年4月号まで5回にわたり、「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体の現状をリポートしてきた。今回はシリーズの〝仕上げ〟として、これまで取り上げてきた事例を総括したい。(末永) 専門家は「合併すれば効率アップは間違い」と指摘 条件が恵まれている西郷村(写真は村役場)  国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進した。いわゆる「平成の大合併」である。県内では2004年から2008年までに13例の合併があり、90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。 一方で、「平成の大合併」に参加しなかった自治体もあり、その現状に迫ったのがこのシリーズ。第1回が桑折町と国見町、第2回が大玉村、第3回が棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村(東白川郡編)、第4回が西郷村、第5回が三島町、金山町、昭和村、只見町(奥会津編)と、計5回、12市町村を取り上げた。 このうち、大玉村と西郷村は条件的に非常に恵まれている。県内で人口が増えているのはこの2村のみ。加えて、両村は働き口、高等教育、医療、日用品の調達先など、行政サービス以外で生活に必要な部分は、近隣に依存できる環境にある。逆に「奥会津編」で取り上げた4町村は、人口減少が著しく、高齢化率が非常に高い。一口に「合併しなかった自治体」といっても、その内実や地理的条件などは全く違う。 シリーズ全回で共通して財政指標の推移を示した。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。 当初の合併の目的と照らし合わせると、合併しなかった自治体には、より一層の財政健全化の努力が求められる。記事では、同法に基づき県市町村財政課が公表している「財政状況資料集」を基に、2007年度から当時最新の2020年度までの「実質赤字比率」、「連結実質赤字比率」、「実質公債費比率」、「将来負担比率」、「財政力指数」の推移を一覧化した。加えて、近隣で合併した自治体(例・大玉村は本宮市、西郷村は白河市)の数値と比較しながら、財政指標を検証してきた。 それで言うと、取り上げた自治体すべてで財政指標の良化が見受けられた。合併しなかった自治体は、最初から合併に否定的だったところ、合併を模索したものの、結果的に合併に至らなかったところ、国が目指す「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」が合併に頼らずとも可能だったところなどさまざまだが、合併しない(できなかった)ことを決めて以降は、それぞれが相応の努力をしてきたことがうかがえた。 一方、シリーズ1回目(桑折町・国見町編)で、元福島大学教授で現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)にコメントを求めたところ、「ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善している」と話していた。 今井照氏  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 今井氏のコメントからすると、2021年度以降はさらなる指標の良化が予想されるが、それは各自治体の努力ではなく、外的要因によるもの、ということになる。 「合併しない宣言」の影響 真っ先に国の方針に背いた格好の矢祭町(写真は町役場)  ところで、このシリーズ「最大のハイライト」とも言えるのが矢祭町の状況だ。というのは、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物がこう話していたから。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとって脅しのような感覚だったようだ。要するに、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との強迫観念に駆られ、合併を進めたということだ。 その点で言うと、矢祭町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決し、言うなれば真っ先に国の方針に背いた格好になる。 以前、先進的な取り組みをしている県外自治体を取材した際、担当者は次のように証言していた。 「メディアなどで取り上げられるたびに、国から目を付けられて(苦笑)。国の役人からは『ずいぶん勝手なことをしているようだな』、『その分だと、国からの交付金・補助金などは必要なさそうだな』と露骨に言われることもありました」 これは15年ほど前の話だが、そんなこともあり、矢祭町も国からの締め付けなどがあったのではないかと危惧していた。 この点について、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 佐川正一郎矢祭町長  「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかったですね。それほど影響がなかった背景には、二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にすごく苦労したということはなかった。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大変でしたね」 同町の事例からすると、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物が懸念していたことは杞憂に終わったと言っていい。実際、「奥会津編」で取り上げた町村は、自主財源が乏しく財政基盤が弱い。決して条件がいいと言えない中でも、大きな問題なく存続できている。当然、関係者の努力もあっただろうが、そうした事実がすべてを物語っていると言っていいのではないか。 前出・地方自治総合研究所主任研究員の今井氏はこう話す。 「一般には、合併を選択すると財政が効率化し、財政環境がよくなると理解されていますが、それは誤りです。そもそも企業の合併とは異なり、自治体が合併しても面積や人口が単純に加算されるだけで、行政サービスの総量は減らないので、合併による効率化の効果はほんのわずかに限られます。合併すると、効率化以上に地方交付税などの歳入が絞られていきますので、個々の自治体にとって財政環境が悪化するのは当然です。逆にいうと、合併すれば住民への行政サービスの総量を減らさなくてはならず、中心部だけに投資を残して、周辺部への投資を薄くする傾向があります。合併すると周辺部の衰退が早まるのはそのためです」 このシリーズで取材した自治体の住民も、合併した近隣自治体で、中心部とそうでないところの格差を見ているためか、「結果的に合併しなくて良かったと思う」との声が大多数を占めた。 「大玉村編」では、合併議論当時の同村役場関係者の「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」とのコメントを紹介した。理由はやはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配があったから。ただ、この関係者は「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」と述べていた。 単独の強みを生かせ  一方で、「奥会津編」では、隣接地域の議員経験者のこんな意見を紹介した。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 自治体の枠組みそのものの合併はしなくても良かったと思うが、今後は1つの自治体ですべての行政サービスを賄うのではなく、行政サービスのうち、共有・連携できる部分は「行政組合」のようなものを立ち上げて対応すべきではないか、ということだ。 国(総務省)でも、新たな広域連携について検討しているようだから、今後は本格的にその勉強・検討の必要性が出てくるだろう。 このシリーズの取材では、対象の町村長に質問を投げかけ、文書で回答してもらった。それをあらためて見ていくと、合併しなかったことをどう強みに変えていくかや、いま当該自治体内で抱えている課題などの質問に対し、問題意識を持って回答してくれた町村長と、そうでない町村長が如実に見られた。 ここでは、どの町村長がどうだったかの詳細は触れないが、本当に問題意識がないのか、単に取材対応が面倒なだけだったのか。いずれにしても、そのような町村長のもとに暮らす住民はハッピーとは言えないだろう。 最後に、あらためて指摘したいのは、せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてほしいということ。これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。合併せず、小回りが利く規模の自治体だからこそ可能な、思い切った〝仕掛け〟を生み出していってもらいたい。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 合併しなかった福島県内自治体のいま【東白川郡編】矢祭町・鮫川村・棚倉町・塙町 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 各地の選挙に出続ける髙橋翔氏の素顔

    各地の選挙に出続ける髙橋翔氏の素顔

    (2022年8月号)  県内各地の選挙に立候補し続けている「ショウ・タカハシ」こと髙橋翔氏(34)。派手なスーツをまとい、SNSでユニークな言動を発信する髙橋氏とはどんな人物で、普段何を考えているのか。既に2022年10月30日投票の知事選への立候補を表明しているが、今まで当選したことは皆無。「落選しても選挙に出続ける理由を知りたい」という好奇心から、2022年7月10日投票の浪江町長選で落選した直後の髙橋氏をインタビューした。(収録は2022年7月14日) あわせて読みたい 【郡山市】選挙漫遊(県議選) 「将来出馬を考える若者の前例になりたい」  ――浪江町長選は同町出身で元県議会議長の吉田栄光氏(58)と争いましたが、結果は5895票差で落選しました。 「これまでの選挙の経験から自分の得票数は投票総数の5%くらいと見ていたので、444票は想定通りでしたが、有権者の反応はさまざまでしたね。遊説中は町内で暮らす人から声をかけられ、SNSでも応援メッセージをもらい、みんながみんな地元出身の自民党県議を支持しているわけじゃないことを実感しました。彼らの言葉を借りれば『県議を5期やってどれくらい約束を守ったんだ』というのが栄光さんへの評価だったのかな。そこをショウ・タカハシが代弁したことに感謝する人が多かったように感じます」 ――髙橋さんのスタンスは「高齢者にあなたの未来を託していいんですか」というものでした。 「58歳は政治家としては若いかもしれないが、3期12年務めたら70歳なので決して若いとは言えない。そこをあえて強調した面はありました。もっと言うと今まで議員を長くやっていたからとかではなく、具体的にどんなビジョンを持って町政に臨もうとしているのか、そこを有権者には真剣に見極めてほしかった。栄光さんの選挙公報を見たけど、正直、県議会議長まで務めた人がこの程度の政策しか打ち出せないのかとガッカリしました。 SNSを一切使わない選挙戦を展開したことにも驚かされました。町民の9割が町外に避難しているのにホームページさえつくらなかった。これからの選挙は、有権者がネットで調べた時、候補者に関する情報がパッと出てくる状態を確実にしておかないとだめ。そうじゃないと、いつまで経っても雰囲気で投票先を決める風潮は変わらない。 実際、僕と栄光さんを比べた時、あまり深く考えずに何となく地元出身の栄光さんを選んだ人は多かったと思います。それならそれで構わないが、だったら有権者には選びっぱなしで終わるのではなく、最後まできちんと監視することもやってほしい。もし任期中に変なことが起きたら有権者にも責任があるんですよ。なぜなら、あなたたちが選んだ町長だからです」 ――主に投票に行く人は安定を求める高齢者なので、尚更『何となく選ぶ』傾向は強いかもしれません。 「それで割を食うのは若者なんです。大前提として若者が投票に行かないのが悪いんですが、かと言ってこれから60代に突入する町長が無難に町政運営していくことが明るい未来につながるのか。若者や子どもたちにプラスにならない状況は、魅力の喪失を意味します。それでなくても浪江町は町民が避難先から戻らず、帰還するのは高齢者ばかりで移住者も増えていない。このままでは消滅待ったなしです。そこまで考えてこの候補者は町の将来を語っているのか、という点を有権者は見極めないとだめなんだと思います」 若者に期待すること  ――髙橋さんは浪江町の将来ビジョンをどう描いていたのですか。 「浪江町には世界最大級の水素製造施設があります。僕は選挙公約に宇宙産業を掲げていますが、宇宙産業は僕の会社にも関わる事業で、水素はその重要な要素でもあります。浪江町では太陽光発電で水素を製造していますが、最大効率で1年間製造したとしても、その量では水素自動車1万台分をまかなえないと思います。もし県内で水素自動車を10万台走らせようとしたら、あの規模では到底足りない。施設をつくったのはいいが、その先をどう考えているのか、民でも官でもいいから示していないのは不満です。 今、ゼロカーボンが盛んに叫ばれています。政府は2035年までに新車販売で電動車100%を実現するとしています。そうした中、僕は民の立場から電気を使わずに水素をつくる画期的な取り組みに挑んでいます。この技術が確立すれば水素が足りなくなることはないし、低コストでの水素製造が可能になります。さらに火力発電などで発生した二酸化炭素と水素からメタンを合成するメタネーション技術によって、新たな燃料(メタン)の製造につながるだけでなく、カーボンニュートラルに一層貢献することもできます。そもそも、水素をつくるために電気を使っている時点で二酸化炭素がどんどん発生しているわけで、それをクリーンエネルギーと呼べるのかという問題もありますが、ともかく、浪江町に最先端の施設があるのは事実なので、そこをベースに主体は民でも官でもいいから、やるんだったら未来を感じさせることをやろうよと言いたいわけです」 ――そういう考えで浪江町長選に挑んだというなら納得がいくが、それが有権者にどこまで伝わったかとなると話は別です。 「今までの有権者は『誰かに任せておけばいい』という他者依存がほとんどだった。しかし、これからは自分事として捉え、票を投じていかなければだめです。特に原発事故で危機に陥った浪江町は、有権者一人ひとりが『町をどうしていくか』という意識を強く持つべきです。 今回の浪江町長選の目的は自分が勝つことではなかった。もし〝アンチ吉田票〟が2~3割あったとしたら、4年後の町長選に地元出身の若手候補が挑めば、今度は勝てる可能性が出てくるわけです。浪江町には青年会議所があり、厳しい状況下でも頑張っている若手経営者がたくさんいると聞いています。でも地域のしがらみというか、昔からの先輩・後輩の関係とかが邪魔して栄光さんに気を使っているんでしょうね。 僕から言わせたら、いやいやそうじゃないでしょって(苦笑)。町のことを思うなら30代、40代の若手が栄光さんに挑んでいかないとだめなんじゃないの? もし栄光さんが町長を3期12年務めたら70歳、その間に町の中心を担うのは40、50代になるあなたたちであり、その子どもたちでしょって」 ――ただ〝アンチ吉田票〟、つまり髙橋さんの得票は(投票総数の)2割に届かなかった。 「このままでは2、3期目は無投票で当選するかもしれない。ただ、雰囲気的には今回も無投票っぽかったので、それを阻止できたことは一定の役割を果たせたのかな。問題は4年後です。今回の結果に怖気づいて誰も栄光さんに挑まないのか、それとも『外の人間があれだけ取ったんだから、地元の自分ならもっと取れる』という若者が現れるのか」 ――ズバリ、髙橋さんが選挙に出続ける理由とは。 「僕は国政には興味がなくて、福島県を何とかしたいというのが根底にあります。きっかけは、震災後に都内から郡山市、そして葛尾村に移住し、そこで村のデタラメな復興予算の使われ方を知りました。現状を変えるには村政の若返りが必要と考え、村長選に出ようとしました。ところが、いろいろな人から異様な妨害を受け、こんなことでは福島県や地方は廃れ、若者や子どもたちに未来はないなって。地方はいつまでも国の言いなり、という状況は改めないといけない。国に対し、はっきりものが言える環境を今の若者がつくっていく必要がある。そういう価値観を共有できる若者を一人でも多く増やしたいんです。 正直、僕の考えを高齢者に響かせようという気はありません。僕が発信手段にしているSNSは、初めから高齢者は見ていないだろうと思っているので(苦笑)。僕がターゲットにしているのは、直接的な行動は起こさなくても、今の政治や社会のあり方に疑問を感じているインターネット層です。その人たちが僕の考えに共感してくれれば、次の選挙に僕が出なくても、同じような価値観を持った若者が手を挙げれば、その人たちは『こいつを応援しよう』となると思うんです。 こういうやり方は、伝わらない人には伝わらないが、SNSや選挙情報はアーカイブとして残るので、将来世代には伝わっていく。とりわけ僕が意識しているのは今の高校生です。その子たちが僕ぐらいの年齢になって行動を起こそうとした時、必要になるのは前例です。前例がないと、周りが支援してくれないとか、若いとか、まだ早いとか理由をつけられ、行動を起こしたくても起こせない。でも、今のうちに僕が一番最悪の前例をつくっておけばどうか。僕みたいな外から来た若くて訳の分からないことを言っている奴でも選挙に出たという前例があれば、それよりも地元出身で若くて町の将来を真剣に考えているアイツを応援してやろうじゃないか、という見方になっていくんじゃないか。僕は、若者の意識と同時に、若者が政治に関わることに批判的な大人の意識も変えたいと思っているんです」 髙橋氏の選挙経歴(年齢は当時)◎福島県知事選(2018.10.28)当 内堀 雅雄54650,982町田 和史4235,029髙橋  翔3017,159金山  屯7810,259投票率45.04%◎葛尾村長選(2020.10.25)当 篠木  弘69802髙橋  翔3237投票率70.20%◎国見町長選(2020.11.8)当 引地  真602,398松浦 和子711,719佐藤  孝651,478髙橋  翔3240投票率73.18%◎福島市長選(2021.11.21)当 木幡  浩6172,018髙橋  翔337,364投票率34.79%◎浪江町長選(2022.7.10)当 吉田 栄光586,339髙橋  翔34444投票率49.43%※髙橋氏は2019年8月の郡山市議選、同年11月の県議選(郡山市選挙区)で落選。2016年10月の葛尾村長選、2021年4月の郡山市長選、同12月の相馬市長選に出馬表明したが取りやめている。 これまでの選挙で得たもの 取材は2時間に及んだが話が止まることはなかった  ――この間、4年前の知事選を筆頭に葛尾村長選、国見町長選、福島市長選や郡山市議選、県議選に出馬されていますよね。最終的に出馬を見送ったが、郡山と相馬の市長選も検討されていました。これらの場所は何か意図するところがある? 「僕は〝荒らし目的〟で選挙に出ているわけではなく、明確な意図があって場所を選んでいます。僕は宇宙開発だ何だと言っていますが、出馬している場所は地政学的にも経済的な地の利においても、ちゃんと手を入れればそこを基点に福島県全体を下支えできると確信しています。 相馬から双葉郡にかけてはイノベーション・コースト構想も動いていますし、国も県も集中的に投資を行う方針なので、そこに宇宙開発が加わるのはある意味自然ですよ。ここで日本が得意とするものづくりや開発を推し進めれば、世界中から優秀な人材、多くの企業、投資家らも集まって来ますしね」  ――さまざまな選挙に出てみて何か違いはありましたか。 「葛尾、国見、郡山とあえて連続で出たことで多くの人に知ってもらえたし、それが福島につながった面はあったでしょうね。『悪名は無名に勝る』と言うが、まずは知ってもらわないと批判もされないし、こっちの話も聞いてもらえませんから。僕は誹謗中傷は遠慮したいが、批判コメントは大歓迎なので(笑い)」 ――福島市長選は無投票確実というタイミングで急きょ出馬されましたよね。 「対抗馬が出ると思っていたら誰も出ないので、それはマズいんじゃないのと思って。その少し前に『シン・福島県知事をつくる会』という組織をつくり、メンバー同士で話し合った結果、福島は出る意義があるよねって。もともと郡山市長選の出馬を取りやめた後、いわきか福島で出ようという話はあった。でも、いわきは現職と新人合わせて4人も出たから、いわきはいいだろって。 福島市長選は直前に手を挙げた割に(投票総数の)9%くらい得票できたので、若者や無党派層が多い場所では意外と取れるんだなと実感しましたね」 ――郡山市長選の出馬を取りやめた理由は何だったんですか。 「僕はやる気だったんですが、同じく出馬していた(元市議の)馬場大造さんから(元県議の)勅使河原正之さんと組もうと誘われ、取り下げたんです。すると『ショウ・タカハシが出ないのはつまらない』という声が結構届いて(笑い)。若手の僕が高齢の候補者たちを相手に何票取れるのか、興味を持って見ている人が一定数いたことを知れたのは価値がありましたね」 ――その結果、郡山市長選は高齢の新人(勅使河原氏、当時69歳)が高齢の現職(品川萬里氏、同76歳)に挑む構図になってしまった。 「そこは申し訳ないことをしたと思いました(笑い)。ただ、僕としては『出来上がった選対本部』とはどんなものか見てみたい思いもあったので、市議選、県議選を何度も経験しているテッシー(勅使河原氏)や後援者と対等関係で選対に関わることができたのは収穫でした」 ――収穫とは? 「選挙ってこう戦うのねっていうのが見えた半面、選対内はネットが全く使えない高齢者ばかりだった。若手もいたけど、ネットを使おうと進言する人がいない。だから僕は、テッシーの遊説追跡ライブ配信や開票ライブ配信をしたんです。逆に僕は、選対内の人たちから『怖そうな人だと思っていた』とか『直接話してみたら意外と真面目なんだね』といった意見が聞けて、僕は高齢者からそう見られていたんだというのが分かった。まぁ、予想はしていたんですけどね(笑い)。でも、そういう意見を取り入れたら自分がどんどん丸くなり、思い切った発言や型破りな行動ができなくなってしまうので、そこは今までの路線を変えるつもりはありません」 供託金1千万円を用意  ――選挙や政治において、若者と高齢者はどういう関係にあればいいと思いますか。 「若者はフットワークが軽いし、柔軟な考え方ができるし、決断も早い。でも、知識や経験が足りない。その足りない部分を高齢者がサポートするのが理想じゃないか。政治で言えば若者が表に出て動き回り、決断もして、だめなら責任を取る。高齢者は裏方として知恵を出し、アドバイスをする。 郡山市長選の時、僕はテッシーに言ったんです。当選して市長になったら、市議会に僕を副市長にする議案を出してくれって。それが通ったら、テッシーの評価は上がりますよと。そして4年後、もし僕が市長になったら、今度はテッシーを重鎮に据えればいいんじゃないのって。70代中盤に差し掛かる人が連続して市長を務めるより、1期務めたら裏方に回った方がいいと思ったので、テッシーにもそう言ったんです。実は浪江町長選の演説でも『栄光さん、僕の脇にいてもいいんですよ。その方がカッコイイですよ』って言ったんですけどね(笑い)」 ――とはいえ、髙橋さんもこれから年齢を重ねていきますよね。その時どうされますか。 「今後10年選挙に出続けたとすると僕は40代半ばになるが、その時、20代、30代の候補者が首長選の相手だったら恥ずかしくて戦えない。地元のために頑張ろうとしている若者を自分は邪魔するのかと、いたたまれなくなるでしょうね。その時は潔く降りて、若者に自分の経験を伝えながら応援する立場に回ります。 そもそも選挙に出るってことは、根底に自分の町をよくしたいという思いがあるはず。私利私欲や利権狙いでは話にならないけど、町を思っての行動ならわざわざ争わなくてもいい。今の世の中、リーダーにふさわしい人材が少ないのに、そこで潰し合ってどうするのって」 ――既に出馬表明している知事選まで残り3カ月余となりました。 「4年前は名乗りを上げるための選挙だった。そこからあちこちの選挙に出て、同じ選挙に再び挑むのは今回が初めて。何が起きるか楽しみな半面、こう言っては何ですけど内堀雅雄さんの3選は確定事項ですから(笑い)。でも皆さん、それでいいんですか、何となく選んで大丈夫ですかって言いたいですけどね。 幸い全国的には、この4年間で僕くらいの年齢の首長が増えてきた。若い市町村議はもっと増えている。そういう人たちを当選させようという雰囲気が醸成されつつあるのはいいことだと思います。僕自身は当選することが目的ではなく、先ほど言った将来の若者たちの前例になれればいいので(笑い)」 ――そうは言っても、選挙に出るにはお金がかかります。世間では、これだけ選挙に出続ける髙橋さんをお金持ち、資産家と思っている人も多いようです。 「いやいや、お金は自分で会社を三つ経営(※)して稼いでいるだけです。いわゆるプロの政治家は『選挙期間が始まる前に勝負はついている』って言うけど、僕は選挙前は普通に仕事をしているし、選挙運動をするのは告示後なんで(笑い)。それと僕は無駄遣いをしない。他人よりお金のつくり方、使い方が上手なだけなんだと思いますよ。 ※㈱アルストロメリア、㈱ユーチャリス、一般社団法人NEO電工協会S.H.I.O.N(本社はいずれも郡山市中田町海老根)の代表を務める  よく『お金がなくて選挙に出られない』と言う人がいますか、なぜって思いますけどね。確かに国政選挙や知事選になると供託金は300万円なので安くないが、やる気があれば100万円(市長選の供託金)くらい用意できるでしょって。選挙運動も旧来のやり方をしていたら、お金は出ていくばかり。そのお金は公営制度で見てもらえるお金(公費負担)以外の部分。だったら、どうすればお金をかけずに選挙ができるか考えればいいし、実際、僕はそれをネット選挙で実践しているので。 もともと僕の選挙は、1000万円の供託金を使い切るところからスタートしている。最初に1000万円の予算を用意し、4年前、300万円の知事選から始まった。ただ郡山市議選と県議選は法定得票数を超えたため、供託金が没収されず30万円と60万円が戻ってきた(笑い)。これまでに550万円が没収されているので、残りは450万円。ここから知事選に300万円供託するので、残る予算は150万円です」 時代が僕に追いついてくる  ――選挙に出るには家族の理解も欠かせない。髙橋さんのご家族の反応は。 「郡山市内で地元出身の妻、子ども3人、妻の両親と暮らしていますが、最初、両親の反応は良くなかった(笑い)。でも、僕は全然気にならなくて、妻も理解のある人なので助かっています。最初は何の相談もせず選挙に出ていたんですが、途中からは『ここと、ここと、ここの選挙に出るから』って伝えるようになりました。 子どもは小学2年の長男、幼稚園の長女、もうすぐ2歳になる次女です。長男は最初、父親のポスターが貼ってあったり、ユーチューブに動画が上がっているのを不思議がっていたけど、今は普通のこととして捉えているみたい(笑い)」 https://www.youtube.com/watch?v=wPKZ34aRHtc  ――最後に、あとどれくらい選挙に出続けるんでしょうか。 「ショウ・タカハシは何回も負けているのにメンタルが強いよねって言う人がいますが、それを大前提に選挙に出ているので、100戦あるうち40連敗したとしても、そこで僕の考え方にマッチした時代に変われば残り60戦は全勝できるイメージなので、時代は必ずショウ・タカハシに追いついてくると思っています。その時の僕の活躍の場は、政治でもビジネスでも構いません(笑い)」 あわせて読みたい 続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選 郡山の補選で露呈した福島県議への無関心 【郡山市】選挙漫遊(県議選)

  • 白河市議会「質問回数ランキング」白河市議会

    白河市議会「質問回数ランキング」

     任期満了に伴う白河市議選(定数24)は7月2日告示、同9日投開票の日程で行われる。市長選とのダブル選挙になる見通し。すでに複数の新人が立候補に向けて水面下で動き始めており、選挙戦になるのは確実視されている。 市民の関心は低く、本番まで3カ月を切っても盛り上がっているとは言い難いが、本誌が注目したのは、市議らがこの4年間、執行部に質問できる機会にどれだけ登壇してきたか、ということだ。 辻陽著『日本の地方議会 都市のジレンマ、消滅危機の町村』(中公新書)には次のように書かれている。 《議員の質問には、執行部局に「気付き」を促し、他自治体にひけをとらない行政を実施させようとする大きな意義がある。二元代表制を採り、首長の行う姿勢に対して監視機能を果たすためにも、各議員は緊張感をもって対峙し、もし執行部局の判断に誤りがあれば正し、新しい政策実施の方向へ導くための場にすることが必要である》 4年前の白河市議選では6人の新人議員が誕生したが、議員としての役割を果たしているのか。前回市議選が終わった直後の2019年9月定例会から今年3月定例会までの質問通告をもとに、一般質問などで質問した回数をカウントしたところ、別表のような結果となった。 白河市議の質問回数ランキング 回数議員名期数会派名21深谷弘7期開かれた議会をめざす会16北野唯道4期無所属の会15大竹功一6期開かれた議会をめざす会15佐川京子5期政研かがやき15室井伸一3期白河明誠14柴原隆夫3期無所属の会13石名国光5期政研かがやき11大木絵理1期正真しらかわ10戸倉宏一1期政研白河9須藤博之7期政研かがやき9鈴木裕哉1期先進しらかわ8高橋光雄5期白河明誠8根本建一2期正真しらかわ8荒井寿夫1期正真しらかわ6水野谷正則5期白河明誠6吉見優一郎1期先進しらかわ5山口耕治6期政研白河5大花務5期正真しらかわ5縄田角郎5期白河明誠5高畠裕1期先進しらかわ4藤田文夫5期政研白河2菅原修一※4期正真しらかわ1筒井孝充※6期先進しらかわ1緑川摂生3期正真しらかわ※2年間ずつ議長を務めている。  最も多かったのは開かれた議会を目指す会の深谷弘市議(69、7期)。日本共産党所属で、福祉政策などを含め、市政全般について積極的に質問している。 1期議員は意外にも質問回数が多く、逆に下位に期数を重ねた議員が目立つ。前議長の菅原修一市議(71、4期、正真しらかわ)、現議長の筒井孝充市議(66、6期、先進しらかわ)は議長を務めた期間を考慮しても質問数が少ない。若手議員が積極的に質問し、重鎮議員は質問を控える「暗黙の了解」があるのか。 緑川摂生市議(64、3期、正真しらかわ)に至ってはわずか質問1回。2020年9月定例会で「白河名山(権太倉山、関山、天狗山)『(仮称)奥州白河三山』」の利活用について質問したのを最後に、質問していないことになる。市内で配布している活動報告には、子どもたちの登校見守り継続などの活動が報告されているが、なぜ質問をしようとしないのか。緑川市議に問い合わせたところ、こう回答した。 「健康上の理由で、壇上に立って整理して質問することが困難になり、この間一般質問を控えていたが、6月定例会では質問を予定しています。その分一般質問以外の活動に力を入れてきました。具体的には、福祉分野でさまざまな支援活動を展開しており、行政が改善すべき点があれば担当部署に指摘してきました」 もちろん、何でもかんでも質問すればいいと言っているわけではないし、的外れの質問は論外だ。ただ、質問回数は住民が持っている不満・課題に耳を傾け、執行部にぶつける姿勢を示しているとも言える。 同市議会に限らず、選挙戦を控えている自治体では、誰に投票するか決めるうえで、「質問回数」も一つの参考になるのではないか。 日本の地方議会posted with ヨメレバ辻 陽 中央公論新社 2019年09月18日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle あわせて読みたい 渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

  • 続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選

    続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選

     本誌4月号に「現職退任で混沌とする猪苗代町長選 前後氏の後継者と佐瀬氏の一騎打ちか」という記事を掲載した。注目は前後公町長の後継者が誰になるかだったが、前号締め切りから発売までの間に、その人選が定まった。 前後町長が後継者に「道の駅猪苗代」駅長を指名 道の駅猪苗代(HPより)  任期満了に伴う猪苗代町長選は6月13日告示、同18日投開票の日程で行われる。現職・前後公氏は3月定例会の閉会あいさつ(3月20日)で、「6月に行われる町長選には立候補しない。後進に道を譲りたい」と述べた。 記事では、前後氏の退任表明で混沌とする情勢についてリポートした。その中で、「前後町長の後継者と佐瀬真氏の一騎打ちになる公算が高い」と書いた。 佐瀬氏は同町議員で、3月定例会初日の3月7日に、渡辺真一郎議長に辞職願を提出し、本会議で許可された。同時に町長選への立候補を表明した。 佐瀬氏は1953年生まれ。会津高卒。2012年2月の町議選で初当選。2015年6月の町長選に立候補し、前後氏に敗れた。得票は前後氏5458票、佐瀬氏が2781票だった。その後、2016年2月の町議選で返り咲きを果たした。2019年6月の町長選にも立候補し、前後氏と再戦。得票は前後氏が4294票、佐瀬氏が3539票と最初のダブルスコアでの落選から、だいぶ票差を詰めたが当選には届かなかった。2020年の町議選で三度目の返り咲きを果たしたが、前述したようにすでに辞職して町長選に向けた準備に入っている。 過去3回の町長選の結果2011年6月26日投開票当5066前後 公(69)無新4242渡部英一(59)無新投票率72・50%2015年6月21日投開票当5458前後 公(73)無現2781佐瀬 真(61)無新投票率66・83%2019年6月23日投開票当4294前後 公(77)無新3539佐瀬 真(65)無新投票率66・46%  佐瀬氏について、前号記事では町民のこんな見解を紹介した。 「最初の町長選(2015年)は、佐瀬氏本人も『予行演習』と言っていたくらいで、2期目を目指す現職の前後氏に勝てるとは思っていなかったようです。ただ、2回目(2019年)は本気で取りに行くと意気込んでいた。結果は、1回目よりは善戦したものの、現職の前後氏に連敗となりました。その後は地元を離れて仕事をしているという情報もあったが、翌年(2020年)の町議選で復帰したことで、次の町長選も出るつもりだろうと言われていました。ですから、佐瀬氏の立候補表明は予想通りでした」 さらにはこんな声も。 「佐瀬氏は過去2回、町長選に出ていますが、いずれもその翌年の町議選で議員に復帰しています。『町長選がダメでも、また町議に戻ればいい』とでも考えているのではないかと疑ってしまう。少なくとも、私からしたらそういう感じがミエミエで、町民の中にも『どれだけ本気なのか』、『そんな中途半端では応援する気になれない』という人は少なくないと思いますよ」 4月号締め切り(3月27日)時点で、佐瀬氏のほかに立候補の意思を明らかにしている人物はいなかった。ただ、「前後氏の後継者が立候補することが確実視される」と書いた。その背景には、前後氏の後援会関係者からこう聞いていたからだ。 「前後町長は後援会役員に、『今期で引退する。後継者は私が責任を持って決める。私が決めた人で納得してもらえるなら、応援してほしい』と宣言しました」 その中で、名前が挙がっていたのが元町議の神田功氏(70)。2008年の町議選を最後に議員を引退した。現在は、家業である民宿を経営している。 ある関係者によると、「本人(神田氏)は出たかったようで、前後町長も神田氏から『やりたいので応援してほしい』と言われたら、それでもいいと考えていたように思います」という。 一方で、前後氏の支持者はこう話していた。 「神田氏はもともとは前後町長の対立側にいた人物で、もし、神田氏が前後町長の後継者に指名されたら、後援会関係者の中には、『神田氏では納得できない』という人も出てくるかもしれない」 前後氏後継者の人物評 【公式】にへい盛一(二瓶盛一)後援会ホームページ より  その後、3月28日に道の駅猪苗代駅長の二瓶盛一氏が立候補表明したことが伝えられた。以下は福島民友(3月29日付)より。 《任期満了に伴い6月13日告示、同18日投票で行われる猪苗代町長選で、新人で道の駅猪苗代駅長の二瓶盛一氏(69)は28日、立候補を表明した。同町で記者会見を開き、「町の未来を考えて立候補を決意した。観光誘客の一層の充実を図りたい」と語った。二瓶氏は猪苗代町出身。中央大経済学部卒。福島民報社専務、ラジオ福島専務、民報印刷社長を経て、2020年から道の駅猪苗代の駅長を務める》 二瓶氏について、前後氏の後援会関係者はこう話す。 「地元紙で報じられたように、二瓶氏は福島民報社出身で、同社専務、ラジオ福島専務、民報印刷社長などを務めたほか、同社系のゴルフ場にいたこともあり、誘客施設での経験もあったことから、前後町長が『力を貸してほしい』と頼んで、道の駅駅長として招聘した人物です。『真面目で一生懸命』というのが周囲の評価で、道の駅では売り上げを伸ばしたと聞きます。行政経験はないものの、学歴(中央大経済学部卒)も申し分なく、いまの時代は経営感覚を持った人の方がいいといった考えから、後継者に指名したようです」 前後町長は後援会関係者に「二瓶氏を後継者に据えたい」旨を伝え、了承されたという。選挙では前後町長の後援会が全面バックアップすることになる。 町内では「前後町長の支援があるのは大きいが、あまり知名度がないのがネックだろう」との声が聞かれた。ただ、前出・前後氏の後援会関係者は「猪苗代町出身で、町内には親戚もいるから、知名度云々は、そこまでの不安材料ではない」と打ち消した。 一方で、ある有力者は次のように話す。 「4月2日にリステル猪苗代で猪苗代青年会議所の45周年式典があり、その席で会った。町長選への立候補表明後、初めての公の場だったが、顔と名前を売ろうとガツガツした感じではなく悠然と構えていた。そういう性格なんでしょうね」 こうして、同町長選は「前後町長の後継者」である二瓶氏と佐瀬氏の争いになることが濃厚となったわけだが、どんな点が争点になるのか、有権者がどのような審判を下すのかが注目される。 その後(追記6/5) 2023年6月1日、猪苗代町長選に新人・高橋翔氏が出馬表明。 https://twitter.com/ShowTakahashi/status/1664169426277777408 あわせて読みたい 各地の選挙に出続ける髙橋翔氏の素顔

