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福島民報(11月23日付)に「『グランデコ』譲渡先決定」という記事が掲載された。以下は同記事より。 《北塩原村裏磐梯のリゾート施設「グランデコリゾート」の譲渡先は、北海道の星野リゾートトマムやキロロスキー場を所有するイデラキャピタルマネジメント(本社・東京都港区、山田卓也社長)となる。21日、関係者が示した。運営はイデラキャピタルマネジメントの子会社ザ・コート(同、柱本哲也社長)が担う。現在施設を運営する東急不動産が経営から完全撤退する来年4月以降も、スキー事業、「富良野自然塾」などのグリーンシーズン事業を継続させる(後略)》 この件については本誌昨年5月号に「裏磐梯グランデコ『身売り』の背景」という記事を掲載し、詳細をリポートしていた。 その際、東急不動産に「譲渡先はどこになるのか」と問い合わせたところ、同社の回答は「非公表ですが、日本国内でもスキー場等、事業展開している法人です。当社も過去に取引があり、信頼できる法人です」というものだった。 ただ、本誌記事では「本誌取材では、イデラキャピタルマネジメントという会社が引き継ぐとの情報を得ている」と書いた。以下は同記事より。 《(イデラキャピタルマネジメントは)資産、財産、投資信託などのマネジメントが主業務で、もともとはエムケーキャピタルマネージメントという会社だったが、2012年に同業のアトラス・パートナーズと合併して現称号になった。2014年には中国の巨大複合企業「復星集団(フォースン・グループ)」の傘下に入り、その直後は代表取締役をはじめ、役員は親会社(復星集団)の関係者と思われる中国人名が多かった。同社が不動産の管理を行い、スキー場、ホテルの経営は、同社の100%子会社「The Court(ザ・コート)」という会社が担う》 今回の地元紙の報道で、譲渡先・運営会社は当時本誌が得ていた情報通りだったことが明らかになった。 地元住民によると、「地元採用の従業員は、希望すれば新会社で引き続き雇用してもらえるようですし、運営会社が変わっても、地元にはさほど影響がないと思う」という。 裏磐梯地区は、県内でも降雪時期が早いうえ、春先まで営業することができ、オープン期間が長いのが特徴。一方で、地元住民によると、「一昔前は、首都圏、北関東、浜通りなどからのスキー客は、金曜日の夜に来て日曜日まで滞在する人が多かっ...
北塩原村の「グランデコスノーリゾート」、「裏磐梯グランデコ東急ホテル」を所有する東急不動産は、両施設を譲渡する方針を決めた。譲渡先は「非公表」とされているが、本誌取材では施設所有者は中国企業の子会社、運営は同系列のグループ会社が行うとの情報を得た。新たな所有者と運営会社はどんなところなのか。 グランデコスノーリゾートと裏磐梯グランデコ東急ホテルは、東京急行電鉄(現・東急)がリゾート開発として整備を行い、1992(平成4)年にオープンした。2003年、東京急行電鉄から同グループ内の東急不動産に所有権が譲渡され、関連会社の東急リゾーツ&ステイが運営を行っていた。 同社は、両施設を近く譲渡する方針だという。福島民友は3月11日付紙面でこの件を伝えた。 × × × × 東急不動産は、グループ会社の東急リゾーツ&ステイが運営する福島県北塩原村のリゾート施設「グランデコリゾート」から撤退する方針を固めた。7月1日付で同施設を譲渡する。譲渡先や売却額は非公表。東急不動産が10日、福島民友新聞社の取材に明らかにした。 グランデコリゾートは、同村で裏磐梯グランデコ東急ホテルやスキー場のグランデコスノーリゾートを展開している。1992(平成4)年に東急電鉄が開業し、2003年にグループ会社の東急不動産に営業権を譲渡した。 同社は事業再編の一環として同施設から撤退し、リゾート事業に実績を持つ事業者に譲渡してサービスの充実を図る考え。譲渡先の事業者が従業員の雇用を継続し、施設運営やサービスを維持する見込みとなっている。 × × × × ある地元村民によると、「『レクリエーションの森管理運営協議会』で、東急不動産から譲渡についての説明があった」という。 林野庁は、国有林のうち山岳や渓谷などと一体になっている森林、野外スポーツに適した森林を「レクリエーションの森」に選定しており、管理・整備・PRなどのため、地元自治体、教育関係機関、観光協会などで「レクリエーションの森管理運営協議会」を組織している。 裏磐梯は「裏磐梯デコ平スポーツ林」として選定され、面積は約804㌶、標高は最低地点800㍍、最高地点1650㍍。林野庁のHPでは次のように紹介されている。 《山形県と福島県の県境に沿って東西に延びる吾妻連峰は、最西部に位置する西大巓(1982㍍)の南斜面に高原が広がり、お...
