今年1月、わなにかかったシカをクマが襲い、生きた状態で捕食する映像が公開され話題を集めた。福島県ではシカが増殖しており、食害を防ぐために捕獲が推し進められているが、わなの近くで待ち伏せするクマが増えれば、農地近くでの人的被害リスクが増大する可能性がある。
懸念される生態変化と人的被害増加

映像は東京農工大大学院グローバルイノベーション研究院の稲垣亜希乃特任助教と小池伸介教授、イリノイ大学のMaximilian L. Allen准教授らによる国際共同研究チームが論文とともに発表したもの。
ニホンジカ(以下シカと表記)の捕獲従事者がくくりわなにどのような動物がかかるか記録するため、昨年5月、栃木県日光市で自動撮影カメラをセッティングして撮影した。
映像を確認したところ、深夜3時に成獣のメスのシカがわなにかかっていたが、その40分後、成獣のツキノワグマ(以下クマと表記)がわなにかかったシカに襲いかかり、10分後にシカは動かなくなった。クマはシカをくわえてカメラの画角外に移動した。
1日以上空けて、周辺にクマがいないことを確認して捕獲従事者がシカを回収したところ、胃と腸の一部を除いてほとんどの内臓が食べられていた。クマは回収までの間に4度現れていたという。
クマの主食は基本的にブナやコナラなどの木の実(ドングリ)だ。だが、専門家によると、進化の過程で雑食になっただけで、もともとは肉食だったという。動物を狩る能力がそれほど高くないので、出生直後で動きが遅い子ジカなどを捕食するほか、雪崩に巻き込まれて死んだシカなどの死肉を率先して食べる。「森の掃除屋」という異名もあるほどだ。特に標高の高いところに生息しているクマは肉を食べる傾向が強い。
そういう意味では、クマがシカの肉を食べること自体に驚きはないし、ドローンなどで撮影された映像はすでにあったようだ。ただ、今回は人間が仕掛けたくくりわなを活用して、クマが生きているシカを襲う姿がはっきりと映っていた。そのショッキングさから、NHKのニュースなど多くの媒体で報じられた。
共同研究チームの小池教授によると、群馬県では以前からくくりわなで捕獲したシカがクマに捕食されるケースが確認されており、全体の5%を占めるという。地域差はあるだろうが、クマの食生活が人間の仕掛けたわなに依存する現象が実際に起こりつつある。
こうした事実を踏まえて、小池教授はくくりわなを確認しに行った捕獲従事者とクマが鉢合わせする危険性を指摘する。
「わなは見回りする際の効率も考え、農地や集落の近くに設置されることが多い。そこにシカを狙うクマが訪れれば、捕獲従事者や近隣住民と遭遇する可能性が高くなる。くくりわなはワイヤーロープで木などに固定されているので、捕獲されたシカをクマが移動させることは難しい。すなわち、クマはシカを仕留めた後も周辺に長時間滞在してエサとして確保している可能性があります。今回の映像のクマも、シカがわなにかかってからわずか40分後に襲っていた。そこにわなが仕掛けられており、いずれシカが捕まることを知っていたのだと思います」
小池教授は、クマがシカ用のわなの近くに来ることで、クマ自身がわなにかかってしまう「錯誤捕獲」も起こりやすくなると指摘する。本県ではイノシシ用のわなにクマがかかるケースが多く報告されており、他県と比べて発生頻度が高い。接近した際に暴れて事故につながるリスクがあるため、できるだけ回避する必要がある。
こうした危険性があるのなら、いっそのこと、くくりわな自体を減らせばいいのではないかと思うかもしれないが、シカによる獣害は深刻で対策を緩めるのは現実的ではない。
捕獲数急増のシカは格好の獲物

シカは低山層の森林に生息し、山菜など地面に生える柔らかい植物、スギやヒノキの樹皮、畑の農作物などあらゆるものを食べつくすことで知られる。県環境保全農業課の発表によると、2023年のシカによる農作物被害額は509万円。イノシシによる被害額5617万円と比べると10分の1程度だが、尾瀬国立公園では湿原植生の踏み付けや掘り返し、希少な植物への食害が発生するなど「森林植生を破壊する動物」として警戒されている。
