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牧内昇平

  • 「次の大地震に備えて廃炉を」警鐘鳴らす能登の反原発リーダー【北野進さん】

    【北野進】「次の大地震に備えて廃炉を」

     1・1能登半島地震の震源地である石川県珠洲市にはかつて原発の建設計画があった。非常に恐ろしい話である。今回の大地震は日本列島全体が原子力災害のリスクにさらされていることをあらためて突きつけた。珠洲原発反対運動のリーダーの一人、北野進さんにインタビューした。 ジャーナリスト・牧内昇平 警鐘鳴らす能登の反原発リーダー 北野進さん=1959年、珠洲郡内浦町(現・能登町)生まれ。筑波大学を卒業後、民間企業に就職したが、有機農業を始めるために脱サラして地元に戻った。1989年、原発反対を掲げて珠洲市長選に立候補するも落選。91年から石川県議会議員を3期務め、珠洲原発建設を阻止し続けた。「志賀原発を廃炉に!」訴訟の原告団長を務める。  ――ご自身の被災や珠洲の状況を教えてください。  「元日は午後から親族と会うために金沢市方面へ出かけており、能登半島を出たかほく市のショッピングセンターで休憩中に大きな揺れを感じました。すぐ停電になり、屋外に誘導された頃に大津波警報が出て、今度は屋上へ避難しました。そのまま金沢の親戚宅に避難しました。  自宅のある珠洲市に戻ったのは1月5日です。金沢から珠洲まで普段なら片道2時間ですが、行きは6時間、帰りは7時間かかりました。道路のあちこちに陥没や亀裂、隆起があり、渋滞が発生していました。自宅は内陸部で津波被害はなく、家の戸がはずれたり屋根瓦が落ちたりという程度の被害でしたが、周りには倒壊した家もたくさんありました。停電や断水が続くため、貴重品や衣類だけ持ち出して金沢に戻りました。今も金沢で避難生活を続けています」  ――志賀原発のことも気になったと思います。  「志賀町で震度7と知った時は衝撃が走りました。原発の立地町で震度7を観測したのは初めてだと思います。志賀原発1・2号機は2011年3月以来止まっているものの、プールに保管している使用済み核燃料は大丈夫なのかと。残念ながら北陸電力は信用できません。今回の事故対応でも訂正が続いています」  ――2号機の変圧器から漏れた油の量が最初は「3500㍑」だったのが後日「2万㍑」に訂正。その油が海に漏れ出てしまっていたことも後日分かりました。取水槽の水位計は「変化はない」と言っていたのに、後になって「3㍍上昇していた」と。津波が到達していたということですよね。  「悪い方向に訂正されることが続いています。そもそも北電は1999年に起きた臨界事故を公表せず、2007年まで約8年間隠していました。今回の事態で北電の危機管理能力にあらためて疑問符がついたということだと思います。  これは石川県も同じです。県の災害対策本部は毎日会議を開いています。しかし会議資料はライフラインの復旧状況ばかり。志賀原発の情報が全然入っていません。たとえば原発敷地外のモニタリングポスト(全部で116カ所)のうち最大で18カ所が使用不能になりました。住民避難の判断材料を得られない深刻な事態です。  私の記憶が正しければ、メディアに対してこの件の情報源になったのは原子力規制庁でした。でも、モニタリングポストは地元自治体が責任を持つべきものです。石川県からこの件の詳しい情報発信がないのは異常です。県が原発をタブー視している。当事者意識が全くありません。放射線量をしっかり測定しなければいけないという福島の教訓が生かされていないのは非常に残念です」 能登半島の地震と原発関連の動き 1967年北陸電力、能登原発(現在の志賀原発)の計画を公表1975年珠洲市議会、国に原発誘致の要望書を提出1976年関西電力、珠洲原発の構想を発表(北電、中部電力と共同で)1989年珠洲市長選、北野氏らが立候補。原発反対票が推進票を上回る関電による珠洲原発の立地調査が住民の反対で中断1993年志賀原発1号機が営業運転開始2003年3電力会社が珠洲原発計画を断念2006年志賀原発2号機が営業運転開始2007年志賀原発1号機の臨界事故隠しが発覚(事故は99年)3月25日、地震発生(最大震度6強)2011年3月11日、東日本大震災が発生(志賀1・2号機は運転停止中)2012年「志賀原発を廃炉に!」訴訟が始まる2021年9月16日、地震発生(最大震度5弱)2022年6月19日、地震発生(最大震度6弱)2023年5月5日、地震発生(最大震度6強)2024年1月1日、地震発生(最大震度7)※北野氏の著書などを基に筆者作成  ――もしも珠洲に原発が立っていたらどうなっていたと思いますか?  「福島以上に悲惨な原発災害になっていたでしょう。最大だった午後4時10分の地震の震源は珠洲原発の建設が予定されていた高屋地区のすぐそばでした。原発が立っていたら、その裏山に当たるような場所です。また、高屋を含む能登半島の北側は広い範囲で沿岸部の地盤が隆起しました。原子炉を冷却するための海水が取り込めなくなっていたことでしょう。ちなみにこの隆起は志賀原発からわずか数㌔の地点まで確認されています。本当に恐ろしい話です」  ――珠洲に原発があったら原子炉や使用済み燃料プールが冷やせず、メルトダウンが起きていたと?  「そうです。そしていったんシビアアクシデントが起きた場合、住民の被害はさらに大きかったと思います。避難が困難だからです。奥能登の道路は壊滅状態になりました。港も隆起や津波の被害で使えません。能登半島の志賀原発以北には約7万人が暮らしています。多くの人が避難できなかったと思います。原子力災害対策指針には『5㌔から30㌔圏内は屋内退避』と書いてありますが、奥能登ではそもそも家屋が倒壊しており、ひびが入った壁や割れた窓では放射線防護効果が期待できません。また、停電や断水が続いているのに家の中にこもり続けるのは無理です。住民は避難できず、屋内退避もできず、ひたすら被ばくを強いられる最悪の事態になっていたと思います」 能登周辺は「活断層の巣」  ――では、志賀原発が運転中だったら、どうなっていたでしょう?  「志賀原発に関しても、運転中だったらリスクは今よりも格段に高かったと思います。原子炉そのものを制御できるか。核反応を抑えるための制御棒がうまく入るか、抜け落ちないか。そういう問題が出てきます。事故が起きた時の避難の難しさは珠洲の場合とほぼ同じです」  ――今のところ、辛うじて深刻な原子力災害を免れたという印象です。  「とにかく一番心配なのは、今回の大地震が打ち止めなのかということです。今回これだけ大きな断層が動いたのだから、他の断層にもひずみを与えているんじゃないかと。次なる大地震のカウントダウンがもう始まっているんじゃないのかっていうのが、一番怖い。能登半島周辺は陸も海も活断層だらけ。いわば『活断層の巣』ができあがっています。半島の付け根にある邑知潟断層帯とか、金沢市内を走る森本・富樫断層帯とか。次はもっと原発に近い活断層が動く可能性もあります。能登の住民の一人として、『今回が最後であってほしい』という気持ちはあります。しかし、やっぱり警戒しなければいけません。そういう意味でも、志賀原発の再稼働なんて尚更とんでもないということです」  ――あらためて志賀原発について教えてください。現在は運転を停止していますが、2号機について北陸電力は早期の再稼働を目指しています。昨年11月には経団連の十倉雅和会長が視察し、「一刻も早く再稼働できるよう願っている」と発言しました。再稼働に向けた地ならしが着々と行われてきた印象です。  「運転を停止している間、原子力規制委員会が安全性の審査を行っています。ポイントは能登半島にひしめいている断層の評価です。志賀原発の敷地内外にどんな断層があるのか、これらが今後地震を引き起こす活断層かどうかが重要になります。経緯は省きますが、北電は『敷地直下の断層は活断層ではない』と主張していて、規制委員会は昨年3月、北電の主張を『妥当』と判断しました。それ以降は原発の敷地周辺の断層の評価を進めていたところでした。  当然ですが、今回の地震は規制委員会の審査に大きな影響をおよぼすでしょう。北電はこれまで、能登半島北方沖の断層帯の長さを96㌔と想定していました。ところが今回の地震では、約150㌔の長さで断層が動いたのではないかと指摘されています。まだ詳しいことは分かりませんが、想定以上の断層の連動があったわけです。未確認の断層があるかもしれません。規制委員会の山中伸介委員長も『相当な年数がかかる』と言っています」  ――北野さんは志賀原発の運転差し止めを求める住民訴訟の原告団長を務めていますね。裁判にはどのような影響がありますか。  「2012年に提訴し、金沢地裁ではこれまでに41回の口頭弁論が行われました。裁判についてもフェーズが全く変わったと思います。断層の問題と共に私たちが主張するもう一つの柱は、先ほどの避難計画についてです。今の避難計画の前提が根底からひっくり返ってしまいました。国も規制委員会も原子力災害対策指針を見直さざるを得ないと思います。この点については志賀に限らず、全国の原発に共通します。僕たちも裁判の中で力を入れて取り組みます」 これでも原発を動かし続けるのか?  石川県の発表によると、1月21日午後の時点で死者は232人。避難者は約1万5000人。亡くなった方々の冥福を祈る。折悪く寒さの厳しい季節だ。避難所などで健康を損なう人がこれ以上増えないことを願う。  能登では数年前から群発地震が続いてきた。今回の地震もそれらと関係することが想定されており、北野さんが話す通り、「これで打ち止めなのか?」という不安は当然残る。  今できることは何か。被災者のケアや災害からの復旧は当然だ。もう一つ大事なのが、原発との決別ではないか。今回の地震でも身に染みたはずだ。原発は常に深刻なリスクを抱えており、そのリスクを地域住民に負わせるのはおかしい。  それなのに、政府や電力会社は原発に固執している。齋藤健経産相は地震から10日後の記者会見で「再稼働を進める方針は変わらない」と言った。その1週間後、関西電力は美浜原発3号機の原子炉を起動させた。2月半ばから本格運転を再開する予定だという。  これでいいのか? 能登で志賀原発の暴走を心配する人たちや、福島で十年以上苦しんできた人たちに顔向けできるのか?  福島の人たちは「自分たちのような思いは二度とさせたくない」と願っているはずだ。事故のリスクを減らすには原発を止めるのが一番だ。これ以上原発を動かし続けることは福島の人びとへの侮辱だと筆者は考える。  内堀雅雄知事が県内原発の廃炉方針に満足し、全国の他の原発については何も言わないのも理解できない。  まきうち・しょうへい 42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。フリー記者として福島を拠点に活動。

  • 【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】

    【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】

     東京電力福島第一原発にたまる「汚染水」の海洋放出が始まり、対抗措置として中国が日本産水産物の輸入を停止した。こうした状況で水産業の救済策として始まったのが「食べて応援」キャンペーンである。どこもかしこも「魚を食べよう」ばかり。挙句の果てには「魚を食べて中国に勝とう」という言説まで出てきた。「戦前回帰」したくないならば、問題の本質を冷静に見極めなければいけない。  「关于全面暂停进口日本水产品的公告(日本産水産物の輸入全面停止に関するお知らせ)」  汚染水(政府は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出が始まった8月24日、中国の税関当局がこう発表した。放射能汚染のリスクを防ぎ、消費者の健康と食品の安全を確保するためだという。同様に香港も、福島や東京をはじめとした10都県からの水産物輸入を禁止した。 国・地域別の水産物輸出額(2022年)を見ると、第1位が中国の871億円、2位が香港の755億円だ。両者が輸出額全体の約4割を占める。そんなお得意様との取引が、この日を境に露と消えてしまった。  大方の予想通り(「想定外」などと語った閣僚もいたが)、海洋放出は国内の水産業に大きな痛手となった。 どこもかしこも 「食べて応援」ばかり Xの首相官邸アカウントは、岸田首相らが常磐ものを食べる映像を配信した  この状況を打開するため、日本政府が力を入れているのが「食べて応援」キャンペーンである。先頭を走るのは海洋放出について「全責任を持つ」と豪語した岸田文雄首相だ。8月31日には東京・豊洲市場を視察。仲卸業者らと話してこの問題に関心を持っていることをアピールした。また前日の30日にはX(旧ツイッター)の首相官邸アカウントからこんな動画を発信した(写真参照)。  ――首相が西村康稔経産相や鈴木俊一財務相らと食卓を囲む。食膳に並ぶのは、ヒラメ、スズキ、タコなどの福島県産食材。刺身かなにかを口に入れた首相が、ややわざとらしく言う。「おいしいです!」  キャンペーンは全国的な広がりを見せている。野村哲郎農林水産相(当時)は各省庁の食堂に国産水産物のメニューを追加するよう要請。浜田靖一防衛相(同)は自衛隊の駐屯地や基地で国産の魚を使う方針を示した。東京の小池百合子氏、大阪の吉村洋文氏、愛知の大村秀章氏……。各地の知事たちも競って常磐ものを食べ、その姿をメディアに報じさせた。  経済界もこの流れに乗っている。「財界総理」とも言われる経団連会長の十倉雅和氏は、9月上旬の記者会見で「中国の対応は極めて遺憾だ」と発言。全会員企業に対して社員食堂や社内外での会合時に国産水産品を活用するよう呼びかけた(経団連ホームページから引用)。日本商工会議所も東京・帝国ホテルで開いた懇親会で福島の魚を使った料理を出し、消費拡大PRに一役買った。  官民合同の「食べて応援」キャンペーンは自然発生的なものではない。下地作りには国の予算が使われている。「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」という事業がある。産業界や全国の自治体に同ネットワークへの参加を募り、社員食堂や社屋に出入りするキッチンカーなどで三陸・常磐ものの食材を扱うように促すものだ。  この事業、経産省が海洋放出に伴う需要対策基金を使ってJR東日本企画に委託している。2023年度の委託額上限は1億7000万円である。同ネットワークのホームページによると、参加企業・団体数は10月16日現在で1090者(うち一部を表に掲載した)。「原子力ムラ」ならぬ「海洋放出ムラ」が形成されたと感じるのは筆者だけだろうか。 【「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」参加企業・団体の例】 ・自治体愛知県、青森県、茨城県、岩手県、大阪府、神奈川県、埼玉県、千葉県、東京都、長野県、兵庫県、福島県、宮城県、石巻市、いわき市、大阪市、桐生市、さいたま市、塩竃市、南あわじ市、宮古市、矢板市、女川町・企業等IHI、旭化成、ENEOS、沖縄電力、鹿島建設、関西電力、九州電力、共同通信社(一般社団法人)、産経新聞社、JTB、四国電力、セブン&アイ・ホールディングス、中国電力、中部電力、電気事業連合会、東レ、東京電力ホールディングス、東邦銀行、東北電力、トヨタ自動車、日本経団連、日本原子力研究開発機構(JAEA)、日本原子力産業協会、日本原子力発電、日本原燃、東日本旅客鉄道、福島イノベーション・コースト構想推進機構、福島県漁連、福島民報社、福島民友新聞社、北陸電力、北海道電力・政府機関等外務省、カジノ管理委員会事務局、環境省、金融庁、宮内庁、経済産業省、警察庁、原子力規制庁、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF)、公正取引委員会、厚生労働省、国土交通省、財務省、消費者庁、人事院、総務省、内閣官房、内閣府、農林水産省、復興庁、防衛省、法務省、文部科学省※同ネットワークのホームページを基に筆者作成  言論統制の流れもできつつあるようだ。「汚染」という言葉を使うと大バッシングを受ける事態になっている。象徴的だったのは、水産業支援の前面に立つべき野村農水相による「失言」問題である。野村氏は8月末、「ALPS処理水」ではなく「汚染水」という言葉を使ったことが報じられた。直後に岸田首相が発言の撤回と謝罪を指示。野村氏はこれに従い、しかも翌月の内閣改造で大臣職を退任させられた。  海洋放出に反対している共産党でも気になる動きがあった。同党の元地方議員(広島県内)がXへの投稿で「汚染魚」という表現を使った。党もこれを問題視。この元議員は党公認での次期衆院選への立候補を取りやめた。確かによくない表現だが、やや過剰な反応のようにも思える。右を向いても左を向いても「食べて応援」ばかりの異様なムードになっている。  政府は9月4日、「水産業を守る政策パッケージ」と題した、中国の輸入規制への対抗策をまとめた。この中にも「食べて応援」が入っている。  政策の柱は、①「国内消費拡大・生産持続」、②「風評影響への対応」、③「輸出先の転換」、④「国内加工体制の強化」、⑤「迅速かつ丁寧な賠償」の5つだ。数字の順番から言えば①の「国内消費拡大・生産持続」が特に期待されていると考えていいだろう。その①の内容として最初に挙げられているのが、「国内消費拡大に向けた国民運動の展開」である。  要するに「食べて応援」を国民運動のレベルに高めようというものだ。具体策として挙げられているのは、「ふるさと納税」を活用した取り組みである。ふるさと納税で寄付を受けた自治体は、返礼として地域の特産品を贈る。海洋放出後、県内漁業の拠点であるいわき市にふるさと納税し、海の幸を返礼品としてもらう人が増えた。水産業の衰退を心配した市民一人一人の自発的な行為だったと考えられる。  日本政府はこうした市民の心情に便乗し、これを「国民運動」として推し進めようとしているのだ。  経産省によると、他には学校給食で国産の魚介類を使うことなどが「国民運動」に該当するという。 「魚を食べて中国に勝とう」 国家基本問題研究所が9月上旬に複数の新聞に出した意見広告  政府が「食べて応援」を「国民運動」に祭り上げたタイミングで世に出たのが、こんな新聞広告である。  《日本の魚を食べて中国に勝とう》  この意見広告を出したのは「国家基本問題研究所」という団体である。保守派の論客として知られるジャーナリストの櫻井よしこ氏が理事長を務めている。櫻井氏は中国脅威論を根拠として日本の軍事力強化などを主張している人物。同氏の写真の横には、こんな主張が書いてあった。  《おいしい日本の水産物を食べて、中国の横暴に打ち勝ちましょう。(中略)中国と香港への日本の水産物輸出は年間約1600億円です。私たち一人ひとりがいつもより1000円ちょっと多く福島や日本各地の魚や貝を食べれば、日本の人口約1億2000万人で当面の損害1600億円がカバーできます。安全で美味。沢山食べて、栄養をつけて、明るい笑顔で中国に打ち勝つ。早速今日からでも始めましょう》  苦境に陥った水産業者を支えたいという気持ちは理解できる。また、海洋放出の直後、原発とは関係ない公共施設などに対して、中国の国番号(86)から抗議の電話が殺到したという出来事もあった。県内の飲食店なども迷惑を被ったという。これらの行為はよくない。だが、そうしたことを考慮しても、隣国を過度に敵視する言説には全く賛同できない。 「新しい戦前」は海洋放出から?  思い出すのは日本がアジア太平洋戦争を起こした頃のことだ。1937年の日中戦争をきっかけに、国民の戦意高揚をはかり、最大限の国力を戦争に注ぎ込むための「国民精神総動員運動」が始まった。  街中には「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません。勝つまでは」などの標語が掲げられた。食料不足を防ぐため、「何がなんでもカボチャを作れ」というポスターまで作られた。戦争に反対する人や協力的でない人は「非国民」と呼ばれた。  同じようなことが今起きていると筆者は感じる。マスメディアの報道やSNSは「食べて応援!」「STOP風評被害」というメッセージであふれかえっている。一方、政府の言う「ALPS処理水」を「汚染水」と呼んだだけで「非国民だ!」と非難されるような現状もある。  大物芸能人のタモリ氏は昨年末、「来年はどんな年になるでしょう?」と問われた時に「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えた。海洋放出をめぐる中国とのやりとりや日本国内のムードを眺めた時、タモリ氏の言葉が急速に現実味を帯びてくる。  ここは原点に戻って考えたい。自主的な「買って応援」を否定するつもりはないが、大々的にやればやるほど本質を覆い隠してしまう。今回の水産業者の苦悩を引き起こしたのは一体誰だろうか? 魚の輸入を停止した中国政府だろうか? いや、違う。そもそもの原因を作ったのは、日本政府と東京電力だ。原発事故を起こし、その後、時の首相が「アンダーコントロール(制御されている)」などと言っておきながら汚染水の発生を食い止めることができず、挙句の果てに海洋放出してしまった。しかも隣国の理解を十分に得ないまま強行したため、国内の水産業に深刻な事態を招いた。  本来批判されるべきは日本政府と東電だ。私たち市民は問題の本質を冷静に見極めなければいけない。 あわせて読みたい 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【ジャーナリスト 牧内昇平】

    【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【牧内昇平】

     何としても、一日でも早く、海に捨てるのをやめさせる――。東京電力福島第一原発で始まった原発事故汚染水の海洋放出を止めるため、市民たちが国と東電を相手取った裁判を始めた。9月8日、漁業者を含む市民151人が福島地裁に提訴。10月末には追加提訴も予定しているという。「放出反対」の気運をどこまで高められるかが注目だ。 「二重の加害」への憤り 提訴前にデモ行進する市民たち(9月8日、牧内昇平撮影)  9月8日の午後、福島市の官公庁街にブルーののぼり旗がはためいた。  《海を汚さないで! ALPS処理汚染水差止訴訟》  台風13号の接近情報が入る中、少なくとも数十人の原告や支援者たちが集まっていた。この日の約2週間前の8月24日、原発事故汚染水(政府・東電の言う「ALPS処理水」)の海洋放出が始まった。反対派や慎重派の声を十分に聞かない「強行」に、市民たちの怒りのボルテージは高まっていた。  のぼり旗を掲げながら福島地裁に向かってゆっくりと進む。シュプレヒコールが始まる。  「汚染水を海に捨てるな! 福島の海を汚すな!」  熱を帯びた声の重なりが雨のぱらつく福島市街に渦巻いた。  「我々のふるさとを汚すな! 国と東京電力は原発事故の責任をとれ!」  提訴後、市民たちは近くにある福島市の市民会館で集会を行った。弁護団の共同代表を務める広田次男弁護士が熱っぽく語る。 広田次男弁護士(8月23日、本誌編集部撮影)  「先月の23日に記者会見し、28日から委任状の発送作業などを行ってきました。今日まで10日弱で151名の方々が加わってくれたことは評価に値することだと思います」  広田氏の隣には同じく共同代表の河合弘之弁護士が座っていた。共同代表はこの日不参加の海渡雄一弁護士も含めた3人である。広田氏は長年浜通りの人権派弁護士として活動してきたベテラン。河合、海渡の両氏は全国を渡り歩いて脱原発訴訟を闘うコンビだ。  この日訴状に名を連ねたのは福島、茨城、岩手、宮城、千葉、東京の1都5県に住む市民(避難者を含む)と漁業者たち。必要資料の提出が間に合わなかった人も多数いるため、早速10月末に追加提訴を行う予定だという。少なくとも数百人規模の原告たちの思いが、上記の3人をはじめとした弁護士たちに託されることになる。  報道陣に渡された訴状はA4版で40ページ。請求の理由が書かれた文章の冒頭には「福島県民の怒り」というタイトルがついていた。  《本件訴訟の当事者である原告らは、いずれも「3・11原発公害の被害者」であり、各自、「故郷はく奪・損傷による平穏生活権の侵害」を受けた者であるという特質を備えている。したがって、ALPS処理汚染水の放出による環境汚染は、その「重大な過失」によって放射能汚染公害をもたらした加害者が、被害者に対して「故意に」行う新たな加害行為である。原告と被告東電・被告国の間には、二重の加害と被害の関係があると言える。本件訴訟は、二重の加害による権利侵害は絶対に容認できないとの怒りをもって提訴するものである》(訴状より)  原発事故を起こした国と東電が今度は故意に海を汚す。これは福島の人びとへの「二重の加害」である――。河合弘之弁護士はこの理屈をたとえ話で説明した。  「危険運転で人をはねたとします。その人が倒れました。なんとか必死に立ち上がって、歩き始めました。そこのところを後ろから襲いかかって殴り倒すような2回目の加害行為。これが今度の放射性物質を含む汚染水の海洋投棄だと思います。1回目の危険運転は、ひどいけれども過失罪です。今度流すのは故意、悪意です。過失による加害行為をした後に、故意による加害行為を始めたというのが、この海洋放出の実態です」  「二重の加害」への憤り。この思いは原告たちの共通認識と言えるだろう。原告共同代表を務める鈴木茂男さん(いわき市在住)はこのように語っている。  「私たち福島県民は12年前の原発事故の被害者です。現在に至るまで避難を続けている人もたくさんいます。被害が継続している人たちがまだまだたくさんいるのです。その中で国と東電がALPS処理汚染水の海洋放出を強行するということは、私たち被害者たちに対して新たな被害を与えるということだと思います。それなのに国と東電は一切謝罪をしていません。漁業者との約束を破ったにも関わらず、『約束を破っていない』と強弁して、『すみません』の一言も発していません。こんなことがまかり通っていいのでしょうか? 社会の常識からいえば、やむを得ない事情で約束を守れない状況になったら、その理由を説明し、頭を下げて謝罪し、理解を求めるのが、人の道ではないでしょうか。謝罪もせず、『理解は進んでいる』と言う。これはどういうことなのでしょうか? 福島第一原発では毎日汚染水が増え続けています。この汚染水の発生をストップさせることがまず必要です。私は海洋放出を黙って見ているわけにはいきません。何としても、いったん止める。そして根本的な対策を考えさせる。止めるのは一日でも早いほうがいい。そのための本日の提訴だと思っています」  提訴後の集会でのほかの原告たちの声(別表)も読んでほしい。 海洋放出差し止め訴訟「原告の声」 佐藤和良さん(いわき市)「今、マスコミでは『小売りの魚屋さんが頑張っています』というのがよく取り上げられています。食べて応援。岸田首相や西村経済産業大臣をはじめとして、みんな急に刺身を食べたり、海鮮丼を食べたりして、『常磐ものはうまい』と言っています。でも、30年やってられるんですか? 急に魚食うなよと言いたいです。『汚染水』ではなくて『処理水』だという言論統制が幅を利かすようになっています。本当に戦争の足音が近づいてきたんじゃないかと思います。非常に厳しい日本社会になってきています。我々は引くことができません」 大賀あや子さん(大熊町から新潟県へ避難)「大熊町議会では2020年9月に処分方法の早期決定を求める意見書を国に提出しました。政府東電の説明を受け、住民の声を聞き取る機会を設けず、町議会での参考人聴取や熟議もないままに出されたものでした。交付金のため国に従うという原発事故前からの構図は変わっていないということでしょうか。海洋放出に賛成しない町民の声が埋もれてしまっています」 後藤江美子さん(伊達市)「私が原告になろうと思ったのは生活者として当たり前の常識が通用しないことに憤りを感じたからです。『関係者の理解なしには海洋放出しない』という約束がありました。この約束は反故にしないと言いながら、どうして海洋放出を開始するのか。子どもたちに正々堂々きちんと説明することができるのでしょうか。平気でうそをつく、ごまかす、後出しじゃんけんで事実を知らせる。国や東電がやっていることは人として恥ずかしくないのでしょうか。岸田さんはこれから30年すべて自分が責任をもつとおっしゃいましたが、次の世代を生きる孫や子のことを考えれば、本当はもっと慎重な行動が求められているのではないかと思います」 権利の侵害を主張 東京電力本店  訴えの中身に目を転じてみよう。裁判は国を相手取った行政訴訟と、東電を相手取った民事訴訟との二部構成になる。原告たちが求めているのはおおむね以下の2点だ。  ・国(原子力規制委員会)は、東電が出した海洋放出計画への認可を取り消せ。  ・東電はALPS処理汚染水の海洋への放出をしてはならない。  なぜ原告たちにこれらを求める根拠があるのか。海洋放出によって漁業者や市民たちの権利が侵害されるからだというのが原告たちの主張だ。  《ALPS処理汚染水が海洋放出されれば、原告らが漁獲し、生産している漁業生産物の販売が著しく困難となることは明らかである。政府は、これらの損害については補償するとしているが、まさに、補償しなければならない事態を招き寄せる「災害」であることを認めているといわなければならない。さらに、一般住民である原告との関係では、この海洋放出行為は、これらの漁業生産物を摂取することで、将来健康被害を受ける可能性があるという不安をもたらし、その平穏生活権を侵害する行為である》(訴状より)  漁師たちが漁をする権利(漁業行使権)が妨害されるだけでなく、生業を傷つけられること自体が漁師の人格権侵害に当たるという指摘もあった。この点について、訴状は週刊誌(『女性自身』8月22・29日合併号)の記事を引用している。  《新地町の漁師、小野春雄さんはこう憤る。「政府は、『水産物の価格が下落したら買い上げて冷凍保存する』と言って基金を作ったけど、俺ら漁師はそんなこと望んでない。消費者が〝おいしい〟と喜ぶ顔が見たいから魚を捕るんだ。税金をドブに捨てるような使い方はやめてもらいたい!」》  仮に金銭補償が受けられたとしても、漁師としての生きがいや誇りは戻ってこない。小野さんが言いたいのはそういうことだと思う。  訴状はさらに、さまざまな論点から海洋放出を批判している。要点のみ紹介する。  ・ALPS処理汚染水に含まれるトリチウムやその他の放射性物質の毒性、および食物連鎖による生体濃縮の毒性について、適切な調査・評価がなされていない。  ・放射性廃棄物の海洋投棄を禁じたロンドン条約などに違反する。  ・国と東電には環境への負荷が少ない代替策を採用すべき義務がある。  ・国際社会の強い反対を押し切って海洋放出を強行することは日本の国益を大きく損なう。  ・IAEA包括報告書によって海洋放出を正当化することはできない。 弁護団共同代表の海渡氏は裁判のポイントを以下のように解説する。  「分かりやすい例を一つだけ挙げます。今回の海洋放出は、ALPS処理された汚染水の中にどれだけの放射性物質が含まれているかが明らかになっていません。放出される中にはトリチウムだけでなくストロンチウム、セシウム、炭素14なども含まれています。それらが放出されることによって海洋環境や生物にどういう被害をもたらし得るか。環境アセスメントがきちんと行われていません。国連人権理事会の場でもそういう調査をしろと言われているのに、それが全く行われていない。決定的に重大な国の過誤、欠落と言えると思います」 原発事故汚染水の海洋放出と差し止め訴訟の経緯 2021年4月日本政府が海洋放出の方針を決定2022年7月原子力規制委員会が東電の海洋放出設備計画を認可8月福島県と大熊・双葉両町が東電の海洋放出設備工事を事前了解2023年7/4国際原子力機関(IAEA)が包括報告書を公表8/22日本政府が関係閣僚等会議を開き、8月24日の放出開始を決める23日海洋放出差し止め訴訟の弁護団と原告予定者が提訴方針を発表24日海洋放出開始。中国は日本からの水産物輸入を全面的に停止9/4日本政府が水産事業者への緊急支援策として新たに207億円を拠出すると発表8日海洋放出差し止め訴訟、第1次提訴11日東電が初回分の海洋放出を完了(約7800㌧を放出)10月末差し止め訴訟、追加提訴(予定) 多くの市民を巻き込めるか 提訴前にデモ行進する市民たち(9月8日、牧内昇平撮影)  問題は、原告たちの訴えが認められるかどうかだ。提訴前の8月23日に開かれた記者会見で、筆者はあえて弁護団に「勝算」を聞いた。広田氏は以下のように答えた。「何をもって裁判の勝ち負けとするか、そのメルクマール自体が裁判の展開によっては難しい中身を伴うかもしれませんが、勝算はもちろんあります。勝算がなければこうやって大勢の皆さんに立ち上がろうと弁護団が言うことはあり得ません。どういう形で勝つかまではここで具体的に断言はできませんが、ともかくどういう形であれ、やってよかった、立ち上がってよかった、そう思える結果を残せると確信しております」。  海渡氏は以下の見解を示した。  「この裁判は十分勝算があると思っています。最も勝算があると考える部分は、現に漁業協同組合に加入している漁業者の方がこの裁判に加わってくれたことです。彼らの生業が海洋放出によって甚大な影響を受けることはまちがいない。そしてそれが過失ではなく故意による災害であることもまちがいない。これはきわめて明白なことです。まともな裁判官だったら正面から認めるはずです。一般市民の方々の平穏生活権の侵害については、これまでの原発事故被害者の損害賠償訴訟の中で、避難者の救済法理として考えられてきたものです。たくさんの民事法学者の賛同を得ている、かなり確実な法理論です。チャレンジングなところもありますが、この部分も十分勝算があると思っています」  筆者の考えでは、最大のポイントはいかに運動を広げられるかだ。法廷闘争だけで海洋放出を止めるのではなく、裁判を起こすことで二重の加害に対する市民たちの憤りを「見える化」し、できるだけ多くの人に「やっぱり放射性物質を海に流してはだめだ」と考えてもらう。世論を味方につけ、判決を待たずして政府に政策転換を迫る。そんな流れを作れないだろうか。  そのためには原告の数をもっと増やしたいところだろう。仮に数千人規模の市民が海洋放出差し止めを求めて裁判所に押し寄せたら、裁判官たちにもいい意味でのプレッシャーがかかるのではないか。素人考えではあるが、筆者はそう思っている。  とはいえ司法の壁は高い。記憶に新しいのは昨年6月17日の最高裁判決だ。原発事故の損害賠償などを求める市民たちが福島、千葉、群馬、愛媛地裁で始めた合計4件の訴訟について、最高裁第二小法廷は国の法的責任を認めないという判決を下した。高裁段階では群馬をのぞく3件で原告たちが勝っていたが、それでも最高裁は国の責任を認めなかった。東電に必要な事故対策をとらせなかった国の無為無策が司法の場で免罪されてしまった。司法から猛省を迫られなかったことが、原発事故対応に関して国に余裕をもたらし、今回の海洋放出強行につながったという見方もある。  しかし、壁がどんなに高かろうとも、政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の役割の一つだということを忘れてはならない。国のやることがおかしいと感じたとき、司法に期待をかけるのは国民の権利である。海洋放出に反対する市民運動を続けてきた織田千代さん(いわき市)は、今回の海洋放出差し止め訴訟の原告にも加わった。織田さんはこう話す。  「福島で原発事故を経験した私たちは、事故が起きるとどうなるのかを12年以上さんざん見てきました。そして福島のおいしいものを食べるときに浮かんでしまう『これ大丈夫かな?』という気持ちは、事故の前にはなかった感情です。つまり、原発事故は当たり前の日常を傷つけ続けているということだと思います。それを知っている私たちは、絶対にこれ以上放射能を広げるなと警告する責任があると思います。国はその声を無視し続け、約束を守ろうとしませんでした。それでも私たちは安心して生きていきたいと願うことをやめるわけにはいきません。私たちの声を『ないこと』にはできません」 ※補足1海洋放出差し止め訴訟の原告たちは新しい原告や訴訟支援者の募集を続けている。原告は福島、茨城、岩手、宮城、千葉、東京の1都5県の市民が対象で(同地域からの避難者を含む)、それ以外の地域に住む人は訴訟の支援者になってほしいという。問い合わせはALPS処理汚染水差止訴訟原告団事務局(090-7797-4673、ran1953@sea.plala.or.jp)まで。 ※補足2生業訴訟の第2陣(原告数1846人)は福島地裁で係属中。全国各地のほかの集団訴訟とも協力し、いわゆる「6.17最高裁不当判決」をひっくり返そうとしている。 あわせて読みたい 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 大義なき海洋放出【牧内昇平】福島第一原発のタンク群(今年1月、代表撮影)

