ticker
注文のご案内
注文のご案内
猪苗代町と北塩原村で路線バスを運行する磐梯東都バス(本社・東京都)が9月末でバス事業から撤退することになった。住民の足が失われることに加え、観光への影響も懸念されることから、関係町村は代替策を検討している。同社撤退の影響と背景を探った。(末永) 会津バスが路線継承!? 磐梯東都バスの運行路線と主な停留所 磐梯東都バスは、東都観光バス(本社・東京都、宮本克彦代表取締役会長、宮本剛宏代表取締役社長)の関連会社。東都観光バスは、1959年設立、資本金3750万円。東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県に営業所を構え、一般貸切旅客自動車運送業、旅行業、ホテル業、ゴルフ場の運営などを手掛けている。福島県内では、1989年から磐梯桧原湖畔ホテル(北塩原村)を、1998年から東都郡山カントリー倶楽部(須賀川市)を運営している。 磐梯東都バスは2002年設立、資本金1800万円。本社は東都観光バスと一緒だが、猪苗代町に猪苗代磐梯営業所がある。2003年からJR猪苗代駅を起点に、猪苗代町内の中ノ沢温泉方面、野口英世記念館・長浜方面、JR川桁駅方面の3路線に加え、北塩原村の裏磐梯方面と、計4路線(11系統)を運行してきた。 「東京都が1999年から独自の排ガス規制(ディーゼル車対策、ヒートアイランド対策、地球温暖化対策など)を検討し始め、2003年から規制がスタートしました。その過程で、東都観光バスは東京都内で使えなくなる車両の活用方法について、恒三先生(渡部恒三衆院議員=当時)に相談し、恒三先生から高橋伝北塩原村長(当時)に話が行き、『だったら、東京で使えないバスを持ってきてここで路線バスを運行すればいい。その中でできることは協力する』という話になったと聞いています」(北塩原村の事情通) 以降、磐梯東都バスは約20年間にわたって、猪苗代町、北塩原村で路線バスを運行してきたわけだが、9月末で全4路線を廃止し、バス事業から撤退することになった。 磐梯東都バス猪苗代磐梯営業所に撤退に至った経緯などを尋ねると、本社経由で回答があった。 ――6月10日付の地元紙に「磐梯東都バス撤退へ」といった記事が掲載されましたが、撤退決定に至った理由。また、いつ頃から撤退を考えるようになったのでしょうか。 「近年の少子化に伴う利用客の減少と、3年間に及んだ新型コロナウイルスによる観光利用客の激減により、事業継続は困難と判断しました。撤退を考えるようになったのは、新型コロナウイルスが大きく影響した時期と重なります」 ――差し支えなければで結構ですが、売上高のピークと直近の減少幅、さらには採算ラインはどのくらいか、を教えていただけますか。 「令和2(2020)年3月期(コロナ前)に対し、令和5(2023)年3月期(直近)の売り上げは、33%下落の67%となっております」 ――関係自治体とは撤退決定前の段階で、協議してきたと思われますが、いつの段階で、どのような話をしてきたのでしょうか。また、その中で存続の道筋は見い出せなかったのでしょうか。例えば、関係自治体からこういった提案、支援があれば存続できた、といった部分はあったのでしょうか。 「関係自治体とは当社の実績も伝え対策を協議してまいりました。やはりコロナ禍の影響が大きく、従来からの自治体からの補助制度では、事業の継続が困難であると考えます。当社としましては、事業撤退に際し、地域住民にご迷惑をお掛けしないように努め、引き続き後任事業者と自治体との間で調整してまいります」 大きかったコロナの影響 磐梯東都バス猪苗代磐梯営業所 猪苗代町によると、全4路線のうち、同町内の中ノ沢温泉方面、野口英世記念館・長浜方面、JR川桁駅方面の3路線は、「委託路線」の扱いだという。つまり、町が磐梯東都バスに委託費を支払い、同路線を運行してもらっていた。今年度の委託費は4280万円。 当然、町としては「住民の足」として必要なものと捉えており、例えば町独自でコミュニティバスを運行するよりは、委託費を支払ってバス会社に運行してもらった方が効率的といった考えからそうしている。今年度の契約期間は昨年10月1日から今年9月30日まで。つまり、磐梯東都バスは今年度の委託期間を終えるのと同時に、撤退するということだ。 一方、猪苗代駅から北塩原村裏磐梯地区を結ぶ路線は、「自主路線」の扱いで委託費は支払われていない。諸橋近代美術館前、五色沼入口、小野川湖入口、磐梯山噴火記念館前、長峯舟付、裏磐梯高原駅、裏磐梯レイクリゾート、裏磐梯高原ホテルなどの観光地を中心に停留所があり、観光客の重要な足となっていた。 裏磐梯地区の観光業関係者は次のように話す。 「ほかの路線は、乗客がいてもポツポツで、誰も乗客がいないというのも珍しくなかったが、猪苗代駅から裏磐梯方面への路線は、結構、観光客が利用していました。ですから、ほかと比べたらそれほど悪くなかったと思いますが、コロナ禍以降は観光客が減りましたからね。われわれとしては、観光地としての〝格〟とでも言うんですかね、それが損なわれるというか。今後、代わりの方策が取られるとは思いますが、『路線バス撤退』ということが表に出ただけで、観光地として貧弱な印象を与えてしまう。それだけでマイナスですよね」 磐梯東都バスの回答では「少子化に伴う利用客減少と、新型コロナウイルスによる観光利用客の激減で、事業継続は困難と判断した」とのことだったが、要は「委託路線」は少子化に伴う利用客減少で委託費だけではやっていけない、「自主路線」もコロナによる観光客激減で厳しくなった、ということだろう。 本誌は猪苗代駅周辺で各路線の乗客状況を見たが、やはり乗客はほとんどいなかった。 民間信用調査会社調べの磐梯東都バスの業績は別表の通り。2021年3月期(2020年4月から2021年3月)は、最もコロナの影響を受けた時期で、それが如実に数字に表れている。 磐梯東都バスの業績 決算期売上高当期純利益2017年4億9000万円1074万円2018年4億3300万円1460万円2019年4億2500万円1833万円2020年4億1700万円1218万円2021年8200万円△6405万円2022年2億0300万円1323万円※決算期は3月。△はマイナス 一方、本誌の「存続の道筋は見い出せなかったのか。例えば、関係自治体からこういった提案、支援があれば存続できた、という部分はあったのか」との質問には、磐梯東都バスは「従来からの自治体からの補助制度では、事業の継続が困難と考える。事業撤退で地域住民に迷惑を掛けないよう、後任事業者と自治体との間で調整していく」との回答だった。 猪苗代町の前後公前町長(今年6月25日の任期満了で退任)はこう話した。 「磐梯東都バスからは昨年の時点で、撤退の意思を伝えられていました。業績などの内情を示され、やむを得ないだろう、と。とはいえ、それで路線バスが完全になくなっては町(町民)としても困るので、以降は関係事業者を交えて代替策を検討してきました」 その後、前後氏は6月25日の任期満了で退任し、この問題は新町長に引き継がれることになった。 前後前町長が言う「代替策」について、町に確認すると「いま交渉中ですので、まだ詳細をお話できる段階にありません」とのこと。 今号で二瓶盛一新町長のインタビュー取材を行ったが、その際、二瓶町長は次のように語っていた。 「JR猪苗代駅を起点として町内や裏磐梯方面を走る磐梯東都バスが9月末で町内から撤退することになり、10月以降の路線バスの運用について現在協議を進めているところで、空白を生まないためにもスピード感と責任感を持ったうえで判断し、利用者の方々にご不便をおかけしないよう対処していきたい」 どうやら、関係者間の協議では、会津バス(会津乗合自動車)が4路線を引き継ぐことで、ある程度まとまっている模様。ただ、交渉ごとのため、「まだ詳しいことは話せない」、「もう少し待ってほしい」というのが現状のようだ。 喜多方―裏磐梯線の廃止騒動 磐梯東都バス(猪苗代駅周辺) 以前、磐梯東都バスは前述した4路線のほか、JR喜多方駅と裏磐梯地区を結ぶ路線も運行していた。しかし、同社は2019年2月に「同路線を同年11月末で廃止にする」旨を北塩原村に伝えた。 同路線は、主に中高生の通学や高齢者の通院などで利用されていたことから、同村内では「廃止されたら困る」、「12月以降はどうなるのか」といった声が噴出した。そこで、村は代替交通手段の確保に向けた検討を行った。 同社から「喜多方―裏磐梯間のバス廃止」の意思表示があった直後の同村2019年3月議会では、関連の質問が出た。当時の議会でのやりとりで明らかになったのは以下のようなこと。 ○村は喜多方―裏磐梯間のバス運行に対して、年間1600万円の負担金(補助金)を支出している。 ○磐梯東都バスが運行している路線は黒字のところはなく、経営的な問題から喜多方―裏磐梯間廃止の打診があった。そのほか、バス更新、運転手確保などの問題もある。村長が本社に行って協議してきたが、廃止撤回は難しいとのことだった。 ○「廃止」の意思表示を受け、村では運行を引き継ぐ事業者を探すか、村でバスを購入し、運行してもらえる事業者を探す等々の代替策を検討している。 こうして、すったもんだした中、最終的には、村が新たに車両を購入し、磐梯東都バスが運行を担う「公有民営方式」で存続させることが決まった。村は2年がかりで3台のバスを購入、それを磐梯東都バスが運行する仕組み。以降、喜多方―裏磐梯間の路線バスは、その方式で運行されていた。 ところが、昨年4月、磐梯東都バスは「公有民営方式」でも採算が取れないとして、同路線運行から完全に撤退した。 これを受け、村は、再度代替交通手段の確保に向けた検討を行い、会津バスが「公有民営方式」を引き継ぐ形で決着した。いまは、会津バスが村購入のバスを使い、同路線の運行を担っている。 こうした事例があるため、今回の磐梯東都バスの4路線撤退後についても、会津バスに引き継いでもらえるよう交渉し、その方向でまとまりつつあるようだ。 ところで、この「喜多方―裏磐梯間のバス廃止騒動」があった際、ある村民はこう話していた。 「同路線が赤字で厳しい状況だったのは間違いないのだろうけど、廃止の理由はそれだけではなさそう。というのは、元村議の遠藤和夫氏が自身の考えなどを綴ったビラを村内で配布しており、『路線廃止』報道があった直後、磐梯東都バスの件を書いていました。遠藤氏は同社の役員などに会い、そこで得た情報を掲載していたのですが、それによると、同社は数年前から北塩原村をはじめとする周辺の関連市町村に、今後の路線バスのあり方を相談していたが、北塩原村の動きが鈍いため、今回の廃止に至ったというのです。言い換えると、村がきちんと対応していれば廃止を決断することもなかったかもしれない、と」 要するに、「廃止騒動」の裏には村の不作為があったというのだ。どうやら、磐梯東都バスは村に補助金申請のための相談をしていたが、村が動いてくれなかったため、業を煮やして「廃止せざるを得ない」と伝えた。それで、村が慌てて同社に「どうにかならないか」と持ちかけ、前述した「公有民営方式」に落ち着いたということのようだ。 ここに出てくる「元村議の遠藤和夫氏」は現村長。2015年4月の村議選で初当選し、その任期途中の2016年8月の村長選に立候補したが、当時現職の小椋敏一氏に敗れた。以降は、前出の村民の証言にあったように、村内で各種情報発信をしており、自身の考えなどを綴ったビラを配布していた。その後、2020年の村長選に立候補し、当選を果たした。 かつて、村長選を見据えて情報発信する中で、磐梯東都バス関連で現職村長の対応を問題視していた遠藤氏。その遠藤氏が村長に就いた後、磐梯東都バスの撤退問題に直面することになったわけ。 遠藤村長に聞く 遠藤和夫北塩原村長 村総務企画課を通して、遠藤村長にコメントを求めると、次のような回答があった。 ――6月10日付の地元紙に「磐梯東都バス撤退へ」といった記事が掲載されました。村にはその前の段階で、何らかの話があったと思われますが、事業者からはいつの段階で、どのような話があったのでしょうか。また、それを受けて、村としてはどのように応じたのでしょうか。 「6月5日に、磐梯東都バスが村へ訪問。本年9月30日をもって事業撤退する旨を報告。諸事情による撤退はやむを得ないとし、村としては、引き続きバス路線運行維持の確保に向け、協力を依頼した」 ――磐梯東都バスが撤退することで、村、村民の足、あるいは村内に来る観光客など、どのような影響が懸念されますか。 「猪苗代・裏磐梯の路線は村民の通学や通院・買い物に利用されているほか、観光客の移動手段にもなっていることから、磐梯東都バスが撤退後に路線バスの維持がなされない場合、住民や観光客の足が無くなり、住民に不便を来たしてしまうこと、そして観光客の減少につながる懸念が想定される」 ――磐梯東都バスの問題に限らず、いまの社会情勢等を考えると、地方における路線バスの廃止は避けられない面があると思います。一方で、路線バス廃止によって「交通難民」が生まれてしまう懸念もあるわけですが、磐梯東都バス撤退後の代替策についてはどのように考えていますか。 「他のバス運行会社の事業承継による路線バスの運行維持」 ――2019年に磐梯東都バスの「喜多方線廃止」問題が浮上した際、遠藤村長は一村民の立場で情報発信する中で、磐梯東都バスの役員と会い、「数年前から北塩原村をはじめとする周辺の関連市町村に、今後のバス路線のあり方を相談していたが、北塩原村の動きが鈍いため、今回の廃止問題に至った」旨を指摘されていたと記憶しています(※当時、村民の方に現物を見せていただき、本誌記者の取材メモとして記録されている)。その後、村長に就いたわけですが、新たな関係性の構築や、協議の場を設けるなどの動きはあったのでしょうか。 「村長就任後に磐梯東都バスとは会っていたが、喜多方線廃止問題が具体的になる中、残念ながら相互に理解を得ることが難しくなり、喜多方線の撤退、猪苗代線も独自運行となった。解決に向けての打開策について協議を行ったが、磐梯東都バスの判断として、このような事態となった」 最大のポイントである磐梯東都バス撤退後の代替策については、「他のバス運行会社の事業承継による路線バスの運行維持」との回答だった。前述したように、同村では喜多方―裏磐梯間の路線バスで「公有民営方式」を採用し、当初の磐梯東都バス撤退後は会津バスに引き継いでもらっている。今回の4路線(※北塩原村が直接的に関係するのは猪苗代―裏磐梯間の路線バス)についても、会津バスに継承してもらって運行維持することを想定しているのだろう。 事業参入時に裏約束⁉ 一方で、磐梯東都バスから撤退することを聞かされたのは6月5日で、村役場に同社関係者の訪問があり、「9月30日で事業撤退」の報告を受けたという。そのうえで「諸事情による撤退はやむを得ないとし、村としては、引き続きバス路線運行維持の確保に向け、協力を依頼した」とのことだった。 最終的な決定事項(撤退)の伝達としては、その日だったのだろうが、猪苗代町の前後前町長が「磐梯東都バスからは昨年の時点で、撤退の意思を伝えられていた」と話していたことからも、当然、その前の事前協議があったと思われる。 前出・村内の事情通によると、「昨年の段階で、磐梯東都バスから村には『このままでは厳しい』といった話があったようだ」という。 「その席で、磐梯東都バスは『このエリアでバス事業を始めるときに、渡部恒三衆院議員、高橋伝村長との約束が』と、過去に決め事があったようなニュアンスのことをチラつかせたそうです。要するに、何らかの裏約束があったかのような口ぶりだった、と。とはいっても、それは20年以上前のことですし、恒三先生は亡くなり、高橋伝さんも村長を退いてだいぶ経つ。磐梯東都バスの親会社の社長も代わりました。そもそも、本当に何らかの約束事(裏約束?)があったのか、あったとしてそれがどんな内容だったのかは、いまの村長をはじめとする関係者は誰も知らない。そのため、村では『そんな昔のことを持ち出されても……。それよりも、今後どうすべきかを一緒に考えていきましょう』といったスタンスで応じたそうです」 こうして協議を行ったが、結果的には存続には至らなかった。 マイカーの普及、人口減少による利用者の減少、少子化に伴う通学需要の縮小などを背景に、地方の路線バスはどこも厳しい状況。磐梯東都バスが事業参入したときには、すでにその流れが顕著になっていたが、コロナという思いがけない事態にも見舞われた。そんな中で、撤退は避けられなかったということだろう。
2020年7月に郡山市で起きた飲食店爆発事故から、間もなく3年を迎える。当時、現場近くの事業所におり、重傷を負った女性が本誌取材に応じ、この間の苦悩や、誰も責任を問われない現状へのやるせなさなどを明かした。(末永) 「責任の所在不明」で進まない被害者救済 まずは事故の経過を振り返っておく。 爆発事故が起きたのは2020年7月30日午前8時57分ごろ。現場は郡山市島2丁目の飲食店「しゃぶしゃぶ温野菜 郡山新さくら通り店」で、郡山市役所から西に1㌔ほどのところに位置する。 この事故によって1人が死亡し、19人が重軽傷者を負った。加えて、当該建物が全壊したほか、付近の民家や事業所など200棟以上に被害が及んだ。同店は同年4月から休業しており、リニューアル工事を実施している最中だった。 警察の調べに基づく当時の地元紙報道などによると、爆発前、厨房のガス管に、腐食によってできたと考えられる亀裂や穴があり、そこから漏れたプロパンガスに、何らかの原因で引火した可能性が高いという。 経済産業省産業保安グループ(本省ガス安全室、関東東北産業保安監督部東北支部)は、現地で情報収集を行い、2020年12月に報告書をまとめた。 それによると、以下のようなことが分かったという。 ○流し台下の配管に著しい腐食があり、特に床面を中心に腐食している個所が複数あった。 ○事故前、屋内の多湿部、水の影響を受けるおそれがある場所などで配管が使用されていた。コンクリート面等の導電性の支持面に直接触れない措置は講じられていなかった。 ○保安機関の点検・調査で、ガス栓劣化、接続管基準、燃焼機器故障について「否」とし、特記事項として「警報器とメーターを連動してください」と指摘されていたが、消費設備の改善の痕跡は確認できない。 ○配管が腐食していたという記載や、配管腐食に関する注意喚起等は、過去の点検・調査記録等からは確認できない。保安機関は、定期点検・調査(2019年12月2日)で、配管(腐食、腐食防止措置等)は「良」としていた。 ○直近の点検・調査は2019年12月で、前回の点検・調査(2015年3月)から4年以上経過していた。 ○保安機関の点検・調査によれば、ガス漏れ警報器は設置されていた。 事故発生前にガス漏れ警報器が鳴動したことを認知した者はおらず、ガス漏れ警報器の電源等、作動する状況であったかどうかは不明。 ○漏えい量、漏えい時期と漏えい時の流量、爆発の中心、着火源など、爆発前後の状況は不明な点が多い。 同調査では「業務用施設(飲食店)において、厨房シンク下、コンクリート上に直に設置されていた腐食した白管(SGP配管)からガスが漏えい。何らかの着火源により着火して爆発したことが推定されている」とされているが、不明な部分も多かったということだ。 その後、警察の調べで、事故の原因とされるガス管は2006年の店舗建設時に国の基準に沿わない形で設置されていたこと、腐食を防ぐ措置がとられていなかったこと、法定点検を行った保安機関はそれらを認識しながら詳しく確認せずに問題ないと判断していたことなどが分かった。管理を適切に行わなかったために事故が起きたとして、2021年9月、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)を業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。 以降しばらくは、捜査機関の動きは報じられていなかったが、今年3月、福島地検が全員を不起訴としたことが伝えられた。運営会社社長ら4人は嫌疑不十分、内装業者は死亡していることが理由。 これを受け、事故で重傷を負った市内の女性が4月12日、不起訴処分を不服として福島検察審査会に審査を申し立てた。 地元紙報道によると、代理人弁護士が県庁で記者会見し、「大事故にもかかわらず、誰も責任を負わない結果は被害者には納得できない。責任の所在を明確にし、なぜ事故が起きたのかはっきりさせないといけない」と話したという。(福島民報4月13日付) 被害女性に聞く 本誌取材に応じるAさん 以上が事故のおおよその経緯だが、今回、本誌取材に応じたのは、事故現場のすぐ目の前の事業所にいて重傷を負ったAさん(※不起訴処分を不服として審査を申し立てたのとは別の被害女性)。 その日、Aさんはいつも通り始業時間である8時半の少し前に出勤し、事務所の掃除、業務の打ち合わせなどをして、自分のデスクに座り、パソコンの電源を立ち上げた瞬間に事故が起きた。 〝ドーン〟という大きな音とともにAさんがいた事業所(建物)が崩れ、「飛行機か何かが落ちてきたのかと思った」(Aさん)というほどの衝撃だった。天井が落下して下敷きになり、割れた窓ガラスの破片で頭や顔などに大ケガを負った。 当時、事業所にはAさんのほかにもう1人いたが、「たまたま何かの陰になったのか、その方は傷を負うことはなく、(下敷きになっていた)私を救出してくれました」(Aさん)。 その後、救急車で郡山市内の病院に運ばれ、そこからドクターヘリで福島県立医大病院に搬送された。 そこで、手術・点滴などの治療を受けたが、安静にする間もなく、警察から事情を聞かれた。毎日、窓越しに事故が起きた飲食店の改修工事の様子を見ていたため、早急に話を聞きたいとのことだったという。当時は話をするのも容易でない状況だったが、警察から「(工事で)何人くらいの人が出入りしていたか」等々の質問を受け、筆談で応じた。 その後は、医大病院(病室)で安静にしていたが、次第に「助かった」という思いと、「家族はどうしているか」、「職場はどうなったか」等々が頭を占めるようになった。 「なるべく早く帰りたいと思い、一生懸命、歩ける、大丈夫ということをアピールしました」(同) その結果、抜糸やその後の治療は郡山市内の病院で引き継ぐことになり、翌日には退院して自宅に戻ることができた。 そうまでして、退院を急いだ理由について、Aさんはこう話す。 「私は何のキャリアもない主婦で、過去には大きな病気をしたこともありました。そんな中、いまの職場に入り、そこから一生懸命仕事を覚えて、事務職にまで取り立ててもらえるようになって、やっと軌道に乗ってきたところでした。そうやって積み重ねてきたものがなくなる怖さと、生き残ったということに気持ちが高ぶっており、痛くて寝込むとか、つらいとかいうよりも、早く復帰しなければという思いの方が強かったんです」 Aさんが勤める事業所は、市内の別の場所に移り、事故後1日も休むことなく事業を続けている。Aさんも間もなく仕事に復帰し、その間、一度だけ元の事業所に行った。事故の影響で、顧客情報などが散乱してしまったことから、その回収のためである。 ただ、事故後、現場に行ったのはそれ1回だけ。 「それ(一度、資料等を回収に行った時)以降は、一度も現場には行っていません。周辺がキレイに整備され、新しくなってドラッグストアができたとか聞きますが、あの周辺を通ったこともありません」 それだけ、恐怖心が残っているということだ。 事故の後遺症はそれだけではない。いまでも、時折、体に痛みを感じるほか、ヘリコプターや飛行機などの音を聞くと、猛烈な恐怖心に襲われることがある。「ドクターヘリで搬送されたときの記憶はあいまい」とのことだが、仕事中、そうした音が聞こえると、建物が崩れたときの記憶がフラッシュバックし、怖くて建物の外に飛び出すこともある。 「(事故の記憶がよみがえらないように)全く違う業種に転職して、環境を変えた方がいいのかな、と思うこともありました。ただ、いまの状況ではどこに行っても、普通に働くことはなかなか難しいでしょうし、いまの職場の方は事情を分かってくれて、例えば、調子が悪い日は職場に設置してもらった簡易ベッドで休ませてもらうこともあります。そういったサポートをしてくれるので働き続けることができています」 関係者の「不起訴」にやるせなさ 爆発事故後のAさんの勤務先(Aさんのデスクがあった場所=Aさん提供) 傍目には目立つ外傷はないが、体には痛みが残り、精神的に安定しない日があるというのだ。 「どんどん握力が落ちて、お皿を洗っているときに、落とすこともあります。握力測定では性別・年代別の平均値よりずっと低く、幼稚園児と同じくらいでした」 いまも、整形外科で薬を処方してもらっているほか、メンタルクリニックでカウンセリングを受けている。睡眠薬がなければ眠れず、体の痛みで眠れない日もある。 治療費は、しゃぶしゃぶ温野菜のフランチャイザーのレインズインターナショナル(横浜市)と、運営会社の高島屋商店(いわき市)の被害対応基金から支払われている。ただ、まずは自分で負担し、診断書を添えて実費分が支払われる、という手続きが必要になる。加えて、これもいつまで続くか、といった不安がある。 中には「賠償金はいくらもらったの?」と心ないことを聞かれることもあったそうだが、治療費以外の賠償金は支払われていない。それどころか、事故を起こした店舗の関係者からは「私たちが悪いと決まったわけではないので」といった理由から謝罪もされていないという。 当然、「納得できない」との思いを抱いてきたが、それをさらに増幅させることがあった。前段で述べたように、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)が業務上過失致死傷の疑いで書類送検されていたが、今年3月、全員が不起訴になったことだ。 「まず、こんなに時間がかかるとは思っていませんでしたし、あれだけの事故を起こして、誰も責任を問われないなんて……。無力感と言うんですかね、そんな感じです」 言葉にならない、やるせなさを浮かべる。 事故当時、警察からは、被害者として刑事告訴できる旨の説明を受けた。民事でも「被害者の会」が組織されるのではないか、との見方もあった。ただ、被害の程度が違うため、被害者組織は結成されなかった。 Aさん自身、自分の心身のこと、家族のこと、仕事のことで精一杯で、刑事告訴や、民事での損害賠償請求などに費やすエネルギーや時間的余裕がなかった。そのため、これまで自らアクションを起こすことはなかった。 そもそも、これだけの事故を起こして、誰も責任を問われない、自身の被害が救済されない、などということがあるとは思っていなかったに違いない。ただ、刑事は前述のような形になり、どうしたらいいか分からないといった思いのようだ。 郡山市の損害賠償訴訟に期待 Aさんの勤務先から事故現場に向かって撮影した写真。奥に警察、消防士などが見え、現場と至近距離であることが分かる。(Aさん提供) そんな中で、Aさんが「希望を持っている」と明かすのが、郡山市が起こした損害賠償請求訴訟である。 これについては、本誌昨年6月号で詳細リポートし、今年6月号で続報した。 郡山市は2021年12月、運営会社の高島屋商店(いわき市)、フランチャイズ本部のレインズインターナショナル(横浜市)など6社を相手取り、約600万円の損害賠償を求める訴訟を福島地裁郡山支部に起こした。賠償請求の内訳は災害見舞金の支給に要した費用約130万円、現場周辺の市道清掃費用約130万円、避難所運営に要した費用約100万円、被災者への固定資産税の減免措置など約80万円、災害ごみの回収費用約70万円など。 裁判に至る前、市は独自で情報収集を行い、裁判の被告とした6社と協議をした。そのうえで、2021年2月19日、6社に対して損害賠償を請求し、回答期限を同年3月末までとしていた。 3月29日までに6社すべてから回答があり、2社は「事故原因が明らかになれば協議に応じる」旨の回答、4社は「爆発事故の責任がないため請求には応じない」旨の回答だった。 前段で、事故を起こした店舗の関係者は「自分たちが悪いと決まったわけではないので」といった理由から、Aさん(被害者)に謝罪していないと書いたが、市との協議でも同様の主張であることがうかがえる。 これを受け、市は県消防保安課、郡山消防本部、郡山警察署、代理人弁護士と協議・情報収集を行い、新たに1社を加えた7社に対して、関係資料の提出を求めた。7社の対応は、2社が「捜査資料のため提出できない」、4社が一部回答あり、1社が回答拒否だった。 市では「関係者間で主張の食い違いがあるほか、捜査資料のため情報収集が困難で、刑事事件との関係性もあり、協議による解決は困難」と判断。同年9月に6社に対して協議による解決の最後通告を行ったが、全社から全額賠償に応じる意思がないとの回答が届いた。 ただ、1社は「条件付きで一部弁済を内容とする協議には応じる」、別の1社は「今後の刑事裁判の結果によって協議に応じる」とした。残りの4社は「爆発事故に責任があると考えていないため損害賠償請求には応じない」旨の回答だった。 こうした協議を経て、市は損害賠償請求訴訟を起こすことを決めたのである。 2021年12月議会で関連議案を提出し、品川萬里市長が次のように説明した。 「2020年7月に島2丁目地内で発生した爆発事故で、本市が支出した費用について、責任を有すると思慮される関係者に対し、民事上の任意の賠償を求め協議してきましたが、本日現在、当該関係者から賠償金全額を支払う旨の回答を得ておりません。本市としては、事故の責任の所在を明らかにするため、弁護士への相談等を踏まえ、関係者に対して民法第719条に基づく共同不法行為者として、損害賠償を求める訴えの提起にかかる議案を提出しています」 議会の採決では全会一致で可決され、それを経て提訴した。 昨年4月22日から今年5月23日までに計6回の口頭弁論が開かれているが、市総務法務課によると「現在(この間の裁判)は争点整理をしています」とのこと。 判決に至るまでにはまだ時間がかかりそうだが、Aさんは「市が率先して、責任の所在を明らかにしようとしているのはありがたいし、希望でもある」と話す。 求められる被害救済 市総務法務課の担当者は、裁判を起こした理由について、こう話していた。 「市長が『被害に遭われた住民は多数おり、市が率先して責任の所在を明らかにしていく』ということを言っていたように、市が先頭に立って裁判を行い、責任の所在を明らかにすることで、被害に遭われた方に参考にしてもらえれば、といった思いもあります」 当然、裁判は市の損害を回復することが最大の目的だが、市が率先して裁判を起こすことで判例をつくり、ほかの被害者の参考にしてもらえれば、といった意味合いもあるということだ。 今回の事故で、Aさんをはじめ多くの人・企業が被害を受けたのは明らかだが、「加害者」は明確なようで実はそうではない。 過失があると思われるのは運営会社、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関などだが、それぞれが「自分たちの責任ではない」、あるいは「自分たちの責任であると明確に認定されるまでは謝罪も賠償もしない」という姿勢。言わば、責任をなすりつけあっているような状況なのである。 そのため、事故から3年が経とうとしているが、賠償などは全く進んでいない。気の毒というほかないが、運営会社、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関などのどこであれ、責任の所在を明らかにし、事故を起こした事実を受け止めてほしい。あの日、日常の中で事故に巻き込まれた人たちの被害が救済されることを切に願う。 あわせて読みたい 【しゃぶしゃぶ温野菜 爆発事故】郡山市が関係6社を提訴 「しゃぶしゃぶ温野菜 ガス爆発事故」刑事・民事で追及続く【郡山】
