昨年11月30日に投開票された二本松市長選は現職の三保恵一氏(76)が5選を果たしたが、市民の関心を集めたのは落選した一人の新人の戦いぶりだった。無投票が濃厚視されていた中、告示2日前に突然立候補を表明し、三保氏に1668票差まで迫った。選挙で百戦錬磨を誇る三保氏に、ここまで善戦すると予想した市民はどれくらいいただろうか。その当人、安部章匡氏(44)に立候補を決意した理由や選挙を経験して感じたことなどを聞いた。
「名前を連呼するだけの選挙」に一石

「せっかく来ていただいたのに声がガラガラですいません。市長選に幡祭りと忙しさが続き、すっかり体調を崩してしまって(苦笑)」
そう言って出迎えてくれた安部氏はマスク姿だった。写真では気付かなかったが、一目見て背の高さに驚いた。身長188㌢。学生時代はバレーボールの選手だったという。
あべ・あきまさ 二本松市出身。安達高校、國學院大学文学部卒業。県神社庁勤務を経て、現在、隠津島神社の禰宜として奉職。地域交流の場として「こはたカフェ」や「こはたマルシェ」の運営も行う。
旧東和町、現在の二本松市木幡地区に鎮座する隠津島神社に筆者が安部氏を訪ねたのは「木幡の幡祭り」が行われた翌日(12月8日)のことだった。
赤や黄色、水色など色とりどりの五反旗を掲げた白装束姿の氏子ら約300人が木幡山にある隠津島神社を目指して列をつくり、約8㌔を練り歩く木幡の幡祭り。その由来は1055(天喜3)年、前九年の役の際に雪をかぶった木幡山の木々が源氏の大群に見え、敵軍が退散したとの故事にあるという。
そんな祭祀を斎行する隠津島神社で禰宜を務めるのが安部氏だ。禰宜とは神社に奉仕する神職の役職で、宮司を補佐し、祭祀や社務を中心になって執り行う。同神社の宮司には代々安部家が就き、現在は安部氏の父・匡俊氏が務める。
国重要無形民俗文化財にも指定される木幡の幡祭りを終えた直後で、少々疲れた様子の安部氏だったが、その表情はどこか充実しているようにも見えた。それは祭りが無事に終わったことだけが理由ではない。
安部氏はその1週間前、11月30日に投開票された二本松市長選に立候補した。結果は現職の三保恵一氏に敗れたが(別掲参照)、その票差が1668票だったことに市民は目を丸くした。なぜなら、安部氏が立候補を表明したのは告示の2日前、11月21日だったからだ。そこから準備が整わないまま選挙戦に突入し、わずかな期間で1万票以上を集めた。
当 12,099 三保 恵一 76 無現
10,431 安部 章匡 44 無新
682 髙橋 翔 37 無新
※投票率54.87%、有権者数42,764人
特筆すべきはそれを、三保氏を相手にやってのけたことだ。
若い頃から様々な選挙に立候補しほとんど負けたことがない三保氏に対し、自民党は前回(2021年)に続き今回の市長選も対抗馬を擁立できなかった(詳細は本誌昨年10月号「二本松市長選 現職の対抗馬探しで迷走する自民党」参照)。背景には、有力な対抗馬と目された人たちが百戦錬磨の三保氏に怖気づき、敵前逃亡したことが挙げられる。
そのため今回の市長選も無投票が濃厚視されたが、そこに現れた安部氏が、準備不足にもかかわらず三保氏と接戦を演じたから、市民は驚きとともに「安部章匡とは何者だ」と関心を寄せたのだ。
「実は、告示の1カ月前から立候補するかどうか考えていたが、いたずらに出て選挙に税金が使われるのはよくないとも思って決断できずにいたんです」(以下、断りがない限りコメントは安部氏)
ただ、11月16日に行われた福島市長選で落選した髙橋翔氏(37)が同19日、二本松市長選への立候補を表明したことから「どうせ選挙になるなら自分もやってみよう」と決心がついた。
「そういう意味では、髙橋翔さんには感謝しています(笑い)」
以前から妻には気持ちを伝えていたが「協力はできないけど応援はする」と言われていた。立候補すれば神社の仕事ができなくなるため父・匡俊氏にも相談すると、一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに「やってみろ」と後押ししてくれた。
「父は元二本松市議(2期)で、今は自民党二本松市総支部幹事長として三保氏の対抗馬探しにも携わりました。ただ、ご承知の通り誰も擁立できず『それなら自分が出る』と言い出したが、総代から強く反対され断念した経緯があります」
父は自民党員だが、安部氏自身に政治経験はなく、支持政党があるわけでもない。父から入党を勧められたり、政治信条を押し付けられることもなかった。
「もともと中学生の頃から『生まれ育った地域を何とかしたい』という思いを持っていて。でも、当時は政治なんて分からないから、人が集まれば地域は元気になるんじゃないかと勝手に思っていました」
安部氏は、今の市政をどうにかしたいというより、身近な地域を何とかしたいという思いが市長選に立候補する動機になっていた。
