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  • 【衆院新2区最新情勢】大物同士が激しい攻防【根本匠】【玄葉光一郎】

    【衆院新2区最新情勢】大物同士が激しい攻防【根本匠】【玄葉光一郎】

     1票の格差を是正するため、衆議院小選挙区の数を「10増10減」する改正公職選挙法が2022年12月に施行され、福島県選挙区は5から4に減った。各党は次期衆院選に向けた候補者調整を進めているが、新2区では自民党・根本匠氏(72)=9期=と立憲民主党・玄葉光一郎氏(59)=10期=が激突。共に大臣経験者で、全国的にも勝負の行方が注目される選挙区だ。両氏は旧選挙区時代からの地盤を守りながら、新選挙区に組み入れられた市町村の攻略に心を砕いている。 予算確保で実力見せる根本氏、郡山で支持拡大を図る玄葉氏 新春賀詞交歓会で鏡開きのあとに乾杯する来賓  1月4日、郡山市のホテルハマツで開かれた新春賀詞交歓会。会場内はコロナ前の雰囲気に戻り、多くの政財界人が詰めかけていたが、舞台前の中央テーブルには根本匠氏と、少し距離を空けて玄葉光一郎氏の姿があった。  会が始まると、根本氏は舞台に上がり祝辞を述べたが、玄葉氏にその機会はなかった。根本氏にとって郡山は旧2区時代からの強固な地盤。新参者の玄葉氏が祝辞を述べられるはずもない。  しかし、続いて行われた鏡開きの際は様子が違った。互いに法被をまとい、木槌を手に威勢よく酒樽を開けていた。そもそも旧2区時代は会場に姿がなかったことを思うと、郡山が玄葉氏の選挙区になったことを強く実感させられる。  新2区は郡山市、須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡で構成される。旧選挙区で言うと、郡山市が旧2区で根本氏の選挙区、それ以外は旧3区で玄葉氏の選挙区。  別表①は県公表の選挙人名簿登録者数である(2023年12月1日現在)。郡山市が全体の62・5%と大票田になっているのが分かる。 表① 選挙人名簿登録者数 郡山市266,728 人須賀川市62,544 人田村市29,392 人岩瀬鏡石町10,364 人天栄村4,572 人石川石川町12,154 人玉川村5,294 人平田村4,754 人浅川町5,103 人古殿町4,064 人田村三春町14,129 人小野町7,940 人合計427,038 人※県公表。昨年12月1日現在。  前回2021年10月30日に行われた衆院選の旧2区、旧3区の結果は別掲の通り。その時の市町村ごとの得票数を新2区に置き換えたのが別表②である。表中では上杉謙太郎氏が須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡で獲得した票を根本氏に、馬場雄基氏が郡山市で獲得した票を玄葉氏に組み入れている。 表② 根本氏と玄葉氏の得票数(シミュレーション) 根本氏玄葉氏郡山市75,93764,865須賀川市15,38621,819田村市6,91113,185岩瀬鏡石町2,9043,592天栄村1,5391,880石川石川町4,0124,554玉川村1,6522,024平田村1,4721,958浅川町1,8491,788古殿町1,3231,757田村三春町2,7466,372小野町2,6123,301合計118,343127,095※前回2021年の衆院選の結果をもとに、上杉謙太郎氏の得票を根本氏、馬場雄基氏の得票を玄葉氏に置き換えて本誌が独自に作成。  このシミュレーションだと根本氏が11万8343票、玄葉氏が12万7095票で、玄葉氏が8752票上回る。ただ、上杉氏から根本氏、馬場氏から玄葉氏に代わった時、実際の有権者の投票行動がどう変わるかは分からない。  票の「行った・来た」で見ると、新2区への移行は根本氏に不利、玄葉氏に有利に働いている印象だ。というのも、根本氏は旧2区の二本松市、本宮市、安達郡で馬場氏より6000票余り多く得票していたが、これらの市・郡は新1区に移行。逆に玄葉氏は、旧3区の白河市、西白河郡、東白川郡で上杉氏に500票余り負けていたが、これらの市・郡は新3区に組み入れられた。一方、上杉氏に勝っていた須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡は新2区にそのまま残った。  「勝っていた地盤」を失った根本氏に対し「負けていた地盤」が切り離された玄葉氏。加えて根本氏は、固い地盤のはずの郡山で無名の新人馬場氏に追い上げられ、比例復活当選を許してしまった。  「前回衆院選の結果だけ見れば玄葉氏が優勢。玄葉氏は前回まで、上杉氏を相手にいかに票の減り幅を抑えられるか守りの選挙を強いられてきた。しかし新2区では、大票田の郡山をいかに切り崩すか攻めの選挙に転じられる。これに対し根本氏は前回、地元郡山で馬場氏に迫られ、今度は玄葉氏を相手に防戦しなければならない」(ある選挙通) 派閥の問題で強烈な逆風 根本匠氏 玄葉光一郎氏  根本氏も玄葉氏も、守りを固めて攻めたいと思っているはずだが、現状で言うと、それができそうなのは玄葉氏のようだ。例に挙げられるのが昨年11月に行われた県議選だ。  定数1の石川郡選挙区は自民党新人の武田務氏と無所属新人の山田真太郎氏が立候補したが、根本氏は武田氏の選対本部長に就き、玄葉氏は連日山田氏の応援に入るなど代理戦争の様相を呈した。  「石川郡選挙区はこれまで、玄葉氏の秘書だった円谷健市氏が3回連続当選を果たし、自民党は前回(2019年)、前々回(15年)とも円谷氏に及ばなかったが、組織的な選挙戦が行われなくても円谷氏と数百票差で競っていた。そうした中、今回は根本先生が直々に選対本部長に就き、徹底した組織戦を展開するなどかなりの手ごたえがあった」(地元の自民党関係者)  この関係者は勝っても負けても僅差になると思っていたという。ところが蓋を開けたら、逆に1000票以上の差をつけられ武田氏が落選。すなわちそれは、玄葉氏が旧3区時代からの地盤を守り、根本氏は積極介入したものの攻め切れなかったことを意味する。  ただ、根本氏の攻めの姿勢はその後も続いている。  「須賀川、田村、岩瀬、石川地区を隅々まで見て回った根本先生の第一声は『ここは時が止まっているのか』だった。政治が行き届いていないせいなのか、風景が昔と変わっていないというのです」(同)  旧3区の現状を把握した根本氏が行ったのは、徹底した予算付けだった。市町村ごとに予算がなくてできずにいた事業を洗い出し、根本氏が関係省庁に直接電話して必要な予算を引っ張ってきた。  「当時の根本先生は衆議院予算委員長。『予算のことなら任せろ』と強気で言い、実際、すぐに必要な予算を引っ張ってきたので、市町村長や議員は『今まで要望しても予算が付かなかったのでありがたい』と感激していた」(同)  別表③は根本氏が国と折衝し、昨年12月までに交付が決まった予算の一部である。どれも住民生活に直結する事業だが、金額はそれほど大きくないものの市町村単独では予算を確保できずにいた。政府に近い与党議員として力を発揮し、滞っていた事業を動かした格好だ。 表③ 根本氏が付けた主な予算 石川町県事業、いわき石川線石川バイパス5億円浅川町県事業、磐城浅川停車場線本町工区1億1200万円浅川町町事業、曲屋破石線2800万円平田村国道49号舗装整備(520m)3億1300万円須賀川市市道1-22号線浜尾工区(雲水峯大橋歩道整備)2億7000万円※平田村の3億1300万円は猪苗代町、いわき市と一緒に維持管理費として交付。  これ以外にも根本氏は▽釈迦堂川の国直轄部分の河川改修を促進(須賀川市)▽数年前から懸案となっていた県道あぶくま洞都路線の路面改良を実現(田村市)▽午前6時から午後10時までしか通行できなかった東北自動車道鏡石スマートICの24時間化を実現(鏡石町)▽もともと通っていた中学校の閉校で別の中学校に超遠距離通学しなければならない生徒に、タクシー送迎を補助対象に認める(天栄村)――等々を短期間のうちに行った。  地元政治家として長く君臨し、民主党政権時代には外務大臣や党政策調査会長などの要職を歴任した玄葉氏がいても、これらの事業は一向に実現しなかったということか。やはり与党と野党の政治家では、省庁の聞く耳の持ち方が違うのか。そもそも玄葉氏は、根本氏のような取り組みを「おねだり」と称すなど消極的だったが、市町村や県の力で解決できない困り事を国の力で解決するのは地元国会議員がやるべき当然の仕事だ。玄葉氏は県議選で「野党の国会議員だから仕事ができないというのは誤った認識」と述べていたが、こうして見ると、期数はほとんど変わらないのに与野党の立場の差を感じずにはいられない。  とはいえ、こうした予算が付いて喜んでいるのは市町村長や議員ばかりで、一般市民は河川改修や道路工事が進んでも、その予算が誰のおかげで付いたかは知る由もないし、関心を向けることもない。極端な話、市民が政治家に関心を向けるのは何か悪いことをした時くらい。今だと自民党派閥の政治資金パーティー問題が一番の関心事ではないのか。  マスコミの注目は最大派閥の安倍派と二階派だが、根本氏が所属する岸田派も会長の岸田文雄首相が真っ先に解散を宣言するなど、その渦中にいる。しかも根本氏は、事務総長という派閥の中心的立場。「当然、裏のことも知っているはず」と見られてしまうのは仕方がない。  1月12日にはアジアプレスが、フリージャーナリスト・鈴木祐太氏が執筆した「根本氏刑事告発」の記事を配信した。  《2020年以降、事務総長を務めている根本匠衆議院議員(福島2区選出)が新たに刑事告発された。昨年12月まで会長を務めていた岸田文雄総理ら3人と合わせて、岸田派で刑事告発されたのは計4人となった》《事務総長は派閥の「実務を取り仕切っており、同会長と共に収支報告書の記載方針を決定する立場にあった」と、提出された告発補充書で指摘されている》(同記事より抜粋)  告発状を出したのは神戸学院大学の上脇博之教授。今、解散総選挙になれば根本氏には強烈な逆風が吹き付けるだろう。 目に見えて増えたポスター  「派閥の問題が起きて以降、郡山市内を回っていても『許せない』と憤る市民は増えていますね」  そう明かすのは玄葉光一郎事務所の関係者だ。  「刑事告発の報道が出た翌日、根本氏は会合で釈明したようだが、その場にいた人たちは『だったらきちんと説明すべきだ』とシラけていたみたいですね」(同)  玄葉氏としては、ここを突破口に根本氏の地盤である郡山に深く切り込みたいところ。しかし、現実はそうもいかないようだ。  「玄葉は1年前から郡山を中心に歩いており、留守がちの地元・田村は本人に代わって奥さんと娘さんが歩いている。この間、郡山で回れる場所は何度も回ってきました」(同)  一見すると、挨拶回りは順調そうに見えるが  「これまで業界団体の会合に呼ばれたことは一度もない。ずっと根本氏を支えてきた人たちですから、当然と言えば当然です。市の中心部も思うように歩けておらず、現時点では(郡山市内に)事務所を構える見通しも立っていない」(同)  長年かけて築かれてきた相手の地盤に切り込むのは、簡単ではないということだ。  昨年秋以降は、郡山市虎丸町に事務所を置く馬場雄基氏と連携を強めている玄葉氏。1月下旬からは、自身と接点の薄い地域は馬場氏が先に単独で回り、そのあとを玄葉氏が回るなど、作戦を練りながら市の中心部に迫ろうとしている。  その成果が表れつつあることは、郡山市内の立憲民主党関係者の話からもうかがえる。  「ポスターの数が目に見えて増えている。以前は増子輝彦氏(元参院議員)のポスターが貼られていた場所も玄葉氏のポスターに変わっている。一番驚いたのは室内ポスターが増えていることだ。家や事務所の中に室内ポスターが貼ってあるということは、その人に投票するという意思表示でもある。馬場氏のポスターは、道路端ではよく見るが室内ポスターを見かけることはない。玄葉氏も『郡山は回れば回るほど(票が)増える』と言っていますからね。玄葉氏が確実に郡山に食い込んでいることを実感します」  ただし、こうも付け加える。  「今の自民党はダメだから、受け皿として玄葉氏に票が集まるのは自然な流れ。しかし、玄葉氏に投票した人が立憲民主党を支持しているかというとそうではない。自民党の支持率は下がっているのに、立民の支持率が上がらないのがその証拠。そもそも玄葉氏は党代表候補に挙がったことがないし、党のあり方を本気で語ったこともない。要するに、玄葉氏に投票する人たちは『玄葉党』の支持者なのです」(同)  旧3区でも市町村議や県議は自民党候補を応援するが、国会議員は玄葉氏に投票する人が大勢いた。郡山でもそうしたねじれ現象が見られるかもしれない。玄葉氏は田村出身だが、郡山の安積高校卒業なので同級生が頼りになる。岳父の佐藤栄佐久元知事は郡山出身で、栄佐久氏の支持者が健在な点も郡山にさらに食い込む材料になりそう。  もっとも、これらの材料は我々のような外野が思っているほど当事者は有利に働くとは考えていない。前出・玄葉事務所関係者の話。  「安積高校卒業は根本氏もそうだし、栄佐久氏の支持者はずっと根本氏を支持してきた。周りは『同級生や岳父がいる』と言うが、その人たちが玄葉が来たからといって急に根本氏から鞍替えするかというと、そうはなりませんよ」 知事選を気にかける経済人  郡山で着々と支持を広げる玄葉氏だが、そこには衆院選と同時に知事選の話も付きまとう。  本誌昨年8月号でも触れたが、玄葉氏をめぐっては、一度は政権交代を果たしたものの野党暮らしが長くなっているため、支持者から「首相になれないなら知事に」という声が上がっている。玄葉氏も本誌の取材に、そういう声を耳にしていることを認めつつ「今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての次の展望はない」と語っている。  郡山の経済人には、根本氏を支持しながら玄葉氏と個人的な関係を築いている人が結構いる。そういう経済人からは「知事選に出るなら出ると態度をはっきりさせてほしい」との本音も漏れる。  「このまま解散せず任期満了まで務めたら衆院選は2025年秋。一方、次の知事選は26年10月ごろ。そうなると仮に玄葉氏が衆院選に勝っても、1年しか務めずに知事選の準備をしなければならない。そんなのは現実的ではないし、幅広い支持層を取り込もうとするなら根本氏と真っ向勝負をして反感を買うのは得策ではない」(経済人)  ただ、内堀雅雄知事が4期目も目指すことになれば、内堀氏を知事に推し上げた玄葉氏が次の知事選に立候補する可能性はほぼなくなる。自分の思いだけでなく、環境も整わないと知事転身に踏み切れない以上、今は目の前の衆院選に全力を注ぐしかない。  元の地盤を守りながら未知の市町村を攻める根本氏と玄葉氏。前記・シミュレーション通りにはいかないだろうが、どちらが当選しても(あるいは比例復活で両氏とも当選しても)国会で仕事をするのは当然として、地元住民の生活に資する仕事をしてもらわないと住みよい県土になっていかないことを意識していただきたい。

