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会津北部大雨

  • 復旧途上の「令和4年8月豪雨」被災地

    復旧途上の「令和4年8月豪雨」被災地

     昨年8月3〜4日の大雨で、県内は広範囲で影響を受けた。特に被害が大きかったのは会津北部で、家屋や農地などに被害が及んだ。来月で「令和4年8月豪雨災害」から1年を迎えるが、それに先立ち、現在までの復旧状況を取材した。 災害で浮き彫りになった会津農山村の現実  昨年8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内広範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。それから5日後の8月9日、福島地方気象台は次のように発表した。   ×  ×  ×  × 8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。 期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(※福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった。 この大雨により、土砂崩れ、河川の氾濫、橋梁損壊、住家浸水、道路損壊・冠水などの被害が生じた。   ×  ×  ×  × 期間降水量の詳細を見ると、3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉で315㍉、喜多方市276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨だったという。いかに猛烈な雨だったかがうかがい知れよう。 昨年8月末時点の県のまとめでは、住宅の全半壊と一部損壊が計10棟、浸水被害が159棟、道路被害78カ所に及んだ。公共土木施設の被害額は8市町村で計62億円。農地、農道、農業用施設などでも多数の被害が確認され、農林水産業の被害額は20億円以上に上るという。ただ、幸いにも人的被害はなかった。 国は、この「令和4年8月豪雨」を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減している。 福島地方気象台の発表にあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部。本誌は大雨から約2週間後の昨年8月中旬、北塩原村や喜多方市を中心に被害状況を取材したが、それから11カ月が経ち、間もなく1年を迎えるのを前に、あらためて被害個所の復旧状況などを見て回った。 猪苗代町から北塩原村へと続く「磐梯吾妻レークライン」は、雨量超過による道路流失のため、通行できなくなり、現在も金堀ゲート(猪苗代町若宮字吾妻山)から剣ヶ峰中津川渓谷レストハウス(同町大字若宮字吾妻山甲)までが通行止めとなっている。中津川渓谷レストハウスから剣ヶ峰ゲート(北塩原村大字檜原字剣ヶ峯)間は通行できるが、猪苗代町側から裏磐梯側への通り抜けができない状況が続いている。この道路は「生活道路」というより「観光道路」の位置付けのため、日常生活には大きな支障はないが、観光シーズンには痛手となった。 喜多方市内では、JR磐越西線の濁川にかかる橋梁が崩落し、喜多方―野沢(西会津町)間が不通となった。JR東日本は昨年8月10日から喜多方―野沢間で代行バスを運行し、同月25日から山都―野沢間は臨時ダイヤで再開通した。 当時、ある市民はこう話していた。 「ひとまず、代行バスが運行されたのは良かったが、一番大変なのは通学で利用している高校生。以前に比べてだいぶ余計に時間がかかると言っていました」 橋梁が崩落したのはJR喜多方駅から西に1㌔ほどのところ。橋が崩落し、線路が宙づりになっていた。崩落した橋梁付近の濁川の河川敷は親水公園になっており、当時、近隣住民は「これまでの雨と降りっぷりが全然違くて、これはまずいと思った。(親水公園の)遊具などが設置されているところの付近まで水が上がって来たのは初めて見ました」と話した。 喜多方―山都間は代行バス運行が続いていたが、この間、崩落した橋梁の復旧作業が行われ、今年4月1日から全線運行が再開された。 あらためて現地を見に行くと、河川に架かる橋脚のうちの1つが新しくなっているのが分かった。鉄筋コンクリート製の橋脚1基を新造し、橋を架け直して運転再開に至った。 片側交互の国道121号 国道121号不通の影響を受けた道の駅喜多の郷  住民生活に直結する部分では、同市と山形県米沢市をつなぐ国道121号が、山形県側で斜面が崩落し通行止めとなったことも大きな被害だった。 実は、国道121号は昨年6月末の大雨でも法面が崩落し、同年7月4〜7日までの3日間、通行止めとなった。その後、片側交互通行ではあるものの、通行できるようになったが、昨年8月の大雨でさらに被害を受けた。 当時、ある市民はこう話していた。 「市内の熱塩加納地区などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」 会津方面から米沢市に行くルートとしては、裏磐梯経由(西吾妻スカイバレー)があるが、急峻な山道でスクールバスが通行するのは難儀。普通の乗用車であっても尻込みするような山道だ。結果、中通り経由で行くことになり、通常の2倍くらいの所要時間がかかっていたわけ。 このほか、国道121号の不通で大きな影響を受けたのが道の駅喜多の郷。同道の駅は国道121号沿いで、市街地からだいぶ外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆ということになり、喜多方―米沢間が通り抜けできなくなったことで、交通量、利用者が大きく減った。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社は、「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と嘆いていた。 実際、通行止めになって以降の週末に同道の駅を訪ねたところ、入り込みはまばらだった。同日、近隣の猪苗代、ばんだい、裏磐梯の道の駅は駐車場にクルマを止められないくらい混み合っていたことを考えると、やはり影響は大きかったようだ。 その後、国の権限代行で復旧が進められ、大雨被害から2カ月半以上が経った昨年10月24日に片側交互通行ながら、ようやく通行できるようになった。 開通直後、道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社に問い合わせると、「何とか紅葉シーズンに間に合い、お客さんが見込めると思います。開通初日から早速、山形ナンバーのクルマが何台かお見えになっていましたから」と話していた。 6月下旬、喜多方市から米沢市方面に向かって国道121号を走行してみた。当初は片側交互通行が3カ所あったが、昨年12月にそのうちの2カ所が解消され、現在は1カ所だった。インターネットやSNSなどでは「(片側交互通行区間で)30分以上待たされた」といった書き込みも見られたが、たまたまタイミングが良かったのか、5分くらいの待ち時間で済んだ。 残る片側交互通行区間は、仮橋が設けられ、従来の道路より少し高いところを走行する形。仮橋から脇を見やると、大規模に道路が崩落していることがうかがえた。完全復旧時期は示されておらず、まだいまの状況が続きそうだ。 喜多方建設事務所によると、同事務所管内の被災個所は河川73カ所、道路24カ所、橋梁1カ所の計98カ所。このうち、道路10カ所が工事未発注。理由は、土地改良区所有のため池が復旧工事の最中で、それが終わらないと周辺道路の復旧工事に入れないところがあることと、手前から順次、復旧工事を進めている道路があり、奥側は後になるところがあるため。それ以外はすでに発注済みで、「進捗は現場によって異なるため、一概には言えないが、発注済みのものの工期は遅くとも年度内になっています」(喜多方建設事務所担当者)とのこと。 