    大義なき海洋放出【牧内昇平】

     8月24日、政府と東京電力は福島第一原発にたまる汚染水の海洋放出を始めた。約束を守らず、急いで流す必要はなく、代替案を検討する余地もあった。筆者は「大義なき海洋放出」だと思っている。反対する人びとは直前まで街頭で声を上げ、中止や再検討を求め続けていた。直前1週間の取材日記を紹介する。 反対派の声でつづる直前1週間  【8月17日】  午後2時、国会の衆議院第一議員会館。国際環境NGOのFOEジャパンらが経済産業省や東電の担当者と面会した。同団体の事務局長、満田夏花氏が険しい表情で切り出す。  「原子力市民委員会はかねてからモルタル固化処分を提案していますが、反論として挙げられている水和熱の発生は分割固化、水和熱抑制剤投入で容易に対応できると考えられますが、いかがですか」  福島市内の自宅にいた筆者はオンラインでこの会合を視聴した。淡い期待を抱いていた。海洋放出の代替案が議題の一つだったからだ。汚染水を「すすんで海に捨てたい」と言う人はいないだろう。可能な限り他の選択肢を検討すべきだ。マスメディアはほとんど報じないが、海洋放出の他にも汚染水処分のアイデアはある。有力なのが大学教授やプラントエンジニアらが参加する「原子力市民委員会」による「モルタル固化による『半地下』埋設」案である。  コンクリートやモルタルが固まる時には材料の水とセメントが反応して水和熱が生じる。発熱時に水分の蒸発が増え、水に含まれているトリチウムも大気中に出ていってしまう。経産省が汚染水の処分方法を検討した「ALPS処理水の取扱いに関する小委員会」では、水和熱が固化案の課題の一つとされた。「抑制剤を入れれば蒸発量は少ない」という満田氏の指摘に対し、東電はこう答えた。  東電の担当者「固化時の水分蒸発のみが課題ではございません。また、ご指摘の水和熱の発生に対応できたとしても、水分の蒸発がなくなるわけではなく、ご提案のような方法が根本的な解決にはならないと考えています」  この説明に対して原子力市民委員会に所属するプラント技術者、川井康郎氏が反論した。  「たしかに水和熱は発生します。ただ、あくまでも混ぜ始めて数日間、20~30度の温度上昇です。抑制剤を使えば影響は些末です。水分の蒸発がゼロにはなりませんが、含まれるトリチウムは極めて少ないと断言できます。対して海洋放出というのは、タンクにたまる約800兆ベクレルのトリチウムを100%海に放出するんですよね。その際のトリチウムの量と、固化時の水分蒸発にわずかに溶け込んだトリチウムの量。これを比較することは全くできないと思います。それを同じ土俵で考えてモルタル固化案を否定するのは技術的な考え方ではありません」  満田氏「水分の蒸発量を東電では試算しているのでしょうか?」  東電の担当者「ちょっと今、その情報を持ち合わせていません。20年に小委員会報告書が出されていて、そこでは地下埋設という処分方法については《規制的、技術的、時間的な観点から課題が多い》と書かれていたと認識しております」  筆者は驚いた。蒸発量のデータを持たないまま、「水分が蒸発するからダメ」と説明していたことが判明したからだ。市民側の追及は続く。  満田氏「小委員会などで議論されていたのは『地下』埋設です。原子力市民委員会が提案しているのは『半地下』案です。モニタリングが難しいとか、費用がかかるとか、地下埋設の弱点を改善した案なんです。それについて一顧だにせず、公の場で議論してきませんでした。にもかかわらず『すでに議論したからいいんだ』という感じで却下されるというのはいかがなものかと思います」  東電の担当者「我々としては報告書の結果を受けて海洋放出が政府の方針として決められて、それに基づいて行っているというところです」  東電の言い分としては「政府の方針に従っているだけだ」ということ。これはこれで正しい。説明責任は日本政府にある。  満田氏「経産省さんはいかがでしょうか」  経産省の担当者「ええと……処分方法の決定にあたっては6年以上、トリチウム水タスクフォースやALPS小委員会で議論がなされていたところであります……」  経産省からの回答はこれだけだった。これには市民委員会のメンバーで、かつて原発の設計にたずさわっていた後藤政志氏が怒った。  後藤氏「小委員会で専門家が技術的な検討を重ねたと言いますが、皆さんからの疑問に対して正面から答えられないような、そんな委員会であるならば存在価値がない!」  経産省からは何の反論もない。筆者はため息をついてパソコンを閉じた。真摯な議論が聞けると思ったのに期待を裏切られたからだ。この日の会合取材ではっきりしたのは、経産省も東電も代替案をまじめに考えていないことだ。FOEジャパンは事前に質問状を渡していたという。回答を準備する時間はあったはずだ。代替案が検討されないまま、海洋放出が唯一の選択肢であるかのように事態は進んでゆく。  午後5時半、岸田首相は日米韓首脳会談に出席するため、政府専用機で米国に向かった。  首相官邸前に市民が集結 海洋放出反対のボードを掲げる首相官邸前アクションの参加者(8月18日、牧内昇平撮影)  【8月18日】  筆者は新幹線に乗って東京へ。午前10時、東京都千代田区の首相官邸前には200人を優に超える市民たちが集まっていた。うだるような暑さの中、横断幕やプラカードを掲げる。  《約束を守れ!》《安全な陸上で保管できる》《福島は怒っている 汚染水ながすな》  海洋放出に反対する市民グループ「これ以上海を汚すな!市民会議」(これ海)と「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」が主催した首相官邸前アクションだ。三春町の武藤類子さんがマイクを握った。  「今日岸田首相は日米韓首脳会談のためにアメリカに行っています。しかし、岸田首相が聞くべき声はバイデン大統領やユン大統領の意向ではありません。聞くべきは漁業者をはじめとする原発事故の被害者、国内の市民の声、そして海でつながる他の国々の市民の声だと思います」  その通りだ。続いて「これ海」共同代表、いわき市の佐藤和良さんがスピーチを行う。  「全国の漁業者が一丸となって反対し続けているではありませんか。そしてまた福島県民はじめ多くの原発事故被害者が、この放射性液体廃棄物の海洋投棄に反対しているんです。東日本大震災で塗炭の苦しみを味わって12年、ここまできました。沿岸漁業もようやく震災前2割の水揚げに至ったばかりです。ここで汚染水を流されたら生業が成り立ちません。会津には『什の掟(じゅうのおきて)』というものがあります。『ならぬことはならぬものです。嘘を言うことはなりませぬ』。岸田首相にこの言葉を贈ります!」  参加者たちは炎天下の官邸前から参議院議員会館に移動し、集会を続けた。急に冷房が効いた場所へ入り、汗で濡れたシャツが冷たくなる。いわき市の米山努さんが話した。時折涙ぐんでいる。米山さんはかつて筆者に、「海洋放出は福島県民にとって末代への恥だ」と指摘していた。放出が間近に迫り、胸が締めつけられる気持ちなのだろう。  「私は海産物が好きですから毎日のように近くの海で獲れたアイナメとか、いろいろな魚を食べています。トリチウムは有害であることをはっきりと言っておきたいと思います。政府は問題ないと宣伝していますが、資料を調べれば調べるほど有害性にどきっとします。たとえばトリチウムは人体の臓器の中では脳にとどまることが多いようです。また、有機物に結合したトリチウムが体内に取り込まれた場合、生物学的半減期(代謝や排せつで半分に減るまでの期間)は100~600日くらいだそうです。長く体内にとどまり、細胞のごく近くでトリチウムのベータ線を放出し続けるわけです」   「これ海」共同代表、いわき市の織田千代さんはこう話した。  「海は世界につながる豊かな命のかたまりです。放射能を流し続けるという無謀なことを日本政府が行っていいはずがありません。事故を経験した大人の責任として、未来の子どもたちにきれいな海を手渡したい、約束を守ることの大切さを伝えていきたいと思うのです。海洋放出はやめてと叫び続けましょう」  織田さんは叫び続けてきた。2年前の4月13日に政府が海洋放出方針を決めて以来、「これ海」は毎月13日に反対行動を続けてきた。伝わらないもどかしさを感じながら、それでも声を上げ続ける姿勢に筆者は敬意を抱く。この声はいつになったら政府に届くのか。岸田首相はこの日の午後、米ワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地に到着。 岸田首相に向けて「反対」の声 【8月19日】  福島に戻った筆者は朝からやる気が出ない。前日からこんなニュースばかりだからだ。  《岸田首相は福島第一原発を20日にも訪問する方向で最終調整に入った。(中略)首相は近く関係閣僚会議を開き、月内にも放出開始の日程を判断する》(19日付福島民報)  本誌編集部の志賀哲也記者から一報をもらった。「不確実な情報ですが、岸田首相は朝、新幹線でJR郡山駅に来て、帰りはいわき駅から特急に乗って帰るようです」。  海洋放出に反対する人びとはこの情報をつかんでいるだろうか。心配が頭をかすめたが、間違っていたら悪いので、とりあえず経過を見守るしかない。志賀記者が郡山駅で写真をおさえ、私は原発付近に向かうことにした。  【8月20日】 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1693071630145335489 岸田首相に海洋放出反対を訴えた宍戸さん(8月20日、牧内昇平撮影)  午前9時半、岸田首相が郡山駅に到着。志賀記者の情報はビンゴだった。反対する人びとの集会は開かれていないという。やはり情報が入っていないのだ。首相は直接、反対の声を聞くべきだ。筆者は福島市に住む宍戸幸子さんに電話をかけた。連日のように街頭で放出反対を訴えている宍戸さんなら一緒に来てくれると思ったからだ。「情報が正確だと分かりました。宍戸さん、今から出られますか?」「もちろん!」。原発の近くから福島市に引き返し、宍戸さんと合流していわき駅へ向かった。  正午すぎ、いわき駅に到着。警察官が歩き回っているなか、改札を出たところの広場で首相の到着をひたすら待つ。午後3時すぎ、特急ひたちのホームに降りようとする集団を発見。中央に首相の姿を認める。カメラを構えながら宍戸さんに「来た!」と叫んだ。宍戸さんは一瞬「どこ?」と戸惑ったが、気を引き締めて大きな声で叫んだ。  「海洋放出は絶対反対ですから!反対ですから!」  新聞紙で覆っていた手書きのポスターをかかげる。《反対してるのに! 海洋放出するな》  首相の姿が見えたのはわずか数秒だった。宍戸さんの叫び声は届いただろうか? 岸田首相はこの日、原発構内で東電の最高幹部たちと面会、報道対応を行った。しかし、福島の人びとと語り合う時間はつくらなかった。 【8月21日】  午後2時、福島市内の杉妻会館で「福島円卓会議」が始まった。海洋放出や廃炉の問題を議論するために県内の有識者や市民が集まった会議だ。ホールには事務局長の林薫平・福島大准教授の声が響いた。  「一、今夏の海洋放出スケジュールは凍結すべきである。二、地元の漁業復興のこれ以上の阻害は許容できない。三……」  林氏が読み上げたのは「緊急アピール」の文案だった。円卓会議はこの夏に発足。7月11日と8月1日に会合を開き、この日が3回目だ。議論を重ねるにはまだ時間が必要だったと思うが、事態は急を要するため、緊急アピールを発出することになったという。参加した市民たちと約2時間にわたる意見交換を行い、その場でアピールの文面を固めた。  この会議がもっと早く始まってくれればよかったのに、と筆者は思う。だが、内堀雅雄福島県知事が海洋放出に対する賛否を示さず、結果的に政府・東電の計画を追認してしまっているのが現状だ。地元福島の有識者・市民が自主的に集まり、意思表明することには大きな価値がある。  誰でも会議に参加でき、挙手すれば意見を述べられるという進行方法もいいと思う。事務局は政府や東電にも会議への出席を求めてきたという。しかし、これまでの会議には誰も参加していないようだ。ここでも「丁寧に説明する」という政府・東電の言葉がいい加減なものだとわかる。  午後4時、岸田首相は全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長を官邸に呼んだ。福島県漁連の専務理事も同席した。着々と地ならしが進んでいく印象。 決して賛否を示さない内堀知事 筆者の質問に答える内堀雅雄知事(写真中央、8月22日、牧内昇平撮影) 【8月22日】  午前10時、関係閣僚等会議が開始。岸田首相が「具体的な放出時期は8月24日を見込む」と発表する。  午後になって頼みの志賀記者から連絡が入った。2時半から西村康稔経産相が県庁を訪ね、内堀知事と吉田淳・大熊町長、伊澤史朗・双葉町長と面会するとのこと。県庁に取材を申し込んだら「経産省のほうで受け付けを行っています」とにべもない。しかも経産省はすでに申し込みを締め切ったという。  西村氏に続いて東電ホールディングスの小早川智明社長が内堀知事ら3氏と面会した。終了後、報道陣への取材対応の時間があった。筆者と内堀氏のやりとりを再現する。  筆者「フリーランスの牧内といいますが、何点かうかがいます」  内堀氏「すみません。時間の関係があるので一点でお願いします」  筆者「一点?」  内堀氏「はい」  筆者「これまで何度も聞かれていると思いますが、そもそも内堀さんは海洋放出に賛成なんでしょうか、反対なんでしょうか。理解を示しているのでしょうか、示していないのか。その点を明らかにしてもらいたいと思います」  内堀氏「はい。今ですね、二つの中の選択肢で選んでくれというお話をしました。今日私が経済産業大臣そして東京電力の社長にお話した内容、非常に複雑多岐な内容を含んでいます。漁業者の皆さんの思いも含んでいます。また、処理水の海洋放出に反対の方の意見も入っています。一方でまさに立地自治体であったり、避難地域12市町村の復興を前に進めたい、あるいは福島県の風評というものをしっかりなくしていきたいという県民の皆さんの思いも入っています。二つの選択肢の中のどちらかを選ぶということは、原子力災害の問題では極めて困難だと考えています。そのうえで広域自治体である県としては、それぞれの立場の真剣な思いというものを福島県の意見の中に取り入れつつ、これまで政府高官に対する要請を21回、また、復興推進委員会、復興再生協議会等の場において26回、この2年4カ月の間にお話をしてきました。一言で結論を出すことが難しい。それがこの原子力災害の葛藤だと考えています」  筆者「政治家としては決断を下すのが仕事だと……」  内堀氏(再質問している筆者から目を背けてほかの新聞記者を指し)「お願いします」  県庁の広報担当「一問限りでお願いいたします」  筆者「ダメなんですか?」  県庁の広報担当(無回答のまま)「じゃ、河北新報さん」  内堀氏(河北の記者のほうを向いて)「どうぞ」  この期に及んで内堀氏は海洋放出の是非について判断を示さなかった。「原子力災害の問題は二つの選択肢のどちらかを選ぶのが極めて困難だ」と言う。だが、いろいろな人と話し合ったうえで正解のない問題に決断を下すのが政治家の仕事だろう。福島県には原子力緊急事態宣言が出されている。まさに今、原子力災害は継続中である。「どちらかを選べない」人が行政トップの座に就いていて大丈夫だろうか(ちなみに複数質問した記者もいたことを付記しておく)。 注目される差し止め訴訟 【8月23日】  「今年の5月から裁判を準備してきました。原告数は100人を超えることを目指しています」  いわき市文化センターの会議室で、広田次男弁護士が海洋放出の差し止めを求める裁判を起こすと発表した。県内外の漁業者や市民が原告、国と東電ホールディングスが被告となる。海洋放出によって漁業者たちは生存の基礎となる生業を破壊される。一般の人びとも汚染されない環境で平穏に生活する権利を奪われる。漁業行使権、人格権(平穏生活権)が侵害されるとの主張だ。広田氏と共に弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は海洋放出が倫理に反している点を強調した。  「福島第一原発の敷地内外には広大な土地があります。国や東電は『燃料デブリの用地確保が必要だ』と言いますが、デブリはまだ数㌘しか取れていません。大量に取り出せるのは何十年も先です。そんな先のことのために、空き地を使わず放流するというのはインチキです。ひと言でいえば『不要不急の放流』です」  9月8日に第一次提訴があるという。政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の最大の役割だ。海洋放出をめぐる法廷闘争がいよいよ始まる。  【8月24日】 大熊町で海洋放出直前に行われた抗議活動の様子(8月24日、牧内昇平撮影)  午前9時、筆者は大熊町夫沢付近にある国道6号の交差点に到着した。交差点から車を東に進めれば福島第一原発の敷地に至る。が、当然そこは封鎖され、一般車両は通行できない。数台のパトカーが停まり、制服の警察官が取り締まっている。海洋放出に反対する人びとが交差点に集まってきた。放出は午後1時の予定だと報じられていた。放出前最後の抗議になるだろう。  人びとは横一列に並ぶ。歩道に沿って《海に流すな》と書かれた横断幕をかかげる。ここでもリレースピーチが行われた。このエリアを歩いている人はいない。主に報道陣へ語りかける。  南相馬市の佐藤智子さんが話す。  「海は誰のものでしょう。みんなのものです。決して政治のトップや官僚や大企業だけのものではありません。なのに、私たちが住む地球の美しい環境を汚すっていうことに私はすごく憤りを感じます。私たち大人はまだいいですよ。子どもや孫、次世代の人たち、動植物の命を侵すことになる。私は肌でそう感じています。主婦です。単なる主婦。主婦がそう思うんです。そういうほうが案外当たっていると思います。陸上保管! 海洋放出反対!」  佐藤さんは「メディアの方々、きちんと報じてください」と語りかけた。だが、集まった報道陣はそれほど多くない。しかも半分ほどは海外メディアだった。筆者も韓国・京郷新聞のイ・ユンジョン記者から頼まれ、現地にお連れしていた。  浪江町から福島市に避難し、今も同市に住む今野寿美雄さんが話した。  「流したら福島県の恥だよ。福島も宮城も漁業は壊滅します。魚はもう食えなくなっちゃうよ。政府は全然科学的じゃないよ。原発のエンジニアとして言います。トリチウムは危険です。海はゴミ捨て場じゃないよ。それでなくても運転中の発電所からトリチウムが流れている。でも、今流そうとしているのは汚染水だよ。トリチウムだけじゃないよ。薄めて流すというけど、薄めたって総量は一緒なんです。生体濃縮した魚を食べたら人間の体にも入ってくるんです。水俣病で分かったことをまた同じことを繰り返そうとしているんです。馬鹿じゃないの?」 メディアの責任も問われている  原発で働いてきた今野さんは、事故後は子どもたちを無用な被ばくから守るための裁判で原告団長も務めてきた。放射線の怖さを肌身で感じてきたからだろう。今野さんの顔が紅潮してきた。怒りが止まらない。  「汚染水流すのやめろ。ここに爆弾あるんだったら爆弾を投げつけたいよ。ほんとに……ふざけんな!」  南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。原発の方角へお経を唱えている人がいる。千葉県にある妙法寺の法尼、矢向由季さんだ。法尼の声は時に穏やかに、時に力強く、寄せては返す波のように延々と続く。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。  午後1時すぎ、予定通り海洋放出が始まった。NHKはヘリコプターを飛ばして上空からの映像を中継している。そのくせ報じている内容は政府の言い分がベースになっている。本当に安全であり、本当に不可避ならば、大げさに伝える必要があるのだろうか。経過は大きく報じるものの、肝心の「是非」についてはっきりした考えがわからない。そのうえ反対意見は丁寧に拾わない。結果として政府を後押しする役割を果たす。多くのマスメディアに対して筆者は同様の印象を抱いている(「風評被害」を強調するだけでは、じゃあ賠償しますという話にしかならない。本来必要なのは代替案などの検証だ)。  一緒に取材したイ・ユンジョン記者は「なぜ日本では大規模な反対運動が起こらないのでしょうか」と不思議がっているが、声を上げている人は確かにいるのだ。それを伝えていないメディアの責任は大きい。報道陣の端くれである筆者も含めて。  双葉町にある産業交流センターの屋上階にのぼった。正面に太平洋が見える。まさに今、30年、40年と続く汚染水の放出が始まった。海は、変わらず青い。しかし私たちは次世代まで責任をもてるだろうか。  8月24日は、新たな負の記念日として記憶された。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 県庁と癒着する地元「オール」メディア【ジャーナリスト 牧内昇平】

    県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】

     地元メディアが福島県と結託して水産物の風評払拭プロパガンダをしている。報道機関の客観性・中立性に疑念が生じる事態だ。権力を監視する「番犬」なはずのマスメディアが県庁に飼いならされてしまうのか? (一部敬称略) 風評払拭プロパガンダの片棒を担ぐな https://www.youtube.com/watch?v=itxS_tLhSXo U字工事の旅!発見#134 いわきの伊勢海老  U字工事は栃木なまりのトークが人気の芸人コンビだ。ツッコミの福田薫とボケの益子卓郎。益子の「ごめんねごめんね~」というギャグは一時期けっこう人気を集めた。そんな2人組が水槽を泳ぐ魚たちを凝視するシーンから番組は始まる。  福田「えー。ぼくらがいるのはですね。福島県いわき市にあります、アクアマリンふくしまです」 益子「旅発見はあれだね。福島に来る機会が多いっすね」 福田「やっぱ栃木は海なし県だから、海のある県に行きたがるよね。で、前にきたときも勉強したけど、福島の常磐もの、なんで美味しいかおぼえてる?」 益子「おぼえてるよ! こういう、(右腕をぐるぐる回して)海の流れだよ」 福田「ざっくりとした覚え方だな」 益子「海の、(さらに腕を回して)流れだよ!」 福田「ちょっと怪しい気もするんで、あらためて勉強しましょう。ちゃんとね」 これは「U字工事の旅!発見」というテレビ番組のオープニングだ。アクアマリンふくしまを訪れた2人はこのあと土産物店「いわき・ら・ら・ミュウ」に寄ってイセエビを味わうなどする。30分番組で、2人の地元とちぎテレビで2022年1月にオンエア後、福島テレビ、東京MXテレビ、KBS京都など、12都府県のテレビ局で放送されたという。 実はこの番組、福島県の予算が入っている。県庁と地元メディアが一体化した水産物の風評払拭プロパガンダの一つである。 地元オールメディアによる風評払拭プロパガンダ  2021年7月、福島県農林水産部はある事業の受注業者をつのった。事業名は「ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業」。オールメディアによる漁業の魅力発信業務、という名称もついていた。公募時の資料にはこう書いてあった。 【事業の目的】本県の漁業(内水面含む)が持つ魅力や水産物のおいしさなどをテレビ、新聞、ラジオの各種メディアと連携し、継続的に県外へ発信することで、県産水産物に対する風評を払拭し、消費者の購買意欲を高める。 【委託費上限額】1億2000万円。 公募から2カ月後に受注業者が決まった。福島民報社だ。そして同年11月以降、県内のテレビと新聞に〈ススメ水産、福島産。〉のキャッチコピーがあふれだす。 ●21年11月18日付福島民報1面 【見出し】「ススメ水産、福島産。」きょう開始 常磐もの応援 県、県内全メディアとPR 【本文の一部】東京電力福島第一原発事故に伴う県産水産物への風評払拭に向け、県は十八日、福島民報社など県内全メディアと協力した魅力発信事業「『ススメ水産、福島産。』キャンペーン」を開始する。本県沿岸で水揚げされる魚介類「常磐もの」のおいしさや魅力を多方面から継続的に発信し、販路拡大や消費拡大につなげる。(2面に関連記事) ページをめくって2面には、県職員とメディアの社員が一列に並んで「ススメ水産」のポスターをかかげる写真が載っていた。新聞は福島民報と福島民友。テレビは福島テレビ、福島中央テレビ、福島放送、テレビユー福島。それにラジオ2社(ラジオ福島とエフエム福島)を加えた合計8社だ。写真記事の上には「オールメディア事業」を発注した県水産課長のインタビュー記事があった。 ――県内全てのメディアが連携するキャンペーンの狙いは。 課長「県産水産物の魅力を一番理解している地元メディアと協力することで、最も正確で的確な情報発信ができると期待している」 ――これからのお薦めの魚介類は。 課長「サバが旬を迎えている。十二月はズワイガニ、年明けはメヒカリがおいしい時期になる。『常磐もの』を実際に食べ、おいしさを体感してほしい」 1、2面の記事をつぶさに見ても、この事業が1億2000万円の予算を組んだ県の事業であることは明記されていなかった。 広告費換算で8倍のPR効果?  そしてここから8社による怒涛の風評払拭キャンペーンが始まった。 民報は毎月1回、「ふくしまの常磐ものは顔がいい!」という企画特集をはじめた。常磐ものを使った料理レシピの紹介だ。通常記事の下の広告欄だが、けっこう大きな扱いでそれなりに目立つ。民友も記事下で「おうちで食べよう!ふくしまのお魚シリーズ」という月1回の特集をスタート。テレビでは、福テレが人気アイドルIMPACTorsの松井奏を起用し、同社の情報番組「サタふく」で常磐ものを紹介。福島放送の系列では全国ネットの「朝だ!生です旅サラダ」でたけし軍団のラッシャー板前がいわきの漁港から生中継。テレビユー福島がつくった「さかな芸人ハットリが行く! ふくしま・さかなウオっちんぐ」というミニ番組は東北や関東の一部で放送され……。 きりがないのでこのへんにしておく。各社が「オールメディア事業」として展開した記事や番組の一部を表①にまとめたので見てほしい。 表1 オールメディア風評払拭事業 2021年度「実績」の一部 関わった メディア日時記事・番組名記事の段数・放送の長さ内容福島民報11月27日ふくしまの常磐ものは顔がいい!シリーズ5段2分の1ヒラメの特徴の紹介と「ヒラメのムニエル」レシピの紹介11月28日本格操業に向けて~福島県の漁業のいま~3段相馬双葉漁業協同組合 立谷寛千代代表理事組合長に聞く「常磐もの」の魅力福島民友11月30日おうちで食べよう!ふくしまのお魚シリーズ5段本田よう一氏×上野台豊商店社長対談と「さんまのみりん干しと大根の炊き込みご飯」レシピ福島テレビ12月25日IMPACTors松井奏×サタふく出演企画「衝撃!FUKUSHIMA」25分「サタふく」コーナー。ジャニーズ事務所に所属する松井さんが常磐ものの美味しさを紹介1月13日U字工事の旅!発見30分常磐ものの魅力を漁師や加工者の目線、さまざまな角度から掘り下げ、携わる人々の思いを伝える福島放送11月20日朝だ!生です旅サラダ11分「朝だ!生です旅サラダ」人気コーナー。ラッシャー板前さんの生中継1月15日ふくしまのみなとまちで、3食ごはん55分釣り好き男性タレント三代目JSOUL BROTHERS山下健二郎さんが、福島の港で朝食・昼食・夕食の「三食ごはん」を楽しむテレビユー福島12月5日さかな芸人ハットリが行く!ふくしま・さかなウオっちんぐ3分サカナ芸人ハットリさんが実際に釣りにチャレンジし、地元で獲れる魚種スズキなどを分かりやすく解説1月23日ふくしまの海まるかじり 沿岸縦断ふれあいきずな旅54分「潮目の海」「常磐もの」と繁栄したふくしまの漁業の魅力を発信・ロケ番組ラジオ福島12月14日ススメ水産、福島産。ふくしま旬魚5分いわき市漁業協同組合の櫛田大和さんに12月の水揚げ状況や旬な魚種、その食べ方などについて聞くふくしま FM11月18日ONE MORNING10分福島県で漁業に携わる、未来を担う若者世代に取材※「令和3年度ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業」実績報告書を基に筆者作成。 ※系列メディアが番組を制作・放送している場合もある。新聞記事の文字数は1行あたり十数字。それがおさまるスペースを「段」と呼ぶ。「3段」で通常記事の下の広告欄が埋まるイメージ。  この事業の実績報告書がある。福島民報社がつくり、県の水産課に提出したものだ(※本稿で紹介している番組や記事についての情報はこの報告書に依拠している)。 さてこの報告書が事業の効果を検証している。書いてあった目標は「広告費換算1億2000万円以上」というもの。報告書によると「新聞・テレビ・ラジオでの露出成果や認知効果を、同じ枠を広告として購入した場合の広告費に換算し、その金額を評価」するという。つまり、1億2000万円の事業費を広告に使った場合よりもPR効果があればいい、ということのようだ。 報告書によると、気になる広告費換算額は9億6570万円だったという。「目標額である1億2000万円を大きく上回ることができた」と福島民報社の報告書は誇らしげに書いていた。 報道の信頼性に傷  筆者が一番おかしいと思うのは、このオールメディア風評払拭事業が「聖域」であるべき報道の分野まで入り込んでいることだ。 これまで紹介したのは新聞の企画特集やテレビの情報番組だ。こういうのはまだいい。しかし、報道の分野は話が違ってくる。新聞の通常記事やテレビのニュースには客観性、中立性が求められるし、「スポンサーの意向」が影響することは許されない。ましてや今回スポンサーとなっている福島県は「行政機関」という一種の権力だ。権力とは一線を画すのが、権力を監視するウオッチドッグ(番犬)たる報道機関としての信頼を保つためのルールである。 ところが福島県内の地元マスメディアにおいてはこのルールが守られていない。今回のオールメディア風評払拭事業について、県と福島民報社が契約の段階で取り交わした委託仕様書を読んでみよう。各メディアがどんなことをするかが書いてある。 〈テレビによる情報発信は、産地の魅力・水産物の安全性を発信する企画番組(1回以上)、産地取材特集(3回以上)、イベントや初漁情報等の水産ニュース(3回以上)を放映すること〉、〈新聞による情報発信は、水産物の魅力紹介等の漁業応援コラム記事を6回以上発信すること〉 ニュース番組でも水産物PRを行うことが契約の段階で織り込まれていたことが分かる。 次に見てほしいのが、先述した福島民報社の実績報告書だ。報告書は新聞の社会面トップになった記事や、夕方のテレビで放送されたニュースをプロモーション実績として県に報告していた。 ●21年12月16日付福島民友2面 【見出し】「常磐もの」新たな顔に 伊勢エビ、トラフグ追加/高級食材加え発信強化 【本文の一部】県は「常磐もの」として知られる県産水産物の「新たな顔」として、近年漁獲量が増えている伊勢エビやトラフグなどのブランド化に乗り出す。 ●22年2月11日付福島民報3面 【見出し】「ふくしま海の逸品」認定 県、新ブランド確立へ 【本文の一部】東京電力福島第一原発事故による風評の払拭と新たなブランド確立に向け、県は十日、県産水産物を使用して新たに開発された加工品五品を「ふくしま海の逸品」に認定した。 テレビのニュースも似たような状況だ。報告書がプロモーション実績として挙げている記事や番組の一部を表②に挙げておく。 表2 メディア風評払拭事業 2021年度「実績」の一部(報道記事・ニュース編) 関わったメディア日時記事・番組名など掲載ページ・放送の長さ内容(記事の抜粋または概要)福島民報11月20日常磐もの食べて復興応援 あすまで東京 魚食イベント 県産の魅力発信18ページ県産水産物「常磐もの」の味覚を満喫するイベント「発見!ふくしまお魚まつり」が19日、東京都千代田区の日比谷公園で始まった。12月5日県産食材 首都圏で応援 風評払拭アイデア続々 復興へのあゆみシンポ 初開催25ページ東京電力福島第一原発事故の風評払拭へ向けた解決策を提案する「復興へのあゆみシンポジウム」は4日、東京都で初めて開催された。福島民友12月16日「常磐もの」新たな顔に 伊勢エビ、トラフグ追加 高級食材加え発信強化2ページ県は「常磐もの」として知られる県産水産物の「新たな顔」として、近年漁獲量が増えている伊勢エビやトラフグなどのブランド化に乗り出す。2月11日県「海の逸品」5品認定 水産加工品開発プロジェクト 月内に県内実証販売3ページ県は10日、県産水産物を使用した新たなブランド商品となり得る「ふくしま海の逸品」認定商品として5品を認定した。福島テレビ1月2日テレポートプラス60秒全国ネットで放送。浪江町請戸漁港の出初式福島中央 テレビ1月16日ゴジてれSun!60秒都内で行われた「常磐ものフェア」の紹介福島放送1月17日ふくしまの海で生きる1分30秒~相馬の漁師親子篇~テレビユー福島1月21日※水産ニュース7分8秒急増するトラフグ 相馬の新名物に※「令和3年度ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業」実績報告書を基に筆者作成。 翌年度はさらにパワーアップ  福島県は翌22年度も「ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業」(オールメディアによる漁業の魅力発信業務)を実施した。予算も1億2000万円で変わらない。再び福島民報社が受注し、前年と同じ8社が県の風評払拭プロパガンダを担った。おおまかなところは前年度と同じだが、さらにパワーアップした感がある。 22年度の実績報告書によると、福島テレビ(系列含む)は「U字工事の旅!発見」やIMPACTors松井奏の番組を続けつつ、「カンニング竹山の福島のことなんて誰も知らねぇじゃねえかよ」という新たな目玉番組をつくった。ラジオ福島は人気芸人サンドウィッチマンが出演するニッポン放送の番組「サンドウィッチマン ザ・ラジオショーサタデー」のリスナープレゼント企画で常磐もののあんこう鍋を紹介した。報道ではこんな記事が目についた。 ●22年7月22日付福島民報3面 【見出し】県産農林水産物食べて知事ら東京で魅力発信 【本文の一部】県産農林水産物のトップセールスは二十一日、東京都足立区のイトーヨーカドーアリオ西新井店で行われ、内堀雅雄知事が三年ぶりに首都圏で旬のモモをはじめ夏野菜のキュウリやトマト、常磐ものの魅力を直接発信した。 「意味があるのか」と首をかしげたくなる知事の東京行きは、民報だけでなく福島テレビとテレビユー福島のニュースでも取り上げられたと実績報告書は書く。 報告書によると、22年度はテレビ番組や新聞の企画特集などが8社で145回、記事やニュースが47回。合計192回の情報発信がこのオールメディア事業を通じて行われた。先述の広告費換算額で言うと、その額は18億2300万円。前年度を倍にしたくらいの「大成功」になったそうな……。 もちろん事業の収支も報告されている。21年度も22年度も費用は合計で1億1999万9000円かかったと報告書に書いてあった。1億2000万円の予算をぎりぎりまで使ったということだ。費用の内訳を見ると、8社の番組制作やデジタル配信、広告にかかった金額が書き出されていた。あとはロゴマークやポスターの制作費、事務局の企画立案費など。 費用の欄にはニュース番組の項目もあった。これは県への情報開示請求で手に入れた書類なので個々の金額は黒塗りにされていて確認できないが、こうした「報道」分野の費用も計上されたと推測される。  問われるメディアの倫理観 内堀知事  権力と報道機関との間には一定の距離感が欠かせない。もしもあるメディア(たとえば福島民報)が「風評」を問題視し、それによる被害を防ぎたいと思うなら、自分たちのお金、アイデア、人員で「風評払拭」のキャンペーン報道をすべきだ。福島県も同じ目的で事業を組むかもしれないけれど、それと一体化してはいけない。一体化してしまったら県の事業を批判的な目でウオッチすることができなくなるからだ。 実際、福島県内のメディアはしつこいくらいに「風評が課題だ」と言うけれど、「風評を防ぐための県の事業は果たして効果があるのか?」といった問題意識のある報道は見当たらない。当たり前だ。自分たちがお金をもらってその事業を引き受けておいてそんな批判ができるわけない。 先ほど紹介した新聞記事やテレビのニュースの中には、知事のトップセールスや、県の事業の紹介が含まれていた。そういうものを書くなとは言わない。しかし、県が金を出している事業の一環としてこうした記事を出すのはまずい。これをやってしまったら、新聞やテレビは「県の広報担当」に成り下がってしまう。 県の事業と書いてきたが、実際には国の金が入っている。年間1億2000万円の事業予算のうち、半分は復興庁からの交付金である。福島県としては安上がりで積年のテーマである「風評」に取り組めるおいしい機会だろう。地元メディアがこの事業でどれくらい儲けているかは分からないけれど、全国レベルの人気タレントを使って番組を作れるいい機会にはなっているはずだ。ウィンウィンの関係である。じゃあ、そのぶん誰が損をしているのだろう? 当然それは、批判的な報道を期待できない筆者を含む福島県民、新聞の読者、テレビ・ラジオの視聴者たちだ。 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」 あわせて読みたい 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】