  • 福島県民を落胆させた岸田首相の言い間違い【岸田文雄首相(中央)と、山本育男富岡町長(左)、内堀雅雄知事】

    福島県民を落胆させた岸田首相の言い間違い

     4月1日、富岡町夜の森地区に指定された特定復興再生拠点区域の解除セレモニーが開かれ、岸田文雄首相らが出席した。 同セレモニーでは岸田首相があいさつするシーンがあり、多くの町民が足を運んで耳を傾けた。ところが、「福島」を「福岡」と間違え、場内が一気にシラケるシーンがあった。 《あいさつの終盤で「福島の復興なくして日本の再生はない。こうした決意を引き続きしっかりと持ちながら、富岡町そして福岡の、失礼、福島の復興に政府を挙げて取り組む」と述べた》(福島民友4月2日付) 記者は現場であいさつを聞いていたが、夜の森の桜並木の中での生活が12年ぶりにできることを強調し、そのうえで帰還困難区域すべての避難指示解除を目指す方針を示した。 要するに住民の心情に寄り添い、避難指示解除への決意を力強く述べた後だったのだ。それだけに言い間違いへの脱力感は大きく、隣にいた新聞記者は小さい声で「ふざけるなよ」とつぶやいた。 ぶら下がり取材でこの件について問われた山本育男富岡町長は「単なる言い間違いでしょう」と一笑に付したが、あまり言い慣れていない地名だからこそ、咄嗟に「福岡」と言い間違えたのではないか。そういう意味では、思わぬ形で福島の位置づけが見えた瞬間だった。 あわせて読みたい 【原発事故から12年】終わらない原発災害 【原発事故から12年】旧避難区域のいま【2023年】写真

  • 未完成の【田村市】屋内遊び場〝歪んだ工事再開〟【屋根が撤去されドームの形がむき出しになった建物(2022年8月撮影)】

    未完成の【田村市】屋内遊び場「歪んだ工事再開」

    (2022年9月号)  2021年4月、設置した屋根に歪みが見つかり、工事が中断したままになっている田村市の屋内遊び場。対応を協議してきた市は、計1億5000万円の補正予算を組んで工事を再開させる予定だが、違和感を覚えるのは原因究明が終わっていない中、歪みを生じさせた業者に引き続き工事を任せることだ。それこそ〝歪んだ工事再開〟にも映るが、背景を探ると、白石高司市長の苦渋の決断が浮かび上がってきた。 前市長の失政に未だ振り回される白石市長 白石高司市長  田村市屋内遊び場(以下「屋内遊び場」と略)は田村市船引運動場の敷地内で2020年8月から工事が始まった。計画では3000平方㍍の敷地に建築面積約730平方㍍、延べ床面積約580平方㍍、1階建て、鉄筋コンクリート造・一部木造の施設をつくる。利用定員は100人で、駐車場は65台分を備える。 総事業費は2億9810万円。内訳は建築が2億0680万円、電気が2600万円、機械設備が2340万円、遊具が4190万円。財源は全額を「福島定住等緊急支援交付金」と「震災復興特別交付金」で2分の1ずつまかない、市の持ち出しはゼロとなっている。 2021年3月には愛称が「おひさまドーム」に決まり、あとは同7月のオープンを待つばかりだった。ところが同4月、工事は思わぬ形で中断する。設置した屋根が本来の高さから5㌢程度沈み、両側が垂れ下がるなどの歪みが生じたのだ。 建物本体の施工は鈴船建設(田村市、鈴木広孝社長)、設計は畝森泰行建築設計事務所(東京都台東区、畝森泰行社長。以下「畝森事務所」と略)とアンス(東京都狛江市、荒生祐一社長)の共同体、設計監理は桑原建築事務所(田村市、桑原俊幸所長)が請け負っていた。 問題発覚時、ある市議は本誌の取材にこう話していた。 「鈴船建設は『設計図通りに施工しただけ』、畝森事務所は『設計に問題はない』、桑原建築事務所は『監理に落ち度はない』と、全員が〝自分は悪くない〟と主張し、原因究明には程遠い状況と聞いている」 実は、屋内遊び場は非常にユニークなつくりで、市内の観光名所であるあぶくま洞と入水鍾乳洞をイメージした六つのドームに屋根を架ける構造になっている(別図①)。 屋根も奇抜で、一本の梁に屋根を乗せ、玩具「やじろべえ」の要領でバランスを取る仕組み。ただ、それだと屋根が落下する危険性があるため、別図②のように屋根の片側(下側)をワイヤーで引っ張り、安定させるつくりになっていた。 しかし、屋根を架けた途端、沈みや歪みが生じたことで、市は別図③のように棒で支える応急措置を施し、原因究明と今後の対応に乗り出していた。  ある業者は 「こういうつくりの建物は全国的にも珍しいが、行き過ぎたデザインが仇になった印象。屋内遊び場なんて単純な箱型で十分だし、空き施設をリフォームしても間に合う」 とデザイン先行のつくりに疑問を呈したが、市が鈴船建設、畝森事務所、桑原建築事務所を呼び出して行った聞き取り調査では原因究明には至らなかった。市議会の市民福祉常任委員会でも調査を進めたが、はっきりしたことはつかめなかった。 本誌は2021年7月号に「暗礁に乗り上げた田村市・二つの大型事業」という記事を載せているが、その中で屋内遊び場について次のように書いている。   ×  ×  ×  × (前略)前出・某業者が興味深い話をしてくれた。 「六つのドームから構成される屋内遊び場は一つの建物ではなく、単体の建物の集合体と見なされ、建築基準法上は『4号建築物』として扱われている。4号建築物は建築確認審査を省略することができ、構造計算も不要。建築確認申請時に構造計算書の提出も求められない。もし施工業者に問題がないとすれば、その辺に原因はなかったのかどうか」 畝森事務所は構造計算書を提出していなかったようだが、屋根にゆがみが生じると「構造計算上は問題ない」と市に同書を提出したという。4号建築物なので提出していなかったこと自体は問題ないのかもしれないが、ゆがみが生じた途端「構造計算上は問題ない」と言われても〝後出しジャンケン〟と同じで納得がいかない。 そもそも公共施設なのに、なぜ4号建築物として扱ったのか疑問も残る。主に小さい子どもが利用する施設なら、なおのこと安心・安全を確保しなければならないのに、建築確認審査を省略できて構造計算も不要の4号建築物に位置付けるのは違和感を覚える。4号建築物として扱うことにゴーサインを出したのは誰なのか、調べる必要がある。 ちなみに、畝森事務所・アンス共同体は2019年10月に行われた公募型プロポーザルに応募し、審査を経て選ばれた。請負金額は基本・実施設計を合わせて3000万円。審査を行ったのは、当時の本田仁一市長をはじめ総務部長、保健福祉部長、教育部長、経営戦略室長、こども未来課長、都市計画課長、生涯学習課長、公民館長の計9人だ。   ×  ×  ×  × 今回、この記事を補足する証言を得ることができた。当事者の一人、桑原建築事務所の桑原俊幸所長だ。 改正建築士法に抵触⁉  「確かに4号建築物は構造計算が不要だが、2020年3月に施行された改正建築士法で、4号建築物についても構造計算書を15年間保存することが義務化されたのです」 義務化の狙いは、建築物の構造安全性に疑義が生じた場合、構造安全性が確保されていることを建築士が対外的に立証できるようにすると同時に、建築設計の委託者を保護することがある。つまり、構造計算は不要とされているが、事実上必要ということだ。 「しかし畝森事務所は、歪みの発生を受けて白石高司市長が直接行ったヒヤリング調査の10日後に、ようやく構造計算書を提出した。最初から同書を持っていれば調査時点で提出できたはずなのに、10日も経って提出したのは手元になかった証拠。これは改正建築士法に抵触する行為ではないのか」(同) まさに、これこそ〝後出しジャンケン〟ということになるが、 「後から『構造計算書はある』と言われても構造計算の数値が合っている・合っていない以前の問題で、建築設計事務所としての信頼性が問われる行為だと思う」(同) 同時に見過ごしてならないのは、構造計算書が存在することを確認せず、図面にゴーサインを出した市の責任だ。最初に図面を示された際、市が畝森事務所に同書の存在を確認していれば、問題発生後に慌てて同書を提出するという不審な行動は起こらなかった。そういう意味では、市も安全・安心に対する意識が欠落していたと言われても仕方がない。 「畝森事務所は工事が始まった後も『軒が長いから短くしたい』と図面を手直ししていた。問題がなければ手直しなんてする必要がない。要するに、あの屋根は最初から奇抜だった、と。玩具『やじろべえ』の要領と言っても、1本の梁に7対3の割合で屋根を乗せる構造ではバランスが取れるはずがない」(同) 桑原所長は屋根に歪みが生じた2021年4月の出来事を今もはっきりと覚えていた。 「設計の段階で、畝森事務所と市には『こういう屋根のつくりで本当に大丈夫か』と何度も言いました。しかし、同事務所も市も『大丈夫』と繰り返すばかり。そこまで言うならと2021年3月末、現場で屋根を架けてみると、屋根自体の重さで沈み込み、ジャッキダウンしたらすぐに歪みが生じた。目の錯覚ではなく、水平の糸を使って確認しても歪んでいるのは明白だった」(同) ところが驚いたことに、それでも畝森事務所と市は、現場に持ち込んだパソコンでポチポチと数値を打ち込み「問題ない」と言い張ったという。自分たちの目の前で実際に沈み込みや歪みが起きているのに、パソコンの画面を注視するとは〝机上の空論〟以外の何ものでもない。 「結局、翌日には歪みはもっと酷くなり、棒などの支えがないと屋根は落下しそうな状態だった」(同) 前出の業者が指摘した「デザイン先行」は的を射ていたことになる。 「もし時間を戻せるなら」  建物本体を施工する鈴船建設の鈴木広孝社長は、本誌2021年7月号の取材時、 「施工業者はどんな建物も図面通りにつくる。屋内遊び場も同じで、当社は図面に従って施工しただけです。屋根を架ける際も、畝森事務所には『本当に大丈夫か』と何度も確認した。現場は風が強く、近年は台風や地震が増えており、積雪も心配される。ああいう奇抜なつくりの屋根だけに、さまざまな気象条件も念頭に確認は念入りに行った。それでも畝森事務所は『大丈夫』と言い、構造計算業者も『問題ない』と。にもかかわらず、屋根を架けて数日後に歪みが生じ、このまま放置するのは危険となった」 と話している。 今回、鈴木社長にもあらためて話を聞いたが、2021年と証言内容は変わらなかった。 「畝森事務所と市には『こんな屋根で本当に大丈夫か』と何度も尋ねたが、両者とも『大丈夫』としか言わなかった。問題発生後に行われた市の調査には『当社は図面通りに施工しただけ』と一貫して説明している。市からは、当社に非があったという類いのことは言われていない」 設計監理と施工に携わる両社にここまで力強く証言されると、屋根が歪んだ原因は図面を引いた畝森事務所に向くことになるが……。 本誌2021年7月号の取材時、畝森事務所は 「田村市が調査中と明言を避けている中、それを差し置いて当社が話すことは控えたい」 とコメントしたが、今回は何と答えるのか。 「田村市が話していること以上の内容を当社から申し上げることはできない。ただ、市の調査には引き続き協力していく意向です」 当事者たちの話から原因の大枠が見えてきた中、この間、調査を進めてきた市は事実関係をどこまで把握できたのか。 「各社から個別に聞き取り調査を行い、そこで分かったことを弁護士や一般財団法人ふくしま市町村支援機構に照会し、再び各社に問い合わせる作業を繰り返している。現時点では屋根が歪んだ原因は明確になっておらず、市として公表もしていません」(市こども未来課の担当者) 問題発覚後に開かれた各定例会でも、議員から原因究明に関する質問が相次いだが、市は明言を避けている。そうした中、白石市長が最も踏み込んだ発言をしたのが、2021年12月定例会(12月3日)で半谷理孝議員(6期)が行った一般質問に対する答弁だった。 「屋根の歪みの原因は設計か施工のいずれかにあると思っています。この件については、市長就任前の議員時代から情報収集しており、約1年前から屋根に懸念があるという情報をつかんでいました。もし時間を戻せるなら、施工前に設計者、施工者、発注者の市が話し合い、何らかの設計変更をすべきだったのではないか、と。もしタイムマシンがあれば戻りたいという気持ちです」 「施工者や監理者から話を聞いたところ、当初の図面から昨年(※2020年)12月に設計変更して、屋根の長さを短くしたとのことです。それは、自ずと屋根が歪むのではないか、この構造で持つのか、という投げ掛けがあり、屋根を小さくしたとのことでした。さらに施工前に懸念されていたことが、実際に施工して起きた、これも事実です。こうしたことを含めて、責任の所在がどこにあるのか考えていきたい」 明言こそしていないが、白石市長は設計側に原因があったのではないかと受け止めているようだ。 印象的なのは「もし時間を戻せるなら」「タイムマシンがあれば戻りたい」と繰り返している点だ。その真意について、前出の業者はこんな推測を披露する。 「屋内遊び場は、白石市長が就任前の本田仁一前市長時代に工事が始まり、就任後に歪みが生じた。白石市長からすると、本田氏から迷惑な置き土産を渡された格好。しかし自分が市長になった以上、本音は『オレは関係ない』と思っていても問題を放置するわけにはいかない。議員時代から調査していた白石市長は、そのころから『自分が市長ならこういうやり方でトラブルを回避していた』という思いがあったはず。だから、つい『時間を戻せるなら』と愚痴にも似た言葉が出たのでしょう。見方を変えれば、本田氏への恨み節と捉えることもできますね」 責任追及に及び腰のワケ  状況を踏まえると、歪みが生じた原因は明らかになりつつあると言っていい。にもかかわらず、市が責任追及の行動に移そうとしないのはなぜなのか。 某市議が市役所内の事情を明かしてくれた。 「責任の所在は業者だけでなく市にも一定程度ある。畝森事務所から上がってきた図面を見て、最終的にゴーサインを出したのは市だからです。逆に言うと、図面を見て『この屋根のつくりではマズい』とストップできたのも市だった。そういう意味では、市のチェック体制はザルだったことになり、業者だけを悪者にするわけにはいかないのです」 つまり、白石市長が責任追及に及び腰なのは身内(市職員)を庇うためなのか。某市議は「傍から見るとそう映るかもしれないが、そんな単純な話ではない」と漏らす。 「一つは、市町村役場に技術系の職員がいないことです。技術系の職員がいれば、図面を見た時に『この屋根のつくりはおかしい』と見抜いたかもしれないが、田村市役所にはそういう職員がいない。業者はそれを分かっているから『どうせ見抜けるはずがない』と自分に都合の良い図面を出してくるわけです。結果、図面上の問題は見過ごされ、専門知識を持たない市職員は提出された書類に不備がないか法律上のチェックのみに留まるのです。もう一つは、市職員はおかしいと思っても、上からやれと指示されたらやらざるを得ないことです。屋内遊び場をめぐり当時の本田市長が部下にどんな指示をしたかは分からないが、専門知識を持つ桑原建築事務所や鈴船建設が心配して何度確認しても、市は大丈夫と押し通したというから、担当した市職員は本田氏の強い圧力を受けていたと考えるのが自然でしょう」 こうした状況を念頭に「白石市長は市職員の責任を問うのは酷と逡巡している」(同)というのだ。 「本来責任を問うべきは当時の最終決定者である本田氏だが、本田氏は既に市長を退いており責任を問えない。じゃあ、本田氏から指示された市職員を処分すればいいかというと、それは酷だ、と。もちろん、最終的には市長自らが責任を負うことになるんでしょうが」(同) 事実、白石市長は前出・半谷議員の「これによって生じる責任の全てを業者ではなく、市長が負うと理解していいのか」という質問(2021年12月定例会)にこう答弁している。 「現時点では私が田村市のトップなので、全て私の責任で今後対応してまいります」 考えられる処分は市長報酬の一定期間減額、といったところか。 一方で、白石市長が原因究明を後回しにしているのは、屋内遊び場の完成を優先させているからという指摘もある。 屋内遊び場の事業費が全額交付金でまかなわれていることは前述したが、期限(工期)内に竣工・オープンしないと国から返還を迫られる可能性がある。当初の期限は2021年7月末だったが、市は屋根に歪みが生じた後、交付金の窓口である復興庁と交渉し、期限延長が了承された。しかし、新たに設定した期限(2022年度中の竣工・来年4月オープン)が守られなければ交付金は返還しなければならず、事業費は全額市が負担することになる。 もはや再延長は認められない中、市は2021年12月定例会で屋根の撤去費用1500万円、新しい屋根の葺き替え費用4500万円、計6000万円の補正予算案を計上し議会から承認された。ところが2022年6月定例会に、再び屋内遊び場に関する補正予算案として9000万円が計上された。ウッドショック(木材の不足と価格高騰)への対応や人件費など経費の高騰、さらには木造から鉄筋に変更したことで工程上の問題が生じ、更なる予算が必要になったというのだ。 この補正予算案が認められなければ屋内遊び場は完成しないため、結局、議会から承認されたものの、計1億5000万円は市の一般財源からの持ち出し。すなわち全額交付金でまかない、市の持ち出しはゼロだったはずの計画は、一転、市が1億5000万円も負担する羽目になったのだ。 さらに問題なのは、引き続き工事を行うのが鈴船建設、畝森事務所・アンス共同体と顔ぶれが変わらないことだ(桑原建築事務所は8月時点では未定)。市民からは 「歪みを生じさせた当事者に、そのまま工事を任せるのはおかしい」 と〝歪んだ工事再開〟に疑問の声が上がっている。 「市民の間では、信頼関係が失われている面々に引き続き工事をやらせることへの反発が大きい。『そういう業者たちに任せて、ちゃんとしたものができるのか』と心配の声が出るのは当然です」(前出の業者) 1.5億円の「請求先」  そうした懸念を払拭するため、市では構造設計を専門とするエーユーエム構造設計(郡山市)とコンストラクション・マネジメント契約を締結。同社が市の代理人となって施工者、設計者、設計監理者との仲介に努めていくという。業者間の信頼関係が疑われる中、同社が〝緩衝材の役目〟を果たすというわけ。 「すでに工事が3~4割進んでいる中、業者を変更して工事を再開させるのは難しいし、そもそも他社が手を付けた〝瑕疵物件〟を途中から引き受ける業者が現れることは考えにくい。そこで、同じ業者にトラブルなく仕事を全うさせるため、市はコンストラクション・マネジメントという苦肉の策を導入したのです」(前出の市議) 市としては補助金返還を絶対に避けるため、なりふり構わず施設の早期完成を目指した格好。 ちなみに、エーユーエム構造設計には「それなりの委託料」が支払われているが、これも市の一般財源からの持ち出しだ。 最後に。同じ業者に引き続き工事を任せる理由は分かったが、竣工・オープン後に待ち受けるのは、市が負担した1億5000万円(プラスエーユーエム構造設計への委託料)をどこに請求するかという問題だ。なぜなら、これらの経費は屋根に歪みが生じなければ発生しなかった。本来なら市が負担する必要のない余計な経費であり、その「原因者」に請求するのは当然だ。言うまでもなく「原因者」とは屋根の歪みを生じさせた業者を指す。 今は中途半端になっている原因究明の動きだが、最終局面は2022年度中の完成・2023年4月にオープン後、1億5000万円を請求する際に迎えることになる。 (6/9追記)2023年5月、田村市屋内こども遊び場「おひさまドーム」がオープン 田村市屋内こども遊び場「おひさまドーム」(田村市HPより) おひさまドームオフィシャルサイト 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  • 福島県内にも複数存在「旧統一教会」の福島市議

    福島県内にも「旧統一教会」市議・シンパ議員も複数存在

    (2022年10月号)  安倍晋三元首相の銃撃事件でクローズアップされている政治家と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関係。自民党は党所属の国会議員と教団・関連団体とのつながりを調査し、2022年9月8日、衆参両院議長を除く379人中179人に何らかの接点があったと公表した。このうち選挙支援を受けるなど「一定の接点」があった121人は氏名が明かされたが、調査結果が実態をどこまで反映しているかは不透明だ。 実際、同13日には木原誠二官房副長官が関連団体主催の会合に出席していたことを発表。木原氏は、党への報告が漏れた理由を「秘書が出席し、会合出席の記録も記憶も残っていなかった。外部からの指摘で判明した」と釈明している。 木原氏と同様、後日判明するケースは今後も後を絶たないだろうが、問題は調査が進む国会議員とは対照的に、地方議員への調査は一切手付かずなことだ。 都道府県議と知事についてはマスコミが調査を進め、徐々に関係が明らかになっているが、市町村議レベルになると教団・関連団体とのつながりはよく分かっていない。 県内に目を向けると、2022年7月の参院選で初当選した星北斗氏が、選挙前に郡山市などのミニ集会で何度か挨拶していたことが判明。いわき市の内田広之市長も、2021年9月の市長選に向けた準備の過程で市内の教団支部施設を訪問していたが、両氏に共通するのは、その〝案内役〟が地元の自民党系市議だったことだ。 両市の議員ら関係者の話を総合すると、その自民党系市議たちが教団と〝深いつながり〟(信者?)を持つことは周知の事実だという。ただ、信教の自由は尊重されるべきだし、同僚としてこれまで迷惑を被ったこともなかったため、深く気にすることはなかったという。 風向きが変わったのは、言うまでもなく安倍元首相の銃撃事件がきっかけだ。教団名が変わっていたため気付かなかったが、世界平和統一家庭連合が旧統一教会であることを知り、その市議と今後どう付き合うべきか、他の同僚議員たちと頭を悩ませるようになった。 「党本部の調査は国会議員にとどまっており、現時点で地方議員には及んでいない。しかし、茂木敏充幹事長は『教団との関係を絶てない人とは同じ党で活動できない』と離党を促している。地方議員も国政選挙に携わる以上、調査対象になるのは確実だ」(ある自民党系市議) 問題の自民党系市議たちは市議会会派の要職を務めていたり、若手のホープといった立ち位置。しかし、教団との関係を絶たないと現在の役職を辞めてもらわなければならないし、将来のポストも望めない。 「とはいえ、もし彼らが熱心な信者なら脱会するのも簡単ではないはず。信教心を貫くのか、ポストを取りにいくのか、彼らも頭を悩ませているのではないか」(同) 市議らによると、自宅や事務所にはさまざまな雑誌や資料などが送られてくるが、彼らが当選後、旧統一教会系の月刊誌がいつの間にか送られてくるようになったという。「もちろん、購読申し込みをした事実はない」(同)。 両市の職員の間でも、教団とつながりを持つ市議がいることはウワサになっていたが、特段気に留めることはなかったという。 「ただ、一般質問の視点が独特だったり、議会内の言動が他の議員と少し違っていたり、今思えばどことなく教団色が滲み出ていたのかもしれませんね」(郡山市職員) 本誌には「〇〇市にも信者の市議がいる」「××市議の妻が信者だ」という情報が寄せられているが、自民党が今後、地方議員にどのような対応を迫るのか注目される。

  • 【箭内道彦】県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ

    【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ

    (2022年9月号)  県が地元クリエイターの育成に乗り出す。2022年8月30日、国内トップクリエイター6人を〝師範〟とする道場を開塾した。〝館長〟を務めるのは福島県クリエイティブディレクター(CD)の箭内道彦氏(58)。箭内氏をめぐっては本誌2021年3月号で「本来裏方であるはずのCDが目立ち過ぎている違和感」を指摘したが、今回も箭内氏を前面に立たせ、税金を使ってクリエイターを育成することへの違和感が聞こえてくる。 内堀知事の箭内道彦氏推しに業界辟易 内堀雅雄知事 箭内道彦氏(誇心館HPより)  「来たれ、やがてふくしまの誇りになるクリエイターたち。」 そんなキャッチフレーズのもと、入塾生の募集が始まったのは7月12日だった。道場の名は「FUKUSHIMA CREATORS DOJO(福島クリエイターズ道場)誇心館(こしんかん)」。 入塾生募集資料の一文を借りると《県内クリエイターのクリエイティブ力を強化し、様々なコンテンツを連携して制作するとともに、それらを活用して情報発信を行うことで、本県の魅力や正確な情報を県内外に広く発信し、風評払拭・風化防止や本県のブランド力向上を図る》ことを目的に、県が創設したクリエイター育成道場だ。 募集開始に合わせて県が開いた会見で、内堀雅雄知事は道場創設の狙いをこう説明した。 「震災から10年の節目が過ぎ、風化にあらがうには新しい挑戦が必要だ。福島で生活し、今の福島を肌で感じているクリエイターが切磋琢磨し、現場主義で福島の今を発信することは新しい挑戦につながる」(福島民友7月13日付より) 道場名は、県産農林水産物をPRする際に使用しているワード「ふくしまプライド。」を念頭に「故郷を誇り、人を誇る心はクリエイティブにとって大切な素地になる」との思いが込められているという。 「こういう人たちが講義してくれるなら、私もぜひ聞いてみたいですね。彼らがどんなことを考えながら作品を制作しているかは、とても興味深いですから」 と某広告代理店の営業マンが口にするように、魅力的なのは〝師範〟と位置付けられる講師陣の顔ぶれ(別表参照)。広告や映像などの仕事に携わる人にとっては豪華な布陣になっている。一般の人は名前を聞いてもピンと来ないかもしれないが、彼らが手掛けた作品を見れば「あー、知っている」となるに違いない。 クリエイター主な仕事など館長箭内道彦(郡山市出身)クリエイティブディレクタータワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」など。県クリエイティブディレクター師範井村光明(博報堂)CMプランナー、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」CMなど柿本ケンサク映像作家、写真家県ブランド米「福、笑い」「晴天を衝け」メインビジュアルなど小杉幸一アートディレクター、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」「来て。」「ちむどんどん」ロゴなど児玉裕一映像ディレクター「MIRAI2061」など。CMやミュージックビデオの映像作品企画・演出並河進(電通)コピーライター、クリエイティブディレクター県「ふくしま 知らなかった大使」など寄藤文平(文平銀座)アートディレクター県スローガン「ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま」など※福島民友7月13日付の記事をもとに作成  そして、その師範たちの上に立つ〝館長〟を務めるのが福島県CDの箭内道彦氏だ。 郡山市出身。安積高校、東京芸術大学を経て博報堂に入社。その後独立し、フリーペーパーの刊行、番組制作、イベント開催、バンド活動など幅広い分野で活躍する。携わった広告、ロゴマーク、グラフィック、ミュージックビデオ、テレビ・ラジオ等は数知れず、まさに日本を代表するCDと言っても過言ではない。福島県CDは2015年4月から務めている。 こうした国内トップクリエイターたちのもとで、一体どんなことが行われるのか。 入塾生募集資料によると、誇心館の開催期間は8月30日から2023年2月28日まで。会場は福島市と郡山市を予定し、師範ごとに分かれてのリアル・オンライン稽古(講義・実習)が行われる。初日となる8月30日は開塾・入塾式の後、初稽古と題して箭内館長による講義、師範ごとに分かれてのクリエイティブ・ディスカッション、全体懇親会。以降は9、10、11、12月と計4回の師範別稽古が行われ、2023年2月に成果発表会が開かれるスケジュールになっている。実習ではポスターデザインやロゴ、映像などを制作し、今冬にお披露目される県オリジナル品種のイチゴ「福島ST14号」のロゴデザインも任されるという。 受講料は無料で、入塾生の募集定員は30名程度。募集期間は7月31日で終了したが、県広報課によると、 「応募件数が何件あり、そこから最終的に何人選んだかは現時点(8月24日)で公表していません」 と言う。ちなみに対象者は 《福島県所在の事業所に所属するクリエイターや福島県を拠点に活動するフリーランスのクリエイター、学生等今後本県の情報発信に尽力いただける方》(入塾生募集資料より) 内堀知事が会見で話したように、県が主体となって地元の若手クリエイターを育成し、県の情報発信に携わってもらおうという狙いが見えてくる。卒業生は「誇心館認定クリエイター」に認定されるという。 他県には見られないユニークな取り組みと好意的な声もあるが、実は業界内の評価は芳しくない。 「箭内氏の枠」の弊害  館長の箭内氏をめぐっては、本誌2021年3月号「福島県CD 箭内道彦氏の〝功罪〟」という記事で、①県の動画制作業務はほとんどが箭内氏の監修となっているため、制作を請け負った業者は箭内氏の意向に沿った動画を制作しなければならず、やりにくさを覚える。②箭内氏は博報堂出身のため、プロポーザルに複数の業者が応募した場合、審査は同系列の会社(東北博報堂)が優位と業界内では捉えられている。③CDは本来裏方の仕事なのに、箭内氏は自分が一番目立っている――と書いた。 講師陣を魅力的と評した前出の営業マンも次のように話している。 「6人の師範が魅力的なのは間違いないんです。ただ、結局は〝箭内組〟の人たちなので(苦笑)、シラける部分もあるんですよね」 〝箭内組〟とは、6人がこれまで箭内氏と一緒に仕事をしてきた面々であることを念頭に「同じ感覚を持った一団」を皮肉を込めてそう呼称しているのだという。 「要するに、どこまで行っても箭内氏の枠から抜け出せない、と。そもそもクリエイティブとは、枠組みにとらわれない、自由な発想で仕事をすることを指す。そのクリエイターを育成するのに〝箭内組〟の面々を師範にしてしまったら、箭内氏の枠にはめ込んでしまうのと同じ。そうなると、クリエイター育成の趣旨からは外れてしまうと思う」(同) そのうえで、営業マンは誇心館の問題点をこう指摘する。 「一つは、県の事業なのに閉鎖的に進められていることです。定員を設けたということは、講義は入塾を認められた人しか受講できないと思うんです。せっかく国内トップクリエイターが講義するのに、限られた人しか受講できないのはもったいないし、税金を使う事業なら尚更、一般県民にも受講の権利がある。ユーチューブで講義をライブ配信し、アーカイブ化していくべきです」 「二つは、どういう基準で入塾生を選考したのかということです。例えば、電通や博報堂に所属していることが選考を左右していないか、あるいは箭内氏や師範たちとの〝個人的つながり〟が影響していないか。選考方法をきちんとディスクローズしないと、選考から漏れた人も納得がいかないと思う」 「三つは、卒業生を誇心館認定クリエイターに認定することです。この認定が、県の仕事を請け負う際のアドバンテージになってはマズいと思うし、認定を受けたから県のクリエイターとして認める、受けていないから認めない、ということが起きれば県内のクリエイターを分断することにもなりかねない」 県広報課に尋ねたところ▽講義を公開するかどうか、▽どういう基準で入塾生を選考したのか、▽誇心館認定クリエイターに認定されたことによるアドバンテージ――等々は 「現時点(8月24日)で公表していないので答えられない。ただ、プレスリリース後にお話しできる部分はあると思う」 ならば、プレスリリースがいつになるのか聞くと、 「それもお答えできない」 開塾まで1週間を切ったタイミングで質問しているのに、要領を得ない。ついでに箭内氏や師範に支払われる報酬等も尋ねてみたが 「公表していない」 ただ、事業を受託したのは山川印刷所(福島市)で、契約額は約5500万円とのことだった。 「そもそも、クリエイティブとは何かを分かっている人は誇心館に入塾しないのでは。真のクリエイターなら(箭内氏の)枠にはめ込まれることに反発するはずです」(前出の営業マン) 気になるのは、誇心館が事業化されることになった経緯だ。これについて、中通りで活動する中堅CDが意外な話をしてくれた。 「県や箭内氏は『政経東北』2021年3月号の記事をかなり気にしていたそうです。とりわけ某CDが記事中で発していたコメントは、かなり効き目があったとか」 そのコメントとは、県内の某CDが箭内氏に向けたものだった。 「本県出身のCDとして、地元の若手CDの育成に携わるべきではないか。例えば、箭内氏の人脈がなければ起用できないタレントを連れてきて『この素材を使ってこんな動画をつくってほしい』と若手CDを競わせ、最終的にはプロポーザルで決定するとか。箭内氏はいつかは福島県CDを退く。その時、後に続く人材がいなかったら困るのは県です。CDは教えてできる仕事ではなく当人のセンスが問われるが〝原石探し〟は先駆者として行うべき。しかし今の箭内氏は『オレがオレが』という感じで、後進の育成・発掘に注力する様子がない」 県と箭内氏にとっては〝痛いところを突かれた〟ということだろう。 税金を使って行う事業か 福島県庁  誇心館創設のきっかけをつくったと言っても過言ではない某CDは、何と評価するのか。 「自分が館長で、周りを〝箭内組〟で固めているのを見ると、やっぱり『オレがオレが』は変わらないということでしょう。県が地元クリエイターを育成するというなら、まずは内堀知事が前面に出て、県内のベテランCDらにも協力を仰ぎ、オールふくしまで取り組むべきだ。内堀知事と箭内氏が親しい関係にあることを知っている人からすると、県が箭内氏のために多額の予算を出して塾を開いたようにしか見えない」 そう言いつつ、某CDからは箭内氏を庇うような言葉も聞かれた。 「前回(2021年3月号)は箭内氏を批判したが、その後、考えが少し変わりました。悪いのは箭内氏ではなく、取り巻きではないかと思うようになったんです。取り巻きとは県や地元紙を指します。箭内氏は純粋に復興に寄与したいと自分にできることを精一杯やっているだけで、そんな箭内氏を県や地元紙が〝利用〟している状況が良くないのではないか、と。県や地元紙から『復興に力を貸してほしい』と言われれば、箭内氏は断りづらいでしょうからね」(同) しかし、箭内氏を批判することも忘れていない。 「自費を元手に、参加者から会費を集めて育成に臨むなら感心したでしょうが、税金を使ってやるのは違うんじゃないと思いますね。人材育成が必要なのはクリエイターだけじゃないのに、ここにだけ税金を使うのは、内堀知事と箭内氏が個人的に親しい関係にあるからと言われてもやむを得ない」(同) このほか「本気で育成する気があるなら、単年で終わるのではなく毎年行わなければ意味がない」とも語る某CD。一過性の取り組みでは育成に寄与しないことは、確かにその通りだ。

