富山県舟橋村をご存知だろうか。日本一面積が小さい自治体で、病院も高校もなく、全国に名を轟かせるような名勝地や特産品があるわけでもないが、この30年ほどで人口が倍増し、「奇跡の村」と称されている。国内多くの自治体が人口減少に頭を悩ませる中、なぜ同村はそうした発展を遂げたのか。県内自治体の参考になる部分はあるのか。
人口倍増、東大進学者複数輩出などを実現
舟橋村は富山県のほぼ中央に位置する。面積は3・47平方㌔で、全国自治体で最も小さい。1889(明治22)年の市町村制施行以来、市町村合併を経験しておらず、いわゆる「平成の大合併」が進んだ2006年に全国最小の村になった。同時に北陸地方(新潟県、富山県、石川県、福井県)で唯一の村となった。
戦後の「昭和の大合併」の際、当時の村長は「舟橋村は日本のモナコになる」と宣言したという。モナコ公国は世界で2番目に面積が小さく、カジノで有名な地中海の都市国家。世界中のセレブが集まることでも知られる。
「日本のモナコ」宣言は、カジノのような盛り場を目指したわけでも、セレブを集めようとしたわけでもなく、合併しないことに加え、小さくても世界に誇れる村をつくる、といった意志の表れだったのだろう。
『奇跡の村・舟橋』(2018年1月発行)という本がある。富山新聞が2017年4月28日から6月19日までの紙面で掲載した「奇跡の村・舟橋」、同年9月4日から10月27日までの紙面で掲載した「続 奇跡の村・舟橋」という特集をもとに、加筆・訂正したもので、同新聞社が編集・発行した。
それによると、舟橋村の人口は戦後、1300人から1400人で推移していた。1980年は年間出生数8人、1987年は小学校入学者が6人だったという。
そうした状況に危機感を覚え、人口増加策に乗り出すが、高い壁が立ちはだかっていた。1970年に村全域が「市街化調整区域」に指定されたことだ。以下は同書より。
《市街化調整区域は都市の無秩序な拡大を防ぐのが目的で、開発が抑制される。舟橋村は富山・高岡広域都市計画区域の「端っこ」に組み入れられ、宅地開発ができない状況だった。衰退の危機を黙って見過ごすわけにはいかない。当時の松田秀雄村長は舟橋村を市街化調整区域から外すよう、国や県に粘り強く働きかけた。1988年、8年越しの苦労が実って全国初の除外が実現した。これで都市計画の端っこから一転、村が主体となって宅地開発ができる。(中略)村営の住宅団地を造ると、予想以上の人気となり、追加で造成し、やがて民間デベロッパーが参入した。富山市への通勤が便利な上、土地が安くファミリー層の流入で人口は急増した。「国が何を与えてくれるかでなく、我々が国、地域に何をできるかです」と金森(勝雄)村長(※富山新聞の連載掲載時の村長)は強調する》
市街化調整区域からの除外は全国初だったという。村の将来に危機感を覚え、前例がないことをやってのけたことが、同村にとって転機になった。当時の村長の「国が何を与えてくれるかでなく、我々が国、地域に何をできるか」との言葉にその気概を感じる。
大玉村と比較
同村の山﨑貴史総務課長によると、「10年以上は村営の住宅団地造成はしていない」という。当初は、村が住宅団地を整備して販売していたが、需要があるということが分かると、民間業者がビジネスとして宅地分譲するようになった。
「富山市などと比べたら、地価は安い」(山﨑課長)とのことで、若い夫婦や子育て世帯が同村に移り住むようになった。
村内には富山地方鉄道の越中舟橋駅があり、富山市中心部まで約15分で行ける。クルマでも15分から20分でアクセスでき、地理的条件に恵まれている。多くは富山市などの近隣市町の企業に勤めており、ベッドタウンとして人口が大幅に増加しているのだ。
こうして聞くと、福島県内では大玉村が似たような環境と言える。同村は郡山市までクルマで20分ほどで行けるほか、二本松市や本宮市が近く、福島市も通勤・通学圏内。近隣市に比べると、地価も安いため、若い夫婦や子育て世帯の転入も多い。そのため、舟橋村ほどではないが、ベッドタウンとして人口が増加している。そういった点で、非常に似た環境にある。
ちなみに、富山市の人口は約40万人で、郡山市(約32万人)や福島市(約27万人)よりも多い。
両村の基礎情報、人口の推移、15歳未満人口などを別表にまとめた。
舟橋村と大玉村の基礎情報
舟橋村 | 大玉村 | |
面積 | 3・47平方㌔ | 79・44平方㌔ |
人口 | 3291人 | 8790人 |
鉄道(駅) | 富山地方鉄道 越中舟橋駅 | なし |
高速道路IC | なし | なし |
学校 | 小学校1 中学校1 | 小学校2 中学校1 |
医療機関 | 歯科医院2軒 | 歯科医院2軒 |
商業施設 | コンビニ1軒 スーパー1軒 | ドラッグストア1軒 コンビニ4軒 ドラッグストア1軒 |
国勢調査に基づく人口の推移
舟橋村 | 大玉村 | |
1980年 | 1360人 | 7837人 |
1985年 | 1419人 | 7979人 |
1990年 | 1371人 | 8163人 |
1995年 | 1658人 | 8339人 |
2000年 | 2153人 | 8407人 |
2005年 | 2673人 | 8464人 |
2010年 | 2967人 | 8574人 |
2015年 | 2982人 | 8679人 |
2020年 | 3132人 | 8900人 |
15歳未満人口と割合
舟橋村 | 大玉村 | |
