• 【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】

    【第3弾】【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工

     昭和電工は2023年1月に「レゾナック」に社名変更する。高品質のアルミニウム素材を生産する喜多方事業所は研究施設も備えることから、いまだ重要な位置を占めるが、グループ再編でアルミニウム部門は消え、イノベーション材料部門の一つになる。土壌・地下水汚染対策に起因する2021年12月期の特別損失約90億円がグループ全体の足を引っ張っている。井戸水を汚染された周辺住民は全有害物質の検査を望むが、費用がかさむからか応じてはくれない。だが、不誠実な対応は今に始まったことではない。事業所は約80年前から「水郷・喜多方」の湧水枯渇の要因になっていた。 社名変更しても消えない喜多方湧水枯渇の罪  「昭和電工」から「昭和」の名が消える。2023年1月に「レゾナック」に社名変更するからだ。2020年に日立製作所の主要子会社・日立化成を買収。世界での半導体事業と電気自動車の成長を見据え、エレクトロニクスとモビリティ部門を今後の中核事業に位置付けている。社名変更は事業再編に伴うものだ。  新社名レゾナック(RESONAC)の由来は、同社ホームページによると、英語の「RESONATE:共鳴する、響き渡る」と「CHEMISTRY:化学」の「C」を組み合せて生まれたという。「グループの先端材料技術と、パートナーの持つさまざまな技術力と発想が強くつながり大きな『共鳴』を起こし、その響きが広がることでさらに新しいパートナーと出会い、社会を変える大きな動きを創り出していきたいという強い想いを込めています」とのこと。  新会社は「化学の力で社会を変える」を存在意義としているが、少なくとも喜多方事業所周辺の環境は悪い方に変えている。現在問題となっている、主にフッ素による地下水汚染は1982(昭和57)年まで行っていたアルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を敷地内に埋め、それが土壌から地下水に漏れ出したのが原因だ。  同事業所の正門前には球体に座った男の子の像が立つ=写真。名前は「アルミ太郎」。地元の彫刻家佐藤恒三氏がアルミで制作し、1954(昭和29)年6月1日に除幕式が行われた。式当日の写真を見ると、着物を着たおかっぱの女の子が白い布に付いた紐を引っ張りお披露目。工場長や従業員とその家族、来賓者約50人がアルミ太郎と一緒に笑顔で写真に納まっていた。アルミニウム産業の明るい未来を予想させる。 喜多方事業所正門に立つ像「アルミ太郎」  2018年の同事業所CSRサイトレポートによると「昭和電工のアルミニウムを世界に冠たるものにしたい」という当時の工場幹部及び従業員の熱い願いのもと制作されたという。「アルミ太郎が腰掛けているのは、上記の世界に冠たるものにしたいという思いから地球を模したものだといわれています」(同レポート)。  同事業所は操業開始から現在まで一貫してアルミニウム関連製品を生産している。それは戦前の軍需産業にさかのぼる。 誘致当初から住民と軋轢  1939(昭和14)年、会津地方を北流し、新潟県に流れる阿賀川のダムを利用した東信電気新郷発電所の電力を使うアルミニウム工場の建設計画が政府に提出された。時は日中戦争の最中で、軽量で加工しやすいアルミニウムは重要な軍需物資だった。発電所近くの喜多方町、若松市(現会津若松市)、高郷村(現喜多方市高郷町)、野沢町(現西会津町野沢)が誘致に手を挙げた。喜多方町議会は誘致を要望する意見書を町に提出。町は土地買収を進める工場建設委員会を設置し、運搬に便利な喜多方駅南側の一等地を用意したことから誘致に成功した。  喜多方市街地には当時、あちこちに湧水があり、住民は生活用水に利用していた。電気に加え大量の水を使うアルミニウム製錬業にとって、地下に巨大な水がめを抱える喜多方は魅力的な土地だった。  誘致過程で既に現在につながる昭和電工と地域住民との軋轢が生じていた。土地を提供する豊川村(現喜多方市豊川町)と農民に対し、事前の相談が一切なかったのだ。農民・地主らの反対で土地売買の交渉は思うように進まなかった。事態を重く見た県農務課は経済部長を喜多方町に派遣し、「国策上から憂慮に堪えないので、可及的にこれが工場の誘致を促進せしめ、国家の大方針に即応すべきであることを前提に」と喜多方町長や豊川村長らに伝え、県が土地買収の音頭を取った。  近隣の太郎丸集落には「小作農民の補償料は反当たり50円」「水田反当たり850~760円」払うことで折り合いをつけた。高吉集落の地主は補償の増額を要求し、決着した。(喜多方市史)。  現在の太郎丸・高吉第一行政区は同事業所の西から南に隣接する集落で、地下水汚染が最も深刻だ。汚染が判明した2020年から、いまだに同事業所からウオーターサーバーの補給を受けている世帯がある。さらには汚染水を封じ込める遮水壁設置工事に伴う騒音や振動にも悩まされてきた。ある住民男性は「昔からさまざまな我慢を強いられてきたのがこの集落です。ですが、希硫酸流出へのずさんな対応や後手後手の広報に接し、今回ばかりは我慢の限界だ」と憤る。  実は、公害を懸念する声は誘致時点からあった。耶麻郡内の農会長・町村会長(喜多方町、松山村、上三宮村、慶徳村、豊川村、姥堂村、岩月村。関柴村で構成)は完全なる防毒設備の施工や損害賠償の責任の明確化を求め陳情書を提出していた。だが、対策が講じられていたかは定かではない(喜多方市史)。 喜多方事業所を南側から撮った1995年の航空写真(出典:喜多方昭寿会「昭和電工喜多方工場六十年の歩み」)。中央①が正門。北側を東西にJR磐越西線が走り、市街地が広がる。駅北側の湧水は戦前から枯れ始めた。写真左端の⑰は太郎丸行政区。  記録では1944(昭和19)年に初めてアルミニウムを精製し、汲み出した。だが戦争の激化で原料となるボーキサイトが不足し、運転停止に。敗戦後は占領軍に操業中止命令を食らい、農園を試行した時期もあった。民需に転換する許可を得て、ようやく製錬が再開する。  同事業所OB会が記した『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』(2000年)によると、アルミニウム生産量はピーク時の1970(昭和45)年には4万2900㌧。それに伴い従業員も増え、60(昭和35)~72(昭和47)年には650~780人を抱えた。地元の雇用に大きく貢献したわけだ。  喜多方市史は数ある企業の中で、昭和30年代の同事業所を以下のように記している。  《昭和電工(株)喜多方工場は、高度経済成長の中で着実な成長を遂げ、喜多方市における工場規模・労働者数・生産額ともに最大の企業となった。また喜多方工場が昭和電工㈱内においてもアルミニウム生産の主力工場にまで成長した》  JR喜多方駅の改札は北口しかないが、昭和電工社員は「通勤者用工場専用跨線橋」を渡って駅南隣の同事業所に直接行けるという「幻の南口」があった。喜多方はまさに昭和電工の企業城下町だった。  だが石油危機以降、アルミニウム製錬は斜陽になり、同事業所も規模を縮小し人員整理に入った。労働組合が雇用継続を求め、喜多方市も存続に向けて働きかけたことから、アルミニウム製品の加工場として再出発し、現在に至る。  同事業所が衰退した昭和40年代は、近代化の過程で見過ごされてきた企業活動の加害が可視化された「公害の時代」だ。チッソが引き起こした熊本県不知火海沿岸の水俣病。三井金属鉱業による富山県神通川流域のイタイイタイ病。石油コンビナートによる三重県の四日市ぜんそく。そして昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川流域に流出させたメチル水銀が引き起こした新潟水俣病が「四大公害病」と呼ばれる。 ※『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』と同社プレスリリースなどより作成  同じ昭和電工でも、喜多方事業所は無機化学を扱う。同事業所でまず発覚した公害は、製錬過程で出るフッ化水素ガスが農作物を枯らす「煙害」だった。フッ化水素ガスに汚染された桑葉を食べた蚕は繭を結ばなくなり、明治以来盛んだった養蚕業は昭和20年代後半には壊滅したという。  もっとも、養蚕は時代の流れで消えゆく定めだった。同事業所が地元に雇用を生んだという意味では、プラスの面に目を向けるとしよう。それでも煙害は、米どころでもある喜多方の水稲栽培に影響を与えた。周辺の米農家は補償をめぐり訴訟を繰り返してきた。前述・アルミ太郎が披露された1954年には「昭電喜多方煙害対策特別委員会」が発足。希望に満ちた記念撮影の陰には、長年にわたる住民の怒りがあった。 地下水を大量消費  フッ化水素ガスによる農産物への被害だけでなく、同事業所は地下水を大量に汲み上げ、湧水枯渇の一因にもなっていた。「きたかた清水の再生によるまちづくりに関する調査研究報告書」(NPO法人超学際的研究機構、2007年)は、喜多方駅北側の菅原町地区で「戦前から枯渇が始まり、市の中心部へ広がり、清水の枯渇が外縁部へと拡大していった」と指摘している。06年10月に同機構の研究チームが行ったワークショップでは、住民が「菅原町を中心とした南部の清水も駅南のアルミ製錬工場の影響で枯渇した」と証言している。同事業所を指している。  研究チームの座長を務めた福島大の柴﨑直明教授(地下水盆管理学)はこう話す。  「調査では喜多方の街なかに住む古老から『昭和電工の工場が水を汲み過ぎて湧水が枯れた』という話をよく聞きました。アルミニウム製錬という業種上、戦前から大量の水を使っていたのは事実です。豊川町には同事業所の社宅があり、ここの住人に聞き取りを行いましたが、口止めされているのか、勤め先の不利益になることは言えないのか、証言する人はいませんでした」  地下水の水位低下にはさまざまな要因がある。柴﨑教授によると、特に昭和40年代から冬季の消雪に利用するため地下水を汲み上げ、水位が低下したという。農業用水への利用も一因とされ、これらが湧水枯渇に大きな影響を与えたとみられる。   ただし、戦前から湧水が消滅していたという証言があることから、喜多方でいち早く稼働した同事業所が長期にわたって枯渇の要因になっていた可能性は否めない。ワークショップでは「地下水汚染、土壌汚染も念頭に置いて調査研究を進めてほしい」との声もあった。  この調査は、地下水・湧水が減少傾向の中、「水郷・喜多方」を再認識し、湧水復活の契機にするプロジェクトの一環だった。喜多方市も水郷のイメージを生かした「まちおこし」には熱心なようだ。  2022年10月には、市内で「第14回全国水源の里シンポジウム」が開かれた。同市での開催は2008年以来2度目。実行委員長の遠藤忠一市長は「水源の里の価値を再確認し、水源の里を持続可能なものとする活動を広げ、次世代に未来をつないでいきたい」とあいさつした(福島民友10月28日付)。参加者は、かつて湧水が多数あった旧市内のほか、熱塩加納、山都、高郷の各地区を視察した。 「水源の里」を名乗るなら 昭和電工(現レゾナック)  昭和電工は戦時中の国策に乗じて喜多方に進出し、アルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を地中に埋めていた。「法律が未整備だった」「環境への意識が希薄だった」と言い訳はできる。だが「喜多方の水を利用させてもらっている」という謙虚な気持ちがあれば、周辺住民の「湧水が枯れた」との訴えに耳を傾けたはずで、長期間残り続ける有害物質を埋めることはなかっただろう。喜多方の水の恩恵を受けてきた事業者は、酒蔵だろうが、地元の農家だろうが、東京に本社がある大企業だろうが、水を守る責任がある。昭和電工は奪うだけ奪って未来に汚染のツケを回したわけだ。  喜多方市も水源を守る意識が薄い。遠藤市長は「水源の里を持続可能なものとする活動を広げる」と宣言した。PRに励むのは結構だが、それは役所の本分ではないし得意とすることではない。市が「水源の里」を本当に守るつもりなら、果たすべきは公害問題の解決のために必要な措置を講じることだ。   住民は、事業所で使用履歴のない有害物質が基準値を超えて検出されていることから、土壌汚染対策法に基づいた地下水基準全項目の調査を求めている。だが、汚染源の昭和電工は応じようとしない。膠着状態が続く中、住民は市に対し昭和電工との調整を求めている。市長と市議会は選挙で住民の負託を受けている。企業の財産や営業の自由は守られてしかるべきだが、それよりも大切なのは市民の健康と生活を守ることではないか。 あわせて読みたい 【第1弾】親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題 【第2弾】【喜多方市】昭和電工の不誠実な汚染対策 【第4弾】【喜多方市】処理水排出を強行する昭和電工 【第5弾】土壌汚染の矮小化を図る昭和電工【喜多方市】

  • 【 浪江町社会福祉協議会 】パワハラと縁故採用が横行 浪江町社協が入る「ふれあいセンターなみえ」

    浪江町社会福祉協議会】パワハラと縁故採用が横行

     浪江町社会福祉協議会が、組織の統治・管理ができないガバナンス崩壊にある。一職員によるパワハラが横行し、休職者が出たが、事務局も理事会も対処できず指導力のなさを露呈。事務局長には縁故採用を主導した疑惑もあり、専門家は「福祉という公的な役割を担う組織のモラル崩壊は、サービスを受ける住民への不利益につながる」と指摘する。 ガバナンス崩壊で住民に不利益  2022年6月、浪江町に複合施設「ふれあいセンターなみえ」がオープンした。JR浪江駅に近く、帰還した町民の健康増進や地域活性化を図る役割が期待されている。敷地面積は約3万平方㍍。デイサービスなどの福祉事業を担うふれあい福祉センターが入所し、福祉関連の事業所が事務所を置いている。福祉センター以外にも、壁をよじ登るボルダリング施設や運動場、図書室がある。 福祉センターは社会福祉法人の浪江町社会福祉協議会(浪江町社協)が指定管理者を務めている。業務を開始して3カ月以上が経った福祉センターだが、ピカピカの新事務所に職員たちは後ろめたさを感じていた。開設に尽力した人物が去ってしまったからだ。 「指定管理者認定には、40代の男性職員が町と折衝を重ねてきました。今業務ができるのも彼の働きがあってこそです。ところが、彼はうつ病と診断され休職しています。10月に辞めると聞きました。今は代わりに町職員が出向しています。病気の理由ですか? 事務局の一職員からのパワハラがひどいんです。これは社協の職員だったら誰もが知っていることです」(ある職員) パワハラの実態に触れる前に、浪江町社協が町の代わりに住民の福祉事業の実務を担う公的な機関であることを明らかにせねばならない。それだけ役割が重要で、パワハラが放置されれば休職・退職者が続出し、せっかく帰還した住民に対するサービス低下も免れないからだ。 社協は福祉事業を行う社会福祉法人の形態の一つ。社会福祉法人は成り立ちから①民設民営、②公設民営、③公設公営の三つに分けられ、社協は国や行政が施設を建設し、運営委託する点で③に含まれる。職員も中枢メンバーは設置自治体からの出向が多く、行政の外郭団体である。 浪江町社協の2021年度の資金収支計算書では、事業活動収入は計2億2400万円。うち、最も多いのが町や県からの受託金収入で1億5300万円(約68%)。次が町などからの補助金で4460万円(約19%)となっている。22年度の町の予算書によると、同社協には3788万円の補助金が交付されている。法人登記簿によると、同社協は1967(昭和42)年に成立。資産の総額は4億7059万円。現在の理事長は栃本勝雄氏(浪江町室原)で2022年6月20日に就任した。 前理事長は吉田数博前町長(同町苅宿)が兼ねていた。予算上も人員上も自治体とは不可分の関係から、首長が理事長を務めるのは小規模町村では珍しくない。吉田前町長も慣例に従っていた(2022年5月の町議会第2回臨時会での吉田数博町長の答弁より)。ただ、首長が自治体と請負契約がある法人の役員に就くことを禁じた地方自治法第142条に反するおそれがあり、社会福祉法人としての独立性を保つ観点から、近年、自治体関係者は役員に就かせない流れにある。同社協も吉田数博町長が引退するのに合わせ、2022年度から理事長を町長以外にした。 同社協の本所は前述・福祉センター内にある浪江事務所。原発災害からの避難者のために福島市、郡山市、いわき市に拠点があり、東京にも関東事務所を置く。職員は震災後に増え、現在は50人ほどいる。 事務局長「職員からの報告はない」 【浪江町】複合施設「ふれあいセンターなみえ」  問題となっているパワハラの加害者は、浪江事務所に勤める女性職員だという。この女性職員は、会計を任されていることを笠に着て同僚職員を困らせているようだ。例えば、職員が備品の購入や出張の伺いを立てる書面を、上司の決裁を得て女性職員に提出しても「何に必要なのか」「今は購入できない」などの理由を付けて跳ね返すという。人格を否定する言葉で罵倒することもあるそうだ。 一方で、女性職員は自分の判断で備品を購入しているという。ある職員は、女性職員のデスクの周りを見たら、新品の機器が揃えられていたことに唖然とした。 「彼女は勤務年数も浅いし、役職としては下から数えた方が早いんです。会計担当とはいえ、自由にお金を使える権限はありません。でも高圧的な態度を取られ、さらには罵倒までされるとなると、標的にはなりたくないので、誰も『おかしい』とは言えなくなりますね。発議を出すのが怖いと多くの職員が思っています」(ある職員) 職員たちは職場に漂う閉塞感を吐露する。休職・退職が相次ぎ、現場の負担が増した時があった。当時は「あと1人欠けたら職場が回らなくなる」との思いで出勤していたという。次第に女性職員の逆鱗に触れず一日が終わることが目的になった。「いったい私たちは誰をケアしているんでしょうね」と悲しくなる時がある。 休職し、退職を余儀なくされた男性職員は女性職員より上の役職だ。しかし、女性職員から高圧的な態度を取られ、部下からは「なぜ指導できないのか」と突き上げを食らい、板挟みとなった。この男性職員を直撃すると、 「2021年春ごろから体に異変が起こり、不眠が続くようになりました。心療内科の受診を勧められ、精神安定剤と睡眠導入剤を処方されるようになり、今も通院しています」(男性職員) 心ない言葉も浴びせられた。 「2022年春に子どもの卒業式と入学式に出席するため有給休暇を取得しました。その後、出勤すると女性職員から『なんでそんなに休むの?』と聞かれ『子どもの行事です』と答えると『あんた、父子家庭なの?』と言われました」(同) 子どもの行事に出席するのに母親か父親かは関係ない。他人が家庭の事情に言及する必要はないし、女性職員が嫌味を言うために放った一言とするならば、ひとり親家庭を蔑視している表れだろう。そもそも、有給休暇を取得するのに理由を明らかにする必要はない。 筆者は浪江事務所を訪ね、鈴木幸治事務局長(69)=理事も兼務=にパワハラへの対応を聞いた。 ――パワハラを把握しているか。 「複数の職員から被害の訴えがあったと聞いてびっくりしています。そういうことがあるというのは一切聞いていません」 ――ある職員は鈴木事務局長に直接被害を申し出、「対応する」との回答を得たと言っているが。 「その件は、県社会福祉協議会から情報提供がありました。全事務所の職員に聞き取りをしなくてはならないと思っています」 ――パワハラを把握していないという最初の回答と食い違うが。 「パワハラを受けたという職員からの直接の報告は1人もいないということです。県社協からは情報提供を受けました。聞き取りをしますと職員たちには伝えました」 ――調査は行ったのか。 「まだです。前の事務所から移ったばかりなので。落ち着くまで様子を見ている状況です」 加害者として思い当たる人物はいるかと尋ねると、「パワハラは当事者同士の言葉遣い、受け取り方によりますが、厳しい言い方があったのは確かで私も注意はしました。本人には分かってもらえたと思っています」と答えた。 本誌は栃本勝雄理事長と吉田数博前理事長にパワハラを把握していたかについて質問状を送ったが、原稿締め切りまでに返答はなかった。 「事務局長や理事長の責任放棄」  専門家はどう見るのか。流通科学大(神戸市)の元教授(社会福祉学)で近著に『社協転生―社協は生まれ変われるのか―』がある塚口伍喜夫氏(85)は「パワハラ」で収まる問題ではないという。 「役職が下の職員が上司の決裁を跳ねのけているのなら、決裁の意味が全くないですよね。個人のパワハラというよりも、組織が機能していない方がより問題だと思います。改善されていないのであれば事務局長や理事長の責任放棄です」 加えて、社協においても組織のガバナンス(管理・統治)の重要性を訴える。 「組織のガバナンスとは、任されている立場と仕事を果たすための環境を保持していくことです。業務から私的、恣意的なことを排除し、利用者に最上のサービスを提供することが大切です」(塚口氏) 事実、浪江町社協の職員たちはパワハラの巻き添えを食らわないよう自分のことに精いっぱいだ。利用者の方を向いて100%の仕事ができている状況とは言えない。 事務局長と理事長の対応に実効性がないことは分かったが、鈴木事務局長をめぐっては「別の問題」が指摘されている。縁故採用疑惑だ。 複数の職員によると、鈴木事務局長は知人の子や孫を、知人の依頼を受け積極的に職員に採用しているという。これまでに4人に上る。知人をつてに、人手不足の介護士や看護師などの専門職をヘッドハンティングしているなら分かるが、全員専門外で事務職に就いている。職員によると、採用を決めてから仕事を探して割り振るという本末転倒ぶりだ。 疑惑は親族にまで及んだ。前理事長の吉田前町長の元には、2022年度初めに「鈴木事務局長が義理の弟を関東事務所の職員に据えているのはどういうことか」と告発する手紙が届いたという。当初は義弟が所有する茨城県内の物件を間借りして関東事務所にする案もあったとの情報もある。義兄が事務局長(理事)を務める社協から、義弟に賃料が払われるという構図だ。 しかし、鈴木事務局長は「縁故採用はない」と否定する。 「職員を募集しても、福祉施設には応募が少ない。『来てくれれば助かるんだが』と話し、『家族と相談して試験を受けるんだったら受けるように』と言っただけです」 ――事務職は不足しているのか。 「町からの委託事業が多いので、それに伴った形で採用しています。正職員ではありません。なかなか応募がないので、知り合いを頼って人材を集めるのが確実です。募集もハローワークを通して、面接も小論文も必ず私以外の職員を含めた3人で行います。ですから、頼まれたから採用したというのは違います」 社協の意思決定は吉田前理事長を通して行ってきたと言う。 「やっていいかどうかの判断は私でもできます。一人で決めているわけではないです。別の職員の反対を押し切ることはありません。『ここの息子さんです』『あそこのお孫さんです』ということはすべて吉田前理事長に前もって説明していました。私が勝手にやったことは一度もありません」 ――介護士や看護師などの専門職は人手不足だが、その職種の採用を進めることはなかったのか。 「それはしていません。その時は介護士が必要な仕事を町から請け負ってなかったので、そもそも必要なかったのです。7月からデイサービス施設などを開所したことにより、介護士が必要になりました。ただ、そのような(縁故採用)指摘を受けたことの重大性は認識しており、個人的に応募を呼び掛けるのは控えるつもりです」 ――親族の採用については。 「試験を受けてもらい、復興支援員として関東事務所に配置しています。募集をかけても人が集まらない中、妻の弟が仕事を辞めたと聞き、『試験を受けてみないか』と打診しました。一方的に採用したわけではなく、私以外の職員2人による面接で選びました」 ――公募期間はいつからいつまでだったのか。 「なかなか集まらなかったので、長い期間募集していました。ただ、町からは『急いで採用してほしい』と言われていました。詳しい期間は調べてみないと分かりません」 「縁故採用は組織の私物化の表れ」  親族が所有する物件への関東事務所設置疑惑については、 「義弟が茨城県取手市で物件を管理しているので、いい物件が見つからない場合は、そこに置くのも一つの方法だな、と。ただ、それはやっていません」 ――交通の便が良い都心の方が避難者は利用しやすいのでは。 「関東に避難している方は茨城県在住の方が多いんです。近い方がいいのかな、と。それと首都圏で事務所を借り上げると、細かい部分が多いんですね。不動産業者を通して物件を探したが、なかなか見つからなかった。そこで、もし義弟の物件が空いているならと思って。ただ、身内の不動産を借りたとなると、いろいろ言われそうなのでやめました」 ――借りるのをやめたのは吉田前理事長の判断か。 「私の判断です。上に決裁は上げていませんので」 ――どうして都心の事務所になったのか。 「もう1人の職員が埼玉県草加市在住なので、どちらも通える方がいいですし、茨城だけに集中するわけではないので、被災者と職員の両方が通いやすいように、アクセスの良い都心がいいかなと考えました。義弟の物件を一時考えたのも、不動産業者を通すより手続きが簡素で、借りやすいという利点がありました。仮に義弟の物件を選んだとして、他の物件と比べて1円でも多く払うということはありません」 初めは「関東の避難者は茨城に多い」と答えていたが、いつの間にか「避難者は茨城だけに集中するわけではない」と矛盾をきたしている。 前出・塚口氏に見解を聞いた。 「公正に募って選別するというルートを踏むのが鉄則です。縁故採用が事実なら、組織を私物化した表れと言っていいでしょう。本来は誰がどこから見ても公正な採用方法が取られていると保証されなければなりません。それが組織運営の公正さに結びつきます。福祉事業は対人支援です。最上の支援は、絶えず検証しながら提供していくことが大事です。そこに私的なものや恣意的なものが混じってくると、良いサービスは提供できないと思います」 ガバナンスがきちんとしていないと、福祉サービスにも悪影響が出るというわけだ。浪江町社協には、町や県から補助金が交付されている。町民や県民は同社協の在り方にもっと関心を持ってもいい。

  • 【福島市内で県内初】レインボーマーチ

    【福島市内で県内初】レインボーマーチ

     性的マイノリティーを含む多様な人びとが暮らしやすい社会づくりをめざすイベント、「ふくしまレインボーマーチ」が2022年10月、福島市内で開催された。実行委員会によると同種のイベントは県内では初めて。約100人の参加者がレインボーフラッグをかかげて日曜の昼下がりを行進した。  2022年10月2日午後2時半。JR福島駅近くのイベントスペース、まちなか広場。レインボーフラッグを先頭に、約100人の参加者たちが行進を始めた。小旗を振って通行人に笑顔を振りまく。自作のプラカードをかかげる人もいれば、音楽に合わせて踊りながら歩く人もいる。横断幕にはこう書いてあった。 〈福島でありのままで生きて、福島をみんなの居場所にしたい〉 性自認や性的指向は人によって異なる。レズビアン(女性同性愛者)の人もいれば、ゲイ(男性同性愛者)の人、バイセクシュアル(女性にも男性にも性的に惹かれる)の人、トランスジェンダー(出生時の性と性自認が一致しない)の人もいる。 こうした人びとの頭文字をとって「LGBT」と呼ぶこともある。しかし、実際にはクエスチョニング(性自認や性的指向が定まっていない)の人など、もっと様々な人がいるため、「LGBTQ+」という言葉が広がりつつある。 多様な性への理解を深め、「みんなが生きやすい世の中をめざそう」と広くアピールするのが、このマーチの目的だ。ふくしまレインボーマーチ自体は3回目だが、過去2回は新型コロナの影響を受けてオンライン開催だった。町の中を実際に行進するのは今回が初めてだ。 先頭を歩くのは実行委員長の廣瀬柚香子さん(25)。廣瀬さんは矢吹町在住。自分のことを男性とも女性とも思えない「Xジェンダー」だと表現する。マーチを主催した理由をこう話す。 「マイノリティーではない人たちに対しては、『私たち性的マイノリティーが身近に存在しているんだよ』ということを知ってもらいたかったです。そして一緒に歩いてくださった皆さまには、『みんな自分らしく生きていて素敵だよ』っていうメッセージを伝えたかったです」 福島を変える第一歩 レインボーマーチの先頭を歩く廣瀬柚香子さん=10月2日福島市内、牧内昇平撮影 マーチで掲げられた「プライド・フラッグ」。レインボーカラーが多様な性を象徴している=10月2日福島市内、牧内昇平撮影  マーチには県外からも多くの人が参加した。岐阜県から参加したVENさんは、これまでに全国津々浦々、100カ所以上のレインボーマーチに参加してきた。 「歩行者天国で多くの人が手を振ってくださいました。警察の方もやさしく接してくれました。とても嬉しいですね。でもね……」 ゲイのVENさんは福島にも友人がいる。だが、その人は今回のマーチのことを知っていても、参加できなかった。残念ながら、性的マイノリティーへの差別や偏見がなくなったとは言い切れない現状がある。 「私の友人だけでなく、『一緒に歩きたくても歩けなかった』という人がたくさんいると思います。私はその人たちの分も歩きたいと思っています」とVENさんは語った。 午後3時、一団はスタート地点の「まちなか広場」に戻ってきた。マーチは成功のうちに終わった。実行委員長の大役を務めた廣瀬さんは、こう話した。 「今日歩くまではとても不安だったんですけど、みんなのパワーに支えられて緊張を吹き飛ばしてもらいました。みんなで一歩を踏み出した。そう思えるマーチでした。まちの方も手を振ってくれたりして。私、今まで福島は生きづらい場所だなと思っていたんですけど、変えていけるんじゃないかな、と今日思えました」 (ジャーナリスト・牧内昇平) ふくしまレインボーマーチホームページ あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】

  • 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

    【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

     2022年3月16日に発生した福島県沖地震、同年8月3日から4日にかけての大雨によって、前者は伊達・相馬両地方、後者は会津北部を中心に大きな被害が出た。どちらも、発生から時間が経ったが、その後の動きを追った。 福島県沖地震 いまもブルーシートがかかっている家屋が目に付く  国のまとめによると、3月の福島県沖地震により、県内では相馬市、南相馬市、国見町で最大震度6強を観測したほか、広い範囲で6弱から5弱の揺れが確認された。県内の被害状況は、人的被害が死者1人、重傷者9人、軽傷者92人。住家被害は全壊が165棟、半壊が4024棟、一部破損が3万0621棟となっている。こうした事態を受け、県内全域に災害救助法、被災者生活支援再建法が適用された。 このほか、生活・生業再建のための支援策が打ち出され、生活再建(住まいの確保)については、応急修理が半壊以上上限59万5000円、準半壊上限30万円、瓦屋根の改修が上限55万2000円などとされた。受付は各市町村で行っている。 こうして、支援策が示されているものの、実際の現場では、まだ住まいの修繕は追いついていないのが実情だ。特に顕著なのが屋根瓦。被害が大きかった相馬市、南相馬市鹿島区などを走行すると、屋根にブルーシートがかけられたまま、未修理の住宅があるのが目に付く。 梅雨前、ある住民は次のように語っていた。 「地震の数日後に修理業者に被害個所を見てもらいました。そのときはひとまず、屋根瓦が落下したところにブルーシートをかぶせて、土嚢で固定するといった応急処置をしてもらい、『(修理の準備が整ったら)また連絡します』とのことでした。ただ、それから2カ月ほどが経ちますが、まだ本格的な修理の連絡はもらっていません。この地域一帯で住宅被害が出ており、手が回らないのでしょう。幸い、雨漏りはしていないのでいいが、これから梅雨に入り、風が強い日があったらどうなるか分からないので、それまでに何とかしてもらいたいとは思っていますが、どうなるか」 修理待ちに半年以上  結局、この住民は10月に入って、ようやく屋根瓦の修理が終わったという。 「(屋根瓦修理の)作業自体は1日で終わりましたが、修理業者によると『(そのくらいのペースで作業をしても)まだまだ順番待ちのところがある』と話していました。ウチも半年以上経って、ようやくでしたからね。しかも、家の中(内装で破損したところ)はまだ手付かずの状況です。そっちはいつになるやら」 一方で、別の住民は「ウチは周囲の住宅と比べても屋根瓦の被害が大きかった。そのためか、早い段階で修理してもらえた」と話した。 広範囲で住宅被害(屋根瓦の被害)が出ていたことから、被害が大きく生活に支障をきたす恐れがあるところから優先的に修理している実態がうかがえる。 ちなみに、前者の住民の屋根瓦修理費用は約60万円、後者の住民は壊れた壁などを含めて120万円ほどだったという。 前述したように、住まいの修繕には補助が受けられるが、そのためには罹災証明書が必要になる。相馬地方の各自治体では、東日本大震災や2021年の地震被害の経験から、有事の際に応援職員を派遣してもらえるような体制を整えており、被害が広範囲に及んだ割には、比較的早く罹災証明書を発行できた。 ただ、同地方では1万軒ほどの住宅に被害が出ており、修理業者の手が行き届いていない。 実際、相馬地方の修理業者に話を聞くと、「確かに早く何とかしてほしい、といった要望は多いが限界がある」という。 「依頼があったら、ひとまず見に行って、応急処置を行い、被害が大きいところから順次修理に当たっています。ただ、南相馬市から新地町まで、広範囲にわたって被害が出ているため、本当に申し訳ないが、雨漏りをしていないところなどは、どうしても後回しになってしまっているのが現状です」 この修理業者に限らず、休日返上で毎日のように南相馬市から新地町までを修理に駆け回っているが、なかなか追いつかないようだ。「モノ(瓦などの資材)が高騰して入手しにくいということもありますが、人手が足りていないのが最大の要因」(前出の修理業者)とのこと。 本当に早く修理したいのであれば、地元以外の修理業者に依頼する方法もあるが、「普段の生活に支障をきたすほどの被害があったのなら別ですが、そうではなく多少は待てる状況だったので、ある程度知ったところにお願いしたいと思って、そうしています」(前出の住民)という。 同様の考えの人が多いのだろう。そのため、地元業者はフル回転しているが、なかなか住宅修繕が追いつかないのが現状のようだ。 会津北部大雨 2カ月以上通行できなかかった国道121号  8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内では広い範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。 福島地方気象台は8月9日、《8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった》と発表した。 3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉で315㍉、喜多方市で276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨になったという。 県の発表(8月24日13時時点)によると、人的被害(死者、行方不明者、重傷者、軽傷者)は確認されていないが、住家被害は全壊1棟、半壊3棟、一部破損8棟、床上浸水14棟、床下浸水145棟、非住家111棟が被害を受けた。道路は県管理道路27件、市町村管理道路51件で被害を受け、公共土木施設の被害額は県・市町村を合わせて約60億円。そのほか、農地、農道、農業用施設などで250件以上の被害が確認され、農林水産業の被害額は35億円以上になるという。 国は、今回の大雨被害を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減する方針を示した。 福島地方気象台の発表にもあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部で、本誌は9月号「会津北部 大雨被災地を行く 住家、農業、市民生活、経済……多方面に影響」という記事で、被害状況や被災者の声などを紹介した。 その中で、住家や農地の被害などのほかに象徴的な被害として、喜多方市と山形県米沢市をつなぐ国道121号が通行止めになったことを伝えた。山形県側で斜面が崩落したのが原因で、大雨被害から2カ月半以上が経った10月24日に片側交互通行ながら、ようやく通行できるようになった。 2カ月以上通行できなかった影響は多方面に及んだ。被害直後、ある喜多方市民はこう話していた。 「(喜多方市)熱塩加納町などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」(ある市民) 影響受けた道の駅  会津方面から米沢市に行くルートとしては、裏磐梯経由(西吾妻スカイバレー)があるが、急峻な山道でスクールバスが通行するのは難儀。普通の乗用車であっても尻込みするような山道だ。結果、中通り経由で行くことになり、通常の2倍くらいの所要時間がかかっていたわけ。 このほか、大きな影響を受けていたのが道の駅喜多の郷。同道の駅は国道121号沿いで、喜多方市街地から外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆になり、喜多方―米沢間が通り抜けできないとなれば交通量は大きく減る。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社は、当時本誌取材に「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と話した。 実は、国道121号は6月末の大雨で法面が崩落し、7月4日から7日までの3日間、通行止めとなっていた。その時は3日間だったが、今回は通行できるようになるまで2カ月以上かかり、かなりの痛手だったようだ。 実際、再開通直前の週末に同道の駅を訪ねたところ、入り込みはまばらだった。同日、近隣の猪苗代、ばんだい、裏磐梯の道の駅は駐車場にクルマを止められないくらい混み合っていたことを考えると、やはり影響は大きかったと言えよう。 開通当日、道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社に問い合わせると、「何とか紅葉シーズンに間に合い、これから半月ぐらい(11月中旬ごろまで)はお客さんが見込めると思います。今日(24日の開通日)も早速、山形ナンバーのクルマが何台か見えました」と話した。 これから積雪シーズンに入ると、また客足は鈍るだろうが、紅葉シーズンでどれだけ巻き返せるか。 こうした一例を見ても、福島県沖地震、会津北部大雨ともに被害が長期化していることがうかがえよう。 あわせて読みたい 【会津北部大雨】被災地を行く