  • 【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾

    【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】

    (2022年10月号)  会津坂下町は老朽化している役場本庁舎の新築事業を進めている。もともとは2017年度から検討を行い、2022年度に完成のスケジュールで進められていたが、2018年9月に「財政上の問題」を理由に事業延期を決めた。それから4年が経ち、今年度から再度、庁舎建設に向けて動き出したのだが、町内では賛否両論が上がっている。 「4年前の決定」継続派と再考派で割れる 4年前の議論に上がった候補地図  会津坂下町役場本庁舎は、1961年に建設され老朽化が進んでいること、1996年に実施した耐震診断結果で構造耐震指標を大きく下回ったこと、本庁舎のほかに東分庁舎・南分庁舎があり、機能が分散して不便であること等々から、2017年度から新庁舎建設を検討していた。その際、国の補助事業である「市町村役場機能緊急保全事業」を活用すること、そのためには2020年度までに着工することを条件としていた。 町は2017年に、町内の社会福祉協議会や商工会、観光物産協会、区長・自治会長会の役員などで構成する「会津坂下町新庁舎建設検討委員会」を立ち上げ、調査・検討を諮問した。それに当たり、最大のポイントになっていたのは建設場所をどこにするか、だった。 同委員会では、①現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地、②旧営林署・保健福祉センター・中央公園用地、③南幹線南側町取得予定県有地――の3案を基本線に検討を行い、2018年2月、「現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地が適地である」との答申をした。 同年3月議会では、同案に関する議案が提出され、賛成13、反対2の賛成多数で議決した。 ところが、同年9月、町(齋藤文英町長=当時)は「事務事業を見直し、将来の財政状況を算定したところ、計画通り進めれば住民サービスに大きな影響を及ぼすことが予想されることになった。財政健全化を重視し新庁舎建設延期という重い決断をした」として、庁舎建設の延期を決めた。 それから4年。町は今年度から役場内に「庁舎整備課」を新設し、庁舎建設事業再開を決定した。今年度予算では関連費用として約6700万円が計上されている。 そんな中、5月12日付で町民有志「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から、議会に対して「会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議することを求める請願」が提出された。内容は次の通り。   ×  ×  ×  × 町民にとって関心の高い新庁舎の建設については、これまで様々な議論がなされてきました。特に建設場所については平成30(2018)年2月15日に会津坂下町新庁舎建設検討委員会から「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」を適地として選定した旨の答申がなされ、同年、町議会第1回定例会において、議案として提出され賛成多数で可決されました。 この流れを受け、昨年度までに用地買収や移転補償などのスケジュールが進捗していると聞き及んでおり、これについては本年3月において新聞報道等により周知の事実となりました。 しかしながら、この決定が既に4年前のものとなっており、その間、町における公共施設や公有地の状況の変化、社会情勢の変化に伴う民間施設や商業施設の状況の変化などが見られました。 会津坂下町新庁舎建設検討委員会からの答申書においても、選定理由の一つとして「中心市街地や周辺まちづくりへの寄与」といった観点が挙げられておりますが、この観点から新庁舎の建設場所を考えるにあたって、上記の様々な現状の変化を加味し、現状のままでよいか再度協議することは必要不可欠と考えます。 今後の会津坂下町のまちづくりを担う青年世代の多くがこの議論に関心をもっております。既に決定され、議決された内容ではありますが、下記の事項について強く請願いたします。 1、会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議すること。   ×  ×  ×  × 同請願は6月議会で、総務産業建設常任委員会に付託され、請願者が同委員会で意図や内容を説明した。委員会では請願は採択された。 議員の賛成・反対意見 東分庁舎・東駐車場用地と町が取得した隣接地  その後、本会議に諮られ、以下のような賛成・反対討論があった(「議会だより 206号」=7月25日発行より)。 賛成討論 渡部正司議員 議決の建設場所は、国からの財政支援措置と平成32(2020)年度までの着工が条件で決められたものであり、建設延期によって候補地選定の前提は崩れた。改めて協議すべきであり、本議案に賛成する。 小畑博司議員 庁舎建設が計画され、そのために全国各地を行政調査したが、建設コストは主たる課題にはならなかった。検討委員会の結果を受けて建設場所を決議した流れも、財政状況を反映したものではなかった。提案した根拠が違ったままの決議をそのままに進めることは説明責任が果たせない。本意見書は採択すべき。 反対討論 酒井育子議員 町民を代表した建設検討委員会の答申を無視し、また、提出議案、土地買収・跡地取り壊し料の予算を満場一致でした議会議決を無視している。自主財源の少ない当町、未来を担う子供たちに「負」を残してはいけない観点から反対。 五十嵐一夫議員 建設場所は4年前に議決済で、周辺に多少の社会情勢の変化があるが、その後にこの決定済の場所に欠陥が生じたわけではない。再度位置について議論をすることは、混乱を招くだけで採択・意見書提出に反対する。 山口亨議員 請願内容的には建設場所は「現本庁舎、北庁舎、東分庁舎、東駐車場用地」であることに反対ではないとのことで、単に話し合いを求めるというものだった。庁舎建設場所は、平成30(2018)年第1回定例会で議決しているものである。もし、この請願を可決すれば、町民に対しあいまいな話が独り歩きしてしまう可能性がある。現在、旧江戸鮨の解体工事が始まろうとしている。更には、令和7(2025)年4月には新庁舎での業務開始とのスケジュールも組まれている。あいまいなメッセージを町民に与えるべきではない。よってこの請願には反対。 これら討論の後、採決が行われ、賛成8、反対5の賛成多数で同請願は採択された。これを受け、議会は前段で紹介した請願書の内容と同様の意見書を、町執行部(古川庄平町長)に提出した。 請願者である「まちづくりを考える青年の会」の加藤康明代表に話を聞いた。 「町内の仲間内での飲食時や雑談の中で、『延期になっていた庁舎建設事業が再開されることになったが、いま建てるべきなのか』、『財政的な問題が理由で延期になったが、それをクリアできたとは思えない』といった話が出ました。私自身、最初に庁舎建設の話が出たころから2年前まで行政区長を務めていましたが、区の要望として、例えば街灯を増やしてほしいとか、子どもたちの通学路で歩道がないところがあるから何とかしてほしいとか、生活に直接関係する部分について、町にお願いしてきましたが、そのほとんどが『予算の問題』で実現しませんでした。そんな状況で庁舎を建てられるのか、と。さらには、この4年間で町内の生活環境は大きく変化しました。そんな中で、4年前の計画をそのまま進めていいのかと思い、請願を出しました」 加藤代表によると、「建設場所が現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地となっていること自体に反対ではない」という。 ただ、この4年間で坂下厚生病院が新築移転したこと、坂下高校が大沼高校と統合して会津西陵高校になり、同校は旧大沼高校の校舎を使っているため、事実上、坂下高校がなくなったこと、新築移転した坂下厚生病院の近くに、今年11月に商業施設「メガステージ会津坂下」がオープン予定であること――等々から、「生活環境が変わっていることを考慮すべき」(加藤代表)というのだ。 さらには、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で、建設資材が高騰しており、4年前と比べるとコスト増加は間違いない。 「これだけ、社会情勢が変わっているのに、4年前の計画をそのまま進めることが正しいのか。もう一度、議論してもらいたいというのが請願の趣旨です」(同) 懇談会の模様  町は議会からの意見書を受け、新庁舎建設検討委員会を立ち上げ(※2017年に立ち上げた委員会が解散されておらず、正確には「再開」だが、委員に変更等があった)、7月から検討を再開した。その中で、今後、町民の声を聞くために、まちづくり懇談会、新庁舎建設に関するアンケートを実施することになった。 それまで、町は4年前に決まった現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地に新庁舎を建設する考えだったようだ。その証拠に、昨年8月に東分庁舎・東駐車場用地に隣接し、競売物件になっていた寿司店の土地・建物を取得、今年5月から解体工事を進めていた。しかし、請願・意見書を受けて、場所を含めて再考することにしたのだ。 懇談会で示された資料に本誌が必要情報を追加  「これまで(4年前)の議論がゼロになったわけではありません。それも踏まえて、請願・意見書を受けて町民の声を聞くために、懇談会やアンケートを実施することにしました。3月時点で議会には2024年度内の完成目標というスケジュールを示しましたが、(請願・意見書を受けての再考で)少し遅れることになると思います」(町庁舎整備課) 懇談会は9月15日から30日の日程で、町内7地区で開催された。本誌はこのうち9月20日に開かれた坂下地区(中央公民館)での模様を取材した。その席で配布された資料には「請願・意見書を尊重し、状況の変化などを鑑みて、建設場所を含めて総合的に判断することにしました。そのための判断材料として、懇談会やアンケートなど、幅広く町民の声を聞く機会を設けることにしました」と記されていた。 懇談会では、「4年前に決まったのに、なぜ再考しなければならないのか」、「こんなことをしていたら、いつまで経ってもできない。早く建設すべき」といった意見が出た。中には、「議会は4年前に自分たちが決めたことを覆すとはどういった了見か。しかも、今年3月議会では関連予算を可決しており、わずか3カ月で方針転換した」との指摘も。 これには、懇談会に出席していた議員(請願に賛成した議員)が前段で紹介した請願に対する賛成討論と同様の説明を行った。 古川町長は「4年前の議決も、今回の意見書も、どちらも重く受け止めている。そんな中で、あらためて意見を聞くことにしたのでご理解願いたい」旨を述べた。 同地区はまちなかで役場に近いエリアということもあり、「いまの場所で早急に進めてほしい」といった意見が目立った。ただ、それ以外の地区では「4年前の計画をそのまま進めるのではなく、もっと深く議論すべき」といった意見も出たようだ。つまりは、役場に近い地区とそうでない地区では温度差がある、ということだ。 依然厳しい財政 会津坂下町役場  懇談会では事業延期の原因となった財政面についても説明があった。それによると、町の貯金である財政調整基金、減債基金、行政センター建設整備基金の合計は、2017年度末が約3億円だったのに対して、昨年度末は約13億8000万円に増えた。一方、町の借金である町債残高は2017年度末が約97億円、昨年度末が約77億円。昨年度の実質公債費比率は11・0%、将来負担費比率は49・1%で、この数年で少しずつ改善されてはいるものの、全国市町村の平均値と比べると高い数値となっている。 当日配布された資料には、「財政健全化の取り組みを進めたことで、各種財政指標は改善の傾向にあります。しかし、令和2(2020)年度の全国市町村平均値と比較すると依然として悪い状況ですので、今後の新庁舎建設に備えるためにも、より健全な財政運営に努めます」と書かれている。 10月には町民アンケートの実施を予定しており、町庁舎整備課によると、「年代や地区を分けたうえで、無作為抽出で15歳以上の1000人を対象に実施する予定」という。懇談会とアンケートを踏まえて最終的な決定をしていく方針だが、やはり最大のポイントは場所ということになろう。すなわち、4年前に決めた現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地なのか、それ以外か。 ちなみに、懇談会で配布された資料にはあくまでも1つの目安として、以前の決定地、南幹線沿い県有地、旧坂下高校跡地、旧厚生病院跡地が示されている。 町内では「場所は4年前に決まったところでいい。早急に進めるべき」といった意見や、「場所を含め、もう一度、深く議論すべき」、「そもそも、いま建設を行うべきなのか」といった意見が出て紛糾しているわけだが、1つだけ言えるのは、役場に直接的に関わっている人はともかく、庁舎が新しくなったところで、町民の日々の生活が豊かになるわけではない、ということ。それを指摘して締めくくる。 あわせて読みたい 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 【検証・内堀県政 第3弾】公開資料で見えた内堀知事の懐事情(2022年10月号)

    【検証・内堀福島県政 第3弾】公開資料で見えた内堀知事の懐事情

    (2022年10月号) ジャーナリスト 牧内昇平(+本誌編集部)  福島県知事の内堀雅雄氏(58)にはクリーン(清浄)な印象を持つ人が多いのではないだろうか。しかし、選挙というものにはやはりお金がかかる。内堀氏も例外ではないだろう。「政治と金」を監視するのはメディアの役目の一つだ。前回の知事選で内堀氏がどのようなお金の集め方、使い方をしたか。公開資料に基づいて調べてみた。シリーズ第3弾。 公開資料で見えた内堀知事の懐事情  選挙に出た人はどのようにお金を集め、何に使ったかを選挙管理委員会に届け出る義務がある。「選挙運動に関する収支報告書」だ。また、政治上の主義・施策を推進したり、特定の候補者を支持したりする「政治団体」も、毎年の収入と支出を届け出る。「政治資金収支報告書」である。これらの保存が義務づけられているのは3年間だが、過去の分の要旨は県報などにも載っている。それらの公開資料を読み解いていく。 2018年の知事選(10月11日告示、10月28日投票)に関して、内堀陣営の収支をまとめたのが表1である。 表1)2018知事選、内堀氏のお金の「集め方」「使い道」 収  入(寄付)支  出「ふくしま」復興・創生県民会議1620万円人件費556万3000円福島県医師連盟100万円家屋費410万6436円福島県歯科医師連盟100万円通信費93万5745円福島県農業者政治連盟50万円交通費0円福島県商工政治連盟50万円印刷費524万3099円福井邦顕50万円広告費160万4012円福島県薬剤師連盟10万円文具費7万1555円福島県中小企業政治連盟10万円食糧費5万3111円その他の寄付43万円休泊費97万5408円雑費171万6383円合計2033万円合計2026万8749円※選挙運動に関する収支報告書を基に筆者作成  内堀氏は18年8月24日から11月19日までのあいだに2000万円以上集め、ほぼ同額を使った。収入源は団体・個人からの寄付だ。「『ふくしま』復興・創生県民会議」という政治団体からの寄付が段違いに多い。これについては後述しよう。 ほかは、いわゆる業界団体からの寄付である。100万円ずつ寄付していたのは、県医師連盟と県歯科医師連盟。それぞれ県医師会、県歯科医師会による政治団体だ。50万円出した県農業者政治連盟は、農協(JA)関係の政治団体だ。同連盟は郡山市、たむら、いわき市、ふたばの4支部も2万5000円ずつ寄付していた。 試しに県医師連盟の政治資金収支報告書を調べてみると、18年10月5日に「陣中見舞い」として内堀氏に100万円渡していることが確認できた。少なくとも18~20年の3年間に限って言えば、内堀氏のほかは特定の候補者に「陣中見舞い」を送った記載はなかった。話はそれるが、県医師連盟の会計責任者の欄には「星北斗」氏とあった。今年夏の参院選で当選した自民党議員と同じ名前である。 政治団体「県民会議」とは? 内堀氏関連の政治団体の事務所所在地には、内堀氏の看板が立っていた=9月16日、福島市、牧内昇平撮影  さて、断然トップの1620万円を内堀氏に寄付した「『ふくしま』復興・創生県民会議」(以下、「県民会議」)とは、どんな団体なのか。 ここも政治団体として県選管に登録していた。政治資金収支報告書を読んでみると、事務所の所在地は福島市豊田町。県庁から少し歩いて国道4号を渡ったあたりだった。代表者は「中川治男」氏。会計責任者は「堀切伸一」氏である。「中川治男」氏と言えば、副知事や福島テレビの社長を務めた人物に同じ名前の人がいた。佐藤栄佐久知事(在任は1988~2006)の政務秘書として活躍したのは「堀切伸一」氏だった。 県民会議の18年分の収支報告書には興味深い事実がいくつかある。まずは支出。内堀氏個人に対して、8月24日に1600万円、11月19日に20万円を寄付したことが書いてある。金額は表1とぴったり合う。 次に収入だ。県民会議は18年、「政治団体からの寄付」で3650万円の収入を得ていたことが分かった。寄付の日付は8月23日。県民会議が内堀氏個人に1600万円を送る前日である。 この政治団体とは、どこか。寄付者の欄に書いてあったのは「内堀雅雄政策懇話会」という名前だった。 内堀氏の選挙資金源 記者会見で語る内堀雅雄知事=8月29日、県庁、牧内昇平撮影  内堀雅雄政策懇話会(以下、「政策懇話会」)。政治資金収支報告書によると、内堀氏の資金管理団体だった。(資金管理団体とは、公職の候補者が政治資金の提供を受けるためにつくる団体のこと。政治家一人につき一つしかつくれない) 代表者は内堀雅雄氏本人。会計責任者と事務所の所在地は、先ほどの県民会議と同じく「堀切伸一」氏と「福島市豊田町」だった。所在地はもちろん番地まで同じである。 ちなみに筆者が調べる限り、内堀氏の名前がついた政治団体がもう一つある。「内堀雅雄連合後援会」だ。こちらも事務所は福島市豊田町の同じ場所。代表者は中川治男氏。会計責任者は堀切伸一氏だった。 この三つの団体のあいだで、どのようなお金のやりとりがあったのか。政治資金収支報告書の内容をまとめたのが、表2の上の部分である。  ・18年8月23日、政策懇話会から県民会議へ3650万円 ・8月24日、県民会議から内堀氏本人へ1600万円。11月19日、さらに20万円 ・19年3月31日、県民会議から政策懇話会へ500万円 このような流れである。県民会議は多額の寄付を受けたのと同じ18年8月23日付で県選管に「設立」を届け出ていた。そして翌19年4月19日には解散している。 政策懇話会が内堀氏の選挙資金の供給源であることを確かめることができた。では、この団体はどうやってお金を集めたのか。それを示したのが表2の下部である。 政治資金収支報告書や県選管作成の資料を読むと、政策懇話会の収入欄のうち、「個人の負担する党費または会費」の欄には毎年1000万円近い金額が記入されていた。金額の下には、何人で負担したかが書いてある。例えば、18年の場合はこうだ。 「金額960万円」「員数192人」960を192で割ると5だ。全員が同じ額を負担したとすれば、1人5万円ずつ出したということになる。19、20年分の収支報告書を確認しても、やはり同様に、1人5万円ずつ出したとすると、「金額」と「員数」がぴったり合う。 ただし、この「党費または会費」では選挙資金は賄えないだろう。政策懇話会は2015年以降、自分の団体の経常経費(人件費や光熱水費、事務所費など)に年間数百万円使っている。15年は363万円、16年は626万円、17年は788万円である。年間約1000万円の「党費または会費」では、それほど手元に残らないはずだ。 そこで出てくるのが、「事業による収入」である。15~19年のあいだ、政策懇話会には毎年、「事業による収入」がある。事業は2種類で、一つは政策懇話会の「総会」だ。1年につき30万~43万円の収入があったと書かれている。それほど多くはない。 もう一つの事業が政治資金パーティーである。会の名前は「内堀雅雄知事を励ます会」。16年はホテル辰巳屋(福島市)、17年はホテルハマツ(郡山市)で開催された。 こちらの収入は巨額だ。16年のパーティーは、1677人から合計3218万円の収入を得ていた。17年は1249人から合計2809万円だ。20万円を超える対価を支払った団体の名前が県選管の資料に載っていた。 ・16年 福島県農業者政治連盟148万円 連合福島      100万円 福島県医師連盟     40万円 ・17年 福島県農業者政治連盟149万円 連合福島    100万円 福島県医師連盟    30万円 内堀氏は政治資金パーティーで金を集め、選挙に備えていたことが分かってきた。 表2の左端にある内堀雅雄連合後援会(以下、「連合後援会」)は、政治資金収支報告書を読むかぎり、2018年の知事選前後に大きな金の動きはなかった。政策懇話会から16年に300万円、17年に400万円、知事選後の19年4月1日に100万円を寄付されていたことだけは書いておこう。 また、少し古くなるが、内堀氏が初めて知事選に出た2014年、連合後援会が6人の個人から10万円ずつ寄付を受けていたことが分かった(5万円を超える寄付が県選管の資料に載っていた)。6人の氏名をインターネットで検索すると、内堀氏の古巣、自治省・総務省の官僚たち(主にOB)に同姓同名の人がいた。そのうちの一人は「荒竹宏之」氏。内堀氏が副知事時代、県庁の生活環境部次長、同部長を務めた人物と同じ名前だった。 お金の使い道は?  では次に、集めたお金の使い道である。表1にもどって右側を見てほしい。 2018年知事選における内堀氏の「選挙運動に関する収支報告書」によると、支出総額は2026万円。内訳として最も高額なのは「人件費」の556万円だった。 人件費は一般的に、ポスター貼りや演説会の会場設営などの単純作業を行う「労務者」、選挙カーに乗る「車上運動員」、選挙事務所で働く「事務員」らに支払われる。内堀氏陣営は労務者413人、車上運動員15人、事務員14人に日当を支払っていた。1人あたりの日当は労務者が5000円、車上運動員が1万円か1万5000円、事務員が8000円から1万円だった。 次に金額が大きいのが「印刷費」の524万円だ。内訳を見るとポスターの作成に149万円、法定ハガキの印刷などに180万円、などとあった。郡山市と福島市の宣伝・広告会社2社が受注していた。 支出の3番目が「家屋費」の410万円である。このうち334万円が「選挙事務所費」、76万円が個人演説会のための「会場費」だった。そのほか、「食糧費」は弁当や茶菓子代で、ドラッグストアなどで買っていた。「休泊費」は運動員のホテル宿泊代だった。 内堀氏が18年の知事選に使った費用の紹介は、ざっとこんなものである。しかし、一つ気がかりなことが残る。もう一度、表2を見てほしい。政策懇話会から県民会議に渡ったのは3650万円だ。そのうち1620万円が内堀氏本人に渡り、残った500万円は政策懇話会に戻された。それでも1500万円くらいが県民会議の手元に残るはずだ。県民会議はその金をどう使ったのか。 表3が県民会議の2018年の収支である。支出総額は3105万円。「政治活動費」(1683万円)の大半は先述した内堀氏本人への寄付である。気になるのは、「経常経費」が1421万円もかかっていることだ。光熱水費以外は数百万円、人件費に至っては800万円以上も使っている。誰に対して、いくら支払われているのか。調べてみると……。 表3)「県民会議」の収支 収入総額3650万円(前年からの繰越額)0円(本年の収入額)3650万円支出総額3015万円翌年への繰越額544万円 ※支出の内訳経常経費人件費853万円光熱水費7万円備品・消耗品費357万円事務所費203万円小計1421万円政治活動費組織活動費63万円寄付1620万円小計1683万円※2018年の収支 政治資金収支報告書を基に筆者作成  残念、これ以上のことは政治資金収支報告書を読んでも分からなかった。県民会議のような一般の政治団体の経常経費は、各項目の総額だけ届け出ればよいことになっているからだ。「選挙運動に関する収支報告書」と違って、各支出の内訳までは分からない仕組みになっていた。 前述した通り、県民会議は知事選の約2カ月前に設立届が出され、翌春に解散している。そのあいだの金の動きを見ても、知事選のための団体だったと考えていい。その団体の金の使い道について分からないのはモヤモヤが残る。 総務省は政治団体の経常経費について、「団体として存続していくために恒常的に必要な経費」としている。また一般的な意味で「経常費」と言えば、「毎年きまって支出する経費」(広辞苑)のことだ。 くり返しになるが、県民会議の活動が始まったのは8月中旬以降だ。設立からおよそ4カ月半で1421万円もの大金を経常経費として使ったことになる。1か月あたり約315万円である。知事選が行われた2018年にこれだけ多額の経費を何に使ったかが気になるところだ。一般の政治団体でも、特定の候補者を支持するためなどの「政治活動費」の支出は、1件あたり5万円を超えた場合、支払先などを明記する必要がある。県民会議の「経常経費」はこれに該当しないはずだが……。筆者は、登録上の代表者、会計責任者が同じ「連合後援会」に宛てて、県民会議の経常経費の使途を問う質問状を送ったが、9月26日の時点で返答はない。 もちろん、内堀氏や関連する政治団体が悪いことをしていると指摘するつもりはない。政治資金規正法に則ってきちんと届け出ている。しかし、それでも不明点が残ったのは事実である。「政治と金」は最大限透明化する必要がある。現行の政治資金規正法には改善すべき点が多い。 東北6県でトップの選挙運動費用  さて、ここからはほかと比べてみよう。表4は2018年の知事選に出た各候補者の得票数と選挙運動に使った金額である。一目瞭然。有効投票数の9割を超える票を獲得した内堀氏だが、その資金力も他の候補を圧倒していたと言える。 表4)2018知事選各候補の得票数と選挙運動費用 得票数(票)得票率運動費用(円)内堀雅雄65098291.20%20268749金山屯102591.40%197371高橋翔171592.40%467900町田和史350294.90%3175992※選挙運動に関する収支報告書を基に筆者作成  表5は東北6県の知事が選挙でどのくらい使ったかをまとめている。他県の知事と比べても内堀氏の選挙費用は少なくない。 表5)知事たちの選挙運動費用 都道府県氏名選挙実施日選挙運動費用青森県三村申吾2019年6月2日1400万円岩手県達増拓也2019年9月8日1054万円宮城県村井嘉浩2021年10月31日499万円秋田県佐竹敬久2021年4月4日1737万円山形県吉村美栄子2021年1月24日1793万円福島内堀雅雄2018年10月28日2026万円福島内堀雅雄2014年10月26日2427万円福島佐藤雄平2010年10月31日1633万円※選挙運動に関する収支報告書(要旨)などを基に筆者作成  別の観点から内堀氏の「お金」について考えてみる。県知事は「資産」、「所得」、「報酬を得て役員などを務める関連会社」の情報を報告する義務がある。内堀氏が2期目就任以降福島県に提出した各種報告書を表6にまとめた。この表を見ると、「預貯金 該当なし」などの記載に驚く人もいるかもしれない。しかし、これには理由がある。報告書に記載する必要があるのは、「普通預金と当座預金を除く」預貯金だ。つまり主に定期預金が報告対象になっている。また、土地・建物や自動車などは、本人ではなく家族名義のものには報告義務がない。政治資金収支報告書と同じで、ここにも透明化を阻む壁があった。ちなみに、知事を1期(4年)務めると約3400万円の退職金が出る。再選した場合は最後に一括して受け取ることもでき、内堀氏が現時点で退職金を受け取っているかどうかは分からない。     ◇ 以上、18年知事選での内堀氏陣営のお金の動きを調べてみた。新聞記事などによると、内堀氏の政治資金パーティーは今年5月に久しぶりに開催されたようだ。また、9月21日付の福島民報によると、今回の知事選では「チャレンジ・ふくしま」という政治団体が新たに設立され、再び中川治男氏が代表に就いたという。選挙に向けて内堀氏がどのくらいのお金を集め、どのように使うのかは要注目だが、筆者がそれを調べられるのは選挙が終わってしばらく経った頃のことだろう。 また、今回紹介できたのは、選管に報告されたいわゆる「表の金」にすぎない。「裏の金」があるのかないのか、それがいくらなのかは分からない。県民の関心が高い知事選について、有力候補者である内堀氏にスポットライトを当てて調べたが、県内のほかの選挙についても同様のチェックは必要だと考えている。 まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。公式サイト「ウネリウネラ」。   あわせて読みたい 無意味な海外出張を再開した内堀雅雄【福島県知事】 「尊敬する人」に箭内道彦氏を挙げた内堀知事

  • 【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

    【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

     2月に本誌編集部の電話が鳴った。 「前回(2019年4月)の市議選で当選した××(編集部注=現職議員の実名を挙げていたが、ここでは伏せる)の陣営が投開票日に日本酒の一升瓶を配っていた。今回の選挙でも同じことをするだろうから見張ってほしい」 現職議員に「買収疑惑」 2019年喜多方市議選投開票結果 当選十二村秀孝1402当選山口 和男1353当選坂内 鉄次1343故人当選山口 文章1274当選小島 雄一1243当選齋藤勘一郎1177当選菊地とも子1154当選小林 時夫1122当選渡部 一樹1121当選齋藤 仁一1107当選後藤 誠司1055当選五十嵐吉也1036当選佐藤 忠孝993当選渡部 勇一975当選佐原 正秀893当選長澤 勝幸884故人当選小澤  誠881引退見込み当選上野利一郎797当選矢吹 哲哉774当選伊藤 弘明722当選田中 雅人709引退見込み当選蛭川 靖弘709遠藤 吉正690補選で当選五十嵐裕和677関本美樹子521補選で当選小野木正英464  電話の主は声からすると中年の男性。公衆電話からかけていた。現職議員とその支持者の実名を挙げていた。かなり踏み込んだ内容も話していたが、真偽は不明。詳述すると現職議員が誰か特定され、不利益を被るおそれがあるので避ける。市議選が近いため、他陣営によるネガティブキャンペーンの可能性もある。疑惑の現職議員に直撃取材をしたいのはヤマヤマだが、情報提供はまだウワサの段階。選挙妨害を懸念し、取材は控えている状況だ。 任期満了に伴う喜多方市議選は4月16日告示、同23日投開票で行われる。2月6日に開かれた立候補予定者説明会では定数22に対し27陣営が出席し、選挙戦となる見通し(2月8日付福島民友より)。出席者全員が立候補すれば5人が落選する。 出席者は説明会の受け付け順に次の通り(敬称略)。 現職は、小林時夫(4期)、伊藤弘明(7期)、遠藤吉正(2期)、十二村秀孝(1期)、佐藤忠孝(6期)、渡部勇一(7期)、上野利一郎(2期)、齋藤勘一郎(6期)、佐原正秀(7期)、山口文章(1期)、齋藤仁一(8期)、蛭川靖弘(1期)、小島雄一(2期)、後藤誠司(4期)、菊地とも子(2期)、五十嵐吉也(5期)、関本美樹子(2期)、山口和男(11期)、渡部一樹(4期)、矢吹哲哉(3期)の20人。小澤誠(5期)と田中雅人(7期)は欠席したので不出馬の見込み。 新人は田沢徳、高畑孝一、小林賢治、渡部忠寛、田中修身、坂内まゆみ、渡部崇の7人。 電話の主は「前回の市議選で立候補者の支持者が一升瓶を配った」と言った。現職議員のうち、遠藤氏と関本氏は前回の市議選で落選し、昨年1月に行われた補選で返り咲いたため該当しない。 また、電話の主は「今回も配るだろうから政経東北に情報提供した」とも言った。小澤氏と田中氏は不出馬の見込みだから違う。本誌は実名を明かすことを控えるが、以上の事実から、残った現職18陣営のうちの1陣営が疑惑を掛けられていることがお分かりいただけるだろう。 喜多方市議の問題は今回が初めてではない。本誌昨年1月号「喜多方市議長『現金配布問題』の裏話」という記事では、当時の議長が2021年に行われた衆議院選挙期間中に同僚議員に現金を渡したことが公職選挙法に抵触する恐れがあるため議長を辞職した問題を報じた。明るみになった背景には会派内での内輪揉めがあった。同市議会が清廉潔白からは遠いことを示す事例だ。 本誌が今回の選挙戦に水を差してまで情報提供があったことを知らせるのは、候補者に公正な選挙運動を求めたいからだ。候補者本人だけでなく、支持者にも事実であれば猛省を促したい。 あわせて読みたい 【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」