15歳未満人口 | 538人 | 1311人 |
15歳未満人口の割合 | 16・8% (10・9%) | 14・7% (10・9%) |
※15歳未満人口の割合のカッコ内は当該県の全体値。
まず面積は大玉村が20倍以上広く、人口も倍以上多い。大玉村には駅はないが、JR東北本線の杉田駅、本宮駅が近く、大きな不便はない。前述したように、舟橋村には富山地方鉄道の越中舟橋駅がある。高速道路のインターチェンジは両村ともないが、いずれも村外の最寄りインターまではクルマで5分から10分程度。また、両村とも高校はないが、高校生の体力なら、自転車で通学できるところもあるほか、駅まで自転車で行き、そこから電車で近隣市の高校に通うことが十分にできる。同様に両村とも歯科医院はあるものの、病院・クリニックはない。ただ、クルマで5分から10分圏内に病院・クリニックがある。
食料品・日用品の調達先としては、大玉村にはプラント5があるほか、2年前に薬王堂福島大玉店がオープンした。大手コンビニエンスストアも4店舗ある。舟橋村はコンビニ、ドラッグストアはあるものの、食品スーパーはない。ただ、「村外の食品スーパーまではクルマで5分ほどで行ける」(前出の山﨑課長)とのことで、その点での不便もない。
こうして見ても、両村は非常に似通った環境にあることが分かっていただけよう。
一方で、人口の推移を見ると、大玉村は国勢調査のたびに人口が増え続け、この40年間で約1100人増となっている。
舟橋村は1980年から1990年までは1300人台から1400人台で推移し、その間、増えたり減ったりしていたが、1995年から大きく増え、この30年間で倍以上に増えている。前述したように、1988年に全国初の市街化調整区域除外が実現し、それ以降、宅地開発を進めた結果、人口が大きく増えたのである。
1980年代、1990年代は国内全体で人口が増えていた時期だが、そんな中でも早い段階で将来に危機感を覚え、これまでに前例がないこと(市街化調整区域除外)を行い、人口増加策を講じた賜物と言えよう。もちろん、それには前述したような環境に恵まれていた、という要因もある。
舟橋村は「教育村」
15歳未満人口の割合は、両村ともに当該県の自治体でトップの数字を誇る。舟橋村は2010年の国勢調査で、15歳未満人口の割合が21・8%で全国トップになったこともある。その大きな要因として、移住希望者の中には地域活動などに熱心でない人もおり、そういった人が小さなコミュニティーで形成される村への移住を決断するのはハードルが高いが、そういった人でも、村に溶け込めるような仕組みを作ったことが挙げられる。ただ、それ以上に驚いたのが教育だ。
《舟橋村は「教育村」である。机上の勉強だけが教育ではないが、村の人から「進学実績」を聞いて感心した。「40世帯の地区で、東大3人、京大1人、一橋大1人を輩出した」「同じ学年で2人が東大に進んだ」。(中略)舟橋村には小学校と中学校が1つずつある。舟橋小6年の英語活動の授業を取材して驚いた。教室に先生が3人いる。担任の先生と米国出身ALT(外国語指導助手)に加え、舟橋中の英語教諭が舟橋小に来て一緒に指導している。(中略)舟橋中も充実しており、先生2人によるチーム指導や少人数指導を数学、理科、英語、体育、技術、家庭、美術と多くの授業で実施。他教科の先生が指導サポート役を務めるのに加え、県から講師派遣を受け、さらに村の予算で独自に講師を雇っている。(中略)「なぜ舟橋村が合併を望まなかったか。その原点は教育だと思う」(金森勝雄村長=※当時)。もし、周辺自治体と合併すれば、人口の少ない舟橋村の学校は吸収されて消滅する恐れがある。それが合併を選ばなかった理由の1つであり、それほど教育を大事に思っているのである》(『奇跡の村・舟橋』より)
前出・山﨑課長によると、「村で大学進学実績を把握しているわけではない」という。「奇跡の村・舟橋」を掲載した富山新聞の取材に基づくのだろうが、少なくとも同連載が掲載されていたころは、同村から複数人が東大に合格していた。村で講師を雇うなど、教育に力を入れていることがうかがえる。これは、子育て世帯にとっては魅力だろう。
見習うべきところ
舟橋村は地理的条件に恵まれている。例えば、富山市や郡山市規模の都市までクルマで1時間以上かかるという地域では真似できないことも多いだろう。ただ、時節を見極め、前例にとらわれずに策を講じるという姿勢は見習うべき。
もっと言うと、それはどんどん更新していかなければならない。例えば、子育て支援で「中学生までの医療費無料化」や「学校給食無料化」などは、導入された当初は画期的な支援策だっただろう。ただ、いまやそれらは多くの自治体が真似しており、それで優位性は打ち出せない。最初にそういった支援策を設けた自治体には、その魅力に惹かれて若い夫婦や子育て世帯が流入したかもしれないが、多くの自治体が同様の支援策を備えるようになったら人は呼び込めない。その場合、迅速に次の手を打ち、ほかが真似したら、さらに先を行く、ということが重要になる。逆に言うと、真似をするだけではいつまで経っても先進地に追いつけない、ということになる。
もう1つ付け加えると、基礎自治体は規模が小さい方が思い切ったことに挑戦しやすいと、あらためて感じさせられた。その点でも、合併を選択しなかったのは先見の明があったと言えよう。もちろんそれは、単に合併しないということではなく、自立のための努力や、新たな仕掛けを生み出していくことが前提になる。