  • 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】

    汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】

     東京電力福島第一原発にたまる汚染水について、日本政府が海洋放出の方針を決めたのは2021年の4月13日だった。それからちょうど2年になる今年の4月13日に合わせて、政府方針に反対する人々が街頭に立った。国内だけでなくパリやニューヨーク、太平洋の島国でも……。日本政府はこうした声に耳を貸さず、海洋放出を強行してしまうのか? 不都合なことは伝えない?日本政府 【福島・いわき】 いわき市(市民による海洋放出反対アクションの様子、牧内昇平撮影)  4月13日午後0時半、いわき市小名浜のアクアマリンふくしまの前で、「これ以上海を汚すな!市民会議」(以下、「これ海」)の共同代表を務める織田千代さん(いわき市在住)がマイクを握った。 「放射能のことを気にせず、健康に毎日を暮らし、子どもたちが元気に遊び、大きくなってほしい。そんな不安のない毎日がやってくることが望みです。これ以上の放射能の拡散を許してはいけないと思います。これ以上放射能を海にも空にも大地にも広げないで!」 約30人の参加者たちが歩道に立ち〈汚染水を海に流さないで!〉と書かれたプラカードを掲げた。工場群へと急ぐトラックや、水族館を訪れる子どもたちを乗せた大型バスが通るたび、参加者たちは大きく手をふってアピールした。リレー形式のスピーチは続く。 「小学生の子どもが2人います。将来子どもたちから『危険だと分かっていたのにママは何もしなかったの?』と言われないように、子どもたちに恥ずかしい気持ちにならないように、みなさんと一緒にがんばっていきたいと思います」 「4歳の娘がいます。子どもを産む前に『福島で子どもは産むな』と親戚から言われました……。子どもは今元気に育っています。でも、これから海が汚されようとしています。汚染された海で魚を食べて、娘や子どもたちの世代には何も関係ないことなのに、風評も含めて被害を受けるのかと思うと、親としてすごく悲しい気持ちになります」 年配の男性からはこんな声も。 「会津生まれの私がいわきに住み着いたのは、魚がうまいからでした。それが原発事故になって、どうも落ち着いて魚を食べられなくなってしまった。これで海洋放出までやられたんでは、本当に、安心して酔っぱらいきれない。早く心から酔っぱらいたいと思っています」 浪江町の津島から兵庫県に避難している菅野みずえさんはちょうど来福していたため急きょ参加。こんなエピソードを語った。 「こないだGX(政府の原発推進方針)の説明会で経済産業省や環境省の人がきました。その中の一人が、『私は福島に何度も通って、福島と共に歩んでいます』なんてことを言った挙げ句に、『〝ときわもの〟の魚を私たちは……』と言いました」 小名浜の街頭に立つ人たちからどよめきの声が上がった。菅野さんは話を続けた。 「あほかおめぇって。国はちゃんとこっちを見てません。私たちしかがんばる者がいないなら一生懸命がんばりたいと思います」 街頭行動の終盤では地元フォークグループ「いわき雑魚塾」が演奏した。歌のタイトルは「でれすけ原発」。 ♪でれすけ でんでん ごせやげる でれすけ 原発 もう、いらねえ!(※メンバーによると、でれすけは「ばかたれ」、ごせやげるは「腹が立つ」の意)    ◇ いわき市小名浜のシーサイドは市民たちによる海洋放出反対アクションの「中心の地」の一つだ。菅義偉首相(当時)が汚染水(政府・東電は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出方針を発表したのは2021年4月13日。その2カ月後から、反対する市民たちは毎月13日に街頭でスタンディング(アピール行動)を行ってきた。中心となったのが「これ海」のメンバーたちである。 地道に続けてきた活動は大きな成果を上げつつある。これ海のメンバーたちは今年に入ってから、SNSを通じて国内外の人々に「4月13日は一緒に行動を。アクションを起こしたら写真を送ってください」と呼びかけてきた。手探りの試みだったが、呼びかけはグローバルな広がりを見せた。 【フランス】 パリ(よそものネットフランス提供)  ♪オ~、シャンゼリゼ~ オ~、シャンゼリゼ~♪ 4月上旬、花の都パリの鉄橋に〈SAYONARA NUKES〉の横断幕がかかった。現地の脱原発ネットワーク「よそものネットフランス」の辻俊子さんのSNS投稿を紹介する。 《若葉の緑が目に鮮やかな季節が始まり、暖かな日差しに人々がくつろぐ週末の午後、私達はサン・マルタン運河に架かる橋の一つに陣取りました。この運河はセーヌ河へと続き、セーヌ河はノルマンディー地方で大西洋に注ぎます。海は皆の宝物、これ以上汚してはいけません!》 ヨーロッパ随一の原発推進国フランス。マクロン大統領は昨年、最大14基、少なくとも6基の原子炉を新設すると明言した。もちろんそんな中でも原発に反対する声はある。使用済み核燃料の再処理工場があるノルマンディー地方のラ・アーグでは、「福島」と手書きされた折り紙の船が水辺に浮かんだ。 【米国】 ニューヨーク(Manhattan Project for a Nuclear-Free world提供)  STOP THE NUCLEAR WASTE DUMPING! (核の廃棄物を捨てるな!) ドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンの映画でも知られるニューヨーク公共図書館。美しい建物の前で4月8日、「汚染水を流すな!」集会が行われた。日本語で〈原子力? おことわり〉と書いた旗をかかげる人の姿も。ニューヨークの近郊にはインディアンポイント原発があり、市内を流れるハドソン川が汚染される懸念がある。日本の海洋放出はNYっ子たちにも他人事ではないのだ。 【ニュージーランド】 ニュージーランド(ジャック・ブラジルさん提供)  「キウイの国」の南島オタゴ地方の都市ダニーデン。「オクタゴン」(八角形)と呼ばれる市内中心部の広場に、〈Tiakina te mana o te Moana-nui-a-Kiwa〉と書かれた横断幕がひるがえった。マオリ語で「太平洋の尊厳を守ろう」という意味だそうだ。 スタンディングに参加した安積宇宙さんは東京都生まれ。地元オタゴ大学に初めての「車椅子に乗った正規の留学生」として入学した人だ。安積さんはSNSにこう書きこんでいた。 《太平洋は、命の源であり、私たちを繋いでいる。(海洋放出)計画の完全中止を求めます》 【太平洋諸国】 フィジー(Pacific Conference of Churches提供)  青い空に青い海。美しい景色をバックに、マーシャル諸島の若者たちは〈DO NOT NUKE THE PACIFIC〉(太平洋を核にさらすな)のプラカードをかかげた。ソロモン諸島では照りつける太陽の下に〈PROTECT OUR OCEAN〉(私たちの海を守れ)の旗。フィジーでは〈I am on the Ocean,s side〉(私は海の味方)の横断幕……。 米軍が1954年3月1日にビキニ環礁で行った水爆ブラボー実験は、軍の想定を大幅に上回る放射能汚染を地域にもたらした。爆心地にできたクレーターは直径2㌔、深さ60㍍とも言われる。爆発で吹き上げられた放射性物質は漁船「第五福竜丸」やマーシャル諸島に暮らす人びとの上に降りかかった。多くの人が病に冒され、故郷を追われた(佐々木英基著『核の難民』)。こういう経験をしている人々が海洋放出に反対するのは当然だろう。    ◇ SNS情報だから正確ではないが、4月13日の前後に国内外でかなりの数の市民が行動を起こしたことを確認できた。一部を書き出す。 福島、郡山、茨城、京都、新潟、東京、愛知、佐賀、青森、神奈川、静岡、埼玉、兵庫、福岡、沖縄、ベトナム、カナダ、韓国、フィリピン……。これだけ広がったのは、発起人たちの中でも予想外だったようだ。 これ海メンバーで会津若松市在住の片岡輝美さんは話す。「本当に驚きました。人びとのつながりを感じ、勇気をもらいました。あとは日本政府がこの市民のメッセージとどう向き合うのか、ですね」。 「我々は災害に直面する」 太平洋諸島フォーラム(Pacific Islands Forum、PIF)」のヘンリー・プナ事務局長  日本政府は国際原子力機関(IAEA)のお墨付きを得ることによって「国際社会は海洋放出を支持した」という印象を日本国内に植え付けようとしている。しかし、IAEAがすべてではない。アジアや太平洋の島国の中には海洋放出への反対が根強い。 今年1~2月、国連人権理事会で日本の人権の状況に関する審査が行われた。その結果、各国から合計300の勧告が日本政府に出された。死刑制度などへの勧告が多かったが、そのうち11件が海洋放出に関するものだったことは特筆に値する(表参照)。 海洋放出について日本政府に出された勧告 国名勧告の内容中国国際社会の正統かつ正当な懸念を真摯に受けとめ、オープンで透明性があり、安全な方法で放射性汚染水を処分すること。サモア放射性廃棄物が人体や地球環境におよぼす影響を最小限に抑えるために、代替の処分方法や貯蔵方法への研究、投資、実践を強化すること。マーシャル諸島太平洋諸島フォーラムから独自評価を依頼された専門家たちが求めるすべてのデータを、可及的速やかに提供すること。サモア福島第一原発の海洋放出計画について、包括的な環境影響調査を含めて、特に国連海洋法条約などに基づく国際的な義務を十分に守ること。マーシャル諸島太平洋諸島フォーラムによる独自評価が「許容できる」と判断しない限り、太平洋に放射性廃水を放出する計画を中止すること。フィジー太平洋に放射性廃水を放出する計画を中止し、太平洋諸島フォーラムによる独自評価について、フォーラム諸国との対話を継続すること。フィジー太平洋諸島フォーラムの専門家たちが放射性廃水の太平洋への放出が許容されるかどうかを判断するために、必要なすべてのデータを開示すること。東ティモール国際的な協議が適切に実施されるまでは、福島第一原発の放射性廃水の投棄に関わるあらゆる決定の延期を検討すること。サモア情報格差を含めて太平洋諸国が示しているすべての懸念に対処するまで放射性廃水の放出を控えること。人体と海の生物への影響に関する科学的データを提供すること。バヌアツ汚染廃棄物の安全性に関する十分な科学的エビデンスの提供なしに、福島第一原発の放射性汚染水や廃棄物を太平洋に放出、投棄しないこと。マーシャル諸島太平洋の人びとや生態系を放射性廃棄物の害から守るために、海洋放出の代対策を開発、実践すること。国連人権理事会UPRレビュー作業部会報告書案から引用。筆者訳  表を見て分かるのは、太平洋に浮かぶ島国の危機感が強いことだ。太平洋諸島フォーラム(Pacific Islands Forum、PIF)」という組織がある。外務省ホームページによると、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、ソロモン諸島、マーシャル諸島など、太平洋に浮かぶ16カ国と2地域が加盟している。今年1月、このPIFのヘンリー・プナ事務局長が英ガーディアン紙に寄稿した。 〈日本政府は太平洋諸国と協力して海洋放出問題の解決策を見出さなければいけない。さもなければ、我々は災害に直面する〉 プナ氏は寄稿の中でこう指摘する。海洋放出の是非を判断するためのデータが不足している。これは日本国内だけの問題ではなく、国際法に基づいてグローバルに検討すべき問題である。安全性に関する現在の国際基準が十分かどうか、我々は時間をかけて調べなければいけない――。プナ氏は最後にこう書いた。 〈我々を無視しないでください。我々に協力してください。我々みんなの未来、将来世代の未来がかかっています〉 奇妙な経産省の発表文  前述の通りPIF諸国の中には海洋放出に反対する国が数多くある。しかし経済産業省はそのことを日本国民に十分伝えているだろうか。 例を挙げる。今年2月、PIFの代表団が訪日し、岸田文雄首相、林芳正外務大臣、西村康稔経産大臣と会談した。原発を所管する西村氏との会談はどんな内容だったのか。経産省のウェブサイトを見ると、このようなニュースリリースが公開されていた。 〈西村大臣から、第9回太平洋・島サミット(PALM9)で菅前総理が約束したとおり、引き続き、IAEAによる客観的な確認を受け、太平洋島嶼国・地域に対し、高い透明性をもって、科学的根拠に基づく説明を誠実に行っていくことを再確認しました〉  予想通りの内容。驚いたのはこれからだ。会談結果を伝える経産省のページには、英文に切り替えるボタンがついていた。試してみると、先ほどの文章はこう変わった。 〈Minister Nishimura also reconfirmed that he takes seriously the concerns expressed by the Pacific Island countries and regions, and as promised by former Prime Minister Suga at The 9th Pacific Islands Leaders Meeting (PALM9)…〉 https://www.meti.go.jp/english/press/2023/0206_001.html  なぜか日本語版にはない一文が入っている。傍線部分だ。「彼(西村大臣)は太平洋諸国が示している懸念を真剣に受け止め…」。この部分が日本語版にはなかった。訳文と内容が異なるのは不可解だ。筆者は経産省の担当者にこの点を指摘した。すると担当者は「内部で確認し、後日回答します」との返事だった。しかし2日ほど返事がない。気になってもう一度該当ページを調べたら、経産省がしれっと直した後だった。「西村大臣は、太平洋島嶼国・地域から表明された懸念を真摯に受け止め…」と加筆されていた。筆者の指摘で直したのは確実だ。赤字で以下の注意書きが加わっていた。【リリースの英文と和文の記載内容に差異があったことから、和文も英文に合わせて修正しました】 https://www.meti.go.jp/press/2022/02/20230206002/20230206002.html  こういうのは細かいけれど重要だ。 経産省はこれまで、日本国内で「不都合なことは伝えない」というスタンスをとり続けてきた。〈みんなで知ろう。考えよう〉とテレビCMでかかげた。だが漁業者の反対やALPSでは除去できない炭素14の存在といった自分たちに不都合な要素は、少なくとも積極的には伝えていない。今回の件も同様に、「PIF諸国が懸念を示した」ことを日本国内に知らせたくなかったのではないか。勘ぐり過ぎだろうか? 日本政府は2015年、福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)に対して〈関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない〉と約束した。海に流した汚染水は世界中に広がる。そのことを考えれば、本来なら、理解を得る必要がある「関係者」は世界中にいると言っても過言ではない。日本政府の対応が問われている。 まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」 あわせて読みたい 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】

  • 違和感だらけの政府海洋放出PR授業

    違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】

     政府の海洋放出プロパガンダが続いている。中でも今年2月以降大々的に実施されたのが、全国の高校生を対象とした「出前授業」である。経済産業省は高校生たちにどんな授業をしたのだろうか? 政府に不都合な情報もきちんと伝えたのか? とある高校で行われた授業の中身を探った。(ジャーナリスト 牧内昇平) 予算は約4400万円、本題は約10分 3月上旬、全国紙A新聞に掲載された海洋放出関連の広告  マスメディア各社が競って「3・11報道」に邁進していた3月上旬のある日、某全国紙A新聞に見過ごせない全面広告が載った。 〈福島の復興へ みんなで考えよう ALPS処理水のこと〉 経済産業省は処理水への理解を深めてもらうため、全国の高校生を対象とした出張授業を開催(中略)処理水放出時に懸念される風評について生徒たちが「自分事」として議論しました。 出たな、と筆者は思った。東京電力福島第一原発では放射性物質を含む汚染水が毎日発生し、敷地内にはそれを入れるためのタンクが林立している。このため政府や東電は汚染水を多核種除去設備(ALPS)で処理し、海に流そうとしている。 だが、海洋放出には安全面の懸念や漁業者の営業損害などの反対意見が根強い。そこで政府が行っているのが、一連の海洋放出PR事業だ。 経産省は300億円を投じて「海洋放出に伴う需要対策」を名目とした基金を創設。その金で広報事業を展開してきた。筆者がこれまで本誌に書いてきた「テレビCM」(本誌2月号、電通が関与)や「出前食育」(3月号、ただの料理教室)などだ。そして今回取り上げる高校生向け出前授業も、この広報事業の一つである。 事業名は「若年層向け理解醸成事業」。授業の講師は経産省職員。予算は約4400万円。事業を受注したのは電通に次ぐ広告代理店大手の博報堂。全国42の高校が応募し、抽選の結果、今年2月から3月に20校で授業を行ったという。 海洋放出PR授業の中身  新聞広告は〈生徒たちが「自分事」として議論しました〉と書くが、どんな議論が行われたのだろう。関係者の協力を基に●▲高校で今年2月に実施された授業を再現する。 ◇  ◇  2月×日の昼下がり。授業は電通がつくったテレビCMを流して始まった。教室の中にナレーションの音声が響く。 ――ALPS処理水について、国は科学的な根拠に基づいて情報を発信。国際的に受け入れられている考え方のもと、安全基準を十分に満たした上で海洋放出する方針です。みんなで知ろう、考えよう。ALPS処理水のこと。 CMを流した後、講師役の経産省職員S氏が話し始めた。 「このCMを見たことある方はいますか? 数人いらっしゃいますね。今日はCMで説明していることを詳しく伝えます。そのうえで、皆さんが考えるALPS処理水についても、終わった後の発表で聞ければうれしいなと思っています」 S氏は福島市の出身。高校時代に大地震と原発事故を経験したという。 「当時のことは鮮明に覚えています。大学を卒業した後、福島の復興の力になれればと思って経済産業省に入りました」 自己紹介後、S氏は経産省発行のパンフレットを基に説明を始めた。電源喪失や水素爆発など基本的なこと。廃炉作業の解説……。「除染を進めた結果、今では原発構内の約96%のエリアは一般の作業服で作業できています」とS氏。講義の途中で「眠くなる時間かもしれないので」と話し、こんなクイズも入れた。 「燃料デブリはどのくらいあるでしょうか。三択です。①8㌧。②880㌧。③8万8000㌧……。答えは②の880㌧です」 自己紹介や廃炉の話に約20分使った後、S氏は残り10分で、「本題」のはずのALPS処理水や海洋放出について説明した。 主に話したのは処理水の安全性である。S氏いわく、ALPSでは放射性物質トリチウムが除去できない(※)。しかし、トリチウムは海水にも雨水にも含まれ、その放射線(ベータ線)は紙一枚で防ぐことができる。生物濃縮はしない。世界各国の原発でも放出されている……。ALPS処理水が入ったビーカーを人間が持っている写真を紹介し、S氏はこう語った。 ※トリチウムのほかに炭素14(半減期は約5700年)もALPSでは除去できないが、S氏はそのことには言及しなかった。  「素手でビーカーを持てるくらい安全なのがALPS処理水です」 政府が海洋放出の方針を決めた経緯については、驚くほど短く、あいまいな説明に終わった。 「さまざまな意見がありました。そういったことも含めて、今日皆さんと一緒に考えていければと思っています。では、(パンフレットの)次のページを開いてください。ALPS処理水の処分方法というところです。簡単なご紹介まで。皆さんもご存じの通り、CMでも出ている通り、海洋放出に決めたということです。ただ、海洋放出の他にもさまざまな処分方法が検討されたのちに、海洋放出が決定されたというところです」 説明はこれだけだった。 生徒たちとのワークショップ 福島第一原発敷地内のタンク群(今年1月、代表撮影)  講義終了後、休憩を挟んで「ワークショップ」なるものが行われた。生徒たちは数人のグループに分かれて20分話し合い、その後代表者が意見を発表した。1人目の生徒の意見。 「思ったことは、地域の人が処理水のことを知っていても、魚が売れなくなって漁師が困ってしまうということです」 生徒はここで発言を終えようとしたが、教員に促されて風評対策についての意見も追加した。 「魚とかを無料で全国に配ったり、著名人に食べてもらったりするのがいいと思いました」 これに対するS氏の返答。 「ありがとうございます。魚がこれからも売れていくためにどうやって魅力を発信していけばいいのか、というところを話していただいたと思います。考えていきたいと思います」 この生徒が本当に話したかったのはそういうことか? 筆者は疑問に思うのだが、S氏は次へと進む。 続いて発言した生徒も骨のあることを言った。 「漁師の方の了承もないまま、海洋放出を政府が勝手に決めるのは、漁師の方の尊厳をなくすのではないでしょうか」 さあどう答えるかと思ったら、S氏はすぐ返答せず、「時間も差し迫っているところなので、発表いただける方は他にいらっしゃいますか」。残り3人の生徒の発言を聞いた後で、この日の「まとめ」といった形で以下のように語った。 「さまざまなご意見をいただきました。比較的厳しい意見も出ました。これは皆さん一人ひとりの考えです。これに『正しい』、『間違っている』というのはないかなと個人的には思っています」 当たり前のことを言った後で、S氏はこう続けた。 「漁業者さんへの関わり方は、もちろん問題としてございます。我々国としても、漁業者の皆さんの尊厳を失わせる、福島の文化を衰退させてしまう、そういうことには絶対なりたくない。なってほしくないと心から思っています。私も福島県人の一人です。子どもの時からずっと相馬の海に釣りに行ってました。福島県の魚が、ありもしない風評の影響で正しく評価されないというのは、自分としても大変心苦しいというか、大変悔しい思いかなと思っています。漁業者さんはもっとそうだと思います。説明会などの機会をいただいていますので、漁業者さんたちに少しでもご理解をいただけるように頑張っていきたいと思っています」 同じ福島県人なので漁業者の気持ちは共有できるとしつつ、結局は「ご理解いただけるように頑張る」が結論。何が言いたいのかよく分からない回答だった。 このあとS氏は「福島県の魅力、正しい情報を発信し続けたいと思います。有名人を使ってですとか、SNSを使ってというのも、おっしゃる通りかと思っています」などと語り、授業を終えた。「漁師の尊厳を損なう」と指摘した生徒が再び発言する機会はなかった。 不都合な情報はすべてスルー 福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)本所(HPより)  ●▲高校での出前授業はこんな内容だった。筆者がおかしいと思った点をいくつか指摘したい。 第一は、前半の講義の中で、政府にとって不都合な情報には一切触れなかった点だ。  政府は2015年、福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)に対して〈関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない〉と約束している。漁業者たちの中には海洋放出に反対している人が多く、もしこの状況で強行すれば政府は「約束破り」をしたことになる。地元の新聞も大々的に取り上げているこの「約束」問題について、S氏はスルーした。 反対しているのは漁業者たちだけではない。福島県内の多くの市町村議会が海洋放出に反対したり、慎重な対応を求めたりする意見書を国に提出している。中国や太平洋に浮かぶ島国も放出に賛成していない。こうした問題についても完全にスルーだった。 「福島第一原発の廃炉を進めるためには、ALPS処理水の処分が必要です」。S氏は一方的に政府の言い分だけ語り、講義を終えた。 生徒との議論はなかった  二つ目は、生徒が発言する機会がとても少なかった点だ。前半の講義が30分。その後休憩を挟んで生徒同士の意見交換が20分。生徒がS氏に発言する時間は十数分しかなかった。 その中でも生徒たちは自分の考えをしっかり語った印象がある。 「漁業者の尊厳」発言だけでなく、「なぜ福島に流すのかと思いました」と率直に語る生徒もいた。しかし、生徒とS氏とのやりとりは完全な一方通行だった。せっかく生徒たちが疑問の声を上げたのに、S氏が対話を重ねることはなかった。時間の制約があったのかもしれないが、これでは反対意見を「聞いておいた」だけで、「議論した」ことにはならない。 以上、ここに書いたのはS氏個人への攻撃ではない。S氏は経産省の幹部ではない。講義の内容は事前に役所で決めているはずだ。一方的な出前授業の責任を負うべきは、経産省という組織である。 国会でも問題に 岩渕友議員(共産、比例)参議院HPより  この出前授業は国会でも取り上げられた。3月16日の参議院東日本大震災復興特別委員会。質問したのは岩渕友議員(共産、比例)である。岩渕氏は先ほどの「漁業者の尊厳」発言を紹介し、経産省の片岡宏一郎・福島復興推進グループ長に聞いた。 岩渕氏「高校生のこの声にどう答えたのでしょうか」 片岡氏「専門家による6年以上にわたる検討などを踏まえて海洋放出を行う政府方針を決定した経緯を説明するとともに、地元をはじめとする漁業者の方々からの風評影響を懸念する声などがある点についても触れまして、風評対策の必要性について問題提起をし、政府の取り組みについても説明したという風に承知してございます」 ここは読者の皆さんに判断してほしい。S氏の講義内容と生徒への返答は先ほど紹介した。片岡氏の答弁にあったような説明を、S氏はしていただろうか? 岩渕氏が次に指摘したのは、漁業者たちとの「約束」問題である。 岩渕氏「これ(約束)がこの問題の大前提ですよね。政府と東京電力が『関係者の理解なしにいかなる処分もしない』と約束していること、漁業者はもちろん海洋放出に対して反対の声があることも伝えるべきではないでしょうか」 片岡氏「説明しているケースもあれば、説明していないケースもあるという風に認識してございます」 岩渕氏「これはさまざまなことの一つではないんです。この問題が大前提で、ちゃんと伝える必要があるんですよ。いかがですか。もう一度」 片岡氏「出前授業は何よりも生徒の皆さんが考える機会として、意見交換の時間なども盛り込んだ形で、学校の意向も踏まえながら実施しているものでございます。必ずしも同じ内容の授業をしているわけではないと考えてございます。そのうえで地元をはじめとして漁業者の方々の風評影響を懸念する声などは説明してございますけれども、必要に応じまして、ご指摘の約束についても触れているところでございます」 経産省の片岡氏は「必要に応じて触れている」と言ったが、少なくとも●▲高校での出前授業では、「約束」は全く紹介されていなかった。 現場は試行錯誤  経産省の出前授業を現場の教員たちはどう受け止めているのだろう。  「生徒への影響はどうなんでしょうか」と筆者が聞くと、県内にある■✖高校の教諭は苦笑しながらこう答えた。 「高校生って素直です。背広を着た経産省の人がわざわざ学校に来てくれて、『海洋放出は必要。風評払拭が大切』と一生懸命に話したら、みんな信じてしまいますよ」 この教諭は「生徒に対して一方的な情報伝達となるものにはブレーキを踏まなければいけない」との考え方のもと、今回の出前授業には応募しなかったという。 一方で、経産省の授業を実施しつつも、政府見解の押しつけに終わらないように知恵を絞った高校もある。 県内のある高校では昨年、2年生のクラスで経産省の授業を行った。しかしその前週には海洋放出に強く反対している新地町の漁師を授業に招いた。正反対の意見を聞く機会を生徒たちに与える取り組みだ。 筆者は今年の2月、この高校の生徒たちに話を聞く機会があった。 「安全なら流せばいい。でも政府は国民に対する説明が足りない」「国は都合よく物事を進めている。漁師さんたちと対話していない」「海洋放出に賛成する人と反対する人がいる。意見が異なる人たちが話し合う場がないのが問題だ」 生徒たちの賛否は割れた。しかし、経産省と漁師の双方の話を直接聞いたぶん、一人ひとりが自分の頭で考え、悩んでいる印象を持った。 こういった取り組みこそが、本当の意味で〈みんなで知ろう 考えよう〉ではないか。経産省の一方的な出前授業には強い違和感を覚える。 まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」 政経東北5月号の牧内昇平の記事は【汚染水海洋放出に世界から反対の声】を掲載しています↓ https://www.seikeitohoku.com/seikeitohoku-2023-5/

  • 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】

    経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】

     東京電力福島第一原発のタンクにたまる汚染水(「ALPS処理水」)の海洋放出に理解を得ようと、政府が大々的なPR事業を展開している。昨年末に全国のお茶の間を騒がせたのは、大手広告代理店の電通が作ったテレビCMだった。そのほかにも多岐にわたる事業が行われていることを紹介したい。(ジャーナリスト 牧内昇平)  2月18日土曜日のお昼前、春の近さを確信させるような晴天の下、筆者はJRいわき駅からバスに乗っていわき市中央卸売市場に向かった。土曜日のためか人の姿がほとんどない駐車場を通り過ぎ、中央棟2階の研修室の扉を開けると、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。  「油がはねますから、気をつけてくださいねー」。三角巾にエプロン姿の子どもと保護者12組24名が見守る中、講師の先生がアンコウを揚げ焼きにしている。続いて薄切りにしたカツオと野菜をフライパンに入れ、バターやポン酢をからめて火を通す。さらにいい香りが部屋じゅうを包み込む。子どもたちがつばを飲む音が聞こえたかと思ったら、ファインダー越しに撮影を試みる筆者自身のつばの音だった。 講師の実演が終わるといよいよ子どもたちの出番である。それぞれの調理台に散らばり、クッキング、スタート! なぜ筆者が楽しくにぎやかな料理教室を訪れたかと言うと……。     ◇ ◇ ◇ CMだけでなかった海洋放出PR事業 経産省のHPより引用【ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金事業(多核種除去設備等処理水風評影響対策事業)】  本誌先月号に筆者が書いた記事のタイトルは「汚染水海洋放出 怒涛のPRが始まった」だった。大手広告代理店の電通がテレビCMを作り、昨年12月半ばから2週間にわたって全国で放映した。海洋放出には賛否両論あり、特に福島県内では反対意見が根強い。そんな中で政府の言い分のみをCM展開するのは一方的ではないか。これでは政府主導のプロパガンダ(宣伝活動)と言わざるを得ない、と筆者は書いた。 ただし政府が行っている海洋放出PR事業はこのテレビCMにとどまらない。経済産業省は2021年度の補正予算を使い、「海洋放出に伴う需要対策」という新たな目的の基金を創設。そこに300億円という大金を注ぎ込んだ。そのうち9割は水産業者支援のために使い、残りの約30億円を「風評影響の抑制」を目的とした広報事業に充てるという。これが筆者の言う「プロパガンダ」の原資だ(もちろん「海洋放出」に限定しなければ復興庁などがすでに様々なPR事業を行っている)。 現在基金のホームページに公開されている「広報事業」は別表の10件である。読売新聞東京本社が入り込んでいるのか!など、社名を眺めるだけでも興味深いものがある。 2022年度に始まった海洋放出PR事業の数々 事業名予算の上限公募時期事業期間落札企業廃炉・汚染水・処理水対策の理解醸成に向けた双方向のコミュニケーション機会創出等支援事業2500万円22年5月~6月23年3月31日までJTB廃炉・汚染水・処理水対策に係るCM制作放送等事業4300万円22年5月~6月23年3月31日までエフエム福島被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業8000万円22年7月23年3月31日までユーメディアALPS処理水の処分に伴う福島県及びその近隣県の水産物等の需要対策等事業2億5千万円22年6月~7月23年3月31日まで(ただし延長の場合あり)読売新聞東京本社ALPS処理水に係る国民理解醸成活動等事業12億円22年7月23年3月31日まで電通ALPS処理水による風評影響調査事業5千万円22年7月~8月23年3月31日まで流通経済研究所ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業1億円22年9月23年3月31日まで博報堂三陸・常磐地域の水産品等の消費拡大等のための枠組みの構築・運営事業8千万円22年10月~11月23年3月31日までジェイアール東日本企画廃炉・汚染水・処理水対策に係る若年層向け理解醸成事業4400万円22年10月~11月23年3月31日まで博報堂福島第一原発の廃炉・汚染水・処理水対策に係る広報コンテンツ制作事業1950万円23年1月~2月23年5月31日まで読売広告社「ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金事業」のウェブサイトで公開されている情報を基に筆者作成https://www.alps-kikin.jp/PubRelation/index.html ※掲載後、新たな採択情報は下記の通り。 2023/03/24「「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」事務局運営事業」に関する事業公募の採択結果【2023年3月24日掲載】 2023/03/29「令和5年度被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業」に関する事業公募の採択結果【2023年3月29日掲載】 出前食育事業に怒りの声  別表のうち、テレビCMと並んで「物議」を醸したのが出前食育事業、正式には「ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業」である。受注業者を募る際、基金は大雑把な内容を「公募要領」として公開した。そこにはこう書いてあった。 〈漁業者団体や地方公共団体の連携の下、小中学生等を対象にした「出前食育活動」を実施する。具体的には、小中学生等を対象に、福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けて、漁業者等による出前授業や関連の資料提供・説明等を実施するとともに、そうした理解醸成活動の一環として、福島県及びその近隣県の水産物を学校給食用の食材として提供する〉 筆者が傍線を入れたあたりが、原発事故以来子育てに悩んできた福島の人びとの怒りに触れた。 《も~我慢できない!子どもを広告塔にするな!原発事故の加害側の悪だくみを止めてみせるぞ!》 原発事故後の福島の問題を考えるNPO「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」は2月6日、オンラインのトークイベントでこの「出前食育事業」を取り上げた。出演したのは県内に住む千葉由美さん、鈴木真理さん、片岡輝美さんの3人。いわき市在住、原発事故当時子育ての真っ最中だった千葉由美さんが語る。 https://www.youtube.com/watch?v=Na0dY1b6S-M&t=1s 【いちいちカウンター#10】第2弾!も〜我慢できない!子どもを広告塔にするな!原発事故の加害側の悪だくみを止めてみせるぞ!  「原発事故の加害側である国が、自分たちに都合のいいように子どもを利用しようとしています。こんなことがあってはならないと思っています」 千葉さんは事故直後の経験を語った。自分の子に弁当を持たせて学校に通わせたこと。無用な被ばくから身を守るためだったが、まわりの子が給食を食べている中では精神的につらい思いをさせただろうこと。片岡さんも当時を振り返った。 「あの頃は大混乱だったじゃないですか。親も子どもも大変だったと思います。今回の『食育』は単発のイベントとは言え、子どもたちがまた切ない思いをするかと思うと……」 鈴木さんが思いを吐き出した。 「なんで子どもたちを利用するの? 勘弁してほしいですよ!」 3人のすごいところは、県内のすべての市町村に電話で問い合わせてしまったところだ。経産省から出前食育の知らせを受けているか、小中学校で実施する予定はあるか、を手分けして担当者に聞いたという。地道な取材力に脱帽である。トークイベントではその聞き取り結果も披露してくれた。 それによると、3人が調査した時点では県内の7自治体が事業案内を受け取ったが、いわき市などの教育委員会はすでに「実施しない」と回答した。現時点で「実施した」という例は一つもない――ということだった。 出前食育事業はどこへ? 経産省ウェブサイトにアップされている料理教室のチラシ。『ALPS処理水』や『海洋放出』という言葉は使われていない。(経産省ウェブサイトから引用)https://www.meti.go.jp/earthquake/fukushima_shien/event_ryori_fukushima.html  トークイベントが終了し、パソコンの画面を閉じた筆者は腕を組んで考えた。出前食育の事業の期限は3月末である。2月の時点で県内の実施校が一つもないというのはどういうことなのか。これは自分でも調べねばなるまい。 まずは福島市と郡山市の教育委員会に聞いてみた。どちらの担当者も「案内は来ていません」。やはりそうか。次はいわき市だ。市教委学校支援課の担当者はこう話した。「出前講座の件は昨年秋、市の水産課と県の教育庁と、2つのルートから知らせをもらいました。市長部局とも相談した結果、お断りすることになりました」。 断った理由を聞いてみた。「市の学校給食の提供の考え方に合わないと判断したからです。安心・安全な食材の提供が大原則です。ふだんの給食でさえ、福島県産の食材に対して不安を感じる保護者の方もいます。そういう状況で、海洋放出と関連させて海産物の提供を行ったらどうなるのか。状況は不透明です」と担当者は話した。 ちなみにいわき市水産課に問い合わせたところ、「昨年の夏以降、経産省の職員の方と別件で会った時、『実はこんなことも考えているんです』という情報をもらいました。うちは担当ではないのですぐ教育委員会に転送しました」とのことだった。 今度はこの事業を取り仕切っている側に聞いてみよう。テレビCMや出前食育などの広報事業については「原子力安全研究協会」という公益財団法人が連絡窓口になっている。同協会の担当者に学校給食への出前講座の件を聞くと、「現段階で何件実施しているかなどは把握していません。教育委員会や学校の方からご理解をいただくのが難しい面はあると聞いておりますが……」と奥歯に物が挟まったような言い方である。 もしや「実施ゼロ」で終わるのでは? 確認のため、筆者は経産省(原子力発電所事故収束対応室)の担当者に電話した。 筆者「理解醸成に向けた出前食育事業の件はどうなっていますか?」 経産省「あれはですね。地元産品を使用した料理教室などを行う事業です」 筆者「えっ? 事業の公募要領には〈漁業者による出前授業〉や〈学校給食用の食材として提供〉と書いてありましたよね」 経産省「あれは公募時にあくまで事業の一例として挙げたものです。当初はそういうことも想定していましたが、受注業者(博報堂)などとの話し合いの結果、料理教室を開催する方向になりました」 筆者「いくつかの市町村には案内を出したんですよね」 経産省「経産省からの公式な案内といったものは出していないと認識しています。私自身はそういうことをしていませんが、事業内容を検討している段階で経産省の職員が話題にした、というくらいのことはあるかもしれません」 筆者「……」 「学校給食への食材提供」はいつの間にか「料理教室」に様変わりしていたようだ。「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」の千葉さんたちだけでなく、いわき市教委や原子力安全研究協会もその変更を知らないのでは……といったモヤモヤを残しつつ、筆者はその料理教室の情報を調べてみた。 参加費無料。保護者と子どもがペアで参加。ただし子どもは小中学生に限定。開催場所は宮城県内の2か所(仙台・利府)といわき市の合計3会場。初日は2月18日土曜日の午前10時半……。 ということで筆者は先日、いわき市中央卸売市場を訪れたのだった。     ◇ ◇ ◇ 「皆さんはどんなお魚料理が好きですか?」「福島県の常磐ものは東京の築地や豊洲の市場でも新鮮でおいしいと評判ですよ!」 調理の前、料理教室の講師が約20分間のレクチャーを行った。常磐ものの魚の紹介や一般の魚介類に含まれる栄養素の説明が続く。 メモをとりながらやっぱりおかしいなと思ったのは、講師の説明の中には「ALPS処理水」や「海洋放出」という言葉が出てこないことだ。イベントの事務局によると、調理実習後に特段の説明は行わないそうなので、参加者が海洋放出について理解を深めるのはこのタイミングしかない。しかし、そんな話題は一切出てこなかった。念のため参加者たちへの配布物も確認してみた。福島の海産物の魅力の紹介はあっても、「ALPS処理水」や「海洋放出」には触れていない。 このことは事前に経産省(原発事故収束対応室)の担当者からも聞いていた。 経産省の担当者「海洋放出への理解醸成が目的ではありますが、放出に反対の方々にもご参加いただける企画にしたいと考えております。安全ですよと大々的に宣伝するというよりも、常磐もの、三陸ものの魅力自体をご理解いただければと思っています」 念のため書いておくが、料理教室自体はすばらしかった。ヒラメの炊き込みごはんやアンコウの沢煮椀、かつおのバターポン酢炒めはきっとおいしかったことだろう。調理台に立つ子どもたちの目は輝いていた。 とは言っても経産省の皆さん、そもそもこの事業のタイトルは「ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業」ではなかったのですか? テレビCMでかかげたキャッチフレーズ、〈みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと〉の精神はどこへ行ってしまったのですか? 経産省は地元福島の複雑さに理解を ここまでの取材結果をまとめてみよう。 経産省は当初、学校給食への食材提供などを意図していた。しかし、いわき市など地元自治体が「実施しない」という意思を表明したからか、その計画は「料理教室」へとスライドしていった。料理教室の実施スケジュールは2月18日~3月19日の週末だ。ぎりぎり2022年度内に事業を終えることになる。 もちろん筆者は「もっと積極的に子どもたちに海洋放出をPRせよ」という意見ではない。ただ、〈ALPS処理水並びに水産物の安全性等に関する理解醸成〉と銘打っておきながら、単なる料理教室では筋が通らないのも明らかだ。これだったら経産省がやる仕事ではない。 原発事故以来、福島県内に住むたくさんの親たち、子どもたちが学校給食について悩んできたと聞く。筆者も側聞しているだけなので偉そうなことは言えないが、察するに経産省はこうした福島の人びとの切なさ、複雑さを十分に理解していなかったのではないか。 今回の「出前食育」事業を経てそうした点に気づいたならば、「今年の春から夏頃に開始する」としている海洋放出について、より一層の慎重さが必要なことにも思い至ってほしい。 ちなみに、実は料理教室のほかにもう一つ、「出前食育」の予算枠を使ったイベントがあるそうだ。 タイトルは「相馬海の幸まつり」(開催は2月25、26日と3月4、5日)。「浜の駅松川浦」などのイベント会場では地元の海産物やしらすご飯が振る舞われ、「小中学生限定」の浜焼き体験ではイカの焼き方を知ることができるという。 チラシには〈楽しく食育体験!〉と書いてあった。〈ALPS処理水〉や〈海洋放出〉という文字はなかった。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 あわせて読みたい 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの? まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重【福島第一原発のタンク】

