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  • 北塩原村【道の駅裏磐梯】オリジナルプリンが好評

    北塩原村【道の駅裏磐梯】オリジナルプリンが好評

     北塩原村の観光・交流拠点の1つである道の駅裏磐梯では、期間限定商品だった「裏磐梯桜峠プリン」の通年販売を昨年9月23日から開始し、好評を博している。  同商品は同駅オリジナルスイーツとして開発されたもの。会津山塩をきかせた濃厚カスタードプリンの上に、オオヤマザクラの実を用いたジュレをのせた。プリンの甘じょっぱさと、ジュレのほのかな酸味を同時に味わえる。濃紅とミルク色のコントラストが美しく、かわいらしいラベルと相まって見栄えの良い商品となっている。  名前の由来となった桜峠は、同村の温泉リゾート施設・ラピスパ裏磐梯の隣に位置する桜の名所。毎年3000本のオオヤマザクラが咲き誇る。ソメイヨシノよりもピンク色が濃く、その華やかさに魅了される観光客が多いという。  商品開発の経緯や特色について、同駅の榎本季一総支配人は「一昨年から北塩原村ならではの付加価値の高いオリジナルスイーツを開発すべく熟慮を重ねてきた中、当村の絶景スポットである桜峠に着目した次第です。春のお花見シーズン以外でも桜峠を感じてほしいとの思いから商品開発に至りました」と説明する。  製造については、喜多方市の橋谷田商店に依頼し、通年販売するため冷凍での提供を決めた。プリンの冷凍は技術的に難易度が高く、解凍した際に離水などで食感が著しく低下してしまうことがあるが、試行錯誤を繰り返し、満を持して本格販売できるようになった。  「解凍後もプリン独特のプルプル感を味わえる商品を開発しました。解凍は常温で3~4時間、冷蔵庫で6時間が目安。独特な食感が楽しめる半解凍もおすすめです。オオヤマザクラジュレとカスタードプリンが口の中で織りなすハーモニーを楽しんでほしいです」(榎本総支配人)  道の駅裏磐梯のみでの限定販売。価格は1個380円(税込み)。水曜日定休。  詳しい問い合わせは、道の駅裏磐梯☎0241(33)2241まで。

  • 【福島県ユーチューバー】車中泊×グルメで登録者数10万人【戦力外110kgおじさん】

    【福島県ユーチューバー】車中泊×グルメで登録者数10万人【戦力外110kgおじさん

    【戦力外110kgおじさん】福島県内在住おじさんユーチューバーの素顔  テレビ離れが進む昨今、ユーチューブの全世代の利用率は9割だ。本誌の読者層であるシニア世代も、パソコンやスマートフォンで毎日のようにユーチューブを見ている人は多いはず。数あるチャンネルの中には、県内で活動するユーチューバーも多数存在する。その中に、異色のジャンル「車中泊&グルメ」系で人気を誇る「戦力外110kgおじさん(43歳)」がいる。なぜ視聴者はこのチャンネルにハマるのか、本人へのインタビューをもとに、その謎に迫ってみたい。  週末夜のキャンプ場。辺り一面、真っ暗の中、ポツンと明かりが灯る1台のプリウス。その車の後部座席で、一人焼肉をしながらチューハイ「ストロングゼロ」をキメる――。そんな様子をユーチューブに配信している男性がいる。男性の名は「戦力外110kgおじさん」(以下、戦力外さんと表記)。戦力外さんのユーチューブのチャンネル登録者数は10・5万人。1つの動画が配信されれば20万回再生するのは当たり前で、中にはミリオン(100万回再生)に届きそうな動画も複数ある。 / https://www.youtube.com/watch?v=_SxScudMxQ8&t=23s  「110kg」という名の通りの巨漢が、決して広いとは言えないセダンタイプのプリウスの後部座席で、好きなものをたらふく食べ、大酒を飲む。そんな動画がなぜ多くの人に見られ、そして見続けられるのか。  戦力外さんの動画はチャンネルを開設してすぐに〝バズった〟(人気が出た)わけではない。  戦力外さんがユーチューブに動画を配信し始めたのは2020年2月。当初は釣りの動画を配信していたが、再生回数は数十回程度で、チャンネル登録者数も伸びなかった。  浮上のきっかけとなったのは「顔出し」だった。   戦力外さんは「正直なところ、40代である自分らの世代ってネットで顔出しするなんて気が狂っているというか、抵抗があったんですよね」と話す。今の40代は、匿名性の高い「2ちゃんねる」などを見てきた世代であり、「インターネットでは絶対に顔を出すな」と言われてきた世代でもある。それでも、戦力外さんは再生回数を伸ばしたい一心で顔出しを決意した。  「顔出ししたら登録者が100人を超えたんですよ。ユーチューブには『チャンネル登録者数100人の壁』というのがあります。そこを自力で超えられると、収益化の条件である『チャンネル登録者数1000人・総再生時間4000時間』に近づくと言われています。大体の人はこの100人の壁を超えられず、やめてしまうみたいですね」  チャンネル登録者数100人に達するまで7カ月を要した戦力外さんだったが、そこから1000人になるまでは、わずか3カ月だった。  顔出しと前後して、現在の動画の原点となる「プリウスの快適車中泊キットを110kgおじさんがDIY」という動画を配信したことも追い風となった。  プリウスの後部座席で使う食卓テーブル兼ベッドを作る動画だ。プリウスは後部座席を倒してフラットにしても、普段座るときの足置きのスペースがぽっかり空いてしまう。寝袋を敷いて寝ていると、どうしても足の部分がはみ出てしまい快適に眠れない。それを解決するために作られたのがこの台だった(写真)。このときの動画が初めて再生回数1000回を超え、戦力外さんにとって初バズり動画となった。戦力外さんは「釣りではなく、車中泊に需要があるのか!」と気付き、動画の内容を車中泊系へと変更していく。 車内に設置された食卓テーブル兼ベッド  2度目のバズり動画は「車上生活者の休日シリーズ」。その後、このシリーズが戦力外さんの主力コンテンツとなっていく。 戦力外さんは「このシリーズの第1弾で、いきなり1万回再生いったんです」と言う。  「再生回数が伸びた理由は、当時チャンネル登録者数20万人のユーチューバーさんが動画にコメントをくれたからなんです」  コメントの内容は「あなたみたいな人が、もしかしたらユーチューブで成功するのかもしれませんね。収益化するまで是非続けてください。わたしも応援します」だった。  ユーチューブに限らずSNSではよく起こる現象だ。多くのフォロワーやファンを持つ配信者(発信者)が、無名ユーチューバーの動画を一言「面白い」と紹介しただけで、瞬く間にその動画が拡散されていく。これをきっかけに戦力外さんは、収益化の条件であるチャンネル登録者数1000人・総再生時間4000時間を達成した。 動画を通じて疑似体験  動画の冒頭は、戦力外さんが車中泊をする場所に向かう道中の運転席を映している。無言で運転する戦力外さんが映し出され、テロップでその日にあった出来事などが紹介される。動画の説明欄に「この動画は半分くらいフィクションです」とある通り、テロップの内容は現実世界で起きたことに、戦力外さんが少し〝アレンジ〟を加えたものとなっている。  名前にあるもう一つのテーマ「戦力外」。これは、戦力外さんが日々の生活において「社会に出ると全然自分が役に立たない」、「俺って会社や社会では戦力外だな」と、打ちひしがれた経験が基になっている。   視聴者のコメント欄を見ると「おっちゃん見てると他人事には思えないんだよな。職場のストレスはよく分かる! この動画を見てると頑張んなきゃって不思議と思える。おっちゃん頑張って!」などと書き込まれている。  「動画の前半部分によく出てくる職場での失敗エピソードは、視聴者が自分よりきつい環境にいる人を見て、自分はまだまだマシだなって安心したい思いがあると思います。社会の戦力外おじさんが、もがきながら、ささやかな楽しみを見つけて楽しんでいる姿を見てシンパシーを感じるのでしょうね」 取材に応じる戦力外さん  メーンである動画の後半部分は、戦力外さんが車中で一人、ひたすら飲み食いするシーンだ。これがまた「食べ物がとても美味しそうで、美味しそうに食べる」動画なのだ。  視聴者のコメント欄には「見てると幸せな気持ちになれる動画を、ありがとうございます!」、「毎回、元気いただいてます」などと寄せられている。  「自分の好きなユーチューバーを見ることによって、自分もキャンプした気持ちになる。健康上の理由で食べたいけど食べられない人にとっては、私の動画を見て食べた気になる。そうやって疑似体験したいのかもしれませんね」 動画の編集時間は5時間  戦力外さんは1979(昭和54)年生まれの43歳。出身は山形県だが、幼少期から30代半ばまで猪苗代町で過ごす。学生時代は漠然と「物書きになりたい」という夢を持っていた。専門学生時代にはサブカルチャー雑誌『BURST(バースト)』にハマり、石丸元章、見沢知廉、花村萬月など、破天荒だが自由を感じるライフスタイルに憧れた。何か行動に移すということはなかったが、創作活動をしたいという思いは学生時代から抱いていた。  高校卒業後、家業である川魚の養殖業に就き、6年半前に実家を出て中通りに引っ越すタイミングで、インフラ系の会社に転職した。20代に真剣に打ち込んだのはフルコンタクト空手という格闘技だった。しかし膝のじん帯を断裂し、選手生命を断たれてしまう。  人生の大きな目標を失い「もう一つ生きがいを見つけたい」と思い立った戦力外さんが表現活動の第一歩として始めたのが、LIVEコミュニケーションアプリ「Pococha(ポコチャ)」だった。しかし、ポコチャはリスナーと直接会話するスタイルで、高度なコミュニケーション能力が要求されるため数カ月で挫折してしまう。  戦力外さんは「誰かと直接コミュニケーションせず、自分のタイミングで動画を撮り、じっくり編集できる方がいいんじゃないか」と考え、ユーチューブを始めた。  平日は会社で働き、休日になると動画撮影のため出掛ける。撮り終わったら自宅に戻って編集する。1つの動画の編集作業は平均5時間を要するが、「スマホを使ってベッドに寝ころびながらリラックスして作業しているので、そんなに大変ではないですよ」。  台本は作らず、頭の中で動画の構成を練っている。仕事は車の移動時間が長いため、その時間を有効活用し、面白いワードが出てくるのをひたすら待つのだという。 「美しいマンネリ目指す」  戦力外さんのチャンネルの視聴層は35~60歳までが多く、男女比では男性が9割を占める。  「理想は水戸黄門とか孤独のグルメなんです。視聴率トップは取れないけど、ずっと見てくれる人がいる。美しいマンネリっていうんですかね、そんな動画でありたいですね」  戦力外さんの動画が限られた層にしか見られていないと分かるエピソードがある。戦力外さんは自身のユーチューブチャンネルを母親に薦めたそうだが、母親が熱心に見るのは猫やフォークダンスの動画で、いくら薦めても自身の息子が配信している動画を全く見なかったという。戦力外さんは「興味がなければ肉親の動画でも見ないんですよ」と笑う。 プリウスと戦力外さん  ユーチューブはユーザー一人ひとりの趣味趣向に合った動画がトップ画面に表示されるような仕組みになっており、普段見ないジャンルの動画はそもそも表示もされない。これはユーチューブに限ったことではなく、買収騒動で話題のツイッターなどのSNS、ゾゾタウンなどの通販サイトも同様だ。  ただ、世の中の〝おじさん〟しか見ないニッチな動画を配信しているはずが、最近は少しずつファン層が拡大している様子。北海道に撮影に行った際、チャンネル登録しているファンの女性と奇跡的に出会い、お付き合いするまでに至ったという。  声をかけられる機会も増え、特にキャンピングカーで旅をしているシニア世代の夫婦からが多いようだ。 専業ユーチューバーへ  戦力外さんは6年半勤めた会社を辞め、12月から専業ユーチューバーとして活動を始めた。  「収入は不安定ですし、専業としてやっていくのに不安はありましたが、これからは創作活動一本で食っていくんだと決めました」  ユーチューブでの収入は「サラリーマンの月収の2倍くらい」だという。再生回数の変動などにより月の収入が100万円の時もあれば10万円の時もあるような世界だが、ユーチューブで最も広告収入を得やすいのは3月と12月なので、そのタイミングで退職を決意した。  ユーチューブは再生数によって広告収入が決まる。その単価についてはユーチューブの規約で公言しないよう定められている。戦力外さんも明かそうとしなかった。  しかし、さまざまなユーチューバーの書籍の情報によると、現在、ユーチューブの広告収入単価は1再生あたり0・05~0・7円と言われている。トップクラスの人気ユーチューバーは、1つの動画につき、サラリーマンの平均年収の3~4倍の広告収入が入る計算となる。  とは言っても、そこまで稼げるのはほんの一握りで、急に動画が見られなくなることだってあるのだ。  ただ、戦力外さんは「ユーチューブはプライベートすべてがネタになる」と前向きに捉える。  「仮にユーチューブで稼げなくなり、アルバイトをすることになっても、それを動画にすればいい。いいことも悪いこともネタにできるのがユーチューブなんです」  専業ユーチューバーになれば撮影回数を増やせるし、動画を配信する本数も増える。海外向けのチャンネル開設も目論んでいる。  「私のチャンネルは日本語のテロップを入れているので日本人しか見ません。次は世界に向けて、言葉なしでも伝わるような動画も作っていければと思っています」  戦力外さんは、テロップ無しに加え、ユーモアもプラスアルファしていきたいと考えている。  「チャップリンやミスタービーンみたいなコミカルな動きを入れていけば面白いかなと思っています」  一度見たら見続けてしまう中毒性。これがユーチューブの性質であり、作り手はそこを目指して動画を作成する。  「好きなことで、生きていく」  これはユーチューブのキャッチフレーズだが、専業ユーチューバーとして生き残っていくためには、そうも言っていられない。戦力外さんは「自分が好きなものも大事ですが、それ以上に、視聴者が求めているものを常に考え、再生回数が落ちないように維持していかなければなりません」と漏らす。  「死ぬ時、『なんであの時に専業ユーチューバーにならなかったんだ』と思いたくないんです。やった後悔よりもやらない後悔の方が悔いが残るって言うじゃないですか」  そう笑って話す戦力外さん。この先、どのようなチャンネルや動画を作り、ファンを拡大していくのか。〝おじさんユーチューバー〟の挑戦は始まったばかりだ。

  • 福島市いじめ問題で市側が被害者に謝罪

    福島市いじめ問題で市側が被害者に謝罪

    福島市内の男子中学生が市立小学校に通っていたときにいじめを受け、不登校になった問題について、本誌2022年4月号「【福島市いじめ問題】6つの深刻な失態」という記事で、詳細にリポートした。  記事掲載後、男子中学生と保護者は市や市教育委員会の対応を巡り、担任の教員や教育委員会などに謝罪を要求。県弁護士会示談あっせんセンターに示談のあっせんを申し立て、2022年10月末、市長と教育長が謝罪することで和解に至った。  福島市は2022年11月22日の記者会見で、木幡浩市長と佐藤秀美教育長が非公式の場で直接謝罪しことを明らかにした。和解の条件として、市が児童らに180万円の解決金を支払い、いじめ問題の関係者を今後処分する。  同日、被害者側も記者会見を開き、男子中学生は「心の傷は治らない」と語った。保護者は「こちらが求める謝罪ではなかった」としつつ、「今後は組織一体となっていじめ問題に対応してほしい」と訴えた。

  • 福島市西部で進むメガソーラー計画の余波「開閉所の整備予定地」

    福島市西部で進むメガソーラー計画の余波

     「自宅の周辺を作業員が出入りして地質調査をしていると思ったら、目の前の農地に開閉所(家庭でのブレーカーの役割を担う施設)ができると分かった。一切話を聞いていなかったので驚きました」(福島西工業団地の近くに住む男性)  同市西部の福島西工業団地(同市桜本)の近くの土地を、太陽光発電事業者がこぞって取得している。東北電力の鉄塔に近く、変電所・開閉所などを設置するのに好都合な場所だからだ。  2022年2月、鉄塔がある地区の町内会長の家をAC7合同会社(東京都)という会社の担当者が訪ねた。外資系のAmp㈱(同)という会社が特別目的会社として設立した法人で、福島市西部の先達山(635・9㍍)で大規模太陽光発電施設を計画している。そのための変電所を、市から取得した土地に整備すべく、町内会長の了解を得ようと訪れたのだ。  町内会長は冒頭の男性と情報を共有するとともに、同社担当者に対し「寝耳に水の話で、とても了承できない」と答えた。  同計画の候補地は高湯温泉に向かう県道の北側で、すぐ西側に別荘地の高湯平がある。地元住民らは「ハザードマップの『土砂災害特別警戒地域』に隣接しており、大規模な森林伐採は危険を伴う。自然環境への影響も大きい」として、県や市に要望書を提出するなど、反対運動を展開している。  そうした事情もあってか、変電所計画にはその後動きがないようだが、2022年3月には、別の太陽光発電事業者が近くの民有地を取得し、開閉所の設置を予定していることが明らかになった。  発電事業者は合同会社開発72号(東京都)で、福島市桜本地区であづま小富士第2太陽光発電事業を進めている。開閉所を含む発電設備の建設、運転期間中の保守・維持管理はシャープエネルギーソリューション(=シャープの関連会社、大阪府八尾市)が請け負う。  発電所の敷地面積は約70㌶で、営農型太陽光発電を行う。営農事業者は営農法人マルナカファーム(=丸中建設の関連会社、二本松市)。2022年7月に着工し、2024年3月に完工予定となっている。  開閉所は20㍍×15㍍の敷地に設置される。変圧器や昇圧期は併設しないため、恒常的に音が出続けるようなことはないという。発電所から開閉所までは特別高圧送電線のケーブルを地下埋設してつなぐ。 開閉所の整備予定地  5月7日には地元住民への説明会が開かれた。大きな反対の声は出なかったようだが、冒頭・予定地の目の前に住む男性は「電磁波は出ないというが、子どもへの影響など心配になる。工事期間中、外部の人が出入りすることを考えると防犯面も気になります」と語った。  前出・町内会長は、一方的な進め方に違和感を抱き、市の複数の部署を訪ねたが、親身になって相談に乗ってくれるところはなかった。  特別高圧送電線のケーブルが歩道の地下に埋設される予定であることを知り、市に「小学生の通学路にもなっているので見直してほしい」と訴えたところ、車道側に移す方針を示した。だが、根本的に中止を求めるのは難しそうな気配だ。  「鉄塔周辺の地権者が応じれば、ほかにも関連施設ができるのではないかと危惧しています」(町内会長)  福島市西部地区で進むメガソーラー計画で、離れた地区の住民が思わぬ形で余波を受けた格好だ。2つのメガソーラー計画についてはあらためて詳細をリポートしたい。

  • 福島市「デコボコ除雪」今シーズンは大丈夫?

    福島市「デコボコ除雪」今シーズンは大丈夫?

