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岐路に立つ真夏の相馬野馬追

岐路に立つ真夏の相馬野馬追

 相馬地方の伝統行事で国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の日程変更が現実味を帯びてきた。今年も例年通り7月最終土・日・月曜日(29・30・31日)に行われたが、連日の暑さで多くの観客、騎馬武者が熱中症の疑いで搬送され、馬2頭が死ぬ事態となった。もはや涼しい時期に日程が変わるのは避けられない情勢だが、変更の「障壁」とされる文化庁の許可がすぐに得られるのかという指摘もある。

歴史的根拠に乏しい「5月開催」方針

勇壮な神旗争奪戦(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2013年撮影)

 行事を取り仕切る「相馬野馬追執行委員会」の門馬和夫委員長(南相馬市長)が、8月7日に開かれた市の定例会見で発表した数字は衝撃的だった。

 7月29、30、31日に開かれた今年の相馬野馬追。その実績は、出場騎馬数361騎(前年比24騎増)。観覧者数は、3日間の総入込数12万1400人(同1万8000人増)。30日の本祭りに限ると、雲雀ケ原祭場地に2万8000人(同8000人増)、騎馬武者行列の沿道に3万8000人(同3000人増)が訪れ、いずれもコロナ禍だった昨年より増えていた。

 一方、同じく前年より増えたのが救護件数である。

 救護所対応件数(鹿島・小高を含む)は95件(前年比57件増)。内訳は、熱中症および熱中症前兆が83件(同62件増)、打撲、外傷などが12件(同6件減)。このほか救急搬送も13件(同12件増)に上り、うち11件は熱中症によるものだった。

 当日がどれくらいの暑さだったかは、データを示せば一目瞭然だ。以下は気象庁の観測所がある相馬市の気象データ。

 29日
  最高気温34・1度
  最低気温24・0度

 30日
  最高気温35・2度
  最低気温24・6度

 31日
  最高気温34・9度
  最低気温26・0度

 3日間とも猛暑日(35度以上)と言っていい暑さ。そうした中を騎馬武者は重い甲冑をまとい、馬を操っていたわけだから、体感温度は軽く40度を超えていたに違いない。

 出場10回未満の騎馬武者は「今年は今まで経験した中で一番きつかった。とにかく尋常じゃない暑さで、周りの人たちも口を揃えて辛いと言っていました」。

 これに対し、ベテランの騎馬武者は「昔から出ていると『野馬追は暑いもの』という考えがあるから、何とも思わない」と平然と言うが、多くの騎馬武者があまりの暑さに音を上げたのは事実だろう。

 ベテランの騎馬武者がむしろ心配していたのは観客の体調だ。

 「甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる雲雀ケ原祭場地は日差しを遮る場所がないから、観客はかなりきつかったと思う。その場でじっと見ているのは厳しかったんじゃないか」 もちろん、執行委員会でも暑さ対策は行っていた。例えば南北2カ所に涼み所としてテントを張り、ミスト扇風機を置いたり、行列観覧席の後ろにテントを設置したり、南北2カ所の救護所にも大型扇風機と冷風機を設置したが、熱中症の救護件数が前年比で62件増えたことからも十分な対策とは言えなかったようだ。

 暑さの影響が及んだのは人だけではない。馬も2頭死んだ。門馬市長が8月7日の定例会見で明かしたところによると、熱中症で倒れた1頭が安楽死となり、もう1頭は原因不明で死んだが、暑さが原因なのは疑いようがない。

 騎馬救護所での馬の診療件数も112件(前年比41件増)に上り、うち111件が日射病。出場騎馬数は361騎だったので、約3分の1の馬が救護を受けたことになる。

 「私の馬は大丈夫だったが、とにかく水を飲ませ、体にかけてやることはずっと意識していた。今年はやらなかったけど、過去には予防措置として点滴をしたこともある。馬の様子を見極めるには、ある程度の経験が必要なので、経験の少ない騎馬武者ほど馬を日射病にしてしまったのではないか」(前出・ベテランの騎馬武者)

 とはいえ、馬はもともと暑さに弱い。そうした中で、重い甲冑をまと
った人間を背中に乗せて走れば、馬体に相当な負担がかかることは容易に想像できる。

 地元紙は記事中で触れただけだったが、全国紙は「馬2頭が死ぬ」と見出しでも大きく取り上げたため、ネット上では「真夏の野馬追は、いくら伝統行事とはいえ動物虐待」「息遣いや発汗を見れば、馬の異変に気付くはず」「死んだのが人間ではなく馬でよかった、ということにはならない」といった厳しい書き込みが散見された。

