3月中旬の週末、いわき市の「北投の湯いわき健康センター」の宴会場に笑い声が響き渡っていた。
ステージに立っていたのはお笑いコンビ・母心(ははごころ)。和装の女装キャラ「オカン」こと嶋川武秀さん(46)が歌舞伎の動きを交えた〝ボケ〟を見せると、眼鏡がトレードマークの関あつしさん(45)がすかさず鋭い〝ツッコミ〟を入れる。観客席では二人の軽妙なやり取りに思わず吹き出したり、手を叩いて笑う姿が見られた。
「〝二足のわらじ〟が僕らの強み」


日本テレビ系「笑点」の演芸コーナーに出演したほか、ベテラン漫才師のコンテスト「THE SECOND(ザ・セカンド)」では2年連続でベスト16まで勝ち進むなど、実力派コンビとしても知られる。
一方で、嶋川さんは富山県議、関さんは絵本作家として活動する〝二足のわらじ〟コンビでもある。それぞれ別のことに関心を持っているが、案外仲は良いようで、「この日も東京から電車で、いろいろ話し合いながら移動してきた」(嶋川さん)という。
異色のコンビのキャリアは福島県から始まった。
嶋川さんは早稲田大卒で、吉本興業のお笑い専門学校・吉本総合芸能学院(NSC)東京8期生。2003年に吉本所属の芸人となり、地方巡業しながら人情芝居を上演する「★☆☆(ほしの)弁当座」の所属となった。
2005年12月、そんな一座につくば国際大卒で、地元茨城県での芸人活動を経て、吉本入りした関さんが新たに加入した。
一座は2004年12月から福島市・飯坂温泉の「芝居小屋・飯坂温泉吉本はり紙昭和館」に派遣され、1年にわたり活動していた。ところが、吉本の方針転換により、地方巡業を中止し、自分たちで営業、企画、一座の運営をやるよう求められた。
突然の〝無茶ぶり〟だったが、嶋川さんを中心にメンバー8人が過酷な環境の中、手探りで活動を続けた。そのうちに努力の甲斐あって少しずつ仕事が増えるようになった。2年目に入るとラジオやテレビのレギュラーが決まり、ライブなども開催できるようになった。
そうした中で、メンバーがそれぞれネタを披露することになり、関さんと嶋川さんはコンビを組んでコントに挑戦した。1度だけの予定だったが、嶋川さんが女装するコントで観客を爆笑させた。手ごたえを感じた二人は正式にコンビとなった。
福島での独立を決意
大きな転機となったのは、吉本による再度の方針転換で「東京へ戻ってこい」という指令が下されたことだ。「東京に戻っても食べていける保証はない」と考えた一座は吉本から独立し、福島県に残ることを決意。団体名を「お笑いエンタ集団 みちのくボンガーズ」と改名した。
当初こそ〝吉本芸人〟の看板を外すことに不安があったが、大きな組織を飛び出して福島県に根付く姿勢を応援してくれる人たちが続出。福島県のご当地芸人として定着した。
「最初は全然受け入れてもらえなかったが、まさに〝会津の三泣き〟で、根っこの部分は人情深くて面倒見がいい人が多い。地方巡業して分かったのは、どこに行っても受け入れてもらう努力が必要であるということで、その場所で本気で頑張っていくという姿勢を見せることが重要。そういう意味で、福島県で一度受け入れてもらえたのは自分の中でとても大きいし、育ててもらったという感覚が強いです」(嶋川さん)
2012年以降は、福島県内だけでなく東京の寄席などにも積極的に上がるようになった。きっかけは2011年に発生した震災・原発事故だったという。
「原発事故直後、4月末まで避難所での無料お笑いライブを続けたのです。皆さんに喜んでもらえたのですが、その後、全国区のアイドルが避難所を訪れたとき、われわれが行ったとき以上に喜んでいた。そこで、福島県の皆さんに恩返ししていくためには、まず東京で売れて、有名になることが大事だと痛感したんです」(関さん)
東京で売れるために、まず何をすればいいか。2人が目を向けたのは、若手芸人が出演する渋谷や新宿のライブハウスではなく、浅草に拠点を置く一般社団法人漫才協会だった。
「漫才協会が漫才新人大賞というコンクールを開いていることを知ったんです。1組に与えられるネタ時間は10分。『M―1グランプリ』のネタ時間は1回戦2分、2回戦・3回戦3分で力を出し切れなかったが、10分であれば魅力が伝わるかもしれないと考えた。少しでも知名度を上げるきっかけにしたいと考えました」(関さん)
まずは同協会の会員になるため、チャンス青木さん(故人)、お笑いコンビおぼん・こぼんのマネージャーなどに頼み込み、協会理事を紹介してもらいどうにか入会できた。
その後は福島県内の仕事をこなしながら、空いている日は浅草東洋館の舞台に立ち、漫才の技術を磨き続けた。その結果、2012年には花形演芸大賞銀賞を受賞。そして2014年には当初の目標通り、漫才新人大賞で大賞を受賞した。
転機となったコロナ禍
「浅草界隈の新人の大会で優勝したに過ぎないが、福島県の地元紙では『母心日本一』と報じてもらった。福島県の皆さんの温かさを感じたし、やはり中央で頑張るのは大事なんだと感じました」(関さん)
福島県に恩返しするために、さらなる飛躍を誓った二人は、東京に拠点を移し本格的に全国区での活動を開始した。ところが、その直後にコロナ禍に見舞われ、漫才を披露する場がなくなってしまった。このことが二人にとって結果的に大きな転機となった。
「コロナ禍ですべての仕事がなくなり、県をまたいで福島県に行くわけにもいかず、収入ゼロの月が続いた。本筋である漫才以外にも何かやっていかなければ、と真剣に考えるようになりました」(関さん)
「加えてコンビ結成から10年以上経過して、漫才だけやっていたのでは行き詰まるという感覚があったので、『1回だけの人生、この機会にそれぞれやりたいことをやろう』という話になった。関ちゃんはもともと絵本を作っていて、私は地元・富山県高岡市を盛り上げたい気持ちがあった。そうした中で、富山県高岡市議選に立候補することを決めたんです」(嶋川さん)
嶋川さんは2021年の高岡市議選でトップでの初当選を果たし、その後は漫才の舞台に立ちながら、それぞれの活動を続ける日々が続いた。2023年には嶋川さんが同市議を辞職して富山県議選に立候補し、再びトップで初当選した。
ネタ作りを担当する関さんによると、当初は嶋川さんが政治家になったことで発言や活動が制限されるだろうし、いずれ辞めることになるのではないか、と周囲からずいぶん心配されたという。だが、関さんは「いまのところ、影響と言えるのは『議員に金品を贈ってはいけない』と心配されて、嶋ちゃんへのおひねりやプレゼントが減ったことぐらい。むしろ嶋ちゃんはキャラクターになりきって話すことで輝く才能があるので、政治家であることを生かせばさらに面白いネタが作れると思うんです」と笑いながら話す。
進化した漫才を披露