  • 小野高校の〝存続〟を断念した村上小野町長

    小野高校の「存続」を断念した村上小野町長

     福島県教委は人口減少・少子化などを受け、県立高校の統合・再編を進めている。その1つに、船引高校(田村市)と小野高校(小野町)の統合計画があり、統合後は船引高校の校舎を使い、小野町からは高校がなくなってしまう。そのため、同町では町、議会、同窓会などが存続に向けた活動を行ってきたが、2022年9月議会で村上昭正町長が「存続断念」を表明した。 福島県教育委員会の統合計画は既定路線 福島県教育委員会(福島県庁)  県教委は、人口減少・少子化の進行、高等学校教育を取り巻く状況の変化、生徒の学習ニーズの多様化、学校の小規模化(3学級以下の高校の増加)などの教育環境の変化を背景に、2018年5月に「県立高等学校改革基本計画」を策定した。同計画では2019年度からの10年間を対象に、さまざまな取り組み内容が示されているが、その1つに県立高校の統合・再編がある。 同計画は、前期実施計画(2019〜2023年度)と後期実施計画(2024〜2028年度)に分かれ、前期は25校を13校に、後期は8校を4校に統合・再編することにしている。 今年度までに須賀川創英館(須賀川・長沼統合校)や会津西陵(大沼・坂下統合校)、相馬総合(相馬東・新地統合校)など7つの統合高校が開校しており、来年度に伊達高校(保原・梁川統合校)や二本松実業(二本松工業・安達東統合校)など5校が開校して前期計画は終了となる。 後期計画では、8校を4校に統合・再編する予定だが、その1つに船引高校(田村市)と小野高校(小野町)の統合がある。船引・小野統合校は、2026年4月開校予定で、校舎は船引高校を使う。 小野高校 船引高校  表①、②は、両校の募集定員と入学者の推移(過去5年間)をまとめたもの。船引高校の入学者数は横ばいから微減、小野高校は2021年度から募集人員が減ったこともあるが、大きく減っており、直近の充足率は50%を割っている。さらに、今後、小野町内の中学卒業者数が増える見込みもない(表③)。  こうした事情から、船引高校と小野高校の統合計画が示され、統合後は総合学科、定員160人(4学級)となり、前述したように校舎は船引高校を使うため、小野高校は事実上の廃校になる。ちなみに、両校は直線距離で20㌔ほど離れている。 県教委によると、現在の小野高校在学生の約42%が町内から通っているという。この数字をどのように捉えるかは判断が難しいところだが、少なくとも、前述したように、今後、同町内の中学校卒業者数が増える見込みはない。 町ぐるみで存続運動  この統合案に、小野町内では「人口・人材の流出が顕著になる」、「地域の活力が失われる」として、反対の意見が噴出した。町、議会、教育委員会、同窓会などが中心となり、県教委に統合見直しを求める要望活動などを展開してきた(表④=次頁=参照)。 今年6月には、船引・小野統合校に関する「第1回県立高等学校改革懇談会」が開催され、県教育長、県立高校改革室長らと、村上昭正小野町長、有賀仁一小野町教育長、小野高校同窓会役員、地元有識者らの話し合いが行われた。 その席で、小野町・小野高校の関係者(出席者)からは「少子化が進む中で高校の統合・再編は仕方がない」と状況は察しつつも、「住民の交流や文化の拠点となる場所がなくなる」、「町にとって高校の存在は、非常に大きなもので、『なくす』のではなく、『どうしたら存続できるか』を考えるべき」、「『人が減ったから学校も減らす』というのは、『地方創生』に逆行しているのではないか」、「船引高校に統合されたら、親も勤め先が、船引になってしまうかもしれない」といった意見が出された。このほか、町長や教育長などとの懇談だけでなく、「住民への説明も行うべき」といった指摘もあった。 この間、同町では小野高校を地域密着型高校として発展させるべく、「小野高校を考える連携協議会」を発足させ、地域行事に積極的に参加したり、同校家庭クラブと連携して、地域資源を活用した6次化商品を開発したり、農業クラブと町内の草花の手入れを一緒にやったりと、さまざまな取り組みを進めていた。同校家庭クラブが考案したメニューが高校生の料理コンテスト「うまいもん甲子園」で好成績を収めるなどの成果も出ていた。それだけに、何とか存続させてほしい、といった思いが強いようだ。 一方、県教委は「少子化、社会環境の変化が急速に進んでいる状況を捉えると、県教育委員会としては、船引高校と小野高校の統合を行い、この地域や田村郡、県内全域の教育環境を整えていくために、どうすればいいのかを考え、改革計画を示した」、「今回の意見は真摯に受け止める。地域住民に統合の方向性や内容について、しっかり理解していただくために、住民向けの説明会についても、町と協議して対応していく」と返答した。 こうして、町では小野高校存続に向けた活動を行ってきたが、今年9月議会で村上町長は「存続活動に一区切りをつける」と明かし、事実上の「存続断念」を表明した。村上町長にその真意、県教委とのやりとりのどういったところから、「計画を見直す考えはない」と感じたのかを聞いた。 村上町長に聞く  ――町では、県の統合方針に「反対」の立場から、要望等を行ってきたが、その意図と経緯。 「地域から学校がなくなることで地域活力や教育力の低下を招き、何より地域の人材育成の場が失われることは、地方創生に逆行するものと考え、全県下同一基準による県立高等学校改革を改め、それぞれの地域の実情に合った魅力ある教育環境づくりを推進するため、地域の意見等を十分に聴き取ったうえで、それらを反映させた後期実施計画へと見直しを行うことを要望してきた」 ――小野高校が統合され、実質、小野町から高校がなくなることで考えられる町内への影響。 「人口減少が加速する中、人材育成や地域振興などの役割を担う過疎・中山間地域の学校である小野高校が都市部の学校と同一の基準のもと後期実施計画通り統合すれば、地域活力や教育力の低下と人材育成の場が失われることになり、地方創生の取り組みに影響を受ける」 ――9月議会で「存続要望を断念する」旨を表明したが、その真意。県教委のやり取りの中、どういったことから、「存続は難しい」「方針を変える考えはない」と感じたのか。 「小野高校の存続に向けた各種要望活動に対し、県教育委員会には計画再考など、方針を転換する考えがなく、最終的には、8月に県教育長が来訪した際、終始一貫した『地域全体を考え、子どもたちにとってより良い環境づくりのため後期実施計画を進める』との具体的発言から存続を断念した」 ――そうした方針を示したことに対する町内の反応。 「これまでの経過や今後の取り組み方針等について、町広報紙を通じて町民へ周知を行ったが、町民から担当部署へは、意見や問い合わせはないのが現状である。ただ、小野高校について考える連携協議会(町民等から小野高校に関する意見等をいただく機関)を開催した際に委員からは以下のような意見等をいただいた。『町の方針転換はやむを得ないが残念である。また、県教育委員会のやり方は納得できない。手順も間違っており、地域の声を全く聞かず配慮不足であるが、地域にとってよりよい方向(利活用)になるように、県と綿密に連携していってほしい』『統合に向けて、町(地域)として農業が大切であるため、施設の有効活用を求めていくことや通学支援も考えていく必要があると思うので、県と交渉していくことが大事である。あわせて校舎方式(入学と卒業が同じ校舎)にするべき』」 ――統合を受け入れるとして、マイナス影響や町民の不安・不満等を解消するため、今後、町としてどのような取り組みをするか。 「苦渋の決断ながら、将来を担う子どもたちにとって、より良い教育環境づくりへの道筋をつける必要があるため、これまで町が行ってきた『小野高校の存続要望活動』に区切りをつけ、『小野高校の存続ありき』から『小野高校の存続を前提とせず』、小野町の高校生を地域全体で支え、支援することで教育環境を充実させるとともに、町民との協働による地域活性化に積極的に取り組んでいく。加えて、統合するまで残り4年間、引き続き小野高校の支援を行っていきたい」 県教委に求められること  県教委の進め方などに不満を持ちつつも、「方針を変える考えはない」と感じていたようだ。最終的には、8月に県教育長が来訪した際の発言を受け、「存続を断念した」という。今後は、統合後のことを考え、町内にマイナス影響が出ないような方策・取り組みが求められる。 一方で、県教委によると、小野高校の年間運営費は約5400万円(2019年度)という。現在の人口減少・少子化の流れや、地方自治法で規定されている「地方公共団体は、(中略)住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」(地方自治法2条14)という原則を考えたら、統合・再編はやむを得ない面はあるだろう。とはいえ、地元住民などへの丁寧な説明と理解醸成のための取り組みは今後も継続しなければならない。 この記事が掲載されている政経東北【2022年11月号】をBASEで購入する

  • 梁川・バイオマス計画住民の「募金活動」に圧力!?

    【梁川・バイオマス計画】住民の「募金活動」に圧力!?

     伊達市梁川町のやながわ工業団地で建設が進められているバイオマス発電所をめぐっては、市民団体「梁川地域市民のくらしと命を守る会」(名谷勝男代表)が反対運動を展開していることは本誌既報の通り。8月号では「傍観する市が果たすべき役割」として▽住民に寄り添う姿勢を明確にすること、▽住民と事業者の仲介役を務めること、と書いた。 しかし、住民が「なぜ市は事業者側に立つのか」と反発し、市が「法律に基づいて許可・容認しているだけ」と押し問答を繰り返している間にも、事業者の㈱ログ(群馬県太田市)は粛々と工事を進めている。来年秋には試運転が始まる予定だが、現状では、ログが話し合いで計画を止める気配は感じられない。 「このままでは事態は何も変わらない」と考えた守る会は、ログに法的手段を講じることを決めた。 守る会事務局の引地勲氏は次のように話す。 「真っ先に思い浮かぶのは工事差し止め請求ですが、具体的な方針は決まっていません。現在、弁護士や環境問題に詳しい専門家と、法的にどういう対抗策が考えられるか検討しているところです」 とはいえ、裁判を起こすにはお金が必要だが、2021年3月の結成以来、手弁当で運営してきた守る会に裁判費用を負担する余裕はない。そこで守る会は、当面の活動資金と裁判費用を捻出するため、広く募金を呼びかけることにした。 「これまでボランティアでやってきましたが、活動が長期化するにつれてお金の問題に直面することが増えてきたため、多くの方から浄財を寄せていただくしかないという結論に至りました」(同) 募金活動は当初、守る会だけでなく、地元の伊達市商工会、やながわ工業団地内の企業で組織するヤナガワテクノパーク会、農事組合法人も協力することを表明し、4団体連名で募金趣意書を作成することになっていた。ところが、募金趣意書案ができた段階で、伊達市商工会とヤナガワテクノパーク会から突然「名前を連ねるのが難しくなった」と告げられたという。 「両者ともはっきりは言わなかったが、どうやら市から『裁判を前提とする募金活動に協力するのはいかがなものか』というニュアンスの話をされたようなのです」(同) 要するに、市から〝圧力〟をかけられ、募金活動に協力できなくなったというのだ。 「両者とも、本音では協力したいと思っているので、その気持ちだけで十分です。実際、募金活動には協力できなくても、募金はしてくれましたから」(同) 一方、農事組合法人に対しても、守る会と募金活動について協議したその日の夜に、地元JAの幹部が農事組合長の家を訪ね、夜中まで「なぜ協力するのか」と詰め寄ったという。 「そういうやり方に激怒した農事組合長は翌日、JAに農事組合長の辞表を提出しました。農事組合長の言い分は『農事組合法人として、地元農家のためにバイオマス発電所に反対して何が悪いのか』というものでした」(同) これを受け、募金趣意書は4団体連名ではなくなったものの、梁川町内会長連絡協議会の協力を得ながら9月下旬に梁川町内全域に配布したという。市内他地域での配布は「現時点ではできていない」(同)とのことだが、守る会では11月いっぱいまで募金活動を続ける予定だ。 法的手段の見通しは立っていないが、協力者の思わぬ離脱は、かえって募金活動のモチベーションを高める結果につながっているようだ。 あわせて読みたい 田村バイオマス訴訟の控訴審が結審

  • 親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題

    【第2弾】【喜多方市】昭和電工の不誠実な汚染対策

     昭和電工喜多方事業所にたまった有害物質由来の土壌汚染・地下水汚染が公表されてから2年が経った。前号で、昭和電工が周辺住民が求める全有害物質の検査に応じず、不誠実な広報対応を続けていることを書いたが、不信感が広まったのは2022年1月、農業用水路に希硫酸が流出してからだ。昭和電工が、用水路を管理する地元土地改良区と締結予定だった「覚書」をダシに地元住民・地権者の同意を求めていたことも明らかになり、土地改良区の立場に疑いの目を向ける者もいる。 会津北部土地改良区にも不満の声  昭和電工の計画では、基準値を超えている地下水をくみ上げ、浄化処理をした上で排出するとしている。処理水は発生し続け、保管で敷地が狭くなるのを防ぐために排出先を確保するのは必須だ。東電福島第一原発の汚染水対策を見ている県民なら容易に想像できるだろう。 汚染水を浄化した処理水をどこに流すのか。昭和電工は2022年3月から喜多方市の下水道に流している。敷地内汚染が発覚するまで、昭和電工は下水道を使っていなかったが、新たに配管を通した。基準値を超えていないことを確認したうえで排出し、流量や測定値は毎月、市に報告している。 1日当たりどのくらい排出しているのか。同事業所に問い合わせると、2022年3月から10月24日までの期間で、1日当たりの排水量は平均で約200立方㍍だという。 下水道は使用料がかかる。公害対策費は利益につながらない出費なので、なるべく抑えたいはずだ。昭和電工は、当初は会津北部土地改良区(本部・喜多方市)が管理する松野左岸用水路に流す計画だった。その量は、1日当たり最大1500立方㍍。この用水路には、これまでも同改良区の許可を得たうえで通常の操業で出る排水を流してきた。 会津北部土地改良区の事務所  だが、公害対策工事が佳境を迎えても、いまだ同用水路には処理水を流せていない。近隣住民らの同意が得られていないからだ。住民側は複数行政区で同一歩調を取るという取り決めもされ、事態は膠着している。発端は、昭和電工による住民側に誤解を与えた説明と、同用水路への希硫酸流出事故だった。 事態を追う前に、当事者となった会津北部土地改良区の説明が必要だ。土地改良区とは、一定の地域の土地改良事業を行う公共組合。用水路や取水ダムの設置・管理、圃場整備を行う。一定の地域で農業を営んでいれば、本人の同意の有無にかかわらず組合員にならなければならず、地縁的性格が強い。 会津北部土地改良区は喜多方市、北塩原村、会津坂下町、湯川村に約4780㌶の受益地を持つ。松野左岸用水路は長さ3750㍍で、濁川から取水し、昭和電工喜多方事業所南部の農地約260㌶に供給する。 同事業所と周辺で汚染が発覚した後の2021年、昭和電工は環境対策の計画書を県に提出した。そこには処理水の排出経路として、前出の松野左岸用水路を想定。同年3月ごろに用水路を管理する会津北部土地改良区に、排水にあたって約束する内容を記した「覚書」を締結したいと申し出た。 汚染水中の有害物質を基準値以下にした処理水で、県も認可している計画なので、会津北部土地改良区も「約束を明確化するなら」と排水の趣旨は理解した。ただし同改良区では、どの用水路も近隣住民や関係する地権者の同意を得て初めて、事業所からの排水を流していたため、昭和電工にも同じように同意を得るように求めた。昭和電工は2021年夏ごろから、周辺住民を対象に説明会を開き同意書への署名を要望した。 筆者の手元に住民や地権者に示された「覚書」がある。昭和電工が作成し、住民らに示す前に同改良区に確認を取った。ただし同改良区は「内容が良いとか悪いとか、こちらから口を出すものではないと認識しています。受け取っただけです」(鈴木秀優事務局長)という。 覚書の初めには《会津北部土地改良区(以下「甲」という)と昭和電工株式会社喜多方事業所(以下「乙」という)は、甲が管理するかんがい用水路へ排出する乙の排出水によるかんがい用水の水質汚染発生防止と、良好な利水並びに環境の確保を本旨として、次のとおり覚書を締結する》とある。 第1章総則では、「この覚書に定める諸対策を誠実に実施し、環境負荷の低減に努めることを甲乙間において相互に確認することを目的」とし、「排出水による環境負荷抑制に努め」、「排出水の監視状況や環境保全活動等の情報を開示することにより、地域住民等との環境に関するコミュニケーションを図る」とある。以下、章ごとに「排出水等の水質」、「排出水等管理体制」、「不測の事態発生時の措置・損害の賠償」を約束する内容だ。 ただ、後半の「排水処理施設の出口において維持すべき数値」を定めた覚書細目では、フッ素及びその化合物についてのみ、許容限度を最大8㍉㌘/L以下と定めている。敷地内やその周辺の地下水で土壌汚染対策法の基準値を超えたシアン、ヒ素、ホウ素についての記述はない。 排水拒否の権限がある土地改良区  覚書の各項目の主語はほとんど乙=昭和電工だ。甲=会津北部土地改良区は、冒頭と署名・押印、協議に関わる個所以外は登場しない。 「覚書」と記されているが、当時も現在も、会津北部土地改良区とは正式に締結していない。だが、住民の同意を得るうえでは発効済みのものと同じくらい効果があった。 松野左岸用水路に処理水を排出していいかどうかの決定権があるのは、管理する同改良区だ。土地改良法57条3では、土地改良区は都道府県の認可を得て管理する農業用用排水路については、「予定する廃水以外の廃水が排出されることにより、当該農業用用排水路の管理に著しい支障を生じ、または生ずるおそれがあると認めるときは、当該管理規定の定めるところにより、当該廃水を排出する者に対し、その排出する廃水の量を減ずること、その排出を停止すること」を求めることができるとある。同改良区は昭和電工に「ノー」を突き付ける絶大な力を持っているということだ。 同改良区が「地域住民の同意が必要」と言ったら従うしかない。昭和電工が住民らに求めた同意書は「土地改良区の許可」という扉を開くための鍵だった。 同改良区の理事には喜多方市長や北塩原村長も名前を連ねており、地元では信頼がある(別表参照)。実際、「土地改良区でいいと言っているし、もう覚書は結ばれているものと思って同意に賛成した」という住民もいた。 会津北部土地改良区の役員構成(敬称略) 役職氏名住所(員外理事は公職)理事長佐藤雄一喜多方市関柴町副理事長鈴木定芳北塩原村庶務理事山田義人喜多方市塩川町会計理事遠藤俊一喜多方市熱塩加納町事業管理代表理事岩淵真祐喜多方市岩月町賦課徴収代表理事猪俣孝司喜多方市熱塩加納町理事飯野利光喜多方市上三宮町理事岩崎茂治喜多方市慶徳町理事庄司英喜喜多方市松山町理事高崎弘明喜多方市豊川町理事羽曾部祐仁喜多方市熊倉町理事横山敏光喜多方市塩川町員外理事遠藤忠一喜多方市長員外理事遠藤和夫北塩原村長統括監事堀利和喜多方市市道員外監事慶德榮喜喜多方市塩川町監事大竹良幸北塩原村  筆者は昭和電工喜多方事業所に「未締結なのに表題に『覚書』とのみ書き、『覚書(案)』のように記さなかったのはなぜか」と質問した。  同事業所は「説明会の中で会津北部土地改良区殿との締結はまだされていない旨をお伝え申し上げております。また、お示しした書面は、締結日付も空欄で押印もされていないものですので、見た目上も案であることはご理解いただけるものとなっております」と回答。勘違いした方が悪いというスタンスだ。 今回、地下水汚染の被害を受けている喜多方市豊川町は水田が広がる農業地帯だ。仕事柄、書類の見方に慣れている人は少ない。高齢者も多い。重要な書類を交わすのは、車の購入や保険の契約くらいだろう。 「分かりやすく伝える」ではなく「誰にでも伝わるようにする」。これは現代の広報の鉄則だ。住民の理解が不十分だったのをいいことに、自社に都合のいいように同意に向かわせることは、相手の立場に立った広報ができていないと言える。昭和電工喜多方事業所は地方の一拠点とはいえ、仮にも上場企業の傘下だ。 希硫酸流出で住民が同意書を撤回  以下は「同意書」の内容。同改良区・昭和電工と住民側が結ぶ形になっている。 《当行政区は、会津北部土地改良区の管理する松野左岸用水路の灌漑用水を直接又は反復利用するにあたり、下記の事項について同意いたします》。同意する内容は《昭和電工株式会社喜多方事業所が、会津北部土地改良区と昭和電工株式会社喜多方事業所との間で協議して締結する排水覚書(筆者注=「覚書案」のこと)に基づき排出水を適切に管理し、その排出水を会津北部土地改良区の管理する松野左岸用水路に排出することについて》である。 同事業所の南に位置する綾金行政区は、昭和電工が2021年9月19日に行った同行政区住民に対する説明で、即日同意書に署名を決めた。同行政区には51軒あるが、採決に参加したのはそのうちの36軒。賛成18軒に対し反対は8軒、多数派に委任したのが10軒あったため、行政区として同意書に合意した。 賛成の理由としては「国の基準を満たしているし、土地改良区も了承しているので任せたい」。反対の理由としては「風評被害につながる」との懸念があった。異論はあったが、同行政区は同年10月29日付で昭和電工に同意書を渡した。 会津北部土地改良区は綾金行政区からの要望を受けて、前事務局長を住民説明会に参加させていた。あくまでオブザーバーで、昭和電工側に立って説明することはなかったという。同改良区は、同社が長尾行政区を対象に同年10月24日に開いた説明会にも住民の要望を受けて参加した。 昭和電工と同改良区との「覚書」が示されたことで、住民側が勘違いしたのだろうか。関係する9行政区中、綾金、能力、長尾行政区が同意書を提出した。ところが、綾金行政区は2022年8月7日に同意を撤回。同時期に能力、長尾行政区も撤回した。いったい何があったのか。 きっかけは、2022年1月22日夜から23日午前10時にかけて、地下水汚染の拡散を防止する「環境対策工事」に使っていた希硫酸が敷地外に漏れたことだった。まさに住民らが前年に排出を同意していた松野左岸用水路に流出した。幸い、冬季は農業用水路として使っていなかった。積もっていた雪に吸着したため、敷地外への排出量も減り、回収もできた。 タンクからの漏洩量は1・15立方㍍。敷地外に流出したのは0・1立方㍍と昭和電工は計算している。最終放流口から漏れ出た溶液の㏗(ピーエイチ)が最も下がったのは同23日午前7時半に記録した㏗2・8だった。㏗は3・0以上6・0未満が弱酸性。6・0以上8・0以下が中性。2・0を下回ると強酸性に分類される。 流出量からすると実害はなかったが、不安は募る。さらに住民への報告は2月に入ってからで、不誠実に映った。漏洩防止対策のずさんさも環境対策工事への信頼を揺るがすものとなった。 調整役を期待される喜多方市  希硫酸は円柱形の大人の背丈ほどのタンク内に収められていた。下部から管を通して溶液を出すつくりになっている。タンクは四角い箱状の受け皿(防液堤)に置かれ、タンク自体が破損して希硫酸が漏れても広がらないよう対策されている。防液堤から漏れたとしても、雨水が集まる側溝には㏗の計測器があり、㏗6以下の異常を検知すれば敷地外につながる水路の門が遮断される仕組みになっていた。 昭和電工は、防液堤内に溜まった水が凍結・膨張した時に発生した力で希硫酸が入っているタンクと配管の接合部に破損ができたと推定している。喜多方の厳しい冬が原因ということだ。だが、防液堤に水が溜まっていたということは、そもそも受け皿の役割を果たしていないことにならないか。 第一の対策である防液堤はザルだった。防液堤側面には水抜き口があるが、液体流出防止の機能を果たす時は栓でふさいで使用する。だがこの時、栓は開いたままだった。 第二の対策、側溝にあった㏗の異常計測器はどうか。工事対応で一時的に移動させていたことから、異常値を検知できず、敷地外の水路につながる門は閉まらなかったという。 昭和電工は翌24日、県会津地方振興局と喜多方市市民生活課に事故を報告し、現場検証をした。用水路の管理者である会津北部土地改良区には25日に報告した。周辺住民の所有地に流出したわけではないので、同社からすると「住民は当事者ではない」のかもしれないが、住民たちは事故をすぐに知らされなかったことを不満に思っている。 疑念は昭和電工だけでなく、松野左岸用水路への処理水排水を許可する方針だった会津北部土地改良区にも向けられた。覚書を結んだくせに事故が起こったと思われたからだ。 喜多方市議会の9月定例会で山口和男議員(綾金行政区)は、遠藤忠一市長が会津北部土地改良区の員外理事を務めている点、市から同改良区に補助金を出している点に触れたうえで「管理する土地改良区が自分の水路に何が流れているか分からないようでは困るから、強く指導してほしい」と求めている。同改良区の当事者意識が薄いということだ。 遠藤市長は「会津北部土地改良区も含めて、行政として原因者である昭和電工にしっかりと指導してまいりたい」と答えた。 住民らは、不誠実な対応を続ける昭和電工、当事者意識が薄い会津北部土地改良区だけでは心許ないことから、喜多方市に調整役を期待し、これら3者に事業所周辺の汚染調査などを求める要望書を提出したという。市民の健康や利益を守るのは市の役目。積極的なかじ取りが求められるだろう。 あわせて読みたい 【第1弾】親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題 【第3弾】【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】 【第4弾】【喜多方市】処理水排出を強行する昭和電工

  • 親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題

    【第1弾】親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題

     喜多方市豊川町でフッ素やヒ素による土壌・地下水汚染が明らかとなった。昭和電工(東京都港区)喜多方事業所内の汚染物質を含む土壌からしみ出したとみられる。同社は2020年11月の公表以来、井戸が汚染された住民にウオーターサーバーを提供したり、汚染水の拡散を防ぐ遮水壁設置を進めているが、住民たちは工事の不手際や全種類の汚染物質を特定しない同社に不満を抱いている。親世代から苦しめられてきた同事業所由来の公害に、住民たちの我慢は限界に来ている。 繰り返される不誠実対応に憤る被害住民  2022年9月下旬の週末、JR喜多方駅南側に広がる田園には稲刈りの季節が訪れていた。ラーメンで知られる喜多方だが、綺麗な地下水や湧水を背景にした米どころでもある。豊富な地下水を求め、戦前から大企業も進出してきた。同駅のすぐ南には、化学工業大手・昭和電工の喜多方事業所がある。 1939(昭和14)年、この地にアルミニウム工場建設が決定。戦時下で軍需向けの製造が開始され、戦後に本格操業した。同事業所を南側の豊川町から眺めると、歴史を感じさせる赤茶けた建物が田園の向こうにたたずむ。 同事業所を持つ昭和電工グループの規模は巨大だ。2021年12月期の有価証券報告書によると、売上高は1兆4190億円で、経常利益は868億円。従業員数2万6054人(いずれも連結)。グループを束ねる昭和電工㈱(東京都港区)の資本金は1821億円。従業員数3298人。 喜多方事業所にはアルミニウム合金の加工品をつくる設備があり、従業員数18人。同事業所のホームページによると、アルミニウム産業に携わってきた技術を生かし、加工用の素材などを製造している。 そんな同事業所の敷地内で、土壌と地下水が汚染されていることが初めて公表されたのは2020年11月2日。土壌汚染対策法の基準値を超えるフッ素、シアン、ヒ素、ホウ素の4物質が検出された(表1)。同事業所は同年1~10月にかけて調査していた。  事業所の地下水で基準値を超えた物質 物質基準値の何倍か基準値フッ素最大値120倍0.8mg/Lシアン検出不検出が条件ヒ素最大値3.1倍0.01mg/Lホウ素最大値1.4倍1mg/L表1  同年10月5日付の地元2紙によると、原因について同事業所は、過去に行っていたアルミニウム製錬事業で発生したフッ素を含む残渣などを敷地内に埋め、そこからフッ素が溶け出した可能性があるとしている。ただ、シアン、ヒ素、ホウ素の検出については原因不明という。アルミニウム製錬事業は1982(昭和57)年に終了している。 現時点で健康被害を訴える住民はいない。だが、日常は奪われたと言っていい。同事業所の近隣に住む男性はこう話す。 「県から『井戸の水を調査させてください』と電話が掛かってきて初めて知りました。ウチは、飲み水は地下水を使っていました。昔からここらに住んでいる人たちはどこもそうです。井戸水を計ってみるとフッ素が基準値超えでした」 男性を含め、近隣の数世帯は飲食や洗い物に使う水を現在も昭和電工が手配したウオーターサーバーで賄っている。同社は被害住民らに深度20㍍以上の井戸を新たに掘ったものの、鉄分、マンガン、大腸菌など事業所由来かは不明だが基準値を超える物質が検出され、飲用には適さなかった。 「まるでキャンプ生活ですよ。2年近くも続くとは思っていませんでした」(同) 敷地越えて広がる汚染地下水  県も同事業所敷地から外へ向かって約250㍍の範囲の地下水を調査し、敷地外に地下水汚染が広がっていることを確認している(表2)。翌年4月2日には、昭和電工による計測値に基づき、県が敷地と周辺を土壌汚染対策法の要措置区域に指定した。健康被害が生ずるおそれに関する基準に該当すると認める場合に指定される。この区域では形質変更が原則禁止となる。同事業所とその周辺では2区域に分けて指定され、それぞれ約31万3000平方㍍と約6万2300平方㍍にわたる。 県による事業所外地下水調査で基準値を超えた物質 (21年1月発表)物質最大値基準値フッ素3.8mg/L0.8mg/Lホウ素1.8mg/L1mg/L(21年4月発表)物質最大値基準値フッ素3.8mg/L0.8mg/L(21年7月発表)物質最大値基準値フッ素3.8mg/L0.8mg/Lホウ素1.8mg/L1mg/L福島民報、福島民友記事より作成表2  しかし、地上では同事業所との境界は明確に分かれていても、地下水はつながっている。公害対策の責任がある昭和電工は、汚染を封じ込める「環境対策」を進めている。公表から5カ月ほどたった2021年4月の住民説明会で、同事業所は敷地を囲むように全周2740㍍の遮水壁を造り、汚染された地下水の拡散を防ぐ対策を明らかにした(福島民友会津版同年4月18日付より)。 記事によると、土壌にあるフッ素を含むアルミニウム製錬の残渣と地下水の接触を避けるため、揚水井戸を設置し、地下水をくみ上げて水位を下げる。くみ上げた地下水はフッ素などを基準値未満の水準に引き下げ、工場排水と同じく排水する。東京電力が廃炉作業中の福島第一原子力発電所に、地下水が流入するのを防ぐため凍土壁を造った仕組みと似ている。同事業所は遮水壁の完成予定が2023年5月になると明かしていた。 2021年12月期有価証券報告書で損益計算書(連結)を見ると、特別損失に「環境対策費」として89億5800万円を計上している。「喜多方事業所における地下水汚染対策工事等にかかる費用」という。 1年間で90億円ほど費やしている「環境対策」だが、順調に進んでいるのか。 同事業所の西側に隣接する太郎丸行政区の住民でつくる「太郎丸昭和電工公害対策検討委員会」の慶徳孝幸事務局長(63)は、住民側が把握しただけでも、2021年10月から2022年9月までに9件のトラブルがあったと指摘する(表3)。 発覚時期影響対象住民が把握したトラブル2020年11月事業所内4物質が地下水で基準値超え2021年10月被害住民地下水のデータを誤送付12月近隣住民工事の振動・騒音が基準値超え12月事業所内地下水でヒ素が基準値超え2022年1月敷地内外工事に使う希硫酸が水路に漏洩2月太郎丸地区地下水でフッ素が基準値超え3月事業所内新たな場所からシアンが検出6月事業所内地下水でヒ素が基準値超え8月事業所内地下水でヒ素が基準値超え9月太郎丸地区地下水でフッ素が基準値超え表3  2022年1月下旬には、工事に使う希硫酸が用水路に漏洩した。ところが住民への報告はその1週間後で、お詫びと直接的な健康被害はないと考えている旨を書いた文書1枚を事業所周辺の各行政区長に送っただけだったという。 「このような対応が続くと昭和電工が行うこと全てに信頼がなくなってしまいます」(慶徳事務局長) 太郎丸行政区の住民らは、土壌汚染対策法で基準値が定められている全26物質と、同じく水道法で定められている全51項目について、水質検査をするように昭和電工に求めている。なぜか。 同事業所長は、21年3月に開いた同行政区対象の説明会で「埋設物質及び量は特定できない」「フッ素以外のシアン、ヒ素、ホウ素の使用履歴が特定できない」と述べたという。 「使用履歴がないシアン、ヒ素、ホウ素が現に見つかっている以上、他に基準値を超える有害物質が埋まっている可能性は否定できません。調べるのが普通だと思います」(同) 市議会が「実態調査に関する請願」採択  喜多方市議会9月定例会には、同行政区の区長と前出・公害対策検討委員会の委員長が「昭和電工株式会社喜多方事業所における公害(土壌汚染・地下水汚染)の実態調査に関する請願」を同1日付で提出した。紹介議員は十二村秀孝議員(1期、豊川町高堂)。 市に求めたのはやはり次の2点。 1、土壌汚染に関し定められた全26物質の調査 2、地下水汚染に関し定められた全51項目の調査 以下は十二村議員が朗読した請願書の一部。 《昭和電工喜多方事業所は昭和19年より生産開始し、後に化学肥料の生産も行い、昭和40年代には広範囲に及ぶフッ素の煙害で甚大な農作物被害を被った重く苦しい歴史があります。  現在、ケミコン東日本マテリアルの建物が立っている場所は過去に調整池であり、汚染物質の塊である第一電解炉のがれきが埋設された場所でもあります。歴史の一部始終を見てきた太郎丸行政区の住民からは、不安の声が上がり、当事業所に対し、地下水流向の下流域にある同行政区で、土壌汚染対策法で定める全26物質(含有量・溶出量)の調査、地下水全51項目の水質調査を再三要請してきましたが、事業所からは『正式な調査はしない』と文書回答がありました。 2022年3月8日には、付近の地下水観測井戸からシアンの検出超過が判明。約2カ月間、井戸からくみ上げましたが基準値以下になっていません。2020年11月2日に土壌汚染を公表してから1年半以上。県の調査結果を見る限り一般的事業所の波及範囲は約80㍍に収まるが、最大約500㍍先の地下水も汚染されています。県の地下水調査でも過去に類を見ない大規模かつ重大な公害問題の可能性が推測されます。 太郎丸は地下水が豊富で湧水が多く点在します。毛管上昇現象による土壌汚染も心配です。約800年の歴史がある太郎丸行政区が将来にわたって安心・安全に子どもたちに引き継げるのか。夢と希望を持って農業ができるのか。不安払拭のためにも行政の実態調査を求めます》 請願は9月15日に全会一致で採択された。〝ボール〟は市当局にも投げられた格好だ。 「子どものためにも沈黙はいけない」  さかのぼること同11日には、昭和電工が市内の「喜多方プラザ」で説明会を開き、対象の5行政区から60~70人の住民が参加した。汚染発覚以来、同社が毎年1回開いている。 筆者は同事業所に、説明会の取材を事前に電話で申し込んだ。対応した中川尚総務部長は「あくまで住民への説明なので」とメディアの参加を拒否。なおも粘ったが「メディアの参加は想定していない」の一点張りだった。「住民が非公開を求めているのか。報じられたくない住民がいるなら配慮する」と申し入れたが「メディアが入ることは想定していないので住民には取材の可否を聞き取っていない」。つまり、報じられたくないのは同事業所ということ。 当日、筆者は会場に向かったが、入り口には青い作業服を着た従業員10人ほどがいて入場を断られた。目の前にいる中川総務部長にいくつか質問をしたが、書面でしか受け付けないと断られた。 後日、前出・慶徳事務局長に説明会の様子を聞くと、 「午後3時に始まり、4時半に終える予定でしたが、結局7時半までかかりました。昭和電工側が要領の得ない発言を繰り返し、紛糾したからです」 会場の映像や写真、音声記録が欲しいところだが、 「昭和電工は参加した住民にも、機器を使って記録することを禁じていました。都合の悪い情報が記録され、メディアに報じられるのを避けたかったのでしょう。出席者からは『それなら議事録が欲しい』という求めもありましたが、要求が出たから渋々応じる感じで、前回も3カ月遅れで知らされました」(同) 昭和電工は、メディアに対しては書面で質問を求めるのに、自らが住民に書面で説明することには消極的なようだ。 昭和電工側の不誠実な対応を目の当たりにするたびに、慶徳事務局長は親世代の苦難を思い出すという。 「過去には同事業所から出るフッ素の煙で周辺の農作物に被害が出ました。親たちは交渉や訴訟を闘ってきました。それが今は子や孫に当たる私たちに続いている」(同) 話の途中、慶徳事務局長は前歯を指差した。 「知っていますか。フッ素を多く摂り過ぎると、歯に白い斑点できるんです。当時は事業所近隣に住む子どもたちだけ、特別に健康診断を受けていました。嫌な記憶です」 飲み水の配給を受けている前出・男性住民もこう話す。 「フッ素は硬水に多く含まれているので、気を付けていれば健康被害はそこまで心配していません。しかし、昭和電工は他の有害物質を十分に検査しておらず、フッ素より危険な物質が紛れている可能性もある。そっちの方が怖い。風評を恐れ、そっとしておきたい住民の気持ちも分かりますが、これからの子どもたちを考えたら黙っていられません。子や孫に『お父さん、おじいちゃんはなんで何もしなかったの』と言われないようにしたい」 米どころの喜多方では、周辺の耕作地への風評被害を恐れ、公害の原因を追及する動きは住民全体に広まっていない。だが、風評と実害を分けるために検査を尽くすことは重要だろう。 地元の豊川小学校の校歌には「豊かな土地を うるおす川の  絶えぬ営み われらのつとめ」の一節がある。地下水は、いずれは川に流れつく。子どもたちがこれからも胸を張って校歌を歌えるかは昭和電工、住民、行政含め大人たちの手に掛かっている。 あわせて読みたい 【第2弾】【喜多方市】昭和電工の不誠実な汚染対策 【第3弾】【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】 【第4弾】【喜多方市】処理水排出を強行する昭和電工