本誌3月号に「原発事故 追加賠償の全容」という記事を掲載した。原子力損害賠償紛争審査会がまとめた中間指針第5次追補、それに基づく東京電力の賠償リリースを受け、その詳細と問題点を整理したもの。同記事中、「今回の追加賠償で新たな分断が生じる恐れもある」と書いたが、実際に不平・不満の声がチラホラと聞こえ始めている。(末永) 広野町議が「分断政策を許すな」と指摘 原発事故に伴う損害賠償は、文部科学省内の第三者組織「原子力損害賠償紛争審査会」(以下「原賠審」と略、内田貴会長)が定めた「中間指針」(同追補を含む)に基づいて実施されている。中間指針が策定されたのは2011年8月で、その後、同年12月に「中間指針追補」、2012年3月に「第2次追補」、2013年1月に「第3次追補」、同年12月に「第4次追補」(※第4次追補は2016年1月、2017年1月、2019年1月にそれぞれ改定あり)が策定された。 以降は、原賠審として指針を定めておらず、県内関係者らは「被害の長期化に伴い、中間指針で示した賠償範囲・項目が実態とかけ離れているため、中間指針の改定は必須」と指摘してきたが、原賠審はずっと中間指針改定に否定的だった。 ただ、昨年3月までに7件の原発賠償集団訴訟で判決が確定したことを受け、原賠審は専門委員会を立ち上げて中間指針の見直しを進め、同年12月20日に「中間指針第5次追補」を策定した。 それによると、「過酷避難状況による精神的損害」、「避難費用、日常生活阻害慰謝料及び生活基盤喪失・変容による精神的損害」、「相当量の線量地域に一定期間滞在したことによる健康不安に基礎を置く精神的損害」、「自主的避難等に係る損害」の4項目の追加賠償が示された。このほか、事故発生時に要介護者や妊婦だった人などへの精神的損害賠償の増額も盛り込まれた。 これまでに判決が確定した集団訴訟では、精神的損害賠償の増額や「ふるさと喪失に伴う精神的損害賠償」、「コミュニティー崩壊に伴う精神的損害賠償」などが認められている。それに倣い、原賠審は賠償増額・追加項目を定めたのである。 同指針の策定・公表を受け、東京電力は1月31日に「中間指針第五次追補決定を踏まえた避難等に係る精神的損害等に対する追加の賠償基準の概要について」というリリースを発表した。 本誌3月号記事では、その詳細と、避難指示区域の区分ごとの追加賠償の金額などについてリポートした。そのうえで、次のように指摘した。 × × × × 今回の追加賠償はすべて「精神的損害賠償」と捉えることができ、そう考えると、追加賠償前と追加賠償後の精神的損害賠償の合計額、区分ごとの金額差は別表のようになる。帰還困難区域と居住制限区域・避難指示解除準備区域の差は600万円から480万円に縮まった。ただ、このほかにすでに支払い済みの財物賠償などがあり、それは帰還困難区域の方が手厚くなっている。 元の住居に戻っていない居住制限区域の住民はこう話す。 「居住制限区域・避難指示解除準備区域は避難解除になったものの、とてもじゃないが、戻って以前のような生活ができる環境ではない。そのため、多くの人が『戻りたい』という気持ちはあっても戻れないでいる。そういう意味では帰還困難区域とさほど差はないにもかかわらず、賠償には大きな格差があった。少しとはいえ、今回それが解消されたのは良かったと思う」 もっとも、帰還困難区域と居住制限区域・避難指示解除準備区域の差は少し小さくなったが、避難指示区域とそれ以外という点では、格差が拡大した。そもそも、帰還困難区域の住民からすると、「解除されたところと自分たちでは違う」といった思いもあろう。原発事故以降、福島県はそうしたさまざまな「分断」に悩まされてきた。やむを得ない面があるとはいえ、今回の追加賠償で「新たな分断」が生じる恐れもある。 広野町議会の一幕 畑中大子議員(広野町議会映像より) × × × × この懸念を象徴するような指摘が広野町3月議会であった。畑中大子議員(共産、3期)が、「中間指針見直しによる賠償金について(中間指針第5次追補決定)」という一般質問を行い、次のように指摘した。 「緊急時避難準備区域(※広野町は全域が同区域に該当)は財物賠償もなく、町民はこの12年間ずっとモヤモヤした気持ち、納得いかないという思いで過ごしてきた。今回の第5次追補で、(他区域と)さらに大きな差をつけられ、町民の不公平感が増した。この点を町長はどう捉えているのか」 この質問に、遠藤智町長は次のように答弁した。 「各自治体、あるいは県原子力損害対策協議会で、住民の思いを念頭に置いた取り組み、要望・要請を行ってきた。県原子力損害対策協議会では、昨年4、9月にも中間指針見直しに関する要望を国当局・東電に対して行い、私も県町村会長として同行し、被害の実態に合った賠償であってほしいと要望した。今回の指針は県内の現状が一定程度反映されたものと受け止めているが、地域間の格差は解消されていない。同等の被害には賠償がなされること、東電は被災者を救済すること、指針が示す範疇が上限ではないこと等々の要望を引き続きしていく。今後も地域住民の理解が得られるように対応していく」 畑中議員は「これ(賠償に格差をつけること)は地域の分断政策にほかならない。そのことを強く認識しながら、今後の要望・要請活動、対応をお願いしたい」と述べ、別の質問に移った。 広野町は全域が緊急時避難準備区域に当たり、今回の第5次追補を受け、同区域の精神的損害賠償は180万円から230万円に増額された。ただ、双葉郡内の近隣町村との格差は大きくなった。具体的には居住制限区域・避難指示解除準備区域との格差は、追加賠償前の670万円から870万円に、帰還困難区域との格差は1270万円から1350万円に広がったのである。 このことに、議員から「町民の不公平感が増した」との指摘があり、遠藤町長も「是正の必要があり、そのための取り組みをしていく」との見解を示したわけ。 このほか、同町以外からも「今回の追加賠償には納得いかない」といった声が寄せられており、区分を問わず「賠償格差拡大」に対する不満は多い。 もっとも、広野町の場合は、全域が緊急時避難準備区域になるため、町民同士の格差はない。これに対し、例えば田村市は避難指示解除準備区域、緊急時避難準備区域、自主的避難区域の3区分、川内村は避難指示解除準備区域・居住制限区域と緊急時避難準備区域の2区分、富岡町や浪江町などは避難指示解除準備区域・居住制限区域と帰還困難区域の2区分が混在している。そのため、同一自治体内で賠償格差が生じている。広野町のように近隣町村と格差があるケースと、町民(村民)同士で格差があるケース――どちらも難しい問題だが、より複雑なのは後者だろう。いずれにしても、各市町村、各区分でさまざまな不平・不満、分断の懸念があるということだ。 福島県原子力損害対策協議会の動き 東京電力本店 ところで、遠藤町長の答弁にあったように、県原子力損害対策協議会では昨年4、9月に国・東電に対して要望・要求活動を行っている。同協議会は県(原子力損害対策課)が事務局となり、県内全市町村、経済団体、業界団体など205団体で構成する「オールふくしま」の組織。会長には内堀雅雄知事が就き、副会長はJA福島五連会長、県商工会連合会会長、市長会長、町村会長の4人が名を連ねている。 協議会では、毎年、国・東電に要望・要求活動を行っており、近年は年1回、霞が関・東電本店に出向いて要望書・要求書を手渡し、思い伝えるのが通例となっていた。ただ、昨年は4月、9月、12月と3回の要望・要求活動を行った。遠藤町長は町村会長(協議会副会長)として、4、9月の要望・要求活動に同行している。ちょうど、中間指針見直しの議論が本格化していた時期で、だからこそ、近年では珍しく年3回の要望・要求活動になった。 ちなみに、同協議会では、国(文部科学省、経済産業省、復興庁など)に対しては「要望(書)」、東電に対しては「要求(書)」と、言葉を使い分けている。三省堂国語辞典によると、「要望」は「こうしてほしいと、のぞむこと」、「要求」は「こうしてほしいと、もとめること」とある。大きな違いはないように思えるが、考え方としては、国に対しては「お願いする」、東電に対しては「当然の権利として求める」といったニュアンスだろう。そういう意味で、原子力政策を推進してきたことによる間接的な加害者、あるいは東電を指導する立場である国と、直接的な加害者である東電とで、「要望」、「要求」と言葉を使い分けているのである。 昨年9月の要望・要求活動の際、遠藤町長は、国(文科省)には「先月末に原賠審による避難指示区域外の意見交換会や現地視察が行われたが、指針の見直しに向けた期待が高まっているので、集団訴訟の原告とそれ以外の被害者間の新たな分断や混乱を生じさせないためにも適切な対応をお願いしたい」と要望した。 東電には「(求めるのは)集団訴訟の判決確定を踏まえた適切な対応である。国の原賠審が先月末に行った避難指示区域外の市町村長との意見交換では、集団訴訟の原告と、それ以外の被災者間での新たな分断が生じないよう指針を早期に見直すことなど、多くの意見が出された状況にある。東電自らが集団訴訟の最高裁判決確定を受け、同様の損害を受けている被害者に公平な賠償を確実かつ迅速に行うなど、原子力災害の原因者としての自覚をもって取り組むことを強く求める」と要求した。 これに対し、東電の小早川智明社長は「本年3月に確定した判決内容については、現在、各高等裁判所で確定した判決内容の精査を通じて、訴訟ごとに原告の皆様の主張内容や各裁判所が認定した具体的な被害の内容や程度について、整理等をしている。当社としては、公平かつ適正な賠償の観点から、原子力損害賠償紛争審査会での議論を踏まえ、国からのご指導、福島県内において、いまだにご帰還できない地域があるなどの事情もしっかりと受け止め、真摯に対応してまいる」と返答した。 遠藤町長は中間指針第5次追補が策定・公表される前から、「新たな分断を生じさせないよう適切な対応をお願いしたい」旨を要望・要求していたことが分かる。ただ、実態は同追補によって賠償格差が広がり、議員から「町民の不公平感が増した」、「これは地域の分断政策にほかならない。そのことを強く認識しながら、今後の要望・要請活動、対応をお願いしたい」との指摘があり、遠藤町長も「今回の指針は県内の現状が一定程度反映されたものと受け止めているが、地域間の格差は解消されていない」との認識を示した。 遠藤町長に聞く 遠藤智町長 あらためて、遠藤町長に見解を求めた。 ――3月議会での畑中議員の一般質問で「賠償に対する町民の不公平感が第5次追補でさらに増した」との指摘があったが、実際に町に対して町民からそうした声は届いているのか。 「住民説明会や電話等により町民から中間指針第5次追補における原子力損害賠償の区域設定の格差についてのお声をいただいています。具体的な内容としては、避難指示解除準備区域と緊急時避難準備区域において、賠償金額に大きな格差があること、生活基盤変容や健康不安など賠償額の総額において格差が広がったとの認識があることなどです」 ――議会では「不公平感の是正に向けて今後も要望活動をしていく」旨の答弁があったが、ここで言う「要望活動」は①町単独、②同様の境遇にある自治体との共同、③県原子力損害対策協議会での活動――等々が考えられる。どういった要望活動を想定しているのか。 「今後の要望活動については、①町単独、②同様の境遇にある自治体との共同、③県原子力損害対策協議会を想定しています。これまでも①については、町と町議会での合同要望を毎年実施しています。②については、緊急時避難準備区域設定のあった南相馬市、田村市、川内村との合同要望を平成28(2016)年度から実施しています。③については、中間指針第5次追補において会津地方等において賠償対象の区域外となっており、県原子力損害対策協議会において現状に即した賠償対応を求めていきます」 前述したように、遠藤町長は中間指針第5次追補が策定・公表される前から、同追補による新たな分断を懸念していた。今後も県原子力損害対策協議会のほか、町単独や同様の境遇にある自治体との共同で、格差是正に向けた取り組みを行っていくという。 県原子力損害対策協議会では、毎年の要望・要求活動の前に、構成員による代表者会議を開き、そこで出た意見を集約して、要望書・要求書をまとめている。同協議会事務局(県原子力損害対策課)によると、「今年の要望・要求活動、その前段の代表者会議の予定はまだ決まっていない」とのこと。ただ、おそらく今年は、中間指針第5次追補に関することとALPS処理水海洋放出への対応が主軸になろう。 もっとも、この間の経緯を見ると、県レベルでの要望・要求活動でも現状が改善されるかどうかは不透明。そうなると、本誌が懸念する「新たな分断」が現実味を帯びてくるが、そうならないためにも県全体で方策を考えていく必要がある。 あわせて読みたい 【原発事故】追加賠償の全容 追加原発賠償決定で集団訴訟に変化
昨年12月号から今年4月号まで5回にわたり、「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体の現状をリポートしてきた。今回はシリーズの〝仕上げ〟として、これまで取り上げてきた事例を総括したい。(末永) 専門家は「合併すれば効率アップは間違い」と指摘 条件が恵まれている西郷村(写真は村役場) 国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進した。いわゆる「平成の大合併」である。県内では2004年から2008年までに13例の合併があり、90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。 一方で、「平成の大合併」に参加しなかった自治体もあり、その現状に迫ったのがこのシリーズ。第1回が桑折町と国見町、第2回が大玉村、第3回が棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村(東白川郡編)、第4回が西郷村、第5回が三島町、金山町、昭和村、只見町(奥会津編)と、計5回、12市町村を取り上げた。 このうち、大玉村と西郷村は条件的に非常に恵まれている。県内で人口が増えているのはこの2村のみ。加えて、両村は働き口、高等教育、医療、日用品の調達先など、行政サービス以外で生活に必要な部分は、近隣に依存できる環境にある。逆に「奥会津編」で取り上げた4町村は、人口減少が著しく、高齢化率が非常に高い。一口に「合併しなかった自治体」といっても、その内実や地理的条件などは全く違う。 シリーズ全回で共通して財政指標の推移を示した。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。 当初の合併の目的と照らし合わせると、合併しなかった自治体には、より一層の財政健全化の努力が求められる。記事では、同法に基づき県市町村財政課が公表している「財政状況資料集」を基に、2007年度から当時最新の2020年度までの「実質赤字比率」、「連結実質赤字比率」、「実質公債費比率」、「将来負担比率」、「財政力指数」の推移を一覧化した。加えて、近隣で合併した自治体(例・大玉村は本宮市、西郷村は白河市)の数値と比較しながら、財政指標を検証してきた。 それで言うと、取り上げた自治体すべてで財政指標の良化が見受けられた。合併しなかった自治体は、最初から合併に否定的だったところ、合併を模索したものの、結果的に合併に至らなかったところ、国が目指す「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」が合併に頼らずとも可能だったところなどさまざまだが、合併しない(できなかった)ことを決めて以降は、それぞれが相応の努力をしてきたことがうかがえた。 一方、シリーズ1回目(桑折町・国見町編)で、元福島大学教授で現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)にコメントを求めたところ、「ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善している」と話していた。 今井照氏 「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 今井氏のコメントからすると、2021年度以降はさらなる指標の良化が予想されるが、それは各自治体の努力ではなく、外的要因によるもの、ということになる。 「合併しない宣言」の影響 真っ先に国の方針に背いた格好の矢祭町(写真は町役場) ところで、このシリーズ「最大のハイライト」とも言えるのが矢祭町の状況だ。というのは、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物がこう話していたから。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとって脅しのような感覚だったようだ。要するに、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との強迫観念に駆られ、合併を進めたということだ。 その点で言うと、矢祭町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決し、言うなれば真っ先に国の方針に背いた格好になる。 以前、先進的な取り組みをしている県外自治体を取材した際、担当者は次のように証言していた。 「メディアなどで取り上げられるたびに、国から目を付けられて(苦笑)。国の役人からは『ずいぶん勝手なことをしているようだな』、『その分だと、国からの交付金・補助金などは必要なさそうだな』と露骨に言われることもありました」 これは15年ほど前の話だが、そんなこともあり、矢祭町も国からの締め付けなどがあったのではないかと危惧していた。 この点について、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 佐川正一郎矢祭町長 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかったですね。それほど影響がなかった背景には、二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にすごく苦労したということはなかった。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大変でしたね」 同町の事例からすると、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物が懸念していたことは杞憂に終わったと言っていい。実際、「奥会津編」で取り上げた町村は、自主財源が乏しく財政基盤が弱い。決して条件がいいと言えない中でも、大きな問題なく存続できている。当然、関係者の努力もあっただろうが、そうした事実がすべてを物語っていると言っていいのではないか。 前出・地方自治総合研究所主任研究員の今井氏はこう話す。 「一般には、合併を選択すると財政が効率化し、財政環境がよくなると理解されていますが、それは誤りです。そもそも企業の合併とは異なり、自治体が合併しても面積や人口が単純に加算されるだけで、行政サービスの総量は減らないので、合併による効率化の効果はほんのわずかに限られます。合併すると、効率化以上に地方交付税などの歳入が絞られていきますので、個々の自治体にとって財政環境が悪化するのは当然です。逆にいうと、合併すれば住民への行政サービスの総量を減らさなくてはならず、中心部だけに投資を残して、周辺部への投資を薄くする傾向があります。合併すると周辺部の衰退が早まるのはそのためです」 このシリーズで取材した自治体の住民も、合併した近隣自治体で、中心部とそうでないところの格差を見ているためか、「結果的に合併しなくて良かったと思う」との声が大多数を占めた。 「大玉村編」では、合併議論当時の同村役場関係者の「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」とのコメントを紹介した。理由はやはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配があったから。ただ、この関係者は「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」と述べていた。 単独の強みを生かせ 一方で、「奥会津編」では、隣接地域の議員経験者のこんな意見を紹介した。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 自治体の枠組みそのものの合併はしなくても良かったと思うが、今後は1つの自治体ですべての行政サービスを賄うのではなく、行政サービスのうち、共有・連携できる部分は「行政組合」のようなものを立ち上げて対応すべきではないか、ということだ。 国(総務省)でも、新たな広域連携について検討しているようだから、今後は本格的にその勉強・検討の必要性が出てくるだろう。 このシリーズの取材では、対象の町村長に質問を投げかけ、文書で回答してもらった。それをあらためて見ていくと、合併しなかったことをどう強みに変えていくかや、いま当該自治体内で抱えている課題などの質問に対し、問題意識を持って回答してくれた町村長と、そうでない町村長が如実に見られた。 ここでは、どの町村長がどうだったかの詳細は触れないが、本当に問題意識がないのか、単に取材対応が面倒なだけだったのか。いずれにしても、そのような町村長のもとに暮らす住民はハッピーとは言えないだろう。 最後に、あらためて指摘したいのは、せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてほしいということ。これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。合併せず、小回りが利く規模の自治体だからこそ可能な、思い切った〝仕掛け〟を生み出していってもらいたい。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 合併しなかった福島県内自治体のいま【東白川郡編】矢祭町・鮫川村・棚倉町・塙町 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま
2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。県内では、合併したところ、単独の道を選択したところ、合併を模索したもののまとまらなかったところと、さまざまある中、本誌ではシリーズで合併しなかった市町村の現状を取り上げている。今回は、人口減少や高齢化率の上昇が大きな課題となっている奥会津編。(末永) 人口減・高齢化率上昇が課題の三島・金山・昭和 「奥会津」は正式な地名ではなく、明確な定義があるわけではない。ただ、観光面などでの広域連携の中でそうした表現が使われている。主に会津南西部を指す。 只見川・伊南川流域の町村で構成される「只見川電源流域振興協議会」が発行したパンフレット「歳時記の郷 奥会津の旅」には次のように記されている。 《「奥会津」は、福島県南西部に位置する只見川流域、伊南川流域の7町村「柳津町」「三島町」「金山町」「昭和村」「只見町」「南会津町」「檜枝岐村」の総称です》 柳津町は河沼郡、三島町、金山町、昭和村は大沼郡、只見町、南会津町、檜枝岐村は南会津郡と3つの郡にまたがる。今回は、そのうち大沼郡の三島町、金山町、昭和村と南会津郡の只見町の現状を取材した。 「平成の大合併」の際、三島町、金山町、昭和村の3町村は、河沼郡の会津坂下町、柳津町との郡をまたいだ合併案があった。当時の合併に関する研究会のメンバーだった関係者はこう述懐する。 「県会津地方振興局の勧めもあって5町村で合併について話し合うことになりました。当時の5町村長は基本的には合併もあり得るとの考えだったように思います。理由は、国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らすとの方針で、将来的な財政の裏付けがなかったことです」 当時の5町村の人口(2005年1月1日時点)は、会津坂下町約1万8600人、柳津町約4400人、三島町約2300人、金山町約2900人、昭和村約1600人で、計約2万9800人。合併後の新市移行の条件である「人口3万人」にギリギリ届いていなかったが、「振興局の担当者は『市になれると思う』とのことだった」(前出の関係者)という。 「人口比率から言っても、中心になるのは会津坂下町だが、そこに役場(市役所)が置かれるとして、金山町、昭和村からはかなり遠くなります。加えて、当時の会津坂下町は財政状況が良くなかったため、(ほかの4町村の住民・関係者は)会津坂下町にいろいろと吸い上げられてしまう、といった思いもありました。そんな中で、(会津坂下町を除いた)柳津町、三島町、金山町、昭和村の4町村での合併案も出たが、結局はどれもまとまりませんでした。住民の多くも合併を望んでいなかった、ということもあります」 一方で、南会津郡は、2006年3月に、田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して南会津町が誕生した。それに先立ち、下郷町、只見町、檜枝岐村を含めた南会津郡7町村で研究会が立ち上げられ、合併に向けた調査・研究を行っていた。そこから、正式な合併協議会に移行する際、下郷町、只見町、檜枝岐村は参加しなかった経緯がある。 当時のことを知る只見町の関係者はこう話す。 「田子倉ダム(電源立地地域対策交付金)があるから、という事情もあったと思いますが、それよりも『昭和の大合併』の後遺症のようなものが残っており、只見町は最初から前向きでなかった」 只見町は、いわゆる「昭和の大合併」で誕生した。1955(昭和30)年に只見村と明和村が合併し、その4年後の1959(昭和34)年に朝日村が編入して、只見町になった。「平成の大合併」議論が出たころは、それから50年ほどが経っていたが、その後遺症が残っていたというのだ。 「一例を挙げると、只見地区(旧只見村)には町役場の中心的機能、明和地区(旧明和村)には温浴施設、朝日地区(旧朝日村)には診療所という具合に、1つの地区に何かを設けるとすると、残りの2地区には何らかの代わりの手当てをする、といった手法でないと、物事が進まないような状況なのです。これでは行政運営のうえで、あまりにも効率が悪い」(同) それは「平成の大合併」議論から十数年(「昭和の大合併」から60年以上)が経ったいまも変わっていないという。 その際たる例が役場庁舎の問題。同町の本庁舎は、只見町誕生の翌年(1960年)に建てられ、老朽化が進んでいた。2008年度に実施した耐震診断の結果、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があるCランクと診断された。 そこで、目黒吉久元町長時代の2011年に「只見町役場庁舎建設基本計画」が策定され、新庁舎建設計画が進められた。ただ、実現させることができず、目黒町長はその責任を取る形で、2016年12月に2期目の任期満了で退任した。 この後を受けた菅家三雄前町長は、「暫定移転」として、中学校合併によって空いた旧只見中学校に、議会、総務課、農林建設課、教育委員会などの役場の中心的な機能を移転し、「町下庁舎」とした。そのほかの部署は、駅前庁舎とあさひヶ丘庁舎に分散する形になった。この暫定移転が完了したのが2018年で、これに伴い、旧庁舎は解体された。 ただ、この暫定庁舎(分散庁舎)は、町民や観光客などから、「必要な部署(用事がある部署)がどこにあるのか分かりにくい」として不評だった。 一方で、一部町民からは「新しい役場庁舎ができても、町民生活には何の恩恵もない。そんな生産性のないものに多額のお金をかけるべきではない。いまのまま(暫定庁舎)で十分」、「暫定庁舎の整備には5億円以上の費用がかかっている。そのうえ、さらに新しい庁舎を建てるのは、税金の無駄遣いだ」といった声が出た。とりわけ、明和地区、朝日地区では、そうした意見が多いという。 このほか、現在、同町では道の駅整備計画が進められているが、同事業でも「(旧3村の)どこにつくるか」が最大のポイントになっていた。「合併前の旧3村の感情論が絡みなかなか物事が進まない」というのはこういったことを指している。 「平成の大合併」では、核となる市があって、そこに近隣町村が〝編入〟した(形式上は対等合併でも実質的にそうなったものも含む)パターンと、同規模町村が合併して市になったパターンの大きく2つに分けられる。その中でも、後者は「均衡ある発展」を掲げ、その結果、分散型の行政組織や財政運用になった。 それが良いか悪いかは別にして、只見町は「昭和の大合併」以降、そうした状況が続いているというのだ。そんな事情から「平成の大合併」議論が出た際、住民・関係者は拒否反応を示し、南会津郡の合併に参加しなかったわけ。 こうして、三島町、金山町、昭和村、只見町は合併せず単独の道を歩むことになった。 さて、ここからは過去のシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表された4町村の各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 三島町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度6・8012・6318・5103・80・162008年度8・6713・8917・868・70・152009年度10・2812・1915・644・90・132010年度――――13・01・80・122011年度――――11・2――0・122012年度――――9・6――0・122013年度――――7・9――0・122014年度――――6・1――0・132015年度――――4・2――0・132016年度――――3・1――0・142017年度――――2・8――0・142018年度――――3・5――0・152019年度――――4・1――0・152020年度――――4・8――0・15※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 金山町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・826・0720・782・30・242008年度3・667・6618・755・70・232009年度3・907・7915・527・90・232010年度2・970・8311・621・30・222011年度――――8・5――0・212012年度――――6・1――0・202013年度――――4・4――0・202014年度――――3・5――0・202015年度――――2・9――0・222016年度――――3・2――0・232017年度――――3・6――0・232018年度――――4・1――0・232019年度――――4・5――0・242020年度――――4・4――0・24※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 昭和村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度1・323・9415・110・60・112008年度4・078・5813・5――0・112009年度2・877・0011・4――0・102010年度――――10・5――0・092011年度――――9・7――0・092012年度――――8・0――0・082013年度――――6・7――0・082014年度――――5・0――0・082015年度――――4・4――0・092016年度――――3・7――0・092017年度――――3・7――0・092018年度――――4・4――0・092019年度――――5・3――0・102020年度――――5・9――0・10※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 只見町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度2・245・1112・816・10・312008年度8・2111・2611・326・10・302009年度3・595・639・6――0・292010年度――――6・8――0・282011年度――――5・0――0・272012年度――――3・9――0・252013年度――――3・7――0・252014年度――――3・5――0・252015年度――――2・9――0・252016年度――――3・1――0・252017年度――――3・2――0・252018年度――――3・2――0・252019年度――――3・0――0・252020年度――――3・0――0・25※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。 県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%。昭和村は5・9%で全国平均を0・2ポイント上回っているが、ほかの3町村はいずれも全国平均を下回っている。推移を見ると、いずれもここ数年は最も良かったころからは多少比率が上がってはいるものの、単独を決めたころから比べると、だいぶ良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、4町村はいずれもそれに当てはまる。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。一方で、4町村とも財政力指数は低い。 4町村長に聞く 4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 矢澤源成三島町長 当時、三位一体の改革の下、財政基盤の強化、行政運営の効率化のため合併が進められたが、その後、地方創生総合戦略や東京一極集中是正の流れから、地域の特性を生かした地域づくりに財源が配分され、合併以前の状況とは異なるが、将来に向けては財政基盤がぜい弱な小規模自治体では不安がある。将来人口推計よりも早く、少子化、人口減少が進行しているが、再生可能エネルギーや地域資源を生かした経済循環とDXの推進等持続可能な地域づくりを進めることにより、財政基盤の強化や行政運営の効率化に繋がるものと考えている。 押部源二郎金山町長 財政状況については、実質公債費比率が健全な状況にあり、適切な状態を維持していると考えている。財政基盤強化については、総人件費と町債の抑制により安定的な財政基盤の確保に努めてきた。行政運営の効率化においても社会情勢の変化に即応した体制や効率化を図っており、今後も状況に応じた対応に努めていく。 舟木幸一昭和村長 本村は自主財源が乏しく、地方交付税を始めとする依存財源に頼らざるを得ない状況にあるので、歳出面では人件費や物件費、維持補修費や補助費などの見直しを図るとともに、村の振興を進めるため昭和村振興計画の実施計画を策定し、事業の平準化なども行ってきた。歳入面では財源確保として、積極的に国や県の補助金を活用するとともに、村債は後年度の償還に有利な過疎対策事業債を起債するなど工夫してきたことから、余剰金については財政調整基金や目的基金に積み立て、後年度負担すべき財源の確保に努めてきた。このことにより、財政健全化法が施行された2007年度から連続して健全財政を維持している。 職員数については、5年ごとに定員管理計画を定め、条例定数61人に対し定員50人を維持している。また、いわゆる団塊の世代の退職後は、職員の平均年齢が県内でも比較的若い状況であることから、ラスパイレス指数が低い状況となっている。 本村は、今後の人口減少を緩やかにしていくため、様々なアイデアを駆使し、移住・定住人口の確保に努めているが、今後想定される公共施設やインフラ設備の補修・改修などの大規模な財政支出により、財政を取り巻く状況は決して楽観できない状態が続くと予想される。今後も、これまでの堅実な財政運営を維持しつつ、産業の振興や移住・定住施策を進めるとともに、新たな試みにも果敢にチャレンジしながら、より一層、村の振興を進めていく。 渡部勇夫只見町長 「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」は合併の目的の大きな柱の1つであると理解している。同時にもう1つの大きな柱である「まちづくり」の方針(構想)も欠くことのできない点だと理解している。当町の財政状況は厳しい環境にあると認識しているので、「まちづくり」により一層力を注ぎながら取り組んでいく。 非合併の影響は軽微 前段で、三島町、金山町、昭和村の3町村は、会津坂下町、柳津町との合併話があり、その研究会関係者の「国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らす方針で、将来的な財政の裏付けがないから、当時の5町村長は合併もあり得ると考えていた」とのコメントを紹介した。 実際、過去のこのシリーズでは合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物のこんな声を紹介した。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、「合併するしか道はない」と考えたようだ。 一方で、シリーズ4回目の「東白川郡」では、「合併しない宣言」で知られる矢祭町の状況をリポートした。同町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決した。言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。そのため、国による締め付け等があったのではないかと思い、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 さらに、「合併しない宣言」後の大部分(2007年〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にもそれほど厳しいということはなかった」 矢祭町の現・前町長の言葉からも分かるように、当時の関係者が危惧したような状況にはなっていない。今回の奥会津4町村についても、決して財政的に豊かではないが、少なくとも著しく住民サービスが劣ったり、行政運営ができない状況には陥っていない。当然、そこには各町村の努力もあるだろうが。 一方、奥会津で合併した南会津町の合併前の旧町村の予算規模(2004年度当初予算=福島民報社の『民報年鑑』より)は次の通り。 田島町▽65億9200万円 舘岩村▽28億4700万円 伊南村▽22億5200万円 南郷村▽25億円 合わせると141億9100万円になる。これに対し、合併後の南会津町の2022年度の当初予算額は126億3400万円。 以前、合併しなかった自治体の役場関係者はこう話していた。 「例えば、うちの自治体だと年間約30億円の予算が組まれる。それが合併したら、この地区(合併前の旧自治体の域内)に30億円分の予算が投じられることはまず考えられない。そういった点からも、合併すべきではないと考えている」 つまりは、合併後の核になる旧自治体は別として、単独の方がそこに投じられる予算が大きいから、住民にとってもその方がいい、ということだ。「なるほど」と思わされる見解と言えよう。 住民に聞いても、「合併しなくて良かった」との声が多かった。 「合併しなくてよかったと感じる。独自のまちづくりができるわけだから」(金山町民) 「結論から言えば合併しなくてよかった。この辺りは、『平成23(2011)年新潟・福島豪雨』で大きな被害を受けたが、水害対応にしても、只見線復旧にしても、町と意思疎通が図りやすいし、(水害の問題で)裁判などを起こす際にも動きやすい面はあったからね」(金山町民) 「合併しなくて良かったと断言できる。合併すれば役場は遠くに持って行かれ、昭和村にはせいぜい10人ほどの職員がいる支所が置かれる程度だったに違いない。その分、サービスは悪くなるし、住民の声が届きにくくなる。いま村では、カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から30代の夫婦が来ている。新聞でもよく取り上げられ、成功していると言っていい。これは合併していたらできなかった。あとは(会津美里町と昭和村を結ぶ国道401号の)博士トンネルが2023年度に開通することになっており、これができれば人の動きも出てくるだろう」(昭和村民) 「合併すると、どうしても旧町村間の感情論で、『あそこ(中心部)だけいろいろな施設ができて、ほかは何もできない』といった問題が出てくる。そういった意味でも、合併しなくて良かったのではないか。現状、余裕がないながらも、特に不便なく存続できているわけだから。それが一番だと思いますよ」(只見町民) 最大の課題は人口減少 一方で、大きな課題になっているのが人口減少と高齢化率の上昇だ。別表は4町村と奥会津地区で合併した南会津町の人口の推移をまとめたもの。各町村とも「平成の大合併」議論のころから3〜4割の減少になっている。もっとも、南会津町の例を見ても分かるように、合併してもしなくても、その傾向に大差はない。もし、合併して「市」になっていたとしてもこの流れは変えられなかった。 さらに、県が昨年の敬老の日(9月19日)に合わせて、9月18日に発表したデータによると、昨年8月1日時点の県総人口は179万3522人で、このうち65歳以上は57万8120人、高齢化率は32・9%(前年比0・4ポイント上昇)だった。 市町村別の高齢化率は、①飯舘村68・6%、②金山町61・9%、③昭和村55・4%、④三島町55・1%、⑤川内村52・5%と続く。上位5つのうち、奥会津の3町村が入っている。ちなみに、飯舘村と川内村は原発事故の避難指示区域に指定され、避難指示解除後に戻ったのは高齢者が多いという特殊事情がある。 昭和村の社会動態は増加 人口減少・高齢化問題について、4町村長に見解を求めた。 矢澤源成三島町長 人口減少と高齢化対策は、日本全体の課題であり、当町のような地方自治体は最も進行している地域であることから、対策のモデル地域となり得るが、雇用や働き方改革、結婚・子育て支援、住環境、教育支援等、社会全体で取り組む必要があると考える。 押部源二郎金山町長 人口減少と高齢化は町の最重要課題である。少子高齢化に伴う人口減少に特効薬はないが、引き続き移住・定住対策、交流人口の増加に力を入れていきたい。 舟木幸一昭和村長 出生と死亡の差は歴然としており、人口減少に大きな影響を与えているが、総務省による2022年の住民基本台帳人口移動報告では9人の転入超過、過去5年間の合計でも20人の転入超過となっているように、自然減を社会増で補おうとしているところ。1994年度から続く「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住が社会増に寄与しており、新年度からは新たに、本村が所有者から空き家を借り上げてリフォームし、就農希望者等の住居として貸し出す「移住定住促進空き家利活用事業」を立ち上げ、集落活性化に繋げていきたい。※高齢化率は約55%で、近年大きな変動はない。 渡部勇夫只見町長 非常に大きな課題だと認識している。町の魅力向上とともに関係人口の拡大に向けた事業に取り組んでいきたい。 前段で、昭和村民の「カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から移住してくるなど成功している。これは合併していたらできなかった」との声を紹介した。舟木村長のコメントでも、「自然動態では人口は減少しているが、社会動態ではプラスになっている」という。その要因として、「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住を挙げており、同村の事例を見ると、やれることはあるということだ。 このほか、同地域の住民はこんな意見を述べた。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 このシリーズの第1回の桑折町・国見町、第2回の大玉村、第4回の西郷村は、県内でも条件がいい町村だった。そのため、「合併する必要がない」といったスタンスだった。その点でいうと、今回の奥会津の4町村は条件的には厳しく、それら町村とは違う。一方で、人口規模が小さいがゆえの小回りが利くことを生かした思い切った仕掛けをすることも可能になる。そういった創意工夫が求められよう。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま
文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)は昨年12月20日、原発賠償集団訴訟の確定判決を踏まえた新たな原発賠償指針「中間指針第5次追補」を策定・公表した。これを受け、東京電力は1月31日、「中間指針第五次追補決定を踏まえた賠償概要」を発表した。その内容を検証・解説していきたい。(末永) 懸念される「新たな分断」 東京電力本店 原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)は、原発賠償の基本的な枠組みとなる中間指針、同追補などを策定する文部科学省内に設置された第三者組織である。 最初に「中間指針」が策定されたのは2011年8月で、その後、同年12月に「中間指針追補」、2012年3月に「第2次追補」、2013年1月に「第3次追補」、同年12月に「第4次追補」(※第4次追補は2016年1月、2017年1月、2019年1月にそれぞれ改定あり)が策定された。 以降は、原賠審として指針を定めておらず、県内関係者らはこの間、幾度となく「被害の長期化に伴い、中間指針で示した賠償範囲・項目が実態とかけ離れているため、中間指針の改定は必須だ」と指摘・要望してきたが、原賠審はずっと中間指針改定に否定的だった。 ただ、昨年3月までに7件の原発賠償集団訴訟で判決が確定したことや、多数の要望・声明が出されていることを受け、今後の対応が議論されることになった。 昨年4月27日に開かれた原賠審では、同年3月までに判決が確定した7件の原発賠償集団訴訟について、「専門委員を任命して調査・分析を行う」との方針が決められた。その後、同年6月までに弁護士や大学教授など5人で構成される専門委員会が立ち上げられ、確定判決の詳細な調査・分析が行われた。同年11月10日に専門委員会から原賠審に最終報告書が提出され、これを受け、原賠審は同年12月20日に「第5次追補」を策定・公表した。 それによると、追加の賠償項目として「過酷避難状況による精神的損害」、「避難費用、日常生活阻害慰謝料及び生活基盤喪失・変容による精神的損害」、「相当量の線量地域に一定期間滞在したことによる健康不安に基礎を置く精神的損害」、「自主的避難等に係る損害」の4つが定められた。そのほか、事故発生時に要介護者や妊婦だった人などへの精神的損害賠償の増額(※賠償項目は「精神的損害の増額事由」)も盛り込まれている。 具体的な金額などについては、実際に賠償を実施する東京電力が発表したリリースを基に後段で説明するが、これまでに判決が確定した集団訴訟では、精神的損害賠償の増額や「ふるさと喪失に伴う精神的損害賠償」、「コミュニティー崩壊に伴う精神的損害賠償」などが認められており、それに倣い、原賠審は賠償増額・追加項目を定めたのである。 このほか、原賠審では東電に次のような対応を求めている。 ○指針が示す損害額の目安が賠償の上限ではないことはもとより、指針において示されなかったものや対象区域として明示されなかった地域が直ちに賠償の対象とならないというものではなく、個別具体的な事情に応じて相当因果関係のある損害と認められるものは、全て賠償の対象となる。 ○東京電力には、被害者からの賠償請求を真摯に受け止め、上記に留意するとともに、指針で賠償の対象と明記されていない損害についても個別の事例又は類型毎に、指針の趣旨も踏まえ、かつ、当該損害の内容に応じて賠償の対象とする等、合理的かつ柔軟な対応と同時に被害者の心情にも配慮した誠実な対応が求められる。 ○ADRセンターにおける和解の仲介においては、東京電力が、令和3(2021)年8月4日に認定された「第四次総合特別事業計画」において示している「3つの誓い」のうち、特に「和解仲介案の尊重」について、改めて徹底することが求められる。 避難指示区域の区分 同指針の策定・公表を受け、東電は1月31日に「中間指針第五次追補決定を踏まえた避難等に係る精神的損害等に対する追加の賠償基準の概要について」というリリースを発表した。 以下、その詳細を見ていくが、その前に、賠償範囲の基本となる県内各地の避難指示区域等の区分(地図参照)について解説する。 地図上の「A」は福島第一原発から20㌔圏内の帰還困難区域。なお、ここには双葉・大熊両町にあった居住制限区域・避難指示解除準備区域(※現在は解除済み)も含まれている。両町の居住制限区域・避難指示解除準備区域は、原賠審の各種指針でも「双葉・大熊両町は生活上の重要なエリアが帰還困難区域に集中しており、居住制限区域・避難指示解除準備区域だけが解除されても住民が戻って生活できる環境にはならない」といった判断から、帰還困難区域と同等の扱いとされている。 「B」は福島第一原発から20㌔圏外の帰還困難区域。旧計画的避難区域で、浪江町津島地区や飯舘村長泥地区などが対象。 「C」は福島第一原発から20㌔圏内の居住制限区域と避難指示解除準備区域(双葉・大熊両町を除く)。このエリアは2017年春までにすべて避難解除となった。 「D」は福島第一原発から20㌔圏外の居住制限区域と避難指示解除準備区域。旧計画的避難区域で、川俣町山木屋地区や飯舘村(長泥地区を除く)などが対象。 「E」は緊急時避難準備区域。主にC・D以外の20~30㌔圏内が指定され、2011年9月末に解除された。 「F」は屋内退避区域と南相馬市の30㌔圏外。屋内退避区域は2011年4月22日に解除された。南相馬市の30㌔圏外は、政府による避難指示等は出されていないが、同市内の大部分が30㌔圏内だったため、事故当初は生活物資などが入ってこず、生活に支障をきたす状況下にあったことから、市独自(当時の桜井勝延市長)の判断で、30㌔圏外の住民にも避難を促した。そのため、屋内退避区域と同等の扱いとされている。 「G」は自主的避難等対象区域。A~D以外の浜通り、県北地区、県中地区が対象。 「H」は白河市、西白河郡、東白川郡が対象。なお、宮城県丸森町もこれと同等の扱い。 「I」は会津地区。今回の「第5次追補」では追加賠償の対象になっていない。 このほか、伊達市、南相馬市、川内村の一部には特定避難勧奨地点が設定されたが、限られた範囲にとどまるため、地図では示していない。 追加賠償の項目と金額 この区分ごとに、今回の追加賠償の項目・金額を別表に示した。それが個別の事情(避難経路に伴う賠償増額分、事故発生時に要介護者や妊婦だった人などへの精神的損害賠償の増額)を除いた一般的な追加賠償である。 なお、表中の※1、2は、2011年3月11日から同年12月31日までの間に18歳以下、妊婦だった人は60万円に増額となる。※3は、福島第二原発から8〜10㌔圏内の人に限り、15万円が支払われる。具体的には楢葉町の緊急時避難準備区域の住民が対象。※4〜7はすでに一部賠償を受け取っている人はその差額分が支払われる。例えば、自主的避難区域の対象者には2012年2月以降に8万円、同年12月以降に4万円の計12万円が支払われた。これを受け取った人は、差額分の8万円が追加されるという具合。なお、子ども・妊婦にはこれを超える賠償がすでに支払われているため対象外。 県南地域・宮城県丸森町(地図上のH)への賠償は、「与党東日本大震災復興加速化本部からの申し入れや、与党の申し入れを受けた国から当社への指導等を踏まえて追加賠償させていただきます」(東電のリリースより)という。 そのほか、東電は、追加賠償の受付開始時期や今回示した項目以外の賠償については、「3月中を目処にあらためてお知らせします」としている。 いずれにしても、原賠審の指摘にあったように、「指針が示す損害額の目安が賠償の上限ではない」、「指針で示されなかったものや対象区域として明示されなかった地域が賠償対象にならないわけではない」、「被害者からの賠償請求を真摯に受け止め、指針で明記されていない損害についても個別事例、類型毎に、損害内容に応じて賠償対象とするなど、合理的かつ柔軟な対応が求められる」、「『和解仲介案の尊重』について、あらためて徹底すること」等々を忘れてはならない。 ところで、今回の追加賠償はすべて「精神的損害賠償」に付随するものと言える。そう捉えるならば、追加賠償前と追加賠償後の精神的損害賠償の合計額、区分ごとの金額差は別表のようになる。帰還困難区域と居住制限区域・避難指示解除準備区域の差は600万円から480万円に縮まった。ただ、このほかにすでに支払い済みの財物賠償などがあり、それは帰還困難区域の方が手厚くなっている。 原発事故以降続く「分断」 いまも元の住居に戻っていない居住制限区域の住民はこう話す。 「居住制限区域・避難指示解除準備区域はすべて避難解除になったものの、とてもじゃないが戻って以前のような生活ができる環境にはなっていません。まだまだ以前とは程遠い状況で、実際、戻っている人は1割程度かそれ以下しかいません。多くの人が『戻りたい』という気持ちはあっても戻れないでいるのが実情なのです。そういう意味では、(居住制限区域・避難指示解除準備区域であっても)帰還困難区域とさほど差はないにもかかわらず、賠償には大きな格差がありました。少しとはいえ、今回それが解消されたのは良かったと思います」 もっとも、帰還困難区域と居住制限区域・避難指示解除準備区域の差は少し小さくなったが、避難指示区域とそれ以外という点では、格差が拡大した。 そもそも、帰還困難区域の住民からすると、「解除されたところ(居住制限区域・避難指示解除準備区域)と自分たちでは全然違う」といった思いもあろう。 原発事故以降、福島県はそうしたさまざまな「分断」に悩まされてきた。やむを得ない面があるとはいえ、今回の追加賠償で「新たな分断」が生じる恐れもある。 一方で、県外の人の中には、福島県全域で避難指示区域並みの賠償がなされていると勘違いしている人もいるようだが、実態はそうではないことを付け加えておきたい。 中間指針第五次追補等を踏まえた追加賠償の案内 https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/compensation/daigojitsuiho/index-j.html あわせて読みたい 原賠審「中間指針」改定で5項目の賠償追加!?