(2022年10月号) いわき市鹿島地区の大型ショッピングセンター(SC)「鹿島ショッピングセンター エブリア」の動向が注目されている。建物を所有する会社の吸収合併や子会社化が相次ぎ、巨額の根抵当権が設定されていることが分かったからだ。 「鹿島ショッピングセンター エブリア」は1995年10月開業。いわき市の中心部である平地区と、観光エリアである小名浜地区の中間地点である鹿島地区に立地している。 鉄骨造2階建て、延べ床面積3万7455平方㍍。複数の地権者の借地に建てられている。当初は、キーテナントであるダイエーいわき店が半分を占め、残り半分が地元小売店・飲食店などによる専門店街「エブリア」という構成だった。2005年にダイエーが撤退した後は、ヨークベニマルエブリア店やスーパースポーツゼビオいわき店が入居。専門店街では現在も約70のテナントが営業している。 主要幹線で交通量の多い県道26号小名浜平線(通称鹿島街道)沿いに面していることもあり、週末には多くの買い物客が訪れる。 そんな同SCの動向が市内の経済人の間で注目されている。建物の所有者をめぐる動きがにわかに活発化しているからだ。 同SCの建物を所有していたのは、建設時から計画に携わっていた市内の不動産会社・平南開発㈱(園部嘉男社長=元いわき商工会議所副会頭、2018年に死去)だ。 その後は〝SC担当のディベロッパー部門〟として分割された平南ディベロップメント㈱(園部嘉門社長=嘉男氏の孫)が所有者となっていた。だが2021年8月、社長が園部嘉門氏から岩手県盛岡市在住の小西徹氏に変更。同10月には東京都品川区の平南ホールディングス合同会社に吸収合併された。 関係者によると、平南ホールディングスは外資系投資会社フィンテックグローバル㈱(東京都品川区)などの出資により設立され、もともとは「麻布十番ホールディングス」という全く違う会社名だったが、平南ディベロップメントを吸収合併するのに合わせて名称変更した。要するに、同SCの大家だった会社が、投資会社に丸ごと身売りしたわけ。 2022年5月には、その平南ホールディングスの株式をさらに別の会社が取得し、子会社化した。それが、福島県などを中心にパチンコホールを展開する「つばめグループ」の運営会社・中原商事(登記上の本店=東京都、本部=郡山市)だ。 1968年設立。資本金23...
福島県の〝商都〟を象徴する「うすい百貨店」(郡山市中町13―1、横江良司社長、以下うすいと表記)に気になるウワサが浮上している。 本誌2023年2月号【ホテルプリシード郡山閉館のワケ】で既報の通り、うすいの隣で営業するホテルプリシード郡山が3月末で閉館し、同じ建物に入る商業施設やスポーツクラブも5月末で撤退することが決まるなど、賑わいを取り戻せずにいる中心市街地はますます寂れていくことが懸念されている。 そのうすいをめぐっても、地元経済人の間で最近こんなウワサが囁かれている。 「ルイ・ヴィトンが今年秋に撤退することが決まったらしい」 言わずと知れた高級ファッションブランドのルイ・ヴィトンは、うすいが現在の店舗でリニューアルオープンした1999年からキーテナントとして1階で営業。地方の百貨店にルイ・ヴィトンが出店したことは当時大きな話題となった。 以来、ルイ・ヴィトンは「百貨店としての質」を高める顔役を担ってきたが、それが撤退することになれば集客面はもちろん、イメージ面でも影響は計り知れない。 「うすいに限らず百貨店自体が新型コロナの影響もあり厳しいと言われているが、(うすいに入る)ヴィトンの売り上げ自体は悪くないそうです」(ある商店主) うすいは今年に入ってから、同じく高級ファッションブランドであるグッチの特設売り場を開設したが、売り上げ好調を受けて開設期間を延長した。延長期間は長期になるという話もあるから、客入りは予想以上に良いのだろう。新型コロナが経済に与える影響は続いているが、高級ブランドへの需要は戻りつつあることがうかがえる。 にもかかわらず、なぜルイ・ヴィトンは撤退するのか。 「東北地方には仙台に店を置けば十分と本部(ルイ・ヴィトンジャパン)が判断したようです。今はネット購入が当たり前で、地方にいても容易にブランド品が手に入る時代なので、テナント料や人件費を払ってまで各地に店を構える必要はないということなんでしょうね」(同) なるほど一理あるが、半面、郡山に「都市としての魅力」が備わっていれば、ルイ・ヴィトンも「ここに店を置く意義はある」と思い留まったのではないか。そういう意味で、撤退の要因はうすいにあるのではなく、郡山に都市としての魅力が無かったと捉えるべきだろう。 もっとも、撤退はウワサの可能性もある。うすいに事実関係を確認すると、広報担当者はこう...
郡山市中町の「ホテルプリシード郡山」が3月31日で営業を終える。同ホテルはうすい百貨店の隣に立地しているが、中心市街地に〝巨大な空き家〟が出現することに近隣の商店主らはショックを受けている。 昨年12月1日、同ホテルがホームページで発表した「お知らせ」にはこう書かれている。 《ホテルプリシード郡山は、1993年8月の開業以来、皆様にご愛顧頂いて参りましたが、来る2023年3月末日をもちまして営業終了する運びとなりました。 長年に渡るご厚情に心から感謝申し上げると共に、皆様の今後のご健勝とご発展を心からお祈り申し上げます》 同ホテルが入る建物は地上12階、地下2階建て。1階と地下1階では商業施設(10店)、3・4階ではスポーツクラブが営業している。2階はレストランとホテルフロントで、5階から上が客室(159室)になっている。 近隣の商店主は 「この間、中心市街地の賑わい復活を目指して取り組んできたが、一帯の人通りは相変わらず少ない。そうした中、中心市街地を牽引するうすいの隣のホテルが閉館するのは非常に寂しい」 と、同ホテルの営業終了を残念がっている。 同業者の間では、昨年秋から「プリシードが閉館するらしい」とウワサになっていたが、営業終了の理由はともかく「このタイミングで閉館するのはもったいない」という声が聞かれていた。 ホテルと言うと新型コロナの影響で苦戦している印象を受けるが、実は思いのほか好調なのだという。 あるホテル業関係者の話。 「他市の状況は分かりませんが、郡山市内のホテルは今、コロナ前より稼働率は高いと思いますよ」 理由は同市の〝地の利〟にある。 「市内には民間の大きな病院が複数あるので、全国から来た医療機器や医薬品の営業マンが頻繁にホテルを利用しています。彼らは市内のホテルに連泊しながら今日は会津、明日は白河、明後日はいわきと動いているので、常連の宿泊で一定の稼働率が保たれているのです」(同) タクシードライバーからはこんな話も聞かれた。 「一昨年2月、昨年3月の福島県沖地震で、県内には保険会社の調査員が全国から来ていました。調査員は市内のホテルに長期滞在し、そこからタクシーを使ってあちこちの物件の被害状況を確認していました。私も県南や浜通りなどに調査員を何度もお連れしましたよ」 つまり、新型コロナでイベントやコンベンションが中止され、ホテルは苦戦...
