初心者からプロまで、幅広い層に野球のスキルを教える「T―Academy」(須賀川市)。代表の菊池タクトさんは矢吹町出身で、光南高校、富士大学でプレーし、その後、アメリカでコーチング技術を学んだ。日本とアメリカのハイブリットコーチングで注目を集める菊池さんを取材した。
プロ選手も注目する指導法
菊池タクトさんは1993年1月生まれの31歳。矢吹町出身。小学校でソフトボール、中学校で野球(軟式野球)を始める。その後は光南高校、富士大学(岩手県花巻市)でプレーした。右投げ右打ちでポジションはキャッチャー。ただ、大学時代は肩を痛めたこともあり、ファーストや指名打者(DH)でプレーすることが多かったという。
かつてのチームメイトには錚々たるメンバーがいる。光南高校時代の2学年下には、後に西武ライオンズに入団し2017年まで在籍した佐藤勇投手がいる。菊池さんはキャッチャーとして、佐藤投手のボールを受けていたが、「当時(佐藤投手の1年時)はそこまですごいピッチャーではなかった」という。
「(佐藤投手は)もちろん、上手な部類でしたけど、圧倒的な感じだったかと言うと、そうではなくて。僕が卒業して大学に行ってからも、地元に帰るときは高校に顔を出していたんですが、その度にレベルアップしていましたね。常に実直に練習して、ひたむきに努力をしていました。やっぱり、その姿勢が大切だということを彼から学びました」
大学では、1学年上に山川穂高選手(ソフトバンク)、同学年に外崎修汰選手(西武)、1学年下に多和田真三郎投手(元西武)、2学年下に小野泰己投手(オリックス、育成)などがいる。
「彼らに共通しているのは、本当に意識が高くて、誰よりも練習をしていましたね。それも単に練習量が多いだけでなく、よく考えて練習していた。僕はそういう人たちばかり見てきました」
自身はプレイヤーとしては大学でひと区切りとして、指導者の道に進む。もともと、野球を始めたころから「先生になって高校野球の指導者になりたい」と思っており、実際にその夢を叶えた。
大学を卒業して、最初の1年間は中学生の野球指導に携わり、その後、県立高校の教員になって野球部顧問(部長)に就いた。それが2016年のこと。そこから2年間は県立高校教員、野球部顧問として勤務したが、「そのときは、この先もずっとこれを続けていくというビジョンが湧かなかった」という。
「ちょうど野球界が転換期と言いますか、競技人口が減っていって価値観も変わりつつある中、指導者とか野球の環境をつくる側の人たちも変わっていかなければならないと感じました。少し違うアプローチで自分なりにやってみたいと思い、退職してアメリカでコーチングを勉強することにしました」
当時、菊池さんは講師の立場だったが、翌年からは正採用される見込みだった。本人にとって高校野球の指導者は子どものころからの夢で、なおかつ教員は世間的にも尊敬され、安定した職業と言えるが、それを捨てて新しいことにチャレンジすることにしたのだ。当然、周囲からは反対もあったようだが、「当時、僕の中ではそれを10年、20年と続けていくビジョンが全く湧かなかった」という。
国内にアメリカへの野球留学を斡旋するところがあり、そこを介して2018年3月にアメリカに渡った。2年間の教員生活で貯めた貯金をはたいての渡米だった。
そこで感銘を受けたのが「個別レッスン」だった。例えば、日本の少年野球だとチーム練習が主流で、監督、コーチの数人の指導者が十数人から30人くらいを指導するというのがよく見る光景。ただ、アメリカはそうではなかった。
「アメリカでは1人に対して1人の指導者が付くのがポピュラーで、練習時間も短い。あとは土・日にゲーム(試合)をするという感じ。僕がお世話になったところは、週1回30分のレッスンで、1人が終わると、次の人という感じで、子どもたちが入れ替わりでやって来る。それも、『素晴らしい』と子どもたちを褒めて乗せながら進めていく。だから、子どもたちは楽しそうに野球をやる。僕にとってはそれが一番感銘を受けたことでした。例えば、日本の高校野球だと、みんな野球が好きで志もある。だけど、なかなか自分の好きなようには野球ができないんです。チーム全体で練習をして、下手で怒られることもたくさんあるし、練習内容に関しても、この子にこの練習って意味があるのかなと思うこともある。そこに対してなかなか自分のアプローチができないもどかしさとか、子どもたちが野球に対してちょっと消極的になっていくような様子を見て、すごくショックだったんですよね。そういった気持ちと、アメリカではこれだけ丁寧に指導して、子どもたちが楽しそうにしているのを見た感覚がすごくリンクしました。もちろん、技術的な指導方法も学びましたけど、僕はそこにすごく価値を感じましたね」
