東京電力福島第一原発にたまる汚染水について、日本政府が海洋放出の方針を決めたのは2021年の4月13日だった。それからちょうど2年になる今年の4月13日に合わせて、政府方針に反対する人々が街頭に立った。国内だけでなくパリやニューヨーク、太平洋の島国でも……。日本政府はこうした声に耳を貸さず、海洋放出を強行してしまうのか?
不都合なことは伝えない?日本政府
【福島・いわき】
4月13日午後0時半、いわき市小名浜のアクアマリンふくしまの前で、「これ以上海を汚すな!市民会議」(以下、「これ海」)の共同代表を務める織田千代さん(いわき市在住)がマイクを握った。
「放射能のことを気にせず、健康に毎日を暮らし、子どもたちが元気に遊び、大きくなってほしい。そんな不安のない毎日がやってくることが望みです。これ以上の放射能の拡散を許してはいけないと思います。これ以上放射能を海にも空にも大地にも広げないで!」
約30人の参加者たちが歩道に立ち〈汚染水を海に流さないで!〉と書かれたプラカードを掲げた。工場群へと急ぐトラックや、水族館を訪れる子どもたちを乗せた大型バスが通るたび、参加者たちは大きく手をふってアピールした。リレー形式のスピーチは続く。
「小学生の子どもが2人います。将来子どもたちから『危険だと分かっていたのにママは何もしなかったの?』と言われないように、子どもたちに恥ずかしい気持ちにならないように、みなさんと一緒にがんばっていきたいと思います」
「4歳の娘がいます。子どもを産む前に『福島で子どもは産むな』と親戚から言われました……。子どもは今元気に育っています。でも、これから海が汚されようとしています。汚染された海で魚を食べて、娘や子どもたちの世代には何も関係ないことなのに、風評も含めて被害を受けるのかと思うと、親としてすごく悲しい気持ちになります」
年配の男性からはこんな声も。
「会津生まれの私がいわきに住み着いたのは、魚がうまいからでした。それが原発事故になって、どうも落ち着いて魚を食べられなくなってしまった。これで海洋放出までやられたんでは、本当に、安心して酔っぱらいきれない。早く心から酔っぱらいたいと思っています」
浪江町の津島から兵庫県に避難している菅野みずえさんはちょうど来福していたため急きょ参加。こんなエピソードを語った。
「こないだGX(政府の原発推進方針)の説明会で経済産業省や環境省の人がきました。その中の一人が、『私は福島に何度も通って、福島と共に歩んでいます』なんてことを言った挙げ句に、『〝ときわもの〟の魚を私たちは……』と言いました」
小名浜の街頭に立つ人たちからどよめきの声が上がった。菅野さんは話を続けた。
「あほかおめぇって。国はちゃんとこっちを見てません。私たちしかがんばる者がいないなら一生懸命がんばりたいと思います」
街頭行動の終盤では地元フォークグループ「いわき雑魚塾」が演奏した。歌のタイトルは「でれすけ原発」。
♪でれすけ でんでん ごせやげる でれすけ 原発 もう、いらねえ!(※メンバーによると、でれすけは「ばかたれ」、ごせやげるは「腹が立つ」の意)
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いわき市小名浜のシーサイドは市民たちによる海洋放出反対アクションの「中心の地」の一つだ。菅義偉首相(当時)が汚染水(政府・東電は「ALPS処理水」と呼ぶ)の海洋放出方針を発表したのは2021年4月13日。その2カ月後から、反対する市民たちは毎月13日に街頭でスタンディング(アピール行動)を行ってきた。中心となったのが「これ海」のメンバーたちである。
地道に続けてきた活動は大きな成果を上げつつある。これ海のメンバーたちは今年に入ってから、SNSを通じて国内外の人々に「4月13日は一緒に行動を。アクションを起こしたら写真を送ってください」と呼びかけてきた。手探りの試みだったが、呼びかけはグローバルな広がりを見せた。
【フランス】
♪オ~、シャンゼリゼ~
オ~、シャンゼリゼ~♪
4月上旬、花の都パリの鉄橋に〈SAYONARA NUKES〉の横断幕がかかった。現地の脱原発ネットワーク「よそものネットフランス」の辻俊子さんのSNS投稿を紹介する。
《若葉の緑が目に鮮やかな季節が始まり、暖かな日差しに人々がくつろぐ週末の午後、私達はサン・マルタン運河に架かる橋の一つに陣取りました。この運河はセーヌ河へと続き、セーヌ河はノルマンディー地方で大西洋に注ぎます。海は皆の宝物、これ以上汚してはいけません!》
ヨーロッパ随一の原発推進国フランス。マクロン大統領は昨年、最大14基、少なくとも6基の原子炉を新設すると明言した。もちろんそんな中でも原発に反対する声はある。使用済み核燃料の再処理工場があるノルマンディー地方のラ・アーグでは、「福島」と手書きされた折り紙の船が水辺に浮かんだ。
【米国】
STOP THE NUCLEAR WASTE DUMPING! (核の廃棄物を捨てるな!)
ドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンの映画でも知られるニューヨーク公共図書館。美しい建物の前で4月8日、「汚染水を流すな!」集会が行われた。日本語で〈原子力? おことわり〉と書いた旗をかかげる人の姿も。ニューヨークの近郊にはインディアンポイント原発があり、市内を流れるハドソン川が汚染される懸念がある。日本の海洋放出はNYっ子たちにも他人事ではないのだ。
【ニュージーランド】
「キウイの国」の南島オタゴ地方の都市ダニーデン。「オクタゴン」(八角形)と呼ばれる市内中心部の広場に、〈Tiakina te mana o te Moana-nui-a-Kiwa〉と書かれた横断幕がひるがえった。マオリ語で「太平洋の尊厳を守ろう」という意味だそうだ。
スタンディングに参加した安積宇宙さんは東京都生まれ。地元オタゴ大学に初めての「車椅子に乗った正規の留学生」として入学した人だ。安積さんはSNSにこう書きこんでいた。
《太平洋は、命の源であり、私たちを繋いでいる。(海洋放出)計画の完全中止を求めます》
【太平洋諸国】
青い空に青い海。美しい景色をバックに、マーシャル諸島の若者たちは〈DO NOT NUKE THE PACIFIC〉(太平洋を核にさらすな)のプラカードをかかげた。ソロモン諸島では照りつける太陽の下に〈PROTECT OUR OCEAN〉(私たちの海を守れ)の旗。フィジーでは〈I am on the Ocean,s side〉(私は海の味方)の横断幕……。
米軍が1954年3月1日にビキニ環礁で行った水爆ブラボー実験は、軍の想定を大幅に上回る放射能汚染を地域にもたらした。爆心地にできたクレーターは直径2㌔、深さ60㍍とも言われる。爆発で吹き上げられた放射性物質は漁船「第五福竜丸」やマーシャル諸島に暮らす人びとの上に降りかかった。多くの人が病に冒され、故郷を追われた(佐々木英基著『核の難民』)。こういう経験をしている人々が海洋放出に反対するのは当然だろう。
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SNS情報だから正確ではないが、4月13日の前後に国内外でかなりの数の市民が行動を起こしたことを確認できた。一部を書き出す。
福島、郡山、茨城、京都、新潟、東京、愛知、佐賀、青森、神奈川、静岡、埼玉、兵庫、福岡、沖縄、ベトナム、カナダ、韓国、フィリピン……。これだけ広がったのは、発起人たちの中でも予想外だったようだ。
これ海メンバーで会津若松市在住の片岡輝美さんは話す。「本当に驚きました。人びとのつながりを感じ、勇気をもらいました。あとは日本政府がこの市民のメッセージとどう向き合うのか、ですね」。
「我々は災害に直面する」
日本政府は国際原子力機関(IAEA)のお墨付きを得ることによって「国際社会は海洋放出を支持した」という印象を日本国内に植え付けようとしている。しかし、IAEAがすべてではない。アジアや太平洋の島国の中には海洋放出への反対が根強い。
今年1~2月、国連人権理事会で日本の人権の状況に関する審査が行われた。その結果、各国から合計300の勧告が日本政府に出された。死刑制度などへの勧告が多かったが、そのうち11件が海洋放出に関するものだったことは特筆に値する(表参照)。
海洋放出について日本政府に出された勧告
国名 | 勧告の内容 |
---|---|
中国 | 国際社会の正統かつ正当な懸念を真摯に受けとめ、オープンで透明性があり、安全な方法で放射性汚染水を処分すること。 |
サモア | 放射性廃棄物が人体や地球環境におよぼす影響を最小限に抑えるために、代替の処分方法や貯蔵方法への研究、投資、実践を強化すること。 |
マーシャル諸島 | 太平洋諸島フォーラムから独自評価を依頼された専門家たちが求めるすべてのデータを、可及的速やかに提供すること。 |
サモア | 福島第一原発の海洋放出計画について、包括的な環境影響調査を含めて、特に国連海洋法条約などに基づく国際的な義務を十分に守ること。 |
マーシャル諸島 | 太平洋諸島フォーラムによる独自評価が「許容できる」と判断しない限り、太平洋に放射性廃水を放出する計画を中止すること。 |
フィジー | 太平洋に放射性廃水を放出する計画を中止し、太平洋諸島フォーラムによる独自評価について、フォーラム諸国との対話を継続すること。 |
フィジー | 太平洋諸島フォーラムの専門家たちが放射性廃水の太平洋への放出が許容されるかどうかを判断するために、必要なすべてのデータを開示すること。 |
東ティモール | 国際的な協議が適切に実施されるまでは、福島第一原発の放射性廃水の投棄に関わるあらゆる決定の延期を検討すること。 |
サモア | 情報格差を含めて太平洋諸国が示しているすべての懸念に対処するまで放射性廃水の放出を控えること。人体と海の生物への影響に関する科学的データを提供すること。 |
