• 相馬福島道路が長期間の通行止め

    相馬福島道路が長期間の通行止め

     8月3日、相馬福島道路(東北中央自動車道)の法面の一部に崩落の恐れが確認されたとして、霊山インターチェンジ(IC)―伊達中央IC間(延長7・4㌔)が通行止めとなった。そこから1カ月近く不通が続き、利用者や近隣住民は不便な生活を強いられている。 災害に弱い「横軸」は相変わらず!?  相馬福島道路は、東日本大震災を受けて「復興支援道路」として整備された。常磐道(相馬市)と東北道(桑折町)を結ぶ約45㌔の高規格道路(自動車専用道路)で、2021年4月に全線開通した。  無料で走行できることもあり、相馬地方と県北地方を結ぶ主要道路として、物流、観光、医療などさまざまな用途で使われているが、そんな同道路の一部が斜面崩落により1カ月にわたり通行止めとなった。  同事務所によると、現場は伊達市保原町大柳の下り線の法面で、5月ごろから一部が隆起し、8月3日ごろに崩落。現場は幅約30㍍、高さ約25㍍にまで拡大し、崩れた石などが散乱した。同事務所によると、法面に含まれる凝灰岩が地下水などを吸い込み膨張した後に乾燥したことで、崩壊しやすくなったのが原因とみられるという。  同17日にようやく崩落が落ち着き、応急復旧工事に着手。9月10日ごろまでに完了する見通しだ。  観光シーズンの夏休み期間に道路が寸断されたことで、大きな痛手を受けたのが、霊山ICに隣接する伊達市霊山町の道の駅伊達の郷りょうぜんだ。駅長の三浦真也さんは「客足、売り上げともに1割程度下がっている。道の駅にモモを納入している伊達町の生産者がいるが、通常は15分ぐらいで来られるのに通行止めで倍ぐらい時間がかかるため、1日の納品回数を減らすなどの対応を取った。そのため、商品数が少なくなり、売り場作りに難儀した面もありました」と語る。  国道115号の旧道は、多数の線形不良箇所、異常気象時に通行止めを行う「事前通行規制区間」などがあり、大雨などの災害時に不通になりやすかった。2006(平成18)年には大雨による落石で約1カ月間の全面通行止めとなり、物流、生活、観光など、多方面に大きな影響が出た。  そんな旧道に代わる道路として開通したのが相馬福島道路だったわけだが、2021年10月の令和元年東日本台風の時は、相馬市内の楢這トンネル付近で土砂崩れが発生したため、通行止めとなっている。  昨年3月16日の福島県沖地震でも、段差などが発生したため通行できなくなり、伊達桑折ICから相馬ICまで行くのは困難だった(本誌2022年4月号参照)。  要するに、災害時の弱さは何も変わっていないわけ。  伊達市では昨年3月の福島県沖地震で阿武隈川に架かる国道399号の伊達橋が被災し、通行止めになった。それ以降、相馬福島道路は迂回路として使われていたが、それも通行止めとなり、伊達町在住の伊達市民はさらに影響を受けるなど二重の被害を受けた格好だ。ガソリン価格が高騰する中で、燃料が余計にかかる影響もあるだろう。  同市ではイオンモール北福島(仮称)が開業を控えているが、相馬福島道路が頻繁に通行止めになるようでは客の流れに影響する。福島市と相馬市をつなぐ「横軸」の機能を強化する意味でも、真の意味で災害に強い道路が求められる。

  • コロナ「5類」移行後の【会津若松市】観光事情

     5月8日から、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、季節性インフルエンザと同じ「5類」になった。これに伴い、法律に基づく外出自粛や行動制限などが発せられることがなくなり、イベントや観光などの機運が高まっている。「5類」移行の影響はどうなのか、会津若松市観光業の状況を探った。 夏休み、秋のシーズンに期待 東山温泉  会津若松市を取材対象にした理由は、1つはデータの取りまとめが非常に早いこと。速報値ではあるものの、7月中旬に同市観光課に問い合わせると、すでに市内観光各所の6月分のデータがまとめられていた。 それだけ、行政の観光セクションがしっかりしており、行政と観光関連施設などの連携が図れている証拠だろう。見方を変えると、同市において観光業はそれだけ大きな産業で、観光業の浮沈が市内経済に大きな影響を及ぼすということでもある。それが同市を取材対象にしたもう1つの理由だ。 別表はコロナ前の2019年、コロナの感染拡大が顕著になった2020年、昨年、今年の上半期(1〜6月)の同市内の主な観光地の入り込み数・利用者数をまとめたもの(市観光課調べのデータを基に本誌作成、2023年は速報値)。 鶴ヶ城天守閣 2019年2020年2022年2023年1月1万8387人2万4751人1万0174人7205人2月2万0880人2万6234人7144人6537人3月2万9821人2万0491人1万4766人1万1370人4月7万9325人4170人3万5654人5万0713人5月7万5462人1130人4万8486人6万5887人6月5万1127人9672人4万0344人5万2626人計27万5002人8万6376人15万6568人19万4338人 麟閣(※鶴ヶ城公園内の茶室) 2019年2020年2022年2023年1月1万1900人1万4287人6962人4755人2月1万0835人1万2529人5064人4161人3月2万0285人1万4943人1万0477人8577人4月4万8042人3419人2万4150人3万2038人5月4万5159人827人3万0558人3万7735人6月2万2326人7706人1万6832人2万1800人計15万8547人5万3711人9万4043人10万9066人 御薬園 2019年2020年2022年2023年1月1261人2213人594人908人2月2593人2607人470人2153人3月2308人1500人1136人2191人4月5181人389人3010人3895人5月6512人155人4488人5235人6月4633人1466人3379人4101人計2万2488人8330人1万3077人1万8483人 県立博物館 2019年2020年2022年2023年1月1179人1659人1377人1942人2月2336人2967人3660人4167人3月3825人2291人2806人4162人4月6134人551人4082人4227人5月9892人609人1万2169人1万0687人6月1万0159人2546人1万2071人未集計計3万3525人1万0623人3万6165人2万5185人 東山温泉 2019年2020年2022年2023年1月3万4278人3万7793人2万8225人2万6311人2月3万3921人3万0388人1万5224人2万5665人3月5万2957人2万9279人2万6612人4万3381人4月4万1440人7512人3万6629人3万7387人5月3万9746人3482人4万1143人4万1203人6月4万3744人1万1884人3万3535人4万4489人計24万6086人12万0338人18万1368人21万8436人 芦ノ牧温泉 2019年2020年2022年2023年1月1万4238人1万6680人8625人9455人2月1万7638人1万9828人4952人1万0936人3月1万7064人1万1310人8785人1万3185人4月1万9578人3629人1万1306人1万1481人5月1万7727人80人1万1805人1万3545人6月1万8876人3732人9607人1万1449人計10万5121人5万5259人5万5080人7万0051人 民間施設 2019年2020年2022年2023年1月1万0884人1万2945人6480人7555人2月1万4400人1万4332人5366人9545人3月2万1821人1万3104人1万1366人2万2551人4月4万6851人3915人2万3504人3万0787人5月5万9000人268人4万2305人4万8743人6月5万3130人6498人4万2789人4万7319人計20万6086人5万1062人13万1810人16万6500人※武家屋敷、白虎隊記念館、駅cafe、日新館、 飯盛山スロープコンベア、会津ブランド館、会津村の合計  コロナの感染拡大が顕著になった2020年は前年比(コロナ前)で大幅なマイナスになっている。コロナ感染が国内で初めて確認されたのが2020年1月、本格的に影響が出てきたのが2月末ごろ。それを裏付けるように、同年3月は前年同月比で30〜40%減、4月は80〜90%減、5月は90%以上の減少となっている。 同年4月17日、全国に緊急事態宣言が出され、鶴ヶ城天守閣、茶室麟閣、御薬園の主要観光施設は4月18日から5月27日まで休館した。例年同時期に開催されていた「鶴ヶ城さくらまつり」も中止になった。ゴールデンウイークの書き入れ時がゼロになったのだ。 観光客の激減は、その分だけマーケットが縮小したことになり、観光業を生業としている関係者は大きな影響を受けた。それはすなわち、収入減にほかならず、結果、あらゆる分野において地域内の消費が減るといった事態を招く。そうした点からも、同市にとって重要な産業である観光業の立て直しは、大きな課題になっていた。 そんな中、昨年はコロナ直後からだいぶ回復しており、さらに今年はコロナ前には及ばないまでも、かなり戻っていることがうかがえる。施設にもよるが、少ないところで70%程度、多いところでは90%近くまで戻っている。 コロナ前以上の鶴ヶ城 5類移行後はコロナ前を上回る入場者となっている鶴ヶ城天守閣  月別に見ると、5類移行後の今年5、6月はコロナ前に近い数字か、施設によってはコロナ前を上回っている。これは5類移行の影響と見ていいのか。 「『5類』に移行したのはゴールデンウイーク明けで、その後は観光地にとって〝平時〟だったこともあり、正直、よく分からないですね。一昨年、昨年よりは良くなったのは間違いありませんが、徐々に戻ってきている延長線上と捉えるべきなのか、5類移行の影響なのかは測りがたい。これから夏休み、秋の観光シーズンになってどう動くかでしょうね」(市内の観光業関係者) こうした見方がある一方で、「やはり、5類移行の影響は大なり小なりあると思いますよ。『いままでは旅行を控えていたけど、制約がなくなったことだし、出かけてみようか』という気になるでしょうから」(別の観光業関係者)との声もあった。 さらにはこんな見方も。 「いい意味で、5類移行の影響はあると思います。ただ、それによって、海外旅行への制限・制約もなくなりますから、『これまでは近場、国内で我慢していたけど、せっかくだから海外に行こうか』という人も今後は増えてくると思います。もっとも、5類移行とは関係なく、いつの時代も、海外を含めたほかの観光地との競争があることは変わりませんけどね。その中で、どうやって人を呼び込むかということです」(温泉地の関係者) 共同通信配信のネット記事(7月11日配信)によると、海外旅行については、まだまだ不安が大きいとのアンケート結果が出ているという。以下は同記事より。 《調査会社インテージ(東京)が(7月)11日発表した夏休みの意識調査によると、半数が海外旅行に「不安」があると答えた。今夏に海外旅行を予定しているのは2・0%。昨夏(0・8%)より増えたが、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類に移行しても渡航に慎重な人が多いようだ。全国の15~79歳のモニターを対象にインターネットで6月26~28日にアンケートを実施。2513人から回答を得た。海外旅行に関し、27・7%が「不安がある」、23・2%は「やや不安がある」とした。「不安はない」は9・5%、「あまり不安はない」が11・1%だった》 こうしたアンケートを見ると、5類移行後、すぐに海外旅行に行く人は少なそうだが、今後はそういった需要も増えてくるだろう。逆に海外から来る人も増えるから、温泉地の関係者が語っていたように、「海外を含めたほかの観光地との競争の中で、どうやって人を呼び込むか」に尽きよう。 鶴ヶ城天守閣、麟閣、御薬園を運営する会津若松観光ビューローによると、「(5類移行で)やはり雰囲気的に違う」としつつ、「その中でも、以前とは様相が変わってきている」という。 「鶴ヶ城天守閣は、5類移行後の今年6月と7月途中(本誌取材時の7月中旬)までは、2019年同月比で来場者数が100%を超えています。詳細を見ると、教育旅行は例年並みで、それ以外の団体ツアー客はコロナ前には戻っていません。その分、個人客が増えています。外国人も増えていますが、それについても以前のような団体ツアーではなく、数人でレンタカーを借りて、といった形が増えています」(同ビューローの担当者) 鶴ヶ城天守閣は昨年10月から今年4月27日まで、リニューアル工事を行っており、4月末からの大型連休に合わせて再オープンした。そのため、「新しくなった鶴ヶ城に行ってみよう」と、地元・近場の人の来場があったようだ。そういった事情から、6月、7月途中(本誌取材時)まではコロナ前(2019年)より来場者が増えた背景もあるが、①団体ツアー客が減り個人客が増えた、②その傾向は外国人も同様――といった状況だという。 ほかの観光施設の関係者などに聞いても、似たような傾向にあるようで、それがこれからしばらくの観光の主流になってくるのだろう。「ウィズコロナ的観光需要」といったところか。 夏以降の感染拡大に注意  こうして聞くと、5類移行後は多少なりとも状況が変わっていると言えそうだが、夏休みや秋の観光シーズンの動きはどうか。 「コロナ禍以降は、(観光客のコロナ感染や濃厚接触の疑いなどで)突然のキャンセルのリスクがあるため、あまり先の予約を取らないようになっています。そのため、各施設の夏休みや秋の観光シーズンの動き、予約状況などはつかめていません」(市観光課) 「鶴ヶ城は予約して来られる方は少ないので、夏休みや秋の観光シーズンの見通しはまだ何とも言えませんが、5類移行後はコロナ前(2019年)と同等かそれ以上の方に来ていただいているので、期待はしています」(前出・会津若松観光ビューローの担当者) 「予約してくる人は少ないので、まだ何とも分からないが、少なくとも夏休みの出だしとしては、昨年よりはいいと思います」(観光施設近くの土産店) 「だいぶ戻っているのは間違いありませんが、5類移行後、夏休みに向けては普通に推移している、といったところでしょうか。コロナ禍で受けたダメージが大きいので、それを補うにはまだまだ時間がかかると思います」(東山温泉観光協会) 観光業界関係者の多くが今後に向けて、期待を抱いていることがうかがえた。 一方で、温泉旅館・ホテルではこんな問題も抱えている。温泉旅館・ホテルでは、コロナ禍に従業員を整理したところが多い。その後、ある程度、宿泊客が戻ってきた段階で再度、従業員の募集をかけたが、なかなか応募がない、といった状況に陥っているという。当然、従業員にも生活があるから、温泉旅館・ホテルで仕事がないとなれば、別の業種に就くだろう。そんな事情もあって、人手が足らずキャパいっぱいまで宿泊客を入れられないところもあるというのだ。 コロナの後遺症とも言える状況だが、今後は受け入れる側も、コロナで崩れた体制を整え、平常運転ができるようにしていく必要があるということだろう。 一方で、感染症法上の位置付けが変わったとしても、コロナがなくなったわけではない。 厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」の7月7日の会合では、「新規患者数は、4月上旬以降緩やかな増加傾向となっており、5類移行後も7週連続で増加が継続している」と報告された。 そのうえで、「今後の見通し」として次のように指摘している。 ○過去の状況等を踏まえると、新規患者数の増加傾向が継続し、夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある。また、感染拡大により医療提供体制への負荷を増大させる場合も考えられる。 ○自然感染やワクチン接種による免疫の減衰や、より免疫逃避が起こる可能性のある株の割合の増加、また、夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要。 「夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある」、「夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要」と指摘しており、夏休みシーズン後のコロナの感染状況にも注意が必要だ。

  • 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

    【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

     もし、祖父の代から住んでいる土地を正当な理由もなく追い出されそうになったら、万人が立ち向かえるだろうか。これは、会津若松市で監視カメラを武器に転売集団と闘い続けるある男の記録である。(敬称略) 監視カメラで転売集団に応戦 居住者のXに立ち退きを迫る太田正吾(左)  2023年3月9日午後2時45分ごろ、ブオンブオンとうなり声をあげた白のミニバンが、会津若松市馬場町にあるX(70代)の家の前の駐車場に入ってきた。 助手席から真っ黒に日焼けた顔にオールバック、ネクタイ姿、ベストを着た男が降りてきた。きちんとした身なりではあるが、発する言葉は荒っぽかった。 「俺、もう許さねえからな」 「この土地は俺が買ったんだから」 「あんまり怒らせんなよ! おらあっ!」 男はすたすたとミニバンの助手席に戻り、何やら書類を取り出して、体の前でひらひらして見せた。 「俺が買って持ってるからな」 ミニバンのボンネットに書類を広げてXに見せた。 「俺、最初に言ってんじゃん。買うよって」 Xによると、男は「この土地は全部、俺がYから2200万円で買った。今なら話に乗ってやる」と言ったという。Xは「脅す一方で二束三文の金をちらつかせて体よく追い出すつもりだな」と思った。Xが応じないと分かると、男は「不法入居者」と呼び、駐車場の利用者の名前が書かれている札や張り紙などを剥がして持ち去った。監視カメラの映像を見ると、確かに手に張り紙を持ち、画面内を移動する姿がある。 監視カメラのマイクには、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」との発言や、Xが「居住権というのがあるから」と言ったのに対し、「ねえから」と即答したやり取りが収められていた。 Xが当日を振り返る。 「男は太田正吾と名乗りました。この日の前には不動産会社を連れて来ました。立ち退きを迫ろうと脅かしに来たのだろう。そもそも、この土地は私の隣家が所有しており、100年以上前、私の祖父の代から借地料を払って住んでいました」 登記簿を確認すると、1941年に隣家が売買で土地を取得。以来一族で所有権の相続を続けていた。 「隣家の高齢夫婦が亡くなると、県外の親族が相続しました。親族は土地を手放したがっていて、私に買い手を探すよう頼んだ。そこで、近所の顔なじみで店を経営する資産家のY(70代)に持ち掛けました。今考えるとそれが間違いでした」(X) Xは隣家の親族から「ブローカーのような怪しいところには売りたくない」と言われていた。隣家の親族から委任を受けて買い手を探し、転売しないという約束のもと購入に前向きだったのがYだったという。 「①転売しない、②そのためにYが経営する店の名義で購入し、店が保有する、との条件で2019年に私とY、隣家の親族が立ち会って売買に合意しました。Yとは長い付き合いで信頼しており、契約書は取り交わす必要もないと思った。ところが、②の店の名義で購入する約束が早速破られたんです」(X) 登記簿によると、確かに2019年12月27日にYが購入したことになっている。ただし名義は、Yの経営する店ではなく、Y個人だ。売買の書類が取り交わされたことを、Xは所有権の移転が既に終わった後に自分で調べて知った。 「Yは司法書士に頼んで、県外にいる隣家の親族に売買契約の書類を郵送しました。親族は司法書士から送られてきた書類に、言われた通り書き込んで押印し、返送したそうです。宅建業法に定められた重要事項説明書は交付されておらず、本来は無効な取引でした」(X) ①の約束、「転売しない」も破られた。登記簿によると、今年2月7日に前出の太田正吾(東京都東村山市)に土地が売り渡された。冒頭に紹介した映像で、太田は「家を出ろ」とXに迫っていた。 今回、立ち退きを迫られている馬場町の土地は約230坪で、Xの一族は、その一角に祖父の代から所有者に家賃を払い、100年以上住んできたという。現在はXの息子が暮らし、Xはパソコンなどの機器を置いて仕事場にして、日中の大半はこの家にいるという。 「私には居住権があり、無理やり立ち退かせることはできません。太田たちは法律上追い出すのは難しいので、脅しという強硬手段に及んだとみています」(X) Xは、Yがはなから転売を目的に土地を購入したのではないかと疑っている。太田が昨年11月17日に初めてX宅を訪れた時、郡山市の不動産業者を引き連れていたからだ。それ以前には、郡山市の建設会社から土地の売買を持ち掛けられたという同市の設計士が訪ねてきた。Xが、Yとの間に土地トラブルがあると説明すると、「買わないし2度と来ない」と言って立ち去ったという。 「設計士や不動産業者が来たのは太田が土地を購入する前、まだYが所有している時です。Yは太田、不動産業者と共謀していたのではないでしょうか。太田はYから譲り受けた所有権を根拠に、脅しを掛けて追い出す役回りです。登記上はYから太田に所有権が移っていますが、本当に金銭が支払われたのだろうかと私は疑っています」(X) 「黒幕」とされる男  筆者はXが「黒幕」とするYの店を訪ねた。馬場町の問題の土地からごく近所だ。 ――Xは土地を追い出されそうになっている。 「追い出されるっていうのは買った人の責任だ。俺は売っただけから」 ――Xはあなたからずっと住み続けてもいいと言われたそうだが。 「言った覚えはない」 ――Xには転売すると伝えて土地を購入したのか。 「伝えてない。どうなるか分からないが、売ってだめだという条件はなかった」 ――どうして太田正吾に売ったのか。 「そんなのおめえに言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」 ――太田と一緒にXの家に来た郡山市の不動産業者とはどういう関係か。 「……」 ――太田とその不動産業者と面識はないということでいいか。 「そんな質問には答えねえ」 自身と太田の関係が筆者に答えられないようなものならば、なぜ大きな金額が動く土地を売ったのか。疑念は深まるばかりだ。 最後に、Xはなぜ筆者に監視カメラの映像を見せてくれたのか。 「パソコンが得意で、昨今の治安に不安を覚えていたことから防犯のために監視カメラを設置していました。おかげでこちらの正当性が証明できると思う。最近では、以前は見なかった不審車両が家の前に長時間止まっています。この映像を(筆者に)見せたのは、今回の問題を記事にしてもらうことで、脅しをする側が露骨な動きをできないように牽制して、自分の身を守るためです」 平穏な日は訪れるか。

  • 元社員が明かす【山口倉庫】の「異様な職場」

    元社員が明かす【山口倉庫】の「異様な職場」

     本誌5月号に「大量カメラで社員を〝監視〟 する山口倉庫 『気味が悪い』と退職者続出!?」という記事を掲載したところ、それを読んだ元社員から「今も勤務している社員のために、さらに詳報してほしい」との要望が寄せられた。 監視カメラ四十数台、独特な朝礼 山口広志社長  山口倉庫㈱は1967年設立。資本金1000万円。郡山市三穂田町の東北自動車道郡山南IC近くに建つ本社倉庫などで米や一般貨物の保管・管理を行っている。駐車場経営や不動産賃貸なども手がける。 現社長の山口広志氏は2000年に就任した。祖父の松雄氏が創業者で、父の清一氏が2代目。3代目の広志氏は清一氏の二男に当たる。 そんな山口倉庫について、5月号では▽社内に大量の監視カメラが設置されている、▽社員だけでなく訪問客の様子も監視している、▽山口社長は自宅から、監視カメラで撮った映像や音声をチェックしている模様、▽こうした職場環境に気味の悪さを感じた社員が次々と退職し、その人数はここ4、5年で十数人に上る――と報じ、このような行為がハラスメントや個人情報保護法違反に当たるかどうか検証した。 詳細は同号に譲るが、結論を言うと、ハラスメントには当たらず、個人情報保護法にも違反しないが、監視カメラを大量に設置する目的、設置場所、映像と音声の利用範囲などを社員にきちんと説明しないと後々トラブルに発展する恐れがあると指摘した。 「社内の人でなければ知り得ないことが書かれていたので、読んだ時は本当に驚きました。ああいう記事を出していただき感謝しています」 こう話す元社員は数年前に山口倉庫を退職し、現在は「ほんの少しでも同社とは接点を持ちたくない」と別業種で働いている。 「接点を持ちたくない」と言いながら、本誌の取材に応じた理由。それは、今も勤務している社員を思ってのことだった。 「私は運良く転職できたが、社員の中には転職したくても、家族を養うため我慢して働き続けている人もいる。そういう社員のためにも、あの異様な職場環境は改められるべきと思ったのです」(同) 元社員によると、新たに判明した山口倉庫の職場環境は次の通り。 〇監視カメラは山口倉庫に四十数台、関連会社で不動産業の山口アセットマネジメント㈱に2台設置されている。カメラは映像だけでなく、音声も拾うことが可能。山口倉庫の事務スペースには、複数の画面に分割された大きなモニターがあり、各カメラの映像を一斉に確認できる。 〇社員は会社からスマホを貸与され、何かあると山口社長から直接連絡が入る。そのスマホでは、監視カメラの画像も確認できる。カメラで常に見られている社員は「余計な行動や発言をすれば、山口社長に見つかって〝直電〟が来る」と常にビクビクしている。 〇監視カメラはトイレ、更衣室、休憩室には設置されていないが、男子更衣室と休憩室の一部は廊下に設置されたカメラで確認できる。そのため男性社員は、更衣室や休憩室を利用する場合はカメラの死角になっている個所に身を潜める。 〇社員は昼休みになると、監視カメラから逃れるため駐車場に止めたマイカーの中で昼食を取ったり、休憩をしている。 〇社員は、入社するまでは大量に監視カメラが設置されていることを知らない。そのため入社後に実態を知り、気味が悪いとわずか数日で辞める人も少なくない。 〇来客者も敷地に入った瞬間から監視カメラで映され、車のナンバーも記録される。 〇山口社長はほとんど出社せず、自宅から監視カメラの映像や音声で社内の様子や社員の働きぶりをチェックしている。 山口社長がここまで監視カメラを張り巡らせる理由は何なのか。 「大量設置の理由を説明されたことがないので分からないが、『自分が他人からどう思われているかを異常なまでに気にする人』なのかもしれません」(同) その象徴として元社員が挙げたのが、山口社長の教養に対するコンプレックスだ。元社員によると「山口社長は地元の高校を経て大学、大学院に進んだはず」と言うが、信用調査等でも学歴は判然としない。 「とにかく『本を読め』と強要する。それだけならいいが、感想文を共有フォルダに記録させるのです。そしてたまに出社すると、社員に突然質問し、答えられないと『そんなことも分からないのか』とバカにしたような態度を取る。長期の休み明けには社員一人ひとりに抱負を発表させたりもします」(同) 使用者が配慮すべきこと 東北自動車道郡山南IC近くにある本社倉庫  社員に教養を身に付けさせようとする試みは否定しないが、独りよがりになってはありがた迷惑。その一例が、山口社長が最も力を入れているという毎日の朝礼だ。 「一般社団法人倫理研究所発行の月刊誌『職場の教養』を題材に、1人が正論、1人が反論、1人が正論か反論を発表し、最後にその日の司会者役が意見をまとめるのです。これを毎日、社員が交代しながら行っています。山口社長はその場にいないが、一連の様子は監視カメラを通じて自宅から見ています」(同) 社員の中には大量の監視カメラもさることながら、この朝礼が苦痛で辞める人もいるという。 「発表する社員は朝30分早く出勤して『職場の教養』を読み込み、何を話すか考えます。社員が辞めて少なくなれば発表のローテーションも早まるので、残っている社員は相当苦痛だと思います」(同) ちなみに5月号が発売される前後から、郡山市南二丁目にある山口アセットマネジメントの事務所は常にブラインドがかかっており、社員が常駐している様子がなかった。そうした状況は7月21日現在も変わっていないが、 「女性社員は(社長の妻と娘を除き)全員辞めたと聞いています。そのため山口アセットマネジメントに常駐する社員がいなくなり、急きょ山口倉庫から派遣していたが、倉庫自体も社員が減り、派遣する余裕がなくなった。だから、今は閉めざるを得ないようです」(同) 女性社員たちは職場環境を改善できないか、労働基準監督署に相談することも考えたようだが、そこに労力と時間を割いた挙げ句、山口社長から目を付けられては余計に働きづらくなると思い、退職することを選んだようだ。 社員が次々と辞めていく背景が見えてきたが、あらためて山口倉庫とはどんな会社なのか。 本業の倉庫業では、倉庫証券発行許可倉庫、政府米寄託倉庫として官公庁許可を受け、米の保管・管理を行っているほか、日産自動車ユーザーの夏・冬タイヤを同ディーラーから一手に預かっている。倉庫は郡山市内に3カ所。このほか約20カ所の有料駐車場を経営し、ある筋によれば年間の売り上げは2億5000万円前後、利益は4000万円前後を上げているという。 一方、山口アセットマネジメントは郡山市内に土地を所有する一方、飲食店や商業施設、マンションなどの賃貸・管理を行っている。 社会常識から外れた職場環境について、5月号の取材時に見解を聞いた県北地方の弁護士に今回判明した事実をあらためて伝えると、次のように指摘した。 「個人的には行き過ぎで、非常識な職場環境だと思います。ただ、経営者には従業員の働きぶりを監理する必要があり、通常は目視で行うところを監視カメラで行っているとすれば、それをもって違法とまでは言えない。もちろん、従業員にも職場環境の改善を求める権利はありますが、組合など相談先がある大企業と違い、個人で対応しなければならない中小零細企業では、ワンマンオーナー社長が聞き入れてくれるかどうかは不透明。そうなると、従業員には働く場所を選べる権利もあるので辞める流れになるが、問題はそれで困るのは会社だということです。周知の通り、今は人手不足が深刻ですからね。ただし、経営者が『それでも構わない。ウチは監視カメラに重きを置く』ということなら、それも一つの経営判断なので、外野がとやかく言う話ではない」 そう話す一方で、弁護士が「労働者の権利を守る側からの法的意見」として紹介してくれたのが立教大学講師・砂押以久子氏の考えだ。砂押氏は『日本労働法学会誌105号』(2005年5月20日発行)に寄せた論文「情報化社会における労働者の個人情報とプライバシー」の中でこう指摘している。 《企業には、企業秩序維持権限等に基づき使用者は労働者を管理監督する権限がある。しかし、他方で、前述のように労働者には職場にあっても一定程度の私的行為が存在する余地があり、労働者にもプライバシーを保護される法的利益があることも認識されなければならない。 会社が監視権限を有するとしても、このことをもって労働者のプライバシーが一定程度制約されることはあっても否定されることにはならないのである。セキュリティーなどの観点から監視が肯定されるとしても、監視過程において、労働者のプライバシー侵害が最小限になるよう使用者は常に配慮しなければならないと考える。使用者が従業員の私的領域にまで立ち入ることができるのは、業務上重大な支障が生じ、緊急な対応が必要であるなどの事情が存在する場合に限られるべきである。 モニタリングの実施にあたって、使用者の監視の必要性と労働者のプライバシー保護の均衡という視点からは、使用者に労働者に対する事前の情報提供義務を課することが不可欠といえる》 この稿の冒頭にも書いているように、使用者は労働者に対し「監視カメラを大量に設置する目的、設置場所、映像と音声の利用範囲などをきちんと説明」する必要があるわけ。 居留守を使う!?山口氏 山口アセットマネジメントの事務所はずっと閉まったまま  「給料は他社より高いし、夏と冬のボーナスも支給されるので、お金の面で文句を言う社員はいない。ただ、それでも次々と辞めていく原因は職場環境の異様さに尽きます。昨今、人手不足が深刻な問題となっていますが、いくら給料が良くても社員を大切にしない会社は人が集まらないし、将来生き残っていけないと思います」(前出・元社員) 裏を返せば、異様な職場環境を改めれば社員の定着率も上がり、人手不足に陥ることなく会社も生き残っていける、ということだろう。あとは山口社長が危機感を持ち、適切な改善策を講じることができるかどうかにかかっている。 5月号の取材時は山口倉庫に質問書を直接届けたが、何の返答もなかった。元社員によると、山口社長はほとんど出勤しないというので、今回は郡山市内にある山口社長の自宅を訪問し接触を試みた。 駐車場には元社員が教えてくれた山口社長の車が止まっていた。在宅しているのは間違いなさそう。ところが、いくらインターホンを鳴らしても反応はない。仕方なく、取材申し込みと記者の携帯電話番号を書いたメモを郵便受けに置いてきたが、5月号同様、返答はなかった。 元社員によると「自宅にも監視カメラが設置されているので、記者さんの行動は家の中から丸見えだったと思います」とのこと。 見られても困ることはしていないので構わないが、自分の分からない場所からじーっと監視されるのは、やはり気分が良いものではない。 あわせて読みたい 【郡山市】大量カメラで社員を「監視」する山口倉庫

  • 福島市の学童が月謝一括払い要望

    福島市の学童が月謝一括払い要望

     福島市の放課後児童クラブ(学童保育)が資金不足のため、保護者に保育料まとめ払いへの協力を求めていたことが分かった。異例の対応を取った経緯とは。 指導員人件費〝膨張〟で資金不足に 渡利学童保育きりん教室  保護者に対し、保育料のまとめ払いを求めていたのは福島市渡利地区の放課後児童クラブ「渡利学童保育きりん教室」。7月、保護者に対し、協力を求める文書を配布した。 同市の放課後児童クラブはすべて民設民営で、市が民間運営団体に「放課後児童健全育成事業」を委託する形となっている。 主な収入源は①保護者からの「保育料」(毎月支払い)、②福島市からの「委託金」(5月、9月、1月に分けて支払い)、③人件費にのみ支払われる「処遇改善事業等補助金」(8月末ごろ支払い予定)。 ところが、同クラブでは、②、③が入る前の時点で資金不足になることが確定的になった。そのため、文書で保護者に協力を求めたわけ。 市内の教育関係者によると、同クラブは「300万円不足しており、指導員の給料が払えない」、「夏休み中の昼食やおやつも提供が難しいという話になっている」状況のようで、「仮に8月末を乗り切っても、近いうちに資金不足に陥るのではないか」と囁かれているという。 同クラブには約90人の児童が在籍しており、父母会が運営している。なぜ資金不足に陥ったのか、7月中旬、同市渡利地区の渡利小学校校舎内にある同クラブを訪ねたところ、佐藤秀樹施設長が取材対応し、次のように説明した。 「うちの場合、処遇改善事業等補助金は1支援単位につき480万円、委託金は1回330万円入ってくる。利益は出していないが、毎月の保育料だけでは指導員の給料を賄えないので、時期によっては200~300万円ほど繰越金を貯めておく必要がある。ところが、昨年度はそれを使い切ってしまったのです」 佐藤施設長によると、主な要因は人件費増加だという。同クラブでは経験豊富なベテラン指導員2人を再雇用し、若手指導員への継承を進めている。現在の指導員数は2支援単位12人(正規職員、パート含む)。「来年度以降、再雇用の先生方が1人ずつ抜けていくので、適正な人数になっていくと思います」(同)というが、他クラブは指導員3、4人のところが多い中で、明らかに人員過剰の態勢となっている。 そのためボーナス減額などの人件費抑制策を取ってきたが、見通しが甘く、結局資金不足に陥ってしまった――これがこの間の経緯のようだ。 同クラブはもともと教育充実のため、指導員を手厚く配置していたこともあり、保護者の多くは理解を示し、まとめ払いに協力しているようだ。だが、同業者の反応は「保護者に協力を求めるなどもってのほか。経営手腕に問題がある」と一様に冷ややかだ。 一方で、教育関係者からは「民間企業なら銀行から金を借りて対応すれば済む話。運営主体や責任者が明確でなく、借り入れなどができないからこういう問題が起きる。そういった面も含め、福島市の子育て政策の改革を木幡浩市長に求めたい」といった声も聞かれた。 現在、燃料費高騰・物価高の影響なども各クラブの財政に打撃を与えているため、市子ども政策課が対策を検討中だという。各クラブの財政が立ち行かなくなれば、割を食うのは利用する子どもたちだ。そのことを市・各クラブが認識し、共に課題を改善していく必要がある。

  • 福島市【さくらゼミ】閉鎖の内幕

    福島市【さくらゼミ】閉鎖の内幕

     福島市本町にある学習塾「さくらゼミ」が5月上旬に突如閉鎖し、受験の天王山である夏を前に塾生たちは行き場を失った。1年分の受講料を既に払った塾生もおり、返済が必要な額は500万円にのぼる。運営会社社長は保護者への「謝罪の会」で時期は明言しなかったが全額返金する方針を示した。業界関係者は、塾生を集める算段が付かず経営難に陥り、従業員も見切りを付けたのでは、と話す。 「社会保険未加入」で去っていった講師たち  福島市の学習塾「さくらゼミ」の閉鎖は6月16日付の福島民報が最初に報じた。 《福島市中心部の学習塾が年間受講料などを徴収しながら5月上旬以降、受講生に告知せず授業を中断していることが15日までの関係者への取材で分かった。保護者は受講料返還を求める集団訴訟なども視野に、法的手続きを検討している》 さくらゼミのことだ。同記事によると、塾には小中高生約30人が在籍し、多くは1年分の受講料を一括で納めて今年度の授業を受ける予定だった。4月中はオンラインも交えて授業があったが、5月の大型連休明けから大方の生徒に事情が説明されないまま授業が打ち切られたという。 さくらゼミの元従業員Aさんが語る。 「さくらゼミは仙台市を拠点にする学習塾で教えていた佐藤団氏の個人事業として始まりました。3年前に会社組織を立ち上げ、運営がスタートしました」 法人登記簿によると、さくらゼミを運営するのは「株式会社SAKURA BLACKS」。2020年1月29日設立。事業目的には、①学習塾の経営、②速読、読解力向上の為の学習指導、③語学、資格取得に関する学習指導、④教材用図書の出版がある。代表取締役は佐藤団氏。 佐藤氏は市内で保護者向けに説明会を開いた。6月25日付の福島民友が詳しい。 《福島市の学習塾が受講料を徴収後、説明や返金もないまま事業を停止している問題で、経営者の男性は24日、同市で説明会を開き、受講料の返済が必要な人が約40人おり、総額が約500万円に上ると明らかにした》 男性とは佐藤氏のこと。同記事によると、佐藤氏は弁護士を通じて全額返金する意向を示したが、具体的な時期は明言しなかったという。佐藤氏の話として、塾は昨年12月の段階で経営難だったと伝えている。 前出のAさんが続ける。 「経営に関し、おかしいと思う部分はありました。私は従業員として授業を教えていましたが、一切、社会保険には入れてもらえなかった。佐藤氏は『お金がない』の一点張りでした。最盛期はアルバイトも含めると最大10人くらいいましたが、徐々に辞めていきましたね。私は以前、佐藤氏と一緒の塾に勤めていた同僚で、佐藤氏から『新しい塾をつくろう』と誘われてさくらゼミに参加しました。そういう事情もあって塾生たちに責任を感じ、限界まで残るつもりでしたが、昨年の夏にもう付いていけないと辞めることを決めました。高校受験生に悪影響が及ばないよう、今年2月まで授業を続け退職しました」 現在、さくらゼミのホームページの講師紹介は、佐藤氏の顔写真しか載っていない。過去のホームページをたどると、佐藤氏の担当教科は国語、英語、社会。Aさんによると、塾の従業員がAさん1人になった後は、佐藤氏が算数・数学と理科も教え、状況によっては配信授業を活用する予定だったという。 学習塾業界関係者Bさんの話。 「塾関係者の間では、佐藤氏よりもAさんの方がベテラン講師として実績があり、児童・生徒、保護者から人気がありました。さくらゼミのロゴである桜の花びらのデザインはAさんが以前経営していた学習塾のものと同じで、ノウハウも業界関係者から見れば類似点が多い。Aさんは今春から福島市内で新たに学習塾を開いています。Aさんはさくらゼミでは一従業員の立場に過ぎなかったのかもしれないが、関係性の深さを見ていくと『責任はなかった』では済まされない気がします」 筆者はAさんにこの話を伝え「業界関係者の中にはAさんが佐藤氏を表に立て、裏でさくらゼミを仕切っていたのではないかと疑う人がいるようだ」と問うたが、Aさんは「それはありません」と否定した。 「佐藤氏と一緒にさくらゼミを始めたメンバーは私以外にもいます。仕切るどころか、社会保険に入れてもらえないなどのトラブルがあり、結局全員辞めてしまいましたが」(Aさん) そして、疲れた声でこう続けた。 「むしろ私は、佐藤氏に悪者に仕立て上げられ困っているんです」 どういうことか。 「佐藤氏は私が辞める際、『塾生には何も言わず黙って辞めてくれ』と言い、私はそれに従いました。保護者から後で聞いた話ですが、佐藤氏は保護者・塾生との面談で『Aは勝手に辞めていった』と言ったそうです」(同) どのような意図があったのか。実は、Aさんはさくらゼミを辞める時点で新しい塾を開く予定だった。そのため「佐藤氏は塾生を取られることを恐れ、私が勝手に辞めたと事実と異なる説明をして、塾生に『Aに裏切られた』と思わせる狙いがあったのではないか」(同)。 佐藤氏は配信授業を活用するなどして塾生が1人になっても事業を継続する意向だったが、5月上旬に突如閉鎖して以降は再開した様子はない。7月下旬、筆者は福島市本町にあるさくらゼミが入居していたビルを訪れたが、看板が残っているだけだった。新しいテナントも入っていない。 佐藤氏はさくらゼミの閉鎖から1カ月以上経った6月24日、保護者向けに「謝罪の会」を開いたが、開催は保護者に執拗にせがまれてのことだったという。佐藤氏は保護者に、健康状態の悪化や資金繰りに困っていたことから閉鎖の連絡が遅れてしまったと釈明した。 塾生確保が困難か  前出のBさんが語る。 「佐藤氏が教えられるのは英語などの文系科目だけだったという時点で、他の講師が辞めたら閉鎖は避けられませんでした。受験の天王山と言われる夏を控える中、説明もなく突如閉鎖し、在籍していた塾生の引き受け先も確保しなかったため問題となりました。福島県は大学進学率が低いことから、学習塾にとっては高校受験を控える中学3年生が主な顧客です。塾は2月に現中学2年生の人数を見て、次年度の計画を立てます。毎年、新中学3年生の獲得に力を入れなければならない。次年度の経営状況は春には予想がつくと言っていい。報道によると、閉鎖時に小中高生が30~40人在籍していたとあったが、さくらゼミの規模だと60~70人はいないと黒字にならない。Aさんたち講師陣は、かねてから社会保険を未加入にされていた上、塾生の確保も難しいとあきらめ、見切りを付けたのではないか」 授業が行えず、塾生を集められない以上、さくらゼミの運営会社は、塾生たちに先に徴収した授業料を返還したうえで破産するのが現実的だろう。 佐藤氏はいま何を思うのか。筆者は7月平日の昼に福島市内にある自宅を訪ねたが、車はなく、家族によると「不在」とのこと。債権者への責任を果たすため、金策に走っていることを願う。 あわせて読みたい 【家庭教師のコーソー倒産】少子化で苦境に立つ教育関連業者

