会津坂下町が揺れている。老朽化した役場庁舎の移転新築をめぐり、一度は現庁舎周辺で建て替えることが決まったが、町民アンケートの結果を踏まえ、古川庄平町長が旧坂下厚生総合病院跡地に建てる方針を示したため、町中心部の住民が猛反発している。一方、町周辺部の住民も町の説明不足を指摘しており、新庁舎構想はまとまる気配が見えない。
説明不足の古川町長に不信募らせる住民
会津坂下町役場の周辺で異様な光景が広がっている――そんな情報が寄せられ、5月中旬、記者が現場を訪ねると、目にしたのは大量のポスターとのぼり旗だった。
「新役場建設地 現庁舎周辺でいいのです!! 旧町内有志」
白と赤を基調にそう書かれたポスターとのぼり旗は、役場を取り囲むように商店街中に出回っていた。
ポスターが貼られていたある店に飛び込み、店主に話を聞くと、
「新庁舎は5年前、ここ(現庁舎周辺)に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した。病院跡地は密約があるとウワサされる場所。正式決定を覆し、そんな場所に新庁舎を建てるなんて許せない。ポスターとのぼり旗は中心部の俺たちからの抗議だ」
店主によると、ポスターとのぼり旗は大型連休前の4月25日ごろに一斉に設置されたという。
この間、本誌でも報じている会津坂下町の役場庁舎問題。古くなった現庁舎の移転新築をめぐり三つの候補地の中から現庁舎周辺で建て替えることを決めたのは今から5年前のことだ。町は2018年3月定例会に、新庁舎の建設場所を「現本庁舎・北庁舎、東分庁舎及び東駐車場用地」とする議案を提出し、賛成多数で議決された。しかし同年9月、当時の斎藤文英町長が財政難を理由に建設延期を決定し、事業は一時凍結された。
状況に変化が見られたのは、斎藤町長が引退し、2021年6月の町長選で現町長の古川庄平氏が初当選したことだった。22年4月には役場内に庁舎整備課が新設され、新庁舎構想は再び動き出した。
ところが、議会の議決を経て正式決定したはずの建設場所に一石が投じられた。「現庁舎周辺での建て替えを決めた4年前(2018年)とは町内事情が変わっている」として22年5月、「まちづくりを考える青年の会」(加藤康明代表)から議会に再考を促す請願が提出されたのだ。
議会はこの請願を賛成多数で採択し、建設場所を再度協議することを求める意見書を古川町長に提出。これを受け、町は2018年10月から休止していた新庁舎建設検討委員会を、22年7月に委員を一部入れ替えて再開させた。
現庁舎周辺での建て替えを決めた理由の一つに「中心部や周辺まちづくりへの寄与」がある。
町中心部の住民の多くは役場近くの商店街で店を経営している。役場と共に生活してきた店主たちにとって、役場が別の場所に移ることは死活問題。そうした中、新庁舎の建設場所は店主たちが望んだ現庁舎周辺に決まったのに、突如覆されようとしているのだから「なぜ今更見直さなければならないのか」と不満に思うのは理解できる。
そんな店主たちを一層怒らせたのが、町が2022年10月に行ったアンケートだった。アンケート結果は本誌2月号で詳報しているので繰り返さないが、要約すると、
▽建設場所は、既に決まっている現庁舎周辺でいいか、再考すべきか尋ねたところ、248人が「現庁舎周辺のままでよい」、430人が「再考すべき」、15人が「その他」と答えた。(残り33人は無回答)
▽「再考すべき」「その他」と答えた計445人に3カ所の候補地を示し、望ましい移転場所を尋ねたところ、273人が「旧坂下厚生病院跡地」、39人が「旧坂下高校跡地」、95人が「南幹線沿線県有地」と答えた。(残り38人は「その他」、あるいは無回答)
こうした経過を経て、古川町長は今年2月に開かれた議会全員協議会で新庁舎の建設場所を旧坂下厚生病院跡地にする方針を示したのだ。冒頭の店主が「現庁舎周辺に建てると決めたのに、町長が突然、病院跡地に建てると言い出した」と憤っていたのはこのことを指している。
憤る店主たち
本誌の手元に今年3月と4月に開かれた議会全員協議会で町から配られた資料がある。その中には、現庁舎周辺と病院跡地のメリット・デメリットや、2022年9月に町内7地区で開かれたまちづくり懇談会、同年10月に商工会理事を対象に開かれた懇談会で上がった意見などが紹介されているが、資料のつくりとしては「町が病院跡地へ誘導しようとしている」感が強い。
また資料には、現庁舎周辺と病院跡地のほか、アンケートで示された旧坂下高校跡地と南幹線沿線県有地の計4カ所に新庁舎を建設した場合の概算事業費も載っている(別掲の表)。それを見ると、現庁舎周辺と病院跡地では事業費はほぼ変わらないことや、旧坂下高校跡地が最も安上がりなことなども分かる。