    業者を悩ます「費用対効果」 2021年末から断続的に降った大雪で、福島市中心部は除雪が十分に行われない「デコボコ除雪」が問題となった。降雪、気温の低下が続いたことも相まって起きた災害だ。これを教訓に、市は除雪体制強化のため1億2727万円の予算を計上。道路の除雪を担う建設業界は「今季も同じくらい雪が降ると考えなければ」と神経をとがらせている。  気象庁によると、今冬の予報は、気温は東日本で平年並みか低い見込み、福島県を含む北日本でほぼ平年並みの見込み。降雪量は東日本の日本海側で平年並みか多い見込み、北日本の日本海側でほぼ平年並みの見込みとなっている。太平洋側は毎年予報をしていない。あくまで予報である点は念頭に置かなければならないが、少なくとも暖冬ではないということだ。  さらには、世界的な異常気象の原因となり、日本の冬に低温傾向をもたらす「ラニーニャ現象」が12月以降も続く可能性があるという。西高東低の冬型の気圧配置が強まり、寒気が流れ込みやすくなる。  2021年末から2022年初めにかけての大雪は、断続的に降り、低温が続いたため根雪ができた。雪を路肩によけても解けないため、壁のように固まり道路幅を狭め、交通が麻痺した。  2014年以来の大雪に、ツイッターでは《福島市の除雪はやっぱりヘタクソ。国道4号と13号以外はヒドイもんだ。飯坂街道などの主要道路もしっかり除雪すべき。木幡市長、除雪にもっと力を入れてくれ》など、除雪の遅さに苛立つ声が相次いで投稿された。市には2022年2月時点で2340件の苦情が寄せられたという。 なかなか雪が解けない本誌編集部前の道路  「デコボコ除雪」を教訓に、市は1億2727万円の「除雪力強化パッケージ」予算を打ち出した(表)。木幡浩市長は議会で「今回の大雪対応を検証した結果、準備態勢や除雪体制、情報発信などに課題があることを確認しました。それに基づき、2022年度当初予算で除雪力強化パッケージを盛り込み、この冬に向けて除雪力強化に取り組んでいます」と答弁している。  何を揃えたのか見てみよう。中央部に雪掻きが付いた「グレーダー」はこれまで1台のみだったが、新たに1台増やした。グレーダーは雪を寄せるほか、削る機能がある。前面に付いた板で雪を押し分ける「ドーザー」6台と併せ市の維持補修センターが保有する専用車両は現在8台となっている。  雪が積もる前の準備については、凍結防止剤散布車を3台から5台に増やした。また凍結防止剤を自動散布する装置を、スリップ事故が多い伏拝周辺の旧国道4号沿いに6か所設置している。  「生活道路や通学路は地域で」の方針も見える。町内会やボランティア団体を対象に、小型除雪機械購入補助として2021年度と同様に120万円を計上した。11月末現在で5件の申請があり、予算の上限を超えたことから、同じ除雪関連費用を流用しているという。その他には除雪技術向上に関する研修会の参加費として1人当たり1万円を助成する。  市で増やした機器は凍結防止剤散布車やグレーダーに限られ、歩道は地域住民が小型除雪車などを使って除雪することになる。ただ、2021年のような異例の大雪への対応は依然不安が残る。交通麻痺が起きた要因は、車道脇の固まった雪が解けずにいつまでも残っていたからだ。「ロータリー」(写真)で道路そのものから雪をどかさなければならなかった。 道路脇に溜まった雪を除去する除雪車両「ロータリー」  道路の除雪を担う委託業者はどのように備えているのか。市内でも積雪が多い飯坂町を拠点とする信陵建設の斎藤孝裕社長(66)は  「それなりに人員と予算を確保すれば対応できます。問題は、福島市は会津地方ほどの豪雪地帯ではないということ。せっかく用意しても出動する機会がなければ無駄になってしまう」  同社は除雪車を2台持つが、これまではそれで回ってきた。県道では5~10㌢、市道では10㌢の積雪が見込まれると出動するルールになっているが、斎藤社長によると、基準に達しなくても地元業者が自己判断で前もって出動するのが実情という。同社は本社周辺の国道399号の一部、県道福島飯坂線、フルーツラインの一部など5路線計約20㌔を担当している。  「前回は真夜中から出動しても降り続け、掻いても掻いてもきりがありませんでした。除雪車をリースしたり、臨時で人を雇うにしてもだいぶ前から手配しないと間に合いません。交通量や人通りの多い道路から除雪する優先順位もあり、家の前の除雪が後回しになった住民からは『何で来ないんだ』と言われました。ただ、すべての業者ができる限りの対応をしていることは理解してほしい」(斎藤社長)  同社では新たに8㌧除雪車の購入を考えたが、相場は1000万円ほど。前回ほどの大雪が毎年降るのかどうか判断が付かず、出動しなくても維持費や車検代がかかることを考えると、なかなか手が出せないという。半導体不足で中古車の相場も新車とほとんど変わらない。どこまで行っても、「豪雪地帯でない福島市でどこまで用意する必要があるか」が問題のようだ。 建設業の人手不足、人口減が重しに  除雪にかかわらず建設業界は人手不足が付きまとう。同社では、除雪車のオペレーターを2人募集しているが集まらない。給与を上げて再募集をかけているが、それでも厳しいという。  地元の道路の雪掻きは近くの住民が協力するのが原則だが、地方経済の沈下で自営業は衰退。居住地近くで働き、除雪作業に参加できる人も少ないだろう。地域の力でやるといっても、町内会を構成するのは高齢者ばかりで、体力の衰えた高齢者が主体となればなるほど除雪作業も事故が増えていく可能性がある。どこを削り、その分、どこを費やすか。雪害対策も人口減少でままならない状況が垣間見える。

  • 会津地方の農家を襲う「8050問題」

    会津地方の農家を襲う「8050問題」

    「息子のために農地を売る」老親の覚悟  80代の老親と50代のひきこもりの子が孤立や困窮に直面する「8050問題」が進行している。会津地方のある農家は、自分の死後も病気を抱える一人息子の生活を支えようと、なけなしの田を売ることを考えたが法律の壁に阻まれた。一方で米価は下落し収入も減り、老親自身も今の暮らしで手一杯。農家の8050問題を追った。  「私は息子のために農地を売りたいが、売るのを阻まれています」  会津地方に住む農家の80代男性はため息をつく。妻と40代後半の一人息子と3人暮らし。息子は高校中退後、働きに出ず、ずっと家で過ごしている。  80代の老親と50代のひきこもりの子に関わる社会問題「8050問題」が顕在化している。進学や就職に失敗したことなどをきっかけに、家にこもって外部との接触を断つひきこもりが長期化。さらに、高齢となった親の収入が途絶えたり、病気や要介護状態になったりして経済的に一家が孤立・困窮することで起こる。孤立死や「老老介護」の原因ともなりうる。  人口の多い団塊の世代が80代を迎え、その子らの第二次ベビーブーム世代が50代を迎える時、社会に与える影響は大きいと見込まれる。ただ、40~50代はバブル崩壊後の就職氷河期で「割を食った」世代。採用を抑制され、新卒時に就職先に恵まれなかったこともあり、一概に失敗を「個人の努力不足」に帰することはできない。  冒頭で嘆いた男性の息子は、10代で精神疾患を発症した。その影響からか、人とうまくなじめず不登校になったという。家族が疾患と分かったのは高校中退後だった。  「もっと早く気づいてあげたかった」(男性)  息子は現在、医療機関に通い、週2回、支援者が訪問サービスに訪れている。  「息子は調子が良い時は農業を手伝ってくれます。薬が合っているのか、最近は以前よりも体調が良いようです。車は運転できないが、自転車を使って1人で買い物に行っています。私がいなくなってもお金さえあればなんとかなると思う」(同)  規則正しく食事も取るようになった。少しずつ復調し、農業の手伝いなど自分のできることから始めようとする息子を見て、最後まで支えなければという気持ちが強くなった。  「息子は障害年金を受け取っていますが、月数万円ではとてもじゃないが暮らしていけない。私もいつ死ぬか分からない。それまでに1000万円以上は用意してあげたい。やはり最後はお金です」(同)  男性は1000万円を国民年金基金に積み立てたいと考えている。そうすれば約10年後、自分が亡くなっても60歳になった息子には月約7万円が支給されるという。国民年金基金は自営業、無職、フリーランスが対象の1号被保険者が保険料を上乗せして払い、受給額を多くする制度だ。  だが、男性が元手にできるのは農地しかない。今は約16反(1万5800平方㍍)で米を作っているが、米価は下落し、苗代や肥料、農業機械の維持費、固定資産税などを考えると赤字で、助成金で埋め合わせているという。  「田んぼをやっているのは、手を入れなくなると雑草で荒れてしまうからです。周囲の田畑に迷惑がかかるし、何しろ笑われてしまう。息子が米を作ることはないだろうから、できれば売ってしまいたい」(同)  採算が合わないのに同調圧力で仕方なく米を作っているが、そのまま農地を残せば息子にとって負債となる。だから、処分して金に換えたいというわけ。  男性は宅地にしたり、太陽光発電施設の設置業者に売却しようと考えたが、農地を転用するには農業委員会の許可が必要になる。同委員会に申し出たが「他の人が(男性の農地を取得して)農地を広げる可能性がある」と認められなかったという。  「米が値下がりしている中、わざわざ新たに田んぼを買う奇特な人がいるとは思えない。作っても手間ばかりで、儲けはほとんどないんですから。農業委員会に『農地として買う予定の人がいるのか』と尋ねても答えてくれませんでした」(同)  自分の寿命はそれほど残されていない。元気に動けるのはあと10年もないだろう。農業委員会の許可は今後得るとして、まずは業者に売却する算段を付けようとした。  太陽光発電施設の設置業者をネットで調べ電話した。東京や名古屋から複数の業者がすぐに飛んできた。営業社員の男は調子が良かった。「米を作っていたということは日当たりが良いってことです。つまり太陽光発電にもうってつけなんですよ。会津は太陽光の宝庫です」と前のめりだったが、農業委員会の許可が下りそうもないことが分かると、見切りを付けて去っていった。 「太陽光の宝庫」と発電事業者から評される会津地方の田園  男性は現在も地元の農業委員会に通っているが、「それは県農業委員会に聞いてほしい」「東北農政局じゃないと分からない」などとたらい回しにされているそうだ。 「残された時間は少ない」  なぜ、ここまで農地売却に固執するのか。それは息子のために売れる資産がそれしかないからだ。  「国は国債を際限なく発行して借金があるでしょう? 頼りになりません。自分たちの身は自分で守らないと」(同)  他人を頼る気持ちにはなれない。周囲に不信感がある。10年ほど前に近隣で連続不審火があった。原因が分からなかったため、犯人探しが始まった。「無職で家にいるアイツ(息子)じゃないか」とウワサされたという。世間はいつも、息子をこう見ていたのかと知った。周囲がとても冷たく感じられたという。  「事情を知らない役所の人は、年寄りが息せき切って土地を売ろうとしている様子を陰で笑っているんでしょうね。でも、私には残された時間が少ない。『分からず屋』と言われても、息子のために動かなければならないんです」(同)  このまま農地を売却できないことも十分想定される。筆者は男性亡き後の息子の独り立ちを考え、市町村の相談窓口や成年後見制度を紹介したが、男性はしばらくすると、また農地を売却するための方法を熱心に探り出した。「どうしても売れなくて困っている」。農地売却には高い壁が立ちはだかるが、困難であればあるほど、男性の生きる「最後の目標」になっているようだ。

  • 【会津若松・喜多方・福島】市街地でクマ被害多発のワケ

    【会津若松・喜多方・福島】市街地でクマ被害多発のワケ

    専門家・マタギが語る「命の守り方」  2022年は市街地でのクマ出没やクマによる人的被害が目立った1年だった。会津若松市では大型連休初日、観光地の鶴ヶ城に出没し、関係部署が対応に追われた。クマは冬眠の時期に入りつつあるが、いまのうちに対策を講じておかないと、来春、再び深刻な被害を招きかねない。  会津若松市郊外部の門田町御山地区。中心市街地から南に4㌔ほど離れた山すそに位置し、周辺には果樹園や民家が並ぶ。そんな同地区に住む89歳の女性が7月27日正午ごろ、自宅近くの竹やぶで、頭に傷を負い倒れているところを家族に発見された。心肺停止状態で救急搬送されたが、その後死亡が確認された。クマに襲われたとみられる。  「畑に出かけて昼になっても帰ってこなかったので、家族が探しに行ったら、家の裏の竹やぶの真ん中で仰向けに倒れていた。額の皮がむけ、左目もやられ、帽子に爪の跡が残っていた。首のところに穴が空いており、警察からは出血性ショックで亡くなったのではないかと言われました」(女性の遺族) 女性が亡くなっていた竹やぶ  現場近くでは、親子とみられるクマ2頭の目撃情報があったほか、果物の食害が確認されていた。そのため、「食べ物を求めて人里に降りて来たものの戻れなくなり、竹やぶに潜んでいたタイミングで鉢合わせしたのではないか」というのが周辺住民の見立てだ。  8月27日早朝には、同市慶山の愛宕神社の参道で、散歩していた55歳の男性が2頭のクマと鉢合わせ。男性は親と思われるクマに襲われ、あごを骨折したほか、左腕をかまれるなどの大けがをした。以前からクマが出るエリアで、神社の社務所ではクマ除けのラジオが鳴り続けていた。 愛宕神社の参道  大型連休初日の4月29日早朝には、会津若松市の観光地・鶴ヶ城公園にクマが出没し、5時間にわたり立ち入り禁止となった。市や県、会津若松署、猟友会などが対応して緊急捕獲した。5月14日早朝には、同市城西町と、同市本町の諏訪神社でもクマが目撃され、同日正午過ぎに麻酔銃を使って緊急捕獲された。  市農林課によると、例年に比べ市街地でのクマ目撃情報が増えている。人的被害が発生したり、猟友会が緊急出動するケースは過去5~10年に1度ある程度だったが、2022年は少なくとも5件発生しているという。  鶴ヶ城に出没したクマの足取りを市農林課が検証したところ、千石バイパス(県道64号会津若松裏磐梯線)沿いの小田橋付近で目撃されていた。橋の下を流れる湯川の川底を調べたところ、足跡が残っていた。クマは姿を隠しながら移動する習性があり、草が多い川沿いを好む。  このことから、市中心部の東側に位置する東山温泉方面の山から、川伝いに街なかに降りてきた線が濃厚だ。複数の住民によると、東山温泉の奥の山にはクマの好物であるジダケの群落があり、クマが生息するエリアとして知られている。  市農林課は河川管理者である県と相談し、動きを感知して撮影する「センサーカメラ」を設置した。さらに光が点滅する「青色発光ダイオード」装置を取り付け、クマを威嚇。県に依頼して湯川の草刈りや緩衝帯作りなども進めてもらった。その結果、市街地でのクマ目撃情報はなくなったという。  それでも市は引き続き警戒しており、10月21日には県との共催により「市街地出没訓練」を初めて実施。関係機関が連携し、対応の手順を確認した。  市では2023年以降もクマによる農作物被害を減らし、人的被害をゼロにするために対策を継続する。具体的には、①深刻な農作物被害が発生したり、市街地近くで多くの目撃情報があった際、「箱わな」を設置して捕獲、②人が住むエリアをきれいにすることでゾーニング(区分け)を図り、山から出づらくする「環境整備」、③個人・団体が農地や集落に「電気柵」を設置する際の補助――という3つの対策だ。  さらに2023年からは、郊外部ばかりでなく市街地に住む人にも危機意識を持ってもらうべく、クマへの対応法に関するリーフレットなどを配布して周知に努めていく。これらの対策は実を結ぶのか、2023年以降の出没状況を注視していきたい。 一度入った農地は忘れない  本州に生息しているクマはツキノワグマだ。平均的な大きさは体長110~150㌢、体重50~150㌔。県が2016年に公表した生態調査によると、県内には2970頭いると推定される。  クマは狩猟により捕獲する場合を除き、原則として捕獲が禁じられている。鳥獣保護管理法に基づき、農林水産業などに被害を与える野生鳥獣の個体数が「適正な水準」になるように保護管理が行われている。  県自然保護課によると、9月までの事故件数は7件、目撃件数は364件。2021年は事故件数3件、目撃件数303件。2020年が事故件数9件、目撃件数558件。「件数的には例年並みだが、市街地に出没したり、事故に至るケースが短期間に集中した」(同課担当者)。  福島市西部地区の在庭坂・桜本地区では8月中旬から下旬にかけて、6日間で3回クマによる人的被害が続発した。9月7日早朝には、在庭坂地区で民家の勝手口から台所にクマが入り込み、キャットフードを食べる姿も目撃されている。  会津若松市に隣接する喜多方市でも10月18日昼ごろ、喜多方警察署やヨークベニマル喜多方店近くの市道でクマが目撃された。  河北新報オンライン9月23日配信記事によると、東北地方の8月までの人身被害数40件は過去最多だ。  クマの生態に詳しい福島大学食農学類の望月翔太准教授は「2021年はクマにとってエサ資源となるブナやミズナラが豊富で子どもが多く生まれたため、出歩くことが多かったのではないか」としたうえで、「2022年は2021年以上にエサ資源が豊富。2023年の春先は気を付けなければなりません」と警鐘を鳴らす。  「クマは基本的に憶病な動物ですが、人が近づくと驚いて咄嗟に攻撃します。また、一度農作物の味を覚えるとそれに執着するので、1回でも農地に入られたら、その農地を覚えていると思った方がいい」  今後取るべき対策としては「まず林や河川の周りの草木を伐採し、ゾーニングが図られるように見通しのいい環境をつくるべきです。また、収穫されずに放置しているモモやカキ、クリの木を伐採し、クマのエサをなくすことも重要。電気柵も有効ですが、イノシシ用の平面的な配置では乗り越えられてしまうので、クマ用に立体的に配置する必要があります」と指摘する。 近距離で遭遇したら頭を守れ  金山町で「マタギ」として活動し、小さいころからクマと対峙してきた猪俣昭夫さんは「そもそもクマの生態が変わってきている」と語る。 クマと遭遇した時の対応を説明する猪俣さん  「里山に入り薪を取って生活していた時代はゾーニングが図られていたし、人間に危害を与えるクマは鉄砲で駆除されていました。だが、里山に入る人や猟師が少なくなると、山の奥にいたクマが、農作物や果物など手軽にエサが手に入る人家の近くに降りてくるようになった。代を重ねるうちに人や車に慣れているので、人間と会っても逃げないし、様子を見ずに襲う可能性が高いです」  山あいの地域では日常的にクマを見かけることが多いためか、「親子のクマにさえ会わなければ、危険な目に遭うことはない」と語る人もいたが、そういうクマばかりではなくなっていくかもしれない。  では、実際にクマに遭遇したときはどう対応すればいいのか。猪俣さんはこう説明した。  「5㍍ぐらい距離があるといきなり襲ってくることはないが、それより近いとクマもびっくりして立ち上がる。そのとき、大きな声を出すと追いかけられて襲われるので、思わず叫びたくなるのをグッと抑えなければなりません。クマが相手の強さを測るのは『目の高さ』。後ずさりしながら、クマより高いところに移動したり、近くの木を挟んで対峙し行動の選択肢を増やせるといい。少なくとも、私の場合そうやって襲われたことはありません」  一方、前出・望月准教授は次のように話す。  「頭に傷を負うと致命傷になる可能性が高い。近距離でばったり出会った場合はうずくまったり、うつ伏せになり、頭を守るべきです。そうすれば、仮に背中を爪で引っかかれてもリュックを引き裂かれるだけで済む可能性がある。研修会や小学校などで周知しており、広まってほしいと思っています」  県では、会津若松市のように対策を講じる市町村を補助する「野生鳥獣被害防止地域づくり事業」(予算5300万円)を展開している。ただ、高齢化や耕作放棄地などの問題もあり、環境整備や効果的な電気柵設置は容易にはいかないようだ。  来春以降の被害を最小限に防ぐためにも、問題点を共有し、地域住民を巻き込んで抜本的な対策を講じていくことが求められている。