  • 【会津北部大雨】被災地を行く

    【会津北部大雨】被災地を行く

    (2022年9月号)  2022年8月3日から4日にかけての大雨で、県内広範囲で大きな被害が出ている。特に被害が大きかったのは会津北部で、家屋や農地などが影響を受けた。大雨から2週間ほどが経った8月中旬から下旬にかけて、被害が大きかった地域を中心に、状況を見聞きした。 住家、農業、市民生活、経済……多方面に影響 崩落したJR磐越西線の橋梁 濁川河川敷の公園。近隣住民によると、「遊具があるところの付近まで水が上がった」という。  8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内では広い範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。 福島地方気象台は8月9日、《8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった》と発表した。  3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉が315㍉、喜多方市が276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨になったという。 県の発表(8月24日13時時点)によると、人的被害(死者、行方不明者、重傷者、軽傷者)は確認されていないが、住家被害は全壊1棟、半壊2棟、一部破損5棟、床上浸水15棟、床下浸水140棟、非住家107棟となっている。道路は県管理道路27件、市町村管理道路51件で被害を受け、公共土木施設の被害額は県・市町村を合わせて約60億円。そのほか、農地、農道、農業用施設などで260件の被害が確認され、農林水産業の被害額は約22億円に上るという。公共土木施設や農林水産業の被害額は今後も増える可能性がある。 国は、今回の大雨被害を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減する方針を示している。 福島地方気象台の発表にもあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部。本誌は大雨から2週間ほどが経った8月中旬から下旬にかけて、北塩原村、喜多方市を中心に被害状況を見聞きした。 まず、国道115号から国道459号を経由して北塩原村、喜多方市へと向かったのだが、猪苗代町から北塩原村へと続く「磐梯吾妻レークライン」は、8月3日午後6時30分から全面通行止めとなっており、ゲートが閉じられていた。雨量超過、道路流失が原因という。その後、8月25日に一部解除となったが、中津川渓谷レストハウス(猪苗代町若宮字吾妻山甲)―金堀ゲート(同町若宮字吾妻山)間は通行止めが続いている(8月25日時点)。  同村では、裏磐梯グランデコ東急ホテルに通じる道路が土砂崩れのため通行できなくなり、宿泊客や従業員ら計約160人が一時孤立状態になった。すぐに道路をふさいでいた土砂撤去が進められ、4日午後に孤立状態は解消された。 国道459号に沿うように流れる大塩川の近くに住む村民は、「村から避難指示が出され、多くの人が避難所となった村民体育館などに避難しました。幸い、私のところは寸前のところで浸水には至らなかったが、やはり怖かった」と話した。 塩川総合支所に設けられた災害廃棄物の仮置場  前述した県の発表の詳細を見ると、同村の住家被害は床上浸水2棟、床下浸水2棟となっているほか、道路8件で路肩崩落、土砂崩れなどの被害が出ているが、後述する喜多方市に比べると割合は低い。 喜多方市の被害状況 山都町宮古地区に向かう道路(国道459号)は数カ所で崩落が起きていた  一方、喜多方市は住家被害が半壊1棟、床上浸水12棟、床下浸水106棟に加え、道路28件で冠水、法面崩落、陥没、路肩崩落、土砂流入などの被害を受けたほか、農地、農業用施設などのその他の被害も多数確認されている。 それ以外で、最も大きなところでは、JR磐越西線の濁川にかかる橋梁が崩落し、喜多方―野沢(西会津町)間が不通となった。こうした事態を受け、JR東日本は8月10日から喜多方―野沢間で代行バスを運行している。 ある市民はこう話す。 「ひとまず、代行バスが運行されたのは良かったが、一番大変なのは通学で利用している高校生。以前に比べてだいぶ余計に時間がかかると言っていました」 橋梁が崩落したのはJR喜多方駅から西に1㌔ほどのところ。橋が崩落し、線路が宙づりになっているのが確認できた。 崩落した橋梁付近の濁川の河川敷は親水公園になっており、近隣の住民によると「これまでの雨と降りっぷりが全然違くて、これはまずいと思った。(親水公園の)遊具などが設置されているところの付近まで水が上がって来たのは初めて見た」とのこと。 さらに、この住民は「塩川の方はもっとひどいと聞いた」とも語っていた。実際、住家被害は同市塩川町がかなりひどかったようだ。 市危機管理課によると、市役所塩川総合支所から700㍍ほど南側が大塩川と日橋川の合流地点となっているほか、土地が低くなっていることもあり、その周辺の住家が浸水被害を受けたようだ。 中には「この地域は何年、何十年かに一度はこうした浸水被害がある。仕方がない」と諦めている人も。 塩川総合支所には、災害廃棄物の仮置場が設置され、浸水被害を受けた住民が使えなくなった家財道具などを運び込めるようにしてあった。 ある市民によると、「今回、浸水被害を受けたところには、区画整理によってできた新興住宅があり、会津若松市への通勤などにも便利で、地価も比較的安いことから、会津若松市などから移り住んだ人も少なくない。ただ、その周囲は過去にも水害が起きており、便利で求めやすい半面、そういうリスクもあるということ」と話した。 農業被害の状況 土砂が流入したと思われる農地(喜多方市山都町)  一方、農地・農業用施設の被害という点では、同市山都町の被害が大きかったようだ。 「宮古そば」で知られる同町宮古地区を訪ねてみると、同地区は国道459号に沿うように宮古川が流れているのだが、道路は所々、崩落していた。農作業をしていた住民に話を聞くと、次のように語った。 「大雨の日は、増水して川の流れが速くなり、大きな石が流れてきて、それがぶつかる音がカミナリのようで怖くて眠れなかった。ソバ畑は、8月上旬はちょうど種まきの時期で、(大雨前に)すでに種まきをしていた人、これから(大雨があった日の後で)種まきをしようと思っていた人、それぞれですが、ソバは雨に弱く、大雨前に種まきしたところはかなり厳しい状況です。中には、(大雨後に)種まきをし直した人もいますが、その後にさらに雨が降り続き、さすがに2回目(都合3回目)のまき直しはしないと言っていました。ですから、収量は減るでしょうね。コロナ禍でなかなかお客さんが来ない中、ようやく戻りつつあると思ったら、この水害ですよ。この地区のソバ店は自宅兼店舗だから何とかやっていけますが、家賃を払ってお店をやるような状況だったら続けられなかったでしょうね」 ほかにも、同市内では、水田や畑に土砂が流れ込んだケースや、用水路が被害を受けたために水田に水を引けなくなったケース、トマトやキュウリ、アスパラガスなどを栽培するビニールハウスが被害を受けたケースなどが確認されている。水田は、水位が上がっただけなら、水が引けば多少収量が落ちたとしても収穫することはできるが、そうでない場合は収穫は難しいだろう。 前述したように、農林水産業の被害額は約22億円に上るというから、相当な被害だ。あとは、共済などの農業保険に入っているかどうか、ということになろう。 被害を受けた人の中には、「安倍晋三元首相の国葬には数億円(新聞報道によると2・5億円)かかるとされているが、それならわれわれのように、被害を受けた人の救済措置に回してほしい」と語る人もいたのが印象的だった。 国道121号不通の影響 入り込みが落ち込む道の駅喜多の郷  このほか、同市と山形県米沢市をつなぐ国道121号は、山形県側で斜面が崩落し通行止めが続いている。実は、国道121号は6月末の大雨でも法面が崩落し、7月4日から7日までの3日間、通行止めとなっていた。その後、片側交互通行ではあるものの、通行できるようになったが、今回の大雨でさらなる被害を受け、いまのところ復旧の見通しは立っていない。 「(同市の)熱塩加納町などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」(ある市民) このほか、国道121号が通行止めとなったことで大きな影響を受けているのが「道の駅 喜多の郷」だ。同道の駅は国道121号沿いで、市街地からだいぶ外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆ということになり、喜多方―米沢間が通り抜けできないとなれば交通量は大きく減る。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社によると、「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と話した。 本誌が訪ねたのは週末だったが、実際、客入りはまばらだった。 こうして聞くと、今回の大雨被害により、住家、農地・農業用施設、市民生活、経済面のさまざまなところで大きな影響を受けていることが分かる。 あわせて読みたい 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

  • 【梁川・バイオマス計画】傍観する市が果たすべき役割

    【梁川・バイオマス計画】傍観する伊達市が果たすべき役割

     「梁川地域市民のくらしと命を守る会」(名谷勝男代表)は2022年7月5日、伊達市梁川町の粟野地区交流館で住民説明会を開いた。会には須田博行市長と市幹部が招かれ、地域住民ら約50人が出席した。 守る会は、やながわ工業団地で建設が進められているバイオマス発電所に反対するため2021年3月に結成された。同発電所は群馬県太田市の産業廃棄物処理業㈱ログが建設を進めている。 同発電所をめぐっては▽木材だけでなく建築廃材や廃プラスチックも焼却される、▽バイオマス事業のガイドラインを無視し、住民への十分な説明がない、▽ダイオキシンの発生などが懸念される――等々から反対の声が上がっているが、守る会では市(須田市長)の対応にも不満を露わにしている。理由はさまざまあるが、要するに市は「民の取り組みに関知しない」という姿勢を崩そうとせず、それが守る会には「住民を守る気がない」と映っているのだ。計画への賛否を示してこなかった須田市長が市長選目前の2021年12月定例会で「認められない」と発言したのに、結局建設が進んでいることも「当選したくてウソをついた」と反発を買った。 冒頭の住民説明会でも、須田市長は守る会役員や出席者から厳しい質問と批判にさらされた。それでも須田市長は「市としては適切に対応した」という発言を繰り返した。 住民説明会終了後、須田市長に聞くと疲れた様子でこう話した。 「うーん、正直とても難しい問題だ。市としては法律でそうなっている以上、その時々に応じた判断をするしかなく、そこは間違っていないと思うが……」 守る会や地域住民が須田市長に怒りをぶつける気持ちは分かる。しかし、当事者のログが不在の場で住民と市が意見を交わしても解決につながらないのではないか――住民説明会の様子を見ていてそう感じた。 住民説明会で話す須田市長(中央、2022年7月5日)  まず大前提にあるのは、ログの不誠実な姿勢だ。建設に必要な手続きは法律に則って進めたのだろうが、地域住民や工業団地内の事業所に丁寧な説明を行わなかったのは問題だった。説明は言ってみれば努力義務の類いだが、見ず知らずの場所で新規事業を行おうとするなら、きちんと説明を尽くし地元との信頼関係を築くことが欠かせない。そこをないがしろにして「法的に問題なければあとは何をしてもいいんだ」という経営姿勢では、地元から歓迎されず、事業への理解も得られない。 そのうえで市がやるべきは「地元の理解が得られなければ市として賛成できない」という姿勢を明確にすることではなかったか。あるいは市が仲介役となって説明会を設け、住民とログに出席してもらい、意見を交わし合う方法もあったと思う。市と住民、市とログによる話し合いでは、お互いの言い分が正確に相手側に伝わらない。市は「説明会を開く義務はない」と言うかもしれないが、市民が困っているのに見過ごすのは、それこそ行政の不作為だ。 日立造船が下郷、南会津、昭和、会津美里の4町村にまたがって計画している会津大沼風力発電事業(仮称)をめぐっては、舟木幸一昭和村長や渡部正義南会津町長が「法的には問題ないが受け入れられない」と撤回を求めている。町村は県に意見書を提出する立場に過ぎず、たとえ反対しても法的効力はない。それでも舟木村長と渡部町長は自然保護や文化財保護、防災の観点から「受け入れられない」と明言した。 会津大沼風力発電事業(仮称)の廃止について  これを伊達市に置き換えた場合、同発電所の近くには小学校や認定こども園がある。須田市長が「法的には問題ないが、子どもたちの安心・安全の観点から受け入れられない」と発言するのは自然なことで、それこそ市長として住民に寄り添った姿勢だと思うが、いかがだろうか。 あわせて読みたい 【梁川・バイオマス計画】住民の「募金活動」に圧力!?

  • 相馬玉野メガソーラー事業者が「渦中の所有者」の関与を否定(2021年11月号)

    相馬玉野メガソーラー事業者が「渦中の所有者」の関与を否定

    (2021年11月号)  本誌8月号、10月号で相馬市玉野地区に計画されている県内最大級のメガソーラーについて報じた。  事業者は「GSSGソーラージャパンホールディングス2」(東京都港区)で、アメリカ・コロラド州に拠点を置く太陽光発電事業者「GSSG Solar」の日本法人。 同計画の問題点は大きく2つ。 1つは、計画地は主に山林のため、大規模な林地開発を伴うこと。近隣や下流域の住民からは、「大規模開発により、山の保水力が失われてしまう。近年は、各地で洪水・土砂災害などが頻発しており、周辺・下流域でそうした災害が起きるのではないか」といった不安が出ている。 もう1つは、計画立案者で最大地権者は、7月に発生した静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」現場の所有者と同一人物であること。 関連報道によると、土石流が起きた原因は、河川上流の盛り土で、急な斜面に産廃を含む土砂が遺棄され、今回の豪雨で一気に崩落した、とされている。盛り土を行ったのは旧所有者だが、2011年に現所有者が取得。土石流の起点付近で不適切に土砂を投棄したほか、危険性を認識しながら適切な措置・対策を取っていなかったという。 遺族・被災者らは現旧所有者を相手取り損害賠償請求訴訟を起こすと同時に刑事告訴した。 その現所有者である麦島善光氏が玉野メガソーラー用地の約7割を所有しているのだ。登記簿謄本によると、東京都在住の個人が所有していたが、2002年に東京財務局が差押をした後、2011年8月、公売によって麦島氏が取得した。麦島氏が取得後、同所に抵当権などは設定されていない。 麦島氏はこの土地でメガソーラー事業を行う計画を立て、地元住民によると、「当初、麦島氏は自分でメガソーラーを開発、運営する考えだった。麦島氏とその部下がよくこちら(玉野地区)に来て、挨拶回りや説明を行っていた」という。 麦島氏は2016年9月、合同会社・相馬伊達太陽光発電所(東京都千代田区)を設立し、代表社員に就いた。しかし、自社での開発・運営を諦め、GSSGソーラージャパンホールディングス2が事業主体となった。麦島氏は同社に事業権を譲渡するとともに地代を受け取ることになる。 ただ、住民からすると「そういう問題人物が関わっていて、本当に大丈夫なのか」との不安は大きい。 10月11日、「相馬市民の会」主催で説明会が開かれた。当然、麦島氏のことが質問に出たのだが、事業者は「ただの地権者で事業そのものには関わらない」と、麦島氏の関与を否定した。 一方、「麦島氏は現在80歳を超えており、事業終了後(20〜40年後)はいない。開発で保水力を失った山林は事業終了後も管理が必要だが、その費用を麦島氏の後継者に請求できるか」との質問も出たが、これに対しては明確な回答はなかった。 麦島氏は直接的に事業に関与しないようだが、そういった点での不安は残されたままだ。 あわせて読みたい 不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画 相馬玉野メガソーラー計画への懸念

  • 相馬玉野メガソーラー計画へ  の懸念(2021年10月号)

    相馬玉野メガソーラー計画への懸念

    (2021年10月号)  本誌2021年8月号に「不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画 静岡県熱海市土砂災害との意外な接点」という記事を掲載した。その後、相馬市9月議会で同計画に関連する動きがあったので続報する。 実らなかった住民団体「必死の訴え」  現在、相馬市玉野地区で、県内最大級のメガソーラー計画が進められている。計画地は主に山林のため、発電所建設(太陽光パネル設置)に当たっては大規模な林地開発を伴う。そのため、近隣住民や下流域の住民からは、「大規模開発により、山の保水力が失われてしまう。近年は、各地で洪水・土砂災害などが頻発しており、周辺・下流域でそうした災害が起きるのではないか」といった不安の声が出ていた。 こうした事情もあり、7月15日に玉野地区だけでなく、ほかの地区の住民も交えた説明会が開催された。主催したのは「相馬市民の会」という住民団体で、事業者の「GSSGソーラージャパンホールディングス2」という会社の担当者を招いての説明会だった。 記事ではその模様を伝えたほか、①同事業用地の所有者で同事業の発案者は、7月に発生した静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」現場の所有者と同一人物であること、②県はそのことを認識しながら、7月15日に林地開発許可を出したこと――等々をリポートした。 一方、同記事では、説明会から4日後の7月19日に、住民団体「相馬市民有志の会」(※説明会を主催した「相馬市民の会」とは別団体)が県に対して、「同事業には安全面で問題があるため、林地開発許可を行わないよう求める」とする申入書を提出したことも伝えた。 申入書の趣旨は、1つは静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」を引き合いに、そうした問題人物の手掛ける事業に行政として、開発許可を出すのが妥当なのか、ということ。 もう1つは調整池の問題。「相馬市民有志の会」の関係者は当時の本誌取材に次のように話していた。 「2019年の台風では、同計画の設計基準とされている雨量を超えたほか、事業終了後の調整池の問題もあります。というのは、最初の説明会のとき、事業者は発電期間は20年間で、その後、メンテナンスを行い、さらに20年間、最大40年間を見込んでいるとのことでしたが、事業期間が終わり、パネルを撤退した時点では、山は丸裸のまんまです。一度剥いてしまった山林が保水力を取り戻すには数十年、場合によっては100年かかると言われており、事業終了後も調整池は残さなければならない。事業期間中は定期的にえん堤の修繕・堆積土浚渫などを行うそうだが、事業終了後は誰がそれをやるのか。国の制度では、2022年度から事業期間中に売電収入から外部積み立てをし、それを撤去費用に充てることになっていますが、調整池の保全管理費分も含むかどうかは不透明です。そういった面で、とにかく問題点が多過ぎる。将来的に、負の遺産になるかもしれないものは、地元住民として到底容認できないというのが申入書の趣旨です」 計画では事業区域は1号から7号までの各ブロックに分かれ、太陽光パネルが設置されたエリアはフェンスで覆い、その外側の周囲30㍍は残置森林とするほか、各ブロックに調整池を設置する、とされている。事業(発電)期間終了後、その調整池の管理の問題を問うのが申入書の趣旨だった。 8月号記事執筆時点では、この申入書に対する県からの回答はなかったが、8月11日付で県森林保全課から「相馬市民有志の会」に回答があった。内容は次の通り。   ×  ×  ×  × 林地開発許可について 令和3年4月28日付で合同会社相馬伊達太陽光発電所から林地開発許可申請があったこのことについて、「災害の防止」、「水害の防止」、「水の確保」、「環境の保全」の4要件で審査し、許可基準を満たすことを確認しました。さらに、福島県森林審議会に諮問した結果、「適当と認める」旨の答申を得たことから、令和3年7月15日付で許可しました。 GSSGソーラージャパンホールディングス2等の調査結果 申請者である合同会社相馬伊達太陽光発電所の代表社員GSSGソーラージャパンホールディングス2の存在を確認するとともに、開発行為が中断されることなく許可を受けた計画どおり適正に完遂させうる相当の資金力及び信用の有無を確認しています。なお、麦島善光氏(編集部注・静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」現場の所有者で、合同会社相馬伊達太陽光発電所の創設者、玉野地区メガソーラー計画地の地権者)につきましては、土地所有者であり、土地所有者の適正は審査項目に含まれておりません。 土砂災害警戒区域について 土砂災害防止法による開発規制は、指定区域において住宅分譲や災害時要援護者関連施設等の建築のための開発行為が対象であり、太陽光発電事業を目的とする開発行為は該当しない旨の回答を担当部局から得ています。また、当該地の警戒区域については、現時点で未指定であり、基礎調査の公表となっています。なお、環境省において再生可能エネルギーの促進地域から土砂災害の危険性が高い区域を除外する旨の通知等は示されていません   ×  ×  ×  × 資源エネ庁に申し入れ  「相馬市民有志の会」が県に申入書を提出した直後、県森林保全課に確認したところ、林地開発については、手続き上、要件を満たしていれば開発許可を出すことになる、とのこと。 さらに、静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」との関係については、県森林保全課では、熱海市の土地所有者と、玉野地区のメガソーラー計画の事業地所有者が同一人物であることは認識していた。 そこで、記者が「すでに開発許可は出ているそうだが、そういう人(問題人物と思しき人)が関わっているということで、開発許可を再考するということにはならないのか」と尋ねると、こう明かした。 「許可申請者は別(GSSGの傘下のようになった相馬伊達太陽光発電所)ですし、(熱海市の件と同一人物が)所有者に名を連ねているのは承知していますが、それだけ、と言ったら何ですが……。そういうこと(開発許可を再考すること)にはならないと思います」 申入書に対する回答を見ると、まさにそういった内容のものだ。 一方、「相馬市民有志の会」は同様の観点から、8月下旬、相馬市に要望を行うと同時に、相馬市議会に陳情書を提出した。 それに先立ち、「相馬市民有志の会」は8月10日に資源エネルギー庁にも同趣旨の申入書を提出している。その際、資源エネルギー庁は「調整池は長期にわたり維持管理される必要があるが、調整池保全管理費については、外部機関積み立ての対象になっていない」との回答だったという。 国は2020年6月、メガソーラーなどの事業終了時のために、施設撤去費用を外部機関に積み立てることなどを定めた「エネルギー供給強靭化法」を制定したが、そこで定められた「外部機関積み立て」には、調整池保全管理費は含んでいないことが資源エネルギー庁への申し入れで明らかになったということだ。 「市が義務付けは難しい」と市長  これを受け、「相馬市民有志の会」は市と議会に対して「長期にわたる調整池の保全管理費が本来負担すべき事業者ではなく、相馬市民に押し付けられることになる」として、「そうしたことにならないよう、事業者との間に①事業終了後においても、調整池の保全管理費は事業者が負担すること。事業者は保全管理費の総計を算出し、それを相馬市と共有して積み立て実態も公開すること、②万が一、メガソーラー設置に起因する災害が発生したときは事業者が復旧及び被害救済に責任を負うこと、などを内容とする協定書を取り交わすべき」と要望・陳情したのである。 陳情は市議会文教厚生常任委員会に付託され、9月定例会中の9月8日に審議が行われたが、それに先立ち、同2日に一般質問が行われ、村松恵美子議員が関連の質問を行った。 内容は「県内最大規模のメガソーラー発電施設が玉野地区に設置される計画が進んでいる。メガソーラー設置区域には土砂流出警戒区域も含まれる。さらに大雨対策の調整池の維持管理が事業継続中は事業者の責任だが、事業終了後は事業者責任が無くなることが分かった。このような法整備が不完全の状態で設置が進むことを市長はどう考えるかうかがう」というもの。 まさに、「相馬市民有志の会」が懸念する「事業終了後の調整池の維持管理の問題」を質したのである。 これに対する市当局の答弁だが、まず、林地開発申請後、県から地元自治体として意見を求められ、意見書を提出したという。 その内容は、令和元年東日本台風により大きな被害を受けた下流地区の住民に、特に丁寧な説明を行い、水害への懸念を払拭すること、激甚災害相当規模の雨量にも対応できる設備を設置すること、林地開発にあたっては、開発地周辺住民に十分な説明機会を設け、理解を得ながら事業を進めること、意見や要望に対して十分な説明や誠意を持って対応すること――というもの。 そのうえで、立谷秀清市長は次のように答弁した。 「『相馬市民有志の会』から環境協定の中で事業終了後の調整池の管理を義務付けるよう要望が出ている。弁護士とも協議したが、民間事業者と地権者の契約の中で、市が事業者にその義務付けをすることはできない。協定書に盛り込めるとしたら、県の基準を順守しなさい、安全性を確保しなさい、というところまでしかできない」 さらに、立谷市長は「この件は全国的な問題として、これから出てくる。発端は熱海市の件。熱海市長とは親しくしているが、憤懣やるかたない思いだと言っていた。全国的な問題だから、全国市長会長の立場で問題提起・議論していきたい」とも語っていた。 問題は認識しつつも、民間事業者と地権者による民民のビジネス契約だから、市としてそこに関与することは難しい、ということだ。 陳情「委員会審議」の模様  陳情の審議が行われたのは、この一般質問があった数日後で、当日は陳情者の意見陳述が行われ、「相馬市民有志の会」関係者が陳情趣旨などを説明した。その後、議員(委員)から陳情者への質問、議員から執行部への質問、議員間討議、討論などが行われ、最後に採決された。採決結果は賛成ゼロで不採択だった。 反対討論は3人の議員が行ったが、端的に言うと、その内容は「相馬市民有志の会」が指摘した問題点について理解は示しつつ、基本的には民間事業者が民間の土地を借りて行う事業であり、行政として関与できるものではない、というものだった。この数日前の立谷市長の答弁を受け、議会でもそういった結論になったということだろう。 「相馬市民有志の会」の懸念は、民間事業者がビジネス(金儲け)をした後の後処理を誰がするのか、場合によっては行政が税金によって担うことになり、それはおかしい、ということである。だったら、そうならないようにあらかじめ対策を取っておくべき、ということで、趣旨としては分かりやすい。 ただ、市や議会の判断は前述の通りで、住民の感情や懸念と、行政・議会としてできることには隔たりがあるということだ。 同日は「相馬市民有志の会」関係者ら十数人が傍聴に訪れていたが、落胆の声が聞かれた。 前述したように、国は2020年6月、メガソーラーなどの事業終了時のために、施設撤去費用を外部機関に積み立てることなどを定めた「エネルギー供給強靭化法」を制定したが、そこで定められた「外部機関積み立て」には、調整池保全管理費は含んでいない。そこに、調整池保全管理費なども含めるよう、法制度を変えていくしかないということだろう。 一方で、関係者によると、10月中に事業者を招いた「相馬市民の会」主催の説明会が再度行われるというが、その席であらためてこの問題が取り上げられるのは間違いない。そこで、事業者がどのような回答を用意しているか、ひとまずはそこに注目だ。 相馬市のホームページ あわせて読みたい 不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画 相馬玉野メガソーラー事業者が「渦中の所有者」の関与を否定

  • 不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画(2021年8月号)

