政経東北|多様化時代の福島を読み解く

【原発事故13年目の現実】建築士が双葉町にジオラマを寄贈

 本誌3月号で、双葉町の風景をジオラマに残す活動をしている関西の建築士を紹介した。その後、ジオラマが完成し、3月10日、町に寄贈した。ジオラマに込めた思いとは。

「災害の先輩」が語る復興の難しさ

【「災害の先輩」が語る復興の難しさ】曺弘利(チョ・ホンリ)さん
曺弘利(チョ・ホンリ)さん
ジオラマの前で記念撮影する曺さん(後列右から3番目)と学生たち

 ジオラマを制作したのは、兵庫県神戸市の建築士・曺弘利(チョ・ホンリ)さん。

 在日コリアン3世で神戸市出身の曺さんは、阪神・淡路大震災で自分が生まれ育ったまちが変容していく姿を目の当たりにした。その経験から、原発事故で全町避難が続く双葉町に思いを寄せ、一部区域への立ち入り規制が解除された2020年以降、頻繁に足を運んでいた。

 昨年秋、JR双葉駅西側に整備された公営住宅「双葉町駅西住宅」で同町住民とルームシェア。変わりゆく町内の風景をスケッチに残して町に寄贈し、さらなる取り組みとして始めたのがジオラマ制作だった。

 関西学院大の災害ボランティアサークル「つむぎ」の植田隆誠代表と知り合い、1月から共同でジオラマ制作に取り掛かった。

 ジオラマは全部で8点。JR双葉駅周辺や中間貯蔵施設の用地となっている郡山地区などを約1000分の1で再現した。実際に町内を歩き、約40年前の地図や被災直後の航空写真も参考にしながら、発泡スチロールや粘土などで地形・建物を作り上げた。

 2月には同サークルの一部メンバーとともに現地調査を行い、ようやく完成。3月10日、同サークルのメンバー7人とともに町を訪れ、ジオラマ3点を橋本靖治町秘書広報課長に手渡した。残り5つは順次、関係者に贈呈される。

 学生らは「実際に被災地の風景を見た衝撃をそのまま伝えたいと思い、ジオラマを制作した」、「教育の場で活用できるように、持ち運べるサイズにした」、「現状を広く知ってもらい、住んでいた人が語り合うきっかけにしてほしい」と述べた。

 曺さんは「これから復興が進む中で、かつての街並みを思い出し、その歴史を取り戻す手助けになればと考えています。今後も双葉町に関わり続ける考えですが、一つの区切りとして寄贈させていただきました」と語った。

 ジオラマを受け取った橋本課長は「相当時間と手間がかかっていると思う。双葉町に思いを寄せてもらって本当に感謝している」としたうえで、次のように話した。

 「町内には津波や除染、中間貯蔵施設建設のため姿を消した住居・建物が多い。もちろん、それぞれの記憶の中にかつての風景は残っているが、こうして目に見える形で残してもらうのはとても大事なこと。特にジオラマは作り手の思いが伝わってくるので、ご提供いただけるのはありがたいです」

 橋本課長は郡山地区出身。ジオラマを見ながら「この家の入口には本棚が設置され、地区の図書館になっていた」、「ここにタバコの畑があって、小さい頃は遊び場だった」など思い出話に花を咲かせる一幕もあった。ジオラマを通して会話が広がることで、かつての街並みが心に残り続ける。

 学生らを温かい目で見守っていたのが、曺さんとともに神戸市から足を運んだ伊東正和さんだ。

 神戸市長田区の大正筋商店街で日本茶の茶葉やアイスクリームの販売店「味萬」を営む。かつて同商店街の理事長も務めていた。

 同商店街は阪神・淡路大震災で焼け、伊東さんの店舗も全焼した。市が打ち出した復興策は、区画整理を行い、再開発ビルを複数建て、低層部に商店街の店舗が入居するというもの。だが、新しいビルに入居した商店は高額な管理代の負担を余儀なくされ、固定資産税は一気に跳ね上がった。周辺にスーパーやコンビニが出店する中、各商店は軒並み売り上げを落とし、保留床を購入して商売を始める動きも少なかった。復興のシンボルだった再開発ビルは空き店舗が目立つようになった。

 伊東さんも震災9年後に再開発ビルに入居したが、そうした復興の現実を目の当たりにした。その後は「行政に頼らず、自分たちのまちは自分たちでつくらなければならない」というスタンスで、大正筋商店街の活性化に全力を尽くしてきた。

 東日本大震災・東電福島第一原発事故後は自身の経験を教訓としてもらうべく、東北の被災地に足を運び続けている。

 復興について、伊東さんは自らの経験を踏まえてこのように語る。

 「東北の人たちには『自分たちに合った復興を進めてほしい』と伝えたい。提唱しているのは『8割は既存のまちをベースに復興し、残り2割で新たな要素を取り込めばいい』という考え方。その割合だと歴史を引き継げるし、地元業者がメンテナンスを引き受けることも可能になり、経済が活性化していくと思います」

 原発被災自治体では復興を加速させるため、国からの交付金を投じる形で、さまざまな公共施設が整備されている。果たして神戸市の教訓は生かされたと言えるだろうか。

復興に大事なポイント

伊東正和さん

 一方で、伊東さんは復興を進める上でのポイントに「いかに地元のために頑張れる人材を集め、若い世代に引き継いでいくか」を挙げる。

 「結局、復興の大きな力になるのは地元が好きで、振興のための苦労を厭わない人。自分たちが望むまちづくりの形が定まったら、よそ者でもマスコミでもいいから、とにかく仲間を集い、活動を広めていく。そうすることで活性化に向けた道は自ずと開けていくはずです。『360人集めたら縁(円)ができる』というのが私の持論です。続けて必要なのが、若い世代の意見を聞き、活動を引き継いでいくことです。年寄りがどれだけ頑張っても、先は短いですからね」

 原発被災地の住民は避難先に定着しつつあり、帰還率は頭打ちとなっている。各自治体では移住者を増やし、復興につなげていく方針で、県は県外からの移住者に最大200万円の移住交付金を支給している。こうした中で「地元が好き」という人をどれだけ集められるかがカギになっていくだろう。

 さまざまな課題を抱えながら復興が進む中で、住む人も風景も変わっていく――。阪神・淡路大震災の経験でそのことを分かっている曺さんは、さまざまな思いを込め、双葉町の風景をスケッチやジオラマに残し続けている。

 曺さんも学生たちも、ジオラマ制作がひと段落した後も双葉町に足を運び、交流を続けていく考えを示している。曺さんは中野八幡神社近くに建設される東屋の設計にも携わった。4月1日着工、夏ごろ完成の見通しで、地域の交流拠点となることが期待されている。

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