会津若松市・芦ノ牧温泉の丸峰観光ホテルと関連会社の丸峰庵は2月28日、福島地裁会津若松支部に民事再生法の適用を申請した。債権者説明会では営業体制を見直し、自主再建を目指す方針が示されたが、取引先や同業者は「スポンサーからの支援を受けずに再建できるのか」と先行きを懸念する。 民間信用調査機関によると負債総額は2022年3月期末時点で、丸峰観光ホテルが20億7700万円、丸峰庵が4億7900万円、計25億5600万円。 《1994(平成6)年3月期にはバブル景気が追い風となり、売上高25億円とピークを迎えた。1995年3月期以降は景気後退で利用者数が減少。債務超過額も拡大していた》《2020(令和2)年に入ると新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた。2022年3月期は売上高が5億円台まで後退し、2億円超の最終赤字を計上した。その後も業況は好転せず、資金繰りが限界に達した。丸峰庵はホテルに連鎖する形で民事再生法の適用を申請した》(福島民報3月1日付より) 申請代理人はDEPT弁護士法人(大阪市)の秦周平弁護士ほか2名が務めている。 債権者の顔ぶれや各自の債権額は判明していないが、主な仕入れ先は地元の水産卸売会社、食肉会社、冷凍食品会社、土産物卸商社など。そのほかリネン、アメニティー、旅行代理店、広告代理店、リース、コンパニオン派遣、組合など取引先は多岐に渡るとみられる。 最大の債権者である金融機関については、同ホテルの不動産登記簿に基づき権利関係を別掲しておく。 根抵当権極度額1250万円1972年設定会津商工信組根抵当権極度額2400万円1974年設定会津商工信組根抵当権極度額3600万円1976年設定会津商工信組根抵当権極度額4000万円1976年設定福島銀行根抵当権極度額3億円1979年設定商工中金根抵当権極度額2億4000万円1981年設定常陽銀行根抵当権極度額4億5000万円2011年設定会津商工信組抵当権債権額7500万円2018年設定会津商工信組抵当権債権額7500万円2018年設定商工中金根抵当権極度額3億円2018年設定商工中金 ㈱丸峰観光ホテル(1965年設立、資本金3000万円)は客室数65室の「丸峰本館」、同49室の「丸峰別館川音」、同6室の「離れ山翠」を運営する芦ノ牧温泉では最大規模の温泉観光ホテル。役員は代表取締役=星保洋、取締役=星啓...
菓子製造小売業の㈱三万石(郡山市、池田仁社長)が同市開成一丁目で営業していた地中海料理のレストラン「San filo(サンフィーロ)開成」が解体された。レストランには三万石開成店も併設されていた。 12月中旬に現地を訪れると、既に建物の3分の2が壊されていた。看板に書かれていた工期は10月17日から12月28日となっていた。 建物は2006年に約3億5000万円をかけて建設され、同年11月にイタリアン料理の「アンジェロ開成」としてオープンした。ランチタイムになると駐車場に入りきれない車が列をつくり、警備員が誘導するほどの人気店だったが、18年11月に閉店し、翌年7月にサンフィーロ開成としてリニューアルオープン後は客足が途絶えていた。 「アンジェロは1000円超のお手頃価格だったけど、サンフィーロは高くて、気軽に行けるお店じゃなかった」(ある主婦) ホームページ(HP)によるとサンフィーロはランチ専門の営業で予約制コース、価格は3500円、5500円、1万円となっている。高級路線転換が客離れにつながったことは否めない。実際、駐車場は常にガラガラだった。 サンフィーロ開成はなぜ閉店したのか。三万石のHPを見ると「3月の地震の影響」とある。昨年3月16日に発生した福島県沖地震では相馬市などで最大震度6強を記録し、郡山市内の建物も数多く被災したが、同店もその一つだったという。 三万石の担当者に聞いた。 「建物は2021年2月に起きた地震でも大きな被害を受け、この時は大規模改修を行ったが、3月の地震で再び被害に遭った。特に電気設備の被害が深刻で、もう一度大規模改修をしても同じくらいの地震が来たら動力を確保できないという結論に至った。建物は2011年の東日本大震災でも被災しているので、耐震性の面でもリニューアルは厳しかったと思います」 気になるのは跡地の利活用だ。不動産登記簿謄本によると、同所は三万石の名義で、東邦銀行が2007年に同社を債務者とする極度額2億4000万円の根抵当権を設定している。賃借ではなく自社物件ということは、売却しない限り自社利用を目指す公算が高そう。 前出・担当者もこう話す。 「基本的には自社利用する方針だが、何を建てるかとか、どんな使い方をするかなど、具体的な内容は検討中です。いつごろオープンするといった時期も決まっていない」 ...