  • 【玄葉光一郎】衆院議員空虚な「知事転身説」

    【玄葉光一郎】衆院議員空虚な「知事転身説」

     数年前から突如として囁かれるようになった玄葉光一郎衆院議員(59)の「知事転身説」。背景には野党暮らしが長くなり、このまま期数を重ねても出世の見込みが薄いため「政治家として新たなステージを目指すべきだ」という支持者の思いがある。内堀雅雄知事(59)の3期目の任期満了日は2026年11月11日。次の知事選まで3年余り、玄葉氏はいかに行動するのだろうか。本人に真意を聞いた。 首相になれない状況を悲嘆する支持者  玄葉氏の知事転身説を耳にするようになったのは、内堀氏が再選を果たした2018年の知事選が終わってからだろうか。 「内堀知事は2期目で復興の道筋をつけ、3期目を目指す気はないようだ」 こう訳知り顔で話す人に、筆者は何人も会ったが、では、その人たちが何か根拠があって話していたのかというとそうではない。政治談議は時に、あれこれ言い合うから盛り上がるわけで「誰かが『2期で終わるんじゃないか』と言っていた」「オレもそう思う」などと話しているうちにそれがウワサとなって広まり、いつの間にか「定説」として落ち着くのはよくあることだ。 ならば、内堀知事が2期8年で引退するとして「次の知事は誰?」となった時、多くの人が真っ先に思い浮かべたのが玄葉氏だったと推測される。 なぜか。 一般的に「次の市町村長は誰?」となれば、大抵は副市町村長、市町村議会議長、地元選出県議などの名前が挙がる。同じように「次の知事は誰?」となれば、副知事、官僚、国会議員などが有力候補になる。 消去法で見ていこう。 現在の鈴木正晃、佐藤宏隆両副知事は、総務部長などを歴任したプロパーで、優秀なのかもしれないが知名度はない。 官僚は、探せばいくらでも見つかるし、政治家転身への意欲を持つ官僚もいるが、内堀氏が総務省出身であることを踏まえると、2代続けて〝官僚知事〟は抵抗がある。 内堀雅雄知事  残る国会議員は元参院議員の増子輝彦氏(75)や荒井広幸氏(65)の名前を挙げる人もいたが、民間人としてすっかり定着し、年齢も加味すると現実的ではない。 というわけで現職の国会議員を見渡した時、多くの人が「最適」と考えたのが玄葉氏だったのだろう(誤解されては困るが、本誌は玄葉氏が知事に「適任」と言っているのではない。多くの人が「最適」と考える理由を探っているだけである)。 理由を探る前に、玄葉氏の政治家としてのルーツを辿る。 玄葉光一郎衆院議員  1964年、田村郡船引町(現田村市)に生まれた玄葉氏は、父方の祖父が鏡石町長、母方の祖父が船引町長、のちに結婚する妻は当時の佐藤栄佐久知事の二女と、幼少のころから政治と縁の深い家庭環境に身を置いてきた。 安積高校、上智大学法学部を卒業後は政治家を志し、松下政経塾に入塾(8期生)。4年間の研修・実践活動を経て1991年の福島県議選に立候補し、県政史上最年少の26歳で初当選を果たす。県議会では自民党に所属したが、わずか2年で県議を辞職。その年(93年)の衆院選に福島2区(中選挙区、定数5)から無所属で立候補し、並み居る候補者を退け3位で議員バッジを手にした。 当選後は自民党を離党、新党さきがけに所属した。以降は旧民主党、民主党、民進党、無所属(社会保障を立て直す国民会議)、立憲民主党と連続当選10回の議員歴は、民主党が一度は政権交代を果たし、玄葉氏も外務大臣や内閣府特命担当大臣、党政策調査会長などの要職を務めたものの、野党に身を置く期間が9割近くを占める。 それでも、選挙では無類の強さを発揮してきた。初めて小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の衆院選こそ選挙区で荒井広幸氏に敗れ、比例復活当選に救われたが、次の衆院選で荒井氏とコスタリカを組む穂積良行氏を破り、次の次の衆院選で荒井氏も退けると、以降は対立候補を大差で退けてきた。もちろん玄葉氏の背後に、当時絶大な権勢を誇った岳父・佐藤栄佐久知事の存在があったことは言うまでもない。 しかし、栄佐久氏が県政汚職事件で失脚し、前々回、前回の衆院選では自民党の上杉謙太郎氏(48、2期、比例東北)に追い上げられたことからも分かるように、かつてのいかに得票数を増やすかという攻めの選挙から、近年はいかに得票数を減らさないかという守りの選挙に変わっていった。それもこれも野党議員では政府への陳情が通りにくい中、久しぶりに誕生した与党議員(上杉氏)に期待する有権者が増えていた証拠だろう。 旧福島3区では、選挙区は玄葉氏の名前を書くが、比例区は自民党に投票する、あるいは県議選や市町村議選は自民系の候補者を推すという〝ねじれ現象〟が長く続いている。原因は玄葉氏の政治家としての出発点が自民党で、佐藤栄佐久氏も同党参院議員を務めていたから。野党暮らしが長いとはいえ、支持者たちも元はと言えば自民党なのである。 そうした中で聞こえるのが「新党さきがけに行かず、自民党に留まっていれば……」と落胆する声だ。今の玄葉氏は、野党に身を置いたからこそ存在するわけで「たられば」の話をしても仕方ないのだが、根っこが自民党だけに残念がる人が多いのは理解できる。 なぜなら、仮に自民党で連続10回当選を重ねれば、主要閣僚はもちろん総理大臣に就いている可能性もあったからだ。来年還暦の玄葉氏はその若さも魅力になったはず。 ただ如何せん野党の身では、総理大臣は夢のまた夢。ならば政権交代を成し遂げるしかないが、政策の一致点が見いだせない野党はまとまる気配がない。玄葉氏が所属する立憲民主党も支持率が低迷し、野党第一党の座も危うい。選挙でも上杉氏に徐々に迫られている。 だから、支持者からは「このまま野党議員を続けていても展望が開けない」という本音が漏れるようになっていたし、それが次第に「いっそのこと、政治家として新たなステージを目指した方がいい」という期待へと変わっていったのだろう。 陳情受け付けに消極的  とはいえ、もし玄葉氏が知事選に立候補するとなった時、衆院議員としてどのような実績を残したかは冷静に見極める必要がある。 震災・原発事故当時、玄葉氏は外務大臣をはじめ民主党政権の中枢にいたが、地盤の旧3区をはじめ福島県に何をもたらしたか。玄葉氏はもともと、陳情をおねだりと評し「そういうことは避けた方がいい」と語っていた(※)。昔からの支持者も「玄葉君は若いころから(陳情の受け付けに)消極的だった」と認めている。 ※河北新報(2008年3月17日付)のインタビューで 「おねだり主義」という言葉を使っている。  上杉氏の支持者からはこんな皮肉も聞こえてくる。 「旧3区内を通る国道4号は片側1車線の個所が未だに残っている。それさえ解消できていない人が知事と言われても……」 旧3区の石川郡の政治関係者は、同郡が新2区に組み込まれたことでこんな体験をしたという。 「新2区から立候補を予定する自民党の根本匠衆院議員(72、9期)に『この道路をこうしてほしい』『あの課題を何とかしたい』とお願いしたら、その場から担当省庁に電話し即解決への道筋が示されたのです。実力者に陳情すればこんなに早く解決するのかと驚いたと同時に、根本氏も『石川郡はこんな些細な課題も積み残されているのか』と嘆いていました」 陳情を受け付けることは選挙区への我田引水ではなく、県民生活を良くするための手段だ。玄葉氏が知事になれば県民にとってプラスと感じられなければ、地元有権者の「衆院議員から知事になっても変わらないんじゃない?」との見方は払拭できないのではないか。 こうしたミクロの視点と同時にマクロの視点で言うと、東北大学大学院情報科学研究科(政治学)の河村和徳准教授は本誌昨年10月号の中でこのように語っていた。 「問題は玄葉氏が知事選に出るとなった時、自公政権と正面から交渉できるかどうかです。政権はおそらく、玄葉氏が知事選に出たら『野党系の玄葉氏とは交渉できない』とネガティブキャンペーンを展開するでしょう」 政権に近い内堀知事が、原発事故の海洋放出問題で国を一切批判しないのは周知の通り。野党系の玄葉氏が知事になった時、自公政権に言うべきことは言いつつ、福島県にとって有意義な予算や政策を引き出せるかどうかは、知事としての評価ポイントになる。 「次の展望」  結局、内堀氏は2022年の知事選で3回目の当選を果たしたが、既にこのころには玄葉氏の知事転身説は頻繁に聞かれるようになっていた。 本誌2021年12月号でもこのように書いている。 《玄葉氏をめぐっては、このまま野党議員を続けても展望がなく、衆院区割り改定で福島県が現在の5から4に減れば3区が再編対象となる可能性が高いため、「次の知事選に挑むのではないか」というウワサがまことしやかに囁かれている。 「玄葉は内堀雅雄知事の誕生に中心的役割を果たした。その内堀氏を押し退け、自分が知事選に出ることはあり得ない」(玄葉事務所)》 玄葉氏が内堀氏の知事選擁立に中心的役割を果たしたのは事実だ。内堀氏が初当選した2014年の知事選の出陣式ではこう挨拶している。 「内堀雅雄候補と私は14年来の付き合いであり、この間、内堀さんの安心感と信頼感を与える仕事ぶりを見てきた。3・11以降、内堀候補は副知事として最も適切なタイミングで最も適切な対応をとってきた。県職員、市町村長からも絶大な信頼を受けている。県民総参加で県政トップに内堀雅雄候補を推し上げ、復興を成し遂げてもらいたい」 これほど強いフレーズで支持を呼びかけた内堀氏を自ら押し退けて知事に就くことは、玄葉事務所も述べているように確かにあり得ない。 ただ、内堀氏が今期で引退するとなれば話は別だ。政治家が自らの進退を早々に第三者に告げることは考えにくいが、内堀氏と玄葉氏は共に1964年生まれの同級生であり、玄葉氏が「14年来の付き合い」と語っているように両者が親しい関係にあるなら、阿吽の呼吸で「私の次はあなた」「あなたの次は私」と意思疎通が図られても不思議ではない。 実際、玄葉氏が知事選立候補を決意したのではないかと思わせる出来事もあった。 「10増10減」で福島県の定数が4に減った 馬場雄基衆院議員  衆院小選挙区定数「10増10減」で福島県の定数が4に減ったことを受け、旧3区選出の玄葉氏は次の衆院選では新2区から立憲民主党公認で立候補する予定。しかしその前段には、旧2区を地盤とする馬場雄基衆院議員(30、1期、比例東北)との候補者調整が難航した経緯がある。 立憲民主党県連は党本部に対し、現職の両者を共に当選させる狙いから、同党では前例のないコスタリカ方式を採用するよう打診した。しかし、党本部はこれを見送り、玄葉氏を選挙区、馬場氏を比例東北ブロックの名簿1位で擁立する方針を決定したが、玄葉氏が一度はコスタリカを受け入れたことに、選挙通の間ではある憶測が広まった。 あらためてコスタリカ方式とは、同じ選挙区に候補者が2人(A氏、B氏)いた場合、A氏が選挙区、B氏が比例区で立候補したら、次の衆院選ではB氏が選挙区、A氏が比例区に交代で回る方式である。ただ、比例区は政党名での投票で、全国的な著名人でもない限り顔と名前を覚えてもらえないため、コスタリカの当事者たちは必ず、自分の名前を書いてもらえる選挙区からの立候補を強く望む。 前述・自民党の荒井広幸氏と穂積良行氏がコスタリカを組み、玄葉氏にことごとく敗れたのは、名前を書いてもらえない比例区に回っている間に、玄葉氏が顔と名前を有権者に浸透させたことが影響している。 そんなコスタリカ方式の弊害を身を持って知る玄葉氏が、馬場氏との間で受け入れたとなったから、選挙通たちは「玄葉氏は最初に選挙区から立候補し、あとは知事選に挑むので、結局、比例区から立候補する状況にならない。だからコスタリカを受け入れたのではないか」と深読みし、知事転身説がより色濃くなったのである。 当の玄葉氏はどのように考えているのか。本誌は衆院解散もあり得るとされていた6月上旬、本人に質問し、次のようなコメントを得た。 「確かに皆さんのところを回っていると『首相になれないなら知事選に』と言われます。ただ、今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての『次の展望』はない。選挙区で必ず勝つ。そうでないと『次の展望』もないと思っています」 「私たちの政権が続いたり、現政権がブレる可能性があれば逆に(知事転身を)言われないのかもしれませんね。今はそういう政局じゃないから(知事選と)言われるのかな。ま、なんて言ったらいいのか。うーん、それ以上のことは触れない方がいいかもしれませんね。はい、これからしっかり考えます」 含みを持たせるような発言だが、周囲から知事転身を勧められていることは認めつつ、自ら「目指す」とは言わなかった。 新2区でも〝ねじれ現象〟  ちなみに本誌には、支持者や立憲民主党関係者から「本人から『知事を目指す』と挨拶された」「いや、本人が『目指す』と言ったことは一度もない」という話が度々伝わってくるが、真偽は定かではない。 「選挙区で必ず勝つ」と発言している通り、玄葉氏は今、新2区の中心都市である郡山市内を精力的に歩いている。さまざまなイベントや会合に顔を出し、各種団体や事業所からも「×回目の訪問を受けた」との話を頻繁に聞く。玄葉氏自身も「当選がおぼつかなかった初期の選挙時並みに選挙区回りをしている」と語っている。 玄葉氏は郡山市(旧2区)に縁がないわけではない。母校は安積高校なので同級生や先輩・後輩は大勢いる。佐藤栄佐久氏も同市出身で政界を離れて17年経つが、今も存在する支持者が玄葉氏を推すとみられる。経済人の中にも旧3区時代から支えてきた人たちが一定数いる。 同じく新2区から立候補を予定する根本匠氏はそうした状況に強い危機感を抱いており、同区は与野党の大臣経験者が直接対決する全国屈指の激戦区として注目されるのは確実だ。玄葉氏が本気で知事を目指すなら次の衆院選は負けられないが、根本氏も息子の拓氏にスムーズに地盤を引き継ぐため絶対に負けられない戦いとなる。 根本匠衆院議員  ある建設業者からはこんな本音も聞かれる。 「今までは無条件で根本先生を支持してきた。ウチの事務所にも根本先生のポスターが張ってあるしね。でも、玄葉氏が出るとなれば話は変わってくる。国政レベルで考えれば与党の根本先生を推した方が断然得策。しかし玄葉氏は、今は野党だが将来、知事になる可能性がある。いざ『玄葉知事』が誕生した時、あの時の衆院選で玄葉氏を応援しなかったとなるのは避けたいので、次の衆院選は、表向きは根本先生を支持しつつ玄葉氏への保険もかけておきたいという業者は多いと思う」 旧3区で見られる〝ねじれ現象〟が新2区でも起こりつつある。知事転身説の余波と言えよう。 あわせて読みたい 【玄葉光一郎】衆議院議員インタビュー 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