農業被害が大きい山都町 「大型通行止め」の国道459号(山都町宮古地区)  一方、農地・農業用施設などの被害も大きく、特に目立ったのが喜多方市山都町。山都町中心部から、「宮古そば」で知られる同町宮古地区に向かう国道459号は、それに沿うように宮古川が流れている。 大雨時は河川が氾濫し、道路が数カ所崩落した。現在は道路の復旧工事、護岸工事などが行われている。 山都町中心部から宮古地区に向かう途中で、農作業をしていた住民に話を聞くと、次のように語った。 「いま見ても分からないだろうけど、道路(国道)と河川(宮古川)の間(のただの荒地に見えるところ)はもともと農地だったんだよ。それが土砂、流木などが入って。ただ、この辺も高齢者の一人暮らし・二人暮らしが多くなり、耕作しない農地が増えてきた。一人暮らし・二人暮らしの高齢者が亡くなったことによる空き家も目立ってきた。災害復旧以前の問題だよね」 災害があったことで、あらためて農山村の現実を思い知る。 そこからさらに北上し、宮古地区に向かった。ちなみに、大雨直後、同地区の住民はこう語っていた。 「大雨の日は、増水して川の流れが速く、大きな石がぶつかる音がカミナリのようで怖くて眠れなかった。ソバ畑は、ちょうど種まきの時期で、すでに種まきをしていた人、これから(大雨があった日の後で)種まきをしようと思っていた人、それぞれですが、ソバは雨に弱く、大雨前に種まきしたところはかなり厳しい状況です。中には、(大雨後に)種まきをし直した人もいますが、その後にさらに雨が降り続き、さすがに2回目(都合3回目)のまき直しはしないと言っていました。ですから、収量は減るでしょうね。コロナ禍でなかなかお客さんが来ない中、ようやく戻りつつあると思ったら、この水害ですよ。この地区のソバ店は自宅兼店舗だから何とかやっていけますが、家賃を払ってお店をやるような状況だったら続けられなかったでしょうね」 大雨の凄まじさと、コロナ禍で厳しい状況の中、災害に見舞われるという二重苦を明かしてくれた。 今回の取材で、あるソバ店で話を聞いたところ、こう話した。 「ソバ畑で水害を受けたところは、市の補助で直すことができました。それがなかったら厳しかったでしょうね。ただ、種まきの前後だったこともあり、全体的に収量は落ちていると思います。もう1つは、いまここ(宮古地区)に来る道路(国道459号)は大型車両が通れません。コロナ禍以降は少なくなりましたが、以前はバスツアーで来る人もおり、大型車両が通れないと影響が出ます。ただ、先日、ツアー会社の方で道路管理者に問い合わせ、通れる規模のバスでツアー客においでいただいたのは幸いでした」 確かに、同地区に向かう途中には「大型通行止め」の立て看板があった。県のHPで確認したところ、喜多方市山都町蓬莱地内の7・8㌔区間について「豪雨災害による路肩崩壊のため 大型通行止」とあった。バスツアー客が来られない(来にくい)といった意味で、その影響が出ているということだ。 市の農業復旧・支援  一方で、市農山村振興課に、農地補修の補助について確認すると「激甚災害指定を受けた部分は、国の補助がありましたが、そうでない部分は市が補助しました」と説明した。 各農家が業者に依頼して農地・農業施設の補修を行い、その分を市が補助する仕組み。対象は465件で事業費は1億2800万円(本誌取材時点で事業未了のため、金額は当初予算)。 ほかにも、同市内では、水田に土砂が流れ込んだケースや、水路が被害を受け、水田に水を引けなくなったケース、園芸品を栽培するビニールハウスなどが被害を受けた。そのほかの農地・農業施設の復旧については、こう説明した。 「水田への水路は本復旧したところ、仮復旧で対応したところなど、今年の作付けに支障がないように対応しましたが、一部間に合わなかったところもあり、その部分については、今年に限り水稲からソバへの転作をお願いしています」 水稲は4月下旬ごろから田んぼに水を入れ、代掻きなどを行うが、ソバは8月に種まきをするため、水稲より数カ月の時間的余裕があること、そもそもソバはそれほど水が必要ないこと等々から、水路復旧(仮復旧)が間に合わなかったところはソバへの転作を推奨しているようだ。そのうえで、秋(収穫期)以降に、来年に間に合うように水路復旧などを進めていきたい考え。 なお、転作によって収入が減った場合は、国から補助が受けられるが、それでは補いきれない可能性が高い。そのため、場合によっては市でさらなる補助(転作に伴う所得補償)も考えていく必要がありそう。 「市としては、何とか営農を継続してもらえるよう、復旧や支援を進めています。やはり、1年耕作しないとなると、なかなか再開するのは難しいでしょうから」(市農山村振興課担当者) 災害を機に、耕作をやめてしまう農家もあるに違いない。そうならないよう、市としては復旧を急ぎ、各種支援をしてきたようだ。 ただ、前出・山都町の住民が「高齢者の一人暮らし・二人暮らしが多くなり、耕作しない農地が増えた。一人暮らし・二人暮らしの高齢者が亡くなったことによる空き家も目立ってきた。災害復旧以前の問題がある」と語っていたが、それが現実だろう。 あらためて「令和4年8月豪雨災害」被災地を取材したが、まだまだ復旧途上の部分も多いことが浮き彫りになった。 あわせて読みたい 【会津北部大雨】被災地を行く 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

  • 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

    【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

     2022年3月16日に発生した福島県沖地震、同年8月3日から4日にかけての大雨によって、前者は伊達・相馬両地方、後者は会津北部を中心に大きな被害が出た。どちらも、発生から時間が経ったが、その後の動きを追った。 福島県沖地震 いまもブルーシートがかかっている家屋が目に付く  国のまとめによると、3月の福島県沖地震により、県内では相馬市、南相馬市、国見町で最大震度6強を観測したほか、広い範囲で6弱から5弱の揺れが確認された。県内の被害状況は、人的被害が死者1人、重傷者9人、軽傷者92人。住家被害は全壊が165棟、半壊が4024棟、一部破損が3万0621棟となっている。こうした事態を受け、県内全域に災害救助法、被災者生活支援再建法が適用された。 このほか、生活・生業再建のための支援策が打ち出され、生活再建(住まいの確保)については、応急修理が半壊以上上限59万5000円、準半壊上限30万円、瓦屋根の改修が上限55万2000円などとされた。受付は各市町村で行っている。 こうして、支援策が示されているものの、実際の現場では、まだ住まいの修繕は追いついていないのが実情だ。特に顕著なのが屋根瓦。被害が大きかった相馬市、南相馬市鹿島区などを走行すると、屋根にブルーシートがかけられたまま、未修理の住宅があるのが目に付く。 梅雨前、ある住民は次のように語っていた。 「地震の数日後に修理業者に被害個所を見てもらいました。そのときはひとまず、屋根瓦が落下したところにブルーシートをかぶせて、土嚢で固定するといった応急処置をしてもらい、『(修理の準備が整ったら)また連絡します』とのことでした。ただ、それから2カ月ほどが経ちますが、まだ本格的な修理の連絡はもらっていません。この地域一帯で住宅被害が出ており、手が回らないのでしょう。幸い、雨漏りはしていないのでいいが、これから梅雨に入り、風が強い日があったらどうなるか分からないので、それまでに何とかしてもらいたいとは思っていますが、どうなるか」 修理待ちに半年以上  結局、この住民は10月に入って、ようやく屋根瓦の修理が終わったという。 「(屋根瓦修理の)作業自体は1日で終わりましたが、修理業者によると『(そのくらいのペースで作業をしても)まだまだ順番待ちのところがある』と話していました。