    不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画

    (2021年8月号)  相馬市玉野地区で、県内最大級のメガソーラー計画が進められている。計画地は主に山林のため、発電所建設(太陽光パネル設置)に当たっては大規模な林地開発を伴う。そのため、近隣住民や下流域の住民からは、「大規模開発により、山の保水力が失われてしまう。近年は、各地で洪水・土砂災害などが頻発しており、周辺・下流域でそうした災害が起きるのではないか」といった不安の声が聞かれる。さらに、同事業用地の所有者は、2021年7月に発生した静岡県熱海市の土砂災害とも関係しているという。 【静岡県熱海市】土砂災害との意外な接点  相馬市玉野地区のメガソーラー計画について、本誌が最初に報じたのは2017年4月号「相馬市玉野地区に浮上したメガソーラー計画 災害・水資源枯渇を懸念する一部住民」という記事だった。 当時、地元住民は本誌取材にこう話していた。 「メガソーラーの計画地は、いまから25年ほど前のバブルのころにゴルフ場計画が持ち上がったところです。当時、地元の地権者がゴルフ場設置を計画していた会社に土地を売り、開発が進められようとしていたが、地元農家からは反対の声が上がり、そうこうしているうちにバブルが崩壊してゴルフ場計画はなくなりました。その後は同用地の所有者が何度か変わり、その度にさまざまな計画が浮上しましたが、結局、どれも実現しませんでした」 そうした中で浮上したのがメガソーラー計画だった。以下は、本誌2017年4月号記事より。   ×  ×  ×  × 地元住民によると、メガソーラーの計画地は、同地区スゲカリ地内にある山林。面積は約230㌶と、かなり広大な敷地である。 不動産登記簿謄本を確認すると、同所はもともとは東京在住の個人が所有していたが、2002年に東京国税局の差押を経て、2011年8月、同国税局の公売によって麦島善光氏が取得している。 麦島氏はグループ企業10社(※当時)からなるZENホールディングス(東京都千代田区)のオーナーのようだが、同社のHPを見ると「2015年3月の株主総会で、麦島善光はZENグループのすべての役職から退くことになった」旨の社報が出ていた。 その後、麦島氏は2016年9月に「相馬伊達太陽光発電所」、「相馬玉野地区活性化機構」という2つの合同会社を立ち上げ、その代表社員に就いている。いずれも、本社は東京都千代田区だが、前出の地元住民によると、「同社は最近、玉野地区の空き家を借り、現地事務所を設けました。ただ、人が常駐しているわけではないようです」とのこと。 両社の商業登記簿謄本を見ると、資本金はいずれも100万円。役員(業務執行社員)は両社とも代表社員の麦島氏のほか、櫻井修氏が就いている。事業目的は、相馬伊達太陽光発電所が発電プラント(風力発電、太陽光発電、燃料電池、バイオマス発電、その他の自然エネルギー発電)に関する事前調査、計画、設計、関連資材調達・販売、土木工事、建設、運転、保守点検事業、売電事業など、相馬玉野地区活性化機構が地域活性化事業、地域再生事業、雇用促進を図るための事業など。 なお、代表社員である麦島氏の住所は静岡県熱海市になっている。これは前述・ZENホールディングスの研修センターと同じ住所だから、同グループの役職をすべて辞めたといっても、同グループオーナーであることには違いはないようだ。 要するに、麦島氏はこれまで率いてきたグループ企業の経営を後進に委ね、自身は新会社を立ち上げてメガソーラー事業に乗り出したということだろう。 ちなみに、ZENグループは、建設業や住宅販売、マンション・賃貸住宅・貸店舗などの管理、フィットネスクラブの運営などを行っている会社がメーンで、太陽光発電所の実績があるかは定かでない。少なくとも、同グループのホームページを見る限りでは、そうした実績は見当たらない。 3月上旬、東京の相馬伊達太陽光発電所本社に電話をすると、電話口の男性は「相馬伊達太陽光発電所」ではなく、別の名称を名乗った。そこで、記者が「そちらは相馬伊達太陽光発電所ではないのですか」と聞くと、「相馬伊達太陽光発電所もこちらです」と答えた。どうやら、同じグループ内の別の事業所との兼用事務所のようだ。 記者が「相馬市玉野地区でメガソーラーを計画していると聞いたのだが詳細を教えてもらえないか」と尋ねると、「まだ、マスコミに公表できる段階ではないので。ただ、近々発表できるようになると思いますので、そういう状況になりましたら、こちらからご連絡します」との返答だった。そこで、本誌の電話番号と記者の名前を伝え電話を切った。 このため、その時点では詳しい計画概要などを聞くことはできなかったが、前出の地元住民によると、昨年(2016年)11月に開かれた住民説明会では、①山林を開発して太陽光発電所にすること、②敷地面積は約230㌶だが、実際に開発する(太陽光パネルを設置する)のは約130㌶になること、③発電量は60~80メ  ガ㍗になること、④発電した電力は伊達市の変電所に送ること、⑤2018年から工事をスタートし、2021年の発電開始を目指していること、⑥発電期間は20年間を想定していること――等々の説明があったという。運営会社の名称が「相馬伊達」とされているのは④が理由と思われる。 (中略)それからほどなくして、3月15日からは同計画の開発に当たっての環境影響評価方法書の縦覧が始まった。これを受け、地元紙などでも、同計画の存在が報じられることになった。 環境影響評価方法書を見ると、ある程度の計画概要が見えてくる。同方法書によると、事業実施区域の面積は230・44㌶で、このうち、太陽光パネルを設置するのは約162・52㌶。残りは残置森林が約46・78㌶、防災調整池が12・52㌶、管理用道路が8・62㌶。発電規模は約8万3000㌔㍗(83メ  ガ㍗)だが、「今後の詳細な事業計画検討で変動する可能性がある」とされている。 前出の地元住民の話では、昨年11月の説明会の際、事業者からは「太陽光パネルが設置されるのは約130㌶になる」旨の説明があったとのことだが、今回示された環境影響評価方法書では太陽光パネルを設置するのは約162㌶となっており、当初説明より規模が拡大していることが分かる。   ×  ×  ×  × 地元住民は賛否両論  当初説明や環境影響評価方法書などでは、「2018年から工事をスタートし、2021年の発電開始を目指している」とされていたが、現時点では発電はおろか、工事もスタートしていない。それは、事業主体、計画に何度も変更があったためだが、その詳細は後述する。 当時の地元住民への説明会では、同計画におおむね賛同の声が上がったという。その理由の1つとして、事業者(相馬伊達太陽光発電所)から地元住民に対して「用地を拡大したいため、用地周辺の地権者に協力(賃借)をお願いしたい」との申し出があったことが挙げられよう。 対象地の多くは農地だが、地区内では耕作放棄地が増えている。原発事故後、同地区の酪農家が「原発事故さえなかったら」といった書き置きを残して自殺したが、ただでさえ農家の高齢化といった問題があった中、原発事故により営農環境はさらに厳しくなっていた。近年は相馬福島道路が全線開通し、同地区にインターチェンジが開設されるなど、利便性が向上した一方、2017年3月には玉野小・中学校がともに閉校するなど、地域の活力が失われていたのは間違いない。 IC開設、小・中学校閉校は、最初にメガソーラー計画の話が出た後のことだが、いずれにしても、営農環境は厳しい状況になっている中、耕作せず(できず)に遊ばせている農地を借りてくれる(地代が得られる)のであればありがたいといった感じだったのだろう。 一方で、山林(森林)には、山地災害の防止、洪水の緩和、水資源の涵養といった機能があるが、大規模開発に伴い、土砂災害や水資源枯渇などの事態を招くのではないか、との理由から反対意見も聞かれた。 広範囲の説明会開催  その後、2018年1月に地元住民を対象とした説明会が開催された。事業者はその席に〝ビジネスパートナー〟を連れてきた。当時、説明会に参加した地元住民はこう話していた。 「事業者(相馬伊達太陽光発電所の担当者)は外国人の〝ビジネスパートナー〟を連れてきて、一緒に(メガソーラー事業を)やる、と。ちなみに、事業者はその〝ビジネスパートナー〟のことを『共同事業主』というフレーズを使って紹介していました」 その共同事業主はTOTAL(トタル)という会社。説明会当日、出席者に配られた資料によると、《TOTAL(トタル)社は、世界有数の多国籍エネルギー企業で、総従業員数9万8000人、世界130カ国で事業を展開している。子会社および関連会社を併せた規模は、いわゆる国際石油メジャーの中で世界第4位》と紹介されていた。 当時、本誌が調べたところ、同社はフランス・パリに本社があり、2016年の営業実績は、日本円で売上高約17兆9640億円、営業利益約1兆1468億円、当期純利益約9960億円となっていた。 実際に、相馬市玉野地区での事業に携わるのは、同社グループの日本支社のようで、同社グループでは石川県七尾市(27メガ㍗)、岩手県宮古市(25メガ㍗)などで太陽光発電事業を展開しており、ほかにも日本国内での事業展開を計画していた。 「説明会には、同社の担当者2人が出席し、1人はフランス人、もう1人は日本人でした。ただ、説明会では相馬伊達太陽光発電所とTOTALのどちらが開発行為を行うのか、具体的な運営はどういった形になるのか等々の詳細は明かされませんでした」(前出の地元住民) もっとも、この地元住民によると、「TOTALの関係者が来たのはその時だけだった」という。 「いつの間にか、同社との共同事業は頓挫したようです」(同) その後は、仙台市のクラスターゲートという会社が同計画に携わるようになり、行政手続きや周辺住民への根回しなどの矢面に立つようになった。 一方で、そのころになると、玉野地区の住民だけでなく、市街地などそのほかの地区の住民も、同計画に関心を寄せるようになった。計画地周辺は玉野川が流れ、宇田川と合流して市街地方面へと流れていく。つまり、下流域に住む人たちが不安を抱くようになったということだ。これは、令和元年東日本台風による被害も関係していよう。この水害で市内の1000戸以上が浸水被害を受け、上流で山林が伐採されると、同様の大雨などの際、さらに大きな被害になるのではないか、として同計画に関心を寄せるようになったのだ。 こうした事情もあり、2020年1月には、玉野地区だけでなく、ほかの地区の住民も交えた説明会が開催された。これを主催したのは「相馬市民の会」という住民団体で、同会はもともと、宇田川上流で産業廃棄物処分場の計画があり、それを阻止するために結成された住民団体。処分場計画は同会の反対運動によって白紙撤回されたが、宇田川上流では幾度となくそうした計画が浮上しており、またいつ同様の計画が持ち上がるか分からない、といった判断から存続しているようだ。 その説明会で、事業者側として対応に当たったのがクラスターゲートの担当者だった。 「説明会では、安全面に関する質問が相次ぎましたが、事業者からはまともな回答が得られなかった。そのため、『またこうした説明会の場を設けて、きちんと説明してほしい』ということになりました」(説明会に出席した地元住民) 2回目の広範囲説明会  ただその後、新型コロナウイルスの感染拡大により、なかなかそうした場を設ける機会がなかった。 ようやく、2回目の説明会が開催されたのは2021年7月15日だった。 その席で説明に当たったのは、クラスターゲートの担当者ではなく、「GSSGソーラージャパンホールディングス2」という会社の担当者だった。同社はアメリカ・コロラド州に拠点を置く太陽光発電事業者「GSSG Solar」の日本法人。 当日配布された資料によると、事業区域面積は約122㌶で、うち森林面積が約117㌶、開発行為にかかる森林面積が約82㌶、発電容量は約82メガ㍗、最大出力60メガ㍗、太陽光パネル設置枚数16万6964枚、開発行為の期間は2023年12月まで、となっている。事業区域は、1号から7号までの各ブロックに分かれており、主な部分は相馬福島道路と国道115号の交差地点の北側。太陽光パネルが設置されたエリアはフェンスで覆い、その外側の周囲30㍍は残置森林とするほか、各ブロックに調節池(調整池)を設置するという。この内容で行政手続きを進めていることも明かされた。 こうした説明の後、質疑応答の時間が設けられたのだが、住民側からは「2019年の台風では設計基準とされている雨量を超えたが、この計画で本当に大丈夫なのか」、「土砂災害などが起きた場合、事業者はどこまで補償できるのか」、「事業終了後、ソーラーパネルは撤去するとしても、切り開かれた山林の保水力が戻るわけではないので、調整池は残さなければならないと思うが、誰が維持・管理するのか」等々、やはり安全面に関する質問が相次いだ。 これに対し、事業者からは「問題のないように事業を進める」、「保険に入り、災害の際はそれで対応する」といった回答があったが、それで住民側の理解が得られたとは到底思えない。 一方で、こんな指摘もあった。 「最初にこの計画を立ち上げ、近隣住民にあいさつ・説明をして回っていたのは、土地所有者の麦島氏だった。その後、TOTALという会社が共同事業主として参加することになった。そうかと思ったら、今度はクラスターゲートという会社が入ってきて、前回の説明会は同社の担当者が受け答えをしていた。今日の説明会も、クラスターゲートの担当者が来るものだと思っていたが、また別の会社(GSSGソーラージャパン)が来た。これから開発行為が行われ、何十年と発電事業が続く中、こんなにコロコロ事業者が変わるようでは、とてもじゃないが信用できない」 この指摘に対するGSSG担当者の回答を整理すると、以下のようなものだった。 ○クラスターゲートは、GSSGの事業パートナーで、当初、GSSGには行政手続きや設計・開発などを自社で手がけるだけの体制が整っていなかったため、クラスターゲートに委託していた。 ○ただ、この間、国内他所で実績を積み重ねる中、そうした体制が整ってきたので、GSSG主体で事業を進めることになった。クラスターゲートには後方支援をしてもらう。 前段で本誌2017年4月号記事の一部を引用し、その中で直接的な事業者となる合同会社「相馬伊達太陽光発電所」の詳細について紹介した。説明会後、あらためて同社の商業登記簿を確認したところ、資本金や事業目的などに変化はなかったが、役員については大幅に変更があった。 当初は、同社を立ち上げた麦島氏が代表社員、麦島氏のサポート役だった櫻井修氏が業務執行社員の役員2人体制だったが、両氏とも2018年12月28日付で「退社」となった。その代わりに同日付で、クラスターゲート職務執行者の大堀稔氏が代表社員となった。ただ、その大堀氏(クラスターゲート)も、2019年3月5日付で「退任」となり、同日付でGSSGソーラージャパンホールディングス2職務執行者のブルス・ダリントン氏が代表社員となり、同年8月14日付でGSSGソーラージャパンホールディングス2職務執行者のエドワーズ・ヤノ・ケヴィン・ギャレス氏に代表社員が変更となった。同日付で本店所在地も東京都千代田区から港区に移転となっている。 GSSG担当者の説明と、相馬伊達太陽光発電所の商業登記簿を確認した限りでは、事業地の大部分の地権者であり、同計画を立案して国に固定価格買取制度の申請をしたのは麦島氏だが、GSSGに事業譲渡・事業地貸与した格好のようだ。事業主体はGSSGで、実際の運営は相馬伊達太陽光発電所が行い、林地開発許可申請も同社が行った。 なお、説明会には事業地の地元地権者も参加しており、「玉野地区の振興のことも考えてほしい」旨の発言をし、安全面の不安を訴える住民と、ちょっとした言い合いになる場面もあった。メガソーラーが地区の振興につながるかどうかはともかく、そうして険悪な雰囲気になった中、同説明会を主催した相馬市民の会の〝長老〟的立場の人が「市民同士がいがみ合うのは、この説明会の意図するところではない」とたしなめた。同計画はそうした構図を生んでしまったという側面もある。 いずれにしても、同説明会は住民側が納得する形では終わらず、その場で回答できなかったことは後に文書で相馬市民の会に回答すること、再度そうした説明会の場を設けることなどを約束して終了となった。 住民団体が申入書提出  その4日後の7月19日、住民団体「相馬市民有志の会」(※説明会を主催した「相馬市民の会」とは別団体)が県に対して、「同事業には安全面で問題があるため、林地開発許可を行わないよう求める」とする申入書を提出した。 同会の代表者は、原発事故の国・東電の責任を問う集団訴訟「生業訴訟」の原告団長でもある中島孝さん。 中島さんに話を聞いた。 「2019年の台風では、同計画の設計基準とされている雨量を超えたほか、事業終了後の調整池の問題もあります。というのは、最初の説明会のとき、事業者は発電期間は20年間で、その後、メンテナンスを行い、さらに20年間、最大40年間を見込んでいるとのことでしたが、事業期間が終わり、パネルを撤退した時点では、山は丸裸のまんまです。一度剥いてしまった山林が保水力を取り戻すには数十年、場合によっては100年かかると言われており、事業終了後も調整池は残さなければならない。事業期間中は定期的にえん堤の修繕・堆積土浚渫などを行うそうだが、事業終了後は誰がそれをやるのか。国の制度では、2022年度から事業期間中に売電収入から外部積み立てし、それを撤去費用に充てることになっていますが、調整池の保全管理費分も含むかどうかは不透明です。そういった面で、とにかく問題点が多過ぎる。将来的に、負の遺産になるかもしれないものは、地元住民として到底容認できないというのが申入書の趣旨です」 ただ、実はそうした申入書提出の前、ちょうど説明会が開催された7月15日に林地開発許可が下りたのだという。 中島さんら関係者は「県は同日に説明会が開催されることを認識していた。にもかかわらず、その結果を見ずに、それと同じ日に許可を出すのは何か裏があるのではないか」と疑いの目を向けているようだ。 熱海土砂災害との関係  一方で、申入書には「静岡県熱海市の豪雨による土砂崩落の土地所有者は、合同会社・相馬伊達太陽光発電所の創立者であり、玉野のメガソーラーを計画した麦島善光氏である」といった記述もある。 7月3日、静岡県熱海市で豪雨による大規模な土砂災害が発生した。その崩落現場の土地の所有者が相馬伊達太陽光発電所の創立者であり、玉野のメガソーラーを計画した麦島氏なのだという。 前段で本誌2017年4月号記事の一部を引用したが、その中に「(相馬伊達太陽光発電所の)代表社員である麦島氏の住所は静岡県熱海市になっている。これは前述・ZENホールディングスの研修センターと同じ住所」との記述がある。 まさに、その場所が崩落現場周辺ということになる。 『週刊新潮』(7月29日号)の特集「『殺人盛り土』2人のワル」という記事によると―― ○土砂災害の原因は、逢初川上流の盛り土であることが徐々に分かってきたこと。 ○急な斜面に産廃を含む土砂が遺棄され、今回の豪雨で一気に崩落したこと。 ○そこからすると、天災ではなく人災の疑いが濃厚であること。 ○その所有者が麦島氏であること。 ○麦島氏は過去に脱税で逮捕され、懲役2年の実刑判決を受けたこと。 ――等々が伝えられている。 現時点では崩落原因とされる盛り土に違法性があったかどうかを断定するところまでは至っていないが、ほかにもネットメディアなどで、麦島氏の責任を問う記事が出ている。 相馬市民有志の会では、前述した安全面の問題に加え、「そうした問題人物の手掛ける事業に行政として、開発許可を出すのが妥当なのか」といった意味で、申入書を提出したのだという。 「県にはできる範囲で構わないので、回答してほしいと伝えてきましたが、(本誌取材時の7月26日時点で)まだ回答は来ていません」(中島さん) あらためて、県森林保全課に確認したところ、まず、県としては手続き上、要件を満たしていれば開発許可を出すことになる、といったスタンス。では、その「要件」の中に、「地元住民の理解」は含まれるのかということだが、その点については次のような説明だった。 「地権者の同意は必要ですが、それ以外の地元住民の同意までは求めていません。ただ、絶対条件ではないものの、事業者には地元住民にきちんと説明するように、ということは伝えています」 一方で、静岡県熱海市の土砂災害との関係についてだが、県森林保全課では、熱海市の土地所有者と、玉野地区のメガソーラー計画の事業地所有者が同一人物であることは認識していた。 そこで、記者が「すでに開発許可は出ているそうだが、そういう人(問題人物と思しき人)が関わっているということで、開発許可を再考するということにはならないのか」と尋ねると、こう明かした。 「許可申請者は別(GSSGの傘下のようになった相馬伊達太陽光発電所)ですし、(熱海市の件と同一人物が)所有者に名を連ねているのは承知していますが、それだけ、と言ったら何ですが……。そういうこと(開発許可を再考すること)にはならないと思います」 確かに、事業主体は麦島氏から事業譲渡を受けた格好のGSSGだが、麦島氏が計画地のかなりの部分の土地を所有しているのは事実。同事業に関して、麦島氏がどの程度関わり、どれだけの権利・権限を残しているのかは不明だが、こうした構図を見ると、地元住民が不安に思うのは当然だろう。 あわせて読みたい 相馬玉野メガソーラー計画への懸念 相馬玉野メガソーラー事業者が「渦中の所有者」の関与を否定

  • 【二本松市岩代地区】民間メガソーラー事業に不安の声(2021年3月号)

    【二本松市岩代地区】民間メガソーラー事業に不安の声

    (2021年3月号)  本誌2018年2月号に「二本松市岩代地区でメガソーラー計画が浮上」という記事を掲載した。二本松市岩代地区で民間事業者によるメガソーラー計画が浮上しており、その詳細をリポートしたもの。その後、同事業ではすでに工事が始まっているが、かなりの大規模開発になるため、地元住民からは「大雨が降ったら大丈夫か」と心配する声が出ている。 令和元年東日本台風を経て地元民感情に変化  2018年当時、地元住民に話を聞いたところ、「この一帯でメガソーラーをやりたいということで、事業者がこの辺りの地権者を回っている」とのことだった。 さらにある地権者によると、計画地は二本松市岩代地区の上長折字加藤木地内の山林・農地で、市役所岩代支所から国道459号沿いに3㌔ほど東に行った辺り。用地交渉に来ているのは栃木県の会社で、同社から「買収を想定しているのは約150㌶」「送電鉄塔が近くにあるため、メガソーラー用地として適しており、ぜひここでやりたいから協力(用地売却)してほしい」と説明・協力要請されたのだという。 この地権者は当時の本誌取材に次のように述べていた。 「計画地の大部分は山林や農地で、私の所有地は農地ですが、いまは耕作していません。その近隣も遊休農地が少なくないため、売ってもいいという人は多いのではないかと思います。おおよそですが、地権者は20〜30人くらいになると思われ、そのうちの何人かに聞いてみたのですが、多くは売ってもいいと考えているほか、すでに土地を売った人もいます。ただ、最初に事業者が私のところに来たのは、確かいま(記事掲載時の2018年)から2年ほど前だったと思いますが、その後も近隣の地権者を回っている様子はうかがえるものの、進展が見られません」 そこで、事業者に電話で問い合わせたところ、次のように明かした。 「当社は企画を担当しており、現在は地元地権者に協力を求めている状況ですが、実際の発電事業者は別な会社になるため、そちらにも相談してみないとお答えできないこともあります」 ただ、少なくとも「計画自体が進行中なのは間違いありません」とのことだった。 そのほか、同社への取材で、その時点で用地の約8割がまとまっていること、地権者との交渉と並行して周辺の測量などを進めていること、環境影響評価などの開発行為に関する手続きの準備・協議を管轄行政と進めていること――等々が明らかになった。 なお、同社は「近く、発電事業者との打ち合わせがあるので、取材の問い合わせがあったことは伝えておきます。そのうえで、あらためてお伝えできることがあればお伝えします」とも述べていたが、その後、同社から前述したこと以外の説明はなかった。 それから3年ほどが経った2021年1月、当時本誌にコメントしていた地権者から、こんな情報が寄せられた。 「同計画では、すでに工事が始まっていますが、予定地の山林が丸裸にされており、大雨が降ったら大丈夫なのかと不安になってきました。最初は、私も(同計画に対して)『どうせ、使っていない(耕作していない)土地だし、まあいいだろう』と思って、用地買収に応じましたが、それはあの災害の前でしたし、実際に山林が剥かれた現場を見ると、やっぱり大丈夫なのかなとの思いは拭えません」 コロナで説明の場もナシ まだ手付かずの事業用地もあり、開発面積はかなりの規模になる。  この地権者が言う「あの災害」とは、令和元年東日本台風を指している。この災害で同市では2人の死者が出たほか、住宅、農地、道路など、さまざまな部分で大きな被害を受けた。とりわけ、同市東和地区、岩代地区での被害が大きかったという。 そうした大きな災害があった後だけに、当初こそメガソーラー計画に賛意を示したものの、「これだけの大規模開発が行われ、山林が丸裸になった現場を見ると、大丈夫なのかとの思いを抱かずにはいられない」というのだ。加えて、同地区では、令和元年東日本台風の数年前にも大きな水害に見舞われたことがあり、「何年かに一度はそういったことがあり、特に近年は自然災害が増えているから余計に不安になります」(前出の地権者)という。 開発対象の森林面積は全体で約38㌶に上り、そのうち実際に開発が行われるのは約18㌶というから、かなりの大規模開発であることがうかがえる。 「当然、事業者もその辺(水害対策)は考えているだろうと思いますし、環境影響評価や開発許可などの手続きも踏んでいます。何らかの違反・違法行為をしているわけではありませんから、表立って『抗議』や『非難』をできる状況ではないと思いますが、やっぱり心配です」(同) この地権者に、そういった不安を抱かせた背景には、「新型コロナウイルスの影響」も関係している。 その理由はこうだ。 「以前は何か動きがあると、事業者から詳細説明がありました。ただ、新型コロナウイルスの問題が浮上してからは、そういうことがなくなりました。一応、経過説明などの文書が回ってくることはありますが、それだけではよく分からないこともありますし、疑問に思ったことがあっても、なかなか質問しにくい状況になっています。だから、余計に心配なのです」(同) 以前は、関係者を集めて説明する、あるいは地権者・近隣住民宅を訪問して説明する、といったことがあったようだが、コロナ禍でそうしたことが省略されているというのだ。一応、事業者から経過説明などの文書が届くことはあるようだが、それだけではよく分からないこともあるほか、疑問に思ったことを質問することもできない、と。 その結果、これだけの大規模開発を行い、山を丸裸にして治水対策などは本当に大丈夫なのか、といった不安を募らせることになったわけ。 用地買収に当たった事業者と、実際の発電事業者が別なこともあり、事業者の正確な動きはつかめていないが、いずれにしても、地元住民の不安が解消されるような対策・説明が求められる。 あわせて読みたい 二本松市岩代地区でメガソーラー計画が浮上

  • 大玉村「メガソーラー望まない」 宣言の真意(2019年8月号)

    大玉村「メガソーラー望まない」 宣言の真意

    (2019年8月号)  原発事故の被災地である福島県では、再生可能エネルギー推進の意識が高まっている。実際、県内ではさまざまな再生可能エネルギーの導入が進んでいるが、その中心的な存在は太陽光発電だろう。震災・原発事故以降、各地で太陽光発電設備(メガソーラー)を見かけるようになった。そんな中、大玉村では「村内にはもうメガソーラーをつくらないでほしい」とする宣言を出した。その真意とは。 心配される景観悪化や発電終了後の放置 田園風景が広がる大玉村  村は、6月議会に「大規模太陽光発電所と大玉村の自然環境保全との調和に関する宣言」の案を提出、同月18日に開かれた本会議で全会一致で可決された。同日、村は「宣言」文を村のHPで公開した。以下はその全文。   ×  ×  ×  × 大規模太陽光発電所と大玉村の自然環境保全との調和に関する宣言 私たちは、化石燃料や原子力発電に依存しない社会を目指すため、太陽光、小水力、バイオマス等再生可能エネルギーを積極的に活用し、地球温暖化防止や低炭素社会の実現に向けて自然環境へ与える負荷の軽減に取り組んで来ました。 本村においては、再生可能エネルギー利用推進の村として自然環境に大きな負荷をかけない住宅屋上への太陽光発電施設や薪ストーブへの助成、豊かな水資源を活用した小水力発電民間事業者への支援等を今後も積極的に行ってまいります。 しかし一方で、自然環境に影響を与え、かつ、自然景観に著しく違和感を与えるような大規模太陽光発電所の設置が各地で行われており、傾斜地での造成や山林の大規模伐採による土砂災害への危惧や発電事業終了後の廃棄物処理等、将来への負の遺産となりうる懸念を払拭することが出来ません。 本村においては、村勢振興の重要資源である豊かな自然環境や優れた農山村の景観を未来に継承するため、「大玉村ふるさと景観保護条例」を制定しております。 また、「日本で最も美しい村」連合に加盟し「自然との共生」を目指し、農山村や田畑の原風景の維持及び魅力発信に努めて来ました。 以上の現状を踏まえて、みどり豊かな自然環境、優れた景観を保護保全するとの、本村の基本理念と著しく調和を欠くと思われる大規模太陽光発電施設の設置を望まないことをここに宣言します。 令和元年6月     大玉村長 押山利一  ×  ×  ×  × https://www.vill.otama.fukushima.jp/file/contents/1841/17082/tyouwa_sengen.pdf  村に確認したところ、同宣言の真意は次のように集約される。 ○再生可能エネルギーの推進は今後も行っていく。 ○ただ、宣言にあった理由などから、できるならメガソーラーはもうつくってほしくない。 ○もし、つくるのであれば、最後まで責任を持ってほしい。 ○今後は、建設制限などの条例化も検討していく。 現在、村内には出力約1000㌔㍗以上のメガソーラーが4カ所あるほか、新たな建設計画もあるという。今回の宣言により、現在ある建設計画がすぐに進められなくなるわけではないようだが、「できるなら、もうつくってほしくない」と。 中でもポイントになるのは、景観への配慮と、発電(耐用年数)後のソーラーパネルの処分について、ということになろう。 大玉村と言えば、田園風景が魅力の1つ。その中に、突如、ソーラーパネル群が現れたら、確かに見栄えのいいものではない。 もう1つは、ソーラーパネルの耐用年数を超えた後、更新、あるいはきちんと撤去されるのか、といった問題があること。 ソーラーパネルには鉛やセレンなどの有害物質が含まれていることもあり、発電終了後、放置・不法投棄されるようなことがあれば、景観的にも環境的にもよくない。 資源エネルギー庁の「平成29年度新エネルギー等の導入促進のための基礎調査(太陽光発電に係る保守点検の普及動向等に関する調査)」によると、「将来的な廃棄を想定して、廃棄・リサイクル費用を確保しているか」という調査で、低圧(10〜50㌔㍗)の発電事業者の74%、高圧・特別高圧(50㌔㍗以上)の発電事業者の59%が「積立していない」と回答したという。 倒産相次ぐ関連事業者  さらに、民間信用調査会社の東京商工リサーチの調査で、近年、太陽光関連事業者の倒産が相次いでいることが明らかになっている。2012(平成24)年7月に「固定価格買い取り制度(FIT)」が導入されたことで、新規参入が相次いだが、競合激化や安易な参入が原因という。 ここ10年の太陽光関連事業者の倒産件数は次の通り。なお、ここで言う「太陽光関連事業者」は、発電・売電事業者だけでなく、ソーラーパネルの製造・販売や、同事業のコンサルティング業なども含む。 2009年 26件 2010年 9件 2011年 18件 2012年 27件 2013年 28件 2014年 28件 2015年 54件 2016年 65件 2017年 87件 2018年 84件 2019年 32件(1月〜6月) こうして見ても分かるように、近年は関連事業者の倒産が大幅に増えている。 こうした点から、ソーラーパネルの耐用年数を超えた後、更新、あるいはきちんと撤去されるのか、といった不安があるのだ。 大玉村によると、「メガソーラーは固定資産税などの面で村にとってメリットもある」としながら、以上のような課題があるため、「できるなら、つくってほしくない。ただ、どうしてもというのであれば、最後まで責任を持ってほしい」というのが「宣言」の真意である。 県では2040年ごろまでに「再生可能エネルギー100%」というビジョンを掲げており、大玉村でも「再生可能エネルギーの推進は今後も行っていく」という方針には変わりはないという。そのためには、メガソーラー以外の再生可能エネルギーの推進、これまで以上の家庭用太陽光発電の導入促進といった取り組みが求められよう。

  • 二本松市岩代地区でメガソーラー計画が浮上(2018年2月号)

    二本松市岩代地区でメガソーラー計画が浮上

    (2018年2月号)  二本松市岩代地区で、民間事業者による大規模太陽光発電(メガソーラー)計画が浮上している。ある地元地権者によると、「事業者から最初に用地交渉の話があったのは2年ほど前」とのことだが、その後、計画は進展している様子が見受けられないという。 進展の遅さにヤキモキする地権者  本誌2017年12月号に「増え続ける『太陽光発電』の倒産 それでも絶えない設置計画」という記事を掲載した。原発事故以降、再生可能エネルギーの必要性が叫ばれ、その中心的な存在となっていた太陽光発電だが、東京商工リサーチのリポートによると、近年は太陽光発電関連事業者の倒産が相次いでいるのだという。そこで、あらためて同事業の状況を見た中で、同事業は成長産業と見込まれていたが、新規参入が相次いだこともあり、倒産事例も増えていることなどをリポートしたもの。 ただ、そんな中でも、本誌には県内での太陽光発電の計画話がいくつか伝わっており、同記事では二本松市岩代地区の住民のこんな声を紹介した。 「この地域(二本松市岩代地区)で太陽光発電事業をやりたいということで、少し前から事業者が山(山林)や農地を持っている地権者のところを回っているようです。それも、その範囲はかなりの広範にわたっており、もし本当にできるとしたら、相当な規模の太陽光発電所になると思われます」 この時点ではそれ以上の詳しいことは分かっていなかったが、その後の取材で、少しずつ詳細が明らかになってきた。 ある地権者は次のように話す。 「ここで太陽光発電事業をやりたいということで、この辺(の山林や農地)の地権者を回っているのは、栃木県の『博栄商事』という会社です。その後、同社と一緒に『オーシャンズジャパン』という会社の名刺を持った人もあいさつに来ました。事業者の説明によると、『買収を想定しているのは150㌶ほど。送電鉄塔が近くにあるため、太陽光発電の用地として適しており、ぜひここでやりたいから、協力(土地売却)してもらえないか』とのことでした。ただ、事業者が最初に私のところに来たのは、確か2年ほど前だったと思いますが、その後も近隣の地権者を回っている様子はうかがえるものの、全くと言っていいほど進展している様子が見受けられません。私自身は協力してもいいと思っているのですが……」 計画地は、二本松市岩代地区の上長折字加藤木地内の山林・農地で、市役所岩代支所から国道459号沿いに3㌔ほど東に行った辺り。この地権者によると、事業者が用地として想定している面積は約150㌶とのことだから、かなりの規模であることがうかがえる。 「計画地の大部分は山林や農地です。私の所有地は農地だが、いまは耕作していません。その近隣も、遊休農地が少なくない。ですから、売ってもいいという人は多いと思います。実際、すでに土地を売った人もいるようです」(前出の地権者) なお、この地権者の話に出てきた博栄商事は、栃木県茂木町に本社を置く株式会社。1972(昭和47)年設立。資本金2000万円。同社のHPや商業登記簿謄本を見ると、不動産業が主業のようで、太陽光発電関連の事業実績は見当たらない。役員は代表取締役・細野正博、取締役・能代英樹の2氏。 もう一方のオーシャンズジャパンは、本社が東京都新宿区の合同会社。2015(平成27)年設立。資本金1万円。事業目的は、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス、太陽熱等の再生可能エネルギーによる発電事業及びその管理・運営・電気の供給・販売等に関する業務、発電設備の設置、保守管理業務など。役員は業務執行社員・坂尾純一氏。 こうして両社のHPや商業登記簿謄本などを見る限り、博栄商事は用地交渉役(仲介役)で、実際の発電事業者はオーシャンズジャパンと見るのが自然か。 前出の地権者によると、「すでに土地を売った人もいるようだ」とのことだから、すでに投資が発生している以上、事業者が〝本気〟なのは間違いなさそう。ただ、この地権者の話では、最初に相談があったのは2年ほど前で、以降も事業者が地権者宅を回っている様子はうかがえるものの、計画が進捗している様子は見えないというのだ。 「おおよそですが、地権者は20〜30人くらいになると思います。知り合いの地権者にも聞いてみたところ、多くの人が協力してもいいと考えているようで、すでに土地を売った人もいるようですが、逆にまだ全然そんな話(用地交渉)がないという人もいます。ただ、少なくとも、私は最初に相談があってから2年近くが経っています。それなのに話が進展しないので、一体どうなっているんだろう、と」(前出の地権者) 事業者が目星を付けたところは、多くが山林や遊休農地のため、地権者からしたら「買ってくれるならありがたい」ということなのだろうが、その後、話が進展している様子が見えないため、「本当にできるのか」といった思いを抱いていることがうかがえる。 「計画は進行中」と事業者  そこで、計画の進捗状況や事業概要などを聞くため、博栄商事に問い合わせてみたところ、同社担当者は「当社は企画を担当しており、実際の発電事業者は別な会社になるため、発電事業者に確認してみないことにはお答えできないこともあります」とのことだったが、「計画自体が進行中なのは間違いありません」と明かした。 そこで、本誌記者は「地元住民からは、『オーシャンズジャパン』という会社の名刺を持った人もあいさつに来ていたとの話も聞かれたが、いまの説明に出てきた『発電事業者』はオーシャンズジャパンのことか」と尋ねてみた。 すると、博栄商事の担当者は「当初はその予定で、もともとは同社から依頼があり、当社が企画を担当することになりました。ただその後、事情があって発電事業者は変わりました。新しい事業者は横浜市の会社で、二本松市に現地法人を立ち上げ、そこが太陽光発電所を運営することになります」と語った。 このほか、博栄商事の担当者への取材で明らかになったのは、①用地は8割ほどまとまっていること、②現在、境界周辺の測量を実施しているほか、環境影響評価などの開発行為に関する手続きの準備・協議を進めていること――等々。 そのうえで、同社担当者は「近く発電事業者と打ち合わせがあるので、問い合わせがあったことは伝えます。そこで発電事業者と相談のうえ、あらためてお伝えできることはお伝えします」と話した。 発電規模や発電開始時期の目標などは明らかにされなかったが、いずれにしても、計画が進行中なのは間違いないようだ。 ただ、前述したように、用地の大部分は山林・農地のため、開発の必要があり、そのためには各種手続きが必要になるから、近隣住民の目に見える形(工事など)で動きがあるまでにはもう少し時間がかかりそうな状況だ。おそらく、開発に当たっての環境影響評価方法書の縦覧などまで計画が進展しなければ、具体的なものは見えてこないのではないかと思われる。 近隣にも太陽光発電所が 二本松太陽光発電所(旧ゴルフ場)  ところで、一連の取材で同計画地周辺を歩いてみたところ、同所のほかにも太陽光発電所、あるいはそのための造成工事中のところがあることが目に付いた。 1つは、以前、本誌でも取り上げたサンフィールド二本松ゴルフ倶楽部岩代コース跡地。同ゴルフ場については、過去の本誌記事で次のようなことを伝えた。 ①同ゴルフ場は、東日本大震災を受け、クラブハウスやコースが被害を受けたほか、原発事故によりコース上で高い放射線量が計測されたため、一時閉鎖して施設修繕や除染を行ったうえで、営業再開を目指していた。 ②それと平行して、同ゴルフ場を運営するサンフィールドは、東京電力を相手取り放射性物質の除去などを求め、東京地裁に仮処分申し立てを行った。しかし、同申し立てが却下されたため、同社は2011年7月上旬ごろまでにホームページ上で「当面の休業」を発表した。なお、同仮処分申請の中で、東電が「原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電には除染責任がない」との主張を展開し、県内外で大きな注目を集めた。 ③そんな中、同ゴルフ場では、「ゴルフ場をやめて大規模太陽光発電施設にするらしい」といったウワサが浮上した。ある関係者によると「大手ゼネコンが主体となり、京セラのシステムを使うそうだ」といったかなり具体的な話も出ていたが、「正式に打診があったわけではないらしく、結局、その話は立ち消えになった」(同)とのことだった。 ④その後、2012年秋ごろまでに、同ゴルフ場の駐車場に仮設住宅のような長屋風の建物がつくられ、除染作業員などの仮設宿舎になった。同ゴルフ場には立派なホテルも併設されているが、そこも作業員宿舎(食堂?)になった。ある地権者によると、「サンフィールドは『ビジネス上の付き合いから、除染事業者である大成建設に無償貸与している』と説明していた」とのことだった。そのため、少なくとも、この時点では、ゴルフ場再開の可能性は事実上なくなり、用地がどうなるのかが注目されていた。 ⑤2014年春になると、先のウワサとは別に、大規模太陽光発電施設にする目的で、ゴルフ場用地を買いたいという会社が現れた。その会社は、東京都港区に本社を置く日本再生可能エネルギーで、ある地権者は「同社の要請(土地売却)に応じた。私の知る限り、ほとんどが同様の意向だと思う」と話した。 過去の本誌記事でリポートしたのはここまでだが、その後も、この地権者(元地権者)からは「日本再生可能エネルギーで太陽光発電所に必要なだけの用地をまとめ、本格的に動き出した」といった話は聞かされていた。もっとも、この地権者(元地権者)自身が「土地を売ったことで、直接的には関係なくなったから、詳しいことは分からないけど……」とのことで、具体的な事業の進捗状況などは分かっていなかった。 今回、あらためて同所を訪ねてみると、「二本松太陽光発電所」という看板が立てられ、外から様子をうかがった限りでは、太陽光発電所として稼働しているように見受けられた。同所を取得した日本再生可能エネルギーのHPを見てみると、国内他所の太陽光発電所に関するリリースは出ているものの、二本松太陽光発電所についてのリリースは見当たらなかった。 そこで、同社に問い合わせてみたところ、①同発電所は2017年8月から稼働していること、②発電規模は29・5㍋㍗であること――が明らかになった。つまり、すでに発電・売電を行っている、と。 なお、同社は太陽光、風力、地熱などの再生可能エネルギーを利用した発電・売電事業を手掛ける株式会社で、2013年5月10日設立。代表はアダム・バリーン氏。HPに掲載されたリリースを見る限り、国内各地で太陽光発電所を運営しており、県内では二本松市のほかに、国見町でも2016年2月から太陽光発電所を稼働している。 工事中の計画  一方、その近くでは別の太陽光発電所の工事が行われていた。工事案内板を見ると、場所は「初森字天狗塚69―1 外3筆」、目的は「太陽光発電所建設用地の造成」、林地開発について「許可を受けた者」は札幌市の「エム・エス・ケイ」と書かれていた。 同社について調べてみると、札幌市で「ホテル翔SAPPORO」を経営しており、ホテル経営が主業のようだ。ただ、同社の商業登記簿謄本を確認すると、事業目的は、以前は①ホテル及び旅館の運営管理、②不動産の売買及び賃貸、③古物商の経営などだったが、2016年8月に変更され、再生可能エネルギーによる発電事業及び発電設備の販売、施工工事請負が追加された。最近になり、同事業に参入したことがうかがえる。 同社に二本松市で太陽光発電事業をやることになった経緯などについて問い合わせたところ、一度、連絡はあったものの、質問に対する回答は本号締め切りには間に合わなかった。そのため、事業規模などは現時点では明らかになっていない。 ちなみに、冒頭紹介した計画は、前述した通り、市役所岩代支所から国道459号沿いに3㌔ほど東に行った辺り。そこから直線距離で1㌔ほど南にいったところに二本松太陽光発電所(ゴルフ場跡地)があり、さらに直線距離で南に1㌔ほどの辺りに現在工事中のエム・エス・ケイの事業地がある。 こうして見ると、同地区周辺は民間の、それも県外事業者による太陽光発電施設、あるいはその計画が多いことが分かる。 ある地元住民は「震災・原発事故を経て、結果的にそうなりましたね。課題はソーラー発電システムの耐用年数を超えた時にどうなるのかということでしょうけど、そこさえしっかりしてもらえれば、地域としてこういうものを推奨していくのもいいのではないか」と語った。 あわせて読みたい 【二本松市岩代地区】民間メガソーラー事業に不安の声