  • 【玄葉光一郎】衆議院議員インタビュー

    【玄葉光一郎】衆議院議員インタビュー

    げんば・こういちろう 1964年生まれ。安積高校、上智大学法学部卒。民主党政権時に外務大臣、国家戦略担当大臣、内閣府特命担当大臣、同党政策調査会長などを歴任。現在、立憲民主党東日本大震災復興対策本部長。10期目。  衆議院小選挙区の区割り変更に伴い、立憲民主党の玄葉光一郎衆院議員(59)は、地盤としてきた改定前の福島3区が分割されることになった。党内での候補者調整の経緯と新たな選挙区となる新福島2区での意気込みを、衆院解散の緊迫感が増す6月中旬に聞いた。支持率が低迷する同党の野党第一党としての責任についても尋ねてみた。  ――衆院小選挙区定数「10増10減」に伴い、定数1減の本県では区割りが変更となる中、立憲民主党は次の衆院選で新しい福島2区(郡山市、田村市、須賀川市、田村郡、岩瀬郡、石川郡)に玄葉代議士の擁立を決定しました。経緯と今後の選挙戦略についてうかがいます。 「中選挙区時代も含めると10期もお世話になってきた選挙区が二つに分割されるということで、体が引き裂かれる思いです。新2区、新3区のどちらを選んでも現職が既にいる状況が生まれてしまいました。 自分はどちらに重点を置いて活動すべきかということで、後援会の皆さんと丁寧に議論を重ねました。私が生まれ育ったのは田村で、主な地盤にしてきたのは田村、須賀川、岩瀬、石川地方です。一方、郡山も地元と言っていい。安積高校に通いましたし、郡山の経済圏で生活してきました。妻も郡山出身で縁が深い。最終的に新2区を活動の基盤にすると決めて、その上で馬場雄基代議士との競合をどうするかということになりました。 県連は当初からコスタリカ方式を進める方針でしたが、立憲民主党では比例枠がそもそも限られています。今後2回にわたり福島県で比例枠を一つずつ確保するのはかなり困難と予想されていました。 私自身、小選挙区で出る選択と比例で立候補し名簿順位で優遇を受ける選択の両方がありましたが、馬場代議士からは『まずは先輩が小選挙区で出てほしい』という話がありました。考え抜いた結果、私が小選挙区で当落のリスクを負うのが適切なのではないかと腹を据えました。ただし、そのためには馬場代議士が比例東北ブロック名簿で1位の優遇を受けることが前提になります。党本部に働きかけて、最終決定しました。 過去の選挙を振り返ると、当選を4回果たすまでは揺るがない支持をいただくために無我夢中でした。新しい区割りでの選挙は、若手時代と同様のチャレンジ精神が必要だと考えています。試練ではありますが、変化を新しいエネルギーに変えようと、原点に立ち返り精力的に選挙区内を回っています。新たな出会いの中に政治家の使命と喜びを日々見つけています」 ――日本維新の会が選挙の度に勢いを増していますが、野党第一党の座にある立憲民主党の現状をどのように捉えていますか。 「私は選挙に関しては、所属する党を前面に出して戦ったことはこれまで一度たりともありません。玄葉光一郎という政治家個人の力を訴えてきた姿勢は今後も変わりません。それで有権者を引き付けられなかったら、政治家としての魅力不足だと捉えています。 党の現状については、私は代表ではないので、責任を持って言える立場にありません。ただ個人的には、立憲民主、維新、国民民主による3派連合が望ましいと思っています。3派連合ができたら、いくつかの共通の公約を掲げ、選挙区調整をして、さらには共通の総理候補を立てて政権を狙う。もっとも、現状はそれができる段階ではありませんが。 維新や国民民主と現政権に代わる共通の総理候補を立てるまでの信頼関係を築けなかったことは、野党第一党の責任と捉えています。ただ、やはり政治に緊張感をもたらすために、野党は可能な限り協力すべきです」 ――5月8日から新型コロナウイルスの感染症法の位置付けが2類相当から5類に引き下げられました。今後求められる対策についてうかがいます。 「現政権に足りないのは、アフターコロナについて、地方に活力を与える分散型国土を目指し、人口減少抑止につなげようとする視点です。コロナ禍で一時、東京は転出超過になりました。私はコロナ禍を機に分散型国土を実現するため、思い切った手を打ってはどうかと予算委員会で岸田文雄総理に提案しました。例えば、私立大学の一学部でもいいので、地方に移してもらう。そのために協力してくれる私学には助成金を大幅に優遇する。また5G、6Gなどの次世代通信システムを東京から整備するのではなく、地方から整備するといった政策です。 しかし、コロナ禍が収束に向かうと、再び地方から都市への転入超過に戻ってしまいました。第二次安倍政権以降、東京一極集中はますます進んでいるように思います。自公政権は分散型国土を本気でつくる気がない。 少子化対策は、手当と同時に分散型国土の整備を進めなければ効果が得られません。 賃金が正規雇用よりも低い非正規雇用の割合が増え、結婚・出産に踏み切れない要因になっています。地方と都市の格差が広がり、若年層の所得が伸びていない点を直視しないと、少子化問題は克服できないと考えています」 ――東京電力福島第一原発でトリチウムを含んだ処理水の海洋放出が始まろうとしていますが、依然として安全性や風評被害を懸念する声が後を絶ちません。本県選出代議士として海洋放出の是非ならびに風評被害問題をどう解決すべきと考えますか。 「技術的には大丈夫なのだろうと信じたい。ただ『燃料デブリに触れた水』を海に流すのは歴史上初めてのことです。100%安心ではないという方の気持ちは分かります。 この間、私は二つのことを求めてきました。一つは、トリチウムの分離技術を最大限追求すること。もう一つは、海洋放出を福島県だけに押し付けるのではなく、県外でもタンク1杯分でいいから引き受けてもらってはどうか、と。残念ながら、それらに対する努力の形跡は全く見られていません。 科学的に大丈夫と示せても、残念ながら、近隣の韓国、中国だけではなくアメリカも含めた7割以上の人が『処理水が海に流れたら福島の農産品は買わない』というアンケート結果があります。他国から視察に来てもらい、丁寧に説明する必要があります。海外で安心して県産農産品を買ってもらうには、並大抵の努力では足りないと思います」 ――最後に、有権者にメッセージをお願いします。 「区割りの変化を新しいエネルギーに変えていきます。これまでお世話になった選挙区が引き裂かれてしまったことは大きな試練ですが、いまはチャレンジの機会と捉え直しています。有権者の皆さん、特に郡山の皆さんとは新たな出会いを通じ、しっかりとした絆を築けるようにしていきたい。お世話になった方々への恩を忘れず、多くの皆さんのためにしっかり汗をかき、必ず期待に応えていきたいと思っています」