ウチも半年以上経って、ようやくでしたからね。しかも、家の中(内装で破損したところ)はまだ手付かずの状況です。そっちはいつになるやら」 一方で、別の住民は「ウチは周囲の住宅と比べても屋根瓦の被害が大きかった。そのためか、早い段階で修理してもらえた」と話した。 広範囲で住宅被害(屋根瓦の被害)が出ていたことから、被害が大きく生活に支障をきたす恐れがあるところから優先的に修理している実態がうかがえる。 ちなみに、前者の住民の屋根瓦修理費用は約60万円、後者の住民は壊れた壁などを含めて120万円ほどだったという。 前述したように、住まいの修繕には補助が受けられるが、そのためには罹災証明書が必要になる。相馬地方の各自治体では、東日本大震災や2021年の地震被害の経験から、有事の際に応援職員を派遣してもらえるような体制を整えており、被害が広範囲に及んだ割には、比較的早く罹災証明書を発行できた。 ただ、同地方では1万軒ほどの住宅に被害が出ており、修理業者の手が行き届いていない。 実際、相馬地方の修理業者に話を聞くと、「確かに早く何とかしてほしい、といった要望は多いが限界がある」という。 「依頼があったら、ひとまず見に行って、応急処置を行い、被害が大きいところから順次修理に当たっています。ただ、南相馬市から新地町まで、広範囲にわたって被害が出ているため、本当に申し訳ないが、雨漏りをしていないところなどは、どうしても後回しになってしまっているのが現状です」 この修理業者に限らず、休日返上で毎日のように南相馬市から新地町までを修理に駆け回っているが、なかなか追いつかないようだ。「モノ(瓦などの資材)が高騰して入手しにくいということもありますが、人手が足りていないのが最大の要因」(前出の修理業者)とのこと。 本当に早く修理したいのであれば、地元以外の修理業者に依頼する方法もあるが、「普段の生活に支障をきたすほどの被害があったのなら別ですが、そうではなく多少は待てる状況だったので、ある程度知ったところにお願いしたいと思って、そうしています」(前出の住民)という。 同様の考えの人が多いのだろう。そのため、地元業者はフル回転しているが、なかなか住宅修繕が追いつかないのが現状のようだ。 会津北部大雨 2カ月以上通行できなかかった国道121号  8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内では広い範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。 福島地方気象台は8月9日、《8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった》と発表した。 3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉で315㍉、喜多方市で276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨になったという。 県の発表(8月24日13時時点)によると、人的被害(死者、行方不明者、重傷者、軽傷者)は確認されていないが、住家被害は全壊1棟、半壊3棟、一部破損8棟、床上浸水14棟、床下浸水145棟、非住家111棟が被害を受けた。道路は県管理道路27件、市町村管理道路51件で被害を受け、公共土木施設の被害額は県・市町村を合わせて約60億円。そのほか、農地、農道、農業用施設などで250件以上の被害が確認され、農林水産業の被害額は35億円以上になるという。 国は、今回の大雨被害を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減する方針を示した。 福島地方気象台の発表にもあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部で、本誌は9月号「会津北部 大雨被災地を行く 住家、農業、市民生活、経済……多方面に影響」という記事で、被害状況や被災者の声などを紹介した。 その中で、住家や農地の被害などのほかに象徴的な被害として、喜多方市と山形県米沢市をつなぐ国道121号が通行止めになったことを伝えた。山形県側で斜面が崩落したのが原因で、大雨被害から2カ月半以上が経った10月24日に片側交互通行ながら、ようやく通行できるようになった。 2カ月以上通行できなかった影響は多方面に及んだ。被害直後、ある喜多方市民はこう話していた。 「(喜多方市)熱塩加納町などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」(ある市民) 影響受けた道の駅  会津方面から米沢市に行くルートとしては、裏磐梯経由(西吾妻スカイバレー)があるが、急峻な山道でスクールバスが通行するのは難儀。普通の乗用車であっても尻込みするような山道だ。結果、中通り経由で行くことになり、通常の2倍くらいの所要時間がかかっていたわけ。 このほか、大きな影響を受けていたのが道の駅喜多の郷。同道の駅は国道121号沿いで、喜多方市街地から外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆になり、喜多方―米沢間が通り抜けできないとなれば交通量は大きく減る。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社は、当時本誌取材に「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と話した。 実は、国道121号は6月末の大雨で法面が崩落し、7月4日から7日までの3日間、通行止めとなっていた。その時は3日間だったが、今回は通行できるようになるまで2カ月以上かかり、かなりの痛手だったようだ。 実際、再開通直前の週末に同道の駅を訪ねたところ、入り込みはまばらだった。同日、近隣の猪苗代、ばんだい、裏磐梯の道の駅は駐車場にクルマを止められないくらい混み合っていたことを考えると、やはり影響は大きかったと言えよう。 開通当日、道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社に問い合わせると、「何とか紅葉シーズンに間に合い、これから半月ぐらい(11月中旬ごろまで)はお客さんが見込めると思います。今日(24日の開通日)も早速、山形ナンバーのクルマが何台か見えました」と話した。 これから積雪シーズンに入ると、また客足は鈍るだろうが、紅葉シーズンでどれだけ巻き返せるか。 こうした一例を見ても、福島県沖地震、会津北部大雨ともに被害が長期化していることがうかがえよう。 あわせて読みたい 【会津北部大雨】被災地を行く

  • 【会津北部大雨】被災地を行く

    【会津北部大雨】被災地を行く

    (2022年9月号)  2022年8月3日から4日にかけての大雨で、県内広範囲で大きな被害が出ている。特に被害が大きかったのは会津北部で、家屋や農地などが影響を受けた。大雨から2週間ほどが経った8月中旬から下旬にかけて、被害が大きかった地域を中心に、状況を見聞きした。 住家、農業、市民生活、経済……多方面に影響 崩落したJR磐越西線の橋梁 濁川河川敷の公園。近隣住民によると、「遊具があるところの付近まで水が上がった」という。  8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内では広い範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。 福島地方気象台は8月9日、《8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった》と発表した。  3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉が315㍉、喜多方市が276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨になったという。 県の発表(8月24日13時時点)によると、人的被害(死者、行方不明者、重傷者、軽傷者)は確認されていないが、住家被害は全壊1棟、半壊2棟、一部破損5棟、床上浸水15棟、床下浸水140棟、非住家107棟となっている。道路は県管理道路27件、市町村管理道路51件で被害を受け、公共土木施設の被害額は県・市町村を合わせて約60億円。そのほか、農地、農道、農業用施設などで260件の被害が確認され、農林水産業の被害額は約22億円に上るという。公共土木施設や農林水産業の被害額は今後も増える可能性がある。 国は、今回の大雨被害を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減する方針を示している。 福島地方気象台の発表にもあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部。本誌は大雨から2週間ほどが経った8月中旬から下旬にかけて、北塩原村、喜多方市を中心に被害状況を見聞きした。 まず、国道115号から国道459号を経由して北塩原村、喜多方市へと向かったのだが、猪苗代町から北塩原村へと続く「磐梯吾妻レークライン」は、8月3日午後6時30分から全面通行止めとなっており、ゲートが閉じられていた。雨量超過、道路流失が原因という。その後、8月25日に一部解除となったが、中津川渓谷レストハウス(猪苗代町若宮字吾妻山甲)―金堀ゲート(同町若宮字吾妻山)間は通行止めが続いている(8月25日時点)。  同村では、裏磐梯グランデコ東急ホテルに通じる道路が土砂崩れのため通行できなくなり、宿泊客や従業員ら計約160人が一時孤立状態になった。すぐに道路をふさいでいた土砂撤去が進められ、4日午後に孤立状態は解消された。 国道459号に沿うように流れる大塩川の近くに住む村民は、「村から避難指示が出され、多くの人が避難所となった村民体育館などに避難しました。幸い、私のところは寸前のところで浸水には至らなかったが、やはり怖かった」と話した。 塩川総合支所に設けられた災害廃棄物の仮置場  前述した県の発表の詳細を見ると、同村の住家被害は床上浸水2棟、床下浸水2棟となっているほか、道路8件で路肩崩落、土砂崩れなどの被害が出ているが、後述する喜多方市に比べると割合は低い。 喜多方市の被害状況 山都町宮古地区に向かう道路(国道459号)は数カ所で崩落が起きていた  一方、喜多方市は住家被害が半壊1棟、床上浸水12棟、床下浸水106棟に加え、道路28件で冠水、法面崩落、陥没、路肩崩落、土砂流入などの被害を受けたほか、農地、農業用施設などのその他の被害も多数確認されている。 それ以外で、最も大きなところでは、JR磐越西線の濁川にかかる橋梁が崩落し、喜多方―野沢(西会津町)間が不通となった。こうした事態を受け、JR東日本は8月10日から喜多方―野沢間で代行バスを運行している。 ある市民はこう話す。 「ひとまず、代行バスが運行されたのは良かったが、一番大変なのは通学で利用している高校生。以前に比べてだいぶ余計に時間がかかると言っていました」 橋梁が崩落したのはJR喜多方駅から西に1㌔ほどのところ。橋が崩落し、線路が宙づりになっているのが確認できた。 崩落した橋梁付近の濁川の河川敷は親水公園になっており、近隣の住民によると「これまでの雨と降りっぷりが全然違くて、これはまずいと思った。(親水公園の)遊具などが設置されているところの付近まで水が上がって来たのは初めて見た」とのこと。 さらに、この住民は「塩川の方はもっとひどいと聞いた」とも語っていた。実際、住家被害は同市塩川町がかなりひどかったようだ。 市危機管理課によると、市役所塩川総合支所から700㍍ほど南側が大塩川と日橋川の合流地点となっているほか、土地が低くなっていることもあり、その周辺の住家が浸水被害を受けたようだ。 中には「この地域は何年、何十年かに一度はこうした浸水被害がある。仕方がない」と諦めている人も。 塩川総合支所には、災害廃棄物の仮置場が設置され、浸水被害を受けた住民が使えなくなった家財道具などを運び込めるようにしてあった。 ある市民によると、「今回、浸水被害を受けたところには、区画整理によってできた新興住宅があり、会津若松市への通勤などにも便利で、地価も比較的安いことから、会津若松市などから移り住んだ人も少なくない。ただ、その周囲は過去にも水害が起きており、便利で求めやすい半面、そういうリスクもあるということ」と話した。 農業被害の状況 土砂が流入したと思われる農地(喜多方市山都町)  一方、農地・農業用施設の被害という点では、同市山都町の被害が大きかったようだ。 「宮古そば」で知られる同町宮古地区を訪ねてみると、同地区は国道459号に沿うように宮古川が流れているのだが、道路は所々、崩落していた。農作業をしていた住民に話を聞くと、次のように語った。 「大雨の日は、増水して川の流れが速くなり、大きな石が流れてきて、それがぶつかる音がカミナリのようで怖くて眠れなかった。ソバ畑は、8月上旬はちょうど種まきの時期で、(大雨前に)すでに種まきをしていた人、これから(大雨があった日の後で)種まきをしようと思っていた人、それぞれですが、ソバは雨に弱く、大雨前に種まきしたところはかなり厳しい状況です。中には、(大雨後に)種まきをし直した人もいますが、その後にさらに雨が降り続き、さすがに2回目(都合3回目)のまき直しはしないと言っていました。ですから、収量は減るでしょうね。コロナ禍でなかなかお客さんが来ない中、ようやく戻りつつあると思ったら、この水害ですよ。この地区のソバ店は自宅兼店舗だから何とかやっていけますが、家賃を払ってお店をやるような状況だったら続けられなかったでしょうね」 ほかにも、同市内では、水田や畑に土砂が流れ込んだケースや、用水路が被害を受けたために水田に水を引けなくなったケース、トマトやキュウリ、アスパラガスなどを栽培するビニールハウスが被害を受けたケースなどが確認されている。水田は、水位が上がっただけなら、水が引けば多少収量が落ちたとしても収穫することはできるが、そうでない場合は収穫は難しいだろう。 前述したように、農林水産業の被害額は約22億円に上るというから、相当な被害だ。あとは、共済などの農業保険に入っているかどうか、ということになろう。 被害を受けた人の中には、「安倍晋三元首相の国葬には数億円(新聞報道によると2・5億円)かかるとされているが、それならわれわれのように、被害を受けた人の救済措置に回してほしい」と語る人もいたのが印象的だった。 国道121号不通の影響 入り込みが落ち込む道の駅喜多の郷  このほか、同市と山形県米沢市をつなぐ国道121号は、山形県側で斜面が崩落し通行止めが続いている。実は、国道121号は6月末の大雨でも法面が崩落し、7月4日から7日までの3日間、通行止めとなっていた。その後、片側交互通行ではあるものの、通行できるようになったが、今回の大雨でさらなる被害を受け、いまのところ復旧の見通しは立っていない。 「(同市の)熱塩加納町などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」(ある市民) このほか、国道121号が通行止めとなったことで大きな影響を受けているのが「道の駅 喜多の郷」だ。同道の駅は国道121号沿いで、市街地からだいぶ外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆ということになり、喜多方―米沢間が通り抜けできないとなれば交通量は大きく減る。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社によると、「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と話した。 本誌が訪ねたのは週末だったが、実際、客入りはまばらだった。 こうして聞くと、今回の大雨被害により、住家、農地・農業用施設、市民生活、経済面のさまざまなところで大きな影響を受けていることが分かる。 あわせて読みたい 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

