長らく低迷していた野党第一党の立憲民主党が勢いを取り戻しつつある。自民党派閥の政治資金パーティー問題を受け、政権与党の支持率は低迷。代わって、この間上昇に転じることがなかった立憲民主党の支持率が徐々に上がり「政権交代」を求める声も聞こえ始めた。国民が自民党に愛想を尽かすのは当然だろう。しかし、だからと言って次の政権を立憲民主党に託すのは心許ない。なぜなら、前身の民主党が十数年前に政権運営に失敗した際の「総括と反省」が不十分だからだ。立憲民主党は、自分たちに吹き始めた追い風に一喜一憂している場合ではない。同党が今後執るべき方策を考えるシリーズ。1回目はジャーナリストの鮫島浩氏が党として自覚すべきことを鋭く指摘する。
さめじま・ひろし
京都大学法学部を卒業し1994年に朝日新聞入社。99年に政治部に着任し、菅直人、竹中平蔵、古賀誠、与謝野馨、町村信孝ら与野党政治家を担当。2010年に39歳で政治部デスクに抜擢される。13年に「手抜き除染」報道で新聞協会賞受賞。21年に独立して「SAMEJIMA TIMES」を創刊。ユーチューブやウェブサイトで政治解説動画・記事を公開し、サンデー毎日やABEMA、プレジデントオンラインなどにも出演・寄稿している。著書に『朝日新聞政治部』(2022年、講談社)、『政治はケンカだ~明石市長の12年』(泉房穂氏と共著、2023年、講談社)。
民主政権の「誤った総括」に潜むリスク
自民党が裏金事件で自滅し、漁夫の利を得ているのが野党第一党の立憲民主党である。4月の衆院3補選は「自民全敗、立憲全勝」に終わり、5月のJNN世論調査では「政権交代」を望む人が48%に達して「自公政権の継続」の34%を大きく上回った。日本政界に久しぶりに「政権交代」の風が吹き始めている。
野党第二党の日本維新の会は「反自民」より「反立憲」を強調し、「野党第一党を奪う」目標を掲げて躍進してきた。政党支持率は一時立憲を上回り、本拠地・大阪以外でも積極的に候補者擁立を進めた。ところが、ここにきて巨額の公費を注ぎ込む大阪万博に批判が高まり、金看板の「身を切る改革」が色あせて失速。4月の衆院補選では自民不戦敗の東京15区と長崎3区で「立憲を叩き潰す」(馬場伸幸代表)と対抗心をあらわにしたが、立憲にあえなく惨敗した。
自民党の裏金事件に対する国民世論の批判を、野党第一党の立憲民主党がひとり吸収しているのが目下の政治情勢である。野党第一党争いは勝負あり、本番の総選挙に向けた「準決勝」は立憲に軍配が上がった。
立憲民主党内は浮かれている。昨年4月の衆参5補選では1勝もできず、泉健太代表の辞任を求める声が噴出。泉代表は「次の総選挙で150議席に届かなければ辞任する」と約束し、何とか「泉おろし」の動きを鎮めた。現有議席は100に届いておらず、当時は「150議席はとても無理。泉代表は次の総選挙まで」(立憲ベテラン)が党内の相場観だった。ところが、昨年11月に自民党の裏金事件が発覚して政界の風景は一変。各党が実施している選挙情勢調査では、自公は過半数(233議席)を割る可能性が十分にあり、立憲は180議席前後に迫る結果も出ている。まさに「神風が吹いた」(立憲若手)格好だ。
しかし、自公が過半数を割っても、ただちに政権交代が実現するかどうかは見通せない。立憲が単独過半数に達する可能性は極めて低く、共産党や社民党を加えても過半数には届きそうにない。裏金事件を機に自公への接近路線を見直して立憲との連携に舵を切った国民民主党を加えても、過半数確保は難しそうだ。