    【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重

    ジャーナリスト 牧内昇平  政府や東京電力は福島第一原発にたまる汚染水(ALPS処理水)の海洋放出に向けて突き進んでいる。しかし、地元である福島県内では、自治体議会の約8割が海洋放出方針に「反対」や「慎重」な態度を示す意見書を可決してきた。このことを軽視してはならない。 意見書から読み解く住民の〝意思〟  2020年1月から今年6月までの期間に、県内の自治体議会がどのような意見書を可決し、政府や国会などに提出してきたかをまとめた。筆者が調べたところ、県議会を含めた60議会のうち、9割近くの52議会が汚染水問題について2年半の間に何らかの意見書を可決していた(表参照)。 「汚染水」海洋放出問題に関する自治体議会の意見書 自治体時期区分内容(意見、要求)福島県2022年2月【慎重】丁寧な説明、風評対策、正確な情報発信福島市2021年6月【慎重】丁寧な説明、風評対策会津若松市2021年6月【慎重】県民の同意を得た対応、風評対策郡山市2020年6月【反対】(風評対策や丁寧な意見聴取が実行されるまでは)海洋放出に反対いわき市2021年5月【反対】再検討、関係者すべての理解が必要、当面の間は陸上保管の継続白河市2021年9月【反対】再検討、国民の理解が醸成されるまで当面の間は陸上保管の継続須賀川市2020年9月【慎重】丁寧な意見聴取、安全性の情報開示喜多方市2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回、当面は地上保管の継続、対話形式の住民説明会相馬市2021年6月【反対】海洋放出方針決定に反対、国民的な理解が得られていない二本松市2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回、地上保管の継続田村市2021年6月【反対】海洋放出方針の見直し、漁業団体等の合意が得られていない南相馬市2021年4月【反対】海洋放出方針の撤回、国民的な理解と納得が必要伊達市2020年9月【慎重】国民の理解が得られる慎重な対応を本宮市2020年9月【慎重】安全性の根拠の提示や風評対策桑折町2021年6月【反対】風評被害を確実に抑える確信が得られるまで海洋放出の中止国見町2020年9月【反対】拙速に海洋放出せず、当面地上保管の継続川俣町2021年6月【反対】国民的な理解を得られていない海洋放出に強く反対大玉村2021年6月【反対】国民的な理解を得られていない海洋放出に強く反対鏡石町2020年12月【反対】国民の合意がないまま海洋放出しない、当面は地上保管の継続天栄村2021年6月【慎重】丁寧な意見聴取、風評対策西郷村2021年9月【反対】海洋放出方針の撤回、陸上保管の継続など課題解決泉崎村2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回、当面は地上保管の継続中島村2020年9月【反対】水蒸気放出および海洋放出に強く反対、陸上保管の継続矢吹町2020年9月【反対】放射性汚染水の海洋および大気放出は行わないこと棚倉町(意見書なし)矢祭町2020年9月【反対】国民からの合意がないままに海洋放出してはいけない塙町(意見書なし)鮫川村2020年7月【慎重】丁寧な意見聴取、風評対策石川町2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回玉川村(意見書なし)平田村2020年9月【反対】水蒸気放出、海洋放出に反対浅川町2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回古殿町2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回三春町2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回小野町2020年9月【慎重】最適な処分方法の慎重な決定、風評対策北塩原村(意見書なし)西会津町2020年9月【慎重】丁寧な意見聴取などの慎重な対応、地上保管の検討、風評対策磐梯町2020年9月【反対】海洋放出に反対猪苗代町2020年9月【反対】地上タンクでの長期保管、タンク内放射性物質の除去を徹底会津坂下町2021年6月【反対】陸上保管やトリチウムの分離を含めたあらゆる処分方法の検討湯川村2021年9月【慎重】丁寧な説明、風評対策、トリチウム分離技術の研究柳津町2021年6月【慎重】正確な情報発信、風評対策など慎重かつ柔軟な対応三島町(意見書なし)金山町2021年9月【慎重】十分な説明と慎重な対応昭和村2021年6月【慎重】十分な説明と慎重な対応会津美里町2020年9月【反対】地上タンクでの長期保管、海洋放出はさらに大きな風評被害が必至下郷町2021年9月【反対】海洋放出方針の再検討桧枝岐村(意見書なし)只見町2021年9月【反対】再検討、国際社会と国民の理解が必要、陸上保管の継続南会津町2021年9月【反対】再検討、国際社会と国民の理解が必要、陸上保管の継続広野町2020年12月【早期決定】処分方法の早急な決定、丁寧な説明、風評対策楢葉町2020年9月【早期決定】風評対策、慎重かつ早急な処分方法の決定富岡町(意見書なし)川内村(意見書なし)大熊町2020年9月【早期決定】処分方法の早期決定、丁寧な説明、風評対策双葉町2020年9月【早期決定】処分方法の早期決定、説明責任、風評対策浪江町2021年6月【慎重】丁寧な説明、風評被害への誠実な対応葛尾村2021年3月【早期決定】処分方法の早期決定、丁寧な説明、風評対策新地町2021年6月【反対】海洋放出方針に反対、国民や関係者の理解が得られていない飯舘村(意見書なし)※各議会のホームページ、会議録、議会だより、議会事務局への取材に基づいて筆者作成。 ※「区分」は上記取材を基に筆者が分類。「内容」は意見書のタイトルや文面、議会での議論の経過を基に掲載。 ※2020年1月から22年6月議会の動向。「時期」は議会の開会日。複数の意見書がある場合は基本的に最新のもの。 政府方針決定後も21議会が「反対」  意見書のタイトルや内容から、各議会の考えを【反対】、【慎重】、【早期決定】の三つに分けてみる。海洋放出方針の「撤回」や「再検討」、「陸上保管の継続」などを求める【反対】派は31議会で、全体の半分を占めた。「反対」とは明記しないが、「風評被害対策」や「丁寧な説明」などの対応を求める【慎重】派は16議会。双葉、大熊両町など5議会が【早期決定】派だった。 約8割に当たる47議会が【反対】【慎重】の意思を表していることは注目に値する。また、意見書を出していない8議会も当然関心はあるだろう。飯舘村議会は今年5月、政府に対して「丁寧な説明」「正確な情報発信」「風評被害対策」を求める要望書を提出。富岡町議会は昨年5月に全員協議会を開き、この問題を議論している。 ただし、筆者が反対派に分類したうちの10議会は、昨年4月13日の政府方針決定前に意見書を提出している点は要注意である。こうした議会が現時点でも「反対」を維持しているとは限らないからだ。たとえば郡山市議会は、20年6月議会で「反対」の意見書を可決したものの、政府方針決定後は「再検討」や「陸上保管の継続」を求める市民団体の請願を「賛成少数」で不採択としている。議会の会議録を読むと、「国の方針がすでに決まり、風評被害対策や県民に対する説明を細やかに行うと言っているのだから様子を見ようではないか」という趣旨の発言が多かったように感じた。 だが筆者はむしろ、全体の3分の1を超える21議会が政府方針決定後もあきらめずに「反対」の意見書を可決してきたことを重視している。 政府・東電は15年夏、福島県漁業協同組合連合会に対して〈関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない〉と約束している。それなのに一方的に海洋放出の方針を決めた。各議会の意見書を読むと、そのことに対する怒りが伝わってくる。 〈漁業関係者の10年に及ぶ努力と、ようやく芽生え始めた希望に冷や水を浴びせかける最悪のタイミングと言わざるを得ない〉(いわき市議会) 二本松市議会の意見書にはこんな記載があった。 〈廃炉・汚染水処理を担う東京電力のこの間の不祥事や隠ぺい体質、損害賠償への姿勢に大きな批判が高まっており、県民からの信頼は地に落ちています〉 東電の柏崎刈羽原発(新潟)では20年9月、運転員が同僚のIDカードを不正に使って中央制御室などの重要な区域を出入りしていた。外部からの侵入を検知する設備が故障したままになっていたことも後に発覚した。原発事故以降も続く同社の体たらくを見ていれば、「こんな会社に任せておいていいのか?」という気持ちになるのは無理もない。 熱心な市民たちの活動が議会の原動力に  いくつかの自治体議会では今年に入っても動きが続いている。 南相馬市議会は昨年4月議会で、国に対して「海洋放出方針の撤回」を求める意見書をすでに可決していた。そのうえで、福島県が東電の本格工事着工に対して「事前了解」を与えるかがポイントになっていた今年の夏(6月議会)には、今度は福島県知事に対して、「東電の事前了解願に同意しないこと」を求める意見書を出した。結果的に県の判断が覆ることはなかったが、南相馬市議会として、海洋放出への抗議の意を改めて伝えたかたちだ。 南相馬の市議たちが心配しているのは風評被害だけではない。議員の一人は、意見書の提案理由を議会でこう説明した。 〈政府と東京電力が今後30年間にわたり年間22兆ベクレルを上限に福島県沖へ放出する計画を進めているALPS処理水には、トリチウムなど放射性物質のほか、定量確認できない放射性核種や毒性化学物質の含有可能性があります。(中略)海洋放出の段取りを進めていく政府と東京電力の姿に市民は不安を感じています〉 続いて三春町議会だ。昨年6月、国に「海洋放出方針の撤回」を求める意見書を提出していた。そのうえで、直近の今年9月議会で再び議論し、今度は福島県知事に宛てた意見書をまとめた。議会事務局によると、「政府の海洋放出方針の撤回と陸上保管を求める、県民の意思に従って行動すること」を求める内容だ。 こうした議会の動きの背後には、汚染水問題に取り組む市民団体の存在があることも書いておきたい。 地方議会では市民たちが議会に「意見書提出を求める」請願・陳情を行い、それをきっかけに意見書がまとまる例もある。三春町で議会に対して陳情書を出したのは「モニタリングポストの継続配置を求める市民の会・三春」という団体だ。共同代表の大河原さきさんは「住民たちの代表が集まる自治体議会での決定はとても重い。国や福島県は自治体議会が可決した意見書の内容をきちんと受け止めるべきです」と語る。 南相馬市議会に請願を出した団体の一つは「海を汚さないでほしい市民有志」である。代表の佐藤智子さんはこう語り、汚染水の海洋放出に市民感覚で警鐘を鳴らしている。 「政府や東電は『汚染水は海水で薄めて流すから安全だ』と言うけれど、それじゃあ味噌汁は薄めて飲めばいくら飲んでもいいんでしょうか。総量が変わらなければ、やっぱり体に悪いでしょう。汚染水も同じことが言えるのではないかと思います」 「慎重派」の中にも濃淡  福島市議会や会津若松市議会などの意見書は、海洋放出方針への「反対」を明記しないものの、「風評被害対策」や「丁寧な説明」などの対応を求めている。筆者はこうした議会を「慎重派」に区分したが、実際には、各議会の考えには濃淡がある。 たとえば浪江町議会は「本音は反対」というところだ。同議会は、意見書という形ではないものの、海洋放出に反対する「決議」を20年3月議会で可決している。そのうえで、昨年6月議会で「県民への丁寧な説明」や「風評被害への誠実な対応」を求める意見書を可決した。 会議録によると、意見書の提案議員は、〈あくまでも私、漁業者としての立場としてはもちろん反対であります。これはあくまでも前提としてご理解ください〉と話している。海洋放出には反対だが、それでも放出が実行されつつある現状での苦肉の策として、風評被害対策などを求めるということだろう。 一方、福島県議会が今年2月議会で可決した意見書もこのカテゴリーに入るが、こんな書き方だった。 〈海洋放出が開始されるまでの残された期間を最大限に活用し、地元自治体や関係団体等に対して丁寧に説明を尽くすとともに……〉 海洋放出を前提としているというか、むしろ促進しているような印象を抱かせる内容だった。 開かれた議論の場を  もちろん、第一原発が立つ大熊、双葉両町をはじめ、原発に近い自治体議会が「早期決定派」だったり、意見書を提出していなかったりすることも重要だ。原発に近い地域ほど「早くどうにかしてほしい」という気持ちが強い。ここが難しい。 汚染水の処分方法についての考えは地域によって様々だ。だからこそ粘り強く議論を続けなければならないというのが、筆者の意見である。この点で言えば、喜多方市議会が昨年6月に可決した意見書の文面がしっくりくる。 同議会の意見書はまず、現状の課題をこう指摘した。  〈今政府がやるべきことは、海洋放出の結論ありきで拙速に方針を決定するのではなく、地上保管も含めたあらゆる処分方法を検討し、市民・県民・国民への説明責任を果たすことであり、国民的な理解と納得の上に処分方法を決定すべきである〉 そのうえで以下の3項目を、国、福島県、東電に対して求めた。 ①海洋放出(の方針)を撤回し、国民的な理解と納得の上に処分方法を決定すること。②ALPS処理水は当面地上保管を継続し、根本解決に向け、処理技術の開発を行うこと。③公聴会および公開討論会、並びに住民との対話形式の説明会を県内外各地で実施すること。 政府の方針決定からすでに1年半が過ぎたが、この3項目の必要性は今も減じていない。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの? 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】

    【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】

    〝プロパガンダ〟CM制作は電通が受注 ジャーナリスト 牧内昇平  福島第一原発にたまる汚染水(「ALPS処理水」)の海洋放出をめぐっては世の中の賛否が二つに分かれている。そんな中で放出への理解を一気に広げようと、政府が怒涛のPR活動を始めた。テレビCM、新聞広告、インターネットでも……。プロパガンダ(宣伝活動)を担うのは、誰もが知る広告代理店の最大手である。 福島第一原発敷地内のタンク群(昨年1月、代表撮影) ある朝突然、テレビから……  昨年12月半ばのある日、福島市内の自宅に帰るとパートナー(39)がこう言った。 「今朝初めて見ちゃった、あのCM。民放の情報番組をつけていたら急に入ってきた。ギョッとしちゃったよ」 「で、中身はどうだったの?」と筆者。パートナーはぷりぷり怒って答えた。 「どうもこうもないよ。すでに自分たちで海洋放出っていう結論を出してしまっている段階で、『みんなで知ろう。考えよう。』なんて言ってさ。自分たちの結論を押しつけたいだけでしょ」 パートナーの〝目撃〟証言を聞いた筆者は、口をへの字に曲げることしかできなかった。なりふり構わぬ海洋放出PRがついにスタートしたわけだ。       ◇ 12月12日、東京・霞が関。経済産業省の記者クラブに一通のプレスリリースが入ったようだ(筆者は後から入手)。リリースを出したのは経産省の外局、資源エネルギー庁の原発事故収束対応室。福島第一原発の廃炉や汚染水処理を担当する部署だ。リリースにはこう書いてあった。 〈ALPS処理水について全国規模でテレビCM、新聞広告、WEB広告などの広報を実施します〉 テレビCMの放送は同月13日から2週間ほどだという。どんなCMが流れたのか。ほぼ同じ動画コンテンツは経産省のポータルサイトから見ることができる。 https://www.youtube.com/watch?v=3Xk8Kjfxx84 みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと(実写篇30秒Ver.) ふだんテレビを見ない人もいると思うので、内容を再現してみた(表)。 ①ALPS処理水って何? ②本当に安全? ③なぜ処分が必要なんだろう? ④海に流して大丈夫? ➄ALPS処理水について国は、 ⑥科学的な根拠に基づいて、情報を発信。国際的に受け入れられている ⑦考え方のもと、安全基準を十分に満たした上で海洋放出する方針です。 ⑧みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと。 ⑨経済産業省 刷り込み効果に懸念の声  このCMを見た人はどんな感想を持っただろうか。筆者はそれが知りたくて、パートナーと一緒に運営しているウェブサイト「ウネリウネラ」でこの内容を紹介。読者の感想をつのった。寄せられた感想の一部をペンネームと共に紹介する。 ・ペンネーム「抗子」さんの感想 〈放射性物質はなくなったのでしょうか? 本日朝9時ごろワイドショーの合間にテレビコマーシャルが入りました。アルプス処理水は問題ない、こんなに減る、とグラフで説明していました。専門的数値はよくわかりません。放射性物質ゼロを望んではいけないのでしょうか? 皆にCMで刷り込まれることに脅威を感じます。世界的問題です〉 ・ペンネーム「penguin step」さんの感想 〈ちょうどテレビでALPS水のCMを見ました。美しい映像で、海洋放出に害はないことを強調していました。事件や事故の加害者には謝罪責任、説明責任、再発防止が必要です。原発事故について企業や国が行ったことも同じだと思います。キレイにキラキラ表現で誤魔化しては欲しくないことです〉 ALPSで処理しても放射性物質はゼロにはならない。キラキラ表現でごまかすな。2人のご意見に共感する。 アニメ篇や大臣篇も  ちなみに、抗子さんが指摘する「世界的問題だ」という点は重要だ。政府や東電は事あるごとに「国際社会の理解を得て海洋放出する」と言う。こういう場合の「国際社会」とは主にIAEA(国際原子力機関)のことを指している。IAEAは原子力の利用を推進する立場だ。よほどのことがない限り海洋放出に反対するとは考えられない。 だが、「国際社会=IAEA」ではない。たとえばフィジー、サモア、ソロモン諸島、マーシャル諸島などが加わる「太平洋諸島フォーラム(PIF)」は、日本政府の海洋放出方針に対して「時期尚早だ」と異を唱えている。「PIF諸国は国際社会に含まない」とは、さすがの日本政府も言うまい。 テレビCMに話を戻す。重なるところもあるが、筆者の感想も書いておこう。以下3点である。 ①「考えよう」と言いつつ、答えが出ている CMのキャッチコピーは〈みんなで知ろう。考えよう。〉だ。しかし、「国は安全基準を満たした上で海洋放出します」と言い切っている。これでは本当の意味で「考える」ことはできない。「海洋放出」という答えがすでに用意されているからだ。 ②肝心の「原発」や「福島」が出てこない 汚染水が問題になっているのは原発事故が起きたからだ。それなのにCMには「原発事故」や「放射能」を想起させる映像が一つもない。代わりに挿入されている映像は「青い海」と「青い空」である。要するに「きれいなもの」しか出てこない。放射性物質で汚染された水を海に流すか否かが問われているのに、「きれい」というイメージを植えつけようとしているように感じる。 ③謝罪の言葉がない そもそも原発事故は誰のせいで起きたのか。原発を動かしていた東京電力だけでなく、国にも責任がある。少なくとも、原発政策を推し進めてきた「社会的責任」があることは国自身も認めている。それならば、事故がきっかけで生まれた汚染水を海に流す時に真っ先に必要なのは、国内外の市民たちへの「謝罪」ではないのか。  ちなみに経産省の動画コンテンツは紹介した「実写篇」だけではない。「アニメ篇」と「経産大臣篇」というのもある。「アニメ篇」は若い女性記者が福島第一原発に入り、ALPS(多核種除去設備)や敷地内に建ち並ぶタンク群を取材するというシナリオ。ラストカットで記者は原発越しの太平洋を見つめ、強くうなずく。ナレーションがそう語るわけではないが、いかにも「記者は海洋放出すべきと確信した」という印象を残す作りである。西村康稔経産大臣が「タンクを減らす必要があります」などと語る「大臣篇」については、動画は作ったもののテレビCMとしては流していない。 https://www.youtube.com/watch?v=lIM123YNZ9A みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと(アニメーション篇) https://www.youtube.com/watch?v=SkALutW1Rh4 みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと(経済産業大臣篇) まるで海洋放出プロパガンダ  汚染水の海洋放出には賛否両論がある。特に福島県内では反対意見が根強い。漁業者たちが率先して抗議しているし、自治体議会も同様だ(詳しくは本誌昨年11月号「汚染水放出に地元議会の大半が反対・慎重」を読んでほしい)。 それなのに政府のやり方は一方的だ。政府CMのキャッチコピーは、筆者からすれば、〈みんなで「政府のやることがいかに正しいかを」知ろう。考えよう。〉である。これではプロパガンダ(宣伝活動)と言わざるを得ない。 アメリカで「現代広告業界の父」と評され、ナチス・ドイツの広報・宣伝活動にも影響を与えたとされるエドワード・バーネイズ(1891~1995)は、著書で「プロパガンダ」という言葉をこう定義する。 社会グループとの関係に影響を及ぼす出来事を作り出すために行われる、首尾一貫した、継続的な活動」のことである〉〈プロパガンダは、大衆を知らないうちに指導者の思っているとおりに誘導する技術なのだ バーネイズ著、中田安彦訳『プロパガンダ教本』  こうしたプロパガンダは霞が関の官僚たちだけでできる代物ではない。CMを制作し、テレビ局から放送枠を買い取る必要がある。後ろには必ず広告のプロがいる。 政府が海洋放出方針を決めた2021年度、経産省は「海洋放出に伴う需要対策」という名目で新たな基金を作った。国庫から300億円を投じるという。基金の目的は2つ。①「風評影響の抑制」(広報事業)と②「万が一風評の影響で水産物が売れなくなった時に備えての水産業者支援」だ。本当は②が主な目的で、基金の管理者には農林水産省と関係が深い公益財団法人「水産物安定供給推進機構」が指定されている。ところが現時点で始まっている基金事業9件はすべて①の広報事業である。 この広報事業の一つが、昨年末のテレビCMを含む「ALPS処理水に係る国民理解醸成活動等事業」だ。基金が公表している公募要領によると、事業項目は以下の3つ。 ①国内の幅広い人々に対する「プッシュ型の情報発信」②情報発信のツールとして使用するコンテンツの作成③ALPS処理水の処分に伴う不安や懸念の払しょくに資するイベントの開催および参加。 このうち①が特に重要だろう。テレビCM、新聞広告、デジタル広告などを通じて「プッシュ型の情報発信」をするという。発信方法には具体的な指示があった。 ・テレビスポットCM:全国の地上系放送局において、各エリアで原則2500GRP以上を取得すること。放送時間帯は全日6時~25時とすること。必ずゾーン内にOAすること。放送素材は15秒または30秒を想定。 ・新聞記事下広告:全国紙5紙ならびに各都道府県における有力地方紙・ブロック紙の朝刊への広告掲載(5段以上・モノクロ想定)を1回実施すること。 ・デジタル広告:国内最大規模のポータルサイトであるYahoo!Japanを活用し、同社が保有しているデータ、およびアンケート機能を活用したカスタムプランを作成し、トップ面に9500万vimp以上の配信を行うこと。国内最大規模の動画サイトであるYouTubeを活用し、「YouTube Select Core スキッパブル動画広告(ターゲティングなし)」に1250万imp以上の配信を行うこと。 「GRP」とはCMの視聴率のこと。「vimp」「imp」は広告の表示回数などを示す指標だ。要するに媒体を選ばず手当たり次第に海洋放出をPRせよ、ということだろう。予算の上限は12億円。大金である。 あのCMを作ったのは……  昨年7月、基金は請負業者を公募した。どんな審査をしたかは分からないが(情報開示請求中。今後分かったら本誌で紹介します)、翌8月に請負業者が決まる。落札したのは〝泣く子も黙る〟広告代理店最大手、電通だった。 〈取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……〉 電通の「中興の祖」とも呼ばれる同社第4代社長、吉田秀雄氏が作った「鬼十則」の第5条だ。同社の〝度を越した〟ハングリー精神を如実に物語っている。このハングリー精神を武器にして、電通は長きにわたり、広告業界のガリバーとして君臨してきた。 経産省が海洋放出に備えて作った基金は昨年8月、テレビCM事業を電通が請け負うことになったとホームページで公表した  電通に次ぐ業界2位の広告代理店、博報堂の営業マンだった本間龍氏の著書や数々の報道によると、電通は自民党を中心として政界とのパイプが太い。新入社員の過労自死が大問題になってもその屋台骨はゆらがず、一昨年の東京五輪でも利権を握っていたことが指摘されている。 そんな電通が海洋放出のCM事業を請け負うのはある程度予想されていたことだろう。なにしろ、先ほど紹介した経産省の事業は大規模で幅広く、そんじょそこらの広告代理店では対応できないからだ。 この事業は公募時の予算の上限が12億円とされている。経産省は現時点では電通との契約金額を答えていないが、予算の上限に近い金額が電通に落ちるのではないかと推測される。 先ほど基金の規模は300億円と書いた。しかし経産省の説明によると、そのうち広報事業に充てる分は30億円ほどを見込んでいるという。そうすると、広報事業のウェイトの約3分の1を電通1社が占めることになる。まさに「鬼」の面目躍如と言ったところか……。 二度目の「神話崩壊」にならないために  政府は電通と組んで海洋放出プロパガンダを推し進めようとしている。この状況を黙認していいのだろうか。筆者は地元福島のマスメディアの抵抗に期待したい。先述した通り福島県内では海洋放出への反対意見が根強い。〝地元の声〟をバックにすれば、政府・電通の圧力に対抗できるのではないか……。 だが、そうもいかないらしい。ご存じの通り、県内全域を網羅する民間のテレビ局は4社ある。筆者はこの4社に対して「海洋放出CMを流したか」と質問した。まともに回答したのは1社のみ。 その1社の幹部は筆者にこう答えた。「放送の時間帯などは答えられませんが、昨年12月に海洋放出のテレビCMを流したという事実はあります。うちだけでなく、裏(ライバル)の3社もすべて流したと思いますよ」(あるテレビ局幹部)。 他の3社は回答期限までに答えなかったのが1社と、事実上のノーコメントだったのが2社。少なくとも「放送を拒否した」と答えた社は一つもなかった。 新聞も同様だ。筆者と本誌編集部の調べによると、朝日、読売、毎日など全国紙と河北新報、さらに民報と民友の県紙2紙は、昨年12月13日に〈みんなで知ろう。考えよう。〉の経産省広告を載せた。CMや広告はテレビ局や新聞社が自社で審査しているはずだ。しかし少なくとも筆者が取材した範囲においては、政府・電通のプロパガンダに対する抵抗の跡は見つけられなかった。 テレビ局だけでなく、新聞各紙も海洋放出をPRする経産省の広告を掲載した  ここまで書き進めると、どうしても思い起こしてしまうのが「3・11以前」のことだ。 原子力発電は日本のためにも世界のためにも必要なものです。だからこそ念には念を入れて安全の確保のためにこんな努力を重ねています 本間龍著『原発広告』  1988年、通商産業省(現・経産省)は読売新聞にこんな全面広告を出した。 1950年代以降、日本政府は「原子力の平和利用」をかかげて原発建設を推し進めた。そもそも危険な原発を国民に受け入れさせるために必要とされたのが、電通をはじめとした広告代理店によるプロパガンダだった。 一見、強制には見えず、さまざまな専門家やタレント、文化人、知識人たちが笑顔で原発の安全性や合理性を語った。原発は豊かな社会を作り、個人の幸せに貢献するモノだという幻想にまみれた広告が繰り返し繰り返し、手を替え品を替え展開された〉〈これら大量の広告は、表向きは国民に原発を知らしめるという目的の他に、その巨額の広告費を受け取るメディアへの、賄賂とも言える性格を持っていた〉〈こうして3・11直前まで、巨大な広告費による呪縛と原子力ムラによる情報監視によって、原発推進勢力は完全にメディアを制圧していた 本間龍著『原発プロパガンダ』  プロパガンダによって国民に広まった原発安全神話は、福島第一原発のメルトダウンによって完全に崩壊した。事故前も原発安全神話に対する疑問の声はあった。しかし、その少数意見は大量のプロパガンダによって押し流されてしまっていた。 海洋放出についても安全性に疑問を呈する人々はいる。ALPSで処理後に大量の海水で薄めると言っても、トリチウムや炭素14などの放射性物質は残るのだから心配になるのは当然だ。過去の反省に基づけば、日本政府が今やるべきことは明らかだ。テレビCMで新たな「海洋放出安全神話」を作り出すことではなく、反対派や慎重派の声にじっくり耳を傾けることだろう。 経産省に提案したい。 昨年12月と同じ予算や放送枠を反対派・慎重派に与え、テレビCMを作ってもらったらどうか。 実は海洋放出についていろいろな意見があることを国民が知る機会になる。こうして初めて、本当の意味で〈みんなで知ろう。考えよう。〉というCMのキャッチコピーが実現に近づく。 あわせて読みたい 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの? まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重【福島第一原発のタンク】

    【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの?

    ジャーナリスト 牧内昇平  福島第一原発のタンクにたまる汚染水(「ALPS処理水」)について、筆者は「海洋放出は時期尚早だ」と考えている。だが仮に「強行」した場合、「いつ終わるのか」という疑問も投げかけたい。地下水の流入の問題だけでなく、足元では日々発生する汚染水中のトリチウム濃度が上がっているという事実も発覚しているからだ。  東電によると、福島第一原発の敷地内には昨年12月現在、1000基超のタンクが建ち、その中には約130万立方㍍の汚染水(東電は「ALPS処理水等」と呼ぶ)がたまっている。政府・東電は林立するタンクが廃炉作業の邪魔になると言い、この汚染水を海に流したがっている。  では、海洋放出はいつ始まり、いつ終わるのか。  スタート時期の目標ははっきりしている。政府が2021年4月の基本方針に「2年後をめどに開始」と書いたからだ。一方、ゴールの時期については曖昧だ。政府の基本方針には「何年までに終わらせる」という目安が具体的に書かれていない(この時点で筆者は「無責任だなあ」と思ってしまうが、いかがだろうか)。  もちろん、「暗黙のゴール」はある。  福島第一原発の廃炉作業全体には「30~40年後」という終了目標がある。原子炉の冷温停止(2011年12月)から40年後というと、2051年だ。だから海洋放出も、少なくともこの「2051年」が暗黙のゴールということになる。実際、東電が原子力規制委員会や福島県の会議で提出している「放出シミュレーション」は、2051年に終わる想定になっている。  今からだいたい30年後ということになるので、筆者はこれを「海洋放出30年プラン」と呼ぶ。 30年プランの中身  この30年プランについて見ていこう。まずは「前提条件」のおさらいだ。  政府・東電は「ALPS(多核種除去設備)で処理するから安全だ」という。少なくともトリチウムという放射性物質は、ALPSでは取り除けない。それでも政府や東電が「安全」と言う理由は主に二つある。  ①「海水で薄める」  ②「放出量の上限を決める」  の2点だ。この二つのうち、今回の記事と関連が深いのは②である。 政府・東電はこう言っている。  トリチウムは事故前の福島第一原発でも放出していた。当時は「年間22兆ベクレル」という量を管理目標としていた。だから今回の海洋放出についても「年22兆ベクレル」という上限を設ける――。  これが、海洋放出に理解を得るために政府・東電が国民に示した「条件」である。  もう少しプランの詳細を見てみる。  汚染水には2種類ある。「日々発生する汚染水(A)」と「タンクに保管中の汚染水(B)」だ。   福島第一原発では毎日、汚染水が新しく発生している。地下水や雨水が原子炉建屋に流れこみ、燃料デブリに触れた水と混ざって「汚染」されるからだ。こうして「A」ができる。Aを集め、タンクで保管しているのが「B」だ。この2種類をどのように流していくのか。  東電は昨年6月、福島県が開いた「原子力発電所安全確保技術検討会」(以下、技術検討会と略)という会議でこの点を説明した。東電の海洋放出工事に関して、福島県など地元自治体が「事前了解」を与えるかどうかを判断するための会議だ。  「(AとBのうち)トリチウムの濃度の薄いものを優先して放出します。現在のタンク群をできるだけ早く解体撤去したいということもあり、体積が稼げる薄いものから、ということで考えています」(松本純一・福島第一廃炉推進カンパニー、プロジェクトマネジメント室長)  東電の説明資料(概要は図表1)には、Aのトリチウム濃度は「1㍑当たり約20万ベクレル」と書いてあった。それに対してBは「平均約62万ベクレル」だった。資料によるとBのトリチウム濃度はタンクごとに大きく異なる。20万ベクレル以下のタンクもあれば、216万ベクレルと桁違いの濃さのものもあるようだ。  そもそも海洋放出を進める目的は、敷地内のタンクを減らし、廃炉作業をスムーズに行うためだった。濃度が低いものから流していくという東電の説明は理にかなっている。  ではこの計画で進めた場合、Bは毎年どのくらい減っていくのか。  ポイントは、トリチウムの放出量には「年間22兆ベクレル」という上限があることだ。  日々発生するAの量が増えたり、濃度が上がったりすれば、その分タンク中のBの放出量は減らさざるを得ない。公式風に書くとこうなる。  「Bから放出できるトリチウムの量」イコール「年間22兆ベクレル」マイナス「Aからの放出量」  現状の東電の計算が図表1に書いてある。  Aの発生量を1日当たり100立方㍍、トリチウム濃度は1㍑当たり20万ベクレルと仮定する。そうすると、1日に発生するトリチウムの総量は200億ベクレル、年間では約7兆ベクレルになる。上限が22兆ベクレルだから、Bからは約15兆ベクレルのトリチウムを放出できる、という計算になる。  ところが、この東電のプランはスタート前から雲行きが怪しくなってきている。この1年ほど、原発敷地内のトリチウム濃度が顕著に上がっているからだ。  東電はALPSで処理する前(淡水化装置の入り口)の汚染水のトリチウム濃度を公表している。その推移を示したのが図表2である。  昨春以降のトリチウム濃度が上がっているのは明らかだ。東電が技術検討会で「現時点におきましては、トリチウム濃度は約20万ベクレル/㍑であり……」と説明したのは昨年6月だった。だが、同じ時期に試料採取された汚染水のトリチウム濃度は51万ベクレルだった(測定結果は1カ月以上後に公表される)。最新の10月3日時点の数字は47万ベクレルと一時期よりも若干下がったが、それでもだいぶ高い。  トリチウム濃度はなぜ上がったのか。東電の分析によると、原因は地震だ。昨年3月16日、福島県沖でマグニチュード7・4の地震が起きた。この地震の影響で3号機の格納容器の水位が下がったことが明らかになっている。  ALPS処理前のトリチウム濃度が上昇したのは昨年4月以降である。実はそれとほぼ同じ時期に、3号機の原子炉建屋でも濃度上昇が確認された。  東電はこれらの状況証拠に基づき、地震の影響で3号機からトリチウム濃度の高い汚染水が流れ出たものとみている。海洋放出を続けても タンクが減らない? 海洋放出を続けても タンクが減らない?  この状況を憂慮している研究者がいる。福島大学の柴崎直明教授である。水文地質学の専門家で、原発建屋内に地下水を入り込ませないための「止水対策」などで重要な提言をしている。先ほど紹介した福島県の「技術検討会」の専門委員でもある。 柴崎直明教授  柴崎氏はトリチウム濃度が高止まりを続けた場合、海洋放出のスケジュールにどのような影響を及ぼすか試算した。  放射性物質には時間が経つと量が半分になる「半減期」というものがある。トリチウムの場合、半減期は12・32年だ。この時間が経てば放っておいても量は半分に減る。そのことも考慮した上で、日々発生する汚染水のトリチウム濃度を「1㍑当たり50万ベクレル」、今後の発生量を1日当たり100㌧と仮定し、試算を行った。その結果は……。  柴崎氏は話す。  「現在、地上のタンクに保管されている処理水の海洋放出が完了するのは2066年頃になるという試算になりました」(詳しくは図表3)。  ※一番上の線がタンクに入った処理水総量の推移。下の5本の線はトリチウムの濃度別に区切った場合の処理水残量の推移。薄いものから放出するため、まず1㍑当たり15万ベクレル程度の処理水がゼロになる。薄いものから徐々になくなり、最終的には2021年4月時点で210万ベクレルくらいの高濃度の処理水を放出する。  東電のプランは「51年」だった。柴崎氏の指摘は一定条件下での試算に過ぎず、「必ずこうなる」というものではない。だが、考える材料になる。柴崎氏はさらに付け加えた。  「仮に、トリチウム濃度がもっと高くなって、1㍑当たり60・3万ベクレルになったとしましょう。そうすると、1日当たり100㌧発生する汚染水を処理して流すだけで、トリチウムの放出量は『年間22兆ベクレル』という上限に達してしまいます。つまり、タンクにたまっている処理水は1㍑も海に流せない、ということです」  ずっと高濃度の状態が続くかどうかは定かではない。だが、少なくとも一時的にこうした事態が発生する恐れはあるだろう。過去にさかのぼれば、汚染水中のトリチウム濃度は1㍑当たり100万ベクレルを超えていた時期もあったのだ。柴崎氏はこう話す。  「原発敷地内のどのエリアにどのくらいの量のトリチウムで汚染された水がたまっているのか、実はまだ正確に分かっていません。今後、地震や廃炉作業の影響で濃度が再び上がる可能性は十分あるでしょう」 説明不十分な東電  東電はこの状況をどのくらい真剣に捉えているのか。  先述の「技術検討会」のほかにも、福島県が原発事故対応のために専門家を集めた会議はある。その一つが「廃炉安全監視協議会」だ。昨年10月19日に開かれた同協議会で柴崎氏は東電にこの点を問いただした。  柴崎氏「日々発生する汚染水のトリチウム濃度が20万ベクレル/㍑というのは低く見積もりすぎで、過去に100万ベクレル/㍑を超えたこともあったわけですし、その辺はどう考えたらよろしいでしょうか」  東電側、松本純一氏(前出)の回答は歯切れが悪かった。  松本氏「今のように50万ベクレル/㍑を超えてきて、濃度が高くなっているケースでは、貯留している水の薄いものを放出するような運用計画を定めて実施していきたいと考えています。毎年、年度末には翌年度の放出計画という形で用意します」  柴崎氏は追及をやめなかった。  柴崎氏「もし(濃度が)60万ベクレル/㍑を超えると、(年間放出量の上限である)22兆ベクレルは全部消費されると思います。そのような場合にタンクはどのように減るのか、タンクを増やさなければならないのか。タンクの増減の見通しを示してほしいと思います」  松本氏「予測が難しいところもありますが、今後、そのような計画をお示ししていきたいと思います」  東電の説明は十分だろうか。柴崎氏は筆者の取材にこう語る。  「東電は楽観的な見通しの上で計画を立てています。状況が悪化した場合にも対応できる計画を早急に示すべきです」  筆者が直接問い合わせてみると、東電の広報担当者からはこんな回答が返ってきた。  「タンクに保管されている分を除くと、2021年4月時点での建屋内のトリチウム総量は最大約1150兆ベクレルです。総量が決まっているため、仮に一時的に濃度が高くなっても長期間は継続しないでしょう。また、現時点での放出シミュレーションはもともと『年間22兆ベクレル』の上限を使い切っていません。2030年度以降は18兆、16兆ベクレルの放出を想定しており、海水希釈前のトリチウム濃度が高くなっても対応できます。2051年度の海洋放出完了は可能だと考えています」  東電の説明を聞いた筆者はそれでも疑問に思う。たとえ一定期間でも高濃度の状態が続けば、その間敷地内のタンクの量は増えるのか。その場合廃炉作業に影響はないのか。  福島県はこの件をどのように受け止めているのか。県庁の担当者に聞くと、こう答えた。  「事前了解は海洋放出設備の安全性や環境影響の有無という観点で判断しますので、この件は影響しません。タンクが減らなくなるのはトリチウム濃度が高い状態が継続した場合ですよね。3月の地震以降は一時的に高くなっていますが、現在は下降傾向にあると聞いています」(県原子力安全対策課)  福島県も東電と同様、楽観的なものの見方をしてはいないか。  都合のいいことばかり広報するな  筆者は「海洋放出を早く済ませろ」と言っているのではない。「不確実な点は残っている」と言いたいのだ。  海洋放出に突っ走る者たちは「いつまでに終わる」と明言していない。東電は、自信があるなら「2051年までに終わらせる」と国民に約束、宣言すればいい。政府も基本方針に分かりやすく明記すべきだ。そうしないのは、不十分・不確実な点が残っているからだろう。  まず課題として挙げるべきなのは、地下水・雨水の流入防止策だろう。「日々発生する汚染水」を減らさないと、海洋放出しても陸上のタンクはなかなか減らない。2021年現在の汚染水発生量は1日当たり130立方㍍だった。東電は「2025年中に1日当たり100立方㍍に抑制」を目標にしているが、そこからさらに発生量を減らす見通しが明確になっていない。この点は「技術検討会」(昨年6月)で高坂潔・県原子力対策監も指摘した。  高坂氏「将来にわたって日々の汚染水の発生量100立方㍍/日が続くと、タンク貯留水を減らすことがなかなか達成できず、場合によってはかなり長期間にわたってしまいます。30年前後で放出完了を計画しているみたいですが、それに収まらないのではないかと懸念される」  もう一つ、不確実なものの代名詞的存在と言えば、ALPSではないだろうか。これまでも不具合を繰り返してきた装置だ。数十年にわたって期待通りに活躍してくれるのか。  ここのところ、「海洋放出キャンペーン」が勢いを増している。経済産業省は昨年12月、テレビCMや新聞広告による大々的なPRを始めた。我が家の新聞にも早速、〈みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと〉と大書した広告が載った。  だが、経産省や東電のウェブサイトに書かれているのは、海洋放出の必要性、トリチウムの安全性、そんな話ばかりである。「トリチウム濃度が上昇」、「地下水対策に課題」、などといった情報は、少なくとも一般の人が分かりやすいような形では紹介されていない。  〈みんなで知ろう。考えよう。〉  こんなキャッチコピーを掲げるなら、政府・東電は自らに都合の悪い情報も積極的に知らせ、それでも海洋放出という道を選ぶのか、国民に考えてもらうべきだ。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】  まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【北野進】「次の大地震に備えて廃炉を」