  • 復旧途上の「令和4年8月豪雨」被災地

     昨年8月3〜4日の大雨で、県内は広範囲で影響を受けた。特に被害が大きかったのは会津北部で、家屋や農地などに被害が及んだ。来月で「令和4年8月豪雨災害」から1年を迎えるが、それに先立ち、現在までの復旧状況を取材した。 災害で浮き彫りになった会津農山村の現実  昨年8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内広範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。それから5日後の8月9日、福島地方気象台は次のように発表した。   ×  ×  ×  × 8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。 期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(※福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった。 この大雨により、土砂崩れ、河川の氾濫、橋梁損壊、住家浸水、道路損壊・冠水などの被害が生じた。   ×  ×  ×  × 期間降水量の詳細を見ると、3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉で315㍉、喜多方市276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨だったという。いかに猛烈な雨だったかがうかがい知れよう。 昨年8月末時点の県のまとめでは、住宅の全半壊と一部損壊が計10棟、浸水被害が159棟、道路被害78カ所に及んだ。公共土木施設の被害額は8市町村で計62億円。農地、農道、農業用施設などでも多数の被害が確認され、農林水産業の被害額は20億円以上に上るという。ただ、幸いにも人的被害はなかった。 国は、この「令和4年8月豪雨」を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減している。 福島地方気象台の発表にあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部。本誌は大雨から約2週間後の昨年8月中旬、北塩原村や喜多方市を中心に被害状況を取材したが、それから11カ月が経ち、間もなく1年を迎えるのを前に、あらためて被害個所の復旧状況などを見て回った。 猪苗代町から北塩原村へと続く「磐梯吾妻レークライン」は、雨量超過による道路流失のため、通行できなくなり、現在も金堀ゲート(猪苗代町若宮字吾妻山)から剣ヶ峰中津川渓谷レストハウス(同町大字若宮字吾妻山甲)までが通行止めとなっている。中津川渓谷レストハウスから剣ヶ峰ゲート(北塩原村大字檜原字剣ヶ峯)間は通行できるが、猪苗代町側から裏磐梯側への通り抜けができない状況が続いている。この道路は「生活道路」というより「観光道路」の位置付けのため、日常生活には大きな支障はないが、観光シーズンには痛手となった。 喜多方市内では、JR磐越西線の濁川にかかる橋梁が崩落し、喜多方―野沢(西会津町)間が不通となった。JR東日本は昨年8月10日から喜多方―野沢間で代行バスを運行し、同月25日から山都―野沢間は臨時ダイヤで再開通した。 当時、ある市民はこう話していた。 「ひとまず、代行バスが運行されたのは良かったが、一番大変なのは通学で利用している高校生。以前に比べてだいぶ余計に時間がかかると言っていました」 橋梁が崩落したのはJR喜多方駅から西に1㌔ほどのところ。橋が崩落し、線路が宙づりになっていた。崩落した橋梁付近の濁川の河川敷は親水公園になっており、当時、近隣住民は「これまでの雨と降りっぷりが全然違くて、これはまずいと思った。(親水公園の)遊具などが設置されているところの付近まで水が上がって来たのは初めて見ました」と話した。 喜多方―山都間は代行バス運行が続いていたが、この間、崩落した橋梁の復旧作業が行われ、今年4月1日から全線運行が再開された。 あらためて現地を見に行くと、河川に架かる橋脚のうちの1つが新しくなっているのが分かった。鉄筋コンクリート製の橋脚1基を新造し、橋を架け直して運転再開に至った。 片側交互の国道121号 国道121号不通の影響を受けた道の駅喜多の郷  住民生活に直結する部分では、同市と山形県米沢市をつなぐ国道121号が、山形県側で斜面が崩落し通行止めとなったことも大きな被害だった。 実は、国道121号は昨年6月末の大雨でも法面が崩落し、同年7月4〜7日までの3日間、通行止めとなった。その後、片側交互通行ではあるものの、通行できるようになったが、昨年8月の大雨でさらに被害を受けた。 当時、ある市民はこう話していた。 「市内の熱塩加納地区などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」 会津方面から米沢市に行くルートとしては、裏磐梯経由(西吾妻スカイバレー)があるが、急峻な山道でスクールバスが通行するのは難儀。普通の乗用車であっても尻込みするような山道だ。結果、中通り経由で行くことになり、通常の2倍くらいの所要時間がかかっていたわけ。 このほか、国道121号の不通で大きな影響を受けたのが道の駅喜多の郷。同道の駅は国道121号沿いで、市街地からだいぶ外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆ということになり、喜多方―米沢間が通り抜けできなくなったことで、交通量、利用者が大きく減った。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社は、「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と嘆いていた。 実際、通行止めになって以降の週末に同道の駅を訪ねたところ、入り込みはまばらだった。同日、近隣の猪苗代、ばんだい、裏磐梯の道の駅は駐車場にクルマを止められないくらい混み合っていたことを考えると、やはり影響は大きかったようだ。 その後、国の権限代行で復旧が進められ、大雨被害から2カ月半以上が経った昨年10月24日に片側交互通行ながら、ようやく通行できるようになった。 開通直後、道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社に問い合わせると、「何とか紅葉シーズンに間に合い、お客さんが見込めると思います。開通初日から早速、山形ナンバーのクルマが何台かお見えになっていましたから」と話していた。 6月下旬、喜多方市から米沢市方面に向かって国道121号を走行してみた。当初は片側交互通行が3カ所あったが、昨年12月にそのうちの2カ所が解消され、現在は1カ所だった。インターネットやSNSなどでは「(片側交互通行区間で)30分以上待たされた」といった書き込みも見られたが、たまたまタイミングが良かったのか、5分くらいの待ち時間で済んだ。 残る片側交互通行区間は、仮橋が設けられ、従来の道路より少し高いところを走行する形。仮橋から脇を見やると、大規模に道路が崩落していることがうかがえた。完全復旧時期は示されておらず、まだいまの状況が続きそうだ。 喜多方建設事務所によると、同事務所管内の被災個所は河川73カ所、道路24カ所、橋梁1カ所の計98カ所。このうち、道路10カ所が工事未発注。理由は、土地改良区所有のため池が復旧工事の最中で、それが終わらないと周辺道路の復旧工事に入れないところがあることと、手前から順次、復旧工事を進めている道路があり、奥側は後になるところがあるため。それ以外はすでに発注済みで、「進捗は現場によって異なるため、一概には言えないが、発注済みのものの工期は遅くとも年度内になっています」(喜多方建設事務所担当者)とのこと。 