「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体のいまに迫るシリーズ。第3弾となる今回は、「合併しない宣言」で知られる矢祭町、合併を模索したものの、住民投票の結果、合併が立ち消えになった棚倉町、塙町、鮫川村の東白川郡4町村を検証していく。(末永) 国の方針に背いた矢祭町は「影響が軽微」 東白川郡は棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村の4町村で構成される。国の方針で「平成の大合併」議論が巻き起こった際、矢祭町議会は「合併しない宣言」を可決した。それが2001年10月のことで、早々に「単独の道」を選択したのである。同町は県最南端の県境に位置するため、合併すれば〝どん詰まり感〟が増す。町民の多くも「合併を望まない」との意向だった。 一方、ほかの3町村は「合併は避けられない」と考え、町村長、議会が勉強会を実施し、2002年2月に任意合併協議会、同年7月には県内初となる法定合併協議会を設置した。当時、3町村の人口は、棚倉町が約1万6000人、塙町が約1万1000人、鮫川村が約4500人で、新市への移行要件である「人口3万人」を少し超える規模だった。合併期日は2004年3月1日に設定し、実現すれば「平成の大合併」県内第1号、新市誕生となるはずだった。 ただ、2003年7月に実施した合併の賛否を問う住民投票で情勢が一変した。住民投票の結果、棚倉町は65%が賛成だったが、塙町は55%、鮫川村は71%が反対だったのだ。 事前の見立てでは、「棚倉町は賛成が上回るのは間違いない。塙町は拮抗するが、若干、賛成が上回るのではないか。鮫川村は反対が上回る可能性が高いが、それほど大きな差にはならないだろう」というもの。ところが、蓋を開けてみると、棚倉町は予想通りとなったが、塙町は予想に反して反対が上回り、鮫川村の反対比率も予想以上だった。 棚倉町は県南農林事務所の一部機能、土木事務所などの県の出先が置かれ、東白川郡の中心に当たる。そのため、合併後の新事務所(市役所)が置かれる公算が高かった。新市の中心になれる棚倉町と、そうでない2町村では合併に対する住民の捉え方が違っていたということだ。 住民投票の結果を受け、3町村長は「住民は合併を望んでいない」と判断し、法定合併協議会の解散を決めた。 その直後には鮫川村の芳賀文雄村長が辞職した。芳賀村長は2003年4月に5回目の当選を果たしたばかりで、「合併を成し遂げることが自身の最後の仕事」と捉えていたようだ。しかし、合併が立ち消えになったため、5選されてからわずか3カ月程度で自ら身を引いた格好。 こうして、東白川郡4町村はそれぞれ単独の道を歩むことになったのである。ちなみに、合併協議に当たり、住民投票を行ったのは県内ではこの3町村だけだった。 単独の道を歩むうえで、最も重要になるのが財政面だ。別表は4町村の各財政指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。 県市町村財政課の2020年度のまとめによると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも大差はない。 実質公債費比率の全国の市区町村平均は5・7%、県内平均は6・1%で、矢祭町はここ数年は多少上昇傾向にあるものの、全国・県内平均を大きく下回っている。 将来負担比率は、県内31市町村が発生しておらず、棚倉町、矢祭町、鮫川村がそれに該当する。棚倉町は2020年度から「算出なし」だが、矢祭町と鮫川村は早い段階から発生していない。 こうして見ると、矢祭町の指標がいいことが分かる。「合併しない宣言」以降、相応の努力をしてきたのだろう。 4町村長に聞く 4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 湯座一平棚倉町長 平成15(2003)年以降の棚倉町の財政は、地方交付税の削減幅が予測より小さかったことや地方への税源移譲により、歳入が堅調に推移してきたため、住民サービスの低下を招くことなく安定した運営ができています。財政力指数についても、県内平均より高い水準で推移してきていますので、合併しなかったことで財政的に行き詰まるといった心配は、杞憂に終わりました。 職員数については、合併を想定して策定した定員適正化計画に基づいた定員管理を行うことで、平成14(2002)年の168人から令和4(2022)年には126人と、この20年間で42人の減員を進めてきました。これは、指定管理者制度の導入やIT技術の導入による事務の効率化、さらには組織機構の改編をこまめに行い事務の効率化・簡素化に取り組んできた結果です。 ラスパイレス指数については、平成18(2006)年の給与制度改正時に年齢別職員の偏在により一時高い数値を示しましたが、現在は落ち着いた数値で推移しています。 「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと今後の対応につきましては、歳入に見合った予算編成を是とし、住民サービスの質を落とすことなく、将来の財政需要に備えて基金の積み増しや、計画的な施設の維持補修を行い、将来的に人口減少と少子高齢化の課題解決ができるよう取り組みを展開していきます。 佐川正一郎矢祭町長 財政指標に対する見解については、本町は30~40%の財政力指数が示すとおり、自主財源に乏しい小規模自治体ではありますが、2012年度以降の実質公債費比率が5%未満であるなど、財政の基本である「入るを量りて出ずるを為す」の精神が受け継がれ、健全財政を堅持できていることは、「合併しない宣言」以降の徹底的な行財政改革の成果であると思っています。職員数とラス指数については、ここ数年増加傾向にありますが、多様化する町民ニーズへの対応や高度化する行政課題解決のための必要最小限の増員であり、職員の負担が減少していない現状を考えると更なる対応が必要であると思っています。 これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みについては、「子育てサポート日本一!」をスローガンに掲げ、議員定数の削減や議員報酬日当制の導入、事務事業の見直しや業務の効率化に伴う職員の大幅な削減等で捻出した財源を少子化対策に充てるなど、次代を担う子どもたちのための施策を充実させてきました。 今後も行政サービスの低下を招かず、コスト削減をするにはどうすればよいか、受益者負担の適正化についても、町民と共に考えながら、DXを推進するためのデジタル人材の育成やデジタルサービスの提供による利便性の向上と業務の効率化に注力し、更なる行財政改革を進めていきます。 宮田秀利塙町長 財政状況資料の各種数値は、人間に例えれば、健康度合の指数と捉え、栄養不足・偏り、肥満、運動不足にならないように、常に、注視を怠らないように心がけています。 また、当町では福島財務事務所へ平成29(2017)年度と令和2(2020)年度の二度、町の財政状況の診断をお願いしており、その結果、当面問題となるような数値はないとの診断をいただいております。この後も時々に診断をお願いし、財政基盤強化の指針としていく考えです。 更に財政基盤強化のためには、自主財源である町税確保のために、町内での起業支援を広範に推進して参りたいと考えています。 行政運営の効率化については、地域の環境整備とコミュニティ維持を目的として実施中の「地域振興事業交付金事業」に代表されるように、住民が自ら出来ることは自分達で担い、行政はその一助として財政的に支援するという「住民協働と行政参画」の推進を行い、様々な行政サービスの受益と負担の関係を、より一層明確化するとともに、地域の住民が、行政サービスの費用負担とそこから得られる受益を比較・考慮して、出来るだけ、自らの判断と責任で地域の行政サービスの水準を決定できるような仕組みに改めていく必要があると考えています。 また、職員には、事業費の財源の内容提示の徹底を図ることで、財源確保の意識を高め、積極的な交付金、補助金の活用を推進して参りながら、前例に、こだわることなく、あらゆる可能性の中での財政基盤強化、効率化への取り組みを進めて参りたいと考えています。 関根政雄鮫川村長 財政力指数は0・17と全県的にも下位にあり、自主財源確保も厳しい状況にあります。 本村は平成18(2006)年の行財政改革のひとつとして特別職や議会議員の報酬を20~25%削減するなど財政再建を図りながら現在に至ります。「入るを量りて出ずるを為す」。ふるさと納税等の自主財源確保と目的を果たした公有財産の処分等、「身丈にあった財政計画」を推進しています。 また、運営の効率化においては、既に給食センター運営は隣町と連携しています。少子高齢化に相応する職員の採用計画と配置も不可欠です。さらに業務の効率化優先で「住民サービス」が低下しないよう最大考慮すべきであると考えます。 × × × × 「単独」の強みとは このほか、「単独」だからできたこと、その強み等々についても見解を聞いたので紹介したい。 湯座一平棚倉町長 棚倉町の場合は、合併に賛成したけれども単独の道になったという事情がありますが、合併協議を経験したことで、以前のようにフル装備の町を目指すのではなく、住民生活に必要なものを見極めて、必要なものだけを整備していくという考え方で、代替えできる施設については、廃止するなどの対応をしてきています。例を挙げると町民プールはルネサンス棚倉のプールや各小中学校のプールを活用することで廃止とし、中央公民館についても文化センターに公民館機能を持たせることで廃止しています。また、図書館については、代替えがきかない必要な施設として新たに整備しています。 さらに、合併しなかったことにより、城下町の特性に着目し「東北の小京都」として観光PRを展開するなど、町にある資源に着目したまちづくりを進めています。 まちづくりの基本理念は「住民が主役のまち」「安心で優しいまち」「誇りと愛着のもてるまち」であり、「人を・心を・時をつなぐ たなぐらまち」を目指す将来像としてきめ細やかな行政運営に徹しています。 佐川正一郎矢祭町長 「単独」だからできたこと、「小さな自治体」だからできたことは、そう多くはなかったと思いますが、自信も持って言えることは、住民自治の重要性に気づき、逸早く行政の守備範囲を見直し、町民や各種団体等がそれぞれのできる範囲で行政に参加し、町と協働して地域を運営するという、町民が自分たちの手で地域を育てていく仕組みづくりを構築できたことであると思います。 また、その強み等々については、小さな自治体は、地域住民が自らの地域に目を向け、地域を調べ、知り、考えることから始まります。高齢者等の見守りや援助の体制、まちづくりに関わる住民との連携など、住民の顔が見える小さな自治体であればこそ、きめ細かい対応が可能になると思っています。また、災害が起こった場合どこが危険かなど、地域の環境について知悉(ちしつ)している職員がいることで、迅速な対応ができることも、強みであると思っています。 宮田秀利塙町長 町内のインフラ整備等の要望に対しまして、きめ細やかな対応が出来たことかと思っています。地域代表者と直接の話し合いの場を持つことで、地域の現状をしっかりと把握し、現状に即し、地域の皆様が喜ぶ工事・修復を実施することが出来ました。ひいてはそれが無駄な出費の削減にもつながりました。 具体的には、町の財政節減の考えを説明することで、その現場の対応を、町が行うべきか、あるいは地域での対応が妥当なのか、を話し合いの中から導き出した結果、最良な対応の選択が可能となり、迅速で無駄の少ない行政サービスの提供につながってきました。当然のことながら、地域で対応する場合は、資材等の支給を町が行うと共に、資材以外の部分でも財政支援を行うことで住民の負担軽減にも努めました。 「単独」であったことの、最大の強みは、住民の様々な思いを、直接聞きやすい環境であるため、住民の声に対し、きめ細やかに、しかも素早い対応が出来ることかと思っています。 関根政雄鮫川村長 他町村から比較すると、全ての生活環境において条件が整っていないと思いきや、過疎地域の環境には大きな個性的魅力があります。さらに人口減少は避けられないが、全村民に「村づくりの理念」や「希望や喜び」を隅々まで丁寧に伝えることができる利点もあります。 村の最大の魅力は「小さな村であること」であり、「村民主体の村づくり」を推進し「幸福度」を高めるためには理想の自治体規模であると考えています。 × × × × 1つ例を挙げたい。原発事故の影響で、県内では牧草から基準値超の放射性物質が検出される事例が相次いだ。これを受け、畜産農家が多い鮫川村では、海外から干し草を購入し、村内約140戸の畜産農家に配布した。それにかかった費用は、後に村が東京電力に賠償請求する仕組みをつくった。言わば、村が畜産農家の牧草調達と東電への賠償請求を代行した格好。当初、東電は自治体の賠償には消極的で対応が遅かったが、この仕組みは「鮫川ルール」として、比較的迅速に賠償支払いが行われた。畜産農家からしたら、面倒な手続きを村が代行してくれ、ありがたかったに違いない。これは、単独だからできたことと言えよう。 顕著な人口減少 一方で、大きな課題になっているのが人口減少だ。別表は東白川郡4町村の人口の推移。各町村とも人口減少が顕著になっている。もっともこれは、合併していたとしても同じ結果になっていたはず。全国的な課題で、なかなか打開策はないが、合併しなかったことで、小回りが利くことを生かして、それぞれやれることをやるしかない。 このほか、郡内住民の声を聞くと「結果的に合併しなくてよかったのではないか」といった意見が多い。 「何がどう、と聞かれると難しいけど、結果的に合併しなくても不自由なことはなかったから、(合併がなくなったのは)よかったのではないか」(棚倉町民) 「当時の国の方針は、合併しなければ交付税を減らすというものだった。でも、住民投票の結果、合併話がなくなり、これから大変だぞ、と思ったけど、実際はそれほどではなかった。まあ、(行政の)内部は大変だったのかもしれないけど。いずれにしても、東白川郡の現状を見ると、合併しなくてよかったのだと思う」(棚倉町民) 「(隣接する)茨城県で合併したところの住民に聞いたけど、『合併してここが良くなった』という具体的な話は聞かない。矢祭町は最初から合併しない方針だったけど、正解だったと思う」(矢祭町民) 東白川郡に限らず、住民の心情としては、「できるなら、いまのままで存続してほしい」といった意見が多い。ただ、当時、行政の内部にいた人に話を聞くと、「地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との不安があったという。そのため、「国の方針に従った方がいい」として合併を模索し、実際に成立させたわけ。 国に逆らった影響 その点で言うと、矢祭町は「合併しない宣言」を議会が可決し、言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。その影響や、締め付け等を感じることはあったのか。この点について、佐川町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らすとの方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)も関係していると思います。財政的にも、根本良一元町長の時代に行財政改革が行われ、必要な部分の投資もある程度は完了していました。私の時代の大きな事業といえば、こども園建設と小学校統合くらいですかね。ですから、財政的にすごく苦労したということはありませんでした。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大きかったですよ」 最後に。いま同郡内で不安材料になっているのが衆議院小選挙区の区割り改定だ。これまでは須賀川市、白河市、田村市などと同じ3区だったが、改定後は会津地方、白河市、西白河郡と一緒の新3区になる。 東白川郡は車両ナンバーが「いわき」で、どちらかというと浜よりの文化・生活圏。県内でも会津とは縁遠い。そのため、「東白川郡はもともと票(人口)が多くないし、会津地方と一緒になったら、代議士の先生の目が向きにくくなるのではないか、といった不安がある」というのだ。 合併の話からは逸れてしまったが、今後の同郡内の行政を考えるうえでは、そこが不安材料になっているようだ。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま
郡山市が通勤圏内、プラント立地で人口増 国の意向で2000年代を中心に進められた「平成の大合併」。県内では90市町村から59市町村に再編された。そこに参加しなかった県内自治体のいまに迫るこのシリーズ。今回は、安達郡で唯一「単独の道」を選択した大玉村を検証していく。(末永) 「平成の大合併」前、安達郡は大玉村のほか、安達町、岩代町、東和町、本宮町、白沢村の4町2村で構成されていた。これに二本松市を加えた1市4町2村が「安達地方」に位置付けられ、それら市町村で消防行政やごみ・し尿処理施設、斎場(火葬場)運営などを担う「安達地方広域行政組合」が組織されていた。 「平成の大合併」では、2005年12月1日付で二本松市と安達町、岩代町、東和町が合併して新・二本松市に、2007年1月1日付で本宮町と白沢村が合併して本宮市になったが、大玉村はいずれにも加わらなかった。これにより、安達地方広域行政組合の構成員は2市1村となり、安達郡は大玉村のみとなった。ちなみに、県内で1郡1村(1郡1町を含む)は安達郡(大玉村)だけである。 当時の大玉村役場関係者はこう述懐する。 「いまも存在していますが、以前から本宮町、大玉村、白沢村の首長、助役(※当時=現在は副市町村長に名称変更)、議員などで構成する『南逹地方振興協議会』というものがあり、広域的に地域振興や課題への対応などを協議していました。ですから、『平成の大合併』の議論が巻き起こった際、それが1つの枠組みになるのではないかと捉えられていました。東北部(二本松市)との合併は、当初からそれほど話題にはなっていなかったように思います」 前述したように、「安達地方」は1市4町2村で構成されていたが、二本松市、安達町、岩代町、東和町の「東北逹」と、本宮町、大玉村、白沢村の「南逹」が合併の枠組みとして捉えられていたというのだ。 当時の本誌取材の感覚では、「東北逹」は二本松市と安達町は地理的な条件面などで優れているが、岩代町と東和町は国道4号やJR東北本線のラインから外れ、地理的条件などが厳しかった。そのため、「東北逹」の合併は二本松市と安達町が岩代町と東和町を救済するといった側面があったように思われる。 一方、「南逹」は当時の大玉村役場関係者のコメントにもあったように、「南逹地方振興協議会」というものがあり、もともと広域連携や交流、結び付きがあった。そのため、「合併するなら、この3町村で」と捉えられていたようだ。 ただ、当時、本宮町は工業団地の造成に伴う財政負担が大きく、大玉村からすると合併相手としては決していい条件とは言えなかった。 一方で、白沢村は岩代・東和両町と同様、国道4号やJR東北本線が通っている自治体に比べると、地理的条件などが厳しかった。 そのため、大玉村は消極的で、本宮町と白沢村で合併協議が進められることになった。なお、当時の国の方針では、新市(市政施行)への移行条件は「人口3万人以上」だった。合併時、本宮町の人口は約2万2000人、白沢村は約9000人で、それを満たしていたこともあり、両町村が合併して本宮市が誕生した。 こうして、安達地方は2市1村に再編され、大玉村は「単独の道」を選択した。なお、合併議論が巻き起こった際、大玉村長だったのは浅和定次氏で1993年から2013年まで5期20年務めた。2013年からは押山利一氏が村長に就き、現在3期目。押山氏は元役場職員で、浅和村長の下で、総務課長や教育長などを歴任した。「単独の道」を決めた浅和氏、それを近くで見てきた押山氏が合併議論の渦中と、その後の村政を担ってきたのである。 押山利一村長 一部に「心配」の声 とはいえ、前出・当時の大玉村役場関係者によると、「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」という。その理由は、やはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配事があったからだ。 前号の「桑折町・国見町編」でも紹介したが、合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう語っていた。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 この首長経験者にとって、そうした国の方針は「脅し」のような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併を選択したというのである。 大玉村でも、同様の心配をする声があったということだ。行政の内部にいたら、そういった思いになるのは当然のことと言えるが、「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」(前出・当時の大玉村役場関係者)という。 それは、合併しなかった市町村への国からの〝締め付け〟が思ったほどではなかったから、と言えよう。 もっとも、前号で検証した桑折町・国見町もそうだったが、合併しなかった市町村は、それなりの「努力の形跡」が見て取れる。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための各種指標が公表されるようになった。 別表は同法に基づき公表されている大玉村の各指標の推移。比較対象として、同地区で合併した本宮市の各指標を併記した。 大玉村の職員数とラスパイレス指数の推移 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。 全体的に指標は良化していることが見て取れる。実質公債費比率は近年は若干増加傾向にあり、本宮市に「逆転」された形になっているが、将来負担比率は2020年度は「算出なし(ゼロ、あるいはマイナス)」となっている。 もっとも、前号でも紹介したが、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。 「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 次に職員数とラスパイレス指数について。近年、臨時を含めた職員数は増えている。その要因については、後段で押山村長に見解を聞いている。 特筆すべきは人口の推移。別表に安達地方3市村の人口の推移をまとめたが、二本松市が合併直後と比べると約1万人減、本宮市が微減となっている中、大玉村だけは増加し続けている。これは県内市町村では極めて稀有なこと。特に、福島県の場合は、東日本大震災・原発事故を受け、人口減少が加速した。そんな中で、一時的に増加に転じるところはあっても、安定的かつ長年にわたって増加し続けているのは、県内では大玉村と西郷村だけである。 こうした各種指標や人口の推移などについてどう捉えているのか、押山村長に聞いた。 ――「平成の大合併」の議論が進められていた際、近隣では旧二本松市と安達郡3町、本宮町と白沢村の合併がありました。大玉村にもその誘いがあったと思いますが、当時の村長はじめ、関係者の「単独の道」という選択をしたことについて、いまあらためてどう感じていますか。 「当時、私は村役場総務課長として市町村合併を担当しておりました。安達管内は二本松藩の域内であり歴史的に結びつきが強く『安達はひとつ』の考えの下に『安達地方広域行政組合』をはじめとして、強い結びつきがありました。 当初は、域内7市町村または3町村の合併論議はありましたが、当村では伝統的に『自主独立』の気運が強く、村内での住民との意見交換会でも『合併すべき』の意見はごく一部で大多数が反対意見でした。 議会をはじめ、各種機会に意見をうかがいましたが、議会及び村民の合併に対する意見は、大多数が合併は望まないとのものでした。そこで、大玉村としては『村民の望まない合併はしない』と早い段階で決定した次第です。 その選択が村民にとって良かったかどうかは、その時点で選択の余地がなかったとはいえ、単独の道を選んだ以上は村民の皆さんがそのようなことを意識しないで生活できる村政の執行が肝要だと思っています」 ――当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められます。(別表で示した)財政指標、職員数とラス指数についてどう捉えていますか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応についてはどう考えていますか。 「『財政指標』については、もともと4割弱の財政力指数が示す通り典型的な小規模自治体ですが、『住民サービスを落とさずに健全財政を維持する』をテーマとして、前村長時代からの村政執行のベースとなっています。 『入るを量りて出ずるを為す』は当然のこととして、行政の先行投資の部分も当初から行われていたと思います。例えば、保育料や幼稚園の一部減免、定住化政策への助成などのソフト面から、ハード面は徹底して身の丈に合った施設でランニングコストを極力抑えるものとする等の徹底も財政力指標に表れていると考えています。 『職員数とラスパイレス指数』については、近年の保育所の入所増、幼稚園の3年保育実施、増え続ける行政需要に対応するための増加であるが、それでも職員の負担は旧に倍して増大しています(※職員定数は116人)。 『財政基盤強化』、『行政運営の効率化』への取り組みと今後の対応については、住民サービスの水準を落とさずに財政調整基金等の積み増しを図りつつ、将来を見据えて新規事業に取り組んでいます。 今後も子育て支援や定住化政策、健康長寿の村づくり、公共交通網の整備等の『村民の満足度を高める政策』の継続と、将来のための企業の誘致基盤の確立に努めていきます」 人口増加の要因 ――大玉村は県内では数少ない人口が増えている自治体です。その要因とこれまでの対策、これからの取り組みについて。 「『人口の推移』については、国勢調査で45年連続増加しているが、国県等の人口減少の中で、大玉村だけが増加を維持することは困難と考えています。 また、コロナウイルス感染症による出生数の激減が危惧されており、今から将来に向けての新たな対策が不可欠と考えています。 現在までの人口増の要因は複合的であり、子育て支援や定住化政策、福島・郡山・二本松・本宮が通勤通学圏内、国道4号沿いである交通の利便性、安達太良山から広がる景観、そして地価が廉価等の理由が挙げられます。 今後もこれらの利点をさらに高めて人口維持に努めますが、減少すればしたなりの行政運営があるだろうと考えています」 ――「単独」だからできたこと、その強み等々について、感じていることがあれば。 「『単独』だからできたこと、『その強み等々』については、合併せずに単独の道を選んで現在に至っているので、その過程で『小さいからこそ可能な村のメリット』があるとの思いで、きめ細かな行政運営に徹してきました。 前村長の言で『住民に目の届く、住民から手の届く村政』や私の村政の基本的な考え方『村民に日本一近い村政』の実現を目指しています。 ただ、逆に財政的に住民にサービスを届けられない『小さいゆえのデメリット』も多々あります。 幸いにも管内(二本松市、本宮市、大玉村)の結びつきが強く、各合併後も各種分野で連携が維持されており、特に消防、衛生関係など『安達地方広域行政組合』、『安達地方市町村会』等が有効に機能しています」 やはり、役場内、議員、村民のいずれも、当初から「合併」には消極的だったようだ。実際、村民からすると「(全国的に合併議論が巻き起こった際も)最初からそういう機運はなかった」という。 そのほか、押山村長は職員数の増加については「近年の保育所の入所増、幼稚園の3年保育実施、増え続ける行政需要に対応するための増加」と明かし、人口増加については「複合的な要因」と分析した。 恵まれた条件 前出・当時の村役場関係者はこう話す。 「1つ例を挙げると、大玉村にはほかの多くの市町村にあるような、企業・工場を誘致するために行政が造成したいわゆる工業団地がありません。それは、農業で生計を立てている人が多いこともありますが、働き口として本宮市や郡山市に依存できる、といった部分が大きい。そのほかでも、行政サービスは別として、普段の生活の面では本宮市や郡山市に頼れるところが多い。そのため、そういった部分で行政が財政投資をしなくてもいい、といった側面があります。そのことが財政指標の良化につながっている面は多分にあると思います」 二本松市、本宮市、郡山市などが通勤・通学圏内で、働き口や医療・介護など、さまざまな面でそれらに依存できる地理的条件にある。そのため、そういった部分に財政投資する必要がないことから、財政指標の良化につながっている面があるというのだ。 加えて、それらの市に比べると、地価が安いため、若い世代が移り住み人口増加につながっている。押山村長が語っていたように、子育て支援や定住化政策など、村の努力によるとこもあるだろうが、やはり条件面で優れていることが大きい。だからこそ、早い段階で「合併しない」ことを決断できたのだろう。 ある村民は「唯一、不便なところを挙げると、大玉村にはJR東北本線の駅がないこと」という。ただ、役場周辺から本宮駅までは3㌔ほどで、村内各所から本宮駅までコミュニティーバス、デマンドタクシーなどを運行している。 その代わり、というわけではないが、現在、村では東北道のスマートインターチェンジ(IC)誘致を進めている。役場周辺から本宮ICまでは5㌔ほど、二本松ICまでは8㌔ほどで、スマートIC設置により、村ではさらなる交通の利便性向上と周辺開発を期待している。それに当たり、村内では「スマートICより、JR東北本線の駅をつくってほしい」といった意見もあったという。前述したように、「大玉村にはJR東北本線の駅がないのが唯一の弱点」といった意見もあったが、駅間の距離、利用見込みなどから、現実的ではないようだ。 そのほか、別の村民によると「プラントの存在も大きいと思う」という。プラント(PLANT)は総合ディスカウントストアで、「プラント―5 大玉店」は2006年2月にオープンした。ちょうど、「平成の大合併」議論が巻き起こっていたころで、当然、その前から「プラントが出店する」ということは分かっていた。地元雇用が見込めるし、若い世代が移り住むにも大きな要素となる。具体的な数字は不明だが、固定資産税なども相応と聞くから、その点も「単独の道」を後押ししたに違いない。 こうして聞くと、村の努力も当然あったと思われるが、それ以上に、県内最大の経済都市である郡山市が通勤圏内であること、大型商業施設が立地していること、近隣の市に比べて地下が安いこと――等々の条件が揃っていたのが大きい。 一方で、前号の「桑折町・国見町編」でも同様の指摘をしたが、「大玉モデル」や「大玉ブランドの新名物」と言われ、全国から注目を集めるような特別な仕掛けがあったかと言うと、思い当たらない。現状に満足せず、新たな仕掛けを生み出していくことも求められよう。