皮肉なことに自公過半数割れでキャスティングボートを握るのは、立憲との野党第一党争いに敗れた維新である。自公が維新に連立政権入りを求め、維新がそれに応じれば自公維3党で過半数を上回り、自民党は政権にとどまることができるのだ。
岸田文雄首相は4月の衆院3補選に全敗した後、大型連休中にフランス、ブラジル、パラグアイを3泊6日で巡る世界一周弾丸ツアーへ飛び立った。その外遊先の記者会見で、国会議員の調査研究広報滞在費(旧文通費)の見直しを打ち上げた。旧文通費は歳費とは別に月100万円支給され、領収書不要で自由に使える「第二の給与」として批判を浴びている。維新は率先して「領収書公開」に踏み切り、各党に法改正を求めてきた。岸田首相は維新の「目玉政策」に呼応し、維新引き込みへ早くも布石を打ったのだ。
立憲は裏金事件を受けた政治資金規正法の改正で、①政党から政治家個人に支給され、領収書不要で自由に使える政策活動費の廃止②政治資金パーティーの廃止③企業団体献金の全面禁止――の3本柱を訴えている。これが実現すれば、自民党は大打撃を受ける。岸田首相はこれにも変化球で応じた。政策活動費の「廃止」には踏み込まず、大まかな項目だけ収支報告書に記載する「一部公開」の方針を打ち出したのだ。
立憲は政治資金規正法の改正で自民党に妥協すれば、世論の怒りが立憲に向かってくる恐れがあり、「廃止」を譲れない。一方、維新は「一部公開」でも自民案に賛成し、立憲との差別化を図る可能性が高い。ここにも立憲と維新を分断する狙いが透けて見える。
このままでは総選挙で自公が過半数割れしても、維新が自公に加わって「連立の枠組みが拡大」するだけで、政権交代は起きない。野党第二党として立憲への対抗心をむき出しにする維新が自民党の下野を防ぐ「救命ボート」になっている。どうせ政権交代は起きないという諦めムードが広がれば、総選挙への関心は高まらず投票率は伸び悩み、自公の組織票の比重が増して、さらに政権交代が遠のく悪循環に陥る。
立憲民主党が次の総選挙で自民党を野党に転落させ政権交代を実現するには、①自公維3党を過半数割れに追い込む②維新の自公連立入りを防いで立憲陣営に引き込む――のどちらかしかない。すなわち「維新を叩き潰す」か「維新と組む」かという究極の二者択一だ。維新とつかず離れずの関係を続けている限り、キャスティングボートを握るのはいつまで経っても維新なのだ。
維新は総選挙で立憲と選挙協力することを全面否定している。まして共通公約を掲げて政権構想を共有するのは絶望的だ。維新と組むとしたら、総選挙で自公が過半数割れした後の首班指名で、維新の馬場代表か、あるいは維新と連携を強化している教育無償化を実現する会の前原誠司代表を担いで非自民連立政権をつくる奇手しかないかもしれない。
弱すぎる泉氏の「党首力」
1993年総選挙後、自民党を離党して新生党を立ち上げた小沢一郎氏が日本新党の細川護熙氏を担いで非自民・非共産の8党連立政権を誕生させたのが手本となろう。第4党だった日本新党の細川氏を担ぐことで、ガラス細工のような8党連立政権は何とか成立したのだった。今の野党乱立状況なら馬場氏か前原氏を担がない限り、維新が立憲との連立政権に応じる可能性は極めて低いのではないか(それでも維新は拒否し、自公維連立を選択する可能性がある)。
だが、仮にこのような立維連立政権が誕生しても、それを維持するには維新の政策を丸のみしていくほかない。立憲が拒否すればただちに連立は解消され、自公維連立政権へ移行するだけだ。それでは何のための政権交代なのかという根本的な疑問がわいてくる。立憲との連携を強める共産党が維新との連立政権を認めるとも思えない。立維連立政権はかつての8党連立政権のように早々に瓦解し、民主党政権よりも短命に終わるだろう。それでは政治不信をさらに膨らませてしまう。「維新と組む」道は相当に険しい。