「私は、三保市政のここが問題とかは思っていなくて、市民のマインドを変えたかったんです。これだけ衰退していると、市長が替わったからといってⅤ字回復することはないが、刷新感や期待感を抱かせることはできます。その上で、無いものを探すのではなく、有るものを有効活用しませんかと訴えたくて」
選挙戦は戸惑いの連続

そんな思いを形にする取り組みもしてきた。
その一つが隠津島神社の参宿所の一角を改装し、2021年にオープンした「こはたCafé」だ。安部氏が手作りした少し固めのレトロプリンと口当たりの優しいコーヒーが人気で、神社の用事がない限り営業している(10時半~16時半、不定休)。
もう一つは隠津島神社を会場に開いている「こはたマルシェ」だ。グルメやスイーツ、ハンドメイド作品などの店が40店近く出店し、子ども向けのイベントも行われる。昨年11月9日に開かれたマルシェで15回を数え、第16回は4月29日に予定されている。

まさに、中学生の頃に抱いた「人が集まれば地域は元気になるんじゃないか」を実践する安部氏。だが、それを政治に置き換えて挑もうとした時、あまりの勝手の違いに安部氏は戸惑った。
「いざ立候補を表明すると、自民党さんが支援してくれるとなった。しかし、私は政党の後押しを受けるつもりはなかった。極端に言えば、私のことを応援してくれるならそうしてください、と。そこで私と自民党さんの意見が噛み合わなくなり、協議が紛糾して」
この時の会合に出席した自民党員によると、安部氏の物言いは生意気に感じられたという。重苦しい空気が漂う中、助け舟を出してくれたのは父・匡俊氏だった。
「父としてではなく、自民党二本松市総支部の幹事長として『たまたま息子ではあったが44歳の若者が手を挙げてくれたんだから、その意は汲んでやろう』と言ってくれた。その言葉に思わずグッときました」
安部氏のやり方に自民党員たちが納得できなかった理由の一つは、選挙の必需品である選挙カーを使わなかったことだ。安部氏は「名前を連呼するだけの選挙カーは不要」と乗用車に拡声器を積み、遊説場所でセットして自分の主張を丁寧に訴えることにこだわった。
もう一つの選挙の必需品であるポスターも、告示日の前日に撮影し、刷り上がったのは選挙期間3日目の11月25日だった。
「25日夕方から26日にかけて自民党の皆さんに手分けして貼っていただきました。こうした支援は本当にありがたかったし、選挙は手数が必要と理解できました」
選挙には公約も欠かせないが、①市民とともに未来を設計する共創型市政、②課題を感覚ではなく事実で捉えるエビデンス市政、③若い力と地域の経験が結びつく世代融合型まちづくり――等々、抽象的な言葉ばかりが並んだ。
「時間がなかったこともありますが、私は市民のマインドを変えたかったので、必然的に公約も抽象的になりました」
そうやって必要最低限のものを揃え、いざ選挙戦に突入すると、毎日反省することばかりだった。
その一つが、不要と思っていた選挙カーが実は必要だったと思い知らされたことだ。
「市民の中には『選挙カーも出さないなんて思い付きで立候補したんだろ』と見る方が結構いて。選挙カーは候補者の本気度を測るバロメーターでもあることを知りました。選挙カーを用意していれば、もう少し得票できたのかもしれません」
公約に込めた思いも、なかなか伝わらなかった。
「これも『あなたが市長になったら何をしてくれるの?』という方が結構多くて。いや、そうじゃなくてみんなで一緒につくっていくんですよ、という私の考えは思うように理解されませんでした」
思いを理解してもらうには、時間をかけた話し合いが不可欠だが、いかんせん告示直前に立候補を決めただけに、安部氏の考えを市民に理解してもらうには、あまりにも時間が足りなかった。
SNSの威力に衝撃
右も左も分からないまま始めた選挙運動。自分の主張を丁寧に訴えたいとは言ったが、序盤は乗用車を停めて拡声器を握っても、耳を傾けてくれる市民は数人だった。しかし、ポスターが貼り出された11月25日を境に、少しずつ雰囲気が変わっていくのを感じた。
「徐々に演説を聞いてくれる人が増えてきたんです」
加えて大きな効果を発揮したのがSNSによる発信だった。選対のSNS担当者が安部氏の思いや選挙運動の様子を随時発信。それを見た人がさらに発信してくれる自然発生的な動きが広がっていった。見ず知らずの人が「インスタの予告を見て来ました」と遊説場所に駆け付けてくれたり「変わった選挙運動をしている人がいるとインスタで見掛けて興味を持った」とわざわざ県外から会いに来てくれた人もいた。
「二本松の有権者でSNSを積極的に使っている人はおそらく少ないでしょう。でも、有権者に関係なく不特定多数の人に発信し、共感が広がれば、それが巡り巡って有権者にも波及するんじゃないか。そんな思いで発信を続けました」
