テレビで異彩を放つ【いわき出身】のお笑い人材

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テレビで異彩を放つ【いわき出身】のお笑い人材

 近年、いわき市出身のお笑い芸人・関係者をテレビ番組で見かける機会が増えた。その活躍ぶりについて、お笑い・芸能関連の著作を多数出版しており、いわき市に暮らしていたこともある戸部田誠氏(ペンネーム=てれびのスキマ)に執筆してもらった。(文中敬称略)

ライター 戸部田誠(てれびのスキマ)

ライター 戸部田誠(てれびのスキマ)

とべた・まこと 1978年生まれ。テレビっ子。「読売新聞」「福島民友」「日刊ゲンダイ」『週刊文春』『月刊テレビジョン』などで連載。主な著書に『タモリ学』『1989年のテレビっ子』『全部やれ。』『芸能界誕生』『史上最大の木曜日』など。

 テレビにおける福島県のイメージは、ほとんどが会津や郡山など内陸部のものだった。福島に10年近く住んでいたというと大抵「冬は雪で大変でしょう?」と聞かれる。

 それに対し、「いや、僕が住んでいたのはいわき市の海沿いで、そっちでは雪がほとんど降らないんですよ。なんなら東京よりも降らないくらい」と答えて驚かれるまでが1セットだ。

 実際、福島の“訛り”も武器にしている有名人で思いつくのは、西田敏行や加藤茶、佐藤B作といった、いずれも内陸出身の人たちだ。

『水曜日のダウンタウン』に愛される【あかつ】

水曜日のダウンタウン』に愛されるあかつ(赤津部屋提供)
水曜日のダウンタウン』に愛されるあかつ(赤津部屋提供)

 そんな中でここ数年、いわき訛り丸出しでテレビでよく見かける芸人がいる。いわきの市議会議員を父に持つ相撲芸人・あかつ(42)だ。

 相撲とエクササイズを融合した「すもササイズ」のネタでプチブレイクしたが、多くのキャラ芸人同様、その人気が長く続くことはなかった。しかし、彼は土俵際で執念を見せ、今では『水曜日のダウンタウン』(TBS)に寵愛された芸人のひとりにまでなっている。

 「国道1号線に落ちてる服を拾いながら歩いたら、名古屋くらいで全身揃う説」(2015年9月16日)を皮切りに、「大人が本気出せば影だけ踏んで帰れる説」(17年7月19日)、「大人が本気出せば本州最北端から雪だけ踏んで東京まで帰れる説」(18年4月18日)、「国道1号線に落ちてるポイ捨てタバコのフィルターを拾いながら歩いたら名古屋くらいでそばがら的なマクラ完成する説」(18年7月25日)、「花見のごみを集めて桜前線と共に北上すればそのごみで作った舟で津軽海峡渡れる説」(20年6月24日)、「この夏、セミの抜け殻を集めながら国道1号線沿いを歩いたら名古屋くらいで“セミダブルベッド”完成する説」(20年10月7日)、「花見のごみを集めて桜前線と共に北上すれば日本本土最北端へ着く頃にはそのリサイクル額で新たな桜植樹できる説」(特別編、23年5月20日)などと、長距離を歩く過酷な検証ロケが定番になっている。

 この番組のいわゆる総集編は、ただVTRをつなげたものでなく、ひとつ何らかの企画が乗っかったものばかりだが、19年3月20日の総集編企画は「しあわせあかつ計画」。それを聞いて「好きやなぁ、あかつが」と浜田雅功が吹き出してしまうほど、愛されているのがわかる。松本人志も「なんかあかつに弱み握られてる?」と笑っていた。

 あかつにとって『水曜日のダウンタウン』での挑戦は「失敗」の歴史だ。多くの説で立証することができず途中断念という結果に終わっている。

 今年7月26日の「相撲 負ける方の決まり手なら自在にコントロール出来る説」でも、「決まり手ビンゴ」に挑戦し、なんとか達成したものの、「疑惑な部分もあったけどね」と浜田から“物言い”がついた。

 にもかかわらず重用されるのは、挑戦中、口汚く悪態をつきながらも、いわき訛りがどこか愛らしさを醸し出しているからかもしれない。

いち早く“売れた”【ゴー☆ジャス】

ゴー☆ジャス(サンミュージックプロダクション提供)
ゴー☆ジャス(サンミュージックプロダクション提供)

 いわき市出身の芸人で近年いち早く“売れた”のは、「君のハートに、レボ☆リューション」を決めゼリフに、地球儀片手にダジャレネタを繰り出すゴー☆ジャス(44)だ。

 磐城高等学校出身の彼は、代々木アニメーション学院声優タレントコースを経てお笑い芸人の道へと進んだ。そして09年頃、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)などの出演がきっかけとなりブレイク。さらに様々なゲームアプリを紹介するYouTubeチャンネルをいち早く立ち上げ、多くの登録者を獲得していった。