  • 復旧途上の「令和4年8月豪雨」被災地

    復旧途上の「令和4年8月豪雨」被災地

     昨年8月3〜4日の大雨で、県内は広範囲で影響を受けた。特に被害が大きかったのは会津北部で、家屋や農地などに被害が及んだ。来月で「令和4年8月豪雨災害」から1年を迎えるが、それに先立ち、現在までの復旧状況を取材した。 災害で浮き彫りになった会津農山村の現実  昨年8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内広範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。それから5日後の8月9日、福島地方気象台は次のように発表した。   ×  ×  ×  × 8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。 期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(※福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった。 この大雨により、土砂崩れ、河川の氾濫、橋梁損壊、住家浸水、道路損壊・冠水などの被害が生じた。   ×  ×  ×  × 期間降水量の詳細を見ると、3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉で315㍉、喜多方市276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨だったという。いかに猛烈な雨だったかがうかがい知れよう。 昨年8月末時点の県のまとめでは、住宅の全半壊と一部損壊が計10棟、浸水被害が159棟、道路被害78カ所に及んだ。公共土木施設の被害額は8市町村で計62億円。農地、農道、農業用施設などでも多数の被害が確認され、農林水産業の被害額は20億円以上に上るという。ただ、幸いにも人的被害はなかった。 国は、この「令和4年8月豪雨」を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減している。 福島地方気象台の発表にあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部。本誌は大雨から約2週間後の昨年8月中旬、北塩原村や喜多方市を中心に被害状況を取材したが、それから11カ月が経ち、間もなく1年を迎えるのを前に、あらためて被害個所の復旧状況などを見て回った。 猪苗代町から北塩原村へと続く「磐梯吾妻レークライン」は、雨量超過による道路流失のため、通行できなくなり、現在も金堀ゲート(猪苗代町若宮字吾妻山)から剣ヶ峰中津川渓谷レストハウス(同町大字若宮字吾妻山甲)までが通行止めとなっている。中津川渓谷レストハウスから剣ヶ峰ゲート(北塩原村大字檜原字剣ヶ峯)間は通行できるが、猪苗代町側から裏磐梯側への通り抜けができない状況が続いている。この道路は「生活道路」というより「観光道路」の位置付けのため、日常生活には大きな支障はないが、観光シーズンには痛手となった。 喜多方市内では、JR磐越西線の濁川にかかる橋梁が崩落し、喜多方―野沢(西会津町)間が不通となった。JR東日本は昨年8月10日から喜多方―野沢間で代行バスを運行し、同月25日から山都―野沢間は臨時ダイヤで再開通した。 当時、ある市民はこう話していた。 「ひとまず、代行バスが運行されたのは良かったが、一番大変なのは通学で利用している高校生。以前に比べてだいぶ余計に時間がかかると言っていました」 橋梁が崩落したのはJR喜多方駅から西に1㌔ほどのところ。橋が崩落し、線路が宙づりになっていた。崩落した橋梁付近の濁川の河川敷は親水公園になっており、当時、近隣住民は「これまでの雨と降りっぷりが全然違くて、これはまずいと思った。(親水公園の)遊具などが設置されているところの付近まで水が上がって来たのは初めて見ました」と話した。 喜多方―山都間は代行バス運行が続いていたが、この間、崩落した橋梁の復旧作業が行われ、今年4月1日から全線運行が再開された。 あらためて現地を見に行くと、河川に架かる橋脚のうちの1つが新しくなっているのが分かった。鉄筋コンクリート製の橋脚1基を新造し、橋を架け直して運転再開に至った。 片側交互の国道121号 国道121号不通の影響を受けた道の駅喜多の郷  住民生活に直結する部分では、同市と山形県米沢市をつなぐ国道121号が、山形県側で斜面が崩落し通行止めとなったことも大きな被害だった。 実は、国道121号は昨年6月末の大雨でも法面が崩落し、同年7月4〜7日までの3日間、通行止めとなった。その後、片側交互通行ではあるものの、通行できるようになったが、昨年8月の大雨でさらに被害を受けた。 当時、ある市民はこう話していた。 「市内の熱塩加納地区などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」 会津方面から米沢市に行くルートとしては、裏磐梯経由(西吾妻スカイバレー)があるが、急峻な山道でスクールバスが通行するのは難儀。普通の乗用車であっても尻込みするような山道だ。結果、中通り経由で行くことになり、通常の2倍くらいの所要時間がかかっていたわけ。 このほか、国道121号の不通で大きな影響を受けたのが道の駅喜多の郷。同道の駅は国道121号沿いで、市街地からだいぶ外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆ということになり、喜多方―米沢間が通り抜けできなくなったことで、交通量、利用者が大きく減った。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社は、「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と嘆いていた。 実際、通行止めになって以降の週末に同道の駅を訪ねたところ、入り込みはまばらだった。同日、近隣の猪苗代、ばんだい、裏磐梯の道の駅は駐車場にクルマを止められないくらい混み合っていたことを考えると、やはり影響は大きかったようだ。 その後、国の権限代行で復旧が進められ、大雨被害から2カ月半以上が経った昨年10月24日に片側交互通行ながら、ようやく通行できるようになった。 開通直後、道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社に問い合わせると、「何とか紅葉シーズンに間に合い、お客さんが見込めると思います。開通初日から早速、山形ナンバーのクルマが何台かお見えになっていましたから」と話していた。 6月下旬、喜多方市から米沢市方面に向かって国道121号を走行してみた。当初は片側交互通行が3カ所あったが、昨年12月にそのうちの2カ所が解消され、現在は1カ所だった。インターネットやSNSなどでは「(片側交互通行区間で)30分以上待たされた」といった書き込みも見られたが、たまたまタイミングが良かったのか、5分くらいの待ち時間で済んだ。 残る片側交互通行区間は、仮橋が設けられ、従来の道路より少し高いところを走行する形。仮橋から脇を見やると、大規模に道路が崩落していることがうかがえた。完全復旧時期は示されておらず、まだいまの状況が続きそうだ。 喜多方建設事務所によると、同事務所管内の被災個所は河川73カ所、道路24カ所、橋梁1カ所の計98カ所。このうち、道路10カ所が工事未発注。理由は、土地改良区所有のため池が復旧工事の最中で、それが終わらないと周辺道路の復旧工事に入れないところがあることと、手前から順次、復旧工事を進めている道路があり、奥側は後になるところがあるため。それ以外はすでに発注済みで、「進捗は現場によって異なるため、一概には言えないが、発注済みのものの工期は遅くとも年度内になっています」(喜多方建設事務所担当者)とのこと。 農業被害が大きい山都町 「大型通行止め」の国道459号(山都町宮古地区)  一方、農地・農業用施設などの被害も大きく、特に目立ったのが喜多方市山都町。山都町中心部から、「宮古そば」で知られる同町宮古地区に向かう国道459号は、それに沿うように宮古川が流れている。 大雨時は河川が氾濫し、道路が数カ所崩落した。現在は道路の復旧工事、護岸工事などが行われている。 山都町中心部から宮古地区に向かう途中で、農作業をしていた住民に話を聞くと、次のように語った。 「いま見ても分からないだろうけど、道路(国道)と河川(宮古川)の間(のただの荒地に見えるところ)はもともと農地だったんだよ。それが土砂、流木などが入って。ただ、この辺も高齢者の一人暮らし・二人暮らしが多くなり、耕作しない農地が増えてきた。一人暮らし・二人暮らしの高齢者が亡くなったことによる空き家も目立ってきた。災害復旧以前の問題だよね」 災害があったことで、あらためて農山村の現実を思い知る。 そこからさらに北上し、宮古地区に向かった。ちなみに、大雨直後、同地区の住民はこう語っていた。 「大雨の日は、増水して川の流れが速く、大きな石がぶつかる音がカミナリのようで怖くて眠れなかった。ソバ畑は、ちょうど種まきの時期で、すでに種まきをしていた人、これから(大雨があった日の後で)種まきをしようと思っていた人、それぞれですが、ソバは雨に弱く、大雨前に種まきしたところはかなり厳しい状況です。中には、(大雨後に)種まきをし直した人もいますが、その後にさらに雨が降り続き、さすがに2回目(都合3回目)のまき直しはしないと言っていました。ですから、収量は減るでしょうね。コロナ禍でなかなかお客さんが来ない中、ようやく戻りつつあると思ったら、この水害ですよ。この地区のソバ店は自宅兼店舗だから何とかやっていけますが、家賃を払ってお店をやるような状況だったら続けられなかったでしょうね」 大雨の凄まじさと、コロナ禍で厳しい状況の中、災害に見舞われるという二重苦を明かしてくれた。 今回の取材で、あるソバ店で話を聞いたところ、こう話した。 「ソバ畑で水害を受けたところは、市の補助で直すことができました。それがなかったら厳しかったでしょうね。ただ、種まきの前後だったこともあり、全体的に収量は落ちていると思います。もう1つは、いまここ(宮古地区)に来る道路(国道459号)は大型車両が通れません。コロナ禍以降は少なくなりましたが、以前はバスツアーで来る人もおり、大型車両が通れないと影響が出ます。ただ、先日、ツアー会社の方で道路管理者に問い合わせ、通れる規模のバスでツアー客においでいただいたのは幸いでした」 確かに、同地区に向かう途中には「大型通行止め」の立て看板があった。県のHPで確認したところ、喜多方市山都町蓬莱地内の7・8㌔区間について「豪雨災害による路肩崩壊のため 大型通行止」とあった。バスツアー客が来られない(来にくい)といった意味で、その影響が出ているということだ。 市の農業復旧・支援  一方で、市農山村振興課に、農地補修の補助について確認すると「激甚災害指定を受けた部分は、国の補助がありましたが、そうでない部分は市が補助しました」と説明した。 各農家が業者に依頼して農地・農業施設の補修を行い、その分を市が補助する仕組み。対象は465件で事業費は1億2800万円(本誌取材時点で事業未了のため、金額は当初予算)。 ほかにも、同市内では、水田に土砂が流れ込んだケースや、水路が被害を受け、水田に水を引けなくなったケース、園芸品を栽培するビニールハウスなどが被害を受けた。そのほかの農地・農業施設の復旧については、こう説明した。 「水田への水路は本復旧したところ、仮復旧で対応したところなど、今年の作付けに支障がないように対応しましたが、一部間に合わなかったところもあり、その部分については、今年に限り水稲からソバへの転作をお願いしています」 水稲は4月下旬ごろから田んぼに水を入れ、代掻きなどを行うが、ソバは8月に種まきをするため、水稲より数カ月の時間的余裕があること、そもそもソバはそれほど水が必要ないこと等々から、水路復旧(仮復旧)が間に合わなかったところはソバへの転作を推奨しているようだ。そのうえで、秋(収穫期)以降に、来年に間に合うように水路復旧などを進めていきたい考え。 なお、転作によって収入が減った場合は、国から補助が受けられるが、それでは補いきれない可能性が高い。そのため、場合によっては市でさらなる補助(転作に伴う所得補償)も考えていく必要がありそう。 「市としては、何とか営農を継続してもらえるよう、復旧や支援を進めています。やはり、1年耕作しないとなると、なかなか再開するのは難しいでしょうから」(市農山村振興課担当者) 災害を機に、耕作をやめてしまう農家もあるに違いない。そうならないよう、市としては復旧を急ぎ、各種支援をしてきたようだ。 ただ、前出・山都町の住民が「高齢者の一人暮らし・二人暮らしが多くなり、耕作しない農地が増えた。一人暮らし・二人暮らしの高齢者が亡くなったことによる空き家も目立ってきた。災害復旧以前の問題がある」と語っていたが、それが現実だろう。 あらためて「令和4年8月豪雨災害」被災地を取材したが、まだまだ復旧途上の部分も多いことが浮き彫りになった。 あわせて読みたい 【会津北部大雨】被災地を行く 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

  • 【福島成蹊中学校・高等学校】首都圏型中高一貫教育で躍進

    【福島成蹊中学校・高等学校】首都圏型中高一貫教育で躍進

     学校法人福島成蹊学園(福島市、高橋幸七理事長)が運営する福島成蹊高等学校(本田哲朗校長)は中高一貫教育を導入し、近年高い大学進学実績を残している。福島成蹊中学校開校による「首都圏型中高一貫教育」の開始から15年目を迎え、この間、東大や医学部への合格者を輩出するなど〝進学の成蹊〟として注目を集めている。 入試に求められる力を中高6年間で醸成 上浜キャンパス  「桃李不言下自成蹊」の校訓のもと、6月16日に創立110周年を迎えた福島成蹊学園。そんな同学園が2009年4月から始めたのが、福島成蹊中学校と福島成蹊高校による「併設型中高一貫教育(首都圏型中高一貫教育)」だ。6年間の一貫教育で学習・受験指導の効率化を図り、国公立大や難関私立大の現役合格率アップにつなげる方式で、県内での導入校は依然として少ないが、首都圏では定着している。 最大のメリットは、人間的成長に力点を置きながらも、6年後を見据えた総合カリキュラムにより継続的・効率的に学習できる点だろう。大学入試改革の骨格となる新学力観では、知識・技能に加え、多様な能力や人間力が求められているが、高校入学後の3年間だけでこれらの力を身に付けるのは、時間的にも学力的にも容易でない。 同学園が展開する中高一貫コースの総合カリキュラムでは、6年間の計画的学習の中で、大学入学共通テスト対策はもちろん、来るべき大学入試改革や新学習指導要領を踏まえた次世代に求められる力を着実に身に付けられるよう創意工夫が施されており、時代のニーズを見据えた進学教育の提供に努めている。 同中学校の定員は1学年60人(30人2クラス)。県北地方に限らず、「通学圏外」から入学する生徒も目立っており、「進学の成蹊」のブランドが定着している証しと言えよう。 中高一貫コースでは「夢を実現するための確かな力を培う―東京大学、医学部合格を目指します。」を合言葉に、生徒一人ひとりの潜在能力を引き出すべく、『未来を拓く4つの柱』に基づいた首都圏型先進教育に鋭意取り組んでいる。 1つは、学力、そして人間力を伸ばすことを狙いとする「新学力観を包括したカリキュラム 年間1500時間の学習量」。週6日制で中学1年次から1日7時間授業(週2回、高校1年次より週4回)を行う。さらに英語、数学、国語の放課後補講(週3回・50分、高校1年次より5教科週5回・90分)も実施し、年間1500時間の学習時間を確保している。中・高6年間の総学習時間は一般的な公立校の約8年分に匹敵するなど、圧倒的なボリュームである。 長期休業中には課外授業を行い、「授業」、「補講」、「課外」による〝質と量〟に裏打ちされた学習指導サイクルを構築することで、基礎から応用へ着実にステップアップできる。 2つは、「生徒に寄り添い可能性を伸ばす教師陣」。一人ひとりの可能性を最大限伸ばすため、同校の教師陣は工夫あふれる授業に注力している。「分からない」から「分かる」に変わるまで生徒の疑問に徹底して向き合い、本質的な理解を追求する学習指導をはじめ、集中力、思考力、想像力を養える先進的なカリキュラムにより、学習意欲向上はもちろん、学習の楽しさや達成感を味わえる教科指導を展開している。 英語では、単語や文法、構文などの基礎を徹底し、大学受験突破に必要な力を養う。また、英語の起源や文化背景を深く掘り下げ、知的好奇心を刺激しながら教養を高められるよう厳選された教材を使用する。 数学では、単元ごとの関連性が深いため、基礎固めを徹底して行うことを重視。授業では演習を通して解法をしっかり考える時間を設定する。また、大学入試問題を研究し、入試対策に直結する授業を展開する。 国語では、読解力を向上させるため、文章が「分かった」と思える読み方を身につけることを重視。生徒一人ひとりが「学ぶ楽しさ」を実感できるよう、丁寧で具体的な授業を実践している。 社会では、単なる「暗記科目」ではなく、なぜそれが起こっているのかを理解し、用語の重要さを実感できる指導に努めている。授業では、まず理解すること、そして記憶すること、最後に問題を解いて基礎を固めながら定着を図る。 理科では、中学での各単元で身の回りの事象・現象に興味・疑問を持たせることを心掛ける。高校では、中学での学習内容とのつながりを意識し、原子・分子レベルで現象を理解・説明する力を養う。 そのほか、新学習指導要領を踏まえた「思考力・判断力・表現力」と「主体性・多様性・協働性」を育むアクティブ・ラーニング教育も推進。校舎全体にWi―Fiを完備し、全ての教室・スペースで1人1台のタブレット(i―Pad)を使用した学習・活動を実施するなど、最先端の教育環境を提供している。また、中学校課程でプレゼンテーションの機会を多めに設定し、一人ひとりが主体的に考え、討論し、発表する活動を行う。 英語力向上と国際理解教育に注力 腰浜キャンパス  3つは、リアルな感性と課題解決力を磨く「五感で学ぶ豊富な行事&体験学習」。全校生を対象とした「学習合宿」や30㌔余の距離を歩く「強歩」をはじめ、中学1年次のオリエンテーション合宿、臨海教室、尾瀬学習・燧ケ岳登山、スキー教室(中1・2・高1)、中学2年次の林間教室など、鍛練的、運動的、文化的、探求的行事を実施している。 さまざまな行事を通して多くの経験を積み上げていく中で、「気付き」の機会を与え、主体的な姿勢が芽生える。また、友人と協働して困難を乗り越えることで達成感・一体感の共有、課題解決能力も育まれる。 4つは、異文化を理解する心を磨くことを狙いとする「グローバル社会へ羽ばたく国際理解教育」。国際理解教育を推進し、グローバル社会で活躍するための基礎作りとして、中学3年次にカナダ(ビクトリア、バンクーバー)、高校2年次にカンボジア(シェムリアップ)・ベトナム(ホーチミン)を訪れる海外研修旅行が行われる(※社会情勢によりスケジュールが変更になる場合がある)。 また、実践的英語力向上を図るため、生徒全員が実用英語技能検定を受験し、中学校課程での準2級取得を目指す。一方で、柔軟な価値観を養いながら広い視野や独自の視点を獲得すべく、茶道教育、芸術・文化体験など「生きる力」を育むリベラルアーツ教育を推進する。さらに国際理解講演会を開催するなど、語学力だけではなく異文化における多様性を理解する心、自分のマインドで考え自分のハートで感じ自主的に行動できる主体性を育む取り組みにも力を入れている。 本田哲朗福島成蹊中・高校長に聞く ほんだ・てつろう 1953年2月生まれ。東京理科大理学部卒、同理学専攻科修了。聖望学園(埼玉県)を経て1989年より古川商業(宮城県・現古川学園)教頭に就任。2004年、福島成蹊高に赴任後、2009年4月に福島成蹊中の開校に合わせて同中・高の学校長に就任した。  ――2022年度の大学進学実績についてうかがいます。 「大学入学共通テストに移行して3年目です。初年度はセンター試験の流れを踏襲した形でしたが、2年度目は難化し、全国で過去最低の平均点数となりました。本校も同じ傾向です。今回は、若干平均点は上がったのですが、教科による難易度にばらつきがありました。 本県の大学受験で一つのバロメーターとなるのは東北大学の合格者数です。少なからず私が本校に携わった中では、過去最低の結果で、2、3人受験した中で1人しか合格させられませんでした。 一方で、もう一つのバロメーターである県立医大の医学部医学科は3人合格しました。うち1人は県内推薦枠ではなくて、一般入試で合格しています。 県立医大医学部医学科の一般入試合格者は、福島県内で例年7、8人でしたが、今年度は3人しか受かりませんでした。安積、福島、本校で1人ずつです。福島県勢が学力で劣勢に回った感は拭いされません」 中高一貫1~9期生190名の難関大学合格数 医学部医学科東北大学1福島県立医科大学8慶應義塾大学1順天堂大学1国際医療福祉大学2自治医科大学1東北医科薬科大学3昭和大学1愛知医科大学1北里大学1獨協医科大学1防衛医科大学校6国交省所管気象大学校1国公立東京大学3東京工業大学2東北大学22北海道大学4東京外国語大学1お茶の水女子大学1私立早稲田大学15慶應義塾大学12上智大学4国際基督教大学4東京理科大学30学習院大学5明治大学10青山学院大学8立教大学3中央大学24法政大学20  ――首都圏型中高一貫教育が、2009年度のスタートから15年目を迎えました。総括と今後の課題についてうかがいます。  「今年度、9期生が卒業しました。これまでの卒業生は200人弱なので、毎年の卒業生は平均20人ほどであることが分かります。少子化により、そもそも入学者数の確保も苦戦しています。まだまだ十分な入学者数とは言えませんが、にもかかわらず東大への合格者も出し、結果は付いてきていると感じます。 中高一貫のシステムは精度が向上し、教員たちも誇張なしで素晴らしいレベルに達したと実感しています。教員の転勤がないので、本腰を据えて指導に当たれるのが私立校ならではの強みです」 ――「ゆとり教育」からの脱却を狙いとする新学習指導要領が中高で始まっています。従来と比べ知識・理解などの習得におけるスピードアップが求められるなど質・量ともに難易度が高まったとの指摘もあります。福島成蹊中・高のこれまでの取り組みについてうかがいます。  「各教科科目の質と量は、ゆとり教育時代を1とすると、現在は1・3~1・4倍のボリュームになっているというデータがあります。 ただ、それに比して授業時間が増えているかというと、そうではない。授業の密度が増した分、難易度は格段に上がったと思います。 文部科学省がゆとり教育に舵を切る前は、中高生の校内暴力が問題となった時代でした。文科省は勉強についていけないから非行に走るのだと見立て、理解ができるよう、子どもたちにゆとりを持たせたわけですが、現実は学級崩壊の到来でした。 最近は不登校が顕在化しています。要因の一つには、『勉強が分からない』があるのではないでしょうか。学校生活の7割以上は勉強の時間です。勉強が苦痛になると、その場に足が向かず、居場所がないと感じてしまう。綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、楽しくて夢のある授業を展開すれば学校に足も向くと思います。課外活動で能力を開花させることも重要ですが、学校と名が付く限りは、メーンは勉学であることを忘れてはいけません。 普通科高校を出た生徒の多くは、大学受験というある種の全国大会に臨みます。本校が15年も中高一貫教育を進めているのは、首都圏の受験生に対抗できる教育を福島で提供しないと地元の受験生が不利だからです。新学習指導要領をこなすためには授業時数を増やしていかなければ対応できない現実があります。柔軟に授業時間を増やすことで公立高校との差別化を図っています。 使命感に燃える教員たちが多くいることもそれを可能にしています。子どもたちや保護者のニーズに応えようと、教員一人ひとりが自己研鑽を惜しまず、生涯勉強を続けています。教員がこれまでの成蹊の実績をつくってきたと誇りに思います。これは勉学のみならず文化活動やスポーツでも同じです」 教育充実は大人の責務  ――アフターコロナを見据えた今後の学校運営についてうかがいます。 「コロナ禍以前は4コースとも海外研修が目玉でした。研修旅行がなかったり国内旅行に変えたりしましたが、今年度から一貫コースと特進コースは海外研修が復活し、来年度からは全てのコースで海外研修を実施します。日本の外を見るのは、一生に1回あるかないかのチャンスです。現地で視野を広げてほしい」 ――福島県における進学教育の現状と課題についてうかがいます。  「大学受験は全国レベルの戦いです。共通テストの県ごとの平均点は、本県は全国区でも、東北6県で比べても劣る数値です。福島県の将来ある若者の力を一層伸ばし、選択肢を広げるためにも、学力上位の大学に送る意識を大人たちが持たなければならないと考えます。子どもたちがこの県に、この街に生まれてよかったと思えるような教育環境を私たちがつくっていかなければと責任を感じています」 ――今後の抱負を。  「教育に携わる一人として、人が持つ力というのは、性別、生まれた地域などの条件によって制限されることはないと考えます。素質に働きかければ、子どもはそれを強みに大きく育ちますし、何もしなければ止まったままになってしまう。福島県の教育に不足している点は何かと教員たちと常に考え、生徒や保護者の皆さまの要望を民間ならではの柔軟性をもって教育に反映させます」

  • 前理事長の【性加害】疑惑に揺れる会津【中沢学園】

    前理事長の【性加害】疑惑に揺れる会津【中沢学園】

     会津若松市で認定こども園を運営する学校法人中沢学園の前理事長、中澤剛氏(89)が理事長時代に女性職員にわいせつ行為をした疑惑が同学園を悩ませている。女性は2014年、日曜日に理事長室に業務で呼び出され被害を受けたと主張。報復を恐れて、退職が決まった今春まで職場に報告できなかったという。現理事長が謝罪の場を設定するも、中澤氏はわいせつ行為を明確に認めず、「不快な思いをさせたこと」についてのみ謝罪。後日、筆者の取材に中澤氏は「わいせつ行為について謝れとは言われていない」とAさんから謝罪要求があったことすら否定。整合性が取れなくなっている。(小池航) 整合取れない「謝罪はするが否認」 中澤剛氏(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』より  今年3月に学校法人中沢学園(会津若松市湯川町)を退職した元職員Aさんは、食器を洗ったり雑巾を掛けたりする時に上着の袖をまくると、「気持ち悪い」と嫌な光景を思い出してしまうという。「不快な棒状の物体」を押し付けられたという左肘の前腕側を見つめる。 「私は2014年、中沢学園の理事長だった中澤剛氏に、会津若葉幼稚園にある理事長室とその応接スペースでわいせつな行為をされました。報復を恐れて長らく学園には相談できませんでした。怒りは収まらず退職時に職場に伝え、謝罪を要求しましたが、中澤氏は明確に認めません。学園もなかったことにしようとしています」(Aさん) 中澤氏は1983年に中沢学園の第2代理事長に就任し、昨年まで務めた。その後は理事(昨年11月時点)。同学園は戦後に中澤氏の両親が市内に創設した女子向けの会津高等洋裁学院が前身で、1965年に幼稚園を開園。1974年に学校法人化し、現在は幼稚園や保育園機能を備えた認定こども園3園を市内で運営する。   中澤氏は1934(昭和9)年生まれ。会津高校、千葉大学文理学部を卒業し、国立精神衛生研究所で研修。中沢学園では前身の会津高等洋裁学院時代から講師として教え、両親の跡を継いだ。(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』、同学園、2020年より)。全私学連合理事や一般社団法人福島県精神保健協会常任理事などを歴任。会津若松南ロータリークラブの役員を務めるなど地元の名士でもある。 「『立派な人物』と思っていただけにわいせつ行為を受けた時は事態を呑み込めませんでした。『魔が差したのでは』とさえ思ってしまった。その後、中澤氏からは怒鳴られるなどのパワーハラスメントを受けるようになり、我慢の限界でした。2017年3月から18年3月には、中澤氏がした行為が強制わいせつ罪に当たるのではないかと会津若松署に相談しましたが、時間が経ち物証が不十分なことから、被害届の提出には至りませんでした」(Aさん) 強制わいせつ罪(現不同意わいせつ罪)の法定刑は6カ月以上、10年以下の懲役。時効は7年のため、いずれにせよ9年前の疑惑は罪に問えない。ちなみに今年7月13日に施行された刑法改正で、不同意わいせつ罪の時効は12年に延長されている。 会津若松市在住のAさんは、高校卒業後から経理畑を歩んできた。2013年に転職を考え、ハローワークに行ったところ、中沢学園が経理のできる事務職員を求人していることを知り応募。試験や面接を経て、同10月に採用された。 中澤氏から理事長室の書類の片付けを頼まれたのは、採用から半年経った翌14年のことだった。中澤氏は当時79歳、Aさんは51歳だった。日曜日に理事長室がある会津若葉幼稚園に来るように言われたという。 Aさんが主張する被害は9年前の出来事だ。残っている記録に基づいて話したいと、Aさんは中澤氏に頼まれた仕事のために購入した文書保存箱の領収書2枚のコピーと、2014年のカレンダー(資料1)を筆者に示した。カレンダーには、Aさんが中澤氏から仕事で呼ばれたと主張する日曜日にマルが付いている。同僚に被害を話した年に印刷した「2020年10月10日」という印刷日も記されている。 (資料1)Aさんが、自身が主張する性被害を受けた日を特定するために印刷した2014年のカレンダー。思い当たる日にマルを付けた。右下に「2020年10月10日」に印刷したことを示す印字がある。(重要部分を切り取り拡大) 日にち特定の鍵となる領収書  「仕事は2014年3、4月の2回に渡って頼まれました。わいせつ行為を受けたのは2回目の日です。4月27日だったと記憶しています。被害を受けた後、『もうすぐ大型連休になるから中澤氏と顔を合わせずに済む』と思ったのを覚えているからです」(Aさん) 文書保存箱の購入場所はいずれも市内の同じホームセンター。領収書の日付は、1枚が出勤日の3月22日(土)。もう1枚が4月16日(水)。Aさんの記憶通りとすると、2回目の購入から11日後に被害に遭ったということだ。 Aさんによると、1度目も2度目も、下はジーンズ、上は長袖のTシャツ、エプロン、カーディガンの順に重ね着して出勤したという。 仕事は、理事長室の本棚から書類を取り出し、中澤氏の指示で整理することだった。1回だけでは終わらず次回も来てほしいと頼まれたという。そして2回目の日曜日、Aさんは2階の理事長室に上がって前回の作業の続きをした。   1回目は、中澤氏が横にいて話しかけてきたが、2回目は、作業するAさんの隣にはあまりいなかったという。Aさんによると、作業開始からそれほど経たないうちに、姿を消していた中澤氏が様子を見にきた。「少し休憩したらどうだ」という趣旨のことを言ってきたので作業の手を止めたという。すると、 「前方から急に距離を詰め、私の顔に近づいてきました。とっさに避けようとしましたが、口元にキスされました。その後、両手が動かせなくなりました。気づいたら背中を床に押し付けられ、私の両手は手首の辺りで交差され、頭の上で掴まれていました」(Aさん) Aさんが背中を床に押し付けられたと主張するのは、帰宅後、カーディガンを脱いだら背中の部分に埃が付いていたからだという。 「中澤氏はクロスさせた私の両手を片手で掴み、もう一方の手でシャツの裾を上にまくり上げました。シャツの下はブラジャーだけを身に着けていました。中澤氏は胸の辺りを舐めてきました」(Aさん) ジーンズをまさぐり、下着の中にまで手を入れてくるように感じたので、下半身をよじりながら「すいません、すいません」と叫んだというAさん。何をされるのか怖くて、怒らせないようにとの思いがあったという。 「中澤氏は行為をやめ、話題を変えるかのように応接スペースにあるソファに誘導しました。私は促されるままに移動しました。3人掛けのソファに座るように言われ、右端に座りました。目の前のテーブルにはノートパソコンが置かれていました。ソファの真ん中の席には緑色の手提げ袋がありました。中澤氏は左端に座り、パソコンの画面を見るように言いました。画面には『!』マークが表示され、警告を示しているようで、パソコンの状態について何か答えなければならないのだろうかと思い、私はそれをよく見ようと身を乗り出しました」 Aさんは一呼吸置き話を続けた。 「左腕に湿った物がぺちょぺちょと複数回触れる感触がありました。1度横を見ましたが正体は分かりませんでした。もう1度見たら棒状の物体でした。ビニールのような、プラスチックのような感触と、この直前に既にわいせつ行為をされていたことから、押し付けられたのは男性器を象った性具だと思いました。冷たくて湿り気があったことからローションが塗られていたのではないでしょうか」 驚いて席を立ったAさん。「私、帰ります」。Aさんは、この場にいたらこれ以上何をされるか怖くて、逃げるように部屋を出たという。 中澤氏の謝罪は「あなたに対して」 中澤氏からわいせつ行為を受けたと主張するAさん  Aさんは今年2月中旬、定年を迎えて再雇用になるのを機に退職を申請した。中澤氏から受けたという性加害を最終出勤日の同月末に上司に報告した。「職場に伝えるのは辞める時」と心に決めていたという。3月12日に現理事長の中澤幸恵氏が中澤氏からAさんへの謝罪の場を設けた。 謝罪の場にはAさんと中澤氏、中澤幸恵理事長、上司の計4人。中澤氏は理事長室を片付けるため、Aさんに手伝うよう要請したことを認めた。ただし「仕事を頼んだのが土曜か日曜かは分からない」と言い、わいせつ行為は「記憶がない」と否認した。何に対しての謝罪か曖昧にしたまま「申し訳ない」と口にしたという。 中澤氏は、わいせつ行為に話題が及ぶ前に、Aさんが再雇用の条件で学園側と折り合えず退職に至ったことを、時間を割いて話していた。しかしAさんは、謝罪が円満退職できなかったことに対してではなく、わいせつ行為に対するものだと明確にするため、「謝罪は『中澤氏がした行為』に対してか」と聞いた。すると、中澤氏は「あなたに対してです」。一方で「行為に対する謝罪はあり得ない」と言ったという。 Aさんによると、中澤幸恵理事長も中澤氏の言動に納得できていない様子だったという。幸恵氏は中澤氏の息子の妻で、昨年理事長に就任したばかりだ。幸恵理事長は、義父に対して慎重に言葉を選び、「何もなかったらこの謝罪の場は成立していない。なぜ剛前理事長がこの場に来ることを受け入れたのか、私には理解できません」と言った。中澤氏は「嫌な思いをさせたことについては大変申し訳ないということです」と答えたものの「嫌な思い」が何を指すかは明確にせず、わいせつ行為は「記憶にない」と再び否定した。 その後も、Aさんと幸恵理事長による中澤氏への問いかけは続いた。中澤氏はAさんに「あなたの記憶通りに認めないと謝罪に入らないということでしょうか」と聞いた。 Aさんは「あなたが私にした行為について謝ってくれなければ納得いきません」と答えた。 すると、中澤氏は「あなたのおっしゃる通りに認めざるを得ないんでしょうね」。その後、「後になってあれもある、これもあるって言われたら困っちゃうんだよな」などと付け足したという。 Aさんは中澤氏の言動に接し「その場を取り繕うために言ったこと。謝罪とは言えない」と思った。 中澤氏がわいせつ行為を明確に認めなかったため、Aさんと中沢学園は和解に至らなかった。 進展を図るため、Aさんは行政を関与させようと会津労働基準監督署に相談した。担当が福島労働局に移り、「紛争を起こさないと行政は調停に動けない」と言われたので、Aさんは4月12日付で、①中澤氏によるわいせつ行為とパワハラへの慰謝料、②提示された再雇用契約で働いた場合に減額される給与分を損害金として中沢学園に請求した。同局はAさんの調停申請を受理したが、同学園は応じず打ち切られた。 筆者が中澤氏に取材を申し込むと、7月15日に面談に応じた。 「誰もいない日曜」か「開園中の土曜」か 認定こども園 会津若葉幼稚園  中澤氏は、わいせつ行為は否定したが、書類整理を手伝うようAさんに依頼したことは認めた。ただし、それは1度だけという。さらに、 「私が手伝いをお願いしたのは土曜日です。園は土曜日はやっています。Aさんは、園に誰もいない日曜日に私が呼び出したと印象付けたいようですが、違います」(中澤氏) 中澤氏によると、Aさんの服装はブラウスにスカートだったという。「ひらひらした格好では仕事にならないからすぐに帰した」とも。一方は「園に誰もいない日曜」、もう一方は「開園して周囲の目がある土曜」。主張は真っ向から対立する。 ただ、中澤氏は3月12日の幸恵理事長を交えた面談で「土曜か日曜かは記憶にない」と答えていた。なぜ手伝いを依頼したのは土曜日と思い出したのか。面談から1週間後の7月22日、中澤氏から筆者に電話が掛かってきた。Aさんが再雇用時の給与に満足せず退職し、学園に慰謝料と損害金を求めていると言い、「もともと問題にしていたのは再雇用で、性被害は後から言い出した」と伝えたかったようだ。筆者はこのやりとりの際に、手伝いを依頼したのが土曜日と思い出した理由を尋ねた。 中澤氏は「Aさんが言った日にちを見たら土曜日になっていたからです」。 Aさんに確認すると、 「3月12日の面談の前に、被害を受けた日を記したカレンダーを上司に見せました。上司は幸恵理事長たちに見せるためにコピーを取りました」 2020年、Aさんが被害を同僚に告白した年に印刷した前出資料1のことだ。Aさんが被害に遭ったと考える日にマルが付けられており、それによると全て日曜日になっている。土曜日にマルを付けた形跡はどこにもない。 「土曜日に被害を受けたなんて私は今まで一度も言っていません。そもそも私は、日曜日に手伝いを頼まれたという記憶を基に被害を受けた日付を特定しています」(Aさん) 中澤氏が言うように、Aさんが被害に遭ったとする日が後で土曜日だと思い出すには、Aさんが「被害を受けたのは〇月×日」と、曜日に関係なく日付のみを特定していなければ導き出せないことを意味する。 中澤氏は7月22日の電話で「Aさんはあなたにわいせつ行為への謝罪を求めたのか」との筆者の問いに、「求められていない」とも言った。だとすると、Aさんが筆者に中澤氏による性加害を訴えたことも、幸恵理事長がAさんの申告を受けて3月12日に謝罪の場を設定したことも成り立たなくなる。 あの日はいったい、何に対する謝罪の場だったのか。同席した幸恵理事長に7項目にわたる質問状を送ったところ、7月25日にファクスで回答が届いた。うち、幸恵理事長にAさんと中澤氏、双方の主張をどう捉えるかを聞いた二つの質問に対する回答を吟味する。 幸恵理事長は、Aさんの被害を受けたという主張と、中澤氏の否定する話しか判断材料がないとし、「学園として『有った、無かった』と断定することはできず、司法判断に委ねるしか無いというのが基調認識(原文ママ)です」と前置きした。 一つ目の「幸恵理事長が中澤氏がわいせつ行為をしたと考え、謝罪を求めたということか」との質問には「Aさん(※筆者注:回答では実名)の剣幕は、そこにいるのがいたたまれないほどのもので、前理事長に対して悪感情を有している事は間違い無く、その悪感情を少しでも和らげる必要を感じました。その必要性から、敢えてAさんには寄り添い、義父である前理事長には突き放した態度で臨むことでフェア対応を心掛けました」と答えた。 Aさんと中澤氏では、わいせつ行為があったかどうかの認識に食い違いが生じていることから、筆者は二つ目の質問で「わいせつ行為については、Aさんと中澤氏のどちらかが虚偽の発言をしている、または記憶があいまいで正確でないということが言える。幸恵理事長はどちらの発言がより整合性があると考えるか」と尋ねた。 幸恵理事長は「基本認識(原文ママ)により優劣をつけることは出来ませんが、セクハラ行為があったとされる2014年から既に9年が経過した中で突然出て来たこと、そのタイミングがAさんに対して定年退職後の再雇用条件を通達した直後であること、Aさんが再雇用条件に相当不満をもっていたこと等を考慮すると、Aさんが学園に対する不満を抱いてセクハラの話をしてきたとの可能性は捨てきれないと感じます」と答えた(傍線は筆者注)。 筆者の質問の意図は傍線部分を聞くことであったが、寄せられた回答はそれ以降の文章の方が長い。幸恵理事長は中澤氏の主張と同様に、Aさんが再雇用の条件に不満を持っていたから過去のわいせつ行為を持ち出したと言いたいようだ。 理事長「膝をガーンとやればよかったね」  Aさんは、幸恵理事長に被害の状況を報告した際、無理解な発言をされ傷付いたと語っている。Aさんによると、幸恵理事長は蹴る動作をしながら「その時、膝をガーンとやればよかったね」と言ったという。 「幸恵理事長は従業員の弱い立場を全く理解していません。学園トップの中澤氏を蹴るなんてできるはずがありません。彼にとって不都合なことを学園に報告したら、報復として不利益な待遇を受け、退職を強いられるのではないかと恐れていました。私は50代で採用されて半年後に被害を受けました。辞める覚悟で被害を報告するか、心の奥にしまって何事もなかったかのように仕事を続けるかを迫られていたんです」(Aさん) 幸恵理事長が「Aさんは再雇用条件への不満からセクハラの話をしてきた可能性は捨てきれないと感じる」と回答したことは、相談体制の不備を棚に上げ、すぐに報告しなかったAさんに責任を押し付けているように聞こえる。 中澤氏は、一度はAさんに謝罪したが、わいせつ行為は明確に認めていない。3月12日時点では、性被害を訴えるAさんのみならず、幸恵理事長も中澤氏の真意が分からず戸惑いを示した。被害を訴える人を突き放すような幸恵理事長の回答は、Aさんにとって解決が遠のいたと映るだろう。 筆者は質問状で「Aさんが中澤氏からのわいせつ行為を訴えたことについて、保護者達に報告するか。または既にしたか」と尋ねた。幸恵理事長は「学園が対応すべき時が来た時に、報告しようと考えております」と答えたが、対応すべき時はいまではないか。 その後 中沢学園は7月28日、代理人弁護士を通じて本記事の掲載禁止を求める仮処分を福島地裁に申し立てたと本誌に通知してきた。 審尋を経て、中沢学園は申し立てを取り下げた。 詳細は9月号で報じる。

