日本三大ラーメンの一つに数えられる喜多方ラーメン。喜多方市内には約60軒の専門店があり、朝から各店舗の前に行列ができるが、それらの店舗が後継者不在などの理由で相次いで閉店している。市や会津喜多方商工会議所では連携して改善に乗り出しているが、現状を打破できるのか。
相次ぐ人気店閉店で官民が一致団結

10月中旬の週末、喜多方市内のラーメン店は多くの観光客でにぎわっていた。朝7時ごろから営業している店舗が多いため、各店舗の前には朝から、朝食代わりの「朝ラー」を求めて行列ができる。
中でも人気なのは市内ラーメン店の「御三家」の一つ、坂内食堂。全国でフランチャイズ展開しているチェーン店「喜多方ラーメン坂内」の本家に当たり、もちもちの縮れ麺、塩味としょうゆ味を融合させたあっさりスープ、とろけるチャーシューがファンの心を掴んで離さない。取材当日も店の前に40~50人が並んでいた。
喜多方ラーメンは札幌ラーメン、博多ラーメンと並ぶ日本三大ラーメンとして知られており、全国的にも圧倒的な知名度を誇る。いまや喜多方市のみならず、福島県を代表するグルメ・観光資源となっている。
ところが、そんな喜多方市のラーメン店で異変が起きている。
市内でも屈指の人気店が相次いで閉店しているのだ。背脂入りラーメンが人気のあべ食堂は2021年8月に、坂内食堂と並ぶ「御三家」の一つである満古登(まこと)食堂は2023年9月にそれぞれ営業を終えた。

あべ食堂、まこと食堂の店主に接触を試みたが、直接話を聞くことは叶わなかった。まこと食堂に関しては先代(3代目)店主・佐藤一彌さんに取材を申し込んだが、「いまは客観的に取材に応じられる状況ではない。しばらくそっとしておいてほしい」との回答だった。複数の業界関係者によると、後継者不在の中、年齢を重ねながら店を切り盛りしていくことに限界を感じ、閉店を決断したようだ。
「まこと食堂4代目店主の佐藤リカさんは早朝の仕込みや開店後の麺上げなどを基本的に一人でこなしており、中央のテレビ局などでも取り上げられていた。だが、満身創痍の状態で、数年前から周囲に『やめたい』ともらしていた。体力の限界で閉店を決断したのではないか。『御三家』の一角である源来軒も店主が『あと2、3年でやめるかどうか決める』と周囲に話している」(喜多方ラーメンの店主らと親しい事情通)
複数のラーメン店経営者に話を聞いたところ、後継者不在の問題はどこも共通しており、今後も閉店する店舗が続出する可能性は十分あるという。「10年後には店舗が大幅に減少するかもしれない」と指摘するのは本家大みなと味平の先代店主である大湊公久さんだ。
「私は現在77歳で、数年前に店主の座を娘に譲りました。しかし、ラーメン店は激務だし適性もあるので、子どもやその家族が継いでくれるとは限らない。第三者に店を譲り渡すとなればなおさらハードルは高くなる。市内のラーメン店は70~80代の店主が多いので、これからの10年間で閉店する店舗が一気に増えると考えられます。うまく組織化できた数店舗だけが生き残り、喜多方ラーメンを支えていくことになるのではないでしょうか」
喜多方ラーメンのルーツは昭和初期、「源来軒」を開業した潘欽星(ばんきんせい)さんが屋台で提供していた支那そばと言われている。潘さんが作った麺こそ、喜多方ラーメンの特徴とされる平打ち、中太、縮れ麺、多加水麺で、雪国の喜多方でも出前に行く際に伸びにくい麺を模索する中でこの麺が作られたとされる。潘さんがその作り方を弟子などに教えたことで、市内の食堂に同じスタイルの支那そばが広まった。
慢性的な人手不足