【アルコ&ピース平子祐希】ラジオで熱烈支持を獲得

アルコ&ピース平子祐希
(太田プロダクション提供)
アルコ&ピース平子祐希(太田プロダクション提供)

 それに続いたのは、アルコ&ピース平子祐希(44)。ちなみに平子とゴー☆ジャスは実は下積み時代から、先輩芸人モダンタイムスを慕い、その“一門”として苦楽を共にした仲だ。

 平子は勿来工業高等学校出身で日本映画学校に進学し、芸人の道に入った。「セクシーチョコレート」というコンビで活動した後、酒井健太とアルコ&ピースを結成。『THE MANZAI』(フジテレビ)の認定漫才師となり12年には決勝に進出し3位に輝いた。

 翌年、『アルコ&ピースのオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)のレギュラー放送が開始され、リスナーを巻き込みながら展開していく即興性の高い放送で熱烈な支持を獲得していく。さらには、『爆笑キャラパレード』(フジテレビ)などで扮した意識高い系IT社長・瀬良明正のキャラや愛妻家キャラなどで世間的な知名度も上げていった。いまでは、バラエティ番組の第一線で活躍している。

番組制作・出演の両面で活躍する【佐久間宣行】

番組制作・出演の両面で活躍する佐久間宣行(佐久間宣行事務所提供)
番組制作・出演の両面で活躍する佐久間宣行(佐久間宣行事務所提供)

 テレビの中で異彩を放ついわき市のお笑い人材たち。そんな3人を「いわき市お笑い三銃士」と冗談めかして呼び、ガハハハッと豪快に笑うのがテレビプロデューサーの佐久間宣行(47、ゴー☆ジャスと同じ磐城高校出身)だ。

 いまもっとも勢いのあるいわき市出身の人物のひとりだろう。平子に言わせれば、3人に佐久間を加え「お笑い四天王(笑)」ということになる。

 元々は、福島にはネット局がないテレビ東京の社員だったため、福島県民にとっては馴染みが薄いかも知れない。前述の平子とともに21年から始まった福島ローカルの番組『サクマ&ピース』(福島中央テレビ)に出演しているから、それで知った方もいるだろう。

 佐久間はテレビ東京で現在も続く『ゴッドタン』や『あちこちオードリー』をはじめとする数多くの人気お笑い番組を制作。それと並行してテレビ東京社員でありながら、ニッポン放送で『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のパーソナリティを務めるようになった。

 そして21年3月31日付で同社を円満退社すると、これまでのテレ東レギュラー番組もそのまま継続しつつ、他局にも活躍の場を広げ、Netflixでも『トークサバイバー!』『LIGHTHOUSE』といった番組も立ち上げた。

 加えて、自身のYouTubeチャンネル「佐久間宣行のNOBROCK TV」も登録者数が100万人を超えている。さらに前述の通り『サクマ&ピース』など演者としても活躍。NHKのゴールデンタイムでの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の特番や、フジテレビの港浩一社長肝いりで始まった『オールナイトフジコ』のMCも務めている。

 佐久間が知名度を飛躍的に上げるきっかけとなった『オールナイトニッポン』パーソナリティ抜擢には、実は同郷の平子が大きな役割を果たしている。

 元々はラジオ局に入ることを目指していたほどラジオ好きな佐久間は、Twitterなどで『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』リスナーでもあることを公言していた。そこに目をつけたハガキ職人たちが番組で佐久間イジりを開始。

 それが最高潮に達した14年10月17日、ついに佐久間は、それまで仕事上ではほとんど接点がなかったにもかかわらず、“乱入”という形でゲスト出演を果たす。

 これが好評だったことを受けて15年8月29日、『佐久間宣行のオールナイトニッポンR』という単発特番の形で、ラジオパーソナリティになりたいという夢を叶えたのだ。

 エンディングでは「ホントに人生ってわからないですよね。だって、普通に福島県いわき市の田舎の学生が、夢だなあと思って聴いていたラジオ。ニッポン放送を落ちたわけですよ、就職活動で。なのにバラエティのディレクターやって15年後、オールナイトニッポン2部のパーソナリティをやっているんだから」と語った。

 しかし、夢はそこで終わらない。

 リスナーの強い支持と秋元康らの後押しで番組は 19年4月3日から『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』としてレギュラー化したのだ。

「近くて遠い」憧れの東京

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 佐久間自身のエンディングの言葉にあるように、中学生の頃からラジオを聴き始めた。そこにはいわき市という土地が大きく関与することになる。海沿いの街のため、東京のキー局の電波をギリギリ受信することができたのだ。