菊池さんは「これを日本に広げなきゃいけないと思った」という。
菊池さんのアメリカ滞在は8カ月間。そうした環境を知れたことに加え、正しい動作と、それを分解して分かりやすく伝えるコーチング技術を学んだ。
帰国後は自身を売り込み
帰国後は、日本全国で研修報告会を開き、自身の売り込みを行った。
「アメリカにいたとき、ずっとブログを書いていたんですけど、それにすごく共感してくれてメッセージをくださった方々が全国にたくさんいらっしゃった。その方々に会いに行きながら、いろいろと野球の話をしたり、日本の現状を聞いたりしながら過ごしていました」
こうした地道な活動を経て、少しずつ、菊池さんのレッスンを受けたいという人が増えていった。2020年に「T―Academy」を設立し、これまで4年間で述べ1000人以上を指導してきた。小学生、中学生の個別レッスンが多いが、チーム指導もあるという。
ホームページでは、「アメリカで培ったコーチングスキルと日本野球の技術を掛け合わせたT―Academyオリジナルの指導法。野球の動作を細分化したスキルドリルを用いて身体の使い方から徹底的にコーチングします」、「人が変わればコーチング法も変わります。徹底した個別指導により一人一人の性格・スキルにあったコーチングでスキルアップを図ります」との紹介文が並ぶ。
それぞれのレベルに応じて、バッティング、フィールディング、ピッチング、スローイングの4つについて、スキルドリルを用いて個人の目標達成に適したコーチングを行う。
「僕は『スキル』を『正しい動作』と翻訳しました。だから、正しい動作を教えるという意味で『スキルコーチ』の名称で活動しています。例えば、少年野球などでは、守備の際、漠然と『腰を落としなさい』といった教え方がされますが、実際はお尻下げちゃうと動きが遅くなるんで、実はお尻はそんなに下げない。バッティングにしても『強く振りなさい』とか、『上から叩け』とか教えられることが多いと思いますが、実際にはバットは上から出ないわけですよ。そういった感覚的なことではなく、正しい動作をコーチングしていく、と」
例えば、バッティングなどはどうしても「感覚」によるところが大きい。それをきちんと分析・分解して正しい動作を教えるのだ。
ビジネスとしては、そうしたプライベートレッスンのほか、10人規模の野球スクール、オンラインや出張レッスン、配信(ユーチューブやインスタグラム)などが主なもの。
菊池さんは「そんな形で何とかやっています」とのことだが、菊池さんのスキル指導は、プロ野球選手からも注目されており、実際にプロの選手の指導経験もある。
プロ選手からオファー
以下は1月12日配信のスポーツニッポンの記事より。
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昨季パ・リーグで本塁打と打点の2冠王に輝いたソフトバンクの近藤健介外野手(30)が(1月)11日、オリックス・西川龍馬外野手(29)らと鹿児島県徳之島で行っている自主トレを公開した。SNSを通じて知り合った野球スキルコーチの菊池タクト氏(30)を招き、スイングの際に手が先行する動きを我慢し、体の回旋でボールを捉えるスイング理論を吸収。打撃のさらなるレベルアップを図っている。
希代のバットマンが南国で新打法に取り組んでいる。近藤は今回で7年目となる徳之島自主トレに、野球スキルコーチとして活躍する菊池タクト氏を招いた。「新しい発見があって楽しい」。確実性アップを目指して新スイングを体に染みこませた。
近藤は日本代表が優勝した昨春WBCの合宿中に菊池氏のインスタグラムに出合い、米国で吸収したスイング理論に傾倒。「めちゃくちゃいいと思って取り入れた。おかげでWBCで打てた」。自らダイレクトメールでラブコールを送り、この日から13日まで3日間の指導が実現。今回の主なテーマは手の動きだ。「ボールに対して手が先行して出る」という課題を克服するドリルに取り組んだ。
投手の平均球速が上がり、変化球も多様化する中、菊池氏は「バット(の軌道)がずっとボールのラインに触れることが大事。手が前に出ると、そこがなくなってしまう。後ろでしっかりボールのラインにバットを入れるというところ」と要点を挙げた。近藤は「バットを出すのを我慢」することで、打率アップにつながると考えている。
(中略)この日はティー打撃に時間を割き、手先ではなく、体の回旋でボールを捉える練習を繰り返した。菊池氏から吸収した理論で確実性が増せば、昨季リーグ最終戦まで可能性を残しながら惜しくも逃した3冠王も見えてくる。
(後略)