  • 【エアーレース】室屋義秀さんが本格育成塾を設立

    室屋義秀さんが本格育成塾を設立【エアーレース】

     飛行機レースの世界大会「レッドブル・エアレース・チャンピオン・ワールドシップ2017」でアジア人初の年間総合王者に輝いた室屋義秀さん(50)。4月から、次世代のエアレースパイロットを発掘する「レースパイロットプログラム」を福島市の拠点でスタートさせた。 2日間の〝サバイバル〟試験に密着 滑走路を走る候補生 複数の候補生が脱落した懸垂  エアレースは最高時速370㌔に及ぶ飛行機を駆使し、空中のコースでタイムを競うモータースポーツ。操縦技術はもちろん、高い水準の知力、体力、精神力が求められるため、専門パイロットの育成には通常10年以上かかるとされる。 そうした中で、才能ある若者を発掘して育成を加速化させ、5年後のエアレースパイロットデビューを本気で目指そうというのが今回の取り組みだ。主催は室屋さんが所属するチーム「LEXAS PATHFINDER AIR RACING」。 対象年齢は16歳以上(今年9月30日時点)40歳未満。学歴不問。訓練費用は室屋さんが代表を務める㈱パスファインダー(福島市)ら主催者が全額負担する。事前の募集では「体力・知力・やる気の全てを満たす心意気がある人以外は、申込をしないでください」と呼び掛けていた。 4月29日のキャンプ1(1回目)、会場のEBM航空公園(ふくしまスカイパーク)には全国から20~30代の男女32人が集結。体力測定が行われ、全員が候補生として合格した。 続く6月10、11日のキャンプ2(2回目)には合格者18人が参加(14人は辞退)。体力測定10種目と、世界を転戦するパイロットに必須なコミュニケーション能力をはかるディベート、英会話試験が行われた。 2回目で5人が脱落 候補生の前で話す室屋さん  体力測定に関しては、キャンプ1の時点で、〝最低ライン〟が発表されていた。例えば腕立て伏せは2分間で連続24回、腹筋は同36回、懸垂4回など。各候補生らはクリアを目標にこの間、トレーニングを重ねてきたが、その成果をうまく発揮できなかった人もおり、体力測定が終了した初日夕方の段階で4人が脱落決定。即刻退席を求められた。 2日目のディベートは候補生同士でチームを作り、一つのテーマについて議論するというもの。英会話試験は同チームの外国人スタッフと面談する。ディベートではユニークなテーマが設定され、うまく対応できなかった候補生1人が脱落した。キャンプ1の自己紹介時にはそれぞれが室屋さんや飛行機への愛を語ったが、基準を満たさない者は容赦なく立ち去ることを求められる。 ディベートの様子 外国人スタッフとの英会話試験  キャンプ2を終えて、室屋さんは「チームとして戦っていくことが求められるエアレースでリーダーとしてスタッフを率いながら、世界で戦っていける人材を生み出すのが狙い。自分が長年エアレースパイロットとして活動してきた中で必要と感じた点を試験に盛り込みました。若い候補生が、次のキャンプまでどれだけ伸びしろを見せられるか、楽しみ」と感想を述べた。 キャンプ2の感想を語る室屋さん  キャンプ3は8月予定。並行して航空関連の各種資格試験も受験していく。唯一県内からの参加となった会津若松市在住の宮田翔さん(32、山形県出身)は、東北電力ネットワーク会津若松電力センター送電課に勤めながら、キャンプ3突破を目指す。 唯一の県内在住候補生・宮田翔さん  「幼いころから飛行機と室屋さんが好きで、こんなチャンスはないと思った。キャンプ1から1日も欠かさずトレーニングを続けている。会社の同僚にも応援してもらっているので、全力で取り組んでいきたい」 室屋さんらは同プロジェクトと併せて、世界を舞台にしたエアレース事業「エアレースX」の開催に向けて準備を進めている。室屋さんに続く若きスターが福島市から飛び立っていくことに期待したい。

  • 犯罪者に戻った元飯舘村議【高橋和幸】

    犯罪者に戻った元飯舘村議【高橋和幸】

     昨年7月に福島市で20代女性が住むアパートに侵入し、包丁で脅して現金を奪い、性的行為を強いたとして強盗強制性交などの罪に問われた川俣町在住の男に福島地裁は今年6月13日、裁判員裁判で懲役11年(求刑懲役13年)の判決を言い渡した。高橋和幸被告(49)は飯舘村議を1期務め、2期目を目指した2021年9月の選挙で落選。裁判では過去に強盗犯として有罪になったことが明かされ、落選後に「自暴自棄」となり再犯に及んだことが分かった。 切れた縁、唯一残った暴力性 飯舘村議時代の高橋被告(「議会だより」2020年11月発行より)  刑務官に連れられてきた高橋被告は、茶色に染めていた頭に白髪が混じり、肩まで伸び切っていた。中肉中背の刑務官と比べると背丈は160~165㌢くらいで小太り。Tシャツにベージュの短パン、サンダル履きで、ビーチにいるようないで立ちだが顔色は悪い。シャツの首元はよれ、柄は透けるくらい薄くなり、公判を通して同じ服装だった。2年前の村議時代のスーツ姿からは程遠い。質問への答えもくぐもった声で聞き取りづらかった。 高橋被告が問われている罪は時系列順に窃盗2件、住居侵入、強盗強制性交、大麻取締法違反(所持)の4種類。裁判で審理されたのは次の四つの事件だ。以下は検察側の取り調べに基づく。  ①車上荒らし 2022年5月26日午後0時ごろに福島市吉倉のコインランドリー駐車場で、停車中の無施錠の軽自動車から運転手がいないうちにバッグを盗んだ。運転手が車の鍵が入ったバッグがないことに気づくと、駆け寄って「男がバッグを盗んで落としていきました」と嘘の報告をし、財布だけを抜き取ったバッグを返した。財布は市内の中古品買取店に売り払い、中に入っていた現金1万円やICカードを使った。  ②パチンコ店での現金窃盗 同年7月4日午後2時半ごろに行きつけだった福島市成川のパチンコ店で、客が台を離れたすきにICコインを持ち去り、精算機から現金1万円を引き出して盗んだ。高橋被告は別の客に「財布を取られて金がないので貸してほしい」と要求したが断られていた。犯行はそれから数十分後に起こった。  ③女性が住むアパートへの侵入と、強盗強制性交 同月17、18日の深夜に福島市清水町にある派遣型風俗店(デリバリーヘルス)の女性従業員の待機所となっているアパートに包丁を持って押し入り、在室の女性(当時25歳)を脅して売上金4万7000円を奪い、性的行為を強いた。  ④自宅で大麻を所持 同年8月16日に川俣町の自宅に警察の捜査が及び、15年以上前に購入した大麻1・63㌘がクローゼットから見つかった。 高橋被告は①、②、④の罪については起訴内容を認めたが、③の女性が住むアパートに押し入り強盗と性的行為をしたことについては「薬を飲んで記憶がない」と否認した。高橋被告は東日本大震災・原発事故後から精神に不調をきたし、事件当時はうつ病を患い、精神安定剤や睡眠薬を毎晩服用していた。 弁護側は「薬の副作用で記憶が抜け落ち、朦朧状態にあった可能性がある」として、事件を起こしたとしても心神喪失や心神耗弱の可能性を否定できないとして③の強盗強制性行について無罪か刑の減軽を求めた。 ①コインランドリー駐車場での車上荒らしと②パチンコ店での窃盗は、店舗に設置されていた防犯カメラが記録していたため、検察側は映像を証拠として提出。④大麻所持は警察官がその場で現物を確認していたため、高橋被告は否認しなかった。一方、③の強盗強制性交については、検察側は被害者の証言と高橋被告が運転する自動車の走行記録、街中のカメラ映像で立証を試みた。 高橋被告はたとえ1期と言えど、村議という公職を務めた人物だ。なぜ犯罪、しかも強盗強制性交という凶悪犯罪に及んだのか。「転落ぶり」が気になる。 高橋被告は震災・原発事故で飯舘村が帰還困難区域になったことで避難し、会津若松市や福島市を転々とした。次第に不調をきたし、通院するようになる。事件当時は川俣町の県営復興住宅に落ち着いていた。 2017年9月、飯舘村の避難指示解除後初めて行われた村議選(定数10)に高橋被告は立候補し、12人の立候補者のうち86票(得票率2・6%)と10位の得票で村議に滑り込んだ。高橋被告の本籍は同村小宮仲ノ内で、法人登記簿によると、ここを本店に2014年7月に建築・土木業「KMテック合同会社」を設立し代表社員を務めていた。 前々回の飯舘村議選の投票結果 (2017年9月)敬称略 当選佐藤八郎469.798票当選佐藤健太395.672票当選髙橋孝雄394票当選長正利一340票当選大谷友孝322票当選佐藤一郎311.529票当選菅野新一307票当選渡邊 計235票当選相良 弘181票当選高橋和幸86票庄司圭一72票目黒正光61票  2021年9月に行われた村議選(定数10)は13人で争われ、再選を目指すが、44票(得票率1・5%)と12位の得票で落選した。 1人になり、すさんだ生活  今回問われた強盗強制性交等罪は、議員の職を失ってから1カ月後の10月には準備されていたと言っていい。高橋被告は派遣型風俗店でドライバーとして働き始める。事件の舞台となったアパートが、女性従業員の待機所として使われていることを、高橋被告は業務説明のために店員から案内されて知った。同僚たちには「カズ」と呼ばれていた高橋被告だが、同年末にはドライバーを辞めた。店は翌2022年2月まで在籍していたと検察側に説明している。 高橋被告は川俣町の県営復興住宅に娘と2人で暮らしていたが、高橋被告によると、同1月ごろに娘と引き離された。児童相談所から娘を施設か親族に預けて別居するよう迫られていた。虐待の疑いがあると判断されたという。 結審前に高橋被告は「私がしたことは正当化されるものではない。謝罪では済まないが、自分にとっては娘と離れ離れになるのは死刑宣告と同じ。かなりショックを受け、自暴自棄になった」と話した。 1人暮らしで生活はすさみ、食事は1日1食で済ませた。性風俗店のドライバーを辞めた後は、2022年3月ごろから福島市飯野町の工場で夜勤を始めたが、仕事中は眠くて仕方がない。働く気になれず「クビになった」(高橋被告の証言)。 同年2月には傷害事件を起こし、福島署で取り調べを受け、全身写真を撮られた。その時に履いていたスニーカーの靴跡と、強盗強制性交に押し入った部屋に残された靴跡が一致したことが後に有力な証拠となる。 同5月に工場の仕事を辞める頃には、鬱屈した気持ちを紛らわすため、ため込んでいた精神安定剤や睡眠薬を多めに飲むようになった。収入は途絶え、生活費やパチンコ通いでサラ金からの借金がかさんだ。通院先で診断書を書いてもらい、東電から支給される休業補償や賠償金で暮らしていたが、とうとう金に窮す。及んだのが車上荒らしやパチンコ店の客からの窃盗だった。 高橋被告が及んだ犯罪は人の命を顧みないより凶悪なものになった。 事件の夜は「覚えていない」 福島地方裁判所  「携帯電話がつながらない時や緊急時には、ドライバーが予告なしに女性従業員の待機所を訪ねる時もあります。襲われた夜もそうだと思いました」 高橋被告から強盗と強制性交に遭った女性は、法廷で声を詰まらせながらも気丈に答えた。「Aさん」と匿名で呼ばれ、高橋被告や傍聴席から姿が見えないように衝立で目隠しがされていた。 高橋被告は事件の夜を「薬を飲んだ影響で覚えていない」と、自身が犯人かどうか分からないと主張していたので、検察側は犯行状況を自供に頼らず、被害女性の証言と、高橋被告の携帯電話の位置情報や現場まで乗ってきた車の走行記録、街中のカメラで裏付けていった。 2022年7月18日午前0時10分ごろ、女性はスマートフォンをいじっていたため時刻を覚えている。アパートのドアがノックされた。 誰かが入ってきたと思った瞬間、左手に包丁を持った男が目に飛び込んできた。黒い上下の服を着て、帽子とマスクを着けていた。 「静かにしろ! 大声を出すな」。口調は強かった。男は右腕を背後から女性の首に回し、包丁を首の辺りに突き付けた。切っ先のこぶし1個分先に自分の首があった。耳元で「ビリッ」と何かを引き割く音が聞こえた。口にガムテープを張られた。 「殺される。命はないと思いました」(女性の法廷での証言) 男は土足で上がり、部屋の中央まで女性を引き連れ、放してベッドの中央に座らせた。 「有り金出せ」 女性はベッド付近にあったバッグから売り上げが入った財布を出し、中身を見せると、男は「これでもう全部か」と言い、自分でバッグや棚を漁り始めた。 男は金目の物がないと判断すると、女性に服を脱ぐように命令し、ほぼ裸の女性をベッドに四つん這いにさせ、ガムテープを両手首に留めた。女性は冷たく鋭い物が尻に当たるのを感じ、包丁で刺されると覚悟した。スポンジのように柔らかい物を口元や陰部付近に複数回押し当てられたが、男はそれ以上は行為に及ばず、ズボンを上げるとベッドを離れ後ずさりし、「大声を出すな」と言いながら足早に玄関を出ていった。女性は男がまた来て包丁を突き付けられるかもしれないと、2、3分は恐怖で体が動かなかった。 店から「女性が襲われた」との知らせを受け、アパートに駆け付けた性風俗店の男性ドライバー(当時)は、 「数カ月前の5、6月にもアパートのドアがノックされる不審な出来事がありました。『ドライバーです』と男の声がし、鍵の掛かったドアを開けようとしたそうです。別の女性従業員が在室していました」 と述べた。アパートにインターホンはないといい、防犯は完全ではないようだ。 高橋被告は、犯行があった2022年7月17、18日の夜は自宅で薬を飲んだ後からの記憶がないと主張したが、車の走行記録や携帯電話の位置情報をたどると、17日夕方に現場を訪れ、犯行時間帯にも車がアパート周辺にあったことが判明した。強盗の下見をしていたとみられる。街中のカメラ映像によると、犯行後の時間帯には福島市街地のパセオ通り近くの駐車場に車を止め、未明まで街を歩いたり深夜営業の居酒屋で時間を潰したりしていた。薬で朦朧としていたと主張するには、複雑すぎる行動だった。 アパートに残されたガムテープの切れ端と、高橋被告の自宅にあったガムテープの芯の両方から高橋被告と被害女性のDNAが検出されたことも、押し入った男が高橋被告であることを補強した。 求刑懲役13年に対し、判決は懲役11年。裁判所は「犯行を事前に準備し、行動は合理的。善悪の判断はできた」と薬の副作用で心神喪失や心神耗弱の状態にあった可能性を否定し、「被害者に計り知れない恐怖と苦痛を与えた身勝手な犯行」と断じた。高橋被告は即日控訴。判決で、裁判所は前科を考慮したという。 裁判で検察側が明かした高橋被告の前科は、いま問われている罪と関係が深い。1991年に窃盗、車上狙い、92年には傷害と恐喝未遂で原町署(現南相馬署)が検挙し、家裁相馬支部が少年院に送致した。94年には仙台市や福島市で複数の共犯者と通行人を金属製の棒で殴り、金品を奪う通り魔的強盗を繰り返した。 一連の犯行5件で強盗致傷罪に問われ、仙台地裁は懲役9年を言い渡した。最高裁まで争い、上告棄却で刑が確定。2003年に出所し、翌04年には原町市(現南相馬市)で経営していた派遣型風俗店で18歳未満の少女にみだらな行為をさせたとして児童福祉法違反の疑いで共犯の暴力団幹部2人とともに逮捕された。懲役1年4月の判決を言い渡され、福島刑務所に服役した。当時、高橋被告は暴力団員だった。 《調べでは、高橋容疑者は主犯格の暴力団幹部●●と暴力団幹部〇〇の三人で、少女への電話での指示や車での送り迎えなど、役割を分け、組織的に犯行を行っていたとみられる。 三容疑者は少女の欠勤や遅刻には罰金を課し、辞める際には友人を紹介するよう話していたため、少女らは辞められずにいたという。同店には約二十人の女性がおり、うち少女は五、六人いたとみられる。》(04年5月25日付福島民友。暴力団幹部は記事では実名) 本人はこの時の事件を「やんちゃしていた頃のこと」と振り返り、それ以降は暴力団から足を洗ったという。だが村議という公職を失い、さまざまな要因から生活がすさみ、犯罪の道に戻ってしまった。元村議が罪を犯したというよりは、犯罪傾向を抑えきれなかった者が村議に当選したという方が実情に近い。 再犯抑止には人とのつながり 高橋被告が勾留されている福島刑務所  そもそも、高橋被告はなぜ村議を目指したのか。筆者は6月下旬、福島刑務所で未決勾留中の高橋被告に面会を求めたが、出てきた職員から「会いたくないそうです」と伝えられた。 同刑務所を出所し、現在は正業に就く元受刑者の男性は語る。(本誌2月号「目に余る福島刑務所の人権侵害 受刑者に期限切れ防塵マスク」を参照) 「日本の刑務所の矯正教育は有効性が伴っていません。懲役を受けて良かったのは、考える時間ができたことだけです。お世話になった人の信頼を失って見放されないように、人の道に外れることはしてはいけないと思うようになりました。いい意味で人間関係にがんじがらめにされ、かろうじて再犯を抑えられていると捉えています」 最下位当選とはいえ、村議を1期務めた以上、高橋被告は有権者から一定の支持を得ていたはずだ。かつての支持者や家族の存在は、犯罪抑止のブレーキとならなかったのか。 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」 【塙強盗殺人事件】裁判で明らかになったカネへの執着 【福島刑務所】集団暴行死事件を追う

  • 【しゃぶしゃぶ温野菜 郡山爆発事故】被害女性が明かす苦悩

    【しゃぶしゃぶ温野菜 郡山爆発事故】被害女性が明かす苦悩

     2020年7月に郡山市で起きた飲食店爆発事故から、間もなく3年を迎える。当時、現場近くの事業所におり、重傷を負った女性が本誌取材に応じ、この間の苦悩や、誰も責任を問われない現状へのやるせなさなどを明かした。(末永) 「責任の所在不明」で進まない被害者救済  まずは事故の経過を振り返っておく。 爆発事故が起きたのは2020年7月30日午前8時57分ごろ。現場は郡山市島2丁目の飲食店「しゃぶしゃぶ温野菜 郡山新さくら通り店」で、郡山市役所から西に1㌔ほどのところに位置する。 この事故によって1人が死亡し、19人が重軽傷者を負った。加えて、当該建物が全壊したほか、付近の民家や事業所など200棟以上に被害が及んだ。同店は同年4月から休業しており、リニューアル工事を実施している最中だった。 警察の調べに基づく当時の地元紙報道などによると、爆発前、厨房のガス管に、腐食によってできたと考えられる亀裂や穴があり、そこから漏れたプロパンガスに、何らかの原因で引火した可能性が高いという。 経済産業省産業保安グループ(本省ガス安全室、関東東北産業保安監督部東北支部)は、現地で情報収集を行い、2020年12月に報告書をまとめた。 それによると、以下のようなことが分かったという。 ○流し台下の配管に著しい腐食があり、特に床面を中心に腐食している個所が複数あった。 ○事故前、屋内の多湿部、水の影響を受けるおそれがある場所などで配管が使用されていた。コンクリート面等の導電性の支持面に直接触れない措置は講じられていなかった。 ○保安機関の点検・調査で、ガス栓劣化、接続管基準、燃焼機器故障について「否」とし、特記事項として「警報器とメーターを連動してください」と指摘されていたが、消費設備の改善の痕跡は確認できない。 ○配管が腐食していたという記載や、配管腐食に関する注意喚起等は、過去の点検・調査記録等からは確認できない。保安機関は、定期点検・調査(2019年12月2日)で、配管(腐食、腐食防止措置等)は「良」としていた。 ○直近の点検・調査は2019年12月で、前回の点検・調査(2015年3月)から4年以上経過していた。 ○保安機関の点検・調査によれば、ガス漏れ警報器は設置されていた。 事故発生前にガス漏れ警報器が鳴動したことを認知した者はおらず、ガス漏れ警報器の電源等、作動する状況であったかどうかは不明。 ○漏えい量、漏えい時期と漏えい時の流量、爆発の中心、着火源など、爆発前後の状況は不明な点が多い。 同調査では「業務用施設(飲食店)において、厨房シンク下、コンクリート上に直に設置されていた腐食した白管(SGP配管)からガスが漏えい。何らかの着火源により着火して爆発したことが推定されている」とされているが、不明な部分も多かったということだ。 その後、警察の調べで、事故の原因とされるガス管は2006年の店舗建設時に国の基準に沿わない形で設置されていたこと、腐食を防ぐ措置がとられていなかったこと、法定点検を行った保安機関はそれらを認識しながら詳しく確認せずに問題ないと判断していたことなどが分かった。管理を適切に行わなかったために事故が起きたとして、2021年9月、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)を業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。 以降しばらくは、捜査機関の動きは報じられていなかったが、今年3月、福島地検が全員を不起訴としたことが伝えられた。運営会社社長ら4人は嫌疑不十分、内装業者は死亡していることが理由。 これを受け、事故で重傷を負った市内の女性が4月12日、不起訴処分を不服として福島検察審査会に審査を申し立てた。 地元紙報道によると、代理人弁護士が県庁で記者会見し、「大事故にもかかわらず、誰も責任を負わない結果は被害者には納得できない。責任の所在を明確にし、なぜ事故が起きたのかはっきりさせないといけない」と話したという。(福島民報4月13日付) 被害女性に聞く 本誌取材に応じるAさん  以上が事故のおおよその経緯だが、今回、本誌取材に応じたのは、事故現場のすぐ目の前の事業所にいて重傷を負ったAさん(※不起訴処分を不服として審査を申し立てたのとは別の被害女性)。 その日、Aさんはいつも通り始業時間である8時半の少し前に出勤し、事務所の掃除、業務の打ち合わせなどをして、自分のデスクに座り、パソコンの電源を立ち上げた瞬間に事故が起きた。 〝ドーン〟という大きな音とともにAさんがいた事業所(建物)が崩れ、「飛行機か何かが落ちてきたのかと思った」(Aさん)というほどの衝撃だった。天井が落下して下敷きになり、割れた窓ガラスの破片で頭や顔などに大ケガを負った。 当時、事業所にはAさんのほかにもう1人いたが、「たまたま何かの陰になったのか、その方は傷を負うことはなく、(下敷きになっていた)私を救出してくれました」(Aさん)。 その後、救急車で郡山市内の病院に運ばれ、そこからドクターヘリで福島県立医大病院に搬送された。 そこで、手術・点滴などの治療を受けたが、安静にする間もなく、警察から事情を聞かれた。毎日、窓越しに事故が起きた飲食店の改修工事の様子を見ていたため、早急に話を聞きたいとのことだったという。当時は話をするのも容易でない状況だったが、警察から「(工事で)何人くらいの人が出入りしていたか」等々の質問を受け、筆談で応じた。 その後は、医大病院(病室)で安静にしていたが、次第に「助かった」という思いと、「家族はどうしているか」、「職場はどうなったか」等々が頭を占めるようになった。 「なるべく早く帰りたいと思い、一生懸命、歩ける、大丈夫ということをアピールしました」(同) その結果、抜糸やその後の治療は郡山市内の病院で引き継ぐことになり、翌日には退院して自宅に戻ることができた。 そうまでして、退院を急いだ理由について、Aさんはこう話す。 「私は何のキャリアもない主婦で、過去には大きな病気をしたこともありました。そんな中、いまの職場に入り、そこから一生懸命仕事を覚えて、事務職にまで取り立ててもらえるようになって、やっと軌道に乗ってきたところでした。そうやって積み重ねてきたものがなくなる怖さと、生き残ったということに気持ちが高ぶっており、痛くて寝込むとか、つらいとかいうよりも、早く復帰しなければという思いの方が強かったんです」 Aさんが勤める事業所は、市内の別の場所に移り、事故後1日も休むことなく事業を続けている。Aさんも間もなく仕事に復帰し、その間、一度だけ元の事業所に行った。事故の影響で、顧客情報などが散乱してしまったことから、その回収のためである。 ただ、事故後、現場に行ったのはそれ1回だけ。 「それ(一度、資料等を回収に行った時)以降は、一度も現場には行っていません。周辺がキレイに整備され、新しくなってドラッグストアができたとか聞きますが、あの周辺を通ったこともありません」 それだけ、恐怖心が残っているということだ。 事故の後遺症はそれだけではない。いまでも、時折、体に痛みを感じるほか、ヘリコプターや飛行機などの音を聞くと、猛烈な恐怖心に襲われることがある。「ドクターヘリで搬送されたときの記憶はあいまい」とのことだが、仕事中、そうした音が聞こえると、建物が崩れたときの記憶がフラッシュバックし、怖くて建物の外に飛び出すこともある。 「(事故の記憶がよみがえらないように)全く違う業種に転職して、環境を変えた方がいいのかな、と思うこともありました。ただ、いまの状況ではどこに行っても、普通に働くことはなかなか難しいでしょうし、いまの職場の方は事情を分かってくれて、例えば、調子が悪い日は職場に設置してもらった簡易ベッドで休ませてもらうこともあります。そういったサポートをしてくれるので働き続けることができています」 関係者の「不起訴」にやるせなさ 爆発事故後のAさんの勤務先(Aさんのデスクがあった場所=Aさん提供)  傍目には目立つ外傷はないが、体には痛みが残り、精神的に安定しない日があるというのだ。 「どんどん握力が落ちて、お皿を洗っているときに、落とすこともあります。握力測定では性別・年代別の平均値よりずっと低く、幼稚園児と同じくらいでした」 いまも、整形外科で薬を処方してもらっているほか、メンタルクリニックでカウンセリングを受けている。睡眠薬がなければ眠れず、体の痛みで眠れない日もある。 治療費は、しゃぶしゃぶ温野菜のフランチャイザーのレインズインターナショナル(横浜市)と、運営会社の高島屋商店(いわき市)の被害対応基金から支払われている。ただ、まずは自分で負担し、診断書を添えて実費分が支払われる、という手続きが必要になる。加えて、これもいつまで続くか、といった不安がある。 中には「賠償金はいくらもらったの?」と心ないことを聞かれることもあったそうだが、治療費以外の賠償金は支払われていない。それどころか、事故を起こした店舗の関係者からは「私たちが悪いと決まったわけではないので」といった理由から謝罪もされていないという。 当然、「納得できない」との思いを抱いてきたが、それをさらに増幅させることがあった。前段で述べたように、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)が業務上過失致死傷の疑いで書類送検されていたが、今年3月、全員が不起訴になったことだ。 「まず、こんなに時間がかかるとは思っていませんでしたし、あれだけの事故を起こして、誰も責任を問われないなんて……。無力感と言うんですかね、そんな感じです」 言葉にならない、やるせなさを浮かべる。 事故当時、警察からは、被害者として刑事告訴できる旨の説明を受けた。民事でも「被害者の会」が組織されるのではないか、との見方もあった。ただ、被害の程度が違うため、被害者組織は結成されなかった。 Aさん自身、自分の心身のこと、家族のこと、仕事のことで精一杯で、刑事告訴や、民事での損害賠償請求などに費やすエネルギーや時間的余裕がなかった。そのため、これまで自らアクションを起こすことはなかった。 そもそも、これだけの事故を起こして、誰も責任を問われない、自身の被害が救済されない、などということがあるとは思っていなかったに違いない。ただ、刑事は前述のような形になり、どうしたらいいか分からないといった思いのようだ。 郡山市の損害賠償訴訟に期待 Aさんの勤務先から事故現場に向かって撮影した写真。奥に警察、消防士などが見え、現場と至近距離であることが分かる。(Aさん提供)  そんな中で、Aさんが「希望を持っている」と明かすのが、郡山市が起こした損害賠償請求訴訟である。 これについては、本誌昨年6月号で詳細リポートし、今年6月号で続報した。 郡山市は2021年12月、運営会社の高島屋商店(いわき市)、フランチャイズ本部のレインズインターナショナル(横浜市)など6社を相手取り、約600万円の損害賠償を求める訴訟を福島地裁郡山支部に起こした。賠償請求の内訳は災害見舞金の支給に要した費用約130万円、現場周辺の市道清掃費用約130万円、避難所運営に要した費用約100万円、被災者への固定資産税の減免措置など約80万円、災害ごみの回収費用約70万円など。 裁判に至る前、市は独自で情報収集を行い、裁判の被告とした6社と協議をした。そのうえで、2021年2月19日、6社に対して損害賠償を請求し、回答期限を同年3月末までとしていた。 3月29日までに6社すべてから回答があり、2社は「事故原因が明らかになれば協議に応じる」旨の回答、4社は「爆発事故の責任がないため請求には応じない」旨の回答だった。 前段で、事故を起こした店舗の関係者は「自分たちが悪いと決まったわけではないので」といった理由から、Aさん(被害者)に謝罪していないと書いたが、市との協議でも同様の主張であることがうかがえる。 これを受け、市は県消防保安課、郡山消防本部、郡山警察署、代理人弁護士と協議・情報収集を行い、新たに1社を加えた7社に対して、関係資料の提出を求めた。7社の対応は、2社が「捜査資料のため提出できない」、4社が一部回答あり、1社が回答拒否だった。 市では「関係者間で主張の食い違いがあるほか、捜査資料のため情報収集が困難で、刑事事件との関係性もあり、協議による解決は困難」と判断。同年9月に6社に対して協議による解決の最後通告を行ったが、全社から全額賠償に応じる意思がないとの回答が届いた。 ただ、1社は「条件付きで一部弁済を内容とする協議には応じる」、別の1社は「今後の刑事裁判の結果によって協議に応じる」とした。残りの4社は「爆発事故に責任があると考えていないため損害賠償請求には応じない」旨の回答だった。 こうした協議を経て、市は損害賠償請求訴訟を起こすことを決めたのである。 2021年12月議会で関連議案を提出し、品川萬里市長が次のように説明した。 「2020年7月に島2丁目地内で発生した爆発事故で、本市が支出した費用について、責任を有すると思慮される関係者に対し、民事上の任意の賠償を求め協議してきましたが、本日現在、当該関係者から賠償金全額を支払う旨の回答を得ておりません。本市としては、事故の責任の所在を明らかにするため、弁護士への相談等を踏まえ、関係者に対して民法第719条に基づく共同不法行為者として、損害賠償を求める訴えの提起にかかる議案を提出しています」 議会の採決では全会一致で可決され、それを経て提訴した。 昨年4月22日から今年5月23日までに計6回の口頭弁論が開かれているが、市総務法務課によると「現在(この間の裁判)は争点整理をしています」とのこと。 判決に至るまでにはまだ時間がかかりそうだが、Aさんは「市が率先して、責任の所在を明らかにしようとしているのはありがたいし、希望でもある」と話す。 求められる被害救済  市総務法務課の担当者は、裁判を起こした理由について、こう話していた。 「市長が『被害に遭われた住民は多数おり、市が率先して責任の所在を明らかにしていく』ということを言っていたように、市が先頭に立って裁判を行い、責任の所在を明らかにすることで、被害に遭われた方に参考にしてもらえれば、といった思いもあります」 当然、裁判は市の損害を回復することが最大の目的だが、市が率先して裁判を起こすことで判例をつくり、ほかの被害者の参考にしてもらえれば、といった意味合いもあるということだ。 今回の事故で、Aさんをはじめ多くの人・企業が被害を受けたのは明らかだが、「加害者」は明確なようで実はそうではない。 過失があると思われるのは運営会社、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関などだが、それぞれが「自分たちの責任ではない」、あるいは「自分たちの責任であると明確に認定されるまでは謝罪も賠償もしない」という姿勢。言わば、責任をなすりつけあっているような状況なのである。 そのため、事故から3年が経とうとしているが、賠償などは全く進んでいない。気の毒というほかないが、運営会社、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関などのどこであれ、責任の所在を明らかにし、事故を起こした事実を受け止めてほしい。あの日、日常の中で事故に巻き込まれた人たちの被害が救済されることを切に願う。 あわせて読みたい 【しゃぶしゃぶ温野菜 爆発事故】郡山市が関係6社を提訴 「しゃぶしゃぶ温野菜 ガス爆発事故」刑事・民事で追及続く【郡山】

  • 【浅野撚糸】フタバスーパーゼロミル【双葉町】

    【浅野撚糸】フタバスーパーゼロミル【双葉町】

    魔法のタオル「エアーかおる」が好評 フタバスーパーゼロミル エアーかおる「ダディボーイ」  昨年4月22日に開所した浅野撚糸(本社・岐阜県)の双葉事業所「フタバスーパーゼロミル」(双葉町)は、県内外から多くの旅行者が訪れており、新たな観光スポットとして注目を集めている。 同所では、主力商品のタオル「エアーかおる」や「ダキシメテフタバ」などの材料になる撚糸(ねんし)を製造しており(ガラス越しに見学できる)、タオルなどを販売する直営店「エアーかおる双葉丸」、アウトレットルーム「ゼロミル」、県内産食材を使ったパスタやドリンクが楽しめる憩いの場「キーズカフェ」、企業などが利用できる研修施設やイベントスペースを併設している。 タオルの特長 ダキシメテフタバ  同社の主力商品である「エアーかおる」は、特許を取得した特殊な撚糸でつくられており、軽量感、抜群の吸水力、速乾性、毛羽落ちの少なさ、ふっくら感の持続、キレのある拭き心地などが特長となっている。 スタンダートタイプの「ダディボーイ」、しっかり目のボリュームがある厚めのタオル「エクスタシー」、極細糸を使った子どもや女性の肌にぴったりなタオル「べビマム」など、タオルの使用感ごとのシリーズを用意している。 「ダキシメテフタバ」は、同社と双葉町が共同開発したタオルで、特殊な乾燥仕上げで柔らかく、「抱きしめられているようなふわふわ感」が特長となっている。 キーズカフェ キーズカフェ  ネルドリップで丁寧に抽出する氷温熟成®珈琲をはじめ、同コーヒーを使用したアレンジドリンクのほか、幅広い世代の方が楽しめるようフードとスイーツも豊富に取り揃えている。さらに「福島県食材を食べて福島県を応援してほしい」という思いから、福島県産の桃やしらすを使用したオリジナルメニュー、「ピーチスムージー」、「スフレパンケーキ ピーチ」、「しらすたっぷりペペロンチーノ」などを提供している。 河合達也双葉事業所長のコメント  「オープンして4カ月、延べ3万人の方にご来店いただきました。素人集団ですが、何回でも行きたくなる観光施設を目指して、日々奮闘しています。楽しい夏休みイベントを開催していますので、是非、ご家族でご来店ください」  双葉町を訪れる際は、物販や交流など多機能を備えた複合施設であるフタバスーパーゼロミルを訪れて、その魅力を自身で感じてみてはいかがだろうか。 エアーかおるを通販で購入する

  • 【植松三十里】歴史小説家の講演会開催【矢祭町】

    【植松三十里】歴史小説家の講演会開催【矢祭町】

     7月23日、矢祭町のユーパル矢祭2階多目的ホールで、歴史小説家・植松三十里(みどり)氏の講演会が行われた。令和5年度矢祭町ふるさと創生事業の一環として実施された。 テーマは〝~近代日本の礎を築いた福島の男たち~〟。矢祭町出身で、幕末に活躍した吉岡艮太夫をはじめ、県内で活躍した偉人の功績について、植松氏が自身の作品をもとに紐解いた。 講演前に佐川正一郎町長が「日本の歴史の大切さ、そして日本の未来を考える大切さを、講演を通じて後世に伝えていきたい」とあいさつした。 講師の植松氏は静岡県生まれ。東京女子大文理学部史学科卒業後、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社。7年間の米国暮らし、建築都市デザイン事務所での勤務を経て、フリーライターに転身した。 2003(平成15)年に発表した『桑港(サンフランシスコ)にて』で第27回歴史文学賞を受賞。2009(平成21)年には『群青 日本海軍の礎を築いた男』で第28回新田次郎文学賞、『彫残二人』で第15回中山義秀文学賞を受賞した。昨年11月に刊行された最新作『家康を愛した女たち』も話題を呼んでいる。 講演会で取り上げられた吉岡艮太夫は、一般的に吉岡勇平という名前で知られている。 17歳で故郷を離れた後、日本各地を巡って文武両道に励み、江戸の御家人・吉岡家の養子となった。数年後に養父の後を継いで幕府の表御台所人として出仕。その後、旅で身につけた地理学をもとに執筆した江戸湾防備策が認められ、当時海防に従事していた代官・江川太郎左衛門の塾に入門した。 29歳で幕府の軍艦取締役に登用され、その翌年、勝海舟やジョン万次郎、若かりし頃の福沢諭吉らとともに、軍艦・咸臨丸に公用方として乗船、37日間の航海を経てサンフランシスコへと渡った。 吉岡らが日本を離れている間に尊王攘夷運動が高まり、大政奉還や鳥羽・伏見の戦いにおける幕府軍の敗北など、明治維新への機運が高まった。だが、吉岡は、江戸城の無血開城によって徳川慶喜が江戸を追いやられる際に護衛の任に就き、幕府が解体されてもなお徳川家の行く末を幕臣として見届けた。その忠義は最後まで揺らぐことはなかったという。 このほか、常磐炭鉱の開祖である片寄平蔵、帝国ホテルのライト館を手掛けた建築家・遠藤新の足跡についての講演も行われた。後半では植松氏と佐川町長、咸臨丸子孫の会メンバーで、木村摂津守喜毅(軍艦奉行)の玄孫にあたる宗像氏、浜口興右衛門(運用方)の曾孫にあたる小林氏を交えたトークセッションも催された。 会場には町民など約200人が足を運び、幕末を駆け抜けた「福島の男たち」の活躍ぶりに思いを馳せた。 家康を愛した女たち posted with ヨメレバ 植松 三十里 集英社 2022年11月18日 楽天ブックス 楽天kobo Amazon   あわせて読みたい 「矢祭町刀剣展示会」開催-矢祭町・矢祭町教育委員会

