会津若松市の門田小学校に子どもを通わせる二人の保護者から「学校のいじめ対応に納得がいかない」という相談が立て続けに寄せられた。二人の子は、いじめの加害者側とされる。誤解されては困るが、保護者は「自分の子に一切非はない」と言っているのではない。学校が本来すべき対応をしなかったことに憤っているのだ。(佐藤仁)
「問題の中身」より「見掛けの件数」を重視⁉

話は昨年5月にさかのぼる。
会津若松市の門田小に2年生の息子を通わせる母・Aさんに、学校から電話がかかってきた。
「息子さんが友達の首を絞めた。明日、学校に来てください」
翌日夕方、夫婦で学校に行き、三浦哲校長、奥洋和教頭、担任から事情を説明された。さらに、息子に支援員が付いていること、首を絞められた子と同じスポ少に所属する4年生数人から複数回「謝れ」と迫られていたことも伝えられた。
複数の事態を同時に告げられ、Aさんの理解は追いつかなくなっていたが、それでも「まずは謝罪しなければ」と三浦校長に相手の保護者の連絡先を尋ねた。しかし「ピリピリしているので学校が間に入る」と言われ、Aさんは「謝罪したい旨を伝えてほしい」とお願いした。
一度帰宅し、夜再び学校から電話が入る。「相手に『もう一度チャンスを』と頼んだが『それはできない』と言われた」と三浦校長。すると突然、こう告げられた。
「これはいじめとして処理する。息子さんには来週から隣のクラスに移ってもらう」
再び理解が追いつかなくなるAさん。三浦校長によると、いま相手の母親が学校に来ているという。混乱するAさんは、夫と一緒に急いで学校に向かった。
ようやく相手の母親・Bさんに会うことができたAさんは、さらに驚きの事実を告げられる。
「私は学校に何度も対応をお願いしていた。〇くん(Aさんの息子)にパンチやキックをされる、と。いくら謝られても許せない」
Bさんは1年生から学校に対応を求めていたというのだ。しかし、
「私たち夫婦はそんなことになっていたなんて知らなかった。学校からは、電話でも連絡帳でも言われたことは一度もなかった」(Aさん)
これにはBさんも「えっ?」と驚いた様子だったという。
三浦校長からは、その場で「校内指導で対応できると考え、Aさんには1年生の出来事を伝えていなかった」と説明された。
Bさんもこの場で初めて知ったことがあった。Aさんの息子に何度も謝罪を迫った4年生たちは、Bさんの夫から「心配なのでたまに様子を見に行ってほしい」と頼まれていたのだ。夫は息子や4年生たちが所属するスポ少でコーチを務めていた。
Aさんの息子は4年生たちから何度も「謝れ」と言われ、恐怖を感じていたという。Aさんがなぜ相談しなかったのか尋ねると「怖かったけど親に心配かけたくなかったから」と息子。Bさんは「今後はそういうことをしないよう(4年生たちの)親に伝える」と約束した。
Aさんは息子がした行為を棚上げするつもりはない。だが①Bさんが何度も訴えていたのに自分には一度も連絡がなかった、②問題に対応するため親の知らない間に息子に支援員を付けていた、③突然「いじめとして処理する」「クラスを移す」と告げられた――等々に「これが普通の対応なの?」と納得できずにいた。
息子の首絞めも判断が難しい。もちろん軽々しくするべき行為ではないが、その状況を目撃していた女子児童はとてもいじめているようには見えず、息子とBさんの息子がじゃれ合っているとしか思えなかったという。筆者も目撃した女子児童の親に話を聞いたが「二人とも笑っていたそうです。娘は『あれがいじめになるの?』と驚いていたくらい」と証言してくれた。ちなみに二人は、今も一緒に下校したりする姿が周囲から目撃されている。いじめの当事者同士とは思えない関係性だ。
納得できない出来事はその後も続く。話し合いから数日後には、息子に取り出し指導(※)をすると告げられた。「相手側から今日中に回答がほしいと言われた」と三浦校長。さらには「来週、保護者会を開いて息子さんを隣のクラスに移す」とも。これも「相手側と話して決めた」と言うのだ。
※別室で個別指導すること。
親なのに息子が何をしたのかよく分からないまま、ただ相手側の言い分に沿って罰だけが科されていく。学習環境が一変した息子は、突然怒ったり泣き出したり気持ちが不安定になり、学校を休むようになった。
Aさんは児童クラブの支援員、市教委、県教委、警察の少年サポートセンターなど、思い付く全ての機関に学校の対応は妥当なのか相談したが、納得がいく回答は得られなかった。一方で、学校が今回の問題をいじめとして認定し、市教委に「いじめに関する報告書」を提出する方針は変わらなかった。
「市教委は『いじめ報告書は一生残るものではない。進学にも影響しない』とあまり深刻に捉えなくてもいいという感じだったが、息子の名前が加害者として記される事実は変わらない。そもそも学校が親に早く伝えてくれていたら、家庭でも指導できたし、学校と相談しながら見守ることもできた。そうすれば報告書も提出されずに済んだはず。学校がやるべきことをやらなかったのに、それをいじめと認定して報告するのは納得できない」(Aさん)
Aさんは、それでもいじめ報告書を提出するというなら、学校の対応にも誤りがあったことを明記するよう強く求めた。学校と市教委は求めに応じ、市教委には学校の対応の誤りを認める一文を加えた報告書(昨年5月27日付)が提出された。
欲しいのは「丁寧な説明」