新庁舎の概算事業費
現庁舎周辺 | 病院跡地 | 高校跡地 | 南幹線沿線 | |
---|---|---|---|---|
本体工事 | 22.8億 | 22.8億 | 10.0億 | 22.8億 |
外構工事 | 2000万 | 4300万 | 4300万 | 4300万 |
車庫等 | 2.3億 | 2.3億 | 2.3億 | 2.3億 |
仮設庁舎・解体 | 1.1億 | 0 | 0 | 0 |
設計・監理 | 2.0億 | 2.0億 | 2.0億 | 2.0億 |
用地取得・土地造成 | 6000万 | 2.3億 | 0 | 1.4億 |
家屋移転補償 | 1.0億 | 0 | 0 | 0 |
その他 | 1.0億 | 1.0億 | 1.0億 | 1.0億 |
合計 | 30.9億 | 30.8億 | 15.7億 | 29.8億 |
参考 | 35.3億 | 36.6億 | 21.3億 | 36.3億 |
※2=旧坂下高校跡地は県補助金の利用が可能。(限度額3億円)
※3=100万円以下は四捨五入した。
これらを踏まえ、資料には「建設場所は『旧坂下厚生病院跡地』とする」と明記されているが、この方針変更を町中心部の店主たちはどう受け止めているのか。以下、取材で拾った声を紹介していく。
「アンケートの地図では病院跡地全体が黒塗りになっていたが、その後、新庁舎用地として使うのは半分であることが分かった。町民に回答を求めるのに正しい情報を伝えないのはフェアじゃない」(店主A)
病院跡地の面積は2万1000平方㍍だが、古川町長は新庁舎に必要な面積を1万平方㍍としていた。住民の中には、現庁舎周辺(7000平方㍍)では面積が足りないので、広い病院跡地の方がいいと思った人も少なくない。それが、実際に使う面積は半分となれば「最初から(半分しか使わないと)分かっていたら病院跡地を支持していない」という人もいたと思われる。
町は「騙すつもりはなかった」と言うかもしれないが、正しい情報を伝えずに判断を仰ぐのは、店主Aさんが言うようにフェアじゃない。
「現庁舎周辺と病院跡地の事業費は一見変わらないが(別表参照)、病院跡地に建てても現庁舎は解体するのに、解体費は0円になっている。ほかにも負担しなければならない費用があるのに、町はきちんと説明していない」(店主Bさん)
別表を見ると、病院跡地の「仮設庁舎・解体」の項目は確かに「0」になっている。仮に病院跡地に建てるとしたら仮設庁舎は不要だが、現庁舎は結局解体するので、解体費が0円というのは正確ではない。
そもそも町は、病院跡地に新庁舎を建てたら、現庁舎跡地には8億円で新たな活性化施設を整備する方針を示している。店主Bさんは「解体費や活性化施設の整備費を隠し『事業費はほぼ同じ』と説明するのはズルい」と町に不信感を募らせる。さらに店主Bさんによれば、病院跡地に新庁舎を建てたら、周辺に職員用の駐車場を別途確保しなければならず、その分の費用負担も町は説明していないというから、ここでも住民が正しい判断をするための情報を、町は正確に伝えていない。
「5年前に事業凍結した際、斎藤町長(当時)は財政難を理由に挙げたが、今の財政状況はどうなっているのか。住民は当時より財政が良くなったから新庁舎を建てると解釈しているが、正確に把握している住民はいないし、町から説明を受けたこともない」(店主Cさん)
町のホームページに財政に関する各種資料が公開されているが、事業凍結を決めた前年(2017年度)は経常収支比率90・2%、実質公債費比率13・9%、将来負担比率105・9%と、国が示す早期健全化基準には至っていないものの、県内の町村や全国の類似団体より下位にあった。地方債残高も96億9500万円に上り、財政調整基金も2000万円と乏しかった。
これが2021年度にどう変わったかというと、経常収支比率83・2%(19年度比7・0㌽減)、実質公債費比率11・0%(同2・9㌽減)、将来負担比率49・1%(同56・8㌽減)、地方債残高77億8800万円(同19億0700万円減)、財政調整基金6億3400万円(同6億1400万円増)まで回復。ただし県内の町村や全国の類似団体と比較すると、改善の余地はまだある。
町は「公開している資料を見てほしい」と言うかもしれないが、一方的な公開では住民に伝えた(伝わった)ことにならない。当時の財政難からここまで改善したという説明がなければ、住民は凍結されていた事業が再開した理由を正しく理解できないのではないか。