  • 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

    区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

     選挙区の変更に翻弄されたり、陰で「もう辞めるべきだ」と囁かれている県内衆院議員たち。その最新動向を追った。 新3区支部長は菅家氏、上杉氏は比例単独へ 森山氏と並んで取材に応じる菅家氏(右)と上杉氏(左)=3月21日の党県連大会  衆院区割り改定を受け、県南地方の一部(旧3区)と会津全域(旧4区)が一つになった新3区。この新しい選挙区で自民党から立候補を目指していたのが、旧3区で活動する上杉謙太郎氏(47)=2期、比例東北=と、旧4区を地盤とする菅家一郎氏(67)=4期、比例東北=だ。 次期衆院選の公認候補予定者となる新3区の支部長について、党本部は「勝てる候補者を擁立する」という方針のもと、上杉氏と菅家氏が共に比例復活当選だったこと、県内の意向調査で両氏を推す声が交錯していたことなどを理由に選定を先延ばししてきた。一方、中央筋から伝わっていたのは、党本部は上杉氏を据えたい意向だが、両氏が所属する派閥(清和政策研究会)は菅家氏を推しているというものだった。 選定の行方が注目されていた中、党本部は3月14日、新3区の支部長に菅家氏を選び、上杉氏は県衆院比例区支部長として次期衆院選の比例東北で名簿上位の優遇措置が取られることが決まった。 森山裕選対委員長は、菅家氏を選んだ理由を「主な地盤が会津だったから」と説明した。県南と比べ会津の方が有権者数が多いことが判断基準になったという。 本誌は1月号の記事で、上杉氏は新3区から立候補したいが菅家氏に遠慮していると指摘。併せて「菅家氏は会津若松市長を3期務めたのに小熊慎司氏に選挙区で負けており、支部長に相応しくない」という上杉支持者の声を紹介した。 それだけに上杉支持者は今回の選定に落胆しているかと思ったが、意外にも冷静な分析をしていた。 「有権者数を比べれば、県南(白河市、西白河郡、東白川郡)より会津の方が多いので、菅家氏が選ばれるのは妥当です。上杉氏がいきなり会津に行っても得票できないでしょうからね」(ある支持者) そう話す支持者が見据えていたのは、負ける確率が高い「次」ではなく「次の次」だった。 「菅家氏は次の衆院選で相当苦戦するでしょう。小熊氏と毎回接戦を演じているところに、県南の一部が入ることで玄葉光一郎氏の応援がプラスされる。今回の選定は、党本部が『菅家氏が選挙区で負けても、上杉氏が比例で当選すれば御の字』と考えた結果と捉えています」(同) そこまで言い切る理由は、両氏に対し、一方が小選挙区、もう一方が比例単独で立候補し、次の選挙では立場を入れ替えるコスタリカ方式を導入しなかったことにある。 「コスタリカを組むと、選挙区に回った候補者が負けた場合、比例に回った候補者は『オマエが一生懸命やらなかったから(選挙区の候補者が)負けた』と厳しく批判され、次に選挙区から出る際のマイナス材料になってしまう」(同) 上杉氏は次の衆院選で、菅家氏のために一生懸命汗をかくことになるが、その結果、菅家氏が負けてもコスタリカを組んでいないので批判の矛先は向きにくい。一方、汗をかいた見返りに、これまで未開の地だった会津に立ち入ることができる。すなわちそれは、次の衆院選を菅家氏のために戦いながら、次の次の衆院選を見据えた自分の戦いにつながることを意味する。 「もし菅家氏が負ければ、既に2回比例復活当選しているので支部長には就けないから、次の次は上杉氏の出番になる。上杉氏はその時を見越して(比例当選で)バッジをつけながら選挙区で勝つための準備を進めればいい、と」(同) もちろん、このシナリオは菅家氏が負けることが前提になっており、もし菅家氏が勝てば、今度は上杉氏が比例東北で2回連続優遇とはいかないだろうから、途端に行き場を失う恐れがある。前出・森山選対委員長は上杉氏に「次の次は支部長」と密かに約束したとの話も漏れ伝わっているが、これだってカラ手形に終わる可能性がある。 いずれにしても「選挙はやってみなければ分からない」ので、今回の選定が両氏にとって吉と出るか凶と出るかは判然としない。 党本部のやり方に拗ねる馬場氏 馬場雄基氏  馬場雄基氏(30)=1期、比例東北=が3月15日に行ったツイッターへの投稿が波紋を生んでいる。 《質問終え、新聞見て、目を疑いました。事実確認のために、常任幹事会の議事録見て、本当と知ってショックが大きすぎます。県連常任幹事会で話したことは正しく伝わっているのでしょうか。本人の知らないところで、こうやって決まっていくのですね。気持ちの整理がつきません》 https://twitter.com/yuki_8ba/status/1635848039670882309  真に言いたいことは分からないが、立憲民主党本部が行った「何らかの決定」にショックを受け、不満を露わにしている様子は伝わってくる。 投稿にある「新聞」とは、3月15日付の地元紙を指す。そこには党本部が、次期衆院選の公認候補予定者となる支部長について、新1区は金子恵美氏、新3区は小熊慎司氏を選任したという記事が載っていた。 実は、馬場氏も冒頭の投稿に福島民友の記事写真を掲載したが、同記事には馬場氏に関する記載がなかったため、尚更「何にショックを受けたのか」と憶測を呼んだのだ。 党県連幹事長の髙橋秀樹県議に思い当たることがあるか尋ねると、次のように話した。 「私も支持者から『あの投稿はどういう意味?』と聞かれたが、彼の言わんとすることは分かりません。県連で話したことが党本部に正しく伝わっていないと不満をのぞかせている印象だが、県連の方針は党本部にきちんと伝えてあります」 馬場氏をめぐる県連の方針とは、元外相玄葉光一郎氏(58)=10期、旧3区=とのコスタリカだ。 衆院区割り改定を受け、玄葉氏は新2区から立候補する考えを示したが、旧2区で活動する馬場氏も玄葉氏に配慮し明言は避けつつも、新2区からの立候補に意欲をにじませていた。これを受け県連は2月27日、両氏を対象にコスタリカ方式を導入することを党本部に上申した。 この時の馬場氏と玄葉氏のコメントが読売新聞県版の電子版(3月1日付)に載っている。 《記者会見で、馬場氏はコスタリカ方式の要請について、「現職同士が重なる苦しい状況を打開し、党本部の決定を促すためだ」と強調。「その部分が決定してから様々なことが決まる」と述べた。玄葉氏は「活動基盤を新2区にしていく。私にとっては大きな試練だ」とし、「比例に回った方が優遇される環境が前提だが、私の場合、小選挙区で出る前提で準備を進める」とも述べた》 馬場氏は玄葉氏とのコスタリカを認めるよう党本部に強く迫り、それが決まらないうちは他の部分は決まらないと強調したのだ。 ただ党本部は、コスタリカで比例区に転出する候補者(馬場氏)は名簿上位で優遇する必要があり、他県と調整しなければならないため、3月10日に大串博志選対委員長が「統一地方選前の決定はあり得ない」との見解を示していた。 そして4日後の同14日、党本部は前述の通り金子氏を新1区、小熊氏を新3区の支部長とし、新2区については判断を持ち越したため、馬場氏はショックのあまりツイッターに思いを吐露したとみられる。 進退にも関わることなので馬場氏の気持ちは分からなくもないが、前出・高橋県議は至って冷静だ。 「もしコスタリカを導入すれば立憲民主党にとっては初の試みで、比例名簿の上位登載は他県の候補者との兼ね合いもあるため、簡単に『やる』とは発表できない。調整に時間がかかるという党本部の説明は理解できます」(高橋県議) 要するに今回の出来事は、多方面と調整しなければ結論を出せない党本部の苦労を理解せずに、馬場氏が拗ねてツイッターに投稿した、ということらしい。 馬場事務所に投稿の真意を尋ねると、馬場氏本人から次のようなコメントが返ってきた。 「多くの方々に支えられて議員として活動させていただいていることに誇りと責任を持って行動していきます。難しい状況だからこそ、より応援の輪を広げていけるよう精進して参ります」 ここからも真意は読み取れない。 前述の上杉・菅家両氏といい、馬場氏といい、衆院区割り改定に翻弄される人たちは心身が休まることがないということだろう。 健康不安の吉野氏に引退を求める声 吉野正芳氏  選定が難航する区もあれば、すんなり決まった区もある。そのうちの一つ、自民党の新4区支部長には昨年12月、現職の吉野正芳氏(74)=8期、旧5区=が選任された。 選挙の実績で言えば、支部長選任は順当。ただ周知の通り、吉野氏は健康問題を抱え、このまま議員を続けても満足な政治活動は難しいという見方が大勢を占めている。 復興大臣を2018年に退任後、脳梗塞を発症。療養を経て現場復帰したが、身体に不自由を来し、移動は車椅子に頼っているほか、喋りもスムーズではない状態にある。 「正直、会話にはならない。吉野先生から返ってくる言葉も、こもった話し方で『〇くん、ありがとね』という具合ですから」(ある議員) 要するに今の吉野氏は、国会・委員会での質問や聴衆を前にした演説など、衆院議員として当たり前の仕事ができずにいるのだ。3月21日に開かれた党県連の定期大会さえも欠席(秘書が代理出席)している。 ここで難しいのは、政治家の出処進退は自分で決めるということだ。周りがいくら「辞めるべき」と思っても、本人が「やる」と言えば認めざるを得ない。 ただ、吉野氏の場合は前回(2021年10月)の衆院選も同様の健康状態で挑み、この時は周囲も「あと1期やったら流石に引退だろう」と割り切って支援した経緯があった。ところが今回、新4区支部長に選任され、本人も事務所も「まだまだやれる」とふれ回っているため、地元では「いい加減にしてほしい」と思いつつ、首に鈴をつける人がいない状況なのだ。 写真は3月21日の党県連定期大会を欠席した吉野氏が会場に宛てた祝電  「吉野氏の後釜を狙う坂本竜太郎県議は内心、『まだやるつもりか』と不満に思っているだろうが、ここで波風を立てれば自分に出番が回ってこないことを恐れ、ひたすら沈黙を貫いています」(ある選挙通) 旧5区、そして新たに移行する新4区は強力な野党候補が不在の状態が続いている。それが、満足な政治活動ができない吉野氏でも容易に当選できてしまう要因になっている。ただ、いつまでも当選できるからといって「議員であり続けること」に固執するのは有権者に失礼だ。 それでなくても新4区は原発被災地が広がるエリアで、復興の途上にある。元復興大臣という肩書きを笠に着て、行動力に期待が持てない議員に課題山積の新4区を任せるのは違和感がある。 あわせて読みたい 【福島県】衆議院区割り改定に翻弄される若手議員 【福島県】自民・新3区支部長をめぐる綱引き

