• CМでよく見る転職仲介業者とは

    CМでよく見る転職仲介業者とは【福島県】

     転職活動において転職希望者と企業の仲介役を担う転職エージェント。首都圏では一般的になっており、福島県でも利用者が増えつつある。本県の最新転職事情を追った。 県内では地域密着スタイルで少しずつ浸透  「転職エージェント」という仕事をご存じだろうか。  転職希望者の活動をサポートしつつ、契約している企業に合う優秀な人材を紹介する。報酬は企業側から支払われる仕組みなので、転職希望者は無料で転職活動を進められる。報酬の相場は年収の3割。転職した仕事の年収が500万円だとしたら、150万円を企業側からもらえる。  大手はリクルートエージェント、マイナビエージェント、dodaX、パソナキャリア、ビズリーチなど。登録すると、それぞれのサイトと契約している複数のスカウト(担当者)から連絡が寄せられ、面談を経て各企業とのマッチングが進められる。条件が合致する企業があった際、初めて採用試験(面接)が行われるという流れだ。  自分の市場価値を知ることができるというメリットもあって数年前から広まっており、今夏、転職エージェントを主人公にしたテレビドラマが放送されたほどだ。  少し前まで転職活動と言えば、ハローワークや求人情報誌、折り込みチラシなどで求人情報を収集し、企業に直接連絡するものだった。そこから、求人情報を掲載した転職者向けサイトで検索し仕事を探す時代に移り変わったと思ったら、それすら過去の話になった。  首都圏ではいまや転職エージェントが転職活動のメーンになりつつあるようだ。  本県の中小企業は人手不足に見舞われており、売り手市場の状況が続く。県内の7月の有効求人倍率は1・39倍で、求人数が求職者数を大きく上回っている。  ただし製造業など一部の業種で弱まっている傾向もみられる。福島労働局の担当者によると、主な要因は経済の先行きが不透明なことによる採用抑制。  資材高騰・原油高により営業利益が圧迫され、コロナ禍に講じられた〝ゼロゼロ融資〟の返済が本格化する中、新規採用に慎重になっている中小企業が多いという。  ただでさえ人口減少・少子高齢化が進む本県。求められているのは優秀かつ即戦力の人材であり、転職希望者と企業をつなぐ転職エージェントの役割に注目が集まりそうだ。 県内の本格普及はこれから  もっとも、首都圏と比べると、本県では転職エージェントを使った転職活動の動きは鈍いようだ。その理由について、人材紹介業の経営者は「地元中小企業の求人が少ないからではないか」と指摘する。  「例えば、『福島県 転職』と検索すると大手の転職エージェントが上位に表示されます。ただ、実際に登録すると、『東京の企業の福島支社』の求人が多く出ているだけで、地元でキャリアアップを目指す人やUターン・Ⅰターン希望者が求める中小企業の求人はそれほど多くないのです」  高い報酬を出してまで人材を集める文化が県内企業にないという事情もあるようだ。東北地方で活動する転職エージェントの話。  「大規模企業であれば、優秀な人材を確保するために100万円単位の紹介料を迷いなく払う。『リクナビNEXT』、『マイナビ転職』などの大手転職サイトも、上位に掲載されるために各社数十万円規模の掲載料を払っている。ただ、県内の中小企業がそんな費用を捻出するのは難しい。ハローワークに求人を出し、求人チラシにも有料広告を掲載しつつ、インディード、エンゲージといった無料掲載可能な求人サイトも試しに活用していく――というのが一般的だと思います」  そもそも本県ではまだまだ保守的な意識が強く、キャリアアップのための転職活動がそれほど盛んでないという背景もある。「実際、面談で転職理由を尋ねると、人間関係や待遇への不満など後ろ向きの理由が多い」(同)。  工場が多く、第2次産業就業者の比率が東北6県で最も高い(30・6%、2015年現在)という環境も影響していそうだ。というのも、工場勤務者が転職で飛躍的な年収アップを図るためには、役員・管理職としてマネジメント業務を担った経験を持っていたり、飛び抜けた技術を持っていることが求められる。逆に言えば、そうした経験・技術がなければ転職してキャリアアップを果たすのは難しいということだ。  「工場でそれなりの経験を積んでいるなら、転職で手取りが月2、3万円程度上がる可能性はある。しかし、そのことで扱う機械や労働環境が変わり、働きづらくなるかもしれない。二つの選択肢をてんびんにかけて、結局現状維持の道を選ぶ人が多いと思います」(転職事情に詳しい郡山市の経営者) 2つの事例  こうした中、本県の実情に合わせた〝地域密着型〟転職エージェントサービスを提供する事業者も現れ始めた。  郡山市のクノウ(久能雄三社長)は、大手エージェントのスカウトでは見つけられない県内優良企業の求人を集め、登録者とのマッチングを行っている。  「広告事業も展開しており、人材紹介を通して見えた経営課題の解決のお手伝いなども併せて行っています。県からの委託事業で企業と副業希望者のマッチングも手掛けています。こうした活動を通して、福島県の活性化につながることを期待しています」(久能社長)  求人広告業の老舗・ガイドポスト(郡山市、片田秀司社長)は、求人情報が掲載されたチラシ「ガイドポスト」やウェブサイトに、業務内容と勤務地だけの情報を掲載し、転職希望者と企業をマッチングする有料職業紹介サービスを展開している。 ガイドポスト本社  「もともとは家に引きこもって社会復帰が難しい方の力になれないかと思って始めた事業です。企業と求職者、双方の状況や希望を聞き、条件のミスマッチをなくし、面接は人柄チェックという感じです」(栗山俊光専務)  紹介手数料は相場の「年収の3割」ではなく一律20万円に設定。入社後すぐに退職してしまった場合は減額する。転職希望者と企業の間に同社が入ることで採用がスムーズに行われるようになり、好評を博しているという。  総務省の労働力調査によると、2022年の転職希望者数は過去最高の968万人。本県の転職市場もさらに活発になっていくと予想される。  本県はまだ「転職エージェント過渡期」の状況だが、転職希望者・企業ともに活用することで、「理想の転職」、「理想の採用」を実現できるはずだ。スカウトとの相性や能力差もあり、うまく使いこなすことが重要になる。

  • 遅すぎた福島市メガソーラー抑制宣言

    遅すぎた福島市メガソーラー抑制宣言

     福島市西部の住民から「先達山の周辺がメガソーラー開発のためにハゲ山と化した。景色が一変してしまった」という嘆きの声が聞かれている。市は山地でのメガソーラー開発抑制に動き出したが、すでに進められている計画を止めることはできず、遅きに失した感が否めない。  福島市は周囲を山に囲まれた盆地にあり、市西部には複数の山々からなる吾妻山(吾妻連峰)が広がる。その一角の先達山で、大規模メガソーラーの開発工事が進められている。  正式名称は「高湯温泉太陽光発電所」。事業者は外資系のAC7合同会社(東京都)。区域面積345㌶、発電出力40メ  ガ㍗。県の環境評価を経て、2021年11月22日に着工、今年3月27日に対象事業工事着手届が提出された。  今年に入ってから周辺の山林伐採が本格化。雪が解け始めた今年の春先には、山肌があらわになった状態となっていた。その様子は市街地からも肉眼で確認できる。  吾妻山を定点観測している年配男性は「この間森林伐採が進む様子に心を痛めていた。あんなところに太陽光パネルを設置されたら、たまったもんじゃない」と語る。  福島市環境課にも同じような市民からの問い合わせが多く寄せられた。そのため、市は8月31日の定例記者会見で、山地へのメガソーラー発電施設の設置をこれ以上望まない方針を示す「ノーモア メガソーラー宣言」を発表した。  木幡浩市長は会見で、景観悪化に加え、法面崩落や豪雨による土砂流出のリスクがあることを指摘。市では事業者に対し法令順守、地域住民等との調和を求める独自のガイドラインを設けていたが、法に基づいて進められた事業を覆すことはできない。そのため、市としての意思を示し、事業者に入口の段階であきらめてもらう狙いがある。条例で規制するより効果が大きいと判断したという。もし設置計画が出てきた際には、市民と連携し、実現しないよう強く働きかけていく。  もっとも、県から林地開発許可を得るなど、必要な手続きを経て進行している建設を止めることは難しいため、現在進行中のメガソーラーの開発中止は求めない方針だ。すなわち、先達山での開発はそのまま続けられることになる。  先達山の開発予定地のすぐ西側には別荘地・高湯平がある。2019年には計画の中止を求め、住民ら約1400人による署名が提出されるなどの反対運動が展開されていた。ただ、結局手続きが粛々と進められ、工事はスタート。今年の春先に高湯平の住民を訪ねた際は「結局押し切られてしまった。こうなったらもう止められないでしょ」とあきらめムードが漂っていたが、時間差で反対ムードに火が付いた。  前出の年配男性は「建設許可を取る際、こういう景観になると予想図を示したはず。自然破壊を予測できなかったとしたら怠慢であり、行政の責任を問うべき」と訴える。こうした意見に対し、県や福島市の担当者は「法に基づき進められた計画を覆すのは正直難しい」と答えた。  福島市以外でも、メガソーラー用地として山林伐採が進み、見慣れた山々の風景が一変してギョッとすることが多い。景観・自然を破壊しないように開発計画を抑制しながら、再生可能エネルギー普及も進めていかなければならない。各市町村には難しい舵取りが求められている。 森林が伐採された先達山

  • 【福島県司法書士会】との「不本意な和解」に憤る男性

    【福島県司法書士会】との「不本意な和解」に憤る男性

     本誌2022年10月号で、福島市松川町在住の伊藤和彦さん(仮名、70代)が県中地区の男性司法書士と福島県司法書士会(福島市)を相手取り、計380万円の損害賠償を求めて福島地裁に提訴したことを報じたが(訴状は同年9月5日付)、今年7月、伊藤さんにとって〝極めて不本意な和解〟が成立した。 「口外禁止」を命じた裁判官に罷免請求 県司法書士会の事務所(福島市)  問題の詳細は同号に譲るが、大まかに言うと伊藤さんは2018年、二本松市内に所有していた住居を大玉村の町田輝美さん(仮名)に2年間賃貸した後、売却する契約を交わし、その契約業務を県中地区の男性司法書士A氏に委託したが、A氏が町田さんに誤った法律的助言をしたため契約が破棄され、依頼者である伊藤さんの利益が損なわれた。伊藤さんは「A氏の行為は民法で禁じられている双方代理」と強く憤った。  その後、町田さんは伊藤さんから借りていた住居の滞納家賃をめぐり円満解決を図りたいとして2019年、A氏の助言を受けて県司法書士会の調停センターに調停を申し立てた。しかし、伊藤さんが調べたところ、同センターで扱える紛争の目的額はADR法で「140万円以下」と定められ、伊藤さんと町田さんの紛争額は200万円を超えていたため、同センターでは扱えないことが判明。伊藤さんは同センターに「町田さんの申し立ては受理できないのではないか」と訴えたが、聞き入れられなかったため、調停から離脱した。冒頭の訴訟は、こうした経緯を経て起こされたわけ。  提訴の前には、A氏と県司法書士会を相手取り、福島簡易裁判所に民事調停を申し立てた伊藤さん。この時、A氏は不応諾(手続き不参加)だったが、県司法書士会は誤った解釈で調停手続きを行っていたことを認め、反省や再発防止策を示した。  ただ伊藤さんは、県司法書士会が自らの非を認めたことは評価できるとしたが、和解を受け入れる気にはなれなかった。  「A氏と県司法書士会の行為により私は多大な損害を被りました。当然、その損害は正しく算定され、きちんと救済されるべきなのに、県司法書士会は原因者を処分せず、私に解決金50万円を払ってお手軽に和解しようとしました。このまま和解すれば、私が体験したADR法の不備(調停参加者が被害を受けても救済措置がない状態)は解消されず、私のような被害者が出かねない」(伊藤さん)  こうして調停は不調となり、訴訟を起こした伊藤さんだが、実は今年7月10日、和解が成立した。和解条項には①被告(県司法書士会)は原告(伊藤さん)に解決金20万円を支払う、②原告および被告らは正当な理由がある場合に「和解が成立したことにより解決した」旨説明する以外は紛争の経緯および和解の内容についてマスコミ、書籍、SNSその他いかなる方法においても一切口外しないことを約束する――と書かれていた。これ以上『政経東北』に取り上げられたくないという県司法書士会の意図が透けて見える。  ともかく和解条項に則れば、これ以上詳報することは控えなければならない。ただ、②「口外禁止」を和解条項に盛り込むことについて、伊藤さんは強く抵抗した。  「私は自分が悪いことをしたとは全く思っていない。そうした中で福島地裁は口外禁止を付けた和解を提案したわけですが、私からすれば口外禁止を認めれば『政経東北』さんをはじめマスコミに事の顛末を説明できなくなる。口外禁止で得をするのはA氏と県司法書士会だけ」(同)  伊藤さんは和解成立の当日、福島地裁に以下の対応を求める文書を提出した。  《原告は口外禁止条項は意味を持たず、本件関係者への終了報告等をしたい希望もあるので求めない。口外禁止が付くことは原告にとって生涯にわたり精神的苦痛を受け続け、負担になる》《裁判所の意向に沿った口外禁止に関し、原被告当事者間の協議割合を多くする配慮をお願いしたい。裁判所主導による口外規制等は、原告にとって、精神的苦痛等の負担を裁判所から生涯にわたり科せられることにもなる》  福島地裁が主導した口外禁止に対し、強い不満を露わにしていることが分かる。  その上で伊藤さんは、もし口外禁止を付けるのであれば、それによって生じる精神的苦痛に対し金銭を含む配慮を求めたが、福島地裁は受け入れず、前記①の通り解決金20万円で口外禁止の付いた和解が成立したのである。 不都合な事実隠し 7月10日に出された弁論準備手続調書(和解)  事の顛末を口外できなくなった伊藤さんは今、訴訟が和解に至った背景には「司法従事者による結託」があったからではないかという疑いを強めている。  県司法書士会が福島簡易裁判所での調停で自らの非を認めたことは前述したが、県司法書士会は訴訟に入ると一転争う姿勢を見せた。伊藤さんは調停で反省と改善策が示されたので「訴訟になればすんなり決着(勝訴)すると思っていた」(同)。  戸惑う伊藤さんを尻目に、訴訟ではこんな出来事も起きていた。  「県司法書士会は(自らのミスを認めた)調停では地元の弁護士を代理人に立てたが、訴訟では突然、神奈川県の弁護士に変更した。さらに口頭弁論には毎回、県司法書士会と日本司法書士会の職員6~8人が傍聴に来ていた」(同)  伊藤さんはなぜ日本司法書士会が関与してきたのか不思議に思っていたが、訴訟が進むうちに、ある確信を持つようになった。  「県司法書士会は調停では自らの非を認めたが、私が和解せず提訴したことで、今度は法廷で自らの非を認めなければならなくなった。そうなれば県司法書士会は敗訴し、争いの詳細が公になる。だから県司法書士会は、それは避けたいと日本司法書士会のサポートを受け、調停から態度を一転させたんだと思う」(同)  とはいえ、いったんは自らの非を認めた以上、勝訴に持ち込むのは難しい。そこで、和解で問題を決着させると同時に、口外禁止を付けることで争いの詳細を外部に漏らさないようにしたのではないか、と伊藤さんは推測するのだ。  「要するに、私の口を封じつつ自分たちにとって不都合な事実を隠そうとしたわけです」(同)  そう言って伊藤さんは記者に1枚の紙を見せた。「福島地方裁判所委員会」(※裁判所の取り組み等を協議する組織)と書かれた紙には6月15日現在の委員11人の名前が書かれているが、その中にO氏(福島地裁部総括裁判官)、I氏(県司法書士会調停センター長)、S氏(弁護士)が入っているのを伊藤さんは見つけたのだ。  O氏は今回の訴訟の裁判官、I氏は違法な調停手続きを行った調停センターのトップ、S氏は調停で県司法書士会が自らの非を認めた際の代理人。伊藤さんからすると、被告と深い関わりのあるI氏とS氏が、仲裁する立場のO氏と別組織でつながっていたことになる。  3氏の関係性を知った時、伊藤さんは「本当に中立的な裁判が行われたのか」と激しく落胆したという。  「第5回口頭弁論で、福島地裁は県司法書士会が調停で自らの非を認めたにもかかわらず、突然『調停手続きに違法性は認められない』と心証開示し、同時に和解勧告を行いました。しかし、違法性はないとする根拠は一切示されなかった。そこからの福島地裁の発言は、被告側に偏向していったように感じます。挙げ句、私が望まない口外禁止が和解条項に盛り込まれた。なぜ福島地裁はこういう決着を図ろうとするのか違和感を持ったが、O裁判官と被告側の関係者が福島地方裁判所委員会で一緒に活動していることを知り『なるほど、みんな仲間だったのか』と合点がいきました」(同)  すなわち、伊藤さんの推測はこうだ。県司法書士会と日本司法書士会は司法書士の社会的信用を維持するため、穏便に事を済ませたかった。そこを福島地裁が忖度し、司法従事者にとって都合の良い口外禁止付きの和解を提案したのでは――。  だったら和解しなければよかったのではないかという意見もあると思うが、実は口外禁止をめぐっては伊藤さんのように和解成立後に不満を露わにする人も少なくない。2019年には長崎県の男性が、雇い止めをめぐる労働審判で労働審判委員会から第三者に審判内容を口外しないよう命じられ精神的苦痛を受けたとして、国に150万円の損害賠償を求めて提訴。翌年、長崎地裁は「口外禁止は原告に過大な負担を強いており、労働審判法に違反する」と指摘したのだ(審判そのものは違法と言えず、男性の請求は棄却された)。  伊藤さんが「司法従事者による結託」を疑う理由はほかにもある。  伊藤さんは2020年11月にA氏と調停センター長、21年6月には県司法書士会長に対する懲戒処分を福島地方法務局に申し立て、受理された。同法務局はその後、A氏と調停センター長への調査を県司法書士会に委嘱したが(※伊藤さんによると県司法書士会長への調査はどこが行ったか不明)、調査結果は一向に示されなかった。  伊藤さんは調査が県司法書士会に委嘱された時点で〝身内〟を厳格に調査するはずがないと落胆したが、A氏と県司法書士会を提訴すると、その1、2週間後に福島地方法務局から「懲戒には当たらない」との連絡が寄せられたというのだ。 「納得いかない」と伊藤さん  伊藤さんからすると、放置されている感のあった調査が突然「懲戒には当たらない」と結論付けられ「なぜ、このタイミングなのか」と思ったそうだが、  「懲戒処分の流れは、県司法書士会が日本司法書士会に調査結果を上げ、日本司法書士会がそれを審査した後、意見を付して法務局に報告します。つまり、ここでも司法従事者はつながっていて、両司法書士会は私に関する情報を共有していた。私が起こした訴訟に日本司法書士会が積極的に関わってきたのは、県司法書士会とのつながりがあったからだと思います」(同)  伊藤さんの推測を聞いた人の中には被害妄想と受け止める人もいるかもしれない。しかし和解の際に口外禁止を付けることに強く反発したのは事実であり、もっと言うと伊藤さんはO裁判官(前出)らが行った和解判断は「裁判官に与えられた権限の趣旨を著しく逸脱し、自由裁量を濫用した不当・違法なものだ」として、最高裁判所に裁判所法に基づく処分と不服申し立てを行っているのだ(8月10日付)。更にO裁判官に対しては、裁判官訴追委員会に下級裁判所事務処理規則に基づく罷免まで求めている(同日付)。  こうした行動を起こすくらい、伊藤さんは口外禁止付きの和解に納得していないのだ。  「私は県司法書士会の不正行為により時間、お金、労力を無駄に使わされ、描いていた人生計画を狂わされました。また、最後の砦と信じていた裁判所にも納得のいかない対応をされ、事実も口外できない最悪の結末となってしまいました。福島地裁の判断は今も納得がいかない。不服申し立てや罷免請求がどのように扱われるか分からないが、自分にできる闘いに臨みたい」(同)  県司法書士会にコメントを求めると「こちらからお答えすることは何もありません」(事務局職員)とのことだった。  伊藤さんにとっては後味の悪さばかりが残った今回のトラブル。A氏と県司法書士会は口外禁止付きの和解により争いの詳細が公にならないと安堵しているかもしれないが、同じミスをなくし、伊藤さんのような被害者を出さないように対策を尽くすことこそが重要だということを肝に銘じるべきだ。 あわせて読みたい 依頼者に訴えられた司法書士と福島県司法書士会

  • トラブル相次ぐ【磐梯猪苗代メガソーラー】

    トラブル相次ぐ【磐梯猪苗代メガソーラー】

     磐梯町と猪苗代町にまたがる林地で建設が進められている太陽光発電施設(メガソーラー)で、施工業者間による工事代金未払いトラブルが起きている。被害を訴える業者は損害賠償を求めて提訴する準備を進めているが、この業者によると、そもそも建設地は地層や土質の調査が不十分にもかかわらず県が林地開発許可を出したという。建設地でどのような調査が行われ、県の許可に問題はなかったのか検証する。 専門業者が県の林地開発許可を疑問視  JR磐越西線翁島駅から南西に約2㌔、線路と磐越自動車道に挟まれた広大な林地で今、メガソーラーの建設が進められている。  敷地は磐梯町と一部猪苗代町にまたがっており、面積約34・7㌶。記者は8月上旬に一度建設地を訪れたが、起伏のある土地に沿って無数のパネルが並び、遠くではこれからパネルが張られようとしている場所で重機が動いているのが確認できた。  不動産登記簿によると、一帯は主に都内の再エネ会社と奈良市在住の個人が所有しており、都内の再エネコンサル会社と投資会社が権利者として名前を連ねている。  開示された県の公文書によると、メガソーラーの正式名称は磐梯猪苗代太陽光発電所(設備容量28・0㍋㍗)、事業者は合同会社NRE―41インベストメント(東京都港区、以下、NRE―41と略。代表社員=日本再生可能エネルギー㈱、職務執行者=ニティン・アプテ氏)。同社は建設地に2019年12月から35年間の地上権を設定し、土地所有者の再エネ会社を債務者とする10億円の抵当権を設定している。  調べると、NRE―41と代表社員の日本再生可能エネルギーは同じ住所。さらにその住所には日本再生可能エネルギーの親会社であるヴィーナ・エナジー・ジャパン㈱が本社を構えている。  ヴィーナ・エナジーはアジア太平洋地域最大級の独立系再生可能エネルギー発電事業者で、シンガポールに本社、各国に現地法人を置く。日本では2013年から事業を開始し、日本法人のヴィーナ・エナジー・ジャパン(以下、ヴィーナ社と略)は国内29カ所でメガソーラーを稼働する。県内には国見町(運転開始16年2月、設備容量13・0㍋㍗)、二本松市(同17年8月、同29・5㍋㍗)、小野町(同20年8月、35・0㍋㍗)に施設がある。  ヴィーナ社にとって磐梯猪苗代太陽光発電所は県内4カ所目の施設となるが、実は前記3カ所もNRE―03インベストメント、同06、同39という合同会社がそれぞれ事業者になっている。合同会社は新会社法に基づく会社形態で、設立時の手間やコストを省ける一方、代表社員は出資額以上のリスクを負わされず(ちなみにNRE―41の資本金は10万円)、投資家と事業者で共同事業を行う際、定款で定めれば出資比率に関係なく平等の立場で利益を配分できるといった特徴がある。  そのため合同会社は、外資が手掛けるメガソーラーの事業者として登場する頻度が高い。ヴィーナ社にとっては、発電を終え利益を確定させたら撤退し、リスクが生じたら責任を負わせて切り捨てる、という使い勝手の良さが透けて見える。  そんな建設地で今、施工業者間によるトラブルが起きている。  「私は下請けとして2019年11月から現場に入ったが、元請けが適正な工事代金を払わず、再三抗議しても応じないため、やむなく現場から手を引いた」  こう話すのは、小川工業㈱(郡山市)の小川正克社長だ。  同社はヴィーナ社の元請けである㈱小又建設(青森県七戸町)から造成工事などを受注したが、地中から大量の転石が発生し、その処理に多大な労力を要した。当然、工事代金は当初予定よりかさんだが「小又建設はいくら言っても石にかかった工事代金を払わなかった」(同)。未払い金は5億円に上るという。 巨大な転石を測量する作業員(小川社長提供)  「こちらで転石の数量をきちんと把握し、一覧にして請求しても払ってくれないので青森の本社に行って小又進会長に直談判した。しかし、小又会長は『そんなに石が出るはずがない』と言うばかりで」(同)  小川社長は仕事を任せた作業員に迷惑をかけられないと、立て替え払いをしながら「石の工事代金を払ってほしい」と求め続けたという。  「小又建設の現場監督に『工事を止めないでほしい』と言われ、支払いがあると信じて工事を続けたが、状況は変わらなかった」(同)  このままでは会社が持ちこたえられないと判断した小川社長は2021年1月に現場から撤退。現在、小又建設を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こす準備を進めている。  これに対し、小又進会長は本誌の電話取材にこう反論する。  「石に関する工事代金は数回に分けて払い全額支払い済みだ。手元には小川工業からの請求書もあるし支払調書もある。うちは建設業法違反になるようなことはやらない」  小川社長と小又会長は自身の言い分を詳細に話してくれたが、もし裁判になった場合、記事中のコメントが訴訟の行方に影響を与える恐れもあるので、これ以上詳報するのは控えたい。ただ、これとは別に小川社長が問題提起するのが、NRE―41が県に行った林地開発許可申請だ。  NRE―41は2019年7月に県会津農林事務所に林地開発許可申請書を提出。同年8月に森林法の規定に基づき、県から林地開発を許可された。その申請に当たり同社は建設地でボーリング調査を行い、県に調査結果を提出しているが、小川社長は「書類が不備だらけ」と指摘するのだ。 不備だらけの書類 工事が続く磐梯猪苗代太陽光発電所(8月中旬撮影)  「NRE―41は建設地の3カ所でボーリング調査を行っているが、その結果が書かれた3枚のボーリング柱状図を見ると2枚は調査個所を示す北緯と東経が空欄になっていた。同社が提出したボーリング調査位置図には三つの赤い点で調査個所が示されているが、北緯と東経が不明では本当に赤い点の個所で調査が行われたのか疑わしい」(同)  記者も3枚のボーリング柱状図を見たが、そのうちの2枚は確かに北緯と東経が空欄になっていた。  「不可解なのは、ボーリング柱状図は3枚あるのに、コア(ボーリング調査で採取された石や土が棒状になった試料。これにより現場の地層や土質が把握できる)の写真は2枚しかないことです。また、調査の様子や看板の写真も1枚もない。こんな不備だらけの書類を、県はなぜ受理したのか不思議でならない」(同)  この3カ所以外に、NRE―41は別の3カ所でもボーリング調査を行っているが、そちらはボーリング柱状図に空欄はなく、コアの写真も3枚あり、調査の様子や看板の写真も一式揃っていた。  「そもそも34・7㌶もの林地を開発するのに、ボーリング調査をたった6カ所でしか行っていないのは少なすぎる。しかも6カ所は建設地の中央ではなく、すべて外側や境界線あたり。これで一帯の正確な地層や土質が把握できるのか」(同)  ならば、建設地中央の地層や土質はどうやって調査したのか。  「NRE―41は簡易動的コーン貫入試験で土質調査を済ませていた。調査位置図や調査結果書を見ると、建設地の主要18カ所で同試験が行われていた」  しかし、ボーリング調査が深度10~15㍍の地層まで把握できるのに対し、コーン貫入試験は3㍍未満の地層しか把握できず、正確な地層や土質を調べることはできない。  小川社長は「だから、造成工事をしたら大量に石が出てきたんだと思う」と指摘する。  「きちんとボーリング調査をしていれば一帯が石だらけなのは分かったはず。それをコーン貫入試験で済ませたから、表層は把握できても深層までは把握できなかった。ただ地元の人なら、昔起きた磐梯山の噴火で一帯に大量の石が埋まっていることは想像できる。ヴィーナ社は外資で、小又建設は青森だから分からなかったんだと思う」(同) 「私なら受理しない」  本誌はあるボーリング調査会社社長にNRE―41の書類一式を見てもらったが、開口一番発したのは「本当にこれで県は受理したんですか」という疑問だった。  「まずコアの写真がないのはおかしい。普通はコアの写真があってボーリング柱状図が作成され、調査の様子や看板の写真などと一緒に県に提出するからです。コアは役人が立ち会い、実物を確認したりもする大事なものなので、その写真がないのは明らかにおかしい」(同)  こうした調査結果に基づいて設計図がつくられ、造成工事はその設計図に沿って行われるため「調査が不正確だと設計図も誤ったものになり造成工事は成り立たなくなる」(同)という。  「そもそも最初のボーリング調査がたった3カ所というのは少なすぎる。普通は建設地の対角線上に一定の距離を置きながらボーリング調査をしていく。その調査個所をつないでいけば一帯の地層や土質が見えてくるし、さらに詳細に調べるなら物理探査を行って地中の様子を面的に見たりもする」(同)  調査会社社長は、今回のように広大な建設地を造成する場合はどれだけの強さの土がどれくらいあるか知っておくべきとして「地質断面図があればなおいい」と指摘したが、書類一式を見てもそれはなかった。  「建設地の中央をコーン貫入試験で済ませていては一帯の地層や土質を把握するのは無理。同試験では表土は分かっても地層は分からない。コーンを貫入して礫や転石に当たったら、それ以上は貫入不可能だからです。だいいち同試験は表層滑りのリスクがあるかどうかを調べるために行うので、NRE―41が行った同試験にどんな意味があるのか分からない。正直、こういう調査でよく設計図が書けたなと思う」(同)  その上で調査会社社長は「自分が県職員だったら、コーン貫入試験ではボーリング調査の〝代役〟にはならず、一帯の地層や土質は把握できないのでボーリング調査をやり直すよう命じる。もちろん申請書は受理しない」と断言する。  「理由は災害のリスクがあるからです。一帯の地層や土質が分からずに開発し、結果、災害が起きたら周囲に深刻な被害をもたらす恐れがある。だから、災害が起こらないようにボーリング調査を行い、調査結果に基づいて設計図をつくるのです。ボーリング調査も設計図も不正確では安全性を担保できない。もし災害が起きたら開発業者に責任があるのは言うまでもないが、私は許可を出した県の責任も問われてしかるべきだと思う」(同)  専門業者も疑問視する中、県はなぜ許可を出したのか。申請書を受理した会津農林事務所森林林業部の眞壁晴美副部長は次のように話す。  「森林法第10条には『知事は林地開発の申請があった時、災害や水害を発生させる恐れがないこと、水の確保や環境の保全に心配がないことが認められれば許可しなければならない』とある。これに基づき、NRE―41の申請は要件を満たしていたため許可を出した」  ボーリング調査も全体的に行う必要はないという。  「計画では敷地内に防災調節池を8カ所つくることになっており、そのうち6カ所は掘り込み式の調節池だが、残り2カ所は築堤する設計で基礎地盤を把握しなければならないため、NRE―41は一つの調節池につき3カ所、計6カ所のボーリング調査を行った。コーン貫入試験は太陽光パネルの足場を組むため現場の土質を調べたもので、許可申請とは何の関係もない」(同)  前出・小川社長が指摘する「書類の不備」(ボーリング柱状図に北緯と東経が載っていない、コアの写真がない、調査の様子や看板の写真一式がない)については、  「NRE―41が調査を依頼した調査会社に県が聞き取りを行い、事情を把握するとともに、欠けていた書類をあとから提出してもらった。北緯と東経が空欄になっているなどの不備があったのは、調査途中でも新しく分かったことがあれば記入してどんどん提出してほしいと県が要請したので、その時に未記入の書類が提出され、それが開示請求によって公開されたのではないか。県の手元には北緯と東経が書かれたボーリング柱状図がある」  県が調査未了でも書類の提出を求め、それが開示請求によって公開されるなんてことがあるのだろうか。  筆者が「造成工事を行った結果、設計図と実際の地層、土質が違っていた場合はどうなるのか」と質問すると、  「悪質な場合は県が行政指導を行い、計画の見直しや新たな書類を提出してもらうこともあるが、基本的には事業者自らの判断で林地開発計画変更届出書を提出し、必要な変更措置をしてもらう」(同)  ちなみにNRE―41はこの間、造成工事の遅れや計画の一部変更を理由に県に何度か変更届出書を提出している。直近では今年8月31日までとしていた造成工事期間を12月5日まで延長する変更届出書を提出しているが、行政指導を受けて変更届出書を提出したことがあるかどうか尋ねると「それは言えない」(同)。また、建設地で災害が起きた場合の対策は「森林法に基づき必要書類を提出させている」(同)とのこと。 〝ザル法〟の森林法  正直、現場の正確な地層や土質が分からないまま、簡易な構造物(太陽光パネル)を設置するだけとはいえ広大な林地を開発させてしまって大丈夫なのか心配になる。たとえそれが法的に問題なくても、である。  前出・調査会社社長も驚いた様子でこう話す。  「林地開発が〝ザル法〟の森林法で許可されてしまうことがよく分かった。現場の地層や土質が分からないまま、もしメガソーラーで災害が起きたら、第一義的な責任は事業者にあるが、私は許可した県の責任も問われてしかるべきだと思う。もっとも県は『法律上問題なかった』と言い逃れするんでしょうけどね」  実はこれに関連して、前出・小又進会長が気になる発言をしていた。  「設計はヴィーナ社で行い、石の大量発生についてはうちでも払ってほしいとお願いしたが、ヴィーナ社は予算がないの一点張りだった」  つまり小又建設も、小川建設と同様に転石の工事代金を払ってもらえずにいたのだ。  筆者が「ヴィーナ社がきちんと調査していればこんな事態にはならなかったのではないか」と尋ねると、小又会長は請負業者としての難しい立場を明かした。  「その時点でうちはヴィーナ社の工事を3カ所請け負っていた。業者は『請け負け』の立場。正直、発注者には言いづらい面がある」(同)  ある意味、小又建設も被害者なのかもしれないが「青森では十数億円の現場を2カ所世話になった」(同)とも言うから、ヴィーナ社とは持ちつ持たれつの関係なのだろう。逆に言うと、小又建設がヴィーナ社から正当な転石の工事代金を受け取っていれば、小川建設にもきちんと支払いが行き届いていたのではないか。  ヴィーナ社に取材を申し込むと、子会社の日本再生可能エネルギーから「回答するので時間がほしい」とメールで連絡があったが、その後、締め切りまでに返答はなかった。  前出・小川社長は「県はNRE―41の許可申請を受理すべきではなかった。そうすれば林地開発は行われず、私も被害を受けずに済んだ」と嘆くが、森林法が〝ザル法〟であることが明らかな以上、必要な是正をしないと、あちこちの林地で稼働するメガソーラーで災害が起きた時、対応する法律がない事態に直面するのではないか。 【その後】磐梯猪苗代メガソーラー発電事業者から回答 (2023.11月号より)  先月号に「トラブル相次ぐ磐梯猪苗代メガソーラー」という記事を掲載した。  磐梯町と猪苗代町にまたがる林地で建設が進むメガソーラーで、施工業者間による工事代金未払いトラブルが起きていることや、建設地の地層や土質の調査が不十分にもかかわらず、県(会津農林事務所)が林地開発許可を出したことを専門業者の解説を交えながら報じた。  メガソーラーの事業者は「合同会社NRE―41インベストメント」という会社だが、実質的にはアジア太平洋地域最大級の独立系再生可能エネルギー発電事業者「ヴィーナ・エナジー」が指揮している。本誌は同社に取材を申し込んだが、子会社である「日本再生可能エネルギー」の大久保麻子氏から「回答するので時間がほしい」というメールは届いたものの、結局、締め切りまでに返答はなかった。  その後、10月18日に「記事掲載後とはなりますが、弊社見解をご送付させていただきます」として、同じ大久保氏でも今回は「ヴィーナ・エナジー・ジャパン広報」という立場で以下の回答を寄せた。  「当社は、県の指示に基づき、適法に開発を行っております。また、個別の契約についてはお答え致しかねます」  期限はとっくに過ぎているが、回答していただいたことには素直に感謝したい。ただ、先月号で取材に応じた〝被害者〟の小川正克氏(小川工業社長)は  「あそこに関わる人たちは時にはヴィーナ・エナジー、時には日本再生可能エネルギー、時にはNRE―41とコロコロ立場を変えるんです。いろいろな都合に合わせて所属先の会社を使い分けるのは、仕事を請け負う側からすると心配になる。もし問題が起きた時、責任を問おうとしても『それはヴィーナ・エナジーとは関係ない』、『日本再生可能エネルギーはタッチしていない』と言い逃れされる恐れがあるからです」  と話していたから、今回、大久保氏の所属先が変わっていたのを見て合点がいった次第。  小川氏によると「10月号発売後、県とヴィーナ社の間で折衝が続いている模様」というから、林地開発や工事をめぐって何らかのやりとりが行われているとみられる。

  • 【ふくしま逢瀬ワイナリー】が赤字閉鎖!?【郡山】

    【ふくしま逢瀬ワイナリー】が赤字閉鎖!?【郡山】

     郡山市の「ふくしま逢瀬ワイナリー」が閉鎖の危機に立たされているという情報が寄せられた。施設を建設し、ワイナリー事業を進める公益財団法人が2024年度末に撤退するが、施設と事業の移管先が見つからないという。同法人は施設を通じて市と果樹農業6次産業化プロジェクトを行っているが、市からも移管を拒まれている。同法人と市の間では現在も協議が続いているが、このまま移管先が見つからなければ最悪、施設を取り壊しワイナリー事業を終える可能性もある、というから穏やかではない。(佐藤仁) 復興寄与で歓迎した郡山市は素知らぬ顔  今から8年前の2015年10月、郡山市西部の逢瀬地区にふくしま逢瀬ワイナリー(以下逢瀬ワイナリーと略)が竣工した。  市が所有する土地に公益財団法人三菱商事復興支援財団(東京都千代田区、以下三菱復興財団と略)が醸造・加工工場を建設。2016年11月にはワイナリーショップも併設された。敷地面積約9000平方㍍、建物面積約1400平方㍍。県内産の果実(リンゴ、桃、梨、ブドウ)を原料にリキュールやワインなどを製造・販売しており、当初の生産量は1万2000㍑、将来的には2万5000~3万㍑を目指すという方針が掲げられた。  逢瀬ワイナリーが建設されたのは2011年3月に起きた東日本大震災がきっかけだった。  同年4月、三菱商事は被災地支援を目的に、4年総額100億円の三菱商事東日本大震災復興支援基金を創設。被災した大学生や復興支援に携わるNPO、社会福祉法人、任意団体などに奨学金や助成金を給付した。2012年3月には三菱復興財団を設立し、同年5月に公益財団法人の認定を取得。同基金から奨学金事業と助成金事業を継承する一方、地元金融機関と協力して被災地の産業復興と雇用創出のための投融資支援を行った。  予定通り2014年度末で「4年総額100億円」の同基金は終了したが、15年度以降も被災地支援を継続するため、三菱商事から35億円が追加拠出された。  ワイナリー事業に精通する事情通が解説する。  「三菱復興財団は当初、岩手と宮城の津波で被災した事業所を中心に支援し、福島では産業・雇用に関する目立った支援が見られなかった。その〝遅れ〟を取り戻そうと始まったのが逢瀬ワイナリーだったと言われています」  三菱復興財団が2011~20年までの活動をまとめた報告書「10years」に産業支援・雇用創出の支援先一覧が載っているが、それを見ると3県の支援先数と投融資額合計は、岩手県が15件、5億9850万円、宮城県が25件、10億8500万円なのに対し、福島県は11件、3億4200万円となっている。  奨学金と助成金の給付状況を見るとこの序列は当てはまらないが、産業支援・雇用創出の支援は確かに福島県が一番少ない。  「津波被害や風評に苦しむ企業・団体が投融資支援の対象となってきた中、突然郡山にワイナリーをつくるという発表は不思議だったが、その背景には地元選出で復興大臣(2012年12月~14年9月)を務めた根本匠衆院議員の存在があったと言われています。表向きの理由は①果実が豊富な福島県は果実酒製造のポテンシャルが高い、②ワイナリー事業は地元産業と競合しない、②郡山市から協力体制が得られたとなっていますが、一方で囁かれたもう一つの理由が、復興大臣の地元を支援しないのはマズいと三菱復興財団が忖度したというものでした」(同)  真偽はさておき、35億円の追加拠出を受けた三菱復興財団は2015年2月、市と果樹農業6次産業化プロジェクトに関する連携協定を締結した。以下は当時のリリース。  《今般、お互いの復興に対する思いが合致し、郡山市と三菱商事復興支援財団が一体となって、農業、観光、物産業等の地域産業の復興を加速させるために連携協定を締結致します。「果樹農業6次産業化プロジェクト」は、福島県産果実の生産から加工、販売を一連のものとして運営する新たな事業モデルの構築を目指すものです。現状、安価で取引されている規格外の生食用果実(桃・なし・リンゴ等)の利活用を図ると共に、新たにワイン用ぶどうの生産農家を育成し、集めた果実を使用してリキュール、ワインの製造・販売を行います。三菱商事復興支援財団が醸造所や加工施設の建設、販売等の地元農家だけでは負担することが難しい初期費用、事業リスクを請け負う形で、6次産業化事業の確立を目指します》  三菱復興財団が施設を建設し、販路を開拓するだけでなく、事業にかかる初期費用やリスクを負うことで地元農家を支えることを約束している。事実、前述した同基金(創設時100億円+追加拠出35億円=計135億円)の給付内訳(別掲)を見ると「ふくしまワイナリープロジェクト」には13億円も給付しており、同財団の注力ぶりが伝わってくる。 難航極める移管先探し ふくしま逢瀬ワイナリー  三菱復興財団と市が連携して取り組む果樹農業6次産業化プロジェクトとはどのようなものなのか。  三菱復興財団と市は安価で取り引きされている規格外の生食用果実を利活用するだけではなく、地ワイン開発とワイン産地化を目指して、これまで市内で栽培例のなかったワイン用ブドウの生産に着手(1次産業=農業生産)。これらの果実を原料にリキュールやワインの醸造技術とノウハウを蓄積(2次産業=加工)。製造された加工商品の販路を開拓する(3次産業=流通・販売・ブランディング等)というものだ。  市は2015年3月、ワイン用ブドウの試験栽培を地元農家4軒に依頼。同年12月にはワイン用ブドウの苗木や栽培用資材にかかる初期経費を支援した。さらに▽逢瀬ワイナリー周辺の環境整備、▽産地形成を目的に地元農家9軒をメンバーとする郡山地域果実醸造研究会を発足(現在は13軒に拡大し、ここがワイン用ブドウの生産農家となって逢瀬ワイナリーに納めている)、▽逢瀬ワイナリーの敷地を観光復興特区に指定し固定資産税を軽減、▽イベント開催――などを進めた。  一方、公益財団法人の三菱復興財団は特定の利益事業を行うことができないため2015年5月、委託先として一般社団法人ふくしま逢瀬ワイナリー(郡山市逢瀬町、河内恒樹代表理事)を設立。同法人が酒の製造・販売など現場を取り仕切り、理事には市農林部の部課長も就いた。  県内産の果実を使ったスパークリングワインやリキュールは施設稼働の翌年(2016年)から出荷したが、15年に植栽したワイン用ブドウを原料とする郡山産ワインは19年3月に初出荷。以降は毎年、郡山産ワインを製造・販売しており、国内外の品評会でも20年度まではリキュールやシードルでの受賞にとどまっていたが、21、22年度はワインでも高い評価を得るまでに成長した。  スタートから8年。逢瀬ワイナリーを核とする6次産業化プロジェクトはようやく軌道に乗ったが、そんな施設が今、閉鎖の危機に立たされているというから驚くほかない。  前出・事情通が再び解説する。  「三菱復興財団が逢瀬ワイナリーから2024年度限りで撤退するため、市に施設と事業を移管したいと申し入れている。しかし、市農林部が頑なに拒んでいて……」  実は、三菱復興財団はもともと6次産業化プロジェクトのスタートから10年後の2024年度末に施設と事業を「地元」に移管する予定だったのである。同財団は「地元」がどこを指すかは明言していないが、同財団撤退後、新たな事業主が必要になることは関係者の間で周知の事実だったことになる。  「三菱復興財団は以前から、できれば市に引き受けてほしいと秋波を送っていた。市は6次産業化のパートナーなので、同財団がそう考えるのは当然です。しかし市は、ずっと態度を曖昧にしてきた」(同)  なぜ、市は「引き受ける」と言わないのか。  「郡山産ワインは市場でようやく評価されるようになったが、これまで支出が上回ってきたこともあり施設はずっと赤字だった。今は三菱復興財団が面倒を見てくれているからいいが、市が施設を引き受ければそのあとは赤字も負担しなければならないため、品川萬里市長が難色を示しているのです」(同)  上がノーと言えば、下は従うほかない――というわけで、市農林部は三菱復興財団の移管要請を拒み続けている、と。  「三菱復興財団では、市が引き受けてくれないなら同財団に代わって施設と事業を継続してくれる企業・団体を探すとしています。ただし、同財団は公益財団法人なので民間に売却できない。そこで、市に施設と事業を移管し、同財団が探してきた企業・団体と市で引き続き6次産業化プロジェクトに取り組んでもらう方向を模索している。とはいえ、同財団に代わる企業・団体を見つけるのは簡単ではなく、移管先探しは難航を極めているようです」(同) 振り回される生産農家  ワイン用ブドウの生産農家に近い関係者も次のように話す。  「三菱復興財団の担当者も『市長がウンと言ってくれなくて……どこか適当な移管先はないか』と嘆いていました」  この関係者は、地元の大手スーパーか酒造会社が施設と事業を引き受け、ワインづくりを継続できれば理想的と語るが、「現実は赤字施設を引き受けるところなんて見つからないのではないか」(同)。  もっとも、本当に赤字かどうかは逢瀬ワイナリーの決算が不明で、三菱復興財団も貸借対照表が公表されているだけなので分からない。参考になるのは、国税庁が調査した全国のワイン製造業者の経営状況(2021年1月現在)だ。  それによると、ワイン製造者の46%が欠損または低収益となっているが、製造数量が少ない(100㌔㍑未満)事業者ほど営業利益はマイナスで、多い(1000㌔㍑以上)事業者はプラスになっている。逢瀬ワイナリーの製造量は100㌔㍑未満なので、この調査に照らせば赤字なのは間違いなさそうだ。  ついでに言うと、全国にワイナリーは413場あり(2021年1月現在、国税庁の製造免許場数および製造免許者数)、都道府県別では1位が山梨県92場、2位が長野県62場、3位が北海道46場と、この3地域で全国の48%を占める。福島県は9場で第9位。  「生産農家は実際にワイン用ブドウをつくってみて、郡山の土地と気候は合わないと感じつつ、それでも試行錯誤を重ね、今では品評会でも賞をとるほどの良いブドウをつくれるまでに成長した。昨年のブドウも良かったが、今年はさらに良い出来と期待も高まっている。そうした中で施設と事業の移管先が見つからないという話が出てきたから、生産農家は困惑している」(同)  今年春には、市農林部から生産農家に「もし逢瀬ワイナリーがなくなったら、生産したブドウはどこに手配するか」との質問がメールで投げかけられたという。  「ワインづくりは各地で行われているので、ここで買い取ってくれなくても、意欲の高い生産農家は他地域にブドウを持ち込んで、さらに品質の良いワインづくりに挑むと思います。そういう意味では郡山にこだわる必要はないのかもしれないが、半面、ワイン用ブドウの生産は復興支援で始まった取り組みなのに、そういう市の聞き方はないんじゃないかと不満に思った生産農家もいたようです」(同)  記者は生産農家数軒に「三菱復興財団が逢瀬ワイナリーから撤退するため、移管先を探していると聞いたが事実か」と尋ねてみたが、  「私はワイン用ブドウを生産し納めているだけで、施設の経営については分からないので、コメントは控えたい」  と、返答を寄せた人は口を開こうとしなかった。折り返し連絡すると言ったまま返答がない人もおり、生産農家がどこまで詳細を把握しているかは分からなかった。  ちなみに生産農家は三菱復興財団と契約し、つくったブドウの全量を買い取ってもらい、逢瀬ワイナリーに納めているという。前出・関係者によると「買い取り価格は一般より高く設定されている」とのこと。 最悪、施設の取り壊しも ※6次産業化プロジェクトのスキーム図  生産農家を巻き込んだ6次産業化プロジェクトは着実に進んでいる印象だ。それだけに逢瀬ワイナリーがなくなれば、せっかく形になった6次産業化は中途半端に終わり、生産農家は行き場を失ってしまうのではないか。  そう、「逢瀬ワイナリーがなくなれば」と書いたが、三菱復興財団に代わる事業主がこのまま見つからなければ最悪、施設を取り壊しワイナリー事業を終える可能性もゼロではないというのだ。  前出・事情通は眉をひそめる。  「三菱復興財団と6次産業化の連携協定を締結したのは品川市長だ。復興支援の申し入れがあった時は喜んで受け入れ、同財団が撤退する段になったら赤字を理由に移管を拒むのは、同財団からすると気分が悪いでしょうね。6次産業化や果樹農家の育成は表面的な黒字・赤字では推し量れない部分があり、長い投資を経てようやく地場産業として成長するもの。収益の話はそれからだと思います」  事情通によると、もし市が移管を拒み続け、三菱復興財団に代わる事業主も見つからなければ、施設を取り壊すことも同財団内では最悪のシナリオとして描かれているという。  「三菱復興財団の定款には『清算する場合、残余財産は公益法人等に該当する法人または国もしくは地方公共団体に贈与する』と書かれています。もし移管先が見つからなければ、逢瀬ワイナリーは市名義の土地に建っている以上、取り壊して一帯を現状回復しつつ、余計な財産を残さずに清算するしかないと考えているようです」(同)  これにより市に生じるデメリットとしては▽ブランドになりつつあった郡山産ワインの喪失、▽果樹農業6次産業化の頓挫、▽果樹農家やワイン用ブドウの生産農家に対する背信、▽三菱との関係悪化(今後の企業誘致等への悪影響)などが考えられる。  もちろん市が移管を受けたとしても課題は残る。メリットしては▽郡山産ワインのさらなるブランド化、▽ワイン用ブドウの地場産業化、▽逢瀬ワイナリーを拠点とした観光面での人的交流などが挙げられるが、デメリットとしては▽施設の維持管理、▽設備の更新、▽人件費をはじめとする運営費用などランニングコストを覚悟しなければならない。  そうした中で品川市長が最も気にしているのは、赤字を税金で穴埋めするようなことがあれば市民や議会から厳しく批判される可能性があることだろう。それを避けるには赤字から黒字への転換を図る必要があるが、施設と事業の性格上、黒字に持っていくのが簡単ではないことは前述した通り。  「6次産業化を確立したければ、赤字を税金で穴埋めという考え方は横に置くべき。その上で市が考えなければならないのは、ふくしまワイナリープロジェクトが三菱復興財団にとって唯一直接的に実施した事業であり、13億円もの基金が投じられていることです。三菱商事は移管後もグループとして施設と事業を支える意向と聞いている。復興支援の象徴でもある逢瀬ワイナリーを簡単になくしていいはずがない。品川市長は『自分が市長の時に赤字施設を引き受けるわけにはいかない』と短絡的に考えるのではなく、市として施設をどう生かしていくのか長期的な視点に立って検討すべきだ」(同)  市は逢瀬ワイナリーの今後をどう考えているのか。市農林部に取材を申し込むと、園芸畜産振興課の植木一雄課長から以下の文書回答(9月25日付)が寄せられた。  《逢瀬ワイナリーについては関係者において現在検討中です》  現場の声を聞きたいと、逢瀬ワイナリーの河内恒樹代表理事にも問い合わせてみたが、  「当社は三菱復興財団から委託を受けて酒類を製造・仕入れ・販売しているため、同財団の事業方針について回答し得る立場にありません。施設の今後も知り得ていないので、取材対応はできません」  とのことだった。  肝心の三菱復興財団はどのように答えるのか。以下は國兼康男事務局長の回答。  「弊財団がワイナリー事業の地元への移管を検討していることは事実です。弊財団としては、ワイナリー事業を開始した2015年より10年後の2024年末を目途に地元に事業を移管する予定で準備を進めてきました。現在、移管に向けて関係者と協議中のため、今後のことについては回答できませんが、誠意を持って協議を続けていきます」 財団と市が頻繁に協議  三菱復興財団と市は今年度に入ってから頻繁に協議を行っている。記者が入手した情報によると、5、6月に1回ずつ、8月は3回も協議している。その間、市農林部から品川市長への経過報告は2回。さらに9月中旬には同財団と副市長が意見交換を行ったとみられる。  8月に入って慌ただしさを増していることからも、撤退まで残り1年半の三菱復興財団が焦りを見せ、対する市は態度をハッキリさせない様子が伝わってくる。  それにしても品川市政になってから、ゼビオの栃木県宇都宮市への本社移転、令和元年東日本台風の被害を受けた日立製作所の撤退、保土谷化学とのギクシャクした関係など、地元に根ざしてきた企業と距離ができている印象を受ける。今回の逢瀬ワイナリーも、対応次第では三菱との関係悪化が懸念される。  復興支援という名目で巨費が投じられた際は喜んで受け入れ、それが苦戦すると一転して移管要請に応じない品川市長。前市長が受け入れたならまだしも、1期目の任期中に自身が受け入れた事業であることを踏まえると、10年後に地元に移管することは当然分かっていたはず。品川市長には、施設が赤字という理由で移管を拒むのではなく、13億円もの巨費が投じられていること、さらには果樹農業の6次産業化に必要な施設なのかという観点に立ち、どういう対策がとれるのか・とれないのかを検討することが求められる。

