巨額の不正融資が発覚した「いわき信用組合」(通称いわしん。いわき市小名浜)。6月13日には新しい理事長が選出され、再生への一歩が踏み出されたが、問題の一部始終を知る元理事長は一切姿を見せず、不正融資先の企業グループも匿名扱いが続くなど、多くのナゾが残されたままだ。新聞・テレビが報じない「いわしん問題」に、本誌が切り込む。(佐藤仁)
「江尻体制」長期化で歪んだ経営

問題が発覚したのは昨年10月、全国信用協同組合連合会から「SNSにいわき信組の不正隠蔽を指摘する投稿が載っている」と連絡が寄せられたことがきっかけだった。内部調査の結果、投稿の内容はおおむね事実と判明。併せて元職員による2件の横領も見つかった。
のちに、いわき信組から調査を依頼された第三者委員会により不正の全容が浮き彫りになるが、大まかに記すと明らかになった不正は次の通りになる。
①2004年3月から24年10月まで、当時の幹部が主導し、大口融資先の企業グループを支援するためペーパーカンパニーを使っての迂回融資や預金者に無断でつくった偽造口座を介しての無断借名融資により、少なくとも1293件、総額247億7178万円の不正融資が行われた。
②2010年2月から14年8月にかけて、元職員Aが計1億9582万円を横領したが、当時の幹部は事実を把握していたにもかかわらず隠蔽した。
③2009年6月、元職員Bが帯封のされた100万円の束から20万円を抜き取り、発覚後すぐに弁償したが、当時の幹部は事実を把握していたにもかかわらず隠蔽した。
一見すると三つの不正は無関係に映るが、③を隠蔽したのは、公表すれば①が発覚することを恐れたためだった。②を隠蔽したのも同様の理由だが、それだけでなく元職員Aは①で行われた無断借名融資の手法を知り、それを模倣して横領を繰り返していたことも分かっている。不正が新たな不正を呼んだ格好だ。
これら三つの不正を承認・決定した「当時の幹部」が、2004年11月から22年6月まで理事長を務めたあと、会長の座に君臨していた江尻次郎氏(77)を頂点とする代表理事たちだった(代表権を持つ理事は理事長、専務、常務2人)。

江尻氏は昨年11月1日付で会長を引責辞任し、いわき信組や第三者委員会の聞き取りに応じたが、業務のことを記した手帳やノートを「捨てた」と答えたり、虚偽と疑われる説明を繰り返した。マスコミの取材にも、福島民報(昨年11月20日付)に「コメントできない」と述べただけで雲隠れ。問題の一部始終を知るのに、肝心なことを語っていない。
肝心なことは語っていないのは不正融資を受けた企業グループも同じだ。代表者は高齢を理由に第三者委員会の聞き取りに応じていない。マスコミも、いわき信組に関することは熱心に報じるが、企業グループの詳細はほぼスルーしている。第三者委員会が5月30日に公表した調査報告書に倣い「X1社グループ」などと匿名で扱うだけだ。
おかげで組合員や市民からは「全容が分かったようで分からない」と不満が漏れている。これだけ報道が過熱しているのに、最も肝心な「X1社とはどこで、江尻氏が不正融資を続けたのはなぜか」は未だにハッキリしていない。
どのマスコミも、そこに触れない理由は判然としないが、ならば本誌が第三者委員会の調査報告書をもとに匿名部分を明かしながら、新聞・テレビが報じない根幹に切り込む。これを読めば、組合員や市民が抱えるモヤモヤは少しは晴れるはずだ。
「不正な判断」の背景

端的に言うと、X1社グループとは合資会社鈴建工業(いわき市平)を頂点とする「鈴建グループ」を指す。調査報告書は「グループはX1社、X2社、X3社、X4社、X5社で構成され、かつてはA社も含まれていた」と書いているが、これを実名表記でまとめたのが別表だ。
鈴建グループ一覧
X1社=㈱太平洋健康センター(1991年設立、氏家幸夫社長)
いわき蟹洗温泉、平ビューホテルの運営(※)
X2社=合資会社鈴建工業(1965年設立、鈴木仁弼代表社員)
建築業、ビル関連メンテナンス業
X3社=鈴建開発㈱(1974年設立、鈴木喜久子社長)
平ビューホテルの底地の所有・賃貸
X4社=太平ホテル事業㈱(1993年設立、鈴木喜久子社長)
平ビューホテルの建物の所有・賃貸