  • 【衆院新2区最新情勢】大物同士が激しい攻防【根本匠】【玄葉光一郎】

     1票の格差を是正するため、衆議院小選挙区の数を「10増10減」する改正公職選挙法が2022年12月に施行され、福島県選挙区は5から4に減った。各党は次期衆院選に向けた候補者調整を進めているが、新2区では自民党・根本匠氏(72)=9期=と立憲民主党・玄葉光一郎氏(59)=10期=が激突。共に大臣経験者で、全国的にも勝負の行方が注目される選挙区だ。両氏は旧選挙区時代からの地盤を守りながら、新選挙区に組み入れられた市町村の攻略に心を砕いている。 予算確保で実力見せる根本氏、郡山で支持拡大を図る玄葉氏 新春賀詞交歓会で鏡開きのあとに乾杯する来賓  1月4日、郡山市のホテルハマツで開かれた新春賀詞交歓会。会場内はコロナ前の雰囲気に戻り、多くの政財界人が詰めかけていたが、舞台前の中央テーブルには根本匠氏と、少し距離を空けて玄葉光一郎氏の姿があった。  会が始まると、根本氏は舞台に上がり祝辞を述べたが、玄葉氏にその機会はなかった。根本氏にとって郡山は旧2区時代からの強固な地盤。新参者の玄葉氏が祝辞を述べられるはずもない。  しかし、続いて行われた鏡開きの際は様子が違った。互いに法被をまとい、木槌を手に威勢よく酒樽を開けていた。そもそも旧2区時代は会場に姿がなかったことを思うと、郡山が玄葉氏の選挙区になったことを強く実感させられる。  新2区は郡山市、須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡で構成される。旧選挙区で言うと、郡山市が旧2区で根本氏の選挙区、それ以外は旧3区で玄葉氏の選挙区。  別表①は県公表の選挙人名簿登録者数である(2023年12月1日現在)。郡山市が全体の62・5%と大票田になっているのが分かる。 表① 選挙人名簿登録者数 郡山市266,728 人須賀川市62,544 人田村市29,392 人岩瀬鏡石町10,364 人天栄村4,572 人石川石川町12,154 人玉川村5,294 人平田村4,754 人浅川町5,103 人古殿町4,064 人田村三春町14,129 人小野町7,940 人合計427,038 人※県公表。昨年12月1日現在。  前回2021年10月30日に行われた衆院選の旧2区、旧3区の結果は別掲の通り。その時の市町村ごとの得票数を新2区に置き換えたのが別表②である。表中では上杉謙太郎氏が須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡で獲得した票を根本氏に、馬場雄基氏が郡山市で獲得した票を玄葉氏に組み入れている。 表② 根本氏と玄葉氏の得票数(シミュレーション) 根本氏玄葉氏郡山市75,93764,865須賀川市15,38621,819田村市6,91113,185岩瀬鏡石町2,9043,592天栄村1,5391,880石川石川町4,0124,554玉川村1,6522,024平田村1,4721,958浅川町1,8491,788古殿町1,3231,757田村三春町2,7466,372小野町2,6123,301合計118,343127,095※前回2021年の衆院選の結果をもとに、上杉謙太郎氏の得票を根本氏、馬場雄基氏の得票を玄葉氏に置き換えて本誌が独自に作成。  このシミュレーションだと根本氏が11万8343票、玄葉氏が12万7095票で、玄葉氏が8752票上回る。ただ、上杉氏から根本氏、馬場氏から玄葉氏に代わった時、実際の有権者の投票行動がどう変わるかは分からない。  票の「行った・来た」で見ると、新2区への移行は根本氏に不利、玄葉氏に有利に働いている印象だ。というのも、根本氏は旧2区の二本松市、本宮市、安達郡で馬場氏より6000票余り多く得票していたが、これらの市・郡は新1区に移行。逆に玄葉氏は、旧3区の白河市、西白河郡、東白川郡で上杉氏に500票余り負けていたが、これらの市・郡は新3区に組み入れられた。一方、上杉氏に勝っていた須賀川市、田村市、岩瀬郡、石川郡、田村郡は新2区にそのまま残った。  「勝っていた地盤」を失った根本氏に対し「負けていた地盤」が切り離された玄葉氏。加えて根本氏は、固い地盤のはずの郡山で無名の新人馬場氏に追い上げられ、比例復活当選を許してしまった。  「前回衆院選の結果だけ見れば玄葉氏が優勢。玄葉氏は前回まで、上杉氏を相手にいかに票の減り幅を抑えられるか守りの選挙を強いられてきた。しかし新2区では、大票田の郡山をいかに切り崩すか攻めの選挙に転じられる。これに対し根本氏は前回、地元郡山で馬場氏に迫られ、今度は玄葉氏を相手に防戦しなければならない」(ある選挙通) 派閥の問題で強烈な逆風 根本匠氏 玄葉光一郎氏  根本氏も玄葉氏も、守りを固めて攻めたいと思っているはずだが、現状で言うと、それができそうなのは玄葉氏のようだ。例に挙げられるのが昨年11月に行われた県議選だ。  定数1の石川郡選挙区は自民党新人の武田務氏と無所属新人の山田真太郎氏が立候補したが、根本氏は武田氏の選対本部長に就き、玄葉氏は連日山田氏の応援に入るなど代理戦争の様相を呈した。  「石川郡選挙区はこれまで、玄葉氏の秘書だった円谷健市氏が3回連続当選を果たし、自民党は前回(2019年)、前々回(15年)とも円谷氏に及ばなかったが、組織的な選挙戦が行われなくても円谷氏と数百票差で競っていた。そうした中、今回は根本先生が直々に選対本部長に就き、徹底した組織戦を展開するなどかなりの手ごたえがあった」(地元の自民党関係者)  この関係者は勝っても負けても僅差になると思っていたという。ところが蓋を開けたら、逆に1000票以上の差をつけられ武田氏が落選。すなわちそれは、玄葉氏が旧3区時代からの地盤を守り、根本氏は積極介入したものの攻め切れなかったことを意味する。  ただ、根本氏の攻めの姿勢はその後も続いている。  「須賀川、田村、岩瀬、石川地区を隅々まで見て回った根本先生の第一声は『ここは時が止まっているのか』だった。政治が行き届いていないせいなのか、風景が昔と変わっていないというのです」(同)  旧3区の現状を把握した根本氏が行ったのは、徹底した予算付けだった。市町村ごとに予算がなくてできずにいた事業を洗い出し、根本氏が関係省庁に直接電話して必要な予算を引っ張ってきた。  「当時の根本先生は衆議院予算委員長。『予算のことなら任せろ』と強気で言い、実際、すぐに必要な予算を引っ張ってきたので、市町村長や議員は『今まで要望しても予算が付かなかったのでありがたい』と感激していた」(同)  別表③は根本氏が国と折衝し、昨年12月までに交付が決まった予算の一部である。どれも住民生活に直結する事業だが、金額はそれほど大きくないものの市町村単独では予算を確保できずにいた。政府に近い与党議員として力を発揮し、滞っていた事業を動かした格好だ。 表③ 根本氏が付けた主な予算 石川町県事業、いわき石川線石川バイパス5億円浅川町県事業、磐城浅川停車場線本町工区1億1200万円浅川町町事業、曲屋破石線2800万円平田村国道49号舗装整備(520m)3億1300万円須賀川市市道1-22号線浜尾工区(雲水峯大橋歩道整備)2億7000万円※平田村の3億1300万円は猪苗代町、いわき市と一緒に維持管理費として交付。  これ以外にも根本氏は▽釈迦堂川の国直轄部分の河川改修を促進(須賀川市)▽数年前から懸案となっていた県道あぶくま洞都路線の路面改良を実現(田村市)▽午前6時から午後10時までしか通行できなかった東北自動車道鏡石スマートICの24時間化を実現(鏡石町)▽もともと通っていた中学校の閉校で別の中学校に超遠距離通学しなければならない生徒に、タクシー送迎を補助対象に認める(天栄村)――等々を短期間のうちに行った。  地元政治家として長く君臨し、民主党政権時代には外務大臣や党政策調査会長などの要職を歴任した玄葉氏がいても、これらの事業は一向に実現しなかったということか。やはり与党と野党の政治家では、省庁の聞く耳の持ち方が違うのか。そもそも玄葉氏は、根本氏のような取り組みを「おねだり」と称すなど消極的だったが、市町村や県の力で解決できない困り事を国の力で解決するのは地元国会議員がやるべき当然の仕事だ。玄葉氏は県議選で「野党の国会議員だから仕事ができないというのは誤った認識」と述べていたが、こうして見ると、期数はほとんど変わらないのに与野党の立場の差を感じずにはいられない。  とはいえ、こうした予算が付いて喜んでいるのは市町村長や議員ばかりで、一般市民は河川改修や道路工事が進んでも、その予算が誰のおかげで付いたかは知る由もないし、関心を向けることもない。極端な話、市民が政治家に関心を向けるのは何か悪いことをした時くらい。今だと自民党派閥の政治資金パーティー問題が一番の関心事ではないのか。  マスコミの注目は最大派閥の安倍派と二階派だが、根本氏が所属する岸田派も会長の岸田文雄首相が真っ先に解散を宣言するなど、その渦中にいる。しかも根本氏は、事務総長という派閥の中心的立場。「当然、裏のことも知っているはず」と見られてしまうのは仕方がない。  1月12日にはアジアプレスが、フリージャーナリスト・鈴木祐太氏が執筆した「根本氏刑事告発」の記事を配信した。  《2020年以降、事務総長を務めている根本匠衆議院議員(福島2区選出)が新たに刑事告発された。昨年12月まで会長を務めていた岸田文雄総理ら3人と合わせて、岸田派で刑事告発されたのは計4人となった》《事務総長は派閥の「実務を取り仕切っており、同会長と共に収支報告書の記載方針を決定する立場にあった」と、提出された告発補充書で指摘されている》(同記事より抜粋)  告発状を出したのは神戸学院大学の上脇博之教授。今、解散総選挙になれば根本氏には強烈な逆風が吹き付けるだろう。 目に見えて増えたポスター  「派閥の問題が起きて以降、郡山市内を回っていても『許せない』と憤る市民は増えていますね」  そう明かすのは玄葉光一郎事務所の関係者だ。  「刑事告発の報道が出た翌日、根本氏は会合で釈明したようだが、その場にいた人たちは『だったらきちんと説明すべきだ』とシラけていたみたいですね」(同)  玄葉氏としては、ここを突破口に根本氏の地盤である郡山に深く切り込みたいところ。しかし、現実はそうもいかないようだ。  「玄葉は1年前から郡山を中心に歩いており、留守がちの地元・田村は本人に代わって奥さんと娘さんが歩いている。この間、郡山で回れる場所は何度も回ってきました」(同)  一見すると、挨拶回りは順調そうに見えるが  「これまで業界団体の会合に呼ばれたことは一度もない。ずっと根本氏を支えてきた人たちですから、当然と言えば当然です。市の中心部も思うように歩けておらず、現時点では(郡山市内に)事務所を構える見通しも立っていない」(同)  長年かけて築かれてきた相手の地盤に切り込むのは、簡単ではないということだ。  昨年秋以降は、郡山市虎丸町に事務所を置く馬場雄基氏と連携を強めている玄葉氏。1月下旬からは、自身と接点の薄い地域は馬場氏が先に単独で回り、そのあとを玄葉氏が回るなど、作戦を練りながら市の中心部に迫ろうとしている。  その成果が表れつつあることは、郡山市内の立憲民主党関係者の話からもうかがえる。  「ポスターの数が目に見えて増えている。以前は増子輝彦氏(元参院議員)のポスターが貼られていた場所も玄葉氏のポスターに変わっている。一番驚いたのは室内ポスターが増えていることだ。家や事務所の中に室内ポスターが貼ってあるということは、その人に投票するという意思表示でもある。馬場氏のポスターは、道路端ではよく見るが室内ポスターを見かけることはない。玄葉氏も『郡山は回れば回るほど(票が)増える』と言っていますからね。玄葉氏が確実に郡山に食い込んでいることを実感します」  ただし、こうも付け加える。  「今の自民党はダメだから、受け皿として玄葉氏に票が集まるのは自然な流れ。しかし、玄葉氏に投票した人が立憲民主党を支持しているかというとそうではない。自民党の支持率は下がっているのに、立民の支持率が上がらないのがその証拠。そもそも玄葉氏は党代表候補に挙がったことがないし、党のあり方を本気で語ったこともない。要するに、玄葉氏に投票する人たちは『玄葉党』の支持者なのです」(同)  旧3区でも市町村議や県議は自民党候補を応援するが、国会議員は玄葉氏に投票する人が大勢いた。郡山でもそうしたねじれ現象が見られるかもしれない。玄葉氏は田村出身だが、郡山の安積高校卒業なので同級生が頼りになる。岳父の佐藤栄佐久元知事は郡山出身で、栄佐久氏の支持者が健在な点も郡山にさらに食い込む材料になりそう。  もっとも、これらの材料は我々のような外野が思っているほど当事者は有利に働くとは考えていない。前出・玄葉事務所関係者の話。  「安積高校卒業は根本氏もそうだし、栄佐久氏の支持者はずっと根本氏を支持してきた。周りは『同級生や岳父がいる』と言うが、その人たちが玄葉が来たからといって急に根本氏から鞍替えするかというと、そうはなりませんよ」 知事選を気にかける経済人  郡山で着々と支持を広げる玄葉氏だが、そこには衆院選と同時に知事選の話も付きまとう。  本誌昨年8月号でも触れたが、玄葉氏をめぐっては、一度は政権交代を果たしたものの野党暮らしが長くなっているため、支持者から「首相になれないなら知事に」という声が上がっている。玄葉氏も本誌の取材に、そういう声を耳にしていることを認めつつ「今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての次の展望はない」と語っている。  郡山の経済人には、根本氏を支持しながら玄葉氏と個人的な関係を築いている人が結構いる。そういう経済人からは「知事選に出るなら出ると態度をはっきりさせてほしい」との本音も漏れる。  「このまま解散せず任期満了まで務めたら衆院選は2025年秋。一方、次の知事選は26年10月ごろ。そうなると仮に玄葉氏が衆院選に勝っても、1年しか務めずに知事選の準備をしなければならない。そんなのは現実的ではないし、幅広い支持層を取り込もうとするなら根本氏と真っ向勝負をして反感を買うのは得策ではない」(経済人)  ただ、内堀雅雄知事が4期目も目指すことになれば、内堀氏を知事に推し上げた玄葉氏が次の知事選に立候補する可能性はほぼなくなる。自分の思いだけでなく、環境も整わないと知事転身に踏み切れない以上、今は目の前の衆院選に全力を注ぐしかない。  元の地盤を守りながら未知の市町村を攻める根本氏と玄葉氏。前記・シミュレーション通りにはいかないだろうが、どちらが当選しても(あるいは比例復活で両氏とも当選しても)国会で仕事をするのは当然として、地元住民の生活に資する仕事をしてもらわないと住みよい県土になっていかないことを意識していただきたい。