     1・1能登半島地震の震源地である石川県珠洲市にはかつて原発の建設計画があった。非常に恐ろしい話である。今回の大地震は日本列島全体が原子力災害のリスクにさらされていることをあらためて突きつけた。珠洲原発反対運動のリーダーの一人、北野進さんにインタビューした。 ジャーナリスト・牧内昇平 警鐘鳴らす能登の反原発リーダー 北野進さん=1959年、珠洲郡内浦町(現・能登町)生まれ。筑波大学を卒業後、民間企業に就職したが、有機農業を始めるために脱サラして地元に戻った。1989年、原発反対を掲げて珠洲市長選に立候補するも落選。91年から石川県議会議員を3期務め、珠洲原発建設を阻止し続けた。「志賀原発を廃炉に!」訴訟の原告団長を務める。  ――ご自身の被災や珠洲の状況を教えてください。  「元日は午後から親族と会うために金沢市方面へ出かけており、能登半島を出たかほく市のショッピングセンターで休憩中に大きな揺れを感じました。すぐ停電になり、屋外に誘導された頃に大津波警報が出て、今度は屋上へ避難しました。そのまま金沢の親戚宅に避難しました。  自宅のある珠洲市に戻ったのは1月5日です。金沢から珠洲まで普段なら片道2時間ですが、行きは6時間、帰りは7時間かかりました。道路のあちこちに陥没や亀裂、隆起があり、渋滞が発生していました。自宅は内陸部で津波被害はなく、家の戸がはずれたり屋根瓦が落ちたりという程度の被害でしたが、周りには倒壊した家もたくさんありました。停電や断水が続くため、貴重品や衣類だけ持ち出して金沢に戻りました。今も金沢で避難生活を続けています」  ――志賀原発のことも気になったと思います。  「志賀町で震度7と知った時は衝撃が走りました。原発の立地町で震度7を観測したのは初めてだと思います。志賀原発1・2号機は2011年3月以来止まっているものの、プールに保管している使用済み核燃料は大丈夫なのかと。残念ながら北陸電力は信用できません。今回の事故対応でも訂正が続いています」  ――2号機の変圧器から漏れた油の量が最初は「3500㍑」だったのが後日「2万㍑」に訂正。その油が海に漏れ出てしまっていたことも後日分かりました。取水槽の水位計は「変化はない」と言っていたのに、後になって「3㍍上昇していた」と。津波が到達していたということですよね。  「悪い方向に訂正されることが続いています。そもそも北電は1999年に起きた臨界事故を公表せず、2007年まで約8年間隠していました。今回の事態で北電の危機管理能力にあらためて疑問符がついたということだと思います。  これは石川県も同じです。県の災害対策本部は毎日会議を開いています。しかし会議資料はライフラインの復旧状況ばかり。志賀原発の情報が全然入っていません。たとえば原発敷地外のモニタリングポスト(全部で116カ所)のうち最大で18カ所が使用不能になりました。住民避難の判断材料を得られない深刻な事態です。  私の記憶が正しければ、メディアに対してこの件の情報源になったのは原子力規制庁でした。でも、モニタリングポストは地元自治体が責任を持つべきものです。石川県からこの件の詳しい情報発信がないのは異常です。県が原発をタブー視している。当事者意識が全くありません。放射線量をしっかり測定しなければいけないという福島の教訓が生かされていないのは非常に残念です」 能登半島の地震と原発関連の動き 1967年北陸電力、能登原発(現在の志賀原発)の計画を公表1975年珠洲市議会、国に原発誘致の要望書を提出1976年関西電力、珠洲原発の構想を発表(北電、中部電力と共同で)1989年珠洲市長選、北野氏らが立候補。原発反対票が推進票を上回る関電による珠洲原発の立地調査が住民の反対で中断1993年志賀原発1号機が営業運転開始2003年3電力会社が珠洲原発計画を断念2006年志賀原発2号機が営業運転開始2007年志賀原発1号機の臨界事故隠しが発覚(事故は99年)3月25日、地震発生(最大震度6強)2011年3月11日、東日本大震災が発生(志賀1・2号機は運転停止中)2012年「志賀原発を廃炉に!」訴訟が始まる2021年9月16日、地震発生(最大震度5弱)2022年6月19日、地震発生(最大震度6弱)2023年5月5日、地震発生(最大震度6強)2024年1月1日、地震発生(最大震度7)※北野氏の著書などを基に筆者作成  ――もしも珠洲に原発が立っていたらどうなっていたと思いますか?  「福島以上に悲惨な原発災害になっていたでしょう。最大だった午後4時10分の地震の震源は珠洲原発の建設が予定されていた高屋地区のすぐそばでした。原発が立っていたら、その裏山に当たるような場所です。また、高屋を含む能登半島の北側は広い範囲で沿岸部の地盤が隆起しました。原子炉を冷却するための海水が取り込めなくなっていたことでしょう。ちなみにこの隆起は志賀原発からわずか数㌔の地点まで確認されています。本当に恐ろしい話です」  ――珠洲に原発があったら原子炉や使用済み燃料プールが冷やせず、メルトダウンが起きていたと?  「そうです。そしていったんシビアアクシデントが起きた場合、住民の被害はさらに大きかったと思います。避難が困難だからです。奥能登の道路は壊滅状態になりました。港も隆起や津波の被害で使えません。能登半島の志賀原発以北には約7万人が暮らしています。多くの人が避難できなかったと思います。原子力災害対策指針には『5㌔から30㌔圏内は屋内退避』と書いてありますが、奥能登ではそもそも家屋が倒壊しており、ひびが入った壁や割れた窓では放射線防護効果が期待できません。また、停電や断水が続いているのに家の中にこもり続けるのは無理です。住民は避難できず、屋内退避もできず、ひたすら被ばくを強いられる最悪の事態になっていたと思います」 能登周辺は「活断層の巣」  ――では、志賀原発が運転中だったら、どうなっていたでしょう?  「志賀原発に関しても、運転中だったらリスクは今よりも格段に高かったと思います。原子炉そのものを制御できるか。核反応を抑えるための制御棒がうまく入るか、抜け落ちないか。そういう問題が出てきます。事故が起きた時の避難の難しさは珠洲の場合とほぼ同じです」  ――今のところ、辛うじて深刻な原子力災害を免れたという印象です。  「とにかく一番心配なのは、今回の大地震が打ち止めなのかということです。今回これだけ大きな断層が動いたのだから、他の断層にもひずみを与えているんじゃないかと。次なる大地震のカウントダウンがもう始まっているんじゃないのかっていうのが、一番怖い。能登半島周辺は陸も海も活断層だらけ。いわば『活断層の巣』ができあがっています。半島の付け根にある邑知潟断層帯とか、金沢市内を走る森本・富樫断層帯とか。次はもっと原発に近い活断層が動く可能性もあります。能登の住民の一人として、『今回が最後であってほしい』という気持ちはあります。しかし、やっぱり警戒しなければいけません。そういう意味でも、志賀原発の再稼働なんて尚更とんでもないということです」  ――あらためて志賀原発について教えてください。現在は運転を停止していますが、2号機について北陸電力は早期の再稼働を目指しています。昨年11月には経団連の十倉雅和会長が視察し、「一刻も早く再稼働できるよう願っている」と発言しました。再稼働に向けた地ならしが着々と行われてきた印象です。  「運転を停止している間、原子力規制委員会が安全性の審査を行っています。ポイントは能登半島にひしめいている断層の評価です。志賀原発の敷地内外にどんな断層があるのか、これらが今後地震を引き起こす活断層かどうかが重要になります。経緯は省きますが、北電は『敷地直下の断層は活断層ではない』と主張していて、規制委員会は昨年3月、北電の主張を『妥当』と判断しました。それ以降は原発の敷地周辺の断層の評価を進めていたところでした。  当然ですが、今回の地震は規制委員会の審査に大きな影響をおよぼすでしょう。北電はこれまで、能登半島北方沖の断層帯の長さを96㌔と想定していました。ところが今回の地震では、約150㌔の長さで断層が動いたのではないかと指摘されています。まだ詳しいことは分かりませんが、想定以上の断層の連動があったわけです。未確認の断層があるかもしれません。規制委員会の山中伸介委員長も『相当な年数がかかる』と言っています」  ――北野さんは志賀原発の運転差し止めを求める住民訴訟の原告団長を務めていますね。裁判にはどのような影響がありますか。  「2012年に提訴し、金沢地裁ではこれまでに41回の口頭弁論が行われました。裁判についてもフェーズが全く変わったと思います。断層の問題と共に私たちが主張するもう一つの柱は、先ほどの避難計画についてです。今の避難計画の前提が根底からひっくり返ってしまいました。国も規制委員会も原子力災害対策指針を見直さざるを得ないと思います。この点については志賀に限らず、全国の原発に共通します。僕たちも裁判の中で力を入れて取り組みます」 これでも原発を動かし続けるのか?  石川県の発表によると、1月21日午後の時点で死者は232人。避難者は約1万5000人。亡くなった方々の冥福を祈る。折悪く寒さの厳しい季節だ。避難所などで健康を損なう人がこれ以上増えないことを願う。  能登では数年前から群発地震が続いてきた。今回の地震もそれらと関係することが想定されており、北野さんが話す通り、「これで打ち止めなのか?」という不安は当然残る。  今できることは何か。被災者のケアや災害からの復旧は当然だ。もう一つ大事なのが、原発との決別ではないか。今回の地震でも身に染みたはずだ。原発は常に深刻なリスクを抱えており、そのリスクを地域住民に負わせるのはおかしい。  それなのに、政府や電力会社は原発に固執している。齋藤健経産相は地震から10日後の記者会見で「再稼働を進める方針は変わらない」と言った。その1週間後、関西電力は美浜原発3号機の原子炉を起動させた。2月半ばから本格運転を再開する予定だという。  これでいいのか? 能登で志賀原発の暴走を心配する人たちや、福島で十年以上苦しんできた人たちに顔向けできるのか?  福島の人たちは「自分たちのような思いは二度とさせたくない」と願っているはずだ。事故のリスクを減らすには原発を止めるのが一番だ。これ以上原発を動かし続けることは福島の人びとへの侮辱だと筆者は考える。  内堀雅雄知事が県内原発の廃炉方針に満足し、全国の他の原発については何も言わないのも理解できない。  まきうち・しょうへい 42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。フリー記者として福島を拠点に活動。

  • 【牧内昇平】「食べて応援」国民運動にだまされるな【原発事故「汚染水」海洋放出】

     東京電力福島第一原発にたまる「汚染水」の海洋放出が始まり、対抗措置として中国が日本産水産物の輸入を停止した。こうした状況で水産業の救済策として始まったのが「食べて応援」キャンペーンである。どこもかしこも「魚を食べよう」ばかり。挙句の果てには「魚を食べて中国に勝とう」という言説まで出てきた。「戦前回帰」したくないならば、問題の本質を冷静に見極めなければいけない。  「关于全面暂停进口日本水产品的公告(日本産水産物の輸入全面停止に関するお知らせ)」  汚染水(政府は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出が始まった8月24日、中国の税関当局がこう発表した。放射能汚染のリスクを防ぎ、消費者の健康と食品の安全を確保するためだという。同様に香港も、福島や東京をはじめとした10都県からの水産物輸入を禁止した。 国・地域別の水産物輸出額(2022年)を見ると、第1位が中国の871億円、2位が香港の755億円だ。両者が輸出額全体の約4割を占める。そんなお得意様との取引が、この日を境に露と消えてしまった。  大方の予想通り(「想定外」などと語った閣僚もいたが)、海洋放出は国内の水産業に大きな痛手となった。 どこもかしこも 「食べて応援」ばかり Xの首相官邸アカウントは、岸田首相らが常磐ものを食べる映像を配信した  この状況を打開するため、日本政府が力を入れているのが「食べて応援」キャンペーンである。先頭を走るのは海洋放出について「全責任を持つ」と豪語した岸田文雄首相だ。8月31日には東京・豊洲市場を視察。仲卸業者らと話してこの問題に関心を持っていることをアピールした。また前日の30日にはX(旧ツイッター)の首相官邸アカウントからこんな動画を発信した(写真参照)。  ――首相が西村康稔経産相や鈴木俊一財務相らと食卓を囲む。食膳に並ぶのは、ヒラメ、スズキ、タコなどの福島県産食材。刺身かなにかを口に入れた首相が、ややわざとらしく言う。「おいしいです!」  キャンペーンは全国的な広がりを見せている。野村哲郎農林水産相(当時)は各省庁の食堂に国産水産物のメニューを追加するよう要請。浜田靖一防衛相(同)は自衛隊の駐屯地や基地で国産の魚を使う方針を示した。東京の小池百合子氏、大阪の吉村洋文氏、愛知の大村秀章氏……。各地の知事たちも競って常磐ものを食べ、その姿をメディアに報じさせた。  経済界もこの流れに乗っている。「財界総理」とも言われる経団連会長の十倉雅和氏は、9月上旬の記者会見で「中国の対応は極めて遺憾だ」と発言。全会員企業に対して社員食堂や社内外での会合時に国産水産品を活用するよう呼びかけた(経団連ホームページから引用)。日本商工会議所も東京・帝国ホテルで開いた懇親会で福島の魚を使った料理を出し、消費拡大PRに一役買った。  官民合同の「食べて応援」キャンペーンは自然発生的なものではない。下地作りには国の予算が使われている。「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」という事業がある。産業界や全国の自治体に同ネットワークへの参加を募り、社員食堂や社屋に出入りするキッチンカーなどで三陸・常磐ものの食材を扱うように促すものだ。  この事業、経産省が海洋放出に伴う需要対策基金を使ってJR東日本企画に委託している。2023年度の委託額上限は1億7000万円である。同ネットワークのホームページによると、参加企業・団体数は10月16日現在で1090者(うち一部を表に掲載した)。「原子力ムラ」ならぬ「海洋放出ムラ」が形成されたと感じるのは筆者だけだろうか。 【「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」参加企業・団体の例】 ・自治体愛知県、青森県、茨城県、岩手県、大阪府、神奈川県、埼玉県、千葉県、東京都、長野県、兵庫県、福島県、宮城県、石巻市、いわき市、大阪市、桐生市、さいたま市、塩竃市、南あわじ市、宮古市、矢板市、女川町・企業等IHI、旭化成、ENEOS、沖縄電力、鹿島建設、関西電力、九州電力、共同通信社(一般社団法人)、産経新聞社、JTB、四国電力、セブン&アイ・ホールディングス、中国電力、中部電力、電気事業連合会、東レ、東京電力ホールディングス、東邦銀行、東北電力、トヨタ自動車、日本経団連、日本原子力研究開発機構(JAEA)、日本原子力産業協会、日本原子力発電、日本原燃、東日本旅客鉄道、福島イノベーション・コースト構想推進機構、福島県漁連、福島民報社、福島民友新聞社、北陸電力、北海道電力・政府機関等外務省、カジノ管理委員会事務局、環境省、金融庁、宮内庁、経済産業省、警察庁、原子力規制庁、原子力損害賠償・廃炉等支援機構(NDF)、公正取引委員会、厚生労働省、国土交通省、財務省、消費者庁、人事院、総務省、内閣官房、内閣府、農林水産省、復興庁、防衛省、法務省、文部科学省※同ネットワークのホームページを基に筆者作成  言論統制の流れもできつつあるようだ。「汚染」という言葉を使うと大バッシングを受ける事態になっている。象徴的だったのは、水産業支援の前面に立つべき野村農水相による「失言」問題である。野村氏は8月末、「ALPS処理水」ではなく「汚染水」という言葉を使ったことが報じられた。直後に岸田首相が発言の撤回と謝罪を指示。野村氏はこれに従い、しかも翌月の内閣改造で大臣職を退任させられた。  海洋放出に反対している共産党でも気になる動きがあった。同党の元地方議員(広島県内)がXへの投稿で「汚染魚」という表現を使った。党もこれを問題視。この元議員は党公認での次期衆院選への立候補を取りやめた。確かによくない表現だが、やや過剰な反応のようにも思える。右を向いても左を向いても「食べて応援」ばかりの異様なムードになっている。  政府は9月4日、「水産業を守る政策パッケージ」と題した、中国の輸入規制への対抗策をまとめた。この中にも「食べて応援」が入っている。  政策の柱は、①「国内消費拡大・生産持続」、②「風評影響への対応」、③「輸出先の転換」、④「国内加工体制の強化」、⑤「迅速かつ丁寧な賠償」の5つだ。数字の順番から言えば①の「国内消費拡大・生産持続」が特に期待されていると考えていいだろう。その①の内容として最初に挙げられているのが、「国内消費拡大に向けた国民運動の展開」である。  要するに「食べて応援」を国民運動のレベルに高めようというものだ。具体策として挙げられているのは、「ふるさと納税」を活用した取り組みである。ふるさと納税で寄付を受けた自治体は、返礼として地域の特産品を贈る。海洋放出後、県内漁業の拠点であるいわき市にふるさと納税し、海の幸を返礼品としてもらう人が増えた。水産業の衰退を心配した市民一人一人の自発的な行為だったと考えられる。  日本政府はこうした市民の心情に便乗し、これを「国民運動」として推し進めようとしているのだ。  経産省によると、他には学校給食で国産の魚介類を使うことなどが「国民運動」に該当するという。 「魚を食べて中国に勝とう」 国家基本問題研究所が9月上旬に複数の新聞に出した意見広告  政府が「食べて応援」を「国民運動」に祭り上げたタイミングで世に出たのが、こんな新聞広告である。  《日本の魚を食べて中国に勝とう》  この意見広告を出したのは「国家基本問題研究所」という団体である。保守派の論客として知られるジャーナリストの櫻井よしこ氏が理事長を務めている。櫻井氏は中国脅威論を根拠として日本の軍事力強化などを主張している人物。同氏の写真の横には、こんな主張が書いてあった。  《おいしい日本の水産物を食べて、中国の横暴に打ち勝ちましょう。(中略)中国と香港への日本の水産物輸出は年間約1600億円です。私たち一人ひとりがいつもより1000円ちょっと多く福島や日本各地の魚や貝を食べれば、日本の人口約1億2000万人で当面の損害1600億円がカバーできます。安全で美味。沢山食べて、栄養をつけて、明るい笑顔で中国に打ち勝つ。早速今日からでも始めましょう》  苦境に陥った水産業者を支えたいという気持ちは理解できる。また、海洋放出の直後、原発とは関係ない公共施設などに対して、中国の国番号(86)から抗議の電話が殺到したという出来事もあった。県内の飲食店なども迷惑を被ったという。これらの行為はよくない。だが、そうしたことを考慮しても、隣国を過度に敵視する言説には全く賛同できない。 「新しい戦前」は海洋放出から?  思い出すのは日本がアジア太平洋戦争を起こした頃のことだ。1937年の日中戦争をきっかけに、国民の戦意高揚をはかり、最大限の国力を戦争に注ぎ込むための「国民精神総動員運動」が始まった。  街中には「ぜいたくは敵だ!」「欲しがりません。勝つまでは」などの標語が掲げられた。食料不足を防ぐため、「何がなんでもカボチャを作れ」というポスターまで作られた。戦争に反対する人や協力的でない人は「非国民」と呼ばれた。  同じようなことが今起きていると筆者は感じる。マスメディアの報道やSNSは「食べて応援!」「STOP風評被害」というメッセージであふれかえっている。一方、政府の言う「ALPS処理水」を「汚染水」と呼んだだけで「非国民だ!」と非難されるような現状もある。  大物芸能人のタモリ氏は昨年末、「来年はどんな年になるでしょう?」と問われた時に「新しい戦前になるんじゃないでしょうか」と答えた。海洋放出をめぐる中国とのやりとりや日本国内のムードを眺めた時、タモリ氏の言葉が急速に現実味を帯びてくる。  ここは原点に戻って考えたい。自主的な「買って応援」を否定するつもりはないが、大々的にやればやるほど本質を覆い隠してしまう。今回の水産業者の苦悩を引き起こしたのは一体誰だろうか? 魚の輸入を停止した中国政府だろうか? いや、違う。そもそもの原因を作ったのは、日本政府と東京電力だ。原発事故を起こし、その後、時の首相が「アンダーコントロール(制御されている)」などと言っておきながら汚染水の発生を食い止めることができず、挙句の果てに海洋放出してしまった。しかも隣国の理解を十分に得ないまま強行したため、国内の水産業に深刻な事態を招いた。  本来批判されるべきは日本政府と東電だ。私たち市民は問題の本質を冷静に見極めなければいけない。 あわせて読みたい 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】ついに始まった法廷闘争【牧内昇平】

     何としても、一日でも早く、海に捨てるのをやめさせる――。東京電力福島第一原発で始まった原発事故汚染水の海洋放出を止めるため、市民たちが国と東電を相手取った裁判を始めた。9月8日、漁業者を含む市民151人が福島地裁に提訴。10月末には追加提訴も予定しているという。「放出反対」の気運をどこまで高められるかが注目だ。 「二重の加害」への憤り 提訴前にデモ行進する市民たち(9月8日、牧内昇平撮影)  9月8日の午後、福島市の官公庁街にブルーののぼり旗がはためいた。  《海を汚さないで! ALPS処理汚染水差止訴訟》  台風13号の接近情報が入る中、少なくとも数十人の原告や支援者たちが集まっていた。この日の約2週間前の8月24日、原発事故汚染水(政府・東電の言う「ALPS処理水」)の海洋放出が始まった。反対派や慎重派の声を十分に聞かない「強行」に、市民たちの怒りのボルテージは高まっていた。  のぼり旗を掲げながら福島地裁に向かってゆっくりと進む。シュプレヒコールが始まる。  「汚染水を海に捨てるな! 福島の海を汚すな!」  熱を帯びた声の重なりが雨のぱらつく福島市街に渦巻いた。  「我々のふるさとを汚すな! 国と東京電力は原発事故の責任をとれ!」  提訴後、市民たちは近くにある福島市の市民会館で集会を行った。弁護団の共同代表を務める広田次男弁護士が熱っぽく語る。 広田次男弁護士(8月23日、本誌編集部撮影)  「先月の23日に記者会見し、28日から委任状の発送作業などを行ってきました。今日まで10日弱で151名の方々が加わってくれたことは評価に値することだと思います」  広田氏の隣には同じく共同代表の河合弘之弁護士が座っていた。共同代表はこの日不参加の海渡雄一弁護士も含めた3人である。広田氏は長年浜通りの人権派弁護士として活動してきたベテラン。河合、海渡の両氏は全国を渡り歩いて脱原発訴訟を闘うコンビだ。  この日訴状に名を連ねたのは福島、茨城、岩手、宮城、千葉、東京の1都5県に住む市民(避難者を含む)と漁業者たち。必要資料の提出が間に合わなかった人も多数いるため、早速10月末に追加提訴を行う予定だという。少なくとも数百人規模の原告たちの思いが、上記の3人をはじめとした弁護士たちに託されることになる。  報道陣に渡された訴状はA4版で40ページ。請求の理由が書かれた文章の冒頭には「福島県民の怒り」というタイトルがついていた。  《本件訴訟の当事者である原告らは、いずれも「3・11原発公害の被害者」であり、各自、「故郷はく奪・損傷による平穏生活権の侵害」を受けた者であるという特質を備えている。したがって、ALPS処理汚染水の放出による環境汚染は、その「重大な過失」によって放射能汚染公害をもたらした加害者が、被害者に対して「故意に」行う新たな加害行為である。原告と被告東電・被告国の間には、二重の加害と被害の関係があると言える。本件訴訟は、二重の加害による権利侵害は絶対に容認できないとの怒りをもって提訴するものである》(訴状より)  原発事故を起こした国と東電が今度は故意に海を汚す。これは福島の人びとへの「二重の加害」である――。河合弘之弁護士はこの理屈をたとえ話で説明した。  「危険運転で人をはねたとします。その人が倒れました。なんとか必死に立ち上がって、歩き始めました。そこのところを後ろから襲いかかって殴り倒すような2回目の加害行為。これが今度の放射性物質を含む汚染水の海洋投棄だと思います。1回目の危険運転は、ひどいけれども過失罪です。今度流すのは故意、悪意です。過失による加害行為をした後に、故意による加害行為を始めたというのが、この海洋放出の実態です」  「二重の加害」への憤り。この思いは原告たちの共通認識と言えるだろう。原告共同代表を務める鈴木茂男さん(いわき市在住)はこのように語っている。  「私たち福島県民は12年前の原発事故の被害者です。現在に至るまで避難を続けている人もたくさんいます。被害が継続している人たちがまだまだたくさんいるのです。その中で国と東電がALPS処理汚染水の海洋放出を強行するということは、私たち被害者たちに対して新たな被害を与えるということだと思います。それなのに国と東電は一切謝罪をしていません。漁業者との約束を破ったにも関わらず、『約束を破っていない』と強弁して、『すみません』の一言も発していません。こんなことがまかり通っていいのでしょうか? 社会の常識からいえば、やむを得ない事情で約束を守れない状況になったら、その理由を説明し、頭を下げて謝罪し、理解を求めるのが、人の道ではないでしょうか。謝罪もせず、『理解は進んでいる』と言う。これはどういうことなのでしょうか? 福島第一原発では毎日汚染水が増え続けています。この汚染水の発生をストップさせることがまず必要です。私は海洋放出を黙って見ているわけにはいきません。何としても、いったん止める。そして根本的な対策を考えさせる。止めるのは一日でも早いほうがいい。そのための本日の提訴だと思っています」  提訴後の集会でのほかの原告たちの声(別表)も読んでほしい。 海洋放出差し止め訴訟「原告の声」 佐藤和良さん(いわき市)「今、マスコミでは『小売りの魚屋さんが頑張っています』というのがよく取り上げられています。食べて応援。岸田首相や西村経済産業大臣をはじめとして、みんな急に刺身を食べたり、海鮮丼を食べたりして、『常磐ものはうまい』と言っています。でも、30年やってられるんですか? 急に魚食うなよと言いたいです。『汚染水』ではなくて『処理水』だという言論統制が幅を利かすようになっています。本当に戦争の足音が近づいてきたんじゃないかと思います。非常に厳しい日本社会になってきています。我々は引くことができません」 大賀あや子さん(大熊町から新潟県へ避難)「大熊町議会では2020年9月に処分方法の早期決定を求める意見書を国に提出しました。政府東電の説明を受け、住民の声を聞き取る機会を設けず、町議会での参考人聴取や熟議もないままに出されたものでした。交付金のため国に従うという原発事故前からの構図は変わっていないということでしょうか。海洋放出に賛成しない町民の声が埋もれてしまっています」 後藤江美子さん(伊達市)「私が原告になろうと思ったのは生活者として当たり前の常識が通用しないことに憤りを感じたからです。『関係者の理解なしには海洋放出しない』という約束がありました。この約束は反故にしないと言いながら、どうして海洋放出を開始するのか。子どもたちに正々堂々きちんと説明することができるのでしょうか。平気でうそをつく、ごまかす、後出しじゃんけんで事実を知らせる。国や東電がやっていることは人として恥ずかしくないのでしょうか。岸田さんはこれから30年すべて自分が責任をもつとおっしゃいましたが、次の世代を生きる孫や子のことを考えれば、本当はもっと慎重な行動が求められているのではないかと思います」 権利の侵害を主張 東京電力本店  訴えの中身に目を転じてみよう。裁判は国を相手取った行政訴訟と、東電を相手取った民事訴訟との二部構成になる。原告たちが求めているのはおおむね以下の2点だ。  ・国(原子力規制委員会)は、東電が出した海洋放出計画への認可を取り消せ。  ・東電はALPS処理汚染水の海洋への放出をしてはならない。  なぜ原告たちにこれらを求める根拠があるのか。海洋放出によって漁業者や市民たちの権利が侵害されるからだというのが原告たちの主張だ。  《ALPS処理汚染水が海洋放出されれば、原告らが漁獲し、生産している漁業生産物の販売が著しく困難となることは明らかである。政府は、これらの損害については補償するとしているが、まさに、補償しなければならない事態を招き寄せる「災害」であることを認めているといわなければならない。さらに、一般住民である原告との関係では、この海洋放出行為は、これらの漁業生産物を摂取することで、将来健康被害を受ける可能性があるという不安をもたらし、その平穏生活権を侵害する行為である》(訴状より)  漁師たちが漁をする権利(漁業行使権)が妨害されるだけでなく、生業を傷つけられること自体が漁師の人格権侵害に当たるという指摘もあった。この点について、訴状は週刊誌(『女性自身』8月22・29日合併号)の記事を引用している。  《新地町の漁師、小野春雄さんはこう憤る。「政府は、『水産物の価格が下落したら買い上げて冷凍保存する』と言って基金を作ったけど、俺ら漁師はそんなこと望んでない。消費者が〝おいしい〟と喜ぶ顔が見たいから魚を捕るんだ。税金をドブに捨てるような使い方はやめてもらいたい!」》  仮に金銭補償が受けられたとしても、漁師としての生きがいや誇りは戻ってこない。小野さんが言いたいのはそういうことだと思う。  訴状はさらに、さまざまな論点から海洋放出を批判している。要点のみ紹介する。  ・ALPS処理汚染水に含まれるトリチウムやその他の放射性物質の毒性、および食物連鎖による生体濃縮の毒性について、適切な調査・評価がなされていない。  ・放射性廃棄物の海洋投棄を禁じたロンドン条約などに違反する。  ・国と東電には環境への負荷が少ない代替策を採用すべき義務がある。  ・国際社会の強い反対を押し切って海洋放出を強行することは日本の国益を大きく損なう。  ・IAEA包括報告書によって海洋放出を正当化することはできない。 弁護団共同代表の海渡氏は裁判のポイントを以下のように解説する。  「分かりやすい例を一つだけ挙げます。今回の海洋放出は、ALPS処理された汚染水の中にどれだけの放射性物質が含まれているかが明らかになっていません。放出される中にはトリチウムだけでなくストロンチウム、セシウム、炭素14なども含まれています。それらが放出されることによって海洋環境や生物にどういう被害をもたらし得るか。環境アセスメントがきちんと行われていません。国連人権理事会の場でもそういう調査をしろと言われているのに、それが全く行われていない。決定的に重大な国の過誤、欠落と言えると思います」 原発事故汚染水の海洋放出と差し止め訴訟の経緯 2021年4月日本政府が海洋放出の方針を決定2022年7月原子力規制委員会が東電の海洋放出設備計画を認可8月福島県と大熊・双葉両町が東電の海洋放出設備工事を事前了解2023年7/4国際原子力機関(IAEA)が包括報告書を公表8/22日本政府が関係閣僚等会議を開き、8月24日の放出開始を決める23日海洋放出差し止め訴訟の弁護団と原告予定者が提訴方針を発表24日海洋放出開始。中国は日本からの水産物輸入を全面的に停止9/4日本政府が水産事業者への緊急支援策として新たに207億円を拠出すると発表8日海洋放出差し止め訴訟、第1次提訴11日東電が初回分の海洋放出を完了(約7800㌧を放出)10月末差し止め訴訟、追加提訴(予定) 多くの市民を巻き込めるか 提訴前にデモ行進する市民たち(9月8日、牧内昇平撮影)  問題は、原告たちの訴えが認められるかどうかだ。提訴前の8月23日に開かれた記者会見で、筆者はあえて弁護団に「勝算」を聞いた。広田氏は以下のように答えた。「何をもって裁判の勝ち負けとするか、そのメルクマール自体が裁判の展開によっては難しい中身を伴うかもしれませんが、勝算はもちろんあります。勝算がなければこうやって大勢の皆さんに立ち上がろうと弁護団が言うことはあり得ません。どういう形で勝つかまではここで具体的に断言はできませんが、ともかくどういう形であれ、やってよかった、立ち上がってよかった、そう思える結果を残せると確信しております」。  海渡氏は以下の見解を示した。  「この裁判は十分勝算があると思っています。最も勝算があると考える部分は、現に漁業協同組合に加入している漁業者の方がこの裁判に加わってくれたことです。彼らの生業が海洋放出によって甚大な影響を受けることはまちがいない。そしてそれが過失ではなく故意による災害であることもまちがいない。これはきわめて明白なことです。まともな裁判官だったら正面から認めるはずです。一般市民の方々の平穏生活権の侵害については、これまでの原発事故被害者の損害賠償訴訟の中で、避難者の救済法理として考えられてきたものです。たくさんの民事法学者の賛同を得ている、かなり確実な法理論です。チャレンジングなところもありますが、この部分も十分勝算があると思っています」  筆者の考えでは、最大のポイントはいかに運動を広げられるかだ。法廷闘争だけで海洋放出を止めるのではなく、裁判を起こすことで二重の加害に対する市民たちの憤りを「見える化」し、できるだけ多くの人に「やっぱり放射性物質を海に流してはだめだ」と考えてもらう。世論を味方につけ、判決を待たずして政府に政策転換を迫る。そんな流れを作れないだろうか。  そのためには原告の数をもっと増やしたいところだろう。仮に数千人規模の市民が海洋放出差し止めを求めて裁判所に押し寄せたら、裁判官たちにもいい意味でのプレッシャーがかかるのではないか。素人考えではあるが、筆者はそう思っている。  とはいえ司法の壁は高い。記憶に新しいのは昨年6月17日の最高裁判決だ。原発事故の損害賠償などを求める市民たちが福島、千葉、群馬、愛媛地裁で始めた合計4件の訴訟について、最高裁第二小法廷は国の法的責任を認めないという判決を下した。高裁段階では群馬をのぞく3件で原告たちが勝っていたが、それでも最高裁は国の責任を認めなかった。東電に必要な事故対策をとらせなかった国の無為無策が司法の場で免罪されてしまった。司法から猛省を迫られなかったことが、原発事故対応に関して国に余裕をもたらし、今回の海洋放出強行につながったという見方もある。  しかし、壁がどんなに高かろうとも、政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の役割の一つだということを忘れてはならない。国のやることがおかしいと感じたとき、司法に期待をかけるのは国民の権利である。海洋放出に反対する市民運動を続けてきた織田千代さん(いわき市)は、今回の海洋放出差し止め訴訟の原告にも加わった。織田さんはこう話す。  「福島で原発事故を経験した私たちは、事故が起きるとどうなるのかを12年以上さんざん見てきました。そして福島のおいしいものを食べるときに浮かんでしまう『これ大丈夫かな?』という気持ちは、事故の前にはなかった感情です。つまり、原発事故は当たり前の日常を傷つけ続けているということだと思います。それを知っている私たちは、絶対にこれ以上放射能を広げるなと警告する責任があると思います。国はその声を無視し続け、約束を守ろうとしませんでした。それでも私たちは安心して生きていきたいと願うことをやめるわけにはいきません。私たちの声を『ないこと』にはできません」 ※補足1海洋放出差し止め訴訟の原告たちは新しい原告や訴訟支援者の募集を続けている。原告は福島、茨城、岩手、宮城、千葉、東京の1都5県の市民が対象で(同地域からの避難者を含む)、それ以外の地域に住む人は訴訟の支援者になってほしいという。問い合わせはALPS処理汚染水差止訴訟原告団事務局(090-7797-4673、ran1953@sea.plala.or.jp)まで。 ※補足2生業訴訟の第2陣(原告数1846人)は福島地裁で係属中。全国各地のほかの集団訴訟とも協力し、いわゆる「6.17最高裁不当判決」をひっくり返そうとしている。 あわせて読みたい 大義なき海洋放出【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 大義なき海洋放出【牧内昇平】

