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相馬野馬追

  • 岐路に立つ真夏の相馬野馬追

    岐路に立つ真夏の相馬野馬追

     相馬地方の伝統行事で国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の日程変更が現実味を帯びてきた。今年も例年通り7月最終土・日・月曜日(29・30・31日)に行われたが、連日の暑さで多くの観客、騎馬武者が熱中症の疑いで搬送され、馬2頭が死ぬ事態となった。もはや涼しい時期に日程が変わるのは避けられない情勢だが、変更の「障壁」とされる文化庁の許可がすぐに得られるのかという指摘もある。 歴史的根拠に乏しい「5月開催」方針 勇壮な神旗争奪戦(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2013年撮影)  行事を取り仕切る「相馬野馬追執行委員会」の門馬和夫委員長(南相馬市長)が、8月7日に開かれた市の定例会見で発表した数字は衝撃的だった。  7月29、30、31日に開かれた今年の相馬野馬追。その実績は、出場騎馬数361騎(前年比24騎増)。観覧者数は、3日間の総入込数12万1400人(同1万8000人増)。30日の本祭りに限ると、雲雀ケ原祭場地に2万8000人(同8000人増)、騎馬武者行列の沿道に3万8000人(同3000人増)が訪れ、いずれもコロナ禍だった昨年より増えていた。  一方、同じく前年より増えたのが救護件数である。  救護所対応件数(鹿島・小高を含む)は95件(前年比57件増)。内訳は、熱中症および熱中症前兆が83件(同62件増)、打撲、外傷などが12件(同6件減)。このほか救急搬送も13件(同12件増)に上り、うち11件は熱中症によるものだった。  当日がどれくらいの暑さだったかは、データを示せば一目瞭然だ。以下は気象庁の観測所がある相馬市の気象データ。  29日  最高気温34・1度  最低気温24・0度  30日  最高気温35・2度  最低気温24・6度  31日  最高気温34・9度  最低気温26・0度  3日間とも猛暑日(35度以上)と言っていい暑さ。そうした中を騎馬武者は重い甲冑をまとい、馬を操っていたわけだから、体感温度は軽く40度を超えていたに違いない。  出場10回未満の騎馬武者は「今年は今まで経験した中で一番きつかった。とにかく尋常じゃない暑さで、周りの人たちも口を揃えて辛いと言っていました」。  これに対し、ベテランの騎馬武者は「昔から出ていると『野馬追は暑いもの』という考えがあるから、何とも思わない」と平然と言うが、多くの騎馬武者があまりの暑さに音を上げたのは事実だろう。  ベテランの騎馬武者がむしろ心配していたのは観客の体調だ。  「甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる雲雀ケ原祭場地は日差しを遮る場所がないから、観客はかなりきつかったと思う。その場でじっと見ているのは厳しかったんじゃないか」 もちろん、執行委員会でも暑さ対策は行っていた。例えば南北2カ所に涼み所としてテントを張り、ミスト扇風機を置いたり、行列観覧席の後ろにテントを設置したり、南北2カ所の救護所にも大型扇風機と冷風機を設置したが、熱中症の救護件数が前年比で62件増えたことからも十分な対策とは言えなかったようだ。  暑さの影響が及んだのは人だけではない。馬も2頭死んだ。門馬市長が8月7日の定例会見で明かしたところによると、熱中症で倒れた1頭が安楽死となり、もう1頭は原因不明で死んだが、暑さが原因なのは疑いようがない。  騎馬救護所での馬の診療件数も112件(前年比41件増)に上り、うち111件が日射病。出場騎馬数は361騎だったので、約3分の1の馬が救護を受けたことになる。  「私の馬は大丈夫だったが、とにかく水を飲ませ、体にかけてやることはずっと意識していた。今年はやらなかったけど、過去には予防措置として点滴をしたこともある。馬の様子を見極めるには、ある程度の経験が必要なので、経験の少ない騎馬武者ほど馬を日射病にしてしまったのではないか」(前出・ベテランの騎馬武者)  とはいえ、馬はもともと暑さに弱い。そうした中で、重い甲冑をまとった人間を背中に乗せて走れば、馬体に相当な負担がかかることは容易に想像できる。  地元紙は記事中で触れただけだったが、全国紙は「馬2頭が死ぬ」と見出しでも大きく取り上げたため、ネット上では「真夏の野馬追は、いくら伝統行事とはいえ動物虐待」「息遣いや発汗を見れば、馬の異変に気付くはず」「死んだのが人間ではなく馬でよかった、ということにはならない」といった厳しい書き込みが散見された。 三重県の伝統行事に勧告  こうした事態に、執行委員会は8月8日、ホームページ上で「馬の救護事案に係る対応について」という発表を行った。  《相馬野馬追執行委員会では、熱中症(日射病と表記したものも含みます)により、人馬とも例年を大きく上回る要救護事案が発生したことを重く受け止めております。  特に亡くなられた2頭の馬に対し御冥福をお祈りするとともに、馬と共に継承してきた伝統行事の主催者としての責任を以て、今後の対応を速やかに整えてまいります》  今年は例年以上に暑くなることが予想されていたため、執行委員会では馬への熱中症対策として①騎馬武者行列の前に散水車2台を使って打ち水を実施、②騎馬救護所に給水車とホースを設置、③山頂に給水用のホース(シャワー)を設置、④馬殿に補給用として大型バケツ5個を設置するなどしていた。  「ただ、馬が死んだのは今回が初めてじゃない。単にここ数年は死んでいなかっただけ」(前出・ベテランの騎馬武者)  それが今回、ここまでクローズアップされたのは▽今年の野馬追開催前に、近年の異常気象を受け、日程を変えてはどうかという話が浮上していた、▽騎馬会を対象に行ったアンケートでも、馬の命と健康を心配する意見が挙がっていた、▽昔は馬が死んでも深刻に受け止める気配が薄かったが、令和の時代になり「動物福祉」が重んじられるようになった、▽今までは馬が死んでも報じなかったマスコミが、今回は大きく報じたことで世間の関心を集めた――等々が影響したとみられる。  市では昨年12月、五郷騎馬会(旧相馬藩領の当時の行政区である五つの郷=宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷=の各騎馬会)を対象にアンケートを行ったが、回答の自由記述欄を見ると、馬の命と健康についてこんな意見が寄せられていた。  「暑さにより愛馬が辛い思いをしている。10歳を超え体力も心配になり、今回の野馬追も点滴をしながら頑張ってもらった。かわいそうになり、来年夏も暑いようなら出場しない方向で考えていた」(20代男性)  「乗馬クラブは野馬追で馬を貸すと暑さで10~20日休養させることになるので貸すのを渋っている」(70代男性)  騎馬武者たちは自分で飼育している馬に乗るか、乗馬クラブや知人などから馬を借りている。しかし、熱中症で救護を受けたり、死ぬかもしれないリスクがある状況では、来年以降、愛馬を出場させるのをためらったり、貸すのを拒む乗馬クラブが増える可能性もある。それでなくても、もともと乗馬クラブからは「乗り方が粗っぽく、野馬追から帰ってくると馬がかなり疲弊している」という不満が漏れていた。  他地域では、こんな出来事も起きている。  《三重県桑名市の多度大社で毎年5月に行われる伝統行事「上げ馬神事」が動物虐待に当たると批判されている問題で、県教育委員会は(8月)17日、県文化財保護条例に基づき多度大社に勧告を出した》(共同通信8月17日配信)  報道によると、上げ馬神事は南北朝時代から続く三重県の無形民俗文化財で、馬が坂の上に設置された高さ約2㍍の土壁を越えた回数で農作物の豊凶などを占う。これまでに複数の馬が骨折し、最近十数年で計4頭が安楽死となっていた。勧告は2011年以来二度目だという。  「伝統行事と馬」という関係性は野馬追と同じだ。上げ馬神事のように高い土壁を越えさせるような危険な行為はなくても「動物虐待」を持ち出されれば、伝統を大切にしながら馬をいたわる方向に祭りが変わっていくのは避けられそうもない。 旧暦「五月中の申」  感情論ばかりを振りかざすのではなく、冷静にデータも押さえておきたい。