 最初に聴いたのは、ニッポン放送の『三宅裕司のヤングパラダイス』だった。その流れで『オールナイトニッポン』も聴き始め、とんねるず、伊集院光、川村かおり(当時)、そして電気グルーヴの放送に夢中になった。自然とそこで流れるナゴム系の音楽も聴くようになり、サブカルにどっぷりと浸かった。

 それはテレビからもそうだった。やはり海沿いのいわき市の一部は、関東圏のテレビを観ることができる地域がある。佐久間の家もそうだった。当時はフジテレビの深夜番組全盛期。『冗談画報』や『夢で逢えたら』を始めとする番組を観て新しいカルチャーを吸収していく。しかし、テレビやラジオは見聞きできても、学生にとって東京は遠い。

 「当時はネットなんてないし、いわき市に届くものはほとんど何もない。必死にちょっとずつかき集める感じだったので東京のおじいちゃんに伝えて送ってもらったり、お金をためて東京へ行ってまとめ買いをしたり、単館の映画を観に行ったり。中高生の頃はいつも思ってましたよ。ああ、東京に住んでいればなあって。東京にいれば第三舞台(鴻上尚史主宰の劇団) も、東京サンシャインボーイズ(三谷幸喜主宰の劇団)も観られるのにって。第三舞台はギリギリ観ることができたけど、サンシャインボーイズは1回も観られないまま休止してしまったんです」(『GINZA』 21年6月号)

 学校にもそういったカルチャーの話ができる友達はほとんどいなかった。何しろ学校内でも関東圏の放送を見ることができる家と見られない家が混在するのがいわき市の複雑なところ。共通言語がどメジャーなものしかなかった。

 「僕らの学生時代は、三谷幸喜さんがテレビドラマを書き始めたくらいの時期だったんだけど、そういう話をすると『調子乗ってんじゃねえよ』ってなってた(笑)。ダウンタウンの話はできるけど、電気グルーヴや伊集院(光)さんの話はできない」(「CINRA」21年6月23日)

 しかも、当時の小名浜はヤンキー文化が色濃かった。アニメ好きでもあった佐久間は『アニメージュ』をエロ本のようにコソコソ隠れて読んでいた。「二重人格」に近かったという。情報だけは入ってくるが、誰とも共有できない。近くて遠い存在の東京のカルチャーへの憧れがいわき市という少し特殊な街で醸成されていったのだ。

お笑い人材が育つ風土

ふたば未来学園で佐久間宣行さん・日向坂46 齊藤京子さんらが特別授業!【福島県】 (2023年8月8日)

 「だから自分の作風もそうだと思うけど、東京に長年いても『東京者じゃないな』っていう感覚がずーっとあったから、純粋に都会のポップカルチャーに憧れてる目線はいまだになくならない。だから斜に構えた感じでポップカルチャーを見ることがあんまりないですよね。テレビ業界のど真ん中でテレビに染まってるって思えたことが一度もなくて」(同)

 この感覚こそが、独特な立ち位置を可能にし、逆に大きな支持を集める理由に違いない。つまりは佐久間こそ「いわき市」という土地が生んだスターなのだ。

 その佐久間は福島県のふたば未来学園で開催された「サマースクール」に講師として呼ばれ、中高生たちを相手にワークショップを行っている。19年に一度行き、23年に再び訪れた。

 今回は「100人規模のホールで、『人気者になる方法』というテーマで、日向坂46の齊藤京子さんとやってもらいたい」というオファーだったという。

 前回のように40~50人規模なら一人ひとりに振ることもできるが100人規模だと難しい。思案した佐久間は、事前にアンケートを実施し、そこから1人ずつ呼んでラジオ形式で発表していくという方法を思いつく。

 100人を前にしてトークショーをやると「1対100」になるが、ラジオ形式ならたとえみんなの前で喋っても「1対1」のように感じることができる。それなら生徒たちの心の負担は軽いだろうと考えたからだ。果たして、この目論見は当たり大成功に終わった。

 なぜ、佐久間がこの形式を考えだしたかというと、佐久間は福島の中高生の特性がよくわかっていたからだ。それはシャイさ。それも「人数が増えれば増えるほど周りの目を気にしてシャイになる」というものだ。逆に「人数が少ない方が元気になる」(『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』23年8月9日)。ラジオ形式はまさにその特性を活かしたものだった。

 翻ってみると、あかつ、ゴー☆ジャス、平子もまた、バラエティの主流であるひな壇のような場では力を発揮できにくく、逆に少人数の場では爆発的に魅力が溢れ出すタイプだ。いわき市の風土が、テレビなどで異彩を放つ独特なお笑い人材を生んだのだ。

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