見せかけだった土地改良区の「住民同意要求」 喜多方市で土壌汚染と地下水汚染を引き起こしている昭和電工(現レゾナック)は、会津北部土地改良区が管理する用水路への「処理水」排出を強行しようとしている。同社は同土地改良区と排水時の約束を定めた「覚書」を作成し、住民にも同意を迫っていたが、難航すると分かると同意を得ずに流そうとしている。同土地改良区の顔を潰したうえ、住民軽視の姿勢が明らかとなった。 昭和電工喜多方事業所の敷地内では、2020年に土壌汚染対策法の基準値を上回るフッ素、シアン、ヒ素、ホウ素による土壌・地下水汚染が発覚した。フッ素の測定値は最大で基準値の120倍。汚染は敷地外にも及んでいた。県が周辺住民の井戸水を調査すると、フッ素やホウ素で基準値超が見られた。フッ素は最大で基準値の4倍。一帯では汚染発覚から2年以上経った今も、ウオーターサーバーで飲料水を賄っている世帯がある。 原因は同事業所がアルミニウムを製錬していた40年以上前に有害物質を含む残渣を敷地内に埋めていたからだ。同事業所がこれまでに行った調査では、敷地内の土壌から生産過程で使用した履歴がないシアン、水銀、セレン、ヒ素が検出された。いずれも基準値を超えている。 対策として昭和電工は、 ①地下水を汲み上げて水位を下げ、汚染源が流れ込むのを防止 ②敷地を遮水壁で囲んで敷地外に汚染水が広がるのを防止 ③地下水から主な汚染物質であるフッ素を除去し、基準値内に収まった「処理水」を下水道や用水路に流す という三つを挙げている。「処理水」は昨年3月から市の下水道に流しており、1日当たり最大で300立方㍍。一方、用水路への排出量は計画段階で同1500立方㍍だから、主な排水経路は後者になる。 この用水路は会津北部土地改良区が管理する松野左岸用水路(別図)で、その水は農地約260㌶に供給している。同事業所は通常操業で出る水をここに流してきた。 周辺住民や地権者らは処理水排出に反対している。毎年、大雨で用水路があふれ、水田に濁流が流れ込むため、汚染土壌の流入を懸念しているのだ。昨年1月に希硫酸が用水路に流出し、同事業所から迅速かつ十分な報告がなかったことも、昭和電工の管理能力の無さを浮き彫りにした。以降、住民の反対姿勢は明確になった。 昭和電工はなぜ、反対を押しのけてまで用水路への排出を急ぐのか。考え...
総合南東北病院などを運営する一般財団法人脳神経疾患研究所(郡山市八山田七丁目115、渡辺一夫理事長)が移転・新築を目指す新病院の輪郭が、県から入手した公文書により薄っすらと見えてきた。 県は昨年11月、郡山市富田町字若宮前の旧農業試験場跡地(15万4760平方㍍)を売却するため条件付き一般競争入札を行い、脳神経疾患研究所など5者でつくる共同事業者が最高額の74億7600万円で落札した。同研究所は南東北病院など複数の医療施設を同跡地に移転・新築する計画を立てている。 同跡地はふくしま医療機器開発支援センターに隣接し、郡山市が医療関連産業の集積を目指すメディカルヒルズ郡山構想の対象地域になっている。そうした中、同研究所が2021年8月、同跡地に新病院を建設すると早々に発表したため、入札前から「落札者は同構想に合致する同研究所で決まり」という雰囲気が漂っていた。自民党の重鎮・佐藤憲保県議(7期)が裏でサポートしているというウワサも囁かれた(※本誌の取材に、佐藤県議は関与を否定している=昨年6月号参照)。 ところが昨年夏ごろ、「ゼビオが入札に参加するようだ」という話が急浮上。予想外のライバル出現に、同研究所は慌てた。同社はかつて、同跡地にトレーニングセンターやグラウンド、研究施設などを整備する計画を水面下で練ったことがある。新しい本社の移転候補地に挙がったこともあった。 ある事情通によると「ゼビオはメディカルヒルズ郡山構想に合致させるため、スポーツとリハビリを組み合わせた施設を考えていたようだ」とのこと。しかし、入札価格は51億5000万円で、同研究所を23億円余り下回る次点だった。ちなみに県が設定した最低落札価格は39億4000万円。同研究所としては、本当はもっと安く落札する予定が、同社の入札参加で想定外の出費を強いられた可能性がある。 「ゼビオは同跡地にどうしても進出したいと、郡山市を〝仲介人〟に立て、同研究所に共同で事業をやらないかと打診したという話もある。しかし同研究所が断ったため、両者は入札で勝負することになったようです」(前出・事情通) この話が事実なら、ゼビオは同跡地に相当強い思い入れがあったことになる。 それはともかく、本誌は同研究所の移転・新築計画を把握するため、県に情報開示請求を行い、同研究所が入札時に示した企画案を入手した。半分近くが黒塗り(非開示...
会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。 会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。 会津地方の中核都市である会津若松市。昭和20年代後半から企業誘致の動きが活発になり、1960(昭和35)年には東北開発㈱会津ハードボード工場が落成。1964(昭和39)年にはエース電子㈱が進出した。そうした流れに乗って1967(昭和42)年に操業を開始したのが富士通会津工場だ。 富士通は1935(昭和10)年創業。富士電機製造㈱(現富士電機㈱)から電話部所管業務を分離させる形で設立された富士通信機製造㈱が前身。電話の自動交換機からコンピューター開発、通信、半導体などの事業に参入。業容を拡大させた。 同市で大規模企業の進出が相次いだ背景には、猪苗代湖で明治時代から水力発電開発が進められ、28カ所もの発電所が建設されたことがある。安価な電気料金(当時は距離が近い方が安かった)に惹かれ、日曹金属化学会津工場の前身である高田商会大寺精錬所、三菱製銅広田製作所の前身である藤田組広田精鉱所などが猪苗代湖周辺に進出していた。半導体の製造には大量の水を必要とする点も、富士通にとって決め手になったと思われる。 富士通会津工場の操業開始以降、農村地域工業導入促進法(1971年)、工業再配置促進法(1972年)が施行されたこともあり、同市には電子部品・デバイス企業が相次いで立地。半導体の国内有数の生産拠点として関連企業の集積が進んだ。 1997(平成9)年には、市内一箕町にあった富士通会津若松工場が移転拡大するのに合わせて、市が神指町高久地区に会津若松高久工業団地を整備した。 工業統計調査(従業員4人以上の事業所が対象)によると、同市の2007(平成19)年製造品出荷額等(2006年実績)3239億円のうち、半導体を含む電子部品・デバイス業は1037億円を占めた(構成比32%)。市内の製造業従業者数1万1548人のうち、電子部品・デバイス業従業者数は...