  • 「第8波」に入った新型コロナ

    「第8波」に入った新型コロナ

    相馬市の陽性者分析で見えた対策  相馬市は今夏の新型コロナ「第7波」の感染者(陽性者)の詳細な分析を行った。その内容を紹介・検証しつつ、すでに到来しつつある「第8波」に向けて、どのような対策が有効かを考えていきたい。  11月23日時点での国内のコロナ感染者累計数は2409万4925人、死者数は4万8797人。およそ5人に1人がこれまでに罹患している計算になる。1日の感染者数で見ると、今夏の「第7波」と言われる感染拡大の中で、7月下旬から8月下旬にかけて連日20万人を超える新規感染者が確認された。その前後でも、1日に10万人から15万人の感染者が出ている。  県内で見ると、11月23日時点でのコロナ感染者累計数は24万9359人、死者数は335人。およそ7人に1人が感染している計算で、国内平均よりは低い。1日の感染者数が最も多かったのは、2022年8月19日で3584人。その前後で、2000人越え、3000人越えの日が相次いだ。7月下旬から9月上旬までが「第7波」に位置付けられる。  その後は、少し落ち着き500人から1000人弱の日が続いたが、11月中旬ごろからまた増え始めている。11月22日は3341人、23日は3191人と、過去最高に迫っている。すでに「第8波」が到来していると言えそうだ。  政府(新型コロナウイルス感染症対策本部)は、11月18日までに「今秋以降の感染拡大で保健医療への負荷が高まった場合の対応について」をまとめた。いわゆる「第8波対策」である。  基本方針は「今秋以降の感染拡大が、今夏のオミクロン株と同程度の感染力・病原性の変異株によるものであれば、新たな行動制限は行わず、社会経済活動を維持しながら、高齢者等を守ることに重点を置いて感染拡大防止措置を講じるとともに、同時流行も想定した外来等の保健医療体制を準備する」というもの。  住民は、これまでと同様、3密回避、手指衛生、速やかなオミクロン株対応ワクチン接種、感染者と接触があった場合の早期検査、混雑した場所や感染リスクの高い場所への外出などを控える、飲食店での大声や長時間滞在の回避、会話する際のマスク着用、普段と異なる症状がある場合は外出、出勤、登校・登園等を控える――等々の基本的な対策が求められる。  「第8波対策」で、これまでと大きく変わったところは、「外来医療を含めた保健医療への負荷が相当程度増大し、社会経済活動にも支障が生じている段階(レベル3 医療負荷増大期)にあると認められる場合に、地域の実情に応じて、都道府県が『医療ひっ迫防止対策強化宣言』を行い、住民及び事業者等に対して、医療体制の機能維持・確保、感染拡大防止措置、業務継続体制の確保等に係る協力要請・呼びかけを実施する」「国は、当該都道府県を『医療ひっ迫防止対策強化地域』と位置付け、既存の支援に加え、必要に応じて支援を行う」とされていること。  つまり、都道府県の判断で「医療ひっ迫防止対策強化宣言」を行い、営業自粛、移動自粛などの要請ができるということだ。  こうして「第8波」に向けた対策や基本方針が定められる中、相馬市が「第7波」の感染者について詳細な分析を行ったものが今後の参考になりそうなので紹介・検証したい。  ちなみに、同市の立谷秀清市長は、医師免許を持っており、地元医師会との意思疎通が図りやすいほか、全国の医師系市長で組織する「全国医系市長会長」を務め、他市の医療体制・感染状況などの情報交換がしやすいこと、全国市長会長を務め、比較的頻繁に国と意見交換ができる環境にある、といった強みがある。 ワクチンの効果  別表は、同市で「第7波」で陽性判定を受けた人の「陽性者数と陽性率」、「年代別、ワクチン接種回数別の陽性者と陽性率」、「陽性者の症状」をまとめたもの。  まず、陽性者数と陽性率だが、ワクチン適正回数接種者は対象2万8355人のうち、陽性者1260人で、陽性率は4・4%、適正回数未接種者は対象5157人のうち、陽性者916人で、陽性率は17・8%となっている。なお、ワクチンの適正接種回数は60歳以上が4回、12歳から59歳が3回以上、5歳から11歳が2回。  こうして見ると、ワクチンを適正回数接種した人は、していない人に比べて、陽性率が4分の1程度になっていることが分かる。  立谷市長は「ブレイクスルー(ワクチンを適正回数接種しても感染するケース)はあるものの、ワクチンの効果はあることが証明された」と説明した。  年代別で見ると、若年層の適正回数未接種者の陽性率が高い傾向にあることが分かる。若年層は、注意をしていても、人が集まる場に行く機会が多い、移動機会が多い、といった理由から、感染リスクが高くなると言われているが、それが裏付けられたような結果だ。対象的に、高齢者は適正回数接種者の陽性率は1・86%、それ以外でも10%以下と低くなっている。高齢者や基礎疾患がある人は重症化のリスクが高まるとされていることなどから、十分注意していることがうかがえる。  一方、陽性者の症状を見ると、94・8%が軽症となっており、無症状を含めると、99%以上が無症状・軽症になる。残りの0・8%は中等症Ⅰ、Ⅱで重症はゼロ。なお、厚生労働省が作成した「新型コロナウイルス感染症 診療の手引き」によると、中等症Ⅰは「呼吸困難、肺炎所見」、中等症Ⅱは「酸素投与が必要」とされている。  立谷市長は以前の本誌取材に「ウイルス側も寄生するところがなくなったら生存できないわけだから、オミクロン株などに形を変えて『広く浅く』といった作戦に切り替えてきた。それをわれわれ人間がどう迎え撃つか。その戦いだ」と語っていたが、まさにそういった状況になっていることが分かる。 立谷市長  「今後、『第8波』が来る。年末年始で人の動きが活発になるということもあるが、基本的にこうしたウイルスは厳冬期は活性化しますからね」(立谷市長)  もっとも、対策としては「これまで継続してやってもらっている基本対策(消毒、マスク着用、密回避など)と、早期のワクチン接種しかない。『第8波』が来る前に、11月上旬からワクチン接種を実施している」(立谷市長)とのことで、そこに尽きるようだ。 ◎新型コロナ体験談 郡山市に住む50代男性。妻、子ども3人、義父母と暮らしています。 最初に感染したのは高1の娘。11月初めの夕方、高校に迎えに行くと喉がイガイガすると言う。まさかコロナじゃないだろうなと思いながら念のため車の窓を開けたが、娘も私もマスクを外していた。すると翌日、娘は咳をし出して発熱。病院でPCR検査を受け、陽性と判定された。 その2日後、私の体調に異変が表れた。喉がイガイガし、翌朝さらに酷くなった。次第に乾いた咳をするようになり、熱は38度台半ばに達した。抗原検査キットで陽性を確認。頭痛、寒気、関節の鈍い痛み等にも襲われ、寝るのもしんどい。解熱剤を服用してようやく眠れたが、その後、微熱と平熱を3、4日繰り返した。頭痛や寒気は翌日収まったが、喉のイガイガと咳は6日ほど続いた。寝過ぎた際に頭がボヤーっとする感じもしばらく残った。 私が発症した2日後には小学4年の次男も同じ症状に見舞われたが、幸い他の家族には広がらず、3人の感染で食い止めることができた。 私はワクチンを3回接種し、4回目の予約を検討しているところだった。インフルエンザに罹った時よりは辛くなかったが、できればもう感染したくないですね。

  • 【FSGカレッジリーグ】仮想空間で授業を実施【実証事業の様子】

    【FSGカレッジリーグ】仮想空間で授業を実施

     専門学校グループ「学校法人国際総合学園 FSGカレッジリーグ」(郡山市)は1984(昭和59)年の開校以来、38年間積み上げてきた指導ノウハウと、2万0900人以上の卒業生ネットワークによる学生支援体制を備え、若者の学び場の充実を図り続けてきた。同グループは5校57学科で構成されており、東北最大級の規模を誇る。  グループ校の一つ、国際アート&デザイン大学校では9月、米国発メタバース「Virbela(バーベラ)」の日本向けプラットフォーム「GIGA TOWN(ギガタウン)」を活用した実証授業を実施した。専門学校としては初の試み。  メタバースとはインターネットの中に構築された仮想空間のこと。自分自身の分身(アバター)を操作して他者と交流できる。ゲームなどで使われてきたが、近年はビジネスシーンでの利用も進んでおり、今後の成長が見込まれている。  同校は「ギガタウン」の日本公式販売代理店・㈱ガイアリンク(長野県)と連携。学生らはアバターを使って「ギガタウン」での授業に参加し、事例研究、ゲーム、ディスカッション、グループ発表などを行った。  参加した学生からは「実際にその場で授業を受けているような臨場感があり、楽しかった。テーブルごとに個別通話できたり、画面を複数に分けて資料を提示できるなど、さまざまな機能があり、使いやすかったです」との声が聞かれた。  実証授業は学生の夢や目標達成のためのスキル、コミュニケーション力を育む目的で行われたもの。同校では5月にも、ICT関連やデジタルコンテンツ分野の教育機関を運営するデジタルハリウッド㈱(東京都)と連携し、アバター生成・操作のアプリケーションを使用した実証授業を行っている。  同グループでは教育のICT化を進める「Ed―Tech推進室」が中心となって、ICT技術・デジタル化を活用した効果的な授業の在り方を検討しており、同校の授業に積極的に取り入れている。  例えば、同校コミックマスター科では県内で初めて、アニメーション制作ソフト「Live2D」を授業に導入した。同ソフトは低コストで原画の画風を保ったアニメーションが制作できることから、家庭用ゲームやスマートフォンアプリに多く使用されている。同校は「Live2D」モデル作成ソフトライセンス無償貸与の教育支援プログラム認定校に県内で唯一指定されているため、授業での使用が可能となった。  一方でアナログテクニックを身に付ける実習も充実させており、どんな現場にも対応できる即戦力のスペシャリストの養成に努める。  ICT関連の資格取得も全力で支援しており、「PhotoShop(フォトショップ)クリエイター能力認定試験」の合格率は100%を誇る。さらにCGクリエイター検定の文部科学大臣賞を全国で唯一3年連続受賞している。  同グループが目標として掲げているのは「ONLY1、No・1」の教育実績。今後もコロナ禍以降本格的に導入したICT教育を発展させる形で、メタバースを活用した授業を推進し、学生一人ひとりのニーズに沿った教育を行うことで、夢の実現をサポートしていく考えだ。

  • 京都・仁和寺で「カラー絵巻」一般公開

    京都・仁和寺で「カラー絵巻」一般公開

    デジタル技術で蘇る戊辰戦争の風景 双葉町出身学芸員が解説  京都を代表する古刹・仁和寺で、明治時代に作られた「戊辰戦争絵巻」のデジタル彩色版が12月8日まで一般公開されている。福島県と何かと関係が深い戊辰戦争だが、その絵巻がなぜいま京都の寺院でカラー化されて公開されたのか。双葉町出身の学芸員に、その背景や一般公開の見どころを解説してもらった。  仁和寺は888(仁和4)年、宇多天皇が先帝の光孝天皇の遺志を継いで創建した寺院で、真言宗御室派の総本山。1994(平成6)年にユネスコの世界遺産に登録された。境内に咲く遅咲きの「御室桜」が有名で、和歌などにも詠まれている。 仁和寺金堂  皇族や公家が出家して住職を務める門跡寺院で、歴代天皇の厚い帰依を受けたことから、優れた絵画・書籍・彫刻・工芸品が数多く所蔵されている。創建当時の本尊である「阿弥陀三尊像(国宝)」をはじめ、国宝12件、重要文化財48件、古文書数万点を保存・管理している。  そんな同寺院の所蔵物の一つである「戊辰戦争絵巻」をデジタル彩色するプロジェクトが進められている。  戊辰戦争の幕開けとなった1868(明治元)年の「鳥羽伏見の戦い」を描いた絵巻で、全39場面。幅31㌢、長さは上下巻合わせて約40㍍。  「歴史資料に光彩を与えたことで、情報がより写実的になりました。例えば紅蓮の炎や血色染まる兵士の姿は、視覚的に凄惨さを増しましたが、その痛ましさに想像力を持って向き合うことで、絵巻に描かれていることは『物語』ではなく『歴史』であるという気づきをもたらすのではないか、と思います」  デジタル彩色の狙いについて、こう解説するのは双葉町出身の仁和寺学芸員・朝川美幸さんだ。  1971(昭和46)年生まれ。双葉高校、東洋大文学部卒。立命館大学大学院文学研究科博士前期課程を修了。年数回開催される仁和寺霊宝館名宝展の企画・展示を担当。共著に『もっと知りたい仁和寺の歴史』(東京書籍)がある。小さいころに真言密教に興味を抱き、仏教のことを学び続けている専門家だ(本誌2018年1月号参照)。  朝川さんによると、仁和寺と戊辰戦争のつながりは深い。仁和寺第30世の純仁法親王は1867(慶応3)年に還俗(出家した人が俗人に戻ること)し、仁和寺宮嘉彰(にんなじのみやよしあきら)親王と名を改めた。その後、征夷大将軍に任命され、鳥羽伏見の戦いで新政府軍を率いた。出陣の際には仁和寺に仕えていた坊官や寺侍が警備に回った。  明治の世になってから、時代の転換点となった戦争を記録し、その事実を絵巻として残すことになった。戦争体験者の東久世通禧伯爵と林友幸子爵が計画し、1889(明治22)年に完成。明治天皇に献上された。1891(明治24)年には保勲会がモノクロ、木版画の複製品を若干部制作し、仁和寺などに寄贈した。  ただ、制作数が少なく事実を広く知ってもらうには至らなかったことから、絵巻の一部を新たに着色し、『錦の御旗』と改題して一般向けに刊行した。  今回のプロジェクトは、仁和寺に所蔵されていた絵巻(複製品)を超高精細スキャンによりデジタル化。『錦の御旗』や解説本の記述、専門家などの考証を参考に彩色し直して、原寸大で和紙に印刷するものだ。  デジタル彩色は「先端イメージング工学研究所」(京都市左京区)代表理事で、京都大学名誉教授の井手亜里さんが率いるプロジェクトチームが担当。10カ月かけて彩色を行い、ようやく完成した。 デジタル彩色のメリット  絵巻の撮影に同席し、一部の絵巻の解説文執筆も担当した朝川さんはこう説明する。  「超高精細デジタルスキャニング技術で撮影したことで、現物を何度も広げずに済み、画像を拡大してより細かい描写を読み解けるようになりました。保存・分析、両面でメリットがあったと思います。また、着色したことで、戊辰戦争の様子をイメージしやすくなり、幅広い方に興味を持っていただきやすくなったと思います」 仁和寺霊宝館で解説する朝川さん  完成したデジタル彩色絵巻は2022年12月3~8日まで「令和絵巻に見る仁和寺と戊辰戦争」特別展で一般公開される。デジタル彩色絵巻と元来の絵巻(複製)の比較展示のほか、デジタル彩色絵巻をタッチパネル式の画面で見ることができる。好きな場所を指定して拡大することで高精細な画像の閲覧が可能。またオリジナル映像を視聴するコーナーも設けられている。12月3日には、絵巻に合わせて講談師・神田京子さんが講談を行うライブも開かれた。 ジタル彩色された「戊辰戦争絵巻」の一部(上は「第二図会津藩伏見上陸」、下は「第十三図征討大將軍節刀拜受」=画像:先端イメージング工学研究所提供)  同プロジェクトは文化庁の「Livng History(生きた歴史体感プログラム)促進事業」に採択されている。文化庁は京都への移転準備を進めており、2023年3月27日にはいよいよ業務が開始される。移転の目的は東京一極集中の是正に加え、「文化の力による地方創生」、「地域の多様な文化の掘り起こし・磨き上げによる文化芸術の振興」というもの。デジタルの力を使い地方の寺院に眠る歴史的資料の価値を磨き上げる同プロジェクトは、象徴的な活動と言えよう。  一般公開は期間限定であり、福島から離れているので、気軽には行けないかもしれないが、仁和寺は何かと福島に縁のある場所。世界遺産の建物や所蔵物が展示されている霊宝館(期間限定公開)はもちろん、春は桜、秋は紅葉が美しい観光スポットでもある。機会があればぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