ちなみに喜多方ラーメンというと、あっさりしょうゆ味のイメージが強いが、実際には坂内食堂や喜一など塩味ベースのラーメンを提供している人気店もある。そのため前出の「平打ち、中太、縮れ麺、多加水麺」の麺(後出の協同組合蔵のまち喜多方老麺会では「平打ち熟成多加水麺」と表現)が喜多方ラーメンの定義とされている。
1970年代に「蔵のまち喜多方」のイメージが定着し、観光客が増加。少しでも長く滞在してもらうため、1982(昭和57)年ごろから観光関連部署の市職員がラーメンを「ご当地グルメ」として打ち出し始めた。その結果、テレビや雑誌で大きく取り上げられるようになり、喜多方ラーメンの名が一躍全国に知られるようになった。
1987(昭和62)年には、市内の複数のラーメン店が伝統の継承や店ごとのさらなるレベルアップを目指すため、任意団体を発足させた。それが現在の「協同組合蔵のまち喜多方老麺会」だ。「老麺会」と書かれた大きな紺色のノボリが加入店の目印で、会員店舗を掲載したラーメンマップを作り続けている。
市によると、最盛期は市内に約120店舗のラーメン店が営業しており(メニューにラーメン店がある飲食店含む)、老麺会にも70店舗以上が加入していた。だが現在、市内のラーメン店は91店舗、老麺会会員は33店舗まで減っている。その多くは店主の高齢化や後継者不在により店じまいしたという。
ある若手店主は「そもそも慢性的な人手不足で、後継者を探して育てる余裕なんてない」と嘆く。
「市内のラーメン店は小規模な店舗が多いうえ、夏の繁忙期と冬の閑散期の客数の差が激しい。朝ラーをやっているので朝も早く、かなり変則的な営業体制です。そのため通年でスタッフを雇いづらく、家族経営で乗り切ってきたところが多い。少子化や人口減少で、パートやアルバイトが集まらないという事情もあります。以前は高校生アルバイトが結構多かったが、かつて5校あった高校が3校に減り、アルバイトを原則禁止にしているところも多い。パートは他業種との取り合いです」
喜多方市の人口は4万1789人(9月1日現在)。小規模の市に91店舗ものラーメン店がひしめいているのは全国でも珍しく、「一人当たり店舗数は日本トップクラス」とも言われるが、その人口の少なさがネックとなり、働き手が確保しづらくなっている、と。
前出・大湊公久さんも「うちもかつては1日700食ぐらい提供していましたが、調理、配膳・片付け、洗い物を家族3人でこなさなければならないので、現在は営業時間を短縮して繁忙期でも1日300食ぐらいに制限しています。団体客用の座敷も現在は使用していません」と話す。
最近は物価高騰のあおりでチャーシューの原料となる豚肉の価格が高騰していることも悩みのタネで、「注文の7割を占めるチャーシュー麺の粗利が圧縮されている。もともと価格を高く設定しているので値上げしづらい。原価とほとんど変わらない価格で提供していると言っても過言ではない」(別のラーメン店店主)という意見も聞かれた。
1杯1000円、1日300食と仮定して単純計算すれば安定した売り上げを得られそうな気がするが、平日はそこまで売り上げがあるわけではないだろうし、何より人手不足や物価高騰など厳しい環境での経営に各店主が頭を悩ませていることが分かる。
県が発表している「令和5年福島県観光客入込状況」によると、喜多方市市街地の昨年の入り込み数は79万8857人。喜多方ラーメンを食べに訪れた人も多く含まれているとみられ、市にとって大きな観光資源となっている。それだけに喜多方ラーメンを提供する店舗が減少すれば、市経済にとっても危機的状況になる。
官民合同のプロジェクト