X5社=㈲東北ネットワークサービス(1968年設立、氏家幸夫社長)
いわき蟹洗温泉の底地の所有・賃貸
A社=㈲勿来綜合開発(2001年設立、松本康二社長)
勿来温泉関の湯の土地建物の所有・運営
※平ビューホテルは昨年夏に運営譲渡された模様
一方、調査報告書は鈴建グループの役員で、いわき信組から融資を受けていた人物をa氏、b氏、c氏としているが、登記簿謄本からa氏は鈴木仁弼氏(鈴建工業代表社員)、b氏は鈴木氏の妻・喜久子氏(鈴建開発社長、太平ホテル事業社長)、c氏は両氏の娘・小野貴代美氏(鈴建工業監査役)であることが分かる。
いわき信組は、これらグループ各社と役員に融資し、2009年3月末時点の融資残高は総額43億4100万円余に上った。
鈴建グループはいわき信組にとって、2002年につばさ信用組合と合併する以前からの大口融資先だったが、つばさ信組からの融資額を合わせるとさらに大口化し、合併直後の融資残高は47億円を超えた。いわき信組は04年、同グループの経営を把握・指導するため職員2人を出向させ、震災発生直後まで計6人を送り込んだ。
鈴建グループは運転資金が不足していたが、既に融資残高は信用リスク管理規程上の与信リミット(10億円)および法律に基づく信用供与等限度額(約30億円)を超えており、正規の追加融資はできない状況だった。そこで当時の江尻次郎理事長の判断により、関連企業を通じた迂回融資を行うことが決まった。
不正をいとわない判断をした背景には、つばさ信組との合併後、信組経営の監督先が県から国(財務局)に変わり「要注意先」の鈴建グループについて財務局から頻繁に報告を求められていた事情があ
った。
鈴建グループからの返済が滞り、債務者区分が引き下げられれば、いわき信組は多額の貸倒引当金を計上しなければならない。「組合の存亡に関わる」と江尻理事長が強い危機感を抱いたことが迂回融資の決定につながった。
迂回融資は、ペーパーカンパニー3社(調査報告書ではP1社、P2社、P3社と表記)を設立し、3社に行った融資(手形貸付)を鈴建グループに迂回させ、グループ各社・役員名義の借り入れの返済や税金の支払いなどに充てた。ペーパーカンパニーへの迂回融資は2004年3月から12年6月にかけて54件、約18億円に上った。
一方で、鈴建グループに出向した職員は経営改善策として、2005年から06年にかけて土地1カ所、建物2棟を計1億6300万円で売却し、融資の返済金に充てた。もっとも巨額の負債に対し、この程度の資産売却では焼け石に水。そこで江尻理事長は、預金者に無断でつくった偽造口座を介して同グループに融資する手法、すなわち無断借名融資を行うことを決めた。
初めて無断借名融資が行われたのは2007年3月。鈴建グループに出向していた職員2人が2者ずつ名義を持ち寄り、四つの偽造口座に計6000万円を融資した。融資金はグループ各社・役員、ペーパーカンパニーの口座に入金され、運転資金や通常返済に充てられた。
その後、無断借名融資の頻度は高まり、迂回融資から切り替えられていくが、切り替えの理由は、事業実態がないペーパーカンパニー3社に今後も融資を続ければ、3社が自己査定抽出先となった場合、鈴建グループとの関連を疑われ、迂回融資が発覚する恐れがあったためだ。
無断借名融資によって流出した金は江尻理事長らの間で「B資金」と呼ばれ、2007年3月から24年10月にかけて1239件、約229億円に上った。前述の迂回融資と合わせると1293件、約247億円。これが、新聞・テレビで報じられている不正融資の総額である(不正融資の構図は別掲の通り)。
話は前後するが、今回の問題でカギを握るのが勿来綜合開発が運営する温泉宿泊施設「勿来温泉関の湯」(いわき市勿来町)である。
関の湯は2002年に開業し、勿来綜合開発が太平洋健康センターから土地建物を借りて運営していた。勿来綜合開発は鈴木仁弼、鈴木喜久子、小野貴代美の3氏が株式の全てを所有していたが、固定客の流出などで売上は減少し、太平洋健康センターへの支払いも滞っていた。鈴木仁弼氏が高齢で(現在93歳)、後継者不在の問題も抱えていた。

