幸楽苑の勢いを象徴しているのが、SNS上での盛り上がりだ。新メニューなどをPRする公式アカウントはもちろん、役員や広報担当者が個人のアカウントで情報を発信し、ユーザーと交流していく。新体制になってから力を入れており、6月にはSNS上での何気ないやり取りが、想像を超える集客効果を生んだ。
羽生結弦の好物目当てに長蛇の列 ファンの心をつかんだSNS戦略

6月7日、SNS「X(旧ツイッター)」上で大きな話題を集めたのが、プロスケーターでフィギュアスケート男子の五輪連覇者として知られる羽生結弦さんだった。
この日、羽生さんがブランドアンバサダーを務める家電メーカー「AQUA(アクア)」が、イオンモール幕張新都心(千葉市)で展示フェアを開催した。そこに、羽生さんがCMで着用した本物の衣装が展示され、多くのファンが足を運んだのだ。
ファンは羽生さんをかたどったアクスタ(アクリルスタンド)を持ち込み、展示されている衣装と一緒に撮影した写真を次々にSNSに投稿。ネット上は羽生さん関連の話題で盛り上がった。自分が応援しているアイドルやキャラクターをさまざまな形で応援する〝推し活〟が人気を集めているが、本人ばかりか衣装展にまでファンが殺到するのだからその熱狂ぶりに驚かされるばかり。
意外だったのは、ファンの多くがその足で、同施設内にある幸楽苑イオンモール幕張新都心店に向かい、「ねぎらーめん」(630円)を注文したことだ。実は羽生さん、4月に、自身のユーチューブチャンネルの会員限定音声コンテンツ「メンシプらじお」内で、ファンからの質問チャットに答える形で、「幸楽苑のねぎらーめんがお気に入り」という趣旨の発言をしていたのだ。
時間にしてわずか数秒のコメントだったが、この発言をきっかけに、「羽生さんが好きなメニューを一度食べてみたい」と、イオンモール幕張新都心での展示フェアに訪れたファンの多くが幸楽苑に足を運んだ。
店舗前には長蛇の列ができ、「ねぎらーめん(味噌ねぎらーめん、塩ねぎらーめんを含む)」は1日約430杯を販売。主力の中華そばの5倍の売り上げを記録したという。
幸楽苑の芳賀正彦専務取締役営業本部長は「Xで幸楽苑に関するお客様の声を拾っていたところ、たまたま羽生結弦さんのファンの方の投稿を見つけ、『弊社をご利用いただきありがとうございます』と対応したところから反響が広がり、多くの反応をいただきました。その結果、多くの方に来店していただいたので、非常にうれしいです」と述べる。
幸楽苑では公式アカウント以外に、役職者が実名でアカウントを作っており、幸楽苑に関する投稿を細かくチェックして「いいね」を押したり、返信するなどして積極的に交流を図っている。その中でも、羽生さんのファンから絶対的な信頼を得ているのが芳賀氏だ。
というのも、幸楽苑のねぎらーめんがファンから注目される中、芳賀氏は《あまりお名前出すのも失礼かもしれないので、ここだけの話にしますが、6月7日、8日はイオンモール幕張新都心店、ネギを多めに発注しておきます。増員も検討しよう》とあえて控えめに発信していた。この姿勢がファンの心をつかんだ。
数年前から羽生さんのアイスショーに足を運んでいるという東京在住の40代女性はこのように語る。
「これまでも羽生さんが話題に出した商品をファンが買い求める現象がたびたび発生していますが、ここぞとばかりに便乗してメーカーや飲食店がPRしているとファンとしては興ざめしてしまう。ところが、芳賀さんは羽生さんの名前に直接的に触れないようにしつつ、店に訪れたい人に向けて、きちんと情報を出してくれる気遣いを見せてくれた」
この女性は普段ラーメン店に一人で入ることはないそうだが、「『せっかくの機会だし、芳賀さんが事前に店名を出して丁寧にガイドしてくれていたので、イベントの帰りに幸楽苑に寄っていこうかな』という気分になってしまう」と笑った。
幸楽苑は7月20日現在、357店舗を出店しているが、出店エリアは北海道、東北、首都圏・関東、甲信越・中部地方に限られており、西日本在住の人は〝遠征〟のタイミングでしか食べに行けない、という事情もあったようだ。
芳賀氏は「『イオンモール幕張新都心にある幸楽苑のねぎらーめんを食べに行こう』という投稿がイベントに向けて日に日に増えていたが、一方で『幸楽苑さんに迷惑をかけないようにしよう』という声も上がっていた。そこで、安心して食事していただきたいという思いで、『しっかり準備しているので、お気兼ねなくご来店ください』という投稿をしたのです」と振り返る。
こうした結果、幸楽苑に羽生さんファンが殺到する現象が起きたわけ。
6月の大反響に続き、7月5日、仙台市のゼビオアリーナ仙台(仙台市アリーナ)の〝こけら落としイベント〟に羽生さんが出演した際も(巻頭グラビア参照)、羽生さんが生まれ育った同市泉区の幸楽苑泉区役所前店は〝聖地巡礼〟するファンでにぎわっていた。
羽生さんファンの間では、「羽生さん=幸楽苑(ねぎらーめん)」というイメージが定着し、東日本でのイベントの際に幸楽苑に寄るのは定番コースとなりつつあるようだ。
新井田傳氏の指示で改革

同社担当者によると、もともと幸楽苑では各SNSに公式アカウントを立ち上げていたが、担当が定まっておらず運用方針なども決まっていなかったため、稼働状況が悪かった。そうした状況を見直すきっかけになったのが、一線を退いていた新井田傳相談役(当時)が会長兼社長に復帰したことだった。
社内会議で新井田傳氏から「あらためてお客様の声に耳を傾けるという意味で、デジタルマーケティングを重視していこう」と指示があり、広報・IR部の佐々木淳部長を中心に、公式アプリも含めたデジタル販促に力を入れるようになった。
重要な投稿は社内で共有してから発信するようにして、それ以外の投稿は各自に委ねた。そうした中で、芳賀氏の投稿がきっかけで羽生さんのファンから信頼されるようになり、幸楽苑の来店客を増やすことにつながった。かつては人気芸能人を起用したCMを盛んに流していたが、広報戦略を見直し、SNSで地道にファンを増やしている。そういう意味で、SNS戦略の見直しは業績好転を象徴する取り組みと言えよう。
今後のSNSの展開について、芳賀氏は「お店を利用していただくお客様に喜んでいただける投稿を心がけており、営業本部としては、羽生さんのファンの皆さんはもちろん、すべてのお客様にストレスなく食事を楽しんでいただけるよう最善を尽くしたいと考えています」と話した。
前出・ゼビオアリーナ仙台のこけら落としイベントの日、芳賀氏は羽生さんファンの来店が予想される仙台長町店や泉区役所前店にサポートとして入り、訪れたファンと交流していた。イオンモール幕張新都心店のような長蛇の列にはならなかったが、芳賀氏らスタッフはファン向けの記念品として制作した特別POPを渡し、汗を拭いながらサポートに入った本部スタッフと談笑していた。「風通しの良さ」、「フットワークの軽さ」がSNSを通して伝わってくる点も企業ブランディングの強化につながっている。