     8月24日、政府と東京電力は福島第一原発にたまる汚染水の海洋放出を始めた。約束を守らず、急いで流す必要はなく、代替案を検討する余地もあった。筆者は「大義なき海洋放出」だと思っている。反対する人びとは直前まで街頭で声を上げ、中止や再検討を求め続けていた。直前1週間の取材日記を紹介する。 反対派の声でつづる直前1週間  【8月17日】  午後2時、国会の衆議院第一議員会館。国際環境NGOのFOEジャパンらが経済産業省や東電の担当者と面会した。同団体の事務局長、満田夏花氏が険しい表情で切り出す。  「原子力市民委員会はかねてからモルタル固化処分を提案していますが、反論として挙げられている水和熱の発生は分割固化、水和熱抑制剤投入で容易に対応できると考えられますが、いかがですか」  福島市内の自宅にいた筆者はオンラインでこの会合を視聴した。淡い期待を抱いていた。海洋放出の代替案が議題の一つだったからだ。汚染水を「すすんで海に捨てたい」と言う人はいないだろう。可能な限り他の選択肢を検討すべきだ。マスメディアはほとんど報じないが、海洋放出の他にも汚染水処分のアイデアはある。有力なのが大学教授やプラントエンジニアらが参加する「原子力市民委員会」による「モルタル固化による『半地下』埋設」案である。  コンクリートやモルタルが固まる時には材料の水とセメントが反応して水和熱が生じる。発熱時に水分の蒸発が増え、水に含まれているトリチウムも大気中に出ていってしまう。経産省が汚染水の処分方法を検討した「ALPS処理水の取扱いに関する小委員会」では、水和熱が固化案の課題の一つとされた。「抑制剤を入れれば蒸発量は少ない」という満田氏の指摘に対し、東電はこう答えた。  東電の担当者「固化時の水分蒸発のみが課題ではございません。また、ご指摘の水和熱の発生に対応できたとしても、水分の蒸発がなくなるわけではなく、ご提案のような方法が根本的な解決にはならないと考えています」  この説明に対して原子力市民委員会に所属するプラント技術者、川井康郎氏が反論した。  「たしかに水和熱は発生します。ただ、あくまでも混ぜ始めて数日間、20~30度の温度上昇です。抑制剤を使えば影響は些末です。水分の蒸発がゼロにはなりませんが、含まれるトリチウムは極めて少ないと断言できます。対して海洋放出というのは、タンクにたまる約800兆ベクレルのトリチウムを100%海に放出するんですよね。その際のトリチウムの量と、固化時の水分蒸発にわずかに溶け込んだトリチウムの量。これを比較することは全くできないと思います。それを同じ土俵で考えてモルタル固化案を否定するのは技術的な考え方ではありません」  満田氏「水分の蒸発量を東電では試算しているのでしょうか?」  東電の担当者「ちょっと今、その情報を持ち合わせていません。20年に小委員会報告書が出されていて、そこでは地下埋設という処分方法については《規制的、技術的、時間的な観点から課題が多い》と書かれていたと認識しております」  筆者は驚いた。蒸発量のデータを持たないまま、「水分が蒸発するからダメ」と説明していたことが判明したからだ。市民側の追及は続く。  満田氏「小委員会などで議論されていたのは『地下』埋設です。原子力市民委員会が提案しているのは『半地下』案です。モニタリングが難しいとか、費用がかかるとか、地下埋設の弱点を改善した案なんです。それについて一顧だにせず、公の場で議論してきませんでした。にもかかわらず『すでに議論したからいいんだ』という感じで却下されるというのはいかがなものかと思います」  東電の担当者「我々としては報告書の結果を受けて海洋放出が政府の方針として決められて、それに基づいて行っているというところです」  東電の言い分としては「政府の方針に従っているだけだ」ということ。これはこれで正しい。説明責任は日本政府にある。  満田氏「経産省さんはいかがでしょうか」  経産省の担当者「ええと……処分方法の決定にあたっては6年以上、トリチウム水タスクフォースやALPS小委員会で議論がなされていたところであります……」  経産省からの回答はこれだけだった。これには市民委員会のメンバーで、かつて原発の設計にたずさわっていた後藤政志氏が怒った。  後藤氏「小委員会で専門家が技術的な検討を重ねたと言いますが、皆さんからの疑問に対して正面から答えられないような、そんな委員会であるならば存在価値がない!」  経産省からは何の反論もない。筆者はため息をついてパソコンを閉じた。真摯な議論が聞けると思ったのに期待を裏切られたからだ。この日の会合取材ではっきりしたのは、経産省も東電も代替案をまじめに考えていないことだ。FOEジャパンは事前に質問状を渡していたという。回答を準備する時間はあったはずだ。代替案が検討されないまま、海洋放出が唯一の選択肢であるかのように事態は進んでゆく。  午後5時半、岸田首相は日米韓首脳会談に出席するため、政府専用機で米国に向かった。  首相官邸前に市民が集結 海洋放出反対のボードを掲げる首相官邸前アクションの参加者(8月18日、牧内昇平撮影)  【8月18日】  筆者は新幹線に乗って東京へ。午前10時、東京都千代田区の首相官邸前には200人を優に超える市民たちが集まっていた。うだるような暑さの中、横断幕やプラカードを掲げる。  《約束を守れ!》《安全な陸上で保管できる》《福島は怒っている 汚染水ながすな》  海洋放出に反対する市民グループ「これ以上海を汚すな!市民会議」(これ海)と「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」が主催した首相官邸前アクションだ。三春町の武藤類子さんがマイクを握った。  「今日岸田首相は日米韓首脳会談のためにアメリカに行っています。しかし、岸田首相が聞くべき声はバイデン大統領やユン大統領の意向ではありません。聞くべきは漁業者をはじめとする原発事故の被害者、国内の市民の声、そして海でつながる他の国々の市民の声だと思います」  その通りだ。続いて「これ海」共同代表、いわき市の佐藤和良さんがスピーチを行う。  「全国の漁業者が一丸となって反対し続けているではありませんか。そしてまた福島県民はじめ多くの原発事故被害者が、この放射性液体廃棄物の海洋投棄に反対しているんです。東日本大震災で塗炭の苦しみを味わって12年、ここまできました。沿岸漁業もようやく震災前2割の水揚げに至ったばかりです。ここで汚染水を流されたら生業が成り立ちません。会津には『什の掟(じゅうのおきて)』というものがあります。『ならぬことはならぬものです。嘘を言うことはなりませぬ』。岸田首相にこの言葉を贈ります!」  参加者たちは炎天下の官邸前から参議院議員会館に移動し、集会を続けた。急に冷房が効いた場所へ入り、汗で濡れたシャツが冷たくなる。いわき市の米山努さんが話した。時折涙ぐんでいる。米山さんはかつて筆者に、「海洋放出は福島県民にとって末代への恥だ」と指摘していた。放出が間近に迫り、胸が締めつけられる気持ちなのだろう。  「私は海産物が好きですから毎日のように近くの海で獲れたアイナメとか、いろいろな魚を食べています。トリチウムは有害であることをはっきりと言っておきたいと思います。政府は問題ないと宣伝していますが、資料を調べれば調べるほど有害性にどきっとします。たとえばトリチウムは人体の臓器の中では脳にとどまることが多いようです。また、有機物に結合したトリチウムが体内に取り込まれた場合、生物学的半減期(代謝や排せつで半分に減るまでの期間)は100~600日くらいだそうです。長く体内にとどまり、細胞のごく近くでトリチウムのベータ線を放出し続けるわけです」   「これ海」共同代表、いわき市の織田千代さんはこう話した。  「海は世界につながる豊かな命のかたまりです。放射能を流し続けるという無謀なことを日本政府が行っていいはずがありません。事故を経験した大人の責任として、未来の子どもたちにきれいな海を手渡したい、約束を守ることの大切さを伝えていきたいと思うのです。海洋放出はやめてと叫び続けましょう」  織田さんは叫び続けてきた。2年前の4月13日に政府が海洋放出方針を決めて以来、「これ海」は毎月13日に反対行動を続けてきた。伝わらないもどかしさを感じながら、それでも声を上げ続ける姿勢に筆者は敬意を抱く。この声はいつになったら政府に届くのか。岸田首相はこの日の午後、米ワシントン郊外のアンドルーズ空軍基地に到着。 岸田首相に向けて「反対」の声 【8月19日】  福島に戻った筆者は朝からやる気が出ない。前日からこんなニュースばかりだからだ。  《岸田首相は福島第一原発を20日にも訪問する方向で最終調整に入った。(中略)首相は近く関係閣僚会議を開き、月内にも放出開始の日程を判断する》(19日付福島民報)  本誌編集部の志賀哲也記者から一報をもらった。「不確実な情報ですが、岸田首相は朝、新幹線でJR郡山駅に来て、帰りはいわき駅から特急に乗って帰るようです」。  海洋放出に反対する人びとはこの情報をつかんでいるだろうか。心配が頭をかすめたが、間違っていたら悪いので、とりあえず経過を見守るしかない。志賀記者が郡山駅で写真をおさえ、私は原発付近に向かうことにした。  【8月20日】 https://twitter.com/seikeitohoku/status/1693071630145335489 岸田首相に海洋放出反対を訴えた宍戸さん(8月20日、牧内昇平撮影)  午前9時半、岸田首相が郡山駅に到着。志賀記者の情報はビンゴだった。反対する人びとの集会は開かれていないという。やはり情報が入っていないのだ。首相は直接、反対の声を聞くべきだ。筆者は福島市に住む宍戸幸子さんに電話をかけた。連日のように街頭で放出反対を訴えている宍戸さんなら一緒に来てくれると思ったからだ。「情報が正確だと分かりました。宍戸さん、今から出られますか?」「もちろん!」。原発の近くから福島市に引き返し、宍戸さんと合流していわき駅へ向かった。  正午すぎ、いわき駅に到着。警察官が歩き回っているなか、改札を出たところの広場で首相の到着をひたすら待つ。午後3時すぎ、特急ひたちのホームに降りようとする集団を発見。中央に首相の姿を認める。カメラを構えながら宍戸さんに「来た!」と叫んだ。宍戸さんは一瞬「どこ?」と戸惑ったが、気を引き締めて大きな声で叫んだ。  「海洋放出は絶対反対ですから!反対ですから!」  新聞紙で覆っていた手書きのポスターをかかげる。《反対してるのに! 海洋放出するな》  首相の姿が見えたのはわずか数秒だった。宍戸さんの叫び声は届いただろうか? 岸田首相はこの日、原発構内で東電の最高幹部たちと面会、報道対応を行った。しかし、福島の人びとと語り合う時間はつくらなかった。 【8月21日】  午後2時、福島市内の杉妻会館で「福島円卓会議」が始まった。海洋放出や廃炉の問題を議論するために県内の有識者や市民が集まった会議だ。ホールには事務局長の林薫平・福島大准教授の声が響いた。  「一、今夏の海洋放出スケジュールは凍結すべきである。二、地元の漁業復興のこれ以上の阻害は許容できない。三……」  林氏が読み上げたのは「緊急アピール」の文案だった。円卓会議はこの夏に発足。7月11日と8月1日に会合を開き、この日が3回目だ。議論を重ねるにはまだ時間が必要だったと思うが、事態は急を要するため、緊急アピールを発出することになったという。参加した市民たちと約2時間にわたる意見交換を行い、その場でアピールの文面を固めた。  この会議がもっと早く始まってくれればよかったのに、と筆者は思う。だが、内堀雅雄福島県知事が海洋放出に対する賛否を示さず、結果的に政府・東電の計画を追認してしまっているのが現状だ。地元福島の有識者・市民が自主的に集まり、意思表明することには大きな価値がある。  誰でも会議に参加でき、挙手すれば意見を述べられるという進行方法もいいと思う。事務局は政府や東電にも会議への出席を求めてきたという。しかし、これまでの会議には誰も参加していないようだ。ここでも「丁寧に説明する」という政府・東電の言葉がいい加減なものだとわかる。  午後4時、岸田首相は全国漁業協同組合連合会(全漁連)の坂本雅信会長を官邸に呼んだ。福島県漁連の専務理事も同席した。着々と地ならしが進んでいく印象。 決して賛否を示さない内堀知事 筆者の質問に答える内堀雅雄知事(写真中央、8月22日、牧内昇平撮影) 【8月22日】  午前10時、関係閣僚等会議が開始。岸田首相が「具体的な放出時期は8月24日を見込む」と発表する。  午後になって頼みの志賀記者から連絡が入った。2時半から西村康稔経産相が県庁を訪ね、内堀知事と吉田淳・大熊町長、伊澤史朗・双葉町長と面会するとのこと。県庁に取材を申し込んだら「経産省のほうで受け付けを行っています」とにべもない。しかも経産省はすでに申し込みを締め切ったという。  西村氏に続いて東電ホールディングスの小早川智明社長が内堀知事ら3氏と面会した。終了後、報道陣への取材対応の時間があった。筆者と内堀氏のやりとりを再現する。  筆者「フリーランスの牧内といいますが、何点かうかがいます」  内堀氏「すみません。時間の関係があるので一点でお願いします」  筆者「一点?」  内堀氏「はい」  筆者「これまで何度も聞かれていると思いますが、そもそも内堀さんは海洋放出に賛成なんでしょうか、反対なんでしょうか。理解を示しているのでしょうか、示していないのか。その点を明らかにしてもらいたいと思います」  内堀氏「はい。今ですね、二つの中の選択肢で選んでくれというお話をしました。今日私が経済産業大臣そして東京電力の社長にお話した内容、非常に複雑多岐な内容を含んでいます。漁業者の皆さんの思いも含んでいます。また、処理水の海洋放出に反対の方の意見も入っています。一方でまさに立地自治体であったり、避難地域12市町村の復興を前に進めたい、あるいは福島県の風評というものをしっかりなくしていきたいという県民の皆さんの思いも入っています。二つの選択肢の中のどちらかを選ぶということは、原子力災害の問題では極めて困難だと考えています。そのうえで広域自治体である県としては、それぞれの立場の真剣な思いというものを福島県の意見の中に取り入れつつ、これまで政府高官に対する要請を21回、また、復興推進委員会、復興再生協議会等の場において26回、この2年4カ月の間にお話をしてきました。一言で結論を出すことが難しい。それがこの原子力災害の葛藤だと考えています」  筆者「政治家としては決断を下すのが仕事だと……」  内堀氏(再質問している筆者から目を背けてほかの新聞記者を指し)「お願いします」  県庁の広報担当「一問限りでお願いいたします」  筆者「ダメなんですか?」  県庁の広報担当(無回答のまま)「じゃ、河北新報さん」  内堀氏(河北の記者のほうを向いて)「どうぞ」  この期に及んで内堀氏は海洋放出の是非について判断を示さなかった。「原子力災害の問題は二つの選択肢のどちらかを選ぶのが極めて困難だ」と言う。だが、いろいろな人と話し合ったうえで正解のない問題に決断を下すのが政治家の仕事だろう。福島県には原子力緊急事態宣言が出されている。まさに今、原子力災害は継続中である。「どちらかを選べない」人が行政トップの座に就いていて大丈夫だろうか(ちなみに複数質問した記者もいたことを付記しておく)。 注目される差し止め訴訟 【8月23日】  「今年の5月から裁判を準備してきました。原告数は100人を超えることを目指しています」  いわき市文化センターの会議室で、広田次男弁護士が海洋放出の差し止めを求める裁判を起こすと発表した。県内外の漁業者や市民が原告、国と東電ホールディングスが被告となる。海洋放出によって漁業者たちは生存の基礎となる生業を破壊される。一般の人びとも汚染されない環境で平穏に生活する権利を奪われる。漁業行使権、人格権(平穏生活権)が侵害されるとの主張だ。広田氏と共に弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は海洋放出が倫理に反している点を強調した。  「福島第一原発の敷地内外には広大な土地があります。国や東電は『燃料デブリの用地確保が必要だ』と言いますが、デブリはまだ数㌘しか取れていません。大量に取り出せるのは何十年も先です。そんな先のことのために、空き地を使わず放流するというのはインチキです。ひと言でいえば『不要不急の放流』です」  9月8日に第一次提訴があるという。政治や行政の暴走を食い止めるのが司法の最大の役割だ。海洋放出をめぐる法廷闘争がいよいよ始まる。  【8月24日】 大熊町で海洋放出直前に行われた抗議活動の様子(8月24日、牧内昇平撮影)  午前9時、筆者は大熊町夫沢付近にある国道6号の交差点に到着した。交差点から車を東に進めれば福島第一原発の敷地に至る。が、当然そこは封鎖され、一般車両は通行できない。数台のパトカーが停まり、制服の警察官が取り締まっている。海洋放出に反対する人びとが交差点に集まってきた。放出は午後1時の予定だと報じられていた。放出前最後の抗議になるだろう。  人びとは横一列に並ぶ。歩道に沿って《海に流すな》と書かれた横断幕をかかげる。ここでもリレースピーチが行われた。このエリアを歩いている人はいない。主に報道陣へ語りかける。  南相馬市の佐藤智子さんが話す。  「海は誰のものでしょう。みんなのものです。決して政治のトップや官僚や大企業だけのものではありません。なのに、私たちが住む地球の美しい環境を汚すっていうことに私はすごく憤りを感じます。私たち大人はまだいいですよ。子どもや孫、次世代の人たち、動植物の命を侵すことになる。私は肌でそう感じています。主婦です。単なる主婦。主婦がそう思うんです。そういうほうが案外当たっていると思います。陸上保管! 海洋放出反対!」  佐藤さんは「メディアの方々、きちんと報じてください」と語りかけた。だが、集まった報道陣はそれほど多くない。しかも半分ほどは海外メディアだった。筆者も韓国・京郷新聞のイ・ユンジョン記者から頼まれ、現地にお連れしていた。  浪江町から福島市に避難し、今も同市に住む今野寿美雄さんが話した。  「流したら福島県の恥だよ。福島も宮城も漁業は壊滅します。魚はもう食えなくなっちゃうよ。政府は全然科学的じゃないよ。原発のエンジニアとして言います。トリチウムは危険です。海はゴミ捨て場じゃないよ。それでなくても運転中の発電所からトリチウムが流れている。でも、今流そうとしているのは汚染水だよ。トリチウムだけじゃないよ。薄めて流すというけど、薄めたって総量は一緒なんです。生体濃縮した魚を食べたら人間の体にも入ってくるんです。水俣病で分かったことをまた同じことを繰り返そうとしているんです。馬鹿じゃないの?」 メディアの責任も問われている  原発で働いてきた今野さんは、事故後は子どもたちを無用な被ばくから守るための裁判で原告団長も務めてきた。放射線の怖さを肌身で感じてきたからだろう。今野さんの顔が紅潮してきた。怒りが止まらない。  「汚染水流すのやめろ。ここに爆弾あるんだったら爆弾を投げつけたいよ。ほんとに……ふざけんな!」  南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。原発の方角へお経を唱えている人がいる。千葉県にある妙法寺の法尼、矢向由季さんだ。法尼の声は時に穏やかに、時に力強く、寄せては返す波のように延々と続く。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……。  午後1時すぎ、予定通り海洋放出が始まった。NHKはヘリコプターを飛ばして上空からの映像を中継している。そのくせ報じている内容は政府の言い分がベースになっている。本当に安全であり、本当に不可避ならば、大げさに伝える必要があるのだろうか。経過は大きく報じるものの、肝心の「是非」についてはっきりした考えがわからない。そのうえ反対意見は丁寧に拾わない。結果として政府を後押しする役割を果たす。多くのマスメディアに対して筆者は同様の印象を抱いている(「風評被害」を強調するだけでは、じゃあ賠償しますという話にしかならない。本来必要なのは代替案などの検証だ)。  一緒に取材したイ・ユンジョン記者は「なぜ日本では大規模な反対運動が起こらないのでしょうか」と不思議がっているが、声を上げている人は確かにいるのだ。それを伝えていないメディアの責任は大きい。報道陣の端くれである筆者も含めて。  双葉町にある産業交流センターの屋上階にのぼった。正面に太平洋が見える。まさに今、30年、40年と続く汚染水の放出が始まった。海は、変わらず青い。しかし私たちは次世代まで責任をもてるだろうか。  8月24日は、新たな負の記念日として記憶された。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】意見交換会リポート【牧内昇平】 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 県庁と癒着する地元「オール」メディア【牧内昇平】

     地元メディアが福島県と結託して水産物の風評払拭プロパガンダをしている。報道機関の客観性・中立性に疑念が生じる事態だ。権力を監視する「番犬」なはずのマスメディアが県庁に飼いならされてしまうのか? (一部敬称略) 風評払拭プロパガンダの片棒を担ぐな https://www.youtube.com/watch?v=itxS_tLhSXo U字工事の旅!発見#134 いわきの伊勢海老  U字工事は栃木なまりのトークが人気の芸人コンビだ。ツッコミの福田薫とボケの益子卓郎。益子の「ごめんねごめんね~」というギャグは一時期けっこう人気を集めた。そんな2人組が水槽を泳ぐ魚たちを凝視するシーンから番組は始まる。  福田「えー。ぼくらがいるのはですね。福島県いわき市にあります、アクアマリンふくしまです」 益子「旅発見はあれだね。福島に来る機会が多いっすね」 福田「やっぱ栃木は海なし県だから、海のある県に行きたがるよね。で、前にきたときも勉強したけど、福島の常磐もの、なんで美味しいかおぼえてる?」 益子「おぼえてるよ! こういう、(右腕をぐるぐる回して)海の流れだよ」 福田「ざっくりとした覚え方だな」 益子「海の、(さらに腕を回して)流れだよ!」 福田「ちょっと怪しい気もするんで、あらためて勉強しましょう。ちゃんとね」 これは「U字工事の旅!発見」というテレビ番組のオープニングだ。アクアマリンふくしまを訪れた2人はこのあと土産物店「いわき・ら・ら・ミュウ」に寄ってイセエビを味わうなどする。30分番組で、2人の地元とちぎテレビで2022年1月にオンエア後、福島テレビ、東京MXテレビ、KBS京都など、12都府県のテレビ局で放送されたという。 実はこの番組、福島県の予算が入っている。県庁と地元メディアが一体化した水産物の風評払拭プロパガンダの一つである。 地元オールメディアによる風評払拭プロパガンダ  2021年7月、福島県農林水産部はある事業の受注業者をつのった。事業名は「ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業」。オールメディアによる漁業の魅力発信業務、という名称もついていた。公募時の資料にはこう書いてあった。 【事業の目的】本県の漁業(内水面含む)が持つ魅力や水産物のおいしさなどをテレビ、新聞、ラジオの各種メディアと連携し、継続的に県外へ発信することで、県産水産物に対する風評を払拭し、消費者の購買意欲を高める。 【委託費上限額】1億2000万円。 公募から2カ月後に受注業者が決まった。福島民報社だ。そして同年11月以降、県内のテレビと新聞に〈ススメ水産、福島産。〉のキャッチコピーがあふれだす。 ●21年11月18日付福島民報1面 【見出し】「ススメ水産、福島産。」きょう開始 常磐もの応援 県、県内全メディアとPR 【本文の一部】東京電力福島第一原発事故に伴う県産水産物への風評払拭に向け、県は十八日、福島民報社など県内全メディアと協力した魅力発信事業「『ススメ水産、福島産。』キャンペーン」を開始する。本県沿岸で水揚げされる魚介類「常磐もの」のおいしさや魅力を多方面から継続的に発信し、販路拡大や消費拡大につなげる。(2面に関連記事) ページをめくって2面には、県職員とメディアの社員が一列に並んで「ススメ水産」のポスターをかかげる写真が載っていた。新聞は福島民報と福島民友。テレビは福島テレビ、福島中央テレビ、福島放送、テレビユー福島。それにラジオ2社(ラジオ福島とエフエム福島)を加えた合計8社だ。写真記事の上には「オールメディア事業」を発注した県水産課長のインタビュー記事があった。 ――県内全てのメディアが連携するキャンペーンの狙いは。 課長「県産水産物の魅力を一番理解している地元メディアと協力することで、最も正確で的確な情報発信ができると期待している」 ――これからのお薦めの魚介類は。 課長「サバが旬を迎えている。十二月はズワイガニ、年明けはメヒカリがおいしい時期になる。『常磐もの』を実際に食べ、おいしさを体感してほしい」 1、2面の記事をつぶさに見ても、この事業が1億2000万円の予算を組んだ県の事業であることは明記されていなかった。 広告費換算で8倍のPR効果?  そしてここから8社による怒涛の風評払拭キャンペーンが始まった。 民報は毎月1回、「ふくしまの常磐ものは顔がいい!」という企画特集をはじめた。常磐ものを使った料理レシピの紹介だ。通常記事の下の広告欄だが、けっこう大きな扱いでそれなりに目立つ。民友も記事下で「おうちで食べよう!ふくしまのお魚シリーズ」という月1回の特集をスタート。テレビでは、福テレが人気アイドルIMPACTorsの松井奏を起用し、同社の情報番組「サタふく」で常磐ものを紹介。福島放送の系列では全国ネットの「朝だ!生です旅サラダ」でたけし軍団のラッシャー板前がいわきの漁港から生中継。テレビユー福島がつくった「さかな芸人ハットリが行く! ふくしま・さかなウオっちんぐ」というミニ番組は東北や関東の一部で放送され……。 きりがないのでこのへんにしておく。各社が「オールメディア事業」として展開した記事や番組の一部を表①にまとめたので見てほしい。 表1 オールメディア風評払拭事業 2021年度「実績」の一部 関わった メディア日時記事・番組名記事の段数・放送の長さ内容福島民報11月27日ふくしまの常磐ものは顔がいい!シリーズ5段2分の1ヒラメの特徴の紹介と「ヒラメのムニエル」レシピの紹介11月28日本格操業に向けて~福島県の漁業のいま~3段相馬双葉漁業協同組合 立谷寛千代代表理事組合長に聞く「常磐もの」の魅力福島民友11月30日おうちで食べよう!ふくしまのお魚シリーズ5段本田よう一氏×上野台豊商店社長対談と「さんまのみりん干しと大根の炊き込みご飯」レシピ福島テレビ12月25日IMPACTors松井奏×サタふく出演企画「衝撃!FUKUSHIMA」25分「サタふく」コーナー。ジャニーズ事務所に所属する松井さんが常磐ものの美味しさを紹介1月13日U字工事の旅!発見30分常磐ものの魅力を漁師や加工者の目線、さまざまな角度から掘り下げ、携わる人々の思いを伝える福島放送11月20日朝だ!生です旅サラダ11分「朝だ!生です旅サラダ」人気コーナー。ラッシャー板前さんの生中継1月15日ふくしまのみなとまちで、3食ごはん55分釣り好き男性タレント三代目JSOUL BROTHERS山下健二郎さんが、福島の港で朝食・昼食・夕食の「三食ごはん」を楽しむテレビユー福島12月5日さかな芸人ハットリが行く!ふくしま・さかなウオっちんぐ3分サカナ芸人ハットリさんが実際に釣りにチャレンジし、地元で獲れる魚種スズキなどを分かりやすく解説1月23日ふくしまの海まるかじり 沿岸縦断ふれあいきずな旅54分「潮目の海」「常磐もの」と繁栄したふくしまの漁業の魅力を発信・ロケ番組ラジオ福島12月14日ススメ水産、福島産。ふくしま旬魚5分いわき市漁業協同組合の櫛田大和さんに12月の水揚げ状況や旬な魚種、その食べ方などについて聞くふくしま FM11月18日ONE MORNING10分福島県で漁業に携わる、未来を担う若者世代に取材※「令和3年度ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業」実績報告書を基に筆者作成。 ※系列メディアが番組を制作・放送している場合もある。新聞記事の文字数は1行あたり十数字。それがおさまるスペースを「段」と呼ぶ。「3段」で通常記事の下の広告欄が埋まるイメージ。  この事業の実績報告書がある。福島民報社がつくり、県の水産課に提出したものだ(※本稿で紹介している番組や記事についての情報はこの報告書に依拠している)。 さてこの報告書が事業の効果を検証している。書いてあった目標は「広告費換算1億2000万円以上」というもの。報告書によると「新聞・テレビ・ラジオでの露出成果や認知効果を、同じ枠を広告として購入した場合の広告費に換算し、その金額を評価」するという。つまり、1億2000万円の事業費を広告に使った場合よりもPR効果があればいい、ということのようだ。 報告書によると、気になる広告費換算額は9億6570万円だったという。「目標額である1億2000万円を大きく上回ることができた」と福島民報社の報告書は誇らしげに書いていた。 報道の信頼性に傷  筆者が一番おかしいと思うのは、このオールメディア風評払拭事業が「聖域」であるべき報道の分野まで入り込んでいることだ。 これまで紹介したのは新聞の企画特集やテレビの情報番組だ。こういうのはまだいい。しかし、報道の分野は話が違ってくる。新聞の通常記事やテレビのニュースには客観性、中立性が求められるし、「スポンサーの意向」が影響することは許されない。ましてや今回スポンサーとなっている福島県は「行政機関」という一種の権力だ。権力とは一線を画すのが、権力を監視するウオッチドッグ(番犬)たる報道機関としての信頼を保つためのルールである。 ところが福島県内の地元マスメディアにおいてはこのルールが守られていない。今回のオールメディア風評払拭事業について、県と福島民報社が契約の段階で取り交わした委託仕様書を読んでみよう。各メディアがどんなことをするかが書いてある。 〈テレビによる情報発信は、産地の魅力・水産物の安全性を発信する企画番組(1回以上)、産地取材特集(3回以上)、イベントや初漁情報等の水産ニュース(3回以上)を放映すること〉、〈新聞による情報発信は、水産物の魅力紹介等の漁業応援コラム記事を6回以上発信すること〉 ニュース番組でも水産物PRを行うことが契約の段階で織り込まれていたことが分かる。 次に見てほしいのが、先述した福島民報社の実績報告書だ。報告書は新聞の社会面トップになった記事や、夕方のテレビで放送されたニュースをプロモーション実績として県に報告していた。 ●21年12月16日付福島民友2面 【見出し】「常磐もの」新たな顔に 伊勢エビ、トラフグ追加/高級食材加え発信強化 【本文の一部】県は「常磐もの」として知られる県産水産物の「新たな顔」として、近年漁獲量が増えている伊勢エビやトラフグなどのブランド化に乗り出す。 ●22年2月11日付福島民報3面 【見出し】「ふくしま海の逸品」認定 県、新ブランド確立へ 【本文の一部】東京電力福島第一原発事故による風評の払拭と新たなブランド確立に向け、県は十日、県産水産物を使用して新たに開発された加工品五品を「ふくしま海の逸品」に認定した。 テレビのニュースも似たような状況だ。報告書がプロモーション実績として挙げている記事や番組の一部を表②に挙げておく。 表2 メディア風評払拭事業 2021年度「実績」の一部(報道記事・ニュース編) 関わったメディア日時記事・番組名など掲載ページ・放送の長さ内容(記事の抜粋または概要)福島民報11月20日常磐もの食べて復興応援 あすまで東京 魚食イベント 県産の魅力発信18ページ県産水産物「常磐もの」の味覚を満喫するイベント「発見!ふくしまお魚まつり」が19日、東京都千代田区の日比谷公園で始まった。12月5日県産食材 首都圏で応援 風評払拭アイデア続々 復興へのあゆみシンポ 初開催25ページ東京電力福島第一原発事故の風評払拭へ向けた解決策を提案する「復興へのあゆみシンポジウム」は4日、東京都で初めて開催された。福島民友12月16日「常磐もの」新たな顔に 伊勢エビ、トラフグ追加 高級食材加え発信強化2ページ県は「常磐もの」として知られる県産水産物の「新たな顔」として、近年漁獲量が増えている伊勢エビやトラフグなどのブランド化に乗り出す。2月11日県「海の逸品」5品認定 水産加工品開発プロジェクト 月内に県内実証販売3ページ県は10日、県産水産物を使用した新たなブランド商品となり得る「ふくしま海の逸品」認定商品として5品を認定した。福島テレビ1月2日テレポートプラス60秒全国ネットで放送。浪江町請戸漁港の出初式福島中央 テレビ1月16日ゴジてれSun!60秒都内で行われた「常磐ものフェア」の紹介福島放送1月17日ふくしまの海で生きる1分30秒~相馬の漁師親子篇~テレビユー福島1月21日※水産ニュース7分8秒急増するトラフグ 相馬の新名物に※「令和3年度ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業」実績報告書を基に筆者作成。 翌年度はさらにパワーアップ  福島県は翌22年度も「ふくしまの漁業の魅力体感・発信事業」(オールメディアによる漁業の魅力発信業務)を実施した。予算も1億2000万円で変わらない。再び福島民報社が受注し、前年と同じ8社が県の風評払拭プロパガンダを担った。おおまかなところは前年度と同じだが、さらにパワーアップした感がある。 22年度の実績報告書によると、福島テレビ(系列含む)は「U字工事の旅!発見」やIMPACTors松井奏の番組を続けつつ、「カンニング竹山の福島のことなんて誰も知らねぇじゃねえかよ」という新たな目玉番組をつくった。ラジオ福島は人気芸人サンドウィッチマンが出演するニッポン放送の番組「サンドウィッチマン ザ・ラジオショーサタデー」のリスナープレゼント企画で常磐もののあんこう鍋を紹介した。報道ではこんな記事が目についた。 ●22年7月22日付福島民報3面 【見出し】県産農林水産物食べて知事ら東京で魅力発信 【本文の一部】県産農林水産物のトップセールスは二十一日、東京都足立区のイトーヨーカドーアリオ西新井店で行われ、内堀雅雄知事が三年ぶりに首都圏で旬のモモをはじめ夏野菜のキュウリやトマト、常磐ものの魅力を直接発信した。 「意味があるのか」と首をかしげたくなる知事の東京行きは、民報だけでなく福島テレビとテレビユー福島のニュースでも取り上げられたと実績報告書は書く。 報告書によると、22年度はテレビ番組や新聞の企画特集などが8社で145回、記事やニュースが47回。合計192回の情報発信がこのオールメディア事業を通じて行われた。先述の広告費換算額で言うと、その額は18億2300万円。前年度を倍にしたくらいの「大成功」になったそうな……。 もちろん事業の収支も報告されている。21年度も22年度も費用は合計で1億1999万9000円かかったと報告書に書いてあった。1億2000万円の予算をぎりぎりまで使ったということだ。費用の内訳を見ると、8社の番組制作やデジタル配信、広告にかかった金額が書き出されていた。あとはロゴマークやポスターの制作費、事務局の企画立案費など。 費用の欄にはニュース番組の項目もあった。これは県への情報開示請求で手に入れた書類なので個々の金額は黒塗りにされていて確認できないが、こうした「報道」分野の費用も計上されたと推測される。  問われるメディアの倫理観 内堀知事  権力と報道機関との間には一定の距離感が欠かせない。もしもあるメディア(たとえば福島民報)が「風評」を問題視し、それによる被害を防ぎたいと思うなら、自分たちのお金、アイデア、人員で「風評払拭」のキャンペーン報道をすべきだ。福島県も同じ目的で事業を組むかもしれないけれど、それと一体化してはいけない。一体化してしまったら県の事業を批判的な目でウオッチすることができなくなるからだ。 実際、福島県内のメディアはしつこいくらいに「風評が課題だ」と言うけれど、「風評を防ぐための県の事業は果たして効果があるのか?」といった問題意識のある報道は見当たらない。当たり前だ。自分たちがお金をもらってその事業を引き受けておいてそんな批判ができるわけない。 先ほど紹介した新聞記事やテレビのニュースの中には、知事のトップセールスや、県の事業の紹介が含まれていた。そういうものを書くなとは言わない。しかし、県が金を出している事業の一環としてこうした記事を出すのはまずい。これをやってしまったら、新聞やテレビは「県の広報担当」に成り下がってしまう。 県の事業と書いてきたが、実際には国の金が入っている。年間1億2000万円の事業予算のうち、半分は復興庁からの交付金である。福島県としては安上がりで積年のテーマである「風評」に取り組めるおいしい機会だろう。地元メディアがこの事業でどれくらい儲けているかは分からないけれど、全国レベルの人気タレントを使って番組を作れるいい機会にはなっているはずだ。ウィンウィンの関係である。じゃあ、そのぶん誰が損をしているのだろう? 当然それは、批判的な報道を期待できない筆者を含む福島県民、新聞の読者、テレビ・ラジオの視聴者たちだ。 まきうち・しょうへい。42歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」 あわせて読みたい 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】