  • 【国道4号】県内全線4車線化が進まない理由

    【国道4号】県内全線4車線化が進まない理由

     中通りを南北に貫く国道4号。県内主要幹線道路の1つだが、県内全線4車線化はなされていない。そもそもこれまで、ぶっ通しで走行したことはなかった。そこで、難所を探るべく9月中旬、県内の〝始点〟から〝終点〟までをぶっ通し走行してみた。(末永) 約20%が片側一車線で県南地区に集中  国道4号は東京都中央区の日本橋を起点に、青森県青森市まで続く。総延長は838・6㌔で、日本最長の国道である。このうち、福島県は約111㌔で全体の約13%を占める。中通りを貫き、郡山市、福島市の主要都市を通る。  県内の〝始点〟は西郷村、〝終点〟は国見町。管理者は国(国土交通省)だが、西郷村から本宮市に入るまでの約54・4㌔は郡山国道事務所の管轄、本宮市から宮城県に入るまでの約56・7㌔は福島河川国道事務所の管轄と分かれている。  9月中旬、「国道4号県内ぶっ通し走行」を実行した。  最初に、その中で分かった基本データを記す。  まず、道の駅は安達(上下線)と国見(上り車線沿い)の2カ所しかない。もっとも、幹線道路だけあって、休憩・トイレなどで立ち寄れるところは多数ある。その代表格がコンビニエンスストアだが、本誌が数えたところ、上下線ともに20軒ずつ(計40軒、道の駅安達と国見に併設されたコンビニは除く)あった。ただ、立て続けに3、4軒並んでいるところもあれば、10㌔以上ない区間もあった。  ガソリンスタンドは、上り車線が27個所、下り車線が21個所。こちらもコンビニ同様、立て続けに数軒が並んでいるところもあれば、何㌔もない区間もある。  信号機は全部で180個所。市街地では、1分以上連続で走行できることはほぼない。かなりの頻度で信号待ちが生じる。朝夕のラッシュ時は1つの信号機を越えるのに、何度も待つこともあろう。  国道4号に直結している高速道路のIC(スマートICは除く)は、白河IC(東北道)、矢吹IC(東北道、あぶくま高原道路)、本宮IC(東北道)、伊達桑折IC(東北中央道)の4カ所。  以下は実際の走行記録と、その中で感じた課題について述べていく。 県南編 福島県の国道4号の〝始点〟  栃木県那須町から福島県西郷村に入るところがスタート地点。最初は片側1車線で、西郷村内を約3㌔走行すると片側2車線になり白河市に入る。ここから約6㌔は片側2車線だが、〝始点〟から約9㌔のところ、白河厚生総合病院への入り口を過ぎた辺りで、また片側1車線に戻る。  地元住民によると「郡山方面に向かう場合は、そこから道が狭く(片側1車線)なるほか、厚生病院に行く車も多いため、朝夕を中心に混雑(渋滞)する」という。  そこから片側1車線が約9㌔、白河市北部から泉崎村を経て、矢吹町に入るまで続く。〝始点〟から約18㌔のところ、矢吹町の東北自動車道、あぶくま高原道路の矢吹IC付近の1㌔ほどは片側2車線だが、すぐに片側1車線になる。  地元住民によると、「矢吹町の片側2車線から1車線になるところで、前方車のスピードが緩むため、追突事故などが起きやすい」という。同所に限らず、片側2車線から1車線になるところはそうした問題があるようだ。 矢吹町の車線減少個所  このほか、地元住民によると、「以前は金勝寺交差点(白河市)の渋滞がひどかった」とのこと。同交差点は国道4号から、JR白河駅、市役所、小峰城などの市街地方面に向かう市道と交差していた。慢性的に渋滞が発生し、追突事故や交差点内の出合い頭事故が多かったが、2013年に立体交差点につくり変えられ、渋滞・事故が減少したという。  福島河川国道事務所が事務局となり、県(土木部)、県警本部(交通部)、国道沿線の市町村、東日本高速道路(ネクスコ東日本)東北支社などで構成する「福島県渋滞対策連絡協議会」という組織がある。その下部組織として、各地区のワーキンググループがあり、県南地区は県中・県南ワーキンググループに属する。  その中で、「主要渋滞箇所」がピックアップされ、対策が協議されている。県南地区の国道4号の「主要渋滞箇所」(交差点)は、白河市の女石(T字路、国道294号と交差)、泉崎村の泉崎(T字路、県道75号塙泉崎線と交差)、矢吹町の矢吹中町(県道44号棚倉矢吹線、県道58号矢吹天栄線と交差)の3カ所。 県中・県南の主要渋滞個所(国道4号のみ) 白河市北部の車線減少個所  その中で、女石交差点は、交差する国道294号のバイパス(白河バイパス)が今年2月4日に全線開通した。現在はその後の状況をモニタリングしており、状況によって「主要渋滞箇所」からの解除を検討するという。  こうした事例はあるものの、まだまだ〝難所〟は多い。渋滞対策連絡協議会としての課題は多いということだ。これは、これから出てくる市町村(交差点)についても同様だ。 県中編  矢吹町から鏡石町に入り、〝始点〟から約25㌔地点、久来石交差点の手前で片側2車線になる。以降は、国見町まで約82㌔、片側2車線が続く。つまり、県中地区は鏡石町の一部(約1・3㌔)を除き、すべて片側2車線化されている。  前述・福島県渋滞対策連絡協議会では、須賀川市内は、大黒町(県道63号古殿須賀川線と交差)、須賀川駅入口(市道と交差)、池下(市道と交差)、滑川(市道と交差)、十貫内(市道と交差)が「主要渋滞箇所」に指定されている。郡山市内はバイパス(あさか野バイパス)化されたこともあり、都市規模の割に国道4号の「主要渋滞箇所」は、それほど多くない。大池北(市道と交差)、仁池向(県道143号仁井田郡山線と交差)、荒池下(県道357号岩根日和田線と交差)の3カ所(国道4号以外は多数ある)。  〝始点〟から郡山市までは郡山国道事務所の管内。片側2車線化されていないのは、西郷村の〝始点〟から約3㌔地点まで、白河市北部から泉崎村を経て矢吹町の矢吹IC付近までの約9㌔、その先から鏡石町久来石交差点付近までの約5㌔で、計約18㌔。  鏡石町内は、「国道4号 鏡石拡幅」として事業化され、昨年3月に完了した。この区間の沿線は商業施設や企業・工場が立地し、通勤や施設利用、物流などで交通が混在していた。拡幅(片側2車線化)後は、渋滞の緩和のほか、児童・生徒の通学の安全も図られたという。  現在、「国道4号 矢吹鏡石道路」として、矢吹町北浦から鏡石町久来石交差点付近までの整備が事業化されている。区間は4・8㌔で、2021年4月に事業着手した。このほか、矢吹IC付近の北側0・9㌔、南側1・3㌔(泉崎村)が、それぞれ「矢吹地区事故対策事業」、「泉崎地区事故対策事業」として片側2車線化が進められている。前者は拡幅工事、後者は改良工事という位置付けだが、片側2車線化にするという点では一緒。  それらの事業化までの一般的な流れについて解説しておこう。  まず道路ネットワークの課題調査、路線の必要性と効果の調査が行われる。その後、拡幅(4車線化=片側2車線化)するのか、バイパス化するのか、バイパス化する場合、高規格化するかどうかなどのルート・構造の検討が行われる。  「矢吹鏡石道路」を例にすると、交通混雑が発生していること、交通事故の多発地点が存在していること、東北復興の阻害要因となる物流のボトルネックが生じていることなどが課題だった。この対策について、地域住民の意見聴取(「矢吹鏡石道路」ではアンケートを実施)を行い、それを踏まえた方針策定、その方針についてさらなる意見聴取、それを踏まえた方針に改定――といった流れで決定していく(計画段階評価)。その過程で、前述したルート・構造なども決定される。  「矢吹鏡石道路」は、2018年1月に計画段階評価に着手し、翌年12月に計画段階評価が完了。その過程で、一部バイパス案も出たようだが、現道拡幅することになった。  その後は、都市計画・環境調査などを経て、国交相の諮問機関「社会資本整備審議会」に諮られる。「矢吹鏡石道路」は2021年3月の同審議会道路分科会東北地方小委員会で「概ね妥当」と評価された。これを受け、同年4月に事業着手した。  期待される効果は、渋滞緩和によるスムーズな交通、交通事故軽減、物流の効率化とそれに伴う地域産業活性化、迅速な救急搬送など。事業完了年度は示されていない。計画段階評価から事業着手まで3年かかっており、それだけでもかなりの時間を要することが分かる。  もっとも、これは事業者側(郡山国道事務所)の手順で、その前段で地元からの要望等がある。  ある首長経験者はこう話す  「道路でも、それ以外でも同じだが、国や県に事業をしてもらうために問われるのはプレゼン力。現状がこうで、こういった課題がある、だからこれが必要だ、と説得できるだけのものが必要になります。もう1つは熱意。プレゼン力に加えて、根気強く要望することが重要だと感じました」  実際に片側2車線化が図られるのはまだ先になるが、事業化されている「矢吹鏡石道路」、「矢吹地区事故対策事業」、「泉崎地区事故対策事業」の対象区間を除くと、郡山国道事務所管内(県中、県南)の片側一車線は約11㌔。郡山国道事務所によると、現状、その区間の片側2車線化の事業計画はないとのこと。  国交相「令和3年度全国道路・街路交通情勢調査 一般交通量調査結果」によると、片側1車線の区間が多い西郷村から矢吹町までの1日の交通量(上下線の合計)は、約1万2000台から約2万台。片側2車線化が図られている鏡石町から郡山市までは同約2万台から約4万5000台だから、前記区間の約2倍。さらに、前回調査(2015年)では、西郷村から矢吹町までの1日の交通量は約1万4000台から約2万3000台。この辺も拡幅が計画されない要因なのだろうが、混雑が発生しているのも事実。  関係者の熱意とプレゼン力が問われる。 県北編  郡山市を抜けて本宮市に入る。前述したように、鏡石町からはずっと片側2車線で、本宮市、大玉村、二本松市、福島市と続く。冒頭で触れたように、意外(?)にも二本松市ではじめて道の駅が登場する。福島市に入る直前にある道の駅安達は上下線それぞれに設置されている。そこから、伊達市、桑折町と続き、国見町に入り、同町役場を過ぎたところで片側1車線になる。そこから県境までの約5㌔が片側1車線化。ただ、下り車線(仙台方面)は「ゆずりあい路線(登坂車線)」として、約4㌔が片側2車線になっている。最後は片側1車線になり、宮城県白石市に入る。  国見町には道の駅国見があるが、上り車線(福島・郡山方面)側で、反対からは少し入りにくい。 道の駅国見  〝始点〟からの走行距離は約111㌔、走破時間(途中、車を止めての写真撮影や休憩した時間などは除く)は約3時間だった。 福島県の国道4号の〝終点〟  前述・福島県渋滞対策連絡協議会では、本宮市の荒井(県道304号大橋五百川停車場線と交差)、本宮IC入口、二本松市の安達ヶ原入口(県道62号原町二本松線と交差)、油井(県道114号福島安達線と交差)、福島市の伏拝(市道と交差)、黒岩(市道と交差)、鳥谷野(国道115号と交差)、仲間町(国道114号と交差)、岩谷下(国道115号と交差)、鎌田(市道と交差)、北幹線東入口(県道387号飯坂保原線と交差)、伊達市の伊達(国道399号と交差)国見町の国見町役場入口(県道107号赤井畑国見線、県道320号五十沢国見線と交差)が「主要渋滞箇所」に指定されている。 県北の主要渋滞個所(国道4号のみ) 国見町の車線減少個所  本宮市から宮城県境までの区間は福島河川国道事務所の管轄。片側1車線区間は「伊達拡幅」として長年事業が進められている。事業がスタートしたのは、40年以上前の1981年度。最初に、伊達市(当時は伊達町)の伊達交差点から北側、桑折町上郡までの3・6㌔区間の片側2車線拡幅事業に着手した。拡幅が完了した個所から順次供用開始となり、1995年10月に同区間は開通となった。  1995年度には、桑折町上郡から国見町石母田までの5・5㌔が事業に加えられ、全体延長が9・1㌔になった。桑折町上郡から同町北半田までの2・2㌔は2011年12月までに開通し、そこから国見町役場前までの1・7㌔は2020年3月に開通した。残る1・6㌔は、今年度中の全線開通予定。  その先は、「国見地区付加車線整備事業」として2015年に事業着手している。前段で、下り車線(仙台方面)は「ゆずりあい路線(登坂車線)」として片側2車線になっているところがある、と書いたが、同事業はその延長。つまり、下り車線(仙台方面)に限り、県境付近まで「付加車線(ゆずりあい路線)」が設けられ、片側2車線化される。事業完了年度は示されていない。  上り車線(福島・郡山方面)は、いまのところ「(片側2車線の)事業計画はない」(福島河川国道事務所の担当者)とのこと。  県内の国道4号で片側1車線区間は約23㌔で全体の約20%。その大部分が県南地区に当たる。このうち、片側2車線化の計画がないのは、上り車線が約16㌔、下り車線が約11㌔ということになる。  長年、県内の政治・経済を見てきた人物はこう話す。  「かつては、天野光晴氏や亀岡高夫氏(いずれも故人)など、建設大臣経験者で、建設省に強い影響力を持つ国会議員がいたから、それほど強く頼まなくても整備が進んだ。いまはそれだけの影響力を持つ人がいないのだから、もっと強く要望しなければなかなか進まない。要は、県を始めたとした地元関係者のアプローチが足りないのだと思う。加えて、県選出国会議員も、あまり熱心ではないように感じる」  前段で、事業化には熱意とプレゼン力に優れた地元からの要望が欠かせないと書いたが、やはりそういうことなのだろう。  総じて言うと、この道路の連続走行は決して快適とは言えない。全線片側2車線化、渋滞対策など、まだまだ改善すべきところは多い。

  • 【示現寺】で「墓じまい」増加【喜多方市】

    【示現寺】で「墓じまい」増加【喜多方市】

     喜多方市熱塩加納町の古刹・示現寺で、寺から墓を引き払って「墓じまい」する檀家が増えている。人口減少・少子高齢化が理由とされているが、「高圧的な態度の住職への不満も一因となっている」と指摘する声もある。(志賀) 素行不良の“ブチ切れ”住職に不満続出  護法山示現寺は喜多方市熱塩加納町にある熱塩温泉の最奥部に位置する。もともとは平安時代初期に空海が建立した真言宗寺院で、永和元(1375)年、殺生石伝説で知られる禅僧・源扇心昭が曹洞宗寺院として再興した。境内には源扇和尚の墓もある。  戦国時代に会津領を治めた芦名氏などから寄進を受け、会津地方屈指の大きな寺となった。国指定重要文化財椿彫木彩漆笈のほか、中世・近世に記された貴重な文書(慈現寺文書)、源扇和尚にまつわる寺宝などが所蔵されている。境内の観音堂には千手観音立像が収められており、会津三十三観音五番札所にもなっている。熱塩温泉出身で、〝日本のナイチンゲール〟と呼ばれる瓜生岩子のの坐像などもある。  熱塩温泉は源扇和尚が示現寺を再興した際に発見したと伝えられており、明治・昭和初期は湯治場としてにぎわったという。元湯の権利はいまも示現寺が所有し、周辺の広大な山林の所有者にもなっているようだ。  会津地方を代表する名刹の一つであり、遠方からの観光客も訪れる。そういう意味では公益性が高い寺院と言えるが、近年は「離檀」する檀家が増えているようだ。ある総代によると、檀家数はかつて約170戸だったが現在は約150戸まで減ったという。  「この地区は人口減少・少子高齢化が深刻で、空き家が増えている。熱塩温泉の温泉街もいまは旅館が1軒(山形屋旅館)残るのみです。子どもが都市部で暮らしており、墓参りの際の負担の軽減などの理由で、檀家から離れて〝墓じまい〟する家が増えているのです」(ある総代)  同市熱塩加納町に限らず、会津地方では人口減少と少子高齢化により檀家・住職の後継者不足が深刻で、〝空き寺〟が増加している。一方で、寺院と関わる機会が少ない都市部では仏教自体への関心が衰え、葬式の際も葬祭ホールを使ったり、通夜・告別式を行わず火葬のみ行う〝直葬〟が増えている。要するに「仏教離れ」が進む中で、檀家減少が続いている、と。  もっとも、喜多方市内の寺院事情に詳しい事情通はこのように話す。  「表向きは人口減少・少子高齢化の影響と言われていますが、実際のところ、住職・斎藤威夫氏の言動に閉口して離れていく人も少なくないと聞いています」  複数の檀家の話を統合すると、斎藤氏は昭和28(1953)年生まれ。喜多方商業高校卒。大学の仏教学部を卒業したかどうかは不明。父親の智兼さんが住職を務めていたつながりで、示現寺の住職を務めるようになったという。  県私学・法人課が公表している宗教法人名簿によると、示現寺のほか、喜多方市内の能満寺(岩月町大都)、威徳寺(松山町鳥見山)、大用寺(上三宮町三谷)、常繁寺(熱塩加納町熱塩)、長徳寺(熱塩加納町米岡)、久山寺(同)、万勝寺(同)の代表役員を務めている。  前述の通り、示現寺の檀家数は約150戸とのことだが、その他の寺院は檀家が少なく、「主だったところを合わせても200~300戸ぐらいではないか」(斎藤氏が管理する寺院の檀家)。小規模の無住職寺院の管理を一手に引き受け、各寺院の檀家の葬儀・法事に1人で対応しているようだ。  「そうした事情もあってか葬儀・法事に来ても、檀家とろくに話もせず、すぐ帰ってしまうのです。試しに時間を計ったら、お経を読んで帰るまで、ちょうど10分でした。お経を読みながら時計をちらちら見て、弔辞が長いことに腹を立て帰ってしまったこともある。司会の女性に名前を間違えて紹介されただけで怒って帰ったとも聞いている。ああいう対応では故人も浮かばれないし、お布施を払って住職を支えようという気分にはなれません。普段は別の場所に住んでいるためか、示現寺の境内は手入れが行き届いていない状態で、『観光客が来るのに……』と心配している檀家も多いです」(同)  グーグルで示現寺の口コミを確認したところ、「風情がある」と評価する意見がある一方で、「朽ち果てそうで、手入れがされていないのかと思うお寺でした」とも書き込まれていた。寺院の内部はモノが散乱しているという話も聞かれる。  寺の運営は檀家が支払う護持会費や葬儀・法事の際のお布施で賄われている。そこから維持費や修繕費などを差し引き、残った分が住職の給料となる。運営が成り立つ檀家数の基準は300戸と言われているが、斎藤氏が住職を務める寺院は合計でギリギリ満たす程度とみられる。そのためか、斎藤氏は檀家に経営・金銭面の話をすることが多いようで、「お布施の中身を見て金額が少ないとばかり戻されることもあったようだ」、「カネの話ばかりでうんざりする」という声も聞かれた。それだけ寺院運営が厳しいのか、他にカネを必要とする事情があるのか。  なお示現寺では、本堂や庫裏の屋根のふき替え工事を行っているところで、それぞれ2000万円ずつかかるため、宗教法人と護持会で半額ずつ負担し、10年かけて支払うことになったという。檀家は護持会費の支払い以外に、年間2万円程度の寄付を求められている。 斎藤住職を直撃 示現寺  斎藤氏が住職を兼務する寺院のある檀家は「盆礼、年始、野菜、コメ……1年中何かを納めている。正直大変ですよ」とボヤいた。  「ここ数年は少し落ち着いたようだが、かつては飲食店街で派手に飲み歩き、外国人の女性の店を好んで利用していたことで知られていた。子どものときから変わった性格だった。この辺では〝王様〟なので、誰も何も言えません。あなたも取材に行ってあれこれ質問すると怒られちゃうと思うよ」(同)  斎藤氏が住職を務める寺院の護持会役員の男性はこう明かす。  「離檀する家にその理由を尋ねると、『つながりが希薄な菩提寺のために、お布施を払い続けるのが厳しくなってきた』という意見が多く、『そもそも話す機会が少なく、態度も良くない住職に金を払うのはちょっと……』という思いも聞いていた。さすがにこうした声は住職本人に伝えていません」  一部の総代から擁護する声もあったが、大半は不満の声だった。  寺院に関しては、その公益性の高さから境内や寺院建造物の固定資産税が免除され、宗教法人の収入も非課税とされている。その代表役員を務める住職としてふさわしいのか、檀家から厳しい視線が注がれている。  檀家のこうした声を斎藤氏はどう受け止めるのか。9月中旬、威徳寺の庫裏にいた斎藤氏に話を聞いた。    ×  ×  ×  ×  ――政経東北です。  「そういう文書関係はうち、出さなくていいよ。何、どういうことを聞きたいわけ?」  ――この辺の寺院で檀家が減っていると聞いて取材していました。  「極端に変化したわけではないが、都市部に家を移す人がいるので、少しずつ減ってはいる。ただ、ごそっと減ったわけではないね」  ――その要因は。  「少子高齢化と、(会津地方に多い)農業従事者の後継者がいなくなっていること。日本全体で産業構造が変わりつつあり、人口が都市部に集中している」  ――斎藤氏が住職を務める寺の檀家からは「お経を上げたらすぐ帰る」、「カネの話ばかりする」という住職への不満の声も聞きました。離檀の一因にもなっていると思うのですが、どう受け止めますか。  「いまの時代、檀家が住職についてこない。それに寺院は住職のものではなく、宗教法人のもの。古くなればお金を出し合って改修しないといけない。寄付を取られる、取られないという問題ではないんです。和尚は大変なんだよ。お布施も安い。郡山市は50万円とか70万円でやっているでしょう。この辺は15~20万円なんだから。こうした中身を知らないで喋って歩くのは良くないよ!」  ――檀家の皆さんから話を聞いたので、確認まで取材にお邪魔したということです。  「何もあんたが確認することないじゃないの! 檀家の人と喋ったってダメだって。信仰がないもの」  ――複数の寺の住職を兼務しているようですね。  「小さいお寺だと年間の護持会費3000円とかですよ。それでどうやってやってくんだよ。(檀家には)あんたみたいに偉そうに喋る人しかいないんだよ。ちょっとはへりくだって喋れよ! 知らない相手に対してはまずハイハイと話を聞くものであって、分かった風にして話を聞くのは失礼でしょう」  ――飲食店街でずいぶん飲み歩いていたという話も聞いたが。  「最近は出てないよ。だって、街に行かなきゃ人いないじゃないの。付き合いがないんだよ。無尽も2つやっていたが、1つはやめちゃった。……いや、こんな嫌な思いするなら喋りたくないです。ガセネタで歩いているわけだから」  ――実際に檀家さんから聞いた話を確認しているだけです。  「個人的に攻撃するような質問ばかりして、何が目的なんだよ。『周りがこう言っている』なんて恫喝するような話をするというのは失礼でしょう!」 近くの願成寺でもトラブル 願成寺の集団離檀騒動を報じた記事  ――檀家の皆さんからそういう話が出たのは事実です。  「皆さんってどの辺の皆さんだよ。それを言えないなら話にならない」  ――檀家の皆さんも直接住職には言いづらいのだと思います。  「そういう話だったら何も話したくないですね。帰ってください。警察に電話してもいいよ、いま」  ――通常の取材活動の一環なので、もし警察が来たらそれを説明するだけです。  「取材じゃなくて、個人的批判じゃないか! じゃあ、あんたは飲みに出ないんだな!?」  ――実際、ほとんど出てないですね。編集部の人間もそんなに飲み歩くことはないと思います。  「ああそうかよ……。あんた話し方下手だね。初対面の人にそんな失礼なことばっかり言ってたんじゃ仕事にならないんじゃないの?」  ――単刀直入に聞かないと分からないこともあるので。あらためて檀家数を確認したいのですが……。  「もういいです。そういうことなら帰ってください」    ×  ×  ×  ×  斎藤氏は記者の対応を問題視していたが、初対面の記者を「あんた」呼ばわりするなど、一貫して高圧的な対応だった。檀家への対応は推して知るべし。  飲食店街の話題を出したあたりからほぼ怒声になり、「飲みに出かけて何が悪いんだ」と繰り返し反論された。こちらとしては檀家から出た話を事実確認したまでだが、そのこと自体を批判されたと感じたようだ。それとも、何か後ろめたいことでもあるのだろうか。  斎藤氏は、檀家の減少は少子高齢化と農業従事者の後継者不足、信仰心の低下が原因と分析。一方の檀家からは、つながりが希薄な寺院のために金を払うことへの是非を問う声や斎藤氏個人への不満が聞かれた。主張がかみ合っていないのだから、相互に信頼関係を築けるはずがない。  喜多方市の寺院の離檀をめぐっては、2015年8月号で「喜多方・願成寺で集団離檀騒動」という記事を掲載した。  会津大仏こと国指定重要文化財「木造阿弥陀如来坐像及両脇侍坐像」で知られる古刹・叶山三宝院願成寺。この寺で2014年ごろ、檀家が一斉に抜ける騒動が起きた。  きっかけは、震災で損壊した本堂や山門などの修繕工事を行うため、同寺院が檀家に多額の寄付を要請したこと。戒名の種類に合わせて寄付金額が設定された。院・庵号(11文字)の場合、通常の護持費年1万8000円に加え、年間4万円×15年といった具合だ。  津田俊良住職(当時)は以前から住職としての資質を疑問視される言動が目立ち、一部の檀家の間で不満が溜まっていた。そこに高額な寄付要求が重なったため、集団離檀を招くことになった。  本誌取材に対し津田住職は「1年近くかけて地区ごとに説明会を開催しており、一方的に決めたわけではない。まともに対話しようとせずに離檀する方が一方的だ」と反論したが、檀家が津田住職個人への不満を募らせていたことには全く考えが及んでいない様子だった。今回の示現寺と同じ構図と言える。  逆に言えば、会津地方ではこうしたことが話題になるぐらい寺院が住民にとって身近な存在だとも言える。 檀家の声に耳を傾けるべき  本誌では、同記事以外にも、会津美里町・会津薬師寺の集団離檀騒動(2009年4月号)、伊達市霊山町・三乗院の本堂新築寄付騒動(2010年5月号)、福島市・宝勝寺「檀信徒会館」計画騒動(2015年6月号)、須賀川市・無量寺の屋根葺き替え工事トラブル(2022年10月号)など、過去何度も寺院をめぐるトラブルを取り上げている。  共通しているのは、①「一方的で説明不足」など住職に対し檀家が不信感を抱いている、②「本堂新築」、「平成の大修理」など檀家の寄付を要する大規模な事業を行おうとしている――という2点だ。要するに、「信頼できない住職のために、なぜ檀家が負担を強いられなければならないのか」ということに尽きる。  寺院にとって苦難の時代。そうした中で、斎藤氏が8つの寺院の住職を兼務し、時間的・財政的に苦しい中で奮闘していること自体は評価できるものだ。檀家にとってもありがたい存在だろう。しかし、だからといって「檀家が寺を支えるのは当然」と高圧的な対応を続け、コミュニケーションを怠るようでは、檀家も代替わりした機会などに離れていく。  例えば示現寺の手入れ・管理などは、檀家と手分けしてできることもあるはず。公益性の高い寺院の住職として、まずは自らの言動に不満の声が出ていることを真摯に受け止め、檀家の声に耳を傾ける時間を作る。それが信頼関係回復への近道ではないか。  それともこうした意見すらも「個人的攻撃」、「恫喝」と受け取られてしまうのだろうか。

  • テレビで異彩を放つ【いわき出身】のお笑い人材

    テレビで異彩を放つ【いわき出身】のお笑い人材

     近年、いわき市出身のお笑い芸人・関係者をテレビ番組で見かける機会が増えた。その活躍ぶりについて、お笑い・芸能関連の著作を多数出版しており、いわき市に暮らしていたこともある戸部田誠氏(ペンネーム=てれびのスキマ)に執筆してもらった。(文中敬称略) ライター 戸部田誠(てれびのスキマ) とべた・まこと 1978年生まれ。テレビっ子。「読売新聞」「福島民友」「日刊ゲンダイ」『週刊文春』『月刊テレビジョン』などで連載。主な著書に『タモリ学』『1989年のテレビっ子』『全部やれ。』『芸能界誕生』『史上最大の木曜日』など。  テレビにおける福島県のイメージは、ほとんどが会津や郡山など内陸部のものだった。福島に10年近く住んでいたというと大抵「冬は雪で大変でしょう?」と聞かれる。  それに対し、「いや、僕が住んでいたのはいわき市の海沿いで、そっちでは雪がほとんど降らないんですよ。なんなら東京よりも降らないくらい」と答えて驚かれるまでが1セットだ。  実際、福島の“訛り”も武器にしている有名人で思いつくのは、西田敏行や加藤茶、佐藤B作といった、いずれも内陸出身の人たちだ。 『水曜日のダウンタウン』に愛される【あかつ】 水曜日のダウンタウン』に愛されるあかつ(赤津部屋提供)  そんな中でここ数年、いわき訛り丸出しでテレビでよく見かける芸人がいる。いわきの市議会議員を父に持つ相撲芸人・あかつ(42)だ。  相撲とエクササイズを融合した「すもササイズ」のネタでプチブレイクしたが、多くのキャラ芸人同様、その人気が長く続くことはなかった。しかし、彼は土俵際で執念を見せ、今では『水曜日のダウンタウン』(TBS)に寵愛された芸人のひとりにまでなっている。  「国道1号線に落ちてる服を拾いながら歩いたら、名古屋くらいで全身揃う説」(2015年9月16日)を皮切りに、「大人が本気出せば影だけ踏んで帰れる説」(17年7月19日)、「大人が本気出せば本州最北端から雪だけ踏んで東京まで帰れる説」(18年4月18日)、「国道1号線に落ちてるポイ捨てタバコのフィルターを拾いながら歩いたら名古屋くらいでそばがら的なマクラ完成する説」(18年7月25日)、「花見のごみを集めて桜前線と共に北上すればそのごみで作った舟で津軽海峡渡れる説」(20年6月24日)、「この夏、セミの抜け殻を集めながら国道1号線沿いを歩いたら名古屋くらいで“セミダブルベッド”完成する説」(20年10月7日)、「花見のごみを集めて桜前線と共に北上すれば日本本土最北端へ着く頃にはそのリサイクル額で新たな桜植樹できる説」(特別編、23年5月20日)などと、長距離を歩く過酷な検証ロケが定番になっている。  この番組のいわゆる総集編は、ただVTRをつなげたものでなく、ひとつ何らかの企画が乗っかったものばかりだが、19年3月20日の総集編企画は「しあわせあかつ計画」。それを聞いて「好きやなぁ、あかつが」と浜田雅功が吹き出してしまうほど、愛されているのがわかる。松本人志も「なんかあかつに弱み握られてる?」と笑っていた。  あかつにとって『水曜日のダウンタウン』での挑戦は「失敗」の歴史だ。多くの説で立証することができず途中断念という結果に終わっている。  今年7月26日の「相撲 負ける方の決まり手なら自在にコントロール出来る説」でも、「決まり手ビンゴ」に挑戦し、なんとか達成したものの、「疑惑な部分もあったけどね」と浜田から“物言い”がついた。  にもかかわらず重用されるのは、挑戦中、口汚く悪態をつきながらも、いわき訛りがどこか愛らしさを醸し出しているからかもしれない。 いち早く“売れた”【ゴー☆ジャス】 ゴー☆ジャス(サンミュージックプロダクション提供)  いわき市出身の芸人で近年いち早く“売れた”のは、「君のハートに、レボ☆リューション」を決めゼリフに、地球儀片手にダジャレネタを繰り出すゴー☆ジャス(44)だ。  磐城高等学校出身の彼は、代々木アニメーション学院声優タレントコースを経てお笑い芸人の道へと進んだ。そして09年頃、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)などの出演がきっかけとなりブレイク。さらに様々なゲームアプリを紹介するYouTubeチャンネルをいち早く立ち上げ、多くの登録者を獲得していった。 【アルコ&ピース平子祐希】ラジオで熱烈支持を獲得 アルコ&ピース平子祐希(太田プロダクション提供)  それに続いたのは、アルコ&ピース平子祐希(44)。ちなみに平子とゴー☆ジャスは実は下積み時代から、先輩芸人モダンタイムスを慕い、その“一門”として苦楽を共にした仲だ。  平子は勿来工業高等学校出身で日本映画学校に進学し、芸人の道に入った。「セクシーチョコレート」というコンビで活動した後、酒井健太とアルコ&ピースを結成。『THE MANZAI』(フジテレビ)の認定漫才師となり12年には決勝に進出し3位に輝いた。  翌年、『アルコ&ピースのオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)のレギュラー放送が開始され、リスナーを巻き込みながら展開していく即興性の高い放送で熱烈な支持を獲得していく。さらには、『爆笑キャラパレード』(フジテレビ)などで扮した意識高い系IT社長・瀬良明正のキャラや愛妻家キャラなどで世間的な知名度も上げていった。いまでは、バラエティ番組の第一線で活躍している。 番組制作・出演の両面で活躍する【佐久間宣行】 番組制作・出演の両面で活躍する佐久間宣行(佐久間宣行事務所提供)  テレビの中で異彩を放ついわき市のお笑い人材たち。そんな3人を「いわき市お笑い三銃士」と冗談めかして呼び、ガハハハッと豪快に笑うのがテレビプロデューサーの佐久間宣行(47、ゴー☆ジャスと同じ磐城高校出身)だ。  いまもっとも勢いのあるいわき市出身の人物のひとりだろう。平子に言わせれば、3人に佐久間を加え「お笑い四天王(笑)」ということになる。  元々は、福島にはネット局がないテレビ東京の社員だったため、福島県民にとっては馴染みが薄いかも知れない。前述の平子とともに21年から始まった福島ローカルの番組『サクマ&ピース』(福島中央テレビ)に出演しているから、それで知った方もいるだろう。  佐久間はテレビ東京で現在も続く『ゴッドタン』や『あちこちオードリー』をはじめとする数多くの人気お笑い番組を制作。それと並行してテレビ東京社員でありながら、ニッポン放送で『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のパーソナリティを務めるようになった。  そして21年3月31日付で同社を円満退社すると、これまでのテレ東レギュラー番組もそのまま継続しつつ、他局にも活躍の場を広げ、Netflixでも『トークサバイバー!』や『LIGHTHOUSE』といった番組も立ち上げた。  加えて、自身のYouTubeチャンネル「佐久間宣行のNOBROCK TV」も登録者数が100万人を超えている。さらに前述の通り『サクマ&ピース』など演者としても活躍。NHKのゴールデンタイムでの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の特番や、フジテレビの港浩一社長肝いりで始まった『オールナイトフジコ』のMCも務めている。  佐久間が知名度を飛躍的に上げるきっかけとなった『オールナイトニッポン』パーソナリティ抜擢には、実は同郷の平子が大きな役割を果たしている。  元々はラジオ局に入ることを目指していたほどラジオ好きな佐久間は、Twitterなどで『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』リスナーでもあることを公言していた。そこに目をつけたハガキ職人たちが番組で佐久間イジりを開始。  それが最高潮に達した14年10月17日、ついに佐久間は、それまで仕事上ではほとんど接点がなかったにもかかわらず、“乱入”という形でゲスト出演を果たす。  これが好評だったことを受けて15年8月29日、『佐久間宣行のオールナイトニッポンR』という単発特番の形で、ラジオパーソナリティになりたいという夢を叶えたのだ。  エンディングでは「ホントに人生ってわからないですよね。だって、普通に福島県いわき市の田舎の学生が、夢だなあと思って聴いていたラジオ。ニッポン放送を落ちたわけですよ、就職活動で。なのにバラエティのディレクターやって15年後、オールナイトニッポン2部のパーソナリティをやっているんだから」と語った。  しかし、夢はそこで終わらない。  リスナーの強い支持と秋元康らの後押しで番組は 19年4月3日から『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』としてレギュラー化したのだ。 「近くて遠い」憧れの東京 https://www.youtube.com/watch?v=RP7yT7INjAc&t=1089s 「佐久間宣行のNOBROCK TV」【下ネタ我慢】どぶろっくが本気ネタ8連発!下ネタで笑いたくない二瓶有加 & 松本優は我慢できるのか…?  佐久間自身のエンディングの言葉にあるように、中学生の頃からラジオを聴き始めた。そこにはいわき市という土地が大きく関与することになる。海沿いの街のため、東京のキー局の電波をギリギリ受信することができたのだ。  最初に聴いたのは、ニッポン放送の『三宅裕司のヤングパラダイス』だった。その流れで『オールナイトニッポン』も聴き始め、とんねるず、伊集院光、川村かおり(当時)、そして電気グルーヴの放送に夢中になった。自然とそこで流れるナゴム系の音楽も聴くようになり、サブカルにどっぷりと浸かった。  それはテレビからもそうだった。やはり海沿いのいわき市の一部は、関東圏のテレビを観ることができる地域がある。佐久間の家もそうだった。当時はフジテレビの深夜番組全盛期。『冗談画報』や『夢で逢えたら』を始めとする番組を観て新しいカルチャーを吸収していく。しかし、テレビやラジオは見聞きできても、学生にとって東京は遠い。  「当時はネットなんてないし、いわき市に届くものはほとんど何もない。必死にちょっとずつかき集める感じだったので東京のおじいちゃんに伝えて送ってもらったり、お金をためて東京へ行ってまとめ買いをしたり、単館の映画を観に行ったり。中高生の頃はいつも思ってましたよ。ああ、東京に住んでいればなあって。東京にいれば第三舞台(鴻上尚史主宰の劇団) も、東京サンシャインボーイズ(三谷幸喜主宰の劇団)も観られるのにって。第三舞台はギリギリ観ることができたけど、サンシャインボーイズは1回も観られないまま休止してしまったんです」(『GINZA』 21年6月号)  学校にもそういったカルチャーの話ができる友達はほとんどいなかった。何しろ学校内でも関東圏の放送を見ることができる家と見られない家が混在するのがいわき市の複雑なところ。共通言語がどメジャーなものしかなかった。  「僕らの学生時代は、三谷幸喜さんがテレビドラマを書き始めたくらいの時期だったんだけど、そういう話をすると『調子乗ってんじゃねえよ』ってなってた(笑)。ダウンタウンの話はできるけど、電気グルーヴや伊集院(光)さんの話はできない」(「CINRA」21年6月23日)  しかも、当時の小名浜はヤンキー文化が色濃かった。アニメ好きでもあった佐久間は『アニメージュ』をエロ本のようにコソコソ隠れて読んでいた。「二重人格」に近かったという。情報だけは入ってくるが、誰とも共有できない。近くて遠い存在の東京のカルチャーへの憧れがいわき市という少し特殊な街で醸成されていったのだ。 お笑い人材が育つ風土 https://www.youtube.com/watch?v=ITpfvyrWS4Y&t=3s ふたば未来学園で佐久間宣行さん・日向坂46 齊藤京子さんらが特別授業!【福島県】 (2023年8月8日)  「だから自分の作風もそうだと思うけど、東京に長年いても『東京者じゃないな』っていう感覚がずーっとあったから、純粋に都会のポップカルチャーに憧れてる目線はいまだになくならない。だから斜に構えた感じでポップカルチャーを見ることがあんまりないですよね。テレビ業界のど真ん中でテレビに染まってるって思えたことが一度もなくて」(同)  この感覚こそが、独特な立ち位置を可能にし、逆に大きな支持を集める理由に違いない。つまりは佐久間こそ「いわき市」という土地が生んだスターなのだ。  その佐久間は福島県のふたば未来学園で開催された「サマースクール」に講師として呼ばれ、中高生たちを相手にワークショップを行っている。19年に一度行き、23年に再び訪れた。  今回は「100人規模のホールで、『人気者になる方法』というテーマで、日向坂46の齊藤京子さんとやってもらいたい」というオファーだったという。  前回のように40~50人規模なら一人ひとりに振ることもできるが100人規模だと難しい。思案した佐久間は、事前にアンケートを実施し、そこから1人ずつ呼んでラジオ形式で発表していくという方法を思いつく。  100人を前にしてトークショーをやると「1対100」になるが、ラジオ形式ならたとえみんなの前で喋っても「1対1」のように感じることができる。それなら生徒たちの心の負担は軽いだろうと考えたからだ。果たして、この目論見は当たり大成功に終わった。  なぜ、佐久間がこの形式を考えだしたかというと、佐久間は福島の中高生の特性がよくわかっていたからだ。それはシャイさ。それも「人数が増えれば増えるほど周りの目を気にしてシャイになる」というものだ。逆に「人数が少ない方が元気になる」(『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』23年8月9日)。ラジオ形式はまさにその特性を活かしたものだった。  翻ってみると、あかつ、ゴー☆ジャス、平子もまた、バラエティの主流であるひな壇のような場では力を発揮できにくく、逆に少人数の場では爆発的に魅力が溢れ出すタイプだ。いわき市の風土が、テレビなどで異彩を放つ独特なお笑い人材を生んだのだ。