福島民報(11月23日付)に「『グランデコ』譲渡先決定」という記事が掲載された。以下は同記事より。 《北塩原村裏磐梯のリゾート施設「グランデコリゾート」の譲渡先は、北海道の星野リゾートトマムやキロロスキー場を所有するイデラキャピタルマネジメント(本社・東京都港区、山田卓也社長)となる。21日、関係者が示した。運営はイデラキャピタルマネジメントの子会社ザ・コート(同、柱本哲也社長)が担う。現在施設を運営する東急不動産が経営から完全撤退する来年4月以降も、スキー事業、「富良野自然塾」などのグリーンシーズン事業を継続させる(後略)》 この件については本誌昨年5月号に「裏磐梯グランデコ『身売り』の背景」という記事を掲載し、詳細をリポートしていた。 その際、東急不動産に「譲渡先はどこになるのか」と問い合わせたところ、同社の回答は「非公表ですが、日本国内でもスキー場等、事業展開している法人です。当社も過去に取引があり、信頼できる法人です」というものだった。 ただ、本誌記事では「本誌取材では、イデラキャピタルマネジメントという会社が引き継ぐとの情報を得ている」と書いた。以下は同記事より。 《(イデラキャピタルマネジメントは)資産、財産、投資信託などのマネジメントが主業務で、もともとはエムケーキャピタルマネージメントという会社だったが、2012年に同業のアトラス・パートナーズと合併して現称号になった。2014年には中国の巨大複合企業「復星集団(フォースン・グループ)」の傘下に入り、その直後は代表取締役をはじめ、役員は親会社(復星集団)の関係者と思われる中国人名が多かった。同社が不動産の管理を行い、スキー場、ホテルの経営は、同社の100%子会社「The Court(ザ・コート)」という会社が担う》 今回の地元紙の報道で、譲渡先・運営会社は当時本誌が得ていた情報通りだったことが明らかになった。 地元住民によると、「地元採用の従業員は、希望すれば新会社で引き続き雇用してもらえるようですし、運営会社が変わっても、地元にはさほど影響がないと思う」という。 裏磐梯地区は、県内でも降雪時期が早いうえ、春先まで営業することができ、オープン期間が長いのが特徴。一方で、地元住民によると、「一昔前は、首都圏、北関東、浜通りなどからのスキー客は、金曜日の夜に来て日曜日まで滞在する人が多かっ...
北塩原村の「グランデコスノーリゾート」、「裏磐梯グランデコ東急ホテル」を所有する東急不動産は、両施設を譲渡する方針を決めた。譲渡先は「非公表」とされているが、本誌取材では施設所有者は中国企業の子会社、運営は同系列のグループ会社が行うとの情報を得た。新たな所有者と運営会社はどんなところなのか。 グランデコスノーリゾートと裏磐梯グランデコ東急ホテルは、東京急行電鉄(現・東急)がリゾート開発として整備を行い、1992(平成4)年にオープンした。2003年、東京急行電鉄から同グループ内の東急不動産に所有権が譲渡され、関連会社の東急リゾーツ&ステイが運営を行っていた。 同社は、両施設を近く譲渡する方針だという。福島民友は3月11日付紙面でこの件を伝えた。 × × × × 東急不動産は、グループ会社の東急リゾーツ&ステイが運営する福島県北塩原村のリゾート施設「グランデコリゾート」から撤退する方針を固めた。7月1日付で同施設を譲渡する。譲渡先や売却額は非公表。東急不動産が10日、福島民友新聞社の取材に明らかにした。 グランデコリゾートは、同村で裏磐梯グランデコ東急ホテルやスキー場のグランデコスノーリゾートを展開している。1992(平成4)年に東急電鉄が開業し、2003年にグループ会社の東急不動産に営業権を譲渡した。 同社は事業再編の一環として同施設から撤退し、リゾート事業に実績を持つ事業者に譲渡してサービスの充実を図る考え。譲渡先の事業者が従業員の雇用を継続し、施設運営やサービスを維持する見込みとなっている。 × × × × ある地元村民によると、「『レクリエーションの森管理運営協議会』で、東急不動産から譲渡についての説明があった」という。 林野庁は、国有林のうち山岳や渓谷などと一体になっている森林、野外スポーツに適した森林を「レクリエーションの森」に選定しており、管理・整備・PRなどのため、地元自治体、教育関係機関、観光協会などで「レクリエーションの森管理運営協議会」を組織している。 裏磐梯は「裏磐梯デコ平スポーツ林」として選定され、面積は約804㌶、標高は最低地点800㍍、最高地点1650㍍。林野庁のHPでは次のように紹介されている。 《山形県と福島県の県境に沿って東西に延びる吾妻連峰は、最西部に位置する西大巓(1982㍍)の南斜面に高原が広がり、お...
(2022年10月号) いわき市鹿島地区の大型ショッピングセンター(SC)「鹿島ショッピングセンター エブリア」の動向が注目されている。建物を所有する会社の吸収合併や子会社化が相次ぎ、巨額の根抵当権が設定されていることが分かったからだ。 「鹿島ショッピングセンター エブリア」は1995年10月開業。いわき市の中心部である平地区と、観光エリアである小名浜地区の中間地点である鹿島地区に立地している。 鉄骨造2階建て、延べ床面積3万7455平方㍍。複数の地権者の借地に建てられている。当初は、キーテナントであるダイエーいわき店が半分を占め、残り半分が地元小売店・飲食店などによる専門店街「エブリア」という構成だった。2005年にダイエーが撤退した後は、ヨークベニマルエブリア店やスーパースポーツゼビオいわき店が入居。専門店街では現在も約70のテナントが営業している。 主要幹線で交通量の多い県道26号小名浜平線(通称鹿島街道)沿いに面していることもあり、週末には多くの買い物客が訪れる。 そんな同SCの動向が市内の経済人の間で注目されている。建物の所有者をめぐる動きがにわかに活発化しているからだ。 同SCの建物を所有していたのは、建設時から計画に携わっていた市内の不動産会社・平南開発㈱(園部嘉男社長=元いわき商工会議所副会頭、2018年に死去)だ。 その後は〝SC担当のディベロッパー部門〟として分割された平南ディベロップメント㈱(園部嘉門社長=嘉男氏の孫)が所有者となっていた。だが2021年8月、社長が園部嘉門氏から岩手県盛岡市在住の小西徹氏に変更。同10月には東京都品川区の平南ホールディングス合同会社に吸収合併された。 関係者によると、平南ホールディングスは外資系投資会社フィンテックグローバル㈱(東京都品川区)などの出資により設立され、もともとは「麻布十番ホールディングス」という全く違う会社名だったが、平南ディベロップメントを吸収合併するのに合わせて名称変更した。要するに、同SCの大家だった会社が、投資会社に丸ごと身売りしたわけ。 2022年5月には、その平南ホールディングスの株式をさらに別の会社が取得し、子会社化した。それが、福島県などを中心にパチンコホールを展開する「つばめグループ」の運営会社・中原商事(登記上の本店=東京都、本部=郡山市)だ。 1968年設立。資本金23...