  • 【学校法人昌平黌】創立120周年「人間力育成」誓い新たに

    【学校法人昌平黌】創立120周年「人間力育成」誓い新たに

     東日本国際大学、いわき短期大学等を運営する学校法人昌平黌(いわき市、緑川浩司理事長)は6月22日、いわき芸術文化交流館・アリオス大ホールで学校法人昌平黌創立120周年記念式典を執り行った。 来賓、関係者、学生を合わせ約1730人が出席し、これまでの同法人の歴史を振り返りながら、孔子哲学に基づく「人間力育成」のさらなる発展に向けて、誓いを新たにした。 記念式典では、プロローグとして同大と同附属昌平中・高合同吹奏楽部による迫力あふれる演奏が披露された後、緑川理事長が「創立120周年を機に、建学の精神を実践する徳のある人材を育成する。地元いわき市と密接に関わり合いながら、人間教育の拠点として地域の信頼を得ることが本学園の発展につながる。いわき市から人間教育の新たな歴史を刻んでいく」と式辞を述べた。 永年勤続職員表彰に続き、来賓の文部科学大臣代理の伯井美徳文部科学審議官、内田広之いわき市長が祝辞を述べ、来賓紹介、祝電披露が行われた。 引き続き、創立120周年記念講演会が催された。 まず、福原紀彦日本私立学校振興・共済事業団理事長が「新しい時代の学びと人材育成~文理融合と文武両道~」という演題で講演した。 福原氏は①歴史は過去と現在との対話、②人は何のために学ぶのか、③日本の近代化と現代化に果たした世界的に誇る学校制度と私学の役割、④資本化、グローバル化、デジタル化などいわゆる新時代の三大潮流と難局の克服――をテーマに、ユーモアを交えながら解説。 マニュアル型の知識獲得から社会貢献に基づく「志」を伴う知恵・知性の修得をはじめ、文系・理系の分化・分断ではなく文理融合教育の重要性や学問とスポーツとの両道・連携の必要性を説いた。 続いて、黒住真・東京大学名誉教授が「日本の思想史からの孔子『論語』と今後への課題」というテーマで講演を行った。 黒住氏はまず「古代、中世、近世、近代、現代における思想概念と社会的変化」について説明。そのうえで孔子「論語」の歴史を紐解きながら、「枢軸時代や紀元前後の動き」、「中世における完成形態」、「近世における普及」、「明治維新後における中村正直や渋沢栄一らの『論語』への造詣」についてそれぞれ解説した。 結びに、経済問題が環境問題とつながった現在、「論語」を再評価する意義について力説した。 当日は、記念式典に先立ち、東日本国際大学1号館の「大成殿」で大成至聖先師孔子祭が開催された。 同法人では、「論語」の一節にある「義を行い以て其の道に達す」を建学の精神として掲げており、学生が「論語」に親しみ、孔子を敬い、その教えをあらためて見つめ直す機会として孔子祭を執り行っている。今年で35回目。 記念式典の様子  法人役員や来賓をはじめ、学生、教室などオンラインで結んだ約1800人が列席。神事が行われ、齋主祝詞奏上の後、緑川理事長、吉村作治総長、緑川明美常務理事ら関係者が玉串をささげた。緑川理事長は祭主あいさつにおいて「建学の精神は本学の根幹をなすもの。人間教育を実践してきた120年の歩みを改めて確認し、一層の人間力向上を図りながら地域社会の発展に貢献していく」と決意を新たにした。

  • 【本宮市商工会】広がる「子ども食堂」支援の輪

    【本宮市商工会】広がる「子ども食堂」支援の輪

     本宮市商工会は7月19日、本宮市社会福祉協議会のフードバンクと本宮市内の子ども食堂5施設に、食品や寄付金などを贈呈した。 同商工会は社会貢献活動に積極的に取り組んでおり、昨年7月には同協議会と「フードバンク事業」(※外箱の変形など、通常の販売が困難な食品を事業者などから引き取り、福祉団体などに譲渡する活動)に関する基本協定を締結。会員事業所が同協議会を通して、食品や日用品などを無償提供している。 支援活動は今回で3回目。回を増すごとに、活動の趣旨に賛同する市内の一般企業・団体からの寄付金、物資が増え続けている。 同日、贈呈式が行われ、同協議会に加え、▽しらさわ有寿園「こころ食堂」、▽こども食堂「コスモス」、▽一般社団法人金の雫「みずいろ子ども食堂」、▽NPO法人東日本次世代教育支援協会 ふくしまキッズエコ食堂、▽「a sobeba lab(ア ソベバ ラボ)」の5施設に物資・寄付金が贈られた。今回の協賛会員は33社。物資はコメやカップラーメン、レトルト食品、缶詰、お茶、みそ、しょうゆ、烏骨鶏生卵、洗剤、児童図書、ビニール傘など。 贈呈者を代表して、同商工会の石橋英雄会長が「多くの協賛会員に協力いただき感謝しています。企業が率先してこうした取り組みを進めることで、本宮市をさらに住みやすいまちにして、若者の市外流出を防ぎたい。引き続きご協力よろしくお願いします」とあいさつした。同協議会の古田部幸夫会長や子ども食堂の関係者らが謝辞を述べた。 贈呈式を終えた石橋会長は「子ども食堂は、豊かな心を育み、安心して過ごせる居場所を提供しています。また、交流の場としても利用されており、高齢者の方も訪れています。地道な取り組みではありますが、数年先を見据えて活動を続けていきたいと思います」と抱負を述べた。 加えて同商工会の現状について次のように話した。 「会員事業所は少しずつ増えていますが、課題を抱えている会員事業所が多い。最重要課題は人手(後継者)不足で、若い世代の働き手がいても、市外に職を求めて流出していく現状があります。行政では定住人口を増やすための取り組みを打ち出しており、当商工会も微力ながらお手伝いさせてもらおうと考えています。こうした支援活動もその一環です。さまざまな活動を通して、本宮にも魅力ある職場がたくさんあることを広く知ってもらい、若者が地元に定着するきっかけになればと考えています」 同事業は年2回実施しており、次回は12月予定。同商工会では子ども食堂などへの支援活動を継続し、子どもたちの育成支援や地域のにぎわい創出に貢献していく考えだ。

  • 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

    女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

     飯舘村出身の女性俳優、大内彩加さん(30)=東京都在住=が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(41)から性行為を強いられたとして損害賠償を求めて提訴してから半年が経った。被害公表後は応援と共に「売名行為」などのバッシングを受けている。7月下旬に浜通りを主会場に開く常磐線舞台芸術祭に出演するが、決めるまでは苦悩した。後押ししたのは「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」との言葉だった。 「加害」がなければ「被害」は生まれない 大内彩加さん=6月撮影 ――被害公表後にはバッシングなどの二次加害を受けました。 「応援もたくさんありましたが、見知らぬ人からのSNSの投稿やダイレクトメッセージ(DM)を通しての二次加害には心を抉られました。  私が受けた二次加害は大まかに五つの種類に分けられます。第1は売名のために被害を公表したという非難です。「MeToo商売だ」「配役に目がくらんだ」といったものがありました。性暴力に遭い、それを公表したからと言って仕事が来るほど演劇界は甘くはありません。裁判で係争中の私はむしろ敬遠され、性暴力を受けたことを公表することは、役者のキャリアに何の得にもなりません。非難は演劇業界の仕組みをさも分かっている体を取っていますが、全く分かっていない人の発言です。 2番目が、第三者の立場を踏み越えた距離感で送られてくるメッセージです。『おっぱい見せて』『かわいいから被害に遭っても仕方ない』という性的なものから、『仲良くなりませんか? 僕で良かったら、悩みを聞きますよ』などあからさまではありませんが、下心を感じるものがありました。性暴力を受けた人を気遣う振る舞いではありません。 3番目は単なる悪口です。『死ね』とか『図々しい被害者』など様々でした。 4番目が『被害のすぐ後に警察に行けばよかったじゃないか』『どうして今さら言うんだ』という被害者がすぐに行動を取らなかったことを非難する、典型的な二次加害です。 性暴力を受けた時は誰もが戸惑います。相当な時間がなければ私は公に被害を訴える行動を取れませんでした。さらに、一般的に加害行為を受けた場合、被害者は加害者の機嫌を損ねずにその場を乗り切ろうと、一見加害者に迎合しているような言動を取ることがよくあります。わざわざ二次加害をしてくる人たちは被害者が陥る状況を理解していません。 最後が、被害者に届くことを考えずにした発言です。 『谷さんを信じたいと思っています。自分は被害を受けていないので分からないが、彼が大内さんに謝ってくれるといい』という言葉に傷つきました。Twitterのライブ配信でした発言は多くの人が聞いており、視聴者を通して私に伝わりました。 二次加害というのは、量としては見知らぬ人からが多く、それだけで十分心を抉るのですが、知人の言葉は別格の辛さがありました。『自分は被害を受けていないから分からない』というのは同じ舞台に立っていた役者の言葉です。他の劇団員たちから『なんで今告発したんだ』との発言も聞きました。 発言者たちは『直接言ったわけではないし、被害者がその言葉を見聞きするとは思わなかった』と弁明しますが、ネットの時代に発言は拡散します。被害者に届いていたら言い訳になりません。性暴力やハラスメントを受けることが理解できないなら、配慮を欠いた言葉をわざわざ被害者にぶつけないでほしい」 ――「性被害」よりも「性加害」という言葉を多く使っています。意図はありますか。 「ニュースの見出しでは性被害という言葉が一般的ですが、私にとっては違和感のある言葉です。一人でに被害が発生するわけではなく、必ず加害者の行動が先にあります。責任の所在を明確にするために、現実に合わせた言葉を選んでいます。 『性被害』という言葉だけが先行すると、責任を被害者に求める認識につながってしまうのではないでしょうか。痴漢に襲われた人は、『ミニスカートを履いていたから』、『夜中に出歩いていたから』など、周囲から行動を非難されることが多いです。加害行為がなければそもそも被害は起こりません。問われるべきは加害者です」 「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」 ――今月下旬に浜通りで開かれる常磐線舞台芸術祭の運営に参加し、出演もします。 「私が被害を公表した昨年12月、谷が演出した舞台が、南相馬市にある柳美里さんの劇場で上演されることになっていました。柳さんは、説明責任を果たすように谷に言い、主催者判断で中止になったと後で聞きました。 私は被害告発の際に舞台を『中止してほしい』とは言っていません。公演前に告発したのは、谷が演出した舞台を見に行った後に、彼が性加害を日常的に行っていたと初めて知り傷つく人がいる。出演した役者、スタッフたちが関連付けられて矢面に立たされると危惧したからです。 谷に福島に関わらないでほしいという思いはありました。谷が浜通りに移り住み、公演の実績を重ねることによって、新たに出会った人たちが性暴力やハラスメントに遭うのを恐れていました。ただ、中止する決定権は私にはありません。被害を公表し、判断を関係者や世論に委ねました。  被害を公表した日から柳美里さんから、連絡を受けるようになりました。しばらくすると、今夏に計画している舞台芸術祭の運営に関わってほしい、できたら役者として出演してほしいとオファーが来ました。裁判が係争中です。私が出演することで、私に反感を持っている人たちから公演に圧力がかかる可能性もあります。フラッシュバックで体調を崩す時もあります。とことん悩みました。  4月に飯舘に帰省した際、柳さんと1時間半ぐらいお話しして、『被害者が出演する機会を奪われてはいけない』と言われました。裁判係争中の私は、『面倒な奴』扱いで、役者の仕事はほとんどなくなりました。柳さんの言葉を聞いて、自分以外のためにも出なければならないと思いました。何よりも私自身が芝居をしたかった」 4月に帰省し、飯舘村内を回った大内さん(大内さん提供) ――被害者が去らなければいけない現状について。  「小中学校といじめられました。私が既にいじめられていた子を気に掛けていたのが反感を買ったらしく、何番目かに標的になりました。教室に入れなくなり、不登校や保健室登校になるのはいつもいじめられる側です。いじめる側は残り、また新たな標的が生まれるいじめの構造は変わりません。 どうしてあの子たちが、どうして私が去らなければならないんだろう。本当は学校に通いたいのに、加害者がいるから教室に行けないだけなのにと思っていました。 別室にいくべきは加害者ではないでしょうか。私は谷が主宰する劇団を辞めてはいません。迫られて辞める、居づらくなって辞めはしないと決めています。 谷からレイプを受けたことを先輩劇団員に相談した際『大内よりも酷い目に遭った奴はいっぱいいた。辞めていった女の子はたくさんいたよ』と言われました。彼女たちに勇気がなかったわけではありません。辞めざるを得ない状況に追い込まれているのは、加害者と傍観者が認識を変えず、加害行為が続いていたからです。去っていった人たちには、あなたが離れていく必要はなかったのだと安心させてあげたい」 閉校した母校の小学校を示す標識=4月、飯舘村(大内さん提供)  ――芸術祭では主催者がハラスメント防止に関するガイドラインをつくり公表しています。 ※参照「常磐線舞台芸術祭 ハラスメント防止・対策ガイドライン」 「ガイドラインでは、弁護士ら第三者が加わり、外部に相談窓口を設けています。相談先が所属劇団内だけだと、身内ということもあり躊躇してしまいます。先輩劇団員に相談しても、加害者に働きかけるまでには至らないこともあります。第三者が入ることで対策は実効性を伴うと思います。 私は舞台に出演するほかに、地元に根差して芸術祭を盛り上げる地域コーディネーターを務めています。作成に当たって主催者は、10人ほどいる地域コーディネーターにガイドラインの内容について意見を求めました。私は、ガイドラインの作成過程も随時公表した方が良いと提案しました。 演劇業界でのハラスメントが注目されています。谷賢一は、自身が主宰する劇団内でハラスメントを繰り返し、私は性加害を受けました。谷は大震災・原発事故で大きな被害を受けた福島県双葉町を舞台に作品をつくり、それをきっかけに一時は移住するなど、福島とはゆかりが深い人物です。谷の件もあり、福島の人たちはとりわけ演劇界におけるハラスメントに敏感だと思います。ハラスメント対策を公表するだけでなく、制定の過程を透明化しておく必要があると思いました。 対策の制定前から運営に関わっている役者、スタッフ、地元の方たちを不安にしてはいけない。誰もが安心して参加・鑑賞できる芸術祭にするためにハラスメントガイドラインをつくるプロセスの公表は欠かせません。主催者はホームページやSNSで過程も発信し、意見を反映してくれたと思います」 「乗り越えたら彩加はもっと強くなる」 ――家族はどのように見守っていますか。 「母に被害を打ち明けたのは、被害公表直前の昨年12月上旬でした。それまではレイプをされたこともハラスメントを受けていたことも、それが原因でうつ病に陥っていることも言えなかった。母は谷と面識がありました。なぜ娘が病気になっているのか、母は理由も分からず苦しんでいたことでしょう。提訴したら、母も心無い言葉を投げかけられるかもしれない。自分の口から全てを説明しようと、訴状の基となる被害報告書を見せました。 母は無言で目を凝らして読んでいて、何を言うか怖かった。最後まで目を通して書類をトントンと立てて整えると、『わかりました』と一言。その次の言葉は忘れません。 『彩加はいまも十分強い子だよ。でも裁判をしたり、被害を公表したり、待ち受けている困難を乗り越えたらもっと強くなれるね』と。『強い子』と言われるのは2度目なんです。1度目は大震災・原発事故からの避難先の群馬県で高校3年生だった時。母子で新聞のインタビューを受けて、母は記者から『娘の役者の夢は叶いそうか』と聞かれました。母は『親が離婚し、いじめも経験して、震災も経験してきた。彩加はすごく強い子だから、何があっても大丈夫です。立派な役者になります』と言いました。 そんな母も私には見せませんが不安を抱えています。被害を打ち明けた後、母は私の義理の父に当たるパートナーと神社に行きました。私にお守りを三つ買って、義父に『彩加が死んだらどうしよう』と漏らしました。私は時折、性暴力を受けた記憶がフラッシュバックし、希死念慮にさいなまれます。母は強がっていますが娘を失わないか心配なようです。義父は『あの娘の部屋を思い出してみろ。どれだけ自分の好きなものに囲まれていると思っているんだ。あのオタクが大好きなものを残して死ぬわけないだろ』と励ましました。 私は芝居の台本は学生時代から全て取ってあります。演技書も、演劇の授業のプリントも捨てられません。まだまだ演じたい戯曲もたくさんあり、舞台に映像と新しい作品に挑戦していきたい。『演劇が何よりも好き』なのが私なんです。私を当の本人よりも理解してくれる人たちに支えられて私は生きています」 家族や故郷・飯舘村の思い出を話す大内さん=6月撮影 訴訟は必要な過程 ――被告である谷氏への心境の変化はありますか。 「怒りは変わることはありません。5月に行われた第3回期日で被告側から返った書面を見た時にブチギレました。これだけ証言、証拠を突き付けているのに何の反省もしていないんだ、心の底から自分が加害者だと思っていないんだなと受け取れる内容でした。 谷が行ってきた加害行為に対し、劇団員や周囲はおかしいと言えなかった、言わなかった、言える状況じゃなかった。提訴でしか彼は止められないし、加害行為は社会にも認識されなかったと思います。彼自身に、『あなたがしてきたのは加害行為だよ』と認識してもらう手段は、裁判しかないと私は思っています。裁判所がどういう判断を下すのか心配ですが、私はフラッシュバックと闘いながら被害状況を詳細にまとめていますし、加害行為を受けた人や見聞きしてきた人たちに証言を求めています。 声を上げられない被害者が少しでも救われるように、第2第3の被害者を生まないために、訴訟は必要な過程なんです」 (取材・構成 小池航) 谷賢一氏が単身居住していたJR常磐線双葉駅横の町営駅西住宅。1月には「谷賢一」の表札が掛かっていたが、カーテンが閉まっており居住は確認できなかった。7月現在、表札は取り外されている=1月撮影 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

  • 写真【フクロウ】神社で会える森のアイドル

    【フクロウ】神社で会える森のアイドル

     伊達市梁川町の梁川八幡神社(關根誠宮司)に、今年もフクロウの幼鳥が姿を現した。毎年境内のケヤキの〝うろ〟に巣を作り、大型連休近くになると、そこから巣立った幼鳥が親鳥と飛ぶ練習を繰り返す。 5月8日、同神社境内に足を運ぶと、近隣の住民や写真愛好家が、我が子を見守るような目で、巣の近くに立つスギの木を見上げていた。わずかな期間で高いところまで飛べるようになったようだ。 夫婦で訪れていた女性は「毎年見に来ている。昨年はカラスに追われたヒナが田んぼに落ちて、氏子の方に救出されていた。心配でつい見に来てしまう」と笑いながら話した。 伊達市在住の写真愛好家・Nさんは「2021年から訪れている。簡単には撮影できないが、フワフワでかわいらしいのが被写体として魅力」と語った。 禰宜の關根亘さんによると、昔からフクロウの鳴き声は聞こえていたが、2019年、修復工事中の本殿の建設養生ネット内に幼鳥が迷い込み、救出したのを機に、毎年姿が見られるようになった。遠くから足を運ぶ人がいるのを受け、拝殿にフクロウの石像を設置したり、ホームページやSNSでフクロウについて情報発信している。 福島市小鳥の森のレンジャー・増渕翔太さんによると、「個体差があるので一概には言えないが、秋ぐらいまでは巣の近くで親鳥とともに行動するのではないか」とのこと。ただ、近隣住民によると目視できるのは巣立ってから2、3週間程度だとか。わずかな時期しか見ることができない〝森のアイドル〟が今年も多くの人を魅了した。 今年最初に巣立ったフクロウの幼鳥。下を覗き込む表情がかわいらしい(5月3日、伊達市の写真愛好家・Nさん撮影) 巣立ち後の2、3週間は連日、地元住民や写真愛好家が梁川八幡神社境内に足を運ぶ(5月8日、編集部撮影) 今年2番目に巣立った幼鳥(5月4日、伊達市の写真愛好家・Nさん撮影) フクロウの巣があるケヤキの木(5月8日、編集部撮影) フクロウ人気に負けじと大きな声で鳴くキジバト(5月4日、福島市在住・Sさん撮影) 杉の木に寄りかかるフクロウの幼鳥(5月4日、福島市在住・Sさん撮影) 伊達氏の氏神として崇拝され、今年、国史跡に追加指定された梁川八幡神社の本殿(5月8日、編集部撮影) 拝殿にはフクロウをかたどった石象があった(5月8日、編集部撮影)

  • 【只見線】全線再開通フィーバーから8カ月

    【只見線】全線再開通フィーバーから8カ月

     6月1日で全線再開通から8カ月となるJR只見線。再開通直後は盛況で車内は満席だったが、現在はどういう状況なのか。記者が実際に乗って確認してみた。 只見線〝日帰り旅〟で見えた課題  JR只見線は2011年の新潟・福島豪雨で被災し、会津川口(金山町)―只見(只見町)間が不通となった。1日当たり利用者数49人(2010年)の赤字区間ということもあり、当初、JR東日本は代行バスへの移行を検討していた。 だが、県や沿線自治体からの要望を踏まえ、県が線路や駅舎を保有し、JR東日本が運行する「上下分離方式」で復旧することになった。不通区間の復旧費用は約90億円(県・市町村負担分約54億円)。毎年約3億円の維持管理費は県と沿線自治体など17市町村が負担する。 昨年10月1日に全線再開通すると、秋の紅葉シーズンや政府の観光振興策である全国旅行支援も重なって、大盛況となった。新聞報道によると、車内は混雑して座れないほどで「通勤時の山手線のようで景色を見る余裕がない」との嘆きが聞かれるほどだったという。半年以上経過して、現在はどういう状況なのか、記者が実際に只見線に乗ってみた。 大型連休前半の4月30日、会津若松(会津若松市)7時41分発の列車に乗り込んだ。2両編成で乗客は十数人。そのうち、半分は大きいバッグを抱えた観光客だった。6時8分発の始発にも毎日10人ほどの乗客がいるようだ。 出発後、七日町(同)、西若松(同)から、会津西陵高校(旧大沼高校、旧坂下高校)の生徒が乗り込み、あっという間に満席になった。だが、同高校がある会津高田(会津美里町)でぞろぞろ降り、車内に残ったのは数人。全線再開通フィーバーは完全に終息したようだ。 代わり映えしない水田の風景にうとうとしていると、いつの間にか奥会津に入っていた。只見川に差し掛かるところで景色を見せるために減速運転したので、スマホを取り出して撮影した。エメラルドグリーンの川面が美しく、席から立ち上がって眺める乗客もいた。  只見川の風景を撮影する乗客  感動したのは、只見線を見かけた近隣住民がみな手を振ってくれること。地域全体で盛り上げようとしている思いが伝わって来た。 一方で、いわゆる〝撮り鉄〟が山の中にいる姿には何度かギョッとさせられた。離れたところから撮っているのだろうが、車内から見ると、目の前に突然現れたように感じる。 会津若松を出発してから約3時間後の10時45分、目的地の只見駅に到着。降車客が多いと勝手に思い込んでいたが、大半が終点・小出(新潟県魚沼市)行きの列車に乗り換えた。 記者がまず足を運ぼうと考えたのは田子倉ダム。というのも、只見町は、只見線乗客向けの観光周遊バス「自然首都・只見号」の実証実験(乗車1回200円、土、日、祝日のみ運行)を4月29日からスタートしていた。それをフル活用して、ダムの絶景をスマホに収め、弊誌のツイッターで投稿しようと考えていたのだ。 観光周遊バス「自然首都・只見号」時刻表  ところが、駅で時刻表を確認すると、田子倉ダム行きのバスは10時発と14時35分発のみ。会津若松発6時8分の始発に乗らないと間に合わないことになる。自分の詰めの甘さと、シビアすぎる時刻表設定に泣いた。 時間が空いたので、全線再開通に合わせて駅前に整備された賑わい拠点施設「只見線広場」に足を運んだ。会津ただみ振興公社が運営する土産コーナーや軽食コーナー、同施設を運営する只見町インフォメーションセンターが入っている。 只見駅前に整備された賑わい拠点施設「只見線広場」  別棟には、同町のご当地B級グルメ「味付けマトンケバブ」が味わえるカフェ、同町に立地する米焼酎メーカーで、国内外から高い評価を受ける「合同会社ねっか」の只見駅前醸造所も入居している。 同センターによると、昨年10月は月間5000人以上が利用し、その後減少したものの、今年4月は月間1210人が訪れたとのこと。約30分の停車時間に、乗客が土産物を買い求める姿も見られた。 とりあえずカフェで味付けマトンケバブとホットコーヒーを頼んで時間を潰す。店員に利用状況を尋ねると、最近は落ち着きつつあるが、それでも利用客は多いとのこと。 隣の席でどぶろく(合同会社ねっか只見駅前醸造所で販売している)を飲んでいた年配男性に声をかけると首都圏から来た人だった。 「只見と会津田島(会津鉄道会津線=南会津町)を結ぶ定期路線ワゴン『自然首都・只見号』でここまで来た。不通区間がある頃に来て以来、毎年訪れている」(年配男性) 定期路線ワゴンは意外と利用者が多いようで、全線再開通直後の混雑時には、「終点まで立ちっぱなしは嫌だ」と会津田島駅経由で帰る人が続出し、2台運行するほどだったとか。このほか、北東北へのドライブ旅行中に立ち寄った北陸地方在住の夫婦もおり、只見線全線再開通の報道を機に、興味を持って足を運ぶ人が増えたことがうかがえた。 使い勝手が悪い周遊バス  田子倉ダム行きのバスが発車する14時35分までの待ち時間で何かできないか。タクシー会社に電話したが運転手が出払っているのかつながらなかった。4時間5500円のレンタカーには手が出ない。 やむなく観光周遊バスの時刻表とにらめっこしていたところ、駅12時発の便に乗れば、町の第三セクターが運営する温泉宿泊施設「季の郷湯ら里」で日帰り入浴して、駅まで戻ってこられることが判明した。 風呂に浸かって、旅の疲れを取るのも悪くない。意気揚々とマイクロバスに乗り込むと、乗客は自分1人だった。同バスは今年12月3日まで運行予定とのことだが、来年以降継続できるのか不安になった。 「湯ら里」の温泉はナトリウム塩化物硫酸塩温泉。適応症は神経痛、筋肉痛、関節痛など。利用料700円。源泉かけ流しの日帰り専用温泉施設「深沢温泉むら湯」も隣接しており、赤褐色の湯を求めて訪れる人が多い。こちらは利用料600円。食堂の看板メニューは手打ちそば。 昼時で混雑している「むら湯」を避け、「湯ら里」を利用することにした。ところどころ老朽化が目立ったが、広い大浴場や露天風呂でゆっくり体を温めることができた。 帰り道のバスで運転手に田子倉ダムの様子を尋ねたところ、「午前中唯一の乗客がダムで降りたが、『霧で何も見えなかった』と帰り道こぼしていた」と教えられた。只見駅で話を聞いた町民からは「ダムのふもとの施設・田子倉レイクビューは現在営業していない」と聞かされた。 午後出発する会津若松行きの列車は14時35分発と18時発。田子倉ダム行きのバスは前述の通り14時35分発。田子倉ダムに行って収穫ゼロに終わり、駅近くで再び18時まで時間を潰すのはさすがに厳しい。スマホの充電も少なくなってきた。ずいぶん迷った結果、14時35分発の只見線で帰途に就くことにした。 小出方面からの乗客は20人ほど。一度見た風景なので退屈な帰り道になるのを覚悟していたところ、地元NPO法人「そらとぶ教室」のメンバーが同乗し、車窓の見どころをガイドしてくれた。乗客が多い週末午後の便に乗り込み、ボランティアでガイド活動をしているのだという。 会津川口からは別の観光関係者が引き続きガイドをしてくれた。併せて地元の土産品を販売し、複数の乗客が買い求めていた。漫然と乗っているよりも観光気分が高まったし、沿線自治体に関心を持った人が多いのではないか。 17時24分、会津若松に到着すると、乗客の大半がホームの反対側の磐越西線(郡山行き)に乗り込んだ。おそらく郡山駅から新幹線を使って居住地まで帰るのだろう。 鍵を握る二次交通整備  福島市の自宅からの移動時間を含め、約13時間の日帰り旅(うち只見町に滞在したのは約4時間)。痛感したのは、便数が少ないので気軽に途中下車しづらいことだ。現在、週末には臨時列車が運行しているが、それでも2、3時間に1本のペース。 そもそも只見線の乗客の大半にとって、「乗ること」そのものが目的になっており、途中下車しない傾向がうかがえた。これでは沿線自治体にお金は落ちない。 もちろんそうした中でも恩恵を受けている事業者はいる。同町内のレンタカー業者・エスネットレンタカーの担当者は「只見線で旅行に来た家族・グループの方によく利用してもらうようになった」と語り、只見町旅館業組合長の菅家和人さんは「冬の閑散期を除き、週末は満室になっている」と話す。いかに幅広い業種に経済効果をもたらすことができるかが今後の課題となる。 県が4月25日に発表した第二期只見線利活用計画では、観光列車の定期運行実現、ビューポイント整備、体験学習提供、インバウンド強化、魅力発信など10の重点プロジェクトが掲げられている。こうしたプロジェクトで、地元にお金が落ちる仕組みを構築できるだろうか。 今後の鍵を握るのは二次交通の整備だろう。県や沿線自治体では今後5年間で二次交通を充実させる方針で、6月には鉄道と駐車場・バスを組み合わせて観光しやすくする「パークアンドライドバス」の導入を検討しているという。「少しの区間なら只見線に乗ってみたい」、「沿線自治体をいろいろ巡りたい」など、さまざまな需要に応えられるように環境整備していくことで、途中下車して沿線自治体に立ち寄る乗客も増えていくのではないか。 仮に再び災害が起きて線路や鉄橋が流失したときは県や沿線自治体で全額負担することになる。今後は老朽化の問題も出てくるだろう。税金をかけるのにふさわしい経済効果を生み出しているのか、常に問われ続けることになる。 県の平成31年度包括外部監査報告書 (県包括外部監査人・橋本寿氏ら公認会計士が作成)では只見線復旧事業についてこう述べていた。 《会津川口駅―只見駅間の鉄路復旧、只見線の全線開通それ自体が、特に経済的価値を生む訳ではなく、過疎、人口減少に対する地域振興策でもない。それを望むのであれば、不通になる以前に達成できていたはずである。只見線が1本に繋がってこそ意味があり、機能を発揮すると考えるのは共同幻想にすぎない。約 54億円は別の事業で有効活用できたのではないか》(141ページ) 県只見線管理事務所の担当者は「乗客の中には途中下車して沿線自治体で宿泊する人もいる。沿線自治体ととともに、引き続き利活用促進に取り組んでいく」と述べる。 全線再開通フィーバーがひと段落したここからが只見線(県、沿線自治体)にとって正念場となる。

  • 飯坂・吉川屋社長が選んだお薦めマンガ

    【飯坂】穴原温泉・吉川屋【畠正樹】社長が選んだ【おすすめマンガ】

     福島市飯坂町の穴原温泉・吉川屋では、4月1日、館内に名作漫画を並べたブックラウンジを開設した。同旅館の畠正樹社長(45)にラウンジ設置の狙いやおすすめ漫画、さらには飯坂温泉をモチーフとしたご当地キャラクター「飯坂真尋ちゃん」を用いた地域振興の取り組みについて語ってもらった。(志賀) 温泉旅館内の遊休施設を漫画コーナーに改装 ブックラウンジ「ふくろう」を紹介する畠社長  吉川屋は1841(天保12)年創業の温泉旅館。客室数126。天皇・皇后をはじめ皇室が利用する宿としても知られ、旅行新聞新社主催の「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選2023」で全国総合11位に選ばれた人気の宿だ。 そんな同旅館の7代目社長・畠正樹社長は大の漫画好きで、4月1日には約4000冊の漫画を備えた宿泊者向けブックラウンジ「ふくろう」をオープンした。開設の狙いを畠社長はこのように語る。 「もともとは宿泊客の宴会の二次会で使われていたクラブだったが、コロナ禍前から稼働率が低く、景色が良い場所なので、もったいないと考えていました。コロナ禍で団体旅行から個人・少人数旅行への切り替えが急速に進む中、思い切ってクラブをなくし、かねてからの夢だった漫画専用のブックラウンジを整備することにしたのです」 福島市が観光関連事業者をサポートするために設けた「周遊スポット魅力アップ支援事業」に採択され、約1000万円かけてリニューアル。ブックラウンジと併せて、バーだった場所にはボルダリング設備を備えたファミリースペース「あそびば」を整備した。さらにフロント脇には、蛇口をひねるとモモやブドウ、リンゴなど季節ごとに違うジュースが味わえるジューススタンドを設置した。 フルーツジューススタンド  各施設のロゴやジューススタンドのイラストデザインは、福島学院大情報ビジネス学科の学生が担当した。 特筆すべきは、ブックラウンジの漫画は、畠社長自身が厳選したものだということ。「古本屋チェーンのブックオフを通してまとめ買いし、過去に読んで面白かったものを中心に選びました。和食や温泉に加え、日本の文化である漫画も旅館で楽しめるというコンセプトです。旅先で人生を変える1冊に出合うというのも、最高の体験だと思います」 実は畠社長、大学時代から本格的に漫画を描いており、出版社に持ち込みまでしていた異色の経歴の持ち主。果たしてどんな作品をセレクトしたのか。かつて夢中になった作品、衝撃を受けた作品などをいくつか紹介してもらった。 ①『HUNTER×HUNTER』(冨樫義博、集英社)既刊37巻 HUNTER×HUNTER 1posted with ヨメレバ冨樫 義博 集英社 1998年06月04日 楽天ブックスAmazonKindle  少年ゴン・フリークスとその仲間たちの活躍を描く冒険活劇。 「『面白い漫画』という点では間違いなく3本の指に入る。読者をワクワクさせる物語・伏線の作り方は神クラス。漫画にはさまざまな表現があるが、シンプルな面白さという点で頭一つ抜けています」 ②『BASTARD!!』(萩原一至、集英社)既刊27巻 BASTARD!! 1posted with ヨメレバ萩原 一至 集英社 1988年08月10日 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  魔法使いダーク・シュナイダーが戦い続けるファンタジー作品。 「物語もさることながら、圧倒的な画力による精密な作画は週刊連載レベルではない。中学生のころから読み始め、一番影響を受けた作品と言っても過言ではありません。『新世紀エヴァンゲリオン』が話題になる前から、宗教をテーマにしていたのも新しかったと思います」 ③『プラネテス』(幸村誠、講談社)全4巻 プラネテス(1)posted with ヨメレバ幸村誠 講談社 2001年01月22日 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  スペースデブリ(宇宙ごみ)の回収業に従事する青年が、自分と向き合いながら成長していく姿を描く、新感覚のSF作品。 「大学時代、漫画家を夢見てオリジナル作品を漫画誌編集部に持ち込んだが、評価されることはなく、『もっと人間を描け』とアドバイスされた。20歳そこそこで人間の深みなんて表現できるわけがない。人生に迷っているときに読んで心に染みました。青春を代表する1冊です」 「大河ドラマ超える傑作」 畠社長が挙げてくれたお薦め漫画 ④『ゴールデンカムイ』(野田サトル、集英社)全31巻 ゴールデンカムイ 1posted with ヨメレバ野田サトル 集英社 2015年01月19日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  明治末期の北海道・樺太を舞台に、アイヌの埋蔵金をめぐって戦うサバイバル漫画。 「漫画アプリで全巻無料になっているときに知って夢中で読み、本棚に入れることを決めました。徹底した時代考証でアイヌの文化を描きつつ、しっかりストーリーを盛り上げる。個人的には大河ドラマを超えた傑作。日本の漫画の価値は多様性にある、とあらためて感じました」 ⑤『攻殻機動隊』(士郎正宗、講談社)全3巻 攻殻機動隊(1)posted with ヨメレバ士郎 正宗 講談社 1991年10月02日 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  電脳化・サイボーグ技術が発達した未来の日本で、デジタル犯罪に対応する「公安9課」が奔走する物語。 「20年以上前の作品ですが、インターネットが発達した現在の問題を描いていることに驚かされます。アニメ版と合わせて多くのクリエイターに影響を与え、その遺伝子はさまざまな作品に引き継がれている。そういう意味では、日本の漫画・アニメ文化を象徴する作品です」 これ以外にもさまざまな作品を選び、熱い思いを語ってくれた畠社長(写真参照)。ブックラウンジのソファーにはスマホなどが充電できるUSBポートが設置されており、時間を気にせず快適に過ごすことができる。まさに漫画好きの畠社長の理想が反映されていると言える。 今後の展望に関しては「自分の思い出の1冊に再会すると自然と会話が広がるもの。漫画好きな人同士がコミュニケーションを取る場、新たな作品と出合う場になってほしいです。イベントや朗読会の場として活用することも検討していきたい」と明かした。 同旅館のブックラウンジが、福島市におけるアニメ・漫画文化の情報発信地となっていくかもしれない。 漫画以外にもアニメ、ゲームを愛する〝オタク〟であることを隠さない畠社長。その熱量は思わぬ形で経済効果を生みつつある。それが「飯坂真尋ちゃん」の取り組みだ。 全国の温泉をモチーフとしたキャラクターをつくり、漫画・小説・音楽などを展開する「温泉むすめ」というプロジェクトがある。エンバウンド(東京都、橋本竜社長=郡山市出身)が手がける企画だが、その中で飯坂温泉代表として制作されたのが「飯坂真尋ちゃん」だった。 飯坂温泉観光協会に立ち寄ったファンの一言でその存在を知った畠社長。「地域を、温泉地を沸かせたい」という同プロジェクトの理念に共感し、公式に応援することを決めた。 青年部や地域を巻き込みながら、「飯坂真尋ちゃんプロジェクト」を立ち上げ、2019年2月には、観光協会に等身大パネルを設置。地元商店とコラボしたデザインのイラストやオリジナルグッズも制作した。同年9月には架空のキャラクターながら飯坂温泉特別観光大使に就任し、担当声優の吉岡茉祐さんのトークイベントが開催された。 2020年に「真尋ちゃん音頭」のクラウドファンディングを実施したところ、全国のファンから約360万円の支援を受けた。2022年に行われた生誕祭では、さまざまなコラボデザインの中からお気に入りを選ぶ「飯坂真尋ちゃん総選挙」が行われた。畠社長によると、こうした企画ができるほど「温泉むすめ」のコラボデザインが作られた温泉地はほかにないという。 福島交通飯坂線の飯坂温泉駅前には「飯坂真尋ちゃん」の大きな看板が立てられた。温泉街の中にはラッピング自販機が設置され、「真尋ちゃん神社」が開設された。ついには、スマホのGPSやカメラと連動し、「飯坂真尋ちゃん」が声と動きで飯坂温泉をガイドしてくれるサービスが、観光庁の補助事業で展開された。架空のキャラクターが、現実に存在するアイドルのようになりつつある。 ファンと共に地域振興 飯坂真尋ちゃん(Ⓒ️ONSEN MUSUME PROJECT)  年1回の声優トークイベントには約800人のファンが訪れ、宿泊、飲食、土産品購入などでお金を落とす。地元の新聞・テレビも注目し、福島学院大学や地元企業とも連携。盛り上がりに対応するため、同プロジェクトでは1、2カ月に1回、会議を行い、地域内での連携を深めている。「飯坂真尋ちゃん」をきっかけとした好循環が広がっている。 「もともと温泉むすめは『温泉地の神様が地域を盛り上げるため、人の姿となって、アイドル活動をしている』という設定。『飯坂真尋ちゃん』はまさしく地域を盛り上げ、われわれに一体感・成功体験を与えてくれました」(畠社長) 活動を続けるうちに、「飯坂真尋ちゃん」をモチーフとした痛車(アニメキャラなどがあしらわれた車)やコスプレ、同人誌即売会など、さまざまな〝オタク向けイベント〟も開催されるようになった。これまでの活動を通して、〝オタクに理解がある温泉街〟として認識されたということだろう。 その中心にいたのは、〝オタク文化〟を愛し、誰よりも「飯坂真尋ちゃん」を推している畠社長だ。 「オタクは自分の趣味を静かに楽しむ一方で、関心がある分野への出資を惜しまないもの。温泉地にとってとても良いお客さんであり、先入観を持たずに多様な受け入れをしていく必要があります。今後もファンととともに、『飯坂真尋ちゃん』の取り組みを盛り上げ、地域振興につなげていきたいと思います」(同) かつて漫画家になる夢をあきらめた青年はいま、日本一〝オタク愛〟が深い温泉旅館の社長として、魅力的な旅館づくりと温泉街の振興に奔走している。 楽天トラベルで吉川屋の宿泊予約をする