  • 汚染水海洋放出に世界から反対の声【牧内昇平】

     東京電力福島第一原発にたまる汚染水について、日本政府が海洋放出の方針を決めたのは2021年の4月13日だった。それからちょうど2年になる今年の4月13日に合わせて、政府方針に反対する人々が街頭に立った。国内だけでなくパリやニューヨーク、太平洋の島国でも……。日本政府はこうした声に耳を貸さず、海洋放出を強行してしまうのか? 不都合なことは伝えない?日本政府 【福島・いわき】 いわき市(市民による海洋放出反対アクションの様子、牧内昇平撮影)  4月13日午後0時半、いわき市小名浜のアクアマリンふくしまの前で、「これ以上海を汚すな!市民会議」(以下、「これ海」)の共同代表を務める織田千代さん(いわき市在住)がマイクを握った。 「放射能のことを気にせず、健康に毎日を暮らし、子どもたちが元気に遊び、大きくなってほしい。そんな不安のない毎日がやってくることが望みです。これ以上の放射能の拡散を許してはいけないと思います。これ以上放射能を海にも空にも大地にも広げないで!」 約30人の参加者たちが歩道に立ち〈汚染水を海に流さないで!〉と書かれたプラカードを掲げた。工場群へと急ぐトラックや、水族館を訪れる子どもたちを乗せた大型バスが通るたび、参加者たちは大きく手をふってアピールした。リレー形式のスピーチは続く。 「小学生の子どもが2人います。将来子どもたちから『危険だと分かっていたのにママは何もしなかったの?』と言われないように、子どもたちに恥ずかしい気持ちにならないように、みなさんと一緒にがんばっていきたいと思います」 「4歳の娘がいます。子どもを産む前に『福島で子どもは産むな』と親戚から言われました……。子どもは今元気に育っています。でも、これから海が汚されようとしています。汚染された海で魚を食べて、娘や子どもたちの世代には何も関係ないことなのに、風評も含めて被害を受けるのかと思うと、親としてすごく悲しい気持ちになります」 年配の男性からはこんな声も。 「会津生まれの私がいわきに住み着いたのは、魚がうまいからでした。それが原発事故になって、どうも落ち着いて魚を食べられなくなってしまった。これで海洋放出までやられたんでは、本当に、安心して酔っぱらいきれない。早く心から酔っぱらいたいと思っています」 浪江町の津島から兵庫県に避難している菅野みずえさんはちょうど来福していたため急きょ参加。こんなエピソードを語った。 「こないだGX(政府の原発推進方針)の説明会で経済産業省や環境省の人がきました。その中の一人が、『私は福島に何度も通って、福島と共に歩んでいます』なんてことを言った挙げ句に、『〝ときわもの〟の魚を私たちは……』と言いました」 小名浜の街頭に立つ人たちからどよめきの声が上がった。菅野さんは話を続けた。 「あほかおめぇって。国はちゃんとこっちを見てません。私たちしかがんばる者がいないなら一生懸命がんばりたいと思います」 街頭行動の終盤では地元フォークグループ「いわき雑魚塾」が演奏した。歌のタイトルは「でれすけ原発」。 ♪でれすけ でんでん ごせやげる でれすけ 原発 もう、いらねえ!(※メンバーによると、でれすけは「ばかたれ」、ごせやげるは「腹が立つ」の意)    ◇ いわき市小名浜のシーサイドは市民たちによる海洋放出反対アクションの「中心の地」の一つだ。菅義偉首相(当時)が汚染水(政府・東電は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出方針を発表したのは2021年4月13日。その2カ月後から、反対する市民たちは毎月13日に街頭でスタンディング(アピール行動)を行ってきた。中心となったのが「これ海」のメンバーたちである。 地道に続けてきた活動は大きな成果を上げつつある。これ海のメンバーたちは今年に入ってから、SNSを通じて国内外の人々に「4月13日は一緒に行動を。アクションを起こしたら写真を送ってください」と呼びかけてきた。手探りの試みだったが、呼びかけはグローバルな広がりを見せた。 【フランス】 パリ(よそものネットフランス提供)  ♪オ~、シャンゼリゼ~ オ~、シャンゼリゼ~♪ 4月上旬、花の都パリの鉄橋に〈SAYONARA NUKES〉の横断幕がかかった。現地の脱原発ネットワーク「よそものネットフランス」の辻俊子さんのSNS投稿を紹介する。 《若葉の緑が目に鮮やかな季節が始まり、暖かな日差しに人々がくつろぐ週末の午後、私達はサン・マルタン運河に架かる橋の一つに陣取りました。この運河はセーヌ河へと続き、セーヌ河はノルマンディー地方で大西洋に注ぎます。海は皆の宝物、これ以上汚してはいけません!》 ヨーロッパ随一の原発推進国フランス。マクロン大統領は昨年、最大14基、少なくとも6基の原子炉を新設すると明言した。もちろんそんな中でも原発に反対する声はある。使用済み核燃料の再処理工場があるノルマンディー地方のラ・アーグでは、「福島」と手書きされた折り紙の船が水辺に浮かんだ。 【米国】 ニューヨーク(Manhattan Project for a Nuclear-Free world提供)  STOP THE NUCLEAR WASTE DUMPING! (核の廃棄物を捨てるな!) ドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンの映画でも知られるニューヨーク公共図書館。美しい建物の前で4月8日、「汚染水を流すな!」集会が行われた。日本語で〈原子力? おことわり〉と書いた旗をかかげる人の姿も。ニューヨークの近郊にはインディアンポイント原発があり、市内を流れるハドソン川が汚染される懸念がある。日本の海洋放出はNYっ子たちにも他人事ではないのだ。 【ニュージーランド】 ニュージーランド(ジャック・ブラジルさん提供)  「キウイの国」の南島オタゴ地方の都市ダニーデン。「オクタゴン」(八角形)と呼ばれる市内中心部の広場に、〈Tiakina te mana o te Moana-nui-a-Kiwa〉と書かれた横断幕がひるがえった。マオリ語で「太平洋の尊厳を守ろう」という意味だそうだ。 スタンディングに参加した安積宇宙さんは東京都生まれ。地元オタゴ大学に初めての「車椅子に乗った正規の留学生」として入学した人だ。安積さんはSNSにこう書きこんでいた。 《太平洋は、命の源であり、私たちを繋いでいる。(海洋放出)計画の完全中止を求めます》 【太平洋諸国】 フィジー(Pacific Conference of Churches提供)  青い空に青い海。美しい景色をバックに、マーシャル諸島の若者たちは〈DO NOT NUKE THE PACIFIC〉(太平洋を核にさらすな)のプラカードをかかげた。ソロモン諸島では照りつける太陽の下に〈PROTECT OUR OCEAN〉(私たちの海を守れ)の旗。フィジーでは〈I am on the Ocean,s side〉(私は海の味方)の横断幕……。 米軍が1954年3月1日にビキニ環礁で行った水爆ブラボー実験は、軍の想定を大幅に上回る放射能汚染を地域にもたらした。爆心地にできたクレーターは直径2㌔、深さ60㍍とも言われる。爆発で吹き上げられた放射性物質は漁船「第五福竜丸」やマーシャル諸島に暮らす人びとの上に降りかかった。多くの人が病に冒され、故郷を追われた(佐々木英基著『核の難民』)。こういう経験をしている人々が海洋放出に反対するのは当然だろう。    ◇ SNS情報だから正確ではないが、4月13日の前後に国内外でかなりの数の市民が行動を起こしたことを確認できた。一部を書き出す。 福島、郡山、茨城、京都、新潟、東京、愛知、佐賀、青森、神奈川、静岡、埼玉、兵庫、福岡、沖縄、ベトナム、カナダ、韓国、フィリピン……。これだけ広がったのは、発起人たちの中でも予想外だったようだ。 これ海メンバーで会津若松市在住の片岡輝美さんは話す。「本当に驚きました。人びとのつながりを感じ、勇気をもらいました。あとは日本政府がこの市民のメッセージとどう向き合うのか、ですね」。 「我々は災害に直面する」 太平洋諸島フォーラム(Pacific Islands Forum、PIF)」のヘンリー・プナ事務局長  日本政府は国際原子力機関(IAEA)のお墨付きを得ることによって「国際社会は海洋放出を支持した」という印象を日本国内に植え付けようとしている。しかし、IAEAがすべてではない。アジアや太平洋の島国の中には海洋放出への反対が根強い。 今年1~2月、国連人権理事会で日本の人権の状況に関する審査が行われた。その結果、各国から合計300の勧告が日本政府に出された。死刑制度などへの勧告が多かったが、そのうち11件が海洋放出に関するものだったことは特筆に値する(表参照)。 海洋放出について日本政府に出された勧告 国名勧告の内容中国国際社会の正統かつ正当な懸念を真摯に受けとめ、オープンで透明性があり、安全な方法で放射性汚染水を処分すること。サモア放射性廃棄物が人体や地球環境におよぼす影響を最小限に抑えるために、代替の処分方法や貯蔵方法への研究、投資、実践を強化すること。マーシャル諸島太平洋諸島フォーラムから独自評価を依頼された専門家たちが求めるすべてのデータを、可及的速やかに提供すること。サモア福島第一原発の海洋放出計画について、包括的な環境影響調査を含めて、特に国連海洋法条約などに基づく国際的な義務を十分に守ること。マーシャル諸島太平洋諸島フォーラムによる独自評価が「許容できる」と判断しない限り、太平洋に放射性廃水を放出する計画を中止すること。フィジー太平洋に放射性廃水を放出する計画を中止し、太平洋諸島フォーラムによる独自評価について、フォーラム諸国との対話を継続すること。フィジー太平洋諸島フォーラムの専門家たちが放射性廃水の太平洋への放出が許容されるかどうかを判断するために、必要なすべてのデータを開示すること。東ティモール国際的な協議が適切に実施されるまでは、福島第一原発の放射性廃水の投棄に関わるあらゆる決定の延期を検討すること。サモア情報格差を含めて太平洋諸国が示しているすべての懸念に対処するまで放射性廃水の放出を控えること。人体と海の生物への影響に関する科学的データを提供すること。バヌアツ汚染廃棄物の安全性に関する十分な科学的エビデンスの提供なしに、福島第一原発の放射性汚染水や廃棄物を太平洋に放出、投棄しないこと。マーシャル諸島太平洋の人びとや生態系を放射性廃棄物の害から守るために、海洋放出の代対策を開発、実践すること。国連人権理事会UPRレビュー作業部会報告書案から引用。筆者訳  表を見て分かるのは、太平洋に浮かぶ島国の危機感が強いことだ。太平洋諸島フォーラム(Pacific Islands Forum、PIF)」という組織がある。外務省ホームページによると、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、ソロモン諸島、マーシャル諸島など、太平洋に浮かぶ16カ国と2地域が加盟している。今年1月、このPIFのヘンリー・プナ事務局長が英ガーディアン紙に寄稿した。 〈日本政府は太平洋諸国と協力して海洋放出問題の解決策を見出さなければいけない。さもなければ、我々は災害に直面する〉 プナ氏は寄稿の中でこう指摘する。海洋放出の是非を判断するためのデータが不足している。これは日本国内だけの問題ではなく、国際法に基づいてグローバルに検討すべき問題である。安全性に関する現在の国際基準が十分かどうか、我々は時間をかけて調べなければいけない――。プナ氏は最後にこう書いた。 〈我々を無視しないでください。我々に協力してください。我々みんなの未来、将来世代の未来がかかっています〉 奇妙な経産省の発表文  前述の通りPIF諸国の中には海洋放出に反対する国が数多くある。しかし経済産業省はそのことを日本国民に十分伝えているだろうか。 例を挙げる。今年2月、PIFの代表団が訪日し、岸田文雄首相、林芳正外務大臣、西村康稔経産大臣と会談した。原発を所管する西村氏との会談はどんな内容だったのか。経産省のウェブサイトを見ると、このようなニュースリリースが公開されていた。 〈西村大臣から、第9回太平洋・島サミット(PALM9)で菅前総理が約束したとおり、引き続き、IAEAによる客観的な確認を受け、太平洋島嶼国・地域に対し、高い透明性をもって、科学的根拠に基づく説明を誠実に行っていくことを再確認しました〉  予想通りの内容。驚いたのはこれからだ。会談結果を伝える経産省のページには、英文に切り替えるボタンがついていた。試してみると、先ほどの文章はこう変わった。 〈Minister Nishimura also reconfirmed that he takes seriously the concerns expressed by the Pacific Island countries and regions, and as promised by former Prime Minister Suga at The 9th Pacific Islands Leaders Meeting (PALM9)…〉 https://www.meti.go.jp/english/press/2023/0206_001.html  なぜか日本語版にはない一文が入っている。傍線部分だ。「彼(西村大臣)は太平洋諸国が示している懸念を真剣に受け止め…」。この部分が日本語版にはなかった。訳文と内容が異なるのは不可解だ。筆者は経産省の担当者にこの点を指摘した。すると担当者は「内部で確認し、後日回答します」との返事だった。しかし2日ほど返事がない。気になってもう一度該当ページを調べたら、経産省がしれっと直した後だった。「西村大臣は、太平洋島嶼国・地域から表明された懸念を真摯に受け止め…」と加筆されていた。筆者の指摘で直したのは確実だ。赤字で以下の注意書きが加わっていた。【リリースの英文と和文の記載内容に差異があったことから、和文も英文に合わせて修正しました】 https://www.meti.go.jp/press/2022/02/20230206002/20230206002.html  こういうのは細かいけれど重要だ。 経産省はこれまで、日本国内で「不都合なことは伝えない」というスタンスをとり続けてきた。〈みんなで知ろう。考えよう〉とテレビCMでかかげた。だが漁業者の反対やALPSでは除去できない炭素14の存在といった自分たちに不都合な要素は、少なくとも積極的には伝えていない。今回の件も同様に、「PIF諸国が懸念を示した」ことを日本国内に知らせたくなかったのではないか。勘ぐり過ぎだろうか? 日本政府は2015年、福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)に対して〈関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない〉と約束した。海に流した汚染水は世界中に広がる。そのことを考えれば、本来なら、理解を得る必要がある「関係者」は世界中にいると言っても過言ではない。日本政府の対応が問われている。 まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」 あわせて読みたい 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【地震学者が告発】話題の原発事故本【3・11 大津波の対策を邪魔した男たち】

  • 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】

     政府の海洋放出プロパガンダが続いている。中でも今年2月以降大々的に実施されたのが、全国の高校生を対象とした「出前授業」である。経済産業省は高校生たちにどんな授業をしたのだろうか? 政府に不都合な情報もきちんと伝えたのか? とある高校で行われた授業の中身を探った。(ジャーナリスト 牧内昇平) 予算は約4400万円、本題は約10分 3月上旬、全国紙A新聞に掲載された海洋放出関連の広告  マスメディア各社が競って「3・11報道」に邁進していた3月上旬のある日、某全国紙A新聞に見過ごせない全面広告が載った。 〈福島の復興へ みんなで考えよう ALPS処理水のこと〉 経済産業省は処理水への理解を深めてもらうため、全国の高校生を対象とした出張授業を開催(中略)処理水放出時に懸念される風評について生徒たちが「自分事」として議論しました。 出たな、と筆者は思った。東京電力福島第一原発では放射性物質を含む汚染水が毎日発生し、敷地内にはそれを入れるためのタンクが林立している。このため政府や東電は汚染水を多核種除去設備(ALPS)で処理し、海に流そうとしている。 だが、海洋放出には安全面の懸念や漁業者の営業損害などの反対意見が根強い。そこで政府が行っているのが、一連の海洋放出PR事業だ。 経産省は300億円を投じて「海洋放出に伴う需要対策」を名目とした基金を創設。その金で広報事業を展開してきた。筆者がこれまで本誌に書いてきた「テレビCM」(本誌2月号、電通が関与)や「出前食育」(3月号、ただの料理教室)などだ。そして今回取り上げる高校生向け出前授業も、この広報事業の一つである。 事業名は「若年層向け理解醸成事業」。授業の講師は経産省職員。予算は約4400万円。事業を受注したのは電通に次ぐ広告代理店大手の博報堂。全国42の高校が応募し、抽選の結果、今年2月から3月に20校で授業を行ったという。 海洋放出PR授業の中身  新聞広告は〈生徒たちが「自分事」として議論しました〉と書くが、どんな議論が行われたのだろう。関係者の協力を基に●▲高校で今年2月に実施された授業を再現する。 ◇  ◇  2月×日の昼下がり。授業は電通がつくったテレビCMを流して始まった。教室の中にナレーションの音声が響く。 ――ALPS処理水について、国は科学的な根拠に基づいて情報を発信。国際的に受け入れられている考え方のもと、安全基準を十分に満たした上で海洋放出する方針です。みんなで知ろう、考えよう。ALPS処理水のこと。 CMを流した後、講師役の経産省職員S氏が話し始めた。 「このCMを見たことある方はいますか? 数人いらっしゃいますね。今日はCMで説明していることを詳しく伝えます。そのうえで、皆さんが考えるALPS処理水についても、終わった後の発表で聞ければうれしいなと思っています」 S氏は福島市の出身。高校時代に大地震と原発事故を経験したという。 「当時のことは鮮明に覚えています。大学を卒業した後、福島の復興の力になれればと思って経済産業省に入りました」 自己紹介後、S氏は経産省発行のパンフレットを基に説明を始めた。電源喪失や水素爆発など基本的なこと。廃炉作業の解説……。「除染を進めた結果、今では原発構内の約96%のエリアは一般の作業服で作業できています」とS氏。講義の途中で「眠くなる時間かもしれないので」と話し、こんなクイズも入れた。 「燃料デブリはどのくらいあるでしょうか。三択です。①8㌧。②880㌧。③8万8000㌧……。答えは②の880㌧です」 自己紹介や廃炉の話に約20分使った後、S氏は残り10分で、「本題」のはずのALPS処理水や海洋放出について説明した。 主に話したのは処理水の安全性である。S氏いわく、ALPSでは放射性物質トリチウムが除去できない(※)。しかし、トリチウムは海水にも雨水にも含まれ、その放射線(ベータ線)は紙一枚で防ぐことができる。生物濃縮はしない。世界各国の原発でも放出されている……。ALPS処理水が入ったビーカーを人間が持っている写真を紹介し、S氏はこう語った。 ※トリチウムのほかに炭素14(半減期は約5700年)もALPSでは除去できないが、S氏はそのことには言及しなかった。  「素手でビーカーを持てるくらい安全なのがALPS処理水です」 政府が海洋放出の方針を決めた経緯については、驚くほど短く、あいまいな説明に終わった。 「さまざまな意見がありました。そういったことも含めて、今日皆さんと一緒に考えていければと思っています。では、(パンフレットの)次のページを開いてください。ALPS処理水の処分方法というところです。簡単なご紹介まで。皆さんもご存じの通り、CMでも出ている通り、海洋放出に決めたということです。ただ、海洋放出の他にもさまざまな処分方法が検討されたのちに、海洋放出が決定されたというところです」 説明はこれだけだった。 生徒たちとのワークショップ 福島第一原発敷地内のタンク群(今年1月、代表撮影)  講義終了後、休憩を挟んで「ワークショップ」なるものが行われた。生徒たちは数人のグループに分かれて20分話し合い、その後代表者が意見を発表した。1人目の生徒の意見。 「思ったことは、地域の人が処理水のことを知っていても、魚が売れなくなって漁師が困ってしまうということです」 生徒はここで発言を終えようとしたが、教員に促されて風評対策についての意見も追加した。 「魚とかを無料で全国に配ったり、著名人に食べてもらったりするのがいいと思いました」 これに対するS氏の返答。 「ありがとうございます。魚がこれからも売れていくためにどうやって魅力を発信していけばいいのか、というところを話していただいたと思います。考えていきたいと思います」 この生徒が本当に話したかったのはそういうことか? 筆者は疑問に思うのだが、S氏は次へと進む。 続いて発言した生徒も骨のあることを言った。 「漁師の方の了承もないまま、海洋放出を政府が勝手に決めるのは、漁師の方の尊厳をなくすのではないでしょうか」 さあどう答えるかと思ったら、S氏はすぐ返答せず、「時間も差し迫っているところなので、発表いただける方は他にいらっしゃいますか」。残り3人の生徒の発言を聞いた後で、この日の「まとめ」といった形で以下のように語った。 「さまざまなご意見をいただきました。比較的厳しい意見も出ました。これは皆さん一人ひとりの考えです。これに『正しい』、『間違っている』というのはないかなと個人的には思っています」 当たり前のことを言った後で、S氏はこう続けた。 「漁業者さんへの関わり方は、もちろん問題としてございます。我々国としても、漁業者の皆さんの尊厳を失わせる、福島の文化を衰退させてしまう、そういうことには絶対なりたくない。なってほしくないと心から思っています。私も福島県人の一人です。子どもの時からずっと相馬の海に釣りに行ってました。福島県の魚が、ありもしない風評の影響で正しく評価されないというのは、自分としても大変心苦しいというか、大変悔しい思いかなと思っています。漁業者さんはもっとそうだと思います。説明会などの機会をいただいていますので、漁業者さんたちに少しでもご理解をいただけるように頑張っていきたいと思っています」 同じ福島県人なので漁業者の気持ちは共有できるとしつつ、結局は「ご理解いただけるように頑張る」が結論。何が言いたいのかよく分からない回答だった。 このあとS氏は「福島県の魅力、正しい情報を発信し続けたいと思います。有名人を使ってですとか、SNSを使ってというのも、おっしゃる通りかと思っています」などと語り、授業を終えた。「漁師の尊厳を損なう」と指摘した生徒が再び発言する機会はなかった。 不都合な情報はすべてスルー 福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)本所(HPより)  ●▲高校での出前授業はこんな内容だった。筆者がおかしいと思った点をいくつか指摘したい。 第一は、前半の講義の中で、政府にとって不都合な情報には一切触れなかった点だ。  政府は2015年、福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)に対して〈関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない〉と約束している。漁業者たちの中には海洋放出に反対している人が多く、もしこの状況で強行すれば政府は「約束破り」をしたことになる。地元の新聞も大々的に取り上げているこの「約束」問題について、S氏はスルーした。 反対しているのは漁業者たちだけではない。福島県内の多くの市町村議会が海洋放出に反対したり、慎重な対応を求めたりする意見書を国に提出している。中国や太平洋に浮かぶ島国も放出に賛成していない。こうした問題についても完全にスルーだった。 「福島第一原発の廃炉を進めるためには、ALPS処理水の処分が必要です」。S氏は一方的に政府の言い分だけ語り、講義を終えた。 生徒との議論はなかった  二つ目は、生徒が発言する機会がとても少なかった点だ。前半の講義が30分。その後休憩を挟んで生徒同士の意見交換が20分。生徒がS氏に発言する時間は十数分しかなかった。 その中でも生徒たちは自分の考えをしっかり語った印象がある。 「漁業者の尊厳」発言だけでなく、「なぜ福島に流すのかと思いました」と率直に語る生徒もいた。しかし、生徒とS氏とのやりとりは完全な一方通行だった。せっかく生徒たちが疑問の声を上げたのに、S氏が対話を重ねることはなかった。時間の制約があったのかもしれないが、これでは反対意見を「聞いておいた」だけで、「議論した」ことにはならない。 以上、ここに書いたのはS氏個人への攻撃ではない。S氏は経産省の幹部ではない。講義の内容は事前に役所で決めているはずだ。一方的な出前授業の責任を負うべきは、経産省という組織である。 国会でも問題に 岩渕友議員(共産、比例)参議院HPより  この出前授業は国会でも取り上げられた。3月16日の参議院東日本大震災復興特別委員会。質問したのは岩渕友議員(共産、比例)である。岩渕氏は先ほどの「漁業者の尊厳」発言を紹介し、経産省の片岡宏一郎・福島復興推進グループ長に聞いた。 岩渕氏「高校生のこの声にどう答えたのでしょうか」 片岡氏「専門家による6年以上にわたる検討などを踏まえて海洋放出を行う政府方針を決定した経緯を説明するとともに、地元をはじめとする漁業者の方々からの風評影響を懸念する声などがある点についても触れまして、風評対策の必要性について問題提起をし、政府の取り組みについても説明したという風に承知してございます」 ここは読者の皆さんに判断してほしい。S氏の講義内容と生徒への返答は先ほど紹介した。片岡氏の答弁にあったような説明を、S氏はしていただろうか? 岩渕氏が次に指摘したのは、漁業者たちとの「約束」問題である。 岩渕氏「これ(約束)がこの問題の大前提ですよね。政府と東京電力が『関係者の理解なしにいかなる処分もしない』と約束していること、漁業者はもちろん海洋放出に対して反対の声があることも伝えるべきではないでしょうか」 片岡氏「説明しているケースもあれば、説明していないケースもあるという風に認識してございます」 岩渕氏「これはさまざまなことの一つではないんです。この問題が大前提で、ちゃんと伝える必要があるんですよ。いかがですか。もう一度」 片岡氏「出前授業は何よりも生徒の皆さんが考える機会として、意見交換の時間なども盛り込んだ形で、学校の意向も踏まえながら実施しているものでございます。必ずしも同じ内容の授業をしているわけではないと考えてございます。そのうえで地元をはじめとして漁業者の方々の風評影響を懸念する声などは説明してございますけれども、必要に応じまして、ご指摘の約束についても触れているところでございます」 経産省の片岡氏は「必要に応じて触れている」と言ったが、少なくとも●▲高校での出前授業では、「約束」は全く紹介されていなかった。 現場は試行錯誤  経産省の出前授業を現場の教員たちはどう受け止めているのだろう。  「生徒への影響はどうなんでしょうか」と筆者が聞くと、県内にある■✖高校の教諭は苦笑しながらこう答えた。 「高校生って素直です。背広を着た経産省の人がわざわざ学校に来てくれて、『海洋放出は必要。風評払拭が大切』と一生懸命に話したら、みんな信じてしまいますよ」 この教諭は「生徒に対して一方的な情報伝達となるものにはブレーキを踏まなければいけない」との考え方のもと、今回の出前授業には応募しなかったという。 一方で、経産省の授業を実施しつつも、政府見解の押しつけに終わらないように知恵を絞った高校もある。 県内のある高校では昨年、2年生のクラスで経産省の授業を行った。しかしその前週には海洋放出に強く反対している新地町の漁師を授業に招いた。正反対の意見を聞く機会を生徒たちに与える取り組みだ。 筆者は今年の2月、この高校の生徒たちに話を聞く機会があった。 「安全なら流せばいい。でも政府は国民に対する説明が足りない」「国は都合よく物事を進めている。漁師さんたちと対話していない」「海洋放出に賛成する人と反対する人がいる。意見が異なる人たちが話し合う場がないのが問題だ」 生徒たちの賛否は割れた。しかし、経産省と漁師の双方の話を直接聞いたぶん、一人ひとりが自分の頭で考え、悩んでいる印象を持った。 こういった取り組みこそが、本当の意味で〈みんなで知ろう 考えよう〉ではないか。経産省の一方的な出前授業には強い違和感を覚える。 まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」 政経東北5月号の牧内昇平の記事は【汚染水海洋放出に世界から反対の声】を掲載しています↓ https://www.seikeitohoku.com/seikeitohoku-2023-5/

  • 経産省「海洋放出」PR事業の実態【牧内昇平】

     東京電力福島第一原発のタンクにたまる汚染水(「ALPS処理水」)の海洋放出に理解を得ようと、政府が大々的なPR事業を展開している。昨年末に全国のお茶の間を騒がせたのは、大手広告代理店の電通が作ったテレビCMだった。そのほかにも多岐にわたる事業が行われていることを紹介したい。(ジャーナリスト 牧内昇平)  2月18日土曜日のお昼前、春の近さを確信させるような晴天の下、筆者はJRいわき駅からバスに乗っていわき市中央卸売市場に向かった。土曜日のためか人の姿がほとんどない駐車場を通り過ぎ、中央棟2階の研修室の扉を開けると、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。  「油がはねますから、気をつけてくださいねー」。三角巾にエプロン姿の子どもと保護者12組24名が見守る中、講師の先生がアンコウを揚げ焼きにしている。続いて薄切りにしたカツオと野菜をフライパンに入れ、バターやポン酢をからめて火を通す。さらにいい香りが部屋じゅうを包み込む。子どもたちがつばを飲む音が聞こえたかと思ったら、ファインダー越しに撮影を試みる筆者自身のつばの音だった。 講師の実演が終わるといよいよ子どもたちの出番である。それぞれの調理台に散らばり、クッキング、スタート! なぜ筆者が楽しくにぎやかな料理教室を訪れたかと言うと……。     ◇ ◇ ◇ CMだけでなかった海洋放出PR事業 経産省のHPより引用【ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金事業(多核種除去設備等処理水風評影響対策事業)】  本誌先月号に筆者が書いた記事のタイトルは「汚染水海洋放出 怒涛のPRが始まった」だった。大手広告代理店の電通がテレビCMを作り、昨年12月半ばから2週間にわたって全国で放映した。海洋放出には賛否両論あり、特に福島県内では反対意見が根強い。そんな中で政府の言い分のみをCM展開するのは一方的ではないか。これでは政府主導のプロパガンダ(宣伝活動)と言わざるを得ない、と筆者は書いた。 ただし政府が行っている海洋放出PR事業はこのテレビCMにとどまらない。経済産業省は2021年度の補正予算を使い、「海洋放出に伴う需要対策」という新たな目的の基金を創設。そこに300億円という大金を注ぎ込んだ。そのうち9割は水産業者支援のために使い、残りの約30億円を「風評影響の抑制」を目的とした広報事業に充てるという。これが筆者の言う「プロパガンダ」の原資だ(もちろん「海洋放出」に限定しなければ復興庁などがすでに様々なPR事業を行っている)。 現在基金のホームページに公開されている「広報事業」は別表の10件である。読売新聞東京本社が入り込んでいるのか!など、社名を眺めるだけでも興味深いものがある。 2022年度に始まった海洋放出PR事業の数々 事業名予算の上限公募時期事業期間落札企業廃炉・汚染水・処理水対策の理解醸成に向けた双方向のコミュニケーション機会創出等支援事業2500万円22年5月~6月23年3月31日までJTB廃炉・汚染水・処理水対策に係るCM制作放送等事業4300万円22年5月~6月23年3月31日までエフエム福島被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業8000万円22年7月23年3月31日までユーメディアALPS処理水の処分に伴う福島県及びその近隣県の水産物等の需要対策等事業2億5千万円22年6月~7月23年3月31日まで(ただし延長の場合あり)読売新聞東京本社ALPS処理水に係る国民理解醸成活動等事業12億円22年7月23年3月31日まで電通ALPS処理水による風評影響調査事業5千万円22年7月~8月23年3月31日まで流通経済研究所ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業1億円22年9月23年3月31日まで博報堂三陸・常磐地域の水産品等の消費拡大等のための枠組みの構築・運営事業8千万円22年10月~11月23年3月31日までジェイアール東日本企画廃炉・汚染水・処理水対策に係る若年層向け理解醸成事業4400万円22年10月~11月23年3月31日まで博報堂福島第一原発の廃炉・汚染水・処理水対策に係る広報コンテンツ制作事業1950万円23年1月~2月23年5月31日まで読売広告社「ALPS処理水の海洋放出に伴う需要対策基金事業」のウェブサイトで公開されている情報を基に筆者作成https://www.alps-kikin.jp/PubRelation/index.html ※掲載後、新たな採択情報は下記の通り。 2023/03/24「「魅力発見!三陸・常磐ものネットワーク」事務局運営事業」に関する事業公募の採択結果【2023年3月24日掲載】 2023/03/29「令和5年度被災地域における水産加工事業者を始めとする関係事業者等に対するALPS処理水の安全性等に関する理解醸成事業」に関する事業公募の採択結果【2023年3月29日掲載】 出前食育事業に怒りの声  別表のうち、テレビCMと並んで「物議」を醸したのが出前食育事業、正式には「ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業」である。受注業者を募る際、基金は大雑把な内容を「公募要領」として公開した。そこにはこう書いてあった。 〈漁業者団体や地方公共団体の連携の下、小中学生等を対象にした「出前食育活動」を実施する。具体的には、小中学生等を対象に、福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けて、漁業者等による出前授業や関連の資料提供・説明等を実施するとともに、そうした理解醸成活動の一環として、福島県及びその近隣県の水産物を学校給食用の食材として提供する〉 筆者が傍線を入れたあたりが、原発事故以来子育てに悩んできた福島の人びとの怒りに触れた。 《も~我慢できない!子どもを広告塔にするな!原発事故の加害側の悪だくみを止めてみせるぞ!》 原発事故後の福島の問題を考えるNPO「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」は2月6日、オンラインのトークイベントでこの「出前食育事業」を取り上げた。出演したのは県内に住む千葉由美さん、鈴木真理さん、片岡輝美さんの3人。いわき市在住、原発事故当時子育ての真っ最中だった千葉由美さんが語る。 https://www.youtube.com/watch?v=Na0dY1b6S-M&t=1s 【いちいちカウンター#10】第2弾!も〜我慢できない!子どもを広告塔にするな!原発事故の加害側の悪だくみを止めてみせるぞ!  「原発事故の加害側である国が、自分たちに都合のいいように子どもを利用しようとしています。こんなことがあってはならないと思っています」 千葉さんは事故直後の経験を語った。自分の子に弁当を持たせて学校に通わせたこと。無用な被ばくから身を守るためだったが、まわりの子が給食を食べている中では精神的につらい思いをさせただろうこと。片岡さんも当時を振り返った。 「あの頃は大混乱だったじゃないですか。親も子どもも大変だったと思います。今回の『食育』は単発のイベントとは言え、子どもたちがまた切ない思いをするかと思うと……」 鈴木さんが思いを吐き出した。 「なんで子どもたちを利用するの? 勘弁してほしいですよ!」 3人のすごいところは、県内のすべての市町村に電話で問い合わせてしまったところだ。経産省から出前食育の知らせを受けているか、小中学校で実施する予定はあるか、を手分けして担当者に聞いたという。地道な取材力に脱帽である。トークイベントではその聞き取り結果も披露してくれた。 それによると、3人が調査した時点では県内の7自治体が事業案内を受け取ったが、いわき市などの教育委員会はすでに「実施しない」と回答した。現時点で「実施した」という例は一つもない――ということだった。 出前食育事業はどこへ? 経産省ウェブサイトにアップされている料理教室のチラシ。『ALPS処理水』や『海洋放出』という言葉は使われていない。(経産省ウェブサイトから引用)https://www.meti.go.jp/earthquake/fukushima_shien/event_ryori_fukushima.html  トークイベントが終了し、パソコンの画面を閉じた筆者は腕を組んで考えた。出前食育の事業の期限は3月末である。2月の時点で県内の実施校が一つもないというのはどういうことなのか。これは自分でも調べねばなるまい。 まずは福島市と郡山市の教育委員会に聞いてみた。どちらの担当者も「案内は来ていません」。やはりそうか。次はいわき市だ。市教委学校支援課の担当者はこう話した。「出前講座の件は昨年秋、市の水産課と県の教育庁と、2つのルートから知らせをもらいました。市長部局とも相談した結果、お断りすることになりました」。 断った理由を聞いてみた。「市の学校給食の提供の考え方に合わないと判断したからです。安心・安全な食材の提供が大原則です。ふだんの給食でさえ、福島県産の食材に対して不安を感じる保護者の方もいます。そういう状況で、海洋放出と関連させて海産物の提供を行ったらどうなるのか。状況は不透明です」と担当者は話した。 ちなみにいわき市水産課に問い合わせたところ、「昨年の夏以降、経産省の職員の方と別件で会った時、『実はこんなことも考えているんです』という情報をもらいました。うちは担当ではないのですぐ教育委員会に転送しました」とのことだった。 今度はこの事業を取り仕切っている側に聞いてみよう。テレビCMや出前食育などの広報事業については「原子力安全研究協会」という公益財団法人が連絡窓口になっている。同協会の担当者に学校給食への出前講座の件を聞くと、「現段階で何件実施しているかなどは把握していません。教育委員会や学校の方からご理解をいただくのが難しい面はあると聞いておりますが……」と奥歯に物が挟まったような言い方である。 もしや「実施ゼロ」で終わるのでは? 確認のため、筆者は経産省(原子力発電所事故収束対応室)の担当者に電話した。 筆者「理解醸成に向けた出前食育事業の件はどうなっていますか?」 経産省「あれはですね。地元産品を使用した料理教室などを行う事業です」 筆者「えっ? 事業の公募要領には〈漁業者による出前授業〉や〈学校給食用の食材として提供〉と書いてありましたよね」 経産省「あれは公募時にあくまで事業の一例として挙げたものです。当初はそういうことも想定していましたが、受注業者(博報堂)などとの話し合いの結果、料理教室を開催する方向になりました」 筆者「いくつかの市町村には案内を出したんですよね」 経産省「経産省からの公式な案内といったものは出していないと認識しています。私自身はそういうことをしていませんが、事業内容を検討している段階で経産省の職員が話題にした、というくらいのことはあるかもしれません」 筆者「……」 「学校給食への食材提供」はいつの間にか「料理教室」に様変わりしていたようだ。「はっぴーあいらんど☆ネットワーク」の千葉さんたちだけでなく、いわき市教委や原子力安全研究協会もその変更を知らないのでは……といったモヤモヤを残しつつ、筆者はその料理教室の情報を調べてみた。 参加費無料。保護者と子どもがペアで参加。ただし子どもは小中学生に限定。開催場所は宮城県内の2か所(仙台・利府)といわき市の合計3会場。初日は2月18日土曜日の午前10時半……。 ということで筆者は先日、いわき市中央卸売市場を訪れたのだった。     ◇ ◇ ◇ 「皆さんはどんなお魚料理が好きですか?」「福島県の常磐ものは東京の築地や豊洲の市場でも新鮮でおいしいと評判ですよ!」 調理の前、料理教室の講師が約20分間のレクチャーを行った。常磐ものの魚の紹介や一般の魚介類に含まれる栄養素の説明が続く。 メモをとりながらやっぱりおかしいなと思ったのは、講師の説明の中には「ALPS処理水」や「海洋放出」という言葉が出てこないことだ。イベントの事務局によると、調理実習後に特段の説明は行わないそうなので、参加者が海洋放出について理解を深めるのはこのタイミングしかない。しかし、そんな話題は一切出てこなかった。念のため参加者たちへの配布物も確認してみた。福島の海産物の魅力の紹介はあっても、「ALPS処理水」や「海洋放出」には触れていない。 このことは事前に経産省(原発事故収束対応室)の担当者からも聞いていた。 経産省の担当者「海洋放出への理解醸成が目的ではありますが、放出に反対の方々にもご参加いただける企画にしたいと考えております。安全ですよと大々的に宣伝するというよりも、常磐もの、三陸ものの魅力自体をご理解いただければと思っています」 念のため書いておくが、料理教室自体はすばらしかった。ヒラメの炊き込みごはんやアンコウの沢煮椀、かつおのバターポン酢炒めはきっとおいしかったことだろう。調理台に立つ子どもたちの目は輝いていた。 とは言っても経産省の皆さん、そもそもこの事業のタイトルは「ALPS処理水並びに福島県及びその近隣県の水産物の安全性等に関する理解醸成に向けた出前食育活動等事業」ではなかったのですか? テレビCMでかかげたキャッチフレーズ、〈みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと〉の精神はどこへ行ってしまったのですか? 経産省は地元福島の複雑さに理解を ここまでの取材結果をまとめてみよう。 経産省は当初、学校給食への食材提供などを意図していた。しかし、いわき市など地元自治体が「実施しない」という意思を表明したからか、その計画は「料理教室」へとスライドしていった。料理教室の実施スケジュールは2月18日~3月19日の週末だ。ぎりぎり2022年度内に事業を終えることになる。 もちろん筆者は「もっと積極的に子どもたちに海洋放出をPRせよ」という意見ではない。ただ、〈ALPS処理水並びに水産物の安全性等に関する理解醸成〉と銘打っておきながら、単なる料理教室では筋が通らないのも明らかだ。これだったら経産省がやる仕事ではない。 原発事故以来、福島県内に住むたくさんの親たち、子どもたちが学校給食について悩んできたと聞く。筆者も側聞しているだけなので偉そうなことは言えないが、察するに経産省はこうした福島の人びとの切なさ、複雑さを十分に理解していなかったのではないか。 今回の「出前食育」事業を経てそうした点に気づいたならば、「今年の春から夏頃に開始する」としている海洋放出について、より一層の慎重さが必要なことにも思い至ってほしい。 ちなみに、実は料理教室のほかにもう一つ、「出前食育」の予算枠を使ったイベントがあるそうだ。 タイトルは「相馬海の幸まつり」(開催は2月25、26日と3月4、5日)。「浜の駅松川浦」などのイベント会場では地元の海産物やしらすご飯が振る舞われ、「小中学生限定」の浜焼き体験ではイカの焼き方を知ることができるという。 チラシには〈楽しく食育体験!〉と書いてあった。〈ALPS処理水〉や〈海洋放出〉という文字はなかった。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 あわせて読みたい 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの? まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】地元議会の大半が反対・慎重