「新庁舎建設検討委員会は、現庁舎周辺に決めた際は計10回開かれ、委員は毎回2~3時間にわたり議論を戦わせた。しかし病院跡地に関しては、同委員会はたった2回しか開かれていない。そもそも同委員会内では、病院跡地がいいか・悪いかという議論さえしておらず、アンケートの結果のみが決定の根拠になっている」(店主Dさん)
実は、店主Dさんには同委員として欠かさず議論に参加し、現庁舎周辺が最適と決めた自負があった。それだけに、突然「再考すべきだ」と提案され、古川町長が受け入れたことに「あっさり覆すのは我慢ならない」という思いがあるのだ。
マルト建設に疑いの目
ここまで話を聞いて、店主たちの気持ちは理解できた。ただ気になったのは、そもそも病院跡地は町内のマルト建設がJA福島厚生連から購入する約束になっていたため(詳細は本誌3月号)、「町と同社の間で何らかの密約があったのではないか」と疑う店主が多かったことだ。
同社は旧坂下厚生病院の解体工事を受注し、工事は6月終了予定となっているが、更地になった後の利活用に困っていた厚生連が同社に売却を打診し、同社が応じたため、双方の間で買付証明書と売渡承諾書が交わされた経緯がある。正式契約ではなく、あくまで「売買を約束したもの」だが、そのタイミングで病院跡地が新庁舎候補地に挙がったため、同社は「もし町が厚生連から取得するなら、約束は破棄してもいい」としていた。
同社は解体工事を受注した手前、厚生連からの打診を断わることができず、取得後は宅地造成をするしかないと考えていた。つまり、町の登場は渡りに船だったわけだが、同社にとって間が悪かったのは、当時の社長と役員が県職員への贈賄容疑で逮捕され、住民に悪いイメージを持たれたことだった。それが「同社が買うはずの土地に町が新庁舎をつくろうとするのは、何らかの密約があるに違いない」という見方につながっているのだ。
本誌の取材では密約を裏付ける証拠は得られなかったが、同社は創業50周年を迎えた2021年から町や学校などに多額の寄付をしており、それが曲解されて「下心の表れ」と見られてしまっている。
店主たちからは、病院跡地に変わるきっかけをつくった前出・加藤氏と、古川町長への意見書提出を先導した渡部正司議員(2期)への不満も聞かれた。しかし、両氏にもそれなりの言い分がある。とりわけ両氏は、店主たちとは逆に役場から遠い場所で暮らしているため「町周辺部の住民の代弁者」と捉えて差し支えないだろう。
まずは加藤氏の意見から。
「5年前に現庁舎周辺に建てることが決まった際も、当時のアンケートでは別の場所がいいという意見が多かった。しかし、結果的に現庁舎周辺に決まり、当時の新庁舎建設検討委員会のメンバーを見ると町中心部の人たちが多かったので、本当に全町民の考えを反映したのかという思いはあった。町周辺部の住民に、なぜ現庁舎周辺に決まったのかという説明も足りなかった」
その後、事業は凍結されたが、4年後に再始動したタイミングで友人や後輩から「建設場所の再考を促すべきではないか」という声が寄せられたため、加藤氏が代表して請願を提出したという。
「事業の凍結期間中には郊外にメガステージ(商業施設)や坂下厚生病院がつくられ、新しい道路が整備されるなど人の流れが変わった。町の将来を考えると、学校が統廃合され、今後も少子化は進むので空き校舎が増えていく。短期間のうちにいろいろな変化が起こり、今後も変化が避けられない中、それでも新庁舎はそのまま現在地に建てるというのは、将来のまちづくりを考えると違和感を持ちました」
「私個人は、新庁舎をどこにつくるべきという意見はない。ただ、せっかくつくるなら、中心部の住民だけでなく周辺部の住民の声も聞いてより良い場所を選ぶべきです。その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、それで構わない。問題は、周辺部の住民を巻き込んだ議論が不足していることと、町は財政難で事業を凍結しておきながら、事業再開時には財政状況がどれくらい回復したのか全く説明がないことです」
加藤氏が深い考えに基づいて行動を起こしたことが分かる。
説明不足が招く数々の弊害
渡部議員の意見はこうだ。
「5年前に現庁舎周辺に建てると決めた際は、国の財政支援を受けるために期限内(2020年度)に着工しなければならない大前提があった。しかし、事業が凍結され、期限内着工が間に合わず、国の財政支援は受けられなくなった。その大前提が崩れたのだから、現庁舎周辺にこだわらず、じっくり議論してはどうかと思ったのです。当時は候補地になり得なかった病院跡地や旧坂下高校跡地も事業の凍結期間中に浮上したわけだから、それらの可能性を検討するのもありだと思った」