  • 相馬福島道路が長期間の通行止め

     8月3日、相馬福島道路(東北中央自動車道)の法面の一部に崩落の恐れが確認されたとして、霊山インターチェンジ(IC)―伊達中央IC間(延長7・4㌔)が通行止めとなった。そこから1カ月近く不通が続き、利用者や近隣住民は不便な生活を強いられている。 災害に弱い「横軸」は相変わらず!?  相馬福島道路は、東日本大震災を受けて「復興支援道路」として整備された。常磐道(相馬市)と東北道(桑折町)を結ぶ約45㌔の高規格道路(自動車専用道路)で、2021年4月に全線開通した。  無料で走行できることもあり、相馬地方と県北地方を結ぶ主要道路として、物流、観光、医療などさまざまな用途で使われているが、そんな同道路の一部が斜面崩落により1カ月にわたり通行止めとなった。  同事務所によると、現場は伊達市保原町大柳の下り線の法面で、5月ごろから一部が隆起し、8月3日ごろに崩落。現場は幅約30㍍、高さ約25㍍にまで拡大し、崩れた石などが散乱した。同事務所によると、法面に含まれる凝灰岩が地下水などを吸い込み膨張した後に乾燥したことで、崩壊しやすくなったのが原因とみられるという。  同17日にようやく崩落が落ち着き、応急復旧工事に着手。9月10日ごろまでに完了する見通しだ。  観光シーズンの夏休み期間に道路が寸断されたことで、大きな痛手を受けたのが、霊山ICに隣接する伊達市霊山町の道の駅伊達の郷りょうぜんだ。駅長の三浦真也さんは「客足、売り上げともに1割程度下がっている。道の駅にモモを納入している伊達町の生産者がいるが、通常は15分ぐらいで来られるのに通行止めで倍ぐらい時間がかかるため、1日の納品回数を減らすなどの対応を取った。そのため、商品数が少なくなり、売り場作りに難儀した面もありました」と語る。  国道115号の旧道は、多数の線形不良箇所、異常気象時に通行止めを行う「事前通行規制区間」などがあり、大雨などの災害時に不通になりやすかった。2006(平成18)年には大雨による落石で約1カ月間の全面通行止めとなり、物流、生活、観光など、多方面に大きな影響が出た。  そんな旧道に代わる道路として開通したのが相馬福島道路だったわけだが、2021年10月の令和元年東日本台風の時は、相馬市内の楢這トンネル付近で土砂崩れが発生したため、通行止めとなっている。  昨年3月16日の福島県沖地震でも、段差などが発生したため通行できなくなり、伊達桑折ICから相馬ICまで行くのは困難だった(本誌2022年4月号参照)。  要するに、災害時の弱さは何も変わっていないわけ。  伊達市では昨年3月の福島県沖地震で阿武隈川に架かる国道399号の伊達橋が被災し、通行止めになった。それ以降、相馬福島道路は迂回路として使われていたが、それも通行止めとなり、伊達町在住の伊達市民はさらに影響を受けるなど二重の被害を受けた格好だ。ガソリン価格が高騰する中で、燃料が余計にかかる影響もあるだろう。  同市ではイオンモール北福島(仮称)が開業を控えているが、相馬福島道路が頻繁に通行止めになるようでは客の流れに影響する。福島市と相馬市をつなぐ「横軸」の機能を強化する意味でも、真の意味で災害に強い道路が求められる。

  • コロナ「5類」移行後の【会津若松市】観光事情

     5月8日から、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが、季節性インフルエンザと同じ「5類」になった。これに伴い、法律に基づく外出自粛や行動制限などが発せられることがなくなり、イベントや観光などの機運が高まっている。「5類」移行の影響はどうなのか、会津若松市観光業の状況を探った。 夏休み、秋のシーズンに期待 東山温泉  会津若松市を取材対象にした理由は、1つはデータの取りまとめが非常に早いこと。速報値ではあるものの、7月中旬に同市観光課に問い合わせると、すでに市内観光各所の6月分のデータがまとめられていた。 それだけ、行政の観光セクションがしっかりしており、行政と観光関連施設などの連携が図れている証拠だろう。見方を変えると、同市において観光業はそれだけ大きな産業で、観光業の浮沈が市内経済に大きな影響を及ぼすということでもある。それが同市を取材対象にしたもう1つの理由だ。 別表はコロナ前の2019年、コロナの感染拡大が顕著になった2020年、昨年、今年の上半期(1〜6月)の同市内の主な観光地の入り込み数・利用者数をまとめたもの(市観光課調べのデータを基に本誌作成、2023年は速報値)。 鶴ヶ城天守閣 2019年2020年2022年2023年1月1万8387人2万4751人1万0174人7205人2月2万0880人2万6234人7144人6537人3月2万9821人2万0491人1万4766人1万1370人4月7万9325人4170人3万5654人5万0713人5月7万5462人1130人4万8486人6万5887人6月5万1127人9672人4万0344人5万2626人計27万5002人8万6376人15万6568人19万4338人 麟閣(※鶴ヶ城公園内の茶室) 2019年2020年2022年2023年1月1万1900人1万4287人6962人4755人2月1万0835人1万2529人5064人4161人3月2万0285人1万4943人1万0477人8577人4月4万8042人3419人2万4150人3万2038人5月4万5159人827人3万0558人3万7735人6月2万2326人7706人1万6832人2万1800人計15万8547人5万3711人9万4043人10万9066人 御薬園 2019年2020年2022年2023年1月1261人2213人594人908人2月2593人2607人470人2153人3月2308人1500人1136人2191人4月5181人389人3010人3895人5月6512人155人4488人5235人6月4633人1466人3379人4101人計2万2488人8330人1万3077人1万8483人 県立博物館 2019年2020年2022年2023年1月1179人1659人1377人1942人2月2336人2967人3660人4167人3月3825人2291人2806人4162人4月6134人551人4082人4227人5月9892人609人1万2169人1万0687人6月1万0159人2546人1万2071人未集計計3万3525人1万0623人3万6165人2万5185人 東山温泉 2019年2020年2022年2023年1月3万4278人3万7793人2万8225人2万6311人2月3万3921人3万0388人1万5224人2万5665人3月5万2957人2万9279人2万6612人4万3381人4月4万1440人7512人3万6629人3万7387人5月3万9746人3482人4万1143人4万1203人6月4万3744人1万1884人3万3535人4万4489人計24万6086人12万0338人18万1368人21万8436人 芦ノ牧温泉 2019年2020年2022年2023年1月1万4238人1万6680人8625人9455人2月1万7638人1万9828人4952人1万0936人3月1万7064人1万1310人8785人1万3185人4月1万9578人3629人1万1306人1万1481人5月1万7727人80人1万1805人1万3545人6月1万8876人3732人9607人1万1449人計10万5121人5万5259人5万5080人7万0051人 民間施設 2019年2020年2022年2023年1月1万0884人1万2945人6480人7555人2月1万4400人1万4332人5366人9545人3月2万1821人1万3104人1万1366人2万2551人4月4万6851人3915人2万3504人3万0787人5月5万9000人268人4万2305人4万8743人6月5万3130人6498人4万2789人4万7319人計20万6086人5万1062人13万1810人16万6500人※武家屋敷、白虎隊記念館、駅cafe、日新館、 飯盛山スロープコンベア、会津ブランド館、会津村の合計  コロナの感染拡大が顕著になった2020年は前年比(コロナ前)で大幅なマイナスになっている。コロナ感染が国内で初めて確認されたのが2020年1月、本格的に影響が出てきたのが2月末ごろ。それを裏付けるように、同年3月は前年同月比で30〜40%減、4月は80〜90%減、5月は90%以上の減少となっている。 同年4月17日、全国に緊急事態宣言が出され、鶴ヶ城天守閣、茶室麟閣、御薬園の主要観光施設は4月18日から5月27日まで休館した。例年同時期に開催されていた「鶴ヶ城さくらまつり」も中止になった。ゴールデンウイークの書き入れ時がゼロになったのだ。 観光客の激減は、その分だけマーケットが縮小したことになり、観光業を生業としている関係者は大きな影響を受けた。それはすなわち、収入減にほかならず、結果、あらゆる分野において地域内の消費が減るといった事態を招く。そうした点からも、同市にとって重要な産業である観光業の立て直しは、大きな課題になっていた。 そんな中、昨年はコロナ直後からだいぶ回復しており、さらに今年はコロナ前には及ばないまでも、かなり戻っていることがうかがえる。施設にもよるが、少ないところで70%程度、多いところでは90%近くまで戻っている。 コロナ前以上の鶴ヶ城 5類移行後はコロナ前を上回る入場者となっている鶴ヶ城天守閣  月別に見ると、5類移行後の今年5、6月はコロナ前に近い数字か、施設によってはコロナ前を上回っている。これは5類移行の影響と見ていいのか。 「『5類』に移行したのはゴールデンウイーク明けで、その後は観光地にとって〝平時〟だったこともあり、正直、よく分からないですね。一昨年、昨年よりは良くなったのは間違いありませんが、徐々に戻ってきている延長線上と捉えるべきなのか、5類移行の影響なのかは測りがたい。これから夏休み、秋の観光シーズンになってどう動くかでしょうね」(市内の観光業関係者) こうした見方がある一方で、「やはり、5類移行の影響は大なり小なりあると思いますよ。『いままでは旅行を控えていたけど、制約がなくなったことだし、出かけてみようか』という気になるでしょうから」(別の観光業関係者)との声もあった。 さらにはこんな見方も。 「いい意味で、5類移行の影響はあると思います。ただ、それによって、海外旅行への制限・制約もなくなりますから、『これまでは近場、国内で我慢していたけど、せっかくだから海外に行こうか』という人も今後は増えてくると思います。もっとも、5類移行とは関係なく、いつの時代も、海外を含めたほかの観光地との競争があることは変わりませんけどね。その中で、どうやって人を呼び込むかということです」(温泉地の関係者) 共同通信配信のネット記事(7月11日配信)によると、海外旅行については、まだまだ不安が大きいとのアンケート結果が出ているという。以下は同記事より。 《調査会社インテージ(東京)が(7月)11日発表した夏休みの意識調査によると、半数が海外旅行に「不安」があると答えた。今夏に海外旅行を予定しているのは2・0%。昨夏(0・8%)より増えたが、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類に移行しても渡航に慎重な人が多いようだ。全国の15~79歳のモニターを対象にインターネットで6月26~28日にアンケートを実施。2513人から回答を得た。海外旅行に関し、27・7%が「不安がある」、23・2%は「やや不安がある」とした。「不安はない」は9・5%、「あまり不安はない」が11・1%だった》 こうしたアンケートを見ると、5類移行後、すぐに海外旅行に行く人は少なそうだが、今後はそういった需要も増えてくるだろう。逆に海外から来る人も増えるから、温泉地の関係者が語っていたように、「海外を含めたほかの観光地との競争の中で、どうやって人を呼び込むか」に尽きよう。 鶴ヶ城天守閣、麟閣、御薬園を運営する会津若松観光ビューローによると、「(5類移行で)やはり雰囲気的に違う」としつつ、「その中でも、以前とは様相が変わってきている」という。 「鶴ヶ城天守閣は、5類移行後の今年6月と7月途中(本誌取材時の7月中旬)までは、2019年同月比で来場者数が100%を超えています。詳細を見ると、教育旅行は例年並みで、それ以外の団体ツアー客はコロナ前には戻っていません。その分、個人客が増えています。外国人も増えていますが、それについても以前のような団体ツアーではなく、数人でレンタカーを借りて、といった形が増えています」(同ビューローの担当者) 鶴ヶ城天守閣は昨年10月から今年4月27日まで、リニューアル工事を行っており、4月末からの大型連休に合わせて再オープンした。そのため、「新しくなった鶴ヶ城に行ってみよう」と、地元・近場の人の来場があったようだ。そういった事情から、6月、7月途中(本誌取材時)まではコロナ前(2019年)より来場者が増えた背景もあるが、①団体ツアー客が減り個人客が増えた、②その傾向は外国人も同様――といった状況だという。 ほかの観光施設の関係者などに聞いても、似たような傾向にあるようで、それがこれからしばらくの観光の主流になってくるのだろう。「ウィズコロナ的観光需要」といったところか。 夏以降の感染拡大に注意  こうして聞くと、5類移行後は多少なりとも状況が変わっていると言えそうだが、夏休みや秋の観光シーズンの動きはどうか。 「コロナ禍以降は、(観光客のコロナ感染や濃厚接触の疑いなどで)突然のキャンセルのリスクがあるため、あまり先の予約を取らないようになっています。そのため、各施設の夏休みや秋の観光シーズンの動き、予約状況などはつかめていません」(市観光課) 「鶴ヶ城は予約して来られる方は少ないので、夏休みや秋の観光シーズンの見通しはまだ何とも言えませんが、5類移行後はコロナ前(2019年)と同等かそれ以上の方に来ていただいているので、期待はしています」(前出・会津若松観光ビューローの担当者) 「予約してくる人は少ないので、まだ何とも分からないが、少なくとも夏休みの出だしとしては、昨年よりはいいと思います」(観光施設近くの土産店) 「だいぶ戻っているのは間違いありませんが、5類移行後、夏休みに向けては普通に推移している、といったところでしょうか。コロナ禍で受けたダメージが大きいので、それを補うにはまだまだ時間がかかると思います」(東山温泉観光協会) 観光業界関係者の多くが今後に向けて、期待を抱いていることがうかがえた。 一方で、温泉旅館・ホテルではこんな問題も抱えている。温泉旅館・ホテルでは、コロナ禍に従業員を整理したところが多い。その後、ある程度、宿泊客が戻ってきた段階で再度、従業員の募集をかけたが、なかなか応募がない、といった状況に陥っているという。当然、従業員にも生活があるから、温泉旅館・ホテルで仕事がないとなれば、別の業種に就くだろう。そんな事情もあって、人手が足らずキャパいっぱいまで宿泊客を入れられないところもあるというのだ。 コロナの後遺症とも言える状況だが、今後は受け入れる側も、コロナで崩れた体制を整え、平常運転ができるようにしていく必要があるということだろう。 一方で、感染症法上の位置付けが変わったとしても、コロナがなくなったわけではない。 厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」の7月7日の会合では、「新規患者数は、4月上旬以降緩やかな増加傾向となっており、5類移行後も7週連続で増加が継続している」と報告された。 そのうえで、「今後の見通し」として次のように指摘している。 ○過去の状況等を踏まえると、新規患者数の増加傾向が継続し、夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある。また、感染拡大により医療提供体制への負荷を増大させる場合も考えられる。 ○自然感染やワクチン接種による免疫の減衰や、より免疫逃避が起こる可能性のある株の割合の増加、また、夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要。 「夏の間に一定の感染拡大が生じる可能性がある」、「夏休み等による今後の接触機会の増加等が感染状況に与える影響についても注意が必要」と指摘しており、夏休みシーズン後のコロナの感染状況にも注意が必要だ。

  • 【実録】立ち退きを迫られる会津若松在住男性

     もし、祖父の代から住んでいる土地を正当な理由もなく追い出されそうになったら、万人が立ち向かえるだろうか。これは、会津若松市で監視カメラを武器に転売集団と闘い続けるある男の記録である。(敬称略) 監視カメラで転売集団に応戦 居住者のXに立ち退きを迫る太田正吾(左)  2023年3月9日午後2時45分ごろ、ブオンブオンとうなり声をあげた白のミニバンが、会津若松市馬場町にあるX(70代)の家の前の駐車場に入ってきた。 助手席から真っ黒に日焼けた顔にオールバック、ネクタイ姿、ベストを着た男が降りてきた。きちんとした身なりではあるが、発する言葉は荒っぽかった。 「俺、もう許さねえからな」 「この土地は俺が買ったんだから」 「あんまり怒らせんなよ! おらあっ!」 男はすたすたとミニバンの助手席に戻り、何やら書類を取り出して、体の前でひらひらして見せた。 「俺が買って持ってるからな」 ミニバンのボンネットに書類を広げてXに見せた。 「俺、最初に言ってんじゃん。買うよって」 Xによると、男は「この土地は全部、俺がYから2200万円で買った。今なら話に乗ってやる」と言ったという。Xは「脅す一方で二束三文の金をちらつかせて体よく追い出すつもりだな」と思った。Xが応じないと分かると、男は「不法入居者」と呼び、駐車場の利用者の名前が書かれている札や張り紙などを剥がして持ち去った。監視カメラの映像を見ると、確かに手に張り紙を持ち、画面内を移動する姿がある。 監視カメラのマイクには、「許さねえからな。俺、家ぶっ壊しちゃうからな」との発言や、Xが「居住権というのがあるから」と言ったのに対し、「ねえから」と即答したやり取りが収められていた。 Xが当日を振り返る。 「男は太田正吾と名乗りました。この日の前には不動産会社を連れて来ました。立ち退きを迫ろうと脅かしに来たのだろう。そもそも、この土地は私の隣家が所有しており、100年以上前、私の祖父の代から借地料を払って住んでいました」 登記簿を確認すると、1941年に隣家が売買で土地を取得。以来一族で所有権の相続を続けていた。 「隣家の高齢夫婦が亡くなると、県外の親族が相続しました。親族は土地を手放したがっていて、私に買い手を探すよう頼んだ。そこで、近所の顔なじみで店を経営する資産家のY(70代)に持ち掛けました。今考えるとそれが間違いでした」(X) Xは隣家の親族から「ブローカーのような怪しいところには売りたくない」と言われていた。隣家の親族から委任を受けて買い手を探し、転売しないという約束のもと購入に前向きだったのがYだったという。 「①転売しない、②そのためにYが経営する店の名義で購入し、店が保有する、との条件で2019年に私とY、隣家の親族が立ち会って売買に合意しました。Yとは長い付き合いで信頼しており、契約書は取り交わす必要もないと思った。ところが、②の店の名義で購入する約束が早速破られたんです」(X) 登記簿によると、確かに2019年12月27日にYが購入したことになっている。ただし名義は、Yの経営する店ではなく、Y個人だ。売買の書類が取り交わされたことを、Xは所有権の移転が既に終わった後に自分で調べて知った。 「Yは司法書士に頼んで、県外にいる隣家の親族に売買契約の書類を郵送しました。親族は司法書士から送られてきた書類に、言われた通り書き込んで押印し、返送したそうです。宅建業法に定められた重要事項説明書は交付されておらず、本来は無効な取引でした」(X) ①の約束、「転売しない」も破られた。登記簿によると、今年2月7日に前出の太田正吾(東京都東村山市)に土地が売り渡された。冒頭に紹介した映像で、太田は「家を出ろ」とXに迫っていた。 今回、立ち退きを迫られている馬場町の土地は約230坪で、Xの一族は、その一角に祖父の代から所有者に家賃を払い、100年以上住んできたという。現在はXの息子が暮らし、Xはパソコンなどの機器を置いて仕事場にして、日中の大半はこの家にいるという。 「私には居住権があり、無理やり立ち退かせることはできません。太田たちは法律上追い出すのは難しいので、脅しという強硬手段に及んだとみています」(X) Xは、Yがはなから転売を目的に土地を購入したのではないかと疑っている。太田が昨年11月17日に初めてX宅を訪れた時、郡山市の不動産業者を引き連れていたからだ。それ以前には、郡山市の建設会社から土地の売買を持ち掛けられたという同市の設計士が訪ねてきた。Xが、Yとの間に土地トラブルがあると説明すると、「買わないし2度と来ない」と言って立ち去ったという。 「設計士や不動産業者が来たのは太田が土地を購入する前、まだYが所有している時です。Yは太田、不動産業者と共謀していたのではないでしょうか。太田はYから譲り受けた所有権を根拠に、脅しを掛けて追い出す役回りです。登記上はYから太田に所有権が移っていますが、本当に金銭が支払われたのだろうかと私は疑っています」(X) 「黒幕」とされる男  筆者はXが「黒幕」とするYの店を訪ねた。馬場町の問題の土地からごく近所だ。 ――Xは土地を追い出されそうになっている。 「追い出されるっていうのは買った人の責任だ。俺は売っただけから」 ――Xはあなたからずっと住み続けてもいいと言われたそうだが。 「言った覚えはない」 ――Xには転売すると伝えて土地を購入したのか。 「伝えてない。どうなるか分からないが、売ってだめだという条件はなかった」 ――どうして太田正吾に売ったのか。 「そんなのおめえに言う必要あるめえ。そんなことには答えねえ」 ――太田と一緒にXの家に来た郡山市の不動産業者とはどういう関係か。 「……」 ――太田とその不動産業者と面識はないということでいいか。 「そんな質問には答えねえ」 自身と太田の関係が筆者に答えられないようなものならば、なぜ大きな金額が動く土地を売ったのか。疑念は深まるばかりだ。 最後に、Xはなぜ筆者に監視カメラの映像を見せてくれたのか。 「パソコンが得意で、昨今の治安に不安を覚えていたことから防犯のために監視カメラを設置していました。おかげでこちらの正当性が証明できると思う。最近では、以前は見なかった不審車両が家の前に長時間止まっています。この映像を(筆者に)見せたのは、今回の問題を記事にしてもらうことで、脅しをする側が露骨な動きをできないように牽制して、自分の身を守るためです」 平穏な日は訪れるか。

  • 元社員が明かす【山口倉庫】の「異様な職場」

     本誌5月号に「大量カメラで社員を〝監視〟 する山口倉庫 『気味が悪い』と退職者続出!?」という記事を掲載したところ、それを読んだ元社員から「今も勤務している社員のために、さらに詳報してほしい」との要望が寄せられた。 監視カメラ四十数台、独特な朝礼 山口広志社長  山口倉庫㈱は1967年設立。資本金1000万円。郡山市三穂田町の東北自動車道郡山南IC近くに建つ本社倉庫などで米や一般貨物の保管・管理を行っている。駐車場経営や不動産賃貸なども手がける。 現社長の山口広志氏は2000年に就任した。祖父の松雄氏が創業者で、父の清一氏が2代目。3代目の広志氏は清一氏の二男に当たる。 そんな山口倉庫について、5月号では▽社内に大量の監視カメラが設置されている、▽社員だけでなく訪問客の様子も監視している、▽山口社長は自宅から、監視カメラで撮った映像や音声をチェックしている模様、▽こうした職場環境に気味の悪さを感じた社員が次々と退職し、その人数はここ4、5年で十数人に上る――と報じ、このような行為がハラスメントや個人情報保護法違反に当たるかどうか検証した。 詳細は同号に譲るが、結論を言うと、ハラスメントには当たらず、個人情報保護法にも違反しないが、監視カメラを大量に設置する目的、設置場所、映像と音声の利用範囲などを社員にきちんと説明しないと後々トラブルに発展する恐れがあると指摘した。 「社内の人でなければ知り得ないことが書かれていたので、読んだ時は本当に驚きました。ああいう記事を出していただき感謝しています」 こう話す元社員は数年前に山口倉庫を退職し、現在は「ほんの少しでも同社とは接点を持ちたくない」と別業種で働いている。 「接点を持ちたくない」と言いながら、本誌の取材に応じた理由。それは、今も勤務している社員を思ってのことだった。 「私は運良く転職できたが、社員の中には転職したくても、家族を養うため我慢して働き続けている人もいる。そういう社員のためにも、あの異様な職場環境は改められるべきと思ったのです」(同) 元社員によると、新たに判明した山口倉庫の職場環境は次の通り。 〇監視カメラは山口倉庫に四十数台、関連会社で不動産業の山口アセットマネジメント㈱に2台設置されている。カメラは映像だけでなく、音声も拾うことが可能。山口倉庫の事務スペースには、複数の画面に分割された大きなモニターがあり、各カメラの映像を一斉に確認できる。 〇社員は会社からスマホを貸与され、何かあると山口社長から直接連絡が入る。そのスマホでは、監視カメラの画像も確認できる。カメラで常に見られている社員は「余計な行動や発言をすれば、山口社長に見つかって〝直電〟が来る」と常にビクビクしている。 〇監視カメラはトイレ、更衣室、休憩室には設置されていないが、男子更衣室と休憩室の一部は廊下に設置されたカメラで確認できる。そのため男性社員は、更衣室や休憩室を利用する場合はカメラの死角になっている個所に身を潜める。 〇社員は昼休みになると、監視カメラから逃れるため駐車場に止めたマイカーの中で昼食を取ったり、休憩をしている。 〇社員は、入社するまでは大量に監視カメラが設置されていることを知らない。そのため入社後に実態を知り、気味が悪いとわずか数日で辞める人も少なくない。 〇来客者も敷地に入った瞬間から監視カメラで映され、車のナンバーも記録される。 〇山口社長はほとんど出社せず、自宅から監視カメラの映像や音声で社内の様子や社員の働きぶりをチェックしている。 山口社長がここまで監視カメラを張り巡らせる理由は何なのか。 「大量設置の理由を説明されたことがないので分からないが、『自分が他人からどう思われているかを異常なまでに気にする人』なのかもしれません」(同) その象徴として元社員が挙げたのが、山口社長の教養に対するコンプレックスだ。元社員によると「山口社長は地元の高校を経て大学、大学院に進んだはず」と言うが、信用調査等でも学歴は判然としない。 「とにかく『本を読め』と強要する。それだけならいいが、感想文を共有フォルダに記録させるのです。そしてたまに出社すると、社員に突然質問し、答えられないと『そんなことも分からないのか』とバカにしたような態度を取る。長期の休み明けには社員一人ひとりに抱負を発表させたりもします」(同) 使用者が配慮すべきこと 東北自動車道郡山南IC近くにある本社倉庫  社員に教養を身に付けさせようとする試みは否定しないが、独りよがりになってはありがた迷惑。その一例が、山口社長が最も力を入れているという毎日の朝礼だ。 「一般社団法人倫理研究所発行の月刊誌『職場の教養』を題材に、1人が正論、1人が反論、1人が正論か反論を発表し、最後にその日の司会者役が意見をまとめるのです。これを毎日、社員が交代しながら行っています。山口社長はその場にいないが、一連の様子は監視カメラを通じて自宅から見ています」(同) 社員の中には大量の監視カメラもさることながら、この朝礼が苦痛で辞める人もいるという。 「発表する社員は朝30分早く出勤して『職場の教養』を読み込み、何を話すか考えます。社員が辞めて少なくなれば発表のローテーションも早まるので、残っている社員は相当苦痛だと思います」(同) ちなみに5月号が発売される前後から、郡山市南二丁目にある山口アセットマネジメントの事務所は常にブラインドがかかっており、社員が常駐している様子がなかった。そうした状況は7月21日現在も変わっていないが、 「女性社員は(社長の妻と娘を除き)全員辞めたと聞いています。そのため山口アセットマネジメントに常駐する社員がいなくなり、急きょ山口倉庫から派遣していたが、倉庫自体も社員が減り、派遣する余裕がなくなった。だから、今は閉めざるを得ないようです」(同) 女性社員たちは職場環境を改善できないか、労働基準監督署に相談することも考えたようだが、そこに労力と時間を割いた挙げ句、山口社長から目を付けられては余計に働きづらくなると思い、退職することを選んだようだ。 社員が次々と辞めていく背景が見えてきたが、あらためて山口倉庫とはどんな会社なのか。 本業の倉庫業では、倉庫証券発行許可倉庫、政府米寄託倉庫として官公庁許可を受け、米の保管・管理を行っているほか、日産自動車ユーザーの夏・冬タイヤを同ディーラーから一手に預かっている。倉庫は郡山市内に3カ所。このほか約20カ所の有料駐車場を経営し、ある筋によれば年間の売り上げは2億5000万円前後、利益は4000万円前後を上げているという。 一方、山口アセットマネジメントは郡山市内に土地を所有する一方、飲食店や商業施設、マンションなどの賃貸・管理を行っている。 社会常識から外れた職場環境について、5月号の取材時に見解を聞いた県北地方の弁護士に今回判明した事実をあらためて伝えると、次のように指摘した。 「個人的には行き過ぎで、非常識な職場環境だと思います。ただ、経営者には従業員の働きぶりを監理する必要があり、通常は目視で行うところを監視カメラで行っているとすれば、それをもって違法とまでは言えない。もちろん、従業員にも職場環境の改善を求める権利はありますが、組合など相談先がある大企業と違い、個人で対応しなければならない中小零細企業では、ワンマンオーナー社長が聞き入れてくれるかどうかは不透明。そうなると、従業員には働く場所を選べる権利もあるので辞める流れになるが、問題はそれで困るのは会社だということです。周知の通り、今は人手不足が深刻ですからね。ただし、経営者が『それでも構わない。ウチは監視カメラに重きを置く』ということなら、それも一つの経営判断なので、外野がとやかく言う話ではない」 そう話す一方で、弁護士が「労働者の権利を守る側からの法的意見」として紹介してくれたのが立教大学講師・砂押以久子氏の考えだ。砂押氏は『日本労働法学会誌105号』(2005年5月20日発行)に寄せた論文「情報化社会における労働者の個人情報とプライバシー」の中でこう指摘している。 《企業には、企業秩序維持権限等に基づき使用者は労働者を管理監督する権限がある。しかし、他方で、前述のように労働者には職場にあっても一定程度の私的行為が存在する余地があり、労働者にもプライバシーを保護される法的利益があることも認識されなければならない。 会社が監視権限を有するとしても、このことをもって労働者のプライバシーが一定程度制約されることはあっても否定されることにはならないのである。セキュリティーなどの観点から監視が肯定されるとしても、監視過程において、労働者のプライバシー侵害が最小限になるよう使用者は常に配慮しなければならないと考える。使用者が従業員の私的領域にまで立ち入ることができるのは、業務上重大な支障が生じ、緊急な対応が必要であるなどの事情が存在する場合に限られるべきである。 モニタリングの実施にあたって、使用者の監視の必要性と労働者のプライバシー保護の均衡という視点からは、使用者に労働者に対する事前の情報提供義務を課することが不可欠といえる》 この稿の冒頭にも書いているように、使用者は労働者に対し「監視カメラを大量に設置する目的、設置場所、映像と音声の利用範囲などをきちんと説明」する必要があるわけ。 居留守を使う!?山口氏 山口アセットマネジメントの事務所はずっと閉まったまま  「給料は他社より高いし、夏と冬のボーナスも支給されるので、お金の面で文句を言う社員はいない。ただ、それでも次々と辞めていく原因は職場環境の異様さに尽きます。昨今、人手不足が深刻な問題となっていますが、いくら給料が良くても社員を大切にしない会社は人が集まらないし、将来生き残っていけないと思います」(前出・元社員) 裏を返せば、異様な職場環境を改めれば社員の定着率も上がり、人手不足に陥ることなく会社も生き残っていける、ということだろう。あとは山口社長が危機感を持ち、適切な改善策を講じることができるかどうかにかかっている。 5月号の取材時は山口倉庫に質問書を直接届けたが、何の返答もなかった。元社員によると、山口社長はほとんど出勤しないというので、今回は郡山市内にある山口社長の自宅を訪問し接触を試みた。 駐車場には元社員が教えてくれた山口社長の車が止まっていた。在宅しているのは間違いなさそう。ところが、いくらインターホンを鳴らしても反応はない。仕方なく、取材申し込みと記者の携帯電話番号を書いたメモを郵便受けに置いてきたが、5月号同様、返答はなかった。 元社員によると「自宅にも監視カメラが設置されているので、記者さんの行動は家の中から丸見えだったと思います」とのこと。 見られても困ることはしていないので構わないが、自分の分からない場所からじーっと監視されるのは、やはり気分が良いものではない。 あわせて読みたい 【郡山市】大量カメラで社員を「監視」する山口倉庫

  • 福島市の学童が月謝一括払い要望

     福島市の放課後児童クラブ(学童保育)が資金不足のため、保護者に保育料まとめ払いへの協力を求めていたことが分かった。異例の対応を取った経緯とは。 指導員人件費〝膨張〟で資金不足に 渡利学童保育きりん教室  保護者に対し、保育料のまとめ払いを求めていたのは福島市渡利地区の放課後児童クラブ「渡利学童保育きりん教室」。7月、保護者に対し、協力を求める文書を配布した。 同市の放課後児童クラブはすべて民設民営で、市が民間運営団体に「放課後児童健全育成事業」を委託する形となっている。 主な収入源は①保護者からの「保育料」(毎月支払い)、②福島市からの「委託金」(5月、9月、1月に分けて支払い)、③人件費にのみ支払われる「処遇改善事業等補助金」(8月末ごろ支払い予定)。 ところが、同クラブでは、②、③が入る前の時点で資金不足になることが確定的になった。そのため、文書で保護者に協力を求めたわけ。 市内の教育関係者によると、同クラブは「300万円不足しており、指導員の給料が払えない」、「夏休み中の昼食やおやつも提供が難しいという話になっている」状況のようで、「仮に8月末を乗り切っても、近いうちに資金不足に陥るのではないか」と囁かれているという。 同クラブには約90人の児童が在籍しており、父母会が運営している。なぜ資金不足に陥ったのか、7月中旬、同市渡利地区の渡利小学校校舎内にある同クラブを訪ねたところ、佐藤秀樹施設長が取材対応し、次のように説明した。 「うちの場合、処遇改善事業等補助金は1支援単位につき480万円、委託金は1回330万円入ってくる。利益は出していないが、毎月の保育料だけでは指導員の給料を賄えないので、時期によっては200~300万円ほど繰越金を貯めておく必要がある。ところが、昨年度はそれを使い切ってしまったのです」 佐藤施設長によると、主な要因は人件費増加だという。同クラブでは経験豊富なベテラン指導員2人を再雇用し、若手指導員への継承を進めている。現在の指導員数は2支援単位12人(正規職員、パート含む)。「来年度以降、再雇用の先生方が1人ずつ抜けていくので、適正な人数になっていくと思います」(同)というが、他クラブは指導員3、4人のところが多い中で、明らかに人員過剰の態勢となっている。 そのためボーナス減額などの人件費抑制策を取ってきたが、見通しが甘く、結局資金不足に陥ってしまった――これがこの間の経緯のようだ。 同クラブはもともと教育充実のため、指導員を手厚く配置していたこともあり、保護者の多くは理解を示し、まとめ払いに協力しているようだ。だが、同業者の反応は「保護者に協力を求めるなどもってのほか。経営手腕に問題がある」と一様に冷ややかだ。 一方で、教育関係者からは「民間企業なら銀行から金を借りて対応すれば済む話。運営主体や責任者が明確でなく、借り入れなどができないからこういう問題が起きる。そういった面も含め、福島市の子育て政策の改革を木幡浩市長に求めたい」といった声も聞かれた。 現在、燃料費高騰・物価高の影響なども各クラブの財政に打撃を与えているため、市子ども政策課が対策を検討中だという。各クラブの財政が立ち行かなくなれば、割を食うのは利用する子どもたちだ。そのことを市・各クラブが認識し、共に課題を改善していく必要がある。

  • 福島市【さくらゼミ】閉鎖の内幕

     福島市本町にある学習塾「さくらゼミ」が5月上旬に突如閉鎖し、受験の天王山である夏を前に塾生たちは行き場を失った。1年分の受講料を既に払った塾生もおり、返済が必要な額は500万円にのぼる。運営会社社長は保護者への「謝罪の会」で時期は明言しなかったが全額返金する方針を示した。業界関係者は、塾生を集める算段が付かず経営難に陥り、従業員も見切りを付けたのでは、と話す。 「社会保険未加入」で去っていった講師たち  福島市の学習塾「さくらゼミ」の閉鎖は6月16日付の福島民報が最初に報じた。 《福島市中心部の学習塾が年間受講料などを徴収しながら5月上旬以降、受講生に告知せず授業を中断していることが15日までの関係者への取材で分かった。保護者は受講料返還を求める集団訴訟なども視野に、法的手続きを検討している》 さくらゼミのことだ。同記事によると、塾には小中高生約30人が在籍し、多くは1年分の受講料を一括で納めて今年度の授業を受ける予定だった。4月中はオンラインも交えて授業があったが、5月の大型連休明けから大方の生徒に事情が説明されないまま授業が打ち切られたという。 さくらゼミの元従業員Aさんが語る。 「さくらゼミは仙台市を拠点にする学習塾で教えていた佐藤団氏の個人事業として始まりました。3年前に会社組織を立ち上げ、運営がスタートしました」 法人登記簿によると、さくらゼミを運営するのは「株式会社SAKURA BLACKS」。2020年1月29日設立。事業目的には、①学習塾の経営、②速読、読解力向上の為の学習指導、③語学、資格取得に関する学習指導、④教材用図書の出版がある。代表取締役は佐藤団氏。 佐藤氏は市内で保護者向けに説明会を開いた。6月25日付の福島民友が詳しい。 《福島市の学習塾が受講料を徴収後、説明や返金もないまま事業を停止している問題で、経営者の男性は24日、同市で説明会を開き、受講料の返済が必要な人が約40人おり、総額が約500万円に上ると明らかにした》 男性とは佐藤氏のこと。同記事によると、佐藤氏は弁護士を通じて全額返金する意向を示したが、具体的な時期は明言しなかったという。佐藤氏の話として、塾は昨年12月の段階で経営難だったと伝えている。 前出のAさんが続ける。 「経営に関し、おかしいと思う部分はありました。私は従業員として授業を教えていましたが、一切、社会保険には入れてもらえなかった。佐藤氏は『お金がない』の一点張りでした。最盛期はアルバイトも含めると最大10人くらいいましたが、徐々に辞めていきましたね。私は以前、佐藤氏と一緒の塾に勤めていた同僚で、佐藤氏から『新しい塾をつくろう』と誘われてさくらゼミに参加しました。そういう事情もあって塾生たちに責任を感じ、限界まで残るつもりでしたが、昨年の夏にもう付いていけないと辞めることを決めました。高校受験生に悪影響が及ばないよう、今年2月まで授業を続け退職しました」 現在、さくらゼミのホームページの講師紹介は、佐藤氏の顔写真しか載っていない。過去のホームページをたどると、佐藤氏の担当教科は国語、英語、社会。Aさんによると、塾の従業員がAさん1人になった後は、佐藤氏が算数・数学と理科も教え、状況によっては配信授業を活用する予定だったという。 学習塾業界関係者Bさんの話。 「塾関係者の間では、佐藤氏よりもAさんの方がベテラン講師として実績があり、児童・生徒、保護者から人気がありました。さくらゼミのロゴである桜の花びらのデザインはAさんが以前経営していた学習塾のものと同じで、ノウハウも業界関係者から見れば類似点が多い。Aさんは今春から福島市内で新たに学習塾を開いています。Aさんはさくらゼミでは一従業員の立場に過ぎなかったのかもしれないが、関係性の深さを見ていくと『責任はなかった』では済まされない気がします」 筆者はAさんにこの話を伝え「業界関係者の中にはAさんが佐藤氏を表に立て、裏でさくらゼミを仕切っていたのではないかと疑う人がいるようだ」と問うたが、Aさんは「それはありません」と否定した。 「佐藤氏と一緒にさくらゼミを始めたメンバーは私以外にもいます。仕切るどころか、社会保険に入れてもらえないなどのトラブルがあり、結局全員辞めてしまいましたが」(Aさん) そして、疲れた声でこう続けた。 「むしろ私は、佐藤氏に悪者に仕立て上げられ困っているんです」 どういうことか。 「佐藤氏は私が辞める際、『塾生には何も言わず黙って辞めてくれ』と言い、私はそれに従いました。保護者から後で聞いた話ですが、佐藤氏は保護者・塾生との面談で『Aは勝手に辞めていった』と言ったそうです」(同) どのような意図があったのか。実は、Aさんはさくらゼミを辞める時点で新しい塾を開く予定だった。そのため「佐藤氏は塾生を取られることを恐れ、私が勝手に辞めたと事実と異なる説明をして、塾生に『Aに裏切られた』と思わせる狙いがあったのではないか」(同)。 佐藤氏は配信授業を活用するなどして塾生が1人になっても事業を継続する意向だったが、5月上旬に突如閉鎖して以降は再開した様子はない。7月下旬、筆者は福島市本町にあるさくらゼミが入居していたビルを訪れたが、看板が残っているだけだった。新しいテナントも入っていない。 佐藤氏はさくらゼミの閉鎖から1カ月以上経った6月24日、保護者向けに「謝罪の会」を開いたが、開催は保護者に執拗にせがまれてのことだったという。佐藤氏は保護者に、健康状態の悪化や資金繰りに困っていたことから閉鎖の連絡が遅れてしまったと釈明した。 塾生確保が困難か  前出のBさんが語る。 「佐藤氏が教えられるのは英語などの文系科目だけだったという時点で、他の講師が辞めたら閉鎖は避けられませんでした。受験の天王山と言われる夏を控える中、説明もなく突如閉鎖し、在籍していた塾生の引き受け先も確保しなかったため問題となりました。福島県は大学進学率が低いことから、学習塾にとっては高校受験を控える中学3年生が主な顧客です。塾は2月に現中学2年生の人数を見て、次年度の計画を立てます。毎年、新中学3年生の獲得に力を入れなければならない。次年度の経営状況は春には予想がつくと言っていい。報道によると、閉鎖時に小中高生が30~40人在籍していたとあったが、さくらゼミの規模だと60~70人はいないと黒字にならない。Aさんたち講師陣は、かねてから社会保険を未加入にされていた上、塾生の確保も難しいとあきらめ、見切りを付けたのではないか」 授業が行えず、塾生を集められない以上、さくらゼミの運営会社は、塾生たちに先に徴収した授業料を返還したうえで破産するのが現実的だろう。 佐藤氏はいま何を思うのか。筆者は7月平日の昼に福島市内にある自宅を訪ねたが、車はなく、家族によると「不在」とのこと。債権者への責任を果たすため、金策に走っていることを願う。 あわせて読みたい 【家庭教師のコーソー倒産】少子化で苦境に立つ教育関連業者

