任期満了に伴い12月14日告示、同21日投開票で行われる相馬市長選は、現職の立谷秀清市長(6期)が退任し、当初はともに立谷氏の後継者的な立場の2人による争いが濃厚だった。しかし、そうした構図が固まったと思ったら、最終的には1人が立候補を取りやめ、無投票の公算が高くなった。そもそも、なぜ現職の後継者と思われる人物が2人も名乗りを上げたのか、さらにはそこから一本化に至った背景には何があったのか。
共倒れの懸念から候補者を一本化
市長選に向けて最初にアクションがあったのは9月11日、副市長の阿部勝弘氏(53)が辞表を提出したこと。もちろん、12月の市長選に立候補するための対応だった。阿部氏は相馬市出身。福島大学経済学部卒。市総務課長、市企画財政部長などを歴任し、2021年4月から今年9月まで副市長を務めた。

この時点で立谷氏は進退を明らかにしていなかったが、10月23日に開かれた後援会の会合で、今期限りで退任する意向を示した。同時に後継として市議の只野敬三氏(60)を指名した。只野氏は相馬市出身。東北学院大学法学部卒。1999年の市議選で初当選し、現在7期目。

一方、それに先立ち、阿部氏は10月17日に立候補を表明した。その際、「市民との対話を大切にし、現場主義で取り組む。現市長の市政運営とその志をしっかりと受け継ぎ、さらに発展させていく覚悟だ」(福島民友10月18日付)と述べた。
阿部氏は長く秘書課に在籍し、企画政策部長を経て副市長に就いた。外から見ると、立谷氏の信頼が厚く、一番近くで支えていた人物のように映る。阿部氏の支持者には、立谷氏の側近と言われる人たちがいた。加えて、前述のコメントを見ても、立谷氏の後継者という見方が広がった。
ただ、前述したように、実際に立谷氏が後継者として指名したのは只野氏だった。
その背景には何があったのか。
本誌11月号の情報ファインダーで、相馬地方の政界関係者の証言として、「市内経済界の中に立谷市政への不満があり、阿部氏は経済人から市長選に立候補することを勧められた」ということを紹介した。
「有力経済人が後押ししてくれることが確実になり、阿部氏は市長選出馬を決意した。一方、立谷氏は7選も視野に入れていたが、阿部氏と経済界のつながりを知り、情勢的に厳しいと判断。今期限りで引退する方向に変わった」(相馬地方の政界関係者)
一方で、阿部氏の対応に自民系市議らが「辞表の提出が急過ぎる」「仁義を通していない」と反発し、立谷氏の続投を含め、対立候補擁立を模索するようになった。立谷氏が今期限りで退任する意向であることを確認すると、只野氏を擁立することを決め、立谷氏もそれに納得した。
立谷市長が仲介
要するに、もともと立谷氏を支持していた中でも、経済界などは阿部氏、市議らは只野氏という具合に割れたのだ。結果、外部から見たら「どちらも立谷派だったよね」という人たちが阿部陣営と只野陣営に分かれて争うことになった。
これが当初の構図だが、それを「しめしめ」と思って見ている人がいた。ある関係者はこう話す。
「荒秀一県議や、2009年の市長選に立候補した根岸利宗市議などは、阿部氏と只野氏が争う構図をチャンスと思って見ていたはず。いろいろと票読みをすると、阿部氏と只野氏の争いに、荒県議、根岸市議のどちらかが出てきたら、漁夫の利を持っていかれる可能性が高いことが判明しました。そこで、共倒れになるのを防ぐため、立谷市長が仲介に入って一本化したのです」
この関係者によると、11月10日に立谷氏、阿部氏とその支持者、只野氏とその支持者で会合を持ち、前述の事情を伝えたうえで、一本化の協議をしたのだという。その時点で、阿部氏はすでに退路を断っている状況だったのに対して、只野氏はまだ市議を辞職していなかったことなどから、只野氏が立候補を取りやめ、阿部氏を支援することになった。
こうして、二転三転があった同市長選は無投票の公算が高くなったのである。

