こうした中、大手ホテルチェーンでの勤務経験があり、2007年からコンサルとして助言してきたk氏(調査報告書の表記に倣う)が、自ら関の湯を経営することに関心を寄せるようになっていた。
関の湯の売却スキーム
いわき信組は関の湯の売却に向けた検討を進めた。売却スキームは、勿来綜合開発の株式を売却したうえで、同信組とJAいわき市が同社に新たに24億円を融資し(内訳は同信組14億円、同JA10億円)、このうち20億円で太平洋健康センターと鈴木氏から関の湯の不動産を購入、売却代金は金融機関への返済に充てるというものだった。
2008年3月に鈴木氏夫妻、k氏、江尻理事長ら役員が集まり覚書が交わされた。覚書には①鈴木氏は引き続き勿来綜合開発の取締役会に出席し意見を述べることができる、②新たな株式の所有はk氏とm氏で50%ずつとする、③k氏とm氏は5年後の2013年3月までに、鈴木氏が指名する者に全ての株式を譲渡する――等々が定められた。
勿来綜合開発の登記簿謄本によると、代表取締役は松本康二氏、取締役は志賀圭介氏となっており、両氏がk氏かm氏とみられる。
江尻理事長が懸念したのは、無断借名融資の累積額が増えているにもかかわらず、鈴木氏に返済への積極姿勢が見えないことだった。こうした中、鈴木氏夫妻から2010年7月に誓約書が提出される。誓約書には①太平洋健康センターの経営状態が正常化されるまで、同社が運営する温泉宿泊施設「いわき蟹洗温泉」および関の湯には出入りしない、②鈴建グループが所有する不動産の処分を一任する――などと書かれていた。数日後には鈴木氏夫妻から謝罪文も寄せられた。
問題は2008年に交わされた覚書にある「13年3月までに鈴木氏が指名する者に勿来綜合開発の全ての株式を譲渡する」約束の扱いだったが、無断借名融資が解消されなければ関の湯は返還できないとして、いわき信組は10年7月、鈴木氏から関の湯の実印と権利証を譲り受けた。関の湯(勿来綜合開発)が鈴建グループから切り離された瞬間である。
もっとも、鈴建グループへの不正融資はその後も続いたが、2011年3月に起きた震災・原発事故で事態は一変する。海沿いに建ついわき蟹洗温泉は津波で損壊し、原発事故の影響で営業休止。これにより融資の必要がなくなり、同グループへの迂回融資は翌12年に終了した。
ただ、無断借名融資はいわき蟹洗温泉の収益拡大により返済してもらう予定だったため、営業休止で見通しが立たなくなった。そこで江尻理事長は、自己査定抽出で発覚するのを防ぐため、引き続き無断借名融資を行い、既存の無断借名融資の利払いや元金返済に充てた。
いわき蟹洗温泉は2013年に営業再開したが、この頃、いわき信組は鈴建グループからの返済をあきらめ、償却により段階的に無断借名融資を解消していく方針を決めたとみられる。
償却の手法については、新聞各紙がこう報じている。
《震災対応で12年1月、信組に200億円の公的資金が注入され、資本が強化されると、無断借名融資を「回収困難」として損失に計上し、帳消しにする処理を始めた》(朝日新聞5月31日付)
公的資金を使って無断借名融資を解消したというわけ。ちなみに、公的資金の本来の使途は復興支援のための融資である(※)。
※本多洋八理事長(当時)は5月30日に開いた会見で「公的資金を償却に充てた事実はない」と明確に否定したが、カネに色はついていないので、公的資金を償却に充てていないことを示す証拠は無いに等しい。国(金融庁)の目を考えると、公的資金で償却したことを認めるわけにはいかなかったと思われる。
不正融資で鈴建グループに流れた資金がどのように使われたかは、第三者委員会の調査でも詳細がつかめていない。同グループが資金をどのように会計処理していたかについても①グループ各社いずれかの売上として計上されていた可能性、②裏金として処理されていた可能性――が考えられるが、客観的資料がなく、鈴木氏への聞き取りもできなかったため断定できないという。金額は巨額だが、扱いや管理は杜撰だったことがうかがえる。
扱いや管理の杜撰さはいわき信組も同じだ。前述の通り、江尻氏は手帳やノートを捨てており、不正融資に当初から関わっていた幹部も関連するノートを処分していた。無断借名融資リストを管理していたノートパソコンも、担当職員が「ハンマーで破壊した」と話している。もはや杜撰さを通り越した、悪質な証拠隠滅行為と言っていい。