猪苗代町と北塩原村で路線バスを運行する磐梯東都バス(本社・東京都)が9月末でバス事業から撤退することになった。住民の足が失われることに加え、観光への影響も懸念されることから、関係町村は代替策を検討している。同社撤退の影響と背景を探った。(末永) 会津バスが路線継承!? 磐梯東都バスの運行路線と主な停留所 磐梯東都バスは、東都観光バス(本社・東京都、宮本克彦代表取締役会長、宮本剛宏代表取締役社長)の関連会社。東都観光バスは、1959年設立、資本金3750万円。東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県に営業所を構え、一般貸切旅客自動車運送業、旅行業、ホテル業、ゴルフ場の運営などを手掛けている。福島県内では、1989年から磐梯桧原湖畔ホテル(北塩原村)を、1998年から東都郡山カントリー倶楽部(須賀川市)を運営している。 磐梯東都バスは2002年設立、資本金1800万円。本社は東都観光バスと一緒だが、猪苗代町に猪苗代磐梯営業所がある。2003年からJR猪苗代駅を起点に、猪苗代町内の中ノ沢温泉方面、野口英世記念館・長浜方面、JR川桁駅方面の3路線に加え、北塩原村の裏磐梯方面と、計4路線(11系統)を運行してきた。 「東京都が1999年から独自の排ガス規制(ディーゼル車対策、ヒートアイランド対策、地球温暖化対策など)を検討し始め、2003年から規制がスタートしました。その過程で、東都観光バスは東京都内で使えなくなる車両の活用方法について、恒三先生(渡部恒三衆院議員=当時)に相談し、恒三先生から高橋伝北塩原村長(当時)に話が行き、『だったら、東京で使えないバスを持ってきてここで路線バスを運行すればいい。その中でできることは協力する』という話になったと聞いています」(北塩原村の事情通) 以降、磐梯東都バスは約20年間にわたって、猪苗代町、北塩原村で路線バスを運行してきたわけだが、9月末で全4路線を廃止し、バス事業から撤退することになった。 磐梯東都バス猪苗代磐梯営業所に撤退に至った経緯などを尋ねると、本社経由で回答があった。 ――6月10日付の地元紙に「磐梯東都バス撤退へ」といった記事が掲載されましたが、撤退決定に至った理由。また、いつ頃から撤退を考えるようになったのでしょうか。 「近年の少子化に伴う利用客の減少と、3年間に及んだ新型コロナウイルスによる観光利用客の激減により、事業継続は困難と判断しました。撤退を考えるようになったのは、新型コロナウイルスが大きく影響した時期と重なります」 ――差し支えなければで結構ですが、売上高のピークと直近の減少幅、さらには採算ラインはどのくらいか、を教えていただけますか。 「令和2(2020)年3月期(コロナ前)に対し、令和5(2023)年3月期(直近)の売り上げは、33%下落の67%となっております」 ――関係自治体とは撤退決定前の段階で、協議してきたと思われますが、いつの段階で、どのような話をしてきたのでしょうか。また、その中で存続の道筋は見い出せなかったのでしょうか。例えば、関係自治体からこういった提案、支援があれば存続できた、といった部分はあったのでしょうか。 「関係自治体とは当社の実績も伝え対策を協議してまいりました。やはりコロナ禍の影響が大きく、従来からの自治体からの補助制度では、事業の継続が困難であると考えます。当社としましては、事業撤退に際し、地域住民にご迷惑をお掛けしないように努め、引き続き後任事業者と自治体との間で調整してまいります」 大きかったコロナの影響 磐梯東都バス猪苗代磐梯営業所 猪苗代町によると、全4路線のうち、同町内の中ノ沢温泉方面、野口英世記念館・長浜方面、JR川桁駅方面の3路線は、「委託路線」の扱いだという。つまり、町が磐梯東都バスに委託費を支払い、同路線を運行してもらっていた。今年度の委託費は4280万円。 当然、町としては「住民の足」として必要なものと捉えており、例えば町独自でコミュニティバスを運行するよりは、委託費を支払ってバス会社に運行してもらった方が効率的といった考えからそうしている。今年度の契約期間は昨年10月1日から今年9月30日まで。つまり、磐梯東都バスは今年度の委託期間を終えるのと同時に、撤退するということだ。 一方、猪苗代駅から北塩原村裏磐梯地区を結ぶ路線は、「自主路線」の扱いで委託費は支払われていない。諸橋近代美術館前、五色沼入口、小野川湖入口、磐梯山噴火記念館前、長峯舟付、裏磐梯高原駅、裏磐梯レイクリゾート、裏磐梯高原ホテルなどの観光地を中心に停留所があり、観光客の重要な足となっていた。 裏磐梯地区の観光業関係者は次のように話す。 「ほかの路線は、乗客がいてもポツポツで、誰も乗客がいないというのも珍しくなかったが、猪苗代駅から裏磐梯方面への路線は、結構、観光客が利用していました。ですから、ほかと比べたらそれほど悪くなかったと思いますが、コロナ禍以降は観光客が減りましたからね。われわれとしては、観光地としての〝格〟とでも言うんですかね、それが損なわれるというか。今後、代わりの方策が取られるとは思いますが、『路線バス撤退』ということが表に出ただけで、観光地として貧弱な印象を与えてしまう。それだけでマイナスですよね」 磐梯東都バスの回答では「少子化に伴う利用客減少と、新型コロナウイルスによる観光利用客の激減で、事業継続は困難と判断した」とのことだったが、要は「委託路線」は少子化に伴う利用客減少で委託費だけではやっていけない、「自主路線」もコロナによる観光客激減で厳しくなった、ということだろう。 本誌は猪苗代駅周辺で各路線の乗客状況を見たが、やはり乗客はほとんどいなかった。 民間信用調査会社調べの磐梯東都バスの業績は別表の通り。2021年3月期(2020年4月から2021年3月)は、最もコロナの影響を受けた時期で、それが如実に数字に表れている。 磐梯東都バスの業績 決算期売上高当期純利益2017年4億9000万円1074万円2018年4億3300万円1460万円2019年4億2500万円1833万円2020年4億1700万円1218万円2021年8200万円△6405万円2022年2億0300万円1323万円※決算期は3月。△はマイナス 一方、本誌の「存続の道筋は見い出せなかったのか。例えば、関係自治体からこういった提案、支援があれば存続できた、という部分はあったのか」との質問には、磐梯東都バスは「従来からの自治体からの補助制度では、事業の継続が困難と考える。事業撤退で地域住民に迷惑を掛けないよう、後任事業者と自治体との間で調整していく」との回答だった。 猪苗代町の前後公前町長(今年6月25日の任期満了で退任)はこう話した。 「磐梯東都バスからは昨年の時点で、撤退の意思を伝えられていました。業績などの内情を示され、やむを得ないだろう、と。とはいえ、それで路線バスが完全になくなっては町(町民)としても困るので、以降は関係事業者を交えて代替策を検討してきました」 その後、前後氏は6月25日の任期満了で退任し、この問題は新町長に引き継がれることになった。 前後前町長が言う「代替策」について、町に確認すると「いま交渉中ですので、まだ詳細をお話できる段階にありません」とのこと。 今号で二瓶盛一新町長のインタビュー取材を行ったが、その際、二瓶町長は次のように語っていた。 「JR猪苗代駅を起点として町内や裏磐梯方面を走る磐梯東都バスが9月末で町内から撤退することになり、10月以降の路線バスの運用について現在協議を進めているところで、空白を生まないためにもスピード感と責任感を持ったうえで判断し、利用者の方々にご不便をおかけしないよう対処していきたい」 どうやら、関係者間の協議では、会津バス(会津乗合自動車)が4路線を引き継ぐことで、ある程度まとまっている模様。ただ、交渉ごとのため、「まだ詳しいことは話せない」、「もう少し待ってほしい」というのが現状のようだ。 喜多方―裏磐梯線の廃止騒動 磐梯東都バス(猪苗代駅周辺) 以前、磐梯東都バスは前述した4路線のほか、JR喜多方駅と裏磐梯地区を結ぶ路線も運行していた。しかし、同社は2019年2月に「同路線を同年11月末で廃止にする」旨を北塩原村に伝えた。 同路線は、主に中高生の通学や高齢者の通院などで利用されていたことから、同村内では「廃止されたら困る」、「12月以降はどうなるのか」といった声が噴出した。そこで、村は代替交通手段の確保に向けた検討を行った。 同社から「喜多方―裏磐梯間のバス廃止」の意思表示があった直後の同村2019年3月議会では、関連の質問が出た。当時の議会でのやりとりで明らかになったのは以下のようなこと。 ○村は喜多方―裏磐梯間のバス運行に対して、年間1600万円の負担金(補助金)を支出している。 ○磐梯東都バスが運行している路線は黒字のところはなく、経営的な問題から喜多方―裏磐梯間廃止の打診があった。そのほか、バス更新、運転手確保などの問題もある。村長が本社に行って協議してきたが、廃止撤回は難しいとのことだった。 ○「廃止」の意思表示を受け、村では運行を引き継ぐ事業者を探すか、村でバスを購入し、運行してもらえる事業者を探す等々の代替策を検討している。 こうして、すったもんだした中、最終的には、村が新たに車両を購入し、磐梯東都バスが運行を担う「公有民営方式」で存続させることが決まった。村は2年がかりで3台のバスを購入、それを磐梯東都バスが運行する仕組み。以降、喜多方―裏磐梯間の路線バスは、その方式で運行されていた。 ところが、昨年4月、磐梯東都バスは「公有民営方式」でも採算が取れないとして、同路線運行から完全に撤退した。 これを受け、村は、再度代替交通手段の確保に向けた検討を行い、会津バスが「公有民営方式」を引き継ぐ形で決着した。いまは、会津バスが村購入のバスを使い、同路線の運行を担っている。 こうした事例があるため、今回の磐梯東都バスの4路線撤退後についても、会津バスに引き継いでもらえるよう交渉し、その方向でまとまりつつあるようだ。 ところで、この「喜多方―裏磐梯間のバス廃止騒動」があった際、ある村民はこう話していた。 「同路線が赤字で厳しい状況だったのは間違いないのだろうけど、廃止の理由はそれだけではなさそう。というのは、元村議の遠藤和夫氏が自身の考えなどを綴ったビラを村内で配布しており、『路線廃止』報道があった直後、磐梯東都バスの件を書いていました。遠藤氏は同社の役員などに会い、そこで得た情報を掲載していたのですが、それによると、同社は数年前から北塩原村をはじめとする周辺の関連市町村に、今後の路線バスのあり方を相談していたが、北塩原村の動きが鈍いため、今回の廃止に至ったというのです。言い換えると、村がきちんと対応していれば廃止を決断することもなかったかもしれない、と」 要するに、「廃止騒動」の裏には村の不作為があったというのだ。どうやら、磐梯東都バスは村に補助金申請のための相談をしていたが、村が動いてくれなかったため、業を煮やして「廃止せざるを得ない」と伝えた。それで、村が慌てて同社に「どうにかならないか」と持ちかけ、前述した「公有民営方式」に落ち着いたということのようだ。 ここに出てくる「元村議の遠藤和夫氏」は現村長。2015年4月の村議選で初当選し、その任期途中の2016年8月の村長選に立候補したが、当時現職の小椋敏一氏に敗れた。以降は、前出の村民の証言にあったように、村内で各種情報発信をしており、自身の考えなどを綴ったビラを配布していた。その後、2020年の村長選に立候補し、当選を果たした。 かつて、村長選を見据えて情報発信する中で、磐梯東都バス関連で現職村長の対応を問題視していた遠藤氏。その遠藤氏が村長に就いた後、磐梯東都バスの撤退問題に直面することになったわけ。 遠藤村長に聞く 遠藤和夫北塩原村長 村総務企画課を通して、遠藤村長にコメントを求めると、次のような回答があった。 ――6月10日付の地元紙に「磐梯東都バス撤退へ」といった記事が掲載されました。村にはその前の段階で、何らかの話があったと思われますが、事業者からはいつの段階で、どのような話があったのでしょうか。また、それを受けて、村としてはどのように応じたのでしょうか。 「6月5日に、磐梯東都バスが村へ訪問。本年9月30日をもって事業撤退する旨を報告。諸事情による撤退はやむを得ないとし、村としては、引き続きバス路線運行維持の確保に向け、協力を依頼した」 ――磐梯東都バスが撤退することで、村、村民の足、あるいは村内に来る観光客など、どのような影響が懸念されますか。 「猪苗代・裏磐梯の路線は村民の通学や通院・買い物に利用されているほか、観光客の移動手段にもなっていることから、磐梯東都バスが撤退後に路線バスの維持がなされない場合、住民や観光客の足が無くなり、住民に不便を来たしてしまうこと、そして観光客の減少につながる懸念が想定される」 ――磐梯東都バスの問題に限らず、いまの社会情勢等を考えると、地方における路線バスの廃止は避けられない面があると思います。一方で、路線バス廃止によって「交通難民」が生まれてしまう懸念もあるわけですが、磐梯東都バス撤退後の代替策についてはどのように考えていますか。 「他のバス運行会社の事業承継による路線バスの運行維持」 ――2019年に磐梯東都バスの「喜多方線廃止」問題が浮上した際、遠藤村長は一村民の立場で情報発信する中で、磐梯東都バスの役員と会い、「数年前から北塩原村をはじめとする周辺の関連市町村に、今後のバス路線のあり方を相談していたが、北塩原村の動きが鈍いため、今回の廃止問題に至った」旨を指摘されていたと記憶しています(※当時、村民の方に現物を見せていただき、本誌記者の取材メモとして記録されている)。その後、村長に就いたわけですが、新たな関係性の構築や、協議の場を設けるなどの動きはあったのでしょうか。 「村長就任後に磐梯東都バスとは会っていたが、喜多方線廃止問題が具体的になる中、残念ながら相互に理解を得ることが難しくなり、喜多方線の撤退、猪苗代線も独自運行となった。解決に向けての打開策について協議を行ったが、磐梯東都バスの判断として、このような事態となった」 最大のポイントである磐梯東都バス撤退後の代替策については、「他のバス運行会社の事業承継による路線バスの運行維持」との回答だった。前述したように、同村では喜多方―裏磐梯間の路線バスで「公有民営方式」を採用し、当初の磐梯東都バス撤退後は会津バスに引き継いでもらっている。今回の4路線(※北塩原村が直接的に関係するのは猪苗代―裏磐梯間の路線バス)についても、会津バスに継承してもらって運行維持することを想定しているのだろう。 事業参入時に裏約束⁉ 一方で、磐梯東都バスから撤退することを聞かされたのは6月5日で、村役場に同社関係者の訪問があり、「9月30日で事業撤退」の報告を受けたという。そのうえで「諸事情による撤退はやむを得ないとし、村としては、引き続きバス路線運行維持の確保に向け、協力を依頼した」とのことだった。 最終的な決定事項(撤退)の伝達としては、その日だったのだろうが、猪苗代町の前後前町長が「磐梯東都バスからは昨年の時点で、撤退の意思を伝えられていた」と話していたことからも、当然、その前の事前協議があったと思われる。 前出・村内の事情通によると、「昨年の段階で、磐梯東都バスから村には『このままでは厳しい』といった話があったようだ」という。 「その席で、磐梯東都バスは『このエリアでバス事業を始めるときに、渡部恒三衆院議員、高橋伝村長との約束が』と、過去に決め事があったようなニュアンスのことをチラつかせたそうです。要するに、何らかの裏約束があったかのような口ぶりだった、と。とはいっても、それは20年以上前のことですし、恒三先生は亡くなり、高橋伝さんも村長を退いてだいぶ経つ。磐梯東都バスの親会社の社長も代わりました。そもそも、本当に何らかの約束事(裏約束?)があったのか、あったとしてそれがどんな内容だったのかは、いまの村長をはじめとする関係者は誰も知らない。そのため、村では『そんな昔のことを持ち出されても……。それよりも、今後どうすべきかを一緒に考えていきましょう』といったスタンスで応じたそうです」 こうして協議を行ったが、結果的には存続には至らなかった。 マイカーの普及、人口減少による利用者の減少、少子化に伴う通学需要の縮小などを背景に、地方の路線バスはどこも厳しい状況。磐梯東都バスが事業参入したときには、すでにその流れが顕著になっていたが、コロナという思いがけない事態にも見舞われた。そんな中で、撤退は避けられなかったということだろう。
2020年7月に郡山市で起きた飲食店爆発事故から、間もなく3年を迎える。当時、現場近くの事業所におり、重傷を負った女性が本誌取材に応じ、この間の苦悩や、誰も責任を問われない現状へのやるせなさなどを明かした。(末永) 「責任の所在不明」で進まない被害者救済 まずは事故の経過を振り返っておく。 爆発事故が起きたのは2020年7月30日午前8時57分ごろ。現場は郡山市島2丁目の飲食店「しゃぶしゃぶ温野菜 郡山新さくら通り店」で、郡山市役所から西に1㌔ほどのところに位置する。 この事故によって1人が死亡し、19人が重軽傷者を負った。加えて、当該建物が全壊したほか、付近の民家や事業所など200棟以上に被害が及んだ。同店は同年4月から休業しており、リニューアル工事を実施している最中だった。 警察の調べに基づく当時の地元紙報道などによると、爆発前、厨房のガス管に、腐食によってできたと考えられる亀裂や穴があり、そこから漏れたプロパンガスに、何らかの原因で引火した可能性が高いという。 経済産業省産業保安グループ(本省ガス安全室、関東東北産業保安監督部東北支部)は、現地で情報収集を行い、2020年12月に報告書をまとめた。 それによると、以下のようなことが分かったという。 ○流し台下の配管に著しい腐食があり、特に床面を中心に腐食している個所が複数あった。 ○事故前、屋内の多湿部、水の影響を受けるおそれがある場所などで配管が使用されていた。コンクリート面等の導電性の支持面に直接触れない措置は講じられていなかった。 ○保安機関の点検・調査で、ガス栓劣化、接続管基準、燃焼機器故障について「否」とし、特記事項として「警報器とメーターを連動してください」と指摘されていたが、消費設備の改善の痕跡は確認できない。 ○配管が腐食していたという記載や、配管腐食に関する注意喚起等は、過去の点検・調査記録等からは確認できない。保安機関は、定期点検・調査(2019年12月2日)で、配管(腐食、腐食防止措置等)は「良」としていた。 ○直近の点検・調査は2019年12月で、前回の点検・調査(2015年3月)から4年以上経過していた。 ○保安機関の点検・調査によれば、ガス漏れ警報器は設置されていた。 事故発生前にガス漏れ警報器が鳴動したことを認知した者はおらず、ガス漏れ警報器の電源等、作動する状況であったかどうかは不明。 ○漏えい量、漏えい時期と漏えい時の流量、爆発の中心、着火源など、爆発前後の状況は不明な点が多い。 同調査では「業務用施設(飲食店)において、厨房シンク下、コンクリート上に直に設置されていた腐食した白管(SGP配管)からガスが漏えい。何らかの着火源により着火して爆発したことが推定されている」とされているが、不明な部分も多かったということだ。 その後、警察の調べで、事故の原因とされるガス管は2006年の店舗建設時に国の基準に沿わない形で設置されていたこと、腐食を防ぐ措置がとられていなかったこと、法定点検を行った保安機関はそれらを認識しながら詳しく確認せずに問題ないと判断していたことなどが分かった。管理を適切に行わなかったために事故が起きたとして、2021年9月、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)を業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。 以降しばらくは、捜査機関の動きは報じられていなかったが、今年3月、福島地検が全員を不起訴としたことが伝えられた。運営会社社長ら4人は嫌疑不十分、内装業者は死亡していることが理由。 これを受け、事故で重傷を負った市内の女性が4月12日、不起訴処分を不服として福島検察審査会に審査を申し立てた。 地元紙報道によると、代理人弁護士が県庁で記者会見し、「大事故にもかかわらず、誰も責任を負わない結果は被害者には納得できない。責任の所在を明確にし、なぜ事故が起きたのかはっきりさせないといけない」と話したという。(福島民報4月13日付) 被害女性に聞く 本誌取材に応じるAさん 以上が事故のおおよその経緯だが、今回、本誌取材に応じたのは、事故現場のすぐ目の前の事業所にいて重傷を負ったAさん(※不起訴処分を不服として審査を申し立てたのとは別の被害女性)。 その日、Aさんはいつも通り始業時間である8時半の少し前に出勤し、事務所の掃除、業務の打ち合わせなどをして、自分のデスクに座り、パソコンの電源を立ち上げた瞬間に事故が起きた。 〝ドーン〟という大きな音とともにAさんがいた事業所(建物)が崩れ、「飛行機か何かが落ちてきたのかと思った」(Aさん)というほどの衝撃だった。天井が落下して下敷きになり、割れた窓ガラスの破片で頭や顔などに大ケガを負った。 当時、事業所にはAさんのほかにもう1人いたが、「たまたま何かの陰になったのか、その方は傷を負うことはなく、(下敷きになっていた)私を救出してくれました」(Aさん)。 その後、救急車で郡山市内の病院に運ばれ、そこからドクターヘリで福島県立医大病院に搬送された。 そこで、手術・点滴などの治療を受けたが、安静にする間もなく、警察から事情を聞かれた。毎日、窓越しに事故が起きた飲食店の改修工事の様子を見ていたため、早急に話を聞きたいとのことだったという。当時は話をするのも容易でない状況だったが、警察から「(工事で)何人くらいの人が出入りしていたか」等々の質問を受け、筆談で応じた。 その後は、医大病院(病室)で安静にしていたが、次第に「助かった」という思いと、「家族はどうしているか」、「職場はどうなったか」等々が頭を占めるようになった。 「なるべく早く帰りたいと思い、一生懸命、歩ける、大丈夫ということをアピールしました」(同) その結果、抜糸やその後の治療は郡山市内の病院で引き継ぐことになり、翌日には退院して自宅に戻ることができた。 そうまでして、退院を急いだ理由について、Aさんはこう話す。 「私は何のキャリアもない主婦で、過去には大きな病気をしたこともありました。そんな中、いまの職場に入り、そこから一生懸命仕事を覚えて、事務職にまで取り立ててもらえるようになって、やっと軌道に乗ってきたところでした。そうやって積み重ねてきたものがなくなる怖さと、生き残ったということに気持ちが高ぶっており、痛くて寝込むとか、つらいとかいうよりも、早く復帰しなければという思いの方が強かったんです」 Aさんが勤める事業所は、市内の別の場所に移り、事故後1日も休むことなく事業を続けている。Aさんも間もなく仕事に復帰し、その間、一度だけ元の事業所に行った。事故の影響で、顧客情報などが散乱してしまったことから、その回収のためである。 ただ、事故後、現場に行ったのはそれ1回だけ。 「それ(一度、資料等を回収に行った時)以降は、一度も現場には行っていません。周辺がキレイに整備され、新しくなってドラッグストアができたとか聞きますが、あの周辺を通ったこともありません」 それだけ、恐怖心が残っているということだ。 事故の後遺症はそれだけではない。いまでも、時折、体に痛みを感じるほか、ヘリコプターや飛行機などの音を聞くと、猛烈な恐怖心に襲われることがある。「ドクターヘリで搬送されたときの記憶はあいまい」とのことだが、仕事中、そうした音が聞こえると、建物が崩れたときの記憶がフラッシュバックし、怖くて建物の外に飛び出すこともある。 「(事故の記憶がよみがえらないように)全く違う業種に転職して、環境を変えた方がいいのかな、と思うこともありました。ただ、いまの状況ではどこに行っても、普通に働くことはなかなか難しいでしょうし、いまの職場の方は事情を分かってくれて、例えば、調子が悪い日は職場に設置してもらった簡易ベッドで休ませてもらうこともあります。そういったサポートをしてくれるので働き続けることができています」 関係者の「不起訴」にやるせなさ 爆発事故後のAさんの勤務先(Aさんのデスクがあった場所=Aさん提供) 傍目には目立つ外傷はないが、体には痛みが残り、精神的に安定しない日があるというのだ。 「どんどん握力が落ちて、お皿を洗っているときに、落とすこともあります。握力測定では性別・年代別の平均値よりずっと低く、幼稚園児と同じくらいでした」 いまも、整形外科で薬を処方してもらっているほか、メンタルクリニックでカウンセリングを受けている。睡眠薬がなければ眠れず、体の痛みで眠れない日もある。 治療費は、しゃぶしゃぶ温野菜のフランチャイザーのレインズインターナショナル(横浜市)と、運営会社の高島屋商店(いわき市)の被害対応基金から支払われている。ただ、まずは自分で負担し、診断書を添えて実費分が支払われる、という手続きが必要になる。加えて、これもいつまで続くか、といった不安がある。 中には「賠償金はいくらもらったの?」と心ないことを聞かれることもあったそうだが、治療費以外の賠償金は支払われていない。それどころか、事故を起こした店舗の関係者からは「私たちが悪いと決まったわけではないので」といった理由から謝罪もされていないという。 当然、「納得できない」との思いを抱いてきたが、それをさらに増幅させることがあった。前段で述べたように、運営会社社長や、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関の担当者など5人(爆発事故で死亡した内装業者1人を含む)が業務上過失致死傷の疑いで書類送検されていたが、今年3月、全員が不起訴になったことだ。 「まず、こんなに時間がかかるとは思っていませんでしたし、あれだけの事故を起こして、誰も責任を問われないなんて……。無力感と言うんですかね、そんな感じです」 言葉にならない、やるせなさを浮かべる。 事故当時、警察からは、被害者として刑事告訴できる旨の説明を受けた。民事でも「被害者の会」が組織されるのではないか、との見方もあった。ただ、被害の程度が違うため、被害者組織は結成されなかった。 Aさん自身、自分の心身のこと、家族のこと、仕事のことで精一杯で、刑事告訴や、民事での損害賠償請求などに費やすエネルギーや時間的余裕がなかった。そのため、これまで自らアクションを起こすことはなかった。 そもそも、これだけの事故を起こして、誰も責任を問われない、自身の被害が救済されない、などということがあるとは思っていなかったに違いない。ただ、刑事は前述のような形になり、どうしたらいいか分からないといった思いのようだ。 郡山市の損害賠償訴訟に期待 Aさんの勤務先から事故現場に向かって撮影した写真。奥に警察、消防士などが見え、現場と至近距離であることが分かる。(Aさん提供) そんな中で、Aさんが「希望を持っている」と明かすのが、郡山市が起こした損害賠償請求訴訟である。 これについては、本誌昨年6月号で詳細リポートし、今年6月号で続報した。 郡山市は2021年12月、運営会社の高島屋商店(いわき市)、フランチャイズ本部のレインズインターナショナル(横浜市)など6社を相手取り、約600万円の損害賠償を求める訴訟を福島地裁郡山支部に起こした。賠償請求の内訳は災害見舞金の支給に要した費用約130万円、現場周辺の市道清掃費用約130万円、避難所運営に要した費用約100万円、被災者への固定資産税の減免措置など約80万円、災害ごみの回収費用約70万円など。 裁判に至る前、市は独自で情報収集を行い、裁判の被告とした6社と協議をした。そのうえで、2021年2月19日、6社に対して損害賠償を請求し、回答期限を同年3月末までとしていた。 3月29日までに6社すべてから回答があり、2社は「事故原因が明らかになれば協議に応じる」旨の回答、4社は「爆発事故の責任がないため請求には応じない」旨の回答だった。 前段で、事故を起こした店舗の関係者は「自分たちが悪いと決まったわけではないので」といった理由から、Aさん(被害者)に謝罪していないと書いたが、市との協議でも同様の主張であることがうかがえる。 これを受け、市は県消防保安課、郡山消防本部、郡山警察署、代理人弁護士と協議・情報収集を行い、新たに1社を加えた7社に対して、関係資料の提出を求めた。7社の対応は、2社が「捜査資料のため提出できない」、4社が一部回答あり、1社が回答拒否だった。 市では「関係者間で主張の食い違いがあるほか、捜査資料のため情報収集が困難で、刑事事件との関係性もあり、協議による解決は困難」と判断。同年9月に6社に対して協議による解決の最後通告を行ったが、全社から全額賠償に応じる意思がないとの回答が届いた。 ただ、1社は「条件付きで一部弁済を内容とする協議には応じる」、別の1社は「今後の刑事裁判の結果によって協議に応じる」とした。残りの4社は「爆発事故に責任があると考えていないため損害賠償請求には応じない」旨の回答だった。 こうした協議を経て、市は損害賠償請求訴訟を起こすことを決めたのである。 2021年12月議会で関連議案を提出し、品川萬里市長が次のように説明した。 「2020年7月に島2丁目地内で発生した爆発事故で、本市が支出した費用について、責任を有すると思慮される関係者に対し、民事上の任意の賠償を求め協議してきましたが、本日現在、当該関係者から賠償金全額を支払う旨の回答を得ておりません。本市としては、事故の責任の所在を明らかにするため、弁護士への相談等を踏まえ、関係者に対して民法第719条に基づく共同不法行為者として、損害賠償を求める訴えの提起にかかる議案を提出しています」 議会の採決では全会一致で可決され、それを経て提訴した。 昨年4月22日から今年5月23日までに計6回の口頭弁論が開かれているが、市総務法務課によると「現在(この間の裁判)は争点整理をしています」とのこと。 判決に至るまでにはまだ時間がかかりそうだが、Aさんは「市が率先して、責任の所在を明らかにしようとしているのはありがたいし、希望でもある」と話す。 求められる被害救済 市総務法務課の担当者は、裁判を起こした理由について、こう話していた。 「市長が『被害に遭われた住民は多数おり、市が率先して責任の所在を明らかにしていく』ということを言っていたように、市が先頭に立って裁判を行い、責任の所在を明らかにすることで、被害に遭われた方に参考にしてもらえれば、といった思いもあります」 当然、裁判は市の損害を回復することが最大の目的だが、市が率先して裁判を起こすことで判例をつくり、ほかの被害者の参考にしてもらえれば、といった意味合いもあるということだ。 今回の事故で、Aさんをはじめ多くの人・企業が被害を受けたのは明らかだが、「加害者」は明確なようで実はそうではない。 過失があると思われるのは運営会社、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関などだが、それぞれが「自分たちの責任ではない」、あるいは「自分たちの責任であると明確に認定されるまでは謝罪も賠償もしない」という姿勢。言わば、責任をなすりつけあっているような状況なのである。 そのため、事故から3年が経とうとしているが、賠償などは全く進んでいない。気の毒というほかないが、運営会社、ガス管を設置した会社、点検をした保安機関などのどこであれ、責任の所在を明らかにし、事故を起こした事実を受け止めてほしい。あの日、日常の中で事故に巻き込まれた人たちの被害が救済されることを切に願う。 あわせて読みたい 【しゃぶしゃぶ温野菜 爆発事故】郡山市が関係6社を提訴 「しゃぶしゃぶ温野菜 ガス爆発事故」刑事・民事で追及続く【郡山】