別掲の図は2012年から今年までの人と馬の救護件数と本祭り(2日目)の最高気温を示したものだ。20、21年は新型コロナの影響で神事のみが行われたため、救護件数はゼロだった。  それを見ると気温が30度以下の2013、16、17、18年は救護件数が少ないが、30度以上の12、14、15、19年は救護件数が多い。猛暑日だった今年はとりわけ件数が多かったことも分かる。また、17年までは人の救護件数が多い傾向にあったが、18年以降は人より馬の救護件数が上回っている。  気温が高ければ、人も馬も救護件数が増えていることがはっきり見て取れる。今後、地球温暖化で異常気象がさらに進めば、救護件数はますます増えていくだろう。  本誌6月号「相馬野馬追『日程変更』の障壁」という記事で報じたように、野馬追は日程変更の議論が本格化しようとしていた。きっかけは近年の猛暑に対し、今年2月に開かれた執行委員会の会合で立谷秀清副執行委員長(相馬市長)から「涼しい時期に開催可能か検討すべき」という提言が出されたことだった。これを受け、門馬委員長が「検討委員会をつくって方向性を決めたい」と応じ、出席委員から承認された。  こうして設立が決まった「相馬野馬追日程変更検討会」では当初、日程変更は「早くても2025年度から」という方針を示していた。執行委員会による事前協議で、文化庁など関係各所との協議・調整に最低2年は必要という判断から、2年後の2025年度からの変更が現実的とされた。しかし今回の事態を受け、8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合では「来年から5月下旬~6月初旬にする」という方針に改められた。 8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合  なぜ5月下旬~6月初旬かというと、前述・五郷騎馬会を対象に行ったアンケートで「何月が最適な開催日程と思うか」という問いに5月と答えた人が最も多く、6月も3番目に多かったためとみられる。  季節的には涼しさもあり、梅雨入り前なので、騎馬武者にも観客にも馬にも喜ばれる時期には違いない。しかし、ちょうどいい季節という理由だけで簡単に日程を変えられるわけではない。  野馬追は文化財保護法に基づき、昭和53年(1978)に国指定重要無形民俗文化財に指定されたが、これが日程変更の大きな障壁になるのだという。2011年に現在の日程に変わった際、その協議に参加した南相馬市の関係者によると、  「日程変更は文化庁が許可しなければ実現しないし、簡単には許可してくれない。2011年の日程変更では執行委員会などで協議して(現在の7月最終土・日・月曜日に)決めた後、県教委も交えてさらに協議した。その内容を同庁に上げ、同庁内の調査・手続きを経てようやく決まったのです」  正式決定には、かなりの時間と労力を要したことが分かる。  自らも騎馬武者として参加し、市議会定例会で野馬追に関する質問を続けてきた岡﨑義典議員(3期)もこのように話す。  「文化庁との協議に最低2年かかると言っていたのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程を変えると言い出すのは違和感がある。5月下旬から6月初旬に変えることがさも決定したかのような報じ方も奇妙に感じます。心情的には日程変更は理解できます。しかし、日程変更検討会で5月下旬から6月初旬に変えると決めたとしても『文化財の価値』を判断基準とする文化庁がそれを認めるのか。騎馬会や各神社がどう判断するかも気がかり。その確証がないのに、来年には日程が変わると言い切ってしまうのはいかがなものか」  そもそも中村藩主相馬家の武家行事として執行されていた野馬追は、江戸時代から旧暦「五月中の申」の日に行われてきた。現代の暦に直すと6月下旬から7月上旬になる。  《旧暦五月中の申とは、旧暦五月の2回目の申の日を指し、藩主相馬家では、この日を中心に3日間の野馬追行事を執行する習わしであった。旧暦五月は「午の月」ともいい、猿(申)が馬(午)の守り神とされることに加え、中の申の日が妙見の縁日だったことから、この日が選ばれたという》(『原町市史 第2巻』の「通史編Ⅱ『近代・現代』」より)  こうした歴史を踏まえると、文化庁が暑さを理由に日程変更を認めるかどうかは確かに不透明だ。  加えて岡﨑議員が厳しく指摘するのは、この間、執行委員会が本気になって日程変更を考えてこなかったことだ。  「暑さで人が亡くなるかもしれないリスクはこれまでもあった。それなのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程が変わるというんだから、今まではそういうリスクがあっても執行委員会は真剣に受け止めてこなかったのではないか」(同) 来年からの日程変更は一見すると日程変更検討会の英断にも映るが、見方を変えると、問題が起こらないと本腰を入れない役所の姿勢を表しているわけ。 文化財としての価値 騎馬の列が市街地に繰り出す「お行列」(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2015年撮影)  5月下旬から6月初旬への変更が既成事実化する中、文化庁との協議をどのように進めていくのか、執行委員会事務局に聞いてみた。  「日程変更には文化庁のほか、相馬野馬追保存会の中の専門委員会、県文化財課との協議が必要になる。来年5月下旬から6月初旬という日程は日程変更検討会で決定され、背景には人と馬の命には変えられないという判断があるが、同時に野馬追の文化財としての価値を引き継ぐことが大前提になる。そこを軽視して日程が変わることはありません」  8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合には本誌をはじめ多くのマスコミが取材に駆け付けたが、冒頭、門馬市長がメンバーに「マスコミの方にはこの場にいてもらっていいか、出てもらうか」と問いかけると、立谷市長が低い声で「出てもらってください」と言い、協議は非公開で行われた経緯がある。公開しても何ら不都合なことはないと思うのだが、過程をオープンにせず、密室で決める役所の姿勢はこんなところにも表れている。  暑さを理由に日程を変える必要性は誰もが認めているが、同時に、文化財としての価値をどう担保するのか。日程変更検討会には、文化庁をはじめ騎馬会、各神社など関係者が納得する結論を、スピード感を持って出すことが求められる。 ※日程変更検討会の第2回会合は8月27日に開かれ、来年から「5月最終土、日、月曜日」に変更することを決めた。今後、文化庁に上申し、了解が得られれば正式決定する。 あわせて読みたい 相馬野馬追「日程変更」の障壁

  • 相馬野馬追「日程変更」の障壁

    相馬野馬追「日程変更」の障壁

     相馬地方の伝統行事で国重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の日程が見直されようとしている。現在は7月最終土・日・月曜日に行われているが、厳しい暑さで人馬への負担が大きく、観客や準備に携わる人も熱中症のリスクが高いとして、日程が大幅に変わる可能性が出ている。さらに、出場するための高額費用負担や女性の出場条件緩和といった課題もあり、参加騎馬武者が減少する野馬追は過渡期を迎えている。 〝酷暑開催〟に騎馬会員から賛否両論 勇壮な神旗争奪戦(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2013年撮影)  300~400騎の騎馬武者が甲冑をまとい、太刀を帯し、先祖伝来の旗指物を風になびかせながら野原を疾走する。そんな時代絵巻のような光景が繰り広げられる相馬野馬追は、伝説によると今から1000年以上も昔、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国小金ヶ原(現在の千葉県北西部)に放した野馬を敵兵に見立て、軍事演習に応用したことが始まりとされる。捕らえた馬は神馬として氏神である妙見に奉納した(相馬野馬追公式ホームページより)。 今年も間もなく、野馬追の時期がやって来る。2020、21年は新型コロナウイルスの影響で神事中心の小規模な実施にとどまったが、昨年は3年ぶりに通常開催され、コロナ前の6割に当たる10万3400人が来場した。