  • 〝不祥事連続〟楢葉町で行われていた「職員カンパ」

    【不祥事連続】楢葉町で行われていた「職員カンパ」

     楢葉町議会3月定例会の一般質問で、同町職員の不祥事が相次いでいる件についての質問が行われた。 2021年9月には、産業振興課職員が、会計業務を担当していた楢葉町土地改良区と楢葉町多面的機能広域活動保全会の通帳から、約3800万円を横領していたことが発覚した(※)。 昨年2月には、建設課職員が複数の指名競争入札で指名業者名や設計価格を漏洩したとして、公契約関係競売入札妨害及び官製談合防止法違反の容疑で逮捕、起訴された。 昨年4月には、政策企画課職員が退庁後、道路交通法違反(無免許運転)で現行犯逮捕された。 町では昨年9月、再発防止に向けた「職員・組織改善計画」を策定した。だが、同12月には、建設課職員が災害公営住宅の家賃管理システムを不正操作し、自分宅の家賃納付約127万円を免れていたことが発覚。もはや手の打ちようがない状況となっている。 3月定例会で注目されたのは、再発防止策と併せて、町議やマスコミに送付された「通報書」の真偽だった。前述・家賃管理システム不正操作について、「町が令和3年から隠蔽している」とする匿名の通報書が出回っていた(本誌2月号参照)。そのため、松本明平町議(1期)、結城政重町議(8期)が「通報書の内容は事実なのか」と追及した。 町執行部は「町役場には届いていないが、町議から見せてもらい中身は確認した。家賃管理システム不正操作に関しては、昨年12月に初めて分かったもので隠蔽していた事実はない。監査でも分からなかった」と答弁し、通報書の内容をあらためて否定した。そのうえで、「チェック体制を含め、不祥事が起きにくい仕組み作りを進めていく」と述べた。 差出人はあえて事実でない内容を記したのか、それとも町の方が事実を伏せているのか。いずれにしても、これだけ職員不祥事が連続し、こうした通報書が出されるのは異常だ。そのことを重く受け止め、職員の意識改革など具体的な対策を打ち出し、講じていく必要があろう。 気になるのは、同町役場の〝体質〟だ。町総務課への取材や町議会での過去のやり取りによると、2021年9月の公金横領の後には、町職員がカンパを集めていたという。 土地改良区などが元職員への訴訟を提起することになったのに加え、各種支払いもあったため、資金不足に陥った。そうした中、係長レベルの職員が中心となって、「会計業務を引き継いだのは同じ町職員。助け合おう」と呼びかけ、土地改良区などへのカンパを募った。1人約1万円を支払い、総額100万円になったようだ。 町総務課の担当者は「横領した元職員を支援する狙いは一切ない。横領された金額の穴埋めではなく、あくまで助け合い」と強調したが、職員不祥事の〝後始末〟を同僚の負担で行うのは疑問が残る。 町内の事情通はこう指摘する。 「不祥事の責任を取るべきは、町長であり、土地改良区理事長でもある松本幸英氏のはず。〝善意のカンパ〟で対応すれば責任の所在があいまいになるので、役場が止めるべきだったと思います。昨年12月の家賃管理システム不正操作については、町長は減給対象にすらなっていない。こうした責任をとらない体質が、役場内に〝ぬるま湯〟の空気を生み出しているのではないか」 本誌2月号記事では、神戸国際大学経済学部教授の中村智彦氏が「倫理教育を徹底し、不正行為に手を染めれば、その後の人生がどうなるのか、はっきり示すことが職員不祥事の再発防止において重要」と話していた。松本町長は職員不祥事の連鎖を断ち切ることができるのか、今後の対応が注目される。 ※元職員はその後、町と土地改良区から民事・刑事で訴えられ、土地改良区に4157万4684円(遅延損害金含む)、町に30万1309円の支払いを命じる判決が下された。ただ、未だに支払いは行われておらず、町は弁護士と対応を協議している。 あわせて読みたい 楢葉町で3年連続職員不祥事

  • 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

    桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

     本誌1月号に「桑折・福島蚕糸跡地から廃棄物出土 処理費用は契約者のいちいが負担」という記事を掲載した。 桑折町の中心部に、福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸)跡地の町有地がある。面積は約6㌶で、その活用法をめぐり商業施設の進出がウワサされたが、震災・原発事故後に災害公営住宅や公園が整備された。残りの土地を活用すべく、町は公募型プロポーザルを実施。2021年5月、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会が「最優秀者」に選ばれた。 食品スーパーとアウトドア施設、認定こども園が整備される計画で、定期借地権設定契約を締結、造成工事がスタートしていた。記事は、そんな同地から廃棄物が出土し、工事がストップしたことを報じたもの。福島蚕糸の前に操業していた群是製糸桑折工場のものである可能性が高いという。 その後、1月31日付の福島民友が詳細を報じ、〇深さ約30㌢に埋められていたこと、〇町は県やいちいと対応を協議し、アスベスト(石綿)を含む周辺の土ごと除去したこと、〇廃棄物は約1000㌧に上ること――が新たに分かった。 町議会3月定例会では斎藤松夫町議(12期)がこの件について町執行部を追及した。そこでのやり取りでこれまでの経緯が具体的になった。 最初に町が地中埋設物の存在を把握したのは昨年6月ごろで、詳細調査した結果、廃棄物であることが分かった。町がそのことを議会に報告したのは今年1月17日だった。。 そこで報告されたのは、処理費用が5300万円に上り、それを、いちいと町が折半して負担するという方針だった。 斎藤町議は「廃棄物に関しては、この間の定例会でも報告されず、『政経東北』の報道で初めて事実を知った。なぜここまで報告が遅れたのか」と執行部の対応を問題視した。 高橋宣博町長は「廃棄物が出た後にすぐ報告しても、結局その後の対応をどうするかという話になる。あらかじめ処理費用がどれだけかかるか確認し、業者と協議し、昨年暮れに話がまとまった。議会に説明する予定を立てていたところで『政経東北』の記事が出た。決して隠していたわけではない。方向性が定まらない中で説明するのは難しかった」と釈明。「今後、議会にはしっかりと説明していく」と述べた。 一方、プロポーザルの実施要領や契約書には、土地について不測の事態があった際も、事業者は町に損害賠償請求できない、と定められている。にもかかわらず、廃棄物処理費用を折半とする方針について、斎藤町議は「なぜ町が負担しなければならないのか。根拠なき支出ではないか」とただした。 これに対し高橋町長は「瑕疵がないとしていた土地から廃棄物が出ていたことに対しては、事業者(いちい)の考え方もある。信頼関係を構築し、落としどころを模索する中で合意に達した」と明かした。 斎藤町議は本誌取材に対し、「いちいに同情して後からいくらか寄付するなどの方法を取るならまだしも、プロポーザルの実施要領や契約書の内容を最初から無視して折半にするのは問題。根拠のない支出であり、住民監査請求の対象になっても不思議ではない」と指摘した。 福島蚕糸跡地の開発計画に関しては、公募型プロポーザルの決定過程、町の子ども子育て支援計画に反する民間の認定こども園整備について疑問の声が燻り続けている。斎藤町議は追及を続ける考えを示しており、今後の動向に注目が集まる。

  • 【鏡石町】遊水地で発生するポツンと一軒家

     国が鏡石町、玉川村、矢吹町で進めている阿武隈川遊水地計画。対象地域の住民は全面移転を余儀なくされるため、さまざまな不安が渦巻く。このため、鏡石町議会では「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げ、同事業の調査・研究を行っている。今年2月には同計画対象地域の隣接地の住民から議会に陳情書が提出され、同委員会で審議された。 取り残される世帯が議会に「陳情」  令和元年東日本台風被害を受け、国は「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を進めており、遊水地計画はその一環として整備されるもの。鏡石町、玉川村、矢吹町の3町村にまたがり、総面積は約350㌶、貯水量は1500万から2000万立方㍍。用地は全面買収し、対象地の9割ほどが農地、1割弱が宅地となっている。それらの住民は移転を余儀なくされる。計約150戸が対象で、内訳は鏡石町と玉川村が60〜70戸、矢吹町が約20戸。 住民からしたら、もうそこに住めないだけでなく、営農ができなくなるわけだから、「補償はどのくらいなのか」、「暮らしや生業はどうなるのか」といった不安がある。 中には、以前の本誌取材に「補償だけして『あとは自分で生活再建・営農再開してください』という形では納得できない。もし、そうなったら〝抵抗〟(立ち退き拒否)することも考えなければならない」と話す人もいたほど。 そのため、鏡石町議会では遊水地計画の調査・研究をしたり、国や町執行部に提言をしていくことを目的に、昨年6月に「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げた。委員は議長を除く全議員で、委員長には計画地の成田地区に住所がある吉田孝司議員が就いた。 3月10日に開かれた同委員会では、2月16日に計画対象区域の隣接地の住民から議会に出された陳情書について審議された。 陳情者は滝口孝行さんで、陳情内容はこうだ。 ○滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にある。洪水の危険性があるにもかかわらず、遊水地の事業範囲から除外されており、遊水池整備後も水害の心配が残る。 ○遊水地ができれば、自宅の目の前に高い塀(堤防=計画では最大6㍍)ができ、これまでの美しい田園風景が損なわれる。そのような場所で生活しなければならないのは大きなストレスになる。 こうした事情から、事業範囲を変更してほしい、すなわち「自分のところも計画地に加えるなどの対応をしてほしい」というのが陳情の趣旨である。 写真は同委員会の資料に本誌が注釈を加えたもの。  遊水地の対象地域のうち、真ん中よりやや上の左側が住宅密集地となっており、そこから100㍍ほど離れたところに滝口さんの自宅がある。これまでは「集落からちょっと離れた家」だったが、遊水地内の住宅が全面移転すると、〝ポツンと一軒家〟になってしまう。 加えて、遊水地は周囲堤で囲われるため、自宅の目の前に大きな壁ができることになる。「これまでの田園風景から一変し、そんなところで生活していたら、頭がおかしくなってしまいそう」というのが滝口さんの思いだ。 しかも、滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にあり、常に水害の危険がある。 国は追加の考えナシ 鏡石町成田地区  3月10日の委員会に参考人として出席した滝口さんの説明によると、令和元年東日本台風時の被害は「床下浸水だった」とのこと。 ただ、議員からは「『昭和61(1986)年8・5水害』の時は床下浸水だったところが、今回の水害ではほとんどが床上浸水だった。水害の規模はどんどん大きくなっているから、(滝口さんの自宅が)今回は床下浸水だったからといって、今後も安全とは限らない」として、滝口さんを救済すべきとの意見が出た。 遊水地の計画地である成田地区に自宅があり、同委員会委員長の吉田議員によると、「成田地区では以前からこの件が問題になっていた」という。すなわち、「滝口さんだけが取り残されるような形になるが、それでいいのか」ということが問題視されていたということだ。 実際、吉田議員は昨年10月21日に開かれた同委員会で、滝口さんの自宅の状況を説明し、「当人がどう考えているかを考慮しなければならない」と述べていた。 ただ、その時点では「直接、滝口さんの意向を聞きに行こうとしたところ、稲刈りなどの農繁期で忙しいため、すぐには難しいと言われ、いま(委員会開催時の昨年10月21日時点で)はまだ話を聞けていない」とのことだったが、「滝口さんのことも考える必要があると思っています」と述べていた。 その後、滝口さんから今回の陳情書が提出されたわけ。 実は、昨年10月21日の委員会には国土交通省福島河川国道事務所の担当者が出席していた。その際、滝口さんが取り残される問題に話が及んだが、福島河川国道事務所の担当者は「同地(滝口さんの自宅敷地)を計画地に追加する考えはない」と答弁していた。 1人の陳情では弱い 木賊正男町長  そうした経過もあってか、滝口さんの陳情の審議に当たっては、議員から「滝口さん1人(個人)の陳情では国の意向は変えられない。成田地区全体でこの件を問題視しているのであれば、成田地区の総意としてこういう意見がある、といった形にできないか」との意見が出た。 見解を求められた木賊正男町長は次のように答弁した。 「昨年6月の町長就任以降、説明会等での対象地域の皆さんの要望や、国との協議の中で、1世帯(滝口さん)だけが残るのは、町としても避けなければならないと考えていた。どんな手立てがあるのか検討していきたい」 最終的には、町として、あらためて成田行政区や今回の遊水地計画を受けて結成された地元協議会の意向を聞く、ということが確認され、滝口さんの陳情は継続審査とされた。 委員会後、滝口さんに話を聞くと次のように述べた。 「基本的には、陳情書(委員会で説明したこと)の通りで、私自身はそういったいろいろな不安を抱えているということです」 当然、国としては必要以上の用地を買い上げる理由はない。しかし、水害のリスクが残る場所で、1軒だけが取り残されるような形になるわけだから、町として何ができるかを考えていく必要があろう。 もう1つ付け加えると、原発事故の区域分けの際も感じたが、「机上の線引き」が対象住民の分断を招いたり、大きなストレスを与えることを国は認識すべきだ。

  • いわき市で再起を図る2人の政治家【鳥居作弥】【清水敏男】

     元県議の鳥居作弥氏(49)が昨年末で立憲民主党を離党し、日本維新の会からの立候補を模索している。本人に会ってその狙いを聞いた。 失意の衆院選出馬断念から1年半 立憲から維新に移った鳥居作弥氏 鳥居作弥氏  鳥居作弥氏は1974年3月生まれ。磐城高校、獨協大学経済学部卒。吉田泉衆院議員の秘書を務め、2011年、県議選いわき市選挙区に民主党から立候補して落選。15年の県議選で約7500票を獲得し、初当選を果たしたが、19年の県議選で国民民主党から立候補して再び落選した。 その後、立憲民主党入りし、21年には県連副代表に就任。同年10月の衆院選に立候補するための準備を着々と進めていた。ところが、野党共闘で候補者を一本化することになり、共産党の新人候補に譲る形で直前に小選挙区での立候補を断念し、比例代表で立候補したが落選した。 その後、政治的に目立った動きはなかった鳥居氏。今年に入ってからは「立憲民主党を離党し、周囲に『日本維新の会(以下、維新と表記)から県議選に出たい』と相談している」(いわき市で活動するジャーナリスト)とウワサされていた。 維新と言えば、大阪府を中心に支持を集める政党で、4月の統一地方選では神奈川、福岡両県議選でも初めて議席を獲得。その躍進ぶりに注目が集まった。 そうした中で5月11日に報じられたのが、維新が福島県総支部を設立したというニュースだ。 県内には党所属の地方議員がいないため、次期衆院選や県議選での党勢拡大を目指して設立されたもので、今後は積極的に候補者を擁立する方針だ。設立は2月23日付で、3月8日に県選管に届け出た。維新が東北地方で県総支部を立ち上げたのは、宮城、秋田に続き3県目。  衆院議員の井上英孝氏(4期、大阪1区)が総支部長、元参院議員の山口和之氏(同党参院全国比例区支部長、郡山市在住)が幹事長に就いた。同党はいわき市を「重点地区」に位置付けており、同市平地区(みさきホテル&ラウンジ内)に事務所を設置した。 同日の記者会見で井上氏は、当面県議選への準備に重点的に取り組む方針を示し、「福島県に縁がある人を優先したい」とも話した。 こうした動きを見ていると、鳥居氏の「維新入り」は既定路線のように見えるが、実際はどうなのか。鳥居氏に取材を申し込んだところ、面会場所に指定されたのは同党県総支部事務所があるホテルだった。 「この間、私から情報発信することは控えていたのですが、選挙の動向を取り上げるユーチューブなどでも私の名前が出てきたので驚きました」。鳥居氏は笑いながら、これまでの経緯を振り返った。 「衆院選立候補直前に〝公認取り消し〟となり自暴自棄になったし、支援していただいた方と一緒に思い悩んだ1年でした。直後は立憲民主党に対する怒りが強かったが、しばらくすると『あの時、なぜ無所属で立候補するという決断ができなかったのか』という後悔に変わりました。自分を支えてくれた皆さんへの裏切り行為でもあり、その後悔は現在も続いています」(鳥居氏) 接点は山口元参院議員 山口和之氏(HPより)  21年の衆院選では立候補に向け、家族の理解を得て、私費も投じて準備を進めてきた。ところが、告示10日前というタイミングで立候補を断念せざるを得なくなった。  具体的にどういう経緯・理由で立候補断念・公認取り消しに至ったかについて、鳥居氏は語ろうとしなかったが、ある支持者は「要するに直前ではしごを外された。いまも立憲民主党県連から明確な理由は説明されていない」と憤りながら話す。 昨年夏の参院選後、立憲民主党を離党。しばらくはニュートラルな立場でいようと考えていたが、今年になって、ある人物から連絡が入った。それが前出・山口氏だった。 維新との接点はなかったが、何度か会って議論するうちに教育、福祉を重点施策に掲げる自分と、医療、福祉の充実に注力する山口氏とは共通点が多いと感じた。そこから維新に関心を抱くようになり、今回の県総支部設立に全面協力した。 同党県総支部の事務所がいわき市に設置されたのは、「福島県の再生を左右するのは浜通りの再生。拠点を設けるなら福島市の県庁近くではなく、復興の最前線である浜通りに作るべきだ」という鳥居氏の助言を受けたものだという。 維新の政策について尋ねると「教育完全無償化などの政策を打ち出し、大阪府で実績を残しているのが大きい。個々の政策について賛否はあるかもしれませんが、地方行政では不可能だと思い込んでいたことを実現していく姿に、『強い思いと行動力があればできるんだ』と衝撃を受けました」と熱っぽく語った。 実質的に同党入りを果たしているような状況だが、同党から選挙に立候補する予定はあるのか。記者がこう問いかけると、鳥居氏は「この間、同党県総支部の組織作りを最優先に活動してきました。〝受け皿〟がしっかりしていないと立候補者は不安になるものです」としたうえで、次のように述べた。 「ようやく組織がまとまりつつあるので、後援会の皆さんなどさまざまな方に相談したうえで、近いうちに私自身の方針に関しても決断させていただきたいと思います。現実的に考えて、立候補を表明するとしたら県議選だと思います」 5月27日にはいわき市で県総支部設立記念講演会が開かれ、維新の馬場伸幸代表が講演する。原稿執筆段階(同25日)ではどうなるか分からないが、調整がうまく進めば、この場で鳥居氏の「決断」が発表される見通しだ。 ※鳥居作弥氏は5月27日、11月12日投開票の県議選に、日本維新の会公認で立候補することを表明した。  なお鳥居氏に関しては、衆院選への立候補が有力とみる向きもある。広島で開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)が終了し、衆院の早期解散論もささやかれているだけに、本誌が店頭に並ぶころには、鳥居氏が話していたのと全く違う情勢になっているかもしれない。 県総支部設立時の記者会見で、県内の党員数は110人と明かされた。鳥居氏によると、民主党時代からの支持者も一連の行動に理解を示し、そのほとんどが維新に流れているという。本県における支持基盤がほとんどない同党にとって、鳥居氏の存在は頼もしいはずで、そういう面も含めて山口氏も鳥居氏にコンタクトを取ったのだろう。 現在、県議選いわき市選挙区(定数10)では現職10人、新人3人が立候補を表明しており、鳥居氏が〝参戦〟すればさらに激戦になる。いわき政界において、今後もその動向が注目される存在となりそうだ。  いわき市長を2期8年務め、3選を目指す選挙で落選した清水敏男氏(60)。現在〝充電中〟だが、リベンジへの意欲は潰えていないようだ。 落選後も後援会解散せず市政監視 清水敏男氏が見据える「最終目標」 清水敏男氏(2021年4月撮影)  清水敏男氏は1963年8月生まれ。磐城高校、日本大学法学部卒。鴻池祥肇衆院議員の秘書を経て、いわき市議2期、福島県議4期。党派は自民党。 そこから2013年9月のいわき市長選に立候補して初当選。21年9月、3選をかけて立候補したが、4候補者中3位の得票数で落選した。 本誌21年2月号の記事では選挙前の時点での状況を次のようにリポートしていた。 《2期目の公約として掲げた平城復元やスタジアム建設については「平地区ばかり意識した〝打ち上げ花火〟的な政策はいらない」と冷ややかな意見が多く、「台風やコロナへの対応が遅い」、「2期目は目立った事業がなかった」という批判の声も聞こえてくる。ただし、「2期8年で目立った失敗はなかった。他候補は経済・教育など得意分野があるが決め手に欠ける。政治に詳しくない多くの市民は、名前を知る現職に投票するのではないか」(前出・同市の事情通)という見立てもある》 実際には当選した内田広之氏と1万9000票差が付いたので、想像以上に現職批判の声が大きかったということだろう。 20代から30年以上にわたり政治の道を歩み続けてきた清水氏。市内の経済人によると、「知人が経営する東京の会社に籍を置いている」とのことだが、その一方で「年賀状に捲土重来を期す言葉が記されていた。再起の道を虎視眈々と狙っているのではないか」(清水氏の支持者)ともささやかれている。 3月に行われた自民党県連定期大会では県議会OBとして出席し、その場で立ち上がってアピールした。 清水敏男後援会名義のフェイスブックには、地元のお祭りに参加したり、学生時代の先輩の選挙事務所を激励した様子などがアップされており、積極的に出歩いている様子がうかがえる。 実際のところ、清水氏本人はどのように考えているのか。同市常磐関船町の自宅を訪ねたところ、清水氏本人が対応し、そのまま話を聞くことができた。 「東京の知り合いの会社で社外取締役を務めており、月に1度の取締役会には必ず出席しています。いまも東京から戻って来たばかり。市長選落選後、妻は以前やっていた幼稚園教諭の仕事を再開し、昼間は不在にしているので、一人で昼食を取っていたところです」(清水氏) 2年後の市長選を意識?  〝進路〟について注目が集まっていることを伝えると、「私は何も話していないのに『秋の県議選に出るのではないか』とウワサされているのが聞こえてくる」と苦笑したうえで、次のように話した。 「県議は4期務めたので立候補しようとは考えません。来年秋にはいわき市議選が控えていますが、自分の選挙でお世話になった市議を支えることはあっても、自分が出ることは間違ってもない。衆院選に関しては、新4区に吉野正芳先生(74、8期)がおり、交流させていただいているので、そこから立候補しようという考えはありません」 一方で、2年後に市長選があることを振ると、「一市民として内田市政をウオッチングしており、そつなくこなしていると思うが、疑問に感じる部分もある。いずれにしてもまだ先の話だし、私に関しては〝充電中〟ということですよ」と述べた。少なからず意識はしているようだ。 取材の中で、後援会は休眠状態のまま残してあり、現在も岩城光英元参院議員、市議らと交流があることを明かした清水氏。一方で、前回市長選では清水氏の有力支持者が別の候補者の応援に回った経緯があり、仮に市長選立候補を考えるなら体制の建て直しが急務となる。〝充電期間中〟に再起のきっかけを見いだすことができるか。

  • 狡猾な企業に狙われた国見町

     国見町が高規格救急車12台を所有し、リースする事業が中止となった問題が尾を引いている。事業を受託していた企業の社長(当時)が行政機能を乗っ取り、マネーロンダリング(資金洗浄)に利用しようとしていた発言が河北新報のスクープで明らかになり、「企業に食い物にされそうになった町」として全国に知られた。町民に共通するのは「恥をかかされた」という意識だ。怒りの矛先は企業だけでなく町執行部にも向き、町議が批判文書を配布する事態となった。 町民が執行部に求める「恥の責任」 国見町役場  一連の問題は、宮城県を拠点とする河北新報の昨年からのキャンペーン記事で明らかとなった。以前条例で引き下げられた町長、副町長、教育長らの報酬が元に戻され、町民の反発を受けてまた減額された問題、幹部職員の自宅前の道路が町発注の工事として整備され、幹部職員本人が工事の決裁をしていた問題だ。 これだけなら町内の不祥事で済んだが、宮城県多賀城市の備蓄食品製造会社「ワンテーブル」が登場することで、国見町の名前は悪い意味で全国に知られることになった。 救急車リース事業の問題(※)は、全体像をすぐ理解するには複雑なこと、河北新報が福島県内では購読者数が少なく、町民たちも読む機会がないので、この時点では町の一大事とまではなっていなかった。 ※企業版ふるさと納税を使って匿名企業3社から寄付を集め、高規格救急車を開発し貸し出す事業。河北新報によると、匿名企業はワンテーブルと関連がある企業だった。企業版ふるさと納税は寄付金の9割が控除されるため、同紙は提携するグループが「課税逃れ」のために国見町を利用した可能性を報じた。  事態が動いたのは今年3月に入ってからだ。同紙が、ワンテーブルの社長(当時)が救急車リース事業を「超絶いいマネーロンダリング(資金洗浄)」、国見町など複数の自治体を挙げ「行政機能をぶん取る」と発言したという記事を書いた。生々しい発言を記録した音声が公開され、ネットで拡散。「騙された」と町民の感情に訴えるものとなった。  町はワンテーブルと「信頼関係が失われた」として、委託契約を解消したことを広報紙で伝えたほか、4月に計14回、各地域の住民を集めて経緯を説明した。筆者は同月22日に小坂地区の住民に対して開かれた説明会を傍聴した。 質疑応答である住民は 「宮城の親戚から『国見町はなんだか大変なことになっているね』と外から問題を知らされている状況。ネットではおもちゃにされて恥をかいている」 と、引地真町長ら説明に赴いた執行部に訴えていた。 別地区の住民が今の率直な心情を打ち明ける。 「町長たちの報酬の上げ下げ、幹部職員が自らに利益を誘導した公共工事、ワンテーブルに踊らされた救急車リース事業……あまりに問題が多すぎて、私も全体像を完全には理解していない。ただ、とにかく『恥をかかされた』ということだけは分かる」 不信は事業を呼び込んだ町執行部に向く。 「町民は『行政機能をぶん取る』とまで陰で言われ、カモにされた執行部に怒っています。ワンテーブル社員が町総務課に頻繁に出入りしていたという話をある筋から聞きました。具体的なことは書かないでほしい。庁内では、誰が河北新報にタレ込んだか『犯人探し』が始まっているようなので、これ以上現場の職員に迷惑をかけたくない」(同) 批判は執行部をチェックできなかった議会にも向いた。 「5月(23日告示)の町議選が無投票というのが町の民主主義の衰退を表しています。こういう事実が、ワンテーブルみたいな悪質な会社に付け込まれたのではないか」(同) 議会は救急車リース事業の予算案を全会一致で原案通り可決した責任があるため執行部に対しワンテーブルの問題を厳しく追及していない。 例外は松浦常雄議員(81)=西大枝、5期。改選前の時点で副議長を務める。3月から3回にわたり執行部を批判する「議会活動報告」を新聞折り込みで出したが、4回目の文書では急遽「お詫び」の題で「行き過ぎた表現があった」として、執行部、議会、町民に謝罪した。 松浦常雄議員  前出の住民によると、圧力をかけられ謝罪に追い込まれたという。筆者は松浦議員の自宅電話を鳴らした。電話口に出た本人は「長くなりますがよろしいですか?」と計3回の執行部批判文書に「自分の思いのたけを込めた」と語った。 「予算案に賛成した責任は感じているが、町政をただす原点に立ち返り一議員の職責を全うしたいと批判文書を出しました。B4版で3000部刷り、町内に配られる新聞に折り込んでもらいました。手間も費用も全て自前で、1回出すのに約1万5000円かかっています」(同) なぜ最後は「お詫び」をして出すのをやめたのかと聞くと、議員たちに迫られたからだという。3回目の批判文書を出し、各戸に届いたのが4月13日。翌14日の「議員意見交換会」に呼び出され出向くと、東海林一樹議長(5月の町議選に立候補せず引退)から「これは怪文書に当たる」と言われたという。全議員の前で批判文書を出したことを執行部、議会、町民に謝罪するよう迫られた。弁明の機会を与えられたが、擁護する議員は1人もいなかった。  議会で孤立するのを恐れ、その日のうちに議員、引地町長に謝罪した。町長室に東海林議長と出向き、お互いに起立して口頭で謝罪。引地町長は謝罪に対して何も言わなかったという。町民には計3回の批判文書と同じく、謝罪文を新聞折り込みで届けることになった。 「東海林議長からはどの部分が怪文書に当たるかという説明はありませんでした」(松浦議員) 筆者は東海林氏の自宅電話を鳴らしたが出なかったので、見解を聞けていない。 松浦議員は1時間にわたる電話取材に応じているように、批判文書を出したこと自体は間違っていないと確信しているようだ。謝罪文の表現も「怪文書」との指摘と同じようにあいまいなものになった。 「一部行き過ぎた表現があり、町執行部、各議員の皆様、そして町民の皆様に多大なるご心配とご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」と書いただけで、どこが行き過ぎた表現なのかは言及がなかった。 町民から「批判文書で目が覚めた」  結果として議会では孤立したが、町民から「あなたのおかげで目が覚めました」と激励の言葉をもらったという。筆者も全ての批判文書を読んだが、河北新報やNHKの報道を基に、町三役の報酬引き上げの迷走ぶりや、ワンテーブルが町の行政機能に食い込もうとしていた問題をまとめ、松浦議員本人の見解も記されていた。内容は周回遅れの感が否めないが、ネットにアクセスできない高齢者には重宝しているのだろう。 時間を置いて再び松浦議員に電話すると、「取材を受けたことで議会での立場に影響はないか」と不安げに言われた。筆者は「優先すべきは議会内の声より町民から直接受けた声ではないか」と言った。 前述の通り、定数12で行われた町議選は無投票だった。松浦議員のように「怪文書」と指摘される文書を出して議会で疎まれても再選できるので、落選を恐れる段階ではない。町民の多くは執行部トップの引地町長に「恥の責任」をとるよう求めている。新たな顔ぶれの議会が、町民と町長のはざまでどのような立場を取るか注目だ。

  • 「しゃぶしゃぶ温野菜 ガス爆発事故」刑事・民事で追及続く【郡山】

     2020年7月に、郡山市島2丁目の飲食店「しゃぶしゃぶ温野菜郡山新さくら通り店」で爆発事故が発生した。当時の報道によると、爆発前、厨房のガス管に、腐食によってできたとみられる亀裂や穴があり、そこから漏れたプロパンガスに何らかの原因で引火した可能性が高いという。 爆発事故の原因 事故現場。現在はドラッグストアになっている。  その後、警察の調べで、事故の原因とされるガス管は2006年の店舗建設時に国の基準に沿わない形で設置されていたこと、腐食を防ぐ措置がとられていなかったこと、法定点検を行った保安機関はそれらを認識しながら詳しく確認せずに問題ないと判断していたことなどが分かった。管理を適切に行わなかったために事故が起きたとして、2021年9月、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)を業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。 以降、しばらくは捜査機関の動きは報じられていなかったが、今年3月、福島地検が全員を不起訴としたことが伝えられた。運営会社社長ら4人は嫌疑不十分、内装業者は死亡していることが理由。 これを受け、事故で重傷を負った市内の女性が4月12日、不起訴処分を不服として福島検察審査会に審査を申し立てた。 地元紙報道によると、代理人弁護士が県庁で記者会見し、「大事故にもかかわらず、誰も責任を負わない結果は被害者には納得できない。責任の所在を明確にし、なぜ事故が起きたのかはっきりさせないといけない」と話したという。(福島民報4月13日付) 事故後の裁判と賠償問題 郡山市役所  こうした刑事の動きとは別に、民事(すなわち賠償)の動きはあまり進展していない。 本誌昨年6月号に「郡山爆発事故で市が関係6社を提訴 被害住民に『賠償の先例』をつくる狙いも」という記事を掲載した。 同記事は、事故を受けて市が2021年12月に、店舗運営会社やフランチャイズ本部などの6社を相手取り、現場周辺の市道清掃や災害見舞金支給に要した費用など約600万円の支払いを求める損害賠償請求訴訟を福島地裁郡山支部に起こしたことを伝えたもの。 市は裁判に至る前、情報収集を行い、6社と協議をしてきたが、賠償金の支払いに関しては話がまとまらなかった。そのため、裁判を起こしたのである。 昨年4月22日から今年5月23日までに計6回の口頭弁論が開かれているが、市総務法務課によると「現在(この間の裁判)は争点整理をしています」とのこと。 一方、以前の本誌取材で裁判を起こした理由を尋ねたところ、市総務法務課の担当者はこう話していた。 「市長が『被害に遭われた住民は多数おり、市が率先して責任の所在を明らかにしていく』ということを言っていたように、市が先頭に立って裁判を行い、責任の所在を明らかにすることで、被害に遭われた方に参考にしてもらえれば、といった思いもあります」  これは「追随してほしい」という意味ではなく、判例をつくることで被害にあった人にそれを参考にしてもらえれば、ということのようだ。その点でも、市が損害賠償を求めた裁判は大きな意味を持つが、判例ができるまでにはまだ時間がかかるだろう。 あわせて読みたい 郡山【しゃぶしゃぶ温野菜 爆発事故】市が関係6社を提訴 2022年6月号 福島県郡山市の飲食店で爆発事故、親会社コロワイドの株価が下落 (Bloomberg) 政経東北【2023年7月号】で『郡山【しゃぶしゃぶ温野菜 爆発事故】被害女性が明かす苦悩』を掲載  2020年7月に郡山市で起きた飲食店爆発事故から、間もなく3年を迎える。当時、現場近くの事業所におり、重傷を負った女性が本誌取材に応じ、この間の苦悩や、誰も責任を問われない現状へのやるせなさなどを明かした。(末永)