福島県の〝商都〟を象徴する「うすい百貨店」(郡山市中町13―1、横江良司社長、以下うすいと表記)に気になるウワサが浮上している。 本誌2023年2月号【ホテルプリシード郡山閉館のワケ】で既報の通り、うすいの隣で営業するホテルプリシード郡山が3月末で閉館し、同じ建物に入る商業施設やスポーツクラブも5月末で撤退することが決まるなど、賑わいを取り戻せずにいる中心市街地はますます寂れていくことが懸念されている。 そのうすいをめぐっても、地元経済人の間で最近こんなウワサが囁かれている。 「ルイ・ヴィトンが今年秋に撤退することが決まったらしい」 言わずと知れた高級ファッションブランドのルイ・ヴィトンは、うすいが現在の店舗でリニューアルオープンした1999年からキーテナントとして1階で営業。地方の百貨店にルイ・ヴィトンが出店したことは当時大きな話題となった。 以来、ルイ・ヴィトンは「百貨店としての質」を高める顔役を担ってきたが、それが撤退することになれば集客面はもちろん、イメージ面でも影響は計り知れない。 「うすいに限らず百貨店自体が新型コロナの影響もあり厳しいと言われているが、(うすいに入る)ヴィトンの売り上げ自体は悪くないそうです」(ある商店主) うすいは今年に入ってから、同じく高級ファッションブランドであるグッチの特設売り場を開設したが、売り上げ好調を受けて開設期間を延長した。延長期間は長期になるという話もあるから、客入りは予想以上に良いのだろう。新型コロナが経済に与える影響は続いているが、高級ブランドへの需要は戻りつつあることがうかがえる。 にもかかわらず、なぜルイ・ヴィトンは撤退するのか。 「東北地方には仙台に店を置けば十分と本部(ルイ・ヴィトンジャパン)が判断したようです。今はネット購入が当たり前で、地方にいても容易にブランド品が手に入る時代なので、テナント料や人件費を払ってまで各地に店を構える必要はないということなんでしょうね」(同) なるほど一理あるが、半面、郡山に「都市としての魅力」が備わっていれば、ルイ・ヴィトンも「ここに店を置く意義はある」と思い留まったのではないか。そういう意味で、撤退の要因はうすいにあるのではなく、郡山に都市としての魅力が無かったと捉えるべきだろう。 もっとも、撤退はウワサの可能性もある。うすいに事実関係を確認すると、広報担当者はこう...
郡山市中町の「ホテルプリシード郡山」が3月31日で営業を終える。同ホテルはうすい百貨店の隣に立地しているが、中心市街地に〝巨大な空き家〟が出現することに近隣の商店主らはショックを受けている。 昨年12月1日、同ホテルがホームページで発表した「お知らせ」にはこう書かれている。 《ホテルプリシード郡山は、1993年8月の開業以来、皆様にご愛顧頂いて参りましたが、来る2023年3月末日をもちまして営業終了する運びとなりました。 長年に渡るご厚情に心から感謝申し上げると共に、皆様の今後のご健勝とご発展を心からお祈り申し上げます》 同ホテルが入る建物は地上12階、地下2階建て。1階と地下1階では商業施設(10店)、3・4階ではスポーツクラブが営業している。2階はレストランとホテルフロントで、5階から上が客室(159室)になっている。 近隣の商店主は 「この間、中心市街地の賑わい復活を目指して取り組んできたが、一帯の人通りは相変わらず少ない。そうした中、中心市街地を牽引するうすいの隣のホテルが閉館するのは非常に寂しい」 と、同ホテルの営業終了を残念がっている。 同業者の間では、昨年秋から「プリシードが閉館するらしい」とウワサになっていたが、営業終了の理由はともかく「このタイミングで閉館するのはもったいない」という声が聞かれていた。 ホテルと言うと新型コロナの影響で苦戦している印象を受けるが、実は思いのほか好調なのだという。 あるホテル業関係者の話。 「他市の状況は分かりませんが、郡山市内のホテルは今、コロナ前より稼働率は高いと思いますよ」 理由は同市の〝地の利〟にある。 「市内には民間の大きな病院が複数あるので、全国から来た医療機器や医薬品の営業マンが頻繁にホテルを利用しています。彼らは市内のホテルに連泊しながら今日は会津、明日は白河、明後日はいわきと動いているので、常連の宿泊で一定の稼働率が保たれているのです」(同) タクシードライバーからはこんな話も聞かれた。 「一昨年2月、昨年3月の福島県沖地震で、県内には保険会社の調査員が全国から来ていました。調査員は市内のホテルに長期滞在し、そこからタクシーを使ってあちこちの物件の被害状況を確認していました。私も県南や浜通りなどに調査員を何度もお連れしましたよ」 つまり、新型コロナでイベントやコンベンションが中止され、ホテルは苦戦...