今年はコロナ感染が落ち着き、5月8日からは感染症法上の位置付けが5類に引き下げられたこともあり、昨年以上の観客数になることが予想される。 そんな野馬追の日程が今、大きな議論になりつつある。 現在は7月最終土・日・月曜日に行われているが、近年の猛暑で「人も馬もリスクが高い」「観客や準備に携わる人も大変」という声が以前から高まっていた。酷暑の中で甲冑をまとうのは辛いし、馬はもともと暑さが苦手。観客からも「日差しを遮る場所が全くない」と不満が漏れていた。昨年の野馬追では熱中症などの事例が21件あり、コロナ前の2019年も36件に上っていた。 こうした事態に「相馬野馬追執行委員会」(2月20日に任意団体から一般社団法人に移行、以下執行委員会と略)では、2月に開いた会合で副執行委員長の立谷秀清・相馬市長から「涼しい時期に開催可能か検討すべき」という提言が出された。これに執行委員長の門馬和夫・南相馬市長が「検討委員会を立ち上げて方向性を決めたい」と応じ、出席委員から承認された。 実はこれより前、南相馬市では昨年12月に五郷騎馬会(旧相馬藩領の当時の行政区である五つの郷=宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷=の各騎馬会)を対象にアンケートを行っていた。2019年度と22年度に出場した騎馬会員461人に質問書を発送し、今年1月、55%に当たる256人から回答を得た。 集計結果は3月に公表されたが、それによると、 質問=日程変更についてどのように思うか。 「賛成」135人(53%) 「反対」50人(19%) 「どちらでもない」71人(28%) 質問=(変更に「賛成」と答えた135人に)なぜ賛成と思うか。(以下複数回答) 「暑さによる人馬への体力的な負担が大きいため」127件 「全ての行事が休日または祝日の方がよいため」46件 「その他」14件 質問=何月が最適な日程と思うか。 「5月」116件 「7月」53件 「6月」「10月」40件 「9月」31件 質問=(変更に「反対」と答えた50人に)なぜ反対と思うか。 「頻繁に変更するものではない」33件 「現在の日程が『東北の夏祭りの先陣を切る、夏の伝統行事』と認知されているため」22件 「神社の祭礼のため、例大祭に合わせるべき」13件 「その他」7件 回答者の過半数が日程変更に賛成し、その理由に暑さを挙げる。新たな開催月は5月を望む回答が多い。逆に反対の人は2011年に現在の日程に変更したことを踏まえ、簡単に変えるべきではないとしている。 そもそも、野馬追の日程はどのようにして決められたのか。 中村藩主相馬家の武家行事として執行されていた野馬追は、江戸時代を通じて旧暦「五月中の申」の日に行われていた。現代の暦に直すと6月下旬から7月上旬になる。 その後、日程はどう変わっていったか『原町市史 第2巻』の「通史編Ⅱ『近代・現代』」から抜粋する。 《明治6年(1873)の改暦を受け、翌7年(1874)には旧暦「五月中の申」の日にあたった7月2日をもって野馬追が行われるようになった。そして、翌8年(1875)からは日程が7月2日に正式に固定化され、その日を中心とした7月1日~3日の3日間行われるようになった。旧暦五月中の申とは、旧暦五月の2回目の申の日を指し、藩主相馬家では、この日を中心に3日間の野馬追行事を執行する習わしであった。旧暦五月は「午の月」ともいい、猿(申)が馬(午)の守り神とされることに加え、中の申の日が妙見の縁日だったことから、この日が選ばれたという。なお、明治37年(1904)以降には、7月11日~13日に変わっている》 日程を10日繰り延べたのは梅雨を避けるため。それから約半世紀が経過した昭和36年(1961)に7月16日~19日という4日間に変更されたが、変則日程は定着せず、5年後の昭和41年(1966)にはさらに1週間繰り延べて7月23日~25日となった。 《変更理由は、梅雨明けを待つこと、学校の夏季休暇を利用して、より多くの観覧者を見込んでのものであった。近代から幾度かあったこれらの日程変更は、いずれも野馬追を観光資源として意識したものといえよう》(同抜粋) その後、7月23日~25日という日程は40年以上続いたが、3日間とも平日に重なってしまうと出場が難しい騎馬武者も多く、観客数にも影響が出るため、2011年から7月最終土・日・月曜日に変更され、現在に至っている。 このように、7月開催は旧暦に基づく深い意味を帯びている半面、細かい日程は「梅雨を避ける」「騎馬武者を出場し易くする」「観客数を増やす」などの理由で変更されてきた歴史があるのだ。 難しい文化庁との調整 南相馬市が行ったアンケートの結果と情報開示請求で入手した「自由記述欄」  とはいえ、今回の日程変更は過去のものとは意味合いが異なる。これまで一貫して守ってきた「旧暦五月中の申の日」から大きく変えることを視野に入れているのだから、そう簡単に決断できるものではない。 ただ現実に目を向けると、騎馬武者、馬、観光客は酷暑に四苦八苦している。地球温暖化で、今後も気温上昇は避けられない。万が一、熱中症で命を落とす人が現れたら取り返しのつかないことになる。 本誌は前述・南相馬市が行ったアンケートの「自由記述欄」に、回答者(騎馬会員)がどのようなことを書いたのか確認するため、同市に情報開示請求を行った。 開示された自由記述欄には計142件の意見が書かれており、そのうち「暑さ」に関するものは2割に当たる28件に上った。主だった意見を掲載したのでご覧いただきたいが、人の命と健康を心配する意見だけでなく、馬への負担を指摘する意見も目立った。個人的には「馬に点滴をしながら頑張ってもらった」「乗馬クラブでは出場者に馬を貸すと暑さで10~20日休養させる必要があるので貸すのを渋っている」という意見に衝撃を受けた。ストレートに「動物虐待」と書いた回答者もいたが、点滴までして駆り出されている馬がいることを踏まえれば決して大袈裟ではない。 暑さに対する意見 ・日程変更は早急にすべき。今の時期では人馬に対して虐待行為だ。(70代男性)・中学生から鎧で出場するのは体力的に負担が大きい。(10代男性)・暑さで愛馬が辛い思いをしている。10歳を超え体力も心配になり、昨年の野馬追も点滴をしながら頑張ってもらった。かわいそうで、今年の夏も暑いようなら出場しない方向で考えている。(20代男性)・各郷の陣屋の後ろに家族用のテントを張り、日陰をつくるなどの暑さ対策をしないと命に関わることも起こり得ると思う。(40代男性)・出場者や観光客の負担をなくすため、猛暑を避けての開催を希望する。(10代女性)・猛暑の中での開催は動物虐待だ。(60代男性)・乗馬クラブでは出場者に馬を貸すと暑さで10~20日休養させる必要があるので、馬を貸すのを渋っている。(70代男性) 費用負担に対する意見 ・馬を借りるのに20~40万円払っており、家族の負担も大変。現実的に新しく野馬追を始めようとしたら100万円近くかかる。(20代男性)・奨励金は20年以上変わっていないのに、馬代は数年前の倍以上になっている。道具なども傷むので、その都度修理すれば負担は大変だ。(40代男性)・馬を飼育する人への援助がない。馬を飼うと1頭40~50万円かかる。自馬でないと競馬や旗取りに出られない。馬が身近にいる環境をつくることが大事だ。(70代男性)・道具類を揃えるだけでも費用がかかるので、参加枠を設け、野馬追を体験してもらうのもありではないか。(30代男性)・乗馬の練習が有料なのは仕方がないが1回3000円前後の回数券を発行してほしい。(60代男性) 女性の出場条件緩和に対する意見 ・年齢制限をなくし、既婚者も出場できるようにすれば騎馬武者の数も多くなる。(70代男性)・流鏑馬の女性騎馬も認められている。昔のきまりを大事にしすぎて伝統がなくなるより、多少きまりが変わっても伝統を残す方が大事だと思う。(10代女性)・20歳を過ぎてからも野馬追に出場したいと思っている女性は多いはずだ。(10代女性)・男性より女性の方が出場意欲のある人は多い。私は4年出られるはずが3年しか出られなかった。毎日馬の世話と手入れもして、伝統を残すためにやっていたのに、運営の対応にがっかりさせられたことがある。もっと女性の意見に耳を傾けてほしい。(20代女性)  半面、意外だったのは前述のアンケート結果にあるように、日程変更に「反対」「どちらでもない」を合わせると計47%に上ったことだ。酷暑を考えれば「賛成」がもっと多くなると思われただけに、大差がつかなかった理由が気になる。 