県内では奥会津で生息が確認される程度だったが、2020年度ごろから会津若松市などで増え始めた。2022年度からは相馬市や葛尾村など浜通りでも捕獲されている。2020年度時点での県内シカ生息数は3100頭と推定される。
個体数が増えすぎて人間の活動や自然環境に悪影響を及ぼす種が対象となる、国の「第二種特定鳥獣」に指定され、県は2021年3月に福島県ニホンジカ管理計画(第2期=計画期間2021~2025年度)を策定した。
同計画では、目標生息数1000頭以上、年間捕獲数1400頭以上を目指して、捕獲や防護柵の設置、モニタリング、専門的知識を有する人材の確保・育成に取り組む方針を示している。
捕獲したシカの肉に関しては原発事故に伴う放射能汚染の影響で県中、県南、会津、南会津各地区で自家消費を控える要請が出されている。ただ、捕獲者には猟友会を通して県の交付金が交付されているのに加え、市町村単位でも有害鳥獣に指定され報奨金が支払われていることもあって、捕獲数は安定しており、2023年度は1919頭に上った。2004年度の捕獲数は68頭なので19年で約28倍に増えたことになる。今後もシカ捕獲のために多くのわなが設置される見込みだ。
一方のクマの状況はどうかというと、今年度は6月末現在、目撃件数294件(うち人身事故・傷害1件、交通事故5件)。昨年6月末が304件なので昨年同様のペースで推移していると言えるが、高止まりの状況だ(別掲グラフ参照)。

こちらも国の「第二種特定鳥獣」に指定され、2022年3月に策定された福島県ツキノワグマ管理計画(第4期=計画期間2022~2026年度)では、県内の生息数は約4425~7116頭と推定されている。
近年は市街地に出没するケースが増えており、本誌昨年5月号では会津若松市の東山温泉街の一角にある菓子店「松本家」にクマが侵入し、温泉街の空き家・廃墟ホテルに侵入されるリスクがあることを報じた。
本誌今年1月号では、喜多方市熱塩加納町の空き家にクマが侵入し、花火を使って追い払ったニュースを取り上げた。空き家の中には数日分のフンが残されており、4、5日は居座っていたのではないかとみられている。
農家の高齢化や担い手不足などにより、手入れされていない山林や畑などが増え、山と人里の境目があいまいになっている。そうした中、人里付近に生息し、人前に出ることを怖がらない「アーバン・ベア」が増え、全国の市街地でクマが出没するケースが相次いで報告されている。
7月4日には、岩手県北上市の住宅で80代の女性が部屋に入ってきたクマに襲われて亡くなった。いよいよ自宅内でもクマに襲われる時代が到来したということだ。
シカ肉依存で生態変わる恐れも
今後懸念されるのは、シカ肉の味を覚えたクマがくくりわな周辺に頻繁に出没するようになれば、そのまま近隣の人里に出ていくようになるのではないか、ということだ。
本誌1月号取材当時、県自然保護課の担当者は「一昨年(※2023年)は全国的にクマの目撃情報、人的被害が多く過去最多でした。エサ不足で冬眠に入らなかったクマがいたことが要因とされています。昨年は天候の関係でエサはある程度あったので、秋以降、目撃情報はそれほど多くありません。ただ、一昨年のこと(冬眠をしない経験)があり、冬眠に入らないクマも存在しているようです」とコメントしていた。
このコメントにもある通り、これまでクマの出没の増減には、前述した主食の木の実の出来が影響していると言われてきた。
凶作の年は秋以降の出没が増え、エサを求めて人里近くまで下りるので、人身被害が発生しやすくなる。逆に豊作の年はその年の秋の出没は少なくなるが、子どもを多く産むようになるので、翌年は子連れのクマが多く出没するようになる――という具合だ。そのため、県では毎年、これらの木の結実状況を調査し、ホームページで公表している。
こうした事実を踏まえ、県自然保護課の担当者や小池教授は「クマがわなにかかったシカを食べることが増えたとしても、基本的には主食の木の実を食べると考えられる」というスタンスを示すが、野生動物の生態に詳しい福島大学食農学類の望月翔太准教授は「クマには肉の味を覚えると繰り返し食べる習性がある」と指摘。乳牛ばかりを狙って捕食していた北海道のヒグマ「OSO18」のように、肉の味に慣れ、肉中毒のようになって特定の動物ばかりを狙うケースが県内でも起きる可能性はあるという。
