原発事故を受けて山形県米沢市に避難し、昨年7月に福島市内の自宅に戻った武田徹さん(82)。約11年に及んだ避難生活中は、放射能を恐れて原発の避難指示区域外から逃れた自主避難者の支援に精力的に取り組んだ。米沢市内の雇用促進住宅に入居していた自主避難者に、同住宅を監理する独立行政法人が退去を求めた「自主避難者追い出し訴訟」でも、武田さんは被告の一人として戦った。自身も避難生活を送りながら山形県内の母子避難者らを支え続けた武田さんの活動は本誌でも何度か紹介しているので、関連記事を参照していただきたい。
そんな武田さんが、ロシアの軍事侵攻に苦しむウクライナの人々を支援しようと取り組んだ「使い捨てカイロを送る活動」は、さまざまなメディアで報じられるなど大きな話題を呼んだ。
ロシア軍の攻撃によりウクライナ各地では停電が発生。気温が氷点下になる中、多くの市民が暖房のない生活を強いられていることを知った武田さんは、仲間とカイロを送る活動を始めた。昨年12月、「ウクライナに『使い捨てカイロ』を送る会」を立ち上げ代表に就くと、山形駅前などで街頭宣伝を行い、年明けまでに約3万個のカイロが集まった。
その後、NHKが全国ニュースで取り上げると、受付期日の1月10日までに全国から約20万個のカイロが寄せられ、2月中旬までに31万個以上が集まった。中には、励ましの手紙や「現地への輸送料に」と現金を同封する人もいたという。
苦労したのは集まったカイロの仕分け作業だった。有効期限をチェックしながら箱詰めしていったが、国連が定める危険物に該当しないことが公的機関の試験で証明されたカイロでなければ海外に発送できないことが判明。箱詰めをやり直す一幕もあった。
それでも、山形・福島両県の市民団体などの協力を得て仕分け作業を終わらせ、陸送や一時保管は第一貨物(山形市)、現地への空輸は郵船ロジスティクス東北(同市)が快諾、高額の輸送料も負担してくれることになった。
第1便は1月23日、約3万5000個が空輸され、2月3日にキーウに到着。第2便は同月下旬、約3万5000個を空輸する予定で、残りは7月下旬に船便で発送、9月上旬に届けられる見通しという。
82歳と高齢の武田さんをここまで突き動かす原動力は何か。それは自らも避難生活を経験し、山形県の人たちに支援してもらったことへの感謝の気持ちだという。
「米沢での避難生活は冬の雪かきが本当に辛かった。でも、多くの地元の方々に物心両面から支援してもらい、本当にありがたかった。同時に、一たび事故を起こせばこれだけの被害を生み出す原発は動かすべきではないと思った。そういう苦労をした自分にとって、ウクライナの人たちが置かれている状況は他人事とは思えなかった」(武田さん)
そんな気持ちから始まったカイロを送る活動を通じ、武田さんは「原発事故の時も思ったが、支援してくれる人が大勢いることに『日本人はまだまだ捨てたもんじゃない』と強く感じた」という。
「ウクライナに送るべきは武器じゃない。私たちのカイロをはじめ、多くの善意が困っているウクライナの人々に早く届いてほしいし、1日でも早く戦争が終わることを祈っています」(同)
自身が受けた恩を、他の困っている人に返していく武田さんの取り組みは今後も続いていく。