  • 【福島市】「王道ラーメンと変わり種ラーメン」【髙橋わな美】

    【福島市】王道ラーメンと変わり種ラーメン【髙橋わな美】

     食欲を満たすだけでなく、日々進化しその多様性を楽しませてくれる国民食「ラーメン」。「擬人化キャラクター企画」という一風変わった視点でラーメン店を探求するイラストレーター髙橋わな美氏は、美味い店には店主の背景や経歴が重要な要素として影響していると語る。髙橋氏が推薦する福島市の人気店を取り上げ、各店の王道メニューと異色メニュー、そしてそれらの起源にまつわる店舗のストーリーについて紹介してもらった。 髙橋わな美 福島県伊達市出身のフリーランスイラストレーター。イラストの他にもロゴマークなどラーメン店のデザインを幅広く手掛ける。 〝ラーメン店擬人化〟プロジェクト福島ラーメン組っ!【髙橋わな美】が紹介する  福島県のラーメンと言えば喜多方・白河のご当地ラーメンの2枚看板が有名だが、実は県庁所在地である福島市もラーメン消費量が全国でも指折りの都市である事はご存知だろうか。総務省の家計調査による、全国県庁所在地「中華そばの支出額ランキング」では毎回指折りの順位に位置しており、2022年には全国ランキング6位を獲得している。  そのような大変ラーメン熱の高い都市なので、市内には老舗から新興店まで、多種多様の店舗とラーメンが存在する。その多様性に光を当て、ラーメン店の個性を「擬人化キャラクターデザイン」というアプローチで発信し続けているのが「福島ラーメン組っ!」である。運営代表でありイラストレーターの髙橋わな美氏は、震災後の風評被害の逆境にも負けず逞しく運営するラーメン店の姿に感銘を受け、2013年にこのプロジェクトを立ち上げた。  キャラクターデザインの際は必ず実店舗に足を運び、綿密な取材を重ねる。デザインには各ラーメンの特徴はもちろん、店主のポリシーやお客様の傾向、また店舗の立地やご当地要素にもアイデアが及ぶ。これらの要素が可愛らしいビジュアルやストーリーとして投影され、生み出されたキャラクター達がSNSや全国のアニメ系イベント、コミックマーケットなどを中心に広まり、福島のラーメン店のPRに一役買っている。現在協力店舗は福島県内だけにとどまらず宮城・関東、台湾にも及び約60店舗にも達している。  髙橋氏は実食の経験をもとにキャラクターデザインを行うためラーメンに対しても造詣が深く、大手ラーメン専門誌「ラーメンWalker福島」(KADOKAWA)では全国から選ばれたラーメン精通者「エリア百麺人」の福島県担当を務め、毎年コラボ企画や解説を手掛けている。  そんな髙橋氏だが、ラーメンの味と魅力は店舗により千差万別、それには店主のポリシーや経歴、開店の経緯など、それらストーリーがラーメンの味にも深く投影されており、そしてそれを理解した上で味わうのが楽しみだと語る。  今回は、髙橋氏が推薦する個性豊かな福島市のラーメン店に焦点を当て、それぞれの店の背後にあるストーリー、そしてそこから展開されている各店のラーメンを万人におすすめできる王道メニュー、そして裏テーマとして変わり種の珍しいメニューという2つのテーマで構成し、紹介いただいた。 二階堂 二階堂「如月まどか」。鉢巻や匕首を装備した対魔師。 日本料理出身店主の二面性が光る  新旧の店が多く点在するラーメン激戦区の福島市の矢野目・笹谷エリアにて、王道の支那そばをメインに提供し連日人気を博しているのが「二階堂」だ。しょうゆ・塩・味噌など味が勢揃いの支那そばの他、季節に合わせたつけ麺・坦々麺など限定麺も提供、手の込んだ盛り付けのチャーシュー丼などサイドメニューも光る一店である。平日から多くの客が集うが、丁寧な接客やオペレーションで快適に食事を楽しむことができるのも魅力的な一店だ。  そんな二階堂の店主だが、前職ではなんと日本料理で腕をふるっていた。しかしある時「ラーメン」の世界を知る。料理のアイデアや腕前に多くの人が集い列をなす、とても純粋で熱狂的な世界。それに衝撃を受け、一念発起して転向したという経歴を持つ。  メインメニューの「支那そば(しょうゆ)」は、一口すすれば淡麗ながら出汁の分厚く複雑な味わいがガツンと舌を突く。その旨味たっぷりのスープを低加水の細縮れ麺がよく吸い、口に運んでくれる。和食出身ならではの経験を活かし、丁寧にじっくりと作り込まれた絶妙なバランスが感じられる一品だ。また、初めて食べる方に店からもオススメしているのがトッピングの煮玉子。こちらは柔らかな黄身にしっかりと旨味が通っており、奥深い滋味を楽しめる。 二階堂〝支那そば(しょうゆ+煮玉子)〟  さらに同店の変わり種メニューとしておすすめしたいのが「赤そば」。こちらは店舗自家製のラー油を使用し、その名の通り真っ赤なスープが特徴で、タップリのひき肉と共に激しい辛さを楽しむ。「支那そば」とはまさに対極のラーメンだ。しかし辛さと共に、深い旨味を感じられるギリギリの調整で、こちらも店主の料理技術の高さを実感できるだろう。こちらのトッピングには「豚バラ軟骨」をオススメしたい。丼を覆う巨大なバラ肉はトロトロに煮込まれた濃厚な味わいで、その奥にある軟骨は独特の食感が楽める。 二階堂〝赤そば+豚バラ軟骨〟  「当店は何事も〝まじめ〟がモットー。しかしラーメンの世界に転向したからこそできる事、ラーメンでお客様を楽しませたり驚かせる、そんなメニューも作ってみたかった」と語る店主。2023年には開店21周年を迎えたが、日々のブラッシュアップやお客様を楽しませる展開にも余念がない。ますます多くの人に愛され、福島市の名店として活躍している。 フユツキユキト フユツキユキト「クロエ・フユツキ」。戦争とウイルスが蔓延る異世界からきた。 コロナの逆境を乗り越えて  こちらは2022年開店の新店。「麺や うから家から」の店内を夜の部時間限定で間借りで営業するというとても珍しいスタイルで営業している。店主は「冬月雪兎」のハンドルネームでSNSにて数多くのラーメン店を紹介し、その経験から自分の店を開く夢を持つようになった。しかしコロナ禍で新規出店が難しい状況で、ベテラン「うから家から」から、営業終了後の夜の部での営業の提案を受けた。「うから家から」としても、冬月氏の夢の応援、またコロナ禍で苦しむ夜の街の活性化の思いもあったそうだ。そのような経緯で「フユツキユキト」は開店、福島では目新しい都会的なラーメンや、アヴァンギャルドな限定麺も定期的に提供、ラーメン通はもちろん若者や夜の飲み客の間でも話題となり、すぐに人気店の仲間入りを果たした。  メインメニュー「ショウユ」は力強い醤油の味わいが特徴で、特製麺「麦の香」の歯ごたえも際立つ逸品。また特筆すべきは掃湯(サオタン)という中華の技法で作り出された豚清湯スープだ。豚のゲンコツと背ガラを強火で短時間で炊き上げるもので、これが抜群のコクと旨味を提供する。 フユツキユキト〝ショウユ〟  この「掃湯」は県内のラーメン店でも珍しい手法である。理想の味作りを求める中、間借り営業という特殊な条件下で短時間で仕込みを行う必要があり、偶然にもこの方法にたどり着いたと言う。店主の逆境から成功を得る才能が素晴らしい。  一方変わり種として紹介したいのが「シン・ショウユ」。オレンジ色のスープが高インパクトで、スパイシーな香りを放つ創作メニューだ。スープは濃厚で、カレーに似つつも異なる不思議な風味である。店主によれば、スープには東南アジア系の香辛料のほか、和の醤油、そしてトマトペーストを使用したイタリア風の味わいも組み合わさっているとの事で、食べれば納得、「エキゾチック」と一言で言い表わせない唯一無二の複雑な魅力に溢れている。多くのラーメンを食べ歩いてきた店主ならではの大変ユニークな一品である。 フユツキユキト〝シン・ショウユ〟 麺や うから家から 麺やうから家から「金谷川涼子」。元暴走族の養護教諭。 素材本来の旨味を探求しつづける  次に「麺や うから家から」についてご紹介したい。この店はラーメン作りにおいて「完全無添加」に徹底的にこだわる。いわゆる「うまみ調味料」を使用しないだけでなく、丼に入る全てのもの、例えばスープのタレに使用する醤油などに至るまで、原料から見定めた天然素材にこだわるのだ。そのようなとてもストイックな製法に至ったのは店主の波乱の経歴に瑞を発する。  店主は以前居酒屋を経営しており、そこで料理の傍提供していたラーメンがきっかけで専門店に転向した。店の開店当初は無添加にこだわる意識は特になかったが、ある日脳梗塞にて倒れるという出来事が起こる。闘病からの回復後、店の再開後はお客様にも健康に配慮したラーメンを提供したいという思いを抱くようになった。その頃とある東京の有名店との出会いから完全無添加のラーメン作りを知る。それに理想を見出した店主は、病気の影響で不自由が残った体を引きずりつつも素材一つ一つを探求し続け、自分の目指した完全無添加のラーメンを作り上げた。精巧に作り込まれたラーメンはそのコンセプトと共に多くの人に受け入れられた。  メインメニューの「しょうゆらーめん」は鶏と魚介の香り立つ一品。麺は3種もの国産小麦から作られた特注麺を手揉みしたもので、小麦の芳醇な香りと弾力がたまらない。分厚いチャーシューは低温調理仕立てで柔らかく、ジューシーで極上の味わいだ。スープに使うカエシを構成しているのは無添加由来の生きた「菌」であり、すなわち生物なので必ずしもコンディションが一定しない。そこを一杯一杯調整するのが難しくも、面白さでもあるという。 麺やうから家から〝しょうゆ(生姜)らーめん〟  一方変わり種として紹介したいのは、「特もやしらーめん」。ニンニクと大盛りヤサイが載ったガッツリメニュー、いわゆる「二郎系」だ。こういったラーメンの「うまみ調味料」由来の中毒性は魅力の一つだが、変わり種として特筆したい点はこちらも店の信念に漏れず完全無添加のラーメンである事だ。キレのある醤油タレとパワフルな麺、また一杯一杯丁寧に茹で上げた野菜はジャキジャキとした食感。科学調味料に頼らずとも、素材本来の旨味を目一杯に楽しめる非常に満足度の高い一杯となっている。野菜マシにも対応。ガッツリ好きにも応える、お店の懐の広さに魅了される一品だ。 麺やうから家から〝特もやしらーめん〟 らぁめん たけや たけや「竹子舞」。月から来た伝説の不良。尺八が趣味。 店を人々の思い出と出会いの場へ  最後にご紹介するのは「らぁめんたけや」。訪れればまずは小さながらも古めかしい外観、生活感に溢れた戦後の古民家のような内装に驚かされるだろう。店主はリーゼントで髪型を固め、一見ストイックな店に感じるが、地域福祉を大切にする非常にハートフルな側面があり、店の経営の傍、同志と共に福島振興のNPO法人を立ち上げるなど多彩な活動を行っている。  店主の高校時代の話に遡る。ラーメン一杯を200円で楽しめた時代、地元の老舗ラーメン店に通い、店主がそこで仲間と作った思い出がその後のルーツとなる。時が経ち、道に迷いつつもラーメンの道を志した店主だがその中で東日本大震災が発生する。当時店主は他県におり、その地で強烈な福島差別に直面したという。福島からきた家族や土産品まで激しく非難され、忌避された。心から悲しみ、そして憤慨した。「故郷を守り抜く」。この時店主は地元に戻り自分のラーメン店を開くことを固く決意した。  選んだ物件は相当な年代物だが、人が集うイメージを強烈に感じたという。店名は「竹の根のように地に広く根差す」という希望と、自分の名前から一部とり「たけや」。自分がかつて高校時代に通っていた老舗のような、福島の人々の思い出作りや出会いの場を目指し、徹底的な店づくりを行った。   高品質なラーメンと、アットホームな接客が評判になり、たけやは瞬く間に人気店となった。開店から10年が経ちさまざまな人との出会いを紡ぐうち、今は怒りも笑い話に変わったという店主。店づくりの思いは店を飛び越え、地域振興の思いとなった。幼稚園や老人ホームでラーメンを振る舞うチャリティー、地元食材を利用したコラボ商品の開発など、ラーメンを生かした様々な活動を行っている。  たけやの看板メニューはその名もストレートに「らぁめん」。6~7時間じっくり出汁を取ったスープは透明で爽やかな味わいで、鶏のコクがしっかり感じられる。丼を覆い尽くすチャーシューは食べごたえはもちろん、柔らかな口当たりに驚かされる。こちらは学生にはワンコインで提供しており、店主の学生時代の思いの投影を感じられる。 らぁめんたけや〝らぁめん〟  そして変わり種として紹介したいのが一日限定10食の「特製ちゃあしゅうらぁめん」だ。増量され丼からはみ出したチャーシューは食べ応えだけでなく、スープにどっしりとした肉の旨味を加味する。麺が見えないほどびっしりと敷き詰められたネギ・小ネギは、店名の由来でもある竹林をイメージしているとの事。また驚くべきは、これら野菜は店が独自に開墾した地元の農場で自家栽培されたものを使用されているそうだ。店主の尽きない引き出しにつくづく感服である。 らぁめんたけや〝特製ちゃあしゅうらぁめん〟 月刊「政経東北」編集部 髙橋氏の運営する福島ラーメン組っ!の公式HPには今回紹介した4店舗の他にもさまざまなラーメン店がキャラクターと共に紹介されている。ラーメンの味を楽しむだけでなく、その店のルーツを探ることで、味の独自性をさらに楽しむことができるのではないだろうか。現在は多くの店主がSNSなどで自身のルーツについて発信しており、そこから貴重な情報を得ることができる。一歩踏み込んだラーメン体験を通じ、新たな楽しみを見つけてみてはいかがだろうか。 https://twitter.com/wa_nami

  • 77歳教師【相楽新之助さん】「これからも教壇に立ち続けたい」

    77歳教師【相楽新之助さん】「これからも教壇に立ち続けたい」

     教員不足が全国的に深刻になっており、教員免許を持つ教員OBが教育現場に戻るケースが増えている。福島市内でも70歳を超えても教壇に立ち続ける男性がいる。 小中学校の教員不足率は0・35%  教育委員会が定める教員の配当数を満たせない学校が増えつつある。文部科学省が実施した調査によると、2021年度の始業式時点での小中学校の教員不足率は0・35%。全国で2065人不足している。別の調査では、今年度開始時点で「教員不足の状況が1年前より悪化した」と回答した都道府県・政令指定都市教育教員会は43%に上った。  背景には団塊世代の教員が大量退職したことに加え、特別支援学級増加への対応、産休・育休取得者の増加、臨時的任用教員のなり手が減少していることなどが挙げられる。教員の多忙かつ長時間の労働環境が一般的に知られるようになり、教員を目指す人が減っている事情もある。  昨年9月5日付の福島民報によると、県教委調査の結果、県内の学校(小・中・高・特別支援学校)約130校で約140人の教員が不足していた。本県の場合、前述した事情に加え、少人数教育、震災・原発事故からの復興推進に取り組むための「加配」で定数が増え、欠員が膨らんでいることも影響している。  県教委では2~3年以内の定年退職者を中心に職場復帰を呼び掛けており、教員免許を持っている人にもさまざまなルートをたどって声がかけられている。そうした中、60代、70代になっても教壇に立つ教員が増えているが、パソコン対応や体力面の問題もあって簡単ではないという話が新聞などで報じられている。  「私の場合、目の前の生徒のためになっていると実感できれば、年齢を忘れてのめりこんでしまうので、年齢を感じることはないですね」  こう話すのは、70歳を超えた後も現役教員として教壇に立ち続けてきた相楽新之助さんだ。 再任用で中学校教員に  1946(昭和21)年5月16日生まれの77歳。福島高、福島大経済学部卒。川俣高、福島北高、矢吹高、安達高、福島東高、福島商業高で英語教員として教鞭をとり、定年退職後も再任用されて3年間勤めた。  その後は、福島東稜高で指導を継続。その一方で飯舘村教委から声がかかり、学力向上を目指した村学力向上アドバイザーに就任。仮設校舎(当時)で授業と若手教師へのアドバイスを担当した。  それらがひと段落すると、今度は取得していた中学校教諭の免許を生かし、福島市の平野中、福島三中、西信中、北信中で教員を務めた。  「小学校中学年では『外国語活動』として楽しく英語に触れるが、高学年から教科として『外国語』が始まると急に文法などが出てきて難易度が高まり、授業についていけなくなりがち。その結果、中学校に入る頃には英語嫌いになるケースが少なくないのです。そのため、英字新聞を活用するなど、教科書にとらわれない英語関連の話題を出して、興味を持ってもらうように心がけてきました」  もともとは商業科の教員だった相楽さん。転機となったのは、福大生時代に献血制度制定を呼び掛ける運動に携わったことだった。その運動内容について、県の赤十字大会でスピーチしたところ、世界中の若者が集う国際会議に日本代表として出席することになった。片言の英語で意思疎通を図る中で、各国の代表らは世界平和や自国の将来を真剣に考えていることを知った。  刺激的な体験をして居ても立っても居られなくなった。すでに大学を卒業し、川俣高の教員になっていたが、英語の教員免許を取って子どもたちに教えたいと考えた。同校に在職しながら福島大経済学部の専攻科や教育学部に通い直し、必要な条件を満たし、英語の高等学校教諭1級(当時)の免許を手にした。その後、生徒への指導のために数学、社会の免許も取得したという。  これまでの教員生活で印象に残っているエピソードを語ってもらったら止まらなくなった。  安達高で女子生徒3人から「米国に留学したい」と相談され、準備を手伝ってそれぞれ別の公立高校に送り出した。  英語教員向けに国が実施する「中央研修」に参加後、出版社から声がかかって英和辞典の編集に携わり、英語検定試験の面接官を務めた。  福島商業高の国際経済科(当時)の生徒に東京商工会議所が主催した英語の会計の検定試験を指導して受験させたところ、14人が合格した。  人とのつながりから刑務所でボランティア指導を行うようになった。  その行動力もさることながら、記憶力の良さに圧倒されるばかり。 自由度が低い教育現場  いま教育現場にいて感じることを尋ねると、「自由度が低くなっている」ことだという。  「授業に集中したいのに、やることが多すぎてがんじがらめで、教材研究をやったりする余裕は全くありません。高校に勤めていたときとは大きく異なると感じました」  どんな授業をやるのか、事前に「指導案」の提出を求められる。学力向上会議や生徒指導委員会といった各種会議も入り、県から降ってくる仕事もある。  相楽さんによると、教育現場では、1年間の目標を立て年度末に校長・教頭が4段階(S・A・B・C)で評価する「目標管理制度」が導入されている。時間が足りず学級運営に手が回らなくなり、学級崩壊などを引き起こした教員の評価は低くなるとみられる。評価が低いと次年度の給料にも影響するという。  こうした中で、自由な発想で指導を行う教員が減っている、と。  「新学習指導要領で求められている『指導と評価の一体化』(子どもへの評価を学習改善や指導改善にうまくつなげる取り組み)への対応も教員を悩ませる一因となっている。仕事がひと段落して帰宅できるのは19時過ぎ。朝は7時ごろから出勤しているので12時間勤務です。こうした現状を見直さないと、教員志望者も増えないのではないでしょうか」  県教委では「教職員多忙化解消アクションプランⅡ」を策定し、業務改善、部活動・校務の見直しなどに取り組んでいるが、現場の実感としてはまだまだ厳しいということになる。こうした声を受け、さらなる抜本的改革に取り組む必要があろう。  教育関係者は「70代の教員がデジタル技術を用いた授業を行ったり、最新受験テクニックを教えることができるのか。生徒も保護者も不安を抱くだろう」と疑問を呈するが、相楽さんは意に介さずこう話す。  「どの生徒も知りたいという欲求を持っていて、うまく〝鉱脈〟に突き当たると、目を輝かせて話を聞き始める。まだまだ教壇に立ち続けたい。現在は臨時的任用教員として登録しているわけではありませんが、今度、福島市に公立の夜間中学校ができると聞いているので、機会があればそちらでもぜひ指導してみたいと考えています」  教育への情熱はまだまだ消えることがなさそうだ。

  • 【JESCO】中間貯蔵を担う風通しの悪い国策会社

    【JESCO】中間貯蔵を担う風通しの悪い国策会社

     東京電力福島第一原発事故で生じた放射性物質を含んだ除染土を最終処分するまでの間、保管を担う国策会社「中間貯蔵・環境安全事業株式会社」(JESCO・本社東京)に上司から暴言を吐かれたと訴える職員がいる。上司は「怠慢を指導」とし、職員は「パワハラを受けた」と互いの主張は平行線。寄せ集めの組織ゆえ、職員同士の連携が並大抵でない実態が浮かび上がってきた。 「怠慢を指導」か「パワハラ」かでいがみ合い 除染廃棄物の運搬状況を監視するJESCOの輸送統括ルーム(いわき市)=2020年2月撮影  8月24日、東京電力福島第一原発で発生した汚染水を浄化処理した水の海洋放出が始まった。「水」に注目が集まる一方、事故で発生した放射性物質を含む「土」の保管を担う中間貯蔵・環境安全事業株式会社(JESCO)の中間貯蔵管理センター福島事務所(福島市)に勤務する60代の男性職員は、所長を務める男性から投げ掛けられたという暴言をこう振り返った。  「2022年1月に環境省から委託された建物の解体工事の設計変更を担当しました。同27日に設計書の納期が迫っているのにまだ終わらないのかと上司から言われました。『やる気あんのか!』『ふざけんじゃねえぞ!』などの暴言を吐かれました」  男性職員は、大学の工学部を卒業後、民間企業、復興庁を経て2017年にJESCOに入社した。民間企業に勤めていた時は建築現場で働き、一級建築士の免許を取った。  ここでJESCOの組織に触れておかねばならない。特徴は、中途採用や出向者が多く、職歴がさまざまな人物が集まる大所帯(従業員559人=今年3月末現在)ということだ。それが、職員間の軋轢を生みやすい土壌につながっている可能性がある。  JESCOは、中間貯蔵・環境安全事業株式会社法に基づき政府全額出資で2004年に設立された特殊法人。当初の事業はポリ塩化ビフェニール(PCB)廃棄物の処理で、16年に終える計画だった。ところが14年に計画を延長した上、原発事故で発生した除染土の収集や運搬、中間貯蔵、調査研究、技術開発の事業も追加された(東京新聞2017年4月24日付より)。  代表取締役社長は環境省で事務次官(2019年7月~20年7月)を務めた鎌形浩史氏。資本金は382億円(2023年2月末現在)。  前出の東京新聞の記事は、JESCOが中央省庁から再就職者や現役出向者を19人受け入れ、そのうち監督官庁の環境省出身者が17人で約9割を占めていたと報じた。「環境省職員だからといってPCB処理や中間貯蔵のプロというわけではない。OBや出向者を20人近くも在籍させる必要があるのか疑問だ」という元経済産業省官僚古賀茂明氏の指摘を紹介している。  除染で集めた汚染土壌を保管するのは不可欠な仕事だ。環境省所管の国策会社のため、JESCOは代々トップに同省事務次官経験者を据え、取締役と監査には元官僚と民間企業の役員が付いている。天下り先と言われる所以だ。  前出の男性職員によると、福島市の事務所では県職員が退職後に所長になり、実務は東電や土木建設会社からの出向者・転職者が主導し、現地採用の任期付き職員や派遣社員が従っているという。  JESCOの業務はPCBの処理と、除染土を最終処分するまで管理することなので、新たな業務を抱え込まない限り事業は将来縮小する。言わば「尻拭い」の組織。実務者には、生え抜きの職員を多く採用して一から育てるよりも、即戦力の人物を民間から集め、その他は臨時職員で人員調整する方が都合が良い。  男性職員に暴言を吐いたとされる所長は、県が発表する「退職県職員の再就職状況」によると、2017年度に水・大気環境課長を退職し、JESCOの福島事務所に再就職したと記載されている。  本誌は所長に、男性職員が訴える昨年1月27日の暴言について確認した。  「ハラスメントを受けたという申告はありましたが『苦情』と処理しています。『やるべきことをやらない人に厳しく指導をした』との認識です。男性職員には工事設計の締め切りを前から知らせていたのに、必要な作業をする素振りが見られませんでした。本人に確認すると『期限は明日までと思っていました』と答えました」  さらに、  「彼は『設計部門をできる』と虚偽を言って採用されたのではないでしょうか。周りがカバーしなければならず、他の職員から批判が出ました。所長の手前、必要な指導をしたと認識しています」  所長によると、納期が迫る中、工事の設計結果を急いで提出するよう指導したが、その時に「激しい言葉遣いになった」との認識のようだ。  男性職員が反論する。  「期限は同2月上旬で、まだ時間はあり、私は計画的に進めていました。正しい期限は議事録で回し、所長もチェックを入れ確認していたはずです。前職では解体工事の設計を担当したことがあります。経験に従って自分の中では順調に進んでいると思っていましたが、突然『間に合わないのではないか』と詰められ、そこで環境省委託の設計書では見積もり方法が異なっていることを知りました。想定していた期限よりも前に、徹夜で仕上げるようにと罵倒を交え叱責されました」  男性職員は、所長とのトラブルに至る前段に、発注者である環境省内で職員同士の折り合いが悪く、同省からJESCOへの指示が一本化されていなかった点、以前に環境省の仕事を請負い辛酸を舐めた民間業者から「今度の担当者は最後に仕事を押し付けてくる人物なので気を付けろ」と助言され、実際にその通りだった点を挙げ、工事の流れの川上に立つ環境省職員の問題も指摘した。 所長と同じフロアに  男性職員によると、暴言を吐かれたことを受け、福島労働基準監督署に相談して本社の人事部と面談し、別の仕事の担当になったという。ところが、その職場は所長と同じフロアで、「罵声を浴びせられるのでないかとビクビクし、顔を合わせることに苦痛を感じる」と話す。  一方、所長はと言うと「ここまで『苦情』を申し立てる職員はレアケース。やることをやらず、権利だけ主張するのはおかしいと思います」。  本誌は5月号に「福島国際研究教育機構職員が2日で『出勤断念』 霞が関官僚の〝高圧的態度〟に憤慨」という記事を掲載した。現地採用の職員が官庁の出向者から馬鹿にされたと思い、「この上司とは信頼関係を築ける気がしない」と2日で出勤を諦めた内容。寄せ集めの職場では、信頼関係を築くのが並大抵ではないことが分かる。  男性職員と所長の話を聞くと、JESCO福島事務所の職場は風通しが悪そうだ。JESCOは国策事業を担い、多額の公金が投入されているので、職場問題が業務に支障を及ぼさないか国民は不安を覚えるだろう。仲良くしろとは言わないが、準公務員であることを自覚し「呉越同舟」で職務に励んでほしい。 ※JESCO本社に事実関係を確認すると、男性職員の申し出は「ハラスメントの相談として受け付け、詳細については個人が特定される情報なので、回答を控えさせていただきますが、社内規程および厚労省の指針に則り、ヒアリング調査など必要な対応をとりました」とのこと。「会社としては、ハラスメントの防止に引き続き力を入れて取り組んでいく所存です」とした。 https://www.youtube.com/watch?v=CTJF_pbybQo&t=275s 【福島】【原発】【中間貯蔵施設】① 輸送統括ルーム(2020年.2.20)

  • 岐路に立つ真夏の相馬野馬追

    岐路に立つ真夏の相馬野馬追

     相馬地方の伝統行事で国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の日程変更が現実味を帯びてきた。今年も例年通り7月最終土・日・月曜日(29・30・31日)に行われたが、連日の暑さで多くの観客、騎馬武者が熱中症の疑いで搬送され、馬2頭が死ぬ事態となった。もはや涼しい時期に日程が変わるのは避けられない情勢だが、変更の「障壁」とされる文化庁の許可がすぐに得られるのかという指摘もある。 歴史的根拠に乏しい「5月開催」方針 勇壮な神旗争奪戦(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2013年撮影)  行事を取り仕切る「相馬野馬追執行委員会」の門馬和夫委員長(南相馬市長)が、8月7日に開かれた市の定例会見で発表した数字は衝撃的だった。  7月29、30、31日に開かれた今年の相馬野馬追。その実績は、出場騎馬数361騎(前年比24騎増)。観覧者数は、3日間の総入込数12万1400人(同1万8000人増)。30日の本祭りに限ると、雲雀ケ原祭場地に2万8000人(同8000人増)、騎馬武者行列の沿道に3万8000人(同3000人増)が訪れ、いずれもコロナ禍だった昨年より増えていた。  一方、同じく前年より増えたのが救護件数である。  救護所対応件数(鹿島・小高を含む)は95件(前年比57件増)。内訳は、熱中症および熱中症前兆が83件(同62件増)、打撲、外傷などが12件(同6件減)。このほか救急搬送も13件(同12件増)に上り、うち11件は熱中症によるものだった。  当日がどれくらいの暑さだったかは、データを示せば一目瞭然だ。以下は気象庁の観測所がある相馬市の気象データ。  29日  最高気温34・1度  最低気温24・0度  30日  最高気温35・2度  最低気温24・6度  31日  最高気温34・9度  最低気温26・0度  3日間とも猛暑日(35度以上)と言っていい暑さ。そうした中を騎馬武者は重い甲冑をまとい、馬を操っていたわけだから、体感温度は軽く40度を超えていたに違いない。  出場10回未満の騎馬武者は「今年は今まで経験した中で一番きつかった。とにかく尋常じゃない暑さで、周りの人たちも口を揃えて辛いと言っていました」。  これに対し、ベテランの騎馬武者は「昔から出ていると『野馬追は暑いもの』という考えがあるから、何とも思わない」と平然と言うが、多くの騎馬武者があまりの暑さに音を上げたのは事実だろう。  ベテランの騎馬武者がむしろ心配していたのは観客の体調だ。  「甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる雲雀ケ原祭場地は日差しを遮る場所がないから、観客はかなりきつかったと思う。その場でじっと見ているのは厳しかったんじゃないか」 もちろん、執行委員会でも暑さ対策は行っていた。例えば南北2カ所に涼み所としてテントを張り、ミスト扇風機を置いたり、行列観覧席の後ろにテントを設置したり、南北2カ所の救護所にも大型扇風機と冷風機を設置したが、熱中症の救護件数が前年比で62件増えたことからも十分な対策とは言えなかったようだ。  暑さの影響が及んだのは人だけではない。馬も2頭死んだ。門馬市長が8月7日の定例会見で明かしたところによると、熱中症で倒れた1頭が安楽死となり、もう1頭は原因不明で死んだが、暑さが原因なのは疑いようがない。  騎馬救護所での馬の診療件数も112件(前年比41件増)に上り、うち111件が日射病。出場騎馬数は361騎だったので、約3分の1の馬が救護を受けたことになる。  「私の馬は大丈夫だったが、とにかく水を飲ませ、体にかけてやることはずっと意識していた。今年はやらなかったけど、過去には予防措置として点滴をしたこともある。馬の様子を見極めるには、ある程度の経験が必要なので、経験の少ない騎馬武者ほど馬を日射病にしてしまったのではないか」(前出・ベテランの騎馬武者)  とはいえ、馬はもともと暑さに弱い。そうした中で、重い甲冑をまとった人間を背中に乗せて走れば、馬体に相当な負担がかかることは容易に想像できる。  地元紙は記事中で触れただけだったが、全国紙は「馬2頭が死ぬ」と見出しでも大きく取り上げたため、ネット上では「真夏の野馬追は、いくら伝統行事とはいえ動物虐待」「息遣いや発汗を見れば、馬の異変に気付くはず」「死んだのが人間ではなく馬でよかった、ということにはならない」といった厳しい書き込みが散見された。 三重県の伝統行事に勧告  こうした事態に、執行委員会は8月8日、ホームページ上で「馬の救護事案に係る対応について」という発表を行った。  《相馬野馬追執行委員会では、熱中症(日射病と表記したものも含みます)により、人馬とも例年を大きく上回る要救護事案が発生したことを重く受け止めております。  特に亡くなられた2頭の馬に対し御冥福をお祈りするとともに、馬と共に継承してきた伝統行事の主催者としての責任を以て、今後の対応を速やかに整えてまいります》  今年は例年以上に暑くなることが予想されていたため、執行委員会では馬への熱中症対策として①騎馬武者行列の前に散水車2台を使って打ち水を実施、②騎馬救護所に給水車とホースを設置、③山頂に給水用のホース(シャワー)を設置、④馬殿に補給用として大型バケツ5個を設置するなどしていた。  「ただ、馬が死んだのは今回が初めてじゃない。単にここ数年は死んでいなかっただけ」(前出・ベテランの騎馬武者)  それが今回、ここまでクローズアップされたのは▽今年の野馬追開催前に、近年の異常気象を受け、日程を変えてはどうかという話が浮上していた、▽騎馬会を対象に行ったアンケートでも、馬の命と健康を心配する意見が挙がっていた、▽昔は馬が死んでも深刻に受け止める気配が薄かったが、令和の時代になり「動物福祉」が重んじられるようになった、▽今までは馬が死んでも報じなかったマスコミが、今回は大きく報じたことで世間の関心を集めた――等々が影響したとみられる。  市では昨年12月、五郷騎馬会(旧相馬藩領の当時の行政区である五つの郷=宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷=の各騎馬会)を対象にアンケートを行ったが、回答の自由記述欄を見ると、馬の命と健康についてこんな意見が寄せられていた。  「暑さにより愛馬が辛い思いをしている。10歳を超え体力も心配になり、今回の野馬追も点滴をしながら頑張ってもらった。かわいそうになり、来年夏も暑いようなら出場しない方向で考えていた」(20代男性)  「乗馬クラブは野馬追で馬を貸すと暑さで10~20日休養させることになるので貸すのを渋っている」(70代男性)  騎馬武者たちは自分で飼育している馬に乗るか、乗馬クラブや知人などから馬を借りている。しかし、熱中症で救護を受けたり、死ぬかもしれないリスクがある状況では、来年以降、愛馬を出場させるのをためらったり、貸すのを拒む乗馬クラブが増える可能性もある。それでなくても、もともと乗馬クラブからは「乗り方が粗っぽく、野馬追から帰ってくると馬がかなり疲弊している」という不満が漏れていた。  他地域では、こんな出来事も起きている。  《三重県桑名市の多度大社で毎年5月に行われる伝統行事「上げ馬神事」が動物虐待に当たると批判されている問題で、県教育委員会は(8月)17日、県文化財保護条例に基づき多度大社に勧告を出した》(共同通信8月17日配信)  報道によると、上げ馬神事は南北朝時代から続く三重県の無形民俗文化財で、馬が坂の上に設置された高さ約2㍍の土壁を越えた回数で農作物の豊凶などを占う。これまでに複数の馬が骨折し、最近十数年で計4頭が安楽死となっていた。勧告は2011年以来二度目だという。  「伝統行事と馬」という関係性は野馬追と同じだ。上げ馬神事のように高い土壁を越えさせるような危険な行為はなくても「動物虐待」を持ち出されれば、伝統を大切にしながら馬をいたわる方向に祭りが変わっていくのは避けられそうもない。 旧暦「五月中の申」  感情論ばかりを振りかざすのではなく、冷静にデータも押さえておきたい。別掲の図は2012年から今年までの人と馬の救護件数と本祭り(2日目)の最高気温を示したものだ。20、21年は新型コロナの影響で神事のみが行われたため、救護件数はゼロだった。  それを見ると気温が30度以下の2013、16、17、18年は救護件数が少ないが、30度以上の12、14、15、19年は救護件数が多い。猛暑日だった今年はとりわけ件数が多かったことも分かる。また、17年までは人の救護件数が多い傾向にあったが、18年以降は人より馬の救護件数が上回っている。  気温が高ければ、人も馬も救護件数が増えていることがはっきり見て取れる。今後、地球温暖化で異常気象がさらに進めば、救護件数はますます増えていくだろう。  本誌6月号「相馬野馬追『日程変更』の障壁」という記事で報じたように、野馬追は日程変更の議論が本格化しようとしていた。きっかけは近年の猛暑に対し、今年2月に開かれた執行委員会の会合で立谷秀清副執行委員長(相馬市長)から「涼しい時期に開催可能か検討すべき」という提言が出されたことだった。これを受け、門馬委員長が「検討委員会をつくって方向性を決めたい」と応じ、出席委員から承認された。  こうして設立が決まった「相馬野馬追日程変更検討会」では当初、日程変更は「早くても2025年度から」という方針を示していた。執行委員会による事前協議で、文化庁など関係各所との協議・調整に最低2年は必要という判断から、2年後の2025年度からの変更が現実的とされた。しかし今回の事態を受け、8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合では「来年から5月下旬~6月初旬にする」という方針に改められた。 8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合  なぜ5月下旬~6月初旬かというと、前述・五郷騎馬会を対象に行ったアンケートで「何月が最適な開催日程と思うか」という問いに5月と答えた人が最も多く、6月も3番目に多かったためとみられる。  季節的には涼しさもあり、梅雨入り前なので、騎馬武者にも観客にも馬にも喜ばれる時期には違いない。しかし、ちょうどいい季節という理由だけで簡単に日程を変えられるわけではない。  野馬追は文化財保護法に基づき、昭和53年(1978)に国指定重要無形民俗文化財に指定されたが、これが日程変更の大きな障壁になるのだという。2011年に現在の日程に変わった際、その協議に参加した南相馬市の関係者によると、  「日程変更は文化庁が許可しなければ実現しないし、簡単には許可してくれない。2011年の日程変更では執行委員会などで協議して(現在の7月最終土・日・月曜日に)決めた後、県教委も交えてさらに協議した。その内容を同庁に上げ、同庁内の調査・手続きを経てようやく決まったのです」  正式決定には、かなりの時間と労力を要したことが分かる。  自らも騎馬武者として参加し、市議会定例会で野馬追に関する質問を続けてきた岡﨑義典議員(3期)もこのように話す。  「文化庁との協議に最低2年かかると言っていたのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程を変えると言い出すのは違和感がある。5月下旬から6月初旬に変えることがさも決定したかのような報じ方も奇妙に感じます。心情的には日程変更は理解できます。しかし、日程変更検討会で5月下旬から6月初旬に変えると決めたとしても『文化財の価値』を判断基準とする文化庁がそれを認めるのか。騎馬会や各神社がどう判断するかも気がかり。その確証がないのに、来年には日程が変わると言い切ってしまうのはいかがなものか」  そもそも中村藩主相馬家の武家行事として執行されていた野馬追は、江戸時代から旧暦「五月中の申」の日に行われてきた。現代の暦に直すと6月下旬から7月上旬になる。  《旧暦五月中の申とは、旧暦五月の2回目の申の日を指し、藩主相馬家では、この日を中心に3日間の野馬追行事を執行する習わしであった。旧暦五月は「午の月」ともいい、猿(申)が馬(午)の守り神とされることに加え、中の申の日が妙見の縁日だったことから、この日が選ばれたという》(『原町市史 第2巻』の「通史編Ⅱ『近代・現代』」より)  こうした歴史を踏まえると、文化庁が暑さを理由に日程変更を認めるかどうかは確かに不透明だ。  加えて岡﨑議員が厳しく指摘するのは、この間、執行委員会が本気になって日程変更を考えてこなかったことだ。  「暑さで人が亡くなるかもしれないリスクはこれまでもあった。それなのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程が変わるというんだから、今まではそういうリスクがあっても執行委員会は真剣に受け止めてこなかったのではないか」(同) 来年からの日程変更は一見すると日程変更検討会の英断にも映るが、見方を変えると、問題が起こらないと本腰を入れない役所の姿勢を表しているわけ。 文化財としての価値 騎馬の列が市街地に繰り出す「お行列」(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2015年撮影)  5月下旬から6月初旬への変更が既成事実化する中、文化庁との協議をどのように進めていくのか、執行委員会事務局に聞いてみた。  「日程変更には文化庁のほか、相馬野馬追保存会の中の専門委員会、県文化財課との協議が必要になる。来年5月下旬から6月初旬という日程は日程変更検討会で決定され、背景には人と馬の命には変えられないという判断があるが、同時に野馬追の文化財としての価値を引き継ぐことが大前提になる。そこを軽視して日程が変わることはありません」  8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合には本誌をはじめ多くのマスコミが取材に駆け付けたが、冒頭、門馬市長がメンバーに「マスコミの方にはこの場にいてもらっていいか、出てもらうか」と問いかけると、立谷市長が低い声で「出てもらってください」と言い、協議は非公開で行われた経緯がある。公開しても何ら不都合なことはないと思うのだが、過程をオープンにせず、密室で決める役所の姿勢はこんなところにも表れている。  暑さを理由に日程を変える必要性は誰もが認めているが、同時に、文化財としての価値をどう担保するのか。日程変更検討会には、文化庁をはじめ騎馬会、各神社など関係者が納得する結論を、スピード感を持って出すことが求められる。 ※日程変更検討会の第2回会合は8月27日に開かれ、来年から「5月最終土、日、月曜日」に変更することを決めた。今後、文化庁に上申し、了解が得られれば正式決定する。 あわせて読みたい 相馬野馬追「日程変更」の障壁

  • あなたは聖光学院野球部を「外人部隊」と嘆きますか?

     第105回全国高校野球選手権記念大会(通称=夏の甲子園)2回戦で聖光学院と仙台育英が激突した。早すぎる東北の「隣県対決」を惜しむ声の中、熱戦は9回2死、松尾学武選手(3年)が空振り三振を喫し、福島県代表として挑んだ聖光学院の夏は終わった。  スコアは2―8。宮城県代表の仙台育英ナインの健闘を称え、夢の続きを託した聖光学院ナインだが、すぐには現実を受け止め切れなかった。ぼう然としたまま、試合後の習性として甲子園球場のアルプススタンドに向かって走り出した。  昨夏も同じ仙台育英に準決勝で屈した。その年、隣県のライバル校は頂点まで駆け上がり、深紅の優勝旗を104回の歴史を誇る大会史上初めて、白河の関を陸路で越えて持ち帰った。伊達市にある聖光学院の野球部グラウンドから東北新幹線がよく見える。ナインはもの凄いスピードで素通りしていったグリーンの車体を「次こそは……」の思いを秘め、眺めていたかもしれない。  悔しさを忘れない。1年間歯を食いしばって鍛え直し、夏の王者・仙台育英と全力で戦い、昨年以上に善戦したが、またも跳ね返された。  アルプス席の前で、聖光学院ナインは横一線に整列して頭を下げた。そして顔を上げた瞬間、声を枯らして応援してくれた控え部員、支えてくれた学校関係者、成長を見守って来てくれた家族の姿を薄暮の中に見た。そして、彼らの感情が堰を切ってあふれ出た。  「最後は笑って終わろうと思っていましたが、スタンドに行った時に涙が出てしまいました」  そう言って号泣し、その涙を泥だらけのユニホームで拭った三好元気選手(3年)は神奈川県出身。聖光学院のユニホームに憧れて門を叩き、2年連続夏の甲子園で福島県代表として戦った。  三好選手だけではない。親元を離れ、追い求めた日本一の目標には届かなかったが、涙の量は努力の量だ。スタンドに並ぶ親しい人たちの顔を見て流した大粒の涙は、今は気づかないかもしれないが、長い人生の中では金色の優勝メダルよりも確かな価値がある。彼らが2年半、福島の地を踏みしめて本気で野球に向き合い、成し遂げたものへの美しい対価だった。  聖光学院の野球部を「外人部隊」と呼ぶ人がいる。100人を超える部員の中から今大会、ユニホームを着てベンチ入りを許されたメンバーは、わずか20人。うち、福島県出身は6人だった。数字だけを見れば、文字通り県外から来た人を意味する「外人」ばかりと揶揄することも、あながち見当違いではないかもしれない。 続きは福島県内の書店で「月刊『政経東北』10月号」をご購入いただくか、Amazonで注文して是非読んでください! 見出し 彼らを「外人」にしているのは誰か 覚悟を持って福島の地を踏みに来る 福島スポーツ界の競技力向上に貢献 彼らは地域の宝で、福島の未来 【政経東北】販売店一覧 Amazonで購入する スポーツライター 羽鳥恵輔◇ はとり・けいすけ  1968年、福島県生まれ。プロ野球、高校野球、Jリーグ、高校サッカー、ボクシングなど広範囲に渡って取材を続ける。東北楽天ゴールデンイーグルスのファン。

  • 違和感が渦巻く【会津大学】学長辞任

    違和感が渦巻く【会津大学】学長辞任

     公立大学法人会津大学(会津若松市)の宮崎敏明理事長兼学長(66)が7月31日付で辞任した。背景には「論文不正」と「学内手続き軽視」という二つの問題があったが、意外にも学内には宮崎氏を擁護する空気が漂う。「宮崎氏は策略にはめられたのではないか」とのウワサまで囁かれる辞任劇を追った。 (佐藤仁) 「論文不正」「学内手続き軽視」のもう一つの事実 トップ不在に陥った会津大学 会津大学 コンピュータ理工学に特化した県立の4年制大学として1993年4月に開学。2006年4月に公立大学法人に移行。学生数は学部1073人、博士前期課程196人、博士後期課程68人。教職員数はコンピュータ理工学部112人、大学院コンピュータ理工学研究科81人(昨年10月現在)。  宮崎氏は新潟県出身。電気通信大学大学院修士課程修了、東京工業大学で博士号取得。日本電信電話公社(現NTT)の研究員などを務め、2005年に会津大学理工学部教授に転身した。専門は通信ネットワーク学で、先端情報科学研究センター長などを経て20年4月に理事長兼学長に就任。任期(4年)は来年3月までだった。  宮崎氏が辞表を提出したのは、学内組織の理事長選考会議から辞任を求められたことがきっかけだった。背景には、宮崎氏が起こした「論文不正」と「学内手続き軽視」という二つの問題があった。  同大学の公式発表や早川真也総務予算課長の説明などをもとに、二つの問題を解説する。  昨年3月、宮崎氏から「自己盗用の疑いがある論文が12報ある」との自己申告があり、学内に調査委員会が設置された。「自己盗用」とは自分が書いた論文の中の一文、データ、表、図と同じものを出典を明らかにせずに他の論文に再利用する行為。同じ一文、データ、表、図を再利用することは出版社や読者に新しい発見があったと誤解させてしまうため、研究の公正性と倫理性を保つ観点から、以前に書いた論文から引用したことが分かるように出典を明らかにする必要があるという。  調査委員会では自己申告があった以外の論文にも自己盗用がないか調べるため、宮崎氏が教授に就いた2005年までさかのぼり計54報の論文を調査した(自己申告があった12報のうち5報は同大学着任前の論文だったため調査から除外。残り7報は54報に含まれている)。  調査は昨年5月から今年2月まで行われ、その結果、自己盗用3報、二重投稿5報、計8報の不正が見つかった。  「二重投稿」とは先行論文と比較して、内容や結論に新規性が見られない論文を学会や出版社などに投稿する行為。今風に言うと「コピペした論文を投稿した」と説明すれば分かり易いかもしれない。研究活動において、二重投稿は自己盗用より悪質とされる。  「ただ宮崎氏からは、自己盗用については認める一方、二重投稿については『そうではない』として不服申し立てがあった」(早川課長)  不服申し立てを受け、調査委員会は今年3月から4月にかけて再調査を実施。その結果、5報あると結論付けた二重投稿のうちの1報は自己盗用に当たると認定を変更。残り4報は二重投稿に当たるとして、宮崎氏の申し立てを却下した。  調査委員会が、自己盗用が4報、二重投稿が4報あったと正式に結論付けたことを受け、同大学は5月31日、宮崎氏に対し二重投稿の論文を取り下げ、自己盗用の論文を訂正するよう勧告した。  これと同時並行で発覚したのが、もう一つの問題である「学内手続き軽視」だった。  宮崎氏は大学院の組織・定員変更や学部定員の増員を前提とする内容で、今年5月23日に国に補助事業申請を行った。しかし、同大学では定款で「重要事項は役員会、経営審議会、教育研究審議会の議決を得なければならない」と定めているのに、宮崎氏は3組織の議決を得ずに手続きを進めていた。  同大学事務局は宮崎氏に「適切な手順を踏んでほしい」と再三要請したが「(3組織の)議決を得る案件ではない」と聞き入れられなかった。しかし、同大学の設立団体である県から「定款に定める学内手続きを踏んだのか」との指摘を受け、補助事業申請は6月8日に取り下げられた。  小林孝県私学・法人課長はこのように話す。  「県は同大学の設立者であると同時に、運営費交付金の交付や職員の派遣など運営にもかかわっている。その立場から今回の国への補助事業申請を確認したところ、定款に定める学内手続きを踏んでいないようだったので、事実関係を問い合わせた結果、同大学が申請を取り下げた、と。取り下げは県が強制したのではなく、同大学が自主的に判断した」  小林課長によると、同大学は取り下げ後、申請のやり直しを行っていないという。  一連の経過は同大学監査室から監事(小池達哉弁護士、伊藤真大公認会計士)に伝えられた。監事は6月28日、同大学にコンプライアンスの徹底と健全な大学運営を図ることを求める意見を述べた。  具体的に何を述べたのか、小池弁護士に問い合わせたところ「コメントは差し控えたい」とのことだったが、前出・早川課長によると、宮崎氏ら役員に対し、監事から口頭による厳重注意があったという。  同大学は、宮崎氏に絡む問題が立て続けに起きたことを深刻に受け止め、7月5、10日に学内組織の理事長選考会議を開き、理事長の解任に相当する職務上の義務違反に該当するかどうかを審議した。  その結果、「解任に相当する義務違反には該当しない」とされたが、個人および法人代表としての責任は免れないとして、同会議は7月11日、宮崎氏に対し速やかに辞任するよう勧告した。  「同会議は、解任には当たらないかもしれないが、そういう人物がトップを続けていては学内外、特に学生や高校生に示しがつかないと判断したようです」(前出・早川課長)  宮崎氏は1週間後に辞表を提出。同大学は7月27日に会見を開き、二つの問題を理由に宮崎氏が同31日付で辞任することを明らかにした。宮崎氏は兼任していた同大学短期大学部の学長も辞任した。  宮崎氏の任期は来年3月までだったが、途中降板により趙強福副理事長兼副学長が8月1日付で理事長兼学長代行に就いた。早川課長によると、新理事長兼学長が任命されるまでには3、4カ月かかるという。 不注意が招いた「不正」 辞任した宮崎敏明氏  以上が辞任に至る経緯だが、宮崎氏とはどんな人物だったのか。市内の経済人はその人柄をこう評す。  「民間出身のせいか学者然としておらず、感性の鋭い人だった。市政への率直な感想を述べたり、ICTビル『スマートシティAiCT』と会津大学の関係性に鋭く言及することもあった。正直、同大学と地元の連携は十分とは言い難いので、宮崎氏には大いに期待していました」  学内から漏れ伝わる評判も「いい人だった」「大変世話になった」と概ね良好だ。そんな人物が、なぜ問題を起こしてしまったのか。  「論文不正と言うが『不正』と言い切っていいかは疑問が残る」  と話すのは同大学関係者A氏だ。  「文部科学省のガイドラインを見ると『自己盗用』という単語は出てこない。『二重投稿』もこれをしたら違反という明確な規定はない。にもかかわらず宮崎氏は、いわばガイドラインにはない違反を犯したと認定され、辞任に追い込まれた」(同)  A氏が言うガイドラインとは、2014年8月に当時の下村博文文部科学大臣のもとで決定された「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」を指す。  それを見ると、対象とする不正行為として「捏造」「改ざん」「盗用」が挙げられているが「自己盗用」という単語は確かに出てこない。  さらに「二重投稿」については次のように書かれている。  《科学への信頼を致命的に傷つける「捏造、改ざん及び盗用」とは異なるものの、論文及び学術誌の原著性を損ない、論文の著作権の帰属に関する問題や研究実績の不当な水増しにもつながり得る研究者倫理に反する行為として、多くの学協会や学術誌の投稿規程等において禁止されている。このような状況を踏まえ、具体的にどのような行為が二重投稿(中略)に当たるのかについては、科学コミュニティにおいて、各研究分野において不正行為が疑われた事例や国際的な動向等を踏まえて、学協会の倫理規程や行動規範、学術誌の投稿規程等で明確にし、当該行為が発覚した場合の対応方針を示していくことが強く望まれる》  要するに「これをしたら違反」という明確な規定はなく、学協会や学術誌の独自ルールに対応を委ねているのが実情なのだ。  文科省が公表している「研究活動における不正事案」の件数(2018~22年度)を調べても、捏造、改ざん、盗用に比べて自己盗用と二重投稿は少ない(別表参照)。不正と言えるかどうか判断がつきにくいケースがあるものとみられる。 研究活動における主な不正事案の発生件数 捏造改ざん盗用不適切なオーサーシップ二重投稿自己盗用2018年度1261202019年度3360402020年度2362002021年度5563122022年度973421※1.文部科学省の公表資料より筆者作成。※2.「オーサーシップ」とは論文の著者、共著者、実験や分析にかかわった人を記載することを指す。※3.1人で複数の不正をしているケースもあるため、不正をした「人数」ではなく、発生した不正の「件数」を集計した。  《大学によると、引用がどこまで許容されるか明確なルールはないという。教員の一人も「何を自己盗用とするかの基準は時代とともに変わる。10年前はより緩やかだった。過去の論文を今の基準で不正とされるのは正直釈然としない」》《大学は(中略)今後、二重投稿や自己盗用に関する具体的な規定を設ける》(福島民報7月28日付)  宮崎氏を処分した同大学でさえ、具体的な規定は存在していなかったのである。  とはいえ、宮崎氏を擁護する人の中にも「自己盗用も二重投稿も、研究者としてきちんと注意を払っていれば普通は起こり得ない」と、宮崎氏が基本的な注意義務を怠ったことを残念がる声がある。  前述・調査委員会でも論文不正の発生要因をこう指摘している。  《宮崎教授は2006年の文部科学省の研究不正防止ガイドライン制定、2014年の同ガイドライン改正等、研究不正に関する考え方の変遷に注意を払わず、それぞれの論文投稿時にその都度確認すべき投稿規程等の確認を怠り、「二重投稿」、「自己盗用」となる論文を投稿し》《故意性は認められないが、研究者としてわきまえるべき研究倫理の基本的な注意義務が欠如していた》(今年7月に公表された宮崎氏の不正行為調査結果より)  しかし、このように結論付けられても学内で宮崎氏を厳しく批判する声があまり聞かれない遠因には、理事長兼学長就任時に起きた不可解な出来事がある。 告発メールの真の狙い  宮崎氏が理事長兼学長に就いた2020年4月、教職員や大学院生らに「宮崎氏の論文2報に自己盗用、二重投稿、指導学生論文からの盗用がある」という匿名の告発メールが一斉に送られてきた。同年6月と7月にも、別の論文2報に不正があるという匿名の告発がSNSに投稿された。告発は科学技術振興機構と日本学術振興会にも寄せられた。  当時、その告発メールを見たという教職員は  「英文と和訳文の2種類が同時に送られてきたが、和訳文が不自然だったので『告発者は外国人教授ではないか』との憶測が流れたことを覚えている。ただ、日本人がわざと不自然に和訳した可能性もあり、外国人教授説は推測の域を出ません」  と振り返るが、最初に告発メールが送られてきたのが、宮崎氏の理事長兼学長としての任期が始まった4月1日だったため「宮崎氏に何らかの不満を持つ人の仕業ではないか」との見方が大勢だったという。  「そのころ学内には、ある研究施設が期待された役割を果たせず、本来有意義に使われるべき学内の資金がその研究施設の穴埋めに使われているのではないかと不満に思う教職員がいたというのです。しかし、研究施設ができたのは宮崎氏が理事長兼学長に就く前で、責任を問われる筋合いはなかった」(前出・A氏)  つまり告発メールは、その研究施設の稼働状況に不満を持った教職員が「責任は宮崎氏にある」と捉え、失脚させるために送り付けたのではないかというのだ。  告発人の真の狙いは定かではないが、事態を重く見た同大学は2021年2月、調査委員会を設置し、告発のあった4報の論文について同12月まで調査を行った。その結果、全てに自己盗用があったと認定。宮崎氏は22年3月、報酬1カ月分の20%を自主返納すると発表した。  前述の通り、宮崎氏が辞任した理由の一つは「8報の不正」だが、これ以外に4報、計12報の不正があったことになる。  不正の度合いで言うと、捏造、改ざん、盗用は「クロ」で、二重投稿と自己盗用は「グレー」という表現が当てはまるのかもしれない。それを踏まえると、いくら宮崎氏を擁護する人が多かったとしても、研究者として「グレーな行為」を繰り返してしまったことは、同大学の調査委員会が「故意性は認められない」と結論付けているとはいえ深く反省しなければなるまい。一方、告発メールについても、宮崎氏の失脚を狙ったものではなく、純粋に正義感に駆られたことが理由だったかもしれないが、送信のタイミングを考えると素直に評価しづらく、何らかの意図を感じてしまうことを指摘したい。 トップダウンへの賛否  論文不正を擁護する声があるように、学内手続き軽視をめぐっても実はこんな声がある。  「会津大学はスピード感を重視したトップダウン型の運営が持ち味だが、初代の國井利泰学長以外にそれを実践した人はいなかった。そうした中で、宮崎氏は國井氏のやり方を見習い、トップダウンを実践しながら大学改革を推し進めようとしていたのです」(同大学関係者B氏)  つまり、理事長選考会議は学内手続きを軽視したとするが、宮崎氏にとってはトップダウンの一環に過ぎなかった可能性があるのだ。  事実、この件に関する役員のコメントは歯切れの悪さが目立つ。例えば宮崎氏の辞任が発表された会見で前出・趙副理事長は「(学内の)全ての委員会は理事長の諮問機関。副理事長も基本的には理事長のアシストで反対する立場ではない。プロセスには違和感を覚えたが、最後は理事長をサポートする立場だ」(河北新報8月9日付より)と語っていたが、阿部俊彦理事兼事務局長は「(組織的な)責任はある」(同)と補足。同じ役員でも、趙副理事長はトップダウンを容認し、阿部理事は容認していない印象を受ける。 会津大学の役員(今年8月1日現在) 役職氏名所掌事務理事長―――副理事長(副学長及びコンピュータ理工学研究科長兼務)趙  強福研究担当理事(事務局長兼務)阿部 俊彦総務・財務担当理事(コンピュータ理工学部長兼務)ベン・アブダラ・アブデラゼク教育・学務担当理事岩瀬 次郎管理・渉外担当理事(短期大学部長兼務)鈴木 秀子短期大学部担当  前出・同大学総務予算課の早川課長は、宮崎氏に辞任を求めた理事長選考会議でこんなやりとりがあったと明かす。  「宮崎氏は、今回の補助事業申請は学内手続きを踏まなくていいと考えたが、本格的に組織・定員変更をする際は定款に沿った手続きをするつもりだったと話していました。この言い分に対し、理事長選考会議は宮崎氏のやり方は良くなかったが、組織・定員変更の必要性は認めていました」  宮崎氏がトップダウンで進めようとしていたことが分かるし、理事長選考会議がそのやり方に難色を示しつつ、宮崎氏の大学改革には理解を示していたこともうかがえる。  「もし宮崎氏が他の役員の知らないところで勝手に補助事業申請をしていたら、大きな問題(解任)に発展したかもしれない。しかし、他の役員は学内手続きを踏むよう何度も進言しており、宮崎氏のやり方を止められなかったとはいえ、その行為自体は認識していた。だから、他の役員にも一定の責任があったと判断されたのです」(同)  ここで前述・趙副理事長のコメントを思い返すと「理事長に反対する立場ではなくサポートする立場」と言い切っている。これは県や同大学事務局など「役人」はトップダウンを問題と捉えているが、宮崎氏と同じ立場の「役員=教授」はあまり問題視していなかった、ということではないのか。  「趙先生は副理事長として宮崎氏を支えるのと同時に、経営審議会や教育研究審議会の委員としてブレーキ役も務めなければならない難しい立場にあります。新聞にあったコメントは、もしかすると支える立場から口にしたものかもしれないが、だからと言って宮崎氏のやり方を問題視していないということではないと思います」(早川課長)  しかし、宮崎氏が内堀雅雄知事に提出した辞表には「研究活動上の不正行為が認定されたので辞める」と書かれていただけで、学内手続き軽視には一切触れられていなかった。まるで「自分は論文不正で理事長兼学長を辞めるのであって、学内手続きは問題なかった」と抗議しているようにも見えるが、  「いやいや、辞表には書いていなかったかもしれないが、宮崎氏は学内手続き軽視について謝罪と反省の弁を述べており、監事が口頭で注意した場にもいました(前述)。決して学内手続きに問題はなかったとは考えていないと思います」(同)  筆者は役員、とりわけ教授たちの本音が聞きたいと思い、早川課長を介して趙副理事長に取材を申し込んだが「今回はお断りします」との返答だった。  トップダウンは即断即決で素早く物事が進む半面、判断を誤ると独善や暴走につながる。宮崎氏の行為がどちらに見なされたかは分からないが、國井氏以降見られなかった同大学の持ち味は、今回の出来事を契機に再びしぼんでしまうのか。 策略にはめられた!?  名前を出すのは控えるが、宮崎氏は「学内のある古参」の振る舞いにずっと頭を悩ませていた。ただ今年に入り、親しい人たちに「処遇にメドがつきそう。これで少しは大学運営も良くなるのでは」と打ち明けていた。ところが数カ月後、今回の辞任劇が発生。学内には「宮崎氏は自分の身を守ろうとした古参の策略にはめられたのではないか」との見方まで浮上していた。  「学内では古参のよろしくない振る舞いは周知の事実。ただ、宮崎氏辞任の過程に一定程度関わったとは聞いているが、深く関わったかどうかは分からない」(前出・B氏)  大学界では時に権力闘争や派閥の話を耳にするが、宮崎氏が理事長に就任した際の選考で候補者に挙がったのは宮崎氏一人で、選挙戦にはならなかった。  「トップになりたいと考える人は当然いるだろうが、他者を蹴落とすようなドロドロとした雰囲気は同大学にはないと思う」(同)  新聞で関連記事を読んでも、関係者に話を聞いても、どこか釈然としない今回の辞任劇。宮崎氏に直接話を聞く術を持ち合わせていない今、真相は藪の中だが、  「全国にICT系の大学が増える中、今年開学30周年を迎えた同大学はその先頭に立つべき存在。正直、宮崎氏の辞任には違和感があるが、学生、教職員、地元のためにもまずは正常化に努めてほしい」(同)  という求めに応えることが同大学の喫緊の課題と言えそうだ。