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この記事にあるように、近藤選手は日本を代表するバッター。その近藤選手から直々にオファーがあり、シーズン開幕前の1月の自主トレで指導したのだ。
「最初は昨年3月にインスタグラムのDMで『これからレッスンできませんか』とメッセージをいただいて。そのときは僕の都合が悪くてお断りさせていただいたんですが、以前から僕の(ユーチューブやインスタグラムの)投稿を見てくださっていたようで、嬉しいことに、シーズンが明けてから再度連絡をいただきました。昨年12月に一度お会いして、ちょっとセッションをさせていただいた後、1月のキャンプ(自主トレ)にぜひ来てくださいと言っていただいたので、そこで実際のレッスンをしました。近藤選手の僕のレッスンに対する理解度と、動作の正確さなどは、やっぱり素晴らしいなと思いましたね」
菊池さんは近藤選手との出会いであらためて感じたことがあるという。
「近藤選手に話を聞くと、いまのような納得のいくバッティングができるまでに、3年ぐらいはいろいろ試行錯誤しながらやってきたそうです。それで思ったのが、これだけの選手でも、時間をかけてスキルを習得することがいかに大事か、ということです。それは小学生とかも本当に一緒で、いま調子が悪いから何とかしたいと思ってもなかなか上手くいかなくて、やっぱり時間かけてスキルを習得する、ひたむきに同じことを続けることが重要だな、と」
2つの目標
こうして、小・中学生からプロまで、幅広い層にスキル指導をしている菊池さんだが、今後は2つの目標があるという。
1つが「1地域1アカデミー計画」だ。
「これは僕自身の夢でもあるんですけど、先ほど話した週1回レッスンに通える環境をつくりたいという点では、例えば、いま東京からウチにレッスンに来る高校生とか、(高校の部活の練習がない)テスト期間の合間だけ来るような高校生が数名います。遠方まで行かなくても、各地域にこういうスキルを教えてくれる場所があって、子どもたちが上手くなれる環境をつくれればいいなと思います」
確かに、野球自体はそこかしこで行われ、全国各地に少年野球チームがある。ただ、個人レッスンで、きちんとしたスキルを教えてもらえるところはかなり限定される。そのため、どこに住んでいても、身近でそうした指導が受けられる環境をつくりたい、ということだ。それが競技人口の増加にもつながっていくだろうから、そういった部分で盛り上げていきたい、と。
「例えば、学校の勉強は教科書に則って授業が行われます。ただ、そこ(1つのクラス)には難関校を受験する人もいれば、そうでない人もいる。じゃあ、難関校を受験する人はどうするかといったら、自分の受験目標に合った塾に通って学力を上げるということが当たり前に行われています。だからと言って、学校の勉強が無駄かというとそうではない。それと同じで、チームの練習も大事、それと同時に個人のスキルアップも大事。ただ、野球では学校(チーム)はあるけど、個別の塾(個別レッスンの場)はない状況です。ですから、子どもたちが本当に満足できるアカデミーを増やしていければと思っています」
もう1つは、「15歳までに野球選手として必要なスキルをすべて習得する」というアカデミー育成ビジョンの実現だという。
「高校野球まで行くと、どうしてもチームへの依存度が高くなると僕は思うんですよね。もちろん、チームプレーの中でいかに自分が輝けるかというのが大事なので、それは必要なことですが、野球選手として成熟していくためには、高校野球まで、つまり15歳までに個人スキルを完璧にするのが重要で、それを実現することがT―Academyとしての目標です」
そのためにいま取り組んでいることがあるという。
「小学生のスクールからスタートして、中学卒業までにすべてドリルもスキルも習得して、その先、自分の調子悪くなったときに改善するところまでアプローチできるようにしたいと考えて活動しています。T―Academyでは、10歳未満は、野球を楽しむ、野球の楽しさを伝えるということが中心で、小学校高学年からは本格的に自分がうまくなるためにどうするかというふうに捉えています。ちょうどいまメーンで継続して教えている子どもたちがこの春から中学生になったので、レッスンに通い続ける子どもたちが15歳になったとき、T―Academyとしての成果を出せればと思っています」
福島県は勉強、スポーツなど、さまざまな面で後れを取っているが、近くにそうしたレッスンを受けられる環境があるのはいいこと。近い将来、菊池さんの教え子が甲子園大会やプロ野球、侍ジャパンで活躍するのを見る機会も出てくるだろう。