バヌアツ | 汚染廃棄物の安全性に関する十分な科学的エビデンスの提供なしに、福島第一原発の放射性汚染水や廃棄物を太平洋に放出、投棄しないこと。 |
マーシャル諸島 | 太平洋の人びとや生態系を放射性廃棄物の害から守るために、海洋放出の代対策を開発、実践すること。 |
表を見て分かるのは、太平洋に浮かぶ島国の危機感が強いことだ。太平洋諸島フォーラム(Pacific Islands Forum、PIF)」という組織がある。外務省ホームページによると、オーストラリア、ニュージーランド、フィジー、ソロモン諸島、マーシャル諸島など、太平洋に浮かぶ16カ国と2地域が加盟している。今年1月、このPIFのヘンリー・プナ事務局長が英ガーディアン紙に寄稿した。
〈日本政府は太平洋諸国と協力して海洋放出問題の解決策を見出さなければいけない。さもなければ、我々は災害に直面する〉
プナ氏は寄稿の中でこう指摘する。海洋放出の是非を判断するためのデータが不足している。これは日本国内だけの問題ではなく、国際法に基づいてグローバルに検討すべき問題である。安全性に関する現在の国際基準が十分かどうか、我々は時間をかけて調べなければいけない――。プナ氏は最後にこう書いた。
〈我々を無視しないでください。我々に協力してください。我々みんなの未来、将来世代の未来がかかっています〉
奇妙な経産省の発表文
前述の通りPIF諸国の中には海洋放出に反対する国が数多くある。しかし経済産業省はそのことを日本国民に十分伝えているだろうか。
例を挙げる。今年2月、PIFの代表団が訪日し、岸田文雄首相、林芳正外務大臣、西村康稔経産大臣と会談した。原発を所管する西村氏との会談はどんな内容だったのか。経産省のウェブサイトを見ると、このようなニュースリリースが公開されていた。
〈西村大臣から、第9回太平洋・島サミット(PALM9)で菅前総理が約束したとおり、引き続き、IAEAによる客観的な確認を受け、太平洋島嶼国・地域に対し、高い透明性をもって、科学的根拠に基づく説明を誠実に行っていくことを再確認しました〉
予想通りの内容。驚いたのはこれからだ。会談結果を伝える経産省のページには、英文に切り替えるボタンがついていた。試してみると、先ほどの文章はこう変わった。
〈Minister Nishimura also reconfirmed that he takes seriously the concerns expressed by the Pacific Island countries and regions, and as promised by former Prime Minister Suga at The 9th Pacific Islands Leaders Meeting (PALM9)…〉
https://www.meti.go.jp/english/press/2023/0206_001.html
なぜか日本語版にはない一文が入っている。傍線部分だ。「彼(西村大臣)は太平洋諸国が示している懸念を真剣に受け止め…」。この部分が日本語版にはなかった。訳文と内容が異なるのは不可解だ。筆者は経産省の担当者にこの点を指摘した。すると担当者は「内部で確認し、後日回答します」との返事だった。しかし2日ほど返事がない。気になってもう一度該当ページを調べたら、経産省がしれっと直した後だった。「西村大臣は、太平洋島嶼国・地域から表明された懸念を真摯に受け止め…」と加筆されていた。筆者の指摘で直したのは確実だ。赤字で以下の注意書きが加わっていた。【リリースの英文と和文の記載内容に差異があったことから、和文も英文に合わせて修正しました】
https://www.meti.go.jp/press/2022/02/20230206002/20230206002.html
こういうのは細かいけれど重要だ。
経産省はこれまで、日本国内で「不都合なことは伝えない」というスタンスをとり続けてきた。〈みんなで知ろう。考えよう〉とテレビCMでかかげた。だが漁業者の反対やALPSでは除去できない炭素14の存在といった自分たちに不都合な要素は、少なくとも積極的には伝えていない。今回の件も同様に、「PIF諸国が懸念を示した」ことを日本国内に知らせたくなかったのではないか。勘ぐり過ぎだろうか?
日本政府は2015年、福島県漁業協同組合連合会(福島県漁連)に対して〈関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない〉と約束した。海に流した汚染水は世界中に広がる。そのことを考えれば、本来なら、理解を得る必要がある「関係者」は世界中にいると言っても過言ではない。日本政府の対応が問われている。
まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。