SNSによる急速な共感の広がりには、安部氏自身も驚いたようだ。票差を考えると、立候補表明があと数日早ければ、結果は変わっていたかもしれない。
迎えた投開票日。選対幹部と「やるからには勝ちにいこう」と話しつつ「そうは言っても、やっぱり現職は強いよな」と思いながら始まった選挙戦は、多くの有権者と日々触れ合ううちに「大差で負けることはなさそう」「投票率が上がればチャンスかもしれない」という感触を得るまでになっていた。しかし、投票終了後に発表された投票率は、選挙戦となった2017年より11・37㌽低い54・87%だった。
結果は前述した通りだが、敗れはしたものの、ここまでの接戦になることを予想した市民はほとんどいなかったに違いない。
市長選を終えた安部氏は今、何を思うのか。
「私は選挙のあり方にずっと疑問を持っていました。自分の考えを訴えながら選挙カーを走らせるならまだいい。でも、現実は名前を連呼するだけになっているのは、知名度さえあれば投票してもらえると思っている人が多いからではないか。二本松をどういう風にしたいのか、という点が置き去りにされている気がしてならない。知名度や雰囲気に流されて結果が決まる選挙は変えていくべきだし、こういう選挙が続くうちは若者は立候補しないと思います。私の挑戦を見て、次の市議選(今年6月30日任期満了)に『選挙カー無しでも出られるならやってみよう』という若者が一人でも出てきたら嬉しいですね」
「手段」ではなく「目的」
選挙のあり方をめぐっては、本誌は注目度の高い選挙に出向き、全ての候補者と直接会い、生の声をSNSにアップする「選挙漫遊」という企画を続けている。有権者が知名度やポスターを頼りに投票するのではなく、その人の考えや有権者と触れ合う姿を投票の判断材料にしてほしいと取り組んでいる。安部氏の意見は選挙漫遊の趣旨に近い。
これだけ得票すれば、当然、次の市長選も有力候補に挙がるだろう。
「今回はゲリラ戦のような戦い方をしたから取れた票も多かったと思う。4年間の準備期間を経て臨んだら、どうなるのか。次の市長選は、三保氏の進退によっては構図が大きく変わる可能性もある。そうなれば、同じように得票できるとは限りません」
そもそも、安部氏は市長になりたいわけではない。市長は、やりたいことをやるために就く「手段」であり「目的」ではないと言い切る。
「衰退する地域をどうにかしたいから市長になろうと思った、それだけのことです。市長じゃないとできないことってあるじゃないですか。この間の市政では衰退が止まらなかったが、極端な話、三保市長が大改革を実行して地域に変化が表れるなら、私はそれで満足です」
今後は市長選だけでなく、議員選挙でもお呼びがかかるのは避けられそうもない。「正直、後援会をつくる気はないし、組織で動くのが苦手。自分が変えた方がいいと思ったら自ら動く、その姿勢は変わらないと思います」と話す安部氏が、落ち着いて神社の仕事に専念できるようになるのはもう少し先になりそうだ。
県内各地の首長選で30~40代の若手が立候補し、当選あるいは善戦する背景には何があるのか。地方選挙を専門とする河村和徳・拓殖大学政経学部教授に聞いた。
一言で言えば、令和の時代に入り世代交代の波が押し寄せている。とはいえ、単に若ければいいということではない。それなりに能力があるとか、期待感を抱かせる人的ネットワークを有しているとか、一定の基準をクリアしているだろうと思われる若い人ないし女性に、有権者が投票したがる傾向が見られます。
福島市長選で初当選した馬場雄基氏は完全無所属を打ち出したが、現実は自民や立民のベテラン県議がバックにいた。ただ、馬場氏が飛躍した原動力は出身の福島高校OBと言われています。さらに慶應義塾のOB組織「三田会」もある。いろいろな立場にいるOBたちが、世代を超えて若い馬場氏を推した。飯舘村出身、原町高校卒、60代の木幡浩氏は現職で市職労の応援があったが、個人の持つネットワークの差を埋められなかったということではないか。
もはや「お父さん、おじさんを押さえれば勝てる」という昔の選挙は通じなくなっている。さらに神輿に乗せる人(候補者)に求心力がなければ、応援する側は一枚岩になれないが、求心力を備えた候補者を探すこと自体が難しくなっています。
保守とリベラルという対立軸がないわけではない。ただ、今の対立軸は高齢者を重視するか、現役・若者世代を重視するかに変わっている。震災直後に見られた〝現職落選ドミノ〟では、子どもの将来を心配する母親の声が勝敗を左右した。今は現役・若者世代の共感を得ないと勝ちにくくなった。昔のような重鎮議員やベテラン経済人が仕切る選挙をしていては、この令和の時代では勝ち切れないということではないか。

