  • 記事掲載禁止仮処分申立を取り下げ【続報・中沢学園前理事長の性加害疑惑】

    記事掲載禁止仮処分申立を取り下げ【続報・中沢学園前理事長の性加害疑惑】

     先月号記事「前理事長の性加害疑惑に揺れる会津・中沢学園」は、校了直前に中沢学園が掲載禁止を求める仮処分を福島地裁に申し立てた。2日間に渡り、本誌と中沢学園、裁判官が参加する審尋を経て8月3日、中沢学園は裁判所に申し立てた仮処分を自ら取り下げた。掲載号は同5日から書店に並んだが、会津若松市内の書店では奇妙な売り切れが続出。記事が掲載に至った経緯を振り返る。(小池航) 会津若松市で何者かが本誌買い占め https://twitter.com/seikeitohoku/status/1688067518244831232  本誌編集部に中沢学園の代理人弁護士から「ご連絡」という文書(7月28日付)がファクスで送られてきた。東京都千代田区の鳥飼総合法律事務所の鳥飼重和弁護士、小島健一弁護士、横地未央弁護士の連名だった。以下に全文を載せる。  《冠省 当職らは、学校法人中沢学園(以下「通知人」といいます。)から委任を受けた通知人の代理人として、貴社が発行している政経東北に通知人に関する記事が掲載される件についてご連絡いたします。  通知人は、2023年7月19日、貴社の小池航記者から、2014年4月、通知人の前理事長である中澤剛氏(以下「剛氏」といいます。)が当時職員であったA氏(筆者注:原文では実名)を職務のため会津若葉幼稚園に呼び出し、わいせつ行為をしたという件(以下「本件」といいます。)に関して政経東北に記事を掲載する旨の連絡を受けました。  本件は、2023年2月28日、A氏から本件について申告があったことを端緒として、通知人として、A氏のヒアリングを複数回にわたって実施し、さらに、A氏の同意の上で剛氏同席のもとでも面談を実施するなどして何とか解決を図ろうとしてきたところです。  しかしながら、本件が9年余り前のことであり、休日という人目のない環境下において行われたとされる点もあいまって調査には困難を伴い、本件がA氏の主張するとおりの事実であったのか、また、仮にA氏の主張するような事実があったとしてもそれがA氏の意に反するものであったのかといった根本的な点について、合理的な疑いを否定することができないというのが現状です。  当事者である剛氏はすでに通知人の理事長職を退いている一私人にすぎない上、そもそも本件は、通知人内部におけるセクハラ被害の申立てという、本来、被害申告をするA氏を含む当事者・関係者のプライバシーや心情に十分に配慮しながら慎重に解決されるべき、デリケートで機微にわたる問題であり、このように雑誌に記事を掲載することをもって世の中に公表する必要性は一切認められず、そればかりかかえって通知人の利用者を巡っても不必要な混乱を生じさせかねません。  このような理由から、本日、福島地方裁判所に記事掲載禁止仮処分の申立を行いました。貴社におかれましては、本件の状況を冷静に認識され、本件について政経東北への掲載を見合わせること、仮に取材・報道の価値があるとお考えであるならば、当職らを通して当事者に適切な調査を実施していただくなど適切な対応をお取りいただくようお願い申し上げます。 草々》  要するに、中沢学園は「記事を出すな」と言っている。理由は、中澤氏は理事長を退いており今は私人、中澤氏と被害を訴えているAさんのプライバシーに関わる、こども園の利用者に影響がある、というもの。取材し報じる場合は中沢学園の代理人を通じて「適切な対応」を取るように付け加えている。  記事を掲載前に差し止めることは、報道の自由、表現の自由に抵触する。相当な理由がないと認められない。①反真実性=フェイクニュースであること、②記事に公益性がないこと、③記事が出ることで回復不能な甚大な被害が出ることを証明しなければならない。 中沢学園「中澤氏は私人」 中澤剛氏(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』より  8月号で筆者は、学校法人中沢学園の元職員Aさんが、2014年に当時理事長だった中澤剛氏から理事長室の書類整理の仕事を日曜日に頼まれ、わいせつ行為を受けたと主張していることを書いた。  記事掲載に当たり、筆者はAさんの主張を裏付ける取材を尽くしていた。中澤氏の言い分も、本人から直接聞き取り掲載している。しかし中沢学園の主張は、Aさんが語ったことについて「合理的な疑いを否定できない」としている。  公益性の観点で言えば、Aさんが「職場での不利益を恐れ、在職中は自分が受けた性被害を学園に言えなかった」と語っている点が重要だ。退職が決まった後に性被害を学園に申告するも救済にはつながらず、以後やり取りは書面でするよう通告された。労働局に調停を申請したが、中沢学園は応じず打ち切られた。行き詰まったAさんは、自分が受けた被害を公表し世論に問おうと、本誌に告発した経緯がある。昨今、ハラスメントは社会の関心事となっており、本誌でもこれまで様々なハラスメント問題を伝えてきた。  中沢学園はこども園を運営し、そこには補助金がつぎ込まれている。Aさんが被害に遭ったと主張する2014年、中澤氏は理事長だった。今は退いて「私人」と主張するのは無理がある。そもそも中沢学園は、その名前からも分かるように「中澤剛氏=創設者の一族」。現在理事長を務める中澤幸恵氏は中澤氏の息子の妻であり、親族経営である。中澤氏がいまの中沢学園に影響力を持たないとは考えにくい。  記事が回復不能な被害を与えるかについては、掲載前に証明するのは困難だろう。中沢学園の主張に則るならば、中澤氏は「私人」に過ぎない。一個人に関する記事で、中沢学園に損害が出る恐れがあるというのは、中澤氏が「私人」という主張に背くのではないか。  ただ、裁判所の判断によっては、記事が出せなくなる可能性が出て来た。  中沢学園の代理人弁護士はさらにファクスを送ってきた。次に届いたのは「書類送付書」(7月31日付)。「記事掲載禁止仮処分申立書」(同28日付)の送付を確認するものだ。書類送付書には受け取ったかどうかを確認するための「受領書」が下部にあり、本誌は署名押印し福島地裁民事部と弁護士事務所にファクスで送った。「受け取った」「受け取っていない」となるのを避けるためなのだろう。  申立書には、記事掲載禁止を求める理由として「人格権としての名誉権に基づく差止め」とある。記事が債権者=中沢学園の社会的評価を低下させるという主張だ。「表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものではないことが明白」、「債権者が重大で著しく回復困難な損害を被るおそれがある」とあった。  福島地裁第一民事部からは7月31日付で「審尋期日呼出状」が届いた。2日後の8月2日午後1時10分に裁判所に出頭するよう書かれている。審尋とはなんだろうか。呼出状をめくると「仮処分を発令するかどうかについては、債権者及び債務者双方の主張や提出された証拠をもとに裁判官が判断します」と説明があった。債権者は中沢学園、債務者は政経東北を発行する㈱東邦出版のこと。審尋とは裁判官が双方の言い分を聞く場のようだ。  筆者はAさんに、中沢学園が記事掲載禁止を求め裁判所に訴えてきたことを伝えた。近く裁判が行われ、中澤氏が臨席するだろうと想定し、当事者であるAさんに出席を依頼すると応じてくれた。 想定外だった中澤氏の不在 福島地裁  中沢学園は中澤氏と幸恵理事長の陳述書を提出していたが、8月2日の審尋に中澤氏の姿はなかった。参加者は次の通り。 中沢学園側(債権者) 中澤幸恵理事長 みなみ若葉こども園の園長 小島健一弁護士(代理人) 横地未央弁護士(同) 政経東北側(債務者) 佐藤大地東邦出版社長 小池航(筆者) 安倍孝祐弁護士(代理人) 政経東北側の証人 Aさん 裁判所 小川理佳裁判官 飯田悠斗裁判官 書記官(1日目と2日目で交代)  審尋は債権者、債務者双方の主張を裁判官が聞き取る。一方に退室を命じてもう一方の主張を内密に聞き取る場も設けられ、双方を交えた聴取→中沢学園のみ聴取→政経東北のみ聴取と繰り返した。本誌が証人を依頼したAさんは別室で待機し、裁判官が聴取する際に呼び出された。  まず本誌は、安倍弁護士の助言を得てゲラ(校正刷り)を裁判官と中沢学園に見せた。筆者はその時まで中沢学園にもAさんにもゲラを見せていない。記事は誌面上で発表するものであり、読者に向けて書いている。ゲラを見せないのは、取材対象者が記事内容の変更を迫って圧力を掛けてくるのを防ぐためだ。  ゲラを読んだ中沢学園は、次のことを主張してきた。  ・政経東北が出した質問状に対する中沢学園の回答を引用しているが、回答の趣旨を汲み取っていない。  ・Aさんが中沢学園の聞き取りに対し、「中澤氏に口にキスされそうになった」と言っているが、記事では「口元にキスされた」とある。記事が正確でないことになる。  ・中沢学園に原稿を見せていない。取材を尽くしていないのではないか。  順序は前後するが「Aさんが中澤氏にキスをされたか、されていないか」については、後に裁判官による聴取の場で、Aさんは  「キスをされたと話すことが自分の中では『抵抗しなかった』と受け取られると考え躊躇し、『キスされそうになった』と話してきた。小池記者に話した時も、他の人に被害を打ち明けた時のように初めは『キスされそうになった』と言ったと思うが、小池記者は『唇はくっついたのか、くっつかなかったのか』と聞いてきたので答えた」  と話した。  裁判官は、Aさんの主張を信頼できると筆者が判断した根拠は何かを聞いてきた。筆者は、中澤氏が3月12日のAさんとの面談で「あなたのおっしゃる通りに認めざるを得ないんでしょうね」と話した録音を確認し、自らの行為を認めるような発言をしたこと、Aさんがハローワークと警察に被害を相談したこと、その時のハローワークの受付カードと警察官の名刺を確認したことを根拠に挙げた。  それに対し、中沢学園代理人の小島弁護士は  ・面談の録音を確認したが、Aさんが中澤氏からどのような行為を受けたと主張するのか明確にされないまま話が進み、中澤氏がその場を収めるために発言しているに過ぎないと主張。わいせつ行為を認めたものとは評価できない。  ・警察に相談した事実があったとしても、相談内容は明らかではない。  とした。  裁判官は、続いてAさんへの聞き取りを行った。  中沢学園の同意を得てAさんが裁判官の前で当時の状況を証言した。前述したように、ここでAさんは中澤氏から「キスをされたか、されていないか」を詳しく話した。  筆者は、当事者が不在の中で事実関係を争っても意味がないと考え、当事者であるAさんに裁判所まで来てもらい「生の証言」を依頼した経緯がある。それだけに、もう一方の当事者である中澤氏が審尋に来なかったのは、本誌にとって想定外だった。  Aさんと幸恵理事長は3月12、19日の面談後の4月以降、やり取りは書面で行うことになっていたため(前述)、約5カ月ぶりに対面した。幸恵理事長は、Aさんが起こした労働局の調停に出頭しなかったのは顧問弁護士の判断だったと説明した。Aさんに対面しなかったのは、Aさんの気分を害してしまうと恐れたからだという。現在、就業規則の改定を進めており、中沢学園内に相談窓口を整備するという。退職後1年間は中沢学園が擁護すべき立場なので、その枠組みでAさんの相談に応じる考えがあると話したが、Aさんは「もう遅いんです」。  ハローワークや警察に相談し、労働局に調停まで起こしたAさんが最終的に本誌を頼ったのは、中沢学園が「事実関係の調査を行うのは著しく困難」と結論付け、公的な相談先に行き詰まり、もはや世間に訴えるしかないと考えたためだと筆者は捉える。 反論記事を中沢学園に提案 会津若葉幼稚園  記事が事実ではないことを示すために反論してきた中沢学園だが、一方で小島弁護士は「反真実性の証明のハードルについては、法律論としては難しいとは承知している」とも話していた。  争点は、記事の公益性にシフトしていく。公益を果たすために中沢学園が言う「適切な対応」を本誌がどのように尽くしていくかに裁判所は注目した。  審尋初日の最後に中沢学園が述べた主張は次の4点。  ・記事を掲載しないこと。  ・損害賠償請求も検討している。  ・取材の方法、記事の書き方に問題があると認識しており、業務妨害や名誉棄損で、本誌と当該記事を書いた筆者個人を刑事告訴する可能性も捨てていない。  ・8月号への掲載を見合わせ、中沢学園関係者に取材し、原稿を中沢学園が確認したうえで9月号以降に掲載することは異議がない。  中沢学園の目的は、初報を出させないことに尽きる。しかし、筆者は記事を既に書き上げ、印刷所に回していた。中沢学園の要求に従えば、8月号から当該ページを切り取らなければならない。小所帯の本誌でその作業が発売日までにできるか思案したが、実はこの時、本誌はまだ今後の対応をどうするか「答え」が出ていなかった。  裁判所の閉庁時間が迫っていることもあり、審尋は翌3日の午後4時半に再開することになった。  本誌編集部は半日掛けて中沢学園の要求に対する方針を話し合った。安倍弁護士に相談し、準備書面にしたため、次の審尋前に福島地裁と中沢学園側の弁護士事務所にファクスで送った。  8月3日、審尋はおそらくこの日に終え、近いうちに裁判所が決定を下すのだろう。2日目の審尋は証人のAさんを除き、双方が前日と同じ参加者で臨んだ。  審尋2日目開始。本誌が送った準備書面に目を通した小島弁護士は、  「まさかこんな提案をしてくるとは思わなかった。検討するに値しない。注目を集めて雑誌の売り上げに協力することになる」  と言った。  本誌は裁判官から一度退室を命じられた。中沢学園が本誌の提案を受け入れるか否か、裁判官から問われるターンだ。筆者は別室で向こうの答えを待っていた。  小島弁護士はなぜ「こんな提案をしてくるとは思わなかった」と述べたのか。  本誌が提案したのは、9月号に中沢学園の反論記事を載せることだった。相手は「こちらの主張を十分に聞いていない」ことを問題視している。そこを捉えて「政経東北の取材には問題がある」と主張していた。だったら、初報では被害を訴えるAさんの主張に寄り添ったので、続報では中沢学園の言い分を100%聞こう。それが報道機関として最も誠実なやり方だと編集部内で意見が一致した。具体的には、  ・中澤幸恵理事長と学園関係者に取材を行い、反論を聞く。  ・政経東北が書いた原稿は、中沢学園に確認してもらったうえで9月号に掲載する。  ・8月号には、中沢学園から記事に対する強い異議があったこと、9月号に反論を掲載する予定であることを記載する。その時点では8月号が刷り上がる目前で、中沢学園の言い分と本誌の主張を記事に加筆することは不可能なため、A5サイズの紙1枚に反論を掲載する予定の旨を書き、雑誌本体に挟み込む。  ・政経東北のウェブサイトに、中沢学園の反論記事を載せる予定という告知と、本誌の質問に対する中沢学園からの回答を全て載せる。  中沢学園と裁判官の話し合いが終わった。再度対面した席で、中沢学園は本誌を前に「仮処分申し立てを取り下げる」と裁判官に伝えた。自ら記事掲載禁止の仮処分を申し立てたのに、裁判所の判断を待たずに自ら取りやめた形。結局、2日目の審尋は10分程度で終了した。  記事は8月号にそのまま掲載できることになった。審尋の場では、中沢学園は反論記事を載せる提案を拒否していたが、実際に記事が出た後は方針が変わるかもしれない。本誌は8月4日、代理人弁護士の事務所宛てにファクスで取材を依頼した。審尋で示したのと同じ条件で、同18日までに中沢学園が指定する場所に本誌記者が出向き、直接話を聞くので取材の可否を教えてほしいと伝えた。取材を受けるかどうかの回答期限は6日後の同10日午後4時に設定した。ところが、期限を過ぎても返答はない。  弁護士事務所に電話すると、事務員が「担当弁護士がいないので折り返す」とのこと。筆者は「午後8時まで会社にいる」と伝え電話を待ったが、電話もファクスもメールも来ない。8時過ぎにもう一度電話すると「16日まで休みに入る」と留守電の録音が流れた。  お盆休み明けの同18日に再び電話した。取材の可否を教えてほしいと言うと、事務員から「弁護士から『回答しない』との伝言がある」と言われた。筆者は「『回答しない』という回答」にこれまで何回か遭遇した経験がある。想定内だったが、せめて期限の10日までには知らせてほしかった。 「買い占めた奴らがいる」 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1688075777819156480  8月号が発売されると、会津若松市の書店では異様な売れ方をした。店頭に並ぶ前から「まとめて買いたい」と客から問い合わせがあったという。筆者には会津若松市在住の70代男性から「発売と同時に買いに行ったら本屋はすぐ品切れだよ。タイミングが良かったのか俺は1冊買えた。買い占めた奴らがいる」という電話があった。(この男性は8月号の別記事「実録 立ち退きを迫られる会津若松在住男性 監視カメラで転売集団に応戦」で書いた、立ち退きを迫られている人物)。  普段は売れ行きの良くない店舗でも売り切れ続出だった。気味が悪いのでX(旧ツイッター)に投稿すると過去最大級の反応があった。一地方都市で起こった出来事に過ぎないが、世間は注目に値する珍奇な事象と見ているようだ。  中沢学園は、記事が学園の名誉を傷つけるとして、掲載禁止の仮処分を裁判所に申し立てたが、自ら取り下げた。とはいえ中沢学園が、本誌と筆者個人を相手取り、名誉棄損で損害賠償請求と刑事告訴をしてくる可能性は十分ある。取材は尽くしているので、その時は淡々と対応するだけだ。

  • 【エアレース】室屋義秀パイロット塾で3次試験実施

    【エアレース】室屋義秀パイロット塾で3次試験実施

    本誌7月号で、福島市に拠点を置くエアレースパイロット・室屋義秀さんが、次世代のエアレースパイロットを発掘する「RACE PILOT PROGRAM(レースパイロットプログラム)」をスタートさせたと報じた。8月には、福島市のEBM航空公園(ふくしまスカイパーク)で同プログラムの3次試験が行われた。 9月からいよいよ飛行訓練が開始 モーターグライダーに乗り込む候補生 室屋さんは飛行機レースの世界大会「レッドブル・エアレース・チャンピオン・ワールドシップ2017」でアジア人初の年間王者に輝いた実績を持つ。  そんな室屋さんがこの春から始めたのが、エアレースパイロットとしての才能がある若者を発掘・育成するプロジェクト。通常、専門パイロット育成には10年かかるとされているところを5年でデビューさせようとする挑戦的な取り組みだ。対象年齢は16歳以上(今年9月30日現在)40歳未満。主催は室屋さんが所属する「LEXAS PATHFINDER AIR RACING」。  4月29日のキャンプ1(1次試験)には室屋さんやエアレースを愛してやまない20~30代の男女32人が全国から集結、体力測定が行われ全員が候補生として合格した。  続く6月10、11日のキャンプ2(2次試験)には18人が参加(14人は辞退)。パイロットに最低限求められる能力を測るため、体力測定10種目、ディベート、英会話試験が行われ、13人が合格した。 座学の様子  キャンプ3(3次試験)は8月10日から3日間にわたり行われ、フライトシミュレーターを使った模擬飛行と、実際に空を飛ぶ飛行適正検査が実施された。  初日、朝6時15分の集合時間に会場に来たのは8人で、5人が辞退した(音信不通の2人含む)。  候補生たちは2人乗りのモーターグライダー(翼が長くエンジンを止めていても滑空できる)に乗り、それぞれ3回ずつ検査に挑んだ。  候補生の半数は航空機の操縦が初めてで、1回目の飛行後は「思うように操縦できなかったが、第一歩としていい経験ができた」「景色が良くて最高の気分だった」と高揚しながらコメントする姿が見られた。  最終日の同12日には、航空法などの座学が行われ、各候補生が先生役となる形で30分ずつ授業が行われ、聴講する候補生や同チームのスタッフらが疑問点を質問した。  その後、3回のフライト内容や座学への取り組みに対する審査が行われた結果、総合得点(1万3000点)の60%を達成できなかった2人が脱落することに。その1人が本誌7月号記事に登場した、県内からの唯一の参加者・宮田翔さんで、候補者ら一人ひとりと握手をして部屋を去っていった。  フライト審査には基本動作をチェックするための項目がいくつも設定され、操縦未経験者の「伸び率」なども考慮されていた。そこでうまく点数を伸ばせなかったのが、2人にとって〝敗因〟となった。  ムードメーカーでもあった宮田さんら2人の脱落に静まり返る6人の候補者に対し、室屋さんは「プロの世界では、コンペティションやセレクションでこうした経験が増えてくる。この感情を大事にしてほしい」と語りかけた。  キャンプ4(4次試験)は9月上旬からスタートし、同公園で毎週飛行訓練を実施する。4段階のフェーズが設けられ、それぞれで審査が行われて、基準を満たせなければその時点で脱落する。候補者は現在の仕事を休職するなどして福島市に生活拠点を移しながら訓練に取り組む。必要となる資格を取得し、いよいよ本格的にエアレースパイロットへの道を歩み出すことになる。  今後への意気込みについて室屋さんはこのように話した。 室屋義秀さん  「(脱落した2人は)一般的に見て極めて優秀な候補生。世界を目指すパイロットを生み出すためのプログラムなのでこういう結果となったが、才能がないわけではない。それぞれ違った形でのフライト人生が待っていると思うので応援していきたい。9月からはいよいよ本格的な飛行訓練がこの場所で始まるので、候補生たちがどうやって成長してくれるか、楽しみです」  過酷なサバイバル試験。果たして何人が福島市からエアレースパイロットとして羽ばたいていくのか。 あわせて読みたい 室屋義秀さんが本格育成塾を設立【エアーレース】

  • ヨークベニマルが原町に新店舗!?【南相馬市】

    ヨークベニマルが原町に新店舗!?【南相馬市】

     「ヨークベニマルが南相馬市内に3店舗目の店舗を計画しているらしい」。こんなウワサが市内で流れている。果たして真相は。 商業施設跡解体で広まる〝ウワサ〟 本誌2022年2月号に「南相馬市原発事故で閉店した大手チェーンのその後」という記事を掲載した。  南相馬市は原発事故により市内南部の小高区が警戒区域、原町区が緊急時避難準備区域に指定され、市外への避難者・移住者が相次いだ。事故から10年以上経ったいまも当時の人口には回復しておらず、市内の事業者はマーケット縮小、労働力減少に直面している。  加えて大企業は原発賠償の幅が小さいという事情もあり、この間大手飲食・小売りチェーンの店舗が次々と撤退していった。記事では市内に進出していたさまざまな店舗の現状をリポートしたが、その一つ、洋服の青山福島原町店が立地していたショッピングセンター「JAMPARKはらまち」跡で現在、建物の解体作業が進められている。  場所は同市日の出町の国道6号沿い。かつては牛丼チェーンのすき家6号南相馬原町店やイエローハット原町店が同センター敷地内に立地していたが、現在は道路のはす向かいに新築移転して営業している。  不動産登記簿で地権者を確認したところ、2020年3月31日に千葉県茂原市の㈱玉川工産が売買で取得していた。さらに2022年8月30日には同社と同じ住所のタマ不動産が売買で取得。同日、抵当権者千葉銀行、債権額5億2000万円の抵当権が設定されていた。  こうした経緯から、市内の経済人や近隣住民の間では「新たな商業施設ができるのではないか」と囁かれており、具体的には「ヨークベニマルが出店するらしい」と言われているという。不動産業者に確認すると、業界内でもそういうウワサが飛び交っているようで、むしろいま関心事になっているのは「ヨークベニマルが市内3店舗目の出店を決断するかどうか」なのだとか。  「市内3店舗目の出店に関しては震災・原発事故前からウワサになっていたが、『南相馬市の人口では2店舗が限界だろう』と言われていました。現在営業中なのは原町店(南町)、原町西店(旭町)で、特に2020年2月に再オープンした原町店はJAMPARKはらまちと直線距離で2㌔ほどしか離れていない。自社競合覚悟で進出するのか、注目されているのです」  ヨークベニマルについては、前出2022年2月号記事でも《マーケットが大幅に縮小し、従業員不足も顕著なことから、市内に2つあった店舗を1つに集約した格好だ。ただ、市民(近隣住民)の間では、「同店(原町店)が再開しないと不便だ、という声は根強かった」という》と触れた。人口が減少した分、店舗は1店舗でいいとされていたが、市民からの要望を受けて同社は原町店を再オープンした。そうした中、さらに3店舗目のオープンまであるのだろうか、と注目されているわけ。  ちなみに、JAMPARKはらまちから南側に約1㌔離れた場所にはフレスコキクチ東原町店がある。国道6号沿いにヨークベニマルが出店したら、売り上げ面で影響を受ける可能性が高そうだ。  同地を管理する大和リース福島支店の担当者に問い合わせたところ、「現段階で明確に何かの計画が決まっているわけではない。現在は建物を解体しているだけ」と述べた。  地権者であるタマ不動産(玉川工産)にも電話で問い合わせたが、従業員が「担当者が不在で回答は難しい。少なくともその土地(JAMPARKはらまち)について、整備計画を公式に発表したとは聞いていない」と話すのみだった。  ヨークベニマルの広報担当者は「開店前の段階で今後どういう見通しになるのかをコメントするのは難しい」と説明した。  関係者は具体的なことを明かそうとしないが、現場では着々と解体工事が進められており、市民の関心は日増しに高まっている。 あわせて読みたい 宅配で顧客取り込む【ヨークベニマル】

  • 相馬福島道路が長期間の通行止め

    相馬福島道路が長期間の通行止め

     8月3日、相馬福島道路(東北中央自動車道)の法面の一部に崩落の恐れが確認されたとして、霊山インターチェンジ(IC)―伊達中央IC間(延長7・4㌔)が通行止めとなった。そこから1カ月近く不通が続き、利用者や近隣住民は不便な生活を強いられている。 災害に弱い「横軸」は相変わらず!?  相馬福島道路は、東日本大震災を受けて「復興支援道路」として整備された。常磐道(相馬市)と東北道(桑折町)を結ぶ約45㌔の高規格道路(自動車専用道路)で、2021年4月に全線開通した。  無料で走行できることもあり、相馬地方と県北地方を結ぶ主要道路として、物流、観光、医療などさまざまな用途で使われているが、そんな同道路の一部が斜面崩落により1カ月にわたり通行止めとなった。  同事務所によると、現場は伊達市保原町大柳の下り線の法面で、5月ごろから一部が隆起し、8月3日ごろに崩落。現場は幅約30㍍、高さ約25㍍にまで拡大し、崩れた石などが散乱した。同事務所によると、法面に含まれる凝灰岩が地下水などを吸い込み膨張した後に乾燥したことで、崩壊しやすくなったのが原因とみられるという。  同17日にようやく崩落が落ち着き、応急復旧工事に着手。9月10日ごろまでに完了する見通しだ。  観光シーズンの夏休み期間に道路が寸断されたことで、大きな痛手を受けたのが、霊山ICに隣接する伊達市霊山町の道の駅伊達の郷りょうぜんだ。駅長の三浦真也さんは「客足、売り上げともに1割程度下がっている。道の駅にモモを納入している伊達町の生産者がいるが、通常は15分ぐらいで来られるのに通行止めで倍ぐらい時間がかかるため、1日の納品回数を減らすなどの対応を取った。そのため、商品数が少なくなり、売り場作りに難儀した面もありました」と語る。  国道115号の旧道は、多数の線形不良箇所、異常気象時に通行止めを行う「事前通行規制区間」などがあり、大雨などの災害時に不通になりやすかった。2006(平成18)年には大雨による落石で約1カ月間の全面通行止めとなり、物流、生活、観光など、多方面に大きな影響が出た。  そんな旧道に代わる道路として開通したのが相馬福島道路だったわけだが、2021年10月の令和元年東日本台風の時は、相馬市内の楢這トンネル付近で土砂崩れが発生したため、通行止めとなっている。  昨年3月16日の福島県沖地震でも、段差などが発生したため通行できなくなり、伊達桑折ICから相馬ICまで行くのは困難だった(本誌2022年4月号参照)。  要するに、災害時の弱さは何も変わっていないわけ。  伊達市では昨年3月の福島県沖地震で阿武隈川に架かる国道399号の伊達橋が被災し、通行止めになった。それ以降、相馬福島道路は迂回路として使われていたが、それも通行止めとなり、伊達町在住の伊達市民はさらに影響を受けるなど二重の被害を受けた格好だ。ガソリン価格が高騰する中で、燃料が余計にかかる影響もあるだろう。  同市ではイオンモール北福島(仮称)が開業を控えているが、相馬福島道路が頻繁に通行止めになるようでは客の流れに影響する。福島市と相馬市をつなぐ「横軸」の機能を強化する意味でも、真の意味で災害に強い道路が求められる。

  • コロナ「5類」移行後の【会津若松市】観光事情

     5月8日から、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、季節性インフルエンザと同じ「5類」になった。これに伴い、法律に基づく外出自粛や行動制限などが発せられることがなくなり、イベントや観光などの機運が高まっている。「5類」移行の影響はどうなのか、会津若松市観光業の状況を探った。 夏休み、秋のシーズンに期待 東山温泉  会津若松市を取材対象にした理由は、1つはデータの取りまとめが非常に早いこと。速報値ではあるものの、7月中旬に同市観光課に問い合わせると、すでに市内観光各所の6月分のデータがまとめられていた。 それだけ、行政の観光セクションがしっかりしており、行政と観光関連施設などの連携が図れている証拠だろう。見方を変えると、同市において観光業はそれだけ大きな産業で、観光業の浮沈が市内経済に大きな影響を及ぼすということでもある。それが同市を取材対象にしたもう1つの理由だ。 別表はコロナ前の2019年、コロナの感染拡大が顕著になった2020年、昨年、今年の上半期(1〜6月)の同市内の主な観光地の入り込み数・利用者数をまとめたもの(市観光課調べのデータを基に本誌作成、2023年は速報値)。 鶴ヶ城天守閣 2019年2020年2022年2023年1月1万8387人2万4751人1万0174人7205人2月2万0880人2万6234人7144人6537人3月2万9821人2万0491人1万4766人1万1370人4月7万9325人4170人3万5654人5万0713人5月7万5462人1130人4万8486人6万5887人6月5万1127人9672人4万0344人5万2626人計27万5002人8万6376人15万6568人19万4338人 麟閣(※鶴ヶ城公園内の茶室) 2019年2020年2022年2023年1月1万1900人1万4287人6962人4755人2月1万0835人1万2529人5064人4161人3月2万0285人1万4943人1万0477人8577人4月4万8042人3419人2万4150人3万2038人5月4万5159人827人3万0558人3万7735人6月2万2326人7706人1万6832人2万1800人計15万8547人5万3711人9万4043人10万9066人 御薬園 2019年2020年2022年2023年1月1261人2213人594人908人2月2593人2607人470人2153人3月2308人1500人1136人2191人4月5181人389人3010人3895人5月6512人155人4488人5235人6月4633人1466人3379人4101人計2万2488人8330人1万3077人1万8483人 県立博物館 2019年2020年2022年2023年1月1179人1659人1377人1942人2月2336人2967人3660人4167人3月3825人2291人2806人4162人4月6134人551人4082人4227人5月9892人609人1万2169人1万0687人6月1万0159人2546人1万2071人未集計計3万3525人1万0623人3万6165人2万5185人 東山温泉 2019年2020年2022年2023年1月3万4278人3万7793人2万8225人2万6311人2月3万3921人3万0388人1万5224人2万5665人3月5万2957人2万9279人2万6612人4万3381人4月4万1440人7512人3万6629人3万7387人5月3万9746人3482人4万1143人4万1203人6月4万3744人1万1884人3万3535人4万4489人計24万6086人12万0338人18万1368人21万8436人 芦ノ牧温泉 2019年2020年2022年2023年1月1万4238人1万6680人8625人9455人2月1万7638人1万9828人4952人1万0936人3月1万7064人1万1310人8785人1万3185人4月1万9578人3629人1万1306人1万1481人5月1万7727人80人1万1805人1万3545人6月1万8876人3732人9607人1万1449人計10万5121人5万5259人5万5080人7万0051人 民間施設 2019年2020年2022年2023年1月1万0884人1万2945人6480人7555人2月1万4400人1万4332人5366人9545人3月2万1821人1万3104人1万1366人2万2551人4月4万6851人3915人2万3504人3万0787人5月5万9000人268人4万2305人4万8743人6月5万3130人6498人4万2789人4万7319人計20万6086人5万1062人13万1810人16万6500人※武家屋敷、白虎隊記念館、駅cafe、日新館、 飯盛山スロープコンベア、会津ブランド館、会津村の合計  コロナの感染拡大が顕著になった2020年は前年比(コロナ前)で大幅なマイナスになっている。コロナ感染が国内で初めて確認されたのが2020年1月、本格的に影響が出てきたのが2月末ごろ。それを裏付けるように、同年3月は前年同月比で30〜40%減、4月は80〜90%減、5月は90%以上の減少となっている。 同年4月17日、全国に緊急事態宣言が出され、鶴ヶ城天守閣、茶室麟閣、御薬園の主要観光施設は4月18日から5月27日まで休館した。例年同時期に開催されていた「鶴ヶ城さくらまつり」も中止になった。ゴールデンウイークの書き入れ時がゼロになったのだ。 観光客の激減は、その分だけマーケットが縮小したことになり、観光業を生業としている関係者は大きな影響を受けた。それはすなわち、収入減にほかならず、結果、あらゆる分野において地域内の消費が減るといった事態を招く。そうした点からも、同市にとって重要な産業である観光業の立て直しは、大きな課題になっていた。 そんな中、昨年はコロナ直後からだいぶ回復しており、さらに今年はコロナ前には及ばないまでも、かなり戻っていることがうかがえる。施設にもよるが、少ないところで70%程度、多いところでは90%近くまで戻っている。 コロナ前以上の鶴ヶ城 5類移行後はコロナ前を上回る入場者となっている鶴ヶ城天守閣  月別に見ると、5類移行後の今年5、6月はコロナ前に近い数字か、施設によってはコロナ前を上回っている。これは5類移行の影響と見ていいのか。 「『5類』に移行したのはゴールデンウイーク明けで、その後は観光地にとって〝平時〟だったこともあり、正直、よく分からないですね。一昨年、昨年よりは良くなったのは間違いありませんが、徐々に戻ってきている延長線上と捉えるべきなのか、5類移行の影響なのかは測りがたい。これから夏休み、秋の観光シーズンになってどう動くかでしょうね」(市内の観光業関係者) こうした見方がある一方で、「やはり、5類移行の影響は大なり小なりあると思いますよ。『いままでは旅行を控えていたけど、制約がなくなったことだし、出かけてみようか』という気になるでしょうから」(別の観光業関係者)との声もあった。 さらにはこんな見方も。 「いい意味で、5類移行の影響はあると思います。ただ、それによって、海外旅行への制限・制約もなくなりますから、『これまでは近場、国内で我慢していたけど、せっかくだから海外に行こうか』という人も今後は増えてくると思います。もっとも、5類移行とは関係なく、いつの時代も、海外を含めたほかの観光地との競争があることは変わりませんけどね。その中で、どうやって人を呼び込むかということです」(温泉地の関係者) 共同通信配信のネット記事(7月11日配信)によると、海外旅行については、まだまだ不安が大きいとのアンケート結果が出ているという。以下は同記事より。 《調査会社インテージ(東京)が(7月)11日発表した夏休みの意識調査によると、半数が海外旅行に「不安」があると答えた。今夏に海外旅行を予定しているのは2・0%。昨夏(0・8%)より増えたが、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類に移行しても渡航に慎重な人が多いようだ。全国の15~79歳のモニターを対象にインターネットで6月26~28日にアンケートを実施。2513人から回答を得た。海外旅行に関し、27・7%が「不安がある」、23・2%は「やや不安がある」とした。「不安はない」は9・5%、「あまり不安はない」が11・1%だった》 こうしたアンケートを見ると、5類移行後、すぐに海外旅行に行く人は少なそうだが、今後はそういった需要も増えてくるだろう。逆に海外から来る人も増えるから、温泉地の関係者が語っていたように、「海外を含めたほかの観光地との競争の中で、どうやって人を呼び込むか」に尽きよう。 鶴ヶ城天守閣、麟閣、御薬園を運営する会津若松観光ビューローによると、「(5類移行で)やはり雰囲気的に違う」としつつ、「その中でも、以前とは様相が変わってきている」という。 「鶴ヶ城天守閣は、5類移行後の今年6月と7月途中(本誌取材時の7月中旬)までは、2019年同月比で来場者数が100%を超えています。詳細を見ると、教育旅行は例年並みで、それ以外の団体ツアー客はコロナ前には戻っていません。その分、個人客が増えています。外国人も増えていますが、それについても以前のような団体ツアーではなく、数人でレンタカーを借りて、といった形が増えています」(同ビューローの担当者) 鶴ヶ城天守閣は昨年10月から今年4月27日まで、リニューアル工事を行っており、4月末からの大型連休に合わせて再オープンした。そのため、「新しくなった鶴ヶ城に行ってみよう」と、地元・近場の人の来場があったようだ。そういった事情から、6月、7月途中(本誌取材時)まではコロナ前(2019年)より来場者が増えた背景もあるが、①団体ツアー客が減り個人客が増えた、②その傾向は外国人も同様――といった状況だという。 ほかの観光施設の関係者などに聞いても、似たような傾向にあるようで、それがこれからしばらくの観光の主流になってくるのだろう。「ウィズコロナ的観光需要」といったところか。 夏以降の感染拡大に注意  こうして聞くと、5類移行後は多少なりとも状況が変わっていると言えそうだが、夏休みや秋の観光シーズンの動きはどうか。 「コロナ禍以降は、(観光客のコロナ感染や濃厚接触の疑いなどで)突然のキャンセルのリスクがあるため、あまり先の予約を取らないようになっています。そのため、各施設の夏休みや秋の観光シーズンの動き、予約状況などはつかめていません」(市観光課) 「鶴ヶ城は予約して来られる方は少ないので、夏休みや秋の観光シーズンの見通しはまだ何とも言えませんが、5類移行後はコロナ前(2019年)と同等かそれ以上の方に来ていただいているので、期待はしています」(前出・会津若松観光ビューローの担当者) 「予約してくる人は少ないので、まだ何とも分からないが、少なくとも夏休みの出だしとしては、昨年よりはいいと思います」(観光施設近くの土産店) 「だいぶ戻っているのは間違いありませんが、5類移行後、夏休みに向けては普通に推移している、といったところでしょうか。コロナ禍で受けたダメージが大きいので、それを補うにはまだまだ時間がかかると思います」(東山温泉観光協会) 観光業界関係者の多くが今後に向けて、期待を抱いていることがうかがえた。 一方で、温泉旅館・ホテルではこんな問題も抱えている。温泉旅館・ホテルでは、コロナ禍に従業員を整理したところが多い。その後、ある程度、宿泊客が戻ってきた段階で再度、従業員の募集をかけたが、なかなか応募がない、といった状況に陥っているという。当然、従業員にも生活があるから、温泉旅館・ホテルで仕事がないとなれば、別の業種に就くだろう。そんな事情もあって、人手が足らずキャパいっぱいまで宿泊客を入れられないところもあるというのだ。 コロナの後遺症とも言える状況だが、今後は受け入れる側も、コロナで崩れた体制を整え、平常運転ができるようにしていく必要があるということだろう。 一方で、感染症法上の位置付けが変わったとしても、コロナがなくなったわけではない。 厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」の7月7日の会合では、「新規患者数は、4月上旬以降緩やかな増加傾向となっており、5類移行後も7週連続で増加が継続している」と報告された。 そのうえで、「今後の見通し」として次のように指摘している。 ○過去の状況等を踏まえると、新規患者数の増加傾向が継続し、夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある。また、感染拡大により医療提供体制への負荷を増大させる場合も考えられる。 ○自然感染やワクチン接種による免疫の減衰や、より免疫逃避が起こる可能性のある株の割合の増加、また、夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要。 「夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある」、「夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要」と指摘しており、夏休みシーズン後のコロナの感染状況にも注意が必要だ。

  • 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

    【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

     もし、祖父の代から住んでいる土地を正当な理由もなく追い出されそうになったら、万人が立ち向かえるだろうか。これは、会津若松市で監視カメラを武器に転売集団と闘い続けるある男の記録である。(敬称略) 監視カメラで転売集団に応戦 居住者のXに立ち退きを迫る太田正吾(左)  2023年3月9日午後2時45分ごろ、ブオンブオンとうなり声をあげた白のミニバンが、会津若松市馬場町にあるX(70代)の家の前の駐車場に入ってきた。 助手席から真っ黒に日焼けた顔にオールバック、ネクタイ姿、ベストを着た男が降りてきた。きちんとした身なりではあるが、発する言葉は荒っぽかった。 「俺、もう許さねえからな」 「この土地は俺が買ったんだから」 「あんまり怒らせんなよ! おらあっ!」 男はすたすたとミニバンの助手席に戻り、何やら書類を取り出して、体の前でひらひらして見せた。 「俺が買って持ってるからな」 ミニバンのボンネットに書類を広げてXに見せた。 「俺、最初に言ってんじゃん。買うよって」 Xによると、男は「この土地は全部、俺がYから2200万円で買った。今なら話に乗ってやる」と言ったという。Xは「脅す一方で二束三文の金をちらつかせて体よく追い出すつもりだな」と思った。Xが応じないと分かると、男は「不法入居者」と呼び、駐車場の利用者の名前が書かれている札や張り紙などを剥がして持ち去った。監視カメラの映像を見ると、確かに手に張り紙を持ち、画面内を移動する姿がある。 監視カメラのマイクには、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」との発言や、Xが「居住権というのがあるから」と言ったのに対し、「ねえから」と即答したやり取りが収められていた。 Xが当日を振り返る。 「男は太田正吾と名乗りました。この日の前には不動産会社を連れて来ました。立ち退きを迫ろうと脅かしに来たのだろう。そもそも、この土地は私の隣家が所有しており、100年以上前、私の祖父の代から借地料を払って住んでいました」 登記簿を確認すると、1941年に隣家が売買で土地を取得。以来一族で所有権の相続を続けていた。 「隣家の高齢夫婦が亡くなると、県外の親族が相続しました。親族は土地を手放したがっていて、私に買い手を探すよう頼んだ。そこで、近所の顔なじみで店を経営する資産家のY(70代)に持ち掛けました。今考えるとそれが間違いでした」(X) Xは隣家の親族から「ブローカーのような怪しいところには売りたくない」と言われていた。隣家の親族から委任を受けて買い手を探し、転売しないという約束のもと購入に前向きだったのがYだったという。 「①転売しない、②そのためにYが経営する店の名義で購入し、店が保有する、との条件で2019年に私とY、隣家の親族が立ち会って売買に合意しました。Yとは長い付き合いで信頼しており、契約書は取り交わす必要もないと思った。ところが、②の店の名義で購入する約束が早速破られたんです」(X) 登記簿によると、確かに2019年12月27日にYが購入したことになっている。ただし名義は、Yの経営する店ではなく、Y個人だ。売買の書類が取り交わされたことを、Xは所有権の移転が既に終わった後に自分で調べて知った。 「Yは司法書士に頼んで、県外にいる隣家の親族に売買契約の書類を郵送しました。親族は司法書士から送られてきた書類に、言われた通り書き込んで押印し、返送したそうです。宅建業法に定められた重要事項説明書は交付されておらず、本来は無効な取引でした」(X) ①の約束、「転売しない」も破られた。登記簿によると、今年2月7日に前出の太田正吾(東京都東村山市)に土地が売り渡された。冒頭に紹介した映像で、太田は「家を出ろ」とXに迫っていた。 今回、立ち退きを迫られている馬場町の土地は約230坪で、Xの一族は、その一角に祖父の代から所有者に家賃を払い、100年以上住んできたという。現在はXの息子が暮らし、Xはパソコンなどの機器を置いて仕事場にして、日中の大半はこの家にいるという。 「私には居住権があり、無理やり立ち退かせることはできません。太田たちは法律上追い出すのは難しいので、脅しという強硬手段に及んだとみています」(X) Xは、Yがはなから転売を目的に土地を購入したのではないかと疑っている。太田が昨年11月17日に初めてX宅を訪れた時、郡山市の不動産業者を引き連れていたからだ。それ以前には、郡山市の建設会社から土地の売買を持ち掛けられたという同市の設計士が訪ねてきた。Xが、Yとの間に土地トラブルがあると説明すると、「買わないし2度と来ない」と言って立ち去ったという。 「設計士や不動産業者が来たのは太田が土地を購入する前、まだYが所有している時です。Yは太田、不動産業者と共謀していたのではないでしょうか。太田はYから譲り受けた所有権を根拠に、脅しを掛けて追い出す役回りです。登記上はYから太田に所有権が移っていますが、本当に金銭が支払われたのだろうかと私は疑っています」(X) 「黒幕」とされる男  筆者はXが「黒幕」とするYの店を訪ねた。馬場町の問題の土地からごく近所だ。 ――Xは土地を追い出されそうになっている。 「追い出されるっていうのは買った人の責任だ。俺は売っただけから」 ――Xはあなたからずっと住み続けてもいいと言われたそうだが。 「言った覚えはない」 ――Xには転売すると伝えて土地を購入したのか。 「伝えてない。どうなるか分からないが、売ってだめだという条件はなかった」 ――どうして太田正吾に売ったのか。 「そんなのおめえに言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」 ――太田と一緒にXの家に来た郡山市の不動産業者とはどういう関係か。 「……」 ――太田とその不動産業者と面識はないということでいいか。 「そんな質問には答えねえ」 自身と太田の関係が筆者に答えられないようなものならば、なぜ大きな金額が動く土地を売ったのか。疑念は深まるばかりだ。 最後に、Xはなぜ筆者に監視カメラの映像を見せてくれたのか。 「パソコンが得意で、昨今の治安に不安を覚えていたことから防犯のために監視カメラを設置していました。おかげでこちらの正当性が証明できると思う。最近では、以前は見なかった不審車両が家の前に長時間止まっています。この映像を(筆者に)見せたのは、今回の問題を記事にしてもらうことで、脅しをする側が露骨な動きをできないように牽制して、自分の身を守るためです」 平穏な日は訪れるか。