  • 【玄葉光一郎】衆院議員空虚な「知事転身説」

     数年前から突如として囁かれるようになった玄葉光一郎衆院議員(59)の「知事転身説」。背景には野党暮らしが長くなり、このまま期数を重ねても出世の見込みが薄いため「政治家として新たなステージを目指すべきだ」という支持者の思いがある。内堀雅雄知事(59)の3期目の任期満了日は2026年11月11日。次の知事選まで3年余り、玄葉氏はいかに行動するのだろうか。本人に真意を聞いた。 首相になれない状況を悲嘆する支持者  玄葉氏の知事転身説を耳にするようになったのは、内堀氏が再選を果たした2018年の知事選が終わってからだろうか。 「内堀知事は2期目で復興の道筋をつけ、3期目を目指す気はないようだ」 こう訳知り顔で話す人に、筆者は何人も会ったが、では、その人たちが何か根拠があって話していたのかというとそうではない。政治談議は時に、あれこれ言い合うから盛り上がるわけで「誰かが『2期で終わるんじゃないか』と言っていた」「オレもそう思う」などと話しているうちにそれがウワサとなって広まり、いつの間にか「定説」として落ち着くのはよくあることだ。 ならば、内堀知事が2期8年で引退するとして「次の知事は誰?」となった時、多くの人が真っ先に思い浮かべたのが玄葉氏だったと推測される。 なぜか。 一般的に「次の市町村長は誰?」となれば、大抵は副市町村長、市町村議会議長、地元選出県議などの名前が挙がる。同じように「次の知事は誰?」となれば、副知事、官僚、国会議員などが有力候補になる。 消去法で見ていこう。 現在の鈴木正晃、佐藤宏隆両副知事は、総務部長などを歴任したプロパーで、優秀なのかもしれないが知名度はない。 官僚は、探せばいくらでも見つかるし、政治家転身への意欲を持つ官僚もいるが、内堀氏が総務省出身であることを踏まえると、2代続けて〝官僚知事〟は抵抗がある。 内堀雅雄知事  残る国会議員は元参院議員の増子輝彦氏(75)や荒井広幸氏(65)の名前を挙げる人もいたが、民間人としてすっかり定着し、年齢も加味すると現実的ではない。 というわけで現職の国会議員を見渡した時、多くの人が「最適」と考えたのが玄葉氏だったのだろう(誤解されては困るが、本誌は玄葉氏が知事に「適任」と言っているのではない。多くの人が「最適」と考える理由を探っているだけである)。 理由を探る前に、玄葉氏の政治家としてのルーツを辿る。 玄葉光一郎衆院議員  1964年、田村郡船引町(現田村市)に生まれた玄葉氏は、父方の祖父が鏡石町長、母方の祖父が船引町長、のちに結婚する妻は当時の佐藤栄佐久知事の二女と、幼少のころから政治と縁の深い家庭環境に身を置いてきた。 安積高校、上智大学法学部を卒業後は政治家を志し、松下政経塾に入塾(8期生)。4年間の研修・実践活動を経て1991年の福島県議選に立候補し、県政史上最年少の26歳で初当選を果たす。県議会では自民党に所属したが、わずか2年で県議を辞職。その年(93年)の衆院選に福島2区(中選挙区、定数5)から無所属で立候補し、並み居る候補者を退け3位で議員バッジを手にした。 当選後は自民党を離党、新党さきがけに所属した。以降は旧民主党、民主党、民進党、無所属(社会保障を立て直す国民会議)、立憲民主党と連続当選10回の議員歴は、民主党が一度は政権交代を果たし、玄葉氏も外務大臣や内閣府特命担当大臣、党政策調査会長などの要職を務めたものの、野党に身を置く期間が9割近くを占める。 それでも、選挙では無類の強さを発揮してきた。初めて小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の衆院選こそ選挙区で荒井広幸氏に敗れ、比例復活当選に救われたが、次の衆院選で荒井氏とコスタリカを組む穂積良行氏を破り、次の次の衆院選で荒井氏も退けると、以降は対立候補を大差で退けてきた。もちろん玄葉氏の背後に、当時絶大な権勢を誇った岳父・佐藤栄佐久知事の存在があったことは言うまでもない。 しかし、栄佐久氏が県政汚職事件で失脚し、前々回、前回の衆院選では自民党の上杉謙太郎氏(48、2期、比例東北)に追い上げられたことからも分かるように、かつてのいかに得票数を増やすかという攻めの選挙から、近年はいかに得票数を減らさないかという守りの選挙に変わっていった。それもこれも野党議員では政府への陳情が通りにくい中、久しぶりに誕生した与党議員(上杉氏)に期待する有権者が増えていた証拠だろう。 旧福島3区では、選挙区は玄葉氏の名前を書くが、比例区は自民党に投票する、あるいは県議選や市町村議選は自民系の候補者を推すという〝ねじれ現象〟が長く続いている。原因は玄葉氏の政治家としての出発点が自民党で、佐藤栄佐久氏も同党参院議員を務めていたから。野党暮らしが長いとはいえ、支持者たちも元はと言えば自民党なのである。 そうした中で聞こえるのが「新党さきがけに行かず、自民党に留まっていれば……」と落胆する声だ。今の玄葉氏は、野党に身を置いたからこそ存在するわけで「たられば」の話をしても仕方ないのだが、根っこが自民党だけに残念がる人が多いのは理解できる。 なぜなら、仮に自民党で連続10回当選を重ねれば、主要閣僚はもちろん総理大臣に就いている可能性もあったからだ。来年還暦の玄葉氏はその若さも魅力になったはず。 ただ如何せん野党の身では、総理大臣は夢のまた夢。ならば政権交代を成し遂げるしかないが、政策の一致点が見いだせない野党はまとまる気配がない。玄葉氏が所属する立憲民主党も支持率が低迷し、野党第一党の座も危うい。選挙でも上杉氏に徐々に迫られている。 だから、支持者からは「このまま野党議員を続けていても展望が開けない」という本音が漏れるようになっていたし、それが次第に「いっそのこと、政治家として新たなステージを目指した方がいい」という期待へと変わっていったのだろう。 陳情受け付けに消極的  とはいえ、もし玄葉氏が知事選に立候補するとなった時、衆院議員としてどのような実績を残したかは冷静に見極める必要がある。 震災・原発事故当時、玄葉氏は外務大臣をはじめ民主党政権の中枢にいたが、地盤の旧3区をはじめ福島県に何をもたらしたか。玄葉氏はもともと、陳情をおねだりと評し「そういうことは避けた方がいい」と語っていた(※)。昔からの支持者も「玄葉君は若いころから(陳情の受け付けに)消極的だった」と認めている。 ※河北新報(2008年3月17日付)のインタビューで 「おねだり主義」という言葉を使っている。  上杉氏の支持者からはこんな皮肉も聞こえてくる。 「旧3区内を通る国道4号は片側1車線の個所が未だに残っている。それさえ解消できていない人が知事と言われても……」 旧3区の石川郡の政治関係者は、同郡が新2区に組み込まれたことでこんな体験をしたという。 「新2区から立候補を予定する自民党の根本匠衆院議員(72、9期)に『この道路をこうしてほしい』『あの課題を何とかしたい』とお願いしたら、その場から担当省庁に電話し即解決への道筋が示されたのです。実力者に陳情すればこんなに早く解決するのかと驚いたと同時に、根本氏も『石川郡はこんな些細な課題も積み残されているのか』と嘆いていました」 陳情を受け付けることは選挙区への我田引水ではなく、県民生活を良くするための手段だ。玄葉氏が知事になれば県民にとってプラスと感じられなければ、地元有権者の「衆院議員から知事になっても変わらないんじゃない?」との見方は払拭できないのではないか。 こうしたミクロの視点と同時にマクロの視点で言うと、東北大学大学院情報科学研究科(政治学)の河村和徳准教授は本誌昨年10月号の中でこのように語っていた。 「問題は玄葉氏が知事選に出るとなった時、自公政権と正面から交渉できるかどうかです。政権はおそらく、玄葉氏が知事選に出たら『野党系の玄葉氏とは交渉できない』とネガティブキャンペーンを展開するでしょう」 政権に近い内堀知事が、原発事故の海洋放出問題で国を一切批判しないのは周知の通り。野党系の玄葉氏が知事になった時、自公政権に言うべきことは言いつつ、福島県にとって有意義な予算や政策を引き出せるかどうかは、知事としての評価ポイントになる。 「次の展望」  結局、内堀氏は2022年の知事選で3回目の当選を果たしたが、既にこのころには玄葉氏の知事転身説は頻繁に聞かれるようになっていた。 本誌2021年12月号でもこのように書いている。 《玄葉氏をめぐっては、このまま野党議員を続けても展望がなく、衆院区割り改定で福島県が現在の5から4に減れば3区が再編対象となる可能性が高いため、「次の知事選に挑むのではないか」というウワサがまことしやかに囁かれている。 「玄葉は内堀雅雄知事の誕生に中心的役割を果たした。その内堀氏を押し退け、自分が知事選に出ることはあり得ない」(玄葉事務所)》 玄葉氏が内堀氏の知事選擁立に中心的役割を果たしたのは事実だ。内堀氏が初当選した2014年の知事選の出陣式ではこう挨拶している。 「内堀雅雄候補と私は14年来の付き合いであり、この間、内堀さんの安心感と信頼感を与える仕事ぶりを見てきた。3・11以降、内堀候補は副知事として最も適切なタイミングで最も適切な対応をとってきた。県職員、市町村長からも絶大な信頼を受けている。県民総参加で県政トップに内堀雅雄候補を推し上げ、復興を成し遂げてもらいたい」 これほど強いフレーズで支持を呼びかけた内堀氏を自ら押し退けて知事に就くことは、玄葉事務所も述べているように確かにあり得ない。 ただ、内堀氏が今期で引退するとなれば話は別だ。政治家が自らの進退を早々に第三者に告げることは考えにくいが、内堀氏と玄葉氏は共に1964年生まれの同級生であり、玄葉氏が「14年来の付き合い」と語っているように両者が親しい関係にあるなら、阿吽の呼吸で「私の次はあなた」「あなたの次は私」と意思疎通が図られても不思議ではない。 実際、玄葉氏が知事選立候補を決意したのではないかと思わせる出来事もあった。 「10増10減」で福島県の定数が4に減った 馬場雄基衆院議員  衆院小選挙区定数「10増10減」で福島県の定数が4に減ったことを受け、旧3区選出の玄葉氏は次の衆院選では新2区から立憲民主党公認で立候補する予定。しかしその前段には、旧2区を地盤とする馬場雄基衆院議員(30、1期、比例東北)との候補者調整が難航した経緯がある。 立憲民主党県連は党本部に対し、現職の両者を共に当選させる狙いから、同党では前例のないコスタリカ方式を採用するよう打診した。しかし、党本部はこれを見送り、玄葉氏を選挙区、馬場氏を比例東北ブロックの名簿1位で擁立する方針を決定したが、玄葉氏が一度はコスタリカを受け入れたことに、選挙通の間ではある憶測が広まった。 あらためてコスタリカ方式とは、同じ選挙区に候補者が2人(A氏、B氏)いた場合、A氏が選挙区、B氏が比例区で立候補したら、次の衆院選ではB氏が選挙区、A氏が比例区に交代で回る方式である。ただ、比例区は政党名での投票で、全国的な著名人でもない限り顔と名前を覚えてもらえないため、コスタリカの当事者たちは必ず、自分の名前を書いてもらえる選挙区からの立候補を強く望む。 前述・自民党の荒井広幸氏と穂積良行氏がコスタリカを組み、玄葉氏にことごとく敗れたのは、名前を書いてもらえない比例区に回っている間に、玄葉氏が顔と名前を有権者に浸透させたことが影響している。 そんなコスタリカ方式の弊害を身を持って知る玄葉氏が、馬場氏との間で受け入れたとなったから、選挙通たちは「玄葉氏は最初に選挙区から立候補し、あとは知事選に挑むので、結局、比例区から立候補する状況にならない。だからコスタリカを受け入れたのではないか」と深読みし、知事転身説がより色濃くなったのである。 当の玄葉氏はどのように考えているのか。本誌は衆院解散もあり得るとされていた6月上旬、本人に質問し、次のようなコメントを得た。 「確かに皆さんのところを回っていると『首相になれないなら知事選に』と言われます。ただ、今後どうしていくかはこれからの話。いずれにしても、まずは次の総選挙です。選挙区で勝たないと、自分にとっての『次の展望』はない。選挙区で必ず勝つ。そうでないと『次の展望』もないと思っています」 「私たちの政権が続いたり、現政権がブレる可能性があれば逆に(知事転身を)言われないのかもしれませんね。今はそういう政局じゃないから(知事選と)言われるのかな。ま、なんて言ったらいいのか。うーん、それ以上のことは触れない方がいいかもしれませんね。はい、これからしっかり考えます」 含みを持たせるような発言だが、周囲から知事転身を勧められていることは認めつつ、自ら「目指す」とは言わなかった。 新2区でも〝ねじれ現象〟  ちなみに本誌には、支持者や立憲民主党関係者から「本人から『知事を目指す』と挨拶された」「いや、本人が『目指す』と言ったことは一度もない」という話が度々伝わってくるが、真偽は定かではない。 「選挙区で必ず勝つ」と発言している通り、玄葉氏は今、新2区の中心都市である郡山市内を精力的に歩いている。さまざまなイベントや会合に顔を出し、各種団体や事業所からも「×回目の訪問を受けた」との話を頻繁に聞く。玄葉氏自身も「当選がおぼつかなかった初期の選挙時並みに選挙区回りをしている」と語っている。 玄葉氏は郡山市(旧2区)に縁がないわけではない。母校は安積高校なので同級生や先輩・後輩は大勢いる。佐藤栄佐久氏も同市出身で政界を離れて17年経つが、今も存在する支持者が玄葉氏を推すとみられる。経済人の中にも旧3区時代から支えてきた人たちが一定数いる。 同じく新2区から立候補を予定する根本匠氏はそうした状況に強い危機感を抱いており、同区は与野党の大臣経験者が直接対決する全国屈指の激戦区として注目されるのは確実だ。玄葉氏が本気で知事を目指すなら次の衆院選は負けられないが、根本氏も息子の拓氏にスムーズに地盤を引き継ぐため絶対に負けられない戦いとなる。 根本匠衆院議員  ある建設業者からはこんな本音も聞かれる。 「今までは無条件で根本先生を支持してきた。ウチの事務所にも根本先生のポスターが張ってあるしね。でも、玄葉氏が出るとなれば話は変わってくる。国政レベルで考えれば与党の根本先生を推した方が断然得策。しかし玄葉氏は、今は野党だが将来、知事になる可能性がある。いざ『玄葉知事』が誕生した時、あの時の衆院選で玄葉氏を応援しなかったとなるのは避けたいので、次の衆院選は、表向きは根本先生を支持しつつ玄葉氏への保険もかけておきたいという業者は多いと思う」 旧3区で見られる〝ねじれ現象〟が新2区でも起こりつつある。知事転身説の余波と言えよう。 あわせて読みたい 【玄葉光一郎】衆議院議員インタビュー 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

