田村市が取り組む「東大10人構想」。市内の子どもたちを東京大学を含む難関大学に合格させようという試みは、単に学力向上を目指すだけでなく、優秀な人材を育てることで地域の衰退に歯止めをかける狙いがある。白石高司市長の掛け声で始まった取り組みについて、陣頭指揮を執る同市教育委員会の飯村新市教育長にインタビューした。
教育長が語る達成に向けた本気度

飯村新市教育長
「正直、最初に聞いた時は『東大に10人? いやいや無理だ』って思いましたよ」
そう苦笑しながら話すのは田村市教育委員会の飯村新市教育長だ。
市が2021年から取り組む「東大10人構想」。文字通り「東大に10人合格させる」というユニークな構想は、同年4月の市長選で白石高司市長が選挙公約に掲げたことをきっかけに始まった。
「分かり易く『東大』と言っていますが、構想の趣旨は東大級と言われる難関大学(東大、東工大、一橋大、京大)や国公立の医学部に毎年10人合格させる地域を目指す、というものです」
しかし、言うは易く行うは難し。飯村教育長には「ハードルが高すぎる」という自覚もあった。市内の中学3年生は県内トップの進学校・安積高校(郡山市)に毎年10人前後しか進学していない。安積高は東大合格者を定期的に輩出しているとはいえ、例年4、5人程度。そうした中で東大10人合格を目指すのは、飯村教育長でなくても無理と思うのは当然だろう。
一方で、市は小中学校の統廃合を進めていたが、学校がなくなる地域からは「このままでは限界集落になる」と心配の声が相次いでいた。少子化が進む中で統廃合はやむを得ない選択だが、同時に教育的見地から限界集落を回避し、地域を活性化させる方法はないかと考えた時、飯村教育長の脳裏に浮かんだのが白石市長が提唱する「東大10人構想」だったという。
「都会の人たちは自然豊かな場所で子育てをしたいと考えています。しかし、地方は教育の場が充実していないので、父は単身赴任、母と子は都会に残る選択をしがち。だったら、地方でも教育の場を充実させれば流入人口が増え、限界集落の回避や地域の活性化につながるのではないかと考えたのです」
市が意識するのは「東大に10人合格させる」という目先の目標ではなく、優秀な人材を輩出し続けるサイクルを構築することにある。
「20年後、30年後、難関大学や医学部を卒業した人が地元に還元する流れをつくることが理想です。例えば、難関大学を卒業した人が大企業の社長になれば子会社や支店を市内に設けてくれるかもしれない。医学部を出て医者になった人は市内で開業してくれるかもしれない。もちろん、必ずそうなる保証はないが、優秀な人材を育てていかないとその確率は上がらないと思います」
市の将来を見据えた人材育成、これこそが「東大10人構想」の根幹なのだ。その実現に向け、大事にしているのはバックキャスティングだと飯村教育長は強調する。
「東大10人合格を目指そうというボトムアップではなく、東大10人合格を実現するには何をすべきかというバックキャスティングで臨むことを意識しています」
目標は県立安積中に10人