現状を打開するため、官民も動き始めている。
会津喜多方商工会議所は2022年5月、市や老麺会、製麺業者、農家などを会員とする「喜多方ラーメンブランドプロジェクト(通称・RBP)」を新たに立ち上げた。月に1回集まり、喜多方ラーメンを取り巻く環境や課題、今後のPR策について話し合っている。
喜多方ラーメンブランドプロジェクト(会津喜多方商工会議所)が作成したホームページ「喜多方ラーメン案内所」
同プロジェクトを担当する同商議所企業課の佐藤慎之介氏によると、まずは現状把握のため店舗数調査を実施。続けて市民に喜多方ラーメンを意識してもらい、ブランド力・認知度の向上につなげていくためユニークなPR戦略を展開している。
昨年には同プロジェクトの発案で7月17日を喜多方ラーメンの日として日本記念日協会に申請し、登録された。7月17日を選んだのは「喜」の草書体「㐂」が「七・十・七」と読めるからだ。
さらに「喜多方ラーメン大使」に地元出身のお笑いコンビ芸人「ドリルフィンフィンズ」を任命したほか、今年夏には参加店でラーメンを食べた人に配布されるシールを集めると抽選で商品券などがもらえるシールラリーイベントを実施した。対象店舗は48軒。7月17日から8月31日の期間中、約4000枚のシールが配布された。
加えて各店舗をあらためて取材して、それぞれのラーメンの特徴を紹介する公式ウェブサイト「喜多方ラーメン案内所」も制作した。これまで有名店や老麺会のウェブサイトはあったが、店舗の特徴などは口コミ頼みだった。開設されて間もないので「喜多方ラーメン」と検索してもかなり下の方に表示されるが、今後、喜多方ラーメンの窓口的役割を担うことが期待される。
このほか、同プロジェクト内では地産地消の観点から、農家と連携して喜多方産小麦を使ったラーメンの開発も模索しているという。
同プロジェクトを中心に喜多方ラーメン振興の動きが活発化しており、市でも観光交流課の職員が兼務する形で新たに「喜多方ラーメン課」を立ち上げ、ブランド力向上に取り組んでいる。喜多方ラーメンを思わず食べたくなる動画・写真のコンテストを開催し、入賞作を活用して情報発信していく方針。コンテストの事業費は60万円弱、同プロジェクトへの補助金は約180万円。
喜多方ラーメン課の職員によると、同課は遠藤忠一市長など市幹部の意向で設置されたという。会津喜多方商議所会頭は、持ち帰り用喜多方ラーメンの製造・販売やラーメン店経営などの事業を展開する河京の佐藤富次郎代表取締役会長。市長と会頭の間で喜多方ラーメンが抱える課題が共有されたことも、官民一体の取り組みが始まるきっかけになったのかもしれない。
今年1月には、観光庁の補助金600万円弱を活用して、1杯3000円の「極上の喜多方ラーメン~SUGOI~」を開発し、3店舗で予約制での提供を開始、全国的に話題を集めた。もっとも、喜多方ラーメン課の担当者によると、その後の売れ行きは芳しくないようだ。
「1杯3000円という価格が先行したことと、インバウンド向けというイメージから国内観光客に敬遠されたことが原因と思われます。会津牛のチャーシューなど地元産の食材を使った商品は魅力的で、ラーメン用の箸が土産に付くのでそこまで割高ではないと思うのですが……。そもそも喜多方市はインバウンド客が少なく、会津若松市や只見線などの方が選ばれがちです。昨年、会津若松・磐梯・北塩原の3市町村のエリアが、国が進める『国際競争力の高いスノーリゾート』促進の対象地域に選ばれ、磐梯エリアの観光が活発になるでしょうから、喜多方市はさらにインバウンドの集客が難しくなりそうです」(喜多方ラーメン課担当者)
今後は店主の高齢化と後継者不在という最大の課題に官民一体となって取り組んでいくことになる。
「最終的にはこのプロジェクトが事業承継したい店舗や店を開業したい人からの相談を受け、橋渡しする役割を担えればと考えています。ただ、店主の皆さんはプライドを持って経営しているので、現段階では事業承継に関する意向調査から実施している段階です」(前出・会津喜多方商議所の佐藤氏)
地域おこし協力隊を活用

実はこうした取り組みを実際に始めている自治体がある。「佐野ラーメン」が全国的な人気を集める栃木県佐野市だ。出店希望者を移住者として受け入れ、基本的な作り方を指導する「佐野らーめん予備校」を開校。後継者不足に悩むラーメン店主とつなぐ役割も担っている。
同市を視察した同プロジェクトのメンバーは「喜多方市でも同じような取り組みを始めよう」と話し合い、市が「ラーメンのまち喜多方担当」の地域おこし協力隊を募集することになった。その結果、栃木県栃木市から移住した星智也さんが昨年8月1日に着任し、会津喜多方商議所内に設置されている老麺会に配属されている。任期は3年間。
30代半ばの星さんは「自動車開発の仕事に就いていたが、コロナ禍を経て社会に直接貢献できる仕事をしたいと考えていた中で、喜多方市の募集を知りました。ラーメンは以前から好きで麺を手打ちすることもあったので応募しました」と語る。
SNSなどを通して喜多方ラーメンの魅力を発信するかたわら、卒隊後の事業承継・開業を目指して、市内の人気店でラーメン作りの基本的な技術習得に努めている。
従来の「修行」、「弟子」のイメージと異なるので、当初は人気店の既存スタッフの協力が得られるか懸念されたが、「少しずつ信頼関係を築けていると感じています」(同)。
星さんに人気店の事業承継を期待する声も上がっているが「せっかくなので独立して新たな店舗をオープンしたい。いまのうちにさまざまな店舗のやり方を学ばせていただきたいと考えています」と話す。
事業承継の成功例とはいかなさそうだが、若い世代が喜多方市に移住して独立すれば新たな成功例になるだろう。今後こうした取り組みを継続できるかが重要になる。
これまで喜多方ラーメンの店舗の窮状を取り上げてきたが、悲観的な話ばかりではない。人気店は市外への出店を加速させている。
6月には「活力再生麺屋あじ庵食堂」が郡山市に2号店をオープン。9月には河京が展開するラーメン店「喜鈴」が福島市に初出店した。いずれも連日多くの来店客でにぎわっている。
河京の佐藤健太郎社長はこのように語る。