  • 【玄葉光一郎】衆議院議員インタビュー

    げんば・こういちろう 1964年生まれ。安積高校、上智大学法学部卒。民主党政権時に外務大臣、国家戦略担当大臣、内閣府特命担当大臣、同党政策調査会長などを歴任。現在、立憲民主党東日本大震災復興対策本部長。10期目。  衆議院小選挙区の区割り変更に伴い、立憲民主党の玄葉光一郎衆院議員(59)は、地盤としてきた改定前の福島3区が分割されることになった。党内での候補者調整の経緯と新たな選挙区となる新福島2区での意気込みを、衆院解散の緊迫感が増す6月中旬に聞いた。支持率が低迷する同党の野党第一党としての責任についても尋ねてみた。  ――衆院小選挙区定数「10増10減」に伴い、定数1減の本県では区割りが変更となる中、立憲民主党は次の衆院選で新しい福島2区(郡山市、田村市、須賀川市、田村郡、岩瀬郡、石川郡)に玄葉代議士の擁立を決定しました。経緯と今後の選挙戦略についてうかがいます。 「中選挙区時代も含めると10期もお世話になってきた選挙区が二つに分割されるということで、体が引き裂かれる思いです。新2区、新3区のどちらを選んでも現職が既にいる状況が生まれてしまいました。 自分はどちらに重点を置いて活動すべきかということで、後援会の皆さんと丁寧に議論を重ねました。私が生まれ育ったのは田村で、主な地盤にしてきたのは田村、須賀川、岩瀬、石川地方です。一方、郡山も地元と言っていい。安積高校に通いましたし、郡山の経済圏で生活してきました。妻も郡山出身で縁が深い。最終的に新2区を活動の基盤にすると決めて、その上で馬場雄基代議士との競合をどうするかということになりました。 県連は当初からコスタリカ方式を進める方針でしたが、立憲民主党では比例枠がそもそも限られています。今後2回にわたり福島県で比例枠を一つずつ確保するのはかなり困難と予想されていました。 私自身、小選挙区で出る選択と比例で立候補し名簿順位で優遇を受ける選択の両方がありましたが、馬場代議士からは『まずは先輩が小選挙区で出てほしい』という話がありました。考え抜いた結果、私が小選挙区で当落のリスクを負うのが適切なのではないかと腹を据えました。ただし、そのためには馬場代議士が比例東北ブロック名簿で1位の優遇を受けることが前提になります。党本部に働きかけて、最終決定しました。 過去の選挙を振り返ると、当選を4回果たすまでは揺るがない支持をいただくために無我夢中でした。新しい区割りでの選挙は、若手時代と同様のチャレンジ精神が必要だと考えています。試練ではありますが、変化を新しいエネルギーに変えようと、原点に立ち返り精力的に選挙区内を回っています。新たな出会いの中に政治家の使命と喜びを日々見つけています」 ――日本維新の会が選挙の度に勢いを増していますが、野党第一党の座にある立憲民主党の現状をどのように捉えていますか。 「私は選挙に関しては、所属する党を前面に出して戦ったことはこれまで一度たりともありません。玄葉光一郎という政治家個人の力を訴えてきた姿勢は今後も変わりません。それで有権者を引き付けられなかったら、政治家としての魅力不足だと捉えています。 党の現状については、私は代表ではないので、責任を持って言える立場にありません。ただ個人的には、立憲民主、維新、国民民主による3派連合が望ましいと思っています。3派連合ができたら、いくつかの共通の公約を掲げ、選挙区調整をして、さらには共通の総理候補を立てて政権を狙う。もっとも、現状はそれができる段階ではありませんが。 維新や国民民主と現政権に代わる共通の総理候補を立てるまでの信頼関係を築けなかったことは、野党第一党の責任と捉えています。ただ、やはり政治に緊張感をもたらすために、野党は可能な限り協力すべきです」 ――5月8日から新型コロナウイルスの感染症法の位置付けが2類相当から5類に引き下げられました。今後求められる対策についてうかがいます。 「現政権に足りないのは、アフターコロナについて、地方に活力を与える分散型国土を目指し、人口減少抑止につなげようとする視点です。コロナ禍で一時、東京は転出超過になりました。私はコロナ禍を機に分散型国土を実現するため、思い切った手を打ってはどうかと予算委員会で岸田文雄総理に提案しました。例えば、私立大学の一学部でもいいので、地方に移してもらう。そのために協力してくれる私学には助成金を大幅に優遇する。また5G、6Gなどの次世代通信システムを東京から整備するのではなく、地方から整備するといった政策です。 しかし、コロナ禍が収束に向かうと、再び地方から都市への転入超過に戻ってしまいました。第二次安倍政権以降、東京一極集中はますます進んでいるように思います。自公政権は分散型国土を本気でつくる気がない。 少子化対策は、手当と同時に分散型国土の整備を進めなければ効果が得られません。 賃金が正規雇用よりも低い非正規雇用の割合が増え、結婚・出産に踏み切れない要因になっています。地方と都市の格差が広がり、若年層の所得が伸びていない点を直視しないと、少子化問題は克服できないと考えています」 ――東京電力福島第一原発でトリチウムを含んだ処理水の海洋放出が始まろうとしていますが、依然として安全性や風評被害を懸念する声が後を絶ちません。本県選出代議士として海洋放出の是非ならびに風評被害問題をどう解決すべきと考えますか。 「技術的には大丈夫なのだろうと信じたい。ただ『燃料デブリに触れた水』を海に流すのは歴史上初めてのことです。100%安心ではないという方の気持ちは分かります。 この間、私は二つのことを求めてきました。一つは、トリチウムの分離技術を最大限追求すること。もう一つは、海洋放出を福島県だけに押し付けるのではなく、県外でもタンク1杯分でいいから引き受けてもらってはどうか、と。残念ながら、それらに対する努力の形跡は全く見られていません。 科学的に大丈夫と示せても、残念ながら、近隣の韓国、中国だけではなくアメリカも含めた7割以上の人が『処理水が海に流れたら福島の農産品は買わない』というアンケート結果があります。他国から視察に来てもらい、丁寧に説明する必要があります。海外で安心して県産農産品を買ってもらうには、並大抵の努力では足りないと思います」 ――最後に、有権者にメッセージをお願いします。 「区割りの変化を新しいエネルギーに変えていきます。これまでお世話になった選挙区が引き裂かれてしまったことは大きな試練ですが、いまはチャレンジの機会と捉え直しています。有権者の皆さん、特に郡山の皆さんとは新たな出会いを通じ、しっかりとした絆を築けるようにしていきたい。お世話になった方々への恩を忘れず、多くの皆さんのためにしっかり汗をかき、必ず期待に応えていきたいと思っています」