農業被害が大きい山都町 「大型通行止め」の国道459号(山都町宮古地区)  一方、農地・農業用施設などの被害も大きく、特に目立ったのが喜多方市山都町。山都町中心部から、「宮古そば」で知られる同町宮古地区に向かう国道459号は、それに沿うように宮古川が流れている。 大雨時は河川が氾濫し、道路が数カ所崩落した。現在は道路の復旧工事、護岸工事などが行われている。 山都町中心部から宮古地区に向かう途中で、農作業をしていた住民に話を聞くと、次のように語った。 「いま見ても分からないだろうけど、道路(国道)と河川(宮古川)の間(のただの荒地に見えるところ)はもともと農地だったんだよ。それが土砂、流木などが入って。ただ、この辺も高齢者の一人暮らし・二人暮らしが多くなり、耕作しない農地が増えてきた。一人暮らし・二人暮らしの高齢者が亡くなったことによる空き家も目立ってきた。災害復旧以前の問題だよね」 災害があったことで、あらためて農山村の現実を思い知る。 そこからさらに北上し、宮古地区に向かった。ちなみに、大雨直後、同地区の住民はこう語っていた。 「大雨の日は、増水して川の流れが速く、大きな石がぶつかる音がカミナリのようで怖くて眠れなかった。ソバ畑は、ちょうど種まきの時期で、すでに種まきをしていた人、これから(大雨があった日の後で)種まきをしようと思っていた人、それぞれですが、ソバは雨に弱く、大雨前に種まきしたところはかなり厳しい状況です。中には、(大雨後に)種まきをし直した人もいますが、その後にさらに雨が降り続き、さすがに2回目(都合3回目)のまき直しはしないと言っていました。ですから、収量は減るでしょうね。コロナ禍でなかなかお客さんが来ない中、ようやく戻りつつあると思ったら、この水害ですよ。この地区のソバ店は自宅兼店舗だから何とかやっていけますが、家賃を払ってお店をやるような状況だったら続けられなかったでしょうね」 大雨の凄まじさと、コロナ禍で厳しい状況の中、災害に見舞われるという二重苦を明かしてくれた。 今回の取材で、あるソバ店で話を聞いたところ、こう話した。 「ソバ畑で水害を受けたところは、市の補助で直すことができました。それがなかったら厳しかったでしょうね。ただ、種まきの前後だったこともあり、全体的に収量は落ちていると思います。もう1つは、いまここ(宮古地区)に来る道路(国道459号)は大型車両が通れません。コロナ禍以降は少なくなりましたが、以前はバスツアーで来る人もおり、大型車両が通れないと影響が出ます。ただ、先日、ツアー会社の方で道路管理者に問い合わせ、通れる規模のバスでツアー客においでいただいたのは幸いでした」 確かに、同地区に向かう途中には「大型通行止め」の立て看板があった。県のHPで確認したところ、喜多方市山都町蓬莱地内の7・8㌔区間について「豪雨災害による路肩崩壊のため 大型通行止」とあった。バスツアー客が来られない(来にくい)といった意味で、その影響が出ているということだ。 市の農業復旧・支援  一方で、市農山村振興課に、農地補修の補助について確認すると「激甚災害指定を受けた部分は、国の補助がありましたが、そうでない部分は市が補助しました」と説明した。 各農家が業者に依頼して農地・農業施設の補修を行い、その分を市が補助する仕組み。対象は465件で事業費は1億2800万円(本誌取材時点で事業未了のため、金額は当初予算)。 ほかにも、同市内では、水田に土砂が流れ込んだケースや、水路が被害を受け、水田に水を引けなくなったケース、園芸品を栽培するビニールハウスなどが被害を受けた。そのほかの農地・農業施設の復旧については、こう説明した。 「水田への水路は本復旧したところ、仮復旧で対応したところなど、今年の作付けに支障がないように対応しましたが、一部間に合わなかったところもあり、その部分については、今年に限り水稲からソバへの転作をお願いしています」 水稲は4月下旬ごろから田んぼに水を入れ、代掻きなどを行うが、ソバは8月に種まきをするため、水稲より数カ月の時間的余裕があること、そもそもソバはそれほど水が必要ないこと等々から、水路復旧(仮復旧)が間に合わなかったところはソバへの転作を推奨しているようだ。そのうえで、秋(収穫期)以降に、来年に間に合うように水路復旧などを進めていきたい考え。 なお、転作によって収入が減った場合は、国から補助が受けられるが、それでは補いきれない可能性が高い。そのため、場合によっては市でさらなる補助(転作に伴う所得補償)も考えていく必要がありそう。 「市としては、何とか営農を継続してもらえるよう、復旧や支援を進めています。やはり、1年耕作しないとなると、なかなか再開するのは難しいでしょうから」(市農山村振興課担当者) 災害を機に、耕作をやめてしまう農家もあるに違いない。そうならないよう、市としては復旧を急ぎ、各種支援をしてきたようだ。 ただ、前出・山都町の住民が「高齢者の一人暮らし・二人暮らしが多くなり、耕作しない農地が増えた。一人暮らし・二人暮らしの高齢者が亡くなったことによる空き家も目立ってきた。災害復旧以前の問題がある」と語っていたが、それが現実だろう。 あらためて「令和4年8月豪雨災害」被災地を取材したが、まだまだ復旧途上の部分も多いことが浮き彫りになった。 あわせて読みたい 【会津北部大雨】被災地を行く 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

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     2022年3月16日に発生した福島県沖地震、同年8月3日から4日にかけての大雨によって、前者は伊達・相馬両地方、後者は会津北部を中心に大きな被害が出た。どちらも、発生から時間が経ったが、その後の動きを追った。 福島県沖地震 いまもブルーシートがかかっている家屋が目に付く  国のまとめによると、3月の福島県沖地震により、県内では相馬市、南相馬市、国見町で最大震度6強を観測したほか、広い範囲で6弱から5弱の揺れが確認された。県内の被害状況は、人的被害が死者1人、重傷者9人、軽傷者92人。住家被害は全壊が165棟、半壊が4024棟、一部破損が3万0621棟となっている。こうした事態を受け、県内全域に災害救助法、被災者生活支援再建法が適用された。 このほか、生活・生業再建のための支援策が打ち出され、生活再建(住まいの確保)については、応急修理が半壊以上上限59万5000円、準半壊上限30万円、瓦屋根の改修が上限55万2000円などとされた。受付は各市町村で行っている。 こうして、支援策が示されているものの、実際の現場では、まだ住まいの修繕は追いついていないのが実情だ。特に顕著なのが屋根瓦。被害が大きかった相馬市、南相馬市鹿島区などを走行すると、屋根にブルーシートがかけられたまま、未修理の住宅があるのが目に付く。 梅雨前、ある住民は次のように語っていた。 「地震の数日後に修理業者に被害個所を見てもらいました。そのときはひとまず、屋根瓦が落下したところにブルーシートをかぶせて、土嚢で固定するといった応急処置をしてもらい、『(修理の準備が整ったら)また連絡します』とのことでした。ただ、それから2カ月ほどが経ちますが、まだ本格的な修理の連絡はもらっていません。この地域一帯で住宅被害が出ており、手が回らないのでしょう。幸い、雨漏りはしていないのでいいが、これから梅雨に入り、風が強い日があったらどうなるか分からないので、それまでに何とかしてもらいたいとは思っていますが、どうなるか」 修理待ちに半年以上  結局、この住民は10月に入って、ようやく屋根瓦の修理が終わったという。 「(屋根瓦修理の)作業自体は1日で終わりましたが、修理業者によると『(そのくらいのペースで作業をしても)まだまだ順番待ちのところがある』と話していました。ウチも半年以上経って、ようやくでしたからね。しかも、家の中(内装で破損したところ)はまだ手付かずの状況です。