「以前から都市部への出店を模索している中でたまたま福島市の物件を紹介していただいたので出店を決めました。飲食店経営には苦戦してきたが、ようやくお客様に喜んでもらえ、採算が見込める店舗運営が見えてきたので、今後も出店していきたい。意外だったのは、福島店に来ていただいたお客様から『福島市には喜多方ラーメンの店がなかったのでうれしい』という声があったことです。喜多方ラーメンのブランド力はマーケットにおいても大きいと思います」
個人で喜多方ラーメンの魅力を発信し続けている人もいる。人気ブロガーの「こたなりん」さんは市内の喜多方ラーメン店全店をめぐり、年間300杯を食べ、その情報をほぼ毎日発信し続けている。

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「批評的なことは書かず、長所を綴っていくことを心がけています」(こたなりんさん)
東京の大学を卒業後、ラジオ局勤務を経てUターン。大手電機メーカーに勤務しながら、人口減少が進む地元のためにできることはないかと始めたのが喜多方ラーメンを紹介するブログだった。震災・原発事故以降は「比較的被害が少なかった自分たちはエールを送る立場」と考え、「喜多方から元気を」というキャッチコピーを使うようになった。
官民が初めて一致団結
ブログを毎日更新し続けたところ、ファンが増え、1日1万回閲覧されるようになった。ブログの運営主であるサイバーエージェント社から公式トップブロガーに認定された。
3年前からツイッターやインスタグラムでも発信するようになり、4月からは喜多方シティエフエムで「『こたなりん』の喜多方ラーメンたべあるき」という番組のパーソナリティーを務めているほか,同名のユーチューブも配信。2000人が登録している。
こたなりんさんは喜多方ラーメンの魅力をこのように話す。
「他のラーメンの影響を受けず、風土に合わせて独自進化した“ガラパゴス”ラーメン。店によって味が違うので毎日食べ続けられるし、どの店も高レベルなので、市外から出店してきた人気のチェーン店がすぐに撤退したりする。その魅力・文化を広く知ってほしいし、若い人が挑戦しやすい環境・風土を整えることで、ラーメン店が増え、地域経済活性化にもつながっていくはず。まだまだ伸びしろはあると思います」
喜多方ラーメンはいまや全国で食べられるようになっており、そのおいしさは誰もが知るところになっているが、前述した喜多方ラーメンの定義などは意外と知られていない。市民にはラーメンを食べる文化が根付いており、市外からの来客を〝推し〟のラーメン店に連れていき、もてなす習慣もある。そうした喜多方ラーメンをめぐる文化・奥深さを魅力として再発信することで、ファン拡大はもちろん、喜多方ラーメンの店舗を開店・事業承継したい人も現れるのではないだろうか。
「ラーメン店を開業したい人が基礎を学べる聖地」として打ち出し、受け入れ続けることで、移住者も増え、地域振興にもつながっていく。苦境を迎えている喜多方ラーメンだが、わずかな光が見えてきた。
老麺会の花見拓会長(来夢社長)も「店舗同士はライバル関係にあり、日々の仕事もあるので、これまで業界の未来について話し合うことはなかった。市や商議所も交えてここまで一致団結したのは初めて。老麺会としてもまずはブランド力向上に努めていきたい」と話す。官民一体の挑戦はまだ始まったばかりだ。