当面の目標としては、来春開校の県立安積中学校に市内から10人合格を目指している。市内の小学6年生は合わせて10クラスなので、1クラスから1人の合格者を出せば達成する計算だ。さらに、その10クラスが中学3年生になった時、1クラスから2人ずつ安積高に合格させ、県立安積中に進んだ10人と合わせて計30人を安積高に進学させたいという。
そのために、県立安積中の受験を考える小学5、6年生など希望者を対象に昨年度から「田村チャレンジ塾」と銘打った算数、英語、国語の特別講座(年5回)を実施。中学生には、今年度から始まった「市民大学」の一環として夏休み中、一般市民も参加できる受験数学の講座を開き、飯村教育長が自ら講師を務めている。普段の学校の授業では教えないことを、高い目標を持った児童・生徒が一堂に会して学ぶ意義は大きいという。
11月にはフィリピン・セブ島で行われる5日間の英語研修に、英検2級、準2級、3級を持つ中学生10人を参加させる。首都圏の有名私立中や中高一貫校では夏休み中に行われている恒例行事で、
「セブ島でそういう英語研修が行われていることを私たちは知りませんでした。これからは英会話が必須の時代なので、少々費用がかかっても希望する中学生は市で連れて行こうじゃないか、と」
このほか「T2(田村・探究)プロジェクト」と銘打った取り組みでは、国際的に活躍している人を招き中学生との熟議の機会を設定。今年2月には小中学生21人を東大に連れて行き、大学教授による特別講義を受けたり、田村市出身の東大卒業生にキャンパスを案内してもらうなど東大を肌で感じてもらった。県が主催する算数・数学ジュニアオリンピ
ックへの参加も推奨している。
「校長たちは大変だと思います。しかし、足並みが揃うまで待っていたら結局やらずに終わるし、『足並みが揃わないからできない』という言い訳にもなる。だったら、まずは始めてみて、ついて来てもらい、ついて来られないなら仕方ない。高い目標を達成するには、それくらいの意識で取り組む必要があります」
本誌はこれまで、福島県の学力が低迷する要因の一つに知事や教育長の本気度を挙げ「トップが『やる』と命じればできるはずだ」と再三指摘してきた。田村市はそれを体現している形だ。
「白石市長が『やる』と言っている『東大10人構想』ですから、あとはバックキャスティングでできる具体策を打ち出すのが私たち現場の役目だと認識しています」
一方で、課題もあると飯村教育長は話す。
「小中学生は義務教育なので市でサポートできるが、高校に進んだあとのサポートをどうするかが課題です。例えば、首都圏の塾講師を招いて夏期・冬期講習を行ったり、市外の塾に通う場合は費用を援助するなど何らかの支援策を検討すべきでし
ょうね。さらに白石市長も仰っていますが、大学に進学した際には卒業後に市内で一定期間働くことを条件に、返還不要の奨学金を創設することも検討課題になるでしょうね」
いくら手厚いサポートをして優秀な人材が育ったとしても、その人たちがどれくらい田村市にとどまるかは分からない。ただ、何のサポートもせずに「田村市にとどまってほしい」と頼むのは虫が良すぎる。そこで「将来、田村市にとどまってくれる可能性のある人材」をいかに多く育てられるかという考えのもと、市は教育にそれなりの予算を投じようとしているわけ。
難関大学合格というと児童・生徒に目が行きがちだが、教員の質を高める取り組みも同時に進めている。
「今年で5年目になりますが、全国の先進校と言われる学校に幼小中学校の教員を1週間派遣し、今年は10人の派遣を予定しています。1日だけ行って授業を見せてもらうだけでは上辺しか分からず、同じような授業をやろうとしても真似できません。しかし1週間あれば、授業に向けた準備や終わったあとの児童・生徒の反応など、その授業によってどんな効果が得られるか一連の流れを知り、自分の中に落とし込むことができます」
批判するのは簡単

派遣先は学力向上だけでなく、部活動の地域移行や学区廃止など、あらゆる先進事例に取り組む学校が対象になるという。それらを1週間を通じて体験し、田村市に持ち帰り、子どもたちに還元してほしいと飯村教育長は考えている。
「教育は人なり。教員の質が高まれば、児童・生徒の学力も自然と上がりますからね」
こうした様々な取り組みが成果となって表れれば「田村市で教育を受けさせたい」と評価され、流入人口の増加につながるのではないか。そして、質の高い教育を受けた子どもたちが優秀な大人になって多方面で活躍し、将来市に何らかの還元をしてくれれば地域の衰退に歯止めがかかるのではないか――これが、飯村教育長が先に述べていた「東大10人構想」の最終的な狙いだ。
もちろん、必ずそうなる保証はないし、教育の成果が一朝一夕で表れないことは承知しているが、明確な数値目標を打ち出し、それを達成するためにチャレンジすることは、子どもや教員にとってプラスになることは多くてもマイナスになることは少ない。そもそも、県教育界では今まで見たことがない「東大10人」という大胆な目標を打ち出したこと自体、個人的に評価したい。
「東大に10人? 無理だって」と批判するのは簡単。大切なのは、一見無理とも思える目標を実現するため、どのような努力を重ね、少しでも目標に近い成果を挙げられるかではないか。
「東大10人合格」にどこまで近付けるか、構想の行方に注目したい。