そっちはいつになるやら」 一方で、別の住民は「ウチは周囲の住宅と比べても屋根瓦の被害が大きかった。そのためか、早い段階で修理してもらえた」と話した。 広範囲で住宅被害(屋根瓦の被害)が出ていたことから、被害が大きく生活に支障をきたす恐れがあるところから優先的に修理している実態がうかがえる。 ちなみに、前者の住民の屋根瓦修理費用は約60万円、後者の住民は壊れた壁などを含めて120万円ほどだったという。 前述したように、住まいの修繕には補助が受けられるが、そのためには罹災証明書が必要になる。相馬地方の各自治体では、東日本大震災や2021年の地震被害の経験から、有事の際に応援職員を派遣してもらえるような体制を整えており、被害が広範囲に及んだ割には、比較的早く罹災証明書を発行できた。 ただ、同地方では1万軒ほどの住宅に被害が出ており、修理業者の手が行き届いていない。 実際、相馬地方の修理業者に話を聞くと、「確かに早く何とかしてほしい、といった要望は多いが限界がある」という。 「依頼があったら、ひとまず見に行って、応急処置を行い、被害が大きいところから順次修理に当たっています。ただ、南相馬市から新地町まで、広範囲にわたって被害が出ているため、本当に申し訳ないが、雨漏りをしていないところなどは、どうしても後回しになってしまっているのが現状です」 この修理業者に限らず、休日返上で毎日のように南相馬市から新地町までを修理に駆け回っているが、なかなか追いつかないようだ。「モノ(瓦などの資材)が高騰して入手しにくいということもありますが、人手が足りていないのが最大の要因」(前出の修理業者)とのこと。 本当に早く修理したいのであれば、地元以外の修理業者に依頼する方法もあるが、「普段の生活に支障をきたすほどの被害があったのなら別ですが、そうではなく多少は待てる状況だったので、ある程度知ったところにお願いしたいと思って、そうしています」(前出の住民)という。 同様の考えの人が多いのだろう。そのため、地元業者はフル回転しているが、なかなか住宅修繕が追いつかないのが現状のようだ。 会津北部大雨 2カ月以上通行できなかかった国道121号  8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内では広い範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。 福島地方気象台は8月9日、《8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった》と発表した。 3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉で315㍉、喜多方市で276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨になったという。 県の発表(8月24日13時時点)によると、人的被害(死者、行方不明者、重傷者、軽傷者)は確認されていないが、住家被害は全壊1棟、半壊3棟、一部破損8棟、床上浸水14棟、床下浸水145棟、非住家111棟が被害を受けた。道路は県管理道路27件、市町村管理道路51件で被害を受け、公共土木施設の被害額は県・市町村を合わせて約60億円。そのほか、農地、農道、農業用施設などで250件以上の被害が確認され、農林水産業の被害額は35億円以上になるという。 国は、今回の大雨被害を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減する方針を示した。 福島地方気象台の発表にもあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部で、本誌は9月号「会津北部 大雨被災地を行く 住家、農業、市民生活、経済……多方面に影響」という記事で、被害状況や被災者の声などを紹介した。 その中で、住家や農地の被害などのほかに象徴的な被害として、喜多方市と山形県米沢市をつなぐ国道121号が通行止めになったことを伝えた。山形県側で斜面が崩落したのが原因で、大雨被害から2カ月半以上が経った10月24日に片側交互通行ながら、ようやく通行できるようになった。 2カ月以上通行できなかった影響は多方面に及んだ。被害直後、ある喜多方市民はこう話していた。 「(喜多方市)熱塩加納町などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」(ある市民) 影響受けた道の駅  会津方面から米沢市に行くルートとしては、裏磐梯経由(西吾妻スカイバレー)があるが、急峻な山道でスクールバスが通行するのは難儀。普通の乗用車であっても尻込みするような山道だ。結果、中通り経由で行くことになり、通常の2倍くらいの所要時間がかかっていたわけ。 このほか、大きな影響を受けていたのが道の駅喜多の郷。同道の駅は国道121号沿いで、喜多方市街地から外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆になり、喜多方―米沢間が通り抜けできないとなれば交通量は大きく減る。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社は、当時本誌取材に「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と話した。 実は、国道121号は6月末の大雨で法面が崩落し、7月4日から7日までの3日間、通行止めとなっていた。その時は3日間だったが、今回は通行できるようになるまで2カ月以上かかり、かなりの痛手だったようだ。 実際、再開通直前の週末に同道の駅を訪ねたところ、入り込みはまばらだった。同日、近隣の猪苗代、ばんだい、裏磐梯の道の駅は駐車場にクルマを止められないくらい混み合っていたことを考えると、やはり影響は大きかったと言えよう。 開通当日、道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社に問い合わせると、「何とか紅葉シーズンに間に合い、これから半月ぐらい(11月中旬ごろまで)はお客さんが見込めると思います。今日(24日の開通日)も早速、山形ナンバーのクルマが何台か見えました」と話した。 これから積雪シーズンに入ると、また客足は鈍るだろうが、紅葉シーズンでどれだけ巻き返せるか。 こうした一例を見ても、福島県沖地震、会津北部大雨ともに被害が長期化していることがうかがえよう。 あわせて読みたい 【会津北部大雨】被災地を行く

  • 【会津北部大雨】被災地を行く

    (2022年9月号)  2022年8月3日から4日にかけての大雨で、県内広範囲で大きな被害が出ている。特に被害が大きかったのは会津北部で、家屋や農地などが影響を受けた。大雨から2週間ほどが経った8月中旬から下旬にかけて、被害が大きかった地域を中心に、状況を見聞きした。 住家、農業、市民生活、経済……多方面に影響 崩落したJR磐越西線の橋梁 濁川河川敷の公園。近隣住民によると、「遊具があるところの付近まで水が上がった」という。  8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内では広い範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。 福島地方気象台は8月9日、《8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった》と発表した。  3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉が315㍉、喜多方市が276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨になったという。 県の発表(8月24日13時時点)によると、人的被害(死者、行方不明者、重傷者、軽傷者)は確認されていないが、住家被害は全壊1棟、半壊2棟、一部破損5棟、床上浸水15棟、床下浸水140棟、非住家107棟となっている。