  • 【第3弾】【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工

     昭和電工は2023年1月に「レゾナック」に社名変更する。高品質のアルミニウム素材を生産する喜多方事業所は研究施設も備えることから、いまだ重要な位置を占めるが、グループ再編でアルミニウム部門は消え、イノベーション材料部門の一つになる。土壌・地下水汚染対策に起因する2021年12月期の特別損失約90億円がグループ全体の足を引っ張っている。井戸水を汚染された周辺住民は全有害物質の検査を望むが、費用がかさむからか応じてはくれない。だが、不誠実な対応は今に始まったことではない。事業所は約80年前から「水郷・喜多方」の湧水枯渇の要因になっていた。 社名変更しても消えない喜多方湧水枯渇の罪  「昭和電工」から「昭和」の名が消える。2023年1月に「レゾナック」に社名変更するからだ。2020年に日立製作所の主要子会社・日立化成を買収。世界での半導体事業と電気自動車の成長を見据え、エレクトロニクスとモビリティ部門を今後の中核事業に位置付けている。社名変更は事業再編に伴うものだ。  新社名レゾナック(RESONAC)の由来は、同社ホームページによると、英語の「RESONATE:共鳴する、響き渡る」と「CHEMISTRY:化学」の「C」を組み合せて生まれたという。「グループの先端材料技術と、パートナーの持つさまざまな技術力と発想が強くつながり大きな『共鳴』を起こし、その響きが広がることでさらに新しいパートナーと出会い、社会を変える大きな動きを創り出していきたいという強い想いを込めています」とのこと。  新会社は「化学の力で社会を変える」を存在意義としているが、少なくとも喜多方事業所周辺の環境は悪い方に変えている。現在問題となっている、主にフッ素による地下水汚染は1982(昭和57)年まで行っていたアルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を敷地内に埋め、それが土壌から地下水に漏れ出したのが原因だ。  同事業所の正門前には球体に座った男の子の像が立つ=写真。名前は「アルミ太郎」。地元の彫刻家佐藤恒三氏がアルミで制作し、1954(昭和29)年6月1日に除幕式が行われた。式当日の写真を見ると、着物を着たおかっぱの女の子が白い布に付いた紐を引っ張りお披露目。工場長や従業員とその家族、来賓者約50人がアルミ太郎と一緒に笑顔で写真に納まっていた。アルミニウム産業の明るい未来を予想させる。 喜多方事業所正門に立つ像「アルミ太郎」  2018年の同事業所CSRサイトレポートによると「昭和電工のアルミニウムを世界に冠たるものにしたい」という当時の工場幹部及び従業員の熱い願いのもと制作されたという。「アルミ太郎が腰掛けているのは、上記の世界に冠たるものにしたいという思いから地球を模したものだといわれています」(同レポート)。  同事業所は操業開始から現在まで一貫してアルミニウム関連製品を生産している。それは戦前の軍需産業にさかのぼる。 誘致当初から住民と軋轢  1939(昭和14)年、会津地方を北流し、新潟県に流れる阿賀川のダムを利用した東信電気新郷発電所の電力を使うアルミニウム工場の建設計画が政府に提出された。時は日中戦争の最中で、軽量で加工しやすいアルミニウムは重要な軍需物資だった。発電所近くの喜多方町、若松市(現会津若松市)、高郷村(現喜多方市高郷町)、野沢町(現西会津町野沢)が誘致に手を挙げた。喜多方町議会は誘致を要望する意見書を町に提出。町は土地買収を進める工場建設委員会を設置し、運搬に便利な喜多方駅南側の一等地を用意したことから誘致に成功した。  喜多方市街地には当時、あちこちに湧水があり、住民は生活用水に利用していた。電気に加え大量の水を使うアルミニウム製錬業にとって、地下に巨大な水がめを抱える喜多方は魅力的な土地だった。  誘致過程で既に現在につながる昭和電工と地域住民との軋轢が生じていた。土地を提供する豊川村(現喜多方市豊川町)と農民に対し、事前の相談が一切なかったのだ。農民・地主らの反対で土地売買の交渉は思うように進まなかった。事態を重く見た県農務課は経済部長を喜多方町に派遣し、「国策上から憂慮に堪えないので、可及的にこれが工場の誘致を促進せしめ、国家の大方針に即応すべきであることを前提に」と喜多方町長や豊川村長らに伝え、県が土地買収の音頭を取った。  近隣の太郎丸集落には「小作農民の補償料は反当たり50円」「水田反当たり850~760円」払うことで折り合いをつけた。高吉集落の地主は補償の増額を要求し、決着した。(喜多方市史)。  現在の太郎丸・高吉第一行政区は同事業所の西から南に隣接する集落で、地下水汚染が最も深刻だ。汚染が判明した2020年から、いまだに同事業所からウオーターサーバーの補給を受けている世帯がある。さらには汚染水を封じ込める遮水壁設置工事に伴う騒音や振動にも悩まされてきた。ある住民男性は「昔からさまざまな我慢を強いられてきたのがこの集落です。ですが、希硫酸流出へのずさんな対応や後手後手の広報に接し、今回ばかりは我慢の限界だ」と憤る。  実は、公害を懸念する声は誘致時点からあった。耶麻郡内の農会長・町村会長(喜多方町、松山村、上三宮村、慶徳村、豊川村、姥堂村、岩月村。関柴村で構成)は完全なる防毒設備の施工や損害賠償の責任の明確化を求め陳情書を提出していた。だが、対策が講じられていたかは定かではない(喜多方市史)。 喜多方事業所を南側から撮った1995年の航空写真(出典:喜多方昭寿会「昭和電工喜多方工場六十年の歩み」)。中央①が正門。北側を東西にJR磐越西線が走り、市街地が広がる。駅北側の湧水は戦前から枯れ始めた。写真左端の⑰は太郎丸行政区。  記録では1944(昭和19)年に初めてアルミニウムを精製し、汲み出した。だが戦争の激化で原料となるボーキサイトが不足し、運転停止に。敗戦後は占領軍に操業中止命令を食らい、農園を試行した時期もあった。民需に転換する許可を得て、ようやく製錬が再開する。  同事業所OB会が記した『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』(2000年)によると、アルミニウム生産量はピーク時の1970(昭和45)年には4万2900㌧。それに伴い従業員も増え、60(昭和35)~72(昭和47)年には650~780人を抱えた。地元の雇用に大きく貢献したわけだ。  喜多方市史は数ある企業の中で、昭和30年代の同事業所を以下のように記している。  《昭和電工(株)喜多方工場は、高度経済成長の中で着実な成長を遂げ、喜多方市における工場規模・労働者数・生産額ともに最大の企業となった。また喜多方工場が昭和電工㈱内においてもアルミニウム生産の主力工場にまで成長した》  JR喜多方駅の改札は北口しかないが、昭和電工社員は「通勤者用工場専用跨線橋」を渡って駅南隣の同事業所に直接行けるという「幻の南口」があった。喜多方はまさに昭和電工の企業城下町だった。  だが石油危機以降、アルミニウム製錬は斜陽になり、同事業所も規模を縮小し人員整理に入った。労働組合が雇用継続を求め、喜多方市も存続に向けて働きかけたことから、アルミニウム製品の加工場として再出発し、現在に至る。  同事業所が衰退した昭和40年代は、近代化の過程で見過ごされてきた企業活動の加害が可視化された「公害の時代」だ。チッソが引き起こした熊本県不知火海沿岸の水俣病。三井金属鉱業による富山県神通川流域のイタイイタイ病。石油コンビナートによる三重県の四日市ぜんそく。そして昭和電工鹿瀬工場が阿賀野川流域に流出させたメチル水銀が引き起こした新潟水俣病が「四大公害病」と呼ばれる。 ※『昭和電工喜多方工場六十年の歩み』と同社プレスリリースなどより作成  同じ昭和電工でも、喜多方事業所は無機化学を扱う。同事業所でまず発覚した公害は、製錬過程で出るフッ化水素ガスが農作物を枯らす「煙害」だった。フッ化水素ガスに汚染された桑葉を食べた蚕は繭を結ばなくなり、明治以来盛んだった養蚕業は昭和20年代後半には壊滅したという。  もっとも、養蚕は時代の流れで消えゆく定めだった。同事業所が地元に雇用を生んだという意味では、プラスの面に目を向けるとしよう。それでも煙害は、米どころでもある喜多方の水稲栽培に影響を与えた。周辺の米農家は補償をめぐり訴訟を繰り返してきた。前述・アルミ太郎が披露された1954年には「昭電喜多方煙害対策特別委員会」が発足。希望に満ちた記念撮影の陰には、長年にわたる住民の怒りがあった。 地下水を大量消費  フッ化水素ガスによる農産物への被害だけでなく、同事業所は地下水を大量に汲み上げ、湧水枯渇の一因にもなっていた。「きたかた清水の再生によるまちづくりに関する調査研究報告書」(NPO法人超学際的研究機構、2007年)は、喜多方駅北側の菅原町地区で「戦前から枯渇が始まり、市の中心部へ広がり、清水の枯渇が外縁部へと拡大していった」と指摘している。06年10月に同機構の研究チームが行ったワークショップでは、住民が「菅原町を中心とした南部の清水も駅南のアルミ製錬工場の影響で枯渇した」と証言している。同事業所を指している。  研究チームの座長を務めた福島大の柴﨑直明教授(地下水盆管理学)はこう話す。  「調査では喜多方の街なかに住む古老から『昭和電工の工場が水を汲み過ぎて湧水が枯れた』という話をよく聞きました。アルミニウム製錬という業種上、戦前から大量の水を使っていたのは事実です。豊川町には同事業所の社宅があり、ここの住人に聞き取りを行いましたが、口止めされているのか、勤め先の不利益になることは言えないのか、証言する人はいませんでした」  地下水の水位低下にはさまざまな要因がある。柴﨑教授によると、特に昭和40年代から冬季の消雪に利用するため地下水を汲み上げ、水位が低下したという。農業用水への利用も一因とされ、これらが湧水枯渇に大きな影響を与えたとみられる。   ただし、戦前から湧水が消滅していたという証言があることから、喜多方でいち早く稼働した同事業所が長期にわたって枯渇の要因になっていた可能性は否めない。ワークショップでは「地下水汚染、土壌汚染も念頭に置いて調査研究を進めてほしい」との声もあった。  この調査は、地下水・湧水が減少傾向の中、「水郷・喜多方」を再認識し、湧水復活の契機にするプロジェクトの一環だった。喜多方市も水郷のイメージを生かした「まちおこし」には熱心なようだ。  2022年10月には、市内で「第14回全国水源の里シンポジウム」が開かれた。同市での開催は2008年以来2度目。実行委員長の遠藤忠一市長は「水源の里の価値を再確認し、水源の里を持続可能なものとする活動を広げ、次世代に未来をつないでいきたい」とあいさつした(福島民友10月28日付)。参加者は、かつて湧水が多数あった旧市内のほか、熱塩加納、山都、高郷の各地区を視察した。 「水源の里」を名乗るなら 昭和電工(現レゾナック)  昭和電工は戦時中の国策に乗じて喜多方に進出し、アルミニウム製錬で出た有害物質を含む残渣を地中に埋めていた。「法律が未整備だった」「環境への意識が希薄だった」と言い訳はできる。だが「喜多方の水を利用させてもらっている」という謙虚な気持ちがあれば、周辺住民の「湧水が枯れた」との訴えに耳を傾けたはずで、長期間残り続ける有害物質を埋めることはなかっただろう。喜多方の水の恩恵を受けてきた事業者は、酒蔵だろうが、地元の農家だろうが、東京に本社がある大企業だろうが、水を守る責任がある。昭和電工は奪うだけ奪って未来に汚染のツケを回したわけだ。  喜多方市も水源を守る意識が薄い。遠藤市長は「水源の里を持続可能なものとする活動を広げる」と宣言した。PRに励むのは結構だが、それは役所の本分ではないし得意とすることではない。市が「水源の里」を本当に守るつもりなら、果たすべきは公害問題の解決のために必要な措置を講じることだ。   住民は、事業所で使用履歴のない有害物質が基準値を超えて検出されていることから、土壌汚染対策法に基づいた地下水基準全項目の調査を求めている。だが、汚染源の昭和電工は応じようとしない。膠着状態が続く中、住民は市に対し昭和電工との調整を求めている。市長と市議会は選挙で住民の負託を受けている。企業の財産や営業の自由は守られてしかるべきだが、それよりも大切なのは市民の健康と生活を守ることではないか。 あわせて読みたい 【第1弾】親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題 【第2弾】【喜多方市】昭和電工の不誠実な汚染対策 【第4弾】【喜多方市】処理水排出を強行する昭和電工 【第5弾】土壌汚染の矮小化を図る昭和電工【喜多方市】

  • 浪江町社会福祉協議会】パワハラと縁故採用が横行

     浪江町社会福祉協議会が、組織の統治・管理ができないガバナンス崩壊にある。一職員によるパワハラが横行し、休職者が出たが、事務局も理事会も対処できず指導力のなさを露呈。事務局長には縁故採用を主導した疑惑もあり、専門家は「福祉という公的な役割を担う組織のモラル崩壊は、サービスを受ける住民への不利益につながる」と指摘する。 ガバナンス崩壊で住民に不利益  2022年6月、浪江町に複合施設「ふれあいセンターなみえ」がオープンした。JR浪江駅に近く、帰還した町民の健康増進や地域活性化を図る役割が期待されている。敷地面積は約3万平方㍍。デイサービスなどの福祉事業を担うふれあい福祉センターが入所し、福祉関連の事業所が事務所を置いている。福祉センター以外にも、壁をよじ登るボルダリング施設や運動場、図書室がある。 福祉センターは社会福祉法人の浪江町社会福祉協議会(浪江町社協)が指定管理者を務めている。業務を開始して3カ月以上が経った福祉センターだが、ピカピカの新事務所に職員たちは後ろめたさを感じていた。開設に尽力した人物が去ってしまったからだ。 「指定管理者認定には、40代の男性職員が町と折衝を重ねてきました。今業務ができるのも彼の働きがあってこそです。ところが、彼はうつ病と診断され休職しています。10月に辞めると聞きました。今は代わりに町職員が出向しています。病気の理由ですか? 事務局の一職員からのパワハラがひどいんです。これは社協の職員だったら誰もが知っていることです」(ある職員) パワハラの実態に触れる前に、浪江町社協が町の代わりに住民の福祉事業の実務を担う公的な機関であることを明らかにせねばならない。それだけ役割が重要で、パワハラが放置されれば休職・退職者が続出し、せっかく帰還した住民に対するサービス低下も免れないからだ。 社協は福祉事業を行う社会福祉法人の形態の一つ。社会福祉法人は成り立ちから①民設民営、②公設民営、③公設公営の三つに分けられ、社協は国や行政が施設を建設し、運営委託する点で③に含まれる。職員も中枢メンバーは設置自治体からの出向が多く、行政の外郭団体である。 浪江町社協の2021年度の資金収支計算書では、事業活動収入は計2億2400万円。うち、最も多いのが町や県からの受託金収入で1億5300万円(約68%)。次が町などからの補助金で4460万円(約19%)となっている。22年度の町の予算書によると、同社協には3788万円の補助金が交付されている。法人登記簿によると、同社協は1967(昭和42)年に成立。資産の総額は4億7059万円。現在の理事長は栃本勝雄氏(浪江町室原)で2022年6月20日に就任した。 前理事長は吉田数博前町長(同町苅宿)が兼ねていた。予算上も人員上も自治体とは不可分の関係から、首長が理事長を務めるのは小規模町村では珍しくない。吉田前町長も慣例に従っていた(2022年5月の町議会第2回臨時会での吉田数博町長の答弁より)。ただ、首長が自治体と請負契約がある法人の役員に就くことを禁じた地方自治法第142条に反するおそれがあり、社会福祉法人としての独立性を保つ観点から、近年、自治体関係者は役員に就かせない流れにある。同社協も吉田数博町長が引退するのに合わせ、2022年度から理事長を町長以外にした。 同社協の本所は前述・福祉センター内にある浪江事務所。原発災害からの避難者のために福島市、郡山市、いわき市に拠点があり、東京にも関東事務所を置く。職員は震災後に増え、現在は50人ほどいる。 事務局長「職員からの報告はない」 【浪江町】複合施設「ふれあいセンターなみえ」  問題となっているパワハラの加害者は、浪江事務所に勤める女性職員だという。この女性職員は、会計を任されていることを笠に着て同僚職員を困らせているようだ。例えば、職員が備品の購入や出張の伺いを立てる書面を、上司の決裁を得て女性職員に提出しても「何に必要なのか」「今は購入できない」などの理由を付けて跳ね返すという。人格を否定する言葉で罵倒することもあるそうだ。 一方で、女性職員は自分の判断で備品を購入しているという。ある職員は、女性職員のデスクの周りを見たら、新品の機器が揃えられていたことに唖然とした。 「彼女は勤務年数も浅いし、役職としては下から数えた方が早いんです。会計担当とはいえ、自由にお金を使える権限はありません。でも高圧的な態度を取られ、さらには罵倒までされるとなると、標的にはなりたくないので、誰も『おかしい』とは言えなくなりますね。発議を出すのが怖いと多くの職員が思っています」(ある職員) 職員たちは職場に漂う閉塞感を吐露する。休職・退職が相次ぎ、現場の負担が増した時があった。当時は「あと1人欠けたら職場が回らなくなる」との思いで出勤していたという。次第に女性職員の逆鱗に触れず一日が終わることが目的になった。「いったい私たちは誰をケアしているんでしょうね」と悲しくなる時がある。 休職し、退職を余儀なくされた男性職員は女性職員より上の役職だ。しかし、女性職員から高圧的な態度を取られ、部下からは「なぜ指導できないのか」と突き上げを食らい、板挟みとなった。この男性職員を直撃すると、 「2021年春ごろから体に異変が起こり、不眠が続くようになりました。心療内科の受診を勧められ、精神安定剤と睡眠導入剤を処方されるようになり、今も通院しています」(男性職員) 心ない言葉も浴びせられた。 「2022年春に子どもの卒業式と入学式に出席するため有給休暇を取得しました。その後、出勤すると女性職員から『なんでそんなに休むの?』と聞かれ『子どもの行事です』と答えると『あんた、父子家庭なの?』と言われました」(同) 子どもの行事に出席するのに母親か父親かは関係ない。他人が家庭の事情に言及する必要はないし、女性職員が嫌味を言うために放った一言とするならば、ひとり親家庭を蔑視している表れだろう。そもそも、有給休暇を取得するのに理由を明らかにする必要はない。 筆者は浪江事務所を訪ね、鈴木幸治事務局長(69)=理事も兼務=にパワハラへの対応を聞いた。 ――パワハラを把握しているか。 「複数の職員から被害の訴えがあったと聞いてびっくりしています。そういうことがあるというのは一切聞いていません」 ――ある職員は鈴木事務局長に直接被害を申し出、「対応する」との回答を得たと言っているが。 「その件は、県社会福祉協議会から情報提供がありました。全事務所の職員に聞き取りをしなくてはならないと思っています」 ――パワハラを把握していないという最初の回答と食い違うが。 「パワハラを受けたという職員からの直接の報告は1人もいないということです。県社協からは情報提供を受けました。聞き取りをしますと職員たちには伝えました」 ――調査は行ったのか。 「まだです。前の事務所から移ったばかりなので。落ち着くまで様子を見ている状況です」 加害者として思い当たる人物はいるかと尋ねると、「パワハラは当事者同士の言葉遣い、受け取り方によりますが、厳しい言い方があったのは確かで私も注意はしました。本人には分かってもらえたと思っています」と答えた。 本誌は栃本勝雄理事長と吉田数博前理事長にパワハラを把握していたかについて質問状を送ったが、原稿締め切りまでに返答はなかった。 「事務局長や理事長の責任放棄」  専門家はどう見るのか。流通科学大(神戸市)の元教授(社会福祉学)で近著に『社協転生―社協は生まれ変われるのか―』がある塚口伍喜夫氏(85)は「パワハラ」で収まる問題ではないという。 「役職が下の職員が上司の決裁を跳ねのけているのなら、決裁の意味が全くないですよね。個人のパワハラというよりも、組織が機能していない方がより問題だと思います。改善されていないのであれば事務局長や理事長の責任放棄です」 加えて、社協においても組織のガバナンス(管理・統治)の重要性を訴える。 「組織のガバナンスとは、任されている立場と仕事を果たすための環境を保持していくことです。業務から私的、恣意的なことを排除し、利用者に最上のサービスを提供することが大切です」(塚口氏) 事実、浪江町社協の職員たちはパワハラの巻き添えを食らわないよう自分のことに精いっぱいだ。利用者の方を向いて100%の仕事ができている状況とは言えない。 事務局長と理事長の対応に実効性がないことは分かったが、鈴木事務局長をめぐっては「別の問題」が指摘されている。縁故採用疑惑だ。 複数の職員によると、鈴木事務局長は知人の子や孫を、知人の依頼を受け積極的に職員に採用しているという。これまでに4人に上る。知人をつてに、人手不足の介護士や看護師などの専門職をヘッドハンティングしているなら分かるが、全員専門外で事務職に就いている。職員によると、採用を決めてから仕事を探して割り振るという本末転倒ぶりだ。 疑惑は親族にまで及んだ。前理事長の吉田前町長の元には、2022年度初めに「鈴木事務局長が義理の弟を関東事務所の職員に据えているのはどういうことか」と告発する手紙が届いたという。当初は義弟が所有する茨城県内の物件を間借りして関東事務所にする案もあったとの情報もある。義兄が事務局長(理事)を務める社協から、義弟に賃料が払われるという構図だ。 しかし、鈴木事務局長は「縁故採用はない」と否定する。 「職員を募集しても、福祉施設には応募が少ない。『来てくれれば助かるんだが』と話し、『家族と相談して試験を受けるんだったら受けるように』と言っただけです」 ――事務職は不足しているのか。 「町からの委託事業が多いので、それに伴った形で採用しています。正職員ではありません。なかなか応募がないので、知り合いを頼って人材を集めるのが確実です。募集もハローワークを通して、面接も小論文も必ず私以外の職員を含めた3人で行います。ですから、頼まれたから採用したというのは違います」 社協の意思決定は吉田前理事長を通して行ってきたと言う。 「やっていいかどうかの判断は私でもできます。一人で決めているわけではないです。別の職員の反対を押し切ることはありません。『ここの息子さんです』『あそこのお孫さんです』ということはすべて吉田前理事長に前もって説明していました。私が勝手にやったことは一度もありません」 ――介護士や看護師などの専門職は人手不足だが、その職種の採用を進めることはなかったのか。 「それはしていません。その時は介護士が必要な仕事を町から請け負ってなかったので、そもそも必要なかったのです。7月からデイサービス施設などを開所したことにより、介護士が必要になりました。ただ、そのような(縁故採用)指摘を受けたことの重大性は認識しており、個人的に応募を呼び掛けるのは控えるつもりです」 ――親族の採用については。 「試験を受けてもらい、復興支援員として関東事務所に配置しています。募集をかけても人が集まらない中、妻の弟が仕事を辞めたと聞き、『試験を受けてみないか』と打診しました。一方的に採用したわけではなく、私以外の職員2人による面接で選びました」 ――公募期間はいつからいつまでだったのか。 「なかなか集まらなかったので、長い期間募集していました。ただ、町からは『急いで採用してほしい』と言われていました。詳しい期間は調べてみないと分かりません」 「縁故採用は組織の私物化の表れ」  親族が所有する物件への関東事務所設置疑惑については、 「義弟が茨城県取手市で物件を管理しているので、いい物件が見つからない場合は、そこに置くのも一つの方法だな、と。ただ、それはやっていません」 ――交通の便が良い都心の方が避難者は利用しやすいのでは。 「関東に避難している方は茨城県在住の方が多いんです。近い方がいいのかな、と。それと首都圏で事務所を借り上げると、細かい部分が多いんですね。不動産業者を通して物件を探したが、なかなか見つからなかった。そこで、もし義弟の物件が空いているならと思って。ただ、身内の不動産を借りたとなると、いろいろ言われそうなのでやめました」 ――借りるのをやめたのは吉田前理事長の判断か。 「私の判断です。上に決裁は上げていませんので」 ――どうして都心の事務所になったのか。 「もう1人の職員が埼玉県草加市在住なので、どちらも通える方がいいですし、茨城だけに集中するわけではないので、被災者と職員の両方が通いやすいように、アクセスの良い都心がいいかなと考えました。義弟の物件を一時考えたのも、不動産業者を通すより手続きが簡素で、借りやすいという利点がありました。仮に義弟の物件を選んだとして、他の物件と比べて1円でも多く払うということはありません」 初めは「関東の避難者は茨城に多い」と答えていたが、いつの間にか「避難者は茨城だけに集中するわけではない」と矛盾をきたしている。 前出・塚口氏に見解を聞いた。 「公正に募って選別するというルートを踏むのが鉄則です。縁故採用が事実なら、組織を私物化した表れと言っていいでしょう。本来は誰がどこから見ても公正な採用方法が取られていると保証されなければなりません。それが組織運営の公正さに結びつきます。福祉事業は対人支援です。最上の支援は、絶えず検証しながら提供していくことが大事です。そこに私的なものや恣意的なものが混じってくると、良いサービスは提供できないと思います」 ガバナンスがきちんとしていないと、福祉サービスにも悪影響が出るというわけだ。浪江町社協には、町や県から補助金が交付されている。町民や県民は同社協の在り方にもっと関心を持ってもいい。

  • 【福島市内で県内初】レインボーマーチ

     性的マイノリティーを含む多様な人びとが暮らしやすい社会づくりをめざすイベント、「ふくしまレインボーマーチ」が2022年10月、福島市内で開催された。実行委員会によると同種のイベントは県内では初めて。約100人の参加者がレインボーフラッグをかかげて日曜の昼下がりを行進した。  2022年10月2日午後2時半。JR福島駅近くのイベントスペース、まちなか広場。レインボーフラッグを先頭に、約100人の参加者たちが行進を始めた。小旗を振って通行人に笑顔を振りまく。自作のプラカードをかかげる人もいれば、音楽に合わせて踊りながら歩く人もいる。横断幕にはこう書いてあった。 〈福島でありのままで生きて、福島をみんなの居場所にしたい〉 性自認や性的指向は人によって異なる。レズビアン(女性同性愛者)の人もいれば、ゲイ(男性同性愛者)の人、バイセクシュアル(女性にも男性にも性的に惹かれる)の人、トランスジェンダー(出生時の性と性自認が一致しない)の人もいる。 こうした人びとの頭文字をとって「LGBT」と呼ぶこともある。しかし、実際にはクエスチョニング(性自認や性的指向が定まっていない)の人など、もっと様々な人がいるため、「LGBTQ+」という言葉が広がりつつある。 多様な性への理解を深め、「みんなが生きやすい世の中をめざそう」と広くアピールするのが、このマーチの目的だ。ふくしまレインボーマーチ自体は3回目だが、過去2回は新型コロナの影響を受けてオンライン開催だった。町の中を実際に行進するのは今回が初めてだ。 先頭を歩くのは実行委員長の廣瀬柚香子さん(25)。廣瀬さんは矢吹町在住。自分のことを男性とも女性とも思えない「Xジェンダー」だと表現する。マーチを主催した理由をこう話す。 「マイノリティーではない人たちに対しては、『私たち性的マイノリティーが身近に存在しているんだよ』ということを知ってもらいたかったです。そして一緒に歩いてくださった皆さまには、『みんな自分らしく生きていて素敵だよ』っていうメッセージを伝えたかったです」 福島を変える第一歩 レインボーマーチの先頭を歩く廣瀬柚香子さん=10月2日福島市内、牧内昇平撮影 マーチで掲げられた「プライド・フラッグ」。レインボーカラーが多様な性を象徴している=10月2日福島市内、牧内昇平撮影  マーチには県外からも多くの人が参加した。岐阜県から参加したVENさんは、これまでに全国津々浦々、100カ所以上のレインボーマーチに参加してきた。 「歩行者天国で多くの人が手を振ってくださいました。警察の方もやさしく接してくれました。とても嬉しいですね。でもね……」 ゲイのVENさんは福島にも友人がいる。だが、その人は今回のマーチのことを知っていても、参加できなかった。残念ながら、性的マイノリティーへの差別や偏見がなくなったとは言い切れない現状がある。 「私の友人だけでなく、『一緒に歩きたくても歩けなかった』という人がたくさんいると思います。私はその人たちの分も歩きたいと思っています」とVENさんは語った。 午後3時、一団はスタート地点の「まちなか広場」に戻ってきた。マーチは成功のうちに終わった。実行委員長の大役を務めた廣瀬さんは、こう話した。 「今日歩くまではとても不安だったんですけど、みんなのパワーに支えられて緊張を吹き飛ばしてもらいました。みんなで一歩を踏み出した。そう思えるマーチでした。まちの方も手を振ってくれたりして。私、今まで福島は生きづらい場所だなと思っていたんですけど、変えていけるんじゃないかな、と今日思えました」 (ジャーナリスト・牧内昇平) ふくしまレインボーマーチホームページ あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】

  • 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

     2022年3月16日に発生した福島県沖地震、同年8月3日から4日にかけての大雨によって、前者は伊達・相馬両地方、後者は会津北部を中心に大きな被害が出た。どちらも、発生から時間が経ったが、その後の動きを追った。 福島県沖地震 いまもブルーシートがかかっている家屋が目に付く  国のまとめによると、3月の福島県沖地震により、県内では相馬市、南相馬市、国見町で最大震度6強を観測したほか、広い範囲で6弱から5弱の揺れが確認された。県内の被害状況は、人的被害が死者1人、重傷者9人、軽傷者92人。住家被害は全壊が165棟、半壊が4024棟、一部破損が3万0621棟となっている。こうした事態を受け、県内全域に災害救助法、被災者生活支援再建法が適用された。 このほか、生活・生業再建のための支援策が打ち出され、生活再建(住まいの確保)については、応急修理が半壊以上上限59万5000円、準半壊上限30万円、瓦屋根の改修が上限55万2000円などとされた。受付は各市町村で行っている。 こうして、支援策が示されているものの、実際の現場では、まだ住まいの修繕は追いついていないのが実情だ。特に顕著なのが屋根瓦。被害が大きかった相馬市、南相馬市鹿島区などを走行すると、屋根にブルーシートがかけられたまま、未修理の住宅があるのが目に付く。 梅雨前、ある住民は次のように語っていた。 「地震の数日後に修理業者に被害個所を見てもらいました。そのときはひとまず、屋根瓦が落下したところにブルーシートをかぶせて、土嚢で固定するといった応急処置をしてもらい、『(修理の準備が整ったら)また連絡します』とのことでした。ただ、それから2カ月ほどが経ちますが、まだ本格的な修理の連絡はもらっていません。この地域一帯で住宅被害が出ており、手が回らないのでしょう。幸い、雨漏りはしていないのでいいが、これから梅雨に入り、風が強い日があったらどうなるか分からないので、それまでに何とかしてもらいたいとは思っていますが、どうなるか」 修理待ちに半年以上  結局、この住民は10月に入って、ようやく屋根瓦の修理が終わったという。 「(屋根瓦修理の)作業自体は1日で終わりましたが、修理業者によると『(そのくらいのペースで作業をしても)まだまだ順番待ちのところがある』と話していました。ウチも半年以上経って、ようやくでしたからね。しかも、家の中(内装で破損したところ)はまだ手付かずの状況です。そっちはいつになるやら」 一方で、別の住民は「ウチは周囲の住宅と比べても屋根瓦の被害が大きかった。そのためか、早い段階で修理してもらえた」と話した。 広範囲で住宅被害(屋根瓦の被害)が出ていたことから、被害が大きく生活に支障をきたす恐れがあるところから優先的に修理している実態がうかがえる。 ちなみに、前者の住民の屋根瓦修理費用は約60万円、後者の住民は壊れた壁などを含めて120万円ほどだったという。 前述したように、住まいの修繕には補助が受けられるが、そのためには罹災証明書が必要になる。相馬地方の各自治体では、東日本大震災や2021年の地震被害の経験から、有事の際に応援職員を派遣してもらえるような体制を整えており、被害が広範囲に及んだ割には、比較的早く罹災証明書を発行できた。 ただ、同地方では1万軒ほどの住宅に被害が出ており、修理業者の手が行き届いていない。 実際、相馬地方の修理業者に話を聞くと、「確かに早く何とかしてほしい、といった要望は多いが限界がある」という。 「依頼があったら、ひとまず見に行って、応急処置を行い、被害が大きいところから順次修理に当たっています。ただ、南相馬市から新地町まで、広範囲にわたって被害が出ているため、本当に申し訳ないが、雨漏りをしていないところなどは、どうしても後回しになってしまっているのが現状です」 この修理業者に限らず、休日返上で毎日のように南相馬市から新地町までを修理に駆け回っているが、なかなか追いつかないようだ。「モノ(瓦などの資材)が高騰して入手しにくいということもありますが、人手が足りていないのが最大の要因」(前出の修理業者)とのこと。 本当に早く修理したいのであれば、地元以外の修理業者に依頼する方法もあるが、「普段の生活に支障をきたすほどの被害があったのなら別ですが、そうではなく多少は待てる状況だったので、ある程度知ったところにお願いしたいと思って、そうしています」(前出の住民)という。 同様の考えの人が多いのだろう。そのため、地元業者はフル回転しているが、なかなか住宅修繕が追いつかないのが現状のようだ。 会津北部大雨 2カ月以上通行できなかかった国道121号  8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内では広い範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。 福島地方気象台は8月9日、《8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった》と発表した。 3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉で315㍉、喜多方市で276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨になったという。 県の発表(8月24日13時時点)によると、人的被害(死者、行方不明者、重傷者、軽傷者)は確認されていないが、住家被害は全壊1棟、半壊3棟、一部破損8棟、床上浸水14棟、床下浸水145棟、非住家111棟が被害を受けた。道路は県管理道路27件、市町村管理道路51件で被害を受け、公共土木施設の被害額は県・市町村を合わせて約60億円。そのほか、農地、農道、農業用施設などで250件以上の被害が確認され、農林水産業の被害額は35億円以上になるという。 国は、今回の大雨被害を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減する方針を示した。 福島地方気象台の発表にもあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部で、本誌は9月号「会津北部 大雨被災地を行く 住家、農業、市民生活、経済……多方面に影響」という記事で、被害状況や被災者の声などを紹介した。 その中で、住家や農地の被害などのほかに象徴的な被害として、喜多方市と山形県米沢市をつなぐ国道121号が通行止めになったことを伝えた。山形県側で斜面が崩落したのが原因で、大雨被害から2カ月半以上が経った10月24日に片側交互通行ながら、ようやく通行できるようになった。 2カ月以上通行できなかった影響は多方面に及んだ。被害直後、ある喜多方市民はこう話していた。 「(喜多方市)熱塩加納町などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」(ある市民) 影響受けた道の駅  会津方面から米沢市に行くルートとしては、裏磐梯経由(西吾妻スカイバレー)があるが、急峻な山道でスクールバスが通行するのは難儀。普通の乗用車であっても尻込みするような山道だ。結果、中通り経由で行くことになり、通常の2倍くらいの所要時間がかかっていたわけ。 このほか、大きな影響を受けていたのが道の駅喜多の郷。同道の駅は国道121号沿いで、喜多方市街地から外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆になり、喜多方―米沢間が通り抜けできないとなれば交通量は大きく減る。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社は、当時本誌取材に「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と話した。 実は、国道121号は6月末の大雨で法面が崩落し、7月4日から7日までの3日間、通行止めとなっていた。その時は3日間だったが、今回は通行できるようになるまで2カ月以上かかり、かなりの痛手だったようだ。 実際、再開通直前の週末に同道の駅を訪ねたところ、入り込みはまばらだった。同日、近隣の猪苗代、ばんだい、裏磐梯の道の駅は駐車場にクルマを止められないくらい混み合っていたことを考えると、やはり影響は大きかったと言えよう。 開通当日、道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社に問い合わせると、「何とか紅葉シーズンに間に合い、これから半月ぐらい(11月中旬ごろまで)はお客さんが見込めると思います。今日(24日の開通日)も早速、山形ナンバーのクルマが何台か見えました」と話した。 これから積雪シーズンに入ると、また客足は鈍るだろうが、紅葉シーズンでどれだけ巻き返せるか。 こうした一例を見ても、福島県沖地震、会津北部大雨ともに被害が長期化していることがうかがえよう。 あわせて読みたい 【会津北部大雨】被災地を行く