筆者は数人の騎馬会員に話を聞いたが、多くが日程変更に反対していた。その人たちが口を揃えて言ったのは「暑かろうが何だろうが、出たい人は出る」というものだった。 一方、自由記述欄を見ていくと、2011年に現在の日程に変更されたため「伝統を重んじる野馬追の日程をころころ変えるべきではない」という意見とともに、国重要無形民俗文化財に指定されていることから「(日程を変えると)指定が取り消しになるのではないか」と心配する意見も目に付いた。 野馬追は昭和27年(1952)、文化財保護法に基づき国の無形文化財に選定されたが、同29年(1954)の同法改正で選定解除となった。その後、同50年(1975)の同法改正で重要無形民俗文化財の指定制度が設けられ、翌年、相馬地方に派遣された文化庁調査官が野馬追の指定に向けた調査を行い、同53年(1978)に同文化財に指定された。 この指定が、日程変更に当たって障壁になるのだという。 2011年に現在の日程に変更された際、その協議に参加した南相馬市の関係者は当時を振り返る。 「日程変更は文化庁が許可しなければ実現しないし、簡単には許可してくれない。2011年の日程変更では執行委員会などで協議して(現在の7月最終土・日・月曜日に)決めた後、県教委も交えてさらに協議した。その内容を同庁に上げ、同庁内の調査・手続きを経てようやく決まったのです」 正式決定には、かなりの時間と労力が要ることが分かる。 さらに突っ込んだ話をしてくれたのは地元の研究者。 「地域が野馬追の『文化財としての価値』をどう保存していくのか、そのうえで、現在の日程では文化財としての価値を担保できないことが説明されないと、文化庁は日程変更を許可しないと思います」 研究者によると、暑さを理由に日程を大幅に変えるかどうかは2011年当時も出ていた話で、有識者からは「むやみに日程を変えるべきではないが、五月中の申の日になぞらえるなら5月開催も一つの案」との提案もあったという。しかし、執行委員会などは「騎馬武者の参加し易さ」と「観光客の集め易さ」を重視し、7月最終土・日・月曜日に決めた経緯がある。 「この時、文化庁は文化財としての価値の保存とは関係ない『騎馬武者の参加し易さ』と『観光客の集め易さ』が前面に出たことに難色を示した。最終的には『騎馬武者に参加してもらわないと文化財としての価値の保存が難しくなる』との理由付けで同庁から日程変更を許可されたが、国重要無形民俗文化財に指定されると、それくらい調整が難航するということです」(同) こうした状況を踏まえると、もし7月以外に開催することが決まったとしても実施されるのは数年先で、文化庁が許可しなければ実現しない可能性もある。 さらに研究者は、別の心配事として「野馬追2日目(相馬太田神社)と3日目(相馬小高神社)に執り行われる例大祭の日程を変えることができるのか」という点も挙げた。 ただ、相馬太田神社の佐藤左内宮司に確認すると「日程が変わればそれに合わせて例大祭も変えるだけ。これまでの日程変更でもそうしてきたと思います」と話し、難しいとは考えていない様子。むしろ佐藤宮司が心配していたのは、例大祭当日に行われる祭りの担い手が確保できるかどうかだった。 「カネの問題ではない」  「祭りでは神輿の担ぎ手が50人、旗持ちや準備をする人などが50人必要です。例年、地元企業の若手社員や中学・高校生、専門学校生に手伝ってもらっているが、子どもたちは夏休みだから参加できるので、これがもし7月以外の開催になったら100人確保できるのか。正直『自前で確保してほしい』と言われても無理。日程変更するなら祭りの支援も約束してくれないと困る」(同) 佐藤宮司は、詳しいアンケート結果は把握していなかったが「酷暑の中で行うのは人馬にとって負担」と日程変更に一定の理解を示しているようだった。 自らも騎馬武者として出場する岡﨑義典・南相馬市議(3期)は同市議会昨年9月定例会で、現在の日程では人馬だけでなく観光客も熱中症などのリスクが高いとして「開催時期について騎馬会などと協議すべきではないか」と質問している。 岡﨑義典・南相馬市議(南相馬市議会HPより)  「私は、絶対に日程を変えるべきと言っているのではない。出場者はこの日程でやると言われればどこだって出る。しかし観光客は別です。毎年、熱中症で手当てを受ける人は一定数おり『こんな暑い中で見るならもう来なくていい』という不満も聞いたことがある。時代の変遷に合わせ、より良い方向に変えるための話し合いはすべきです。あとは結果に従い、変更する・しないを決めればいい」(岡﨑議員) 賛否両論ある日程変更は、6月にも執行委員会内に検討委員会が設けられ、本格的な協議がスタートする見通しだが、前述・情報公開請求で入手した自由記述欄を見ていくと、暑さに関する意見のほか、出場するための高額費用負担と女性の出場条件緩和に触れている意見も目に付いた。具体的にどのような意見が寄せられていたかは別掲をご覧いただきたいが、野馬追は今、この三つが大きな課題になっていることがうかがえる。 高額費用負担については、金銭的な支援を求める声が少なくない。別掲にもあるように、野馬追に出場するにはかなりの出費を要するが、これに対し行政からは「出場奨励金」が支給されている。奨励金は執行委員会→各騎馬会→騎馬会員に支給され、金額は騎馬会によって若干差があるが、1人当たり10~12万円。 金銭的な支援があれば持ち出しが減るので、出場者は助かる。ただ本誌が取材した騎馬会員の多くは「カネの問題ではない」「初期投資はかかるかもしれないが、奨励金を数年もらえばペイする」「一部に派手な甲冑や馬具を揃える人がおり、見栄っ張り合戦になっていることが問題」と支援増に否定的だ。 前出・岡﨑議員も同様の意見だったが「ただし」と付け加える。 「馬の飼料代が高騰し、それが馬代(借り賃)に跳ね返っている。私が最初に出場した2014年は10~12万円だったが、昨年は30万円という人もいた。例年、乗馬クラブからは馬代の目安になる奨励金がいくらになるか市に問い合わせがあるが、馬代高騰の流れはますます進んでいくように感じる。しかし、だからと言って市が馬代を税金から負担するのは市民の理解を得にくい。であれば市内には通年で馬を飼育している人が多いので、飼料代の支援は緊急的に行ってもいいと思います。実際、もう飼料代を負担できないと馬を手放した人もいますからね」 年々減る参加騎馬武者 騎馬の列が市街地に繰り出す「お行列」(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2015年撮影)  もう一つの女性の出場条件緩和については、本誌が取材した騎馬会員からも「現行の出場条件である『20歳までの未婚女性』は変えていいと思う」「男女平等やLGBTが当たり前の昨今、性別や年齢で出場を制限するのは時代に馴染まない」との意見が多く聞かれた。 野馬追に女性の参加が認められたのは昭和22年(1947)で、同59年には騎馬会に「未成年の未婚者で化粧をしてはならない」との条文ができたという。未成年や未婚が条件となったのは、月経や出産などが血を連想させ、不浄とされたためとみられる。 騎馬会員の中には女性の参加に難色を示す人もいるようだ。武家行事の野馬追は女性が参加できなかった歴史があり、その点を重んじる気持ちも分かるが、時代の変遷に合わせた変化は必要だろう。そもそも女性の出場条件を緩和したところで、女性の出場者が劇的に増えるとは思えない。むしろ別掲にあるように、男性より野馬追のことを思う女性がいるなら、柔軟な対応で出場の間口を広げるべきではないか。 野馬追はここに挙げた三つの課題のほか、参加騎馬武者の減少にも直面している。ピークは1995年の614人、震災・原発事故以降は400人前後で推移し、昨年は337人だった。 日程変更、金銭的な支援、女性の出場条件緩和が実行されれば参加騎馬武者が増えるかどうかは分からない。騎馬武者の数にとらわれるのではなく、歴史と伝統を継承していくことを大事にすべきという意見もある。数を維持したいがために闇雲に税金を投入したり、野馬追の意味を理解せず、単に「カネがあるので出たい」という意識の低い騎馬武者が増えるようでは本末転倒だ。  「野馬追はこれまで首長、執行委員会、騎馬会など上層部だけで物事を決めてきた。そういう意味では、今回のアンケートで騎馬会員の本音を聞こうとしたことは今まで見られなかった姿勢であり、評価できると思います」(ある騎馬会員) 過渡期を迎える野馬追を未来にどうつないでいくのか。三つの課題と合わせて考える必要がある。