三重県の伝統行事に勧告

 こうした事態に、執行委員会は8月8日、ホームページ上で「馬の救護事案に係る対応について」という発表を行った。

 《相馬野馬追執行委員会では、熱中症(日射病と表記したものも含みます)により、人馬とも例年を大きく上回る要救護事案が発生したことを重く受け止めております。

 特に亡くなられた2頭の馬に対し御冥福をお祈りするとともに、馬と共に継承してきた伝統行事の主催者としての責任を以て、今後の対応を速やかに整えてまいります》

 今年は例年以上に暑くなることが予想されていたため、執行委員会では馬への熱中症対策として①騎馬武者行列の前に散水車2台を使って打ち水を実施、②騎馬救護所に給水車とホースを設置、③山頂に給水用のホース(シャワー)を設置、④馬殿に補給用として大型バケツ5個を設置するなどしていた。

 「ただ、馬が死んだのは今回が初めてじゃない。単にここ数年は死んでいなかっただけ」(前出・ベテランの騎馬武者)

 それが今回、ここまでクローズアップされたのは▽今年の野馬追開催前に、近年の異常気象を受け、日程を変えてはどうかという話が浮上していた、▽騎馬会を対象に行ったアンケートでも、馬の命と健康を心配する意見が挙がっていた、▽昔は馬が死んでも深刻に受け止める気配が薄かったが、令和の時代になり「動物福祉」が重んじられるようになった、▽今までは馬が死んでも報じなかったマスコミが、今回は大きく報じたことで世間の関心を集めた――等々が影響したとみられる。

 市では昨年12月、五郷騎馬会(旧相馬藩領の当時の行政区である五つの郷=宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷=の各騎馬会)を対象にアンケートを行ったが、回答の自由記述欄を見ると、馬の命と健康についてこんな意見が寄せられていた。

 「暑さにより愛馬が辛い思いをしている。10歳を超え体力も心配になり、今回の野馬追も点滴をしながら頑張ってもらった。かわいそうになり、来年夏も暑いようなら出場しない方向で考えていた」(20代男性)

 「乗馬クラブは野馬追で馬を貸すと暑さで10~20日休養させることになるので貸すのを渋っている」(70代男性)

 騎馬武者たちは自分で飼育している馬に乗るか、乗馬クラブや知人などから馬を借りている。しかし、熱中症で救護を受けたり、死ぬかもしれないリスクがある状況では、来年以降、愛馬を出場させるのをためらったり、貸すのを拒む乗馬クラブが増える可能性もある。それでなくても、もともと乗馬クラブからは「乗り方が粗っぽく、野馬追から帰ってくると馬がかなり疲弊している」という不満が漏れていた。

 他地域では、こんな出来事も起きている。

 《三重県桑名市の多度大社で毎年5月に行われる伝統行事「上げ馬神事」が動物虐待に当たると批判されている問題で、県教育委員会は(8月)17日、県文化財保護条例に基づき多度大社に勧告を出した》(共同通信8月17日配信)

 報道によると、上げ馬神事は南北朝時代から続く三重県の無形民俗文化財で、馬が坂の上に設置された高さ約2㍍の土壁を越えた回数で農作物の豊凶などを占う。これまでに複数の馬が骨折し、最近十数年で計4頭が安楽死となっていた。勧告は2011年以来二度目だという。

 「伝統行事と馬」という関係性は野馬追と同じだ。上げ馬神事のように高い土壁を越えさせるような危険な行為はなくても「動物虐待」を持ち出されれば、伝統を大切にしながら馬をいたわる方向に祭りが変わっていくのは避けられそうもない。

旧暦「五月中の申」

 感情論ばかりを振りかざすのではなく、冷静にデータも押さえておきたい。別掲の図は2012年から今年までの人と馬の救護件数と本祭り(2日目)の最高気温を示したものだ。20、21年は新型コロナの影響で神事のみが行われたため、救護件数はゼロだった。

 それを見ると気温が30度以下の2013、16、17、18年は救護件数が少ないが、30度以上の12、14、15、19年は救護件数が多い。猛暑日だった今年はとりわけ件数が多かったことも分かる。また、17年までは人の救護件数が多い傾向にあったが、18年以降は人より馬の救護件数が上回っている。

 気温が高ければ、人も馬も救護件数が増えていることがはっきり見て取れる。今後、地球温暖化で異常気象がさらに進めば、救護件数はますます増えていくだろう。

 本誌6月号「相馬野馬追『日程変更』の障壁」という記事で報じたように、野馬追は日程変更の議論が本格化しようとしていた。きっかけは近年の猛暑に対し、今年2月に開かれた執行委員会の会合で立谷秀清副執行委員長(相馬市長)から「涼しい時期に開催可能か検討すべき」という提言が出されたことだった。これを受け、門馬委員長が「検討委員会をつくって方向性を決めたい」と応じ、出席委員から承認された。

 こうして設立が決まった「相馬野馬追日程変更検討会」では当初、日程変更は「早くても2025年度から」という方針を示していた。執行委員会による事前協議で、文化庁など関係各所との協議・調整に最低2年は必要という判断から、2年後の2025年度からの変更が現実的とされた。しかし今回の事態を受け、8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合では「来年から5月下旬~6月初旬にする」という方針に改められた。