シカ肉への依存度が高くなれば、農地近くに設置されたわなの近くにクマが滞在する頻度が高まり、これまで以上に人間と遭遇するリスクが発生すると考えられる。
こうしたリスクを回避するため、小池教授は「まずは人間とクマが接触しない工夫が必要」として、次のように対策を挙げる。
「例えばスマホに映像を飛ばせる機能を持つカメラを使い、クマが来ているかどうかをリアルタイムで察知し、鉢合わせを避ける方法が考えられます。併せてその場所でシカの捕獲をしていることを地域住民に周知したうえで、『クマがいるかもしれないから近づかないように』と伝えていく対策も必要です。クマがかかりにくいわなの開発も進められているようです。いずれにしても、人間とクマがなるべく接点を持たないような対策をしないと、今までにはなかったような人身事故が起こる可能性があります」
加えて、小池教授は「万が一、市街地にクマが出没した場合に備えて即応体制の整備が必要」と、猟友会のハンター頼みになっている現体制では限界があると訴える。
「市街地にクマが出没した際は猟友会のハンターにボランティアで対応をお願いしているが、もともとは狩猟を趣味にする方たちの集まりなので、野生動物管理の一端を担わせるのは適切ではありません。これからは行政の中に『野生動物管理職』という専門職を作り、専門の教育を受けた人材を各県で雇用していくべきです。いくつかの県ではすでに専門職を雇用しており、獣害がある程度のレベルで抑えられています。もはや片手間で野生動物に向き合える時代ではありません」
今年4月には鳥獣保護管理法改正案が参議院本会議で可決・成立し、9月から施行される。市街地にクマなどが出没し、捕獲できる手段がない場合は市町村がハンターに委託する形で市街地での猟銃使用が特例的に認められる。しかし、猟友会に所属するハンターの中には、シビアな条件下で猟銃を撃つのは嫌だという人もいるだろう。
だからこそ、小池教授は行政に「野生動物管理職」という専門職を設け、クマやシカの問題に本腰を入れて取り組むべきだと主張しているわけ。
制度整備と意識改革が必要
一方で、前出・望月准教授は「市町村が、保育園や小学校がある場所など『被害を出したくない場所』をピックアップし、そこを中心に緩衝帯を整備してゾーニングを図っていく必要があります」と提案する。県では、クマの生息域と人間の生活域の間に緩衝帯をつくったり、電気柵設置の補助を出すなどの対策を講じているが、より戦略的に踏み込んだゾーニングを進めるべきだ、と。
さらに、クマに遭遇したときの対応について、望月准教授は「頭に傷を負うと致命傷になる可能性が高い。近距離でばったり遭遇した場合はうずくまったり、うつぶせになって頭を守るべき」と呼びかける。
秋田大医学部のチームがクマの被害に遭った患者70人を調査したところ、頭を守る防御姿勢を取った7人は誰も重症化しなかったというデータもあり、効果が証明されつつある。市街地へのクマ出没数が増える中で、住民が自分で身を守る意識と知識を持って対応していくことも今後の課題と言えよう。
シカの個体数管理とクマの人的被害防止という相反する課題にどう向き合っていくか。
金山町で「マタギ」として活動し、小さいころからクマと対峙してきた猪俣昭夫さんは「クマは頭がいい。木の実より腹持ちがいいシカ肉を安定して食べられる場所があるなら当然近くで待ち構える。人間や自動車を恐れていたのは昔の話で、平気で市街地に出没するようになった。クマの学習スピードに人間が追い付けていない」と説明する。
そのうえで、こうも述べる。
「定期的に鉄砲で狩猟して火薬のにおいと恐怖を覚えさせ、『人里に下りてきてはだめだ』と分からせる行為がいまこそ重要だと考えています。ただ、猟師は高齢化が進んでおり、担い手が減っている。私も思うように猟に行けず、もどかしい思いを抱いています」
県は7月末までツキノワグマ出没注意報を出していた。今号が店頭に並ぶ8月以降はどうなっているか分からないが、望月准教授によると、「今年は木の実の出来が悪そうなので、10月以降も出没が続く可能性がある」。さまざまな視点から、人間と野生動物の共存に向けた制度整備と意識改革を進めていくことが求められる。