道路は県管理道路27件、市町村管理道路51件で被害を受け、公共土木施設の被害額は県・市町村を合わせて約60億円。そのほか、農地、農道、農業用施設などで260件の被害が確認され、農林水産業の被害額は約22億円に上るという。公共土木施設や農林水産業の被害額は今後も増える可能性がある。 国は、今回の大雨被害を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減する方針を示している。 福島地方気象台の発表にもあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部。本誌は大雨から2週間ほどが経った8月中旬から下旬にかけて、北塩原村、喜多方市を中心に被害状況を見聞きした。 まず、国道115号から国道459号を経由して北塩原村、喜多方市へと向かったのだが、猪苗代町から北塩原村へと続く「磐梯吾妻レークライン」は、8月3日午後6時30分から全面通行止めとなっており、ゲートが閉じられていた。雨量超過、道路流失が原因という。その後、8月25日に一部解除となったが、中津川渓谷レストハウス(猪苗代町若宮字吾妻山甲)―金堀ゲート(同町若宮字吾妻山)間は通行止めが続いている(8月25日時点)。  同村では、裏磐梯グランデコ東急ホテルに通じる道路が土砂崩れのため通行できなくなり、宿泊客や従業員ら計約160人が一時孤立状態になった。すぐに道路をふさいでいた土砂撤去が進められ、4日午後に孤立状態は解消された。 国道459号に沿うように流れる大塩川の近くに住む村民は、「村から避難指示が出され、多くの人が避難所となった村民体育館などに避難しました。幸い、私のところは寸前のところで浸水には至らなかったが、やはり怖かった」と話した。 塩川総合支所に設けられた災害廃棄物の仮置場  前述した県の発表の詳細を見ると、同村の住家被害は床上浸水2棟、床下浸水2棟となっているほか、道路8件で路肩崩落、土砂崩れなどの被害が出ているが、後述する喜多方市に比べると割合は低い。 喜多方市の被害状況 山都町宮古地区に向かう道路(国道459号)は数カ所で崩落が起きていた  一方、喜多方市は住家被害が半壊1棟、床上浸水12棟、床下浸水106棟に加え、道路28件で冠水、法面崩落、陥没、路肩崩落、土砂流入などの被害を受けたほか、農地、農業用施設などのその他の被害も多数確認されている。 それ以外で、最も大きなところでは、JR磐越西線の濁川にかかる橋梁が崩落し、喜多方―野沢(西会津町)間が不通となった。こうした事態を受け、JR東日本は8月10日から喜多方―野沢間で代行バスを運行している。 ある市民はこう話す。 「ひとまず、代行バスが運行されたのは良かったが、一番大変なのは通学で利用している高校生。以前に比べてだいぶ余計に時間がかかると言っていました」 橋梁が崩落したのはJR喜多方駅から西に1㌔ほどのところ。橋が崩落し、線路が宙づりになっているのが確認できた。 崩落した橋梁付近の濁川の河川敷は親水公園になっており、近隣の住民によると「これまでの雨と降りっぷりが全然違くて、これはまずいと思った。(親水公園の)遊具などが設置されているところの付近まで水が上がって来たのは初めて見た」とのこと。 さらに、この住民は「塩川の方はもっとひどいと聞いた」とも語っていた。実際、住家被害は同市塩川町がかなりひどかったようだ。 市危機管理課によると、市役所塩川総合支所から700㍍ほど南側が大塩川と日橋川の合流地点となっているほか、土地が低くなっていることもあり、その周辺の住家が浸水被害を受けたようだ。 中には「この地域は何年、何十年かに一度はこうした浸水被害がある。仕方がない」と諦めている人も。 塩川総合支所には、災害廃棄物の仮置場が設置され、浸水被害を受けた住民が使えなくなった家財道具などを運び込めるようにしてあった。 ある市民によると、「今回、浸水被害を受けたところには、区画整理によってできた新興住宅があり、会津若松市への通勤などにも便利で、地価も比較的安いことから、会津若松市などから移り住んだ人も少なくない。ただ、その周囲は過去にも水害が起きており、便利で求めやすい半面、そういうリスクもあるということ」と話した。 農業被害の状況 土砂が流入したと思われる農地(喜多方市山都町)  一方、農地・農業用施設の被害という点では、同市山都町の被害が大きかったようだ。 「宮古そば」で知られる同町宮古地区を訪ねてみると、同地区は国道459号に沿うように宮古川が流れているのだが、道路は所々、崩落していた。農作業をしていた住民に話を聞くと、次のように語った。 「大雨の日は、増水して川の流れが速くなり、大きな石が流れてきて、それがぶつかる音がカミナリのようで怖くて眠れなかった。ソバ畑は、8月上旬はちょうど種まきの時期で、(大雨前に)すでに種まきをしていた人、これから(大雨があった日の後で)種まきをしようと思っていた人、それぞれですが、ソバは雨に弱く、大雨前に種まきしたところはかなり厳しい状況です。中には、(大雨後に)種まきをし直した人もいますが、その後にさらに雨が降り続き、さすがに2回目(都合3回目)のまき直しはしないと言っていました。ですから、収量は減るでしょうね。コロナ禍でなかなかお客さんが来ない中、ようやく戻りつつあると思ったら、この水害ですよ。この地区のソバ店は自宅兼店舗だから何とかやっていけますが、家賃を払ってお店をやるような状況だったら続けられなかったでしょうね」 ほかにも、同市内では、水田や畑に土砂が流れ込んだケースや、用水路が被害を受けたために水田に水を引けなくなったケース、トマトやキュウリ、アスパラガスなどを栽培するビニールハウスが被害を受けたケースなどが確認されている。水田は、水位が上がっただけなら、水が引けば多少収量が落ちたとしても収穫することはできるが、そうでない場合は収穫は難しいだろう。 前述したように、農林水産業の被害額は約22億円に上るというから、相当な被害だ。あとは、共済などの農業保険に入っているかどうか、ということになろう。 被害を受けた人の中には、「安倍晋三元首相の国葬には数億円(新聞報道によると2・5億円)かかるとされているが、それならわれわれのように、被害を受けた人の救済措置に回してほしい」と語る人もいたのが印象的だった。 国道121号不通の影響 入り込みが落ち込む道の駅喜多の郷  このほか、同市と山形県米沢市をつなぐ国道121号は、山形県側で斜面が崩落し通行止めが続いている。実は、国道121号は6月末の大雨でも法面が崩落し、7月4日から7日までの3日間、通行止めとなっていた。その後、片側交互通行ではあるものの、通行できるようになったが、今回の大雨でさらなる被害を受け、いまのところ復旧の見通しは立っていない。 「(同市の)熱塩加納町などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」(ある市民) このほか、国道121号が通行止めとなったことで大きな影響を受けているのが「道の駅 喜多の郷」だ。同道の駅は国道121号沿いで、市街地からだいぶ外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆ということになり、喜多方―米沢間が通り抜けできないとなれば交通量は大きく減る。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社によると、「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と話した。 本誌が訪ねたのは週末だったが、実際、客入りはまばらだった。 こうして聞くと、今回の大雨被害により、住家、農地・農業用施設、市民生活、経済面のさまざまなところで大きな影響を受けていることが分かる。 あわせて読みたい 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後