    ジャーナリスト 牧内昇平  政府や東京電力は福島第一原発にたまる汚染水(ALPS処理水)の海洋放出に向けて突き進んでいる。しかし、地元である福島県内では、自治体議会の約8割が海洋放出方針に「反対」や「慎重」な態度を示す意見書を可決してきた。このことを軽視してはならない。 意見書から読み解く住民の〝意思〟  2020年1月から今年6月までの期間に、県内の自治体議会がどのような意見書を可決し、政府や国会などに提出してきたかをまとめた。筆者が調べたところ、県議会を含めた60議会のうち、9割近くの52議会が汚染水問題について2年半の間に何らかの意見書を可決していた(表参照)。 「汚染水」海洋放出問題に関する自治体議会の意見書 自治体時期区分内容(意見、要求)福島県2022年2月【慎重】丁寧な説明、風評対策、正確な情報発信福島市2021年6月【慎重】丁寧な説明、風評対策会津若松市2021年6月【慎重】県民の同意を得た対応、風評対策郡山市2020年6月【反対】(風評対策や丁寧な意見聴取が実行されるまでは)海洋放出に反対いわき市2021年5月【反対】再検討、関係者すべての理解が必要、当面の間は陸上保管の継続白河市2021年9月【反対】再検討、国民の理解が醸成されるまで当面の間は陸上保管の継続須賀川市2020年9月【慎重】丁寧な意見聴取、安全性の情報開示喜多方市2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回、当面は地上保管の継続、対話形式の住民説明会相馬市2021年6月【反対】海洋放出方針決定に反対、国民的な理解が得られていない二本松市2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回、地上保管の継続田村市2021年6月【反対】海洋放出方針の見直し、漁業団体等の合意が得られていない南相馬市2021年4月【反対】海洋放出方針の撤回、国民的な理解と納得が必要伊達市2020年9月【慎重】国民の理解が得られる慎重な対応を本宮市2020年9月【慎重】安全性の根拠の提示や風評対策桑折町2021年6月【反対】風評被害を確実に抑える確信が得られるまで海洋放出の中止国見町2020年9月【反対】拙速に海洋放出せず、当面地上保管の継続川俣町2021年6月【反対】国民的な理解を得られていない海洋放出に強く反対大玉村2021年6月【反対】国民的な理解を得られていない海洋放出に強く反対鏡石町2020年12月【反対】国民の合意がないまま海洋放出しない、当面は地上保管の継続天栄村2021年6月【慎重】丁寧な意見聴取、風評対策西郷村2021年9月【反対】海洋放出方針の撤回、陸上保管の継続など課題解決泉崎村2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回、当面は地上保管の継続中島村2020年9月【反対】水蒸気放出および海洋放出に強く反対、陸上保管の継続矢吹町2020年9月【反対】放射性汚染水の海洋および大気放出は行わないこと棚倉町(意見書なし)矢祭町2020年9月【反対】国民からの合意がないままに海洋放出してはいけない塙町(意見書なし)鮫川村2020年7月【慎重】丁寧な意見聴取、風評対策石川町2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回玉川村(意見書なし)平田村2020年9月【反対】水蒸気放出、海洋放出に反対浅川町2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回古殿町2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回三春町2021年6月【反対】海洋放出方針の撤回小野町2020年9月【慎重】最適な処分方法の慎重な決定、風評対策北塩原村(意見書なし)西会津町2020年9月【慎重】丁寧な意見聴取などの慎重な対応、地上保管の検討、風評対策磐梯町2020年9月【反対】海洋放出に反対猪苗代町2020年9月【反対】地上タンクでの長期保管、タンク内放射性物質の除去を徹底会津坂下町2021年6月【反対】陸上保管やトリチウムの分離を含めたあらゆる処分方法の検討湯川村2021年9月【慎重】丁寧な説明、風評対策、トリチウム分離技術の研究柳津町2021年6月【慎重】正確な情報発信、風評対策など慎重かつ柔軟な対応三島町(意見書なし)金山町2021年9月【慎重】十分な説明と慎重な対応昭和村2021年6月【慎重】十分な説明と慎重な対応会津美里町2020年9月【反対】地上タンクでの長期保管、海洋放出はさらに大きな風評被害が必至下郷町2021年9月【反対】海洋放出方針の再検討桧枝岐村(意見書なし)只見町2021年9月【反対】再検討、国際社会と国民の理解が必要、陸上保管の継続南会津町2021年9月【反対】再検討、国際社会と国民の理解が必要、陸上保管の継続広野町2020年12月【早期決定】処分方法の早急な決定、丁寧な説明、風評対策楢葉町2020年9月【早期決定】風評対策、慎重かつ早急な処分方法の決定富岡町(意見書なし)川内村(意見書なし)大熊町2020年9月【早期決定】処分方法の早期決定、丁寧な説明、風評対策双葉町2020年9月【早期決定】処分方法の早期決定、説明責任、風評対策浪江町2021年6月【慎重】丁寧な説明、風評被害への誠実な対応葛尾村2021年3月【早期決定】処分方法の早期決定、丁寧な説明、風評対策新地町2021年6月【反対】海洋放出方針に反対、国民や関係者の理解が得られていない飯舘村(意見書なし)※各議会のホームページ、会議録、議会だより、議会事務局への取材に基づいて筆者作成。 ※「区分」は上記取材を基に筆者が分類。「内容」は意見書のタイトルや文面、議会での議論の経過を基に掲載。 ※2020年1月から22年6月議会の動向。「時期」は議会の開会日。複数の意見書がある場合は基本的に最新のもの。 政府方針決定後も21議会が「反対」  意見書のタイトルや内容から、各議会の考えを【反対】、【慎重】、【早期決定】の三つに分けてみる。海洋放出方針の「撤回」や「再検討」、「陸上保管の継続」などを求める【反対】派は31議会で、全体の半分を占めた。「反対」とは明記しないが、「風評被害対策」や「丁寧な説明」などの対応を求める【慎重】派は16議会。双葉、大熊両町など5議会が【早期決定】派だった。 約8割に当たる47議会が【反対】【慎重】の意思を表していることは注目に値する。また、意見書を出していない8議会も当然関心はあるだろう。飯舘村議会は今年5月、政府に対して「丁寧な説明」「正確な情報発信」「風評被害対策」を求める要望書を提出。富岡町議会は昨年5月に全員協議会を開き、この問題を議論している。 ただし、筆者が反対派に分類したうちの10議会は、昨年4月13日の政府方針決定前に意見書を提出している点は要注意である。こうした議会が現時点でも「反対」を維持しているとは限らないからだ。たとえば郡山市議会は、20年6月議会で「反対」の意見書を可決したものの、政府方針決定後は「再検討」や「陸上保管の継続」を求める市民団体の請願を「賛成少数」で不採択としている。議会の会議録を読むと、「国の方針がすでに決まり、風評被害対策や県民に対する説明を細やかに行うと言っているのだから様子を見ようではないか」という趣旨の発言が多かったように感じた。 だが筆者はむしろ、全体の3分の1を超える21議会が政府方針決定後もあきらめずに「反対」の意見書を可決してきたことを重視している。 政府・東電は15年夏、福島県漁業協同組合連合会に対して〈関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない〉と約束している。それなのに一方的に海洋放出の方針を決めた。各議会の意見書を読むと、そのことに対する怒りが伝わってくる。 〈漁業関係者の10年に及ぶ努力と、ようやく芽生え始めた希望に冷や水を浴びせかける最悪のタイミングと言わざるを得ない〉(いわき市議会) 二本松市議会の意見書にはこんな記載があった。 〈廃炉・汚染水処理を担う東京電力のこの間の不祥事や隠ぺい体質、損害賠償への姿勢に大きな批判が高まっており、県民からの信頼は地に落ちています〉 東電の柏崎刈羽原発(新潟)では20年9月、運転員が同僚のIDカードを不正に使って中央制御室などの重要な区域を出入りしていた。外部からの侵入を検知する設備が故障したままになっていたことも後に発覚した。原発事故以降も続く同社の体たらくを見ていれば、「こんな会社に任せておいていいのか?」という気持ちになるのは無理もない。 熱心な市民たちの活動が議会の原動力に  いくつかの自治体議会では今年に入っても動きが続いている。 南相馬市議会は昨年4月議会で、国に対して「海洋放出方針の撤回」を求める意見書をすでに可決していた。そのうえで、福島県が東電の本格工事着工に対して「事前了解」を与えるかがポイントになっていた今年の夏(6月議会)には、今度は福島県知事に対して、「東電の事前了解願に同意しないこと」を求める意見書を出した。結果的に県の判断が覆ることはなかったが、南相馬市議会として、海洋放出への抗議の意を改めて伝えたかたちだ。 南相馬の市議たちが心配しているのは風評被害だけではない。議員の一人は、意見書の提案理由を議会でこう説明した。 〈政府と東京電力が今後30年間にわたり年間22兆ベクレルを上限に福島県沖へ放出する計画を進めているALPS処理水には、トリチウムなど放射性物質のほか、定量確認できない放射性核種や毒性化学物質の含有可能性があります。(中略)海洋放出の段取りを進めていく政府と東京電力の姿に市民は不安を感じています〉 続いて三春町議会だ。昨年6月、国に「海洋放出方針の撤回」を求める意見書を提出していた。そのうえで、直近の今年9月議会で再び議論し、今度は福島県知事に宛てた意見書をまとめた。議会事務局によると、「政府の海洋放出方針の撤回と陸上保管を求める、県民の意思に従って行動すること」を求める内容だ。 こうした議会の動きの背後には、汚染水問題に取り組む市民団体の存在があることも書いておきたい。 地方議会では市民たちが議会に「意見書提出を求める」請願・陳情を行い、それをきっかけに意見書がまとまる例もある。三春町で議会に対して陳情書を出したのは「モニタリングポストの継続配置を求める市民の会・三春」という団体だ。共同代表の大河原さきさんは「住民たちの代表が集まる自治体議会での決定はとても重い。国や福島県は自治体議会が可決した意見書の内容をきちんと受け止めるべきです」と語る。 南相馬市議会に請願を出した団体の一つは「海を汚さないでほしい市民有志」である。代表の佐藤智子さんはこう語り、汚染水の海洋放出に市民感覚で警鐘を鳴らしている。 「政府や東電は『汚染水は海水で薄めて流すから安全だ』と言うけれど、それじゃあ味噌汁は薄めて飲めばいくら飲んでもいいんでしょうか。総量が変わらなければ、やっぱり体に悪いでしょう。汚染水も同じことが言えるのではないかと思います」 「慎重派」の中にも濃淡  福島市議会や会津若松市議会などの意見書は、海洋放出方針への「反対」を明記しないものの、「風評被害対策」や「丁寧な説明」などの対応を求めている。筆者はこうした議会を「慎重派」に区分したが、実際には、各議会の考えには濃淡がある。 たとえば浪江町議会は「本音は反対」というところだ。同議会は、意見書という形ではないものの、海洋放出に反対する「決議」を20年3月議会で可決している。そのうえで、昨年6月議会で「県民への丁寧な説明」や「風評被害への誠実な対応」を求める意見書を可決した。 会議録によると、意見書の提案議員は、〈あくまでも私、漁業者としての立場としてはもちろん反対であります。これはあくまでも前提としてご理解ください〉と話している。海洋放出には反対だが、それでも放出が実行されつつある現状での苦肉の策として、風評被害対策などを求めるということだろう。 一方、福島県議会が今年2月議会で可決した意見書もこのカテゴリーに入るが、こんな書き方だった。 〈海洋放出が開始されるまでの残された期間を最大限に活用し、地元自治体や関係団体等に対して丁寧に説明を尽くすとともに……〉 海洋放出を前提としているというか、むしろ促進しているような印象を抱かせる内容だった。 開かれた議論の場を  もちろん、第一原発が立つ大熊、双葉両町をはじめ、原発に近い自治体議会が「早期決定派」だったり、意見書を提出していなかったりすることも重要だ。原発に近い地域ほど「早くどうにかしてほしい」という気持ちが強い。ここが難しい。 汚染水の処分方法についての考えは地域によって様々だ。だからこそ粘り強く議論を続けなければならないというのが、筆者の意見である。この点で言えば、喜多方市議会が昨年6月に可決した意見書の文面がしっくりくる。 同議会の意見書はまず、現状の課題をこう指摘した。  〈今政府がやるべきことは、海洋放出の結論ありきで拙速に方針を決定するのではなく、地上保管も含めたあらゆる処分方法を検討し、市民・県民・国民への説明責任を果たすことであり、国民的な理解と納得の上に処分方法を決定すべきである〉 そのうえで以下の3項目を、国、福島県、東電に対して求めた。 ①海洋放出(の方針)を撤回し、国民的な理解と納得の上に処分方法を決定すること。②ALPS処理水は当面地上保管を継続し、根本解決に向け、処理技術の開発を行うこと。③公聴会および公開討論会、並びに住民との対話形式の説明会を県内外各地で実施すること。 政府の方針決定からすでに1年半が過ぎたが、この3項目の必要性は今も減じていない。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの? 違和感だらけの政府海洋放出PR授業【牧内昇平】 まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】

    〝プロパガンダ〟CM制作は電通が受注 ジャーナリスト 牧内昇平  福島第一原発にたまる汚染水(「ALPS処理水」)の海洋放出をめぐっては世の中の賛否が二つに分かれている。そんな中で放出への理解を一気に広げようと、政府が怒涛のPR活動を始めた。テレビCM、新聞広告、インターネットでも……。プロパガンダ(宣伝活動)を担うのは、誰もが知る広告代理店の最大手である。 福島第一原発敷地内のタンク群(昨年1月、代表撮影) ある朝突然、テレビから……  昨年12月半ばのある日、福島市内の自宅に帰るとパートナー(39)がこう言った。 「今朝初めて見ちゃった、あのCM。民放の情報番組をつけていたら急に入ってきた。ギョッとしちゃったよ」 「で、中身はどうだったの?」と筆者。パートナーはぷりぷり怒って答えた。 「どうもこうもないよ。すでに自分たちで海洋放出っていう結論を出してしまっている段階で、『みんなで知ろう。考えよう。』なんて言ってさ。自分たちの結論を押しつけたいだけでしょ」 パートナーの〝目撃〟証言を聞いた筆者は、口をへの字に曲げることしかできなかった。なりふり構わぬ海洋放出PRがついにスタートしたわけだ。       ◇ 12月12日、東京・霞が関。経済産業省の記者クラブに一通のプレスリリースが入ったようだ(筆者は後から入手)。リリースを出したのは経産省の外局、資源エネルギー庁の原発事故収束対応室。福島第一原発の廃炉や汚染水処理を担当する部署だ。リリースにはこう書いてあった。 〈ALPS処理水について全国規模でテレビCM、新聞広告、WEB広告などの広報を実施します〉 テレビCMの放送は同月13日から2週間ほどだという。どんなCMが流れたのか。ほぼ同じ動画コンテンツは経産省のポータルサイトから見ることができる。 https://www.youtube.com/watch?v=3Xk8Kjfxx84 みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと(実写篇30秒Ver.) ふだんテレビを見ない人もいると思うので、内容を再現してみた(表)。 ①ALPS処理水って何? ②本当に安全? ③なぜ処分が必要なんだろう? ④海に流して大丈夫? ➄ALPS処理水について国は、 ⑥科学的な根拠に基づいて、情報を発信。国際的に受け入れられている ⑦考え方のもと、安全基準を十分に満たした上で海洋放出する方針です。 ⑧みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと。 ⑨経済産業省 刷り込み効果に懸念の声  このCMを見た人はどんな感想を持っただろうか。筆者はそれが知りたくて、パートナーと一緒に運営しているウェブサイト「ウネリウネラ」でこの内容を紹介。読者の感想をつのった。寄せられた感想の一部をペンネームと共に紹介する。 ・ペンネーム「抗子」さんの感想 〈放射性物質はなくなったのでしょうか? 本日朝9時ごろワイドショーの合間にテレビコマーシャルが入りました。アルプス処理水は問題ない、こんなに減る、とグラフで説明していました。専門的数値はよくわかりません。放射性物質ゼロを望んではいけないのでしょうか? 皆にCMで刷り込まれることに脅威を感じます。世界的問題です〉 ・ペンネーム「penguin step」さんの感想 〈ちょうどテレビでALPS水のCMを見ました。美しい映像で、海洋放出に害はないことを強調していました。事件や事故の加害者には謝罪責任、説明責任、再発防止が必要です。原発事故について企業や国が行ったことも同じだと思います。キレイにキラキラ表現で誤魔化しては欲しくないことです〉 ALPSで処理しても放射性物質はゼロにはならない。キラキラ表現でごまかすな。2人のご意見に共感する。 アニメ篇や大臣篇も  ちなみに、抗子さんが指摘する「世界的問題だ」という点は重要だ。政府や東電は事あるごとに「国際社会の理解を得て海洋放出する」と言う。こういう場合の「国際社会」とは主にIAEA(国際原子力機関)のことを指している。IAEAは原子力の利用を推進する立場だ。よほどのことがない限り海洋放出に反対するとは考えられない。 だが、「国際社会=IAEA」ではない。たとえばフィジー、サモア、ソロモン諸島、マーシャル諸島などが加わる「太平洋諸島フォーラム(PIF)」は、日本政府の海洋放出方針に対して「時期尚早だ」と異を唱えている。「PIF諸国は国際社会に含まない」とは、さすがの日本政府も言うまい。 テレビCMに話を戻す。重なるところもあるが、筆者の感想も書いておこう。以下3点である。 ①「考えよう」と言いつつ、答えが出ている CMのキャッチコピーは〈みんなで知ろう。考えよう。〉だ。しかし、「国は安全基準を満たした上で海洋放出します」と言い切っている。これでは本当の意味で「考える」ことはできない。「海洋放出」という答えがすでに用意されているからだ。 ②肝心の「原発」や「福島」が出てこない 汚染水が問題になっているのは原発事故が起きたからだ。それなのにCMには「原発事故」や「放射能」を想起させる映像が一つもない。代わりに挿入されている映像は「青い海」と「青い空」である。要するに「きれいなもの」しか出てこない。放射性物質で汚染された水を海に流すか否かが問われているのに、「きれい」というイメージを植えつけようとしているように感じる。 ③謝罪の言葉がない そもそも原発事故は誰のせいで起きたのか。原発を動かしていた東京電力だけでなく、国にも責任がある。少なくとも、原発政策を推し進めてきた「社会的責任」があることは国自身も認めている。それならば、事故がきっかけで生まれた汚染水を海に流す時に真っ先に必要なのは、国内外の市民たちへの「謝罪」ではないのか。  ちなみに経産省の動画コンテンツは紹介した「実写篇」だけではない。「アニメ篇」と「経産大臣篇」というのもある。「アニメ篇」は若い女性記者が福島第一原発に入り、ALPS(多核種除去設備)や敷地内に建ち並ぶタンク群を取材するというシナリオ。ラストカットで記者は原発越しの太平洋を見つめ、強くうなずく。ナレーションがそう語るわけではないが、いかにも「記者は海洋放出すべきと確信した」という印象を残す作りである。西村康稔経産大臣が「タンクを減らす必要があります」などと語る「大臣篇」については、動画は作ったもののテレビCMとしては流していない。 https://www.youtube.com/watch?v=lIM123YNZ9A みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと(アニメーション篇) https://www.youtube.com/watch?v=SkALutW1Rh4 みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと(経済産業大臣篇) まるで海洋放出プロパガンダ  汚染水の海洋放出には賛否両論がある。特に福島県内では反対意見が根強い。漁業者たちが率先して抗議しているし、自治体議会も同様だ(詳しくは本誌昨年11月号「汚染水放出に地元議会の大半が反対・慎重」を読んでほしい)。 それなのに政府のやり方は一方的だ。政府CMのキャッチコピーは、筆者からすれば、〈みんなで「政府のやることがいかに正しいかを」知ろう。考えよう。〉である。これではプロパガンダ(宣伝活動)と言わざるを得ない。 アメリカで「現代広告業界の父」と評され、ナチス・ドイツの広報・宣伝活動にも影響を与えたとされるエドワード・バーネイズ(1891~1995)は、著書で「プロパガンダ」という言葉をこう定義する。 社会グループとの関係に影響を及ぼす出来事を作り出すために行われる、首尾一貫した、継続的な活動」のことである〉〈プロパガンダは、大衆を知らないうちに指導者の思っているとおりに誘導する技術なのだ バーネイズ著、中田安彦訳『プロパガンダ教本』  こうしたプロパガンダは霞が関の官僚たちだけでできる代物ではない。CMを制作し、テレビ局から放送枠を買い取る必要がある。後ろには必ず広告のプロがいる。 政府が海洋放出方針を決めた2021年度、経産省は「海洋放出に伴う需要対策」という名目で新たな基金を作った。国庫から300億円を投じるという。基金の目的は2つ。①「風評影響の抑制」(広報事業)と②「万が一風評の影響で水産物が売れなくなった時に備えての水産業者支援」だ。本当は②が主な目的で、基金の管理者には農林水産省と関係が深い公益財団法人「水産物安定供給推進機構」が指定されている。ところが現時点で始まっている基金事業9件はすべて①の広報事業である。 この広報事業の一つが、昨年末のテレビCMを含む「ALPS処理水に係る国民理解醸成活動等事業」だ。基金が公表している公募要領によると、事業項目は以下の3つ。 ①国内の幅広い人々に対する「プッシュ型の情報発信」②情報発信のツールとして使用するコンテンツの作成③ALPS処理水の処分に伴う不安や懸念の払しょくに資するイベントの開催および参加。 このうち①が特に重要だろう。テレビCM、新聞広告、デジタル広告などを通じて「プッシュ型の情報発信」をするという。発信方法には具体的な指示があった。 ・テレビスポットCM:全国の地上系放送局において、各エリアで原則2500GRP以上を取得すること。放送時間帯は全日6時~25時とすること。必ずゾーン内にOAすること。放送素材は15秒または30秒を想定。 ・新聞記事下広告:全国紙5紙ならびに各都道府県における有力地方紙・ブロック紙の朝刊への広告掲載(5段以上・モノクロ想定)を1回実施すること。 ・デジタル広告:国内最大規模のポータルサイトであるYahoo!Japanを活用し、同社が保有しているデータ、およびアンケート機能を活用したカスタムプランを作成し、トップ面に9500万vimp以上の配信を行うこと。国内最大規模の動画サイトであるYouTubeを活用し、「YouTube Select Core スキッパブル動画広告(ターゲティングなし)」に1250万imp以上の配信を行うこと。 「GRP」とはCMの視聴率のこと。「vimp」「imp」は広告の表示回数などを示す指標だ。要するに媒体を選ばず手当たり次第に海洋放出をPRせよ、ということだろう。予算の上限は12億円。大金である。 あのCMを作ったのは……  昨年7月、基金は請負業者を公募した。どんな審査をしたかは分からないが(情報開示請求中。今後分かったら本誌で紹介します)、翌8月に請負業者が決まる。落札したのは〝泣く子も黙る〟広告代理店最大手、電通だった。 〈取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……〉 電通の「中興の祖」とも呼ばれる同社第4代社長、吉田秀雄氏が作った「鬼十則」の第5条だ。同社の〝度を越した〟ハングリー精神を如実に物語っている。このハングリー精神を武器にして、電通は長きにわたり、広告業界のガリバーとして君臨してきた。 経産省が海洋放出に備えて作った基金は昨年8月、テレビCM事業を電通が請け負うことになったとホームページで公表した  電通に次ぐ業界2位の広告代理店、博報堂の営業マンだった本間龍氏の著書や数々の報道によると、電通は自民党を中心として政界とのパイプが太い。新入社員の過労自死が大問題になってもその屋台骨はゆらがず、一昨年の東京五輪でも利権を握っていたことが指摘されている。 そんな電通が海洋放出のCM事業を請け負うのはある程度予想されていたことだろう。なにしろ、先ほど紹介した経産省の事業は大規模で幅広く、そんじょそこらの広告代理店では対応できないからだ。 この事業は公募時の予算の上限が12億円とされている。経産省は現時点では電通との契約金額を答えていないが、予算の上限に近い金額が電通に落ちるのではないかと推測される。 先ほど基金の規模は300億円と書いた。しかし経産省の説明によると、そのうち広報事業に充てる分は30億円ほどを見込んでいるという。そうすると、広報事業のウェイトの約3分の1を電通1社が占めることになる。まさに「鬼」の面目躍如と言ったところか……。 二度目の「神話崩壊」にならないために  政府は電通と組んで海洋放出プロパガンダを推し進めようとしている。この状況を黙認していいのだろうか。筆者は地元福島のマスメディアの抵抗に期待したい。先述した通り福島県内では海洋放出への反対意見が根強い。〝地元の声〟をバックにすれば、政府・電通の圧力に対抗できるのではないか……。 だが、そうもいかないらしい。ご存じの通り、県内全域を網羅する民間のテレビ局は4社ある。筆者はこの4社に対して「海洋放出CMを流したか」と質問した。まともに回答したのは1社のみ。 その1社の幹部は筆者にこう答えた。「放送の時間帯などは答えられませんが、昨年12月に海洋放出のテレビCMを流したという事実はあります。うちだけでなく、裏(ライバル)の3社もすべて流したと思いますよ」(あるテレビ局幹部)。 他の3社は回答期限までに答えなかったのが1社と、事実上のノーコメントだったのが2社。少なくとも「放送を拒否した」と答えた社は一つもなかった。 新聞も同様だ。筆者と本誌編集部の調べによると、朝日、読売、毎日など全国紙と河北新報、さらに民報と民友の県紙2紙は、昨年12月13日に〈みんなで知ろう。考えよう。〉の経産省広告を載せた。CMや広告はテレビ局や新聞社が自社で審査しているはずだ。しかし少なくとも筆者が取材した範囲においては、政府・電通のプロパガンダに対する抵抗の跡は見つけられなかった。 テレビ局だけでなく、新聞各紙も海洋放出をPRする経産省の広告を掲載した  ここまで書き進めると、どうしても思い起こしてしまうのが「3・11以前」のことだ。 原子力発電は日本のためにも世界のためにも必要なものです。だからこそ念には念を入れて安全の確保のためにこんな努力を重ねています 本間龍著『原発広告』  1988年、通商産業省(現・経産省)は読売新聞にこんな全面広告を出した。 1950年代以降、日本政府は「原子力の平和利用」をかかげて原発建設を推し進めた。そもそも危険な原発を国民に受け入れさせるために必要とされたのが、電通をはじめとした広告代理店によるプロパガンダだった。 一見、強制には見えず、さまざまな専門家やタレント、文化人、知識人たちが笑顔で原発の安全性や合理性を語った。原発は豊かな社会を作り、個人の幸せに貢献するモノだという幻想にまみれた広告が繰り返し繰り返し、手を替え品を替え展開された〉〈これら大量の広告は、表向きは国民に原発を知らしめるという目的の他に、その巨額の広告費を受け取るメディアへの、賄賂とも言える性格を持っていた〉〈こうして3・11直前まで、巨大な広告費による呪縛と原子力ムラによる情報監視によって、原発推進勢力は完全にメディアを制圧していた 本間龍著『原発プロパガンダ』  プロパガンダによって国民に広まった原発安全神話は、福島第一原発のメルトダウンによって完全に崩壊した。事故前も原発安全神話に対する疑問の声はあった。しかし、その少数意見は大量のプロパガンダによって押し流されてしまっていた。 海洋放出についても安全性に疑問を呈する人々はいる。ALPSで処理後に大量の海水で薄めると言っても、トリチウムや炭素14などの放射性物質は残るのだから心配になるのは当然だ。過去の反省に基づけば、日本政府が今やるべきことは明らかだ。テレビCMで新たな「海洋放出安全神話」を作り出すことではなく、反対派や慎重派の声にじっくり耳を傾けることだろう。 経産省に提案したい。 昨年12月と同じ予算や放送枠を反対派・慎重派に与え、テレビCMを作ってもらったらどうか。 実は海洋放出についていろいろな意見があることを国民が知る機会になる。こうして初めて、本当の意味で〈みんなで知ろう。考えよう。〉というCMのキャッチコピーが実現に近づく。 あわせて読みたい 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの? まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」

  • 【専門家が指摘する盲点】汚染水海洋放出いつ終わるの?

    ジャーナリスト 牧内昇平  福島第一原発のタンクにたまる汚染水(「ALPS処理水」)について、筆者は「海洋放出は時期尚早だ」と考えている。だが仮に「強行」した場合、「いつ終わるのか」という疑問も投げかけたい。地下水の流入の問題だけでなく、足元では日々発生する汚染水中のトリチウム濃度が上がっているという事実も発覚しているからだ。  東電によると、福島第一原発の敷地内には昨年12月現在、1000基超のタンクが建ち、その中には約130万立方㍍の汚染水(東電は「ALPS処理水等」と呼ぶ)がたまっている。政府・東電は林立するタンクが廃炉作業の邪魔になると言い、この汚染水を海に流したがっている。  では、海洋放出はいつ始まり、いつ終わるのか。  スタート時期の目標ははっきりしている。政府が2021年4月の基本方針に「2年後をめどに開始」と書いたからだ。一方、ゴールの時期については曖昧だ。政府の基本方針には「何年までに終わらせる」という目安が具体的に書かれていない(この時点で筆者は「無責任だなあ」と思ってしまうが、いかがだろうか)。  もちろん、「暗黙のゴール」はある。  福島第一原発の廃炉作業全体には「30~40年後」という終了目標がある。原子炉の冷温停止(2011年12月)から40年後というと、2051年だ。だから海洋放出も、少なくともこの「2051年」が暗黙のゴールということになる。実際、東電が原子力規制委員会や福島県の会議で提出している「放出シミュレーション」は、2051年に終わる想定になっている。  今からだいたい30年後ということになるので、筆者はこれを「海洋放出30年プラン」と呼ぶ。 30年プランの中身  この30年プランについて見ていこう。まずは「前提条件」のおさらいだ。  政府・東電は「ALPS(多核種除去設備)で処理するから安全だ」という。少なくともトリチウムという放射性物質は、ALPSでは取り除けない。それでも政府や東電が「安全」と言う理由は主に二つある。  ①「海水で薄める」  ②「放出量の上限を決める」  の2点だ。この二つのうち、今回の記事と関連が深いのは②である。 政府・東電はこう言っている。  トリチウムは事故前の福島第一原発でも放出していた。当時は「年間22兆ベクレル」という量を管理目標としていた。だから今回の海洋放出についても「年22兆ベクレル」という上限を設ける――。  これが、海洋放出に理解を得るために政府・東電が国民に示した「条件」である。  もう少しプランの詳細を見てみる。  汚染水には2種類ある。「日々発生する汚染水(A)」と「タンクに保管中の汚染水(B)」だ。   福島第一原発では毎日、汚染水が新しく発生している。地下水や雨水が原子炉建屋に流れこみ、燃料デブリに触れた水と混ざって「汚染」されるからだ。こうして「A」ができる。Aを集め、タンクで保管しているのが「B」だ。この2種類をどのように流していくのか。  東電は昨年6月、福島県が開いた「原子力発電所安全確保技術検討会」(以下、技術検討会と略)という会議でこの点を説明した。東電の海洋放出工事に関して、福島県など地元自治体が「事前了解」を与えるかどうかを判断するための会議だ。  「(AとBのうち)トリチウムの濃度の薄いものを優先して放出します。現在のタンク群をできるだけ早く解体撤去したいということもあり、体積が稼げる薄いものから、ということで考えています」(松本純一・福島第一廃炉推進カンパニー、プロジェクトマネジメント室長)  東電の説明資料(概要は図表1)には、Aのトリチウム濃度は「1㍑当たり約20万ベクレル」と書いてあった。それに対してBは「平均約62万ベクレル」だった。資料によるとBのトリチウム濃度はタンクごとに大きく異なる。20万ベクレル以下のタンクもあれば、216万ベクレルと桁違いの濃さのものもあるようだ。  そもそも海洋放出を進める目的は、敷地内のタンクを減らし、廃炉作業をスムーズに行うためだった。濃度が低いものから流していくという東電の説明は理にかなっている。  ではこの計画で進めた場合、Bは毎年どのくらい減っていくのか。  ポイントは、トリチウムの放出量には「年間22兆ベクレル」という上限があることだ。  日々発生するAの量が増えたり、濃度が上がったりすれば、その分タンク中のBの放出量は減らさざるを得ない。公式風に書くとこうなる。  「Bから放出できるトリチウムの量」イコール「年間22兆ベクレル」マイナス「Aからの放出量」  現状の東電の計算が図表1に書いてある。  Aの発生量を1日当たり100立方㍍、トリチウム濃度は1㍑当たり20万ベクレルと仮定する。そうすると、1日に発生するトリチウムの総量は200億ベクレル、年間では約7兆ベクレルになる。上限が22兆ベクレルだから、Bからは約15兆ベクレルのトリチウムを放出できる、という計算になる。  ところが、この東電のプランはスタート前から雲行きが怪しくなってきている。この1年ほど、原発敷地内のトリチウム濃度が顕著に上がっているからだ。  東電はALPSで処理する前(淡水化装置の入り口)の汚染水のトリチウム濃度を公表している。その推移を示したのが図表2である。  昨春以降のトリチウム濃度が上がっているのは明らかだ。東電が技術検討会で「現時点におきましては、トリチウム濃度は約20万ベクレル/㍑であり……」と説明したのは昨年6月だった。だが、同じ時期に試料採取された汚染水のトリチウム濃度は51万ベクレルだった(測定結果は1カ月以上後に公表される)。最新の10月3日時点の数字は47万ベクレルと一時期よりも若干下がったが、それでもだいぶ高い。  トリチウム濃度はなぜ上がったのか。東電の分析によると、原因は地震だ。昨年3月16日、福島県沖でマグニチュード7・4の地震が起きた。この地震の影響で3号機の格納容器の水位が下がったことが明らかになっている。  ALPS処理前のトリチウム濃度が上昇したのは昨年4月以降である。実はそれとほぼ同じ時期に、3号機の原子炉建屋でも濃度上昇が確認された。  東電はこれらの状況証拠に基づき、地震の影響で3号機からトリチウム濃度の高い汚染水が流れ出たものとみている。海洋放出を続けても タンクが減らない? 海洋放出を続けても タンクが減らない?  この状況を憂慮している研究者がいる。福島大学の柴崎直明教授である。水文地質学の専門家で、原発建屋内に地下水を入り込ませないための「止水対策」などで重要な提言をしている。先ほど紹介した福島県の「技術検討会」の専門委員でもある。 柴崎直明教授  柴崎氏はトリチウム濃度が高止まりを続けた場合、海洋放出のスケジュールにどのような影響を及ぼすか試算した。  放射性物質には時間が経つと量が半分になる「半減期」というものがある。トリチウムの場合、半減期は12・32年だ。この時間が経てば放っておいても量は半分に減る。そのことも考慮した上で、日々発生する汚染水のトリチウム濃度を「1㍑当たり50万ベクレル」、今後の発生量を1日当たり100㌧と仮定し、試算を行った。その結果は……。  柴崎氏は話す。  「現在、地上のタンクに保管されている処理水の海洋放出が完了するのは2066年頃になるという試算になりました」(詳しくは図表3)。  ※一番上の線がタンクに入った処理水総量の推移。下の5本の線はトリチウムの濃度別に区切った場合の処理水残量の推移。薄いものから放出するため、まず1㍑当たり15万ベクレル程度の処理水がゼロになる。薄いものから徐々になくなり、最終的には2021年4月時点で210万ベクレルくらいの高濃度の処理水を放出する。  東電のプランは「51年」だった。柴崎氏の指摘は一定条件下での試算に過ぎず、「必ずこうなる」というものではない。だが、考える材料になる。柴崎氏はさらに付け加えた。  「仮に、トリチウム濃度がもっと高くなって、1㍑当たり60・3万ベクレルになったとしましょう。そうすると、1日当たり100㌧発生する汚染水を処理して流すだけで、トリチウムの放出量は『年間22兆ベクレル』という上限に達してしまいます。つまり、タンクにたまっている処理水は1㍑も海に流せない、ということです」  ずっと高濃度の状態が続くかどうかは定かではない。だが、少なくとも一時的にこうした事態が発生する恐れはあるだろう。過去にさかのぼれば、汚染水中のトリチウム濃度は1㍑当たり100万ベクレルを超えていた時期もあったのだ。柴崎氏はこう話す。  「原発敷地内のどのエリアにどのくらいの量のトリチウムで汚染された水がたまっているのか、実はまだ正確に分かっていません。今後、地震や廃炉作業の影響で濃度が再び上がる可能性は十分あるでしょう」 説明不十分な東電  東電はこの状況をどのくらい真剣に捉えているのか。  先述の「技術検討会」のほかにも、福島県が原発事故対応のために専門家を集めた会議はある。その一つが「廃炉安全監視協議会」だ。昨年10月19日に開かれた同協議会で柴崎氏は東電にこの点を問いただした。  柴崎氏「日々発生する汚染水のトリチウム濃度が20万ベクレル/㍑というのは低く見積もりすぎで、過去に100万ベクレル/㍑を超えたこともあったわけですし、その辺はどう考えたらよろしいでしょうか」  東電側、松本純一氏(前出)の回答は歯切れが悪かった。  松本氏「今のように50万ベクレル/㍑を超えてきて、濃度が高くなっているケースでは、貯留している水の薄いものを放出するような運用計画を定めて実施していきたいと考えています。毎年、年度末には翌年度の放出計画という形で用意します」  柴崎氏は追及をやめなかった。  柴崎氏「もし(濃度が)60万ベクレル/㍑を超えると、(年間放出量の上限である)22兆ベクレルは全部消費されると思います。そのような場合にタンクはどのように減るのか、タンクを増やさなければならないのか。タンクの増減の見通しを示してほしいと思います」  松本氏「予測が難しいところもありますが、今後、そのような計画をお示ししていきたいと思います」  東電の説明は十分だろうか。柴崎氏は筆者の取材にこう語る。  「東電は楽観的な見通しの上で計画を立てています。状況が悪化した場合にも対応できる計画を早急に示すべきです」  筆者が直接問い合わせてみると、東電の広報担当者からはこんな回答が返ってきた。  「タンクに保管されている分を除くと、2021年4月時点での建屋内のトリチウム総量は最大約1150兆ベクレルです。総量が決まっているため、仮に一時的に濃度が高くなっても長期間は継続しないでしょう。また、現時点での放出シミュレーションはもともと『年間22兆ベクレル』の上限を使い切っていません。2030年度以降は18兆、16兆ベクレルの放出を想定しており、海水希釈前のトリチウム濃度が高くなっても対応できます。2051年度の海洋放出完了は可能だと考えています」  東電の説明を聞いた筆者はそれでも疑問に思う。たとえ一定期間でも高濃度の状態が続けば、その間敷地内のタンクの量は増えるのか。その場合廃炉作業に影響はないのか。  福島県はこの件をどのように受け止めているのか。県庁の担当者に聞くと、こう答えた。  「事前了解は海洋放出設備の安全性や環境影響の有無という観点で判断しますので、この件は影響しません。タンクが減らなくなるのはトリチウム濃度が高い状態が継続した場合ですよね。3月の地震以降は一時的に高くなっていますが、現在は下降傾向にあると聞いています」(県原子力安全対策課)  福島県も東電と同様、楽観的なものの見方をしてはいないか。  都合のいいことばかり広報するな  筆者は「海洋放出を早く済ませろ」と言っているのではない。「不確実な点は残っている」と言いたいのだ。  海洋放出に突っ走る者たちは「いつまでに終わる」と明言していない。東電は、自信があるなら「2051年までに終わらせる」と国民に約束、宣言すればいい。政府も基本方針に分かりやすく明記すべきだ。そうしないのは、不十分・不確実な点が残っているからだろう。  まず課題として挙げるべきなのは、地下水・雨水の流入防止策だろう。「日々発生する汚染水」を減らさないと、海洋放出しても陸上のタンクはなかなか減らない。2021年現在の汚染水発生量は1日当たり130立方㍍だった。東電は「2025年中に1日当たり100立方㍍に抑制」を目標にしているが、そこからさらに発生量を減らす見通しが明確になっていない。この点は「技術検討会」(昨年6月)で高坂潔・県原子力対策監も指摘した。  高坂氏「将来にわたって日々の汚染水の発生量100立方㍍/日が続くと、タンク貯留水を減らすことがなかなか達成できず、場合によってはかなり長期間にわたってしまいます。30年前後で放出完了を計画しているみたいですが、それに収まらないのではないかと懸念される」  もう一つ、不確実なものの代名詞的存在と言えば、ALPSではないだろうか。これまでも不具合を繰り返してきた装置だ。数十年にわたって期待通りに活躍してくれるのか。  ここのところ、「海洋放出キャンペーン」が勢いを増している。経済産業省は昨年12月、テレビCMや新聞広告による大々的なPRを始めた。我が家の新聞にも早速、〈みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと〉と大書した広告が載った。  だが、経産省や東電のウェブサイトに書かれているのは、海洋放出の必要性、トリチウムの安全性、そんな話ばかりである。「トリチウム濃度が上昇」、「地下水対策に課題」、などといった情報は、少なくとも一般の人が分かりやすいような形では紹介されていない。  〈みんなで知ろう。考えよう。〉  こんなキャッチコピーを掲げるなら、政府・東電は自らに都合の悪い情報も積極的に知らせ、それでも海洋放出という道を選ぶのか、国民に考えてもらうべきだ。 あわせて読みたい 【汚染水海洋放出】怒涛のPRが始まった【電通】  まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。 公式サイト「ウネリウネラ」