政経東北|多様化時代の福島を読み解く

【石川町】焼失ホテルが直面する複合苦

【石川町】焼失ホテルが直面する複合苦【石川町母畑字湯前の「ホテル下の湯」】

 3月6日午後6時40分ごろ、石川町母畑字湯前の「ホテル下の湯」で火を出し、約6時間半後に消し止められた。同ホテルは数年前から休業していた。

 母畑温泉の火事と言えば、ちょうど1年前、十数年前に閉館した廃旅館「神泉閣」で不審火が発生したことを本誌昨年4月号でリポートしたが、ホテル下の湯は日中、経営者がおり、鍵もかかっていたため不審火ではなさそう。

 鎮火の翌日(8日)、現場を訪れると、一帯には焼け焦げた臭いが充満していた。作業をしていた消防署員によると「出火原因は不明。いくつか思い当たる箇所はあるが、これが原因とは現時点で断定できない」。ただ、消防署員たちはコンセントや電源プラグの状況を念入りに調べており、その辺りが「思い当たる箇所」なのかもしれない。

 同ホテルは㈲ホテル下の湯(資本金1000万円、永沼幸三郎社長)が経営。登記簿謄本によると、敷地内には3階建ての旅館、5階建ての集会所・ホテル、2階建ての居宅、2階建ての共同住宅が建っていた。焼け跡を見る限りはどれがどの建物か判然としなかったが、複数の建物が密集していることは分かった。

 現場にいた永沼社長に話を聞くことができた。

 「この2日間、第一発見時の様子や出火時間など、同じことを十数回も聞かれてウンザリしているよ」(永沼社長)

 取材途中にはお見舞いを持って訪れる人もいたが、永沼社長は「気持ちだけで十分。(お見舞いは)いらないよ」と丁重に断っていた。

 「鎮火直後から友人・知人が何十人も来ているが(お見舞いは)全て断っている。塩田金次郎町長も来てくれたが、同じく断ったよ。気持ちだけ受け取れば十分だからね」(同)

 建物は最も古い箇所で築60年になり、もともと老朽化していたが、そこに令和元年東日本台風の水害が襲った。同ホテルは北須川のすぐ横に建ち、1階が床上浸水したが、建築士による被災状況調査では損害割合20%未満で「半壊には当たらない」と診断された。

 満足な補償が見込めない中、永沼社長は国のグループ補助金を使って立て直しを図ろうと考え、2億7000万円の交付を求める申請書を提出した。しかし、県から「既に公募期間を終えている」などの理由で申請書を受け付けてもらえなかった。

 そうこうしているうちに新型コロナウイルスの感染拡大が起こり、営業再開できないまま今日に至っていた。今回の火事は、そうした中で発生したわけ。

 「もっとさかのぼれば、12年前には震災と原発事故が起こり、客足が途絶えた。東京電力からは営業損害として賠償金300万円を受け取ったが、それだって逸失利益を考えると十分ではなかった」(同)

 永沼社長は客にアンケート調査を行い、原発事故の影響を数値化。それを基に東電と交渉したが、それ以上の賠償は受けられなかった。

 原発事故、台風水害、新型コロナウイルス、火事の四重苦に見舞われた同ホテルは今後どうなるのか。

 「これから固定資産税について町と相談する予定だが、焼けた建物を解体するには億単位のカネがかかるので、簡単には決断できない。かといって、解体して営業再開するのも難しい。今後どうするかは、すぐには判断できないな」(同)

 火事とそれに伴う解体は〝余計な災難〟だったが、似たような境遇に置かれているホテル・旅館は少なくないはずだ。

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