会津若松市・芦ノ牧温泉の丸峰観光ホテルと関連会社の丸峰庵は2月28日、福島地裁会津若松支部に民事再生法の適用を申請した。債権者説明会では営業体制を見直し、自主再建を目指す方針が示されたが、取引先や同業者は「スポンサーからの支援を受けずに再建できるのか」と先行きを懸念する。 民間信用調査機関によると負債総額は2022年3月期末時点で、丸峰観光ホテルが20億7700万円、丸峰庵が4億7900万円、計25億5600万円。 《1994(平成6)年3月期にはバブル景気が追い風となり、売上高25億円とピークを迎えた。1995年3月期以降は景気後退で利用者数が減少。債務超過額も拡大していた》《2020(令和2)年に入ると新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた。2022年3月期は売上高が5億円台まで後退し、2億円超の最終赤字を計上した。その後も業況は好転せず、資金繰りが限界に達した。丸峰庵はホテルに連鎖する形で民事再生法の適用を申請した》(福島民報3月1日付より) 申請代理人はDEPT弁護士法人(大阪市)の秦周平弁護士ほか2名が務めている。 債権者の顔ぶれや各自の債権額は判明していないが、主な仕入れ先は地元の水産卸売会社、食肉会社、冷凍食品会社、土産物卸商社など。そのほかリネン、アメニティー、旅行代理店、広告代理店、リース、コンパニオン派遣、組合など取引先は多岐に渡るとみられる。 最大の債権者である金融機関については、同ホテルの不動産登記簿に基づき権利関係を別掲しておく。 根抵当権極度額1250万円1972年設定会津商工信組根抵当権極度額2400万円1974年設定会津商工信組根抵当権極度額3600万円1976年設定会津商工信組根抵当権極度額4000万円1976年設定福島銀行根抵当権極度額3億円1979年設定商工中金根抵当権極度額2億4000万円1981年設定常陽銀行根抵当権極度額4億5000万円2011年設定会津商工信組抵当権債権額7500万円2018年設定会津商工信組抵当権債権額7500万円2018年設定商工中金根抵当権極度額3億円2018年設定商工中金 ㈱丸峰観光ホテル(1965年設立、資本金3000万円)は客室数65室の「丸峰本館」、同49室の「丸峰別館川音」、同6室の「離れ山翠」を運営する芦ノ牧温泉では最大規模の温泉観光ホテル。役員は代表取締役=星保洋、取締役=星啓...
菓子製造小売業の㈱三万石(郡山市、池田仁社長)が同市開成一丁目で営業していた地中海料理のレストラン「San filo(サンフィーロ)開成」が解体された。レストランには三万石開成店も併設されていた。 12月中旬に現地を訪れると、既に建物の3分の2が壊されていた。看板に書かれていた工期は10月17日から12月28日となっていた。 建物は2006年に約3億5000万円をかけて建設され、同年11月にイタリアン料理の「アンジェロ開成」としてオープンした。ランチタイムになると駐車場に入りきれない車が列をつくり、警備員が誘導するほどの人気店だったが、18年11月に閉店し、翌年7月にサンフィーロ開成としてリニューアルオープン後は客足が途絶えていた。 「アンジェロは1000円超のお手頃価格だったけど、サンフィーロは高くて、気軽に行けるお店じゃなかった」(ある主婦) ホームページ(HP)によるとサンフィーロはランチ専門の営業で予約制コース、価格は3500円、5500円、1万円となっている。高級路線転換が客離れにつながったことは否めない。実際、駐車場は常にガラガラだった。 サンフィーロ開成はなぜ閉店したのか。三万石のHPを見ると「3月の地震の影響」とある。昨年3月16日に発生した福島県沖地震では相馬市などで最大震度6強を記録し、郡山市内の建物も数多く被災したが、同店もその一つだったという。 三万石の担当者に聞いた。 「建物は2021年2月に起きた地震でも大きな被害を受け、この時は大規模改修を行ったが、3月の地震で再び被害に遭った。特に電気設備の被害が深刻で、もう一度大規模改修をしても同じくらいの地震が来たら動力を確保できないという結論に至った。建物は2011年の東日本大震災でも被災しているので、耐震性の面でもリニューアルは厳しかったと思います」 気になるのは跡地の利活用だ。不動産登記簿謄本によると、同所は三万石の名義で、東邦銀行が2007年に同社を債務者とする極度額2億4000万円の根抵当権を設定している。賃借ではなく自社物件ということは、売却しない限り自社利用を目指す公算が高そう。 前出・担当者もこう話す。 「基本的には自社利用する方針だが、何を建てるかとか、どんな使い方をするかなど、具体的な内容は検討中です。いつごろオープンするといった時期も決まっていない」 ...