  • CМでよく見る転職仲介業者とは【福島県】

     転職活動において転職希望者と企業の仲介役を担う転職エージェント。首都圏では一般的になっており、福島県でも利用者が増えつつある。本県の最新転職事情を追った。 県内では地域密着スタイルで少しずつ浸透  「転職エージェント」という仕事をご存じだろうか。  転職希望者の活動をサポートしつつ、契約している企業に合う優秀な人材を紹介する。報酬は企業側から支払われる仕組みなので、転職希望者は無料で転職活動を進められる。報酬の相場は年収の3割。転職した仕事の年収が500万円だとしたら、150万円を企業側からもらえる。  大手はリクルートエージェント、マイナビエージェント、dodaX、パソナキャリア、ビズリーチなど。登録すると、それぞれのサイトと契約している複数のスカウト(担当者)から連絡が寄せられ、面談を経て各企業とのマッチングが進められる。条件が合致する企業があった際、初めて採用試験(面接)が行われるという流れだ。  自分の市場価値を知ることができるというメリットもあって数年前から広まっており、今夏、転職エージェントを主人公にしたテレビドラマが放送されたほどだ。  少し前まで転職活動と言えば、ハローワークや求人情報誌、折り込みチラシなどで求人情報を収集し、企業に直接連絡するものだった。そこから、求人情報を掲載した転職者向けサイトで検索し仕事を探す時代に移り変わったと思ったら、それすら過去の話になった。  首都圏ではいまや転職エージェントが転職活動のメーンになりつつあるようだ。  本県の中小企業は人手不足に見舞われており、売り手市場の状況が続く。県内の7月の有効求人倍率は1・39倍で、求人数が求職者数を大きく上回っている。  ただし製造業など一部の業種で弱まっている傾向もみられる。福島労働局の担当者によると、主な要因は経済の先行きが不透明なことによる採用抑制。  資材高騰・原油高により営業利益が圧迫され、コロナ禍に講じられた〝ゼロゼロ融資〟の返済が本格化する中、新規採用に慎重になっている中小企業が多いという。  ただでさえ人口減少・少子高齢化が進む本県。求められているのは優秀かつ即戦力の人材であり、転職希望者と企業をつなぐ転職エージェントの役割に注目が集まりそうだ。 県内の本格普及はこれから  もっとも、首都圏と比べると、本県では転職エージェントを使った転職活動の動きは鈍いようだ。その理由について、人材紹介業の経営者は「地元中小企業の求人が少ないからではないか」と指摘する。  「例えば、『福島県 転職』と検索すると大手の転職エージェントが上位に表示されます。ただ、実際に登録すると、『東京の企業の福島支社』の求人が多く出ているだけで、地元でキャリアアップを目指す人やUターン・Ⅰターン希望者が求める中小企業の求人はそれほど多くないのです」  高い報酬を出してまで人材を集める文化が県内企業にないという事情もあるようだ。東北地方で活動する転職エージェントの話。  「大規模企業であれば、優秀な人材を確保するために100万円単位の紹介料を迷いなく払う。『リクナビNEXT』、『マイナビ転職』などの大手転職サイトも、上位に掲載されるために各社数十万円規模の掲載料を払っている。ただ、県内の中小企業がそんな費用を捻出するのは難しい。ハローワークに求人を出し、求人チラシにも有料広告を掲載しつつ、インディード、エンゲージといった無料掲載可能な求人サイトも試しに活用していく――というのが一般的だと思います」  そもそも本県ではまだまだ保守的な意識が強く、キャリアアップのための転職活動がそれほど盛んでないという背景もある。「実際、面談で転職理由を尋ねると、人間関係や待遇への不満など後ろ向きの理由が多い」(同)。  工場が多く、第2次産業就業者の比率が東北6県で最も高い(30・6%、2015年現在)という環境も影響していそうだ。というのも、工場勤務者が転職で飛躍的な年収アップを図るためには、役員・管理職としてマネジメント業務を担った経験を持っていたり、飛び抜けた技術を持っていることが求められる。逆に言えば、そうした経験・技術がなければ転職してキャリアアップを果たすのは難しいということだ。  「工場でそれなりの経験を積んでいるなら、転職で手取りが月2、3万円程度上がる可能性はある。しかし、そのことで扱う機械や労働環境が変わり、働きづらくなるかもしれない。二つの選択肢をてんびんにかけて、結局現状維持の道を選ぶ人が多いと思います」(転職事情に詳しい郡山市の経営者) 2つの事例  こうした中、本県の実情に合わせた〝地域密着型〟転職エージェントサービスを提供する事業者も現れ始めた。  郡山市のクノウ(久能雄三社長)は、大手エージェントのスカウトでは見つけられない県内優良企業の求人を集め、登録者とのマッチングを行っている。  「広告事業も展開しており、人材紹介を通して見えた経営課題の解決のお手伝いなども併せて行っています。県からの委託事業で企業と副業希望者のマッチングも手掛けています。こうした活動を通して、福島県の活性化につながることを期待しています」(久能社長)  求人広告業の老舗・ガイドポスト(郡山市、片田秀司社長)は、求人情報が掲載されたチラシ「ガイドポスト」やウェブサイトに、業務内容と勤務地だけの情報を掲載し、転職希望者と企業をマッチングする有料職業紹介サービスを展開している。 ガイドポスト本社  「もともとは家に引きこもって社会復帰が難しい方の力になれないかと思って始めた事業です。企業と求職者、双方の状況や希望を聞き、条件のミスマッチをなくし、面接は人柄チェックという感じです」(栗山俊光専務)  紹介手数料は相場の「年収の3割」ではなく一律20万円に設定。入社後すぐに退職してしまった場合は減額する。転職希望者と企業の間に同社が入ることで採用がスムーズに行われるようになり、好評を博しているという。  総務省の労働力調査によると、2022年の転職希望者数は過去最高の968万人。本県の転職市場もさらに活発になっていくと予想される。  本県はまだ「転職エージェント過渡期」の状況だが、転職希望者・企業ともに活用することで、「理想の転職」、「理想の採用」を実現できるはずだ。スカウトとの相性や能力差もあり、うまく使いこなすことが重要になる。

  • 遅すぎた福島市メガソーラー抑制宣言

     福島市西部の住民から「先達山の周辺がメガソーラー開発のためにハゲ山と化した。景色が一変してしまった」という嘆きの声が聞かれている。市は山地でのメガソーラー開発抑制に動き出したが、すでに進められている計画を止めることはできず、遅きに失した感が否めない。  福島市は周囲を山に囲まれた盆地にあり、市西部には複数の山々からなる吾妻山(吾妻連峰)が広がる。その一角の先達山で、大規模メガソーラーの開発工事が進められている。  正式名称は「高湯温泉太陽光発電所」。事業者は外資系のAC7合同会社(東京都)。区域面積345㌶、発電出力40メ  ガ㍗。県の環境評価を経て、2021年11月22日に着工、今年3月27日に対象事業工事着手届が提出された。  今年に入ってから周辺の山林伐採が本格化。雪が解け始めた今年の春先には、山肌があらわになった状態となっていた。その様子は市街地からも肉眼で確認できる。  吾妻山を定点観測している年配男性は「この間森林伐採が進む様子に心を痛めていた。あんなところに太陽光パネルを設置されたら、たまったもんじゃない」と語る。  福島市環境課にも同じような市民からの問い合わせが多く寄せられた。そのため、市は8月31日の定例記者会見で、山地へのメガソーラー発電施設の設置をこれ以上望まない方針を示す「ノーモア メガソーラー宣言」を発表した。  木幡浩市長は会見で、景観悪化に加え、法面崩落や豪雨による土砂流出のリスクがあることを指摘。市では事業者に対し法令順守、地域住民等との調和を求める独自のガイドラインを設けていたが、法に基づいて進められた事業を覆すことはできない。そのため、市としての意思を示し、事業者に入口の段階であきらめてもらう狙いがある。条例で規制するより効果が大きいと判断したという。もし設置計画が出てきた際には、市民と連携し、実現しないよう強く働きかけていく。  もっとも、県から林地開発許可を得るなど、必要な手続きを経て進行している建設を止めることは難しいため、現在進行中のメガソーラーの開発中止は求めない方針だ。すなわち、先達山での開発はそのまま続けられることになる。  先達山の開発予定地のすぐ西側には別荘地・高湯平がある。2019年には計画の中止を求め、住民ら約1400人による署名が提出されるなどの反対運動が展開されていた。ただ、結局手続きが粛々と進められ、工事はスタート。今年の春先に高湯平の住民を訪ねた際は「結局押し切られてしまった。こうなったらもう止められないでしょ」とあきらめムードが漂っていたが、時間差で反対ムードに火が付いた。  前出の年配男性は「建設許可を取る際、こういう景観になると予想図を示したはず。自然破壊を予測できなかったとしたら怠慢であり、行政の責任を問うべき」と訴える。こうした意見に対し、県や福島市の担当者は「法に基づき進められた計画を覆すのは正直難しい」と答えた。  福島市以外でも、メガソーラー用地として山林伐採が進み、見慣れた山々の風景が一変してギョッとすることが多い。景観・自然を破壊しないように開発計画を抑制しながら、再生可能エネルギー普及も進めていかなければならない。各市町村には難しい舵取りが求められている。 森林が伐採された先達山

  • 【福島県司法書士会】との「不本意な和解」に憤る男性

     本誌2022年10月号で、福島市松川町在住の伊藤和彦さん(仮名、70代)が県中地区の男性司法書士と福島県司法書士会(福島市)を相手取り、計380万円の損害賠償を求めて福島地裁に提訴したことを報じたが(訴状は同年9月5日付)、今年7月、伊藤さんにとって〝極めて不本意な和解〟が成立した。 「口外禁止」を命じた裁判官に罷免請求 県司法書士会の事務所(福島市)  問題の詳細は同号に譲るが、大まかに言うと伊藤さんは2018年、二本松市内に所有していた住居を大玉村の町田輝美さん(仮名)に2年間賃貸した後、売却する契約を交わし、その契約業務を県中地区の男性司法書士A氏に委託したが、A氏が町田さんに誤った法律的助言をしたため契約が破棄され、依頼者である伊藤さんの利益が損なわれた。伊藤さんは「A氏の行為は民法で禁じられている双方代理」と強く憤った。  その後、町田さんは伊藤さんから借りていた住居の滞納家賃をめぐり円満解決を図りたいとして2019年、A氏の助言を受けて県司法書士会の調停センターに調停を申し立てた。しかし、伊藤さんが調べたところ、同センターで扱える紛争の目的額はADR法で「140万円以下」と定められ、伊藤さんと町田さんの紛争額は200万円を超えていたため、同センターでは扱えないことが判明。伊藤さんは同センターに「町田さんの申し立ては受理できないのではないか」と訴えたが、聞き入れられなかったため、調停から離脱した。冒頭の訴訟は、こうした経緯を経て起こされたわけ。  提訴の前には、A氏と県司法書士会を相手取り、福島簡易裁判所に民事調停を申し立てた伊藤さん。この時、A氏は不応諾(手続き不参加)だったが、県司法書士会は誤った解釈で調停手続きを行っていたことを認め、反省や再発防止策を示した。  ただ伊藤さんは、県司法書士会が自らの非を認めたことは評価できるとしたが、和解を受け入れる気にはなれなかった。  「A氏と県司法書士会の行為により私は多大な損害を被りました。当然、その損害は正しく算定され、きちんと救済されるべきなのに、県司法書士会は原因者を処分せず、私に解決金50万円を払ってお手軽に和解しようとしました。このまま和解すれば、私が体験したADR法の不備(調停参加者が被害を受けても救済措置がない状態)は解消されず、私のような被害者が出かねない」(伊藤さん)  こうして調停は不調となり、訴訟を起こした伊藤さんだが、実は今年7月10日、和解が成立した。和解条項には①被告(県司法書士会)は原告(伊藤さん)に解決金20万円を支払う、②原告および被告らは正当な理由がある場合に「和解が成立したことにより解決した」旨説明する以外は紛争の経緯および和解の内容についてマスコミ、書籍、SNSその他いかなる方法においても一切口外しないことを約束する――と書かれていた。これ以上『政経東北』に取り上げられたくないという県司法書士会の意図が透けて見える。  ともかく和解条項に則れば、これ以上詳報することは控えなければならない。ただ、②「口外禁止」を和解条項に盛り込むことについて、伊藤さんは強く抵抗した。  「私は自分が悪いことをしたとは全く思っていない。そうした中で福島地裁は口外禁止を付けた和解を提案したわけですが、私からすれば口外禁止を認めれば『政経東北』さんをはじめマスコミに事の顛末を説明できなくなる。口外禁止で得をするのはA氏と県司法書士会だけ」(同)  伊藤さんは和解成立の当日、福島地裁に以下の対応を求める文書を提出した。  《原告は口外禁止条項は意味を持たず、本件関係者への終了報告等をしたい希望もあるので求めない。口外禁止が付くことは原告にとって生涯にわたり精神的苦痛を受け続け、負担になる》《裁判所の意向に沿った口外禁止に関し、原被告当事者間の協議割合を多くする配慮をお願いしたい。裁判所主導による口外規制等は、原告にとって、精神的苦痛等の負担を裁判所から生涯にわたり科せられることにもなる》  福島地裁が主導した口外禁止に対し、強い不満を露わにしていることが分かる。  その上で伊藤さんは、もし口外禁止を付けるのであれば、それによって生じる精神的苦痛に対し金銭を含む配慮を求めたが、福島地裁は受け入れず、前記①の通り解決金20万円で口外禁止の付いた和解が成立したのである。 不都合な事実隠し 7月10日に出された弁論準備手続調書(和解)  事の顛末を口外できなくなった伊藤さんは今、訴訟が和解に至った背景には「司法従事者による結託」があったからではないかという疑いを強めている。  県司法書士会が福島簡易裁判所での調停で自らの非を認めたことは前述したが、県司法書士会は訴訟に入ると一転争う姿勢を見せた。伊藤さんは調停で反省と改善策が示されたので「訴訟になればすんなり決着(勝訴)すると思っていた」(同)。  戸惑う伊藤さんを尻目に、訴訟ではこんな出来事も起きていた。  「県司法書士会は(自らのミスを認めた)調停では地元の弁護士を代理人に立てたが、訴訟では突然、神奈川県の弁護士に変更した。さらに口頭弁論には毎回、県司法書士会と日本司法書士会の職員6~8人が傍聴に来ていた」(同)  伊藤さんはなぜ日本司法書士会が関与してきたのか不思議に思っていたが、訴訟が進むうちに、ある確信を持つようになった。  「県司法書士会は調停では自らの非を認めたが、私が和解せず提訴したことで、今度は法廷で自らの非を認めなければならなくなった。そうなれば県司法書士会は敗訴し、争いの詳細が公になる。だから県司法書士会は、それは避けたいと日本司法書士会のサポートを受け、調停から態度を一転させたんだと思う」(同)  とはいえ、いったんは自らの非を認めた以上、勝訴に持ち込むのは難しい。そこで、和解で問題を決着させると同時に、口外禁止を付けることで争いの詳細を外部に漏らさないようにしたのではないか、と伊藤さんは推測するのだ。  「要するに、私の口を封じつつ自分たちにとって不都合な事実を隠そうとしたわけです」(同)  そう言って伊藤さんは記者に1枚の紙を見せた。「福島地方裁判所委員会」(※裁判所の取り組み等を協議する組織)と書かれた紙には6月15日現在の委員11人の名前が書かれているが、その中にO氏(福島地裁部総括裁判官)、I氏(県司法書士会調停センター長)、S氏(弁護士)が入っているのを伊藤さんは見つけたのだ。  O氏は今回の訴訟の裁判官、I氏は違法な調停手続きを行った調停センターのトップ、S氏は調停で県司法書士会が自らの非を認めた際の代理人。伊藤さんからすると、被告と深い関わりのあるI氏とS氏が、仲裁する立場のO氏と別組織でつながっていたことになる。  3氏の関係性を知った時、伊藤さんは「本当に中立的な裁判が行われたのか」と激しく落胆したという。  「第5回口頭弁論で、福島地裁は県司法書士会が調停で自らの非を認めたにもかかわらず、突然『調停手続きに違法性は認められない』と心証開示し、同時に和解勧告を行いました。しかし、違法性はないとする根拠は一切示されなかった。そこからの福島地裁の発言は、被告側に偏向していったように感じます。挙げ句、私が望まない口外禁止が和解条項に盛り込まれた。なぜ福島地裁はこういう決着を図ろうとするのか違和感を持ったが、O裁判官と被告側の関係者が福島地方裁判所委員会で一緒に活動していることを知り『なるほど、みんな仲間だったのか』と合点がいきました」(同)  すなわち、伊藤さんの推測はこうだ。県司法書士会と日本司法書士会は司法書士の社会的信用を維持するため、穏便に事を済ませたかった。そこを福島地裁が忖度し、司法従事者にとって都合の良い口外禁止付きの和解を提案したのでは――。  だったら和解しなければよかったのではないかという意見もあると思うが、実は口外禁止をめぐっては伊藤さんのように和解成立後に不満を露わにする人も少なくない。2019年には長崎県の男性が、雇い止めをめぐる労働審判で労働審判委員会から第三者に審判内容を口外しないよう命じられ精神的苦痛を受けたとして、国に150万円の損害賠償を求めて提訴。翌年、長崎地裁は「口外禁止は原告に過大な負担を強いており、労働審判法に違反する」と指摘したのだ(審判そのものは違法と言えず、男性の請求は棄却された)。  伊藤さんが「司法従事者による結託」を疑う理由はほかにもある。  伊藤さんは2020年11月にA氏と調停センター長、21年6月には県司法書士会長に対する懲戒処分を福島地方法務局に申し立て、受理された。同法務局はその後、A氏と調停センター長への調査を県司法書士会に委嘱したが(※伊藤さんによると県司法書士会長への調査はどこが行ったか不明)、調査結果は一向に示されなかった。  伊藤さんは調査が県司法書士会に委嘱された時点で〝身内〟を厳格に調査するはずがないと落胆したが、A氏と県司法書士会を提訴すると、その1、2週間後に福島地方法務局から「懲戒には当たらない」との連絡が寄せられたというのだ。 「納得いかない」と伊藤さん  伊藤さんからすると、放置されている感のあった調査が突然「懲戒には当たらない」と結論付けられ「なぜ、このタイミングなのか」と思ったそうだが、  「懲戒処分の流れは、県司法書士会が日本司法書士会に調査結果を上げ、日本司法書士会がそれを審査した後、意見を付して法務局に報告します。つまり、ここでも司法従事者はつながっていて、両司法書士会は私に関する情報を共有していた。私が起こした訴訟に日本司法書士会が積極的に関わってきたのは、県司法書士会とのつながりがあったからだと思います」(同)  伊藤さんの推測を聞いた人の中には被害妄想と受け止める人もいるかもしれない。しかし和解の際に口外禁止を付けることに強く反発したのは事実であり、もっと言うと伊藤さんはO裁判官(前出)らが行った和解判断は「裁判官に与えられた権限の趣旨を著しく逸脱し、自由裁量を濫用した不当・違法なものだ」として、最高裁判所に裁判所法に基づく処分と不服申し立てを行っているのだ(8月10日付)。更にO裁判官に対しては、裁判官訴追委員会に下級裁判所事務処理規則に基づく罷免まで求めている(同日付)。  こうした行動を起こすくらい、伊藤さんは口外禁止付きの和解に納得していないのだ。  「私は県司法書士会の不正行為により時間、お金、労力を無駄に使わされ、描いていた人生計画を狂わされました。また、最後の砦と信じていた裁判所にも納得のいかない対応をされ、事実も口外できない最悪の結末となってしまいました。福島地裁の判断は今も納得がいかない。不服申し立てや罷免請求がどのように扱われるか分からないが、自分にできる闘いに臨みたい」(同)  県司法書士会にコメントを求めると「こちらからお答えすることは何もありません」(事務局職員)とのことだった。  伊藤さんにとっては後味の悪さばかりが残った今回のトラブル。A氏と県司法書士会は口外禁止付きの和解により争いの詳細が公にならないと安堵しているかもしれないが、同じミスをなくし、伊藤さんのような被害者を出さないように対策を尽くすことこそが重要だということを肝に銘じるべきだ。 あわせて読みたい 依頼者に訴えられた司法書士と福島県司法書士会

  • トラブル相次ぐ【磐梯猪苗代メガソーラー】

     磐梯町と猪苗代町にまたがる林地で建設が進められている太陽光発電施設(メガソーラー)で、施工業者間による工事代金未払いトラブルが起きている。被害を訴える業者は損害賠償を求めて提訴する準備を進めているが、この業者によると、そもそも建設地は地層や土質の調査が不十分にもかかわらず県が林地開発許可を出したという。建設地でどのような調査が行われ、県の許可に問題はなかったのか検証する。 専門業者が県の林地開発許可を疑問視  JR磐越西線翁島駅から南西に約2㌔、線路と磐越自動車道に挟まれた広大な林地で今、メガソーラーの建設が進められている。  敷地は磐梯町と一部猪苗代町にまたがっており、面積約34・7㌶。記者は8月上旬に一度建設地を訪れたが、起伏のある土地に沿って無数のパネルが並び、遠くではこれからパネルが張られようとしている場所で重機が動いているのが確認できた。  不動産登記簿によると、一帯は主に都内の再エネ会社と奈良市在住の個人が所有しており、都内の再エネコンサル会社と投資会社が権利者として名前を連ねている。  開示された県の公文書によると、メガソーラーの正式名称は磐梯猪苗代太陽光発電所(設備容量28・0㍋㍗)、事業者は合同会社NRE―41インベストメント(東京都港区、以下、NRE―41と略。代表社員=日本再生可能エネルギー㈱、職務執行者=ニティン・アプテ氏)。同社は建設地に2019年12月から35年間の地上権を設定し、土地所有者の再エネ会社を債務者とする10億円の抵当権を設定している。  調べると、NRE―41と代表社員の日本再生可能エネルギーは同じ住所。さらにその住所には日本再生可能エネルギーの親会社であるヴィーナ・エナジー・ジャパン㈱が本社を構えている。  ヴィーナ・エナジーはアジア太平洋地域最大級の独立系再生可能エネルギー発電事業者で、シンガポールに本社、各国に現地法人を置く。日本では2013年から事業を開始し、日本法人のヴィーナ・エナジー・ジャパン(以下、ヴィーナ社と略)は国内29カ所でメガソーラーを稼働する。県内には国見町(運転開始16年2月、設備容量13・0㍋㍗)、二本松市(同17年8月、同29・5㍋㍗)、小野町(同20年8月、35・0㍋㍗)に施設がある。  ヴィーナ社にとって磐梯猪苗代太陽光発電所は県内4カ所目の施設となるが、実は前記3カ所もNRE―03インベストメント、同06、同39という合同会社がそれぞれ事業者になっている。合同会社は新会社法に基づく会社形態で、設立時の手間やコストを省ける一方、代表社員は出資額以上のリスクを負わされず(ちなみにNRE―41の資本金は10万円)、投資家と事業者で共同事業を行う際、定款で定めれば出資比率に関係なく平等の立場で利益を配分できるといった特徴がある。  そのため合同会社は、外資が手掛けるメガソーラーの事業者として登場する頻度が高い。ヴィーナ社にとっては、発電を終え利益を確定させたら撤退し、リスクが生じたら責任を負わせて切り捨てる、という使い勝手の良さが透けて見える。  そんな建設地で今、施工業者間によるトラブルが起きている。  「私は下請けとして2019年11月から現場に入ったが、元請けが適正な工事代金を払わず、再三抗議しても応じないため、やむなく現場から手を引いた」  こう話すのは、小川工業㈱(郡山市)の小川正克社長だ。  同社はヴィーナ社の元請けである㈱小又建設(青森県七戸町)から造成工事などを受注したが、地中から大量の転石が発生し、その処理に多大な労力を要した。当然、工事代金は当初予定よりかさんだが「小又建設はいくら言っても石にかかった工事代金を払わなかった」(同)。未払い金は5億円に上るという。 巨大な転石を測量する作業員(小川社長提供)  「こちらで転石の数量をきちんと把握し、一覧にして請求しても払ってくれないので青森の本社に行って小又進会長に直談判した。しかし、小又会長は『そんなに石が出るはずがない』と言うばかりで」(同)  小川社長は仕事を任せた作業員に迷惑をかけられないと、立て替え払いをしながら「石の工事代金を払ってほしい」と求め続けたという。  「小又建設の現場監督に『工事を止めないでほしい』と言われ、支払いがあると信じて工事を続けたが、状況は変わらなかった」(同)  このままでは会社が持ちこたえられないと判断した小川社長は2021年1月に現場から撤退。現在、小又建設を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こす準備を進めている。  これに対し、小又進会長は本誌の電話取材にこう反論する。  「石に関する工事代金は数回に分けて払い全額支払い済みだ。手元には小川工業からの請求書もあるし支払調書もある。うちは建設業法違反になるようなことはやらない」  小川社長と小又会長は自身の言い分を詳細に話してくれたが、もし裁判になった場合、記事中のコメントが訴訟の行方に影響を与える恐れもあるので、これ以上詳報するのは控えたい。ただ、これとは別に小川社長が問題提起するのが、NRE―41が県に行った林地開発許可申請だ。  NRE―41は2019年7月に県会津農林事務所に林地開発許可申請書を提出。同年8月に森林法の規定に基づき、県から林地開発を許可された。その申請に当たり同社は建設地でボーリング調査を行い、県に調査結果を提出しているが、小川社長は「書類が不備だらけ」と指摘するのだ。 不備だらけの書類 工事が続く磐梯猪苗代太陽光発電所(8月中旬撮影)  「NRE―41は建設地の3カ所でボーリング調査を行っているが、その結果が書かれた3枚のボーリング柱状図を見ると2枚は調査個所を示す北緯と東経が空欄になっていた。同社が提出したボーリング調査位置図には三つの赤い点で調査個所が示されているが、北緯と東経が不明では本当に赤い点の個所で調査が行われたのか疑わしい」(同)  記者も3枚のボーリング柱状図を見たが、そのうちの2枚は確かに北緯と東経が空欄になっていた。  「不可解なのは、ボーリング柱状図は3枚あるのに、コア(ボーリング調査で採取された石や土が棒状になった試料。これにより現場の地層や土質が把握できる)の写真は2枚しかないことです。また、調査の様子や看板の写真も1枚もない。こんな不備だらけの書類を、県はなぜ受理したのか不思議でならない」(同)  この3カ所以外に、NRE―41は別の3カ所でもボーリング調査を行っているが、そちらはボーリング柱状図に空欄はなく、コアの写真も3枚あり、調査の様子や看板の写真も一式揃っていた。  「そもそも34・7㌶もの林地を開発するのに、ボーリング調査をたった6カ所でしか行っていないのは少なすぎる。しかも6カ所は建設地の中央ではなく、すべて外側や境界線あたり。これで一帯の正確な地層や土質が把握できるのか」(同)  ならば、建設地中央の地層や土質はどうやって調査したのか。  「NRE―41は簡易動的コーン貫入試験で土質調査を済ませていた。調査位置図や調査結果書を見ると、建設地の主要18カ所で同試験が行われていた」  しかし、ボーリング調査が深度10~15㍍の地層まで把握できるのに対し、コーン貫入試験は3㍍未満の地層しか把握できず、正確な地層や土質を調べることはできない。  小川社長は「だから、造成工事をしたら大量に石が出てきたんだと思う」と指摘する。  「きちんとボーリング調査をしていれば一帯が石だらけなのは分かったはず。それをコーン貫入試験で済ませたから、表層は把握できても深層までは把握できなかった。ただ地元の人なら、昔起きた磐梯山の噴火で一帯に大量の石が埋まっていることは想像できる。ヴィーナ社は外資で、小又建設は青森だから分からなかったんだと思う」(同) 「私なら受理しない」  本誌はあるボーリング調査会社社長にNRE―41の書類一式を見てもらったが、開口一番発したのは「本当にこれで県は受理したんですか」という疑問だった。  「まずコアの写真がないのはおかしい。普通はコアの写真があってボーリング柱状図が作成され、調査の様子や看板の写真などと一緒に県に提出するからです。コアは役人が立ち会い、実物を確認したりもする大事なものなので、その写真がないのは明らかにおかしい」(同)  こうした調査結果に基づいて設計図がつくられ、造成工事はその設計図に沿って行われるため「調査が不正確だと設計図も誤ったものになり造成工事は成り立たなくなる」(同)という。  「そもそも最初のボーリング調査がたった3カ所というのは少なすぎる。普通は建設地の対角線上に一定の距離を置きながらボーリング調査をしていく。その調査個所をつないでいけば一帯の地層や土質が見えてくるし、さらに詳細に調べるなら物理探査を行って地中の様子を面的に見たりもする」(同)  調査会社社長は、今回のように広大な建設地を造成する場合はどれだけの強さの土がどれくらいあるか知っておくべきとして「地質断面図があればなおいい」と指摘したが、書類一式を見てもそれはなかった。  「建設地の中央をコーン貫入試験で済ませていては一帯の地層や土質を把握するのは無理。同試験では表土は分かっても地層は分からない。コーンを貫入して礫や転石に当たったら、それ以上は貫入不可能だからです。だいいち同試験は表層滑りのリスクがあるかどうかを調べるために行うので、NRE―41が行った同試験にどんな意味があるのか分からない。正直、こういう調査でよく設計図が書けたなと思う」(同)  その上で調査会社社長は「自分が県職員だったら、コーン貫入試験ではボーリング調査の〝代役〟にはならず、一帯の地層や土質は把握できないのでボーリング調査をやり直すよう命じる。もちろん申請書は受理しない」と断言する。  「理由は災害のリスクがあるからです。一帯の地層や土質が分からずに開発し、結果、災害が起きたら周囲に深刻な被害をもたらす恐れがある。だから、災害が起こらないようにボーリング調査を行い、調査結果に基づいて設計図をつくるのです。ボーリング調査も設計図も不正確では安全性を担保できない。もし災害が起きたら開発業者に責任があるのは言うまでもないが、私は許可を出した県の責任も問われてしかるべきだと思う」(同)  専門業者も疑問視する中、県はなぜ許可を出したのか。申請書を受理した会津農林事務所森林林業部の眞壁晴美副部長は次のように話す。  「森林法第10条には『知事は林地開発の申請があった時、災害や水害を発生させる恐れがないこと、水の確保や環境の保全に心配がないことが認められれば許可しなければならない』とある。これに基づき、NRE―41の申請は要件を満たしていたため許可を出した」  ボーリング調査も全体的に行う必要はないという。  「計画では敷地内に防災調節池を8カ所つくることになっており、そのうち6カ所は掘り込み式の調節池だが、残り2カ所は築堤する設計で基礎地盤を把握しなければならないため、NRE―41は一つの調節池につき3カ所、計6カ所のボーリング調査を行った。コーン貫入試験は太陽光パネルの足場を組むため現場の土質を調べたもので、許可申請とは何の関係もない」(同)  前出・小川社長が指摘する「書類の不備」(ボーリング柱状図に北緯と東経が載っていない、コアの写真がない、調査の様子や看板の写真一式がない)については、  「NRE―41が調査を依頼した調査会社に県が聞き取りを行い、事情を把握するとともに、欠けていた書類をあとから提出してもらった。北緯と東経が空欄になっているなどの不備があったのは、調査途中でも新しく分かったことがあれば記入してどんどん提出してほしいと県が要請したので、その時に未記入の書類が提出され、それが開示請求によって公開されたのではないか。県の手元には北緯と東経が書かれたボーリング柱状図がある」  県が調査未了でも書類の提出を求め、それが開示請求によって公開されるなんてことがあるのだろうか。  筆者が「造成工事を行った結果、設計図と実際の地層、土質が違っていた場合はどうなるのか」と質問すると、  「悪質な場合は県が行政指導を行い、計画の見直しや新たな書類を提出してもらうこともあるが、基本的には事業者自らの判断で林地開発計画変更届出書を提出し、必要な変更措置をしてもらう」(同)  ちなみにNRE―41はこの間、造成工事の遅れや計画の一部変更を理由に県に何度か変更届出書を提出している。直近では今年8月31日までとしていた造成工事期間を12月5日まで延長する変更届出書を提出しているが、行政指導を受けて変更届出書を提出したことがあるかどうか尋ねると「それは言えない」(同)。また、建設地で災害が起きた場合の対策は「森林法に基づき必要書類を提出させている」(同)とのこと。 〝ザル法〟の森林法  正直、現場の正確な地層や土質が分からないまま、簡易な構造物(太陽光パネル)を設置するだけとはいえ広大な林地を開発させてしまって大丈夫なのか心配になる。たとえそれが法的に問題なくても、である。  前出・調査会社社長も驚いた様子でこう話す。  「林地開発が〝ザル法〟の森林法で許可されてしまうことがよく分かった。現場の地層や土質が分からないまま、もしメガソーラーで災害が起きたら、第一義的な責任は事業者にあるが、私は許可した県の責任も問われてしかるべきだと思う。もっとも県は『法律上問題なかった』と言い逃れするんでしょうけどね」  実はこれに関連して、前出・小又進会長が気になる発言をしていた。  「設計はヴィーナ社で行い、石の大量発生についてはうちでも払ってほしいとお願いしたが、ヴィーナ社は予算がないの一点張りだった」  つまり小又建設も、小川建設と同様に転石の工事代金を払ってもらえずにいたのだ。  筆者が「ヴィーナ社がきちんと調査していればこんな事態にはならなかったのではないか」と尋ねると、小又会長は請負業者としての難しい立場を明かした。  「その時点でうちはヴィーナ社の工事を3カ所請け負っていた。業者は『請け負け』の立場。正直、発注者には言いづらい面がある」(同)  ある意味、小又建設も被害者なのかもしれないが「青森では十数億円の現場を2カ所世話になった」(同)とも言うから、ヴィーナ社とは持ちつ持たれつの関係なのだろう。逆に言うと、小又建設がヴィーナ社から正当な転石の工事代金を受け取っていれば、小川建設にもきちんと支払いが行き届いていたのではないか。  ヴィーナ社に取材を申し込むと、子会社の日本再生可能エネルギーから「回答するので時間がほしい」とメールで連絡があったが、その後、締め切りまでに返答はなかった。  前出・小川社長は「県はNRE―41の許可申請を受理すべきではなかった。そうすれば林地開発は行われず、私も被害を受けずに済んだ」と嘆くが、森林法が〝ザル法〟であることが明らかな以上、必要な是正をしないと、あちこちの林地で稼働するメガソーラーで災害が起きた時、対応する法律がない事態に直面するのではないか。 【その後】磐梯猪苗代メガソーラー発電事業者から回答 (2023.11月号より)  先月号に「トラブル相次ぐ磐梯猪苗代メガソーラー」という記事を掲載した。  磐梯町と猪苗代町にまたがる林地で建設が進むメガソーラーで、施工業者間による工事代金未払いトラブルが起きていることや、建設地の地層や土質の調査が不十分にもかかわらず、県(会津農林事務所)が林地開発許可を出したことを専門業者の解説を交えながら報じた。  メガソーラーの事業者は「合同会社NRE―41インベストメント」という会社だが、実質的にはアジア太平洋地域最大級の独立系再生可能エネルギー発電事業者「ヴィーナ・エナジー」が指揮している。本誌は同社に取材を申し込んだが、子会社である「日本再生可能エネルギー」の大久保麻子氏から「回答するので時間がほしい」というメールは届いたものの、結局、締め切りまでに返答はなかった。  その後、10月18日に「記事掲載後とはなりますが、弊社見解をご送付させていただきます」として、同じ大久保氏でも今回は「ヴィーナ・エナジー・ジャパン広報」という立場で以下の回答を寄せた。  「当社は、県の指示に基づき、適法に開発を行っております。また、個別の契約についてはお答え致しかねます」  期限はとっくに過ぎているが、回答していただいたことには素直に感謝したい。ただ、先月号で取材に応じた〝被害者〟の小川正克氏(小川工業社長)は  「あそこに関わる人たちは時にはヴィーナ・エナジー、時には日本再生可能エネルギー、時にはNRE―41とコロコロ立場を変えるんです。いろいろな都合に合わせて所属先の会社を使い分けるのは、仕事を請け負う側からすると心配になる。もし問題が起きた時、責任を問おうとしても『それはヴィーナ・エナジーとは関係ない』、『日本再生可能エネルギーはタッチしていない』と言い逃れされる恐れがあるからです」  と話していたから、今回、大久保氏の所属先が変わっていたのを見て合点がいった次第。  小川氏によると「10月号発売後、県とヴィーナ社の間で折衝が続いている模様」というから、林地開発や工事をめぐって何らかのやりとりが行われているとみられる。

  • 【ふくしま逢瀬ワイナリー】が赤字閉鎖!?【郡山】

     郡山市の「ふくしま逢瀬ワイナリー」が閉鎖の危機に立たされているという情報が寄せられた。施設を建設し、ワイナリー事業を進める公益財団法人が2024年度末に撤退するが、施設と事業の移管先が見つからないという。同法人は施設を通じて市と果樹農業6次産業化プロジェクトを行っているが、市からも移管を拒まれている。同法人と市の間では現在も協議が続いているが、このまま移管先が見つからなければ最悪、施設を取り壊しワイナリー事業を終える可能性もある、というから穏やかではない。(佐藤仁) 復興寄与で歓迎した郡山市は素知らぬ顔  今から8年前の2015年10月、郡山市西部の逢瀬地区にふくしま逢瀬ワイナリー(以下逢瀬ワイナリーと略)が竣工した。  市が所有する土地に公益財団法人三菱商事復興支援財団(東京都千代田区、以下三菱復興財団と略)が醸造・加工工場を建設。2016年11月にはワイナリーショップも併設された。敷地面積約9000平方㍍、建物面積約1400平方㍍。県内産の果実(リンゴ、桃、梨、ブドウ)を原料にリキュールやワインなどを製造・販売しており、当初の生産量は1万2000㍑、将来的には2万5000~3万㍑を目指すという方針が掲げられた。  逢瀬ワイナリーが建設されたのは2011年3月に起きた東日本大震災がきっかけだった。  同年4月、三菱商事は被災地支援を目的に、4年総額100億円の三菱商事東日本大震災復興支援基金を創設。被災した大学生や復興支援に携わるNPO、社会福祉法人、任意団体などに奨学金や助成金を給付した。2012年3月には三菱復興財団を設立し、同年5月に公益財団法人の認定を取得。同基金から奨学金事業と助成金事業を継承する一方、地元金融機関と協力して被災地の産業復興と雇用創出のための投融資支援を行った。  予定通り2014年度末で「4年総額100億円」の同基金は終了したが、15年度以降も被災地支援を継続するため、三菱商事から35億円が追加拠出された。  ワイナリー事業に精通する事情通が解説する。  「三菱復興財団は当初、岩手と宮城の津波で被災した事業所を中心に支援し、福島では産業・雇用に関する目立った支援が見られなかった。その〝遅れ〟を取り戻そうと始まったのが逢瀬ワイナリーだったと言われています」  三菱復興財団が2011~20年までの活動をまとめた報告書「10years」に産業支援・雇用創出の支援先一覧が載っているが、それを見ると3県の支援先数と投融資額合計は、岩手県が15件、5億9850万円、宮城県が25件、10億8500万円なのに対し、福島県は11件、3億4200万円となっている。  奨学金と助成金の給付状況を見るとこの序列は当てはまらないが、産業支援・雇用創出の支援は確かに福島県が一番少ない。  「津波被害や風評に苦しむ企業・団体が投融資支援の対象となってきた中、突然郡山にワイナリーをつくるという発表は不思議だったが、その背景には地元選出で復興大臣(2012年12月~14年9月)を務めた根本匠衆院議員の存在があったと言われています。表向きの理由は①果実が豊富な福島県は果実酒製造のポテンシャルが高い、②ワイナリー事業は地元産業と競合しない、②郡山市から協力体制が得られたとなっていますが、一方で囁かれたもう一つの理由が、復興大臣の地元を支援しないのはマズいと三菱復興財団が忖度したというものでした」(同)  真偽はさておき、35億円の追加拠出を受けた三菱復興財団は2015年2月、市と果樹農業6次産業化プロジェクトに関する連携協定を締結した。以下は当時のリリース。  《今般、お互いの復興に対する思いが合致し、郡山市と三菱商事復興支援財団が一体となって、農業、観光、物産業等の地域産業の復興を加速させるために連携協定を締結致します。「果樹農業6次産業化プロジェクト」は、福島県産果実の生産から加工、販売を一連のものとして運営する新たな事業モデルの構築を目指すものです。現状、安価で取引されている規格外の生食用果実(桃・なし・リンゴ等)の利活用を図ると共に、新たにワイン用ぶどうの生産農家を育成し、集めた果実を使用してリキュール、ワインの製造・販売を行います。三菱商事復興支援財団が醸造所や加工施設の建設、販売等の地元農家だけでは負担することが難しい初期費用、事業リスクを請け負う形で、6次産業化事業の確立を目指します》  三菱復興財団が施設を建設し、販路を開拓するだけでなく、事業にかかる初期費用やリスクを負うことで地元農家を支えることを約束している。事実、前述した同基金(創設時100億円+追加拠出35億円=計135億円)の給付内訳(別掲)を見ると「ふくしまワイナリープロジェクト」には13億円も給付しており、同財団の注力ぶりが伝わってくる。 難航極める移管先探し ふくしま逢瀬ワイナリー  三菱復興財団と市が連携して取り組む果樹農業6次産業化プロジェクトとはどのようなものなのか。  三菱復興財団と市は安価で取り引きされている規格外の生食用果実を利活用するだけではなく、地ワイン開発とワイン産地化を目指して、これまで市内で栽培例のなかったワイン用ブドウの生産に着手(1次産業=農業生産)。これらの果実を原料にリキュールやワインの醸造技術とノウハウを蓄積(2次産業=加工)。製造された加工商品の販路を開拓する(3次産業=流通・販売・ブランディング等)というものだ。  市は2015年3月、ワイン用ブドウの試験栽培を地元農家4軒に依頼。同年12月にはワイン用ブドウの苗木や栽培用資材にかかる初期経費を支援した。さらに▽逢瀬ワイナリー周辺の環境整備、▽産地形成を目的に地元農家9軒をメンバーとする郡山地域果実醸造研究会を発足(現在は13軒に拡大し、ここがワイン用ブドウの生産農家となって逢瀬ワイナリーに納めている)、▽逢瀬ワイナリーの敷地を観光復興特区に指定し固定資産税を軽減、▽イベント開催――などを進めた。  一方、公益財団法人の三菱復興財団は特定の利益事業を行うことができないため2015年5月、委託先として一般社団法人ふくしま逢瀬ワイナリー(郡山市逢瀬町、河内恒樹代表理事)を設立。同法人が酒の製造・販売など現場を取り仕切り、理事には市農林部の部課長も就いた。  県内産の果実を使ったスパークリングワインやリキュールは施設稼働の翌年(2016年)から出荷したが、15年に植栽したワイン用ブドウを原料とする郡山産ワインは19年3月に初出荷。以降は毎年、郡山産ワインを製造・販売しており、国内外の品評会でも20年度まではリキュールやシードルでの受賞にとどまっていたが、21、22年度はワインでも高い評価を得るまでに成長した。  スタートから8年。逢瀬ワイナリーを核とする6次産業化プロジェクトはようやく軌道に乗ったが、そんな施設が今、閉鎖の危機に立たされているというから驚くほかない。  前出・事情通が再び解説する。  「三菱復興財団が逢瀬ワイナリーから2024年度限りで撤退するため、市に施設と事業を移管したいと申し入れている。しかし、市農林部が頑なに拒んでいて……」  実は、三菱復興財団はもともと6次産業化プロジェクトのスタートから10年後の2024年度末に施設と事業を「地元」に移管する予定だったのである。同財団は「地元」がどこを指すかは明言していないが、同財団撤退後、新たな事業主が必要になることは関係者の間で周知の事実だったことになる。  「三菱復興財団は以前から、できれば市に引き受けてほしいと秋波を送っていた。市は6次産業化のパートナーなので、同財団がそう考えるのは当然です。しかし市は、ずっと態度を曖昧にしてきた」(同)  なぜ、市は「引き受ける」と言わないのか。  「郡山産ワインは市場でようやく評価されるようになったが、これまで支出が上回ってきたこともあり施設はずっと赤字だった。今は三菱復興財団が面倒を見てくれているからいいが、市が施設を引き受ければそのあとは赤字も負担しなければならないため、品川萬里市長が難色を示しているのです」(同)  上がノーと言えば、下は従うほかない――というわけで、市農林部は三菱復興財団の移管要請を拒み続けている、と。  「三菱復興財団では、市が引き受けてくれないなら同財団に代わって施設と事業を継続してくれる企業・団体を探すとしています。ただし、同財団は公益財団法人なので民間に売却できない。そこで、市に施設と事業を移管し、同財団が探してきた企業・団体と市で引き続き6次産業化プロジェクトに取り組んでもらう方向を模索している。とはいえ、同財団に代わる企業・団体を見つけるのは簡単ではなく、移管先探しは難航を極めているようです」(同) 振り回される生産農家  ワイン用ブドウの生産農家に近い関係者も次のように話す。  「三菱復興財団の担当者も『市長がウンと言ってくれなくて……どこか適当な移管先はないか』と嘆いていました」  この関係者は、地元の大手スーパーか酒造会社が施設と事業を引き受け、ワインづくりを継続できれば理想的と語るが、「現実は赤字施設を引き受けるところなんて見つからないのではないか」(同)。  もっとも、本当に赤字かどうかは逢瀬ワイナリーの決算が不明で、三菱復興財団も貸借対照表が公表されているだけなので分からない。参考になるのは、国税庁が調査した全国のワイン製造業者の経営状況(2021年1月現在)だ。  それによると、ワイン製造者の46%が欠損または低収益となっているが、製造数量が少ない(100㌔㍑未満)事業者ほど営業利益はマイナスで、多い(1000㌔㍑以上)事業者はプラスになっている。逢瀬ワイナリーの製造量は100㌔㍑未満なので、この調査に照らせば赤字なのは間違いなさそうだ。  ついでに言うと、全国にワイナリーは413場あり(2021年1月現在、国税庁の製造免許場数および製造免許者数)、都道府県別では1位が山梨県92場、2位が長野県62場、3位が北海道46場と、この3地域で全国の48%を占める。福島県は9場で第9位。  「生産農家は実際にワイン用ブドウをつくってみて、郡山の土地と気候は合わないと感じつつ、それでも試行錯誤を重ね、今では品評会でも賞をとるほどの良いブドウをつくれるまでに成長した。昨年のブドウも良かったが、今年はさらに良い出来と期待も高まっている。そうした中で施設と事業の移管先が見つからないという話が出てきたから、生産農家は困惑している」(同)  今年春には、市農林部から生産農家に「もし逢瀬ワイナリーがなくなったら、生産したブドウはどこに手配するか」との質問がメールで投げかけられたという。  「ワインづくりは各地で行われているので、ここで買い取ってくれなくても、意欲の高い生産農家は他地域にブドウを持ち込んで、さらに品質の良いワインづくりに挑むと思います。そういう意味では郡山にこだわる必要はないのかもしれないが、半面、ワイン用ブドウの生産は復興支援で始まった取り組みなのに、そういう市の聞き方はないんじゃないかと不満に思った生産農家もいたようです」(同)  記者は生産農家数軒に「三菱復興財団が逢瀬ワイナリーから撤退するため、移管先を探していると聞いたが事実か」と尋ねてみたが、  「私はワイン用ブドウを生産し納めているだけで、施設の経営については分からないので、コメントは控えたい」  と、返答を寄せた人は口を開こうとしなかった。折り返し連絡すると言ったまま返答がない人もおり、生産農家がどこまで詳細を把握しているかは分からなかった。  ちなみに生産農家は三菱復興財団と契約し、つくったブドウの全量を買い取ってもらい、逢瀬ワイナリーに納めているという。前出・関係者によると「買い取り価格は一般より高く設定されている」とのこと。 最悪、施設の取り壊しも ※6次産業化プロジェクトのスキーム図  生産農家を巻き込んだ6次産業化プロジェクトは着実に進んでいる印象だ。それだけに逢瀬ワイナリーがなくなれば、せっかく形になった6次産業化は中途半端に終わり、生産農家は行き場を失ってしまうのではないか。  そう、「逢瀬ワイナリーがなくなれば」と書いたが、三菱復興財団に代わる事業主がこのまま見つからなければ最悪、施設を取り壊しワイナリー事業を終える可能性もゼロではないというのだ。  前出・事情通は眉をひそめる。  「三菱復興財団と6次産業化の連携協定を締結したのは品川市長だ。復興支援の申し入れがあった時は喜んで受け入れ、同財団が撤退する段になったら赤字を理由に移管を拒むのは、同財団からすると気分が悪いでしょうね。6次産業化や果樹農家の育成は表面的な黒字・赤字では推し量れない部分があり、長い投資を経てようやく地場産業として成長するもの。収益の話はそれからだと思います」  事情通によると、もし市が移管を拒み続け、三菱復興財団に代わる事業主も見つからなければ、施設を取り壊すことも同財団内では最悪のシナリオとして描かれているという。  「三菱復興財団の定款には『清算する場合、残余財産は公益法人等に該当する法人または国もしくは地方公共団体に贈与する』と書かれています。もし移管先が見つからなければ、逢瀬ワイナリーは市名義の土地に建っている以上、取り壊して一帯を現状回復しつつ、余計な財産を残さずに清算するしかないと考えているようです」(同)  これにより市に生じるデメリットとしては▽ブランドになりつつあった郡山産ワインの喪失、▽果樹農業6次産業化の頓挫、▽果樹農家やワイン用ブドウの生産農家に対する背信、▽三菱との関係悪化(今後の企業誘致等への悪影響)などが考えられる。  もちろん市が移管を受けたとしても課題は残る。メリットしては▽郡山産ワインのさらなるブランド化、▽ワイン用ブドウの地場産業化、▽逢瀬ワイナリーを拠点とした観光面での人的交流などが挙げられるが、デメリットとしては▽施設の維持管理、▽設備の更新、▽人件費をはじめとする運営費用などランニングコストを覚悟しなければならない。  そうした中で品川市長が最も気にしているのは、赤字を税金で穴埋めするようなことがあれば市民や議会から厳しく批判される可能性があることだろう。それを避けるには赤字から黒字への転換を図る必要があるが、施設と事業の性格上、黒字に持っていくのが簡単ではないことは前述した通り。  「6次産業化を確立したければ、赤字を税金で穴埋めという考え方は横に置くべき。その上で市が考えなければならないのは、ふくしまワイナリープロジェクトが三菱復興財団にとって唯一直接的に実施した事業であり、13億円もの基金が投じられていることです。三菱商事は移管後もグループとして施設と事業を支える意向と聞いている。復興支援の象徴でもある逢瀬ワイナリーを簡単になくしていいはずがない。品川市長は『自分が市長の時に赤字施設を引き受けるわけにはいかない』と短絡的に考えるのではなく、市として施設をどう生かしていくのか長期的な視点に立って検討すべきだ」(同)  市は逢瀬ワイナリーの今後をどう考えているのか。市農林部に取材を申し込むと、園芸畜産振興課の植木一雄課長から以下の文書回答(9月25日付)が寄せられた。  《逢瀬ワイナリーについては関係者において現在検討中です》  現場の声を聞きたいと、逢瀬ワイナリーの河内恒樹代表理事にも問い合わせてみたが、  「当社は三菱復興財団から委託を受けて酒類を製造・仕入れ・販売しているため、同財団の事業方針について回答し得る立場にありません。施設の今後も知り得ていないので、取材対応はできません」  とのことだった。  肝心の三菱復興財団はどのように答えるのか。以下は國兼康男事務局長の回答。  「弊財団がワイナリー事業の地元への移管を検討していることは事実です。弊財団としては、ワイナリー事業を開始した2015年より10年後の2024年末を目途に地元に事業を移管する予定で準備を進めてきました。現在、移管に向けて関係者と協議中のため、今後のことについては回答できませんが、誠意を持って協議を続けていきます」 財団と市が頻繁に協議  三菱復興財団と市は今年度に入ってから頻繁に協議を行っている。記者が入手した情報によると、5、6月に1回ずつ、8月は3回も協議している。その間、市農林部から品川市長への経過報告は2回。さらに9月中旬には同財団と副市長が意見交換を行ったとみられる。  8月に入って慌ただしさを増していることからも、撤退まで残り1年半の三菱復興財団が焦りを見せ、対する市は態度をハッキリさせない様子が伝わってくる。  それにしても品川市政になってから、ゼビオの栃木県宇都宮市への本社移転、令和元年東日本台風の被害を受けた日立製作所の撤退、保土谷化学とのギクシャクした関係など、地元に根ざしてきた企業と距離ができている印象を受ける。今回の逢瀬ワイナリーも、対応次第では三菱との関係悪化が懸念される。  復興支援という名目で巨費が投じられた際は喜んで受け入れ、それが苦戦すると一転して移管要請に応じない品川市長。前市長が受け入れたならまだしも、1期目の任期中に自身が受け入れた事業であることを踏まえると、10年後に地元に移管することは当然分かっていたはず。品川市長には、施設が赤字という理由で移管を拒むのではなく、13億円もの巨費が投じられていること、さらには果樹農業の6次産業化に必要な施設なのかという観点に立ち、どういう対策がとれるのか・とれないのかを検討することが求められる。