  • 小野高校の「存続」を断念した村上小野町長

     福島県教委は人口減少・少子化などを受け、県立高校の統合・再編を進めている。その1つに、船引高校(田村市)と小野高校(小野町)の統合計画があり、統合後は船引高校の校舎を使い、小野町からは高校がなくなってしまう。そのため、同町では町、議会、同窓会などが存続に向けた活動を行ってきたが、2022年9月議会で村上昭正町長が「存続断念」を表明した。 福島県教育委員会の統合計画は既定路線 福島県教育委員会(福島県庁)  県教委は、人口減少・少子化の進行、高等学校教育を取り巻く状況の変化、生徒の学習ニーズの多様化、学校の小規模化(3学級以下の高校の増加)などの教育環境の変化を背景に、2018年5月に「県立高等学校改革基本計画」を策定した。同計画では2019年度からの10年間を対象に、さまざまな取り組み内容が示されているが、その1つに県立高校の統合・再編がある。 同計画は、前期実施計画(2019〜2023年度)と後期実施計画(2024〜2028年度)に分かれ、前期は25校を13校に、後期は8校を4校に統合・再編することにしている。 今年度までに須賀川創英館(須賀川・長沼統合校)や会津西陵(大沼・坂下統合校)、相馬総合(相馬東・新地統合校)など7つの統合高校が開校しており、来年度に伊達高校(保原・梁川統合校)や二本松実業(二本松工業・安達東統合校)など5校が開校して前期計画は終了となる。 後期計画では、8校を4校に統合・再編する予定だが、その1つに船引高校(田村市)と小野高校(小野町)の統合がある。船引・小野統合校は、2026年4月開校予定で、校舎は船引高校を使う。 小野高校 船引高校  表①、②は、両校の募集定員と入学者の推移(過去5年間)をまとめたもの。船引高校の入学者数は横ばいから微減、小野高校は2021年度から募集人員が減ったこともあるが、大きく減っており、直近の充足率は50%を割っている。さらに、今後、小野町内の中学卒業者数が増える見込みもない(表③)。  こうした事情から、船引高校と小野高校の統合計画が示され、統合後は総合学科、定員160人(4学級)となり、前述したように校舎は船引高校を使うため、小野高校は事実上の廃校になる。ちなみに、両校は直線距離で20㌔ほど離れている。 県教委によると、現在の小野高校在学生の約42%が町内から通っているという。この数字をどのように捉えるかは判断が難しいところだが、少なくとも、前述したように、今後、同町内の中学校卒業者数が増える見込みはない。 町ぐるみで存続運動  この統合案に、小野町内では「人口・人材の流出が顕著になる」、「地域の活力が失われる」として、反対の意見が噴出した。町、議会、教育委員会、同窓会などが中心となり、県教委に統合見直しを求める要望活動などを展開してきた(表④=次頁=参照)。 今年6月には、船引・小野統合校に関する「第1回県立高等学校改革懇談会」が開催され、県教育長、県立高校改革室長らと、村上昭正小野町長、有賀仁一小野町教育長、小野高校同窓会役員、地元有識者らの話し合いが行われた。 その席で、小野町・小野高校の関係者(出席者)からは「少子化が進む中で高校の統合・再編は仕方がない」と状況は察しつつも、「住民の交流や文化の拠点となる場所がなくなる」、「町にとって高校の存在は、非常に大きなもので、『なくす』のではなく、『どうしたら存続できるか』を考えるべき」、「『人が減ったから学校も減らす』というのは、『地方創生』に逆行しているのではないか」、「船引高校に統合されたら、親も勤め先が、船引になってしまうかもしれない」といった意見が出された。このほか、町長や教育長などとの懇談だけでなく、「住民への説明も行うべき」といった指摘もあった。 この間、同町では小野高校を地域密着型高校として発展させるべく、「小野高校を考える連携協議会」を発足させ、地域行事に積極的に参加したり、同校家庭クラブと連携して、地域資源を活用した6次化商品を開発したり、農業クラブと町内の草花の手入れを一緒にやったりと、さまざまな取り組みを進めていた。同校家庭クラブが考案したメニューが高校生の料理コンテスト「うまいもん甲子園」で好成績を収めるなどの成果も出ていた。それだけに、何とか存続させてほしい、といった思いが強いようだ。 一方、県教委は「少子化、社会環境の変化が急速に進んでいる状況を捉えると、県教育委員会としては、船引高校と小野高校の統合を行い、この地域や田村郡、県内全域の教育環境を整えていくために、どうすればいいのかを考え、改革計画を示した」、「今回の意見は真摯に受け止める。地域住民に統合の方向性や内容について、しっかり理解していただくために、住民向けの説明会についても、町と協議して対応していく」と返答した。 こうして、町では小野高校存続に向けた活動を行ってきたが、今年9月議会で村上町長は「存続活動に一区切りをつける」と明かし、事実上の「存続断念」を表明した。村上町長にその真意、県教委とのやりとりのどういったところから、「計画を見直す考えはない」と感じたのかを聞いた。 村上町長に聞く  ――町では、県の統合方針に「反対」の立場から、要望等を行ってきたが、その意図と経緯。 「地域から学校がなくなることで地域活力や教育力の低下を招き、何より地域の人材育成の場が失われることは、地方創生に逆行するものと考え、全県下同一基準による県立高等学校改革を改め、それぞれの地域の実情に合った魅力ある教育環境づくりを推進するため、地域の意見等を十分に聴き取ったうえで、それらを反映させた後期実施計画へと見直しを行うことを要望してきた」 ――小野高校が統合され、実質、小野町から高校がなくなることで考えられる町内への影響。 「人口減少が加速する中、人材育成や地域振興などの役割を担う過疎・中山間地域の学校である小野高校が都市部の学校と同一の基準のもと後期実施計画通り統合すれば、地域活力や教育力の低下と人材育成の場が失われることになり、地方創生の取り組みに影響を受ける」 ――9月議会で「存続要望を断念する」旨を表明したが、その真意。県教委のやり取りの中、どういったことから、「存続は難しい」「方針を変える考えはない」と感じたのか。 「小野高校の存続に向けた各種要望活動に対し、県教育委員会には計画再考など、方針を転換する考えがなく、最終的には、8月に県教育長が来訪した際、終始一貫した『地域全体を考え、子どもたちにとってより良い環境づくりのため後期実施計画を進める』との具体的発言から存続を断念した」 ――そうした方針を示したことに対する町内の反応。 「これまでの経過や今後の取り組み方針等について、町広報紙を通じて町民へ周知を行ったが、町民から担当部署へは、意見や問い合わせはないのが現状である。ただ、小野高校について考える連携協議会(町民等から小野高校に関する意見等をいただく機関)を開催した際に委員からは以下のような意見等をいただいた。『町の方針転換はやむを得ないが残念である。また、県教育委員会のやり方は納得できない。手順も間違っており、地域の声を全く聞かず配慮不足であるが、地域にとってよりよい方向(利活用)になるように、県と綿密に連携していってほしい』『統合に向けて、町(地域)として農業が大切であるため、施設の有効活用を求めていくことや通学支援も考えていく必要があると思うので、県と交渉していくことが大事である。あわせて校舎方式(入学と卒業が同じ校舎)にするべき』」 ――統合を受け入れるとして、マイナス影響や町民の不安・不満等を解消するため、今後、町としてどのような取り組みをするか。 「苦渋の決断ながら、将来を担う子どもたちにとって、より良い教育環境づくりへの道筋をつける必要があるため、これまで町が行ってきた『小野高校の存続要望活動』に区切りをつけ、『小野高校の存続ありき』から『小野高校の存続を前提とせず』、小野町の高校生を地域全体で支え、支援することで教育環境を充実させるとともに、町民との協働による地域活性化に積極的に取り組んでいく。加えて、統合するまで残り4年間、引き続き小野高校の支援を行っていきたい」 県教委に求められること  県教委の進め方などに不満を持ちつつも、「方針を変える考えはない」と感じていたようだ。最終的には、8月に県教育長が来訪した際の発言を受け、「存続を断念した」という。今後は、統合後のことを考え、町内にマイナス影響が出ないような方策・取り組みが求められる。 一方で、県教委によると、小野高校の年間運営費は約5400万円(2019年度)という。現在の人口減少・少子化の流れや、地方自治法で規定されている「地方公共団体は、(中略)住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない」(地方自治法2条14)という原則を考えたら、統合・再編はやむを得ない面はあるだろう。とはいえ、地元住民などへの丁寧な説明と理解醸成のための取り組みは今後も継続しなければならない。 この記事が掲載されている政経東北【2022年11月号】をBASEで購入する

  • 【梁川・バイオマス計画】住民の「募金活動」に圧力!?

     伊達市梁川町のやながわ工業団地で建設が進められているバイオマス発電所をめぐっては、市民団体「梁川地域市民のくらしと命を守る会」(名谷勝男代表)が反対運動を展開していることは本誌既報の通り。8月号では「傍観する市が果たすべき役割」として▽住民に寄り添う姿勢を明確にすること、▽住民と事業者の仲介役を務めること、と書いた。 しかし、住民が「なぜ市は事業者側に立つのか」と反発し、市が「法律に基づいて許可・容認しているだけ」と押し問答を繰り返している間にも、事業者の㈱ログ(群馬県太田市)は粛々と工事を進めている。来年秋には試運転が始まる予定だが、現状では、ログが話し合いで計画を止める気配は感じられない。 「このままでは事態は何も変わらない」と考えた守る会は、ログに法的手段を講じることを決めた。 守る会事務局の引地勲氏は次のように話す。 「真っ先に思い浮かぶのは工事差し止め請求ですが、具体的な方針は決まっていません。現在、弁護士や環境問題に詳しい専門家と、法的にどういう対抗策が考えられるか検討しているところです」 とはいえ、裁判を起こすにはお金が必要だが、2021年3月の結成以来、手弁当で運営してきた守る会に裁判費用を負担する余裕はない。そこで守る会は、当面の活動資金と裁判費用を捻出するため、広く募金を呼びかけることにした。 「これまでボランティアでやってきましたが、活動が長期化するにつれてお金の問題に直面することが増えてきたため、多くの方から浄財を寄せていただくしかないという結論に至りました」(同) 募金活動は当初、守る会だけでなく、地元の伊達市商工会、やながわ工業団地内の企業で組織するヤナガワテクノパーク会、農事組合法人も協力することを表明し、4団体連名で募金趣意書を作成することになっていた。ところが、募金趣意書案ができた段階で、伊達市商工会とヤナガワテクノパーク会から突然「名前を連ねるのが難しくなった」と告げられたという。 「両者ともはっきりは言わなかったが、どうやら市から『裁判を前提とする募金活動に協力するのはいかがなものか』というニュアンスの話をされたようなのです」(同) 要するに、市から〝圧力〟をかけられ、募金活動に協力できなくなったというのだ。 「両者とも、本音では協力したいと思っているので、その気持ちだけで十分です。実際、募金活動には協力できなくても、募金はしてくれましたから」(同) 一方、農事組合法人に対しても、守る会と募金活動について協議したその日の夜に、地元JAの幹部が農事組合長の家を訪ね、夜中まで「なぜ協力するのか」と詰め寄ったという。 「そういうやり方に激怒した農事組合長は翌日、JAに農事組合長の辞表を提出しました。農事組合長の言い分は『農事組合法人として、地元農家のためにバイオマス発電所に反対して何が悪いのか』というものでした」(同) これを受け、募金趣意書は4団体連名ではなくなったものの、梁川町内会長連絡協議会の協力を得ながら9月下旬に梁川町内全域に配布したという。市内他地域での配布は「現時点ではできていない」(同)とのことだが、守る会では11月いっぱいまで募金活動を続ける予定だ。 法的手段の見通しは立っていないが、協力者の思わぬ離脱は、かえって募金活動のモチベーションを高める結果につながっているようだ。 あわせて読みたい 田村バイオマス訴訟の控訴審が結審

  • 【第2弾】【喜多方市】昭和電工の不誠実な汚染対策

     昭和電工喜多方事業所にたまった有害物質由来の土壌汚染・地下水汚染が公表されてから2年が経った。前号で、昭和電工が周辺住民が求める全有害物質の検査に応じず、不誠実な広報対応を続けていることを書いたが、不信感が広まったのは2022年1月、農業用水路に希硫酸が流出してからだ。昭和電工が、用水路を管理する地元土地改良区と締結予定だった「覚書」をダシに地元住民・地権者の同意を求めていたことも明らかになり、土地改良区の立場に疑いの目を向ける者もいる。 会津北部土地改良区にも不満の声  昭和電工の計画では、基準値を超えている地下水をくみ上げ、浄化処理をした上で排出するとしている。処理水は発生し続け、保管で敷地が狭くなるのを防ぐために排出先を確保するのは必須だ。東電福島第一原発の汚染水対策を見ている県民なら容易に想像できるだろう。 汚染水を浄化した処理水をどこに流すのか。昭和電工は2022年3月から喜多方市の下水道に流している。敷地内汚染が発覚するまで、昭和電工は下水道を使っていなかったが、新たに配管を通した。基準値を超えていないことを確認したうえで排出し、流量や測定値は毎月、市に報告している。 1日当たりどのくらい排出しているのか。同事業所に問い合わせると、2022年3月から10月24日までの期間で、1日当たりの排水量は平均で約200立方㍍だという。 下水道は使用料がかかる。公害対策費は利益につながらない出費なので、なるべく抑えたいはずだ。昭和電工は、当初は会津北部土地改良区(本部・喜多方市)が管理する松野左岸用水路に流す計画だった。その量は、1日当たり最大1500立方㍍。この用水路には、これまでも同改良区の許可を得たうえで通常の操業で出る排水を流してきた。 会津北部土地改良区の事務所  だが、公害対策工事が佳境を迎えても、いまだ同用水路には処理水を流せていない。近隣住民らの同意が得られていないからだ。住民側は複数行政区で同一歩調を取るという取り決めもされ、事態は膠着している。発端は、昭和電工による住民側に誤解を与えた説明と、同用水路への希硫酸流出事故だった。 事態を追う前に、当事者となった会津北部土地改良区の説明が必要だ。土地改良区とは、一定の地域の土地改良事業を行う公共組合。用水路や取水ダムの設置・管理、圃場整備を行う。一定の地域で農業を営んでいれば、本人の同意の有無にかかわらず組合員にならなければならず、地縁的性格が強い。 会津北部土地改良区は喜多方市、北塩原村、会津坂下町、湯川村に約4780㌶の受益地を持つ。松野左岸用水路は長さ3750㍍で、濁川から取水し、昭和電工喜多方事業所南部の農地約260㌶に供給する。 同事業所と周辺で汚染が発覚した後の2021年、昭和電工は環境対策の計画書を県に提出した。そこには処理水の排出経路として、前出の松野左岸用水路を想定。同年3月ごろに用水路を管理する会津北部土地改良区に、排水にあたって約束する内容を記した「覚書」を締結したいと申し出た。 汚染水中の有害物質を基準値以下にした処理水で、県も認可している計画なので、会津北部土地改良区も「約束を明確化するなら」と排水の趣旨は理解した。ただし同改良区では、どの用水路も近隣住民や関係する地権者の同意を得て初めて、事業所からの排水を流していたため、昭和電工にも同じように同意を得るように求めた。昭和電工は2021年夏ごろから、周辺住民を対象に説明会を開き同意書への署名を要望した。 筆者の手元に住民や地権者に示された「覚書」がある。昭和電工が作成し、住民らに示す前に同改良区に確認を取った。ただし同改良区は「内容が良いとか悪いとか、こちらから口を出すものではないと認識しています。受け取っただけです」(鈴木秀優事務局長)という。 覚書の初めには《会津北部土地改良区(以下「甲」という)と昭和電工株式会社喜多方事業所(以下「乙」という)は、甲が管理するかんがい用水路へ排出する乙の排出水によるかんがい用水の水質汚染発生防止と、良好な利水並びに環境の確保を本旨として、次のとおり覚書を締結する》とある。 第1章総則では、「この覚書に定める諸対策を誠実に実施し、環境負荷の低減に努めることを甲乙間において相互に確認することを目的」とし、「排出水による環境負荷抑制に努め」、「排出水の監視状況や環境保全活動等の情報を開示することにより、地域住民等との環境に関するコミュニケーションを図る」とある。以下、章ごとに「排出水等の水質」、「排出水等管理体制」、「不測の事態発生時の措置・損害の賠償」を約束する内容だ。 ただ、後半の「排水処理施設の出口において維持すべき数値」を定めた覚書細目では、フッ素及びその化合物についてのみ、許容限度を最大8㍉㌘/L以下と定めている。敷地内やその周辺の地下水で土壌汚染対策法の基準値を超えたシアン、ヒ素、ホウ素についての記述はない。 排水拒否の権限がある土地改良区  覚書の各項目の主語はほとんど乙=昭和電工だ。甲=会津北部土地改良区は、冒頭と署名・押印、協議に関わる個所以外は登場しない。 「覚書」と記されているが、当時も現在も、会津北部土地改良区とは正式に締結していない。だが、住民の同意を得るうえでは発効済みのものと同じくらい効果があった。 松野左岸用水路に処理水を排出していいかどうかの決定権があるのは、管理する同改良区だ。土地改良法57条3では、土地改良区は都道府県の認可を得て管理する農業用用排水路については、「予定する廃水以外の廃水が排出されることにより、当該農業用用排水路の管理に著しい支障を生じ、または生ずるおそれがあると認めるときは、当該管理規定の定めるところにより、当該廃水を排出する者に対し、その排出する廃水の量を減ずること、その排出を停止すること」を求めることができるとある。同改良区は昭和電工に「ノー」を突き付ける絶大な力を持っているということだ。 同改良区が「地域住民の同意が必要」と言ったら従うしかない。昭和電工が住民らに求めた同意書は「土地改良区の許可」という扉を開くための鍵だった。 同改良区の理事には喜多方市長や北塩原村長も名前を連ねており、地元では信頼がある(別表参照)。実際、「土地改良区でいいと言っているし、もう覚書は結ばれているものと思って同意に賛成した」という住民もいた。 会津北部土地改良区の役員構成(敬称略) 役職氏名住所(員外理事は公職)理事長佐藤雄一喜多方市関柴町副理事長鈴木定芳北塩原村庶務理事山田義人喜多方市塩川町会計理事遠藤俊一喜多方市熱塩加納町事業管理代表理事岩淵真祐喜多方市岩月町賦課徴収代表理事猪俣孝司喜多方市熱塩加納町理事飯野利光喜多方市上三宮町理事岩崎茂治喜多方市慶徳町理事庄司英喜喜多方市松山町理事高崎弘明喜多方市豊川町理事羽曾部祐仁喜多方市熊倉町理事横山敏光喜多方市塩川町員外理事遠藤忠一喜多方市長員外理事遠藤和夫北塩原村長統括監事堀利和喜多方市市道員外監事慶德榮喜喜多方市塩川町監事大竹良幸北塩原村  筆者は昭和電工喜多方事業所に「未締結なのに表題に『覚書』とのみ書き、『覚書(案)』のように記さなかったのはなぜか」と質問した。  同事業所は「説明会の中で会津北部土地改良区殿との締結はまだされていない旨をお伝え申し上げております。また、お示しした書面は、締結日付も空欄で押印もされていないものですので、見た目上も案であることはご理解いただけるものとなっております」と回答。勘違いした方が悪いというスタンスだ。 今回、地下水汚染の被害を受けている喜多方市豊川町は水田が広がる農業地帯だ。仕事柄、書類の見方に慣れている人は少ない。高齢者も多い。重要な書類を交わすのは、車の購入や保険の契約くらいだろう。 「分かりやすく伝える」ではなく「誰にでも伝わるようにする」。これは現代の広報の鉄則だ。住民の理解が不十分だったのをいいことに、自社に都合のいいように同意に向かわせることは、相手の立場に立った広報ができていないと言える。昭和電工喜多方事業所は地方の一拠点とはいえ、仮にも上場企業の傘下だ。 希硫酸流出で住民が同意書を撤回  以下は「同意書」の内容。同改良区・昭和電工と住民側が結ぶ形になっている。 《当行政区は、会津北部土地改良区の管理する松野左岸用水路の灌漑用水を直接又は反復利用するにあたり、下記の事項について同意いたします》。同意する内容は《昭和電工株式会社喜多方事業所が、会津北部土地改良区と昭和電工株式会社喜多方事業所との間で協議して締結する排水覚書(筆者注=「覚書案」のこと)に基づき排出水を適切に管理し、その排出水を会津北部土地改良区の管理する松野左岸用水路に排出することについて》である。 同事業所の南に位置する綾金行政区は、昭和電工が2021年9月19日に行った同行政区住民に対する説明で、即日同意書に署名を決めた。同行政区には51軒あるが、採決に参加したのはそのうちの36軒。賛成18軒に対し反対は8軒、多数派に委任したのが10軒あったため、行政区として同意書に合意した。 賛成の理由としては「国の基準を満たしているし、土地改良区も了承しているので任せたい」。反対の理由としては「風評被害につながる」との懸念があった。異論はあったが、同行政区は同年10月29日付で昭和電工に同意書を渡した。 会津北部土地改良区は綾金行政区からの要望を受けて、前事務局長を住民説明会に参加させていた。あくまでオブザーバーで、昭和電工側に立って説明することはなかったという。同改良区は、同社が長尾行政区を対象に同年10月24日に開いた説明会にも住民の要望を受けて参加した。 昭和電工と同改良区との「覚書」が示されたことで、住民側が勘違いしたのだろうか。関係する9行政区中、綾金、能力、長尾行政区が同意書を提出した。ところが、綾金行政区は2022年8月7日に同意を撤回。同時期に能力、長尾行政区も撤回した。いったい何があったのか。 きっかけは、2022年1月22日夜から23日午前10時にかけて、地下水汚染の拡散を防止する「環境対策工事」に使っていた希硫酸が敷地外に漏れたことだった。まさに住民らが前年に排出を同意していた松野左岸用水路に流出した。幸い、冬季は農業用水路として使っていなかった。積もっていた雪に吸着したため、敷地外への排出量も減り、回収もできた。 タンクからの漏洩量は1・15立方㍍。敷地外に流出したのは0・1立方㍍と昭和電工は計算している。最終放流口から漏れ出た溶液の㏗(ピーエイチ)が最も下がったのは同23日午前7時半に記録した㏗2・8だった。㏗は3・0以上6・0未満が弱酸性。6・0以上8・0以下が中性。2・0を下回ると強酸性に分類される。 流出量からすると実害はなかったが、不安は募る。さらに住民への報告は2月に入ってからで、不誠実に映った。漏洩防止対策のずさんさも環境対策工事への信頼を揺るがすものとなった。 調整役を期待される喜多方市  希硫酸は円柱形の大人の背丈ほどのタンク内に収められていた。下部から管を通して溶液を出すつくりになっている。タンクは四角い箱状の受け皿(防液堤)に置かれ、タンク自体が破損して希硫酸が漏れても広がらないよう対策されている。防液堤から漏れたとしても、雨水が集まる側溝には㏗の計測器があり、㏗6以下の異常を検知すれば敷地外につながる水路の門が遮断される仕組みになっていた。 昭和電工は、防液堤内に溜まった水が凍結・膨張した時に発生した力で希硫酸が入っているタンクと配管の接合部に破損ができたと推定している。喜多方の厳しい冬が原因ということだ。だが、防液堤に水が溜まっていたということは、そもそも受け皿の役割を果たしていないことにならないか。 第一の対策である防液堤はザルだった。防液堤側面には水抜き口があるが、液体流出防止の機能を果たす時は栓でふさいで使用する。だがこの時、栓は開いたままだった。 第二の対策、側溝にあった㏗の異常計測器はどうか。工事対応で一時的に移動させていたことから、異常値を検知できず、敷地外の水路につながる門は閉まらなかったという。 昭和電工は翌24日、県会津地方振興局と喜多方市市民生活課に事故を報告し、現場検証をした。用水路の管理者である会津北部土地改良区には25日に報告した。周辺住民の所有地に流出したわけではないので、同社からすると「住民は当事者ではない」のかもしれないが、住民たちは事故をすぐに知らされなかったことを不満に思っている。 疑念は昭和電工だけでなく、松野左岸用水路への処理水排水を許可する方針だった会津北部土地改良区にも向けられた。覚書を結んだくせに事故が起こったと思われたからだ。 喜多方市議会の9月定例会で山口和男議員(綾金行政区)は、遠藤忠一市長が会津北部土地改良区の員外理事を務めている点、市から同改良区に補助金を出している点に触れたうえで「管理する土地改良区が自分の水路に何が流れているか分からないようでは困るから、強く指導してほしい」と求めている。同改良区の当事者意識が薄いということだ。 遠藤市長は「会津北部土地改良区も含めて、行政として原因者である昭和電工にしっかりと指導してまいりたい」と答えた。 住民らは、不誠実な対応を続ける昭和電工、当事者意識が薄い会津北部土地改良区だけでは心許ないことから、喜多方市に調整役を期待し、これら3者に事業所周辺の汚染調査などを求める要望書を提出したという。市民の健康や利益を守るのは市の役目。積極的なかじ取りが求められるだろう。 あわせて読みたい 【第1弾】親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題 【第3弾】【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】 【第4弾】【喜多方市】処理水排出を強行する昭和電工

  • 【第1弾】親世代から続く喜多方昭和電工の公害問題

     喜多方市豊川町でフッ素やヒ素による土壌・地下水汚染が明らかとなった。昭和電工(東京都港区)喜多方事業所内の汚染物質を含む土壌からしみ出したとみられる。同社は2020年11月の公表以来、井戸が汚染された住民にウオーターサーバーを提供したり、汚染水の拡散を防ぐ遮水壁設置を進めているが、住民たちは工事の不手際や全種類の汚染物質を特定しない同社に不満を抱いている。親世代から苦しめられてきた同事業所由来の公害に、住民たちの我慢は限界に来ている。 繰り返される不誠実対応に憤る被害住民  2022年9月下旬の週末、JR喜多方駅南側に広がる田園には稲刈りの季節が訪れていた。ラーメンで知られる喜多方だが、綺麗な地下水や湧水を背景にした米どころでもある。豊富な地下水を求め、戦前から大企業も進出してきた。同駅のすぐ南には、化学工業大手・昭和電工の喜多方事業所がある。 1939(昭和14)年、この地にアルミニウム工場建設が決定。戦時下で軍需向けの製造が開始され、戦後に本格操業した。同事業所を南側の豊川町から眺めると、歴史を感じさせる赤茶けた建物が田園の向こうにたたずむ。 同事業所を持つ昭和電工グループの規模は巨大だ。2021年12月期の有価証券報告書によると、売上高は1兆4190億円で、経常利益は868億円。従業員数2万6054人(いずれも連結)。グループを束ねる昭和電工㈱(東京都港区)の資本金は1821億円。従業員数3298人。 喜多方事業所にはアルミニウム合金の加工品をつくる設備があり、従業員数18人。同事業所のホームページによると、アルミニウム産業に携わってきた技術を生かし、加工用の素材などを製造している。 そんな同事業所の敷地内で、土壌と地下水が汚染されていることが初めて公表されたのは2020年11月2日。土壌汚染対策法の基準値を超えるフッ素、シアン、ヒ素、ホウ素の4物質が検出された(表1)。同事業所は同年1~10月にかけて調査していた。  事業所の地下水で基準値を超えた物質 物質基準値の何倍か基準値フッ素最大値120倍0.8mg/Lシアン検出不検出が条件ヒ素最大値3.1倍0.01mg/Lホウ素最大値1.4倍1mg/L表1  同年10月5日付の地元2紙によると、原因について同事業所は、過去に行っていたアルミニウム製錬事業で発生したフッ素を含む残渣などを敷地内に埋め、そこからフッ素が溶け出した可能性があるとしている。ただ、シアン、ヒ素、ホウ素の検出については原因不明という。アルミニウム製錬事業は1982(昭和57)年に終了している。 現時点で健康被害を訴える住民はいない。だが、日常は奪われたと言っていい。同事業所の近隣に住む男性はこう話す。 「県から『井戸の水を調査させてください』と電話が掛かってきて初めて知りました。ウチは、飲み水は地下水を使っていました。昔からここらに住んでいる人たちはどこもそうです。井戸水を計ってみるとフッ素が基準値超えでした」 男性を含め、近隣の数世帯は飲食や洗い物に使う水を現在も昭和電工が手配したウオーターサーバーで賄っている。同社は被害住民らに深度20㍍以上の井戸を新たに掘ったものの、鉄分、マンガン、大腸菌など事業所由来かは不明だが基準値を超える物質が検出され、飲用には適さなかった。 「まるでキャンプ生活ですよ。2年近くも続くとは思っていませんでした」(同) 敷地越えて広がる汚染地下水  県も同事業所敷地から外へ向かって約250㍍の範囲の地下水を調査し、敷地外に地下水汚染が広がっていることを確認している(表2)。翌年4月2日には、昭和電工による計測値に基づき、県が敷地と周辺を土壌汚染対策法の要措置区域に指定した。健康被害が生ずるおそれに関する基準に該当すると認める場合に指定される。この区域では形質変更が原則禁止となる。同事業所とその周辺では2区域に分けて指定され、それぞれ約31万3000平方㍍と約6万2300平方㍍にわたる。 県による事業所外地下水調査で基準値を超えた物質 (21年1月発表)物質最大値基準値フッ素3.8mg/L0.8mg/Lホウ素1.8mg/L1mg/L(21年4月発表)物質最大値基準値フッ素3.8mg/L0.8mg/L(21年7月発表)物質最大値基準値フッ素3.8mg/L0.8mg/Lホウ素1.8mg/L1mg/L福島民報、福島民友記事より作成表2  しかし、地上では同事業所との境界は明確に分かれていても、地下水はつながっている。公害対策の責任がある昭和電工は、汚染を封じ込める「環境対策」を進めている。公表から5カ月ほどたった2021年4月の住民説明会で、同事業所は敷地を囲むように全周2740㍍の遮水壁を造り、汚染された地下水の拡散を防ぐ対策を明らかにした(福島民友会津版同年4月18日付より)。 記事によると、土壌にあるフッ素を含むアルミニウム製錬の残渣と地下水の接触を避けるため、揚水井戸を設置し、地下水をくみ上げて水位を下げる。くみ上げた地下水はフッ素などを基準値未満の水準に引き下げ、工場排水と同じく排水する。東京電力が廃炉作業中の福島第一原子力発電所に、地下水が流入するのを防ぐため凍土壁を造った仕組みと似ている。同事業所は遮水壁の完成予定が2023年5月になると明かしていた。 2021年12月期有価証券報告書で損益計算書(連結)を見ると、特別損失に「環境対策費」として89億5800万円を計上している。「喜多方事業所における地下水汚染対策工事等にかかる費用」という。 1年間で90億円ほど費やしている「環境対策」だが、順調に進んでいるのか。 同事業所の西側に隣接する太郎丸行政区の住民でつくる「太郎丸昭和電工公害対策検討委員会」の慶徳孝幸事務局長(63)は、住民側が把握しただけでも、2021年10月から2022年9月までに9件のトラブルがあったと指摘する(表3)。 発覚時期影響対象住民が把握したトラブル2020年11月事業所内4物質が地下水で基準値超え2021年10月被害住民地下水のデータを誤送付12月近隣住民工事の振動・騒音が基準値超え12月事業所内地下水でヒ素が基準値超え2022年1月敷地内外工事に使う希硫酸が水路に漏洩2月太郎丸地区地下水でフッ素が基準値超え3月事業所内新たな場所からシアンが検出6月事業所内地下水でヒ素が基準値超え8月事業所内地下水でヒ素が基準値超え9月太郎丸地区地下水でフッ素が基準値超え表3  2022年1月下旬には、工事に使う希硫酸が用水路に漏洩した。ところが住民への報告はその1週間後で、お詫びと直接的な健康被害はないと考えている旨を書いた文書1枚を事業所周辺の各行政区長に送っただけだったという。 「このような対応が続くと昭和電工が行うこと全てに信頼がなくなってしまいます」(慶徳事務局長) 太郎丸行政区の住民らは、土壌汚染対策法で基準値が定められている全26物質と、同じく水道法で定められている全51項目について、水質検査をするように昭和電工に求めている。なぜか。 同事業所長は、21年3月に開いた同行政区対象の説明会で「埋設物質及び量は特定できない」「フッ素以外のシアン、ヒ素、ホウ素の使用履歴が特定できない」と述べたという。 「使用履歴がないシアン、ヒ素、ホウ素が現に見つかっている以上、他に基準値を超える有害物質が埋まっている可能性は否定できません。調べるのが普通だと思います」(同) 市議会が「実態調査に関する請願」採択  喜多方市議会9月定例会には、同行政区の区長と前出・公害対策検討委員会の委員長が「昭和電工株式会社喜多方事業所における公害(土壌汚染・地下水汚染)の実態調査に関する請願」を同1日付で提出した。紹介議員は十二村秀孝議員(1期、豊川町高堂)。 市に求めたのはやはり次の2点。 1、土壌汚染に関し定められた全26物質の調査 2、地下水汚染に関し定められた全51項目の調査 以下は十二村議員が朗読した請願書の一部。 《昭和電工喜多方事業所は昭和19年より生産開始し、後に化学肥料の生産も行い、昭和40年代には広範囲に及ぶフッ素の煙害で甚大な農作物被害を被った重く苦しい歴史があります。  現在、ケミコン東日本マテリアルの建物が立っている場所は過去に調整池であり、汚染物質の塊である第一電解炉のがれきが埋設された場所でもあります。歴史の一部始終を見てきた太郎丸行政区の住民からは、不安の声が上がり、当事業所に対し、地下水流向の下流域にある同行政区で、土壌汚染対策法で定める全26物質(含有量・溶出量)の調査、地下水全51項目の水質調査を再三要請してきましたが、事業所からは『正式な調査はしない』と文書回答がありました。 2022年3月8日には、付近の地下水観測井戸からシアンの検出超過が判明。約2カ月間、井戸からくみ上げましたが基準値以下になっていません。2020年11月2日に土壌汚染を公表してから1年半以上。県の調査結果を見る限り一般的事業所の波及範囲は約80㍍に収まるが、最大約500㍍先の地下水も汚染されています。県の地下水調査でも過去に類を見ない大規模かつ重大な公害問題の可能性が推測されます。 太郎丸は地下水が豊富で湧水が多く点在します。毛管上昇現象による土壌汚染も心配です。約800年の歴史がある太郎丸行政区が将来にわたって安心・安全に子どもたちに引き継げるのか。夢と希望を持って農業ができるのか。不安払拭のためにも行政の実態調査を求めます》 請願は9月15日に全会一致で採択された。〝ボール〟は市当局にも投げられた格好だ。 「子どものためにも沈黙はいけない」  さかのぼること同11日には、昭和電工が市内の「喜多方プラザ」で説明会を開き、対象の5行政区から60~70人の住民が参加した。汚染発覚以来、同社が毎年1回開いている。 筆者は同事業所に、説明会の取材を事前に電話で申し込んだ。対応した中川尚総務部長は「あくまで住民への説明なので」とメディアの参加を拒否。なおも粘ったが「メディアの参加は想定していない」の一点張りだった。「住民が非公開を求めているのか。報じられたくない住民がいるなら配慮する」と申し入れたが「メディアが入ることは想定していないので住民には取材の可否を聞き取っていない」。つまり、報じられたくないのは同事業所ということ。 当日、筆者は会場に向かったが、入り口には青い作業服を着た従業員10人ほどがいて入場を断られた。目の前にいる中川総務部長にいくつか質問をしたが、書面でしか受け付けないと断られた。 後日、前出・慶徳事務局長に説明会の様子を聞くと、 「午後3時に始まり、4時半に終える予定でしたが、結局7時半までかかりました。昭和電工側が要領の得ない発言を繰り返し、紛糾したからです」 会場の映像や写真、音声記録が欲しいところだが、 「昭和電工は参加した住民にも、機器を使って記録することを禁じていました。都合の悪い情報が記録され、メディアに報じられるのを避けたかったのでしょう。出席者からは『それなら議事録が欲しい』という求めもありましたが、要求が出たから渋々応じる感じで、前回も3カ月遅れで知らされました」(同) 昭和電工は、メディアに対しては書面で質問を求めるのに、自らが住民に書面で説明することには消極的なようだ。 昭和電工側の不誠実な対応を目の当たりにするたびに、慶徳事務局長は親世代の苦難を思い出すという。 「過去には同事業所から出るフッ素の煙で周辺の農作物に被害が出ました。親たちは交渉や訴訟を闘ってきました。それが今は子や孫に当たる私たちに続いている」(同) 話の途中、慶徳事務局長は前歯を指差した。 「知っていますか。フッ素を多く摂り過ぎると、歯に白い斑点できるんです。当時は事業所近隣に住む子どもたちだけ、特別に健康診断を受けていました。嫌な記憶です」 飲み水の配給を受けている前出・男性住民もこう話す。 「フッ素は硬水に多く含まれているので、気を付けていれば健康被害はそこまで心配していません。しかし、昭和電工は他の有害物質を十分に検査しておらず、フッ素より危険な物質が紛れている可能性もある。そっちの方が怖い。風評を恐れ、そっとしておきたい住民の気持ちも分かりますが、これからの子どもたちを考えたら黙っていられません。子や孫に『お父さん、おじいちゃんはなんで何もしなかったの』と言われないようにしたい」 米どころの喜多方では、周辺の耕作地への風評被害を恐れ、公害の原因を追及する動きは住民全体に広まっていない。だが、風評と実害を分けるために検査を尽くすことは重要だろう。 地元の豊川小学校の校歌には「豊かな土地を うるおす川の  絶えぬ営み われらのつとめ」の一節がある。地下水は、いずれは川に流れつく。子どもたちがこれからも胸を張って校歌を歌えるかは昭和電工、住民、行政含め大人たちの手に掛かっている。 あわせて読みたい 【第2弾】【喜多方市】昭和電工の不誠実な汚染対策 【第3弾】【喜多方市】未来に汚染のツケを回した昭和電工【公害】 【第4弾】【喜多方市】処理水排出を強行する昭和電工