  • 復旧途上の「令和4年8月豪雨」被災地

     昨年8月3〜4日の大雨で、県内は広範囲で影響を受けた。特に被害が大きかったのは会津北部で、家屋や農地などに被害が及んだ。来月で「令和4年8月豪雨災害」から1年を迎えるが、それに先立ち、現在までの復旧状況を取材した。 災害で浮き彫りになった会津農山村の現実  昨年8月3日から4日にかけて、北日本を中心に大雨に見舞われ、県内広範囲で大雨・洪水警報、土砂災害警戒情報が順次発令された。それから5日後の8月9日、福島地方気象台は次のように発表した。   ×  ×  ×  × 8月3日から4日にかけて、東北地方に前線が停滞した。福島県は、前線に向かう暖かく湿った空気が流れ込んだ影響で大気の状態が非常に不安定となったため、3日夕方から雷を伴った非常に激しい雨が降り、会津北部を中心に大雨となった。特に4日明け方は、5時28分に西会津町付近で1時間に約100㍉の猛烈な雨を解析し、福島県記録的短時間大雨情報を発表するなど、局地的に猛烈な雨が降った。 期間降水量(3日5時〜4日15時)は桧原(※北塩原村)と鷲倉(※福島市)が300㍉を超え、日降水量としては桧原と喜多方が通年での1位を更新するなど、記録的な大雨となった。 この大雨により、土砂崩れ、河川の氾濫、橋梁損壊、住家浸水、道路損壊・冠水などの被害が生じた。   ×  ×  ×  × 期間降水量の詳細を見ると、3日5時〜4日15時までの総雨量は北塩原村桧原と福島市鷲倉で315㍉、喜多方市276㍉などとなっており、北塩原村桧原と喜多方市では、通年での観測史上最高を更新する大雨だったという。いかに猛烈な雨だったかがうかがい知れよう。 昨年8月末時点の県のまとめでは、住宅の全半壊と一部損壊が計10棟、浸水被害が159棟、道路被害78カ所に及んだ。公共土木施設の被害額は8市町村で計62億円。農地、農道、農業用施設などでも多数の被害が確認され、農林水産業の被害額は20億円以上に上るという。ただ、幸いにも人的被害はなかった。 国は、この「令和4年8月豪雨」を激甚災害に指定し、公共施設や農業用施設の復旧事業について、国の補助率を引き上げ、自治体の負担を軽減している。 福島地方気象台の発表にあったように、中でも被害が大きかったのは北塩原村や喜多方市などの会津北部。本誌は大雨から約2週間後の昨年8月中旬、北塩原村や喜多方市を中心に被害状況を取材したが、それから11カ月が経ち、間もなく1年を迎えるのを前に、あらためて被害個所の復旧状況などを見て回った。 猪苗代町から北塩原村へと続く「磐梯吾妻レークライン」は、雨量超過による道路流失のため、通行できなくなり、現在も金堀ゲート(猪苗代町若宮字吾妻山)から剣ヶ峰中津川渓谷レストハウス(同町大字若宮字吾妻山甲)までが通行止めとなっている。中津川渓谷レストハウスから剣ヶ峰ゲート(北塩原村大字檜原字剣ヶ峯)間は通行できるが、猪苗代町側から裏磐梯側への通り抜けができない状況が続いている。この道路は「生活道路」というより「観光道路」の位置付けのため、日常生活には大きな支障はないが、観光シーズンには痛手となった。 喜多方市内では、JR磐越西線の濁川にかかる橋梁が崩落し、喜多方―野沢(西会津町)間が不通となった。JR東日本は昨年8月10日から喜多方―野沢間で代行バスを運行し、同月25日から山都―野沢間は臨時ダイヤで再開通した。 当時、ある市民はこう話していた。 「ひとまず、代行バスが運行されたのは良かったが、一番大変なのは通学で利用している高校生。以前に比べてだいぶ余計に時間がかかると言っていました」 橋梁が崩落したのはJR喜多方駅から西に1㌔ほどのところ。橋が崩落し、線路が宙づりになっていた。崩落した橋梁付近の濁川の河川敷は親水公園になっており、当時、近隣住民は「これまでの雨と降りっぷりが全然違くて、これはまずいと思った。(親水公園の)遊具などが設置されているところの付近まで水が上がって来たのは初めて見ました」と話した。 喜多方―山都間は代行バス運行が続いていたが、この間、崩落した橋梁の復旧作業が行われ、今年4月1日から全線運行が再開された。 あらためて現地を見に行くと、河川に架かる橋脚のうちの1つが新しくなっているのが分かった。鉄筋コンクリート製の橋脚1基を新造し、橋を架け直して運転再開に至った。 片側交互の国道121号 国道121号不通の影響を受けた道の駅喜多の郷  住民生活に直結する部分では、同市と山形県米沢市をつなぐ国道121号が、山形県側で斜面が崩落し通行止めとなったことも大きな被害だった。 実は、国道121号は昨年6月末の大雨でも法面が崩落し、同年7月4〜7日までの3日間、通行止めとなった。その後、片側交互通行ではあるものの、通行できるようになったが、昨年8月の大雨でさらに被害を受けた。 当時、ある市民はこう話していた。 「市内の熱塩加納地区などでは、米沢市の高校に通っている人もおり、スクールバスが運行されているが、国道121号が通れなくなったことで、スクールバスは郡山市経由で高速道路を使って米沢市まで行かなければならなくなった。それに伴い、所要時間は2倍くらいかかるようになったそうです」 会津方面から米沢市に行くルートとしては、裏磐梯経由(西吾妻スカイバレー)があるが、急峻な山道でスクールバスが通行するのは難儀。普通の乗用車であっても尻込みするような山道だ。結果、中通り経由で行くことになり、通常の2倍くらいの所要時間がかかっていたわけ。 このほか、国道121号の不通で大きな影響を受けたのが道の駅喜多の郷。同道の駅は国道121号沿いで、市街地からだいぶ外れたところにある。利用者の多くは米沢方面から喜多方市に来る人、あるいはその逆ということになり、喜多方―米沢間が通り抜けできなくなったことで、交通量、利用者が大きく減った。 道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社は、「国道121号が通行止めとなったことで、交通量は大幅に減り、道の駅の売り上げは7〜8割減となっています。振興公社としてはかなり厳しい状況です」と嘆いていた。 実際、通行止めになって以降の週末に同道の駅を訪ねたところ、入り込みはまばらだった。同日、近隣の猪苗代、ばんだい、裏磐梯の道の駅は駐車場にクルマを止められないくらい混み合っていたことを考えると、やはり影響は大きかったようだ。 その後、国の権限代行で復旧が進められ、大雨被害から2カ月半以上が経った昨年10月24日に片側交互通行ながら、ようやく通行できるようになった。 開通直後、道の駅を運営する喜多方市ふるさと振興公社に問い合わせると、「何とか紅葉シーズンに間に合い、お客さんが見込めると思います。開通初日から早速、山形ナンバーのクルマが何台かお見えになっていましたから」と話していた。 6月下旬、喜多方市から米沢市方面に向かって国道121号を走行してみた。当初は片側交互通行が3カ所あったが、昨年12月にそのうちの2カ所が解消され、現在は1カ所だった。インターネットやSNSなどでは「(片側交互通行区間で)30分以上待たされた」といった書き込みも見られたが、たまたまタイミングが良かったのか、5分くらいの待ち時間で済んだ。 残る片側交互通行区間は、仮橋が設けられ、従来の道路より少し高いところを走行する形。仮橋から脇を見やると、大規模に道路が崩落していることがうかがえた。完全復旧時期は示されておらず、まだいまの状況が続きそうだ。 喜多方建設事務所によると、同事務所管内の被災個所は河川73カ所、道路24カ所、橋梁1カ所の計98カ所。このうち、道路10カ所が工事未発注。理由は、土地改良区所有のため池が復旧工事の最中で、それが終わらないと周辺道路の復旧工事に入れないところがあることと、手前から順次、復旧工事を進めている道路があり、奥側は後になるところがあるため。それ以外はすでに発注済みで、「進捗は現場によって異なるため、一概には言えないが、発注済みのものの工期は遅くとも年度内になっています」(喜多方建設事務所担当者)とのこと。 農業被害が大きい山都町 「大型通行止め」の国道459号(山都町宮古地区)  一方、農地・農業用施設などの被害も大きく、特に目立ったのが喜多方市山都町。山都町中心部から、「宮古そば」で知られる同町宮古地区に向かう国道459号は、それに沿うように宮古川が流れている。 大雨時は河川が氾濫し、道路が数カ所崩落した。現在は道路の復旧工事、護岸工事などが行われている。 山都町中心部から宮古地区に向かう途中で、農作業をしていた住民に話を聞くと、次のように語った。 「いま見ても分からないだろうけど、道路(国道)と河川(宮古川)の間(のただの荒地に見えるところ)はもともと農地だったんだよ。それが土砂、流木などが入って。ただ、この辺も高齢者の一人暮らし・二人暮らしが多くなり、耕作しない農地が増えてきた。一人暮らし・二人暮らしの高齢者が亡くなったことによる空き家も目立ってきた。災害復旧以前の問題だよね」 災害があったことで、あらためて農山村の現実を思い知る。 そこからさらに北上し、宮古地区に向かった。ちなみに、大雨直後、同地区の住民はこう語っていた。 「大雨の日は、増水して川の流れが速く、大きな石がぶつかる音がカミナリのようで怖くて眠れなかった。ソバ畑は、ちょうど種まきの時期で、すでに種まきをしていた人、これから(大雨があった日の後で)種まきをしようと思っていた人、それぞれですが、ソバは雨に弱く、大雨前に種まきしたところはかなり厳しい状況です。中には、(大雨後に)種まきをし直した人もいますが、その後にさらに雨が降り続き、さすがに2回目(都合3回目)のまき直しはしないと言っていました。ですから、収量は減るでしょうね。コロナ禍でなかなかお客さんが来ない中、ようやく戻りつつあると思ったら、この水害ですよ。この地区のソバ店は自宅兼店舗だから何とかやっていけますが、家賃を払ってお店をやるような状況だったら続けられなかったでしょうね」 大雨の凄まじさと、コロナ禍で厳しい状況の中、災害に見舞われるという二重苦を明かしてくれた。 今回の取材で、あるソバ店で話を聞いたところ、こう話した。 「ソバ畑で水害を受けたところは、市の補助で直すことができました。それがなかったら厳しかったでしょうね。ただ、種まきの前後だったこともあり、全体的に収量は落ちていると思います。もう1つは、いまここ(宮古地区)に来る道路(国道459号)は大型車両が通れません。コロナ禍以降は少なくなりましたが、以前はバスツアーで来る人もおり、大型車両が通れないと影響が出ます。ただ、先日、ツアー会社の方で道路管理者に問い合わせ、通れる規模のバスでツアー客においでいただいたのは幸いでした」 確かに、同地区に向かう途中には「大型通行止め」の立て看板があった。県のHPで確認したところ、喜多方市山都町蓬莱地内の7・8㌔区間について「豪雨災害による路肩崩壊のため 大型通行止」とあった。バスツアー客が来られない(来にくい)といった意味で、その影響が出ているということだ。 市の農業復旧・支援  一方で、市農山村振興課に、農地補修の補助について確認すると「激甚災害指定を受けた部分は、国の補助がありましたが、そうでない部分は市が補助しました」と説明した。 各農家が業者に依頼して農地・農業施設の補修を行い、その分を市が補助する仕組み。対象は465件で事業費は1億2800万円(本誌取材時点で事業未了のため、金額は当初予算)。 ほかにも、同市内では、水田に土砂が流れ込んだケースや、水路が被害を受け、水田に水を引けなくなったケース、園芸品を栽培するビニールハウスなどが被害を受けた。そのほかの農地・農業施設の復旧については、こう説明した。 「水田への水路は本復旧したところ、仮復旧で対応したところなど、今年の作付けに支障がないように対応しましたが、一部間に合わなかったところもあり、その部分については、今年に限り水稲からソバへの転作をお願いしています」 水稲は4月下旬ごろから田んぼに水を入れ、代掻きなどを行うが、ソバは8月に種まきをするため、水稲より数カ月の時間的余裕があること、そもそもソバはそれほど水が必要ないこと等々から、水路復旧(仮復旧)が間に合わなかったところはソバへの転作を推奨しているようだ。そのうえで、秋(収穫期)以降に、来年に間に合うように水路復旧などを進めていきたい考え。 なお、転作によって収入が減った場合は、国から補助が受けられるが、それでは補いきれない可能性が高い。そのため、場合によっては市でさらなる補助(転作に伴う所得補償)も考えていく必要がありそう。 「市としては、何とか営農を継続してもらえるよう、復旧や支援を進めています。やはり、1年耕作しないとなると、なかなか再開するのは難しいでしょうから」(市農山村振興課担当者) 災害を機に、耕作をやめてしまう農家もあるに違いない。そうならないよう、市としては復旧を急ぎ、各種支援をしてきたようだ。 ただ、前出・山都町の住民が「高齢者の一人暮らし・二人暮らしが多くなり、耕作しない農地が増えた。一人暮らし・二人暮らしの高齢者が亡くなったことによる空き家も目立ってきた。災害復旧以前の問題がある」と語っていたが、それが現実だろう。 あらためて「令和4年8月豪雨災害」被災地を取材したが、まだまだ復旧途上の部分も多いことが浮き彫りになった。 あわせて読みたい 【会津北部大雨】被災地を行く 【福島県沖地震】【会津北部大雨】被災地のその後

  • 【福島成蹊中学校・高等学校】首都圏型中高一貫教育で躍進

     学校法人福島成蹊学園(福島市、高橋幸七理事長)が運営する福島成蹊高等学校(本田哲朗校長)は中高一貫教育を導入し、近年高い大学進学実績を残している。福島成蹊中学校開校による「首都圏型中高一貫教育」の開始から15年目を迎え、この間、東大や医学部への合格者を輩出するなど〝進学の成蹊〟として注目を集めている。 入試に求められる力を中高6年間で醸成 上浜キャンパス  「桃李不言下自成蹊」の校訓のもと、6月16日に創立110周年を迎えた福島成蹊学園。そんな同学園が2009年4月から始めたのが、福島成蹊中学校と福島成蹊高校による「併設型中高一貫教育(首都圏型中高一貫教育)」だ。6年間の一貫教育で学習・受験指導の効率化を図り、国公立大や難関私立大の現役合格率アップにつなげる方式で、県内での導入校は依然として少ないが、首都圏では定着している。 最大のメリットは、人間的成長に力点を置きながらも、6年後を見据えた総合カリキュラムにより継続的・効率的に学習できる点だろう。大学入試改革の骨格となる新学力観では、知識・技能に加え、多様な能力や人間力が求められているが、高校入学後の3年間だけでこれらの力を身に付けるのは、時間的にも学力的にも容易でない。 同学園が展開する中高一貫コースの総合カリキュラムでは、6年間の計画的学習の中で、大学入学共通テスト対策はもちろん、来るべき大学入試改革や新学習指導要領を踏まえた次世代に求められる力を着実に身に付けられるよう創意工夫が施されており、時代のニーズを見据えた進学教育の提供に努めている。 同中学校の定員は1学年60人(30人2クラス)。県北地方に限らず、「通学圏外」から入学する生徒も目立っており、「進学の成蹊」のブランドが定着している証しと言えよう。 中高一貫コースでは「夢を実現するための確かな力を培う―東京大学、医学部合格を目指します。」を合言葉に、生徒一人ひとりの潜在能力を引き出すべく、『未来を拓く4つの柱』に基づいた首都圏型先進教育に鋭意取り組んでいる。 1つは、学力、そして人間力を伸ばすことを狙いとする「新学力観を包括したカリキュラム 年間1500時間の学習量」。週6日制で中学1年次から1日7時間授業(週2回、高校1年次より週4回)を行う。さらに英語、数学、国語の放課後補講(週3回・50分、高校1年次より5教科週5回・90分)も実施し、年間1500時間の学習時間を確保している。中・高6年間の総学習時間は一般的な公立校の約8年分に匹敵するなど、圧倒的なボリュームである。 長期休業中には課外授業を行い、「授業」、「補講」、「課外」による〝質と量〟に裏打ちされた学習指導サイクルを構築することで、基礎から応用へ着実にステップアップできる。 2つは、「生徒に寄り添い可能性を伸ばす教師陣」。一人ひとりの可能性を最大限伸ばすため、同校の教師陣は工夫あふれる授業に注力している。「分からない」から「分かる」に変わるまで生徒の疑問に徹底して向き合い、本質的な理解を追求する学習指導をはじめ、集中力、思考力、想像力を養える先進的なカリキュラムにより、学習意欲向上はもちろん、学習の楽しさや達成感を味わえる教科指導を展開している。 英語では、単語や文法、構文などの基礎を徹底し、大学受験突破に必要な力を養う。また、英語の起源や文化背景を深く掘り下げ、知的好奇心を刺激しながら教養を高められるよう厳選された教材を使用する。 数学では、単元ごとの関連性が深いため、基礎固めを徹底して行うことを重視。授業では演習を通して解法をしっかり考える時間を設定する。また、大学入試問題を研究し、入試対策に直結する授業を展開する。 国語では、読解力を向上させるため、文章が「分かった」と思える読み方を身につけることを重視。生徒一人ひとりが「学ぶ楽しさ」を実感できるよう、丁寧で具体的な授業を実践している。 社会では、単なる「暗記科目」ではなく、なぜそれが起こっているのかを理解し、用語の重要さを実感できる指導に努めている。授業では、まず理解すること、そして記憶すること、最後に問題を解いて基礎を固めながら定着を図る。 理科では、中学での各単元で身の回りの事象・現象に興味・疑問を持たせることを心掛ける。高校では、中学での学習内容とのつながりを意識し、原子・分子レベルで現象を理解・説明する力を養う。 そのほか、新学習指導要領を踏まえた「思考力・判断力・表現力」と「主体性・多様性・協働性」を育むアクティブ・ラーニング教育も推進。校舎全体にWi―Fiを完備し、全ての教室・スペースで1人1台のタブレット(i―Pad)を使用した学習・活動を実施するなど、最先端の教育環境を提供している。また、中学校課程でプレゼンテーションの機会を多めに設定し、一人ひとりが主体的に考え、討論し、発表する活動を行う。 英語力向上と国際理解教育に注力 腰浜キャンパス  3つは、リアルな感性と課題解決力を磨く「五感で学ぶ豊富な行事&体験学習」。全校生を対象とした「学習合宿」や30㌔余の距離を歩く「強歩」をはじめ、中学1年次のオリエンテーション合宿、臨海教室、尾瀬学習・燧ケ岳登山、スキー教室(中1・2・高1)、中学2年次の林間教室など、鍛練的、運動的、文化的、探求的行事を実施している。 さまざまな行事を通して多くの経験を積み上げていく中で、「気付き」の機会を与え、主体的な姿勢が芽生える。また、友人と協働して困難を乗り越えることで達成感・一体感の共有、課題解決能力も育まれる。 4つは、異文化を理解する心を磨くことを狙いとする「グローバル社会へ羽ばたく国際理解教育」。国際理解教育を推進し、グローバル社会で活躍するための基礎作りとして、中学3年次にカナダ(ビクトリア、バンクーバー)、高校2年次にカンボジア(シェムリアップ)・ベトナム(ホーチミン)を訪れる海外研修旅行が行われる(※社会情勢によりスケジュールが変更になる場合がある)。 また、実践的英語力向上を図るため、生徒全員が実用英語技能検定を受験し、中学校課程での準2級取得を目指す。一方で、柔軟な価値観を養いながら広い視野や独自の視点を獲得すべく、茶道教育、芸術・文化体験など「生きる力」を育むリベラルアーツ教育を推進する。さらに国際理解講演会を開催するなど、語学力だけではなく異文化における多様性を理解する心、自分のマインドで考え自分のハートで感じ自主的に行動できる主体性を育む取り組みにも力を入れている。 本田哲朗福島成蹊中・高校長に聞く ほんだ・てつろう 1953年2月生まれ。東京理科大理学部卒、同理学専攻科修了。聖望学園(埼玉県)を経て1989年より古川商業(宮城県・現古川学園)教頭に就任。2004年、福島成蹊高に赴任後、2009年4月に福島成蹊中の開校に合わせて同中・高の学校長に就任した。  ――2022年度の大学進学実績についてうかがいます。 「大学入学共通テストに移行して3年目です。初年度はセンター試験の流れを踏襲した形でしたが、2年度目は難化し、全国で過去最低の平均点数となりました。本校も同じ傾向です。今回は、若干平均点は上がったのですが、教科による難易度にばらつきがありました。 本県の大学受験で一つのバロメーターとなるのは東北大学の合格者数です。少なからず私が本校に携わった中では、過去最低の結果で、2、3人受験した中で1人しか合格させられませんでした。 一方で、もう一つのバロメーターである県立医大の医学部医学科は3人合格しました。うち1人は県内推薦枠ではなくて、一般入試で合格しています。 県立医大医学部医学科の一般入試合格者は、福島県内で例年7、8人でしたが、今年度は3人しか受かりませんでした。安積、福島、本校で1人ずつです。福島県勢が学力で劣勢に回った感は拭いされません」 中高一貫1~9期生190名の難関大学合格数 医学部医学科東北大学1福島県立医科大学8慶應義塾大学1順天堂大学1国際医療福祉大学2自治医科大学1東北医科薬科大学3昭和大学1愛知医科大学1北里大学1獨協医科大学1防衛医科大学校6国交省所管気象大学校1国公立東京大学3東京工業大学2東北大学22北海道大学4東京外国語大学1お茶の水女子大学1私立早稲田大学15慶應義塾大学12上智大学4国際基督教大学4東京理科大学30学習院大学5明治大学10青山学院大学8立教大学3中央大学24法政大学20  ――首都圏型中高一貫教育が、2009年度のスタートから15年目を迎えました。総括と今後の課題についてうかがいます。  「今年度、9期生が卒業しました。これまでの卒業生は200人弱なので、毎年の卒業生は平均20人ほどであることが分かります。少子化により、そもそも入学者数の確保も苦戦しています。まだまだ十分な入学者数とは言えませんが、にもかかわらず東大への合格者も出し、結果は付いてきていると感じます。 中高一貫のシステムは精度が向上し、教員たちも誇張なしで素晴らしいレベルに達したと実感しています。教員の転勤がないので、本腰を据えて指導に当たれるのが私立校ならではの強みです」 ――「ゆとり教育」からの脱却を狙いとする新学習指導要領が中高で始まっています。従来と比べ知識・理解などの習得におけるスピードアップが求められるなど質・量ともに難易度が高まったとの指摘もあります。福島成蹊中・高のこれまでの取り組みについてうかがいます。  「各教科科目の質と量は、ゆとり教育時代を1とすると、現在は1・3~1・4倍のボリュームになっているというデータがあります。 ただ、それに比して授業時間が増えているかというと、そうではない。授業の密度が増した分、難易度は格段に上がったと思います。 文部科学省がゆとり教育に舵を切る前は、中高生の校内暴力が問題となった時代でした。文科省は勉強についていけないから非行に走るのだと見立て、理解ができるよう、子どもたちにゆとりを持たせたわけですが、現実は学級崩壊の到来でした。 最近は不登校が顕在化しています。要因の一つには、『勉強が分からない』があるのではないでしょうか。学校生活の7割以上は勉強の時間です。勉強が苦痛になると、その場に足が向かず、居場所がないと感じてしまう。綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、楽しくて夢のある授業を展開すれば学校に足も向くと思います。課外活動で能力を開花させることも重要ですが、学校と名が付く限りは、メーンは勉学であることを忘れてはいけません。 普通科高校を出た生徒の多くは、大学受験というある種の全国大会に臨みます。本校が15年も中高一貫教育を進めているのは、首都圏の受験生に対抗できる教育を福島で提供しないと地元の受験生が不利だからです。新学習指導要領をこなすためには授業時数を増やしていかなければ対応できない現実があります。柔軟に授業時間を増やすことで公立高校との差別化を図っています。 使命感に燃える教員たちが多くいることもそれを可能にしています。子どもたちや保護者のニーズに応えようと、教員一人ひとりが自己研鑽を惜しまず、生涯勉強を続けています。教員がこれまでの成蹊の実績をつくってきたと誇りに思います。これは勉学のみならず文化活動やスポーツでも同じです」 教育充実は大人の責務  ――アフターコロナを見据えた今後の学校運営についてうかがいます。 「コロナ禍以前は4コースとも海外研修が目玉でした。研修旅行がなかったり国内旅行に変えたりしましたが、今年度から一貫コースと特進コースは海外研修が復活し、来年度からは全てのコースで海外研修を実施します。日本の外を見るのは、一生に1回あるかないかのチャンスです。現地で視野を広げてほしい」 ――福島県における進学教育の現状と課題についてうかがいます。  「大学受験は全国レベルの戦いです。共通テストの県ごとの平均点は、本県は全国区でも、東北6県で比べても劣る数値です。福島県の将来ある若者の力を一層伸ばし、選択肢を広げるためにも、学力上位の大学に送る意識を大人たちが持たなければならないと考えます。子どもたちがこの県に、この街に生まれてよかったと思えるような教育環境を私たちがつくっていかなければと責任を感じています」 ――今後の抱負を。  「教育に携わる一人として、人が持つ力というのは、性別、生まれた地域などの条件によって制限されることはないと考えます。素質に働きかければ、子どもはそれを強みに大きく育ちますし、何もしなければ止まったままになってしまう。福島県の教育に不足している点は何かと教員たちと常に考え、生徒や保護者の皆さまの要望を民間ならではの柔軟性をもって教育に反映させます」

  • 前理事長の【性加害】疑惑に揺れる会津【中沢学園】

     会津若松市で認定こども園を運営する学校法人中沢学園の前理事長、中澤剛氏(89)が理事長時代に女性職員にわいせつ行為をした疑惑が同学園を悩ませている。女性は2014年、日曜日に理事長室に業務で呼び出され被害を受けたと主張。報復を恐れて、退職が決まった今春まで職場に報告できなかったという。現理事長が謝罪の場を設定するも、中澤氏はわいせつ行為を明確に認めず、「不快な思いをさせたこと」についてのみ謝罪。後日、筆者の取材に中澤氏は「わいせつ行為について謝れとは言われていない」とAさんから謝罪要求があったことすら否定。整合性が取れなくなっている。(小池航) 整合取れない「謝罪はするが否認」 中澤剛氏(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』より  今年3月に学校法人中沢学園(会津若松市湯川町)を退職した元職員Aさんは、食器を洗ったり雑巾を掛けたりする時に上着の袖をまくると、「気持ち悪い」と嫌な光景を思い出してしまうという。「不快な棒状の物体」を押し付けられたという左肘の前腕側を見つめる。 「私は2014年、中沢学園の理事長だった中澤剛氏に、会津若葉幼稚園にある理事長室とその応接スペースでわいせつな行為をされました。報復を恐れて長らく学園には相談できませんでした。怒りは収まらず退職時に職場に伝え、謝罪を要求しましたが、中澤氏は明確に認めません。学園もなかったことにしようとしています」(Aさん) 中澤氏は1983年に中沢学園の第2代理事長に就任し、昨年まで務めた。その後は理事(昨年11月時点)。同学園は戦後に中澤氏の両親が市内に創設した女子向けの会津高等洋裁学院が前身で、1965年に幼稚園を開園。1974年に学校法人化し、現在は幼稚園や保育園機能を備えた認定こども園3園を市内で運営する。   中澤氏は1934(昭和9)年生まれ。会津高校、千葉大学文理学部を卒業し、国立精神衛生研究所で研修。中沢学園では前身の会津高等洋裁学院時代から講師として教え、両親の跡を継いだ。(『若葉 中沢学園75年のあゆみ』、同学園、2020年より)。全私学連合理事や一般社団法人福島県精神保健協会常任理事などを歴任。会津若松南ロータリークラブの役員を務めるなど地元の名士でもある。 「『立派な人物』と思っていただけにわいせつ行為を受けた時は事態を呑み込めませんでした。『魔が差したのでは』とさえ思ってしまった。その後、中澤氏からは怒鳴られるなどのパワーハラスメントを受けるようになり、我慢の限界でした。2017年3月から18年3月には、中澤氏がした行為が強制わいせつ罪に当たるのではないかと会津若松署に相談しましたが、時間が経ち物証が不十分なことから、被害届の提出には至りませんでした」(Aさん) 強制わいせつ罪(現不同意わいせつ罪)の法定刑は6カ月以上、10年以下の懲役。時効は7年のため、いずれにせよ9年前の疑惑は罪に問えない。ちなみに今年7月13日に施行された刑法改正で、不同意わいせつ罪の時効は12年に延長されている。 会津若松市在住のAさんは、高校卒業後から経理畑を歩んできた。2013年に転職を考え、ハローワークに行ったところ、中沢学園が経理のできる事務職員を求人していることを知り応募。試験や面接を経て、同10月に採用された。 中澤氏から理事長室の書類の片付けを頼まれたのは、採用から半年経った翌14年のことだった。中澤氏は当時79歳、Aさんは51歳だった。日曜日に理事長室がある会津若葉幼稚園に来るように言われたという。 Aさんが主張する被害は9年前の出来事だ。残っている記録に基づいて話したいと、Aさんは中澤氏に頼まれた仕事のために購入した文書保存箱の領収書2枚のコピーと、2014年のカレンダー(資料1)を筆者に示した。カレンダーには、Aさんが中澤氏から仕事で呼ばれたと主張する日曜日にマルが付いている。同僚に被害を話した年に印刷した「2020年10月10日」という印刷日も記されている。 (資料1)Aさんが、自身が主張する性被害を受けた日を特定するために印刷した2014年のカレンダー。思い当たる日にマルを付けた。右下に「2020年10月10日」に印刷したことを示す印字がある。(重要部分を切り取り拡大) 日にち特定の鍵となる領収書  「仕事は2014年3、4月の2回に渡って頼まれました。わいせつ行為を受けたのは2回目の日です。4月27日だったと記憶しています。被害を受けた後、『もうすぐ大型連休になるから中澤氏と顔を合わせずに済む』と思ったのを覚えているからです」(Aさん) 文書保存箱の購入場所はいずれも市内の同じホームセンター。領収書の日付は、1枚が出勤日の3月22日(土)。もう1枚が4月16日(水)。Aさんの記憶通りとすると、2回目の購入から11日後に被害に遭ったということだ。 Aさんによると、1度目も2度目も、下はジーンズ、上は長袖のTシャツ、エプロン、カーディガンの順に重ね着して出勤したという。 仕事は、理事長室の本棚から書類を取り出し、中澤氏の指示で整理することだった。1回だけでは終わらず次回も来てほしいと頼まれたという。そして2回目の日曜日、Aさんは2階の理事長室に上がって前回の作業の続きをした。   1回目は、中澤氏が横にいて話しかけてきたが、2回目は、作業するAさんの隣にはあまりいなかったという。Aさんによると、作業開始からそれほど経たないうちに、姿を消していた中澤氏が様子を見にきた。「少し休憩したらどうだ」という趣旨のことを言ってきたので作業の手を止めたという。すると、 「前方から急に距離を詰め、私の顔に近づいてきました。とっさに避けようとしましたが、口元にキスされました。その後、両手が動かせなくなりました。気づいたら背中を床に押し付けられ、私の両手は手首の辺りで交差され、頭の上で掴まれていました」(Aさん) Aさんが背中を床に押し付けられたと主張するのは、帰宅後、カーディガンを脱いだら背中の部分に埃が付いていたからだという。 「中澤氏はクロスさせた私の両手を片手で掴み、もう一方の手でシャツの裾を上にまくり上げました。シャツの下はブラジャーだけを身に着けていました。中澤氏は胸の辺りを舐めてきました」(Aさん) ジーンズをまさぐり、下着の中にまで手を入れてくるように感じたので、下半身をよじりながら「すいません、すいません」と叫んだというAさん。何をされるのか怖くて、怒らせないようにとの思いがあったという。 「中澤氏は行為をやめ、話題を変えるかのように応接スペースにあるソファに誘導しました。私は促されるままに移動しました。3人掛けのソファに座るように言われ、右端に座りました。目の前のテーブルにはノートパソコンが置かれていました。ソファの真ん中の席には緑色の手提げ袋がありました。中澤氏は左端に座り、パソコンの画面を見るように言いました。画面には『!』マークが表示され、警告を示しているようで、パソコンの状態について何か答えなければならないのだろうかと思い、私はそれをよく見ようと身を乗り出しました」 Aさんは一呼吸置き話を続けた。 「左腕に湿った物がぺちょぺちょと複数回触れる感触がありました。1度横を見ましたが正体は分かりませんでした。もう1度見たら棒状の物体でした。ビニールのような、プラスチックのような感触と、この直前に既にわいせつ行為をされていたことから、押し付けられたのは男性器を象った性具だと思いました。冷たくて湿り気があったことからローションが塗られていたのではないでしょうか」 驚いて席を立ったAさん。「私、帰ります」。Aさんは、この場にいたらこれ以上何をされるか怖くて、逃げるように部屋を出たという。 中澤氏の謝罪は「あなたに対して」 中澤氏からわいせつ行為を受けたと主張するAさん  Aさんは今年2月中旬、定年を迎えて再雇用になるのを機に退職を申請した。中澤氏から受けたという性加害を最終出勤日の同月末に上司に報告した。「職場に伝えるのは辞める時」と心に決めていたという。3月12日に現理事長の中澤幸恵氏が中澤氏からAさんへの謝罪の場を設けた。 謝罪の場にはAさんと中澤氏、中澤幸恵理事長、上司の計4人。中澤氏は理事長室を片付けるため、Aさんに手伝うよう要請したことを認めた。ただし「仕事を頼んだのが土曜か日曜かは分からない」と言い、わいせつ行為は「記憶がない」と否認した。何に対しての謝罪か曖昧にしたまま「申し訳ない」と口にしたという。 中澤氏は、わいせつ行為に話題が及ぶ前に、Aさんが再雇用の条件で学園側と折り合えず退職に至ったことを、時間を割いて話していた。しかしAさんは、謝罪が円満退職できなかったことに対してではなく、わいせつ行為に対するものだと明確にするため、「謝罪は『中澤氏がした行為』に対してか」と聞いた。すると、中澤氏は「あなたに対してです」。一方で「行為に対する謝罪はあり得ない」と言ったという。 Aさんによると、中澤幸恵理事長も中澤氏の言動に納得できていない様子だったという。幸恵氏は中澤氏の息子の妻で、昨年理事長に就任したばかりだ。幸恵理事長は、義父に対して慎重に言葉を選び、「何もなかったらこの謝罪の場は成立していない。なぜ剛前理事長がこの場に来ることを受け入れたのか、私には理解できません」と言った。中澤氏は「嫌な思いをさせたことについては大変申し訳ないということです」と答えたものの「嫌な思い」が何を指すかは明確にせず、わいせつ行為は「記憶にない」と再び否定した。 その後も、Aさんと幸恵理事長による中澤氏への問いかけは続いた。中澤氏はAさんに「あなたの記憶通りに認めないと謝罪に入らないということでしょうか」と聞いた。 Aさんは「あなたが私にした行為について謝ってくれなければ納得いきません」と答えた。 すると、中澤氏は「あなたのおっしゃる通りに認めざるを得ないんでしょうね」。その後、「後になってあれもある、これもあるって言われたら困っちゃうんだよな」などと付け足したという。 Aさんは中澤氏の言動に接し「その場を取り繕うために言ったこと。謝罪とは言えない」と思った。 中澤氏がわいせつ行為を明確に認めなかったため、Aさんと中沢学園は和解に至らなかった。 進展を図るため、Aさんは行政を関与させようと会津労働基準監督署に相談した。担当が福島労働局に移り、「紛争を起こさないと行政は調停に動けない」と言われたので、Aさんは4月12日付で、①中澤氏によるわいせつ行為とパワハラへの慰謝料、②提示された再雇用契約で働いた場合に減額される給与分を損害金として中沢学園に請求した。同局はAさんの調停申請を受理したが、同学園は応じず打ち切られた。 筆者が中澤氏に取材を申し込むと、7月15日に面談に応じた。 「誰もいない日曜」か「開園中の土曜」か 認定こども園 会津若葉幼稚園  中澤氏は、わいせつ行為は否定したが、書類整理を手伝うようAさんに依頼したことは認めた。ただし、それは1度だけという。さらに、 「私が手伝いをお願いしたのは土曜日です。園は土曜日はやっています。Aさんは、園に誰もいない日曜日に私が呼び出したと印象付けたいようですが、違います」(中澤氏) 中澤氏によると、Aさんの服装はブラウスにスカートだったという。「ひらひらした格好では仕事にならないからすぐに帰した」とも。一方は「園に誰もいない日曜」、もう一方は「開園して周囲の目がある土曜」。主張は真っ向から対立する。 ただ、中澤氏は3月12日の幸恵理事長を交えた面談で「土曜か日曜かは記憶にない」と答えていた。なぜ手伝いを依頼したのは土曜日と思い出したのか。面談から1週間後の7月22日、中澤氏から筆者に電話が掛かってきた。Aさんが再雇用時の給与に満足せず退職し、学園に慰謝料と損害金を求めていると言い、「もともと問題にしていたのは再雇用で、性被害は後から言い出した」と伝えたかったようだ。筆者はこのやりとりの際に、手伝いを依頼したのが土曜日と思い出した理由を尋ねた。 中澤氏は「Aさんが言った日にちを見たら土曜日になっていたからです」。 Aさんに確認すると、 「3月12日の面談の前に、被害を受けた日を記したカレンダーを上司に見せました。上司は幸恵理事長たちに見せるためにコピーを取りました」 2020年、Aさんが被害を同僚に告白した年に印刷した前出資料1のことだ。Aさんが被害に遭ったと考える日にマルが付けられており、それによると全て日曜日になっている。土曜日にマルを付けた形跡はどこにもない。 「土曜日に被害を受けたなんて私は今まで一度も言っていません。そもそも私は、日曜日に手伝いを頼まれたという記憶を基に被害を受けた日付を特定しています」(Aさん) 中澤氏が言うように、Aさんが被害に遭ったとする日が後で土曜日だと思い出すには、Aさんが「被害を受けたのは〇月×日」と、曜日に関係なく日付のみを特定していなければ導き出せないことを意味する。 中澤氏は7月22日の電話で「Aさんはあなたにわいせつ行為への謝罪を求めたのか」との筆者の問いに、「求められていない」とも言った。だとすると、Aさんが筆者に中澤氏による性加害を訴えたことも、幸恵理事長がAさんの申告を受けて3月12日に謝罪の場を設定したことも成り立たなくなる。 あの日はいったい、何に対する謝罪の場だったのか。同席した幸恵理事長に7項目にわたる質問状を送ったところ、7月25日にファクスで回答が届いた。うち、幸恵理事長にAさんと中澤氏、双方の主張をどう捉えるかを聞いた二つの質問に対する回答を吟味する。 幸恵理事長は、Aさんの被害を受けたという主張と、中澤氏の否定する話しか判断材料がないとし、「学園として『有った、無かった』と断定することはできず、司法判断に委ねるしか無いというのが基調認識(原文ママ)です」と前置きした。 一つ目の「幸恵理事長が中澤氏がわいせつ行為をしたと考え、謝罪を求めたということか」との質問には「Aさん(※筆者注:回答では実名)の剣幕は、そこにいるのがいたたまれないほどのもので、前理事長に対して悪感情を有している事は間違い無く、その悪感情を少しでも和らげる必要を感じました。その必要性から、敢えてAさんには寄り添い、義父である前理事長には突き放した態度で臨むことでフェア対応を心掛けました」と答えた。 Aさんと中澤氏では、わいせつ行為があったかどうかの認識に食い違いが生じていることから、筆者は二つ目の質問で「わいせつ行為については、Aさんと中澤氏のどちらかが虚偽の発言をしている、または記憶があいまいで正確でないということが言える。幸恵理事長はどちらの発言がより整合性があると考えるか」と尋ねた。 幸恵理事長は「基本認識(原文ママ)により優劣をつけることは出来ませんが、セクハラ行為があったとされる2014年から既に9年が経過した中で突然出て来たこと、そのタイミングがAさんに対して定年退職後の再雇用条件を通達した直後であること、Aさんが再雇用条件に相当不満をもっていたこと等を考慮すると、Aさんが学園に対する不満を抱いてセクハラの話をしてきたとの可能性は捨てきれないと感じます」と答えた(傍線は筆者注)。 筆者の質問の意図は傍線部分を聞くことであったが、寄せられた回答はそれ以降の文章の方が長い。幸恵理事長は中澤氏の主張と同様に、Aさんが再雇用の条件に不満を持っていたから過去のわいせつ行為を持ち出したと言いたいようだ。 理事長「膝をガーンとやればよかったね」  Aさんは、幸恵理事長に被害の状況を報告した際、無理解な発言をされ傷付いたと語っている。Aさんによると、幸恵理事長は蹴る動作をしながら「その時、膝をガーンとやればよかったね」と言ったという。 「幸恵理事長は従業員の弱い立場を全く理解していません。学園トップの中澤氏を蹴るなんてできるはずがありません。彼にとって不都合なことを学園に報告したら、報復として不利益な待遇を受け、退職を強いられるのではないかと恐れていました。私は50代で採用されて半年後に被害を受けました。辞める覚悟で被害を報告するか、心の奥にしまって何事もなかったかのように仕事を続けるかを迫られていたんです」(Aさん) 幸恵理事長が「Aさんは再雇用条件への不満からセクハラの話をしてきた可能性は捨てきれないと感じる」と回答したことは、相談体制の不備を棚に上げ、すぐに報告しなかったAさんに責任を押し付けているように聞こえる。 中澤氏は、一度はAさんに謝罪したが、わいせつ行為は明確に認めていない。3月12日時点では、性被害を訴えるAさんのみならず、幸恵理事長も中澤氏の真意が分からず戸惑いを示した。被害を訴える人を突き放すような幸恵理事長の回答は、Aさんにとって解決が遠のいたと映るだろう。 筆者は質問状で「Aさんが中澤氏からのわいせつ行為を訴えたことについて、保護者達に報告するか。または既にしたか」と尋ねた。幸恵理事長は「学園が対応すべき時が来た時に、報告しようと考えております」と答えたが、対応すべき時はいまではないか。 その後 中沢学園は7月28日、代理人弁護士を通じて本記事の掲載禁止を求める仮処分を福島地裁に申し立てたと本誌に通知してきた。 審尋を経て、中沢学園は申し立てを取り下げた。 詳細は9月号で報じる。

