政経東北|多様化時代の福島を読み解く

違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】

違和感だらけの政府海洋放出PR授業

 政府の海洋放出プロパガンダが続いている。中でも今年2月以降大々的に実施されたのが、全国の高校生を対象とした「出前授業」である。経済産業省は高校生たちにどんな授業をしたのだろうか? 政府に不都合な情報もきちんと伝えたのか? とある高校で行われた授業の中身を探った。(ジャーナリスト 牧内昇平)

予算は約4400万円、本題は約10分

3月上旬、全国紙A新聞に掲載された海洋放出関連の広告

 マスメディア各社が競って「3・11報道」に邁進していた3月上旬のある日、某全国紙A新聞に見過ごせない全面広告が載った。

 〈福島の復興へ みんなで考えよう ALPS処理水のこと〉

 経済産業省は処理水への理解を深めてもらうため、全国の高校生を対象とした出張授業を開催(中略)処理水放出時に懸念される風評について生徒たちが「自分事」として議論しました。

 出たな、と筆者は思った。東京電力福島第一原発では放射性物質を含む汚染水が毎日発生し、敷地内にはそれを入れるためのタンクが林立している。このため政府や東電は汚染水を多核種除去設備(ALPS)で処理し、海に流そうとしている。

 だが、海洋放出には安全面の懸念や漁業者の営業損害などの反対意見が根強い。そこで政府が行っているのが、一連の海洋放出PR事業だ。

 経産省は300億円を投じて「海洋放出に伴う需要対策」を名目とした基金を創設。その金で広報事業を展開してきた。筆者がこれまで本誌に書いてきた「テレビCM」(本誌2月号、電通が関与)「出前食育」(3月号、ただの料理教室)などだ。そして今回取り上げる高校生向け出前授業も、この広報事業の一つである。

 事業名は「若年層向け理解醸成事業」。授業の講師は経産省職員。予算は約4400万円。事業を受注したのは電通に次ぐ広告代理店大手の博報堂。全国42の高校が応募し、抽選の結果、今年2月から3月に20校で授業を行ったという。

海洋放出PR授業の中身

 新聞広告は〈生徒たちが「自分事」として議論しました〉と書くが、どんな議論が行われたのだろう。関係者の協力を基に●▲高校で今年2月に実施された授業を再現する。

 ◇  ◇ 

 2月×日の昼下がり。授業は電通がつくったテレビCMを流して始まった。教室の中にナレーションの音声が響く。

 ――ALPS処理水について、国は科学的な根拠に基づいて情報を発信。国際的に受け入れられている考え方のもと、安全基準を十分に満たした上で海洋放出する方針です。みんなで知ろう、考えよう。ALPS処理水のこと。

 CMを流した後、講師役の経産省職員S氏が話し始めた。

 「このCMを見たことある方はいますか? 数人いらっしゃいますね。今日はCMで説明していることを詳しく伝えます。そのうえで、皆さんが考えるALPS処理水についても、終わった後の発表で聞ければうれしいなと思っています」

 S氏は福島市の出身。高校時代に大地震と原発事故を経験したという。

 「当時のことは鮮明に覚えています。大学を卒業した後、福島の復興の力になれればと思って経済産業省に入りました」

 自己紹介後、S氏は経産省発行のパンフレットを基に説明を始めた。電源喪失や水素爆発など基本的なこと。廃炉作業の解説……。「除染を進めた結果、今では原発構内の約96%のエリアは一般の作業服で作業できています」とS氏。講義の途中で「眠くなる時間かもしれないので」と話し、こんなクイズも入れた。

 「燃料デブリはどのくらいあるでしょうか。三択です。①8㌧。②880㌧。③8万8000㌧……。答えは②の880㌧です」

 自己紹介や廃炉の話に約20分使った後、S氏は残り10分で、「本題」のはずのALPS処理水や海洋放出について説明した。

 主に話したのは処理水の安全性である。S氏いわく、ALPSでは放射性物質トリチウムが除去できない()。しかし、トリチウムは海水にも雨水にも含まれ、その放射線(ベータ線)は紙一枚で防ぐことができる。生物濃縮はしない。世界各国の原発でも放出されている……。ALPS処理水が入ったビーカーを人間が持っている写真を紹介し、S氏はこう語った。