  • 【会津北部大雨】被災地を行く

    (2022年9月号)  2022年8月3日から4日にかけての大雨で、県内広範囲で大きな被害が出ている。特に被害が大きかったのは会津北部で、家屋や農地などが影響を受けた。大雨から2週間ほどが経った8月中旬から下旬にかけて、被害が大きかった地域を中心に、状況を見聞きした。 住家、農業、市民生活、経済……多方面に影響 崩落したJR磐越西線の橋梁 濁川河川敷の公園。近隣住民によると、「遊具があるところの付近まで水が上がった」という。  8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内では広い範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。 福島地方気象台は8月9日、《8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった》と発表した。  3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉が315㍉、喜多方市が276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨になったという。 県の発表(8月24日13時時点)によると、人的被害(死者、行方不明者、重傷者、軽傷者)は確認されていないが、住家被害は全壊1棟、半壊2棟、一部破損5棟、床上浸水15棟、床下浸水140棟、非住家107棟となっている。道路は県管理道路27件、市町村管理道路51件で被害を受け、公共土木施設の被害額は県・市町村を合わせて約60億円。そのほか、農地、農道、農業用施設などで260件の被害が確認され、農林水産業の被害額は約22億円に上るという。公共土木施設や農林水産業の被害額は今後も増える可能性がある。 国は、今回の大雨被害を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減する方針を示している。 福島地方気象台の発表にもあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部。本誌は大雨から2週間ほどが経った8月中旬から下旬にかけて、北塩原村、喜多方市を中心に被害状況を見聞きした。 まず、国道115号から国道459号を経由して北塩原村、喜多方市へと向かったのだが、猪苗代町から北塩原村へと続く「磐梯吾妻レークライン」は、8月3日午後6時30分から全面通行止めとなっており、ゲートが閉じられていた。雨量超過、道路流失が原因という。その後、8月25日に一部解除となったが、中津川渓谷レストハウス(猪苗代町若宮字吾妻山甲)―金堀ゲート(同町若宮字吾妻山)間は通行止めが続いている(8月25日時点)。  同村では、裏磐梯グランデコ東急ホテルに通じる道路が土砂崩れのため通行できなくなり、宿泊客や従業員ら計約160人が一時孤立状態になった。すぐに道路をふさいでいた土砂撤去が進められ、4日午後に孤立状態は解消された。 国道459号に沿うように流れる大塩川の近くに住む村民は、「村から避難指示が出され、多くの人が避難所となった村民体育館などに避難しました。幸い、私のところは寸前のところで浸水には至らなかったが、やはり怖かった」と話した。 塩川総合支所に設けられた災害廃棄物の仮置場  前述した県の発表の詳細を見ると、同村の住家被害は床上浸水2棟、床下浸水2棟となっているほか、道路8件で路肩崩落、土砂崩れなどの被害が出ているが、後述する喜多方市に比べると割合は低い。 喜多方市の被害状況 山都町宮古地区に向かう道路(国道459号)は数カ所で崩落が起きていた  一方、喜多方市は住家被害が半壊1棟、床上浸水12棟、床下浸水106棟に加え、道路28件で冠水、法面崩落、陥没、路肩崩落、土砂流入などの被害を受けたほか、農地、農業用施設などのその他の被害も多数確認されている。 それ以外で、最も大きなところでは、JR磐越西線の濁川にかかる橋梁が崩落し、喜多方―野沢(西会津町)間が不通となった。こうした事態を受け、JR東日本は8月10日から喜多方―野沢間で代行バスを運行している。 ある市民はこう話す。 「ひとまず、代行バスが運行されたのは良かったが、一番大変なのは通学で利用している高校生。以前に比べてだいぶ余計に時間がかかると言っていました」 橋梁が崩落したのはJR喜多方駅から西に1㌔ほどのところ。橋が崩落し、線路が宙づりになっているのが確認できた。 崩落した橋梁付近の濁川の河川敷は親水公園になっており、近隣の住民によると「これまでの雨と降りっぷりが全然違くて、これはまずいと思った。(親水公園の)遊具などが設置されているところの付近まで水が上がって来たのは初めて見た」とのこと。 さらに、この住民は「塩川の方はもっとひどいと聞いた」とも語っていた。実際、住家被害は同市塩川町がかなりひどかったようだ。 市危機管理課によると、市役所塩川総合支所から700㍍ほど南側が大塩川と日橋川の合流地点となっているほか、土地が低くなっていることもあり、その周辺の住家が浸水被害を受けたようだ。 中には「この地域は何年、何十年かに一度はこうした浸水被害がある。仕方がない」と諦めている人も。 塩川総合支所には、災害廃棄物の仮置場が設置され、浸水被害を受けた住民が使えなくなった家財道具などを運び込めるようにしてあった。 ある市民によると、「今回、浸水被害を受けたところには、区画整理によってできた新興住宅があり、会津若松市への通勤などにも便利で、地価も比較的安いことから、会津若松市などから移り住んだ人も少なくない。ただ、その周囲は過去にも水害が起きており、便利で求めやすい半面、そういうリスクもあるということ」と話した。 農業被害の状況 土砂が流入したと思われる農地(喜多方市山都町)  一方、農地・農業用施設の被害という点では、同市山都町の被害が大きかったようだ。 「宮古そば」で知られる同町宮古地区を訪ねてみると、同地区は国道459号に沿うように宮古川が流れているのだが、道路は所々、崩落していた。農作業をしていた住民に話を聞くと、次のように語った。 「大雨の日は、増水して川の流れが速くなり、大きな石が流れてきて、それがぶつかる音がカミナリのようで怖くて眠れなかった。ソバ畑は、8月上旬はちょうど種まきの時期で、(大雨前に)すでに種まきをしていた人、これから(大雨があった日の後で)種まきをしようと思っていた人、それぞれですが、ソバは雨に弱く、大雨前に種まきしたところはかなり厳しい状況です。中には、(大雨後に)種まきをし直した人もいますが、その後にさらに雨が降り続き、さすがに2回目(都合3回目)のまき直しはしないと言っていました。ですから、収量は減るでしょうね。コロナ禍でなかなかお客さんが来ない中、ようやく戻りつつあると思ったら、この水害ですよ。この地区のソバ店は自宅兼店舗だから何とかやっていけますが、家賃を払ってお店をやるような状況だったら続けられなかったでしょうね」 ほかにも、同市内では、水田や畑に土砂が流れ込んだケースや、用水路が被害を受けたために水田に水を引けなくなったケース、トマトやキュウリ、アスパラガスなどを栽培するビニールハウスが被害を受けたケースなどが確認されている。水田は、水位が上がっただけなら、水が引けば多少収量が落ちたとしても収穫することはできるが、そうでない場合は収穫は難しいだろう。 前述したように、農林水産業の被害額は約22億円に上るというから、相当な被害だ。あとは、共済などの農業保険に入っているかどうか、ということになろう。 被害を受けた人の中には、「安倍晋三元首相の国葬には数億円(新聞報道によると2・5億円)かかるとされているが、それならわれわれのように、被害を受けた人の救済措置に回してほしい」と語る人もいたのが印象的だった。 国道121号不通の影響 入り込みが落ち込む道の駅喜多の郷  このほか、同市と山形県米沢市をつなぐ国道121号は、山形県側で斜面が崩落し通行止めが続いている。実は、国道121号は6月末の大雨でも法面が崩落し、7月4日から7日までの3日間、通行止めとなっていた。その後、片側交互通行ではあるものの、通行できるようになったが、今回の大雨でさらなる被害を受け、いまのところ復旧の見通しは立っていない。 「(同市の)熱塩加納町などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」(ある市民) このほか、国道121号が通行止めとなったことで大きな影響を受けているのが「道の駅 喜多の郷」だ。同道の駅は国道121号沿いで、市街地からだいぶ外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆ということになり、喜多方―米沢間が通り抜けできないとなれば交通量は大きく減る。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社によると、「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と話した。 本誌が訪ねたのは週末だったが、実際、客入りはまばらだった。 こうして聞くと、今回の大雨被害により、住家、農地・農業用施設、市民生活、経済面のさまざまなところで大きな影響を受けていることが分かる。 あわせて読みたい 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

  • 【梁川・バイオマス計画】傍観する伊達市が果たすべき役割

     「梁川地域市民のくらしと命を守る会」(名谷勝男代表)は2022年7月5日、伊達市梁川町の粟野地区交流館で住民説明会を開いた。会には須田博行市長と市幹部が招かれ、地域住民ら約50人が出席した。 守る会は、やながわ工業団地で建設が進められているバイオマス発電所に反対するため2021年3月に結成された。同発電所は群馬県太田市の産業廃棄物処理業㈱ログが建設を進めている。 同発電所をめぐっては▽木材だけでなく建築廃材や廃プラスチックも焼却される、▽バイオマス事業のガイドラインを無視し、住民への十分な説明がない、▽ダイオキシンの発生などが懸念される――等々から反対の声が上がっているが、守る会では市(須田市長)の対応にも不満を露わにしている。理由はさまざまあるが、要するに市は「民の取り組みに関知しない」という姿勢を崩そうとせず、それが守る会には「住民を守る気がない」と映っているのだ。計画への賛否を示してこなかった須田市長が市長選目前の2021年12月定例会で「認められない」と発言したのに、結局建設が進んでいることも「当選したくてウソをついた」と反発を買った。 冒頭の住民説明会でも、須田市長は守る会役員や出席者から厳しい質問と批判にさらされた。それでも須田市長は「市としては適切に対応した」という発言を繰り返した。 住民説明会終了後、須田市長に聞くと疲れた様子でこう話した。 「うーん、正直とても難しい問題だ。市としては法律でそうなっている以上、その時々に応じた判断をするしかなく、そこは間違っていないと思うが……」 守る会や地域住民が須田市長に怒りをぶつける気持ちは分かる。しかし、当事者のログが不在の場で住民と市が意見を交わしても解決につながらないのではないか――住民説明会の様子を見ていてそう感じた。 住民説明会で話す須田市長(中央、2022年7月5日)  まず大前提にあるのは、ログの不誠実な姿勢だ。建設に必要な手続きは法律に則って進めたのだろうが、地域住民や工業団地内の事業所に丁寧な説明を行わなかったのは問題だった。説明は言ってみれば努力義務の類いだが、見ず知らずの場所で新規事業を行おうとするなら、きちんと説明を尽くし地元との信頼関係を築くことが欠かせない。そこをないがしろにして「法的に問題なければあとは何をしてもいいんだ」という経営姿勢では、地元から歓迎されず、事業への理解も得られない。 そのうえで市がやるべきは「地元の理解が得られなければ市として賛成できない」という姿勢を明確にすることではなかったか。あるいは市が仲介役となって説明会を設け、住民とログに出席してもらい、意見を交わし合う方法もあったと思う。市と住民、市とログによる話し合いでは、お互いの言い分が正確に相手側に伝わらない。市は「説明会を開く義務はない」と言うかもしれないが、市民が困っているのに見過ごすのは、それこそ行政の不作為だ。 日立造船が下郷、南会津、昭和、会津美里の4町村にまたがって計画している会津大沼風力発電事業(仮称)をめぐっては、舟木幸一昭和村長や渡部正義南会津町長が「法的には問題ないが受け入れられない」と撤回を求めている。町村は県に意見書を提出する立場に過ぎず、たとえ反対しても法的効力はない。それでも舟木村長と渡部町長は自然保護や文化財保護、防災の観点から「受け入れられない」と明言した。 会津大沼風力発電事業(仮称)の廃止について  これを伊達市に置き換えた場合、同発電所の近くには小学校や認定こども園がある。須田市長が「法的には問題ないが、子どもたちの安心・安全の観点から受け入れられない」と発言するのは自然なことで、それこそ市長として住民に寄り添った姿勢だと思うが、いかがだろうか。 あわせて読みたい 【梁川・バイオマス計画】住民の「募金活動」に圧力!?

  • 相馬玉野メガソーラー事業者が「渦中の所有者」の関与を否定

    (2021年11月号)  本誌8月号、10月号で相馬市玉野地区に計画されている県内最大級のメガソーラーについて報じた。  事業者は「GSSGソーラージャパンホールディングス2」(東京都港区)で、アメリカ・コロラド州に拠点を置く太陽光発電事業者「GSSG Solar」の日本法人。 同計画の問題点は大きく2つ。 1つは、計画地は主に山林のため、大規模な林地開発を伴うこと。近隣や下流域の住民からは、「大規模開発により、山の保水力が失われてしまう。近年は、各地で洪水・土砂災害などが頻発しており、周辺・下流域でそうした災害が起きるのではないか」といった不安が出ている。 もう1つは、計画立案者で最大地権者は、7月に発生した静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」現場の所有者と同一人物であること。 関連報道によると、土石流が起きた原因は、河川上流の盛り土で、急な斜面に産廃を含む土砂が遺棄され、今回の豪雨で一気に崩落した、とされている。盛り土を行ったのは旧所有者だが、2011年に現所有者が取得。土石流の起点付近で不適切に土砂を投棄したほか、危険性を認識しながら適切な措置・対策を取っていなかったという。 遺族・被災者らは現旧所有者を相手取り損害賠償請求訴訟を起こすと同時に刑事告訴した。 その現所有者である麦島善光氏が玉野メガソーラー用地の約7割を所有しているのだ。登記簿謄本によると、東京都在住の個人が所有していたが、2002年に東京財務局が差押をした後、2011年8月、公売によって麦島氏が取得した。麦島氏が取得後、同所に抵当権などは設定されていない。 麦島氏はこの土地でメガソーラー事業を行う計画を立て、地元住民によると、「当初、麦島氏は自分でメガソーラーを開発、運営する考えだった。麦島氏とその部下がよくこちら(玉野地区)に来て、挨拶回りや説明を行っていた」という。 麦島氏は2016年9月、合同会社・相馬伊達太陽光発電所(東京都千代田区)を設立し、代表社員に就いた。しかし、自社での開発・運営を諦め、GSSGソーラージャパンホールディングス2が事業主体となった。麦島氏は同社に事業権を譲渡するとともに地代を受け取ることになる。 ただ、住民からすると「そういう問題人物が関わっていて、本当に大丈夫なのか」との不安は大きい。 10月11日、「相馬市民の会」主催で説明会が開かれた。当然、麦島氏のことが質問に出たのだが、事業者は「ただの地権者で事業そのものには関わらない」と、麦島氏の関与を否定した。 一方、「麦島氏は現在80歳を超えており、事業終了後(20〜40年後)はいない。開発で保水力を失った山林は事業終了後も管理が必要だが、その費用を麦島氏の後継者に請求できるか」との質問も出たが、これに対しては明確な回答はなかった。 麦島氏は直接的に事業に関与しないようだが、そういった点での不安は残されたままだ。 あわせて読みたい 不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画 相馬玉野メガソーラー計画への懸念

  • 相馬玉野メガソーラー計画への懸念

    (2021年10月号)  本誌2021年8月号に「不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画 静岡県熱海市土砂災害との意外な接点」という記事を掲載した。その後、相馬市9月議会で同計画に関連する動きがあったので続報する。 実らなかった住民団体「必死の訴え」  現在、相馬市玉野地区で、県内最大級のメガソーラー計画が進められている。計画地は主に山林のため、発電所建設(太陽光パネル設置)に当たっては大規模な林地開発を伴う。そのため、近隣住民や下流域の住民からは、「大規模開発により、山の保水力が失われてしまう。近年は、各地で洪水・土砂災害などが頻発しており、周辺・下流域でそうした災害が起きるのではないか」といった不安の声が出ていた。 こうした事情もあり、7月15日に玉野地区だけでなく、ほかの地区の住民も交えた説明会が開催された。主催したのは「相馬市民の会」という住民団体で、事業者の「GSSGソーラージャパンホールディングス2」という会社の担当者を招いての説明会だった。 記事ではその模様を伝えたほか、①同事業用地の所有者で同事業の発案者は、7月に発生した静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」現場の所有者と同一人物であること、②県はそのことを認識しながら、7月15日に林地開発許可を出したこと――等々をリポートした。 一方、同記事では、説明会から4日後の7月19日に、住民団体「相馬市民有志の会」(※説明会を主催した「相馬市民の会」とは別団体)が県に対して、「同事業には安全面で問題があるため、林地開発許可を行わないよう求める」とする申入書を提出したことも伝えた。 申入書の趣旨は、1つは静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」を引き合いに、そうした問題人物の手掛ける事業に行政として、開発許可を出すのが妥当なのか、ということ。 もう1つは調整池の問題。「相馬市民有志の会」の関係者は当時の本誌取材に次のように話していた。 「2019年の台風では、同計画の設計基準とされている雨量を超えたほか、事業終了後の調整池の問題もあります。というのは、最初の説明会のとき、事業者は発電期間は20年間で、その後、メンテナンスを行い、さらに20年間、最大40年間を見込んでいるとのことでしたが、事業期間が終わり、パネルを撤退した時点では、山は丸裸のまんまです。一度剥いてしまった山林が保水力を取り戻すには数十年、場合によっては100年かかると言われており、事業終了後も調整池は残さなければならない。事業期間中は定期的にえん堤の修繕・堆積土浚渫などを行うそうだが、事業終了後は誰がそれをやるのか。国の制度では、2022年度から事業期間中に売電収入から外部積み立てをし、それを撤去費用に充てることになっていますが、調整池の保全管理費分も含むかどうかは不透明です。そういった面で、とにかく問題点が多過ぎる。将来的に、負の遺産になるかもしれないものは、地元住民として到底容認できないというのが申入書の趣旨です」 計画では事業区域は1号から7号までの各ブロックに分かれ、太陽光パネルが設置されたエリアはフェンスで覆い、その外側の周囲30㍍は残置森林とするほか、各ブロックに調整池を設置する、とされている。事業(発電)期間終了後、その調整池の管理の問題を問うのが申入書の趣旨だった。 8月号記事執筆時点では、この申入書に対する県からの回答はなかったが、8月11日付で県森林保全課から「相馬市民有志の会」に回答があった。内容は次の通り。   ×  ×  ×  × 林地開発許可について 令和3年4月28日付で合同会社相馬伊達太陽光発電所から林地開発許可申請があったこのことについて、「災害の防止」、「水害の防止」、「水の確保」、「環境の保全」の4要件で審査し、許可基準を満たすことを確認しました。さらに、福島県森林審議会に諮問した結果、「適当と認める」旨の答申を得たことから、令和3年7月15日付で許可しました。 GSSGソーラージャパンホールディングス2等の調査結果 申請者である合同会社相馬伊達太陽光発電所の代表社員GSSGソーラージャパンホールディングス2の存在を確認するとともに、開発行為が中断されることなく許可を受けた計画どおり適正に完遂させうる相当の資金力及び信用の有無を確認しています。なお、麦島善光氏(編集部注・静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」現場の所有者で、合同会社相馬伊達太陽光発電所の創設者、玉野地区メガソーラー計画地の地権者)につきましては、土地所有者であり、土地所有者の適正は審査項目に含まれておりません。 土砂災害警戒区域について 土砂災害防止法による開発規制は、指定区域において住宅分譲や災害時要援護者関連施設等の建築のための開発行為が対象であり、太陽光発電事業を目的とする開発行為は該当しない旨の回答を担当部局から得ています。また、当該地の警戒区域については、現時点で未指定であり、基礎調査の公表となっています。なお、環境省において再生可能エネルギーの促進地域から土砂災害の危険性が高い区域を除外する旨の通知等は示されていません   ×  ×  ×  × 資源エネ庁に申し入れ  「相馬市民有志の会」が県に申入書を提出した直後、県森林保全課に確認したところ、林地開発については、手続き上、要件を満たしていれば開発許可を出すことになる、とのこと。 さらに、静岡県熱海市の「伊豆山土砂災害」との関係については、県森林保全課では、熱海市の土地所有者と、玉野地区のメガソーラー計画の事業地所有者が同一人物であることは認識していた。 そこで、記者が「すでに開発許可は出ているそうだが、そういう人(問題人物と思しき人)が関わっているということで、開発許可を再考するということにはならないのか」と尋ねると、こう明かした。 「許可申請者は別(GSSGの傘下のようになった相馬伊達太陽光発電所)ですし、(熱海市の件と同一人物が)所有者に名を連ねているのは承知していますが、それだけ、と言ったら何ですが……。そういうこと(開発許可を再考すること)にはならないと思います」 申入書に対する回答を見ると、まさにそういった内容のものだ。 一方、「相馬市民有志の会」は同様の観点から、8月下旬、相馬市に要望を行うと同時に、相馬市議会に陳情書を提出した。 それに先立ち、「相馬市民有志の会」は8月10日に資源エネルギー庁にも同趣旨の申入書を提出している。その際、資源エネルギー庁は「調整池は長期にわたり維持管理される必要があるが、調整池保全管理費については、外部機関積み立ての対象になっていない」との回答だったという。 国は2020年6月、メガソーラーなどの事業終了時のために、施設撤去費用を外部機関に積み立てることなどを定めた「エネルギー供給強靭化法」を制定したが、そこで定められた「外部機関積み立て」には、調整池保全管理費は含んでいないことが資源エネルギー庁への申し入れで明らかになったということだ。 「市が義務付けは難しい」と市長  これを受け、「相馬市民有志の会」は市と議会に対して「長期にわたる調整池の保全管理費が本来負担すべき事業者ではなく、相馬市民に押し付けられることになる」として、「そうしたことにならないよう、事業者との間に①事業終了後においても、調整池の保全管理費は事業者が負担すること。事業者は保全管理費の総計を算出し、それを相馬市と共有して積み立て実態も公開すること、②万が一、メガソーラー設置に起因する災害が発生したときは事業者が復旧及び被害救済に責任を負うこと、などを内容とする協定書を取り交わすべき」と要望・陳情したのである。 陳情は市議会文教厚生常任委員会に付託され、9月定例会中の9月8日に審議が行われたが、それに先立ち、同2日に一般質問が行われ、村松恵美子議員が関連の質問を行った。 内容は「県内最大規模のメガソーラー発電施設が玉野地区に設置される計画が進んでいる。メガソーラー設置区域には土砂流出警戒区域も含まれる。さらに大雨対策の調整池の維持管理が事業継続中は事業者の責任だが、事業終了後は事業者責任が無くなることが分かった。このような法整備が不完全の状態で設置が進むことを市長はどう考えるかうかがう」というもの。 まさに、「相馬市民有志の会」が懸念する「事業終了後の調整池の維持管理の問題」を質したのである。 これに対する市当局の答弁だが、まず、林地開発申請後、県から地元自治体として意見を求められ、意見書を提出したという。 その内容は、令和元年東日本台風により大きな被害を受けた下流地区の住民に、特に丁寧な説明を行い、水害への懸念を払拭すること、激甚災害相当規模の雨量にも対応できる設備を設置すること、林地開発にあたっては、開発地周辺住民に十分な説明機会を設け、理解を得ながら事業を進めること、意見や要望に対して十分な説明や誠意を持って対応すること――というもの。 そのうえで、立谷秀清市長は次のように答弁した。 「『相馬市民有志の会』から環境協定の中で事業終了後の調整池の管理を義務付けるよう要望が出ている。弁護士とも協議したが、民間事業者と地権者の契約の中で、市が事業者にその義務付けをすることはできない。協定書に盛り込めるとしたら、県の基準を順守しなさい、安全性を確保しなさい、というところまでしかできない」 さらに、立谷市長は「この件は全国的な問題として、これから出てくる。発端は熱海市の件。熱海市長とは親しくしているが、憤懣やるかたない思いだと言っていた。全国的な問題だから、全国市長会長の立場で問題提起・議論していきたい」とも語っていた。 問題は認識しつつも、民間事業者と地権者による民民のビジネス契約だから、市としてそこに関与することは難しい、ということだ。 陳情「委員会審議」の模様  陳情の審議が行われたのは、この一般質問があった数日後で、当日は陳情者の意見陳述が行われ、「相馬市民有志の会」関係者が陳情趣旨などを説明した。その後、議員(委員)から陳情者への質問、議員から執行部への質問、議員間討議、討論などが行われ、最後に採決された。採決結果は賛成ゼロで不採択だった。 反対討論は3人の議員が行ったが、端的に言うと、その内容は「相馬市民有志の会」が指摘した問題点について理解は示しつつ、基本的には民間事業者が民間の土地を借りて行う事業であり、行政として関与できるものではない、というものだった。この数日前の立谷市長の答弁を受け、議会でもそういった結論になったということだろう。 「相馬市民有志の会」の懸念は、民間事業者がビジネス(金儲け)をした後の後処理を誰がするのか、場合によっては行政が税金によって担うことになり、それはおかしい、ということである。だったら、そうならないようにあらかじめ対策を取っておくべき、ということで、趣旨としては分かりやすい。 ただ、市や議会の判断は前述の通りで、住民の感情や懸念と、行政・議会としてできることには隔たりがあるということだ。 同日は「相馬市民有志の会」関係者ら十数人が傍聴に訪れていたが、落胆の声が聞かれた。 前述したように、国は2020年6月、メガソーラーなどの事業終了時のために、施設撤去費用を外部機関に積み立てることなどを定めた「エネルギー供給強靭化法」を制定したが、そこで定められた「外部機関積み立て」には、調整池保全管理費は含んでいない。そこに、調整池保全管理費なども含めるよう、法制度を変えていくしかないということだろう。 一方で、関係者によると、10月中に事業者を招いた「相馬市民の会」主催の説明会が再度行われるというが、その席であらためてこの問題が取り上げられるのは間違いない。そこで、事業者がどのような回答を用意しているか、ひとまずはそこに注目だ。 相馬市のホームページ あわせて読みたい 不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画 相馬玉野メガソーラー事業者が「渦中の所有者」の関与を否定