残る選択肢としては「自公維で過半数割れ」に追い込むくらい立憲が地滑り的な勝利を収めるしかない。2009年総選挙で民主党が大勝して政権交代を実現させたのと同じパータンだ。
しかし今の立憲の勢いは、自民党の自滅による反作用にすぎず、立憲そのものへの期待が高まっているわけではない。立憲が単独過半数を獲得して「泉政権」が誕生するのは、立維連立政権以上に想像しにくい。
最大のネックになっているのは泉代表の「党首力」である。
マスコミの世論調査でも、維新の吉村洋文大阪府知事やれいわ新選組の山本太郎代表が「首相候補」としてランクインすることはあっても、泉代表が上位に食い込むことはほとんどない。泉代表にはどうしても頼りなさがつきまとい、「泉首相」誕生のイメージを思い描けない。その結果、「立憲民主党中心の政権」の具体像が浮かんでこないのだ。
自民党は4月の衆院補選に全敗したことで、9月の総裁選を契機に岸田首相を退陣させ、新しい首相に差し替えて10月解散総選挙を狙う大義を得た。一方、立憲は4月の衆院補選に全勝したため、自民党と同じ9月に予定されている代表選でリーダ
ーを差し替える口実を失った。自民党は「新しい顔」を担ぐのに、立憲は「代わり映えしない顔」で挑むようでは、果たして総選挙を戦えるのかという懸念が党内にくすぶっている。
与党と野党のどちらの首相候補がふさわしいのか。与野党一騎打ちの小選挙区制度を軸とした現在の総選挙は「首相を選ぶ選挙」である。「自民vs立憲」という政党対決であると同時に、「自民党総裁vs立憲民主党代表」の党首対決でもあるのだ。「この人が首相になる」という明確なリーダーを掲げない限り、政権交代のリアリズムはわいてこない。
財務省に好都合な野田氏
1993年総選挙で首相候補が示されないまま小沢氏が主導した選挙後の政党間協議で細川政権が誕生したのは、当時の選挙制度が中選挙区制度だったからだ。国民の中に「総選挙は首相を選ぶ選挙」という意識は浸透していなかった。2009年総選挙で民主党政権が誕生した時にはすでに小選挙区制度が定着し、「自民党の麻生太郎総裁vs民主党の鳩山由紀夫代表」の対決構図が明確だった。国民は現職首相だった麻生氏の続投を嫌い、鳩山首相の誕生を選択したのである。
それ以来、久しぶりに政権交代の機運が高まりつつあるのだが、いまいちリアリズムに欠けるのは、立憲民主党の泉代表を首相に押し上げるという熱気が党内外に乏しいからであろう。「やはり9月の代表選で体制を一新し、政権交代の熱気を呼び覚ます必要がある」という声が立憲内でじわりと広がっているのは合点がいく。
問題は、泉代表に代わる最有力の「首相候補」として浮上しているのが、立憲最高顧問の野田佳彦元首相であることだ。
民主党政権で外相を務めた立憲の玄葉光一郎氏は4月のラジオNIKKEIのポッドキャスト番組に出演し、「立憲単独で取れない前提に立つと連立だ。誰を総理候補のカードとして持つのかがすごく大事だ」と述べたうえで「野田さんに対する期待が出てきている」と踏み込んだ。安倍晋三元首相は第一次内閣の失敗を教訓に第二次内閣で長期政権を実現したと指摘し、「失敗は成功の母。(野田内閣は)全体として政権運営に失敗したが、あの時の経験は必ず生きる」と強調した。