  • 岐路に立つ真夏の相馬野馬追

     相馬地方の伝統行事で国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の日程変更が現実味を帯びてきた。今年も例年通り7月最終土・日・月曜日(29・30・31日)に行われたが、連日の暑さで多くの観客、騎馬武者が熱中症の疑いで搬送され、馬2頭が死ぬ事態となった。もはや涼しい時期に日程が変わるのは避けられない情勢だが、変更の「障壁」とされる文化庁の許可がすぐに得られるのかという指摘もある。 歴史的根拠に乏しい「5月開催」方針 勇壮な神旗争奪戦(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2013年撮影)  行事を取り仕切る「相馬野馬追執行委員会」の門馬和夫委員長(南相馬市長)が、8月7日に開かれた市の定例会見で発表した数字は衝撃的だった。  7月29、30、31日に開かれた今年の相馬野馬追。その実績は、出場騎馬数361騎(前年比24騎増)。観覧者数は、3日間の総入込数12万1400人(同1万8000人増)。30日の本祭りに限ると、雲雀ケ原祭場地に2万8000人(同8000人増)、騎馬武者行列の沿道に3万8000人(同3000人増)が訪れ、いずれもコロナ禍だった昨年より増えていた。  一方、同じく前年より増えたのが救護件数である。  救護所対応件数(鹿島・小高を含む)は95件(前年比57件増)。内訳は、熱中症および熱中症前兆が83件(同62件増)、打撲、外傷などが12件(同6件減)。このほか救急搬送も13件(同12件増)に上り、うち11件は熱中症によるものだった。  当日がどれくらいの暑さだったかは、データを示せば一目瞭然だ。以下は気象庁の観測所がある相馬市の気象データ。  29日  最高気温34・1度  最低気温24・0度  30日  最高気温35・2度  最低気温24・6度  31日  最高気温34・9度  最低気温26・0度  3日間とも猛暑日(35度以上)と言っていい暑さ。そうした中を騎馬武者は重い甲冑をまとい、馬を操っていたわけだから、体感温度は軽く40度を超えていたに違いない。  出場10回未満の騎馬武者は「今年は今まで経験した中で一番きつかった。とにかく尋常じゃない暑さで、周りの人たちも口を揃えて辛いと言っていました」。  これに対し、ベテランの騎馬武者は「昔から出ていると『野馬追は暑いもの』という考えがあるから、何とも思わない」と平然と言うが、多くの騎馬武者があまりの暑さに音を上げたのは事実だろう。  ベテランの騎馬武者がむしろ心配していたのは観客の体調だ。  「甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる雲雀ケ原祭場地は日差しを遮る場所がないから、観客はかなりきつかったと思う。その場でじっと見ているのは厳しかったんじゃないか」 もちろん、執行委員会でも暑さ対策は行っていた。例えば南北2カ所に涼み所としてテントを張り、ミスト扇風機を置いたり、行列観覧席の後ろにテントを設置したり、南北2カ所の救護所にも大型扇風機と冷風機を設置したが、熱中症の救護件数が前年比で62件増えたことからも十分な対策とは言えなかったようだ。  暑さの影響が及んだのは人だけではない。馬も2頭死んだ。門馬市長が8月7日の定例会見で明かしたところによると、熱中症で倒れた1頭が安楽死となり、もう1頭は原因不明で死んだが、暑さが原因なのは疑いようがない。  騎馬救護所での馬の診療件数も112件(前年比41件増)に上り、うち111件が日射病。出場騎馬数は361騎だったので、約3分の1の馬が救護を受けたことになる。  「私の馬は大丈夫だったが、とにかく水を飲ませ、体にかけてやることはずっと意識していた。今年はやらなかったけど、過去には予防措置として点滴をしたこともある。馬の様子を見極めるには、ある程度の経験が必要なので、経験の少ない騎馬武者ほど馬を日射病にしてしまったのではないか」(前出・ベテランの騎馬武者)  とはいえ、馬はもともと暑さに弱い。そうした中で、重い甲冑をまとった人間を背中に乗せて走れば、馬体に相当な負担がかかることは容易に想像できる。  地元紙は記事中で触れただけだったが、全国紙は「馬2頭が死ぬ」と見出しでも大きく取り上げたため、ネット上では「真夏の野馬追は、いくら伝統行事とはいえ動物虐待」「息遣いや発汗を見れば、馬の異変に気付くはず」「死んだのが人間ではなく馬でよかった、ということにはならない」といった厳しい書き込みが散見された。 三重県の伝統行事に勧告  こうした事態に、執行委員会は8月8日、ホームページ上で「馬の救護事案に係る対応について」という発表を行った。  《相馬野馬追執行委員会では、熱中症(日射病と表記したものも含みます)により、人馬とも例年を大きく上回る要救護事案が発生したことを重く受け止めております。  特に亡くなられた2頭の馬に対し御冥福をお祈りするとともに、馬と共に継承してきた伝統行事の主催者としての責任を以て、今後の対応を速やかに整えてまいります》  今年は例年以上に暑くなることが予想されていたため、執行委員会では馬への熱中症対策として①騎馬武者行列の前に散水車2台を使って打ち水を実施、②騎馬救護所に給水車とホースを設置、③山頂に給水用のホース(シャワー)を設置、④馬殿に補給用として大型バケツ5個を設置するなどしていた。  「ただ、馬が死んだのは今回が初めてじゃない。単にここ数年は死んでいなかっただけ」(前出・ベテランの騎馬武者)  それが今回、ここまでクローズアップされたのは▽今年の野馬追開催前に、近年の異常気象を受け、日程を変えてはどうかという話が浮上していた、▽騎馬会を対象に行ったアンケートでも、馬の命と健康を心配する意見が挙がっていた、▽昔は馬が死んでも深刻に受け止める気配が薄かったが、令和の時代になり「動物福祉」が重んじられるようになった、▽今までは馬が死んでも報じなかったマスコミが、今回は大きく報じたことで世間の関心を集めた――等々が影響したとみられる。  市では昨年12月、五郷騎馬会(旧相馬藩領の当時の行政区である五つの郷=宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷=の各騎馬会)を対象にアンケートを行ったが、回答の自由記述欄を見ると、馬の命と健康についてこんな意見が寄せられていた。  「暑さにより愛馬が辛い思いをしている。10歳を超え体力も心配になり、今回の野馬追も点滴をしながら頑張ってもらった。かわいそうになり、来年夏も暑いようなら出場しない方向で考えていた」(20代男性)  「乗馬クラブは野馬追で馬を貸すと暑さで10~20日休養させることになるので貸すのを渋っている」(70代男性)  騎馬武者たちは自分で飼育している馬に乗るか、乗馬クラブや知人などから馬を借りている。しかし、熱中症で救護を受けたり、死ぬかもしれないリスクがある状況では、来年以降、愛馬を出場させるのをためらったり、貸すのを拒む乗馬クラブが増える可能性もある。それでなくても、もともと乗馬クラブからは「乗り方が粗っぽく、野馬追から帰ってくると馬がかなり疲弊している」という不満が漏れていた。  他地域では、こんな出来事も起きている。  《三重県桑名市の多度大社で毎年5月に行われる伝統行事「上げ馬神事」が動物虐待に当たると批判されている問題で、県教育委員会は(8月)17日、県文化財保護条例に基づき多度大社に勧告を出した》(共同通信8月17日配信)  報道によると、上げ馬神事は南北朝時代から続く三重県の無形民俗文化財で、馬が坂の上に設置された高さ約2㍍の土壁を越えた回数で農作物の豊凶などを占う。これまでに複数の馬が骨折し、最近十数年で計4頭が安楽死となっていた。勧告は2011年以来二度目だという。  「伝統行事と馬」という関係性は野馬追と同じだ。上げ馬神事のように高い土壁を越えさせるような危険な行為はなくても「動物虐待」を持ち出されれば、伝統を大切にしながら馬をいたわる方向に祭りが変わっていくのは避けられそうもない。 旧暦「五月中の申」  感情論ばかりを振りかざすのではなく、冷静にデータも押さえておきたい。別掲の図は2012年から今年までの人と馬の救護件数と本祭り(2日目)の最高気温を示したものだ。