  • 【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】

    【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】

    【昭和電工】社名変更しても消えない喜多方湧水枯渇の罪  昭和電工は2023年1月に「レゾナック」に社名変更する。高品質のアルミニウム素材を生産する喜多方事業所は研究施設も備えることから、いまだ重要な位置を占めるが、グループ再編でアルミニウム部門は消え、イノベーション材料部門の一つになる。土壌・地下水汚染対策に起因する2021年12月期の特別損失約90億円がグループ全体の足を引っ張っている。井戸水を汚染された周辺住民は全有害物質の検査を望むが、費用がかさむからか応じてはくれない。だが、不誠実な対応は今に始まったことではない。事業所は約80年前から「水郷・喜多方」の湧水枯渇の要因になっていた。  「昭和電工」から「昭和」の名が消える。2023年1月に「レゾナック」に社名変更するからだ。2020年に日立製作所の主要子会社・日立化成を買収。世界での半導体事業と電気自動車の成長を見据え、エレクトロニクスとモビリティ部門を今後の中核事業に位置付けている。社名変更は事業再編に伴うものだ。  新社名レゾナック(RESONAC)の由来は、同社ホームページによると、英語の「RESONATE:共鳴する、響き渡る」と「CHEMISTRY:化学」の「C」を組み合せて生まれたという。「グループの先端材料技術と、パートナーの持つさまざまな技術力と発想が強くつながり大きな『共鳴』を起こし、その響きが広がることでさらに新しいパートナーと出会い、社会を変える大きな動きを創り出していきたいという強い想いを込めています」とのこと。  新会社は「化学の力で社会を変える」を存在意義としているが、少なくとも喜多方事業所周辺の環境は悪い方に変えている。現在問題となっている、主にフッ素による地下水汚染は1982(昭和57)年まで行っていたアルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を敷地内に埋め、それが土壌から地下水に漏れ出したのが原因だ。  同事業所の正門前には球体に座った男の子の像が立つ=写真。名前は「アルミ太郎」。地元の彫刻家佐藤恒三氏がアルミで制作し、1954(昭和29)年6月1日に除幕式が行われた。式当日の写真を見ると、着物を着たおかっぱの女の子が白い布に付いた紐を引っ張りお披露目。工場長や従業員とその家族、来賓者約50人がアルミ太郎と一緒に笑顔で写真に納まっていた。アルミニウム産業の明るい未来を予想させる。 喜多方事業所正門に立つ像「アルミ太郎」  2018年の同事業所CSRサイトレポートによると「昭和電工のアルミニウムを世界に冠たるものにしたい」という当時の工場幹部及び従業員の熱い願いのもと制作されたという。「アルミ太郎が腰掛けているのは、上記の世界に冠たるものにしたいという思いから地球を模したものだといわれています」(同レポート)。  同事業所は操業開始から現在まで一貫してアルミニウム関連製品を生産している。それは戦前の軍需産業にさかのぼる。 誘致当初から住民と軋轢  1939(昭和14)年、会津地方を北流し、新潟県に流れる阿賀川のダムを利用した東信電気新郷発電所の電力を使うアルミニウム工場の建設計画が政府に提出された。時は日中戦争の最中で、軽量で加工しやすいアルミニウムは重要な軍需物資だった。発電所近くの喜多方町、若松市(現会津若松市)、高郷村(現喜多方市高郷町)、野沢町(現西会津町野沢)が誘致に手を挙げた。喜多方町議会は誘致を要望する意見書を町に提出。町は土地買収を進める工場建設委員会を設置し、運搬に便利な喜多方駅南側の一等地を用意したことから誘致に成功した。  喜多方市街地には当時、あちこちに湧水があり、住民は生活用水に利用していた。電気に加え大量の水を使うアルミニウム製錬業にとって、地下に巨大な水がめを抱える喜多方は魅力的な土地だった。  誘致過程で既に現在につながる昭和電工と地域住民との軋轢が生じていた。土地を提供する豊川村(現喜多方市豊川町)と農民に対し、事前の相談が一切なかったのだ。農民・地主らの反対で土地売買の交渉は思うように進まなかった。事態を重く見た県農務課は経済部長を喜多方町に派遣し、「国策上から憂慮に堪えないので、可及的にこれが工場の誘致を促進せしめ、国家の大方針に即応すべきであることを前提に」と喜多方町長や豊川村長らに伝え、県が土地買収の音頭を取った。  近隣の太郎丸集落には「小作農民の補償料は反当たり50円」「水田反当たり850~760円」払うことで折り合いをつけた。高吉集落の地主は補償の増額を要求し、決着した。(喜多方市史)。  現在の太郎丸・高吉第一行政区は同事業所の西から南に隣接する集落で、地下水汚染が最も深刻だ。汚染が判明した2020年から、いまだに同事業所からウオーターサーバーの補給を受けている世帯がある。さらには汚染水を封じ込める遮水壁設置工事に伴う騒音や振動にも悩まされてきた。ある住民男性は「昔からさまざまな我慢を強いられてきたのがこの集落です。ですが、希硫酸流出へのずさんな対応や後手後手の広報に接し、今回ばかりは我慢の限界だ」と憤る。  実は、公害を懸念する声は誘致時点からあった。耶麻郡内の農会長・町村会長(喜多方町、松山村、上三宮村、慶徳村、豊川村、姥堂村、岩月村。関柴村で構成)は完全なる防毒設備の施工や損害賠償の責任の明確化を求め陳情書を提出していた。だが、対策が講じられていたかは定かではない(喜多方市史)。 喜多方事業所を南側から撮った1995年の航空写真(出典:喜多方昭寿会「昭和電工喜多方工場六十年の歩み」)。中央①が正門。北側を東西にJR磐越西線が走り、市街地が広がる。駅北側の湧水は戦前から枯れ始めた。写真左端の⑰は太郎丸行政区。  記録では1944(昭和19)年に初めてアルミニウムを精製し、汲み出した。だが戦争の激化で原料となるボーキサイトが不足し、運転停止に。敗戦後は占領軍に操業中止命令を食らい、農園を試行した時期もあった。民需に転換する許可を得て、ようやく製錬が再開する。  同事業所OB会が記した『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』(2000年)によると、アルミニウム生産量はピーク時の1970(昭和45)年には4万2900㌧。それに伴い従業員も増え、60(昭和35)~72(昭和47)年には650~780人を抱えた。地元の雇用に大きく貢献したわけだ。  喜多方市史は数ある企業の中で、昭和30年代の同事業所を以下のように記している。  《昭和電工(株)喜多方工場は、高度経済成長の中で着実な成長を遂げ、喜多方市における工場規模・労働者数・生産額ともに最大の企業となった。また喜多方工場が昭和電工㈱内においてもアルミニウム生産の主力工場にまで成長した》  JR喜多方駅の改札は北口しかないが、昭和電工社員は「通勤者用工場専用跨線橋」を渡って駅南隣の同事業所に直接行けるという「幻の南口」があった。喜多方はまさに昭和電工の企業城下町だった。  だが石油危機以降、アルミニウム製錬は斜陽になり、同事業所も規模を縮小し人員整理に入った。労働組合が雇用継続を求め、喜多方市も存続に向けて働きかけたことから、アルミニウム製品の加工場として再出発し、現在に至る。  同事業所が衰退した昭和40年代は、近代化の過程で見過ごされてきた企業活動の加害が可視化された「公害の時代」だ。チッソが引き起こした熊本県不知火海沿岸の水俣病。三井金属鉱業による富山県神通川流域のイタイイタイ病。石油コンビナートによる三重県の四日市ぜんそく。そして昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川流域に流出させたメチル水銀が引き起こした新潟水俣病が「四大公害病」と呼ばれる。 ※『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』と同社プレスリリースなどより作成  同じ昭和電工でも、喜多方事業所は無機化学を扱う。同事業所でまず発覚した公害は、製錬過程で出るフッ化水素ガスが農作物を枯らす「煙害」だった。フッ化水素ガスに汚染された桑葉を食べた蚕は繭を結ばなくなり、明治以来盛んだった養蚕業は昭和20年代後半には壊滅したという。  もっとも、養蚕は時代の流れで消えゆく定めだった。同事業所が地元に雇用を生んだという意味では、プラスの面に目を向けるとしよう。それでも煙害は、米どころでもある喜多方の水稲栽培に影響を与えた。周辺の米農家は補償をめぐり訴訟を繰り返してきた。前述・アルミ太郎が披露された1954年には「昭電喜多方煙害対策特別委員会」が発足。希望に満ちた記念撮影の陰には、長年にわたる住民の怒りがあった。 地下水を大量消費  フッ化水素ガスによる農産物への被害だけでなく、同事業所は地下水を大量に汲み上げ、湧水枯渇の一因にもなっていた。「きたかた清水の再生によるまちづくりに関する調査研究報告書」(NPO法人超学際的研究機構、2007年)は、喜多方駅北側の菅原町地区で「戦前から枯渇が始まり、市の中心部へ広がり、清水の枯渇が外縁部へと拡大していった」と指摘している。06年10月に同機構の研究チームが行ったワークショップでは、住民が「菅原町を中心とした南部の清水も駅南のアルミ製錬工場の影響で枯渇した」と証言している。同事業所を指している。  研究チームの座長を務めた福島大の柴﨑直明教授(地下水盆管理学)はこう話す。  「調査では喜多方の街なかに住む古老から『昭和電工の工場が水を汲み過ぎて湧水が枯れた』という話をよく聞きました。アルミニウム製錬という業種上、戦前から大量の水を使っていたのは事実です。豊川町には同事業所の社宅があり、ここの住人に聞き取りを行いましたが、口止めされているのか、勤め先の不利益になることは言えないのか、証言する人はいませんでした」  地下水の水位低下にはさまざまな要因がある。柴﨑教授によると、特に昭和40年代から冬季の消雪に利用するため地下水を汲み上げ、水位が低下したという。農業用水への利用も一因とされ、これらが湧水枯渇に大きな影響を与えたとみられる。   ただし、戦前から湧水が消滅していたという証言があることから、喜多方でいち早く稼働した同事業所が長期にわたって枯渇の要因になっていた可能性は否めない。ワークショップでは「地下水汚染、土壌汚染も念頭に置いて調査研究を進めてほしい」との声もあった。  この調査は、地下水・湧水が減少傾向の中、「水郷・喜多方」を再認識し、湧水復活の契機にするプロジェクトの一環だった。喜多方市も水郷のイメージを生かした「まちおこし」には熱心なようだ。  今年10月には、市内で「第14回全国水源の里シンポジウム」が開かれた。同市での開催は2008年以来2度目。実行委員長の遠藤忠一市長は「水源の里の価値を再確認し、水源の里を持続可能なものとする活動を広げ、次世代に未来をつないでいきたい」とあいさつした(福島民友10月28日付)。参加者は、かつて湧水が多数あった旧市内のほか、熱塩加納、山都、高郷の各地区を視察した。 「水源の里」を名乗るなら 昭和電工(現レゾナック)  昭和電工は戦時中の国策に乗じて喜多方に進出し、アルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を地中に埋めていた。「法律が未整備だった」「環境への意識が希薄だった」と言い訳はできる。だが「喜多方の水を利用させてもらっている」という謙虚な気持ちがあれば、周辺住民の「湧水が枯れた」との訴えに耳を傾けたはずで、長期間残り続ける有害物質を埋めることはなかっただろう。喜多方の水の恩恵を受けてきた事業者は、酒蔵だろうが、地元の農家だろうが、東京に本社がある大企業だろうが、水を守る責任がある。昭和電工は奪うだけ奪って未来に汚染のツケを回したわけだ。  喜多方市も水源を守る意識が薄い。遠藤市長は「水源の里を持続可能なものとする活動を広げる」と宣言した。PRに励むのは結構だが、それは役所の本分ではないし得意とすることではない。市が「水源の里」を本当に守るつもりなら、果たすべきは公害問題の解決のために必要な措置を講じることだ。   住民は、事業所で使用履歴のない有害物質が基準値を超えて検出されていることから、土壌汚染対策法に基づいた地下水基準全項目の調査を求めている。だが、汚染源の昭和電工は応じようとしない。膠着状態が続く中、住民は市に対し昭和電工との調整を求めている。市長と市議会は選挙で住民の負託を受けている。企業の財産や営業の自由は守られてしかるべきだが、それよりも大切なのは市民の健康と生活を守ることではないか。 続報の記事は下記のリンクから読めます! https://www.seikeitohoku.com/kitakata-city-showa-denko/

  • 【 浪江町社会福祉協議会 】パワハラと縁故採用が横行 浪江町社協が入る「ふれあいセンターなみえ」

    浪江町社会福祉協議会】パワハラと縁故採用が横行

    ガバナンス崩壊で住民に不利益  浪江町社会福祉協議会が、組織の統治・管理ができないガバナンス崩壊にある。一職員によるパワハラが横行し、休職者が出たが、事務局も理事会も対処できず指導力のなさを露呈。事務局長には縁故採用を主導した疑惑もあり、専門家は「福祉という公的な役割を担う組織のモラル崩壊は、サービスを受ける住民への不利益につながる」と指摘する。  2022年6月、浪江町に複合施設「ふれあいセンターなみえ」がオープンした。JR浪江駅に近く、帰還した町民の健康増進や地域活性化を図る役割が期待されている。敷地面積は約3万平方㍍。デイサービスなどの福祉事業を担うふれあい福祉センターが入所し、福祉関連の事業所が事務所を置いている。福祉センター以外にも、壁をよじ登るボルダリング施設や運動場、図書室がある。 福祉センターは社会福祉法人の浪江町社会福祉協議会(浪江町社協)が指定管理者を務めている。業務を開始して3カ月以上が経った福祉センターだが、ピカピカの新事務所に職員たちは後ろめたさを感じていた。開設に尽力した人物が去ってしまったからだ。 「指定管理者認定には、40代の男性職員が町と折衝を重ねてきました。今業務ができるのも彼の働きがあってこそです。ところが、彼はうつ病と診断され休職しています。10月に辞めると聞きました。今は代わりに町職員が出向しています。病気の理由ですか? 事務局の一職員からのパワハラがひどいんです。これは社協の職員だったら誰もが知っていることです」(ある職員) パワハラの実態に触れる前に、浪江町社協が町の代わりに住民の福祉事業の実務を担う公的な機関であることを明らかにせねばならない。それだけ役割が重要で、パワハラが放置されれば休職・退職者が続出し、せっかく帰還した住民に対するサービス低下も免れないからだ。 社協は福祉事業を行う社会福祉法人の形態の一つ。社会福祉法人は成り立ちから①民設民営、②公設民営、③公設公営の三つに分けられ、社協は国や行政が施設を建設し、運営委託する点で③に含まれる。職員も中枢メンバーは設置自治体からの出向が多く、行政の外郭団体である。 浪江町社協の2021年度の資金収支計算書では、事業活動収入は計2億2400万円。うち、最も多いのが町や県からの受託金収入で1億5300万円(約68%)。次が町などからの補助金で4460万円(約19%)となっている。22年度の町の予算書によると、同社協には3788万円の補助金が交付されている。法人登記簿によると、同社協は1967(昭和42)年に成立。資産の総額は4億7059万円。現在の理事長は栃本勝雄氏(浪江町室原)で2022年6月20日に就任した。 前理事長は吉田数博前町長(同町苅宿)が兼ねていた。予算上も人員上も自治体とは不可分の関係から、首長が理事長を務めるのは小規模町村では珍しくない。吉田前町長も慣例に従っていた(2022年5月の町議会第2回臨時会での吉田数博町長の答弁より)。ただ、首長が自治体と請負契約がある法人の役員に就くことを禁じた地方自治法第142条に反するおそれがあり、社会福祉法人としての独立性を保つ観点から、近年、自治体関係者は役員に就かせない流れにある。同社協も吉田数博町長が引退するのに合わせ、2022年度から理事長を町長以外にした。 同社協の本所は前述・福祉センター内にある浪江事務所。原発災害からの避難者のために福島市、郡山市、いわき市に拠点があり、東京にも関東事務所を置く。職員は震災後に増え、現在は50人ほどいる。 事務局長「職員からの報告はない」  問題となっているパワハラの加害者は、浪江事務所に勤める女性職員だという。この女性職員は、会計を任されていることを笠に着て同僚職員を困らせているようだ。例えば、職員が備品の購入や出張の伺いを立てる書面を、上司の決裁を得て女性職員に提出しても「何に必要なのか」「今は購入できない」などの理由を付けて跳ね返すという。人格を否定する言葉で罵倒することもあるそうだ。 一方で、女性職員は自分の判断で備品を購入しているという。ある職員は、女性職員のデスクの周りを見たら、新品の機器が揃えられていたことに唖然とした。 「彼女は勤務年数も浅いし、役職としては下から数えた方が早いんです。会計担当とはいえ、自由にお金を使える権限はありません。でも高圧的な態度を取られ、さらには罵倒までされるとなると、標的にはなりたくないので、誰も『おかしい』とは言えなくなりますね。発議を出すのが怖いと多くの職員が思っています」(ある職員) 職員たちは職場に漂う閉塞感を吐露する。休職・退職が相次ぎ、現場の負担が増した時があった。当時は「あと1人欠けたら職場が回らなくなる」との思いで出勤していたという。次第に女性職員の逆鱗に触れず一日が終わることが目的になった。「いったい私たちは誰をケアしているんでしょうね」と悲しくなる時がある。 休職し、退職を余儀なくされた男性職員は女性職員より上の役職だ。しかし、女性職員から高圧的な態度を取られ、部下からは「なぜ指導できないのか」と突き上げを食らい、板挟みとなった。この男性職員を直撃すると、 「2021年春ごろから体に異変が起こり、不眠が続くようになりました。心療内科の受診を勧められ、精神安定剤と睡眠導入剤を処方されるようになり、今も通院しています」(男性職員) 心ない言葉も浴びせられた。 「2022年春に子どもの卒業式と入学式に出席するため有給休暇を取得しました。その後、出勤すると女性職員から『なんでそんなに休むの?』と聞かれ『子どもの行事です』と答えると『あんた、父子家庭なの?』と言われました」(同) 子どもの行事に出席するのに母親か父親かは関係ない。他人が家庭の事情に言及する必要はないし、女性職員が嫌味を言うために放った一言とするならば、ひとり親家庭を蔑視している表れだろう。そもそも、有給休暇を取得するのに理由を明らかにする必要はない。 筆者は浪江事務所を訪ね、鈴木幸治事務局長(69)=理事も兼務=にパワハラへの対応を聞いた。 ――パワハラを把握しているか。 「複数の職員から被害の訴えがあったと聞いてびっくりしています。そういうことがあるというのは一切聞いていません」 ――ある職員は鈴木事務局長に直接被害を申し出、「対応する」との回答を得たと言っているが。 「その件は、県社会福祉協議会から情報提供がありました。全事務所の職員に聞き取りをしなくてはならないと思っています」 ――パワハラを把握していないという最初の回答と食い違うが。 「パワハラを受けたという職員からの直接の報告は1人もいないということです。県社協からは情報提供を受けました。聞き取りをしますと職員たちには伝えました」 ――調査は行ったのか。 「まだです。前の事務所から移ったばかりなので。落ち着くまで様子を見ている状況です」 加害者として思い当たる人物はいるかと尋ねると、「パワハラは当事者同士の言葉遣い、受け取り方によりますが、厳しい言い方があったのは確かで私も注意はしました。本人には分かってもらえたと思っています」と答えた。 本誌は栃本勝雄理事長と吉田数博前理事長にパワハラを把握していたかについて質問状を送ったが、原稿締め切りまでに返答はなかった。 「事務局長や理事長の責任放棄」  専門家はどう見るのか。流通科学大(神戸市)の元教授(社会福祉学)で近著に『社協転生―社協は生まれ変われるのか―』がある塚口伍喜夫氏(85)は「パワハラ」で収まる問題ではないという。 「役職が下の職員が上司の決裁を跳ねのけているのなら、決裁の意味が全くないですよね。個人のパワハラというよりも、組織が機能していない方がより問題だと思います。改善されていないのであれば事務局長や理事長の責任放棄です」 加えて、社協においても組織のガバナンス(管理・統治)の重要性を訴える。 「組織のガバナンスとは、任されている立場と仕事を果たすための環境を保持していくことです。業務から私的、恣意的なことを排除し、利用者に最上のサービスを提供することが大切です」(塚口氏) 事実、浪江町社協の職員たちはパワハラの巻き添えを食らわないよう自分のことに精いっぱいだ。利用者の方を向いて100%の仕事ができている状況とは言えない。 事務局長と理事長の対応に実効性がないことは分かったが、鈴木事務局長をめぐっては「別の問題」が指摘されている。縁故採用疑惑だ。 複数の職員によると、鈴木事務局長は知人の子や孫を、知人の依頼を受け積極的に職員に採用しているという。これまでに4人に上る。知人をつてに、人手不足の介護士や看護師などの専門職をヘッドハンティングしているなら分かるが、全員専門外で事務職に就いている。職員によると、採用を決めてから仕事を探して割り振るという本末転倒ぶりだ。 疑惑は親族にまで及んだ。前理事長の吉田前町長の元には、2022年度初めに「鈴木事務局長が義理の弟を関東事務所の職員に据えているのはどういうことか」と告発する手紙が届いたという。当初は義弟が所有する茨城県内の物件を間借りして関東事務所にする案もあったとの情報もある。義兄が事務局長(理事)を務める社協から、義弟に賃料が払われるという構図だ。 しかし、鈴木事務局長は「縁故採用はない」と否定する。 「職員を募集しても、福祉施設には応募が少ない。『来てくれれば助かるんだが』と話し、『家族と相談して試験を受けるんだったら受けるように』と言っただけです」 ――事務職は不足しているのか。 「町からの委託事業が多いので、それに伴った形で採用しています。正職員ではありません。なかなか応募がないので、知り合いを頼って人材を集めるのが確実です。募集もハローワークを通して、面接も小論文も必ず私以外の職員を含めた3人で行います。ですから、頼まれたから採用したというのは違います」 社協の意思決定は吉田前理事長を通して行ってきたと言う。 「やっていいかどうかの判断は私でもできます。一人で決めているわけではないです。別の職員の反対を押し切ることはありません。『ここの息子さんです』『あそこのお孫さんです』ということはすべて吉田前理事長に前もって説明していました。私が勝手にやったことは一度もありません」 ――介護士や看護師などの専門職は人手不足だが、その職種の採用を進めることはなかったのか。 「それはしていません。その時は介護士が必要な仕事を町から請け負ってなかったので、そもそも必要なかったのです。7月からデイサービス施設などを開所したことにより、介護士が必要になりました。ただ、そのような(縁故採用)指摘を受けたことの重大性は認識しており、個人的に応募を呼び掛けるのは控えるつもりです」 ――親族の採用については。 「試験を受けてもらい、復興支援員として関東事務所に配置しています。募集をかけても人が集まらない中、妻の弟が仕事を辞めたと聞き、『試験を受けてみないか』と打診しました。一方的に採用したわけではなく、私以外の職員2人による面接で選びました」 ――公募期間はいつからいつまでだったのか。 「なかなか集まらなかったので、長い期間募集していました。ただ、町からは『急いで採用してほしい』と言われていました。詳しい期間は調べてみないと分かりません」 「縁故採用は組織の私物化の表れ」  親族が所有する物件への関東事務所設置疑惑については、 「義弟が茨城県取手市で物件を管理しているので、いい物件が見つからない場合は、そこに置くのも一つの方法だな、と。ただ、それはやっていません」 ――交通の便が良い都心の方が避難者は利用しやすいのでは。 「関東に避難している方は茨城県在住の方が多いんです。近い方がいいのかな、と。それと首都圏で事務所を借り上げると、細かい部分が多いんですね。不動産業者を通して物件を探したが、なかなか見つからなかった。そこで、もし義弟の物件が空いているならと思って。ただ、身内の不動産を借りたとなると、いろいろ言われそうなのでやめました」 ――借りるのをやめたのは吉田前理事長の判断か。 「私の判断です。上に決裁は上げていませんので」 ――どうして都心の事務所になったのか。 「もう1人の職員が埼玉県草加市在住なので、どちらも通える方がいいですし、茨城だけに集中するわけではないので、被災者と職員の両方が通いやすいように、アクセスの良い都心がいいかなと考えました。義弟の物件を一時考えたのも、不動産業者を通すより手続きが簡素で、借りやすいという利点がありました。仮に義弟の物件を選んだとして、他の物件と比べて1円でも多く払うということはありません」 初めは「関東の避難者は茨城に多い」と答えていたが、いつの間にか「避難者は茨城だけに集中するわけではない」と矛盾をきたしている。 前出・塚口氏に見解を聞いた。 「公正に募って選別するというルートを踏むのが鉄則です。縁故採用が事実なら、組織を私物化した表れと言っていいでしょう。本来は誰がどこから見ても公正な採用方法が取られていると保証されなければなりません。それが組織運営の公正さに結びつきます。福祉事業は対人支援です。最上の支援は、絶えず検証しながら提供していくことが大事です。そこに私的なものや恣意的なものが混じってくると、良いサービスは提供できないと思います」 ガバナンスがきちんとしていないと、福祉サービスにも悪影響が出るというわけだ。浪江町社協には、町や県から補助金が交付されている。町民や県民は同社協の在り方にもっと関心を持ってもいい。