  • 【国道4号】県内全線4車線化が進まない理由

     中通りを南北に貫く国道4号。県内主要幹線道路の1つだが、県内全線4車線化はなされていない。そもそもこれまで、ぶっ通しで走行したことはなかった。そこで、難所を探るべく9月中旬、県内の〝始点〟から〝終点〟までをぶっ通し走行してみた。(末永) 約20%が片側一車線で県南地区に集中  国道4号は東京都中央区の日本橋を起点に、青森県青森市まで続く。総延長は838・6㌔で、日本最長の国道である。このうち、福島県は約111㌔で全体の約13%を占める。中通りを貫き、郡山市、福島市の主要都市を通る。  県内の〝始点〟は西郷村、〝終点〟は国見町。管理者は国(国土交通省)だが、西郷村から本宮市に入るまでの約54・4㌔は郡山国道事務所の管轄、本宮市から宮城県に入るまでの約56・7㌔は福島河川国道事務所の管轄と分かれている。  9月中旬、「国道4号県内ぶっ通し走行」を実行した。  最初に、その中で分かった基本データを記す。  まず、道の駅は安達(上下線)と国見(上り車線沿い)の2カ所しかない。もっとも、幹線道路だけあって、休憩・トイレなどで立ち寄れるところは多数ある。その代表格がコンビニエンスストアだが、本誌が数えたところ、上下線ともに20軒ずつ(計40軒、道の駅安達と国見に併設されたコンビニは除く)あった。ただ、立て続けに3、4軒並んでいるところもあれば、10㌔以上ない区間もあった。  ガソリンスタンドは、上り車線が27個所、下り車線が21個所。こちらもコンビニ同様、立て続けに数軒が並んでいるところもあれば、何㌔もない区間もある。  信号機は全部で180個所。市街地では、1分以上連続で走行できることはほぼない。かなりの頻度で信号待ちが生じる。朝夕のラッシュ時は1つの信号機を越えるのに、何度も待つこともあろう。  国道4号に直結している高速道路のIC(スマートICは除く)は、白河IC(東北道)、矢吹IC(東北道、あぶくま高原道路)、本宮IC(東北道)、伊達桑折IC(東北中央道)の4カ所。  以下は実際の走行記録と、その中で感じた課題について述べていく。 県南編 福島県の国道4号の〝始点〟  栃木県那須町から福島県西郷村に入るところがスタート地点。最初は片側1車線で、西郷村内を約3㌔走行すると片側2車線になり白河市に入る。ここから約6㌔は片側2車線だが、〝始点〟から約9㌔のところ、白河厚生総合病院への入り口を過ぎた辺りで、また片側1車線に戻る。  地元住民によると「郡山方面に向かう場合は、そこから道が狭く(片側1車線)なるほか、厚生病院に行く車も多いため、朝夕を中心に混雑(渋滞)する」という。  そこから片側1車線が約9㌔、白河市北部から泉崎村を経て、矢吹町に入るまで続く。〝始点〟から約18㌔のところ、矢吹町の東北自動車道、あぶくま高原道路の矢吹IC付近の1㌔ほどは片側2車線だが、すぐに片側1車線になる。  地元住民によると、「矢吹町の片側2車線から1車線になるところで、前方車のスピードが緩むため、追突事故などが起きやすい」という。同所に限らず、片側2車線から1車線になるところはそうした問題があるようだ。 矢吹町の車線減少個所  このほか、地元住民によると、「以前は金勝寺交差点(白河市)の渋滞がひどかった」とのこと。同交差点は国道4号から、JR白河駅、市役所、小峰城などの市街地方面に向かう市道と交差していた。慢性的に渋滞が発生し、追突事故や交差点内の出合い頭事故が多かったが、2013年に立体交差点につくり変えられ、渋滞・事故が減少したという。  福島河川国道事務所が事務局となり、県(土木部)、県警本部(交通部)、国道沿線の市町村、東日本高速道路(ネクスコ東日本)東北支社などで構成する「福島県渋滞対策連絡協議会」という組織がある。その下部組織として、各地区のワーキンググループがあり、県南地区は県中・県南ワーキンググループに属する。  その中で、「主要渋滞箇所」がピックアップされ、対策が協議されている。県南地区の国道4号の「主要渋滞箇所」(交差点)は、白河市の女石(T字路、国道294号と交差)、泉崎村の泉崎(T字路、県道75号塙泉崎線と交差)、矢吹町の矢吹中町(県道44号棚倉矢吹線、県道58号矢吹天栄線と交差)の3カ所。 県中・県南の主要渋滞個所(国道4号のみ) 白河市北部の車線減少個所  その中で、女石交差点は、交差する国道294号のバイパス(白河バイパス)が今年2月4日に全線開通した。現在はその後の状況をモニタリングしており、状況によって「主要渋滞箇所」からの解除を検討するという。  こうした事例はあるものの、まだまだ〝難所〟は多い。渋滞対策連絡協議会としての課題は多いということだ。これは、これから出てくる市町村(交差点)についても同様だ。 県中編  矢吹町から鏡石町に入り、〝始点〟から約25㌔地点、久来石交差点の手前で片側2車線になる。以降は、国見町まで約82㌔、片側2車線が続く。つまり、県中地区は鏡石町の一部(約1・3㌔)を除き、すべて片側2車線化されている。  前述・福島県渋滞対策連絡協議会では、須賀川市内は、大黒町(県道63号古殿須賀川線と交差)、須賀川駅入口(市道と交差)、池下(市道と交差)、滑川(市道と交差)、十貫内(市道と交差)が「主要渋滞箇所」に指定されている。郡山市内はバイパス(あさか野バイパス)化されたこともあり、都市規模の割に国道4号の「主要渋滞箇所」は、それほど多くない。大池北(市道と交差)、仁池向(県道143号仁井田郡山線と交差)、荒池下(県道357号岩根日和田線と交差)の3カ所(国道4号以外は多数ある)。  〝始点〟から郡山市までは郡山国道事務所の管内。片側2車線化されていないのは、西郷村の〝始点〟から約3㌔地点まで、白河市北部から泉崎村を経て矢吹町の矢吹IC付近までの約9㌔、その先から鏡石町久来石交差点付近までの約5㌔で、計約18㌔。  鏡石町内は、「国道4号 鏡石拡幅」として事業化され、昨年3月に完了した。この区間の沿線は商業施設や企業・工場が立地し、通勤や施設利用、物流などで交通が混在していた。拡幅(片側2車線化)後は、渋滞の緩和のほか、児童・生徒の通学の安全も図られたという。  現在、「国道4号 矢吹鏡石道路」として、矢吹町北浦から鏡石町久来石交差点付近までの整備が事業化されている。区間は4・8㌔で、2021年4月に事業着手した。このほか、矢吹IC付近の北側0・9㌔、南側1・3㌔(泉崎村)が、それぞれ「矢吹地区事故対策事業」、「泉崎地区事故対策事業」として片側2車線化が進められている。前者は拡幅工事、後者は改良工事という位置付けだが、片側2車線化にするという点では一緒。  それらの事業化までの一般的な流れについて解説しておこう。  まず道路ネットワークの課題調査、路線の必要性と効果の調査が行われる。その後、拡幅(4車線化=片側2車線化)するのか、バイパス化するのか、バイパス化する場合、高規格化するかどうかなどのルート・構造の検討が行われる。  「矢吹鏡石道路」を例にすると、交通混雑が発生していること、交通事故の多発地点が存在していること、東北復興の阻害要因となる物流のボトルネックが生じていることなどが課題だった。この対策について、地域住民の意見聴取(「矢吹鏡石道路」ではアンケートを実施)を行い、それを踏まえた方針策定、その方針についてさらなる意見聴取、それを踏まえた方針に改定――といった流れで決定していく(計画段階評価)。その過程で、前述したルート・構造なども決定される。  「矢吹鏡石道路」は、2018年1月に計画段階評価に着手し、翌年12月に計画段階評価が完了。その過程で、一部バイパス案も出たようだが、現道拡幅することになった。  その後は、都市計画・環境調査などを経て、国交相の諮問機関「社会資本整備審議会」に諮られる。「矢吹鏡石道路」は2021年3月の同審議会道路分科会東北地方小委員会で「概ね妥当」と評価された。これを受け、同年4月に事業着手した。  期待される効果は、渋滞緩和によるスムーズな交通、交通事故軽減、物流の効率化とそれに伴う地域産業活性化、迅速な救急搬送など。事業完了年度は示されていない。計画段階評価から事業着手まで3年かかっており、それだけでもかなりの時間を要することが分かる。  もっとも、これは事業者側(郡山国道事務所)の手順で、その前段で地元からの要望等がある。  ある首長経験者はこう話す  「道路でも、それ以外でも同じだが、国や県に事業をしてもらうために問われるのはプレゼン力。現状がこうで、こういった課題がある、だからこれが必要だ、と説得できるだけのものが必要になります。もう1つは熱意。プレゼン力に加えて、根気強く要望することが重要だと感じました」  実際に片側2車線化が図られるのはまだ先になるが、事業化されている「矢吹鏡石道路」、「矢吹地区事故対策事業」、「泉崎地区事故対策事業」の対象区間を除くと、郡山国道事務所管内(県中、県南)の片側一車線は約11㌔。郡山国道事務所によると、現状、その区間の片側2車線化の事業計画はないとのこと。  国交相「令和3年度全国道路・街路交通情勢調査 一般交通量調査結果」によると、片側1車線の区間が多い西郷村から矢吹町までの1日の交通量(上下線の合計)は、約1万2000台から約2万台。片側2車線化が図られている鏡石町から郡山市までは同約2万台から約4万5000台だから、前記区間の約2倍。さらに、前回調査(2015年)では、西郷村から矢吹町までの1日の交通量は約1万4000台から約2万3000台。この辺も拡幅が計画されない要因なのだろうが、混雑が発生しているのも事実。  関係者の熱意とプレゼン力が問われる。 県北編  郡山市を抜けて本宮市に入る。前述したように、鏡石町からはずっと片側2車線で、本宮市、大玉村、二本松市、福島市と続く。冒頭で触れたように、意外(?)にも二本松市ではじめて道の駅が登場する。福島市に入る直前にある道の駅安達は上下線それぞれに設置されている。そこから、伊達市、桑折町と続き、国見町に入り、同町役場を過ぎたところで片側1車線になる。そこから県境までの約5㌔が片側1車線化。ただ、下り車線(仙台方面)は「ゆずりあい路線(登坂車線)」として、約4㌔が片側2車線になっている。最後は片側1車線になり、宮城県白石市に入る。  国見町には道の駅国見があるが、上り車線(福島・郡山方面)側で、反対からは少し入りにくい。 道の駅国見  〝始点〟からの走行距離は約111㌔、走破時間(途中、車を止めての写真撮影や休憩した時間などは除く)は約3時間だった。 福島県の国道4号の〝終点〟  前述・福島県渋滞対策連絡協議会では、本宮市の荒井(県道304号大橋五百川停車場線と交差)、本宮IC入口、二本松市の安達ヶ原入口(県道62号原町二本松線と交差)、油井(県道114号福島安達線と交差)、福島市の伏拝(市道と交差)、黒岩(市道と交差)、鳥谷野(国道115号と交差)、仲間町(国道114号と交差)、岩谷下(国道115号と交差)、鎌田(市道と交差)、北幹線東入口(県道387号飯坂保原線と交差)、伊達市の伊達(国道399号と交差)国見町の国見町役場入口(県道107号赤井畑国見線、県道320号五十沢国見線と交差)が「主要渋滞箇所」に指定されている。 県北の主要渋滞個所(国道4号のみ) 国見町の車線減少個所  本宮市から宮城県境までの区間は福島河川国道事務所の管轄。片側1車線区間は「伊達拡幅」として長年事業が進められている。事業がスタートしたのは、40年以上前の1981年度。最初に、伊達市(当時は伊達町)の伊達交差点から北側、桑折町上郡までの3・6㌔区間の片側2車線拡幅事業に着手した。拡幅が完了した個所から順次供用開始となり、1995年10月に同区間は開通となった。  1995年度には、桑折町上郡から国見町石母田までの5・5㌔が事業に加えられ、全体延長が9・1㌔になった。桑折町上郡から同町北半田までの2・2㌔は2011年12月までに開通し、そこから国見町役場前までの1・7㌔は2020年3月に開通した。残る1・6㌔は、今年度中の全線開通予定。  その先は、「国見地区付加車線整備事業」として2015年に事業着手している。前段で、下り車線(仙台方面)は「ゆずりあい路線(登坂車線)」として片側2車線になっているところがある、と書いたが、同事業はその延長。つまり、下り車線(仙台方面)に限り、県境付近まで「付加車線(ゆずりあい路線)」が設けられ、片側2車線化される。事業完了年度は示されていない。  上り車線(福島・郡山方面)は、いまのところ「(片側2車線の)事業計画はない」(福島河川国道事務所の担当者)とのこと。  県内の国道4号で片側1車線区間は約23㌔で全体の約20%。その大部分が県南地区に当たる。このうち、片側2車線化の計画がないのは、上り車線が約16㌔、下り車線が約11㌔ということになる。  長年、県内の政治・経済を見てきた人物はこう話す。  「かつては、天野光晴氏や亀岡高夫氏(いずれも故人)など、建設大臣経験者で、建設省に強い影響力を持つ国会議員がいたから、それほど強く頼まなくても整備が進んだ。いまはそれだけの影響力を持つ人がいないのだから、もっと強く要望しなければなかなか進まない。要は、県を始めたとした地元関係者のアプローチが足りないのだと思う。加えて、県選出国会議員も、あまり熱心ではないように感じる」  前段で、事業化には熱意とプレゼン力に優れた地元からの要望が欠かせないと書いたが、やはりそういうことなのだろう。  総じて言うと、この道路の連続走行は決して快適とは言えない。全線片側2車線化、渋滞対策など、まだまだ改善すべきところは多い。

  • 【示現寺】で「墓じまい」増加【喜多方市】

     喜多方市熱塩加納町の古刹・示現寺で、寺から墓を引き払って「墓じまい」する檀家が増えている。人口減少・少子高齢化が理由とされているが、「高圧的な態度の住職への不満も一因となっている」と指摘する声もある。(志賀) 素行不良の“ブチ切れ”住職に不満続出  護法山示現寺は喜多方市熱塩加納町にある熱塩温泉の最奥部に位置する。もともとは平安時代初期に空海が建立した真言宗寺院で、永和元(1375)年、殺生石伝説で知られる禅僧・源扇心昭が曹洞宗寺院として再興した。境内には源扇和尚の墓もある。  戦国時代に会津領を治めた芦名氏などから寄進を受け、会津地方屈指の大きな寺となった。国指定重要文化財椿彫木彩漆笈のほか、中世・近世に記された貴重な文書(慈現寺文書)、源扇和尚にまつわる寺宝などが所蔵されている。境内の観音堂には千手観音立像が収められており、会津三十三観音五番札所にもなっている。熱塩温泉出身で、〝日本のナイチンゲール〟と呼ばれる瓜生岩子のの坐像などもある。  熱塩温泉は源扇和尚が示現寺を再興した際に発見したと伝えられており、明治・昭和初期は湯治場としてにぎわったという。元湯の権利はいまも示現寺が所有し、周辺の広大な山林の所有者にもなっているようだ。  会津地方を代表する名刹の一つであり、遠方からの観光客も訪れる。そういう意味では公益性が高い寺院と言えるが、近年は「離檀」する檀家が増えているようだ。ある総代によると、檀家数はかつて約170戸だったが現在は約150戸まで減ったという。  「この地区は人口減少・少子高齢化が深刻で、空き家が増えている。熱塩温泉の温泉街もいまは旅館が1軒(山形屋旅館)残るのみです。子どもが都市部で暮らしており、墓参りの際の負担の軽減などの理由で、檀家から離れて〝墓じまい〟する家が増えているのです」(ある総代)  同市熱塩加納町に限らず、会津地方では人口減少と少子高齢化により檀家・住職の後継者不足が深刻で、〝空き寺〟が増加している。一方で、寺院と関わる機会が少ない都市部では仏教自体への関心が衰え、葬式の際も葬祭ホールを使ったり、通夜・告別式を行わず火葬のみ行う〝直葬〟が増えている。要するに「仏教離れ」が進む中で、檀家減少が続いている、と。  もっとも、喜多方市内の寺院事情に詳しい事情通はこのように話す。  「表向きは人口減少・少子高齢化の影響と言われていますが、実際のところ、住職・斎藤威夫氏の言動に閉口して離れていく人も少なくないと聞いています」  複数の檀家の話を統合すると、斎藤氏は昭和28(1953)年生まれ。喜多方商業高校卒。大学の仏教学部を卒業したかどうかは不明。父親の智兼さんが住職を務めていたつながりで、示現寺の住職を務めるようになったという。  県私学・法人課が公表している宗教法人名簿によると、示現寺のほか、喜多方市内の能満寺(岩月町大都)、威徳寺(松山町鳥見山)、大用寺(上三宮町三谷)、常繁寺(熱塩加納町熱塩)、長徳寺(熱塩加納町米岡)、久山寺(同)、万勝寺(同)の代表役員を務めている。  前述の通り、示現寺の檀家数は約150戸とのことだが、その他の寺院は檀家が少なく、「主だったところを合わせても200~300戸ぐらいではないか」(斎藤氏が管理する寺院の檀家)。小規模の無住職寺院の管理を一手に引き受け、各寺院の檀家の葬儀・法事に1人で対応しているようだ。  「そうした事情もあってか葬儀・法事に来ても、檀家とろくに話もせず、すぐ帰ってしまうのです。試しに時間を計ったら、お経を読んで帰るまで、ちょうど10分でした。お経を読みながら時計をちらちら見て、弔辞が長いことに腹を立て帰ってしまったこともある。司会の女性に名前を間違えて紹介されただけで怒って帰ったとも聞いている。ああいう対応では故人も浮かばれないし、お布施を払って住職を支えようという気分にはなれません。普段は別の場所に住んでいるためか、示現寺の境内は手入れが行き届いていない状態で、『観光客が来るのに……』と心配している檀家も多いです」(同)  グーグルで示現寺の口コミを確認したところ、「風情がある」と評価する意見がある一方で、「朽ち果てそうで、手入れがされていないのかと思うお寺でした」とも書き込まれていた。寺院の内部はモノが散乱しているという話も聞かれる。  寺の運営は檀家が支払う護持会費や葬儀・法事の際のお布施で賄われている。そこから維持費や修繕費などを差し引き、残った分が住職の給料となる。運営が成り立つ檀家数の基準は300戸と言われているが、斎藤氏が住職を務める寺院は合計でギリギリ満たす程度とみられる。そのためか、斎藤氏は檀家に経営・金銭面の話をすることが多いようで、「お布施の中身を見て金額が少ないとばかり戻されることもあったようだ」、「カネの話ばかりでうんざりする」という声も聞かれた。それだけ寺院運営が厳しいのか、他にカネを必要とする事情があるのか。  なお示現寺では、本堂や庫裏の屋根のふき替え工事を行っているところで、それぞれ2000万円ずつかかるため、宗教法人と護持会で半額ずつ負担し、10年かけて支払うことになったという。檀家は護持会費の支払い以外に、年間2万円程度の寄付を求められている。 斎藤住職を直撃 示現寺  斎藤氏が住職を兼務する寺院のある檀家は「盆礼、年始、野菜、コメ……1年中何かを納めている。正直大変ですよ」とボヤいた。  「ここ数年は少し落ち着いたようだが、かつては飲食店街で派手に飲み歩き、外国人の女性の店を好んで利用していたことで知られていた。子どものときから変わった性格だった。この辺では〝王様〟なので、誰も何も言えません。あなたも取材に行ってあれこれ質問すると怒られちゃうと思うよ」(同)  斎藤氏が住職を務める寺院の護持会役員の男性はこう明かす。  「離檀する家にその理由を尋ねると、『つながりが希薄な菩提寺のために、お布施を払い続けるのが厳しくなってきた』という意見が多く、『そもそも話す機会が少なく、態度も良くない住職に金を払うのはちょっと……』という思いも聞いていた。さすがにこうした声は住職本人に伝えていません」  一部の総代から擁護する声もあったが、大半は不満の声だった。  寺院に関しては、その公益性の高さから境内や寺院建造物の固定資産税が免除され、宗教法人の収入も非課税とされている。その代表役員を務める住職としてふさわしいのか、檀家から厳しい視線が注がれている。  檀家のこうした声を斎藤氏はどう受け止めるのか。9月中旬、威徳寺の庫裏にいた斎藤氏に話を聞いた。    ×  ×  ×  ×  ――政経東北です。  「そういう文書関係はうち、出さなくていいよ。何、どういうことを聞きたいわけ?」  ――この辺の寺院で檀家が減っていると聞いて取材していました。  「極端に変化したわけではないが、都市部に家を移す人がいるので、少しずつ減ってはいる。ただ、ごそっと減ったわけではないね」  ――その要因は。  「少子高齢化と、(会津地方に多い)農業従事者の後継者がいなくなっていること。日本全体で産業構造が変わりつつあり、人口が都市部に集中している」  ――斎藤氏が住職を務める寺の檀家からは「お経を上げたらすぐ帰る」、「カネの話ばかりする」という住職への不満の声も聞きました。離檀の一因にもなっていると思うのですが、どう受け止めますか。  「いまの時代、檀家が住職についてこない。それに寺院は住職のものではなく、宗教法人のもの。古くなればお金を出し合って改修しないといけない。寄付を取られる、取られないという問題ではないんです。和尚は大変なんだよ。お布施も安い。郡山市は50万円とか70万円でやっているでしょう。この辺は15~20万円なんだから。こうした中身を知らないで喋って歩くのは良くないよ!」  ――檀家の皆さんから話を聞いたので、確認まで取材にお邪魔したということです。  「何もあんたが確認することないじゃないの! 檀家の人と喋ったってダメだって。信仰がないもの」  ――複数の寺の住職を兼務しているようですね。  「小さいお寺だと年間の護持会費3000円とかですよ。それでどうやってやってくんだよ。(檀家には)あんたみたいに偉そうに喋る人しかいないんだよ。ちょっとはへりくだって喋れよ! 知らない相手に対してはまずハイハイと話を聞くものであって、分かった風にして話を聞くのは失礼でしょう」  ――飲食店街でずいぶん飲み歩いていたという話も聞いたが。  「最近は出てないよ。だって、街に行かなきゃ人いないじゃないの。付き合いがないんだよ。無尽も2つやっていたが、1つはやめちゃった。……いや、こんな嫌な思いするなら喋りたくないです。ガセネタで歩いているわけだから」  ――実際に檀家さんから聞いた話を確認しているだけです。  「個人的に攻撃するような質問ばかりして、何が目的なんだよ。『周りがこう言っている』なんて恫喝するような話をするというのは失礼でしょう!」 近くの願成寺でもトラブル 願成寺の集団離檀騒動を報じた記事  ――檀家の皆さんからそういう話が出たのは事実です。  「皆さんってどの辺の皆さんだよ。それを言えないなら話にならない」  ――檀家の皆さんも直接住職には言いづらいのだと思います。  「そういう話だったら何も話したくないですね。帰ってください。警察に電話してもいいよ、いま」  ――通常の取材活動の一環なので、もし警察が来たらそれを説明するだけです。  「取材じゃなくて、個人的批判じゃないか! じゃあ、あんたは飲みに出ないんだな!?」  ――実際、ほとんど出てないですね。編集部の人間もそんなに飲み歩くことはないと思います。  「ああそうかよ……。あんた話し方下手だね。初対面の人にそんな失礼なことばっかり言ってたんじゃ仕事にならないんじゃないの?」  ――単刀直入に聞かないと分からないこともあるので。あらためて檀家数を確認したいのですが……。  「もういいです。そういうことなら帰ってください」    ×  ×  ×  ×  斎藤氏は記者の対応を問題視していたが、初対面の記者を「あんた」呼ばわりするなど、一貫して高圧的な対応だった。檀家への対応は推して知るべし。  飲食店街の話題を出したあたりからほぼ怒声になり、「飲みに出かけて何が悪いんだ」と繰り返し反論された。こちらとしては檀家から出た話を事実確認したまでだが、そのこと自体を批判されたと感じたようだ。それとも、何か後ろめたいことでもあるのだろうか。  斎藤氏は、檀家の減少は少子高齢化と農業従事者の後継者不足、信仰心の低下が原因と分析。一方の檀家からは、つながりが希薄な寺院のために金を払うことへの是非を問う声や斎藤氏個人への不満が聞かれた。主張がかみ合っていないのだから、相互に信頼関係を築けるはずがない。  喜多方市の寺院の離檀をめぐっては、2015年8月号で「喜多方・願成寺で集団離檀騒動」という記事を掲載した。  会津大仏こと国指定重要文化財「木造阿弥陀如来坐像及両脇侍坐像」で知られる古刹・叶山三宝院願成寺。この寺で2014年ごろ、檀家が一斉に抜ける騒動が起きた。  きっかけは、震災で損壊した本堂や山門などの修繕工事を行うため、同寺院が檀家に多額の寄付を要請したこと。戒名の種類に合わせて寄付金額が設定された。院・庵号(11文字)の場合、通常の護持費年1万8000円に加え、年間4万円×15年といった具合だ。  津田俊良住職(当時)は以前から住職としての資質を疑問視される言動が目立ち、一部の檀家の間で不満が溜まっていた。そこに高額な寄付要求が重なったため、集団離檀を招くことになった。  本誌取材に対し津田住職は「1年近くかけて地区ごとに説明会を開催しており、一方的に決めたわけではない。まともに対話しようとせずに離檀する方が一方的だ」と反論したが、檀家が津田住職個人への不満を募らせていたことには全く考えが及んでいない様子だった。今回の示現寺と同じ構図と言える。  逆に言えば、会津地方ではこうしたことが話題になるぐらい寺院が住民にとって身近な存在だとも言える。 檀家の声に耳を傾けるべき  本誌では、同記事以外にも、会津美里町・会津薬師寺の集団離檀騒動(2009年4月号)、伊達市霊山町・三乗院の本堂新築寄付騒動(2010年5月号)、福島市・宝勝寺「檀信徒会館」計画騒動(2015年6月号)、須賀川市・無量寺の屋根葺き替え工事トラブル(2022年10月号)など、過去何度も寺院をめぐるトラブルを取り上げている。  共通しているのは、①「一方的で説明不足」など住職に対し檀家が不信感を抱いている、②「本堂新築」、「平成の大修理」など檀家の寄付を要する大規模な事業を行おうとしている――という2点だ。要するに、「信頼できない住職のために、なぜ檀家が負担を強いられなければならないのか」ということに尽きる。  寺院にとって苦難の時代。そうした中で、斎藤氏が8つの寺院の住職を兼務し、時間的・財政的に苦しい中で奮闘していること自体は評価できるものだ。檀家にとってもありがたい存在だろう。しかし、だからといって「檀家が寺を支えるのは当然」と高圧的な対応を続け、コミュニケーションを怠るようでは、檀家も代替わりした機会などに離れていく。  例えば示現寺の手入れ・管理などは、檀家と手分けしてできることもあるはず。公益性の高い寺院の住職として、まずは自らの言動に不満の声が出ていることを真摯に受け止め、檀家の声に耳を傾ける時間を作る。それが信頼関係回復への近道ではないか。  それともこうした意見すらも「個人的攻撃」、「恫喝」と受け取られてしまうのだろうか。

  • テレビで異彩を放つ【いわき出身】のお笑い人材

     近年、いわき市出身のお笑い芸人・関係者をテレビ番組で見かける機会が増えた。その活躍ぶりについて、お笑い・芸能関連の著作を多数出版しており、いわき市に暮らしていたこともある戸部田誠氏(ペンネーム=てれびのスキマ)に執筆してもらった。(文中敬称略) ライター 戸部田誠(てれびのスキマ) とべた・まこと 1978年生まれ。テレビっ子。「読売新聞」「福島民友」「日刊ゲンダイ」『週刊文春』『月刊テレビジョン』などで連載。主な著書に『タモリ学』『1989年のテレビっ子』『全部やれ。』『芸能界誕生』『史上最大の木曜日』など。  テレビにおける福島県のイメージは、ほとんどが会津や郡山など内陸部のものだった。福島に10年近く住んでいたというと大抵「冬は雪で大変でしょう?」と聞かれる。  それに対し、「いや、僕が住んでいたのはいわき市の海沿いで、そっちでは雪がほとんど降らないんですよ。なんなら東京よりも降らないくらい」と答えて驚かれるまでが1セットだ。  実際、福島の“訛り”も武器にしている有名人で思いつくのは、西田敏行や加藤茶、佐藤B作といった、いずれも内陸出身の人たちだ。 『水曜日のダウンタウン』に愛される【あかつ】 水曜日のダウンタウン』に愛されるあかつ(赤津部屋提供)  そんな中でここ数年、いわき訛り丸出しでテレビでよく見かける芸人がいる。いわきの市議会議員を父に持つ相撲芸人・あかつ(42)だ。  相撲とエクササイズを融合した「すもササイズ」のネタでプチブレイクしたが、多くのキャラ芸人同様、その人気が長く続くことはなかった。しかし、彼は土俵際で執念を見せ、今では『水曜日のダウンタウン』(TBS)に寵愛された芸人のひとりにまでなっている。  「国道1号線に落ちてる服を拾いながら歩いたら、名古屋くらいで全身揃う説」(2015年9月16日)を皮切りに、「大人が本気出せば影だけ踏んで帰れる説」(17年7月19日)、「大人が本気出せば本州最北端から雪だけ踏んで東京まで帰れる説」(18年4月18日)、「国道1号線に落ちてるポイ捨てタバコのフィルターを拾いながら歩いたら名古屋くらいでそばがら的なマクラ完成する説」(18年7月25日)、「花見のごみを集めて桜前線と共に北上すればそのごみで作った舟で津軽海峡渡れる説」(20年6月24日)、「この夏、セミの抜け殻を集めながら国道1号線沿いを歩いたら名古屋くらいで“セミダブルベッド”完成する説」(20年10月7日)、「花見のごみを集めて桜前線と共に北上すれば日本本土最北端へ着く頃にはそのリサイクル額で新たな桜植樹できる説」(特別編、23年5月20日)などと、長距離を歩く過酷な検証ロケが定番になっている。  この番組のいわゆる総集編は、ただVTRをつなげたものでなく、ひとつ何らかの企画が乗っかったものばかりだが、19年3月20日の総集編企画は「しあわせあかつ計画」。それを聞いて「好きやなぁ、あかつが」と浜田雅功が吹き出してしまうほど、愛されているのがわかる。松本人志も「なんかあかつに弱み握られてる?」と笑っていた。  あかつにとって『水曜日のダウンタウン』での挑戦は「失敗」の歴史だ。多くの説で立証することができず途中断念という結果に終わっている。  今年7月26日の「相撲 負ける方の決まり手なら自在にコントロール出来る説」でも、「決まり手ビンゴ」に挑戦し、なんとか達成したものの、「疑惑な部分もあったけどね」と浜田から“物言い”がついた。  にもかかわらず重用されるのは、挑戦中、口汚く悪態をつきながらも、いわき訛りがどこか愛らしさを醸し出しているからかもしれない。 いち早く“売れた”【ゴー☆ジャス】 ゴー☆ジャス(サンミュージックプロダクション提供)  いわき市出身の芸人で近年いち早く“売れた”のは、「君のハートに、レボ☆リューション」を決めゼリフに、地球儀片手にダジャレネタを繰り出すゴー☆ジャス(44)だ。  磐城高等学校出身の彼は、代々木アニメーション学院声優タレントコースを経てお笑い芸人の道へと進んだ。そして09年頃、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)などの出演がきっかけとなりブレイク。さらに様々なゲームアプリを紹介するYouTubeチャンネルをいち早く立ち上げ、多くの登録者を獲得していった。 【アルコ&ピース平子祐希】ラジオで熱烈支持を獲得 アルコ&ピース平子祐希(太田プロダクション提供)  それに続いたのは、アルコ&ピース平子祐希(44)。ちなみに平子とゴー☆ジャスは実は下積み時代から、先輩芸人モダンタイムスを慕い、その“一門”として苦楽を共にした仲だ。  平子は勿来工業高等学校出身で日本映画学校に進学し、芸人の道に入った。「セクシーチョコレート」というコンビで活動した後、酒井健太とアルコ&ピースを結成。『THE MANZAI』(フジテレビ)の認定漫才師となり12年には決勝に進出し3位に輝いた。  翌年、『アルコ&ピースのオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)のレギュラー放送が開始され、リスナーを巻き込みながら展開していく即興性の高い放送で熱烈な支持を獲得していく。さらには、『爆笑キャラパレード』(フジテレビ)などで扮した意識高い系IT社長・瀬良明正のキャラや愛妻家キャラなどで世間的な知名度も上げていった。いまでは、バラエティ番組の第一線で活躍している。 番組制作・出演の両面で活躍する【佐久間宣行】 番組制作・出演の両面で活躍する佐久間宣行(佐久間宣行事務所提供)  テレビの中で異彩を放ついわき市のお笑い人材たち。そんな3人を「いわき市お笑い三銃士」と冗談めかして呼び、ガハハハッと豪快に笑うのがテレビプロデューサーの佐久間宣行(47、ゴー☆ジャスと同じ磐城高校出身)だ。  いまもっとも勢いのあるいわき市出身の人物のひとりだろう。平子に言わせれば、3人に佐久間を加え「お笑い四天王(笑)」ということになる。  元々は、福島にはネット局がないテレビ東京の社員だったため、福島県民にとっては馴染みが薄いかも知れない。前述の平子とともに21年から始まった福島ローカルの番組『サクマ&ピース』(福島中央テレビ)に出演しているから、それで知った方もいるだろう。  佐久間はテレビ東京で現在も続く『ゴッドタン』や『あちこちオードリー』をはじめとする数多くの人気お笑い番組を制作。それと並行してテレビ東京社員でありながら、ニッポン放送で『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』のパーソナリティを務めるようになった。  そして21年3月31日付で同社を円満退社すると、これまでのテレ東レギュラー番組もそのまま継続しつつ、他局にも活躍の場を広げ、Netflixでも『トークサバイバー!』や『LIGHTHOUSE』といった番組も立ち上げた。  加えて、自身のYouTubeチャンネル「佐久間宣行のNOBROCK TV」も登録者数が100万人を超えている。さらに前述の通り『サクマ&ピース』など演者としても活躍。NHKのゴールデンタイムでの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の特番や、フジテレビの港浩一社長肝いりで始まった『オールナイトフジコ』のMCも務めている。  佐久間が知名度を飛躍的に上げるきっかけとなった『オールナイトニッポン』パーソナリティ抜擢には、実は同郷の平子が大きな役割を果たしている。  元々はラジオ局に入ることを目指していたほどラジオ好きな佐久間は、Twitterなどで『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』リスナーでもあることを公言していた。そこに目をつけたハガキ職人たちが番組で佐久間イジりを開始。  それが最高潮に達した14年10月17日、ついに佐久間は、それまで仕事上ではほとんど接点がなかったにもかかわらず、“乱入”という形でゲスト出演を果たす。  これが好評だったことを受けて15年8月29日、『佐久間宣行のオールナイトニッポンR』という単発特番の形で、ラジオパーソナリティになりたいという夢を叶えたのだ。  エンディングでは「ホントに人生ってわからないですよね。だって、普通に福島県いわき市の田舎の学生が、夢だなあと思って聴いていたラジオ。ニッポン放送を落ちたわけですよ、就職活動で。なのにバラエティのディレクターやって15年後、オールナイトニッポン2部のパーソナリティをやっているんだから」と語った。  しかし、夢はそこで終わらない。  リスナーの強い支持と秋元康らの後押しで番組は 19年4月3日から『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』としてレギュラー化したのだ。 「近くて遠い」憧れの東京 https://www.youtube.com/watch?v=RP7yT7INjAc&t=1089s 「佐久間宣行のNOBROCK TV」【下ネタ我慢】どぶろっくが本気ネタ8連発!下ネタで笑いたくない二瓶有加 & 松本優は我慢できるのか…?  佐久間自身のエンディングの言葉にあるように、中学生の頃からラジオを聴き始めた。そこにはいわき市という土地が大きく関与することになる。海沿いの街のため、東京のキー局の電波をギリギリ受信することができたのだ。  最初に聴いたのは、ニッポン放送の『三宅裕司のヤングパラダイス』だった。その流れで『オールナイトニッポン』も聴き始め、とんねるず、伊集院光、川村かおり(当時)、そして電気グルーヴの放送に夢中になった。自然とそこで流れるナゴム系の音楽も聴くようになり、サブカルにどっぷりと浸かった。  それはテレビからもそうだった。やはり海沿いのいわき市の一部は、関東圏のテレビを観ることができる地域がある。佐久間の家もそうだった。当時はフジテレビの深夜番組全盛期。『冗談画報』や『夢で逢えたら』を始めとする番組を観て新しいカルチャーを吸収していく。しかし、テレビやラジオは見聞きできても、学生にとって東京は遠い。  「当時はネットなんてないし、いわき市に届くものはほとんど何もない。必死にちょっとずつかき集める感じだったので東京のおじいちゃんに伝えて送ってもらったり、お金をためて東京へ行ってまとめ買いをしたり、単館の映画を観に行ったり。中高生の頃はいつも思ってましたよ。ああ、東京に住んでいればなあって。東京にいれば第三舞台(鴻上尚史主宰の劇団) も、東京サンシャインボーイズ(三谷幸喜主宰の劇団)も観られるのにって。第三舞台はギリギリ観ることができたけど、サンシャインボーイズは1回も観られないまま休止してしまったんです」(『GINZA』 21年6月号)  学校にもそういったカルチャーの話ができる友達はほとんどいなかった。何しろ学校内でも関東圏の放送を見ることができる家と見られない家が混在するのがいわき市の複雑なところ。共通言語がどメジャーなものしかなかった。  「僕らの学生時代は、三谷幸喜さんがテレビドラマを書き始めたくらいの時期だったんだけど、そういう話をすると『調子乗ってんじゃねえよ』ってなってた(笑)。ダウンタウンの話はできるけど、電気グルーヴや伊集院(光)さんの話はできない」(「CINRA」21年6月23日)  しかも、当時の小名浜はヤンキー文化が色濃かった。アニメ好きでもあった佐久間は『アニメージュ』をエロ本のようにコソコソ隠れて読んでいた。「二重人格」に近かったという。情報だけは入ってくるが、誰とも共有できない。近くて遠い存在の東京のカルチャーへの憧れがいわき市という少し特殊な街で醸成されていったのだ。 お笑い人材が育つ風土 https://www.youtube.com/watch?v=ITpfvyrWS4Y&t=3s ふたば未来学園で佐久間宣行さん・日向坂46 齊藤京子さんらが特別授業!【福島県】 (2023年8月8日)  「だから自分の作風もそうだと思うけど、東京に長年いても『東京者じゃないな』っていう感覚がずーっとあったから、純粋に都会のポップカルチャーに憧れてる目線はいまだになくならない。だから斜に構えた感じでポップカルチャーを見ることがあんまりないですよね。テレビ業界のど真ん中でテレビに染まってるって思えたことが一度もなくて」(同)  この感覚こそが、独特な立ち位置を可能にし、逆に大きな支持を集める理由に違いない。つまりは佐久間こそ「いわき市」という土地が生んだスターなのだ。  その佐久間は福島県のふたば未来学園で開催された「サマースクール」に講師として呼ばれ、中高生たちを相手にワークショップを行っている。19年に一度行き、23年に再び訪れた。  今回は「100人規模のホールで、『人気者になる方法』というテーマで、日向坂46の齊藤京子さんとやってもらいたい」というオファーだったという。  前回のように40~50人規模なら一人ひとりに振ることもできるが100人規模だと難しい。思案した佐久間は、事前にアンケートを実施し、そこから1人ずつ呼んでラジオ形式で発表していくという方法を思いつく。  100人を前にしてトークショーをやると「1対100」になるが、ラジオ形式ならたとえみんなの前で喋っても「1対1」のように感じることができる。それなら生徒たちの心の負担は軽いだろうと考えたからだ。果たして、この目論見は当たり大成功に終わった。  なぜ、佐久間がこの形式を考えだしたかというと、佐久間は福島の中高生の特性がよくわかっていたからだ。それはシャイさ。それも「人数が増えれば増えるほど周りの目を気にしてシャイになる」というものだ。逆に「人数が少ない方が元気になる」(『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』23年8月9日)。ラジオ形式はまさにその特性を活かしたものだった。  翻ってみると、あかつ、ゴー☆ジャス、平子もまた、バラエティの主流であるひな壇のような場では力を発揮できにくく、逆に少人数の場では爆発的に魅力が溢れ出すタイプだ。いわき市の風土が、テレビなどで異彩を放つ独特なお笑い人材を生んだのだ。