  • 一般質問2人だけの大熊町議会

    (2022年8月号)  大熊町議会(定数12)6月定例会において、一般質問に登壇したのはわずか2人だった。福島第一原発の立地自治体である同町は、廃炉作業や中間貯蔵施設の行方、汚染水海洋放出、帰還者・移住者増加など課題が山積しているが、いま一つ議論が盛り上がっていない。 課題山積なのに議論低調のワケ https://www.youtube.com/watch?v=44XJKcGg8j4 大熊町議会 令和4年第2回定例会 第2日目(2022年6月9日)  6月9日、大熊町議会6月定例会の一般質問を傍聴に行った同町民から、次のような電話が寄せられた。 「福島第一原発や中間貯蔵施設、汚染水問題に関する議論を期待して、わざわざ同町大川原地区の役場まで足を運んだのですが、当日質問したのはわずか2人で、当たり障りのない質問だった。開始から1時間も経たずに散会になり、各議員は足早に帰っていったので呆れました」 同町議会ホームページに公開されている動画によると、6月定例会の一般質問に登壇したのは西山英壽町議(1期)、木幡ますみ町議(2期)。質問時間は2人合わせて24分だった。同町議会事務局によると、持ち時間は特に設定していないという。 質問内容は西山町議が「人間ドックなどの受診費用一部助成の提案」、「読書活動推進について」、木幡町議が「町ホームページの活用について」。同議会では「一括質問一括答弁方式」を採用しており、再質問は3回まで認められている。だが、西山町議は1回再質問しただけで質問を終え、木幡町議は再質問せずに終了した。他市町村の議会では、約1時間の持ち時間をフルに使って質問する議員がほとんどだ。 「議論の低調さに呆れた」と話す町民の声を議会はどう受け止めるのか。吉岡健太郎議長(5期)は次のように話した。 「6月定例会は年度が始まって間もないこともあって、例年質問者が少ないが、他の定例会では5、6人質問しています。全員協議会や国・県関連事業の担当職員によるレクなど、議論や質疑応答をする場が増えすぎて、一般質問であらためて質問することがないという事情もあると思います。時間が短いのは、一括質問一括答弁方式を採用していることも大きいです」 ちなみに、ここ1年の定例会一般質問の質問者数・時間は以下の通り。 21年6月=2人、34分 21年9月=6人、55分 21年12月=5人、52分 22年3月=5人、1時間9分 6月定例会以外は確かに5、6人が質問しているが、一人当たりの時間は10分程度。通告済みの質問と、町職員が考えた町長答弁を互いに読み上げ、再質問したところで終わる。「議論を尽くしている」と主張する吉岡議長だが、これでは〝活発な議論〟が行われているとは言えまい。 たとえ全員協議会や国・県関連事業のレクではしっかり議論していたとしても、それらは動画などで公開されているわけではなく、町民は目にする機会がない。一般質問の場で議論を尽くすことに意味があろう。 こうした意見に対し、吉岡議長は「全員協議会を公開する意味があるのか、という問題もある。本町議会の議会だよりには、全員協議会の様子を紹介するページも設けている」と主張し、どうにもかみ合わない。「議会を多くの人に見てもらう」という意識が抜け落ちている印象だ。 同町の町議は別表の通り。同町議会をウオッチしている事情通によると、「期数が若い町議が果敢に質問しようとすると、『その質問はここでする必要があるのか』と議長やベテラン議員に細かく指摘されるらしく、すっかり萎縮している。そのため『義務教育学校整備の是非』など分かりやすい論点があるとき以外は一般質問に登壇する議員が少ない」という(吉岡議長は「期数の若い議員にアドバイスすることはあるが、質問自体を否定するようなことは言っていない」と述べている)。 ある町議は「一括質問一括答弁方式だと、再質問の回数が制限され、町政課題について掘り下げられない。担当課長に自由に質問できる全員協議会やレクの方が、議論しやすいのは事実」と本音を明かした。 別の町議は「お祭りや会合などで地元の支持者に会って、いろんな声を聞き、それを一般質問で執行部に質すのがわれわれの仕事だった。原発事故を機に住民が全国に避難してしまったため、それができなくなったのが大きい」と話した。 ちなみに、双葉郡内の他の町村議会の6月定例会一般質問での質問者数は以下の通り。 広野町=8人(定数10) 楢葉町=4人(定数12) 富岡町=3人(定数10) 川内村=4人(定数10) 双葉町=4人(定数8) 浪江町=4人(定数16) 葛尾村=1人(定数8) 広野町、双葉町以外、過半数を割っていることが分かる。 質問者1人だった葛尾村の議会事務局担当者は次のように語った。 「震災・原発事故直後は村予算が数倍に膨れ上がり、新規事業も多かったので、質問者、質問項目ともに多かったですが、復興が進むにつれてどちらも減りつつあります。大熊町同様、全員協議会や担当職員レクで議論を尽くしていることも少なからず影響していると思います」 双葉郡全体で一般質問の〝形骸化〟が進んでいる格好だ。 「住民不在」のひずみ 大熊町大野駅 避難解除直後  そもそも、公選法では選挙区内に3カ月以上住んでいなければ地方議員の被選挙権がないといった「住所要件」が定められているのに、原発被災自治体の議員に限っては特例的に認められてきた(本誌2019年7月号参照)。そして、多くの住民が帰還していない中、文字通り「住民不在」の議会として運営することが許されてきた。そのひずみがいま現れているということだろう。 100年かかるとも言われる福島第一原発の廃炉作業、放射線量1マイクロシーベルト毎時の場所がざらにある環境、除染廃棄物の県外搬出の見通しが未だ立っていない中間貯蔵施設、溜まり続ける汚染水の海洋放出問題、原発被災自治体同士の合併、町内居住推計人口929人(町に住民登録がない人も含む)なのに大規模に進められる復興まちづくり……町は多くの課題に直面している。 6月30日には、JR大野駅周辺を含む特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除された。今後は復興拠点以外の帰還困難区域の扱いが大きな議論になるだろう。そうした中、町民に見える場で、本質的な議論をできない議会は役割を果たしていると言い難い。 7月20日の同町議会臨時会では、義務教育学校「学び舎 ゆめの森」(整備費用27億2300万円)の完成が遅れているのに伴い、町執行部が仮設校舎整備費用の教育費1億2000万円を盛り込んだ一般会計補正予算案を提出した。だが、「費用が高すぎる」などの理由で賛成少数で否決され、補正予算案を一部変更する修正動議が可決された。同校は会津若松市で今年4月に開校し、来年度町内の新校舎に移る予定だが、同施設への入園・入学を希望しているのは約20人だという。 執行部に対し、議会が住民代表としての意思を示した格好。こうした対応ができるのなら、一般質問の在り方も見直し、改善を図るべきだ。 あわせて読みたい 子どもより教職員が多い大熊町の新教育施設【学び舎ゆめの森】 裁判に発展した【佐藤照彦】大熊町議と町民のトラブル 営農賠償対象外の中間貯蔵農地所有者 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重

  • 上野文彦氏が会津若松市長選出馬を見送ったワケ

     4月号に「市長選に現れた『第4の候補者』」という記事を載せた。 7月23日告示、同30日投開票で行われる会津若松市長選は、現職で4選を目指す室井照平氏(67)、新人で市議の目黒章三郎氏(70)、新人で元県議の水野さち子氏(60)が既に立候補を表明しているが、そこに上野文彦氏(49)も名乗りを上げようと準備していることを伝えた。 地元紙が「前向きに検討中」と報じ、本誌も本人から「出馬表明はもう少し先」と聞かされていた。 それから1カ月余り。上野氏は関係者と協議を重ねた結果、立候補を見送ることを決めた。この間、何があったのか。 上野氏は会津大学の1期生で、同大在学中にソフトウェア開発のベンチャー企業㈱シンク(会津若松市)を創業し社長、会長を務めた。昨年5月、会津若松商工会議所副会頭の栗林寿氏に所有するシンクの全株式を譲渡し、同社退職後は市内の自宅と和歌山県の南紀白浜を行き来する充電生活を送っていた。現在の肩書きは会津大学非常勤講師。 上野氏は4年前の市長選で室井氏に敗れた元県議の平出孝朗氏(66)を支援。選対本部の中枢に入り平出陣営を取り仕切った。今回の市長選では、その平出氏から支援を取り付け、当時の選対関係者もバックアップする方向で調整が済んでいた。 地元衆院議員の自民党・菅家一郎氏(67、4期、比例東北)と立憲民主党・小熊慎司氏(54、4期、旧福島4区)とも連絡を密にしていた。 「菅家氏は元自民党県議の室井氏を支持してきたが、4期目は支持する考えがないことを明かしていた。小熊氏は現職に複数の新人が挑むのは避けるべきと水野さち子氏に出馬を考え直すよう働きかけたが、水野氏は受け入れず、現在の三つ巴の構図になった」(ある選挙通) そうした中で上野氏が名乗りを上げれば支持層が更に割れ、現職有利に働くが、それでも菅家・小熊両氏が上野氏を「魅力的な候補者」と位置付けていたのには理由があった。 「上野氏は、室井市長が進めるICTのまちづくり自体は評価しているが、進め方に疑問を感じている。大手コンサルのアクセンチュアに事業とお金が集中し、ICTオフィスビル『スマートシティAiCT』も中央の企業が複数入っている割に十分機能していない。一方で、せっかく身近にある会津大学を生かせず、地元のベンチャー企業や既存企業とも関係が薄い状況に、上野氏は再考の余地ありと考えている」(同) 室井氏がアクセンチュアと親密な関係にあるのは周知の通りだが、上野氏は「地元のデジタル資源」がほとんど生かされていない状況に違和感を持っていたわけ。 つまり上野氏には、市長選に立候補する大義名分があったが、問題は室井・目黒・水野3氏に比べ知名度が圧倒的に低いことだった。投開票まで日数が迫る中、無名の新人が市民に顔と名前を浸透させるのは至難の業。菅家・小熊両氏もそこをネックに感じ「負け戦に挑むのは避けるべき」となったようだ。 最終的に上野氏本人から「今回は見送ります」と筆者に連絡が入ったのが4月17日。その判断をどう見るかは人それぞれだが、筆者は「冷静に分析した結果の潔い撤退」と評価したい。 ただ、そんな上野氏には新たに、今秋行われる県議選に、両親の出身地(会津美里町)である大沼郡選挙区(定数1)から立候補の打診が寄せられている。自民党・山内長県議(1期)の対抗馬として小熊氏が熱心に誘っているが、本誌は市長選とは異なり、上野氏の県議選立候補には大義名分が見当たらないため賛成できないことを付記しておく。 もっとも、上野氏本人もその点は十分認識しており「出馬は一切考えていません」とのこと。その冷静な判断も併せて評価したい。 あわせて読みたい 幻に終わった会津若松市長選「新人一本化」

  • 【のたり日乗】最終回を迎えて【近藤憲明さんインタビュー】

    1948年、札幌市生まれ。慶応大経済学部卒業後、毎日新聞入社。政治部副部長、編集委員、福島支局長、論説委員、公益財団法人・認知症予防財団常務理事などを歴任。著書に『ふくしま有情』など。 (2022年8月号)  本誌で連載していたエッセー「のたり日乗」が今号で最終回を迎えた執筆者の近藤憲明さんは元毎日新聞記者。福島支局長時代にペンネームで連載を開始し、政治、経済、社会、日常の出来事を独自の視点で綴り続けた。約20年にわたる連載を振り返ってもらった。  ――約20年にわたる執筆、お疲れ様でした。2003年4月号から「星山一生」のペンネームで「連載エッセイ」をスタートし、2008年6月号からは「のたり日乗」と名前を変えて連載を続けてきました。まず連載執筆に至った経緯はどのようなものだったのでしょうか。 「毎日新聞福島支局長を務めていたころに出版したエッセー本『ふくしま有情』を奥平正主幹がたまたま読んだらしく、声をかけていただきました。JR福島駅近くの飲み屋でお会いした記憶があります。『政経東北』は当時から硬派雑誌でしたが、『この連載に関しては自由に書いていい』と言っていただき、ペンネームの使用を了承していただいたので引き受けました。ペンネームは若くして亡くなった友人のテレビプロデューサーの名前から拝借しました」 ――現在の率直な感想は。 「もともと飽きっぽい性格で、歴代の担当編集さんに尻を叩かれながら書いてきた。『よくここまで続けられたな』というのが正直な思いです。1本当たりにかける時間は約2時間で、テーマが決まったら一気に書き上げます。フリーテーマではなく、編集部がテーマを決める形だったら、ここまで続かなかったかもしれません。文章を書くということは、頭の中のぼんやりした考えを字でまとめていく行為であり、『こんなことを考えていたのか』という自分自身にとっての気付きにもなる。いま過去の原稿を読み返していますが、当時の感情が蘇ってきますね」 ――「のたり日乗」第1回目の「イタリア駆け足旅行の土産」をはじめ、海外旅行記がたびたび出てきました。 「記者職を辞めてから旅行に行ける機会が増えたということです。東京本社政治部にいたころ、首相の外遊に同行することもあったが、時差があるので24時間起きっぱなしで、ひたすら取材して原稿を書いていた。遊びに行くことなんてできず、ちっとも面白くありませんでしたよ」 ――「のたり日乗」では、新聞記者として最初に赴任した神戸の思い出を綴っていました。国内に関しても、さまざまな場所に足を運んでいるイメージです。 「新人時代から7年過ごした神戸支局のほか、横浜支局、東京本社など、2、3年ごとに転勤を繰り返しましたが、中でも福島支局時代は印象に残っています。期間としては2年ぐらいでしたが、本当にいい思い出しかありません。 登山、蕎麦、温泉が好きで、90市町村(当時)制覇を目指しましたが、達成できなかったのが悔やまれます。飯豊山登山後に山都町(現・喜多方市)で食べた蕎麦は本当においしかった。頑なで人情深い会津人の気風を表す『会津の三泣き(※)』という言葉がありますが、福島から転勤するときに心から実感しました」 ※会津に来た人は、よそ者に対する会津人の厳しさに泣き、生活に慣れて来たころに温かな心に触れて泣き、会津を去るときに離れがたくて涙を流すと言われる。 自分の恥をさらしていく  ――震災直後の2011年4月号「共に試練に耐えよう」、新型コロナウイルスが急速に感染拡大した2020年3月号「新型肺炎」など、時事問題をリアルタイムで論じる一方で、登山記や日常で気づいたことなど、身近なテーマの回も多くありました。印象に残っている回は。 「個人的な思いで言うと、連載開始からまもなくして母が亡くなり、通夜会場にパソコンを持ち込み、〝線香番〟を務めながら書いた回が印象深いです(『連載エッセイ』2003年10月号)。 あとは還付金詐欺に遭った話ですね(『のたり日乗』2019年1、8、10、11月号、2020年1、2月号)。『まさか自分が』と思っていたが、心の隙間に入り込まれ、電話で誘導されているうちにうまくやられてしまった。当時は落ち込んだし、恥ずかしくて仕方なかったが、勇気を出して恥をさらそうと考え、一部始終を記しました。その後、犯人は逮捕され、懲役6年の判決が下されましたが、刑事裁判もすべて傍聴して連載で紹介しました。 ものを書くうえで、かっこつけずに自分の恥をさらしていく姿勢は大事なことだと考えています」 ――元新聞記者として、新聞の現状をどう分析していますか。 「僕が記者だったころの新聞は、特ダネが生命線だった。最近はそのお株を完全に週刊誌に奪われている感じがします。『週刊文春』はスクープを連発して〝文春砲〟なんて呼ばれていますよね。逆に新聞記事は読み物風になっていて、完全に立場が逆転したと感じます。 そうなった要因はいろいろ考えられますが、ネットの隆盛や働き方改革の影響は確実にあると思います。政治部で自民党担当だったころは連日〝夜討ち朝駆け〟で政治家を訪ね続け、睡眠時間は2、3時間でした。夜中3時ごろ自宅に帰ってきたら、朝一番の取材用に予約していたハイヤーがすでに待機していたことも。もっとも、いまは経費削減が進み、取材にハイヤーを使うこともないのでしょうが……。 昼間は記者クラブ内のソファーで1時間ぐらい昼寝していましたが、キャップは何も言いませんでした。いまならそうした働き方は許されないでしょうし、〝特ダネ最優先〟ではなくなっているのだと思います」 ――現役時代の特ダネは。 「記者なら誰もが狙っているテーマをいち早くものにしてこそ特ダネであり、政治記者にとっては『衆議院の解散はいつか』ということでした。その動向をキャッチして、夕刊の早版で『今日解散』と載せたことがあります。自分が抜いた特ダネが紙面に載るのは、何とも言い難い快感がある。ただ、いまはスピードでネットに負けてしまいますから、あまり意味がなくなっていますね」 ――『サンデー毎日』でも注目記事を担当されていたそうですね。 「政治部に赴任した後に配属され、編集部で一番若かったですが、2年にわたって毎週トップ記事を任されました。当時は田中角栄氏が首相を辞めた直後で、政治記事が注目を集めていた。どう書けば読者に面白く読んでもらえるか毎週試行錯誤し、文章力が鍛えられた期間でした」 ――さまざまな媒体で活動してきた立場から、地方ジャーナリズムの今後はどうなると見ていますか。 「出版不況の中、『政経東北』が創刊50周年を迎えたということはとても意義あることだと思います。地元企業の広告を集め、地方の話題を雑誌にして発信する――というビジネスモデルは一朝一夕に確立できるものではありません。一方で、これだけネットが普及し、SNSや動画サイトを通して誰もが発信者になっていることを考えると、活字媒体の衰退は避けられないと思います。戦後、活字に飢えていた世代がこぞって雑誌や新聞を読んできたが、時代は変わった。地方においてもその影響は大きいと思いますが、ネットとうまく折り合いを付ける方法を早く見つけ出した活字媒体が今後も生き残れる可能性を残しています」

  • 専門家が指摘【総括編】合併しなかった福島県内自治体のいま

     昨年12月号から今年4月号まで5回にわたり、「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体の現状をリポートしてきた。今回はシリーズの〝仕上げ〟として、これまで取り上げてきた事例を総括したい。(末永) 専門家は「合併すれば効率アップは間違い」と指摘 条件が恵まれている西郷村(写真は村役場)  国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進した。いわゆる「平成の大合併」である。県内では2004年から2008年までに13例の合併があり、90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。 一方で、「平成の大合併」に参加しなかった自治体もあり、その現状に迫ったのがこのシリーズ。第1回が桑折町と国見町、第2回が大玉村、第3回が棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村(東白川郡編)、第4回が西郷村、第5回が三島町、金山町、昭和村、只見町(奥会津編)と、計5回、12市町村を取り上げた。 このうち、大玉村と西郷村は条件的に非常に恵まれている。県内で人口が増えているのはこの2村のみ。加えて、両村は働き口、高等教育、医療、日用品の調達先など、行政サービス以外で生活に必要な部分は、近隣に依存できる環境にある。逆に「奥会津編」で取り上げた4町村は、人口減少が著しく、高齢化率が非常に高い。一口に「合併しなかった自治体」といっても、その内実や地理的条件などは全く違う。 シリーズ全回で共通して財政指標の推移を示した。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。 当初の合併の目的と照らし合わせると、合併しなかった自治体には、より一層の財政健全化の努力が求められる。記事では、同法に基づき県市町村財政課が公表している「財政状況資料集」を基に、2007年度から当時最新の2020年度までの「実質赤字比率」、「連結実質赤字比率」、「実質公債費比率」、「将来負担比率」、「財政力指数」の推移を一覧化した。加えて、近隣で合併した自治体(例・大玉村は本宮市、西郷村は白河市)の数値と比較しながら、財政指標を検証してきた。 それで言うと、取り上げた自治体すべてで財政指標の良化が見受けられた。合併しなかった自治体は、最初から合併に否定的だったところ、合併を模索したものの、結果的に合併に至らなかったところ、国が目指す「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」が合併に頼らずとも可能だったところなどさまざまだが、合併しない(できなかった)ことを決めて以降は、それぞれが相応の努力をしてきたことがうかがえた。 一方、シリーズ1回目(桑折町・国見町編)で、元福島大学教授で現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)にコメントを求めたところ、「ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善している」と話していた。 今井照氏  「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 今井氏のコメントからすると、2021年度以降はさらなる指標の良化が予想されるが、それは各自治体の努力ではなく、外的要因によるもの、ということになる。 「合併しない宣言」の影響 真っ先に国の方針に背いた格好の矢祭町(写真は町役場)  ところで、このシリーズ「最大のハイライト」とも言えるのが矢祭町の状況だ。というのは、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物がこう話していたから。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとって脅しのような感覚だったようだ。要するに、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との強迫観念に駆られ、合併を進めたということだ。 その点で言うと、矢祭町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決し、言うなれば真っ先に国の方針に背いた格好になる。 以前、先進的な取り組みをしている県外自治体を取材した際、担当者は次のように証言していた。 「メディアなどで取り上げられるたびに、国から目を付けられて(苦笑)。国の役人からは『ずいぶん勝手なことをしているようだな』、『その分だと、国からの交付金・補助金などは必要なさそうだな』と露骨に言われることもありました」 これは15年ほど前の話だが、そんなこともあり、矢祭町も国からの締め付けなどがあったのではないかと危惧していた。 この点について、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 佐川正一郎矢祭町長  「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかったですね。それほど影響がなかった背景には、二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にすごく苦労したということはなかった。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大変でしたね」 同町の事例からすると、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物が懸念していたことは杞憂に終わったと言っていい。実際、「奥会津編」で取り上げた町村は、自主財源が乏しく財政基盤が弱い。決して条件がいいと言えない中でも、大きな問題なく存続できている。当然、関係者の努力もあっただろうが、そうした事実がすべてを物語っていると言っていいのではないか。 前出・地方自治総合研究所主任研究員の今井氏はこう話す。 「一般には、合併を選択すると財政が効率化し、財政環境がよくなると理解されていますが、それは誤りです。そもそも企業の合併とは異なり、自治体が合併しても面積や人口が単純に加算されるだけで、行政サービスの総量は減らないので、合併による効率化の効果はほんのわずかに限られます。合併すると、効率化以上に地方交付税などの歳入が絞られていきますので、個々の自治体にとって財政環境が悪化するのは当然です。逆にいうと、合併すれば住民への行政サービスの総量を減らさなくてはならず、中心部だけに投資を残して、周辺部への投資を薄くする傾向があります。合併すると周辺部の衰退が早まるのはそのためです」 このシリーズで取材した自治体の住民も、合併した近隣自治体で、中心部とそうでないところの格差を見ているためか、「結果的に合併しなくて良かったと思う」との声が大多数を占めた。 「大玉村編」では、合併議論当時の同村役場関係者の「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」とのコメントを紹介した。理由はやはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配があったから。ただ、この関係者は「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」と述べていた。 単独の強みを生かせ  一方で、「奥会津編」では、隣接地域の議員経験者のこんな意見を紹介した。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 自治体の枠組みそのものの合併はしなくても良かったと思うが、今後は1つの自治体ですべての行政サービスを賄うのではなく、行政サービスのうち、共有・連携できる部分は「行政組合」のようなものを立ち上げて対応すべきではないか、ということだ。 国(総務省)でも、新たな広域連携について検討しているようだから、今後は本格的にその勉強・検討の必要性が出てくるだろう。 このシリーズの取材では、対象の町村長に質問を投げかけ、文書で回答してもらった。それをあらためて見ていくと、合併しなかったことをどう強みに変えていくかや、いま当該自治体内で抱えている課題などの質問に対し、問題意識を持って回答してくれた町村長と、そうでない町村長が如実に見られた。 ここでは、どの町村長がどうだったかの詳細は触れないが、本当に問題意識がないのか、単に取材対応が面倒なだけだったのか。いずれにしても、そのような町村長のもとに暮らす住民はハッピーとは言えないだろう。 最後に、あらためて指摘したいのは、せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてほしいということ。これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。合併せず、小回りが利く規模の自治体だからこそ可能な、思い切った〝仕掛け〟を生み出していってもらいたい。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 合併しなかった福島県内自治体のいま【東白川郡編】矢祭町・鮫川村・棚倉町・塙町 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま

  • 各地の選挙に出続ける髙橋翔氏の素顔

    (2022年8月号)  県内各地の選挙に立候補し続けている「ショウ・タカハシ」こと髙橋翔氏(34)。派手なスーツをまとい、SNSでユニークな言動を発信する髙橋氏とはどんな人物で、普段何を考えているのか。既に2022年10月30日投票の知事選への立候補を表明しているが、今まで当選したことは皆無。「落選しても選挙に出続ける理由を知りたい」という好奇心から、2022年7月10日投票の浪江町長選で落選した直後の髙橋氏をインタビューした。(収録は2022年7月14日) あわせて読みたい 【郡山市】選挙漫遊(県議選) 「将来出馬を考える若者の前例になりたい」  ――浪江町長選は同町出身で元県議会議長の吉田栄光氏(58)と争いましたが、結果は5895票差で落選しました。 「これまでの選挙の経験から自分の得票数は投票総数の5%くらいと見ていたので、444票は想定通りでしたが、有権者の反応はさまざまでしたね。遊説中は町内で暮らす人から声をかけられ、SNSでも応援メッセージをもらい、みんながみんな地元出身の自民党県議を支持しているわけじゃないことを実感しました。彼らの言葉を借りれば『県議を5期やってどれくらい約束を守ったんだ』というのが栄光さんへの評価だったのかな。そこをショウ・タカハシが代弁したことに感謝する人が多かったように感じます」 ――髙橋さんのスタンスは「高齢者にあなたの未来を託していいんですか」というものでした。 「58歳は政治家としては若いかもしれないが、3期12年務めたら70歳なので決して若いとは言えない。そこをあえて強調した面はありました。もっと言うと今まで議員を長くやっていたからとかではなく、具体的にどんなビジョンを持って町政に臨もうとしているのか、そこを有権者には真剣に見極めてほしかった。栄光さんの選挙公報を見たけど、正直、県議会議長まで務めた人がこの程度の政策しか打ち出せないのかとガッカリしました。 SNSを一切使わない選挙戦を展開したことにも驚かされました。町民の9割が町外に避難しているのにホームページさえつくらなかった。これからの選挙は、有権者がネットで調べた時、候補者に関する情報がパッと出てくる状態を確実にしておかないとだめ。そうじゃないと、いつまで経っても雰囲気で投票先を決める風潮は変わらない。 実際、僕と栄光さんを比べた時、あまり深く考えずに何となく地元出身の栄光さんを選んだ人は多かったと思います。それならそれで構わないが、だったら有権者には選びっぱなしで終わるのではなく、最後まできちんと監視することもやってほしい。もし任期中に変なことが起きたら有権者にも責任があるんですよ。なぜなら、あなたたちが選んだ町長だからです」 ――主に投票に行く人は安定を求める高齢者なので、尚更『何となく選ぶ』傾向は強いかもしれません。 「それで割を食うのは若者なんです。大前提として若者が投票に行かないのが悪いんですが、かと言ってこれから60代に突入する町長が無難に町政運営していくことが明るい未来につながるのか。若者や子どもたちにプラスにならない状況は、魅力の喪失を意味します。それでなくても浪江町は町民が避難先から戻らず、帰還するのは高齢者ばかりで移住者も増えていない。このままでは消滅待ったなしです。そこまで考えてこの候補者は町の将来を語っているのか、という点を有権者は見極めないとだめなんだと思います」 若者に期待すること  ――髙橋さんは浪江町の将来ビジョンをどう描いていたのですか。 「浪江町には世界最大級の水素製造施設があります。僕は選挙公約に宇宙産業を掲げていますが、宇宙産業は僕の会社にも関わる事業で、水素はその重要な要素でもあります。浪江町では太陽光発電で水素を製造していますが、最大効率で1年間製造したとしても、その量では水素自動車1万台分をまかなえないと思います。もし県内で水素自動車を10万台走らせようとしたら、あの規模では到底足りない。施設をつくったのはいいが、その先をどう考えているのか、民でも官でもいいから示していないのは不満です。 今、ゼロカーボンが盛んに叫ばれています。政府は2035年までに新車販売で電動車100%を実現するとしています。そうした中、僕は民の立場から電気を使わずに水素をつくる画期的な取り組みに挑んでいます。この技術が確立すれば水素が足りなくなることはないし、低コストでの水素製造が可能になります。さらに火力発電などで発生した二酸化炭素と水素からメタンを合成するメタネーション技術によって、新たな燃料(メタン)の製造につながるだけでなく、カーボンニュートラルに一層貢献することもできます。そもそも、水素をつくるために電気を使っている時点で二酸化炭素がどんどん発生しているわけで、それをクリーンエネルギーと呼べるのかという問題もありますが、ともかく、浪江町に最先端の施設があるのは事実なので、そこをベースに主体は民でも官でもいいから、やるんだったら未来を感じさせることをやろうよと言いたいわけです」 ――そういう考えで浪江町長選に挑んだというなら納得がいくが、それが有権者にどこまで伝わったかとなると話は別です。 「今までの有権者は『誰かに任せておけばいい』という他者依存がほとんどだった。しかし、これからは自分事として捉え、票を投じていかなければだめです。特に原発事故で危機に陥った浪江町は、有権者一人ひとりが『町をどうしていくか』という意識を強く持つべきです。 今回の浪江町長選の目的は自分が勝つことではなかった。もし〝アンチ吉田票〟が2~3割あったとしたら、4年後の町長選に地元出身の若手候補が挑めば、今度は勝てる可能性が出てくるわけです。浪江町には青年会議所があり、厳しい状況下でも頑張っている若手経営者がたくさんいると聞いています。でも地域のしがらみというか、昔からの先輩・後輩の関係とかが邪魔して栄光さんに気を使っているんでしょうね。 僕から言わせたら、いやいやそうじゃないでしょって(苦笑)。町のことを思うなら30代、40代の若手が栄光さんに挑んでいかないとだめなんじゃないの? もし栄光さんが町長を3期12年務めたら70歳、その間に町の中心を担うのは40、50代になるあなたたちであり、その子どもたちでしょって」 ――ただ〝アンチ吉田票〟、つまり髙橋さんの得票は(投票総数の)2割に届かなかった。 「このままでは2、3期目は無投票で当選するかもしれない。ただ、雰囲気的には今回も無投票っぽかったので、それを阻止できたことは一定の役割を果たせたのかな。問題は4年後です。今回の結果に怖気づいて誰も栄光さんに挑まないのか、それとも『外の人間があれだけ取ったんだから、地元の自分ならもっと取れる』という若者が現れるのか」 ――ズバリ、髙橋さんが選挙に出続ける理由とは。 「僕は国政には興味がなくて、福島県を何とかしたいというのが根底にあります。きっかけは、震災後に都内から郡山市、そして葛尾村に移住し、そこで村のデタラメな復興予算の使われ方を知りました。現状を変えるには村政の若返りが必要と考え、村長選に出ようとしました。ところが、いろいろな人から異様な妨害を受け、こんなことでは福島県や地方は廃れ、若者や子どもたちに未来はないなって。地方はいつまでも国の言いなり、という状況は改めないといけない。国に対し、はっきりものが言える環境を今の若者がつくっていく必要がある。そういう価値観を共有できる若者を一人でも多く増やしたいんです。 正直、僕の考えを高齢者に響かせようという気はありません。僕が発信手段にしているSNSは、初めから高齢者は見ていないだろうと思っているので(苦笑)。僕がターゲットにしているのは、直接的な行動は起こさなくても、今の政治や社会のあり方に疑問を感じているインターネット層です。その人たちが僕の考えに共感してくれれば、次の選挙に僕が出なくても、同じような価値観を持った若者が手を挙げれば、その人たちは『こいつを応援しよう』となると思うんです。 こういうやり方は、伝わらない人には伝わらないが、SNSや選挙情報はアーカイブとして残るので、将来世代には伝わっていく。とりわけ僕が意識しているのは今の高校生です。その子たちが僕ぐらいの年齢になって行動を起こそうとした時、必要になるのは前例です。前例がないと、周りが支援してくれないとか、若いとか、まだ早いとか理由をつけられ、行動を起こしたくても起こせない。でも、今のうちに僕が一番最悪の前例をつくっておけばどうか。僕みたいな外から来た若くて訳の分からないことを言っている奴でも選挙に出たという前例があれば、それよりも地元出身で若くて町の将来を真剣に考えているアイツを応援してやろうじゃないか、という見方になっていくんじゃないか。僕は、若者の意識と同時に、若者が政治に関わることに批判的な大人の意識も変えたいと思っているんです」 髙橋氏の選挙経歴(年齢は当時)◎福島県知事選(2018.10.28)当 内堀 雅雄54650,982町田 和史4235,029髙橋  翔3017,159金山  屯7810,259投票率45.04%◎葛尾村長選(2020.10.25)当 篠木  弘69802髙橋  翔3237投票率70.20%◎国見町長選(2020.11.8)当 引地  真602,398松浦 和子711,719佐藤  孝651,478髙橋  翔3240投票率73.18%◎福島市長選(2021.11.21)当 木幡  浩6172,018髙橋  翔337,364投票率34.79%◎浪江町長選(2022.7.10)当 吉田 栄光586,339髙橋  翔34444投票率49.43%※髙橋氏は2019年8月の郡山市議選、同年11月の県議選(郡山市選挙区)で落選。2016年10月の葛尾村長選、2021年4月の郡山市長選、同12月の相馬市長選に出馬表明したが取りやめている。 これまでの選挙で得たもの 取材は2時間に及んだが話が止まることはなかった  ――この間、4年前の知事選を筆頭に葛尾村長選、国見町長選、福島市長選や郡山市議選、県議選に出馬されていますよね。最終的に出馬を見送ったが、郡山と相馬の市長選も検討されていました。これらの場所は何か意図するところがある? 「僕は〝荒らし目的〟で選挙に出ているわけではなく、明確な意図があって場所を選んでいます。僕は宇宙開発だ何だと言っていますが、出馬している場所は地政学的にも経済的な地の利においても、ちゃんと手を入れればそこを基点に福島県全体を下支えできると確信しています。 相馬から双葉郡にかけてはイノベーション・コースト構想も動いていますし、国も県も集中的に投資を行う方針なので、そこに宇宙開発が加わるのはある意味自然ですよ。ここで日本が得意とするものづくりや開発を推し進めれば、世界中から優秀な人材、多くの企業、投資家らも集まって来ますしね」  ――さまざまな選挙に出てみて何か違いはありましたか。 「葛尾、国見、郡山とあえて連続で出たことで多くの人に知ってもらえたし、それが福島につながった面はあったでしょうね。『悪名は無名に勝る』と言うが、まずは知ってもらわないと批判もされないし、こっちの話も聞いてもらえませんから。僕は誹謗中傷は遠慮したいが、批判コメントは大歓迎なので(笑い)」 ――福島市長選は無投票確実というタイミングで急きょ出馬されましたよね。 「対抗馬が出ると思っていたら誰も出ないので、それはマズいんじゃないのと思って。その少し前に『シン・福島県知事をつくる会』という組織をつくり、メンバー同士で話し合った結果、福島は出る意義があるよねって。もともと郡山市長選の出馬を取りやめた後、いわきか福島で出ようという話はあった。でも、いわきは現職と新人合わせて4人も出たから、いわきはいいだろって。 福島市長選は直前に手を挙げた割に(投票総数の)9%くらい得票できたので、若者や無党派層が多い場所では意外と取れるんだなと実感しましたね」 ――郡山市長選の出馬を取りやめた理由は何だったんですか。 「僕はやる気だったんですが、同じく出馬していた(元市議の)馬場大造さんから(元県議の)勅使河原正之さんと組もうと誘われ、取り下げたんです。すると『ショウ・タカハシが出ないのはつまらない』という声が結構届いて(笑い)。若手の僕が高齢の候補者たちを相手に何票取れるのか、興味を持って見ている人が一定数いたことを知れたのは価値がありましたね」 ――その結果、郡山市長選は高齢の新人(勅使河原氏、当時69歳)が高齢の現職(品川萬里氏、同76歳)に挑む構図になってしまった。 「そこは申し訳ないことをしたと思いました(笑い)。ただ、僕としては『出来上がった選対本部』とはどんなものか見てみたい思いもあったので、市議選、県議選を何度も経験しているテッシー(勅使河原氏)や後援者と対等関係で選対に関わることができたのは収穫でした」 ――収穫とは? 「選挙ってこう戦うのねっていうのが見えた半面、選対内はネットが全く使えない高齢者ばかりだった。若手もいたけど、ネットを使おうと進言する人がいない。だから僕は、テッシーの遊説追跡ライブ配信や開票ライブ配信をしたんです。逆に僕は、選対内の人たちから『怖そうな人だと思っていた』とか『直接話してみたら意外と真面目なんだね』といった意見が聞けて、僕は高齢者からそう見られていたんだというのが分かった。まぁ、予想はしていたんですけどね(笑い)。でも、そういう意見を取り入れたら自分がどんどん丸くなり、思い切った発言や型破りな行動ができなくなってしまうので、そこは今までの路線を変えるつもりはありません」 供託金1千万円を用意  ――選挙や政治において、若者と高齢者はどういう関係にあればいいと思いますか。 「若者はフットワークが軽いし、柔軟な考え方ができるし、決断も早い。でも、知識や経験が足りない。その足りない部分を高齢者がサポートするのが理想じゃないか。政治で言えば若者が表に出て動き回り、決断もして、だめなら責任を取る。高齢者は裏方として知恵を出し、アドバイスをする。 郡山市長選の時、僕はテッシーに言ったんです。当選して市長になったら、市議会に僕を副市長にする議案を出してくれって。それが通ったら、テッシーの評価は上がりますよと。そして4年後、もし僕が市長になったら、今度はテッシーを重鎮に据えればいいんじゃないのって。70代中盤に差し掛かる人が連続して市長を務めるより、1期務めたら裏方に回った方がいいと思ったので、テッシーにもそう言ったんです。実は浪江町長選の演説でも『栄光さん、僕の脇にいてもいいんですよ。その方がカッコイイですよ』って言ったんですけどね(笑い)」 ――とはいえ、髙橋さんもこれから年齢を重ねていきますよね。その時どうされますか。 「今後10年選挙に出続けたとすると僕は40代半ばになるが、その時、20代、30代の候補者が首長選の相手だったら恥ずかしくて戦えない。地元のために頑張ろうとしている若者を自分は邪魔するのかと、いたたまれなくなるでしょうね。その時は潔く降りて、若者に自分の経験を伝えながら応援する立場に回ります。 そもそも選挙に出るってことは、根底に自分の町をよくしたいという思いがあるはず。私利私欲や利権狙いでは話にならないけど、町を思っての行動ならわざわざ争わなくてもいい。今の世の中、リーダーにふさわしい人材が少ないのに、そこで潰し合ってどうするのって」 ――既に出馬表明している知事選まで残り3カ月余となりました。 「4年前は名乗りを上げるための選挙だった。そこからあちこちの選挙に出て、同じ選挙に再び挑むのは今回が初めて。何が起きるか楽しみな半面、こう言っては何ですけど内堀雅雄さんの3選は確定事項ですから(笑い)。でも皆さん、それでいいんですか、何となく選んで大丈夫ですかって言いたいですけどね。 幸い全国的には、この4年間で僕くらいの年齢の首長が増えてきた。若い市町村議はもっと増えている。そういう人たちを当選させようという雰囲気が醸成されつつあるのはいいことだと思います。僕自身は当選することが目的ではなく、先ほど言った将来の若者たちの前例になれればいいので(笑い)」 ――そうは言っても、選挙に出るにはお金がかかります。世間では、これだけ選挙に出続ける髙橋さんをお金持ち、資産家と思っている人も多いようです。 「いやいや、お金は自分で会社を三つ経営(※)して稼いでいるだけです。いわゆるプロの政治家は『選挙期間が始まる前に勝負はついている』って言うけど、僕は選挙前は普通に仕事をしているし、選挙運動をするのは告示後なんで(笑い)。それと僕は無駄遣いをしない。他人よりお金のつくり方、使い方が上手なだけなんだと思いますよ。 ※㈱アルストロメリア、㈱ユーチャリス、一般社団法人NEO電工協会S.H.I.O.N(本社はいずれも郡山市中田町海老根)の代表を務める  よく『お金がなくて選挙に出られない』と言う人がいますか、なぜって思いますけどね。確かに国政選挙や知事選になると供託金は300万円なので安くないが、やる気があれば100万円(市長選の供託金)くらい用意できるでしょって。選挙運動も旧来のやり方をしていたら、お金は出ていくばかり。そのお金は公営制度で見てもらえるお金(公費負担)以外の部分。だったら、どうすればお金をかけずに選挙ができるか考えればいいし、実際、僕はそれをネット選挙で実践しているので。 もともと僕の選挙は、1000万円の供託金を使い切るところからスタートしている。最初に1000万円の予算を用意し、4年前、300万円の知事選から始まった。ただ郡山市議選と県議選は法定得票数を超えたため、供託金が没収されず30万円と60万円が戻ってきた(笑い)。これまでに550万円が没収されているので、残りは450万円。ここから知事選に300万円供託するので、残る予算は150万円です」 時代が僕に追いついてくる  ――選挙に出るには家族の理解も欠かせない。髙橋さんのご家族の反応は。 「郡山市内で地元出身の妻、子ども3人、妻の両親と暮らしていますが、最初、両親の反応は良くなかった(笑い)。でも、僕は全然気にならなくて、妻も理解のある人なので助かっています。最初は何の相談もせず選挙に出ていたんですが、途中からは『ここと、ここと、ここの選挙に出るから』って伝えるようになりました。 子どもは小学2年の長男、幼稚園の長女、もうすぐ2歳になる次女です。長男は最初、父親のポスターが貼ってあったり、ユーチューブに動画が上がっているのを不思議がっていたけど、今は普通のこととして捉えているみたい(笑い)」 https://www.youtube.com/watch?v=wPKZ34aRHtc  ――最後に、あとどれくらい選挙に出続けるんでしょうか。 「ショウ・タカハシは何回も負けているのにメンタルが強いよねって言う人がいますが、それを大前提に選挙に出ているので、100戦あるうち40連敗したとしても、そこで僕の考え方にマッチした時代に変われば残り60戦は全勝できるイメージなので、時代は必ずショウ・タカハシに追いついてくると思っています。その時の僕の活躍の場は、政治でもビジネスでも構いません(笑い)」 あわせて読みたい 続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選 郡山の補選で露呈した福島県議への無関心 【郡山市】選挙漫遊(県議選)

  • 白河市議会「質問回数ランキング」

     任期満了に伴う白河市議選(定数24)は7月2日告示、同9日投開票の日程で行われる。市長選とのダブル選挙になる見通し。すでに複数の新人が立候補に向けて水面下で動き始めており、選挙戦になるのは確実視されている。 市民の関心は低く、本番まで3カ月を切っても盛り上がっているとは言い難いが、本誌が注目したのは、市議らがこの4年間、執行部に質問できる機会にどれだけ登壇してきたか、ということだ。 辻陽著『日本の地方議会 都市のジレンマ、消滅危機の町村』(中公新書)には次のように書かれている。 《議員の質問には、執行部局に「気付き」を促し、他自治体にひけをとらない行政を実施させようとする大きな意義がある。二元代表制を採り、首長の行う姿勢に対して監視機能を果たすためにも、各議員は緊張感をもって対峙し、もし執行部局の判断に誤りがあれば正し、新しい政策実施の方向へ導くための場にすることが必要である》 4年前の白河市議選では6人の新人議員が誕生したが、議員としての役割を果たしているのか。前回市議選が終わった直後の2019年9月定例会から今年3月定例会までの質問通告をもとに、一般質問などで質問した回数をカウントしたところ、別表のような結果となった。 白河市議の質問回数ランキング 回数議員名期数会派名21深谷弘7期開かれた議会をめざす会16北野唯道4期無所属の会15大竹功一6期開かれた議会をめざす会15佐川京子5期政研かがやき15室井伸一3期白河明誠14柴原隆夫3期無所属の会13石名国光5期政研かがやき11大木絵理1期正真しらかわ10戸倉宏一1期政研白河9須藤博之7期政研かがやき9鈴木裕哉1期先進しらかわ8高橋光雄5期白河明誠8根本建一2期正真しらかわ8荒井寿夫1期正真しらかわ6水野谷正則5期白河明誠6吉見優一郎1期先進しらかわ5山口耕治6期政研白河5大花務5期正真しらかわ5縄田角郎5期白河明誠5高畠裕1期先進しらかわ4藤田文夫5期政研白河2菅原修一※4期正真しらかわ1筒井孝充※6期先進しらかわ1緑川摂生3期正真しらかわ※2年間ずつ議長を務めている。  最も多かったのは開かれた議会を目指す会の深谷弘市議(69、7期)。日本共産党所属で、福祉政策などを含め、市政全般について積極的に質問している。 1期議員は意外にも質問回数が多く、逆に下位に期数を重ねた議員が目立つ。前議長の菅原修一市議(71、4期、正真しらかわ)、現議長の筒井孝充市議(66、6期、先進しらかわ)は議長を務めた期間を考慮しても質問数が少ない。若手議員が積極的に質問し、重鎮議員は質問を控える「暗黙の了解」があるのか。 緑川摂生市議(64、3期、正真しらかわ)に至ってはわずか質問1回。2020年9月定例会で「白河名山(権太倉山、関山、天狗山)『(仮称)奥州白河三山』」の利活用について質問したのを最後に、質問していないことになる。市内で配布している活動報告には、子どもたちの登校見守り継続などの活動が報告されているが、なぜ質問をしようとしないのか。緑川市議に問い合わせたところ、こう回答した。 「健康上の理由で、壇上に立って整理して質問することが困難になり、この間一般質問を控えていたが、6月定例会では質問を予定しています。その分一般質問以外の活動に力を入れてきました。具体的には、福祉分野でさまざまな支援活動を展開しており、行政が改善すべき点があれば担当部署に指摘してきました」 もちろん、何でもかんでも質問すればいいと言っているわけではないし、的外れの質問は論外だ。ただ、質問回数は住民が持っている不満・課題に耳を傾け、執行部にぶつける姿勢を示しているとも言える。 同市議会に限らず、選挙戦を控えている自治体では、誰に投票するか決めるうえで、「質問回数」も一つの参考になるのではないか。 日本の地方議会posted with ヨメレバ辻 陽 中央公論新社 2019年09月18日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle あわせて読みたい 渡辺義信県議会議長に「白河市長」待望論!?

  • 続・現職退任で混沌とする猪苗代町長選

     本誌4月号に「現職退任で混沌とする猪苗代町長選 前後氏の後継者と佐瀬氏の一騎打ちか」という記事を掲載した。注目は前後公町長の後継者が誰になるかだったが、前号締め切りから発売までの間に、その人選が定まった。 前後町長が後継者に「道の駅猪苗代」駅長を指名 道の駅猪苗代(HPより)  任期満了に伴う猪苗代町長選は6月13日告示、同18日投開票の日程で行われる。現職・前後公氏は3月定例会の閉会あいさつ(3月20日)で、「6月に行われる町長選には立候補しない。後進に道を譲りたい」と述べた。 記事では、前後氏の退任表明で混沌とする情勢についてリポートした。その中で、「前後町長の後継者と佐瀬真氏の一騎打ちになる公算が高い」と書いた。 佐瀬氏は同町議員で、3月定例会初日の3月7日に、渡辺真一郎議長に辞職願を提出し、本会議で許可された。同時に町長選への立候補を表明した。 佐瀬氏は1953年生まれ。会津高卒。2012年2月の町議選で初当選。2015年6月の町長選に立候補し、前後氏に敗れた。得票は前後氏5458票、佐瀬氏が2781票だった。その後、2016年2月の町議選で返り咲きを果たした。2019年6月の町長選にも立候補し、前後氏と再戦。得票は前後氏が4294票、佐瀬氏が3539票と最初のダブルスコアでの落選から、だいぶ票差を詰めたが当選には届かなかった。2020年の町議選で三度目の返り咲きを果たしたが、前述したようにすでに辞職して町長選に向けた準備に入っている。 過去3回の町長選の結果2011年6月26日投開票当5066前後 公(69)無新4242渡部英一(59)無新投票率72・50%2015年6月21日投開票当5458前後 公(73)無現2781佐瀬 真(61)無新投票率66・83%2019年6月23日投開票当4294前後 公(77)無新3539佐瀬 真(65)無新投票率66・46%  佐瀬氏について、前号記事では町民のこんな見解を紹介した。 「最初の町長選(2015年)は、佐瀬氏本人も『予行演習』と言っていたくらいで、2期目を目指す現職の前後氏に勝てるとは思っていなかったようです。ただ、2回目(2019年)は本気で取りに行くと意気込んでいた。結果は、1回目よりは善戦したものの、現職の前後氏に連敗となりました。その後は地元を離れて仕事をしているという情報もあったが、翌年(2020年)の町議選で復帰したことで、次の町長選も出るつもりだろうと言われていました。ですから、佐瀬氏の立候補表明は予想通りでした」 さらにはこんな声も。 「佐瀬氏は過去2回、町長選に出ていますが、いずれもその翌年の町議選で議員に復帰しています。『町長選がダメでも、また町議に戻ればいい』とでも考えているのではないかと疑ってしまう。少なくとも、私からしたらそういう感じがミエミエで、町民の中にも『どれだけ本気なのか』、『そんな中途半端では応援する気になれない』という人は少なくないと思いますよ」 4月号締め切り(3月27日)時点で、佐瀬氏のほかに立候補の意思を明らかにしている人物はいなかった。ただ、「前後氏の後継者が立候補することが確実視される」と書いた。その背景には、前後氏の後援会関係者からこう聞いていたからだ。 「前後町長は後援会役員に、『今期で引退する。後継者は私が責任を持って決める。私が決めた人で納得してもらえるなら、応援してほしい』と宣言しました」 その中で、名前が挙がっていたのが元町議の神田功氏(70)。2008年の町議選を最後に議員を引退した。現在は、家業である民宿を経営している。 ある関係者によると、「本人(神田氏)は出たかったようで、前後町長も神田氏から『やりたいので応援してほしい』と言われたら、それでもいいと考えていたように思います」という。 一方で、前後氏の支持者はこう話していた。 「神田氏はもともとは前後町長の対立側にいた人物で、もし、神田氏が前後町長の後継者に指名されたら、後援会関係者の中には、『神田氏では納得できない』という人も出てくるかもしれない」 前後氏後継者の人物評 【公式】にへい盛一(二瓶盛一)後援会ホームページ より  その後、3月28日に道の駅猪苗代駅長の二瓶盛一氏が立候補表明したことが伝えられた。以下は福島民友(3月29日付)より。 《任期満了に伴い6月13日告示、同18日投票で行われる猪苗代町長選で、新人で道の駅猪苗代駅長の二瓶盛一氏(69)は28日、立候補を表明した。同町で記者会見を開き、「町の未来を考えて立候補を決意した。観光誘客の一層の充実を図りたい」と語った。二瓶氏は猪苗代町出身。中央大経済学部卒。福島民報社専務、ラジオ福島専務、民報印刷社長を経て、2020年から道の駅猪苗代の駅長を務める》 二瓶氏について、前後氏の後援会関係者はこう話す。 「地元紙で報じられたように、二瓶氏は福島民報社出身で、同社専務、ラジオ福島専務、民報印刷社長などを務めたほか、同社系のゴルフ場にいたこともあり、誘客施設での経験もあったことから、前後町長が『力を貸してほしい』と頼んで、道の駅駅長として招聘した人物です。『真面目で一生懸命』というのが周囲の評価で、道の駅では売り上げを伸ばしたと聞きます。行政経験はないものの、学歴(中央大経済学部卒)も申し分なく、いまの時代は経営感覚を持った人の方がいいといった考えから、後継者に指名したようです」 前後町長は後援会関係者に「二瓶氏を後継者に据えたい」旨を伝え、了承されたという。選挙では前後町長の後援会が全面バックアップすることになる。 町内では「前後町長の支援があるのは大きいが、あまり知名度がないのがネックだろう」との声が聞かれた。ただ、前出・前後氏の後援会関係者は「猪苗代町出身で、町内には親戚もいるから、知名度云々は、そこまでの不安材料ではない」と打ち消した。 一方で、ある有力者は次のように話す。 「4月2日にリステル猪苗代で猪苗代青年会議所の45周年式典があり、その席で会った。町長選への立候補表明後、初めての公の場だったが、顔と名前を売ろうとガツガツした感じではなく悠然と構えていた。そういう性格なんでしょうね」 こうして、同町長選は「前後町長の後継者」である二瓶氏と佐瀬氏の争いになることが濃厚となったわけだが、どんな点が争点になるのか、有権者がどのような審判を下すのかが注目される。 その後(追記6/5) 2023年6月1日、猪苗代町長選に新人・高橋翔氏が出馬表明。 https://twitter.com/ShowTakahashi/status/1664169426277777408 あわせて読みたい 各地の選挙に出続ける髙橋翔氏の素顔

  • 福島県民を落胆させた岸田首相の言い間違い

     4月1日、富岡町夜の森地区に指定された特定復興再生拠点区域の解除セレモニーが開かれ、岸田文雄首相らが出席した。 同セレモニーでは岸田首相があいさつするシーンがあり、多くの町民が足を運んで耳を傾けた。ところが、「福島」を「福岡」と間違え、場内が一気にシラケるシーンがあった。 《あいさつの終盤で「福島の復興なくして日本の再生はない。こうした決意を引き続きしっかりと持ちながら、富岡町そして福岡の、失礼、福島の復興に政府を挙げて取り組む」と述べた》(福島民友4月2日付) 記者は現場であいさつを聞いていたが、夜の森の桜並木の中での生活が12年ぶりにできることを強調し、そのうえで帰還困難区域すべての避難指示解除を目指す方針を示した。 要するに住民の心情に寄り添い、避難指示解除への決意を力強く述べた後だったのだ。それだけに言い間違いへの脱力感は大きく、隣にいた新聞記者は小さい声で「ふざけるなよ」とつぶやいた。 ぶら下がり取材でこの件について問われた山本育男富岡町長は「単なる言い間違いでしょう」と一笑に付したが、あまり言い慣れていない地名だからこそ、咄嗟に「福岡」と言い間違えたのではないか。そういう意味では、思わぬ形で福島の位置づけが見えた瞬間だった。 あわせて読みたい 【原発事故から12年】終わらない原発災害 【原発事故から12年】旧避難区域のいま【2023年】写真

  • 未完成の【田村市】屋内遊び場「歪んだ工事再開」

    (2022年9月号)  2021年4月、設置した屋根に歪みが見つかり、工事が中断したままになっている田村市の屋内遊び場。対応を協議してきた市は、計1億5000万円の補正予算を組んで工事を再開させる予定だが、違和感を覚えるのは原因究明が終わっていない中、歪みを生じさせた業者に引き続き工事を任せることだ。それこそ〝歪んだ工事再開〟にも映るが、背景を探ると、白石高司市長の苦渋の決断が浮かび上がってきた。 前市長の失政に未だ振り回される白石市長 白石高司市長  田村市屋内遊び場(以下「屋内遊び場」と略)は田村市船引運動場の敷地内で2020年8月から工事が始まった。計画では3000平方㍍の敷地に建築面積約730平方㍍、延べ床面積約580平方㍍、1階建て、鉄筋コンクリート造・一部木造の施設をつくる。利用定員は100人で、駐車場は65台分を備える。 総事業費は2億9810万円。内訳は建築が2億0680万円、電気が2600万円、機械設備が2340万円、遊具が4190万円。財源は全額を「福島定住等緊急支援交付金」と「震災復興特別交付金」で2分の1ずつまかない、市の持ち出しはゼロとなっている。 2021年3月には愛称が「おひさまドーム」に決まり、あとは同7月のオープンを待つばかりだった。ところが同4月、工事は思わぬ形で中断する。設置した屋根が本来の高さから5㌢程度沈み、両側が垂れ下がるなどの歪みが生じたのだ。 建物本体の施工は鈴船建設(田村市、鈴木広孝社長)、設計は畝森泰行建築設計事務所(東京都台東区、畝森泰行社長。以下「畝森事務所」と略)とアンス(東京都狛江市、荒生祐一社長)の共同体、設計監理は桑原建築事務所(田村市、桑原俊幸所長)が請け負っていた。 問題発覚時、ある市議は本誌の取材にこう話していた。 「鈴船建設は『設計図通りに施工しただけ』、畝森事務所は『設計に問題はない』、桑原建築事務所は『監理に落ち度はない』と、全員が〝自分は悪くない〟と主張し、原因究明には程遠い状況と聞いている」 実は、屋内遊び場は非常にユニークなつくりで、市内の観光名所であるあぶくま洞と入水鍾乳洞をイメージした六つのドームに屋根を架ける構造になっている(別図①)。 屋根も奇抜で、一本の梁に屋根を乗せ、玩具「やじろべえ」の要領でバランスを取る仕組み。ただ、それだと屋根が落下する危険性があるため、別図②のように屋根の片側(下側)をワイヤーで引っ張り、安定させるつくりになっていた。 しかし、屋根を架けた途端、沈みや歪みが生じたことで、市は別図③のように棒で支える応急措置を施し、原因究明と今後の対応に乗り出していた。  ある業者は 「こういうつくりの建物は全国的にも珍しいが、行き過ぎたデザインが仇になった印象。屋内遊び場なんて単純な箱型で十分だし、空き施設をリフォームしても間に合う」 とデザイン先行のつくりに疑問を呈したが、市が鈴船建設、畝森事務所、桑原建築事務所を呼び出して行った聞き取り調査では原因究明には至らなかった。市議会の市民福祉常任委員会でも調査を進めたが、はっきりしたことはつかめなかった。 本誌は2021年7月号に「暗礁に乗り上げた田村市・二つの大型事業」という記事を載せているが、その中で屋内遊び場について次のように書いている。   ×  ×  ×  × (前略)前出・某業者が興味深い話をしてくれた。 「六つのドームから構成される屋内遊び場は一つの建物ではなく、単体の建物の集合体と見なされ、建築基準法上は『4号建築物』として扱われている。4号建築物は建築確認審査を省略することができ、構造計算も不要。建築確認申請時に構造計算書の提出も求められない。もし施工業者に問題がないとすれば、その辺に原因はなかったのかどうか」 畝森事務所は構造計算書を提出していなかったようだが、屋根にゆがみが生じると「構造計算上は問題ない」と市に同書を提出したという。4号建築物なので提出していなかったこと自体は問題ないのかもしれないが、ゆがみが生じた途端「構造計算上は問題ない」と言われても〝後出しジャンケン〟と同じで納得がいかない。 そもそも公共施設なのに、なぜ4号建築物として扱ったのか疑問も残る。主に小さい子どもが利用する施設なら、なおのこと安心・安全を確保しなければならないのに、建築確認審査を省略できて構造計算も不要の4号建築物に位置付けるのは違和感を覚える。4号建築物として扱うことにゴーサインを出したのは誰なのか、調べる必要がある。 ちなみに、畝森事務所・アンス共同体は2019年10月に行われた公募型プロポーザルに応募し、審査を経て選ばれた。請負金額は基本・実施設計を合わせて3000万円。審査を行ったのは、当時の本田仁一市長をはじめ総務部長、保健福祉部長、教育部長、経営戦略室長、こども未来課長、都市計画課長、生涯学習課長、公民館長の計9人だ。   ×  ×  ×  × 今回、この記事を補足する証言を得ることができた。当事者の一人、桑原建築事務所の桑原俊幸所長だ。 改正建築士法に抵触⁉  「確かに4号建築物は構造計算が不要だが、2020年3月に施行された改正建築士法で、4号建築物についても構造計算書を15年間保存することが義務化されたのです」 義務化の狙いは、建築物の構造安全性に疑義が生じた場合、構造安全性が確保されていることを建築士が対外的に立証できるようにすると同時に、建築設計の委託者を保護することがある。つまり、構造計算は不要とされているが、事実上必要ということだ。 「しかし畝森事務所は、歪みの発生を受けて白石高司市長が直接行ったヒヤリング調査の10日後に、ようやく構造計算書を提出した。最初から同書を持っていれば調査時点で提出できたはずなのに、10日も経って提出したのは手元になかった証拠。これは改正建築士法に抵触する行為ではないのか」(同) まさに、これこそ〝後出しジャンケン〟ということになるが、 「後から『構造計算書はある』と言われても構造計算の数値が合っている・合っていない以前の問題で、建築設計事務所としての信頼性が問われる行為だと思う」(同) 同時に見過ごしてならないのは、構造計算書が存在することを確認せず、図面にゴーサインを出した市の責任だ。最初に図面を示された際、市が畝森事務所に同書の存在を確認していれば、問題発生後に慌てて同書を提出するという不審な行動は起こらなかった。そういう意味では、市も安全・安心に対する意識が欠落していたと言われても仕方がない。 「畝森事務所は工事が始まった後も『軒が長いから短くしたい』と図面を手直ししていた。問題がなければ手直しなんてする必要がない。要するに、あの屋根は最初から奇抜だった、と。玩具『やじろべえ』の要領と言っても、1本の梁に7対3の割合で屋根を乗せる構造ではバランスが取れるはずがない」(同) 桑原所長は屋根に歪みが生じた2021年4月の出来事を今もはっきりと覚えていた。 「設計の段階で、畝森事務所と市には『こういう屋根のつくりで本当に大丈夫か』と何度も言いました。しかし、同事務所も市も『大丈夫』と繰り返すばかり。そこまで言うならと2021年3月末、現場で屋根を架けてみると、屋根自体の重さで沈み込み、ジャッキダウンしたらすぐに歪みが生じた。目の錯覚ではなく、水平の糸を使って確認しても歪んでいるのは明白だった」(同) ところが驚いたことに、それでも畝森事務所と市は、現場に持ち込んだパソコンでポチポチと数値を打ち込み「問題ない」と言い張ったという。自分たちの目の前で実際に沈み込みや歪みが起きているのに、パソコンの画面を注視するとは〝机上の空論〟以外の何ものでもない。 「結局、翌日には歪みはもっと酷くなり、棒などの支えがないと屋根は落下しそうな状態だった」(同) 前出の業者が指摘した「デザイン先行」は的を射ていたことになる。 「もし時間を戻せるなら」  建物本体を施工する鈴船建設の鈴木広孝社長は、本誌2021年7月号の取材時、 「施工業者はどんな建物も図面通りにつくる。屋内遊び場も同じで、当社は図面に従って施工しただけです。屋根を架ける際も、畝森事務所には『本当に大丈夫か』と何度も確認した。現場は風が強く、近年は台風や地震が増えており、積雪も心配される。ああいう奇抜なつくりの屋根だけに、さまざまな気象条件も念頭に確認は念入りに行った。それでも畝森事務所は『大丈夫』と言い、構造計算業者も『問題ない』と。にもかかわらず、屋根を架けて数日後に歪みが生じ、このまま放置するのは危険となった」 と話している。 今回、鈴木社長にもあらためて話を聞いたが、2021年と証言内容は変わらなかった。 「畝森事務所と市には『こんな屋根で本当に大丈夫か』と何度も尋ねたが、両者とも『大丈夫』としか言わなかった。問題発生後に行われた市の調査には『当社は図面通りに施工しただけ』と一貫して説明している。市からは、当社に非があったという類いのことは言われていない」 設計監理と施工に携わる両社にここまで力強く証言されると、屋根が歪んだ原因は図面を引いた畝森事務所に向くことになるが……。 本誌2021年7月号の取材時、畝森事務所は 「田村市が調査中と明言を避けている中、それを差し置いて当社が話すことは控えたい」 とコメントしたが、今回は何と答えるのか。 「田村市が話していること以上の内容を当社から申し上げることはできない。ただ、市の調査には引き続き協力していく意向です」 当事者たちの話から原因の大枠が見えてきた中、この間、調査を進めてきた市は事実関係をどこまで把握できたのか。 「各社から個別に聞き取り調査を行い、そこで分かったことを弁護士や一般財団法人ふくしま市町村支援機構に照会し、再び各社に問い合わせる作業を繰り返している。現時点では屋根が歪んだ原因は明確になっておらず、市として公表もしていません」(市こども未来課の担当者) 問題発覚後に開かれた各定例会でも、議員から原因究明に関する質問が相次いだが、市は明言を避けている。そうした中、白石市長が最も踏み込んだ発言をしたのが、2021年12月定例会(12月3日)で半谷理孝議員(6期)が行った一般質問に対する答弁だった。 「屋根の歪みの原因は設計か施工のいずれかにあると思っています。この件については、市長就任前の議員時代から情報収集しており、約1年前から屋根に懸念があるという情報をつかんでいました。もし時間を戻せるなら、施工前に設計者、施工者、発注者の市が話し合い、何らかの設計変更をすべきだったのではないか、と。もしタイムマシンがあれば戻りたいという気持ちです」 「施工者や監理者から話を聞いたところ、当初の図面から昨年(※2020年)12月に設計変更して、屋根の長さを短くしたとのことです。それは、自ずと屋根が歪むのではないか、この構造で持つのか、という投げ掛けがあり、屋根を小さくしたとのことでした。さらに施工前に懸念されていたことが、実際に施工して起きた、これも事実です。こうしたことを含めて、責任の所在がどこにあるのか考えていきたい」 明言こそしていないが、白石市長は設計側に原因があったのではないかと受け止めているようだ。 印象的なのは「もし時間を戻せるなら」「タイムマシンがあれば戻りたい」と繰り返している点だ。その真意について、前出の業者はこんな推測を披露する。 「屋内遊び場は、白石市長が就任前の本田仁一前市長時代に工事が始まり、就任後に歪みが生じた。白石市長からすると、本田氏から迷惑な置き土産を渡された格好。しかし自分が市長になった以上、本音は『オレは関係ない』と思っていても問題を放置するわけにはいかない。議員時代から調査していた白石市長は、そのころから『自分が市長ならこういうやり方でトラブルを回避していた』という思いがあったはず。だから、つい『時間を戻せるなら』と愚痴にも似た言葉が出たのでしょう。見方を変えれば、本田氏への恨み節と捉えることもできますね」 責任追及に及び腰のワケ  状況を踏まえると、歪みが生じた原因は明らかになりつつあると言っていい。にもかかわらず、市が責任追及の行動に移そうとしないのはなぜなのか。 某市議が市役所内の事情を明かしてくれた。 「責任の所在は業者だけでなく市にも一定程度ある。畝森事務所から上がってきた図面を見て、最終的にゴーサインを出したのは市だからです。逆に言うと、図面を見て『この屋根のつくりではマズい』とストップできたのも市だった。そういう意味では、市のチェック体制はザルだったことになり、業者だけを悪者にするわけにはいかないのです」 つまり、白石市長が責任追及に及び腰なのは身内(市職員)を庇うためなのか。某市議は「傍から見るとそう映るかもしれないが、そんな単純な話ではない」と漏らす。 「一つは、市町村役場に技術系の職員がいないことです。技術系の職員がいれば、図面を見た時に『この屋根のつくりはおかしい』と見抜いたかもしれないが、田村市役所にはそういう職員がいない。業者はそれを分かっているから『どうせ見抜けるはずがない』と自分に都合の良い図面を出してくるわけです。結果、図面上の問題は見過ごされ、専門知識を持たない市職員は提出された書類に不備がないか法律上のチェックのみに留まるのです。もう一つは、市職員はおかしいと思っても、上からやれと指示されたらやらざるを得ないことです。屋内遊び場をめぐり当時の本田市長が部下にどんな指示をしたかは分からないが、専門知識を持つ桑原建築事務所や鈴船建設が心配して何度確認しても、市は大丈夫と押し通したというから、担当した市職員は本田氏の強い圧力を受けていたと考えるのが自然でしょう」 こうした状況を念頭に「白石市長は市職員の責任を問うのは酷と逡巡している」(同)というのだ。 「本来責任を問うべきは当時の最終決定者である本田氏だが、本田氏は既に市長を退いており責任を問えない。じゃあ、本田氏から指示された市職員を処分すればいいかというと、それは酷だ、と。もちろん、最終的には市長自らが責任を負うことになるんでしょうが」(同) 事実、白石市長は前出・半谷議員の「これによって生じる責任の全てを業者ではなく、市長が負うと理解していいのか」という質問(2021年12月定例会)にこう答弁している。 「現時点では私が田村市のトップなので、全て私の責任で今後対応してまいります」 考えられる処分は市長報酬の一定期間減額、といったところか。 一方で、白石市長が原因究明を後回しにしているのは、屋内遊び場の完成を優先させているからという指摘もある。 屋内遊び場の事業費が全額交付金でまかなわれていることは前述したが、期限(工期)内に竣工・オープンしないと国から返還を迫られる可能性がある。当初の期限は2021年7月末だったが、市は屋根に歪みが生じた後、交付金の窓口である復興庁と交渉し、期限延長が了承された。しかし、新たに設定した期限(2022年度中の竣工・来年4月オープン)が守られなければ交付金は返還しなければならず、事業費は全額市が負担することになる。 もはや再延長は認められない中、市は2021年12月定例会で屋根の撤去費用1500万円、新しい屋根の葺き替え費用4500万円、計6000万円の補正予算案を計上し議会から承認された。ところが2022年6月定例会に、再び屋内遊び場に関する補正予算案として9000万円が計上された。ウッドショック(木材の不足と価格高騰)への対応や人件費など経費の高騰、さらには木造から鉄筋に変更したことで工程上の問題が生じ、更なる予算が必要になったというのだ。 この補正予算案が認められなければ屋内遊び場は完成しないため、結局、議会から承認されたものの、計1億5000万円は市の一般財源からの持ち出し。すなわち全額交付金でまかない、市の持ち出しはゼロだったはずの計画は、一転、市が1億5000万円も負担する羽目になったのだ。 さらに問題なのは、引き続き工事を行うのが鈴船建設、畝森事務所・アンス共同体と顔ぶれが変わらないことだ(桑原建築事務所は8月時点では未定)。市民からは 「歪みを生じさせた当事者に、そのまま工事を任せるのはおかしい」 と〝歪んだ工事再開〟に疑問の声が上がっている。 「市民の間では、信頼関係が失われている面々に引き続き工事をやらせることへの反発が大きい。『そういう業者たちに任せて、ちゃんとしたものができるのか』と心配の声が出るのは当然です」(前出の業者) 1.5億円の「請求先」  そうした懸念を払拭するため、市では構造設計を専門とするエーユーエム構造設計(郡山市)とコンストラクション・マネジメント契約を締結。同社が市の代理人となって施工者、設計者、設計監理者との仲介に努めていくという。業者間の信頼関係が疑われる中、同社が〝緩衝材の役目〟を果たすというわけ。 「すでに工事が3~4割進んでいる中、業者を変更して工事を再開させるのは難しいし、そもそも他社が手を付けた〝瑕疵物件〟を途中から引き受ける業者が現れることは考えにくい。そこで、同じ業者にトラブルなく仕事を全うさせるため、市はコンストラクション・マネジメントという苦肉の策を導入したのです」(前出の市議) 市としては補助金返還を絶対に避けるため、なりふり構わず施設の早期完成を目指した格好。 ちなみに、エーユーエム構造設計には「それなりの委託料」が支払われているが、これも市の一般財源からの持ち出しだ。 最後に。同じ業者に引き続き工事を任せる理由は分かったが、竣工・オープン後に待ち受けるのは、市が負担した1億5000万円(プラスエーユーエム構造設計への委託料)をどこに請求するかという問題だ。なぜなら、これらの経費は屋根に歪みが生じなければ発生しなかった。本来なら市が負担する必要のない余計な経費であり、その「原因者」に請求するのは当然だ。言うまでもなく「原因者」とは屋根の歪みを生じさせた業者を指す。 今は中途半端になっている原因究明の動きだが、最終局面は2022年度中の完成・2023年4月にオープン後、1億5000万円を請求する際に迎えることになる。 (6/9追記)2023年5月、田村市屋内こども遊び場「おひさまドーム」がオープン 田村市屋内こども遊び場「おひさまドーム」(田村市HPより) おひさまドームオフィシャルサイト あわせて読みたい 【田村市】新病院施工者を独断で覆した白石市長 白石田村市長が新病院施工業者を安藤ハザマに変えた根拠 【田村市百条委】呆れた報告書の中身