  • 北塩原村【道の駅裏磐梯】オリジナルプリンが好評

     北塩原村の観光・交流拠点の1つである道の駅裏磐梯では、期間限定商品だった「裏磐梯桜峠プリン」の通年販売を昨年9月23日から開始し、好評を博している。  同商品は同駅オリジナルスイーツとして開発されたもの。会津山塩をきかせた濃厚カスタードプリンの上に、オオヤマザクラの実を用いたジュレをのせた。プリンの甘じょっぱさと、ジュレのほのかな酸味を同時に味わえる。濃紅とミルク色のコントラストが美しく、かわいらしいラベルと相まって見栄えの良い商品となっている。  名前の由来となった桜峠は、同村の温泉リゾート施設・ラピスパ裏磐梯の隣に位置する桜の名所。毎年3000本のオオヤマザクラが咲き誇る。ソメイヨシノよりもピンク色が濃く、その華やかさに魅了される観光客が多いという。  商品開発の経緯や特色について、同駅の榎本季一総支配人は「一昨年から北塩原村ならではの付加価値の高いオリジナルスイーツを開発すべく熟慮を重ねてきた中、当村の絶景スポットである桜峠に着目した次第です。春のお花見シーズン以外でも桜峠を感じてほしいとの思いから商品開発に至りました」と説明する。  製造については、喜多方市の橋谷田商店に依頼し、通年販売するため冷凍での提供を決めた。プリンの冷凍は技術的に難易度が高く、解凍した際に離水などで食感が著しく低下してしまうことがあるが、試行錯誤を繰り返し、満を持して本格販売できるようになった。  「解凍後もプリン独特のプルプル感を味わえる商品を開発しました。解凍は常温で3~4時間、冷蔵庫で6時間が目安。独特な食感が楽しめる半解凍もおすすめです。オオヤマザクラジュレとカスタードプリンが口の中で織りなすハーモニーを楽しんでほしいです」(榎本総支配人)  道の駅裏磐梯のみでの限定販売。価格は1個380円(税込み)。水曜日定休。  詳しい問い合わせは、道の駅裏磐梯☎0241(33)2241まで。

  • 【福島県ユーチューバー】車中泊×グルメで登録者数10万人【戦力外110kgおじさん

    【戦力外110kgおじさん】福島県内在住おじさんユーチューバーの素顔  テレビ離れが進む昨今、ユーチューブの全世代の利用率は9割だ。本誌の読者層であるシニア世代も、パソコンやスマートフォンで毎日のようにユーチューブを見ている人は多いはず。数あるチャンネルの中には、県内で活動するユーチューバーも多数存在する。その中に、異色のジャンル「車中泊&グルメ」系で人気を誇る「戦力外110kgおじさん(43歳)」がいる。なぜ視聴者はこのチャンネルにハマるのか、本人へのインタビューをもとに、その謎に迫ってみたい。  週末夜のキャンプ場。辺り一面、真っ暗の中、ポツンと明かりが灯る1台のプリウス。その車の後部座席で、一人焼肉をしながらチューハイ「ストロングゼロ」をキメる――。そんな様子をユーチューブに配信している男性がいる。男性の名は「戦力外110kgおじさん」(以下、戦力外さんと表記)。戦力外さんのユーチューブのチャンネル登録者数は10・5万人。1つの動画が配信されれば20万回再生するのは当たり前で、中にはミリオン(100万回再生)に届きそうな動画も複数ある。 / https://www.youtube.com/watch?v=_SxScudMxQ8&t=23s  「110kg」という名の通りの巨漢が、決して広いとは言えないセダンタイプのプリウスの後部座席で、好きなものをたらふく食べ、大酒を飲む。そんな動画がなぜ多くの人に見られ、そして見続けられるのか。  戦力外さんの動画はチャンネルを開設してすぐに〝バズった〟(人気が出た)わけではない。  戦力外さんがユーチューブに動画を配信し始めたのは2020年2月。当初は釣りの動画を配信していたが、再生回数は数十回程度で、チャンネル登録者数も伸びなかった。  浮上のきっかけとなったのは「顔出し」だった。   戦力外さんは「正直なところ、40代である自分らの世代ってネットで顔出しするなんて気が狂っているというか、抵抗があったんですよね」と話す。今の40代は、匿名性の高い「2ちゃんねる」などを見てきた世代であり、「インターネットでは絶対に顔を出すな」と言われてきた世代でもある。それでも、戦力外さんは再生回数を伸ばしたい一心で顔出しを決意した。  「顔出ししたら登録者が100人を超えたんですよ。ユーチューブには『チャンネル登録者数100人の壁』というのがあります。そこを自力で超えられると、収益化の条件である『チャンネル登録者数1000人・総再生時間4000時間』に近づくと言われています。大体の人はこの100人の壁を超えられず、やめてしまうみたいですね」  チャンネル登録者数100人に達するまで7カ月を要した戦力外さんだったが、そこから1000人になるまでは、わずか3カ月だった。  顔出しと前後して、現在の動画の原点となる「プリウスの快適車中泊キットを110kgおじさんがDIY」という動画を配信したことも追い風となった。  プリウスの後部座席で使う食卓テーブル兼ベッドを作る動画だ。プリウスは後部座席を倒してフラットにしても、普段座るときの足置きのスペースがぽっかり空いてしまう。寝袋を敷いて寝ていると、どうしても足の部分がはみ出てしまい快適に眠れない。それを解決するために作られたのがこの台だった(写真)。このときの動画が初めて再生回数1000回を超え、戦力外さんにとって初バズり動画となった。戦力外さんは「釣りではなく、車中泊に需要があるのか!」と気付き、動画の内容を車中泊系へと変更していく。 車内に設置された食卓テーブル兼ベッド  2度目のバズり動画は「車上生活者の休日シリーズ」。その後、このシリーズが戦力外さんの主力コンテンツとなっていく。 戦力外さんは「このシリーズの第1弾で、いきなり1万回再生いったんです」と言う。  「再生回数が伸びた理由は、当時チャンネル登録者数20万人のユーチューバーさんが動画にコメントをくれたからなんです」  コメントの内容は「あなたみたいな人が、もしかしたらユーチューブで成功するのかもしれませんね。収益化するまで是非続けてください。わたしも応援します」だった。  ユーチューブに限らずSNSではよく起こる現象だ。多くのフォロワーやファンを持つ配信者(発信者)が、無名ユーチューバーの動画を一言「面白い」と紹介しただけで、瞬く間にその動画が拡散されていく。これをきっかけに戦力外さんは、収益化の条件であるチャンネル登録者数1000人・総再生時間4000時間を達成した。 動画を通じて疑似体験  動画の冒頭は、戦力外さんが車中泊をする場所に向かう道中の運転席を映している。無言で運転する戦力外さんが映し出され、テロップでその日にあった出来事などが紹介される。動画の説明欄に「この動画は半分くらいフィクションです」とある通り、テロップの内容は現実世界で起きたことに、戦力外さんが少し〝アレンジ〟を加えたものとなっている。  名前にあるもう一つのテーマ「戦力外」。これは、戦力外さんが日々の生活において「社会に出ると全然自分が役に立たない」、「俺って会社や社会では戦力外だな」と、打ちひしがれた経験が基になっている。   視聴者のコメント欄を見ると「おっちゃん見てると他人事には思えないんだよな。職場のストレスはよく分かる! この動画を見てると頑張んなきゃって不思議と思える。おっちゃん頑張って!」などと書き込まれている。  「動画の前半部分によく出てくる職場での失敗エピソードは、視聴者が自分よりきつい環境にいる人を見て、自分はまだまだマシだなって安心したい思いがあると思います。社会の戦力外おじさんが、もがきながら、ささやかな楽しみを見つけて楽しんでいる姿を見てシンパシーを感じるのでしょうね」 取材に応じる戦力外さん  メーンである動画の後半部分は、戦力外さんが車中で一人、ひたすら飲み食いするシーンだ。これがまた「食べ物がとても美味しそうで、美味しそうに食べる」動画なのだ。  視聴者のコメント欄には「見てると幸せな気持ちになれる動画を、ありがとうございます!」、「毎回、元気いただいてます」などと寄せられている。  「自分の好きなユーチューバーを見ることによって、自分もキャンプした気持ちになる。健康上の理由で食べたいけど食べられない人にとっては、私の動画を見て食べた気になる。そうやって疑似体験したいのかもしれませんね」 動画の編集時間は5時間  戦力外さんは1979(昭和54)年生まれの43歳。出身は山形県だが、幼少期から30代半ばまで猪苗代町で過ごす。学生時代は漠然と「物書きになりたい」という夢を持っていた。専門学生時代にはサブカルチャー雑誌『BURST(バースト)』にハマり、石丸元章、見沢知廉、花村萬月など、破天荒だが自由を感じるライフスタイルに憧れた。何か行動に移すということはなかったが、創作活動をしたいという思いは学生時代から抱いていた。  高校卒業後、家業である川魚の養殖業に就き、6年半前に実家を出て中通りに引っ越すタイミングで、インフラ系の会社に転職した。20代に真剣に打ち込んだのはフルコンタクト空手という格闘技だった。しかし膝のじん帯を断裂し、選手生命を断たれてしまう。  人生の大きな目標を失い「もう一つ生きがいを見つけたい」と思い立った戦力外さんが表現活動の第一歩として始めたのが、LIVEコミュニケーションアプリ「Pococha(ポコチャ)」だった。しかし、ポコチャはリスナーと直接会話するスタイルで、高度なコミュニケーション能力が要求されるため数カ月で挫折してしまう。  戦力外さんは「誰かと直接コミュニケーションせず、自分のタイミングで動画を撮り、じっくり編集できる方がいいんじゃないか」と考え、ユーチューブを始めた。  平日は会社で働き、休日になると動画撮影のため出掛ける。撮り終わったら自宅に戻って編集する。1つの動画の編集作業は平均5時間を要するが、「スマホを使ってベッドに寝ころびながらリラックスして作業しているので、そんなに大変ではないですよ」。  台本は作らず、頭の中で動画の構成を練っている。仕事は車の移動時間が長いため、その時間を有効活用し、面白いワードが出てくるのをひたすら待つのだという。 「美しいマンネリ目指す」  戦力外さんのチャンネルの視聴層は35~60歳までが多く、男女比では男性が9割を占める。  「理想は水戸黄門とか孤独のグルメなんです。視聴率トップは取れないけど、ずっと見てくれる人がいる。美しいマンネリっていうんですかね、そんな動画でありたいですね」  戦力外さんの動画が限られた層にしか見られていないと分かるエピソードがある。戦力外さんは自身のユーチューブチャンネルを母親に薦めたそうだが、母親が熱心に見るのは猫やフォークダンスの動画で、いくら薦めても自身の息子が配信している動画を全く見なかったという。戦力外さんは「興味がなければ肉親の動画でも見ないんですよ」と笑う。 プリウスと戦力外さん  ユーチューブはユーザー一人ひとりの趣味趣向に合った動画がトップ画面に表示されるような仕組みになっており、普段見ないジャンルの動画はそもそも表示もされない。これはユーチューブに限ったことではなく、買収騒動で話題のツイッターなどのSNS、ゾゾタウンなどの通販サイトも同様だ。  ただ、世の中の〝おじさん〟しか見ないニッチな動画を配信しているはずが、最近は少しずつファン層が拡大している様子。北海道に撮影に行った際、チャンネル登録しているファンの女性と奇跡的に出会い、お付き合いするまでに至ったという。  声をかけられる機会も増え、特にキャンピングカーで旅をしているシニア世代の夫婦からが多いようだ。 専業ユーチューバーへ  戦力外さんは6年半勤めた会社を辞め、12月から専業ユーチューバーとして活動を始めた。  「収入は不安定ですし、専業としてやっていくのに不安はありましたが、これからは創作活動一本で食っていくんだと決めました」  ユーチューブでの収入は「サラリーマンの月収の2倍くらい」だという。再生回数の変動などにより月の収入が100万円の時もあれば10万円の時もあるような世界だが、ユーチューブで最も広告収入を得やすいのは3月と12月なので、そのタイミングで退職を決意した。  ユーチューブは再生数によって広告収入が決まる。その単価についてはユーチューブの規約で公言しないよう定められている。戦力外さんも明かそうとしなかった。  しかし、さまざまなユーチューバーの書籍の情報によると、現在、ユーチューブの広告収入単価は1再生あたり0・05~0・7円と言われている。トップクラスの人気ユーチューバーは、1つの動画につき、サラリーマンの平均年収の3~4倍の広告収入が入る計算となる。  とは言っても、そこまで稼げるのはほんの一握りで、急に動画が見られなくなることだってあるのだ。  ただ、戦力外さんは「ユーチューブはプライベートすべてがネタになる」と前向きに捉える。  「仮にユーチューブで稼げなくなり、アルバイトをすることになっても、それを動画にすればいい。いいことも悪いこともネタにできるのがユーチューブなんです」  専業ユーチューバーになれば撮影回数を増やせるし、動画を配信する本数も増える。海外向けのチャンネル開設も目論んでいる。  「私のチャンネルは日本語のテロップを入れているので日本人しか見ません。次は世界に向けて、言葉なしでも伝わるような動画も作っていければと思っています」  戦力外さんは、テロップ無しに加え、ユーモアもプラスアルファしていきたいと考えている。  「チャップリンやミスタービーンみたいなコミカルな動きを入れていけば面白いかなと思っています」  一度見たら見続けてしまう中毒性。これがユーチューブの性質であり、作り手はそこを目指して動画を作成する。  「好きなことで、生きていく」  これはユーチューブのキャッチフレーズだが、専業ユーチューバーとして生き残っていくためには、そうも言っていられない。戦力外さんは「自分が好きなものも大事ですが、それ以上に、視聴者が求めているものを常に考え、再生回数が落ちないように維持していかなければなりません」と漏らす。  「死ぬ時、『なんであの時に専業ユーチューバーにならなかったんだ』と思いたくないんです。やった後悔よりもやらない後悔の方が悔いが残るって言うじゃないですか」  そう笑って話す戦力外さん。この先、どのようなチャンネルや動画を作り、ファンを拡大していくのか。〝おじさんユーチューバー〟の挑戦は始まったばかりだ。

  • 福島市いじめ問題で市側が被害者に謝罪

    福島市内の男子中学生が市立小学校に通っていたときにいじめを受け、不登校になった問題について、本誌2022年4月号「【福島市いじめ問題】6つの深刻な失態」という記事で、詳細にリポートした。  記事掲載後、男子中学生と保護者は市や市教育委員会の対応を巡り、担任の教員や教育委員会などに謝罪を要求。県弁護士会示談あっせんセンターに示談のあっせんを申し立て、2022年10月末、市長と教育長が謝罪することで和解に至った。  福島市は2022年11月22日の記者会見で、木幡浩市長と佐藤秀美教育長が非公式の場で直接謝罪しことを明らかにした。和解の条件として、市が児童らに180万円の解決金を支払い、いじめ問題の関係者を今後処分する。  同日、被害者側も記者会見を開き、男子中学生は「心の傷は治らない」と語った。保護者は「こちらが求める謝罪ではなかった」としつつ、「今後は組織一体となっていじめ問題に対応してほしい」と訴えた。

  • 福島市西部で進むメガソーラー計画の余波

     「自宅の周辺を作業員が出入りして地質調査をしていると思ったら、目の前の農地に開閉所(家庭でのブレーカーの役割を担う施設)ができると分かった。一切話を聞いていなかったので驚きました」(福島西工業団地の近くに住む男性)  同市西部の福島西工業団地(同市桜本)の近くの土地を、太陽光発電事業者がこぞって取得している。東北電力の鉄塔に近く、変電所・開閉所などを設置するのに好都合な場所だからだ。  2022年2月、鉄塔がある地区の町内会長の家をAC7合同会社(東京都)という会社の担当者が訪ねた。外資系のAmp㈱(同)という会社が特別目的会社として設立した法人で、福島市西部の先達山(635・9㍍)で大規模太陽光発電施設を計画している。そのための変電所を、市から取得した土地に整備すべく、町内会長の了解を得ようと訪れたのだ。  町内会長は冒頭の男性と情報を共有するとともに、同社担当者に対し「寝耳に水の話で、とても了承できない」と答えた。  同計画の候補地は高湯温泉に向かう県道の北側で、すぐ西側に別荘地の高湯平がある。地元住民らは「ハザードマップの『土砂災害特別警戒地域』に隣接しており、大規模な森林伐採は危険を伴う。自然環境への影響も大きい」として、県や市に要望書を提出するなど、反対運動を展開している。  そうした事情もあってか、変電所計画にはその後動きがないようだが、2022年3月には、別の太陽光発電事業者が近くの民有地を取得し、開閉所の設置を予定していることが明らかになった。  発電事業者は合同会社開発72号(東京都)で、福島市桜本地区であづま小富士第2太陽光発電事業を進めている。開閉所を含む発電設備の建設、運転期間中の保守・維持管理はシャープエネルギーソリューション(=シャープの関連会社、大阪府八尾市)が請け負う。  発電所の敷地面積は約70㌶で、営農型太陽光発電を行う。営農事業者は営農法人マルナカファーム(=丸中建設の関連会社、二本松市)。2022年7月に着工し、2024年3月に完工予定となっている。  開閉所は20㍍×15㍍の敷地に設置される。変圧器や昇圧期は併設しないため、恒常的に音が出続けるようなことはないという。発電所から開閉所までは特別高圧送電線のケーブルを地下埋設してつなぐ。 開閉所の整備予定地  5月7日には地元住民への説明会が開かれた。大きな反対の声は出なかったようだが、冒頭・予定地の目の前に住む男性は「電磁波は出ないというが、子どもへの影響など心配になる。工事期間中、外部の人が出入りすることを考えると防犯面も気になります」と語った。  前出・町内会長は、一方的な進め方に違和感を抱き、市の複数の部署を訪ねたが、親身になって相談に乗ってくれるところはなかった。  特別高圧送電線のケーブルが歩道の地下に埋設される予定であることを知り、市に「小学生の通学路にもなっているので見直してほしい」と訴えたところ、車道側に移す方針を示した。だが、根本的に中止を求めるのは難しそうな気配だ。  「鉄塔周辺の地権者が応じれば、ほかにも関連施設ができるのではないかと危惧しています」(町内会長)  福島市西部地区で進むメガソーラー計画で、離れた地区の住民が思わぬ形で余波を受けた格好だ。2つのメガソーラー計画についてはあらためて詳細をリポートしたい。

  • 福島市「デコボコ除雪」今シーズンは大丈夫?