20、21年は新型コロナの影響で神事のみが行われたため、救護件数はゼロだった。  それを見ると気温が30度以下の2013、16、17、18年は救護件数が少ないが、30度以上の12、14、15、19年は救護件数が多い。猛暑日だった今年はとりわけ件数が多かったことも分かる。また、17年までは人の救護件数が多い傾向にあったが、18年以降は人より馬の救護件数が上回っている。  気温が高ければ、人も馬も救護件数が増えていることがはっきり見て取れる。今後、地球温暖化で異常気象がさらに進めば、救護件数はますます増えていくだろう。  本誌6月号「相馬野馬追『日程変更』の障壁」という記事で報じたように、野馬追は日程変更の議論が本格化しようとしていた。きっかけは近年の猛暑に対し、今年2月に開かれた執行委員会の会合で立谷秀清副執行委員長(相馬市長)から「涼しい時期に開催可能か検討すべき」という提言が出されたことだった。これを受け、門馬委員長が「検討委員会をつくって方向性を決めたい」と応じ、出席委員から承認された。  こうして設立が決まった「相馬野馬追日程変更検討会」では当初、日程変更は「早くても2025年度から」という方針を示していた。執行委員会による事前協議で、文化庁など関係各所との協議・調整に最低2年は必要という判断から、2年後の2025年度からの変更が現実的とされた。しかし今回の事態を受け、8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合では「来年から5月下旬~6月初旬にする」という方針に改められた。 8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合  なぜ5月下旬~6月初旬かというと、前述・五郷騎馬会を対象に行ったアンケートで「何月が最適な開催日程と思うか」という問いに5月と答えた人が最も多く、6月も3番目に多かったためとみられる。  季節的には涼しさもあり、梅雨入り前なので、騎馬武者にも観客にも馬にも喜ばれる時期には違いない。しかし、ちょうどいい季節という理由だけで簡単に日程を変えられるわけではない。  野馬追は文化財保護法に基づき、昭和53年(1978)に国指定重要無形民俗文化財に指定されたが、これが日程変更の大きな障壁になるのだという。2011年に現在の日程に変わった際、その協議に参加した南相馬市の関係者によると、  「日程変更は文化庁が許可しなければ実現しないし、簡単には許可してくれない。2011年の日程変更では執行委員会などで協議して(現在の7月最終土・日・月曜日に)決めた後、県教委も交えてさらに協議した。その内容を同庁に上げ、同庁内の調査・手続きを経てようやく決まったのです」  正式決定には、かなりの時間と労力を要したことが分かる。  自らも騎馬武者として参加し、市議会定例会で野馬追に関する質問を続けてきた岡﨑義典議員(3期)もこのように話す。  「文化庁との協議に最低2年かかると言っていたのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程を変えると言い出すのは違和感がある。5月下旬から6月初旬に変えることがさも決定したかのような報じ方も奇妙に感じます。心情的には日程変更は理解できます。しかし、日程変更検討会で5月下旬から6月初旬に変えると決めたとしても『文化財の価値』を判断基準とする文化庁がそれを認めるのか。騎馬会や各神社がどう判断するかも気がかり。その確証がないのに、来年には日程が変わると言い切ってしまうのはいかがなものか」  そもそも中村藩主相馬家の武家行事として執行されていた野馬追は、江戸時代から旧暦「五月中の申」の日に行われてきた。現代の暦に直すと6月下旬から7月上旬になる。  《旧暦五月中の申とは、旧暦五月の2回目の申の日を指し、藩主相馬家では、この日を中心に3日間の野馬追行事を執行する習わしであった。旧暦五月は「午の月」ともいい、猿(申)が馬(午)の守り神とされることに加え、中の申の日が妙見の縁日だったことから、この日が選ばれたという》(『原町市史 第2巻』の「通史編Ⅱ『近代・現代』」より)  こうした歴史を踏まえると、文化庁が暑さを理由に日程変更を認めるかどうかは確かに不透明だ。  加えて岡﨑議員が厳しく指摘するのは、この間、執行委員会が本気になって日程変更を考えてこなかったことだ。  「暑さで人が亡くなるかもしれないリスクはこれまでもあった。それなのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程が変わるというんだから、今まではそういうリスクがあっても執行委員会は真剣に受け止めてこなかったのではないか」(同) 来年からの日程変更は一見すると日程変更検討会の英断にも映るが、見方を変えると、問題が起こらないと本腰を入れない役所の姿勢を表しているわけ。 文化財としての価値 騎馬の列が市街地に繰り出す「お行列」(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2015年撮影)  5月下旬から6月初旬への変更が既成事実化する中、文化庁との協議をどのように進めていくのか、執行委員会事務局に聞いてみた。  「日程変更には文化庁のほか、相馬野馬追保存会の中の専門委員会、県文化財課との協議が必要になる。来年5月下旬から6月初旬という日程は日程変更検討会で決定され、背景には人と馬の命には変えられないという判断があるが、同時に野馬追の文化財としての価値を引き継ぐことが大前提になる。そこを軽視して日程が変わることはありません」  8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合には本誌をはじめ多くのマスコミが取材に駆け付けたが、冒頭、門馬市長がメンバーに「マスコミの方にはこの場にいてもらっていいか、出てもらうか」と問いかけると、立谷市長が低い声で「出てもらってください」と言い、協議は非公開で行われた経緯がある。公開しても何ら不都合なことはないと思うのだが、過程をオープンにせず、密室で決める役所の姿勢はこんなところにも表れている。  暑さを理由に日程を変える必要性は誰もが認めているが、同時に、文化財としての価値をどう担保するのか。日程変更検討会には、文化庁をはじめ騎馬会、各神社など関係者が納得する結論を、スピード感を持って出すことが求められる。 ※日程変更検討会の第2回会合は8月27日に開かれ、来年から「5月最終土、日、月曜日」に変更することを決めた。今後、文化庁に上申し、了解が得られれば正式決定する。 あわせて読みたい 相馬野馬追「日程変更」の障壁

  • 相馬野馬追「日程変更」の障壁

     相馬地方の伝統行事で国重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の日程が見直されようとしている。現在は7月最終土・日・月曜日に行われているが、厳しい暑さで人馬への負担が大きく、観客や準備に携わる人も熱中症のリスクが高いとして、日程が大幅に変わる可能性が出ている。さらに、出場するための高額費用負担や女性の出場条件緩和といった課題もあり、参加騎馬武者が減少する野馬追は過渡期を迎えている。 〝酷暑開催〟に騎馬会員から賛否両論 勇壮な神旗争奪戦(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2013年撮影)  300~400騎の騎馬武者が甲冑をまとい、太刀を帯し、先祖伝来の旗指物を風になびかせながら野原を疾走する。そんな時代絵巻のような光景が繰り広げられる相馬野馬追は、伝説によると今から1000年以上も昔、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国小金ヶ原(現在の千葉県北西部)に放した野馬を敵兵に見立て、軍事演習に応用したことが始まりとされる。捕らえた馬は神馬として氏神である妙見に奉納した(相馬野馬追公式ホームページより)。 今年も間もなく、野馬追の時期がやって来る。2020、21年は新型コロナウイルスの影響で神事中心の小規模な実施にとどまったが、昨年は3年ぶりに通常開催され、コロナ前の6割に当たる10万3400人が来場した。今年はコロナ感染が落ち着き、5月8日からは感染症法上の位置付けが5類に引き下げられたこともあり、昨年以上の観客数になることが予想される。 