※トリチウムのほかに炭素14(半減期は約5700年)もALPSでは除去できないが、S氏はそのことには言及しなかった。



 「素手でビーカーを持てるくらい安全なのがALPS処理水です」

 政府が海洋放出の方針を決めた経緯については、驚くほど短く、あいまいな説明に終わった。

 「さまざまな意見がありました。そういったことも含めて、今日皆さんと一緒に考えていければと思っています。では、(パンフレットの)次のページを開いてください。ALPS処理水の処分方法というところです。簡単なご紹介まで。皆さんもご存じの通り、CMでも出ている通り、海洋放出に決めたということです。ただ、海洋放出の他にもさまざまな処分方法が検討されたのちに、海洋放出が決定されたというところです」

 説明はこれだけだった。

生徒たちとのワークショップ

福島第一原発敷地内のタンク群(今年1月、代表撮影)

 講義終了後、休憩を挟んで「ワークショップ」なるものが行われた。生徒たちは数人のグループに分かれて20分話し合い、その後代表者が意見を発表した。1人目の生徒の意見。

 「思ったことは、地域の人が処理水のことを知っていても、魚が売れなくなって漁師が困ってしまうということです」

 生徒はここで発言を終えようとしたが、教員に促されて風評対策についての意見も追加した。

 「魚とかを無料で全国に配ったり、著名人に食べてもらったりするのがいいと思いました」

 これに対するS氏の返答。

 「ありがとうございます。魚がこれからも売れていくためにどうやって魅力を発信していけばいいのか、というところを話していただいたと思います。考えていきたいと思います」

 この生徒が本当に話したかったのはそういうことか? 筆者は疑問に思うのだが、S氏は次へと進む。

 続いて発言した生徒も骨のあることを言った。

 「漁師の方の了承もないまま、海洋放出を政府が勝手に決めるのは、漁師の方の尊厳をなくすのではないでしょうか」

 さあどう答えるかと思ったら、S氏はすぐ返答せず、「時間も差し迫っているところなので、発表いただける方は他にいらっしゃいますか」。残り3人の生徒の発言を聞いた後で、この日の「まとめ」といった形で以下のように語った。

 「さまざまなご意見をいただきました。比較的厳しい意見も出ました。これは皆さん一人ひとりの考えです。これに『正しい』、『間違っている』というのはないかなと個人的には思っています」

 当たり前のことを言った後で、S氏はこう続けた。

 「漁業者さんへの関わり方は、もちろん問題としてございます。我々国としても、漁業者の皆さんの尊厳を失わせる、福島の文化を衰退させてしまう、そういうことには絶対なりたくない。なってほしくないと心から思っています。私も福島県人の一人です。子どもの時からずっと相馬の海に釣りに行ってました。福島県の魚が、ありもしない風評の影響で正しく評価されないというのは、自分としても大変心苦しいというか、大変悔しい思いかなと思っています。漁業者さんはもっとそうだと思います。説明会などの機会をいただいていますので、漁業者さんたちに少しでもご理解をいただけるように頑張っていきたいと思っています」

 同じ福島県人なので漁業者の気持ちは共有できるとしつつ、結局は「ご理解いただけるように頑張る」が結論。何が言いたいのかよく分からない回答だった。

 このあとS氏は「福島県の魅力、正しい情報を発信し続けたいと思います。有名人を使ってですとか、SNSを使ってというのも、おっしゃる通りかと思っています」などと語り、授業を終えた。「漁師の尊厳を損なう」と指摘した生徒が再び発言する機会はなかった。

不都合な情報はすべてスルー

福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)本所(HPより)

 ●▲高校での出前授業はこんな内容だった。筆者がおかしいと思った点をいくつか指摘したい。

 第一は、前半の講義の中で、政府にとって不都合な情報には一切触れなかった点だ。 

 政府は2015年、福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)に対して〈関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない〉と約束している。漁業者たちの中には海洋放出に反対している人が多く、もしこの状況で強行すれば政府は「約束破り」をしたことになる。地元の新聞も大々的に取り上げているこの「約束」問題について、S氏はスルーした。

 反対しているのは漁業者たちだけではない。福島県内の多くの市町村議会が海洋放出に反対したり、慎重な対応を求めたりする意見書を国に提出している。中国や太平洋に浮かぶ島国も放出に賛成していない。こうした問題についても完全にスルーだった。

 「福島第一原発の廃炉を進めるためには、ALPS処理水の処分が必要です」。S氏は一方的に政府の言い分だけ語り、講義を終えた。

生徒との議論はなかった

 二つ目は、生徒が発言する機会がとても少なかった点だ。前半の講義が30分。その後休憩を挟んで生徒同士の意見交換が20分。生徒がS氏に発言する時間は十数分しかなかった。