「江尻氏に騙された」
震災後、いわき信組は鈴建グループ各社の債務者区分を引き下げた。2012年に太平洋健康センター、東北ネットワークサービス、鈴建工業、鈴建開発を、15年には大平ホテル事業を実質破綻先とした。不正融資を除く正規融資の債権額はグループ全体で約40億円だが、そのうち出資金と不動産により保全されている約3億円を除いた約37億円を直接償却の対象とした。江尻氏は同信組に影響が及ぶのを避けるため、不正をしてでも救済しようとしたが、結局傷口は広がったことになる。
現在93歳の鈴木氏は、会社に出勤することはほとんどないという。筆者は鈴木氏の生の声を聞きたいと思い、6月中旬、いわき市内の自宅を訪問した。平屋づくりで手入れの行き届いた庭には高級車が3台止まっている。呼び鈴を鳴らすと、小柄で背中を丸めた白髪の老人が現れた。鈴木氏本人である。
「関の湯(勿来綜合開発)は株の名義をいったん従業員に変えるが、5年後にこちらに戻す約束で契約書を交わした。ところが名義変更だけして、契約書の写しはもらえなかった。江尻氏に騙され、乗っ取られたのです。関の湯は毎月1000万円の売上があり、いわしんへの返済は可能だった。そもそも、関の湯はJAいわき市から融資を受けて建物を建て、そちらとは何の問題も起きていなかった。あの頃はいわしんを全面的に信用していたので……。おそらく江尻氏は、優良経営の関の湯が欲しかったんだと思います。裁判を起こすことも考えたが、別の取引に影響が及ぶことを心配し、引き下がるしかなかった」(鈴木氏)
調査報告書にあった関の湯のくだりは江尻氏らの証言に基づくものだが、鈴木氏のコメントとは微妙に異なる。家族から「腰が悪いので長い話は遠慮したい」と断られたため、それ以上は聞けなかったが、最後に不正融資問題をどう受け止めるか尋ねると「江尻氏が告発されたみたいだけど、あの男は詐欺師。とんでもない奴だ」と他人事のように答えていたのが印象的だった。
10億円が使途不明に
翻って、不正融資を主導した江尻氏とはどのような人物なのか。
江尻氏は磐城高校、早稲田大学を卒業後、1970年にいわき信組に入った。父・忠氏も勤務し、1955年には専務理事に就いている。若いころから「将来の理事長候補」と囁かれ、56歳の時、同信組初のプロパー理事長に就任。2020年に理事長を退き、会長に就いたあとも経営の実権を握った。
地元の事情通が言う。
「次郎氏も優秀だったが、若くして亡くなった兄の征也氏も確か東大卒で、1972年に行われた衆院選に旧福島3区から立候補したことがある(結果は落選)。次郎氏は4代目理事長の新妻長蔵氏に目を掛けられ頭角を現した。四家栄安氏が7代目理事長に就くと同時に常務理事に就いたが、四家氏の本業は蒲鉾屋(夕月)なので、この頃から既に次郎氏が経営の采配を振るっていた。四家氏の急逝で、予定より早く第8代理事長に就いた」
地元金融機関の元幹部も言う。
「江尻氏は勿来支店長など主要なポストを経て本部中枢に入った。対外的には穏やかで、イベントにも積極的に関わる。しかし、内部では厳しい指導者で通っており、二面性を持っていた。『天皇のような存在』とも評され、派閥を持つなど絶対に逆らえない雰囲気があった」
調査報告書は「職員アンケートの結果、パワハラ行為の主体者として名前が挙がったのは江尻氏」と指摘しており、いわき信組の歪んだ経営状態をこう書いている。
《無断借名融資の実行や(中略)隠蔽を最終的に承認・決定したのはいずれも江尻氏であったが、これらは明らかな法令違反行為であるにもかかわらず、他の理事や監事で江尻氏の不正行為を阻止するための具体的行動を実行したものは確認されていない。
本調査でのヒアリングやアンケート結果においても、「理事長には逆らえない」、「理事長に嫌われると出世できない」(中略)という趣旨の回答があり、代表権を有する理事は他にも複数名いたものの、実質的には江尻氏が単独で人事権を掌握していたことが窺われる》(180ページより抜粋)