「災害発生時、役場に防災拠点を置くことを考えると、現庁舎周辺は道路が狭く緊急車両が通りにくい、病院跡地は道路が広く緊急車両が通り易い、という意見もある。ハザードマップを見ると、浸水深が現庁舎周辺で最大3㍍、病院跡地で同50㌢という差もある。そういった材料も踏まえて議論し、その結果、やっぱり現庁舎周辺がいいとなれば、住民が出した結論なので異論はない」
加藤氏と渡部議員は「現庁舎周辺ではダメ」「病院跡地がベスト」と主張しているわけではなく、さらに議論を深める必要性と町の説明不足を指摘しているわけ。そういう意味では、一見対立しているようにも映る前出・店主たちと考え方は一致していることになる。
住民の多くが問題視する町の説明不足はこんなところに表れている。
町周辺部の住民は利便性や駐車場の広さから病院跡地への変更を歓迎する人が多いが、実はその人たちからも「全敷地を使うと思ったのに半分しか使わないなら魅力的に感じない」と困惑の声が上がっている。前出・店主Aさんも指摘していたが、町周辺部の住民も町の不正確な説明に不満を感じているのだ。
古川町長が今年2月の議会全員協議会で建設場所を病院跡地にする方針を示したことは前述したが、これを受け住民の多くは「現庁舎周辺は白紙になった」と勘違いしている。正しくは、現庁舎周辺は議会の議決を経て決定したので、それを病院跡地に変えるには地方自治法や会津坂下町議会基本条例に基づき、町が議決内容の一部(建設場所)を変更する議案を議会に提出し、もう一度議決を得なければならない。
住民は「町長が病院跡地と言っているんだから、決定なんでしょ」と思っているかもしれないが、全くの誤解だ。そればかりか、町が病院跡地に変更する議案を提出し、議会に否決されたら、病院跡地への移転新築は幻に終わる可能性すらある。
こうした状況を正しく理解している住民は少ない。理由は2月に病院跡地とする方針を打ち出して以降、町が住民に説明する場を一切設けてこなかったからだ。
町は当初、3~4月にかけて▽住民への説明会を開く、▽議会内に新庁舎建設検討特別委員会を設置し、必要な議論を進める、▽前出・新庁舎建設検討委員会を再開する、という三段構えで病院跡地に変更することへの理解を深め、大型連休明けに臨時会を開き、必要な議案を議会に提出するスケジュールを練っていた。しかし、議員から「拙速だ」「住民への説明が足りない」と反対意見が上がり、議案提出を6月定例会に先延ばしした。
このスケジュールに対しても、先にゴール(議案提出)ありきで、それに合わせて住民への説明を済ませようとしたから、前出・店主たちは「単に説明したというアリバイをつくりたいだけ」と憤っている。店主たちによると、冒頭で触れたポスターとのぼり旗は強引な進め方をする町に釘を刺す狙いがあったという。
「リコールもあり得る」
町は5月中旬から下旬にかけて、町内各地区で住民説明会を開いた。初回は同17日、現庁舎がある仲町・橋本地区の住民を対象に開かれ、会場には40人ほどが駆け付けた。町からは古川町長、板橋正良副町長、庁舎整備課の職員が出席したが、出席者からは病院跡地への変更に強く反対する意見のほか「住民への説明が足りない」「関連議案を6月定例会に提出するなんて拙速だ」など厳しい指摘が相次いだ。「住民投票で白黒をつけるべき」「町長選の争点だ」「町長リコールだってあり得る」と辛辣な意見も聞かれるなど大紛糾した。
説明会終了後、疲れた様子の古川町長にコメントを求めると、
「いろいろなご意見をいただきましたが、私の思いは、新庁舎はまちづくりの観点を大事にしながら、防災拠点に相応しい場所に建設すべきというものです。時間をかけて説明してほしいと言われたが、現庁舎は非常に古く、移転新築に時間をかけすぎるといつまた大きな災害が襲って来るかも分からない。ともかく、移転新築が必要なのは明白なので、住民や議会と議論を深めながら結論を導き出していきたい」
古川町長の口ぶりからは、住民説明会を何度も開く、時間をかけて説明し理解を得ていく、といった考えは正直感じられなかった。本気で病院跡地に変更したければ、反対する住民に納得してもらえるよう繰り返し説明し、現庁舎周辺の新たな利活用(地域活性化施設)も検討する一方、賛成する住民にも全敷地を使うと誤解させたことを謝罪し、なぜ事実と異なる内容を伝えたのかを説明する必要があるのではないか。
それでも納得が得られなければ、住民説明会でも上がったように住民投票で白黒をつけるか、リコールか自ら辞職して出直し町長選に臨み、新庁舎問題を争点に戦うしかないのではないか。今の会津坂下町はそれくらい、一筋縄ではいかない迷走に陥っている。