本誌3月号に「原発事故 追加賠償の全容」という記事を掲載した。原子力損害賠償紛争審査会がまとめた中間指針第5次追補、それに基づく東京電力の賠償リリースを受け、その詳細と問題点を整理したもの。同記事中、「今回の追加賠償で新たな分断が生じる恐れもある」と書いたが、実際に不平・不満の声がチラホラと聞こえ始めている。(末永) 広野町議が「分断政策を許すな」と指摘 原発事故に伴う損害賠償は、文部科学省内の第三者組織「原子力損害賠償紛争審査会」(以下「原賠審」と略、内田貴会長)が定めた「中間指針」(同追補を含む)に基づいて実施されている。中間指針が策定されたのは2011年8月で、その後、同年12月に「中間指針追補」、2012年3月に「第2次追補」、2013年1月に「第3次追補」、同年12月に「第4次追補」(※第4次追補は2016年1月、2017年1月、2019年1月にそれぞれ改定あり)が策定された。 以降は、原賠審として指針を定めておらず、県内関係者らは「被害の長期化に伴い、中間指針で示した賠償範囲・項目が実態とかけ離れているため、中間指針の改定は必須」と指摘してきたが、原賠審はずっと中間指針改定に否定的だった。 ただ、昨年3月までに7件の原発賠償集団訴訟で判決が確定したことを受け、原賠審は専門委員会を立ち上げて中間指針の見直しを進め、同年12月20日に「中間指針第5次追補」を策定した。 それによると、「過酷避難状況による精神的損害」、「避難費用、日常生活阻害慰謝料及び生活基盤喪失・変容による精神的損害」、「相当量の線量地域に一定期間滞在したことによる健康不安に基礎を置く精神的損害」、「自主的避難等に係る損害」の4項目の追加賠償が示された。このほか、事故発生時に要介護者や妊婦だった人などへの精神的損害賠償の増額も盛り込まれた。 これまでに判決が確定した集団訴訟では、精神的損害賠償の増額や「ふるさと喪失に伴う精神的損害賠償」、「コミュニティー崩壊に伴う精神的損害賠償」などが認められている。それに倣い、原賠審は賠償増額・追加項目を定めたのである。 同指針の策定・公表を受け、東京電力は1月31日に「中間指針第五次追補決定を踏まえた避難等に係る精神的損害等に対する追加の賠償基準の概要について」というリリースを発表した。 本誌3月号記事では、その詳細と、避難指示区域の区分ごとの追加賠償の金額などについてリポートした。そのうえで、次のように指摘した。 × × × × 今回の追加賠償はすべて「精神的損害賠償」と捉えることができ、そう考えると、追加賠償前と追加賠償後の精神的損害賠償の合計額、区分ごとの金額差は別表のようになる。帰還困難区域と居住制限区域・避難指示解除準備区域の差は600万円から480万円に縮まった。ただ、このほかにすでに支払い済みの財物賠償などがあり、それは帰還困難区域の方が手厚くなっている。 元の住居に戻っていない居住制限区域の住民はこう話す。 「居住制限区域・避難指示解除準備区域は避難解除になったものの、とてもじゃないが、戻って以前のような生活ができる環境ではない。そのため、多くの人が『戻りたい』という気持ちはあっても戻れないでいる。そういう意味では帰還困難区域とさほど差はないにもかかわらず、賠償には大きな格差があった。少しとはいえ、今回それが解消されたのは良かったと思う」 もっとも、帰還困難区域と居住制限区域・避難指示解除準備区域の差は少し小さくなったが、避難指示区域とそれ以外という点では、格差が拡大した。そもそも、帰還困難区域の住民からすると、「解除されたところと自分たちでは違う」といった思いもあろう。原発事故以降、福島県はそうしたさまざまな「分断」に悩まされてきた。やむを得ない面があるとはいえ、今回の追加賠償で「新たな分断」が生じる恐れもある。 広野町議会の一幕 畑中大子議員(広野町議会映像より) × × × × この懸念を象徴するような指摘が広野町3月議会であった。畑中大子議員(共産、3期)が、「中間指針見直しによる賠償金について(中間指針第5次追補決定)」という一般質問を行い、次のように指摘した。 「緊急時避難準備区域(※広野町は全域が同区域に該当)は財物賠償もなく、町民はこの12年間ずっとモヤモヤした気持ち、納得いかないという思いで過ごしてきた。今回の第5次追補で、(他区域と)さらに大きな差をつけられ、町民の不公平感が増した。この点を町長はどう捉えているのか」 この質問に、遠藤智町長は次のように答弁した。 「各自治体、あるいは県原子力損害対策協議会で、住民の思いを念頭に置いた取り組み、要望・要請を行ってきた。県原子力損害対策協議会では、昨年4、9月にも中間指針見直しに関する要望を国当局・東電に対して行い、私も県町村会長として同行し、被害の実態に合った賠償であってほしいと要望した。今回の指針は県内の現状が一定程度反映されたものと受け止めているが、地域間の格差は解消されていない。同等の被害には賠償がなされること、東電は被災者を救済すること、指針が示す範疇が上限ではないこと等々の要望を引き続きしていく。今後も地域住民の理解が得られるように対応していく」 畑中議員は「これ(賠償に格差をつけること)は地域の分断政策にほかならない。そのことを強く認識しながら、今後の要望・要請活動、対応をお願いしたい」と述べ、別の質問に移った。 広野町は全域が緊急時避難準備区域に当たり、今回の第5次追補を受け、同区域の精神的損害賠償は180万円から230万円に増額された。ただ、双葉郡内の近隣町村との格差は大きくなった。具体的には居住制限区域・避難指示解除準備区域との格差は、追加賠償前の670万円から870万円に、帰還困難区域との格差は1270万円から1350万円に広がったのである。 このことに、議員から「町民の不公平感が増した」との指摘があり、遠藤町長も「是正の必要があり、そのための取り組みをしていく」との見解を示したわけ。 このほか、同町以外からも「今回の追加賠償には納得いかない」といった声が寄せられており、区分を問わず「賠償格差拡大」に対する不満は多い。 もっとも、広野町の場合は、全域が緊急時避難準備区域になるため、町民同士の格差はない。これに対し、例えば田村市は避難指示解除準備区域、緊急時避難準備区域、自主的避難区域の3区分、川内村は避難指示解除準備区域・居住制限区域と緊急時避難準備区域の2区分、富岡町や浪江町などは避難指示解除準備区域・居住制限区域と帰還困難区域の2区分が混在している。そのため、同一自治体内で賠償格差が生じている。広野町のように近隣町村と格差があるケースと、町民(村民)同士で格差があるケース――どちらも難しい問題だが、より複雑なのは後者だろう。いずれにしても、各市町村、各区分でさまざまな不平・不満、分断の懸念があるということだ。 福島県原子力損害対策協議会の動き 東京電力本店 ところで、遠藤町長の答弁にあったように、県原子力損害対策協議会では昨年4、9月に国・東電に対して要望・要求活動を行っている。同協議会は県(原子力損害対策課)が事務局となり、県内全市町村、経済団体、業界団体など205団体で構成する「オールふくしま」の組織。会長には内堀雅雄知事が就き、副会長はJA福島五連会長、県商工会連合会会長、市長会長、町村会長の4人が名を連ねている。 協議会では、毎年、国・東電に要望・要求活動を行っており、近年は年1回、霞が関・東電本店に出向いて要望書・要求書を手渡し、思い伝えるのが通例となっていた。ただ、昨年は4月、9月、12月と3回の要望・要求活動を行った。遠藤町長は町村会長(協議会副会長)として、4、9月の要望・要求活動に同行している。ちょうど、中間指針見直しの議論が本格化していた時期で、だからこそ、近年では珍しく年3回の要望・要求活動になった。 ちなみに、同協議会では、国(文部科学省、経済産業省、復興庁など)に対しては「要望(書)」、東電に対しては「要求(書)」と、言葉を使い分けている。三省堂国語辞典によると、「要望」は「こうしてほしいと、のぞむこと」、「要求」は「こうしてほしいと、もとめること」とある。大きな違いはないように思えるが、考え方としては、国に対しては「お願いする」、東電に対しては「当然の権利として求める」といったニュアンスだろう。そういう意味で、原子力政策を推進してきたことによる間接的な加害者、あるいは東電を指導する立場である国と、直接的な加害者である東電とで、「要望」、「要求」と言葉を使い分けているのである。 昨年9月の要望・要求活動の際、遠藤町長は、国(文科省)には「先月末に原賠審による避難指示区域外の意見交換会や現地視察が行われたが、指針の見直しに向けた期待が高まっているので、集団訴訟の原告とそれ以外の被害者間の新たな分断や混乱を生じさせないためにも適切な対応をお願いしたい」と要望した。 東電には「(求めるのは)集団訴訟の判決確定を踏まえた適切な対応である。国の原賠審が先月末に行った避難指示区域外の市町村長との意見交換では、集団訴訟の原告と、それ以外の被災者間での新たな分断が生じないよう指針を早期に見直すことなど、多くの意見が出された状況にある。東電自らが集団訴訟の最高裁判決確定を受け、同様の損害を受けている被害者に公平な賠償を確実かつ迅速に行うなど、原子力災害の原因者としての自覚をもって取り組むことを強く求める」と要求した。 これに対し、東電の小早川智明社長は「本年3月に確定した判決内容については、現在、各高等裁判所で確定した判決内容の精査を通じて、訴訟ごとに原告の皆様の主張内容や各裁判所が認定した具体的な被害の内容や程度について、整理等をしている。当社としては、公平かつ適正な賠償の観点から、原子力損害賠償紛争審査会での議論を踏まえ、国からのご指導、福島県内において、いまだにご帰還できない地域があるなどの事情もしっかりと受け止め、真摯に対応してまいる」と返答した。 遠藤町長は中間指針第5次追補が策定・公表される前から、「新たな分断を生じさせないよう適切な対応をお願いしたい」旨を要望・要求していたことが分かる。ただ、実態は同追補によって賠償格差が広がり、議員から「町民の不公平感が増した」、「これは地域の分断政策にほかならない。そのことを強く認識しながら、今後の要望・要請活動、対応をお願いしたい」との指摘があり、遠藤町長も「今回の指針は県内の現状が一定程度反映されたものと受け止めているが、地域間の格差は解消されていない」との認識を示した。 遠藤町長に聞く 遠藤智町長 あらためて、遠藤町長に見解を求めた。 ――3月議会での畑中議員の一般質問で「賠償に対する町民の不公平感が第5次追補でさらに増した」との指摘があったが、実際に町に対して町民からそうした声は届いているのか。 「住民説明会や電話等により町民から中間指針第5次追補における原子力損害賠償の区域設定の格差についてのお声をいただいています。具体的な内容としては、避難指示解除準備区域と緊急時避難準備区域において、賠償金額に大きな格差があること、生活基盤変容や健康不安など賠償額の総額において格差が広がったとの認識があることなどです」 ――議会では「不公平感の是正に向けて今後も要望活動をしていく」旨の答弁があったが、ここで言う「要望活動」は①町単独、②同様の境遇にある自治体との共同、③県原子力損害対策協議会での活動――等々が考えられる。どういった要望活動を想定しているのか。 「今後の要望活動については、①町単独、②同様の境遇にある自治体との共同、③県原子力損害対策協議会を想定しています。これまでも①については、町と町議会での合同要望を毎年実施しています。②については、緊急時避難準備区域設定のあった南相馬市、田村市、川内村との合同要望を平成28(2016)年度から実施しています。③については、中間指針第5次追補において会津地方等において賠償対象の区域外となっており、県原子力損害対策協議会において現状に即した賠償対応を求めていきます」 前述したように、遠藤町長は中間指針第5次追補が策定・公表される前から、同追補による新たな分断を懸念していた。今後も県原子力損害対策協議会のほか、町単独や同様の境遇にある自治体との共同で、格差是正に向けた取り組みを行っていくという。 県原子力損害対策協議会では、毎年の要望・要求活動の前に、構成員による代表者会議を開き、そこで出た意見を集約して、要望書・要求書をまとめている。同協議会事務局(県原子力損害対策課)によると、「今年の要望・要求活動、その前段の代表者会議の予定はまだ決まっていない」とのこと。ただ、おそらく今年は、中間指針第5次追補に関することとALPS処理水海洋放出への対応が主軸になろう。 もっとも、この間の経緯を見ると、県レベルでの要望・要求活動でも現状が改善されるかどうかは不透明。そうなると、本誌が懸念する「新たな分断」が現実味を帯びてくるが、そうならないためにも県全体で方策を考えていく必要がある。 あわせて読みたい 【原発事故】追加賠償の全容 追加原発賠償決定で集団訴訟に変化
昨年12月号から今年4月号まで5回にわたり、「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体の現状をリポートしてきた。今回はシリーズの〝仕上げ〟として、これまで取り上げてきた事例を総括したい。(末永) 専門家は「合併すれば効率アップは間違い」と指摘 条件が恵まれている西郷村(写真は村役場) 国は1999年から「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」を目的に、全国的に市町村合併を推進した。いわゆる「平成の大合併」である。県内では2004年から2008年までに13例の合併があり、90市町村から59市町村に再編された。本誌では2021年12月号から5回に分けて、合併自治体の検証を行った。 一方で、「平成の大合併」に参加しなかった自治体もあり、その現状に迫ったのがこのシリーズ。第1回が桑折町と国見町、第2回が大玉村、第3回が棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村(東白川郡編)、第4回が西郷村、第5回が三島町、金山町、昭和村、只見町(奥会津編)と、計5回、12市町村を取り上げた。 このうち、大玉村と西郷村は条件的に非常に恵まれている。県内で人口が増えているのはこの2村のみ。加えて、両村は働き口、高等教育、医療、日用品の調達先など、行政サービス以外で生活に必要な部分は、近隣に依存できる環境にある。逆に「奥会津編」で取り上げた4町村は、人口減少が著しく、高齢化率が非常に高い。一口に「合併しなかった自治体」といっても、その内実や地理的条件などは全く違う。 シリーズ全回で共通して財政指標の推移を示した。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。 当初の合併の目的と照らし合わせると、合併しなかった自治体には、より一層の財政健全化の努力が求められる。記事では、同法に基づき県市町村財政課が公表している「財政状況資料集」を基に、2007年度から当時最新の2020年度までの「実質赤字比率」、「連結実質赤字比率」、「実質公債費比率」、「将来負担比率」、「財政力指数」の推移を一覧化した。加えて、近隣で合併した自治体(例・大玉村は本宮市、西郷村は白河市)の数値と比較しながら、財政指標を検証してきた。 それで言うと、取り上げた自治体すべてで財政指標の良化が見受けられた。合併しなかった自治体は、最初から合併に否定的だったところ、合併を模索したものの、結果的に合併に至らなかったところ、国が目指す「地方分権の担い手となる基礎自治体にふさわしい行財政基盤の確立」が合併に頼らずとも可能だったところなどさまざまだが、合併しない(できなかった)ことを決めて以降は、それぞれが相応の努力をしてきたことがうかがえた。 一方、シリーズ1回目(桑折町・国見町編)で、元福島大学教授で現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏(地方自治論)にコメントを求めたところ、「ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善している」と話していた。 今井照氏 「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 今井氏のコメントからすると、2021年度以降はさらなる指標の良化が予想されるが、それは各自治体の努力ではなく、外的要因によるもの、ということになる。 「合併しない宣言」の影響 真っ先に国の方針に背いた格好の矢祭町(写真は町役場) ところで、このシリーズ「最大のハイライト」とも言えるのが矢祭町の状況だ。というのは、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物がこう話していたから。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとって脅しのような感覚だったようだ。要するに、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との強迫観念に駆られ、合併を進めたということだ。 その点で言うと、矢祭町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決し、言うなれば真っ先に国の方針に背いた格好になる。 以前、先進的な取り組みをしている県外自治体を取材した際、担当者は次のように証言していた。 「メディアなどで取り上げられるたびに、国から目を付けられて(苦笑)。国の役人からは『ずいぶん勝手なことをしているようだな』、『その分だと、国からの交付金・補助金などは必要なさそうだな』と露骨に言われることもありました」 これは15年ほど前の話だが、そんなこともあり、矢祭町も国からの締め付けなどがあったのではないかと危惧していた。 この点について、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 佐川正一郎矢祭町長 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかったですね。それほど影響がなかった背景には、二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にすごく苦労したということはなかった。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大変でしたね」 同町の事例からすると、合併議論の最盛期に、県内で首長を務めていた人物が懸念していたことは杞憂に終わったと言っていい。実際、「奥会津編」で取り上げた町村は、自主財源が乏しく財政基盤が弱い。決して条件がいいと言えない中でも、大きな問題なく存続できている。当然、関係者の努力もあっただろうが、そうした事実がすべてを物語っていると言っていいのではないか。 前出・地方自治総合研究所主任研究員の今井氏はこう話す。 「一般には、合併を選択すると財政が効率化し、財政環境がよくなると理解されていますが、それは誤りです。そもそも企業の合併とは異なり、自治体が合併しても面積や人口が単純に加算されるだけで、行政サービスの総量は減らないので、合併による効率化の効果はほんのわずかに限られます。合併すると、効率化以上に地方交付税などの歳入が絞られていきますので、個々の自治体にとって財政環境が悪化するのは当然です。逆にいうと、合併すれば住民への行政サービスの総量を減らさなくてはならず、中心部だけに投資を残して、周辺部への投資を薄くする傾向があります。合併すると周辺部の衰退が早まるのはそのためです」 このシリーズで取材した自治体の住民も、合併した近隣自治体で、中心部とそうでないところの格差を見ているためか、「結果的に合併しなくて良かったと思う」との声が大多数を占めた。 「大玉村編」では、合併議論当時の同村役場関係者の「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」とのコメントを紹介した。理由はやはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配があったから。ただ、この関係者は「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」と述べていた。 単独の強みを生かせ 一方で、「奥会津編」では、隣接地域の議員経験者のこんな意見を紹介した。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 自治体の枠組みそのものの合併はしなくても良かったと思うが、今後は1つの自治体ですべての行政サービスを賄うのではなく、行政サービスのうち、共有・連携できる部分は「行政組合」のようなものを立ち上げて対応すべきではないか、ということだ。 国(総務省)でも、新たな広域連携について検討しているようだから、今後は本格的にその勉強・検討の必要性が出てくるだろう。 このシリーズの取材では、対象の町村長に質問を投げかけ、文書で回答してもらった。それをあらためて見ていくと、合併しなかったことをどう強みに変えていくかや、いま当該自治体内で抱えている課題などの質問に対し、問題意識を持って回答してくれた町村長と、そうでない町村長が如実に見られた。 ここでは、どの町村長がどうだったかの詳細は触れないが、本当に問題意識がないのか、単に取材対応が面倒なだけだったのか。いずれにしても、そのような町村長のもとに暮らす住民はハッピーとは言えないだろう。 最後に、あらためて指摘したいのは、せっかく、単独の道を選んだのだから、もっと思い切った〝仕掛け〟をしてほしいということ。これは県内すべての市町村に言えることだが、どこかの二番煎じ、三番煎じのような事業、取り組みばかりが目立ち、何かの先進地になった事例はほとんどない。合併せず、小回りが利く規模の自治体だからこそ可能な、思い切った〝仕掛け〟を生み出していってもらいたい。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 合併しなかった福島県内自治体のいま【東白川郡編】矢祭町・鮫川村・棚倉町・塙町 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま
2000年代を中心に、国の意向で進められた「平成の大合併」。県内では、合併したところ、単独の道を選択したところ、合併を模索したもののまとまらなかったところと、さまざまある中、本誌ではシリーズで合併しなかった市町村の現状を取り上げている。今回は、人口減少や高齢化率の上昇が大きな課題となっている奥会津編。(末永) 人口減・高齢化率上昇が課題の三島・金山・昭和 「奥会津」は正式な地名ではなく、明確な定義があるわけではない。ただ、観光面などでの広域連携の中でそうした表現が使われている。主に会津南西部を指す。 只見川・伊南川流域の町村で構成される「只見川電源流域振興協議会」が発行したパンフレット「歳時記の郷 奥会津の旅」には次のように記されている。 《「奥会津」は、福島県南西部に位置する只見川流域、伊南川流域の7町村「柳津町」「三島町」「金山町」「昭和村」「只見町」「南会津町」「檜枝岐村」の総称です》 柳津町は河沼郡、三島町、金山町、昭和村は大沼郡、只見町、南会津町、檜枝岐村は南会津郡と3つの郡にまたがる。今回は、そのうち大沼郡の三島町、金山町、昭和村と南会津郡の只見町の現状を取材した。 「平成の大合併」の際、三島町、金山町、昭和村の3町村は、河沼郡の会津坂下町、柳津町との郡をまたいだ合併案があった。当時の合併に関する研究会のメンバーだった関係者はこう述懐する。 「県会津地方振興局の勧めもあって5町村で合併について話し合うことになりました。当時の5町村長は基本的には合併もあり得るとの考えだったように思います。理由は、国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らすとの方針で、将来的な財政の裏付けがなかったことです」 当時の5町村の人口(2005年1月1日時点)は、会津坂下町約1万8600人、柳津町約4400人、三島町約2300人、金山町約2900人、昭和村約1600人で、計約2万9800人。合併後の新市移行の条件である「人口3万人」にギリギリ届いていなかったが、「振興局の担当者は『市になれると思う』とのことだった」(前出の関係者)という。 「人口比率から言っても、中心になるのは会津坂下町だが、そこに役場(市役所)が置かれるとして、金山町、昭和村からはかなり遠くなります。加えて、当時の会津坂下町は財政状況が良くなかったため、(ほかの4町村の住民・関係者は)会津坂下町にいろいろと吸い上げられてしまう、といった思いもありました。そんな中で、(会津坂下町を除いた)柳津町、三島町、金山町、昭和村の4町村での合併案も出たが、結局はどれもまとまりませんでした。住民の多くも合併を望んでいなかった、ということもあります」 一方で、南会津郡は、2006年3月に、田島町、舘岩村、伊南村、南郷村が合併して南会津町が誕生した。それに先立ち、下郷町、只見町、檜枝岐村を含めた南会津郡7町村で研究会が立ち上げられ、合併に向けた調査・研究を行っていた。そこから、正式な合併協議会に移行する際、下郷町、只見町、檜枝岐村は参加しなかった経緯がある。 当時のことを知る只見町の関係者はこう話す。 「田子倉ダム(電源立地地域対策交付金)があるから、という事情もあったと思いますが、それよりも『昭和の大合併』の後遺症のようなものが残っており、只見町は最初から前向きでなかった」 只見町は、いわゆる「昭和の大合併」で誕生した。1955(昭和30)年に只見村と明和村が合併し、その4年後の1959(昭和34)年に朝日村が編入して、只見町になった。「平成の大合併」議論が出たころは、それから50年ほどが経っていたが、その後遺症が残っていたというのだ。 「一例を挙げると、只見地区(旧只見村)には町役場の中心的機能、明和地区(旧明和村)には温浴施設、朝日地区(旧朝日村)には診療所という具合に、1つの地区に何かを設けるとすると、残りの2地区には何らかの代わりの手当てをする、といった手法でないと、物事が進まないような状況なのです。これでは行政運営のうえで、あまりにも効率が悪い」(同) それは「平成の大合併」議論から十数年(「昭和の大合併」から60年以上)が経ったいまも変わっていないという。 その際たる例が役場庁舎の問題。同町の本庁舎は、只見町誕生の翌年(1960年)に建てられ、老朽化が進んでいた。2008年度に実施した耐震診断の結果、震度6強以上の地震で倒壊する危険性があるCランクと診断された。 そこで、目黒吉久元町長時代の2011年に「只見町役場庁舎建設基本計画」が策定され、新庁舎建設計画が進められた。ただ、実現させることができず、目黒町長はその責任を取る形で、2016年12月に2期目の任期満了で退任した。 この後を受けた菅家三雄前町長は、「暫定移転」として、中学校合併によって空いた旧只見中学校に、議会、総務課、農林建設課、教育委員会などの役場の中心的な機能を移転し、「町下庁舎」とした。そのほかの部署は、駅前庁舎とあさひヶ丘庁舎に分散する形になった。この暫定移転が完了したのが2018年で、これに伴い、旧庁舎は解体された。 ただ、この暫定庁舎(分散庁舎)は、町民や観光客などから、「必要な部署(用事がある部署)がどこにあるのか分かりにくい」として不評だった。 一方で、一部町民からは「新しい役場庁舎ができても、町民生活には何の恩恵もない。そんな生産性のないものに多額のお金をかけるべきではない。いまのまま(暫定庁舎)で十分」、「暫定庁舎の整備には5億円以上の費用がかかっている。そのうえ、さらに新しい庁舎を建てるのは、税金の無駄遣いだ」といった声が出た。とりわけ、明和地区、朝日地区では、そうした意見が多いという。 このほか、現在、同町では道の駅整備計画が進められているが、同事業でも「(旧3村の)どこにつくるか」が最大のポイントになっていた。「合併前の旧3村の感情論が絡みなかなか物事が進まない」というのはこういったことを指している。 「平成の大合併」では、核となる市があって、そこに近隣町村が〝編入〟した(形式上は対等合併でも実質的にそうなったものも含む)パターンと、同規模町村が合併して市になったパターンの大きく2つに分けられる。その中でも、後者は「均衡ある発展」を掲げ、その結果、分散型の行政組織や財政運用になった。 それが良いか悪いかは別にして、只見町は「昭和の大合併」以降、そうした状況が続いているというのだ。そんな事情から「平成の大合併」議論が出た際、住民・関係者は拒否反応を示し、南会津郡の合併に参加しなかったわけ。 こうして、三島町、金山町、昭和村、只見町は合併せず単独の道を歩むことになった。 さて、ここからは過去のシリーズと同様、単独の道を歩むうえで最も重要になる財政面について見ていきたい。ちょうど、全国的に「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための指標が公表されるようになった。別表は同法に基づき公表された4町村の各指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 三島町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度6・8012・6318・5103・80・162008年度8・6713・8917・868・70・152009年度10・2812・1915・644・90・132010年度――――13・01・80・122011年度――――11・2――0・122012年度――――9・6――0・122013年度――――7・9――0・122014年度――――6・1――0・132015年度――――4・2――0・132016年度――――3・1――0・142017年度――――2・8――0・142018年度――――3・5――0・152019年度――――4・1――0・152020年度――――4・8――0・15※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 金山町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度3・826・0720・782・30・242008年度3・667・6618・755・70・232009年度3・907・7915・527・90・232010年度2・970・8311・621・30・222011年度――――8・5――0・212012年度――――6・1――0・202013年度――――4・4――0・202014年度――――3・5――0・202015年度――――2・9――0・222016年度――――3・2――0・232017年度――――3・6――0・232018年度――――4・1――0・232019年度――――4・5――0・242020年度――――4・4――0・24※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 昭和村の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度1・323・9415・110・60・112008年度4・078・5813・5――0・112009年度2・877・0011・4――0・102010年度――――10・5――0・092011年度――――9・7――0・092012年度――――8・0――0・082013年度――――6・7――0・082014年度――――5・0――0・082015年度――――4・4――0・092016年度――――3・7――0・092017年度――――3・7――0・092018年度――――4・4――0・092019年度――――5・3――0・102020年度――――5・9――0・10※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 只見町の財政指標の推移実質赤字比率連結実質赤字比率実質公債費比率将来負担比率財政力指数2007年度2・245・1112・816・10・312008年度8・2111・2611・326・10・302009年度3・595・639・6――0・292010年度――――6・8――0・282011年度――――5・0――0・272012年度――――3・9――0・252013年度――――3・7――0・252014年度――――3・5――0・252015年度――――2・9――0・252016年度――――3・1――0・252017年度――――3・2――0・252018年度――――3・2――0・252019年度――――3・0――0・252020年度――――3・0――0・25※県市町村財政課公表の「財政状況資料」を基に本誌作成 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。 県市町村財政課による2020年度指標の総括によると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも差はない。 実質公債費比率は、全国市区町村平均が5・7%、県内平均が6・1%。昭和村は5・9%で全国平均を0・2ポイント上回っているが、ほかの3町村はいずれも全国平均を下回っている。推移を見ると、いずれもここ数年は最も良かったころからは多少比率が上がってはいるものの、単独を決めたころから比べると、だいぶ良化していることが分かる。 将来負担比率は、31市町村が発生しておらず、4町村はいずれもそれに当てはまる。しかも、早い段階から「算出なし」となっている。一方で、4町村とも財政力指数は低い。 4町村長に聞く 4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 矢澤源成三島町長 当時、三位一体の改革の下、財政基盤の強化、行政運営の効率化のため合併が進められたが、その後、地方創生総合戦略や東京一極集中是正の流れから、地域の特性を生かした地域づくりに財源が配分され、合併以前の状況とは異なるが、将来に向けては財政基盤がぜい弱な小規模自治体では不安がある。将来人口推計よりも早く、少子化、人口減少が進行しているが、再生可能エネルギーや地域資源を生かした経済循環とDXの推進等持続可能な地域づくりを進めることにより、財政基盤の強化や行政運営の効率化に繋がるものと考えている。 押部源二郎金山町長 財政状況については、実質公債費比率が健全な状況にあり、適切な状態を維持していると考えている。財政基盤強化については、総人件費と町債の抑制により安定的な財政基盤の確保に努めてきた。行政運営の効率化においても社会情勢の変化に即応した体制や効率化を図っており、今後も状況に応じた対応に努めていく。 舟木幸一昭和村長 本村は自主財源が乏しく、地方交付税を始めとする依存財源に頼らざるを得ない状況にあるので、歳出面では人件費や物件費、維持補修費や補助費などの見直しを図るとともに、村の振興を進めるため昭和村振興計画の実施計画を策定し、事業の平準化なども行ってきた。歳入面では財源確保として、積極的に国や県の補助金を活用するとともに、村債は後年度の償還に有利な過疎対策事業債を起債するなど工夫してきたことから、余剰金については財政調整基金や目的基金に積み立て、後年度負担すべき財源の確保に努めてきた。このことにより、財政健全化法が施行された2007年度から連続して健全財政を維持している。 職員数については、5年ごとに定員管理計画を定め、条例定数61人に対し定員50人を維持している。また、いわゆる団塊の世代の退職後は、職員の平均年齢が県内でも比較的若い状況であることから、ラスパイレス指数が低い状況となっている。 本村は、今後の人口減少を緩やかにしていくため、様々なアイデアを駆使し、移住・定住人口の確保に努めているが、今後想定される公共施設やインフラ設備の補修・改修などの大規模な財政支出により、財政を取り巻く状況は決して楽観できない状態が続くと予想される。今後も、これまでの堅実な財政運営を維持しつつ、産業の振興や移住・定住施策を進めるとともに、新たな試みにも果敢にチャレンジしながら、より一層、村の振興を進めていく。 渡部勇夫只見町長 「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」は合併の目的の大きな柱の1つであると理解している。同時にもう1つの大きな柱である「まちづくり」の方針(構想)も欠くことのできない点だと理解している。当町の財政状況は厳しい環境にあると認識しているので、「まちづくり」により一層力を注ぎながら取り組んでいく。 非合併の影響は軽微 前段で、三島町、金山町、昭和村の3町村は、会津坂下町、柳津町との合併話があり、その研究会関係者の「国は合併しなければ段階的に地方交付税を減らす方針で、将来的な財政の裏付けがないから、当時の5町村長は合併もあり得ると考えていた」とのコメントを紹介した。 実際、過去のこのシリーズでは合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物のこんな声を紹介した。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 そうした国の方針は、この首長経験者にとっては、脅しのような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、「合併するしか道はない」と考えたようだ。 一方で、シリーズ4回目の「東白川郡」では、「合併しない宣言」で知られる矢祭町の状況をリポートした。同町は2001年10月に議会が「合併しない宣言」を可決した。言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。そのため、国による締め付け等があったのではないかと思い、佐川正一郎矢祭町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 さらに、「合併しない宣言」後の大部分(2007年〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らす、という方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)の影響もあったと思います。財政的にも、根本良一前町長の時代に組織改革が行われ、必要な部分の投資も終わっていました。ですから、財政的にもそれほど厳しいということはなかった」 矢祭町の現・前町長の言葉からも分かるように、当時の関係者が危惧したような状況にはなっていない。今回の奥会津4町村についても、決して財政的に豊かではないが、少なくとも著しく住民サービスが劣ったり、行政運営ができない状況には陥っていない。当然、そこには各町村の努力もあるだろうが。 一方、奥会津で合併した南会津町の合併前の旧町村の予算規模(2004年度当初予算=福島民報社の『民報年鑑』より)は次の通り。 田島町▽65億9200万円 舘岩村▽28億4700万円 伊南村▽22億5200万円 南郷村▽25億円 合わせると141億9100万円になる。これに対し、合併後の南会津町の2022年度の当初予算額は126億3400万円。 以前、合併しなかった自治体の役場関係者はこう話していた。 「例えば、うちの自治体だと年間約30億円の予算が組まれる。それが合併したら、この地区(合併前の旧自治体の域内)に30億円分の予算が投じられることはまず考えられない。そういった点からも、合併すべきではないと考えている」 つまりは、合併後の核になる旧自治体は別として、単独の方がそこに投じられる予算が大きいから、住民にとってもその方がいい、ということだ。「なるほど」と思わされる見解と言えよう。 住民に聞いても、「合併しなくて良かった」との声が多かった。 「合併しなくてよかったと感じる。独自のまちづくりができるわけだから」(金山町民) 「結論から言えば合併しなくてよかった。この辺りは、『平成23(2011)年新潟・福島豪雨』で大きな被害を受けたが、水害対応にしても、只見線復旧にしても、町と意思疎通が図りやすいし、(水害の問題で)裁判などを起こす際にも動きやすい面はあったからね」(金山町民) 「合併しなくて良かったと断言できる。合併すれば役場は遠くに持って行かれ、昭和村にはせいぜい10人ほどの職員がいる支所が置かれる程度だったに違いない。その分、サービスは悪くなるし、住民の声が届きにくくなる。いま村では、カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から30代の夫婦が来ている。新聞でもよく取り上げられ、成功していると言っていい。これは合併していたらできなかった。あとは(会津美里町と昭和村を結ぶ国道401号の)博士トンネルが2023年度に開通することになっており、これができれば人の動きも出てくるだろう」(昭和村民) 「合併すると、どうしても旧町村間の感情論で、『あそこ(中心部)だけいろいろな施設ができて、ほかは何もできない』といった問題が出てくる。そういった意味でも、合併しなくて良かったのではないか。現状、余裕がないながらも、特に不便なく存続できているわけだから。それが一番だと思いますよ」(只見町民) 最大の課題は人口減少 一方で、大きな課題になっているのが人口減少と高齢化率の上昇だ。別表は4町村と奥会津地区で合併した南会津町の人口の推移をまとめたもの。各町村とも「平成の大合併」議論のころから3〜4割の減少になっている。もっとも、南会津町の例を見ても分かるように、合併してもしなくても、その傾向に大差はない。もし、合併して「市」になっていたとしてもこの流れは変えられなかった。 さらに、県が昨年の敬老の日(9月19日)に合わせて、9月18日に発表したデータによると、昨年8月1日時点の県総人口は179万3522人で、このうち65歳以上は57万8120人、高齢化率は32・9%(前年比0・4ポイント上昇)だった。 市町村別の高齢化率は、①飯舘村68・6%、②金山町61・9%、③昭和村55・4%、④三島町55・1%、⑤川内村52・5%と続く。上位5つのうち、奥会津の3町村が入っている。ちなみに、飯舘村と川内村は原発事故の避難指示区域に指定され、避難指示解除後に戻ったのは高齢者が多いという特殊事情がある。 昭和村の社会動態は増加 人口減少・高齢化問題について、4町村長に見解を求めた。 矢澤源成三島町長 人口減少と高齢化対策は、日本全体の課題であり、当町のような地方自治体は最も進行している地域であることから、対策のモデル地域となり得るが、雇用や働き方改革、結婚・子育て支援、住環境、教育支援等、社会全体で取り組む必要があると考える。 押部源二郎金山町長 人口減少と高齢化は町の最重要課題である。少子高齢化に伴う人口減少に特効薬はないが、引き続き移住・定住対策、交流人口の増加に力を入れていきたい。 舟木幸一昭和村長 出生と死亡の差は歴然としており、人口減少に大きな影響を与えているが、総務省による2022年の住民基本台帳人口移動報告では9人の転入超過、過去5年間の合計でも20人の転入超過となっているように、自然減を社会増で補おうとしているところ。1994年度から続く「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住が社会増に寄与しており、新年度からは新たに、本村が所有者から空き家を借り上げてリフォームし、就農希望者等の住居として貸し出す「移住定住促進空き家利活用事業」を立ち上げ、集落活性化に繋げていきたい。※高齢化率は約55%で、近年大きな変動はない。 渡部勇夫只見町長 非常に大きな課題だと認識している。町の魅力向上とともに関係人口の拡大に向けた事業に取り組んでいきたい。 前段で、昭和村民の「カスミソウの栽培推進や、からむし織事業が行われ、新規就農で都会から移住してくるなど成功している。これは合併していたらできなかった」との声を紹介した。舟木村長のコメントでも、「自然動態では人口は減少しているが、社会動態ではプラスになっている」という。その要因として、「からむし織体験生事業」による織姫・彦星の受け入れや、カスミソウ栽培に従事する新規就農者等の移住を挙げており、同村の事例を見ると、やれることはあるということだ。 このほか、同地域の住民はこんな意見を述べた。 「いまの社会情勢で人口減少や高齢化率上昇は避けられない中、もっと町村間の連携を強化すべき。『奥会津行政組合』のようなものを立ち上げ、ある程度縦断して行政機能が発揮されるようにすべきだと思う」 このシリーズの第1回の桑折町・国見町、第2回の大玉村、第4回の西郷村は、県内でも条件がいい町村だった。そのため、「合併する必要がない」といったスタンスだった。その点でいうと、今回の奥会津の4町村は条件的には厳しく、それら町村とは違う。一方で、人口規模が小さいがゆえの小回りが利くことを生かした思い切った仕掛けをすることも可能になる。そういった創意工夫が求められよう。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【東白川郡編】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま
文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)は昨年12月20日、原発賠償集団訴訟の確定判決を踏まえた新たな原発賠償指針「中間指針第5次追補」を策定・公表した。これを受け、東京電力は1月31日、「中間指針第五次追補決定を踏まえた賠償概要」を発表した。その内容を検証・解説していきたい。(末永) 懸念される「新たな分断」 東京電力本店 原子力損害賠償紛争審査会(原賠審)は、原発賠償の基本的な枠組みとなる中間指針、同追補などを策定する文部科学省内に設置された第三者組織である。 最初に「中間指針」が策定されたのは2011年8月で、その後、同年12月に「中間指針追補」、2012年3月に「第2次追補」、2013年1月に「第3次追補」、同年12月に「第4次追補」(※第4次追補は2016年1月、2017年1月、2019年1月にそれぞれ改定あり)が策定された。 以降は、原賠審として指針を定めておらず、県内関係者らはこの間、幾度となく「被害の長期化に伴い、中間指針で示した賠償範囲・項目が実態とかけ離れているため、中間指針の改定は必須だ」と指摘・要望してきたが、原賠審はずっと中間指針改定に否定的だった。 ただ、昨年3月までに7件の原発賠償集団訴訟で判決が確定したことや、多数の要望・声明が出されていることを受け、今後の対応が議論されることになった。 昨年4月27日に開かれた原賠審では、同年3月までに判決が確定した7件の原発賠償集団訴訟について、「専門委員を任命して調査・分析を行う」との方針が決められた。その後、同年6月までに弁護士や大学教授など5人で構成される専門委員会が立ち上げられ、確定判決の詳細な調査・分析が行われた。同年11月10日に専門委員会から原賠審に最終報告書が提出され、これを受け、原賠審は同年12月20日に「第5次追補」を策定・公表した。 それによると、追加の賠償項目として「過酷避難状況による精神的損害」、「避難費用、日常生活阻害慰謝料及び生活基盤喪失・変容による精神的損害」、「相当量の線量地域に一定期間滞在したことによる健康不安に基礎を置く精神的損害」、「自主的避難等に係る損害」の4つが定められた。そのほか、事故発生時に要介護者や妊婦だった人などへの精神的損害賠償の増額(※賠償項目は「精神的損害の増額事由」)も盛り込まれている。 具体的な金額などについては、実際に賠償を実施する東京電力が発表したリリースを基に後段で説明するが、これまでに判決が確定した集団訴訟では、精神的損害賠償の増額や「ふるさと喪失に伴う精神的損害賠償」、「コミュニティー崩壊に伴う精神的損害賠償」などが認められており、それに倣い、原賠審は賠償増額・追加項目を定めたのである。 このほか、原賠審では東電に次のような対応を求めている。 ○指針が示す損害額の目安が賠償の上限ではないことはもとより、指針において示されなかったものや対象区域として明示されなかった地域が直ちに賠償の対象とならないというものではなく、個別具体的な事情に応じて相当因果関係のある損害と認められるものは、全て賠償の対象となる。 ○東京電力には、被害者からの賠償請求を真摯に受け止め、上記に留意するとともに、指針で賠償の対象と明記されていない損害についても個別の事例又は類型毎に、指針の趣旨も踏まえ、かつ、当該損害の内容に応じて賠償の対象とする等、合理的かつ柔軟な対応と同時に被害者の心情にも配慮した誠実な対応が求められる。 ○ADRセンターにおける和解の仲介においては、東京電力が、令和3(2021)年8月4日に認定された「第四次総合特別事業計画」において示している「3つの誓い」のうち、特に「和解仲介案の尊重」について、改めて徹底することが求められる。 避難指示区域の区分 同指針の策定・公表を受け、東電は1月31日に「中間指針第五次追補決定を踏まえた避難等に係る精神的損害等に対する追加の賠償基準の概要について」というリリースを発表した。 以下、その詳細を見ていくが、その前に、賠償範囲の基本となる県内各地の避難指示区域等の区分(地図参照)について解説する。 地図上の「A」は福島第一原発から20㌔圏内の帰還困難区域。なお、ここには双葉・大熊両町にあった居住制限区域・避難指示解除準備区域(※現在は解除済み)も含まれている。両町の居住制限区域・避難指示解除準備区域は、原賠審の各種指針でも「双葉・大熊両町は生活上の重要なエリアが帰還困難区域に集中しており、居住制限区域・避難指示解除準備区域だけが解除されても住民が戻って生活できる環境にはならない」といった判断から、帰還困難区域と同等の扱いとされている。 「B」は福島第一原発から20㌔圏外の帰還困難区域。旧計画的避難区域で、浪江町津島地区や飯舘村長泥地区などが対象。 「C」は福島第一原発から20㌔圏内の居住制限区域と避難指示解除準備区域(双葉・大熊両町を除く)。このエリアは2017年春までにすべて避難解除となった。 「D」は福島第一原発から20㌔圏外の居住制限区域と避難指示解除準備区域。旧計画的避難区域で、川俣町山木屋地区や飯舘村(長泥地区を除く)などが対象。 「E」は緊急時避難準備区域。主にC・D以外の20~30㌔圏内が指定され、2011年9月末に解除された。 「F」は屋内退避区域と南相馬市の30㌔圏外。屋内退避区域は2011年4月22日に解除された。南相馬市の30㌔圏外は、政府による避難指示等は出されていないが、同市内の大部分が30㌔圏内だったため、事故当初は生活物資などが入ってこず、生活に支障をきたす状況下にあったことから、市独自(当時の桜井勝延市長)の判断で、30㌔圏外の住民にも避難を促した。そのため、屋内退避区域と同等の扱いとされている。 「G」は自主的避難等対象区域。A~D以外の浜通り、県北地区、県中地区が対象。 「H」は白河市、西白河郡、東白川郡が対象。なお、宮城県丸森町もこれと同等の扱い。 「I」は会津地区。今回の「第5次追補」では追加賠償の対象になっていない。 このほか、伊達市、南相馬市、川内村の一部には特定避難勧奨地点が設定されたが、限られた範囲にとどまるため、地図では示していない。 追加賠償の項目と金額 この区分ごとに、今回の追加賠償の項目・金額を別表に示した。それが個別の事情(避難経路に伴う賠償増額分、事故発生時に要介護者や妊婦だった人などへの精神的損害賠償の増額)を除いた一般的な追加賠償である。 なお、表中の※1、2は、2011年3月11日から同年12月31日までの間に18歳以下、妊婦だった人は60万円に増額となる。※3は、福島第二原発から8〜10㌔圏内の人に限り、15万円が支払われる。具体的には楢葉町の緊急時避難準備区域の住民が対象。※4〜7はすでに一部賠償を受け取っている人はその差額分が支払われる。例えば、自主的避難区域の対象者には2012年2月以降に8万円、同年12月以降に4万円の計12万円が支払われた。これを受け取った人は、差額分の8万円が追加されるという具合。なお、子ども・妊婦にはこれを超える賠償がすでに支払われているため対象外。 県南地域・宮城県丸森町(地図上のH)への賠償は、「与党東日本大震災復興加速化本部からの申し入れや、与党の申し入れを受けた国から当社への指導等を踏まえて追加賠償させていただきます」(東電のリリースより)という。 そのほか、東電は、追加賠償の受付開始時期や今回示した項目以外の賠償については、「3月中を目処にあらためてお知らせします」としている。 いずれにしても、原賠審の指摘にあったように、「指針が示す損害額の目安が賠償の上限ではない」、「指針で示されなかったものや対象区域として明示されなかった地域が賠償対象にならないわけではない」、「被害者からの賠償請求を真摯に受け止め、指針で明記されていない損害についても個別事例、類型毎に、損害内容に応じて賠償対象とするなど、合理的かつ柔軟な対応が求められる」、「『和解仲介案の尊重』について、あらためて徹底すること」等々を忘れてはならない。 ところで、今回の追加賠償はすべて「精神的損害賠償」に付随するものと言える。そう捉えるならば、追加賠償前と追加賠償後の精神的損害賠償の合計額、区分ごとの金額差は別表のようになる。帰還困難区域と居住制限区域・避難指示解除準備区域の差は600万円から480万円に縮まった。ただ、このほかにすでに支払い済みの財物賠償などがあり、それは帰還困難区域の方が手厚くなっている。 原発事故以降続く「分断」 いまも元の住居に戻っていない居住制限区域の住民はこう話す。 「居住制限区域・避難指示解除準備区域はすべて避難解除になったものの、とてもじゃないが戻って以前のような生活ができる環境にはなっていません。まだまだ以前とは程遠い状況で、実際、戻っている人は1割程度かそれ以下しかいません。多くの人が『戻りたい』という気持ちはあっても戻れないでいるのが実情なのです。そういう意味では、(居住制限区域・避難指示解除準備区域であっても)帰還困難区域とさほど差はないにもかかわらず、賠償には大きな格差がありました。少しとはいえ、今回それが解消されたのは良かったと思います」 もっとも、帰還困難区域と居住制限区域・避難指示解除準備区域の差は少し小さくなったが、避難指示区域とそれ以外という点では、格差が拡大した。 そもそも、帰還困難区域の住民からすると、「解除されたところ(居住制限区域・避難指示解除準備区域)と自分たちでは全然違う」といった思いもあろう。 原発事故以降、福島県はそうしたさまざまな「分断」に悩まされてきた。やむを得ない面があるとはいえ、今回の追加賠償で「新たな分断」が生じる恐れもある。 一方で、県外の人の中には、福島県全域で避難指示区域並みの賠償がなされていると勘違いしている人もいるようだが、実態はそうではないことを付け加えておきたい。 中間指針第五次追補等を踏まえた追加賠償の案内 https://www.tepco.co.jp/fukushima_hq/compensation/daigojitsuiho/index-j.html あわせて読みたい 原賠審「中間指針」改定で5項目の賠償追加!?