 その中でも生徒たちは自分の考えをしっかり語った印象がある。 「漁業者の尊厳」発言だけでなく、「なぜ福島に流すのかと思いました」と率直に語る生徒もいた。しかし、生徒とS氏とのやりとりは完全な一方通行だった。せっかく生徒たちが疑問の声を上げたのに、S氏が対話を重ねることはなかった。時間の制約があったのかもしれないが、これでは反対意見を「聞いておいた」だけで、「議論した」ことにはならない。

 以上、ここに書いたのはS氏個人への攻撃ではない。S氏は経産省の幹部ではない。講義の内容は事前に役所で決めているはずだ。一方的な出前授業の責任を負うべきは、経産省という組織である。

国会でも問題に

岩渕友議員(共産、比例)参議院HPより

 この出前授業は国会でも取り上げられた。3月16日の参議院東日本大震災復興特別委員会。質問したのは岩渕友議員(共産、比例)である。岩渕氏は先ほどの「漁業者の尊厳」発言を紹介し、経産省の片岡宏一郎・福島復興推進グループ長に聞いた。

 岩渕氏「高校生のこの声にどう答えたのでしょうか」

 片岡氏「専門家による6年以上にわたる検討などを踏まえて海洋放出を行う政府方針を決定した経緯を説明するとともに、地元をはじめとする漁業者の方々からの風評影響を懸念する声などがある点についても触れまして、風評対策の必要性について問題提起をし、政府の取り組みについても説明したという風に承知してございます」

 ここは読者の皆さんに判断してほしい。S氏の講義内容と生徒への返答は先ほど紹介した。片岡氏の答弁にあったような説明を、S氏はしていただろうか?

 岩渕氏が次に指摘したのは、漁業者たちとの「約束」問題である。

 岩渕氏「これ(約束)がこの問題の大前提ですよね。政府と東京電力が『関係者の理解なしにいかなる処分もしない』と約束していること、漁業者はもちろん海洋放出に対して反対の声があることも伝えるべきではないでしょうか」

 片岡氏「説明しているケースもあれば、説明していないケースもあるという風に認識してございます」

 岩渕氏「これはさまざまなことの一つではないんです。この問題が大前提で、ちゃんと伝える必要があるんですよ。いかがですか。もう一度」

 片岡氏「出前授業は何よりも生徒の皆さんが考える機会として、意見交換の時間なども盛り込んだ形で、学校の意向も踏まえながら実施しているものでございます。必ずしも同じ内容の授業をしているわけではないと考えてございます。そのうえで地元をはじめとして漁業者の方々の風評影響を懸念する声などは説明してございますけれども、必要に応じまして、ご指摘の約束についても触れているところでございます」

 経産省の片岡氏は「必要に応じて触れている」と言ったが、少なくとも●▲高校での出前授業では、「約束」は全く紹介されていなかった。

現場は試行錯誤

 経産省の出前授業を現場の教員たちはどう受け止めているのだろう。

 「生徒への影響はどうなんでしょうか」と筆者が聞くと、県内にある■✖高校の教諭は苦笑しながらこう答えた。

 「高校生って素直です。背広を着た経産省の人がわざわざ学校に来てくれて、『海洋放出は必要。風評払拭が大切』と一生懸命に話したら、みんな信じてしまいますよ」

 この教諭は「生徒に対して一方的な情報伝達となるものにはブレーキを踏まなければいけない」との考え方のもと、今回の出前授業には応募しなかったという。

 一方で、経産省の授業を実施しつつも、政府見解の押しつけに終わらないように知恵を絞った高校もある。

 県内のある高校では昨年、2年生のクラスで経産省の授業を行った。しかしその前週には海洋放出に強く反対している新地町の漁師を授業に招いた。正反対の意見を聞く機会を生徒たちに与える取り組みだ。

 筆者は今年の2月、この高校の生徒たちに話を聞く機会があった。

 「安全なら流せばいい。でも政府は国民に対する説明が足りない」「国は都合よく物事を進めている。漁師さんたちと対話していない」「海洋放出に賛成する人と反対する人がいる。意見が異なる人たちが話し合う場がないのが問題だ」

 生徒たちの賛否は割れた。しかし、経産省と漁師の双方の話を直接聞いたぶん、一人ひとりが自分の頭で考え、悩んでいる印象を持った。

 こういった取り組みこそが、本当の意味で〈みんなで知ろう 考えよう〉ではないか。経産省の一方的な出前授業には強い違和感を覚える。

まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。

公式サイト「ウネリウネラ」

政経東北5月号の牧内昇平の記事は【汚染水海洋放出に世界から反対の声】を掲載しています↓

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