    業者を悩ます「費用対効果」 2021年末から断続的に降った大雪で、福島市中心部は除雪が十分に行われない「デコボコ除雪」が問題となった。降雪、気温の低下が続いたことも相まって起きた災害だ。これを教訓に、市は除雪体制強化のため1億2727万円の予算を計上。道路の除雪を担う建設業界は「今季も同じくらい雪が降ると考えなければ」と神経をとがらせている。  気象庁によると、今冬の予報は、気温は東日本で平年並みか低い見込み、福島県を含む北日本でほぼ平年並みの見込み。降雪量は東日本の日本海側で平年並みか多い見込み、北日本の日本海側でほぼ平年並みの見込みとなっている。太平洋側は毎年予報をしていない。あくまで予報である点は念頭に置かなければならないが、少なくとも暖冬ではないということだ。  さらには、世界的な異常気象の原因となり、日本の冬に低温傾向をもたらす「ラニーニャ現象」が12月以降も続く可能性があるという。西高東低の冬型の気圧配置が強まり、寒気が流れ込みやすくなる。  2021年末から2022年初めにかけての大雪は、断続的に降り、低温が続いたため根雪ができた。雪を路肩によけても解けないため、壁のように固まり道路幅を狭め、交通が麻痺した。  2014年以来の大雪に、ツイッターでは《福島市の除雪はやっぱりヘタクソ。国道4号と13号以外はヒドイもんだ。飯坂街道などの主要道路もしっかり除雪すべき。木幡市長、除雪にもっと力を入れてくれ》など、除雪の遅さに苛立つ声が相次いで投稿された。市には2022年2月時点で2340件の苦情が寄せられたという。 なかなか雪が解けない本誌編集部前の道路  「デコボコ除雪」を教訓に、市は1億2727万円の「除雪力強化パッケージ」予算を打ち出した(表)。木幡浩市長は議会で「今回の大雪対応を検証した結果、準備態勢や除雪体制、情報発信などに課題があることを確認しました。それに基づき、2022年度当初予算で除雪力強化パッケージを盛り込み、この冬に向けて除雪力強化に取り組んでいます」と答弁している。  何を揃えたのか見てみよう。中央部に雪掻きが付いた「グレーダー」はこれまで1台のみだったが、新たに1台増やした。グレーダーは雪を寄せるほか、削る機能がある。前面に付いた板で雪を押し分ける「ドーザー」6台と併せ市の維持補修センターが保有する専用車両は現在8台となっている。  雪が積もる前の準備については、凍結防止剤散布車を3台から5台に増やした。また凍結防止剤を自動散布する装置を、スリップ事故が多い伏拝周辺の旧国道4号沿いに6か所設置している。  「生活道路や通学路は地域で」の方針も見える。町内会やボランティア団体を対象に、小型除雪機械購入補助として2021年度と同様に120万円を計上した。11月末現在で5件の申請があり、予算の上限を超えたことから、同じ除雪関連費用を流用しているという。その他には除雪技術向上に関する研修会の参加費として1人当たり1万円を助成する。  市で増やした機器は凍結防止剤散布車やグレーダーに限られ、歩道は地域住民が小型除雪車などを使って除雪することになる。ただ、2021年のような異例の大雪への対応は依然不安が残る。交通麻痺が起きた要因は、車道脇の固まった雪が解けずにいつまでも残っていたからだ。「ロータリー」(写真)で道路そのものから雪をどかさなければならなかった。 道路脇に溜まった雪を除去する除雪車両「ロータリー」  道路の除雪を担う委託業者はどのように備えているのか。市内でも積雪が多い飯坂町を拠点とする信陵建設の斎藤孝裕社長(66)は  「それなりに人員と予算を確保すれば対応できます。問題は、福島市は会津地方ほどの豪雪地帯ではないということ。せっかく用意しても出動する機会がなければ無駄になってしまう」  同社は除雪車を2台持つが、これまではそれで回ってきた。県道では5~10㌢、市道では10㌢の積雪が見込まれると出動するルールになっているが、斎藤社長によると、基準に達しなくても地元業者が自己判断で前もって出動するのが実情という。同社は本社周辺の国道399号の一部、県道福島飯坂線、フルーツラインの一部など5路線計約20㌔を担当している。  「前回は真夜中から出動しても降り続け、掻いても掻いてもきりがありませんでした。除雪車をリースしたり、臨時で人を雇うにしてもだいぶ前から手配しないと間に合いません。交通量や人通りの多い道路から除雪する優先順位もあり、家の前の除雪が後回しになった住民からは『何で来ないんだ』と言われました。ただ、すべての業者ができる限りの対応をしていることは理解してほしい」(斎藤社長)  同社では新たに8㌧除雪車の購入を考えたが、相場は1000万円ほど。前回ほどの大雪が毎年降るのかどうか判断が付かず、出動しなくても維持費や車検代がかかることを考えると、なかなか手が出せないという。半導体不足で中古車の相場も新車とほとんど変わらない。どこまで行っても、「豪雪地帯でない福島市でどこまで用意する必要があるか」が問題のようだ。 建設業の人手不足、人口減が重しに  除雪にかかわらず建設業界は人手不足が付きまとう。同社では、除雪車のオペレーターを2人募集しているが集まらない。給与を上げて再募集をかけているが、それでも厳しいという。  地元の道路の雪掻きは近くの住民が協力するのが原則だが、地方経済の沈下で自営業は衰退。居住地近くで働き、除雪作業に参加できる人も少ないだろう。地域の力でやるといっても、町内会を構成するのは高齢者ばかりで、体力の衰えた高齢者が主体となればなるほど除雪作業も事故が増えていく可能性がある。どこを削り、その分、どこを費やすか。雪害対策も人口減少でままならない状況が垣間見える。

  • 会津地方の農家を襲う「8050問題」

    「息子のために農地を売る」老親の覚悟  80代の老親と50代のひきこもりの子が孤立や困窮に直面する「8050問題」が進行している。会津地方のある農家は、自分の死後も病気を抱える一人息子の生活を支えようと、なけなしの田を売ることを考えたが法律の壁に阻まれた。一方で米価は下落し収入も減り、老親自身も今の暮らしで手一杯。農家の8050問題を追った。  「私は息子のために農地を売りたいが、売るのを阻まれています」  会津地方に住む農家の80代男性はため息をつく。妻と40代後半の一人息子と3人暮らし。息子は高校中退後、働きに出ず、ずっと家で過ごしている。  80代の老親と50代のひきこもりの子に関わる社会問題「8050問題」が顕在化している。進学や就職に失敗したことなどをきっかけに、家にこもって外部との接触を断つひきこもりが長期化。さらに、高齢となった親の収入が途絶えたり、病気や要介護状態になったりして経済的に一家が孤立・困窮することで起こる。孤立死や「老老介護」の原因ともなりうる。  人口の多い団塊の世代が80代を迎え、その子らの第二次ベビーブーム世代が50代を迎える時、社会に与える影響は大きいと見込まれる。ただ、40~50代はバブル崩壊後の就職氷河期で「割を食った」世代。採用を抑制され、新卒時に就職先に恵まれなかったこともあり、一概に失敗を「個人の努力不足」に帰することはできない。  冒頭で嘆いた男性の息子は、10代で精神疾患を発症した。その影響からか、人とうまくなじめず不登校になったという。家族が疾患と分かったのは高校中退後だった。  「もっと早く気づいてあげたかった」(男性)  息子は現在、医療機関に通い、週2回、支援者が訪問サービスに訪れている。  「息子は調子が良い時は農業を手伝ってくれます。薬が合っているのか、最近は以前よりも体調が良いようです。車は運転できないが、自転車を使って1人で買い物に行っています。私がいなくなってもお金さえあればなんとかなると思う」(同)  規則正しく食事も取るようになった。少しずつ復調し、農業の手伝いなど自分のできることから始めようとする息子を見て、最後まで支えなければという気持ちが強くなった。  「息子は障害年金を受け取っていますが、月数万円ではとてもじゃないが暮らしていけない。私もいつ死ぬか分からない。それまでに1000万円以上は用意してあげたい。やはり最後はお金です」(同)  男性は1000万円を国民年金基金に積み立てたいと考えている。そうすれば約10年後、自分が亡くなっても60歳になった息子には月約7万円が支給されるという。国民年金基金は自営業、無職、フリーランスが対象の1号被保険者が保険料を上乗せして払い、受給額を多くする制度だ。  だが、男性が元手にできるのは農地しかない。今は約16反(1万5800平方㍍)で米を作っているが、米価は下落し、苗代や肥料、農業機械の維持費、固定資産税などを考えると赤字で、助成金で埋め合わせているという。  「田んぼをやっているのは、手を入れなくなると雑草で荒れてしまうからです。周囲の田畑に迷惑がかかるし、何しろ笑われてしまう。息子が米を作ることはないだろうから、できれば売ってしまいたい」(同)  採算が合わないのに同調圧力で仕方なく米を作っているが、そのまま農地を残せば息子にとって負債となる。だから、処分して金に換えたいというわけ。  男性は宅地にしたり、太陽光発電施設の設置業者に売却しようと考えたが、農地を転用するには農業委員会の許可が必要になる。同委員会に申し出たが「他の人が(男性の農地を取得して)農地を広げる可能性がある」と認められなかったという。  「米が値下がりしている中、わざわざ新たに田んぼを買う奇特な人がいるとは思えない。作っても手間ばかりで、儲けはほとんどないんですから。農業委員会に『農地として買う予定の人がいるのか』と尋ねても答えてくれませんでした」(同)  自分の寿命はそれほど残されていない。元気に動けるのはあと10年もないだろう。農業委員会の許可は今後得るとして、まずは業者に売却する算段を付けようとした。  太陽光発電施設の設置業者をネットで調べ電話した。東京や名古屋から複数の業者がすぐに飛んできた。営業社員の男は調子が良かった。「米を作っていたということは日当たりが良いってことです。つまり太陽光発電にもうってつけなんですよ。会津は太陽光の宝庫です」と前のめりだったが、農業委員会の許可が下りそうもないことが分かると、見切りを付けて去っていった。 「太陽光の宝庫」と発電事業者から評される会津地方の田園  男性は現在も地元の農業委員会に通っているが、「それは県農業委員会に聞いてほしい」「東北農政局じゃないと分からない」などとたらい回しにされているそうだ。 「残された時間は少ない」  なぜ、ここまで農地売却に固執するのか。それは息子のために売れる資産がそれしかないからだ。  「国は国債を際限なく発行して借金があるでしょう? 頼りになりません。自分たちの身は自分で守らないと」(同)  他人を頼る気持ちにはなれない。周囲に不信感がある。10年ほど前に近隣で連続不審火があった。原因が分からなかったため、犯人探しが始まった。「無職で家にいるアイツ(息子)じゃないか」とウワサされたという。世間はいつも、息子をこう見ていたのかと知った。周囲がとても冷たく感じられたという。  「事情を知らない役所の人は、年寄りが息せき切って土地を売ろうとしている様子を陰で笑っているんでしょうね。でも、私には残された時間が少ない。『分からず屋』と言われても、息子のために動かなければならないんです」(同)  このまま農地を売却できないことも十分想定される。筆者は男性亡き後の息子の独り立ちを考え、市町村の相談窓口や成年後見制度を紹介したが、男性はしばらくすると、また農地を売却するための方法を熱心に探り出した。「どうしても売れなくて困っている」。農地売却には高い壁が立ちはだかるが、困難であればあるほど、男性の生きる「最後の目標」になっているようだ。

  • 【会津若松・喜多方・福島】市街地でクマ被害多発のワケ

    専門家・マタギが語る「命の守り方」  2022年は市街地でのクマ出没やクマによる人的被害が目立った1年だった。会津若松市では大型連休初日、観光地の鶴ヶ城に出没し、関係部署が対応に追われた。クマは冬眠の時期に入りつつあるが、いまのうちに対策を講じておかないと、来春、再び深刻な被害を招きかねない。  会津若松市郊外部の門田町御山地区。中心市街地から南に4㌔ほど離れた山すそに位置し、周辺には果樹園や民家が並ぶ。そんな同地区に住む89歳の女性が7月27日正午ごろ、自宅近くの竹やぶで、頭に傷を負い倒れているところを家族に発見された。心肺停止状態で救急搬送されたが、その後死亡が確認された。クマに襲われたとみられる。  「畑に出かけて昼になっても帰ってこなかったので、家族が探しに行ったら、家の裏の竹やぶの真ん中で仰向けに倒れていた。額の皮がむけ、左目もやられ、帽子に爪の跡が残っていた。首のところに穴が空いており、警察からは出血性ショックで亡くなったのではないかと言われました」(女性の遺族) 女性が亡くなっていた竹やぶ  現場近くでは、親子とみられるクマ2頭の目撃情報があったほか、果物の食害が確認されていた。そのため、「食べ物を求めて人里に降りて来たものの戻れなくなり、竹やぶに潜んでいたタイミングで鉢合わせしたのではないか」というのが周辺住民の見立てだ。  8月27日早朝には、同市慶山の愛宕神社の参道で、散歩していた55歳の男性が2頭のクマと鉢合わせ。男性は親と思われるクマに襲われ、あごを骨折したほか、左腕をかまれるなどの大けがをした。以前からクマが出るエリアで、神社の社務所ではクマ除けのラジオが鳴り続けていた。 愛宕神社の参道  大型連休初日の4月29日早朝には、会津若松市の観光地・鶴ヶ城公園にクマが出没し、5時間にわたり立ち入り禁止となった。市や県、会津若松署、猟友会などが対応して緊急捕獲した。5月14日早朝には、同市城西町と、同市本町の諏訪神社でもクマが目撃され、同日正午過ぎに麻酔銃を使って緊急捕獲された。  市農林課によると、例年に比べ市街地でのクマ目撃情報が増えている。人的被害が発生したり、猟友会が緊急出動するケースは過去5~10年に1度ある程度だったが、2022年は少なくとも5件発生しているという。  鶴ヶ城に出没したクマの足取りを市農林課が検証したところ、千石バイパス(県道64号会津若松裏磐梯線)沿いの小田橋付近で目撃されていた。橋の下を流れる湯川の川底を調べたところ、足跡が残っていた。クマは姿を隠しながら移動する習性があり、草が多い川沿いを好む。  このことから、市中心部の東側に位置する東山温泉方面の山から、川伝いに街なかに降りてきた線が濃厚だ。複数の住民によると、東山温泉の奥の山にはクマの好物であるジダケの群落があり、クマが生息するエリアとして知られている。  市農林課は河川管理者である県と相談し、動きを感知して撮影する「センサーカメラ」を設置した。さらに光が点滅する「青色発光ダイオード」装置を取り付け、クマを威嚇。県に依頼して湯川の草刈りや緩衝帯作りなども進めてもらった。その結果、市街地でのクマ目撃情報はなくなったという。  それでも市は引き続き警戒しており、10月21日には県との共催により「市街地出没訓練」を初めて実施。関係機関が連携し、対応の手順を確認した。  市では2023年以降もクマによる農作物被害を減らし、人的被害をゼロにするために対策を継続する。具体的には、①深刻な農作物被害が発生したり、市街地近くで多くの目撃情報があった際、「箱わな」を設置して捕獲、②人が住むエリアをきれいにすることでゾーニング(区分け)を図り、山から出づらくする「環境整備」、③個人・団体が農地や集落に「電気柵」を設置する際の補助――という3つの対策だ。  さらに2023年からは、郊外部ばかりでなく市街地に住む人にも危機意識を持ってもらうべく、クマへの対応法に関するリーフレットなどを配布して周知に努めていく。これらの対策は実を結ぶのか、2023年以降の出没状況を注視していきたい。 一度入った農地は忘れない  本州に生息しているクマはツキノワグマだ。平均的な大きさは体長110~150㌢、体重50~150㌔。県が2016年に公表した生態調査によると、県内には2970頭いると推定される。  クマは狩猟により捕獲する場合を除き、原則として捕獲が禁じられている。鳥獣保護管理法に基づき、農林水産業などに被害を与える野生鳥獣の個体数が「適正な水準」になるように保護管理が行われている。  県自然保護課によると、9月までの事故件数は7件、目撃件数は364件。2021年は事故件数3件、目撃件数303件。2020年が事故件数9件、目撃件数558件。「件数的には例年並みだが、市街地に出没したり、事故に至るケースが短期間に集中した」(同課担当者)。  福島市西部地区の在庭坂・桜本地区では8月中旬から下旬にかけて、6日間で3回クマによる人的被害が続発した。9月7日早朝には、在庭坂地区で民家の勝手口から台所にクマが入り込み、キャットフードを食べる姿も目撃されている。  会津若松市に隣接する喜多方市でも10月18日昼ごろ、喜多方警察署やヨークベニマル喜多方店近くの市道でクマが目撃された。  河北新報オンライン9月23日配信記事によると、東北地方の8月までの人身被害数40件は過去最多だ。  クマの生態に詳しい福島大学食農学類の望月翔太准教授は「2021年はクマにとってエサ資源となるブナやミズナラが豊富で子どもが多く生まれたため、出歩くことが多かったのではないか」としたうえで、「2022年は2021年以上にエサ資源が豊富。2023年の春先は気を付けなければなりません」と警鐘を鳴らす。  「クマは基本的に憶病な動物ですが、人が近づくと驚いて咄嗟に攻撃します。また、一度農作物の味を覚えるとそれに執着するので、1回でも農地に入られたら、その農地を覚えていると思った方がいい」  今後取るべき対策としては「まず林や河川の周りの草木を伐採し、ゾーニングが図られるように見通しのいい環境をつくるべきです。また、収穫されずに放置しているモモやカキ、クリの木を伐採し、クマのエサをなくすことも重要。電気柵も有効ですが、イノシシ用の平面的な配置では乗り越えられてしまうので、クマ用に立体的に配置する必要があります」と指摘する。 近距離で遭遇したら頭を守れ  金山町で「マタギ」として活動し、小さいころからクマと対峙してきた猪俣昭夫さんは「そもそもクマの生態が変わってきている」と語る。 クマと遭遇した時の対応を説明する猪俣さん  「里山に入り薪を取って生活していた時代はゾーニングが図られていたし、人間に危害を与えるクマは鉄砲で駆除されていました。だが、里山に入る人や猟師が少なくなると、山の奥にいたクマが、農作物や果物など手軽にエサが手に入る人家の近くに降りてくるようになった。代を重ねるうちに人や車に慣れているので、人間と会っても逃げないし、様子を見ずに襲う可能性が高いです」  山あいの地域では日常的にクマを見かけることが多いためか、「親子のクマにさえ会わなければ、危険な目に遭うことはない」と語る人もいたが、そういうクマばかりではなくなっていくかもしれない。  では、実際にクマに遭遇したときはどう対応すればいいのか。猪俣さんはこう説明した。  「5㍍ぐらい距離があるといきなり襲ってくることはないが、それより近いとクマもびっくりして立ち上がる。そのとき、大きな声を出すと追いかけられて襲われるので、思わず叫びたくなるのをグッと抑えなければなりません。クマが相手の強さを測るのは『目の高さ』。後ずさりしながら、クマより高いところに移動したり、近くの木を挟んで対峙し行動の選択肢を増やせるといい。少なくとも、私の場合そうやって襲われたことはありません」  一方、前出・望月准教授は次のように話す。  「頭に傷を負うと致命傷になる可能性が高い。近距離でばったり出会った場合はうずくまったり、うつ伏せになり、頭を守るべきです。そうすれば、仮に背中を爪で引っかかれてもリュックを引き裂かれるだけで済む可能性がある。研修会や小学校などで周知しており、広まってほしいと思っています」  県では、会津若松市のように対策を講じる市町村を補助する「野生鳥獣被害防止地域づくり事業」(予算5300万円)を展開している。ただ、高齢化や耕作放棄地などの問題もあり、環境整備や効果的な電気柵設置は容易にはいかないようだ。  来春以降の被害を最小限に防ぐためにも、問題点を共有し、地域住民を巻き込んで抜本的な対策を講じていくことが求められている。