そんな野馬追の日程が今、大きな議論になりつつある。 現在は7月最終土・日・月曜日に行われているが、近年の猛暑で「人も馬もリスクが高い」「観客や準備に携わる人も大変」という声が以前から高まっていた。酷暑の中で甲冑をまとうのは辛いし、馬はもともと暑さが苦手。観客からも「日差しを遮る場所が全くない」と不満が漏れていた。昨年の野馬追では熱中症などの事例が21件あり、コロナ前の2019年も36件に上っていた。 こうした事態に「相馬野馬追執行委員会」(2月20日に任意団体から一般社団法人に移行、以下執行委員会と略)では、2月に開いた会合で副執行委員長の立谷秀清・相馬市長から「涼しい時期に開催可能か検討すべき」という提言が出された。これに執行委員長の門馬和夫・南相馬市長が「検討委員会を立ち上げて方向性を決めたい」と応じ、出席委員から承認された。 実はこれより前、南相馬市では昨年12月に五郷騎馬会(旧相馬藩領の当時の行政区である五つの郷=宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷=の各騎馬会)を対象にアンケートを行っていた。2019年度と22年度に出場した騎馬会員461人に質問書を発送し、今年1月、55%に当たる256人から回答を得た。 集計結果は3月に公表されたが、それによると、 質問=日程変更についてどのように思うか。 「賛成」135人(53%) 「反対」50人(19%) 「どちらでもない」71人(28%) 質問=(変更に「賛成」と答えた135人に)なぜ賛成と思うか。(以下複数回答) 「暑さによる人馬への体力的な負担が大きいため」127件 「全ての行事が休日または祝日の方がよいため」46件 「その他」14件 質問=何月が最適な日程と思うか。 「5月」116件 「7月」53件 「6月」「10月」40件 「9月」31件 質問=(変更に「反対」と答えた50人に)なぜ反対と思うか。 「頻繁に変更するものではない」33件 「現在の日程が『東北の夏祭りの先陣を切る、夏の伝統行事』と認知されているため」22件 「神社の祭礼のため、例大祭に合わせるべき」13件 「その他」7件 回答者の過半数が日程変更に賛成し、その理由に暑さを挙げる。新たな開催月は5月を望む回答が多い。逆に反対の人は2011年に現在の日程に変更したことを踏まえ、簡単に変えるべきではないとしている。 そもそも、野馬追の日程はどのようにして決められたのか。 中村藩主相馬家の武家行事として執行されていた野馬追は、江戸時代を通じて旧暦「五月中の申」の日に行われていた。現代の暦に直すと6月下旬から7月上旬になる。 その後、日程はどう変わっていったか『原町市史 第2巻』の「通史編Ⅱ『近代・現代』」から抜粋する。 《明治6年(1873)の改暦を受け、翌7年(1874)には旧暦「五月中の申」の日にあたった7月2日をもって野馬追が行われるようになった。そして、翌8年(1875)からは日程が7月2日に正式に固定化され、その日を中心とした7月1日~3日の3日間行われるようになった。旧暦五月中の申とは、旧暦五月の2回目の申の日を指し、藩主相馬家では、この日を中心に3日間の野馬追行事を執行する習わしであった。旧暦五月は「午の月」ともいい、猿(申)が馬(午)の守り神とされることに加え、中の申の日が妙見の縁日だったことから、この日が選ばれたという。なお、明治37年(1904)以降には、7月11日~13日に変わっている》 日程を10日繰り延べたのは梅雨を避けるため。それから約半世紀が経過した昭和36年(1961)に7月16日~19日という4日間に変更されたが、変則日程は定着せず、5年後の昭和41年(1966)にはさらに1週間繰り延べて7月23日~25日となった。 《変更理由は、梅雨明けを待つこと、学校の夏季休暇を利用して、より多くの観覧者を見込んでのものであった。近代から幾度かあったこれらの日程変更は、いずれも野馬追を観光資源として意識したものといえよう》(同抜粋) その後、7月23日~25日という日程は40年以上続いたが、3日間とも平日に重なってしまうと出場が難しい騎馬武者も多く、観客数にも影響が出るため、2011年から7月最終土・日・月曜日に変更され、現在に至っている。 このように、7月開催は旧暦に基づく深い意味を帯びている半面、細かい日程は「梅雨を避ける」「騎馬武者を出場し易くする」「観客数を増やす」などの理由で変更されてきた歴史があるのだ。 難しい文化庁との調整 南相馬市が行ったアンケートの結果と情報開示請求で入手した「自由記述欄」  とはいえ、今回の日程変更は過去のものとは意味合いが異なる。これまで一貫して守ってきた「旧暦五月中の申の日」から大きく変えることを視野に入れているのだから、そう簡単に決断できるものではない。 ただ現実に目を向けると、騎馬武者、馬、観光客は酷暑に四苦八苦している。地球温暖化で、今後も気温上昇は避けられない。万が一、熱中症で命を落とす人が現れたら取り返しのつかないことになる。 本誌は前述・南相馬市が行ったアンケートの「自由記述欄」に、回答者(騎馬会員)がどのようなことを書いたのか確認するため、同市に情報開示請求を行った。 開示された自由記述欄には計142件の意見が書かれており、そのうち「暑さ」に関するものは2割に当たる28件に上った。主だった意見を掲載したのでご覧いただきたいが、人の命と健康を心配する意見だけでなく、馬への負担を指摘する意見も目立った。個人的には「馬に点滴をしながら頑張ってもらった」「乗馬クラブでは出場者に馬を貸すと暑さで10~20日休養させる必要があるので貸すのを渋っている」という意見に衝撃を受けた。ストレートに「動物虐待」と書いた回答者もいたが、点滴までして駆り出されている馬がいることを踏まえれば決して大袈裟ではない。 暑さに対する意見 ・日程変更は早急にすべき。今の時期では人馬に対して虐待行為だ。(70代男性)・中学生から鎧で出場するのは体力的に負担が大きい。(10代男性)・暑さで愛馬が辛い思いをしている。10歳を超え体力も心配になり、昨年の野馬追も点滴をしながら頑張ってもらった。かわいそうで、今年の夏も暑いようなら出場しない方向で考えている。(20代男性)・各郷の陣屋の後ろに家族用のテントを張り、日陰をつくるなどの暑さ対策をしないと命に関わることも起こり得ると思う。(40代男性)・出場者や観光客の負担をなくすため、猛暑を避けての開催を希望する。(10代女性)・猛暑の中での開催は動物虐待だ。(60代男性)・乗馬クラブでは出場者に馬を貸すと暑さで10~20日休養させる必要があるので、馬を貸すのを渋っている。(70代男性) 費用負担に対する意見 ・馬を借りるのに20~40万円払っており、家族の負担も大変。現実的に新しく野馬追を始めようとしたら100万円近くかかる。(20代男性)・奨励金は20年以上変わっていないのに、馬代は数年前の倍以上になっている。道具なども傷むので、その都度修理すれば負担は大変だ。(40代男性)・馬を飼育する人への援助がない。馬を飼うと1頭40~50万円かかる。自馬でないと競馬や旗取りに出られない。馬が身近にいる環境をつくることが大事だ。(70代男性)・道具類を揃えるだけでも費用がかかるので、参加枠を設け、野馬追を体験してもらうのもありではないか。(30代男性)・乗馬の練習が有料なのは仕方がないが1回3000円前後の回数券を発行してほしい。(60代男性) 女性の出場条件緩和に対する意見 ・年齢制限をなくし、既婚者も出場できるようにすれば騎馬武者の数も多くなる。(70代男性)・流鏑馬の女性騎馬も認められている。昔のきまりを大事にしすぎて伝統がなくなるより、多少きまりが変わっても伝統を残す方が大事だと思う。(10代女性)・20歳を過ぎてからも野馬追に出場したいと思っている女性は多いはずだ。(10代女性)・男性より女性の方が出場意欲のある人は多い。私は4年出られるはずが3年しか出られなかった。毎日馬の世話と手入れもして、伝統を残すためにやっていたのに、運営の対応にがっかりさせられたことがある。もっと女性の意見に耳を傾けてほしい。(20代女性)  半面、意外だったのは前述のアンケート結果にあるように、日程変更に「反対」「どちらでもない」を合わせると計47%に上ったことだ。酷暑を考えれば「賛成」がもっと多くなると思われただけに、大差がつかなかった理由が気になる。 筆者は数人の騎馬会員に話を聞いたが、多くが日程変更に反対していた。