見せかけだった土地改良区の「住民同意要求」 喜多方市で土壌汚染と地下水汚染を引き起こしている昭和電工(現レゾナック)は、会津北部土地改良区が管理する用水路への「処理水」排出を強行しようとしている。同社は同土地改良区と排水時の約束を定めた「覚書」を作成し、住民にも同意を迫っていたが、難航すると分かると同意を得ずに流そうとしている。同土地改良区の顔を潰したうえ、住民軽視の姿勢が明らかとなった。 昭和電工喜多方事業所の敷地内では、2020年に土壌汚染対策法の基準値を上回るフッ素、シアン、ヒ素、ホウ素による土壌・地下水汚染が発覚した。フッ素の測定値は最大で基準値の120倍。汚染は敷地外にも及んでいた。県が周辺住民の井戸水を調査すると、フッ素やホウ素で基準値超が見られた。フッ素は最大で基準値の4倍。一帯では汚染発覚から2年以上経った今も、ウオーターサーバーで飲料水を賄っている世帯がある。 原因は同事業所がアルミニウムを製錬していた40年以上前に有害物質を含む残渣を敷地内に埋めていたからだ。同事業所がこれまでに行った調査では、敷地内の土壌から生産過程で使用した履歴がないシアン、水銀、セレン、ヒ素が検出された。いずれも基準値を超えている。 対策として昭和電工は、 ①地下水を汲み上げて水位を下げ、汚染源が流れ込むのを防止 ②敷地を遮水壁で囲んで敷地外に汚染水が広がるのを防止 ③地下水から主な汚染物質であるフッ素を除去し、基準値内に収まった「処理水」を下水道や用水路に流す という三つを挙げている。「処理水」は昨年3月から市の下水道に流しており、1日当たり最大で300立方㍍。一方、用水路への排出量は計画段階で同1500立方㍍だから、主な排水経路は後者になる。 この用水路は会津北部土地改良区が管理する松野左岸用水路(別図)で、その水は農地約260㌶に供給している。同事業所は通常操業で出る水をここに流してきた。 周辺住民や地権者らは処理水排出に反対している。毎年、大雨で用水路があふれ、水田に濁流が流れ込むため、汚染土壌の流入を懸念しているのだ。昨年1月に希硫酸が用水路に流出し、同事業所から迅速かつ十分な報告がなかったことも、昭和電工の管理能力の無さを浮き彫りにした。以降、住民の反対姿勢は明確になった。 昭和電工はなぜ、反対を押しのけてまで用水路への排出を急ぐのか。考え...
総合南東北病院などを運営する一般財団法人脳神経疾患研究所(郡山市八山田七丁目115、渡辺一夫理事長)が移転・新築を目指す新病院の輪郭が、県から入手した公文書により薄っすらと見えてきた。 県は昨年11月、郡山市富田町字若宮前の旧農業試験場跡地(15万4760平方㍍)を売却するため条件付き一般競争入札を行い、脳神経疾患研究所など5者でつくる共同事業者が最高額の74億7600万円で落札した。同研究所は南東北病院など複数の医療施設を同跡地に移転・新築する計画を立てている。 同跡地はふくしま医療機器開発支援センターに隣接し、郡山市が医療関連産業の集積を目指すメディカルヒルズ郡山構想の対象地域になっている。そうした中、同研究所が2021年8月、同跡地に新病院を建設すると早々に発表したため、入札前から「落札者は同構想に合致する同研究所で決まり」という雰囲気が漂っていた。自民党の重鎮・佐藤憲保県議(7期)が裏でサポートしているというウワサも囁かれた(※本誌の取材に、佐藤県議は関与を否定している=昨年6月号参照)。 ところが昨年夏ごろ、「ゼビオが入札に参加するようだ」という話が急浮上。予想外のライバル出現に、同研究所は慌てた。同社はかつて、同跡地にトレーニングセンターやグラウンド、研究施設などを整備する計画を水面下で練ったことがある。新しい本社の移転候補地に挙がったこともあった。 ある事情通によると「ゼビオはメディカルヒルズ郡山構想に合致させるため、スポーツとリハビリを組み合わせた施設を考えていたようだ」とのこと。しかし、入札価格は51億5000万円で、同研究所を23億円余り下回る次点だった。ちなみに県が設定した最低落札価格は39億4000万円。同研究所としては、本当はもっと安く落札する予定が、同社の入札参加で想定外の出費を強いられた可能性がある。 「ゼビオは同跡地にどうしても進出したいと、郡山市を〝仲介人〟に立て、同研究所に共同で事業をやらないかと打診したという話もある。しかし同研究所が断ったため、両者は入札で勝負することになったようです」(前出・事情通) この話が事実なら、ゼビオは同跡地に相当強い思い入れがあったことになる。 それはともかく、本誌は同研究所の移転・新築計画を把握するため、県に情報開示請求を行い、同研究所が入札時に示した企画案を入手した。半分近くが黒塗り(非開示...
会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。 会津若松市にはかつて大手電気メーカー「富士通」の工場が立地し、4000人超が働いていた。その後、工場は完全に撤退したが、そのことでどのような変化が起きたのか。市長選まで半年を切ったこの時期にあらためて検証しておきたい。 会津地方の中核都市である会津若松市。昭和20年代後半から企業誘致の動きが活発になり、1960(昭和35)年には東北開発㈱会津ハードボード工場が落成。1964(昭和39)年にはエース電子㈱が進出した。そうした流れに乗って1967(昭和42)年に操業を開始したのが富士通会津工場だ。 富士通は1935(昭和10)年創業。富士電機製造㈱(現富士電機㈱)から電話部所管業務を分離させる形で設立された富士通信機製造㈱が前身。電話の自動交換機からコンピューター開発、通信、半導体などの事業に参入。業容を拡大させた。 同市で大規模企業の進出が相次いだ背景には、猪苗代湖で明治時代から水力発電開発が進められ、28カ所もの発電所が建設されたことがある。安価な電気料金(当時は距離が近い方が安かった)に惹かれ、日曹金属化学会津工場の前身である高田商会大寺精錬所、三菱製銅広田製作所の前身である藤田組広田精鉱所などが猪苗代湖周辺に進出していた。半導体の製造には大量の水を必要とする点も、富士通にとって決め手になったと思われる。 富士通会津工場の操業開始以降、農村地域工業導入促進法(1971年)、工業再配置促進法(1972年)が施行されたこともあり、同市には電子部品・デバイス企業が相次いで立地。半導体の国内有数の生産拠点として関連企業の集積が進んだ。 1997(平成9)年には、市内一箕町にあった富士通会津若松工場が移転拡大するのに合わせて、市が神指町高久地区に会津若松高久工業団地を整備した。 工業統計調査(従業員4人以上の事業所が対象)によると、同市の2007(平成19)年製造品出荷額等(2006年実績)3239億円のうち、半導体を含む電子部品・デバイス業は1037億円を占めた(構成比32%)。市内の製造業従業者数1万1548人のうち、電子部品・デバイス業従業者数は...