  • 「第8波」に入った新型コロナ

    相馬市の陽性者分析で見えた対策  相馬市は今夏の新型コロナ「第7波」の感染者(陽性者)の詳細な分析を行った。その内容を紹介・検証しつつ、すでに到来しつつある「第8波」に向けて、どのような対策が有効かを考えていきたい。  11月23日時点での国内のコロナ感染者累計数は2409万4925人、死者数は4万8797人。およそ5人に1人がこれまでに罹患している計算になる。1日の感染者数で見ると、今夏の「第7波」と言われる感染拡大の中で、7月下旬から8月下旬にかけて連日20万人を超える新規感染者が確認された。その前後でも、1日に10万人から15万人の感染者が出ている。  県内で見ると、11月23日時点でのコロナ感染者累計数は24万9359人、死者数は335人。およそ7人に1人が感染している計算で、国内平均よりは低い。1日の感染者数が最も多かったのは、2022年8月19日で3584人。その前後で、2000人越え、3000人越えの日が相次いだ。7月下旬から9月上旬までが「第7波」に位置付けられる。  その後は、少し落ち着き500人から1000人弱の日が続いたが、11月中旬ごろからまた増え始めている。11月22日は3341人、23日は3191人と、過去最高に迫っている。すでに「第8波」が到来していると言えそうだ。  政府(新型コロナウイルス感染症対策本部)は、11月18日までに「今秋以降の感染拡大で保健医療への負荷が高まった場合の対応について」をまとめた。いわゆる「第8波対策」である。  基本方針は「今秋以降の感染拡大が、今夏のオミクロン株と同程度の感染力・病原性の変異株によるものであれば、新たな行動制限は行わず、社会経済活動を維持しながら、高齢者等を守ることに重点を置いて感染拡大防止措置を講じるとともに、同時流行も想定した外来等の保健医療体制を準備する」というもの。  住民は、これまでと同様、3密回避、手指衛生、速やかなオミクロン株対応ワクチン接種、感染者と接触があった場合の早期検査、混雑した場所や感染リスクの高い場所への外出などを控える、飲食店での大声や長時間滞在の回避、会話する際のマスク着用、普段と異なる症状がある場合は外出、出勤、登校・登園等を控える――等々の基本的な対策が求められる。  「第8波対策」で、これまでと大きく変わったところは、「外来医療を含めた保健医療への負荷が相当程度増大し、社会経済活動にも支障が生じている段階(レベル3 医療負荷増大期)にあると認められる場合に、地域の実情に応じて、都道府県が『医療ひっ迫防止対策強化宣言』を行い、住民及び事業者等に対して、医療体制の機能維持・確保、感染拡大防止措置、業務継続体制の確保等に係る協力要請・呼びかけを実施する」「国は、当該都道府県を『医療ひっ迫防止対策強化地域』と位置付け、既存の支援に加え、必要に応じて支援を行う」とされていること。  つまり、都道府県の判断で「医療ひっ迫防止対策強化宣言」を行い、営業自粛、移動自粛などの要請ができるということだ。  こうして「第8波」に向けた対策や基本方針が定められる中、相馬市が「第7波」の感染者について詳細な分析を行ったものが今後の参考になりそうなので紹介・検証したい。  ちなみに、同市の立谷秀清市長は、医師免許を持っており、地元医師会との意思疎通が図りやすいほか、全国の医師系市長で組織する「全国医系市長会長」を務め、他市の医療体制・感染状況などの情報交換がしやすいこと、全国市長会長を務め、比較的頻繁に国と意見交換ができる環境にある、といった強みがある。 ワクチンの効果  別表は、同市で「第7波」で陽性判定を受けた人の「陽性者数と陽性率」、「年代別、ワクチン接種回数別の陽性者と陽性率」、「陽性者の症状」をまとめたもの。  まず、陽性者数と陽性率だが、ワクチン適正回数接種者は対象2万8355人のうち、陽性者1260人で、陽性率は4・4%、適正回数未接種者は対象5157人のうち、陽性者916人で、陽性率は17・8%となっている。なお、ワクチンの適正接種回数は60歳以上が4回、12歳から59歳が3回以上、5歳から11歳が2回。  こうして見ると、ワクチンを適正回数接種した人は、していない人に比べて、陽性率が4分の1程度になっていることが分かる。  立谷市長は「ブレイクスルー(ワクチンを適正回数接種しても感染するケース)はあるものの、ワクチンの効果はあることが証明された」と説明した。  年代別で見ると、若年層の適正回数未接種者の陽性率が高い傾向にあることが分かる。若年層は、注意をしていても、人が集まる場に行く機会が多い、移動機会が多い、といった理由から、感染リスクが高くなると言われているが、それが裏付けられたような結果だ。対象的に、高齢者は適正回数接種者の陽性率は1・86%、それ以外でも10%以下と低くなっている。高齢者や基礎疾患がある人は重症化のリスクが高まるとされていることなどから、十分注意していることがうかがえる。  一方、陽性者の症状を見ると、94・8%が軽症となっており、無症状を含めると、99%以上が無症状・軽症になる。残りの0・8%は中等症Ⅰ、Ⅱで重症はゼロ。なお、厚生労働省が作成した「新型コロナウイルス感染症 診療の手引き」によると、中等症Ⅰは「呼吸困難、肺炎所見」、中等症Ⅱは「酸素投与が必要」とされている。  立谷市長は以前の本誌取材に「ウイルス側も寄生するところがなくなったら生存できないわけだから、オミクロン株などに形を変えて『広く浅く』といった作戦に切り替えてきた。それをわれわれ人間がどう迎え撃つか。その戦いだ」と語っていたが、まさにそういった状況になっていることが分かる。 立谷市長  「今後、『第8波』が来る。年末年始で人の動きが活発になるということもあるが、基本的にこうしたウイルスは厳冬期は活性化しますからね」(立谷市長)  もっとも、対策としては「これまで継続してやってもらっている基本対策(消毒、マスク着用、密回避など)と、早期のワクチン接種しかない。『第8波』が来る前に、11月上旬からワクチン接種を実施している」(立谷市長)とのことで、そこに尽きるようだ。 ◎新型コロナ体験談 郡山市に住む50代男性。妻、子ども3人、義父母と暮らしています。 最初に感染したのは高1の娘。11月初めの夕方、高校に迎えに行くと喉がイガイガすると言う。まさかコロナじゃないだろうなと思いながら念のため車の窓を開けたが、娘も私もマスクを外していた。すると翌日、娘は咳をし出して発熱。病院でPCR検査を受け、陽性と判定された。 その2日後、私の体調に異変が表れた。喉がイガイガし、翌朝さらに酷くなった。次第に乾いた咳をするようになり、熱は38度台半ばに達した。抗原検査キットで陽性を確認。頭痛、寒気、関節の鈍い痛み等にも襲われ、寝るのもしんどい。解熱剤を服用してようやく眠れたが、その後、微熱と平熱を3、4日繰り返した。頭痛や寒気は翌日収まったが、喉のイガイガと咳は6日ほど続いた。寝過ぎた際に頭がボヤーっとする感じもしばらく残った。 私が発症した2日後には小学4年の次男も同じ症状に見舞われたが、幸い他の家族には広がらず、3人の感染で食い止めることができた。 私はワクチンを3回接種し、4回目の予約を検討しているところだった。インフルエンザに罹った時よりは辛くなかったが、できればもう感染したくないですね。

  • 【FSGカレッジリーグ】仮想空間で授業を実施

     専門学校グループ「学校法人国際総合学園 FSGカレッジリーグ」(郡山市)は1984(昭和59)年の開校以来、38年間積み上げてきた指導ノウハウと、2万0900人以上の卒業生ネットワークによる学生支援体制を備え、若者の学び場の充実を図り続けてきた。同グループは5校57学科で構成されており、東北最大級の規模を誇る。  グループ校の一つ、国際アート&デザイン大学校では9月、米国発メタバース「Virbela(バーベラ)」の日本向けプラットフォーム「GIGA TOWN(ギガタウン)」を活用した実証授業を実施した。専門学校としては初の試み。  メタバースとはインターネットの中に構築された仮想空間のこと。自分自身の分身(アバター)を操作して他者と交流できる。ゲームなどで使われてきたが、近年はビジネスシーンでの利用も進んでおり、今後の成長が見込まれている。  同校は「ギガタウン」の日本公式販売代理店・㈱ガイアリンク(長野県)と連携。学生らはアバターを使って「ギガタウン」での授業に参加し、事例研究、ゲーム、ディスカッション、グループ発表などを行った。  参加した学生からは「実際にその場で授業を受けているような臨場感があり、楽しかった。テーブルごとに個別通話できたり、画面を複数に分けて資料を提示できるなど、さまざまな機能があり、使いやすかったです」との声が聞かれた。  実証授業は学生の夢や目標達成のためのスキル、コミュニケーション力を育む目的で行われたもの。同校では5月にも、ICT関連やデジタルコンテンツ分野の教育機関を運営するデジタルハリウッド㈱(東京都)と連携し、アバター生成・操作のアプリケーションを使用した実証授業を行っている。  同グループでは教育のICT化を進める「Ed―Tech推進室」が中心となって、ICT技術・デジタル化を活用した効果的な授業の在り方を検討しており、同校の授業に積極的に取り入れている。  例えば、同校コミックマスター科では県内で初めて、アニメーション制作ソフト「Live2D」を授業に導入した。同ソフトは低コストで原画の画風を保ったアニメーションが制作できることから、家庭用ゲームやスマートフォンアプリに多く使用されている。同校は「Live2D」モデル作成ソフトライセンス無償貸与の教育支援プログラム認定校に県内で唯一指定されているため、授業での使用が可能となった。  一方でアナログテクニックを身に付ける実習も充実させており、どんな現場にも対応できる即戦力のスペシャリストの養成に努める。  ICT関連の資格取得も全力で支援しており、「PhotoShop(フォトショップ)クリエイター能力認定試験」の合格率は100%を誇る。さらにCGクリエイター検定の文部科学大臣賞を全国で唯一3年連続受賞している。  同グループが目標として掲げているのは「ONLY1、No・1」の教育実績。今後もコロナ禍以降本格的に導入したICT教育を発展させる形で、メタバースを活用した授業を推進し、学生一人ひとりのニーズに沿った教育を行うことで、夢の実現をサポートしていく考えだ。

  • 京都・仁和寺で「カラー絵巻」一般公開

    デジタル技術で蘇る戊辰戦争の風景 双葉町出身学芸員が解説  京都を代表する古刹・仁和寺で、明治時代に作られた「戊辰戦争絵巻」のデジタル彩色版が12月8日まで一般公開されている。福島県と何かと関係が深い戊辰戦争だが、その絵巻がなぜいま京都の寺院でカラー化されて公開されたのか。双葉町出身の学芸員に、その背景や一般公開の見どころを解説してもらった。  仁和寺は888(仁和4)年、宇多天皇が先帝の光孝天皇の遺志を継いで創建した寺院で、真言宗御室派の総本山。1994(平成6)年にユネスコの世界遺産に登録された。境内に咲く遅咲きの「御室桜」が有名で、和歌などにも詠まれている。 仁和寺金堂  皇族や公家が出家して住職を務める門跡寺院で、歴代天皇の厚い帰依を受けたことから、優れた絵画・書籍・彫刻・工芸品が数多く所蔵されている。創建当時の本尊である「阿弥陀三尊像(国宝)」をはじめ、国宝12件、重要文化財48件、古文書数万点を保存・管理している。  そんな同寺院の所蔵物の一つである「戊辰戦争絵巻」をデジタル彩色するプロジェクトが進められている。  戊辰戦争の幕開けとなった1868(明治元)年の「鳥羽伏見の戦い」を描いた絵巻で、全39場面。幅31㌢、長さは上下巻合わせて約40㍍。  「歴史資料に光彩を与えたことで、情報がより写実的になりました。例えば紅蓮の炎や血色染まる兵士の姿は、視覚的に凄惨さを増しましたが、その痛ましさに想像力を持って向き合うことで、絵巻に描かれていることは『物語』ではなく『歴史』であるという気づきをもたらすのではないか、と思います」  デジタル彩色の狙いについて、こう解説するのは双葉町出身の仁和寺学芸員・朝川美幸さんだ。  1971(昭和46)年生まれ。双葉高校、東洋大文学部卒。立命館大学大学院文学研究科博士前期課程を修了。年数回開催される仁和寺霊宝館名宝展の企画・展示を担当。共著に『もっと知りたい仁和寺の歴史』(東京書籍)がある。小さいころに真言密教に興味を抱き、仏教のことを学び続けている専門家だ(本誌2018年1月号参照)。  朝川さんによると、仁和寺と戊辰戦争のつながりは深い。仁和寺第30世の純仁法親王は1867(慶応3)年に還俗(出家した人が俗人に戻ること)し、仁和寺宮嘉彰(にんなじのみやよしあきら)親王と名を改めた。その後、征夷大将軍に任命され、鳥羽伏見の戦いで新政府軍を率いた。出陣の際には仁和寺に仕えていた坊官や寺侍が警備に回った。  明治の世になってから、時代の転換点となった戦争を記録し、その事実を絵巻として残すことになった。戦争体験者の東久世通禧伯爵と林友幸子爵が計画し、1889(明治22)年に完成。明治天皇に献上された。1891(明治24)年には保勲会がモノクロ、木版画の複製品を若干部制作し、仁和寺などに寄贈した。  ただ、制作数が少なく事実を広く知ってもらうには至らなかったことから、絵巻の一部を新たに着色し、『錦の御旗』と改題して一般向けに刊行した。  今回のプロジェクトは、仁和寺に所蔵されていた絵巻(複製品)を超高精細スキャンによりデジタル化。『錦の御旗』や解説本の記述、専門家などの考証を参考に彩色し直して、原寸大で和紙に印刷するものだ。  デジタル彩色は「先端イメージング工学研究所」(京都市左京区)代表理事で、京都大学名誉教授の井手亜里さんが率いるプロジェクトチームが担当。10カ月かけて彩色を行い、ようやく完成した。 デジタル彩色のメリット  絵巻の撮影に同席し、一部の絵巻の解説文執筆も担当した朝川さんはこう説明する。  「超高精細デジタルスキャニング技術で撮影したことで、現物を何度も広げずに済み、画像を拡大してより細かい描写を読み解けるようになりました。保存・分析、両面でメリットがあったと思います。また、着色したことで、戊辰戦争の様子をイメージしやすくなり、幅広い方に興味を持っていただきやすくなったと思います」 仁和寺霊宝館で解説する朝川さん  完成したデジタル彩色絵巻は2022年12月3~8日まで「令和絵巻に見る仁和寺と戊辰戦争」特別展で一般公開される。デジタル彩色絵巻と元来の絵巻(複製)の比較展示のほか、デジタル彩色絵巻をタッチパネル式の画面で見ることができる。好きな場所を指定して拡大することで高精細な画像の閲覧が可能。またオリジナル映像を視聴するコーナーも設けられている。12月3日には、絵巻に合わせて講談師・神田京子さんが講談を行うライブも開かれた。 ジタル彩色された「戊辰戦争絵巻」の一部(上は「第二図会津藩伏見上陸」、下は「第十三図征討大將軍節刀拜受」=画像:先端イメージング工学研究所提供)  同プロジェクトは文化庁の「Livng History(生きた歴史体感プログラム)促進事業」に採択されている。文化庁は京都への移転準備を進めており、2023年3月27日にはいよいよ業務が開始される。移転の目的は東京一極集中の是正に加え、「文化の力による地方創生」、「地域の多様な文化の掘り起こし・磨き上げによる文化芸術の振興」というもの。デジタルの力を使い地方の寺院に眠る歴史的資料の価値を磨き上げる同プロジェクトは、象徴的な活動と言えよう。  一般公開は期間限定であり、福島から離れているので、気軽には行けないかもしれないが、仁和寺は何かと福島に縁のある場所。世界遺産の建物や所蔵物が展示されている霊宝館(期間限定公開)はもちろん、春は桜、秋は紅葉が美しい観光スポットでもある。機会があればぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