8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合

 なぜ5月下旬~6月初旬かというと、前述・五郷騎馬会を対象に行ったアンケートで「何月が最適な開催日程と思うか」という問いに5月と答えた人が最も多く、6月も3番目に多かったためとみられる。

 季節的には涼しさもあり、梅雨入り前なので、騎馬武者にも観客にも馬にも喜ばれる時期には違いない。しかし、ちょうどいい季節という理由だけで簡単に日程を変えられるわけではない。

 野馬追は文化財保護法に基づき、昭和53年(1978)に国指定重要無形民俗文化財に指定されたが、これが日程変更の大きな障壁になるのだという。2011年に現在の日程に変わった際、その協議に参加した南相馬市の関係者によると、

 「日程変更は文化庁が許可しなければ実現しないし、簡単には許可してくれない。2011年の日程変更では執行委員会などで協議して(現在の7月最終土・日・月曜日に)決めた後、県教委も交えてさらに協議した。その内容を同庁に上げ、同庁内の調査・手続きを経てようやく決まったのです」

 正式決定には、かなりの時間と労力を要したことが分かる。

 自らも騎馬武者として参加し、市議会定例会で野馬追に関する質問を続けてきた岡﨑義典議員(3期)もこのように話す。

 「文化庁との協議に最低2年かかると言っていたのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程を変えると言い出すのは違和感がある。5月下旬から6月初旬に変えることがさも決定したかのような報じ方も奇妙に感じます。心情的には日程変更は理解できます。しかし、日程変更検討会で5月下旬から6月初旬に変えると決めたとしても『文化財の価値』を判断基準とする文化庁がそれを認めるのか。騎馬会や各神社がどう判断するかも気がかり。その確証がないのに、来年には日程が変わると言い切ってしまうのはいかがなものか」

 そもそも中村藩主相馬家の武家行事として執行されていた野馬追は、江戸時代から旧暦「五月中の申」の日に行われてきた。現代の暦に直すと6月下旬から7月上旬になる。

 《旧暦五月中の申とは、旧暦五月の2回目の申の日を指し、藩主相馬家では、この日を中心に3日間の野馬追行事を執行する習わしであった。旧暦五月は「午の月」ともいい、猿(申)が馬(午)の守り神とされることに加え、中の申の日が妙見の縁日だったことから、この日が選ばれたという》(『原町市史 第2巻』の「通史編Ⅱ『近代・現代』」より)

 こうした歴史を踏まえると、文化庁が暑さを理由に日程変更を認めるかどうかは確かに不透明だ。

 加えて岡﨑議員が厳しく指摘するのは、この間、執行委員会が本気になって日程変更を考えてこなかったことだ。

 「暑さで人が亡くなるかもしれないリスクはこれまでもあった。それなのに、馬2頭が死んだ途端、来年には日程が変わるというんだから、今まではそういうリスクがあっても執行委員会は真剣に受け止めてこなかったのではないか」(同)
 来年からの日程変更は一見すると日程変更検討会の英断にも映るが、見方を変えると、問題が起こらないと本腰を入れない役所の姿勢を表しているわけ。

文化財としての価値

騎馬の列が市街地に繰り出す「お行列」(本誌昨年7月号掲載、相馬野馬追執行委員会事務局提供、2015年撮影)

 5月下旬から6月初旬への変更が既成事実化する中、文化庁との協議をどのように進めていくのか、執行委員会事務局に聞いてみた。

 「日程変更には文化庁のほか、相馬野馬追保存会の中の専門委員会、県文化財課との協議が必要になる。来年5月下旬から6月初旬という日程は日程変更検討会で決定され、背景には人と馬の命には変えられないという判断があるが、同時に野馬追の文化財としての価値を引き継ぐことが大前提になる。そこを軽視して日程が変わることはありません」

 8月10日に開かれた日程変更検討会の初会合には本誌をはじめ多くのマスコミが取材に駆け付けたが、冒頭、門馬市長がメンバーに「マスコミの方にはこの場にいてもらっていいか、出てもらうか」と問いかけると、立谷市長が低い声で「出てもら
ってください」と言い、協議は非公開で行われた経緯がある。公開しても何ら不都合なことはないと思うのだが、過程をオープンにせず、密室で決める役所の姿勢はこんなところにも表れている。

 暑さを理由に日程を変える必要性は誰もが認めているが、同時に、文化財としての価値をどう担保するのか。日程変更検討会には、文化庁をはじめ騎馬会、各神社など関係者が納得する結論を、スピード感を持って出すことが求められる。

※日程変更検討会の第2回会合は8月27日に開かれ、来年から「5月最終土、日、月曜日」に変更することを決めた。今後、文化庁に上申し、了解が得られれば正式決定する。

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