  • 室屋義秀さんが本格育成塾を設立【エアーレース】

     飛行機レースの世界大会「レッドブル・エアレース・チャンピオン・ワールドシップ2017」でアジア人初の年間総合王者に輝いた室屋義秀さん(50)。4月から、次世代のエアレースパイロットを発掘する「レースパイロットプログラム」を福島市の拠点でスタートさせた。 2日間の〝サバイバル〟試験に密着 滑走路を走る候補生 複数の候補生が脱落した懸垂  エアレースは最高時速370㌔に及ぶ飛行機を駆使し、空中のコースでタイムを競うモータースポーツ。操縦技術はもちろん、高い水準の知力、体力、精神力が求められるため、専門パイロットの育成には通常10年以上かかるとされる。 そうした中で、才能ある若者を発掘して育成を加速化させ、5年後のエアレースパイロットデビューを本気で目指そうというのが今回の取り組みだ。主催は室屋さんが所属するチーム「LEXAS PATHFINDER AIR RACING」。 対象年齢は16歳以上(今年9月30日時点)40歳未満。学歴不問。訓練費用は室屋さんが代表を務める㈱パスファインダー(福島市)ら主催者が全額負担する。事前の募集では「体力・知力・やる気の全てを満たす心意気がある人以外は、申込をしないでください」と呼び掛けていた。 4月29日のキャンプ1(1回目)、会場のEBM航空公園(ふくしまスカイパーク)には全国から20~30代の男女32人が集結。体力測定が行われ、全員が候補生として合格した。 続く6月10、11日のキャンプ2(2回目)には合格者18人が参加(14人は辞退)。体力測定10種目と、世界を転戦するパイロットに必須なコミュニケーション能力をはかるディベート、英会話試験が行われた。 2回目で5人が脱落 候補生の前で話す室屋さん  体力測定に関しては、キャンプ1の時点で、〝最低ライン〟が発表されていた。例えば腕立て伏せは2分間で連続24回、腹筋は同36回、懸垂4回など。各候補生らはクリアを目標にこの間、トレーニングを重ねてきたが、その成果をうまく発揮できなかった人もおり、体力測定が終了した初日夕方の段階で4人が脱落決定。即刻退席を求められた。 2日目のディベートは候補生同士でチームを作り、一つのテーマについて議論するというもの。英会話試験は同チームの外国人スタッフと面談する。ディベートではユニークなテーマが設定され、うまく対応できなかった候補生1人が脱落した。キャンプ1の自己紹介時にはそれぞれが室屋さんや飛行機への愛を語ったが、基準を満たさない者は容赦なく立ち去ることを求められる。 ディベートの様子 外国人スタッフとの英会話試験  キャンプ2を終えて、室屋さんは「チームとして戦っていくことが求められるエアレースでリーダーとしてスタッフを率いながら、世界で戦っていける人材を生み出すのが狙い。自分が長年エアレースパイロットとして活動してきた中で必要と感じた点を試験に盛り込みました。若い候補生が、次のキャンプまでどれだけ伸びしろを見せられるか、楽しみ」と感想を述べた。 キャンプ2の感想を語る室屋さん  キャンプ3は8月予定。並行して航空関連の各種資格試験も受験していく。唯一県内からの参加となった会津若松市在住の宮田翔さん(32、山形県出身)は、東北電力ネットワーク会津若松電力センター送電課に勤めながら、キャンプ3突破を目指す。 唯一の県内在住候補生・宮田翔さん  「幼いころから飛行機と室屋さんが好きで、こんなチャンスはないと思った。キャンプ1から1日も欠かさずトレーニングを続けている。会社の同僚にも応援してもらっているので、全力で取り組んでいきたい」 室屋さんらは同プロジェクトと併せて、世界を舞台にしたエアレース事業「エアレースX」の開催に向けて準備を進めている。室屋さんに続く若きスターが福島市から飛び立っていくことに期待したい。

  • 犯罪者に戻った元飯舘村議【高橋和幸】

     昨年7月に福島市で20代女性が住むアパートに侵入し、包丁で脅して現金を奪い、性的行為を強いたとして強盗強制性交などの罪に問われた川俣町在住の男に福島地裁は今年6月13日、裁判員裁判で懲役11年(求刑懲役13年)の判決を言い渡した。高橋和幸被告(49)は飯舘村議を1期務め、2期目を目指した2021年9月の選挙で落選。裁判では過去に強盗犯として有罪になったことが明かされ、落選後に「自暴自棄」となり再犯に及んだことが分かった。 切れた縁、唯一残った暴力性 飯舘村議時代の高橋被告(「議会だより」2020年11月発行より)  刑務官に連れられてきた高橋被告は、茶色に染めていた頭に白髪が混じり、肩まで伸び切っていた。中肉中背の刑務官と比べると背丈は160~165㌢くらいで小太り。Tシャツにベージュの短パン、サンダル履きで、ビーチにいるようないで立ちだが顔色は悪い。シャツの首元はよれ、柄は透けるくらい薄くなり、公判を通して同じ服装だった。2年前の村議時代のスーツ姿からは程遠い。質問への答えもくぐもった声で聞き取りづらかった。 高橋被告が問われている罪は時系列順に窃盗2件、住居侵入、強盗強制性交、大麻取締法違反(所持)の4種類。裁判で審理されたのは次の四つの事件だ。以下は検察側の取り調べに基づく。  ①車上荒らし 2022年5月26日午後0時ごろに福島市吉倉のコインランドリー駐車場で、停車中の無施錠の軽自動車から運転手がいないうちにバッグを盗んだ。運転手が車の鍵が入ったバッグがないことに気づくと、駆け寄って「男がバッグを盗んで落としていきました」と嘘の報告をし、財布だけを抜き取ったバッグを返した。財布は市内の中古品買取店に売り払い、中に入っていた現金1万円やICカードを使った。  ②パチンコ店での現金窃盗 同年7月4日午後2時半ごろに行きつけだった福島市成川のパチンコ店で、客が台を離れたすきにICコインを持ち去り、精算機から現金1万円を引き出して盗んだ。高橋被告は別の客に「財布を取られて金がないので貸してほしい」と要求したが断られていた。犯行はそれから数十分後に起こった。  ③女性が住むアパートへの侵入と、強盗強制性交 同月17、18日の深夜に福島市清水町にある派遣型風俗店(デリバリーヘルス)の女性従業員の待機所となっているアパートに包丁を持って押し入り、在室の女性(当時25歳)を脅して売上金4万7000円を奪い、性的行為を強いた。  ④自宅で大麻を所持 同年8月16日に川俣町の自宅に警察の捜査が及び、15年以上前に購入した大麻1・63㌘がクローゼットから見つかった。 高橋被告は①、②、④の罪については起訴内容を認めたが、③の女性が住むアパートに押し入り強盗と性的行為をしたことについては「薬を飲んで記憶がない」と否認した。高橋被告は東日本大震災・原発事故後から精神に不調をきたし、事件当時はうつ病を患い、精神安定剤や睡眠薬を毎晩服用していた。 弁護側は「薬の副作用で記憶が抜け落ち、朦朧状態にあった可能性がある」として、事件を起こしたとしても心神喪失や心神耗弱の可能性を否定できないとして③の強盗強制性行について無罪か刑の減軽を求めた。 ①コインランドリー駐車場での車上荒らしと②パチンコ店での窃盗は、店舗に設置されていた防犯カメラが記録していたため、検察側は映像を証拠として提出。④大麻所持は警察官がその場で現物を確認していたため、高橋被告は否認しなかった。一方、③の強盗強制性交については、検察側は被害者の証言と高橋被告が運転する自動車の走行記録、街中のカメラ映像で立証を試みた。 高橋被告はたとえ1期と言えど、村議という公職を務めた人物だ。なぜ犯罪、しかも強盗強制性交という凶悪犯罪に及んだのか。「転落ぶり」が気になる。 高橋被告は震災・原発事故で飯舘村が帰還困難区域になったことで避難し、会津若松市や福島市を転々とした。次第に不調をきたし、通院するようになる。事件当時は川俣町の県営復興住宅に落ち着いていた。 2017年9月、飯舘村の避難指示解除後初めて行われた村議選(定数10)に高橋被告は立候補し、12人の立候補者のうち86票(得票率2・6%)と10位の得票で村議に滑り込んだ。高橋被告の本籍は同村小宮仲ノ内で、法人登記簿によると、ここを本店に2014年7月に建築・土木業「KMテック合同会社」を設立し代表社員を務めていた。 前々回の飯舘村議選の投票結果 (2017年9月)敬称略 当選佐藤八郎469.798票当選佐藤健太395.672票当選髙橋孝雄394票当選長正利一340票当選大谷友孝322票当選佐藤一郎311.529票当選菅野新一307票当選渡邊 計235票当選相良 弘181票当選高橋和幸86票庄司圭一72票目黒正光61票  2021年9月に行われた村議選(定数10)は13人で争われ、再選を目指すが、44票(得票率1・5%)と12位の得票で落選した。 1人になり、すさんだ生活  今回問われた強盗強制性交等罪は、議員の職を失ってから1カ月後の10月には準備されていたと言っていい。高橋被告は派遣型風俗店でドライバーとして働き始める。事件の舞台となったアパートが、女性従業員の待機所として使われていることを、高橋被告は業務説明のために店員から案内されて知った。同僚たちには「カズ」と呼ばれていた高橋被告だが、同年末にはドライバーを辞めた。店は翌2022年2月まで在籍していたと検察側に説明している。 高橋被告は川俣町の県営復興住宅に娘と2人で暮らしていたが、高橋被告によると、同1月ごろに娘と引き離された。児童相談所から娘を施設か親族に預けて別居するよう迫られていた。虐待の疑いがあると判断されたという。 結審前に高橋被告は「私がしたことは正当化されるものではない。謝罪では済まないが、自分にとっては娘と離れ離れになるのは死刑宣告と同じ。かなりショックを受け、自暴自棄になった」と話した。 1人暮らしで生活はすさみ、食事は1日1食で済ませた。性風俗店のドライバーを辞めた後は、2022年3月ごろから福島市飯野町の工場で夜勤を始めたが、仕事中は眠くて仕方がない。働く気になれず「クビになった」(高橋被告の証言)。 同年2月には傷害事件を起こし、福島署で取り調べを受け、全身写真を撮られた。その時に履いていたスニーカーの靴跡と、強盗強制性交に押し入った部屋に残された靴跡が一致したことが後に有力な証拠となる。 同5月に工場の仕事を辞める頃には、鬱屈した気持ちを紛らわすため、ため込んでいた精神安定剤や睡眠薬を多めに飲むようになった。収入は途絶え、生活費やパチンコ通いでサラ金からの借金がかさんだ。通院先で診断書を書いてもらい、東電から支給される休業補償や賠償金で暮らしていたが、とうとう金に窮す。及んだのが車上荒らしやパチンコ店の客からの窃盗だった。 高橋被告が及んだ犯罪は人の命を顧みないより凶悪なものになった。 事件の夜は「覚えていない」 福島地方裁判所  「携帯電話がつながらない時や緊急時には、ドライバーが予告なしに女性従業員の待機所を訪ねる時もあります。襲われた夜もそうだと思いました」 高橋被告から強盗と強制性交に遭った女性は、法廷で声を詰まらせながらも気丈に答えた。「Aさん」と匿名で呼ばれ、高橋被告や傍聴席から姿が見えないように衝立で目隠しがされていた。 高橋被告は事件の夜を「薬を飲んだ影響で覚えていない」と、自身が犯人かどうか分からないと主張していたので、検察側は犯行状況を自供に頼らず、被害女性の証言と、高橋被告の携帯電話の位置情報や現場まで乗ってきた車の走行記録、街中のカメラで裏付けていった。 2022年7月18日午前0時10分ごろ、女性はスマートフォンをいじっていたため時刻を覚えている。アパートのドアがノックされた。 誰かが入ってきたと思った瞬間、左手に包丁を持った男が目に飛び込んできた。黒い上下の服を着て、帽子とマスクを着けていた。 「静かにしろ! 大声を出すな」。口調は強かった。男は右腕を背後から女性の首に回し、包丁を首の辺りに突き付けた。切っ先のこぶし1個分先に自分の首があった。耳元で「ビリッ」と何かを引き割く音が聞こえた。口にガムテープを張られた。 「殺される。命はないと思いました」(女性の法廷での証言) 男は土足で上がり、部屋の中央まで女性を引き連れ、放してベッドの中央に座らせた。 「有り金出せ」 女性はベッド付近にあったバッグから売り上げが入った財布を出し、中身を見せると、男は「これでもう全部か」と言い、自分でバッグや棚を漁り始めた。 男は金目の物がないと判断すると、女性に服を脱ぐように命令し、ほぼ裸の女性をベッドに四つん這いにさせ、ガムテープを両手首に留めた。女性は冷たく鋭い物が尻に当たるのを感じ、包丁で刺されると覚悟した。スポンジのように柔らかい物を口元や陰部付近に複数回押し当てられたが、男はそれ以上は行為に及ばず、ズボンを上げるとベッドを離れ後ずさりし、「大声を出すな」と言いながら足早に玄関を出ていった。女性は男がまた来て包丁を突き付けられるかもしれないと、2、3分は恐怖で体が動かなかった。 店から「女性が襲われた」との知らせを受け、アパートに駆け付けた性風俗店の男性ドライバー(当時)は、 「数カ月前の5、6月にもアパートのドアがノックされる不審な出来事がありました。『ドライバーです』と男の声がし、鍵の掛かったドアを開けようとしたそうです。別の女性従業員が在室していました」 と述べた。アパートにインターホンはないといい、防犯は完全ではないようだ。 高橋被告は、犯行があった2022年7月17、18日の夜は自宅で薬を飲んだ後からの記憶がないと主張したが、車の走行記録や携帯電話の位置情報をたどると、17日夕方に現場を訪れ、犯行時間帯にも車がアパート周辺にあったことが判明した。強盗の下見をしていたとみられる。街中のカメラ映像によると、犯行後の時間帯には福島市街地のパセオ通り近くの駐車場に車を止め、未明まで街を歩いたり深夜営業の居酒屋で時間を潰したりしていた。薬で朦朧としていたと主張するには、複雑すぎる行動だった。 アパートに残されたガムテープの切れ端と、高橋被告の自宅にあったガムテープの芯の両方から高橋被告と被害女性のDNAが検出されたことも、押し入った男が高橋被告であることを補強した。 求刑懲役13年に対し、判決は懲役11年。裁判所は「犯行を事前に準備し、行動は合理的。善悪の判断はできた」と薬の副作用で心神喪失や心神耗弱の状態にあった可能性を否定し、「被害者に計り知れない恐怖と苦痛を与えた身勝手な犯行」と断じた。高橋被告は即日控訴。判決で、裁判所は前科を考慮したという。 裁判で検察側が明かした高橋被告の前科は、いま問われている罪と関係が深い。1991年に窃盗、車上狙い、92年には傷害と恐喝未遂で原町署(現南相馬署)が検挙し、家裁相馬支部が少年院に送致した。94年には仙台市や福島市で複数の共犯者と通行人を金属製の棒で殴り、金品を奪う通り魔的強盗を繰り返した。 一連の犯行5件で強盗致傷罪に問われ、仙台地裁は懲役9年を言い渡した。最高裁まで争い、上告棄却で刑が確定。2003年に出所し、翌04年には原町市(現南相馬市)で経営していた派遣型風俗店で18歳未満の少女にみだらな行為をさせたとして児童福祉法違反の疑いで共犯の暴力団幹部2人とともに逮捕された。懲役1年4月の判決を言い渡され、福島刑務所に服役した。当時、高橋被告は暴力団員だった。 《調べでは、高橋容疑者は主犯格の暴力団幹部●●と暴力団幹部〇〇の三人で、少女への電話での指示や車での送り迎えなど、役割を分け、組織的に犯行を行っていたとみられる。 三容疑者は少女の欠勤や遅刻には罰金を課し、辞める際には友人を紹介するよう話していたため、少女らは辞められずにいたという。同店には約二十人の女性がおり、うち少女は五、六人いたとみられる。》(04年5月25日付福島民友。暴力団幹部は記事では実名) 本人はこの時の事件を「やんちゃしていた頃のこと」と振り返り、それ以降は暴力団から足を洗ったという。だが村議という公職を失い、さまざまな要因から生活がすさみ、犯罪の道に戻ってしまった。元村議が罪を犯したというよりは、犯罪傾向を抑えきれなかった者が村議に当選したという方が実情に近い。 再犯抑止には人とのつながり 高橋被告が勾留されている福島刑務所  そもそも、高橋被告はなぜ村議を目指したのか。筆者は6月下旬、福島刑務所で未決勾留中の高橋被告に面会を求めたが、出てきた職員から「会いたくないそうです」と伝えられた。 同刑務所を出所し、現在は正業に就く元受刑者の男性は語る。(本誌2月号「目に余る福島刑務所の人権侵害 受刑者に期限切れ防塵マスク」を参照) 「日本の刑務所の矯正教育は有効性が伴っていません。懲役を受けて良かったのは、考える時間ができたことだけです。お世話になった人の信頼を失って見放されないように、人の道に外れることはしてはいけないと思うようになりました。いい意味で人間関係にがんじがらめにされ、かろうじて再犯を抑えられていると捉えています」 最下位当選とはいえ、村議を1期務めた以上、高橋被告は有権者から一定の支持を得ていたはずだ。かつての支持者や家族の存在は、犯罪抑止のブレーキとならなかったのか。 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」 【塙強盗殺人事件】裁判で明らかになったカネへの執着 【福島刑務所】集団暴行死事件を追う

  • 【しゃぶしゃぶ温野菜 郡山爆発事故】被害女性が明かす苦悩

     2020年7月に郡山市で起きた飲食店爆発事故から、間もなく3年を迎える。当時、現場近くの事業所におり、重傷を負った女性が本誌取材に応じ、この間の苦悩や、誰も責任を問われない現状へのやるせなさなどを明かした。(末永) 「責任の所在不明」で進まない被害者救済  まずは事故の経過を振り返っておく。 爆発事故が起きたのは2020年7月30日午前8時57分ごろ。現場は郡山市島2丁目の飲食店「しゃぶしゃぶ温野菜 郡山新さくら通り店」で、郡山市役所から西に1㌔ほどのところに位置する。 この事故によって1人が死亡し、19人が重軽傷者を負った。加えて、当該建物が全壊したほか、付近の民家や事業所など200棟以上に被害が及んだ。同店は同年4月から休業しており、リニューアル工事を実施している最中だった。 警察の調べに基づく当時の地元紙報道などによると、爆発前、厨房のガス管に、腐食によってできたと考えられる亀裂や穴があり、そこから漏れたプロパンガスに、何らかの原因で引火した可能性が高いという。 経済産業省産業保安グループ(本省ガス安全室、関東東北産業保安監督部東北支部)は、現地で情報収集を行い、2020年12月に報告書をまとめた。 それによると、以下のようなことが分かったという。 ○流し台下の配管に著しい腐食があり、特に床面を中心に腐食している個所が複数あった。 ○事故前、屋内の多湿部、水の影響を受けるおそれがある場所などで配管が使用されていた。コンクリート面等の導電性の支持面に直接触れない措置は講じられていなかった。 ○保安機関の点検・調査で、ガス栓劣化、接続管基準、燃焼機器故障について「否」とし、特記事項として「警報器とメーターを連動してください」と指摘されていたが、消費設備の改善の痕跡は確認できない。 ○配管が腐食していたという記載や、配管腐食に関する注意喚起等は、過去の点検・調査記録等からは確認できない。保安機関は、定期点検・調査(2019年12月2日)で、配管(腐食、腐食防止措置等)は「良」としていた。 ○直近の点検・調査は2019年12月で、前回の点検・調査(2015年3月)から4年以上経過していた。 ○保安機関の点検・調査によれば、ガス漏れ警報器は設置されていた。 事故発生前にガス漏れ警報器が鳴動したことを認知した者はおらず、ガス漏れ警報器の電源等、作動する状況であったかどうかは不明。 ○漏えい量、漏えい時期と漏えい時の流量、爆発の中心、着火源など、爆発前後の状況は不明な点が多い。 同調査では「業務用施設(飲食店)において、厨房シンク下、コンクリート上に直に設置されていた腐食した白管(SGP配管)からガスが漏えい。何らかの着火源により着火して爆発したことが推定されている」とされているが、不明な部分も多かったということだ。 その後、警察の調べで、事故の原因とされるガス管は2006年の店舗建設時に国の基準に沿わない形で設置されていたこと、腐食を防ぐ措置がとられていなかったこと、法定点検を行った保安機関はそれらを認識しながら詳しく確認せずに問題ないと判断していたことなどが分かった。管理を適切に行わなかったために事故が起きたとして、2021年9月、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)を業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。 以降しばらくは、捜査機関の動きは報じられていなかったが、今年3月、福島地検が全員を不起訴としたことが伝えられた。運営会社社長ら4人は嫌疑不十分、内装業者は死亡していることが理由。 これを受け、事故で重傷を負った市内の女性が4月12日、不起訴処分を不服として福島検察審査会に審査を申し立てた。 地元紙報道によると、代理人弁護士が県庁で記者会見し、「大事故にもかかわらず、誰も責任を負わない結果は被害者には納得できない。責任の所在を明確にし、なぜ事故が起きたのかはっきりさせないといけない」と話したという。(福島民報4月13日付) 被害女性に聞く 本誌取材に応じるAさん  以上が事故のおおよその経緯だが、今回、本誌取材に応じたのは、事故現場のすぐ目の前の事業所にいて重傷を負ったAさん(※不起訴処分を不服として審査を申し立てたのとは別の被害女性)。 その日、Aさんはいつも通り始業時間である8時半の少し前に出勤し、事務所の掃除、業務の打ち合わせなどをして、自分のデスクに座り、パソコンの電源を立ち上げた瞬間に事故が起きた。 〝ドーン〟という大きな音とともにAさんがいた事業所(建物)が崩れ、「飛行機か何かが落ちてきたのかと思った」(Aさん)というほどの衝撃だった。天井が落下して下敷きになり、割れた窓ガラスの破片で頭や顔などに大ケガを負った。 当時、事業所にはAさんのほかにもう1人いたが、「たまたま何かの陰になったのか、その方は傷を負うことはなく、(下敷きになっていた)私を救出してくれました」(Aさん)。 その後、救急車で郡山市内の病院に運ばれ、そこからドクターヘリで福島県立医大病院に搬送された。 そこで、手術・点滴などの治療を受けたが、安静にする間もなく、警察から事情を聞かれた。毎日、窓越しに事故が起きた飲食店の改修工事の様子を見ていたため、早急に話を聞きたいとのことだったという。当時は話をするのも容易でない状況だったが、警察から「(工事で)何人くらいの人が出入りしていたか」等々の質問を受け、筆談で応じた。 その後は、医大病院(病室)で安静にしていたが、次第に「助かった」という思いと、「家族はどうしているか」、「職場はどうなったか」等々が頭を占めるようになった。 「なるべく早く帰りたいと思い、一生懸命、歩ける、大丈夫ということをアピールしました」(同) その結果、抜糸やその後の治療は郡山市内の病院で引き継ぐことになり、翌日には退院して自宅に戻ることができた。 そうまでして、退院を急いだ理由について、Aさんはこう話す。 「私は何のキャリアもない主婦で、過去には大きな病気をしたこともありました。そんな中、いまの職場に入り、そこから一生懸命仕事を覚えて、事務職にまで取り立ててもらえるようになって、やっと軌道に乗ってきたところでした。そうやって積み重ねてきたものがなくなる怖さと、生き残ったということに気持ちが高ぶっており、痛くて寝込むとか、つらいとかいうよりも、早く復帰しなければという思いの方が強かったんです」 Aさんが勤める事業所は、市内の別の場所に移り、事故後1日も休むことなく事業を続けている。Aさんも間もなく仕事に復帰し、その間、一度だけ元の事業所に行った。事故の影響で、顧客情報などが散乱してしまったことから、その回収のためである。 ただ、事故後、現場に行ったのはそれ1回だけ。 「それ(一度、資料等を回収に行った時)以降は、一度も現場には行っていません。周辺がキレイに整備され、新しくなってドラッグストアができたとか聞きますが、あの周辺を通ったこともありません」 それだけ、恐怖心が残っているということだ。 事故の後遺症はそれだけではない。いまでも、時折、体に痛みを感じるほか、ヘリコプターや飛行機などの音を聞くと、猛烈な恐怖心に襲われることがある。「ドクターヘリで搬送されたときの記憶はあいまい」とのことだが、仕事中、そうした音が聞こえると、建物が崩れたときの記憶がフラッシュバックし、怖くて建物の外に飛び出すこともある。 「(事故の記憶がよみがえらないように)全く違う業種に転職して、環境を変えた方がいいのかな、と思うこともありました。ただ、いまの状況ではどこに行っても、普通に働くことはなかなか難しいでしょうし、いまの職場の方は事情を分かってくれて、例えば、調子が悪い日は職場に設置してもらった簡易ベッドで休ませてもらうこともあります。そういったサポートをしてくれるので働き続けることができています」 関係者の「不起訴」にやるせなさ 爆発事故後のAさんの勤務先(Aさんのデスクがあった場所=Aさん提供)  傍目には目立つ外傷はないが、体には痛みが残り、精神的に安定しない日があるというのだ。 「どんどん握力が落ちて、お皿を洗っているときに、落とすこともあります。握力測定では性別・年代別の平均値よりずっと低く、幼稚園児と同じくらいでした」 いまも、整形外科で薬を処方してもらっているほか、メンタルクリニックでカウンセリングを受けている。睡眠薬がなければ眠れず、体の痛みで眠れない日もある。 治療費は、しゃぶしゃぶ温野菜のフランチャイザーのレインズインターナショナル(横浜市)と、運営会社の高島屋商店(いわき市)の被害対応基金から支払われている。ただ、まずは自分で負担し、診断書を添えて実費分が支払われる、という手続きが必要になる。加えて、これもいつまで続くか、といった不安がある。 中には「賠償金はいくらもらったの?」と心ないことを聞かれることもあったそうだが、治療費以外の賠償金は支払われていない。それどころか、事故を起こした店舗の関係者からは「私たちが悪いと決まったわけではないので」といった理由から謝罪もされていないという。 当然、「納得できない」との思いを抱いてきたが、それをさらに増幅させることがあった。前段で述べたように、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)が業務上過失致死傷の疑いで書類送検されていたが、今年3月、全員が不起訴になったことだ。 「まず、こんなに時間がかかるとは思っていませんでしたし、あれだけの事故を起こして、誰も責任を問われないなんて……。無力感と言うんですかね、そんな感じです」 言葉にならない、やるせなさを浮かべる。 事故当時、警察からは、被害者として刑事告訴できる旨の説明を受けた。民事でも「被害者の会」が組織されるのではないか、との見方もあった。ただ、被害の程度が違うため、被害者組織は結成されなかった。 Aさん自身、自分の心身のこと、家族のこと、仕事のことで精一杯で、刑事告訴や、民事での損害賠償請求などに費やすエネルギーや時間的余裕がなかった。そのため、これまで自らアクションを起こすことはなかった。 そもそも、これだけの事故を起こして、誰も責任を問われない、自身の被害が救済されない、などということがあるとは思っていなかったに違いない。ただ、刑事は前述のような形になり、どうしたらいいか分からないといった思いのようだ。 郡山市の損害賠償訴訟に期待 Aさんの勤務先から事故現場に向かって撮影した写真。奥に警察、消防士などが見え、現場と至近距離であることが分かる。(Aさん提供)  そんな中で、Aさんが「希望を持っている」と明かすのが、郡山市が起こした損害賠償請求訴訟である。 これについては、本誌昨年6月号で詳細リポートし、今年6月号で続報した。 郡山市は2021年12月、運営会社の高島屋商店(いわき市)、フランチャイズ本部のレインズインターナショナル(横浜市)など6社を相手取り、約600万円の損害賠償を求める訴訟を福島地裁郡山支部に起こした。賠償請求の内訳は災害見舞金の支給に要した費用約130万円、現場周辺の市道清掃費用約130万円、避難所運営に要した費用約100万円、被災者への固定資産税の減免措置など約80万円、災害ごみの回収費用約70万円など。 裁判に至る前、市は独自で情報収集を行い、裁判の被告とした6社と協議をした。そのうえで、2021年2月19日、6社に対して損害賠償を請求し、回答期限を同年3月末までとしていた。 3月29日までに6社すべてから回答があり、2社は「事故原因が明らかになれば協議に応じる」旨の回答、4社は「爆発事故の責任がないため請求には応じない」旨の回答だった。 前段で、事故を起こした店舗の関係者は「自分たちが悪いと決まったわけではないので」といった理由から、Aさん(被害者)に謝罪していないと書いたが、市との協議でも同様の主張であることがうかがえる。 これを受け、市は県消防保安課、郡山消防本部、郡山警察署、代理人弁護士と協議・情報収集を行い、新たに1社を加えた7社に対して、関係資料の提出を求めた。7社の対応は、2社が「捜査資料のため提出できない」、4社が一部回答あり、1社が回答拒否だった。 市では「関係者間で主張の食い違いがあるほか、捜査資料のため情報収集が困難で、刑事事件との関係性もあり、協議による解決は困難」と判断。同年9月に6社に対して協議による解決の最後通告を行ったが、全社から全額賠償に応じる意思がないとの回答が届いた。 ただ、1社は「条件付きで一部弁済を内容とする協議には応じる」、別の1社は「今後の刑事裁判の結果によって協議に応じる」とした。残りの4社は「爆発事故に責任があると考えていないため損害賠償請求には応じない」旨の回答だった。 こうした協議を経て、市は損害賠償請求訴訟を起こすことを決めたのである。 2021年12月議会で関連議案を提出し、品川萬里市長が次のように説明した。 「2020年7月に島2丁目地内で発生した爆発事故で、本市が支出した費用について、責任を有すると思慮される関係者に対し、民事上の任意の賠償を求め協議してきましたが、本日現在、当該関係者から賠償金全額を支払う旨の回答を得ておりません。本市としては、事故の責任の所在を明らかにするため、弁護士への相談等を踏まえ、関係者に対して民法第719条に基づく共同不法行為者として、損害賠償を求める訴えの提起にかかる議案を提出しています」 議会の採決では全会一致で可決され、それを経て提訴した。 昨年4月22日から今年5月23日までに計6回の口頭弁論が開かれているが、市総務法務課によると「現在(この間の裁判)は争点整理をしています」とのこと。 判決に至るまでにはまだ時間がかかりそうだが、Aさんは「市が率先して、責任の所在を明らかにしようとしているのはありがたいし、希望でもある」と話す。 求められる被害救済  市総務法務課の担当者は、裁判を起こした理由について、こう話していた。 「市長が『被害に遭われた住民は多数おり、市が率先して責任の所在を明らかにしていく』ということを言っていたように、市が先頭に立って裁判を行い、責任の所在を明らかにすることで、被害に遭われた方に参考にしてもらえれば、といった思いもあります」 当然、裁判は市の損害を回復することが最大の目的だが、市が率先して裁判を起こすことで判例をつくり、ほかの被害者の参考にしてもらえれば、といった意味合いもあるということだ。 今回の事故で、Aさんをはじめ多くの人・企業が被害を受けたのは明らかだが、「加害者」は明確なようで実はそうではない。 過失があると思われるのは運営会社、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関などだが、それぞれが「自分たちの責任ではない」、あるいは「自分たちの責任であると明確に認定されるまでは謝罪も賠償もしない」という姿勢。言わば、責任をなすりつけあっているような状況なのである。 そのため、事故から3年が経とうとしているが、賠償などは全く進んでいない。気の毒というほかないが、運営会社、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関などのどこであれ、責任の所在を明らかにし、事故を起こした事実を受け止めてほしい。あの日、日常の中で事故に巻き込まれた人たちの被害が救済されることを切に願う。 あわせて読みたい 【しゃぶしゃぶ温野菜 爆発事故】郡山市が関係6社を提訴 「しゃぶしゃぶ温野菜 ガス爆発事故」刑事・民事で追及続く【郡山】

  • 【浅野撚糸】フタバスーパーゼロミル【双葉町】

    魔法のタオル「エアーかおる」が好評 フタバスーパーゼロミル エアーかおる「ダディボーイ」  昨年4月22日に開所した浅野撚糸(本社・岐阜県)の双葉事業所「フタバスーパーゼロミル」(双葉町)は、県内外から多くの旅行者が訪れており、新たな観光スポットとして注目を集めている。 同所では、主力商品のタオル「エアーかおる」や「ダキシメテフタバ」などの材料になる撚糸(ねんし)を製造しており(ガラス越しに見学できる)、タオルなどを販売する直営店「エアーかおる双葉丸」、アウトレットルーム「ゼロミル」、県内産食材を使ったパスタやドリンクが楽しめる憩いの場「キーズカフェ」、企業などが利用できる研修施設やイベントスペースを併設している。 タオルの特長 ダキシメテフタバ  同社の主力商品である「エアーかおる」は、特許を取得した特殊な撚糸でつくられており、軽量感、抜群の吸水力、速乾性、毛羽落ちの少なさ、ふっくら感の持続、キレのある拭き心地などが特長となっている。 スタンダートタイプの「ダディボーイ」、しっかり目のボリュームがある厚めのタオル「エクスタシー」、極細糸を使った子どもや女性の肌にぴったりなタオル「べビマム」など、タオルの使用感ごとのシリーズを用意している。 「ダキシメテフタバ」は、同社と双葉町が共同開発したタオルで、特殊な乾燥仕上げで柔らかく、「抱きしめられているようなふわふわ感」が特長となっている。 キーズカフェ キーズカフェ  ネルドリップで丁寧に抽出する氷温熟成®珈琲をはじめ、同コーヒーを使用したアレンジドリンクのほか、幅広い世代の方が楽しめるようフードとスイーツも豊富に取り揃えている。さらに「福島県食材を食べて福島県を応援してほしい」という思いから、福島県産の桃やしらすを使用したオリジナルメニュー、「ピーチスムージー」、「スフレパンケーキ ピーチ」、「しらすたっぷりペペロンチーノ」などを提供している。 河合達也双葉事業所長のコメント  「オープンして4カ月、延べ3万人の方にご来店いただきました。素人集団ですが、何回でも行きたくなる観光施設を目指して、日々奮闘しています。楽しい夏休みイベントを開催していますので、是非、ご家族でご来店ください」  双葉町を訪れる際は、物販や交流など多機能を備えた複合施設であるフタバスーパーゼロミルを訪れて、その魅力を自身で感じてみてはいかがだろうか。 エアーかおるを通販で購入する

  • 【植松三十里】歴史小説家の講演会開催【矢祭町】

     7月23日、矢祭町のユーパル矢祭2階多目的ホールで、歴史小説家・植松三十里(みどり)氏の講演会が行われた。令和5年度矢祭町ふるさと創生事業の一環として実施された。 テーマは〝~近代日本の礎を築いた福島の男たち~〟。矢祭町出身で、幕末に活躍した吉岡艮太夫をはじめ、県内で活躍した偉人の功績について、植松氏が自身の作品をもとに紐解いた。 講演前に佐川正一郎町長が「日本の歴史の大切さ、そして日本の未来を考える大切さを、講演を通じて後世に伝えていきたい」とあいさつした。 講師の植松氏は静岡県生まれ。東京女子大文理学部史学科卒業後、婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に入社。7年間の米国暮らし、建築都市デザイン事務所での勤務を経て、フリーライターに転身した。 2003(平成15)年に発表した『桑港(サンフランシスコ)にて』で第27回歴史文学賞を受賞。2009(平成21)年には『群青 日本海軍の礎を築いた男』で第28回新田次郎文学賞、『彫残二人』で第15回中山義秀文学賞を受賞した。昨年11月に刊行された最新作『家康を愛した女たち』も話題を呼んでいる。 講演会で取り上げられた吉岡艮太夫は、一般的に吉岡勇平という名前で知られている。 17歳で故郷を離れた後、日本各地を巡って文武両道に励み、江戸の御家人・吉岡家の養子となった。数年後に養父の後を継いで幕府の表御台所人として出仕。その後、旅で身につけた地理学をもとに執筆した江戸湾防備策が認められ、当時海防に従事していた代官・江川太郎左衛門の塾に入門した。 29歳で幕府の軍艦取締役に登用され、その翌年、勝海舟やジョン万次郎、若かりし頃の福沢諭吉らとともに、軍艦・咸臨丸に公用方として乗船、37日間の航海を経てサンフランシスコへと渡った。 吉岡らが日本を離れている間に尊王攘夷運動が高まり、大政奉還や鳥羽・伏見の戦いにおける幕府軍の敗北など、明治維新への機運が高まった。だが、吉岡は、江戸城の無血開城によって徳川慶喜が江戸を追いやられる際に護衛の任に就き、幕府が解体されてもなお徳川家の行く末を幕臣として見届けた。その忠義は最後まで揺らぐことはなかったという。 このほか、常磐炭鉱の開祖である片寄平蔵、帝国ホテルのライト館を手掛けた建築家・遠藤新の足跡についての講演も行われた。後半では植松氏と佐川町長、咸臨丸子孫の会メンバーで、木村摂津守喜毅(軍艦奉行)の玄孫にあたる宗像氏、浜口興右衛門(運用方)の曾孫にあたる小林氏を交えたトークセッションも催された。 会場には町民など約200人が足を運び、幕末を駆け抜けた「福島の男たち」の活躍ぶりに思いを馳せた。 家康を愛した女たち posted with ヨメレバ 植松 三十里 集英社 2022年11月18日 楽天ブックス 楽天kobo Amazon   あわせて読みたい 「矢祭町刀剣展示会」開催-矢祭町・矢祭町教育委員会