  • 不安材料多い相馬玉野メガソーラー計画

    (2021年8月号)  相馬市玉野地区で、県内最大級のメガソーラー計画が進められている。計画地は主に山林のため、発電所建設(太陽光パネル設置)に当たっては大規模な林地開発を伴う。そのため、近隣住民や下流域の住民からは、「大規模開発により、山の保水力が失われてしまう。近年は、各地で洪水・土砂災害などが頻発しており、周辺・下流域でそうした災害が起きるのではないか」といった不安の声が聞かれる。さらに、同事業用地の所有者は、2021年7月に発生した静岡県熱海市の土砂災害とも関係しているという。 【静岡県熱海市】土砂災害との意外な接点  相馬市玉野地区のメガソーラー計画について、本誌が最初に報じたのは2017年4月号「相馬市玉野地区に浮上したメガソーラー計画 災害・水資源枯渇を懸念する一部住民」という記事だった。 当時、地元住民は本誌取材にこう話していた。 「メガソーラーの計画地は、いまから25年ほど前のバブルのころにゴルフ場計画が持ち上がったところです。当時、地元の地権者がゴルフ場設置を計画していた会社に土地を売り、開発が進められようとしていたが、地元農家からは反対の声が上がり、そうこうしているうちにバブルが崩壊してゴルフ場計画はなくなりました。その後は同用地の所有者が何度か変わり、その度にさまざまな計画が浮上しましたが、結局、どれも実現しませんでした」 そうした中で浮上したのがメガソーラー計画だった。以下は、本誌2017年4月号記事より。   ×  ×  ×  × 地元住民によると、メガソーラーの計画地は、同地区スゲカリ地内にある山林。面積は約230㌶と、かなり広大な敷地である。 不動産登記簿謄本を確認すると、同所はもともとは東京在住の個人が所有していたが、2002年に東京国税局の差押を経て、2011年8月、同国税局の公売によって麦島善光氏が取得している。 麦島氏はグループ企業10社(※当時)からなるZENホールディングス(東京都千代田区)のオーナーのようだが、同社のHPを見ると「2015年3月の株主総会で、麦島善光はZENグループのすべての役職から退くことになった」旨の社報が出ていた。 その後、麦島氏は2016年9月に「相馬伊達太陽光発電所」、「相馬玉野地区活性化機構」という2つの合同会社を立ち上げ、その代表社員に就いている。いずれも、本社は東京都千代田区だが、前出の地元住民によると、「同社は最近、玉野地区の空き家を借り、現地事務所を設けました。ただ、人が常駐しているわけではないようです」とのこと。 両社の商業登記簿謄本を見ると、資本金はいずれも100万円。役員(業務執行社員)は両社とも代表社員の麦島氏のほか、櫻井修氏が就いている。事業目的は、相馬伊達太陽光発電所が発電プラント(風力発電、太陽光発電、燃料電池、バイオマス発電、その他の自然エネルギー発電)に関する事前調査、計画、設計、関連資材調達・販売、土木工事、建設、運転、保守点検事業、売電事業など、相馬玉野地区活性化機構が地域活性化事業、地域再生事業、雇用促進を図るための事業など。 なお、代表社員である麦島氏の住所は静岡県熱海市になっている。これは前述・ZENホールディングスの研修センターと同じ住所だから、同グループの役職をすべて辞めたといっても、同グループオーナーであることには違いはないようだ。 要するに、麦島氏はこれまで率いてきたグループ企業の経営を後進に委ね、自身は新会社を立ち上げてメガソーラー事業に乗り出したということだろう。 ちなみに、ZENグループは、建設業や住宅販売、マンション・賃貸住宅・貸店舗などの管理、フィットネスクラブの運営などを行っている会社がメーンで、太陽光発電所の実績があるかは定かでない。少なくとも、同グループのホームページを見る限りでは、そうした実績は見当たらない。 3月上旬、東京の相馬伊達太陽光発電所本社に電話をすると、電話口の男性は「相馬伊達太陽光発電所」ではなく、別の名称を名乗った。そこで、記者が「そちらは相馬伊達太陽光発電所ではないのですか」と聞くと、「相馬伊達太陽光発電所もこちらです」と答えた。どうやら、同じグループ内の別の事業所との兼用事務所のようだ。 記者が「相馬市玉野地区でメガソーラーを計画していると聞いたのだが詳細を教えてもらえないか」と尋ねると、「まだ、マスコミに公表できる段階ではないので。ただ、近々発表できるようになると思いますので、そういう状況になりましたら、こちらからご連絡します」との返答だった。そこで、本誌の電話番号と記者の名前を伝え電話を切った。 このため、その時点では詳しい計画概要などを聞くことはできなかったが、前出の地元住民によると、昨年(2016年)11月に開かれた住民説明会では、①山林を開発して太陽光発電所にすること、②敷地面積は約230㌶だが、実際に開発する(太陽光パネルを設置する)のは約130㌶になること、③発電量は60~80メ  ガ㍗になること、④発電した電力は伊達市の変電所に送ること、⑤2018年から工事をスタートし、2021年の発電開始を目指していること、⑥発電期間は20年間を想定していること――等々の説明があったという。運営会社の名称が「相馬伊達」とされているのは④が理由と思われる。 (中略)それからほどなくして、3月15日からは同計画の開発に当たっての環境影響評価方法書の縦覧が始まった。これを受け、地元紙などでも、同計画の存在が報じられることになった。 環境影響評価方法書を見ると、ある程度の計画概要が見えてくる。同方法書によると、事業実施区域の面積は230・44㌶で、このうち、太陽光パネルを設置するのは約162・52㌶。残りは残置森林が約46・78㌶、防災調整池が12・52㌶、管理用道路が8・62㌶。発電規模は約8万3000㌔㍗(83メ  ガ㍗)だが、「今後の詳細な事業計画検討で変動する可能性がある」とされている。 前出の地元住民の話では、昨年11月の説明会の際、事業者からは「太陽光パネルが設置されるのは約130㌶になる」旨の説明があったとのことだが、今回示された環境影響評価方法書では太陽光パネルを設置するのは約162㌶となっており、当初説明より規模が拡大していることが分かる。   ×  ×  ×  × 地元住民は賛否両論  当初説明や環境影響評価方法書などでは、「2018年から工事をスタートし、2021年の発電開始を目指している」とされていたが、現時点では発電はおろか、工事もスタートしていない。それは、事業主体、計画に何度も変更があったためだが、その詳細は後述する。 当時の地元住民への説明会では、同計画におおむね賛同の声が上がったという。その理由の1つとして、事業者(相馬伊達太陽光発電所)から地元住民に対して「用地を拡大したいため、用地周辺の地権者に協力(賃借)をお願いしたい」との申し出があったことが挙げられよう。 対象地の多くは農地だが、地区内では耕作放棄地が増えている。原発事故後、同地区の酪農家が「原発事故さえなかったら」といった書き置きを残して自殺したが、ただでさえ農家の高齢化といった問題があった中、原発事故により営農環境はさらに厳しくなっていた。近年は相馬福島道路が全線開通し、同地区にインターチェンジが開設されるなど、利便性が向上した一方、2017年3月には玉野小・中学校がともに閉校するなど、地域の活力が失われていたのは間違いない。 IC開設、小・中学校閉校は、最初にメガソーラー計画の話が出た後のことだが、いずれにしても、営農環境は厳しい状況になっている中、耕作せず(できず)に遊ばせている農地を借りてくれる(地代が得られる)のであればありがたいといった感じだったのだろう。 一方で、山林(森林)には、山地災害の防止、洪水の緩和、水資源の涵養といった機能があるが、大規模開発に伴い、土砂災害や水資源枯渇などの事態を招くのではないか、との理由から反対意見も聞かれた。 広範囲の説明会開催  その後、2018年1月に地元住民を対象とした説明会が開催された。事業者はその席に〝ビジネスパートナー〟を連れてきた。当時、説明会に参加した地元住民はこう話していた。 「事業者(相馬伊達太陽光発電所の担当者)は外国人の〝ビジネスパートナー〟を連れてきて、一緒に(メガソーラー事業を)やる、と。ちなみに、事業者はその〝ビジネスパートナー〟のことを『共同事業主』というフレーズを使って紹介していました」 その共同事業主はTOTAL(トタル)という会社。説明会当日、出席者に配られた資料によると、《TOTAL(トタル)社は、世界有数の多国籍エネルギー企業で、総従業員数9万8000人、世界130カ国で事業を展開している。子会社および関連会社を併せた規模は、いわゆる国際石油メジャーの中で世界第4位》と紹介されていた。 当時、本誌が調べたところ、同社はフランス・パリに本社があり、2016年の営業実績は、日本円で売上高約17兆9640億円、営業利益約1兆1468億円、当期純利益約9960億円となっていた。 実際に、相馬市玉野地区での事業に携わるのは、同社グループの日本支社のようで、同社グループでは石川県七尾市(27メガ㍗)、岩手県宮古市(25メガ㍗)などで太陽光発電事業を展開しており、ほかにも日本国内での事業展開を計画していた。 「説明会には、同社の担当者2人が出席し、1人はフランス人、もう1人は日本人でした。ただ、説明会では相馬伊達太陽光発電所とTOTALのどちらが開発行為を行うのか、具体的な運営はどういった形になるのか等々の詳細は明かされませんでした」(前出の地元住民) もっとも、この地元住民によると、「TOTALの関係者が来たのはその時だけだった」という。 「いつの間にか、同社との共同事業は頓挫したようです」(同) その後は、仙台市のクラスターゲートという会社が同計画に携わるようになり、行政手続きや周辺住民への根回しなどの矢面に立つようになった。 一方で、そのころになると、玉野地区の住民だけでなく、市街地などそのほかの地区の住民も、同計画に関心を寄せるようになった。計画地周辺は玉野川が流れ、宇田川と合流して市街地方面へと流れていく。つまり、下流域に住む人たちが不安を抱くようになったということだ。これは、令和元年東日本台風による被害も関係していよう。この水害で市内の1000戸以上が浸水被害を受け、上流で山林が伐採されると、同様の大雨などの際、さらに大きな被害になるのではないか、として同計画に関心を寄せるようになったのだ。 こうした事情もあり、2020年1月には、玉野地区だけでなく、ほかの地区の住民も交えた説明会が開催された。これを主催したのは「相馬市民の会」という住民団体で、同会はもともと、宇田川上流で産業廃棄物処分場の計画があり、それを阻止するために結成された住民団体。処分場計画は同会の反対運動によって白紙撤回されたが、宇田川上流では幾度となくそうした計画が浮上しており、またいつ同様の計画が持ち上がるか分からない、といった判断から存続しているようだ。 その説明会で、事業者側として対応に当たったのがクラスターゲートの担当者だった。 「説明会では、安全面に関する質問が相次ぎましたが、事業者からはまともな回答が得られなかった。そのため、『またこうした説明会の場を設けて、きちんと説明してほしい』ということになりました」(説明会に出席した地元住民) 2回目の広範囲説明会  ただその後、新型コロナウイルスの感染拡大により、なかなかそうした場を設ける機会がなかった。 ようやく、2回目の説明会が開催されたのは2021年7月15日だった。 その席で説明に当たったのは、クラスターゲートの担当者ではなく、「GSSGソーラージャパンホールディングス2」という会社の担当者だった。同社はアメリカ・コロラド州に拠点を置く太陽光発電事業者「GSSG Solar」の日本法人。 当日配布された資料によると、事業区域面積は約122㌶で、うち森林面積が約117㌶、開発行為にかかる森林面積が約82㌶、発電容量は約82メガ㍗、最大出力60メガ㍗、太陽光パネル設置枚数16万6964枚、開発行為の期間は2023年12月まで、となっている。事業区域は、1号から7号までの各ブロックに分かれており、主な部分は相馬福島道路と国道115号の交差地点の北側。太陽光パネルが設置されたエリアはフェンスで覆い、その外側の周囲30㍍は残置森林とするほか、各ブロックに調節池(調整池)を設置するという。この内容で行政手続きを進めていることも明かされた。 こうした説明の後、質疑応答の時間が設けられたのだが、住民側からは「2019年の台風では設計基準とされている雨量を超えたが、この計画で本当に大丈夫なのか」、「土砂災害などが起きた場合、事業者はどこまで補償できるのか」、「事業終了後、ソーラーパネルは撤去するとしても、切り開かれた山林の保水力が戻るわけではないので、調整池は残さなければならないと思うが、誰が維持・管理するのか」等々、やはり安全面に関する質問が相次いだ。 これに対し、事業者からは「問題のないように事業を進める」、「保険に入り、災害の際はそれで対応する」といった回答があったが、それで住民側の理解が得られたとは到底思えない。 一方で、こんな指摘もあった。 「最初にこの計画を立ち上げ、近隣住民にあいさつ・説明をして回っていたのは、土地所有者の麦島氏だった。その後、TOTALという会社が共同事業主として参加することになった。そうかと思ったら、今度はクラスターゲートという会社が入ってきて、前回の説明会は同社の担当者が受け答えをしていた。今日の説明会も、クラスターゲートの担当者が来るものだと思っていたが、また別の会社(GSSGソーラージャパン)が来た。これから開発行為が行われ、何十年と発電事業が続く中、こんなにコロコロ事業者が変わるようでは、とてもじゃないが信用できない」 この指摘に対するGSSG担当者の回答を整理すると、以下のようなものだった。 ○クラスターゲートは、GSSGの事業パートナーで、当初、GSSGには行政手続きや設計・開発などを自社で手がけるだけの体制が整っていなかったため、クラスターゲートに委託していた。 ○ただ、この間、国内他所で実績を積み重ねる中、そうした体制が整ってきたので、GSSG主体で事業を進めることになった。クラスターゲートには後方支援をしてもらう。 前段で本誌2017年4月号記事の一部を引用し、その中で直接的な事業者となる合同会社「相馬伊達太陽光発電所」の詳細について紹介した。説明会後、あらためて同社の商業登記簿を確認したところ、資本金や事業目的などに変化はなかったが、役員については大幅に変更があった。 当初は、同社を立ち上げた麦島氏が代表社員、麦島氏のサポート役だった櫻井修氏が業務執行社員の役員2人体制だったが、両氏とも2018年12月28日付で「退社」となった。その代わりに同日付で、クラスターゲート職務執行者の大堀稔氏が代表社員となった。ただ、その大堀氏(クラスターゲート)も、2019年3月5日付で「退任」となり、同日付でGSSGソーラージャパンホールディングス2職務執行者のブルス・ダリントン氏が代表社員となり、同年8月14日付でGSSGソーラージャパンホールディングス2職務執行者のエドワーズ・ヤノ・ケヴィン・ギャレス氏に代表社員が変更となった。同日付で本店所在地も東京都千代田区から港区に移転となっている。 GSSG担当者の説明と、相馬伊達太陽光発電所の商業登記簿を確認した限りでは、事業地の大部分の地権者であり、同計画を立案して国に固定価格買取制度の申請をしたのは麦島氏だが、GSSGに事業譲渡・事業地貸与した格好のようだ。事業主体はGSSGで、実際の運営は相馬伊達太陽光発電所が行い、林地開発許可申請も同社が行った。 なお、説明会には事業地の地元地権者も参加しており、「玉野地区の振興のことも考えてほしい」旨の発言をし、安全面の不安を訴える住民と、ちょっとした言い合いになる場面もあった。メガソーラーが地区の振興につながるかどうかはともかく、そうして険悪な雰囲気になった中、同説明会を主催した相馬市民の会の〝長老〟的立場の人が「市民同士がいがみ合うのは、この説明会の意図するところではない」とたしなめた。同計画はそうした構図を生んでしまったという側面もある。 いずれにしても、同説明会は住民側が納得する形では終わらず、その場で回答できなかったことは後に文書で相馬市民の会に回答すること、再度そうした説明会の場を設けることなどを約束して終了となった。 住民団体が申入書提出  その4日後の7月19日、住民団体「相馬市民有志の会」(※説明会を主催した「相馬市民の会」とは別団体)が県に対して、「同事業には安全面で問題があるため、林地開発許可を行わないよう求める」とする申入書を提出した。 同会の代表者は、原発事故の国・東電の責任を問う集団訴訟「生業訴訟」の原告団長でもある中島孝さん。 中島さんに話を聞いた。 「2019年の台風では、同計画の設計基準とされている雨量を超えたほか、事業終了後の調整池の問題もあります。というのは、最初の説明会のとき、事業者は発電期間は20年間で、その後、メンテナンスを行い、さらに20年間、最大40年間を見込んでいるとのことでしたが、事業期間が終わり、パネルを撤退した時点では、山は丸裸のまんまです。一度剥いてしまった山林が保水力を取り戻すには数十年、場合によっては100年かかると言われており、事業終了後も調整池は残さなければならない。事業期間中は定期的にえん堤の修繕・堆積土浚渫などを行うそうだが、事業終了後は誰がそれをやるのか。国の制度では、2022年度から事業期間中に売電収入から外部積み立てし、それを撤去費用に充てることになっていますが、調整池の保全管理費分も含むかどうかは不透明です。そういった面で、とにかく問題点が多過ぎる。将来的に、負の遺産になるかもしれないものは、地元住民として到底容認できないというのが申入書の趣旨です」 ただ、実はそうした申入書提出の前、ちょうど説明会が開催された7月15日に林地開発許可が下りたのだという。 中島さんら関係者は「県は同日に説明会が開催されることを認識していた。にもかかわらず、その結果を見ずに、それと同じ日に許可を出すのは何か裏があるのではないか」と疑いの目を向けているようだ。 熱海土砂災害との関係  一方で、申入書には「静岡県熱海市の豪雨による土砂崩落の土地所有者は、合同会社・相馬伊達太陽光発電所の創立者であり、玉野のメガソーラーを計画した麦島善光氏である」といった記述もある。 7月3日、静岡県熱海市で豪雨による大規模な土砂災害が発生した。その崩落現場の土地の所有者が相馬伊達太陽光発電所の創立者であり、玉野のメガソーラーを計画した麦島氏なのだという。 前段で本誌2017年4月号記事の一部を引用したが、その中に「(相馬伊達太陽光発電所の)代表社員である麦島氏の住所は静岡県熱海市になっている。これは前述・ZENホールディングスの研修センターと同じ住所」との記述がある。 まさに、その場所が崩落現場周辺ということになる。 『週刊新潮』(7月29日号)の特集「『殺人盛り土』2人のワル」という記事によると―― ○土砂災害の原因は、逢初川上流の盛り土であることが徐々に分かってきたこと。 ○急な斜面に産廃を含む土砂が遺棄され、今回の豪雨で一気に崩落したこと。 ○そこからすると、天災ではなく人災の疑いが濃厚であること。 ○その所有者が麦島氏であること。 ○麦島氏は過去に脱税で逮捕され、懲役2年の実刑判決を受けたこと。 ――等々が伝えられている。 現時点では崩落原因とされる盛り土に違法性があったかどうかを断定するところまでは至っていないが、ほかにもネットメディアなどで、麦島氏の責任を問う記事が出ている。 相馬市民有志の会では、前述した安全面の問題に加え、「そうした問題人物の手掛ける事業に行政として、開発許可を出すのが妥当なのか」といった意味で、申入書を提出したのだという。 「県にはできる範囲で構わないので、回答してほしいと伝えてきましたが、(本誌取材時の7月26日時点で)まだ回答は来ていません」(中島さん) あらためて、県森林保全課に確認したところ、まず、県としては手続き上、要件を満たしていれば開発許可を出すことになる、といったスタンス。では、その「要件」の中に、「地元住民の理解」は含まれるのかということだが、その点については次のような説明だった。 「地権者の同意は必要ですが、それ以外の地元住民の同意までは求めていません。ただ、絶対条件ではないものの、事業者には地元住民にきちんと説明するように、ということは伝えています」 一方で、静岡県熱海市の土砂災害との関係についてだが、県森林保全課では、熱海市の土地所有者と、玉野地区のメガソーラー計画の事業地所有者が同一人物であることは認識していた。 そこで、記者が「すでに開発許可は出ているそうだが、そういう人(問題人物と思しき人)が関わっているということで、開発許可を再考するということにはならないのか」と尋ねると、こう明かした。 「許可申請者は別(GSSGの傘下のようになった相馬伊達太陽光発電所)ですし、(熱海市の件と同一人物が)所有者に名を連ねているのは承知していますが、それだけ、と言ったら何ですが……。そういうこと(開発許可を再考すること)にはならないと思います」 確かに、事業主体は麦島氏から事業譲渡を受けた格好のGSSGだが、麦島氏が計画地のかなりの部分の土地を所有しているのは事実。同事業に関して、麦島氏がどの程度関わり、どれだけの権利・権限を残しているのかは不明だが、こうした構図を見ると、地元住民が不安に思うのは当然だろう。 あわせて読みたい 相馬玉野メガソーラー計画への懸念 相馬玉野メガソーラー事業者が「渦中の所有者」の関与を否定

  • 【二本松市岩代地区】民間メガソーラー事業に不安の声

    (2021年3月号)  本誌2018年2月号に「二本松市岩代地区でメガソーラー計画が浮上」という記事を掲載した。二本松市岩代地区で民間事業者によるメガソーラー計画が浮上しており、その詳細をリポートしたもの。その後、同事業ではすでに工事が始まっているが、かなりの大規模開発になるため、地元住民からは「大雨が降ったら大丈夫か」と心配する声が出ている。 令和元年東日本台風を経て地元民感情に変化  2018年当時、地元住民に話を聞いたところ、「この一帯でメガソーラーをやりたいということで、事業者がこの辺りの地権者を回っている」とのことだった。 さらにある地権者によると、計画地は二本松市岩代地区の上長折字加藤木地内の山林・農地で、市役所岩代支所から国道459号沿いに3㌔ほど東に行った辺り。用地交渉に来ているのは栃木県の会社で、同社から「買収を想定しているのは約150㌶」「送電鉄塔が近くにあるため、メガソーラー用地として適しており、ぜひここでやりたいから協力(用地売却)してほしい」と説明・協力要請されたのだという。 この地権者は当時の本誌取材に次のように述べていた。 「計画地の大部分は山林や農地で、私の所有地は農地ですが、いまは耕作していません。その近隣も遊休農地が少なくないため、売ってもいいという人は多いのではないかと思います。おおよそですが、地権者は20〜30人くらいになると思われ、そのうちの何人かに聞いてみたのですが、多くは売ってもいいと考えているほか、すでに土地を売った人もいます。ただ、最初に事業者が私のところに来たのは、確かいま(記事掲載時の2018年)から2年ほど前だったと思いますが、その後も近隣の地権者を回っている様子はうかがえるものの、進展が見られません」 そこで、事業者に電話で問い合わせたところ、次のように明かした。 「当社は企画を担当しており、現在は地元地権者に協力を求めている状況ですが、実際の発電事業者は別な会社になるため、そちらにも相談してみないとお答えできないこともあります」 ただ、少なくとも「計画自体が進行中なのは間違いありません」とのことだった。 そのほか、同社への取材で、その時点で用地の約8割がまとまっていること、地権者との交渉と並行して周辺の測量などを進めていること、環境影響評価などの開発行為に関する手続きの準備・協議を管轄行政と進めていること――等々が明らかになった。 なお、同社は「近く、発電事業者との打ち合わせがあるので、取材の問い合わせがあったことは伝えておきます。そのうえで、あらためてお伝えできることがあればお伝えします」とも述べていたが、その後、同社から前述したこと以外の説明はなかった。 それから3年ほどが経った2021年1月、当時本誌にコメントしていた地権者から、こんな情報が寄せられた。 「同計画では、すでに工事が始まっていますが、予定地の山林が丸裸にされており、大雨が降ったら大丈夫なのかと不安になってきました。最初は、私も(同計画に対して)『どうせ、使っていない(耕作していない)土地だし、まあいいだろう』と思って、用地買収に応じましたが、それはあの災害の前でしたし、実際に山林が剥かれた現場を見ると、やっぱり大丈夫なのかなとの思いは拭えません」 コロナで説明の場もナシ まだ手付かずの事業用地もあり、開発面積はかなりの規模になる。  この地権者が言う「あの災害」とは、令和元年東日本台風を指している。この災害で同市では2人の死者が出たほか、住宅、農地、道路など、さまざまな部分で大きな被害を受けた。とりわけ、同市東和地区、岩代地区での被害が大きかったという。 そうした大きな災害があった後だけに、当初こそメガソーラー計画に賛意を示したものの、「これだけの大規模開発が行われ、山林が丸裸になった現場を見ると、大丈夫なのかとの思いを抱かずにはいられない」というのだ。加えて、同地区では、令和元年東日本台風の数年前にも大きな水害に見舞われたことがあり、「何年かに一度はそういったことがあり、特に近年は自然災害が増えているから余計に不安になります」(前出の地権者)という。 開発対象の森林面積は全体で約38㌶に上り、そのうち実際に開発が行われるのは約18㌶というから、かなりの大規模開発であることがうかがえる。 「当然、事業者もその辺(水害対策)は考えているだろうと思いますし、環境影響評価や開発許可などの手続きも踏んでいます。何らかの違反・違法行為をしているわけではありませんから、表立って『抗議』や『非難』をできる状況ではないと思いますが、やっぱり心配です」(同) この地権者に、そういった不安を抱かせた背景には、「新型コロナウイルスの影響」も関係している。 その理由はこうだ。 「以前は何か動きがあると、事業者から詳細説明がありました。ただ、新型コロナウイルスの問題が浮上してからは、そういうことがなくなりました。一応、経過説明などの文書が回ってくることはありますが、それだけではよく分からないこともありますし、疑問に思ったことがあっても、なかなか質問しにくい状況になっています。だから、余計に心配なのです」(同) 以前は、関係者を集めて説明する、あるいは地権者・近隣住民宅を訪問して説明する、といったことがあったようだが、コロナ禍でそうしたことが省略されているというのだ。一応、事業者から経過説明などの文書が届くことはあるようだが、それだけではよく分からないこともあるほか、疑問に思ったことを質問することもできない、と。 その結果、これだけの大規模開発を行い、山を丸裸にして治水対策などは本当に大丈夫なのか、といった不安を募らせることになったわけ。 用地買収に当たった事業者と、実際の発電事業者が別なこともあり、事業者の正確な動きはつかめていないが、いずれにしても、地元住民の不安が解消されるような対策・説明が求められる。 あわせて読みたい 二本松市岩代地区でメガソーラー計画が浮上

  • 大玉村「メガソーラー望まない」 宣言の真意

    (2019年8月号)  原発事故の被災地である福島県では、再生可能エネルギー推進の意識が高まっている。実際、県内ではさまざまな再生可能エネルギーの導入が進んでいるが、その中心的な存在は太陽光発電だろう。震災・原発事故以降、各地で太陽光発電設備(メガソーラー)を見かけるようになった。そんな中、大玉村では「村内にはもうメガソーラーをつくらないでほしい」とする宣言を出した。その真意とは。 心配される景観悪化や発電終了後の放置 田園風景が広がる大玉村  村は、6月議会に「大規模太陽光発電所と大玉村の自然環境保全との調和に関する宣言」の案を提出、同月18日に開かれた本会議で全会一致で可決された。同日、村は「宣言」文を村のHPで公開した。以下はその全文。   ×  ×  ×  × 大規模太陽光発電所と大玉村の自然環境保全との調和に関する宣言 私たちは、化石燃料や原子力発電に依存しない社会を目指すため、太陽光、小水力、バイオマス等再生可能エネルギーを積極的に活用し、地球温暖化防止や低炭素社会の実現に向けて自然環境へ与える負荷の軽減に取り組んで来ました。 本村においては、再生可能エネルギー利用推進の村として自然環境に大きな負荷をかけない住宅屋上への太陽光発電施設や薪ストーブへの助成、豊かな水資源を活用した小水力発電民間事業者への支援等を今後も積極的に行ってまいります。 しかし一方で、自然環境に影響を与え、かつ、自然景観に著しく違和感を与えるような大規模太陽光発電所の設置が各地で行われており、傾斜地での造成や山林の大規模伐採による土砂災害への危惧や発電事業終了後の廃棄物処理等、将来への負の遺産となりうる懸念を払拭することが出来ません。 本村においては、村勢振興の重要資源である豊かな自然環境や優れた農山村の景観を未来に継承するため、「大玉村ふるさと景観保護条例」を制定しております。 また、「日本で最も美しい村」連合に加盟し「自然との共生」を目指し、農山村や田畑の原風景の維持及び魅力発信に努めて来ました。 以上の現状を踏まえて、みどり豊かな自然環境、優れた景観を保護保全するとの、本村の基本理念と著しく調和を欠くと思われる大規模太陽光発電施設の設置を望まないことをここに宣言します。 令和元年6月     大玉村長 押山利一  ×  ×  ×  × https://www.vill.otama.fukushima.jp/file/contents/1841/17082/tyouwa_sengen.pdf  村に確認したところ、同宣言の真意は次のように集約される。 ○再生可能エネルギーの推進は今後も行っていく。 ○ただ、宣言にあった理由などから、できるならメガソーラーはもうつくってほしくない。 ○もし、つくるのであれば、最後まで責任を持ってほしい。 ○今後は、建設制限などの条例化も検討していく。 現在、村内には出力約1000㌔㍗以上のメガソーラーが4カ所あるほか、新たな建設計画もあるという。今回の宣言により、現在ある建設計画がすぐに進められなくなるわけではないようだが、「できるなら、もうつくってほしくない」と。 中でもポイントになるのは、景観への配慮と、発電(耐用年数)後のソーラーパネルの処分について、ということになろう。 大玉村と言えば、田園風景が魅力の1つ。その中に、突如、ソーラーパネル群が現れたら、確かに見栄えのいいものではない。 もう1つは、ソーラーパネルの耐用年数を超えた後、更新、あるいはきちんと撤去されるのか、といった問題があること。 ソーラーパネルには鉛やセレンなどの有害物質が含まれていることもあり、発電終了後、放置・不法投棄されるようなことがあれば、景観的にも環境的にもよくない。 資源エネルギー庁の「平成29年度新エネルギー等の導入促進のための基礎調査(太陽光発電に係る保守点検の普及動向等に関する調査)」によると、「将来的な廃棄を想定して、廃棄・リサイクル費用を確保しているか」という調査で、低圧(10〜50㌔㍗)の発電事業者の74%、高圧・特別高圧(50㌔㍗以上)の発電事業者の59%が「積立していない」と回答したという。 倒産相次ぐ関連事業者  さらに、民間信用調査会社の東京商工リサーチの調査で、近年、太陽光関連事業者の倒産が相次いでいることが明らかになっている。2012(平成24)年7月に「固定価格買い取り制度(FIT)」が導入されたことで、新規参入が相次いだが、競合激化や安易な参入が原因という。 ここ10年の太陽光関連事業者の倒産件数は次の通り。なお、ここで言う「太陽光関連事業者」は、発電・売電事業者だけでなく、ソーラーパネルの製造・販売や、同事業のコンサルティング業なども含む。 2009年 26件 2010年 9件 2011年 18件 2012年 27件 2013年 28件 2014年 28件 2015年 54件 2016年 65件 2017年 87件 2018年 84件 2019年 32件(1月〜6月) こうして見ても分かるように、近年は関連事業者の倒産が大幅に増えている。 こうした点から、ソーラーパネルの耐用年数を超えた後、更新、あるいはきちんと撤去されるのか、といった不安があるのだ。 大玉村によると、「メガソーラーは固定資産税などの面で村にとってメリットもある」としながら、以上のような課題があるため、「できるなら、つくってほしくない。ただ、どうしてもというのであれば、最後まで責任を持ってほしい」というのが「宣言」の真意である。 県では2040年ごろまでに「再生可能エネルギー100%」というビジョンを掲げており、大玉村でも「再生可能エネルギーの推進は今後も行っていく」という方針には変わりはないという。そのためには、メガソーラー以外の再生可能エネルギーの推進、これまで以上の家庭用太陽光発電の導入促進といった取り組みが求められよう。

  • 二本松市岩代地区でメガソーラー計画が浮上

    (2018年2月号)  二本松市岩代地区で、民間事業者による大規模太陽光発電(メガソーラー)計画が浮上している。ある地元地権者によると、「事業者から最初に用地交渉の話があったのは2年ほど前」とのことだが、その後、計画は進展している様子が見受けられないという。 進展の遅さにヤキモキする地権者  本誌2017年12月号に「増え続ける『太陽光発電』の倒産 それでも絶えない設置計画」という記事を掲載した。原発事故以降、再生可能エネルギーの必要性が叫ばれ、その中心的な存在となっていた太陽光発電だが、東京商工リサーチのリポートによると、近年は太陽光発電関連事業者の倒産が相次いでいるのだという。そこで、あらためて同事業の状況を見た中で、同事業は成長産業と見込まれていたが、新規参入が相次いだこともあり、倒産事例も増えていることなどをリポートしたもの。 ただ、そんな中でも、本誌には県内での太陽光発電の計画話がいくつか伝わっており、同記事では二本松市岩代地区の住民のこんな声を紹介した。 「この地域(二本松市岩代地区)で太陽光発電事業をやりたいということで、少し前から事業者が山(山林)や農地を持っている地権者のところを回っているようです。それも、その範囲はかなりの広範にわたっており、もし本当にできるとしたら、相当な規模の太陽光発電所になると思われます」 この時点ではそれ以上の詳しいことは分かっていなかったが、その後の取材で、少しずつ詳細が明らかになってきた。 ある地権者は次のように話す。 「ここで太陽光発電事業をやりたいということで、この辺(の山林や農地)の地権者を回っているのは、栃木県の『博栄商事』という会社です。その後、同社と一緒に『オーシャンズジャパン』という会社の名刺を持った人もあいさつに来ました。事業者の説明によると、『買収を想定しているのは150㌶ほど。送電鉄塔が近くにあるため、太陽光発電の用地として適しており、ぜひここでやりたいから、協力(土地売却)してもらえないか』とのことでした。ただ、事業者が最初に私のところに来たのは、確か2年ほど前だったと思いますが、その後も近隣の地権者を回っている様子はうかがえるものの、全くと言っていいほど進展している様子が見受けられません。私自身は協力してもいいと思っているのですが……」 計画地は、二本松市岩代地区の上長折字加藤木地内の山林・農地で、市役所岩代支所から国道459号沿いに3㌔ほど東に行った辺り。この地権者によると、事業者が用地として想定している面積は約150㌶とのことだから、かなりの規模であることがうかがえる。 「計画地の大部分は山林や農地です。私の所有地は農地だが、いまは耕作していません。その近隣も、遊休農地が少なくない。ですから、売ってもいいという人は多いと思います。実際、すでに土地を売った人もいるようです」(前出の地権者) なお、この地権者の話に出てきた博栄商事は、栃木県茂木町に本社を置く株式会社。1972(昭和47)年設立。資本金2000万円。同社のHPや商業登記簿謄本を見ると、不動産業が主業のようで、太陽光発電関連の事業実績は見当たらない。役員は代表取締役・細野正博、取締役・能代英樹の2氏。 もう一方のオーシャンズジャパンは、本社が東京都新宿区の合同会社。2015(平成27)年設立。資本金1万円。事業目的は、太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス、太陽熱等の再生可能エネルギーによる発電事業及びその管理・運営・電気の供給・販売等に関する業務、発電設備の設置、保守管理業務など。役員は業務執行社員・坂尾純一氏。 こうして両社のHPや商業登記簿謄本などを見る限り、博栄商事は用地交渉役(仲介役)で、実際の発電事業者はオーシャンズジャパンと見るのが自然か。 前出の地権者によると、「すでに土地を売った人もいるようだ」とのことだから、すでに投資が発生している以上、事業者が〝本気〟なのは間違いなさそう。ただ、この地権者の話では、最初に相談があったのは2年ほど前で、以降も事業者が地権者宅を回っている様子はうかがえるものの、計画が進捗している様子は見えないというのだ。 「おおよそですが、地権者は20〜30人くらいになると思います。知り合いの地権者にも聞いてみたところ、多くの人が協力してもいいと考えているようで、すでに土地を売った人もいるようですが、逆にまだ全然そんな話(用地交渉)がないという人もいます。ただ、少なくとも、私は最初に相談があってから2年近くが経っています。それなのに話が進展しないので、一体どうなっているんだろう、と」(前出の地権者) 事業者が目星を付けたところは、多くが山林や遊休農地のため、地権者からしたら「買ってくれるならありがたい」ということなのだろうが、その後、話が進展している様子が見えないため、「本当にできるのか」といった思いを抱いていることがうかがえる。 「計画は進行中」と事業者  そこで、計画の進捗状況や事業概要などを聞くため、博栄商事に問い合わせてみたところ、同社担当者は「当社は企画を担当しており、実際の発電事業者は別な会社になるため、発電事業者に確認してみないことにはお答えできないこともあります」とのことだったが、「計画自体が進行中なのは間違いありません」と明かした。 そこで、本誌記者は「地元住民からは、『オーシャンズジャパン』という会社の名刺を持った人もあいさつに来ていたとの話も聞かれたが、いまの説明に出てきた『発電事業者』はオーシャンズジャパンのことか」と尋ねてみた。 すると、博栄商事の担当者は「当初はその予定で、もともとは同社から依頼があり、当社が企画を担当することになりました。ただその後、事情があって発電事業者は変わりました。新しい事業者は横浜市の会社で、二本松市に現地法人を立ち上げ、そこが太陽光発電所を運営することになります」と語った。 このほか、博栄商事の担当者への取材で明らかになったのは、①用地は8割ほどまとまっていること、②現在、境界周辺の測量を実施しているほか、環境影響評価などの開発行為に関する手続きの準備・協議を進めていること――等々。 そのうえで、同社担当者は「近く発電事業者と打ち合わせがあるので、問い合わせがあったことは伝えます。そこで発電事業者と相談のうえ、あらためてお伝えできることはお伝えします」と話した。 発電規模や発電開始時期の目標などは明らかにされなかったが、いずれにしても、計画が進行中なのは間違いないようだ。 ただ、前述したように、用地の大部分は山林・農地のため、開発の必要があり、そのためには各種手続きが必要になるから、近隣住民の目に見える形(工事など)で動きがあるまでにはもう少し時間がかかりそうな状況だ。おそらく、開発に当たっての環境影響評価方法書の縦覧などまで計画が進展しなければ、具体的なものは見えてこないのではないかと思われる。 近隣にも太陽光発電所が 二本松太陽光発電所(旧ゴルフ場)  ところで、一連の取材で同計画地周辺を歩いてみたところ、同所のほかにも太陽光発電所、あるいはそのための造成工事中のところがあることが目に付いた。 1つは、以前、本誌でも取り上げたサンフィールド二本松ゴルフ倶楽部岩代コース跡地。同ゴルフ場については、過去の本誌記事で次のようなことを伝えた。 ①同ゴルフ場は、東日本大震災を受け、クラブハウスやコースが被害を受けたほか、原発事故によりコース上で高い放射線量が計測されたため、一時閉鎖して施設修繕や除染を行ったうえで、営業再開を目指していた。 ②それと平行して、同ゴルフ場を運営するサンフィールドは、東京電力を相手取り放射性物質の除去などを求め、東京地裁に仮処分申し立てを行った。しかし、同申し立てが却下されたため、同社は2011年7月上旬ごろまでにホームページ上で「当面の休業」を発表した。なお、同仮処分申請の中で、東電が「原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電には除染責任がない」との主張を展開し、県内外で大きな注目を集めた。 ③そんな中、同ゴルフ場では、「ゴルフ場をやめて大規模太陽光発電施設にするらしい」といったウワサが浮上した。ある関係者によると「大手ゼネコンが主体となり、京セラのシステムを使うそうだ」といったかなり具体的な話も出ていたが、「正式に打診があったわけではないらしく、結局、その話は立ち消えになった」(同)とのことだった。 ④その後、2012年秋ごろまでに、同ゴルフ場の駐車場に仮設住宅のような長屋風の建物がつくられ、除染作業員などの仮設宿舎になった。同ゴルフ場には立派なホテルも併設されているが、そこも作業員宿舎(食堂?)になった。ある地権者によると、「サンフィールドは『ビジネス上の付き合いから、除染事業者である大成建設に無償貸与している』と説明していた」とのことだった。そのため、少なくとも、この時点では、ゴルフ場再開の可能性は事実上なくなり、用地がどうなるのかが注目されていた。 ⑤2014年春になると、先のウワサとは別に、大規模太陽光発電施設にする目的で、ゴルフ場用地を買いたいという会社が現れた。その会社は、東京都港区に本社を置く日本再生可能エネルギーで、ある地権者は「同社の要請(土地売却)に応じた。私の知る限り、ほとんどが同様の意向だと思う」と話した。 過去の本誌記事でリポートしたのはここまでだが、その後も、この地権者(元地権者)からは「日本再生可能エネルギーで太陽光発電所に必要なだけの用地をまとめ、本格的に動き出した」といった話は聞かされていた。もっとも、この地権者(元地権者)自身が「土地を売ったことで、直接的には関係なくなったから、詳しいことは分からないけど……」とのことで、具体的な事業の進捗状況などは分かっていなかった。 今回、あらためて同所を訪ねてみると、「二本松太陽光発電所」という看板が立てられ、外から様子をうかがった限りでは、太陽光発電所として稼働しているように見受けられた。同所を取得した日本再生可能エネルギーのHPを見てみると、国内他所の太陽光発電所に関するリリースは出ているものの、二本松太陽光発電所についてのリリースは見当たらなかった。 そこで、同社に問い合わせてみたところ、①同発電所は2017年8月から稼働していること、②発電規模は29・5㍋㍗であること――が明らかになった。つまり、すでに発電・売電を行っている、と。 なお、同社は太陽光、風力、地熱などの再生可能エネルギーを利用した発電・売電事業を手掛ける株式会社で、2013年5月10日設立。代表はアダム・バリーン氏。HPに掲載されたリリースを見る限り、国内各地で太陽光発電所を運営しており、県内では二本松市のほかに、国見町でも2016年2月から太陽光発電所を稼働している。 工事中の計画  一方、その近くでは別の太陽光発電所の工事が行われていた。工事案内板を見ると、場所は「初森字天狗塚69―1 外3筆」、目的は「太陽光発電所建設用地の造成」、林地開発について「許可を受けた者」は札幌市の「エム・エス・ケイ」と書かれていた。 同社について調べてみると、札幌市で「ホテル翔SAPPORO」を経営しており、ホテル経営が主業のようだ。ただ、同社の商業登記簿謄本を確認すると、事業目的は、以前は①ホテル及び旅館の運営管理、②不動産の売買及び賃貸、③古物商の経営などだったが、2016年8月に変更され、再生可能エネルギーによる発電事業及び発電設備の販売、施工工事請負が追加された。最近になり、同事業に参入したことがうかがえる。 同社に二本松市で太陽光発電事業をやることになった経緯などについて問い合わせたところ、一度、連絡はあったものの、質問に対する回答は本号締め切りには間に合わなかった。そのため、事業規模などは現時点では明らかになっていない。 ちなみに、冒頭紹介した計画は、前述した通り、市役所岩代支所から国道459号沿いに3㌔ほど東に行った辺り。そこから直線距離で1㌔ほど南にいったところに二本松太陽光発電所(ゴルフ場跡地)があり、さらに直線距離で南に1㌔ほどの辺りに現在工事中のエム・エス・ケイの事業地がある。 こうして見ると、同地区周辺は民間の、それも県外事業者による太陽光発電施設、あるいはその計画が多いことが分かる。 ある地元住民は「震災・原発事故を経て、結果的にそうなりましたね。課題はソーラー発電システムの耐用年数を超えた時にどうなるのかということでしょうけど、そこさえしっかりしてもらえれば、地域としてこういうものを推奨していくのもいいのではないか」と語った。 あわせて読みたい 【二本松市岩代地区】民間メガソーラー事業に不安の声