  • 福島県内にも「旧統一教会」市議・シンパ議員も複数存在

    (2022年10月号)  安倍晋三元首相の銃撃事件でクローズアップされている政治家と旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の関係。自民党は党所属の国会議員と教団・関連団体とのつながりを調査し、2022年9月8日、衆参両院議長を除く379人中179人に何らかの接点があったと公表した。このうち選挙支援を受けるなど「一定の接点」があった121人は氏名が明かされたが、調査結果が実態をどこまで反映しているかは不透明だ。 実際、同13日には木原誠二官房副長官が関連団体主催の会合に出席していたことを発表。木原氏は、党への報告が漏れた理由を「秘書が出席し、会合出席の記録も記憶も残っていなかった。外部からの指摘で判明した」と釈明している。 木原氏と同様、後日判明するケースは今後も後を絶たないだろうが、問題は調査が進む国会議員とは対照的に、地方議員への調査は一切手付かずなことだ。 都道府県議と知事についてはマスコミが調査を進め、徐々に関係が明らかになっているが、市町村議レベルになると教団・関連団体とのつながりはよく分かっていない。 県内に目を向けると、2022年7月の参院選で初当選した星北斗氏が、選挙前に郡山市などのミニ集会で何度か挨拶していたことが判明。いわき市の内田広之市長も、2021年9月の市長選に向けた準備の過程で市内の教団支部施設を訪問していたが、両氏に共通するのは、その〝案内役〟が地元の自民党系市議だったことだ。 両市の議員ら関係者の話を総合すると、その自民党系市議たちが教団と〝深いつながり〟(信者?)を持つことは周知の事実だという。ただ、信教の自由は尊重されるべきだし、同僚としてこれまで迷惑を被ったこともなかったため、深く気にすることはなかったという。 風向きが変わったのは、言うまでもなく安倍元首相の銃撃事件がきっかけだ。教団名が変わっていたため気付かなかったが、世界平和統一家庭連合が旧統一教会であることを知り、その市議と今後どう付き合うべきか、他の同僚議員たちと頭を悩ませるようになった。 「党本部の調査は国会議員にとどまっており、現時点で地方議員には及んでいない。しかし、茂木敏充幹事長は『教団との関係を絶てない人とは同じ党で活動できない』と離党を促している。地方議員も国政選挙に携わる以上、調査対象になるのは確実だ」(ある自民党系市議) 問題の自民党系市議たちは市議会会派の要職を務めていたり、若手のホープといった立ち位置。しかし、教団との関係を絶たないと現在の役職を辞めてもらわなければならないし、将来のポストも望めない。 「とはいえ、もし彼らが熱心な信者なら脱会するのも簡単ではないはず。信教心を貫くのか、ポストを取りにいくのか、彼らも頭を悩ませているのではないか」(同) 市議らによると、自宅や事務所にはさまざまな雑誌や資料などが送られてくるが、彼らが当選後、旧統一教会系の月刊誌がいつの間にか送られてくるようになったという。「もちろん、購読申し込みをした事実はない」(同)。 両市の職員の間でも、教団とつながりを持つ市議がいることはウワサになっていたが、特段気に留めることはなかったという。 「ただ、一般質問の視点が独特だったり、議会内の言動が他の議員と少し違っていたり、今思えばどことなく教団色が滲み出ていたのかもしれませんね」(郡山市職員) 本誌には「〇〇市にも信者の市議がいる」「××市議の妻が信者だ」という情報が寄せられているが、自民党が今後、地方議員にどのような対応を迫るのか注目される。

  • 【箭内道彦】福島県クリエイター育成事業「誇心館」が冷視されるワケ

    (2022年9月号)  県が地元クリエイターの育成に乗り出す。2022年8月30日、国内トップクリエイター6人を〝師範〟とする道場を開塾した。〝館長〟を務めるのは福島県クリエイティブディレクター(CD)の箭内道彦氏(58)。箭内氏をめぐっては本誌2021年3月号で「本来裏方であるはずのCDが目立ち過ぎている違和感」を指摘したが、今回も箭内氏を前面に立たせ、税金を使ってクリエイターを育成することへの違和感が聞こえてくる。 内堀知事の箭内道彦氏推しに業界辟易 内堀雅雄知事 箭内道彦氏(誇心館HPより)  「来たれ、やがてふくしまの誇りになるクリエイターたち。」 そんなキャッチフレーズのもと、入塾生の募集が始まったのは7月12日だった。道場の名は「FUKUSHIMA CREATORS DOJO(福島クリエイターズ道場)誇心館(こしんかん)」。 入塾生募集資料の一文を借りると《県内クリエイターのクリエイティブ力を強化し、様々なコンテンツを連携して制作するとともに、それらを活用して情報発信を行うことで、本県の魅力や正確な情報を県内外に広く発信し、風評払拭・風化防止や本県のブランド力向上を図る》ことを目的に、県が創設したクリエイター育成道場だ。 募集開始に合わせて県が開いた会見で、内堀雅雄知事は道場創設の狙いをこう説明した。 「震災から10年の節目が過ぎ、風化にあらがうには新しい挑戦が必要だ。福島で生活し、今の福島を肌で感じているクリエイターが切磋琢磨し、現場主義で福島の今を発信することは新しい挑戦につながる」(福島民友7月13日付より) 道場名は、県産農林水産物をPRする際に使用しているワード「ふくしまプライド。」を念頭に「故郷を誇り、人を誇る心はクリエイティブにとって大切な素地になる」との思いが込められているという。 「こういう人たちが講義してくれるなら、私もぜひ聞いてみたいですね。彼らがどんなことを考えながら作品を制作しているかは、とても興味深いですから」 と某広告代理店の営業マンが口にするように、魅力的なのは〝師範〟と位置付けられる講師陣の顔ぶれ(別表参照)。広告や映像などの仕事に携わる人にとっては豪華な布陣になっている。一般の人は名前を聞いてもピンと来ないかもしれないが、彼らが手掛けた作品を見れば「あー、知っている」となるに違いない。 クリエイター主な仕事など館長箭内道彦(郡山市出身)クリエイティブディレクタータワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」など。県クリエイティブディレクター師範井村光明(博報堂)CMプランナー、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」CMなど柿本ケンサク映像作家、写真家県ブランド米「福、笑い」「晴天を衝け」メインビジュアルなど小杉幸一アートディレクター、クリエイティブディレクター県「ふくしまプライド。」「来て。」「ちむどんどん」ロゴなど児玉裕一映像ディレクター「MIRAI2061」など。CMやミュージックビデオの映像作品企画・演出並河進(電通)コピーライター、クリエイティブディレクター県「ふくしま 知らなかった大使」など寄藤文平(文平銀座)アートディレクター県スローガン「ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま」など※福島民友7月13日付の記事をもとに作成  そして、その師範たちの上に立つ〝館長〟を務めるのが福島県CDの箭内道彦氏だ。 郡山市出身。安積高校、東京芸術大学を経て博報堂に入社。その後独立し、フリーペーパーの刊行、番組制作、イベント開催、バンド活動など幅広い分野で活躍する。携わった広告、ロゴマーク、グラフィック、ミュージックビデオ、テレビ・ラジオ等は数知れず、まさに日本を代表するCDと言っても過言ではない。福島県CDは2015年4月から務めている。 こうした国内トップクリエイターたちのもとで、一体どんなことが行われるのか。 入塾生募集資料によると、誇心館の開催期間は8月30日から2023年2月28日まで。会場は福島市と郡山市を予定し、師範ごとに分かれてのリアル・オンライン稽古(講義・実習)が行われる。初日となる8月30日は開塾・入塾式の後、初稽古と題して箭内館長による講義、師範ごとに分かれてのクリエイティブ・ディスカッション、全体懇親会。以降は9、10、11、12月と計4回の師範別稽古が行われ、2023年2月に成果発表会が開かれるスケジュールになっている。実習ではポスターデザインやロゴ、映像などを制作し、今冬にお披露目される県オリジナル品種のイチゴ「福島ST14号」のロゴデザインも任されるという。 受講料は無料で、入塾生の募集定員は30名程度。募集期間は7月31日で終了したが、県広報課によると、 「応募件数が何件あり、そこから最終的に何人選んだかは現時点(8月24日)で公表していません」 と言う。ちなみに対象者は 《福島県所在の事業所に所属するクリエイターや福島県を拠点に活動するフリーランスのクリエイター、学生等今後本県の情報発信に尽力いただける方》(入塾生募集資料より) 内堀知事が会見で話したように、県が主体となって地元の若手クリエイターを育成し、県の情報発信に携わってもらおうという狙いが見えてくる。卒業生は「誇心館認定クリエイター」に認定されるという。 他県には見られないユニークな取り組みと好意的な声もあるが、実は業界内の評価は芳しくない。 「箭内氏の枠」の弊害  館長の箭内氏をめぐっては、本誌2021年3月号「福島県CD 箭内道彦氏の〝功罪〟」という記事で、①県の動画制作業務はほとんどが箭内氏の監修となっているため、制作を請け負った業者は箭内氏の意向に沿った動画を制作しなければならず、やりにくさを覚える。②箭内氏は博報堂出身のため、プロポーザルに複数の業者が応募した場合、審査は同系列の会社(東北博報堂)が優位と業界内では捉えられている。③CDは本来裏方の仕事なのに、箭内氏は自分が一番目立っている――と書いた。 講師陣を魅力的と評した前出の営業マンも次のように話している。 「6人の師範が魅力的なのは間違いないんです。ただ、結局は〝箭内組〟の人たちなので(苦笑)、シラける部分もあるんですよね」 〝箭内組〟とは、6人がこれまで箭内氏と一緒に仕事をしてきた面々であることを念頭に「同じ感覚を持った一団」を皮肉を込めてそう呼称しているのだという。 「要するに、どこまで行っても箭内氏の枠から抜け出せない、と。そもそもクリエイティブとは、枠組みにとらわれない、自由な発想で仕事をすることを指す。そのクリエイターを育成するのに〝箭内組〟の面々を師範にしてしまったら、箭内氏の枠にはめ込んでしまうのと同じ。そうなると、クリエイター育成の趣旨からは外れてしまうと思う」(同) そのうえで、営業マンは誇心館の問題点をこう指摘する。 「一つは、県の事業なのに閉鎖的に進められていることです。定員を設けたということは、講義は入塾を認められた人しか受講できないと思うんです。せっかく国内トップクリエイターが講義するのに、限られた人しか受講できないのはもったいないし、税金を使う事業なら尚更、一般県民にも受講の権利がある。ユーチューブで講義をライブ配信し、アーカイブ化していくべきです」 「二つは、どういう基準で入塾生を選考したのかということです。例えば、電通や博報堂に所属していることが選考を左右していないか、あるいは箭内氏や師範たちとの〝個人的つながり〟が影響していないか。選考方法をきちんとディスクローズしないと、選考から漏れた人も納得がいかないと思う」 「三つは、卒業生を誇心館認定クリエイターに認定することです。この認定が、県の仕事を請け負う際のアドバンテージになってはマズいと思うし、認定を受けたから県のクリエイターとして認める、受けていないから認めない、ということが起きれば県内のクリエイターを分断することにもなりかねない」 県広報課に尋ねたところ▽講義を公開するかどうか、▽どういう基準で入塾生を選考したのか、▽誇心館認定クリエイターに認定されたことによるアドバンテージ――等々は 「現時点(8月24日)で公表していないので答えられない。ただ、プレスリリース後にお話しできる部分はあると思う」 ならば、プレスリリースがいつになるのか聞くと、 「それもお答えできない」 開塾まで1週間を切ったタイミングで質問しているのに、要領を得ない。ついでに箭内氏や師範に支払われる報酬等も尋ねてみたが 「公表していない」 ただ、事業を受託したのは山川印刷所(福島市)で、契約額は約5500万円とのことだった。 「そもそも、クリエイティブとは何かを分かっている人は誇心館に入塾しないのでは。真のクリエイターなら(箭内氏の)枠にはめ込まれることに反発するはずです」(前出の営業マン) 気になるのは、誇心館が事業化されることになった経緯だ。これについて、中通りで活動する中堅CDが意外な話をしてくれた。 「県や箭内氏は『政経東北』2021年3月号の記事をかなり気にしていたそうです。とりわけ某CDが記事中で発していたコメントは、かなり効き目があったとか」 そのコメントとは、県内の某CDが箭内氏に向けたものだった。 「本県出身のCDとして、地元の若手CDの育成に携わるべきではないか。例えば、箭内氏の人脈がなければ起用できないタレントを連れてきて『この素材を使ってこんな動画をつくってほしい』と若手CDを競わせ、最終的にはプロポーザルで決定するとか。箭内氏はいつかは福島県CDを退く。その時、後に続く人材がいなかったら困るのは県です。CDは教えてできる仕事ではなく当人のセンスが問われるが〝原石探し〟は先駆者として行うべき。しかし今の箭内氏は『オレがオレが』という感じで、後進の育成・発掘に注力する様子がない」 県と箭内氏にとっては〝痛いところを突かれた〟ということだろう。 税金を使って行う事業か 福島県庁  誇心館創設のきっかけをつくったと言っても過言ではない某CDは、何と評価するのか。 「自分が館長で、周りを〝箭内組〟で固めているのを見ると、やっぱり『オレがオレが』は変わらないということでしょう。県が地元クリエイターを育成するというなら、まずは内堀知事が前面に出て、県内のベテランCDらにも協力を仰ぎ、オールふくしまで取り組むべきだ。内堀知事と箭内氏が親しい関係にあることを知っている人からすると、県が箭内氏のために多額の予算を出して塾を開いたようにしか見えない」 そう言いつつ、某CDからは箭内氏を庇うような言葉も聞かれた。 「前回(2021年3月号)は箭内氏を批判したが、その後、考えが少し変わりました。悪いのは箭内氏ではなく、取り巻きではないかと思うようになったんです。取り巻きとは県や地元紙を指します。箭内氏は純粋に復興に寄与したいと自分にできることを精一杯やっているだけで、そんな箭内氏を県や地元紙が〝利用〟している状況が良くないのではないか、と。県や地元紙から『復興に力を貸してほしい』と言われれば、箭内氏は断りづらいでしょうからね」(同) しかし、箭内氏を批判することも忘れていない。 「自費を元手に、参加者から会費を集めて育成に臨むなら感心したでしょうが、税金を使ってやるのは違うんじゃないと思いますね。人材育成が必要なのはクリエイターだけじゃないのに、ここにだけ税金を使うのは、内堀知事と箭内氏が個人的に親しい関係にあるからと言われてもやむを得ない」(同) このほか「本気で育成する気があるなら、単年で終わるのではなく毎年行わなければ意味がない」とも語る某CD。一過性の取り組みでは育成に寄与しないことは、確かにその通りだ。

  • 【会津坂下町】庁舎新築議論で紛糾【継続派と再考派で割れる】

    (2022年10月号)  会津坂下町は老朽化している役場本庁舎の新築事業を進めている。もともとは2017年度から検討を行い、2022年度に完成のスケジュールで進められていたが、2018年9月に「財政上の問題」を理由に事業延期を決めた。それから4年が経ち、今年度から再度、庁舎建設に向けて動き出したのだが、町内では賛否両論が上がっている。 「4年前の決定」継続派と再考派で割れる 4年前の議論に上がった候補地図  会津坂下町役場本庁舎は、1961年に建設され老朽化が進んでいること、1996年に実施した耐震診断結果で構造耐震指標を大きく下回ったこと、本庁舎のほかに東分庁舎・南分庁舎があり、機能が分散して不便であること等々から、2017年度から新庁舎建設を検討していた。その際、国の補助事業である「市町村役場機能緊急保全事業」を活用すること、そのためには2020年度までに着工することを条件としていた。 町は2017年に、町内の社会福祉協議会や商工会、観光物産協会、区長・自治会長会の役員などで構成する「会津坂下町新庁舎建設検討委員会」を立ち上げ、調査・検討を諮問した。それに当たり、最大のポイントになっていたのは建設場所をどこにするか、だった。 同委員会では、①現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地、②旧営林署・保健福祉センター・中央公園用地、③南幹線南側町取得予定県有地――の3案を基本線に検討を行い、2018年2月、「現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地が適地である」との答申をした。 同年3月議会では、同案に関する議案が提出され、賛成13、反対2の賛成多数で議決した。 ところが、同年9月、町(齋藤文英町長=当時)は「事務事業を見直し、将来の財政状況を算定したところ、計画通り進めれば住民サービスに大きな影響を及ぼすことが予想されることになった。財政健全化を重視し新庁舎建設延期という重い決断をした」として、庁舎建設の延期を決めた。 それから4年。町は今年度から役場内に「庁舎整備課」を新設し、庁舎建設事業再開を決定した。今年度予算では関連費用として約6700万円が計上されている。 そんな中、5月12日付で町民有志「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から、議会に対して「会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議することを求める請願」が提出された。内容は次の通り。   ×  ×  ×  × 町民にとって関心の高い新庁舎の建設については、これまで様々な議論がなされてきました。特に建設場所については平成30(2018)年2月15日に会津坂下町新庁舎建設検討委員会から「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」を適地として選定した旨の答申がなされ、同年、町議会第1回定例会において、議案として提出され賛成多数で可決されました。 この流れを受け、昨年度までに用地買収や移転補償などのスケジュールが進捗していると聞き及んでおり、これについては本年3月において新聞報道等により周知の事実となりました。 しかしながら、この決定が既に4年前のものとなっており、その間、町における公共施設や公有地の状況の変化、社会情勢の変化に伴う民間施設や商業施設の状況の変化などが見られました。 会津坂下町新庁舎建設検討委員会からの答申書においても、選定理由の一つとして「中心市街地や周辺まちづくりへの寄与」といった観点が挙げられておりますが、この観点から新庁舎の建設場所を考えるにあたって、上記の様々な現状の変化を加味し、現状のままでよいか再度協議することは必要不可欠と考えます。 今後の会津坂下町のまちづくりを担う青年世代の多くがこの議論に関心をもっております。既に決定され、議決された内容ではありますが、下記の事項について強く請願いたします。 1、会津坂下町役場新庁舎の建設場所について様々な現状を加味し再度協議すること。   ×  ×  ×  × 同請願は6月議会で、総務産業建設常任委員会に付託され、請願者が同委員会で意図や内容を説明した。委員会では請願は採択された。 議員の賛成・反対意見 東分庁舎・東駐車場用地と町が取得した隣接地  その後、本会議に諮られ、以下のような賛成・反対討論があった(「議会だより 206号」=7月25日発行より)。 賛成討論 渡部正司議員 議決の建設場所は、国からの財政支援措置と平成32(2020)年度までの着工が条件で決められたものであり、建設延期によって候補地選定の前提は崩れた。改めて協議すべきであり、本議案に賛成する。 小畑博司議員 庁舎建設が計画され、そのために全国各地を行政調査したが、建設コストは主たる課題にはならなかった。検討委員会の結果を受けて建設場所を決議した流れも、財政状況を反映したものではなかった。提案した根拠が違ったままの決議をそのままに進めることは説明責任が果たせない。本意見書は採択すべき。 反対討論 酒井育子議員 町民を代表した建設検討委員会の答申を無視し、また、提出議案、土地買収・跡地取り壊し料の予算を満場一致でした議会議決を無視している。自主財源の少ない当町、未来を担う子供たちに「負」を残してはいけない観点から反対。 五十嵐一夫議員 建設場所は4年前に議決済で、周辺に多少の社会情勢の変化があるが、その後にこの決定済の場所に欠陥が生じたわけではない。再度位置について議論をすることは、混乱を招くだけで採択・意見書提出に反対する。 山口亨議員 請願内容的には建設場所は「現本庁舎、北庁舎、東分庁舎、東駐車場用地」であることに反対ではないとのことで、単に話し合いを求めるというものだった。庁舎建設場所は、平成30(2018)年第1回定例会で議決しているものである。もし、この請願を可決すれば、町民に対しあいまいな話が独り歩きしてしまう可能性がある。現在、旧江戸鮨の解体工事が始まろうとしている。更には、令和7(2025)年4月には新庁舎での業務開始とのスケジュールも組まれている。あいまいなメッセージを町民に与えるべきではない。よってこの請願には反対。 これら討論の後、採決が行われ、賛成8、反対5の賛成多数で同請願は採択された。これを受け、議会は前段で紹介した請願書の内容と同様の意見書を、町執行部(古川庄平町長)に提出した。 請願者である「まちづくりを考える青年の会」の加藤康明代表に話を聞いた。 「町内の仲間内での飲食時や雑談の中で、『延期になっていた庁舎建設事業が再開されることになったが、いま建てるべきなのか』、『財政的な問題が理由で延期になったが、それをクリアできたとは思えない』といった話が出ました。私自身、最初に庁舎建設の話が出たころから2年前まで行政区長を務めていましたが、区の要望として、例えば街灯を増やしてほしいとか、子どもたちの通学路で歩道がないところがあるから何とかしてほしいとか、生活に直接関係する部分について、町にお願いしてきましたが、そのほとんどが『予算の問題』で実現しませんでした。そんな状況で庁舎を建てられるのか、と。さらには、この4年間で町内の生活環境は大きく変化しました。そんな中で、4年前の計画をそのまま進めていいのかと思い、請願を出しました」 加藤代表によると、「建設場所が現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地となっていること自体に反対ではない」という。 ただ、この4年間で坂下厚生病院が新築移転したこと、坂下高校が大沼高校と統合して会津西陵高校になり、同校は旧大沼高校の校舎を使っているため、事実上、坂下高校がなくなったこと、新築移転した坂下厚生病院の近くに、今年11月に商業施設「メガステージ会津坂下」がオープン予定であること――等々から、「生活環境が変わっていることを考慮すべき」(加藤代表)というのだ。 さらには、コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などの影響で、建設資材が高騰しており、4年前と比べるとコスト増加は間違いない。 「これだけ、社会情勢が変わっているのに、4年前の計画をそのまま進めることが正しいのか。もう一度、議論してもらいたいというのが請願の趣旨です」(同) 懇談会の模様  町は議会からの意見書を受け、新庁舎建設検討委員会を立ち上げ(※2017年に立ち上げた委員会が解散されておらず、正確には「再開」だが、委員に変更等があった)、7月から検討を再開した。その中で、今後、町民の声を聞くために、まちづくり懇談会、新庁舎建設に関するアンケートを実施することになった。 それまで、町は4年前に決まった現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地に新庁舎を建設する考えだったようだ。その証拠に、昨年8月に東分庁舎・東駐車場用地に隣接し、競売物件になっていた寿司店の土地・建物を取得、今年5月から解体工事を進めていた。しかし、請願・意見書を受けて、場所を含めて再考することにしたのだ。 懇談会で示された資料に本誌が必要情報を追加  「これまで(4年前)の議論がゼロになったわけではありません。それも踏まえて、請願・意見書を受けて町民の声を聞くために、懇談会やアンケートを実施することにしました。3月時点で議会には2024年度内の完成目標というスケジュールを示しましたが、(請願・意見書を受けての再考で)少し遅れることになると思います」(町庁舎整備課) 懇談会は9月15日から30日の日程で、町内7地区で開催された。本誌はこのうち9月20日に開かれた坂下地区(中央公民館)での模様を取材した。その席で配布された資料には「請願・意見書を尊重し、状況の変化などを鑑みて、建設場所を含めて総合的に判断することにしました。そのための判断材料として、懇談会やアンケートなど、幅広く町民の声を聞く機会を設けることにしました」と記されていた。 懇談会では、「4年前に決まったのに、なぜ再考しなければならないのか」、「こんなことをしていたら、いつまで経ってもできない。早く建設すべき」といった意見が出た。中には、「議会は4年前に自分たちが決めたことを覆すとはどういった了見か。しかも、今年3月議会では関連予算を可決しており、わずか3カ月で方針転換した」との指摘も。 これには、懇談会に出席していた議員(請願に賛成した議員)が前段で紹介した請願に対する賛成討論と同様の説明を行った。 古川町長は「4年前の議決も、今回の意見書も、どちらも重く受け止めている。そんな中で、あらためて意見を聞くことにしたのでご理解願いたい」旨を述べた。 同地区はまちなかで役場に近いエリアということもあり、「いまの場所で早急に進めてほしい」といった意見が目立った。ただ、それ以外の地区では「4年前の計画をそのまま進めるのではなく、もっと深く議論すべき」といった意見も出たようだ。つまりは、役場に近い地区とそうでない地区では温度差がある、ということだ。 依然厳しい財政 会津坂下町役場  懇談会では事業延期の原因となった財政面についても説明があった。それによると、町の貯金である財政調整基金、減債基金、行政センター建設整備基金の合計は、2017年度末が約3億円だったのに対して、昨年度末は約13億8000万円に増えた。一方、町の借金である町債残高は2017年度末が約97億円、昨年度末が約77億円。昨年度の実質公債費比率は11・0%、将来負担費比率は49・1%で、この数年で少しずつ改善されてはいるものの、全国市町村の平均値と比べると高い数値となっている。 当日配布された資料には、「財政健全化の取り組みを進めたことで、各種財政指標は改善の傾向にあります。しかし、令和2(2020)年度の全国市町村平均値と比較すると依然として悪い状況ですので、今後の新庁舎建設に備えるためにも、より健全な財政運営に努めます」と書かれている。 10月には町民アンケートの実施を予定しており、町庁舎整備課によると、「年代や地区を分けたうえで、無作為抽出で15歳以上の1000人を対象に実施する予定」という。懇談会とアンケートを踏まえて最終的な決定をしていく方針だが、やはり最大のポイントは場所ということになろう。すなわち、4年前に決めた現本庁舎・北庁舎・東分庁舎・東駐車場用地なのか、それ以外か。 ちなみに、懇談会で配布された資料にはあくまでも1つの目安として、以前の決定地、南幹線沿い県有地、旧坂下高校跡地、旧厚生病院跡地が示されている。 町内では「場所は4年前に決まったところでいい。早急に進めるべき」といった意見や、「場所を含め、もう一度、深く議論すべき」、「そもそも、いま建設を行うべきなのか」といった意見が出て紛糾しているわけだが、1つだけ言えるのは、役場に直接的に関わっている人はともかく、庁舎が新しくなったところで、町民の日々の生活が豊かになるわけではない、ということ。それを指摘して締めくくる。 あわせて読みたい 現在地か移転かで割れる【会津坂下町】庁舎新築議論(2023年2月号)