  • 【福島市】王道ラーメンと変わり種ラーメン【髙橋わな美】

     食欲を満たすだけでなく、日々進化しその多様性を楽しませてくれる国民食「ラーメン」。「擬人化キャラクター企画」という一風変わった視点でラーメン店を探求するイラストレーター髙橋わな美氏は、美味い店には店主の背景や経歴が重要な要素として影響していると語る。髙橋氏が推薦する福島市の人気店を取り上げ、各店の王道メニューと異色メニュー、そしてそれらの起源にまつわる店舗のストーリーについて紹介してもらった。 髙橋わな美 福島県伊達市出身のフリーランスイラストレーター。イラストの他にもロゴマークなどラーメン店のデザインを幅広く手掛ける。 〝ラーメン店擬人化〟プロジェクト福島ラーメン組っ!【髙橋わな美】が紹介する  福島県のラーメンと言えば喜多方・白河のご当地ラーメンの2枚看板が有名だが、実は県庁所在地である福島市もラーメン消費量が全国でも指折りの都市である事はご存知だろうか。総務省の家計調査による、全国県庁所在地「中華そばの支出額ランキング」では毎回指折りの順位に位置しており、2022年には全国ランキング6位を獲得している。  そのような大変ラーメン熱の高い都市なので、市内には老舗から新興店まで、多種多様の店舗とラーメンが存在する。その多様性に光を当て、ラーメン店の個性を「擬人化キャラクターデザイン」というアプローチで発信し続けているのが「福島ラーメン組っ!」である。運営代表でありイラストレーターの髙橋わな美氏は、震災後の風評被害の逆境にも負けず逞しく運営するラーメン店の姿に感銘を受け、2013年にこのプロジェクトを立ち上げた。  キャラクターデザインの際は必ず実店舗に足を運び、綿密な取材を重ねる。デザインには各ラーメンの特徴はもちろん、店主のポリシーやお客様の傾向、また店舗の立地やご当地要素にもアイデアが及ぶ。これらの要素が可愛らしいビジュアルやストーリーとして投影され、生み出されたキャラクター達がSNSや全国のアニメ系イベント、コミックマーケットなどを中心に広まり、福島のラーメン店のPRに一役買っている。現在協力店舗は福島県内だけにとどまらず宮城・関東、台湾にも及び約60店舗にも達している。  髙橋氏は実食の経験をもとにキャラクターデザインを行うためラーメンに対しても造詣が深く、大手ラーメン専門誌「ラーメンWalker福島」(KADOKAWA)では全国から選ばれたラーメン精通者「エリア百麺人」の福島県担当を務め、毎年コラボ企画や解説を手掛けている。  そんな髙橋氏だが、ラーメンの味と魅力は店舗により千差万別、それには店主のポリシーや経歴、開店の経緯など、それらストーリーがラーメンの味にも深く投影されており、そしてそれを理解した上で味わうのが楽しみだと語る。  今回は、髙橋氏が推薦する個性豊かな福島市のラーメン店に焦点を当て、それぞれの店の背後にあるストーリー、そしてそこから展開されている各店のラーメンを万人におすすめできる王道メニュー、そして裏テーマとして変わり種の珍しいメニューという2つのテーマで構成し、紹介いただいた。 二階堂 二階堂「如月まどか」。鉢巻や匕首を装備した対魔師。 日本料理出身店主の二面性が光る  新旧の店が多く点在するラーメン激戦区の福島市の矢野目・笹谷エリアにて、王道の支那そばをメインに提供し連日人気を博しているのが「二階堂」だ。しょうゆ・塩・味噌など味が勢揃いの支那そばの他、季節に合わせたつけ麺・坦々麺など限定麺も提供、手の込んだ盛り付けのチャーシュー丼などサイドメニューも光る一店である。平日から多くの客が集うが、丁寧な接客やオペレーションで快適に食事を楽しむことができるのも魅力的な一店だ。  そんな二階堂の店主だが、前職ではなんと日本料理で腕をふるっていた。しかしある時「ラーメン」の世界を知る。料理のアイデアや腕前に多くの人が集い列をなす、とても純粋で熱狂的な世界。それに衝撃を受け、一念発起して転向したという経歴を持つ。  メインメニューの「支那そば(しょうゆ)」は、一口すすれば淡麗ながら出汁の分厚く複雑な味わいがガツンと舌を突く。その旨味たっぷりのスープを低加水の細縮れ麺がよく吸い、口に運んでくれる。和食出身ならではの経験を活かし、丁寧にじっくりと作り込まれた絶妙なバランスが感じられる一品だ。また、初めて食べる方に店からもオススメしているのがトッピングの煮玉子。こちらは柔らかな黄身にしっかりと旨味が通っており、奥深い滋味を楽しめる。 二階堂〝支那そば(しょうゆ+煮玉子)〟  さらに同店の変わり種メニューとしておすすめしたいのが「赤そば」。こちらは店舗自家製のラー油を使用し、その名の通り真っ赤なスープが特徴で、タップリのひき肉と共に激しい辛さを楽しむ。「支那そば」とはまさに対極のラーメンだ。しかし辛さと共に、深い旨味を感じられるギリギリの調整で、こちらも店主の料理技術の高さを実感できるだろう。こちらのトッピングには「豚バラ軟骨」をオススメしたい。丼を覆う巨大なバラ肉はトロトロに煮込まれた濃厚な味わいで、その奥にある軟骨は独特の食感が楽める。 二階堂〝赤そば+豚バラ軟骨〟  「当店は何事も〝まじめ〟がモットー。しかしラーメンの世界に転向したからこそできる事、ラーメンでお客様を楽しませたり驚かせる、そんなメニューも作ってみたかった」と語る店主。2023年には開店21周年を迎えたが、日々のブラッシュアップやお客様を楽しませる展開にも余念がない。ますます多くの人に愛され、福島市の名店として活躍している。 フユツキユキト フユツキユキト「クロエ・フユツキ」。戦争とウイルスが蔓延る異世界からきた。 コロナの逆境を乗り越えて  こちらは2022年開店の新店。「麺や うから家から」の店内を夜の部時間限定で間借りで営業するというとても珍しいスタイルで営業している。店主は「冬月雪兎」のハンドルネームでSNSにて数多くのラーメン店を紹介し、その経験から自分の店を開く夢を持つようになった。しかしコロナ禍で新規出店が難しい状況で、ベテラン「うから家から」から、営業終了後の夜の部での営業の提案を受けた。「うから家から」としても、冬月氏の夢の応援、またコロナ禍で苦しむ夜の街の活性化の思いもあったそうだ。そのような経緯で「フユツキユキト」は開店、福島では目新しい都会的なラーメンや、アヴァンギャルドな限定麺も定期的に提供、ラーメン通はもちろん若者や夜の飲み客の間でも話題となり、すぐに人気店の仲間入りを果たした。  メインメニュー「ショウユ」は力強い醤油の味わいが特徴で、特製麺「麦の香」の歯ごたえも際立つ逸品。また特筆すべきは掃湯(サオタン)という中華の技法で作り出された豚清湯スープだ。豚のゲンコツと背ガラを強火で短時間で炊き上げるもので、これが抜群のコクと旨味を提供する。 フユツキユキト〝ショウユ〟  この「掃湯」は県内のラーメン店でも珍しい手法である。理想の味作りを求める中、間借り営業という特殊な条件下で短時間で仕込みを行う必要があり、偶然にもこの方法にたどり着いたと言う。店主の逆境から成功を得る才能が素晴らしい。  一方変わり種として紹介したいのが「シン・ショウユ」。オレンジ色のスープが高インパクトで、スパイシーな香りを放つ創作メニューだ。スープは濃厚で、カレーに似つつも異なる不思議な風味である。店主によれば、スープには東南アジア系の香辛料のほか、和の醤油、そしてトマトペーストを使用したイタリア風の味わいも組み合わさっているとの事で、食べれば納得、「エキゾチック」と一言で言い表わせない唯一無二の複雑な魅力に溢れている。多くのラーメンを食べ歩いてきた店主ならではの大変ユニークな一品である。 フユツキユキト〝シン・ショウユ〟 麺や うから家から 麺やうから家から「金谷川涼子」。元暴走族の養護教諭。 素材本来の旨味を探求しつづける  次に「麺や うから家から」についてご紹介したい。この店はラーメン作りにおいて「完全無添加」に徹底的にこだわる。いわゆる「うまみ調味料」を使用しないだけでなく、丼に入る全てのもの、例えばスープのタレに使用する醤油などに至るまで、原料から見定めた天然素材にこだわるのだ。そのようなとてもストイックな製法に至ったのは店主の波乱の経歴に瑞を発する。  店主は以前居酒屋を経営しており、そこで料理の傍提供していたラーメンがきっかけで専門店に転向した。店の開店当初は無添加にこだわる意識は特になかったが、ある日脳梗塞にて倒れるという出来事が起こる。闘病からの回復後、店の再開後はお客様にも健康に配慮したラーメンを提供したいという思いを抱くようになった。その頃とある東京の有名店との出会いから完全無添加のラーメン作りを知る。それに理想を見出した店主は、病気の影響で不自由が残った体を引きずりつつも素材一つ一つを探求し続け、自分の目指した完全無添加のラーメンを作り上げた。精巧に作り込まれたラーメンはそのコンセプトと共に多くの人に受け入れられた。  メインメニューの「しょうゆらーめん」は鶏と魚介の香り立つ一品。麺は3種もの国産小麦から作られた特注麺を手揉みしたもので、小麦の芳醇な香りと弾力がたまらない。分厚いチャーシューは低温調理仕立てで柔らかく、ジューシーで極上の味わいだ。スープに使うカエシを構成しているのは無添加由来の生きた「菌」であり、すなわち生物なので必ずしもコンディションが一定しない。そこを一杯一杯調整するのが難しくも、面白さでもあるという。 麺やうから家から〝しょうゆ(生姜)らーめん〟  一方変わり種として紹介したいのは、「特もやしらーめん」。ニンニクと大盛りヤサイが載ったガッツリメニュー、いわゆる「二郎系」だ。こういったラーメンの「うまみ調味料」由来の中毒性は魅力の一つだが、変わり種として特筆したい点はこちらも店の信念に漏れず完全無添加のラーメンである事だ。キレのある醤油タレとパワフルな麺、また一杯一杯丁寧に茹で上げた野菜はジャキジャキとした食感。科学調味料に頼らずとも、素材本来の旨味を目一杯に楽しめる非常に満足度の高い一杯となっている。野菜マシにも対応。ガッツリ好きにも応える、お店の懐の広さに魅了される一品だ。 麺やうから家から〝特もやしらーめん〟 らぁめん たけや たけや「竹子舞」。月から来た伝説の不良。尺八が趣味。 店を人々の思い出と出会いの場へ  最後にご紹介するのは「らぁめんたけや」。訪れればまずは小さながらも古めかしい外観、生活感に溢れた戦後の古民家のような内装に驚かされるだろう。店主はリーゼントで髪型を固め、一見ストイックな店に感じるが、地域福祉を大切にする非常にハートフルな側面があり、店の経営の傍、同志と共に福島振興のNPO法人を立ち上げるなど多彩な活動を行っている。  店主の高校時代の話に遡る。ラーメン一杯を200円で楽しめた時代、地元の老舗ラーメン店に通い、店主がそこで仲間と作った思い出がその後のルーツとなる。時が経ち、道に迷いつつもラーメンの道を志した店主だがその中で東日本大震災が発生する。当時店主は他県におり、その地で強烈な福島差別に直面したという。福島からきた家族や土産品まで激しく非難され、忌避された。心から悲しみ、そして憤慨した。「故郷を守り抜く」。この時店主は地元に戻り自分のラーメン店を開くことを固く決意した。  選んだ物件は相当な年代物だが、人が集うイメージを強烈に感じたという。店名は「竹の根のように地に広く根差す」という希望と、自分の名前から一部とり「たけや」。自分がかつて高校時代に通っていた老舗のような、福島の人々の思い出作りや出会いの場を目指し、徹底的な店づくりを行った。   高品質なラーメンと、アットホームな接客が評判になり、たけやは瞬く間に人気店となった。開店から10年が経ちさまざまな人との出会いを紡ぐうち、今は怒りも笑い話に変わったという店主。店づくりの思いは店を飛び越え、地域振興の思いとなった。幼稚園や老人ホームでラーメンを振る舞うチャリティー、地元食材を利用したコラボ商品の開発など、ラーメンを生かした様々な活動を行っている。  たけやの看板メニューはその名もストレートに「らぁめん」。6~7時間じっくり出汁を取ったスープは透明で爽やかな味わいで、鶏のコクがしっかり感じられる。丼を覆い尽くすチャーシューは食べごたえはもちろん、柔らかな口当たりに驚かされる。こちらは学生にはワンコインで提供しており、店主の学生時代の思いの投影を感じられる。 らぁめんたけや〝らぁめん〟  そして変わり種として紹介したいのが一日限定10食の「特製ちゃあしゅうらぁめん」だ。増量され丼からはみ出したチャーシューは食べ応えだけでなく、スープにどっしりとした肉の旨味を加味する。麺が見えないほどびっしりと敷き詰められたネギ・小ネギは、店名の由来でもある竹林をイメージしているとの事。また驚くべきは、これら野菜は店が独自に開墾した地元の農場で自家栽培されたものを使用されているそうだ。店主の尽きない引き出しにつくづく感服である。 らぁめんたけや〝特製ちゃあしゅうらぁめん〟 月刊「政経東北」編集部 髙橋氏の運営する福島ラーメン組っ!の公式HPには今回紹介した4店舗の他にもさまざまなラーメン店がキャラクターと共に紹介されている。ラーメンの味を楽しむだけでなく、その店のルーツを探ることで、味の独自性をさらに楽しむことができるのではないだろうか。現在は多くの店主がSNSなどで自身のルーツについて発信しており、そこから貴重な情報を得ることができる。一歩踏み込んだラーメン体験を通じ、新たな楽しみを見つけてみてはいかがだろうか。 https://twitter.com/wa_nami

  • 77歳教師【相楽新之助さん】「これからも教壇に立ち続けたい」

     教員不足が全国的に深刻になっており、教員免許を持つ教員OBが教育現場に戻るケースが増えている。福島市内でも70歳を超えても教壇に立ち続ける男性がいる。 小中学校の教員不足率は0・35%  教育委員会が定める教員の配当数を満たせない学校が増えつつある。文部科学省が実施した調査によると、2021年度の始業式時点での小中学校の教員不足率は0・35%。全国で2065人不足している。別の調査では、今年度開始時点で「教員不足の状況が1年前より悪化した」と回答した都道府県・政令指定都市教育教員会は43%に上った。  背景には団塊世代の教員が大量退職したことに加え、特別支援学級増加への対応、産休・育休取得者の増加、臨時的任用教員のなり手が減少していることなどが挙げられる。教員の多忙かつ長時間の労働環境が一般的に知られるようになり、教員を目指す人が減っている事情もある。  昨年9月5日付の福島民報によると、県教委調査の結果、県内の学校(小・中・高・特別支援学校)約130校で約140人の教員が不足していた。本県の場合、前述した事情に加え、少人数教育、震災・原発事故からの復興推進に取り組むための「加配」で定数が増え、欠員が膨らんでいることも影響している。  県教委では2~3年以内の定年退職者を中心に職場復帰を呼び掛けており、教員免許を持っている人にもさまざまなルートをたどって声がかけられている。そうした中、60代、70代になっても教壇に立つ教員が増えているが、パソコン対応や体力面の問題もあって簡単ではないという話が新聞などで報じられている。  「私の場合、目の前の生徒のためになっていると実感できれば、年齢を忘れてのめりこんでしまうので、年齢を感じることはないですね」  こう話すのは、70歳を超えた後も現役教員として教壇に立ち続けてきた相楽新之助さんだ。 再任用で中学校教員に  1946(昭和21)年5月16日生まれの77歳。福島高、福島大経済学部卒。川俣高、福島北高、矢吹高、安達高、福島東高、福島商業高で英語教員として教鞭をとり、定年退職後も再任用されて3年間勤めた。  その後は、福島東稜高で指導を継続。その一方で飯舘村教委から声がかかり、学力向上を目指した村学力向上アドバイザーに就任。仮設校舎(当時)で授業と若手教師へのアドバイスを担当した。  それらがひと段落すると、今度は取得していた中学校教諭の免許を生かし、福島市の平野中、福島三中、西信中、北信中で教員を務めた。  「小学校中学年では『外国語活動』として楽しく英語に触れるが、高学年から教科として『外国語』が始まると急に文法などが出てきて難易度が高まり、授業についていけなくなりがち。その結果、中学校に入る頃には英語嫌いになるケースが少なくないのです。そのため、英字新聞を活用するなど、教科書にとらわれない英語関連の話題を出して、興味を持ってもらうように心がけてきました」  もともとは商業科の教員だった相楽さん。転機となったのは、福大生時代に献血制度制定を呼び掛ける運動に携わったことだった。その運動内容について、県の赤十字大会でスピーチしたところ、世界中の若者が集う国際会議に日本代表として出席することになった。片言の英語で意思疎通を図る中で、各国の代表らは世界平和や自国の将来を真剣に考えていることを知った。  刺激的な体験をして居ても立っても居られなくなった。すでに大学を卒業し、川俣高の教員になっていたが、英語の教員免許を取って子どもたちに教えたいと考えた。同校に在職しながら福島大経済学部の専攻科や教育学部に通い直し、必要な条件を満たし、英語の高等学校教諭1級(当時)の免許を手にした。その後、生徒への指導のために数学、社会の免許も取得したという。  これまでの教員生活で印象に残っているエピソードを語ってもらったら止まらなくなった。  安達高で女子生徒3人から「米国に留学したい」と相談され、準備を手伝ってそれぞれ別の公立高校に送り出した。  英語教員向けに国が実施する「中央研修」に参加後、出版社から声がかかって英和辞典の編集に携わり、英語検定試験の面接官を務めた。  福島商業高の国際経済科(当時)の生徒に東京商工会議所が主催した英語の会計の検定試験を指導して受験させたところ、14人が合格した。  人とのつながりから刑務所でボランティア指導を行うようになった。  その行動力もさることながら、記憶力の良さに圧倒されるばかり。 自由度が低い教育現場  いま教育現場にいて感じることを尋ねると、「自由度が低くなっている」ことだという。  「授業に集中したいのに、やることが多すぎてがんじがらめで、教材研究をやったりする余裕は全くありません。高校に勤めていたときとは大きく異なると感じました」  どんな授業をやるのか、事前に「指導案」の提出を求められる。学力向上会議や生徒指導委員会といった各種会議も入り、県から降ってくる仕事もある。  相楽さんによると、教育現場では、1年間の目標を立て年度末に校長・教頭が4段階(S・A・B・C)で評価する「目標管理制度」が導入されている。時間が足りず学級運営に手が回らなくなり、学級崩壊などを引き起こした教員の評価は低くなるとみられる。評価が低いと次年度の給料にも影響するという。  こうした中で、自由な発想で指導を行う教員が減っている、と。  「新学習指導要領で求められている『指導と評価の一体化』(子どもへの評価を学習改善や指導改善にうまくつなげる取り組み)への対応も教員を悩ませる一因となっている。仕事がひと段落して帰宅できるのは19時過ぎ。朝は7時ごろから出勤しているので12時間勤務です。こうした現状を見直さないと、教員志望者も増えないのではないでしょうか」  県教委では「教職員多忙化解消アクションプランⅡ」を策定し、業務改善、部活動・校務の見直しなどに取り組んでいるが、現場の実感としてはまだまだ厳しいということになる。こうした声を受け、さらなる抜本的改革に取り組む必要があろう。  教育関係者は「70代の教員がデジタル技術を用いた授業を行ったり、最新受験テクニックを教えることができるのか。生徒も保護者も不安を抱くだろう」と疑問を呈するが、相楽さんは意に介さずこう話す。  「どの生徒も知りたいという欲求を持っていて、うまく〝鉱脈〟に突き当たると、目を輝かせて話を聞き始める。まだまだ教壇に立ち続けたい。現在は臨時的任用教員として登録しているわけではありませんが、今度、福島市に公立の夜間中学校ができると聞いているので、機会があればそちらでもぜひ指導してみたいと考えています」  教育への情熱はまだまだ消えることがなさそうだ。

  • 【JESCO】中間貯蔵を担う風通しの悪い国策会社

     東京電力福島第一原発事故で生じた放射性物質を含んだ除染土を最終処分するまでの間、保管を担う国策会社「中間貯蔵・環境安全事業株式会社」(JESCO・本社東京)に上司から暴言を吐かれたと訴える職員がいる。上司は「怠慢を指導」とし、職員は「パワハラを受けた」と互いの主張は平行線。寄せ集めの組織ゆえ、職員同士の連携が並大抵でない実態が浮かび上がってきた。 「怠慢を指導」か「パワハラ」かでいがみ合い 除染廃棄物の運搬状況を監視するJESCOの輸送統括ルーム(いわき市)=2020年2月撮影  8月24日、東京電力福島第一原発で発生した汚染水を浄化処理した水の海洋放出が始まった。「水」に注目が集まる一方、事故で発生した放射性物質を含む「土」の保管を担う中間貯蔵・環境安全事業株式会社(JESCO)の中間貯蔵管理センター福島事務所(福島市)に勤務する60代の男性職員は、所長を務める男性から投げ掛けられたという暴言をこう振り返った。  「2022年1月に環境省から委託された建物の解体工事の設計変更を担当しました。同27日に設計書の納期が迫っているのにまだ終わらないのかと上司から言われました。『やる気あんのか!』『ふざけんじゃねえぞ!』などの暴言を吐かれました」  男性職員は、大学の工学部を卒業後、民間企業、復興庁を経て2017年にJESCOに入社した。民間企業に勤めていた時は建築現場で働き、一級建築士の免許を取った。  ここでJESCOの組織に触れておかねばならない。特徴は、中途採用や出向者が多く、職歴がさまざまな人物が集まる大所帯(従業員559人=今年3月末現在)ということだ。それが、職員間の軋轢を生みやすい土壌につながっている可能性がある。  JESCOは、中間貯蔵・環境安全事業株式会社法に基づき政府全額出資で2004年に設立された特殊法人。当初の事業はポリ塩化ビフェニール(PCB)廃棄物の処理で、16年に終える計画だった。ところが14年に計画を延長した上、原発事故で発生した除染土の収集や運搬、中間貯蔵、調査研究、技術開発の事業も追加された(東京新聞2017年4月24日付より)。  代表取締役社長は環境省で事務次官(2019年7月~20年7月)を務めた鎌形浩史氏。資本金は382億円(2023年2月末現在)。  前出の東京新聞の記事は、JESCOが中央省庁から再就職者や現役出向者を19人受け入れ、そのうち監督官庁の環境省出身者が17人で約9割を占めていたと報じた。「環境省職員だからといってPCB処理や中間貯蔵のプロというわけではない。OBや出向者を20人近くも在籍させる必要があるのか疑問だ」という元経済産業省官僚古賀茂明氏の指摘を紹介している。  除染で集めた汚染土壌を保管するのは不可欠な仕事だ。環境省所管の国策会社のため、JESCOは代々トップに同省事務次官経験者を据え、取締役と監査には元官僚と民間企業の役員が付いている。天下り先と言われる所以だ。  前出の男性職員によると、福島市の事務所では県職員が退職後に所長になり、実務は東電や土木建設会社からの出向者・転職者が主導し、現地採用の任期付き職員や派遣社員が従っているという。  JESCOの業務はPCBの処理と、除染土を最終処分するまで管理することなので、新たな業務を抱え込まない限り事業は将来縮小する。言わば「尻拭い」の組織。実務者には、生え抜きの職員を多く採用して一から育てるよりも、即戦力の人物を民間から集め、その他は臨時職員で人員調整する方が都合が良い。  男性職員に暴言を吐いたとされる所長は、県が発表する「退職県職員の再就職状況」によると、2017年度に水・大気環境課長を退職し、JESCOの福島事務所に再就職したと記載されている。  本誌は所長に、男性職員が訴える昨年1月27日の暴言について確認した。  「ハラスメントを受けたという申告はありましたが『苦情』と処理しています。『やるべきことをやらない人に厳しく指導をした』との認識です。男性職員には工事設計の締め切りを前から知らせていたのに、必要な作業をする素振りが見られませんでした。本人に確認すると『期限は明日までと思っていました』と答えました」  さらに、  「彼は『設計部門をできる』と虚偽を言って採用されたのではないでしょうか。周りがカバーしなければならず、他の職員から批判が出ました。所長の手前、必要な指導をしたと認識しています」  所長によると、納期が迫る中、工事の設計結果を急いで提出するよう指導したが、その時に「激しい言葉遣いになった」との認識のようだ。  男性職員が反論する。  「期限は同2月上旬で、まだ時間はあり、私は計画的に進めていました。正しい期限は議事録で回し、所長もチェックを入れ確認していたはずです。前職では解体工事の設計を担当したことがあります。経験に従って自分の中では順調に進んでいると思っていましたが、突然『間に合わないのではないか』と詰められ、そこで環境省委託の設計書では見積もり方法が異なっていることを知りました。想定していた期限よりも前に、徹夜で仕上げるようにと罵倒を交え叱責されました」  男性職員は、所長とのトラブルに至る前段に、発注者である環境省内で職員同士の折り合いが悪く、同省からJESCOへの指示が一本化されていなかった点、以前に環境省の仕事を請負い辛酸を舐めた民間業者から「今度の担当者は最後に仕事を押し付けてくる人物なので気を付けろ」と助言され、実際にその通りだった点を挙げ、工事の流れの川上に立つ環境省職員の問題も指摘した。 所長と同じフロアに  男性職員によると、暴言を吐かれたことを受け、福島労働基準監督署に相談して本社の人事部と面談し、別の仕事の担当になったという。ところが、その職場は所長と同じフロアで、「罵声を浴びせられるのでないかとビクビクし、顔を合わせることに苦痛を感じる」と話す。  一方、所長はと言うと「ここまで『苦情』を申し立てる職員はレアケース。やることをやらず、権利だけ主張するのはおかしいと思います」。  本誌は5月号に「福島国際研究教育機構職員が2日で『出勤断念』 霞が関官僚の〝高圧的態度〟に憤慨」という記事を掲載した。現地採用の職員が官庁の出向者から馬鹿にされたと思い、「この上司とは信頼関係を築ける気がしない」と2日で出勤を諦めた内容。寄せ集めの職場では、信頼関係を築くのが並大抵ではないことが分かる。  男性職員と所長の話を聞くと、JESCO福島事務所の職場は風通しが悪そうだ。JESCOは国策事業を担い、多額の公金が投入されているので、職場問題が業務に支障を及ぼさないか国民は不安を覚えるだろう。仲良くしろとは言わないが、準公務員であることを自覚し「呉越同舟」で職務に励んでほしい。 ※JESCO本社に事実関係を確認すると、男性職員の申し出は「ハラスメントの相談として受け付け、詳細については個人が特定される情報なので、回答を控えさせていただきますが、社内規程および厚労省の指針に則り、ヒアリング調査など必要な対応をとりました」とのこと。「会社としては、ハラスメントの防止に引き続き力を入れて取り組んでいく所存です」とした。 https://www.youtube.com/watch?v=CTJF_pbybQo&t=275s 【福島】【原発】【中間貯蔵施設】① 輸送統括ルーム(2020年.2.20)

  • 岐路に立つ真夏の相馬野馬追

     相馬地方の伝統行事で国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の日程変更が現実味を帯びてきた。今年も例年通り7月最終土・日・月曜日(29・30・31日)に行われたが、連日の暑さで多くの観客、騎馬武者が熱中症の疑いで搬送され、馬2頭が死ぬ事態となった。もはや涼しい時期に日程が変わるのは避けられない情勢だが、変更の「障壁」とされる文化庁の許可がすぐに得られるのかという指摘もある。 歴史的根拠に乏しい「5月開催」方針 勇壮な神旗争奪戦(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2013年撮影)  行事を取り仕切る「相馬野馬追執行委員会」の門馬和夫委員長(南相馬市長)が、8月7日に開かれた市の定例会見で発表した数字は衝撃的だった。  7月29、30、31日に開かれた今年の相馬野馬追。その実績は、出場騎馬数361騎(前年比24騎増)。観覧者数は、3日間の総入込数12万1400人(同1万8000人増)。30日の本祭りに限ると、雲雀ケ原祭場地に2万8000人(同8000人増)、騎馬武者行列の沿道に3万8000人(同3000人増)が訪れ、いずれもコロナ禍だった昨年より増えていた。  一方、同じく前年より増えたのが救護件数である。  救護所対応件数(鹿島・小高を含む)は95件(前年比57件増)。内訳は、熱中症および熱中症前兆が83件(同62件増)、打撲、外傷などが12件(同6件減)。このほか救急搬送も13件(同12件増)に上り、うち11件は熱中症によるものだった。  当日がどれくらいの暑さだったかは、データを示せば一目瞭然だ。以下は気象庁の観測所がある相馬市の気象データ。  29日  最高気温34・1度  最低気温24・0度  30日  最高気温35・2度  最低気温24・6度  31日  最高気温34・9度  最低気温26・0度  3日間とも猛暑日(35度以上)と言っていい暑さ。そうした中を騎馬武者は重い甲冑をまとい、馬を操っていたわけだから、体感温度は軽く40度を超えていたに違いない。  出場10回未満の騎馬武者は「今年は今まで経験した中で一番きつかった。とにかく尋常じゃない暑さで、周りの人たちも口を揃えて辛いと言っていました」。  これに対し、ベテランの騎馬武者は「昔から出ていると『野馬追は暑いもの』という考えがあるから、何とも思わない」と平然と言うが、多くの騎馬武者があまりの暑さに音を上げたのは事実だろう。  ベテランの騎馬武者がむしろ心配していたのは観客の体調だ。  「甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる雲雀ケ原祭場地は日差しを遮る場所がないから、観客はかなりきつかったと思う。その場でじっと見ているのは厳しかったんじゃないか」 もちろん、執行委員会でも暑さ対策は行っていた。例えば南北2カ所に涼み所としてテントを張り、ミスト扇風機を置いたり、行列観覧席の後ろにテントを設置したり、南北2カ所の救護所にも大型扇風機と冷風機を設置したが、熱中症の救護件数が前年比で62件増えたことからも十分な対策とは言えなかったようだ。  暑さの影響が及んだのは人だけではない。馬も2頭死んだ。門馬市長が8月7日の定例会見で明かしたところによると、熱中症で倒れた1頭が安楽死となり、もう1頭は原因不明で死んだが、暑さが原因なのは疑いようがない。  騎馬救護所での馬の診療件数も112件(前年比41件増)に上り、うち111件が日射病。出場騎馬数は361騎だったので、約3分の1の馬が救護を受けたことになる。  「私の馬は大丈夫だったが、とにかく水を飲ませ、体にかけてやることはずっと意識していた。今年はやらなかったけど、過去には予防措置として点滴をしたこともある。馬の様子を見極めるには、ある程度の経験が必要なので、経験の少ない騎馬武者ほど馬を日射病にしてしまったのではないか」(前出・ベテランの騎馬武者)  とはいえ、馬はもともと暑さに弱い。そうした中で、重い甲冑をまとった人間を背中に乗せて走れば、馬体に相当な負担がかかることは容易に想像できる。  地元紙は記事中で触れただけだったが、全国紙は「馬2頭が死ぬ」と見出しでも大きく取り上げたため、ネット上では「真夏の野馬追は、いくら伝統行事とはいえ動物虐待」「息遣いや発汗を見れば、馬の異変に気付くはず」「死んだのが人間ではなく馬でよかった、ということにはならない」といった厳しい書き込みが散見された。 三重県の伝統行事に勧告  こうした事態に、執行委員会は8月8日、ホームページ上で「馬の救護事案に係る対応について」という発表を行った。  《相馬野馬追執行委員会では、熱中症(日射病と表記したものも含みます)により、人馬とも例年を大きく上回る要救護事案が発生したことを重く受け止めております。  特に亡くなられた2頭の馬に対し御冥福をお祈りするとともに、馬と共に継承してきた伝統行事の主催者としての責任を以て、今後の対応を速やかに整えてまいります》  今年は例年以上に暑くなることが予想されていたため、執行委員会では馬への熱中症対策として①騎馬武者行列の前に散水車2台を使って打ち水を実施、②騎馬救護所に給水車とホースを設置、③山頂に給水用のホース(シャワー)を設置、④馬殿に補給用として大型バケツ5個を設置するなどしていた。  「ただ、馬が死んだのは今回が初めてじゃない。単にここ数年は死んでいなかっただけ」(前出・ベテランの騎馬武者)  それが今回、ここまでクローズアップされたのは▽今年の野馬追開催前に、近年の異常気象を受け、日程を変えてはどうかという話が浮上していた、▽騎馬会を対象に行ったアンケートでも、馬の命と健康を心配する意見が挙がっていた、▽昔は馬が死んでも深刻に受け止める気配が薄かったが、令和の時代になり「動物福祉」が重んじられるようになった、▽今までは馬が死んでも報じなかったマスコミが、今回は大きく報じたことで世間の関心を集めた――等々が影響したとみられる。  市では昨年12月、五郷騎馬会(旧相馬藩領の当時の行政区である五つの郷=宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷=の各騎馬会)を対象にアンケートを行ったが、回答の自由記述欄を見ると、馬の命と健康についてこんな意見が寄せられていた。  「暑さにより愛馬が辛い思いをしている。10歳を超え体力も心配になり、今回の野馬追も点滴をしながら頑張ってもらった。かわいそうになり、来年夏も暑いようなら出場しない方向で考えていた」(20代男性)  「乗馬クラブは野馬追で馬を貸すと暑さで10~20日休養させることになるので貸すのを渋っている」(70代男性)  騎馬武者たちは自分で飼育している馬に乗るか、乗馬クラブや知人などから馬を借りている。しかし、熱中症で救護を受けたり、死ぬかもしれないリスクがある状況では、来年以降、愛馬を出場させるのをためらったり、貸すのを拒む乗馬クラブが増える可能性もある。それでなくても、もともと乗馬クラブからは「乗り方が粗っぽく、野馬追から帰ってくると馬がかなり疲弊している」という不満が漏れていた。  他地域では、こんな出来事も起きている。  《三重県桑名市の多度大社で毎年5月に行われる伝統行事「上げ馬神事」が動物虐待に当たると批判されている問題で、県教育委員会は(8月)17日、県文化財保護条例に基づき多度大社に勧告を出した》(共同通信8月17日配信)  報道によると、上げ馬神事は南北朝時代から続く三重県の無形民俗文化財で、馬が坂の上に設置された高さ約2㍍の土壁を越えた回数で農作物の豊凶などを占う。これまでに複数の馬が骨折し、最近十数年で計4頭が安楽死となっていた。勧告は2011年以来二度目だという。  「伝統行事と馬」という関係性は野馬追と同じだ。上げ馬神事のように高い土壁を越えさせるような危険な行為はなくても「動物虐待」を持ち出されれば、伝統を大切にしながら馬をいたわる方向に祭りが変わっていくのは避けられそうもない。 旧暦「五月中の申」  感情論ばかりを振りかざすのではなく、冷静にデータも押さえておきたい。別掲の図は2012年から今年までの人と馬の救護件数と本祭り(2日目)の最高気温を示したものだ。20、21年は新型コロナの影響で神事のみが行われたため、救護件数はゼロだった。  それを見ると気温が30度以下の2013、16、17、18年は救護件数が少ないが、30度以上の12、14、15、19年は救護件数が多い。猛暑日だった今年はとりわけ件数が多かったことも分かる。また、17年までは人の救護件数が多い傾向にあったが、18年以降は人より馬の救護件数が上回っている。  気温が高ければ、人も馬も救護件数が増えていることがはっきり見て取れる。今後、地球温暖化で異常気象がさらに進めば、救護件数はますます増えていくだろう。  本誌6月号「相馬野馬追『日程変更』の障壁」という記事で報じたように、野馬追は日程変更の議論が本格化しようとしていた。きっかけは近年の猛暑に対し、今年2月に開かれた執行委員会の会合で立谷秀清副執行委員長(相馬市長)から「涼しい時期に開催可能か検討すべき」という提言が出されたことだった。これを受け、門馬委員長が「検討委員会をつくって方向性を決めたい」と応じ、出席委員から承認された。  こうして設立が決まった「相馬野馬追日程変更検討会」では当初、日程変更は「早くても2025年度から」という方針を示していた。執行委員会による事前協議で、文化庁など関係各所との協議・調整に最低2年は必要という判断から、2年後の2025年度からの変更が現実的とされた。しかし今回の事態を受け、8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合では「来年から5月下旬~6月初旬にする」という方針に改められた。 8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合  なぜ5月下旬~6月初旬かというと、前述・五郷騎馬会を対象に行ったアンケートで「何月が最適な開催日程と思うか」という問いに5月と答えた人が最も多く、6月も3番目に多かったためとみられる。  季節的には涼しさもあり、梅雨入り前なので、騎馬武者にも観客にも馬にも喜ばれる時期には違いない。しかし、ちょうどいい季節という理由だけで簡単に日程を変えられるわけではない。  野馬追は文化財保護法に基づき、昭和53年(1978)に国指定重要無形民俗文化財に指定されたが、これが日程変更の大きな障壁になるのだという。2011年に現在の日程に変わった際、その協議に参加した南相馬市の関係者によると、  「日程変更は文化庁が許可しなければ実現しないし、簡単には許可してくれない。2011年の日程変更では執行委員会などで協議して(現在の7月最終土・日・月曜日に)決めた後、県教委も交えてさらに協議した。その内容を同庁に上げ、同庁内の調査・手続きを経てようやく決まったのです」  正式決定には、かなりの時間と労力を要したことが分かる。  自らも騎馬武者として参加し、市議会定例会で野馬追に関する質問を続けてきた岡﨑義典議員(3期)もこのように話す。  「文化庁との協議に最低2年かかると言っていたのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程を変えると言い出すのは違和感がある。5月下旬から6月初旬に変えることがさも決定したかのような報じ方も奇妙に感じます。心情的には日程変更は理解できます。しかし、日程変更検討会で5月下旬から6月初旬に変えると決めたとしても『文化財の価値』を判断基準とする文化庁がそれを認めるのか。騎馬会や各神社がどう判断するかも気がかり。その確証がないのに、来年には日程が変わると言い切ってしまうのはいかがなものか」  そもそも中村藩主相馬家の武家行事として執行されていた野馬追は、江戸時代から旧暦「五月中の申」の日に行われてきた。現代の暦に直すと6月下旬から7月上旬になる。  《旧暦五月中の申とは、旧暦五月の2回目の申の日を指し、藩主相馬家では、この日を中心に3日間の野馬追行事を執行する習わしであった。旧暦五月は「午の月」ともいい、猿(申)が馬(午)の守り神とされることに加え、中の申の日が妙見の縁日だったことから、この日が選ばれたという》(『原町市史 第2巻』の「通史編Ⅱ『近代・現代』」より)  こうした歴史を踏まえると、文化庁が暑さを理由に日程変更を認めるかどうかは確かに不透明だ。  加えて岡﨑議員が厳しく指摘するのは、この間、執行委員会が本気になって日程変更を考えてこなかったことだ。  「暑さで人が亡くなるかもしれないリスクはこれまでもあった。それなのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程が変わるというんだから、今まではそういうリスクがあっても執行委員会は真剣に受け止めてこなかったのではないか」(同) 来年からの日程変更は一見すると日程変更検討会の英断にも映るが、見方を変えると、問題が起こらないと本腰を入れない役所の姿勢を表しているわけ。 文化財としての価値 騎馬の列が市街地に繰り出す「お行列」(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2015年撮影)  5月下旬から6月初旬への変更が既成事実化する中、文化庁との協議をどのように進めていくのか、執行委員会事務局に聞いてみた。  「日程変更には文化庁のほか、相馬野馬追保存会の中の専門委員会、県文化財課との協議が必要になる。来年5月下旬から6月初旬という日程は日程変更検討会で決定され、背景には人と馬の命には変えられないという判断があるが、同時に野馬追の文化財としての価値を引き継ぐことが大前提になる。そこを軽視して日程が変わることはありません」  8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合には本誌をはじめ多くのマスコミが取材に駆け付けたが、冒頭、門馬市長がメンバーに「マスコミの方にはこの場にいてもらっていいか、出てもらうか」と問いかけると、立谷市長が低い声で「出てもらってください」と言い、協議は非公開で行われた経緯がある。公開しても何ら不都合なことはないと思うのだが、過程をオープンにせず、密室で決める役所の姿勢はこんなところにも表れている。  暑さを理由に日程を変える必要性は誰もが認めているが、同時に、文化財としての価値をどう担保するのか。日程変更検討会には、文化庁をはじめ騎馬会、各神社など関係者が納得する結論を、スピード感を持って出すことが求められる。 ※日程変更検討会の第2回会合は8月27日に開かれ、来年から「5月最終土、日、月曜日」に変更することを決めた。今後、文化庁に上申し、了解が得られれば正式決定する。 あわせて読みたい 相馬野馬追「日程変更」の障壁

  • あなたは聖光学院野球部を「外人部隊」と嘆きますか?

     第105回全国高校野球選手権記念大会(通称=夏の甲子園)2回戦で聖光学院と仙台育英が激突した。早すぎる東北の「隣県対決」を惜しむ声の中、熱戦は9回2死、松尾学武選手(3年)が空振り三振を喫し、福島県代表として挑んだ聖光学院の夏は終わった。  スコアは2―8。宮城県代表の仙台育英ナインの健闘を称え、夢の続きを託した聖光学院ナインだが、すぐには現実を受け止め切れなかった。ぼう然としたまま、試合後の習性として甲子園球場のアルプススタンドに向かって走り出した。  昨夏も同じ仙台育英に準決勝で屈した。その年、隣県のライバル校は頂点まで駆け上がり、深紅の優勝旗を104回の歴史を誇る大会史上初めて、白河の関を陸路で越えて持ち帰った。伊達市にある聖光学院の野球部グラウンドから東北新幹線がよく見える。ナインはもの凄いスピードで素通りしていったグリーンの車体を「次こそは……」の思いを秘め、眺めていたかもしれない。  悔しさを忘れない。1年間歯を食いしばって鍛え直し、夏の王者・仙台育英と全力で戦い、昨年以上に善戦したが、またも跳ね返された。  アルプス席の前で、聖光学院ナインは横一線に整列して頭を下げた。そして顔を上げた瞬間、声を枯らして応援してくれた控え部員、支えてくれた学校関係者、成長を見守って来てくれた家族の姿を薄暮の中に見た。そして、彼らの感情が堰を切ってあふれ出た。  「最後は笑って終わろうと思っていましたが、スタンドに行った時に涙が出てしまいました」  そう言って号泣し、その涙を泥だらけのユニホームで拭った三好元気選手(3年)は神奈川県出身。聖光学院のユニホームに憧れて門を叩き、2年連続夏の甲子園で福島県代表として戦った。  三好選手だけではない。親元を離れ、追い求めた日本一の目標には届かなかったが、涙の量は努力の量だ。スタンドに並ぶ親しい人たちの顔を見て流した大粒の涙は、今は気づかないかもしれないが、長い人生の中では金色の優勝メダルよりも確かな価値がある。彼らが2年半、福島の地を踏みしめて本気で野球に向き合い、成し遂げたものへの美しい対価だった。  聖光学院の野球部を「外人部隊」と呼ぶ人がいる。100人を超える部員の中から今大会、ユニホームを着てベンチ入りを許されたメンバーは、わずか20人。うち、福島県出身は6人だった。数字だけを見れば、文字通り県外から来た人を意味する「外人」ばかりと揶揄することも、あながち見当違いではないかもしれない。 続きは福島県内の書店で「月刊『政経東北』10月号」をご購入いただくか、Amazonで注文して是非読んでください! 見出し 彼らを「外人」にしているのは誰か 覚悟を持って福島の地を踏みに来る 福島スポーツ界の競技力向上に貢献 彼らは地域の宝で、福島の未来 【政経東北】販売店一覧 Amazonで購入する スポーツライター 羽鳥恵輔◇ はとり・けいすけ  1968年、福島県生まれ。プロ野球、高校野球、Jリーグ、高校サッカー、ボクシングなど広範囲に渡って取材を続ける。東北楽天ゴールデンイーグルスのファン。

  • 違和感が渦巻く【会津大学】学長辞任

     公立大学法人会津大学(会津若松市)の宮崎敏明理事長兼学長(66)が7月31日付で辞任した。背景には「論文不正」と「学内手続き軽視」という二つの問題があったが、意外にも学内には宮崎氏を擁護する空気が漂う。「宮崎氏は策略にはめられたのではないか」とのウワサまで囁かれる辞任劇を追った。 (佐藤仁) 「論文不正」「学内手続き軽視」のもう一つの事実 トップ不在に陥った会津大学 会津大学 コンピュータ理工学に特化した県立の4年制大学として1993年4月に開学。2006年4月に公立大学法人に移行。学生数は学部1073人、博士前期課程196人、博士後期課程68人。教職員数はコンピュータ理工学部112人、大学院コンピュータ理工学研究科81人(昨年10月現在)。  宮崎氏は新潟県出身。電気通信大学大学院修士課程修了、東京工業大学で博士号取得。日本電信電話公社(現NTT)の研究員などを務め、2005年に会津大学理工学部教授に転身した。専門は通信ネットワーク学で、先端情報科学研究センター長などを経て20年4月に理事長兼学長に就任。任期(4年)は来年3月までだった。  宮崎氏が辞表を提出したのは、学内組織の理事長選考会議から辞任を求められたことがきっかけだった。背景には、宮崎氏が起こした「論文不正」と「学内手続き軽視」という二つの問題があった。  同大学の公式発表や早川真也総務予算課長の説明などをもとに、二つの問題を解説する。  昨年3月、宮崎氏から「自己盗用の疑いがある論文が12報ある」との自己申告があり、学内に調査委員会が設置された。「自己盗用」とは自分が書いた論文の中の一文、データ、表、図と同じものを出典を明らかにせずに他の論文に再利用する行為。同じ一文、データ、表、図を再利用することは出版社や読者に新しい発見があったと誤解させてしまうため、研究の公正性と倫理性を保つ観点から、以前に書いた論文から引用したことが分かるように出典を明らかにする必要があるという。  調査委員会では自己申告があった以外の論文にも自己盗用がないか調べるため、宮崎氏が教授に就いた2005年までさかのぼり計54報の論文を調査した(自己申告があった12報のうち5報は同大学着任前の論文だったため調査から除外。残り7報は54報に含まれている)。  調査は昨年5月から今年2月まで行われ、その結果、自己盗用3報、二重投稿5報、計8報の不正が見つかった。  「二重投稿」とは先行論文と比較して、内容や結論に新規性が見られない論文を学会や出版社などに投稿する行為。今風に言うと「コピペした論文を投稿した」と説明すれば分かり易いかもしれない。研究活動において、二重投稿は自己盗用より悪質とされる。  「ただ宮崎氏からは、自己盗用については認める一方、二重投稿については『そうではない』として不服申し立てがあった」(早川課長)  不服申し立てを受け、調査委員会は今年3月から4月にかけて再調査を実施。その結果、5報あると結論付けた二重投稿のうちの1報は自己盗用に当たると認定を変更。残り4報は二重投稿に当たるとして、宮崎氏の申し立てを却下した。  調査委員会が、自己盗用が4報、二重投稿が4報あったと正式に結論付けたことを受け、同大学は5月31日、宮崎氏に対し二重投稿の論文を取り下げ、自己盗用の論文を訂正するよう勧告した。  これと同時並行で発覚したのが、もう一つの問題である「学内手続き軽視」だった。  宮崎氏は大学院の組織・定員変更や学部定員の増員を前提とする内容で、今年5月23日に国に補助事業申請を行った。しかし、同大学では定款で「重要事項は役員会、経営審議会、教育研究審議会の議決を得なければならない」と定めているのに、宮崎氏は3組織の議決を得ずに手続きを進めていた。  同大学事務局は宮崎氏に「適切な手順を踏んでほしい」と再三要請したが「(3組織の)議決を得る案件ではない」と聞き入れられなかった。しかし、同大学の設立団体である県から「定款に定める学内手続きを踏んだのか」との指摘を受け、補助事業申請は6月8日に取り下げられた。  小林孝県私学・法人課長はこのように話す。  「県は同大学の設立者であると同時に、運営費交付金の交付や職員の派遣など運営にもかかわっている。その立場から今回の国への補助事業申請を確認したところ、定款に定める学内手続きを踏んでいないようだったので、事実関係を問い合わせた結果、同大学が申請を取り下げた、と。取り下げは県が強制したのではなく、同大学が自主的に判断した」  小林課長によると、同大学は取り下げ後、申請のやり直しを行っていないという。  一連の経過は同大学監査室から監事(小池達哉弁護士、伊藤真大公認会計士)に伝えられた。監事は6月28日、同大学にコンプライアンスの徹底と健全な大学運営を図ることを求める意見を述べた。  具体的に何を述べたのか、小池弁護士に問い合わせたところ「コメントは差し控えたい」とのことだったが、前出・早川課長によると、宮崎氏ら役員に対し、監事から口頭による厳重注意があったという。  同大学は、宮崎氏に絡む問題が立て続けに起きたことを深刻に受け止め、7月5、10日に学内組織の理事長選考会議を開き、理事長の解任に相当する職務上の義務違反に該当するかどうかを審議した。  その結果、「解任に相当する義務違反には該当しない」とされたが、個人および法人代表としての責任は免れないとして、同会議は7月11日、宮崎氏に対し速やかに辞任するよう勧告した。  「同会議は、解任には当たらないかもしれないが、そういう人物がトップを続けていては学内外、特に学生や高校生に示しがつかないと判断したようです」(前出・早川課長)  宮崎氏は1週間後に辞表を提出。同大学は7月27日に会見を開き、二つの問題を理由に宮崎氏が同31日付で辞任することを明らかにした。宮崎氏は兼任していた同大学短期大学部の学長も辞任した。  宮崎氏の任期は来年3月までだったが、途中降板により趙強福副理事長兼副学長が8月1日付で理事長兼学長代行に就いた。早川課長によると、新理事長兼学長が任命されるまでには3、4カ月かかるという。 不注意が招いた「不正」 辞任した宮崎敏明氏  以上が辞任に至る経緯だが、宮崎氏とはどんな人物だったのか。市内の経済人はその人柄をこう評す。  「民間出身のせいか学者然としておらず、感性の鋭い人だった。市政への率直な感想を述べたり、ICTビル『スマートシティAiCT』と会津大学の関係性に鋭く言及することもあった。正直、同大学と地元の連携は十分とは言い難いので、宮崎氏には大いに期待していました」  学内から漏れ伝わる評判も「いい人だった」「大変世話になった」と概ね良好だ。そんな人物が、なぜ問題を起こしてしまったのか。  「論文不正と言うが『不正』と言い切っていいかは疑問が残る」  と話すのは同大学関係者A氏だ。  「文部科学省のガイドラインを見ると『自己盗用』という単語は出てこない。『二重投稿』もこれをしたら違反という明確な規定はない。にもかかわらず宮崎氏は、いわばガイドラインにはない違反を犯したと認定され、辞任に追い込まれた」(同)  A氏が言うガイドラインとは、2014年8月に当時の下村博文文部科学大臣のもとで決定された「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」を指す。  それを見ると、対象とする不正行為として「捏造」「改ざん」「盗用」が挙げられているが「自己盗用」という単語は確かに出てこない。  さらに「二重投稿」については次のように書かれている。  《科学への信頼を致命的に傷つける「捏造、改ざん及び盗用」とは異なるものの、論文及び学術誌の原著性を損ない、論文の著作権の帰属に関する問題や研究実績の不当な水増しにもつながり得る研究者倫理に反する行為として、多くの学協会や学術誌の投稿規程等において禁止されている。このような状況を踏まえ、具体的にどのような行為が二重投稿(中略)に当たるのかについては、科学コミュニティにおいて、各研究分野において不正行為が疑われた事例や国際的な動向等を踏まえて、学協会の倫理規程や行動規範、学術誌の投稿規程等で明確にし、当該行為が発覚した場合の対応方針を示していくことが強く望まれる》  要するに「これをしたら違反」という明確な規定はなく、学協会や学術誌の独自ルールに対応を委ねているのが実情なのだ。  文科省が公表している「研究活動における不正事案」の件数(2018~22年度)を調べても、捏造、改ざん、盗用に比べて自己盗用と二重投稿は少ない(別表参照)。不正と言えるかどうか判断がつきにくいケースがあるものとみられる。 研究活動における主な不正事案の発生件数 捏造改ざん盗用不適切なオーサーシップ二重投稿自己盗用2018年度1261202019年度3360402020年度2362002021年度5563122022年度973421※1.文部科学省の公表資料より筆者作成。※2.「オーサーシップ」とは論文の著者、共著者、実験や分析にかかわった人を記載することを指す。※3.1人で複数の不正をしているケースもあるため、不正をした「人数」ではなく、発生した不正の「件数」を集計した。  《大学によると、引用がどこまで許容されるか明確なルールはないという。教員の一人も「何を自己盗用とするかの基準は時代とともに変わる。10年前はより緩やかだった。過去の論文を今の基準で不正とされるのは正直釈然としない」》《大学は(中略)今後、二重投稿や自己盗用に関する具体的な規定を設ける》(福島民報7月28日付)  宮崎氏を処分した同大学でさえ、具体的な規定は存在していなかったのである。  とはいえ、宮崎氏を擁護する人の中にも「自己盗用も二重投稿も、研究者としてきちんと注意を払っていれば普通は起こり得ない」と、宮崎氏が基本的な注意義務を怠ったことを残念がる声がある。  前述・調査委員会でも論文不正の発生要因をこう指摘している。  《宮崎教授は2006年の文部科学省の研究不正防止ガイドライン制定、2014年の同ガイドライン改正等、研究不正に関する考え方の変遷に注意を払わず、それぞれの論文投稿時にその都度確認すべき投稿規程等の確認を怠り、「二重投稿」、「自己盗用」となる論文を投稿し》《故意性は認められないが、研究者としてわきまえるべき研究倫理の基本的な注意義務が欠如していた》(今年7月に公表された宮崎氏の不正行為調査結果より)  しかし、このように結論付けられても学内で宮崎氏を厳しく批判する声があまり聞かれない遠因には、理事長兼学長就任時に起きた不可解な出来事がある。 告発メールの真の狙い  宮崎氏が理事長兼学長に就いた2020年4月、教職員や大学院生らに「宮崎氏の論文2報に自己盗用、二重投稿、指導学生論文からの盗用がある」という匿名の告発メールが一斉に送られてきた。同年6月と7月にも、別の論文2報に不正があるという匿名の告発がSNSに投稿された。告発は科学技術振興機構と日本学術振興会にも寄せられた。  当時、その告発メールを見たという教職員は  「英文と和訳文の2種類が同時に送られてきたが、和訳文が不自然だったので『告発者は外国人教授ではないか』との憶測が流れたことを覚えている。ただ、日本人がわざと不自然に和訳した可能性もあり、外国人教授説は推測の域を出ません」  と振り返るが、最初に告発メールが送られてきたのが、宮崎氏の理事長兼学長としての任期が始まった4月1日だったため「宮崎氏に何らかの不満を持つ人の仕業ではないか」との見方が大勢だったという。  「そのころ学内には、ある研究施設が期待された役割を果たせず、本来有意義に使われるべき学内の資金がその研究施設の穴埋めに使われているのではないかと不満に思う教職員がいたというのです。しかし、研究施設ができたのは宮崎氏が理事長兼学長に就く前で、責任を問われる筋合いはなかった」(前出・A氏)  つまり告発メールは、その研究施設の稼働状況に不満を持った教職員が「責任は宮崎氏にある」と捉え、失脚させるために送り付けたのではないかというのだ。  告発人の真の狙いは定かではないが、事態を重く見た同大学は2021年2月、調査委員会を設置し、告発のあった4報の論文について同12月まで調査を行った。その結果、全てに自己盗用があったと認定。宮崎氏は22年3月、報酬1カ月分の20%を自主返納すると発表した。  前述の通り、宮崎氏が辞任した理由の一つは「8報の不正」だが、これ以外に4報、計12報の不正があったことになる。  不正の度合いで言うと、捏造、改ざん、盗用は「クロ」で、二重投稿と自己盗用は「グレー」という表現が当てはまるのかもしれない。それを踏まえると、いくら宮崎氏を擁護する人が多かったとしても、研究者として「グレーな行為」を繰り返してしまったことは、同大学の調査委員会が「故意性は認められない」と結論付けているとはいえ深く反省しなければなるまい。一方、告発メールについても、宮崎氏の失脚を狙ったものではなく、純粋に正義感に駆られたことが理由だったかもしれないが、送信のタイミングを考えると素直に評価しづらく、何らかの意図を感じてしまうことを指摘したい。 トップダウンへの賛否  論文不正を擁護する声があるように、学内手続き軽視をめぐっても実はこんな声がある。  「会津大学はスピード感を重視したトップダウン型の運営が持ち味だが、初代の國井利泰学長以外にそれを実践した人はいなかった。そうした中で、宮崎氏は國井氏のやり方を見習い、トップダウンを実践しながら大学改革を推し進めようとしていたのです」(同大学関係者B氏)  つまり、理事長選考会議は学内手続きを軽視したとするが、宮崎氏にとってはトップダウンの一環に過ぎなかった可能性があるのだ。  事実、この件に関する役員のコメントは歯切れの悪さが目立つ。例えば宮崎氏の辞任が発表された会見で前出・趙副理事長は「(学内の)全ての委員会は理事長の諮問機関。副理事長も基本的には理事長のアシストで反対する立場ではない。プロセスには違和感を覚えたが、最後は理事長をサポートする立場だ」(河北新報8月9日付より)と語っていたが、阿部俊彦理事兼事務局長は「(組織的な)責任はある」(同)と補足。同じ役員でも、趙副理事長はトップダウンを容認し、阿部理事は容認していない印象を受ける。 会津大学の役員(今年8月1日現在) 役職氏名所掌事務理事長―――副理事長(副学長及びコンピュータ理工学研究科長兼務)趙  強福研究担当理事(事務局長兼務)阿部 俊彦総務・財務担当理事(コンピュータ理工学部長兼務)ベン・アブダラ・アブデラゼク教育・学務担当理事岩瀬 次郎管理・渉外担当理事(短期大学部長兼務)鈴木 秀子短期大学部担当  前出・同大学総務予算課の早川課長は、宮崎氏に辞任を求めた理事長選考会議でこんなやりとりがあったと明かす。  「宮崎氏は、今回の補助事業申請は学内手続きを踏まなくていいと考えたが、本格的に組織・定員変更をする際は定款に沿った手続きをするつもりだったと話していました。この言い分に対し、理事長選考会議は宮崎氏のやり方は良くなかったが、組織・定員変更の必要性は認めていました」  宮崎氏がトップダウンで進めようとしていたことが分かるし、理事長選考会議がそのやり方に難色を示しつつ、宮崎氏の大学改革には理解を示していたこともうかがえる。  「もし宮崎氏が他の役員の知らないところで勝手に補助事業申請をしていたら、大きな問題(解任)に発展したかもしれない。しかし、他の役員は学内手続きを踏むよう何度も進言しており、宮崎氏のやり方を止められなかったとはいえ、その行為自体は認識していた。だから、他の役員にも一定の責任があったと判断されたのです」(同)  ここで前述・趙副理事長のコメントを思い返すと「理事長に反対する立場ではなくサポートする立場」と言い切っている。これは県や同大学事務局など「役人」はトップダウンを問題と捉えているが、宮崎氏と同じ立場の「役員=教授」はあまり問題視していなかった、ということではないのか。  「趙先生は副理事長として宮崎氏を支えるのと同時に、経営審議会や教育研究審議会の委員としてブレーキ役も務めなければならない難しい立場にあります。新聞にあったコメントは、もしかすると支える立場から口にしたものかもしれないが、だからと言って宮崎氏のやり方を問題視していないということではないと思います」(早川課長)  しかし、宮崎氏が内堀雅雄知事に提出した辞表には「研究活動上の不正行為が認定されたので辞める」と書かれていただけで、学内手続き軽視には一切触れられていなかった。まるで「自分は論文不正で理事長兼学長を辞めるのであって、学内手続きは問題なかった」と抗議しているようにも見えるが、  「いやいや、辞表には書いていなかったかもしれないが、宮崎氏は学内手続き軽視について謝罪と反省の弁を述べており、監事が口頭で注意した場にもいました(前述)。決して学内手続きに問題はなかったとは考えていないと思います」(同)  筆者は役員、とりわけ教授たちの本音が聞きたいと思い、早川課長を介して趙副理事長に取材を申し込んだが「今回はお断りします」との返答だった。  トップダウンは即断即決で素早く物事が進む半面、判断を誤ると独善や暴走につながる。宮崎氏の行為がどちらに見なされたかは分からないが、國井氏以降見られなかった同大学の持ち味は、今回の出来事を契機に再びしぼんでしまうのか。 策略にはめられた!?  名前を出すのは控えるが、宮崎氏は「学内のある古参」の振る舞いにずっと頭を悩ませていた。ただ今年に入り、親しい人たちに「処遇にメドがつきそう。これで少しは大学運営も良くなるのでは」と打ち明けていた。ところが数カ月後、今回の辞任劇が発生。学内には「宮崎氏は自分の身を守ろうとした古参の策略にはめられたのではないか」との見方まで浮上していた。  「学内では古参のよろしくない振る舞いは周知の事実。ただ、宮崎氏辞任の過程に一定程度関わったとは聞いているが、深く関わったかどうかは分からない」(前出・B氏)  大学界では時に権力闘争や派閥の話を耳にするが、宮崎氏が理事長に就任した際の選考で候補者に挙がったのは宮崎氏一人で、選挙戦にはならなかった。  「トップになりたいと考える人は当然いるだろうが、他者を蹴落とすようなドロドロとした雰囲気は同大学にはないと思う」(同)  新聞で関連記事を読んでも、関係者に話を聞いても、どこか釈然としない今回の辞任劇。宮崎氏に直接話を聞く術を持ち合わせていない今、真相は藪の中だが、  「全国にICT系の大学が増える中、今年開学30周年を迎えた同大学はその先頭に立つべき存在。正直、宮崎氏の辞任には違和感があるが、学生、教職員、地元のためにもまずは正常化に努めてほしい」(同)  という求めに応えることが同大学の喫緊の課題と言えそうだ。