結局、取り出し指導は1週間程度で終了し、クラス変更も行われなかったが、Aさんはこの時点でも今まで息子が何をして、学校がどんな対応をしたのか詳細を把握できずにいた。タイミングが悪く、6月中旬からは担任が病休に入った。奥教頭からは「謝罪したい」と言われたが、謝って問題をなかったことにされるような気がして受け入れる気持ちになれなかった。Aさんが欲しかったのは謝罪ではなく丁寧な説明だった。
言った・言わないになるのは避けたいので、学校には文書で説明するよう電話や書面で求め続けた。学校はずっと拒んでいたが、問題発覚から5カ月後の昨年10月にようやく文書回答を寄せた。しかし、そこに書かれていたのは「被害者に向けた理由」の羅列だった。
《学校内でしっかりと情報共有ができていなかったために、初期段階で組織的に対応することができず、結果として×君(Bさんの息子)に対するいじめの認知が遅れたことは、学校の対応に問題があったと考えています》《今回の件では、被害者が保護者に何度もいじめを訴え、保護者が連絡帳等で担任に2回にわたり連絡していたにもかかわらず、管理職まで話が届いていなかったために、実際に令和6年5月23日に保護者からの直接の訴えがあってから、担任からも従前の状況を聴取し、「いじめ」と認定することとなりました》
きちんと対応できなかった原因やいじめと認定した根拠など、Aさんの知りたい点は触れず終いだった。
「私は息子に非はないとは思っていない。ただ、支援員を付ける、取り出し指導をする、クラスを移すというなら、その前にどんな対応をしたのかを親に説明すべきです。子どもだって何の説明もないまま『明日からそういう対応をする』と言われたら納得できない。実際、今回のような乱暴な対応のせいで息子は精神的に傷付きました。今は再び学校に通えるようになったが、ちょっとしたことでまた気持ちが不安定になるのではと不安です」(Aさん)
実は、学校の対応の不味さはこれだけではなかった。前述したAさんの息子に謝罪を迫った4年生も、学校から市教委にいじめ報告書が提出されていたのである。
その保護者・Cさんは言う。
「うちの子は正義感からAさんの息子に謝れと言っただけ。でも、それによってAさんの息子が恐怖を感じたなら謝罪したいと思い、教頭に連絡すると『いや、そんなことじゃないんです』と言われて」(Cさん)
Cさんは、息子がAさんの息子に謝罪を複数回迫ったことを昨年6月に学校からの連絡で知った。息子に確認すると「教頭先生から呼び出され(Aさんの息子に)謝るよう指導された」と言った。教頭が指導するくらいだから一大事と心配したCさんが奥教頭に連絡すると「大したことじゃない」。拍子抜けした。
だが、よくよく調べると、学校から連絡があった1週間前に、息子を加害者とするいじめ報告書が市教委に提出されていたことが分かった。Cさんは「正義感でやったことが、どうしていじめになるの?」と納得がいかなかった。
「Aさんに会わせてくれず『大したことじゃない』と言っておきながら裏でこっそりいじめと認定していた。うちの子はスポ少で、Bさんの息子を弟のように可愛がっていた。だから首絞めが許せず、謝るように言っただけなのに、それがいじめになるんですか?」(Cさん)
Cさんは、そもそも学校がAさんとBさんのトラブルにきちんと対応しなかったから息子が巻き込まれたと考えている。その結果が「いじめ加害者として認定」では、やりきれないだろう。
木を見て森を見ず
一連の対応やAさんとCさんの息子をめぐるいじめ報告書の提出に問題はなかったのか、三浦校長と市教委学校教育課に取材を申し込んだが、両者とも「顧問弁護士と相談し、個人案件であるため取材対応は控えます」と返答するのみだった。
某小学校の男性教頭は筆者の「門田小の対応は妥当だったのか」との問いに次のような見解を示す。
「いじめ報告書は管理職(教頭、生徒指導主事)が担任に聞き取りして作成し、校長に承認を得てから市教委に提出します。どの事案をいじめと認定するかは学校の判断で、当事者(いじめの加害者・被害者)には伝えません。その意味で門田小の対応は間違っていないかもしれないが、初期対応の不味さは否めず、保護者との面談も不十分で、事情を知る担任が病休でいなくなったのも良くなかった。最初にボタンを掛け違えたら信頼関係の構築は難しい。初動で当たり前の指導をしていれば、報告書なんて提出せずに済んだ案件だったと思います」(教頭)
別の小学校のベテラン女性教員もこんな感想を漏らす。
「いじめ問題は現場と市教委で捉え方が全然違う。学校では年3回、子どもたちにいじめアンケートをしている。その結果を集計すると『悪口を言われた』『叩かれた』という回答が必ずあるが、大抵はきちんと対応すれば問題ないので現場はいじめの件数にカウントしない。ところが、それを市教委に報告すると『いや、いじめだろ』と言うわけです。見掛けの件数にこだわり、それが本当にいじめかどうかを見極めようとしない市教委には腹が立ちます」
門田小の問題は、その弊害も影響しているのではないかという。
「到底いじめとは思えない事案までいじめと認定され、報告書の提出に至るのは、市教委の『とにかく報告しろ』という姿勢も関係していると思います。なぜならいじめアンケートの結果、件数が少ないと、市教委は『隣の学校はいっぱいあった。おたくの学校が少ないはずがない』と言うんです。これでは中身を精査せずに、とにかく件数を上げろと言っているのと同じです」(同)
前出の教頭は「こういうやり方が続くと、もっと深刻で、本当に見つけなければならないいじめを見過ごすことになる」と危惧する。門田小の問題は〝木を見て森を見ず〟の結果だったのかもしれない。