いわき信組と取引のある企業からは「江尻さんに頼めば即融資が決まった」という話が聞かれた一方、前出・地元金融機関の元幹部は「ウチでは貸せないと断った事業所が、いわき信組に行ったら借りられたケースはいくつもある」と証言。地元の事業所を守る最後の砦としての一面と、緩い関係性のもとで次々と融資を実行していく一面を併せ持っていたことが分かる。
こうした中、「江尻氏が理事長の立場を利用し私腹を肥やしていた」という話は調査報告書には出てこないが、鈴建グループへの不正融資をめぐっては使途不明金が8億5000万~10億円あり、役員による横領も排除できないと調査報告書にある。
それについては「江尻氏が株で失敗し、自分名義の不動産が抵当に入っていたはずだが、その抵当がいつの間にか抹消されたと聞いたことがある」(市内の経済人)とか「次郎氏が頻繁に韓国のカジノに行っていたのは地元では有名な話」(前出・事情通)といった確認の取れない情報も飛び交う。
「本意ではなかったが勧められたので渋々不動産を買った人や、融資条件が最初の約束から変わったことに立腹し裁判を起こした人など、江尻氏と最初は仲が良かったのに関係がこじれた人を何人も知っている。本店に街宣車が駆け付け、大音量で江尻氏の名前が連呼される場面も昔はよく見掛けた」(前出・地元金融機関の元幹部)
のし上がっていく過程では、きな臭いウワサも少なくなかったということか。
きな臭いという点では、調査報告書に気になる記述がある。鈴木勇夫理事長(1992~2001年)が鈴建グループから個人的に2億円を借りていたとみられ、不正融資の額面から2億円が控除されている、言い換えると、鈴木氏に代わっていわき信組が返済した形になっているというのである。大口融資先から逆に債務を負うことは通常考えられないが、第三者委員会は2億円の趣旨・根拠について、江尻氏らから合理的な説明はないとしている。
鈴木仁弼氏と会った際、この件も聞いてみたが「そこは借り入れ(不正融資)から取った(相殺した)と思うよ」と言うのみで、鈴木勇夫氏に2億円を貸した理由は明かさなか
った。
ただ因縁と言うべきなのか、鈴木勇夫氏は4代目理事長の新妻長蔵氏の娘と結婚。鈴木仁弼氏の母は新妻氏と親戚関係にあり、その縁で鈴建グループはいわき信組から融資を受けるようになった。そして、江尻氏は前述の通り、新妻氏に目を掛けられ出世した。2億円の貸し付け・相殺も新妻氏との関係性が起点になっていないのかどうか。
マインドコントロール


最後に。第三者委員会が調査報告書を公表したことを受けて、いわき信組が5月30日に開いた会見で、本多洋八理事長(当時)は江尻氏を一切批判することなく「是非はともかく組織の先頭に立ってきた方」「中途採用の自分をここまで押し上げ、評価してくれた」などと評した。記者たちは質問の角度を変えながら江尻氏に今どんな感情を持っているか聞き出そうとしたが、本多氏は最後まで批判しなかった。
調査報告書にも、次のような興味深い記述がある。
《アンケートやヒアリングでは、不正に加担したことについて、「上司からやれといわれれば不正とわかっていても断れない」、(中略)「上司が白と言ったら黒いものも白と言わなければならない」といった回答もあり、(中略)部課職員の不健全で歪められた「真面目さ」が窺われた》(181ページより抜粋)
本多氏の言葉といい、この記述といい、どこか宗教的で、江尻氏にマインドコントロールされている印象を受けたのは筆者だけだろうか。
6月13日に開かれた総代会と理事会で、新しい理事長(第10代)に経理部長・総合企画部副部長の金成茂氏(57)が選ばれた。外部の人材ではなく、不正融資に関わった疑いが拭えないプロパーを敢えて理事長に据えたのは、単独での生き残りを目指すのではなく、合併への布石と深読みする経済人もいる。
再生の過程で貸し剝がしが起きないか心配する声も聞かれる。東北財務局から求められている業務改善計画の提出期限は6月30日。締め切りの都合上、筆者はその中身を確認できないが、相当踏み込んだ改革案でなければ再生は果たせず、組合員・市民に失望が広がるだろう。
ちなみに江尻氏は5月、組合員から私文書偽造の疑いで刑事告発されている。背任、横領、詐欺など、何らかの刑事責任に問われるのは避けられないとみられる。