  • 【検証・内堀福島県政 第3弾】公開資料で見えた内堀知事の懐事情

    (2022年10月号) ジャーナリスト 牧内昇平(+本誌編集部)  福島県知事の内堀雅雄氏(58)にはクリーン(清浄)な印象を持つ人が多いのではないだろうか。しかし、選挙というものにはやはりお金がかかる。内堀氏も例外ではないだろう。「政治と金」を監視するのはメディアの役目の一つだ。前回の知事選で内堀氏がどのようなお金の集め方、使い方をしたか。公開資料に基づいて調べてみた。シリーズ第3弾。 公開資料で見えた内堀知事の懐事情  選挙に出た人はどのようにお金を集め、何に使ったかを選挙管理委員会に届け出る義務がある。「選挙運動に関する収支報告書」だ。また、政治上の主義・施策を推進したり、特定の候補者を支持したりする「政治団体」も、毎年の収入と支出を届け出る。「政治資金収支報告書」である。これらの保存が義務づけられているのは3年間だが、過去の分の要旨は県報などにも載っている。それらの公開資料を読み解いていく。 2018年の知事選(10月11日告示、10月28日投票)に関して、内堀陣営の収支をまとめたのが表1である。 表1)2018知事選、内堀氏のお金の「集め方」「使い道」 収  入(寄付)支  出「ふくしま」復興・創生県民会議1620万円人件費556万3000円福島県医師連盟100万円家屋費410万6436円福島県歯科医師連盟100万円通信費93万5745円福島県農業者政治連盟50万円交通費0円福島県商工政治連盟50万円印刷費524万3099円福井邦顕50万円広告費160万4012円福島県薬剤師連盟10万円文具費7万1555円福島県中小企業政治連盟10万円食糧費5万3111円その他の寄付43万円休泊費97万5408円雑費171万6383円合計2033万円合計2026万8749円※選挙運動に関する収支報告書を基に筆者作成  内堀氏は18年8月24日から11月19日までのあいだに2000万円以上集め、ほぼ同額を使った。収入源は団体・個人からの寄付だ。「『ふくしま』復興・創生県民会議」という政治団体からの寄付が段違いに多い。これについては後述しよう。 ほかは、いわゆる業界団体からの寄付である。100万円ずつ寄付していたのは、県医師連盟と県歯科医師連盟。それぞれ県医師会、県歯科医師会による政治団体だ。50万円出した県農業者政治連盟は、農協(JA)関係の政治団体だ。同連盟は郡山市、たむら、いわき市、ふたばの4支部も2万5000円ずつ寄付していた。 試しに県医師連盟の政治資金収支報告書を調べてみると、18年10月5日に「陣中見舞い」として内堀氏に100万円渡していることが確認できた。少なくとも18~20年の3年間に限って言えば、内堀氏のほかは特定の候補者に「陣中見舞い」を送った記載はなかった。話はそれるが、県医師連盟の会計責任者の欄には「星北斗」氏とあった。今年夏の参院選で当選した自民党議員と同じ名前である。 政治団体「県民会議」とは? 内堀氏関連の政治団体の事務所所在地には、内堀氏の看板が立っていた=9月16日、福島市、牧内昇平撮影  さて、断然トップの1620万円を内堀氏に寄付した「『ふくしま』復興・創生県民会議」(以下、「県民会議」)とは、どんな団体なのか。 ここも政治団体として県選管に登録していた。政治資金収支報告書を読んでみると、事務所の所在地は福島市豊田町。県庁から少し歩いて国道4号を渡ったあたりだった。代表者は「中川治男」氏。会計責任者は「堀切伸一」氏である。「中川治男」氏と言えば、副知事や福島テレビの社長を務めた人物に同じ名前の人がいた。佐藤栄佐久知事(在任は1988~2006)の政務秘書として活躍したのは「堀切伸一」氏だった。 県民会議の18年分の収支報告書には興味深い事実がいくつかある。まずは支出。内堀氏個人に対して、8月24日に1600万円、11月19日に20万円を寄付したことが書いてある。金額は表1とぴったり合う。 次に収入だ。県民会議は18年、「政治団体からの寄付」で3650万円の収入を得ていたことが分かった。寄付の日付は8月23日。県民会議が内堀氏個人に1600万円を送る前日である。 この政治団体とは、どこか。寄付者の欄に書いてあったのは「内堀雅雄政策懇話会」という名前だった。 内堀氏の選挙資金源 記者会見で語る内堀雅雄知事=8月29日、県庁、牧内昇平撮影  内堀雅雄政策懇話会(以下、「政策懇話会」)。政治資金収支報告書によると、内堀氏の資金管理団体だった。(資金管理団体とは、公職の候補者が政治資金の提供を受けるためにつくる団体のこと。政治家一人につき一つしかつくれない) 代表者は内堀雅雄氏本人。会計責任者と事務所の所在地は、先ほどの県民会議と同じく「堀切伸一」氏と「福島市豊田町」だった。所在地はもちろん番地まで同じである。 ちなみに筆者が調べる限り、内堀氏の名前がついた政治団体がもう一つある。「内堀雅雄連合後援会」だ。こちらも事務所は福島市豊田町の同じ場所。代表者は中川治男氏。会計責任者は堀切伸一氏だった。 この三つの団体のあいだで、どのようなお金のやりとりがあったのか。政治資金収支報告書の内容をまとめたのが、表2の上の部分である。  ・18年8月23日、政策懇話会から県民会議へ3650万円 ・8月24日、県民会議から内堀氏本人へ1600万円。11月19日、さらに20万円 ・19年3月31日、県民会議から政策懇話会へ500万円 このような流れである。県民会議は多額の寄付を受けたのと同じ18年8月23日付で県選管に「設立」を届け出ていた。そして翌19年4月19日には解散している。 政策懇話会が内堀氏の選挙資金の供給源であることを確かめることができた。では、この団体はどうやってお金を集めたのか。それを示したのが表2の下部である。 政治資金収支報告書や県選管作成の資料を読むと、政策懇話会の収入欄のうち、「個人の負担する党費または会費」の欄には毎年1000万円近い金額が記入されていた。金額の下には、何人で負担したかが書いてある。例えば、18年の場合はこうだ。 「金額960万円」「員数192人」960を192で割ると5だ。全員が同じ額を負担したとすれば、1人5万円ずつ出したということになる。19、20年分の収支報告書を確認しても、やはり同様に、1人5万円ずつ出したとすると、「金額」と「員数」がぴったり合う。 ただし、この「党費または会費」では選挙資金は賄えないだろう。政策懇話会は2015年以降、自分の団体の経常経費(人件費や光熱水費、事務所費など)に年間数百万円使っている。15年は363万円、16年は626万円、17年は788万円である。年間約1000万円の「党費または会費」では、それほど手元に残らないはずだ。 そこで出てくるのが、「事業による収入」である。15~19年のあいだ、政策懇話会には毎年、「事業による収入」がある。事業は2種類で、一つは政策懇話会の「総会」だ。1年につき30万~43万円の収入があったと書かれている。それほど多くはない。 もう一つの事業が政治資金パーティーである。会の名前は「内堀雅雄知事を励ます会」。16年はホテル辰巳屋(福島市)、17年はホテルハマツ(郡山市)で開催された。 こちらの収入は巨額だ。16年のパーティーは、1677人から合計3218万円の収入を得ていた。17年は1249人から合計2809万円だ。20万円を超える対価を支払った団体の名前が県選管の資料に載っていた。 ・16年 福島県農業者政治連盟148万円 連合福島      100万円 福島県医師連盟     40万円 ・17年 福島県農業者政治連盟149万円 連合福島    100万円 福島県医師連盟    30万円 内堀氏は政治資金パーティーで金を集め、選挙に備えていたことが分かってきた。 表2の左端にある内堀雅雄連合後援会(以下、「連合後援会」)は、政治資金収支報告書を読むかぎり、2018年の知事選前後に大きな金の動きはなかった。政策懇話会から16年に300万円、17年に400万円、知事選後の19年4月1日に100万円を寄付されていたことだけは書いておこう。 また、少し古くなるが、内堀氏が初めて知事選に出た2014年、連合後援会が6人の個人から10万円ずつ寄付を受けていたことが分かった(5万円を超える寄付が県選管の資料に載っていた)。6人の氏名をインターネットで検索すると、内堀氏の古巣、自治省・総務省の官僚たち(主にOB)に同姓同名の人がいた。そのうちの一人は「荒竹宏之」氏。内堀氏が副知事時代、県庁の生活環境部次長、同部長を務めた人物と同じ名前だった。 お金の使い道は?  では次に、集めたお金の使い道である。表1にもどって右側を見てほしい。 2018年知事選における内堀氏の「選挙運動に関する収支報告書」によると、支出総額は2026万円。内訳として最も高額なのは「人件費」の556万円だった。 人件費は一般的に、ポスター貼りや演説会の会場設営などの単純作業を行う「労務者」、選挙カーに乗る「車上運動員」、選挙事務所で働く「事務員」らに支払われる。内堀氏陣営は労務者413人、車上運動員15人、事務員14人に日当を支払っていた。1人あたりの日当は労務者が5000円、車上運動員が1万円か1万5000円、事務員が8000円から1万円だった。 次に金額が大きいのが「印刷費」の524万円だ。内訳を見るとポスターの作成に149万円、法定ハガキの印刷などに180万円、などとあった。郡山市と福島市の宣伝・広告会社2社が受注していた。 支出の3番目が「家屋費」の410万円である。このうち334万円が「選挙事務所費」、76万円が個人演説会のための「会場費」だった。そのほか、「食糧費」は弁当や茶菓子代で、ドラッグストアなどで買っていた。「休泊費」は運動員のホテル宿泊代だった。 内堀氏が18年の知事選に使った費用の紹介は、ざっとこんなものである。しかし、一つ気がかりなことが残る。もう一度、表2を見てほしい。政策懇話会から県民会議に渡ったのは3650万円だ。そのうち1620万円が内堀氏本人に渡り、残った500万円は政策懇話会に戻された。それでも1500万円くらいが県民会議の手元に残るはずだ。県民会議はその金をどう使ったのか。 表3が県民会議の2018年の収支である。支出総額は3105万円。「政治活動費」(1683万円)の大半は先述した内堀氏本人への寄付である。気になるのは、「経常経費」が1421万円もかかっていることだ。光熱水費以外は数百万円、人件費に至っては800万円以上も使っている。誰に対して、いくら支払われているのか。調べてみると……。 表3)「県民会議」の収支 収入総額3650万円(前年からの繰越額)0円(本年の収入額)3650万円支出総額3015万円翌年への繰越額544万円 ※支出の内訳経常経費人件費853万円光熱水費7万円備品・消耗品費357万円事務所費203万円小計1421万円政治活動費組織活動費63万円寄付1620万円小計1683万円※2018年の収支 政治資金収支報告書を基に筆者作成  残念、これ以上のことは政治資金収支報告書を読んでも分からなかった。県民会議のような一般の政治団体の経常経費は、各項目の総額だけ届け出ればよいことになっているからだ。「選挙運動に関する収支報告書」と違って、各支出の内訳までは分からない仕組みになっていた。 前述した通り、県民会議は知事選の約2カ月前に設立届が出され、翌春に解散している。そのあいだの金の動きを見ても、知事選のための団体だったと考えていい。その団体の金の使い道について分からないのはモヤモヤが残る。 総務省は政治団体の経常経費について、「団体として存続していくために恒常的に必要な経費」としている。また一般的な意味で「経常費」と言えば、「毎年きまって支出する経費」(広辞苑)のことだ。 くり返しになるが、県民会議の活動が始まったのは8月中旬以降だ。設立からおよそ4カ月半で1421万円もの大金を経常経費として使ったことになる。1か月あたり約315万円である。知事選が行われた2018年にこれだけ多額の経費を何に使ったかが気になるところだ。一般の政治団体でも、特定の候補者を支持するためなどの「政治活動費」の支出は、1件あたり5万円を超えた場合、支払先などを明記する必要がある。県民会議の「経常経費」はこれに該当しないはずだが……。筆者は、登録上の代表者、会計責任者が同じ「連合後援会」に宛てて、県民会議の経常経費の使途を問う質問状を送ったが、9月26日の時点で返答はない。 もちろん、内堀氏や関連する政治団体が悪いことをしていると指摘するつもりはない。政治資金規正法に則ってきちんと届け出ている。しかし、それでも不明点が残ったのは事実である。「政治と金」は最大限透明化する必要がある。現行の政治資金規正法には改善すべき点が多い。 東北6県でトップの選挙運動費用  さて、ここからはほかと比べてみよう。表4は2018年の知事選に出た各候補者の得票数と選挙運動に使った金額である。一目瞭然。有効投票数の9割を超える票を獲得した内堀氏だが、その資金力も他の候補を圧倒していたと言える。 表4)2018知事選各候補の得票数と選挙運動費用 得票数(票)得票率運動費用(円)内堀雅雄65098291.20%20268749金山屯102591.40%197371高橋翔171592.40%467900町田和史350294.90%3175992※選挙運動に関する収支報告書を基に筆者作成  表5は東北6県の知事が選挙でどのくらい使ったかをまとめている。他県の知事と比べても内堀氏の選挙費用は少なくない。 表5)知事たちの選挙運動費用 都道府県氏名選挙実施日選挙運動費用青森県三村申吾2019年6月2日1400万円岩手県達増拓也2019年9月8日1054万円宮城県村井嘉浩2021年10月31日499万円秋田県佐竹敬久2021年4月4日1737万円山形県吉村美栄子2021年1月24日1793万円福島内堀雅雄2018年10月28日2026万円福島内堀雅雄2014年10月26日2427万円福島佐藤雄平2010年10月31日1633万円※選挙運動に関する収支報告書(要旨)などを基に筆者作成  別の観点から内堀氏の「お金」について考えてみる。県知事は「資産」、「所得」、「報酬を得て役員などを務める関連会社」の情報を報告する義務がある。内堀氏が2期目就任以降福島県に提出した各種報告書を表6にまとめた。この表を見ると、「預貯金 該当なし」などの記載に驚く人もいるかもしれない。しかし、これには理由がある。報告書に記載する必要があるのは、「普通預金と当座預金を除く」預貯金だ。つまり主に定期預金が報告対象になっている。また、土地・建物や自動車などは、本人ではなく家族名義のものには報告義務がない。政治資金収支報告書と同じで、ここにも透明化を阻む壁があった。ちなみに、知事を1期(4年)務めると約3400万円の退職金が出る。再選した場合は最後に一括して受け取ることもでき、内堀氏が現時点で退職金を受け取っているかどうかは分からない。     ◇ 以上、18年知事選での内堀氏陣営のお金の動きを調べてみた。新聞記事などによると、内堀氏の政治資金パーティーは今年5月に久しぶりに開催されたようだ。また、9月21日付の福島民報によると、今回の知事選では「チャレンジ・ふくしま」という政治団体が新たに設立され、再び中川治男氏が代表に就いたという。選挙に向けて内堀氏がどのくらいのお金を集め、どのように使うのかは要注目だが、筆者がそれを調べられるのは選挙が終わってしばらく経った頃のことだろう。 また、今回紹介できたのは、選管に報告されたいわゆる「表の金」にすぎない。「裏の金」があるのかないのか、それがいくらなのかは分からない。県民の関心が高い知事選について、有力候補者である内堀氏にスポットライトを当てて調べたが、県内のほかの選挙についても同様のチェックは必要だと考えている。 まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。公式サイト「ウネリウネラ」。   あわせて読みたい 無意味な海外出張を再開した内堀雅雄【福島県知事】 「尊敬する人」に箭内道彦氏を挙げた内堀知事

  • 【喜多方で高まる政・財への不信】前回市議選で一升瓶配布!?

     2月に本誌編集部の電話が鳴った。 「前回(2019年4月)の市議選で当選した××(編集部注=現職議員の実名を挙げていたが、ここでは伏せる)の陣営が投開票日に日本酒の一升瓶を配っていた。今回の選挙でも同じことをするだろうから見張ってほしい」 現職議員に「買収疑惑」 2019年喜多方市議選投開票結果 当選十二村秀孝1402当選山口 和男1353当選坂内 鉄次1343故人当選山口 文章1274当選小島 雄一1243当選齋藤勘一郎1177当選菊地とも子1154当選小林 時夫1122当選渡部 一樹1121当選齋藤 仁一1107当選後藤 誠司1055当選五十嵐吉也1036当選佐藤 忠孝993当選渡部 勇一975当選佐原 正秀893当選長澤 勝幸884故人当選小澤  誠881引退見込み当選上野利一郎797当選矢吹 哲哉774当選伊藤 弘明722当選田中 雅人709引退見込み当選蛭川 靖弘709遠藤 吉正690補選で当選五十嵐裕和677関本美樹子521補選で当選小野木正英464  電話の主は声からすると中年の男性。公衆電話からかけていた。現職議員とその支持者の実名を挙げていた。かなり踏み込んだ内容も話していたが、真偽は不明。詳述すると現職議員が誰か特定され、不利益を被るおそれがあるので避ける。市議選が近いため、他陣営によるネガティブキャンペーンの可能性もある。疑惑の現職議員に直撃取材をしたいのはヤマヤマだが、情報提供はまだウワサの段階。選挙妨害を懸念し、取材は控えている状況だ。 任期満了に伴う喜多方市議選は4月16日告示、同23日投開票で行われる。2月6日に開かれた立候補予定者説明会では定数22に対し27陣営が出席し、選挙戦となる見通し(2月8日付福島民友より)。出席者全員が立候補すれば5人が落選する。 出席者は説明会の受け付け順に次の通り(敬称略)。 現職は、小林時夫(4期)、伊藤弘明(7期)、遠藤吉正(2期)、十二村秀孝(1期)、佐藤忠孝(6期)、渡部勇一(7期)、上野利一郎(2期)、齋藤勘一郎(6期)、佐原正秀(7期)、山口文章(1期)、齋藤仁一(8期)、蛭川靖弘(1期)、小島雄一(2期)、後藤誠司(4期)、菊地とも子(2期)、五十嵐吉也(5期)、関本美樹子(2期)、山口和男(11期)、渡部一樹(4期)、矢吹哲哉(3期)の20人。小澤誠(5期)と田中雅人(7期)は欠席したので不出馬の見込み。 新人は田沢徳、高畑孝一、小林賢治、渡部忠寛、田中修身、坂内まゆみ、渡部崇の7人。 電話の主は「前回の市議選で立候補者の支持者が一升瓶を配った」と言った。現職議員のうち、遠藤氏と関本氏は前回の市議選で落選し、昨年1月に行われた補選で返り咲いたため該当しない。 また、電話の主は「今回も配るだろうから政経東北に情報提供した」とも言った。小澤氏と田中氏は不出馬の見込みだから違う。本誌は実名を明かすことを控えるが、以上の事実から、残った現職18陣営のうちの1陣営が疑惑を掛けられていることがお分かりいただけるだろう。 喜多方市議の問題は今回が初めてではない。本誌昨年1月号「喜多方市議長『現金配布問題』の裏話」という記事では、当時の議長が2021年に行われた衆議院選挙期間中に同僚議員に現金を渡したことが公職選挙法に抵触する恐れがあるため議長を辞職した問題を報じた。明るみになった背景には会派内での内輪揉めがあった。同市議会が清廉潔白からは遠いことを示す事例だ。 本誌が今回の選挙戦に水を差してまで情報提供があったことを知らせるのは、候補者に公正な選挙運動を求めたいからだ。候補者本人だけでなく、支持者にも事実であれば猛省を促したい。 あわせて読みたい 【動画あり!】喜多方市議選で露呈した共産党の「時代遅れ選挙」

  • 【不祥事連続】楢葉町で行われていた「職員カンパ」

     楢葉町議会3月定例会の一般質問で、同町職員の不祥事が相次いでいる件についての質問が行われた。 2021年9月には、産業振興課職員が、会計業務を担当していた楢葉町土地改良区と楢葉町多面的機能広域活動保全会の通帳から、約3800万円を横領していたことが発覚した(※)。 昨年2月には、建設課職員が複数の指名競争入札で指名業者名や設計価格を漏洩したとして、公契約関係競売入札妨害及び官製談合防止法違反の容疑で逮捕、起訴された。 昨年4月には、政策企画課職員が退庁後、道路交通法違反(無免許運転)で現行犯逮捕された。 町では昨年9月、再発防止に向けた「職員・組織改善計画」を策定した。だが、同12月には、建設課職員が災害公営住宅の家賃管理システムを不正操作し、自分宅の家賃納付約127万円を免れていたことが発覚。もはや手の打ちようがない状況となっている。 3月定例会で注目されたのは、再発防止策と併せて、町議やマスコミに送付された「通報書」の真偽だった。前述・家賃管理システム不正操作について、「町が令和3年から隠蔽している」とする匿名の通報書が出回っていた(本誌2月号参照)。そのため、松本明平町議(1期)、結城政重町議(8期)が「通報書の内容は事実なのか」と追及した。 町執行部は「町役場には届いていないが、町議から見せてもらい中身は確認した。家賃管理システム不正操作に関しては、昨年12月に初めて分かったもので隠蔽していた事実はない。監査でも分からなかった」と答弁し、通報書の内容をあらためて否定した。そのうえで、「チェック体制を含め、不祥事が起きにくい仕組み作りを進めていく」と述べた。 差出人はあえて事実でない内容を記したのか、それとも町の方が事実を伏せているのか。いずれにしても、これだけ職員不祥事が連続し、こうした通報書が出されるのは異常だ。そのことを重く受け止め、職員の意識改革など具体的な対策を打ち出し、講じていく必要があろう。 気になるのは、同町役場の〝体質〟だ。町総務課への取材や町議会での過去のやり取りによると、2021年9月の公金横領の後には、町職員がカンパを集めていたという。 土地改良区などが元職員への訴訟を提起することになったのに加え、各種支払いもあったため、資金不足に陥った。そうした中、係長レベルの職員が中心となって、「会計業務を引き継いだのは同じ町職員。助け合おう」と呼びかけ、土地改良区などへのカンパを募った。1人約1万円を支払い、総額100万円になったようだ。 町総務課の担当者は「横領した元職員を支援する狙いは一切ない。横領された金額の穴埋めではなく、あくまで助け合い」と強調したが、職員不祥事の〝後始末〟を同僚の負担で行うのは疑問が残る。 町内の事情通はこう指摘する。 「不祥事の責任を取るべきは、町長であり、土地改良区理事長でもある松本幸英氏のはず。〝善意のカンパ〟で対応すれば責任の所在があいまいになるので、役場が止めるべきだったと思います。昨年12月の家賃管理システム不正操作については、町長は減給対象にすらなっていない。こうした責任をとらない体質が、役場内に〝ぬるま湯〟の空気を生み出しているのではないか」 本誌2月号記事では、神戸国際大学経済学部教授の中村智彦氏が「倫理教育を徹底し、不正行為に手を染めれば、その後の人生がどうなるのか、はっきり示すことが職員不祥事の再発防止において重要」と話していた。松本町長は職員不祥事の連鎖を断ち切ることができるのか、今後の対応が注目される。 ※元職員はその後、町と土地改良区から民事・刑事で訴えられ、土地改良区に4157万4684円(遅延損害金含む)、町に30万1309円の支払いを命じる判決が下された。ただ、未だに支払いは行われておらず、町は弁護士と対応を協議している。 あわせて読みたい 楢葉町で3年連続職員不祥事

  • 桑折・福島蚕糸跡地「廃棄物出土」のその後

     本誌1月号に「桑折・福島蚕糸跡地から廃棄物出土 処理費用は契約者のいちいが負担」という記事を掲載した。 桑折町の中心部に、福島蚕糸販売農協連合会の製糸工場(以下、福島蚕糸)跡地の町有地がある。面積は約6㌶で、その活用法をめぐり商業施設の進出がウワサされたが、震災・原発事故後に災害公営住宅や公園が整備された。残りの土地を活用すべく、町は公募型プロポーザルを実施。2021年5月、㈱いちいと社会福祉法人松葉福祉会が「最優秀者」に選ばれた。 食品スーパーとアウトドア施設、認定こども園が整備される計画で、定期借地権設定契約を締結、造成工事がスタートしていた。記事は、そんな同地から廃棄物が出土し、工事がストップしたことを報じたもの。福島蚕糸の前に操業していた群是製糸桑折工場のものである可能性が高いという。 その後、1月31日付の福島民友が詳細を報じ、〇深さ約30㌢に埋められていたこと、〇町は県やいちいと対応を協議し、アスベスト(石綿)を含む周辺の土ごと除去したこと、〇廃棄物は約1000㌧に上ること――が新たに分かった。 町議会3月定例会では斎藤松夫町議(12期)がこの件について町執行部を追及した。そこでのやり取りでこれまでの経緯が具体的になった。 最初に町が地中埋設物の存在を把握したのは昨年6月ごろで、詳細調査した結果、廃棄物であることが分かった。町がそのことを議会に報告したのは今年1月17日だった。。 そこで報告されたのは、処理費用が5300万円に上り、それを、いちいと町が折半して負担するという方針だった。 斎藤町議は「廃棄物に関しては、この間の定例会でも報告されず、『政経東北』の報道で初めて事実を知った。なぜここまで報告が遅れたのか」と執行部の対応を問題視した。 高橋宣博町長は「廃棄物が出た後にすぐ報告しても、結局その後の対応をどうするかという話になる。あらかじめ処理費用がどれだけかかるか確認し、業者と協議し、昨年暮れに話がまとまった。議会に説明する予定を立てていたところで『政経東北』の記事が出た。決して隠していたわけではない。方向性が定まらない中で説明するのは難しかった」と釈明。「今後、議会にはしっかりと説明していく」と述べた。 一方、プロポーザルの実施要領や契約書には、土地について不測の事態があった際も、事業者は町に損害賠償請求できない、と定められている。にもかかわらず、廃棄物処理費用を折半とする方針について、斎藤町議は「なぜ町が負担しなければならないのか。根拠なき支出ではないか」とただした。 これに対し高橋町長は「瑕疵がないとしていた土地から廃棄物が出ていたことに対しては、事業者(いちい)の考え方もある。信頼関係を構築し、落としどころを模索する中で合意に達した」と明かした。 斎藤町議は本誌取材に対し、「いちいに同情して後からいくらか寄付するなどの方法を取るならまだしも、プロポーザルの実施要領や契約書の内容を最初から無視して折半にするのは問題。根拠のない支出であり、住民監査請求の対象になっても不思議ではない」と指摘した。 福島蚕糸跡地の開発計画に関しては、公募型プロポーザルの決定過程、町の子ども子育て支援計画に反する民間の認定こども園整備について疑問の声が燻り続けている。斎藤町議は追及を続ける考えを示しており、今後の動向に注目が集まる。

  • 【鏡石町】遊水地で発生するポツンと一軒家

     国が鏡石町、玉川村、矢吹町で進めている阿武隈川遊水地計画。対象地域の住民は全面移転を余儀なくされるため、さまざまな不安が渦巻く。このため、鏡石町議会では「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げ、同事業の調査・研究を行っている。今年2月には同計画対象地域の隣接地の住民から議会に陳情書が提出され、同委員会で審議された。 取り残される世帯が議会に「陳情」  令和元年東日本台風被害を受け、国は「阿武隈川緊急治水対策プロジェクト」を進めており、遊水地計画はその一環として整備されるもの。鏡石町、玉川村、矢吹町の3町村にまたがり、総面積は約350㌶、貯水量は1500万から2000万立方㍍。用地は全面買収し、対象地の9割ほどが農地、1割弱が宅地となっている。それらの住民は移転を余儀なくされる。計約150戸が対象で、内訳は鏡石町と玉川村が60〜70戸、矢吹町が約20戸。 住民からしたら、もうそこに住めないだけでなく、営農ができなくなるわけだから、「補償はどのくらいなのか」、「暮らしや生業はどうなるのか」といった不安がある。 中には、以前の本誌取材に「補償だけして『あとは自分で生活再建・営農再開してください』という形では納得できない。もし、そうなったら〝抵抗〟(立ち退き拒否)することも考えなければならない」と話す人もいたほど。 そのため、鏡石町議会では遊水地計画の調査・研究をしたり、国や町執行部に提言をしていくことを目的に、昨年6月に「鏡石町成田地区遊水地整備事業調査特別委員会」を立ち上げた。委員は議長を除く全議員で、委員長には計画地の成田地区に住所がある吉田孝司議員が就いた。 3月10日に開かれた同委員会では、2月16日に計画対象区域の隣接地の住民から議会に出された陳情書について審議された。 陳情者は滝口孝行さんで、陳情内容はこうだ。 ○滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にある。洪水の危険性があるにもかかわらず、遊水地の事業範囲から除外されており、遊水池整備後も水害の心配が残る。 ○遊水地ができれば、自宅の目の前に高い塀(堤防=計画では最大6㍍)ができ、これまでの美しい田園風景が損なわれる。そのような場所で生活しなければならないのは大きなストレスになる。 こうした事情から、事業範囲を変更してほしい、すなわち「自分のところも計画地に加えるなどの対応をしてほしい」というのが陳情の趣旨である。 写真は同委員会の資料に本誌が注釈を加えたもの。  遊水地の対象地域のうち、真ん中よりやや上の左側が住宅密集地となっており、そこから100㍍ほど離れたところに滝口さんの自宅がある。これまでは「集落からちょっと離れた家」だったが、遊水地内の住宅が全面移転すると、〝ポツンと一軒家〟になってしまう。 加えて、遊水地は周囲堤で囲われるため、自宅の目の前に大きな壁ができることになる。「これまでの田園風景から一変し、そんなところで生活していたら、頭がおかしくなってしまいそう」というのが滝口さんの思いだ。 しかも、滝口さんの自宅は阿武隈川の支流である鈴川と諏訪池川が合流する地点の付近(内側)にあり、常に水害の危険がある。 国は追加の考えナシ 鏡石町成田地区  3月10日の委員会に参考人として出席した滝口さんの説明によると、令和元年東日本台風時の被害は「床下浸水だった」とのこと。 ただ、議員からは「『昭和61(1986)年8・5水害』の時は床下浸水だったところが、今回の水害ではほとんどが床上浸水だった。水害の規模はどんどん大きくなっているから、(滝口さんの自宅が)今回は床下浸水だったからといって、今後も安全とは限らない」として、滝口さんを救済すべきとの意見が出た。 遊水地の計画地である成田地区に自宅があり、同委員会委員長の吉田議員によると、「成田地区では以前からこの件が問題になっていた」という。すなわち、「滝口さんだけが取り残されるような形になるが、それでいいのか」ということが問題視されていたということだ。 実際、吉田議員は昨年10月21日に開かれた同委員会で、滝口さんの自宅の状況を説明し、「当人がどう考えているかを考慮しなければならない」と述べていた。 ただ、その時点では「直接、滝口さんの意向を聞きに行こうとしたところ、稲刈りなどの農繁期で忙しいため、すぐには難しいと言われ、いま(委員会開催時の昨年10月21日時点で)はまだ話を聞けていない」とのことだったが、「滝口さんのことも考える必要があると思っています」と述べていた。 その後、滝口さんから今回の陳情書が提出されたわけ。 実は、昨年10月21日の委員会には国土交通省福島河川国道事務所の担当者が出席していた。その際、滝口さんが取り残される問題に話が及んだが、福島河川国道事務所の担当者は「同地(滝口さんの自宅敷地)を計画地に追加する考えはない」と答弁していた。 1人の陳情では弱い 木賊正男町長  そうした経過もあってか、滝口さんの陳情の審議に当たっては、議員から「滝口さん1人(個人)の陳情では国の意向は変えられない。成田地区全体でこの件を問題視しているのであれば、成田地区の総意としてこういう意見がある、といった形にできないか」との意見が出た。 見解を求められた木賊正男町長は次のように答弁した。 「昨年6月の町長就任以降、説明会等での対象地域の皆さんの要望や、国との協議の中で、1世帯(滝口さん)だけが残るのは、町としても避けなければならないと考えていた。どんな手立てがあるのか検討していきたい」 最終的には、町として、あらためて成田行政区や今回の遊水地計画を受けて結成された地元協議会の意向を聞く、ということが確認され、滝口さんの陳情は継続審査とされた。 委員会後、滝口さんに話を聞くと次のように述べた。 「基本的には、陳情書(委員会で説明したこと)の通りで、私自身はそういったいろいろな不安を抱えているということです」 当然、国としては必要以上の用地を買い上げる理由はない。しかし、水害のリスクが残る場所で、1軒だけが取り残されるような形になるわけだから、町として何ができるかを考えていく必要があろう。 もう1つ付け加えると、原発事故の区域分けの際も感じたが、「机上の線引き」が対象住民の分断を招いたり、大きなストレスを与えることを国は認識すべきだ。