その人たちが口を揃えて言ったのは「暑かろうが何だろうが、出たい人は出る」というものだった。 一方、自由記述欄を見ていくと、2011年に現在の日程に変更されたため「伝統を重んじる野馬追の日程をころころ変えるべきではない」という意見とともに、国重要無形民俗文化財に指定されていることから「(日程を変えると)指定が取り消しになるのではないか」と心配する意見も目に付いた。 野馬追は昭和27年(1952)、文化財保護法に基づき国の無形文化財に選定されたが、同29年(1954)の同法改正で選定解除となった。その後、同50年(1975)の同法改正で重要無形民俗文化財の指定制度が設けられ、翌年、相馬地方に派遣された文化庁調査官が野馬追の指定に向けた調査を行い、同53年(1978)に同文化財に指定された。 この指定が、日程変更に当たって障壁になるのだという。 2011年に現在の日程に変更された際、その協議に参加した南相馬市の関係者は当時を振り返る。 「日程変更は文化庁が許可しなければ実現しないし、簡単には許可してくれない。2011年の日程変更では執行委員会などで協議して(現在の7月最終土・日・月曜日に)決めた後、県教委も交えてさらに協議した。その内容を同庁に上げ、同庁内の調査・手続きを経てようやく決まったのです」 正式決定には、かなりの時間と労力が要ることが分かる。 さらに突っ込んだ話をしてくれたのは地元の研究者。 「地域が野馬追の『文化財としての価値』をどう保存していくのか、そのうえで、現在の日程では文化財としての価値を担保できないことが説明されないと、文化庁は日程変更を許可しないと思います」 研究者によると、暑さを理由に日程を大幅に変えるかどうかは2011年当時も出ていた話で、有識者からは「むやみに日程を変えるべきではないが、五月中の申の日になぞらえるなら5月開催も一つの案」との提案もあったという。しかし、執行委員会などは「騎馬武者の参加し易さ」と「観光客の集め易さ」を重視し、7月最終土・日・月曜日に決めた経緯がある。 「この時、文化庁は文化財としての価値の保存とは関係ない『騎馬武者の参加し易さ』と『観光客の集め易さ』が前面に出たことに難色を示した。最終的には『騎馬武者に参加してもらわないと文化財としての価値の保存が難しくなる』との理由付けで同庁から日程変更を許可されたが、国重要無形民俗文化財に指定されると、それくらい調整が難航するということです」(同) こうした状況を踏まえると、もし7月以外に開催することが決まったとしても実施されるのは数年先で、文化庁が許可しなければ実現しない可能性もある。 さらに研究者は、別の心配事として「野馬追2日目(相馬太田神社)と3日目(相馬小高神社)に執り行われる例大祭の日程を変えることができるのか」という点も挙げた。 ただ、相馬太田神社の佐藤左内宮司に確認すると「日程が変わればそれに合わせて例大祭も変えるだけ。これまでの日程変更でもそうしてきたと思います」と話し、難しいとは考えていない様子。むしろ佐藤宮司が心配していたのは、例大祭当日に行われる祭りの担い手が確保できるかどうかだった。 「カネの問題ではない」  「祭りでは神輿の担ぎ手が50人、旗持ちや準備をする人などが50人必要です。例年、地元企業の若手社員や中学・高校生、専門学校生に手伝ってもらっているが、子どもたちは夏休みだから参加できるので、これがもし7月以外の開催になったら100人確保できるのか。正直『自前で確保してほしい』と言われても無理。日程変更するなら祭りの支援も約束してくれないと困る」(同) 佐藤宮司は、詳しいアンケート結果は把握していなかったが「酷暑の中で行うのは人馬にとって負担」と日程変更に一定の理解を示しているようだった。 自らも騎馬武者として出場する岡﨑義典・南相馬市議(3期)は同市議会昨年9月定例会で、現在の日程では人馬だけでなく観光客も熱中症などのリスクが高いとして「開催時期について騎馬会などと協議すべきではないか」と質問している。 岡﨑義典・南相馬市議(南相馬市議会HPより)  「私は、絶対に日程を変えるべきと言っているのではない。出場者はこの日程でやると言われればどこだって出る。しかし観光客は別です。毎年、熱中症で手当てを受ける人は一定数おり『こんな暑い中で見るならもう来なくていい』という不満も聞いたことがある。時代の変遷に合わせ、より良い方向に変えるための話し合いはすべきです。あとは結果に従い、変更する・しないを決めればいい」(岡﨑議員) 賛否両論ある日程変更は、6月にも執行委員会内に検討委員会が設けられ、本格的な協議がスタートする見通しだが、前述・情報公開請求で入手した自由記述欄を見ていくと、暑さに関する意見のほか、出場するための高額費用負担と女性の出場条件緩和に触れている意見も目に付いた。具体的にどのような意見が寄せられていたかは別掲をご覧いただきたいが、野馬追は今、この三つが大きな課題になっていることがうかがえる。 高額費用負担については、金銭的な支援を求める声が少なくない。別掲にもあるように、野馬追に出場するにはかなりの出費を要するが、これに対し行政からは「出場奨励金」が支給されている。奨励金は執行委員会→各騎馬会→騎馬会員に支給され、金額は騎馬会によって若干差があるが、1人当たり10~12万円。 金銭的な支援があれば持ち出しが減るので、出場者は助かる。ただ本誌が取材した騎馬会員の多くは「カネの問題ではない」「初期投資はかかるかもしれないが、奨励金を数年もらえばペイする」「一部に派手な甲冑や馬具を揃える人がおり、見栄っ張り合戦になっていることが問題」と支援増に否定的だ。 前出・岡﨑議員も同様の意見だったが「ただし」と付け加える。 「馬の飼料代が高騰し、それが馬代(借り賃)に跳ね返っている。私が最初に出場した2014年は10~12万円だったが、昨年は30万円という人もいた。例年、乗馬クラブからは馬代の目安になる奨励金がいくらになるか市に問い合わせがあるが、馬代高騰の流れはますます進んでいくように感じる。しかし、だからと言って市が馬代を税金から負担するのは市民の理解を得にくい。であれば市内には通年で馬を飼育している人が多いので、飼料代の支援は緊急的に行ってもいいと思います。実際、もう飼料代を負担できないと馬を手放した人もいますからね」 年々減る参加騎馬武者 騎馬の列が市街地に繰り出す「お行列」(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2015年撮影)  もう一つの女性の出場条件緩和については、本誌が取材した騎馬会員からも「現行の出場条件である『20歳までの未婚女性』は変えていいと思う」「男女平等やLGBTが当たり前の昨今、性別や年齢で出場を制限するのは時代に馴染まない」との意見が多く聞かれた。 野馬追に女性の参加が認められたのは昭和22年(1947)で、同59年には騎馬会に「未成年の未婚者で化粧をしてはならない」との条文ができたという。未成年や未婚が条件となったのは、月経や出産などが血を連想させ、不浄とされたためとみられる。 騎馬会員の中には女性の参加に難色を示す人もいるようだ。武家行事の野馬追は女性が参加できなかった歴史があり、その点を重んじる気持ちも分かるが、時代の変遷に合わせた変化は必要だろう。そもそも女性の出場条件を緩和したところで、女性の出場者が劇的に増えるとは思えない。むしろ別掲にあるように、男性より野馬追のことを思う女性がいるなら、柔軟な対応で出場の間口を広げるべきではないか。 野馬追はここに挙げた三つの課題のほか、参加騎馬武者の減少にも直面している。ピークは1995年の614人、震災・原発事故以降は400人前後で推移し、昨年は337人だった。 日程変更、金銭的な支援、女性の出場条件緩和が実行されれば参加騎馬武者が増えるかどうかは分からない。騎馬武者の数にとらわれるのではなく、歴史と伝統を継承していくことを大事にすべきという意見もある。数を維持したいがために闇雲に税金を投入したり、野馬追の意味を理解せず、単に「カネがあるので出たい」という意識の低い騎馬武者が増えるようでは本末転倒だ。  「野馬追はこれまで首長、執行委員会、騎馬会など上層部だけで物事を決めてきた。そういう意味では、今回のアンケートで騎馬会員の本音を聞こうとしたことは今まで見られなかった姿勢であり、評価できると思います」(ある騎馬会員) 過渡期を迎える野馬追を未来にどうつないでいくのか。三つの課題と合わせて考える必要がある。