「平成の大合併」に参加しなかった県内自治体のいまに迫るシリーズ。第3弾となる今回は、「合併しない宣言」で知られる矢祭町、合併を模索したものの、住民投票の結果、合併が立ち消えになった棚倉町、塙町、鮫川村の東白川郡4町村を検証していく。(末永) 国の方針に背いた矢祭町は「影響が軽微」 東白川郡は棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村の4町村で構成される。国の方針で「平成の大合併」議論が巻き起こった際、矢祭町議会は「合併しない宣言」を可決した。それが2001年10月のことで、早々に「単独の道」を選択したのである。同町は県最南端の県境に位置するため、合併すれば〝どん詰まり感〟が増す。町民の多くも「合併を望まない」との意向だった。 一方、ほかの3町村は「合併は避けられない」と考え、町村長、議会が勉強会を実施し、2002年2月に任意合併協議会、同年7月には県内初となる法定合併協議会を設置した。当時、3町村の人口は、棚倉町が約1万6000人、塙町が約1万1000人、鮫川村が約4500人で、新市への移行要件である「人口3万人」を少し超える規模だった。合併期日は2004年3月1日に設定し、実現すれば「平成の大合併」県内第1号、新市誕生となるはずだった。 ただ、2003年7月に実施した合併の賛否を問う住民投票で情勢が一変した。住民投票の結果、棚倉町は65%が賛成だったが、塙町は55%、鮫川村は71%が反対だったのだ。 事前の見立てでは、「棚倉町は賛成が上回るのは間違いない。塙町は拮抗するが、若干、賛成が上回るのではないか。鮫川村は反対が上回る可能性が高いが、それほど大きな差にはならないだろう」というもの。ところが、蓋を開けてみると、棚倉町は予想通りとなったが、塙町は予想に反して反対が上回り、鮫川村の反対比率も予想以上だった。 棚倉町は県南農林事務所の一部機能、土木事務所などの県の出先が置かれ、東白川郡の中心に当たる。そのため、合併後の新事務所(市役所)が置かれる公算が高かった。新市の中心になれる棚倉町と、そうでない2町村では合併に対する住民の捉え方が違っていたということだ。 住民投票の結果を受け、3町村長は「住民は合併を望んでいない」と判断し、法定合併協議会の解散を決めた。 その直後には鮫川村の芳賀文雄村長が辞職した。芳賀村長は2003年4月に5回目の当選を果たしたばかりで、「合併を成し遂げることが自身の最後の仕事」と捉えていたようだ。しかし、合併が立ち消えになったため、5選されてからわずか3カ月程度で自ら身を引いた格好。 こうして、東白川郡4町村はそれぞれ単独の道を歩むことになったのである。ちなみに、合併協議に当たり、住民投票を行ったのは県内ではこの3町村だけだった。 単独の道を歩むうえで、最も重要になるのが財政面だ。別表は4町村の各財政指標の推移と、職員数(臨時を含む)、ライスパイレス指数をまとめたもの。 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。 県市町村財政課の2020年度のまとめによると、一般会計等の実質赤字額を示す「実質赤字比率」と、一般会計等と公営事業会計の連結実質赤字額を示す「連結実質赤字比率」が発生している市町村は県内にはない。つまり、そこにはどの市町村にも大差はない。 実質公債費比率の全国の市区町村平均は5・7%、県内平均は6・1%で、矢祭町はここ数年は多少上昇傾向にあるものの、全国・県内平均を大きく下回っている。 将来負担比率は、県内31市町村が発生しておらず、棚倉町、矢祭町、鮫川村がそれに該当する。棚倉町は2020年度から「算出なし」だが、矢祭町と鮫川村は早い段階から発生していない。 こうして見ると、矢祭町の指標がいいことが分かる。「合併しない宣言」以降、相応の努力をしてきたのだろう。 4町村長に聞く 4町村長に財政指標、職員数などの数字をどう捉えるか、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応について見解を求めた。 湯座一平棚倉町長 平成15(2003)年以降の棚倉町の財政は、地方交付税の削減幅が予測より小さかったことや地方への税源移譲により、歳入が堅調に推移してきたため、住民サービスの低下を招くことなく安定した運営ができています。財政力指数についても、県内平均より高い水準で推移してきていますので、合併しなかったことで財政的に行き詰まるといった心配は、杞憂に終わりました。 職員数については、合併を想定して策定した定員適正化計画に基づいた定員管理を行うことで、平成14(2002)年の168人から令和4(2022)年には126人と、この20年間で42人の減員を進めてきました。これは、指定管理者制度の導入やIT技術の導入による事務の効率化、さらには組織機構の改編をこまめに行い事務の効率化・簡素化に取り組んできた結果です。 ラスパイレス指数については、平成18(2006)年の給与制度改正時に年齢別職員の偏在により一時高い数値を示しましたが、現在は落ち着いた数値で推移しています。 「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと今後の対応につきましては、歳入に見合った予算編成を是とし、住民サービスの質を落とすことなく、将来の財政需要に備えて基金の積み増しや、計画的な施設の維持補修を行い、将来的に人口減少と少子高齢化の課題解決ができるよう取り組みを展開していきます。 佐川正一郎矢祭町長 財政指標に対する見解については、本町は30~40%の財政力指数が示すとおり、自主財源に乏しい小規模自治体ではありますが、2012年度以降の実質公債費比率が5%未満であるなど、財政の基本である「入るを量りて出ずるを為す」の精神が受け継がれ、健全財政を堅持できていることは、「合併しない宣言」以降の徹底的な行財政改革の成果であると思っています。職員数とラス指数については、ここ数年増加傾向にありますが、多様化する町民ニーズへの対応や高度化する行政課題解決のための必要最小限の増員であり、職員の負担が減少していない現状を考えると更なる対応が必要であると思っています。 これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みについては、「子育てサポート日本一!」をスローガンに掲げ、議員定数の削減や議員報酬日当制の導入、事務事業の見直しや業務の効率化に伴う職員の大幅な削減等で捻出した財源を少子化対策に充てるなど、次代を担う子どもたちのための施策を充実させてきました。 今後も行政サービスの低下を招かず、コスト削減をするにはどうすればよいか、受益者負担の適正化についても、町民と共に考えながら、DXを推進するためのデジタル人材の育成やデジタルサービスの提供による利便性の向上と業務の効率化に注力し、更なる行財政改革を進めていきます。 宮田秀利塙町長 財政状況資料の各種数値は、人間に例えれば、健康度合の指数と捉え、栄養不足・偏り、肥満、運動不足にならないように、常に、注視を怠らないように心がけています。 また、当町では福島財務事務所へ平成29(2017)年度と令和2(2020)年度の二度、町の財政状況の診断をお願いしており、その結果、当面問題となるような数値はないとの診断をいただいております。この後も時々に診断をお願いし、財政基盤強化の指針としていく考えです。 更に財政基盤強化のためには、自主財源である町税確保のために、町内での起業支援を広範に推進して参りたいと考えています。 行政運営の効率化については、地域の環境整備とコミュニティ維持を目的として実施中の「地域振興事業交付金事業」に代表されるように、住民が自ら出来ることは自分達で担い、行政はその一助として財政的に支援するという「住民協働と行政参画」の推進を行い、様々な行政サービスの受益と負担の関係を、より一層明確化するとともに、地域の住民が、行政サービスの費用負担とそこから得られる受益を比較・考慮して、出来るだけ、自らの判断と責任で地域の行政サービスの水準を決定できるような仕組みに改めていく必要があると考えています。 また、職員には、事業費の財源の内容提示の徹底を図ることで、財源確保の意識を高め、積極的な交付金、補助金の活用を推進して参りながら、前例に、こだわることなく、あらゆる可能性の中での財政基盤強化、効率化への取り組みを進めて参りたいと考えています。 関根政雄鮫川村長 財政力指数は0・17と全県的にも下位にあり、自主財源確保も厳しい状況にあります。 本村は平成18(2006)年の行財政改革のひとつとして特別職や議会議員の報酬を20~25%削減するなど財政再建を図りながら現在に至ります。「入るを量りて出ずるを為す」。ふるさと納税等の自主財源確保と目的を果たした公有財産の処分等、「身丈にあった財政計画」を推進しています。 また、運営の効率化においては、既に給食センター運営は隣町と連携しています。少子高齢化に相応する職員の採用計画と配置も不可欠です。さらに業務の効率化優先で「住民サービス」が低下しないよう最大考慮すべきであると考えます。 × × × × 「単独」の強みとは このほか、「単独」だからできたこと、その強み等々についても見解を聞いたので紹介したい。 湯座一平棚倉町長 棚倉町の場合は、合併に賛成したけれども単独の道になったという事情がありますが、合併協議を経験したことで、以前のようにフル装備の町を目指すのではなく、住民生活に必要なものを見極めて、必要なものだけを整備していくという考え方で、代替えできる施設については、廃止するなどの対応をしてきています。例を挙げると町民プールはルネサンス棚倉のプールや各小中学校のプールを活用することで廃止とし、中央公民館についても文化センターに公民館機能を持たせることで廃止しています。また、図書館については、代替えがきかない必要な施設として新たに整備しています。 さらに、合併しなかったことにより、城下町の特性に着目し「東北の小京都」として観光PRを展開するなど、町にある資源に着目したまちづくりを進めています。 まちづくりの基本理念は「住民が主役のまち」「安心で優しいまち」「誇りと愛着のもてるまち」であり、「人を・心を・時をつなぐ たなぐらまち」を目指す将来像としてきめ細やかな行政運営に徹しています。 佐川正一郎矢祭町長 「単独」だからできたこと、「小さな自治体」だからできたことは、そう多くはなかったと思いますが、自信も持って言えることは、住民自治の重要性に気づき、逸早く行政の守備範囲を見直し、町民や各種団体等がそれぞれのできる範囲で行政に参加し、町と協働して地域を運営するという、町民が自分たちの手で地域を育てていく仕組みづくりを構築できたことであると思います。 また、その強み等々については、小さな自治体は、地域住民が自らの地域に目を向け、地域を調べ、知り、考えることから始まります。高齢者等の見守りや援助の体制、まちづくりに関わる住民との連携など、住民の顔が見える小さな自治体であればこそ、きめ細かい対応が可能になると思っています。また、災害が起こった場合どこが危険かなど、地域の環境について知悉(ちしつ)している職員がいることで、迅速な対応ができることも、強みであると思っています。 宮田秀利塙町長 町内のインフラ整備等の要望に対しまして、きめ細やかな対応が出来たことかと思っています。地域代表者と直接の話し合いの場を持つことで、地域の現状をしっかりと把握し、現状に即し、地域の皆様が喜ぶ工事・修復を実施することが出来ました。ひいてはそれが無駄な出費の削減にもつながりました。 具体的には、町の財政節減の考えを説明することで、その現場の対応を、町が行うべきか、あるいは地域での対応が妥当なのか、を話し合いの中から導き出した結果、最良な対応の選択が可能となり、迅速で無駄の少ない行政サービスの提供につながってきました。当然のことながら、地域で対応する場合は、資材等の支給を町が行うと共に、資材以外の部分でも財政支援を行うことで住民の負担軽減にも努めました。 「単独」であったことの、最大の強みは、住民の様々な思いを、直接聞きやすい環境であるため、住民の声に対し、きめ細やかに、しかも素早い対応が出来ることかと思っています。 関根政雄鮫川村長 他町村から比較すると、全ての生活環境において条件が整っていないと思いきや、過疎地域の環境には大きな個性的魅力があります。さらに人口減少は避けられないが、全村民に「村づくりの理念」や「希望や喜び」を隅々まで丁寧に伝えることができる利点もあります。 村の最大の魅力は「小さな村であること」であり、「村民主体の村づくり」を推進し「幸福度」を高めるためには理想の自治体規模であると考えています。 × × × × 1つ例を挙げたい。原発事故の影響で、県内では牧草から基準値超の放射性物質が検出される事例が相次いだ。これを受け、畜産農家が多い鮫川村では、海外から干し草を購入し、村内約140戸の畜産農家に配布した。それにかかった費用は、後に村が東京電力に賠償請求する仕組みをつくった。言わば、村が畜産農家の牧草調達と東電への賠償請求を代行した格好。当初、東電は自治体の賠償には消極的で対応が遅かったが、この仕組みは「鮫川ルール」として、比較的迅速に賠償支払いが行われた。畜産農家からしたら、面倒な手続きを村が代行してくれ、ありがたかったに違いない。これは、単独だからできたことと言えよう。 顕著な人口減少 一方で、大きな課題になっているのが人口減少だ。別表は東白川郡4町村の人口の推移。各町村とも人口減少が顕著になっている。もっともこれは、合併していたとしても同じ結果になっていたはず。全国的な課題で、なかなか打開策はないが、合併しなかったことで、小回りが利くことを生かして、それぞれやれることをやるしかない。 このほか、郡内住民の声を聞くと「結果的に合併しなくてよかったのではないか」といった意見が多い。 「何がどう、と聞かれると難しいけど、結果的に合併しなくても不自由なことはなかったから、(合併がなくなったのは)よかったのではないか」(棚倉町民) 「当時の国の方針は、合併しなければ交付税を減らすというものだった。でも、住民投票の結果、合併話がなくなり、これから大変だぞ、と思ったけど、実際はそれほどではなかった。まあ、(行政の)内部は大変だったのかもしれないけど。いずれにしても、東白川郡の現状を見ると、合併しなくてよかったのだと思う」(棚倉町民) 「(隣接する)茨城県で合併したところの住民に聞いたけど、『合併してここが良くなった』という具体的な話は聞かない。矢祭町は最初から合併しない方針だったけど、正解だったと思う」(矢祭町民) 東白川郡に限らず、住民の心情としては、「できるなら、いまのままで存続してほしい」といった意見が多い。ただ、当時、行政の内部にいた人に話を聞くと、「地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」、「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」との不安があったという。そのため、「国の方針に従った方がいい」として合併を模索し、実際に成立させたわけ。 国に逆らった影響 その点で言うと、矢祭町は「合併しない宣言」を議会が可決し、言うなれば真っ先に国に逆らった形になる。その影響や、締め付け等を感じることはあったのか。この点について、佐川町長に見解を求めると次のような回答だった。 「『合併しない宣言』が決議された当時、私自身はそうした情報を知り得る立場にありませんでしたが、当時を知る職員に話を聞くと、少なからず、地方交付税等の削減はあったものの、国からの締め付けは思ったほどではなく、合併をしないことによる財政的な影響は少なかったと聞いています」 「合併しない宣言」後の大部分(2007〜2019年)で舵取りを担った古張允前町長にも話を聞いたが、「締め付けというほどのことはなかった」と話した。 「確かに、国は合併しなかったら交付税を減らすとの方針でしたが、実際はそうでもなかった。(それほど影響がなかった背景には)二度の政権交代(自民党→民主党→自民党)も関係していると思います。財政的にも、根本良一元町長の時代に行財政改革が行われ、必要な部分の投資もある程度は完了していました。私の時代の大きな事業といえば、こども園建設と小学校統合くらいですかね。ですから、財政的にすごく苦労したということはありませんでした。むしろ、国の締め付け云々よりも、『日本一の町長』と評された根本町長の後を受けたプレッシャーの方が大きかったですよ」 最後に。いま同郡内で不安材料になっているのが衆議院小選挙区の区割り改定だ。これまでは須賀川市、白河市、田村市などと同じ3区だったが、改定後は会津地方、白河市、西白河郡と一緒の新3区になる。 東白川郡は車両ナンバーが「いわき」で、どちらかというと浜よりの文化・生活圏。県内でも会津とは縁遠い。そのため、「東白川郡はもともと票(人口)が多くないし、会津地方と一緒になったら、代議士の先生の目が向きにくくなるのではないか、といった不安がある」というのだ。 合併の話からは逸れてしまったが、今後の同郡内の行政を考えるうえでは、そこが不安材料になっているようだ。 あわせて読みたい 【桑折町・国見町】合併しなかった福島県内自治体のいま 【大玉村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【西郷村】合併しなかった福島県内自治体のいま 【奥会津編】合併しなかった福島県内自治体のいま
郡山市が通勤圏内、プラント立地で人口増 国の意向で2000年代を中心に進められた「平成の大合併」。県内では90市町村から59市町村に再編された。そこに参加しなかった県内自治体のいまに迫るこのシリーズ。今回は、安達郡で唯一「単独の道」を選択した大玉村を検証していく。(末永) 「平成の大合併」前、安達郡は大玉村のほか、安達町、岩代町、東和町、本宮町、白沢村の4町2村で構成されていた。これに二本松市を加えた1市4町2村が「安達地方」に位置付けられ、それら市町村で消防行政やごみ・し尿処理施設、斎場(火葬場)運営などを担う「安達地方広域行政組合」が組織されていた。 「平成の大合併」では、2005年12月1日付で二本松市と安達町、岩代町、東和町が合併して新・二本松市に、2007年1月1日付で本宮町と白沢村が合併して本宮市になったが、大玉村はいずれにも加わらなかった。これにより、安達地方広域行政組合の構成員は2市1村となり、安達郡は大玉村のみとなった。ちなみに、県内で1郡1村(1郡1町を含む)は安達郡(大玉村)だけである。 当時の大玉村役場関係者はこう述懐する。 「いまも存在していますが、以前から本宮町、大玉村、白沢村の首長、助役(※当時=現在は副市町村長に名称変更)、議員などで構成する『南逹地方振興協議会』というものがあり、広域的に地域振興や課題への対応などを協議していました。ですから、『平成の大合併』の議論が巻き起こった際、それが1つの枠組みになるのではないかと捉えられていました。東北部(二本松市)との合併は、当初からそれほど話題にはなっていなかったように思います」 前述したように、「安達地方」は1市4町2村で構成されていたが、二本松市、安達町、岩代町、東和町の「東北逹」と、本宮町、大玉村、白沢村の「南逹」が合併の枠組みとして捉えられていたというのだ。 当時の本誌取材の感覚では、「東北逹」は二本松市と安達町は地理的な条件面などで優れているが、岩代町と東和町は国道4号やJR東北本線のラインから外れ、地理的条件などが厳しかった。そのため、「東北逹」の合併は二本松市と安達町が岩代町と東和町を救済するといった側面があったように思われる。 一方、「南逹」は当時の大玉村役場関係者のコメントにもあったように、「南逹地方振興協議会」というものがあり、もともと広域連携や交流、結び付きがあった。そのため、「合併するなら、この3町村で」と捉えられていたようだ。 ただ、当時、本宮町は工業団地の造成に伴う財政負担が大きく、大玉村からすると合併相手としては決していい条件とは言えなかった。 一方で、白沢村は岩代・東和両町と同様、国道4号やJR東北本線が通っている自治体に比べると、地理的条件などが厳しかった。 そのため、大玉村は消極的で、本宮町と白沢村で合併協議が進められることになった。なお、当時の国の方針では、新市(市政施行)への移行条件は「人口3万人以上」だった。合併時、本宮町の人口は約2万2000人、白沢村は約9000人で、それを満たしていたこともあり、両町村が合併して本宮市が誕生した。 こうして、安達地方は2市1村に再編され、大玉村は「単独の道」を選択した。なお、合併議論が巻き起こった際、大玉村長だったのは浅和定次氏で1993年から2013年まで5期20年務めた。2013年からは押山利一氏が村長に就き、現在3期目。押山氏は元役場職員で、浅和村長の下で、総務課長や教育長などを歴任した。「単独の道」を決めた浅和氏、それを近くで見てきた押山氏が合併議論の渦中と、その後の村政を担ってきたのである。 押山利一村長 一部に「心配」の声 とはいえ、前出・当時の大玉村役場関係者によると、「大玉村役場内でも、一部では合併すべきといった意見もあった」という。その理由は、やはり「合併しなかったら、すなわち国の意向に逆らったら、地方交付税が減らされ、立ち行かなくなるのではないか」といった心配事があったからだ。 前号の「桑折町・国見町編」でも紹介したが、合併議論最盛期に、県内で首長を務めていた人物はこう語っていた。 「当時の国の方針は、財政面を背景とする合併推奨だった。三位一体改革を打ち出し、地方交付税は段階的に減らすが、合併すればその分は補填する、というもの。そのほか、合併特例債という合併市町村への優遇措置もあった。要するにアメをちらつかせたやり方だった」 この首長経験者にとって、そうした国の方針は「脅し」のような感覚だったようだ。「地方交付税が減らされたらやっていけない。住民サービスが維持できず、住民に必要な事業もできなくなるのではないか」といった強迫観念に駆られ、合併を選択したというのである。 大玉村でも、同様の心配をする声があったということだ。行政の内部にいたら、そういった思いになるのは当然のことと言えるが、「いまになって、あらためて振り返ってみると、合併しなくて良かったと思う」(前出・当時の大玉村役場関係者)という。 それは、合併しなかった市町村への国からの〝締め付け〟が思ったほどではなかったから、と言えよう。 もっとも、前号で検証した桑折町・国見町もそうだったが、合併しなかった市町村は、それなりの「努力の形跡」が見て取れる。 ちょうど、「平成の大合併」が進められていた2007年6月に「地方公共団体の財政の健全化に関する法律」(財政健全化法)が公布され、同年度決算以降、財政健全化を判断するための各種指標が公表されるようになった。 別表は同法に基づき公表されている大玉村の各指標の推移。比較対象として、同地区で合併した本宮市の各指標を併記した。 大玉村の職員数とラスパイレス指数の推移 用語解説(県市町村財政課公表の資料を元に本誌構成) ●実質赤字比率 歳出に対する歳入の不足額(いわゆる赤字額)を、市町村の一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●連結実質赤字比率 市町村のすべての会計の赤字額と黒字額を合算することにより、市町村を1つの法人とみなした上で、歳出に対する歳入の資金不足額を、一般財源の標準的な規模を表す「標準財政規模」で除したもの。表の数字が示されている年度は、それだけの「赤字」が発生しているということ。表の「――」は「赤字」が発生していないということ。 ●実質公債費比率 2006年度から地方債の発行が従来の許可制から協議制に移行したことに伴い導入された財政指標。義務的に支出しなければならない経費である公債費や公債費に準じた経費の額を、標準財政規模を基本とした額で除したものの過去3カ年の平均値。この数字が高いほど、財政の弾力性が低く、一般的には15%が警告ライン、20%が危険ラインとされている。 ●将来負担比率 実質赤字比率、連結実質赤字比率、実質公債費比率の3つの指標は、それぞれ当該年度において解消すべき赤字や負債の状況を示すもの(すなわち「現在の負担」の状況)。一方、将来負担比率は、市町村が発行した地方債残高だけでなく、例えば、土地開発公社や、市町村が損失補償を付した第三セクターの債務などを幅広く含めた決算年度末時点での将来負担額を、標準財政規模を基本とした額で除したもの(すなわち「将来の負担」の状況)。数字が高いほど、将来、財政を圧迫する可能性が高い。表の「――」は「将来負担」が算出されていないということ。 ●財政力指数 当該団体の財政力を表す指標で、算定方法は、基準財政収入額(標準的な状態において見込まれる税収入)を基準財政需要額(自治体が合理的かつ妥当な水準における行政を行った場合の財政需要)で除して得た数値の過去3カ年の平均値。数値が高くなるほど財政力が高いとされる。 ●ラスパイレス指数 地方公務員の給与水準を表すものとして、一般に用いられている指数。国家公務員(行政職員)の学歴別、経験年数別の平均給料月額を比較して、国家公務員の給与を100としたときの地方公務員(一般行政職)の給与水準を示すもの。 全体的に指標は良化していることが見て取れる。実質公債費比率は近年は若干増加傾向にあり、本宮市に「逆転」された形になっているが、将来負担比率は2020年度は「算出なし(ゼロ、あるいはマイナス)」となっている。 もっとも、前号でも紹介したが、元福島大学教授で、現在は公益財団法人・地方自治総合研究所(東京都千代田区)の主任研究員を務める今井照氏によると、ここ数年は制度的な事情で、全国自治体の財政事情が改善しているという。 「2020年度以降、国では法人税収が増加していて、それを反映して地方交付税の原資も改善され、新たな借金(臨時財政対策債)の発行をほとんどしなくて済むばかりか、これまでの借金(臨時財政対策債)を償還する原資も国から交付されています。つまり全国の自治体財政の財政指標はこの3年間で大きく改善されているのです」(今井氏) 次に職員数とラスパイレス指数について。近年、臨時を含めた職員数は増えている。その要因については、後段で押山村長に見解を聞いている。 特筆すべきは人口の推移。別表に安達地方3市村の人口の推移をまとめたが、二本松市が合併直後と比べると約1万人減、本宮市が微減となっている中、大玉村だけは増加し続けている。これは県内市町村では極めて稀有なこと。特に、福島県の場合は、東日本大震災・原発事故を受け、人口減少が加速した。そんな中で、一時的に増加に転じるところはあっても、安定的かつ長年にわたって増加し続けているのは、県内では大玉村と西郷村だけである。 こうした各種指標や人口の推移などについてどう捉えているのか、押山村長に聞いた。 ――「平成の大合併」の議論が進められていた際、近隣では旧二本松市と安達郡3町、本宮町と白沢村の合併がありました。大玉村にもその誘いがあったと思いますが、当時の村長はじめ、関係者の「単独の道」という選択をしたことについて、いまあらためてどう感じていますか。 「当時、私は村役場総務課長として市町村合併を担当しておりました。安達管内は二本松藩の域内であり歴史的に結びつきが強く『安達はひとつ』の考えの下に『安達地方広域行政組合』をはじめとして、強い結びつきがありました。 当初は、域内7市町村または3町村の合併論議はありましたが、当村では伝統的に『自主独立』の気運が強く、村内での住民との意見交換会でも『合併すべき』の意見はごく一部で大多数が反対意見でした。 議会をはじめ、各種機会に意見をうかがいましたが、議会及び村民の合併に対する意見は、大多数が合併は望まないとのものでした。そこで、大玉村としては『村民の望まない合併はしない』と早い段階で決定した次第です。 その選択が村民にとって良かったかどうかは、その時点で選択の余地がなかったとはいえ、単独の道を選んだ以上は村民の皆さんがそのようなことを意識しないで生活できる村政の執行が肝要だと思っています」 ――当時の合併の目的として「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」があり、合併しないとなると、当然、その部分での努力が求められます。(別表で示した)財政指標、職員数とラス指数についてどう捉えていますか。また、これまでの「財政基盤強化」、「行政運営の効率化」への取り組みと、今後の対応についてはどう考えていますか。 「『財政指標』については、もともと4割弱の財政力指数が示す通り典型的な小規模自治体ですが、『住民サービスを落とさずに健全財政を維持する』をテーマとして、前村長時代からの村政執行のベースとなっています。 『入るを量りて出ずるを為す』は当然のこととして、行政の先行投資の部分も当初から行われていたと思います。例えば、保育料や幼稚園の一部減免、定住化政策への助成などのソフト面から、ハード面は徹底して身の丈に合った施設でランニングコストを極力抑えるものとする等の徹底も財政力指標に表れていると考えています。 『職員数とラスパイレス指数』については、近年の保育所の入所増、幼稚園の3年保育実施、増え続ける行政需要に対応するための増加であるが、それでも職員の負担は旧に倍して増大しています(※職員定数は116人)。 『財政基盤強化』、『行政運営の効率化』への取り組みと今後の対応については、住民サービスの水準を落とさずに財政調整基金等の積み増しを図りつつ、将来を見据えて新規事業に取り組んでいます。 今後も子育て支援や定住化政策、健康長寿の村づくり、公共交通網の整備等の『村民の満足度を高める政策』の継続と、将来のための企業の誘致基盤の確立に努めていきます」 人口増加の要因 ――大玉村は県内では数少ない人口が増えている自治体です。その要因とこれまでの対策、これからの取り組みについて。 「『人口の推移』については、国勢調査で45年連続増加しているが、国県等の人口減少の中で、大玉村だけが増加を維持することは困難と考えています。 また、コロナウイルス感染症による出生数の激減が危惧されており、今から将来に向けての新たな対策が不可欠と考えています。 現在までの人口増の要因は複合的であり、子育て支援や定住化政策、福島・郡山・二本松・本宮が通勤通学圏内、国道4号沿いである交通の利便性、安達太良山から広がる景観、そして地価が廉価等の理由が挙げられます。 今後もこれらの利点をさらに高めて人口維持に努めますが、減少すればしたなりの行政運営があるだろうと考えています」 ――「単独」だからできたこと、その強み等々について、感じていることがあれば。 「『単独』だからできたこと、『その強み等々』については、合併せずに単独の道を選んで現在に至っているので、その過程で『小さいからこそ可能な村のメリット』があるとの思いで、きめ細かな行政運営に徹してきました。 前村長の言で『住民に目の届く、住民から手の届く村政』や私の村政の基本的な考え方『村民に日本一近い村政』の実現を目指しています。 ただ、逆に財政的に住民にサービスを届けられない『小さいゆえのデメリット』も多々あります。 幸いにも管内(二本松市、本宮市、大玉村)の結びつきが強く、各合併後も各種分野で連携が維持されており、特に消防、衛生関係など『安達地方広域行政組合』、『安達地方市町村会』等が有効に機能しています」 やはり、役場内、議員、村民のいずれも、当初から「合併」には消極的だったようだ。実際、村民からすると「(全国的に合併議論が巻き起こった際も)最初からそういう機運はなかった」という。 そのほか、押山村長は職員数の増加については「近年の保育所の入所増、幼稚園の3年保育実施、増え続ける行政需要に対応するための増加」と明かし、人口増加については「複合的な要因」と分析した。 恵まれた条件 前出・当時の村役場関係者はこう話す。 「1つ例を挙げると、大玉村にはほかの多くの市町村にあるような、企業・工場を誘致するために行政が造成したいわゆる工業団地がありません。それは、農業で生計を立てている人が多いこともありますが、働き口として本宮市や郡山市に依存できる、といった部分が大きい。そのほかでも、行政サービスは別として、普段の生活の面では本宮市や郡山市に頼れるところが多い。そのため、そういった部分で行政が財政投資をしなくてもいい、といった側面があります。そのことが財政指標の良化につながっている面は多分にあると思います」 二本松市、本宮市、郡山市などが通勤・通学圏内で、働き口や医療・介護など、さまざまな面でそれらに依存できる地理的条件にある。そのため、そういった部分に財政投資する必要がないことから、財政指標の良化につながっている面があるというのだ。 加えて、それらの市に比べると、地価が安いため、若い世代が移り住み人口増加につながっている。押山村長が語っていたように、子育て支援や定住化政策など、村の努力によるとこもあるだろうが、やはり条件面で優れていることが大きい。だからこそ、早い段階で「合併しない」ことを決断できたのだろう。 ある村民は「唯一、不便なところを挙げると、大玉村にはJR東北本線の駅がないこと」という。ただ、役場周辺から本宮駅までは3㌔ほどで、村内各所から本宮駅までコミュニティーバス、デマンドタクシーなどを運行している。 その代わり、というわけではないが、現在、村では東北道のスマートインターチェンジ(IC)誘致を進めている。役場周辺から本宮ICまでは5㌔ほど、二本松ICまでは8㌔ほどで、スマートIC設置により、村ではさらなる交通の利便性向上と周辺開発を期待している。それに当たり、村内では「スマートICより、JR東北本線の駅をつくってほしい」といった意見もあったという。前述したように、「大玉村にはJR東北本線の駅がないのが唯一の弱点」といった意見もあったが、駅間の距離、利用見込みなどから、現実的ではないようだ。 そのほか、別の村民によると「プラントの存在も大きいと思う」という。プラント(PLANT)は総合ディスカウントストアで、「プラント―5 大玉店」は2006年2月にオープンした。ちょうど、「平成の大合併」議論が巻き起こっていたころで、当然、その前から「プラントが出店する」ということは分かっていた。地元雇用が見込めるし、若い世代が移り住むにも大きな要素となる。具体的な数字は不明だが、固定資産税なども相応と聞くから、その点も「単独の道」を後押ししたに違いない。 こうして聞くと、村の努力も当然あったと思われるが、それ以上に、県内最大の経済都市である郡山市が通勤圏内であること、大型商業施設が立地していること、近隣の市に比べて地下が安いこと――等々の条件が揃っていたのが大きい。 一方で、前号の「桑折町・国見町編」でも同様の指摘をしたが、「大玉モデル」や「大玉ブランドの新名物」と言われ、全国から注目を集めるような特別な仕掛けがあったかと言うと、思い当たらない。現状に満足せず、新たな仕掛けを生み出していくことも求められよう。