  • 区割り改定に揺れる福島県内衆院議員

     選挙区の変更に翻弄されたり、陰で「もう辞めるべきだ」と囁かれている県内衆院議員たち。その最新動向を追った。 新3区支部長は菅家氏、上杉氏は比例単独へ 森山氏と並んで取材に応じる菅家氏(右)と上杉氏(左)=3月21日の党県連大会  衆院区割り改定を受け、県南地方の一部(旧3区)と会津全域(旧4区)が一つになった新3区。この新しい選挙区で自民党から立候補を目指していたのが、旧3区で活動する上杉謙太郎氏(47)=2期、比例東北=と、旧4区を地盤とする菅家一郎氏(67)=4期、比例東北=だ。 次期衆院選の公認候補予定者となる新3区の支部長について、党本部は「勝てる候補者を擁立する」という方針のもと、上杉氏と菅家氏が共に比例復活当選だったこと、県内の意向調査で両氏を推す声が交錯していたことなどを理由に選定を先延ばししてきた。一方、中央筋から伝わっていたのは、党本部は上杉氏を据えたい意向だが、両氏が所属する派閥(清和政策研究会)は菅家氏を推しているというものだった。 選定の行方が注目されていた中、党本部は3月14日、新3区の支部長に菅家氏を選び、上杉氏は県衆院比例区支部長として次期衆院選の比例東北で名簿上位の優遇措置が取られることが決まった。 森山裕選対委員長は、菅家氏を選んだ理由を「主な地盤が会津だったから」と説明した。県南と比べ会津の方が有権者数が多いことが判断基準になったという。 本誌は1月号の記事で、上杉氏は新3区から立候補したいが菅家氏に遠慮していると指摘。併せて「菅家氏は会津若松市長を3期務めたのに小熊慎司氏に選挙区で負けており、支部長に相応しくない」という上杉支持者の声を紹介した。 それだけに上杉支持者は今回の選定に落胆しているかと思ったが、意外にも冷静な分析をしていた。 「有権者数を比べれば、県南(白河市、西白河郡、東白川郡)より会津の方が多いので、菅家氏が選ばれるのは妥当です。上杉氏がいきなり会津に行っても得票できないでしょうからね」(ある支持者) そう話す支持者が見据えていたのは、負ける確率が高い「次」ではなく「次の次」だった。 「菅家氏は次の衆院選で相当苦戦するでしょう。小熊氏と毎回接戦を演じているところに、県南の一部が入ることで玄葉光一郎氏の応援がプラスされる。今回の選定は、党本部が『菅家氏が選挙区で負けても、上杉氏が比例で当選すれば御の字』と考えた結果と捉えています」(同) そこまで言い切る理由は、両氏に対し、一方が小選挙区、もう一方が比例単独で立候補し、次の選挙では立場を入れ替えるコスタリカ方式を導入しなかったことにある。 「コスタリカを組むと、選挙区に回った候補者が負けた場合、比例に回った候補者は『オマエが一生懸命やらなかったから(選挙区の候補者が)負けた』と厳しく批判され、次に選挙区から出る際のマイナス材料になってしまう」(同) 上杉氏は次の衆院選で、菅家氏のために一生懸命汗をかくことになるが、その結果、菅家氏が負けてもコスタリカを組んでいないので批判の矛先は向きにくい。一方、汗をかいた見返りに、これまで未開の地だった会津に立ち入ることができる。すなわちそれは、次の衆院選を菅家氏のために戦いながら、次の次の衆院選を見据えた自分の戦いにつながることを意味する。 「もし菅家氏が負ければ、既に2回比例復活当選しているので支部長には就けないから、次の次は上杉氏の出番になる。上杉氏はその時を見越して(比例当選で)バッジをつけながら選挙区で勝つための準備を進めればいい、と」(同) もちろん、このシナリオは菅家氏が負けることが前提になっており、もし菅家氏が勝てば、今度は上杉氏が比例東北で2回連続優遇とはいかないだろうから、途端に行き場を失う恐れがある。前出・森山選対委員長は上杉氏に「次の次は支部長」と密かに約束したとの話も漏れ伝わっているが、これだってカラ手形に終わる可能性がある。 いずれにしても「選挙はやってみなければ分からない」ので、今回の選定が両氏にとって吉と出るか凶と出るかは判然としない。 党本部のやり方に拗ねる馬場氏 馬場雄基氏  馬場雄基氏(30)=1期、比例東北=が3月15日に行ったツイッターへの投稿が波紋を生んでいる。 《質問終え、新聞見て、目を疑いました。事実確認のために、常任幹事会の議事録見て、本当と知ってショックが大きすぎます。県連常任幹事会で話したことは正しく伝わっているのでしょうか。本人の知らないところで、こうやって決まっていくのですね。気持ちの整理がつきません》 https://twitter.com/yuki_8ba/status/1635848039670882309  真に言いたいことは分からないが、立憲民主党本部が行った「何らかの決定」にショックを受け、不満を露わにしている様子は伝わってくる。 投稿にある「新聞」とは、3月15日付の地元紙を指す。そこには党本部が、次期衆院選の公認候補予定者となる支部長について、新1区は金子恵美氏、新3区は小熊慎司氏を選任したという記事が載っていた。 実は、馬場氏も冒頭の投稿に福島民友の記事写真を掲載したが、同記事には馬場氏に関する記載がなかったため、尚更「何にショックを受けたのか」と憶測を呼んだのだ。 党県連幹事長の髙橋秀樹県議に思い当たることがあるか尋ねると、次のように話した。 「私も支持者から『あの投稿はどういう意味?』と聞かれたが、彼の言わんとすることは分かりません。県連で話したことが党本部に正しく伝わっていないと不満をのぞかせている印象だが、県連の方針は党本部にきちんと伝えてあります」 馬場氏をめぐる県連の方針とは、元外相玄葉光一郎氏(58)=10期、旧3区=とのコスタリカだ。 衆院区割り改定を受け、玄葉氏は新2区から立候補する考えを示したが、旧2区で活動する馬場氏も玄葉氏に配慮し明言は避けつつも、新2区からの立候補に意欲をにじませていた。これを受け県連は2月27日、両氏を対象にコスタリカ方式を導入することを党本部に上申した。 この時の馬場氏と玄葉氏のコメントが読売新聞県版の電子版(3月1日付)に載っている。 《記者会見で、馬場氏はコスタリカ方式の要請について、「現職同士が重なる苦しい状況を打開し、党本部の決定を促すためだ」と強調。「その部分が決定してから様々なことが決まる」と述べた。玄葉氏は「活動基盤を新2区にしていく。私にとっては大きな試練だ」とし、「比例に回った方が優遇される環境が前提だが、私の場合、小選挙区で出る前提で準備を進める」とも述べた》 馬場氏は玄葉氏とのコスタリカを認めるよう党本部に強く迫り、それが決まらないうちは他の部分は決まらないと強調したのだ。 ただ党本部は、コスタリカで比例区に転出する候補者(馬場氏)は名簿上位で優遇する必要があり、他県と調整しなければならないため、3月10日に大串博志選対委員長が「統一地方選前の決定はあり得ない」との見解を示していた。 そして4日後の同14日、党本部は前述の通り金子氏を新1区、小熊氏を新3区の支部長とし、新2区については判断を持ち越したため、馬場氏はショックのあまりツイッターに思いを吐露したとみられる。 進退にも関わることなので馬場氏の気持ちは分からなくもないが、前出・高橋県議は至って冷静だ。 「もしコスタリカを導入すれば立憲民主党にとっては初の試みで、比例名簿の上位登載は他県の候補者との兼ね合いもあるため、簡単に『やる』とは発表できない。調整に時間がかかるという党本部の説明は理解できます」(高橋県議) 要するに今回の出来事は、多方面と調整しなければ結論を出せない党本部の苦労を理解せずに、馬場氏が拗ねてツイッターに投稿した、ということらしい。 馬場事務所に投稿の真意を尋ねると、馬場氏本人から次のようなコメントが返ってきた。 「多くの方々に支えられて議員として活動させていただいていることに誇りと責任を持って行動していきます。難しい状況だからこそ、より応援の輪を広げていけるよう精進して参ります」 ここからも真意は読み取れない。 前述の上杉・菅家両氏といい、馬場氏といい、衆院区割り改定に翻弄される人たちは心身が休まることがないということだろう。 健康不安の吉野氏に引退を求める声 吉野正芳氏  選定が難航する区もあれば、すんなり決まった区もある。そのうちの一つ、自民党の新4区支部長には昨年12月、現職の吉野正芳氏(74)=8期、旧5区=が選任された。 選挙の実績で言えば、支部長選任は順当。ただ周知の通り、吉野氏は健康問題を抱え、このまま議員を続けても満足な政治活動は難しいという見方が大勢を占めている。 復興大臣を2018年に退任後、脳梗塞を発症。療養を経て現場復帰したが、身体に不自由を来し、移動は車椅子に頼っているほか、喋りもスムーズではない状態にある。 「正直、会話にはならない。吉野先生から返ってくる言葉も、こもった話し方で『〇くん、ありがとね』という具合ですから」(ある議員) 要するに今の吉野氏は、国会・委員会での質問や聴衆を前にした演説など、衆院議員として当たり前の仕事ができずにいるのだ。3月21日に開かれた党県連の定期大会さえも欠席(秘書が代理出席)している。 ここで難しいのは、政治家の出処進退は自分で決めるということだ。周りがいくら「辞めるべき」と思っても、本人が「やる」と言えば認めざるを得ない。 ただ、吉野氏の場合は前回(2021年10月)の衆院選も同様の健康状態で挑み、この時は周囲も「あと1期やったら流石に引退だろう」と割り切って支援した経緯があった。ところが今回、新4区支部長に選任され、本人も事務所も「まだまだやれる」とふれ回っているため、地元では「いい加減にしてほしい」と思いつつ、首に鈴をつける人がいない状況なのだ。 写真は3月21日の党県連定期大会を欠席した吉野氏が会場に宛てた祝電  「吉野氏の後釜を狙う坂本竜太郎県議は内心、『まだやるつもりか』と不満に思っているだろうが、ここで波風を立てれば自分に出番が回ってこないことを恐れ、ひたすら沈黙を貫いています」(ある選挙通) 旧5区、そして新たに移行する新4区は強力な野党候補が不在の状態が続いている。それが、満足な政治活動ができない吉野氏でも容易に当選できてしまう要因になっている。ただ、いつまでも当選できるからといって「議員であり続けること」に固執するのは有権者に失礼だ。 それでなくても新4区は原発被災地が広がるエリアで、復興の途上にある。元復興大臣という肩書きを笠に着て、行動力に期待が持てない議員に課題山積の新4区を任せるのは違和感がある。 あわせて読みたい 【福島県】衆議院区割り改定に翻弄される若手議員 【福島県】自民・新3区支部長をめぐる綱引き