そのことを示したのが、3月23日に行われた「ザ・セカンド」のベスト16入りをかけたステージだ。
母心は、嶋川さんが現役地方議員で選挙戦を実際に経験していることをフルに生かし、国政の話題も盛り込んだ〝攻めた〟ネタを披露。審査員でもある観客から高い評価を得て、対戦相手である昨年の準優勝コンビ、ザ・パンチに勝利した。司会のお笑いコンビ・ギャロップからは「聞きやすい漫才」と絶賛された。進化した漫才を披露し、周囲の不安を〝笑い〟で跳ね返した格好だ。
「ザ・セカンド」1週間前の取材時、二人は次のように話していた。
「一昨年の大会でおじさんたちが全力で漫才する姿がかっこよかった。『観客の投票で勝敗が決まるなら無名でも勝機はある』と考え、事務所に無断で応募しました。嶋ちゃんに関しては、仕組みもいまいち分からないまま漫才をやっていた。昨年ベスト16入りを果たしたが、まだ満足できない。僕の計画ではここでベスト8以上に進出する。そして、漫才師として認められる存在となり、年末年始のネタ番組に呼ばれるようになるのが目標です」(関さん)
「ちょっとプレッシャーかけるのやめてよ、弱いんだから私……。昨年の大会に出て、壁の厚さを実感したけど、うちらはそれぞれ〝二足のわらじ〟でやってきたことをネタで表現してぶつけられればそれでいいと思います」(嶋川さん)
福島県での日々、議員活動や絵本作家などの経験こそが彼らの強み。「ザ・セカンド」ベスト8進出を決めるステージは4月19日の開催が予定されている。
どんな結果になるか分からないが、福島発のお笑いコンビを全国ネットのテレビで多く見かける日はそう遠くなさそうだ。
母心を知るキーマン①

最強のローカルタレント
「なんで私たち全国的に売れないのかしら?」
オカンこと嶋川が飲むたびに言うこと。私も全く同感である。
いまや福島県内のタレントとしてはダントツ人気と知名度を誇る母心だが、なかなか全国区にならない。20年近く一緒にテレビの仕事をし、番組で視聴率が悪いコーナーでも彼らを起用すると数字は上がるし、日本テレビの「笑点」にも何度か出演、その度にネットで少しバズる。でも全国の壁は突破できない。
関あつしは「僕らはもはや芸人ではなくテレビタレントだからですかね」と。確かに全国区のお笑い芸人はM―1など賞レースで派手に活躍してからテレビタレントに移行するケースが多い。実は2人は今も地道に賞レースに参加し、虎視眈々と全国区を狙っている。
コンビを組んで20年、今でも楽屋は一緒、移動の車も隣に座り談笑する本当に仲のいい2人には、何歳になっても良いので殻を破り、福島の地から巣立っていってほしい。
母心を知るキーマン②

2人との思い出は私の「青春」
2人のコントを初めて見たのは15年以上前の芦ノ牧温泉でのイベント。ステージを見て才能を感じ、当時担当していたラジオ福島の昼ワイド番組への出演を提案したが、上からOKが出なかった。そこで、テレビ局に「彼らは面白いのでテレビ出演はどうか」とお願いをしたところ、レギュラー出演が決まり、知名度が上がったこともあり、1年後にラジオ出演が決まった。
番組では、アドリブで昔話を作ったり演歌を歌ったりと自由にやり合った。無から笑いを生み出すオカン(嶋川さん)の天性の才能と、それをコントロールする関ちゃんのバランスがすばらしい。オカンはトークだけでなく日本舞踊の名取で動きも面白いし、モノマネも上手い。必ず全国区で活躍できると思っていた。
本当に多くのイベントを一緒に担当したし、プライベートでも親しくしてもらっている。母心と番組をやっていた時期はアナウンサーとしての「青春時代」。もう一度戻ってあの感じを味わいたいぐらい。