  • 記事掲載禁止仮処分申立を取り下げ【続報・中沢学園前理事長の性加害疑惑】

     先月号記事「前理事長の性加害疑惑に揺れる会津・中沢学園」は、校了直前に中沢学園が掲載禁止を求める仮処分を福島地裁に申し立てた。2日間に渡り、本誌と中沢学園、裁判官が参加する審尋を経て8月3日、中沢学園は裁判所に申し立てた仮処分を自ら取り下げた。掲載号は同5日から書店に並んだが、会津若松市内の書店では奇妙な売り切れが続出。記事が掲載に至った経緯を振り返る。(小池航) 会津若松市で何者かが本誌買い占め https://twitter.com/seikeitohoku/status/1688067518244831232  本誌編集部に中沢学園の代理人弁護士から「ご連絡」という文書(7月28日付)がファクスで送られてきた。東京都千代田区の鳥飼総合法律事務所の鳥飼重和弁護士、小島健一弁護士、横地未央弁護士の連名だった。以下に全文を載せる。  《冠省 当職らは、学校法人中沢学園(以下「通知人」といいます。)から委任を受けた通知人の代理人として、貴社が発行している政経東北に通知人に関する記事が掲載される件についてご連絡いたします。  通知人は、2023年7月19日、貴社の小池航記者から、2014年4月、通知人の前理事長である中澤剛氏(以下「剛氏」といいます。)が当時職員であったA氏(筆者注:原文では実名)を職務のため会津若葉幼稚園に呼び出し、わいせつ行為をしたという件(以下「本件」といいます。)に関して政経東北に記事を掲載する旨の連絡を受けました。  本件は、2023年2月28日、A氏から本件について申告があったことを端緒として、通知人として、A氏のヒアリングを複数回にわたって実施し、さらに、A氏の同意の上で剛氏同席のもとでも面談を実施するなどして何とか解決を図ろうとしてきたところです。  しかしながら、本件が9年余り前のことであり、休日という人目のない環境下において行われたとされる点もあいまって調査には困難を伴い、本件がA氏の主張するとおりの事実であったのか、また、仮にA氏の主張するような事実があったとしてもそれがA氏の意に反するものであったのかといった根本的な点について、合理的な疑いを否定することができないというのが現状です。  当事者である剛氏はすでに通知人の理事長職を退いている一私人にすぎない上、そもそも本件は、通知人内部におけるセクハラ被害の申立てという、本来、被害申告をするA氏を含む当事者・関係者のプライバシーや心情に十分に配慮しながら慎重に解決されるべき、デリケートで機微にわたる問題であり、このように雑誌に記事を掲載することをもって世の中に公表する必要性は一切認められず、そればかりかかえって通知人の利用者を巡っても不必要な混乱を生じさせかねません。  このような理由から、本日、福島地方裁判所に記事掲載禁止仮処分の申立を行いました。貴社におかれましては、本件の状況を冷静に認識され、本件について政経東北への掲載を見合わせること、仮に取材・報道の価値があるとお考えであるならば、当職らを通して当事者に適切な調査を実施していただくなど適切な対応をお取りいただくようお願い申し上げます。 草々》  要するに、中沢学園は「記事を出すな」と言っている。理由は、中澤氏は理事長を退いており今は私人、中澤氏と被害を訴えているAさんのプライバシーに関わる、こども園の利用者に影響がある、というもの。取材し報じる場合は中沢学園の代理人を通じて「適切な対応」を取るように付け加えている。  記事を掲載前に差し止めることは、報道の自由、表現の自由に抵触する。相当な理由がないと認められない。①反真実性=フェイクニュースであること、②記事に公益性がないこと、③記事が出ることで回復不能な甚大な被害が出ることを証明しなければならない。 中沢学園「中澤氏は私人」 中澤剛氏(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』より  8月号で筆者は、学校法人中沢学園の元職員Aさんが、2014年に当時理事長だった中澤剛氏から理事長室の書類整理の仕事を日曜日に頼まれ、わいせつ行為を受けたと主張していることを書いた。  記事掲載に当たり、筆者はAさんの主張を裏付ける取材を尽くしていた。中澤氏の言い分も、本人から直接聞き取り掲載している。しかし中沢学園の主張は、Aさんが語ったことについて「合理的な疑いを否定できない」としている。  公益性の観点で言えば、Aさんが「職場での不利益を恐れ、在職中は自分が受けた性被害を学園に言えなかった」と語っている点が重要だ。退職が決まった後に性被害を学園に申告するも救済にはつながらず、以後やり取りは書面でするよう通告された。労働局に調停を申請したが、中沢学園は応じず打ち切られた。行き詰まったAさんは、自分が受けた被害を公表し世論に問おうと、本誌に告発した経緯がある。昨今、ハラスメントは社会の関心事となっており、本誌でもこれまで様々なハラスメント問題を伝えてきた。  中沢学園はこども園を運営し、そこには補助金がつぎ込まれている。Aさんが被害に遭ったと主張する2014年、中澤氏は理事長だった。今は退いて「私人」と主張するのは無理がある。そもそも中沢学園は、その名前からも分かるように「中澤剛氏=創設者の一族」。現在理事長を務める中澤幸恵氏は中澤氏の息子の妻であり、親族経営である。中澤氏がいまの中沢学園に影響力を持たないとは考えにくい。  記事が回復不能な被害を与えるかについては、掲載前に証明するのは困難だろう。中沢学園の主張に則るならば、中澤氏は「私人」に過ぎない。一個人に関する記事で、中沢学園に損害が出る恐れがあるというのは、中澤氏が「私人」という主張に背くのではないか。  ただ、裁判所の判断によっては、記事が出せなくなる可能性が出て来た。  中沢学園の代理人弁護士はさらにファクスを送ってきた。次に届いたのは「書類送付書」(7月31日付)。「記事掲載禁止仮処分申立書」(同28日付)の送付を確認するものだ。書類送付書には受け取ったかどうかを確認するための「受領書」が下部にあり、本誌は署名押印し福島地裁民事部と弁護士事務所にファクスで送った。「受け取った」「受け取っていない」となるのを避けるためなのだろう。  申立書には、記事掲載禁止を求める理由として「人格権としての名誉権に基づく差止め」とある。記事が債権者=中沢学園の社会的評価を低下させるという主張だ。「表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものではないことが明白」、「債権者が重大で著しく回復困難な損害を被るおそれがある」とあった。  福島地裁第一民事部からは7月31日付で「審尋期日呼出状」が届いた。2日後の8月2日午後1時10分に裁判所に出頭するよう書かれている。審尋とはなんだろうか。呼出状をめくると「仮処分を発令するかどうかについては、債権者及び債務者双方の主張や提出された証拠をもとに裁判官が判断します」と説明があった。債権者は中沢学園、債務者は政経東北を発行する㈱東邦出版のこと。審尋とは裁判官が双方の言い分を聞く場のようだ。  筆者はAさんに、中沢学園が記事掲載禁止を求め裁判所に訴えてきたことを伝えた。近く裁判が行われ、中澤氏が臨席するだろうと想定し、当事者であるAさんに出席を依頼すると応じてくれた。 想定外だった中澤氏の不在 福島地裁  中沢学園は中澤氏と幸恵理事長の陳述書を提出していたが、8月2日の審尋に中澤氏の姿はなかった。参加者は次の通り。 中沢学園側(債権者) 中澤幸恵理事長 みなみ若葉こども園の園長 小島健一弁護士(代理人) 横地未央弁護士(同) 政経東北側(債務者) 佐藤大地東邦出版社長 小池航(筆者) 安倍孝祐弁護士(代理人) 政経東北側の証人 Aさん 裁判所 小川理佳裁判官 飯田悠斗裁判官 書記官(1日目と2日目で交代)  審尋は債権者、債務者双方の主張を裁判官が聞き取る。一方に退室を命じてもう一方の主張を内密に聞き取る場も設けられ、双方を交えた聴取→中沢学園のみ聴取→政経東北のみ聴取と繰り返した。本誌が証人を依頼したAさんは別室で待機し、裁判官が聴取する際に呼び出された。  まず本誌は、安倍弁護士の助言を得てゲラ(校正刷り)を裁判官と中沢学園に見せた。筆者はその時まで中沢学園にもAさんにもゲラを見せていない。記事は誌面上で発表するものであり、読者に向けて書いている。ゲラを見せないのは、取材対象者が記事内容の変更を迫って圧力を掛けてくるのを防ぐためだ。  ゲラを読んだ中沢学園は、次のことを主張してきた。  ・政経東北が出した質問状に対する中沢学園の回答を引用しているが、回答の趣旨を汲み取っていない。  ・Aさんが中沢学園の聞き取りに対し、「中澤氏に口にキスされそうになった」と言っているが、記事では「口元にキスされた」とある。記事が正確でないことになる。  ・中沢学園に原稿を見せていない。取材を尽くしていないのではないか。  順序は前後するが「Aさんが中澤氏にキスをされたか、されていないか」については、後に裁判官による聴取の場で、Aさんは  「キスをされたと話すことが自分の中では『抵抗しなかった』と受け取られると考え躊躇し、『キスされそうになった』と話してきた。小池記者に話した時も、他の人に被害を打ち明けた時のように初めは『キスされそうになった』と言ったと思うが、小池記者は『唇はくっついたのか、くっつかなかったのか』と聞いてきたので答えた」  と話した。  裁判官は、Aさんの主張を信頼できると筆者が判断した根拠は何かを聞いてきた。筆者は、中澤氏が3月12日のAさんとの面談で「あなたのおっしゃる通りに認めざるを得ないんでしょうね」と話した録音を確認し、自らの行為を認めるような発言をしたこと、Aさんがハローワークと警察に被害を相談したこと、その時のハローワークの受付カードと警察官の名刺を確認したことを根拠に挙げた。  それに対し、中沢学園代理人の小島弁護士は  ・面談の録音を確認したが、Aさんが中澤氏からどのような行為を受けたと主張するのか明確にされないまま話が進み、中澤氏がその場を収めるために発言しているに過ぎないと主張。わいせつ行為を認めたものとは評価できない。  ・警察に相談した事実があったとしても、相談内容は明らかではない。  とした。  裁判官は、続いてAさんへの聞き取りを行った。  中沢学園の同意を得てAさんが裁判官の前で当時の状況を証言した。前述したように、ここでAさんは中澤氏から「キスをされたか、されていないか」を詳しく話した。  筆者は、当事者が不在の中で事実関係を争っても意味がないと考え、当事者であるAさんに裁判所まで来てもらい「生の証言」を依頼した経緯がある。それだけに、もう一方の当事者である中澤氏が審尋に来なかったのは、本誌にとって想定外だった。  Aさんと幸恵理事長は3月12、19日の面談後の4月以降、やり取りは書面で行うことになっていたため(前述)、約5カ月ぶりに対面した。幸恵理事長は、Aさんが起こした労働局の調停に出頭しなかったのは顧問弁護士の判断だったと説明した。Aさんに対面しなかったのは、Aさんの気分を害してしまうと恐れたからだという。現在、就業規則の改定を進めており、中沢学園内に相談窓口を整備するという。退職後1年間は中沢学園が擁護すべき立場なので、その枠組みでAさんの相談に応じる考えがあると話したが、Aさんは「もう遅いんです」。  ハローワークや警察に相談し、労働局に調停まで起こしたAさんが最終的に本誌を頼ったのは、中沢学園が「事実関係の調査を行うのは著しく困難」と結論付け、公的な相談先に行き詰まり、もはや世間に訴えるしかないと考えたためだと筆者は捉える。 反論記事を中沢学園に提案 会津若葉幼稚園  記事が事実ではないことを示すために反論してきた中沢学園だが、一方で小島弁護士は「反真実性の証明のハードルについては、法律論としては難しいとは承知している」とも話していた。  争点は、記事の公益性にシフトしていく。公益を果たすために中沢学園が言う「適切な対応」を本誌がどのように尽くしていくかに裁判所は注目した。  審尋初日の最後に中沢学園が述べた主張は次の4点。  ・記事を掲載しないこと。  ・損害賠償請求も検討している。  ・取材の方法、記事の書き方に問題があると認識しており、業務妨害や名誉棄損で、本誌と当該記事を書いた筆者個人を刑事告訴する可能性も捨てていない。  ・8月号への掲載を見合わせ、中沢学園関係者に取材し、原稿を中沢学園が確認したうえで9月号以降に掲載することは異議がない。  中沢学園の目的は、初報を出させないことに尽きる。しかし、筆者は記事を既に書き上げ、印刷所に回していた。中沢学園の要求に従えば、8月号から当該ページを切り取らなければならない。小所帯の本誌でその作業が発売日までにできるか思案したが、実はこの時、本誌はまだ今後の対応をどうするか「答え」が出ていなかった。  裁判所の閉庁時間が迫っていることもあり、審尋は翌3日の午後4時半に再開することになった。  本誌編集部は半日掛けて中沢学園の要求に対する方針を話し合った。安倍弁護士に相談し、準備書面にしたため、次の審尋前に福島地裁と中沢学園側の弁護士事務所にファクスで送った。  8月3日、審尋はおそらくこの日に終え、近いうちに裁判所が決定を下すのだろう。2日目の審尋は証人のAさんを除き、双方が前日と同じ参加者で臨んだ。  審尋2日目開始。本誌が送った準備書面に目を通した小島弁護士は、  「まさかこんな提案をしてくるとは思わなかった。検討するに値しない。注目を集めて雑誌の売り上げに協力することになる」  と言った。  本誌は裁判官から一度退室を命じられた。中沢学園が本誌の提案を受け入れるか否か、裁判官から問われるターンだ。筆者は別室で向こうの答えを待っていた。  小島弁護士はなぜ「こんな提案をしてくるとは思わなかった」と述べたのか。  本誌が提案したのは、9月号に中沢学園の反論記事を載せることだった。相手は「こちらの主張を十分に聞いていない」ことを問題視している。そこを捉えて「政経東北の取材には問題がある」と主張していた。だったら、初報では被害を訴えるAさんの主張に寄り添ったので、続報では中沢学園の言い分を100%聞こう。それが報道機関として最も誠実なやり方だと編集部内で意見が一致した。具体的には、  ・中澤幸恵理事長と学園関係者に取材を行い、反論を聞く。  ・政経東北が書いた原稿は、中沢学園に確認してもらったうえで9月号に掲載する。  ・8月号には、中沢学園から記事に対する強い異議があったこと、9月号に反論を掲載する予定であることを記載する。その時点では8月号が刷り上がる目前で、中沢学園の言い分と本誌の主張を記事に加筆することは不可能なため、A5サイズの紙1枚に反論を掲載する予定の旨を書き、雑誌本体に挟み込む。  ・政経東北のウェブサイトに、中沢学園の反論記事を載せる予定という告知と、本誌の質問に対する中沢学園からの回答を全て載せる。  中沢学園と裁判官の話し合いが終わった。再度対面した席で、中沢学園は本誌を前に「仮処分申し立てを取り下げる」と裁判官に伝えた。自ら記事掲載禁止の仮処分を申し立てたのに、裁判所の判断を待たずに自ら取りやめた形。結局、2日目の審尋は10分程度で終了した。  記事は8月号にそのまま掲載できることになった。審尋の場では、中沢学園は反論記事を載せる提案を拒否していたが、実際に記事が出た後は方針が変わるかもしれない。本誌は8月4日、代理人弁護士の事務所宛てにファクスで取材を依頼した。審尋で示したのと同じ条件で、同18日までに中沢学園が指定する場所に本誌記者が出向き、直接話を聞くので取材の可否を教えてほしいと伝えた。取材を受けるかどうかの回答期限は6日後の同10日午後4時に設定した。ところが、期限を過ぎても返答はない。  弁護士事務所に電話すると、事務員が「担当弁護士がいないので折り返す」とのこと。筆者は「午後8時まで会社にいる」と伝え電話を待ったが、電話もファクスもメールも来ない。8時過ぎにもう一度電話すると「16日まで休みに入る」と留守電の録音が流れた。  お盆休み明けの同18日に再び電話した。取材の可否を教えてほしいと言うと、事務員から「弁護士から『回答しない』との伝言がある」と言われた。筆者は「『回答しない』という回答」にこれまで何回か遭遇した経験がある。想定内だったが、せめて期限の10日までには知らせてほしかった。 「買い占めた奴らがいる」 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1688075777819156480  8月号が発売されると、会津若松市の書店では異様な売れ方をした。店頭に並ぶ前から「まとめて買いたい」と客から問い合わせがあったという。筆者には会津若松市在住の70代男性から「発売と同時に買いに行ったら本屋はすぐ品切れだよ。タイミングが良かったのか俺は1冊買えた。買い占めた奴らがいる」という電話があった。(この男性は8月号の別記事「実録 立ち退きを迫られる会津若松在住男性 監視カメラで転売集団に応戦」で書いた、立ち退きを迫られている人物)。  普段は売れ行きの良くない店舗でも売り切れ続出だった。気味が悪いのでX(旧ツイッター)に投稿すると過去最大級の反応があった。一地方都市で起こった出来事に過ぎないが、世間は注目に値する珍奇な事象と見ているようだ。  中沢学園は、記事が学園の名誉を傷つけるとして、掲載禁止の仮処分を裁判所に申し立てたが、自ら取り下げた。とはいえ中沢学園が、本誌と筆者個人を相手取り、名誉棄損で損害賠償請求と刑事告訴をしてくる可能性は十分ある。取材は尽くしているので、その時は淡々と対応するだけだ。

  • 【エアレース】室屋義秀パイロット塾で3次試験実施

    本誌7月号で、福島市に拠点を置くエアレースパイロット・室屋義秀さんが、次世代のエアレースパイロットを発掘する「RACE PILOT PROGRAM(レースパイロットプログラム)」をスタートさせたと報じた。8月には、福島市のEBM航空公園(ふくしまスカイパーク)で同プログラムの3次試験が行われた。 9月からいよいよ飛行訓練が開始 モーターグライダーに乗り込む候補生 室屋さんは飛行機レースの世界大会「レッドブル・エアレース・チャンピオン・ワールドシップ2017」でアジア人初の年間王者に輝いた実績を持つ。  そんな室屋さんがこの春から始めたのが、エアレースパイロットとしての才能がある若者を発掘・育成するプロジェクト。通常、専門パイロット育成には10年かかるとされているところを5年でデビューさせようとする挑戦的な取り組みだ。対象年齢は16歳以上(今年9月30日現在)40歳未満。主催は室屋さんが所属する「LEXAS PATHFINDER AIR RACING」。  4月29日のキャンプ1(1次試験)には室屋さんやエアレースを愛してやまない20~30代の男女32人が全国から集結、体力測定が行われ全員が候補生として合格した。  続く6月10、11日のキャンプ2(2次試験)には18人が参加(14人は辞退)。パイロットに最低限求められる能力を測るため、体力測定10種目、ディベート、英会話試験が行われ、13人が合格した。 座学の様子  キャンプ3(3次試験)は8月10日から3日間にわたり行われ、フライトシミュレーターを使った模擬飛行と、実際に空を飛ぶ飛行適正検査が実施された。  初日、朝6時15分の集合時間に会場に来たのは8人で、5人が辞退した(音信不通の2人含む)。  候補生たちは2人乗りのモーターグライダー(翼が長くエンジンを止めていても滑空できる)に乗り、それぞれ3回ずつ検査に挑んだ。  候補生の半数は航空機の操縦が初めてで、1回目の飛行後は「思うように操縦できなかったが、第一歩としていい経験ができた」「景色が良くて最高の気分だった」と高揚しながらコメントする姿が見られた。  最終日の同12日には、航空法などの座学が行われ、各候補生が先生役となる形で30分ずつ授業が行われ、聴講する候補生や同チームのスタッフらが疑問点を質問した。  その後、3回のフライト内容や座学への取り組みに対する審査が行われた結果、総合得点(1万3000点)の60%を達成できなかった2人が脱落することに。その1人が本誌7月号記事に登場した、県内からの唯一の参加者・宮田翔さんで、候補者ら一人ひとりと握手をして部屋を去っていった。  フライト審査には基本動作をチェックするための項目がいくつも設定され、操縦未経験者の「伸び率」なども考慮されていた。そこでうまく点数を伸ばせなかったのが、2人にとって〝敗因〟となった。  ムードメーカーでもあった宮田さんら2人の脱落に静まり返る6人の候補者に対し、室屋さんは「プロの世界では、コンペティションやセレクションでこうした経験が増えてくる。この感情を大事にしてほしい」と語りかけた。  キャンプ4(4次試験)は9月上旬からスタートし、同公園で毎週飛行訓練を実施する。4段階のフェーズが設けられ、それぞれで審査が行われて、基準を満たせなければその時点で脱落する。候補者は現在の仕事を休職するなどして福島市に生活拠点を移しながら訓練に取り組む。必要となる資格を取得し、いよいよ本格的にエアレースパイロットへの道を歩み出すことになる。  今後への意気込みについて室屋さんはこのように話した。 室屋義秀さん  「(脱落した2人は)一般的に見て極めて優秀な候補生。世界を目指すパイロットを生み出すためのプログラムなのでこういう結果となったが、才能がないわけではない。それぞれ違った形でのフライト人生が待っていると思うので応援していきたい。9月からはいよいよ本格的な飛行訓練がこの場所で始まるので、候補生たちがどうやって成長してくれるか、楽しみです」  過酷なサバイバル試験。果たして何人が福島市からエアレースパイロットとして羽ばたいていくのか。 あわせて読みたい 室屋義秀さんが本格育成塾を設立【エアーレース】

  • ヨークベニマルが原町に新店舗!?【南相馬市】

     「ヨークベニマルが南相馬市内に3店舗目の店舗を計画しているらしい」。こんなウワサが市内で流れている。果たして真相は。 商業施設跡解体で広まる〝ウワサ〟 本誌2022年2月号に「南相馬市原発事故で閉店した大手チェーンのその後」という記事を掲載した。  南相馬市は原発事故により市内南部の小高区が警戒区域、原町区が緊急時避難準備区域に指定され、市外への避難者・移住者が相次いだ。事故から10年以上経ったいまも当時の人口には回復しておらず、市内の事業者はマーケット縮小、労働力減少に直面している。  加えて大企業は原発賠償の幅が小さいという事情もあり、この間大手飲食・小売りチェーンの店舗が次々と撤退していった。記事では市内に進出していたさまざまな店舗の現状をリポートしたが、その一つ、洋服の青山福島原町店が立地していたショッピングセンター「JAMPARKはらまち」跡で現在、建物の解体作業が進められている。  場所は同市日の出町の国道6号沿い。かつては牛丼チェーンのすき家6号南相馬原町店やイエローハット原町店が同センター敷地内に立地していたが、現在は道路のはす向かいに新築移転して営業している。  不動産登記簿で地権者を確認したところ、2020年3月31日に千葉県茂原市の㈱玉川工産が売買で取得していた。さらに2022年8月30日には同社と同じ住所のタマ不動産が売買で取得。同日、抵当権者千葉銀行、債権額5億2000万円の抵当権が設定されていた。  こうした経緯から、市内の経済人や近隣住民の間では「新たな商業施設ができるのではないか」と囁かれており、具体的には「ヨークベニマルが出店するらしい」と言われているという。不動産業者に確認すると、業界内でもそういうウワサが飛び交っているようで、むしろいま関心事になっているのは「ヨークベニマルが市内3店舗目の出店を決断するかどうか」なのだとか。  「市内3店舗目の出店に関しては震災・原発事故前からウワサになっていたが、『南相馬市の人口では2店舗が限界だろう』と言われていました。現在営業中なのは原町店(南町)、原町西店(旭町)で、特に2020年2月に再オープンした原町店はJAMPARKはらまちと直線距離で2㌔ほどしか離れていない。自社競合覚悟で進出するのか、注目されているのです」  ヨークベニマルについては、前出2022年2月号記事でも《マーケットが大幅に縮小し、従業員不足も顕著なことから、市内に2つあった店舗を1つに集約した格好だ。ただ、市民(近隣住民)の間では、「同店(原町店)が再開しないと不便だ、という声は根強かった」という》と触れた。人口が減少した分、店舗は1店舗でいいとされていたが、市民からの要望を受けて同社は原町店を再オープンした。そうした中、さらに3店舗目のオープンまであるのだろうか、と注目されているわけ。  ちなみに、JAMPARKはらまちから南側に約1㌔離れた場所にはフレスコキクチ東原町店がある。国道6号沿いにヨークベニマルが出店したら、売り上げ面で影響を受ける可能性が高そうだ。  同地を管理する大和リース福島支店の担当者に問い合わせたところ、「現段階で明確に何かの計画が決まっているわけではない。現在は建物を解体しているだけ」と述べた。  地権者であるタマ不動産(玉川工産)にも電話で問い合わせたが、従業員が「担当者が不在で回答は難しい。少なくともその土地(JAMPARKはらまち)について、整備計画を公式に発表したとは聞いていない」と話すのみだった。  ヨークベニマルの広報担当者は「開店前の段階で今後どういう見通しになるのかをコメントするのは難しい」と説明した。  関係者は具体的なことを明かそうとしないが、現場では着々と解体工事が進められており、市民の関心は日増しに高まっている。 あわせて読みたい 宅配で顧客取り込む【ヨークベニマル】

  • 相馬福島道路が長期間の通行止め

     8月3日、相馬福島道路(東北中央自動車道)の法面の一部に崩落の恐れが確認されたとして、霊山インターチェンジ(IC)―伊達中央IC間(延長7・4㌔)が通行止めとなった。そこから1カ月近く不通が続き、利用者や近隣住民は不便な生活を強いられている。 災害に弱い「横軸」は相変わらず!?  相馬福島道路は、東日本大震災を受けて「復興支援道路」として整備された。常磐道(相馬市)と東北道(桑折町)を結ぶ約45㌔の高規格道路(自動車専用道路)で、2021年4月に全線開通した。  無料で走行できることもあり、相馬地方と県北地方を結ぶ主要道路として、物流、観光、医療などさまざまな用途で使われているが、そんな同道路の一部が斜面崩落により1カ月にわたり通行止めとなった。  同事務所によると、現場は伊達市保原町大柳の下り線の法面で、5月ごろから一部が隆起し、8月3日ごろに崩落。現場は幅約30㍍、高さ約25㍍にまで拡大し、崩れた石などが散乱した。同事務所によると、法面に含まれる凝灰岩が地下水などを吸い込み膨張した後に乾燥したことで、崩壊しやすくなったのが原因とみられるという。  同17日にようやく崩落が落ち着き、応急復旧工事に着手。9月10日ごろまでに完了する見通しだ。  観光シーズンの夏休み期間に道路が寸断されたことで、大きな痛手を受けたのが、霊山ICに隣接する伊達市霊山町の道の駅伊達の郷りょうぜんだ。駅長の三浦真也さんは「客足、売り上げともに1割程度下がっている。道の駅にモモを納入している伊達町の生産者がいるが、通常は15分ぐらいで来られるのに通行止めで倍ぐらい時間がかかるため、1日の納品回数を減らすなどの対応を取った。そのため、商品数が少なくなり、売り場作りに難儀した面もありました」と語る。  国道115号の旧道は、多数の線形不良箇所、異常気象時に通行止めを行う「事前通行規制区間」などがあり、大雨などの災害時に不通になりやすかった。2006(平成18)年には大雨による落石で約1カ月間の全面通行止めとなり、物流、生活、観光など、多方面に大きな影響が出た。  そんな旧道に代わる道路として開通したのが相馬福島道路だったわけだが、2021年10月の令和元年東日本台風の時は、相馬市内の楢這トンネル付近で土砂崩れが発生したため、通行止めとなっている。  昨年3月16日の福島県沖地震でも、段差などが発生したため通行できなくなり、伊達桑折ICから相馬ICまで行くのは困難だった(本誌2022年4月号参照)。  要するに、災害時の弱さは何も変わっていないわけ。  伊達市では昨年3月の福島県沖地震で阿武隈川に架かる国道399号の伊達橋が被災し、通行止めになった。それ以降、相馬福島道路は迂回路として使われていたが、それも通行止めとなり、伊達町在住の伊達市民はさらに影響を受けるなど二重の被害を受けた格好だ。ガソリン価格が高騰する中で、燃料が余計にかかる影響もあるだろう。  同市ではイオンモール北福島(仮称)が開業を控えているが、相馬福島道路が頻繁に通行止めになるようでは客の流れに影響する。福島市と相馬市をつなぐ「横軸」の機能を強化する意味でも、真の意味で災害に強い道路が求められる。

  • コロナ「5類」移行後の【会津若松市】観光事情

     5月8日から、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、季節性インフルエンザと同じ「5類」になった。これに伴い、法律に基づく外出自粛や行動制限などが発せられることがなくなり、イベントや観光などの機運が高まっている。「5類」移行の影響はどうなのか、会津若松市観光業の状況を探った。 夏休み、秋のシーズンに期待 東山温泉  会津若松市を取材対象にした理由は、1つはデータの取りまとめが非常に早いこと。速報値ではあるものの、7月中旬に同市観光課に問い合わせると、すでに市内観光各所の6月分のデータがまとめられていた。 それだけ、行政の観光セクションがしっかりしており、行政と観光関連施設などの連携が図れている証拠だろう。見方を変えると、同市において観光業はそれだけ大きな産業で、観光業の浮沈が市内経済に大きな影響を及ぼすということでもある。それが同市を取材対象にしたもう1つの理由だ。 別表はコロナ前の2019年、コロナの感染拡大が顕著になった2020年、昨年、今年の上半期(1〜6月)の同市内の主な観光地の入り込み数・利用者数をまとめたもの(市観光課調べのデータを基に本誌作成、2023年は速報値)。 鶴ヶ城天守閣 2019年2020年2022年2023年1月1万8387人2万4751人1万0174人7205人2月2万0880人2万6234人7144人6537人3月2万9821人2万0491人1万4766人1万1370人4月7万9325人4170人3万5654人5万0713人5月7万5462人1130人4万8486人6万5887人6月5万1127人9672人4万0344人5万2626人計27万5002人8万6376人15万6568人19万4338人 麟閣(※鶴ヶ城公園内の茶室) 2019年2020年2022年2023年1月1万1900人1万4287人6962人4755人2月1万0835人1万2529人5064人4161人3月2万0285人1万4943人1万0477人8577人4月4万8042人3419人2万4150人3万2038人5月4万5159人827人3万0558人3万7735人6月2万2326人7706人1万6832人2万1800人計15万8547人5万3711人9万4043人10万9066人 御薬園 2019年2020年2022年2023年1月1261人2213人594人908人2月2593人2607人470人2153人3月2308人1500人1136人2191人4月5181人389人3010人3895人5月6512人155人4488人5235人6月4633人1466人3379人4101人計2万2488人8330人1万3077人1万8483人 県立博物館 2019年2020年2022年2023年1月1179人1659人1377人1942人2月2336人2967人3660人4167人3月3825人2291人2806人4162人4月6134人551人4082人4227人5月9892人609人1万2169人1万0687人6月1万0159人2546人1万2071人未集計計3万3525人1万0623人3万6165人2万5185人 東山温泉 2019年2020年2022年2023年1月3万4278人3万7793人2万8225人2万6311人2月3万3921人3万0388人1万5224人2万5665人3月5万2957人2万9279人2万6612人4万3381人4月4万1440人7512人3万6629人3万7387人5月3万9746人3482人4万1143人4万1203人6月4万3744人1万1884人3万3535人4万4489人計24万6086人12万0338人18万1368人21万8436人 芦ノ牧温泉 2019年2020年2022年2023年1月1万4238人1万6680人8625人9455人2月1万7638人1万9828人4952人1万0936人3月1万7064人1万1310人8785人1万3185人4月1万9578人3629人1万1306人1万1481人5月1万7727人80人1万1805人1万3545人6月1万8876人3732人9607人1万1449人計10万5121人5万5259人5万5080人7万0051人 民間施設 2019年2020年2022年2023年1月1万0884人1万2945人6480人7555人2月1万4400人1万4332人5366人9545人3月2万1821人1万3104人1万1366人2万2551人4月4万6851人3915人2万3504人3万0787人5月5万9000人268人4万2305人4万8743人6月5万3130人6498人4万2789人4万7319人計20万6086人5万1062人13万1810人16万6500人※武家屋敷、白虎隊記念館、駅cafe、日新館、 飯盛山スロープコンベア、会津ブランド館、会津村の合計  コロナの感染拡大が顕著になった2020年は前年比(コロナ前)で大幅なマイナスになっている。コロナ感染が国内で初めて確認されたのが2020年1月、本格的に影響が出てきたのが2月末ごろ。それを裏付けるように、同年3月は前年同月比で30〜40%減、4月は80〜90%減、5月は90%以上の減少となっている。 同年4月17日、全国に緊急事態宣言が出され、鶴ヶ城天守閣、茶室麟閣、御薬園の主要観光施設は4月18日から5月27日まで休館した。例年同時期に開催されていた「鶴ヶ城さくらまつり」も中止になった。ゴールデンウイークの書き入れ時がゼロになったのだ。 観光客の激減は、その分だけマーケットが縮小したことになり、観光業を生業としている関係者は大きな影響を受けた。それはすなわち、収入減にほかならず、結果、あらゆる分野において地域内の消費が減るといった事態を招く。そうした点からも、同市にとって重要な産業である観光業の立て直しは、大きな課題になっていた。 そんな中、昨年はコロナ直後からだいぶ回復しており、さらに今年はコロナ前には及ばないまでも、かなり戻っていることがうかがえる。施設にもよるが、少ないところで70%程度、多いところでは90%近くまで戻っている。 コロナ前以上の鶴ヶ城 5類移行後はコロナ前を上回る入場者となっている鶴ヶ城天守閣  月別に見ると、5類移行後の今年5、6月はコロナ前に近い数字か、施設によってはコロナ前を上回っている。これは5類移行の影響と見ていいのか。 「『5類』に移行したのはゴールデンウイーク明けで、その後は観光地にとって〝平時〟だったこともあり、正直、よく分からないですね。一昨年、昨年よりは良くなったのは間違いありませんが、徐々に戻ってきている延長線上と捉えるべきなのか、5類移行の影響なのかは測りがたい。これから夏休み、秋の観光シーズンになってどう動くかでしょうね」(市内の観光業関係者) こうした見方がある一方で、「やはり、5類移行の影響は大なり小なりあると思いますよ。『いままでは旅行を控えていたけど、制約がなくなったことだし、出かけてみようか』という気になるでしょうから」(別の観光業関係者)との声もあった。 さらにはこんな見方も。 「いい意味で、5類移行の影響はあると思います。ただ、それによって、海外旅行への制限・制約もなくなりますから、『これまでは近場、国内で我慢していたけど、せっかくだから海外に行こうか』という人も今後は増えてくると思います。もっとも、5類移行とは関係なく、いつの時代も、海外を含めたほかの観光地との競争があることは変わりませんけどね。その中で、どうやって人を呼び込むかということです」(温泉地の関係者) 共同通信配信のネット記事(7月11日配信)によると、海外旅行については、まだまだ不安が大きいとのアンケート結果が出ているという。以下は同記事より。 《調査会社インテージ(東京)が(7月)11日発表した夏休みの意識調査によると、半数が海外旅行に「不安」があると答えた。今夏に海外旅行を予定しているのは2・0%。昨夏(0・8%)より増えたが、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類に移行しても渡航に慎重な人が多いようだ。全国の15~79歳のモニターを対象にインターネットで6月26~28日にアンケートを実施。2513人から回答を得た。海外旅行に関し、27・7%が「不安がある」、23・2%は「やや不安がある」とした。「不安はない」は9・5%、「あまり不安はない」が11・1%だった》 こうしたアンケートを見ると、5類移行後、すぐに海外旅行に行く人は少なそうだが、今後はそういった需要も増えてくるだろう。逆に海外から来る人も増えるから、温泉地の関係者が語っていたように、「海外を含めたほかの観光地との競争の中で、どうやって人を呼び込むか」に尽きよう。 鶴ヶ城天守閣、麟閣、御薬園を運営する会津若松観光ビューローによると、「(5類移行で)やはり雰囲気的に違う」としつつ、「その中でも、以前とは様相が変わってきている」という。 「鶴ヶ城天守閣は、5類移行後の今年6月と7月途中(本誌取材時の7月中旬)までは、2019年同月比で来場者数が100%を超えています。詳細を見ると、教育旅行は例年並みで、それ以外の団体ツアー客はコロナ前には戻っていません。その分、個人客が増えています。外国人も増えていますが、それについても以前のような団体ツアーではなく、数人でレンタカーを借りて、といった形が増えています」(同ビューローの担当者) 鶴ヶ城天守閣は昨年10月から今年4月27日まで、リニューアル工事を行っており、4月末からの大型連休に合わせて再オープンした。そのため、「新しくなった鶴ヶ城に行ってみよう」と、地元・近場の人の来場があったようだ。そういった事情から、6月、7月途中(本誌取材時)まではコロナ前(2019年)より来場者が増えた背景もあるが、①団体ツアー客が減り個人客が増えた、②その傾向は外国人も同様――といった状況だという。 ほかの観光施設の関係者などに聞いても、似たような傾向にあるようで、それがこれからしばらくの観光の主流になってくるのだろう。「ウィズコロナ的観光需要」といったところか。 夏以降の感染拡大に注意  こうして聞くと、5類移行後は多少なりとも状況が変わっていると言えそうだが、夏休みや秋の観光シーズンの動きはどうか。 「コロナ禍以降は、(観光客のコロナ感染や濃厚接触の疑いなどで)突然のキャンセルのリスクがあるため、あまり先の予約を取らないようになっています。そのため、各施設の夏休みや秋の観光シーズンの動き、予約状況などはつかめていません」(市観光課) 「鶴ヶ城は予約して来られる方は少ないので、夏休みや秋の観光シーズンの見通しはまだ何とも言えませんが、5類移行後はコロナ前(2019年)と同等かそれ以上の方に来ていただいているので、期待はしています」(前出・会津若松観光ビューローの担当者) 「予約してくる人は少ないので、まだ何とも分からないが、少なくとも夏休みの出だしとしては、昨年よりはいいと思います」(観光施設近くの土産店) 「だいぶ戻っているのは間違いありませんが、5類移行後、夏休みに向けては普通に推移している、といったところでしょうか。コロナ禍で受けたダメージが大きいので、それを補うにはまだまだ時間がかかると思います」(東山温泉観光協会) 観光業界関係者の多くが今後に向けて、期待を抱いていることがうかがえた。 一方で、温泉旅館・ホテルではこんな問題も抱えている。温泉旅館・ホテルでは、コロナ禍に従業員を整理したところが多い。その後、ある程度、宿泊客が戻ってきた段階で再度、従業員の募集をかけたが、なかなか応募がない、といった状況に陥っているという。当然、従業員にも生活があるから、温泉旅館・ホテルで仕事がないとなれば、別の業種に就くだろう。そんな事情もあって、人手が足らずキャパいっぱいまで宿泊客を入れられないところもあるというのだ。 コロナの後遺症とも言える状況だが、今後は受け入れる側も、コロナで崩れた体制を整え、平常運転ができるようにしていく必要があるということだろう。 一方で、感染症法上の位置付けが変わったとしても、コロナがなくなったわけではない。 厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」の7月7日の会合では、「新規患者数は、4月上旬以降緩やかな増加傾向となっており、5類移行後も7週連続で増加が継続している」と報告された。 そのうえで、「今後の見通し」として次のように指摘している。 ○過去の状況等を踏まえると、新規患者数の増加傾向が継続し、夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある。また、感染拡大により医療提供体制への負荷を増大させる場合も考えられる。 ○自然感染やワクチン接種による免疫の減衰や、より免疫逃避が起こる可能性のある株の割合の増加、また、夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要。 「夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある」、「夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要」と指摘しており、夏休みシーズン後のコロナの感染状況にも注意が必要だ。

  • 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

     もし、祖父の代から住んでいる土地を正当な理由もなく追い出されそうになったら、万人が立ち向かえるだろうか。これは、会津若松市で監視カメラを武器に転売集団と闘い続けるある男の記録である。(敬称略) 監視カメラで転売集団に応戦 居住者のXに立ち退きを迫る太田正吾(左)  2023年3月9日午後2時45分ごろ、ブオンブオンとうなり声をあげた白のミニバンが、会津若松市馬場町にあるX(70代)の家の前の駐車場に入ってきた。 助手席から真っ黒に日焼けた顔にオールバック、ネクタイ姿、ベストを着た男が降りてきた。きちんとした身なりではあるが、発する言葉は荒っぽかった。 「俺、もう許さねえからな」 「この土地は俺が買ったんだから」 「あんまり怒らせんなよ! おらあっ!」 男はすたすたとミニバンの助手席に戻り、何やら書類を取り出して、体の前でひらひらして見せた。 「俺が買って持ってるからな」 ミニバンのボンネットに書類を広げてXに見せた。 「俺、最初に言ってんじゃん。買うよって」 Xによると、男は「この土地は全部、俺がYから2200万円で買った。今なら話に乗ってやる」と言ったという。Xは「脅す一方で二束三文の金をちらつかせて体よく追い出すつもりだな」と思った。Xが応じないと分かると、男は「不法入居者」と呼び、駐車場の利用者の名前が書かれている札や張り紙などを剥がして持ち去った。監視カメラの映像を見ると、確かに手に張り紙を持ち、画面内を移動する姿がある。 監視カメラのマイクには、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」との発言や、Xが「居住権というのがあるから」と言ったのに対し、「ねえから」と即答したやり取りが収められていた。 Xが当日を振り返る。 「男は太田正吾と名乗りました。この日の前には不動産会社を連れて来ました。立ち退きを迫ろうと脅かしに来たのだろう。そもそも、この土地は私の隣家が所有しており、100年以上前、私の祖父の代から借地料を払って住んでいました」 登記簿を確認すると、1941年に隣家が売買で土地を取得。以来一族で所有権の相続を続けていた。 「隣家の高齢夫婦が亡くなると、県外の親族が相続しました。親族は土地を手放したがっていて、私に買い手を探すよう頼んだ。そこで、近所の顔なじみで店を経営する資産家のY(70代)に持ち掛けました。今考えるとそれが間違いでした」(X) Xは隣家の親族から「ブローカーのような怪しいところには売りたくない」と言われていた。隣家の親族から委任を受けて買い手を探し、転売しないという約束のもと購入に前向きだったのがYだったという。 「①転売しない、②そのためにYが経営する店の名義で購入し、店が保有する、との条件で2019年に私とY、隣家の親族が立ち会って売買に合意しました。Yとは長い付き合いで信頼しており、契約書は取り交わす必要もないと思った。ところが、②の店の名義で購入する約束が早速破られたんです」(X) 登記簿によると、確かに2019年12月27日にYが購入したことになっている。ただし名義は、Yの経営する店ではなく、Y個人だ。売買の書類が取り交わされたことを、Xは所有権の移転が既に終わった後に自分で調べて知った。 「Yは司法書士に頼んで、県外にいる隣家の親族に売買契約の書類を郵送しました。親族は司法書士から送られてきた書類に、言われた通り書き込んで押印し、返送したそうです。宅建業法に定められた重要事項説明書は交付されておらず、本来は無効な取引でした」(X) ①の約束、「転売しない」も破られた。登記簿によると、今年2月7日に前出の太田正吾(東京都東村山市)に土地が売り渡された。冒頭に紹介した映像で、太田は「家を出ろ」とXに迫っていた。 今回、立ち退きを迫られている馬場町の土地は約230坪で、Xの一族は、その一角に祖父の代から所有者に家賃を払い、100年以上住んできたという。現在はXの息子が暮らし、Xはパソコンなどの機器を置いて仕事場にして、日中の大半はこの家にいるという。 「私には居住権があり、無理やり立ち退かせることはできません。太田たちは法律上追い出すのは難しいので、脅しという強硬手段に及んだとみています」(X) Xは、Yがはなから転売を目的に土地を購入したのではないかと疑っている。太田が昨年11月17日に初めてX宅を訪れた時、郡山市の不動産業者を引き連れていたからだ。それ以前には、郡山市の建設会社から土地の売買を持ち掛けられたという同市の設計士が訪ねてきた。Xが、Yとの間に土地トラブルがあると説明すると、「買わないし2度と来ない」と言って立ち去ったという。 「設計士や不動産業者が来たのは太田が土地を購入する前、まだYが所有している時です。Yは太田、不動産業者と共謀していたのではないでしょうか。太田はYから譲り受けた所有権を根拠に、脅しを掛けて追い出す役回りです。登記上はYから太田に所有権が移っていますが、本当に金銭が支払われたのだろうかと私は疑っています」(X) 「黒幕」とされる男  筆者はXが「黒幕」とするYの店を訪ねた。馬場町の問題の土地からごく近所だ。 ――Xは土地を追い出されそうになっている。 「追い出されるっていうのは買った人の責任だ。俺は売っただけから」 ――Xはあなたからずっと住み続けてもいいと言われたそうだが。 「言った覚えはない」 ――Xには転売すると伝えて土地を購入したのか。 「伝えてない。どうなるか分からないが、売ってだめだという条件はなかった」 ――どうして太田正吾に売ったのか。 「そんなのおめえに言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」 ――太田と一緒にXの家に来た郡山市の不動産業者とはどういう関係か。 「……」 ――太田とその不動産業者と面識はないということでいいか。 「そんな質問には答えねえ」 自身と太田の関係が筆者に答えられないようなものならば、なぜ大きな金額が動く土地を売ったのか。疑念は深まるばかりだ。 最後に、Xはなぜ筆者に監視カメラの映像を見せてくれたのか。 「パソコンが得意で、昨今の治安に不安を覚えていたことから防犯のために監視カメラを設置していました。おかげでこちらの正当性が証明できると思う。最近では、以前は見なかった不審車両が家の前に長時間止まっています。この映像を(筆者に)見せたのは、今回の問題を記事にしてもらうことで、脅しをする側が露骨な動きをできないように牽制して、自分の身を守るためです」 平穏な日は訪れるか。