  • 【学校法人昌平黌】創立120周年「人間力育成」誓い新たに

     東日本国際大学、いわき短期大学等を運営する学校法人昌平黌(いわき市、緑川浩司理事長)は6月22日、いわき芸術文化交流館・アリオス大ホールで学校法人昌平黌創立120周年記念式典を執り行った。 来賓、関係者、学生を合わせ約1730人が出席し、これまでの同法人の歴史を振り返りながら、孔子哲学に基づく「人間力育成」のさらなる発展に向けて、誓いを新たにした。 記念式典では、プロローグとして同大と同附属昌平中・高合同吹奏楽部による迫力あふれる演奏が披露された後、緑川理事長が「創立120周年を機に、建学の精神を実践する徳のある人材を育成する。地元いわき市と密接に関わり合いながら、人間教育の拠点として地域の信頼を得ることが本学園の発展につながる。いわき市から人間教育の新たな歴史を刻んでいく」と式辞を述べた。 永年勤続職員表彰に続き、来賓の文部科学大臣代理の伯井美徳文部科学審議官、内田広之いわき市長が祝辞を述べ、来賓紹介、祝電披露が行われた。 引き続き、創立120周年記念講演会が催された。 まず、福原紀彦日本私立学校振興・共済事業団理事長が「新しい時代の学びと人材育成~文理融合と文武両道~」という演題で講演した。 福原氏は①歴史は過去と現在との対話、②人は何のために学ぶのか、③日本の近代化と現代化に果たした世界的に誇る学校制度と私学の役割、④資本化、グローバル化、デジタル化などいわゆる新時代の三大潮流と難局の克服――をテーマに、ユーモアを交えながら解説。 マニュアル型の知識獲得から社会貢献に基づく「志」を伴う知恵・知性の修得をはじめ、文系・理系の分化・分断ではなく文理融合教育の重要性や学問とスポーツとの両道・連携の必要性を説いた。 続いて、黒住真・東京大学名誉教授が「日本の思想史からの孔子『論語』と今後への課題」というテーマで講演を行った。 黒住氏はまず「古代、中世、近世、近代、現代における思想概念と社会的変化」について説明。そのうえで孔子「論語」の歴史を紐解きながら、「枢軸時代や紀元前後の動き」、「中世における完成形態」、「近世における普及」、「明治維新後における中村正直や渋沢栄一らの『論語』への造詣」についてそれぞれ解説した。 結びに、経済問題が環境問題とつながった現在、「論語」を再評価する意義について力説した。 当日は、記念式典に先立ち、東日本国際大学1号館の「大成殿」で大成至聖先師孔子祭が開催された。 同法人では、「論語」の一節にある「義を行い以て其の道に達す」を建学の精神として掲げており、学生が「論語」に親しみ、孔子を敬い、その教えをあらためて見つめ直す機会として孔子祭を執り行っている。今年で35回目。 記念式典の様子  法人役員や来賓をはじめ、学生、教室などオンラインで結んだ約1800人が列席。神事が行われ、齋主祝詞奏上の後、緑川理事長、吉村作治総長、緑川明美常務理事ら関係者が玉串をささげた。緑川理事長は祭主あいさつにおいて「建学の精神は本学の根幹をなすもの。人間教育を実践してきた120年の歩みを改めて確認し、一層の人間力向上を図りながら地域社会の発展に貢献していく」と決意を新たにした。

  • 【本宮市商工会】広がる「子ども食堂」支援の輪

     本宮市商工会は7月19日、本宮市社会福祉協議会のフードバンクと本宮市内の子ども食堂5施設に、食品や寄付金などを贈呈した。 同商工会は社会貢献活動に積極的に取り組んでおり、昨年7月には同協議会と「フードバンク事業」(※外箱の変形など、通常の販売が困難な食品を事業者などから引き取り、福祉団体などに譲渡する活動)に関する基本協定を締結。会員事業所が同協議会を通して、食品や日用品などを無償提供している。 支援活動は今回で3回目。回を増すごとに、活動の趣旨に賛同する市内の一般企業・団体からの寄付金、物資が増え続けている。 同日、贈呈式が行われ、同協議会に加え、▽しらさわ有寿園「こころ食堂」、▽こども食堂「コスモス」、▽一般社団法人金の雫「みずいろ子ども食堂」、▽NPO法人東日本次世代教育支援協会 ふくしまキッズエコ食堂、▽「a sobeba lab(ア ソベバ ラボ)」の5施設に物資・寄付金が贈られた。今回の協賛会員は33社。物資はコメやカップラーメン、レトルト食品、缶詰、お茶、みそ、しょうゆ、烏骨鶏生卵、洗剤、児童図書、ビニール傘など。 贈呈者を代表して、同商工会の石橋英雄会長が「多くの協賛会員に協力いただき感謝しています。企業が率先してこうした取り組みを進めることで、本宮市をさらに住みやすいまちにして、若者の市外流出を防ぎたい。引き続きご協力よろしくお願いします」とあいさつした。同協議会の古田部幸夫会長や子ども食堂の関係者らが謝辞を述べた。 贈呈式を終えた石橋会長は「子ども食堂は、豊かな心を育み、安心して過ごせる居場所を提供しています。また、交流の場としても利用されており、高齢者の方も訪れています。地道な取り組みではありますが、数年先を見据えて活動を続けていきたいと思います」と抱負を述べた。 加えて同商工会の現状について次のように話した。 「会員事業所は少しずつ増えていますが、課題を抱えている会員事業所が多い。最重要課題は人手(後継者)不足で、若い世代の働き手がいても、市外に職を求めて流出していく現状があります。行政では定住人口を増やすための取り組みを打ち出しており、当商工会も微力ながらお手伝いさせてもらおうと考えています。こうした支援活動もその一環です。さまざまな活動を通して、本宮にも魅力ある職場がたくさんあることを広く知ってもらい、若者が地元に定着するきっかけになればと考えています」 同事業は年2回実施しており、次回は12月予定。同商工会では子ども食堂などへの支援活動を継続し、子どもたちの育成支援や地域のにぎわい創出に貢献していく考えだ。

  • 女優・大内彩加さんが語る性被害告発のその後「谷賢一を止めるには裁判しかない」

     飯舘村出身の女性俳優、大内彩加さん(30)=東京都在住=が、所属する劇団の主宰者、谷賢一氏(41)から性行為を強いられたとして損害賠償を求めて提訴してから半年が経った。被害公表後は応援と共に「売名行為」などのバッシングを受けている。7月下旬に浜通りを主会場に開く常磐線舞台芸術祭に出演するが、決めるまでは苦悩した。後押ししたのは「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」との言葉だった。 「加害」がなければ「被害」は生まれない 大内彩加さん=6月撮影 ――被害公表後にはバッシングなどの二次加害を受けました。 「応援もたくさんありましたが、見知らぬ人からのSNSの投稿やダイレクトメッセージ(DM)を通しての二次加害には心を抉られました。  私が受けた二次加害は大まかに五つの種類に分けられます。第1は売名のために被害を公表したという非難です。「MeToo商売だ」「配役に目がくらんだ」といったものがありました。性暴力に遭い、それを公表したからと言って仕事が来るほど演劇界は甘くはありません。裁判で係争中の私はむしろ敬遠され、性暴力を受けたことを公表することは、役者のキャリアに何の得にもなりません。非難は演劇業界の仕組みをさも分かっている体を取っていますが、全く分かっていない人の発言です。 2番目が、第三者の立場を踏み越えた距離感で送られてくるメッセージです。『おっぱい見せて』『かわいいから被害に遭っても仕方ない』という性的なものから、『仲良くなりませんか? 僕で良かったら、悩みを聞きますよ』などあからさまではありませんが、下心を感じるものがありました。性暴力を受けた人を気遣う振る舞いではありません。 3番目は単なる悪口です。『死ね』とか『図々しい被害者』など様々でした。 4番目が『被害のすぐ後に警察に行けばよかったじゃないか』『どうして今さら言うんだ』という被害者がすぐに行動を取らなかったことを非難する、典型的な二次加害です。 性暴力を受けた時は誰もが戸惑います。相当な時間がなければ私は公に被害を訴える行動を取れませんでした。さらに、一般的に加害行為を受けた場合、被害者は加害者の機嫌を損ねずにその場を乗り切ろうと、一見加害者に迎合しているような言動を取ることがよくあります。わざわざ二次加害をしてくる人たちは被害者が陥る状況を理解していません。 最後が、被害者に届くことを考えずにした発言です。 『谷さんを信じたいと思っています。自分は被害を受けていないので分からないが、彼が大内さんに謝ってくれるといい』という言葉に傷つきました。Twitterのライブ配信でした発言は多くの人が聞いており、視聴者を通して私に伝わりました。 二次加害というのは、量としては見知らぬ人からが多く、それだけで十分心を抉るのですが、知人の言葉は別格の辛さがありました。『自分は被害を受けていないから分からない』というのは同じ舞台に立っていた役者の言葉です。他の劇団員たちから『なんで今告発したんだ』との発言も聞きました。 発言者たちは『直接言ったわけではないし、被害者がその言葉を見聞きするとは思わなかった』と弁明しますが、ネットの時代に発言は拡散します。被害者に届いていたら言い訳になりません。性暴力やハラスメントを受けることが理解できないなら、配慮を欠いた言葉をわざわざ被害者にぶつけないでほしい」 ――「性被害」よりも「性加害」という言葉を多く使っています。意図はありますか。 「ニュースの見出しでは性被害という言葉が一般的ですが、私にとっては違和感のある言葉です。一人でに被害が発生するわけではなく、必ず加害者の行動が先にあります。責任の所在を明確にするために、現実に合わせた言葉を選んでいます。 『性被害』という言葉だけが先行すると、責任を被害者に求める認識につながってしまうのではないでしょうか。痴漢に襲われた人は、『ミニスカートを履いていたから』、『夜中に出歩いていたから』など、周囲から行動を非難されることが多いです。加害行為がなければそもそも被害は起こりません。問われるべきは加害者です」 「被害者が出演する機会を奪われてはいけない」 ――今月下旬に浜通りで開かれる常磐線舞台芸術祭の運営に参加し、出演もします。 「私が被害を公表した昨年12月、谷が演出した舞台が、南相馬市にある柳美里さんの劇場で上演されることになっていました。柳さんは、説明責任を果たすように谷に言い、主催者判断で中止になったと後で聞きました。 私は被害告発の際に舞台を『中止してほしい』とは言っていません。公演前に告発したのは、谷が演出した舞台を見に行った後に、彼が性加害を日常的に行っていたと初めて知り傷つく人がいる。出演した役者、スタッフたちが関連付けられて矢面に立たされると危惧したからです。 谷に福島に関わらないでほしいという思いはありました。谷が浜通りに移り住み、公演の実績を重ねることによって、新たに出会った人たちが性暴力やハラスメントに遭うのを恐れていました。ただ、中止する決定権は私にはありません。被害を公表し、判断を関係者や世論に委ねました。  被害を公表した日から柳美里さんから、連絡を受けるようになりました。しばらくすると、今夏に計画している舞台芸術祭の運営に関わってほしい、できたら役者として出演してほしいとオファーが来ました。裁判が係争中です。私が出演することで、私に反感を持っている人たちから公演に圧力がかかる可能性もあります。フラッシュバックで体調を崩す時もあります。とことん悩みました。  4月に飯舘に帰省した際、柳さんと1時間半ぐらいお話しして、『被害者が出演する機会を奪われてはいけない』と言われました。裁判係争中の私は、『面倒な奴』扱いで、役者の仕事はほとんどなくなりました。柳さんの言葉を聞いて、自分以外のためにも出なければならないと思いました。何よりも私自身が芝居をしたかった」 4月に帰省し、飯舘村内を回った大内さん(大内さん提供) ――被害者が去らなければいけない現状について。  「小中学校といじめられました。私が既にいじめられていた子を気に掛けていたのが反感を買ったらしく、何番目かに標的になりました。教室に入れなくなり、不登校や保健室登校になるのはいつもいじめられる側です。いじめる側は残り、また新たな標的が生まれるいじめの構造は変わりません。 どうしてあの子たちが、どうして私が去らなければならないんだろう。本当は学校に通いたいのに、加害者がいるから教室に行けないだけなのにと思っていました。 別室にいくべきは加害者ではないでしょうか。私は谷が主宰する劇団を辞めてはいません。迫られて辞める、居づらくなって辞めはしないと決めています。 谷からレイプを受けたことを先輩劇団員に相談した際『大内よりも酷い目に遭った奴はいっぱいいた。辞めていった女の子はたくさんいたよ』と言われました。彼女たちに勇気がなかったわけではありません。辞めざるを得ない状況に追い込まれているのは、加害者と傍観者が認識を変えず、加害行為が続いていたからです。去っていった人たちには、あなたが離れていく必要はなかったのだと安心させてあげたい」 閉校した母校の小学校を示す標識=4月、飯舘村(大内さん提供)  ――芸術祭では主催者がハラスメント防止に関するガイドラインをつくり公表しています。 ※参照「常磐線舞台芸術祭 ハラスメント防止・対策ガイドライン」 「ガイドラインでは、弁護士ら第三者が加わり、外部に相談窓口を設けています。相談先が所属劇団内だけだと、身内ということもあり躊躇してしまいます。先輩劇団員に相談しても、加害者に働きかけるまでには至らないこともあります。第三者が入ることで対策は実効性を伴うと思います。 私は舞台に出演するほかに、地元に根差して芸術祭を盛り上げる地域コーディネーターを務めています。作成に当たって主催者は、10人ほどいる地域コーディネーターにガイドラインの内容について意見を求めました。私は、ガイドラインの作成過程も随時公表した方が良いと提案しました。 演劇業界でのハラスメントが注目されています。谷賢一は、自身が主宰する劇団内でハラスメントを繰り返し、私は性加害を受けました。谷は大震災・原発事故で大きな被害を受けた福島県双葉町を舞台に作品をつくり、それをきっかけに一時は移住するなど、福島とはゆかりが深い人物です。谷の件もあり、福島の人たちはとりわけ演劇界におけるハラスメントに敏感だと思います。ハラスメント対策を公表するだけでなく、制定の過程を透明化しておく必要があると思いました。 対策の制定前から運営に関わっている役者、スタッフ、地元の方たちを不安にしてはいけない。誰もが安心して参加・鑑賞できる芸術祭にするためにハラスメントガイドラインをつくるプロセスの公表は欠かせません。主催者はホームページやSNSで過程も発信し、意見を反映してくれたと思います」 「乗り越えたら彩加はもっと強くなる」 ――家族はどのように見守っていますか。 「母に被害を打ち明けたのは、被害公表直前の昨年12月上旬でした。それまではレイプをされたこともハラスメントを受けていたことも、それが原因でうつ病に陥っていることも言えなかった。母は谷と面識がありました。なぜ娘が病気になっているのか、母は理由も分からず苦しんでいたことでしょう。提訴したら、母も心無い言葉を投げかけられるかもしれない。自分の口から全てを説明しようと、訴状の基となる被害報告書を見せました。 母は無言で目を凝らして読んでいて、何を言うか怖かった。最後まで目を通して書類をトントンと立てて整えると、『わかりました』と一言。その次の言葉は忘れません。 『彩加はいまも十分強い子だよ。でも裁判をしたり、被害を公表したり、待ち受けている困難を乗り越えたらもっと強くなれるね』と。『強い子』と言われるのは2度目なんです。1度目は大震災・原発事故からの避難先の群馬県で高校3年生だった時。母子で新聞のインタビューを受けて、母は記者から『娘の役者の夢は叶いそうか』と聞かれました。母は『親が離婚し、いじめも経験して、震災も経験してきた。彩加はすごく強い子だから、何があっても大丈夫です。立派な役者になります』と言いました。 そんな母も私には見せませんが不安を抱えています。被害を打ち明けた後、母は私の義理の父に当たるパートナーと神社に行きました。私にお守りを三つ買って、義父に『彩加が死んだらどうしよう』と漏らしました。私は時折、性暴力を受けた記憶がフラッシュバックし、希死念慮にさいなまれます。母は強がっていますが娘を失わないか心配なようです。義父は『あの娘の部屋を思い出してみろ。どれだけ自分の好きなものに囲まれていると思っているんだ。あのオタクが大好きなものを残して死ぬわけないだろ』と励ましました。 私は芝居の台本は学生時代から全て取ってあります。演技書も、演劇の授業のプリントも捨てられません。まだまだ演じたい戯曲もたくさんあり、舞台に映像と新しい作品に挑戦していきたい。『演劇が何よりも好き』なのが私なんです。私を当の本人よりも理解してくれる人たちに支えられて私は生きています」 家族や故郷・飯舘村の思い出を話す大内さん=6月撮影 訴訟は必要な過程 ――被告である谷氏への心境の変化はありますか。 「怒りは変わることはありません。5月に行われた第3回期日で被告側から返った書面を見た時にブチギレました。これだけ証言、証拠を突き付けているのに何の反省もしていないんだ、心の底から自分が加害者だと思っていないんだなと受け取れる内容でした。 谷が行ってきた加害行為に対し、劇団員や周囲はおかしいと言えなかった、言わなかった、言える状況じゃなかった。提訴でしか彼は止められないし、加害行為は社会にも認識されなかったと思います。彼自身に、『あなたがしてきたのは加害行為だよ』と認識してもらう手段は、裁判しかないと私は思っています。裁判所がどういう判断を下すのか心配ですが、私はフラッシュバックと闘いながら被害状況を詳細にまとめていますし、加害行為を受けた人や見聞きしてきた人たちに証言を求めています。 声を上げられない被害者が少しでも救われるように、第2第3の被害者を生まないために、訴訟は必要な過程なんです」 (取材・構成 小池航) 谷賢一氏が単身居住していたJR常磐線双葉駅横の町営駅西住宅。1月には「谷賢一」の表札が掛かっていたが、カーテンが閉まっており居住は確認できなかった。7月現在、表札は取り外されている=1月撮影 あわせて読みたい 【谷賢一】地元紙がもてはやした双葉町移住劇作家の「裏の顔」【性被害】

  • 【フクロウ】神社で会える森のアイドル

     伊達市梁川町の梁川八幡神社(關根誠宮司)に、今年もフクロウの幼鳥が姿を現した。毎年境内のケヤキの〝うろ〟に巣を作り、大型連休近くになると、そこから巣立った幼鳥が親鳥と飛ぶ練習を繰り返す。 5月8日、同神社境内に足を運ぶと、近隣の住民や写真愛好家が、我が子を見守るような目で、巣の近くに立つスギの木を見上げていた。わずかな期間で高いところまで飛べるようになったようだ。 夫婦で訪れていた女性は「毎年見に来ている。昨年はカラスに追われたヒナが田んぼに落ちて、氏子の方に救出されていた。心配でつい見に来てしまう」と笑いながら話した。 伊達市在住の写真愛好家・Nさんは「2021年から訪れている。簡単には撮影できないが、フワフワでかわいらしいのが被写体として魅力」と語った。 禰宜の關根亘さんによると、昔からフクロウの鳴き声は聞こえていたが、2019年、修復工事中の本殿の建設養生ネット内に幼鳥が迷い込み、救出したのを機に、毎年姿が見られるようになった。遠くから足を運ぶ人がいるのを受け、拝殿にフクロウの石像を設置したり、ホームページやSNSでフクロウについて情報発信している。 福島市小鳥の森のレンジャー・増渕翔太さんによると、「個体差があるので一概には言えないが、秋ぐらいまでは巣の近くで親鳥とともに行動するのではないか」とのこと。ただ、近隣住民によると目視できるのは巣立ってから2、3週間程度だとか。わずかな時期しか見ることができない〝森のアイドル〟が今年も多くの人を魅了した。 今年最初に巣立ったフクロウの幼鳥。下を覗き込む表情がかわいらしい(5月3日、伊達市の写真愛好家・Nさん撮影) 巣立ち後の2、3週間は連日、地元住民や写真愛好家が梁川八幡神社境内に足を運ぶ(5月8日、編集部撮影) 今年2番目に巣立った幼鳥(5月4日、伊達市の写真愛好家・Nさん撮影) フクロウの巣があるケヤキの木(5月8日、編集部撮影) フクロウ人気に負けじと大きな声で鳴くキジバト(5月4日、福島市在住・Sさん撮影) 杉の木に寄りかかるフクロウの幼鳥(5月4日、福島市在住・Sさん撮影) 伊達氏の氏神として崇拝され、今年、国史跡に追加指定された梁川八幡神社の本殿(5月8日、編集部撮影) 拝殿にはフクロウをかたどった石象があった(5月8日、編集部撮影)

  • 【只見線】全線再開通フィーバーから8カ月

     6月1日で全線再開通から8カ月となるJR只見線。再開通直後は盛況で車内は満席だったが、現在はどういう状況なのか。記者が実際に乗って確認してみた。 只見線〝日帰り旅〟で見えた課題  JR只見線は2011年の新潟・福島豪雨で被災し、会津川口(金山町)―只見(只見町)間が不通となった。1日当たり利用者数49人(2010年)の赤字区間ということもあり、当初、JR東日本は代行バスへの移行を検討していた。 だが、県や沿線自治体からの要望を踏まえ、県が線路や駅舎を保有し、JR東日本が運行する「上下分離方式」で復旧することになった。不通区間の復旧費用は約90億円(県・市町村負担分約54億円)。毎年約3億円の維持管理費は県と沿線自治体など17市町村が負担する。 昨年10月1日に全線再開通すると、秋の紅葉シーズンや政府の観光振興策である全国旅行支援も重なって、大盛況となった。新聞報道によると、車内は混雑して座れないほどで「通勤時の山手線のようで景色を見る余裕がない」との嘆きが聞かれるほどだったという。半年以上経過して、現在はどういう状況なのか、記者が実際に只見線に乗ってみた。 大型連休前半の4月30日、会津若松(会津若松市)7時41分発の列車に乗り込んだ。2両編成で乗客は十数人。そのうち、半分は大きいバッグを抱えた観光客だった。6時8分発の始発にも毎日10人ほどの乗客がいるようだ。 出発後、七日町(同)、西若松(同)から、会津西陵高校(旧大沼高校、旧坂下高校)の生徒が乗り込み、あっという間に満席になった。だが、同高校がある会津高田(会津美里町)でぞろぞろ降り、車内に残ったのは数人。全線再開通フィーバーは完全に終息したようだ。 代わり映えしない水田の風景にうとうとしていると、いつの間にか奥会津に入っていた。只見川に差し掛かるところで景色を見せるために減速運転したので、スマホを取り出して撮影した。エメラルドグリーンの川面が美しく、席から立ち上がって眺める乗客もいた。  只見川の風景を撮影する乗客  感動したのは、只見線を見かけた近隣住民がみな手を振ってくれること。地域全体で盛り上げようとしている思いが伝わって来た。 一方で、いわゆる〝撮り鉄〟が山の中にいる姿には何度かギョッとさせられた。離れたところから撮っているのだろうが、車内から見ると、目の前に突然現れたように感じる。 会津若松を出発してから約3時間後の10時45分、目的地の只見駅に到着。降車客が多いと勝手に思い込んでいたが、大半が終点・小出(新潟県魚沼市)行きの列車に乗り換えた。 記者がまず足を運ぼうと考えたのは田子倉ダム。というのも、只見町は、只見線乗客向けの観光周遊バス「自然首都・只見号」の実証実験(乗車1回200円、土、日、祝日のみ運行)を4月29日からスタートしていた。それをフル活用して、ダムの絶景をスマホに収め、弊誌のツイッターで投稿しようと考えていたのだ。 観光周遊バス「自然首都・只見号」時刻表  ところが、駅で時刻表を確認すると、田子倉ダム行きのバスは10時発と14時35分発のみ。会津若松発6時8分の始発に乗らないと間に合わないことになる。自分の詰めの甘さと、シビアすぎる時刻表設定に泣いた。 時間が空いたので、全線再開通に合わせて駅前に整備された賑わい拠点施設「只見線広場」に足を運んだ。会津ただみ振興公社が運営する土産コーナーや軽食コーナー、同施設を運営する只見町インフォメーションセンターが入っている。 只見駅前に整備された賑わい拠点施設「只見線広場」  別棟には、同町のご当地B級グルメ「味付けマトンケバブ」が味わえるカフェ、同町に立地する米焼酎メーカーで、国内外から高い評価を受ける「合同会社ねっか」の只見駅前醸造所も入居している。 同センターによると、昨年10月は月間5000人以上が利用し、その後減少したものの、今年4月は月間1210人が訪れたとのこと。約30分の停車時間に、乗客が土産物を買い求める姿も見られた。 とりあえずカフェで味付けマトンケバブとホットコーヒーを頼んで時間を潰す。店員に利用状況を尋ねると、最近は落ち着きつつあるが、それでも利用客は多いとのこと。 隣の席でどぶろく(合同会社ねっか只見駅前醸造所で販売している)を飲んでいた年配男性に声をかけると首都圏から来た人だった。 「只見と会津田島(会津鉄道会津線=南会津町)を結ぶ定期路線ワゴン『自然首都・只見号』でここまで来た。不通区間がある頃に来て以来、毎年訪れている」(年配男性) 定期路線ワゴンは意外と利用者が多いようで、全線再開通直後の混雑時には、「終点まで立ちっぱなしは嫌だ」と会津田島駅経由で帰る人が続出し、2台運行するほどだったとか。このほか、北東北へのドライブ旅行中に立ち寄った北陸地方在住の夫婦もおり、只見線全線再開通の報道を機に、興味を持って足を運ぶ人が増えたことがうかがえた。 使い勝手が悪い周遊バス  田子倉ダム行きのバスが発車する14時35分までの待ち時間で何かできないか。タクシー会社に電話したが運転手が出払っているのかつながらなかった。4時間5500円のレンタカーには手が出ない。 やむなく観光周遊バスの時刻表とにらめっこしていたところ、駅12時発の便に乗れば、町の第三セクターが運営する温泉宿泊施設「季の郷湯ら里」で日帰り入浴して、駅まで戻ってこられることが判明した。 風呂に浸かって、旅の疲れを取るのも悪くない。意気揚々とマイクロバスに乗り込むと、乗客は自分1人だった。同バスは今年12月3日まで運行予定とのことだが、来年以降継続できるのか不安になった。 「湯ら里」の温泉はナトリウム塩化物硫酸塩温泉。適応症は神経痛、筋肉痛、関節痛など。利用料700円。源泉かけ流しの日帰り専用温泉施設「深沢温泉むら湯」も隣接しており、赤褐色の湯を求めて訪れる人が多い。こちらは利用料600円。食堂の看板メニューは手打ちそば。 昼時で混雑している「むら湯」を避け、「湯ら里」を利用することにした。ところどころ老朽化が目立ったが、広い大浴場や露天風呂でゆっくり体を温めることができた。 帰り道のバスで運転手に田子倉ダムの様子を尋ねたところ、「午前中唯一の乗客がダムで降りたが、『霧で何も見えなかった』と帰り道こぼしていた」と教えられた。只見駅で話を聞いた町民からは「ダムのふもとの施設・田子倉レイクビューは現在営業していない」と聞かされた。 午後出発する会津若松行きの列車は14時35分発と18時発。田子倉ダム行きのバスは前述の通り14時35分発。田子倉ダムに行って収穫ゼロに終わり、駅近くで再び18時まで時間を潰すのはさすがに厳しい。スマホの充電も少なくなってきた。ずいぶん迷った結果、14時35分発の只見線で帰途に就くことにした。 小出方面からの乗客は20人ほど。一度見た風景なので退屈な帰り道になるのを覚悟していたところ、地元NPO法人「そらとぶ教室」のメンバーが同乗し、車窓の見どころをガイドしてくれた。乗客が多い週末午後の便に乗り込み、ボランティアでガイド活動をしているのだという。 会津川口からは別の観光関係者が引き続きガイドをしてくれた。併せて地元の土産品を販売し、複数の乗客が買い求めていた。漫然と乗っているよりも観光気分が高まったし、沿線自治体に関心を持った人が多いのではないか。 17時24分、会津若松に到着すると、乗客の大半がホームの反対側の磐越西線(郡山行き)に乗り込んだ。おそらく郡山駅から新幹線を使って居住地まで帰るのだろう。 鍵を握る二次交通整備  福島市の自宅からの移動時間を含め、約13時間の日帰り旅(うち只見町に滞在したのは約4時間)。痛感したのは、便数が少ないので気軽に途中下車しづらいことだ。現在、週末には臨時列車が運行しているが、それでも2、3時間に1本のペース。 そもそも只見線の乗客の大半にとって、「乗ること」そのものが目的になっており、途中下車しない傾向がうかがえた。これでは沿線自治体にお金は落ちない。 もちろんそうした中でも恩恵を受けている事業者はいる。同町内のレンタカー業者・エスネットレンタカーの担当者は「只見線で旅行に来た家族・グループの方によく利用してもらうようになった」と語り、只見町旅館業組合長の菅家和人さんは「冬の閑散期を除き、週末は満室になっている」と話す。いかに幅広い業種に経済効果をもたらすことができるかが今後の課題となる。 県が4月25日に発表した第二期只見線利活用計画では、観光列車の定期運行実現、ビューポイント整備、体験学習提供、インバウンド強化、魅力発信など10の重点プロジェクトが掲げられている。こうしたプロジェクトで、地元にお金が落ちる仕組みを構築できるだろうか。 今後の鍵を握るのは二次交通の整備だろう。県や沿線自治体では今後5年間で二次交通を充実させる方針で、6月には鉄道と駐車場・バスを組み合わせて観光しやすくする「パークアンドライドバス」の導入を検討しているという。「少しの区間なら只見線に乗ってみたい」、「沿線自治体をいろいろ巡りたい」など、さまざまな需要に応えられるように環境整備していくことで、途中下車して沿線自治体に立ち寄る乗客も増えていくのではないか。 仮に再び災害が起きて線路や鉄橋が流失したときは県や沿線自治体で全額負担することになる。今後は老朽化の問題も出てくるだろう。税金をかけるのにふさわしい経済効果を生み出しているのか、常に問われ続けることになる。 県の平成31年度包括外部監査報告書 (県包括外部監査人・橋本寿氏ら公認会計士が作成)では只見線復旧事業についてこう述べていた。 《会津川口駅―只見駅間の鉄路復旧、只見線の全線開通それ自体が、特に経済的価値を生む訳ではなく、過疎、人口減少に対する地域振興策でもない。それを望むのであれば、不通になる以前に達成できていたはずである。只見線が1本に繋がってこそ意味があり、機能を発揮すると考えるのは共同幻想にすぎない。約 54億円は別の事業で有効活用できたのではないか》(141ページ) 県只見線管理事務所の担当者は「乗客の中には途中下車して沿線自治体で宿泊する人もいる。沿線自治体ととともに、引き続き利活用促進に取り組んでいく」と述べる。 全線再開通フィーバーがひと段落したここからが只見線(県、沿線自治体)にとって正念場となる。

  • 【飯坂】穴原温泉・吉川屋【畠正樹】社長が選んだ【おすすめマンガ】

     福島市飯坂町の穴原温泉・吉川屋では、4月1日、館内に名作漫画を並べたブックラウンジを開設した。同旅館の畠正樹社長(45)にラウンジ設置の狙いやおすすめ漫画、さらには飯坂温泉をモチーフとしたご当地キャラクター「飯坂真尋ちゃん」を用いた地域振興の取り組みについて語ってもらった。(志賀) 温泉旅館内の遊休施設を漫画コーナーに改装 ブックラウンジ「ふくろう」を紹介する畠社長  吉川屋は1841(天保12)年創業の温泉旅館。客室数126。天皇・皇后をはじめ皇室が利用する宿としても知られ、旅行新聞新社主催の「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選2023」で全国総合11位に選ばれた人気の宿だ。 そんな同旅館の7代目社長・畠正樹社長は大の漫画好きで、4月1日には約4000冊の漫画を備えた宿泊者向けブックラウンジ「ふくろう」をオープンした。開設の狙いを畠社長はこのように語る。 「もともとは宿泊客の宴会の二次会で使われていたクラブだったが、コロナ禍前から稼働率が低く、景色が良い場所なので、もったいないと考えていました。コロナ禍で団体旅行から個人・少人数旅行への切り替えが急速に進む中、思い切ってクラブをなくし、かねてからの夢だった漫画専用のブックラウンジを整備することにしたのです」 福島市が観光関連事業者をサポートするために設けた「周遊スポット魅力アップ支援事業」に採択され、約1000万円かけてリニューアル。ブックラウンジと併せて、バーだった場所にはボルダリング設備を備えたファミリースペース「あそびば」を整備した。さらにフロント脇には、蛇口をひねるとモモやブドウ、リンゴなど季節ごとに違うジュースが味わえるジューススタンドを設置した。 フルーツジューススタンド  各施設のロゴやジューススタンドのイラストデザインは、福島学院大情報ビジネス学科の学生が担当した。 特筆すべきは、ブックラウンジの漫画は、畠社長自身が厳選したものだということ。「古本屋チェーンのブックオフを通してまとめ買いし、過去に読んで面白かったものを中心に選びました。和食や温泉に加え、日本の文化である漫画も旅館で楽しめるというコンセプトです。旅先で人生を変える1冊に出合うというのも、最高の体験だと思います」 実は畠社長、大学時代から本格的に漫画を描いており、出版社に持ち込みまでしていた異色の経歴の持ち主。果たしてどんな作品をセレクトしたのか。かつて夢中になった作品、衝撃を受けた作品などをいくつか紹介してもらった。 ①『HUNTER×HUNTER』(冨樫義博、集英社)既刊37巻 HUNTER×HUNTER 1posted with ヨメレバ冨樫 義博 集英社 1998年06月04日 楽天ブックスAmazonKindle  少年ゴン・フリークスとその仲間たちの活躍を描く冒険活劇。 「『面白い漫画』という点では間違いなく3本の指に入る。読者をワクワクさせる物語・伏線の作り方は神クラス。漫画にはさまざまな表現があるが、シンプルな面白さという点で頭一つ抜けています」 ②『BASTARD!!』(萩原一至、集英社)既刊27巻 BASTARD!! 1posted with ヨメレバ萩原 一至 集英社 1988年08月10日 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  魔法使いダーク・シュナイダーが戦い続けるファンタジー作品。 「物語もさることながら、圧倒的な画力による精密な作画は週刊連載レベルではない。中学生のころから読み始め、一番影響を受けた作品と言っても過言ではありません。『新世紀エヴァンゲリオン』が話題になる前から、宗教をテーマにしていたのも新しかったと思います」 ③『プラネテス』(幸村誠、講談社)全4巻 プラネテス(1)posted with ヨメレバ幸村誠 講談社 2001年01月22日 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  スペースデブリ(宇宙ごみ)の回収業に従事する青年が、自分と向き合いながら成長していく姿を描く、新感覚のSF作品。 「大学時代、漫画家を夢見てオリジナル作品を漫画誌編集部に持ち込んだが、評価されることはなく、『もっと人間を描け』とアドバイスされた。20歳そこそこで人間の深みなんて表現できるわけがない。人生に迷っているときに読んで心に染みました。青春を代表する1冊です」 「大河ドラマ超える傑作」 畠社長が挙げてくれたお薦め漫画 ④『ゴールデンカムイ』(野田サトル、集英社)全31巻 ゴールデンカムイ 1posted with ヨメレバ野田サトル 集英社 2015年01月19日頃 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  明治末期の北海道・樺太を舞台に、アイヌの埋蔵金をめぐって戦うサバイバル漫画。 「漫画アプリで全巻無料になっているときに知って夢中で読み、本棚に入れることを決めました。徹底した時代考証でアイヌの文化を描きつつ、しっかりストーリーを盛り上げる。個人的には大河ドラマを超えた傑作。日本の漫画の価値は多様性にある、とあらためて感じました」 ⑤『攻殻機動隊』(士郎正宗、講談社)全3巻 攻殻機動隊(1)posted with ヨメレバ士郎 正宗 講談社 1991年10月02日 楽天ブックス楽天koboAmazonKindle  電脳化・サイボーグ技術が発達した未来の日本で、デジタル犯罪に対応する「公安9課」が奔走する物語。 「20年以上前の作品ですが、インターネットが発達した現在の問題を描いていることに驚かされます。アニメ版と合わせて多くのクリエイターに影響を与え、その遺伝子はさまざまな作品に引き継がれている。そういう意味では、日本の漫画・アニメ文化を象徴する作品です」 これ以外にもさまざまな作品を選び、熱い思いを語ってくれた畠社長(写真参照)。ブックラウンジのソファーにはスマホなどが充電できるUSBポートが設置されており、時間を気にせず快適に過ごすことができる。まさに漫画好きの畠社長の理想が反映されていると言える。 今後の展望に関しては「自分の思い出の1冊に再会すると自然と会話が広がるもの。漫画好きな人同士がコミュニケーションを取る場、新たな作品と出合う場になってほしいです。イベントや朗読会の場として活用することも検討していきたい」と明かした。 同旅館のブックラウンジが、福島市におけるアニメ・漫画文化の情報発信地となっていくかもしれない。 漫画以外にもアニメ、ゲームを愛する〝オタク〟であることを隠さない畠社長。その熱量は思わぬ形で経済効果を生みつつある。それが「飯坂真尋ちゃん」の取り組みだ。 全国の温泉をモチーフとしたキャラクターをつくり、漫画・小説・音楽などを展開する「温泉むすめ」というプロジェクトがある。エンバウンド(東京都、橋本竜社長=郡山市出身)が手がける企画だが、その中で飯坂温泉代表として制作されたのが「飯坂真尋ちゃん」だった。 飯坂温泉観光協会に立ち寄ったファンの一言でその存在を知った畠社長。「地域を、温泉地を沸かせたい」という同プロジェクトの理念に共感し、公式に応援することを決めた。 青年部や地域を巻き込みながら、「飯坂真尋ちゃんプロジェクト」を立ち上げ、2019年2月には、観光協会に等身大パネルを設置。地元商店とコラボしたデザインのイラストやオリジナルグッズも制作した。同年9月には架空のキャラクターながら飯坂温泉特別観光大使に就任し、担当声優の吉岡茉祐さんのトークイベントが開催された。 2020年に「真尋ちゃん音頭」のクラウドファンディングを実施したところ、全国のファンから約360万円の支援を受けた。2022年に行われた生誕祭では、さまざまなコラボデザインの中からお気に入りを選ぶ「飯坂真尋ちゃん総選挙」が行われた。畠社長によると、こうした企画ができるほど「温泉むすめ」のコラボデザインが作られた温泉地はほかにないという。 福島交通飯坂線の飯坂温泉駅前には「飯坂真尋ちゃん」の大きな看板が立てられた。温泉街の中にはラッピング自販機が設置され、「真尋ちゃん神社」が開設された。ついには、スマホのGPSやカメラと連動し、「飯坂真尋ちゃん」が声と動きで飯坂温泉をガイドしてくれるサービスが、観光庁の補助事業で展開された。架空のキャラクターが、現実に存在するアイドルのようになりつつある。 ファンと共に地域振興 飯坂真尋ちゃん(Ⓒ️ONSEN MUSUME PROJECT)  年1回の声優トークイベントには約800人のファンが訪れ、宿泊、飲食、土産品購入などでお金を落とす。地元の新聞・テレビも注目し、福島学院大学や地元企業とも連携。盛り上がりに対応するため、同プロジェクトでは1、2カ月に1回、会議を行い、地域内での連携を深めている。「飯坂真尋ちゃん」をきっかけとした好循環が広がっている。 「もともと温泉むすめは『温泉地の神様が地域を盛り上げるため、人の姿となって、アイドル活動をしている』という設定。『飯坂真尋ちゃん』はまさしく地域を盛り上げ、われわれに一体感・成功体験を与えてくれました」(畠社長) 活動を続けるうちに、「飯坂真尋ちゃん」をモチーフとした痛車(アニメキャラなどがあしらわれた車)やコスプレ、同人誌即売会など、さまざまな〝オタク向けイベント〟も開催されるようになった。これまでの活動を通して、〝オタクに理解がある温泉街〟として認識されたということだろう。 その中心にいたのは、〝オタク文化〟を愛し、誰よりも「飯坂真尋ちゃん」を推している畠社長だ。 「オタクは自分の趣味を静かに楽しむ一方で、関心がある分野への出資を惜しまないもの。温泉地にとってとても良いお客さんであり、先入観を持たずに多様な受け入れをしていく必要があります。今後もファンととともに、『飯坂真尋ちゃん』の取り組みを盛り上げ、地域振興につなげていきたいと思います」(同) かつて漫画家になる夢をあきらめた青年はいま、日本一〝オタク愛〟が深い温泉旅館の社長として、魅力的な旅館づくりと温泉街の振興に奔走している。 楽天トラベルで吉川屋の宿泊予約をする