  • 【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】

    【昭和電工】社名変更しても消えない喜多方湧水枯渇の罪  昭和電工は2023年1月に「レゾナック」に社名変更する。高品質のアルミニウム素材を生産する喜多方事業所は研究施設も備えることから、いまだ重要な位置を占めるが、グループ再編でアルミニウム部門は消え、イノベーション材料部門の一つになる。土壌・地下水汚染対策に起因する2021年12月期の特別損失約90億円がグループ全体の足を引っ張っている。井戸水を汚染された周辺住民は全有害物質の検査を望むが、費用がかさむからか応じてはくれない。だが、不誠実な対応は今に始まったことではない。事業所は約80年前から「水郷・喜多方」の湧水枯渇の要因になっていた。  「昭和電工」から「昭和」の名が消える。2023年1月に「レゾナック」に社名変更するからだ。2020年に日立製作所の主要子会社・日立化成を買収。世界での半導体事業と電気自動車の成長を見据え、エレクトロニクスとモビリティ部門を今後の中核事業に位置付けている。社名変更は事業再編に伴うものだ。  新社名レゾナック(RESONAC)の由来は、同社ホームページによると、英語の「RESONATE:共鳴する、響き渡る」と「CHEMISTRY:化学」の「C」を組み合せて生まれたという。「グループの先端材料技術と、パートナーの持つさまざまな技術力と発想が強くつながり大きな『共鳴』を起こし、その響きが広がることでさらに新しいパートナーと出会い、社会を変える大きな動きを創り出していきたいという強い想いを込めています」とのこと。  新会社は「化学の力で社会を変える」を存在意義としているが、少なくとも喜多方事業所周辺の環境は悪い方に変えている。現在問題となっている、主にフッ素による地下水汚染は1982(昭和57)年まで行っていたアルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を敷地内に埋め、それが土壌から地下水に漏れ出したのが原因だ。  同事業所の正門前には球体に座った男の子の像が立つ=写真。名前は「アルミ太郎」。地元の彫刻家佐藤恒三氏がアルミで制作し、1954(昭和29)年6月1日に除幕式が行われた。式当日の写真を見ると、着物を着たおかっぱの女の子が白い布に付いた紐を引っ張りお披露目。工場長や従業員とその家族、来賓者約50人がアルミ太郎と一緒に笑顔で写真に納まっていた。アルミニウム産業の明るい未来を予想させる。 喜多方事業所正門に立つ像「アルミ太郎」  2018年の同事業所CSRサイトレポートによると「昭和電工のアルミニウムを世界に冠たるものにしたい」という当時の工場幹部及び従業員の熱い願いのもと制作されたという。「アルミ太郎が腰掛けているのは、上記の世界に冠たるものにしたいという思いから地球を模したものだといわれています」(同レポート)。  同事業所は操業開始から現在まで一貫してアルミニウム関連製品を生産している。それは戦前の軍需産業にさかのぼる。 誘致当初から住民と軋轢  1939(昭和14)年、会津地方を北流し、新潟県に流れる阿賀川のダムを利用した東信電気新郷発電所の電力を使うアルミニウム工場の建設計画が政府に提出された。時は日中戦争の最中で、軽量で加工しやすいアルミニウムは重要な軍需物資だった。発電所近くの喜多方町、若松市(現会津若松市)、高郷村(現喜多方市高郷町)、野沢町(現西会津町野沢)が誘致に手を挙げた。喜多方町議会は誘致を要望する意見書を町に提出。町は土地買収を進める工場建設委員会を設置し、運搬に便利な喜多方駅南側の一等地を用意したことから誘致に成功した。  喜多方市街地には当時、あちこちに湧水があり、住民は生活用水に利用していた。電気に加え大量の水を使うアルミニウム製錬業にとって、地下に巨大な水がめを抱える喜多方は魅力的な土地だった。  誘致過程で既に現在につながる昭和電工と地域住民との軋轢が生じていた。土地を提供する豊川村(現喜多方市豊川町)と農民に対し、事前の相談が一切なかったのだ。農民・地主らの反対で土地売買の交渉は思うように進まなかった。事態を重く見た県農務課は経済部長を喜多方町に派遣し、「国策上から憂慮に堪えないので、可及的にこれが工場の誘致を促進せしめ、国家の大方針に即応すべきであることを前提に」と喜多方町長や豊川村長らに伝え、県が土地買収の音頭を取った。  近隣の太郎丸集落には「小作農民の補償料は反当たり50円」「水田反当たり850~760円」払うことで折り合いをつけた。高吉集落の地主は補償の増額を要求し、決着した。(喜多方市史)。  現在の太郎丸・高吉第一行政区は同事業所の西から南に隣接する集落で、地下水汚染が最も深刻だ。汚染が判明した2020年から、いまだに同事業所からウオーターサーバーの補給を受けている世帯がある。さらには汚染水を封じ込める遮水壁設置工事に伴う騒音や振動にも悩まされてきた。ある住民男性は「昔からさまざまな我慢を強いられてきたのがこの集落です。ですが、希硫酸流出へのずさんな対応や後手後手の広報に接し、今回ばかりは我慢の限界だ」と憤る。  実は、公害を懸念する声は誘致時点からあった。耶麻郡内の農会長・町村会長(喜多方町、松山村、上三宮村、慶徳村、豊川村、姥堂村、岩月村。関柴村で構成)は完全なる防毒設備の施工や損害賠償の責任の明確化を求め陳情書を提出していた。だが、対策が講じられていたかは定かではない(喜多方市史)。 喜多方事業所を南側から撮った1995年の航空写真(出典:喜多方昭寿会「昭和電工喜多方工場六十年の歩み」)。中央①が正門。北側を東西にJR磐越西線が走り、市街地が広がる。駅北側の湧水は戦前から枯れ始めた。写真左端の⑰は太郎丸行政区。  記録では1944(昭和19)年に初めてアルミニウムを精製し、汲み出した。だが戦争の激化で原料となるボーキサイトが不足し、運転停止に。敗戦後は占領軍に操業中止命令を食らい、農園を試行した時期もあった。民需に転換する許可を得て、ようやく製錬が再開する。  同事業所OB会が記した『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』(2000年)によると、アルミニウム生産量はピーク時の1970(昭和45)年には4万2900㌧。それに伴い従業員も増え、60(昭和35)~72(昭和47)年には650~780人を抱えた。地元の雇用に大きく貢献したわけだ。  喜多方市史は数ある企業の中で、昭和30年代の同事業所を以下のように記している。  《昭和電工(株)喜多方工場は、高度経済成長の中で着実な成長を遂げ、喜多方市における工場規模・労働者数・生産額ともに最大の企業となった。また喜多方工場が昭和電工㈱内においてもアルミニウム生産の主力工場にまで成長した》  JR喜多方駅の改札は北口しかないが、昭和電工社員は「通勤者用工場専用跨線橋」を渡って駅南隣の同事業所に直接行けるという「幻の南口」があった。喜多方はまさに昭和電工の企業城下町だった。  だが石油危機以降、アルミニウム製錬は斜陽になり、同事業所も規模を縮小し人員整理に入った。労働組合が雇用継続を求め、喜多方市も存続に向けて働きかけたことから、アルミニウム製品の加工場として再出発し、現在に至る。  同事業所が衰退した昭和40年代は、近代化の過程で見過ごされてきた企業活動の加害が可視化された「公害の時代」だ。チッソが引き起こした熊本県不知火海沿岸の水俣病。三井金属鉱業による富山県神通川流域のイタイイタイ病。石油コンビナートによる三重県の四日市ぜんそく。そして昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川流域に流出させたメチル水銀が引き起こした新潟水俣病が「四大公害病」と呼ばれる。 ※『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』と同社プレスリリースなどより作成  同じ昭和電工でも、喜多方事業所は無機化学を扱う。同事業所でまず発覚した公害は、製錬過程で出るフッ化水素ガスが農作物を枯らす「煙害」だった。フッ化水素ガスに汚染された桑葉を食べた蚕は繭を結ばなくなり、明治以来盛んだった養蚕業は昭和20年代後半には壊滅したという。  もっとも、養蚕は時代の流れで消えゆく定めだった。同事業所が地元に雇用を生んだという意味では、プラスの面に目を向けるとしよう。それでも煙害は、米どころでもある喜多方の水稲栽培に影響を与えた。周辺の米農家は補償をめぐり訴訟を繰り返してきた。前述・アルミ太郎が披露された1954年には「昭電喜多方煙害対策特別委員会」が発足。希望に満ちた記念撮影の陰には、長年にわたる住民の怒りがあった。 地下水を大量消費  フッ化水素ガスによる農産物への被害だけでなく、同事業所は地下水を大量に汲み上げ、湧水枯渇の一因にもなっていた。「きたかた清水の再生によるまちづくりに関する調査研究報告書」(NPO法人超学際的研究機構、2007年)は、喜多方駅北側の菅原町地区で「戦前から枯渇が始まり、市の中心部へ広がり、清水の枯渇が外縁部へと拡大していった」と指摘している。06年10月に同機構の研究チームが行ったワークショップでは、住民が「菅原町を中心とした南部の清水も駅南のアルミ製錬工場の影響で枯渇した」と証言している。同事業所を指している。  研究チームの座長を務めた福島大の柴﨑直明教授(地下水盆管理学)はこう話す。  「調査では喜多方の街なかに住む古老から『昭和電工の工場が水を汲み過ぎて湧水が枯れた』という話をよく聞きました。アルミニウム製錬という業種上、戦前から大量の水を使っていたのは事実です。豊川町には同事業所の社宅があり、ここの住人に聞き取りを行いましたが、口止めされているのか、勤め先の不利益になることは言えないのか、証言する人はいませんでした」  地下水の水位低下にはさまざまな要因がある。柴﨑教授によると、特に昭和40年代から冬季の消雪に利用するため地下水を汲み上げ、水位が低下したという。農業用水への利用も一因とされ、これらが湧水枯渇に大きな影響を与えたとみられる。   ただし、戦前から湧水が消滅していたという証言があることから、喜多方でいち早く稼働した同事業所が長期にわたって枯渇の要因になっていた可能性は否めない。ワークショップでは「地下水汚染、土壌汚染も念頭に置いて調査研究を進めてほしい」との声もあった。  この調査は、地下水・湧水が減少傾向の中、「水郷・喜多方」を再認識し、湧水復活の契機にするプロジェクトの一環だった。喜多方市も水郷のイメージを生かした「まちおこし」には熱心なようだ。  今年10月には、市内で「第14回全国水源の里シンポジウム」が開かれた。同市での開催は2008年以来2度目。実行委員長の遠藤忠一市長は「水源の里の価値を再確認し、水源の里を持続可能なものとする活動を広げ、次世代に未来をつないでいきたい」とあいさつした(福島民友10月28日付)。参加者は、かつて湧水が多数あった旧市内のほか、熱塩加納、山都、高郷の各地区を視察した。 「水源の里」を名乗るなら 昭和電工(現レゾナック)  昭和電工は戦時中の国策に乗じて喜多方に進出し、アルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を地中に埋めていた。「法律が未整備だった」「環境への意識が希薄だった」と言い訳はできる。だが「喜多方の水を利用させてもらっている」という謙虚な気持ちがあれば、周辺住民の「湧水が枯れた」との訴えに耳を傾けたはずで、長期間残り続ける有害物質を埋めることはなかっただろう。喜多方の水の恩恵を受けてきた事業者は、酒蔵だろうが、地元の農家だろうが、東京に本社がある大企業だろうが、水を守る責任がある。昭和電工は奪うだけ奪って未来に汚染のツケを回したわけだ。  喜多方市も水源を守る意識が薄い。遠藤市長は「水源の里を持続可能なものとする活動を広げる」と宣言した。PRに励むのは結構だが、それは役所の本分ではないし得意とすることではない。市が「水源の里」を本当に守るつもりなら、果たすべきは公害問題の解決のために必要な措置を講じることだ。   住民は、事業所で使用履歴のない有害物質が基準値を超えて検出されていることから、土壌汚染対策法に基づいた地下水基準全項目の調査を求めている。だが、汚染源の昭和電工は応じようとしない。膠着状態が続く中、住民は市に対し昭和電工との調整を求めている。市長と市議会は選挙で住民の負託を受けている。企業の財産や営業の自由は守られてしかるべきだが、それよりも大切なのは市民の健康と生活を守ることではないか。 続報の記事は下記のリンクから読めます! https://www.seikeitohoku.com/kitakata-city-showa-denko/

  • 浪江町社会福祉協議会】パワハラと縁故採用が横行

    ガバナンス崩壊で住民に不利益  浪江町社会福祉協議会が、組織の統治・管理ができないガバナンス崩壊にある。一職員によるパワハラが横行し、休職者が出たが、事務局も理事会も対処できず指導力のなさを露呈。事務局長には縁故採用を主導した疑惑もあり、専門家は「福祉という公的な役割を担う組織のモラル崩壊は、サービスを受ける住民への不利益につながる」と指摘する。  2022年6月、浪江町に複合施設「ふれあいセンターなみえ」がオープンした。JR浪江駅に近く、帰還した町民の健康増進や地域活性化を図る役割が期待されている。敷地面積は約3万平方㍍。デイサービスなどの福祉事業を担うふれあい福祉センターが入所し、福祉関連の事業所が事務所を置いている。福祉センター以外にも、壁をよじ登るボルダリング施設や運動場、図書室がある。 福祉センターは社会福祉法人の浪江町社会福祉協議会(浪江町社協)が指定管理者を務めている。業務を開始して3カ月以上が経った福祉センターだが、ピカピカの新事務所に職員たちは後ろめたさを感じていた。開設に尽力した人物が去ってしまったからだ。 「指定管理者認定には、40代の男性職員が町と折衝を重ねてきました。今業務ができるのも彼の働きがあってこそです。ところが、彼はうつ病と診断され休職しています。10月に辞めると聞きました。今は代わりに町職員が出向しています。病気の理由ですか? 事務局の一職員からのパワハラがひどいんです。これは社協の職員だったら誰もが知っていることです」(ある職員) パワハラの実態に触れる前に、浪江町社協が町の代わりに住民の福祉事業の実務を担う公的な機関であることを明らかにせねばならない。それだけ役割が重要で、パワハラが放置されれば休職・退職者が続出し、せっかく帰還した住民に対するサービス低下も免れないからだ。 社協は福祉事業を行う社会福祉法人の形態の一つ。社会福祉法人は成り立ちから①民設民営、②公設民営、③公設公営の三つに分けられ、社協は国や行政が施設を建設し、運営委託する点で③に含まれる。職員も中枢メンバーは設置自治体からの出向が多く、行政の外郭団体である。 浪江町社協の2021年度の資金収支計算書では、事業活動収入は計2億2400万円。うち、最も多いのが町や県からの受託金収入で1億5300万円(約68%)。次が町などからの補助金で4460万円(約19%)となっている。22年度の町の予算書によると、同社協には3788万円の補助金が交付されている。法人登記簿によると、同社協は1967(昭和42)年に成立。資産の総額は4億7059万円。現在の理事長は栃本勝雄氏(浪江町室原)で2022年6月20日に就任した。 前理事長は吉田数博前町長(同町苅宿)が兼ねていた。予算上も人員上も自治体とは不可分の関係から、首長が理事長を務めるのは小規模町村では珍しくない。吉田前町長も慣例に従っていた(2022年5月の町議会第2回臨時会での吉田数博町長の答弁より)。ただ、首長が自治体と請負契約がある法人の役員に就くことを禁じた地方自治法第142条に反するおそれがあり、社会福祉法人としての独立性を保つ観点から、近年、自治体関係者は役員に就かせない流れにある。同社協も吉田数博町長が引退するのに合わせ、2022年度から理事長を町長以外にした。 同社協の本所は前述・福祉センター内にある浪江事務所。原発災害からの避難者のために福島市、郡山市、いわき市に拠点があり、東京にも関東事務所を置く。職員は震災後に増え、現在は50人ほどいる。 事務局長「職員からの報告はない」  問題となっているパワハラの加害者は、浪江事務所に勤める女性職員だという。この女性職員は、会計を任されていることを笠に着て同僚職員を困らせているようだ。例えば、職員が備品の購入や出張の伺いを立てる書面を、上司の決裁を得て女性職員に提出しても「何に必要なのか」「今は購入できない」などの理由を付けて跳ね返すという。人格を否定する言葉で罵倒することもあるそうだ。 一方で、女性職員は自分の判断で備品を購入しているという。ある職員は、女性職員のデスクの周りを見たら、新品の機器が揃えられていたことに唖然とした。 「彼女は勤務年数も浅いし、役職としては下から数えた方が早いんです。会計担当とはいえ、自由にお金を使える権限はありません。でも高圧的な態度を取られ、さらには罵倒までされるとなると、標的にはなりたくないので、誰も『おかしい』とは言えなくなりますね。発議を出すのが怖いと多くの職員が思っています」(ある職員) 職員たちは職場に漂う閉塞感を吐露する。休職・退職が相次ぎ、現場の負担が増した時があった。当時は「あと1人欠けたら職場が回らなくなる」との思いで出勤していたという。次第に女性職員の逆鱗に触れず一日が終わることが目的になった。「いったい私たちは誰をケアしているんでしょうね」と悲しくなる時がある。 休職し、退職を余儀なくされた男性職員は女性職員より上の役職だ。しかし、女性職員から高圧的な態度を取られ、部下からは「なぜ指導できないのか」と突き上げを食らい、板挟みとなった。この男性職員を直撃すると、 「2021年春ごろから体に異変が起こり、不眠が続くようになりました。心療内科の受診を勧められ、精神安定剤と睡眠導入剤を処方されるようになり、今も通院しています」(男性職員) 心ない言葉も浴びせられた。 「2022年春に子どもの卒業式と入学式に出席するため有給休暇を取得しました。その後、出勤すると女性職員から『なんでそんなに休むの?』と聞かれ『子どもの行事です』と答えると『あんた、父子家庭なの?』と言われました」(同) 子どもの行事に出席するのに母親か父親かは関係ない。他人が家庭の事情に言及する必要はないし、女性職員が嫌味を言うために放った一言とするならば、ひとり親家庭を蔑視している表れだろう。そもそも、有給休暇を取得するのに理由を明らかにする必要はない。 筆者は浪江事務所を訪ね、鈴木幸治事務局長(69)=理事も兼務=にパワハラへの対応を聞いた。 ――パワハラを把握しているか。 「複数の職員から被害の訴えがあったと聞いてびっくりしています。そういうことがあるというのは一切聞いていません」 ――ある職員は鈴木事務局長に直接被害を申し出、「対応する」との回答を得たと言っているが。 「その件は、県社会福祉協議会から情報提供がありました。全事務所の職員に聞き取りをしなくてはならないと思っています」 ――パワハラを把握していないという最初の回答と食い違うが。 「パワハラを受けたという職員からの直接の報告は1人もいないということです。県社協からは情報提供を受けました。聞き取りをしますと職員たちには伝えました」 ――調査は行ったのか。 「まだです。前の事務所から移ったばかりなので。落ち着くまで様子を見ている状況です」 加害者として思い当たる人物はいるかと尋ねると、「パワハラは当事者同士の言葉遣い、受け取り方によりますが、厳しい言い方があったのは確かで私も注意はしました。本人には分かってもらえたと思っています」と答えた。 本誌は栃本勝雄理事長と吉田数博前理事長にパワハラを把握していたかについて質問状を送ったが、原稿締め切りまでに返答はなかった。 「事務局長や理事長の責任放棄」  専門家はどう見るのか。流通科学大(神戸市)の元教授(社会福祉学)で近著に『社協転生―社協は生まれ変われるのか―』がある塚口伍喜夫氏(85)は「パワハラ」で収まる問題ではないという。 「役職が下の職員が上司の決裁を跳ねのけているのなら、決裁の意味が全くないですよね。個人のパワハラというよりも、組織が機能していない方がより問題だと思います。改善されていないのであれば事務局長や理事長の責任放棄です」 加えて、社協においても組織のガバナンス(管理・統治)の重要性を訴える。 「組織のガバナンスとは、任されている立場と仕事を果たすための環境を保持していくことです。業務から私的、恣意的なことを排除し、利用者に最上のサービスを提供することが大切です」(塚口氏) 事実、浪江町社協の職員たちはパワハラの巻き添えを食らわないよう自分のことに精いっぱいだ。利用者の方を向いて100%の仕事ができている状況とは言えない。 事務局長と理事長の対応に実効性がないことは分かったが、鈴木事務局長をめぐっては「別の問題」が指摘されている。縁故採用疑惑だ。 複数の職員によると、鈴木事務局長は知人の子や孫を、知人の依頼を受け積極的に職員に採用しているという。これまでに4人に上る。知人をつてに、人手不足の介護士や看護師などの専門職をヘッドハンティングしているなら分かるが、全員専門外で事務職に就いている。職員によると、採用を決めてから仕事を探して割り振るという本末転倒ぶりだ。 疑惑は親族にまで及んだ。前理事長の吉田前町長の元には、2022年度初めに「鈴木事務局長が義理の弟を関東事務所の職員に据えているのはどういうことか」と告発する手紙が届いたという。当初は義弟が所有する茨城県内の物件を間借りして関東事務所にする案もあったとの情報もある。義兄が事務局長(理事)を務める社協から、義弟に賃料が払われるという構図だ。 しかし、鈴木事務局長は「縁故採用はない」と否定する。 「職員を募集しても、福祉施設には応募が少ない。『来てくれれば助かるんだが』と話し、『家族と相談して試験を受けるんだったら受けるように』と言っただけです」 ――事務職は不足しているのか。 「町からの委託事業が多いので、それに伴った形で採用しています。正職員ではありません。なかなか応募がないので、知り合いを頼って人材を集めるのが確実です。募集もハローワークを通して、面接も小論文も必ず私以外の職員を含めた3人で行います。ですから、頼まれたから採用したというのは違います」 社協の意思決定は吉田前理事長を通して行ってきたと言う。 「やっていいかどうかの判断は私でもできます。一人で決めているわけではないです。別の職員の反対を押し切ることはありません。『ここの息子さんです』『あそこのお孫さんです』ということはすべて吉田前理事長に前もって説明していました。私が勝手にやったことは一度もありません」 ――介護士や看護師などの専門職は人手不足だが、その職種の採用を進めることはなかったのか。 「それはしていません。その時は介護士が必要な仕事を町から請け負ってなかったので、そもそも必要なかったのです。7月からデイサービス施設などを開所したことにより、介護士が必要になりました。ただ、そのような(縁故採用)指摘を受けたことの重大性は認識しており、個人的に応募を呼び掛けるのは控えるつもりです」 ――親族の採用については。 「試験を受けてもらい、復興支援員として関東事務所に配置しています。募集をかけても人が集まらない中、妻の弟が仕事を辞めたと聞き、『試験を受けてみないか』と打診しました。一方的に採用したわけではなく、私以外の職員2人による面接で選びました」 ――公募期間はいつからいつまでだったのか。 「なかなか集まらなかったので、長い期間募集していました。ただ、町からは『急いで採用してほしい』と言われていました。詳しい期間は調べてみないと分かりません」 「縁故採用は組織の私物化の表れ」  親族が所有する物件への関東事務所設置疑惑については、 「義弟が茨城県取手市で物件を管理しているので、いい物件が見つからない場合は、そこに置くのも一つの方法だな、と。ただ、それはやっていません」 ――交通の便が良い都心の方が避難者は利用しやすいのでは。 「関東に避難している方は茨城県在住の方が多いんです。近い方がいいのかな、と。それと首都圏で事務所を借り上げると、細かい部分が多いんですね。不動産業者を通して物件を探したが、なかなか見つからなかった。そこで、もし義弟の物件が空いているならと思って。ただ、身内の不動産を借りたとなると、いろいろ言われそうなのでやめました」 ――借りるのをやめたのは吉田前理事長の判断か。 「私の判断です。上に決裁は上げていませんので」 ――どうして都心の事務所になったのか。 「もう1人の職員が埼玉県草加市在住なので、どちらも通える方がいいですし、茨城だけに集中するわけではないので、被災者と職員の両方が通いやすいように、アクセスの良い都心がいいかなと考えました。義弟の物件を一時考えたのも、不動産業者を通すより手続きが簡素で、借りやすいという利点がありました。仮に義弟の物件を選んだとして、他の物件と比べて1円でも多く払うということはありません」 初めは「関東の避難者は茨城に多い」と答えていたが、いつの間にか「避難者は茨城だけに集中するわけではない」と矛盾をきたしている。 前出・塚口氏に見解を聞いた。 「公正に募って選別するというルートを踏むのが鉄則です。縁故採用が事実なら、組織を私物化した表れと言っていいでしょう。本来は誰がどこから見ても公正な採用方法が取られていると保証されなければなりません。それが組織運営の公正さに結びつきます。福祉事業は対人支援です。最上の支援は、絶えず検証しながら提供していくことが大事です。そこに私的なものや恣意的なものが混じってくると、良いサービスは提供できないと思います」 ガバナンスがきちんとしていないと、福祉サービスにも悪影響が出るというわけだ。浪江町社協には、町や県から補助金が交付されている。町民や県民は同社協の在り方にもっと関心を持ってもいい。