自公政権を2009年総選挙で倒して発足した民主党政権は、小沢氏を支持する鳩山氏らと、小沢氏に反発する菅直人元首相、野田元首相、仙谷由人元官房長官、岡田克也元副総理、前原誠司元外相、枝野幸男元官房長官、玄葉元外相、安住淳元財務相らの内紛で自滅し、3年余で瓦解した。
野田氏は民主党政権で財務副大臣に就任し、財務相を経て首相へ駆け上った。消費税増税を目論む財務省の後押しを受け、消費税増税に反対する小沢氏に対抗する勢力の中核に押し上げられ、東日本大震災後に倒れた菅内閣の後を受け継いだ。首相就任後は自公両党と消費税増税で合意し、そののちに自民党の安倍総裁との党首討論で衆院解散を約束し、総選挙で惨敗して民主党政権は幕を閉じた。
2009年総選挙でマニフェストに掲げなかった消費税増税を強引に推し進めたことが「有権者への裏切り」となり、2012年総選挙の敗北につながったのである。
今の立憲民主党は、民主党政権で小沢氏に対抗して消費税増税を進めた岡田幹事長や安住国対委員長が党運営を牛耳っている。彼らは野党転落後も財務省と緊密に連携してきた強力な財務族議員だ。その大親分が野田氏である。
枝野氏は立憲を旗揚げした後、共産党やれいわとの野党共闘を進めるため、一時は「時限的な消費税減税」を公約に掲げた。しかし、2021年総選挙に敗れて代表を退いた後に「消費税減税は間違いだった」と公言している。安倍政権に遠ざけられた財務省には、むしろ立憲に親近感を抱く空気もある。
立憲には消費税減税を訴える勢力も残るものの、現執行部は財務省に近い緊縮財政に染まっているのは間違いない。泉代表を降ろして野田氏を再登板させることはまさに「民主党政権(野田政権)の復活」を目指す動きといっていい。
消費税増税を成功と総括
ここで問われるのは「民主党政権はなぜ失敗したのか」という総括である。玄葉氏は先の番組で、政権運営全体としては「失敗した」と認めつつ、功績として「社会保障と税の一体改革」を挙げた。つまり、財務省と協調して自公民3党合意で消費税増税を進めたことは「失敗」ではなく「成功」と総括しているのだ。
立憲ベテランの多くは民主党政権が失敗に終わった理由について「官僚と激突したから」と口をそろえる。小沢氏が主導した初期(鳩山政権)は官僚と激突して政権運営が混乱したが、小沢氏を排除した後期(菅政権と野田政権)は官僚と良好な関係をつくり、政権運営は比較的安定したという総括なのだ。
私は、この総括に最大の問題が潜んでいると考えている。官僚主導の打破を掲げたマニフェストを打ち捨て、逆に官僚に取り込まれ、自公と一緒に消費税増税を推進し、政権交代に対する国民の期待を裏切ったことにこそ、最大の失敗の原因があるのではないのか。
誤った総括から導き出される結論こそ野田氏の再登板なのだ。これでは「失敗は成功の母」どころか「同じ失敗」を繰り返すに違いない。
その先には、消費税増税を旗印とした自公立大連立がある。財務省が橋渡しをした自公民3党合意の再来だ。野田氏が大連立の首班に担がれる可能性もある。その時は「維新外し」が一つの大義になるかもしれない。自民党の裏金事件に対する国民の怒りのゴールが、消費税増税を掲げた大連立だとすれば「悲劇」を通り越して「喜劇」と言うほかない。
立憲の今の勢いは、二大政党が政権を競い合うことで政治に緊張感を生み出すことを狙った「二者択一の選挙制度」の投影に過ぎない。
消費税増税を推し進めた自公民3党合意は、国民の期待も二大政党政治も裏切るものだった。それを「成功体験」と総括する野田氏に再登板の資格はあるのか。
政権交代の風が久しぶりに吹き始めている。けれども、その風の行き先はとても危ういことも自覚しておく必要があろう。この国の政治は依然として視界不良だ。